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【伝奇】東京ブリーチャーズ・漆【TRPG】

1那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2018/10/25(木) 20:34:47
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。

――だが、妖怪は死滅していなかった!

『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!



ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)

関連スレ

【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523230244/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523594431/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523630387/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・肆【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1508536097/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・伍【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1515143259/

【伝奇】東京ブリーチャーズ・陸【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1524310847/

【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/

番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/

東京ブリーチャーズ@wiki
https://www65.atwiki.jp/tokyobleachers/

284ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/12(金) 07:56:11
ポチは、狼だ――かつては「狼犬」であった事もあるが、とにかく。
生まれた時から今まで、殆どの時間を四つ這いの姿勢で過ごしてきた。
つまり敵の足元に潜り込み、体を起こさぬまま戦い続ける。
それはポチにとっては苦肉の策ではなく、むしろ本領。

四肢を地についた状態から右手を伸ばし、尾弐の大腿へ。
爪を突き立て、引きずり下ろすように切りつける。

だが――通らない。
如何に『獣』の力を込めた爪とて、酒呑童子の強靭な皮膚は引き裂けない。
それでもポチは退かない。手傷を負わせる事が目的ではないからだ。

爪が通らぬならば、殴り、蹴る。
祈へ再び詰め寄るにせよ、ポチを蹴飛ばさんとするにせよ、
尾弐の取る行動を逐一、その軸足に打撃を加えて阻害する。

とは言え、それも容易い事ではない。
今の尾弐が相手では、蹴りが僅かに掠めただけでもポチの命が吹き飛ぶ。
尾弐はただ、ポチの攻撃に対して相打ちを狙うだけでいいのだ。

尾弐の膝を、内から外へと押し出すような蹴撃。
だが、酒呑童子の膂力によって支えられた体幹は、崩れない。
軸足を蹴られた事などお構いなしに、ポチへと迫る尾弐の右足。
蹴りを放った直後の体勢では躱せない。

それでも――ポチは怯まない。
今、自身の傍らには唯一無二の同胞が――シロがいるのだ。

「手を貸して」

たった一言、それだけで彼女はポチの意図を汲み取れる。
群れを成しての狩り、それもまた狼の本領。
二匹のみとて、群れは群れ。

シロがポチの左手を掴み、引く。
互いの体を引き寄せ、押し退け、支えとする。
そうする事で、独りでは成し得ない動きが可能となる。
避けられないはずの攻撃が、避けられる。
届くはずのない攻撃が、届けられる。
その変幻自在の連撃は、精神が曖昧な状態にある尾弐では捌く事も、退ける事も出来ない。
尾弐から生じる怒りのにおいが、加速度的に濃くなっていく。

>「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」

そして――その怒りは、ついには臨界に達した。
尾弐が体を捩り、拳を振り上げる。
来る。酒呑童子の全身全霊の力を込めた拳が、降って来る。

待ち侘びた、だが掠めただけでも命取りになるその一撃を――しかしポチは瞬時に認識出来ない。
敵の足元に潜り込み、動作を制限するその闘法は必然、間合いを極限まで詰める必要がある。
つまり敵の動作の、全体像が見えない。

だが、それでも何も問題はない。
ポチの死角には、常にシロの眼光がある。
敵の挙動が見えずとも、ポチは必殺の一撃が来る事を察知出来る。
その場を飛び退き――直後、尾弐の拳が石畳を穿つ。

滴る己の血が、振りまくだけで霧と化すほどの拳速。
そこから生じる力は、石畳を破砕し、なおも衰えない。
飛び散る破片、塵さえもが、爆圧と化してポチを追う。

285ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/12(金) 07:57:10
「がっ……!」

そしてそれは、当然逃げ切れるものではない。
ポチは高く吹き飛ばされて、石畳へと落ちる。
すぐに体を起こそうとするが――叶わない。
体に力が入らない。視界が霞み、意識が朦朧とする。
それでもなんとか顔を上げて、周囲を見回す。
シロは――自分のすぐ隣に倒れていた。
息はある。命に届くような傷は見えない。
真新しい血のにおいも――ひどくにおい立つ、というほどではない。
ポチは安堵の溜息を吐き、

「……尾弐っち」

そう、呟いた。
これでもう、自分に出来る事は何もない。
皆は尾弐を取り戻せるだろうか。
霞む視界の奥を、じっと見つめる。

祈は、立ち上がれている。
ノエルも、橘音も天邪鬼も、目立った手傷は見受けられない。
祈の風火輪が火を噴いている事から、妖術の反転は無効化出来ている。
血霧から尾弐を追い出すのは、ポチでなくとも可能だ。

戦況は――悪くない。
今度は祈の風火輪と機動力、ノエルの妖術を前面に、橘音と天邪鬼が致命打を狙えるようになる。
自分がこれ以上戦えなくとも、尾弐を倒す事は出来るはずだ。

>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」

「……あ、はは……いいね、あれ……僕もああいうの……した方がいいかな……」

その後橘音が取った行動には、思わず苦笑するしかないほど、驚かされたが。
しかし結果として確かに、尾弐は動きを制限されている。
腕力も、橘音を引き剥がせないほどに抑え込まれている。

そして――ふと、尾弐がノエル達へと視線を向けた。
瞬間、ポチの背筋に悪寒が走る。

>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」

祈の全身から、強烈な妖気が溢れている。
髪は朱く、衣服は漆黒に染まり、燐光と烈火を纏うその姿は――
姦姦蛇螺との戦いで見せた、奇跡の力を帯びている証。

>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」

ノエルもまた、決着をつけるべく深雪へと姿を変えた。
切なる願いを込めた言霊が、死気の満ちる石牢を彼女の領域へと塗り替える。
そして膨大な妖力を全て吐き出し、絶大な妖術を構築していく。

いかに酒呑童子と言えど、体内を浄化されながら二人の攻撃を凌ぎ、
更に天邪鬼による童子切の一撃を防ぐなど、不可能だ。
不可能な――はずだ。

なのに――どうしても嫌な予感が拭えない。
先ほど尾弐が一瞬、祈とノエルへ向けた視線が、気になってやまない。

ポチがどうにか体を起こそうと雪原に右手をつく。
自分の不安が、ただの杞憂ならばそれでいい。
だがそうではなかった場合、後詰めを果たさなくては、と。
しかし――どうしても腕に力が入らない。

『無駄だ。お前は決して立てない。立ったところで死ぬだけだ。
 お前は『獣』だ。狼の王なのだ。同胞以外の為に命を擲つなど、能うものか』

『獣(ベート)』と交わした約定。
その拘束力が、ポチに犬死を許さない。

286ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/12(金) 07:58:37
『奴の結界は消え、これで最悪でもこの場を脱する事は出来る。
 お前達も、奴らもだ。それで十分だろう、弁えろ』

確かにポチは『獣』に誓った。
どちらかを選ばなければならないのなら、自分は狼として生きる道を選ぶと。
だからと言って、皆を簡単に諦められる訳がない。

それでも、ポチの肉体がとうに限界を迎えている事は変わらない。
腕に力は戻らず、ただ祈とノエルの背を見つめる事しか出来ない。

「……?」

だが――ふとポチは、自分の視界に違和感を覚えた。
何かが、見えたのだ。
血に沈んだ石牢の中では見えなかった、この純白の雪原だからこそ浮き彫りになる、紅い何かが。
それが一体なんなのか、ポチは目を凝らし――

「……ふっ」

その正体を理解して、思わず笑った。

「ふ、あはは……あはははは……!」

そして、

「尾弐っち……!」

かけがえのない仲間の名を力強く呼ぶと――全身の力を振り絞って、立ち上がった。
『獣』との約定、その拘束力すら振り切って。
それはつまり――ポチが、犬死にはならない、確かな勝機を見出したという事。

「……少しだけ、ここで待ってて。ここから先は……僕にしか、出来ない」

シロにそう言い残すと、ポチは歩き出す。
前に倒れ込み、辛うじて踏み留まる――それを繰り返すような、痛ましい歩み。
それでも一歩ずつ、己が見つけた「紅」へと歩み寄り――それを拾い上げる。

その様子が、尾弐には見えるだろうか。
ポチが何を拾って、そして今、口元へと運んでいるのか、理解出来るだろうか。

ポチの舌の上を滑る「紅」が、己の血に塗れた、折れた刀だと、理解出来るだろうか。

287ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/12(金) 08:04:56
乾き切らずに残った血糊を、ポチは舐め取り、嚥下する。
尾弐の――悪鬼の血。そこには強い妖力が宿っている。
満身創痍のポチに、もう一度、地を蹴る活力を与えられるほどに。

とは言え悪鬼の血は、生物はもとより、妖怪にとっても猛毒。
特に祈のような半妖や――獣としての属性を強く持つ、ポチにとっては。
口にしたところで力など得られず、むしろ獣としての頑強さを失うだけ。

だが――そうはならなかった。
何故なら――ポチは今や、災厄の魔物なのだ。
『獣』を従え、同化した事で名実共に、心身共に。
ならば悪鬼の毒血など――むしろ蜜のように、甘美ですらあった。

「げははは……なんともさ、尾弐っちらしいじゃないか」

折れた刀を両手で握り、ポチは重心を落とす。
当然、ポチに剣術の覚えなどない。
体術ですら、感性任せの我流なのだ。

しかし、ポチは狼。
我流とて、牙流である。
牙の扱いにならば、心得がある。
要は骨を避け、肉を貫ければいい。
自然と、左手は柄頭へ、右手は柄の根本を掴む。

>「酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!」

超低温の世界の中では、あらゆる生物が生存出来ない。
つまり冷気とは清浄なる無を生み出す。
極寒の、浄化の冷気が尾弐を襲い、

>「だぁああーーーッ!!!!」

そこに示し合わせたように、祈の飛び蹴りが突き刺さる。
瞬間、ポチは地を蹴った。
尾弐の懐へと潜り込み――酔醒籠釣瓶、その切っ先が閃いた。
寝かせた刃が皮膚を裂き、肋骨の隙間を潜り抜ける。
そして――獲物の急所に、牙を突き立てた感触。

「……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ」

尾弐の血を得て一時の活力を取り戻したポチが、尾弐の残した鬼切をもって――酒呑童子の心臓を、今一度貫いたのだ。

「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」

288那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:18:41
はじめに怒りがあった。
理不尽な運命への。侭ならない宿命への。そして、それらを覆せない自分への。
怒りと憎しみ、恨みは、どんな感情よりも激しく強いエネルギー。たとえ肉体は滅びても、それは。その『想い』は消えることはない。

『なんということだろう!たかが一匹の子狐の魂が――衰弱していたとはいえ、生粋の悪魔(デヴィル)の魂を啖ってしまうとは!』

血色のマントを纏った怪人の哄笑が響き渡る。
そうだ。自分は憤怒を、憎悪を、怨嗟を伴ってこの世界に再臨した。
忌々しい世界をメチャクチャにしてやるために。呪わしい世界を木っ端微塵にしてやるために。
運命に対し復讐を成し遂げるために、天魔の力を乗っ取って転生したのだ。

なのに。

いつの頃からか、その感情は徐々に薄れていった。歯を食いしばり空を睨みつける時間より、笑う時間の方が多くなった。
何者かに怒りをぶつけることよりも、穏やかな時間を過ごすことが多くなった。
それは単なる時間の経過による沈静化、などというものではない。
時を経て和らぐような薄っぺらい感情なら、最初から転生など果たしていない。
そう。そうだ。それは自分の内的要因によるものではなく、あくまでも外的要因によるもの。
ひとりぼっちの孤独な魂に、寄り添う心がいてくれたから。

それはきっと、御前のほんのちっぽけな遊び心でしかなかったのだろう。
大切な者との別離の運命を覆せなかった、哀れな魂ふたつ。
それらを引き合わせたとき、いったいどんな反応が生まれるのか?穢れた魂は綺麗なものになるのか?それとも汚いままなのか?
面白い結果が得られなかったなら、廃棄してしまえばいい。その程度の考えしかなかったに違いない。
だが、御前にとっては手慰みに等しい、ふとした思い付き以上の意味もないことでも。
自分にとっては、とてもとても大きな結果となったのだ。

子どもな自分を、いつも一歩引いたところから見守っていてくれた。
リスク度外視の自分の作戦や計画に、文句も言わずに従ってくれた。
ピンチを幾度も救ってくれた。彼なしでは成し遂げられなかった仕事の数は、両手足の指に余る。

嬉しかった。
彼に穏やかな優しい眼差しで見詰められることを。
大きくて骨ばった手で頭を撫でてもらうことを。
低い声で『那須野』と。『大将』と呼ばれることを。
それらを、自分は全力で愛した。
心の中に満ちる幸福。それは遠い昔、自分が償いたいと思った青年にも。唯一無二の親友にも感じたことのなかった感情。
理不尽な世界への怒りなど、どうでもよくなってしまうくらいの想い――

そう。自分は、恋をしたのだ。

「ねえ……クロオさん……」

尾弐の首に両腕を回し、背伸びして抱きついたまま、橘音は唇をそっと離して眼前の男に語りかけた。

「アナタは前に言いましたね……。『本当に望むことをしているなら、いつもみたいに笑え』って――」

そう言うと、橘音は仮面の奥で僅かに目を細めた。新たに浮かんだ涙が目尻から零れ、頬を伝って落ちる。
橘音は間近の尾弐によく見えるように、ほんの幽かに微笑んだ。

「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」

尽きせぬ憎悪と憤怒に浸りきっていた自分を、尾弐は救ってくれた。
ならば。底のない憎悪と憤怒に染まった尾弐を救えるのも、また自分だけであろう。

―――――――…………。

尾弐に想いを伝え終わると、橘音はふらりと後ろに身を傾かせた。
小豆の浄化の力が通用するのは尾弐だけではない。橘音自身も天魔の生まれ変わりであり、邪に属する妖怪である。
わずか一瞬とはいえ、小豆を口に含んだことで肉体にダメージを受けている。
その上、自分の中の妖力のほぼすべてを浄化のために尾弐へと譲渡した。その疲労は想像するに余りある。
首に回していた両腕が力を失い、ずるりと落ちる。身体が尾弐から離れる。
力を使い果たし、ケ枯れを起こしたのだ。意識を失った橘音はそのまま仰向けに倒れかけた。

289那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:22:39
>酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!

尾弐と橘音を中心とした範囲にノエルの張った雪の結晶の魔法陣が展開され、尾弐の行動を阻害する。
災厄の魔物改め銀嶺の使徒の大規模妖術。それはかつて都心を氷に閉ざしたクリスの妖術を遥かに上回る。

>だぁああーーーッ!!!!

さらに、龍脈の神子の力によって風火輪を極限までブーストさせ、流星と化した祈の渾身の跳び蹴り。
龍脈にアクセスし無尽蔵の力を得た祈の蹴りは、大妖クラスの防御障壁さえ打ち破る。
むろん、気を失っている橘音にそれらから身を守るすべはない。風火輪の炎も魔法陣の浄化も橘音にとって致命の攻撃だ。
しかし、きっとそうはならないだろう。
尾弐が橘音を庇うなら、尾弐はすべての回避行動が取れなくなる。
そんな尾弐へと、ポチが持つ『酔醒籠釣瓶』の切っ先が減り込む。

>……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ

星熊童子の愛刀酔醒籠釣瓶、その銘は歌舞伎の演目・籠釣瓶花街酔醒から取られている。
籠釣瓶とは、籠を釣瓶に使ったかのように『水さえ溜まらぬ切れ味』の剣――すなわち妖刀村正の別名であった。
かつて、尾弐は何でもないカッターの替え刃に自分の血を塗り込み、破邪の刃として仲間たちに配ったことがある。
カッターの刃でさえ、コトリバコの強烈な呪詛を退けたのだ。妖刀村正ならばその効果は計り知れない。
そして、そんな破魔の刃と化した酔醒籠釣瓶が、尾弐の身体の真芯を貫く。

橘音の与えた小豆によって、すべての力が機能不全を起こし。
ノエルの浄化の結界によって、身に纏う最後の神変奇特さえ剥ぎ取られ。
運命を変転させる祈の蹴りによって、血霧すら残らず蒸発し。
尾弐を信じるポチの携えた妖刀村正で、身体の中心を貫かれる――。

………………ニ………………

…………ニクイ……!!!ネタマシイ……イマイマシイ……ツブレロ……コワレロ……シネ……シネェェェ……!!!

尾弐の全身から黒い波動が滲み出る。それは瞬く間にぼんやりした人型を取り、洞のような口を開いて苦悶の呻きを上げた。
これこそが、酒呑童子の力の本当の姿というものなのだろう。尾弐に取り憑いていた酒呑童子、否――
外道丸を酒呑童子に変貌させた『そうあれかし』。人間の持つ醜い部分、嫉妬、羨望、軽侮といった負の感情の集合体。

黒い『そうあれかし』。

「好機!!」

尾弐の身体から、酒呑童子の力が剥離しようとしている。その機会を見逃さず、それまで静観していた天邪鬼が動く。
橘音から託された童子切安綱の鯉口を切ると、

「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」

天邪鬼がふわりと跳躍し、瞬時に尾弐へと間合いを詰める。瞬刻を経てすれ違い、音もなく床に片膝をついて着地する。
パチン……と童子切安綱を納刀すると、瞬き二度ほどの時間を経て、尾弐と酒呑童子の力が分断される。
取り憑いていた本体から切り離され、酒呑童子の力が大きくのたうつ。

……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!

「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」

「消えるのは、貴様だ」

天邪鬼はどこからか精緻な装飾の施された金色の小箱を取り出すと、その蓋を開いた。
その途端、小箱から猛烈な突風が吹き荒れる。烈風は酒呑童子の力を拘束すると、小箱の中へと吸い寄せてゆく。
どうやら小箱はリンフォンのような役目を果たすらしい。そして、弱った酒呑童子にその拘束を振りほどく力はない。
酒呑童子はしばらく身を震わせて抵抗したが、やがて声にならない怨嗟の絶叫を残して小箱の中へと消えた。
天邪鬼がすぐに小箱の蓋を閉めると、辺りは静寂に包まれた。
酒呑童子の力が消滅し、茨木童子が死んだことで、周囲も石牢から酔余酒重塔へ、そして東京スカイツリーへと戻ってゆく。

290那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:26:46
尾弐黒雄を長年縛り付けていた、酒呑童子の力は消滅した。
もはや、尾弐は酒呑童子の力を揮う悪鬼などではない。――どころか、妖怪でさえない。
東京ブリーチャーズによって千年の妄執から解き放たれ、尾弐は千年前の状態に。人間に戻ったのだ。
尾弐は意識を失っただろうか、それとも意識を保ったまま正気に戻っただろうか。
天邪鬼は尾弐を一瞥し、それから東京ブリーチャーズの面々を見遣ると口を開いた。

「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」

危難が去り、当初の目的通りに尾弐を解き放つことができた安堵感からか、天邪鬼の口調も幾分柔らかくなっている。
尾弐を酒呑童子の宿命から解放したことで、やっと自分自身の荷も降りた、ということなのだろう。

「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」

天邪鬼は手に持った小箱をブリーチャーズに見せた。それから、不意に周囲に視線を泳がせる。
いつの間にか、天邪鬼の近くには五つの光の球が尾を引きながら漂っていた。
それはこの塔で命を落とした虎熊、金熊、星熊、熊童子の酒呑四天王と、茨木童子の魂。

「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」

鬼たちはもともと、人間の世に生きられなかったあぶれ者。
例えふたたび首塚に封印したとしても、いつか蘇りまた人界に害を及ぼすだろう。
であるなら、最初から人界以外の場所に連れていけばいい。それが天邪鬼の判断だった。
首塚大明神の棲む神域には、肉身を持つ者は入れない。最初から、四天王や茨木たちは死ななければならなかった。
酒呑童子復活のために彼らを一旦殺し、しかるのちに魂を救済する。天邪鬼の計画は見事に成就したというわけだ。

「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」

透き通った涼やかな声で、天邪鬼が語る。

「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」

外道丸を酒呑童子に変貌させたのは、人々の『こんな美少年が、天才が、自分たちと同じ人間のはずがない』という思い。
ネガティブな『そうあれかし』が、彼を人ならぬ存在へと変貌させた。
人々が、世界が、外道丸を『そうあるべき』『そうでなければならない』と定義したのだ。
外道丸改め酒呑童子は、それに従った。人々が自分に悪逆無道な鬼の役を強いるなら、その通りにしようと思ったのだ。
人の世に生きられず、あぶれ者同士徒党を組んでいた茨木たちの長となったのも、その想いゆえである。
酒呑童子は同じ境遇の茨木たちを放っておけなかった。守ってやりたい、と思った。
自分や茨木、四天王たちが、『人とは相容れぬものと人に定義された存在』であるとするのなら。
『爪弾きにされること』にさえ、何らかの意味があるのではないか?『あぶれ者』として課された役割があるのではないか?
そう考えたのだ。そして人々に望まれるまま、残虐な鬼の役を演じ続けた。

酒呑党は悪の限りを尽くした。その残虐さ、強欲さは当時の人々を震え上がらせ、世間を闇に染め上げた。
そして、その末に源頼光率いる軍勢に敗れ去り、壊滅した。

「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」

源頼光と四天王が攻めて来たとき、酒呑童子は自らの終焉に気付いた。
もう、この世界において自分は役割を果たし終えたと。そう開悟したのだ。
自分の最後の役目は、この場で源頼光に殺されること。そう考えた酒呑童子は、一切の抵抗をすることなく討ち取られた。
そうして、源頼光の大江山酒呑童子退治は伝説となった。
『悪を為す者は、善の前に必ず敗れ去るさだめである』――。
酒呑童子の存在は、そんな後世まで語り継がれる『そうあれかし』の誕生をもって完結したのである。

「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」

クク、と天邪鬼はいたずらっぽく笑った。

「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」

そこまで言うと、天邪鬼は俄かに眼差しを鋭くした。
切れ長の双眸で、あらぬ方向を振り返る。

「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」

291那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:47:27
「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」

虚空に向かって、天邪鬼が声を飛ばす。
全てが元に戻ったはずの何もない空間が、不意にぐにゃりと歪む。
そこに現れたのは、血色のマントにシルクハット、嘲り嗤う仮面をかぶった怪人――赤マント。

「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」

バサリとマントを翻し、赤マントは東京ブリーチャーズとはやや離れた場所に佇む。
そして、その後ろには牛頭馬頭の大鬼――獄門鬼が控えていた。
目にしたものすべてを平等に攻撃するはずの獄門鬼だが、赤マントを前にしても動かない。
よく目を凝らしてみれば、獄門鬼の双頭の額部分にそれぞれ、禍々しい妖気を放つ楔が打ち込まれているのが見えるだろう。
どうやら、赤マントはブリーチャーズが尾弐にかまけている間に妖具で獄門鬼を制御してしまったらしい。
赤マントはおどけた身振りで、パンパンとわざとらしく拍手をしてみせた。
僅かに眉を顰め、天邪鬼がフンと鼻を鳴らす。

「貴様はいつもそうだな。いつも自分に累の及ばぬ安全なところで、人が不幸になるところを見下ろしている」
「ああ、そうだ。そうだとも。私は知っているぞ、貴様は千年前にも……」
「そうやって。『私の心臓をクソ坊主に啖わせた』のだったな――?」

天邪鬼の言葉に、赤マントは一瞬呆気に取られたように拍手をやめた。
が、次の瞬間にはゲラゲラと笑い始める。

「クカ……クカカカカカカッ!ああ、わかっていたのかネ!?さすがは天才児と呼ばれた鬼の首魁なだけある!」
「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」
「キミは吾輩の正体に気付いてしまった。当時、吾輩が京の都でやろうとしていたことを看破してしまった」
「吾輩の思考を読もうなんて僭越は、到底許されるものじゃない。だから吾輩は思い知らせてやったのだヨ――」
「吾輩に盾突く者は、その親類縁者もすべて!死より悍ましい目に遭うということをネ!クカカカカカカッ!」

千年前、赤マントは高僧に身をやつし平安の都で退廃と不義不徳の限りを尽くした。
それは古代のソドムとゴモラの再現であった。貧富の差は埋めがたく、富める者は無限に富み、飢える者は続々と死ぬ。
当時、都の羅生門周辺には埋葬もされぬ無数の屍が野ざらしになっており、まさに地獄の様相を呈していたという。
だが、それをあるとき外道丸が看破した。帝の傍に侍る高僧こそがすべての凶事の源と見破ったのだ。
誰にも察知されるはずのなかった自分の正体と計画が、片田舎の何でもない稚児に気付かれた。
それは、赤マントにとっては耐えがたい屈辱であった。よって、外道丸に復讐した。
外道丸のことを悪しざまに噂し、人々が嫉妬したり恨みを抱くように仕向けた。悪鬼へと変容させた。
帝の威光を利用して源頼光に酒呑童子討伐を命じ、その首を獲らせた。
それでもなお怒りは収まらず、外道丸の助命を嘆願してきたかつての尾弐に過酷窮まる刑を課し、挙句酒呑童子の心臓を啖わせた。
千年前から続く、酒呑童子――尾弐と外道丸との因縁。
そのすべては、赤マントによって齎されたものだったのだ。

「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」

天邪鬼が軽く右手を祈たちへ向ける。

「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」

「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」

赤マントが哄笑する。

「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」

そう。
赤マントが姿を現したのは、天邪鬼に隠れていることを暴露されたから――というだけではない。
自分が絶対に勝つ、という圧倒的自負。その自信から来る行動であった。
尾弐は酒呑童子の力を喪失して人間に戻った。橘音はすべての妖力を使い果たしてケ枯れし、気を失っている。
祈が龍脈の神子としての力を使える時間は極めて短く、その効果時間はとうに過ぎた。
ノエルは尾弐をケ枯れさせるため全力の妖術を用い、ポチとシロはとっくに満身創痍だった。
もしも今、赤マントに獄門鬼をけしかけられれば、東京ブリーチャーズは間違いなく全滅する。

292那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:51:06
「……何が望みだ?」

天邪鬼が静かに訊ねる。
ただ単に東京ブリーチャーズを始末することだけが目的なら、とっくにそうしているだろう。
しかし、赤マントは後ろに獄門鬼を控えさせているだけで、実力行使に及ぼうとしない。
そこには何らかの目的があるのだろう。

「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」

「約束だと?」

天邪鬼が怪訝な表情を浮かべる。小箱を渡すなどという約束をした覚えなどない。
しかし、赤マントは笑みを浮かべる仮面の眼差しをポチへと向けると、

「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」

そう言って、また愉快げに嗤った。

「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」

「……チッ」

一旦取り交わされた約束を反故にするということは、妖怪にとって自己否定に等しい。
一瞬憎々しげに赤マントを睨みつけると、天邪鬼は小箱を赤マントに放り投げた。
妙に長い右腕をマントの中から伸ばし、赤マントが酒呑童子の力の封印された小箱を受け取る。

「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」

小箱をしげしげと見下ろすと、マントの中に仕舞う。
それから赤マントはいまだに気を失っている橘音に顔を向けた。

「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」

そう言って、右手を額に当てて大袈裟に嘆くポーズを取ってみせた。
赤マントと那須野橘音とは、師弟関係にある――。

「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」

アスタロトこと橘音は、あるタイミングで御前の許に身を寄せるまでの間、ずっと天魔として行動していた。
その際赤マントに交渉術など、のちに狐面探偵として生計を立てることになるスキルを伝授されていたのだという。
つまり帝都で繰り広げられていた怪人と探偵の戦いは、元を正せば同門の師弟の争いだった、ということになる。

「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」

言いうが早いか、赤マントは目にも止まらぬ速さで右手を閃かせた。

「ッ……ぎ……」

ドッ!ドドッ!と音を立て、橘音の無防備な身体に楔が突き刺さり、狐面探偵は低い苦鳴を漏らした。
それはかつて――赤マントがケ枯れし無力化したクリスを手に掛けたときの再現。
妖力のこもった楔は、ほんのわずかに残った橘音の生命力さえ容赦なく削り取ってゆく。

「ぅ……ぁ……ああああああああああああああああ……」

バリバリと楔から黒雷が発生し、橘音の身体を包み込む。
楔の力によってか空中に浮かんだ状態の橘音の身体が、両脚から光と化して消えてゆく。クリスや茨木童子のときと同じだ。
抗えぬ絶対的な死。それを回避させるだけの力を持った者は、この場には存在しない。

「……ク、ロ、ォ……さん……」

激烈な痛みによって覚醒したのか、橘音は小さく尾弐の名を呟いた。そして、その方向へと右手を伸ばす。
右手はすぐに光に変わった。そして胴体も、長い黒髪も、さながら白紙に火が燃え広がるような勢いで消えてゆく。

「……ク……――――――――――」

最期に、愛する人の名も告げられないまま。
仲間たちに別れの言葉さえ伝えられないまま。
唐突に、呆気なく。


那須野橘音は死んだ。

293那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/12(金) 22:55:21
「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」

自身の智慧や知謀をすべて伝授した、ただひとりの愛弟子。
その愛弟子を何らの躊躇もなく殺害すると、赤マントは背を仰け反らせて嗤った。
カラカラと乾いた音を立て、楔が床に落ちる。

「……ッ、間に合うか……!?」

天邪鬼が咄嗟に橘音のいた方角へ左手を突き出す。
橘音がそこにいた、という事実。その妖力の残滓、魂のほんの一かけらだけでも救おうと、即席で蘇生の術式を編み上げる。
が、果たせず。天邪鬼の術式は今しがたまで橘音の存在していた空間をそのままビー玉大に凝結固定させただけで終わった。

「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」

赤マントは橘音に免じて、などと殊勝なことを言っているが、明らかに嘘である。
むしろ、橘音を喪った東京ブリーチャーズの絶望が生み出す負のエネルギーを手中にしようとしているのは明らかだ。

「……下衆が……!」

ギリ、と天邪鬼が奥歯を噛みしめる。
そんな憎悪の感情もどこ吹く風、赤マントはバサリとマントを翻すと、出現したときのようにその姿を徐々に薄れさせてゆく。

「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」

最後まで他人を嘲り愚弄する態度のまま、赤マントは消え去った。
獄門鬼も同時に消える。そのうち手駒として使うつもりなのだろう。

「………………」

橘音を救えなかった。動かしがたいその事実に、天邪鬼はうなだれる。
帝都の危機は去った。
酒呑童子の復活を目論み、東京に鬼の帝国を建国しようとした茨木童子の目論見は潰え、復活した酒呑童子も封印された。
尾弐を千年の怨嗟から救い出すことにも成功した。
だが、それで東京ブリーチャーズが勝利を収めたか?と言えば、それは甚だ怪しい。

酒呑童子を撃破したまではよかったが、力そのものは赤マントに奪われてしまった。
尾弐を呪縛から解き放ちはしたが、尾弐は戦う力を喪失して無力な存在になってしまった。
そして。今までチームのブレーンを司っていた那須野橘音が、死んだ。

赤マントは何かを企んでいる。それも、今までの計画など比較にならないほどに大きな何かを。
東京ドミネーターズにはまだレディベアが、そしてその側近である謎のイケメン騎士Rが控えており、また天魔も数多い。
そんな相手と戦闘に及んだとき、果たして東京ブリーチャーズは今までのように戦うことができるのか?
状況はかつてないレベルで危機的である、と言わざるを得ない。

「あなた……」

シロが不安げにポチのことを見る。
そもそも、自分が我侭を言わなかったら。鬼たちの一党に加わらなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
取り返しのつかないことをしてしまった――そんな後悔の念から、シロは俯いて胸元をぎゅっと握りしめた。




酔余酒重塔での、酒呑党残党軍との戦いは終わった。
だが、喪ったものはあまりに多く、受けた損害は甚大である。
東京ブリーチャーズの耳の奥に、赤マントの甲高い笑い声がいつまでもこだまする。


それはひとつの絶望を乗り越えた後に訪れた、新たな絶望の到来を告げるファンファーレだった。

294尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:16:51

……出会った時は、願いに至る為の道具としか見ていなかった。
繰り返す戦いの中、その叡智に救われた時は小さな尊敬を覚えた。
強大な敵の魔手から庇った時は、遠い昔に救えなかった小さな友人の姿を重ねた。
互いに背中を預け戦った時には、誰よりも頼りになる相棒であると思った。
そして、その笑顔の裏に在る痛みに気付いた時――――仮面の下の涙を止めたいと、そう願った。

 ・・・

中空から放たれるのは、炎熱を纏う跳び蹴り。
速く在る事を定められた妖怪としての最高速度を風火輪により更に加速するという荒業により齎された、超加速。
それによって生まれた破壊の力が、尾弐の背を直撃した。

如何に頑強な尾弐とはいえ、「反転」の権能を喪失している現状ではその超破壊に対し劣勢を強いられる。
蹴りを受けた箇所の肉が焼け、血液は蒸発し、骨が折れ砕ける音が響いた。

雪原に描き替えられた情景の中でノエルが展開した雪結晶を模した魔法陣は、死すらも覆い隠す冬の雪の如く浄化の力を放つ。
血と瘴気。人間の業を力とする悪鬼の力を、極寒の冬山へと迷い込んだ人の如く、徐々に削り取っていく。
それは、妖気により肉体を構成していた尾弐へとダメージを与え、皮膚には凍傷の如き傷が生み出される。

>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」

それらの猛攻を受けながら、酒呑童子は壊れた思考を巡らせる。
けれど――巡るその思考はこれまでのような憎悪と憤怒ではない。

(……何故、だ。何故、俺は、この敵共の刃を、受けている……?)

疑問。憎しみに狂い、怒りに狂い、憎悪に狂った悪鬼に宿った思考は、自分が攻撃を受けている事に対しての疑問であった、
確かに、勇猛な攻撃だ。強力な術式だ。
だが、酒呑童子がその権能と性能を駆使すれば……例えば眼前の消耗し倒れかけた女を盾にでもすれば、攻撃を回避する事は出来た筈なのだ。
だというのに、自身の直感と本能は回避を呼びかけていたというのに、それを行わなかった。
どころか――――浴びれられる磨滅の豆や、業火の蹴り、浄化の凍気に対して、眼前の女を引き寄せ、攻撃の余波から庇う事すら行っていた。

(何故だ……呪い在れと、憎いと、壊したいと。そう願うだけの存在だというのに、何故俺は……)
(どうして俺は、この女を助けたいなどと思ってるんだ……?)

295尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:17:34
焼かれる激痛、砕かれる痛み、凍らされる痛みも、確かに感じている。
そうだというのに、思考の中に浮かぶのは……眼前で力なく寄り掛かる女の言葉。

>「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」

吹き荒れている憎悪でも、満ちる憤怒でもない。それらを押しのけ、ただの女の言葉を思い返す。酒呑童子には、そんな自身の思考が不思議で仕方がない。
……そうしていると、やがて自身の酒呑童子の狂気に染まった思考に対し、声が却ってくる様になった。

(憎い、壊したい、許せない、滅びてしまえ)『……そうだ、憎かった。テメェ自身が憎くて、壊したくて、許せなかった』
(死ね、死ね――――苦しんで死ね)『ずっと死にたかった……生きてるのが辛くて、苦しくて仕方がなかった』
(助けられないから、消してしまえ)『……ああ。惨めで、情けなくて、せめて一緒に消えちまいたかった』

憎悪に狂った思考に応えるのは、紛れも無い自身の声。
それは問いかけた鏡が返事を返すような異常事態で、けれど、壊れ果て朦朧とした精神はそれを気にする事も無く思考を重ね続ける。
そして、とりとめのない自己問答は暫くの間続き……やがて酒呑童子は、先ほどから自身に答え続ける何者かに、一つの問いを投げかける。

(俺は……どうしてこの女を助けたい)

暫しの沈黙。だが、やがて観念した様に思考は声を返してきた。

『……馬鹿だから、1000年の願いより、1001年目の未来が欲しくなったんだろ』

……それは、酒呑童子と尾弐黒雄との意識が混在したが故のものか。
或いは、負傷に寄って、壊れた精神が混濁した事により生まれた幻聴か。
それとも……1000年の孤独な憎悪が生み出した心と、仲間達と過ごした日々が生んだ心の邂逅であったのか。
語り部である尾弐自身の精神が混濁している以上、その答えを知る者は存在しない。
ただ一つ確かな事は

>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」

ポチが構える刃。
何時かの戦いの様に、尾弐の血を浴びた事で鬼切の力を得た酔醒籠釣瓶。
それが、尾弐の体の中央……かつて酒呑童子の心臓が存在し、今は収集された膨大な妖力が『核』として存在しているその場所に突き立てられたその瞬間。

(悪ぃ……迷惑、掛けちまったな)

尾弐黒雄が、困った様な笑みを浮かべていたという事。

296尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:18:26






≪どんだけみっともなくても、自分以外の何かにはなれねぇんだ。お前さんも、拙僧もな……まあ、それでも――――≫
≪自分以外の誰かと寄り添って、一緒に生きる事は出来る。それは、一人でなんでもできる事なんぞよりよっぽど上等な事だと、拙僧は思うぜ≫


遠い情景……いつか忘れてしまっていた帰り道での言葉の続きが、ようやく聞こえた気がした。





・・・・・・

297尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:19:33
>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」

酒呑童子の『そうあれかし』。永きに渡り尾弐黒雄の体に巣食ってきた悪鬼の力を斬り離された尾弐は、
スカイツリーの壁に背を預けつつ、俯いたまま天邪鬼の言葉を聞く。
身じろぎひとつしないが、眠っている訳でも、気絶している訳でもない。
単純に、気力も体力も尽き果て、指の一つを動かす力も残っていないのだ。

悪鬼としての自身の核となっていた酒呑童子の力を外道丸の力により斬り離された結果、
尾弐の体は、その心臓を含め1000年前の只人であった頃のモノへと戻っていた。
岩をも砕く怪力も、砲弾にも耐え抜く肉体も、今の尾弐には存在しない。
在るのはただ、弱く脆い……半妖である祈よりも脆弱な、普通の肉体。
魂ではなく物理法則に縛られるが故に、疲労の極致に達した肉体は鉛の様に重く……おまけに、先の出来事で摩耗しきった精神も未だ回復していない。

「……」

それでも意識を失っていないのは、外道丸――――かつて助ける事が出来なかった少年の声を最後まで聞き届ける為であろう。
人の体を得た尾弐と、神として祀られる事となった外道丸は、きっとこの先逢う事は叶わない。
砕け摩耗した精神でも、尾弐はその事を何とはなしに理解しているのだ。
だから、彼の言葉を最後まで聞き届けるべく意識を保ち続ける。

そして、外道丸の口から語られた長く……長く遠い昔話。
尾弐の知っていた外道丸の終わりと、尾弐の知らなかった酒呑童子の終わり。
ソレを知れた事は、きっと尾弐黒雄にとっては幸福な事であったのだろう。
自身が助けようと足掻いた子供が、とうの昔に過去の呪縛を断ち切り前を向いていた。

人として死なせてやる事は出来なかったけれど
あたりまえの幸せを与える事は出来なかったけれど

それでも、今こうして……『かつて』の様な笑顔を見せる事が出来ている。
それは、あらゆる願いに見放され、絶望を供に永き時を流れてきた尾弐にとっては、確かに救いであった。

救いたかった存在と邂逅し、人としての死を手に入れ……共に道を歩みたい存在を知った。
尾弐黒雄という存在にとって今この時は、きっと望外の幸福の時で―――――

298尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:20:06


だから

>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」

だから

>「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」

だから

>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」

だから

>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」

だから

> 「……ク、ロ、ォ……さん……」


だからこそ――――尾弐黒雄に与えられた絶望は、深淵の闇よりも尚深い。

299尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/04/16(火) 23:20:40
自身の命よりも、1000年に渡る願いよりも、此の世界よりも大切な存在。
那須野橘音。
何を賭しても守りたいとそう願った那須野の命は『赤マント』の手で奪われた。
尾弐が名を呼ぶことも、謝る事も、想いを語る事も出来ないまま、那須野橘音は絶命した。

「……あ……え……?」

「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」

皮肉、という他ないだろう。
千々に砕け、永き時を経ても戻るかどうか……そんな状態であった尾弐の精神は、
那須野橘音の死という絶望と衝撃により、ようやく形を取り戻した。

力の入らぬ体を引き摺りながら震える手を伸ばすも、その先にはもはや求める姿は無い。
絶叫と共に、知らずその頬を涙が伝う。
これまであらゆる絶望に叩き伏され、理不尽に首を絞められ、不条理に打ちのめされても、
それでも尚、人前で涙など見せようとしなかった尾弐……その頬を伝う涙は、人の赤い血液が混じった赤色であった。

>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」

赤マントの悪意の言葉すらも、絶望に支配された今の尾弐には届かない。
だが……いずれこの慟哭が止めば、尾弐黒雄という人間は動き出すであろう。
かつてと同じように、転がり落ちるように、負へ、闇へ、鬼へ。


それでも……かつてと異なる部分はある、尾弐が無力な人間となってしまっている事。
そして、東京ブリーチャーズという仲間達が居るという事だ

300多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2019/04/20(土) 22:58:53
 嗚呼、なんということだろう。
まさか、赤マントが突如現れて、橘音を殺してしまうとは。
 尾弐から酒呑童子の力を切り離すところまでは良かった。
 橘音が小豆を尾弐の体内に送り込んで弱らせ、
祈が全力の蹴りを、ノエルは浄化の雪結晶を叩き込んだ。
そして駄目押しにポチの、格を得た酔醒籠釣瓶による心臓への一撃。
 これらによってケ枯れを起こした尾弐から、
酒呑童子の力そのものを、童子切安綱によって切り離すことに成功したのだ。
 かつて外道丸に取り憑き、
心臓を経由して尾弐へと渡った酒呑童子の力、意思。『そうあれかし』そのもの。
それは温羅たちの手元へと渡る予定で、きっと悪いようにはされなかっただろう。
 死した四天王と茨木童子の魂は、天邪鬼と共に行く。
現世から解き放たれたことで、本当の居場所ができるところだったに違いない。
 そして何より、皆で尾弐を助けることができた。
尾弐は過去の呪縛から一歩踏み出せた。
 これでハッピーエンドの筈だった。
 なのに。赤マントが奪ってしまった。
酒呑童子の力を我が物にしただけでは飽き足らず、
裏切りを働いた橘音の命をその場で奪ったのだ。

>「……ク、ロ、ォ……さん……」
>「……ク……――――――――――」

 光の粒子となって消えていく橘音。それを術式によって繋ぎ止めようとする天邪鬼。
 しかし、ならず。
橘音がいた場所には空間を切り取ったようなビー玉大の物体が転がった。

>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 尾弐の絶叫が響く。
 尾弐はケ枯れした影響で、動くことはできないでいる。
尾弐が鬼と化した要因であり、力の源であった酒呑童子の力を切り離したこと。
そして妖気が微塵も感じられないことから考えても、恐らくは人間の状態に戻ってしまっているようだった。

「橘音ぇーーー!!」

 絶叫する祈もまた、動けないでいた。
 龍脈の力を解放した状態は莫大な力を祈に与えるが、長くはもたない。
今は5分がせいぜいであり、一撃必殺レベルの力を引き出せばすぐさま枯れてしまう。
 そしてひとたびその力を使えば、その反動か、祈は疲労困憊の状態に陥ってしまうのだった。
灼熱の如く赤く染まっていた髪も黒く戻り、いつも通りの祈に戻っている。
 それに加えて祈はもともと致命傷を負っており、
命を保つギリギリの妖力と生命力しか持っていないのである。
まともに動けるはずはない。
 尾弐の背に蹴りを浴びせて着地した後は、
ぐらりと倒れて、俯せになったまま動けないでいたのだった。
立ち上がろうとするも力が入らず、首だけを起こし、
険しい顔で赤マントを睨みつけている状態であった。

>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」

>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
>「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
>「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」

 嘲る赤マント。

「赤マント、てめえッ……!!」

 赤マントに攻撃を加えようとする祈だが、立ち上がることはできない。
腕を支えに僅かに上半身を起こせたに過ぎなかった。

>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」

 などといって、赤マントは愉快そうな嗤い声を辺りに響かせながら、
手下に加えた獄門鬼と共に、スカイツリーから消えて行く。
その笑い声の残響は、いつまでも不愉快に、耳にこびりつくようであった。

――那須野橘音が、死んだのだ。

301多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2019/04/20(土) 23:02:40
 祈は俯いたまま動かなかった。
 橘音の死による精神的なダメージは計り知れないものがあり、
この場にいる誰もが心に傷を負ったに違いない。
なぜなら、橘音とは皆、特別な関係だったのだ。
 ノエルにしてもポチにしても。天邪鬼にしてもシロにしても。
唯一無二の親友、家族。相談に乗ってくれて鬼達と引き合わせてくれた者、
前パートナーを千年の呪縛から解き放ってくれた者。
誰もが消沈し、誰もが悲しみに暮れているだろう。
 特に尾弐は、この事態をどう受け止めているのか。
千年を超えて選んだ人を、今この場で失うなど。祈の人生経験では推し量ることができない。
 橘音は死んだ。
 そう、確かに死んだ。
疑いようもなく、確かにこの世から消失した。
 だというのに。

「……あいつ、ほんとに行ったかな?」

 少なくともこの少女だけは。

「帰ったなら、いいかな……よ……っと」

 いつも通りでいた。
 伏せていた顔を上げてきょろきょろと周囲を見渡す祈。
そして、あいつこと赤マントが去ったことを注意深く確認すると、
這いずるというか、ほぼ四つん這いの有様で、天邪鬼の元へと近づいていく。
 橘音がいた場所に落ちている、
空間を切り取ったビー玉大の何かを右手に取り、ごろんと仰向けに転がった。

「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」

 あはは、などと笑う祈。
 橘音が死んだというのに、その顔に悲しみも悲壮感も何もない。
なんともあっけらかんとしたものである。

「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」

 祈がいつも通りでいられる理由はそれだった。
 龍脈には理を捻じ曲げ、願望を叶える力がある。
そして今回、祈が龍脈の力にアクセスして願ったものとは、
“尾弐と橘音、二人の幸せ”だった。
 尾弐を絶望の闇から救わんとする橘音と、
橘音を殺せなかった尾弐の姿に、祈は希望を見て、心から祝福したのである。
 故に、龍脈による強化を受けて祈が放った全力の蹴りは、
尾弐をケ枯れさせるという目的ではなく、
尾弐と橘音に幸せになって貰うために放たれていた。
 それが尾弐を通して世界をも貫いていたのなら、
尾弐と橘音、二人の運命は、幸せへと至れるものへと龍脈によって固定されていることになる。
 そしてそれは、尾弐と橘音、どちらが欠けても成しえない未来だ。
故に、死んでいないか、死んでいてたとしても魂までの消滅はなく、
そして近いうちに復活するのだと、祈には断言できるのである。
 ちなみに祈が漠然描いていた二人の幸せは、結婚式である。
つまるところ、龍脈の力が正常に発動したのなら。
そして二人が望むなら、結婚式を挙げて幸せなキスをするところまでは確約されていることになる。

302多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2019/04/20(土) 23:16:55
「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」

 祈は尾弐の方を見て、右手に持っていた、
橘音が居た場所に転がっていたビー玉大の何かを差し出した。
 一見何も入っていないように見えるが、このガラス玉のような何かの中には、
もしかしたら、橘音の妖力か魂の粒子だけでも入っているやも知れない。
そうなら、これは橘音が復活する際の起点となる物であり、
橘音を最も大切に想う尾弐が持っているべきだろうと思ったのである。

(でも橘音が復活するのいつになるのかは……あたしにもわかんねーな)

 もし橘音が復活するとして、それがいつになるのかは祈には分からない。
祈は龍脈にアクセスできるが、その願いが叶ったかを観測できないからだ。
姦姦蛇螺の時も、ノエルを災厄の魔物から解き放った時もそうだった。
そもそも願いが叶ったかどうかすら分からないが、だが祈は叶ったと信じている。
 そしてもし、これが嘘となってしまっても。
橘音の生存が誰かの希望になるのなら、祈は嘘吐きにだってなろう。
 誰にとっても橘音の死は耐えがたい。
特に尾弐にとっては、格別の苦痛であるはずだから。
それを和らげるためなら、重い期待や罪を背負ったって構わない。
 絶望が支配するこの状況で、
祈は誰かを照らせる希望を、懸命に探していた。

(あとは……御幸が持ってる酒呑童子の心臓とかってどうすんだろ)

 祈はノエルの持つ鞄を見た。
 そしてもう一つの希望と言えば、ノエルが持つ酒呑童子の心臓だった。
 尾弐は鬼としての力を失ったようだ。
 そもそも千年生きていて、数々の妖怪を屠った経験があり、
酒呑童子にまでなった尾弐が、本当にただの人間に戻ったのかどうかも疑わしい訳であるが、現状はそうである。
 故に、今後、戦線に加わるなら、人として戦うことになるのだろう。
だがもしかしたら、橘音を失った絶望から、再び鬼と化す可能性もなくはない。
橘音を奪った赤マントへの復讐や、橘音が戻る為の世界を守るべく。
 その時にこの心臓は、ある種の希望になり得るのではないかと祈はふと考える。
なにせこの心臓は、
病巣であった酒呑童子の力そのものが既に取り除かれているため、
食べても酒呑童子の意思の支配を受けることなく、安全である。
 酒呑童子の肉体を構成していた核であったこれは、いわば器。
 再び食べることで、酒呑童子を喰らった鬼としての格のみを得て、
心臓に妖力を注げば反転の能力の一部を使えるようになる、だとか。
そんなこともあるのかもしれないと祈は考えていた。

303御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/04/21(日) 23:19:09
>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」

深雪の最大級の浄化の妖術の中、祈の蹴りが炸裂し、駄目押しとばかりにポチの刃が胸を貫く。

>「好機!!」
>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」

ついに尾弐から分離した酒呑童子の力を天邪鬼が切り離し、小箱に閉じ込める。
それを見届けた深雪は、ノエルの姿に戻った。
先の妖術に全ての妖力を注ぎ込んだため、みゆきではなくノエルの姿を取れているのが不思議なくらいだ。
天邪鬼は皆にねぎらいの言葉をかけ、今夜の戦いで死んでいった鬼達を連れていくという。

>「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
>「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」

「そうなんだ……良かった。こちらこそありがとう!」

天邪鬼は、自らが何故鬼となってどのように源頼光に倒されたかの真実を語る。

>「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
>「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」

「そうだったんだ……。
僕はね、宿命を受け入れるかの選択肢も与えられないまま本人そっちのけで周りが大騒ぎでお膳立てして
気が付いたらいつの間にやら宿命から解き放たれてたんだ、笑っちゃうよね」

あるいは、これもまた新たな宿命なのかもしれない。母や姉、そして橘音や祈の願いに応え人と共にあることが。

>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」

「待って! それならちゃんとクロちゃんにお別れ言っていきなよ!
喋る体力が残ってないだけできっと聞こえてるから」

>「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
>「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。

ノエルの言葉にも取り合わず、天邪鬼は尾弐を皆に託し去っていくかと思われたが――事態は予想外の方向へ。
天邪鬼はあらぬ方向を振り返り、虚空に話しかける。

>「――とはいえ――」
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」

>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」

「またお前か……!」

304御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/04/21(日) 23:21:53
今戦闘になったら勝ち目はないのは分かっているのだろう、会話で時間を稼ぐ天邪鬼。
赤マントはいつも通り饒舌で、千年前の尾弐と外道丸の長い長い物語の始まりの黒幕であったことが明かされる。
そして満足するまで喋った後、容赦なく現実を突きつけてきた。

>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」

>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」

「そんな……!」

一瞬、なんて約束をしてくれたんだ、とも思うが今更ポチを責めても仕方がない。今必要なのは情報だ。
赤マントの言葉から、ノエルが知らない間に、ポチとアスタロトが言葉を交わしていたことが分かった。
そして、戦闘中は必死でそれどころではなかったが、今更ながら、何故アスタロトのはずのこの橘音が召怪銘板を持っていたのか、
そもそも尾弐を心から愛して救ったこの橘音は本当にアスタロトなのかという疑問が浮かぶ。

「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」

ポチによると、尾弐を救いたいという点で利害が一致したアスタロトと白い橘音が融合したのだとのこと。
それなら、橘音が童子切安綱と召怪銘板を両方持っていたのも、本気で尾弐を救おうとしていたのも全て説明がつく。
でもアスタロトってノリノリで尾弐を酒呑童子化させて東京を破壊させようとしてなかったっけ?
という点はノエルにとっては依然謎のままだったが、今は考えないことにした。
それはそうと、ポチは何だか今までとは雰囲気が変わったように感じられた。
覚悟を決めて宿命を受け入れたような――まるで自分とは真逆の道を歩む存在になったように感じられる。
ポチもまたノエルの変化を感じているのだろうか。

>「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」

「あの力……?」

龍脈の力に匹敵するような何かがあるのだろうか、と思うノエル。
酒呑童子の力は赤マントに奪われてしまったが、真の絶望はこんなものではなかった。

>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
>「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」

305御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/04/21(日) 23:31:22
「弟子……師匠……!?」

ノエルは驚きつつも、何故自分があそこまでアスタロトのやり口に嫌悪を覚え激昂したのかのが腑に落ちた気がした。
立ち回りが姉の仇とも言うべき赤マントの生き写しなのだから、それも当然だ。

>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
>「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
>「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」

目にも止まらぬ速さで、気を失っている橘音に楔を突き立てる赤マント。
それはクリスを手にかけた時と全く同じ構図で。
しかし、クリスは赤マントにとって最初から使い捨ての手駒に過ぎなかったが橘音は違う。

「なっ……仮にも弟子だろう!? いくら敵になったからってあんまりだ……!」

そんな情を赤マントに期待するだけ無駄なのだが、言わずにはいられなかった。
別れの言葉を交わす猶予すらなく、橘音はあまりにもあっけなく死んだ。

>「……ク、ロ、ォ……さん……」

>「……あ……え……?」
>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」

尾弐の絶叫が響く。
彼の体からは全く妖気が感じられず、1000年前の人間の状態に戻っているのかもしれなかった。
その目からは血の涙が流れている。

>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」

ノエルは無言で立ち尽くしていた。大変なことになってしまった――
橘音が死んだこと自体ももちろんそうだが、尾弐は絶望のあまりどうにかなりそうだ。
更に、祈の方を見ると、俯いたまま動かない。
祈の力を悪い方向に作用させないように、との御前との約束が思い出された。
この状況を受けて祈がもうお終いだ、なんて思おうものなら御前に始末されてしまいかねない。
橘音を失った上、祈まで失うなんてことは絶対にあってはならない。
なんとかこの場を取り繕わねば――そう思うも、何と切り出していいかも分からない。
こうして途方に暮れていた時。

306御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/04/21(日) 23:37:20
>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」

祈のあまりにもいつも通りの声に、耳を疑った。

「……えっ」

>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」

てっきり絶望に打ちひしがれていると思われた祈が、平然としている。
ノエルは、尾弐に蹴りを入れる際に祈のカラーリングが本気モードになっていたことを思い出した。

「祈ちゃん……あの姿ってもしかして……」

>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」

「やっぱりそうか……!」

祈はノエルを災厄の魔物から解き放った頃にはまだ自分の能力を知らず、当然自分の意思で能力の制御も出来ない状態であった。
そして姦姦蛇螺を転生させ、御前から特別な力を持っていると知らされた当初は自分がそんな重大な力を持っていいのかと戸惑っているようだったが、
今ではすでに前向きに受け入れ、どこまで制御できるのかは不明だが発動しているのが自分で分かる状態にはなっているようだ。
ノエルはそんな祈を頼もしく思うと同時に、なんともいえない不安も覚えていた。
深雪を災厄の魔物から解き放った時と、姦姦蛇螺を無害な蛇に転生させた時には、共通点がある。
2回とも、片や猛吹雪に凍え、片や凄まじい瘴気にあたり、祈が命の危機に瀕していたということだ。
そして尾弐の攻撃により致命傷を負った今回もそうだ。
このことから、龍脈にアクセスする力が発動する条件は祈が命の危機に晒されることなのではないか――ノエルはそう推測した。
当たっているかに拘わらず、これと同じ推測に祈が至ってしまったら、進んで自らの身を危険に晒すようになる危険性がある。
そんなノエルの心配など知る由もなく、祈は尾弐にビー玉のような物体を渡す。

>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」

祈に補足するように言葉を続ける。
仮に万が一、龍脈へのアクセスによる運命変転に失敗していたとしても祈は何一つ嘘はついていないのだ。

307御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/04/21(日) 23:39:18
「祈ちゃん、覚えてる? “お化けは死なない”――本当は死なないんじゃなくて死んでも復活する、が正解だけど。
橘音くんも妖怪だから龍脈の力を使おうが使うまいがいつかは復活するんだよね」

そもそも妖怪にとっての妖怪の死は、永久の別れではない。だからこそ、ノエルはクリスを穏やかに見送ることが出来た。
そして、妖怪においては永久に復活しない”滅び”が感覚的には人間の死にあたるが、
妖怪が”滅び”に至るのは例えばイケメン騎士Rが持つ聖剣のような特殊な攻撃方法を使った時のみと思われる。
だから、橘音も放っておいても数百年も待てば復活する可能性が極めて高いのだ。
だけど今回はそれでは困る。半妖の祈はその時まで生きているか分からないし、尾弐に至っては人間になってしまった。

「でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」

つまるところ問題は祈の力によって橘音の復活がどれ位早まったか――それに尽きるのだった。
そしてもう一つ気にかかるのが、消滅したいという尾弐の願いを知った時のアスタロトの言葉。

>「なるほど……やっと分かった……!どうして、御前がボクとクロオさんを引き合わせたのか!僕たちにコンビを組ませたのか!」
>「“そういうこと”でしたか!アハハハハ、御前も本当に人が悪い!」
>「惹かれるわけだ……いや、ようやく腑に落ちましたよ!アハハハハハハハハッ!」

ノエルは心の奥底で災厄の魔物の宿命から解き放たれることをずっと望んでいた。
姦姦蛇螺だって、あの転生は願ってもないほど願っていたことだろう。だけど橘音はどうだろう。
橘音は”尾弐に幸せになって欲しい”と思っているのは確かだが、アスタロトのあの言葉を考えると、”自分が生きて幸せになりたい”と思っているとは言い切れない。
もしも祈の力の成就の成否が、対象の願いとの合致が条件となっていたら、それでは都合が悪い。
何にせよ祈は願いが叶ったかは自分では分からないようなので、尾弐が生きている間に復活してくるのを信じて座して待つわけにもいかない。
そこで、待っていられないなら迎えに行けばいいのではないか――という極めて単純且つ無理無茶無謀な考えが浮かんだのであった。
死んだ人間を現世に連れ戻すことは絶対に叶わないのが神話の時代からの理だが、
元々数百年経てば復活してくる妖怪ならば――早めに連れ戻すぐらい許されるかもしれない。

「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」

飽くまでも興味本位のように、軽い口調で天邪鬼に尋ねてみる。
もしも天邪鬼がそれを知っていて教えて貰えたとして――その後どうするのだろう。
人間に戻ってしまった尾弐は戦力外だし、どことなく佇まいが変わったポチは、もはや同族以外のために自らの身を危険に晒すことはできないような気がする。
もしかしたら、自分と祈だけで迎えに行くことになるのかもしれない――
そんなことを考えつつ同時に、最初に勢いで奪ってしまった尾弐の心臓をどうしよう、等と心の片隅で思っているのであった。
もしかしたら尾弐が再び食べることで力を取り戻せるのではないか、と思わないでもないが
心臓を食べさせられて恨みのあまり鬼と化した尾弐に、その再現のようなことをしろとは少なくとも今はとても言えない。
このままいくと、当面は店の冷凍庫にしまわれることになるのだろう。

308ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/24(水) 02:24:54
橘音を抱き寄せ、庇う尾弐の、防御の隙間。
そこから胸の奥へと刃を突き立てた、その瞬間――ポチは確かに見た。
尾弐の口元に、ばつの悪そうな――だが穏やかな笑みが、浮かんだのを。

そして――直後、尾弐の全身からどす黒い波動が溢れた。
苦悶と怨嗟の呻きを上げる影が。

>「好機!!」

天邪鬼が鬨を叫ぶと同時、ポチはその場を飛び退く。

>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」

足音一つ立てぬまま、天邪鬼は跳躍――尾弐へと間合いを詰めた。
二人がすれ違う――その瞬間、抜く手も剣閃も見せぬ抜刀。
ただ微かな風切り音のみが響き――天邪鬼が着地、童子切を鞘へ収めた。
鍔鳴りの残響が凛と掻き消え――それに遅れて、酒呑童子の根源が断ち切られる。

>……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!

>「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
 「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」
>「消えるのは、貴様だ」

天邪鬼がどこからか金色の小箱を取り出し、蓋を開く。
瞬間、吹き荒れる烈風。
大気の栓を抜いたかのような乱気流は、酒呑童子を捕らえ――吸い寄せていく。
酒呑童子に出来るのは、ただ怨嗟の絶叫を上げる事のみだった。
やがて酒呑童子が箱の中に完全に吸い込まれ、蓋が閉ざされると、その声も聞こえなくなった。

>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」

「よせやい、お前に素直に褒められると……気味が悪いよ」

ポチはこれまでの意趣返しを込めて、軽口を返した。
今更、天邪鬼に対する嫌悪感、敵愾心などない。
しかし同じく今更、手を取り合い、喜びを分かち合う関係にもなれまいと。

>「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
 「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」
 「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
 「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」

「……そう言えば、結局お前がなんなのか、僕未だに分かってないや。
 まぁ……元々そんなに興味もなかったけどさ」

加えるなら尾弐があのような事態になっていた理由も、なんとなくしか分かっていない。
だがこのまま天邪鬼が去ってしまったとしても、それならそれでポチは良かった。
最終的にシロとは仲直り出来たし、尾弐も文字通りの意味で憑き物が落ちたようだ。
その結果が全てだ。多少の謎が残ろうと、気にならない。

>「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」
>「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」

だが――どうやら天邪鬼はその謎の答えを語るつもりでいるらしい。

「……って事は、お前、本当に酒呑童子だったのか。……ん、あれ、じゃあさっきのは?」

と言っても、それはポチの言葉を受けての事ではないだろう。

>「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
 「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」
 「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
 「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」

ポチは思った。
きっと天邪鬼は、こう言いたいのだろう――自分は決して不幸ではなかった、と。
恐らくは、尾弐の為に。
結局、話を聞き終えても分からない事は残ったままだが――そんな事は、些事だ。
少なくとも――天邪鬼から匂う親愛の情は、嗅いでいて不快なものではない。

>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
 「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
 「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」

しかし――不意にその匂いが薄れ、代わりに敵意が膨れ上がった。

309ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/24(水) 02:25:48
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」

鋭い眼光が虚空を睨む――そこで初めて、ポチはその「におい」を嗅ぎ取れた。

>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」

天邪鬼の視線の先、何もないはずの空間がぐにゃりと歪む。
血色のマントが棚引くと同時、においが溢れ返る。
水よりもなお被毛に纏わりつくような、濃密な、邪悪のにおいが。

>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」

「……赤マント」

仇敵の名を呟くポチの語気は、静かだった。
戦意に欠けている、と言ってもいい。
だがそれは、已む無い事であった。

>「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」
 「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
 「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」

>「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」
 「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」

赤マントの言葉は非常に不快だが――反論の余地なく、正しいのだから。
少なくともポチにこれ以上の継戦能力は残っていない。
橘音も、尾弐も、あれだけ大規模な妖術を使っていたノエルも恐らくは、同様だろう。
天邪鬼と祈も、万全の状態とは言い難い。

>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」

天邪鬼の問いに、赤マントは楽しげに答える。

>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」

そしてポチを見つめてそう言うと、けたけたと笑った。
対するポチは――苦しげに赤マントを睨み返す。

>「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」

ノエルの問いかけに、ポチは答えない。
ばつが悪いだとか、そんな理由ではない。
単純にそんな状況ではないからだ。
今、赤マントから意識を逸らす訳にはいかない。

「……あれは、僕と」

>「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
 「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
 「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」

だがそれでも、思い浮かんだのは安易な言い逃れだけ。
当然、赤マントに通じる訳はなく――逃げ道は即座に潰された。

>「……チッ」

天邪鬼は忌々しげに、赤マントへと小箱を投げ渡す。
ポチには、その様をただ歯噛みしながら見ている事しか出来なかった。

「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」

受け取った小箱を満足げにしまい込むと――ふと、赤マントの視線が下を向いた。
力を使い果たし、未だ床に倒れ伏したままの、橘音へと。

>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
 「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」

これから何が起ころうとしているのか、ポチには容易に予測出来た。
止めなければいけない。満身創痍の肉体に、鞭を打ってでも。
頭では、確かにそう考えている――だがポチは微動だにしない。

310ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/24(水) 02:26:28
>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
 「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
 「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」

傷だらけの体から力が振り絞れない。
愛する者の為に奮い立つという事が、どうしても出来ない。

>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
 「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」

そして、

>「ッ……ぎ……」

誰一人として止める事が出来ないまま、橘音の全身を楔が貫く。

>「……ク、ロ、ォ……さん……」

黒雷が迸り、橘音の体が見る間に燃え上がる。

>「……ク……――――――――――」

一瞬だった。ほんの一瞬間の内に、橘音は燃え尽きて――死んだ。

>「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
 「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」

その様を目の当たりにし、赤マントの哄笑に晒され――それでもなお、ポチは動かない。
怒っている。悲しんでいる。それらの感情は確かにポチの中で生まれ、渦巻いている。

>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」

だが――同時に心の何処かで、それらを軽んじている自分がいる。
皆がどうなってもシロだけは守らなくては。
「ああ」なったのがシロでなくて良かった。
そう、考えてしまう。

>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
 「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」

そして赤マントは愉悦と、更なる邪悪な待望のにおいを残して、姿を消した。

>「あなた……」

背後から、シロの声が聞こえる。
不安げな声音と、におい。
橘音の死よりも、そちらの方がポチには気がかりだった。
そうであっていい訳がないのに――どうあっても心の底から悲しめない。

天邪鬼も尾弐も、ノエルも、ポチも、理由は違えど、何一つ言葉を発しない。
重い沈黙がこの場を支配する。

>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」

そんな中で祈だけが――平然と、いつもと変わらぬ口調で、声を発した。

311ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/24(水) 02:30:55
>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」

祈の体からは、偽りのにおいはしない。
取り繕いの演技ではない。
本心から、このあっけらかんとした態度を取っているのだ。

>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
  あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」

一体何故――ポチは呆然と祈を見つめる。

>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
 「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
 『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」

疑問の答えは、すぐに示された。

>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
  運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
  だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」

龍脈の力――あの御前ですら危険視する、運命変転の力。
それなら確かに、死者の蘇生すら引き起こせるかもしれない。
もっとも祈のにおいは、それが確実な事であるとは言っていなかった。
嘘ではない。だが不動の真実を語っていると言えるほど、自信に満ちたにおいでもない。

だがそれでも、ポチは気づけば安堵の溜息を零していた。
それから――まだ安堵出来た事に、もう一度安堵を覚えた。

>「でも困ったな……。
 二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」
>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」

「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」

祈は、恐らくは立っていられないほどの重傷。
尾弐も満身創痍の状態から精神に酷い衝撃を受けた。
早急に治療を受けねばならないのは明白だ。

そしてそれは、ポチも同様だ。
今は『獣』の血肉で補われているが、その胸には致命の傷が穿たれている。

「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」

しかし――ポチはそう言って、シロの方を視線で差す。

「その……絶対負けないなんて言っておいて、なんだけど……結局、勝てなくってさ。
 これから……色々と謝ったり、約束したり、しなきゃいけないんだ……あはは……」

そうして恥ずかしげな態度と声色をもって、ポチは皆を見送った。

312ポチ ◆CDuTShoToA:2019/04/24(水) 02:34:15
 


「……おいで、シロ」

だが皆が立ち去った後で、ポチが紡いだその声は――打って変わって、静やかだった。

「大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか」

そしてシロが己のすぐ傍にまで歩み寄ると、ポチは右手を差し伸べた。
しかし手のひらは――上ではなく、下へ向けられている。
だがポチの眼差しと、においによって、シロはその意図を理解出来るだろう。

「それに僕は、王様だからね」

つまり――この手の下に傅き、頭を差し出せと、ポチはそう言っているのだ。

「誰が許さなくても、僕が君を許すよ」

ポチの右手がシロに触れる。
浮かぶ穏やかな微笑みには、橘音を失った悲しみなど寸毫も見えない。
当然だ。最愛が――美しく気高い。しかし、いじらしくもある――唯一無二の同胞が、己が手中にある。
ならば狼の王が悲しむ道理などない。
狼の王ならば、悲しんでいい訳がない。

「……君は何をしてもいい」

ポチが言葉を紡ぐ。
一言一句、確かめるように、ゆっくりと。

「そして君になら、何をされてもいいんだ」

『獣』の宿命に縛られた今の状態でも、それらの言葉は正しく紡ぐ事が出来た。
その事が分かると――ポチの左眼が、シロの涼やかな金眼を、じっと見つめた。

「覚えていて。ずっと、忘れないでね」

そう言うと――ポチは立ち上がった。

「……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
 痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……」

シロの傷を案じるその表情は――橘音が死んだ時よりもずっと、不安げだった。

313那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:35:51
>あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
>大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!

戦いが終わり、酔余酒重塔から元に戻った東京スカイツリーに、尾弐の慟哭が響き渡る。
尾弐の永年の苦悩を、苦痛を、重荷を下ろさせるため、天邪鬼は現世に降臨した。
だというのに、この結果はどうだ。重荷を下ろさせるどころか、新たな業を背負わせてしまった。
尾弐は自分を責めるだろう。橘音を救えなかったと、想いを伝えられなかったと。
その慟哭の烈しさが、尾弐の絶望の深さを何よりも雄弁に物語っている。

――なんということだ。

天邪鬼は困惑した。まさか、このような結末が起こり得るとは。
酔余酒重塔での戦いは、そのほぼすべてを予見することができた。天邪鬼の描いた絵図面の通りに推移したと言っていい。
しかし、最後の最後に予期せぬ事態が起こってしまった。それは、それまでの成功をすべてご破算にする失態だった。
尾弐はさらなる闇を転げ落ちてゆくだろう。それはもはや、天邪鬼の手をもってしても防ぐことができない。
ノエルと同じように、天邪鬼もまた懸命に次善の策を考え出そうとした。
皆が負った心の深手を、なんとかして最小限のものに押しとどめることはできないか――と懊悩した。

しかし。

>……あいつ、ほんとに行ったかな?
>帰ったなら、いいかな……よ……っと

今この場にいるメンバーがそれぞれ思い悩む中、祈だけはあっけらかんとしていた。
さしもの天邪鬼も、仲間の死を前にして祈があまりに平然としていることに対して違和感を覚える。

「なんだと?」

>あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
 あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?

祈は焦っていない。どころか、赤マントに対してしてやったり、といったような態度をしている。
祈にとっても橘音は特別な存在であったはずだ。事前に得ていた情報では、橘音の探偵助手をしていたという。
そんな相手が目の前でなすすべもなく殺されたというのに、何も感じないというのか?
天邪鬼は訝しんだが、しかしそうではなかった。
祈はあの絶望的な戦いのさなか、抜け目なくひとつの希望を植え付けていたのである。

>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな

「……は……」
「ははッ、はははは……はははははッ!小娘、貴様今なんと言った?クソ坊主と三尾の幸せを願っていたと?あの戦いの中で?」
「致命傷を負い、今にも自分の死が迫っていたあのときに?ははは……莫迦か!はははは――面白い!」

祈の為したことに気付き、天邪鬼は声を上げて笑った。
少女が献身的で自己犠牲的だということは知識として知っていたが、こうして眼前で見せつけられるとまるで衝撃が違う。

>だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
 運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
 だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ

龍脈の力とは、地球そのもののエネルギー。この惑星に生きるすべての生物たちの力の根源。
龍脈にアクセスできる者は、そのエネルギーに触れることで自らの『そうあれかし』を何百万倍にも増幅できるのだ。
その祈が願った。尾弐と橘音の幸福を、地球そのものに対して望んだのだ。
ならば、それは当然叶えられて然るべきだろう。天邪鬼としてもやりようはある。

>でも困ったな……。
 二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……

ノエルが思案げに呟く。
確かにそうだ。妖怪は死してもいつか復活できる。けれど、それは一朝一夕にとは行かない。
遠い遠い時間の果て、雨垂れがいつか石に穴を穿つような長い年月を経て、ようやく転生が叶うのだ。
人間に戻ってしまった尾弐に残された時間は少ない。百年にも満たない人間の寿命では、到底橘音の復活を見届けることは叶わない。

>――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?

ノエルが質問を投げかけてくる。天邪鬼は小さく息をついた。

314那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:37:43
「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」

そう言ってから、尾弐の持つビー玉大の宝珠を指差す。

「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」

いくら妖怪でも、一度天国や地獄に行ってしまった者を連れ戻すことはできない。
けれど、まだ橘音の魂はそこにある。であるなら、助け出すことだってできるはず。
とはいえ、橘音が死んでいるのは間違いない。それをすぐに復活させることが難しいことも、また間違いのない事実だった。
不可能ではないが、極めて困難。それが天邪鬼の答えである。
天邪鬼は長い黒髪の頭をぽりぽり掻いた。

「やれやれ。これで私もクソ坊主のおもりから解放されるかと思ったが……もうひと働きせねばならんようだな」

いかにも面倒くさいといった様子であるが、それが本心でないということはもうブリーチャーズの面々にもわかるだろう。
尾弐がすべての恩讐を乗り越え、幸福になるところをこの目で見届けるまでは帰らない、と言外に言っている。
天邪鬼は尾弐の許へ歩いていくと、ク、と形のいい右の口角を薄く歪めて笑った。

「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」

むろん、それは当初意図しなかったことである。天邪鬼はこの戦いが終われば、速やかに退去する手はずだった。
それを破るということは、天邪鬼の契約主である御前――白面九尾との約定を反故にするということだ。
御前は自分の思い通りにならないことに対しては子供じみた不満を露にする。きっと激怒することだろう。
また、鬼神王温羅もメンツを潰されたままだ。おまけに刺客として送り込んだ獄門鬼まで奪われている。このままでは済むまい。
からくも鬼帝国の顕現は防いだものの、状況はまるで好転していない。むしろ悪くなっている。

それでも。

まだ希望はある。最悪の絶望には、まだ遠い。
東京ブリーチャーズの全員が力を合わせ、最善手を尽くすのなら――
きっと。どんな逆境であろうと突き破ることが出来るだろう。

「……いい仲間を持ったな」

天邪鬼は呟くように零すと、小さく笑った。
自分がいなくとも、もう尾弐はやっていけるだろう。後は、尾弐が幸福に至るまでの道筋をつけてやるだけだ。
それが図らずも千年もの間、彼を怒りと憎しみに縛り付けた自分にできる最大の償いと、天邪鬼は思っている。
彼の願いによって神となった自分の存在する意味とはそれだと、信じているから。
この、不器用な生き方しかできない男を心から慕っているから。愛しているから。

尾弐の幸福を、千年の昔より願い続けてきたから――。

「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」

もう一度東京ブリーチャーズのメンバーにねぎらいの声をかけると、天邪鬼は踵を返した。そしてエレベーターへ歩いていく。
アスタロトと茨木童子の力がなくなったことで、エレベーターも再度通電したらしい。

>だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと

東京スカイツリーでの、戦いの一夜は終わった。
皆が皆重篤なダメージを負い、一刻も早く病院に行かなければならない。
だが、そんな中でポチがひとつの提案をする。
ポチの傍らに佇んでいたシロは、その言葉にぴくりと肩を震わせた。

――わたしは罪を犯した。この方に幻滅されるのも仕方ない……。

自分のちっぽけな我儘が原因で、とんでもないことになってしまった。
彼は、ポチは自分を責めるだろう。見限られることさえあるかもしれない。
もし彼に愛想尽かしされたなら、そのときは――。

シロは絶望的な思いでうなだれた。

315那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:41:12
>……おいで、シロ

ポチとシロ、ふたり以外誰もいなくなった塔の中で、名前を呼ばれたシロは一度驚きに目を見開いた。
今、彼はなんと言ったのだろう?
シロ、と。シロと言ったのだろうか?シロちゃん、ではなくて?
単に『ちゃん』付けではなく、呼び捨てる。
一見なんでもないそのことに、シロは大きな衝撃を受けた。

今まで、ポチはシロに対してはとても遠慮をしている――ように、シロは感じていた。
それはオオカミとすねこすりの混ざりものである自分が、純血のニホンオオカミと接する際の引け目のようなものだったのか。
彼はずっとシロをちゃん付けで呼んでいた。それが、何か二人を隔てる垣根のように感じられていたのは確かだ。
しかし、彼は今それを取り去った。
ポチが悠然と歩み寄ってくる。人間に変化したふたりの身長には、かなりの差がある。
シロの方がポチよりもはるかに背が高い。が、その力関係は明らかだった。

>大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか

「……でも」

ポチの穏やかな声を聞いて、シロは戸惑いがちに目を伏せた。
自分のせいで橘音が死んだのは確かだ。厳然と存在する現実は、どんな言葉であっても取り繕うことはできない。
けれど。

>それに僕は、王様だからね

ポチはシロを見上げ、右手を差し出す。
ただし、それは手の甲を上にしたもの。それが意味するところは、ただひとつ。
『自分に拝跪しろ』と言っている――。

「ぁ……」

じわ、とシロの両目に涙が浮かぶ。許容量を超えたそれはすぐに頬へと溢れ、顎を伝って落ちる。
ずっと、こうされることを望んでいた。
憧憬の対象でなく。大切にされるべき飾り物でなく。
狼の王たる彼の所有物に。支配されるものに、自分はなりたかったのだ。
シロはすぐに跪き、深々と頭を垂れた。それは王に対する服従の礼だった。

>誰が許さなくても、僕が君を許すよ

ポチが告げる。その微笑は、寛大な心は、まさしく王の資質を顕すもの。
銀の髪に触れる、彼の手が優しい。シロは小さく吐息した。
それは、自分の犯した罪が赦されたことへの安堵でなく。彼に見限られずに済んだという安心でもなく。
これで自分は、本当の意味で彼の妻になれたのだ――という幸福の吐息だった。

>……君は何をしてもいい
>そして君になら、何をされてもいいんだ
>覚えていて。ずっと、忘れないでね

「……決して忘れません。わたしの身体、わたしの心。わたしの想いのすべて……あなたに捧げます、狼の王」

顔を上げ、金色の瞳で彼を見つめて微笑む。

>……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
 痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……

ポチが帰還を促す。身体のことを気遣われて、初めて自分が満身創痍であったことに気付く。
シロは一度かぶりを振った。

「大丈夫です。痛くないと言えば嘘になりますが……でも、今は痛みよりもずっとずっと、幸福の方が大きいですから」

そう言って、豊かな胸に右手を添える。

「あなたの想いが、わたしの胸を温かく満たしているのを感じます。ああ、これが愛なのですね」

そっと手を伸ばすと、シロはポチの手を握った。指を絡め、離れないようしっかり繋ぐ。

「帰りましょう、わたしたちのいるべき場所へ。ずっと……離さないで下さいね」

嬉しそうにシロは笑った。屈託のない、童女のような笑顔だった。

316那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:46:06
「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」

東京スカイツリーでの戦いから、一週間が経過した。
酒呑童子との戦いでひどく疲弊した東京ブリーチャーズは、すぐさま河原病院に入院する羽目になった。
外傷そのものは河童の膏薬と迷い家の温泉の湯によってすぐに全快したが、精神の疲労は薬では治らない。
特に人間に戻った尾弐の消耗は筆舌に尽くしがたく、再集結までにこれほどの時間がかかってしまった。
全員が退院してSnowWhiteに帰還し、ミーティングを開始すると、さっそく颯が天邪鬼に食ってかかった。
物凄い剣幕だ。天邪鬼の胸元をひっ掴み、がくがくと揺さぶる。

「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」

「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」

「お、落ち着け莫迦者!」

「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」

「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」

いつもクールな天邪鬼がタジタジになっている。それだけ、颯にとっても橘音は大切な存在だったということなのだろう。
尾弐、橘音、颯――そして晴陽の四人は一時期チームとして命を預け合っていた。
その繋がりは現在の東京ブリーチャーズと何ら変わることはない。

「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」

やっとのことで颯から解放されると、天邪鬼は噎せながら答えた。
スカイツリーでの戦いが終わったら京都に帰るはずだった天邪鬼は、橘音死亡という不測の事態により未だ東京に留まっている。
御前には一応許可を得たらしいが、御前はきっとまた無茶な要求をつきつけてきたのだろう。
尤も、天邪鬼はブリーチャーズにそれを追及されても決して答えない。
此度のことは私にも責任の一端がある、余計なことを考えるな、の一点張りだった。
なお、今は以前の戦いのような袴姿ではなく、トライバル柄の黒いTシャツにオリーブ色のカーゴパンツという出で立ちである。
極めて当世風の出で立ちだったが、仕込杖は相変わらず携帯している。
そんな天邪鬼に対して、東京ブリーチャーズがどうすれば宝珠の中に入れるのか?と問うと、天邪鬼は軽く肩を竦め、

「知らん」

と、回答を投げてしまった。

「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」

「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」

颯にがくがく揺さぶられながら、天邪鬼は悲鳴をあげた。
その知名度に反比例して、反魂術というものは謎に包まれている。
錬金術の極致・賢者の石(ラピス・フィロソフォルム)と同様、名前は有名だが内容は不明――というのが大半である。
宝珠の中に入れば橘音を蘇らせられる、という作戦はわかっても、その手段がわからないでは意味がない。
いくら京に神社を構える高神といえど、反魂の法については知識がまるでない。
日本妖怪の総大将と呼ばれる富嶽にしても、きっと知らないと答えるだろう。それほど反魂の法とは門外不出の秘儀なのだ。
そもそも、反魂の法とは妖怪の技術ではなく人間の技術である。いずれ復活するさだめの妖怪には不必要なものだ。
例外的に御前ならきっと知っているに違いないが、言うまでもなく御前は交渉ごとに関しては高い対価を求める。
それが例え御前自身の手駒ふたつを救うという理由であったとしても、その大原則は変わらない。

「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」

ソファに座ったシロが口を開く。
ポチと和解したシロは、現在のところ主のいなくなった那須野探偵事務所に仮寓を定めている。
主人が帰るまで、事務所の中を綺麗に保っておくのがシロの役目だ。
いくらポチに赦されたといっても、やはり拭い難い負い目がある。事務所の留守番を買って出たのはその罪滅ぼしの意味もあった。
シロもまたチャイナドレスからスタンドカラーの白いブラウスにグレーのタイトスカートという服装に着替えている。
が、それは些末な問題である。皆で相談している最中、シロはずっと隣にポチを座らせ、その身体をぎゅっと抱きしめていた。
ポチが居心地悪そうな様子を見せても、シロはまったく斟酌しない。どころか、時折ポチの髪や頬に口付けしたりする。

「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」

そんなことを言って、シロは楽しそうに笑う。今までの反動のようなベタベタっぷりだ。

317那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:50:29
人間の修めた法だとて、そう簡単に知っている人間がいるはずがない。

しかし。

ポチには心当たりがあるだろう。
その声を、その佇まいを、その眼差しを、ポチは確かに記憶している。
遠い過去に死んだ愛する男を現世へと蘇らせるため、外法に身を落としてまで反魂の法を学んだ女のことを。
その女の名は――



陰陽寮巫女頭、芦屋易子。



*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*



「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」

陰陽寮、安倍晴朧の本宅。その一角にある社殿で、祭壇を背に端坐した巫女装束姿の易子が返す。
東京ブリーチャーズが陰陽寮を訪れると、易子はすぐに事態を察したようだった。

「確かにわたくしはかつて反魂の法を学び、それを実践いたしました。わたくしの場合は、果たせず終わりましたが――」
「しかし、皆さまの仰る三尾はまだ完全には死していない様子。であるなら、わたくしの場合より遥かに難易度は下がる」
「ひょっとしたら、皆さまの望むとおりに三尾を復活させることができるかもしれませぬ。……理論上は」
「ただ――おやめになった方がよろしいかと」

そこまで言うと、易子は僅かに表情を曇らせた。

「いいえ、誤解なきよう――手伝いたくない、と申しているわけではございませぬ」
「以前の償いもございます、わたくしの力で宜しければ、幾らでもご希望に沿いましょう。けれど……」
「反魂の法は危険すぎる。『理論上可能』と申し上げたのは、その危険度ゆえのこと。どうぞお考え直しを」

芦屋易子は安倍晴陽を蘇らせたい一心で古今東西の秘術を渉猟した、反魂術のエキスパートである。
少なくとも当世の日本国内において、易子以上の反魂術の使い手はいないだろう。
その易子が、東京ブリーチャーズの置かれた状況を鑑みた上でやめろ、と言っている。

「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」

橘音の魂と触れ合い、現世に帰還するためには、祈たちも魂魄のみの存在にならなければならない。
肉体のある通常時と違い、魂だけの状態は非常に不安定である。肉体という強固な外殻を失った状態の魂は甚だ脆い。
そこでもし強い精神的ショックなどを受けようものなら、たちまち崩壊してしまうかも――易子はその危険を指摘している。
肉体を置き去りにして宝珠の中に入り、橘音を連れ戻す。
それは今までの祈たちの、妖怪としての肉体の頑健さに少なからず依存してきた戦いとはまったく別のミッションとなるだろう。

「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」

端正な面貌で、易子はまっすぐに祈を見た。

「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」

決然とした口調だった。それが易子の第一の理由なのだろう。
祈は自分が心から愛した男の忘れ形見。祈にもしものことがあれば、晴陽がこの世に残したものが何もなくなってしまう。
かつて天魔オセ達が晴朧に呪詛を施していたときも、易子は祈に対して恨み言のひとつも言うことはなかった。
正真、易子の中には晴陽への真摯な愛情しかないのであろう。
だからこそ、東京ブリーチャーズの要請を拒絶した。
易子の協力がなければ、橘音救出作戦は頓挫してしまう。文字通りの八方塞がりだ。

だが――

「手伝うてやれ、巫女頭」

不意に、社殿の廊下から野太い声が聞こえた。

318那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 00:56:54
廊下の角を折れて大柄な姿を現したのは、精悍な顔をした白髭の老人――祈の父方の祖父、陰陽頭安倍晴朧。
その足取りはしっかりしている。天魔オセたちとの戦いからしばしの時間を経て、完全に回復したらしい。
易子が恭しく頭を下げて上座を譲ると、袴姿の晴朧が代わりに座ってブリーチャーズの面々と対峙する。

「暫くよな、祈。元気そうで何よりだ……此度の来訪が、儂の顔を見に来たということでないのはちと残念だが」

はは、と晴朧は顔の下半分を覆う髭を揺らして笑う。温かな声だった。

「陰陽頭さま――」

「そなたの言いたいことは分かる。だが、此度は状況が違う。帝都鎮護にはいかなる不備遺漏もあってはならぬ」
「三尾がおらねば、帝都の守りは画竜点睛を欠く。この者たちがそう申すのであれば、帝都の防人たる我らも手を尽くさねば」

「……は……」

「この祈は晴陽の子ぞ。晴陽は昔から、一旦こうと決めたことは周りに幾ら反対されようと成し遂げる性格であった」
「むしろ、反対されればされるほど我を通す困った奴であったわ。それは許嫁であったそなたも知っておろう?」

「それは……」

「この子には晴陽の血が流れておる。ならば、突拍子ないことを企まれる前にこちらから手を貸した方が安全とは思わぬか?」

晴朧は穏やかに笑った。
そんな陰陽頭の言葉に、易子もまた表情を柔和なものにする。

「……そうでございました。本当に困った御方……であるなら、祈さまをお止めするのは逆効果でございましたね」

かつての想い人を偲びながら、易子は微笑んだ。晴朧も満足げに頷く。

「うむ。それにな、儂は信じておる……祈なら、この者たちならば、必ずや大業を成し遂げてくれるであろう」
「我らを天魔から救い、姦姦蛇螺を倒し。つい先頃も酒呑童子の復活を食い止めた、東京ブリーチャーズならばな」

「……はい」

「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」

「承りましてございます」

易子は深々と頭を下げた。
晴朧は荘重に頷くと、東京ブリーチャーズの面々を見回した。

「皆、あのときより更に頼もしい顔になっておる。幾多の艱難辛苦を乗り越え、すっかり古強者といった佇まいよな」
「これまでのあらましは聞かせてもらった。……皆、よう東京を守ってくれた。陰陽寮陰陽頭として礼を言う」
「……しかし、決して気を抜いてはならぬ。そなたらの戦っておる天魔とは、生半可な者たちではない」
「奴らは古く紀元前の昔より、負の『そうあれかし』を使って世の理を捻じ曲げてきた。無辜の民を破滅させてきた者たちだ」
「負の『そうあれかし』がどれだけ危険なものかは、各々身をもって知ったであろう」
「しかしだ……負の『そうあれかし』とは、何も特別なものではない。喜びや優しさと同じく、人の自然な心から生まれるもの」

祈をまっすぐに見詰め、晴朧はさらに言葉を紡ぐ。

「祈よ。そなたが龍脈の神子であるならば、心せよ。その力はひとりの人間が扱うには強力すぎるもの――」
「決して便利な道具などではない。そなたの心の在りようひとつで、すべてを滅ぼす劇毒ともなる……それを忘れるな」

そして、それこそが天魔の狙い。祈に釘を刺すと、晴朧はゆっくり立ち上がった。

「天魔は極めて強い肉体と魔力を持ち、その数も多い。また、智慧も回る。まこと脅威と言わざるを得ん」
「だがな。天魔は愛を知らぬ。大切な者を慈しみ、守り、支え合うことを知らぬ。――そして、そこに致命的な欠陥がある」
「そなたたちならば、必ずや天魔の首魁との戦いに打ち勝つことができよう。……信じておるぞ」
「反魂の儀の最中、防備については任せよ。陰陽寮でも選りすぐりの術者に結界を編ませよう、易々と邪魔は入らせぬ」

頼もしい声音で、晴朧が請け負う。
橘音復活のための反魂の行。それはここ陰陽寮で執り行うことになった。
芦屋易子が首座を務め、儀式を主導する。儀式の最中は陰陽寮でもトップクラスの術者たちが結界を構築する。
その中で東京ブリーチャーズが肉体から霊魂を剥離させ、魂だけになって橘音の魂を封じた宝珠の中に入る。

「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」

「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」

天邪鬼とシロが口々に言う。
橘音救出作戦の決行は明晩である。

319那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 01:02:01
「寝付かれんのか、クソ坊主」

真夜中。尾弐が布団しかない陰陽寮の客間から暇を持て余すなり寝付けないなりして出ると、不意に背後から声をかけられた。
声の主は決まっている。現代風の衣服を身に纏った黒髪の美少年、天邪鬼。
かつて尾弐と師弟の関係であり、かけがえのない友人関係であった者。
千年にわたる因縁と妄執の相手――外道丸。
しかし、その呪縛は既になく、ふたりは宿命から解き放たれた。
そんなかつてのパートナーを見遣りながら、天邪鬼が口を開く。

「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」

クク、とからかうように笑う。
天邪鬼は廊下を通り、尾弐の目の前で素足のままよく丹精された庭へと降りた。

「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」

例え橘音が欠けようとも、まだ尾弐には祈が、ノエルが、ポチがいる。颯にシロ、富嶽や笑たちも仲間と言えるだろう。
いつ全滅してもおかしくない、そんな熾烈な戦いの中、彼らがまだ存命なだけでも望外な幸運であることは間違いない。
最善ではない。だが次善ではある。それで手を打つことはできないか、と言っている。
しかし、天邪鬼はそれをすぐに自ら否定した。

「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」

僅かに目を細めると、天邪鬼は笑った。
千年前、そんな彼の性格ゆえに果てのない業を背負わせてしまった当人であるがゆえ。

「クソ坊主、改めて言うが貴様は人間に戻った。今の貴様には悪鬼の膂力も頑健さもない。危険に晒されればたちまち死ぬだろう」
「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」

切れ長の怜悧な眼差しで、天邪鬼が尾弐を見詰める。

「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」

冷徹な一言だった。だが、尾弐を侮っているとか、愚弄しているといった響きはない。
天邪鬼はあくまで客観的に事実だけを告げている。その頭脳が、人間になった尾弐ではこの作戦は遂行できないと判断している。
一方的に不可能と言い放つと、天邪鬼は束の間黙った。ふたりの間に沈黙が帳を下ろす。
どれほど無言でいただろうか、ややあって天邪鬼は何かを決意したように小さく息を吸い込むと、

「……力が欲しいか?」

そう、小さいがはっきりとした声で言った。

「酒呑童子の力はあの天魔めが持ち去った。もはや取り戻すことは叶うまい」
「だが、貴様がふたたび鬼神の力を手に入れる方法がひとつだけある」

人間に戻った尾弐が、もう一度悪鬼として強大な力を得る方法が存在する。
しかし、そう口に出しはしたものの、天邪鬼の表情には翳りが見える。
ほんの僅かに逡巡するそぶりを見せると、天邪鬼は一度咳払いをした。

「それはな。貴様自身の怒りによって鬼神へと変貌するということだ」

あまりに激しく根深い怒りや恨みによって、人は鬼と化す。
流刑にされた恨みの念で大怨霊と化した菅原道真や崇徳天皇。安珍への愛が反転した憎しみによって蛇体になった清姫。
伝説に有名な彼らは、自分自身の情念を持て余して鬼となった。
尾弐もその伝承に倣い、自らの激情によって鬼神の力を再度得られる、ということらしい。

320那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2019/04/26(金) 01:15:09
「三尾を殺した天魔への憎悪。殺害を阻止できなかった貴様自身への憤怒。愛する者を失った哀惜――」
「どれでもよいし、そのすべてでも構わん。それらを燃やし、奮え立たせ、人外の化生へと転生する」
「そうすれば、貴様はかつての力を取り戻せよう。それでなくとも、貴様はかつてその身に鬼を宿していたのだ」
「何もない人間が一から鬼になるよりも、遥かに容易いことだと……私は思う」
「そうすれば……貴様でも三尾を救出できる。宝珠の中より奴を連れ帰ることもできる……はずだ」

尾弐の肉体はほんの少し前まで、酒呑童子の力の殻を務めていた。
人間に戻っても、その過去はなくならない。尾弐の肉体は常人の肉体よりもずっと『そうあれかし』に反応しやすい。
もし、尾弐が心から願うのなら。自らの憤怒を、憎悪を、悲哀を体内で増幅し、その許容量が人知を超えたなら。
きっと人間から悪鬼に立ち戻れるはずだ、と天邪鬼は指摘した。
仮に尾弐自身の力ではその限界を突破できなかったとしても、龍脈の神子たる祈が願えば、あるいは――。

だが。

「しかしクソ坊主、よく考えろ。自らの情念によって鬼と化す、それがどういう意味を持つのかを」

天邪鬼は右手の人差し指で尾弐をさした。

「貴様が人間に戻れたのは、貴様を鬼たらしめていたものが貴様自身のものではない、借り物であったからだ」
「通常、人間が一度鬼に変生してしまえば元には戻れん。貴様の場合は、例外中の例外であったのだ」
「しかし、再び鬼になれば次はない。貴様は永劫鬼のままだ、二度と人間には戻れん」

そう。
尾弐が悪鬼の力を揮えていたのは、酒呑童子という『他人』の力を借りていたがゆえ。
尾弐が自らの意思で、憤怒で、憎悪で鬼と化せば、もはやそれは不可逆な変容となるであろう。

「貴様が人間に戻れたのは奇跡だ。本来ならば起こり得ない、望外の幸運というものなのだ」
「今ならまだ、人としての生を取り戻すことができる。人として生き、人として死ねる。貴様本来の輪廻に立ち返れる」
「だが、ふたたび鬼と化すのなら――」

二択だ。千年の時を経て取り戻した、自分本来の命。それを大切にして、人間としての幸せを見つけるか。
それとも、せっかく掴んだ人としての生を擲ち、もう一度鬼としての道を歩むか――。

「私は強制せん。どちらを選ぶのも、貴様の自由だ……といって、もう肚は決まっているのだろうが」
「それでも、だ。一瞬でも考えてみろ。後々になって後悔せんようにな」

そう言うと、天邪鬼は庭から廊下に戻ってきた。尾弐まで歩み寄ると、その巨躯を見上げる。
にい、と天邪鬼は笑った。からかうような、生意気そうな。けれども悪意のない、親昵な笑みだった。

「貴様もよくよく背負い込むのが好きな男だな。陶器の腰の分際で」
「こんなクソ坊主に惚れるなど、三尾も相当な変わり者よ。……ま、蓼食う虫も何とやら、か。ははッ」

尾弐の腹筋を軽く拳で叩くと、天邪鬼はくるりと踵を返した。そして、廊下を自分の客室へ向けて歩き出す。

「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」

彼を誰よりもよく知るがゆえの、それは嘘偽りのない好意が含まれた言葉である。
ひら、と右手を振ると、天邪鬼は去っていった。



*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*



そして、時間は流れ。すぐに儀式の夜が訪れる。
かつて晴朧の快癒を願って陰陽師たちが一堂に会していた大祈祷堂で、反魂の術式が行われる。

「こちらに横になってください」

易子が祭壇の前に敷かれた布団を示す。全員が仰臥するのを確認して、儀式を開始するということなのだろう。
天邪鬼とシロが結界の外で祈たちを見守る。
そして。

「高天原に神留座す 神魯伎神魯美の詔以て――」

東京ブリーチャーズの準備が整うと、玉串を持った易子がゆっくりと祝詞を諳んじ始めた。

321尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/05/01(水) 00:19:20
呼吸が上手く出来ない。
意識は虫に喰われている様に明滅し、全身の体温が下降する。
だというのに、心臓は痛い程に激しく動き続ける。

(――――)

尾弐黒雄は知っている。己が体を支配するこの感情の名前を知っている。
悲しみよりも濁り、怒りよりも昏く、憎しみよりも冷たい。
1000年前に外道丸という少年を助けられなかった時にも抱いた、その感情の名は

『  』

血液交じりの涙を流しながら、尾弐は妖狐の死に慟哭する。
取り返しが付かない現実に、動かぬ体を震わせる。

何と愚かな事だろう。
いつだって、尾弐黒雄の願いは叶わないというのに。
大切に思うもの程、その手をすり抜けていくというのに。
それを忘れて希望など抱くからこの様な目に合うのだ。

彼の人生に奇跡など無い。希望などない。幸福など在り得ない。
だからこそ、そう知っているからこそ、1000年を費やし死を望んだというのに。
……それを忘れて、未来に光を望むからこの様な目に合うのだ。

那須野橘音の死を受けた尾弐は、きっともう立ち上がれない。
一度の絶望は堪える事が出来た。だが、弐度の絶望を耐え切る程に、尾弐は強くなかった。
その心は、腐った気が倒れる様に軋みを見せ―――――

>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」

けれど、取り返しのつかない所へ堕ちる寸前であった尾弐の精神を、一つの言葉が拾い上げた。
少女の……尾弐と那須野がその成長を見守ってきた少女の、いつも通りの声。
何でもないように語られたその言葉が――――確かに、尾弐黒雄の心に届いた。

>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
>運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
>だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」

1000年前は、尾弐は独りだった。
独りきりで与えられた絶望に堪え、諦観と憎悪によって命を繋いだ。だが

>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」

今、この時。この場所には、彼等が居た。
絶望の闇に染まり、差し伸べられた手をも払い、あまつさえその手に拳を向けた愚かな尾弐に対して、それでも変わらぬ笑顔を向けてくれる仲間達。

『東京ブリーチャーズ』

東京に巣食う闇を、漂白する者達。
ああ、そうだ。尾弐黒雄に奇跡は起こせない。だが――――彼等なら、彼等と一緒であれば。

>「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」

「……そいつぁ、僥倖だ。坊主がいりゃあ、泥船でも海を渡れるだろう……よ」

理由など無い。根拠などない。
けれど、絶望の中にある尾弐は、天邪鬼に掛けられた言葉に、無理に軽口を返しながら、意識を失ったのであった。

322尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/05/01(水) 00:19:38
―――――――――

>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」

「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」

スカイツリーでの一件から一週間の時が経ち、現在SnowWhiteの一室は騒がしさに包まれていた。
騒乱の発生源は、祈の母である颯にシェイカーの如く揺さぶられ、柄にもなく慌てた声を出す天邪鬼。
尾弐は、そんな天邪鬼に対し投げやりな、けれど、どこかからかう様な言葉を返す。

……一週間。長いようで、短い時間だった。
事件の直後に病院に搬送された尾弐であるが、人間と化したその身体はボロボロで、生きていた事に河童の医者が驚く程の状態であった。
秘薬と霊的治療を併用してなんとか回復はしたものの、今も喪服の下は包帯で覆われており、さながら木乃伊男の様相を呈している。
本来であれば、未だ入院しているべき状態であるのだが、それでも無理を言って退院してきたのは、今日の会議が尾弐にとってそれほどまでに重要なものであったからだ。

>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」

三尾――――那須野橘音の救済。
赤マントにより滅された彼の狐面探偵を取り戻す事は、今の尾弐にとって悲願である。
アタッシュケース……万一に備え、尾弐の知り得る限りの霊的な結界を幾重にも張り巡らせたその鞄の中に入れられている宝珠。
那須野が滅された直後に天邪鬼が作り出したそれは、那須野を取り戻す為の唯一の手がかりであり、この会議ではそれを用いた救済手段を語らう――――筈だったのだが。

>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」

どうにも、しまらない。
それもその筈……尾弐黒雄も含め、この場に居る者達は妖怪、半妖、元妖怪。反魂の法を修めた者など誰一人として居ないのである。
手段を知る者がいなければ、答えに辿り着ける訳も無し。
ともすれば、単なる井戸端会議で終わってしまいかねない状態であったのだが――――その状況を、シロの一言が打ち破った。

>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」

尾弐の脳裏に、一人の女の名前が浮かぶ。
それは、先日東京ブリーチャーズが関わったばかりの……多甫祈に深く関わっていた事件の重要人物。

(女の古傷を突く様な真似はしたくはねぇんだが……菓子折りで許してくれるかねぇ)

芦屋易子。陰陽寮に所属する巫女にして、祈の父の反魂を試みた者。
シロと仲睦まじく戯れるポチの姿を眺め見つつ、尾弐は頬を引き攣らせるのであった。

――――――――――

323尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/05/01(水) 00:20:11
そして日は更に過ぎ。
芦屋易子と、安倍晴朧との再会を経て、那須野を救うための手立てと……その危険性が判明した日の夜。

「……」

陰陽寮の客間で、尾弐は窓の外に輝く三日月を眺め見ていた。
その手に何時もの様な酒は無く、その代わりとばかりに拳大の結晶の様な物が握られている。
透明に輝くそれは――――ノエルにより氷漬けにされ、妖気が抜け果て結晶と化した酒呑童子の心臓の成れの果て。
凍てついているというのに僅かな冷気も放たない心臓を、尾弐は視線も水に手で弄ぶ。
その表情に笑みは無く……あるのは、眉間に皺を寄せた、思いつめたような表情のみ。

そんな風流の欠片も無い月見の最中……ふと、何かが月光を遮り影を作った。
尾弐がその何かに視線を向けて見れば

>「寝付かれんのか、クソ坊主」
「人間に戻った瞬間、河童の医者に禁酒させられててな。寝酒も飲めやしねぇ……つか、お前さん早く寝ないと背が伸びねぇぞ」

そこに居たのは、天邪鬼――――否。尾弐がかつて共に時を過ごした子供、外道丸であった。
外道丸はいつかと変わらない、美麗な顔で、何時かと変わらない不遜な物言いをしつつ尾弐の傍に立つ。
尾弐は、そんな物言いに気分を害した様子もなく、いつかと同じように気だるげに言葉を返し……そこで、神格を得た外道丸の身長が伸びる筈も無い事を思い出し苦笑する。

>「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
>「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」

「……ああ。俺なんぞにゃ勿体ねぇ、気の良い奴らだよ。どれだけ感謝してもしきれねぇ」

そんな尾弐の様子が面白かったのか、或いは素直に感謝を述べている尾弐が物珍しかったのか。
外道丸はからかうように笑うと、裸足のまま、まるで舞う様に月下の庭へと下りて見せる。

――――本来であれば、今此処で1000年前の罪を謝罪し、或いは救えなかった事を懺悔でもするべきなのだろう。
だが、尾弐はそれをしなかった。それは自己満足で、外道丸に余計な重荷を背負わせるだけだと思っているからだ。
だから、1000年の思いは全て胸の奥に仕舞い、此処に在る1000年を経ても変わらぬ友との語らいを噛みしめる。
二人の間には暫くの沈黙が流れ……やがて、尾弐に背を向けたまま外道丸が口を開く

>「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
>「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」

それはきっと、尾弐の幸福を願い投げかれられた言葉。
今の尾弐はかつてのように絶望の底にはなく、尾弐の傍には仲間がおり……那須野橘音を失っても、それでも生きていけると。
人として当たり前に生き、当たり前に死ぬ事が出来る筈だと言う、尾弐の為だけを想って掛けられた言葉であろう。
外道丸は神童と呼ぶべき天才だ。彼の言葉に従えば、尾弐黒雄は人として幸福な死を迎えられるのは間違えない。けれど

「……心配ばかり掛けちまって、すまねぇな」

尾弐は、自身の首裏を右手で抑えつつ、申し訳なさそうにそう返事を返す。
首肯する事を願いつつ、けれどその返事を予期していたのだろう外道丸は、尾弐の返事を受け僅かに目を細めつつ笑みを浮かべる。

>「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
>「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」

……こと此処に到って、尾弐黒雄に那須野橘音を諦めるという選択肢は存在していない。
蜘蛛の糸を辿るカンダタの如く、破滅と隣り合わせの道であると知りつつも、その先に彼の探偵を取り戻す可能性が在るのであれば。
尾弐はあらゆる手段を容認し、決して諦めるという事をしないだろう。
そして、だからこそ。そんな尾弐に対し外道丸は投げかける。

324尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2019/05/01(水) 00:23:01
>「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
>「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
>「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」
>「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
>「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」

今のままの只人に過ぎぬ尾弐の身では、どれだけの策を弄しても、どれだけの術を用いても、那須野橘音を救い出す事は出来ないと。
厳然たる事実を、ただそのその眼前に付きつける。そして、問いかけるのだ

>「……力が欲しいか?」

尾弐が……得られるであろう人としての生を、その果ての平穏な死を。
これから得られるであろう真っ当な幸福を全て捨て、それででも尚、那須野橘音を救うための力が欲しいかを。
その言葉を聞いた尾弐は、思う

(嗚呼、本当に俺は――――恵まれてる)

こんなにも自身を気遣ってくれる者達が傍に居てくれる。
こんなにも、自身の幸福を願ってくれる者が居る。
だからこそ。そんな者達の気持ちを知って尚、惚れた女の為に手前勝手をやる自分は――――きっと、地獄に堕ちるに相応しい。

>「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」

「外道丸、ありがとな……今日はちと寒い。お前さんは寝相が悪ぃから、風邪ひかねぇ様にしっかり布団被って寝ろよ」

去りゆく外道丸を月光が照らし、尾弐黒雄は建物が生む影に覆われている。
それは別たれた二つの世界を現すようで……それでも、尾弐は月光に去りゆくその背中に言葉をかけた。万感の思いを乗せ、遠い何時かのように。

そして、その背を見送った尾弐黒雄は、氷漬けになった酒呑童子の心臓を宙へと放ると……その拳で割り砕いた。


その夜、一匹の悪鬼が世界に生まれた。
自身を、天魔を、世界を、運命を
万象を恨み憎む昏き心により、そうあれかしの名の下に只人が成り果てた鬼

褐色の肌に禍々しい五本角。
されど、背には月光を映したかの如く美しい三日月の紋様が刻まれている、その悪鬼の名は――――

――――――



かくして尾弐は再度、一歩を踏み出す。
己が最愛を取り戻すべく、反魂の儀に臨むのであった

325御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/05/02(木) 11:13:49
>「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
>「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」

「本当!?」

天邪鬼の答えに、思わず身を乗り出すノエル。
失敗したと思われた蘇生の術だったが、全くの失敗ではなかったようだ。

>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」

「よっしゃあ! みんな、橘音くん生き返るんだって!」

この時点では“努力次第”の程度がどの程度かも知らずに呑気にガッツポーズをするのであった。
妖怪の肉体なんて元々ふわっとしたもんだし魂があるならいけるんじゃね?的なノリである。

>「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
>「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」

>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
>「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」

「分かった。だけどほどほどにね。二人とも傷だらけなんだから。
あと……シロちゃんは元気になったらモフモフの刑ね! 天邪鬼さんはクロちゃんをお願い」

意識を失ってしまった尾弐を天邪鬼に頼み、自分は重傷の祈を連れていくこととする。
体の大きさで言うとどう考えても逆なのだが天邪鬼の方が膂力が格段に上なのだから仕方がない。
(ノエル自身もこう見えて戦闘不能状態なのだが生命力と妖力の区分が曖昧で
ダメージが絵的に分かりやすい外傷として残らないので歩いたりする分には割と普通に動けるのだった)
そして、思い出したように、存在を忘れられて隅の方で突っ立っていたあずきの方を振り向き――

「あ、あずきちゃんはお疲れ様。もう帰っていいよ。お代は今度払うね!」

「扱い雑過ぎィ! てかいきなり召喚されたのに帰りは自力!?」

――小豆目当てで召喚された補欠メンバーの扱いなんてこんなもんであった。

326御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/05/02(木) 11:16:15
その後全員入院となったが、ノエルは人間になった尾弐や半妖の祈よりは当然治りが早く、早々に退院となった。
皆が退院してくるまでの間、獄門鬼戦の経験を踏まえ、現代における最新の”かくあれかし”を勉強しようと思い至ったノエルは図書館に向かう。
まずは真面目な熱力学の本に手を出したものの意味が分からな過ぎて3ページも読めずに寝るという偉業?を成し遂げ、
次にエセ科学のようなトンデモ本を経て、結局行き着いた先は氷雪使いが出て来る漫画やラノベであった。
傍からみると遊んでいるようにしか見えないが、本人からすると実際の科学だろうが
トンデモ疑似科学だろうが、フィクションだろうが全部”かくあれかし”なのであまり区別はついていない。
その中で改めて気付いたことがある。”――現代の雪女って意外と強くね?”ということだ。
古典においてはネームド雪女も無く、ヨボヨボの爺さん一人を殺すか殺さないか程度というショボい能力設定、
”口外したら殺す”の禁を破った夫も結局殺さないという甘ちゃん仕様のため、古典妖怪の中ではヘタレというイメージが浸透しきっている。
しかし閉鎖社会が長くここ数百年戦いどころか妖怪の政治の表舞台にも出ていないし、
当然戦いのための部隊のようなものも結成されていないため、今でも雑魚のままかは分からないというのが本当のところだ。
そして何を思い立ったのか、ノエルは乃恵瑠の姿を取って雪の女王の御殿を訪れるのであった。

「あら、お帰りなさい、乃恵瑠……」

「母上――これを見て欲しい」

乃恵瑠は女王の眼前に大量の禁書を積み上げ始めた。

「……って何禁書を持ち込んでるんですか! 確かに人間界の本は解禁しましたけど漫画とラノベは禁止って言ったでしょう!
持って来たからには私自ら隅々まで検閲します!」

雪妖怪のしきたりはここ最近でかなり緩和されてはきたものの、未だにお固い学校の謎の校則のようなものが残っているのであった。
禁書を手を取り、熟読もとい検閲し始める雪の女王。

「現在帝都は西洋妖怪の侵略の脅威に晒されている……
だというのに姦姦蛇螺との戦いで五大妖の部隊は壊滅してしまった……」

「ええ、知ってます。されど私達にはどうしようもありません。
“かくあれかし”という法則に縛られる以上私達にはショボい能力設定しか……意外とショボくない!?
いつの間に人間達の間でこんな能力設定のイメージが浸透したのですか!?」

雪の女王は、乃恵瑠が持って来た禁書は雪女が登場する妖怪バトルものという共通点がある事に気付いた。
現代の妖怪バトルものでは雪女は妖術枠としてかなりの確率で登場し、そこそこ強いのだった。

327御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/05/02(木) 11:17:02
「人間界の移り変わりは早いのだ。
未だ雪女達自身が古典のイメージを引きずっているから弱いままだがその禁書のイメージを広めればかなり強くなるだろう。
それと母上が持たせてくれた”最新現代日本語辞典”に載っていたおたんこナスはもう死語だ」

「なんですって……!? ほんの数十年前に編集したからまだいけると思ったのに!」

「そこでもしも西洋妖怪軍団が攻めてきて妖怪大戦争状態になった時に備えて有志を集めて帝都防衛隊を結成しておいてほしい」

「今までそんな事をやった事がなかったですし急には……
何せ閉鎖社会をいい事に平和ボケして皆毎日スキーやスノボで遊んでばかり……」

「簡単なことだ、人間界から密輸入した最新の色々なもので釣って募集すればいけるであろう」

「その手がありましたね……分かりました。出来る限りやってみましょう」

――本当にこんなんで雪女による帝都防衛部隊は出来るのだろうか。甚だ疑問である。
用は済んだとばかりにそそくさと帰ろうとする乃恵瑠を女王は呼び止める。

「乃恵瑠、待ちなさい。ついに災厄の魔物を手懐けたのですね――
いえ、性質が根本から変わった、というべきでしょうか」

「やはり気付かれたか――」

「狐面探偵を助けにいくつもりなのでしょう?」

「情報が早いな……」

情報の発信源は従者あたりだろうか。女王が次に何を言うか予測が付き、身構える乃恵瑠。
おそらく女王にとって自分は、人間と共存していくために膨大な犠牲を払い数百年の時をかけて、災厄の魔物を封じるために作った器。
自分にもしもの事があったらまた新たな災厄の魔物を宿した雪ん娘が生まれ、折角完遂した数百年の計画が水の泡になってしまう。
しかし、女王の言葉は予想外のものだった。

「くれぐれも気を付けていくのですよ? あなたは次代の女王なのですから」

「――止めないのか!?」

「止めたってどうせ行くのでしょう? ――親友を”今度こそ”助けてあげなさい」

“今度こそ”という言葉から、女王は何かを知っている――そう直観する乃恵瑠だったが、敢えて問い詰めることはしなかった。

「ありがとう――橘音くんを助けて必ず無事に帰ってくるから」

328御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/05/02(木) 11:17:58
そして東京スカイツリーでの戦いから1週間が経過したころ――ようやく尾弐が(無理矢理)退院し、全員が橘音復活のための作戦会議が行われることと相成った。
そこにはシロに寄り添われたポチもいる。
1週間前になんとなく感じたポチはもう力を貸してくれないのではないか、という予感は気のせいだったようだ。

>「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」
>「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」
>「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」
>「お、落ち着け莫迦者!」
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」

>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」

「颯さん、キャラ変わってる……」

暴走する颯に、いつもノエルを片手であしらう尾弐ですら匙を投げている。
ファッション悪童系の祈に対して普段は一見ほんわか系に見える颯だが、本性は下手したら祈より激しいんじゃないだろうか、と思うノエル。

>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」

「そこにいるんならぽわっと適当に復活できればいいのに。まあいいや、どうやって宝珠の中に入るの?」

>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」

今は颯は妖怪としての力をほぼ失っているものの、もしそれが健在だったらどうなることやら。
あわや「事件は会議室で起こっている!」の大惨事になるかと思われたその時、シロの一言が膠着状態を動かした。
ちなみに彼女が見せつけるかのようにポチにイチャイチャしているのは敢えてのスルーである。

>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」

>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」

「よし、早速聞きに行こう!」

陰陽寮への出発前――ノエルはおずおずと尾弐に切り出す。

「えーと……返さなきゃいけないものがあるんだけど……」

そして、店の冷凍庫から心臓が取り出されて差し出されるという猟奇的な光景が展開されるのだった。
妖力的に凍っているので冷凍庫に入れていた意味は特にないのだが、なんとなくである。
尾弐にしてもそんなもん返されても困るんじゃないかと思わないでもないが、もしかしたら何かに使う時が来るかもしれないとも思ったのだ。

329御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2019/05/02(木) 11:19:30
そして一行は陰陽寮へ。
芦屋易子は最初は危険すぎるという理由で渋ったものの、陰陽頭の説得で協力してくれることとなった。
その危険性とは、このようなものらしい。

>「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
>「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
>「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
>「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」

どうやら話は思っていたより簡単ではないようだ。未だ包帯だらけの尾弐の方をちらりと見る。
人間になってしまったようだがそんな危険なことをして大丈夫なのだろうか――と思う。

>「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
>「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」
>「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」

天邪鬼が何も言わないあたり、大丈夫なのだろうか。
そこには敢えて触れず、尾弐には別に尾弐と橘音のためではなく自分が行きたくて行くのだということを伝える。

「クロちゃん……ずっと昔、大事な親友を守れなかったことがある。今度こそ助けたいんだ。
べ、別に君に橘音くんと幸せになってほしいとか盛大な結婚式をあげさせてやる覚悟しとけとかそういうわけじゃないんだから!」

人間だから行けなくて、自分達に任せることになっても何も気にする必要は無いと言いたかったのだが、
――意図したものとは逆効果の意味で伝わってしまった気がしなくもない。
この時のノエルは、まさか尾弐が自らの情念によって再び鬼と化すとは思ってもいないのであった。
儀式当日、尾弐の姿を見たノエルは驚きのあまり暫し沈黙した後――

「またまた随分格好いい感じになっちゃって……ヒロインを助けに行くヒーローって感じ!?
橘音くんといい感じになったらお邪魔になっちゃいけないから一歩引いて見とくね!」

人を鬼に変貌させるのは、愛とか勇気とかの光の側の感情ではない。
それでも橘音を助ける力を得るために、自らの恨みや憎しみを増幅させることによって鬼と化す道を選んだのだろう。
冗談めかした言い方だが、やはりここぞという局面で橘音を救えるのは尾弐しかいない、
自分が出る幕は無いだろうと思っているのであった。

>「こちらに横になってください」

「布団に寝るの? なんか昼寝っぽくない!? いや、夜だけど!」

反魂の儀というので、十字架に括りつけられるとか怪しげな魔法陣に拘束されるとかの仰々しい絵面を想像していたらしい。
空気読まないツッコミを繰り出しつつも、言われた通りに横になる。
ついに橘音復活のためのミッションが始まる――

330ポチ ◆CDuTShoToA:2019/05/04(土) 02:47:08
酒呑四天王との――そして酒呑童子との戦いから一週間。
ポチは那須野探偵事務所にいた。
祈やノエル、尾弐に楓――それに天邪鬼もそこにいた。
皆が先の戦いの傷を癒やし、集まったのだ。
那須野橘音の復活、その算段を立てる為に。

>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」

そうして始まったのが――このドタバタ騒ぎだ。
仲裁には入らない。狼の嗅覚に頼らずとも分かる。
下手に止めようとすれば、巻き添えになると。

>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」

やっとの事で楓から解放されると、天邪鬼は噎せながらそう言った。

「……で、どうやってその宝珠に入るのさ」

>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」

再び楓に掴みかかられる天邪鬼を他所に、ポチは腕組みをして目を閉じる。
こういう時、ポチに出来る事は少ない。
そもそも人の知恵や文化に興味を持ち始めたのが最近であり、知識の集積量が圧倒的に乏しいからだ。
しかし――出来る事が少ないという事は、迷う必要がないという事でもある。

「富嶽の爺さんなら何か知ってたりしないかな。後はやっぱりミカエルとか、御前は……最終手段だとして。他には……」

>人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」

>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」

「ああ、それだ……正直、あんまり気は乗らないけど。ところで……」

話が一段落して――ポチは頭上を見上げる。
隣に座り、己を抱き寄せ、あまつさえ髪や頬に口付けをするシロを。

「……流石にちょっと恥ずかしいからさ、これ。もうちょっと後じゃ駄目?」

そう尋ねてみるもシロは楽しげに笑って、

>「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」

と、答えた。
対するポチは――苦笑。

「……そうさ、君は何をしてもいい」

しかしそれだけでは終わらない。
ポチが突然、不在の妖術でシロの腕から脱する。
僅かに距離が開いた事で、シロの美貌が一際よく見えるようになった。
そうして、支えを失いよろめいた彼女の、鼻の先に口付けを返す。
狼の生態において、マズルの先を咥える事は、上位の個体による抑制を意味する。

「だけど……君ばかりが僕を好きにするのは、ちょっとズルいよね」

そう言うと、ポチはソファから飛び降りて、シロに手を差し伸べる。

「行こうか。反魂の法……あの人なら、きっと知ってるはずだ」

331ポチ ◆CDuTShoToA:2019/05/04(土) 02:50:54
 
 
 
「やっ、久しぶりだね、易子さん」

陰陽寮、芦屋易子はその一角にある社殿にいた。
東京ブリーチャーズを一目見るなり、彼女は表情を曇らせた。
望まぬ客人の来訪を厭うている訳ではないだろう。
ポチ達が抱えた事情を、一瞥したのみで看破したのだ。

「……もうバレてるみたいだけど……今日はその、相談があって来たんだ。
 橘音ちゃんを……生き返らせる為に、力を貸して欲しい」

>「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」

芦屋易子の反応は芳しくなかった。
理由は単純明快だった。
曰く、危険である――最悪、魂が消滅してしまうかもしれない、と。

>「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
 「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」
 「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」

「……参ったな。その話は……あんまり聞きたくなかったかも」

ポチは静かに、そして冷たく呟いた。
死に至る危険性がある。
そう聞いてしまった以上――ポチはもう、橘音の救出に心底踏み込めない。
もし死ねば、シロを独り置き去りにする事になる。
そこまでして橘音を助けなくてはならないのか。
幸い、芦屋易子はこの作戦に否定的だ――そんな事を、考えてしまう。
ポチは黙して拳を強く握り締める。
自分を罰するように、爪が肉に食い込むほど、強く。

>「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」
>「承りましてございます」

結局、芦屋易子の協力は得られる事になった。
だが最悪の場合、死ぬ――そんな事をポチは受け入れられない。

332ザ・フューズ ◆xCCpD0lPkQ:2019/05/04(土) 02:52:16
ポチの中にある冷徹な獣が、静かに――皆を見捨てる為の算段を立て始めていた。
勿論、それは最後の手段だ。まずは芦屋易子に確認を取らなくてはならない。
反魂の法が行われている間、自分達は己の意思で宝珠の中から出られるのか。
肉体に戻る事は可能なのか――答えが是であれば、事を急ぐ必要はない。
可能であれば橘音を助けたいと思っている事に偽りはない。
だが、もし己の意思では戻れないのであれば、その時は――

>「……お気をつけて、あなた。

ふと、シロの声がポチの思考を断った。
傍らに膝をついた彼女は、続けてこう言う。

>お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」

その言葉を聞いて――ポチは一呼吸ほど間をおいて、笑った。
微笑みというにはあまりに力強い、牙を剥くような笑みだった。

「君がそう言うなら……うん、任せたよ」

それは――ポチの定めた抜け穴だった。
『獣』を継ぐ者として、同胞以外の為に命を懸ける事は出来ない。
だが――狂気に至るほどの、狼の愛は、自然の習性をも上回る。
だからこそポチは言葉にする事が出来た。
『君は何をしてもいい』『君になら、何をされてもいい』と。

「そして……任せておいて。すぐに橘音ちゃんを見つけて帰ってくるよ」

故に――シロが「お気をつけて」と言ったのなら。
ポチはその願いを叶える事が出来る――那須野橘音を救いに行ける。

333ポチ ◆CDuTShoToA:2019/05/04(土) 02:57:17



そして翌日の夜。
ポチ達は大祈祷堂へと集められた。

>「こちらに横になってください」

「……その前に、シロ。あれを」

ポチがシロに声をかける。
ここへ来る前、彼女に預けていた物を返してもらう為だ。

受け取るのは、刀――星熊童子の愛刀、酔醒籠釣瓶だ。
酔余酒重塔での戦いの後、持ち帰っておいたものだ。

鞘の中の刀身は半ばまでしかない上、
尾弐が一度人間に戻り酒呑童子と同等でなくなった為か、破邪の力も殆ど残っていない。
だが――だとしても、紛う事なき名刀。便利な牙だ。

「アイツの魂、お前の傍にいるんだよな。だったら……見えてるか。暫く借りるぞ」

魂の世界に刀を持ち込めるかは分からない。
だとしても、試してみて損はない。
ポチは必ず、シロの元へ戻らなくてはならない。
今までのようには戦えない。命を懸ける事は決して出来ない。
ならば、出来る備えをしない理由は、ない。

「……すぐに戻るよ」

シロにそう告げると、ポチは用意された布団に体を埋めた。

>「高天原に神留座す 神魯伎神魯美の詔以て――」

目を閉じ、聞こえてくる芦屋易子の声。
それが徐々に、徐々に、遠ざかっていくような感覚。
そしてポチの意識は――


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