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【伝奇】東京ブリーチャーズ・漆【TRPG】
233
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:18:22
>「クソ坊主から酒呑童子の力を一滴残らず絞り出す。……なに、簡単な話よ。なんの造作もない」
>「ただ――あ奴をケ枯れさせればいいだけなのだからな。貴様ら脳の足りん連中にも理解できよう?」
>「とはいえ……それが至難というのは疑いようもないがな。死力を尽くせ――!」
姦姦蛇螺の時には真っ先に逃げようと言い出したノエルだったが、今回はそうはいかない。
こうなったのは、尾弐が願いを叶えるのを拒絶した自分達の選択の結果でもある。
放っておけば酒呑童子と化した尾弐は東京を蹂躙し、三分の一の魂しか持たない白い橘音や、未だ妖怪としての力が回復していない颯は間違いなく死ぬ。
そうなれば尾弐も永遠に戻ってこなくなる。
それに、苦しい時も死の淵に瀕した時もいついかなる時も味方だと祈と約束した。
一介の都市伝説妖怪のハーフどころかクオーターに過ぎないその祈がやる気になっているのだ
強大な力を持つ次期雪の女王である自分が怖気づくわけにはいかない。
>「クソ坊主、それは要らん荷だ。川にでも放り棄てよ、それ以上負うていたところで腰を痛めこそすれ、益はないぞ」
>「下ろし方がわからぬというのなら――我らが下ろすのを手伝うてやろう。その負い紐を断ち切ってな!!」
>「 死 ね 」
尾弐のただの一声で、周囲が地獄のような異空間に塗り替わる。
ノエルは滝のように冷や汗的なものを流しながら、分かりやすい詠唱を始めた。
「シンプルに傷つくんだけど!? せめて○ねとか氏ねとか至ねとかいろいろあるじゃん!
イッヒ・ナーメ・イスト・ドゥラ・イーモン… 冥界より来たりし凍てつく吹雪よ、我が剣となりて敵を滅ぼせ…エターナルフォース……ぎゃあああああああああああ!!」
こう見えても凡百の妖壊軍団を容易く即ケ枯れさせてきた定番必殺技は発動せず、
代わりにノエルが火だるまになって転げまわるも、割とすぐに鎮火した。
「心配ない、想定の範囲内だ……!」
恰好つけてみたところで色んな意味で心配だが、一応何も考えていないわけではない。
ノエルの姿では攻撃の出力は抑えられているが深雪の力は内に宿しているので、攻撃力より防御力が圧倒的に強いバランスとなっている。
神変奇特の回避方法が分からないため、敢えて深雪や乃恵瑠にならずにノエルで挑んでいるのだ。
深雪で全力攻撃でもしていようものならすぐに大ダメージを受けていただろう。
これで分かったことは、とりあえず発動の前振りがあるような分かりやすい妖術攻撃は容易く反転されるということだ。
と、いうことは――風火輪も炎を飛ばそうとすれば完封される可能性が高い。
祈の方を見ると、案の定膝から下が凍り付いていた。
「祈ちゃん……!」
祈を傷つけないように注意しながら氷を分離させ、祈を氷の枷から解放する。
最近は強大な妖力をぶん回してばかりだったので、こういう小技は久しぶりだな、等と思いつつ。
234
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:19:41
>「小娘、雪妖、遅れるな!今までクソ坊主と培った絆の力、見せてみよ――!!」
「絆の力か……丁度いい、日頃の恨み晴らしてやる――!」
>「ば――」
>「ばっか野郎お前!? 酒呑童子には『神変奇特』って能力があるって――」
>「――知らねーのか……って、あれ?」
祈が天邪鬼の抜刀を阻止し、衝撃波が一陣だけ飛んでいく。
「反転されない……!?」
>「お前、“酒呑童子なんだもんな”……それが“効くって知ってたからやった”んだな?」
物理攻撃や見えない攻撃が反転できないのだったら大きな攻略法になる。
単に天邪鬼の動きが速すぎて神変奇特が間に合わなかった、というだけならあまり有効な攻略法にはならないが……。
何にせよ天邪鬼は多くは語らないだろう。
尾弐が転じた酒呑童子は自分自身の能力の全貌を把握しきれていない可能性があるので、
相手に攻略法を教えたくないというのもあるのかもしれない。
>「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
尾弐がこちらの事など眼中にないように天上を仰ぎ憎しみを吐き出し続けているのをチャンスと見たのか、祈は突進する。
>「御幸。氷か炎よろしく」
「よろしくって……えぇ!?」
一瞬後には祈は拍子抜けするほど容易く尾弐に接近したのみならず、なんと腰から持ち上げてみせた。
風火輪を使うようになってから随分お洒落な戦闘スタイルになって忘れていたが、
元々祈はこういうバリバリのパワーファイターだったのだ。
>「うぉらあああーーーッ!」
「投げたぁあああああああああああ!?」
祈に投げられた尾弐が飛んでくる。
一見すると文字通りのキラーパスにしか見えないが、祈の意図は分かっていた。
>「宣戦布告だぜ、尾弐のおっさん」
「全く世話が焼ける……ほんと、仲人も楽じゃないよな!」
先程風火輪の炎が反転して出来た氷柱をまとめあげ、一本の巨大な氷柱として尾弐を迎撃する。
――もしもこの攻撃が通用すれば、いくつかの可能性が浮上する。
一度反転したもののの再反転は出来ない、
もしくは物理攻撃は反転できず且つ妖力によって作られた氷も物理攻撃に含まれる――概ねこのどちらかになるだろう。
235
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:00
完全な暗闇――死の淵の中にあって、しかしポチは意識を保っていた。
そこが己の魂か、精神か――とにかく内面の世界である事も、理解していた。
「……出て来いよ。いるんだろ、『獣(ベート)』。力を貸せ」
黒闇の中、ポチは呼びかける。
対する返事は――何処からともなく響く、嘲笑だった。
「ほう、力を貸せ……か。ではこの俺に、一体何をして欲しいと言うのだ?」
「とぼけるなよ、分かってるだろ。僕は今、死にかけてる……お前の力が必要なんだ」
強大な妖力を持つ存在は、致命傷を負っていてもなお生き長らえる事が出来る。
丁度、首だけで、あるいは心臓だけで生きてきた、悪鬼どものように。
今のポチによってはそれだけが、死を免れる為の唯一の希望だった。
「ああ、そうだった。そうだったなぁ……いいだろう。
お前の望む通りにしてやる。その対価に、お前がお前の肉体を寄越すのならば、な」
「……僕が死ねば、お前にとっても都合が悪いんだろ。だからあの時も」
「あの時?……ああ、お前があの狐風情に操られ、死にかけた時の事か」
『獣(ベート)』は再び、噛み殺すような笑いを零す。
そして――
「あれはな、嘘だ。いや、罠だったと言うべきか」
事もなげにそう言った。
「ああ言っておけば、お前は必ず俺を当てにする。
もう一度、己以外の為に命を擲つ時が来る……そう思って、ああ言ったのだ。
まさかこんなにも早く、そうなるとは思っていなかったが」
「……別に、お前を当てにしてた訳じゃない」
「だとしても結果は変わらない。
お前に残された道は死ぬか、俺に体を明け渡すか……その二つだけだ。
……今ならあの白狼くらいは、見逃してやってもいいぞ」
嗜虐に満ちた『獣』の声。
ポチは――何も言い返さない。
ただ周囲を見回し――不意に、頭上を見上げる。
暗闇の中、その無明の暗黒よりもなお色濃い、血色の獣が見えた。
ひび割れた甲冑。全身を覆い切れていない、燻る炎。
無残な姿の、血塗れの獣が。
「それが、お前か」
現代においても、獣は農作物を荒らし、時には人の命を奪う。
だがその脅威は、昔よりも遥かに小さくなった。
科学が人の縄張りを広げ、安価で高性能な銃と弾丸が流通した事で。
『獣』を形作るモノ――獣への恐怖は、変わった。
ジェヴォーダンの獣が、狼王ロボが生きた時代とは、全く異なる恐怖が現代にはあった。
命を奪われる事への恐怖ではなく――彼らが、いつか滅びてしまう事への恐怖。
ポチがずっと『獣』の形を掴めなかったのは、距離があったからだ。
生者と、滅びゆく者との隔たりが。
華陽宮で死に瀕し、そして今、滅びにすら足を踏み入れた事で、やっとその姿が見えたのだ。
236
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:42
「……見たな。この『獣』の……落ちぶれた、姿を。
惨めだろう?『かくあれかし』……なんと忌々しき言葉よ」
ポチより何倍も巨大な狼が、憎悪を宿した双眸で彼を見下ろした。
「……人間風情が!この『獣(ベート)』を!獣をッ!滅びゆく者と見縊るとは!
俺達を蹂躙したつもりになって……これ以上踏み荒らせば、殺してしまうだなどと!」
怒声が爆ぜる。
「お前の同胞とてそうだ!死するはずのない貴様の種が何故絶えたか!
人間がそう思い上がったからだ!人間ごときが!誇りある獣を!」
だが憤怒の炎はすぐに鎮まり――『獣』は力なく首を振る。
「……滅ぼしたなどと、認められるか」
滅びゆく者から匂い立つ、濃厚な死血。
その中にあってなお掻き消されぬ、悲哀のにおいが、ポチの鼻孔に届いた。
「……だからあの時、僕を助けようとしたのか」
「そうだ……滅びたはずのニホンオオカミ。
それが再びこの地に現れ……人を襲い、殺し回れば……奴らは嫌でも思い知る。
野生とは、獣とは、その矮小な尺度で計り知れるものではないと」
『獣』の双眸が、再びポチを見つめる。
憎悪ではなく、冷酷さを帯びた眼光。
「だが、これで分かっただろう……俺の肉体は、お前でなくとも問題ない。
獣の恐怖を再び知らしめるだけなら、次でも出来る。
……出来る事なら、お前の方が好ましいというだけで」
『獣』の力が得られなければ死ぬしかないポチと、
送り狼の肉体が必ずしも必要ではない『獣(ベート)』。
どちらが相手に屈し、仰臥するべきかは、明白だった。
「……体を寄越せ。お前の妻にも、仲間にも、手出しはしない。
群れに留まる事は出来ん……だが、奴らが窮地にあらば、必ず駆けつける。
『獣(ベート)』の名と、誇りにかけて誓ってやる」
数秒の沈黙。
そしてポチは――
「……駄目だ。僕はあの子に言ったんだ。一緒に帰ろうって」
迷いなく、そう答えた。
瞬間、『獣』が目を見開き牙を剥き、纏う炎すら燃え盛り、怒りを露わにする。
「聞き分けろ小僧!貴様と同様に、この俺にも譲れぬモノがある!己が妻を残して、死ぬつもりか!」
「いいや、お前は譲るよ。絶対に」
『獣』はなおも気炎を吐こうと息を吸い、しかし二の句を継げない。
口腔を通る吸気には、自身の血のにおいだけが満ちていた。
断言するポチの矮躯からは――嘘のにおいが、しなかった。
故に困惑する。この状況でなおも、己に肉体の支配権を譲らせる何かが、本当にあるのか。
だとすれば、それは一体――と。
237
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:58
「シロちゃんは、僕のものだ。ニホンオオカミを蘇らせる……それが出来るのは僕と、あの子だけだ」
そして、ポチは口を開く。
「誇りある獣が……失われたモノが、帰ってくる。お前はその未来を捨てられないよ。
それがどんなに切実で、重い願いなのか、僕は知ってる……そして、お前も」
そう、『獣(ベート)』は既に知っている。
かつてロボとしての生を過ごした中で――命よりもなお重い、愛を。
その愛があるからこそ、『獣』には決して出来ない。
滅び去っていった同胞達が、この世に戻ってくる――その機会を潰してしまう事は。
「それに……滅びたはずのニホンオオカミが、いつのまにか蘇ってたら。
きっと人間はこう思うさ。獣は……自分達の想像よりもずっと強かったって。だろ?」
あくまでも気概の芯を失わない、ポチの声。
『獣』は――答えない。
代わりに暫しの沈黙の後、
「……一つ、聞かせろ。そうならなかったら、どうする」
小さく呟いた。
「人間は、愚かだ。滅んでいなかったなら、もっと強く踏み躙ってもいい。
奴らはきっとそう考える。そうなった時……お前は、どうするんだ」
「……そうなった時は」
ポチの言葉が、そこで途切れた。
『獣』が何を聞きたがっているのかは、分かっている。
つまり、何を最も重んじるか――逡巡は、一瞬だった。
「僕の方からお前を呼ぶさ。力を貸せってね」
「……誓えるか」
「狼の誇りと、ロボに誓ってもいい」
その答えを聞くと、『獣』はその凶悪な牙を剥き出しにして――しかしどこか穏やかに、笑った。
「……その時が来ない事を、精々祈るといい」
瞬間、『獣』の肉体が溶け落ちる。
「俺も、そう祈っていよう」
甲冑も、燻る毛並みも、全てが赤黒い血として溶けて、ポチへと降り注いだ。
血は独りでにポチの足から、徐々に上へと這い登る。
そしてその五体へと、染み込んでいく――文字通りの、血肉として。
「行け、次代の王……手前の妻を、いつまでも泣かせてんじゃねえぜ」
238
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:35:37
気がつけば、ポチはシロの腕の中にいた
己を抱き締めて、終わりのない慟哭を上げるシロ。
「……泣かないで。君を悲しませたかった訳じゃないんだ」
その頬を、流れる涙を拭うように、ポチの舌が舐めた。
「伝えられたかな、僕の答え……僕の、気持ち。
僕が君の為に死ぬのに、理由なんていらない」
皆で生きて、いつもの日常に還る為。
そんな大層な理由はいらない。
シロが泣いたから――それだけで、ポチは己の命を忘れられる。
「……ごめんね。こんなモノしかあげられなくて。
ずっと、君に寂しい思いをさせてきたのに」
それがポチに出来る唯一の、愛の証明だった。
絶対的な強さを持たぬ以上、命を懸けねば目的を果たせない状況は必ず訪れる。
それでもシロだけが特別なのだと示したければ――方法は、これしかなかった。
「だけどこれからは、もうそんな思いはさせないから。
君にもっと、もっと、色んなモノをあげられるように、頑張るから。だから……」
そして――ポチはシロの腕から脱すると、人へと変化。
彼女に背を向けて――こう言った。
「……だから絶対、一緒に生きて帰ろう」
ポチの視線の先には――尾弐がいた。
打ち砕かれ、崩れ落ち――正真正銘の悪鬼と堕ちた、尾弐黒雄が。
>「 死 ね 」
酒呑童子の妖力を帯びた言霊が、空間を歪め、変容させていく。
ほんの瞬きほどの間に、眩い照明に照らされていたはずのフロアは、薄暗い、石天井と黒闇の牢獄に成り果てる。
果てしない空間に渺と広がる赤い液体からは、目眩がするほど濃い、酒と――血のにおいが立ち昇っていた。
>「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
尾弐――否、酒呑童子は石天井を見上げて、壊れたように憎悪の言葉を紡いでいる。
ブリーチャーズ、そして天邪鬼の事など――眼中にないように見えた。
獣の直感は、ポチに今すぐ逃げるべきだと告げていた。
あそこにいるのは間違いなく『妖壊』で、万全の状態であっても戦えば無事では済まない。
それどころか敗北する可能性の方が高い。
いわんや死の淵から這い上がったばかりの体で挑むなど、自殺行為だと。
しかし――狼の愛情は、その直感と相反していた。
今が一体どういう状況なのかは分からない――が、仲間達はやる気だ。
勇気と、決意と、愛情のにおい――あの悪鬼に挑み、倒して、救うつもりでいる。
彼らを――そして尾弐を、置いて逃げ帰る事など出来る訳がない。
ポチは一歩、尾弐へと歩み――しかし二歩目が踏み出せない。
どれほど愛と勇気を振り絞ろうと、己の肉体が瀕死の状態にある事は変わらない。
爪を刃とする為の指の固めが、今までになく緩い。
これでは鬼の強靭な皮膚を引き裂く事など到底叶わない。
足も、床をしかと踏み締められていない。
背丈の低いポチが踏み込みまで浅くなれば、それはただの的だ。
ポチには直感的に理解出来た。
今挑めば、間違いなく殺される。
血と酒のにおい香り立つ妖力を躱す事も、打ち払う事も出来ず、殺される。
悪鬼の皮膚と筋骨に、んの小さな傷も痛みも刻めずに、殺される。
239
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:38:02
犬死は出来ない。
だが祈とノエルが危険に飛び込んでいくのを、ただ眺めている事も出来ない。
ならば――どうするべきか。どうすればいいのか。
数秒、ポチは考え込んで――その場で完全に、足を止めた。
自分には、シロとの約束を破る事は出来ない――どうしても死ぬ訳にはいかない、と。
「……おい、アレがお前のハッピーエンドか?」
そして立ち止まったまま――そう、問いかけた。
「違うだろ……力を貸せよ、アスタロト。尾弐っちを、助けるんだ」
ポチは知っている。
那須野橘音――アスタロトが、尾弐を好いている――愛している事を。
この状況がどこまで彼女の想定の内かは分からない。
だがどう贔屓目に見たとしても、あそこで憎悪を垂れ流す存在は――尾弐ではない。
少なくともポチの知る、那須野橘音が愛する、尾弐黒雄では。
それに加えて、ポチには分かる。
アスタロトから嗅ぎ取れる、平穏ならざる感情の残滓。
つい先ほどまで死の淵にあったポチに、現状の詳細は分からない。
だがこの状況に、アスタロトは少なからず心を乱された。
であれば――ポチは考えた。
今なら、アスタロトをこの戦いに巻き込めるかも――利用出来るかもしれない、と。
「勿論、タダでとは言わないさ」
だが相手はあのアスタロトだ。
力を貸せと言って快諾されるとは思えない。
故にポチは――
「……アイツの力が欲しいんだろ。だったら持っていけばいい。その時は、僕は見ないふりをしてやるよ」
そう言った。
それは交渉ではない――挑発だった。
愛する者を救うという行為に、ポチは利害を塗りつけたのだ。
愛だけでは動けないなら――これで満足か、と。
240
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:31:12
>「 死 ね 」
憎悪の、怨嗟の、憤怒の、形容できない諸々の負の感情が籠った、その言葉。
認識が、理解が、常識が――世界が塗り替えられる。
酔余酒重塔、人間の技術の粋を尽くした産物であるはずの東京スカイツリーが、それとは真逆のものに変質してゆく。
空間が歪められ――出現したのは、石の牢。
「これがクソ坊主の心象風景か。千年間もの間、ヤツの魂はずっとこの石牢に囚われ続けてきた……ということらしい」
天邪鬼が口を開く。
尾弐黒雄、否、その前身であった僧侶。
彼が心に抱いてきた、外道丸を救えなかったという自身への後悔。無慈悲な人間への怒り。茨木童子ら無道な妖怪への憎しみ――
それらが彼の中に在る最も暗い過去の記憶と結びつき、酒呑童子の妖力によって具現化した空間。
いわば、酒呑童子――尾弐黒雄の固有結界。
この空間内では、尾弐は自らの権能を完全に使いこなすことができる。
半面、結界内に囚われた者たちはただ存在するだけで空間に満ちる死気に当てられ、体力を消耗してゆく。
あるいは、この空間は姦姦蛇螺の体内よりも危険な場所と言ってよかった。
「長く戦えば我らの不利。出し惜しみはするな、半妖。最初から全力で行け」
>はぁー……“言われなくても分かってる”って何度言わせんだ? 言われなくても力ぐらい貸してやるよ。
……つーかマジそーいうところだからな?
相談もなしになんでもかんでも勝手に決めて、勝手に突っ走りやがって
祈がぼやく。真意を明かさず利用し、今この場においても力を貸せと一方的に言っている事に対して文句があるという様子だ。
ク、と天邪鬼は口の端を幽かに釣り上げた。
「それは悪かったな。だが、私にもいろいろと込み入った事情がある。察せ」
「貴様の大事な『尾弐のおっさん』を元に戻さねばならん。私も、こ奴に言いたいことがあるのでな。今のままでは話もできん」
ちき……と、天邪鬼が鯉口を切る。
しかし、天邪鬼がまず尾弐へと初太刀を浴びせようとした刹那、祈が天邪鬼に飛びついてそれを阻止した。
神域の抜刀術を持っているとはいえ、体格自体は祈とさして変わらない。そして、天邪鬼は祈のような怪力を有していない。
祈のタックルに、天邪鬼はあっさりと組み伏せられた。
「おい。何のマネだ……?」
>ばっか野郎お前!? 酒呑童子には『神変奇特』って能力があるって――
>――知らねーのか……って、あれ?
>お前、“酒呑童子なんだもんな”……それが“効くって知ってたからやった”んだな?
「さて。どうかな……知悉“していた”と言った方がいいのかもしれん」
「なぜなら、私の知っている神変奇特の力とクソ坊主の使う神変奇特の力は、異なっている可能性があるからだ」
仰向けに倒れたまま、天邪鬼は告げた。
天邪鬼が酒呑童子として京の都に君臨し、神変奇特の力を使って暴威を振り撒いていたのは千年前。
当然、天邪鬼は千年前の神変奇特の力しか知らない。
しかし、今は21世紀。天邪鬼が神変奇特の力を有していた頃から、遥かに長い年月が流れている。
もし、尾弐がその間に蓄積した憎悪や怨嗟の力をも上乗せして、神変奇特の力を使うのならば。
それは間違いなく、天邪鬼の理解を上回る力となっていることだろう。天邪鬼はそれを確かめようとした。
祈が立ち上がると、天邪鬼も剣を杖代わりにして立ち上がる。
「出力が増しているのは間違いなかろう。ヤツは確実にかつての私よりも強い。だが……その本質が変わることはないはず」
「まずはヤツの持つ神変奇特の力がどのようなものなのか、小手調べといこうと思ったが……この馬鹿め」
とは言うものの、殊更に祈を責めるような響きはない。
自分に代わり、尾弐へ向かって一直線に疾駆する祈を眺めながら、天邪鬼は小さく息をついた。
「やれやれ……せっかく人身御供になってくれようと思っていたのに、先を越されたわ」
「しかし、今クソ坊主を呪縛から解き放つのに必要なのは、あんな向こう見ずな勇気……なのかもしれん」
千年の時の流れの中で、尾弐が失ったもの。
それはもう、恐らく彼のもっとも大切だった存在である外道丸にさえ取り返すことはできないだろう。
だが、失ったものがあれば得たものもある。
失ったものよりももっともっと大きく大切なもの、新たに培った絆と愛が尾弐を救うことを、天邪鬼は願った。
241
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:31:32
「ああ……、あなた、あなた……!死なないで……わたしを置いていかないで……」
力尽き、狼の姿に戻ったポチを強く抱きしめながら、シロはぼろぼろと涙を流して懇願した。
せっかく、我儘を聞いてもらったのに。一緒にいてもいいという許しをもらったのに。
その直後にポチが死んでしまっては、なんの意味もない。
しかも――誰より大切な夫の命を奪ったのが、自らの攻撃であるなどと!
もはや、死すらもふたりを別つことはできない。万が一ポチが死ぬようなら、自分も生きながらえようとは思わない。
ポチが絶息した瞬間、自らも爪で喉を切り裂き、自裁するつもりでいる。
……だが、そうはならなかった。涙で曇るシロの視界で、抱きしめたポチが身じろぎする。
ポチはうっすら目を開けると、シロの目許を舐めた。
>……泣かないで。君を悲しませたかった訳じゃないんだ
「!!……あなた、あなたッ……お目が覚めたのですか……」
>伝えられたかな、僕の答え……僕の、気持ち。
>僕が君の為に死ぬのに、理由なんていらない
「……はい……、はい……!確かに伝わりました、あなたのお答え、お気持ち……」
>……ごめんね。こんなモノしかあげられなくて。
>ずっと、君に寂しい思いをさせてきたのに
ポチが謝罪する、シロはぎゅっと目を瞑り、何度もかぶりを振った。
我儘を言ったのは自分だ。大切にされている、愛されているとわかっていながら、それ以上を求めてしまった。
しかも、東京ブリーチャーズの敵に回る、という悪手まで用いて。それは到底許されることではないはずだ。
けれど、ポチはシロを責めなかった。
あるのはただ、シロを悲しませ泣かせてしまったということに対する詫びの言葉だけ。
>だけどこれからは、もうそんな思いはさせないから。
>君にもっと、もっと、色んなモノをあげられるように、頑張るから。だから……
シロの抱擁から離れ、立ち上がったポチが狼から少年の姿へと変化する。
その小さな、けれど確かに次代の王を感じさせる立ち姿を、シロは血だまりの中にぺたんと座り込んだまま見遣った。
>……だから絶対、一緒に生きて帰ろう
「……はいっ……!わたしは、シロは……いついつまでも、永劫……あなたのお傍に……!」
涙はまだ止まらない。だが、それはもう慟哭の涙でも、後悔の涙でもない。
ポチの強い決意を秘めた言葉に、シロは嬉しそうに頷いた。
……だが。
ポチとシロのあまりにも壮絶な夫婦喧嘩は終止符を打ったものの、それで何もかもが一件落着したわけではない。
むしろ、本命が残っている。これから、この場にいる全員が死力を尽くして尾弐黒雄を、かつての仲間を倒さなければならない。
ポチは動かない。……いや、動けない。
獣の鋭敏な感覚が、捕食動物の本能が、戦えば間違いなく死ぬ――ということを感じ取っているのだ。
「あなた……」
シロが立ち上がり、そっと後ろからポチを緩く抱く。ちゅ、ちゅ、とその髪や米神に口付けを落とす。
尾弐の、酒呑童子の恐ろしさと強さはシロもひしひしと感じている、万全の時ならまだしも、今戦えば確実に負けるだろう。
けれども、ポチが逃げないのであれば、自分も逃げる気はない。共に、この石牢の中で果てることになろうとも。
ポチとシロの視界の先で、祈とノエルが尾弐と戦っている。
今まで幾多の戦いを経、遥かにレベルアップしたふたりの力をもってしても、尾弐に勝つことはできない。
すべてを反転し、逆しまに塗り替える――五大妖でさえ持ちえない因果逆転の力、神変奇特。
それは一介の妖怪風情にはとても凌げるものではない。
絶対的窮地。逃れることのできない、確実な敗北。失意のうちの死――。
しかし。
待ち受ける絶望に対してポチが選んだのは、戦うことでも降伏することでもなく。
ただ、対話だった。
242
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:32:00
「……これは……なんと……」
認識が塗り替わり、世界が反転してゆく。
ハイテクを駆使した21世紀のバベルの塔から、いかにも古々しい石牢へと変容した空間を見上げ、アスタロトは瞠目した。
空間変容など、大妖クラスの使用する術だ。自分も五大妖以外に使い手を見たことがない。
それをこともなげにやってしまうということは、尾弐が間違いなく大妖クラスの力を手に入れたということの証だろう。
この力が外界に向けば、間違いなく東京は滅ぶ。この石牢の中の血だまりに浮かぶ多くの屍たちのように。
現実の東京都内にも、数えきれないほどの屍が転がることになるだろう。それこそ、アスタロトの希望したものだ。
……いや。
本当にそうか?
「いいえ……いいえ……。計画は万事順調!すべてボクの思い通りに進んでいますとも……!」
尾弐や祈、ノエルのいる場所からやや離れたところで、アスタロトはそう独りごちた。
右手で黒い半狐面を押さえ、自分自身に言い聞かせるように唸る。
そう、計画は順調そのもの。何もかもがアスタロトの思惑通りに進んでいる。
かつての酒呑童子が天邪鬼を名乗り、素性を隠して乱入してきたのは予想外だったが、それも些末なことに過ぎない。
完全復活した酒呑童子の前には、東京ブリーチャーズなど木っ端のようなもの。祈も、ノエルも、ポチも、シロも死ぬだろう。
そうして尾弐を酔余酒重塔から解き放ち、思うままに暴れさせる。東京の全てを破壊させる。
しかる後に龍脈を制圧し、その力を独占する――それが天魔の計画であった。
計画は完遂されつつある。アスタロトはこれ以上は何もせず、ただ目の前の一方的な虐殺劇を見ているだけでいいのだ。
……というのに。
「……ク……、ソ……」
なぜか、気分が晴れない。アスタロトは強く奥歯を噛みしめた。
自分が望んだことだというのに。自分が考え、実行したことだというのに。
探偵にとって、自分の想像通りに物事が運ぶことほど愉しいことはないというのに――
あの、黒く反転した尾弐を見るたび、胸がきりきりと締め付けられるように痛くなる。
泣きたくなるほど切なくなる……。
そして。
>……おい、アレがお前のハッピーエンドか?
そんなアスタロトの乱れる心に、ポチが楔を打ち込む。
「……なんですって?ポチさ――」
>違うだろ……力を貸せよ、アスタロト。尾弐っちを、助けるんだ
「ハハ……、世迷言を!ボクを誰だと思っているんですか?ボクは天魔アスタロト!地獄の大公爵ですよ!?アナタたちの敵だ!」
「そのボクに助けを求めるなんて!絶体絶命の窮地に追い込まれて、ヤキが回ったってやつですか?アッハハハハハッ!」
アスタロトは哄笑した。だがその笑い声は固く、勢いがない。
ポチは構わず続ける。
>勿論、タダでとは言わないさ
>……アイツの力が欲しいんだろ。だったら持っていけばいい。その時は、僕は見ないふりをしてやるよ
ポチの言葉は、祈やノエルが聞けば必ず反対するであろう内容だ。
しかし、アスタロトはその言葉の裏に隠された真意をすぐに読み取った。――それは挑発だった。
決して短いとは言えない付き合いの中で、ポチはアスタロトの、否……那須野橘音の性格を知っている。
いつもおどけて言っていた、尾弐のことが好きだという言葉も――それが嘘偽りでないということを、においで知っている。
だからこそ、ポチは言ったのだ。那須野橘音の愛情と、アスタロトとしての立場。その両者を鑑みて。
『計画のためという大義名分があれば、尾弐を助けられるだろう?』と――。
人の脛に身体を擦り付けるのが大好きだった、無垢なすねこすりの少年。
子どもだとばかり思っていた彼が告げる、老獪としか言いようのない交渉に、アスタロトは小さく笑った。
「……駆け引きがとてもお上手になりましたね、ポチさん」
悪意に満ちた揶揄ではなく、心からの素直な評価。
束の間、アスタロトは唇に右手の人差し指を添えて思索する。
それは那須野橘音が普段からの癖としている、心から悩んでいるときの仕草だった。
243
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:32:52
計画は順調。もはや誰も酒呑童子と化した尾弐を止められない。それこそ、五大妖クラスでなければ無理だろう。
そして、五大妖がこの場に降臨することはまずない。大物であればあるほど、軽々しく動けないのは世の常だ。
それは人間も妖怪も変わらない。もし五大妖が動くような事態になるとしても、その結論に至るまでは相当時間がかかるはず。
自分たちはそれまでに龍脈を掌握してしまえばいい。となれば、もはや五大妖でも天魔を止められない。
そのまま天魔が東京を起点として世界を塗り替える。地上に地獄を顕現させる――。
そう。すべては計画通りなのだ。
だというのに、計画の完遂を前にしても、まるで心が晴れない。それどころか不快でさえある。
その理由は何か?答えは簡単だった。
『その中心に、尾弐がいるから』。
どれだけ敵対しても、もう道が交わることはないと理解していても、やはり。心が拒絶してしまう。
尾弐が絶望し、慟哭し、壊れていくのを是としない自分がいる。
助けてあげたいと。そう願ってしまう自分がいる――。
「……でも、無理ですよ……。今さらボクに何をしろって言うんです?もうネタバレしちゃいますが、童子切は使えませんよ」
「この刀は使用者に達人クラスの剣技を与えますが、同時に恐ろしく妖気を喰うのです。風火輪と一緒ですよ」
強力な妖具の類は使用者に多大な負担を強いる。それは童子切安綱も同様であったらしい。
アスタロトが学ランの前を開くと、護符やタリスマン、宝珠の類がボロボロと零れ落ちた。
かつてコトリバコとの戦いの際、数多くの護符を学生服の内側に縫い付けて呪詛を防いだ時のように。
今回もアスタロトは入念にアイテムでブーストをかけた上で童子切を使い、自身のケ枯れを防いでいたらしい。
「ボクがこの刀を振るうのは、一度が限度。それ以上は力がついていかない」
「まして、この魂が不完全なボクの状態じゃね……。ですからポチさん、ボクの力を当てには――」
アスタロトはそう言ってかぶりを振り、俯いた。
実際、アスタロトが剣を振る必要は一度しかなかった。どのみちこの剣は茨木童子を葬るためのものだったのだ。
そして、その役割を果たした以上、アスタロトにはもうなんの力もない。計画の流れとしては、それでなんの問題もない。
だが――今となってはその余裕のなさが悔やまれる。
すべてにおいて水も漏らさぬ完璧な計画を立てていたがゆえ、アスタロトは想定外の事象に対応する手段を持たない。
もちろん、もしものときのために逃亡する手段くらいは持っていたが、それだけだ。
今の、魂が賦魂の法によって魂を分割した不完全な姿のアスタロトに尾弐を救う手立ては――
「簡単な話。不完全だと言うのであれば、完全になればいいんです。……そうでしょう?もうひとりのボク」
声は、不意に傍らで聞こえた。
「!!!」
アスタロトははっとして顔を上げた。
見れば、いつのまにか目の前に白い半狐面をかぶった黒衣の探偵が――自分自身が立っている。
「……白い……ボク……なぜ……」
「アナタの張った結界を無効化するなんて、ボクには朝飯前。だって、ボクはアナタなのですから。――それはともかく」
「ボクたちはかつて、仲間たちを助けるために魂を分割した。だったら……今回も。仲間たちを助けるため、元に戻りましょう」
「血迷ったんですか……?同一人物とはいえ、ボクとアナタは敵同士だ。それが今さらひとりに戻る?バカげてる!」
アスタロトは左手を大きく横に振って拒絶した。
確かに、ふたりが元のひとりの人格として統合され、魂も完全なものに戻れば、今とは比較にならない力が使えるようになる。
正体を隠す必要もないから、アスタロトは自分本来の地獄の大公爵としての権能を余すところなく使用できるだろう。
とはいえ、その実現は不可能だ。同じ那須野橘音ではあるものの、今やふたりの立場は真逆。
東京を守る側と破壊する側に分かれ、今まで相争ってきたのだ。
合体してひとりに戻り、アスタロトとしての人格にエラーでも出ようものなら、すべてが水の泡であろう。
橘音は軽く肩を竦めた。
「立場的にはそうでしょう。けれど、現状ボクたちの目的は一致している。クロオさんを助けたい、その気持ちは同じです」
「ボクとアナタ、ふたりが雁首揃えていても、役立たずが二人いるだけ。でも――元に戻ればそうじゃなくなる」
「……主導権は?言っておきますが、今ひとりに戻れば魂の総量の分だけボクの意識が残る可能性が高いですよ。アナタは消える」
アスタロトが凄む。ここで意識を消される訳にはいかない。ひとつに戻った肉体の主導権をどちらが握るか、は重要だ。
しかし、橘音は小さく笑って言った。
「いいですよ、別に。……それにね、ボクは消えるんじゃない。あなたとひとつになる、元の状態に戻るだけです」
「……彼らと敵対することになりますよ?アナタの知恵がなければ、彼らは生き残れない」
「いいえ。彼らはもう大丈夫ですよ……ボクがいなくても。さ、時間がありません。早く――」
すい、と橘音はアスタロトへ向けて右手を差し出す。
逡巡しながらも、アスタロトもまた橘音へ右手を伸ばした。
244
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:34:02
「……ポチさん」
ふと、橘音はポチの方を見た。
「ありがとうございます。もうひとりのボクは素直じゃないので、人助けにも理由が必要だった。アナタのお蔭です」
そう言って、にっこり笑う。
橘音とアスタロト、ふたりの手と手が触れ合う。
「もう、ボクなしでもアナタたちはやっていける。これからの東京ブリーチャーズは、アナタたちが引っ張っていくのです」
「……あとのことは、頼みましたよ」
カッ!!
ふたりが手を重ねた瞬間、眩い光が一瞬周囲を照らした。
橘音の身体が徐々に光に変わってゆき、アスタロトの中に溶けてゆく。
アスタロトの黒い半狐面が白くなり、それとは逆に白い学ランが黒くなってゆく。
別たれていた魂がひとつに融合し、本来あるべき姿へと戻ってゆく――。
そして、光が収まったあとの空間には、ひとりになった那須野橘音が佇立していた。
「………………」
橘音は自らの右手に視線を落とすと、白手袋に包んだ手を軽く握ったり開いたりしてみせた。
身体の具合を確認し、異常がないことを実感すると、橘音はゆっくりポチとシロの方へと歩み寄ってきた。
ウウ……とシロが低い威嚇の唸り声をあげる。
橘音がポチとシロへ向けて手のひらを開いた右手を突き出す。その途端、ふたりの足許に魔法陣が出現する。
とはいえ、その魔法陣は尾弐を束縛していたようなものとは違う。
淡い輝きが魔法陣から放たれると、ふたりの傷が僅かに癒えてゆく。全快には程遠いが、動き回ることくらいはできるだろう。
「さて。やりましょうか、ポチさん。アレはクロオさんじゃない、本当のクロオさんはもっと強くて。大きくて、優しくて――」
「……ボクのことを、いっぱい。いっぱい、見てくれるんだ」
例え、その出会いが御前の画策した余興の一部に過ぎなかったとしても。
『滅び』という事項によって結びついた関係でしかなかったとしても。
……それでも。
那須野橘音が尾弐黒雄に惹かれた、その一点だけはまぎれもない真実。
ならば、橘音がなすべきことは決まっている。
酒呑童子の邪悪な力から、尾弐を取り戻す。救い出す、助け出す――
それが天魔の、“あの男”の意に反する結果となろうとも。
「……ふっ!!」
酒気の満ちる空間の中、だん、と強く地面を蹴ると、橘音は一気に童子切安綱を抜刀した。
そして、今現在戦っている最中の祈やノエルに迫る神変奇特――反転の妖術を唐竹割に両断する。
「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
白刃を構えたまま、橘音は笑って祈とノエルに言った。タイタニックなら沈むだろ!とのツッコミは不要である。
「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
ひゅん、と一度刀を血振りする。
「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
天邪鬼がからかうように笑う。橘音は黒い学ランの胸をこれでもかと反らしてみせた。
「クロオさんはカッコイイですから。ボクみたいな美少女なら即オチってなものですよ!」
「惚気か?いいさ、後でたっぷり聞いてやる。いい酒の肴になるだろうよ」
「マーライオンみたいに砂を吐かせてご覧に入れますよ、ウフフ!」
かつての尾弐のパートナーと、現在の尾弐のパートナー。ふたりが顔を見合わせニヤリと笑う。
「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
仕込杖を手に天邪鬼が提案する。祈とノエルは尾弐の攻撃を気にすることなく、能力破りに集中していいということだ。
「さあ――行きますよ!!」
橘音が先陣を切り、尾弐の注意を引き付ける。天邪鬼がそれに続く。
千年の絶望が尾弐を闇に染めたというのなら、それを打ち破ることができるのは絶望に勝る希望の力だけだ。
愛はそこにある。確かに尾弐にも根付いている――はず。
今こそ、その力を知らしめよう。妄執の石牢を打ち壊し、尾弐の心に眩しい光を差し込ませよう。
ここが、文字通りの正念場だった。
245
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:55:20
変質した尾弐……酒呑童子を前にしても尚、引く事を選ばない東京ブリーチャーズ。
だが、彼らの進撃が酒呑童子へと届く事は無いだろう。
――――『神変奇特』
高きを低きに、聖を邪に、万物悉くその理を反転させる酒呑童子が異能。
嘗て京の都にて猛威を振るったその権能が、超えられぬ壁として眼前に立ち塞がる限り。
>「……っ!!?」
炎を纏い使用者を強化して見せる宝貝、風火輪。
幾度も祈を助け、危機を脱する力となってきた道具は、瞬く間にその性質を反転されてしまった。
この戦いの最中においては、駆動すればする程に冷気を産み出し、使用者である祈を地へと縫い付ける枷としかならないだろう。
>「シンプルに傷つくんだけど!? せめて○ねとか氏ねとか至ねとかいろいろあるじゃん!
>イッヒ・ナーメ・イスト・ドゥラ・イーモン… 冥界より来たりし凍てつく吹雪よ、我が剣となりて敵を滅ぼせ…エターナルフォース……ぎゃあああああああああああ!!」
雪女。雪害の化身を根幹とするノエルの氷雪。
数多の戦闘を経て強力な武器と化した冷気は、燃え盛る炎と化してノエル自身を焼かんとする。
初撃こそ、攻守における力の配分により難を逃れた様だが……この現象が示した制約は重い。
何故ならば、氷が炎へと変えられるという事は、氷雪による範囲殲滅攻撃が封じられた事を示しているのだから。
氷雪であれば荒れ狂う吹雪すら支配出来よう。けれど、己と味方を焼く業火を雪妖に制御する術はない。
ノエルが暴威により災厄の魔物としての力を示す事は、そのまま己と味方の全滅を示す事となってしまった。
恐るべきは、尾弐がこの反転の権能を意識する事無く、半自動的に用いている事だ。
呪詛の言葉を吐く尾弐は、未だ東京ブリーチャーズを個体として認識してすらいない。
にも関わらず、東京ブリーチャーズはその『力』を『得手から不得手』へと反転されられてしまったのである。
この力を天邪鬼が見れば、その力が元の『神変奇特』とは違うものに成り果てている事が直ぐに判るだろう。
アスタロトや四天王が集めた膨大な妖力、なにより、尾弐黒雄という存在の悪意により、強力に、凶悪に――――改悪された『神変奇特』。
己が信頼し行使する力が己が最も苦手とする力に反転され、その身を苛む『自害強要』術式。
名を付けるのであれば――――神変奇特・亜種『犯転』
妖気、霊気、神気、魔力、瘴気。あらゆる異能を用いた技は、この術式を前にして封殺されてしまう。
一つの属性に純化や特化すればする存在程に勝ち目が無くなるという、悪意の術式。
この術式が存在する以上、神仏による天罰も、大悪魔による呪殺も、酒呑童子を害する事は出来ない。
それらの力は逆しまとなり、神仏は呪詛に、悪魔は天罰に滅ぼされる事となるだろう。
246
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:56:02
だが……『犯転』は強力ではあるが無敵の権能ではない。この術式への対策は複数存在している。
>「……おい、アレがお前のハッピーエンドか?」
一つは、そもそも手を出さない事。
『犯転』は迎撃術式。そもそも攻撃を仕掛けなければ被害を受ける事は無い。
そういう意味では、己の状態を正しく理解し、直感的に攻撃を思いとどまったポチの判断は、この場において最も聡いものであると言えるだろう。
冷静に、的確に、状況を見極めなければ、この術式の絡繰を知る事すらも叶わないのだから。
そしてもう一つは……
>「宣戦布告だぜ、尾弐のおっさん」
無用の長物と化した風火輪
多甫祈は酒呑童子に接敵すると、その韋駄天とも呼べる程の脚が持つ力を駆使して、酒呑童子を投げ飛ばした。
――――そう、『神変奇特』の術式をすり抜け、投げ飛ばしたのだ。
これこそが『犯転』のルールを掻い潜るもう一つの解。
祈が先に天邪鬼の斬撃が『反転』されられなかった事に視た通り、神変奇特・亜種『犯転』は、体術や武術、気、『生身の肉体が成す業』には効果を及ぼさない。
つまり、その身一つをもって尾弐へと挑む事を決めたのであれば……その拳は届き得るのである。
>「全く世話が焼ける……ほんと、仲人も楽じゃないよな!」
そして、尾弐が放り投げられた先に居るのはノエル。
風火輪が生み出した氷を束ね、巨大な巨大な氷柱と化すのは流石の技巧と言えよう。
だが……『犯転』に、再反転が出来ないというルールは存在しない。
束ねられた氷柱は、見る間に燃え盛る火柱に変換されていく。その炎は見る間にノエルを焼く――――筈だった。
「……」
しかし驚くべきことに、齎されたのは氷柱の直撃を受けた尾弐が、衝撃で石畳へと叩きつけられるという結末。
その原因を、ノエルと祈が推測する事は困難だろう。だが、離れた位置から戦いを眺めるポチとアスタロトであれば気付く事が出来るかもしれない。
尾弐がノエルから2m程の距離まで近づいた瞬間、『犯転』の作用は止まり、ノエルは氷雪の操作権を取り戻した。
2m……つまり、尾弐の攻撃が届く範囲内であれば、『犯転』の効果は及ばないというルールが存在するのである。
247
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:56:37
氷柱の直撃を受け倒れ伏し、尾弐だけを濡らす血溜まりに濡れる尾弐。
半端な妖怪であれば昏倒するであろう一撃であったが……
「……」
ゆっくりと立ち上がるその身体には、ダメージの欠片すら見えない。
それでも、ただ一つ。先ほどまでと決定的に違う所があるとすれば……
「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
異形と化した尾弐の瞳が、祈を、東京ブリーチャーズを明確に敵として捕えたという事だろう。
尾弐は一度ゴキリと首を鳴らすと、右腕を無造作に前へ……東京ブリーチャーズへと向けて突き出した。
その右手の形は、所謂「デコピン」の形。良く見れば、その指の間には、先ほど倒れ込んだ時に拾ったのであろう。石ころが挟まっている。
……この姿勢を見れば、尾弐が何をしようとしているかは明瞭に判る事だろう。
そう。この悪鬼は、石ころを指で弾いて飛ばそうとしているのである。
馬鹿げた話だ。まるで子供の遊びの様な行為だ。
だが、尾弐黒雄と呼ばれた妖怪を少しでも見知っている者であれば、直感が判断する筈だ。
あの指が示す射線上に居てはいけないと。
「……壊れろ」
尾弐がそう呟き指を弾いた直後、石牢の中を爆音と暴風が奔った。
暴風はノエルの直ぐ横を通り――――直後、祈とノエルの後方で、雷鳴のような炸裂音が響いた。
振り返り見れば、堅牢であった石畳の一部が、まるで戦艦の砲撃でも受けたかの様に、50m程に渡り、大きく抉り取られている。
「外れかよ……嗚呼、憎い、憎い、憎い……生き汚ねぇ。生きている事が、憎い……!」
たかが石ころ一つ。それも指一本で放たれたもので、この威力。
鬼という存在は、頑強さ、腕力、生命力に置いて多くの妖怪を上回るが、酒呑童子と化した尾弐はその悪鬼共すらも羽虫の如くあしらう身体能力を有している。
確かに、その身を用いた肉弾戦であれば、『犯転』をすり抜け攻撃を中てる事が出来る。
尾弐の射程圏内であれば、妖力による攻撃も可能となろう。
だが……それは同時に、この暴力の化身と接近戦をする事を意味している。
例え近接戦闘に優れた妖怪が居たとしても、この暴威を果たしてどれだけの間受けられる事だろうか。
248
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 01:08:55
更に、絶望的な現実はそれだけではない。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
尾弐となる前の僧侶が救う事を願った存在、外道丸
尾弐と化した男が、長き時を共に過ごした相棒、アスタロトと合一せし探偵、那須野橘音。
二人が連携し、那須野橘音が童子切安綱を用いる事で、確かに祈達の行動を縛る、神変奇特・亜種『犯転』は一時的に解除された。
だが……それを察した尾弐は、自身の右手の掌を食い千切ってから、大きく空間を薙ぐように振ったのである。
人外の速度で振られた腕。食い千切った傷口から流れる血液は、瞬く間に酒の臭いのする霧と成り東京ブリーチャーズを覆う。
「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
そして、尾弐がそう述べた直後……祈は、ノエルは、那須野は、天邪鬼は、感じる事だろう。
自身の身体能力が、人間の子供の様に脆弱になってしまっている事に。
そう、尾弐が用いる『神変奇特』は『犯転』だけではなかったのだ。
神変奇特・亜種『叛天』……強きを弱きに。高き物を低きに引き摺り下ろす術。
『犯転』が相手の強さを相手自身に向ける術であるとすれば、『叛天』は強者を弱者へと引き摺り堕とす、『そうあれかし』を否定する術式。
そうあれかしと人々に願われ、思われた力が強ければ強い程に、力と強度が脆弱になる呪いだ。
混乱しているであろう一行を前にして、尾弐は何のためらいも見せずにその拳を振るっていく。
祈には掌底を。ノエルには石礫の散弾を。那須野はその腕を掴み天井へと投げ、天邪鬼には手刀を振るう。
『叛天』の中において、それらの暴力は全てが致命傷と成り得る。
無論、童子切安綱を振るえば『叛天』も無力化されるであろうが……そうなれば、『犯転』が再度機能を始めるだろう。
悪鬼との近接戦を強いられる『犯転』。肉体の脆弱化を強要される『叛天』。
良きかな良きかな。東京ブリーチャーズの一行は好きな絶望を選択出来るという訳である。
希望があるとすれば……尾弐が童子切安綱に直接接触しないよう立ち回っている点だろう。
酒呑童子を殺した武器であれば、或いは今の尾弐の要塞の如き肉体にも届き得るのかもしない。
だが、警戒されている以上、それを直撃させるのは至難の業。
そして、そうやって手を拱き時間が経っていく程に、石牢は真綿で首を絞める様に東京ブリーチャーズの生命力を奪っていく。
……結局のところ、どの選択肢を選んだとしても訪れる結末は絶望なのだ。勝てる筈が無い。
それでも唯一、この場面を動かせる者がいるとすれば、それは敵対行為を行っていないが故に敵とみなされていないポチ達だが……
傷ついた体で何かを成せと願うのは酷というモノだろう。
1000年の絶望は、昏く深く重い。
五大妖に匹敵する圧倒的な理不尽を前に、果たして一行はどの道を選ぶのであろうか。
249
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:20:26
祈、渾身の背負い投げ。更に、瞬間的に脚力を強化して踏み込み、スピードも増加させた。
そして尾弐が飛ぶ先には、束ねた巨大な氷柱(つらら)を構えたノエルがいる。
この連携攻撃の威力はいかほどかと、祈は目を凝らした。
(天邪鬼の話をハンパなとこで切って尾弐のおっさんぶん投げたけど、前は物理攻撃が効いてたみたいなこと言ってたよな?)
時間がないため攻撃に踏み切った祈だが、振り返ってみればこうだ。
>『さて。どうかな……知悉“していた”と言った方がいいのかもしれん」
>『なぜなら、私の知っている神変奇特の力とクソ坊主の使う神変奇特の力は、異なっている可能性があるからだ』
>『出力が増しているのは間違いなかろう。ヤツは確実にかつての私よりも強い。だが……その本質が変わることはないはず』
多分効くと思って衝撃波を放った、とそういうことだったはずだ。
祈の視点からは、尾弐が壁となってはっきりとは見えなかったものの、
尾弐が到達する一瞬、ノエルの方で花火のような光がぱっと咲いたのが見えていた。
それはすぐに収まって、尾弐は氷柱に激突し、更に床に叩きつけられた。
(なんだ今の光……一瞬、氷柱が炎になった? でもすぐ氷柱に戻って尾弐のおっさんに当たったのか?)
祈の視点からでは、はっきりしたことはわからない。
だがどうあれ、尾弐が氷柱に激突したことと床に叩きつけられたことは事実で、
そこは反転させられた様子はなかった。
ということは祈の予想通り、そして天邪鬼の知る昔の神変奇特の性質と同じように、
物理的な攻撃――たとえば殴る蹴る投げる切るというような、
妖力を通さない攻撃は効果を持つということになる。
とは言え。
>「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
無傷――。
大きく弾かれ、血溜まりの床に倒れ伏した尾弐だが、
血を滴らせながら起き上がるその動作には、
痛みを覚えているような様子も、ダメージを受けた部位を庇うような様子も一切見られなかった。
尾弐という男がもともと悪鬼として備えていた頑強さ。
そこに大量の妖気を入れられ、酒呑童子という伝説をも取り込んだ。
故に。
祈が渾身の力で投げようが、その先に氷柱の刃が待ち構えていようが、
ダメージ一つ負わないほどの破格の防御力を備えてしまっているようであった。
物理的な攻撃ならば反転させられないとはいっても、これでは通じないも同義である。
(でも、何かあるはずだ。きっと――!)
祈は攻撃のヒントを掴むため、あるいは作戦の一つでも聞くために、
ノエルと合流しようと移動し始めていた。
尾弐から目を逸らさないようにしながら。
(あれ……よく見たら尾弐のおっさん、右手に何か握ってる……?)
祈の視線の先で、尾弐はゴキリと首を鳴らすと、
右腕を無造作に前に伸ばし、移動する祈とノエルの方向へと向けた。
その右手には大きめの石が握り込まれており、手指の形はまるで狐のように変化していく。
その形の意味を祈は理解した。
デコピンだった。
尾弐は石畳を砕いて作ったであろう石ころを、デコピンによって投石しようとしているのだった。
並の妖怪が同じことをしようとすれば、それは進退窮まってやけくそになったと疑うか、
デコピンはただの囮で、妖術による別の搦め手を用いようとしているのではと警戒するところだろう。
だが、相手は尾弐だ。
本気を出していない尾弐がぶん投げたバス停の標識でさえ、砲弾のような威力で飛んでいくのだ。
デコピンによる投石とは言え、それが酒呑童子と化した尾弐の指によって行われるのなら、その威力は――。
>「……壊れろ」
「っ御幸あぶねぇ!」
本能的に危険を察知した祈は、ノエルへと飛び掛かり、そのまま倒れ込むように突き飛ばす。
そのすぐ近くを、音を追い越して何かが飛んでいった。
遅れて、耳をつんざく爆音。そして、はるか後方で雷鳴のように何かが爆ぜる音。
倒れたまま音がした方を振り返り見れば、何十メートルという規模で石畳の床が抉られており、中心には赤熱した石ころ。
そこに血の池の血が流れ込むところであった。
ただの指と石でも、尾弐に掛かればレールガンの発射台とその弾体に等しい威力になるのだった。
250
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:25:36
>「外れかよ……嗚呼、憎い、憎い、憎い……生き汚ねぇ。生きている事が、憎い……!」
祈はぞっとする。
石はどちらかと言えば、ノエルの居た位置のすぐ横を通り過ぎていたから、
狙いはノエルだったと思われる。
大して狙いを付けていなかったのかもしれないし、祈を狙ったものが大きく逸れたのかもしれないが。
ともあれ、命中していればここにいるのはノエルではなくクラッシュアイスだったのだろうし、
一瞬とは言え射線に入った祈も、命中していれば挽き肉だったのだ。
そしてもし尾弐がこのような状態でなく、いつものように冷静であったら。
「思ったよりやべーな……今の状況」
倒れたノエルの上で祈はそう呟く。
尾弐が冷静だったなら、避ける場所を計算して正確に撃っていたであろう。
そうすれば今ので終わっていたのだと思うと、冷や汗が頬を伝うのも無理はない。
ノエルと自分がまだ生きていることに祈は安堵する。
祈はノエルの上から退いて立ち上がると、
「行けるか御幸」
尾弐を見据えて、
ノエルに――ノエルが倒れたままなら手を差し伸べながら――問いかける。
状況はどこまでも悪い。
妖力を使って炎や氷による攻撃をしようとすれば、
反転して自らを傷付ける力として戻ってくる。
試しに攻撃のために風火輪に妖気を流せば、
やはり氷結の妖術になり、祈の足元が再び凍てつき始めた。
炎や氷などを使おうと思うなら、自傷の不利を受け入れながら戦うしかないということだ。
そうでないなら、あの莫迦げた酒呑童子の身体能力を相手に、
まともな肉弾戦を挑むことになる。
瞬く間に挽き肉になるのがオチで、上手く攻撃を叩き込めたとしても、
あの金剛のように固く頑強な肉体に、ダメージなど与えられよう筈もない。
どちらも自殺行為に他ならず、攻め手に欠けていると言えた。
そこへ現れたのは。
>「……ふっ!!」
「橘音!?」
白い半狐面に黒い学ラン。紛れもない、那須野橘音の姿だった。
橘音が祈やノエルの周囲で刀を振り下ろすと、何かの術式が破壊されたような音が響く。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
>「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
>「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
試しに風火輪に妖力を流してみると、
確かにいつも通りに炎が噴き出し、祈の足元の氷を溶かす。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
>「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
>「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
>「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
「……しゃーねーな」
祈は硬い表情で、共闘に応じた。
祈は、那須野橘音を名乗る者の登場を、手放しに喜んではいなかった。
橘音が手に持っているのは、神変奇特を断ち切ったことからも
正真正銘の童子切安綱だと見ていい。この戦いにおける切り札になり得るだろう。
だが、それは“アスタロトが持っていたもの”であるはずだ。
魂が三分の一しかなく、変化もまともに保っていられない橘音が、
どうしてアスタロトから童子切安綱を奪えるだろうか。
そしてよしんば奪えたとしても、
アスタロトがそんな強力な武器を取り戻さない理由がどこにあるのだろうか。
だというのに、周囲を見渡してもアスタロトの姿はなくなっている。
ここから推察するに、アスタロトが気まぐれを起こして、
祈達に肩入れしようとしていると考える方が自然であった。
祈達の協力を得やすいように、見た目を元の那須野橘音カラーに戻し、
那須野橘音と名乗っているのだ、と。
元々敵対したくてしているのではないとはいえ、一応の敵。
警戒を怠るなと理性が告げる。
だが、どういうことか。祈は、まるで以前の那須野橘音が戻ってきたような、
安心感と言おうか、心強さと言おうか。内心そのような気持ちを覚えていた。
251
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:29:39
>「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
そこへ天邪鬼が茶々を入れるように混じってきて、
橘音(?)は、惚れた弱みだとかなんだとか、そんな感じのことを言った。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
「おう!」
そして、ここから反撃開始――と勢いづいたところで。
尾弐はぶちぃ、と右手を噛み千切ると、右腕を横薙ぎに振るった。
傷口から飛んだ血液が、豪腕によって振るわれたことで、血の霧となって辺りに舞う。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
そして、異変が始まる。
血の霧に触れた祈は、自身の体に異常が起こったことを理解した。
(体に力が入らない……?)
祈はターボババアによって鍛えられ、
戦いのときには心の中にあるスイッチが入るようになっている。
その時こそ、ターボババアの能力として、時速140キロ以上で走る脚力と、
それに見合うだけの身体能力を手に入れることができる。
しかし今はどうか。
スイッチが入っている感覚はある。
戦いに対する躊躇いもなく、妖力は確かに体を巡っている。
だがまるっきり、脚力や体の強さに変化が感じられなかったのだった。
神変奇特による攻撃だと祈は察したものの、
困惑に思考を奪われたのは完全な悪手だった。
尾弐が迫っていた。
畏ろしいまでの脚力で踏み込み、一息に祈の眼前にまで肉薄している。
(しまっ――)
咄嗟に風火輪のウィールを逆回転させ、後方へ下がろうと試みる祈だが、
何もかもが、遅すぎた。
下がろうとする祈の腹部を、尾弐の掌底が捉える。
祈の後退は僅かに狙いを反らしたに過ぎず、尾弐の右手は祈の右脇腹に命中することになった。
祈は、都市伝説妖怪という新参者の妖怪の孫であるから、
『そうあれかし』の影響は小さい部類に入る。
故に、尾弐の神変奇特による弱体化の影響は、それほど大きくないと言えた。
少なくともメジャーな、雪女という妖怪であるノエルと比べれば、
非常に軽微な弱体化だと言えるだろうし、
実際には、少し強い人間というレベルには身体能力の強化はあった。
だが、そんなものは関係がない。
“それ”は――。
“指先一つで弾いた石でも石畳に50mもの穴を開けるレベルの攻撃力を持つ尾弐が”、
“腕を振るい”、“踏み込み”、“全身を連動させて放った一撃”だったのだから。
さながら豆腐を弾丸が撃ち抜くが如く。
その掌底は、祈というただの人間と変わらない少女の体を。
「――ぁ、く」
容易く貫く。
252
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:43:23
尾弐の掌底は祈の皮膚を突き破り、肉を潰し、内臓を食い破り、宙に血の花を散らす。
破裂音が体内から響くのを祈は聞いた。
そして後方へと大きく吹き飛ばされ、受け身も取れずに、ドシャァと石畳に仰向けに転がる。
祈の右脇腹は砲弾でも受けたように抉れて、
傷口からは肋骨や内臓が覗いているという有様で。夥しい血が溢れ、祈の顔が苦痛に歪んだ。
左手で右脇腹を押さえ、その激痛に体が跳ねる。
(お腹が……半分っ、なくな、っ……いてぇ……! 痛いぃ……!!)
呼吸が苦しくなって咳き込むと、内臓が傷付いているからか、
胃の奥からせり上がってきた血が咳と一緒に吐き出された。
口元を抑えた右手に血が付着する。
尾弐の一撃は、祈の命に届いている。
あと数分も保たずに祈の命は失われ、
血の池に浮かぶ有象無象の腐乱死体との差異はなくなるだろう。
だが。
(……“血”だ)
命の火が消えていくまさにその最中。
祈は一つの事柄に目を奪われていた。
眼前に翳した右手に付着した、自らの血だった。
そう。“血”だ。
ターボババアとしての妖力を十全に使えなくなる直前、
尾弐は右手を噛み千切って振るい、血の霧を発生させていた。
そのことからも、あの血の霧が弱体化の原因なのは明らかだ。
だが血の霧が舞った時、祈はその血が顔や髪に付いただとか目に入っただとか、そんな感覚を覚えなかったし、
腕や衣服に付着したところも見ていない。
この石畳の上に広がる血の池もそうだ。
天邪鬼にタックルをかました時も、ノエルを守ろうと突き飛ばした時も、そして今も。
祈は石畳に倒れ込んでいるが、この石畳の一面に広がる血もまた、不思議と祈を濡らすことはなかった。
そうでなければ、祈はとっくに全身血塗れになっている。
これは血の霧と血の池の共通点だと言えた。
そして血の霧には弱体化の効果があることを考えると、
同様に触れられない血の池に効果がないのは不自然だった。
今現在分かっている神変奇特の効果は二つであるから、
『妖怪としての力を有るから無いに反転させる』のが血の霧、
『妖術による攻撃を、自分を傷付けさせるものに反転させる』のが血の池だとすれば、一応の辻褄は合う。
そして血とは。
自らが人の生き血を啜っており、源頼光にも勧めたという話があり、酒呑童子にとって関わりの深いもの。
故に。祈はこう考える。
『この血こそ、神変奇特の正体なのではないか』、と。
この血は妖術の類、あるいは結界。もしくは神変奇特の力を伝える媒介。
純粋な血という物質ではないから、触れられない。触れても付着することないのでは、と。
尾弐がどのような条件で神変奇特を発動させているのかは分からない。
たとえば一度それを見たり聞いたりして、攻撃だと認識する必要があるだとか、
敵意を向けた攻撃ならば自動で反転させるだとか、細かな条件があるかもしれない。
だが、この血の池や血の霧が、神変奇特の発動に不可欠だとすれば。
『これらの血さえ排除してしまえば、神変奇特の発動は封じられる可能性がある』。
「う、く……」
だが、祈には血を排除するだけの力は残されていない。
祈の右手が、石畳の床をガリリと引っかく。
ここは塗り替えられた空間とは言え、元はスカイツリーだ。
茨木童子がそうしたように、天井や床は破壊できるかもしれない。
石畳を氷結させれば、石畳の内部の水分が膨張して砕けるかもしれないし、
あるいは高温の炎なら石畳を溶かしてしまえるかもしれない。
そうすればこの血の池は階下へと流れてなくなり、
同じ要領で壁や天井に風穴を作れば、血の霧を消し飛ばせるかもしれない。
それによって、神変奇特の力を封じられる可能性は確かにある。
死を間際にした少女の、錯乱した妄想かもしれなくても。
「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
どうにか起き上がろうともがく祈だが、右脇腹の筋肉がないため、身を起こすこともままならない。
そして失血と身体の損傷で、祈の目からはいよいよ生気が失われつつある。
その頭に浮かんでいるのは、尾弐の顔だった。
コトリバコ戦の時に、祈にどうしたいか聞いてくれた尾弐の優しい顔。案じてくれた顔。
なんやかんや言いながら祈についてきてくれる尾弐の、困ったような顔。
死に向かいながら、激痛に耐えながら。祈の頭にあるのは。
尾弐を救う。尾弐を取り戻す。ただ、それだけだった。
――その髪が、ざわざわと。ゆっくりと。朱く染まっていく。
253
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:35:14
一瞬、巨大な氷柱が燃え盛る炎になったように見え、まずい! と思ったが、気のせいだったのだろうか。
次の瞬間には氷柱は尾弐に直撃し、赤い液体の中に倒れ伏す。
少なくとも祈が尾弐を投げることに成功したのは確かで、純粋な物理攻撃なら神変奇特の影響を受けないらしい。
>「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
しかし、あれだけ派手に倒れ伏したにも拘わらず、立ち上がった尾弐は全くの無傷だった。
物理攻撃なら神変奇特は突破できるとしても、防御が固すぎて結局ダメージが入らないのでは打つ手が無い。
加えて、体調に異変を感じる。変な汗のようなものが止まらない。
この空間にいること自体で生命力を奪われていくようだ。
災厄の魔物である自分なら、この手のものにはもう少し耐性があっても良さそうなものだが――
《言っておくが……我はもう災厄の魔物ではない。本当は、最初からずっと。
貴様が力を取り戻した時から――》
唐突に、深雪が告白する。
思い返してみれば、辻褄が合ってしまう。深雪はなんだかんだ言って最初からずっと味方だった。
魔滅の銀弾に妖力付与したり、ミカエルの剣を使ったりも出来た。
人間と敵対する宿命から解放されること――それはずっと願ってやまなかったことなのに。
今この時ばかりはそれが悔やまれた。
気付けば尾弐は、デコピンの要領で石を飛ばそうとしている。
ノエルはうっかり相手に近付き過ぎていたことを悔いた。
自分の身体能力ではこの距離で今の尾弐に石を飛ばされては避けられない。
>「……壊れろ」
ダメージを受けるのを覚悟で氷の壁を作って少しでも軽減するか――?
等と考えていると祈が飛び掛かってきた。
>「っ御幸あぶねぇ!」
突き飛ばされて地面に転がった直後、後方で爆音が鳴り響いた。
祈が庇うように覆いかぶさっている。祈は自らの危険を顧みず、当たれば即死の一撃から救ってくれたのだ。
>「思ったよりやべーな……今の状況」
もし今ので祈が死んでいたら、もしくは自分が死んでいたら祈がどんなに絶望していたかと思うと――戦慄した。
254
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:36:43
>「行けるか御幸」
本当は恐怖と絶望のあまりどうにかなりそうだったが、頷いて立ち上がる。
祈が風火輪をもう一度試してみるもやはり足元が凍り付く。
氷柱は物理攻撃枠なのか確かめようと思ったノエルは、試しに小さめの氷柱を飛ばしてみようとするも、手を火傷するだけに終わった。
では初撃の氷柱が当たったのは何だっただろうか。
もしかしたら、距離かもしれない。尾弐のすぐ近くまで近づけば妖術攻撃も通用するのだろうか。
もしそうだとしても、今の尾弐に近接戦を挑むなど自殺行為に他ならない。
とにかく、氷雪による妖術攻撃を主な戦法とするノエルは、
神変奇特に支配されたこの場においては全くの役立たずになってしまったことを実感した。
その時だった。
>「……ふっ!!」
目に飛び込んできたのは、童子切安綱を一閃する橘音の姿。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
>「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
>「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
「橘音くん……なの!?」
思わずそう言ってから、そんなはずはないと思い直すノエル。
見た目は橘音の人間バージョンそのものだが、ここにいて童子切安綱を持っていたのはアスタロトのはずだ。
おそらくは、尾弐の結界に閉じ込められて出られなくなり、自分も攻撃対象になったので
効率よく共闘するために白い方の橘音っぽく振舞っているというところだろう。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
>「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
>「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
>「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
ただ、アスタロトにしてはあまりにも積極的に尾弐を救おうとしているように感じられる。
尾弐を酒呑童子として東京を破壊させようと画策していた張本人だ。本気でそんなことを思っているはずはない。
こちらを信用させるための演技か、あるいは復活させてはみたものの制御不能で手に負えなかったので元に戻そうとしているのか――
そう解釈した上で、ノエルは祈と同じく暫定アスタロトの提案に応じて見せた。
どんな理由であれ共闘してくれる者がいるなら手を借りざるを得ない状況だ。
>「……しゃーねーな」
「分かったよ!」
>「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
>「クロオさんはカッコイイですから。ボクみたいな美少女なら即オチってなものですよ!」
>「惚気か?いいさ、後でたっぷり聞いてやる。いい酒の肴になるだろうよ」
>「マーライオンみたいに砂を吐かせてご覧に入れますよ、ウフフ!」
尾弐を本気で救おうとしている天邪鬼と、そんなはずはない暫定アスタロトが親し気に話すのを聞いて、
違和感を覚えるが、今は気にしている余裕は無い。
255
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:38:21
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
天邪鬼と暫定アスタロトが最前線で戦ってくれるのをいいことに、ノエルは何を思ったか、鞄の中から何本かのバナナを取り出し、投げ始める。
一見するとどれも凍ったバナナを投げているように見えるが、微妙な違いがある。
氷の妖力で強化したバナナ、凍らせた上で軌道操作したバナナ、ただ凍らせただけのバナナ。
それでも駄目なら最終的には凍ってもいないバナナをただ普通に投げることだろう。
バナナを使う意味は分からないが、要するに妖術攻撃と物理攻撃の境界線を探っているのだった。
果たして何本のバナナがブーメランで返ってくることになっただろうか。
どんな結果だったにせよ、少なくとも妖力を使わない飛び道具による遠距離物理攻撃は通用することが分かった。
しかし、神変奇特を回避出来ても生半可な威力では牽制にすらならない。
どのような手段でそれを行うか――そう考えた時、すぐに思い付いた。
なんのことはない、子どもでも思いつくような発想だ。
「あ! 誰か豆持ってない!?」
――しかし当然、そんなものを都合よく持っている者などいるはずはなかった。
尾弐は自ら右手を食いちぎり、腕を振るう事で辺り一帯に血の霧を展開させた。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
「え……?」
急に体力が著しく落ちてしまったことを感じたが――
それより何より、先程までは妖術攻撃が逆属性になって跳ね返ってきていたが、今度はそもそも殆ど使えないと言っていいほど弱くなってしまっている。
考えられることは一つ。尾弐が、神変奇特の性質を切り替えてきたのだ。
一行がそれに戸惑っている間に、尾弐は容赦なく暴虐の限りを尽くしはじめた。
まずは一番近くで戦っていた天邪鬼や橘音からだが、あの調子では間違いなく全員に来る。
今の状態で攻撃をくらったら間違いなく死ぬ!
そう思ったノエルは近くに転がっている死体を見て反射的に”ただのしかばね”という言葉を思い出し、
思考が混乱するあまり タダ→無料で使える という超解釈に至った。
「し、失礼します!」
謎の挨拶をしながら死体の下に潜り込む。次の瞬間、死体に無数の石礫が直撃し爆散した。
やれやれ結果オーライ、等と呑気なことを思ったのも束の間、祈に尾弐の掌底が迫るのが目に飛び込んできた。
おそらくノエルへの攻撃など、祈への攻撃とほぼ同時に片手間に行われていたのだろう。
「祈ちゃ……」
何も出来ないのに、無駄にスローモーションのように全てが見えてしまった。
尾弐の掌底が、祈の右脇腹を弾き飛ばす様が。
256
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:41:58
>「――ぁ、く」
最初に祈に身を挺して守ってもらったのに、祈を守るべき時に自分は死体ガードなどという不謹慎行為をしていたとは。
悔やんだところで今更どうしようもない。祈を抱き上げて尾弐から離れた場所に避難させる。
雪女は一般的にはフィジカル面では優れた妖怪ではないのが幸いしたのか、少女を一人運ぶぐらいの力は残っていた。
すると不思議なことに、尾弐の血の霧が覆っている場から出た瞬間、妖力が戻ったことを感じた。
再び祈を横たえて様子を見る。
取り急ぎ傷口を凍らせて止血するも、生粋の妖怪ならいざ知らず、半妖の祈にとっては明らかな致命傷。
氷雪使いであるノエルには傷を癒す術はないが、氷雪の力が戻った今なら生存率を上げる手段はあるにはある。
敢えて全身を極端な低体温にすることで仮死状態にして現状を維持し、治療可能な状況になったところで元に戻すという方法だ。
イチかバチかの方法だが、放っておけば数分も持たずに死んでしまう。やるしかない。
しかし祈は自分がそんな状態だというのに、まだ尾弐のことを考えて何やら錯乱したことを口走っている。
>「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
「もういいから喋らないで! 大丈夫、少しお休み。起きたら全部終わってるから」
しかし祈に仮死状態にする術をかけようとする直前、祈の髪が朱く染まっていくのに気付いた。
祈の髪が朱くなるのは以前にも一度見た事がある。姦姦蛇螺の本体と対峙している時だ。
それは、妖怪としての全力が引き出される時――あるいは、運命変転の力が発動するサインなのかもしれない。
何にせよ、ノエルは思った。――祈ちゃんは、まだやる気なんだ、と。
自分はどんな時でも祈の味方だ――彼女が本気でそう思っているなら、自分は全力で後押ししなければいけない。
かといって、死なせるわけにもいかない。何か方法はないものか――そう考えた時。
祈が血がどうとかと言ったせいかは分からないが、かつて祈が鎌鼬に自らの血を分け与えていたのを思い出した。
ノエルは氷の刃で自分の左手首を切り、祈の口に近づけた。滴り落ちるのは赤い血ではなく、輝く透明な液体。
一種の物質化した妖力のようなものだろう。
ノエルが未だ災厄の魔物であったなら、半妖の祈にとっては毒になりかねなかったが――
今のノエルは災厄の魔物級の妖力を持つ他の何か。それは純粋に膨大な妖力を分け与える行為だ。
「本当に良かった――僕が災厄の魔物じゃなくて」
そうしながら、先程の祈の言葉の意味を改めて考える。
そういえば、さっき血の霧の領域から出た瞬間に、氷雪の力が戻った気がした。
そして、床には何故か尾弐だけを濡らす血が満ちている。
257
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:50:52
「そうか――祈ちゃんが伝えたかったのは……」
地面に穴を空けるなら、自分よりずっと適任な者がいる。
ポチの爪に氷の妖力付与を飛ばし、声をかける。
「ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!」
そして、橘音に対しても声をかける。
「橘音くん、召怪銘板持ってたら貸して!」
単に思考が混乱してこの橘音がアスタロトであることを忘れたのか、
それとも余計な理性が吹っ飛んだことで本物の橘音であることを本能的に感じ取ったのかは分からない。
ただ、白い橘音は召怪銘板で皆の足取りを追うと言っていたので、これが本物の橘音なら持っている可能性は高いのだ。
しかし、一体何を召喚しようというのか。
今の尾弐に対抗できるような妖怪は流石に召喚できないし、かといって半端な妖怪など召喚しても犠牲者が増えるだけだ。
誰もが思うであろうそんな疑問に答えるように、ノエルは大真面目な顔をして言った。
「――召喚するのは……小豆洗いだ!」
258
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:01:08
刺さった――と、ポチは手応えを感じていた。
己の言葉は、確かに狙い通りに、アスタロトの心に刺さったはずだと。
>「……駆け引きがとてもお上手になりましたね、ポチさん」
「げははは……少しは王様らしく、なったでしょ」
アスタロトの紡いだ、純粋な称賛。
思わずポチも――まるで橘音に向けるような、柔らかな声を零した。
>「……でも、無理ですよ……。今さらボクに何をしろって言うんです?もうネタバレしちゃいますが、童子切は使えませんよ」
「この刀は使用者に達人クラスの剣技を与えますが、同時に恐ろしく妖気を喰うのです。風火輪と一緒ですよ」
アスタロトが学ランの前身を開く。
ぼろぼろと零れ落ちる大量の護符やタリスマン、宝珠の残骸。
それら全てが、たった一度、童子切――彼女がその手の妖刀を振るう為に払った代償なのだろう。
>「ボクがこの刀を振るうのは、一度が限度。それ以上は力がついていかない」
「まして、この魂が不完全なボクの状態じゃね……。ですからポチさん、ボクの力を当てには――」
つまりアスタロトにはもう、戦闘に加わる余力はない。
「……一緒に地獄に落ちようって、こっちの橘音ちゃんは言ってたけど」
それでも、加わってくれなくては困るのだ。
自分にはもう、あの強大極まる妖壊を――酒呑童子を叩き伏せる事は、決して出来ない。
祈にもノエルにも、それが出来るとは思えない。
天の邪鬼の剣技ですら、酒呑童子の言霊――ただの言葉に、塗り潰されたのだ。
アスタロトの助力がなければ、酒呑童子を倒す事など、不可能だ。
「お前は……そのお札と石ころが、精一杯か?」
無理な事を言っているのは分かっている。
敵であるアスタロトに、力を貸せ――あまつさえ命を懸けろ、などと。
だが退く訳にはいかない。
どうすればいい、これ以上何を言えば、アスタロトを動かせる――
>「簡単な話。不完全だと言うのであれば、完全になればいいんです。……そうでしょう?もうひとりのボク」
その正答は、聞き慣れた声によって示された。
>「……白い……ボク……なぜ……」
那須野橘音の、声によって。
>「アナタの張った結界を無効化するなんて、ボクには朝飯前。だって、ボクはアナタなのですから。――それはともかく」
「ボクたちはかつて、仲間たちを助けるために魂を分割した。だったら……今回も。仲間たちを助けるため、元に戻りましょう」
「血迷ったんですか……?同一人物とはいえ、ボクとアナタは敵同士だ。それが今さらひとりに戻る?バカげてる!」
分かたれた二人が、一つに戻る。
アスタロトがそれを否定する理由は、ポチにも分かる。
東京を守る。東京を滅ぼす。二つの矛盾する目的を一つの肉体で実現する事は出来ない。
>「立場的にはそうでしょう。けれど、現状ボクたちの目的は一致している。クロオさんを助けたい、その気持ちは同じです」
>「ボクとアナタ、ふたりが雁首揃えていても、役立たずが二人いるだけ。でも――元に戻ればそうじゃなくなる」
>「……主導権は?言っておきますが、今ひとりに戻れば魂の総量の分だけボクの意識が残る可能性が高いですよ。アナタは消える」
>「いいですよ、別に。……それにね、ボクは消えるんじゃない。あなたとひとつになる、元の状態に戻るだけです」
そう、二つの人格の内一つは――消えてしまう、かもしれない。
だがポチには何も言えない。既に、理解してしまっているからだ。
元々どうしようなく打つ手のない状況を、唯一どうにか出来る可能性が、アスタロトだったのだ。
これ以外に手はない。そうしなければ――自分達はここで全滅するという事が。
259
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:02:49
>「……彼らと敵対することになりますよ?アナタの知恵がなければ、彼らは生き残れない」
「いいえ。彼らはもう大丈夫ですよ……ボクがいなくても。さ、時間がありません。早く――」
「……橘音ちゃん」
それでも耐えきれずに、せめて橘音の名を呼ぶ。
>「……ポチさん」
>「ありがとうございます。もうひとりのボクは素直じゃないので、人助けにも理由が必要だった。アナタのお蔭です」
橘音は振り返ると、そう言って優しく笑った。
そして――橘音とアスタロトが、互いに手を触れ合う。
>「もう、ボクなしでもアナタたちはやっていける。これからの東京ブリーチャーズは、アナタたちが引っ張っていくのです」
>「……あとのことは、頼みましたよ」
瞬間弾ける、眩い光。
橘音の体が光となって、アスタロトに溶け込んでいく。
黒い半狐面は白く、純白の学ランが黒く――本来の姿へと戻っていく。
光がやむと――那須野橘音はもう、一人しかいなかった。
右手を握り、開き、体の具合を確かめ――それから、ポチとシロへと振り向く。
敵意のにおいはしない。
橘音が自分達の傍へと歩み寄り、右手をかざしても、ポチは動かなかった。
足元に浮かび上がる魔法陣。
淡い輝きがポチとシロを包むと――その体に刻み込まれた傷と、浸透した疲労が、和らいでいく。
「……いいね。おかげでまだ、無茶が出来そうだ」
>「さて。やりましょうか、ポチさん。アレはクロオさんじゃない、本当のクロオさんはもっと強くて。大きくて、優しくて――」
>「……ボクのことを、いっぱい。いっぱい、見てくれるんだ」
これで――天魔アスタロトの、童子切の力が戦力に加わった。
だが、それでも安心は出来ない。
>「……壊れろ」
指一本の力で弾かれた小石が、石牢の床に轍のような、巨大な溝を穿つ。
>「……ふっ!!」
那須野橘音が力を貸してくれる――それでやっと、なのだ。
やっと、この規格外の怪物を相手に、なんとか勝負が出来る可能性が出てきた。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「橘音くん……なの!?」
那須野橘音による突然の加勢に、祈とノエルは困惑を隠せないでいる。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
>「……しゃーねーな」
>「分かったよ!」
だが二人も、この状況で余計な敵を増やすような馬鹿ではない。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
天の邪鬼と橘音が尾弐を抑え、その間に祈達が神変奇特の性質を解き明かす。
当面の作戦も組み上がった。
しかし――それでもなお、ポチは前線へ出ない。
260
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:04:53
怖気づいた――そんな訳はない。
だが見極めなければならないのだ。
尾弐――酒呑童子の能力と、もう一つ。
どのように、無茶をするのかを。
万全からは程遠い、肉体の状態。
派手な無茶が出来るのは、一回きりだろう。
その一回で、戦況を変えなければいけない。
まして、己の傍にはシロがいる。
もしもポチがしくじって、命を落とせば――彼女も間違いなく、その命の全てを、ここで使い尽くす。
ポチにはそれが分かる。逆の立場になれば、自分もそうするからだ。
死なせない為に、死なず、かつ尾弐に対して有効打を打ち込む。
それが、ポチの成すべき最低限の行動なのだ。
だが――そうして好機を待つ間にも、戦いは進む。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
犯転を斬り伏せられた尾弐が、即座に次の一手を打つ。
右手のひらを食いちぎり、血を振りまく。
人外の膂力は飛び散る血を、瞬時に霧へと変えた。
その血霧に触れた瞬間――祈達の動きが、明らかに鈍る。
動揺を隠せない祈へと、尾弐は瞬時に詰め寄る。
間合いを詰めるというその動作は、同時に次の行動への予備動作でもあった。
右足を大きく前に、右手は振りかぶり――つまり、渾身の打撃を放つ為の。
>「――ぁ、く」
そして次の瞬間には、尾弐の掌打は祈の腹部を――文字通り、抉り抜いていた。
「祈ちゃん……!」
ポチは苦悶の表情で祈の名を呼び――しかし、それだけ。
怒り狂い、酒呑童子に飛びかかりは、しない。
それはただの自殺行為だ。シロを巻き込む訳にはいかない。
妖怪とは、精神の状態に強く左右される存在。
全身の毛と尾が逆立ち、牙を剥き出しにして怒ろうとも、
『獣』と交わした誓い、狼の王としての責務が――
『狼ではない者を傷つけられた事』による暴走を許さない。
故にポチはただ、まさしく獲物の隙を待つ狩人として、状況を観察する。
>「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
そしてだからこそ、否応無しに耳に届く、死に瀕した祈の震える声。
血をなくせれば――その意図をポチが理解察するのに、長い時間は必要なかった。
尾弐が振り撒いた血霧、あれが祈達の動きを鈍らせたのは明白。
ならば――遠間からの妖術を反転させる力にも、なんらかの媒介があるはず。
祈はそれを、この血溜まりだと考えた。
>「ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!」
ノエルもまた同様の結論に思い至ったのだろう。
ポチを呼び、氷雪の妖力をポチへと付与する。
だが一方で――ポチは、その爪で小さく石畳を一掻きするだけだった。
硬い手応え――この地獄めいた空間は、ただの石牢ではない。
尾弐の言霊、酒呑童子の妖力によって築かれた、一種の結界。
傷つけるのは容易ではない。
加えて先ほど尾弐が弾いた小石。
あれによって石畳は大きく抉られたが、それでも周囲の血が何処かへ流れ出ていく気配はない。
つまりあの一撃よりも更に深く石畳を掘り下げる必要がある。
そこまでしてやっと、妖術反転の力が一時的に無効化出来る――かもしれない。
「……駄目だ。そんな悠長な事をしてる暇はない」
故に、ポチはそう呟くと――シロを振り返り、見上げた。
視線と、においと、僅かな唸り声。
言葉を伴わない、獣同士の、最短の意思疎通。
261
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:12:25
そして――ポチは石畳を蹴った。
全脚力をもって、一直線に尾弐へと疾駆。
血霧の寸前まで間合いを詰め、一際強く、跳躍。
長い助走を得た上での、渾身の体当たり。
更に直後に加わるであろうシロの追撃。
一心同体の二連撃が――尾弐の体を、大きく弾き飛ばす。
叛天の血霧は、その場に滞留したままだ。
突発的なな息切れ、身体能力、五感の鈍りに襲われながらも、ポチはその結果を確認。
「よし……まずは……一つ……」
ずるりと地を這うようにして血霧から逃れつつ、ポチは呟く。
血霧による神変奇特、叛天の打開策は一つ見つかった。
そう何度も使える手ではないが、一度きりの手という訳でもない。
だがこれは、初手に限ればほぼノーリスクの一撃。
「だけど……こっからが、本番……!」
ポチの『無茶』は、ここから始まる。
血霧から逃れると、身体機能はすぐ元に戻った。
五感が急速に鋭敏化した事で、僅かな眩みを感じつつも、ポチは更に前へ。
吹っ飛ばした尾弐を転ばせられたかは確認出来ていない。
だが問題はない――ポチの目的は、尾弐への攻撃ではないのだから。
尾弐の足元に潜り込み、その脛を切り刻む。
皮膚を裂けずとも、攻撃は攻撃。
尾弐はポチを敵と見なして――反撃してくるだろう。
自分の足元に張り付いたポチに、拳でも蹴りでも、
『指一本の力で弾いた小石とは比べ物にならない威力』の反撃を。
その尾弐自身の攻撃ならば、石畳を打ち砕ける可能性はある。
無論その為には尾弐が確実に獲物を仕留められると確信し、
石畳を破壊し得るほどの一撃を打ってくるまでその場に留まる必要がある。
今のポチに、それをこなし、なおかつ無事に離脱出来るかと言えば――困難かもしれない。
しかし、だとしても、そうするしかないのだ。
262
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:50:23
元号が明治から大正へと変わって間もない、あの時代。
珍しく帝都に雪が降ったあの日、落成したばかりの劇場の中で、橘音は尾弐に出会った。
「アナタが御前の言っていたオニクロオさんですか?アハハ、『大男 総身に知恵が回りかね』の見本みたいな人ですね!」
初対面のとき、そんな無礼なことを言った気がする。
当時の橘音は増長し、捻くれ、自分以外の何もかも――主人である玉藻御前さえ――見下していた。
この世で自分の智慧や弁舌に敵う者はいない。何せ自分は世界最古にして最強、最悪の弁論家の訓えを直接受けた唯一の妖。
いかなる存在であっても、この智慧と舌先とで丸め込んでやると。そう自惚れていたのだ。
橘音の皮肉に対し、尾弐は明確な返答をしなかった。苦笑していた気がする。そんな反応がなおなお愚鈍に見える。
――千年前から漂白をしている、超ベテランの漂白者と聞いたけど。なんのことはない、ただの力自慢のウスノロじゃないか。
出会ってからしばらくの期間、橘音はことあるごとに尾弐を嘲罵した。
コンビを組め、と御前に命令されはしたが、橘音にそんな気などさらさらない。
いざとなれば見捨てる気でいる。自分の指示を聞かずに飛び出して死んだのだと、橘音は御前に報告するつもりだった。
そして再び単独で漂白者として活動する。聡明な自分に相棒など必要ない、その機会は早晩訪れる――
はず、だったのに。
助けられたのは橘音だった。
そのとき相対したのは、完全に正気を失った妖壊だった。
いくら橘音が百の弁舌を弄したところで、最初から相手に聞く気がないのでは意味がない。
そして、橘音は体術に自信がない。天魔としての力を使えばどうにかなる可能性はあったが、尾弐の前でそれは見せられない。
妖壊の牙が迫る。橘音にはなすすべもなかった。
だが、そんなとき尾弐が身を挺して橘音を護ったのだ。
頑なにコンビであることを認めず、尾弐を愚弄していた橘音を。
橘音には信じられなかった。
自分は意地の悪い妖だった。最悪だった。尾弐の力なら、いつだって橘音を捻り潰すことができたのに。
なのに、彼はそうしなかった。忠実に、愚直に、自分に課せられた役目を果たしたのだ。
罵られても、嘲られても、見下されても。
怪我はないか、大将、と――彼は言ったのだったろうか。
嗚呼、思えばその瞬間だったのだろう。
この百年来、橘音が自身の心と身体とを支配する呪縛にかかってしまったのは――。
爾来、橘音と尾弐とは常にコンビで妖壊たちを漂白してきた。
長大なくちなわの変化に相対し、瀕死の重傷を負いながら勝利を収めたこともある。
とある廃村で巨頭の群れと戦い、命からがら遁げ出したこともある。
いつかふたりのコンビが颯を迎えて三人となり、さらに晴陽を加えて四人のチームになっても。
それでも、橘音と尾弐はいつだってコンビだった。それは決して変わることのない関係だったのだ。
だから。
――だから。ボクが助けなくちゃダメなんだ。彼のパートナーである、このボクが……。
彼が御前と取り交わした約束、彼の願いについては、薄々ではあるが察しはついていた。
彼は自分というものを粗末に扱いすぎる。いつも率先して傷つき、仲間たちの盾となり、勝利したときには常に瀕死だった。
勇猛とは違う。それはあたかも、傷つくことで自らを罰しているような。痛みを自らに課しているような。
それはまさに、破滅願望の発露だった。
橘音はそんな尾弐の願いに共感した。わかる、と思った。
なぜなら、橘音の願いもまた――。
千年の長きにわたる、尾弐の願い。唯一の希望とも言うべき妄執。
今、それはまさに叶えられんとしている。尾弐は死ぬだろう、その身に蓄えた強大すぎる妖力は劇毒以外の何物でもない。
このままいけば、体内の妖力を帝都中に撒き散らしながら尾弐は自壊する。
天魔アスタロトとしては、それが目的。帝都を完全に破壊するために企てた計画は、この上なく上手く行っている。
けれど。
――死なせない。絶対、死なせたりするもんか!!
橘音は決意した。ふたりがひとりに戻ることで取り戻した、天魔の力。そのすべてを用いて尾弐を救い出す。命を繋ぐ。
例えそれが尾弐の願いを挫き、天魔の計画を覆す結果になろうとも。
263
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:53:23
「…………」
とはいえ、現段階では手の施しようがない。
尾弐の持つ神変奇特の妖術は強力無比。かつて、酒呑童子はその能力で京の都を恐怖のどん底に叩き落としたのだ。
しかも、橘音の見立てではその妖術は平安の昔のそれとは大きく変質している。
祈とノエルが必死で活路を見出そうとしているが、その成果は芳しくない。それどころか――
「……な……ッ……、力が……抜ける……?」
>誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ
ドガァッ!!
「ぎゃうっ!」
尾弐が右の手のひらの肉を食い千切り、発生させた血霧。
その範囲内に入った橘音の四肢から、急速に力が抜けてゆく。気力が萎えてゆく。
これもまた、神変奇特の力。しかも、千年前には存在しなかった新たな奇跡。
まったく予想外の攻撃に対し、迂闊にも尾弐に接近しすぎていた橘音は尾弐に反撃の機会を与えてしまった。
無造作に胸ぐらを掴まれたかと思うと、渾身の力で天井に投げ飛ばされる。メジャーリーグの投手が赤子に見える投擲力だ。
石牢の天井にしたたか背中を激突させた橘音は、短く喉に詰まった悲鳴を上げた。
そのまま、どうっと音を立てて床にうつ伏せに落ちる。
「……か……は……」
かりり、と石畳を掻き、橘音は苦鳴した。全身の骨がバラバラに砕けたかのような衝撃だった。
天邪鬼はその華麗な体術で尾弐の手刀を避けたようだが、元々運動の得意でない橘音はそうはいかない。
いくら天魔として身体能力のポテンシャルが高くとも、長く頭脳労働者をしていれば錆び付くというものだろう。
そして。
>――ぁ、く
祈が被弾する。尾弐の全てを破壊し尽くす掌打が、まるで爆弾でも使ったかのように容易に祈の脇腹を吹き飛ばす。
>祈ちゃ……
>祈ちゃん……!
「祈……ちゃん……!!」
襤褸布のように倒れた祈の様子に、思わず叫ぶ。けれど、橘音には何もできない。
倒れた祈の身体の下から、じんわりと血だまりができてゆく。致命傷だ。
橘音は歯を食いしばった。
――ボクのせいだ。ボクが酒呑童子を蘇らせようなんて思ったから……。
天魔としては喜ぶべき結果でも、今の橘音はそれを心から祝福することができない。
ノエルが祈に駆け寄り、懸命に救命措置を取っている。けれど、あれだけごっそり横腹を抉られては助かるかどうか。
そんなノエルは何かを閃くと、不意にポチへと指示を出した。
>ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!
戦闘フィールドである石牢の床には、うっすらと血が堆積している。
それは尾弐だけを濡らす液体だった。恐らくこの呪血こそが神変奇特の力の源泉なのであろう。
床に穴を開けることで、蟠る血の池を排除しようという狙いなのだろうか。
>橘音くん、召怪銘板持ってたら貸して!
次いでノエルが指示したのは、橘音に対してだった。
「召怪……銘板……?」
確かに招怪銘板は持ってきているが、そんなものを何に使うというのだろう。
今さら半端な妖怪を召喚したところで、酒呑童子の力を持った尾弐には一蹴されるに決まっている。
と、思ったが。
>――召喚するのは……小豆洗いだ!
ノエルの狙いは、仲間を増やすことによる単純な戦力の増強などではなかったのだ。
264
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:57:21
「小豆洗い……、そうか……!」
ここへきて、ようやく橘音にもノエルの意図が理解できた。
小豆は古来より魔を祓う特別な力を持つ。遥か弥生の昔から、小豆は神聖なものとして神前に捧げられてきた歴史がある。
『そうあれかし』がすべてを決めるこの世界において、破邪に用いるに小豆ほど適したものはない。
そして、小豆洗いならその小豆を無尽蔵に持っている。加えて、豆は鬼の大敵だ。
小豆を武器に用いれば、神変奇特の妖術も童子切と同じように無力化できるに違いない。
童子切を鞘に納め、それを杖代わりにしてヨロヨロと立ち上がると、橘音は迷い家外套の内側をまさぐった。
すぐに召怪銘板を取り出すと、ノエルへ向けてそれを放り投げる。
「ノエルさん……、召喚を!」
銘板の操作法なら以前ノエルもいじったことがあるので、すぐに理解できることだろう。
名簿には『新井 あずき』という名前がある。SnowWhiteに小豆の搬入業者として来ている、ブリーチャーズの補欠メンバーだ。
日がな一日小豆をいじくってばかりの、まったく戦闘向きではない妖怪だが、この場に限ってはこれ以上ない援軍である。
ノエルが召喚のキーをタップすると、即座にこの場に出現するだろう。
>だけど……こっからが、本番……!
ふと見ればポチが尾弐に突撃し、巨体を大きく弾き飛ばしていた。
尾弐の周囲を結界のように覆っている血霧の中から尾弐を引きずり出し、しかる後に攻撃する。
なるほど、これなら神変奇特の力で身体能力を減退させられることはない。
そして――ポチの真の狙いとは、尾弐の肉体に直接ダメージを当てることではないのだろう。
ポチは尾弐の攻撃を誘い、尾弐自身に自らの造り上げた石牢を破壊させようとしている。
ポチの力では尾弐の造った石牢は壊せない――ならば、造った本人に破壊させればいい。
先程、下階で祈が虎熊童子を撃破するために使った戦法と同じだ。
それを僅かな仕草で察したシロもまた、ポチと同じように我が身を囮として執拗に尾弐の下肢を攻める。
尾弐がまた手のひらを食い千切り、血霧を出そうとするのなら、すぐさま体当たりして血霧から尾弐を弾き出すだろう。
ポチとシロの速度がどんどん上がってゆく。尾弐の行動を遥かに凌駕し、翻弄してゆく。
しかし、それは燃え尽きる寸前の蝋燭の煌めきに等しい。今回の攻勢が失敗すれば、二度とやり直しはできない。
「………………」
橘音はノエルを見た。ノエルは召喚した小豆洗いから小豆をもらってどうするつもりなのだろう?
さっき、ノエルが懸命に尾弐へバナナを投げつけているのを見た。とすれば、小豆を弾丸のように発射するつもりだろうか。
確かにそれは一定の効果をもたらすだろうが、それ自体が決定打になるとは考えづらい。
橘音は一瞬目を閉じた。そして軽く唇を噛みしめると、決意を湛えた瞳を見開く。
「小豆洗いさん、ボクにも小豆をください。……いえ、一粒で結構です。たった一粒だけで」
よろ、とまだ尾弐に投げつけられた際のダメージが抜けきっていない様子で、橘音はノエルと小豆洗いに近付いた。
そして、小豆洗いから一粒だけ小豆をもらう。
「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
橘音はそう言って笑った。
そうこうしているうちに、ポチの作戦によって尾弐が石畳に誤爆し、床に亀裂が入るだろうか。
亀裂は見る間に大きくなってゆき、やがて崩れ去るだろう。穿たれた大穴から、周囲に蟠っていた呪血が階下へ流れ出してゆく。
「いいですかノエルさん。ボクが彼の動きを止めたら、絶対に総攻撃するんですよ。持てるすべての力を使わなきゃダメだ」
「チャンスは一度きり、二度目はない。……どんなことが起こったとしても、それだけは。絶対に成し遂げてください」
ノエルにそう念を押すと、橘音は天邪鬼へと視線を向けた。そして童子切を鞘ごと天邪鬼へと放り投げる。
「それはアナタが使ってください、天邪鬼さん。にわか剣豪のボクより、正真の達人であるアナタの方が適任でしょう」
「クロオさんがケ枯れしたら、その刀でクロオさんと酒呑童子の力を切り離す。それで万事解決です」
「なに……貴様、よもや……」
「――行ってきます」
何かを察したらしい酒呑童子の言葉を遮ると、橘音は大きく前方を見据え、ゆっくり歩き始めた。
265
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 19:01:33
「……ねえ、クロオさん。会ったばかりの頃のボクは鼻持ちならない、イヤなヤツだったでしょ」
穏やかな笑みを湛え、橘音はそんなことを言いながら尾弐へと無防備に歩いてゆく。
「実際、そうだった。いや、今でもそうかもしれない。ボクはずっとずっと、アナタに迷惑をかけ通しでしたね」
橘音は武器になるようなものを何も持っていない。あるのはただ、右手の中に緩く握り込んだ小豆一粒。
それ以外には何もない。敵意も、悪意も、尾弐を害するようなものは何も。
「ボクはいつだって、アナタに甘えてばかりだった。いつだって、アナタがいるから大丈夫と思っていた。安心していた」
「たとえ何があったって、アナタは。アナタだけはボクの傍からいなくならないって……そう思ってた」
「ボクの愛した人は、みんなボクの前からいなくなってしまう。ずっとずっと、ずうっと。昔からそうだった、でも――」
「アナタだけは。いつまでもボクの傍にいてくれるって……ボクは、そう……思って……」
半狐面に覆われた橘音の双眸に涙が溢れる。面の下から頬を伝い、涙の雫がぽたりと零れる。
「……戻ってきて……。戻ってきて、ください……。天魔の計画なんてどうでもいい、ボクの望みだって――」
「アナタが帰ってきてくれるなら、ボクはもう……それで。それだけでいいんだ……」
尾弐の張った叛天の血霧の中へと、橘音は無造作に歩を進めてゆく。
けれど、その歩みは変わらない。攻撃をする意図がないので、犯転も意味を成さない。
滅びの安息が尾弐の望みなのだとしたら、今東京ブリーチャーズがしていることは間違いなく尾弐の意に反することだ。
尾弐の千年余にわたる宿願。尾弐の想いを尊重するなら、ここで尾弐を撃滅することこそが救いであろう。
しかし、橘音はそれを退けた。尾弐の望みを挫くことを選択した。
憎まれてもいい。嫌われてもいい。今までの関係が壊れてしまってもいい。
それでも。尾弐に生きていてほしい。橘音はそう一心に願った。
「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
見上げるほどに大きな尾弐の身体が、手を伸ばせば触れられる距離にある。
「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
橘音は手の中の小豆を素早く口に含んだ。
そして、背伸びして両腕を伸ばす。つま先立ちになり、尾弐の太い首に両腕を回して抱きつく。
ふたりの顔と顔とが近付く。互いの息のかかる近さに距離が縮まる。そして――
仄かな微笑を湛えると、橘音は尾弐の唇を自分の唇でふさいだ。
――んッ……。
唇を重ねると、橘音はすぐに口内の小豆を舌で押しやり、口移しで尾弐に与えた。と同時、自らの妖力も送り込む。
橘音の妖力に触れた小豆は、尾弐の体内ですぐに強力な浄化の力を放つことだろう。
そうすれば、尾弐はほんの一瞬だけでも神変奇特の力を行使できなくなる。神変奇特の反転作用さえなくなれば、攻撃が通る。
今や日本のみならず世界でもトップクラスの戦闘能力を有する東京ブリーチャーズなら、きっと尾弐をケ枯れさせられるはず。
橘音はそれを信じた。そして、尾弐の首にしがみついたままで口付けを続け、自らのすべての妖力を尾弐へと注ぎ込む。
むろん、その間橘音は無防備だ。そして尾弐との距離はゼロ。
もし尾弐が抵抗を示し、攻撃をするなら、橘音にはそれを防ぐ術はない。すべて喰らうことになるだろう。
だが、それでも橘音は口付けを中断しない。たとえ尾弐の攻撃で祈のように腹を吹き飛ばされようと、四肢を喪おうとも。
命が奪われるその瞬間まで、橘音は決してこの行為をやめない。
愛するひとを助けたいから。これからも生きていてほしいから。
復讐や破滅以外の選択肢で、幸せになってほしいから――。
それが。
宿願のために自分自身の心さえも欺いてきた橘音の、まごうことなき本当のこころだから。
266
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:33:11
那須野橘音と天邪鬼の参戦により戦況は一時的な停滞を見せた。だが、それも長くは続かない
童子切安綱による攻撃は超常的な反射神経により回避され、それ以外の攻撃は頑強な肉体により弾かれてしまうからだ。
いわんや、ノエル投擲するバナナに関しては攻撃の意味を成す事すらもなく、妖力で強化したものはその場で燃え尽き、それ以外のものは尾弐に当たりはするが意識を引く事すら出来ないでいる。
……そもそも「犯転」と「叛天」。変性し変質した二種の神変奇特。
その術式を有する尾弐に対して正面から戦って勝つ事は、まず不可能なのだ。
呪殺、神罰、魔法、法力。
あらゆる攻撃は術式の前に封殺され、撃滅され、叩き潰される。
強ければ強い程……強大な『そうあれかし』を持つ者程、その力は裏返り、自身を焼く。
それは、人の想いを否定するという意味において、実に悪鬼らしい能力であると言えよう。
そして、仮に数少ないルールの穴を掻い潜っても、そこに待ち受けるのは酒呑童子という強大な悪鬼との肉弾戦。
並みの攻撃では皮膚を裂く事も出来ず、逆に悪鬼の拳は掠るだけでも命を脅かす、修羅の巷。
故に
>「――ぁ、く」
少女――――多甫 祈が、その凶手の前に倒れるのは、必然と言うべき結果であった。
都市伝説をその力の根幹に据える少女は、『叛天』によりその力を削がれ、人智を超えた脚力を失い、妖怪としての肉体の頑強さえも減衰してしまった。
なれば、後に残るのはただ一人の少女としての強さのみ。
そんな少女に躊躇い無く振るわれた悪鬼の腕は、まるで水に手を刺し込む様に何の抵抗もなく前へと進み……
少女に、鮮血の花を咲かせる事となる
どさりと、尾弐だけを濡らす血溜まりに倒れ伏す祈。
彼女の腹部には、まるで冗談の様に大きな孔が開いてしまっている。
赤い液体が溢れ出る孔の奥には、露見すべきでない色……骨や筋肉すら見えている。
致命傷――――命に届く傷だ。
どれだけ狂化しようと、どれだけ悪に染まろうと
共に時間を過ごし、時には庇護し、時には守られた少女に対し、決して振るうべきでは無い力。
だが、尾弐はそれを振るった。振るってしまった。
それは、尾弐という悪鬼の精神が壊れ果ててしまっている事の証明でもあった。
267
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:33:56
>「う、く……」
倒れ伏し石畳を掻く祈を、無感情に……何の痛痒すら見せる事無く見下ろす尾弐。
やがて尾弐は、祈に対して腕を伸ばす。
けれどそれは助け起こす為にでは無い――――少女の命を刈り取る為に。
「嗚呼……憎い、憎い、憎い、憎い……!」
「叛天」を行使する際に自身で噛み千切った尾弐の掌から、倒れ伏す祈へとボタリ、ボタリと血液が落ちる。
流れ落ちる血は、祈の傷口を濡らし……そして、徐々にその先にある心臓へと近づいて行く。
しかし
「――――!?」
その凶手は祈の命に届く事はなかった。
最悪の事態を防いだのは、二つの影――――これまで戦況の観察に徹していたポチとシロ。
動かなかった事により尾弐の敵意から外れていた二体が、その全力を以って尾弐へと体当たりを行い、尾弐を吹き飛ばした為である。
>「よし……まずは……一つ……」
身体能力こそ強化されているが、重量はさほど変化していなかった事が幸いした。
これにより、尾弐は今すぐに祈へ攻撃を仕掛ける事が出来なくなる。
また、重ねて……ポチの推測が正しかった事も証明された。
尾弐が巻いた血霧から逃れた瞬間に、ポチの身体能力が回復した……即ち、「叛天」の効果範囲の特定と一時的な無力化に成功したのである。
>「だけど……こっからが、本番……!」
けれど、勝機が見えた訳では無い。
あくまで現状は最悪の状況を逃れただけに過ぎず、また「叛天」を逃れても「犯転」は作用したままだからだ。
単純に戦力としてだけで見た場合、満身創痍のポチとシロだけでは酒呑童子に抗う事は出来ない。
今の尾弐に、少なくともある程度対抗をするには……那須野やノエルを含めた東京ブリーチャーズの総力を結集する必要が有る。
その為に「犯転」の無力化を行う必要が有るのだが、「叛天」と異なり「犯転」の無力化は困難を極める。
無意識広範囲の自動術式であるが故に、尾弐に攻撃をした程度では止める事が出来ないのだ。
根本的に『何』を媒介にして発動しているかを見抜く事が出来なければ対処する事は叶わず、そして激しい戦闘の最中ではその回答に至る事は至難である。
だからこそ、この場の全ての妖怪たちは何の攻略法も見いだせずに尾弐に蹂躙される運命であった。
268
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:36:14
臓腑を穿たれても尚、未来を掴まんと言葉を残した少女。
少女の言葉を一分の疑いなく信じ、野性的なまでの直感の元に為すべき事を見出した雪妖。
友の負傷を目にしても牙を食いしばり耐え抜き、不条理を食い破らんと動いた獣。
そう――――この場に居るのが彼等でなければ、きっと運命は定まっていた筈であった。
その人間より優れた耳を以って、祈の言葉を確かに聞き届けたポチ。
叛天を脱した事により妖怪としての身体性能を取り戻した彼は、執拗に尾弐の膝下へと攻撃を仕掛ける。
刃の如く鋭利な爪に寄る連撃。通常の鬼であれば、立ち上がることすら出来なくなるであろう猛攻だ。
「……ああ、そうかい。憎い、憎い、全部壊れろ……敵は全部だ。壊れろ、壊れろ、壊れちまえ……!」
だが、その攻撃は尾弐に何ら痛痒を与える事は出来なかった。
莫大な妖気で強化された尾弐の肉体は、ポチの爪を皮膚から先へ通す事は無い。
無意味で、無駄な攻撃……だというのに。
弐度、参度とポチは攻撃を重ねていく。
下手をすれば、尾弐の肉体よりも先にポチの爪が破損してしまうであろうに、彼はその爪を振るう事を止めない。
尾弐もわずらわしそうに足を振るうが、獣の鋭敏な動きを、狂乱した知性は捕える事が出来ない。
斬り付けるポチと、振り払おうとする尾弐。そのやり取りは更に数度行われたが
「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
一際大きく声を出した尾弐。
彼が床に向けて振り下ろした右拳によって、ポチの連撃は途絶える事となった。
小石を弾くだけで大地を抉る腕力。それが、渾身を以って大地へと振るわれれば――――起きる現象は一つ。
地殻変動の如き、大破砕である。
269
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:36:59
尾弐の言葉によって編まれた異界。見渡す限りの堅牢な石畳が、一瞬にして罅割れ砕けた。
そのまますり鉢状に石畳を陥没させた破壊の力は、それでも尚エネルギーを残し、衝撃波となり地を覆っていた血液を吹き飛ばす。
恐るべき怪力。恐るべき暴力。
衝撃波により飛ばされた後に再び戻ってきた血液が亀裂の中に延々と吸い込まれ続けていく様子から、石畳の下に走った亀裂は1mやそこらの深さではない事が伺われる。
これだけの圧倒的な力を目にすれば、殆どの妖怪は心折れ死を受け入れる事だろう。
だが――――初めからそれを目的にしていた者達にとっては、そうではない。
今こそが千載。
今こそが一遇。
なぜなら、祈の推測通り、ノエルの目論見通り、ポチの計画通りに。
『血液を媒介として発動する術式』である『神変奇特』が、無力化されたのだから。
破砕が困難な石畳。それを五大妖級の力を持つ尾弐自身の手で破壊させるという選択は、正に賭けだったと言えよう。
仮に酒呑童子が僅かでも尾弐黒雄の思考能力を残していれば、この策略に掛かる事は無かったに違いない。
だが、東京ブリーチャーズは賭けに勝った。
祈や那須野、ノエルを躊躇い無く攻撃した事から、尾弐の知性の低下を見て取る……他にも様々な要素があったのかもしれない。
それらを見逃す事無く、正しく理解し判断する事により、彼等は一つの運命を手繰り寄せたのである。
そして
>「――行ってきます」
アスタロト……否、那須野橘音が、その千載一遇を逃す筈が無い。
270
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:37:40
>「……ねえ、クロオさん。会ったばかりの頃のボクは鼻持ちならない、イヤなヤツだったでしょ」
「……憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、壊れちまえ」
>「実際、そうだった。いや、今でもそうかもしれない。ボクはずっとずっと、アナタに迷惑をかけ通しでしたね」
「敵だ、敵は殺す。ああ、そうだ。全部壊すんだ。嗚呼、嗚呼、憎い憎い憎い憎い、憎くて仕方がない……!」
一歩。また一歩。
強大な敵へ向かうというのに、その姿はあまりにも無防備で。
手に武器すら持つ事無く、何時かの様に他愛無い思い出話を語りながら、那須野は尾弐との距離を詰めていく。
……悲しいのは、那須野の言葉を理解する為に必要な尾弐の精神は壊れてしまっている事だ。
欠片の敵意すら無い言葉も、今の尾弐は理解する事が出来ない。
ただ、機械のように憎悪の言葉を吐きだし続けている。
けれど
>「ボクはいつだって、アナタに甘えてばかりだった。いつだって、アナタがいるから大丈夫と思っていた。安心していた」
>「たとえ何があったって、アナタは。アナタだけはボクの傍からいなくならないって……そう思ってた」
>「ボクの愛した人は、みんなボクの前からいなくなってしまう。ずっとずっと、ずうっと。昔からそうだった、でも――」
>「アナタだけは。いつまでもボクの傍にいてくれるって……ボクは、そう……思って……」
それを理解したうえでなお、那須野橘音は言葉を止めない。
……心からの言葉を以って、壊れた悪鬼に向き合う事を止めなかった。
「……堕ちろ。須らく堕ちちまえ」
そんな那須野に対し、無情にも尾弐は血を流す己の腕を振るう。
『叛天』。そうあれかしの元に強さを弱さへ引き摺り下ろす術式を再び繰り出したのだ。
更に間の悪い事に、那須野の脚は床に僅かに残っていた血だまり……即ち『犯転』の術式を踏み抜いてしまう。
……それで終いの筈であった。どの様な攻撃手段を用意しようと尾弐の術式はあらゆる敵意を叩き伏せるのだから、歩みは止まる筈であった。
だというのに――――
271
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:44:19
>「……戻ってきて……。戻ってきて、ください……。天魔の計画なんてどうでもいい、ボクの望みだって――」
>「アナタが帰ってきてくれるなら、ボクはもう……それで。それだけでいいんだ……」
その歩みには、僅かの停滞すらなく。
それは即ち、那須野橘音が僅かの敵意すら持たず尾弐黒雄に近づいている事の証明に他ならない。
>「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
やがて、弐体の妖の距離は互いの手が届く程までに近づいた。
神変奇特がすり抜けられるという不可解な事態に、憎悪の言葉を止め、壊れた視線を那須野へと向けていた尾弐。
だが『敵』が己の殺傷圏内に入った事で再び、半ば自動的に行動を再開する。
右の拳を握り込み、力を込めて引き絞る。そして、そのまま――――
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
尾弐の拳は、振るわれなかった。
狂乱している精神であれば、壊れている魂であれば、澱み濁っている思考であれば、憎悪と怒りのままに那須野を撃ち抜いて然るべき拳。
けれどそれは間違いなく止まっていた。精神が壊れ果てても、魂が砕けても、思考が穢れ果てても……それでも尚、心に刻まれていた『何か』が尾弐を押しとどめたのだ。
そして、生み出された僅かな空白を埋めるように、那須野橘音は尾弐の首へと手を回し
口付けが一つ、交わされる。
「……!?」
尾弐の目が見開かれる。それは、驚愕が理由では無い。
己の中に、那須野橘音がその唇を伝って流し込んだ『もの』が原因だ。
今の尾弐には与り知らぬ物ではあるが、その正体は……ノエルの提案によって召喚された妖怪、小豆洗いが所持していた、ただ一粒の小豆。
只人であれば何ら構う事無く消化するであろう、豆粒であるが
「――――!!」
魔の者……殊に、悪鬼に関しては劇薬の如き効果を発する。
マメ、魔滅。節分の行事として、鬼を祓う為に撒く風習の道具。
人々が人々の幸福を願い生み出され、積み重ねられてきた「そうあれかし」は、口腔から流し込まれる那須野の妖気により、浄化の力を放ち始める。
尾弐はとっさに那須野の腕を掴み、己から引きはがそうとするものの、浄化の力は一時的に尾弐の腕力を奪い、
また那須野の懸命の抵抗も相まって振り解く事が出来ない。
そして、その間にも妖気は流し込まれ、小豆は浄化の力を増していく。
「…………!!」
その内、先に尾弐が那須野に行使した「叛天」の血霧が薄れていく……恐らく、神変奇特を維持する為の妖力を浄化の力への対処に回し始めたのだろう。
那須野も懸命に妖気を流し込んでいるが、現状では尾弐がケ枯れるよりも那須野の妖力が尽きる方が早い。
そうなれば、那須野は振り解かれ、再び勝ち目のない戦いが再開する事だろう。
故に、この状況を打開する為には――――もう一手が要る。
尾弐の異常な頑強さは、膨大な妖力による底上げが根底に有る。
ならば、その妖力が浄化への対処に用いられている現状では、先程までと違い攻撃は通る筈だ。
……気のせいだろうか、尾弐の視線が一瞬ノエル達の方へと向いた様に見えた。
272
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:40:08
尾弐の掌底によって腹部を撃ち抜かれた祈。
その傷はまさに命に届いており、祈は倒れ伏したまま、立ち上がることもできないでいた。
そんな祈の元へ歩み寄る影が一つ。
>「嗚呼……憎い、憎い、憎い、憎い……!」
尾弐黒雄。否、尾弐黒雄であって尾弐黒雄でない何か。
大量の妖気を吸収し、憎悪によって酒呑童子と化した何某かだった。
祈を見下ろすその目には、ただ憎悪が宿る。
尾弐の壊れた心にとって、牙を剥いた祈はただの敵であり、憎悪の対象でしかないようだった。
破壊して千切って砕いて晒して溶かして殴って潰して――、命を刈り取ること。
それだけがその胸中を占めているのだろう。
祈へと伸ばされた尾弐の腕には、助け起こそうなどという意思は微塵も感じられない。
ただ、血がボタボタと滴り落ちるその右腕で祈の心臓を潰し、
数分も待つことなく、今すぐ息の根を止めようとしているのは誰の目にも明らかだった。
「尾弐の、おっさ、ん……」
祈の目にもそれは当然映っていた。
攻撃から逃れなければ、と思う祈。
しかし、尾弐の伸ばした腕から、祈の腹に空いた風穴に血が滴り落ちた。
それによって当然、ここでも『反転』が起きる。
そうあれかしによる強化を、弱体化というマイナスへと変える、もう一方の反転。
これにより、祈は妖気によって体を強化する術も奪われてしまった。
せめて体を強化できれば、
この傷でも僅かな間なら延命が可能だったかもしれないし、
尾弐の腕からも逃れることができたかもしれない。
だが絶望と慟哭から生まれた鬼は、僅かな希望さえも祈から剥奪する。
伸ばされた尾弐の手が今まさに届き、祈を縊り殺す、という瞬間。
>「――――!?」
それを阻止したのがポチとシロだった。
夫婦で激しく傷付けあった直後で、戦える状態になかったはずの二人。
その二人が割って入り、体当たりで尾弐を吹き飛ばしたのであった。
>「よし……まずは……一つ……」
満身創痍のポチが呟く。
尾弐は酒呑童子と化しても、見た目と同様、体重にも大きな変化はなかった。
故に祈も投げ飛ばすことができた。
遠目に観察していたポチはそれを把握し、シロと共に的確に突いたのである。
足を浮かせてしまえば、どんなに怪力であろうと踏ん張ることはできない。
>「だけど……こっからが、本番……!」
ポチがいつもの無茶をする時の表情で続け、更なる追撃を開始する。
自身はすねこすりの特性を利用し、尾弐の脛を切り刻む。
シロもまたポチと共に、翻弄するように動いて猛攻を加えていく。
一撃喰らえばそれで終わりの戦い故か、二人の戦いには慎重さが見て取れた。
それを見た祈も、立ち上がって参戦しなければと思う。
だが気持ちとは裏腹に、身体は徐々に動かなくなっていった。
273
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:42:15
激痛が和らぎ、眠気と共に体の感覚が遠くなる。
咳き込んだときに口内に残った血の味も、うすぼんやりとしていった。
一瞬、祈は誰かに抱え上げられたような浮遊感と、
燃えるように熱い腹部が何故か冷たくなったのを感じたが、それもまた彼方に消えていく。
祈の視界に映るものが段々と虚ろになり、歪んでいく。
元が血や石と果てない暗闇とで構成された殺風景な世界であるから、
歪んだとしてもなんら面白いところはない筈だが、
歪んだその景色は何故か、祈の感覚には面白く感じられた。
ぐにゃと歪み、ぼんやりしか見えない視界が、どういうことか楽しいと感じるのである。
それは死を察知した脳が、
ドーパミンやβエンドルフィンなどの脳内物質を分泌し始めているからだった。
痛覚を麻痺させて安らかに死を迎えさせようと、そんなはたらきがまさに行われ始めているからであった。
避けられぬ死の予感。
祈は石畳に爪を立てていたが、わずか数秒でその手からは力が抜けていった。
瞼が次第に重くなり、勝手に落ちていく。
だが。
再び祈はガリリと石床に爪を立てた。
力ならまだある。まだ自分は死んでいない。そう強く想い、
祈は虚ろな目を見開いた。
再び立ち上がるために。
かけがえのない人を助けるために。
(死んでなんていられるか! あたしは尾弐のおっさんを助けるんだ!)
そうして傷付いた体で、無理矢理に立ち上がろうとした時。
――ポタッ……ポタッ……。
不意に、口元に何か、冷たい液体のようなものが落ちてきた感触に気付き、
祈は動きを止めた。
なんだろう、と祈が考えるよりも先に、その液体は祈の唇を濡らし、口内へと流れ込んでくる。
祈の虚ろな視界には、白とも肌色ともつかない何かが見えており、
そこから液体が垂れていることが分かった。
(なんだこれ……おいしい……?)
その肌色の何かから垂れてくる液体は、祈にはひどくおいしいものに感じられた。
無味であるが、どこまでもクリアに澄み、きんと冷えてなんとも爽やかである。
それでいて、飲めば飲むほど活力が湧いてくるような、五臓六腑に染みわたる生命の息吹を感じる。
飲物でいうのなら良く冷えたソーダ水に似たおいしさがあった。
景色に例えるなら、雪解け水が流れる春の小川だろうか。
立春を過ぎて降った雪。その冷たい雪が溶けかかると、その下から力強い緑の植物が顔を出す。
澄んだ冷たい水がさらさらと流れ、水面に陽光が輝いているような、大自然の美しさ。
274
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:45:50
>「――音くん、召――銘板――……たら貸……て!」
もしかしたら誰かが、予めこのような状況を想定して、
迷い家の源泉を水筒にでも入れて持ってきていたのではないか。
それを今、祈に分け与えてくれているのではないか。
なんてことを都合よく考えながら祈は、顔を近づけてその液体をコクコクと飲んでいく。
(なんだろうこれ、力が湧いてくるっていう、か――)
それがノエルの血だとは知らずに。
そして、祈の意識と視界がはっきりし始め、目をぱちりと開いた時。
目の前にあった、白と肌色の中間体のようなものはノエルの腕であり、
今し方まで飲んでいたものが、それから零れ落ちるノエルの血であることを知る。
それはちょうど、ノエルが橘音から投げ渡された召怪銘板を受け取って、
小豆洗い(名前は新井あずきさんというらしい)を召喚し終えた頃のことである。
「き”ゃわ”ああああ!!?」
可愛げのない悲鳴を上げながら、祈は完全に目を覚ます。
そして反射的に右足を跳ね上げ、ノエルを蹴飛ばした。
顔が赤い。
それはそうだろう。
なにせ、おいしいと思いながら飲んでいたものがノエルの体液だったのだ。
混乱は当然、そこに羞恥に似た感情が込み上げてくる。
「あ、ごめっ、じゃなくて! お前御幸! 一体あたしに何して――つうっ」
祈はがばっと上半身を起こして、抗議めいた声を上げる。
しかし、痛みに視線を落として、傷付いた腹部が氷に覆われていることと、
身体に力が戻ってきていることで、
祈は自分がノエルによって助けられたことを理解した。
しかもそれはどうやら、ノエルが自分自身の腕を傷付けてまで行ったことであるらしいことも。
祈の腹部を氷で覆って出血を防ぎ、
自らの血を媒介に妖力を分け与えて、祈を回復させたのだと。
祈は座り直す。そして、
「や……ごめん、で合ってるか。助けられたのに蹴っちゃったのか、あたし。ご、ごめんな御幸?」
と謝罪しつつ、ノエルのことを直視できず、顔を背けた。
その顔はより赤い。
なんとなく手を顔面の前に持ってきて、ノエルから自分の顔が見えないようにする。
それも致し方ない。
なにせ自分の腕をかっさばいて命を救ってくれるなど、
不覚にも「イケメンかよ」と思ってしまった訳で。しかも実際にイケメンだった訳で。
祈は普段なんら意識していなかったのに、
よく見れば、本当に本当に意外なことに、ノエルは真実イケメンだったのだ。
いや、顔が良くても中身はノエルだぞ、なんて思っても、その中身は、
出会ってから幾度となく祈を助けてくれて仲間想いの、ガチの良いヤツだと気付いてしまって――。
――パアン!!
祈は不意に自身の顔を、両手で挟み込むように勢い良く叩いた。
やってる場合じゃねえ、と理性が言っていた。
「と、とにかく! 助かったから! あたしも戦うから! やるぞ御幸!」
これによって祈は顔の紅潮を誤魔化し、気持ちを入れ替える。
よろよろと立ち上がる祈。
ノエルが自身の血もしくは体液(あるいはノエル汁)を使って祈に渡した純粋な妖力は、
迷い家の温泉に近しいもの。
それによって祈は今、一時的に肉体の損傷によって失われた生命力を、
妖力で補う形で生きていられる。
痛みは戻ってきたものの、祈は動ける。
血も足りずふらつき、一度はずっこけてしまったものの。
まだ、戦えるのだった。
275
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:48:36
――戦況は変わりつつあった。
まずは、ノエルが召怪銘板によって小豆洗いを召喚したこと。
これによって、尾弐に対して高い効果を持つ『小豆』という兵器がもたらされた。
橘音は小豆洗いの持つ桝から、たった一粒の小豆をつまみあげると、
>「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
>「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
>「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
>「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
とノエルに対して言った。この一粒で自分が尾弐をなんとかすると。
そして、戦況を変えたのはもう一つ。
それはポチとシロが尾弐を巧みに誘導し、石畳の床を砕かせたことによる。
地鳴りと轟音を響かせ、尾弐の拳が石畳を粉砕する。
ひび割れ、砕け、陥没し、大きく亀裂が入る。大穴が開く。
場に満ちていた尾弐以外触れられない血が、その衝撃の余波で瞬間的に吹き飛んだ。
そして雨のように降り注ぐと、でき上がった大穴から下層へと流れ落ちていく。
これによって。
(風火輪が使える……!)
作戦会議をする橘音やノエル、天邪鬼や新井からやや離れたところで、
どうにか立ち上がって呼吸を整えていた祈は、
試しに攻撃意思を持って風火輪へと妖力を流してみた。
すると、死ぬ間際まで考え抜いた祈の推測が当たっていたようで、
反転されることなく、風火輪に炎を宿すことができた。
今度こそ尾弐へと向けて、
全力で駆けたり、炎によって攻撃したりできるということだ。
血が下層に流れて行ったのを見届けた橘音は、
『自分が尾弐の動きを止めたら、持てる力の全てを使って尾弐を倒すように』とノエルへと作戦を与え、
さらに、童子切安綱を天邪鬼へと投げ渡して、尾弐と酒呑童子の力を切り離す役を任せた。
>「なに……貴様、よもや……」
>「――行ってきます」
そして橘音は、何かを気付いた様子の天邪鬼に止めさせる間も与えず、
尾弐へと向かい、歩き始める。
その背を見送りながら、全力攻撃に備えているであろうノエルの横に祈も並ぶ。
「総攻撃なんだろ? あたしもやるよ」
ターボババアから教わった呼吸法で心拍やらを安定させた祈も、攻撃に参加すべく。
橘音が小豆を使って何やらするつもりであるようだから(恐らく口内に小豆をねじ込むつもりだろうと思われた)、
祈まで小豆を持つ必要はないのだろう。
276
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:54:32
歩んでいく橘音。それを視認し、迎える尾弐。二人の距離が近付いていく。
言葉を連ねる橘音だが、その言葉は尾弐に届かず、返されるのは有象無象への憎悪の言葉。
それでも橘音は歩みを止めず、無防備にすら見える動きで尾弐へと更に接近する。
拒絶するように、尾弐は血の流れる右腕を振るった。
だが、橘音は止まらなかった。
反転による尾弐の攻撃が通じないようで、止められることはなかった。
それを今度は暴力によって捻じ伏せようと、尾弐は握った拳を後方へと大きく振りかぶる。
「――あぶねえ!」
それを見て祈は叫ぶ。
あれが橘音であるのか、それとも橘音に扮したアスタロトなのかだとか。
そんなことは瞬間的に頭から吹き飛んで、その身を案じていた。
だが橘音は避けることはなかったし、
尾弐の拳が振るわれることもなかった。
まるで尾弐を信じているかのように身じろぎ一つしない橘音の前で、
尾弐の動きが瞬間、止まる。
その間に、橘音が自らの口に右手を持って行った。
口に小豆を含んだのだ。
そして橘音と尾弐。
二人の距離がゼロになる。
尾弐と唇を重ねた橘音は、尾弐の首へと腕を回し、強く抱きしめた。
それを拒み、橘音の肩を掴んで引き剥がそうとする尾弐だったが、引き剥がせない。
おそらく橘音は口に含んだ小豆を、口移しで尾弐に与えたのだろう。
それによって、尾弐は瞬間的に衰弱してしまったようである。
なんせ豆類は鬼にとって最悪の劇物なのだから。
以前の尾弐が狼王ロボにやったのと同じことをすると橘音は言っていたが、
その手段が口移しとは、なんと大胆なことか。
それにしても。
「やっぱり尾弐のおっさんは、橘音のこと好きなんだな」
呆気に取られていた祈だったが、
不意に笑って、のんきにそんなことを言った。
先程の尾弐は、橘音に拳を振るわなかった。
憎悪に囚われているこの状況で、拳を振るうのを躊躇ったのだ。
それに、橘音を引き剥がそうとしていても、引き剥がせないその様子。
まるで二人で抱き合っているかのようで。
橘音は尾弐が好き。尾弐は橘音が好き。お似合いの二人だと祈は思う。
「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
誰にともなく言う。
先程祈は、尾弐の一撃により死の淵に立った。
だがそれに屈することなく、尾弐を助けたいと想い続けた。
そして今、尾弐と橘音を見て、
二人の幸せを願う気持ちが、その胸の内で轟々と燃え上がっている。
これは姦姦蛇螺の体内で奇跡を見せた時と、ほぼ同じ状況である。
それ故に。
薄ら赤くなりかけていた髪は再び朱へと染まっていき、
衣服は漆黒、眼は金色という――、
姦姦蛇螺の体内で龍脈の神子としての力を振るった、あの時と同じ姿へと変身していく。
龍脈の力を振るう前段階。
龍脈という巨大な力と接しているために、
祈自身もその余波で力を得て、妖怪としての格が上がっている。
都市伝説妖怪であるターボババアの力を限界以上に引き出せる状態であり、
その姿は“若い頃の”ターボババアに近いものとなる。
周囲には星々の瞬きのごとき燐光を纏い、
風火輪から噴き出す炎が勢いを増していく。
277
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 23:01:54
自身の変化を知ってか知らずか、
祈は風火輪を履いた右足の爪先で床をトントンと叩きながら、いつもの様子で続ける。
「ったく、尾弐のおっさんもさ。最初からもっとあたしらを頼れよな。
橘音とポチならいい案出すだろうし、御幸に話せば変な案が出てくるし。
そんであたしなら、もしかしたら。過去だって変えられたかもしんねーのにさ」
仲間の知恵や力を借りれば、
尾弐の願いを叶える方法は見つかったかもしれない。
それが駄目でも、もしかしたら龍脈の力で。
五大妖が世界線を変えるなら、過去だって。
そして未来だって。なんだって変えられたかもしれない。
そうすれば、望みの未来を手に入れられたかもしれないのに。
「つっても、もうそんなこと言っても意味ないか。尾弐のおっさんは“今”を選んだんだしな」
だが、それももはや意味のない話だ。
そんなものがなくても、もう物事は解決したのだから。
尾弐が結んだ御前との契約。
それは歴史の改竄だった。
尾弐が契約を果たせば、外道丸が酒呑童子にならず、人として死んだ世界線に移行し、
そして尾弐もまた同様に人として死んだため、この世界からは消えることになっていた。
――なぜ、直接に外道丸を救った世界ではなかったのか?
――なぜ、自身が消失するような契約をしたのか?
そこからは、尾弐の深い絶望が見て取れる。
自分ではどう足掻いても外道丸を助けることはできないと言う諦念。
それを強いる世界への失望。
それでも諦めることができない外道丸の幸せと、
この世界から消えてなくなりたいという破滅願望の狭間。
そんなさまざまなものが混ざり合った結果が、この契約。
『どうせ救えぬなら最初からなかったことにしようという』、そんな願いに繋がったのだ。
だが、千年に渡ってそんな想いを抱え、酒呑童子に成り果てた尾弐が、
『橘音の殺害を躊躇った』という事実。
そこには希望がある。
尾弐が過去ではなく“今”を選んだと言う希望が。
絶望や憎悪、破滅願望や諦念。尾弐が抱いたありとあらゆる負の感情。
それを上回るだけの、橘音への想いがあるのなら、
尾弐はきっと、再びこの世界を歩んで行ける。幸せになれるだろう。
外道丸だってこうしてこの世界にいるのだし。
過去で直接助けられなかったとしても、
尾弐が御前に願ったことで、迷っていた魂は高神になって復活したのだし。
278
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 23:09:14
(そんでそのためには、酒呑童子の力が邪魔だ)
酒呑童子の力は尾弐を蝕む病巣。
それを摘出するには、ケ枯れさせて、童子切安綱によって切り放す必要がある。
そうやってのみ、尾弐は健康な体に戻れるのだという。
そのためには、祈も全力を出す必要がある。
橘音の指示した通りの総攻撃をする必要が――。
祈は石畳を蹴る。
そして抱き合う尾弐と橘音の横を通り過ぎて、果てのない石畳の牢獄を駆けた。
時速140キロを遥かに超えた速度で、尾弐との間に開けた距離はざっと、数百メートル。
それが攻撃に必要な助走だった。
橘音がそばにいるため、炎による範囲攻撃は橘音を巻き込んでしまうおそれがある。
故に適しているのは、一点集中攻撃。
それは例えば、祈が最も得意とする――蹴りによる攻撃などが相応しいと考えられた。
ただし。
祈が尾弐を蹴り飛ばしたとしても、角度によってはそれもまた橘音を巻き込む。
橘音は尾弐の首に手を回しているため、祈の攻撃に合わせて手を放してくれなければ
一緒に吹っ飛ばされてしまう、というような事態に陥る可能性があるのだった。
とはいえ。杞憂だ。
尾弐が橘音を愛しているのなら、
祈の攻撃を避けて橘音が傷付くような事態にはするまい。
これから祈が尾弐の背に向かって放つ全力の蹴りを避けることはないし、
その余波ですらも橘音に及ばせまいとするだろう。
ある意味では尾弐を信頼しているとも言える計算が祈の中にはあった。
祈は切り返し、尾弐達のいる方向へと向き直った。
そして尾弐の背中目掛けて、再び走る。
充分な助走を得、更に風火輪の力を借りて音速の手前まで達した祈は、
左足で石畳を蹴り、床を離れる。
右脚を前へ突き出し、
仮○ライダーさながら、飛び蹴りの体勢へと移行した。
風火輪の炎が鳥の両翼のように広がり、一層燃え上がる。
炎はジェットエンジンの如く、空中の祈を更に加速させる。
「だぁああーーーッ!!!!」
そして尾弐の背に、祈の飛び蹴りが炸裂する。
これによる尾弐のダメージは二つ。
まずは数十トンクラスの衝撃。
これが尾弐の背を直撃することになる。斜め下方向に向けられている為、
尾弐の足は宙に浮くことなく、踏ん張ろうと思えば踏ん張ることができる。
そしてもう一つは、超高温。
インパクトの瞬間に祈は、ほぼすべての妖力を右足の風火輪に集中させたため、
すさまじい高温が尾弐の背に叩き込まれることになる。
尾弐の体が超高温に耐えられる頑強さを持っていなければ、
熱によって背中周辺の皮膚や肉、血が爆ぜ、焼け爛れることになるだろう。
莫大な妖力を得た酒呑童子たる尾弐であるから、死ぬことはないまでも、
それなりの、あるいはかなりの傷を負うことになるはずである。
279
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:28:36
>「ノエルさん……、召喚を!」
ノエルの直観通り、橘音は召怪銘板を持っており、それは受け渡された。
左腕で祈に妖力を分け与えながら、右手で操作方法はスマホのようなそれを慣れた手つきで操る。
「新井あずき、君に決めたァあああああ!!」
やや流行の過ぎた決め台詞と共に、召喚ボタンをタップする。
この召喚は結構妖力を消費するもので、祈に大量に妖力を与えながらの召喚によって一瞬意識が遠のく。
その中で、白昼夢のようなものが見えた。
『――それ以上先へ進めば後戻りは出来ぬぞ』
『何を今更。小娘一匹に篭絡された我などとっくに破門だろう』
『裏切り者のそしりをうけ数多の同胞と刃を交わすことになるかもしれぬ――それでも良いのか?』
『我は信じておるのだ――自然と人はいつか繋がれる……。災厄の魔物などという哀しい役目が要らなくなる日が必ず来る。
それまでの間、そなたらが人を害するというのなら……受けて立とう』
それは、深雪が何者かに決別を告げるところだった。
相手は獣《ベート》だったかもしれないし、例えば災厄の魔物の総元締めのようなもっと上位の存在だったのかもしれない。
>「き”ゃわ”ああああ!!?」
両膝両手を突いて気を失っていたところを、祈に蹴飛ばされて意識を取り戻す。
「ん、ああ、今のは……? ……祈ちゃん、気が付いたの!?」
止血はしたとはいえ傷はそのままのわけで容体は予断を許さないが、
ひとまず意識を取り戻したことに安堵しつつ、自分の左手首の傷を凍らせて体液の流出を止める。
>「あ、ごめっ、じゃなくて! お前御幸! 一体あたしに何して――つうっ」
>「や……ごめん、で合ってるか。助けられたのに蹴っちゃったのか、あたし。ご、ごめんな御幸?」
ばつが悪そうに顔をそむけているのは、先程蹴ってしまったからだろうと解釈するノエルであった。
「全然気にしないで。それにいつも助けられてるのは僕の方なんだよ?」
その隣では、あずき色の髪をした若い女性が慌てふためいていた。
「ちょっと! いきなり何なの!?」
新井あずき――SnowWhiteの小豆の仕入れ業者。その正体は小豆洗いだ。
「顔色白いけど大丈夫!? というかここはどこ!?」
彼女は突然異様な空間に召喚され慌てふためきつつも、両手には、巨大な枡に入った大量の小豆をしっかりと持っていた。
280
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:30:22
「いや、顔が白いのはいつもだけどね……。
覚えてない? 東京ブリーチャーズの入会契約書に印鑑押したでしょ?」
「そういえばそんなん入ってた気がする! でもなんでアタシ!? 戦いとか全然できないよ!?」
戦う気が無いならなんで入会したのかと思うかもしれないが
多分軽い気持ちで骨髄バンクに登録していざお呼びがかかると焦りまくるのと同じような心理である。
そうこうしている間に祈が気合を入れるように自らの方を両手で挟み込むように叩き、戦線復帰を宣言。
>「と、とにかく! 助かったから! あたしも戦うから! やるぞ御幸!」
「おう! 敵は――アイツ。至上最強の鬼だ」
「あー、なるほどね。これって後でお駄賃でるんでしょ!? 小豆ならたくさんあるからいくらでも使って!」
あずきは流石SnowWhiteの関係者だけあってトンデモな状況に適応するのが早かった。
「じゃあ遠慮なく……!」
ノエルは武器をスリングショットの形に変化させ、一度に複数の小豆を散弾のように発射。
尾弐の足元を狙って猛攻をしかけているポチを援護する。
二人の絶大な身長差の部分を狙えばポチの邪魔になることはまず無いし、撃っているのは小豆なので万が一流れ弾がポチに当たってもダメージは入らない。
そんな中、弱弱しい足取りで橘音が寄ってきた。
>「小豆洗いさん、ボクにも小豆をください。……いえ、一粒で結構です。たった一粒だけで」
「もう! そんなボロボロで一粒でどうしようっていうの!?」
「いいけど……大丈夫? 本当に一粒でいいの?」
ノエルが橘音の身を案じつつもポチの援護にかかりっきりのうちに、
あずきは橘音の意図を読みかねつつも言われたままに小豆を一粒渡してしまう。
>「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
>「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
>「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
>「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
「まさか……オヤツをくれてやる作戦!? いやいやいや、腕食いちぎられるだけじゃ済まないよ!?
ここは普通に遠くから投げ込む作戦でいこう!? 大丈夫、下手な鉄砲数うちゃ当たるって!」
>「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
そうこうしている間に、ポチが尾弐に床を破壊させることに成功。血が階下に流れ落ちる。
祈の風火輪が使えるようになったことで、犯転が無効化されたことが立証された。
281
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:32:15
>「いいですかノエルさん。ボクが彼の動きを止めたら、絶対に総攻撃するんですよ。持てるすべての力を使わなきゃダメだ」
>「チャンスは一度きり、二度目はない。……どんなことが起こったとしても、それだけは。絶対に成し遂げてください」
橘音は聞く耳持たなかった。結局いつも通りノエルの説得は無駄に終わり、いつも通り観念して橘音のミッションを請け負う。
「仕方ないなあ、分かったよ!」
>「――行ってきます」
>「総攻撃なんだろ? あたしもやるよ」
自らに並び立つ祈に頷く。
童子切を天邪鬼に託した橘音は、ゆっくりと尾弐に向かって歩き始めた。
その姿はあまりにも無防備で、非常識極まりないものであった。ノエルは頭を抱えた。
「もう橘音くんったら! なんとしてでも豆を当てまくって動きを止めるよ!
あずきちゃんも手伝って!」
「は、はいっ!」
ノエルは橘音が無事に尾弐に近づく隙を作るため、小豆を連射しまくる。
あずきは武器など持っていないので素手で投げるが、小豆洗いだけあって、小豆を投げるのは妙に上手かった。
しかしノエルは知る由は無いが、その無防備こそが神変奇特を無効化する切り札だったのかもしれない。
一切の敵意は無いとはいっても、橘音がやろうとしている小豆を使っての浄化は、尾弐に巣食う酒呑童子にとっては攻撃以外の何物でもない。
そして橘音だけではなくここにいる全員が尾弐を助けようとして戦っているが、全て敵意があると判定されて神変奇特の対象となっていた。
一見矛盾するように見えるこの違いは、“攻撃してきたら正当防衛しよう”と思う意思すらも敵意とみなされるなら、説明がつく。
>「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
尾弐は二人豆まき大会による猛攻を受けつつも、ついに至近距離まで接近した橘音に右の拳を引き絞る。思わず叫ぶノエル。
>「――あぶねえ!」
「橘音くん伏せて……!」
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
結果――何故か尾弐の拳が振るわれることはなく、橘音は伏せるどころか逆に背伸びしていた。
「えぇえええええええええ!?」
282
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:33:59
口移しで特攻物を与える高度な戦術、等といくらでも高尚な表現は出来るが、分かりやすく言ってしまうとキスである。
血塗れの戦場で突如展開されたキスシーンに驚きを禁じ得ない。思わず祈も素朴な感想を漏らすのであった。
>「やっぱり尾弐のおっさんは、橘音のこと好きなんだな」
“どんなことがあっても総攻撃”とは言われたが、“どんなこと”がまさかこんなこととは予想していなかった。
先程豆を一粒渡したあずきは、橘音が何をしたのかを察したようだ。
「動きが止まってる……きっと小豆を口移ししたんだ! ノエル君、今だよ!」
ノエルは、尾弐の視線が一瞬自分達の方を向いたように感じた。
先程橘音を攻撃するのを躊躇ったことも考え合わせると、もしかしたら尾弐の思考が少しだけ戻ってきているのかもしれない。
まるで、酒呑童子を分離させるなら今だ、と言っているような気がした。
《我に任せろ――!》
眩い光に包まれノエルは深雪へと姿を変える――が、今までの深雪とは違う趣の格好をしていた。
身に纏うのは、随所に和柄がちりばめられながらもベースとしては豪奢な西洋風のドレス。
頭にはいかにも女王のような氷のティアラがあしらわれ、武器は煌びやかな杖へと姿を変えている。
加えて纏うオーラのようなものが、魔というよりは聖に寄ったものになっているが、本人は自然にそれを受け入れていた。
何故なら深雪(ノエル)にとって、聖と魔は正反対のものではなく線引きも曖昧な隣り合わせの近しい物なのだから。
「フフ、どうやら本当に災厄の魔物は破門されたようだ。しかしなかなか悪くないな――
これより”銀嶺の使徒”とでも名乗ろうか」
深雪は自分の姿を確認し、満足気に笑った。
そして――未だ口づけを交わしている橘音と尾弐に、今までにない優しい視線を向ける。
生暖かい視線ではないか、とか突っ込んではいけない。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
床に穴が穿たれた上、尾弐が橘音への抵抗にかかりっきりになった今、尾弐の作り出した結界は打ち破る事が可能なものとなっていた。
祈の言葉に続くように、奇しくも”死ね”とは正反対の”生きろ”という言葉で、情景が塗り替わっていく。
それはうっすらと雪の積もった、粉雪の舞う雪原。今から行う妖術が最大限の効果を発揮するためだ。
決して二人のキスシーンをロマンチックに演出しようとか思っているわけではない、多分。
一方、隣に立つ祈もまた、漆黒の衣と赤い髪と金色の瞳に姿を変えていた。
283
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:35:05
>「ったく、尾弐のおっさんもさ。最初からもっとあたしらを頼れよな。
橘音とポチならいい案出すだろうし、御幸に話せば変な案が出てくるし。
そんであたしなら、もしかしたら。過去だって変えられたかもしんねーのにさ」
>「つっても、もうそんなこと言っても意味ないか。尾弐のおっさんは“今”を選んだんだしな」
「いいさ――過去なんて変えなくたって。クロちゃんが”今”を選んでくれたから、僕たちは”未来”を変えられる!」
本人は気付いていないかもしれないが、深雪の姿でありながらそれは紛れもなくノエルの口調で。
みゆきや乃恵瑠と同じように、深雪もまた人格が統合されつつあるのかもしれなかった。
「お喋りはこの辺にしていくぞ! ――スノウ・ヘキサグラム」
また元の口調に戻った深雪は杖を掲げ、持てる全ての妖力をつぎ込み、魔法陣を展開。
橘音と尾弐を中心に、六芒星型の巨大な雪の結晶が浮かび上がる。
災厄の魔物であることを捨てなければ使えなかったであろうそれは、六芒星と雪が持つ浄化のイメージを掛け合わせた浄化の大妖術。
これまた一見綺麗げな演出で、攻撃をしているようには見えないが、尾弐に巣食う酒呑童子にとっては最強の攻撃になるだろう。
「酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!」
これによって少なくとも酒呑童子が尾弐から分離しやすくなるか、
うまくいけばこの時点で耐えかねて尾弐の肉体からその一端を現すかもしれない。
そこに、祈の飛び蹴りが炸裂する。
>「だぁああーーーッ!!!!」
ゼロ距離で橘音がいるところへの容赦無しの肉弾攻撃――普通に考えれば橘音が巻き込まれかねないが、
尾弐の思考がほんの少しでも戻っているのだとすれば、彼はこの攻撃を”酒呑童子”に当てることに全力を尽くすだろう。
酒呑童子がその一端を現しつつあるなら言うまでもなく、たとえ酒呑童子がしぶとく尾弐の中にとどまっているとしても。
284
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:56:11
ポチは、狼だ――かつては「狼犬」であった事もあるが、とにかく。
生まれた時から今まで、殆どの時間を四つ這いの姿勢で過ごしてきた。
つまり敵の足元に潜り込み、体を起こさぬまま戦い続ける。
それはポチにとっては苦肉の策ではなく、むしろ本領。
四肢を地についた状態から右手を伸ばし、尾弐の大腿へ。
爪を突き立て、引きずり下ろすように切りつける。
だが――通らない。
如何に『獣』の力を込めた爪とて、酒呑童子の強靭な皮膚は引き裂けない。
それでもポチは退かない。手傷を負わせる事が目的ではないからだ。
爪が通らぬならば、殴り、蹴る。
祈へ再び詰め寄るにせよ、ポチを蹴飛ばさんとするにせよ、
尾弐の取る行動を逐一、その軸足に打撃を加えて阻害する。
とは言え、それも容易い事ではない。
今の尾弐が相手では、蹴りが僅かに掠めただけでもポチの命が吹き飛ぶ。
尾弐はただ、ポチの攻撃に対して相打ちを狙うだけでいいのだ。
尾弐の膝を、内から外へと押し出すような蹴撃。
だが、酒呑童子の膂力によって支えられた体幹は、崩れない。
軸足を蹴られた事などお構いなしに、ポチへと迫る尾弐の右足。
蹴りを放った直後の体勢では躱せない。
それでも――ポチは怯まない。
今、自身の傍らには唯一無二の同胞が――シロがいるのだ。
「手を貸して」
たった一言、それだけで彼女はポチの意図を汲み取れる。
群れを成しての狩り、それもまた狼の本領。
二匹のみとて、群れは群れ。
シロがポチの左手を掴み、引く。
互いの体を引き寄せ、押し退け、支えとする。
そうする事で、独りでは成し得ない動きが可能となる。
避けられないはずの攻撃が、避けられる。
届くはずのない攻撃が、届けられる。
その変幻自在の連撃は、精神が曖昧な状態にある尾弐では捌く事も、退ける事も出来ない。
尾弐から生じる怒りのにおいが、加速度的に濃くなっていく。
>「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
そして――その怒りは、ついには臨界に達した。
尾弐が体を捩り、拳を振り上げる。
来る。酒呑童子の全身全霊の力を込めた拳が、降って来る。
待ち侘びた、だが掠めただけでも命取りになるその一撃を――しかしポチは瞬時に認識出来ない。
敵の足元に潜り込み、動作を制限するその闘法は必然、間合いを極限まで詰める必要がある。
つまり敵の動作の、全体像が見えない。
だが、それでも何も問題はない。
ポチの死角には、常にシロの眼光がある。
敵の挙動が見えずとも、ポチは必殺の一撃が来る事を察知出来る。
その場を飛び退き――直後、尾弐の拳が石畳を穿つ。
滴る己の血が、振りまくだけで霧と化すほどの拳速。
そこから生じる力は、石畳を破砕し、なおも衰えない。
飛び散る破片、塵さえもが、爆圧と化してポチを追う。
285
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:57:10
「がっ……!」
そしてそれは、当然逃げ切れるものではない。
ポチは高く吹き飛ばされて、石畳へと落ちる。
すぐに体を起こそうとするが――叶わない。
体に力が入らない。視界が霞み、意識が朦朧とする。
それでもなんとか顔を上げて、周囲を見回す。
シロは――自分のすぐ隣に倒れていた。
息はある。命に届くような傷は見えない。
真新しい血のにおいも――ひどくにおい立つ、というほどではない。
ポチは安堵の溜息を吐き、
「……尾弐っち」
そう、呟いた。
これでもう、自分に出来る事は何もない。
皆は尾弐を取り戻せるだろうか。
霞む視界の奥を、じっと見つめる。
祈は、立ち上がれている。
ノエルも、橘音も天邪鬼も、目立った手傷は見受けられない。
祈の風火輪が火を噴いている事から、妖術の反転は無効化出来ている。
血霧から尾弐を追い出すのは、ポチでなくとも可能だ。
戦況は――悪くない。
今度は祈の風火輪と機動力、ノエルの妖術を前面に、橘音と天邪鬼が致命打を狙えるようになる。
自分がこれ以上戦えなくとも、尾弐を倒す事は出来るはずだ。
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
「……あ、はは……いいね、あれ……僕もああいうの……した方がいいかな……」
その後橘音が取った行動には、思わず苦笑するしかないほど、驚かされたが。
しかし結果として確かに、尾弐は動きを制限されている。
腕力も、橘音を引き剥がせないほどに抑え込まれている。
そして――ふと、尾弐がノエル達へと視線を向けた。
瞬間、ポチの背筋に悪寒が走る。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
祈の全身から、強烈な妖気が溢れている。
髪は朱く、衣服は漆黒に染まり、燐光と烈火を纏うその姿は――
姦姦蛇螺との戦いで見せた、奇跡の力を帯びている証。
>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
ノエルもまた、決着をつけるべく深雪へと姿を変えた。
切なる願いを込めた言霊が、死気の満ちる石牢を彼女の領域へと塗り替える。
そして膨大な妖力を全て吐き出し、絶大な妖術を構築していく。
いかに酒呑童子と言えど、体内を浄化されながら二人の攻撃を凌ぎ、
更に天邪鬼による童子切の一撃を防ぐなど、不可能だ。
不可能な――はずだ。
なのに――どうしても嫌な予感が拭えない。
先ほど尾弐が一瞬、祈とノエルへ向けた視線が、気になってやまない。
ポチがどうにか体を起こそうと雪原に右手をつく。
自分の不安が、ただの杞憂ならばそれでいい。
だがそうではなかった場合、後詰めを果たさなくては、と。
しかし――どうしても腕に力が入らない。
『無駄だ。お前は決して立てない。立ったところで死ぬだけだ。
お前は『獣』だ。狼の王なのだ。同胞以外の為に命を擲つなど、能うものか』
『獣(ベート)』と交わした約定。
その拘束力が、ポチに犬死を許さない。
286
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:58:37
『奴の結界は消え、これで最悪でもこの場を脱する事は出来る。
お前達も、奴らもだ。それで十分だろう、弁えろ』
確かにポチは『獣』に誓った。
どちらかを選ばなければならないのなら、自分は狼として生きる道を選ぶと。
だからと言って、皆を簡単に諦められる訳がない。
それでも、ポチの肉体がとうに限界を迎えている事は変わらない。
腕に力は戻らず、ただ祈とノエルの背を見つめる事しか出来ない。
「……?」
だが――ふとポチは、自分の視界に違和感を覚えた。
何かが、見えたのだ。
血に沈んだ石牢の中では見えなかった、この純白の雪原だからこそ浮き彫りになる、紅い何かが。
それが一体なんなのか、ポチは目を凝らし――
「……ふっ」
その正体を理解して、思わず笑った。
「ふ、あはは……あはははは……!」
そして、
「尾弐っち……!」
かけがえのない仲間の名を力強く呼ぶと――全身の力を振り絞って、立ち上がった。
『獣』との約定、その拘束力すら振り切って。
それはつまり――ポチが、犬死にはならない、確かな勝機を見出したという事。
「……少しだけ、ここで待ってて。ここから先は……僕にしか、出来ない」
シロにそう言い残すと、ポチは歩き出す。
前に倒れ込み、辛うじて踏み留まる――それを繰り返すような、痛ましい歩み。
それでも一歩ずつ、己が見つけた「紅」へと歩み寄り――それを拾い上げる。
その様子が、尾弐には見えるだろうか。
ポチが何を拾って、そして今、口元へと運んでいるのか、理解出来るだろうか。
ポチの舌の上を滑る「紅」が、己の血に塗れた、折れた刀だと、理解出来るだろうか。
287
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 08:04:56
乾き切らずに残った血糊を、ポチは舐め取り、嚥下する。
尾弐の――悪鬼の血。そこには強い妖力が宿っている。
満身創痍のポチに、もう一度、地を蹴る活力を与えられるほどに。
とは言え悪鬼の血は、生物はもとより、妖怪にとっても猛毒。
特に祈のような半妖や――獣としての属性を強く持つ、ポチにとっては。
口にしたところで力など得られず、むしろ獣としての頑強さを失うだけ。
だが――そうはならなかった。
何故なら――ポチは今や、災厄の魔物なのだ。
『獣』を従え、同化した事で名実共に、心身共に。
ならば悪鬼の毒血など――むしろ蜜のように、甘美ですらあった。
「げははは……なんともさ、尾弐っちらしいじゃないか」
折れた刀を両手で握り、ポチは重心を落とす。
当然、ポチに剣術の覚えなどない。
体術ですら、感性任せの我流なのだ。
しかし、ポチは狼。
我流とて、牙流である。
牙の扱いにならば、心得がある。
要は骨を避け、肉を貫ければいい。
自然と、左手は柄頭へ、右手は柄の根本を掴む。
>「酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!」
超低温の世界の中では、あらゆる生物が生存出来ない。
つまり冷気とは清浄なる無を生み出す。
極寒の、浄化の冷気が尾弐を襲い、
>「だぁああーーーッ!!!!」
そこに示し合わせたように、祈の飛び蹴りが突き刺さる。
瞬間、ポチは地を蹴った。
尾弐の懐へと潜り込み――酔醒籠釣瓶、その切っ先が閃いた。
寝かせた刃が皮膚を裂き、肋骨の隙間を潜り抜ける。
そして――獲物の急所に、牙を突き立てた感触。
「……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ」
尾弐の血を得て一時の活力を取り戻したポチが、尾弐の残した鬼切をもって――酒呑童子の心臓を、今一度貫いたのだ。
「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
288
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:18:41
はじめに怒りがあった。
理不尽な運命への。侭ならない宿命への。そして、それらを覆せない自分への。
怒りと憎しみ、恨みは、どんな感情よりも激しく強いエネルギー。たとえ肉体は滅びても、それは。その『想い』は消えることはない。
『なんということだろう!たかが一匹の子狐の魂が――衰弱していたとはいえ、生粋の悪魔(デヴィル)の魂を啖ってしまうとは!』
血色のマントを纏った怪人の哄笑が響き渡る。
そうだ。自分は憤怒を、憎悪を、怨嗟を伴ってこの世界に再臨した。
忌々しい世界をメチャクチャにしてやるために。呪わしい世界を木っ端微塵にしてやるために。
運命に対し復讐を成し遂げるために、天魔の力を乗っ取って転生したのだ。
なのに。
いつの頃からか、その感情は徐々に薄れていった。歯を食いしばり空を睨みつける時間より、笑う時間の方が多くなった。
何者かに怒りをぶつけることよりも、穏やかな時間を過ごすことが多くなった。
それは単なる時間の経過による沈静化、などというものではない。
時を経て和らぐような薄っぺらい感情なら、最初から転生など果たしていない。
そう。そうだ。それは自分の内的要因によるものではなく、あくまでも外的要因によるもの。
ひとりぼっちの孤独な魂に、寄り添う心がいてくれたから。
それはきっと、御前のほんのちっぽけな遊び心でしかなかったのだろう。
大切な者との別離の運命を覆せなかった、哀れな魂ふたつ。
それらを引き合わせたとき、いったいどんな反応が生まれるのか?穢れた魂は綺麗なものになるのか?それとも汚いままなのか?
面白い結果が得られなかったなら、廃棄してしまえばいい。その程度の考えしかなかったに違いない。
だが、御前にとっては手慰みに等しい、ふとした思い付き以上の意味もないことでも。
自分にとっては、とてもとても大きな結果となったのだ。
子どもな自分を、いつも一歩引いたところから見守っていてくれた。
リスク度外視の自分の作戦や計画に、文句も言わずに従ってくれた。
ピンチを幾度も救ってくれた。彼なしでは成し遂げられなかった仕事の数は、両手足の指に余る。
嬉しかった。
彼に穏やかな優しい眼差しで見詰められることを。
大きくて骨ばった手で頭を撫でてもらうことを。
低い声で『那須野』と。『大将』と呼ばれることを。
それらを、自分は全力で愛した。
心の中に満ちる幸福。それは遠い昔、自分が償いたいと思った青年にも。唯一無二の親友にも感じたことのなかった感情。
理不尽な世界への怒りなど、どうでもよくなってしまうくらいの想い――
そう。自分は、恋をしたのだ。
「ねえ……クロオさん……」
尾弐の首に両腕を回し、背伸びして抱きついたまま、橘音は唇をそっと離して眼前の男に語りかけた。
「アナタは前に言いましたね……。『本当に望むことをしているなら、いつもみたいに笑え』って――」
そう言うと、橘音は仮面の奥で僅かに目を細めた。新たに浮かんだ涙が目尻から零れ、頬を伝って落ちる。
橘音は間近の尾弐によく見えるように、ほんの幽かに微笑んだ。
「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」
尽きせぬ憎悪と憤怒に浸りきっていた自分を、尾弐は救ってくれた。
ならば。底のない憎悪と憤怒に染まった尾弐を救えるのも、また自分だけであろう。
―――――――…………。
尾弐に想いを伝え終わると、橘音はふらりと後ろに身を傾かせた。
小豆の浄化の力が通用するのは尾弐だけではない。橘音自身も天魔の生まれ変わりであり、邪に属する妖怪である。
わずか一瞬とはいえ、小豆を口に含んだことで肉体にダメージを受けている。
その上、自分の中の妖力のほぼすべてを浄化のために尾弐へと譲渡した。その疲労は想像するに余りある。
首に回していた両腕が力を失い、ずるりと落ちる。身体が尾弐から離れる。
力を使い果たし、ケ枯れを起こしたのだ。意識を失った橘音はそのまま仰向けに倒れかけた。
289
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:22:39
>酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!
尾弐と橘音を中心とした範囲にノエルの張った雪の結晶の魔法陣が展開され、尾弐の行動を阻害する。
災厄の魔物改め銀嶺の使徒の大規模妖術。それはかつて都心を氷に閉ざしたクリスの妖術を遥かに上回る。
>だぁああーーーッ!!!!
さらに、龍脈の神子の力によって風火輪を極限までブーストさせ、流星と化した祈の渾身の跳び蹴り。
龍脈にアクセスし無尽蔵の力を得た祈の蹴りは、大妖クラスの防御障壁さえ打ち破る。
むろん、気を失っている橘音にそれらから身を守るすべはない。風火輪の炎も魔法陣の浄化も橘音にとって致命の攻撃だ。
しかし、きっとそうはならないだろう。
尾弐が橘音を庇うなら、尾弐はすべての回避行動が取れなくなる。
そんな尾弐へと、ポチが持つ『酔醒籠釣瓶』の切っ先が減り込む。
>……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ
星熊童子の愛刀酔醒籠釣瓶、その銘は歌舞伎の演目・籠釣瓶花街酔醒から取られている。
籠釣瓶とは、籠を釣瓶に使ったかのように『水さえ溜まらぬ切れ味』の剣――すなわち妖刀村正の別名であった。
かつて、尾弐は何でもないカッターの替え刃に自分の血を塗り込み、破邪の刃として仲間たちに配ったことがある。
カッターの刃でさえ、コトリバコの強烈な呪詛を退けたのだ。妖刀村正ならばその効果は計り知れない。
そして、そんな破魔の刃と化した酔醒籠釣瓶が、尾弐の身体の真芯を貫く。
橘音の与えた小豆によって、すべての力が機能不全を起こし。
ノエルの浄化の結界によって、身に纏う最後の神変奇特さえ剥ぎ取られ。
運命を変転させる祈の蹴りによって、血霧すら残らず蒸発し。
尾弐を信じるポチの携えた妖刀村正で、身体の中心を貫かれる――。
………………ニ………………
…………ニクイ……!!!ネタマシイ……イマイマシイ……ツブレロ……コワレロ……シネ……シネェェェ……!!!
尾弐の全身から黒い波動が滲み出る。それは瞬く間にぼんやりした人型を取り、洞のような口を開いて苦悶の呻きを上げた。
これこそが、酒呑童子の力の本当の姿というものなのだろう。尾弐に取り憑いていた酒呑童子、否――
外道丸を酒呑童子に変貌させた『そうあれかし』。人間の持つ醜い部分、嫉妬、羨望、軽侮といった負の感情の集合体。
黒い『そうあれかし』。
「好機!!」
尾弐の身体から、酒呑童子の力が剥離しようとしている。その機会を見逃さず、それまで静観していた天邪鬼が動く。
橘音から託された童子切安綱の鯉口を切ると、
「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
天邪鬼がふわりと跳躍し、瞬時に尾弐へと間合いを詰める。瞬刻を経てすれ違い、音もなく床に片膝をついて着地する。
パチン……と童子切安綱を納刀すると、瞬き二度ほどの時間を経て、尾弐と酒呑童子の力が分断される。
取り憑いていた本体から切り離され、酒呑童子の力が大きくのたうつ。
……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!
「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」
「消えるのは、貴様だ」
天邪鬼はどこからか精緻な装飾の施された金色の小箱を取り出すと、その蓋を開いた。
その途端、小箱から猛烈な突風が吹き荒れる。烈風は酒呑童子の力を拘束すると、小箱の中へと吸い寄せてゆく。
どうやら小箱はリンフォンのような役目を果たすらしい。そして、弱った酒呑童子にその拘束を振りほどく力はない。
酒呑童子はしばらく身を震わせて抵抗したが、やがて声にならない怨嗟の絶叫を残して小箱の中へと消えた。
天邪鬼がすぐに小箱の蓋を閉めると、辺りは静寂に包まれた。
酒呑童子の力が消滅し、茨木童子が死んだことで、周囲も石牢から酔余酒重塔へ、そして東京スカイツリーへと戻ってゆく。
290
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:26:46
尾弐黒雄を長年縛り付けていた、酒呑童子の力は消滅した。
もはや、尾弐は酒呑童子の力を揮う悪鬼などではない。――どころか、妖怪でさえない。
東京ブリーチャーズによって千年の妄執から解き放たれ、尾弐は千年前の状態に。人間に戻ったのだ。
尾弐は意識を失っただろうか、それとも意識を保ったまま正気に戻っただろうか。
天邪鬼は尾弐を一瞥し、それから東京ブリーチャーズの面々を見遣ると口を開いた。
「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
危難が去り、当初の目的通りに尾弐を解き放つことができた安堵感からか、天邪鬼の口調も幾分柔らかくなっている。
尾弐を酒呑童子の宿命から解放したことで、やっと自分自身の荷も降りた、ということなのだろう。
「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」
天邪鬼は手に持った小箱をブリーチャーズに見せた。それから、不意に周囲に視線を泳がせる。
いつの間にか、天邪鬼の近くには五つの光の球が尾を引きながら漂っていた。
それはこの塔で命を落とした虎熊、金熊、星熊、熊童子の酒呑四天王と、茨木童子の魂。
「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
鬼たちはもともと、人間の世に生きられなかったあぶれ者。
例えふたたび首塚に封印したとしても、いつか蘇りまた人界に害を及ぼすだろう。
であるなら、最初から人界以外の場所に連れていけばいい。それが天邪鬼の判断だった。
首塚大明神の棲む神域には、肉身を持つ者は入れない。最初から、四天王や茨木たちは死ななければならなかった。
酒呑童子復活のために彼らを一旦殺し、しかるのちに魂を救済する。天邪鬼の計画は見事に成就したというわけだ。
「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」
透き通った涼やかな声で、天邪鬼が語る。
「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」
外道丸を酒呑童子に変貌させたのは、人々の『こんな美少年が、天才が、自分たちと同じ人間のはずがない』という思い。
ネガティブな『そうあれかし』が、彼を人ならぬ存在へと変貌させた。
人々が、世界が、外道丸を『そうあるべき』『そうでなければならない』と定義したのだ。
外道丸改め酒呑童子は、それに従った。人々が自分に悪逆無道な鬼の役を強いるなら、その通りにしようと思ったのだ。
人の世に生きられず、あぶれ者同士徒党を組んでいた茨木たちの長となったのも、その想いゆえである。
酒呑童子は同じ境遇の茨木たちを放っておけなかった。守ってやりたい、と思った。
自分や茨木、四天王たちが、『人とは相容れぬものと人に定義された存在』であるとするのなら。
『爪弾きにされること』にさえ、何らかの意味があるのではないか?『あぶれ者』として課された役割があるのではないか?
そう考えたのだ。そして人々に望まれるまま、残虐な鬼の役を演じ続けた。
酒呑党は悪の限りを尽くした。その残虐さ、強欲さは当時の人々を震え上がらせ、世間を闇に染め上げた。
そして、その末に源頼光率いる軍勢に敗れ去り、壊滅した。
「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」
源頼光と四天王が攻めて来たとき、酒呑童子は自らの終焉に気付いた。
もう、この世界において自分は役割を果たし終えたと。そう開悟したのだ。
自分の最後の役目は、この場で源頼光に殺されること。そう考えた酒呑童子は、一切の抵抗をすることなく討ち取られた。
そうして、源頼光の大江山酒呑童子退治は伝説となった。
『悪を為す者は、善の前に必ず敗れ去るさだめである』――。
酒呑童子の存在は、そんな後世まで語り継がれる『そうあれかし』の誕生をもって完結したのである。
「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
クク、と天邪鬼はいたずらっぽく笑った。
「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」
そこまで言うと、天邪鬼は俄かに眼差しを鋭くした。
切れ長の双眸で、あらぬ方向を振り返る。
「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
291
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:47:27
「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
虚空に向かって、天邪鬼が声を飛ばす。
全てが元に戻ったはずの何もない空間が、不意にぐにゃりと歪む。
そこに現れたのは、血色のマントにシルクハット、嘲り嗤う仮面をかぶった怪人――赤マント。
「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
バサリとマントを翻し、赤マントは東京ブリーチャーズとはやや離れた場所に佇む。
そして、その後ろには牛頭馬頭の大鬼――獄門鬼が控えていた。
目にしたものすべてを平等に攻撃するはずの獄門鬼だが、赤マントを前にしても動かない。
よく目を凝らしてみれば、獄門鬼の双頭の額部分にそれぞれ、禍々しい妖気を放つ楔が打ち込まれているのが見えるだろう。
どうやら、赤マントはブリーチャーズが尾弐にかまけている間に妖具で獄門鬼を制御してしまったらしい。
赤マントはおどけた身振りで、パンパンとわざとらしく拍手をしてみせた。
僅かに眉を顰め、天邪鬼がフンと鼻を鳴らす。
「貴様はいつもそうだな。いつも自分に累の及ばぬ安全なところで、人が不幸になるところを見下ろしている」
「ああ、そうだ。そうだとも。私は知っているぞ、貴様は千年前にも……」
「そうやって。『私の心臓をクソ坊主に啖わせた』のだったな――?」
天邪鬼の言葉に、赤マントは一瞬呆気に取られたように拍手をやめた。
が、次の瞬間にはゲラゲラと笑い始める。
「クカ……クカカカカカカッ!ああ、わかっていたのかネ!?さすがは天才児と呼ばれた鬼の首魁なだけある!」
「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」
「キミは吾輩の正体に気付いてしまった。当時、吾輩が京の都でやろうとしていたことを看破してしまった」
「吾輩の思考を読もうなんて僭越は、到底許されるものじゃない。だから吾輩は思い知らせてやったのだヨ――」
「吾輩に盾突く者は、その親類縁者もすべて!死より悍ましい目に遭うということをネ!クカカカカカカッ!」
千年前、赤マントは高僧に身をやつし平安の都で退廃と不義不徳の限りを尽くした。
それは古代のソドムとゴモラの再現であった。貧富の差は埋めがたく、富める者は無限に富み、飢える者は続々と死ぬ。
当時、都の羅生門周辺には埋葬もされぬ無数の屍が野ざらしになっており、まさに地獄の様相を呈していたという。
だが、それをあるとき外道丸が看破した。帝の傍に侍る高僧こそがすべての凶事の源と見破ったのだ。
誰にも察知されるはずのなかった自分の正体と計画が、片田舎の何でもない稚児に気付かれた。
それは、赤マントにとっては耐えがたい屈辱であった。よって、外道丸に復讐した。
外道丸のことを悪しざまに噂し、人々が嫉妬したり恨みを抱くように仕向けた。悪鬼へと変容させた。
帝の威光を利用して源頼光に酒呑童子討伐を命じ、その首を獲らせた。
それでもなお怒りは収まらず、外道丸の助命を嘆願してきたかつての尾弐に過酷窮まる刑を課し、挙句酒呑童子の心臓を啖わせた。
千年前から続く、酒呑童子――尾弐と外道丸との因縁。
そのすべては、赤マントによって齎されたものだったのだ。
「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」
天邪鬼が軽く右手を祈たちへ向ける。
「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」
「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」
赤マントが哄笑する。
「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
そう。
赤マントが姿を現したのは、天邪鬼に隠れていることを暴露されたから――というだけではない。
自分が絶対に勝つ、という圧倒的自負。その自信から来る行動であった。
尾弐は酒呑童子の力を喪失して人間に戻った。橘音はすべての妖力を使い果たしてケ枯れし、気を失っている。
祈が龍脈の神子としての力を使える時間は極めて短く、その効果時間はとうに過ぎた。
ノエルは尾弐をケ枯れさせるため全力の妖術を用い、ポチとシロはとっくに満身創痍だった。
もしも今、赤マントに獄門鬼をけしかけられれば、東京ブリーチャーズは間違いなく全滅する。
292
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:51:06
「……何が望みだ?」
天邪鬼が静かに訊ねる。
ただ単に東京ブリーチャーズを始末することだけが目的なら、とっくにそうしているだろう。
しかし、赤マントは後ろに獄門鬼を控えさせているだけで、実力行使に及ぼうとしない。
そこには何らかの目的があるのだろう。
「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
「約束だと?」
天邪鬼が怪訝な表情を浮かべる。小箱を渡すなどという約束をした覚えなどない。
しかし、赤マントは笑みを浮かべる仮面の眼差しをポチへと向けると、
「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
そう言って、また愉快げに嗤った。
「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」
「……チッ」
一旦取り交わされた約束を反故にするということは、妖怪にとって自己否定に等しい。
一瞬憎々しげに赤マントを睨みつけると、天邪鬼は小箱を赤マントに放り投げた。
妙に長い右腕をマントの中から伸ばし、赤マントが酒呑童子の力の封印された小箱を受け取る。
「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
小箱をしげしげと見下ろすと、マントの中に仕舞う。
それから赤マントはいまだに気を失っている橘音に顔を向けた。
「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
そう言って、右手を額に当てて大袈裟に嘆くポーズを取ってみせた。
赤マントと那須野橘音とは、師弟関係にある――。
「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
アスタロトこと橘音は、あるタイミングで御前の許に身を寄せるまでの間、ずっと天魔として行動していた。
その際赤マントに交渉術など、のちに狐面探偵として生計を立てることになるスキルを伝授されていたのだという。
つまり帝都で繰り広げられていた怪人と探偵の戦いは、元を正せば同門の師弟の争いだった、ということになる。
「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
言いうが早いか、赤マントは目にも止まらぬ速さで右手を閃かせた。
「ッ……ぎ……」
ドッ!ドドッ!と音を立て、橘音の無防備な身体に楔が突き刺さり、狐面探偵は低い苦鳴を漏らした。
それはかつて――赤マントがケ枯れし無力化したクリスを手に掛けたときの再現。
妖力のこもった楔は、ほんのわずかに残った橘音の生命力さえ容赦なく削り取ってゆく。
「ぅ……ぁ……ああああああああああああああああ……」
バリバリと楔から黒雷が発生し、橘音の身体を包み込む。
楔の力によってか空中に浮かんだ状態の橘音の身体が、両脚から光と化して消えてゆく。クリスや茨木童子のときと同じだ。
抗えぬ絶対的な死。それを回避させるだけの力を持った者は、この場には存在しない。
「……ク、ロ、ォ……さん……」
激烈な痛みによって覚醒したのか、橘音は小さく尾弐の名を呟いた。そして、その方向へと右手を伸ばす。
右手はすぐに光に変わった。そして胴体も、長い黒髪も、さながら白紙に火が燃え広がるような勢いで消えてゆく。
「……ク……――――――――――」
最期に、愛する人の名も告げられないまま。
仲間たちに別れの言葉さえ伝えられないまま。
唐突に、呆気なく。
那須野橘音は死んだ。
293
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:55:21
「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」
自身の智慧や知謀をすべて伝授した、ただひとりの愛弟子。
その愛弟子を何らの躊躇もなく殺害すると、赤マントは背を仰け反らせて嗤った。
カラカラと乾いた音を立て、楔が床に落ちる。
「……ッ、間に合うか……!?」
天邪鬼が咄嗟に橘音のいた方角へ左手を突き出す。
橘音がそこにいた、という事実。その妖力の残滓、魂のほんの一かけらだけでも救おうと、即席で蘇生の術式を編み上げる。
が、果たせず。天邪鬼の術式は今しがたまで橘音の存在していた空間をそのままビー玉大に凝結固定させただけで終わった。
「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
赤マントは橘音に免じて、などと殊勝なことを言っているが、明らかに嘘である。
むしろ、橘音を喪った東京ブリーチャーズの絶望が生み出す負のエネルギーを手中にしようとしているのは明らかだ。
「……下衆が……!」
ギリ、と天邪鬼が奥歯を噛みしめる。
そんな憎悪の感情もどこ吹く風、赤マントはバサリとマントを翻すと、出現したときのようにその姿を徐々に薄れさせてゆく。
「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
最後まで他人を嘲り愚弄する態度のまま、赤マントは消え去った。
獄門鬼も同時に消える。そのうち手駒として使うつもりなのだろう。
「………………」
橘音を救えなかった。動かしがたいその事実に、天邪鬼はうなだれる。
帝都の危機は去った。
酒呑童子の復活を目論み、東京に鬼の帝国を建国しようとした茨木童子の目論見は潰え、復活した酒呑童子も封印された。
尾弐を千年の怨嗟から救い出すことにも成功した。
だが、それで東京ブリーチャーズが勝利を収めたか?と言えば、それは甚だ怪しい。
酒呑童子を撃破したまではよかったが、力そのものは赤マントに奪われてしまった。
尾弐を呪縛から解き放ちはしたが、尾弐は戦う力を喪失して無力な存在になってしまった。
そして。今までチームのブレーンを司っていた那須野橘音が、死んだ。
赤マントは何かを企んでいる。それも、今までの計画など比較にならないほどに大きな何かを。
東京ドミネーターズにはまだレディベアが、そしてその側近である謎のイケメン騎士Rが控えており、また天魔も数多い。
そんな相手と戦闘に及んだとき、果たして東京ブリーチャーズは今までのように戦うことができるのか?
状況はかつてないレベルで危機的である、と言わざるを得ない。
「あなた……」
シロが不安げにポチのことを見る。
そもそも、自分が我侭を言わなかったら。鬼たちの一党に加わらなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
取り返しのつかないことをしてしまった――そんな後悔の念から、シロは俯いて胸元をぎゅっと握りしめた。
酔余酒重塔での、酒呑党残党軍との戦いは終わった。
だが、喪ったものはあまりに多く、受けた損害は甚大である。
東京ブリーチャーズの耳の奥に、赤マントの甲高い笑い声がいつまでもこだまする。
それはひとつの絶望を乗り越えた後に訪れた、新たな絶望の到来を告げるファンファーレだった。
294
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:16:51
……出会った時は、願いに至る為の道具としか見ていなかった。
繰り返す戦いの中、その叡智に救われた時は小さな尊敬を覚えた。
強大な敵の魔手から庇った時は、遠い昔に救えなかった小さな友人の姿を重ねた。
互いに背中を預け戦った時には、誰よりも頼りになる相棒であると思った。
そして、その笑顔の裏に在る痛みに気付いた時――――仮面の下の涙を止めたいと、そう願った。
・・・
中空から放たれるのは、炎熱を纏う跳び蹴り。
速く在る事を定められた妖怪としての最高速度を風火輪により更に加速するという荒業により齎された、超加速。
それによって生まれた破壊の力が、尾弐の背を直撃した。
如何に頑強な尾弐とはいえ、「反転」の権能を喪失している現状ではその超破壊に対し劣勢を強いられる。
蹴りを受けた箇所の肉が焼け、血液は蒸発し、骨が折れ砕ける音が響いた。
雪原に描き替えられた情景の中でノエルが展開した雪結晶を模した魔法陣は、死すらも覆い隠す冬の雪の如く浄化の力を放つ。
血と瘴気。人間の業を力とする悪鬼の力を、極寒の冬山へと迷い込んだ人の如く、徐々に削り取っていく。
それは、妖気により肉体を構成していた尾弐へとダメージを与え、皮膚には凍傷の如き傷が生み出される。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
それらの猛攻を受けながら、酒呑童子は壊れた思考を巡らせる。
けれど――巡るその思考はこれまでのような憎悪と憤怒ではない。
(……何故、だ。何故、俺は、この敵共の刃を、受けている……?)
疑問。憎しみに狂い、怒りに狂い、憎悪に狂った悪鬼に宿った思考は、自分が攻撃を受けている事に対しての疑問であった、
確かに、勇猛な攻撃だ。強力な術式だ。
だが、酒呑童子がその権能と性能を駆使すれば……例えば眼前の消耗し倒れかけた女を盾にでもすれば、攻撃を回避する事は出来た筈なのだ。
だというのに、自身の直感と本能は回避を呼びかけていたというのに、それを行わなかった。
どころか――――浴びれられる磨滅の豆や、業火の蹴り、浄化の凍気に対して、眼前の女を引き寄せ、攻撃の余波から庇う事すら行っていた。
(何故だ……呪い在れと、憎いと、壊したいと。そう願うだけの存在だというのに、何故俺は……)
(どうして俺は、この女を助けたいなどと思ってるんだ……?)
295
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:17:34
焼かれる激痛、砕かれる痛み、凍らされる痛みも、確かに感じている。
そうだというのに、思考の中に浮かぶのは……眼前で力なく寄り掛かる女の言葉。
>「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」
吹き荒れている憎悪でも、満ちる憤怒でもない。それらを押しのけ、ただの女の言葉を思い返す。酒呑童子には、そんな自身の思考が不思議で仕方がない。
……そうしていると、やがて自身の酒呑童子の狂気に染まった思考に対し、声が却ってくる様になった。
(憎い、壊したい、許せない、滅びてしまえ)『……そうだ、憎かった。テメェ自身が憎くて、壊したくて、許せなかった』
(死ね、死ね――――苦しんで死ね)『ずっと死にたかった……生きてるのが辛くて、苦しくて仕方がなかった』
(助けられないから、消してしまえ)『……ああ。惨めで、情けなくて、せめて一緒に消えちまいたかった』
憎悪に狂った思考に応えるのは、紛れも無い自身の声。
それは問いかけた鏡が返事を返すような異常事態で、けれど、壊れ果て朦朧とした精神はそれを気にする事も無く思考を重ね続ける。
そして、とりとめのない自己問答は暫くの間続き……やがて酒呑童子は、先ほどから自身に答え続ける何者かに、一つの問いを投げかける。
(俺は……どうしてこの女を助けたい)
暫しの沈黙。だが、やがて観念した様に思考は声を返してきた。
『……馬鹿だから、1000年の願いより、1001年目の未来が欲しくなったんだろ』
……それは、酒呑童子と尾弐黒雄との意識が混在したが故のものか。
或いは、負傷に寄って、壊れた精神が混濁した事により生まれた幻聴か。
それとも……1000年の孤独な憎悪が生み出した心と、仲間達と過ごした日々が生んだ心の邂逅であったのか。
語り部である尾弐自身の精神が混濁している以上、その答えを知る者は存在しない。
ただ一つ確かな事は
>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
ポチが構える刃。
何時かの戦いの様に、尾弐の血を浴びた事で鬼切の力を得た酔醒籠釣瓶。
それが、尾弐の体の中央……かつて酒呑童子の心臓が存在し、今は収集された膨大な妖力が『核』として存在しているその場所に突き立てられたその瞬間。
(悪ぃ……迷惑、掛けちまったな)
尾弐黒雄が、困った様な笑みを浮かべていたという事。
296
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:18:26
≪どんだけみっともなくても、自分以外の何かにはなれねぇんだ。お前さんも、拙僧もな……まあ、それでも――――≫
≪自分以外の誰かと寄り添って、一緒に生きる事は出来る。それは、一人でなんでもできる事なんぞよりよっぽど上等な事だと、拙僧は思うぜ≫
遠い情景……いつか忘れてしまっていた帰り道での言葉の続きが、ようやく聞こえた気がした。
・・・・・・
297
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:19:33
>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
酒呑童子の『そうあれかし』。永きに渡り尾弐黒雄の体に巣食ってきた悪鬼の力を斬り離された尾弐は、
スカイツリーの壁に背を預けつつ、俯いたまま天邪鬼の言葉を聞く。
身じろぎひとつしないが、眠っている訳でも、気絶している訳でもない。
単純に、気力も体力も尽き果て、指の一つを動かす力も残っていないのだ。
悪鬼としての自身の核となっていた酒呑童子の力を外道丸の力により斬り離された結果、
尾弐の体は、その心臓を含め1000年前の只人であった頃のモノへと戻っていた。
岩をも砕く怪力も、砲弾にも耐え抜く肉体も、今の尾弐には存在しない。
在るのはただ、弱く脆い……半妖である祈よりも脆弱な、普通の肉体。
魂ではなく物理法則に縛られるが故に、疲労の極致に達した肉体は鉛の様に重く……おまけに、先の出来事で摩耗しきった精神も未だ回復していない。
「……」
それでも意識を失っていないのは、外道丸――――かつて助ける事が出来なかった少年の声を最後まで聞き届ける為であろう。
人の体を得た尾弐と、神として祀られる事となった外道丸は、きっとこの先逢う事は叶わない。
砕け摩耗した精神でも、尾弐はその事を何とはなしに理解しているのだ。
だから、彼の言葉を最後まで聞き届けるべく意識を保ち続ける。
そして、外道丸の口から語られた長く……長く遠い昔話。
尾弐の知っていた外道丸の終わりと、尾弐の知らなかった酒呑童子の終わり。
ソレを知れた事は、きっと尾弐黒雄にとっては幸福な事であったのだろう。
自身が助けようと足掻いた子供が、とうの昔に過去の呪縛を断ち切り前を向いていた。
人として死なせてやる事は出来なかったけれど
あたりまえの幸せを与える事は出来なかったけれど
それでも、今こうして……『かつて』の様な笑顔を見せる事が出来ている。
それは、あらゆる願いに見放され、絶望を供に永き時を流れてきた尾弐にとっては、確かに救いであった。
救いたかった存在と邂逅し、人としての死を手に入れ……共に道を歩みたい存在を知った。
尾弐黒雄という存在にとって今この時は、きっと望外の幸福の時で―――――
298
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:20:06
だから
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
だから
>「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」
だから
>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
だから
>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
だから
> 「……ク、ロ、ォ……さん……」
だからこそ――――尾弐黒雄に与えられた絶望は、深淵の闇よりも尚深い。
299
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:20:40
自身の命よりも、1000年に渡る願いよりも、此の世界よりも大切な存在。
那須野橘音。
何を賭しても守りたいとそう願った那須野の命は『赤マント』の手で奪われた。
尾弐が名を呼ぶことも、謝る事も、想いを語る事も出来ないまま、那須野橘音は絶命した。
「……あ……え……?」
「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
皮肉、という他ないだろう。
千々に砕け、永き時を経ても戻るかどうか……そんな状態であった尾弐の精神は、
那須野橘音の死という絶望と衝撃により、ようやく形を取り戻した。
力の入らぬ体を引き摺りながら震える手を伸ばすも、その先にはもはや求める姿は無い。
絶叫と共に、知らずその頬を涙が伝う。
これまであらゆる絶望に叩き伏され、理不尽に首を絞められ、不条理に打ちのめされても、
それでも尚、人前で涙など見せようとしなかった尾弐……その頬を伝う涙は、人の赤い血液が混じった赤色であった。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
赤マントの悪意の言葉すらも、絶望に支配された今の尾弐には届かない。
だが……いずれこの慟哭が止めば、尾弐黒雄という人間は動き出すであろう。
かつてと同じように、転がり落ちるように、負へ、闇へ、鬼へ。
それでも……かつてと異なる部分はある、尾弐が無力な人間となってしまっている事。
そして、東京ブリーチャーズという仲間達が居るという事だ
300
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 22:58:53
嗚呼、なんということだろう。
まさか、赤マントが突如現れて、橘音を殺してしまうとは。
尾弐から酒呑童子の力を切り離すところまでは良かった。
橘音が小豆を尾弐の体内に送り込んで弱らせ、
祈が全力の蹴りを、ノエルは浄化の雪結晶を叩き込んだ。
そして駄目押しにポチの、格を得た酔醒籠釣瓶による心臓への一撃。
これらによってケ枯れを起こした尾弐から、
酒呑童子の力そのものを、童子切安綱によって切り離すことに成功したのだ。
かつて外道丸に取り憑き、
心臓を経由して尾弐へと渡った酒呑童子の力、意思。『そうあれかし』そのもの。
それは温羅たちの手元へと渡る予定で、きっと悪いようにはされなかっただろう。
死した四天王と茨木童子の魂は、天邪鬼と共に行く。
現世から解き放たれたことで、本当の居場所ができるところだったに違いない。
そして何より、皆で尾弐を助けることができた。
尾弐は過去の呪縛から一歩踏み出せた。
これでハッピーエンドの筈だった。
なのに。赤マントが奪ってしまった。
酒呑童子の力を我が物にしただけでは飽き足らず、
裏切りを働いた橘音の命をその場で奪ったのだ。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
>「……ク……――――――――――」
光の粒子となって消えていく橘音。それを術式によって繋ぎ止めようとする天邪鬼。
しかし、ならず。
橘音がいた場所には空間を切り取ったようなビー玉大の物体が転がった。
>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
尾弐の絶叫が響く。
尾弐はケ枯れした影響で、動くことはできないでいる。
尾弐が鬼と化した要因であり、力の源であった酒呑童子の力を切り離したこと。
そして妖気が微塵も感じられないことから考えても、恐らくは人間の状態に戻ってしまっているようだった。
「橘音ぇーーー!!」
絶叫する祈もまた、動けないでいた。
龍脈の力を解放した状態は莫大な力を祈に与えるが、長くはもたない。
今は5分がせいぜいであり、一撃必殺レベルの力を引き出せばすぐさま枯れてしまう。
そしてひとたびその力を使えば、その反動か、祈は疲労困憊の状態に陥ってしまうのだった。
灼熱の如く赤く染まっていた髪も黒く戻り、いつも通りの祈に戻っている。
それに加えて祈はもともと致命傷を負っており、
命を保つギリギリの妖力と生命力しか持っていないのである。
まともに動けるはずはない。
尾弐の背に蹴りを浴びせて着地した後は、
ぐらりと倒れて、俯せになったまま動けないでいたのだった。
立ち上がろうとするも力が入らず、首だけを起こし、
険しい顔で赤マントを睨みつけている状態であった。
>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
>「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
>「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
嘲る赤マント。
「赤マント、てめえッ……!!」
赤マントに攻撃を加えようとする祈だが、立ち上がることはできない。
腕を支えに僅かに上半身を起こせたに過ぎなかった。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
などといって、赤マントは愉快そうな嗤い声を辺りに響かせながら、
手下に加えた獄門鬼と共に、スカイツリーから消えて行く。
その笑い声の残響は、いつまでも不愉快に、耳にこびりつくようであった。
――那須野橘音が、死んだのだ。
301
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 23:02:40
祈は俯いたまま動かなかった。
橘音の死による精神的なダメージは計り知れないものがあり、
この場にいる誰もが心に傷を負ったに違いない。
なぜなら、橘音とは皆、特別な関係だったのだ。
ノエルにしてもポチにしても。天邪鬼にしてもシロにしても。
唯一無二の親友、家族。相談に乗ってくれて鬼達と引き合わせてくれた者、
前パートナーを千年の呪縛から解き放ってくれた者。
誰もが消沈し、誰もが悲しみに暮れているだろう。
特に尾弐は、この事態をどう受け止めているのか。
千年を超えて選んだ人を、今この場で失うなど。祈の人生経験では推し量ることができない。
橘音は死んだ。
そう、確かに死んだ。
疑いようもなく、確かにこの世から消失した。
だというのに。
「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
少なくともこの少女だけは。
「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
いつも通りでいた。
伏せていた顔を上げてきょろきょろと周囲を見渡す祈。
そして、あいつこと赤マントが去ったことを注意深く確認すると、
這いずるというか、ほぼ四つん這いの有様で、天邪鬼の元へと近づいていく。
橘音がいた場所に落ちている、
空間を切り取ったビー玉大の何かを右手に取り、ごろんと仰向けに転がった。
「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
あはは、などと笑う祈。
橘音が死んだというのに、その顔に悲しみも悲壮感も何もない。
なんともあっけらかんとしたものである。
「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
祈がいつも通りでいられる理由はそれだった。
龍脈には理を捻じ曲げ、願望を叶える力がある。
そして今回、祈が龍脈の力にアクセスして願ったものとは、
“尾弐と橘音、二人の幸せ”だった。
尾弐を絶望の闇から救わんとする橘音と、
橘音を殺せなかった尾弐の姿に、祈は希望を見て、心から祝福したのである。
故に、龍脈による強化を受けて祈が放った全力の蹴りは、
尾弐をケ枯れさせるという目的ではなく、
尾弐と橘音に幸せになって貰うために放たれていた。
それが尾弐を通して世界をも貫いていたのなら、
尾弐と橘音、二人の運命は、幸せへと至れるものへと龍脈によって固定されていることになる。
そしてそれは、尾弐と橘音、どちらが欠けても成しえない未来だ。
故に、死んでいないか、死んでいてたとしても魂までの消滅はなく、
そして近いうちに復活するのだと、祈には断言できるのである。
ちなみに祈が漠然描いていた二人の幸せは、結婚式である。
つまるところ、龍脈の力が正常に発動したのなら。
そして二人が望むなら、結婚式を挙げて幸せなキスをするところまでは確約されていることになる。
302
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 23:16:55
「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
祈は尾弐の方を見て、右手に持っていた、
橘音が居た場所に転がっていたビー玉大の何かを差し出した。
一見何も入っていないように見えるが、このガラス玉のような何かの中には、
もしかしたら、橘音の妖力か魂の粒子だけでも入っているやも知れない。
そうなら、これは橘音が復活する際の起点となる物であり、
橘音を最も大切に想う尾弐が持っているべきだろうと思ったのである。
(でも橘音が復活するのいつになるのかは……あたしにもわかんねーな)
もし橘音が復活するとして、それがいつになるのかは祈には分からない。
祈は龍脈にアクセスできるが、その願いが叶ったかを観測できないからだ。
姦姦蛇螺の時も、ノエルを災厄の魔物から解き放った時もそうだった。
そもそも願いが叶ったかどうかすら分からないが、だが祈は叶ったと信じている。
そしてもし、これが嘘となってしまっても。
橘音の生存が誰かの希望になるのなら、祈は嘘吐きにだってなろう。
誰にとっても橘音の死は耐えがたい。
特に尾弐にとっては、格別の苦痛であるはずだから。
それを和らげるためなら、重い期待や罪を背負ったって構わない。
絶望が支配するこの状況で、
祈は誰かを照らせる希望を、懸命に探していた。
(あとは……御幸が持ってる酒呑童子の心臓とかってどうすんだろ)
祈はノエルの持つ鞄を見た。
そしてもう一つの希望と言えば、ノエルが持つ酒呑童子の心臓だった。
尾弐は鬼としての力を失ったようだ。
そもそも千年生きていて、数々の妖怪を屠った経験があり、
酒呑童子にまでなった尾弐が、本当にただの人間に戻ったのかどうかも疑わしい訳であるが、現状はそうである。
故に、今後、戦線に加わるなら、人として戦うことになるのだろう。
だがもしかしたら、橘音を失った絶望から、再び鬼と化す可能性もなくはない。
橘音を奪った赤マントへの復讐や、橘音が戻る為の世界を守るべく。
その時にこの心臓は、ある種の希望になり得るのではないかと祈はふと考える。
なにせこの心臓は、
病巣であった酒呑童子の力そのものが既に取り除かれているため、
食べても酒呑童子の意思の支配を受けることなく、安全である。
酒呑童子の肉体を構成していた核であったこれは、いわば器。
再び食べることで、酒呑童子を喰らった鬼としての格のみを得て、
心臓に妖力を注げば反転の能力の一部を使えるようになる、だとか。
そんなこともあるのかもしれないと祈は考えていた。
303
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:19:09
>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
深雪の最大級の浄化の妖術の中、祈の蹴りが炸裂し、駄目押しとばかりにポチの刃が胸を貫く。
>「好機!!」
>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
ついに尾弐から分離した酒呑童子の力を天邪鬼が切り離し、小箱に閉じ込める。
それを見届けた深雪は、ノエルの姿に戻った。
先の妖術に全ての妖力を注ぎ込んだため、みゆきではなくノエルの姿を取れているのが不思議なくらいだ。
天邪鬼は皆にねぎらいの言葉をかけ、今夜の戦いで死んでいった鬼達を連れていくという。
>「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
>「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
「そうなんだ……良かった。こちらこそありがとう!」
天邪鬼は、自らが何故鬼となってどのように源頼光に倒されたかの真実を語る。
>「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
>「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
「そうだったんだ……。
僕はね、宿命を受け入れるかの選択肢も与えられないまま本人そっちのけで周りが大騒ぎでお膳立てして
気が付いたらいつの間にやら宿命から解き放たれてたんだ、笑っちゃうよね」
あるいは、これもまた新たな宿命なのかもしれない。母や姉、そして橘音や祈の願いに応え人と共にあることが。
>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「待って! それならちゃんとクロちゃんにお別れ言っていきなよ!
喋る体力が残ってないだけできっと聞こえてるから」
>「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
>「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。
ノエルの言葉にも取り合わず、天邪鬼は尾弐を皆に託し去っていくかと思われたが――事態は予想外の方向へ。
天邪鬼はあらぬ方向を振り返り、虚空に話しかける。
>「――とはいえ――」
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
「またお前か……!」
304
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:21:53
今戦闘になったら勝ち目はないのは分かっているのだろう、会話で時間を稼ぐ天邪鬼。
赤マントはいつも通り饒舌で、千年前の尾弐と外道丸の長い長い物語の始まりの黒幕であったことが明かされる。
そして満足するまで喋った後、容赦なく現実を突きつけてきた。
>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
「そんな……!」
一瞬、なんて約束をしてくれたんだ、とも思うが今更ポチを責めても仕方がない。今必要なのは情報だ。
赤マントの言葉から、ノエルが知らない間に、ポチとアスタロトが言葉を交わしていたことが分かった。
そして、戦闘中は必死でそれどころではなかったが、今更ながら、何故アスタロトのはずのこの橘音が召怪銘板を持っていたのか、
そもそも尾弐を心から愛して救ったこの橘音は本当にアスタロトなのかという疑問が浮かぶ。
「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」
ポチによると、尾弐を救いたいという点で利害が一致したアスタロトと白い橘音が融合したのだとのこと。
それなら、橘音が童子切安綱と召怪銘板を両方持っていたのも、本気で尾弐を救おうとしていたのも全て説明がつく。
でもアスタロトってノリノリで尾弐を酒呑童子化させて東京を破壊させようとしてなかったっけ?
という点はノエルにとっては依然謎のままだったが、今は考えないことにした。
それはそうと、ポチは何だか今までとは雰囲気が変わったように感じられた。
覚悟を決めて宿命を受け入れたような――まるで自分とは真逆の道を歩む存在になったように感じられる。
ポチもまたノエルの変化を感じているのだろうか。
>「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
「あの力……?」
龍脈の力に匹敵するような何かがあるのだろうか、と思うノエル。
酒呑童子の力は赤マントに奪われてしまったが、真の絶望はこんなものではなかった。
>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
>「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
305
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:31:22
「弟子……師匠……!?」
ノエルは驚きつつも、何故自分があそこまでアスタロトのやり口に嫌悪を覚え激昂したのかのが腑に落ちた気がした。
立ち回りが姉の仇とも言うべき赤マントの生き写しなのだから、それも当然だ。
>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
>「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
>「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
目にも止まらぬ速さで、気を失っている橘音に楔を突き立てる赤マント。
それはクリスを手にかけた時と全く同じ構図で。
しかし、クリスは赤マントにとって最初から使い捨ての手駒に過ぎなかったが橘音は違う。
「なっ……仮にも弟子だろう!? いくら敵になったからってあんまりだ……!」
そんな情を赤マントに期待するだけ無駄なのだが、言わずにはいられなかった。
別れの言葉を交わす猶予すらなく、橘音はあまりにもあっけなく死んだ。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
>「……あ……え……?」
>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
尾弐の絶叫が響く。
彼の体からは全く妖気が感じられず、1000年前の人間の状態に戻っているのかもしれなかった。
その目からは血の涙が流れている。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
ノエルは無言で立ち尽くしていた。大変なことになってしまった――
橘音が死んだこと自体ももちろんそうだが、尾弐は絶望のあまりどうにかなりそうだ。
更に、祈の方を見ると、俯いたまま動かない。
祈の力を悪い方向に作用させないように、との御前との約束が思い出された。
この状況を受けて祈がもうお終いだ、なんて思おうものなら御前に始末されてしまいかねない。
橘音を失った上、祈まで失うなんてことは絶対にあってはならない。
なんとかこの場を取り繕わねば――そう思うも、何と切り出していいかも分からない。
こうして途方に暮れていた時。
306
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:37:20
>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
祈のあまりにもいつも通りの声に、耳を疑った。
「……えっ」
>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
てっきり絶望に打ちひしがれていると思われた祈が、平然としている。
ノエルは、尾弐に蹴りを入れる際に祈のカラーリングが本気モードになっていたことを思い出した。
「祈ちゃん……あの姿ってもしかして……」
>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
「やっぱりそうか……!」
祈はノエルを災厄の魔物から解き放った頃にはまだ自分の能力を知らず、当然自分の意思で能力の制御も出来ない状態であった。
そして姦姦蛇螺を転生させ、御前から特別な力を持っていると知らされた当初は自分がそんな重大な力を持っていいのかと戸惑っているようだったが、
今ではすでに前向きに受け入れ、どこまで制御できるのかは不明だが発動しているのが自分で分かる状態にはなっているようだ。
ノエルはそんな祈を頼もしく思うと同時に、なんともいえない不安も覚えていた。
深雪を災厄の魔物から解き放った時と、姦姦蛇螺を無害な蛇に転生させた時には、共通点がある。
2回とも、片や猛吹雪に凍え、片や凄まじい瘴気にあたり、祈が命の危機に瀕していたということだ。
そして尾弐の攻撃により致命傷を負った今回もそうだ。
このことから、龍脈にアクセスする力が発動する条件は祈が命の危機に晒されることなのではないか――ノエルはそう推測した。
当たっているかに拘わらず、これと同じ推測に祈が至ってしまったら、進んで自らの身を危険に晒すようになる危険性がある。
そんなノエルの心配など知る由もなく、祈は尾弐にビー玉のような物体を渡す。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
祈に補足するように言葉を続ける。
仮に万が一、龍脈へのアクセスによる運命変転に失敗していたとしても祈は何一つ嘘はついていないのだ。
307
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:39:18
「祈ちゃん、覚えてる? “お化けは死なない”――本当は死なないんじゃなくて死んでも復活する、が正解だけど。
橘音くんも妖怪だから龍脈の力を使おうが使うまいがいつかは復活するんだよね」
そもそも妖怪にとっての妖怪の死は、永久の別れではない。だからこそ、ノエルはクリスを穏やかに見送ることが出来た。
そして、妖怪においては永久に復活しない”滅び”が感覚的には人間の死にあたるが、
妖怪が”滅び”に至るのは例えばイケメン騎士Rが持つ聖剣のような特殊な攻撃方法を使った時のみと思われる。
だから、橘音も放っておいても数百年も待てば復活する可能性が極めて高いのだ。
だけど今回はそれでは困る。半妖の祈はその時まで生きているか分からないし、尾弐に至っては人間になってしまった。
「でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」
つまるところ問題は祈の力によって橘音の復活がどれ位早まったか――それに尽きるのだった。
そしてもう一つ気にかかるのが、消滅したいという尾弐の願いを知った時のアスタロトの言葉。
>「なるほど……やっと分かった……!どうして、御前がボクとクロオさんを引き合わせたのか!僕たちにコンビを組ませたのか!」
>「“そういうこと”でしたか!アハハハハ、御前も本当に人が悪い!」
>「惹かれるわけだ……いや、ようやく腑に落ちましたよ!アハハハハハハハハッ!」
ノエルは心の奥底で災厄の魔物の宿命から解き放たれることをずっと望んでいた。
姦姦蛇螺だって、あの転生は願ってもないほど願っていたことだろう。だけど橘音はどうだろう。
橘音は”尾弐に幸せになって欲しい”と思っているのは確かだが、アスタロトのあの言葉を考えると、”自分が生きて幸せになりたい”と思っているとは言い切れない。
もしも祈の力の成就の成否が、対象の願いとの合致が条件となっていたら、それでは都合が悪い。
何にせよ祈は願いが叶ったかは自分では分からないようなので、尾弐が生きている間に復活してくるのを信じて座して待つわけにもいかない。
そこで、待っていられないなら迎えに行けばいいのではないか――という極めて単純且つ無理無茶無謀な考えが浮かんだのであった。
死んだ人間を現世に連れ戻すことは絶対に叶わないのが神話の時代からの理だが、
元々数百年経てば復活してくる妖怪ならば――早めに連れ戻すぐらい許されるかもしれない。
「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
飽くまでも興味本位のように、軽い口調で天邪鬼に尋ねてみる。
もしも天邪鬼がそれを知っていて教えて貰えたとして――その後どうするのだろう。
人間に戻ってしまった尾弐は戦力外だし、どことなく佇まいが変わったポチは、もはや同族以外のために自らの身を危険に晒すことはできないような気がする。
もしかしたら、自分と祈だけで迎えに行くことになるのかもしれない――
そんなことを考えつつ同時に、最初に勢いで奪ってしまった尾弐の心臓をどうしよう、等と心の片隅で思っているのであった。
もしかしたら尾弐が再び食べることで力を取り戻せるのではないか、と思わないでもないが
心臓を食べさせられて恨みのあまり鬼と化した尾弐に、その再現のようなことをしろとは少なくとも今はとても言えない。
このままいくと、当面は店の冷凍庫にしまわれることになるのだろう。
308
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:24:54
橘音を抱き寄せ、庇う尾弐の、防御の隙間。
そこから胸の奥へと刃を突き立てた、その瞬間――ポチは確かに見た。
尾弐の口元に、ばつの悪そうな――だが穏やかな笑みが、浮かんだのを。
そして――直後、尾弐の全身からどす黒い波動が溢れた。
苦悶と怨嗟の呻きを上げる影が。
>「好機!!」
天邪鬼が鬨を叫ぶと同時、ポチはその場を飛び退く。
>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
足音一つ立てぬまま、天邪鬼は跳躍――尾弐へと間合いを詰めた。
二人がすれ違う――その瞬間、抜く手も剣閃も見せぬ抜刀。
ただ微かな風切り音のみが響き――天邪鬼が着地、童子切を鞘へ収めた。
鍔鳴りの残響が凛と掻き消え――それに遅れて、酒呑童子の根源が断ち切られる。
>……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!
>「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」
>「消えるのは、貴様だ」
天邪鬼がどこからか金色の小箱を取り出し、蓋を開く。
瞬間、吹き荒れる烈風。
大気の栓を抜いたかのような乱気流は、酒呑童子を捕らえ――吸い寄せていく。
酒呑童子に出来るのは、ただ怨嗟の絶叫を上げる事のみだった。
やがて酒呑童子が箱の中に完全に吸い込まれ、蓋が閉ざされると、その声も聞こえなくなった。
>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
「よせやい、お前に素直に褒められると……気味が悪いよ」
ポチはこれまでの意趣返しを込めて、軽口を返した。
今更、天邪鬼に対する嫌悪感、敵愾心などない。
しかし同じく今更、手を取り合い、喜びを分かち合う関係にもなれまいと。
>「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」
「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
「……そう言えば、結局お前がなんなのか、僕未だに分かってないや。
まぁ……元々そんなに興味もなかったけどさ」
加えるなら尾弐があのような事態になっていた理由も、なんとなくしか分かっていない。
だがこのまま天邪鬼が去ってしまったとしても、それならそれでポチは良かった。
最終的にシロとは仲直り出来たし、尾弐も文字通りの意味で憑き物が落ちたようだ。
その結果が全てだ。多少の謎が残ろうと、気にならない。
>「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」
>「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」
だが――どうやら天邪鬼はその謎の答えを語るつもりでいるらしい。
「……って事は、お前、本当に酒呑童子だったのか。……ん、あれ、じゃあさっきのは?」
と言っても、それはポチの言葉を受けての事ではないだろう。
>「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」
「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
ポチは思った。
きっと天邪鬼は、こう言いたいのだろう――自分は決して不幸ではなかった、と。
恐らくは、尾弐の為に。
結局、話を聞き終えても分からない事は残ったままだが――そんな事は、些事だ。
少なくとも――天邪鬼から匂う親愛の情は、嗅いでいて不快なものではない。
>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」
しかし――不意にその匂いが薄れ、代わりに敵意が膨れ上がった。
309
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:25:48
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
鋭い眼光が虚空を睨む――そこで初めて、ポチはその「におい」を嗅ぎ取れた。
>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
天邪鬼の視線の先、何もないはずの空間がぐにゃりと歪む。
血色のマントが棚引くと同時、においが溢れ返る。
水よりもなお被毛に纏わりつくような、濃密な、邪悪のにおいが。
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
「……赤マント」
仇敵の名を呟くポチの語気は、静かだった。
戦意に欠けている、と言ってもいい。
だがそれは、已む無い事であった。
>「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」
「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」
>「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」
「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
赤マントの言葉は非常に不快だが――反論の余地なく、正しいのだから。
少なくともポチにこれ以上の継戦能力は残っていない。
橘音も、尾弐も、あれだけ大規模な妖術を使っていたノエルも恐らくは、同様だろう。
天邪鬼と祈も、万全の状態とは言い難い。
>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
天邪鬼の問いに、赤マントは楽しげに答える。
>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
そしてポチを見つめてそう言うと、けたけたと笑った。
対するポチは――苦しげに赤マントを睨み返す。
>「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」
ノエルの問いかけに、ポチは答えない。
ばつが悪いだとか、そんな理由ではない。
単純にそんな状況ではないからだ。
今、赤マントから意識を逸らす訳にはいかない。
「……あれは、僕と」
>「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」
だがそれでも、思い浮かんだのは安易な言い逃れだけ。
当然、赤マントに通じる訳はなく――逃げ道は即座に潰された。
>「……チッ」
天邪鬼は忌々しげに、赤マントへと小箱を投げ渡す。
ポチには、その様をただ歯噛みしながら見ている事しか出来なかった。
「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
受け取った小箱を満足げにしまい込むと――ふと、赤マントの視線が下を向いた。
力を使い果たし、未だ床に倒れ伏したままの、橘音へと。
>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
これから何が起ころうとしているのか、ポチには容易に予測出来た。
止めなければいけない。満身創痍の肉体に、鞭を打ってでも。
頭では、確かにそう考えている――だがポチは微動だにしない。
310
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:26:28
>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
傷だらけの体から力が振り絞れない。
愛する者の為に奮い立つという事が、どうしても出来ない。
>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
そして、
>「ッ……ぎ……」
誰一人として止める事が出来ないまま、橘音の全身を楔が貫く。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
黒雷が迸り、橘音の体が見る間に燃え上がる。
>「……ク……――――――――――」
一瞬だった。ほんの一瞬間の内に、橘音は燃え尽きて――死んだ。
>「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」
その様を目の当たりにし、赤マントの哄笑に晒され――それでもなお、ポチは動かない。
怒っている。悲しんでいる。それらの感情は確かにポチの中で生まれ、渦巻いている。
>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
だが――同時に心の何処かで、それらを軽んじている自分がいる。
皆がどうなってもシロだけは守らなくては。
「ああ」なったのがシロでなくて良かった。
そう、考えてしまう。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
そして赤マントは愉悦と、更なる邪悪な待望のにおいを残して、姿を消した。
>「あなた……」
背後から、シロの声が聞こえる。
不安げな声音と、におい。
橘音の死よりも、そちらの方がポチには気がかりだった。
そうであっていい訳がないのに――どうあっても心の底から悲しめない。
天邪鬼も尾弐も、ノエルも、ポチも、理由は違えど、何一つ言葉を発しない。
重い沈黙がこの場を支配する。
>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
そんな中で祈だけが――平然と、いつもと変わらぬ口調で、声を発した。
311
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:30:55
>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
祈の体からは、偽りのにおいはしない。
取り繕いの演技ではない。
本心から、このあっけらかんとした態度を取っているのだ。
>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
一体何故――ポチは呆然と祈を見つめる。
>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
疑問の答えは、すぐに示された。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
龍脈の力――あの御前ですら危険視する、運命変転の力。
それなら確かに、死者の蘇生すら引き起こせるかもしれない。
もっとも祈のにおいは、それが確実な事であるとは言っていなかった。
嘘ではない。だが不動の真実を語っていると言えるほど、自信に満ちたにおいでもない。
だがそれでも、ポチは気づけば安堵の溜息を零していた。
それから――まだ安堵出来た事に、もう一度安堵を覚えた。
>「でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」
>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
祈は、恐らくは立っていられないほどの重傷。
尾弐も満身創痍の状態から精神に酷い衝撃を受けた。
早急に治療を受けねばならないのは明白だ。
そしてそれは、ポチも同様だ。
今は『獣』の血肉で補われているが、その胸には致命の傷が穿たれている。
「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」
しかし――ポチはそう言って、シロの方を視線で差す。
「その……絶対負けないなんて言っておいて、なんだけど……結局、勝てなくってさ。
これから……色々と謝ったり、約束したり、しなきゃいけないんだ……あはは……」
そうして恥ずかしげな態度と声色をもって、ポチは皆を見送った。
312
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:34:15
「……おいで、シロ」
だが皆が立ち去った後で、ポチが紡いだその声は――打って変わって、静やかだった。
「大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか」
そしてシロが己のすぐ傍にまで歩み寄ると、ポチは右手を差し伸べた。
しかし手のひらは――上ではなく、下へ向けられている。
だがポチの眼差しと、においによって、シロはその意図を理解出来るだろう。
「それに僕は、王様だからね」
つまり――この手の下に傅き、頭を差し出せと、ポチはそう言っているのだ。
「誰が許さなくても、僕が君を許すよ」
ポチの右手がシロに触れる。
浮かぶ穏やかな微笑みには、橘音を失った悲しみなど寸毫も見えない。
当然だ。最愛が――美しく気高い。しかし、いじらしくもある――唯一無二の同胞が、己が手中にある。
ならば狼の王が悲しむ道理などない。
狼の王ならば、悲しんでいい訳がない。
「……君は何をしてもいい」
ポチが言葉を紡ぐ。
一言一句、確かめるように、ゆっくりと。
「そして君になら、何をされてもいいんだ」
『獣』の宿命に縛られた今の状態でも、それらの言葉は正しく紡ぐ事が出来た。
その事が分かると――ポチの左眼が、シロの涼やかな金眼を、じっと見つめた。
「覚えていて。ずっと、忘れないでね」
そう言うと――ポチは立ち上がった。
「……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……」
シロの傷を案じるその表情は――橘音が死んだ時よりもずっと、不安げだった。
313
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:35:51
>あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
>大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!
戦いが終わり、酔余酒重塔から元に戻った東京スカイツリーに、尾弐の慟哭が響き渡る。
尾弐の永年の苦悩を、苦痛を、重荷を下ろさせるため、天邪鬼は現世に降臨した。
だというのに、この結果はどうだ。重荷を下ろさせるどころか、新たな業を背負わせてしまった。
尾弐は自分を責めるだろう。橘音を救えなかったと、想いを伝えられなかったと。
その慟哭の烈しさが、尾弐の絶望の深さを何よりも雄弁に物語っている。
――なんということだ。
天邪鬼は困惑した。まさか、このような結末が起こり得るとは。
酔余酒重塔での戦いは、そのほぼすべてを予見することができた。天邪鬼の描いた絵図面の通りに推移したと言っていい。
しかし、最後の最後に予期せぬ事態が起こってしまった。それは、それまでの成功をすべてご破算にする失態だった。
尾弐はさらなる闇を転げ落ちてゆくだろう。それはもはや、天邪鬼の手をもってしても防ぐことができない。
ノエルと同じように、天邪鬼もまた懸命に次善の策を考え出そうとした。
皆が負った心の深手を、なんとかして最小限のものに押しとどめることはできないか――と懊悩した。
しかし。
>……あいつ、ほんとに行ったかな?
>帰ったなら、いいかな……よ……っと
今この場にいるメンバーがそれぞれ思い悩む中、祈だけはあっけらかんとしていた。
さしもの天邪鬼も、仲間の死を前にして祈があまりに平然としていることに対して違和感を覚える。
「なんだと?」
>あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?
祈は焦っていない。どころか、赤マントに対してしてやったり、といったような態度をしている。
祈にとっても橘音は特別な存在であったはずだ。事前に得ていた情報では、橘音の探偵助手をしていたという。
そんな相手が目の前でなすすべもなく殺されたというのに、何も感じないというのか?
天邪鬼は訝しんだが、しかしそうではなかった。
祈はあの絶望的な戦いのさなか、抜け目なくひとつの希望を植え付けていたのである。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな
「……は……」
「ははッ、はははは……はははははッ!小娘、貴様今なんと言った?クソ坊主と三尾の幸せを願っていたと?あの戦いの中で?」
「致命傷を負い、今にも自分の死が迫っていたあのときに?ははは……莫迦か!はははは――面白い!」
祈の為したことに気付き、天邪鬼は声を上げて笑った。
少女が献身的で自己犠牲的だということは知識として知っていたが、こうして眼前で見せつけられるとまるで衝撃が違う。
>だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ
龍脈の力とは、地球そのもののエネルギー。この惑星に生きるすべての生物たちの力の根源。
龍脈にアクセスできる者は、そのエネルギーに触れることで自らの『そうあれかし』を何百万倍にも増幅できるのだ。
その祈が願った。尾弐と橘音の幸福を、地球そのものに対して望んだのだ。
ならば、それは当然叶えられて然るべきだろう。天邪鬼としてもやりようはある。
>でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……
ノエルが思案げに呟く。
確かにそうだ。妖怪は死してもいつか復活できる。けれど、それは一朝一夕にとは行かない。
遠い遠い時間の果て、雨垂れがいつか石に穴を穿つような長い年月を経て、ようやく転生が叶うのだ。
人間に戻ってしまった尾弐に残された時間は少ない。百年にも満たない人間の寿命では、到底橘音の復活を見届けることは叶わない。
>――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?
ノエルが質問を投げかけてくる。天邪鬼は小さく息をついた。
314
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:37:43
「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」
そう言ってから、尾弐の持つビー玉大の宝珠を指差す。
「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
いくら妖怪でも、一度天国や地獄に行ってしまった者を連れ戻すことはできない。
けれど、まだ橘音の魂はそこにある。であるなら、助け出すことだってできるはず。
とはいえ、橘音が死んでいるのは間違いない。それをすぐに復活させることが難しいことも、また間違いのない事実だった。
不可能ではないが、極めて困難。それが天邪鬼の答えである。
天邪鬼は長い黒髪の頭をぽりぽり掻いた。
「やれやれ。これで私もクソ坊主のおもりから解放されるかと思ったが……もうひと働きせねばならんようだな」
いかにも面倒くさいといった様子であるが、それが本心でないということはもうブリーチャーズの面々にもわかるだろう。
尾弐がすべての恩讐を乗り越え、幸福になるところをこの目で見届けるまでは帰らない、と言外に言っている。
天邪鬼は尾弐の許へ歩いていくと、ク、と形のいい右の口角を薄く歪めて笑った。
「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」
むろん、それは当初意図しなかったことである。天邪鬼はこの戦いが終われば、速やかに退去する手はずだった。
それを破るということは、天邪鬼の契約主である御前――白面九尾との約定を反故にするということだ。
御前は自分の思い通りにならないことに対しては子供じみた不満を露にする。きっと激怒することだろう。
また、鬼神王温羅もメンツを潰されたままだ。おまけに刺客として送り込んだ獄門鬼まで奪われている。このままでは済むまい。
からくも鬼帝国の顕現は防いだものの、状況はまるで好転していない。むしろ悪くなっている。
それでも。
まだ希望はある。最悪の絶望には、まだ遠い。
東京ブリーチャーズの全員が力を合わせ、最善手を尽くすのなら――
きっと。どんな逆境であろうと突き破ることが出来るだろう。
「……いい仲間を持ったな」
天邪鬼は呟くように零すと、小さく笑った。
自分がいなくとも、もう尾弐はやっていけるだろう。後は、尾弐が幸福に至るまでの道筋をつけてやるだけだ。
それが図らずも千年もの間、彼を怒りと憎しみに縛り付けた自分にできる最大の償いと、天邪鬼は思っている。
彼の願いによって神となった自分の存在する意味とはそれだと、信じているから。
この、不器用な生き方しかできない男を心から慕っているから。愛しているから。
尾弐の幸福を、千年の昔より願い続けてきたから――。
「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」
もう一度東京ブリーチャーズのメンバーにねぎらいの声をかけると、天邪鬼は踵を返した。そしてエレベーターへ歩いていく。
アスタロトと茨木童子の力がなくなったことで、エレベーターも再度通電したらしい。
>だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと
東京スカイツリーでの、戦いの一夜は終わった。
皆が皆重篤なダメージを負い、一刻も早く病院に行かなければならない。
だが、そんな中でポチがひとつの提案をする。
ポチの傍らに佇んでいたシロは、その言葉にぴくりと肩を震わせた。
――わたしは罪を犯した。この方に幻滅されるのも仕方ない……。
自分のちっぽけな我儘が原因で、とんでもないことになってしまった。
彼は、ポチは自分を責めるだろう。見限られることさえあるかもしれない。
もし彼に愛想尽かしされたなら、そのときは――。
シロは絶望的な思いでうなだれた。
315
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:41:12
>……おいで、シロ
ポチとシロ、ふたり以外誰もいなくなった塔の中で、名前を呼ばれたシロは一度驚きに目を見開いた。
今、彼はなんと言ったのだろう?
シロ、と。シロと言ったのだろうか?シロちゃん、ではなくて?
単に『ちゃん』付けではなく、呼び捨てる。
一見なんでもないそのことに、シロは大きな衝撃を受けた。
今まで、ポチはシロに対してはとても遠慮をしている――ように、シロは感じていた。
それはオオカミとすねこすりの混ざりものである自分が、純血のニホンオオカミと接する際の引け目のようなものだったのか。
彼はずっとシロをちゃん付けで呼んでいた。それが、何か二人を隔てる垣根のように感じられていたのは確かだ。
しかし、彼は今それを取り去った。
ポチが悠然と歩み寄ってくる。人間に変化したふたりの身長には、かなりの差がある。
シロの方がポチよりもはるかに背が高い。が、その力関係は明らかだった。
>大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか
「……でも」
ポチの穏やかな声を聞いて、シロは戸惑いがちに目を伏せた。
自分のせいで橘音が死んだのは確かだ。厳然と存在する現実は、どんな言葉であっても取り繕うことはできない。
けれど。
>それに僕は、王様だからね
ポチはシロを見上げ、右手を差し出す。
ただし、それは手の甲を上にしたもの。それが意味するところは、ただひとつ。
『自分に拝跪しろ』と言っている――。
「ぁ……」
じわ、とシロの両目に涙が浮かぶ。許容量を超えたそれはすぐに頬へと溢れ、顎を伝って落ちる。
ずっと、こうされることを望んでいた。
憧憬の対象でなく。大切にされるべき飾り物でなく。
狼の王たる彼の所有物に。支配されるものに、自分はなりたかったのだ。
シロはすぐに跪き、深々と頭を垂れた。それは王に対する服従の礼だった。
>誰が許さなくても、僕が君を許すよ
ポチが告げる。その微笑は、寛大な心は、まさしく王の資質を顕すもの。
銀の髪に触れる、彼の手が優しい。シロは小さく吐息した。
それは、自分の犯した罪が赦されたことへの安堵でなく。彼に見限られずに済んだという安心でもなく。
これで自分は、本当の意味で彼の妻になれたのだ――という幸福の吐息だった。
>……君は何をしてもいい
>そして君になら、何をされてもいいんだ
>覚えていて。ずっと、忘れないでね
「……決して忘れません。わたしの身体、わたしの心。わたしの想いのすべて……あなたに捧げます、狼の王」
顔を上げ、金色の瞳で彼を見つめて微笑む。
>……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……
ポチが帰還を促す。身体のことを気遣われて、初めて自分が満身創痍であったことに気付く。
シロは一度かぶりを振った。
「大丈夫です。痛くないと言えば嘘になりますが……でも、今は痛みよりもずっとずっと、幸福の方が大きいですから」
そう言って、豊かな胸に右手を添える。
「あなたの想いが、わたしの胸を温かく満たしているのを感じます。ああ、これが愛なのですね」
そっと手を伸ばすと、シロはポチの手を握った。指を絡め、離れないようしっかり繋ぐ。
「帰りましょう、わたしたちのいるべき場所へ。ずっと……離さないで下さいね」
嬉しそうにシロは笑った。屈託のない、童女のような笑顔だった。
316
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:46:06
「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」
東京スカイツリーでの戦いから、一週間が経過した。
酒呑童子との戦いでひどく疲弊した東京ブリーチャーズは、すぐさま河原病院に入院する羽目になった。
外傷そのものは河童の膏薬と迷い家の温泉の湯によってすぐに全快したが、精神の疲労は薬では治らない。
特に人間に戻った尾弐の消耗は筆舌に尽くしがたく、再集結までにこれほどの時間がかかってしまった。
全員が退院してSnowWhiteに帰還し、ミーティングを開始すると、さっそく颯が天邪鬼に食ってかかった。
物凄い剣幕だ。天邪鬼の胸元をひっ掴み、がくがくと揺さぶる。
「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」
「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」
「お、落ち着け莫迦者!」
「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
いつもクールな天邪鬼がタジタジになっている。それだけ、颯にとっても橘音は大切な存在だったということなのだろう。
尾弐、橘音、颯――そして晴陽の四人は一時期チームとして命を預け合っていた。
その繋がりは現在の東京ブリーチャーズと何ら変わることはない。
「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
やっとのことで颯から解放されると、天邪鬼は噎せながら答えた。
スカイツリーでの戦いが終わったら京都に帰るはずだった天邪鬼は、橘音死亡という不測の事態により未だ東京に留まっている。
御前には一応許可を得たらしいが、御前はきっとまた無茶な要求をつきつけてきたのだろう。
尤も、天邪鬼はブリーチャーズにそれを追及されても決して答えない。
此度のことは私にも責任の一端がある、余計なことを考えるな、の一点張りだった。
なお、今は以前の戦いのような袴姿ではなく、トライバル柄の黒いTシャツにオリーブ色のカーゴパンツという出で立ちである。
極めて当世風の出で立ちだったが、仕込杖は相変わらず携帯している。
そんな天邪鬼に対して、東京ブリーチャーズがどうすれば宝珠の中に入れるのか?と問うと、天邪鬼は軽く肩を竦め、
「知らん」
と、回答を投げてしまった。
「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
颯にがくがく揺さぶられながら、天邪鬼は悲鳴をあげた。
その知名度に反比例して、反魂術というものは謎に包まれている。
錬金術の極致・賢者の石(ラピス・フィロソフォルム)と同様、名前は有名だが内容は不明――というのが大半である。
宝珠の中に入れば橘音を蘇らせられる、という作戦はわかっても、その手段がわからないでは意味がない。
いくら京に神社を構える高神といえど、反魂の法については知識がまるでない。
日本妖怪の総大将と呼ばれる富嶽にしても、きっと知らないと答えるだろう。それほど反魂の法とは門外不出の秘儀なのだ。
そもそも、反魂の法とは妖怪の技術ではなく人間の技術である。いずれ復活するさだめの妖怪には不必要なものだ。
例外的に御前ならきっと知っているに違いないが、言うまでもなく御前は交渉ごとに関しては高い対価を求める。
それが例え御前自身の手駒ふたつを救うという理由であったとしても、その大原則は変わらない。
「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
ソファに座ったシロが口を開く。
ポチと和解したシロは、現在のところ主のいなくなった那須野探偵事務所に仮寓を定めている。
主人が帰るまで、事務所の中を綺麗に保っておくのがシロの役目だ。
いくらポチに赦されたといっても、やはり拭い難い負い目がある。事務所の留守番を買って出たのはその罪滅ぼしの意味もあった。
シロもまたチャイナドレスからスタンドカラーの白いブラウスにグレーのタイトスカートという服装に着替えている。
が、それは些末な問題である。皆で相談している最中、シロはずっと隣にポチを座らせ、その身体をぎゅっと抱きしめていた。
ポチが居心地悪そうな様子を見せても、シロはまったく斟酌しない。どころか、時折ポチの髪や頬に口付けしたりする。
「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」
そんなことを言って、シロは楽しそうに笑う。今までの反動のようなベタベタっぷりだ。
317
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:50:29
人間の修めた法だとて、そう簡単に知っている人間がいるはずがない。
しかし。
ポチには心当たりがあるだろう。
その声を、その佇まいを、その眼差しを、ポチは確かに記憶している。
遠い過去に死んだ愛する男を現世へと蘇らせるため、外法に身を落としてまで反魂の法を学んだ女のことを。
その女の名は――
陰陽寮巫女頭、芦屋易子。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」
陰陽寮、安倍晴朧の本宅。その一角にある社殿で、祭壇を背に端坐した巫女装束姿の易子が返す。
東京ブリーチャーズが陰陽寮を訪れると、易子はすぐに事態を察したようだった。
「確かにわたくしはかつて反魂の法を学び、それを実践いたしました。わたくしの場合は、果たせず終わりましたが――」
「しかし、皆さまの仰る三尾はまだ完全には死していない様子。であるなら、わたくしの場合より遥かに難易度は下がる」
「ひょっとしたら、皆さまの望むとおりに三尾を復活させることができるかもしれませぬ。……理論上は」
「ただ――おやめになった方がよろしいかと」
そこまで言うと、易子は僅かに表情を曇らせた。
「いいえ、誤解なきよう――手伝いたくない、と申しているわけではございませぬ」
「以前の償いもございます、わたくしの力で宜しければ、幾らでもご希望に沿いましょう。けれど……」
「反魂の法は危険すぎる。『理論上可能』と申し上げたのは、その危険度ゆえのこと。どうぞお考え直しを」
芦屋易子は安倍晴陽を蘇らせたい一心で古今東西の秘術を渉猟した、反魂術のエキスパートである。
少なくとも当世の日本国内において、易子以上の反魂術の使い手はいないだろう。
その易子が、東京ブリーチャーズの置かれた状況を鑑みた上でやめろ、と言っている。
「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」
橘音の魂と触れ合い、現世に帰還するためには、祈たちも魂魄のみの存在にならなければならない。
肉体のある通常時と違い、魂だけの状態は非常に不安定である。肉体という強固な外殻を失った状態の魂は甚だ脆い。
そこでもし強い精神的ショックなどを受けようものなら、たちまち崩壊してしまうかも――易子はその危険を指摘している。
肉体を置き去りにして宝珠の中に入り、橘音を連れ戻す。
それは今までの祈たちの、妖怪としての肉体の頑健さに少なからず依存してきた戦いとはまったく別のミッションとなるだろう。
「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」
端正な面貌で、易子はまっすぐに祈を見た。
「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」
決然とした口調だった。それが易子の第一の理由なのだろう。
祈は自分が心から愛した男の忘れ形見。祈にもしものことがあれば、晴陽がこの世に残したものが何もなくなってしまう。
かつて天魔オセ達が晴朧に呪詛を施していたときも、易子は祈に対して恨み言のひとつも言うことはなかった。
正真、易子の中には晴陽への真摯な愛情しかないのであろう。
だからこそ、東京ブリーチャーズの要請を拒絶した。
易子の協力がなければ、橘音救出作戦は頓挫してしまう。文字通りの八方塞がりだ。
だが――
「手伝うてやれ、巫女頭」
不意に、社殿の廊下から野太い声が聞こえた。
318
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:56:54
廊下の角を折れて大柄な姿を現したのは、精悍な顔をした白髭の老人――祈の父方の祖父、陰陽頭安倍晴朧。
その足取りはしっかりしている。天魔オセたちとの戦いからしばしの時間を経て、完全に回復したらしい。
易子が恭しく頭を下げて上座を譲ると、袴姿の晴朧が代わりに座ってブリーチャーズの面々と対峙する。
「暫くよな、祈。元気そうで何よりだ……此度の来訪が、儂の顔を見に来たということでないのはちと残念だが」
はは、と晴朧は顔の下半分を覆う髭を揺らして笑う。温かな声だった。
「陰陽頭さま――」
「そなたの言いたいことは分かる。だが、此度は状況が違う。帝都鎮護にはいかなる不備遺漏もあってはならぬ」
「三尾がおらねば、帝都の守りは画竜点睛を欠く。この者たちがそう申すのであれば、帝都の防人たる我らも手を尽くさねば」
「……は……」
「この祈は晴陽の子ぞ。晴陽は昔から、一旦こうと決めたことは周りに幾ら反対されようと成し遂げる性格であった」
「むしろ、反対されればされるほど我を通す困った奴であったわ。それは許嫁であったそなたも知っておろう?」
「それは……」
「この子には晴陽の血が流れておる。ならば、突拍子ないことを企まれる前にこちらから手を貸した方が安全とは思わぬか?」
晴朧は穏やかに笑った。
そんな陰陽頭の言葉に、易子もまた表情を柔和なものにする。
「……そうでございました。本当に困った御方……であるなら、祈さまをお止めするのは逆効果でございましたね」
かつての想い人を偲びながら、易子は微笑んだ。晴朧も満足げに頷く。
「うむ。それにな、儂は信じておる……祈なら、この者たちならば、必ずや大業を成し遂げてくれるであろう」
「我らを天魔から救い、姦姦蛇螺を倒し。つい先頃も酒呑童子の復活を食い止めた、東京ブリーチャーズならばな」
「……はい」
「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」
「承りましてございます」
易子は深々と頭を下げた。
晴朧は荘重に頷くと、東京ブリーチャーズの面々を見回した。
「皆、あのときより更に頼もしい顔になっておる。幾多の艱難辛苦を乗り越え、すっかり古強者といった佇まいよな」
「これまでのあらましは聞かせてもらった。……皆、よう東京を守ってくれた。陰陽寮陰陽頭として礼を言う」
「……しかし、決して気を抜いてはならぬ。そなたらの戦っておる天魔とは、生半可な者たちではない」
「奴らは古く紀元前の昔より、負の『そうあれかし』を使って世の理を捻じ曲げてきた。無辜の民を破滅させてきた者たちだ」
「負の『そうあれかし』がどれだけ危険なものかは、各々身をもって知ったであろう」
「しかしだ……負の『そうあれかし』とは、何も特別なものではない。喜びや優しさと同じく、人の自然な心から生まれるもの」
祈をまっすぐに見詰め、晴朧はさらに言葉を紡ぐ。
「祈よ。そなたが龍脈の神子であるならば、心せよ。その力はひとりの人間が扱うには強力すぎるもの――」
「決して便利な道具などではない。そなたの心の在りようひとつで、すべてを滅ぼす劇毒ともなる……それを忘れるな」
そして、それこそが天魔の狙い。祈に釘を刺すと、晴朧はゆっくり立ち上がった。
「天魔は極めて強い肉体と魔力を持ち、その数も多い。また、智慧も回る。まこと脅威と言わざるを得ん」
「だがな。天魔は愛を知らぬ。大切な者を慈しみ、守り、支え合うことを知らぬ。――そして、そこに致命的な欠陥がある」
「そなたたちならば、必ずや天魔の首魁との戦いに打ち勝つことができよう。……信じておるぞ」
「反魂の儀の最中、防備については任せよ。陰陽寮でも選りすぐりの術者に結界を編ませよう、易々と邪魔は入らせぬ」
頼もしい声音で、晴朧が請け負う。
橘音復活のための反魂の行。それはここ陰陽寮で執り行うことになった。
芦屋易子が首座を務め、儀式を主導する。儀式の最中は陰陽寮でもトップクラスの術者たちが結界を構築する。
その中で東京ブリーチャーズが肉体から霊魂を剥離させ、魂だけになって橘音の魂を封じた宝珠の中に入る。
「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」
「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
天邪鬼とシロが口々に言う。
橘音救出作戦の決行は明晩である。
319
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 01:02:01
「寝付かれんのか、クソ坊主」
真夜中。尾弐が布団しかない陰陽寮の客間から暇を持て余すなり寝付けないなりして出ると、不意に背後から声をかけられた。
声の主は決まっている。現代風の衣服を身に纏った黒髪の美少年、天邪鬼。
かつて尾弐と師弟の関係であり、かけがえのない友人関係であった者。
千年にわたる因縁と妄執の相手――外道丸。
しかし、その呪縛は既になく、ふたりは宿命から解き放たれた。
そんなかつてのパートナーを見遣りながら、天邪鬼が口を開く。
「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」
クク、とからかうように笑う。
天邪鬼は廊下を通り、尾弐の目の前で素足のままよく丹精された庭へと降りた。
「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」
例え橘音が欠けようとも、まだ尾弐には祈が、ノエルが、ポチがいる。颯にシロ、富嶽や笑たちも仲間と言えるだろう。
いつ全滅してもおかしくない、そんな熾烈な戦いの中、彼らがまだ存命なだけでも望外な幸運であることは間違いない。
最善ではない。だが次善ではある。それで手を打つことはできないか、と言っている。
しかし、天邪鬼はそれをすぐに自ら否定した。
「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」
僅かに目を細めると、天邪鬼は笑った。
千年前、そんな彼の性格ゆえに果てのない業を背負わせてしまった当人であるがゆえ。
「クソ坊主、改めて言うが貴様は人間に戻った。今の貴様には悪鬼の膂力も頑健さもない。危険に晒されればたちまち死ぬだろう」
「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」
切れ長の怜悧な眼差しで、天邪鬼が尾弐を見詰める。
「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」
冷徹な一言だった。だが、尾弐を侮っているとか、愚弄しているといった響きはない。
天邪鬼はあくまで客観的に事実だけを告げている。その頭脳が、人間になった尾弐ではこの作戦は遂行できないと判断している。
一方的に不可能と言い放つと、天邪鬼は束の間黙った。ふたりの間に沈黙が帳を下ろす。
どれほど無言でいただろうか、ややあって天邪鬼は何かを決意したように小さく息を吸い込むと、
「……力が欲しいか?」
そう、小さいがはっきりとした声で言った。
「酒呑童子の力はあの天魔めが持ち去った。もはや取り戻すことは叶うまい」
「だが、貴様がふたたび鬼神の力を手に入れる方法がひとつだけある」
人間に戻った尾弐が、もう一度悪鬼として強大な力を得る方法が存在する。
しかし、そう口に出しはしたものの、天邪鬼の表情には翳りが見える。
ほんの僅かに逡巡するそぶりを見せると、天邪鬼は一度咳払いをした。
「それはな。貴様自身の怒りによって鬼神へと変貌するということだ」
あまりに激しく根深い怒りや恨みによって、人は鬼と化す。
流刑にされた恨みの念で大怨霊と化した菅原道真や崇徳天皇。安珍への愛が反転した憎しみによって蛇体になった清姫。
伝説に有名な彼らは、自分自身の情念を持て余して鬼となった。
尾弐もその伝承に倣い、自らの激情によって鬼神の力を再度得られる、ということらしい。
320
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 01:15:09
「三尾を殺した天魔への憎悪。殺害を阻止できなかった貴様自身への憤怒。愛する者を失った哀惜――」
「どれでもよいし、そのすべてでも構わん。それらを燃やし、奮え立たせ、人外の化生へと転生する」
「そうすれば、貴様はかつての力を取り戻せよう。それでなくとも、貴様はかつてその身に鬼を宿していたのだ」
「何もない人間が一から鬼になるよりも、遥かに容易いことだと……私は思う」
「そうすれば……貴様でも三尾を救出できる。宝珠の中より奴を連れ帰ることもできる……はずだ」
尾弐の肉体はほんの少し前まで、酒呑童子の力の殻を務めていた。
人間に戻っても、その過去はなくならない。尾弐の肉体は常人の肉体よりもずっと『そうあれかし』に反応しやすい。
もし、尾弐が心から願うのなら。自らの憤怒を、憎悪を、悲哀を体内で増幅し、その許容量が人知を超えたなら。
きっと人間から悪鬼に立ち戻れるはずだ、と天邪鬼は指摘した。
仮に尾弐自身の力ではその限界を突破できなかったとしても、龍脈の神子たる祈が願えば、あるいは――。
だが。
「しかしクソ坊主、よく考えろ。自らの情念によって鬼と化す、それがどういう意味を持つのかを」
天邪鬼は右手の人差し指で尾弐をさした。
「貴様が人間に戻れたのは、貴様を鬼たらしめていたものが貴様自身のものではない、借り物であったからだ」
「通常、人間が一度鬼に変生してしまえば元には戻れん。貴様の場合は、例外中の例外であったのだ」
「しかし、再び鬼になれば次はない。貴様は永劫鬼のままだ、二度と人間には戻れん」
そう。
尾弐が悪鬼の力を揮えていたのは、酒呑童子という『他人』の力を借りていたがゆえ。
尾弐が自らの意思で、憤怒で、憎悪で鬼と化せば、もはやそれは不可逆な変容となるであろう。
「貴様が人間に戻れたのは奇跡だ。本来ならば起こり得ない、望外の幸運というものなのだ」
「今ならまだ、人としての生を取り戻すことができる。人として生き、人として死ねる。貴様本来の輪廻に立ち返れる」
「だが、ふたたび鬼と化すのなら――」
二択だ。千年の時を経て取り戻した、自分本来の命。それを大切にして、人間としての幸せを見つけるか。
それとも、せっかく掴んだ人としての生を擲ち、もう一度鬼としての道を歩むか――。
「私は強制せん。どちらを選ぶのも、貴様の自由だ……といって、もう肚は決まっているのだろうが」
「それでも、だ。一瞬でも考えてみろ。後々になって後悔せんようにな」
そう言うと、天邪鬼は庭から廊下に戻ってきた。尾弐まで歩み寄ると、その巨躯を見上げる。
にい、と天邪鬼は笑った。からかうような、生意気そうな。けれども悪意のない、親昵な笑みだった。
「貴様もよくよく背負い込むのが好きな男だな。陶器の腰の分際で」
「こんなクソ坊主に惚れるなど、三尾も相当な変わり者よ。……ま、蓼食う虫も何とやら、か。ははッ」
尾弐の腹筋を軽く拳で叩くと、天邪鬼はくるりと踵を返した。そして、廊下を自分の客室へ向けて歩き出す。
「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」
彼を誰よりもよく知るがゆえの、それは嘘偽りのない好意が含まれた言葉である。
ひら、と右手を振ると、天邪鬼は去っていった。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
そして、時間は流れ。すぐに儀式の夜が訪れる。
かつて晴朧の快癒を願って陰陽師たちが一堂に会していた大祈祷堂で、反魂の術式が行われる。
「こちらに横になってください」
易子が祭壇の前に敷かれた布団を示す。全員が仰臥するのを確認して、儀式を開始するということなのだろう。
天邪鬼とシロが結界の外で祈たちを見守る。
そして。
「高天原に神留座す 神魯伎神魯美の詔以て――」
東京ブリーチャーズの準備が整うと、玉串を持った易子がゆっくりと祝詞を諳んじ始めた。
321
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:19:20
呼吸が上手く出来ない。
意識は虫に喰われている様に明滅し、全身の体温が下降する。
だというのに、心臓は痛い程に激しく動き続ける。
(――――)
尾弐黒雄は知っている。己が体を支配するこの感情の名前を知っている。
悲しみよりも濁り、怒りよりも昏く、憎しみよりも冷たい。
1000年前に外道丸という少年を助けられなかった時にも抱いた、その感情の名は
『 』
血液交じりの涙を流しながら、尾弐は妖狐の死に慟哭する。
取り返しが付かない現実に、動かぬ体を震わせる。
何と愚かな事だろう。
いつだって、尾弐黒雄の願いは叶わないというのに。
大切に思うもの程、その手をすり抜けていくというのに。
それを忘れて希望など抱くからこの様な目に合うのだ。
彼の人生に奇跡など無い。希望などない。幸福など在り得ない。
だからこそ、そう知っているからこそ、1000年を費やし死を望んだというのに。
……それを忘れて、未来に光を望むからこの様な目に合うのだ。
那須野橘音の死を受けた尾弐は、きっともう立ち上がれない。
一度の絶望は堪える事が出来た。だが、弐度の絶望を耐え切る程に、尾弐は強くなかった。
その心は、腐った気が倒れる様に軋みを見せ―――――
>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
けれど、取り返しのつかない所へ堕ちる寸前であった尾弐の精神を、一つの言葉が拾い上げた。
少女の……尾弐と那須野がその成長を見守ってきた少女の、いつも通りの声。
何でもないように語られたその言葉が――――確かに、尾弐黒雄の心に届いた。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
>運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
>だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
1000年前は、尾弐は独りだった。
独りきりで与えられた絶望に堪え、諦観と憎悪によって命を繋いだ。だが
>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
今、この時。この場所には、彼等が居た。
絶望の闇に染まり、差し伸べられた手をも払い、あまつさえその手に拳を向けた愚かな尾弐に対して、それでも変わらぬ笑顔を向けてくれる仲間達。
『東京ブリーチャーズ』
東京に巣食う闇を、漂白する者達。
ああ、そうだ。尾弐黒雄に奇跡は起こせない。だが――――彼等なら、彼等と一緒であれば。
>「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」
「……そいつぁ、僥倖だ。坊主がいりゃあ、泥船でも海を渡れるだろう……よ」
理由など無い。根拠などない。
けれど、絶望の中にある尾弐は、天邪鬼に掛けられた言葉に、無理に軽口を返しながら、意識を失ったのであった。
322
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:19:38
―――――――――
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
スカイツリーでの一件から一週間の時が経ち、現在SnowWhiteの一室は騒がしさに包まれていた。
騒乱の発生源は、祈の母である颯にシェイカーの如く揺さぶられ、柄にもなく慌てた声を出す天邪鬼。
尾弐は、そんな天邪鬼に対し投げやりな、けれど、どこかからかう様な言葉を返す。
……一週間。長いようで、短い時間だった。
事件の直後に病院に搬送された尾弐であるが、人間と化したその身体はボロボロで、生きていた事に河童の医者が驚く程の状態であった。
秘薬と霊的治療を併用してなんとか回復はしたものの、今も喪服の下は包帯で覆われており、さながら木乃伊男の様相を呈している。
本来であれば、未だ入院しているべき状態であるのだが、それでも無理を言って退院してきたのは、今日の会議が尾弐にとってそれほどまでに重要なものであったからだ。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
三尾――――那須野橘音の救済。
赤マントにより滅された彼の狐面探偵を取り戻す事は、今の尾弐にとって悲願である。
アタッシュケース……万一に備え、尾弐の知り得る限りの霊的な結界を幾重にも張り巡らせたその鞄の中に入れられている宝珠。
那須野が滅された直後に天邪鬼が作り出したそれは、那須野を取り戻す為の唯一の手がかりであり、この会議ではそれを用いた救済手段を語らう――――筈だったのだが。
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
どうにも、しまらない。
それもその筈……尾弐黒雄も含め、この場に居る者達は妖怪、半妖、元妖怪。反魂の法を修めた者など誰一人として居ないのである。
手段を知る者がいなければ、答えに辿り着ける訳も無し。
ともすれば、単なる井戸端会議で終わってしまいかねない状態であったのだが――――その状況を、シロの一言が打ち破った。
>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
尾弐の脳裏に、一人の女の名前が浮かぶ。
それは、先日東京ブリーチャーズが関わったばかりの……多甫祈に深く関わっていた事件の重要人物。
(女の古傷を突く様な真似はしたくはねぇんだが……菓子折りで許してくれるかねぇ)
芦屋易子。陰陽寮に所属する巫女にして、祈の父の反魂を試みた者。
シロと仲睦まじく戯れるポチの姿を眺め見つつ、尾弐は頬を引き攣らせるのであった。
――――――――――
323
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:20:11
そして日は更に過ぎ。
芦屋易子と、安倍晴朧との再会を経て、那須野を救うための手立てと……その危険性が判明した日の夜。
「……」
陰陽寮の客間で、尾弐は窓の外に輝く三日月を眺め見ていた。
その手に何時もの様な酒は無く、その代わりとばかりに拳大の結晶の様な物が握られている。
透明に輝くそれは――――ノエルにより氷漬けにされ、妖気が抜け果て結晶と化した酒呑童子の心臓の成れの果て。
凍てついているというのに僅かな冷気も放たない心臓を、尾弐は視線も水に手で弄ぶ。
その表情に笑みは無く……あるのは、眉間に皺を寄せた、思いつめたような表情のみ。
そんな風流の欠片も無い月見の最中……ふと、何かが月光を遮り影を作った。
尾弐がその何かに視線を向けて見れば
>「寝付かれんのか、クソ坊主」
「人間に戻った瞬間、河童の医者に禁酒させられててな。寝酒も飲めやしねぇ……つか、お前さん早く寝ないと背が伸びねぇぞ」
そこに居たのは、天邪鬼――――否。尾弐がかつて共に時を過ごした子供、外道丸であった。
外道丸はいつかと変わらない、美麗な顔で、何時かと変わらない不遜な物言いをしつつ尾弐の傍に立つ。
尾弐は、そんな物言いに気分を害した様子もなく、いつかと同じように気だるげに言葉を返し……そこで、神格を得た外道丸の身長が伸びる筈も無い事を思い出し苦笑する。
>「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
>「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」
「……ああ。俺なんぞにゃ勿体ねぇ、気の良い奴らだよ。どれだけ感謝してもしきれねぇ」
そんな尾弐の様子が面白かったのか、或いは素直に感謝を述べている尾弐が物珍しかったのか。
外道丸はからかうように笑うと、裸足のまま、まるで舞う様に月下の庭へと下りて見せる。
――――本来であれば、今此処で1000年前の罪を謝罪し、或いは救えなかった事を懺悔でもするべきなのだろう。
だが、尾弐はそれをしなかった。それは自己満足で、外道丸に余計な重荷を背負わせるだけだと思っているからだ。
だから、1000年の思いは全て胸の奥に仕舞い、此処に在る1000年を経ても変わらぬ友との語らいを噛みしめる。
二人の間には暫くの沈黙が流れ……やがて、尾弐に背を向けたまま外道丸が口を開く
>「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
>「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」
それはきっと、尾弐の幸福を願い投げかれられた言葉。
今の尾弐はかつてのように絶望の底にはなく、尾弐の傍には仲間がおり……那須野橘音を失っても、それでも生きていけると。
人として当たり前に生き、当たり前に死ぬ事が出来る筈だと言う、尾弐の為だけを想って掛けられた言葉であろう。
外道丸は神童と呼ぶべき天才だ。彼の言葉に従えば、尾弐黒雄は人として幸福な死を迎えられるのは間違えない。けれど
「……心配ばかり掛けちまって、すまねぇな」
尾弐は、自身の首裏を右手で抑えつつ、申し訳なさそうにそう返事を返す。
首肯する事を願いつつ、けれどその返事を予期していたのだろう外道丸は、尾弐の返事を受け僅かに目を細めつつ笑みを浮かべる。
>「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
>「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」
……こと此処に到って、尾弐黒雄に那須野橘音を諦めるという選択肢は存在していない。
蜘蛛の糸を辿るカンダタの如く、破滅と隣り合わせの道であると知りつつも、その先に彼の探偵を取り戻す可能性が在るのであれば。
尾弐はあらゆる手段を容認し、決して諦めるという事をしないだろう。
そして、だからこそ。そんな尾弐に対し外道丸は投げかける。
324
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:23:01
>「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
>「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
>「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」
>「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
>「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」
今のままの只人に過ぎぬ尾弐の身では、どれだけの策を弄しても、どれだけの術を用いても、那須野橘音を救い出す事は出来ないと。
厳然たる事実を、ただそのその眼前に付きつける。そして、問いかけるのだ
>「……力が欲しいか?」
尾弐が……得られるであろう人としての生を、その果ての平穏な死を。
これから得られるであろう真っ当な幸福を全て捨て、それででも尚、那須野橘音を救うための力が欲しいかを。
その言葉を聞いた尾弐は、思う
(嗚呼、本当に俺は――――恵まれてる)
こんなにも自身を気遣ってくれる者達が傍に居てくれる。
こんなにも、自身の幸福を願ってくれる者が居る。
だからこそ。そんな者達の気持ちを知って尚、惚れた女の為に手前勝手をやる自分は――――きっと、地獄に堕ちるに相応しい。
>「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」
「外道丸、ありがとな……今日はちと寒い。お前さんは寝相が悪ぃから、風邪ひかねぇ様にしっかり布団被って寝ろよ」
去りゆく外道丸を月光が照らし、尾弐黒雄は建物が生む影に覆われている。
それは別たれた二つの世界を現すようで……それでも、尾弐は月光に去りゆくその背中に言葉をかけた。万感の思いを乗せ、遠い何時かのように。
そして、その背を見送った尾弐黒雄は、氷漬けになった酒呑童子の心臓を宙へと放ると……その拳で割り砕いた。
その夜、一匹の悪鬼が世界に生まれた。
自身を、天魔を、世界を、運命を
万象を恨み憎む昏き心により、そうあれかしの名の下に只人が成り果てた鬼
褐色の肌に禍々しい五本角。
されど、背には月光を映したかの如く美しい三日月の紋様が刻まれている、その悪鬼の名は――――
――――――
かくして尾弐は再度、一歩を踏み出す。
己が最愛を取り戻すべく、反魂の儀に臨むのであった
325
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:13:49
>「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
>「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
「本当!?」
天邪鬼の答えに、思わず身を乗り出すノエル。
失敗したと思われた蘇生の術だったが、全くの失敗ではなかったようだ。
>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
「よっしゃあ! みんな、橘音くん生き返るんだって!」
この時点では“努力次第”の程度がどの程度かも知らずに呑気にガッツポーズをするのであった。
妖怪の肉体なんて元々ふわっとしたもんだし魂があるならいけるんじゃね?的なノリである。
>「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
>「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」
>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
>「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」
「分かった。だけどほどほどにね。二人とも傷だらけなんだから。
あと……シロちゃんは元気になったらモフモフの刑ね! 天邪鬼さんはクロちゃんをお願い」
意識を失ってしまった尾弐を天邪鬼に頼み、自分は重傷の祈を連れていくこととする。
体の大きさで言うとどう考えても逆なのだが天邪鬼の方が膂力が格段に上なのだから仕方がない。
(ノエル自身もこう見えて戦闘不能状態なのだが生命力と妖力の区分が曖昧で
ダメージが絵的に分かりやすい外傷として残らないので歩いたりする分には割と普通に動けるのだった)
そして、思い出したように、存在を忘れられて隅の方で突っ立っていたあずきの方を振り向き――
「あ、あずきちゃんはお疲れ様。もう帰っていいよ。お代は今度払うね!」
「扱い雑過ぎィ! てかいきなり召喚されたのに帰りは自力!?」
――小豆目当てで召喚された補欠メンバーの扱いなんてこんなもんであった。
326
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:16:15
その後全員入院となったが、ノエルは人間になった尾弐や半妖の祈よりは当然治りが早く、早々に退院となった。
皆が退院してくるまでの間、獄門鬼戦の経験を踏まえ、現代における最新の”かくあれかし”を勉強しようと思い至ったノエルは図書館に向かう。
まずは真面目な熱力学の本に手を出したものの意味が分からな過ぎて3ページも読めずに寝るという偉業?を成し遂げ、
次にエセ科学のようなトンデモ本を経て、結局行き着いた先は氷雪使いが出て来る漫画やラノベであった。
傍からみると遊んでいるようにしか見えないが、本人からすると実際の科学だろうが
トンデモ疑似科学だろうが、フィクションだろうが全部”かくあれかし”なのであまり区別はついていない。
その中で改めて気付いたことがある。”――現代の雪女って意外と強くね?”ということだ。
古典においてはネームド雪女も無く、ヨボヨボの爺さん一人を殺すか殺さないか程度というショボい能力設定、
”口外したら殺す”の禁を破った夫も結局殺さないという甘ちゃん仕様のため、古典妖怪の中ではヘタレというイメージが浸透しきっている。
しかし閉鎖社会が長くここ数百年戦いどころか妖怪の政治の表舞台にも出ていないし、
当然戦いのための部隊のようなものも結成されていないため、今でも雑魚のままかは分からないというのが本当のところだ。
そして何を思い立ったのか、ノエルは乃恵瑠の姿を取って雪の女王の御殿を訪れるのであった。
「あら、お帰りなさい、乃恵瑠……」
「母上――これを見て欲しい」
乃恵瑠は女王の眼前に大量の禁書を積み上げ始めた。
「……って何禁書を持ち込んでるんですか! 確かに人間界の本は解禁しましたけど漫画とラノベは禁止って言ったでしょう!
持って来たからには私自ら隅々まで検閲します!」
雪妖怪のしきたりはここ最近でかなり緩和されてはきたものの、未だにお固い学校の謎の校則のようなものが残っているのであった。
禁書を手を取り、熟読もとい検閲し始める雪の女王。
「現在帝都は西洋妖怪の侵略の脅威に晒されている……
だというのに姦姦蛇螺との戦いで五大妖の部隊は壊滅してしまった……」
「ええ、知ってます。されど私達にはどうしようもありません。
“かくあれかし”という法則に縛られる以上私達にはショボい能力設定しか……意外とショボくない!?
いつの間に人間達の間でこんな能力設定のイメージが浸透したのですか!?」
雪の女王は、乃恵瑠が持って来た禁書は雪女が登場する妖怪バトルものという共通点がある事に気付いた。
現代の妖怪バトルものでは雪女は妖術枠としてかなりの確率で登場し、そこそこ強いのだった。
327
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:17:02
「人間界の移り変わりは早いのだ。
未だ雪女達自身が古典のイメージを引きずっているから弱いままだがその禁書のイメージを広めればかなり強くなるだろう。
それと母上が持たせてくれた”最新現代日本語辞典”に載っていたおたんこナスはもう死語だ」
「なんですって……!? ほんの数十年前に編集したからまだいけると思ったのに!」
「そこでもしも西洋妖怪軍団が攻めてきて妖怪大戦争状態になった時に備えて有志を集めて帝都防衛隊を結成しておいてほしい」
「今までそんな事をやった事がなかったですし急には……
何せ閉鎖社会をいい事に平和ボケして皆毎日スキーやスノボで遊んでばかり……」
「簡単なことだ、人間界から密輸入した最新の色々なもので釣って募集すればいけるであろう」
「その手がありましたね……分かりました。出来る限りやってみましょう」
――本当にこんなんで雪女による帝都防衛部隊は出来るのだろうか。甚だ疑問である。
用は済んだとばかりにそそくさと帰ろうとする乃恵瑠を女王は呼び止める。
「乃恵瑠、待ちなさい。ついに災厄の魔物を手懐けたのですね――
いえ、性質が根本から変わった、というべきでしょうか」
「やはり気付かれたか――」
「狐面探偵を助けにいくつもりなのでしょう?」
「情報が早いな……」
情報の発信源は従者あたりだろうか。女王が次に何を言うか予測が付き、身構える乃恵瑠。
おそらく女王にとって自分は、人間と共存していくために膨大な犠牲を払い数百年の時をかけて、災厄の魔物を封じるために作った器。
自分にもしもの事があったらまた新たな災厄の魔物を宿した雪ん娘が生まれ、折角完遂した数百年の計画が水の泡になってしまう。
しかし、女王の言葉は予想外のものだった。
「くれぐれも気を付けていくのですよ? あなたは次代の女王なのですから」
「――止めないのか!?」
「止めたってどうせ行くのでしょう? ――親友を”今度こそ”助けてあげなさい」
“今度こそ”という言葉から、女王は何かを知っている――そう直観する乃恵瑠だったが、敢えて問い詰めることはしなかった。
「ありがとう――橘音くんを助けて必ず無事に帰ってくるから」
328
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:17:58
そして東京スカイツリーでの戦いから1週間が経過したころ――ようやく尾弐が(無理矢理)退院し、全員が橘音復活のための作戦会議が行われることと相成った。
そこにはシロに寄り添われたポチもいる。
1週間前になんとなく感じたポチはもう力を貸してくれないのではないか、という予感は気のせいだったようだ。
>「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」
>「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」
>「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」
>「お、落ち着け莫迦者!」
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
「颯さん、キャラ変わってる……」
暴走する颯に、いつもノエルを片手であしらう尾弐ですら匙を投げている。
ファッション悪童系の祈に対して普段は一見ほんわか系に見える颯だが、本性は下手したら祈より激しいんじゃないだろうか、と思うノエル。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
「そこにいるんならぽわっと適当に復活できればいいのに。まあいいや、どうやって宝珠の中に入るの?」
>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
今は颯は妖怪としての力をほぼ失っているものの、もしそれが健在だったらどうなることやら。
あわや「事件は会議室で起こっている!」の大惨事になるかと思われたその時、シロの一言が膠着状態を動かした。
ちなみに彼女が見せつけるかのようにポチにイチャイチャしているのは敢えてのスルーである。
>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
「よし、早速聞きに行こう!」
陰陽寮への出発前――ノエルはおずおずと尾弐に切り出す。
「えーと……返さなきゃいけないものがあるんだけど……」
そして、店の冷凍庫から心臓が取り出されて差し出されるという猟奇的な光景が展開されるのだった。
妖力的に凍っているので冷凍庫に入れていた意味は特にないのだが、なんとなくである。
尾弐にしてもそんなもん返されても困るんじゃないかと思わないでもないが、もしかしたら何かに使う時が来るかもしれないとも思ったのだ。
329
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:19:30
そして一行は陰陽寮へ。
芦屋易子は最初は危険すぎるという理由で渋ったものの、陰陽頭の説得で協力してくれることとなった。
その危険性とは、このようなものらしい。
>「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
>「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
>「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
>「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」
どうやら話は思っていたより簡単ではないようだ。未だ包帯だらけの尾弐の方をちらりと見る。
人間になってしまったようだがそんな危険なことをして大丈夫なのだろうか――と思う。
>「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
>「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」
>「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
天邪鬼が何も言わないあたり、大丈夫なのだろうか。
そこには敢えて触れず、尾弐には別に尾弐と橘音のためではなく自分が行きたくて行くのだということを伝える。
「クロちゃん……ずっと昔、大事な親友を守れなかったことがある。今度こそ助けたいんだ。
べ、別に君に橘音くんと幸せになってほしいとか盛大な結婚式をあげさせてやる覚悟しとけとかそういうわけじゃないんだから!」
人間だから行けなくて、自分達に任せることになっても何も気にする必要は無いと言いたかったのだが、
――意図したものとは逆効果の意味で伝わってしまった気がしなくもない。
この時のノエルは、まさか尾弐が自らの情念によって再び鬼と化すとは思ってもいないのであった。
儀式当日、尾弐の姿を見たノエルは驚きのあまり暫し沈黙した後――
「またまた随分格好いい感じになっちゃって……ヒロインを助けに行くヒーローって感じ!?
橘音くんといい感じになったらお邪魔になっちゃいけないから一歩引いて見とくね!」
人を鬼に変貌させるのは、愛とか勇気とかの光の側の感情ではない。
それでも橘音を助ける力を得るために、自らの恨みや憎しみを増幅させることによって鬼と化す道を選んだのだろう。
冗談めかした言い方だが、やはりここぞという局面で橘音を救えるのは尾弐しかいない、
自分が出る幕は無いだろうと思っているのであった。
>「こちらに横になってください」
「布団に寝るの? なんか昼寝っぽくない!? いや、夜だけど!」
反魂の儀というので、十字架に括りつけられるとか怪しげな魔法陣に拘束されるとかの仰々しい絵面を想像していたらしい。
空気読まないツッコミを繰り出しつつも、言われた通りに横になる。
ついに橘音復活のためのミッションが始まる――
330
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/05/04(土) 02:47:08
酒呑四天王との――そして酒呑童子との戦いから一週間。
ポチは那須野探偵事務所にいた。
祈やノエル、尾弐に楓――それに天邪鬼もそこにいた。
皆が先の戦いの傷を癒やし、集まったのだ。
那須野橘音の復活、その算段を立てる為に。
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
そうして始まったのが――このドタバタ騒ぎだ。
仲裁には入らない。狼の嗅覚に頼らずとも分かる。
下手に止めようとすれば、巻き添えになると。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
やっとの事で楓から解放されると、天邪鬼は噎せながらそう言った。
「……で、どうやってその宝珠に入るのさ」
>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
再び楓に掴みかかられる天邪鬼を他所に、ポチは腕組みをして目を閉じる。
こういう時、ポチに出来る事は少ない。
そもそも人の知恵や文化に興味を持ち始めたのが最近であり、知識の集積量が圧倒的に乏しいからだ。
しかし――出来る事が少ないという事は、迷う必要がないという事でもある。
「富嶽の爺さんなら何か知ってたりしないかな。後はやっぱりミカエルとか、御前は……最終手段だとして。他には……」
>人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
「ああ、それだ……正直、あんまり気は乗らないけど。ところで……」
話が一段落して――ポチは頭上を見上げる。
隣に座り、己を抱き寄せ、あまつさえ髪や頬に口付けをするシロを。
「……流石にちょっと恥ずかしいからさ、これ。もうちょっと後じゃ駄目?」
そう尋ねてみるもシロは楽しげに笑って、
>「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」
と、答えた。
対するポチは――苦笑。
「……そうさ、君は何をしてもいい」
しかしそれだけでは終わらない。
ポチが突然、不在の妖術でシロの腕から脱する。
僅かに距離が開いた事で、シロの美貌が一際よく見えるようになった。
そうして、支えを失いよろめいた彼女の、鼻の先に口付けを返す。
狼の生態において、マズルの先を咥える事は、上位の個体による抑制を意味する。
「だけど……君ばかりが僕を好きにするのは、ちょっとズルいよね」
そう言うと、ポチはソファから飛び降りて、シロに手を差し伸べる。
「行こうか。反魂の法……あの人なら、きっと知ってるはずだ」
331
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/05/04(土) 02:50:54
「やっ、久しぶりだね、易子さん」
陰陽寮、芦屋易子はその一角にある社殿にいた。
東京ブリーチャーズを一目見るなり、彼女は表情を曇らせた。
望まぬ客人の来訪を厭うている訳ではないだろう。
ポチ達が抱えた事情を、一瞥したのみで看破したのだ。
「……もうバレてるみたいだけど……今日はその、相談があって来たんだ。
橘音ちゃんを……生き返らせる為に、力を貸して欲しい」
>「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」
芦屋易子の反応は芳しくなかった。
理由は単純明快だった。
曰く、危険である――最悪、魂が消滅してしまうかもしれない、と。
>「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」
「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」
「……参ったな。その話は……あんまり聞きたくなかったかも」
ポチは静かに、そして冷たく呟いた。
死に至る危険性がある。
そう聞いてしまった以上――ポチはもう、橘音の救出に心底踏み込めない。
もし死ねば、シロを独り置き去りにする事になる。
そこまでして橘音を助けなくてはならないのか。
幸い、芦屋易子はこの作戦に否定的だ――そんな事を、考えてしまう。
ポチは黙して拳を強く握り締める。
自分を罰するように、爪が肉に食い込むほど、強く。
>「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」
>「承りましてございます」
結局、芦屋易子の協力は得られる事になった。
だが最悪の場合、死ぬ――そんな事をポチは受け入れられない。
332
:
ザ・フューズ
◆xCCpD0lPkQ
:2019/05/04(土) 02:52:16
ポチの中にある冷徹な獣が、静かに――皆を見捨てる為の算段を立て始めていた。
勿論、それは最後の手段だ。まずは芦屋易子に確認を取らなくてはならない。
反魂の法が行われている間、自分達は己の意思で宝珠の中から出られるのか。
肉体に戻る事は可能なのか――答えが是であれば、事を急ぐ必要はない。
可能であれば橘音を助けたいと思っている事に偽りはない。
だが、もし己の意思では戻れないのであれば、その時は――
>「……お気をつけて、あなた。
ふと、シロの声がポチの思考を断った。
傍らに膝をついた彼女は、続けてこう言う。
>お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
その言葉を聞いて――ポチは一呼吸ほど間をおいて、笑った。
微笑みというにはあまりに力強い、牙を剥くような笑みだった。
「君がそう言うなら……うん、任せたよ」
それは――ポチの定めた抜け穴だった。
『獣』を継ぐ者として、同胞以外の為に命を懸ける事は出来ない。
だが――狂気に至るほどの、狼の愛は、自然の習性をも上回る。
だからこそポチは言葉にする事が出来た。
『君は何をしてもいい』『君になら、何をされてもいい』と。
「そして……任せておいて。すぐに橘音ちゃんを見つけて帰ってくるよ」
故に――シロが「お気をつけて」と言ったのなら。
ポチはその願いを叶える事が出来る――那須野橘音を救いに行ける。
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