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【伝奇】東京ブリーチャーズ・漆【TRPG】
100
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/03(木) 21:26:06
>「いつまで戯れているつもりだ?攻略法と助言は呉れてやったぞ、さっさと勝負を決めろ!」
天邪鬼の声が響く。
「言われなくても……わかってらッ!!」
赤鬼の目が他のブリーチャーズに向いた瞬間、
祈は片足を後方へ向け、フロア中央に向かってサッカー選手がシュートを放つような動作に入った。
風火輪のウィールが回転、炎を宿す。
祈が後方から前方へと足を伸ばし、前蹴りを放つと。
風火輪が纏った炎が祈の足から離れ、飛び。そして料理の山を燃やした。
赤鬼が驚愕したような表情で脚を止める。
――つまり。エネルギー源となる料理を食べさせないようにすれば、赤鬼は自滅する。
「おらっ、あたしが相手だ! 来いよ赤鬼!」
祈が赤鬼を挑発し、
料理を燃やされて憤慨する赤鬼はそれに乗り、祈へと次々に大鉄球を射出する。
祈はそれを死に物狂いで躱し続けた。
赤鬼は、祈を相手にしていれば料理にありつけない。
そして、フロア中央に次々追加される料理の山に火は移り、尚燃え盛る。
中には汁物のように水分量が多く、燃えにくい料理も出てくるが、
祈を無視してその料理にありつこうとすれば、それすらも祈はより高温の炎で焼いて台無しにしようとする。
つまり、祈を排除しない限り、赤鬼はまともに食事にはありつけない。
やがて、赤鬼の肥満体が少しずつ、痩せ始める。
移動速度も落ち、投げる大鉄球も最初と比べて威力がなくなっていった。
「御幸! あいつに攻撃頼んだ!」
燃え盛る料理の山と金熊童子との間に立ちながら、祈は言った。
こうして祈がエネルギー源の料理を押さえている以上、
金熊童子は弱っていくことこそあれ、強くなることはない。
だがより確実に勝つためには、金熊童子の攻撃を誘発して更にカロリーを消費させる必要があった。
適任なのがノエルだった。
ノエルの冷気による攻撃を警戒していたことから、金熊童子は寒さには弱いと考えられた。
移動速度がガタ落ちした金熊童子は、ノエルが攻撃を仕掛けようとすれば、十中八九それを迎え撃とうとするだろう。
つまり、更に消耗し、弱る。
ノエルは歴戦の強者であるから金熊童子の攻撃も上手くさばくであろうし、
当たりそうになっても不在の術が使えるようだからそれで避けられる。安心なのである。
祈が料理を押さえ、ノエルが金熊童子を削り、ポチが倒す。
それが祈の、天邪鬼の出したヒントを元に考えた金熊童子攻略法であった。
101
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/04(金) 16:33:35
>「ゲハハ……ゲハハハ、ゲァ――――ッハッハッハ!!
転んだな?転びやがったな?散々好き放題言ってくれた礼をしてやる……。
暗くて狭い場所が嫌いなんだって?だったらその首捩じ切って、この腹ん中に収めてやるよ!」
虎熊童子を転ばせることに成功したポチが、送り狼の特性を顕わにして凄む。
否、単に送り狼というよりも災厄の魔物――《獣》が出かかっているのではないか。
そう危惧した乃恵瑠だったが――
>「“どっこいしょ”。落ち着けよポチ。もう――終わってる」
自分で自分を攻撃させるという祈の奇策によって、虎熊童子はすでに倒されていた。
ポチが送り狼を鎮めるキーワードで落ち着き、これ以上の攻撃をやめたことにひとまず胸をなでおろす。
大きなたんこぶを作って昏倒した虎熊童子を見下ろしながら言う。
「うわあ、痛そう! こりゃあしばらくは起き上がれないねぇ」
>「約束通りあたしらに倒されたんだ、もう悪さなんてすんなよ」
>「さーって、次もこの調子で行こーぜ!」
>「見事だ、東京ブリーチャーズ。褒めてやろう。しかし、これはまだ鬼帝国のほんのとば口。試練はこれからよ」
>「今夜中にあと四鬼。いや五鬼か?残らず仕留めて帰らねばならん。襟元を正せよ」
「分かってる! きっと今頃”虎熊童子がやられたか、だが奴は四天王の中で最弱!”って上で言ってるんだよね!」
勝って兜の緒を締めよ的な意味合いのことを言っている天邪鬼の相手を適当にしていると、尾弐が一行にねぎらいの言葉をかけてきた。
>「良くやってくれた、手ぇ貸せなくて悪かったな。ノエルは……いや、今は乃恵瑠か? 無茶してたみてぇだが怪我してねぇか?」
>「ポチ助は良く隙を作ってくれた。あんがとな。相変わらず見事な戦闘勘だったがな……ちっとばかし鬼気迫り過ぎだぜ。女を迎えに行くんだ。男なら、無理にでも笑いながら助けに行ってやんな」
>「祈の嬢ちゃんは、見事な戦術だったな。トドメを刺さない辺りは相変わらず甘いが――ま、それが嬢ちゃんのポリシーだ。オジサンは目ぇ瞑っとくさ」
その言葉に、なんともいえない違和感を感じる乃恵瑠。
尾弐は無言で気遣いをするタイプで、それを言葉に出すタイプではなかったはず。
祈もそれを若干感じつつも、褒められた嬉しさのほうが勝っているようで。
>「? ……珍しーじゃん。褒めてくれるのなんて。でもありがと。やるようになったでしょ、あたしも」
一方のノエルは、感じた違和感を隠すことをせずに文章媒体じゃなかったら意味が理解し辛いであろう返しをする。
「もう、悪い物でも食べたの!? 乃恵瑠だけどノエルだよ!?」
祈を褒めるのはまだ有り得ることだとしても、自分を気遣う言葉をかけるとは。
女性形態をとっていようがいまいが、表向きかける言葉はいつだって“だってノエルだし”な扱いだったはずだ。
一体何があった――!?
そう疑うところまでは良かったのだが、そこから明後日の方向に思考が飛び、ノエりはじめた。
102
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/04(金) 16:37:30
「さては妾が美女過ぎて惑わせてしまったのか!? 橘音殿という公式設定がありながら何たる由々しき事態!
仕置きに思い知らせてやろう、妾に触れると火傷するぞ!」
そう言って、冷たくて絶叫しそうだが凍傷にならない程度の絶妙の体温に調整して尾弐に横から抱き付く。
が、おそらく体温が冷たいことに関するリアクションは返ってこない。
「そこは”火傷じゃなくて凍傷だろ!”とかいろいろあるじゃん!
つーかそのポーカーフェイス何!? リアクション芸人魂どうしたの!?」
漠然とした違和感がもっとはっきりとした不安に近いものに変わるのを感じたが、
漫才に付き合っている余裕は無いということだろう、と無理矢理納得しておくことにした。
尾弐は乃恵瑠が一人で騒いでいるのには動じずに、一行に懇願するのであった。
>「……今回、首謀者をとっちめる為に俺は力を温存しておきてぇ。だから、ここから暫くはお前さん達に頼りきりになっちまうと思う。
代わりに、この事件は必ず解決する。そう約束するから……どうか、この後も力を貸してくれ」
>「任せとけって尾弐のおっさん! あたしの力だったらいくらでも貸すぜ!「祈ちゃん待って。乗せられちゃいけない」
快く請け負おうとする祈を制し乃恵瑠は――
「――嫌だね」
そう言ってあっかんべーをして、尾弐の肩をつかんでがくがく揺すりながら詰め寄る。
(尾弐は屈強なので実際にはがくがくされないかもしれないが)
「”代わりに”って何!? 事件もみんなで解決するんだから!
お願いするのに対価が必要なほど他人行儀な間柄じゃないでしょ?」
前座達を倒すことを対価に、自分が事件を解決する――懇願に見せかけて尾弐はそういう契約を結ぼうとしたのだ。
意識してかせずか、乃恵瑠はそれを看破した。尾弐を解放し、いつもの調子で笑う。
「それにクロちゃんときたらいっつも最前線で壁になろうとしてこっちはヒヤヒヤするんだから。
これでお互い様だね。さぁ、とっとと次の階に……あれ? 壊れてるのかな?」
エレベーターのボタンを押しても反応が無い。
>「階段上ってこいってか……」
「こんな時まで今流行りのエコかよ!
……待てよ、逆に考えれば途中のフロアースルーして一気に最上階まで登っちゃえばいいんじゃない?」
が、非常階段は直上階らしきところでいかにもな観音開きの扉に突き当たっており、いったん中に入らざるを得ないような構造になっていた。
流石、黒橘音アスタロトが裏で糸を引いているだけあって、マンチキン対策も万全である。
扉が開いてまず目に入ってきたのは、山のように積まれた料理だ。
103
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/04(金) 16:38:49
>「なにあれおいしそ……う?」
金熊童子はお食事の真っ最中だった。
>「なぁんだぁ、おめえらぁ。オ、オデ、まだメシの最中だぞォ」
「どうぞお構いなく、勝手に通過させて頂きますのでそのままお食事をお続けください」
>「鬼の掟とはただ二つ。自らの望むことを成す、そして弱い者は強い者に従う――これだけだ」
>「鬼の手で作り上げられたこの塔を制覇しようと思うなら、力を示さねばならん。戦いは不可避だ、しっかりやれ」
「え、スルー駄目?」
未だに往生際悪く戦闘回避を画策している乃恵瑠だったが、金熊童子は尾弐の姿に気付くと、虎熊童子の時と同じように歓喜し始めた。
鬼の主従の関係性といったら力や恐怖による支配を想像するが、酒呑童子は配下達に心から慕われていたらしい。
>「おぉ……おがじらぁ!やっば、おがじらだぁ……。戻ってぎでぐれだんだな、おがじらぁ……!」
>「おがじら、オ、オデ、おがじらに会いだがっだ……!首塚の中で、ずっどオデ、寂じがっだ……!」
>「で、でも、おがじらは戻っでぎでぐれだ……。ぜ、1000年前の約束どおりだぁ……」
>「……約束だと?」
酒呑童子とその配下の鬼は、千年前に何らかの約束をしたらしいが、尾弐にはそれが分からないようだ。
尾弐がその約束について問い質す暇もなく、背後から追って来た者がいた。
>「……ま……、待てェェ……!」
>「まだ……まだ、己は負けてねェ……!負けるワケにゃ……いかねェんだ……!カシラの……ために……!」
>「どっちかが死にもしねェ戦いが……戦いと言えるかよ……!勝負しろォォ……東京ブリーチャーズ……!」
>「チッ、あのダメージで動くかよ……これだから鬼って奴は」
あちゃー、という感じで頭を抱え、念には念を入れて氷でその場に固定でもしておけばよかったと思う乃恵瑠。
しかし、よく見ると余程意識が朦朧としているのか、無敵の象徴たる金棒も持ってきていない。
もしくは金棒を持ち上げる力すら残っていないのか。
「あのさ……敵の僕が言うのも何だけど無理しない方がいいよ。だって金棒も忘れてきてるし……」
>「カシラは……言ってくれたんだ……。乱暴者で誰とも分かり合えなかった己に……誰も彼もに邪魔者扱いされた己に……」
>「『おまえもこの世に在っていい』って……!己の居場所を作ってくれたんだ、仲間と……巡り合わせてくれたんだ……!」
>「そのカシラの恩に……己は……報いなくちゃいけねェんだ……!例え……死んでも……!」
>「虎熊童子……」
祈は虎熊童子の言葉を聞いて何か思うところがあったようで。
104
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/04(金) 16:42:20
乃恵瑠もまた、祈の肩にそっと手を置く。
虎熊童子にとっての酒呑童子はきっと、深雪にとっての祈のようなものなのだ。
そのまま挟み撃ちでの戦闘に突入するかと思われたが、事態は予想外の方向に展開した。
>「虎熊ぁ……おめえ、負げぢまっだのがぁ。日頃、自分が一番だぁなんで言っでだのに、不甲斐ねぇなぁ」
>「戦いでぇぎもぢは分がるげんど、おめの出番はもうねぇぞぉ。ここはオデの塒だぁ、オデが戦う番だからなぁ」
>「……そうかよ……そうだったなぁ……。じゃあ、手はず通りに頼む……。副頭の指示通りに――」
>「おぉ」
そんなやり取りが交わされたかと思うと、金熊童子が虎熊童子を一瞬で殴殺したのだ。
尾弐がとっさに立ちふさがり、飛び散った肉片や血液が他の3人にかかるのを防ぐ。
>「なん、で……?」
>「鬼と人間は思考の基本が違うが……負けたら死ぬなんて潔い主義じゃねぇだろうが。連中、何を考えてやがる」
その行動は、祈はもちろんのこと、同じ鬼という種族である尾弐にも理解不能のようだ。
考えられる可能性としては――これは“副頭”なる者の指示によるものらしいが、
戦いに負けた鬼が死んでいく事自体が、何らかの計画の完遂に欠かせない要素なのではないだろうか。
また、黒橘音アスタロトに掌の上で転がされている――!? そう思った乃恵瑠。
「副頭って……まさかアスタロト……? こんなのもうやめよう!?
君達はアイツの恐ろしさを分かっちゃいない。
アイツにとっては味方も敵もなく利用できる奴と邪魔な奴しかいない。
自分の目的のために利用できる奴は利用して、利用価値が無くなったら容赦なく切り捨てる……
アイツはそんな奴だ。はっきり言って騙されてるんだよ!」
しかし、乃恵瑠の必死の説得を無視して天邪鬼は淡々と攻略法を述べる。
金熊童子が耳を貸すはずがないのは分かり切っていたのだろう。
>「見たな。奴の攻撃を」
>「奴を単なるウドの大木と思うな。速度においては、奴に比肩する四天王はいない」
>「巨体から繰り出される一撃必殺の攻撃と、不可視の速度が同居している。力押しでは勝てまい」
>「だが、同時にそれが奴の弱点でもある。その堆く積まれた食い物を見てもわかる通り――奴は『燃費が悪い』のだ」
>「ブ、ブヒ……!虎熊のぶんまで、オデ、が……がんばるどぉ……!どうぎょうブリーヂャーズ!」
>「おめらは、ここでおっ死ね……!オデたぢのおがじらのだめに!」
天邪鬼の予測通り、金熊童子は手始めとばかりにポチに向かって大鉄球を投擲し、否応無しに戦闘は始まった。
物理戦闘系のキャラというのは大抵パワー寄りかスピード寄りのどちらかの傾向があるものだが、
この金熊童子ときたら、動きは滅茶苦茶早いし一撃一撃が滅茶苦茶強い。
唯一の弱点は妖術攻撃のようだが、相手もゆうに50メートルには達するリーチを兼ね備えている。
よって、相手の攻撃範囲外から容赦なく攻撃しまくるという常套手段も使えず、
かといって今の金熊童子のスピードでは基本後衛寄りの能力値である乃恵瑠が近づくのは危険。
耐久力も桁外れで、祈とポチが戦場を駆けまわるも、決め手となるダメージは入らない。
これ、ヤバいんじゃね!? そう思い始めた時だった。
金熊童子は唐突に料理の山に近づき、モグモグタイムを始めようとした。
105
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/04(金) 16:43:37
>「ブフゥ……ブフフゥ……。ハラぁ……減っだぞぉ……!もっどぉ……喰いもん、持っでごぉぉい……!」
「呑気にモグモグタイムしてんじゃねぇッ!!」
チャンス到来とばかりに、乃恵瑠は容赦なく氷の矢を放ちモグモグタイムを阻止。
金熊童子は料理の山から一時離れることを余儀なくされた。
モグモグタイムの間は律儀に待ってあげるなんていうお約束は乃恵瑠には通用しない。
だってノエルだし。
その隙に祈が料理に引火させ、挑発して相手の気を引き付ける。
>「おらっ、あたしが相手だ! 来いよ赤鬼!」
兵糧攻めにあった金熊童子は祈と戦っている間に次第に痩せ始め、それに伴い移動速度も落ちていく。
そして、乃恵瑠でも相手ができるであろうところまで速度が落ちた絶妙のタイミングで――
>「御幸! あいつに攻撃頼んだ!」
「よしきた! 今度はこっちだ!」
乃恵瑠が手にするのは巨大な氷の弓。
妖力で出来た弦のようなものがあり、やはり妖力で出来た青い光の矢をやや上方に向けて引き絞り撃つ。
放たれた瞬間、それは無数の矢に分かれて四方八方から金熊童子めがけて降り注ぐ。
言うなれば、たった一人による全方位からの一斉射撃。速度が落ちた今の金熊童子には避けられまい。
しかしそこは鬼の耐久力。流石にこれで倒れるなんてことはない。
金熊童子はこいつは早めに潰さねばまずいとばかりに、乃恵瑠めがけて鉄球を放ってくる。
戦闘開始時の状態でくらっていれば不在の妖術を使う間すらなく即クラッシュアイスだったかもしれないが――
今では逆の意味で使うまでもなかった。
「遅いッ!! その邪魔な鉄球ぶったぎってやる!」
鉄球を大きくジャンプして避けた乃恵瑠は、手に持った弓を氷の太刀に変化させる。
落下の勢いも借りて太刀を振り下ろし刃を鉄球の鎖部分に叩きつけた。
「どっこいしょー!」
いささか間の抜けた掛け声だが、これには意味がある。
宣言通り鎖が切れたらそれはそれでいいのだが、ただの鎖付き鉄球であるはずはなく当然妖具。
そう簡単に鎖が切れるとも限らないが、本当の狙いは他にある。
巨大な質量のある鉄球の鎖を突然突っ張らせれば、鎖の先を持っている側はよろけるか上手くいけば転ぶかもしれない。
あるいはそれを避けるために鉄球の鎖を手放すという可能性もあるだろう。
ポチは転んだ相手に対して無敵のアドバンテージを誇るが、同時に理性が吹っ飛んでしまう。
そこで、相手が転んでもポチが理性を保つためのキーワードを掛け声とした。
“副頭”とは本当にアスタロトなのか、何故戦いに負けた者は死ぬ手筈になっているのか、
酒呑童子との千年前の約束とは何なのか、更には何のために関係無いはずのシロを巻き込んでいるのか――
等、聞き出さなければならないことが山ほどある。
このまま死んで貰っては困るのだ。
106
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/10(木) 00:04:05
>「“どっこいしょ”。落ち着けよポチ。もう――終わってる」
大鉈のごとき爪を振り上げたポチが、ぴたりと動きを止めた。
そしてその肉体が急速に萎んでいく。
「……一発くらい殴ってやりたかったもんだけど、仕方ないか」
ポチは振り上げた右手を下ろすと所在なさげに握り、開いて、溜息を零す。
それから小さく鼻を鳴らす。血のにおいはしない。
自分が虎熊童子を転ばせてから、祈が怪我をするような事もなかったようだ。
>「見事だ、東京ブリーチャーズ。褒めてやろう。しかし、これはまだ鬼帝国のほんのとば口。試練はこれからよ」
「今夜中にあと四鬼。いや五鬼か?残らず仕留めて帰らねばならん。襟元を正せよ」
「……その鬼を全部やっつけた後に、お前もここを無事に降りられるといいけどね」
相変わらず高慢な態度の天邪鬼に苛つきつつも、その後を追う。
しかしふと、ポチの前に尾弐が歩み出た。
一体どうしたのかとその顔を見上げてみると、
>「良くやってくれた、手ぇ貸せなくて悪かったな。ノエルは……いや、今は乃恵瑠か? 無茶してたみてぇだが怪我してねぇか?」
「ポチ助は良く隙を作ってくれた。あんがとな。相変わらず見事な戦闘勘だったがな……ちっとばかし鬼気迫り過ぎだぜ。女を迎えに行くんだ。男なら、無理にでも笑いながら助けに行ってやんな」
「祈の嬢ちゃんは、見事な戦術だったな。トドメを刺さない辺りは相変わらず甘いが――ま、それが嬢ちゃんのポリシーだ。オジサンは目ぇ瞑っとくさ」
尾弐はポチ達三人を労うように、そう声をかけた。
ポチは僅かに目を見開いて、彼を表情を伺う。
>「? ……珍しーじゃん。褒めてくれるのなんて。でもありがと。やるようになったでしょ、あたしも」
>「もう、悪い物でも食べたの!? 乃恵瑠だけどノエルだよ!?」
祈とノエルも同様の違和感を覚えているようだが――ポチにはそれを追求するだけの精神的余裕がなかった。
ただ右手で自分の口元を掴んで、しかしすぐに手放す。
「……心配いらないよ。あの子が見つかれば、自然と笑えるはずさ」
そう言うとポチは、ノエルに詰め寄られている尾弐の脇を抜けて、非常階段に足をかけた。
そうして階段を上がっていくと、ほどなくして観音開きの大きな扉が見えた。
>「開けろ」
いつの間にか一行の最後尾に回っていた天邪鬼が指図する。
ポチは天邪鬼の事を信用していない。
その助言を利用する事はあっても、決して信じてはいない。
故に階段を登る最中もその背を睨みつけ、気を緩めない。
にもかかわらず、天邪鬼はまたしても一行の後ろを取っていた。
煩わしい事だが――今はまだ、気にしてはいられない。
祈が扉を押し開ける。
奥に見えるのは、電波塔の半ばとは思えないほど広い空間。
その中心に山積みにされた、大量の料理。
>「なにあれおいしそ……う?」
そして――その料理の山の中心から時折垣間見える、赤く太い腕。
咀嚼音が響く。響き続ける。
料理は瞬く間に消費されていき――やがて赤い腕の主、その姿があらわになった。
107
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/10(木) 00:04:51
>「……ぅ?」
巨体――それも虎熊童子のような筋骨隆々ではなく、度を超した肥満故の、巨体の赤鬼。
鬼である以上、ブリーチャーズの敵――であるはずなのだが。
どうも食事に夢中で、あるいは単純に頭が悪くて、自分達を正しく認識出来ていないようだった。
>「なぁんだぁ、おめえらぁ。オ、オデ、まだメシの最中だぞォ」
>「どうぞお構いなく、勝手に通過させて頂きますのでそのままお食事をお続けください」
ノエルは赤鬼の反応を見るや否や、外へ続く扉を探して歩き出したが――
>「鬼の掟とはただ二つ。自らの望むことを成す、そして弱い者は強い者に従う――これだけだ」
「鬼の手で作り上げられたこの塔を制覇しようと思うなら、力を示さねばならん。戦いは不可避だ、しっかりやれ」
「まぁ……無視して進んで、後から追ってこられても困るしね」
そういうとポチは赤鬼――金熊童子を睨む。
金熊童子はずっと料理を貪り続けてる。
つまり、既に座り込んでいる。転ばせられない。
あの巨体では生半可な攻撃では致命傷にはならない。
首や目を狙えば十分なダメージを与えられるだろうか。
などとポチは不意打ちの算段を立てていたが――ふと、金熊童子の視線がポチの方へ向いた。
より正確には――ポチの後方、尾弐へと。
>「おぉ……おがじらぁ!やっば、おがじらだぁ……。戻ってぎでぐれだんだな、おがじらぁ……!」
「おがじら、オ、オデ、おがじらに会いだがっだ……!首塚の中で、ずっどオデ、寂じがっだ……!」
「で、でも、おがじらは戻っでぎでぐれだ……。ぜ、1000年前の約束どおりだぁ……」
>「……約束だと?」
金熊童子の声音とにおいから漂う親愛の情。
だが尾弐には奴の言う約束が一体なんの事なのか、分からないらしい。
そしてそれはポチにとってはどうでもいい事だった。
ただ目の前にいる赤鬼をさっさと仕留め、先へ進み、シロを探す。
それだけがポチの思考の全てだった。
>「……ま……、待てェェ……!」
「まだ……まだ、己は負けてねェ……!負けるワケにゃ……いかねェんだ……!カシラの……ために……!」
「どっちかが死にもしねェ戦いが……戦いと言えるかよ……!勝負しろォォ……東京ブリーチャーズ……!」
だが――状況はポチの望むようには動かない。
打ちのめされたはずの虎熊童子が意識を取り戻して、追いついてきていた。
このままでは挟み撃ちにされる。
どちらかを押さえなければ――仕掛けるなら飛び道具を持っている赤鬼の方。
ポチは機先を制するべく踏み出そうとして――
>「カシラは……言ってくれたんだ……。乱暴者で誰とも分かり合えなかった己に……誰も彼もに邪魔者扱いされた己に……」
>「『おまえもこの世に在っていい』って……!己の居場所を作ってくれたんだ、仲間と……巡り合わせてくれたんだ……!」
>「そのカシラの恩に……己は……報いなくちゃいけねェんだ……!例え……死んでも……!」
だがどうにも鬼達の様子がおかしい。
挟み撃ちを仕掛けてくるような様子はなく、ただポチには理解出来ない会話が繰り広げられる。
そして、
>「戦いでぇぎもぢは分がるげんど、おめの出番はもうねぇぞぉ。ここはオデの塒だぁ、オデが戦う番だからなぁ」
>「……そうかよ……そうだったなぁ……。じゃあ、手はず通りに頼む……。副頭の指示通りに――」
>「おぉ」
金熊童子の投げ放った鉄球によって、虎熊童子の上体が爆ぜた。
飛び散る肉片と血飛沫を、尾弐が体を張って防ぐ。
108
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/10(木) 00:05:19
>「なん、で……?」
>「鬼と人間は思考の基本が違うが……負けたら死ぬなんて潔い主義じゃねぇだろうが。連中、何を考えてやがる」
祈にも、そして同種である尾弐にも、金熊童子の意図は理解出来ないようだった。
当然、ポチにもだ。分かったのはただ――奴らは確かに、互いに親愛と、信頼の感情を抱いていた。
そしてそのにおいを保ったまま殺し、殺された。
その矛盾した現象を、しかしポチは知っている。
かつてロボも、シロを守る為に彼女を喰らおうとした。
完全に破綻した妖壊の思考回路だからこそ、それが出来るのだ。
それにもし――壊れてもいないのに、親愛し信頼する仲間を殺せるのなら――それこそ、狂っている。
いずれにしても、異常だ。こいつらは何かがおかしい。
ポチにはそれ以外の感想を抱けなかった。
>「見たな。奴の攻撃を」
>「奴を単なるウドの大木と思うな。速度においては、奴に比肩する四天王はいない」
「……いいからさっさと、どうすればいいのかを言えよ」
>「巨体から繰り出される一撃必殺の攻撃と、不可視の速度が同居している。力押しでは勝てまい」
「だが、同時にそれが奴の弱点でもある。その堆く積まれた食い物を見てもわかる通り――奴は『燃費が悪い』のだ」
「……なるほどね」
>「ブ、ブヒ……!虎熊のぶんまで、オデ、が……がんばるどぉ……!どうぎょうブリーヂャーズ!」
>「おめらは、ここでおっ死ね……!オデたぢのおがじらのだめに!」
金熊童子が猛る。
同時に放たれる超高速の鉄球。
気づいた時には、それは既にポチの眼の前にまで迫っていた。
体捌きでは避けられない。
ポチは不在の妖術を用いて鉄球を回避――そのまま床を蹴り、前へ。
そしてフロアの中心にある料理の山の傍らで一度足を止め、不在を解除。
追撃は――来ない。
うずたかく積まれた料理は金熊童子の生命線だ。
ポチもろとも薙ぎ払って、散らかす訳にはいかない。
「なるほどね……なんとなく分かってきた……よ!」
ポチは料理の山を蹴り上げ――その影に紛れ距離を詰める。
不在の妖術を用いる事で、鉄球を放つ隙は見せない。
懐に潜り込んでから姿を現し――間髪入れずに放った爪の斬撃が金熊童子の腹を捉える。
だが――刻み込まれた爪痕からは、ほんの僅かな血が滲むのみ。
強靭な鬼の皮膚と分厚い脂肪のせいで、爪がごく浅くしか通らないのだ。
ポチは舌打ちをしつつも続けざまに、今度は目を狙うべく跳躍。
右手の爪を振り抜き――しかし機敏に飛び退かれ、空を切る。
金熊童子は、既に右腕を振りかぶっていた。
反撃の拳がポチへと放たれ――間一髪で不在が間に合う。
だがポチは、これ以上近間に留まるのは分が悪いと判断。
姿を消したまま一旦距離取る。
「……厄介だな。このやり方じゃ駄目か」
そして思わず、そう呟いた。
間合いが空けば必殺の鉄球。
間合いを詰めても胸や腹にはろくなダメージを与えられない。
しかし急所を狙っても金熊童子の俊敏さでは容易に躱せてしまう。
さりとて深追いすれば――カウンターの拳を叩き込まれる事になる。
あの巨大な鉄球を目にも留まらぬ速さで投げる腕力、瞬発力だ。
得物など用いずともただの拳が必殺の威力を発揮するのは想像に難くない。
109
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/10(木) 00:06:11
>「ブッフゥゥ……あぁ、めんどうぐぜぇ……!」
「ブフゥ……ブフフゥ……。ハラぁ……減っだぞぉ……!もっどぉ……喰いもん、持っでごぉぉい……!」
とは言え――ポチにとっては癪な事だが、突破口は既に示されている。
あの巨体を素早く、力強く動かす為の瞬発力。
金熊童子がそれを維持するには――夥しい量の食事が必要なのだ。
そしてそれは戦闘の真っ最中であっても変わらない。
>「いつまで戯れているつもりだ?攻略法と助言は呉れてやったぞ、さっさと勝負を決めろ!」
>「言われなくても……わかってらッ!!」
祈が右足を振り上げ、風火輪が唸りを上げる。
そして前蹴りと共に放たれた炎が――料理の山へと直撃。
彩り鮮やかな数々の料理が全て赤く染まり――そのまま瞬く間に炭へと変わる。
>「おらっ、あたしが相手だ! 来いよ赤鬼!」
こうなってしまえば最早、金熊童子は十全の動きを維持出来ない。
料理を守る為には祈を止める他ない。
だが祈はブリーチャーズ一の俊足。
彼女が逃げと、飛び道具の使用に徹すれば、いかに金熊童子と言えどそれを捉え切れない。
祈を追う為に消費したカロリーも補給出来ず、金熊童子の動きは見る間に鈍っていく。
>「御幸! あいつに攻撃頼んだ!」
「よしきた! 今度はこっちだ!」
そうなってしまえば、今度はノエルの大規模妖術が真価を発揮する。
降り注ぐ無数の氷の矢を、金熊童子は避け切れない。
このまま一方的に攻撃に晒され続ければジリ貧だ。
カロリーを消耗すると分かっていても反撃せざるを得ない。
それはつまり、容易に予測可能な攻撃だという事。
>「遅いッ!! その邪魔な鉄球ぶったぎってやる!」
「どっこいしょー!」
投擲された鉄球を容易く躱すと、ノエルは氷の太刀をその鎖へと叩きつける。
金熊童子の超瞬発力に耐えるほどの鎖だ。断ち切る事は叶わない。
だが――伸び切った鎖に強い打撃が加われば、その持ち主にも力は伝播する。
カロリー不足で弱った金熊童子の体勢が、僅かに揺らいだ。
110
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/10(木) 00:07:17
「ナイス、ノエっち」
その瞬間、ポチは既に金熊童子の懐へと、再び飛び込んでいた。
睨み上げるのは金熊童子の目。腹や胸では致命傷を負わせられない。
右手を大きく振りかぶり――膝を深く屈める。
金熊童子は――鉄球に繋がる鎖を手放した。
この近間で、鎖が突っ張り、すぐに引き戻す事の出来ない鉄球は無用。
右手を空け、飛び上がってくる相手のカウンターを取る。
それが最も合理的な判断――故に、ポチはそれを容易く読む事が出来た。
反撃の拳を振りかぶり待ち受ける金熊童子に対して――ポチは飛び上がらない。
代わりに『獣(ベート)』の力を解放。
目眩ましとなる宵闇を撒き散らし――金熊童子の手放した鎖を拾い上げる。
「これで終わりだ」
すかさず、金熊童子の周囲を素早く駆け回る。
数十メートルもの鎖の余剰部分が、金熊童子の両足に、腕を巻き込んで胴体に、絡みつく。
十分に鎖が巻き付くと、ポチは金熊童子のたるんだ腹を駆け上がり――跳躍。
そのまま空中で全身を回転させ――その勢いのまま、踵を振り下ろす。
脂肪の薄い頭部に、強烈な手応え。
金熊童子の巨体が揺れる。
ポチは着地を果たすと――即座に足払いを放った。
頭部に大きなダメージを受け、鎖に縛られた今なら、踏みとどまる事など出来る訳がない。
金熊童子が前へとよろめき、倒れ――己の眼前へと降ってきたその頭部に、ポチはもう一度膝蹴りを見舞った。
重い打撃音が響き――数秒かけて、ポチの膝から金熊童子の頭がずり落ちる。
「……これじゃ、転んだとは言えないよな。僕はお前を、寝かしつけただけだ」
ポチにとって、この鬼どもの生死などどうでもいい事だ。
シロを巻き込んでいるかもしれない事を考えれば、いっそ殺してやりたいとさえ考えている。
だが――祈やノエルは、それを嫌がる。自分にそうはさせまいと配慮している。
今のポチにも、それを無下にしまいと思える程度の理性は残っていた。
それに――確証はないが、殆ど確信に近い予感もあった。
先の虎熊童子と同様に、きっとこの金熊童子も――自分達が殺めずとも、仲間の手によって殺されるのだろうという予感が。
またその予感は、ポチの中に更なる焦燥を燻らせる。
こんな異常な連中が、もし本当にシロを連れ去っていたのだとして。
それは何の為か――どう考えてもろくな事ではない。
一刻も、一刻も早く先へ進まなくては、と。
そして――焦燥に囚われているが故に、ポチは気づかない。
戦いの最中に解放した『獣(ベート)』の力が――今までにないほど淀みなく扱えている事に。
111
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/12(土) 00:43:37
>悪鬼共が神輿として担ぎ上げなけりゃあ、酒呑童子は殺されずに済んだ。
>他人の幸福を永劫に奪っておいて、のうのうと生きようなど、許されようなど、まして救われようなど、烏滸がましいにも程がある
>だから殺す。故に殺す。殺して殺して殺して、ただ一つの例外すらなく殺し尽くす。地獄の様な死を以って断罪とする
颶風を巻いて繰り出される拳が頬のすぐ横を猛然と霞める。
尾弐が怒りを押し殺して告げる言葉に耳を傾け、やがてそれが終わると、天邪鬼は小さく笑った。
右手に携えた大きな杖で、コツンと床を叩く。
「おう、ご立派な信念よ。まこと、人の世に害なす妖壊どもを撃滅するにはそのくらいの覚悟がなければ務まるまい」
「それにしても……貴様のその口上、どこかで聞き覚えがある。はて、どこだったか……」
天邪鬼は頭巾ですっぽり覆われた顎先に左手を添え、どこか芝居がかったそぶりで考える。
そして一分ほど黙考すると、ああ。と小さく声を上げ、
「思い出した、思い出した。クソ坊主、貴様のその大層な志――」
言いながら、ちらと切れ長の美しい眼差しを尾弐へと向ける。
「それとまったく同じことを、頼光が宣っておったわ。今の貴様は奴らと何も変わらん、瓜二つだ」
「おのれの信ずるもの以外の一切を認めず、虫けらのように殺すことしか考えておらぬ源頼光とその四天王にな。ハハ……」
平安時代屈指の『漂白者(ブリーチャー)』、源頼光。
酒呑童子をはじめ、土蜘蛛や蝦夷、大百足など数多の妖壊を撃滅してきた存在と尾弐が、そっくりだと天邪鬼は言う。
「世界を紡ぐ人間を殺す、確かにそれは有害であろう。罪でもあろう。やつらは鬼だ、この世の悪だ」
「しかしな――奴らを悪鬼に仕立て上げたのも、間違いなく人だ。人が、自分たちとは異なる者たちを鬼と定義したのだ」
「奴らとて、元は人であったというのにな――だが、人は奴らを排除した。自分たちとは違うと」
「『そうあれかし』と……ヒトが望んだのだ。あんな粗野な、醜悪な者たちを、我らの仲間と認められるか!と――」
「……増上慢ここに極まれり、というやつよな」
>蟲みてぇに穴倉を這い蹲りたくなけりゃあ、言葉には気ぃ遣え
「ハハハ――何を言い出すかと思えば。ああ、この期に及んでまだそんな冗句を口にできるなら、逆に安心か?」
「言ってほしいなら言ってやるぞ、クソ坊主。貴様がそんな胸中までを望んで吐露するのなら。してしまうのなら――」
すう、と天邪鬼は目を細めた。そして一拍の間を置き、
「『虫螻の如く穴倉を這い擦ったは、貴様であろう?クソ坊主』――と、な」
と、言った。
>これで終わりだ
そんな尾弐と天邪鬼の会話のさなか、東京ブリーチャーズと金熊童子の戦いも佳境を迎える。
ポチが金熊童子の大鉄球の鎖で鬼の巨体を絡め取り、頭部に一撃を見舞うと、消耗していた金熊童子は地響きを立てて倒れた。
「おう、やっと終わったか。まったく、私が攻略法を教えているのだぞ?須臾にも満たず打倒してもらわなければ困る」
尾弐と自分との間が一触即発の事態に進展する直前に、天邪鬼は杖で自身の右肩を叩いてそう言った。
祈とノエルの連携でやせ細り、挙句にポチの連撃を喰らった金熊童子は完全にのびてしまっている。勝負ありだ。
「これで二鬼。こちらは欠員も大きなダメージもない。ふむ……上々の成果と言ったところか」
「いいぞ、東京ブリーチャーズ。多少物足りぬところはこの際目を瞑る、このまま往け」
祈やノエルたちに視線を向け、相変わらず上から目線の激励をする。ブリーチャーズの敵意などお構いなしだ。
敢えて目を背けているのか、それとも相当に肝が太いのか。いずれにしても天邪鬼の名は伊達ではないらしい。
ともあれ、このフロアの番人であった酒呑四天王・金熊童子は撃破した。
このまま速やかに次の階まで行くのがいい――と、思ったが。
「どうやら、その前にやるべきことがあるようだ」
天邪鬼が前方を見て目を細める。
上階へと続く非情階段の傍に、いつの間にか墨色の着流しを着た痩せぎすの鬼が佇んでいた。
112
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/12(土) 00:51:18
「いつまで寝ている、金熊。起きよ」
額に三本の鋭く尖った角を持った鬼は、仰向けにひっくり返っている金熊童子にそう言った。
その声にぱち、と目を開いた金熊童子が、鎖にぐるぐる巻きにされたままの姿でゆっくりと身を起こす。
しかし、戦う力はもう残っていない。すぐに億劫そうに息を吐くと、その場に胡坐をかいた。
「ブフゥ……ず、ずまねぇ……星熊ぁ……オ、オデ、負げぢまっだぁ……」
「善い。大願は某(それがし)と副頭にて成す。お主はゆっくり休め」
「1000年前みでぇに、おがじらど一緒に、飯ぃ……喰いだがっだげんど……しょうがねぇなぁ……」
「お屋形さまにはお伝えしておく。金熊が然様に申しておったと」
「おぉ……だのんだぁ。んじゃぁ、やっでぐれぇ」
金熊童子が軽い口調で言い、痩せぎすの鬼――星熊童子が頷く。
星熊童子は左手に提げた、白鞘に納められた鍔も何もない刀の柄に手を添えると、ゆっくり足を肩幅に開いて腰を落とした。
いわゆる居合抜刀の構えである。
「朋友よ、千歳(ちとせ)の輩(ともがら)よ。我が主君より直伝されし絶技を以て餞とす。受けよ――神夢想酒天流抜刀術!」
ぎゅばっ!
星熊童子が絶速で刀を鞘走らせる。祈、ノエル、ポチ、そして尾弐の頬を一陣の風が撫で通る。
星熊童子と金熊童子の距離は、少なくとも20メートルはあった。そして、両者とも自分のいる場所から動いていない。
というのに。
「……へへ……おがじらぁ……」
ずるり。
金熊童子は頭頂部から股間までの正中線を正確に両断され、縦に真っ二つになって斃れた。
その死に顔は笑っている。心底星熊童子を、そして主君である酒呑童子を信頼しきっている――という顔だった。
「上階にて待つ。死ぬ覚悟ができたならば、参られよ」
朋輩の命を奪っていながら眉ひとつ動かさず、飄然と佇立しながら、星熊童子はブリーチャーズに告げた。
そして、瞬時に姿を消す。何らかの妖術によって自分の担当するフロアに移動したのだろう。
「……見ての通り、奴の……星熊童子の攻撃は刀だ。それも、恐ろしく切れ味がいい」
星熊童子が去った後、天邪鬼が口を開く。
もう、金熊童子の死体には目もくれない。興味がないのか、それとも敢えて見ないようにしているのか。
次なる敵の特徴を口にしながら、天邪鬼はゆっくりと非常階段に向けて歩き出す。
「金熊童子もそうだったが、星熊童子も攻撃に間合いを問わん。奴の抜刀、その剣気は離れた場所の敵をも両断する」
「そして、奴は自らは決して動かん。自身の死圏を定め、そこから攻撃をしてくる」
「だが、奴の本領は間合いを選ばぬ斬撃にあるのではない。奴の強さは受け太刀にある」
「鉄壁の防御から一瞬の隙を衝いて攻撃に転じ、致命の一打を叩き込む。それが奴の戦い方だ」
つまり、虎熊や金熊のように遮二無二攻撃してくるというのではなく後の先――カウンター攻撃が得意だと言っている。
といって、こちらから仕掛けなければよいという訳でもない。星熊には遠距離攻撃に対応する飛ぶ斬撃も持っている。
いわば固定砲台のようなものだ。攻守において完璧な剣士、それが星熊童子ということらしい。
「さて。休んでいる暇などないぞ、星熊が待っている。まだまだ、斃さなければならん鬼は残っているのだからな」
天邪鬼は振り返りもせずに前に進むと、自ら非常階段の防火扉を押し開いた。
113
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/12(土) 00:57:53
「――先ずは、我が朋輩虎熊童子と金熊童子が世話になったこと、御礼申し上げる」
酔余酒重塔、第三フロア。
金熊童子の守っていた第二フロアと同じくらいの広さの空間、その中央で、刀を左脇に置き端坐した星熊童子が頭を下げる。
「あれらは四天王でも粗野な性情、無礼を御詫びする。したが、これも我らが大願のため。何卒御寛恕頂きたし」
そう静かに告げる星熊童子の様子は落ち着き払っており、理知的にさえ見える。
とても酒呑童子復活、まして鬼帝国の建設や人々に害なすようなことをするとは思えない。
しかし、そんな星熊童子がつい先ほど、表情ひとつ変えずに1000年来の仲間であった金熊童子を一刀両断したのも事実だ。
「我らのことを、血も涙もない鬼畜と思っておられような。朋輩すらも手に掛ける、外道の極みであると」
正座の姿勢を崩さぬまま、星熊童子が告げる。
「然り。我らは外道である。人の世より爪弾きにされた異端者である。されど――」
「外道にも一分の理というものがある。とりわけ『大切な御方を救いたい』――そう願うことに、外道も正道もない」
「外道は外道の筋にて、それを成す。お主ら『自分を正常と判ずる者たち』と相容れずば、後はもう戦(いくさ)これ在るのみ」
「さりながら――敢えて。敢えて問う。我らを漂白せしめんとする者たちよ」
か、と星熊童子が双眸を見開く。
「お主らの最愛の者、替えの効かぬ唯一無二の存在。その危難を救う術が、外道にしか存在せぬとなれば――」
「果たして、お主らは外道に堕ちぬと言えるか?自らが正道であり続けるために、愛する者を見捨てられるのか?」
「答えよ、半妖の少女。答えよ、氷雪の化生。答えよ、『獣(ベート)』――」
「そして。答えよ――尾弐黒雄!」
星熊童子の言葉は氷のように冷たく、そして炎のように熱い。
カシャ……と傍らの刀を掴むと、星熊童子は立ち上がった。そして東京ブリーチャーズ、とりわけ尾弐を鋭く見詰める。
三本角の悪鬼は白鞘に納まったままの刀で尾弐を指した。
「虎熊と金熊は誤認を起こしたが、某は違う。某はお屋形さまの一番弟子にて抜刀術の奧伝を賜った身、本性見誤るまいぞ」
「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまにあらず、むしろ酒呑童子とは真逆のもの――」
「我が身惜しさに、お屋形さまの力を横奪した慮外者!うぬこそ我が第一の撃滅対象よ!」
ゆらり、と星熊童子の身体から陽炎のような剣気が滲み出る。
「うぬが副頭や虎熊、金熊の呼びかけに応じぬのも無理からぬ話よ。うぬはただ、お屋形さまの力を奪ったに過ぎぬのだから」
「されど……されどよ。それでもお屋形さまは滅さぬ。お屋形さまは1000年の間、うぬの中で機が熟すのを待っておられたのだ」
「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまの羽化の為の『卵の殻』――もしくは、お屋形さまの表面にこびりついた垢に過ぎぬ」
「ならば――ならばよ。その垢、酒呑童子第一の臣たるこの星熊童子が残らず削ぎ落し。お屋形さま御復活の口火としようぞ!」
今までの二鬼と違い、星熊童子は尾弐を第一の敵とみなしているらしい。
しかし、そのためにはまず祈、ノエル、ポチの三人を斬り伏せなくてはならない。
星熊童子は忌々しそうに三人を見遣った。
「その男の正体を知っても尚、我ら鬼の内幕に首を突っ込むか――度し難い」
「已むを得ぬ。では、お屋形さまを騙る紛い物を叩き斬る前にお主らを斬る。我が刀、酔醒籠釣瓶(よいざめかごつるべ)にて――」
「いざ、酔夢より目醒めて死ね!!」
言うが早いか、星熊童子は目にも止まらぬ速さで刀を抜いた。まさに、その太刀筋は神速と言って差し支えない。
刀から迸った殺意が刃と化し、万物を切断する衝撃となってノエルに迫る。
金熊童子の大鉄球はノーモーション、爆速で繰り出される一撃必殺の攻撃であったが、実体が伴っていた。
しかし、星熊童子の飛ぶ斬撃は違う。あくまで衝撃波であり、実体はない。
また、その動きは抜刀のほんの僅かな手首の返しのみ。しかも星熊童子自身は一箇所に陣取って動かない。
よって、金熊童子戦のようなスタミナ切れ狙いの戦法は使えない。星熊童子は無尽蔵に衝撃波を放ってくる。
114
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/12(土) 01:03:20
「某がお屋形さまより伝授されし神夢想酒天流は不破の撃剣。うぬら程度には見切れまい」
星熊童子が間髪入れず祈、ノエル、ポチの三人に斬撃を放つ。
大小さまざまな真空波による攻撃は、文字通り緩急自在。時には正面から、時には死角から飛来しては的確に急所を狙う。
衝撃波は避けるか破壊するしかないが、そうなっても星熊童子にデメリットは何もない。新たな斬撃を矢継ぎ早に放ってくる。
祈の風火輪から放つ火球も、ノエルの氷柱も、飛ぶ斬撃によって瞬く間に相殺されてしまう。
また、一箇所から動かない星熊童子に接近し、その刀身の届く間合いに踏み込むことはそれこそ下策である。
もし星熊童子に直接攻撃を加えようものなら、即座に必殺のカウンター攻撃が待っている。
相手の攻撃を受け流し、相手の攻撃部位と自らの刀が接触したその刹那、敵の急所を見切って一撃を加える――
「神夢想酒天流、絶技――【鬼灯崩し(ほおずきくずし)】。我が剣を受けた者の額が、鬼灯の如く爆ぜるが故」
ちき……と幽かに刀の鯉口を鳴らし、居合の構えを取った星熊童子が告げる。
「我らは確かに、人の世を生きられなかったあぶれ者。人から見れば悍ましき怪異に外なるまい」
「虎熊は見たもの総てを破壊せずにはおれぬ性情だった。金熊の食欲は、飢饉の折に在って人の肉をも貪った」
「某は人であった頃より、修めた剣技を披瀝せずにはおられなんだ。即ち、どうすれば人を効率良く斬れるか?短時間で殺せるか?」
「ただ、それのみが脳中を占めておった。ああ、我らは確かに鬼であろう。我らは我ら自身の深き業ゆえに妖壊と化したのだ」
「…………」
星熊童子が語る言葉に、離れた場所でその戦いを見守っている天邪鬼が僅かに眉を顰める。
しかし、星熊童子は斟酌しない。それとも天邪鬼の不興に気付いていないのか。
「だが。あの御方は――お屋形さまは違う。あの御方は凡愚どもの妬心によって『妖壊に変えられた』のだ」
「『こんなに美しい者が人間のはずがない。こんなに利発な者が人間のはずはない』という『そうあれかし』によって――!」
憤怒によって感情が昂ったのか、星熊童子の斬撃が一層大きく、鋭さを増す。
剃刀の切れ味と大斧の威力を伴った不可視の衝撃が、祈の長い髪を掠めて飛んでゆく。
酒呑童子の伝承は多々あるが、そのどれもが『元は人間であった』という点で共通している。
また、絶世の美男子であり、傑出した智慧を持つ天才児であった、という点も。
無数の伝承のうちのひとつに、『酒呑童子はその美しさから多くの女性に恋慕され、恋文をもらった』という話がある。
『その恋文を読みもせずにすべて焼き捨てたがゆえ女たちの怨念を受け、鬼と化した』と――。
それは確かに真実だったに違いない。だが、真実の全貌のごく一部でしかない。
即ち。酒呑童子は女だけではない、その才覚を妬むすべての人間たちによって鬼に変えられたのだ。
「鬼と変じたお屋形さまは我ら鬼を束ね、大江山に我らの住処を造られた」
「人界で行き場を失った我らに居場所を与えてくださった。人に見捨てられ、爪弾きにされた我らを掬いあげてくださったのだ」
「そう――」
びゅん!と星熊童子が抜刀する。手首から先が視認できないほどの速度で放たれた刀尖より、衝撃波が迸ってポチを狙う。
「我らがお屋形さまを祭り上げたのではない。我らが、お屋形さまの御旗の下に集ったのだ!」
「1000年に渡る宿願は某が果たす!それが、寄る辺なき我らに生きる意味を与えてくださったお屋形さまへの忠義の証!」
「……たわけが。要らぬことを」
戦いながら酒呑童子への忠誠を吐露する星熊童子の言葉に、天邪鬼が小さく呟きを漏らす。
「星熊童子は攻守ともに隙がない。遠距離では飛ぶ斬撃があるし、近寄れば鬼灯崩しが待っている」
「だがな……奴がどれだけの剣技を身に着けていようと、剣士であることに変わりはない。そこが狙い目だ」
尾弐の傍らに佇みながら、三人の東京ブリーチャーズに指示を出す。
「剣士が最も隙だらけになる瞬間。それは『敵を斬った瞬間』に他ならん」
「敵を斬った瞬間、得物は敵の肉に沈み込み用を成さなくなる。いわば死に体となるのだ。居合ともなれば尚更よ」
「作戦はこうだ。三人のうち、誰か一名が斬られよ。それも深くだ、致命の一打になるほど深く、身体の芯までその一撃を受けよ」
「その瞬間、星熊の剣は死剣となる。その機を逃さず、残りの二名が星熊を攻撃する。それで奴を斃せる」
「幸い虎熊、金熊との戦いでは兵力の損耗を防げた。ここで一人減ったとしても、茨木に到達するまでの戦力としては充分だ」
天邪鬼の授けた対星熊童子の方策は、『祈、ノエル、ポチのうち、誰かひとりが死ね』というものだった。
115
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/12(土) 01:06:02
「――とまあ、そう言いたいところだが」
ブリーチャーズの反応に、天邪鬼は小さく鼻を鳴らして続けた。
「甘ちゃんの貴様らのこと、誰も死なせない!などと微温いことを抜かすのであろう?もしくは自分がやる!いや自分が!と」
「それはとても美しく、かつ莫迦らしく滑稽極まる見世物だが、生憎そんな茶番に費やしている時間はない」
「よって、私がやろう。貴様ら的には、私は敵か味方かも定かならん闖入者。私の代わりを立候補する者もおるまい?」
そう告げて、無造作に一歩を踏み出す。
ふと尾弐の方を振り向くと、天邪鬼は悪戯っぽく目を細めて笑った。
そんな眼差しを、かつて尾弐はどこかで見たことがあったかもしれない。
「こいつらは、貴様の可愛い子らなのだろう?ひとりでも欠けるようなら赦さんと顔に書いてあるぞ、クソ坊主」
「まったく、砂糖菓子よりも甘やかなことよ。だが、それが本質ならば是非もない。私が骨を折ってやるか」
「これもまた適材適所よ。なに、私も死ぬ気などさらさらない。出来ると思うたから、やると言ったまでのこと」
とぉん……と身軽に床を蹴り、ふわりと一瞬浮き上がると、天邪鬼は一転して猛然と星熊童子へ突っかけた。
「さて――では、一瞬だけ隙を作るぞ。一度しかやらぬし、機を逃せば終わりだ。しっかりやれ――若造ども!」
「愚かな、我が『死圏』に踏み込んでくるとは――よほど死にたいと見える!」
当然のように、星熊童子は天邪鬼を迎撃しようと身構えた。
瞬刻の斬撃の前には、小柄な天邪鬼の身体など瞬く間に寸断されてしまうことだろう。
と、思ったが。
ぶわっ!
天邪鬼が杖を左腰に掻い込み、星熊童子と同じ居合抜刀の構えを取る。
途端にその手許から無数の真空波が発生し、放射状に星熊童子の頭上へと降り注ぐ。その様はまるで白昼の流星雨のようだ。
チン、と天邪鬼の手許で鍔鳴りがする。どうやら、天邪鬼の携える杖は内部に刃を持つ仕込み杖であったらしい。
瞬きよりも短い時間に、天邪鬼は仕込み杖を振るって夥しい数の衝撃波を同時発生させたのだ。
ドドドドドドドドウッ!!!
「ぐ……、ぐおおおおおお!?」
星熊童子は絶叫した。と同時、自らも抜刀から多数の衝撃波を放って応戦する。
だが、星熊童子が叫んだのは今まで非戦闘員を気取っていた天邪鬼の想像を絶する戦闘能力に対してではなかった。
「こ、これは……この絶技は!神夢想酒天流奥義【大鬼蓮(おおおにばす)】――!?」
「――喋りすぎだ、星」
「ち、ぃ……!」
ガギィッ!
互いの死圏に踏み込んだ天邪鬼の剣と星熊童子の剣が激突し、火花を散らす。
自然、両者は鍔迫り合いのかたちになった。――つまり星熊童子は天邪鬼に集中せざるを得ず、他の三人にまでは手が回らない。
「今だ!一呼吸でケリをつけよ、小僧ども!」
星熊童子を打倒する唯一無二の機会に、天邪鬼は叫んだ。
116
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:28:04
>「それとまったく同じことを、頼光が宣っておったわ。今の貴様は奴らと何も変わらん、瓜二つだ」
>「おのれの信ずるもの以外の一切を認めず、虫けらのように殺すことしか考えておらぬ源頼光とその四天王にな。ハハ……」
>「奴らとて、元は人であったというのにな――だが、人は奴らを排除した。自分たちとは違うと」
>「『そうあれかし』と……ヒトが望んだのだ。あんな粗野な、醜悪な者たちを、我らの仲間と認められるか!と――」
>「……増上慢ここに極まれり、というやつよな」
逆撫でるとはこの様な事を言うのだろう。
憎悪を隠しもしない尾弐の殺気を受けて尚、天邪鬼は尾弐に言葉を投げかける。
よりにもよって――――尾弐が、酒呑童子を誅殺した彼の英雄と同じ思想に成り果てていると。
>「言ってほしいなら言ってやるぞ、クソ坊主。貴様がそんな胸中までを望んで吐露するのなら。してしまうのなら――」
>「『虫螻の如く穴倉を這い擦ったは、貴様であろう?クソ坊主』――と、な」
「……」
そして最後には、尾弐の隠していた過去すらも持ち出して来た。
那須野橘音にすらも語った事のない己の浅ましく愚かな過去を、どういう手段を用いてか暴き立てたのかは判らない。
けれど、天邪鬼は確かにそれを言葉の刃として突き付けてきたのだ。
尾弐の理念を否定し、信念を否定し、展望を否定する。
臓腑を刃物で切りだし、見せつけてくるような言動。
それを受けた尾弐の顔からは――――感情の色が抜け落ちる。
むき出しにしていた殺気も成りを潜め、鉛の様に無機質な何かだけがその場に残る。
尾弐と天邪鬼の間には暫しの沈黙が訪れ
>「おう、やっと終わったか。まったく、私が攻略法を教えているのだぞ?須臾にも満たず打倒してもらわなければ困る」
けれど、決定的な何かが起こる事は無かった。
ポチの絶妙な一撃によって金熊童子は己が鎖に絡め取られ、次いでズズと巨体が沈む音が響く。
それは戦闘の終了を告げ、同時に剥げ掛けた尾弐の理性の仮面を元に戻す事を叶えていた。
>「これで二鬼。こちらは欠員も大きなダメージもない。ふむ……上々の成果と言ったところか」
>「いいぞ、東京ブリーチャーズ。多少物足りぬところはこの際目を瞑る、このまま往け」
天邪鬼の尊大な物言いに鼻白む様子を見せつつも、尾弐は仲間達に激励の言葉でも掛けようとしする。しかし
117
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:29:04
>「”代わりに”って何!? 事件もみんなで解決するんだから!
>お願いするのに対価が必要なほど他人行儀な間柄じゃないでしょ?」
不意に、先ほどのノエルの言葉が頭を過り口を閉じる。
意図こそしていなかったが、無意識に契約じみた言葉を吐いてしまう程に自身は感傷的になっている。
その事に思い至り――――これ以上何かを残すような事を、無意味な事をすまいと、祈達へ背を向け先へと歩を勧めんとする。が
>「どうやら、その前にやるべきことがあるようだ」
一歩、歩を勧めた尾弐がその存在に気付いたのと、天邪鬼が警戒の言葉を発したのは同時。
>「いつまで寝ている、金熊。起きよ」
「……ったく、次から次へと」
東京ブリーチャーズの進む先に、鬼が居た。
3つの角を持つ、鬼という種族にしてはか細いと言っても良い体つきの男。
纏う鋭い妖気に尾弐は一瞬警戒の色を見せるが、その鬼の意識が倒れ伏す金熊童子へと向けられている事に気付き、視線を移す。
>「1000年前みでぇに、おがじらど一緒に、飯ぃ……喰いだがっだげんど……しょうがねぇなぁ……」
案の状……そこには意識を取り戻した金熊童子が居た。
先のポチの攻撃は間違いなく威力を発しており、もはや動ける状態でない筈だ。
だというのに、金熊童子は気力のみで状態を起こし、名残惜しそうに言葉を残していく。
それは、先の一幕の再現の様であり、故に尾弐も彼らの目論見に容易に気付く事が出来た。
現れた鬼は、星熊童子は――――金熊童子の命脈を絶つつもりだ。
「何を企んでるかは知らねぇが――――わざわざ思い通りに事を進めてやるつもりなんてねぇよ」
苛立ちを隠さずにそう言った尾弐は、星熊童子の方へと視線を戻すと攻撃を遮らんと動く。
幸い、金熊童子と星熊童子の間には十分な距離が開いている。
彼奴の攻撃は届かず、殺害の阻止は成功する
筈であった。
118
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:29:30
>「朋友よ、千歳(ちとせ)の輩(ともがら)よ。我が主君より直伝されし絶技を以て餞とす。受けよ――神夢想酒天流抜刀術!」
虚空を舞うは不可視の斬刃。
頬を流れる一陣の風を残し、業は放たれる。
十一間に渡る距離を零とし、尾弐の背後から血袋が切り裂かれたかの様な音が響く。
>「上階にて待つ。死ぬ覚悟ができたならば、参られよ」
言葉少なげに去りゆく星熊童子に、尾弐は知らず知らず一筋の汗を流す。
飛ぶ斬撃――――言葉にすれば陳腐になるが、その実体は恐るべき脅威である。
間合いも防御も無関係に知らぬ間に体が泣き別れるなど、何の冗談であろうか。
かつて東京ブリーチャーズと対峙した狼王ロボも極めて優れた武術を用いていたが、アレはあくまで術理に即したものであった。
対して、跳ぶ斬撃には術理もなにも無い。文字通りの反則技だ。
> 「……見ての通り、奴の……星熊童子の攻撃は刀だ。それも、恐ろしく切れ味がいい」
(金熊童子の、鬼の体表を膾切りする様な斬撃を受けるのはまず無理だ。かといって、回避するのもジリ貧だ。結界を張ろうにも、生半可な強度じゃあ諸共首を落とされちまう)
天邪鬼の講釈を聞き流しながら、尾弐は思考を纏め対策を練らんと試みる。
そうして何度も思考を繰り返して……ある回答に辿り着く。
(ならば最善手は――――誰か一人が犠牲になって刃を止め、突破口を開く事)
命の取捨選択。その可能性に思い至った尾弐は、けれど首を振って思考を振り払う。
それ以外の解答を得んと、思考を空回りさせ続ける。
―――――
119
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:31:12
非常扉を潜り抜けた先。やはりそこに星熊童子は居た。
形は違えど同じ事の繰り返し。
どうせこの鬼も自身を酒呑童子と見て来い縋るのだろうとそう見做し、剣撃を打ち破る手段を打ち破るべく思考の海へと沈み――――
>「――先ずは、我が朋輩虎熊童子と金熊童子が世話になったこと、御礼申し上げる」
>「お主らの最愛の者、替えの効かぬ唯一無二の存在。その危難を救う術が、外道にしか存在せぬとなれば――」
>「果たして、お主らは外道に堕ちぬと言えるか?自らが正道であり続けるために、愛する者を見捨てられるのか?」
>「答えよ、半妖の少女。答えよ、氷雪の化生。答えよ、『獣(ベート)』――」
>「そして。答えよ――尾弐黒雄!」
そうであったが故に、驚愕した。
酒呑童子ではなく、尾弐黒雄へと向けられた視線と敵意に反応し、星熊童子と視線を合わせる。
「……どうやら、テメェは間抜けじゃねぇみてぇだな」
侮蔑と賞賛。2つの意味をもってそう言葉を吐きだすと、尾弐はゆっくりと己が拳を開閉する。
そんな尾弐に星熊童子は畳みかけるように言葉を投げかける。
糾弾するように、断罪するように。
>「虎熊と金熊は誤認を起こしたが、某は違う。某はお屋形さまの一番弟子にて抜刀術の奧伝を賜った身、本性見誤るまいぞ」
>「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまにあらず、むしろ酒呑童子とは真逆のもの――」
>「我が身惜しさに、お屋形さまの力を横奪した慮外者!うぬこそ我が第一の撃滅対象よ!」
>「うぬが副頭や虎熊、金熊の呼びかけに応じぬのも無理からぬ話よ。うぬはただ、お屋形さまの力を奪ったに過ぎぬのだから」
>「されど……されどよ。それでもお屋形さまは滅さぬ。お屋形さまは1000年の間、うぬの中で機が熟すのを待っておられたのだ」
>「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまの羽化の為の『卵の殻』――もしくは、お屋形さまの表面にこびりついた垢に過ぎぬ」
>「ならば――ならばよ。その垢、酒呑童子第一の臣たるこの星熊童子が残らず削ぎ落し。お屋形さま御復活の口火としようぞ!」
「我が身惜しさに酒呑童子の力を横奪した、か……そうだな、その通りだ。よく気付いた。確かに俺は俺の目的の為に、酒呑童子の力を手放してこなかった。正解だ。おめでとさん。御利口御利口」
そして、尾弐黒雄は自身が酒呑童子という『力』の簒奪者であるというその誹りに対して……自嘲交じりの歪んだ笑みと共に肯定を行った。
次いで、強い敵意と共に尾弐は言葉を返す。
120
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:31:52
「それで何だ?確か、無二の存在を助ける為ならテメェが外道に堕ちる事が出来るかどうか、だったか?」
「ハッ――――馬鹿馬鹿しい。そもそも前提が間違ってんだろうが。外道に堕ちた奴に『まともに』救えるモンなんざねぇよ。出来てせいぜい、諸共に死ぬくらいだろ」
「自分は自分以外のものになんざなれねぇ。外道に堕ちても尚、一丁前に救って救われてが出来るなんて考えてるなんざ、可笑しいにも程があらぁ」
「殻を削ぎ落すだの、垢を落とすだの……みみっちぃ事を囀りやがって。こいつ等の前で俺の昔話なんざベラベラと喋りやがって」
「だったら、1000年こびり付いた垢の穢れを見せてやるぜ。人間を前に逃げ出したお前さんは今回は我慢していられるか?」
一歩、また一歩と、尾弐は歩を進めて行く。
尾弐の悪性を。彼がが強大な妖怪でも、酒呑童子でも何でもない、簒奪者である事を知った背後の東京ブリーチャーズの仲間達は、困惑している事だろう。
だからこそ、動くのであれば今しかない。
仲間達が困惑している間に、尾弐が第一矢となれば事は済む。
死ぬつもりは無い。取って置いた切り札であるが……今の己であれば、結界を張る様な人間的な呪術を用いる事が出来る。
その結界に刃が触れる事によって生まれる一瞬の時間を狙い、穿つ。そう試みようとし――――
>「その男の正体を知っても尚、我ら鬼の内幕に首を突っ込むか――度し難い」
>「已むを得ぬ。では、お屋形さまを騙る紛い物を叩き斬る前にお主らを斬る。我が刀、酔醒籠釣瓶(よいざめかごつるべ)にて――」
>「いざ、酔夢より目醒めて死ね!!」
「……っ!? お前等……」
だが、話は尾弐の思う様な展開にはならない。
尾弐が思う程に東京ブリーチャーズの精神は弱くは無く、過ごして来た時間は長かったからだ。
――――かくして悪鬼の住まう塔における第参幕、星熊童子との対決は幕を上げる。
121
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/01/17(木) 22:33:29
強く、速く、隙が無い。
それは正道の剣であり、王道の剣。
単純に能力で上回らなければ打ち破る事が出来ないその剣を前に、尾弐以外の東京ブリーチャーズの面々はそれでも善戦している。
斬撃を相殺し、回避し、動き回り立ち回る。
有象無象であれば8度は首が断たれているであろう剣風の中を、未だ誰一人絶命する事無く戦っている。
けれど、立ち合いの先に勝利が見えない。
幾百の剣を放っても尚、星熊童子に疲労の色は見えず、対して常に死に晒されている東京ブリーチャーズ達への精神的な疲労は大きい。
恐らく。このまま行けば……誰か一人でも崩れれば、戦線は崩壊する事だろう。
状況に歯噛みをする尾弐だが、しかしてその先に踏み込む事は叶わず。
単純な相性の問題だ。回避に優れず、近接戦闘を得意とする尾弐では、乱入しても足手まといにしかならない。
結界を張ろうにも、こうも動き回っていては却って邪魔になる事は請け合いだ。
そんな尾弐を尻目に、星熊童子は言葉を並べていく。
>「だが。あの御方は――お屋形さまは違う。あの御方は凡愚どもの妬心によって『妖壊に変えられた』のだ」
>「『こんなに美しい者が人間のはずがない。こんなに利発な者が人間のはずはない』という『そうあれかし』によって――!」
それは、彼等と酒呑童子の過去の話。
憤懣やるかたないという様子で。怒りを言葉にせねば抑えきれないといった様子で。
人間への憎悪を込めて、星熊童子は過去を語る。
>「我らがお屋形さまを祭り上げたのではない。我らが、お屋形さまの御旗の下に集ったのだ!」
>「1000年に渡る宿願は某が果たす!それが、寄る辺なき我らに生きる意味を与えてくださったお屋形さまへの忠義の証!」
「……ふざけやがって。あいつは子供だぞ。ちっとばかり賢いだけの、普通のガキだったんだ。
それを、自業自得で地に堕ちたテメェ等を束ねて生きる意味を与えただの、お屋形だのと縋り付きやがって……あいつが、そんな事をしなきゃならなかった意味すら考えられねぇのかクソ共が」
星熊童子の語る酒呑童子の過去を、尾弐は否定しない。
だが、その想いに対しては激怒と言うにはあまりに黒い怒りの感情を見せる。
尾弐と星熊童子。二人が酒呑童子という存在にに向ける感情は、どこか似ているが……けれど、見ているものが決定的に異なっている。
そして、そんな尾弐を尻目に、天邪鬼が口を開く。
>「作戦はこうだ。三人のうち、誰か一名が斬られよ。それも深くだ、致命の一打になるほど深く、身体の芯までその一撃を受けよ」
>「その瞬間、星熊の剣は死剣となる。その機を逃さず、残りの二名が星熊を攻撃する。それで奴を斃せる」
>「幸い虎熊、金熊との戦いでは兵力の損耗を防げた。ここで一人減ったとしても、茨木に到達するまでの戦力としては充分だ」
>「――とまあ、そう言いたいところだが」
激昂している最中に放たれた言葉に、一瞬、尾弐の中から殺意が漏れ出たが、続く言葉によってかき消される。
>「よって、私がやろう。貴様ら的には、私は敵か味方かも定かならん闖入者。私の代わりを立候補する者もおるまい?」
>「こいつらは、貴様の可愛い子らなのだろう?ひとりでも欠けるようなら赦さんと顔に書いてあるぞ、クソ坊主」
>「まったく、砂糖菓子よりも甘やかなことよ。だが、それが本質ならば是非もない。私が骨を折ってやるか」
>「これもまた適材適所よ。なに、私も死ぬ気などさらさらない。出来ると思うたから、やると言ったまでのこと」
それは、これまでの態度をみるにあまりにも意外な言葉。
尾弐としては、ここで天邪鬼が死のうとどうしようとまるで痛痒は無い。
むしろ、死んだ方が気苦労が無くなるとすら思っていたのだが――――
不思議な事に、振り返った天邪鬼の目を見た瞬間、その手が動きかけた。
遠い昔に忘れてしまった何かが、尾弐を無意識に動かしたのだ。
その動きは、あたかも引き留めんとせんが如きもので……すんでの所で腕は止めたものの、自身の行動が理解出来ない尾弐は首を傾げる。
>「こ、これは……この絶技は!神夢想酒天流奥義【大鬼蓮(おおおにばす)】――!?」
>「――喋りすぎだ、星」
尾弐の眼前では、まるで星熊童子の動きを見知っているかの様に天邪鬼が大立ち回りを演じている。
想像を絶する動きは、星熊童子の堅牢な剣陣に一瞬の隙を産み出す。
ことここに至っては、尾弐に出来る事は東京ブリーチャーズの面々を信じるしかない。
男はただ拳を握り、戦闘の行く末を見守る――――
122
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:07:26
「ふーっ……終わったな」
燃え盛る料理たちを背に、祈は深く息を吐いて額の汗を拭った。
祈は赤鬼にカロリーを摂取させまいと妨害に回るだけでなく、
必要であれば赤鬼に一撃見舞うつもりでいたのだが、その必要もなく戦いは終わった。
乃恵瑠の姿となったノエルは祈の呼びかけに応え、氷の弓矢で赤鬼を圧倒。
赤鬼に更にカロリーを消費させたうえで、突っ張った鎖に一撃を加え、弱った赤鬼をつんのめらせた。
そこにすかさず、ポチが動いた。
カロリー消費を抑える為に短く持っていたのであろう鎖には、
攻撃に使われていない余剰部分があり、赤鬼の周囲に転がっていた。
ポチは目眩ましの後にそれを利用し、赤鬼を拘束。
そして頭部への踵落とし、足払い、顔面への強烈な膝蹴りという流れで、
赤鬼を完全に沈めたのであった。
再びほぼ無傷での勝利をおさめることができたのは、素直に喜ぶべきことだろう、と祈は思う。
ノエルの尾弐に対する態度が僅かにおかしい(尾弐の言葉に敏感に反応しているように見える)ことや、
言われてみれば尾弐も少し様子がおかしいように見えること。
更に、攻撃に怒りや焦りが見えるポチ。
敵の鬼達が仲間を殺す理由やシロが敵側にいる理由など、
不安なことやわからないことなど、この状況には多くの問題を抱えているものの――。
祈が呼吸を整えていると、
>「おう、やっと終わったか。まったく、私が攻略法を教えているのだぞ?須臾にも満たず打倒してもらわなければ困る」
杖で右肩を叩きながら、その問題の1つである天邪鬼がそんなことを宣う。
天邪鬼もまた、謎が多い。アドバイスはくれるものの、味方か敵か、本当は誰なのか。
何を目的に同行しているのか。はっきりしたことがわからない。
この偉そうな態度もまた、敵味方を判別させない要因になっているように祈には思えた。
ちなみに『須臾』の意味は祈にはわからなかったが、
『もっと早く倒せ』と言っているのだろうということはなんとなくわかった。
>「これで二鬼。こちらは欠員も大きなダメージもない。ふむ……上々の成果と言ったところか」
>「いいぞ、東京ブリーチャーズ。多少物足りぬところはこの際目を瞑る、このまま往け」
続ける言葉も上からのお褒めの言葉とでも言えるもので、どうにも偉そうだと祈には感じられたが。
「……ハイハイ、わかったよ」
今度は、祈は不機嫌になることはなかった。
なぜなら、祈は天邪鬼が虎熊童子の名前を『虎』と、まるで愛称のように呼んだのを聞いているからだ。
不意に口から出てしまった本音、という響きを持ったその言葉は、
『もしかしたら天邪鬼は酒呑童子側にいた誰かで、四天王とも親しかったのではないか』と祈に思わせた。
そこから、ある重大な目的の為に親しかった者達を倒しに来ざるを得なかったのでは、という事情を想像したし、
その想像は、この偉そうな態度も、親しい相手を倒さざるを得ない苦々しさから来るものなのでは、
なんてことを祈に考えさせた。
生まれつきそういう尊大な性格かもしれないが、それなら直しようもないし、と。
一種の諦めがついたのである。
そして、虎熊童子の時とは違って、尾弐は何も言わなかった。
何とも言えぬ表情で、無言のまま祈達を通り過ぎ、次の階を目指して歩き始めてしまう。
(……? なんか元気ねーな尾弐のおっさん。やっぱ様子が変っぽいな)
天邪鬼と尾弐のやり取りを知らない祈が、尾弐を見てそんな風に思っていると。
>「どうやら、その前にやるべきことがあるようだ」
と、不意に天邪鬼がそんな風に言って、目を細めた。
祈が天邪鬼の視線を追うと、次の階へと続く非常階段の入口に、
いつの間にやら黒い和服(袴がなく、着物のみ)の鬼が立っている。
三つの角を生やしたその鬼は、痩せ気味でどこか不健康そうな印象を祈に与えた。
尾弐はその鬼を見て足を止める。
123
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:08:31
>「……ったく、次から次へと」
(下りてきやがった……!)
階層に一人ずつ配置されているであろう鬼がわざわざ下層に降りてきている。
先程の虎熊童子が殺されたことを思えば、何をしに来たかは明白だった。
祈は咄嗟に、鎖にグルグル巻きにされて仰向けに倒れたままの赤鬼を、
痩せ気味の鬼から遠ざけようと引っ張る。だが、あまりの重さにまったく動かせない。
>「いつまで寝ている、金熊。起きよ」
しかも、痩せ気味の鬼がこう声を掛けたことで、赤鬼はぱちりと目を開けて、
上体を起こしてしまう。
これでは祈が引っ張ろうとしても、赤鬼が上体を振るだけで阻害されてしまうだろう。
また、祈はこの時ようやく、赤鬼の名前が金熊童子だというのを知った。
金熊童子はそのまま胡座をかいた姿勢になって
>「ブフゥ……ず、ずまねぇ……星熊ぁ……オ、オデ、負げぢまっだぁ……」
と申し訳なさそうに返答する。
>「善い。大願は某(それがし)と副頭にて成す。お主はゆっくり休め」
>「1000年前みでぇに、おがじらど一緒に、飯ぃ……喰いだがっだげんど……しょうがねぇなぁ……」
金熊童子と痩せ気味の鬼は、親し気にこう会話を繰り広げた。
祈はその間も金熊童子を移動させようと、階下へ続く非常階段へ向けて、
金熊童子の鎖を斜め後方に引っ張っている。
その間にも二人の会話は続く。
>「お屋形さまにはお伝えしておく。金熊が然様に申しておったと」
>「おぉ……だのんだぁ。んじゃぁ、やっでぐれぇ」
そして金熊童子の言葉に痩せ気味の鬼は頷いて、左手に持った刀に手をかけた。
さらに腰を落とし、居合か何かを思わせる構えを取る。攻撃態勢に入ったことが窺えた。
>「何を企んでるかは知らねぇが――――わざわざ思い通りに事を進めてやるつもりなんてねぇよ」
もっとも痩せ気味の鬼に近い位置にいる尾弐もまた、攻撃を察知したのだろう。
それを阻止すべく痩せ気味の鬼へ向けて動く。
痩せ気味の鬼と尾弐との距離は10mはあるだろうか。金熊童子とならば20m近くも離れている。
それほどの距離があるのに、何かが起きてしまいそうな不安を祈は覚えた。
「あいつ、何する気かわかんないけど……気を付けろよ尾弐のおっさん!」
言いながら、金熊童子の鎖を引っ張る手にさらに力を込める祈だが、
金熊童子は上体が僅かに傾いただけでびくともしない。
>「朋友よ、千歳(ちとせ)の輩(ともがら)よ。我が主君より直伝されし絶技を以て餞とす。受けよ――神夢想酒天流抜刀術!」
そして、放たれる一撃。ヒュバッ、と素早い抜刀と納刀の音。
一陣の風が吹いて祈の髪を僅かに揺らしたが、何かが起こった様子はない。
痩せ気味の鬼もその場から一歩も動いていないように見えて、
痩せ気味の鬼に向かっていった尾弐も、仲間たちも、自分にも異常は見られない。
だが、祈が引っ張っていた金熊童子の後頭部に一本の線が縦に走ったと思えば、
その線から血飛沫が噴き出した。
124
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:09:37
>「……へへ……おがじらぁ……」
金熊童子は鎖ごと縦一文字に両断されていた。
金熊童子を、全体重を掛けて引っ張っていた祈は、
鎖が切れたことで支えがなくなり、後方に尻餅をつく。
それに引き摺られる形で金熊童子は仰向けに倒れてしまった。
金熊童子は幸せそうな顔で、脳を、頭蓋を、口内を、喉を、胃を、
胃の内容物を、腸を、筋肉を、骨を、肺を、心臓を。
中身をさらけ出して、死んだ。
痩せ気味の鬼の扱う神夢想酒天流抜刀術。
その攻撃は距離を問わなかった。
真空や衝撃波か何かを飛ばして、これ程の距離が開いている金熊童子を両断してみせた。
祈は鎖を握ったまま、もうぴくりとも動かない金熊童子の顔を見つめている。
>「上階にて待つ。死ぬ覚悟ができたならば、参られよ」
そして絶技によって仲間を切り捨てた痩せ気味の鬼は淡々とそう告げて、姿を消した。
上階へと戻っていったのだろう。
>「……見ての通り、奴の……星熊童子の攻撃は刀だ。それも、恐ろしく切れ味がいい」
口を開いたのは天邪鬼だった。
倒れた金熊童子を見もしないことや、言葉に僅かながらの沈黙があるところから、
天邪鬼にも僅かながら動揺が窺えたように祈には思える。
また、痩せ気味の鬼は星熊童子というのだと祈は知った。
祈はショックを受けながらも立ち上がり、金熊童子に、
そして下半身だけになった虎熊童子に向けて手を合わせながら天邪鬼の言葉を聞いた。
>「金熊童子もそうだったが、星熊童子も攻撃に間合いを問わん。奴の抜刀、その剣気は離れた場所の敵をも両断する」
>「そして、奴は自らは決して動かん。自身の死圏を定め、そこから攻撃をしてくる」
>「だが、奴の本領は間合いを選ばぬ斬撃にあるのではない。奴の強さは受け太刀にある」
>「鉄壁の防御から一瞬の隙を衝いて攻撃に転じ、致命の一打を叩き込む。それが奴の戦い方だ」
(……攻守両方カンペキって訳か)
遠のけば遠距離抜刀術が。近付いて攻撃すれば必殺のカウンターが襲い掛かる。
虎熊童子、金熊童子を上回る恐るべき敵であることは間違いないようだった。
どうやって倒せばいいのだろう、と祈は考える。
>「さて。休んでいる暇などないぞ、星熊が待っている。まだまだ、斃さなければならん鬼は残っているのだからな」
そう言って、再び天邪鬼はブリーチャーズを先導する形で歩き始め、
各々それに続く。
尾弐は何か深く考え込んでいるようで、ずっと黙ったままだった。
祈と同じように、星熊童子の攻略方法を考えているのかもしれなかった。
125
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:11:07
非常階段を上がり、酔余酒重塔の第三階層に辿り着いた一行。
それを金熊童子の時と同様の広い空間と、その中央に、刀を傍らに置いて正座する星熊童子が迎えた。
>「――先ずは、我が朋輩虎熊童子と金熊童子が世話になったこと、御礼申し上げる」
>「あれらは四天王でも粗野な性情、無礼を御詫びする。したが、これも我らが大願のため。何卒御寛恕頂きたし」
星熊童子はそう言って頭を下げてきた。
敵相手であっても、姿勢を正して礼を忘れずに接する。
着物を着ていることもあって、その姿はまるで名君に仕える武士か侍のようですらある。
到底、スカイツリーを用いて東京の人々を死に至らしめようとしているようにも、
東京を鬼の王国に作り変えようとしているようにも、ましてや、仲間を斬り捨てる人物にも見えない。
>「我らのことを、血も涙もない鬼畜と思っておられような。朋輩すらも手に掛ける、外道の極みであると」
こちらの考えを見抜いたように、星熊童子はそのことについて言及した。
>「然り。我らは外道である。人の世より爪弾きにされた異端者である。されど――」
>「外道にも一分の理というものがある。とりわけ『大切な御方を救いたい』――そう願うことに、外道も正道もない」
そして自分達は仲間を斬り捨てる外道であると、そう認めるのだった。
言葉から察するに、仲間を殺すことは『大切な御方』を救うことに直結しているようではあるが、詳細は分からない。
また、語る言葉の一部には頷けるものがあった。
どんな人物にだって大切な人や物がある。それを守ろうとか、救おうとか、
そう想う気持ちそのものは、外道や正道、そんな風に分類などできないものだろうと。
しかし、その先。その気持ちから生じる結論には、祈は引っかかるものを覚える。
>「外道は外道の筋にて、それを成す。お主ら『自分を正常と判ずる者たち』と相容れずば、後はもう戦(いくさ)これ在るのみ」
(……あたしら、自分が正常だからとか、自分達が正しいからあんた達を倒す、なんて言ったっけ……?)
それに排斥しようとしているのではなく止めるだけのつもりであるし、
戦あるのみと言われても、そちらから仕掛けてこないのであれば祈はむしろ話し合いの方が望みである。
話し合う余地も、相容れる余地も充分にあると祈は思っている。
この向けられた敵意は祈達を見ていないような、そんな違和感があった。
>「さりながら――敢えて。敢えて問う。我らを漂白せしめんとする者たちよ」
思考に沈む祈を置いて、星熊童子は言葉を続け、目をかっと見開く。そして問いかけた。
>「お主らの最愛の者、替えの効かぬ唯一無二の存在。その危難を救う術が、外道にしか存在せぬとなれば――」
>「果たして、お主らは外道に堕ちぬと言えるか?自らが正道であり続けるために、愛する者を見捨てられるのか?」
>「答えよ、半妖の少女。答えよ、氷雪の化生。答えよ、『獣(ベート)』――」
その瞳や言葉には、冷静な語り口とは裏腹に、煮えたぎる怒りが宿っているようであった。
祈はその問いに対して僅かに考えるが、
>「そして。答えよ――尾弐黒雄!」
その怒りはどうやら尾弐に向けられているらしいことがわかり、開こうとした口を閉じる。
白鞘の刀を掴んで立ち上がり、刀で尾弐を指す星熊童子。
星熊童子の目はブリーチャーズ全員を捉えているようでいて、
ほとんど尾弐だけを睨むように見ている。
>「……どうやら、テメェは間抜けじゃねぇみてぇだな」
対する尾弐は、侮蔑とも称賛とも、どちらともつかない言葉を吐いた。
尾弐のことを酒呑童子と呼ばないのは、四天王の中では星熊童子が初めてだった。
126
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:13:19
>「虎熊と金熊は誤認を起こしたが、某は違う。某はお屋形さまの一番弟子にて抜刀術の奧伝を賜った身、本性見誤るまいぞ」
>「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまにあらず、むしろ酒呑童子とは真逆のもの――」
>「我が身惜しさに、お屋形さまの力を横奪した慮外者!うぬこそ我が第一の撃滅対象よ!」
>「うぬが副頭や虎熊、金熊の呼びかけに応じぬのも無理からぬ話よ。うぬはただ、お屋形さまの力を奪ったに過ぎぬのだから」
>「されど……されどよ。それでもお屋形さまは滅さぬ。お屋形さまは1000年の間、うぬの中で機が熟すのを待っておられたのだ」
>「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまの羽化の為の『卵の殻』――もしくは、お屋形さまの表面にこびりついた垢に過ぎぬ」
>「ならば――ならばよ。その垢、酒呑童子第一の臣たるこの星熊童子が残らず削ぎ落し。お屋形さま御復活の口火としようぞ!」
星熊童子は尾弐に対し、尾弐は酒呑童子の力を奪ったに過ぎず、
内部にいる酒呑童子にとっては卵の殻やこびりついた垢に過ぎないと罵ってみせた。
>「我が身惜しさに酒呑童子の力を横奪した、か……そうだな、その通りだ。よく気付いた。確かに俺は俺の目的の為に、酒呑童子の力を手放してこなかった。正解だ。おめでとさん。御利口御利口」
そして尾弐もまた、奪ったことを否定しない。複雑な笑みでもって、星熊童子の言葉を迎えた。
つまるところ、星熊童子の言葉には真実が含まれているのだろう。
尾弐は酒呑童子そのものではなく、酒呑童子の力を持っている別人であるという真実が。
だが、星熊童子の言葉には――酒呑童子の力を簒奪した、という部分に関して――確証はない。
尾弐が自分のことを、悪し様に言っている可能性があるからだ。
祈の父母が命を落としたことに責任を感じ、『自分達が殺した』というように思い詰めていたようであるし、
例え酒呑童子本人から借り受けたものであったとしても、尾弐ならそんな風に言う可能性は充分にある。
>「それで何だ?確か、無二の存在を助ける為ならテメェが外道に堕ちる事が出来るかどうか、だったか?」
>「ハッ――――馬鹿馬鹿しい。そもそも前提が間違ってんだろうが。外道に堕ちた奴に『まともに』救えるモンなんざねぇよ。出来てせいぜい、諸共に死ぬくらいだろ」
>「自分は自分以外のものになんざなれねぇ。外道に堕ちても尚、一丁前に救って救われてが出来るなんて考えてるなんざ、可笑しいにも程があらぁ」
尾弐は強い敵意を持って、星熊童子へと言葉を返す。
>「殻を削ぎ落すだの、垢を落とすだの……みみっちぃ事を囀りやがって。こいつ等の前で俺の昔話なんざベラベラと喋りやがって」
>「だったら、1000年こびり付いた垢の穢れを見せてやるぜ。人間を前に逃げ出したお前さんは今回は我慢していられるか?」
さらに煽るように言って、星熊童子の元へと一歩一歩向かっていく。
127
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:14:59
祈はそれを止める為、風火輪をガーッと滑らせて、尾弐の進行方向に割り込んだ。
そして右腕を横に出す。尾弐にそれ以上進むな、というボディランゲージである。
さらに星熊童子を見据えて口を開いた。
「星熊童子。まず、あんたが酒呑童子を復活させようとすること自体はあたしは否定しない。
でも、あんた達放置してたら、東京の人が大勢が死ぬんだよ。
アスタロトが勝手にやってることなのか、酒呑童子復活に必要だからってあんた達も噛んでるのかは知らないけど。
あんたが酒呑童子のことを想ってるのと同じように、殺される人達にだって大切な人がいる。
だからあたしはあんた達を見過ごせない。それと、あんた達が仲間同士で殺し合うのも見てらんないってのもある。
あんた達は納得してんのかもしれないけど、あたしは納得してねーからな」
言葉を切る。手を降ろして、風火輪を履いた右足の爪先を、コツコツと床に当てた。
「そんで、あんた達を止めるためには……よく分かんないけど尾弐のおっさんの力は温存しなきゃいけないらしい。
だからここであんたと戦わせる訳にはいかない。
あとは、尾弐のおっさんが酒呑童子の力を持ってんのは、奪ったからじゃないってあたしは信じてんだ。なんかの誤解だって。
それを卵の殻とか、こびりついた垢とか言われたら黙ってらんねーっつーか。
そんな訳だから悪いけど――、尾弐のおっさんの前にあたしが相手だ」
祈はそんな言葉を吐いて見せる。
ノエルとポチもまた、祈と同様に星熊童子に敵対する姿勢を見せた。
星熊童子はそんな三人を忌々し気に睨みつけると、
>「その男の正体を知っても尚、我ら鬼の内幕に首を突っ込むか――度し難い」
>「已むを得ぬ。では、お屋形さまを騙る紛い物を叩き斬る前にお主らを斬る。我が刀、酔醒籠釣瓶(よいざめかごつるべ)にて――」
>「いざ、酔夢より目醒めて死ね!!」
そう言って戦いの火蓋を切って落とすのだった。
星熊童子の神速の抜刀がノエルを狙う。
>「……っ!? お前等……」
祈はノエルの無事を確認すると、尾弐へ向き直る。
「尾弐のおっさんは下がってて。事情はよくわかんないけど、力は温存しておきたいんでしょ」
戦いが始まり、話す時間は僅かしかなかったが、祈は尾弐にふっと微笑んでそう告げた。
尾弐と酒呑童子の関係について問うこともないのは、信頼の証だろうか。
そして祈は星熊童子から見て左方向へと走り出す。
同じ場所に三人が固まっていれば、三人纏めて切り刻んでくれと言っているようなものだからだ。
また、三人が散らばっていれば、星熊童子に隙が生じるかもしれない。
たとえば前方、斜め右後ろ、斜め左後ろ、と囲むように散開すれば、同時に狙うのは難しくなる。
こちらから攻撃を仕掛けるだけの隙が生まれれば儲けもの。そんな風に祈は考えたのだった。
128
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:16:31
星熊童子は律儀に、祈たち三名を倒してから尾弐の相手をするつもりであるらしく、
尾弐には一切攻撃を仕掛けなかった。
代わりに祈やノエル、ポチに向かって、次々に抜刀。衝撃波が放たれる。
祈はそれを前転で躱す。背後で鋭い風が移動するのを肌で感じた。
避ける度、内壁に抉るような鋭い傷が次々に刻まれていく。
お返しとばかりに放った火球も、衝撃波によって相殺されてしまった。
>「某がお屋形さまより伝授されし神夢想酒天流は不破の撃剣。うぬら程度には見切れまい」
「くそっ、言い返せねえっ……!」
祈は苦々しく呟く。
避けられてはいる。手首の返しや僅かな動きから、攻撃や狙いを察知すれば回避は何とかできている。
だが、攻め手に欠けていた。
祈一人でも散開してターゲットを逸らすまでは良かったのだろうが、星熊童子には隙がなさすぎるのだ。
複数の相手との戦いに慣れているのか、
祈が背後をとって火球を放ってもすぐさま衝撃波で相殺される。
かといって、近距離に持ち込むのも悪手だ。
どうにか近づけたとしても、あちらには必殺のカウンターがある。
確実な攻略法が見つかるまでは、迂闊に踏み込むことはできない。
不破の撃剣とは良く言ったものである。
しかも相手の攻撃は手首の返しだけという非常にロスの少ない手法で行われている。
消耗戦に持ち込まれれば、動き回らされているこちらが明らかに不利である。
勝利を確信したのだろう、星熊童子は一度鯉口を鳴らし、居合の構えを直して、口を開いた。
>「我らは確かに、人の世を生きられなかったあぶれ者。人から見れば悍ましき怪異に外なるまい」
>「虎熊は見たもの総てを破壊せずにはおれぬ性情だった。金熊の食欲は、飢饉の折に在って人の肉をも貪った」
>「某は人であった頃より、修めた剣技を披瀝せずにはおられなんだ。即ち、どうすれば人を効率良く斬れるか?短時間で殺せるか?」
>「ただ、それのみが脳中を占めておった。ああ、我らは確かに鬼であろう。我らは我ら自身の深き業ゆえに妖壊と化したのだ」
星熊童子たちは異端者だった故に、人ではないものとして扱われた。
だから鬼や妖壊になったのだと。そう語る。
本人はそれに関しては、仕方ないと諦めているように見えた。自分が異端だという自覚があったのだろう。
>「だが。あの御方は――お屋形さまは違う。あの御方は凡愚どもの妬心によって『妖壊に変えられた』のだ」
>「『こんなに美しい者が人間のはずがない。こんなに利発な者が人間のはずはない』という『そうあれかし』によって――!」
しかし、自らに原因があって鬼となった四天王と違って、
酒呑童子は自らに非がないにも関わらず人間の嫉妬によって鬼に変えられたと言う。
怒りを露わにする星熊童子の抜刀。
人間の血が混じった祈へと再び衝撃波が飛ぶ。
怒りの籠ったそれは鋭さを増しており、祈は先程と同様に躱したつもりだったが、髪の先を掠めた。
威力も高まっているらしく、衝撃波はより深く内壁を抉る。
酒呑童子は八岐大蛇の子供であるという話もあるが、星熊童子の話が真実なら、
もともと人間だったものが、妬みや嫉みによって鬼になってしまったというのが本当の所なのだろう。
>「鬼と変じたお屋形さまは我ら鬼を束ね、大江山に我らの住処を造られた」
>「人界で行き場を失った我らに居場所を与えてくださった。人に見捨てられ、爪弾きにされた我らを掬いあげてくださったのだ」
>「そう――」
言いながら、ポチへと斬撃を飛ばす星熊童子。
どうやらポチは無事であるようだが、結局これは、
星熊童子がこちらの体力を削って確実に殺そうとする故に躱せているに過ぎないのかもしれない。
129
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:18:32
>「我らがお屋形さまを祭り上げたのではない。我らが、お屋形さまの御旗の下に集ったのだ!」
>「1000年に渡る宿願は某が果たす!それが、寄る辺なき我らに生きる意味を与えてくださったお屋形さまへの忠義の証!」
生来の気質に因って鬼と化し、妖壊になったと言う星熊童子達、四天王。
そして人々の嫉妬心によって鬼になり、そして妖壊へと変えられたと言う酒呑童子。
どちらも同情はできる。
むしろ酒呑童子に関しては、人間の悪い部分が作用している点で、人間の一員として申し訳なくすら祈は思う。
だが。
(……忠義の証、か)
祈はそれ以上に、悲しいと思った。
祈は走って、星熊童子の隙を窺いながら考える。
生来の気質から人と相容れず、妖壊になって本格的に寄る辺をなくした星熊童子達のことを。
彼らは酒呑童子が受け入れてくれたことで、ようやく仲間や安息を得たはずだ。
なのに、彼らが大江山で行ったのは、
女性を死ねない身体にしてこき使い、貴族の姫達を攫って血を絞って飲み、人肉を喰らうというものだった。
なぜこのような凶行に及んだのだろうか。
そしてそれは、きっと祈が引っかかったこの言葉が示している。
――『お主ら『自分を正常と判ずる者たち』と相容れずば、後はもう戦(いくさ)これ在るのみ』
この『自分を正常と判ずる者たち』とは、
ブリーチャーズだけではなく、もっと大きい括りを指しているのだろう。
恐らくは、自分達と違うからという理由で排斥してきた人間たち全てを。
即ち、星熊童子の根底にあるのは、強烈なまでの『被差別意識』。
自分達を排除した人間に対する強い敵意や恨みが、心の奥底に根付いている。
でなければ、あのような凶行に及べまい。
報復のため。自分達の憤りや悲しみを伝えるため。自分達の地位向上のため。
さまざまな想いや目的があっただろうが、攫って殺すようなことまで行えたのは、
『自分達を爪弾きにする奴らになら、何をやっても、それこそ殺したとしても構わない』と、そんな想いがあったからだろう。
そしてそれが、結局は自分達の首を絞めることになった。
牙を剥けば、それを見た者達は恐怖を覚え、噛み殺された者達の家族や友人は復讐を誓う。
そうなれば、牙を剥いた者達を倒そうと、誰かが立ち上がって来るのは少し考えれば分かることだ。
事実、星熊童子や酒呑童子たちは、源頼光とその仲間によって討伐されている。
もしそうなる前に、仲間を守るために己の気持ちを飲み込めていたなら。
酒呑童子の主導と言うならそれを止めていれば。
『酒呑童子や仲間との暮らしの方が大切だ。報復なんて止そう』と立ち止まれたら。
『“自分達”と“他の人間共”で世界を分けて攻撃してしまえば、自分達を差別した者達と同じになってしまう』と気付けたら。
きっとそんなことにはならなかったのに。
妖壊なってしまったとはいえ、彼らには自我や理性が残されていて、
考えるだけの力が残されていたし、
四天王という仲間を築けるほどに、彼らは無差別に殺し合ったりはしなかったのだし。
――悲しく、取り返しは付かない。考えても詮無きことではある。
だが、これ以上の悲劇が起こることだけは、まだ止められる。
罪滅ぼしのように、仲間を殺してまで酒呑童子の復活を目論む、星熊童子達の悲劇。
星熊童子や茨木童子、アスタロトによって引き起こされる、東京の人々の死という悲劇は。
(星熊童子。あんた達は必ず止めてやる)
静かに決意を新たにする祈。
しかし、苦し紛れに放った火球はまたしても衝撃波によって散らされてしまう。
不破の撃剣の防御を崩す、何かが必要だった。
130
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:23:36
攻撃から逃げ回るうち、尾弐や天邪鬼がいる非常階段の近くにまで祈はきていた。
天邪鬼の声が小さく聞こえてくる。
>「星熊童子は攻守ともに隙がない。遠距離では飛ぶ斬撃があるし、近寄れば鬼灯崩しが待っている」
>「だがな……奴がどれだけの剣技を身に着けていようと、剣士であることに変わりはない。そこが狙い目だ」
「なんだ、今回はヒントがないと思ってたよ。でも、くれるんなら手短にな」
祈は星熊童子から目を逸らさぬままに、天邪鬼の言葉に耳を傾けた。
いまのところ、祈の思いついた策は一つ。
剣士であれば対人を考えた構えであろうから、
もしかすれば真上からの攻撃には対応できないのではないか、というものがある。
だが天邪鬼であれば、もっと良い作戦を出してくれるだろうと、祈は予測した。
しかし。尾弐の傍らから天邪鬼が出した提案は。
>「剣士が最も隙だらけになる瞬間。それは『敵を斬った瞬間』に他ならん」
>「敵を斬った瞬間、得物は敵の肉に沈み込み用を成さなくなる。いわば死に体となるのだ。居合ともなれば尚更よ」
>「作戦はこうだ。三人のうち、誰か一名が斬られよ。それも深くだ、致命の一打になるほど深く、身体の芯までその一撃を受けよ」
>「その瞬間、星熊の剣は死剣となる。その機を逃さず、残りの二名が星熊を攻撃する。それで奴を斃せる」
>「幸い虎熊、金熊との戦いでは兵力の損耗を防げた。ここで一人減ったとしても、茨木に到達するまでの戦力としては充分だ」
誰かが死んで、瞬間的に剣が使えなくなった隙を狙って星熊童子を倒すというものであった。
「……は?」
祈は耳を疑った。
>「――とまあ、そう言いたいところだが」
(……こいつ、ふざけてんのか?)
怒りとも呆れともつかない感情が湧く祈。
ブリーチャーズの反応を見た天邪鬼は、小ばかにするように鼻を鳴らして続けた。
>「甘ちゃんの貴様らのこと、誰も死なせない!などと微温いことを抜かすのであろう?もしくは自分がやる!いや自分が!と」
>「それはとても美しく、かつ莫迦らしく滑稽極まる見世物だが、生憎そんな茶番に費やしている時間はない」
>「よって、私がやろう。貴様ら的には、私は敵か味方かも定かならん闖入者。私の代わりを立候補する者もおるまい?」
「お前っ……ほんとにふざけてんじゃねーだろうな!? 戦えねーんだろ、下がってろ!」
祈は止めるが、天邪鬼はすっかりやる気になったようで、星熊童子に向かって一歩踏み出した。
>「こいつらは、貴様の可愛い子らなのだろう?ひとりでも欠けるようなら赦さんと顔に書いてあるぞ、クソ坊主」
>「まったく、砂糖菓子よりも甘やかなことよ。だが、それが本質ならば是非もない。私が骨を折ってやるか」
>「これもまた適材適所よ。なに、私も死ぬ気などさらさらない。出来ると思うたから、やると言ったまでのこと」
そして尾弐にそんなことを言って、
>「さて――では、一瞬だけ隙を作るぞ。一度しかやらぬし、機を逃せば終わりだ。しっかりやれ――若造ども!」
更に、軽やかに一歩踏み出したと思えば。加速し、猛然と星熊童子へと突っ込んでいく。
>「愚かな、我が『死圏』に踏み込んでくるとは――よほど死にたいと見える!」
迎え撃つ構えを取る星熊童子。
131
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/01/25(金) 01:56:48
「いいんだな!? 信じるからな!?」
言うと同時に、星熊童子からみて右手へと走り込む祈。
星熊童子の正面では、天邪鬼が杖で星熊童子と同じような居合の構えを取り、仕込杖を抜刀。
流星雨の如き無数の真空刃によって、星熊童子を圧倒しはじめていた。
無数の真空刃の迎撃に手一杯になる星熊童子。
>「ぐ……、ぐおおおおおお!?」
>「こ、これは……この絶技は!神夢想酒天流奥義【大鬼蓮(おおおにばす)】――!?」
>「――喋りすぎだ、星」
>「ち、ぃ……!」
そして、その隙に天邪鬼は互いの剣が届く範囲にまで潜り込む。
仕込杖と酔醒籠釣瓶。刀同士がぶつかり合い、火花を散らす。
鍔迫り合いの状態になる天邪鬼と星熊童子。
>「今だ!一呼吸でケリをつけよ、小僧ども!」
天邪鬼がブリーチャーズへと叫ぶ。
「言われなくても――わかってら!」
星熊童子の右手側、数メートルという距離にまで走り込んでいた祈は、
一呼吸でケリをつけろと言われたとほぼ同時に、星熊童子へと蹴りを叩き込んでいた。
狙いは攻撃の起点となっている右腕。
突き上げるような横蹴りが、風火輪の加速によって、弾丸のような速度で放たれる。
天邪鬼と鍔迫り合いになって、隙だらけの星熊童子はそれを避けることもできない。
星熊童子の右腕へと、祈の足は深くめり込み――、
――バギッ、メキメキメキッ。
星熊童子の前腕と肘の骨を砕き、筋肉をズタズタに引き裂いた。
これで刀による厄介な遠距離攻撃も、近づいた相手へのカウンター攻撃も封じたことになる。
ある意味では戦闘不能と言えるだろう。
ただ、まだ意識を奪うには至っていないし、
他の攻撃手段が残っている可能性もあるから、安全とは言えない。
追撃の必要はあるのかもしれなかった。
132
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:22:02
>「これで終わりだ」
>「……これじゃ、転んだとは言えないよな。僕はお前を、寝かしつけただけだ」
乃恵瑠の狙いのうちの一つが実現し、金熊童子は鎖を手放した。
ポチがその鎖を相手に巻き付け動きを封じ、決着を付ける。
>「……これじゃ、転んだとは言えないよな。僕はお前を、寝かしつけただけだ」
「ポチ君……」
乃恵瑠が覚えている限りでは、ポチが自らの言葉で、送り狼――もしくは《獣》の本能が発現するのを抑えたのはこれが初めてだ。
この余裕の無い状況の中で、祈の意思を尊重してくれているのだろうと嬉しく思う。
しかしポチがそうした理由がそれだけでは無かったことは、すぐに分かることになった。
金熊童子はすっかり気絶してしまい、情報を聞き出すことは難しそうなので、このまま上の階に進むこととする。
>「これで二鬼。こちらは欠員も大きなダメージもない。ふむ……上々の成果と言ったところか」
>「いいぞ、東京ブリーチャーズ。多少物足りぬところはこの際目を瞑る、このまま往け」
>「どうやら、その前にやるべきことがあるようだ」
非常階段を登ろうとすると、着流しを着た鬼が佇んでいた。おそらく次の階を守る四天王なのだろう。
「せっかちだなあ! 四天王たるものこういう時はこっちが来るまで上で待っとくもんでしょ!」
乃恵瑠のツッコミは意に介さず、着流しの鬼は金熊童子に語り掛けた。
>「いつまで寝ている、金熊。起きよ」
>「ブフゥ……ず、ずまねぇ……星熊ぁ……オ、オデ、負げぢまっだぁ……」
>「善い。大願は某(それがし)と副頭にて成す。お主はゆっくり休め」
「じゃあわざわざ起こさなくていいじゃん!」
>「1000年前みでぇに、おがじらど一緒に、飯ぃ……喰いだがっだげんど……しょうがねぇなぁ……」
>「お屋形さまにはお伝えしておく。金熊が然様に申しておったと」
>「おぉ……だのんだぁ。んじゃぁ、やっでぐれぇ」
>「何を企んでるかは知らねぇが――――わざわざ思い通りに事を進めてやるつもりなんてねぇよ」
「そうだよ!」
乃恵瑠も尾弐と共に、金熊童子が始末されるのを阻止しようとするが――
>「朋友よ、千歳(ちとせ)の輩(ともがら)よ。我が主君より直伝されし絶技を以て餞とす。受けよ――神夢想酒天流抜刀術!」
気が付いた時には、金熊童子が真っ二つになっていた。
>「上階にて待つ。死ぬ覚悟ができたならば、参られよ」
一方的にそう言い残し、着流しの鬼は瞬間移動っぽく姿を消す。乃恵瑠はドン引きしていた。
「えぇ……」
133
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:23:36
>「……見ての通り、奴の……星熊童子の攻撃は刀だ。それも、恐ろしく切れ味がいい」
「うん、見れば分かるよ……」
>「金熊童子もそうだったが、星熊童子も攻撃に間合いを問わん。奴の抜刀、その剣気は離れた場所の敵をも両断する」
>「そして、奴は自らは決して動かん。自身の死圏を定め、そこから攻撃をしてくる」
>「だが、奴の本領は間合いを選ばぬ斬撃にあるのではない。奴の強さは受け太刀にある」
>「鉄壁の防御から一瞬の隙を衝いて攻撃に転じ、致命の一打を叩き込む。それが奴の戦い方だ」
>「さて。休んでいる暇などないぞ、星熊が待っている。まだまだ、斃さなければならん鬼は残っているのだからな」
平然と解説しながら非常階段を上っていく天邪鬼。
有効な策は何も思いつかないが、まさかここで帰るわけにもいかないのでそれに続く。
第三フロアの扉を開けると、着流しの鬼――星熊童子が意外にも礼儀正しく出迎えたのであった。
>「――先ずは、我が朋輩虎熊童子と金熊童子が世話になったこと、御礼申し上げる」
>「あれらは四天王でも粗野な性情、無礼を御詫びする。したが、これも我らが大願のため。何卒御寛恕頂きたし」
「何いきなり!? 調子狂うじゃん!」
>「我らのことを、血も涙もない鬼畜と思っておられような。朋輩すらも手に掛ける、外道の極みであると」
>「然り。我らは外道である。人の世より爪弾きにされた異端者である。されど――」
>「外道にも一分の理というものがある。とりわけ『大切な御方を救いたい』――そう願うことに、外道も正道もない」
>「外道は外道の筋にて、それを成す。お主ら『自分を正常と判ずる者たち』と相容れずば、後はもう戦(いくさ)これ在るのみ」
その言葉を聞き、乃恵瑠は意外に思う。
世の中の殆どの争いというものは、お互いに自分の方が正しいと信じて疑わないからこそ起こるのではないだろうか。
だが彼は、自らの側を外道と認めた上で戦いあるのみと言う。
>「さりながら――敢えて。敢えて問う。我らを漂白せしめんとする者たちよ」
戦あるのみと言っておきながら、激しい怒りを滲ませながらも何かを問いかけてくる星熊童子。
故に、もしかしたら話が通じる相手なのではないかと、僅かな期待を抱く。
「何……?」
>「お主らの最愛の者、替えの効かぬ唯一無二の存在。その危難を救う術が、外道にしか存在せぬとなれば――」
>「果たして、お主らは外道に堕ちぬと言えるか?自らが正道であり続けるために、愛する者を見捨てられるのか?」
>「答えよ、半妖の少女。答えよ、氷雪の化生。答えよ、『獣(ベート)』――」
>「そして。答えよ――尾弐黒雄!」
>「……どうやら、テメェは間抜けじゃねぇみてぇだな」
今までの鬼とは違い、彼は尾弐のことを酒呑童子とは別人と認識しているようだった。
そして、尾弐のことを、酒呑童子の力を我が身惜しさに簒奪した存在だと語った。
尾弐もそれを否定しないが、本当のところはどうだか分からない。
以前も尾弐は赤マントに祈の両親を殺したと言われて否定しなかったが、
いざ真相を知ってみれば乃恵瑠に言わせれば真っ赤な嘘と言ってもいいぐらいのものだった。
134
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:24:36
>「それで何だ?確か、無二の存在を助ける為ならテメェが外道に堕ちる事が出来るかどうか、だったか?」
>「ハッ――――馬鹿馬鹿しい。そもそも前提が間違ってんだろうが。外道に堕ちた奴に『まともに』救えるモンなんざねぇよ。出来てせいぜい、諸共に死ぬくらいだろ」
>「自分は自分以外のものになんざなれねぇ。外道に堕ちても尚、一丁前に救って救われてが出来るなんて考えてるなんざ、可笑しいにも程があらぁ」
>「殻を削ぎ落すだの、垢を落とすだの……みみっちぃ事を囀りやがって。こいつ等の前で俺の昔話なんざベラベラと喋りやがって」
>「だったら、1000年こびり付いた垢の穢れを見せてやるぜ。人間を前に逃げ出したお前さんは今回は我慢していられるか?」
星熊童子に投げかけられた問いに答えながら、彼に向かって尾弐は歩みを進めていく。
まるで一人で戦おうとしているかのように。
尾弐は真打ちとの戦いのためにまだ力を温存しておかなければならないはずだ。
先に動いたのは祈だった。風火輪を滑らせ尾弐の前に割り込み、先刻の問に彼女なりの答えを返す。
>「星熊童子。まず、あんたが酒呑童子を復活させようとすること自体はあたしは否定しない。
でも、あんた達放置してたら、東京の人が大勢が死ぬんだよ。
アスタロトが勝手にやってることなのか、酒呑童子復活に必要だからってあんた達も噛んでるのかは知らないけど。
あんたが酒呑童子のことを想ってるのと同じように、殺される人達にだって大切な人がいる。
だからあたしはあんた達を見過ごせない。それと、あんた達が仲間同士で殺し合うのも見てらんないってのもある。
あんた達は納得してんのかもしれないけど、あたしは納得してねーからな」
>「そんで、あんた達を止めるためには……よく分かんないけど尾弐のおっさんの力は温存しなきゃいけないらしい。
だからここであんたと戦わせる訳にはいかない。
あとは、尾弐のおっさんが酒呑童子の力を持ってんのは、奪ったからじゃないってあたしは信じてんだ。なんかの誤解だって。
それを卵の殻とか、こびりついた垢とか言われたら黙ってらんねーっつーか。
そんな訳だから悪いけど――、尾弐のおっさんの前にあたしが相手だ」
「――ということだ。悪いが相手になってもらうぞ。
逆に聞いてみるが魔物でありながら年端もゆかぬ童女に篭絡され人の側に付いた我をどう思う?
外道だとは思わぬか?」
乃恵瑠はいつの間にか深雪へと姿を変え、不敵な笑みを浮かべながら祈に並び立つ。
星熊童子と戦うには深雪の力を解放する必要があると判断したということだろう。
「そもそもこの世に全知全能の神など存在せぬのに正道だの外道だの誰が決めるのだ?
強いて言うなら“かくあれかし”――所詮民主主義の多数決に過ぎぬ。
大多数にとって都合の悪い側が外道というレッテルを貼られる、それだけのことよ。
我は我のやりたいようにやるだけだ――他人がどう思おうが知ったことではない」
>「その男の正体を知っても尚、我ら鬼の内幕に首を突っ込むか――度し難い」
>「已むを得ぬ。では、お屋形さまを騙る紛い物を叩き斬る前にお主らを斬る。我が刀、酔醒籠釣瓶(よいざめかごつるべ)にて――」
>「いざ、酔夢より目醒めて死ね!!」
“まずは妖術使いから”のセオリー通りというべきか、初撃は深雪に向かって放たれた。
しかし放たれた衝撃波は、深雪の体をすり抜けた。不在の妖術を発動したのだ。
135
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:27:14
「なかなかやるではないか――乃恵瑠の奴だったら見切れぬところだったわ」
相変わらず不遜な笑みを崩さないが、見る人が見ればほんの僅かに焦りが滲み出ているのが分かるかもしれない。
楽勝で躱せたというわけではなく、結構危ないところであった。
>「……っ!? お前等……」
>「尾弐のおっさんは下がってて。事情はよくわかんないけど、力は温存しておきたいんでしょ」
祈が尾弐を下がらせ、散開するために左へと走る。
「ポチ殿は右を頼む!」
深雪は正面を陣取り、派手な妖術攻撃で陽動している隙に他の二人に攻撃してもらう作戦だ。
衝撃波が飛んでくる度に不在の妖術で何とかかわしつつ、氷柱の集中砲撃を浴びせるも、衝撃波に阻まれる。
金熊童子戦で絶大な威力を発揮した氷の弓矢での全方位射撃もあっさり相殺されてしまった。
>「某がお屋形さまより伝授されし神夢想酒天流は不破の撃剣。うぬら程度には見切れまい」
祈やポチも今のところ無事なものの、近付くことすらできないようだ。
勝利を確信したのか、星熊童子は自分達が鬼となった経緯を語り始めた。
>「我らは確かに、人の世を生きられなかったあぶれ者。人から見れば悍ましき怪異に外なるまい」
>「虎熊は見たもの総てを破壊せずにはおれぬ性情だった。金熊の食欲は、飢饉の折に在って人の肉をも貪った」
>「某は人であった頃より、修めた剣技を披瀝せずにはおられなんだ。即ち、どうすれば人を効率良く斬れるか?短時間で殺せるか?」
>「ただ、それのみが脳中を占めておった。ああ、我らは確かに鬼であろう。我らは我ら自身の深き業ゆえに妖壊と化したのだ」
>「だが。あの御方は――お屋形さまは違う。あの御方は凡愚どもの妬心によって『妖壊に変えられた』のだ」
>「『こんなに美しい者が人間のはずがない。こんなに利発な者が人間のはずはない』という『そうあれかし』によって――!」
鬼の起源の一つに、排斥された人間という説がある。人間というものは自らと違う者を怖れる。
酒呑童子は人間としては優れ過ぎていたために排斥され鬼と化してしまったと、星熊童子は語ったのだった。
>「鬼と変じたお屋形さまは我ら鬼を束ね、大江山に我らの住処を造られた」
>「人界で行き場を失った我らに居場所を与えてくださった。人に見捨てられ、爪弾きにされた我らを掬いあげてくださったのだ」
>「そう――」
>「我らがお屋形さまを祭り上げたのではない。我らが、お屋形さまの御旗の下に集ったのだ!」
>「1000年に渡る宿願は某が果たす!それが、寄る辺なき我らに生きる意味を与えてくださったお屋形さまへの忠義の証!」
136
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:28:49
>「……ふざけやがって。あいつは子供だぞ。ちっとばかり賢いだけの、普通のガキだったんだ。
それを、自業自得で地に堕ちたテメェ等を束ねて生きる意味を与えただの、お屋形だのと縋り付きやがって……あいつが、そんな事をしなきゃならなかった意味すら考えられねぇのかクソ共が」
酒呑童子のことを星熊童子はお屋形さまと崇拝しているが、尾弐は普通の子どもだったという。
どうやら二人の間には、酒呑童子に対する決定的な認識の違いがあるらしい。
ならば、1000年もの間、酒呑童子と同一存在として生きている尾弐の方が遥かに信憑性がある。
ふと浮かんだ疑問を口にする深雪。
「1000年に渡る宿願とは……見上げた忠誠心よ。しかし酒呑童子は本当にそれを望んでおるのか?」
ここにきてようやく天邪鬼が攻略法を語り始めた。
もしかしたら、相手が勝利を確信して油断する時を待っていたのかもしれない。
>「星熊童子は攻守ともに隙がない。遠距離では飛ぶ斬撃があるし、近寄れば鬼灯崩しが待っている」
>「だがな……奴がどれだけの剣技を身に着けていようと、剣士であることに変わりはない。そこが狙い目だ」
>「剣士が最も隙だらけになる瞬間。それは『敵を斬った瞬間』に他ならん」
>「敵を斬った瞬間、得物は敵の肉に沈み込み用を成さなくなる。いわば死に体となるのだ。居合ともなれば尚更よ」
>「作戦はこうだ。三人のうち、誰か一名が斬られよ。それも深くだ、致命の一打になるほど深く、身体の芯までその一撃を受けよ」
>「その瞬間、星熊の剣は死剣となる。その機を逃さず、残りの二名が星熊を攻撃する。それで奴を斃せる」
>「幸い虎熊、金熊との戦いでは兵力の損耗を防げた。ここで一人減ったとしても、茨木に到達するまでの戦力としては充分だ」
>「……は?」
祈が唖然とする一方、深雪は、以前御前の呪術を受けた時のようにノエルと分裂して自分が受けようか――等と割と冷静に考えていた。
そうすればどうにか死にはしないだろうが、しばらく戦力外になることには変わりはない。
まだ上には茨木童子以外にもアスタロトと暫定シロが控えているが、大丈夫だろうか。
それ以前に、そんな危険な作戦は祈や尾弐が許さないだろう。
>「――とまあ、そう言いたいところだが」
>「よって、私がやろう。貴様ら的には、私は敵か味方かも定かならん闖入者。私の代わりを立候補する者もおるまい?」
>「こいつらは、貴様の可愛い子らなのだろう?ひとりでも欠けるようなら赦さんと顔に書いてあるぞ、クソ坊主」
>「まったく、砂糖菓子よりも甘やかなことよ。だが、それが本質ならば是非もない。私が骨を折ってやるか」
>「これもまた適材適所よ。なに、私も死ぬ気などさらさらない。出来ると思うたから、やると言ったまでのこと」
「しかしそなた――戦いは出来ぬのでは……」
突っ込んでいく天邪鬼の動きを見て、言葉を止める深雪。
それはとても戦えぬ者の動きでは無かったからだ。
137
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/01/28(月) 02:30:07
>「さて――では、一瞬だけ隙を作るぞ。一度しかやらぬし、機を逃せば終わりだ。しっかりやれ――若造ども!」
>「愚かな、我が『死圏』に踏み込んでくるとは――よほど死にたいと見える!」
天邪鬼は仕込み杖で無数の衝撃波を発生させ、星熊童子はその迎撃に手一杯となった。
>「こ、これは……この絶技は!神夢想酒天流奥義【大鬼蓮(おおおにばす)】――!?」
>「今だ!一呼吸でケリをつけよ、小僧ども!」
>「言われなくても――わかってら!」
まずはいち早く接近していた祈が、星熊童子の右腕を破壊。しかしまだ油断はできない。
実は両利きでした、と左手に持ち替えられて平然と戦闘続行されたらシャレにならない。
そこで深雪は一計を案じた。
虎熊童子の場合は鬼に金棒という一般的イメージから、金棒を手にすると無敵の強さを得ていた。
星熊童子は剣技を追求し過ぎて狂気に堕ち鬼となったのなら、刀を奪ってしまえば無力化できるのではないか――そう考えたのだ。
攻撃を終えた祈と入れ替わるように、間髪入れずに氷の刃で星熊童子の肘部分を切りつける。
元から筋肉が引き裂かれ骨が砕かれた腕だ。いともたやすく切り飛ばされ、腕から離れた刀は回転しながら飛んでいく。
星熊童子は残った左腕でそれを取り返そうとするが――幸いポチは狼犬、飛ぶ物をキャッチするのは得意だろう。
「ポチ殿! ダッシュして奪取だ!」
138
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 22:57:33
>「おう、やっと終わったか。まったく、私が攻略法を教えているのだぞ?須臾にも満たず打倒してもらわなければ困る」
「……うるさいな」
天邪鬼の悪態に、ポチはもう噛み付こうとはしなかった。
それがどれだけ無駄な事かはこれまでの道のりで十分に学べた。
故にただ小さく悪態を吐き捨てて、次の非常階段を見据える。
>「これで二鬼。こちらは欠員も大きなダメージもない。ふむ……上々の成果と言ったところか」
「いいぞ、東京ブリーチャーズ。多少物足りぬところはこの際目を瞑る、このまま往け」
言われるまでもない、とポチは歩き出す――が、すぐに足を止めた。
>「どうやら、その前にやるべきことがあるようだ」
非常階段の傍に佇む、何者か。
痩せぎすの体躯、墨色の着流し、左手には鍔のない刀――そして額に生えた三本の角。
>「いつまで寝ている、金熊。起きよ」
>「……ったく、次から次へと」
ポチは押し黙ったまま、腰を深く落として臨戦態勢を取る。
自分達の到着を待ちかねて降りてきたのか。
それとも先の虎熊童子のように敗者の命を奪いに来たのか。
どちらでも良かった。どちらであってもポチがする事は決まっていた。
目に映る敵を、可能な限り素早く、叩き伏せる。それだけだ。
>「ブフゥ……ず、ずまねぇ……星熊ぁ……オ、オデ、負げぢまっだぁ……」
>「善い。大願は某(それがし)と副頭にて成す。お主はゆっくり休め」
>「1000年前みでぇに、おがじらど一緒に、飯ぃ……喰いだがっだげんど……しょうがねぇなぁ……」
>「お屋形さまにはお伝えしておく。金熊が然様に申しておったと」
>「おぉ……だのんだぁ。んじゃぁ、やっでぐれぇ」
死別を前にした会話。
ポチは痩躯の鬼、その左側面――刀の抜き際を押さえられる位置を取るべく動き出す。
>「何を企んでるかは知らねぇが――――わざわざ思い通りに事を進めてやるつもりなんてねぇよ」
「気が合うね、尾弐っち。僕は右から行くよ」
一撃必殺の尾弐を主軸に、不在と宵闇の妖術を操るポチが隙を突き、また隙を作る。
そこにノエルの援護も加わり――祈は金熊童子をまるで動かせそうにない。
すぐに戦線に加わってくるだろう。
>「朋友よ、千歳(ちとせ)の輩(ともがら)よ。我が主君より直伝されし絶技を以て餞とす。受けよ――神夢想酒天流抜刀術!」
だが数戦ぶりに発揮されるはずだった東京ブリーチャーズの完全なる連携は――不発に終わった。
痩せぎすの鬼――星熊童子が、携えた刀の鞘を左手で、柄を右手で握る。
そして抜刀――尾弐とポチ、ノエルの間を奔る疾風。
139
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 22:58:12
>「……へへ……おがじらぁ……」
瞬間、ポチの背後から溢れ返る、血のにおい。
振り返らずとも分かった。
金熊童子は――たった今、目の前で行われた抜刀によって、斬られたのだと。
だが理解は出来ても、にわかには信じられなかった。
>「上階にて待つ。死ぬ覚悟ができたならば、参られよ」
星熊童子が姿を消す。においさえもがそこから消えた。
姿を隠した訳ではない――ポチは背後を振り返る。
金熊童子は縦に真っ二つにされて死んでいた。
強靭な鬼の肉体を両断する、空を奔る斬撃。
生み出された結果を目の当たりにしてようやく、それが現実に起きた事だと、ポチは否応なしに信じさせられた。
>「……見ての通り、奴の……星熊童子の攻撃は刀だ。それも、恐ろしく切れ味がいい」
絶句、それにより生じた静寂を破り、天邪鬼が非常階段へと歩き出す。
>「金熊童子もそうだったが、星熊童子も攻撃に間合いを問わん。奴の抜刀、その剣気は離れた場所の敵をも両断する」
「そして、奴は自らは決して動かん。自身の死圏を定め、そこから攻撃をしてくる」
「だが、奴の本領は間合いを選ばぬ斬撃にあるのではない。奴の強さは受け太刀にある」
「鉄壁の防御から一瞬の隙を衝いて攻撃に転じ、致命の一打を叩き込む。それが奴の戦い方だ」
ポチは一度深く大きく息を吸い、吐き出して、後に続く。
星熊童子が見せた剣技は恐ろしいものだったが、それはここで足踏みをする理由にはならない。
>「さて。休んでいる暇などないぞ、星熊が待っている。まだまだ、斃さなければならん鬼は残っているのだからな」
そして一行は非常階段を登り――次のフロアへと辿り着く。
>「――先ずは、我が朋輩虎熊童子と金熊童子が世話になったこと、御礼申し上げる」
「あれらは四天王でも粗野な性情、無礼を御詫びする。したが、これも我らが大願のため。何卒御寛恕頂きたし」
>「何いきなり!? 調子狂うじゃん!」
「……どうでもいいよ。何を望みかなんて興味ないだろ、お互いに」
>「我らのことを、血も涙もない鬼畜と思っておられような。朋輩すらも手に掛ける、外道の極みであると」
ポチは既に臨戦態勢を取っている。
だが星熊童子はまだ剣を構える事はおろか、端座の姿勢を解く事すらしない。
その悠長な態度がポチの苛立ちを誘う――が、相手の実力は先ほど見せつけられたばかり。
怒り任せの突貫や不意打ちが通じる相手ではない。
それだけならまだしも、無思慮な先駆けは皆を危険に晒しかねない。
再度深く息を吸い、吐き出し、心を落ち着かせる。
>「然り。我らは外道である。人の世より爪弾きにされた異端者である。されど――」
「外道にも一分の理というものがある。とりわけ『大切な御方を救いたい』――そう願うことに、外道も正道もない」
「外道は外道の筋にて、それを成す。お主ら『自分を正常と判ずる者たち』と相容れずば、後はもう戦(いくさ)これ在るのみ」
「さりながら――敢えて。敢えて問う。我らを漂白せしめんとする者たちよ」
しかし、星熊童子の言葉を聞いてポチが思うのは――やはり、どうでもいい、それだけだった。
確かにポチは平然と仲間の命を奪う彼らを異常だと認識した。
だが――たとえ彼らが仲間の命を何よりも重んじていたとしても、ポチがする事は何も変わらない。
シロを探す為に塔を登る。邪魔をする者は叩きのめす。それだけだ。
>「お主らの最愛の者、替えの効かぬ唯一無二の存在。その危難を救う術が、外道にしか存在せぬとなれば――」
「果たして、お主らは外道に堕ちぬと言えるか?自らが正道であり続けるために、愛する者を見捨てられるのか?」
「答えよ、半妖の少女。答えよ、氷雪の化生。答えよ、『獣(ベート)』――」
続く星熊童子の言葉――ポチは深く長い嘆息を零す。
今更仮の話などして何になる、と。
――結界を張り、東京の人々を皆殺しにすると脅しをかけ、自分達をここに招き入れたのは茨木童子とアスタロトだ。
そのくせ行く手を阻んで、戦いを挑んできたのも奴らの方だ。
シロを連れ去り隠したのも――どうせ奴らに決まっている。
そちらが望んで仕掛けてきた戦いだ。この期に及んで問答に何の意味がある。
どちらかが勝ち、望みを果たす。価値があるのはその結果だけだ。
>「そして。答えよ――尾弐黒雄!」
だが――星熊童子がその鋭い眼光を尾弐に向けると、ポチの表情に僅かな疑問の色が浮かんだ。
140
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 22:58:46
>「……どうやら、テメェは間抜けじゃねぇみてぇだな」
感じた違和感の正体は、すぐに尾弐が明らかにした。
そうだ。これまで相対した鬼は皆、尾弐の事を頭と呼んでいた。
しかしこの星熊童子はどうも勝手が違うらしい。
もっとも、それはポチにとってはどうでもいい事だ。
どうでもいい事だったが――星熊童子から溢れ返る、尾弐への憎悪のにおいは、看過するにはあまりに濃厚で――不快だった。
>「虎熊と金熊は誤認を起こしたが、某は違う。某はお屋形さまの一番弟子にて抜刀術の奧伝を賜った身、本性見誤るまいぞ」
「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまにあらず、むしろ酒呑童子とは真逆のもの――」
「我が身惜しさに、お屋形さまの力を横奪した慮外者!うぬこそ我が第一の撃滅対象よ!」
>「うぬが副頭や虎熊、金熊の呼びかけに応じぬのも無理からぬ話よ。うぬはただ、お屋形さまの力を奪ったに過ぎぬのだから」
「されど……されどよ。それでもお屋形さまは滅さぬ。お屋形さまは1000年の間、うぬの中で機が熟すのを待っておられたのだ」
「尾弐黒雄。うぬはお屋形さまの羽化の為の『卵の殻』――もしくは、お屋形さまの表面にこびりついた垢に過ぎぬ」
「ならば――ならばよ。その垢、酒呑童子第一の臣たるこの星熊童子が残らず削ぎ落し。お屋形さま御復活の口火としようぞ!」
>「我が身惜しさに酒呑童子の力を横奪した、か……そうだな、その通りだ。よく気付いた。確かに俺は俺の目的の為に、酒呑童子の力を手放してこなかった。正解だ。おめでとさん。御利口御利口」
氷のように冷たく、炎のように燃え上がる憎悪に――しかし尾弐は動じない。
星熊童子のそれに劣らぬほどの敵意を迸らせ、前へと踏み出る。
>「それで何だ?確か、無二の存在を助ける為ならテメェが外道に堕ちる事が出来るかどうか、だったか?」
「ハッ――――馬鹿馬鹿しい。そもそも前提が間違ってんだろうが。外道に堕ちた奴に『まともに』救えるモンなんざねぇよ。出来てせいぜい、諸共に死ぬくらいだろ」
「自分は自分以外のものになんざなれねぇ。外道に堕ちても尚、一丁前に救って救われてが出来るなんて考えてるなんざ、可笑しいにも程があらぁ」
>「殻を削ぎ落すだの、垢を落とすだの……みみっちぃ事を囀りやがって。こいつ等の前で俺の昔話なんざベラベラと喋りやがって」
「だったら、1000年こびり付いた垢の穢れを見せてやるぜ。人間を前に逃げ出したお前さんは今回は我慢していられるか?」
しかし――その歩みはすぐに阻まれる事になる。
尾弐の前へと回り込み、その右腕をもって行く手を遮った、祈によって。
「……尾弐っち。僕は今、かなり焦っちゃいるけどさ。
それでも尾弐っちの為に怒れないほど、薄情じゃないよ」
困惑する尾弐にポチが声をかける。
そして祈に続いて前に出た。
先ほどと同じく星熊童子の左側面へ、ゆっくりと歩き出す。
>「星熊童子。まず、あんたが酒呑童子を復活させようとすること自体はあたしは否定しない。
でも、あんた達放置してたら、東京の人が大勢が死ぬんだよ。
アスタロトが勝手にやってることなのか、酒呑童子復活に必要だからってあんた達も噛んでるのかは知らないけど。
あんたが酒呑童子のことを想ってるのと同じように、殺される人達にだって大切な人がいる。
だからあたしはあんた達を見過ごせない。それと、あんた達が仲間同士で殺し合うのも見てらんないってのもある。
あんた達は納得してんのかもしれないけど、あたしは納得してねーからな」
>「そんで、あんた達を止めるためには……よく分かんないけど尾弐のおっさんの力は温存しなきゃいけないらしい。
だからここであんたと戦わせる訳にはいかない。
あとは、尾弐のおっさんが酒呑童子の力を持ってんのは、奪ったからじゃないってあたしは信じてんだ。なんかの誤解だって。
それを卵の殻とか、こびりついた垢とか言われたら黙ってらんねーっつーか。
そんな訳だから悪いけど――、尾弐のおっさんの前にあたしが相手だ」
>「――ということだ。悪いが相手になってもらうぞ。
逆に聞いてみるが魔物でありながら年端もゆかぬ童女に篭絡され人の側に付いた我をどう思う?
外道だとは思わぬか?」
>「そもそもこの世に全知全能の神など存在せぬのに正道だの外道だの誰が決めるのだ?
強いて言うなら“かくあれかし”――所詮民主主義の多数決に過ぎぬ。
大多数にとって都合の悪い側が外道というレッテルを貼られる、それだけのことよ。
我は我のやりたいようにやるだけだ――他人がどう思おうが知ったことではない」
「……みんな、わざわざ付き合ってあげるなんて律儀だなぁ」
姿勢は低く。手足は床へ。飛ぶ斬撃の軌道が制限されるように。
星熊童子を睨み上げながらポチは呟く。
「今更何を言ったってさ……お前達は逃げたんだろ?
茨木だったっけ?アイツは"お屋形様"のいない世界で楽しそうにしてたよ」
紡ぎ出されるのは、心底呆れ果てたような、軽蔑のこもった声。
141
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 22:59:26
「何よりも外道なのは、そこだろ。次に外道なのは、その事に気付いてないとこだ。何が最愛だ」
>「その男の正体を知っても尚、我ら鬼の内幕に首を突っ込むか――度し難い」
「已むを得ぬ。では、お屋形さまを騙る紛い物を叩き斬る前にお主らを斬る。我が刀、酔醒籠釣瓶(よいざめかごつるべ)にて――」
「いざ、酔夢より目醒めて死ね!!」
そして――星熊童子が剣を抜いた。
抜く手を見せぬ神速の斬撃が深雪へと迫る。
鬼の皮膚すら容易く切り裂く斬撃が――切断したのは、虚空とフロアの内壁のみ。
間一髪で不在の妖術が間に合ったのだ。
だが危なかった。単純に抜刀から斬撃の到達が早すぎる。
常に不在の妖術を発動していられない以上――集中を欠けば、回避は間に合わない。
>「ポチ殿は右を頼む!」
深雪が叫んだ時には、ポチは既に駆け出していた。
無防備なほどの愚直さで星熊童子との距離を詰める。
自分を狙う斬撃が少しでも増えるように。
だが――星熊童子の剣技はあまりにも鋭く、速い。
ポチは懐に踏み込めず、しかし祈とノエルにも反撃を許していない。
>「某がお屋形さまより伝授されし神夢想酒天流は不破の撃剣。うぬら程度には見切れまい」
「……ほざいてろ!」
叫び、迫り来る斬撃の横腹を蹴り砕き、ポチは呼びかける。
己の内側で、いつからだったか黙り込み、誘惑の声も上げなくなった『獣(ベート)』に。
力を貸せと。
瞬間、ポチの全身から溢れる宵闇。
墨汁のように床に飛び散ったそれは――ポチの虚像と化して立ち上がる。
送り狼――「どこにいるか分からない恐怖」、故に「どこにでもいたかもしれない恐怖」。
その特性の発露。更なる力を引き出し――しかし依然として『獣』の声は聞こえない。
何故かは分からない。気にもしない。むしろ好都合だった。
影絵の群れに紛れ、ポチは消失。
そして星熊童子の懐へと飛び込み――その刃が振り抜かれた瞬間に姿を現した。
「これで満足かよ」
既に振りかぶっていた右腕を横一文字に薙ぎ払う。
痩躯とは言え鬼は鬼。
狙いは星熊童子の目。
防御は間に合わない――はずだった。
ポチの右手に添えられた、白鞘。
何の変哲もない木製の鞘が――ポチの一撃の威力を完全に殺し、食い止めていた。
瞬間、視界に奔る刃。
>「神夢想酒天流、絶技――【鬼灯崩し(ほおずきくずし)】。我が剣を受けた者の額が、鬼灯の如く爆ぜるが故」
ポチの額から鮮血が飛び散る。
深く斬り込まれる寸前、辛うじて不在の妖術が間に合ったが――これ以上は間合いに留まれない。
遠間からは空を奔る斬撃に晒され続け、だが間合いを詰めても待ち受けるのは必殺のカウンター。
天邪鬼による前評判に偽りはなかった。
ポチを退けた星熊童子は、その余裕を見せつけるかのように刀を鞘へ収める。
>「我らは確かに、人の世を生きられなかったあぶれ者。人から見れば悍ましき怪異に外なるまい」
「虎熊は見たもの総てを破壊せずにはおれぬ性情だった。金熊の食欲は、飢饉の折に在って人の肉をも貪った」
「某は人であった頃より、修めた剣技を披瀝せずにはおられなんだ。即ち、どうすれば人を効率良く斬れるか?短時間で殺せるか?」
「ただ、それのみが脳中を占めておった。ああ、我らは確かに鬼であろう。我らは我ら自身の深き業ゆえに妖壊と化したのだ」
その態度は苛立ちを禁じ得ないが――額を割られたポチは血を拭う時間が必要だった。
話が長引けば血も止まってくれるかもしれない。
やむを得ず、話を聞く素振りを見せる。
>「だが。あの御方は――お屋形さまは違う。あの御方は凡愚どもの妬心によって『妖壊に変えられた』のだ」
「『こんなに美しい者が人間のはずがない。こんなに利発な者が人間のはずはない』という『そうあれかし』によって――!」
>「鬼と変じたお屋形さまは我ら鬼を束ね、大江山に我らの住処を造られた」
「人界で行き場を失った我らに居場所を与えてくださった。人に見捨てられ、爪弾きにされた我らを掬いあげてくださったのだ」
「そう――」
>「我らがお屋形さまを祭り上げたのではない。我らが、お屋形さまの御旗の下に集ったのだ!」
「1000年に渡る宿願は某が果たす!それが、寄る辺なき我らに生きる意味を与えてくださったお屋形さまへの忠義の証!」
>「……たわけが。要らぬことを」
ふと、天邪鬼が小さく呟いた。
そう言えば今回は助言がまだだった、とポチはその声に耳を貸す。
142
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 22:59:57
>「星熊童子は攻守ともに隙がない。遠距離では飛ぶ斬撃があるし、近寄れば鬼灯崩しが待っている」
「だがな……奴がどれだけの剣技を身に着けていようと、剣士であることに変わりはない。そこが狙い目だ」
「生憎、剣なんて振り回した事がなくてね。つまりどういう……」
>「剣士が最も隙だらけになる瞬間。それは『敵を斬った瞬間』に他ならん」
「敵を斬った瞬間、得物は敵の肉に沈み込み用を成さなくなる。いわば死に体となるのだ。居合ともなれば尚更よ」
「作戦はこうだ。三人のうち、誰か一名が斬られよ。それも深くだ、致命の一打になるほど深く、身体の芯までその一撃を受けよ」
「その瞬間、星熊の剣は死剣となる。その機を逃さず、残りの二名が星熊を攻撃する。それで奴を斃せる」
「幸い虎熊、金熊との戦いでは兵力の損耗を防げた。ここで一人減ったとしても、茨木に到達するまでの戦力としては充分だ」
「……なるほどね、そりゃ名案だ」
言うや否や、ポチは影に紛れて姿を消した。
そして天邪鬼へと振り返ると、その細い喉を睨みつけたまま、そちらへ歩み寄っていく。
――ここまで舐めた口を利かれて、最早我慢を続ける理由はないと。
「だったらお前が、斬られてこい……」
ポチは変化を用いればある程度体格を変えられる。
不慣れな体格で動き回るのは戦いの中で思わぬ不都合が生じるだろうと、
普段は子供の体躯でいるが――眼の前の華奢な首を掴み、持ち上げるくらいの事は訳はない。
そしてポチは右手を振りかぶり――
>「――とまあ、そう言いたいところだが」
しかし天邪鬼は更に言葉を続けた。
>「甘ちゃんの貴様らのこと、誰も死なせない!などと微温いことを抜かすのであろう?もしくは自分がやる!いや自分が!と」
「それはとても美しく、かつ莫迦らしく滑稽極まる見世物だが、生憎そんな茶番に費やしている時間はない」
「よって、私がやろう。貴様ら的には、私は敵か味方かも定かならん闖入者。私の代わりを立候補する者もおるまい?」
その言葉の真偽が、ポチには分からなかった。
分からなかったが――本人が立候補しているのなら、それは願ったり叶ったりだ。
ポチは隠密を解いて、星熊童子へと向き直る。
>「お前っ……ほんとにふざけてんじゃねーだろうな!? 戦えねーんだろ、下がってろ!」
「……僕は止めてやらないぞ。行くならさっさと行けよ」
>「こいつらは、貴様の可愛い子らなのだろう?ひとりでも欠けるようなら赦さんと顔に書いてあるぞ、クソ坊主」
「まったく、砂糖菓子よりも甘やかなことよ。だが、それが本質ならば是非もない。私が骨を折ってやるか」
「これもまた適材適所よ。なに、私も死ぬ気などさらさらない。出来ると思うたから、やると言ったまでのこと」
そして――天邪鬼は地を蹴る。
軽やかな初動、
>「さて――では、一瞬だけ隙を作るぞ。一度しかやらぬし、機を逃せば終わりだ。しっかりやれ――若造ども!」
そこから一転、火花のごとき突撃。
仕込み杖の刃から放たれるのは――無数の、空奔る斬撃。
>「ぐ……、ぐおおおおおお!?」
>「こ、これは……この絶技は!神夢想酒天流奥義【大鬼蓮(おおおにばす)】――!?」
星熊童子が絶叫と共に剣を抜く。
襲い来る斬撃の雨を、斬撃の嵐が迎え撃つ。
だがその間隙を突いて、天邪鬼は既に星熊童子へと詰め寄っていた。
>「――喋りすぎだ、星」
>「ち、ぃ……!」
刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。
鍔迫り合い。
戦いが始まってから初めて、星熊童子が明確な隙を見せた。
>「今だ!一呼吸でケリをつけよ、小僧ども!」
>「言われなくても――わかってら!」
そしてその直後には、祈の蹴りが、星熊童子の右腕をへし折っていた。
続けざまに襲いかかる、深雪が放つ氷の刃。
切断された右腕が刀を握り締めたまま宙を舞う。
143
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/01/30(水) 23:01:52
>「ポチ殿! ダッシュして奪取だ!」
ノエルの声を聞いた時には、ポチは既に地を蹴っていた。
己の短躯を跳ね飛ばす、狼の脚力。
ポチは一瞬の間に、星熊童子の右腕に追いつき――それを掴んだ。
着地し、瞬間感じる、総毛立つような気迫。
振り返る――星熊童子がポチの目の前にまで迫っていた。
つい先ほど金熊童子と戦ったばかりだ。速さには今更驚かない。ただ――
「……そこにいたなら、トドメまで刺しとけよな」
手助けは一度きりの言を厳守した天邪鬼への悪態は禁じ得なかった。
溜息と共に、ポチは掴んだ右腕ごと刀を振りかぶる。
そして背丈の低さを活かした、脛めがけての切り払い――
――と同時、ポチの姿が消えた。
刀と、放ったはずの斬撃もろとも。
不在の妖術――無刀取りにて刀を奪い返そうとした星熊童子の左手が空を掴む。
――不意を突かれる。だが逆にその瞬間こそが好機。
今度こそ刀を奪い返す。
全神経を研ぎ澄ます星熊童子。
そして――その構えに一切臆さず不在を解くポチ。
現れた場所は――尾弐の隣だ。
星熊童子は強い。
たとえ右腕と刀を失っていても、正面から迎え撃てば刀を奪い返される恐れがあった。
覆りようのない決着には不意を突く必要があった。
不在の妖術だけでは作り出せない、もっと大きな不意を。
それが――これだった。
星熊童子は、東京ブリーチャーズの目的を自分達の漂白だと思っている事。
最大の不意打ちは、戦いから脱し距離を取る事だった。
そしてそれは成功した。すかさず尾弐へ、右腕ごと刀を投げ渡す。
「へし折っといて」
星熊童子に刀の予備はないはずだ。
もしあるなら、わざわざ奪い返そうとポチを追う必要はなかった。
「お前の話は……本当に心底どうでも良かったけど、でも少しだけ、ためになったよ。
僕らは自分が思ってるよりも、大事なものが何かをすぐ忘れる」
そう言って――そこでやっと星熊童子を振り返る。
「お前の漂白も、ここに来るまで散々苛つかせてもらったお礼も、どうでもいいんだ。
足腰立たなくなるまで殴られなくたって、もうお前の負けだろ。さっさと次に行かせてくれ」
144
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:20:02
祈、ノエル、ポチの連携によって、星熊童子の右腕は切断され刀はその手を離れた。
ポチが奪い取った右腕と刀は今、尾弐の手許にある。
天邪鬼も自分の役目は終わったとばかり、ひらりと床を蹴って尾弐の近くまで後退してくる。
「勘違いするな、小僧ども。私は『荒事が嫌いだ』とは言ったが『戦えぬ』と言った覚えはないぞ?」
仕込み杖を血振りし、そんなことを憎々しいほど不敵な様子で言ってくる。
天邪鬼も尾弐同様、茨木童子と相対するまで力を温存しておきたかった――ということなのだろうか。
ともかく、星熊童子は唯一にして最大の武器を失い、無力化した。戦闘は終了だ。
切断面から間欠泉のように鮮血を迸らせながら、星熊童子は痩躯をわななかせた。
「……おお……、おおお……。我が剣、届かざりしか……。なんという汚辱、なんという無念……」
よた、と星熊童子はたたらを踏む。が、倒れない。
星熊童子は東京ブリーチャーズを睨みつけると、こけた頬に凄絶な笑みを浮かべた。
「したが……これで善い……。計画はすべて順調……。うぬらは、我らの計画を阻止しているつもりで……助けているに過ぎぬ……」
着流しの懐に残った左腕を突っ込み、中をまさぐる。そして何かを取り出す。
それは、今しがたまで持っていた刀を短く切りつめたような匕首。
むろん、それで戦うには短すぎる。祈を、ノエルを、ポチを葬るには物足りなすぎる――が。
たったひとりだけ、それで殺せる存在がいる。
ドスッ!!
星熊童子は匕首の切っ先を躊躇いもなく自らの胸に突き立てた。
鈍色に輝く刃が、ほとんど抵抗もなく胸部を貫く。
「ク……クク……。この星熊、腐っても剣士。虎熊や金熊のように、死ぬるに余人の手は借りぬ……」
匕首は完全に心臓を貫通している。致命傷だ。
「所詮、この世は欲塗れ――うぬらが無辜の民を救いたいと願うも欲ならば、我らがお屋形さまを蘇らせたいと願うのも欲――」
「そこになんの違いもあるまいよ……。ならば、その願いが強い方が勝つ……それが世の理であろう……」
「某は敗れたが……これは某ひとりの敗北に過ぎぬ。この敗北は……我ら酒呑党の勝利への階(きざはし)……」
「あとは……副頭がことを成してくれる……。某は……地獄でそれを見届けさせてもらおうぞ……」
自らの敗北さえも、ひとつの大きな勝利のための一手だと言う。
東京ブリーチャーズがこの戦いにおいて勝つことは想定済み。すべては計画通りだ――と。
「……だが……ひとつだけ……。ひとつだけ、解せぬことがある……」
ごぼっ、と星熊童子が赤黒い血を吐き出す。
笑みを刻んでいた表情が、僅かに曇る。星熊童子は震える左手で天邪鬼を指した。
「我が神夢想酒天流は……我が主、酒呑童子が編み出したもの……。この世に遣い手はお屋形さまと某ふたりだけのはず……」
「だというのに……うぬの剣技はまさに我らの技、神夢想酒天流のもの……」
「小鬼……、うぬは……」
「……一体、何者なの……だ……?」
そう言い残すと、星熊童子は力尽きてどっとうつ伏せに倒れ、それきり動かなくなった。
「…………」
星熊童子が発した今わの際の問いに対して、天邪鬼は何も答えなかった。
絶息した星熊童子の亡骸を見遣るその視線からは、なんの感情も読み取れない。
は、と小さく吐息すると、天邪鬼はゆっくり上階へと続く非常階段へ向けて歩き始めた。
「夜もだいぶ更けた。夜明けまでにこの酔余酒重塔に巣食う鬼どもを残らず殲滅せねばならん。……最後まで気を抜くな」
天邪鬼は自ら両開きの扉に手をかけ、ギィ……と音を立てて押し開く。
次なる第四階層へ向け、小柄な鬼はゆっくりと階段を踏みしめた。
145
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:25:22
酔余酒重塔、第四階層。
やはり今までと同じ、空間を歪めて造られた体育館ほどの広さの場所に、白い影が佇んでいる。
大きな三日月のあしらわれた、白いチャイナドレスを纏った銀髪の美女。
頭頂部にある尖った獣耳と、腰の後ろから生えたふさふさの尻尾が、化生であることを雄弁に物語っている。
女は身震いするほど整った美貌の鋭い眼差しを東京ブリーチャーズ――否、ポチへと向けると、唇を僅かに開いた。
「――ついに、ここまで来ましたか。星熊たち三鬼を打ち破るとは、流石……東京ブリーチャーズですね」
「けれど、そうでなければ困る。彼らなど一蹴するほどの強さでなければ――わたしがこの場に立った甲斐がありません」
女の全身から、陽炎のような妖気が滲み出る。
すでに戦闘準備は万全、ということのようだった。
「わたしの名は皓月童子。酒呑童子に仕える四天王、最後のひとり――」
「わたしを斃さぬ限り、あなたたちの望みは叶わぬものと識りなさい」
そう言って、すう……と右膝を高く掲げる。ドレスのスリットから伸びた白い太股が露になる。
しなやかな両手が流れるように構えを取る。いわゆる拳法の武術の型だ。
どうやら、今までの三鬼と違って皓月童子は徒手空拳で戦うらしい。
いつもどおり、いつの間にか最後列で傍観を決め込んでいた天邪鬼が、むぅ……と唸り、眉を顰める。
「ふむ、困った。今までの四天王ならば、私も攻略法を熟知していたのだが。こ奴は私の記憶にはないぞ」
「茨木め、私の知らん手合いなら助言のしようもないということか。ふむ、ふむ――足りぬ頭で考えたわ」
「よし、小僧ども。今回は攻略法はない、死ぬ気でなんとかしろ」
投げた。
そのまま天邪鬼は沈黙してしまう。意地悪や怠慢でそう言っているのではなく、本当に攻略法がないらしい。
そうこうしている間にも、皓月童子の身体から漲る闘気の陽炎はその濃度を増している。
「どうしました?喋っていたところで、何も解決策など生まれませんよ。わたしを斃す……それが現状唯一にして最適の解」
「そちらから来ないと言うのなら――こちらから行きますよ!」
びゅんっ!!
皓月童子が瞬時にポチ、祈、ノエルに突っかけてくる。
その挙動は疾風、その拳舞は流麗、その威力は必殺。
瞬時に祈の至近距離まで接近すると、皓月童子はハイヒールを履いた長く美しい脚で蹴りを見舞う。
モデルのような外見からは想像もできない、重い蹴りだ。そして速い。
普通、蹴りとは蹴り足を縮め、そして伸ばすことで放たれる。インパクトの瞬間、どうしても一瞬の間隙ができる。
が、皓月童子の蹴りにはその隙がない。まるで速射砲のように連続で、目にも止まらぬ蹴りを繰り出してくる。
また、身のこなし自体も極めて素早い。金熊童子の速度に匹敵、いやそれを凌駕してさえいると言っていい。
「はッ!!」
ノエルの氷を踊るような身のこなしで回避し、代わりに拳を繰り出す。
細腕と言っていい華奢な腕だったが、しかしその威力は凄まじい。ゼロ距離で添え当てた手のひらから、闘気が迸る。
かつて狼王ロボが使用し、尾弐も習得した必殺拳――発剄を使用しているのは明白だった。
拳だけではない。皓月童子が右手の五指を揃え、刀のように振るうと、ノエルの矢や風火輪の火球が真っ二つに断ち切れて消えた。
見れば、指の爪が獣のように研ぎ澄まされている。妖怪とて斬られれば只では済まないだろう。
虎熊童子に匹敵する破壊力に、金熊童子をも凌ぐ機動力。星熊童子さながらの斬撃力――
今までの三鬼の力を結集し、さらに上乗せしたかのような力が、この皓月童子にはあった。
その力はまさに、茨木童子への道に立ちはだかる最後の四天王の名にふさわしい。
ノエルたちと拳を交えながら、皓月童子が眉間に皺を寄せる。
「その体たらくは何です?それでも虎熊たち三鬼を斃した東京ブリーチャーズですか?」
「本気を出しなさい。――さもなくば、この帝都は鬼の帝国に変貌するのみ」
闘気を揺らめかせたまま、皓月童子は束の間構えを解く。そしてポチ、祈、ノエルを睨みつける。
「わたしを誰かと勘違いしているようですね。……我が名は皓月童子――それ以外の何者でもありません」
三人が説得を試みても、皓月童子は耳を貸さない。が、ポチにははっきりとわかるだろう。
皓月童子からは、紛れもない白狼シロのにおいがする。
すぐに皓月童子は戦いの構えを取った。三対一でもまったく問題ない、むしろ凌いでみせる、とその眼差しが告げている。
実際、三人がかりでも皓月童子を打倒するのは難しいであろう。それだけの実力を皓月童子は秘めている。
そして。
146
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:27:36
「カッハハハハハハハ――――――――ァ!!」
不意に発生する、膨大な殺気。
と思いきや、突然ポチたちのいた天井が崩落し、何者かが降ってくる。
重厚なロングコートとスーツに身を包んだ、魁偉な容貌の大男。
それはこの酔余酒重塔の入口で東京ブリーチャーズが対峙した、鬼の首魁にして酒呑党の副首領――茨木童子だった。
「カハハハハ!もう我慢できねエ!オレも混ぜろよ、皓月!」
ずずぅん……と重い音を立てて降り立つと、茨木童子は野太い首に右手を添えてゴキゴキと鳴らし、愉快げに告げた。
予想もしていなかった茨木童子の闖入に、皓月童子が不快を露にする。
「……なんの真似ですか?茨木童子。この場はわたしが仕切る――そういう手筈だったでしょう」
「星熊までがやられちまったなら、もう準備完了だ。オレが律儀にてっぺんで待ってる必要なんざねエ、ここでケリをつけりゃいい」
「それでは約束が違います」
「知るかよ。それに、オレの目当ては酒呑だけだ。酒呑以外はテメェにくれてやる、好きにしな。それなら文句ねエだろ?」
「…………わかりました」
皓月は不承不承という様子で頷いた。
半ば無理矢理に我儘を通して満足すると、茨木童子は長大な牙を覗かせてニタリと嗤った。
「テメェらがあんまりチンタラしてやがるもんでよ、待ちきれなくなっちまった」
「さあ……闘ろうぜ。酒呑!おまえが置き忘れてきた記憶、オレたちとの絆。全部思い出させてやるぜ――今すぐにな!」
「そしたら、おまえも考えを改めるさ。そんなチンピラどもより、オレたちの方がずっと大切だってな……」
「もう用意はできてる。おまえが王として君臨するための、王国の支度なら全部――!すべておまえに捧げるぜ、酒呑!」
茨木童子は歓喜に満ち溢れた表情で叫んだ。
やはり、茨木童子は純粋に酒呑童子を愛し、酒呑童子のための世界を作り上げるつもりらしい。
「………………」
東京ブリーチャーズの最後尾、下層階へと続く非常階段の近くで、腕組みした天邪鬼が顔をしかめる。
「ところでテメェら、さっきから見てりゃヤケに皓月に執着しやがるが……」
「……なるほどな。そういうことかよ」
何かに見当がついたのか、茨木童子はのしのしと皓月童子に近付いてゆくと、にわかにその細腰に右腕を回して抱き寄せた。
ぐい、と無理矢理に腰を抱かれ、皓月童子は困惑したように茨木童子の胸に手を添える。
「生憎だったなあ、コイツは酒呑四天王のひとり。オレたち鬼の仲間だ、テメェらのことなんぞ知らんとよ!」
「ほれ、皓月。言ってやれよ、テメェらは敵だってな!一人残らず引き裂いてやるから覚悟しろってな、カハハハハッ!」
「――――ッ……」
茨木童子が耳元に顔を寄せて煽る。皓月童子は軽く顔を俯け、ブリーチャーズから視線を逸らした。
そんな反応を見て、茨木童子は愉快そうに嗤うと皓月童子の頬をベロリ、と長い舌で舐めた。
「カハハ……まぁいい。どのみち、闘いは避けられねエんだ」
「酒呑と共に平安の時を生きたオレたちと、酒呑と共に平成の時を生きたテメェら――」
「どっちの『絆』の方が強いか!比べっこと行こうぜェ!東京ブリーチャーズゥゥゥゥゥ!!」
147
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:32:01
「……往け、クソ坊主。待ちに待った出番だ、全力で行っていいぞ」
尾弐の傍らでそう天邪鬼が告げる。もう、力の出し惜しみをしてベンチで燻っている必要はないということらしい。
どんっ!!
茨木が一気に尾弐へと接近してくる。茨木は右手を大きく掲げると、鋭利な爪の生えた五指を叩きつけるように振り下ろしてきた。
「カハハハハッ……カッハハッハハハハハ――――――――ァ!!!」
「遊ぼうぜ、酒呑!昔はこうやって、よく宴を盛り上げたっけなァ!!」
茨木の五指がボゥ……と不気味な赤紫色の妖気を帯びる。酒呑の記憶の断片を有する尾弐は知っている。
『その手に触れてはいけない』と――。
ザウッ!!!
振り下ろされた茨木の爪が大気を引き裂く。頑丈なはずの床に、巨大な五本の爪痕が刻まれる。
茨木童子の得意とする妖術、『摂陽国崩(せつようくにくずし)』。
自らの妖力を五指に込め、万物を引き裂く必殺の攻撃である。
この攻撃の恐るべきところは物理的な破壊力の高さもさることながら、間合いを選ばないところにある。
茨木童子が対象を認識し、『破壊したい』と思った場所に向けて爪を振り下ろすだけで、対象の場所は瞬く間に崩壊するのである。
この妖術によって茨木童子は平安時代、一党を率いて京の都を襲撃し、略奪の限りを尽くして金銀財宝を貯め込んだ。
そして大江山に鬼の根城たる御殿を設け、後に出会った酒呑童子に心酔してすべてを明け渡したのだ。
「カハハッ!どうしたどうしたァ!酔えば酔うほど強くなるのがおまえだったろ、酒呑!まだシラフでいやがるのか?」
「もっとだ、もっと!もっと感情を爆発させてみろ!怒りでも憎しみでもいい……そいつが昔の記憶を呼び覚ます!」
「オレたちがかつて人間どもに感じた、その感情がなァ!カッハッハハッハハハハ――――!!」
哄笑を上げながら、茨木童子は尾弐へ向けて矢継ぎ早に爪の斬撃を見舞ってくる。
といって、接近すれば活路が開けるかと言えばそうはならない。茨木童子は現在の尾弐と同等かそれ以上の膂力を持っている。
単純な殴り合いではジリ貧だ――さらに。
「爪にばっかり気を取られてると、こういう目に遭うぜ?オレの戦法をすっかり忘れやがってよ……そォ―――らッ!」
突如、茨木の左腕が野太い鬼のそれから鞭のようにしなる大蛇の頭へと変化する。
一瞬の隙を衝き、ぎゅるるっ!と蛇身が尾弐の首へと絡みつき、恐るべき力で締め付ける。
常人ならばあっという間に首の骨を折られているだろう。だが、茨木は尾弐を絞め殺そうとしているわけではなかった。
茨木は尾弐の巨体を軽々と持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。
「おいおい……酒呑!この程度でノビて貰っちゃ困るぜ?これから、もっともっと楽しくなるんだからよォ!」
しゅるる、と蛇に変わった左腕を元の形に戻しながら、茨木童子が嗤う。
茨木童子という妖怪は、変化術の名手ということでも知られている。
伝承では雲を衝くような大鬼の姿になったとも、美女の姿に化けたとも、渡辺綱の伯母に変身したとも言われている。
そんな茨木童子であるから、身体の一部を別の存在に変化させるのも造作ないということなのだろう。
「昔のおまえなら、オレの『摂陽国崩』も、こんな変化術の搦め手も喰らったりしなかったぜ」
「オレがどんな手を使ってもよ、『児戯』の一言で一蹴してよ。強かったなあ……ああ、惚れ惚れするほど強かった……」
昔を懐かしむように、茨木童子は視線を虚空へと彷徨わせる。
強い。この酔余酒重塔にいる鬼たちの誰よりも強い。
茨木童子はこんな技はかつての酒呑には通じなかったと言うが、それでも強い。
酒呑童子の片腕、一党の副首領という肩書は伊達ではない、ということらしい。
「………………」
そんなふたりの鬼の戦いを、扉の近くで腕組みしたままの天邪鬼が見守っている。
その眼差しは相変わらず冷淡で、感情が読み取りづらかったが、僅かばかりの苛立ちが垣間見えたかもしれない。
「なァ……酒呑よ。オレはおまえが大切なんだ。本当は、こんな荒っぽい手段だって使いたくねエんだ」
大きく両手を横に広げ、茨木童子は噛んで含めるような物言いで語った。
148
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:35:51
「なあ。帰ってきてくれよ……もうわかっただろ?今のおまえじゃオレには勝てねエし、おまえのお遊びの仲間もそうだ」
「今なら、助けてやるよ……おまえのお遊びの仲間連中よ。こっから無傷で帰してやる……いいだろ?」
「だからさ……帰ってきてくれよ……。なんで忘れちまってるんだよ……なんで……なんで……」
茨木童子は唇をわななかせた。
その厳つい面貌の双眸に、不意に涙が浮かぶ。
「なんで……どうして……。ずっと一緒だったじゃねエか、オレたち……!何をするにも一緒でさ、一緒に起きて、寝て――」
「なのにさ……なんで……!そんな奴らの方に、どうして……どうして、付いてるんだよォ……!」
ぼろぼろと、鬼の目から涙が零れる。
ロングコートとスーツを着込んだ身長二メートルを超える筋骨隆々の鬼が泣く姿は、異様以外の何物でもない。
だが、茨木童子は本当に心から尾弐が自分の誘いを断り続けていることに対して悲しんでいるのだった。
「そうか――、ひょっとしてこの姿か?この姿だからダメなのか?なら――」
「おっと。そこまでですよ、茨木さん」
茨木童子が何かを言いかけた途端、横合いから制止の声がかかった。
見れば、茨木の背後にはいつの間にか白い学生服にマントを纏った半狐面の影――天魔アスタロトが佇んでいる。
「三尾……」
「いつまで下らない、お涙頂戴の三文芝居を続ける気です?そんなのは計画にはなかったでしょうに」
「三文芝居だと?テメェ……!」
「おっと。アナタが酒呑童子さんに会いたいと熱望するから知恵を授けたのに、それを台無しにしようって言うんですか?」
腕組みしたアスタロトが鋭い叱責を投げかける。茨木童子は牙を噛みしめて黙った。
「結構。アナタはこのまま、クロオさんを痛めつけ続ければいいんです。もう敵わない!死ぬ!ってくらいにね」
「さあ、クロオさん。茨木さんは強いでしょ?このままではアナタは勝てない」
「アナタはもちろん祈ちゃんも、ノエルさんも、ポチさんも死ぬ。……それはイヤですよね?だから――」
「酒呑童子の力を解放なさい。姦姦蛇螺との戦いでそうしたように、自らの心臓を抉り出してね……!」
ククッ、とアスタロトが含み笑いを漏らす。
敢えて尾弐を痛めつけ、絶対的な窮地に立たせてから、酒呑童子の封印を自ら解かせる。
それがアスタロトの作戦――ということなのだろうか?
「オイ……、本当にその方法しかねエのか?酒呑を復活させるのはよ……!」
「何を今さら。そうですよ、アナタの愛しの酒呑童子さんを現世に復活させるにはそれしかない……何度も説明したでしょ」
「しかし……」
「なんです?まさか、今になって怖気づいたって言うんですか?もう、計画は半ば以上完遂しているというのに?」
逡巡する茨木童子に対して、アスタロトが酷薄に告げる。
「思い出しなさい。この計画のために、もう虎熊さんと金熊さん、星熊さんは亡くなっている。死んだのですよ、彼らは」
「……死んだ……」
「そう。お三方はアナタが酒呑童子さんを復活させてくれると信じて死んだ。アナタに向後を託して死んだのです」
「そんなお三方の死を。アナタは無駄にしようって言うんですか?――茨木さん!」
「グ、ゥ……アアアアアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
アスタロトの言葉に大きく背を仰け反らせ、空気を震わせる絶叫を喉から迸らせると、茨木童子はずしん、と一歩を踏み出した。
「虎熊はおまえに相撲を取ってるところを見てほしいって、ずっと言ってた……!」
「金熊はどんなご馳走より、おまえと喰う飯が一番うまいんだって笑ってた……!」
「星熊は神夢想酒天流をより強くして、おまえに褒められたいって願ってた……!」
「やつらは死んだ。くたばった!もう引き返せねえ、オレはやつらの遺志を継ぎ、どうでも――おまえを取り戻すぜ、酒呑!!!」
決意に満ち満ちた叫び。それは咆哮よりもむしろ、慟哭に近く。
茨木童子は再度尾弐へ向け、大きく右腕を振り上げた。
149
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150
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/01/31(木) 01:51:14
「……あなたたちの絆の力は、とても強い。眩しいくらいに輝いている……」
祈、ノエル、ポチと対峙しながら、皓月童子が静かに口を開く。
「あなたがた三人が虎熊たち三鬼を斃すところを見ていました。なるほど、彼ら単独では絶対にあなたたちには勝てないでしょう」
「互いが信頼し合い、背中を預け合う。あなたたちの結束の前には……鬼の力など儚きもの」
「仲間とは、そんなにも素晴らしいものなのですね。強く、尊く、そして美しい――」
「……けれど」
き、と皓月童子は鋭い視線で三人を見据えた。
「そう、けれど。彼らにも確かに『絆』はあった。千歳の刻を超えて、今なお繋ぎ続ける絆が……」
「だというのに。なぜ、彼らは敗れたのでしょう?仲間たちを想うあなたたちと彼ら、その気持ちに優劣はないはずなのに」
「わたしには、それがどうしてもわかりません。あなたたちと彼らの違いは?勝敗を分けたのは、いったい何なのですか?」
「……わたしはそれが知りたい。それを理解しない限り、きっと……わたしはずっと、群れからはぐれたただ一匹の狼のまま」
そこまで言って、静かに構えを取る。右膝を高く掲げ、一本足で取る乱撃の型。
「さあ……戦いましょう。ぶつからなければ、分からないことがある。激突することで理解が叶うなら――何度でも」
「我が名は皓月童子。酒呑四天王が壱!手加減は無用――全力を振り絞るがいい、東京ブリーチャーズ!!」
ぎゅんっ!!
皓月童子が仕掛けてくる。やはりその動きは風のように速く、拳打は重い。
獣の身のこなしでほとんどの攻撃を避け、しかして自らは死角を巧みに衝いて攻撃を仕掛けてくる。
とはいえ、三対一。圧倒的な物量差というものはいかんともしがたい。
いくら皓月童子が驚異的な回避能力を誇っていると言っても、幾多の死闘を潜り抜けてきた祈たちに勝てない相手ではない。
……はず、だったが。
「そろそろ身体も温まってきました。では……全開で参りましょう、か!」
皓月童子は床を強く蹴って高く跳躍すると、三人に対し間合いを広げた。
そして、上空で身に纏っていた妖気を解放する。
「――奥義!影狼群舞――!!」
皓月童子がそう叫ぶと同時、身に纏っていた陽炎のような闘気が無数の狼の形を取り、一直線にポチたち三人に襲い掛かった。
それはまさに群れで狩りをする狼の攻撃に他ならない。十頭以上の狼の形をした影が、三人の手足を容赦なく引き裂いてゆく。
三人からやや離れたところに音もなく着地すると、皓月童子は僅かに微笑んだ。
その白い姿に寄り添うように、たくさんの狼の影が付き従う。
「我が影狼(かげろう)たちの牙のお味はいかがですか?これこそわたしが鍛錬の末に編みあげたもの。必殺の奥義」
「……いつ、あなたたちに『力を貸してほしい』と要請されてもよいように、とね……」
近くにいる影狼の一頭、その頭をそっと撫でる。
「影狼は十一頭、わたしを入れて十二頭。対してあなたたちは三名――数の上では、わたしの方が圧倒的に優勢ですね」
「さあ。どうします?このままでは、あなたたちは全滅を免れない。わたしを倒すことはできない……」
いつの間にか、皓月童子の周りに集まっていたはずの影狼たちが散開し、祈とノエル、ポチを取り囲んでいる。
元は皓月童子の闘気によって形作られているからか、影狼の連携は完璧で一糸の乱れもない。
また、影狼には実体がないため物理的な攻撃は効果がない。拳打や蹴り、単純は氷の攻撃などはすり抜けてしまうだろう。
影狼を封じるには、本体の皓月童子を倒すしかない。が、その皓月童子自身も攻守ともに完璧な技を身に着けている。
影狼に構っていれば本体の攻撃を喰らい、本体を攻撃しようとすれば影狼の集中攻撃を受ける。
皓月童子は或いは、茨木童子よりも手強い敵と言ってよかった。
すい、と今一度皓月童子が身構える。――が、攻撃はしてこない。影狼たちも三人の周囲を取り巻くだけである。
いつ殺戮劇が起こってもおかしくない。そんな一触即発の空気の中、皓月童子は何を思ったかゆっくりと口を開くと――
「……ポチ殿――」
「……わたしは。弱いですか?」
と、訊ねた。
151
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:51:45
天邪鬼がその技巧により生み出した、完成された剣技を持つ星熊童子の『隙』。
それは僅かな時間ではあったが、歴戦の東京ブリーチャーズの面々にとっては十分過ぎるものであった。
>「言われなくても――わかってら!」
その速力を以って刹那の内に距離をゼロとした祈が繰り出した脚撃は、星熊童子の攻撃の起点である腕を蹴り砕く。
深雪は鋭利な氷の刃を以って星熊童子の腕を切断し、二の矢三の矢を用いる事を阻止した。
ポチはその身が持つ不在の妖術と野性を感じさせる機転を用い、星熊童子の裏を掻いて刀を奪取した。
三身一体の連携攻撃。
こと此処に至っては、強靭な鬼の身体性能を持ってしても『東京ブリーチャーズ』に打ち勝つ事は出来ない。
>「へし折っといて」
「……いや、その必要は無いみてぇだぜ。もう仕舞いだ」
三人に引き留められ戦闘を番外から眺め見ていた尾弐は、ポチから尾弐は刀を受け取ると視線を星熊童子へと移す。
そこに在るのは、切断された腕からおびただしい量の血液を流す星熊童子の姿。
……重傷、と言っていいだろう。少なくとも気力や精神で賄えるダメージではない。
よしんば再起して敵意を見せたとしても、利き腕も武器も無い状態。一呼吸の時間すら必要とせず封殺する事が可能だ。
>「……おお……、おおお……。我が剣、届かざりしか……。なんという汚辱、なんという無念……」
だが、それでも星熊童子は倒れない。
蹈鞴を踏みながらも、その二本の脚を地に付ける事はしない。
きっとそれは、彼が目指す物……即ち希望までの道が途切れていないからだ。
そして彼は、止める間もなく己が胸に七首を―――――突き立てた。
>「所詮、この世は欲塗れ――うぬらが無辜の民を救いたいと願うも欲ならば、我らがお屋形さまを蘇らせたいと願うのも欲――」
>「そこになんの違いもあるまいよ……。ならば、その願いが強い方が勝つ……それが世の理であろう……」
>「某は敗れたが……これは某ひとりの敗北に過ぎぬ。この敗北は……我ら酒呑党の勝利への階(きざはし)……」
>「あとは……副頭がことを成してくれる……。某は……地獄でそれを見届けさせてもらおうぞ……」
「くだらねぇ……なら、地獄に行くテメェに俺から手向けの言葉だ」
「どんな策を弄そうと、此処に俺が居る以上は『テメェが望む』酒呑童子とは永劫に再会出来ねぇ。この世でも、地獄でもな」
「テメェ等の死は無駄だった。無意味だった。何の意味も価値も無かったんだよ」
仲間に未来を託し、己が欲が叶う事を確信しながら散りゆく星熊童子。
尾弐は彼に言葉を残す。それは……黒く澱んだ呪詛の言葉。
お前の願いは叶わないと。お前は永劫に望む者と再会など出来ぬのだと。
お前と仲間の死は無駄だったのだと。そう言い聞かせる
152
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:52:48
笑顔で死なせぬ為に。満足して死なせぬ為に。後悔しながら生を終わらせる為に。
無辜の人々の生を蹂躙した者に、只の一片も救いはあってならないと。無慈悲に死を貶める。
尾弐黒雄らしからぬ言動……だが、ここに那須野橘音がいれば、こう感じた事だろう。
まるで、 多甫 颯と出会う前の――昔の尾弐黒雄の様だと。
>「だというのに……うぬの剣技はまさに我らの技、神夢想酒天流のもの……」
>「小鬼……、うぬは……」
>「……一体、何者なの……だ……?」
尾弐の言葉が届いたのかどうかは判らない。だが、星熊童子は最期に言葉を残した。
それは、小鬼――天邪鬼への疑問符。
己と酒呑童子しか知らぬ筈の秘儀をどこで習得したのかという問いかけ。
尾弐が視線を向けた先に居る天邪鬼は、その星熊童子の言葉を受けても何も答えず、何の感情の色も見せない。
思う所が無いのか、或いは隠しているのか。
兎にも角にも、一連の遣り取りが尾弐へ齎すのは不信感のみ。警戒心が積もるだけ。
その筈なのだが……。
「……何を錯乱してやがる俺は。心臓が生きて動いてる限り、酒呑童子は蘇らねぇんだ」
誰にも聞こえぬよう小さく呟き、内に浮かんだ在り得ない可能性を首を振って否定する。
>「夜もだいぶ更けた。夜明けまでにこの酔余酒重塔に巣食う鬼どもを残らず殲滅せねばならん。……最後まで気を抜くな」
「は……偉そうに指揮してんじゃねぇよボウズ。お前さんなんぞに言われずとも、此処の鬼は全員漂白対象だ」
「……さて、またこのクソ長ぇ階段を登るとするかね……ああ、そうだ。一人や二人なら俺が背負って登れる。疲れた奴がいたら遠慮なく言えよ?」
そして、天邪鬼に対しては悪態を。東京ブリーチャーズに労いの言葉を残し、星熊童子の刀を手にしたまま、尾弐は再び長い階段を登り始めるのであった。
―――――
153
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:53:23
>「わたしの名は皓月童子。酒呑童子に仕える四天王、最後のひとり――」
>「わたしを斃さぬ限り、あなたたちの望みは叶わぬものと識りなさい」
辿り着いた第四階層。
愛も変わらず建造物の中とは思えぬ程の広い空間の中に其の女は居た。
妖気を纏うその身には、獣の如き耳と尾。
白銀の髪と同じく透き通る美しさを持つ女が名乗る名は、皓月童子。酒呑童子が四天王。
>「ふむ、困った。今までの四天王ならば、私も攻略法を熟知していたのだが。こ奴は私の記憶にはないぞ」
>「茨木め、私の知らん手合いなら助言のしようもないということか。ふむ、ふむ――足りぬ頭で考えたわ」
>「よし、小僧ども。今回は攻略法はない、死ぬ気でなんとかしろ」
「……酒呑童子の配下に皓月童子なんて奴がいたなんて話を、俺はトンと聞いた事がねぇ。詐称か自称かは知らねぇが……あまり愉快じゃあねぇな」
「だが、あの鬼共が仲間として扱っている以上は、弱いって事は絶対にねぇ」
「気ぃつけて掛かれよ。アレが『誰にせよ』、『どうやって片を付けるにせよ』、片手間でどうこう出来る相手じゃねぇ筈だ」
天邪鬼と同じく、皓月童子という名に聞き覚えのない尾弐は東京ブリーチャーズの面々に警戒を促す。
……尾弐は、何とはなくであるものの、眼前の皓月童子という存在の正体を推測している。
だが、それが正解であるか判らない以上口に出す事は出来ない。
それに、仮にその推測が正しかった場合……決着を付けるのは尾弐の役割ではない。
「……」
一度、視線をポチの方へと向けてから尾弐は歩を後ろへと進める。
そして、これまでの戦いと同じように、歯噛みしつつ仲間達へと戦闘を任せようとして――――その時であった。
>「カッハハハハハハハ――――――――ァ!!」
「テメェは……!」
突如として崩落した天井と共に落下してきたのは、ロングコートとスーツを着込んだ大男。
>「テメェらがあんまりチンタラしてやがるもんでよ、待ちきれなくなっちまった」
>「さあ……闘ろうぜ。酒呑!おまえが置き忘れてきた記憶、オレたちとの絆。全部思い出させてやるぜ――今すぐにな!」
>「そしたら、おまえも考えを改めるさ。そんなチンピラどもより、オレたちの方がずっと大切だってな……」
>「もう用意はできてる。おまえが王として君臨するための、王国の支度なら全部――!すべておまえに捧げるぜ、酒呑!」
茨木童子。此度の騒動の主犯の一角にして、現存する鬼の中でも行為に位置する大妖怪。
その妖怪の突然の登場に驚愕する尾弐であったが、直ぐに体勢を立て直すと、東京ブリーチャーズの面々を庇う様に前へと出る。
だが、そんな尾弐の様子を気にする事も無く茨木童子は何かを察すると――――皓月童子の元へと歩み寄り、一行を挑発するかの様にその頬を舐めた。
154
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:54:07
>「カハハ……まぁいい。どのみち、闘いは避けられねエんだ」
>「酒呑と共に平安の時を生きたオレたちと、酒呑と共に平成の時を生きたテメェら――」
>「どっちの『絆』の方が強いか!比べっこと行こうぜェ!東京ブリーチャーズゥゥゥゥゥ!!」
>「……往け、クソ坊主。待ちに待った出番だ、全力で行っていいぞ」
「はっ、言われなくてもやってやるさ。妖壊に、悪鬼に……手加減なんてするつもりはねぇよ」
尾弐は、茨木童子の挑発に対して触れる事はせず、ただ拳を強く握る。
……眼前の茨木童子を、ポチの分もぶん殴る。そういう意志を込めて。
そして此処に尾弐黒雄の戦いが始まる。
>「カハハハハッ……カッハハッハハハハハ――――――――ァ!!!」
>「遊ぼうぜ、酒呑!昔はこうやって、よく宴を盛り上げたっけなァ!!」
「くっ!!?」
尾弐が己の記憶を信じ、茨木童子の攻撃の射線から身を捩るようにして逃れれば、想像通りに堅牢な床に大きな亀裂が走った。
『摂陽国崩(せつようくにくずし)』
茨木童子が有する妖術の一つであり、間合いと硬度を無視した破壊の一撃。
鬼の堅牢な肉体を以ってしても、この一撃を受けてしまえば大ダメージは免れない。
>「カハハッ!どうしたどうしたァ!酔えば酔うほど強くなるのがおまえだったろ、酒呑!まだシラフでいやがるのか?」
>「もっとだ、もっと!もっと感情を爆発させてみろ!怒りでも憎しみでもいい……そいつが昔の記憶を呼び覚ます!」
>「オレたちがかつて人間どもに感じた、その感情がなァ!カッハッハハッハハハハ――――!!」
「うるせぇな……俺は酔ぇねぇんだよ。どんだけ飲んでも、何も忘れる事なんぞ出来ねぇんだ」
「それに―――感情ってのは爆発するだけのモンじゃねぇ。深く沈んで溜まってくモンもあるんだ。まるで泥みてぇにな」
「まあ、テメェには判らねぇか……千年の間、楽しくお山の対象やってた茨木童子サマにはよ」
繰り返される攻撃を、爪の軌道を読む事でかろうじで回避しつつ、尾弐楽しげな様子の茨木童子に言葉を返す。
戦況は――――尾弐の劣勢であった。
尾弐の攻撃は空振り、床を砕くのみ。
鬼という同種の妖怪であるが故に、その格の差は戦闘力の差に直結する。
茨木童子は歴史にその名を残す妖怪。対して、尾弐は酒呑童子の力を持つものの、その実は無名の妖怪。
腕力、脚力、妖力、体力、その全てにおいて茨木童子を下回る。
正々堂々の肉弾戦で勝利を得られる可能性はゼロに等しい。更に、茨木童子は腕力だけが自慢の妖怪ではない。
尾弐が茨木童子の顔へ掌底を放つべく接敵したその瞬間。
155
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:54:35
>「おいおい……酒呑!この程度でノビて貰っちゃ困るぜ?これから、もっともっと楽しくなるんだからよォ!」
「カ、ハ……っ!!?」
変化術。茨木童子は突如として左腕を大蛇へと変化させると、接近した尾弐の首を締め上げる。
巨木でも捻じ切る事が叶いそうな膂力により尾弐の呼吸が阻害される。
すわこのまま絶命するかと思われたが――――茨木童子は、何故か尾弐を絞め殺す事はせず、そのまま地面へと叩きつけた。
「ゲホッ、ゲホッ……て、めぇ……舐めやがって……!」
>「昔のおまえなら、オレの『摂陽国崩』も、こんな変化術の搦め手も喰らったりしなかったぜ」
>「オレがどんな手を使ってもよ、『児戯』の一言で一蹴してよ。強かったなあ……ああ、惚れ惚れするほど強かった……」
>「なァ……酒呑よ。オレはおまえが大切なんだ。本当は、こんな荒っぽい手段だって使いたくねエんだ」
明らかな手加減を受た事で、地に伏したまま茨木童子を睨みつける尾弐。
だが、そんな尾弐の様子など気にもせず、茨木童子は思い出に浸る様に言葉を吐く。
>「なんで……どうして……。ずっと一緒だったじゃねエか、オレたち……!何をするにも一緒でさ、一緒に起きて、寝て――」
>「なのにさ……なんで……!そんな奴らの方に、どうして……どうして、付いてるんだよォ……!」
慟哭と言って良い程の懇願。その言葉には酒呑童子と言う存在に対する彼の親愛の念が詰まっている。
涙を流し、心からの願いを見せている。
そんな茨木童子に対して、尾弐は
「――――反吐が出る」
「あのボウズを修羅の巷に……血肉を喰らい肝を啜る、人の汚ぇ部分の詰まった存在になんざ、戻して堪るかよ」
心臓の部分を手で押さえ、切れた頬から出た血液を吐き捨てながら、冷たくそう言い放った。
もはや双方相容れぬ。
茨木童子は酒呑童子を取り戻したく、尾弐黒雄は酒呑童子を現出させるつもりは無い。
不幸であるのは、恐らくは茨木童子が尾弐を酒呑童子の一部とでもみなしている事だろうか。
酒呑童子と茨木童子の間に尾弐黒雄という存在が有る為に、会話が成立しえない。
156
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:55:10
>「そうか――、ひょっとしてこの姿か?この姿だからダメなのか?なら――」
>「おっと。そこまでですよ、茨木さん」
それでも尾弐を……酒呑童子を説得しようと、茨木童子が何かをしようとし、けれど別の声がそれを遮った。
三尾、黒い那須野橘音、天魔アスタロト。
今回の現況の一人と思わしき存在が、嘲るような態度で茨木童子へと言葉を掛ける。
>「いつまで下らない、お涙頂戴の三文芝居を続ける気です?そんなのは計画にはなかったでしょうに」
>「三文芝居だと?テメェ……!」
>「おっと。アナタが酒呑童子さんに会いたいと熱望するから知恵を授けたのに、それを台無しにしようって言うんですか?」
その言いぐさは余りに冷たいものであったが、茨木童子に一片の情も抱いていない尾弐は言葉を発する事は無い。
それを良しとしてアスタロトは言葉を続ける。
>「結構。アナタはこのまま、クロオさんを痛めつけ続ければいいんです。もう敵わない!死ぬ!ってくらいにね」
>「さあ、クロオさん。茨木さんは強いでしょ?このままではアナタは勝てない」
>「アナタはもちろん祈ちゃんも、ノエルさんも、ポチさんも死ぬ。……それはイヤですよね?だから――」
>「酒呑童子の力を解放なさい。姦姦蛇螺との戦いでそうしたように、自らの心臓を抉り出してね……!」
託宣の如き断言。冷酷な忠告を向けられた尾弐は、一度下を向き大きく息を吐く。
尾弐を痛めつけろと、仲間達が死ぬぞと、心臓を抉りだせと。見知った那須野橘音の姿形でそう呼びかける。
浴びせ掛けるようにそれらの言葉を受けた尾弐は
――――顔を上げ、真っ直ぐに前を向いた。
「前にも似たような事を言ったがよ……何か企んでる時は、楽しそうに笑え。那須野」
「……ああ、ったく。色々あり過ぎて頭に血が上ってたが、お前さんの顔見たらちっとばかし落ち着いたぜ」
その顔からは、先程まで有った切迫感が大分払拭されていた。
ゆっくりとその身を起き上らせると、僧服に付いた誇りをパンと払い、尾弐は茨木童子を見据える。
>「虎熊はおまえに相撲を取ってるところを見てほしいって、ずっと言ってた……!」
>「金熊はどんなご馳走より、おまえと喰う飯が一番うまいんだって笑ってた……!」
>「星熊は神夢想酒天流をより強くして、おまえに褒められたいって願ってた……!」
>「やつらは死んだ。くたばった!もう引き返せねえ、オレはやつらの遺志を継ぎ、どうでも――おまえを取り戻すぜ、酒呑!!!」
「――――ガキを悪い遊びに誘うような連中に、【外道丸】は渡さねぇよ」
「平穏が欲しかったなら人として生きてた間に真っ当に手に入れとけ。ガキに縋るな。みっともねぇんだよ」
そう言うと、尾弐は向かい来る茨木童子の拳を前にして、一歩。床を砕く威力で踏み込んだ。
相手は各上の悪鬼。力と力の勝負で、尾弐に勝ち目はない。
それこそ、酒呑童子の力を開放でもしなければ戦いにならないだろう。
故に、咆哮と共に放たれた茨木童子の拳は、尾弐の額を打ち砕く―――――筈だった。
157
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/03(日) 19:56:15
「どうした?殴るのを躊躇いでもしたか?」
摂理を無視し、先に当たったのは尾弐の拳。
それは精神力の齎した奇跡や、茨木童子の躊躇いによる隙……などでは無い。
一瞬、物理的に茨木童子の拳が止まったのだ。まるで、不可視の結界に阻まれたかの様に。
「……禹歩(ウホ)。手順に沿って歩を刻む事で行う簡単な結界術、らしいな」
見れば、茨木童子の周囲の地面には複数の穴が開いている。
空振り、当たらなかった尾弐の攻撃が穿った穴……それはかつてコトリバコと対峙した時に用いられた。禹歩(ウホ)が刻む結界と同じ形をしていた。
次いで、尾弐は茨木童子にようやく当たった拳に力を込める。
踏み込んだ足の床が蜘蛛の巣状に罅割れ――――ゼロ距離にも係わらず、まるで内蔵を撃ち抜くかの様な衝撃が茨木童子を襲う。
「発勁。硬度を無視して内腑を破砕する技術だ。まともに喰らうと暫く飯が食えなくなるぜ」
狼王ロボと対峙した際にその身に受け、後に己が技術として取得した人間の拳法。
接近戦の間合いをも過ぎた、超接近戦においけるゼロ距離攻撃。
更に尾弐は、一度後退して距離を取り――――地面に突き刺していた星熊童子の刀をその手に取ると、躊躇いなく己の左手を斬り付けた。
血に塗れる刃……それを確認すると、尾弐は懐から金属の棒『独鈷』を取り出し、茨木童子へと投げつける。
独鈷自体にさほどの威力は無い。尾弐の膂力で投げられてはいるので人間の腹であれば抉り取る威力は有しているが、それだけだ。
だが……それが持つ呪術的な意味は大きい。
インドラが持つ武器であり、あらゆる物を砕波し煩悩を打ち砕くとされる其れは、正しい手順に則って用いれば、悪鬼に対して大打撃を与える武具となる。
「――――ナウマク・サンマンダ・バザラダン」
尾弐が血に濡れた片腕印を結び不動明王尊への真言を唱えると、放たれた独鈷は魔滅の光を纏う。
その威力は、独鈷を投げた尾弐の左腕の一部が炭化し、真言を唱えた口内から煙が上がっている事から、少なくとも高僧の術式程の力が込められているのを察する事が出来るだろう。
切り札というべき道具を用いた尾弐は、されど止まらない。独鈷の軌道を追うようにして駆け出す。
(あの独鈷を打ち払うなら、あいつは『摂陽国崩』並みの術を使う必要が有る筈だ――――だから、その隙を突く)
手に持つ刃。悪鬼の……酒呑童子を斬った鬼切の刃。かつて祈達に護符代わりに持たせた其れを、今度は武器として振るう。
尾弐黒雄は茨木童子より格下ではあるが、概念としての存在は酒呑童子と等しい。故に、尾弐の血に濡れた刃は茨木童子の強靭な肉体をも裂く『格』を得る。
刺突の形で刀を構えると、独鈷の軌道を追う形で茨木童子へと急襲を掛ける。
「……黒い那須野にゃ悪ぃが、罠だと判ったうえで心臓を抉る訳にもいかねぇんだ。ありゃあ便利なパワーアップアイテムなんかじゃなくてな」
「代わりと言っちゃなんだが、俺にも色々と受け継いでるモンが有ってな――――其れを以って地獄に送り返してやるよ」
血に塗れ、血塗れの刃を構え、尾弐黒雄は茨木童子の心臓を目掛けた急襲を掛ける。
158
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:41:56
祈が砕いた星熊童子の右腕を、ノエルは更に氷の刃で一閃――、斬り飛ばしてみせる。
その行動は恐らく、この状態でも星熊童子が攻撃可能である可能性を考えた故のことだろう。
そしてもう一つは、今まで戦ってきた相手と同様に、
長所がそのまま弱点となっている可能性を考慮してのことだと思われた。
虎熊童子は金棒、金熊童子は食欲。彼らは得物や長所が同時に弱点でもあった。
それを奪われると著しく弱体化するのを見て、似た効果を期待して
星熊童子から刀を完全に離そうとしたのかもしれなかった。
ノエルに斬り飛ばされた腕はポチがキャッチし、
尾弐の側に持って行くことで奪還を不可能な状況に持って行った。
>「勘違いするな、小僧ども。私は『荒事が嫌いだ』とは言ったが『戦えぬ』と言った覚えはないぞ?」
尾弐とポチがいる場所にまでふわりと舞って後退しながら、天邪鬼が言う。
祈は星熊童子からやや距離を取る。
刀を奪い返そうとポチを追っていた星熊童子が動きを止めた。
>「……おお……、おおお……。我が剣、届かざりしか……。なんという汚辱、なんという無念……」
斬り飛ばされた右腕から血を噴き出しながら、悔し気に星熊童子は呟く。
右腕を失い、武器である刀も奪われて取り戻せそうにない。
この状況では、流石に勝ち目はない悟ったのだろう。しかし、凄絶に笑んだ。
>「したが……これで善い……。計画はすべて順調……。うぬらは、我らの計画を阻止しているつもりで……助けているに過ぎぬ……」
そしてよろめきながら、残った左腕を着流しの懐に突っ込むと、
短刀(ドスというのだろうか?)を取り出した。
剥き出しの刃。恐らく着流しの内側で鞘から抜き放ったのだろう。
「やめとけよ、もうその状態じゃ戦ったってあたしらには――」
見るからに星熊童子の左手は利き腕ではない。
満足に戦えない以上、これ以上戦った所で勝ち目などないはずだ、と。
そう考えた所で祈は気付く。星熊童子の狙いは、ブリーチャーズとの戦いではない。
「――待っ」
祈は手を前に伸ばしながら飛び出す。しかし、もう遅い。
星熊童子の短刀は自らの胸を深々と貫いている。位置的には心臓。
あの長さであるから、確実に心臓に達しているだろう。祈は歯噛みする。
(なんでこうなるんだ……――!)
自殺の可能性を考慮し、左腕も切断、いや、舌を噛み千切られる可能性もあっただろう。
確実に意識を断っておくべきだったのだ。
>「ク……クク……。この星熊、腐っても剣士。虎熊や金熊のように、死ぬるに余人の手は借りぬ……」
>「所詮、この世は欲塗れ――うぬらが無辜の民を救いたいと願うも欲ならば、我らがお屋形さまを蘇らせたいと願うのも欲――」
>「そこになんの違いもあるまいよ……。ならば、その願いが強い方が勝つ……それが世の理であろう……」
>「某は敗れたが……これは某ひとりの敗北に過ぎぬ。この敗北は……我ら酒呑党の勝利への階(きざはし)……」
>「あとは……副頭がことを成してくれる……。某は……地獄でそれを見届けさせてもらおうぞ……」
星熊童子は笑う。
自分が敗北し、死したところでそれは計画の内。後に続く茨木童子が目的を達してくれると。
>「くだらねぇ……なら、地獄に行くテメェに俺から手向けの言葉だ」
>「どんな策を弄そうと、此処に俺が居る以上は『テメェが望む』酒呑童子とは永劫に再会出来ねぇ。この世でも、地獄でもな」
>「テメェ等の死は無駄だった。無意味だった。何の意味も価値も無かったんだよ」
星熊童子の正面で、尾弐がそう冷たく吐き捨てる。
やはりこの戦いは尾弐にとって特別な意味があるのだろうと祈は感じた。
いつもよりもその言葉は冷酷で残酷だった。
死にゆく妖壊が自我を持っているのを幸いと、心までも破壊しつくそうとしているかのようで、
聞いている祈の心の方が痛むほどであった。
尾弐がそんな風になっていることは悲しいし、
敵視したままの尾弐からそんな言葉を聞かされた星熊童子が憐れに思えた。
159
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:43:32
>「……だが……ひとつだけ……。ひとつだけ、解せぬことがある……」
幸いなのは、そんな尾弐の言葉が、もはや星熊童子に届いていなさそうなことだ。
右腕からの大量の出血と、血を送り出す心臓を貫いたことで、
いよいよ血流が巡らなくなっているのだろう。
死に向かいながら、しかし、星熊童子ははっきりと一つの疑問を口にする。
震える星熊童子の左手の指先が、天邪鬼を指した。
>「我が神夢想酒天流は……我が主、酒呑童子が編み出したもの……。この世に遣い手はお屋形さまと某ふたりだけのはず……」
>「だというのに……うぬの剣技はまさに我らの技、神夢想酒天流のもの……」
>「小鬼……、うぬは……」
>「……一体、何者なの……だ……?」
そして疑問の言葉を吐き終えると。
星熊童子の体は脱力し、前のめりに倒れ、――。それきり動かなくなる。
倒れ込んだ衝撃で、傷口を塞いでいた短刀がずれたのだろう。
倒れた星熊童子の胸から溢れて、血だまりを作っていった。
天邪鬼を指差し、うつ伏せに倒れたままの星熊童子。
その最期の問いに対しても、
>「…………」
天邪鬼は応えなかった。
星熊童子の亡骸の傍らに立ち、祈は手を合わせる。
数秒の後に、何も応えないままの天邪鬼を振り返ると、
天邪鬼は表情の読み取れない目で星熊童子の亡骸を見ていた。
ややあって、天邪鬼は小さく吐息を吐くと、上階へ続く非常階段へと歩き出す。
「なぁ、あんた……本当は天邪鬼じゃなくて酒呑童子なんじゃないのか? もしそうなら――」
祈はそれを目で追いながら、そんな不完全な言葉を投げかける。
神夢想酒天流を修得しているのは酒呑童子と星熊童子だけ。
ならば必然、先程の『大鬼蓮』なる神夢想酒天流の技(らしい)を繰り出せた天邪鬼は、
消去法で酒呑童子ということになるはずだ。
天邪鬼という妖怪が、
人の心を読んだだけでその技をコピーできる稀有な力を持った妖怪であるとか、
酒呑童子が残した秘伝書を読み漁って自主的に神夢想酒天流の技を習得しただとか、
星熊童子が知らないだけで別に弟子がいただとか。
そんな例外がないのであれば。
酒呑童子の心臓は尾弐が持っていて、首は確か首塚か何かに埋められている。
荒唐無稽な話で、どうしてそうなるのかはわからないが、
心臓と首を除く肉体の大部分が復活しているのではないか、と。そう祈は問うた。
しかし、
>「夜もだいぶ更けた。夜明けまでにこの酔余酒重塔に巣食う鬼どもを残らず殲滅せねばならん。……最後まで気を抜くな」
天邪鬼はそれだけ言って、非常階段へ続く両開きのドアを開けて、先に進んでしまうのだった。
答えられないか、答えるつもりはないということなのだろう。
祈が飲み込んだのは、
『もしそうなら、それを明かしていれば、星熊童子たちは止まっていたんじゃないのか』という言葉だった。
本当は止められた戦いなのではないのか。彼らを救う術があったのではないのか。
祈はそんなことをぐるぐると考えている。
>「は……偉そうに指揮してんじゃねぇよボウズ。お前さんなんぞに言われずとも、此処の鬼は全員漂白対象だ」
>「……さて、またこのクソ長ぇ階段を登るとするかね……ああ、そうだ。一人や二人なら俺が背負って登れる。疲れた奴がいたら遠慮なく言えよ?」
尾弐がそう言って天邪鬼に続く。その手には、星熊童子の刀が握られていた。
胸中に複雑なものを抱えながら、祈もまた、天邪鬼や仲間に続いた。
160
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:45:24
非常階段を上り、第四階層に辿り着くと、
そこにもやはり、スカイツリーにあるはずもない広大な空間があり、そして一人の影が待ち構えていた。
三日月のあしらわれた白いチャイナドレスに身を包んだ、銀髪の美女。
ノエルが好きそうなモフモフの耳と尻尾が生えていることが目を引く。
>「――ついに、ここまで来ましたか。星熊たち三鬼を打ち破るとは、流石……東京ブリーチャーズですね」
>「けれど、そうでなければ困る。彼らなど一蹴するほどの強さでなければ――わたしがこの場に立った甲斐がありません」
銀髪美女はこちらを認識すると、ほとんど睨むような鋭い眼差しを、
ブリーチャーズ――というよりもポチに向け、そう口を開いた。
その体からは陽炎のような妖気が立ち昇っている。
やはり、と祈は思う。
人型になっているとはいえ、雰囲気や特徴。耳や尻尾の形。そしてこの声。
あまりにシロに酷似している。そもそも天神細道がここを示したのであるし。
「シロ……で合ってるんだよな? あれ」
祈は念の為、匂いやらで嗅ぎ分けられるであろうポチにそう確認するが、
>「わたしの名は皓月童子。酒呑童子に仕える四天王、最後のひとり――」
>「わたしを斃さぬ限り、あなたたちの望みは叶わぬものと識りなさい」
シロと思しき銀髪美女は、それを否定するように自らを皓月童子と名乗り、
自分を倒さなければ先には進ませないと立ちはだかるのだった。
そして右脚を上げ、拳法の構えを取る。
それを見た祈は思わずノエルの顔面、目の辺りを手で覆った。
ドレスの中身が見えそうで心配だったのである。
しかし、皓月童子を名乗る美女が攻撃姿勢を取っているのだと理解すると、
ノエルの視覚を封じるのは危険だと思い直して、手を放した。
>「ふむ、困った。今までの四天王ならば、私も攻略法を熟知していたのだが。こ奴は私の記憶にはないぞ」
>「茨木め、私の知らん手合いなら助言のしようもないということか。ふむ、ふむ――足りぬ頭で考えたわ」
>「よし、小僧ども。今回は攻略法はない、死ぬ気でなんとかしろ」
天邪鬼はそういってこちらに情報も寄越すことなく、完全に祈達に投げてくる。
>「……酒呑童子の配下に皓月童子なんて奴がいたなんて話を、俺はトンと聞いた事がねぇ。詐称か自称かは知らねぇが……あまり愉快じゃあねぇな」
>「だが、あの鬼共が仲間として扱っている以上は、弱いって事は絶対にねぇ」
>「気ぃつけて掛かれよ。アレが『誰にせよ』、『どうやって片を付けるにせよ』、片手間でどうこう出来る相手じゃねぇ筈だ」
そして尾弐は皓月童子を見て、戦うことを前提に、祈達に警戒を促す。
とはいえ、戦えるはずもない。
皓月童子と名乗っているとはいえ、祈の中にある『あれはシロだ』という確信は揺らいでいない。
つまり、つい先程まで友達や、友達の奥さんだと思っていたものが敵側に回っている状況だ。
そんな者が「私を倒さないと先に進ませないぞ」と言ってきたとしても、「じゃあ問答無用で倒して進むね」とはならない。
「攻略法もなにも。シロがなんであっちにいるのか理由を聞かないと、倒すとか倒さないとか決められないって……」
この切羽詰った状況でまさかふざけているはずもないが、まずは色々聞くべきことがあるように祈には思えた。
しかし、シロの方を見ると、陽炎のように立ち昇る妖気の濃度が増し――闘気の高まりを見せた。
161
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:48:48
>「どうしました?喋っていたところで、何も解決策など生まれませんよ。わたしを斃す……それが現状唯一にして最適の解」
>「そちらから来ないと言うのなら――こちらから行きますよ!」
びゅんっ!!
「!?」
恐るべき速度でシロが祈へと接近する。気付けば既に間合い。
ハイヒールを履いた足でよくぞその速さを、と感心する間もなく、シロの右足が地を離れ、旋風のようなハイキックが放たれる。
祈はそれにかろうじて反応。左腕を上げて頭部をガードするが、
「〜〜〜ッ!!」
ビリビリィ、と腕に稲妻のように衝撃が走る。苦悶の表情を浮かべながらも、
祈は自ら右に飛んでハイキックの威力を軽減する。ずざぁっ、と着地してすぐに体勢を立て直すが、
さらにシロは間を詰めて、追撃の蹴りを放つ。
左脚を軸足として、右脚の僅かな伸縮だけを使った――隙の少ない連続蹴り。
それはまるでガトリング砲のような激しさであり、素早さ自慢の祈であってもそれを捌ききることは難しく。
ガキンッ。風火輪で受け、衝撃を流そうとするも、衝撃を反らしきれずに後方に大きく吹っ飛ばされることになる。
「くぁっ!」
ゴロゴロと転がる祈。その間に、ノエルもポチも、シロからの激しい攻撃を受けていた。
そしてどうやら、祈のように動揺して不意を突かれたのか、攻撃に踏み切れなかったか、
一方的に押されているようであった。
祈は立ち上がって構えるが、まだ動揺が抜けきらない。
>「その体たらくは何です?それでも虎熊たち三鬼を斃した東京ブリーチャーズですか?」
>「本気を出しなさい。――さもなくば、この帝都は鬼の帝国に変貌するのみ」
ブリーチャーズを見て眉を顰め、構えを解くシロ。
「マジであたしらとやろうって言ってんだな、シロ……!?」
>「わたしを誰かと勘違いしているようですね。……我が名は皓月童子――それ以外の何者でもありません」
シロは誰の言葉にも耳を貸さない。洗脳されている様子はなく、
自分の意志で、シロではなく皓月童子としてここに立ち、戦うつもりでいるらしい。
再びシロは構えた。
祈もまた、混乱の最中に構え、迎撃の姿勢を取る。
一行に緊張が走るが、それを打ち破るように、
>「カッハハハハハハハ――――――――ァ!!」
天井が破壊され、瓦礫と、穴からは嗤い声と、男が落ちてくる。
轟音と共に落下してくる瓦礫を祈は飛び退いて躱す。
>「カハハハハ!もう我慢できねエ!オレも混ぜろよ、皓月!」
殺気を漲らせ、落下してきた男は再度嗤う。
落ちてきたのは重厚なロングコートとスーツを着込んだ大男。四天王を束ねる鬼、茨木童子だった。
尾弐のように右手で首をゴキリと鳴らして愉快気にそう言う。
162
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:51:13
それに対してシロ、否。皓月童子は
>「……なんの真似ですか?茨木童子。この場はわたしが仕切る――そういう手筈だったでしょう」
と不快そうに問うた。
どうやらここは皓月童子が一人で相手をするという話だったようだが、
茨木童子はそれに対して悪びれることもなく、
計画には関係ないから良いだろう、というようなことを宣った。
>「それでは約束が違います」
そう言って食い下がる皓月童子に、茨木童子は更に、
>「知るかよ。それに、オレの目当ては酒呑だけだ。酒呑以外はテメェにくれてやる、好きにしな。それなら文句ねエだろ?」
と言った。祈に衝撃が走る。妖怪にとって“約束”は絶対。
それを破れるのは、“約束を約束と認識できない者”に他ならない。つまり、今の茨木童子は――。
>「…………わかりました」
これ以上言い募ったところで無駄だと思ったのかも知れなかった。
渋々といった形で皓月童子は引き下がる。それに気を良くしたのか、茨木童子は嬉しそうに言う。
>「テメェらがあんまりチンタラしてやがるもんでよ、待ちきれなくなっちまった」
>「さあ……闘ろうぜ。酒呑!おまえが置き忘れてきた記憶、オレたちとの絆。全部思い出させてやるぜ――今すぐにな!」
>「そしたら、おまえも考えを改めるさ。そんなチンピラどもより、オレたちの方がずっと大切だってな……」
>「もう用意はできてる。おまえが王として君臨するための、王国の支度なら全部――!すべておまえに捧げるぜ、酒呑!」
全てを捧げて、酒呑童子を頂点とする鬼の王国を作り上げると。
天邪鬼が酒呑童子ならここで出てきて話を止めてくれればいいのだが、天邪鬼に動く気配はない。
となれば、そのまま茨木童子とも戦うしかないのだろう。
戦いにくい皓月童子に加え、
茨木童子という四天王を束ねる鬼までもが参戦するとなれば、激戦は必至だ。
そして茨木童子の狙いは尾弐に絞られているようであるから、
誰かが茨木童子と尾弐の戦いに介入し、尾弐をカバーするべきだろう。
誰が皓月童子に当たり、誰が尾弐のカバーに回るべきかと。
祈が考えを巡らせていると、
>「ところでテメェら、さっきから見てりゃヤケに皓月に執着しやがるが……」
>「……なるほどな。そういうことかよ」
何かに気付いたらしく、そんなことを茨木童子が言う。
そして皓月童子に近付いて行ったかと思うと、その腰をぐいと、右腕で抱き寄せた。
無理矢理抱き寄せられた皓月童子は、困惑した顔つきで、拒むように両手を茨木童子と自らの体の間に挟んだ。
茨木童子の胸に手を添えたような形になった。
「!!」
>「生憎だったなあ、コイツは酒呑四天王のひとり。オレたち鬼の仲間だ、テメェらのことなんぞ知らんとよ!」
>「ほれ、皓月。言ってやれよ、テメェらは敵だってな!一人残らず引き裂いてやるから覚悟しろってな、カハハハハッ!」
皓月童子がブリーチャーズと知らない仲ではないことを察知しての、挑発だった。
>「――――ッ……」
それに皓月童子は答えず、俯いて、こちらから視線を逸らしただけだった。
その反応を愉快そうに嘲り笑う茨木童子。そして、皓月童子の頬をベロリと舐めてみせる。
それを見て怒りを覚えながら祈は、これまでずっと苛立ちを抱えていたポチの怒気が一層膨れ上がったのを感じた気がした。
>「カハハ……まぁいい。どのみち、闘いは避けられねエんだ」
>「酒呑と共に平安の時を生きたオレたちと、酒呑と共に平成の時を生きたテメェら――」
>「どっちの『絆』の方が強いか!比べっこと行こうぜェ!東京ブリーチャーズゥゥゥゥゥ!!」
そう言って、ドン、と床を踏みしめ、一息に尾弐へと接近する茨木童子。
祈はせめて自分が尾弐のカバーに回ろうと思うのだが、
皓月童子は祈、ノエル、ポチの三人を自分の獲物と定めているらしく。
茨木童子と尾弐の方へ行かせまいと、三人の前に立ちはだかるのであった。
尾弐と茨木童子の戦いが始まり、
そのすぐ側で、祈、ノエル、ポチの三人と、皓月童子の戦いもまた始まるのだった。
163
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 21:57:39
>「……あなたたちの絆の力は、とても強い。眩しいくらいに輝いている……」
祈達と尾弐とを分かつように立ち塞がりながら、皓月童子は口を開いた。
>「あなたがた三人が虎熊たち三鬼を斃すところを見ていました。なるほど、彼ら単独では絶対にあなたたちには勝てないでしょう」
>「互いが信頼し合い、背中を預け合う。あなたたちの結束の前には……鬼の力など儚きもの」
>「仲間とは、そんなにも素晴らしいものなのですね。強く、尊く、そして美しい――」
>「……けれど」
そして、鋭い目つきで、皓月童子は祈達を見る。
>「そう、けれど。彼らにも確かに『絆』はあった。千歳の刻を超えて、今なお繋ぎ続ける絆が……」
>「だというのに。なぜ、彼らは敗れたのでしょう?仲間たちを想うあなたたちと彼ら、その気持ちに優劣はないはずなのに」
>「わたしには、それがどうしてもわかりません。あなたたちと彼らの違いは?勝敗を分けたのは、いったい何なのですか?」
>「……わたしはそれが知りたい。それを理解しない限り、きっと……わたしはずっと、群れからはぐれたただ一匹の狼のまま」
まるで、知りたい答えを持った者を羨むような。
そしてその答えを手に入れる為なら何でもしかねないような。そんな目。
皓月童子の言葉を聞いて、その目を見て、ああ、と祈は思った。
祈はようやく、シロが皓月童子となってあちら側についた理由に見当がついたのだ。
皓月童子は茨木童子の言葉に頷かなかった。だから真に裏切った訳ではない。
だが、皓月童子はどうしても確かめたかったのだろう。
『仲間との絆とは何か』を。その強さの理由を。
東京ブリーチャーズの敵となって、直にぶつかり合うことで。
東京の人々の命を、自らの願いの天秤にかけてまで。
なにせシロは、生まれたこの方ただ一人。
どこかでニホンオオカミは生きているのではと誰かが思ったから生まれた、ただ一人の妖怪。
本来は群れで狩りをする筈の狼なのに、仲間もなく、群れもないから絆を知らない。
「……たぶん、口で説明したってわかんないんだよな」
祈は呟く。
絆に優劣はないかもしれないが、絆を用いた戦い方に違いはあった。
四天王たちは目的を優先し、後に託し、繋ぐ戦い方を選んだ。
対してブリーチャーズは団結して戦い、絆を高度な連携という武器に変えて戦った。
ただでさえ、烏合の衆でも人数を揃えれば怪力の男を抑え込める。
筋力の面では足し算の強さとなるからだ。
それが絆を結んだ者達の高度な連携ともなれば、掛け算の強さに変わる。
個人の質で劣っていても総合力の勝負に持ち込めるだけでなく、
長所を伸ばし、短所を補い合い、手数は豊富になり、知恵を出し合えば戦略の幅は劇的に広がる。
そんな優位があるのだから、単独で挑んだ四天王が敗北するのは自明の理だ。
加えて、『自分が負けても信頼できる仲間が目的を為してくれる』という心理的な余裕が、
絶対に負けることはできないという覚悟を決めたブリーチャーズとの、
勝敗を分ける要因になったのかもしれなかった。
しかし、それを言っても皓月童子はおそらく、納得しないだろう。
共に戦ったことがない彼女だから、心でそれを実感できない。
つまり、戦って教えるしかないのだ。
皓月童子は再び、右膝を高く掲げる攻撃姿勢を取る。
>「さあ……戦いましょう。ぶつからなければ、分からないことがある。激突することで理解が叶うなら――何度でも」
>「我が名は皓月童子。酒呑四天王が壱!手加減は無用――全力を振り絞るがいい、東京ブリーチャーズ!!」
再び、皓月童子が動く。疾風のような速さで距離を詰め、
烈風のような勢いの右拳で祈の腹を狙う。
が、祈はそれを身を捩ることで躱す。
「二度目はねぇ! よく見たらばーちゃんよりは遅ぇじゃねーか……よ!!」
続く左のハイキックも見切って躱し、逆に祈から前蹴りを仕掛ける。
実際にターボババアよりも皓月童子の動きが遅いかはともかくとして、
虎熊童子、金熊童子、星熊童子。連戦した四天王たちの攻撃はほぼ全て爆速であった。
祈はこの3つの戦いを命懸けで潜り抜けた為に、このレベルの速度に目が適応しつつあるのだった。
しかし祈の前蹴りは、皓月童子の獣じみた動きによって、容易く避けられてしまう。
皓月童子の動きの根本が人と異なって読めないということもあるが、
目以外はまだ、全然追いついていないということだろう。
164
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 22:04:57
とはいえ三対一。
どうやらノエルやポチも、最初に皓月童子から奇襲を受けたときよりはうまく立ち回れているようで、
皓月童子の猛攻に負けている様子はない。このままなら押し切れる、ように思えたが。
>「そろそろ身体も温まってきました。では……全開で参りましょう、か!」
皓月童子が不意に、床を強く蹴った。
高く、やや後方へと跳躍した皓月童子の体が、空中でひらりと舞う。
>「――奥義!影狼群舞――!!」
そして、高めていた闘気を解き放つ。
皓月童子の体を離れて散った闘気はそれぞれが狼の形を取り、十頭以上の、狼の群れとなる。
「この技はっ!」
驚愕する祈。それはかつてロボとの戦いの際にシロが見せた技であった。
それが狼達は祈やノエル、ポチを目掛け、空を奔って殺到する。
満月に狂ったロボをも止めて見せたこの技を、直に受けるのは得策ではないと、
祈は一旦身を躱した後、狼の横顔に、右手による殴打を見舞うが――。
(すり抜け、――)
祈の右手は狼の顔面をすり抜け、前腕の半ばまでめり込んだ形になる。
慌てて右腕を引き抜こうとする祈だが、
狼の首がぎゅるりと祈を向き、そしてそのまま、引き抜こうとする祈の右腕に喰らい付いた。
狼が首を引く。嫌な音を立てながら祈の右腕の肉を食いちぎる。
「―――っく、があぁああああ!」
祈は痛みに唸りながら、狼のいない方向を見極めて体を逃がす。
が、後方から跳びかかってきた他の狼が祈の左脚を爪で引き裂き、また別の狼が左肩を牙で抉った。
このまま連携で一気に仕留めるつもりかと警戒し、
必死に攻撃から逃れられる場所を探す祈だが、
しかし、それ以上の追撃はなく、むしろ狼達は祈から離れていく。
そして僅かに離れた場所にいる皓月童子の元へと集った。
>「我が影狼(かげろう)たちの牙のお味はいかがですか?これこそわたしが鍛錬の末に編みあげたもの。必殺の奥義」
>「……いつ、あなたたちに『力を貸してほしい』と要請されてもよいように、とね……」
闘気で作られた影狼たちに囲まれ、さながら女王のように立つ皓月童子は、
微かに微笑んでそう言った。
(世間が落ち着くまでって話だったのに、随分放置しちゃってたもんな……)
祈にとってシロは仲間ではあったが、世間の目から守らねばならず、ポチの妻でもある。
保護の対象という意識があったのかもしれなかった。
皓月童子はさらに続ける。
>「影狼は十一頭、わたしを入れて十二頭。対してあなたたちは三名――数の上では、わたしの方が圧倒的に優勢ですね」
>「さあ。どうします?このままでは、あなたたちは全滅を免れない。わたしを倒すことはできない……」
皓月童子が視線か何かで合図を送ったのか、周りに集っていた影狼達が散開し始めた。
そして祈やノエルやポチをぐるりと取り囲む。
皓月童子は構えたが、しかし、攻撃は仕掛けてこない。
また、周囲を取り囲んだ影狼も臨戦態勢のまま、飛び掛かっては来ない。
圧倒的な優勢になったことで、何か思うこととがあったのだろうか。
皓月童子が再び口を開く。
165
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/06(水) 22:21:39
>「……ポチ殿――」
>「……わたしは。弱いですか?」
痛みで乱れた呼吸を整えながら、祈は納得する。
皓月童子、シロが向こう側に行ったのは、
『絆の力を確かめたい』という願望の他にももう一つ。
『何故わたしを戦いにつれて行ってくれないのか』という拗ねた感情があったのだと。
仲間とは何か、なぜ仲間なら頼ってくれないのか。
そんなことを考えるうちに、何もかも分からなくなったと、そういうことなのかもしれなかった。
そこにアスタロトか赤マントが現れて、何か吹き込んだ、なんて線もあるだろうか。
だがなんであれ。
「言ってやれよポチ。――てんで弱くて、まるで相手にならねーって。
あたしら三人でかかれば余裕で倒せるってな」
窮地にあって、祈は不敵に笑って言う。
(つーか噛まれた右腕めっちゃいてぇ)
傷の痛みをこらえ、笑みを崩さないよう気を付けながら。
祈は敢えて、皓月童子の言葉を否定した。
何も意地悪をしている訳ではない。皓月童子が絆の力を感じたいと言っていたからだ。
影狼という頭数を揃えたところで絆の伴わない力では勝てないと、
ブリーチャーズは協力して皓月童子を打ち倒すことによって教えてやらなければならないし、
そのためには、実際に強いか弱いかに関わらず、
今一人を選んだ彼女の強さを肯定すべきではないと、そう思ったのである。
結局祈の頭にあるのは、どうすればよりよく彼女を助けられるかということだけであった。
そして、三人で戦うのならば策はある。
たとえば祈は、ポチとノエルを抱え、皓月童子目掛けて一直線に風火輪で飛ぶ。
飛び掛かって来る影狼たちはポチの不在の術で避ければいい。
そうすることでまずはこの包囲網を突破できる。
次にノエルが床一面を凹凸のある氷で閉ざす。
これによって足場は安定しなくなり、皓月童子の機動力は奪われる。
最後に、祈達三人で一斉に攻撃を仕掛ける
安定しない足場であるから、皓月童子は満足に迎撃はできない。
さらに、ポチやノエルと違い、皓月童子は『どこかにニホンオオカミは生きているであろう』という、
『存在することが前提のそうあれかし』から生まれているから、不在の術は使えないと考えられる。
三人の同時攻撃を避ける術はない。三人で協力すればきっと勝つ道はある。
――だが。祈は盛大に溜息を吐いた。
「でも、やるってんだな……ポチ。“一人で”」
だというのに、ポチが『やる気』なのだ。
ただ一人で皓月童子と一騎打ちをすると、そう主張するのだった。
「いいぜ、任せた」
祈は横に移動し、ポチに道を譲る。
皓月童子が知りたいと願う、四天王とブリーチャーズの絆の違いという答え。
拗ねた皓月童子の心のケア。その全部を一人で背負って、
一対一という一騎打ち、狼頂上決戦形で決着を付けたいらしい。
シロの夫だからこそ、なのだろうか。
祈は茨木童子と戦っている尾弐が優勢なのをちらりと確認すると、
「あたしはアスタロトでも捕まえてくっかな。それとも尾弐のおっさんの加勢した方がいいのかな……。
御幸もこいよ。ここに居たら邪魔になるから」
と言って、風火輪の火を灯して浮遊し、ノエルに左手を差し伸べた。
ノエルが祈の手を掴めば、祈はこのまま影狼たちを跨いで飛び、
アスタロト捕縛か尾弐の加勢に向かうつもりである。
ただ、祈はどちらに向かえばいいかわかっていない。
この戦いを仕組んだであろうアスタロトを、手の空いた二人で押さえるべきか、
茨木童子が理性のタガが外れた妖壊であることを警戒し、二人で尾弐の加勢に向かうべきか。
それとも、どちらにも対応すべく、二手に分かれるべきなのか。
祈はノエルの意見を聞き、それに任せようと思っているのであった。
166
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:36:18
ポチが深雪の期待以上の動きを見せ、見事に刀を奪い取る。
>「……おお……、おおお……。我が剣、届かざりしか……。なんという汚辱、なんという無念……」
星熊童子が戦意を失ったのを確認し、勝利を確信した深雪は、いったん乃恵瑠の姿に戻る。
>「したが……これで善い……。計画はすべて順調……。うぬらは、我らの計画を阻止しているつもりで……助けているに過ぎぬ……」
星熊童子は匕首を取り出したかと思うと、止める間もなく自らの胸に突き立てた。
「何やってんだよ!?」
>「ク……クク……。この星熊、腐っても剣士。虎熊や金熊のように、死ぬるに余人の手は借りぬ……」
腕を切り飛ばすより頭を殴りつけて昏倒でもさせとくべきだったと一瞬後悔するが、
そうしたところで今までのように上の階の者が降りてきてとどめを刺すだけだったと思い直す。
星熊童子は暫くあとは副頭がことを成してくれると敗北した四天王の王道台詞を呟いていたが、最後に気にかかることを言い残した。
>「我が神夢想酒天流は……我が主、酒呑童子が編み出したもの……。この世に遣い手はお屋形さまと某ふたりだけのはず……」
>「だというのに……うぬの剣技はまさに我らの技、神夢想酒天流のもの……」
>「小鬼……、うぬは……」
>「……一体、何者なの……だ……?」
>「なぁ、あんた……本当は天邪鬼じゃなくて酒呑童子なんじゃないのか? もしそうなら――」
祈が問いかけるも、天邪鬼は黙秘を貫く。
妖怪というのはその辺は人間より遥かに融通が効くもので、現に橘音が分裂したりノエルまで時々分裂しているぐらいなので、その可能性も0ではない。
天邪鬼が酒呑童子だとしたら、尾弐や今まで戦ってきた四天王達はそのことに全く気付かないのか
尾弐が姦姦蛇螺との戦いの際に見せた酒呑童子としての姿は何だったのか、等疑問は尽きないが、酒呑童子と星熊童子しか使えぬはずの神夢想酒天流を使えることの説明はつく。
「もしそうなら……止めてやれよこんな戦い! あれだけ慕われてる君が言えば一発で終わるだろう!」
乃恵瑠が祈の言葉を継いで更に詰め寄るも、天邪鬼は平然と非常階段を上っていくのみ。
>「夜もだいぶ更けた。夜明けまでにこの酔余酒重塔に巣食う鬼どもを残らず殲滅せねばならん。……最後まで気を抜くな」
第四階層では、モフモフした耳と尻尾を持つ、少女と言ってもいい位若々しくそれでいて妖艶な女性が待ち構えていた。
>「――ついに、ここまで来ましたか。星熊たち三鬼を打ち破るとは、流石……東京ブリーチャーズですね」
>「けれど、そうでなければ困る。彼らなど一蹴するほどの強さでなければ――わたしがこの場に立った甲斐がありません」
「えーと、鬼の眷属……ではないよね?」
>「シロ……で合ってるんだよな? あれ」
167
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:37:03
核心に踏み込んでいいのか迷って曖昧な疑問を投げかける乃恵瑠だったが、祈があっさりと核心を突いてしまった。
しかし、暫定シロはそれをきっぱりと否定する。
>「わたしの名は皓月童子。酒呑童子に仕える四天王、最後のひとり――」
>「わたしを斃さぬ限り、あなたたちの望みは叶わぬものと識りなさい」
皓月童子と名乗った女は、足を大きく上げて拳法の構えを取った。
「え、ちょっと待って! その恰好で戦うつもり!? パンツ見えちゃうよ!?」
慌てる乃恵瑠の目の前が、祈の手で覆われる。
チャイナドレスは百歩譲って中華美少女の戦闘服の鉄板だしまあ最悪パンツが見えるぐらいで済むとして、ハイヒールでまともに格闘戦が出来るとは思えない。
が、よく考えるとそれは物理法則をもろに受ける人間だったらの話で、イメージ重視の妖怪にはあまり関係無いのであった。
むしろハイヒールの方が雰囲気が出て強くなるのかもしれない。
とにかく皓月童子は本気で戦うつもりらしい。祈も、皓月童子が本気だと悟って顔を覆っていた手を引っ込める。
>「ふむ、困った。今までの四天王ならば、私も攻略法を熟知していたのだが。こ奴は私の記憶にはないぞ」
>「茨木め、私の知らん手合いなら助言のしようもないということか。ふむ、ふむ――足りぬ頭で考えたわ」
>「よし、小僧ども。今回は攻略法はない、死ぬ気でなんとかしろ」
>「……酒呑童子の配下に皓月童子なんて奴がいたなんて話を、俺はトンと聞いた事がねぇ。詐称か自称かは知らねぇが……あまり愉快じゃあねぇな」
>「だが、あの鬼共が仲間として扱っている以上は、弱いって事は絶対にねぇ」
>「気ぃつけて掛かれよ。アレが『誰にせよ』、『どうやって片を付けるにせよ』、片手間でどうこう出来る相手じゃねぇ筈だ」
>「攻略法もなにも。シロがなんであっちにいるのか理由を聞かないと、倒すとか倒さないとか決められないって……」
「一体どうしちゃったのさ!? もしかしてマントに仮面の変質者に目を見つめられなかった!?」
橘音の四分の三であるアスタロトが赤マントに篭絡され敵方に回ったように、
アスタロトがシロを自らの側に引き込んだのではないかと、この時点では乃恵瑠は考えた。
どうにか戦闘回避できないかと考えるものの、皓月童子は待ってはくれない。
>「どうしました?喋っていたところで、何も解決策など生まれませんよ。わたしを斃す……それが現状唯一にして最適の解」
>「そちらから来ないと言うのなら――こちらから行きますよ!」
「えっ、ちょ、待っ……」
>「くぁっ!」
まずは祈が目にも止まらぬ防戦の末に吹っ飛ばされ、続くポチも似たようなものであった。
慌てて氷柱を撃ち込むも、鋭い爪の一閃で一蹴され、そのまま殴りかかってくる。
「ひぇえええええ!?」
間一髪で氷の壁を作り出して防御するが、一瞬後には壁が粉々に砕け散り戦慄する。
その砕け方から、発剄を使用しているものと予測される。
もしまともに食らおうものなら一瞬でクラッシュアイスだ。
168
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:38:53
「僕前衛キャラじゃないから! 直接殴りかかってくるのマジでやめて!?」
>「その体たらくは何です?それでも虎熊たち三鬼を斃した東京ブリーチャーズですか?」
>「本気を出しなさい。――さもなくば、この帝都は鬼の帝国に変貌するのみ」
>「わたしを誰かと勘違いしているようですね。……我が名は皓月童子――それ以外の何者でもありません」
その時、予期せぬ乱入者が現れた。
>「カッハハハハハハハ――――――――ァ!!」
>「カハハハハ!もう我慢できねエ!オレも混ぜろよ、皓月!」
茨木童子がフライングで登場。
相手方の手筈では、四天王が全てやられてから茨木童子が満を持して登場、のような雰囲気だったはずだ。
同時に出てこられては十分に尾弐の援護をすることが出来ない。
逆に言えば茨木童子としては邪魔が入らない状態で尾弐と相対したいがために、このような行動に出たのかもしれない。
皓月童子も不満を顕わにするも、最後にはしぶしぶ了承。
>「ところでテメェら、さっきから見てりゃヤケに皓月に執着しやがるが……」
>「……なるほどな。そういうことかよ」
>「生憎だったなあ、コイツは酒呑四天王のひとり。オレたち鬼の仲間だ、テメェらのことなんぞ知らんとよ!」
>「ほれ、皓月。言ってやれよ、テメェらは敵だってな!一人残らず引き裂いてやるから覚悟しろってな、カハハハハッ!」
>「――――ッ……」
茨木童子は一同を挑発するように皓月童子を引き寄せると、彼女は鬼の仲間だと煽った。
しかし皓月童子は顔を俯け沈黙するのみで、その言葉を肯定することは無かった。
その様子を見て、彼女は洗脳されているわけではなく何らかの事情で自分の意思でこのような行動をとっているのだと悟る。
しかし、そうだとしたらますます解せない。
どんな事情があるにせよ、いくら何でも東京を壊滅させようとする敵方に力を貸したりするだろうか。
そこまで考えて、一つの仮説に思い至った。
本人としては自分の意思で、強い願いを叶えるために手段を選ばない暴走行為に走る行動パターンには見覚えがある。
災厄の魔物を宿していた頃のクリスだ。
加えて、シロは獣《ベート》を宿すロボに噛まれたことで妖怪としての力に覚醒した。
その時に、シロもまた予期せずして獣《ベート》の力の一端を受け継いでしまったのかもしれない。
もしそうだったとしてクリスと違うところが二つある。
シロはまだ今の時点では人間に被害を出していないことことと、
ロボに噛まれて生き残ったということを考えると、元々、獣《ベート》を宿すに足る器である可能性が高いということだ。
そんな事を考えている間に、尾弐と茨木童子の戦闘は始まった。
自分か祈かが尾弐の援護に回るべきか迷っている間に、皓月童子は語り始める。
東京ブリーチャーズの絆と鬼達の絆の違いが知りたいと。
>「……たぶん、口で説明したってわかんないんだよな」
祈も戦う覚悟を決めたようだ。乃恵瑠もそれに応え、敢えて楽勝だぞ、という雰囲気を出す。
「なに、三対一だ――すぐに抑えつけてやるゆえオイタは大概にするがよい!」
169
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:40:26
>「さあ……戦いましょう。ぶつからなければ、分からないことがある。激突することで理解が叶うなら――何度でも」
>「我が名は皓月童子。酒呑四天王が壱!手加減は無用――全力を振り絞るがいい、東京ブリーチャーズ!!」
烈風のように繰り出された拳を、祈は今度は首尾よくかわす。
最初はまだこちらが戸惑っている間の奇襲に近かったが、戦う覚悟を決めた今は違う。
かといって祈の攻撃もそう簡単には当たらないようだが、ポチと祈に前で移動式壁となって気を引き付けてもらい
乃恵瑠が後ろから妖術攻撃を仕掛ければ、充分に勝てると思われた。が――
>「そろそろ身体も温まってきました。では……全開で参りましょう、か!」
>「――奥義!影狼群舞――!!」
>「この技はっ!」
それは紛れもなく、ロボとの戦いの時に助けられた技。
そこから更に磨きをかけたようで、現れたのは、十一頭の狼の影。
皓月童子も入れると12匹で、単純計算で一人あたり4匹の相手をする計算になる。
乃恵瑠は向かって来た最初の一頭を辛うじて不在の妖術を使って躱すも、すぐに3匹ほどにかぶりつかれて面白い絵面になった。
一瞬しか発動できない不在の妖術で躱し続けるには数が多すぎるのだ。
>「我が影狼(かげろう)たちの牙のお味はいかがですか?これこそわたしが鍛錬の末に編みあげたもの。必殺の奥義」
「お味って言われても……かぶりついてるのはそっちなんだけど……」
そうしている間に祈は右腕を食いちぎられたようだ。
痛々しい傷を負った祈とは対照的に、乃恵瑠は噛まれた部分をくれてやる要領で狼の影を振り払うと、すぐに見た目上は一見元に戻る。
が、精霊系妖怪という仕様上見た目にあまり反映されないというだけで確実にダメージは受けている。
>「……いつ、あなたたちに『力を貸してほしい』と要請されてもよいように、とね……」
シロは、確かに自ら東京ブリーチャーズの仲間だと宣言した。
それなのに、人間から保護しなければと思うあまりに、長く隠居させ過ぎてしまった。
それを彼女は、庇護の対象としか思われていない、必要とされていないと受け取ったのだろう。
その心の隙を突き、アスタロトあたりが”あなたの力が必要だ”とでも言ってそそのかしたのかもしれない。
>「……ポチ殿――」
>「……わたしは。弱いですか?」
「どうだろう……言ってくれれば一緒に戦いに連れてってあげないことも無かった程度の強さかな?
頼って欲しかったならはっきり言えよ、この察してちゃんが!」
>「言ってやれよポチ。――てんで弱くて、まるで相手にならねーって。
あたしら三人でかかれば余裕で倒せるってな」
ここは三人で協力して戦って絆の力を見せつけて勝つのがきっと優等生的な正解だ。
しかし、ポチはそれを是としなかった。
170
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:41:18
>「でも、やるってんだな……ポチ。“一人で”」
「僕は許さないぞ――自殺行為はやめろと何回言わせるつもりだ!」
祈はポチの決意を尊重しようとするが、乃恵瑠は強硬に反対する。
三人で戦えば勝機は充分にあるのに、一人で戦おうなど愚の骨頂。
が、その言葉には続きがあり、やれやれ、という感じで苦笑する乃恵瑠。
「――と言いたいところだけど深雪が言っちゃったんだってね、ポチ君にも運命を変える力がきっとあるって。
自分で言ったからには仕方ないな」
>「いいぜ、任せた」
祈が道を譲る一方、乃恵瑠は自らの推測を伝え注意を促し、せめてもの力を授ける。
「くれぐれも気を付けて。これは憶測だけど……彼女もまた獣《ベート》の力の一端を受け継いでいるのかもしれない。
それと……これ位は受け取ってくれるよね」
ポチに手をかざし、氷の妖力を付与する。
狼は山神の使いであり、山神にルーツを持つ雪女の妖力付与は相性がいいはずだ。
使い方はポチ次第だが、通常は爪や牙への氷属性の攻撃力強化となることだろう。
>「あたしはアスタロトでも捕まえてくっかな。それとも尾弐のおっさんの加勢した方がいいのかな……。
御幸もこいよ。ここに居たら邪魔になるから」
ポチは一人で背負うには大きすぎる戦いに挑もうとしている。
それを分かりながら、祈は乃恵瑠にこの場からの撤退を促した。
ポチはこの戦いで、四天王とブリーチャーズの絆の違いを分からせ、何故必要としてくれなかったのかという不満を解消し、
それに加えてもし乃恵瑠の推測が真実であるなら。
シロが獣《ベート》を宿すに足る器では無かった場合は、その力の全てを引き受けてやらねばならない。
だけど、それに足る器であるとしたら、その時は――
この戦いを通して獣《ベート》との折り合いの付け方を教えることになるのかもしれない。
ポチはこの塔を攻略している間に、随分と上手く獣《ベート》の力を使えるようになってきた。
もしかしたらポチ自身にとっても、この戦いがその総仕上げになるのかもしれない。
「ポチ君、王は二人いてもいい――僕はそう思うよ」
それだけ言い残し、乃恵瑠は祈の左手を掴む。
浮遊してその場を離れながら、アスタロトと茨木童子の会話が耳に入ってきた。
171
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/07(木) 23:42:09
>「思い出しなさい。この計画のために、もう虎熊さんと金熊さん、星熊さんは亡くなっている。死んだのですよ、彼らは」
>「……死んだ……」
>「そう。お三方はアナタが酒呑童子さんを復活させてくれると信じて死んだ。アナタに向後を託して死んだのです」
>「そんなお三方の死を。アナタは無駄にしようって言うんですか?――茨木さん!」
>「グ、ゥ……アアアアアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
>「虎熊はおまえに相撲を取ってるところを見てほしいって、ずっと言ってた……!」
>「金熊はどんなご馳走より、おまえと喰う飯が一番うまいんだって笑ってた……!」
>「星熊は神夢想酒天流をより強くして、おまえに褒められたいって願ってた……!」
>「やつらは死んだ。くたばった!もう引き返せねえ、オレはやつらの遺志を継ぎ、どうでも――おまえを取り戻すぜ、酒呑!!!」
戦いに敗れた四天王が死んでいくのには何か呪術的な意味があるのかと思っていたが、違った。
ただ茨木童子を後に引けなくするというそれだけのために、彼らは殺されたのだ。
呪術的な意味があればいいというわけでは決してないが、あまりにも酷い。
「祈ちゃんはクロちゃんを助けに行ってあげて。僕はアスタロトを抑えにいく……!」
祈を尾弐に、自らをアスタロトに振り分けた理由は二つ。
一つは、スピード特化の祈でなければ、尾弐と茨木童子が繰り広げる接近戦を超えた超接近戦に入り込む余地がなさそうということ。
もう一つは。
最近、白い方の橘音と同じベッドで寝ていると、不思議なことによく昔の夢を見る。
やはり橘音はきっちゃんなのかもしれない。
だとすれば、自分がみゆきの姿を取ってアスタロトと対峙すれば心を揺さぶれるかもしれない、そう考えたのだった。
この時の乃恵瑠はまだ、新たな敵が現れその振り分けが何の意味も成さなくなる事等知る由もない――
172
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:45:42
>「……おお……、おおお……。我が剣、届かざりしか……。なんという汚辱、なんという無念……」
得物と右腕を奪われ、失意に満ちた声が星熊童子の喉から漏れる。
>「したが……これで善い……。計画はすべて順調……。うぬらは、我らの計画を阻止しているつもりで……助けているに過ぎぬ……」
しかし――それは一瞬の事。
星熊童子はたたらを踏みながらも倒れる事なく東京ブリーチャーズを睨む。
口元を大きく歪めて笑みを浮かべ、残った左手を着流しの懐へ。
匕首を取り出すと――迷いなく、それを己の胸へと突き立てた。
>「――待っ」
「何やってんだよ!?」
その光景にポチは――祈とノエルのようには取り乱さなかった。
「それ」が彼らの目的である事はここに至るまでに散々見せられてきた。
加えるならそれを積極的に止める必要も、ポチは感じていなかったからだ。
>「ク……クク……。この星熊、腐っても剣士。虎熊や金熊のように、死ぬるに余人の手は借りぬ……」
致命傷を負った星熊童子を見ても、ポチは表情一つ動かさなかった。
悲しみや後悔は元より感じてやる義理などない。
だが――ここに辿り着くまで、ポチはずっと怒りと焦りに衝き動かされてきた。
愛する者を奪われた怒りと焦り――ロボですら御する事の出来なかった感情。
それを自分が抑え切れる訳がないと。
しかし一体いかなる心変わりか。
今はその怒りや憎しみ、焦りさえも、押し殺そうとしていた。
>「所詮、この世は欲塗れ――うぬらが無辜の民を救いたいと願うも欲ならば、我らがお屋形さまを蘇らせたいと願うのも欲――」
「そこになんの違いもあるまいよ……。ならば、その願いが強い方が勝つ……それが世の理であろう……」
>「某は敗れたが……これは某ひとりの敗北に過ぎぬ。この敗北は……我ら酒呑党の勝利への階(きざはし)……」
「あとは……副頭がことを成してくれる……。某は……地獄でそれを見届けさせてもらおうぞ……」
「……そんな事言ってる内は、次もし蘇っても、また負ける事になるよ。僕らが相手じゃなくてもね」
ポチはそう言うと、星熊童子に背を向けた。
もうこのフロアに用はない。
次のフロアへ――シロを探す為に、次のフロアへ向かわなくてはならない。
非常階段へ続く扉を見つけ、そちらへと歩き出す――
>「……だが……ひとつだけ……。ひとつだけ、解せぬことがある……」
ふと、背後から聞こえた、星熊童子の今際の声。
ポチは振り返らず、しかし足を止める。
星熊童子の疑問などに興味はなかったが、祈やノエルはそうではないだろうからだ。
>「我が神夢想酒天流は……我が主、酒呑童子が編み出したもの……。この世に遣い手はお屋形さまと某ふたりだけのはず……」
「だというのに……うぬの剣技はまさに我らの技、神夢想酒天流のもの……」
「小鬼……、うぬは……」
「……一体、何者なの……だ……?」
>「なぁ、あんた……本当は天邪鬼じゃなくて酒呑童子なんじゃないのか? もしそうなら――」
>「もしそうなら……止めてやれよこんな戦い! あれだけ慕われてる君が言えば一発で終わるだろう!」
「……僕は、別にお前の正体になんて興味はないけどさ。行くならさっさと行こうぜ」
祈とノエルが天邪鬼に詰め寄る一方で、ポチはそう言った。
淡白な口調――だが冷淡というほどではない。
どうせ肝心な事は何も喋りたがらないのだから、最初から聞かないでおいてやる。
とでも言わんばかりの口調だった。
173
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:46:12
>「夜もだいぶ更けた。夜明けまでにこの酔余酒重塔に巣食う鬼どもを残らず殲滅せねばならん。……最後まで気を抜くな」
そうして東京ブリーチャーズは次のフロアへと辿り着いた。
ガラス越しに中を見る分には、これまでと様子は変わらない。
だが非常扉を開けた瞬間――ポチの全身が総毛立った。
フロアに満ちたにおい――決して間違えようのない、自分が追い続けてきたにおいによって。
>「――ついに、ここまで来ましたか。星熊たち三鬼を打ち破るとは、流石……東京ブリーチャーズですね」
「けれど、そうでなければ困る。彼らなど一蹴するほどの強さでなければ――わたしがこの場に立った甲斐がありません」
フロアの中心で待ち受けていたのは――白いチャイナドレスに身を包んだ、化生の美女。
目が眩むほどに艶めく純白の、獣耳と尻尾。
>「えーと、鬼の眷属……ではないよね?」
「シロ……で合ってるんだよな? あれ」
何故、彼女が人の姿を取っているのかは分からない。
だが見た目が違おうとも、ポチが彼女を見間違う訳がない。
「……そう、だよ。あの子は……シロちゃんだ……」
ポチの声音に宿るのは――困惑。
無理からぬ事だった。
「そのはず……だけど……」
>「わたしの名は皓月童子。酒呑童子に仕える四天王、最後のひとり――」
「わたしを斃さぬ限り、あなたたちの望みは叶わぬものと識りなさい」
今宵彼が必死に探し回り、助け出さなくてはと想い続けてきた最愛の同胞が――
――静かな、しかし鋭い戦意を自分達へと向けているのだから。
>「ふむ、困った。今までの四天王ならば、私も攻略法を熟知していたのだが。こ奴は私の記憶にはないぞ」
「茨木め、私の知らん手合いなら助言のしようもないということか。ふむ、ふむ――足りぬ頭で考えたわ」
「よし、小僧ども。今回は攻略法はない、死ぬ気でなんとかしろ」
ポチの耳に、天邪鬼の声は届いていない。
一体どうして。その言葉だけがポチの脳裏を埋め尽くしていた。
何らかの妖術で操られているのか――それとも偽者か。
優れた変化術の使い手ならば、猿夢の時のように自身の嗅覚をも騙してのける事は可能かもしれない。
だがあの時は何でもありの、夢の中での出来事だった。
今目の前にいる彼女のにおいが、夢と同じ、まやかしだとは――思えない。
>「……酒呑童子の配下に皓月童子なんて奴がいたなんて話を、俺はトンと聞いた事がねぇ。詐称か自称かは知らねぇが……あまり愉快じゃあねぇな」
「だが、あの鬼共が仲間として扱っている以上は、弱いって事は絶対にねぇ」
「気ぃつけて掛かれよ。アレが『誰にせよ』、『どうやって片を付けるにせよ』、片手間でどうこう出来る相手じゃねぇ筈だ」
泥沼のような思考に沈みかけていたポチの意識を、尾弐の声が呼び戻す。
尾弐の言う通りだった。
いかなる理由があるにせよ、皓月童子は自分達と一戦交えるつもりでいる。
そう――戦わなければならないのだ。
頭ではようやくその事が理解出来た。
>「攻略法もなにも。シロがなんであっちにいるのか理由を聞かないと、倒すとか倒さないとか決められないって……」
「一体どうしちゃったのさ!? もしかしてマントに仮面の変質者に目を見つめられなかった!?」
「……そこをどいて。僕は……君とは、戦いたくないよ。
後は茨木童子を叩きのめして、アスタロトを捕まえて……それで終わりなんだ」
だが心は今もなお、現実に追いつけずにいた。
彼女が敵に回っているという現実に、どうしてもポチは実感が持てずにいた。
「すぐに済ませるから。だから、一緒に帰ろう……」
>「どうしました?喋っていたところで、何も解決策など生まれませんよ。わたしを斃す……それが現状唯一にして最適の解」
しかしポチの言葉を断ち切るように紡がれる、皓月童子の声。
>「そちらから来ないと言うのなら――こちらから行きますよ!」
そして――鋭い踏み込み。
一瞬間に祈へと間合いを詰め、放たれたのは上段蹴り。
祈は間一髪でそれを防御――あえて右へと跳んで威力を軽減。
だが皓月童子は瞬時にそれに追い縋る。
そのまま機関銃のごとく繰り出される、追撃の踵蹴り。
目にも留まらぬ連撃を、流石の祈も捌き切れない。
辛うじて風火輪での防御には成功したが――大きく吹っ飛ばされる事になる。
>「くぁっ!」
「祈ちゃ……!」
思わず祈の名を叫ぼうとしたポチ。
その声が紡がれるよりも更に早く、ポチの眼前に、皓月童子が迫る。
首を刈り取らんばかりの勢いで薙ぎ払われる足刀。
風圧がポチの被毛を揺らし――しかしそれ以上の事は起こらない。
174
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:47:02
動揺の中でも獣の戦闘勘は反射的に、不在の妖術を発動させていた。
姿と存在を消したままポチは皓月童子の背後へ。
床を蹴り高く跳躍すると同時、不在を解除。
このまま首に組み付き、締め落とす――そう目論んだポチの眼前に、皓月童子の蹴りが待っていた。
読まれていたのだ。なんとか傷つけずに戦闘を終えようという、安直な選択が。
完璧なカウンターだった。
防御が間に合わず、直撃を受けたポチが床に叩きつけられ、反動で更に弾き飛ばされる。
皓月童子はそのままノエルへと疾駆。
体勢が崩れ、頭部へのダメージが著しいポチは起き上がれない。
>「ひぇえええええ!?」
「僕前衛キャラじゃないから! 直接殴りかかってくるのマジでやめて!?」
ノエルは辛うじて防壁を張って距離を取る事に成功した、が――強い。
未だ立ち上がれず、床に伏したまま、ポチは痛感していた。
彼女はこんなにも強かったのか、と。
>「その体たらくは何です?それでも虎熊たち三鬼を斃した東京ブリーチャーズですか?」
「本気を出しなさい。――さもなくば、この帝都は鬼の帝国に変貌するのみ」
皓月童子が祈とノエルを、ポチを睨む。
ポチは体を起こし、片膝立ちの姿勢を取って――動きを止める。
理由は二つ。一つは大きすぎるダメージを少しでも回復させる為。
そしてもう一つは――
>「マジであたしらとやろうって言ってんだな、シロ……!?」
「わたしを誰かと勘違いしているようですね。……我が名は皓月童子――それ以外の何者でもありません」
「……どうして」
今なお現実に追いつけずにいる、その精神状態故だった。
>「カッハハハハハハハ――――――――ァ!!」
だが状況はポチを置き去りにするように動き続ける。
不意に降りかかる膨大な殺気――直後に天井が崩れる。
姿を現したのは、ロングコートとスーツ姿の大男――茨木童子だ。
>「カハハハハ!もう我慢できねエ!オレも混ぜろよ、皓月!」
>「……なんの真似ですか?茨木童子。この場はわたしが仕切る――そういう手筈だったでしょう」
>「星熊までがやられちまったなら、もう準備完了だ。オレが律儀にてっぺんで待ってる必要なんざねエ、ここでケリをつけりゃいい」
>「それでは約束が違います」
茨木童子と皓月童子が何やら言い争っている。
一方でポチは――静かに、深く長い呼吸を繰り返していた。
>「知るかよ。それに、オレの目当ては酒呑だけだ。酒呑以外はテメェにくれてやる、好きにしな。それなら文句ねエだろ?」
>「…………わかりました」
皓月童子は強い。
茨木童子が何か、とち狂った真似をしても、自分の身を守れるだろう。
ならば自分は――このダメージを少しでも回復させなくては、と。
>「テメェらがあんまりチンタラしてやがるもんでよ、待ちきれなくなっちまった」
「さあ……闘ろうぜ。酒呑!おまえが置き忘れてきた記憶、オレたちとの絆。全部思い出させてやるぜ――今すぐにな!」
「そしたら、おまえも考えを改めるさ。そんなチンピラどもより、オレたちの方がずっと大切だってな……」
「もう用意はできてる。おまえが王として君臨するための、王国の支度なら全部――!すべておまえに捧げるぜ、酒呑!」
ポチは狼の化生。
体力、忍耐力、ケ枯れへの耐性――タフネスには、尾弐ほどではないにせよ恵まれている。
皓月童子の蹴りは確かに強力だったが、まだ一撃受けただけだ。
休息に専念すれば、ダメージの殆どは回復出来る――だった。
>「ところでテメェら、さっきから見てりゃヤケに皓月に執着しやがるが……」
「……なるほどな。そういうことかよ」
しかし不意に、茨木童子が皓月童子へと歩み寄った。
そしてそのまま、彼女の腰へ腕を回して強引に抱き寄せる。
それでもまだ、ポチは冷静に、肉体の回復に専念していた。
星熊童子が、戦いが始まる前に発していた問い。
最愛の者を救う事と、正しい道を歩み続ける事、どちらが大事なのか。
ポチがそこに見出した命題――自分にとって大事なものを見誤ってはいけない。
それを考えた時、怒りや焦り、恨みを解消する事は――まったく、重要ではない。
狼王ロボですらそれらを御する事は出来なかったという事実も、些事に過ぎない。
少なくともブリーチャーズの皆や、何よりもシロの安否とは、比べ物にならない程度には。
その考えに至れたが故に、ポチは冷静さを取り戻し、そして今も保つ事が出来ていた。
175
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:47:29
>「生憎だったなあ、コイツは酒呑四天王のひとり。オレたち鬼の仲間だ、テメェらのことなんぞ知らんとよ!」
「ほれ、皓月。言ってやれよ、テメェらは敵だってな!一人残らず引き裂いてやるから覚悟しろってな、カハハハハッ!」
「――――ッ……」
だが――茨木童子の舌が、皓月童子の白い肌を舐ったその瞬間。
肉体の回復も不十分なまま、ポチは立ち上がっていた。
眼光には怒りが宿り、全身の毛が逆立ち、怒髪が天を衝くかのように尻尾は立ち上がる。
最愛の同胞が目の前でいいように弄ばれ、黙って座っている事など出来る訳がなかった。
それでも――ポチは辛うじて自分を抑え込む。
単独で飛び出せば、今度こそ回復不能なダメージを負う事になる。
そうなればもう――彼女を連れ戻す事は決して出来なくなるだろう。
それだけは避けなければならない。
>「カハハ……まぁいい。どのみち、闘いは避けられねエんだ」
「酒呑と共に平安の時を生きたオレたちと、酒呑と共に平成の時を生きたテメェら――」
「どっちの『絆』の方が強いか!比べっこと行こうぜェ!東京ブリーチャーズゥゥゥゥゥ!!」
>「……往け、クソ坊主。待ちに待った出番だ、全力で行っていいぞ」
>「はっ、言われなくてもやってやるさ。妖壊に、悪鬼に……手加減なんてするつもりはねぇよ」
「……尾弐っち。お願い」
故に――その代わりに、喉の奥から絞り出すような声でポチは言った。
祈やノエルが、尾弐の見せる残虐な一面を厭うている事を、ポチは知っている。
だとしても願わずにはいられなかった。
あの残酷さの全てが、茨木童子に注がれる事を。
>「カハハハハッ……カッハハッハハハハハ――――――――ァ!!!」
「遊ぼうぜ、酒呑!昔はこうやって、よく宴を盛り上げたっけなァ!!」
「アイツを……やっつけて」
だが――ポチはそれを言葉にはしなかった。
言えば、尾弐はその願いを叶えようと全力を尽くしてくれるだろう。
それこそ、どんな無茶をしてでも。
或いは、言わなくても結果は変わらないかもしれない。
それでも――自分の怒りが、尾弐の重荷になって欲しくなかった。
怒りは、大切なものではないのだ――ポチは何度も自分に、そう言い聞かせる。
>「……あなたたちの絆の力は、とても強い。眩しいくらいに輝いている……」
皓月童子が祈とノエル、そしてポチを睨みながら、静かに口を開く。
未だ足元がふらつくほどのダメージを残しながらも、ポチは彼女へと向き直る。
>「あなたがた三人が虎熊たち三鬼を斃すところを見ていました。なるほど、彼ら単独では絶対にあなたたちには勝てないでしょう」
「互いが信頼し合い、背中を預け合う。あなたたちの結束の前には……鬼の力など儚きもの」
「仲間とは、そんなにも素晴らしいものなのですね。強く、尊く、そして美しい――」
「……けれど」
狼の鼻は、他者の感情のにおいを嗅ぎ取る事が出来る。
だが――その嗅覚をもってしても、今の彼女が何を考え、何を感じているのか、分からなかった。
感情が複雑に入り混じって、嗅ぎ分けられないのだ。
>「そう、けれど。彼らにも確かに『絆』はあった。千歳の刻を超えて、今なお繋ぎ続ける絆が……」
「だというのに。なぜ、彼らは敗れたのでしょう?仲間たちを想うあなたたちと彼ら、その気持ちに優劣はないはずなのに」
「わたしには、それがどうしてもわかりません。あなたたちと彼らの違いは?勝敗を分けたのは、いったい何なのですか?」
>「……わたしはそれが知りたい。それを理解しない限り、きっと……わたしはずっと、群れからはぐれたただ一匹の狼のまま」
それでも皓月童子の声に耳を傾けていると、少しずつ分かってきた――ような気がした。
彼女の知りたがっている事――彼女が、不満に思っていた事。
そして何よりも――自分の不甲斐なさが。
>「……たぶん、口で説明したってわかんないんだよな」
「なに、三対一だ――すぐに抑えつけてやるゆえオイタは大概にするがよい!
ポチは無言のまま、構えを取った。
両手を左右に広げ、姿勢を低く取り、皓月童子を見上げる。
短躯故の狙いにくさと不在の妖術を頼みに、防御を捨てた、攻めの構え。
176
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:51:11
>「さあ……戦いましょう。ぶつからなければ、分からないことがある。激突することで理解が叶うなら――何度でも」
「我が名は皓月童子。酒呑四天王が壱!手加減は無用――全力を振り絞るがいい、東京ブリーチャーズ!!」
再び皓月童子が動いた。
瞬速の踏み込みによって、刹那の間に祈の前へ。
>「二度目はねぇ! よく見たらばーちゃんよりは遅ぇじゃねーか……よ!!」
しかし祈とて歴戦の漂白者。
二度も同じ手で打ちのめせるほど甘くはない。
旋風のごとき二連蹴りを躱し、更に反撃の前蹴りを打ってみせる。
もっとも祈の反撃は容易く避けられてしまうが――その後詰めを果たすように、今度はポチが前に躍り出た。
跳び上がり、体の回転と共に放たれる左の裏拳。
円を描く軌跡は打撃に最大限の体重を乗せ、威力を発揮する為。
つまり――なるべく彼女を傷つけず倒す為の術。
だが皓月童子の身のこなし、素早さは金熊童子にも匹敵する。
そんな大振りの打撃が当たる訳もない。
容易に躱され、反撃に放たれた横蹴りが――しかしポチの横面をすり抜ける。
不在の妖術による回避。
加えて、ポチの体はまだ裏拳による勢いを保っている。
続けざまに打ち出す、右の鉤突き。
それが避けられれば、次は左の飛び蹴り。
次は体ごと跳ね上がるアッパーカット。
それはつまり、打撃と打撃の間に生じる隙を、不在の妖術によって潰した連続攻撃。
当然、長く続けられるものではない。
不在の妖術とは、自分が存在しないものであると受け入れる事。
つまり人間に例えるなら、自らを仮死状態に追い込むも同然。
頻用すれば本当に死んでしまうか――そうでなくとも、すぐに心身が息切れを起こす。
その隙を突かれれば、今度こそポチは為す術もなく打ち倒される事になる。
が――そうはならない。
ポチが皓月童子を釘付けにすれば、今度は祈とノエルがその隙を突ける。
そうなれば自分は呼吸を整え――また二人の援護に回れる。
流石の皓月童子も、三人の連携には反攻の隙が見出だせずにいる。
ポチの嗅覚は、祈とノエルが勝利を予感している事を嗅ぎ取っていた。
同時に――皓月童子がまだ、大きな余力を残している事も。
>「そろそろ身体も温まってきました。では……全開で参りましょう、か!」
不意に、皓月童子が強く床を蹴った。
高く、大きく後方へと跳躍し――その軌跡の頂点で、妖気を解放。
>「――奥義!影狼群舞――!!」
瞬間、皓月童子の纏う闘気がまるで黒い稲妻のように四散。
それらは狼の姿を取って――東京ブリーチャーズへと襲いかかった。
完璧な連携をもってポチを包囲する影狼の群れ。
そして――最初の一匹が襲いかかる。
姦姦蛇螺との戦いで失った右目の死角から。
ポチは聴覚のみでそれを察知――半身の姿勢を取る足捌きで回避。
そのまま眼前で空を噛み切る影狼の頭部へと手刀を振り下ろし――しかし当たらない。
不在の妖術――ではない。
そもそもが闘気から生じた存在――故に実体が存在しないのだ。
瞬間、ポチが思い出すのは姦姦蛇螺の体内での戦い――そこで対峙した影の蛇。
不味い、と思った時には、影狼達は既にポチへと、一斉に飛びかかっていた。
全身に喰らいつく狼の牙――咄嗟に不在の妖術を発動。
だが間に合わない。
肉が食いちぎられるのは辛うじて避けたが――牙はポチの全身を深く抉る。
「ぐっ……!」
不在によってなんとか一度は距離を取るものの――影狼の群れはすぐにまたポチを取り囲む。
精緻な連携による、反撃困難な、一方的な攻勢を、今度は自分達が味わう番だった。
しかし――影狼達は一体何故か、一度包囲を解くと皓月童子の元へと戻っていく。
>「我が影狼(かげろう)たちの牙のお味はいかがですか?これこそわたしが鍛錬の末に編みあげたもの。必殺の奥義」
「……いつ、あなたたちに『力を貸してほしい』と要請されてもよいように、とね……」
なんでもないような声音で、呟く皓月童子。
だがその言葉を聞いた瞬間、ポチは今度こそ完全に理解した気がした。
彼女の抱えていた――抱えている、疑問と不満を。
177
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:51:40
>「影狼は十一頭、わたしを入れて十二頭。対してあなたたちは三名――数の上では、わたしの方が圧倒的に優勢ですね」
「さあ。どうします?このままでは、あなたたちは全滅を免れない。わたしを倒すことはできない……」
皓月童子の言う通り、状況は致命的に不利だ。
それでも――為す術がない訳ではない。
>「……ポチ殿――」
「……わたしは。弱いですか?」
「……君は」
>「どうだろう……言ってくれれば一緒に戦いに連れてってあげないことも無かった程度の強さかな?
頼って欲しかったならはっきり言えよ、この察してちゃんが!」
>「言ってやれよポチ。――てんで弱くて、まるで相手にならねーって。
あたしら三人でかかれば余裕で倒せるってな」
風火輪の圧倒的な機動力、『獣(ベート)』による宵闇の結界、ノエルの大規模な氷の妖術。
東京ブリーチャーズが力を合わせれば、彼女に打ち勝つ方法は残っているはずだ。
「……ごめん、みんな。ここから先は……僕だけで、戦わせて」
だが――ポチは祈とノエルを振り返ると、二人を見つめてそう言った。
「あの子が、あそこにいるのは……僕のせいだ。
僕がもっと強くて、賢ければ、あんな思いさせずに済んだのに」
声音は平静そのもの。
「だから、お願い」
だがその眼には、この願いはどうあっても聞き入れてもらうという意志が宿っていた。
「分かってる。そんな事に何の意味もないって。
みんなで戦った方が、安全で、確実で、悪い事なんか何もない。それでも……」
>「でも、やるってんだな……ポチ。“一人で”」
「……うん、僕がやらなきゃいけないんだ」
>「僕は許さないぞ――自殺行為はやめろと何回言わせるつもりだ!」
声を荒げて否定するノエル。
だがポチは気付いている。
その体から発せられる怒りのにおいは、既に薄れつつある事に。
>「――と言いたいところだけど深雪が言っちゃったんだってね、ポチ君にも運命を変える力がきっとあるって。
自分で言ったからには仕方ないな」
>「いいぜ、任せた」
「ごめん……じゃなくて。ありがとう……だったね、こういう時は」
>「くれぐれも気を付けて。これは憶測だけど……彼女もまた獣《ベート》の力の一端を受け継いでいるのかもしれない。
それと……これ位は受け取ってくれるよね」
ノエルがポチへと手をかざし、手のひらへと妖力を集める。
>「ポチ君、王は二人いてもいい――僕はそう思うよ」
応じるようにポチはその手を取って、
「……ノエっち、祈ちゃん。もし僕が負けて……死んだとしても、あの子を恨まないでね。
それならそれで、僕はいいんだ」
そう言うと、小さく微笑んだ。
「なんてね……これは冗談。だってそんな事お願いしたって、聞いてくれないもんね。二人とも」
そして皓月童子へと向き直る。
「……だからその代わり、僕を信じていて。僕は、絶対負けないから」
やっと見つけた、思い焦がれた同胞が、その手からすり抜けていく。
そんな体験は、ポチにとっては初めての事ではない。
一度目は、かつての満月の夜だ。
ロボが彼女の腹に牙を突き立て、食い破ったあの夜。
あの時は――ポチは絶望し、狂気に堕ち、無貌の怪物と成り果てた。
178
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 00:52:31
「ごめんね、待たせちゃって」
だが――今回は、違う。
ポチの表情は、あくまでも冷静さを保っていた。
「……祈ちゃんはああ言ったけど……君は強いよ。
初めて会った時からずっと、強かった……忘れてたよ。
あのロボから逃げずに、立ち向かって……そんな君が、弱い訳がないのに」
ポチは一歩前に踏み出す。
「だけど……僕はどうかな。あの頃より、少しは強くなれたけど。
でもまだ全然、足りないよね。
だからいつも、無茶しなきゃいけなくてさ」
更に一歩前へ。
距離が縮まるにつれて、影狼達が警戒の色を見せ始める。
対するポチは右手を上げて――
「……今日、君と久しぶりに会うのが、僕はホントは怖かったんだ。
無理に姦姦蛇螺と戦って、こんな怪我して……その後も、ちょっと死にかけちゃって」
右の眼窩、そこに収まった義眼に触れた。
「なんて謝ればいいか、分からなかった。君を残して死なないって約束したのに。
僕は……君以外の為に、もちろんそんなつもりはなかった、勝算はあった……けど、死ぬかもしれなかった」
深く息を吸い込み、両足の感覚に意識を集中する。
最初に受けたダメージは、もう完全に抜けていた。
不意に、ポチの姿が変化する。
二足歩行の獣といった様相の獣人から、耳と尻尾のみを残して、人間の子供のように。
強靭な被毛の防御力をあえて捨てる意味などないが――あくまでも、対等の条件で戦うつもりなのだ。
「だから……君がそこにいてくれて良かった」
そして浮かぶ柔らかな微笑み。
ポチは先ほど、祈とノエルに一つ嘘をついた。
自分がやらねば――ポチが一騎打ちを望んだ理由は、そんな罪悪感などではない。
本当は、ただ単純に――そうしたかったのだ。
笑みを浮かべた直後、ポチは渾身の力で床を蹴り出した。
そうして皓月童子へと一直線に疾駆。
当然のように襲い来る、迎撃の影狼。
最も先んじた一匹が牙を剥く。
そしてその牙が、ポチの右腕に深々と突き刺さった。
だが――それ故に、影狼はポチの肉を食いちぎれない。
深く噛み付きすぎて、牙で肉を抉る事が出来ていない。
そうなるように、ポチはあえて右腕を差し出したのだ。
何故か――単純な事だ。
影狼が己に噛み付けるという事は逆説、その瞬間に限れば、ポチは影狼に触れられるという事なのだから。
牙を引き抜く、あるいは再び透過状態に戻る時間は与えない。
そのまま影狼を床に叩きつける。
ダメージを与えられるかどうかは重要ではない。
重要なのは――送り狼が、獲物を転ばせたという事。
ポチの全身から溢れ返る、凶暴な妖気。
同時、その姿がこの世から影もにおいも残さず消え去る。
不在の妖術――それが解除された時には、ポチは既に皓月童子の背後にいた。
白い首筋に触れる、刃のごとく鋭い爪――だがそれはフェイント。
ノエルから注がれた氷の妖力を爪に纏わせ、皓月童子の首筋めがけ切りかかり――再び不在の妖術を発動。
爪に纏った氷だけを消失させなければ、それは即席の飛刃となる。
そして放たれるのは本命の――渾身の、足払い。
一連の動作に、皓月童子は反応出来るだろうか。
少なくとも――予測する事は不可能だっただろう。
何故ならポチの体からは、たった一抹ほどの殺意も、香らなかったからだ。
送り狼にとって誰かを転ばせる事は、その者を殺める事と同義であるにもかかわらず。
そして――足払いの成否にかかわらず、ポチは大きく飛び退き、皓月童子と距離を取る。
「僕は、君が大事だ。この世で一番、誰よりも、大切に思ってる。
だけど……それをどう証明すればいいのか、ずっと分からなかった」
更には先ほどまでと同様に、静かに言葉を紡いでさえ見せた。
体躯も膨張せず、子供の姿を保っている。
確かに獲物を転ばせたはず、送り狼の悪性を解き放ったはずなのに。
179
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/12(火) 01:04:46
転ばせた者の命を奪う。
送り狼にとって絶対的な本性を、いかにしてポチは抑え込んだのか。
「だから本当に……君がそこにいてくれて、良かった」
それは言葉にしてしまえば甚く単純な理由。
かつてロボが最愛の妻の生き写しであるシロを、また狼の王でありながら全ての狼を食い殺そうとしたように。
「さあ、やろう」
狂気に至るほどの愛は、自然の習性をも上回るのだ。
「これが唯一で、最適の解……だったっけ。いいね、これ」
くすりと笑うポチ――その口元から赤黒い血が零れる。
送り狼が誰かを転ばせて、しかしその者を殺そうとしない。
それは自分が送り狼である事を否定するも同然。
つまり――妖怪にとっては紛れもない自殺行為。
このまま皓月童子を殺そうとせず、ただ無力化する為に戦えば、ポチの肉体は死へと向かい続ける。
だが、それでいい――こうでなくてはいけないのだ。
伝えたかった想い――自分が命を擲つのは、愛する同胞の為だけ。
彼女の為なら死んでもいい。誰よりも、何よりも彼女を大切に思っている。
それこそ頼り、共に戦うなど、考えもしなかったほどに。
彼女の求める答え――しかし決して今ここで死ぬつもりはない。
仲間達は、そんな事を認めてくれない。自分が勝つと、きっと信じてくれているから。
そんな矛盾した思想を真に示そうと思うなら、こうする以外に術はない。
皓月童子が対話での解決を望まず、誤魔化しの利かない戦いの中で、答えを得ようとしたように。
そして、ポチは動いた。
皓月童子へと再び駆け出し、同時に周囲に溢れ返る宵闇。
完全なる暗闇の中で、風切り音を奏でる氷の飛爪。
宵闇が霧散すると、ポチは既に皓月童子を間合いに捉えていた。
振りかぶった右手の爪に宿るのは――『獣(ベート)』の力。
『獣』が何故ずっと黙り込んだままなのか。そんな事はどうでもいい。
その沈黙にどんな意味があったとしても、唆されるまでもなく、ポチは自前の狂気に身を委ねた。
故にもう狂わされる事はない。思う存分に力を振るえる。
皓月童子の脚めがけ、横一文字に閃くポチの爪。
妖気を帯びた爪で刻まれれば、その傷は例え化生の生命力をもってしても塞がらないだろう。
それが狼の狩りだからだ。
噛み砕くのではなく、切り裂く事に長けた牙。鋭い嗅覚。無尽蔵の持久力。
そこから生み出される『獲物を決して逃さず、力尽きるまで追い続ける』狩り。
『獣』の力がその概念を現実のものとするのだ。
180
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:04:59
>あたしはアスタロトでも捕まえてくっかな。それとも尾弐のおっさんの加勢した方がいいのかな……。
>御幸もこいよ。ここに居たら邪魔になるから
>祈ちゃんはクロちゃんを助けに行ってあげて。僕はアスタロトを抑えにいく……!
「え〜?ボクと戦うつもりですか?ボクが頭脳労働者だってことはご存じでしょうに、祈ちゃんとノエルさんのイジワル!」
「いや〜ん、捕まっちゃう〜っ!そしたらあんなコトやこんなコトをされちゃうんですか?くっ、殺せ!的な!」
祈とノエルに対し、アスタロトは笑いながらそう言って自分自身を両腕で抱き、身体をくねらせた。明らかに舐めている。
かと思えば口角に笑みを湛え、マントの内側から一振りの日本刀を取り出す。
それはかつて新宿御苑の姦姦蛇螺を封印していた社で、祈の父――安倍晴陽の首を刎ねた刀だった。
「面白い。アナタたちふたりの力を熟知したボクに挑むということが、どれだけ愚かなことなのか教えてあげましょう」
「そして、アナタたちに『くっ!殺せ!』って言わせてあげましょう!ウフフフフ……!」
ぼう、と刀に蒼白い光が宿る。それは明らかに妖怪にとって致命となりうる力の宿った光だ。
「狐面探偵七つ道具の壱、太刀 銘安綱 附 絲巻大刀――」
「またの名を『童子切安綱』……鬼切丸、とも言いますね。化生殺しの大業物ですよ、ウフフ!」
ゆっくりと刀を鞘走らせ、抜き身を引っ提げると、アスタロトは嗤った。
童子切安綱。国宝にも指定されている、平安時代最強の漂白者・源頼光の愛刀。
頼光はその刀で酒呑童子の首を刎ね、その後も多くの化生を屠ったという。まさに妖怪殺しのための刀である。
数多の化生の血を吸ったその刀身はそれ自体が妖気を宿し、斬った妖怪を瞬く間に死に至らしめる呪毒をも持つという。
特に鬼族に対して覿面な効果を発揮するが、普通の妖怪にとっても充分すぎる脅威であろう。
むろん、それは半妖である祈にとっても例外ではない。
「さあて……稽古をつけてあげましょうか。どこからでもかかっておいでなさい?」
黒手袋に包んだ左手の人差し指で、ちょいちょいとノエルを招く。
このまま、戦闘に突入するのか――と思ったが。
ガガァァァァァァンッ!!!!
突如、轟音と共にブリーチャーズの背後の扉、第三階層へと続く非常階段の扉が弾け飛ぶ。
濛々と立ち込める煙の中から現れたのは、身長5メートルばかりの巨大な妖怪だった。
「ブモォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
異形である。大まかなシルエットは人間だったが、各所が明らかに違う。
筋骨隆々とした人間の上半身と、腰に戦国時代の具足のような草摺をつけている。しかしそこから伸びた二本の脚は牛のそれだ。
丸太よりも太い腕は肩から伸びた一対の他に、脇腹からも一対生えて合計四本。
さらに頭も牛のものと馬のものが首から二本生えている。
四本腕にそれぞれ巨大な金棒、刀、刺叉、斧を携えたその姿は、古代中国の大妖・蚩尤のようだ。
「……あれは獄門鬼……チッ、存外早かったですね。それだけ鬼神王さんも本気ってことですか……」
アスタロトが忌々しそうに舌打ちする。
獄門鬼。地獄の獄卒である牛頭鬼、馬頭鬼の頭領で、獄卒たちの元締めである。
鬼族の総帥である鬼神王・温羅が差し向けてきた、茨木童子捕縛のための刺客。それがこの獄門鬼ということらしい。
とはいえ、獄門鬼は茨木童子だけをターゲットにはするまい。目に入るすべての存在が打倒対象だ。
その証拠に、獄門鬼は牛と馬二本の首で祈とノエルを確認すると、一直線に突進してきた。
「丁度いいや、じゃあ祈ちゃん!ノエルさん!獄門鬼の相手はアナタたちにお任せしますよ!ボクは高見の見物っと!」
アスタロトは素早く童子切を鞘に納めると、大きく後方に退いた。
面倒な相手同士を戦わせ、疲労するのを待つ――という作戦に切り替えたらしい。
実際、獄門鬼は祈ないしノエルがひとりで相手取るには些かきつい相手だろう。
四本の腕から繰り出される武具の攻撃は鈍重ではあるものの一撃一撃が重く、致命の威力を持っている。
二本の首は互いの死角を補い、防御にも隙がない。そんな巨躯の大鬼が、矢継ぎ早に打撃を振り下ろしてくる。
スピードはないが、攻撃範囲が広いために全力での回避を余儀なくされる。
「ンモォォォォォォォォォォォォォ!!」
牛の首が嘶く。殺気と妖気を満々と漲らせ、獄門鬼は金棒を祈へと振り下ろした。
181
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:07:04
>どうした?殴るのを躊躇いでもしたか?
「……ぬ……ぐゥ……!?」
右腕を振り下ろしかけたまま、茨木童子は金縛りにかかったかのように固まった。
長大な牙を噛みしめ、眉間に皺を寄せる。
己の『摂陽国崩』の一撃は必殺。その爪は狙い過たず尾弐の額を砕き割る、筈だった。
だというのに、動かない。茨木童子の絶大な筋力をもってしても、指一本動かすことが叶わない。――これはどういうことか。
その種明かしは、すぐに成された。
>……禹歩(ウホ)。手順に沿って歩を刻む事で行う簡単な結界術、らしいな
「な、ん……だと……?」
禹歩。それが尾弐の用いた策だった。
かつて東京ブリーチャーズがコトリバコと対峙した際に使った、即席の結界術。
むろん、それで茨木童子ほどの妖怪を長く縛り付けておくことはできない。効果はほんの一瞬――だが。
尾弐にとっては、それで充分であったらしい。
ドゴォッ!!!
尾弐の震脚。踏み込んだ場所の床がクレーターのように沈み込み、接触した拳に氣が籠もる。
そして、放たれる発勁。身動きの取れない茨木童子の無防備な胴体に、尾弐必殺の拳が炸裂した。
「ご……ぶァッ!!」
茨木童子は血ヘドを吐き、身体をくの字に折り曲げた。
>発勁。硬度を無視して内腑を破砕する技術だ。まともに喰らうと暫く飯が食えなくなるぜ
「人間の……術理、だとォ……?酒呑、おまえ……こんな術まで、使って……がはッ」
いかに鋼の肉体を持つ鬼といえど、浸透勁の前には無力。脆い臓腑を強かに打たれ、茨木童子は悶絶した。
しかし、斃れない。禹歩による束縛――ということもあるが、気力を振り絞って膝をつくことを拒む。
尾弐が星熊童子の刀『酔醒籠釣瓶』で自らの左手を斬りつける。刀がみるみる血にまみれる。
さらに尾弐は独鈷を取り出し、真言と共に投げつけた。
「!!!」
茨木童子は戦慄した。尾弐の様子を見るに、かなりの法力を込めたに違いない。
それで即死するようなことはないだろうが、喰らえば相当なダメージを受けるであろうことは想像に易い。
茨木童子は絶叫した。
「ゴォォォアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」
全身の筋肉が膨張し、纏っていたコートとスーツの上半身が弾け飛ぶ。赤銅色の肉体が露になり、血管が各所に浮き出る。
膨大な妖力が嵐のように渦巻き、茨木童子を覆う。
茨木童子は自らの妖力を爆発させて禹歩の拘束を弾き飛ばすと、摂陽国崩の爪で独鈷を叩き落とした。
が、そのお蔭でグラリと身体が傾く。無理に妖力を使ったため、一瞬ではあるが集中が途切れた――ということらしい。
>……黒い那須野にゃ悪ぃが、罠だと判ったうえで心臓を抉る訳にもいかねぇんだ。
>代わりと言っちゃなんだが、俺にも色々と受け継いでるモンが有ってな――――其れを以って地獄に送り返してやるよ
血まみれの刀を持った尾弐が茨木童子へと肉薄する。
まだ、茨木童子は動けない。このまま行けば、尾弐の狙い通りに茨木童子を斃すことが出来るだろう。
……そう、思ったが。
ガキィンッ!!
金属と金属。刀と刀の激突する、澄んだ甲高い音が戦場に鳴り響く。
尾弐の繰り出した、茨木童子を殲滅するはずの刀。必殺の策。
「……生憎だが、クソ坊主。それをさせる訳にはいかん」
それは、尾弐と茨木童子の間に突如として割り込んできた天邪鬼によって受けとめられていた。
182
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:11:04
天邪鬼が逆手に持った仕込み刀が、尾弐の持つ酔醒籠釣瓶をしっかりと阻んでいる。
涼しげな目許で、天邪鬼は尾弐を見遣る。
「この機会を待っていたぞ。貴様が茨木童子に集中し、私への注意が疎かになる――その瞬間をな」
「クソ坊主よ。貴様には、ここで溜まっていたものを解き放ってもらわねばならん。力を開放してもらわなければならん――」
「私は。そのために来たのだから」
そう言うと、天邪鬼は手に持った仕込み杖の刀尖を尾弐へと向け、目にも止まらぬ速度で振るった。
次の瞬間、酔醒籠釣瓶の刀身が半ばから折れ、乾いた音を立てて床に落ちる。
「――神夢想酒天流奥義――鬼遣(おにやらい)」
天邪鬼の神速の刀術。金熊童子を一刀のもとに両断した剣鬼たる星熊童子をも上回る、天邪鬼の剣技。
しかし、それでは終わらない。
どすっ!!
瞬きする間もなく、天邪鬼の刀の切っ先が尾弐の分厚い胸板に潜り込み、御前の呪符によって守られた心臓を貫通する。
致命傷だ。人間なら即死していよう。――尤も、尾弐は酒呑童子の力を有している。すぐには死ぬまい。
尾弐を見上げながら、頭巾の下で天邪鬼が静かに口を開く。
「虚仮の一念……とは言うが。よくも千年もの間、その執念を保ち続けたものよ」
「だがな……もういい。もういいのだ。貴様は少々、重い荷を背負いすぎた」
「貴様の陶器よりも脆い腰に、この荷は些かきつかろう。もう下ろしてもいいぞ――後は私が負う。かつてそうしたようにな」
尾弐にしか聞こえない声の大きさで、天邪鬼が告げる。
天邪鬼の声は静かで、澄んでいて、そして迷いがなかった。
伝承にある天邪鬼の力とは、心を読む力。他者の胸に秘められた想いを汲み取り、白日の下に暴き出す力。
その力をもってすれば、尾弐の過去を知ることなど造作もないに違いない――しかし。
これは違う。天邪鬼の告げた言葉は、他人が情報として得たものなどではなく。
まるで、当事者が過去を追憶するかのような――。
「天魔。膳立ては整えたぞ……貴様の計画の成就にはまたとない好機であろう。……やれ」
天邪鬼はアスタロトの方を見て言い放った。
敵でも味方でもないイレギュラーと思っていた天邪鬼が突然塩を送ってきたことに、アスタロトが怪訝な表情を浮かべる。
「なんですって?アナタはいったい……」
「茨木ではこいつは斃せん。こいつに致命傷を与え、酒呑童子の力を解放させる覚悟を決めさせることは叶わん」
「だから、私がやった。後は貴様が一押しするだけだ――そのための『酔余酒重塔』であろう?」
「む、むぅ……。ボクが言うのもなんですが、胡散臭すぎますねアナタ!」
「でも、そういことなら仕方ありません。茨木さんじゃ荷が勝ちましたか、なら……遠慮なく!」
アスタロトは真意の読めない天邪鬼の行動より、自分の計画の成就を優先したらしい。
マントの内側から召怪銘板の代わりなのかスマートフォンを取り出すと、画面をタップする。
その途端、酔余酒重塔が鳴動を始める。塔の上空に、瞬く間に黒雲が垂れこめる。
「ウフフフ……。ボクは皆さんに、この酔余酒重塔から妖気を東京中にバラ撒くと言いましたが……」
「アレはウソです。酔余酒重塔は妖気を拡散する施設なのではなく、むしろその逆!」
「『東京中の妖気を集積させる』施設なのですよ――!そして、その集積した妖気をどうするかと言うと!」
アスタロトが大きく右手を横に振ると同時、尾弐の足許に魔法陣が出現する。
かつて白狐の橘音が天魔ハルファス・マルファスの二柱から力を奪い取ったものに、それはよく似ていた。
「アグロン テタグラム ヴァイケオン スティムラマトン エロハレス レトラグサムマトン クリオラン イキオン――」
「エシティオン エクレスティエン エリオナ オネラ エラシン モイン メッフィアス ソテル エムマヌエル――」
「サバオト アドナイ!我は与える、すべてを呑み込み――汝が力と成せ、アーメン!」
だが、以前白い橘音の用いた魔法陣と異なる点がひとつ。
アスタロトが使ったのは、奪うのではなく。与える魔法陣だということ――。
塔の上空に渦巻く黒雲から莫大な妖力が尾弐へ向けて注がれる。それは一個の妖怪が持つにはあまりに大きすぎるエネルギーだ。
普通の妖怪なら瞬く間に許容量を超え、弾け飛んでいるだろうが、尾弐の肉体は――心臓はそれを貪欲に呑み込んでゆくだろう。
183
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:16:34
尾弐へと流れ込む、膨大な妖力。
東京中から集めた禍々しい力は、酒呑童子を目覚めさせるためのトリガー。
アスタロトには東京都下に妖気を撒く気など最初からなかった。すべては東京から集めた妖気を尾弐へ注ぎ込むため。
尾弐の中の酒呑童子を蘇らせるための策だったのだ。
「……ぬぅ。なかなか耐えますね……クロオさん。なら、これではどうです!?」
「さあ――出番ですよ、虎熊さん!金熊さん!星熊さん――四天王たち!」
「アナタたちの愛しい酒呑童子さんの中へとお戻りなさい!」
アスタロトがそう言った瞬間、白、赤、灰、青の四つの光が螺旋を描きながら尾弐の身体へと突進してゆく。
それはこの第四階層へ辿り着くまでに東京ブリーチャーズが斃した、四天王たちの魂だった。
アスタロトが集めた有象無象の妖力と違い、四天王の魂と妖力は酒呑童子のそれと特に強く結びついている。
酒呑童子覚醒の起爆剤としては、これ以上のものはない――というわけだ。
アスタロトと茨木童子はただ無為に四天王を殺害させたわけではない。
彼らの死は、すべてこのため。酒呑童子を復活させるためには、四天王の妖力が不可欠であったのだ。
どくん、と尾弐の中で心臓が跳ねる。別の生き物のように意思を持つ。
蛹を破り、蝶が羽化するように。雛が殻を割って孵化するように。
尾弐の肉体を内側から喰い破り、酒呑童子が目覚めようとしている。
いまだ、天邪鬼の仕込刀は尾弐の心臓を貫いたままだ。このまま行けば、間違いなく酒呑童子は復活する。
酒呑童子が完全に復活してしまえば、尾弐は意識を呑まれ――破壊衝動のままに暴れ狂うことになるだろう。
むろん、破壊対象は天邪鬼や茨木童子、アスタロトたちに限らない。仲間である東京ブリーチャーズも撃滅対象となる。
誰も彼もが死ぬだろう。この場に大妖怪・酒呑童子を食い止められるだけの力を持つ妖怪は存在しない。
酔余酒重塔にいる妖怪だけではない。東京中にいる妖怪が、人間が、酒呑童子の餌食となる。
それは、尾弐にとってはもっとも避けるべき事態であろう。
「……し……、酒呑……」
尾弐の様子を見遣り、茨木童子が呆然と呟く。
アスタロトが我が計成れりとばかりにほくそ笑む。
尤も、尾弐は我が身に流れ込んでくる膨大な妖力に対して抗うこともできる。
仲間たちに助けを求めることもできるだろう。何らかの方法でアスタロトの魔法陣を破壊できれば、この束縛から逃れられる。
しかし。
「抗うな。身を任せろ」
天邪鬼は、抵抗するなと言った。
天邪鬼は信用できない。たった今天邪鬼が行ったことは、明らかに敵であるアスタロトたちに利する行為だ。
そも、東京ブリーチャーズと一緒に鬼退治を行い、攻略法を授けたとはいえ、天邪鬼はあまりに秘密を抱えすぎている。
その正体も、目的も、何もかもが隠されている。そんな者の言うことを聞けという方が無理であろう。
けれど。
「……私を信じろ」
天邪鬼は、決意を湛えた瞳でそう告げた。自分のことを信じろ、と。
尾弐は遠い遠い昔に、そんな天邪鬼の眼差しと同じ眼差しを見たことがあるだろう。
その声も、もう得体のしれない合成音声めいたものではなく――きっと。尾弐にとっては忘れ得ないものであるに違いない。
それは千年の昔。山の稜線に沈みゆく夕照を眺めながら、ふたりで山寺への帰途を辿ったあの日の――。
「人間も、化生も、自分以外の何かにはなれん。どれだけその覚悟があったところで――」
「貴様は酒呑童子にはなれんよ。そうだろう?……クソ坊主」
そう言って尾弐を見詰める天邪鬼の眼は、穏やかだった。
184
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:20:53
>……ごめん、みんな。ここから先は……僕だけで、戦わせて
「……12対3でも不利だというのに……おひとりで戦うおつもりですか?」
圧倒的な数の差。物量差、戦力の差。
ただでさえ不利な状況だというのに、ポチはさらに仲間の助けを借りず、ひとりだけで戦うという。
>どうだろう……言ってくれれば一緒に戦いに連れてってあげないことも無かった程度の強さかな?
>言ってやれよポチ。――てんで弱くて、まるで相手にならねーって。
先刻東京ブリーチャーズのふたりが言った言葉が脳裏に蘇る。
そこまでか。そこまでわたしを愚弄するのか。
そこまで、わたしのことを否定するのか――。
「………………ッ」
怒りが全身に漲る。今なら、どんな相手だろうと打ち倒せよう。
相手が例え、自分の唯一の同胞であろうと。
皓月童子は眉間に皺を寄せ、闘志を満々と湛えた眼差しでポチを睨みつけた。
だが。
>……祈ちゃんはああ言ったけど……君は強いよ。
>初めて会った時からずっと、強かった……忘れてたよ。
>あのロボから逃げずに、立ち向かって……そんな君が、弱い訳がないのに
祈やノエルと違い、ポチは皓月童子の強さを否定しなかった。それどころか肯定した。
「ならば、なぜ――」
皓月童子は口を開きかけたが、ポチがこちらへ向かってくるのを見ると口をつぐんだ。
>だけど……僕はどうかな。あの頃より、少しは強くなれたけど。
>でもまだ全然、足りないよね。
>だからいつも、無茶しなきゃいけなくてさ
ウウ……と周りの影狼たちが頭を低く伏せ、警戒の唸りを上げる。
>……今日、君と久しぶりに会うのが、僕はホントは怖かったんだ。
>無理に姦姦蛇螺と戦って、こんな怪我して……その後も、ちょっと死にかけちゃって
>なんて謝ればいいか、分からなかった。君を残して死なないって約束したのに。
>僕は……君以外の為に、もちろんそんなつもりはなかった、勝算はあった……けど、死ぬかもしれなかった
ポチが一歩一歩近付いてくる。
影狼たちは今にも飛び出しそうになっている。
しかし、皓月童子は動かない。ただじっとポチのことを見詰め、ポチの言葉に耳を傾けている。
>だから……君がそこにいてくれて良かった
人間の姿に変化したポチが、ふわりと笑う。
温かな、柔らかな微笑みだった。
どんっ!!
そんなポチが床を強く強く蹴りしだき、突進してくる。
皓月童子の意思とは関係なく、影狼がポチを迎撃すべく疾駆する。
ポチの右前腕に影狼が噛みつく。鋭い牙がその肉に深々と食い込む。
「ポ――」
皓月童子は思わずポチの名前を叫びかけた。
しかし、違う。右腕は撒き餌だった。ポチは影狼の一頭をまんまと釣り出したのだ。
影狼が床に叩きつけられ、スウ……と消える。
影狼は皓月童子が闘気と妖気で作り上げた、実体のない影に過ぎない。皓月童子にダメージはない。
しかし。重要なのはそこではなかった。
185
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:24:46
「く……!?」
背後に感じる妖気に、ぞくりと肌が粟立つ。
気付いたときには、すでにポチは皓月童子の背後を取っていた。
カウンター気味に右のバックハンドブローを繰り出す。しかし、当たらない。振り返った先には、氷の飛刃が迫っていた。
それを刀の如き手刀で叩き落とす。が、お蔭でポチの挙動に反応するのがほんの一瞬だけ遅れてしまう。
「!!!」
ポチは身を低く屈め、足払いを繰り出していた。
皓月童子は足払いを軸足に喰らい、大きくバランスを崩して右手を床についた。
派手に転倒することこそ避けたものの、転んだ――と解釈されても仕方のない、微妙な状況だ。
ポチの戦術は分かっている。とにかく最初はどうあっても転ばせることから。それが送り狼のセオリーである。
それを知悉していたがゆえ、ぎりぎりで踏みとどまることはできたが――知っていてなお、薄氷を渡るかのようなタイミングだった。
雲外鏡でいつも見ているつもりだったが、見ているだけと実際に対峙するのとでは天と地ほども差がある。
「(……ポチ殿は。これほど強いのか……)」
皓月童子は内心、舌を巻いた。
ポチが後退したことで、大きく間合いが開く。ふたりは再度向かい合った。
>僕は、君が大事だ。この世で一番、誰よりも、大切に思ってる。
>だけど……それをどう証明すればいいのか、ずっと分からなかった
ふたたび、ポチが穏やかに口を開く。
その光景に、皓月童子はなんとも言えない違和感を抱いた。
そうだ。ポチは送り狼、送り狼は人間の後を追い、あわよくば転ばせ、命を奪う妖怪。
『転ばせた相手は殺さなければならない』――それが送り狼の絶対のルールであるはずなのだ。
だというのに、ポチは皓月童子を殺そうとしない。穏やかに話しかけてくる。
そういえば、先程の足払いも皓月童子はポチの殺気をまるで感じなかった。
一体なぜ――?
>だから本当に……君がそこにいてくれて、良かった
>さあ、やろう
>これが唯一で、最適の解……だったっけ。いいね、これ
ポチが小さく笑う。その口の端から、一筋の血が零れる。
腕に与えたダメージによるものではないはずだ。けれど、ポチは明らかに何らかのダメージを受けている。
今までの鬼との戦い?実は影狼が彼の臓腑にまでダメージを与えていた?……違う。
彼は『自身のありようを自ら拒絶して、ダメージを受けている』――。
「……ポチ……殿……」
皓月童子は愕然とした。送り狼が転ばせた相手を殺さない、それは自らの存在の否定に等しい。
いや、実際に否定しているのだろう。肉体よりも精神の働きに強く影響を受ける妖怪にとって、自己否定は自殺も同義。
このままでは、遅からずポチは消滅してしまうだろう。長い時間さえあればいつか復活できる『死』ではない。
自らを否定することは『滅び』を招く。それは二度と復活できない、永劫の虚無へのとば口。
それを、今ポチはしているのだ。
「……なぜ……。どうして……そこまで……」
強すぎる想いの力は、妖怪としての本性さえ凌駕する。
そして、それをする覚悟を決めさせてしまうほど――ポチは自分を、皓月童子を――
シロを愛してくれている。
ポチの深い愛情を感じ、シロは束の間うなだれた。
186
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:29:43
ポチの心の中に在るのは、紛れもない愛であろう。
シロのためなら、この命を擲つことさえ何でもない。
大事に思っている。大切に想っている。穏やかで、平和で、幸福であってほしいと祈っている――。
それはすべて真実に違いない。ポチのまごうことなき願いに違いない。
それがシロには痛いほどよくわかる。自分へと向けられる深い愛情を、シロは今ひしひしと感じていた。
しかし。
だからこそ。
「……それは、受け容れられない!!」
シロは決然とした口調で断言した。
ポチが宵闇の妖術を発動する。黄昏刻を逍遥する送り狼の力。照明に眩く照らされているはずの周囲が真闇に包まれる。
気がつけば、ポチはすでに間合いに肉薄していた。お互いの拳脚が炸裂する、超至近距離だ。
横一文字に繰り出される爪を、シロは脛で防ぐ。肌を浅く斬られ、ぱっと血がしぶく。
「はッ!!!」
すぐさま、シロは反撃に転じた。斬られた脚をぶぅん、と振るい、強烈な右回し蹴りをポチの胴に叩き込む。
大鉈の如き重さと威力を兼ね備えた蹴りだ。ウェイトのないポチは吹き飛ばされるに違いない。
だが、逃がさない。すぐにシロは低く身を屈めてポチへと追いすがると、さらに追撃の飛び蹴りを叩き込んで壁に激突させた。
「あなたの愛情を感じます、ポチ殿。あなたがわたしを深く愛してくれているということ」
「ずっと、ずっと前から分かっていた。嗚呼、あなたはすべてを投げ出すおつもりなのですね」
シロは形のいい唇を開き、言葉を紡ぐ。
「でも、どうして。『そこまでのこと』を躊躇いもなく成されてしまうのに――」
「なぜ。『わたしの気持ち』は慮ってくださらないのですか……?」
シロは狼だ。狼は他のどの獣より誇り高く、そして群れで行動するその習性からもわかる通り、家族を大切にする。
ポチもそうなのだろう。シロを誰よりも大切に想っているからこそ、守りたいと願った。
いかなる悪意も届かない、安全で平和な場所で。ゆっくりと平穏に暮らしてほしい……そう願ったのだろう。
しかし、シロの望みはそうではなかった。
シロが望んだのは、ただただポチと共に在ること。この地球上でただ一頭だけの同胞、好いた狼と。
例え危険が傍にあろうと、共に在りたい――それがシロの願いだった。
アンティークショップのショーウィンドウに飾られる、誰にも手の届かない高価なビスクドールより。
目が取れ、手足が千切れようとも、幼な子にずっと遊んでもらえるクマのぬいぐるみ――。
そんな生を、シロは望んでいたのだ。
「ずっと待っていました。あなたがわたしを呼んでくれることを」
「ずっと夢見ていました。あなたとわたしが、互いに背を預け合って戦う光景を」
「ずっと焦がれていました……あなたと同じ場所に立ち。あなたと同じものを見る瞬間を……」
「……あなたは、くれなかった」
ぎゅ、と拳を握る。唇を噛みしめる。
狼王ロボとの戦いが終わり、迷い家に仮寓を定めてすぐに、シロは特訓を開始した。
妖怪としての覚醒を果たしたことで使えるようになった、様々なもの。妖力や妖術、影の狼たち。
それらをもっと鍛え、実戦レベルにまで高めて、東京ブリーチャーズの一員として戦力になるように。
ポチの役に立てるように、恩を返せるように。……ただ守られるだけの存在ではなく、信頼されるパートナーになれるように。
そう自らに課し、東京でも自由に活動できるようにと人間に変化する方法を学んだ。
十一頭の影狼たちを自在に操れるようにもなった。もはや、遠野でシロに敵う妖怪は数えるほどしかいない。
だというのに。
シロが東京ブリーチャーズに喚ばれることはなかった。
187
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:34:00
妖怪裁判のときも、陰陽寮での戦いの際も、シロは雲外鏡越しに手をこまねいているしかなかった。
極めつけは姦姦蛇螺戦だ。せめて戻ってきてほしい、と懇願するシロの言葉を、ポチは拒絶した。
そして、片目を喪った。
もう我慢ができなかった。この上は押しかけてでも仲間に入れてもらおう、と決意した。
折よく富嶽が東京ブリーチャーズの再始動を許可する辞令を持っていたため、それを手渡すことを口実に東京へ向かった。
しかし、そこでもシロはポチに会えなかった。行き違いになった、と知ったときは落胆した。
そして。
そんなとき、シロはアスタロトに出会ったのだった。
かつて橘音だった半身が天魔を名乗って敵に寝返ったことはシロも知っている。当然、最初は敵意を剥き出しにした。
けれど、アスタロトはシロに対して害意を向けたりはしなかった。
ポチに会えなかった寂しさと、アスタロトの巧みな話術によって、シロはやがてぽつぽつと事のあらましを語った。
「そうですか……そんなことが」
アスタロトは同情的だった。それは或いはシロを懐柔するための芝居だったのかもしれないが、表向きは。
人のいない公園でブランコに座り、うなだれるシロを見て、アスタロトはひとつの提案をした。
「でしたら、ケンカしてみることですよ」
「……ケンカ?」
「どれだけ仲のいい人たちだって、いつまでも仲良しってわけにはいきません。どうしたって認識や意見の違いは出てくる」
「そういう場合、すり合わせを行うにはどうすればいいか?簡単な話です、ケンカをすればいいんですよ」
「……ケンカなんて。したくありません。わたしはポチ殿を慕っています、彼の意向を否定するなんて――」
「否定するばかりがケンカじゃありません。『お互いにより深く分かり合うため』のケンカだってあるんです」
「ぶつからなければ、分からないことがある。仲良しこよしだけじゃ、永遠に分からないことが……ね」
「お互いに、より深く分かり合うため……」
「ええ。たまには我慢をやめて、本音をぶつけてごらんなさい。彼を悲しませたくないとか、そういう気遣いはこの際二の次です」
「アナタはアナタのことを第一に考えるべきだ。彼のことはその次です。まず自分の気持ちを話してみなきゃ、何も始まらない」
「アナタの本音を打ち明けて、彼がそれを受け容れるならよし。拒絶するなら、それはそのとき考えたって遅くないと思いますよ?」
「……三尾……」
「アハハ……なんちゃってね。いや、ボクにもアナタの今の気持ちがけっこう、分かっちゃうものですから」
「なんせ、ボクも似たような経験があるので!」
そう言って笑うアスタロトは、地獄を住処とする悪魔とは思えないほど無邪気に見えた。
「ま、そうは言っても、きっかけがなきゃケンカなんてできませんよねぇ。彼もきっと本気では取り合ってくれないでしょうし」
「じゃあ、こういうのは?こちらにおいでなさい、シロさん。そして天魔側として、彼らの敵になるのです」
「!……やはり、そういうことですか……!わたしを籠絡しようとしても、そうは行きません!」
シロはブランコから立ち上がり、構えを取った。周囲に音もなく影狼たちが現れる。
アスタロトは肩を竦めた。
「おっとっと、話は最後まで聞く!……ボクたちの側につくのはポーズだけです。アナタに何かしてもらおうとは思いません」
「……なんですって?」
「まぁ、強いて言えば、ケンカの際にはポチさんの他に祈ちゃんとノエルさんも纏めて引き受けてほしいってくらいですかね」
「ボクの今回のターゲットはクロオさんひとりですから!ウフフ!」
「アナタにポチさんと肉体言語で対話する機会と場を与える、その対価はそれでトントンとしておきましょう!」
アスタロトは大袈裟な身振りでそう言った。
その言葉に嘘のにおいはしない。ポチ同様、シロもその優れた嗅覚で相手の感情を読み取ることができるのだ。
ぶつからなければ、分からないことがある――。
その言葉に背中を押されるように、シロは熟慮の末アスタロトの提案に乗った。
そして東京スカイツリーへ行き、茨木童子や四天王たちと出会い。
『仲間になりたければ四天王の誰かを倒して力を示せ』との言葉通りに熊童子と戦い、勝利を収めて四天王に迎え入れられたのだ。
輝く皓い月の名を冠する狼の化生、皓月童子として。
188
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:37:03
「……影狼」
シロが静かに名を告げると、十一頭の影狼たちはすべて霞のように消えた。
影狼たちを用いず、一対一でポチと戦うという意志が見て取れる。
「富嶽老はぶっきらぼうですが、陰ながら便宜を図ってくれました。わたしに不自由がないようにと」
「女将はいつもわたしを気遣い、尽くしてくださいました。おふたりのご厚意には、今も深く感謝しています」
「けれど、それは『仲間』に対する接し方ではなかった。おふたりにとって、わたしはあくまで客人に過ぎなかった」
す……とシロは片膝を上げ、構えを取った。しかし、すぐに攻撃に移ったりはしない。淡々と言葉を紡ぐ。
「あなたも、わたしを喚んではくれなかった。ただの一度たりとも、わたしの力を必要として下さらなかった」
「でも――彼らは違ったのです」
シロ改め皓月童子を新たに四天王として加えた鬼たちは、まるで屈託がなかった。
『来る者拒まず、それが酒呑の流儀だ』と言って、快く皓月童子を迎え入れた茨木童子。
熊童子を軽々と打ち倒した皓月童子の強さを認め、何かというと酒の肴に戦おうとせがんでくる虎熊童子。
一緒に飯を喰おう、みんなで飯を喰うとうまいんだぞ、としきりに料理を勧めてくる金熊童子。
好いた者とより分かり合うために来た、という皓月童子の言葉になぜか深く共感したらしく、男泣きする星熊童子。
彼らと共にいた時間はごくごく短かったが、それでも。鬼たちは確かに皓月童子を仲間だと認めてくれたのだ。
「彼らは言ってくれました。『一緒に戦おう』と。『願いを叶えるために力を合わせよう』と――」
「わたしがあなたたちの側でどれだけ焦がれ、追い求めようと、決して得られなかったものを。彼らは与えてくれたのです」
「……わたしは。嬉しかった」
束の間目を閉じると、シロは自らの豊かな胸に右手を添えた。
それから、暫くして目を開けると、まっすぐにポチを見据える。
「でも。彼らはもういない……みな、あなたたちに敗れ去った。命を落とした」
「勝者こそが正義というのなら、彼らが間違っていたということになるのでしょう」
「彼らにも絆はあった。強い絆が。わたしはそれを知っている……だというのに、なぜ彼らは負けたのでしょうか?」
「あなたたちと彼らを隔て、分かつものは、いったい――なんなのですか……?」
「わたしはそれを解き明かす。解き明かさなければならない!それが……散っていった仲間たちへの、何よりの餞になると信じる!」
「ポチ殿――あなたを、倒して!!!」
ぎゅおっ!!
シロが疾駆する。確かにそれは祈の言った通りターボババアのそれよりは遅いかもしれなかったが、気迫が籠もっている。
どうでも、自らの本願を成就する。その一途な想いがシロの四肢に、全身に、溢れるほどの闘気を齎しているのだ。
「はァ―――――――ッ!!!」
颶風を撒きながら、シロがポチへ向けて猛攻をかける。
刀のように鋭利な手刀。間髪入れず叩き込まれる、大鉈のような蹴り。そのどれもが巧みな攻防のさなかに繰り出される。
ただし、その動きはポチにも充分凌ぎ切れるレベルであろう。
技としての完成度、戦いのロジックはシロの方が数段ポチを上回っている。――が、半面シロには実戦経験がない。
狼王から猿夢、悪魔たちとの戦闘、そして姦姦蛇螺討伐と幾多の死闘を潜り抜けたポチの方が、戦闘勘は圧倒的に上だった。
技量において優れるシロと、経験において優れるポチ。
両者の戦闘力はほぼ互角。想いの強さにおいてもほとんど優劣はないだろう。
その上で、ただひとつ違う点があるとするならば――それは『獣(ベート)』の力の有無。
シロに『獣(ベート)』の力はない。それは獣の頂点に君臨する狼にのみ与えられるもの。
アスタロトは『力なき王ならば喰い殺せ』と焚きつけたが、シロにそんなつもりは毛頭なかった。
ただ、分かり合いたい。自分のわがままを聞いてほしい。寂しい。一緒にいたい――
そんな気持ちだけが、純白の身体を衝き動かしている。
仲間の助けもない。影狼たちの協力もない。
ただ、二頭のつがいの狼が繰り広げる死闘。
ふたりはみるみる傷ついてゆくだろう。だが、闘いは決して終わらない。なぜならば、狼の闘法に一撃必殺はない。
噛み砕くのではなく、切り裂く事に長けた牙。鋭い嗅覚。無尽蔵の持久力。
そこから生み出される『獲物を決して逃さず、力尽きるまで追い続ける』狩り――。
それが狼の。ポチとシロの戦いだからである。
189
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/14(木) 14:40:56
「……ッ、は……はァッ……、はァ……」
どれほど拳を繰り出し、蹴りを放ち、またそれを受けてきただろう。
互いに致命傷はないとはいえ、さすがに疲労の色が濃い。さしもの狼の持久力も限界に達している。
シロはポチを見据えながら、額の汗を左腕で乱暴に拭った。そして、何を思ったか構えを解いて棒立ちになる。
シロはポチを真っ直ぐに見詰めながら、口を開いた。
「……わたしは……祈殿やノエル殿、尾弐殿が羨ましかった……」
「彼らも、ポチ殿にとって大切な仲間でしょう。かけがえのない友、群れの家族……」
「彼らのためなら、あなたは躊躇いなく命を投げ出す。これまでそうしてきたように――これからも」
「そして、彼らも。あなたのためなら命を懸けることを厭わない。眩しい絆です、それこそわたしの欲しかったもの……なのに」
「……どうして……どうして、あなたはそれを。わたしに望んで下さらないのですか……?」
それまで、ずっと冷静な――ともすれば冷徹とさえ言える表情を崩さなかったシロの整った顔。
その美しい口許が、ふる……とわななく。
切れ長の怜悧な双眸に、みるみるうちに涙が貯まってゆく。
「……いや……」
「いや……、いや、いやです……!もう、ひとりはいや……待つのはいや……!」
「朝起きるたび、今日は呼んで頂けるかと……何度も何度も雲外鏡を覗いて、そのたび落胆して……」
「夜眠るとき、明日は?明後日なら?と……なけなしの希望に縋る!そんな日々はもういや……いやです……!」
ぼろぼろと、シロの白い頬を涙が伝っては顎先から零れてゆく。
誇り高く、狼の矜持を何より重視し。弱いところなど見せようともしなかったシロが、泣いている。
「お傍に置いてください、あなた……!わたしをあなたのお傍に……それが叶わぬのなら、いっそ……殺してください……!」
「……もう……」
「……わたしを……ひとりぼっちにしないで……」
両手で顔を覆うと、シロは嗚咽を漏らした。
長年追い求め、ついに邂逅を果たした唯一の同胞。
自分は彼についていこうと決めた。種族の維持のためだけではない、彼自身を。彼という一個人を愛そうと決めたのだ。
だのに、彼は壊れ物を扱うようにしか自分と接してくれなかった。
それが大切に想ってくれているということ、愛の一形態であることは理解していたが、感情がそれを拒絶した。
シロが求めていた、東京ブリーチャーズの絆と四天王の絆は何が違うのか?という問いは、他でもない――
『自分はどうしてポチにとっての祈やノエル、尾弐になれなかったのか?』という問いと同義だった。
愛されているのは分かる。大切にされているのも。しかし、それは祈たち東京ブリーチャーズのメンバーも同様のはず。
なのに自分はポチと一緒に戦うことを許されず、彼らは許された。その違いとは何なのか?
シロは、その答えを求めた。――狂おしいほどに求めたのだ。
東京を騒擾する、鬼の徒党に加わってまで。
「これが……最後です。ポチ殿」
しばしの嗚咽の後、シロは涙を拭おうともせずに手を下ろすと、構えを取った。
きっと、次の攻撃が最後となるだろう。両者の体力も気力も、限界に差し掛かっている。
「わたしに答えをください。わたしが納得するに足る答えを」
「それが与えられるのなら――ここで果てることになろうと、本望!」
ぎゃりっ!!
強く床を踏みしめ、シロは放たれた矢のようにポチへと疾駆した。
繰り出す決着の一撃は、五指を揃え刀剣のように研ぎ澄ませた右の手刀。
残る気力と妖力とを振り絞った一撃が、ポチの胸元に狙いを定める。
「ッおおおおおおおお――――――――ッ!!!!」
シロは咆哮した。自らの本音をすべてぶちまけ、望みも告げた。後は、彼がそれを受け容れるか、否か。
いずれにしても、これが終局。その攻撃に躊躇いはなく、また遠慮も逡巡もない。全身全霊の刺突である。
すべては、彼とより深く分かりあうため。蟠りなく向かい合うため。
共に手を取り合って、未来を歩んでゆくために――。
190
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/19(火) 21:57:59
赤い軌跡を残して刃は中空を奔る。
怨敵たる茨木童子へ届くまで
あと一間
あと一尺
あと一寸
後、ほんの刹那
僅かに力を込めて踏み込むだけで、尾弐が手に持つ刀は茨木童子の内腑を突き破る。
そしてその時こそ――――尾弐の願いが、千年に渡る妄執が結実する時。
だったというのに
>「……生憎だが、クソ坊主。それをさせる訳にはいかん」
>「この機会を待っていたぞ。貴様が茨木童子に集中し、私への注意が疎かになる――その瞬間をな」
>「クソ坊主よ。貴様には、ここで溜まっていたものを解き放ってもらわねばならん。力を開放してもらわなければならん――」
>「私は。そのために来たのだから」
> 「――神夢想酒天流奥義――鬼遣(おにやらい)」
「!? しまっ――――が、ッ」
天邪鬼。この戦いの初めから存在していた不確定要素。正体不明の鬼。
その凶刃が、尾弐の願いの結実を阻んだ。
初めに己が胸を貫いた刃を見て、次いで天邪鬼の顔を見る尾弐。
何らかの言葉を発そうとするものの声は出ず、出す事が叶ったのは血の混じった咳のみ。
>「虚仮の一念……とは言うが。よくも千年もの間、その執念を保ち続けたものよ」
>「だがな……もういい。もういいのだ。貴様は少々、重い荷を背負いすぎた」
>「貴様の陶器よりも脆い腰に、この荷は些かきつかろう。もう下ろしてもいいぞ――後は私が負う。かつてそうしたようにな」
「が、っ……ぐ、うッ……て、めぇぇ……!!!!」
人の身にあらば致命に到ったであろう一撃。だが、尾弐黒雄は倒れない。
酒呑童子としての妖力が、鬼としての生命力が、心の臓を穿たれて尚尾弐を生かし続ける。
刃を抜くべくその手で握り、静かで迷いのない天邪鬼の声とは対極に、憎悪と敵意に染まった声で、己が大願の成就を阻んだ『敵』への反撃を試みんとする。
その濁った目には、眼前の天邪鬼が発する懐かしい気配も映す事が出来ない。
そんな尾弐を尻目に、天邪鬼はアスタロトへと向けて告げる。
計画を成せと。尾弐の中の酒呑童子の力を解放させよと。
>「む、むぅ……。ボクが言うのもなんですが、胡散臭すぎますねアナタ!」
>「でも、そういことなら仕方ありません。茨木さんじゃ荷が勝ちましたか、なら……遠慮なく!」
そして――――アスタロトにはそれを拒む理由は無い。
>「サバオト アドナイ!我は与える、すべてを呑み込み――汝が力と成せ、アーメン!」
呪文をトリガーとして収束される、莫大な妖力。
帝都から収集されたその力は、アスタロトの企て通り、尾弐黒雄へ……否、その身が持つ酒呑童子の心臓へと注がれ始める。
それは、酒呑童子を巡る一つの物語。その終わりの幕が上がった事を意味していた。
191
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/19(火) 21:59:50
「がああああああああああぁぁぁッッッ!!!!!!!」
絶叫と呼ぶも生ぬるい、断末魔に近しき声が尾弐の口から吐き出される。
普段の尾弐からは想像もつかない苦痛に染まった声だが……それも当然だろう。
尾弐の身に今尚注がれているのは、一個の妖怪の限界など遥かに超えた量の妖気。
人の身に海の水を無理矢理に注ぎ続ければ、爆ぜるのが当然である様に。
尾弐の身には、内側から全身が破砕する様な苦痛が襲っているのだ。
ただし人間と異なるのは……尾弐の身にはその海水の如き妖気をも貪欲に飲み干す『酒呑童子の心臓』が有るという事。
心臓が妖気を吸収し続ける事で、尾弐の苦痛は終わらないものになっている。
延々と続く地獄の苦痛。
それでも、尾弐が意識を手放せば……酒呑童子の心臓に全てを委ねてしまえば楽になるのだろうが
「が、ぎ、うう……!!!!」
尾弐黒雄は、決してそれを選ぶ事をしない。
いや、選ぶ事は出来ない。
明滅する意識を頬の内側を噛み千切る事で保ち、折れそうになる片脚に指を喰いこませ、握り込み支える。
まともな精神では成し得ぬ苦行だが……それでも尾弐は耐え続ける。
>「……ぬぅ。なかなか耐えますね……クロオさん。なら、これではどうです!?」
>「さあ――出番ですよ、虎熊さん!金熊さん!星熊さん――四天王たち!」
>「アナタたちの愛しい酒呑童子さんの中へとお戻りなさい!」
そんな尾弐の様子に痺れを切らしたのか、アスタロトは更なる手札を斬る。
それは、これまで東京ブリーチャーズが打ち破ってきた悪鬼達の魂を、酒呑童子の心臓へと取り込ませるという業。
酒呑童子と強く結びついた彼らの魂は、尾弐が押し込んでいる『酒呑童子』を覚醒させんと荒れ狂う。
「ぐぎ――――ぎ、がkjはklkgd:;slgkj!!?」
もはや、言葉にすらならない絶叫。
尾弐の中の心臓は意志を持つかの様に蠢き、内側から尾弐を食い破らんとする。
破れた眼の血管から赤い涙が流れる。
食いしばった歯が割れて砕ける。
動脈が黒く浮き出て皮膚を裂く。
手の爪は力に耐え切れず剥がれて落ちた。
口腔からはとめどなく血液が流れ続け、全身の古傷が破れ血を噴き出す。
限界などとうに越えている。終わりなどとうに迎えている。
だというのに、尾弐黒雄は倒れない。折れない――折れる事が出来ない。
その身に宿る願いが、燃え盛る憎悪が、罪重ねてきた時間が。
尾弐自身の全てが、苦痛から逃れる事を許さない。
灼熱の痛みの中、震える手に力を込めて尾弐は心臓に食い込む刃を抜こうとする。
その力は弱々しく……どうあがいても刃を抜く事等できないというのに。
絶え間なく続く苦痛。終わりなき地獄。
けれど……この世界の時間が有限である以上、いずれ尾弐の抵抗は無意味に終わる事だろう。
幾ら尾弐が耐え続けようと、目覚めんとする酒呑童子の力には抗えない。
故に、迎える結末は破滅ただ一つ。呑まれて、消えるのみ。
192
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/19(火) 22:01:17
>「抗うな。身を任せろ」
>「……私を信じろ」
>「人間も、化生も、自分以外の何かにはなれん。どれだけその覚悟があったところで――」
>「貴様は酒呑童子にはなれんよ。そうだろう?……クソ坊主」
……ふと。地獄に居る尾弐の耳に声が届いた。
懐かしい声。遠い昔に確かに聞いた声。
尾弐は、確かにその声を知っている。
苦痛に灼かれ、魂が砕け散りそうになって尚、忘れ得ぬ程に尾弐はその声を覚えている。
黒く赤く染まった自身の記憶の始まりで、今尚輝くその光景。
遠い夕暮れ。山寺へと歩く二つの人影。そこに在った声が尾弐へ告げる
自分を、信じろと。
自分に任せろと。
「―――ぁ―――外道、丸……?」
それは、救いの声であった。
盗賊カンダタに伸ばされた蜘蛛の糸の様に、地獄に在る尾弐を救済する誘いの声であった。
天邪鬼と言う妖怪に信頼は無い。在るのは己に弓引いた事への敵意のみ。
そうである筈なのに、尾弐には理解出来た……この言葉に身をゆだねれば、自身は救われると。
だから、尾弐は――――朦朧とした意識のままに口を開いた
193
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/19(火) 22:03:06
「ごめん、な。心配ねぇよ……俺は、大丈夫だから」
「ぐ、ぎ……こ、今度は、ちゃんと助けるからな……大丈夫だ、俺は、まだやれる……まだ頑張れるから……」
「俺が、お前さんを……ゲホッ!……お前さんを、『酒呑童子なんかにさせねぇ』からよ……」
「ああ、大丈夫だ……そうだ。俺は、狐の妖怪と契約したんだ……『世界から俺とお前さんの記憶と記憶を消してくれ』って……」
「だから、そうすれば、お前さんは人として死ねる……どっかで別の誰かが酒呑童子になって……俺も、消えてなくなれる」
「人間共の願った通りに、お前さんを酒呑童子なんかに……させるもんか」
「鬼共の願った通りに……永劫に悪鬼の親玉なんてやらせるもんかよ」
「ゲホッ……大丈夫だ。お前さんは俺が助けてやるから」
「俺に任せろ……俺の1000年は無駄じゃなかったって、証明してやるからよ……」
「ヒ、ヒっ、そうだ……穴倉で、人間にお前さんの心臓を喰わされて、それでも、生きて来たんだ」
「あと少しなんだ……何でもして、妖怪を殺して、敵になるモノは何だって滅ぼして……う、ゲッ……どんな事だってしてきたんだ」
「敵は全部ぶち殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺し、てぇ!!!俺が、お前を助けてやるからな……ぁ!!!!」
194
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/02/19(火) 22:07:29
……嗚呼、なんという愚かで、しかし当たり前の結末だろう。
かつて一人の子供を助ける事が出来なかった男に、子供に縋り付くような選択は出来よう筈がなかったのだ。
男が救われる道などは、端から存在していなかったのだ!
片方の眼球が爆ぜ、もう片方は血に染まり、視界すら失った尾弐。
与えられる苦痛によって現実と妄想の区別すら付いていない尾弐は、これまで黙して語らなかった己の願いを『外道丸』にとうとうと語る。
吐き出されるそれは、本当にたわいのない願い。
救えないなら、初めから全てを無かった事にしてしまいたいという、つまらない願い。
尾弐は、そんなつまらない願いを叶える為に、過ごしてきた時間を。積み重ねてきたモノを。奪い取った全てを。
その全てを裏切る事が出来ず――――己に差し伸べられた手を『取らなかった』。
……苦痛の果てに見えた尾弐の本性を見て、東京ブリーチャーズは、或いは悪鬼共は。一つの言葉を思い出すだろう。
『自侭に欲望(ねがい)を満たそうとする反社会的な妖怪。心の壊れてしまった妖怪』それを何と称するかを。
死を間際にして、地獄の苦痛に焼かれることで、いよいよ尾弐の被ってきた精神の仮面は焼け落ちる。
人格などとうの昔に壊れ果て、それでも願いを叶える為にまともな大人の『フリ』をしていた
願いを叶える為に、全てを投げ打てば救えた仲間と呼べる者達を助けなかった
信頼すべき存在達、背中を任せる事の出来る相棒にさえも、己が願いを叶える為に何一つ真実を語らず隠していた
そんなちっぽけな妖怪。
酒呑童子などとはとても呼べない、醜く矮小な存在
これまで大切に大切に、臆病なまでに慎重に隠していた、尾弐黒雄という名無しの悪鬼の本性が、此処に露見する。
「なあ……そこのお前ら、すまねぇが手ぇ貸しちゃくれねぇか。茨木童子を殺して、俺は俺の願いを叶えねぇといけねぇんだ」
そして血まみれの尾弐は、朦朧とした意識のまま……祈とノエル。二人へと向けて、焦点の合わない目で話しかける。
……二人が強敵と対峙している事など顧みる事もせず。
仮にアスタロトの術式から尾弐を助ければ、尾弐は己の願いを実現せんと動く事だろう。
何もしなければ、何れ尾弐は酒呑童子の力に飲まれ、帝都を蹂躙する酒呑童子と成るだろう。
二人は選ぶ事が出来る。
尾弐を――――この救う価値も無い『妖壊』を『助けて消す』か、手を出さず酒呑童子に『帝都を滅ぼされる』かを。
勿論、それ以外の道を選ぶ事も可能であるが……そもそも、この悪鬼に救いの結末など用意されていない。
生まれて来た事が間違いだった、生まれるべきではなかった存在が、救い得られる筈は無いのである。
故に、選択者達には何も責任は無い。何も迷う事は無い。決断を。ただ一つの、決断を。
195
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 04:49:19
横薙ぎの爪撃を、皓月童子――否、シロは脛で防御。
だが『獣(ベート)』の力を帯びた爪は刃物よりもなお鋭い。
白い肌が切り裂かれて、鮮血が散る。
>「はッ!!!」
しかし怯まず放たれる反撃の右回し蹴り。
自由自在にこの世から消えされるポチも、攻撃の瞬間には姿を現している必要がある。
つまり――不在の妖術は間に合わない。
無防備な腹部に叩き込まれる、重く鋭い衝撃。
ポチの矮躯が大きく吹き飛ばされ――更に突き刺さる、追撃の飛び蹴り。
強烈な勢いで壁へと激突したポチは――しかし呻き声一つ上げず、着地を果たす。
臓腑から口へとせり上がる血を吐き捨て、一歩前へ。
>「あなたの愛情を感じます、ポチ殿。あなたがわたしを深く愛してくれているということ」
「ずっと、ずっと前から分かっていた。嗚呼、あなたはすべてを投げ出すおつもりなのですね」
「そうさ。僕はこうする事しか出来ないからね」
>「でも、どうして。『そこまでのこと』を躊躇いもなく成されてしまうのに――」
「なぜ。『わたしの気持ち』は慮ってくださらないのですか……?」
「……いつだって、躊躇ってるよ。だから……僕は君には頼れないんだ」
頼って欲しい。仲間として一緒に戦いたい。守られて、愛されているだけは、嫌だ。
吐露されたシロの願いに、ポチは己の不甲斐なさを思い知った。
だが――それだけだ。自分の弱さを恥じる事はあっても――彼女の願いを叶えようとは、思わなかった。
>「ずっと待っていました。あなたがわたしを呼んでくれることを」
「ずっと夢見ていました。あなたとわたしが、互いに背を預け合って戦う光景を」
「ずっと焦がれていました……あなたと同じ場所に立ち。あなたと同じものを見る瞬間を……」
「……あなたは、くれなかった」
仕方ないじゃないか――僕は、弱いんだから。
喉元まで出かけた言葉を、強い意思をもって飲み下す。
>「……影狼」
シロが呼びかけると、影狼の群れは溶けるように消えた。
混じり気なしの一対一でやってくれる、という事なのだろう。
>「富嶽老はぶっきらぼうですが、陰ながら便宜を図ってくれました。わたしに不自由がないようにと」
「女将はいつもわたしを気遣い、尽くしてくださいました。おふたりのご厚意には、今も深く感謝しています」
「けれど、それは『仲間』に対する接し方ではなかった。おふたりにとって、わたしはあくまで客人に過ぎなかった」
ポチは一歩、また一歩とシロへと歩み寄っていく。
>「あなたも、わたしを喚んではくれなかった。ただの一度たりとも、わたしの力を必要として下さらなかった」
「でも――彼らは違ったのです」
しかしふと、その耳が小さく揺れた。
>「彼らは言ってくれました。『一緒に戦おう』と。『願いを叶えるために力を合わせよう』と――」
「わたしがあなたたちの側でどれだけ焦がれ、追い求めようと、決して得られなかったものを。彼らは与えてくれたのです」
「……わたしは。嬉しかった」
酒呑四天王、彼らの事を語るシロからは――温かな、安らぎのにおいがする。
自分以外が、彼女をそんなにおいにさせた――嫉妬と、深い後悔がポチの中に湧き起こる。
それでも――彼女の願いを聞き入れる訳にはいかない。
強く拳を握り、更に一歩前へ出る。
>「でも。彼らはもういない……みな、あなたたちに敗れ去った。命を落とした」
「勝者こそが正義というのなら、彼らが間違っていたということになるのでしょう」
「彼らにも絆はあった。強い絆が。わたしはそれを知っている……だというのに、なぜ彼らは負けたのでしょうか?」
ポチは自問する。その答えを、自分は示せるのか。
自分はただ彼女に会いたくて、がむしゃらに、戦い抜いてきただけだ。
分からない。どんな答えなら、彼女は納得してくれるのか――戻ってきてくれるのか。
>「あなたたちと彼らを隔て、分かつものは、いったい――なんなのですか……?」
「わたしはそれを解き明かす。解き明かさなければならない!それが……散っていった仲間たちへの、何よりの餞になると信じる!」
「ポチ殿――あなたを、倒して!!!」
ポチは小さくかぶりを振った――やめよう、考えても答えは出ない。
だから彼女は、自分は、ここにいるのだ――と。
196
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 04:51:00
>「はァ―――――――ッ!!!」
そして、シロが吶喊。瞬時にポチへと間合いを詰める。
襲い来る、炎をも断ち切る、鋭い手刀。
ポチはあえて一歩踏み込み、間合いを潰してそれを防御。
直後、ポチに突き刺さる強烈な衝撃。
間近の距離から、体の捻転によって威力を保った回し蹴り。
再び大きく弾き飛ばされながらも――ポチの爪からは、血が滴る。
防御と被弾の瞬間に、爪を擦り付けるようにしてシロの腕と脚を裂いていた。
互いに突進、再び間合いを詰める。
槍衾の如く連続する横蹴り。両手と体捌きをもって捌く。
重くも鋭い打撃の雨は、たとえ防御しても完全には防ぎ切れない。
肉が潰れ、骨に衝撃が染み入り、神経を鈍麻させる。
防戦一方――だがシロの引き足がいかに瞬速とて、爪で触れる程度の事は出来る。
蹴りを放つ度少しずつ、刻みつけられていく切創。
ほんの小さな傷も、いくつも重なれば多量の出血をもたらす。
だが不意に、シロが蹴り足の軌道を変える。
突き刺すような蹴りの後、足を引くのではなく、落とす。
フロア全体を揺らすような踏み蹴りが、ポチの左足を捉えた。
体の末端の薄い筋肉と、細い骨では堪えられない。
左足は完全に破壊された。俊敏な足捌きはもう出来ない。
必然、シロが好機と前へ出る。
ポチの足を蹴り潰した事で、既に踏み込みと拘束は成立している。
そこから放たれる、渾身の、手刀による幹竹割り。
そして――消失するポチの姿。辛うじて不在の妖術が間に合う。
シロは動じない。たった今、左足を潰したばかり。
フットワークを用いた奇襲は成し得ない。
その判断を打ち砕くように、彼女の頭上から降り注ぐ、ポチの踵。
本来、四足歩行の狼なのだ。右足に、両手を加えれば跳躍は十分に可能だった。
手応えあり、とポチは追撃の算段を始め――直後、その側頭部が蹴り飛ばされる。
踵落としを受けて前のめりになった体勢を、逆に利用した側転蹴り。
攻防は一進一退。
互いに幾度となく拳を、蹴りを、叩き込んだ。
全身の筋肉が痛みを発し、骨が軋む。
息も絶え絶えで、思考には靄がかかり、目が眩む。
それでもポチは決して退かない。
互いの体力を、気力を削り合う、狼の闘争。
余計な思考をしている余裕などとうにない。
それでもなお――むしろ不純物を削ぎ落とすように、より一層、心の中で浮き彫りになるものがあった。
自分はシロを、愛している。
ロボは言った。群れとは、仲間とは、守り守られる、支え合うものだと。
オレ様の轍を踏むなよ、と。
その言葉を――ポチは、常にではないかもしれないが、守ってきた。
だがロボはこうも言っていた――女房を守ってやれ、手前の命が尽きる瞬間まで、と。
そうだ。ポチは――仲間では、嫌なのだ。シロだけは。
彼女だけは――決して誰にも傷つけさせたくない。
共に戦う事に憧れがない訳ではない――だがそれは彼女の無事よりもずっと、些少な事だ。
197
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 04:52:51
>「……ッ、は……はァッ……、はァ……」
不意に、シロが構えを解いた。
「……そろそろ、やめにするかい?」
そんなはずはないと分かっていたが、ポチも両手をだらりと下ろす。
無抵抗の彼女を殴るような真似は出来なかった。
>「……わたしは……祈殿やノエル殿、尾弐殿が羨ましかった……」
「彼らも、ポチ殿にとって大切な仲間でしょう。かけがえのない友、群れの家族……」
「彼らのためなら、あなたは躊躇いなく命を投げ出す。これまでそうしてきたように――これからも」
シロのその言葉は、間違いだった。少なくともポチにとっては。
いつだって、傷つきたくて、傷ついてきた訳ではない。
自分はシロとの約束を守れているのか、守れるのか――そう、躊躇わない訳がない。
『そこまでの事が出来る』のではない――『こうする事しか出来ない』のだ。
無傷で、迅速に、圧倒的に勝利出来るほどの力が自分にはない。
だから結果的に、こういう事をしなくてはならない。それだけだ。
>「そして、彼らも。あなたのためなら命を懸けることを厭わない。眩しい絆です、それこそわたしの欲しかったもの……なのに」
「……どうして……どうして、あなたはそれを。わたしに望んで下さらないのですか……?」
それだって同じ事だ。
シロと共に戦う事を『望まない』のではない。『望めない』のだ。
彼女を、誰にも傷つけさせたくない。それはポチにとって最も大切な事。
故に――シロが傍にいれば、自分は正誤の判断を保てないとポチには分かっていた。
まさに今、三対一の状況を捨ててまで、分不相応な我を通そうとしているように。
シロが傍にいれば、自分は最優先に彼女を守ろうとする。
そのせいで自分が傷つくだけならいい。
だが進むべきところで、退こうとしてしまったら。
祈やノエルを庇うべき時に、シロからほんの少し遠ざかり、目を離す事を躊躇ってしまったら。
それは結局、みんなを――シロをも不幸にするだろう。
ポチは深く息を吸い込み、一息に吐き出すと、再び両手に力を込めた。
力みによって関節を固め、指の一本一本を刃として構えを取る。
愛している。誰にも傷つけられたくない。
たとえ彼女を打ちのめしてでも、彼女の願いは手折らなければならない。
シロが求める答え。絆の力――その正体を叩きつける準備は、既に出来ていた。
ブリーチャーズが勝利し、酒呑四天王が敗れた理由。
ポチは断ずる――そんなの決まっている。仲間が、大切な者が、傷つく事を厭わなかったからだ――と。
仲間が負けても問題ない。その命が失われるところまで策の内。
そんな気持ちで戦っていて、最後の最後まで力を振り絞れる訳がない。
もっと遡れば酒呑童子を失った事も、避けようと思えば避けられたはずだ。
星熊童子は言っていた。我らには抑え切れぬ性があると。
それでも、彼らはそれを抑えるべきだったのだ。真に仲間達を大切に思っていたなら。
自分は、彼らとは違う。
もし彼女が、自分と同じだけの怪我をしたらと思うと、背筋が凍る。
シロを、いつも自分が遭っているような、危険な目に遭わせる訳にはいかない。絶対に。
その執念が、自己の否定による滅びをも上回る活力を与えてくれている。
ポチはそう信じていた。
そして――その答えに、シロが納得出来なくとも、最早構わない。
出来る事なら彼女の望む答えを見つけ出し、示したかった。
だが――それも、彼女の安全よりかは、大切ではない。
絶えず痛みを訴える五体を、それでも一歩前へと進める。
必ず勝つという気迫が、限界を迎えつつある肉体の奥底から力を湧き立たせる。
そして――
>「……いや……」
消え入るような、震えた声。
シロの両眼に、涙が浮かぶ。
198
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 04:54:35
>「いや……、いや、いやです……!もう、ひとりはいや……待つのはいや……!」
「朝起きるたび、今日は呼んで頂けるかと……何度も何度も雲外鏡を覗いて、そのたび落胆して……」
「夜眠るとき、明日は?明後日なら?と……なけなしの希望に縋る!そんな日々はもういや……いやです……!」
シロが、泣いている。
あのロボの、狂気に満ちた眼光で睨まれても怯まなかったシロが、幼子のように。
>「お傍に置いてください、あなた……!わたしをあなたのお傍に……それが叶わぬのなら、いっそ……殺してください……!」
その瞬間、ポチの全身に満ちていた執念の力が、まやかしであったかのように萎えてしまった。
指先に力が入らない。拳を握る事も、手刀を形作る事も出来ない。
ついさっきまで床をしかと捉えていたはずの、足の感覚さえ朧げで、ポチはその場で立ち尽くす。
>「……もう……」
>……わたしを……ひとりぼっちにしないで……」
戦いの中で削り出された、シロへの答え。
それに対して抱いていた確信も、跡形もなく消えていた。
決して彼女を危険な目には遭わせない。例え彼女を打ちのめしてでも。
これこそが絶対の正解だと、そう心から信じていたはずなのに。
>「これが……最後です。ポチ殿」
シロが構えを取り直す。
双眸に宿るのは、強い意志と覚悟。
対するポチは――未だに、闘志を取り戻す事が出来ないでいた。
>「わたしに答えをください。わたしが納得するに足る答えを」
「それが与えられるのなら――ここで果てることになろうと、本望!」
だがシロは、それにも構わず床を蹴る。
彼女もまた必死なのだ。
>「ッおおおおおおおお――――――――ッ!!!!」
矢の如く迫る突撃。一分の保身も感じさせない、捨て身の一撃。
迎え撃てば、どれほど加減をしてもシロが受ける衝撃は甚大。
ならば避ければいいのか――己の最愛が、全身全霊を込めた一撃を避けて、それで終わりでいいのか。
反撃は出来ない。避ける訳にはいかない――ならば、どうすればいい。
一瞬にも満たない、思考とも言えない、本能的な判断の末――
「……っ、ぁ……」
ポチは、何もしなかった。
シロの手刀が、ポチの胸へと突き刺さる。
心臓からは辛うじて逸れている。
だが、それがなんだというのか。
シロの右手が、ポチの矮躯に、深々と埋まっているのだ。
心臓が無事であっても関係なしに、それは明らかに致命傷だった。
致命的な失敗。思考が霞み、目が眩むほどの衝撃と激痛。
199
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 05:01:57
「……あぁ、そうか」
その中で――しかしポチは、苦痛も焦りも、感じていなかった。
自分が迎えたその結末に、一欠片の後悔も、感じていなかった。
すぐに分かったからだ。
「アイツらは……戻れなくても、良かったんだ……」
これこそが、戦いの中で削り出された――今度こそ本当の、答えなのだと。
「……僕らは、違う。いつだって……生きて帰るのは、当然だった……。
みんなで、いつもの事務所に……ノエっちの、お店に……帰る為に戦って……命を、懸けてきた……」
己を突き刺したシロを見上げる。
間近の距離、互いに静止した二匹。
彼女の瞳に映る、自分の姿さえもが見て取れる。
「……僕は、君と一緒に、帰りたかった。だから、ここまで来れた……」
同じ場所に立ち、同じものを見る。
シロが望んだものとは少し違うかもしれない。
「だけど、君がここにいて……ここで泣いてる……。
なら、僕は……別に帰れなくても、いいんだ……」
だが彼女がそれを望んだ理由は、ポチにも分かった。
捨て置けば死に至るだろう深手を負いながらも、それを感じないほどの安らぎが、そこにはあった。
「ここで、終わっても……いい。どこにも、戻れなくていい……」
ポチは、己の胸を貫くシロの右手を、同じく右手で、掴んだ。
死に瀕した者の握力とは思えないほど力強く。
「戻らなきゃいけない場所は……ここなんだから」
同時、ポチの体が変化を始めた。
少年の姿から、手足は長く、筋肉は隆起し、全身は夜色の被毛に包まれ――人狼の姿へ。
「今なら分かるよ……アイツらも、そうだったんだ……」
シロの右手を、更なる出血が招かれる事にも構わず引き抜く。
そして――彼女を抱き締めた。
「……ねえ。そろそろ機嫌、直しておくれよ」
闘志の抜け落ちた腕は、しかし万力のごとき力でシロを締め上げる。
「僕は、君の為なら、死んだっていい。
だけど……出来る事ならやっぱり、君と一緒に帰りたいよ」
戦意の代わりにその力を生み出すのは――愛だ。
愛する者を力いっぱい抱き締めるのに、闘志などいらない。
そうしてシロの全身から抵抗の力が失われれば、ポチは――
「……だからこの戦いは、僕の負けだ」
そう言った。
瞬間、ポチの体が急速に萎んでいく。
己の悪性、それによって生じた力が霧消したのだ。
転ばせた獲物を必ず殺める、その習性も――相手に勝てないのなら、完遂出来なくても仕方がない。
200
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/02/23(土) 05:03:24
無論、その敗北は、ただの口先だけのものではい。
少年の姿へと戻ったポチは、シロを抱きかかえたまま、その場に座り込む。
「……一緒に帰ろう。迷い家じゃなくて、僕らの事務所に」
もうこれ以上、シロの願いを否定出来ない。
それがポチの、正真正銘の、敗北だった。
「これからはずっと、一緒にいよう」
傍にいたいと言って涙を流した彼女を、この上更に拒む事など、ポチには出来なかった。
「橘音ちゃんには、僕がお願いするよ。
断る理由なんて、ないだろうけど……もし駄目なら、その時は――」
ポチの上体が、シロに覆い被さるように、前に傾く。
そして――どさりと、床に倒れ込んだ。
そのまま変化が解けて狼犬の姿へと戻る。
それは化生にとっての、極度の消耗に伴う現象。
敗北を認めた事で送り狼の悪性は治まり、自己否定による消滅も止まった。
だがそんな事は関係ないのだ。
滅びの進行は止まっただけだ。それまでに生じたダメージが回復する訳ではない。
己の体から血肉が消え失せ、その全身に幾度となく打撃を浴び、胸を貫かれ――僅かでも生き長らえていた事が、おかしいくらいだ。
201
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/23(土) 21:20:23
>「祈ちゃんはクロちゃんを助けに行ってあげて。僕はアスタロトを抑えにいく……!」
アスタロトと茨木童子、どちらに向かうべきか迷う祈に、ノエルはそう指示を与えた。
「おっけー、アスタロトのやつは任せた!」
風火輪で影狼達を飛び越え、適当な所にノエルを降ろしながら、祈はそう返した。
尾弐が現状では優勢。とはいえ茨木童子の実力は未知数。
ならば安全策として、一人は助力に走った方がいい。
そしてアスタロトがここにいるのはおそらく、鬼達へ純粋に協力するためではないのだろう。
何か良からぬことを企んでいる可能性があり、それを考えればアスタロトも放置はできない。二手に分かれるのは上策と言えた。
さらに言うなら、アスタロトは同時に橘音という知恵者でもある。
もし誰か一人ぶつけるとするなら、それは祈のような単純な思考を持ったものではなく、
思考を読むことができない、“ノエリスト”という天敵が相応しいのだろう。
しかし二手に分かれようとしたその時、祈やノエルの前にアスタロトが立ちふさがる。
尾弐や茨木童子たちへと向かおうとした祈は、足を止めた。
「つっても、あっちはそれを邪魔するつもりみたいだな。
避けて通ってもいいんだけど、二人がかりの方がやっぱ早いかな、御幸」
祈は立ち塞がるアスタロトを見据えながらノエルに問うた。
それを聞いて、
>「え〜?ボクと戦うつもりですか?ボクが頭脳労働者だってことはご存じでしょうに、祈ちゃんとノエルさんのイジワル!」
>「いや〜ん、捕まっちゃう〜っ!そしたらあんなコトやこんなコトをされちゃうんですか?くっ、殺せ!的な!」
笑いながら、自分の身体を抱いてくねくねとして見せるアスタロト。
二対一の状況でも飄々とおどけ、挑発するかのように。余裕を持ってアスタロトは祈達に相対する。
(余裕かましてんな。あたし達相手に勝てる作戦があるってことか……?)
体力的な不利。数の上の不利。そのどちらも抱えているはずのアスタロト。
しかし、アスタロトが自らを抱いた腕をマントの内側に突っ込み、
何も持っていなかったはずのその手を引き抜くと日本刀が握られており、
どうやら戦うつもりのようである。
不利を覆すだけの策や武器があるらしい。
>「面白い。アナタたちふたりの力を熟知したボクに挑むということが、どれだけ愚かなことなのか教えてあげましょう」
>「そして、アナタたちに『くっ!殺せ!』って言わせてあげましょう!ウフフフフ……!」
不敵に笑うアスタロト。その日本刀は蒼白い光を帯び始め、
祈は本能的に、その光に危険を感じ取る。
>「狐面探偵七つ道具の壱、太刀 銘安綱 附 絲巻大刀――」
>「またの名を『童子切安綱』……鬼切丸、とも言いますね。化生殺しの大業物ですよ、ウフフ!」
「童子切安綱、って……源頼光が使ってたやつ!
気を付けろ御幸。戦うのが苦手なアスタロトが持ち出したくらいだから、多分強いぞあれ」
童子切安綱。
それはアスタロトの語る通り、天下五剣に数えられる大業物であり、
酒呑童子を倒す際に用いられた伝説級の刀である。
そして祈にとっては、父の亡骸の、その首を刎ねた刀でもあった。
首を刎ねられたことで、安倍晴陽の肉体は当時着ていた服や銀色のバングルを残して焼失したが、
それを知らない祈は、“ただ強い刀”としか認識しておらず、そんな風にノエルに注意を飛ばした。
幾多の妖怪を倒したことで有名な刀であるから、
持った人をオートで操って、勝手に妖怪と戦ってくれる機能でも付いているのかもしれない、などと思いながら。
>「さあて……稽古をつけてあげましょうか。どこからでもかかっておいでなさい?」
刀を抜き放ち、人差し指で掛かって来いとジェスチャーをするアスタロト。
戦闘に突入するかと思われたが、しかし、それを阻むものがあった。
轟音を響かせ、階下へと続く非常階段の扉をぶち壊しながら、5メートルほどの巨体が侵入してくる。
粉塵の中から現れたのは、牛頭、牛頭の二頭。腕は四本、体は人間だが、二本の脚は牛の――、一体の鬼。
四本の腕にはそれぞれ金棒や斧などの武器を携えていた。
202
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/23(土) 21:22:47
「なんだこいつ!?」
>「ブモォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
雄叫びを上げ、鼻息を荒くしながら周囲を見渡すその鬼。
>「……あれは獄門鬼……チッ、存外早かったですね。それだけ鬼神王さんも本気ってことですか……」
それ見たアスタロトが忌々し気に呟く。
尾弐が言っていた鬼神王が動いているという情報とすり合わせると、
この獄門鬼という鬼はどうやら鬼神王・温羅が、茨木童子の企みを阻止すべく送り込んできた刺客であるらしい。
ということは祈達にとっては、援軍ということになるのだろう。
しかもこのスカイツリーの周囲には、尾弐が許可した者しか通れないという強力な結界がアスタロトによって張られていたはずで、
それを破ってきたとなれば、恐ろしく強い妖怪ということになる。
これは風向きが変わったなと、祈がそう思った数瞬後。
獄門鬼の牛頭が祈を、馬頭がノエルを睨むように見たかと思うと、武器を構えた。
「……え?」
そして、祈達に向かって一直線に駆けてくる。
巨体の歩幅での突進であるから、すぐさま祈やノエルの前まで迫ってくる。
最上段に構えた斧を振り下ろしてくるので、祈は呆気に取られながらも反射的に横に躱す。
祈がさきほどまで居た場所の床を、獄門鬼の斧が粉砕した。
「な、なんであたしらなんだよ!? あたしらじゃねーだろ攻撃すんのは! あたしらは東京ブリーチャーズだよ!
お前の相手はあっちだろ!?」
祈が疑問を獄門鬼にぶつけるが、
獄門鬼は祈とノエルをターゲットとして据えたらしく、祈達を執拗に追い続けた。
>「丁度いいや、じゃあ祈ちゃん!ノエルさん!獄門鬼の相手はアナタたちにお任せしますよ!ボクは高見の見物っと!」
アスタロトがこう言って、その場から引いて尾弐の側に回っても、それを気にすることもない。
もしかしたら獄門鬼は、『その場にいる者を、目に入った者から皆殺しにせよ』とでも命令を受けているのかもしれなかった。
そうでもないと説明がつかないくらいに、あまりにも愚直に、祈達を狙ってくる。
ポチはシロと一騎打ちの最中で、尾弐は茨木童子の相手に忙しい。
場合によってはそこに向かったアスタロトの相手もしなければならないのだろう。
仲間を守ろうとするなら、祈達が獄門鬼をどうにかする必要があるのだった。
>「ンモォォォォォォォォォォォォォ!!」
「くっ……!」
振り下ろされる獄門鬼の金棒を後方に思い切り飛んで躱しながら、
祈は焦りに駈られてうめいた。
203
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/23(土) 21:25:31
獄門鬼は、圧倒的なリーチと対応力を備えている妖怪だと言えた。
5メートル超の巨体だけあって腕は長く、それに合わせて作られた得物も長い。
その総合的なリーチは容易な接近を許さない。
さらに巧みに動く四本の腕と、二つの頭があり、前後左右、全方位に死角がない。
スピードで言えば祈よりは劣るとはいえ、
獄門鬼に近付いて攻撃することは容易ではなく、
つまるところ近接戦において、確かに獄門鬼は強敵なのであった。
おそらく、金棒を持っていることから『鬼に金棒』のそうあれかしを宿しているのも、
その強さに拍車をかけているのだろう。
ただ、付け入る隙がない訳ではない。
二つの頭に四本の腕を持っているとはいえ、身体は一つ。
祈とノエルがばらけて充分に距離を取ってしまえば、同時に攻撃はできず、必ずどちらかはフリーになる。
また、遠距離攻撃の手段を持っていない様子であるから、
フリーになったどちらかが一方的に遠距離攻撃を仕掛ける、という作戦が可能だった。
どうにかそれでダメージを与えるか、金棒を奪ったり破壊したり、という展開に持ち込みたいところである。
そう考え、つかず離れずの距離で獄門鬼を引き付ける祈。
これによってフリーになったノエルが、獄門鬼に向かって、冷気による遠距離攻撃を放つ。
当然それをもう一つの頭で把握している獄門鬼は、避ける動作に入った。
「させるかっ!」
距離を取った祈もまた、風火輪に炎を宿し、獄門鬼に向かって解き放つ。
これによって獄門鬼が避ける場所を潰し、熱と冷気、どちらかによるダメージを与えようと祈は狙ったのだが。
それを見た獄門鬼の牛頭がふと、笑う。
「あ――!?」
獄門鬼は刀や刺叉などの得物を巧みに操って、祈の放った炎の軌道を変える。
そしてそのまま炎をノエルの放った冷気にぶち当てて――水蒸気や水がその場にでき上がった。
当然、獄門鬼は無傷。
図らずも同時攻撃になった炎と冷気を、まんまと互いの攻撃の相殺に利用されてしまったのである。
思えば祈とノエルは、今まで別々に攻撃を仕掛けることはあっても、
同時に攻撃するということはなかった。ほとんど今の瞬間がが初めてである。
互いに理解していたのだろう。
同時攻撃するにあたって、炎と氷ほど相性の悪いものはない、と言うことを。
そもそも炎と氷では打ち消し合ってしまうし、炎に晒されれば雪女のノエルはダメージを受け、
冷気に当てられれば半分人間の祈にもダメージがくる。
だからこそ、同時攻撃は仕掛けてこなかったのであり、
そしてその同時攻撃の経験値の少なさが、祈の咄嗟の判断ミスを引き起こしたのだった。
(くっそ、いまのほんとしくじったな……。
こんなことなら、御幸と同時に攻撃するときのパターンとか、一緒に考えたり練習しとくんだった……!)
そうすれば、せめて火力は弱めて撃つだとか、
獄門鬼の足元に炎を放つことで逃げ場を塞ぐだとか、もっと適した行動ができただろう。
少なくとも、攻撃を利用されるようなことはなかったはずだった。
204
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/23(土) 21:30:29
攻撃の機会を逸したことを祈が悔やんでいると、不意に。
妖力の感知が苦手な祈が気付くほどの、莫大な妖力がスカイツリーに集まるのを祈は感じ取った。
そしてその妖気は、すぐに稲妻の如く、塔の内部で爆ぜた。
それは尾弐の方向。
凄まじい妖気の奔流に、獄門鬼の気が逸れる。
何が起こったのか分からない中でありながら、祈はそれを見逃さなかった。
再び風火輪の炎を獄門鬼へと放つ。
しかし咄嗟に反応し、金棒や斧で防ぐ獄門鬼。
防いだ金棒の一部が炎に熱されて、僅かに赤みを帯びた。
「御幸! 今度は順番に炎と氷を撃ちこもう! 次、御幸お願い!」
そうしてノエルと祈が交互に炎と冷気を繰り出すと、
獄門鬼は避けるまでもないと思ったのか、自らの獲物で防ぎ、あるいは両断し、あるいは薙ぎ払いながら、
祈やノエルに向かって、一歩また一歩と踏み出してくる。
祈やノエルがその射程圏内に入り、獄門鬼が武器を振りかぶったその時だった。
ビキビキ、バキィッ。
獄門鬼の持つ金棒を始めとする武器に、異常が生じ始めた。
ヒビが生じ、あるいは割れ、砕け。使い物にならなくなってしまったのである。
――さまざまな物質には、熱膨張率に差があるものの、
温度によってある程度伸び縮みし、体積を変える性質がある。
それが急激であったり、熱の加わる箇所に偏りがあると、伸縮に差ができ、ひずみが生じる。
その結果、ひびが入ったり、割れたりするのである。
祈は風火輪の炎と、ノエルの冷気を交互にぶつけることによってそれを引き起こした。
これによって獄門鬼は、武器のリーチと『鬼に金棒』のそうあれかしの加護を失うことになり、
大幅な弱体化を強いられる。
そこへ追い打ちをかけるように、ノエルのホワイトアウトが炸裂し、獄門鬼の視界を奪った。
先程までなら武器を振り回しただけで薙ぎ払えたであろうが、今は闇雲に腕を振り回しても、
ホワイトアウトの冷気は獄門鬼の二つの頭を覆ったまま、晴らすことはできない。
さらにノエルが床を凍てつかせ、獄門鬼付近の足場を不安定に変えた。
ノエルの意図を察した祈は、風火輪で宙を駆け、獄門鬼の足を思い切り蹴り飛ばす。
すっころんだ獄門鬼は、その二つの頭の後頭部をデコボコの氷に強かに打ち付け――、
どちらも仲良く気を失って動かなくなった。
どうにか獄門鬼を倒したようである。
「ふー……、なんとかなって良かったけど、さっきは攻撃の邪魔しちゃってごめん御幸。
あんな風に一緒に攻撃しちゃうと、利用されるからやっぱだめだな。
やろうと思ったら、二人で練習して、上手い攻撃の仕方を探さないとだめなのかも……」
そんなことを祈は、ノエルのもとにたたっと走って来ながら、のたまう。
今後、二人だけで戦う機会がもしあるなら。同時攻撃をするかどうかはともかくとして、
互いの攻撃方法を熟知し、レパートリーを増やしたり、確実性を上げるために、
一緒に練習するというのはありなのかもしれなかった。
205
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/02/23(土) 21:36:08
「それはともかく、早く尾弐のおっさんの方、に……――」
尾弐の方向では、未だに莫大な妖気が荒れ狂っている。
何か良くないことが起きていることを予感した祈は、
今度こそ尾弐の救援に向かおうと、顔と体を尾弐の方向に向けた。
そして目撃する。
尾弐の変わり果てた姿を。
>「なあ……そこのお前ら、すまねぇが手ぇ貸しちゃくれねぇか。茨木童子を殺して、俺は俺の願いを叶えねぇといけねぇんだ」
か細く、かすれた声。
目の片方は潰れ、もう片方の目も熟れたトマトさながらに真っ赤に充血している。
開いた口からはごぼりと血の塊が落ち、それには石の破片のようなものが混じっている。
歯だった。余程強く噛みしめたのか、口から覗く歯はボロボロになっていた。
握りしめた手は、爪が剥がれるかひしゃげていて、胸には天邪鬼の仕込み刀が突き立っている。
肉体のいたるところから出血しており、法衣は真っ赤に染まっていた。
生きて声を発しているのが不思議なくらいの、半死半生。
その足元には魔法陣が展開しており、妖気を尾弐に注ぎ続けている。
「尾弐のおっさん!! 大丈夫か!?」
最初はこの魔法陣で尾弐を攻撃をしているのだと祈は思った。
なにせ、スカイツリーから妖気を発信したら大変なことになるとアスタロトが言っていたから、
東京中の人々が死に絶えるほどの攻撃手段か何かだと、そう思っていたのだ。
だが、祈は尾弐に駆け寄って気付く。
尾弐の内側で激しく脈動するものの存在に。
姦姦蛇螺の心臓さながらに、離れていても聞こえる鼓動の音。
それは妖気を吸うごとに激しさを増し、尾弐を食い破らんとしているかのようだった。
茨木童子たちの目的は酒呑童子の復活。
だとすればこれは攻撃ではなく、心臓に妖力を与えて酒呑童子の復活を促しているということなのだろう。
だが、尾弐の苦しみようを見るに、おそらくこれはまずい。
今の状況でこれなら、酒呑童子が復活したら、尾弐は死んでしまう。
早急に対策を施さねばならないと、祈は思った。
しかし、祈は今し方ここにきて、それとなく事情を察したばかりであり、
“どうすればいいかわからない”。
まずこの魔法陣の止め方がわからない。
直接魔法陣を攻撃すればいいのか、術者と思しきアスタロトを蹴り飛ばせばいいのか。
それとも、スカイツリーを利用して妖気を集めているのなら、上階にある装置か何かを破壊するべきなのか。
僅かの間、戸惑った祈だが、とにかく尾弐を魔法陣から遠ざけるべきだと思い、
妖力の奔流の中にいる尾弐へと手を伸ばした。
そして、妖力の奔流で自身の手を傷付かせながらも、祈はこう言った。
「尾弐のおっさん、“茨木童子は殺させられない”けど、とにかくあたし達でなんとか助けるから!
それまでどうにか“待ってて”――」
と。
尾弐は、心臓に莫大な妖力に注がれる地獄の責め苦に一人耐え、
外道丸の救いの言葉にすらついに縋ることはなかった。
そんな尾弐が、意識も朦朧とした死の間際に、どうにか頼れたのが、仲間である祈やノエルであった。
だが祈はそれを拒絶してしまった。
いつも通りの祈の言葉で、あるいは悪気もなかったであろうこの言葉。
しかし、最後の最後に頼った仲間が、
“尾弐の願いを叶えることを拒否”し、千年以上待っていた機会をまだ“待て”と言った。
その言葉はどれほど鋭利で、どれ程深く尾弐の心に突き刺さっただろう。
それは尾弐にしかわからないが、あるいはそれもまた、尾弐が意識を手放す一助になったかもしれない。
それとも、祈が何をすればいいか迷っていた間に、とうに時間切れになっていたのだろうか。
尾弐の中にある酒呑童子の心臓の鼓動は、ついに尾弐を飲み込むほどに大きく――。
206
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/25(月) 00:39:23
>「おっけー、アスタロトのやつは任せた!」
>「つっても、あっちはそれを邪魔するつもりみたいだな。
避けて通ってもいいんだけど、二人がかりの方がやっぱ早いかな、御幸」
「そうみたいだね……!」
二手に別れようとする祈と乃恵瑠の前に、アスタロトが立ちはだかる。
>「え〜?ボクと戦うつもりですか?ボクが頭脳労働者だってことはご存じでしょうに、祈ちゃんとノエルさんのイジワル!」
>「いや〜ん、捕まっちゃう〜っ!そしたらあんなコトやこんなコトをされちゃうんですか?くっ、殺せ!的な!」
もともと橘音は戦闘系妖怪ではない上に、ここにいるアスタロトはその三分の二。
加えて二対一という数の不利にも拘わらず、この態度。
何か策があるのかと思っていると、アスタロトはマントの内側から日本刀を取り出した。
「それは!」
祈の父の首を刎ねた刀を見て、その時の違和感を思い出す。
刀の振るい方が、明らかに素人の動きではなかったのだ。
しかしもともと橘音は非戦闘員を自称していた上、白橘音が天魔としての力を解放して戦っていた時も妖術で戦っていたので
アスタロトにも本来日本刀を振り回すような白兵戦技能は無いと考えられる。
>「面白い。アナタたちふたりの力を熟知したボクに挑むということが、どれだけ愚かなことなのか教えてあげましょう」
>「そして、アナタたちに『くっ!殺せ!』って言わせてあげましょう!ウフフフフ……!」
刀は青白い光を帯びはじめ、アスタロトは余裕たっぷりに解説を加える。
>「狐面探偵七つ道具の壱、太刀 銘安綱 附 絲巻大刀――」
>「またの名を『童子切安綱』……鬼切丸、とも言いますね。化生殺しの大業物ですよ、ウフフ!」
>「童子切安綱、って……源頼光が使ってたやつ!
気を付けろ御幸。戦うのが苦手なアスタロトが持ち出したくらいだから、多分強いぞあれ」
>「さあて……稽古をつけてあげましょうか。どこからでもかかっておいでなさい?」
アスタロトが挑発してくるが、おそらくそれは接近戦に持ち込むための罠。
少し掠っただけでも致命傷になりかねない上、刀自体が持つ者を操り自動で戦うのだとしたら、接近戦を挑むのは自殺行為。
「近づいたら終わりだ……! 距離を取って遠距離攻撃で攻めよう!」
そう祈に注意を促し、まさにアスタロトとの戦闘に突入しようとしたその時だった。
背後の扉をぶち壊し、巨大な妖怪が乱入してきた。
>「なんだこいつ!?」
>「ブモォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
>「……あれは獄門鬼……チッ、存外早かったですね。それだけ鬼神王さんも本気ってことですか……」
アスタロトが忌々し気に呟くのを聞き、内心ガッツポーズをしながら獄門鬼に茨木童子の方に行くように促す。
207
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/25(月) 00:40:49
「茨木童子を止めに来たんだよね!? あっちで戦ってるからってぇえええええええええ!?」
距離的に一番近いところにいたからなのか、獄門鬼は何故か祈と乃恵瑠に向かって突進してきた。
こちらの困惑もお構い無しに、獄門鬼は祈に向かって金棒を振り下ろす。
>「な、なんであたしらなんだよ!? あたしらじゃねーだろ攻撃すんのは! あたしらは東京ブリーチャーズだよ!
お前の相手はあっちだろ!?」
「駄目だこりゃ。知能無い系みたいだ!」
>「丁度いいや、じゃあ祈ちゃん!ノエルさん!獄門鬼の相手はアナタたちにお任せしますよ!ボクは高見の見物っと!」
「あっコラ、逃げんな! 君も茨木童子がやられたら困るでしょ!?」
と言ってみるもののアスタロトが聞く耳持つはずもなく。
目に入った者が見境なく攻撃対象になるのだとしたら、単純に人数比率で考えて
敵方よりもこちらの仲間が攻撃対象になってしまう可能性の方が高い。
どうやら観念して戦うしかないようだ。
「祈ちゃん、アイツを引き付けて! 攻撃は僕が!」
獄門鬼は攻撃範囲は広いものの、動き自体は鈍重。スピードに特化した祈ならそれが出来ると見た。
そうして出来た隙に、顔を目掛けて氷柱を撃ち込む。
>「させるかっ!」
獄門鬼が避けようとするのを阻むように、祈が炎を放つ。
しかし獄門鬼は炎の軌道を操作し、氷とぶつけることで相殺した。
「会話も成立しないくせにそういう知能はあるのか……!」
莫大な妖力がスカイツリーに集まり、尾弐が戦っているあたりで爆ぜるのを感じた。
良からぬ事が起こっているのを察し、一刻も早く倒さねばと思う乃恵瑠だったが、
祈は獄門鬼の気が逸れた隙に攻撃をしかける。
金棒によって直撃は防がれたが、金棒の一部が赤みを帯びていた。
それを見た祈は何かを思い付いたのだろう。
>「御幸! 今度は順番に炎と氷を撃ちこもう! 次、御幸お願い!」
同時攻撃は相殺される事があっても交互ならその心配は無い程度に解釈し、言われるままに祈と交互に攻撃を繰り出す。
相手は避けることすらせず、武器によって難なく防ぎながら近づいてくるが、それこそが祈の狙いだった。
防御に使われる武器は凍ってみたり熱されて赤みを帯びてみたりを繰り返す。
「ああ、そういうことか……!」
乃恵瑠は、みゆきとして学校に潜入している時に受けた理科の授業をほんのり思い出した。
それにより、この作戦の効果がより増したのかは定かではないが。
二人が攻撃の射程圏内に入った頃、急激な加熱と冷却を繰り返した武器はついに砕け散る。
これにより武器のリーチと金棒の加護を失った獄門鬼は、ただのでかい妖怪と化した。
208
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/25(月) 00:43:13
「チャンスだ! 一気に畳みかけるぞ! ――ホワイトアウト!」
まずは雪の呪いで相手の視界を奪う。
「からのアイスバーン!」
更に相手の足元のあたりの地面を凍り付かせる。
そこに祈が風火輪で宙を駆け、獄門鬼の足元に渾身の蹴りを叩きこんだ。
獄門鬼は絵に描いたように見事にすっころんで気絶した。
>「ふー……、なんとかなって良かったけど、さっきは攻撃の邪魔しちゃってごめん御幸。
あんな風に一緒に攻撃しちゃうと、利用されるからやっぱだめだな。
やろうと思ったら、二人で練習して、上手い攻撃の仕方を探さないとだめなのかも……」
「いや、さっきの作戦良かったよ! やっぱり勉強はしといた方がいいね!」
>「それはともかく、早く尾弐のおっさんの方、に……――」
「そうだった! アスタロトが何やってるか分かったもんじゃない……!」
尾弐のもとに駆け付けた二人は、異様且つ凄惨な光景を目撃することとなる。
アスタロトが魔法陣を展開して尾弐に膨大な妖力を注ぎ込んでいる。
その上、正体不明ながらも一時は味方かと思われた天邪鬼が仕込刀で尾弐の胸を貫いており、
しかし尾弐は朦朧とした意識の中で、まるで守るべき大切な存在に向かって語りかけるように天邪鬼に語っているのだった。
>「ごめん、な。心配ねぇよ……俺は、大丈夫だから」
>「ぐ、ぎ……こ、今度は、ちゃんと助けるからな……大丈夫だ、俺は、まだやれる……まだ頑張れるから……」
>「俺が、お前さんを……ゲホッ!……お前さんを、『酒呑童子なんかにさせねぇ』からよ……」
>「ああ、大丈夫だ……そうだ。俺は、狐の妖怪と契約したんだ……『世界から俺とお前さんの記憶と記憶を消してくれ』って……」
>「だから、そうすれば、お前さんは人として死ねる……どっかで別の誰かが酒呑童子になって……俺も、消えてなくなれる」
>「人間共の願った通りに、お前さんを酒呑童子なんかに……させるもんか」
>「鬼共の願った通りに……永劫に悪鬼の親玉なんてやらせるもんかよ」
>「ゲホッ……大丈夫だ。お前さんは俺が助けてやるから」
>「俺に任せろ……俺の1000年は無駄じゃなかったって、証明してやるからよ……」
>「ヒ、ヒっ、そうだ……穴倉で、人間にお前さんの心臓を喰わされて、それでも、生きて来たんだ」
>「あと少しなんだ……何でもして、妖怪を殺して、敵になるモノは何だって滅ぼして……う、ゲッ……どんな事だってしてきたんだ」
>「敵は全部ぶち殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺し、てぇ!!!俺が、お前を助けてやるからな……ぁ!!!!」
息も絶え絶えの断片的な言葉から、今初めて、今まで一切明かされなかった尾弐の願いの一端を知ることとなった。
聞き取れた範囲でのその願いは、今は天邪鬼と名乗っている何者かを酒呑童子にさせないこと、そして世界から尾弐自身と彼の記憶を消し去ること。
それが尾弐にとっては、彼を助けることを意味しているらしかった。
世界から記憶を消す――それは死ではなく滅びを意味する。
209
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/02/25(月) 00:44:54
>「なあ……そこのお前ら、すまねぇが手ぇ貸しちゃくれねぇか。茨木童子を殺して、俺は俺の願いを叶えねぇといけねぇんだ」
暫し呆然としていた乃恵瑠だったが、変わり果てた姿の尾弐に助けを求められ我に返る。
狐の妖怪――御前との契約とは、茨木童子を殺したら世界から尾弐と暫定天邪鬼の記憶を消してやる、というものなのだろうと乃恵瑠は解釈した。
>「尾弐のおっさん!! 大丈夫か!?」
乃恵瑠は死は当然のものとして受け入れられても、滅びは断固として受け入れられない。
世界の記憶から消えることは滅びを意味し、そうまでして尾弐が守りたかった誰かが酒呑童子になることを阻止しても、
どこかで別の誰かが酒呑童子になるだけ――なんという哀しい願いなのだろう。
そんな誰も救われない、何の根本的な解決にもならない願いのために、尾弐は御前と契約を結び千年の時を捧げてきたというのか。
そんなものを対価に、御前は千年もの間尾弐をのうのうとこきつかってきたというのか。
祈がすぐさま尾弐に駆け寄り声をかける一方、乃恵瑠は無言で涙を流していた。
拭うこともせずに流れ落ちるままにされたそれは、手に持つ氷の結晶に滴る。
>「尾弐のおっさん、“茨木童子は殺させられない”けど、とにかくあたし達でなんとか助けるから!
それまでどうにか“待ってて”――」
祈がどうしていいかすぐには判断できずにそう言う一方、乃恵瑠は袖で涙を乱暴に拭うと、ニタリと笑って見せた。
「いや、今すぐ助けてあげよう! だって初めてじゃない? クロちゃんが助けを求めてくれたのって!」
乃恵瑠はいつの間にかノエルの姿になっていて、その手には厨二全開デザインのキラキラな氷の剣が握られている。
ノエルの姿になったのは、無意識のうちに尾弐に一番馴染みのある姿を取ったということかもしれない。
「言っとくけど今のはわざと泣いただけだから!
永遠《エタニティ》――泣かなきゃ理性の氷パズルがこの形になってくれないんだよね!
アスタロト――お前の思い通りにはさせない!」
苦しまぎれの言い訳をしながら、永遠という名の剣を構え、アスタロトに対峙するノエル。
尾弐の望み通りアスタロトを攻撃し魔法陣を妨害しにかかるつもりだ――誰もがそう思っただろう。
しかし次の瞬間ノエルが斬りかかったのは――尾弐だった。完全なる不意打ち。
剣を一閃し、分厚い胸板を切り裂いた。
そうして出来た隙間に、もう片方の手を容赦なく突っ込み、今にも膨大な妖力を解放せんとしている心臓を掴む。
「その心臓、預かったぁあああああああ!!」
アスタロトの魔法陣から解放されれば、尾弐は瀕死ながらも執念だけですでに戦意を喪失している茨木童子を殺してしまうだろう。
そうなれば、尾弐は永遠に消滅してしまう。それは端から選べない選択肢だった。
尾弐として茨木童子を殺させず、酒呑童子として東京を蹂躙もさせない手立ては無いものかと考えたところ、とっさに思い出したのだ。
姦姦蛇螺と戦うにあたって尾弐が自ら酒呑童子の力を解放した時、心臓を取り出し橘音に預けていたことを。
そして、あの時の酒呑童子は紛れもなく酒呑童子そのものでありながらも、
少なくとも表面上は尾弐の理性を保っていたようにも見えた。
よって心臓を奪えば、尾弐と酒呑童子のどちらでもある状態を作り出すことが出来る――
つまりかつての仲間である茨木童子を殺すこともなく、尾弐の理性が歯止めとなって東京を蹂躙せずにも済むかもしれない、そう考えたのだ。
210
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:00:33
ずどっ!!!
>……っ、ぁ……
シロの全身全霊の手刀が、ポチの胸に深々と食い込む。
その突きは槍の如く、死神の一撃の如くポチを穿つ。
貫かれた場所から血がしぶき、シロの銀色の髪や白いチャイナドレスを真紅に染め上げてゆく。
「……どう……して……」
シロは大きく目を見開いた。
モーションの大きな、テレフォン・パンチだ。ポチの身体能力なら楽々と躱せる攻撃だったはずだ。
だのに、ポチはシロの攻撃を喰らった。――回避できなかったのではなく、しなかった。
敢えて、ポチはシロの攻撃を受けたのだ。
この世でただ一頭、愛した異性の想いに応えるために。
>……あぁ、そうか
>アイツらは……戻れなくても、良かったんだ……
ポチが呟く。そして、その言葉は真理だった。
酒呑四天王たちは最初から生き残り、いずこかへ帰ることなど望んではいなかった。
豪奢な宮殿も。新たな王の居城たる酔余酒重塔も。何も望んではいなかったのだ。なぜならば――
>戻らなきゃいけない場所は……ここなんだから
>今なら分かるよ……アイツらも、そうだったんだ……
そう。
敬愛する酒呑童子の傍、それこそが。彼らの本当に戻りたかった場所なのだから。
人狼形態に変化したポチが、強くシロを抱きしめる。
シロは身じろぎさえせず、呆然としたままでその抱擁を受け入れた。
互いの身体が密着することで、シロの真白い肌や衣服がますますポチの血にまみれてゆく。
自ら穿った、最愛の者の血に。
>……ねえ。そろそろ機嫌、直しておくれよ
「……あな……た……」
ポチの声は、あくまで優しい。
放っておかれて寂しかった、そんな理由で。アスタロトに言われるまま鬼の手勢に加わり、東京を騒擾しようとした。
実際はただ鬼の側に籍を置いていただけとはいえ、それすらも罪だと。そう言うこともできただろう。
裏切り者と――そう叱責することだってできた。ポチにはその権利があったのだ。
だが、ポチはそうしなかった。それどころか――
>……だからこの戦いは、僕の負けだ
ポチは、自分の負けだと言った。
かつての狼王ロボによく似た人狼形態から、ポチが再び人の姿に戻る。
幼いとも言える少年の姿のポチが20歳近い容貌のシロを抱きしめる姿はどこかちぐはぐであったが、それでも。
その光景は、見る者に次代の王者の気高さを感じさせるに充分であっただろう。
211
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:03:43
>……一緒に帰ろう。迷い家じゃなくて、僕らの事務所に
「……ッ……、はい……、はい……あなた……」
ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、シロは自らもポチの身体を抱きしめ返して何度も頷いた。
一緒にいたい。死が二人を別つまで。最期のその瞬間まで――そんなシロの願いは叶えられたのだ。
>これからはずっと、一緒にいよう
「はい……、ずっと、あなたの……お傍に……」
元々そうするつもりだった。誰が何と言おうと、ポチに反対をされようと。
……とは思っていたけれど、やはり。実際にポチと会って拒絶されてしまっていたら、自分はきっと引き下がっていただろう。
そして、失意のうちに迷い家へと戻り、今まで通りの鬱屈した生活を続けていたはずだ。
アスタロトの誘いに乗り、酒呑四天王のひとり皓月童子として身を置くことが正しかった――とは言わない。
それは明らかにポチや東京ブリーチャーズに弓引く行為だった。造反だった。
けれど。
そうしなければ、敵として全力で相対しなければ、分かり合えないことがあった。
戦うことでしか理解できないことがあった。伝えられない想いがあった。
そういう点では――
『ぶつからなければ、分からないことがある。仲良しこよしだけじゃ、永遠に分からないことが……ね』
アスタロトがシロに告げた言葉は、正鵠を射ていた――ということになるだろう。
>橘音ちゃんには、僕がお願いするよ。
>断る理由なんて、ないだろうけど……もし駄目なら、その時は――
言葉が途切れる。それから先の言葉を、ポチは紡がなかった。
いや、紡げなかった。ポチは力尽きたように身体を傾がせると、ずるりとシロの身体から滑り落ちるように床に倒れた。
真紅の血だまりが、ポチの身体の下からじわじわと広がってゆく。
シロはぺたんと尻餅をついたまま、その光景を見詰めた。
人の姿を保てなくなり、ポチが狼の姿へと戻る。
「ぁ……、あなた……?あなた、あなた……しっかりしてください、あなた……!」
シロがポチを抱きしめ、彼を幾度も呼ぶ。しかし、ポチの意識は戻らない。
東京ブリーチャーズの一員としてポチと共に戦うことを夢見、修練に修練を重ねたシロ渾身の一撃。
遠野に棲む大天狗をして『降伏群魔之撃拳也』と言わしめる、その攻撃を受けたのだ。只で済むはずがない。
ケ枯れを起こしたことで、ポチにとって最大の長所にして弱点ともなりうる不在の力も失効し、消滅は食い止められた。
しかし、その身に穿たれた傷が回復することはない。即死は免れたものの、致命の一撃だったのは疑いようがない。
決着の一撃だけではない。長時間の戦いで蓄積したダメージもまた、ポチの身を蝕んでゆく。
「こんなこと……こんな、ことが……!せっかく、お許しを頂いたのに……ずっと一緒にいられるようになったのに……!」
「あぁ……あぁあぁぁぁあぁぁぁ……!あなた、目を開けてください……あなた……!」
シロは懸命にポチの身体を揺さぶったが、ポチは目を覚まさない。
ポチの身体がどんどん冷たくなってゆく。その生命が揮発してゆく。
「あああああああ……、あぁ……ああああああああああ―――――――――――――ッ!!!!」
シロは頤を反らして慟哭した。
212
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:06:06
>ああ、大丈夫だ……そうだ。俺は、狐の妖怪と契約したんだ……『世界から俺とお前さんの記憶と記憶を消してくれ』って……
>だから、そうすれば、お前さんは人として死ねる……どっかで別の誰かが酒呑童子になって……俺も、消えてなくなれる
その身体に注ぎ込まれる妖気と、常人ならば一瞬で絶命しているに違いない激痛の中、錯乱した尾弐が告げた願い。
白面金毛九尾の狐と契約し、かの大妖の手駒となってまで叶えたかったこと――
長い年月を相棒として過ごしてきたはずの自分にさえ秘されていた望みを聞き、アスタロトは口許を引き攣らせた。
「……ハ……。アハッ、アハハ……。アハハハハハハハハハハ……!」
そして黒い半狐面の額に右手を当て、大きく背を反らして嗤い始める。
「なるほど……やっと分かった……!どうして、御前がボクとクロオさんを引き合わせたのか!僕たちにコンビを組ませたのか!」
「“そういうこと”でしたか!アハハハハ、御前も本当に人が悪い!」
「惹かれるわけだ……いや、ようやく腑に落ちましたよ!アハハハハハハハハッ!」
ケラケラと嗤うアスタロト。天魔はひとしきり甲高い笑い声を響かせると、大きく息を吐いた。
しかし、その表情は今までとは一変しており、口許はきつく引き結ばれている。
「……でもね。クロオさんの真の目的がわかった以上、それを叶えされるわけにはいきません」
「クロオさんを消滅なんて、させるものですか……!」
そう言って、アスタロトは一旦童子切安綱をマントの内側に仕舞うと、両手で印を切った。
同時に魔法陣の中で黒雷が荒れ狂い、尾弐の中へと東京中の妖気がさらに流れ込んでゆく。
>なあ……そこのお前ら、すまねぇが手ぇ貸しちゃくれねぇか。茨木童子を殺して、俺は俺の願いを叶えねぇといけねぇんだ
尾弐が祈とノエルに対して助けを求める。
しかし――
>尾弐のおっさん、“茨木童子は殺させられない”けど、とにかくあたし達でなんとか助けるから!
>それまでどうにか“待ってて”――
祈は、その手を拒絶した。
それは、尾弐の願いの成就を否定したということに他ならず。
尾弐の壊れかけた心に、更なる駄目押しの一撃を叩き込む行為に他ならず――。
>いや、今すぐ助けてあげよう! だって初めてじゃない? クロちゃんが助けを求めてくれたのって!
また、ノエルは祈とは正反対の方向性を示唆した。むしろ、今すぐに尾弐を助けるべきであると。
その手にはいつの間にか、氷で造られた一振りの剣が握られていた。
>アスタロト――お前の思い通りにはさせない!
「ち、ノエルさん……何を……!?」
>その心臓、預かったぁあああああああ!!
ノエルは何を思ったか、仲間であるはずの尾弐の胸を剣で切り裂いたかと思うと、その脈打つ心臓を引きずり出したのだ。
それはまさに、尾弐にとっては命を奪われるも同義の激痛であったに違いない。
「何だと……!?」
天邪鬼もノエルの突拍子ないとしか言えない行動に頭巾の奥から目を瞠る。仕込刀を引くと、素早く後退した。
「あ!こら!それはオモチャじゃありませんよ!返しなさーい!」
アスタロトが声を荒らげるが、魔法陣の中に妖気を注ぎ込む手前、身動きが取れない。
この場にいる者たちの一連の行動の間にも、どんどん尾弐の中に妖気が流れ込んでゆく。
尾弐の中の“酒呑童子”は、もう臨界点に差し掛かっていた。
213
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:09:45
「ア、アナタたち、正気ですか!? 酒呑童子が復活すれば、この帝都は間違いなく滅――」
「ああいや!じゃなくてぇー……よもや、アナタたちがボクの計画に手を貸して下さるとは思いませんでしたよ!」
「であれば、遠慮なく!クロオさんを酒呑童子にしちゃいましょう!」
アスタロトが両手を目まぐるしく動かし、複雑な空中に紋様を描いてゆく。
その紋様に呼応するように、尾弐の足許の魔法陣が輝く。流れ込む膨大な妖気が勢いを増す。
復活寸前の酒呑童子の姿に、茨木童子が満面に喜色を湛える。
「酒呑の気配がどんどん大きくなってやがる……!カハハ、いいぞ……!いよいよだ!いよいよ酒呑が蘇る!オレの相棒が!」
「ハァー?誰が誰の相棒ですって?っていうか茨木さん、アナタまだいたんですか?」
「何ィ……?」
アスタロトの言葉に、茨木童子が気色ばむ。
「ボクのお膳立てがなければ何もできなかった、中途半端な鬼風情が。ボクのクロオさんの相棒だなんて烏滸がましいんですよ」
「話が違う……!テメェは元々、オレと酒呑とを再会させるために――」
「そんなの、ウソに決まってるでしょ?ボクは天魔ですよ?何が悲しくてそんな慈善活動をしなくちゃいけないんです?」
「アナタを勧誘したのも、四天王を蘇らせたのも、すべてはクロオさんに帝都を破壊して頂くため」
「あの姦姦蛇螺をも打倒する力を持つ、酒呑童子となってね……!アッハハハハハッ!」
アスタロトは姦姦蛇螺が東京ブリーチャーズによって斃された時点で、酒呑童子の力を行使する尾弐に注目していた。
あの祟り神、姦姦蛇螺すらも打ち倒すほどの、強大すぎる力。尾弐自身にも制御のできない、反転の能力。
それさえあれば、姦姦蛇螺よりも遥かに簡単にこの世界を混沌に堕とせると思ったのだ。
茨木童子に『愛しい酒呑童子に会わせる』と持ちかけたのは、あくまで酒呑童子覚醒のトリガーとして使うため。
そして、もうその計略は成就しつつある。アスタロトにとってもう茨木童子は用済み、ということだ。
「もう、アナタの出番はありません。さっさとここから消えたらどうです?千年前、源頼光たちが襲来したときのように」
「そう――我が身可愛さに酒呑童子や四天王を見捨て、ひとり逃げ出したときのようにね!」
「――テ、メ、ェ――!!!」
千年来の心の傷を容赦なく抉られ、茨木童子の顔色が変わる。
他の誰と組もうと、自分だけが酒呑童子の真の相棒。千年の間恋焦がれてきた相手の、本当の心を知る者。
その矜持だけで自己を保ってきた茨木童子が満々と怒気を湛え、アスタロトへと飛びかかる。
『摂陽国崩』の妖力の籠った五爪が振り上げられる――が。
「……見苦しいんですよ。アナタ」
ざんっ!!
瞬時にマントの内側から童子切安綱を取り出し、アスタロトが抜き打ちに茨木童子の身体を袈裟斬りにする。
左鎖骨から右脇腹までを深々と斬られ、茨木童子はもんどりうって倒れた。
「ぁ……ぎ……!酒……呑……」
横ざまに床に転がる茨木童子の身体から、しゅうしゅうと音を立てて妖気が漏れ出してゆく。
二メートル以上ある巨躯が、筋骨隆々だった肉体が、急速にしなびて縮んでゆく。そして――
そこには外見年齢二十代中盤程度の女が横たわっていた。
「童子切安綱は別名鬼切。アナタたち鬼を瞬時にケ枯れさせる力を持っている。……それがアナタの本当の姿ってワケですか」
とん、とん、と刀の峰で自分の肩を叩きながら、アスタロトが女の姿になった茨木童子を見下ろす。
長い黒髪を乱し、整った美しい顔を苦痛に歪めながら、茨木がカリリ……と床に爪を立てる。
伝承によると、茨木童子は筋骨隆々の大男であったとも、見目麗しい美女であったとも言われている。
きっと、茨木童子は女の自分が侮られないようにと得意の変化術で自らを大男のように見せ、配下を纏め上げていたのだろう。
214
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:12:06
床に這い蹲りながら、茨木童子は魔法陣の中の尾弐へ向けて血にまみれた右手を伸ばした。
「……し……、酒呑……。酒呑……ゴメンよう、ゴメンなあ……」
「オレは……ただ、おまえに会いたかった……おまえに、あのことを謝りたかった……だけ、なんだ……」
“あのこと”。
それは千年前、茨木童子が命惜しさに最愛の酒呑童子や仲間たちを見捨て、遁走したことに他ならない。
千年の長きにわたり、茨木童子はずっとそのことを気に病んできた。後悔してきた。
謝りたかった。その上で『詫びるつもりがあるなら死ね』とでも言われようものなら、喜んで死にたかった。
アスタロトが現れ、酒呑童子復活の兆候を告げられたとき、これこそ二度とない機会だ――と茨木童子は飛びついた。
今度こそ、酒呑童子を守ろう。酒呑童子のために自分の全てを使おうと、そう決めたのだ。
しかし。
「往生際が悪い……!さっさと死になさい、アナタはもう用済みだ!」
アスタロトが茨木童子の伸ばした右手の甲に容赦なく白刃を突き立てる。
茨木童子は短い悲鳴を上げると、アスタロトを見上げた。
そして、震える唇を僅かに開く。
「…………た…………」
「た?」
「……たすけて……ください……。おねがい、します……」
「あぁ?なんですって?」
死の縁にあって追い詰められたのか、茨木童子は酒呑党副頭の矜持も何もかもかなぐり捨ててアスタロトに命乞いした。
ぽろぽろと、茨木童子の双眸から涙が零れる。
「しゅてんに……あわせて……ください……。ひとめで……いいから……」
「ひとこと、でも……あやまれ、たなら……しんでも、いいから……すぐに、しにます……から……」
「……アハ……、アハハハハッ!アッハハハハハハハハハハッ!」
「なんてザマだ!それでも天下の茨木童子ですか?最っ高にブザマですね!アハハハハハハッ!」
アスタロトは背を大きく仰け反らせて爆笑した。
「おねがい……ですから……」
「ハハッ!いやぁ〜、いくらボクが血も涙もない天魔でも、そこまでお願いされちゃ断りづらいですね!いいでしょう!」
勝者の優越に浸った笑みを浮かべ、アスタロトは鷹揚に頷いた。
瀕死の茨木童子の顔に、ほんの僅かに安堵の表情が浮かぶ。――しかし。
「なぁ〜んてね!そんなこと、このボクが許すはずないでしょう?ダメダメ、ダ〜メ〜で〜す!」
べぇーっと舌を出すと、アスタロトは茨木童子の願いを足蹴にした。
「アナタは何も願いを叶えられずに死ぬんですよ!アナタの千年はまったくの無駄だった!アナタの存在自体もね!」
「そ、ん、な……」
「アナタなんかが!ボクのクロオさんの相棒を名乗ろうだなんて億年早い!クロオさんはボクのものだ、ボクだけのパートナーだ!」
「さあ……、黙っていても死ぬでしょうが、せっかくなんでトドメを刺してあげますよ。その首を刎ね飛ばしてね!」
アスタロトが大きく童子切安綱を振りかぶる。
そして、その凶刃が今にも茨木童子の首を断とうとした、その瞬間――
どんっ!!
天邪鬼がアスタロトを左手で強引に突き飛ばした。
215
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:16:19
「きゃっ!」
突然現れた天邪鬼に突きとばされたアスタロトは、小さな悲鳴を上げて踏鞴を踏んだ。
そんなアスタロトには一瞥もくれず、天邪鬼が茨木童子へと歩を進める。
自らが血に汚れることも厭わず、天邪鬼は片膝をついて茨木童子の身体を抱き寄せる。
そして、徐に自分の顔を覆っていた頭巾に手をかけ、一息に剥ぎ取った。
ぱさり――と音を立て、頭巾によって隠されていた長い髪が零れ落ちる。
それは姦姦蛇螺との戦いの際、酒呑童子の力を解放した尾弐が変じた姿――その面貌に瓜ふたつだった。
ただし肌は褐色ではなく、髪も長くはあるものの床に達するほどではない。
頬の魔紋も存在せず、何より額に生えていた五本の角も存在しなかった。
けれども、その恐ろしいまでに整った顔の造作。切れ長の、夜の海のような眼差しは見間違えようもあるまい。
「ぁ―――――」
天邪鬼に抱き寄せられた茨木童子が、双眸を見開いて驚きの呻きを上げる。
「……しゅ……、酒呑……?」
「戯け者め。貴様のすることは、昔から空回りばかりだ」
フン、と小さく鼻を鳴らすと、天邪鬼は小さく笑った。
「私に謝りたい?ならば、そんな余計なことを考えた我が身の不明を謝すがいい」
「千年もの長い間、つまらぬ些事に囚われおって。――したが――それが貴様だったな、茨木」
「……オ……、オレ、は……オレ、はぁ……!」
「ッ……ごめ……ごめん、ごめんなさい……!ごめん……なさい……!」
天邪鬼の腕の中で、茨木童子は子どものように泣いた。
その様子を、ただ天邪鬼は優しい眼差しで見守っている。
「いいさ。眠れ、茨木。今度は貴様も連れていく、虎や星たちと一緒に。あとは私がうまくやる」
「……うん……うん……。ごめん、なぁ……酒呑……」
「酒呑は……やっぱり、オレ……の―――――」
天邪鬼に促され、茨木童子は安堵の表情で目を閉じた。
その身体が徐々に光になってゆく。輪郭がぼやけ、空気に溶けて消えてゆく。
眠るようにこと切れた茨木の消滅を最後まで見届けると、天邪鬼はゆっくり立ち上がった。
「アナタは……いったい、何者なのですか……?」
童子切安綱の切っ先を突き出し、アスタロトが問う。
天邪鬼は小さく笑った。
「問われて名乗るも烏滸がましいが、今となっては是非に及ばず。……私の名は首塚大明神」
「かつて、鬼であったころには酒呑童子と名乗り――」
「人であったころには、そこのクソ坊主に外道丸と呼ばれていた……ほんの少しばかり賢いだけの、普通のガキよ」
首塚大明神。
現在の京都府京都市西京区に存在する、霊験あらたかな神社の祭神である。首から上の病に功験があるとされる。
ひとつの伝承によれば、源頼光らに討ち取られた酒呑童子は自らの罪を悔い、病魔を祓う神に変生したという。
そう。
天邪鬼とは仮の名。その正体は、かつての酒呑童子。
今は首塚大明神を名乗る――尾弐のかけがえのない存在、外道丸だった。
216
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:20:39
「……な……、首塚……大明神……?」
「そうよ。昔は酒呑童子と名乗っておった時期もあったな。いや、私がそう名乗った覚えはないが……そう呼ばれていた」
「今は些か名が増えた。面倒くさいので、今まで通り天邪鬼でいいぞ」
コツン、と杖の先端で床を叩くと、天邪鬼――真なる酒呑童子――は薄く笑った。
源頼光とその四天王に討伐され、死したはずの酒呑童子がどうしてこの場にいるのか?
天邪鬼はゆっくりと語り始めた。
羨望や嫉妬、人間たちの『そうあれかし』によって鬼と化した外道丸は、クソ坊主――かつての尾弐と袂を分かち、京都へ上った。
大江山で鬼たちを纏め上げていた茨木童子に頭目として祭り上げられてのちは、略奪や殺戮など思うままに振舞った。
その結果源頼光らに討伐され、首を刎ねられて、酒呑童子は死亡したはずであった。
だが、物語はそれでは終わらなかったのだ。
「クソ坊主は私――酒呑童子の縁者ということで人間どもに捕縛され、死より過酷な刑罰に処された」
「その挙句、討伐された私の死体から取り出された心臓を啖わされ――その憎悪と私の心臓の妖力により鬼と化したのだ」
「本来ならば、憎悪によって発生した鬼はその対象に憎しみをぶつける。しかし、クソ坊主はそうはしなかった」
「それどころか、その生臭坊主はこう願ったのだ。救えぬ命なら、最初からなかったことにしよう、とな――」
そんな尾弐の願いを聞き入れたのが、御前こと玉藻。白面金毛九尾の狐だった。
御前は『尾弐と外道丸の因果を酒呑童子から切り離す』ことで『ふたりは酒呑童子とは赤の他人』という世界線を作ろうとした。
そうすれば、酒呑童子は外道丸とは関係のない、他の何者かから生まれたことになる。
外道丸は人間のまま生涯を送り、尾弐自身も同じように人間として死ぬことができる。
しかし、強引に運命を捻じ曲げる――既に決められた結末に対して別の未来、別の世界線を想像することは大変な労力を伴う。
御前は尾弐の願いを叶える代わりに、自らの手駒となって働くことを尾弐に課した。
そして『尾弐黒雄』の名を与え、那須野橘音と引き合わせて、帝都の漂白を命じたのである。
「度し難い愚か者よ。自らが地獄へ堕ちることも厭わず、他人のために修羅の道を歩むとはな」
ゆっくりと、天邪鬼は祈とノエルの側へと歩を進める。
尾弐の願いを聞いて最初に御前が行ったのは、成仏できず現世をさ迷う酒呑童子の魂の確保だった。
そして酒呑童子を首塚大明神として変生させ、京都老ノ坂の社に祭神として祀った。
御前はまず悪逆非道として伝わる酒呑童子を善性のある神へと変えることで、因果の変転を目論んだのである。
お蔭で現在、京都では首塚大明神は首から上の病に苦しむ人々の守り神として知られている。
「あの狐婆の命とは言え、千年ぶりに社の外へ出たと思えばこの有様」
「せっかく救いの手を差し伸べてやったのに、それを跳ね除けるとは。まったくクソ坊主の頑迷さときたら、まるで変わらん」
「だが――それも踏まえて、私はこ奴を救いに来た。はなからこ奴が大人しく従うなどと、寸毫ほども思っておらなんだわ」
高神(自分の神社を持つ神)は基本的に自分の住処を離れられない。
高神が塒を離れるのは年に一度、出雲で十月に行われる神議り(かみはかり)のときだけである。
よって、関東の尾弐と京都の首塚大明神は永年の別離を余儀なくされた。
しかし今回、御前の意向によって首塚大明神は社を離れ、東京ブリーチャーズの助太刀に赴くこととなった。
千年の宿命を共有するかけがえのない存在、尾弐を救済するために。
「私が神として此の場に現臨できるのは、クソ坊主の存在あってこそ」
「なぜなら、私という存在はクソ坊主の願いによって構成されているがゆえ――」
人を神にするという事象は、いかな白面金毛九尾の狐たる御前にも難しい。
従って御前は世界の理と非を強引に捻じ曲げ、尾弐の『想いの力』――
イコール尾弐の『そうあれかし』を使って酒呑童子を変生させる材料とした。
つまり、尾弐の『外道丸に幸せになってほしい』『酒呑童子にさせたくない』という強い祈りを触媒としたのである。
だが、いくら強いといっても人ひとりの想いの力などタカが知れている。
そこで。
「狐婆は現世の因と果を逆転させ、未来のクソ坊主の想いを前倒しで使ったのだ」
天邪鬼は静かに告げた。
217
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/02/26(火) 01:26:22
時間は過去、現在、未来と連綿と続く一本のレールだ。
どんなことが起こったとしても、過去は現在へと流れ、現在は未来へと移行する。それは絶対のルールである。
それを御前は膨大な妖力によって逆転させた。いやさ、『一部を入れ替えた』。すなわち――
『これから尾弐が生きてゆくうえで願い続けるであろう、外道丸に幸せになってほしいという想いの力』。
それを、未来から前借りして上乗せしたのだ。
平たく言うと、月給20万円のサラリーマンが向こう半年分の給料120万円を一気に前借りして新車を買った、というようなものだ。
御前は未来の尾弐の想いの力をも使い、かき集めた莫大な想いをもとに天邪鬼を首塚大明神に変えた。
よって、尾弐は前借りした想いの返済のためにも、これからもずっと外道丸のことを想い続けなければならないのである。
仮に今ここで尾弐が死亡し、消滅してしまえば、前借りしたぶんの想いの力までもが消滅する。因果が狂う。
それは尾弐や東京ブリーチャーズのみならず、世界にとってもきっと悪影響を及ぼすに違いない。
どうあっても、ここで尾弐を死なせるわけにはいかないのだ。
「そうとも、私はこのために来た。クソ坊主を救うためにな」
「力を貸せ、東京ブリーチャーズ。貴様らにとってもクソ坊主は大切な仲間なのであろう」
「あとは――あ奴の身体から膿を残らず出してやるだけだ。私が捨て去った、酒呑童子という力を」
ちゃきり、と天邪鬼が仕込刀の鯉口を切る。
そう。天邪鬼が真なる酒呑童子だというのなら、今現在尾弐の肉体を蝕んでいる酒呑童子はいったい何なのか?
「私――酒呑童子が討伐されたのち、首は首塚に埋められ胴体は雨ざらしで打ち棄てられた」
「しかし、そんな屍から心臓を抉り出し、クソ坊主に啖わせた奴がいる」
「お蔭でクソ坊主の肉体には酒呑童子の力が宿ってしまった。アレは『酒呑童子の純粋な力の結晶』ということになるな」
つまり、酒呑童子の精神や人格は天邪鬼となり、酒呑童子の妖力や筋力は尾弐の中に移譲されたということらしい。
茨木童子や四天王たちが天邪鬼を見ても酒呑童子だと反応しなかったのは、そのせいらしい。
鬼たちはみな、妖気を感じて酒呑童子であるかどうかを判断していた。神となった天邪鬼に反応しないのは当然である。
「クソ坊主から酒呑童子の力を一滴残らず絞り出す。……なに、簡単な話よ。なんの造作もない」
「ただ――あ奴をケ枯れさせればいいだけなのだからな。貴様ら脳の足りん連中にも理解できよう?」
「とはいえ……それが至難というのは疑いようもないがな。死力を尽くせ――!」
今や尾弐の肉体は妖気の充填を終え、酒呑童子としての覚醒を終えつつある。
魔法陣が消滅し、尾弐は身体の自由を取り戻す。心臓の欠落など、今や些末なことに過ぎない。
かつては酒呑童子の心臓を尾弐の肉体が包み込むことで、尾弐の身体が酒呑童子の復活を妨げる形になっていた。
しかし、今はそうではない。酒呑童子の力が尾弐自身の身体に影響を及ぼすことで、尾弐自体が酒呑童子になりつつある。
今さら心臓を潰したところで焼け石に水であろう。
尾弐を攻撃し、その身体に満々と蓄えられた妖気をすべて発散させ、ケ枯れに追い込む。
そうすることでしか、尾弐を斃すことはできない。
尾弐の中に宿った酒呑童子の力は、尾弐に力を与えると同時に尾弐を蝕む病巣でもある。
それを根絶するには、一旦酒呑童子の力を臨界まで引き上げ、敢えて復活させた上で打倒するのが一番の近道だった。
従って、天邪鬼はアスタロトの計画を邪魔しなかった。尾弐の心臓を刺し、復活を助長したのもそのためである。
すべては尾弐を酒呑童子と化させ、しかるのちに救い出すため。
酒呑童子となった尾弐の攻撃は、今まで戦ったどんな化生よりも強く激しいだろう。
その威力は以前新宿御苑で、神である姦姦蛇螺の強固な防御をも一撃で切り崩したことからも実証済みだ。
その上、酒呑童子にはすべての事象を反転させる必殺の妖術『神変奇特』がある。
上なるものを下へ。下なるものを上へ。万理万象、あらゆる法則を逆転させるその力はかつてない脅威となろう。
そして何より――尾弐は東京ブリーチャーズのかけがえのない仲間であり、友人であり、家族なのだ。
そんな相手を、斃さなければならない。
「クソ坊主、それは要らん荷だ。川にでも放り棄てよ、それ以上負うていたところで腰を痛めこそすれ、益はないぞ」
「下ろし方がわからぬというのなら――我らが下ろすのを手伝うてやろう。その負い紐を断ち切ってな!!」
びゅんっ!!
仕込刀を腰だめに構えたまま、天邪鬼が尾弐へと突進する。
「小娘、雪妖、遅れるな!今までクソ坊主と培った絆の力、見せてみよ――!!」
天邪鬼の刀身から無数の真空波、大鬼蓮が尾弐へ向けて殺到する。
酔余酒重塔における、最後の戦いが始まった。
218
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/02(土) 21:31:47
酒呑童子の心臓に注がれた妖力は、もはや大妖が顕現するのに不足が無いものとなっている。
荒れ狂う嵐の如き妖気の奔流は、並大抵の化生であれば余波だけで消し飛んでしまう程の強力なものであり、一匹の妖怪が受けきれるようなものではない。
尾弐黒雄という『殻』など、とうの昔に消し飛んでいる筈であり……そうだというのに。
「ぐ、うあ゛ぁぁ……!!!!」
折れない。
どれだけの苦痛に塗れようと、尾弐黒雄の精神は折れない。
狂気と正気の境界を、ただただ執念のみを以って踏み止まる。
一歩……今の尾弐が、限界を超えて尚僅か一歩を踏み止まれているのは、彼が『信じて』いるからだろう。
意識は朦朧とし、夢と現すら定かでなく……けれど、尾弐は覚えている。
尾弐には、確かに仲間と呼べる者達が居たという事を。
彼等ならば、自身の願いを……懇願を、受け入れてくれるだろうと、尾弐は信じている。
彼等ならきっと――――尾弐黒雄を終わらせてくれると、そんな希望を持っているのだ。
……どこまで愚かな男なのだろうか。何度繰り返せば理解出来るのであろうか。
尾弐黒雄という男の願いは、彼が本当に望む願いは……いつだって叶わないというのに。
>「尾弐のおっさん、“茨木童子は殺させられない”けど、とにかくあたし達でなんとか助けるから!
>それまでどうにか“待ってて”――」
僅かに機能を残した尾弐の耳が初めに拾ったのは、少女の声……友と思った者の忘れ形見の声であった。
見守り、肩を並べ、やがて……自身とは比べ物にならぬ程強くなっていったその少女の声は、僅かの悪意も無く、十全の善意を以って
――――尾弐の願いを否定した。
少女らしい言葉だ。少女であれば、確かにそう言うであろう言葉だ。
けれど、その言葉は今の尾弐にとって致命の刃であった。
善意の否定は、僅かに踏み止まっていた尾弐の魂に破砕寸前の罅を入れる。
219
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/02(土) 21:32:36
……だが、それでも
>「いや、今すぐ助けてあげよう! だって初めてじゃない? クロちゃんが助けを求めてくれたのって!」
もう一人の仲間……もはや、今の尾弐では名前すら思い出す事も叶わぬが、
数多の戦いで背中を預け、その心の強さに何度も救われた、そんな存在の声が尾弐を引き留める。
繋がった願いへの糸が、希望が、尾弐をかろうじで尾弐足らしめる。故に
>「その心臓、預かったぁあああああああ!!」
「……が……っ」
尾弐の胸を貫いた氷の刃。それは、尾弐の心を圧し折るには十分であった。
心臓を引き抜かれる一瞬。その衝撃により、尾弐の片目が一瞬だけ視力を取り戻し、眼前の光景を認識する。
己が身を貫く氷刃を握るのは……確かに、尾弐の仲間であった存在で……
「は、はは…………あ、あ…………」
「 ぜ ん ぶ …… こ わ れ ち ま え …… 」
……泣きそうな声で尾弐がそう呟いた直後。バキリ、と何かが砕けたような音がした。
それは、精神が砕けた音。
魂が砕けた音。
尾弐黒雄が、砕けた音。
かつて男は、我が子の様に情を注ぎ、友人の様に時を紡いだ子供、外道丸を助ける事が出来なかった。
人々からの負の念から救えず、悪鬼の首魁、酒呑童子としてしまった。
……そして、外道丸を、酒呑童子のまま英雄達に殺させてしまった。
その時から始まった、男の後悔と絶望の物語。
贖罪の為では無い。生きる為ではない。ただ死ぬ為に、死なせてやる為だけに紡いできた、長い長い物語。
1000年に及ぶ妄執。全てを捨て、数多を犠牲にした願いは……今、ここに潰えた。
その現実を知った直後、尾弐と言う枷はまるで朽ち果てた倒木の様に容易く砕け散る。そして……
220
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/02(土) 21:33:32
「――――」
『殻』が破れれば、新たな何かが生まれるは必定。
尾弐の心臓に空いた大穴から泥の様な黒水――――物質化する程に高密度となった妖気が溢れ出し、それは見る間に身体を包み込むと、尾弐を変質させていく。
初めは、かつて姦姦蛇螺との戦いの折に見せた、褐色の肌に五本角を持つ、『天邪鬼』と鏡写しのような恐ろしい程に美麗な青年の姿に。
しかし直ぐにそれは溶ける様に崩れ、次に成り果てたのは身の丈2丈(6m)程にも及ぶ悪鬼の姿。
額には禍々しい5本の角を持ち、目は十五。黒金の如き隆々とした筋肉を持つ――――寓話に在る悪鬼としての酒呑童子の姿。
悪鬼は口元を三日月の様に歪めた邪悪な笑みを浮かべるが……突如として苦しげな様子を見せると、またしてもその身体は溶ける様に崩れてしまった。
そして最後に――――溶け堕ちた妖気の塊の中で、蠢き立ち上がるモノが有った。
身に纏うのは、黒ネクタイと黒スーツ……所謂喪服を着こんだ、身の丈190cmを超える、筋骨隆々の大男。
黒髪をオールバックで纏めた、死と暴力との気配を纏う獰猛な男。
肌が褐色であり、額に5本の角がある事以外は、尾弐黒雄そのものの外見をしている男は、一度口からゲロリと黒い液体……物質化した妖気を吐き出すと、ゆっくりと閉じていた目を開く。
……そこに在ったのは赤い瞳。本来白目がある部分は黒く染まっており、それが男が人では無い異形である事を確かに示している。
それでも、男はまるで人間の様に一度周囲を見渡すと……その視界に、この場で立っている4つの人影を捕える。
祈、ノエル、天邪鬼、アスタロト。倒れ伏すポチを除いた者達。
>「クソ坊主、それは要らん荷だ。川にでも放り棄てよ、それ以上負うていたところで腰を痛めこそすれ、益はないぞ」
>「下ろし方がわからぬというのなら――我らが下ろすのを手伝うてやろう。その負い紐を断ち切ってな!!」
尾弐黒雄にとって関わり深い彼等からそれぞれ言葉や視線を受けた男は、一度大きく息を吐いて右腕で首の裏を抑えると。
「 死 ね 」
底冷えするような声で、そう一言呟いた。
221
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/02(土) 21:34:14
……強大な存在が語る言霊は、それだけで呪術と成り得る。
まして、それが酒呑童子が如き妖力を持つ存在であれば……言葉は、世界を歪める事すら成し遂げよう。
黒い泥を塗った様に空間が歪み、描き替えられる。
アスタロトによって組み上げられた『酔余酒重塔(すいよしゅじゅうのとう)』。
広大な空間として造られた上げられていたソレは、冷たい石天井を持つ、牢屋が如く薄暗い空間へと変質した。
空間の果ては闇で覆われており、先を見通す事は叶わない。
床には赤い液体が10cm程溜まっているが……その液体は、尾弐であった存在以外を濡らす事は無く、ただただ強い酒と血の臭いを放っている。
そして、赤い液体の中には人や妖怪と見られる多数の腐乱死体が浮かんでおり、燐光が周囲を照らしている。
この空間を端的に現すのであれば――――地獄、という言葉が相応しいだろう。
それも、宗教が作り上げる地獄ではない。生きとし生ける人間がその手で生み出す類の地獄だ。
「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
そして……空間を変質させた男は、石天井を仰ぎ壊れた様に憎悪の言葉を吐き出し続けている。
その姿は紛れも無い鬼。悪なる鬼。全人間の敵。生きとし生ける者が打ち倒すべき害悪である。
……されど、この存在は、このようなバケモノが鬼の王、酒呑童子なのであろうか?
その答えは――――是であり否でもある。
是は酒呑童子にして酒呑童子に非ず。
酒呑童子と呼ばれた者の精神は、首塚大明神が有している。
なれば、その力のみを有する是が酒呑童子とは異なるモノによって動いているは明白。
そう、是を動かすもこそは――――「そうあれかし」
憎悪、悲哀、絶望、憤怒、嫉妬、渇望、殺意。
1000年に渡り積み重ねて来た、尾弐黒雄という悪鬼の負の感情の集合体。
外道丸を想い救おうと足掻き苦しむ度に積み上がった、邪悪な想念。
かつて人間だった男が積み上げてきた怨嗟こそが、この『憎むべき酒呑童子』を生み出したのだ。
222
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/02(土) 21:34:58
恨みと憎しみを吐き出し続ける悪鬼『酒呑童子』――――彼は、己から東京ブリーチャーズの面々を攻撃する事は無い。
放って置けば、やがて一行をこの異界に取り残したまま帝都へと襲来し……あらゆるモノを終わらせて果てる事だろう。
己が身を大切に思うのであれば、それもまた一つの選択と成り得る。決して間違った選択では無い。
だが、仮にケ枯れさせるべく刃を向けるのであれば、各々覚悟せよ。
『神変奇特』
酒呑童子の有する反転の妖術が、己が身を苛む事となるであろう。
御幸乃恵瑠よ。その『願い』の通りに尾弐であり酒呑童子であるバケモノとなった存在は、汝が氷雪を裏返す。
放つべき冷気は灼熱となり、その身を焦がす事であろう。
多甫祈よ。汝が運命を変える力により滅びの未来より変質した存在は、汝が炎を裏返す。
ひとたび風火輪を用いればその身は凍てつき、やがて動く事すら叶わなくなるだろう。
ポチよ。もしも死力を振り絞り、汝が想う者以外を救おうなどと願えば―――汝は汝の想うべき者をすら喪うだろう。
そして、妖術を掻い潜ったとしても、その先に待つは堅牢なる悪鬼の肉体。
その力も、頑強さも、尾弐であった頃を遥かに上回っている。
振るう拳をその身に受けてしまえば、妖の身とて無事には済むまい。
強力にして無比。最強と呼ぶに相応しき悪鬼。
――絶望。各々ら総じて、汝らが眼前に立つ者は絶望と心得よ。
八尺様が如く、消滅する運命に有る魂。
コトリバコが如く、人の手により生み出され滅ぼされた邪悪。
雪の女王が如く、過分すぎる力により自壊していく命。
他にも、他にも、他にも――――
偶然か必然か、此の酒呑童子とは東京ブリーチャーズが『救いきれなかった』モノの総体である。
かつて救えなかったものを今再び救える筈も無し。
妖達よ、それでも尚、救いの未来を謳うのであれば
いざ、死力を尽くしてかかるがいい――――!
223
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:11:44
魔法陣から放たれる妖気の奔流に手を突っ込み、
尾弐をその呪縛から解き放とうと試みる祈。
対し、ノエルは尾弐の胸を氷の刃で引き裂き、
心臓を奪うことによって、これ以上の妖気が心臓に注がれるのを防ごうと考えたようであった。
急に尾弐の心臓を抜き取るものだから祈もびびったのだが、
尾弐を助けるための行動のようだったので黙っていた。
>「ア、アナタたち、正気ですか!?
それを見たアスタロトが驚愕の声を上げる。
「ったりめーだろ! 尾弐のおっさんを死なせる訳に、は……!」
祈は痛みに耐えながらそう返した。
魔法陣から噴き出す妖気の勢いは瀑布に等しく、
その中に突き入れた右腕に僅かに妖気が入るだけで、稲妻か灼熱かという激痛が走った。
腕を突き入れるだけでこれだけの痛みがあるのだから、
全身を晒している尾弐の苦痛は想像を絶する。
尾弐を案じるからこそ手を伸ばす祈。
だが、祈は知らない。尾弐の千年に渡る願いを。
先程祈が願いを拒否したことが、尾弐の心に更なる絶望を招いたことを。
祈の手が尾弐の肩にようやく届いたその時。
>酒呑童子が復活すれば、この帝都は間違いなく滅――」
>「ああいや!じゃなくてぇー……よもや、アナタたちがボクの計画に手を貸して下さるとは思いませんでしたよ!」
>「であれば、遠慮なく!クロオさんを酒呑童子にしちゃいましょう!」
アスタロトが意外そうに続け、空中に紋様を描いた。
「――え?」
自分達がアスタロトの計画に手を貸した、という言葉に虚を突かれる祈。
同時に、尾弐の足元の魔法陣が一層輝き、噴き出す妖気の勢いが更に増す。
「がっ、ぎッ!?」
勢いを増した妖気の奔流。
妖気の一部は祈の右腕を通して身体へと伝い、祈の全身を駆け巡る。
それは僅か一瞬のことで、妖気は祈のほとんど表層をなぞっていったに過ぎなかったが、
それでも全身に強い電流でも流されたかのような激痛が走ったのを祈は感じた。
あまりの激痛に意識が明滅し、力が抜けた祈の体は、
噴き出す妖気の勢いによって、後方へと容易く弾き飛ばされる。
祈は仰向けに転がり、起き上がってこない。起き上がれない。
苦痛に体が痙攣を起こして制御できず、意識も半ば飛ばされているのだった。
自分がどこを向いているのかすら分からぬまま、祈はその声を聞く。
>「は、はは…………あ、あ…………」
>「 ぜ ん ぶ …… こ わ れ ち ま え …… 」
泣きそうな、尾弐の声を。
祈は尾弐のそんな悲しそうな声を初めて聞いた。
尾弐の姿が変質を始める。
その時に祈はようやく、己が選択を間違えてしまったようだと気付いた。
僅かな間、祈の視界が暗転する――……。
224
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:15:38
>「酒呑の気配がどんどん大きくなってやがる……!カハハ、いいぞ……!いよいよだ!いよいよ酒呑が蘇る!オレの相棒が!」
>「ハァー?誰が誰の相棒ですって?っていうか茨木さん、アナタまだいたんですか?」
>「何ィ……?」
混濁する意識の中、祈はこんな言葉を聞いた。
虚ろな目を開くと、茨木童子とアスタロトが言い合っているようであった。
アスタロトは冷酷に、そして一方的に。
茨木童子が酒呑童子の相棒とは烏滸がましいだの、
酒呑童子復活のために利用したに過ぎないだのと言って、
正真正銘、童子切安綱によって斬り捨てた。
身体の正面を鎖骨から腹までを切り裂く、袈裟切り。
だが幸いにも傷が浅かったようで、まだ茨木童子の命はあった。
変化が解けたらしく、倒れ込んだ茨木童子の姿は女性の姿に変わっているものの。
このままでは茨木童子が殺されてしまう、どうにかしなければ。
祈はそう思うが、身体が動かない。
まるで夢の中のように意識がぼんやりとし、
金縛りにあったように体が言うことを聞かないのだった。
かつてのことを謝りたいからと命乞いをする茨木童子。
だがアスタロトは、邪悪に嘲り、それを拒絶する。
さらに、完全にその命を奪おうと、再び童子切安綱を構えた。
(く、そ――、うご、け――)
祈のぼんやりとした目に袴姿の影が映り込む。
>「きゃっ!」
袴姿の影。それは天邪鬼であった。
天邪鬼はアスタロトを突き飛ばし、茨木童子の窮地を救ってみせる。
天邪鬼は茨木童子の血が付いた床に片膝をついて、茨木童子を抱き寄せると、
もう片方の手で、自身が被っていた黒頭巾をはぎ取って捨てた。
黒頭巾の下から現れたのは、かつて尾弐が変じた、酒呑童子と同じ顔。
肌の色が褐色でないことや、角が存在しないことなど僅かな差異はあるものの。
(やっぱお前………酒呑童子なん、じゃねーか……でも、なん、で……?)
天邪鬼の正体が酒呑童子で、茨木童子を庇ったことと、
そして先程、尾弐の心臓に突き立っていた仕込刀は天邪鬼のものだったこと。
それを見れば、天邪鬼は始めから茨木童子の側だったと考えられる。
だが、茨木童子が酒呑童子の顔を見て驚愕に目を見開いているところをみると、
そうだったようには思えない。
思考が纏まらず混乱する祈だが、どうあれ。
天邪鬼が茨木童子を助けるつもりであるということだけは、確かなようであった。
>「いいさ。眠れ、茨木。今度は貴様も連れていく、虎や星たちと一緒に。あとは私がうまくやる」
>「……うん……うん……。ごめん、なぁ……酒呑……」
>「酒呑は……やっぱり、オレ……の―――――」
茨木童子は、謝罪しながらも、酒呑童子と再会できたことに喜びの涙を流す。
そしてその腕の中で安堵したように目を閉じると、やがて光となって、空気に溶けて消えた。
その死が絶望に満ちたものでないことだけは、祈にとっては喜ばしいことではある。
茨木童子が消えるのを見届けた後、天邪鬼は立ち上がる。
>「アナタは……いったい、何者なのですか……?」
それを迎え、問うのは童子切安綱を構えたアスタロトだ。
茨木童子を嘲ったときとは打って変わって、警戒の色が声に滲む。
天邪鬼はそれを笑って受け、
225
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:37:28
>「問われて名乗るも烏滸がましいが、今となっては是非に及ばず。……私の名は首塚大明神」
>「かつて、鬼であったころには酒呑童子と名乗り――」
>「人であったころには、そこのクソ坊主に外道丸と呼ばれていた……ほんの少しばかり賢いだけの、普通のガキよ」
自らを、“首塚大明神”だと名乗るのであった。
そして、死した筈の酒呑童子が、なぜ名を変えてこの場にいるのか。その全てを語り始める。
思えば祈は、今回の一件について、余りに無知であった。
最初はただ、東京に来たシロを探していた。
しかし天神細道を潜ったらそこはスカイツリーで、シロの姿はなく、代わりに居たのはアスタロトや茨木童子だった。
アスタロトは、尾弐を呼んで来なければ東京中に電波の代わりに妖気をばらまくと言い、
茨木童子は酒呑童子を復活させ、鬼の国を再建すると言った。
だがそれによってどのような被害が出るのかは知らされていなかった。
あくまでも、妖気のばらまきで東京の人々が死ぬというのも祈達の予測に過ぎず、
酒呑童子が復活することで、鬼の国ができあがったことで何が起こるかなど分からない。
だが何か良からぬことを企んでいるであろうことと、
シロがどうやら茨木童子達と一緒にいるようであるから、その真意を問いただすため、
状況に流されるように塔を上ることになったのである。
そして待っていたのは、戦闘の連続だった。
何故か祈達に牙を剥き、そして敗北すれば自ら命を絶つ四天王たち。
四天王たちは祈たちの言葉に耳を傾けることはなく、
同行する天邪鬼は素性を隠していた。尾弐もまた己の過去をひた隠しにしており、
今回の一件を理解するために必要な部分、
『酒呑童子とは、尾弐とはいったい何者か』という部分が
ごっそり抜け落ちた状況で事態は進行していったのだ。
その結果が、先程の尾弐の慟哭だ。
何も知らなかったが故に、取り返しのない何かが起こってしまったように思えてならない祈は、
思い通りにならない身体を無理矢理に起こしながら、天邪鬼の言葉に耳を傾けた。
>「クソ坊主は私――酒呑童子の縁者ということで人間どもに捕縛され、死より過酷な刑罰に処された」
>「その挙句、討伐された私の死体から取り出された心臓を啖わされ――その憎悪と私の心臓の妖力により鬼と化したのだ」
>「本来ならば、憎悪によって発生した鬼はその対象に憎しみをぶつける。しかし、クソ坊主はそうはしなかった」
>「それどころか、その生臭坊主はこう願ったのだ。救えぬ命なら、最初からなかったことにしよう、とな――」
外道丸は人間達の『そうあれかし』によって、
酒呑童子となり、尾弐と袂を分かった。
そして茨木童子に頭目として担ぎ上げられてからは、略奪や殺戮などに手を染めたという。
そこにあったのは、自分を鬼にした人間への恨みつらみだったのだろうか。
結果として外道丸は源頼光らに討伐されることになったが、
それでも世界は止まることはないし、尾弐の物語は続いた。
人間に囚われ、過酷な刑罰を受けるという残酷な物語が。
挙句に深い繋がりのあった外道丸の心臓を喰わされ、憎悪と心臓の力で鬼となってしまったという。
その後、尾弐が“救えぬ命なら、最初からなかったことにしよう”と思うようになったのは
外道丸と袂を分かった後も、ずっと外道丸のことを想い続けていたからだろう。
だが、どれだけ願っても外道丸は救えなかった。
その深い絶望と、それを上回る後悔があるから、
どうせ救えないという諦念と、救いたいという執着が入り交じった、
“歪な願い”が生まれたのだと思われた。
とはいえ世界線を変えるなど、願ったところで到底できることではない。
過去や歴史の改ざんなどどうやればできるだろうと祈は思う。
だが、それを叶えると言ったのが御前だった。
手駒となって働き、漂白し続ける代わりに、尾弐の願いを叶えると約束したのだという。
>「度し難い愚か者よ。自らが地獄へ堕ちることも厭わず、他人のために修羅の道を歩むとはな」
その約束の後、御前は尾弐が抱く『外道丸の幸せを願う想い』、
その未来の分まで全てを前借りすることで、『首塚大明神』という形で外道丸を復活させた。
だが高神という立場になってしまったため土地に縛られてその場から動けず、
尾弐もまた東京に縛られて動けないことから、二人は千年もの間、分かたれたままだったらしい。
しかし今回。御前の意向で、
天邪鬼は尾弐の助太刀を許されることになったのだそうだ。
226
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:43:25
>「私が神として此の場に現臨できるのは、クソ坊主の存在あってこそ」
>「なぜなら、私という存在はクソ坊主の願いによって構成されているがゆえ――」
助太刀を許された理由は、尾弐に死んだり消滅されては困るからであるらしかった。
想いの前借りをしている以上、天邪鬼がこの世にいられるのは未来の尾弐がいることが前提。
尾弐が死んだり消滅したりして、
『外道丸に幸せになってほしい』『酒呑童子にさせたくない』という強い想いが途切れれば、
即ち未来が変われば、原因と結果が逆になり、世界の因果が狂ってしまうからだと、天邪鬼は説明する。
そして尾弐の願いが叶い、世界線が変われば
尾弐と外道丸は人間として生涯を終えたことになり、消滅することになるのだと。
世界線が変わり、尾弐がいない世界に塗り替わったからと言って、
尾弐が前借した事実までは消えない、ということらしい。
(……え? ちょっと待てよ。じゃあ、橘音の上司の人は
――最初から“尾弐のおっさんの願いを叶える気はなかった”ってことか……?)
尾弐が願いを叶えれば尾弐は消え、同時に因果が狂うという、この仕組み。
それを構築したのは御前自身だ。
手駒になって働いて条件を満たせば、その見返りとして願いを叶えると約束しておきながら、
因果が狂うからという理由でそれを阻止するというなら。
それは最初から、尾弐の願いを叶えるつもりがなかったことに他ならないのではないか。
尾弐を永劫の手駒としてこき使うつもりだったのか、それとも他の理由があったのかは知らないが、
なんであれ。
今回の件を祈なりに整理するとこうなるだろう。
尾弐は御前との契約によって『世界線を変える』手段を得た。
そして今回のこの戦いこそ、世界線を変えるための一戦だった。
だから尾弐は四天王戦には参加せず、体力を温存して万全を期した。
いつもと様子や服装が異なっていたのも、尾弐がその覚悟を決めていたからだろう。
また、そのトリガーはおそらく、『自らの手で茨木童子を殺すこと』だったのだろう。
あの激痛の最中であっても祈達に茨木童子殺害の助力を求めた、その執着が何よりの証拠となる。
『自らの手で』と付くのは、
『アスタロトが茨木童子を殺しても、尾弐の存在が存続しているから』という推測に基づいている。
そして御前は、因果が狂うのが好ましくないと言う理由から、
その契約を果たさせまいと、妨害を天邪鬼に命じた。
天邪鬼にとっても、尾弐が消失するのは好ましくなかったであろうし、
尾弐が自分の所為で責め苦を受けた責任も感じていたかもしれない。
ゆえの、利害の一致ということで尾弐を止めるのを請け負ってきたのだろう。
天邪鬼は酒呑童子であり外道丸。
姿を見せて説得すれば、尾弐か茨木童子、どちらかを止めることができたはずだ。
そうでなくとも実力者。
天邪鬼の剣技なら、無理矢理にでも二人を止めることは可能だっただろう。
まさに適任だったと言えた。
だが、おそらく“これ”は、御前も想定外だったに違いない。
“天邪鬼がアスタロトに手を貸して、酒呑童子の復活を促したこと”までは。
「じゃあ、尾弐のおっさんを酒呑童子化させたのも、尾弐のおっさんを……助けるためだってことでいーんだな?」
ゆらりと立ち上がり、ふらつく頭を押さえながら祈は問う。
尾弐が消失して因果を狂うのを阻止するだけなら、わざわざ尾弐を酒呑童子化させる必要はないのだろう。
口か暴力で止めるだけで事は足りるのだから。
それを敢えて、アスタロトに協力して心臓に妖気を注ぎ込み酒呑童子にしたからには、
理由があるはずだった。
>「そうとも、私はこのために来た。クソ坊主を救うためにな」
>「力を貸せ、東京ブリーチャーズ。貴様らにとってもクソ坊主は大切な仲間なのであろう」
>「あとは――あ奴の身体から膿を残らず出してやるだけだ。私が捨て去った、酒呑童子という力を」
天邪鬼が言うには、尾弐にとって酒呑童子の力は、尾弐を蝕む病巣であるらしい。
それを取り払うには、一度酒呑童子として復活させ、その上で完全に倒さなければならないという。
それ以上は天邪鬼は語らなかったが、
力さえ奪ってしまえば尾弐もさすがに自らの願いを諦めるかもしれないだとか、
力を失えば御前も尾弐に興味を失い、手駒から解放してくれるかも知れないだとか、他にも色々と理由は考えられる。
祈は頭を掻いた。
227
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:50:48
「はぁー……“言われなくても分かってる”って何度言わせんだ? 言われなくても力ぐらい貸してやるよ。
……つーかマジそーいうところだからな?
相談もなしになんでもかんでも勝手に決めて、勝手に突っ走りやがって」
天邪鬼のしようとしている内容が内容なだけに、祈達に相談できないことだとは分かる。
尾弐を放置すれば、茨木童子を殺して自ら命を絶っていて、因果も狂っていた。
かといって助けるだけでは、
尾弐の中にある酒呑童子の力がそのままになり、結局尾弐の命が危うかった。
だからこそ、尾弐を止めた上で酒呑童子化させ、倒さなければならない。それは分かる。
もしかしたら祈が天邪鬼でも、同じことをしたかもしれないとも思う。
だが、あまりにも事態が危険な方向に転がり過ぎている。
あれだけの妖力を吸った酒呑童子が復活すれば、祈達だけで倒せるかどうかわからない。
そして倒せなければ、アスタロトの目論見通りに帝都を、東京を滅ぼしてしまうかもしれないのだ。
ならば、あらかじめなんらかの対策を。
そうでなくとも心構えをしておきたかったというのが本音であった。
尾弐の姿は心臓から噴き出した黒い水に包まれると、
褐色の肌に五本角を持った、姦姦蛇螺の時に見せた、少年の姿へと変じる。
そして、その姿がすぐさま溶けて崩れると、
今度は身長が数メートルはあろうかという、悍ましい大男、伝説に語られる酒呑童子の姿へと変わる。
目は十五ほどある、5つの立派な角を額に生やした大鬼に。
それが禍々しく口を歪めたと思えば、その姿さえもが溶けて消える。
しかし最後に、その黒水の中央に残された物があった。
それはオールバックに黒ネクタイ、黒スーツという喪服の、筋骨隆々な長身の男だった。
尾弐の姿であるが、肌は褐色で、額には5本の角。白目は黒く、瞳は赤へと変わっている。
祈はその姿に、禍々しさと異質さ、そして恐怖を覚える。
>「私――酒呑童子が討伐されたのち、首は首塚に埋められ胴体は雨ざらしで打ち棄てられた」
>「しかし、そんな屍から心臓を抉り出し、クソ坊主に啖わせた奴がいる」
>「お蔭でクソ坊主の肉体には酒呑童子の力が宿ってしまった。アレは『酒呑童子の純粋な力の結晶』ということになるな」
天邪鬼がそう補足する。
酒呑童子の純粋な力の結晶。それがあの莫大な妖気を余すことなく吸っている。
どれだけの力を発揮するかなど予想もできはしない。
祈は戦力は多い方がいいと、ポチの方を振り返った。
だが、ポチはシロとの戦いで傷付き倒れており、戦力としてアテにはできないようだった。
というか生きてるかどうかすら定かでない。
だが、きっと大丈夫だろう。
ポチはタフであるし、相手はシロだから、きっと手心を加えてくれた。
それに橘音から持たされた道具があるから、
きっとその魂や意識が一度身体から離れても、帰るべき場所に戻って来れるはずだと、祈るように信じるしかない。
祈は尾弐へと視線を戻す。
どうやら、祈とノエルと天邪鬼。この3人が今の全戦力ということになるようだった。
>「クソ坊主から酒呑童子の力を一滴残らず絞り出す。……なに、簡単な話よ。なんの造作もない」
>「ただ――あ奴をケ枯れさせればいいだけなのだからな。貴様ら脳の足りん連中にも理解できよう?」
>「とはいえ……それが至難というのは疑いようもないがな。死力を尽くせ――!」
尾弐を助けるため。そして背後に控える東京中の人々のため。
やるしかないのだ。
228
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 21:57:50
>「クソ坊主、それは要らん荷だ。川にでも放り棄てよ、それ以上負うていたところで腰を痛めこそすれ、益はないぞ」
>「下ろし方がわからぬというのなら――我らが下ろすのを手伝うてやろう。その負い紐を断ち切ってな!!」
ぎゅん、と先駆ける天邪鬼。
それを見て祈もまた続こうと風火輪に火を灯そうとするが、風火輪の反応がない。
祈は足元に視線を落とす。
「――……?」
風火輪が震えていた。
今までこんなことはなかったのに、と思うと同時。
嫌な予感が祈の背筋を駆け抜ける。
>「 死 ね 」
尾弐から発せられた呪詛の言葉に、
祈は胸に刃を突き立てられたような錯覚を覚えた。
尾弐という親しい存在から向けられる、魂の底から震えあがるような、純粋な憎しみ。
それでも立っていられたのは、目まぐるしく変化する状況に対応すべく、
生存本能が働いたからであろうか。
尾弐の言葉一つで、世界が変わっていく。
体育館ほどの空間が、尾弐を起点に黒く塗りつぶされる。
燐光が周囲を照らすが、果ては見えず、どこまでも闇や黒い空間が続いているかのように思えた。
床は強い酒の匂いを放つ赤い液体満たされ、そこには人間や妖怪のような死体が浮かび、
血の池地獄のような惨状に変わっていった。
さらに、風火輪に流した妖力が、今になって発動するが、
「……っ!!?」
――ピキピキピキィッ。
“反転”した状態であった。熱を生み出す力が、冷気を生み出す力に変わっている。
風火輪から冷気が生み出され、祈の足元から膝までが凍てつく。
左脚に至っては氷柱までできあがっていた。
そう、これは酒呑童子の異能。――『神変奇特』の能力。
>「小娘、雪妖、遅れるな!今までクソ坊主と培った絆の力、見せてみよ――!!」
しかし、天邪鬼はこの現状に怯むことはない。
そのまま駆けて突出。尾弐に向かって、抜刀せんと刀に手を伸ばし――。
「ば――」
その動作に気付いた祈は、すぐさま走り、天邪鬼に手を伸ばす。
そのまま天邪鬼に後方からタックルをかまし、押し倒す形で抜刀を阻止する。
ただ僅かに遅く、衝撃波が一撃だけ、尾弐を逸れて飛んで行った。
「ばっか野郎お前!? 酒呑童子には『神変奇特』って能力があるって――」
「――知らねーのか……って、あれ?」
祈は天邪鬼の上に倒れ込みながら、自分で言いつつ違和感を覚えていた。
祈の風火輪は炎を生む。それが冷気や氷など噴き出すようになった。
ノエルの方も同様に、氷を生成する能力を炎を生成する能力変えられてしまっているようだから、
酒呑童子の持つ『神変奇特』の能力が発動したのは間違いない。
そして、『神変奇特』とは。
なんでもかんでも、それこそ世界の理すらも意のままに反転させる能力だとかつて橘音は言っていた。
これによって姦姦蛇螺の『神は決して倒せない』という理を覆して、外側から撃ち破ったのだと。
だからこそ、祈は警戒した。
天邪鬼が放つ衝撃波の『向き』が反転させられて、天邪鬼が返り討ちに遭うことを。
だが、それはおかしい。
だって。
「お前、“酒呑童子なんだもんな”……それが“効くって知ってたからやった”んだな?」
祈は腕で身を起こしながら言う。
天邪鬼は酒呑童子なのだ。当然、神変奇特の能力も特性も知り尽くしているはずである。
そもそも天邪鬼は、自分を含む祈とノエルの3人の力で、
復活を果たした酒呑童子に太刀打ちできると踏んでいた訳で、
こと尾弐の命を賭けたこの大博打に、なんの勝算もないということはないはずだ。
さらに、鬼達の頭領を務めるほどに聡かったという話もある。
だとすればこの天邪鬼が仕掛けた抜刀が、無意味な攻撃のはずはない。
事実として、天邪鬼の放った衝撃波は、返ってきていない。
これがただ偶然、尾弐が空間を歪めた余波に呑まれて消えたのか、
尾弐が気まぐれに反転させなかったのか、外れたから意味を為さなかったは分からない。
だが、天邪鬼の攻撃に意味があるなら。
“物理的な攻撃なら反転されない”だとか、
“不可視の攻撃には使用できない”だとか、
『神変奇特』のルールの穴を突いた攻撃になり得る可能性がある。
タックルで転ばせた天邪鬼の上から退いて起き上がり、祈は尾弐を見た。
229
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/08(金) 22:02:30
>「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
尾弐は天井に顔を向け、忌々しく、狂おしく。
呪詛の言葉を吐き出し続けている。
まるで祈達など眼中にないように。否、事実、眼中にないのだろう。
あれは酒呑童子なだから。
そうあれかしが生み出した物語に語られる暴虐の酒呑童子であり、
そして、願いが叶わない故に、
世界をひたすらに恨み、憎み、悲しみ、怒り、絶望する、尾弐の姿そのものでもあるのだろうから。
世界の全てへの憎しみに比べれば、きっと祈達のことなど、やがて壊すものの一部に過ぎないのかもしれない。
ならば、今がチャンスだった。
祈達に気が向いていないからこその、最初で最後のチャンス。
風火輪は使えば炎ではなく氷を生み出し、祈を傷付ける。
なら、“使わなければいい”。
「御幸。氷か炎よろしく」
祈は尾弐に向かって走る。走ることは反転の対象外なのか、
それとも尾弐が祈に気を向けていないだけなのかは知らないが、接近は容易だった。
祈は憎しみに目を奪われて天を仰ぐ尾弐の後方に近付くと、
“腰から”持ち上げる。足が付かなければ踏ん張りは効かない。
そして、身を捩って脱出する間も与えぬまま、祈は後方に一歩踏み出し、瞬間的に加速。
「うぉらあああーーーッ!」
全身のバネを使い、尾弐を後方にぶん投げる。
投げられた尾弐の進行方向にはノエルがいる。
ノエルの足元には、風火輪が生んだ氷柱のような氷が血の池に浮かんでいて、
ノエルならばそれを上手く操作して氷の刃を作ることもできるであろうし、
己が炎に包まれることも厭わず、炎の妖術で尾弐を迎えることもできるであろう。
だがどちらにしても、これで終わることはないだろう。
氷の刃に貫かれようが、炎に巻かれようが、きっと尾弐は立ち上がってくる。
しかし、ハッキリするはずだ。
酒呑童子と化した尾弐に、何が効いて何が効かないのか。
物理攻撃が効くのか、効かないのか。炎や氷の攻撃は効くのか。
何を反転できるのか、どこまで反転させるのか。
一度反転したものは反転させられないのか――。
さまざまな疑問が解け、打開する一歩が踏み出せるはずだ。
源頼光は『神変奇特』を持った酒呑童子を破り、倒した。
そして、尾弐は『神変奇特』で自分の過去を変えることも叶わなかった。
無敵でも万能の力でもないはずなのだ。ルールが。きっと攻略法が存在する。
諦めなければそれは掴める。
なんであれ。
きっと一歩間違えば命を喪う、未だかつてない困難なミッションだけれど。
「宣戦布告だぜ、尾弐のおっさん」
都市伝説に語られる木っ端妖怪の孫に過ぎない少女は、
日本三大妖怪の一人にすら挙げられる伝説の妖怪、酒呑童子に挑む。
必ず助けるという、決意をもって。
230
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:13:41
>「は、はは…………あ、あ…………」
>「 ぜ ん ぶ …… こ わ れ ち ま え …… 」
「泣いたって駄目だよ。そんな願いを叶えさせるわけにはいかない」
選択を間違えたのではないかと葛藤する祈とは裏腹に、ノエルは尾弐の千年の悲願をきっぱりと否定する。
冷酷とすらいえる態度だが、元より冷気から生まれた雪の化身。いくら人の姿を取り繕ったところで、所詮は精霊。
血肉を持つ存在だけが抱く強烈な情念や猛執は分からないのかもしれない。
しかし、ポチとシロや、そして橘音と尾弐の様子を見ていてなんとなく分かりはじめていることもあった。
「君は生きて生きて橘音くんと……きっちゃんと永遠に幸せになるんだから……」
>「何だと……!?」
>「あ!こら!それはオモチャじゃありませんよ!返しなさーい!」
文字通りの意味で尾弐のハートをキャッチしたノエルに、天邪鬼アスタロト共々驚愕する。
「返すものか! これはお前じゃなく白い方の橘音くんのものだ!」
服で血で染まるのにも構わず大事そうに心臓を胸に抱く。
ノエルの読みがあたれば、これで尾弐が完全に酒呑童子に呑まれることはいくらか抑えられるはずだ。
ノエルはそれを破壊されないように氷に閉じ込め、しまっておくことにした。
>「ア、アナタたち、正気ですか!? 酒呑童子が復活すれば、この帝都は間違いなく滅――」
「えぇっ、もしかして逆効果!? 復活後押ししちゃった系!?
だってクロちゃん、この前白い橘音くんに心臓預けてたよ?
ってか黒橘音くん、君は酒呑童子を復活させて暴れまわらせたいんじゃなかったの!?」
>「ああいや!じゃなくてぇー……よもや、アナタたちがボクの計画に手を貸して下さるとは思いませんでしたよ!」
>「であれば、遠慮なく!クロオさんを酒呑童子にしちゃいましょう!」
アスタロトの言葉によると、今更心臓を取ろうが取るまいがあまり意味が無かった、
もしくはこの期に及んでは精神肉体共に激痛を与えることによって復活に拍車をかけただけだったのかもしれない。
それにしても、アスタロトがノエルが結果的に酒呑童子の復活を後押ししたことに少し戸惑いを見せたのは気のせいだろうか。
アスタロトはもともとは三分の二に分かたれた橘音。
橘音の良心が少しだけ残っているのではないかと一瞬期待してしまうが――
>「酒呑の気配がどんどん大きくなってやがる……!カハハ、いいぞ……!いよいよだ!いよいよ酒呑が蘇る!オレの相棒が!」
>「ハァー?誰が誰の相棒ですって?っていうか茨木さん、アナタまだいたんですか?」
>「何ィ……?」
>「ボクのお膳立てがなければ何もできなかった、中途半端な鬼風情が。ボクのクロオさんの相棒だなんて烏滸がましいんですよ」
>「話が違う……!テメェは元々、オレと酒呑とを再会させるために――」
>「そんなの、ウソに決まってるでしょ?ボクは天魔ですよ?何が悲しくてそんな慈善活動をしなくちゃいけないんです?」
>「アナタを勧誘したのも、四天王を蘇らせたのも、すべてはクロオさんに帝都を破壊して頂くため」
>「あの姦姦蛇螺をも打倒する力を持つ、酒呑童子となってね……!アッハハハハハッ!」
用無しになった茨木童子を文字通り容赦なく切り捨てにかかる様を見て、ここにいるのは飽くまでも天魔アスタロトだと思い直す。
231
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:15:56
>「もう、アナタの出番はありません。さっさとここから消えたらどうです?千年前、源頼光たちが襲来したときのように」
>「そう――我が身可愛さに酒呑童子や四天王を見捨て、ひとり逃げ出したときのようにね!」
>「――テ、メ、ェ――!!!」
「駄目だ! 挑発に乗るな!」
今のアスタロトは対鬼特攻の童子切安綱を持っている。
アスタロトに飛び掛かる茨木童子に後ろから組みついて引き止めようとするが、鬼の膂力の前では無力。
敢え無く弾き飛ばされ、気が付いた時には袈裟斬りにされた茨木童子が倒れていた。
大男だったはずの茨木童子が、美しい女性の姿となる。
>「童子切安綱は別名鬼切。アナタたち鬼を瞬時にケ枯れさせる力を持っている。……それがアナタの本当の姿ってワケですか」
>「……し……、酒呑……。酒呑……ゴメンよう、ゴメンなあ……」
>「オレは……ただ、おまえに会いたかった……おまえに、あのことを謝りたかった……だけ、なんだ……」
「やめて! ここは僕達に任せて早く逃げて!
君が死んだらクロちゃん……酒呑童子も消滅するかもしれないんだよ!?」
未だ事態の全貌をはっきりとは把握しておらず結論的には的外れな事を言って逃げるように促すノエルだったが、その理由はもう一つあった。
やっとの思いで再会しても、復活した酒呑童子が理性を保っていなかったら、更なる絶望に呑まれることになるだろう。
悪事に手を染めた目的が愛しい者に一目会いたいという上に、外見が20代中盤の美女となれば、もはや他人事とは思えなかった。
>「往生際が悪い……!さっさと死になさい、アナタはもう用済みだ!」
這いつくばって命乞いをする茨木童子をアスタロトは虫けらのように弄ぶ。
>「ハハッ!いやぁ〜、いくらボクが血も涙もない天魔でも、そこまでお願いされちゃ断りづらいですね!いいでしょう!」
>「なぁ〜んてね!そんなこと、このボクが許すはずないでしょう?ダメダメ、ダ〜メ〜で〜す!」
「やっぱり……君なんか橘音くんじゃない……!」
そう呟いて、黒橘音もとい天魔アスタロトを怒りのこもった目で睨みつけるノエル。
そして氷の剣を握りしめ、不意打ちを画策する。茨木童子に意識が集中している今ならば――
しかし、ノエルが動く前にアスタロトを左手一本で突き飛ばした者がいた。
>「きゃっ!」
「今更かわいこぶってんじゃねーッ!」
一瞬前までのドSド外道な言動にそぐわない可愛らしい悲鳴に思わずツッコミを入れつつ、茨木童子を抱き寄せた天邪鬼の方に注目する。
頭巾の下から現れた天邪鬼の正体は、酒呑童子でありながら鬼ではない存在だった。
思わぬ形で酒呑童子との再会を果たした茨木童子は、酒呑童子に謝るという1000年の悲願を遂げると眠るように消えていく。
会えて良かったという安堵と、折角会えたのにという遺憾の入り混じった気持ちでそれを見守る。
しかし、その消え方は、死ではあるが、滅びではない。だから、いつかまた――
232
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:17:04
>「アナタは……いったい、何者なのですか……?」
この疑問ばかりはアスタロトに同感し、天邪鬼の答えを待つ。
>「問われて名乗るも烏滸がましいが、今となっては是非に及ばず。……私の名は首塚大明神」
>「かつて、鬼であったころには酒呑童子と名乗り――」
>「人であったころには、そこのクソ坊主に外道丸と呼ばれていた……ほんの少しばかり賢いだけの、普通のガキよ」
天邪鬼から、これまでの経緯、自らの正体、そして尾弐の中の酒呑童子の正体が語られる。
酒呑童子を善性にある神にしたのは御前で、今回その彼が御前から派遣されてきたと聞き、
あれ?意外といいところもあるじゃんと一瞬思うが、尾弐が消えたら因果律が狂うということは
御前と契約した時点で、尾弐の願いが叶わないことは確定していたということになる。
しかし、ノエルもまた尾弐の願いを否定したわけで……
思考が袋小路にはまりそうになり、今はそれどころではないので考えないことにした。
>「そうとも、私はこのために来た。クソ坊主を救うためにな」
>「力を貸せ、東京ブリーチャーズ。貴様らにとってもクソ坊主は大切な仲間なのであろう」
>「あとは――あ奴の身体から膿を残らず出してやるだけだ。私が捨て去った、酒呑童子という力を」
天邪鬼は一行に手を貸す振りをしつつ酒呑童子復活というアスタロトの計画に加担しており、
しかしそれ自体が尾弐を救う手立てだったらしい。
>「はぁー……“言われなくても分かってる”って何度言わせんだ? 言われなくても力ぐらい貸してやるよ。
……つーかマジそーいうところだからな?
相談もなしになんでもかんでも勝手に決めて、勝手に突っ走りやがって」
それならそうと言っておいて欲しかったという祈の気持ちはよく分かる。
しかしこの計画には酒呑復活のために鬼軍団が全員死ぬのも織り込み済みだったわけで、それを聞いたら祈は反対したに違いないし、おそらくそれに引っ張られる形で自分も反対しただろう。
故に――こうするしかなかった……これで良かったのだ。そう思うことにした。
尾弐は胸に空いた穴から噴き出した黒い水――物質化した妖気に包まれると、その姿を変えていく。
姦姦蛇螺と戦った時に見せた美青年としての酒呑童子の姿、伝説に語られる大鬼としての酒呑童子の姿を経て、最後に行き着いたのは……
褐色の肌となり、額に5本の角が生えた、尾弐黒雄そのものの姿であった。
「な、なんだよ! 散々勿体ぶっといて普段と大して変わり映えしないじゃん!
もしかしてシンプルな形態が結局一番強いっていうアレ!?」
本当は否応無しに分かってしまっている。目の前に立つ者が絶望が形を成した者だということを。
だからこそ、軽口でも叩いていなければ恐怖のあまりどうにかなりそうだった。
>「私――酒呑童子が討伐されたのち、首は首塚に埋められ胴体は雨ざらしで打ち棄てられた」
>「しかし、そんな屍から心臓を抉り出し、クソ坊主に啖わせた奴がいる」
>「お蔭でクソ坊主の肉体には酒呑童子の力が宿ってしまった。アレは『酒呑童子の純粋な力の結晶』ということになるな」
救いを求めるようにポチとシロの方を見るも、ポチは倒れシロは慟哭している。
夫婦喧嘩もいいけどほどほどにしてくれ、と心底思うノエルであった。
見る限りではポチの生死は不明だが、今はポチが生きていることを信じてこちらに集中するしかない。
というか夫婦喧嘩で夫死亡、なんてシャレにもなりゃしない。
233
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:18:22
>「クソ坊主から酒呑童子の力を一滴残らず絞り出す。……なに、簡単な話よ。なんの造作もない」
>「ただ――あ奴をケ枯れさせればいいだけなのだからな。貴様ら脳の足りん連中にも理解できよう?」
>「とはいえ……それが至難というのは疑いようもないがな。死力を尽くせ――!」
姦姦蛇螺の時には真っ先に逃げようと言い出したノエルだったが、今回はそうはいかない。
こうなったのは、尾弐が願いを叶えるのを拒絶した自分達の選択の結果でもある。
放っておけば酒呑童子と化した尾弐は東京を蹂躙し、三分の一の魂しか持たない白い橘音や、未だ妖怪としての力が回復していない颯は間違いなく死ぬ。
そうなれば尾弐も永遠に戻ってこなくなる。
それに、苦しい時も死の淵に瀕した時もいついかなる時も味方だと祈と約束した。
一介の都市伝説妖怪のハーフどころかクオーターに過ぎないその祈がやる気になっているのだ
強大な力を持つ次期雪の女王である自分が怖気づくわけにはいかない。
>「クソ坊主、それは要らん荷だ。川にでも放り棄てよ、それ以上負うていたところで腰を痛めこそすれ、益はないぞ」
>「下ろし方がわからぬというのなら――我らが下ろすのを手伝うてやろう。その負い紐を断ち切ってな!!」
>「 死 ね 」
尾弐のただの一声で、周囲が地獄のような異空間に塗り替わる。
ノエルは滝のように冷や汗的なものを流しながら、分かりやすい詠唱を始めた。
「シンプルに傷つくんだけど!? せめて○ねとか氏ねとか至ねとかいろいろあるじゃん!
イッヒ・ナーメ・イスト・ドゥラ・イーモン… 冥界より来たりし凍てつく吹雪よ、我が剣となりて敵を滅ぼせ…エターナルフォース……ぎゃあああああああああああ!!」
こう見えても凡百の妖壊軍団を容易く即ケ枯れさせてきた定番必殺技は発動せず、
代わりにノエルが火だるまになって転げまわるも、割とすぐに鎮火した。
「心配ない、想定の範囲内だ……!」
恰好つけてみたところで色んな意味で心配だが、一応何も考えていないわけではない。
ノエルの姿では攻撃の出力は抑えられているが深雪の力は内に宿しているので、攻撃力より防御力が圧倒的に強いバランスとなっている。
神変奇特の回避方法が分からないため、敢えて深雪や乃恵瑠にならずにノエルで挑んでいるのだ。
深雪で全力攻撃でもしていようものならすぐに大ダメージを受けていただろう。
これで分かったことは、とりあえず発動の前振りがあるような分かりやすい妖術攻撃は容易く反転されるということだ。
と、いうことは――風火輪も炎を飛ばそうとすれば完封される可能性が高い。
祈の方を見ると、案の定膝から下が凍り付いていた。
「祈ちゃん……!」
祈を傷つけないように注意しながら氷を分離させ、祈を氷の枷から解放する。
最近は強大な妖力をぶん回してばかりだったので、こういう小技は久しぶりだな、等と思いつつ。
234
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/09(土) 09:19:41
>「小娘、雪妖、遅れるな!今までクソ坊主と培った絆の力、見せてみよ――!!」
「絆の力か……丁度いい、日頃の恨み晴らしてやる――!」
>「ば――」
>「ばっか野郎お前!? 酒呑童子には『神変奇特』って能力があるって――」
>「――知らねーのか……って、あれ?」
祈が天邪鬼の抜刀を阻止し、衝撃波が一陣だけ飛んでいく。
「反転されない……!?」
>「お前、“酒呑童子なんだもんな”……それが“効くって知ってたからやった”んだな?」
物理攻撃や見えない攻撃が反転できないのだったら大きな攻略法になる。
単に天邪鬼の動きが速すぎて神変奇特が間に合わなかった、というだけならあまり有効な攻略法にはならないが……。
何にせよ天邪鬼は多くは語らないだろう。
尾弐が転じた酒呑童子は自分自身の能力の全貌を把握しきれていない可能性があるので、
相手に攻略法を教えたくないというのもあるのかもしれない。
>「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
尾弐がこちらの事など眼中にないように天上を仰ぎ憎しみを吐き出し続けているのをチャンスと見たのか、祈は突進する。
>「御幸。氷か炎よろしく」
「よろしくって……えぇ!?」
一瞬後には祈は拍子抜けするほど容易く尾弐に接近したのみならず、なんと腰から持ち上げてみせた。
風火輪を使うようになってから随分お洒落な戦闘スタイルになって忘れていたが、
元々祈はこういうバリバリのパワーファイターだったのだ。
>「うぉらあああーーーッ!」
「投げたぁあああああああああああ!?」
祈に投げられた尾弐が飛んでくる。
一見すると文字通りのキラーパスにしか見えないが、祈の意図は分かっていた。
>「宣戦布告だぜ、尾弐のおっさん」
「全く世話が焼ける……ほんと、仲人も楽じゃないよな!」
先程風火輪の炎が反転して出来た氷柱をまとめあげ、一本の巨大な氷柱として尾弐を迎撃する。
――もしもこの攻撃が通用すれば、いくつかの可能性が浮上する。
一度反転したもののの再反転は出来ない、
もしくは物理攻撃は反転できず且つ妖力によって作られた氷も物理攻撃に含まれる――概ねこのどちらかになるだろう。
235
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:00
完全な暗闇――死の淵の中にあって、しかしポチは意識を保っていた。
そこが己の魂か、精神か――とにかく内面の世界である事も、理解していた。
「……出て来いよ。いるんだろ、『獣(ベート)』。力を貸せ」
黒闇の中、ポチは呼びかける。
対する返事は――何処からともなく響く、嘲笑だった。
「ほう、力を貸せ……か。ではこの俺に、一体何をして欲しいと言うのだ?」
「とぼけるなよ、分かってるだろ。僕は今、死にかけてる……お前の力が必要なんだ」
強大な妖力を持つ存在は、致命傷を負っていてもなお生き長らえる事が出来る。
丁度、首だけで、あるいは心臓だけで生きてきた、悪鬼どものように。
今のポチによってはそれだけが、死を免れる為の唯一の希望だった。
「ああ、そうだった。そうだったなぁ……いいだろう。
お前の望む通りにしてやる。その対価に、お前がお前の肉体を寄越すのならば、な」
「……僕が死ねば、お前にとっても都合が悪いんだろ。だからあの時も」
「あの時?……ああ、お前があの狐風情に操られ、死にかけた時の事か」
『獣(ベート)』は再び、噛み殺すような笑いを零す。
そして――
「あれはな、嘘だ。いや、罠だったと言うべきか」
事もなげにそう言った。
「ああ言っておけば、お前は必ず俺を当てにする。
もう一度、己以外の為に命を擲つ時が来る……そう思って、ああ言ったのだ。
まさかこんなにも早く、そうなるとは思っていなかったが」
「……別に、お前を当てにしてた訳じゃない」
「だとしても結果は変わらない。
お前に残された道は死ぬか、俺に体を明け渡すか……その二つだけだ。
……今ならあの白狼くらいは、見逃してやってもいいぞ」
嗜虐に満ちた『獣』の声。
ポチは――何も言い返さない。
ただ周囲を見回し――不意に、頭上を見上げる。
暗闇の中、その無明の暗黒よりもなお色濃い、血色の獣が見えた。
ひび割れた甲冑。全身を覆い切れていない、燻る炎。
無残な姿の、血塗れの獣が。
「それが、お前か」
現代においても、獣は農作物を荒らし、時には人の命を奪う。
だがその脅威は、昔よりも遥かに小さくなった。
科学が人の縄張りを広げ、安価で高性能な銃と弾丸が流通した事で。
『獣』を形作るモノ――獣への恐怖は、変わった。
ジェヴォーダンの獣が、狼王ロボが生きた時代とは、全く異なる恐怖が現代にはあった。
命を奪われる事への恐怖ではなく――彼らが、いつか滅びてしまう事への恐怖。
ポチがずっと『獣』の形を掴めなかったのは、距離があったからだ。
生者と、滅びゆく者との隔たりが。
華陽宮で死に瀕し、そして今、滅びにすら足を踏み入れた事で、やっとその姿が見えたのだ。
236
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:42
「……見たな。この『獣』の……落ちぶれた、姿を。
惨めだろう?『かくあれかし』……なんと忌々しき言葉よ」
ポチより何倍も巨大な狼が、憎悪を宿した双眸で彼を見下ろした。
「……人間風情が!この『獣(ベート)』を!獣をッ!滅びゆく者と見縊るとは!
俺達を蹂躙したつもりになって……これ以上踏み荒らせば、殺してしまうだなどと!」
怒声が爆ぜる。
「お前の同胞とてそうだ!死するはずのない貴様の種が何故絶えたか!
人間がそう思い上がったからだ!人間ごときが!誇りある獣を!」
だが憤怒の炎はすぐに鎮まり――『獣』は力なく首を振る。
「……滅ぼしたなどと、認められるか」
滅びゆく者から匂い立つ、濃厚な死血。
その中にあってなお掻き消されぬ、悲哀のにおいが、ポチの鼻孔に届いた。
「……だからあの時、僕を助けようとしたのか」
「そうだ……滅びたはずのニホンオオカミ。
それが再びこの地に現れ……人を襲い、殺し回れば……奴らは嫌でも思い知る。
野生とは、獣とは、その矮小な尺度で計り知れるものではないと」
『獣』の双眸が、再びポチを見つめる。
憎悪ではなく、冷酷さを帯びた眼光。
「だが、これで分かっただろう……俺の肉体は、お前でなくとも問題ない。
獣の恐怖を再び知らしめるだけなら、次でも出来る。
……出来る事なら、お前の方が好ましいというだけで」
『獣』の力が得られなければ死ぬしかないポチと、
送り狼の肉体が必ずしも必要ではない『獣(ベート)』。
どちらが相手に屈し、仰臥するべきかは、明白だった。
「……体を寄越せ。お前の妻にも、仲間にも、手出しはしない。
群れに留まる事は出来ん……だが、奴らが窮地にあらば、必ず駆けつける。
『獣(ベート)』の名と、誇りにかけて誓ってやる」
数秒の沈黙。
そしてポチは――
「……駄目だ。僕はあの子に言ったんだ。一緒に帰ろうって」
迷いなく、そう答えた。
瞬間、『獣』が目を見開き牙を剥き、纏う炎すら燃え盛り、怒りを露わにする。
「聞き分けろ小僧!貴様と同様に、この俺にも譲れぬモノがある!己が妻を残して、死ぬつもりか!」
「いいや、お前は譲るよ。絶対に」
『獣』はなおも気炎を吐こうと息を吸い、しかし二の句を継げない。
口腔を通る吸気には、自身の血のにおいだけが満ちていた。
断言するポチの矮躯からは――嘘のにおいが、しなかった。
故に困惑する。この状況でなおも、己に肉体の支配権を譲らせる何かが、本当にあるのか。
だとすれば、それは一体――と。
237
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:34:58
「シロちゃんは、僕のものだ。ニホンオオカミを蘇らせる……それが出来るのは僕と、あの子だけだ」
そして、ポチは口を開く。
「誇りある獣が……失われたモノが、帰ってくる。お前はその未来を捨てられないよ。
それがどんなに切実で、重い願いなのか、僕は知ってる……そして、お前も」
そう、『獣(ベート)』は既に知っている。
かつてロボとしての生を過ごした中で――命よりもなお重い、愛を。
その愛があるからこそ、『獣』には決して出来ない。
滅び去っていった同胞達が、この世に戻ってくる――その機会を潰してしまう事は。
「それに……滅びたはずのニホンオオカミが、いつのまにか蘇ってたら。
きっと人間はこう思うさ。獣は……自分達の想像よりもずっと強かったって。だろ?」
あくまでも気概の芯を失わない、ポチの声。
『獣』は――答えない。
代わりに暫しの沈黙の後、
「……一つ、聞かせろ。そうならなかったら、どうする」
小さく呟いた。
「人間は、愚かだ。滅んでいなかったなら、もっと強く踏み躙ってもいい。
奴らはきっとそう考える。そうなった時……お前は、どうするんだ」
「……そうなった時は」
ポチの言葉が、そこで途切れた。
『獣』が何を聞きたがっているのかは、分かっている。
つまり、何を最も重んじるか――逡巡は、一瞬だった。
「僕の方からお前を呼ぶさ。力を貸せってね」
「……誓えるか」
「狼の誇りと、ロボに誓ってもいい」
その答えを聞くと、『獣』はその凶悪な牙を剥き出しにして――しかしどこか穏やかに、笑った。
「……その時が来ない事を、精々祈るといい」
瞬間、『獣』の肉体が溶け落ちる。
「俺も、そう祈っていよう」
甲冑も、燻る毛並みも、全てが赤黒い血として溶けて、ポチへと降り注いだ。
血は独りでにポチの足から、徐々に上へと這い登る。
そしてその五体へと、染み込んでいく――文字通りの、血肉として。
「行け、次代の王……手前の妻を、いつまでも泣かせてんじゃねえぜ」
238
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:35:37
気がつけば、ポチはシロの腕の中にいた
己を抱き締めて、終わりのない慟哭を上げるシロ。
「……泣かないで。君を悲しませたかった訳じゃないんだ」
その頬を、流れる涙を拭うように、ポチの舌が舐めた。
「伝えられたかな、僕の答え……僕の、気持ち。
僕が君の為に死ぬのに、理由なんていらない」
皆で生きて、いつもの日常に還る為。
そんな大層な理由はいらない。
シロが泣いたから――それだけで、ポチは己の命を忘れられる。
「……ごめんね。こんなモノしかあげられなくて。
ずっと、君に寂しい思いをさせてきたのに」
それがポチに出来る唯一の、愛の証明だった。
絶対的な強さを持たぬ以上、命を懸けねば目的を果たせない状況は必ず訪れる。
それでもシロだけが特別なのだと示したければ――方法は、これしかなかった。
「だけどこれからは、もうそんな思いはさせないから。
君にもっと、もっと、色んなモノをあげられるように、頑張るから。だから……」
そして――ポチはシロの腕から脱すると、人へと変化。
彼女に背を向けて――こう言った。
「……だから絶対、一緒に生きて帰ろう」
ポチの視線の先には――尾弐がいた。
打ち砕かれ、崩れ落ち――正真正銘の悪鬼と堕ちた、尾弐黒雄が。
>「 死 ね 」
酒呑童子の妖力を帯びた言霊が、空間を歪め、変容させていく。
ほんの瞬きほどの間に、眩い照明に照らされていたはずのフロアは、薄暗い、石天井と黒闇の牢獄に成り果てる。
果てしない空間に渺と広がる赤い液体からは、目眩がするほど濃い、酒と――血のにおいが立ち昇っていた。
>「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎イ憎イ憎イ憎イ」
尾弐――否、酒呑童子は石天井を見上げて、壊れたように憎悪の言葉を紡いでいる。
ブリーチャーズ、そして天邪鬼の事など――眼中にないように見えた。
獣の直感は、ポチに今すぐ逃げるべきだと告げていた。
あそこにいるのは間違いなく『妖壊』で、万全の状態であっても戦えば無事では済まない。
それどころか敗北する可能性の方が高い。
いわんや死の淵から這い上がったばかりの体で挑むなど、自殺行為だと。
しかし――狼の愛情は、その直感と相反していた。
今が一体どういう状況なのかは分からない――が、仲間達はやる気だ。
勇気と、決意と、愛情のにおい――あの悪鬼に挑み、倒して、救うつもりでいる。
彼らを――そして尾弐を、置いて逃げ帰る事など出来る訳がない。
ポチは一歩、尾弐へと歩み――しかし二歩目が踏み出せない。
どれほど愛と勇気を振り絞ろうと、己の肉体が瀕死の状態にある事は変わらない。
爪を刃とする為の指の固めが、今までになく緩い。
これでは鬼の強靭な皮膚を引き裂く事など到底叶わない。
足も、床をしかと踏み締められていない。
背丈の低いポチが踏み込みまで浅くなれば、それはただの的だ。
ポチには直感的に理解出来た。
今挑めば、間違いなく殺される。
血と酒のにおい香り立つ妖力を躱す事も、打ち払う事も出来ず、殺される。
悪鬼の皮膚と筋骨に、んの小さな傷も痛みも刻めずに、殺される。
239
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/10(日) 07:38:02
犬死は出来ない。
だが祈とノエルが危険に飛び込んでいくのを、ただ眺めている事も出来ない。
ならば――どうするべきか。どうすればいいのか。
数秒、ポチは考え込んで――その場で完全に、足を止めた。
自分には、シロとの約束を破る事は出来ない――どうしても死ぬ訳にはいかない、と。
「……おい、アレがお前のハッピーエンドか?」
そして立ち止まったまま――そう、問いかけた。
「違うだろ……力を貸せよ、アスタロト。尾弐っちを、助けるんだ」
ポチは知っている。
那須野橘音――アスタロトが、尾弐を好いている――愛している事を。
この状況がどこまで彼女の想定の内かは分からない。
だがどう贔屓目に見たとしても、あそこで憎悪を垂れ流す存在は――尾弐ではない。
少なくともポチの知る、那須野橘音が愛する、尾弐黒雄では。
それに加えて、ポチには分かる。
アスタロトから嗅ぎ取れる、平穏ならざる感情の残滓。
つい先ほどまで死の淵にあったポチに、現状の詳細は分からない。
だがこの状況に、アスタロトは少なからず心を乱された。
であれば――ポチは考えた。
今なら、アスタロトをこの戦いに巻き込めるかも――利用出来るかもしれない、と。
「勿論、タダでとは言わないさ」
だが相手はあのアスタロトだ。
力を貸せと言って快諾されるとは思えない。
故にポチは――
「……アイツの力が欲しいんだろ。だったら持っていけばいい。その時は、僕は見ないふりをしてやるよ」
そう言った。
それは交渉ではない――挑発だった。
愛する者を救うという行為に、ポチは利害を塗りつけたのだ。
愛だけでは動けないなら――これで満足か、と。
240
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:31:12
>「 死 ね 」
憎悪の、怨嗟の、憤怒の、形容できない諸々の負の感情が籠った、その言葉。
認識が、理解が、常識が――世界が塗り替えられる。
酔余酒重塔、人間の技術の粋を尽くした産物であるはずの東京スカイツリーが、それとは真逆のものに変質してゆく。
空間が歪められ――出現したのは、石の牢。
「これがクソ坊主の心象風景か。千年間もの間、ヤツの魂はずっとこの石牢に囚われ続けてきた……ということらしい」
天邪鬼が口を開く。
尾弐黒雄、否、その前身であった僧侶。
彼が心に抱いてきた、外道丸を救えなかったという自身への後悔。無慈悲な人間への怒り。茨木童子ら無道な妖怪への憎しみ――
それらが彼の中に在る最も暗い過去の記憶と結びつき、酒呑童子の妖力によって具現化した空間。
いわば、酒呑童子――尾弐黒雄の固有結界。
この空間内では、尾弐は自らの権能を完全に使いこなすことができる。
半面、結界内に囚われた者たちはただ存在するだけで空間に満ちる死気に当てられ、体力を消耗してゆく。
あるいは、この空間は姦姦蛇螺の体内よりも危険な場所と言ってよかった。
「長く戦えば我らの不利。出し惜しみはするな、半妖。最初から全力で行け」
>はぁー……“言われなくても分かってる”って何度言わせんだ? 言われなくても力ぐらい貸してやるよ。
……つーかマジそーいうところだからな?
相談もなしになんでもかんでも勝手に決めて、勝手に突っ走りやがって
祈がぼやく。真意を明かさず利用し、今この場においても力を貸せと一方的に言っている事に対して文句があるという様子だ。
ク、と天邪鬼は口の端を幽かに釣り上げた。
「それは悪かったな。だが、私にもいろいろと込み入った事情がある。察せ」
「貴様の大事な『尾弐のおっさん』を元に戻さねばならん。私も、こ奴に言いたいことがあるのでな。今のままでは話もできん」
ちき……と、天邪鬼が鯉口を切る。
しかし、天邪鬼がまず尾弐へと初太刀を浴びせようとした刹那、祈が天邪鬼に飛びついてそれを阻止した。
神域の抜刀術を持っているとはいえ、体格自体は祈とさして変わらない。そして、天邪鬼は祈のような怪力を有していない。
祈のタックルに、天邪鬼はあっさりと組み伏せられた。
「おい。何のマネだ……?」
>ばっか野郎お前!? 酒呑童子には『神変奇特』って能力があるって――
>――知らねーのか……って、あれ?
>お前、“酒呑童子なんだもんな”……それが“効くって知ってたからやった”んだな?
「さて。どうかな……知悉“していた”と言った方がいいのかもしれん」
「なぜなら、私の知っている神変奇特の力とクソ坊主の使う神変奇特の力は、異なっている可能性があるからだ」
仰向けに倒れたまま、天邪鬼は告げた。
天邪鬼が酒呑童子として京の都に君臨し、神変奇特の力を使って暴威を振り撒いていたのは千年前。
当然、天邪鬼は千年前の神変奇特の力しか知らない。
しかし、今は21世紀。天邪鬼が神変奇特の力を有していた頃から、遥かに長い年月が流れている。
もし、尾弐がその間に蓄積した憎悪や怨嗟の力をも上乗せして、神変奇特の力を使うのならば。
それは間違いなく、天邪鬼の理解を上回る力となっていることだろう。天邪鬼はそれを確かめようとした。
祈が立ち上がると、天邪鬼も剣を杖代わりにして立ち上がる。
「出力が増しているのは間違いなかろう。ヤツは確実にかつての私よりも強い。だが……その本質が変わることはないはず」
「まずはヤツの持つ神変奇特の力がどのようなものなのか、小手調べといこうと思ったが……この馬鹿め」
とは言うものの、殊更に祈を責めるような響きはない。
自分に代わり、尾弐へ向かって一直線に疾駆する祈を眺めながら、天邪鬼は小さく息をついた。
「やれやれ……せっかく人身御供になってくれようと思っていたのに、先を越されたわ」
「しかし、今クソ坊主を呪縛から解き放つのに必要なのは、あんな向こう見ずな勇気……なのかもしれん」
千年の時の流れの中で、尾弐が失ったもの。
それはもう、恐らく彼のもっとも大切だった存在である外道丸にさえ取り返すことはできないだろう。
だが、失ったものがあれば得たものもある。
失ったものよりももっともっと大きく大切なもの、新たに培った絆と愛が尾弐を救うことを、天邪鬼は願った。
241
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:31:32
「ああ……、あなた、あなた……!死なないで……わたしを置いていかないで……」
力尽き、狼の姿に戻ったポチを強く抱きしめながら、シロはぼろぼろと涙を流して懇願した。
せっかく、我儘を聞いてもらったのに。一緒にいてもいいという許しをもらったのに。
その直後にポチが死んでしまっては、なんの意味もない。
しかも――誰より大切な夫の命を奪ったのが、自らの攻撃であるなどと!
もはや、死すらもふたりを別つことはできない。万が一ポチが死ぬようなら、自分も生きながらえようとは思わない。
ポチが絶息した瞬間、自らも爪で喉を切り裂き、自裁するつもりでいる。
……だが、そうはならなかった。涙で曇るシロの視界で、抱きしめたポチが身じろぎする。
ポチはうっすら目を開けると、シロの目許を舐めた。
>……泣かないで。君を悲しませたかった訳じゃないんだ
「!!……あなた、あなたッ……お目が覚めたのですか……」
>伝えられたかな、僕の答え……僕の、気持ち。
>僕が君の為に死ぬのに、理由なんていらない
「……はい……、はい……!確かに伝わりました、あなたのお答え、お気持ち……」
>……ごめんね。こんなモノしかあげられなくて。
>ずっと、君に寂しい思いをさせてきたのに
ポチが謝罪する、シロはぎゅっと目を瞑り、何度もかぶりを振った。
我儘を言ったのは自分だ。大切にされている、愛されているとわかっていながら、それ以上を求めてしまった。
しかも、東京ブリーチャーズの敵に回る、という悪手まで用いて。それは到底許されることではないはずだ。
けれど、ポチはシロを責めなかった。
あるのはただ、シロを悲しませ泣かせてしまったということに対する詫びの言葉だけ。
>だけどこれからは、もうそんな思いはさせないから。
>君にもっと、もっと、色んなモノをあげられるように、頑張るから。だから……
シロの抱擁から離れ、立ち上がったポチが狼から少年の姿へと変化する。
その小さな、けれど確かに次代の王を感じさせる立ち姿を、シロは血だまりの中にぺたんと座り込んだまま見遣った。
>……だから絶対、一緒に生きて帰ろう
「……はいっ……!わたしは、シロは……いついつまでも、永劫……あなたのお傍に……!」
涙はまだ止まらない。だが、それはもう慟哭の涙でも、後悔の涙でもない。
ポチの強い決意を秘めた言葉に、シロは嬉しそうに頷いた。
……だが。
ポチとシロのあまりにも壮絶な夫婦喧嘩は終止符を打ったものの、それで何もかもが一件落着したわけではない。
むしろ、本命が残っている。これから、この場にいる全員が死力を尽くして尾弐黒雄を、かつての仲間を倒さなければならない。
ポチは動かない。……いや、動けない。
獣の鋭敏な感覚が、捕食動物の本能が、戦えば間違いなく死ぬ――ということを感じ取っているのだ。
「あなた……」
シロが立ち上がり、そっと後ろからポチを緩く抱く。ちゅ、ちゅ、とその髪や米神に口付けを落とす。
尾弐の、酒呑童子の恐ろしさと強さはシロもひしひしと感じている、万全の時ならまだしも、今戦えば確実に負けるだろう。
けれども、ポチが逃げないのであれば、自分も逃げる気はない。共に、この石牢の中で果てることになろうとも。
ポチとシロの視界の先で、祈とノエルが尾弐と戦っている。
今まで幾多の戦いを経、遥かにレベルアップしたふたりの力をもってしても、尾弐に勝つことはできない。
すべてを反転し、逆しまに塗り替える――五大妖でさえ持ちえない因果逆転の力、神変奇特。
それは一介の妖怪風情にはとても凌げるものではない。
絶対的窮地。逃れることのできない、確実な敗北。失意のうちの死――。
しかし。
待ち受ける絶望に対してポチが選んだのは、戦うことでも降伏することでもなく。
ただ、対話だった。
242
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:32:00
「……これは……なんと……」
認識が塗り替わり、世界が反転してゆく。
ハイテクを駆使した21世紀のバベルの塔から、いかにも古々しい石牢へと変容した空間を見上げ、アスタロトは瞠目した。
空間変容など、大妖クラスの使用する術だ。自分も五大妖以外に使い手を見たことがない。
それをこともなげにやってしまうということは、尾弐が間違いなく大妖クラスの力を手に入れたということの証だろう。
この力が外界に向けば、間違いなく東京は滅ぶ。この石牢の中の血だまりに浮かぶ多くの屍たちのように。
現実の東京都内にも、数えきれないほどの屍が転がることになるだろう。それこそ、アスタロトの希望したものだ。
……いや。
本当にそうか?
「いいえ……いいえ……。計画は万事順調!すべてボクの思い通りに進んでいますとも……!」
尾弐や祈、ノエルのいる場所からやや離れたところで、アスタロトはそう独りごちた。
右手で黒い半狐面を押さえ、自分自身に言い聞かせるように唸る。
そう、計画は順調そのもの。何もかもがアスタロトの思惑通りに進んでいる。
かつての酒呑童子が天邪鬼を名乗り、素性を隠して乱入してきたのは予想外だったが、それも些末なことに過ぎない。
完全復活した酒呑童子の前には、東京ブリーチャーズなど木っ端のようなもの。祈も、ノエルも、ポチも、シロも死ぬだろう。
そうして尾弐を酔余酒重塔から解き放ち、思うままに暴れさせる。東京の全てを破壊させる。
しかる後に龍脈を制圧し、その力を独占する――それが天魔の計画であった。
計画は完遂されつつある。アスタロトはこれ以上は何もせず、ただ目の前の一方的な虐殺劇を見ているだけでいいのだ。
……というのに。
「……ク……、ソ……」
なぜか、気分が晴れない。アスタロトは強く奥歯を噛みしめた。
自分が望んだことだというのに。自分が考え、実行したことだというのに。
探偵にとって、自分の想像通りに物事が運ぶことほど愉しいことはないというのに――
あの、黒く反転した尾弐を見るたび、胸がきりきりと締め付けられるように痛くなる。
泣きたくなるほど切なくなる……。
そして。
>……おい、アレがお前のハッピーエンドか?
そんなアスタロトの乱れる心に、ポチが楔を打ち込む。
「……なんですって?ポチさ――」
>違うだろ……力を貸せよ、アスタロト。尾弐っちを、助けるんだ
「ハハ……、世迷言を!ボクを誰だと思っているんですか?ボクは天魔アスタロト!地獄の大公爵ですよ!?アナタたちの敵だ!」
「そのボクに助けを求めるなんて!絶体絶命の窮地に追い込まれて、ヤキが回ったってやつですか?アッハハハハハッ!」
アスタロトは哄笑した。だがその笑い声は固く、勢いがない。
ポチは構わず続ける。
>勿論、タダでとは言わないさ
>……アイツの力が欲しいんだろ。だったら持っていけばいい。その時は、僕は見ないふりをしてやるよ
ポチの言葉は、祈やノエルが聞けば必ず反対するであろう内容だ。
しかし、アスタロトはその言葉の裏に隠された真意をすぐに読み取った。――それは挑発だった。
決して短いとは言えない付き合いの中で、ポチはアスタロトの、否……那須野橘音の性格を知っている。
いつもおどけて言っていた、尾弐のことが好きだという言葉も――それが嘘偽りでないということを、においで知っている。
だからこそ、ポチは言ったのだ。那須野橘音の愛情と、アスタロトとしての立場。その両者を鑑みて。
『計画のためという大義名分があれば、尾弐を助けられるだろう?』と――。
人の脛に身体を擦り付けるのが大好きだった、無垢なすねこすりの少年。
子どもだとばかり思っていた彼が告げる、老獪としか言いようのない交渉に、アスタロトは小さく笑った。
「……駆け引きがとてもお上手になりましたね、ポチさん」
悪意に満ちた揶揄ではなく、心からの素直な評価。
束の間、アスタロトは唇に右手の人差し指を添えて思索する。
それは那須野橘音が普段からの癖としている、心から悩んでいるときの仕草だった。
243
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:32:52
計画は順調。もはや誰も酒呑童子と化した尾弐を止められない。それこそ、五大妖クラスでなければ無理だろう。
そして、五大妖がこの場に降臨することはまずない。大物であればあるほど、軽々しく動けないのは世の常だ。
それは人間も妖怪も変わらない。もし五大妖が動くような事態になるとしても、その結論に至るまでは相当時間がかかるはず。
自分たちはそれまでに龍脈を掌握してしまえばいい。となれば、もはや五大妖でも天魔を止められない。
そのまま天魔が東京を起点として世界を塗り替える。地上に地獄を顕現させる――。
そう。すべては計画通りなのだ。
だというのに、計画の完遂を前にしても、まるで心が晴れない。それどころか不快でさえある。
その理由は何か?答えは簡単だった。
『その中心に、尾弐がいるから』。
どれだけ敵対しても、もう道が交わることはないと理解していても、やはり。心が拒絶してしまう。
尾弐が絶望し、慟哭し、壊れていくのを是としない自分がいる。
助けてあげたいと。そう願ってしまう自分がいる――。
「……でも、無理ですよ……。今さらボクに何をしろって言うんです?もうネタバレしちゃいますが、童子切は使えませんよ」
「この刀は使用者に達人クラスの剣技を与えますが、同時に恐ろしく妖気を喰うのです。風火輪と一緒ですよ」
強力な妖具の類は使用者に多大な負担を強いる。それは童子切安綱も同様であったらしい。
アスタロトが学ランの前を開くと、護符やタリスマン、宝珠の類がボロボロと零れ落ちた。
かつてコトリバコとの戦いの際、数多くの護符を学生服の内側に縫い付けて呪詛を防いだ時のように。
今回もアスタロトは入念にアイテムでブーストをかけた上で童子切を使い、自身のケ枯れを防いでいたらしい。
「ボクがこの刀を振るうのは、一度が限度。それ以上は力がついていかない」
「まして、この魂が不完全なボクの状態じゃね……。ですからポチさん、ボクの力を当てには――」
アスタロトはそう言ってかぶりを振り、俯いた。
実際、アスタロトが剣を振る必要は一度しかなかった。どのみちこの剣は茨木童子を葬るためのものだったのだ。
そして、その役割を果たした以上、アスタロトにはもうなんの力もない。計画の流れとしては、それでなんの問題もない。
だが――今となってはその余裕のなさが悔やまれる。
すべてにおいて水も漏らさぬ完璧な計画を立てていたがゆえ、アスタロトは想定外の事象に対応する手段を持たない。
もちろん、もしものときのために逃亡する手段くらいは持っていたが、それだけだ。
今の、魂が賦魂の法によって魂を分割した不完全な姿のアスタロトに尾弐を救う手立ては――
「簡単な話。不完全だと言うのであれば、完全になればいいんです。……そうでしょう?もうひとりのボク」
声は、不意に傍らで聞こえた。
「!!!」
アスタロトははっとして顔を上げた。
見れば、いつのまにか目の前に白い半狐面をかぶった黒衣の探偵が――自分自身が立っている。
「……白い……ボク……なぜ……」
「アナタの張った結界を無効化するなんて、ボクには朝飯前。だって、ボクはアナタなのですから。――それはともかく」
「ボクたちはかつて、仲間たちを助けるために魂を分割した。だったら……今回も。仲間たちを助けるため、元に戻りましょう」
「血迷ったんですか……?同一人物とはいえ、ボクとアナタは敵同士だ。それが今さらひとりに戻る?バカげてる!」
アスタロトは左手を大きく横に振って拒絶した。
確かに、ふたりが元のひとりの人格として統合され、魂も完全なものに戻れば、今とは比較にならない力が使えるようになる。
正体を隠す必要もないから、アスタロトは自分本来の地獄の大公爵としての権能を余すところなく使用できるだろう。
とはいえ、その実現は不可能だ。同じ那須野橘音ではあるものの、今やふたりの立場は真逆。
東京を守る側と破壊する側に分かれ、今まで相争ってきたのだ。
合体してひとりに戻り、アスタロトとしての人格にエラーでも出ようものなら、すべてが水の泡であろう。
橘音は軽く肩を竦めた。
「立場的にはそうでしょう。けれど、現状ボクたちの目的は一致している。クロオさんを助けたい、その気持ちは同じです」
「ボクとアナタ、ふたりが雁首揃えていても、役立たずが二人いるだけ。でも――元に戻ればそうじゃなくなる」
「……主導権は?言っておきますが、今ひとりに戻れば魂の総量の分だけボクの意識が残る可能性が高いですよ。アナタは消える」
アスタロトが凄む。ここで意識を消される訳にはいかない。ひとつに戻った肉体の主導権をどちらが握るか、は重要だ。
しかし、橘音は小さく笑って言った。
「いいですよ、別に。……それにね、ボクは消えるんじゃない。あなたとひとつになる、元の状態に戻るだけです」
「……彼らと敵対することになりますよ?アナタの知恵がなければ、彼らは生き残れない」
「いいえ。彼らはもう大丈夫ですよ……ボクがいなくても。さ、時間がありません。早く――」
すい、と橘音はアスタロトへ向けて右手を差し出す。
逡巡しながらも、アスタロトもまた橘音へ右手を伸ばした。
244
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/11(月) 14:34:02
「……ポチさん」
ふと、橘音はポチの方を見た。
「ありがとうございます。もうひとりのボクは素直じゃないので、人助けにも理由が必要だった。アナタのお蔭です」
そう言って、にっこり笑う。
橘音とアスタロト、ふたりの手と手が触れ合う。
「もう、ボクなしでもアナタたちはやっていける。これからの東京ブリーチャーズは、アナタたちが引っ張っていくのです」
「……あとのことは、頼みましたよ」
カッ!!
ふたりが手を重ねた瞬間、眩い光が一瞬周囲を照らした。
橘音の身体が徐々に光に変わってゆき、アスタロトの中に溶けてゆく。
アスタロトの黒い半狐面が白くなり、それとは逆に白い学ランが黒くなってゆく。
別たれていた魂がひとつに融合し、本来あるべき姿へと戻ってゆく――。
そして、光が収まったあとの空間には、ひとりになった那須野橘音が佇立していた。
「………………」
橘音は自らの右手に視線を落とすと、白手袋に包んだ手を軽く握ったり開いたりしてみせた。
身体の具合を確認し、異常がないことを実感すると、橘音はゆっくりポチとシロの方へと歩み寄ってきた。
ウウ……とシロが低い威嚇の唸り声をあげる。
橘音がポチとシロへ向けて手のひらを開いた右手を突き出す。その途端、ふたりの足許に魔法陣が出現する。
とはいえ、その魔法陣は尾弐を束縛していたようなものとは違う。
淡い輝きが魔法陣から放たれると、ふたりの傷が僅かに癒えてゆく。全快には程遠いが、動き回ることくらいはできるだろう。
「さて。やりましょうか、ポチさん。アレはクロオさんじゃない、本当のクロオさんはもっと強くて。大きくて、優しくて――」
「……ボクのことを、いっぱい。いっぱい、見てくれるんだ」
例え、その出会いが御前の画策した余興の一部に過ぎなかったとしても。
『滅び』という事項によって結びついた関係でしかなかったとしても。
……それでも。
那須野橘音が尾弐黒雄に惹かれた、その一点だけはまぎれもない真実。
ならば、橘音がなすべきことは決まっている。
酒呑童子の邪悪な力から、尾弐を取り戻す。救い出す、助け出す――
それが天魔の、“あの男”の意に反する結果となろうとも。
「……ふっ!!」
酒気の満ちる空間の中、だん、と強く地面を蹴ると、橘音は一気に童子切安綱を抜刀した。
そして、今現在戦っている最中の祈やノエルに迫る神変奇特――反転の妖術を唐竹割に両断する。
「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
白刃を構えたまま、橘音は笑って祈とノエルに言った。タイタニックなら沈むだろ!とのツッコミは不要である。
「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
ひゅん、と一度刀を血振りする。
「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
天邪鬼がからかうように笑う。橘音は黒い学ランの胸をこれでもかと反らしてみせた。
「クロオさんはカッコイイですから。ボクみたいな美少女なら即オチってなものですよ!」
「惚気か?いいさ、後でたっぷり聞いてやる。いい酒の肴になるだろうよ」
「マーライオンみたいに砂を吐かせてご覧に入れますよ、ウフフ!」
かつての尾弐のパートナーと、現在の尾弐のパートナー。ふたりが顔を見合わせニヤリと笑う。
「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
仕込杖を手に天邪鬼が提案する。祈とノエルは尾弐の攻撃を気にすることなく、能力破りに集中していいということだ。
「さあ――行きますよ!!」
橘音が先陣を切り、尾弐の注意を引き付ける。天邪鬼がそれに続く。
千年の絶望が尾弐を闇に染めたというのなら、それを打ち破ることができるのは絶望に勝る希望の力だけだ。
愛はそこにある。確かに尾弐にも根付いている――はず。
今こそ、その力を知らしめよう。妄執の石牢を打ち壊し、尾弐の心に眩しい光を差し込ませよう。
ここが、文字通りの正念場だった。
245
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:55:20
変質した尾弐……酒呑童子を前にしても尚、引く事を選ばない東京ブリーチャーズ。
だが、彼らの進撃が酒呑童子へと届く事は無いだろう。
――――『神変奇特』
高きを低きに、聖を邪に、万物悉くその理を反転させる酒呑童子が異能。
嘗て京の都にて猛威を振るったその権能が、超えられぬ壁として眼前に立ち塞がる限り。
>「……っ!!?」
炎を纏い使用者を強化して見せる宝貝、風火輪。
幾度も祈を助け、危機を脱する力となってきた道具は、瞬く間にその性質を反転されてしまった。
この戦いの最中においては、駆動すればする程に冷気を産み出し、使用者である祈を地へと縫い付ける枷としかならないだろう。
>「シンプルに傷つくんだけど!? せめて○ねとか氏ねとか至ねとかいろいろあるじゃん!
>イッヒ・ナーメ・イスト・ドゥラ・イーモン… 冥界より来たりし凍てつく吹雪よ、我が剣となりて敵を滅ぼせ…エターナルフォース……ぎゃあああああああああああ!!」
雪女。雪害の化身を根幹とするノエルの氷雪。
数多の戦闘を経て強力な武器と化した冷気は、燃え盛る炎と化してノエル自身を焼かんとする。
初撃こそ、攻守における力の配分により難を逃れた様だが……この現象が示した制約は重い。
何故ならば、氷が炎へと変えられるという事は、氷雪による範囲殲滅攻撃が封じられた事を示しているのだから。
氷雪であれば荒れ狂う吹雪すら支配出来よう。けれど、己と味方を焼く業火を雪妖に制御する術はない。
ノエルが暴威により災厄の魔物としての力を示す事は、そのまま己と味方の全滅を示す事となってしまった。
恐るべきは、尾弐がこの反転の権能を意識する事無く、半自動的に用いている事だ。
呪詛の言葉を吐く尾弐は、未だ東京ブリーチャーズを個体として認識してすらいない。
にも関わらず、東京ブリーチャーズはその『力』を『得手から不得手』へと反転されられてしまったのである。
この力を天邪鬼が見れば、その力が元の『神変奇特』とは違うものに成り果てている事が直ぐに判るだろう。
アスタロトや四天王が集めた膨大な妖力、なにより、尾弐黒雄という存在の悪意により、強力に、凶悪に――――改悪された『神変奇特』。
己が信頼し行使する力が己が最も苦手とする力に反転され、その身を苛む『自害強要』術式。
名を付けるのであれば――――神変奇特・亜種『犯転』
妖気、霊気、神気、魔力、瘴気。あらゆる異能を用いた技は、この術式を前にして封殺されてしまう。
一つの属性に純化や特化すればする存在程に勝ち目が無くなるという、悪意の術式。
この術式が存在する以上、神仏による天罰も、大悪魔による呪殺も、酒呑童子を害する事は出来ない。
それらの力は逆しまとなり、神仏は呪詛に、悪魔は天罰に滅ぼされる事となるだろう。
246
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:56:02
だが……『犯転』は強力ではあるが無敵の権能ではない。この術式への対策は複数存在している。
>「……おい、アレがお前のハッピーエンドか?」
一つは、そもそも手を出さない事。
『犯転』は迎撃術式。そもそも攻撃を仕掛けなければ被害を受ける事は無い。
そういう意味では、己の状態を正しく理解し、直感的に攻撃を思いとどまったポチの判断は、この場において最も聡いものであると言えるだろう。
冷静に、的確に、状況を見極めなければ、この術式の絡繰を知る事すらも叶わないのだから。
そしてもう一つは……
>「宣戦布告だぜ、尾弐のおっさん」
無用の長物と化した風火輪
多甫祈は酒呑童子に接敵すると、その韋駄天とも呼べる程の脚が持つ力を駆使して、酒呑童子を投げ飛ばした。
――――そう、『神変奇特』の術式をすり抜け、投げ飛ばしたのだ。
これこそが『犯転』のルールを掻い潜るもう一つの解。
祈が先に天邪鬼の斬撃が『反転』されられなかった事に視た通り、神変奇特・亜種『犯転』は、体術や武術、気、『生身の肉体が成す業』には効果を及ぼさない。
つまり、その身一つをもって尾弐へと挑む事を決めたのであれば……その拳は届き得るのである。
>「全く世話が焼ける……ほんと、仲人も楽じゃないよな!」
そして、尾弐が放り投げられた先に居るのはノエル。
風火輪が生み出した氷を束ね、巨大な巨大な氷柱と化すのは流石の技巧と言えよう。
だが……『犯転』に、再反転が出来ないというルールは存在しない。
束ねられた氷柱は、見る間に燃え盛る火柱に変換されていく。その炎は見る間にノエルを焼く――――筈だった。
「……」
しかし驚くべきことに、齎されたのは氷柱の直撃を受けた尾弐が、衝撃で石畳へと叩きつけられるという結末。
その原因を、ノエルと祈が推測する事は困難だろう。だが、離れた位置から戦いを眺めるポチとアスタロトであれば気付く事が出来るかもしれない。
尾弐がノエルから2m程の距離まで近づいた瞬間、『犯転』の作用は止まり、ノエルは氷雪の操作権を取り戻した。
2m……つまり、尾弐の攻撃が届く範囲内であれば、『犯転』の効果は及ばないというルールが存在するのである。
247
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 00:56:37
氷柱の直撃を受け倒れ伏し、尾弐だけを濡らす血溜まりに濡れる尾弐。
半端な妖怪であれば昏倒するであろう一撃であったが……
「……」
ゆっくりと立ち上がるその身体には、ダメージの欠片すら見えない。
それでも、ただ一つ。先ほどまでと決定的に違う所があるとすれば……
「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
異形と化した尾弐の瞳が、祈を、東京ブリーチャーズを明確に敵として捕えたという事だろう。
尾弐は一度ゴキリと首を鳴らすと、右腕を無造作に前へ……東京ブリーチャーズへと向けて突き出した。
その右手の形は、所謂「デコピン」の形。良く見れば、その指の間には、先ほど倒れ込んだ時に拾ったのであろう。石ころが挟まっている。
……この姿勢を見れば、尾弐が何をしようとしているかは明瞭に判る事だろう。
そう。この悪鬼は、石ころを指で弾いて飛ばそうとしているのである。
馬鹿げた話だ。まるで子供の遊びの様な行為だ。
だが、尾弐黒雄と呼ばれた妖怪を少しでも見知っている者であれば、直感が判断する筈だ。
あの指が示す射線上に居てはいけないと。
「……壊れろ」
尾弐がそう呟き指を弾いた直後、石牢の中を爆音と暴風が奔った。
暴風はノエルの直ぐ横を通り――――直後、祈とノエルの後方で、雷鳴のような炸裂音が響いた。
振り返り見れば、堅牢であった石畳の一部が、まるで戦艦の砲撃でも受けたかの様に、50m程に渡り、大きく抉り取られている。
「外れかよ……嗚呼、憎い、憎い、憎い……生き汚ねぇ。生きている事が、憎い……!」
たかが石ころ一つ。それも指一本で放たれたもので、この威力。
鬼という存在は、頑強さ、腕力、生命力に置いて多くの妖怪を上回るが、酒呑童子と化した尾弐はその悪鬼共すらも羽虫の如くあしらう身体能力を有している。
確かに、その身を用いた肉弾戦であれば、『犯転』をすり抜け攻撃を中てる事が出来る。
尾弐の射程圏内であれば、妖力による攻撃も可能となろう。
だが……それは同時に、この暴力の化身と接近戦をする事を意味している。
例え近接戦闘に優れた妖怪が居たとしても、この暴威を果たしてどれだけの間受けられる事だろうか。
248
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/03/17(日) 01:08:55
更に、絶望的な現実はそれだけではない。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
尾弐となる前の僧侶が救う事を願った存在、外道丸
尾弐と化した男が、長き時を共に過ごした相棒、アスタロトと合一せし探偵、那須野橘音。
二人が連携し、那須野橘音が童子切安綱を用いる事で、確かに祈達の行動を縛る、神変奇特・亜種『犯転』は一時的に解除された。
だが……それを察した尾弐は、自身の右手の掌を食い千切ってから、大きく空間を薙ぐように振ったのである。
人外の速度で振られた腕。食い千切った傷口から流れる血液は、瞬く間に酒の臭いのする霧と成り東京ブリーチャーズを覆う。
「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
そして、尾弐がそう述べた直後……祈は、ノエルは、那須野は、天邪鬼は、感じる事だろう。
自身の身体能力が、人間の子供の様に脆弱になってしまっている事に。
そう、尾弐が用いる『神変奇特』は『犯転』だけではなかったのだ。
神変奇特・亜種『叛天』……強きを弱きに。高き物を低きに引き摺り下ろす術。
『犯転』が相手の強さを相手自身に向ける術であるとすれば、『叛天』は強者を弱者へと引き摺り堕とす、『そうあれかし』を否定する術式。
そうあれかしと人々に願われ、思われた力が強ければ強い程に、力と強度が脆弱になる呪いだ。
混乱しているであろう一行を前にして、尾弐は何のためらいも見せずにその拳を振るっていく。
祈には掌底を。ノエルには石礫の散弾を。那須野はその腕を掴み天井へと投げ、天邪鬼には手刀を振るう。
『叛天』の中において、それらの暴力は全てが致命傷と成り得る。
無論、童子切安綱を振るえば『叛天』も無力化されるであろうが……そうなれば、『犯転』が再度機能を始めるだろう。
悪鬼との近接戦を強いられる『犯転』。肉体の脆弱化を強要される『叛天』。
良きかな良きかな。東京ブリーチャーズの一行は好きな絶望を選択出来るという訳である。
希望があるとすれば……尾弐が童子切安綱に直接接触しないよう立ち回っている点だろう。
酒呑童子を殺した武器であれば、或いは今の尾弐の要塞の如き肉体にも届き得るのかもしない。
だが、警戒されている以上、それを直撃させるのは至難の業。
そして、そうやって手を拱き時間が経っていく程に、石牢は真綿で首を絞める様に東京ブリーチャーズの生命力を奪っていく。
……結局のところ、どの選択肢を選んだとしても訪れる結末は絶望なのだ。勝てる筈が無い。
それでも唯一、この場面を動かせる者がいるとすれば、それは敵対行為を行っていないが故に敵とみなされていないポチ達だが……
傷ついた体で何かを成せと願うのは酷というモノだろう。
1000年の絶望は、昏く深く重い。
五大妖に匹敵する圧倒的な理不尽を前に、果たして一行はどの道を選ぶのであろうか。
249
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:20:26
祈、渾身の背負い投げ。更に、瞬間的に脚力を強化して踏み込み、スピードも増加させた。
そして尾弐が飛ぶ先には、束ねた巨大な氷柱(つらら)を構えたノエルがいる。
この連携攻撃の威力はいかほどかと、祈は目を凝らした。
(天邪鬼の話をハンパなとこで切って尾弐のおっさんぶん投げたけど、前は物理攻撃が効いてたみたいなこと言ってたよな?)
時間がないため攻撃に踏み切った祈だが、振り返ってみればこうだ。
>『さて。どうかな……知悉“していた”と言った方がいいのかもしれん」
>『なぜなら、私の知っている神変奇特の力とクソ坊主の使う神変奇特の力は、異なっている可能性があるからだ』
>『出力が増しているのは間違いなかろう。ヤツは確実にかつての私よりも強い。だが……その本質が変わることはないはず』
多分効くと思って衝撃波を放った、とそういうことだったはずだ。
祈の視点からは、尾弐が壁となってはっきりとは見えなかったものの、
尾弐が到達する一瞬、ノエルの方で花火のような光がぱっと咲いたのが見えていた。
それはすぐに収まって、尾弐は氷柱に激突し、更に床に叩きつけられた。
(なんだ今の光……一瞬、氷柱が炎になった? でもすぐ氷柱に戻って尾弐のおっさんに当たったのか?)
祈の視点からでは、はっきりしたことはわからない。
だがどうあれ、尾弐が氷柱に激突したことと床に叩きつけられたことは事実で、
そこは反転させられた様子はなかった。
ということは祈の予想通り、そして天邪鬼の知る昔の神変奇特の性質と同じように、
物理的な攻撃――たとえば殴る蹴る投げる切るというような、
妖力を通さない攻撃は効果を持つということになる。
とは言え。
>「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
無傷――。
大きく弾かれ、血溜まりの床に倒れ伏した尾弐だが、
血を滴らせながら起き上がるその動作には、
痛みを覚えているような様子も、ダメージを受けた部位を庇うような様子も一切見られなかった。
尾弐という男がもともと悪鬼として備えていた頑強さ。
そこに大量の妖気を入れられ、酒呑童子という伝説をも取り込んだ。
故に。
祈が渾身の力で投げようが、その先に氷柱の刃が待ち構えていようが、
ダメージ一つ負わないほどの破格の防御力を備えてしまっているようであった。
物理的な攻撃ならば反転させられないとはいっても、これでは通じないも同義である。
(でも、何かあるはずだ。きっと――!)
祈は攻撃のヒントを掴むため、あるいは作戦の一つでも聞くために、
ノエルと合流しようと移動し始めていた。
尾弐から目を逸らさないようにしながら。
(あれ……よく見たら尾弐のおっさん、右手に何か握ってる……?)
祈の視線の先で、尾弐はゴキリと首を鳴らすと、
右腕を無造作に前に伸ばし、移動する祈とノエルの方向へと向けた。
その右手には大きめの石が握り込まれており、手指の形はまるで狐のように変化していく。
その形の意味を祈は理解した。
デコピンだった。
尾弐は石畳を砕いて作ったであろう石ころを、デコピンによって投石しようとしているのだった。
並の妖怪が同じことをしようとすれば、それは進退窮まってやけくそになったと疑うか、
デコピンはただの囮で、妖術による別の搦め手を用いようとしているのではと警戒するところだろう。
だが、相手は尾弐だ。
本気を出していない尾弐がぶん投げたバス停の標識でさえ、砲弾のような威力で飛んでいくのだ。
デコピンによる投石とは言え、それが酒呑童子と化した尾弐の指によって行われるのなら、その威力は――。
>「……壊れろ」
「っ御幸あぶねぇ!」
本能的に危険を察知した祈は、ノエルへと飛び掛かり、そのまま倒れ込むように突き飛ばす。
そのすぐ近くを、音を追い越して何かが飛んでいった。
遅れて、耳をつんざく爆音。そして、はるか後方で雷鳴のように何かが爆ぜる音。
倒れたまま音がした方を振り返り見れば、何十メートルという規模で石畳の床が抉られており、中心には赤熱した石ころ。
そこに血の池の血が流れ込むところであった。
ただの指と石でも、尾弐に掛かればレールガンの発射台とその弾体に等しい威力になるのだった。
250
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:25:36
>「外れかよ……嗚呼、憎い、憎い、憎い……生き汚ねぇ。生きている事が、憎い……!」
祈はぞっとする。
石はどちらかと言えば、ノエルの居た位置のすぐ横を通り過ぎていたから、
狙いはノエルだったと思われる。
大して狙いを付けていなかったのかもしれないし、祈を狙ったものが大きく逸れたのかもしれないが。
ともあれ、命中していればここにいるのはノエルではなくクラッシュアイスだったのだろうし、
一瞬とは言え射線に入った祈も、命中していれば挽き肉だったのだ。
そしてもし尾弐がこのような状態でなく、いつものように冷静であったら。
「思ったよりやべーな……今の状況」
倒れたノエルの上で祈はそう呟く。
尾弐が冷静だったなら、避ける場所を計算して正確に撃っていたであろう。
そうすれば今ので終わっていたのだと思うと、冷や汗が頬を伝うのも無理はない。
ノエルと自分がまだ生きていることに祈は安堵する。
祈はノエルの上から退いて立ち上がると、
「行けるか御幸」
尾弐を見据えて、
ノエルに――ノエルが倒れたままなら手を差し伸べながら――問いかける。
状況はどこまでも悪い。
妖力を使って炎や氷による攻撃をしようとすれば、
反転して自らを傷付ける力として戻ってくる。
試しに攻撃のために風火輪に妖気を流せば、
やはり氷結の妖術になり、祈の足元が再び凍てつき始めた。
炎や氷などを使おうと思うなら、自傷の不利を受け入れながら戦うしかないということだ。
そうでないなら、あの莫迦げた酒呑童子の身体能力を相手に、
まともな肉弾戦を挑むことになる。
瞬く間に挽き肉になるのがオチで、上手く攻撃を叩き込めたとしても、
あの金剛のように固く頑強な肉体に、ダメージなど与えられよう筈もない。
どちらも自殺行為に他ならず、攻め手に欠けていると言えた。
そこへ現れたのは。
>「……ふっ!!」
「橘音!?」
白い半狐面に黒い学ラン。紛れもない、那須野橘音の姿だった。
橘音が祈やノエルの周囲で刀を振り下ろすと、何かの術式が破壊されたような音が響く。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
>「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
>「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
試しに風火輪に妖力を流してみると、
確かにいつも通りに炎が噴き出し、祈の足元の氷を溶かす。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
>「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
>「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
>「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
「……しゃーねーな」
祈は硬い表情で、共闘に応じた。
祈は、那須野橘音を名乗る者の登場を、手放しに喜んではいなかった。
橘音が手に持っているのは、神変奇特を断ち切ったことからも
正真正銘の童子切安綱だと見ていい。この戦いにおける切り札になり得るだろう。
だが、それは“アスタロトが持っていたもの”であるはずだ。
魂が三分の一しかなく、変化もまともに保っていられない橘音が、
どうしてアスタロトから童子切安綱を奪えるだろうか。
そしてよしんば奪えたとしても、
アスタロトがそんな強力な武器を取り戻さない理由がどこにあるのだろうか。
だというのに、周囲を見渡してもアスタロトの姿はなくなっている。
ここから推察するに、アスタロトが気まぐれを起こして、
祈達に肩入れしようとしていると考える方が自然であった。
祈達の協力を得やすいように、見た目を元の那須野橘音カラーに戻し、
那須野橘音と名乗っているのだ、と。
元々敵対したくてしているのではないとはいえ、一応の敵。
警戒を怠るなと理性が告げる。
だが、どういうことか。祈は、まるで以前の那須野橘音が戻ってきたような、
安心感と言おうか、心強さと言おうか。内心そのような気持ちを覚えていた。
251
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:29:39
>「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
そこへ天邪鬼が茶々を入れるように混じってきて、
橘音(?)は、惚れた弱みだとかなんだとか、そんな感じのことを言った。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
「おう!」
そして、ここから反撃開始――と勢いづいたところで。
尾弐はぶちぃ、と右手を噛み千切ると、右腕を横薙ぎに振るった。
傷口から飛んだ血液が、豪腕によって振るわれたことで、血の霧となって辺りに舞う。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
そして、異変が始まる。
血の霧に触れた祈は、自身の体に異常が起こったことを理解した。
(体に力が入らない……?)
祈はターボババアによって鍛えられ、
戦いのときには心の中にあるスイッチが入るようになっている。
その時こそ、ターボババアの能力として、時速140キロ以上で走る脚力と、
それに見合うだけの身体能力を手に入れることができる。
しかし今はどうか。
スイッチが入っている感覚はある。
戦いに対する躊躇いもなく、妖力は確かに体を巡っている。
だがまるっきり、脚力や体の強さに変化が感じられなかったのだった。
神変奇特による攻撃だと祈は察したものの、
困惑に思考を奪われたのは完全な悪手だった。
尾弐が迫っていた。
畏ろしいまでの脚力で踏み込み、一息に祈の眼前にまで肉薄している。
(しまっ――)
咄嗟に風火輪のウィールを逆回転させ、後方へ下がろうと試みる祈だが、
何もかもが、遅すぎた。
下がろうとする祈の腹部を、尾弐の掌底が捉える。
祈の後退は僅かに狙いを反らしたに過ぎず、尾弐の右手は祈の右脇腹に命中することになった。
祈は、都市伝説妖怪という新参者の妖怪の孫であるから、
『そうあれかし』の影響は小さい部類に入る。
故に、尾弐の神変奇特による弱体化の影響は、それほど大きくないと言えた。
少なくともメジャーな、雪女という妖怪であるノエルと比べれば、
非常に軽微な弱体化だと言えるだろうし、
実際には、少し強い人間というレベルには身体能力の強化はあった。
だが、そんなものは関係がない。
“それ”は――。
“指先一つで弾いた石でも石畳に50mもの穴を開けるレベルの攻撃力を持つ尾弐が”、
“腕を振るい”、“踏み込み”、“全身を連動させて放った一撃”だったのだから。
さながら豆腐を弾丸が撃ち抜くが如く。
その掌底は、祈というただの人間と変わらない少女の体を。
「――ぁ、く」
容易く貫く。
252
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/03/21(木) 13:43:23
尾弐の掌底は祈の皮膚を突き破り、肉を潰し、内臓を食い破り、宙に血の花を散らす。
破裂音が体内から響くのを祈は聞いた。
そして後方へと大きく吹き飛ばされ、受け身も取れずに、ドシャァと石畳に仰向けに転がる。
祈の右脇腹は砲弾でも受けたように抉れて、
傷口からは肋骨や内臓が覗いているという有様で。夥しい血が溢れ、祈の顔が苦痛に歪んだ。
左手で右脇腹を押さえ、その激痛に体が跳ねる。
(お腹が……半分っ、なくな、っ……いてぇ……! 痛いぃ……!!)
呼吸が苦しくなって咳き込むと、内臓が傷付いているからか、
胃の奥からせり上がってきた血が咳と一緒に吐き出された。
口元を抑えた右手に血が付着する。
尾弐の一撃は、祈の命に届いている。
あと数分も保たずに祈の命は失われ、
血の池に浮かぶ有象無象の腐乱死体との差異はなくなるだろう。
だが。
(……“血”だ)
命の火が消えていくまさにその最中。
祈は一つの事柄に目を奪われていた。
眼前に翳した右手に付着した、自らの血だった。
そう。“血”だ。
ターボババアとしての妖力を十全に使えなくなる直前、
尾弐は右手を噛み千切って振るい、血の霧を発生させていた。
そのことからも、あの血の霧が弱体化の原因なのは明らかだ。
だが血の霧が舞った時、祈はその血が顔や髪に付いただとか目に入っただとか、そんな感覚を覚えなかったし、
腕や衣服に付着したところも見ていない。
この石畳の上に広がる血の池もそうだ。
天邪鬼にタックルをかました時も、ノエルを守ろうと突き飛ばした時も、そして今も。
祈は石畳に倒れ込んでいるが、この石畳の一面に広がる血もまた、不思議と祈を濡らすことはなかった。
そうでなければ、祈はとっくに全身血塗れになっている。
これは血の霧と血の池の共通点だと言えた。
そして血の霧には弱体化の効果があることを考えると、
同様に触れられない血の池に効果がないのは不自然だった。
今現在分かっている神変奇特の効果は二つであるから、
『妖怪としての力を有るから無いに反転させる』のが血の霧、
『妖術による攻撃を、自分を傷付けさせるものに反転させる』のが血の池だとすれば、一応の辻褄は合う。
そして血とは。
自らが人の生き血を啜っており、源頼光にも勧めたという話があり、酒呑童子にとって関わりの深いもの。
故に。祈はこう考える。
『この血こそ、神変奇特の正体なのではないか』、と。
この血は妖術の類、あるいは結界。もしくは神変奇特の力を伝える媒介。
純粋な血という物質ではないから、触れられない。触れても付着することないのでは、と。
尾弐がどのような条件で神変奇特を発動させているのかは分からない。
たとえば一度それを見たり聞いたりして、攻撃だと認識する必要があるだとか、
敵意を向けた攻撃ならば自動で反転させるだとか、細かな条件があるかもしれない。
だが、この血の池や血の霧が、神変奇特の発動に不可欠だとすれば。
『これらの血さえ排除してしまえば、神変奇特の発動は封じられる可能性がある』。
「う、く……」
だが、祈には血を排除するだけの力は残されていない。
祈の右手が、石畳の床をガリリと引っかく。
ここは塗り替えられた空間とは言え、元はスカイツリーだ。
茨木童子がそうしたように、天井や床は破壊できるかもしれない。
石畳を氷結させれば、石畳の内部の水分が膨張して砕けるかもしれないし、
あるいは高温の炎なら石畳を溶かしてしまえるかもしれない。
そうすればこの血の池は階下へと流れてなくなり、
同じ要領で壁や天井に風穴を作れば、血の霧を消し飛ばせるかもしれない。
それによって、神変奇特の力を封じられる可能性は確かにある。
死を間際にした少女の、錯乱した妄想かもしれなくても。
「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
どうにか起き上がろうともがく祈だが、右脇腹の筋肉がないため、身を起こすこともままならない。
そして失血と身体の損傷で、祈の目からはいよいよ生気が失われつつある。
その頭に浮かんでいるのは、尾弐の顔だった。
コトリバコ戦の時に、祈にどうしたいか聞いてくれた尾弐の優しい顔。案じてくれた顔。
なんやかんや言いながら祈についてきてくれる尾弐の、困ったような顔。
死に向かいながら、激痛に耐えながら。祈の頭にあるのは。
尾弐を救う。尾弐を取り戻す。ただ、それだけだった。
――その髪が、ざわざわと。ゆっくりと。朱く染まっていく。
253
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:35:14
一瞬、巨大な氷柱が燃え盛る炎になったように見え、まずい! と思ったが、気のせいだったのだろうか。
次の瞬間には氷柱は尾弐に直撃し、赤い液体の中に倒れ伏す。
少なくとも祈が尾弐を投げることに成功したのは確かで、純粋な物理攻撃なら神変奇特の影響を受けないらしい。
>「……ああ、敵か。また敵か……テメェ等も、敵か。ったく……憎い、憎いなぁ……当たり前の様に息をしやがって……ああ、憎くて憎くて憎くて仕方ねぇ……」
しかし、あれだけ派手に倒れ伏したにも拘わらず、立ち上がった尾弐は全くの無傷だった。
物理攻撃なら神変奇特は突破できるとしても、防御が固すぎて結局ダメージが入らないのでは打つ手が無い。
加えて、体調に異変を感じる。変な汗のようなものが止まらない。
この空間にいること自体で生命力を奪われていくようだ。
災厄の魔物である自分なら、この手のものにはもう少し耐性があっても良さそうなものだが――
《言っておくが……我はもう災厄の魔物ではない。本当は、最初からずっと。
貴様が力を取り戻した時から――》
唐突に、深雪が告白する。
思い返してみれば、辻褄が合ってしまう。深雪はなんだかんだ言って最初からずっと味方だった。
魔滅の銀弾に妖力付与したり、ミカエルの剣を使ったりも出来た。
人間と敵対する宿命から解放されること――それはずっと願ってやまなかったことなのに。
今この時ばかりはそれが悔やまれた。
気付けば尾弐は、デコピンの要領で石を飛ばそうとしている。
ノエルはうっかり相手に近付き過ぎていたことを悔いた。
自分の身体能力ではこの距離で今の尾弐に石を飛ばされては避けられない。
>「……壊れろ」
ダメージを受けるのを覚悟で氷の壁を作って少しでも軽減するか――?
等と考えていると祈が飛び掛かってきた。
>「っ御幸あぶねぇ!」
突き飛ばされて地面に転がった直後、後方で爆音が鳴り響いた。
祈が庇うように覆いかぶさっている。祈は自らの危険を顧みず、当たれば即死の一撃から救ってくれたのだ。
>「思ったよりやべーな……今の状況」
もし今ので祈が死んでいたら、もしくは自分が死んでいたら祈がどんなに絶望していたかと思うと――戦慄した。
254
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:36:43
>「行けるか御幸」
本当は恐怖と絶望のあまりどうにかなりそうだったが、頷いて立ち上がる。
祈が風火輪をもう一度試してみるもやはり足元が凍り付く。
氷柱は物理攻撃枠なのか確かめようと思ったノエルは、試しに小さめの氷柱を飛ばしてみようとするも、手を火傷するだけに終わった。
では初撃の氷柱が当たったのは何だっただろうか。
もしかしたら、距離かもしれない。尾弐のすぐ近くまで近づけば妖術攻撃も通用するのだろうか。
もしそうだとしても、今の尾弐に近接戦を挑むなど自殺行為に他ならない。
とにかく、氷雪による妖術攻撃を主な戦法とするノエルは、
神変奇特に支配されたこの場においては全くの役立たずになってしまったことを実感した。
その時だった。
>「……ふっ!!」
目に飛び込んできたのは、童子切安綱を一閃する橘音の姿。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
>「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「童子切安綱は鬼斬の太刀。『そうあれかし』によって、この太刀は鬼の有するすべての特性を無効化する」
>「つまり――この刀なら、神変奇特の力をも断ち切れるってワケです」
「橘音くん……なの!?」
思わずそう言ってから、そんなはずはないと思い直すノエル。
見た目は橘音の人間バージョンそのものだが、ここにいて童子切安綱を持っていたのはアスタロトのはずだ。
おそらくは、尾弐の結界に閉じ込められて出られなくなり、自分も攻撃対象になったので
効率よく共闘するために白い方の橘音っぽく振舞っているというところだろう。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
>「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
>「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
>「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
ただ、アスタロトにしてはあまりにも積極的に尾弐を救おうとしているように感じられる。
尾弐を酒呑童子として東京を破壊させようと画策していた張本人だ。本気でそんなことを思っているはずはない。
こちらを信用させるための演技か、あるいは復活させてはみたものの制御不能で手に負えなかったので元に戻そうとしているのか――
そう解釈した上で、ノエルは祈と同じく暫定アスタロトの提案に応じて見せた。
どんな理由であれ共闘してくれる者がいるなら手を借りざるを得ない状況だ。
>「……しゃーねーな」
「分かったよ!」
>「ハ。天魔を手懐けておったとは、あのクソ坊主め。朴念仁のようでよくやるわ」
>「クロオさんはカッコイイですから。ボクみたいな美少女なら即オチってなものですよ!」
>「惚気か?いいさ、後でたっぷり聞いてやる。いい酒の肴になるだろうよ」
>「マーライオンみたいに砂を吐かせてご覧に入れますよ、ウフフ!」
尾弐を本気で救おうとしている天邪鬼と、そんなはずはない暫定アスタロトが親し気に話すのを聞いて、
違和感を覚えるが、今は気にしている余裕は無い。
255
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:38:21
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
天邪鬼と暫定アスタロトが最前線で戦ってくれるのをいいことに、ノエルは何を思ったか、鞄の中から何本かのバナナを取り出し、投げ始める。
一見するとどれも凍ったバナナを投げているように見えるが、微妙な違いがある。
氷の妖力で強化したバナナ、凍らせた上で軌道操作したバナナ、ただ凍らせただけのバナナ。
それでも駄目なら最終的には凍ってもいないバナナをただ普通に投げることだろう。
バナナを使う意味は分からないが、要するに妖術攻撃と物理攻撃の境界線を探っているのだった。
果たして何本のバナナがブーメランで返ってくることになっただろうか。
どんな結果だったにせよ、少なくとも妖力を使わない飛び道具による遠距離物理攻撃は通用することが分かった。
しかし、神変奇特を回避出来ても生半可な威力では牽制にすらならない。
どのような手段でそれを行うか――そう考えた時、すぐに思い付いた。
なんのことはない、子どもでも思いつくような発想だ。
「あ! 誰か豆持ってない!?」
――しかし当然、そんなものを都合よく持っている者などいるはずはなかった。
尾弐は自ら右手を食いちぎり、腕を振るう事で辺り一帯に血の霧を展開させた。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
「え……?」
急に体力が著しく落ちてしまったことを感じたが――
それより何より、先程までは妖術攻撃が逆属性になって跳ね返ってきていたが、今度はそもそも殆ど使えないと言っていいほど弱くなってしまっている。
考えられることは一つ。尾弐が、神変奇特の性質を切り替えてきたのだ。
一行がそれに戸惑っている間に、尾弐は容赦なく暴虐の限りを尽くしはじめた。
まずは一番近くで戦っていた天邪鬼や橘音からだが、あの調子では間違いなく全員に来る。
今の状態で攻撃をくらったら間違いなく死ぬ!
そう思ったノエルは近くに転がっている死体を見て反射的に”ただのしかばね”という言葉を思い出し、
思考が混乱するあまり タダ→無料で使える という超解釈に至った。
「し、失礼します!」
謎の挨拶をしながら死体の下に潜り込む。次の瞬間、死体に無数の石礫が直撃し爆散した。
やれやれ結果オーライ、等と呑気なことを思ったのも束の間、祈に尾弐の掌底が迫るのが目に飛び込んできた。
おそらくノエルへの攻撃など、祈への攻撃とほぼ同時に片手間に行われていたのだろう。
「祈ちゃ……」
何も出来ないのに、無駄にスローモーションのように全てが見えてしまった。
尾弐の掌底が、祈の右脇腹を弾き飛ばす様が。
256
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:41:58
>「――ぁ、く」
最初に祈に身を挺して守ってもらったのに、祈を守るべき時に自分は死体ガードなどという不謹慎行為をしていたとは。
悔やんだところで今更どうしようもない。祈を抱き上げて尾弐から離れた場所に避難させる。
雪女は一般的にはフィジカル面では優れた妖怪ではないのが幸いしたのか、少女を一人運ぶぐらいの力は残っていた。
すると不思議なことに、尾弐の血の霧が覆っている場から出た瞬間、妖力が戻ったことを感じた。
再び祈を横たえて様子を見る。
取り急ぎ傷口を凍らせて止血するも、生粋の妖怪ならいざ知らず、半妖の祈にとっては明らかな致命傷。
氷雪使いであるノエルには傷を癒す術はないが、氷雪の力が戻った今なら生存率を上げる手段はあるにはある。
敢えて全身を極端な低体温にすることで仮死状態にして現状を維持し、治療可能な状況になったところで元に戻すという方法だ。
イチかバチかの方法だが、放っておけば数分も持たずに死んでしまう。やるしかない。
しかし祈は自分がそんな状態だというのに、まだ尾弐のことを考えて何やら錯乱したことを口走っている。
>「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
「もういいから喋らないで! 大丈夫、少しお休み。起きたら全部終わってるから」
しかし祈に仮死状態にする術をかけようとする直前、祈の髪が朱く染まっていくのに気付いた。
祈の髪が朱くなるのは以前にも一度見た事がある。姦姦蛇螺の本体と対峙している時だ。
それは、妖怪としての全力が引き出される時――あるいは、運命変転の力が発動するサインなのかもしれない。
何にせよ、ノエルは思った。――祈ちゃんは、まだやる気なんだ、と。
自分はどんな時でも祈の味方だ――彼女が本気でそう思っているなら、自分は全力で後押ししなければいけない。
かといって、死なせるわけにもいかない。何か方法はないものか――そう考えた時。
祈が血がどうとかと言ったせいかは分からないが、かつて祈が鎌鼬に自らの血を分け与えていたのを思い出した。
ノエルは氷の刃で自分の左手首を切り、祈の口に近づけた。滴り落ちるのは赤い血ではなく、輝く透明な液体。
一種の物質化した妖力のようなものだろう。
ノエルが未だ災厄の魔物であったなら、半妖の祈にとっては毒になりかねなかったが――
今のノエルは災厄の魔物級の妖力を持つ他の何か。それは純粋に膨大な妖力を分け与える行為だ。
「本当に良かった――僕が災厄の魔物じゃなくて」
そうしながら、先程の祈の言葉の意味を改めて考える。
そういえば、さっき血の霧の領域から出た瞬間に、氷雪の力が戻った気がした。
そして、床には何故か尾弐だけを濡らす血が満ちている。
257
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/03/22(金) 00:50:52
「そうか――祈ちゃんが伝えたかったのは……」
地面に穴を空けるなら、自分よりずっと適任な者がいる。
ポチの爪に氷の妖力付与を飛ばし、声をかける。
「ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!」
そして、橘音に対しても声をかける。
「橘音くん、召怪銘板持ってたら貸して!」
単に思考が混乱してこの橘音がアスタロトであることを忘れたのか、
それとも余計な理性が吹っ飛んだことで本物の橘音であることを本能的に感じ取ったのかは分からない。
ただ、白い橘音は召怪銘板で皆の足取りを追うと言っていたので、これが本物の橘音なら持っている可能性は高いのだ。
しかし、一体何を召喚しようというのか。
今の尾弐に対抗できるような妖怪は流石に召喚できないし、かといって半端な妖怪など召喚しても犠牲者が増えるだけだ。
誰もが思うであろうそんな疑問に答えるように、ノエルは大真面目な顔をして言った。
「――召喚するのは……小豆洗いだ!」
258
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:01:08
刺さった――と、ポチは手応えを感じていた。
己の言葉は、確かに狙い通りに、アスタロトの心に刺さったはずだと。
>「……駆け引きがとてもお上手になりましたね、ポチさん」
「げははは……少しは王様らしく、なったでしょ」
アスタロトの紡いだ、純粋な称賛。
思わずポチも――まるで橘音に向けるような、柔らかな声を零した。
>「……でも、無理ですよ……。今さらボクに何をしろって言うんです?もうネタバレしちゃいますが、童子切は使えませんよ」
「この刀は使用者に達人クラスの剣技を与えますが、同時に恐ろしく妖気を喰うのです。風火輪と一緒ですよ」
アスタロトが学ランの前身を開く。
ぼろぼろと零れ落ちる大量の護符やタリスマン、宝珠の残骸。
それら全てが、たった一度、童子切――彼女がその手の妖刀を振るう為に払った代償なのだろう。
>「ボクがこの刀を振るうのは、一度が限度。それ以上は力がついていかない」
「まして、この魂が不完全なボクの状態じゃね……。ですからポチさん、ボクの力を当てには――」
つまりアスタロトにはもう、戦闘に加わる余力はない。
「……一緒に地獄に落ちようって、こっちの橘音ちゃんは言ってたけど」
それでも、加わってくれなくては困るのだ。
自分にはもう、あの強大極まる妖壊を――酒呑童子を叩き伏せる事は、決して出来ない。
祈にもノエルにも、それが出来るとは思えない。
天の邪鬼の剣技ですら、酒呑童子の言霊――ただの言葉に、塗り潰されたのだ。
アスタロトの助力がなければ、酒呑童子を倒す事など、不可能だ。
「お前は……そのお札と石ころが、精一杯か?」
無理な事を言っているのは分かっている。
敵であるアスタロトに、力を貸せ――あまつさえ命を懸けろ、などと。
だが退く訳にはいかない。
どうすればいい、これ以上何を言えば、アスタロトを動かせる――
>「簡単な話。不完全だと言うのであれば、完全になればいいんです。……そうでしょう?もうひとりのボク」
その正答は、聞き慣れた声によって示された。
>「……白い……ボク……なぜ……」
那須野橘音の、声によって。
>「アナタの張った結界を無効化するなんて、ボクには朝飯前。だって、ボクはアナタなのですから。――それはともかく」
「ボクたちはかつて、仲間たちを助けるために魂を分割した。だったら……今回も。仲間たちを助けるため、元に戻りましょう」
「血迷ったんですか……?同一人物とはいえ、ボクとアナタは敵同士だ。それが今さらひとりに戻る?バカげてる!」
分かたれた二人が、一つに戻る。
アスタロトがそれを否定する理由は、ポチにも分かる。
東京を守る。東京を滅ぼす。二つの矛盾する目的を一つの肉体で実現する事は出来ない。
>「立場的にはそうでしょう。けれど、現状ボクたちの目的は一致している。クロオさんを助けたい、その気持ちは同じです」
>「ボクとアナタ、ふたりが雁首揃えていても、役立たずが二人いるだけ。でも――元に戻ればそうじゃなくなる」
>「……主導権は?言っておきますが、今ひとりに戻れば魂の総量の分だけボクの意識が残る可能性が高いですよ。アナタは消える」
>「いいですよ、別に。……それにね、ボクは消えるんじゃない。あなたとひとつになる、元の状態に戻るだけです」
そう、二つの人格の内一つは――消えてしまう、かもしれない。
だがポチには何も言えない。既に、理解してしまっているからだ。
元々どうしようなく打つ手のない状況を、唯一どうにか出来る可能性が、アスタロトだったのだ。
これ以外に手はない。そうしなければ――自分達はここで全滅するという事が。
259
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:02:49
>「……彼らと敵対することになりますよ?アナタの知恵がなければ、彼らは生き残れない」
「いいえ。彼らはもう大丈夫ですよ……ボクがいなくても。さ、時間がありません。早く――」
「……橘音ちゃん」
それでも耐えきれずに、せめて橘音の名を呼ぶ。
>「……ポチさん」
>「ありがとうございます。もうひとりのボクは素直じゃないので、人助けにも理由が必要だった。アナタのお蔭です」
橘音は振り返ると、そう言って優しく笑った。
そして――橘音とアスタロトが、互いに手を触れ合う。
>「もう、ボクなしでもアナタたちはやっていける。これからの東京ブリーチャーズは、アナタたちが引っ張っていくのです」
>「……あとのことは、頼みましたよ」
瞬間弾ける、眩い光。
橘音の体が光となって、アスタロトに溶け込んでいく。
黒い半狐面は白く、純白の学ランが黒く――本来の姿へと戻っていく。
光がやむと――那須野橘音はもう、一人しかいなかった。
右手を握り、開き、体の具合を確かめ――それから、ポチとシロへと振り向く。
敵意のにおいはしない。
橘音が自分達の傍へと歩み寄り、右手をかざしても、ポチは動かなかった。
足元に浮かび上がる魔法陣。
淡い輝きがポチとシロを包むと――その体に刻み込まれた傷と、浸透した疲労が、和らいでいく。
「……いいね。おかげでまだ、無茶が出来そうだ」
>「さて。やりましょうか、ポチさん。アレはクロオさんじゃない、本当のクロオさんはもっと強くて。大きくて、優しくて――」
>「……ボクのことを、いっぱい。いっぱい、見てくれるんだ」
これで――天魔アスタロトの、童子切の力が戦力に加わった。
だが、それでも安心は出来ない。
>「……壊れろ」
指一本の力で弾かれた小石が、石牢の床に轍のような、巨大な溝を穿つ。
>「……ふっ!!」
那須野橘音が力を貸してくれる――それでやっと、なのだ。
やっと、この規格外の怪物を相手に、なんとか勝負が出来る可能性が出てきた。
>「大丈夫ですか?祈ちゃん、ノエルさん。ご心配をおかけしました、でももう大丈夫!」
「この天才狐面探偵・那須野橘音が参戦したからには、大船に乗った気でいてください!そりゃもうタイタニック級の大船にね!」
>「橘音くん……なの!?」
那須野橘音による突然の加勢に、祈とノエルは困惑を隠せないでいる。
>「ただし、天魔たるボクであっても幾度も振るえるものではありません。20分、いえ……頑張って30分が限度です」
「クロオさんを救い出すには、彼本体と酒呑童子の力とを分断する必要がある。ケ枯れをさせてから、ね」
「仕上げの分断はボクがやります。アナタたちにはボクの攻撃が酒呑童子に当たるよう隙を作って頂かなければなりません」
「いずれにせよ、神変奇特の弱点を見破らなければならない……ということですね」
>「……しゃーねーな」
>「分かったよ!」
だが二人も、この状況で余計な敵を増やすような馬鹿ではない。
>「小娘、雪妖。ならば私と天魔とで貴様らの盾になってやろう。貴様らは神変奇特の弱点を探れ」
>「さあ――行きますよ!!」
天の邪鬼と橘音が尾弐を抑え、その間に祈達が神変奇特の性質を解き明かす。
当面の作戦も組み上がった。
しかし――それでもなお、ポチは前線へ出ない。
260
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:04:53
怖気づいた――そんな訳はない。
だが見極めなければならないのだ。
尾弐――酒呑童子の能力と、もう一つ。
どのように、無茶をするのかを。
万全からは程遠い、肉体の状態。
派手な無茶が出来るのは、一回きりだろう。
その一回で、戦況を変えなければいけない。
まして、己の傍にはシロがいる。
もしもポチがしくじって、命を落とせば――彼女も間違いなく、その命の全てを、ここで使い尽くす。
ポチにはそれが分かる。逆の立場になれば、自分もそうするからだ。
死なせない為に、死なず、かつ尾弐に対して有効打を打ち込む。
それが、ポチの成すべき最低限の行動なのだ。
だが――そうして好機を待つ間にも、戦いは進む。
>「誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ」
犯転を斬り伏せられた尾弐が、即座に次の一手を打つ。
右手のひらを食いちぎり、血を振りまく。
人外の膂力は飛び散る血を、瞬時に霧へと変えた。
その血霧に触れた瞬間――祈達の動きが、明らかに鈍る。
動揺を隠せない祈へと、尾弐は瞬時に詰め寄る。
間合いを詰めるというその動作は、同時に次の行動への予備動作でもあった。
右足を大きく前に、右手は振りかぶり――つまり、渾身の打撃を放つ為の。
>「――ぁ、く」
そして次の瞬間には、尾弐の掌打は祈の腹部を――文字通り、抉り抜いていた。
「祈ちゃん……!」
ポチは苦悶の表情で祈の名を呼び――しかし、それだけ。
怒り狂い、酒呑童子に飛びかかりは、しない。
それはただの自殺行為だ。シロを巻き込む訳にはいかない。
妖怪とは、精神の状態に強く左右される存在。
全身の毛と尾が逆立ち、牙を剥き出しにして怒ろうとも、
『獣』と交わした誓い、狼の王としての責務が――
『狼ではない者を傷つけられた事』による暴走を許さない。
故にポチはただ、まさしく獲物の隙を待つ狩人として、状況を観察する。
>「血が……この、血をなくせればっ、きっ……、尾弐の、尾弐のおっさん、を…………」
そしてだからこそ、否応無しに耳に届く、死に瀕した祈の震える声。
血をなくせれば――その意図をポチが理解察するのに、長い時間は必要なかった。
尾弐が振り撒いた血霧、あれが祈達の動きを鈍らせたのは明白。
ならば――遠間からの妖術を反転させる力にも、なんらかの媒介があるはず。
祈はそれを、この血溜まりだと考えた。
>「ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!」
ノエルもまた同様の結論に思い至ったのだろう。
ポチを呼び、氷雪の妖力をポチへと付与する。
だが一方で――ポチは、その爪で小さく石畳を一掻きするだけだった。
硬い手応え――この地獄めいた空間は、ただの石牢ではない。
尾弐の言霊、酒呑童子の妖力によって築かれた、一種の結界。
傷つけるのは容易ではない。
加えて先ほど尾弐が弾いた小石。
あれによって石畳は大きく抉られたが、それでも周囲の血が何処かへ流れ出ていく気配はない。
つまりあの一撃よりも更に深く石畳を掘り下げる必要がある。
そこまでしてやっと、妖術反転の力が一時的に無効化出来る――かもしれない。
「……駄目だ。そんな悠長な事をしてる暇はない」
故に、ポチはそう呟くと――シロを振り返り、見上げた。
視線と、においと、僅かな唸り声。
言葉を伴わない、獣同士の、最短の意思疎通。
261
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/03/27(水) 00:12:25
そして――ポチは石畳を蹴った。
全脚力をもって、一直線に尾弐へと疾駆。
血霧の寸前まで間合いを詰め、一際強く、跳躍。
長い助走を得た上での、渾身の体当たり。
更に直後に加わるであろうシロの追撃。
一心同体の二連撃が――尾弐の体を、大きく弾き飛ばす。
叛天の血霧は、その場に滞留したままだ。
突発的なな息切れ、身体能力、五感の鈍りに襲われながらも、ポチはその結果を確認。
「よし……まずは……一つ……」
ずるりと地を這うようにして血霧から逃れつつ、ポチは呟く。
血霧による神変奇特、叛天の打開策は一つ見つかった。
そう何度も使える手ではないが、一度きりの手という訳でもない。
だがこれは、初手に限ればほぼノーリスクの一撃。
「だけど……こっからが、本番……!」
ポチの『無茶』は、ここから始まる。
血霧から逃れると、身体機能はすぐ元に戻った。
五感が急速に鋭敏化した事で、僅かな眩みを感じつつも、ポチは更に前へ。
吹っ飛ばした尾弐を転ばせられたかは確認出来ていない。
だが問題はない――ポチの目的は、尾弐への攻撃ではないのだから。
尾弐の足元に潜り込み、その脛を切り刻む。
皮膚を裂けずとも、攻撃は攻撃。
尾弐はポチを敵と見なして――反撃してくるだろう。
自分の足元に張り付いたポチに、拳でも蹴りでも、
『指一本の力で弾いた小石とは比べ物にならない威力』の反撃を。
その尾弐自身の攻撃ならば、石畳を打ち砕ける可能性はある。
無論その為には尾弐が確実に獲物を仕留められると確信し、
石畳を破壊し得るほどの一撃を打ってくるまでその場に留まる必要がある。
今のポチに、それをこなし、なおかつ無事に離脱出来るかと言えば――困難かもしれない。
しかし、だとしても、そうするしかないのだ。
262
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:50:23
元号が明治から大正へと変わって間もない、あの時代。
珍しく帝都に雪が降ったあの日、落成したばかりの劇場の中で、橘音は尾弐に出会った。
「アナタが御前の言っていたオニクロオさんですか?アハハ、『大男 総身に知恵が回りかね』の見本みたいな人ですね!」
初対面のとき、そんな無礼なことを言った気がする。
当時の橘音は増長し、捻くれ、自分以外の何もかも――主人である玉藻御前さえ――見下していた。
この世で自分の智慧や弁舌に敵う者はいない。何せ自分は世界最古にして最強、最悪の弁論家の訓えを直接受けた唯一の妖。
いかなる存在であっても、この智慧と舌先とで丸め込んでやると。そう自惚れていたのだ。
橘音の皮肉に対し、尾弐は明確な返答をしなかった。苦笑していた気がする。そんな反応がなおなお愚鈍に見える。
――千年前から漂白をしている、超ベテランの漂白者と聞いたけど。なんのことはない、ただの力自慢のウスノロじゃないか。
出会ってからしばらくの期間、橘音はことあるごとに尾弐を嘲罵した。
コンビを組め、と御前に命令されはしたが、橘音にそんな気などさらさらない。
いざとなれば見捨てる気でいる。自分の指示を聞かずに飛び出して死んだのだと、橘音は御前に報告するつもりだった。
そして再び単独で漂白者として活動する。聡明な自分に相棒など必要ない、その機会は早晩訪れる――
はず、だったのに。
助けられたのは橘音だった。
そのとき相対したのは、完全に正気を失った妖壊だった。
いくら橘音が百の弁舌を弄したところで、最初から相手に聞く気がないのでは意味がない。
そして、橘音は体術に自信がない。天魔としての力を使えばどうにかなる可能性はあったが、尾弐の前でそれは見せられない。
妖壊の牙が迫る。橘音にはなすすべもなかった。
だが、そんなとき尾弐が身を挺して橘音を護ったのだ。
頑なにコンビであることを認めず、尾弐を愚弄していた橘音を。
橘音には信じられなかった。
自分は意地の悪い妖だった。最悪だった。尾弐の力なら、いつだって橘音を捻り潰すことができたのに。
なのに、彼はそうしなかった。忠実に、愚直に、自分に課せられた役目を果たしたのだ。
罵られても、嘲られても、見下されても。
怪我はないか、大将、と――彼は言ったのだったろうか。
嗚呼、思えばその瞬間だったのだろう。
この百年来、橘音が自身の心と身体とを支配する呪縛にかかってしまったのは――。
爾来、橘音と尾弐とは常にコンビで妖壊たちを漂白してきた。
長大なくちなわの変化に相対し、瀕死の重傷を負いながら勝利を収めたこともある。
とある廃村で巨頭の群れと戦い、命からがら遁げ出したこともある。
いつかふたりのコンビが颯を迎えて三人となり、さらに晴陽を加えて四人のチームになっても。
それでも、橘音と尾弐はいつだってコンビだった。それは決して変わることのない関係だったのだ。
だから。
――だから。ボクが助けなくちゃダメなんだ。彼のパートナーである、このボクが……。
彼が御前と取り交わした約束、彼の願いについては、薄々ではあるが察しはついていた。
彼は自分というものを粗末に扱いすぎる。いつも率先して傷つき、仲間たちの盾となり、勝利したときには常に瀕死だった。
勇猛とは違う。それはあたかも、傷つくことで自らを罰しているような。痛みを自らに課しているような。
それはまさに、破滅願望の発露だった。
橘音はそんな尾弐の願いに共感した。わかる、と思った。
なぜなら、橘音の願いもまた――。
千年の長きにわたる、尾弐の願い。唯一の希望とも言うべき妄執。
今、それはまさに叶えられんとしている。尾弐は死ぬだろう、その身に蓄えた強大すぎる妖力は劇毒以外の何物でもない。
このままいけば、体内の妖力を帝都中に撒き散らしながら尾弐は自壊する。
天魔アスタロトとしては、それが目的。帝都を完全に破壊するために企てた計画は、この上なく上手く行っている。
けれど。
――死なせない。絶対、死なせたりするもんか!!
橘音は決意した。ふたりがひとりに戻ることで取り戻した、天魔の力。そのすべてを用いて尾弐を救い出す。命を繋ぐ。
例えそれが尾弐の願いを挫き、天魔の計画を覆す結果になろうとも。
263
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:53:23
「…………」
とはいえ、現段階では手の施しようがない。
尾弐の持つ神変奇特の妖術は強力無比。かつて、酒呑童子はその能力で京の都を恐怖のどん底に叩き落としたのだ。
しかも、橘音の見立てではその妖術は平安の昔のそれとは大きく変質している。
祈とノエルが必死で活路を見出そうとしているが、その成果は芳しくない。それどころか――
「……な……ッ……、力が……抜ける……?」
>誰だ?誰か知らねぇが――――『堕ちろ』。森羅万象なんぞ、悉く地の底まで堕ちちまえ
ドガァッ!!
「ぎゃうっ!」
尾弐が右の手のひらの肉を食い千切り、発生させた血霧。
その範囲内に入った橘音の四肢から、急速に力が抜けてゆく。気力が萎えてゆく。
これもまた、神変奇特の力。しかも、千年前には存在しなかった新たな奇跡。
まったく予想外の攻撃に対し、迂闊にも尾弐に接近しすぎていた橘音は尾弐に反撃の機会を与えてしまった。
無造作に胸ぐらを掴まれたかと思うと、渾身の力で天井に投げ飛ばされる。メジャーリーグの投手が赤子に見える投擲力だ。
石牢の天井にしたたか背中を激突させた橘音は、短く喉に詰まった悲鳴を上げた。
そのまま、どうっと音を立てて床にうつ伏せに落ちる。
「……か……は……」
かりり、と石畳を掻き、橘音は苦鳴した。全身の骨がバラバラに砕けたかのような衝撃だった。
天邪鬼はその華麗な体術で尾弐の手刀を避けたようだが、元々運動の得意でない橘音はそうはいかない。
いくら天魔として身体能力のポテンシャルが高くとも、長く頭脳労働者をしていれば錆び付くというものだろう。
そして。
>――ぁ、く
祈が被弾する。尾弐の全てを破壊し尽くす掌打が、まるで爆弾でも使ったかのように容易に祈の脇腹を吹き飛ばす。
>祈ちゃ……
>祈ちゃん……!
「祈……ちゃん……!!」
襤褸布のように倒れた祈の様子に、思わず叫ぶ。けれど、橘音には何もできない。
倒れた祈の身体の下から、じんわりと血だまりができてゆく。致命傷だ。
橘音は歯を食いしばった。
――ボクのせいだ。ボクが酒呑童子を蘇らせようなんて思ったから……。
天魔としては喜ぶべき結果でも、今の橘音はそれを心から祝福することができない。
ノエルが祈に駆け寄り、懸命に救命措置を取っている。けれど、あれだけごっそり横腹を抉られては助かるかどうか。
そんなノエルは何かを閃くと、不意にポチへと指示を出した。
>ポチ君! どこでも一か所でいい、床に穴を! この血を下の階に落とすんだ!
戦闘フィールドである石牢の床には、うっすらと血が堆積している。
それは尾弐だけを濡らす液体だった。恐らくこの呪血こそが神変奇特の力の源泉なのであろう。
床に穴を開けることで、蟠る血の池を排除しようという狙いなのだろうか。
>橘音くん、召怪銘板持ってたら貸して!
次いでノエルが指示したのは、橘音に対してだった。
「召怪……銘板……?」
確かに招怪銘板は持ってきているが、そんなものを何に使うというのだろう。
今さら半端な妖怪を召喚したところで、酒呑童子の力を持った尾弐には一蹴されるに決まっている。
と、思ったが。
>――召喚するのは……小豆洗いだ!
ノエルの狙いは、仲間を増やすことによる単純な戦力の増強などではなかったのだ。
264
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 18:57:21
「小豆洗い……、そうか……!」
ここへきて、ようやく橘音にもノエルの意図が理解できた。
小豆は古来より魔を祓う特別な力を持つ。遥か弥生の昔から、小豆は神聖なものとして神前に捧げられてきた歴史がある。
『そうあれかし』がすべてを決めるこの世界において、破邪に用いるに小豆ほど適したものはない。
そして、小豆洗いならその小豆を無尽蔵に持っている。加えて、豆は鬼の大敵だ。
小豆を武器に用いれば、神変奇特の妖術も童子切と同じように無力化できるに違いない。
童子切を鞘に納め、それを杖代わりにしてヨロヨロと立ち上がると、橘音は迷い家外套の内側をまさぐった。
すぐに召怪銘板を取り出すと、ノエルへ向けてそれを放り投げる。
「ノエルさん……、召喚を!」
銘板の操作法なら以前ノエルもいじったことがあるので、すぐに理解できることだろう。
名簿には『新井 あずき』という名前がある。SnowWhiteに小豆の搬入業者として来ている、ブリーチャーズの補欠メンバーだ。
日がな一日小豆をいじくってばかりの、まったく戦闘向きではない妖怪だが、この場に限ってはこれ以上ない援軍である。
ノエルが召喚のキーをタップすると、即座にこの場に出現するだろう。
>だけど……こっからが、本番……!
ふと見ればポチが尾弐に突撃し、巨体を大きく弾き飛ばしていた。
尾弐の周囲を結界のように覆っている血霧の中から尾弐を引きずり出し、しかる後に攻撃する。
なるほど、これなら神変奇特の力で身体能力を減退させられることはない。
そして――ポチの真の狙いとは、尾弐の肉体に直接ダメージを当てることではないのだろう。
ポチは尾弐の攻撃を誘い、尾弐自身に自らの造り上げた石牢を破壊させようとしている。
ポチの力では尾弐の造った石牢は壊せない――ならば、造った本人に破壊させればいい。
先程、下階で祈が虎熊童子を撃破するために使った戦法と同じだ。
それを僅かな仕草で察したシロもまた、ポチと同じように我が身を囮として執拗に尾弐の下肢を攻める。
尾弐がまた手のひらを食い千切り、血霧を出そうとするのなら、すぐさま体当たりして血霧から尾弐を弾き出すだろう。
ポチとシロの速度がどんどん上がってゆく。尾弐の行動を遥かに凌駕し、翻弄してゆく。
しかし、それは燃え尽きる寸前の蝋燭の煌めきに等しい。今回の攻勢が失敗すれば、二度とやり直しはできない。
「………………」
橘音はノエルを見た。ノエルは召喚した小豆洗いから小豆をもらってどうするつもりなのだろう?
さっき、ノエルが懸命に尾弐へバナナを投げつけているのを見た。とすれば、小豆を弾丸のように発射するつもりだろうか。
確かにそれは一定の効果をもたらすだろうが、それ自体が決定打になるとは考えづらい。
橘音は一瞬目を閉じた。そして軽く唇を噛みしめると、決意を湛えた瞳を見開く。
「小豆洗いさん、ボクにも小豆をください。……いえ、一粒で結構です。たった一粒だけで」
よろ、とまだ尾弐に投げつけられた際のダメージが抜けきっていない様子で、橘音はノエルと小豆洗いに近付いた。
そして、小豆洗いから一粒だけ小豆をもらう。
「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
橘音はそう言って笑った。
そうこうしているうちに、ポチの作戦によって尾弐が石畳に誤爆し、床に亀裂が入るだろうか。
亀裂は見る間に大きくなってゆき、やがて崩れ去るだろう。穿たれた大穴から、周囲に蟠っていた呪血が階下へ流れ出してゆく。
「いいですかノエルさん。ボクが彼の動きを止めたら、絶対に総攻撃するんですよ。持てるすべての力を使わなきゃダメだ」
「チャンスは一度きり、二度目はない。……どんなことが起こったとしても、それだけは。絶対に成し遂げてください」
ノエルにそう念を押すと、橘音は天邪鬼へと視線を向けた。そして童子切を鞘ごと天邪鬼へと放り投げる。
「それはアナタが使ってください、天邪鬼さん。にわか剣豪のボクより、正真の達人であるアナタの方が適任でしょう」
「クロオさんがケ枯れしたら、その刀でクロオさんと酒呑童子の力を切り離す。それで万事解決です」
「なに……貴様、よもや……」
「――行ってきます」
何かを察したらしい酒呑童子の言葉を遮ると、橘音は大きく前方を見据え、ゆっくり歩き始めた。
265
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/03/31(日) 19:01:33
「……ねえ、クロオさん。会ったばかりの頃のボクは鼻持ちならない、イヤなヤツだったでしょ」
穏やかな笑みを湛え、橘音はそんなことを言いながら尾弐へと無防備に歩いてゆく。
「実際、そうだった。いや、今でもそうかもしれない。ボクはずっとずっと、アナタに迷惑をかけ通しでしたね」
橘音は武器になるようなものを何も持っていない。あるのはただ、右手の中に緩く握り込んだ小豆一粒。
それ以外には何もない。敵意も、悪意も、尾弐を害するようなものは何も。
「ボクはいつだって、アナタに甘えてばかりだった。いつだって、アナタがいるから大丈夫と思っていた。安心していた」
「たとえ何があったって、アナタは。アナタだけはボクの傍からいなくならないって……そう思ってた」
「ボクの愛した人は、みんなボクの前からいなくなってしまう。ずっとずっと、ずうっと。昔からそうだった、でも――」
「アナタだけは。いつまでもボクの傍にいてくれるって……ボクは、そう……思って……」
半狐面に覆われた橘音の双眸に涙が溢れる。面の下から頬を伝い、涙の雫がぽたりと零れる。
「……戻ってきて……。戻ってきて、ください……。天魔の計画なんてどうでもいい、ボクの望みだって――」
「アナタが帰ってきてくれるなら、ボクはもう……それで。それだけでいいんだ……」
尾弐の張った叛天の血霧の中へと、橘音は無造作に歩を進めてゆく。
けれど、その歩みは変わらない。攻撃をする意図がないので、犯転も意味を成さない。
滅びの安息が尾弐の望みなのだとしたら、今東京ブリーチャーズがしていることは間違いなく尾弐の意に反することだ。
尾弐の千年余にわたる宿願。尾弐の想いを尊重するなら、ここで尾弐を撃滅することこそが救いであろう。
しかし、橘音はそれを退けた。尾弐の望みを挫くことを選択した。
憎まれてもいい。嫌われてもいい。今までの関係が壊れてしまってもいい。
それでも。尾弐に生きていてほしい。橘音はそう一心に願った。
「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
見上げるほどに大きな尾弐の身体が、手を伸ばせば触れられる距離にある。
「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
橘音は手の中の小豆を素早く口に含んだ。
そして、背伸びして両腕を伸ばす。つま先立ちになり、尾弐の太い首に両腕を回して抱きつく。
ふたりの顔と顔とが近付く。互いの息のかかる近さに距離が縮まる。そして――
仄かな微笑を湛えると、橘音は尾弐の唇を自分の唇でふさいだ。
――んッ……。
唇を重ねると、橘音はすぐに口内の小豆を舌で押しやり、口移しで尾弐に与えた。と同時、自らの妖力も送り込む。
橘音の妖力に触れた小豆は、尾弐の体内ですぐに強力な浄化の力を放つことだろう。
そうすれば、尾弐はほんの一瞬だけでも神変奇特の力を行使できなくなる。神変奇特の反転作用さえなくなれば、攻撃が通る。
今や日本のみならず世界でもトップクラスの戦闘能力を有する東京ブリーチャーズなら、きっと尾弐をケ枯れさせられるはず。
橘音はそれを信じた。そして、尾弐の首にしがみついたままで口付けを続け、自らのすべての妖力を尾弐へと注ぎ込む。
むろん、その間橘音は無防備だ。そして尾弐との距離はゼロ。
もし尾弐が抵抗を示し、攻撃をするなら、橘音にはそれを防ぐ術はない。すべて喰らうことになるだろう。
だが、それでも橘音は口付けを中断しない。たとえ尾弐の攻撃で祈のように腹を吹き飛ばされようと、四肢を喪おうとも。
命が奪われるその瞬間まで、橘音は決してこの行為をやめない。
愛するひとを助けたいから。これからも生きていてほしいから。
復讐や破滅以外の選択肢で、幸せになってほしいから――。
それが。
宿願のために自分自身の心さえも欺いてきた橘音の、まごうことなき本当のこころだから。
266
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:33:11
那須野橘音と天邪鬼の参戦により戦況は一時的な停滞を見せた。だが、それも長くは続かない
童子切安綱による攻撃は超常的な反射神経により回避され、それ以外の攻撃は頑強な肉体により弾かれてしまうからだ。
いわんや、ノエル投擲するバナナに関しては攻撃の意味を成す事すらもなく、妖力で強化したものはその場で燃え尽き、それ以外のものは尾弐に当たりはするが意識を引く事すら出来ないでいる。
……そもそも「犯転」と「叛天」。変性し変質した二種の神変奇特。
その術式を有する尾弐に対して正面から戦って勝つ事は、まず不可能なのだ。
呪殺、神罰、魔法、法力。
あらゆる攻撃は術式の前に封殺され、撃滅され、叩き潰される。
強ければ強い程……強大な『そうあれかし』を持つ者程、その力は裏返り、自身を焼く。
それは、人の想いを否定するという意味において、実に悪鬼らしい能力であると言えよう。
そして、仮に数少ないルールの穴を掻い潜っても、そこに待ち受けるのは酒呑童子という強大な悪鬼との肉弾戦。
並みの攻撃では皮膚を裂く事も出来ず、逆に悪鬼の拳は掠るだけでも命を脅かす、修羅の巷。
故に
>「――ぁ、く」
少女――――多甫 祈が、その凶手の前に倒れるのは、必然と言うべき結果であった。
都市伝説をその力の根幹に据える少女は、『叛天』によりその力を削がれ、人智を超えた脚力を失い、妖怪としての肉体の頑強さえも減衰してしまった。
なれば、後に残るのはただ一人の少女としての強さのみ。
そんな少女に躊躇い無く振るわれた悪鬼の腕は、まるで水に手を刺し込む様に何の抵抗もなく前へと進み……
少女に、鮮血の花を咲かせる事となる
どさりと、尾弐だけを濡らす血溜まりに倒れ伏す祈。
彼女の腹部には、まるで冗談の様に大きな孔が開いてしまっている。
赤い液体が溢れ出る孔の奥には、露見すべきでない色……骨や筋肉すら見えている。
致命傷――――命に届く傷だ。
どれだけ狂化しようと、どれだけ悪に染まろうと
共に時間を過ごし、時には庇護し、時には守られた少女に対し、決して振るうべきでは無い力。
だが、尾弐はそれを振るった。振るってしまった。
それは、尾弐という悪鬼の精神が壊れ果ててしまっている事の証明でもあった。
267
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:33:56
>「う、く……」
倒れ伏し石畳を掻く祈を、無感情に……何の痛痒すら見せる事無く見下ろす尾弐。
やがて尾弐は、祈に対して腕を伸ばす。
けれどそれは助け起こす為にでは無い――――少女の命を刈り取る為に。
「嗚呼……憎い、憎い、憎い、憎い……!」
「叛天」を行使する際に自身で噛み千切った尾弐の掌から、倒れ伏す祈へとボタリ、ボタリと血液が落ちる。
流れ落ちる血は、祈の傷口を濡らし……そして、徐々にその先にある心臓へと近づいて行く。
しかし
「――――!?」
その凶手は祈の命に届く事はなかった。
最悪の事態を防いだのは、二つの影――――これまで戦況の観察に徹していたポチとシロ。
動かなかった事により尾弐の敵意から外れていた二体が、その全力を以って尾弐へと体当たりを行い、尾弐を吹き飛ばした為である。
>「よし……まずは……一つ……」
身体能力こそ強化されているが、重量はさほど変化していなかった事が幸いした。
これにより、尾弐は今すぐに祈へ攻撃を仕掛ける事が出来なくなる。
また、重ねて……ポチの推測が正しかった事も証明された。
尾弐が巻いた血霧から逃れた瞬間に、ポチの身体能力が回復した……即ち、「叛天」の効果範囲の特定と一時的な無力化に成功したのである。
>「だけど……こっからが、本番……!」
けれど、勝機が見えた訳では無い。
あくまで現状は最悪の状況を逃れただけに過ぎず、また「叛天」を逃れても「犯転」は作用したままだからだ。
単純に戦力としてだけで見た場合、満身創痍のポチとシロだけでは酒呑童子に抗う事は出来ない。
今の尾弐に、少なくともある程度対抗をするには……那須野やノエルを含めた東京ブリーチャーズの総力を結集する必要が有る。
その為に「犯転」の無力化を行う必要が有るのだが、「叛天」と異なり「犯転」の無力化は困難を極める。
無意識広範囲の自動術式であるが故に、尾弐に攻撃をした程度では止める事が出来ないのだ。
根本的に『何』を媒介にして発動しているかを見抜く事が出来なければ対処する事は叶わず、そして激しい戦闘の最中ではその回答に至る事は至難である。
だからこそ、この場の全ての妖怪たちは何の攻略法も見いだせずに尾弐に蹂躙される運命であった。
268
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:36:14
臓腑を穿たれても尚、未来を掴まんと言葉を残した少女。
少女の言葉を一分の疑いなく信じ、野性的なまでの直感の元に為すべき事を見出した雪妖。
友の負傷を目にしても牙を食いしばり耐え抜き、不条理を食い破らんと動いた獣。
そう――――この場に居るのが彼等でなければ、きっと運命は定まっていた筈であった。
その人間より優れた耳を以って、祈の言葉を確かに聞き届けたポチ。
叛天を脱した事により妖怪としての身体性能を取り戻した彼は、執拗に尾弐の膝下へと攻撃を仕掛ける。
刃の如く鋭利な爪に寄る連撃。通常の鬼であれば、立ち上がることすら出来なくなるであろう猛攻だ。
「……ああ、そうかい。憎い、憎い、全部壊れろ……敵は全部だ。壊れろ、壊れろ、壊れちまえ……!」
だが、その攻撃は尾弐に何ら痛痒を与える事は出来なかった。
莫大な妖気で強化された尾弐の肉体は、ポチの爪を皮膚から先へ通す事は無い。
無意味で、無駄な攻撃……だというのに。
弐度、参度とポチは攻撃を重ねていく。
下手をすれば、尾弐の肉体よりも先にポチの爪が破損してしまうであろうに、彼はその爪を振るう事を止めない。
尾弐もわずらわしそうに足を振るうが、獣の鋭敏な動きを、狂乱した知性は捕える事が出来ない。
斬り付けるポチと、振り払おうとする尾弐。そのやり取りは更に数度行われたが
「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
一際大きく声を出した尾弐。
彼が床に向けて振り下ろした右拳によって、ポチの連撃は途絶える事となった。
小石を弾くだけで大地を抉る腕力。それが、渾身を以って大地へと振るわれれば――――起きる現象は一つ。
地殻変動の如き、大破砕である。
269
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:36:59
尾弐の言葉によって編まれた異界。見渡す限りの堅牢な石畳が、一瞬にして罅割れ砕けた。
そのまますり鉢状に石畳を陥没させた破壊の力は、それでも尚エネルギーを残し、衝撃波となり地を覆っていた血液を吹き飛ばす。
恐るべき怪力。恐るべき暴力。
衝撃波により飛ばされた後に再び戻ってきた血液が亀裂の中に延々と吸い込まれ続けていく様子から、石畳の下に走った亀裂は1mやそこらの深さではない事が伺われる。
これだけの圧倒的な力を目にすれば、殆どの妖怪は心折れ死を受け入れる事だろう。
だが――――初めからそれを目的にしていた者達にとっては、そうではない。
今こそが千載。
今こそが一遇。
なぜなら、祈の推測通り、ノエルの目論見通り、ポチの計画通りに。
『血液を媒介として発動する術式』である『神変奇特』が、無力化されたのだから。
破砕が困難な石畳。それを五大妖級の力を持つ尾弐自身の手で破壊させるという選択は、正に賭けだったと言えよう。
仮に酒呑童子が僅かでも尾弐黒雄の思考能力を残していれば、この策略に掛かる事は無かったに違いない。
だが、東京ブリーチャーズは賭けに勝った。
祈や那須野、ノエルを躊躇い無く攻撃した事から、尾弐の知性の低下を見て取る……他にも様々な要素があったのかもしれない。
それらを見逃す事無く、正しく理解し判断する事により、彼等は一つの運命を手繰り寄せたのである。
そして
>「――行ってきます」
アスタロト……否、那須野橘音が、その千載一遇を逃す筈が無い。
270
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:37:40
>「……ねえ、クロオさん。会ったばかりの頃のボクは鼻持ちならない、イヤなヤツだったでしょ」
「……憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、壊れちまえ」
>「実際、そうだった。いや、今でもそうかもしれない。ボクはずっとずっと、アナタに迷惑をかけ通しでしたね」
「敵だ、敵は殺す。ああ、そうだ。全部壊すんだ。嗚呼、嗚呼、憎い憎い憎い憎い、憎くて仕方がない……!」
一歩。また一歩。
強大な敵へ向かうというのに、その姿はあまりにも無防備で。
手に武器すら持つ事無く、何時かの様に他愛無い思い出話を語りながら、那須野は尾弐との距離を詰めていく。
……悲しいのは、那須野の言葉を理解する為に必要な尾弐の精神は壊れてしまっている事だ。
欠片の敵意すら無い言葉も、今の尾弐は理解する事が出来ない。
ただ、機械のように憎悪の言葉を吐きだし続けている。
けれど
>「ボクはいつだって、アナタに甘えてばかりだった。いつだって、アナタがいるから大丈夫と思っていた。安心していた」
>「たとえ何があったって、アナタは。アナタだけはボクの傍からいなくならないって……そう思ってた」
>「ボクの愛した人は、みんなボクの前からいなくなってしまう。ずっとずっと、ずうっと。昔からそうだった、でも――」
>「アナタだけは。いつまでもボクの傍にいてくれるって……ボクは、そう……思って……」
それを理解したうえでなお、那須野橘音は言葉を止めない。
……心からの言葉を以って、壊れた悪鬼に向き合う事を止めなかった。
「……堕ちろ。須らく堕ちちまえ」
そんな那須野に対し、無情にも尾弐は血を流す己の腕を振るう。
『叛天』。そうあれかしの元に強さを弱さへ引き摺り下ろす術式を再び繰り出したのだ。
更に間の悪い事に、那須野の脚は床に僅かに残っていた血だまり……即ち『犯転』の術式を踏み抜いてしまう。
……それで終いの筈であった。どの様な攻撃手段を用意しようと尾弐の術式はあらゆる敵意を叩き伏せるのだから、歩みは止まる筈であった。
だというのに――――
271
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/06(土) 01:44:19
>「……戻ってきて……。戻ってきて、ください……。天魔の計画なんてどうでもいい、ボクの望みだって――」
>「アナタが帰ってきてくれるなら、ボクはもう……それで。それだけでいいんだ……」
その歩みには、僅かの停滞すらなく。
それは即ち、那須野橘音が僅かの敵意すら持たず尾弐黒雄に近づいている事の証明に他ならない。
>「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
やがて、弐体の妖の距離は互いの手が届く程までに近づいた。
神変奇特がすり抜けられるという不可解な事態に、憎悪の言葉を止め、壊れた視線を那須野へと向けていた尾弐。
だが『敵』が己の殺傷圏内に入った事で再び、半ば自動的に行動を再開する。
右の拳を握り込み、力を込めて引き絞る。そして、そのまま――――
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
尾弐の拳は、振るわれなかった。
狂乱している精神であれば、壊れている魂であれば、澱み濁っている思考であれば、憎悪と怒りのままに那須野を撃ち抜いて然るべき拳。
けれどそれは間違いなく止まっていた。精神が壊れ果てても、魂が砕けても、思考が穢れ果てても……それでも尚、心に刻まれていた『何か』が尾弐を押しとどめたのだ。
そして、生み出された僅かな空白を埋めるように、那須野橘音は尾弐の首へと手を回し
口付けが一つ、交わされる。
「……!?」
尾弐の目が見開かれる。それは、驚愕が理由では無い。
己の中に、那須野橘音がその唇を伝って流し込んだ『もの』が原因だ。
今の尾弐には与り知らぬ物ではあるが、その正体は……ノエルの提案によって召喚された妖怪、小豆洗いが所持していた、ただ一粒の小豆。
只人であれば何ら構う事無く消化するであろう、豆粒であるが
「――――!!」
魔の者……殊に、悪鬼に関しては劇薬の如き効果を発する。
マメ、魔滅。節分の行事として、鬼を祓う為に撒く風習の道具。
人々が人々の幸福を願い生み出され、積み重ねられてきた「そうあれかし」は、口腔から流し込まれる那須野の妖気により、浄化の力を放ち始める。
尾弐はとっさに那須野の腕を掴み、己から引きはがそうとするものの、浄化の力は一時的に尾弐の腕力を奪い、
また那須野の懸命の抵抗も相まって振り解く事が出来ない。
そして、その間にも妖気は流し込まれ、小豆は浄化の力を増していく。
「…………!!」
その内、先に尾弐が那須野に行使した「叛天」の血霧が薄れていく……恐らく、神変奇特を維持する為の妖力を浄化の力への対処に回し始めたのだろう。
那須野も懸命に妖気を流し込んでいるが、現状では尾弐がケ枯れるよりも那須野の妖力が尽きる方が早い。
そうなれば、那須野は振り解かれ、再び勝ち目のない戦いが再開する事だろう。
故に、この状況を打開する為には――――もう一手が要る。
尾弐の異常な頑強さは、膨大な妖力による底上げが根底に有る。
ならば、その妖力が浄化への対処に用いられている現状では、先程までと違い攻撃は通る筈だ。
……気のせいだろうか、尾弐の視線が一瞬ノエル達の方へと向いた様に見えた。
272
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:40:08
尾弐の掌底によって腹部を撃ち抜かれた祈。
その傷はまさに命に届いており、祈は倒れ伏したまま、立ち上がることもできないでいた。
そんな祈の元へ歩み寄る影が一つ。
>「嗚呼……憎い、憎い、憎い、憎い……!」
尾弐黒雄。否、尾弐黒雄であって尾弐黒雄でない何か。
大量の妖気を吸収し、憎悪によって酒呑童子と化した何某かだった。
祈を見下ろすその目には、ただ憎悪が宿る。
尾弐の壊れた心にとって、牙を剥いた祈はただの敵であり、憎悪の対象でしかないようだった。
破壊して千切って砕いて晒して溶かして殴って潰して――、命を刈り取ること。
それだけがその胸中を占めているのだろう。
祈へと伸ばされた尾弐の腕には、助け起こそうなどという意思は微塵も感じられない。
ただ、血がボタボタと滴り落ちるその右腕で祈の心臓を潰し、
数分も待つことなく、今すぐ息の根を止めようとしているのは誰の目にも明らかだった。
「尾弐の、おっさ、ん……」
祈の目にもそれは当然映っていた。
攻撃から逃れなければ、と思う祈。
しかし、尾弐の伸ばした腕から、祈の腹に空いた風穴に血が滴り落ちた。
それによって当然、ここでも『反転』が起きる。
そうあれかしによる強化を、弱体化というマイナスへと変える、もう一方の反転。
これにより、祈は妖気によって体を強化する術も奪われてしまった。
せめて体を強化できれば、
この傷でも僅かな間なら延命が可能だったかもしれないし、
尾弐の腕からも逃れることができたかもしれない。
だが絶望と慟哭から生まれた鬼は、僅かな希望さえも祈から剥奪する。
伸ばされた尾弐の手が今まさに届き、祈を縊り殺す、という瞬間。
>「――――!?」
それを阻止したのがポチとシロだった。
夫婦で激しく傷付けあった直後で、戦える状態になかったはずの二人。
その二人が割って入り、体当たりで尾弐を吹き飛ばしたのであった。
>「よし……まずは……一つ……」
満身創痍のポチが呟く。
尾弐は酒呑童子と化しても、見た目と同様、体重にも大きな変化はなかった。
故に祈も投げ飛ばすことができた。
遠目に観察していたポチはそれを把握し、シロと共に的確に突いたのである。
足を浮かせてしまえば、どんなに怪力であろうと踏ん張ることはできない。
>「だけど……こっからが、本番……!」
ポチがいつもの無茶をする時の表情で続け、更なる追撃を開始する。
自身はすねこすりの特性を利用し、尾弐の脛を切り刻む。
シロもまたポチと共に、翻弄するように動いて猛攻を加えていく。
一撃喰らえばそれで終わりの戦い故か、二人の戦いには慎重さが見て取れた。
それを見た祈も、立ち上がって参戦しなければと思う。
だが気持ちとは裏腹に、身体は徐々に動かなくなっていった。
273
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:42:15
激痛が和らぎ、眠気と共に体の感覚が遠くなる。
咳き込んだときに口内に残った血の味も、うすぼんやりとしていった。
一瞬、祈は誰かに抱え上げられたような浮遊感と、
燃えるように熱い腹部が何故か冷たくなったのを感じたが、それもまた彼方に消えていく。
祈の視界に映るものが段々と虚ろになり、歪んでいく。
元が血や石と果てない暗闇とで構成された殺風景な世界であるから、
歪んだとしてもなんら面白いところはない筈だが、
歪んだその景色は何故か、祈の感覚には面白く感じられた。
ぐにゃと歪み、ぼんやりしか見えない視界が、どういうことか楽しいと感じるのである。
それは死を察知した脳が、
ドーパミンやβエンドルフィンなどの脳内物質を分泌し始めているからだった。
痛覚を麻痺させて安らかに死を迎えさせようと、そんなはたらきがまさに行われ始めているからであった。
避けられぬ死の予感。
祈は石畳に爪を立てていたが、わずか数秒でその手からは力が抜けていった。
瞼が次第に重くなり、勝手に落ちていく。
だが。
再び祈はガリリと石床に爪を立てた。
力ならまだある。まだ自分は死んでいない。そう強く想い、
祈は虚ろな目を見開いた。
再び立ち上がるために。
かけがえのない人を助けるために。
(死んでなんていられるか! あたしは尾弐のおっさんを助けるんだ!)
そうして傷付いた体で、無理矢理に立ち上がろうとした時。
――ポタッ……ポタッ……。
不意に、口元に何か、冷たい液体のようなものが落ちてきた感触に気付き、
祈は動きを止めた。
なんだろう、と祈が考えるよりも先に、その液体は祈の唇を濡らし、口内へと流れ込んでくる。
祈の虚ろな視界には、白とも肌色ともつかない何かが見えており、
そこから液体が垂れていることが分かった。
(なんだこれ……おいしい……?)
その肌色の何かから垂れてくる液体は、祈にはひどくおいしいものに感じられた。
無味であるが、どこまでもクリアに澄み、きんと冷えてなんとも爽やかである。
それでいて、飲めば飲むほど活力が湧いてくるような、五臓六腑に染みわたる生命の息吹を感じる。
飲物でいうのなら良く冷えたソーダ水に似たおいしさがあった。
景色に例えるなら、雪解け水が流れる春の小川だろうか。
立春を過ぎて降った雪。その冷たい雪が溶けかかると、その下から力強い緑の植物が顔を出す。
澄んだ冷たい水がさらさらと流れ、水面に陽光が輝いているような、大自然の美しさ。
274
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:45:50
>「――音くん、召――銘板――……たら貸……て!」
もしかしたら誰かが、予めこのような状況を想定して、
迷い家の源泉を水筒にでも入れて持ってきていたのではないか。
それを今、祈に分け与えてくれているのではないか。
なんてことを都合よく考えながら祈は、顔を近づけてその液体をコクコクと飲んでいく。
(なんだろうこれ、力が湧いてくるっていう、か――)
それがノエルの血だとは知らずに。
そして、祈の意識と視界がはっきりし始め、目をぱちりと開いた時。
目の前にあった、白と肌色の中間体のようなものはノエルの腕であり、
今し方まで飲んでいたものが、それから零れ落ちるノエルの血であることを知る。
それはちょうど、ノエルが橘音から投げ渡された召怪銘板を受け取って、
小豆洗い(名前は新井あずきさんというらしい)を召喚し終えた頃のことである。
「き”ゃわ”ああああ!!?」
可愛げのない悲鳴を上げながら、祈は完全に目を覚ます。
そして反射的に右足を跳ね上げ、ノエルを蹴飛ばした。
顔が赤い。
それはそうだろう。
なにせ、おいしいと思いながら飲んでいたものがノエルの体液だったのだ。
混乱は当然、そこに羞恥に似た感情が込み上げてくる。
「あ、ごめっ、じゃなくて! お前御幸! 一体あたしに何して――つうっ」
祈はがばっと上半身を起こして、抗議めいた声を上げる。
しかし、痛みに視線を落として、傷付いた腹部が氷に覆われていることと、
身体に力が戻ってきていることで、
祈は自分がノエルによって助けられたことを理解した。
しかもそれはどうやら、ノエルが自分自身の腕を傷付けてまで行ったことであるらしいことも。
祈の腹部を氷で覆って出血を防ぎ、
自らの血を媒介に妖力を分け与えて、祈を回復させたのだと。
祈は座り直す。そして、
「や……ごめん、で合ってるか。助けられたのに蹴っちゃったのか、あたし。ご、ごめんな御幸?」
と謝罪しつつ、ノエルのことを直視できず、顔を背けた。
その顔はより赤い。
なんとなく手を顔面の前に持ってきて、ノエルから自分の顔が見えないようにする。
それも致し方ない。
なにせ自分の腕をかっさばいて命を救ってくれるなど、
不覚にも「イケメンかよ」と思ってしまった訳で。しかも実際にイケメンだった訳で。
祈は普段なんら意識していなかったのに、
よく見れば、本当に本当に意外なことに、ノエルは真実イケメンだったのだ。
いや、顔が良くても中身はノエルだぞ、なんて思っても、その中身は、
出会ってから幾度となく祈を助けてくれて仲間想いの、ガチの良いヤツだと気付いてしまって――。
――パアン!!
祈は不意に自身の顔を、両手で挟み込むように勢い良く叩いた。
やってる場合じゃねえ、と理性が言っていた。
「と、とにかく! 助かったから! あたしも戦うから! やるぞ御幸!」
これによって祈は顔の紅潮を誤魔化し、気持ちを入れ替える。
よろよろと立ち上がる祈。
ノエルが自身の血もしくは体液(あるいはノエル汁)を使って祈に渡した純粋な妖力は、
迷い家の温泉に近しいもの。
それによって祈は今、一時的に肉体の損傷によって失われた生命力を、
妖力で補う形で生きていられる。
痛みは戻ってきたものの、祈は動ける。
血も足りずふらつき、一度はずっこけてしまったものの。
まだ、戦えるのだった。
275
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:48:36
――戦況は変わりつつあった。
まずは、ノエルが召怪銘板によって小豆洗いを召喚したこと。
これによって、尾弐に対して高い効果を持つ『小豆』という兵器がもたらされた。
橘音は小豆洗いの持つ桝から、たった一粒の小豆をつまみあげると、
>「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
>「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
>「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
>「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
とノエルに対して言った。この一粒で自分が尾弐をなんとかすると。
そして、戦況を変えたのはもう一つ。
それはポチとシロが尾弐を巧みに誘導し、石畳の床を砕かせたことによる。
地鳴りと轟音を響かせ、尾弐の拳が石畳を粉砕する。
ひび割れ、砕け、陥没し、大きく亀裂が入る。大穴が開く。
場に満ちていた尾弐以外触れられない血が、その衝撃の余波で瞬間的に吹き飛んだ。
そして雨のように降り注ぐと、でき上がった大穴から下層へと流れ落ちていく。
これによって。
(風火輪が使える……!)
作戦会議をする橘音やノエル、天邪鬼や新井からやや離れたところで、
どうにか立ち上がって呼吸を整えていた祈は、
試しに攻撃意思を持って風火輪へと妖力を流してみた。
すると、死ぬ間際まで考え抜いた祈の推測が当たっていたようで、
反転されることなく、風火輪に炎を宿すことができた。
今度こそ尾弐へと向けて、
全力で駆けたり、炎によって攻撃したりできるということだ。
血が下層に流れて行ったのを見届けた橘音は、
『自分が尾弐の動きを止めたら、持てる力の全てを使って尾弐を倒すように』とノエルへと作戦を与え、
さらに、童子切安綱を天邪鬼へと投げ渡して、尾弐と酒呑童子の力を切り離す役を任せた。
>「なに……貴様、よもや……」
>「――行ってきます」
そして橘音は、何かを気付いた様子の天邪鬼に止めさせる間も与えず、
尾弐へと向かい、歩き始める。
その背を見送りながら、全力攻撃に備えているであろうノエルの横に祈も並ぶ。
「総攻撃なんだろ? あたしもやるよ」
ターボババアから教わった呼吸法で心拍やらを安定させた祈も、攻撃に参加すべく。
橘音が小豆を使って何やらするつもりであるようだから(恐らく口内に小豆をねじ込むつもりだろうと思われた)、
祈まで小豆を持つ必要はないのだろう。
276
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 22:54:32
歩んでいく橘音。それを視認し、迎える尾弐。二人の距離が近付いていく。
言葉を連ねる橘音だが、その言葉は尾弐に届かず、返されるのは有象無象への憎悪の言葉。
それでも橘音は歩みを止めず、無防備にすら見える動きで尾弐へと更に接近する。
拒絶するように、尾弐は血の流れる右腕を振るった。
だが、橘音は止まらなかった。
反転による尾弐の攻撃が通じないようで、止められることはなかった。
それを今度は暴力によって捻じ伏せようと、尾弐は握った拳を後方へと大きく振りかぶる。
「――あぶねえ!」
それを見て祈は叫ぶ。
あれが橘音であるのか、それとも橘音に扮したアスタロトなのかだとか。
そんなことは瞬間的に頭から吹き飛んで、その身を案じていた。
だが橘音は避けることはなかったし、
尾弐の拳が振るわれることもなかった。
まるで尾弐を信じているかのように身じろぎ一つしない橘音の前で、
尾弐の動きが瞬間、止まる。
その間に、橘音が自らの口に右手を持って行った。
口に小豆を含んだのだ。
そして橘音と尾弐。
二人の距離がゼロになる。
尾弐と唇を重ねた橘音は、尾弐の首へと腕を回し、強く抱きしめた。
それを拒み、橘音の肩を掴んで引き剥がそうとする尾弐だったが、引き剥がせない。
おそらく橘音は口に含んだ小豆を、口移しで尾弐に与えたのだろう。
それによって、尾弐は瞬間的に衰弱してしまったようである。
なんせ豆類は鬼にとって最悪の劇物なのだから。
以前の尾弐が狼王ロボにやったのと同じことをすると橘音は言っていたが、
その手段が口移しとは、なんと大胆なことか。
それにしても。
「やっぱり尾弐のおっさんは、橘音のこと好きなんだな」
呆気に取られていた祈だったが、
不意に笑って、のんきにそんなことを言った。
先程の尾弐は、橘音に拳を振るわなかった。
憎悪に囚われているこの状況で、拳を振るうのを躊躇ったのだ。
それに、橘音を引き剥がそうとしていても、引き剥がせないその様子。
まるで二人で抱き合っているかのようで。
橘音は尾弐が好き。尾弐は橘音が好き。お似合いの二人だと祈は思う。
「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
誰にともなく言う。
先程祈は、尾弐の一撃により死の淵に立った。
だがそれに屈することなく、尾弐を助けたいと想い続けた。
そして今、尾弐と橘音を見て、
二人の幸せを願う気持ちが、その胸の内で轟々と燃え上がっている。
これは姦姦蛇螺の体内で奇跡を見せた時と、ほぼ同じ状況である。
それ故に。
薄ら赤くなりかけていた髪は再び朱へと染まっていき、
衣服は漆黒、眼は金色という――、
姦姦蛇螺の体内で龍脈の神子としての力を振るった、あの時と同じ姿へと変身していく。
龍脈の力を振るう前段階。
龍脈という巨大な力と接しているために、
祈自身もその余波で力を得て、妖怪としての格が上がっている。
都市伝説妖怪であるターボババアの力を限界以上に引き出せる状態であり、
その姿は“若い頃の”ターボババアに近いものとなる。
周囲には星々の瞬きのごとき燐光を纏い、
風火輪から噴き出す炎が勢いを増していく。
277
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 23:01:54
自身の変化を知ってか知らずか、
祈は風火輪を履いた右足の爪先で床をトントンと叩きながら、いつもの様子で続ける。
「ったく、尾弐のおっさんもさ。最初からもっとあたしらを頼れよな。
橘音とポチならいい案出すだろうし、御幸に話せば変な案が出てくるし。
そんであたしなら、もしかしたら。過去だって変えられたかもしんねーのにさ」
仲間の知恵や力を借りれば、
尾弐の願いを叶える方法は見つかったかもしれない。
それが駄目でも、もしかしたら龍脈の力で。
五大妖が世界線を変えるなら、過去だって。
そして未来だって。なんだって変えられたかもしれない。
そうすれば、望みの未来を手に入れられたかもしれないのに。
「つっても、もうそんなこと言っても意味ないか。尾弐のおっさんは“今”を選んだんだしな」
だが、それももはや意味のない話だ。
そんなものがなくても、もう物事は解決したのだから。
尾弐が結んだ御前との契約。
それは歴史の改竄だった。
尾弐が契約を果たせば、外道丸が酒呑童子にならず、人として死んだ世界線に移行し、
そして尾弐もまた同様に人として死んだため、この世界からは消えることになっていた。
――なぜ、直接に外道丸を救った世界ではなかったのか?
――なぜ、自身が消失するような契約をしたのか?
そこからは、尾弐の深い絶望が見て取れる。
自分ではどう足掻いても外道丸を助けることはできないと言う諦念。
それを強いる世界への失望。
それでも諦めることができない外道丸の幸せと、
この世界から消えてなくなりたいという破滅願望の狭間。
そんなさまざまなものが混ざり合った結果が、この契約。
『どうせ救えぬなら最初からなかったことにしようという』、そんな願いに繋がったのだ。
だが、千年に渡ってそんな想いを抱え、酒呑童子に成り果てた尾弐が、
『橘音の殺害を躊躇った』という事実。
そこには希望がある。
尾弐が過去ではなく“今”を選んだと言う希望が。
絶望や憎悪、破滅願望や諦念。尾弐が抱いたありとあらゆる負の感情。
それを上回るだけの、橘音への想いがあるのなら、
尾弐はきっと、再びこの世界を歩んで行ける。幸せになれるだろう。
外道丸だってこうしてこの世界にいるのだし。
過去で直接助けられなかったとしても、
尾弐が御前に願ったことで、迷っていた魂は高神になって復活したのだし。
278
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/09(火) 23:09:14
(そんでそのためには、酒呑童子の力が邪魔だ)
酒呑童子の力は尾弐を蝕む病巣。
それを摘出するには、ケ枯れさせて、童子切安綱によって切り放す必要がある。
そうやってのみ、尾弐は健康な体に戻れるのだという。
そのためには、祈も全力を出す必要がある。
橘音の指示した通りの総攻撃をする必要が――。
祈は石畳を蹴る。
そして抱き合う尾弐と橘音の横を通り過ぎて、果てのない石畳の牢獄を駆けた。
時速140キロを遥かに超えた速度で、尾弐との間に開けた距離はざっと、数百メートル。
それが攻撃に必要な助走だった。
橘音がそばにいるため、炎による範囲攻撃は橘音を巻き込んでしまうおそれがある。
故に適しているのは、一点集中攻撃。
それは例えば、祈が最も得意とする――蹴りによる攻撃などが相応しいと考えられた。
ただし。
祈が尾弐を蹴り飛ばしたとしても、角度によってはそれもまた橘音を巻き込む。
橘音は尾弐の首に手を回しているため、祈の攻撃に合わせて手を放してくれなければ
一緒に吹っ飛ばされてしまう、というような事態に陥る可能性があるのだった。
とはいえ。杞憂だ。
尾弐が橘音を愛しているのなら、
祈の攻撃を避けて橘音が傷付くような事態にはするまい。
これから祈が尾弐の背に向かって放つ全力の蹴りを避けることはないし、
その余波ですらも橘音に及ばせまいとするだろう。
ある意味では尾弐を信頼しているとも言える計算が祈の中にはあった。
祈は切り返し、尾弐達のいる方向へと向き直った。
そして尾弐の背中目掛けて、再び走る。
充分な助走を得、更に風火輪の力を借りて音速の手前まで達した祈は、
左足で石畳を蹴り、床を離れる。
右脚を前へ突き出し、
仮○ライダーさながら、飛び蹴りの体勢へと移行した。
風火輪の炎が鳥の両翼のように広がり、一層燃え上がる。
炎はジェットエンジンの如く、空中の祈を更に加速させる。
「だぁああーーーッ!!!!」
そして尾弐の背に、祈の飛び蹴りが炸裂する。
これによる尾弐のダメージは二つ。
まずは数十トンクラスの衝撃。
これが尾弐の背を直撃することになる。斜め下方向に向けられている為、
尾弐の足は宙に浮くことなく、踏ん張ろうと思えば踏ん張ることができる。
そしてもう一つは、超高温。
インパクトの瞬間に祈は、ほぼすべての妖力を右足の風火輪に集中させたため、
すさまじい高温が尾弐の背に叩き込まれることになる。
尾弐の体が超高温に耐えられる頑強さを持っていなければ、
熱によって背中周辺の皮膚や肉、血が爆ぜ、焼け爛れることになるだろう。
莫大な妖力を得た酒呑童子たる尾弐であるから、死ぬことはないまでも、
それなりの、あるいはかなりの傷を負うことになるはずである。
279
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:28:36
>「ノエルさん……、召喚を!」
ノエルの直観通り、橘音は召怪銘板を持っており、それは受け渡された。
左腕で祈に妖力を分け与えながら、右手で操作方法はスマホのようなそれを慣れた手つきで操る。
「新井あずき、君に決めたァあああああ!!」
やや流行の過ぎた決め台詞と共に、召喚ボタンをタップする。
この召喚は結構妖力を消費するもので、祈に大量に妖力を与えながらの召喚によって一瞬意識が遠のく。
その中で、白昼夢のようなものが見えた。
『――それ以上先へ進めば後戻りは出来ぬぞ』
『何を今更。小娘一匹に篭絡された我などとっくに破門だろう』
『裏切り者のそしりをうけ数多の同胞と刃を交わすことになるかもしれぬ――それでも良いのか?』
『我は信じておるのだ――自然と人はいつか繋がれる……。災厄の魔物などという哀しい役目が要らなくなる日が必ず来る。
それまでの間、そなたらが人を害するというのなら……受けて立とう』
それは、深雪が何者かに決別を告げるところだった。
相手は獣《ベート》だったかもしれないし、例えば災厄の魔物の総元締めのようなもっと上位の存在だったのかもしれない。
>「き”ゃわ”ああああ!!?」
両膝両手を突いて気を失っていたところを、祈に蹴飛ばされて意識を取り戻す。
「ん、ああ、今のは……? ……祈ちゃん、気が付いたの!?」
止血はしたとはいえ傷はそのままのわけで容体は予断を許さないが、
ひとまず意識を取り戻したことに安堵しつつ、自分の左手首の傷を凍らせて体液の流出を止める。
>「あ、ごめっ、じゃなくて! お前御幸! 一体あたしに何して――つうっ」
>「や……ごめん、で合ってるか。助けられたのに蹴っちゃったのか、あたし。ご、ごめんな御幸?」
ばつが悪そうに顔をそむけているのは、先程蹴ってしまったからだろうと解釈するノエルであった。
「全然気にしないで。それにいつも助けられてるのは僕の方なんだよ?」
その隣では、あずき色の髪をした若い女性が慌てふためいていた。
「ちょっと! いきなり何なの!?」
新井あずき――SnowWhiteの小豆の仕入れ業者。その正体は小豆洗いだ。
「顔色白いけど大丈夫!? というかここはどこ!?」
彼女は突然異様な空間に召喚され慌てふためきつつも、両手には、巨大な枡に入った大量の小豆をしっかりと持っていた。
280
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:30:22
「いや、顔が白いのはいつもだけどね……。
覚えてない? 東京ブリーチャーズの入会契約書に印鑑押したでしょ?」
「そういえばそんなん入ってた気がする! でもなんでアタシ!? 戦いとか全然できないよ!?」
戦う気が無いならなんで入会したのかと思うかもしれないが
多分軽い気持ちで骨髄バンクに登録していざお呼びがかかると焦りまくるのと同じような心理である。
そうこうしている間に祈が気合を入れるように自らの方を両手で挟み込むように叩き、戦線復帰を宣言。
>「と、とにかく! 助かったから! あたしも戦うから! やるぞ御幸!」
「おう! 敵は――アイツ。至上最強の鬼だ」
「あー、なるほどね。これって後でお駄賃でるんでしょ!? 小豆ならたくさんあるからいくらでも使って!」
あずきは流石SnowWhiteの関係者だけあってトンデモな状況に適応するのが早かった。
「じゃあ遠慮なく……!」
ノエルは武器をスリングショットの形に変化させ、一度に複数の小豆を散弾のように発射。
尾弐の足元を狙って猛攻をしかけているポチを援護する。
二人の絶大な身長差の部分を狙えばポチの邪魔になることはまず無いし、撃っているのは小豆なので万が一流れ弾がポチに当たってもダメージは入らない。
そんな中、弱弱しい足取りで橘音が寄ってきた。
>「小豆洗いさん、ボクにも小豆をください。……いえ、一粒で結構です。たった一粒だけで」
「もう! そんなボロボロで一粒でどうしようっていうの!?」
「いいけど……大丈夫? 本当に一粒でいいの?」
ノエルが橘音の身を案じつつもポチの援護にかかりっきりのうちに、
あずきは橘音の意図を読みかねつつも言われたままに小豆を一粒渡してしまう。
>「……クロオさんをケ枯れさせるには、桝いっぱいの小豆は必要ありません。この一粒だけで充分」
>「ポチさんが首尾よく床に穴を開けたら、援護してください。ボクがクロオさんへ近付くまで……」
>「その後は、ボクがなんとかします。うまくいけば、彼を一瞬だけ無力化させることができるでしょう。その際に総攻撃を」
>「……なに……かつてクロオさんが狼王にやったっていうことを、ボクもやるだけですよ」
「まさか……オヤツをくれてやる作戦!? いやいやいや、腕食いちぎられるだけじゃ済まないよ!?
ここは普通に遠くから投げ込む作戦でいこう!? 大丈夫、下手な鉄砲数うちゃ当たるって!」
>「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
そうこうしている間に、ポチが尾弐に床を破壊させることに成功。血が階下に流れ落ちる。
祈の風火輪が使えるようになったことで、犯転が無効化されたことが立証された。
281
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:32:15
>「いいですかノエルさん。ボクが彼の動きを止めたら、絶対に総攻撃するんですよ。持てるすべての力を使わなきゃダメだ」
>「チャンスは一度きり、二度目はない。……どんなことが起こったとしても、それだけは。絶対に成し遂げてください」
橘音は聞く耳持たなかった。結局いつも通りノエルの説得は無駄に終わり、いつも通り観念して橘音のミッションを請け負う。
「仕方ないなあ、分かったよ!」
>「――行ってきます」
>「総攻撃なんだろ? あたしもやるよ」
自らに並び立つ祈に頷く。
童子切を天邪鬼に託した橘音は、ゆっくりと尾弐に向かって歩き始めた。
その姿はあまりにも無防備で、非常識極まりないものであった。ノエルは頭を抱えた。
「もう橘音くんったら! なんとしてでも豆を当てまくって動きを止めるよ!
あずきちゃんも手伝って!」
「は、はいっ!」
ノエルは橘音が無事に尾弐に近づく隙を作るため、小豆を連射しまくる。
あずきは武器など持っていないので素手で投げるが、小豆洗いだけあって、小豆を投げるのは妙に上手かった。
しかしノエルは知る由は無いが、その無防備こそが神変奇特を無効化する切り札だったのかもしれない。
一切の敵意は無いとはいっても、橘音がやろうとしている小豆を使っての浄化は、尾弐に巣食う酒呑童子にとっては攻撃以外の何物でもない。
そして橘音だけではなくここにいる全員が尾弐を助けようとして戦っているが、全て敵意があると判定されて神変奇特の対象となっていた。
一見矛盾するように見えるこの違いは、“攻撃してきたら正当防衛しよう”と思う意思すらも敵意とみなされるなら、説明がつく。
>「謝らなくちゃ、アナタを苦しめてごめんなさいって。詫びなくちゃ、アナタの願いを台無しにしてすみませんって。そして……」
尾弐は二人豆まき大会による猛攻を受けつつも、ついに至近距離まで接近した橘音に右の拳を引き絞る。思わず叫ぶノエル。
>「――あぶねえ!」
「橘音くん伏せて……!」
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
結果――何故か尾弐の拳が振るわれることはなく、橘音は伏せるどころか逆に背伸びしていた。
「えぇえええええええええ!?」
282
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:33:59
口移しで特攻物を与える高度な戦術、等といくらでも高尚な表現は出来るが、分かりやすく言ってしまうとキスである。
血塗れの戦場で突如展開されたキスシーンに驚きを禁じ得ない。思わず祈も素朴な感想を漏らすのであった。
>「やっぱり尾弐のおっさんは、橘音のこと好きなんだな」
“どんなことがあっても総攻撃”とは言われたが、“どんなこと”がまさかこんなこととは予想していなかった。
先程豆を一粒渡したあずきは、橘音が何をしたのかを察したようだ。
「動きが止まってる……きっと小豆を口移ししたんだ! ノエル君、今だよ!」
ノエルは、尾弐の視線が一瞬自分達の方を向いたように感じた。
先程橘音を攻撃するのを躊躇ったことも考え合わせると、もしかしたら尾弐の思考が少しだけ戻ってきているのかもしれない。
まるで、酒呑童子を分離させるなら今だ、と言っているような気がした。
《我に任せろ――!》
眩い光に包まれノエルは深雪へと姿を変える――が、今までの深雪とは違う趣の格好をしていた。
身に纏うのは、随所に和柄がちりばめられながらもベースとしては豪奢な西洋風のドレス。
頭にはいかにも女王のような氷のティアラがあしらわれ、武器は煌びやかな杖へと姿を変えている。
加えて纏うオーラのようなものが、魔というよりは聖に寄ったものになっているが、本人は自然にそれを受け入れていた。
何故なら深雪(ノエル)にとって、聖と魔は正反対のものではなく線引きも曖昧な隣り合わせの近しい物なのだから。
「フフ、どうやら本当に災厄の魔物は破門されたようだ。しかしなかなか悪くないな――
これより”銀嶺の使徒”とでも名乗ろうか」
深雪は自分の姿を確認し、満足気に笑った。
そして――未だ口づけを交わしている橘音と尾弐に、今までにない優しい視線を向ける。
生暖かい視線ではないか、とか突っ込んではいけない。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
床に穴が穿たれた上、尾弐が橘音への抵抗にかかりっきりになった今、尾弐の作り出した結界は打ち破る事が可能なものとなっていた。
祈の言葉に続くように、奇しくも”死ね”とは正反対の”生きろ”という言葉で、情景が塗り替わっていく。
それはうっすらと雪の積もった、粉雪の舞う雪原。今から行う妖術が最大限の効果を発揮するためだ。
決して二人のキスシーンをロマンチックに演出しようとか思っているわけではない、多分。
一方、隣に立つ祈もまた、漆黒の衣と赤い髪と金色の瞳に姿を変えていた。
283
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/10(水) 00:35:05
>「ったく、尾弐のおっさんもさ。最初からもっとあたしらを頼れよな。
橘音とポチならいい案出すだろうし、御幸に話せば変な案が出てくるし。
そんであたしなら、もしかしたら。過去だって変えられたかもしんねーのにさ」
>「つっても、もうそんなこと言っても意味ないか。尾弐のおっさんは“今”を選んだんだしな」
「いいさ――過去なんて変えなくたって。クロちゃんが”今”を選んでくれたから、僕たちは”未来”を変えられる!」
本人は気付いていないかもしれないが、深雪の姿でありながらそれは紛れもなくノエルの口調で。
みゆきや乃恵瑠と同じように、深雪もまた人格が統合されつつあるのかもしれなかった。
「お喋りはこの辺にしていくぞ! ――スノウ・ヘキサグラム」
また元の口調に戻った深雪は杖を掲げ、持てる全ての妖力をつぎ込み、魔法陣を展開。
橘音と尾弐を中心に、六芒星型の巨大な雪の結晶が浮かび上がる。
災厄の魔物であることを捨てなければ使えなかったであろうそれは、六芒星と雪が持つ浄化のイメージを掛け合わせた浄化の大妖術。
これまた一見綺麗げな演出で、攻撃をしているようには見えないが、尾弐に巣食う酒呑童子にとっては最強の攻撃になるだろう。
「酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!」
これによって少なくとも酒呑童子が尾弐から分離しやすくなるか、
うまくいけばこの時点で耐えかねて尾弐の肉体からその一端を現すかもしれない。
そこに、祈の飛び蹴りが炸裂する。
>「だぁああーーーッ!!!!」
ゼロ距離で橘音がいるところへの容赦無しの肉弾攻撃――普通に考えれば橘音が巻き込まれかねないが、
尾弐の思考がほんの少しでも戻っているのだとすれば、彼はこの攻撃を”酒呑童子”に当てることに全力を尽くすだろう。
酒呑童子がその一端を現しつつあるなら言うまでもなく、たとえ酒呑童子がしぶとく尾弐の中にとどまっているとしても。
284
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:56:11
ポチは、狼だ――かつては「狼犬」であった事もあるが、とにかく。
生まれた時から今まで、殆どの時間を四つ這いの姿勢で過ごしてきた。
つまり敵の足元に潜り込み、体を起こさぬまま戦い続ける。
それはポチにとっては苦肉の策ではなく、むしろ本領。
四肢を地についた状態から右手を伸ばし、尾弐の大腿へ。
爪を突き立て、引きずり下ろすように切りつける。
だが――通らない。
如何に『獣』の力を込めた爪とて、酒呑童子の強靭な皮膚は引き裂けない。
それでもポチは退かない。手傷を負わせる事が目的ではないからだ。
爪が通らぬならば、殴り、蹴る。
祈へ再び詰め寄るにせよ、ポチを蹴飛ばさんとするにせよ、
尾弐の取る行動を逐一、その軸足に打撃を加えて阻害する。
とは言え、それも容易い事ではない。
今の尾弐が相手では、蹴りが僅かに掠めただけでもポチの命が吹き飛ぶ。
尾弐はただ、ポチの攻撃に対して相打ちを狙うだけでいいのだ。
尾弐の膝を、内から外へと押し出すような蹴撃。
だが、酒呑童子の膂力によって支えられた体幹は、崩れない。
軸足を蹴られた事などお構いなしに、ポチへと迫る尾弐の右足。
蹴りを放った直後の体勢では躱せない。
それでも――ポチは怯まない。
今、自身の傍らには唯一無二の同胞が――シロがいるのだ。
「手を貸して」
たった一言、それだけで彼女はポチの意図を汲み取れる。
群れを成しての狩り、それもまた狼の本領。
二匹のみとて、群れは群れ。
シロがポチの左手を掴み、引く。
互いの体を引き寄せ、押し退け、支えとする。
そうする事で、独りでは成し得ない動きが可能となる。
避けられないはずの攻撃が、避けられる。
届くはずのない攻撃が、届けられる。
その変幻自在の連撃は、精神が曖昧な状態にある尾弐では捌く事も、退ける事も出来ない。
尾弐から生じる怒りのにおいが、加速度的に濃くなっていく。
>「まどろっこしい……壊れろ、壊れろ、全部だ、全部壊れちまえ……!!!!!」
そして――その怒りは、ついには臨界に達した。
尾弐が体を捩り、拳を振り上げる。
来る。酒呑童子の全身全霊の力を込めた拳が、降って来る。
待ち侘びた、だが掠めただけでも命取りになるその一撃を――しかしポチは瞬時に認識出来ない。
敵の足元に潜り込み、動作を制限するその闘法は必然、間合いを極限まで詰める必要がある。
つまり敵の動作の、全体像が見えない。
だが、それでも何も問題はない。
ポチの死角には、常にシロの眼光がある。
敵の挙動が見えずとも、ポチは必殺の一撃が来る事を察知出来る。
その場を飛び退き――直後、尾弐の拳が石畳を穿つ。
滴る己の血が、振りまくだけで霧と化すほどの拳速。
そこから生じる力は、石畳を破砕し、なおも衰えない。
飛び散る破片、塵さえもが、爆圧と化してポチを追う。
285
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:57:10
「がっ……!」
そしてそれは、当然逃げ切れるものではない。
ポチは高く吹き飛ばされて、石畳へと落ちる。
すぐに体を起こそうとするが――叶わない。
体に力が入らない。視界が霞み、意識が朦朧とする。
それでもなんとか顔を上げて、周囲を見回す。
シロは――自分のすぐ隣に倒れていた。
息はある。命に届くような傷は見えない。
真新しい血のにおいも――ひどくにおい立つ、というほどではない。
ポチは安堵の溜息を吐き、
「……尾弐っち」
そう、呟いた。
これでもう、自分に出来る事は何もない。
皆は尾弐を取り戻せるだろうか。
霞む視界の奥を、じっと見つめる。
祈は、立ち上がれている。
ノエルも、橘音も天邪鬼も、目立った手傷は見受けられない。
祈の風火輪が火を噴いている事から、妖術の反転は無効化出来ている。
血霧から尾弐を追い出すのは、ポチでなくとも可能だ。
戦況は――悪くない。
今度は祈の風火輪と機動力、ノエルの妖術を前面に、橘音と天邪鬼が致命打を狙えるようになる。
自分がこれ以上戦えなくとも、尾弐を倒す事は出来るはずだ。
>「伝えなくちゃ。ボクは……アナタのことが、本当に大好きなんです……って――」
「……あ、はは……いいね、あれ……僕もああいうの……した方がいいかな……」
その後橘音が取った行動には、思わず苦笑するしかないほど、驚かされたが。
しかし結果として確かに、尾弐は動きを制限されている。
腕力も、橘音を引き剥がせないほどに抑え込まれている。
そして――ふと、尾弐がノエル達へと視線を向けた。
瞬間、ポチの背筋に悪寒が走る。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
祈の全身から、強烈な妖気が溢れている。
髪は朱く、衣服は漆黒に染まり、燐光と烈火を纏うその姿は――
姦姦蛇螺との戦いで見せた、奇跡の力を帯びている証。
>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
ノエルもまた、決着をつけるべく深雪へと姿を変えた。
切なる願いを込めた言霊が、死気の満ちる石牢を彼女の領域へと塗り替える。
そして膨大な妖力を全て吐き出し、絶大な妖術を構築していく。
いかに酒呑童子と言えど、体内を浄化されながら二人の攻撃を凌ぎ、
更に天邪鬼による童子切の一撃を防ぐなど、不可能だ。
不可能な――はずだ。
なのに――どうしても嫌な予感が拭えない。
先ほど尾弐が一瞬、祈とノエルへ向けた視線が、気になってやまない。
ポチがどうにか体を起こそうと雪原に右手をつく。
自分の不安が、ただの杞憂ならばそれでいい。
だがそうではなかった場合、後詰めを果たさなくては、と。
しかし――どうしても腕に力が入らない。
『無駄だ。お前は決して立てない。立ったところで死ぬだけだ。
お前は『獣』だ。狼の王なのだ。同胞以外の為に命を擲つなど、能うものか』
『獣(ベート)』と交わした約定。
その拘束力が、ポチに犬死を許さない。
286
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 07:58:37
『奴の結界は消え、これで最悪でもこの場を脱する事は出来る。
お前達も、奴らもだ。それで十分だろう、弁えろ』
確かにポチは『獣』に誓った。
どちらかを選ばなければならないのなら、自分は狼として生きる道を選ぶと。
だからと言って、皆を簡単に諦められる訳がない。
それでも、ポチの肉体がとうに限界を迎えている事は変わらない。
腕に力は戻らず、ただ祈とノエルの背を見つめる事しか出来ない。
「……?」
だが――ふとポチは、自分の視界に違和感を覚えた。
何かが、見えたのだ。
血に沈んだ石牢の中では見えなかった、この純白の雪原だからこそ浮き彫りになる、紅い何かが。
それが一体なんなのか、ポチは目を凝らし――
「……ふっ」
その正体を理解して、思わず笑った。
「ふ、あはは……あはははは……!」
そして、
「尾弐っち……!」
かけがえのない仲間の名を力強く呼ぶと――全身の力を振り絞って、立ち上がった。
『獣』との約定、その拘束力すら振り切って。
それはつまり――ポチが、犬死にはならない、確かな勝機を見出したという事。
「……少しだけ、ここで待ってて。ここから先は……僕にしか、出来ない」
シロにそう言い残すと、ポチは歩き出す。
前に倒れ込み、辛うじて踏み留まる――それを繰り返すような、痛ましい歩み。
それでも一歩ずつ、己が見つけた「紅」へと歩み寄り――それを拾い上げる。
その様子が、尾弐には見えるだろうか。
ポチが何を拾って、そして今、口元へと運んでいるのか、理解出来るだろうか。
ポチの舌の上を滑る「紅」が、己の血に塗れた、折れた刀だと、理解出来るだろうか。
287
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/12(金) 08:04:56
乾き切らずに残った血糊を、ポチは舐め取り、嚥下する。
尾弐の――悪鬼の血。そこには強い妖力が宿っている。
満身創痍のポチに、もう一度、地を蹴る活力を与えられるほどに。
とは言え悪鬼の血は、生物はもとより、妖怪にとっても猛毒。
特に祈のような半妖や――獣としての属性を強く持つ、ポチにとっては。
口にしたところで力など得られず、むしろ獣としての頑強さを失うだけ。
だが――そうはならなかった。
何故なら――ポチは今や、災厄の魔物なのだ。
『獣』を従え、同化した事で名実共に、心身共に。
ならば悪鬼の毒血など――むしろ蜜のように、甘美ですらあった。
「げははは……なんともさ、尾弐っちらしいじゃないか」
折れた刀を両手で握り、ポチは重心を落とす。
当然、ポチに剣術の覚えなどない。
体術ですら、感性任せの我流なのだ。
しかし、ポチは狼。
我流とて、牙流である。
牙の扱いにならば、心得がある。
要は骨を避け、肉を貫ければいい。
自然と、左手は柄頭へ、右手は柄の根本を掴む。
>「酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!」
超低温の世界の中では、あらゆる生物が生存出来ない。
つまり冷気とは清浄なる無を生み出す。
極寒の、浄化の冷気が尾弐を襲い、
>「だぁああーーーッ!!!!」
そこに示し合わせたように、祈の飛び蹴りが突き刺さる。
瞬間、ポチは地を蹴った。
尾弐の懐へと潜り込み――酔醒籠釣瓶、その切っ先が閃いた。
寝かせた刃が皮膚を裂き、肋骨の隙間を潜り抜ける。
そして――獲物の急所に、牙を突き立てた感触。
「……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ」
尾弐の血を得て一時の活力を取り戻したポチが、尾弐の残した鬼切をもって――酒呑童子の心臓を、今一度貫いたのだ。
「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
288
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:18:41
はじめに怒りがあった。
理不尽な運命への。侭ならない宿命への。そして、それらを覆せない自分への。
怒りと憎しみ、恨みは、どんな感情よりも激しく強いエネルギー。たとえ肉体は滅びても、それは。その『想い』は消えることはない。
『なんということだろう!たかが一匹の子狐の魂が――衰弱していたとはいえ、生粋の悪魔(デヴィル)の魂を啖ってしまうとは!』
血色のマントを纏った怪人の哄笑が響き渡る。
そうだ。自分は憤怒を、憎悪を、怨嗟を伴ってこの世界に再臨した。
忌々しい世界をメチャクチャにしてやるために。呪わしい世界を木っ端微塵にしてやるために。
運命に対し復讐を成し遂げるために、天魔の力を乗っ取って転生したのだ。
なのに。
いつの頃からか、その感情は徐々に薄れていった。歯を食いしばり空を睨みつける時間より、笑う時間の方が多くなった。
何者かに怒りをぶつけることよりも、穏やかな時間を過ごすことが多くなった。
それは単なる時間の経過による沈静化、などというものではない。
時を経て和らぐような薄っぺらい感情なら、最初から転生など果たしていない。
そう。そうだ。それは自分の内的要因によるものではなく、あくまでも外的要因によるもの。
ひとりぼっちの孤独な魂に、寄り添う心がいてくれたから。
それはきっと、御前のほんのちっぽけな遊び心でしかなかったのだろう。
大切な者との別離の運命を覆せなかった、哀れな魂ふたつ。
それらを引き合わせたとき、いったいどんな反応が生まれるのか?穢れた魂は綺麗なものになるのか?それとも汚いままなのか?
面白い結果が得られなかったなら、廃棄してしまえばいい。その程度の考えしかなかったに違いない。
だが、御前にとっては手慰みに等しい、ふとした思い付き以上の意味もないことでも。
自分にとっては、とてもとても大きな結果となったのだ。
子どもな自分を、いつも一歩引いたところから見守っていてくれた。
リスク度外視の自分の作戦や計画に、文句も言わずに従ってくれた。
ピンチを幾度も救ってくれた。彼なしでは成し遂げられなかった仕事の数は、両手足の指に余る。
嬉しかった。
彼に穏やかな優しい眼差しで見詰められることを。
大きくて骨ばった手で頭を撫でてもらうことを。
低い声で『那須野』と。『大将』と呼ばれることを。
それらを、自分は全力で愛した。
心の中に満ちる幸福。それは遠い昔、自分が償いたいと思った青年にも。唯一無二の親友にも感じたことのなかった感情。
理不尽な世界への怒りなど、どうでもよくなってしまうくらいの想い――
そう。自分は、恋をしたのだ。
「ねえ……クロオさん……」
尾弐の首に両腕を回し、背伸びして抱きついたまま、橘音は唇をそっと離して眼前の男に語りかけた。
「アナタは前に言いましたね……。『本当に望むことをしているなら、いつもみたいに笑え』って――」
そう言うと、橘音は仮面の奥で僅かに目を細めた。新たに浮かんだ涙が目尻から零れ、頬を伝って落ちる。
橘音は間近の尾弐によく見えるように、ほんの幽かに微笑んだ。
「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」
尽きせぬ憎悪と憤怒に浸りきっていた自分を、尾弐は救ってくれた。
ならば。底のない憎悪と憤怒に染まった尾弐を救えるのも、また自分だけであろう。
―――――――…………。
尾弐に想いを伝え終わると、橘音はふらりと後ろに身を傾かせた。
小豆の浄化の力が通用するのは尾弐だけではない。橘音自身も天魔の生まれ変わりであり、邪に属する妖怪である。
わずか一瞬とはいえ、小豆を口に含んだことで肉体にダメージを受けている。
その上、自分の中の妖力のほぼすべてを浄化のために尾弐へと譲渡した。その疲労は想像するに余りある。
首に回していた両腕が力を失い、ずるりと落ちる。身体が尾弐から離れる。
力を使い果たし、ケ枯れを起こしたのだ。意識を失った橘音はそのまま仰向けに倒れかけた。
289
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:22:39
>酒呑童子よ――いい加減その小僧を解放してやれ!
尾弐と橘音を中心とした範囲にノエルの張った雪の結晶の魔法陣が展開され、尾弐の行動を阻害する。
災厄の魔物改め銀嶺の使徒の大規模妖術。それはかつて都心を氷に閉ざしたクリスの妖術を遥かに上回る。
>だぁああーーーッ!!!!
さらに、龍脈の神子の力によって風火輪を極限までブーストさせ、流星と化した祈の渾身の跳び蹴り。
龍脈にアクセスし無尽蔵の力を得た祈の蹴りは、大妖クラスの防御障壁さえ打ち破る。
むろん、気を失っている橘音にそれらから身を守るすべはない。風火輪の炎も魔法陣の浄化も橘音にとって致命の攻撃だ。
しかし、きっとそうはならないだろう。
尾弐が橘音を庇うなら、尾弐はすべての回避行動が取れなくなる。
そんな尾弐へと、ポチが持つ『酔醒籠釣瓶』の切っ先が減り込む。
>……最後にはやっぱり、君が僕らを助けてくれるんだ
星熊童子の愛刀酔醒籠釣瓶、その銘は歌舞伎の演目・籠釣瓶花街酔醒から取られている。
籠釣瓶とは、籠を釣瓶に使ったかのように『水さえ溜まらぬ切れ味』の剣――すなわち妖刀村正の別名であった。
かつて、尾弐は何でもないカッターの替え刃に自分の血を塗り込み、破邪の刃として仲間たちに配ったことがある。
カッターの刃でさえ、コトリバコの強烈な呪詛を退けたのだ。妖刀村正ならばその効果は計り知れない。
そして、そんな破魔の刃と化した酔醒籠釣瓶が、尾弐の身体の真芯を貫く。
橘音の与えた小豆によって、すべての力が機能不全を起こし。
ノエルの浄化の結界によって、身に纏う最後の神変奇特さえ剥ぎ取られ。
運命を変転させる祈の蹴りによって、血霧すら残らず蒸発し。
尾弐を信じるポチの携えた妖刀村正で、身体の中心を貫かれる――。
………………ニ………………
…………ニクイ……!!!ネタマシイ……イマイマシイ……ツブレロ……コワレロ……シネ……シネェェェ……!!!
尾弐の全身から黒い波動が滲み出る。それは瞬く間にぼんやりした人型を取り、洞のような口を開いて苦悶の呻きを上げた。
これこそが、酒呑童子の力の本当の姿というものなのだろう。尾弐に取り憑いていた酒呑童子、否――
外道丸を酒呑童子に変貌させた『そうあれかし』。人間の持つ醜い部分、嫉妬、羨望、軽侮といった負の感情の集合体。
黒い『そうあれかし』。
「好機!!」
尾弐の身体から、酒呑童子の力が剥離しようとしている。その機会を見逃さず、それまで静観していた天邪鬼が動く。
橘音から託された童子切安綱の鯉口を切ると、
「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
天邪鬼がふわりと跳躍し、瞬時に尾弐へと間合いを詰める。瞬刻を経てすれ違い、音もなく床に片膝をついて着地する。
パチン……と童子切安綱を納刀すると、瞬き二度ほどの時間を経て、尾弐と酒呑童子の力が分断される。
取り憑いていた本体から切り離され、酒呑童子の力が大きくのたうつ。
……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!
「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」
「消えるのは、貴様だ」
天邪鬼はどこからか精緻な装飾の施された金色の小箱を取り出すと、その蓋を開いた。
その途端、小箱から猛烈な突風が吹き荒れる。烈風は酒呑童子の力を拘束すると、小箱の中へと吸い寄せてゆく。
どうやら小箱はリンフォンのような役目を果たすらしい。そして、弱った酒呑童子にその拘束を振りほどく力はない。
酒呑童子はしばらく身を震わせて抵抗したが、やがて声にならない怨嗟の絶叫を残して小箱の中へと消えた。
天邪鬼がすぐに小箱の蓋を閉めると、辺りは静寂に包まれた。
酒呑童子の力が消滅し、茨木童子が死んだことで、周囲も石牢から酔余酒重塔へ、そして東京スカイツリーへと戻ってゆく。
290
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:26:46
尾弐黒雄を長年縛り付けていた、酒呑童子の力は消滅した。
もはや、尾弐は酒呑童子の力を揮う悪鬼などではない。――どころか、妖怪でさえない。
東京ブリーチャーズによって千年の妄執から解き放たれ、尾弐は千年前の状態に。人間に戻ったのだ。
尾弐は意識を失っただろうか、それとも意識を保ったまま正気に戻っただろうか。
天邪鬼は尾弐を一瞥し、それから東京ブリーチャーズの面々を見遣ると口を開いた。
「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
危難が去り、当初の目的通りに尾弐を解き放つことができた安堵感からか、天邪鬼の口調も幾分柔らかくなっている。
尾弐を酒呑童子の宿命から解放したことで、やっと自分自身の荷も降りた、ということなのだろう。
「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」
天邪鬼は手に持った小箱をブリーチャーズに見せた。それから、不意に周囲に視線を泳がせる。
いつの間にか、天邪鬼の近くには五つの光の球が尾を引きながら漂っていた。
それはこの塔で命を落とした虎熊、金熊、星熊、熊童子の酒呑四天王と、茨木童子の魂。
「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
鬼たちはもともと、人間の世に生きられなかったあぶれ者。
例えふたたび首塚に封印したとしても、いつか蘇りまた人界に害を及ぼすだろう。
であるなら、最初から人界以外の場所に連れていけばいい。それが天邪鬼の判断だった。
首塚大明神の棲む神域には、肉身を持つ者は入れない。最初から、四天王や茨木たちは死ななければならなかった。
酒呑童子復活のために彼らを一旦殺し、しかるのちに魂を救済する。天邪鬼の計画は見事に成就したというわけだ。
「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」
透き通った涼やかな声で、天邪鬼が語る。
「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」
外道丸を酒呑童子に変貌させたのは、人々の『こんな美少年が、天才が、自分たちと同じ人間のはずがない』という思い。
ネガティブな『そうあれかし』が、彼を人ならぬ存在へと変貌させた。
人々が、世界が、外道丸を『そうあるべき』『そうでなければならない』と定義したのだ。
外道丸改め酒呑童子は、それに従った。人々が自分に悪逆無道な鬼の役を強いるなら、その通りにしようと思ったのだ。
人の世に生きられず、あぶれ者同士徒党を組んでいた茨木たちの長となったのも、その想いゆえである。
酒呑童子は同じ境遇の茨木たちを放っておけなかった。守ってやりたい、と思った。
自分や茨木、四天王たちが、『人とは相容れぬものと人に定義された存在』であるとするのなら。
『爪弾きにされること』にさえ、何らかの意味があるのではないか?『あぶれ者』として課された役割があるのではないか?
そう考えたのだ。そして人々に望まれるまま、残虐な鬼の役を演じ続けた。
酒呑党は悪の限りを尽くした。その残虐さ、強欲さは当時の人々を震え上がらせ、世間を闇に染め上げた。
そして、その末に源頼光率いる軍勢に敗れ去り、壊滅した。
「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」
源頼光と四天王が攻めて来たとき、酒呑童子は自らの終焉に気付いた。
もう、この世界において自分は役割を果たし終えたと。そう開悟したのだ。
自分の最後の役目は、この場で源頼光に殺されること。そう考えた酒呑童子は、一切の抵抗をすることなく討ち取られた。
そうして、源頼光の大江山酒呑童子退治は伝説となった。
『悪を為す者は、善の前に必ず敗れ去るさだめである』――。
酒呑童子の存在は、そんな後世まで語り継がれる『そうあれかし』の誕生をもって完結したのである。
「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
クク、と天邪鬼はいたずらっぽく笑った。
「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」
そこまで言うと、天邪鬼は俄かに眼差しを鋭くした。
切れ長の双眸で、あらぬ方向を振り返る。
「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
291
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:47:27
「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
虚空に向かって、天邪鬼が声を飛ばす。
全てが元に戻ったはずの何もない空間が、不意にぐにゃりと歪む。
そこに現れたのは、血色のマントにシルクハット、嘲り嗤う仮面をかぶった怪人――赤マント。
「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
バサリとマントを翻し、赤マントは東京ブリーチャーズとはやや離れた場所に佇む。
そして、その後ろには牛頭馬頭の大鬼――獄門鬼が控えていた。
目にしたものすべてを平等に攻撃するはずの獄門鬼だが、赤マントを前にしても動かない。
よく目を凝らしてみれば、獄門鬼の双頭の額部分にそれぞれ、禍々しい妖気を放つ楔が打ち込まれているのが見えるだろう。
どうやら、赤マントはブリーチャーズが尾弐にかまけている間に妖具で獄門鬼を制御してしまったらしい。
赤マントはおどけた身振りで、パンパンとわざとらしく拍手をしてみせた。
僅かに眉を顰め、天邪鬼がフンと鼻を鳴らす。
「貴様はいつもそうだな。いつも自分に累の及ばぬ安全なところで、人が不幸になるところを見下ろしている」
「ああ、そうだ。そうだとも。私は知っているぞ、貴様は千年前にも……」
「そうやって。『私の心臓をクソ坊主に啖わせた』のだったな――?」
天邪鬼の言葉に、赤マントは一瞬呆気に取られたように拍手をやめた。
が、次の瞬間にはゲラゲラと笑い始める。
「クカ……クカカカカカカッ!ああ、わかっていたのかネ!?さすがは天才児と呼ばれた鬼の首魁なだけある!」
「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」
「キミは吾輩の正体に気付いてしまった。当時、吾輩が京の都でやろうとしていたことを看破してしまった」
「吾輩の思考を読もうなんて僭越は、到底許されるものじゃない。だから吾輩は思い知らせてやったのだヨ――」
「吾輩に盾突く者は、その親類縁者もすべて!死より悍ましい目に遭うということをネ!クカカカカカカッ!」
千年前、赤マントは高僧に身をやつし平安の都で退廃と不義不徳の限りを尽くした。
それは古代のソドムとゴモラの再現であった。貧富の差は埋めがたく、富める者は無限に富み、飢える者は続々と死ぬ。
当時、都の羅生門周辺には埋葬もされぬ無数の屍が野ざらしになっており、まさに地獄の様相を呈していたという。
だが、それをあるとき外道丸が看破した。帝の傍に侍る高僧こそがすべての凶事の源と見破ったのだ。
誰にも察知されるはずのなかった自分の正体と計画が、片田舎の何でもない稚児に気付かれた。
それは、赤マントにとっては耐えがたい屈辱であった。よって、外道丸に復讐した。
外道丸のことを悪しざまに噂し、人々が嫉妬したり恨みを抱くように仕向けた。悪鬼へと変容させた。
帝の威光を利用して源頼光に酒呑童子討伐を命じ、その首を獲らせた。
それでもなお怒りは収まらず、外道丸の助命を嘆願してきたかつての尾弐に過酷窮まる刑を課し、挙句酒呑童子の心臓を啖わせた。
千年前から続く、酒呑童子――尾弐と外道丸との因縁。
そのすべては、赤マントによって齎されたものだったのだ。
「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」
天邪鬼が軽く右手を祈たちへ向ける。
「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」
「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」
赤マントが哄笑する。
「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
そう。
赤マントが姿を現したのは、天邪鬼に隠れていることを暴露されたから――というだけではない。
自分が絶対に勝つ、という圧倒的自負。その自信から来る行動であった。
尾弐は酒呑童子の力を喪失して人間に戻った。橘音はすべての妖力を使い果たしてケ枯れし、気を失っている。
祈が龍脈の神子としての力を使える時間は極めて短く、その効果時間はとうに過ぎた。
ノエルは尾弐をケ枯れさせるため全力の妖術を用い、ポチとシロはとっくに満身創痍だった。
もしも今、赤マントに獄門鬼をけしかけられれば、東京ブリーチャーズは間違いなく全滅する。
292
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:51:06
「……何が望みだ?」
天邪鬼が静かに訊ねる。
ただ単に東京ブリーチャーズを始末することだけが目的なら、とっくにそうしているだろう。
しかし、赤マントは後ろに獄門鬼を控えさせているだけで、実力行使に及ぼうとしない。
そこには何らかの目的があるのだろう。
「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
「約束だと?」
天邪鬼が怪訝な表情を浮かべる。小箱を渡すなどという約束をした覚えなどない。
しかし、赤マントは笑みを浮かべる仮面の眼差しをポチへと向けると、
「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
そう言って、また愉快げに嗤った。
「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」
「……チッ」
一旦取り交わされた約束を反故にするということは、妖怪にとって自己否定に等しい。
一瞬憎々しげに赤マントを睨みつけると、天邪鬼は小箱を赤マントに放り投げた。
妙に長い右腕をマントの中から伸ばし、赤マントが酒呑童子の力の封印された小箱を受け取る。
「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
小箱をしげしげと見下ろすと、マントの中に仕舞う。
それから赤マントはいまだに気を失っている橘音に顔を向けた。
「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
そう言って、右手を額に当てて大袈裟に嘆くポーズを取ってみせた。
赤マントと那須野橘音とは、師弟関係にある――。
「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
アスタロトこと橘音は、あるタイミングで御前の許に身を寄せるまでの間、ずっと天魔として行動していた。
その際赤マントに交渉術など、のちに狐面探偵として生計を立てることになるスキルを伝授されていたのだという。
つまり帝都で繰り広げられていた怪人と探偵の戦いは、元を正せば同門の師弟の争いだった、ということになる。
「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
言いうが早いか、赤マントは目にも止まらぬ速さで右手を閃かせた。
「ッ……ぎ……」
ドッ!ドドッ!と音を立て、橘音の無防備な身体に楔が突き刺さり、狐面探偵は低い苦鳴を漏らした。
それはかつて――赤マントがケ枯れし無力化したクリスを手に掛けたときの再現。
妖力のこもった楔は、ほんのわずかに残った橘音の生命力さえ容赦なく削り取ってゆく。
「ぅ……ぁ……ああああああああああああああああ……」
バリバリと楔から黒雷が発生し、橘音の身体を包み込む。
楔の力によってか空中に浮かんだ状態の橘音の身体が、両脚から光と化して消えてゆく。クリスや茨木童子のときと同じだ。
抗えぬ絶対的な死。それを回避させるだけの力を持った者は、この場には存在しない。
「……ク、ロ、ォ……さん……」
激烈な痛みによって覚醒したのか、橘音は小さく尾弐の名を呟いた。そして、その方向へと右手を伸ばす。
右手はすぐに光に変わった。そして胴体も、長い黒髪も、さながら白紙に火が燃え広がるような勢いで消えてゆく。
「……ク……――――――――――」
最期に、愛する人の名も告げられないまま。
仲間たちに別れの言葉さえ伝えられないまま。
唐突に、呆気なく。
那須野橘音は死んだ。
293
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/12(金) 22:55:21
「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」
自身の智慧や知謀をすべて伝授した、ただひとりの愛弟子。
その愛弟子を何らの躊躇もなく殺害すると、赤マントは背を仰け反らせて嗤った。
カラカラと乾いた音を立て、楔が床に落ちる。
「……ッ、間に合うか……!?」
天邪鬼が咄嗟に橘音のいた方角へ左手を突き出す。
橘音がそこにいた、という事実。その妖力の残滓、魂のほんの一かけらだけでも救おうと、即席で蘇生の術式を編み上げる。
が、果たせず。天邪鬼の術式は今しがたまで橘音の存在していた空間をそのままビー玉大に凝結固定させただけで終わった。
「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
赤マントは橘音に免じて、などと殊勝なことを言っているが、明らかに嘘である。
むしろ、橘音を喪った東京ブリーチャーズの絶望が生み出す負のエネルギーを手中にしようとしているのは明らかだ。
「……下衆が……!」
ギリ、と天邪鬼が奥歯を噛みしめる。
そんな憎悪の感情もどこ吹く風、赤マントはバサリとマントを翻すと、出現したときのようにその姿を徐々に薄れさせてゆく。
「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
最後まで他人を嘲り愚弄する態度のまま、赤マントは消え去った。
獄門鬼も同時に消える。そのうち手駒として使うつもりなのだろう。
「………………」
橘音を救えなかった。動かしがたいその事実に、天邪鬼はうなだれる。
帝都の危機は去った。
酒呑童子の復活を目論み、東京に鬼の帝国を建国しようとした茨木童子の目論見は潰え、復活した酒呑童子も封印された。
尾弐を千年の怨嗟から救い出すことにも成功した。
だが、それで東京ブリーチャーズが勝利を収めたか?と言えば、それは甚だ怪しい。
酒呑童子を撃破したまではよかったが、力そのものは赤マントに奪われてしまった。
尾弐を呪縛から解き放ちはしたが、尾弐は戦う力を喪失して無力な存在になってしまった。
そして。今までチームのブレーンを司っていた那須野橘音が、死んだ。
赤マントは何かを企んでいる。それも、今までの計画など比較にならないほどに大きな何かを。
東京ドミネーターズにはまだレディベアが、そしてその側近である謎のイケメン騎士Rが控えており、また天魔も数多い。
そんな相手と戦闘に及んだとき、果たして東京ブリーチャーズは今までのように戦うことができるのか?
状況はかつてないレベルで危機的である、と言わざるを得ない。
「あなた……」
シロが不安げにポチのことを見る。
そもそも、自分が我侭を言わなかったら。鬼たちの一党に加わらなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
取り返しのつかないことをしてしまった――そんな後悔の念から、シロは俯いて胸元をぎゅっと握りしめた。
酔余酒重塔での、酒呑党残党軍との戦いは終わった。
だが、喪ったものはあまりに多く、受けた損害は甚大である。
東京ブリーチャーズの耳の奥に、赤マントの甲高い笑い声がいつまでもこだまする。
それはひとつの絶望を乗り越えた後に訪れた、新たな絶望の到来を告げるファンファーレだった。
294
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:16:51
……出会った時は、願いに至る為の道具としか見ていなかった。
繰り返す戦いの中、その叡智に救われた時は小さな尊敬を覚えた。
強大な敵の魔手から庇った時は、遠い昔に救えなかった小さな友人の姿を重ねた。
互いに背中を預け戦った時には、誰よりも頼りになる相棒であると思った。
そして、その笑顔の裏に在る痛みに気付いた時――――仮面の下の涙を止めたいと、そう願った。
・・・
中空から放たれるのは、炎熱を纏う跳び蹴り。
速く在る事を定められた妖怪としての最高速度を風火輪により更に加速するという荒業により齎された、超加速。
それによって生まれた破壊の力が、尾弐の背を直撃した。
如何に頑強な尾弐とはいえ、「反転」の権能を喪失している現状ではその超破壊に対し劣勢を強いられる。
蹴りを受けた箇所の肉が焼け、血液は蒸発し、骨が折れ砕ける音が響いた。
雪原に描き替えられた情景の中でノエルが展開した雪結晶を模した魔法陣は、死すらも覆い隠す冬の雪の如く浄化の力を放つ。
血と瘴気。人間の業を力とする悪鬼の力を、極寒の冬山へと迷い込んだ人の如く、徐々に削り取っていく。
それは、妖気により肉体を構成していた尾弐へとダメージを与え、皮膚には凍傷の如き傷が生み出される。
>「――なら、二人には幸せになって貰わなきゃな」
>「生きろ――生きてそやつと幸せになれ」
それらの猛攻を受けながら、酒呑童子は壊れた思考を巡らせる。
けれど――巡るその思考はこれまでのような憎悪と憤怒ではない。
(……何故、だ。何故、俺は、この敵共の刃を、受けている……?)
疑問。憎しみに狂い、怒りに狂い、憎悪に狂った悪鬼に宿った思考は、自分が攻撃を受けている事に対しての疑問であった、
確かに、勇猛な攻撃だ。強力な術式だ。
だが、酒呑童子がその権能と性能を駆使すれば……例えば眼前の消耗し倒れかけた女を盾にでもすれば、攻撃を回避する事は出来た筈なのだ。
だというのに、自身の直感と本能は回避を呼びかけていたというのに、それを行わなかった。
どころか――――浴びれられる磨滅の豆や、業火の蹴り、浄化の凍気に対して、眼前の女を引き寄せ、攻撃の余波から庇う事すら行っていた。
(何故だ……呪い在れと、憎いと、壊したいと。そう願うだけの存在だというのに、何故俺は……)
(どうして俺は、この女を助けたいなどと思ってるんだ……?)
295
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:17:34
焼かれる激痛、砕かれる痛み、凍らされる痛みも、確かに感じている。
そうだというのに、思考の中に浮かぶのは……眼前で力なく寄り掛かる女の言葉。
>「これが、ボクの本当にやりたいこと……。ね、クロオさん……ボクは、ちゃんと笑えてるでしょ……?」
吹き荒れている憎悪でも、満ちる憤怒でもない。それらを押しのけ、ただの女の言葉を思い返す。酒呑童子には、そんな自身の思考が不思議で仕方がない。
……そうしていると、やがて自身の酒呑童子の狂気に染まった思考に対し、声が却ってくる様になった。
(憎い、壊したい、許せない、滅びてしまえ)『……そうだ、憎かった。テメェ自身が憎くて、壊したくて、許せなかった』
(死ね、死ね――――苦しんで死ね)『ずっと死にたかった……生きてるのが辛くて、苦しくて仕方がなかった』
(助けられないから、消してしまえ)『……ああ。惨めで、情けなくて、せめて一緒に消えちまいたかった』
憎悪に狂った思考に応えるのは、紛れも無い自身の声。
それは問いかけた鏡が返事を返すような異常事態で、けれど、壊れ果て朦朧とした精神はそれを気にする事も無く思考を重ね続ける。
そして、とりとめのない自己問答は暫くの間続き……やがて酒呑童子は、先ほどから自身に答え続ける何者かに、一つの問いを投げかける。
(俺は……どうしてこの女を助けたい)
暫しの沈黙。だが、やがて観念した様に思考は声を返してきた。
『……馬鹿だから、1000年の願いより、1001年目の未来が欲しくなったんだろ』
……それは、酒呑童子と尾弐黒雄との意識が混在したが故のものか。
或いは、負傷に寄って、壊れた精神が混濁した事により生まれた幻聴か。
それとも……1000年の孤独な憎悪が生み出した心と、仲間達と過ごした日々が生んだ心の邂逅であったのか。
語り部である尾弐自身の精神が混濁している以上、その答えを知る者は存在しない。
ただ一つ確かな事は
>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
ポチが構える刃。
何時かの戦いの様に、尾弐の血を浴びた事で鬼切の力を得た酔醒籠釣瓶。
それが、尾弐の体の中央……かつて酒呑童子の心臓が存在し、今は収集された膨大な妖力が『核』として存在しているその場所に突き立てられたその瞬間。
(悪ぃ……迷惑、掛けちまったな)
尾弐黒雄が、困った様な笑みを浮かべていたという事。
296
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:18:26
≪どんだけみっともなくても、自分以外の何かにはなれねぇんだ。お前さんも、拙僧もな……まあ、それでも――――≫
≪自分以外の誰かと寄り添って、一緒に生きる事は出来る。それは、一人でなんでもできる事なんぞよりよっぽど上等な事だと、拙僧は思うぜ≫
遠い情景……いつか忘れてしまっていた帰り道での言葉の続きが、ようやく聞こえた気がした。
・・・・・・
297
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:19:33
>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
酒呑童子の『そうあれかし』。永きに渡り尾弐黒雄の体に巣食ってきた悪鬼の力を斬り離された尾弐は、
スカイツリーの壁に背を預けつつ、俯いたまま天邪鬼の言葉を聞く。
身じろぎひとつしないが、眠っている訳でも、気絶している訳でもない。
単純に、気力も体力も尽き果て、指の一つを動かす力も残っていないのだ。
悪鬼としての自身の核となっていた酒呑童子の力を外道丸の力により斬り離された結果、
尾弐の体は、その心臓を含め1000年前の只人であった頃のモノへと戻っていた。
岩をも砕く怪力も、砲弾にも耐え抜く肉体も、今の尾弐には存在しない。
在るのはただ、弱く脆い……半妖である祈よりも脆弱な、普通の肉体。
魂ではなく物理法則に縛られるが故に、疲労の極致に達した肉体は鉛の様に重く……おまけに、先の出来事で摩耗しきった精神も未だ回復していない。
「……」
それでも意識を失っていないのは、外道丸――――かつて助ける事が出来なかった少年の声を最後まで聞き届ける為であろう。
人の体を得た尾弐と、神として祀られる事となった外道丸は、きっとこの先逢う事は叶わない。
砕け摩耗した精神でも、尾弐はその事を何とはなしに理解しているのだ。
だから、彼の言葉を最後まで聞き届けるべく意識を保ち続ける。
そして、外道丸の口から語られた長く……長く遠い昔話。
尾弐の知っていた外道丸の終わりと、尾弐の知らなかった酒呑童子の終わり。
ソレを知れた事は、きっと尾弐黒雄にとっては幸福な事であったのだろう。
自身が助けようと足掻いた子供が、とうの昔に過去の呪縛を断ち切り前を向いていた。
人として死なせてやる事は出来なかったけれど
あたりまえの幸せを与える事は出来なかったけれど
それでも、今こうして……『かつて』の様な笑顔を見せる事が出来ている。
それは、あらゆる願いに見放され、絶望を供に永き時を流れてきた尾弐にとっては、確かに救いであった。
救いたかった存在と邂逅し、人としての死を手に入れ……共に道を歩みたい存在を知った。
尾弐黒雄という存在にとって今この時は、きっと望外の幸福の時で―――――
298
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:20:06
だから
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
だから
>「そうサ、吾輩だ。吾輩が差し入れしたのだヨ、源頼光に首を獲られ、打ち棄てられていたキミの死骸から心臓を抉り取って!」
だから
>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
だから
>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
だから
> 「……ク、ロ、ォ……さん……」
だからこそ――――尾弐黒雄に与えられた絶望は、深淵の闇よりも尚深い。
299
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/04/16(火) 23:20:40
自身の命よりも、1000年に渡る願いよりも、此の世界よりも大切な存在。
那須野橘音。
何を賭しても守りたいとそう願った那須野の命は『赤マント』の手で奪われた。
尾弐が名を呼ぶことも、謝る事も、想いを語る事も出来ないまま、那須野橘音は絶命した。
「……あ……え……?」
「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
皮肉、という他ないだろう。
千々に砕け、永き時を経ても戻るかどうか……そんな状態であった尾弐の精神は、
那須野橘音の死という絶望と衝撃により、ようやく形を取り戻した。
力の入らぬ体を引き摺りながら震える手を伸ばすも、その先にはもはや求める姿は無い。
絶叫と共に、知らずその頬を涙が伝う。
これまであらゆる絶望に叩き伏され、理不尽に首を絞められ、不条理に打ちのめされても、
それでも尚、人前で涙など見せようとしなかった尾弐……その頬を伝う涙は、人の赤い血液が混じった赤色であった。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
赤マントの悪意の言葉すらも、絶望に支配された今の尾弐には届かない。
だが……いずれこの慟哭が止めば、尾弐黒雄という人間は動き出すであろう。
かつてと同じように、転がり落ちるように、負へ、闇へ、鬼へ。
それでも……かつてと異なる部分はある、尾弐が無力な人間となってしまっている事。
そして、東京ブリーチャーズという仲間達が居るという事だ
300
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 22:58:53
嗚呼、なんということだろう。
まさか、赤マントが突如現れて、橘音を殺してしまうとは。
尾弐から酒呑童子の力を切り離すところまでは良かった。
橘音が小豆を尾弐の体内に送り込んで弱らせ、
祈が全力の蹴りを、ノエルは浄化の雪結晶を叩き込んだ。
そして駄目押しにポチの、格を得た酔醒籠釣瓶による心臓への一撃。
これらによってケ枯れを起こした尾弐から、
酒呑童子の力そのものを、童子切安綱によって切り離すことに成功したのだ。
かつて外道丸に取り憑き、
心臓を経由して尾弐へと渡った酒呑童子の力、意思。『そうあれかし』そのもの。
それは温羅たちの手元へと渡る予定で、きっと悪いようにはされなかっただろう。
死した四天王と茨木童子の魂は、天邪鬼と共に行く。
現世から解き放たれたことで、本当の居場所ができるところだったに違いない。
そして何より、皆で尾弐を助けることができた。
尾弐は過去の呪縛から一歩踏み出せた。
これでハッピーエンドの筈だった。
なのに。赤マントが奪ってしまった。
酒呑童子の力を我が物にしただけでは飽き足らず、
裏切りを働いた橘音の命をその場で奪ったのだ。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
>「……ク……――――――――――」
光の粒子となって消えていく橘音。それを術式によって繋ぎ止めようとする天邪鬼。
しかし、ならず。
橘音がいた場所には空間を切り取ったようなビー玉大の物体が転がった。
>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
尾弐の絶叫が響く。
尾弐はケ枯れした影響で、動くことはできないでいる。
尾弐が鬼と化した要因であり、力の源であった酒呑童子の力を切り離したこと。
そして妖気が微塵も感じられないことから考えても、恐らくは人間の状態に戻ってしまっているようだった。
「橘音ぇーーー!!」
絶叫する祈もまた、動けないでいた。
龍脈の力を解放した状態は莫大な力を祈に与えるが、長くはもたない。
今は5分がせいぜいであり、一撃必殺レベルの力を引き出せばすぐさま枯れてしまう。
そしてひとたびその力を使えば、その反動か、祈は疲労困憊の状態に陥ってしまうのだった。
灼熱の如く赤く染まっていた髪も黒く戻り、いつも通りの祈に戻っている。
それに加えて祈はもともと致命傷を負っており、
命を保つギリギリの妖力と生命力しか持っていないのである。
まともに動けるはずはない。
尾弐の背に蹴りを浴びせて着地した後は、
ぐらりと倒れて、俯せになったまま動けないでいたのだった。
立ち上がろうとするも力が入らず、首だけを起こし、
険しい顔で赤マントを睨みつけている状態であった。
>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
>「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
>「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
嘲る赤マント。
「赤マント、てめえッ……!!」
赤マントに攻撃を加えようとする祈だが、立ち上がることはできない。
腕を支えに僅かに上半身を起こせたに過ぎなかった。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
などといって、赤マントは愉快そうな嗤い声を辺りに響かせながら、
手下に加えた獄門鬼と共に、スカイツリーから消えて行く。
その笑い声の残響は、いつまでも不愉快に、耳にこびりつくようであった。
――那須野橘音が、死んだのだ。
301
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 23:02:40
祈は俯いたまま動かなかった。
橘音の死による精神的なダメージは計り知れないものがあり、
この場にいる誰もが心に傷を負ったに違いない。
なぜなら、橘音とは皆、特別な関係だったのだ。
ノエルにしてもポチにしても。天邪鬼にしてもシロにしても。
唯一無二の親友、家族。相談に乗ってくれて鬼達と引き合わせてくれた者、
前パートナーを千年の呪縛から解き放ってくれた者。
誰もが消沈し、誰もが悲しみに暮れているだろう。
特に尾弐は、この事態をどう受け止めているのか。
千年を超えて選んだ人を、今この場で失うなど。祈の人生経験では推し量ることができない。
橘音は死んだ。
そう、確かに死んだ。
疑いようもなく、確かにこの世から消失した。
だというのに。
「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
少なくともこの少女だけは。
「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
いつも通りでいた。
伏せていた顔を上げてきょろきょろと周囲を見渡す祈。
そして、あいつこと赤マントが去ったことを注意深く確認すると、
這いずるというか、ほぼ四つん這いの有様で、天邪鬼の元へと近づいていく。
橘音がいた場所に落ちている、
空間を切り取ったビー玉大の何かを右手に取り、ごろんと仰向けに転がった。
「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
あはは、などと笑う祈。
橘音が死んだというのに、その顔に悲しみも悲壮感も何もない。
なんともあっけらかんとしたものである。
「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
祈がいつも通りでいられる理由はそれだった。
龍脈には理を捻じ曲げ、願望を叶える力がある。
そして今回、祈が龍脈の力にアクセスして願ったものとは、
“尾弐と橘音、二人の幸せ”だった。
尾弐を絶望の闇から救わんとする橘音と、
橘音を殺せなかった尾弐の姿に、祈は希望を見て、心から祝福したのである。
故に、龍脈による強化を受けて祈が放った全力の蹴りは、
尾弐をケ枯れさせるという目的ではなく、
尾弐と橘音に幸せになって貰うために放たれていた。
それが尾弐を通して世界をも貫いていたのなら、
尾弐と橘音、二人の運命は、幸せへと至れるものへと龍脈によって固定されていることになる。
そしてそれは、尾弐と橘音、どちらが欠けても成しえない未来だ。
故に、死んでいないか、死んでいてたとしても魂までの消滅はなく、
そして近いうちに復活するのだと、祈には断言できるのである。
ちなみに祈が漠然描いていた二人の幸せは、結婚式である。
つまるところ、龍脈の力が正常に発動したのなら。
そして二人が望むなら、結婚式を挙げて幸せなキスをするところまでは確約されていることになる。
302
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2019/04/20(土) 23:16:55
「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
祈は尾弐の方を見て、右手に持っていた、
橘音が居た場所に転がっていたビー玉大の何かを差し出した。
一見何も入っていないように見えるが、このガラス玉のような何かの中には、
もしかしたら、橘音の妖力か魂の粒子だけでも入っているやも知れない。
そうなら、これは橘音が復活する際の起点となる物であり、
橘音を最も大切に想う尾弐が持っているべきだろうと思ったのである。
(でも橘音が復活するのいつになるのかは……あたしにもわかんねーな)
もし橘音が復活するとして、それがいつになるのかは祈には分からない。
祈は龍脈にアクセスできるが、その願いが叶ったかを観測できないからだ。
姦姦蛇螺の時も、ノエルを災厄の魔物から解き放った時もそうだった。
そもそも願いが叶ったかどうかすら分からないが、だが祈は叶ったと信じている。
そしてもし、これが嘘となってしまっても。
橘音の生存が誰かの希望になるのなら、祈は嘘吐きにだってなろう。
誰にとっても橘音の死は耐えがたい。
特に尾弐にとっては、格別の苦痛であるはずだから。
それを和らげるためなら、重い期待や罪を背負ったって構わない。
絶望が支配するこの状況で、
祈は誰かを照らせる希望を、懸命に探していた。
(あとは……御幸が持ってる酒呑童子の心臓とかってどうすんだろ)
祈はノエルの持つ鞄を見た。
そしてもう一つの希望と言えば、ノエルが持つ酒呑童子の心臓だった。
尾弐は鬼としての力を失ったようだ。
そもそも千年生きていて、数々の妖怪を屠った経験があり、
酒呑童子にまでなった尾弐が、本当にただの人間に戻ったのかどうかも疑わしい訳であるが、現状はそうである。
故に、今後、戦線に加わるなら、人として戦うことになるのだろう。
だがもしかしたら、橘音を失った絶望から、再び鬼と化す可能性もなくはない。
橘音を奪った赤マントへの復讐や、橘音が戻る為の世界を守るべく。
その時にこの心臓は、ある種の希望になり得るのではないかと祈はふと考える。
なにせこの心臓は、
病巣であった酒呑童子の力そのものが既に取り除かれているため、
食べても酒呑童子の意思の支配を受けることなく、安全である。
酒呑童子の肉体を構成していた核であったこれは、いわば器。
再び食べることで、酒呑童子を喰らった鬼としての格のみを得て、
心臓に妖力を注げば反転の能力の一部を使えるようになる、だとか。
そんなこともあるのかもしれないと祈は考えていた。
303
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:19:09
>「帰ろうよ、尾弐っち。みんなで一緒に……帰ろうよ」
深雪の最大級の浄化の妖術の中、祈の蹴りが炸裂し、駄目押しとばかりにポチの刃が胸を貫く。
>「好機!!」
>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
ついに尾弐から分離した酒呑童子の力を天邪鬼が切り離し、小箱に閉じ込める。
それを見届けた深雪は、ノエルの姿に戻った。
先の妖術に全ての妖力を注ぎ込んだため、みゆきではなくノエルの姿を取れているのが不思議なくらいだ。
天邪鬼は皆にねぎらいの言葉をかけ、今夜の戦いで死んでいった鬼達を連れていくという。
>「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
>「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
「そうなんだ……良かった。こちらこそありがとう!」
天邪鬼は、自らが何故鬼となってどのように源頼光に倒されたかの真実を語る。
>「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
>「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
「そうだったんだ……。
僕はね、宿命を受け入れるかの選択肢も与えられないまま本人そっちのけで周りが大騒ぎでお膳立てして
気が付いたらいつの間にやら宿命から解き放たれてたんだ、笑っちゃうよね」
あるいは、これもまた新たな宿命なのかもしれない。母や姉、そして橘音や祈の願いに応え人と共にあることが。
>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「待って! それならちゃんとクロちゃんにお別れ言っていきなよ!
喋る体力が残ってないだけできっと聞こえてるから」
>「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
>「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。
ノエルの言葉にも取り合わず、天邪鬼は尾弐を皆に託し去っていくかと思われたが――事態は予想外の方向へ。
天邪鬼はあらぬ方向を振り返り、虚空に話しかける。
>「――とはいえ――」
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
「またお前か……!」
304
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:21:53
今戦闘になったら勝ち目はないのは分かっているのだろう、会話で時間を稼ぐ天邪鬼。
赤マントはいつも通り饒舌で、千年前の尾弐と外道丸の長い長い物語の始まりの黒幕であったことが明かされる。
そして満足するまで喋った後、容赦なく現実を突きつけてきた。
>「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
「そんな……!」
一瞬、なんて約束をしてくれたんだ、とも思うが今更ポチを責めても仕方がない。今必要なのは情報だ。
赤マントの言葉から、ノエルが知らない間に、ポチとアスタロトが言葉を交わしていたことが分かった。
そして、戦闘中は必死でそれどころではなかったが、今更ながら、何故アスタロトのはずのこの橘音が召怪銘板を持っていたのか、
そもそも尾弐を心から愛して救ったこの橘音は本当にアスタロトなのかという疑問が浮かぶ。
「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」
ポチによると、尾弐を救いたいという点で利害が一致したアスタロトと白い橘音が融合したのだとのこと。
それなら、橘音が童子切安綱と召怪銘板を両方持っていたのも、本気で尾弐を救おうとしていたのも全て説明がつく。
でもアスタロトってノリノリで尾弐を酒呑童子化させて東京を破壊させようとしてなかったっけ?
という点はノエルにとっては依然謎のままだったが、今は考えないことにした。
それはそうと、ポチは何だか今までとは雰囲気が変わったように感じられた。
覚悟を決めて宿命を受け入れたような――まるで自分とは真逆の道を歩む存在になったように感じられる。
ポチもまたノエルの変化を感じているのだろうか。
>「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
「あの力……?」
龍脈の力に匹敵するような何かがあるのだろうか、と思うノエル。
酒呑童子の力は赤マントに奪われてしまったが、真の絶望はこんなものではなかった。
>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
>「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
305
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:31:22
「弟子……師匠……!?」
ノエルは驚きつつも、何故自分があそこまでアスタロトのやり口に嫌悪を覚え激昂したのかのが腑に落ちた気がした。
立ち回りが姉の仇とも言うべき赤マントの生き写しなのだから、それも当然だ。
>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
>「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
>「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
>「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
目にも止まらぬ速さで、気を失っている橘音に楔を突き立てる赤マント。
それはクリスを手にかけた時と全く同じ構図で。
しかし、クリスは赤マントにとって最初から使い捨ての手駒に過ぎなかったが橘音は違う。
「なっ……仮にも弟子だろう!? いくら敵になったからってあんまりだ……!」
そんな情を赤マントに期待するだけ無駄なのだが、言わずにはいられなかった。
別れの言葉を交わす猶予すらなく、橘音はあまりにもあっけなく死んだ。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
>「……あ……え……?」
>「あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
>「大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!」
尾弐の絶叫が響く。
彼の体からは全く妖気が感じられず、1000年前の人間の状態に戻っているのかもしれなかった。
その目からは血の涙が流れている。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
>「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
ノエルは無言で立ち尽くしていた。大変なことになってしまった――
橘音が死んだこと自体ももちろんそうだが、尾弐は絶望のあまりどうにかなりそうだ。
更に、祈の方を見ると、俯いたまま動かない。
祈の力を悪い方向に作用させないように、との御前との約束が思い出された。
この状況を受けて祈がもうお終いだ、なんて思おうものなら御前に始末されてしまいかねない。
橘音を失った上、祈まで失うなんてことは絶対にあってはならない。
なんとかこの場を取り繕わねば――そう思うも、何と切り出していいかも分からない。
こうして途方に暮れていた時。
306
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:37:20
>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
祈のあまりにもいつも通りの声に、耳を疑った。
「……えっ」
>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
てっきり絶望に打ちひしがれていると思われた祈が、平然としている。
ノエルは、尾弐に蹴りを入れる際に祈のカラーリングが本気モードになっていたことを思い出した。
「祈ちゃん……あの姿ってもしかして……」
>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
「やっぱりそうか……!」
祈はノエルを災厄の魔物から解き放った頃にはまだ自分の能力を知らず、当然自分の意思で能力の制御も出来ない状態であった。
そして姦姦蛇螺を転生させ、御前から特別な力を持っていると知らされた当初は自分がそんな重大な力を持っていいのかと戸惑っているようだったが、
今ではすでに前向きに受け入れ、どこまで制御できるのかは不明だが発動しているのが自分で分かる状態にはなっているようだ。
ノエルはそんな祈を頼もしく思うと同時に、なんともいえない不安も覚えていた。
深雪を災厄の魔物から解き放った時と、姦姦蛇螺を無害な蛇に転生させた時には、共通点がある。
2回とも、片や猛吹雪に凍え、片や凄まじい瘴気にあたり、祈が命の危機に瀕していたということだ。
そして尾弐の攻撃により致命傷を負った今回もそうだ。
このことから、龍脈にアクセスする力が発動する条件は祈が命の危機に晒されることなのではないか――ノエルはそう推測した。
当たっているかに拘わらず、これと同じ推測に祈が至ってしまったら、進んで自らの身を危険に晒すようになる危険性がある。
そんなノエルの心配など知る由もなく、祈は尾弐にビー玉のような物体を渡す。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
祈に補足するように言葉を続ける。
仮に万が一、龍脈へのアクセスによる運命変転に失敗していたとしても祈は何一つ嘘はついていないのだ。
307
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/04/21(日) 23:39:18
「祈ちゃん、覚えてる? “お化けは死なない”――本当は死なないんじゃなくて死んでも復活する、が正解だけど。
橘音くんも妖怪だから龍脈の力を使おうが使うまいがいつかは復活するんだよね」
そもそも妖怪にとっての妖怪の死は、永久の別れではない。だからこそ、ノエルはクリスを穏やかに見送ることが出来た。
そして、妖怪においては永久に復活しない”滅び”が感覚的には人間の死にあたるが、
妖怪が”滅び”に至るのは例えばイケメン騎士Rが持つ聖剣のような特殊な攻撃方法を使った時のみと思われる。
だから、橘音も放っておいても数百年も待てば復活する可能性が極めて高いのだ。
だけど今回はそれでは困る。半妖の祈はその時まで生きているか分からないし、尾弐に至っては人間になってしまった。
「でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」
つまるところ問題は祈の力によって橘音の復活がどれ位早まったか――それに尽きるのだった。
そしてもう一つ気にかかるのが、消滅したいという尾弐の願いを知った時のアスタロトの言葉。
>「なるほど……やっと分かった……!どうして、御前がボクとクロオさんを引き合わせたのか!僕たちにコンビを組ませたのか!」
>「“そういうこと”でしたか!アハハハハ、御前も本当に人が悪い!」
>「惹かれるわけだ……いや、ようやく腑に落ちましたよ!アハハハハハハハハッ!」
ノエルは心の奥底で災厄の魔物の宿命から解き放たれることをずっと望んでいた。
姦姦蛇螺だって、あの転生は願ってもないほど願っていたことだろう。だけど橘音はどうだろう。
橘音は”尾弐に幸せになって欲しい”と思っているのは確かだが、アスタロトのあの言葉を考えると、”自分が生きて幸せになりたい”と思っているとは言い切れない。
もしも祈の力の成就の成否が、対象の願いとの合致が条件となっていたら、それでは都合が悪い。
何にせよ祈は願いが叶ったかは自分では分からないようなので、尾弐が生きている間に復活してくるのを信じて座して待つわけにもいかない。
そこで、待っていられないなら迎えに行けばいいのではないか――という極めて単純且つ無理無茶無謀な考えが浮かんだのであった。
死んだ人間を現世に連れ戻すことは絶対に叶わないのが神話の時代からの理だが、
元々数百年経てば復活してくる妖怪ならば――早めに連れ戻すぐらい許されるかもしれない。
「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
飽くまでも興味本位のように、軽い口調で天邪鬼に尋ねてみる。
もしも天邪鬼がそれを知っていて教えて貰えたとして――その後どうするのだろう。
人間に戻ってしまった尾弐は戦力外だし、どことなく佇まいが変わったポチは、もはや同族以外のために自らの身を危険に晒すことはできないような気がする。
もしかしたら、自分と祈だけで迎えに行くことになるのかもしれない――
そんなことを考えつつ同時に、最初に勢いで奪ってしまった尾弐の心臓をどうしよう、等と心の片隅で思っているのであった。
もしかしたら尾弐が再び食べることで力を取り戻せるのではないか、と思わないでもないが
心臓を食べさせられて恨みのあまり鬼と化した尾弐に、その再現のようなことをしろとは少なくとも今はとても言えない。
このままいくと、当面は店の冷凍庫にしまわれることになるのだろう。
308
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:24:54
橘音を抱き寄せ、庇う尾弐の、防御の隙間。
そこから胸の奥へと刃を突き立てた、その瞬間――ポチは確かに見た。
尾弐の口元に、ばつの悪そうな――だが穏やかな笑みが、浮かんだのを。
そして――直後、尾弐の全身からどす黒い波動が溢れた。
苦悶と怨嗟の呻きを上げる影が。
>「好機!!」
天邪鬼が鬨を叫ぶと同時、ポチはその場を飛び退く。
>「南無――三界万霊、一切救難……神夢想酒天流、終ノ秘剣――鬼送り!!」
足音一つ立てぬまま、天邪鬼は跳躍――尾弐へと間合いを詰めた。
二人がすれ違う――その瞬間、抜く手も剣閃も見せぬ抜刀。
ただ微かな風切り音のみが響き――天邪鬼が着地、童子切を鞘へ収めた。
鍔鳴りの残響が凛と掻き消え――それに遅れて、酒呑童子の根源が断ち切られる。
>……ギャアアアアアア!!ノロワシイ……ハラダタシイ……シネ……キエロ……ホロベェェェェェェ……!!!
>「よくも千年もの間、クソ坊主の肉体に巣食ってくれたものよ。ああ、呪わしかろう。腹立たしかろう」
「その気持ちはよくわかる。かつて貴様をこの身に宿していた私にはな――しかし」
>「消えるのは、貴様だ」
天邪鬼がどこからか金色の小箱を取り出し、蓋を開く。
瞬間、吹き荒れる烈風。
大気の栓を抜いたかのような乱気流は、酒呑童子を捕らえ――吸い寄せていく。
酒呑童子に出来るのは、ただ怨嗟の絶叫を上げる事のみだった。
やがて酒呑童子が箱の中に完全に吸い込まれ、蓋が閉ざされると、その声も聞こえなくなった。
>「よくやった、東京ブリーチャーズ。……私の役目は終わった。貴様らの働き、見事だった。礼を言うぞ」
>「まったくこのクソ坊主め、手間をかけさせてくれた。だが、何とかうまく行ったな……」
「よせやい、お前に素直に褒められると……気味が悪いよ」
ポチはこれまでの意趣返しを込めて、軽口を返した。
今更、天邪鬼に対する嫌悪感、敵愾心などない。
しかし同じく今更、手を取り合い、喜びを分かち合う関係にもなれまいと。
>「今夜の貴様らの戦いはこれで終わりだ。間もなく夜が明ける――クソ坊主を連れて、塒に帰るがいい」
「私はまだやることがある。これを鬼神王のところに届けなければならん……そして、こいつらも連れてゆく」
「鬼の力は鬼のものだ。こいつを呉れてやれば、鬼神王の怒りも収まることだろうよ」
「茨木と四天王は私の塒へ。ま……200年も修業させれば、業も落ちて護法童子くらいには変生(へんじょう)できよう」
「……そう言えば、結局お前がなんなのか、僕未だに分かってないや。
まぁ……元々そんなに興味もなかったけどさ」
加えるなら尾弐があのような事態になっていた理由も、なんとなくしか分かっていない。
だがこのまま天邪鬼が去ってしまったとしても、それならそれでポチは良かった。
最終的にシロとは仲直り出来たし、尾弐も文字通りの意味で憑き物が落ちたようだ。
その結果が全てだ。多少の謎が残ろうと、気にならない。
>「――千年前、人間たちの妬み、そねみ……『そうあれかし』によって鬼と化した私は、非道の限りを尽くした」
>「しかし、それは決して私欲や憎悪が理由だったのではない。私は『自らの宿命に忠実であらんとした』のだ」
だが――どうやら天邪鬼はその謎の答えを語るつもりでいるらしい。
「……って事は、お前、本当に酒呑童子だったのか。……ん、あれ、じゃあさっきのは?」
と言っても、それはポチの言葉を受けての事ではないだろう。
>「貴様らは、私が神変奇特酒を呑まされて前後不覚に陥り、首級を獲られたと思っているかもしれんが――」
「そうではない。私は頼光と戦わなかった。私は何もせず、ただ座して奴に首を呉れてやったのさ」
「私は宿命を受け入れた。それならそれでいい、と……首を刎ねられる瞬間まで思っていた」
「よもや、何年も前に袂を分かったはずのクソ坊主がそれに異を唱えるとは思いもよらなかったがな」
ポチは思った。
きっと天邪鬼は、こう言いたいのだろう――自分は決して不幸ではなかった、と。
恐らくは、尾弐の為に。
結局、話を聞き終えても分からない事は残ったままだが――そんな事は、些事だ。
少なくとも――天邪鬼から匂う親愛の情は、嗅いでいて不快なものではない。
>「話は終わりだ。私は帰る……高神は塒を離れられん定め、もう二度と会うこともあるまい」
「クソ坊主を頼む。あまりにも長い間、奴は時間を無駄にしすぎた。私なぞのために費やしすぎた」
「これからは、少しはマシな暮らしをさせてやれ。――とはいえ――」
しかし――不意にその匂いが薄れ、代わりに敵意が膨れ上がった。
309
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:25:48
>「そこの天魔めと共に生きていくのだとするなら。もう少々、厄介事を片付けねばならぬようだがな……!」
鋭い眼光が虚空を睨む――そこで初めて、ポチはその「におい」を嗅ぎ取れた。
>「いつまで覗いているつもりだ?上手く隠れているつもりか知らんが、丸見えだぞ」
天邪鬼の視線の先、何もないはずの空間がぐにゃりと歪む。
血色のマントが棚引くと同時、においが溢れ返る。
水よりもなお被毛に纏わりつくような、濃密な、邪悪のにおいが。
>「クカカカ……お見通しとはネ、さすがは酒呑童子。いや、なかなか見応えのある見世物だったヨ!」
「……赤マント」
仇敵の名を呟くポチの語気は、静かだった。
戦意に欠けている、と言ってもいい。
だがそれは、已む無い事であった。
>「かつての私とクソ坊主は、貴様の悪意に対して抗う術を持たなかった。……だが、今は違うぞ」
「この者たちは貴様の野望を挫く。貴様がどれだけ悪辣な手段を用いようと、すべて打ち砕いてしまうだろう」
「私はこの者たちの中に光を見た。最期のときが迫っているぞ、天魔――」
>「ククッ、クカカカカッ!なにが光だネ、バカバカしい!そんなもので吾輩の計画をどうにかできるものかネ!」
「実際問題、キミたちはもう『詰み』なのだヨ。この状況がすべてだ、そうじゃないかネ?」
赤マントの言葉は非常に不快だが――反論の余地なく、正しいのだから。
少なくともポチにこれ以上の継戦能力は残っていない。
橘音も、尾弐も、あれだけ大規模な妖術を使っていたノエルも恐らくは、同様だろう。
天邪鬼と祈も、万全の状態とは言い難い。
>「……何が望みだ?」
>「クカッ、話が早いと助かるネ。では、キミの持っているその箱を頂こうか。『約束通りに』……ネ」
天邪鬼の問いに、赤マントは楽しげに答える。
>「約束だと?」
>「そうとも。酒呑童子の力……欲しければ持っていけばいい、見ないふりをしているから……と。そうだろ、オオカミ君?」
そしてポチを見つめてそう言うと、けたけたと笑った。
対するポチは――苦しげに赤マントを睨み返す。
>「ポチ君……正直に答えて。僕が見ていない間に何があったの?」
ノエルの問いかけに、ポチは答えない。
ばつが悪いだとか、そんな理由ではない。
単純にそんな状況ではないからだ。
今、赤マントから意識を逸らす訳にはいかない。
「……あれは、僕と」
>「言っておくけど、その約束はオオカミ君とアスタロトの間で取り交わしたもので、吾輩と外道丸君の間では無効!」
「――っていう理屈は通用しないヨ?約束は個人間ではなく、天魔とブリーチャーズの派閥間で交わされたものなのだからネ」
「もし約束を破れば、それは『東京ブリーチャーズがオオカミ君を否定する』という結果に繋がる。わかるだろ?」
だがそれでも、思い浮かんだのは安易な言い逃れだけ。
当然、赤マントに通じる訳はなく――逃げ道は即座に潰された。
>「……チッ」
天邪鬼は忌々しげに、赤マントへと小箱を投げ渡す。
ポチには、その様をただ歯噛みしながら見ている事しか出来なかった。
「よしよし。龍脈の力や『あの力』には及ばないが、起爆剤くらいにはなるだろうネ。――それにしても……」
受け取った小箱を満足げにしまい込むと――ふと、赤マントの視線が下を向いた。
力を使い果たし、未だ床に倒れ伏したままの、橘音へと。
>「まったく、情けない。姦姦蛇螺と酒呑童子、帝都を……いや日本を丸ごと破壊できるような妖壊を使っていながら負けるとは!」
「それでも吾輩からすべての弁論術、詐術、権謀術数を学んだ直弟子かネ?師匠として恥ずかしいヨ、吾輩は!」
これから何が起ころうとしているのか、ポチには容易に予測出来た。
止めなければいけない。満身創痍の肉体に、鞭を打ってでも。
頭では、確かにそう考えている――だがポチは微動だにしない。
310
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:26:28
>「クカカカ!何を驚くことがあるのかネ?少し考えてみればわかることじゃないか?」
「それとも、キミたちは考えたことがなかったかネ?吾輩とアスタロトのやり口は、あまりにも似通っている――と?」
「それもそのはず、アスタロトの推理は、智慧は、すべて!吾輩がレクチャーしたものなのだからネ!」
傷だらけの体から力が振り絞れない。
愛する者の為に奮い立つという事が、どうしても出来ない。
>「まぁ……そんなこと、もうどうでもいいけどネ。かわいい弟子だと思って二度もチャンスをあげたが、いずれも不発に終わった」
「今日限り、アスタロトは破門だ。好きにするがいいサ……もっとも、死体くらいしか自由にできないだろうがネ!」
そして、
>「ッ……ぎ……」
誰一人として止める事が出来ないまま、橘音の全身を楔が貫く。
>「……ク、ロ、ォ……さん……」
黒雷が迸り、橘音の体が見る間に燃え上がる。
>「……ク……――――――――――」
一瞬だった。ほんの一瞬間の内に、橘音は燃え尽きて――死んだ。
>「クッ、ククッ!クカカカカカカカカッ!おやおや、いけないいけない!ウッカリ死体も残さず焼き尽くしてしまった!」
「これは申し訳ない!でもまぁ、あるよネ!そういうことも!クカカカカカカカカッ!!」
その様を目の当たりにし、赤マントの哄笑に晒され――それでもなお、ポチは動かない。
怒っている。悲しんでいる。それらの感情は確かにポチの中で生まれ、渦巻いている。
>「クカカカカカ!役立たずは処刑する、それが我々の流儀でネ……例外はないのサ」
「本来なら、ここでキミたちもついでに始末しておくべきなんだろうけどネェ。アスタロトに免じて見逃してあげよう!」
「アスタロトに感謝したまえ?ああ、我が愛弟子のなんと尊い犠牲よ!クカカカカカカッ!」
だが――同時に心の何処かで、それらを軽んじている自分がいる。
皆がどうなってもシロだけは守らなくては。
「ああ」なったのがシロでなくて良かった。
そう、考えてしまう。
>「吾輩の計画は止められないヨ……キミたちには破滅の未来しかない。希望など吾輩が微塵に叩き潰して差し上げる!」
「ということで諸君、吾輩はこの辺で。世界の終末にまたお目にかかれるといいネ……では、ご機嫌よう!!」
そして赤マントは愉悦と、更なる邪悪な待望のにおいを残して、姿を消した。
>「あなた……」
背後から、シロの声が聞こえる。
不安げな声音と、におい。
橘音の死よりも、そちらの方がポチには気がかりだった。
そうであっていい訳がないのに――どうあっても心の底から悲しめない。
天邪鬼も尾弐も、ノエルも、ポチも、理由は違えど、何一つ言葉を発しない。
重い沈黙がこの場を支配する。
>「……あいつ、ほんとに行ったかな?」
そんな中で祈だけが――平然と、いつもと変わらぬ口調で、声を発した。
311
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:30:55
>「帰ったなら、いいかな……よ……っと」
祈の体からは、偽りのにおいはしない。
取り繕いの演技ではない。
本心から、このあっけらかんとした態度を取っているのだ。
>「あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?」
一体何故――ポチは呆然と祈を見つめる。
>「あたしたち、何回もあいつに痛い目見せられてるし、そろそろ一回ぐらいはやり返していいと思うんだ」
「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
疑問の答えは、すぐに示された。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
龍脈の力――あの御前ですら危険視する、運命変転の力。
それなら確かに、死者の蘇生すら引き起こせるかもしれない。
もっとも祈のにおいは、それが確実な事であるとは言っていなかった。
嘘ではない。だが不動の真実を語っていると言えるほど、自信に満ちたにおいでもない。
だがそれでも、ポチは気づけば安堵の溜息を零していた。
それから――まだ安堵出来た事に、もう一度安堵を覚えた。
>「でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……」
>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
祈は、恐らくは立っていられないほどの重傷。
尾弐も満身創痍の状態から精神に酷い衝撃を受けた。
早急に治療を受けねばならないのは明白だ。
そしてそれは、ポチも同様だ。
今は『獣』の血肉で補われているが、その胸には致命の傷が穿たれている。
「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」
しかし――ポチはそう言って、シロの方を視線で差す。
「その……絶対負けないなんて言っておいて、なんだけど……結局、勝てなくってさ。
これから……色々と謝ったり、約束したり、しなきゃいけないんだ……あはは……」
そうして恥ずかしげな態度と声色をもって、ポチは皆を見送った。
312
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/04/24(水) 02:34:15
「……おいで、シロ」
だが皆が立ち去った後で、ポチが紡いだその声は――打って変わって、静やかだった。
「大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか」
そしてシロが己のすぐ傍にまで歩み寄ると、ポチは右手を差し伸べた。
しかし手のひらは――上ではなく、下へ向けられている。
だがポチの眼差しと、においによって、シロはその意図を理解出来るだろう。
「それに僕は、王様だからね」
つまり――この手の下に傅き、頭を差し出せと、ポチはそう言っているのだ。
「誰が許さなくても、僕が君を許すよ」
ポチの右手がシロに触れる。
浮かぶ穏やかな微笑みには、橘音を失った悲しみなど寸毫も見えない。
当然だ。最愛が――美しく気高い。しかし、いじらしくもある――唯一無二の同胞が、己が手中にある。
ならば狼の王が悲しむ道理などない。
狼の王ならば、悲しんでいい訳がない。
「……君は何をしてもいい」
ポチが言葉を紡ぐ。
一言一句、確かめるように、ゆっくりと。
「そして君になら、何をされてもいいんだ」
『獣』の宿命に縛られた今の状態でも、それらの言葉は正しく紡ぐ事が出来た。
その事が分かると――ポチの左眼が、シロの涼やかな金眼を、じっと見つめた。
「覚えていて。ずっと、忘れないでね」
そう言うと――ポチは立ち上がった。
「……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……」
シロの傷を案じるその表情は――橘音が死んだ時よりもずっと、不安げだった。
313
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:35:51
>あ、あ―――――あ、あ……ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
>大将……那須野、那須野、那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野那須野……橘音……!!!!!!
戦いが終わり、酔余酒重塔から元に戻った東京スカイツリーに、尾弐の慟哭が響き渡る。
尾弐の永年の苦悩を、苦痛を、重荷を下ろさせるため、天邪鬼は現世に降臨した。
だというのに、この結果はどうだ。重荷を下ろさせるどころか、新たな業を背負わせてしまった。
尾弐は自分を責めるだろう。橘音を救えなかったと、想いを伝えられなかったと。
その慟哭の烈しさが、尾弐の絶望の深さを何よりも雄弁に物語っている。
――なんということだ。
天邪鬼は困惑した。まさか、このような結末が起こり得るとは。
酔余酒重塔での戦いは、そのほぼすべてを予見することができた。天邪鬼の描いた絵図面の通りに推移したと言っていい。
しかし、最後の最後に予期せぬ事態が起こってしまった。それは、それまでの成功をすべてご破算にする失態だった。
尾弐はさらなる闇を転げ落ちてゆくだろう。それはもはや、天邪鬼の手をもってしても防ぐことができない。
ノエルと同じように、天邪鬼もまた懸命に次善の策を考え出そうとした。
皆が負った心の深手を、なんとかして最小限のものに押しとどめることはできないか――と懊悩した。
しかし。
>……あいつ、ほんとに行ったかな?
>帰ったなら、いいかな……よ……っと
今この場にいるメンバーがそれぞれ思い悩む中、祈だけはあっけらかんとしていた。
さしもの天邪鬼も、仲間の死を前にして祈があまりに平然としていることに対して違和感を覚える。
「なんだと?」
>あたし演技には自信なかったけど、赤マントが戻ってこないとこ見るとバレなかったみたいだな。
あたしが焦ってなかったこと。ま、今結構キツいし、それで分かんなかったのかな?
祈は焦っていない。どころか、赤マントに対してしてやったり、といったような態度をしている。
祈にとっても橘音は特別な存在であったはずだ。事前に得ていた情報では、橘音の探偵助手をしていたという。
そんな相手が目の前でなすすべもなく殺されたというのに、何も感じないというのか?
天邪鬼は訝しんだが、しかしそうではなかった。
祈はあの絶望的な戦いのさなか、抜け目なくひとつの希望を植え付けていたのである。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな
「……は……」
「ははッ、はははは……はははははッ!小娘、貴様今なんと言った?クソ坊主と三尾の幸せを願っていたと?あの戦いの中で?」
「致命傷を負い、今にも自分の死が迫っていたあのときに?ははは……莫迦か!はははは――面白い!」
祈の為したことに気付き、天邪鬼は声を上げて笑った。
少女が献身的で自己犠牲的だということは知識として知っていたが、こうして眼前で見せつけられるとまるで衝撃が違う。
>だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ
龍脈の力とは、地球そのもののエネルギー。この惑星に生きるすべての生物たちの力の根源。
龍脈にアクセスできる者は、そのエネルギーに触れることで自らの『そうあれかし』を何百万倍にも増幅できるのだ。
その祈が願った。尾弐と橘音の幸福を、地球そのものに対して望んだのだ。
ならば、それは当然叶えられて然るべきだろう。天邪鬼としてもやりようはある。
>でも困ったな……。
二人には幸せになってもらわないといけないのにクロちゃん人間になっちゃったから数百年も待てないし……
ノエルが思案げに呟く。
確かにそうだ。妖怪は死してもいつか復活できる。けれど、それは一朝一夕にとは行かない。
遠い遠い時間の果て、雨垂れがいつか石に穴を穿つような長い年月を経て、ようやく転生が叶うのだ。
人間に戻ってしまった尾弐に残された時間は少ない。百年にも満たない人間の寿命では、到底橘音の復活を見届けることは叶わない。
>――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?
ノエルが質問を投げかけてくる。天邪鬼は小さく息をついた。
314
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:37:43
「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」
そう言ってから、尾弐の持つビー玉大の宝珠を指差す。
「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
いくら妖怪でも、一度天国や地獄に行ってしまった者を連れ戻すことはできない。
けれど、まだ橘音の魂はそこにある。であるなら、助け出すことだってできるはず。
とはいえ、橘音が死んでいるのは間違いない。それをすぐに復活させることが難しいことも、また間違いのない事実だった。
不可能ではないが、極めて困難。それが天邪鬼の答えである。
天邪鬼は長い黒髪の頭をぽりぽり掻いた。
「やれやれ。これで私もクソ坊主のおもりから解放されるかと思ったが……もうひと働きせねばならんようだな」
いかにも面倒くさいといった様子であるが、それが本心でないということはもうブリーチャーズの面々にもわかるだろう。
尾弐がすべての恩讐を乗り越え、幸福になるところをこの目で見届けるまでは帰らない、と言外に言っている。
天邪鬼は尾弐の許へ歩いていくと、ク、と形のいい右の口角を薄く歪めて笑った。
「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」
むろん、それは当初意図しなかったことである。天邪鬼はこの戦いが終われば、速やかに退去する手はずだった。
それを破るということは、天邪鬼の契約主である御前――白面九尾との約定を反故にするということだ。
御前は自分の思い通りにならないことに対しては子供じみた不満を露にする。きっと激怒することだろう。
また、鬼神王温羅もメンツを潰されたままだ。おまけに刺客として送り込んだ獄門鬼まで奪われている。このままでは済むまい。
からくも鬼帝国の顕現は防いだものの、状況はまるで好転していない。むしろ悪くなっている。
それでも。
まだ希望はある。最悪の絶望には、まだ遠い。
東京ブリーチャーズの全員が力を合わせ、最善手を尽くすのなら――
きっと。どんな逆境であろうと突き破ることが出来るだろう。
「……いい仲間を持ったな」
天邪鬼は呟くように零すと、小さく笑った。
自分がいなくとも、もう尾弐はやっていけるだろう。後は、尾弐が幸福に至るまでの道筋をつけてやるだけだ。
それが図らずも千年もの間、彼を怒りと憎しみに縛り付けた自分にできる最大の償いと、天邪鬼は思っている。
彼の願いによって神となった自分の存在する意味とはそれだと、信じているから。
この、不器用な生き方しかできない男を心から慕っているから。愛しているから。
尾弐の幸福を、千年の昔より願い続けてきたから――。
「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」
もう一度東京ブリーチャーズのメンバーにねぎらいの声をかけると、天邪鬼は踵を返した。そしてエレベーターへ歩いていく。
アスタロトと茨木童子の力がなくなったことで、エレベーターも再度通電したらしい。
>だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと
東京スカイツリーでの、戦いの一夜は終わった。
皆が皆重篤なダメージを負い、一刻も早く病院に行かなければならない。
だが、そんな中でポチがひとつの提案をする。
ポチの傍らに佇んでいたシロは、その言葉にぴくりと肩を震わせた。
――わたしは罪を犯した。この方に幻滅されるのも仕方ない……。
自分のちっぽけな我儘が原因で、とんでもないことになってしまった。
彼は、ポチは自分を責めるだろう。見限られることさえあるかもしれない。
もし彼に愛想尽かしされたなら、そのときは――。
シロは絶望的な思いでうなだれた。
315
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:41:12
>……おいで、シロ
ポチとシロ、ふたり以外誰もいなくなった塔の中で、名前を呼ばれたシロは一度驚きに目を見開いた。
今、彼はなんと言ったのだろう?
シロ、と。シロと言ったのだろうか?シロちゃん、ではなくて?
単に『ちゃん』付けではなく、呼び捨てる。
一見なんでもないそのことに、シロは大きな衝撃を受けた。
今まで、ポチはシロに対してはとても遠慮をしている――ように、シロは感じていた。
それはオオカミとすねこすりの混ざりものである自分が、純血のニホンオオカミと接する際の引け目のようなものだったのか。
彼はずっとシロをちゃん付けで呼んでいた。それが、何か二人を隔てる垣根のように感じられていたのは確かだ。
しかし、彼は今それを取り去った。
ポチが悠然と歩み寄ってくる。人間に変化したふたりの身長には、かなりの差がある。
シロの方がポチよりもはるかに背が高い。が、その力関係は明らかだった。
>大丈夫、心配いらないよ。祈ちゃんも、ああ言ってたじゃないか
「……でも」
ポチの穏やかな声を聞いて、シロは戸惑いがちに目を伏せた。
自分のせいで橘音が死んだのは確かだ。厳然と存在する現実は、どんな言葉であっても取り繕うことはできない。
けれど。
>それに僕は、王様だからね
ポチはシロを見上げ、右手を差し出す。
ただし、それは手の甲を上にしたもの。それが意味するところは、ただひとつ。
『自分に拝跪しろ』と言っている――。
「ぁ……」
じわ、とシロの両目に涙が浮かぶ。許容量を超えたそれはすぐに頬へと溢れ、顎を伝って落ちる。
ずっと、こうされることを望んでいた。
憧憬の対象でなく。大切にされるべき飾り物でなく。
狼の王たる彼の所有物に。支配されるものに、自分はなりたかったのだ。
シロはすぐに跪き、深々と頭を垂れた。それは王に対する服従の礼だった。
>誰が許さなくても、僕が君を許すよ
ポチが告げる。その微笑は、寛大な心は、まさしく王の資質を顕すもの。
銀の髪に触れる、彼の手が優しい。シロは小さく吐息した。
それは、自分の犯した罪が赦されたことへの安堵でなく。彼に見限られずに済んだという安心でもなく。
これで自分は、本当の意味で彼の妻になれたのだ――という幸福の吐息だった。
>……君は何をしてもいい
>そして君になら、何をされてもいいんだ
>覚えていて。ずっと、忘れないでね
「……決して忘れません。わたしの身体、わたしの心。わたしの想いのすべて……あなたに捧げます、狼の王」
顔を上げ、金色の瞳で彼を見つめて微笑む。
>……帰ろっか。君も、病院に行かないと。あちこち切りつけちゃって、ごめんね。
痛く……ない訳ないよね。痕が残らないといいんだけど……
ポチが帰還を促す。身体のことを気遣われて、初めて自分が満身創痍であったことに気付く。
シロは一度かぶりを振った。
「大丈夫です。痛くないと言えば嘘になりますが……でも、今は痛みよりもずっとずっと、幸福の方が大きいですから」
そう言って、豊かな胸に右手を添える。
「あなたの想いが、わたしの胸を温かく満たしているのを感じます。ああ、これが愛なのですね」
そっと手を伸ばすと、シロはポチの手を握った。指を絡め、離れないようしっかり繋ぐ。
「帰りましょう、わたしたちのいるべき場所へ。ずっと……離さないで下さいね」
嬉しそうにシロは笑った。屈託のない、童女のような笑顔だった。
316
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:46:06
「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」
東京スカイツリーでの戦いから、一週間が経過した。
酒呑童子との戦いでひどく疲弊した東京ブリーチャーズは、すぐさま河原病院に入院する羽目になった。
外傷そのものは河童の膏薬と迷い家の温泉の湯によってすぐに全快したが、精神の疲労は薬では治らない。
特に人間に戻った尾弐の消耗は筆舌に尽くしがたく、再集結までにこれほどの時間がかかってしまった。
全員が退院してSnowWhiteに帰還し、ミーティングを開始すると、さっそく颯が天邪鬼に食ってかかった。
物凄い剣幕だ。天邪鬼の胸元をひっ掴み、がくがくと揺さぶる。
「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」
「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」
「お、落ち着け莫迦者!」
「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
いつもクールな天邪鬼がタジタジになっている。それだけ、颯にとっても橘音は大切な存在だったということなのだろう。
尾弐、橘音、颯――そして晴陽の四人は一時期チームとして命を預け合っていた。
その繋がりは現在の東京ブリーチャーズと何ら変わることはない。
「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
やっとのことで颯から解放されると、天邪鬼は噎せながら答えた。
スカイツリーでの戦いが終わったら京都に帰るはずだった天邪鬼は、橘音死亡という不測の事態により未だ東京に留まっている。
御前には一応許可を得たらしいが、御前はきっとまた無茶な要求をつきつけてきたのだろう。
尤も、天邪鬼はブリーチャーズにそれを追及されても決して答えない。
此度のことは私にも責任の一端がある、余計なことを考えるな、の一点張りだった。
なお、今は以前の戦いのような袴姿ではなく、トライバル柄の黒いTシャツにオリーブ色のカーゴパンツという出で立ちである。
極めて当世風の出で立ちだったが、仕込杖は相変わらず携帯している。
そんな天邪鬼に対して、東京ブリーチャーズがどうすれば宝珠の中に入れるのか?と問うと、天邪鬼は軽く肩を竦め、
「知らん」
と、回答を投げてしまった。
「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
颯にがくがく揺さぶられながら、天邪鬼は悲鳴をあげた。
その知名度に反比例して、反魂術というものは謎に包まれている。
錬金術の極致・賢者の石(ラピス・フィロソフォルム)と同様、名前は有名だが内容は不明――というのが大半である。
宝珠の中に入れば橘音を蘇らせられる、という作戦はわかっても、その手段がわからないでは意味がない。
いくら京に神社を構える高神といえど、反魂の法については知識がまるでない。
日本妖怪の総大将と呼ばれる富嶽にしても、きっと知らないと答えるだろう。それほど反魂の法とは門外不出の秘儀なのだ。
そもそも、反魂の法とは妖怪の技術ではなく人間の技術である。いずれ復活するさだめの妖怪には不必要なものだ。
例外的に御前ならきっと知っているに違いないが、言うまでもなく御前は交渉ごとに関しては高い対価を求める。
それが例え御前自身の手駒ふたつを救うという理由であったとしても、その大原則は変わらない。
「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
ソファに座ったシロが口を開く。
ポチと和解したシロは、現在のところ主のいなくなった那須野探偵事務所に仮寓を定めている。
主人が帰るまで、事務所の中を綺麗に保っておくのがシロの役目だ。
いくらポチに赦されたといっても、やはり拭い難い負い目がある。事務所の留守番を買って出たのはその罪滅ぼしの意味もあった。
シロもまたチャイナドレスからスタンドカラーの白いブラウスにグレーのタイトスカートという服装に着替えている。
が、それは些末な問題である。皆で相談している最中、シロはずっと隣にポチを座らせ、その身体をぎゅっと抱きしめていた。
ポチが居心地悪そうな様子を見せても、シロはまったく斟酌しない。どころか、時折ポチの髪や頬に口付けしたりする。
「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」
そんなことを言って、シロは楽しそうに笑う。今までの反動のようなベタベタっぷりだ。
317
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:50:29
人間の修めた法だとて、そう簡単に知っている人間がいるはずがない。
しかし。
ポチには心当たりがあるだろう。
その声を、その佇まいを、その眼差しを、ポチは確かに記憶している。
遠い過去に死んだ愛する男を現世へと蘇らせるため、外法に身を落としてまで反魂の法を学んだ女のことを。
その女の名は――
陰陽寮巫女頭、芦屋易子。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」
陰陽寮、安倍晴朧の本宅。その一角にある社殿で、祭壇を背に端坐した巫女装束姿の易子が返す。
東京ブリーチャーズが陰陽寮を訪れると、易子はすぐに事態を察したようだった。
「確かにわたくしはかつて反魂の法を学び、それを実践いたしました。わたくしの場合は、果たせず終わりましたが――」
「しかし、皆さまの仰る三尾はまだ完全には死していない様子。であるなら、わたくしの場合より遥かに難易度は下がる」
「ひょっとしたら、皆さまの望むとおりに三尾を復活させることができるかもしれませぬ。……理論上は」
「ただ――おやめになった方がよろしいかと」
そこまで言うと、易子は僅かに表情を曇らせた。
「いいえ、誤解なきよう――手伝いたくない、と申しているわけではございませぬ」
「以前の償いもございます、わたくしの力で宜しければ、幾らでもご希望に沿いましょう。けれど……」
「反魂の法は危険すぎる。『理論上可能』と申し上げたのは、その危険度ゆえのこと。どうぞお考え直しを」
芦屋易子は安倍晴陽を蘇らせたい一心で古今東西の秘術を渉猟した、反魂術のエキスパートである。
少なくとも当世の日本国内において、易子以上の反魂術の使い手はいないだろう。
その易子が、東京ブリーチャーズの置かれた状況を鑑みた上でやめろ、と言っている。
「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」
橘音の魂と触れ合い、現世に帰還するためには、祈たちも魂魄のみの存在にならなければならない。
肉体のある通常時と違い、魂だけの状態は非常に不安定である。肉体という強固な外殻を失った状態の魂は甚だ脆い。
そこでもし強い精神的ショックなどを受けようものなら、たちまち崩壊してしまうかも――易子はその危険を指摘している。
肉体を置き去りにして宝珠の中に入り、橘音を連れ戻す。
それは今までの祈たちの、妖怪としての肉体の頑健さに少なからず依存してきた戦いとはまったく別のミッションとなるだろう。
「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」
端正な面貌で、易子はまっすぐに祈を見た。
「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」
決然とした口調だった。それが易子の第一の理由なのだろう。
祈は自分が心から愛した男の忘れ形見。祈にもしものことがあれば、晴陽がこの世に残したものが何もなくなってしまう。
かつて天魔オセ達が晴朧に呪詛を施していたときも、易子は祈に対して恨み言のひとつも言うことはなかった。
正真、易子の中には晴陽への真摯な愛情しかないのであろう。
だからこそ、東京ブリーチャーズの要請を拒絶した。
易子の協力がなければ、橘音救出作戦は頓挫してしまう。文字通りの八方塞がりだ。
だが――
「手伝うてやれ、巫女頭」
不意に、社殿の廊下から野太い声が聞こえた。
318
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 00:56:54
廊下の角を折れて大柄な姿を現したのは、精悍な顔をした白髭の老人――祈の父方の祖父、陰陽頭安倍晴朧。
その足取りはしっかりしている。天魔オセたちとの戦いからしばしの時間を経て、完全に回復したらしい。
易子が恭しく頭を下げて上座を譲ると、袴姿の晴朧が代わりに座ってブリーチャーズの面々と対峙する。
「暫くよな、祈。元気そうで何よりだ……此度の来訪が、儂の顔を見に来たということでないのはちと残念だが」
はは、と晴朧は顔の下半分を覆う髭を揺らして笑う。温かな声だった。
「陰陽頭さま――」
「そなたの言いたいことは分かる。だが、此度は状況が違う。帝都鎮護にはいかなる不備遺漏もあってはならぬ」
「三尾がおらねば、帝都の守りは画竜点睛を欠く。この者たちがそう申すのであれば、帝都の防人たる我らも手を尽くさねば」
「……は……」
「この祈は晴陽の子ぞ。晴陽は昔から、一旦こうと決めたことは周りに幾ら反対されようと成し遂げる性格であった」
「むしろ、反対されればされるほど我を通す困った奴であったわ。それは許嫁であったそなたも知っておろう?」
「それは……」
「この子には晴陽の血が流れておる。ならば、突拍子ないことを企まれる前にこちらから手を貸した方が安全とは思わぬか?」
晴朧は穏やかに笑った。
そんな陰陽頭の言葉に、易子もまた表情を柔和なものにする。
「……そうでございました。本当に困った御方……であるなら、祈さまをお止めするのは逆効果でございましたね」
かつての想い人を偲びながら、易子は微笑んだ。晴朧も満足げに頷く。
「うむ。それにな、儂は信じておる……祈なら、この者たちならば、必ずや大業を成し遂げてくれるであろう」
「我らを天魔から救い、姦姦蛇螺を倒し。つい先頃も酒呑童子の復活を食い止めた、東京ブリーチャーズならばな」
「……はい」
「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」
「承りましてございます」
易子は深々と頭を下げた。
晴朧は荘重に頷くと、東京ブリーチャーズの面々を見回した。
「皆、あのときより更に頼もしい顔になっておる。幾多の艱難辛苦を乗り越え、すっかり古強者といった佇まいよな」
「これまでのあらましは聞かせてもらった。……皆、よう東京を守ってくれた。陰陽寮陰陽頭として礼を言う」
「……しかし、決して気を抜いてはならぬ。そなたらの戦っておる天魔とは、生半可な者たちではない」
「奴らは古く紀元前の昔より、負の『そうあれかし』を使って世の理を捻じ曲げてきた。無辜の民を破滅させてきた者たちだ」
「負の『そうあれかし』がどれだけ危険なものかは、各々身をもって知ったであろう」
「しかしだ……負の『そうあれかし』とは、何も特別なものではない。喜びや優しさと同じく、人の自然な心から生まれるもの」
祈をまっすぐに見詰め、晴朧はさらに言葉を紡ぐ。
「祈よ。そなたが龍脈の神子であるならば、心せよ。その力はひとりの人間が扱うには強力すぎるもの――」
「決して便利な道具などではない。そなたの心の在りようひとつで、すべてを滅ぼす劇毒ともなる……それを忘れるな」
そして、それこそが天魔の狙い。祈に釘を刺すと、晴朧はゆっくり立ち上がった。
「天魔は極めて強い肉体と魔力を持ち、その数も多い。また、智慧も回る。まこと脅威と言わざるを得ん」
「だがな。天魔は愛を知らぬ。大切な者を慈しみ、守り、支え合うことを知らぬ。――そして、そこに致命的な欠陥がある」
「そなたたちならば、必ずや天魔の首魁との戦いに打ち勝つことができよう。……信じておるぞ」
「反魂の儀の最中、防備については任せよ。陰陽寮でも選りすぐりの術者に結界を編ませよう、易々と邪魔は入らせぬ」
頼もしい声音で、晴朧が請け負う。
橘音復活のための反魂の行。それはここ陰陽寮で執り行うことになった。
芦屋易子が首座を務め、儀式を主導する。儀式の最中は陰陽寮でもトップクラスの術者たちが結界を構築する。
その中で東京ブリーチャーズが肉体から霊魂を剥離させ、魂だけになって橘音の魂を封じた宝珠の中に入る。
「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」
「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
天邪鬼とシロが口々に言う。
橘音救出作戦の決行は明晩である。
319
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 01:02:01
「寝付かれんのか、クソ坊主」
真夜中。尾弐が布団しかない陰陽寮の客間から暇を持て余すなり寝付けないなりして出ると、不意に背後から声をかけられた。
声の主は決まっている。現代風の衣服を身に纏った黒髪の美少年、天邪鬼。
かつて尾弐と師弟の関係であり、かけがえのない友人関係であった者。
千年にわたる因縁と妄執の相手――外道丸。
しかし、その呪縛は既になく、ふたりは宿命から解き放たれた。
そんなかつてのパートナーを見遣りながら、天邪鬼が口を開く。
「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」
クク、とからかうように笑う。
天邪鬼は廊下を通り、尾弐の目の前で素足のままよく丹精された庭へと降りた。
「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」
例え橘音が欠けようとも、まだ尾弐には祈が、ノエルが、ポチがいる。颯にシロ、富嶽や笑たちも仲間と言えるだろう。
いつ全滅してもおかしくない、そんな熾烈な戦いの中、彼らがまだ存命なだけでも望外な幸運であることは間違いない。
最善ではない。だが次善ではある。それで手を打つことはできないか、と言っている。
しかし、天邪鬼はそれをすぐに自ら否定した。
「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」
僅かに目を細めると、天邪鬼は笑った。
千年前、そんな彼の性格ゆえに果てのない業を背負わせてしまった当人であるがゆえ。
「クソ坊主、改めて言うが貴様は人間に戻った。今の貴様には悪鬼の膂力も頑健さもない。危険に晒されればたちまち死ぬだろう」
「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」
切れ長の怜悧な眼差しで、天邪鬼が尾弐を見詰める。
「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」
冷徹な一言だった。だが、尾弐を侮っているとか、愚弄しているといった響きはない。
天邪鬼はあくまで客観的に事実だけを告げている。その頭脳が、人間になった尾弐ではこの作戦は遂行できないと判断している。
一方的に不可能と言い放つと、天邪鬼は束の間黙った。ふたりの間に沈黙が帳を下ろす。
どれほど無言でいただろうか、ややあって天邪鬼は何かを決意したように小さく息を吸い込むと、
「……力が欲しいか?」
そう、小さいがはっきりとした声で言った。
「酒呑童子の力はあの天魔めが持ち去った。もはや取り戻すことは叶うまい」
「だが、貴様がふたたび鬼神の力を手に入れる方法がひとつだけある」
人間に戻った尾弐が、もう一度悪鬼として強大な力を得る方法が存在する。
しかし、そう口に出しはしたものの、天邪鬼の表情には翳りが見える。
ほんの僅かに逡巡するそぶりを見せると、天邪鬼は一度咳払いをした。
「それはな。貴様自身の怒りによって鬼神へと変貌するということだ」
あまりに激しく根深い怒りや恨みによって、人は鬼と化す。
流刑にされた恨みの念で大怨霊と化した菅原道真や崇徳天皇。安珍への愛が反転した憎しみによって蛇体になった清姫。
伝説に有名な彼らは、自分自身の情念を持て余して鬼となった。
尾弐もその伝承に倣い、自らの激情によって鬼神の力を再度得られる、ということらしい。
320
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2019/04/26(金) 01:15:09
「三尾を殺した天魔への憎悪。殺害を阻止できなかった貴様自身への憤怒。愛する者を失った哀惜――」
「どれでもよいし、そのすべてでも構わん。それらを燃やし、奮え立たせ、人外の化生へと転生する」
「そうすれば、貴様はかつての力を取り戻せよう。それでなくとも、貴様はかつてその身に鬼を宿していたのだ」
「何もない人間が一から鬼になるよりも、遥かに容易いことだと……私は思う」
「そうすれば……貴様でも三尾を救出できる。宝珠の中より奴を連れ帰ることもできる……はずだ」
尾弐の肉体はほんの少し前まで、酒呑童子の力の殻を務めていた。
人間に戻っても、その過去はなくならない。尾弐の肉体は常人の肉体よりもずっと『そうあれかし』に反応しやすい。
もし、尾弐が心から願うのなら。自らの憤怒を、憎悪を、悲哀を体内で増幅し、その許容量が人知を超えたなら。
きっと人間から悪鬼に立ち戻れるはずだ、と天邪鬼は指摘した。
仮に尾弐自身の力ではその限界を突破できなかったとしても、龍脈の神子たる祈が願えば、あるいは――。
だが。
「しかしクソ坊主、よく考えろ。自らの情念によって鬼と化す、それがどういう意味を持つのかを」
天邪鬼は右手の人差し指で尾弐をさした。
「貴様が人間に戻れたのは、貴様を鬼たらしめていたものが貴様自身のものではない、借り物であったからだ」
「通常、人間が一度鬼に変生してしまえば元には戻れん。貴様の場合は、例外中の例外であったのだ」
「しかし、再び鬼になれば次はない。貴様は永劫鬼のままだ、二度と人間には戻れん」
そう。
尾弐が悪鬼の力を揮えていたのは、酒呑童子という『他人』の力を借りていたがゆえ。
尾弐が自らの意思で、憤怒で、憎悪で鬼と化せば、もはやそれは不可逆な変容となるであろう。
「貴様が人間に戻れたのは奇跡だ。本来ならば起こり得ない、望外の幸運というものなのだ」
「今ならまだ、人としての生を取り戻すことができる。人として生き、人として死ねる。貴様本来の輪廻に立ち返れる」
「だが、ふたたび鬼と化すのなら――」
二択だ。千年の時を経て取り戻した、自分本来の命。それを大切にして、人間としての幸せを見つけるか。
それとも、せっかく掴んだ人としての生を擲ち、もう一度鬼としての道を歩むか――。
「私は強制せん。どちらを選ぶのも、貴様の自由だ……といって、もう肚は決まっているのだろうが」
「それでも、だ。一瞬でも考えてみろ。後々になって後悔せんようにな」
そう言うと、天邪鬼は庭から廊下に戻ってきた。尾弐まで歩み寄ると、その巨躯を見上げる。
にい、と天邪鬼は笑った。からかうような、生意気そうな。けれども悪意のない、親昵な笑みだった。
「貴様もよくよく背負い込むのが好きな男だな。陶器の腰の分際で」
「こんなクソ坊主に惚れるなど、三尾も相当な変わり者よ。……ま、蓼食う虫も何とやら、か。ははッ」
尾弐の腹筋を軽く拳で叩くと、天邪鬼はくるりと踵を返した。そして、廊下を自分の客室へ向けて歩き出す。
「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」
彼を誰よりもよく知るがゆえの、それは嘘偽りのない好意が含まれた言葉である。
ひら、と右手を振ると、天邪鬼は去っていった。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
そして、時間は流れ。すぐに儀式の夜が訪れる。
かつて晴朧の快癒を願って陰陽師たちが一堂に会していた大祈祷堂で、反魂の術式が行われる。
「こちらに横になってください」
易子が祭壇の前に敷かれた布団を示す。全員が仰臥するのを確認して、儀式を開始するということなのだろう。
天邪鬼とシロが結界の外で祈たちを見守る。
そして。
「高天原に神留座す 神魯伎神魯美の詔以て――」
東京ブリーチャーズの準備が整うと、玉串を持った易子がゆっくりと祝詞を諳んじ始めた。
321
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:19:20
呼吸が上手く出来ない。
意識は虫に喰われている様に明滅し、全身の体温が下降する。
だというのに、心臓は痛い程に激しく動き続ける。
(――――)
尾弐黒雄は知っている。己が体を支配するこの感情の名前を知っている。
悲しみよりも濁り、怒りよりも昏く、憎しみよりも冷たい。
1000年前に外道丸という少年を助けられなかった時にも抱いた、その感情の名は
『 』
血液交じりの涙を流しながら、尾弐は妖狐の死に慟哭する。
取り返しが付かない現実に、動かぬ体を震わせる。
何と愚かな事だろう。
いつだって、尾弐黒雄の願いは叶わないというのに。
大切に思うもの程、その手をすり抜けていくというのに。
それを忘れて希望など抱くからこの様な目に合うのだ。
彼の人生に奇跡など無い。希望などない。幸福など在り得ない。
だからこそ、そう知っているからこそ、1000年を費やし死を望んだというのに。
……それを忘れて、未来に光を望むからこの様な目に合うのだ。
那須野橘音の死を受けた尾弐は、きっともう立ち上がれない。
一度の絶望は堪える事が出来た。だが、弐度の絶望を耐え切る程に、尾弐は強くなかった。
その心は、腐った気が倒れる様に軋みを見せ―――――
>「つってもこれはただのマグレで、たまたま当たったラッキーパンチみたいなもんだけど。
>『あたしが龍脈に尾弐のおっさんと橘音の幸せを願ったから、橘音は必ず復活する』って言ったら、あいつどんだけ悔しがるかな」
けれど、取り返しのつかない所へ堕ちる寸前であった尾弐の精神を、一つの言葉が拾い上げた。
少女の……尾弐と那須野がその成長を見守ってきた少女の、いつも通りの声。
何でもないように語られたその言葉が――――確かに、尾弐黒雄の心に届いた。
>「だから信じろよ。橘音は完全には死んでない。いつか必ず復活するって。
>運命でも世界の理でもぶっ壊せる龍脈の力が、赤マント一人に覆せるもんか。
>だから、悲しい顔すんなよ。とくに尾弐のおっさんはさ」
1000年前は、尾弐は独りだった。
独りきりで与えられた絶望に堪え、諦観と憎悪によって命を繋いだ。だが
>「――ねえ天邪鬼さん、死んだ妖怪はどこへ行くの?」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
今、この時。この場所には、彼等が居た。
絶望の闇に染まり、差し伸べられた手をも払い、あまつさえその手に拳を向けた愚かな尾弐に対して、それでも変わらぬ笑顔を向けてくれる仲間達。
『東京ブリーチャーズ』
東京に巣食う闇を、漂白する者達。
ああ、そうだ。尾弐黒雄に奇跡は起こせない。だが――――彼等なら、彼等と一緒であれば。
>「……おい、クソ坊主。聞こえるか?乗り掛かった舟というヤツよ、もうしばらく付き合ってやろう。喜べ」
「……そいつぁ、僥倖だ。坊主がいりゃあ、泥船でも海を渡れるだろう……よ」
理由など無い。根拠などない。
けれど、絶望の中にある尾弐は、天邪鬼に掛けられた言葉に、無理に軽口を返しながら、意識を失ったのであった。
322
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:19:38
―――――――――
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
スカイツリーでの一件から一週間の時が経ち、現在SnowWhiteの一室は騒がしさに包まれていた。
騒乱の発生源は、祈の母である颯にシェイカーの如く揺さぶられ、柄にもなく慌てた声を出す天邪鬼。
尾弐は、そんな天邪鬼に対し投げやりな、けれど、どこかからかう様な言葉を返す。
……一週間。長いようで、短い時間だった。
事件の直後に病院に搬送された尾弐であるが、人間と化したその身体はボロボロで、生きていた事に河童の医者が驚く程の状態であった。
秘薬と霊的治療を併用してなんとか回復はしたものの、今も喪服の下は包帯で覆われており、さながら木乃伊男の様相を呈している。
本来であれば、未だ入院しているべき状態であるのだが、それでも無理を言って退院してきたのは、今日の会議が尾弐にとってそれほどまでに重要なものであったからだ。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
三尾――――那須野橘音の救済。
赤マントにより滅された彼の狐面探偵を取り戻す事は、今の尾弐にとって悲願である。
アタッシュケース……万一に備え、尾弐の知り得る限りの霊的な結界を幾重にも張り巡らせたその鞄の中に入れられている宝珠。
那須野が滅された直後に天邪鬼が作り出したそれは、那須野を取り戻す為の唯一の手がかりであり、この会議ではそれを用いた救済手段を語らう――――筈だったのだが。
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
どうにも、しまらない。
それもその筈……尾弐黒雄も含め、この場に居る者達は妖怪、半妖、元妖怪。反魂の法を修めた者など誰一人として居ないのである。
手段を知る者がいなければ、答えに辿り着ける訳も無し。
ともすれば、単なる井戸端会議で終わってしまいかねない状態であったのだが――――その状況を、シロの一言が打ち破った。
>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
尾弐の脳裏に、一人の女の名前が浮かぶ。
それは、先日東京ブリーチャーズが関わったばかりの……多甫祈に深く関わっていた事件の重要人物。
(女の古傷を突く様な真似はしたくはねぇんだが……菓子折りで許してくれるかねぇ)
芦屋易子。陰陽寮に所属する巫女にして、祈の父の反魂を試みた者。
シロと仲睦まじく戯れるポチの姿を眺め見つつ、尾弐は頬を引き攣らせるのであった。
――――――――――
323
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:20:11
そして日は更に過ぎ。
芦屋易子と、安倍晴朧との再会を経て、那須野を救うための手立てと……その危険性が判明した日の夜。
「……」
陰陽寮の客間で、尾弐は窓の外に輝く三日月を眺め見ていた。
その手に何時もの様な酒は無く、その代わりとばかりに拳大の結晶の様な物が握られている。
透明に輝くそれは――――ノエルにより氷漬けにされ、妖気が抜け果て結晶と化した酒呑童子の心臓の成れの果て。
凍てついているというのに僅かな冷気も放たない心臓を、尾弐は視線も水に手で弄ぶ。
その表情に笑みは無く……あるのは、眉間に皺を寄せた、思いつめたような表情のみ。
そんな風流の欠片も無い月見の最中……ふと、何かが月光を遮り影を作った。
尾弐がその何かに視線を向けて見れば
>「寝付かれんのか、クソ坊主」
「人間に戻った瞬間、河童の医者に禁酒させられててな。寝酒も飲めやしねぇ……つか、お前さん早く寝ないと背が伸びねぇぞ」
そこに居たのは、天邪鬼――――否。尾弐がかつて共に時を過ごした子供、外道丸であった。
外道丸はいつかと変わらない、美麗な顔で、何時かと変わらない不遜な物言いをしつつ尾弐の傍に立つ。
尾弐は、そんな物言いに気分を害した様子もなく、いつかと同じように気だるげに言葉を返し……そこで、神格を得た外道丸の身長が伸びる筈も無い事を思い出し苦笑する。
>「思えば、現世にてふたりきりで話すのは初めてか。貴様の周りには、いつも誰かしら仲間がいるからな。賑々しいことだ」
>「まったく、いい仲間を持った。連中に足を向けては寝られんな」
「……ああ。俺なんぞにゃ勿体ねぇ、気の良い奴らだよ。どれだけ感謝してもしきれねぇ」
そんな尾弐の様子が面白かったのか、或いは素直に感謝を述べている尾弐が物珍しかったのか。
外道丸はからかうように笑うと、裸足のまま、まるで舞う様に月下の庭へと下りて見せる。
――――本来であれば、今此処で1000年前の罪を謝罪し、或いは救えなかった事を懺悔でもするべきなのだろう。
だが、尾弐はそれをしなかった。それは自己満足で、外道丸に余計な重荷を背負わせるだけだと思っているからだ。
だから、1000年の思いは全て胸の奥に仕舞い、此処に在る1000年を経ても変わらぬ友との語らいを噛みしめる。
二人の間には暫くの沈黙が流れ……やがて、尾弐に背を向けたまま外道丸が口を開く
>「そう。今の貴様には、たくさんの仲間がいる。誰も彼も、貴様のためなら命を投げ出す。とんでもない莫迦者どもだ」
>「貴様は恵まれているよ。自分でも分かっているだろう?……これ以上を望むことが贅沢だということもな」
それはきっと、尾弐の幸福を願い投げかれられた言葉。
今の尾弐はかつてのように絶望の底にはなく、尾弐の傍には仲間がおり……那須野橘音を失っても、それでも生きていけると。
人として当たり前に生き、当たり前に死ぬ事が出来る筈だと言う、尾弐の為だけを想って掛けられた言葉であろう。
外道丸は神童と呼ぶべき天才だ。彼の言葉に従えば、尾弐黒雄は人として幸福な死を迎えられるのは間違えない。けれど
「……心配ばかり掛けちまって、すまねぇな」
尾弐は、自身の首裏を右手で抑えつつ、申し訳なさそうにそう返事を返す。
首肯する事を願いつつ、けれどその返事を予期していたのだろう外道丸は、尾弐の返事を受け僅かに目を細めつつ笑みを浮かべる。
>「愚問であったな。――まったく、度し難い。衆生を済渡すべき僧籍とは思えぬ強欲さよ」
>「……だが。それが千年を経ても治し難い貴様のサガなのであろうな……」
……こと此処に到って、尾弐黒雄に那須野橘音を諦めるという選択肢は存在していない。
蜘蛛の糸を辿るカンダタの如く、破滅と隣り合わせの道であると知りつつも、その先に彼の探偵を取り戻す可能性が在るのであれば。
尾弐はあらゆる手段を容認し、決して諦めるという事をしないだろう。
そして、だからこそ。そんな尾弐に対し外道丸は投げかける。
324
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2019/05/01(水) 00:23:01
>「魂だけの身で死ねば、当然魂は喪失する。昇天も降冥も叶わぬ、文字通りの消滅だ」
>「今のままでは、高い確率でそうなる。――なぜなら三尾の剥き出しの魂に触れるということは、奴の秘密を暴くということ」
>「奴が心の奥底に秘めていた『最も人に見られたくないもの』を覗き込むということなのだから――」
>「当然、奴は抵抗するだろう。抵抗されれば貴様らは傷つく。ダメージを負う」
>「小娘は何とか耐えられような。雪妖も、脛擦りもだ。しかし、クソ坊主――貴様は駄目だ。貴様は死ぬ」
今のままの只人に過ぎぬ尾弐の身では、どれだけの策を弄しても、どれだけの術を用いても、那須野橘音を救い出す事は出来ないと。
厳然たる事実を、ただそのその眼前に付きつける。そして、問いかけるのだ
>「……力が欲しいか?」
尾弐が……得られるであろう人としての生を、その果ての平穏な死を。
これから得られるであろう真っ当な幸福を全て捨て、それででも尚、那須野橘音を救うための力が欲しいかを。
その言葉を聞いた尾弐は、思う
(嗚呼、本当に俺は――――恵まれてる)
こんなにも自身を気遣ってくれる者達が傍に居てくれる。
こんなにも、自身の幸福を願ってくれる者が居る。
だからこそ。そんな者達の気持ちを知って尚、惚れた女の為に手前勝手をやる自分は――――きっと、地獄に堕ちるに相応しい。
>「明日は正念場だ。覚悟を決めておけ――いずれを選ぶとも、私は責めん。それが貴様自身の出した結論であるのなら、な」
「外道丸、ありがとな……今日はちと寒い。お前さんは寝相が悪ぃから、風邪ひかねぇ様にしっかり布団被って寝ろよ」
去りゆく外道丸を月光が照らし、尾弐黒雄は建物が生む影に覆われている。
それは別たれた二つの世界を現すようで……それでも、尾弐は月光に去りゆくその背中に言葉をかけた。万感の思いを乗せ、遠い何時かのように。
そして、その背を見送った尾弐黒雄は、氷漬けになった酒呑童子の心臓を宙へと放ると……その拳で割り砕いた。
その夜、一匹の悪鬼が世界に生まれた。
自身を、天魔を、世界を、運命を
万象を恨み憎む昏き心により、そうあれかしの名の下に只人が成り果てた鬼
褐色の肌に禍々しい五本角。
されど、背には月光を映したかの如く美しい三日月の紋様が刻まれている、その悪鬼の名は――――
――――――
かくして尾弐は再度、一歩を踏み出す。
己が最愛を取り戻すべく、反魂の儀に臨むのであった
325
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:13:49
>「種族による。貴様ら雪妖のような精霊系は天然自然の気に還るし、小娘は人間と変わらん」
>「三尾は動物系だから、普通に昇天か降冥であろうな。――したが――今の三尾はまだどちらにも行っておらぬはず」
>「三尾が死ぬ寸前、私は奴の魂魄をその場に縫い留めた。小娘が龍脈の力を使ったというなら、魂魄はそこにあるはずだ」
「本当!?」
天邪鬼の答えに、思わず身を乗り出すノエル。
失敗したと思われた蘇生の術だったが、全くの失敗ではなかったようだ。
>「ならば。そこから奴を救い出すことは可能であろうよ。貴様らの努力次第だが、な――」
「よっしゃあ! みんな、橘音くん生き返るんだって!」
この時点では“努力次第”の程度がどの程度かも知らずに呑気にガッツポーズをするのであった。
妖怪の肉体なんて元々ふわっとしたもんだし魂があるならいけるんじゃね?的なノリである。
>「さて。そうと決まれば、もうこの場所に用はない。撤収するぞ」
>「スカイツリーを人間たちの手に還してやる時間だ。――重ねて言うがご苦労だった、東京ブリーチャーズ」
>「……まずは、帰ろうよ。祈ちゃんも尾弐っちも、早く病院に連れてってあげないと」
>「だけど……ごめん、みんなは先に行ってて。僕は……シロちゃんと少し、お話しないと」
「分かった。だけどほどほどにね。二人とも傷だらけなんだから。
あと……シロちゃんは元気になったらモフモフの刑ね! 天邪鬼さんはクロちゃんをお願い」
意識を失ってしまった尾弐を天邪鬼に頼み、自分は重傷の祈を連れていくこととする。
体の大きさで言うとどう考えても逆なのだが天邪鬼の方が膂力が格段に上なのだから仕方がない。
(ノエル自身もこう見えて戦闘不能状態なのだが生命力と妖力の区分が曖昧で
ダメージが絵的に分かりやすい外傷として残らないので歩いたりする分には割と普通に動けるのだった)
そして、思い出したように、存在を忘れられて隅の方で突っ立っていたあずきの方を振り向き――
「あ、あずきちゃんはお疲れ様。もう帰っていいよ。お代は今度払うね!」
「扱い雑過ぎィ! てかいきなり召喚されたのに帰りは自力!?」
――小豆目当てで召喚された補欠メンバーの扱いなんてこんなもんであった。
326
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:16:15
その後全員入院となったが、ノエルは人間になった尾弐や半妖の祈よりは当然治りが早く、早々に退院となった。
皆が退院してくるまでの間、獄門鬼戦の経験を踏まえ、現代における最新の”かくあれかし”を勉強しようと思い至ったノエルは図書館に向かう。
まずは真面目な熱力学の本に手を出したものの意味が分からな過ぎて3ページも読めずに寝るという偉業?を成し遂げ、
次にエセ科学のようなトンデモ本を経て、結局行き着いた先は氷雪使いが出て来る漫画やラノベであった。
傍からみると遊んでいるようにしか見えないが、本人からすると実際の科学だろうが
トンデモ疑似科学だろうが、フィクションだろうが全部”かくあれかし”なのであまり区別はついていない。
その中で改めて気付いたことがある。”――現代の雪女って意外と強くね?”ということだ。
古典においてはネームド雪女も無く、ヨボヨボの爺さん一人を殺すか殺さないか程度というショボい能力設定、
”口外したら殺す”の禁を破った夫も結局殺さないという甘ちゃん仕様のため、古典妖怪の中ではヘタレというイメージが浸透しきっている。
しかし閉鎖社会が長くここ数百年戦いどころか妖怪の政治の表舞台にも出ていないし、
当然戦いのための部隊のようなものも結成されていないため、今でも雑魚のままかは分からないというのが本当のところだ。
そして何を思い立ったのか、ノエルは乃恵瑠の姿を取って雪の女王の御殿を訪れるのであった。
「あら、お帰りなさい、乃恵瑠……」
「母上――これを見て欲しい」
乃恵瑠は女王の眼前に大量の禁書を積み上げ始めた。
「……って何禁書を持ち込んでるんですか! 確かに人間界の本は解禁しましたけど漫画とラノベは禁止って言ったでしょう!
持って来たからには私自ら隅々まで検閲します!」
雪妖怪のしきたりはここ最近でかなり緩和されてはきたものの、未だにお固い学校の謎の校則のようなものが残っているのであった。
禁書を手を取り、熟読もとい検閲し始める雪の女王。
「現在帝都は西洋妖怪の侵略の脅威に晒されている……
だというのに姦姦蛇螺との戦いで五大妖の部隊は壊滅してしまった……」
「ええ、知ってます。されど私達にはどうしようもありません。
“かくあれかし”という法則に縛られる以上私達にはショボい能力設定しか……意外とショボくない!?
いつの間に人間達の間でこんな能力設定のイメージが浸透したのですか!?」
雪の女王は、乃恵瑠が持って来た禁書は雪女が登場する妖怪バトルものという共通点がある事に気付いた。
現代の妖怪バトルものでは雪女は妖術枠としてかなりの確率で登場し、そこそこ強いのだった。
327
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:17:02
「人間界の移り変わりは早いのだ。
未だ雪女達自身が古典のイメージを引きずっているから弱いままだがその禁書のイメージを広めればかなり強くなるだろう。
それと母上が持たせてくれた”最新現代日本語辞典”に載っていたおたんこナスはもう死語だ」
「なんですって……!? ほんの数十年前に編集したからまだいけると思ったのに!」
「そこでもしも西洋妖怪軍団が攻めてきて妖怪大戦争状態になった時に備えて有志を集めて帝都防衛隊を結成しておいてほしい」
「今までそんな事をやった事がなかったですし急には……
何せ閉鎖社会をいい事に平和ボケして皆毎日スキーやスノボで遊んでばかり……」
「簡単なことだ、人間界から密輸入した最新の色々なもので釣って募集すればいけるであろう」
「その手がありましたね……分かりました。出来る限りやってみましょう」
――本当にこんなんで雪女による帝都防衛部隊は出来るのだろうか。甚だ疑問である。
用は済んだとばかりにそそくさと帰ろうとする乃恵瑠を女王は呼び止める。
「乃恵瑠、待ちなさい。ついに災厄の魔物を手懐けたのですね――
いえ、性質が根本から変わった、というべきでしょうか」
「やはり気付かれたか――」
「狐面探偵を助けにいくつもりなのでしょう?」
「情報が早いな……」
情報の発信源は従者あたりだろうか。女王が次に何を言うか予測が付き、身構える乃恵瑠。
おそらく女王にとって自分は、人間と共存していくために膨大な犠牲を払い数百年の時をかけて、災厄の魔物を封じるために作った器。
自分にもしもの事があったらまた新たな災厄の魔物を宿した雪ん娘が生まれ、折角完遂した数百年の計画が水の泡になってしまう。
しかし、女王の言葉は予想外のものだった。
「くれぐれも気を付けていくのですよ? あなたは次代の女王なのですから」
「――止めないのか!?」
「止めたってどうせ行くのでしょう? ――親友を”今度こそ”助けてあげなさい」
“今度こそ”という言葉から、女王は何かを知っている――そう直観する乃恵瑠だったが、敢えて問い詰めることはしなかった。
「ありがとう――橘音くんを助けて必ず無事に帰ってくるから」
328
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:17:58
そして東京スカイツリーでの戦いから1週間が経過したころ――ようやく尾弐が(無理矢理)退院し、全員が橘音復活のための作戦会議が行われることと相成った。
そこにはシロに寄り添われたポチもいる。
1週間前になんとなく感じたポチはもう力を貸してくれないのではないか、という予感は気のせいだったようだ。
>「天邪鬼君って言ったわね!?教えなさい、橘音を復活させる方法を!今すぐ!さあ!」
>「な、なんだこの女は!?うおお、離せ!」
>「離しません!橘音を蘇らせる方法を洗いざらい、1から10まで言うまでは!さあ!さあさあさあ!」
>「お、落ち着け莫迦者!」
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
「颯さん、キャラ変わってる……」
暴走する颯に、いつもノエルを片手であしらう尾弐ですら匙を投げている。
ファッション悪童系の祈に対して普段は一見ほんわか系に見える颯だが、本性は下手したら祈より激しいんじゃないだろうか、と思うノエル。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
「そこにいるんならぽわっと適当に復活できればいいのに。まあいいや、どうやって宝珠の中に入るの?」
>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
今は颯は妖怪としての力をほぼ失っているものの、もしそれが健在だったらどうなることやら。
あわや「事件は会議室で起こっている!」の大惨事になるかと思われたその時、シロの一言が膠着状態を動かした。
ちなみに彼女が見せつけるかのようにポチにイチャイチャしているのは敢えてのスルーである。
>「人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
「よし、早速聞きに行こう!」
陰陽寮への出発前――ノエルはおずおずと尾弐に切り出す。
「えーと……返さなきゃいけないものがあるんだけど……」
そして、店の冷凍庫から心臓が取り出されて差し出されるという猟奇的な光景が展開されるのだった。
妖力的に凍っているので冷凍庫に入れていた意味は特にないのだが、なんとなくである。
尾弐にしてもそんなもん返されても困るんじゃないかと思わないでもないが、もしかしたら何かに使う時が来るかもしれないとも思ったのだ。
329
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2019/05/02(木) 11:19:30
そして一行は陰陽寮へ。
芦屋易子は最初は危険すぎるという理由で渋ったものの、陰陽頭の説得で協力してくれることとなった。
その危険性とは、このようなものらしい。
>「皆さまの試そうとしている術は、故人の魂に直に接触しその魂魄を現世に連れ戻す、というもの」
>「当然、接触するためにはそのままの姿ではいけませぬ。連れ戻す方もまた、肉身を脱ぎ捨て魂だけの存在にならねばなりませぬ」
>「運よく故人の魂と接触できたとしても、戻ってこられるとは限りませぬ。逆に故人の魂魄に縛られてしまうやも」
>「そして、魂とはとても揺らぎ易きもの。強い衝撃を受ければ、そのまま霧散してしまう可能性とてあるのです」
どうやら話は思っていたより簡単ではないようだ。未だ包帯だらけの尾弐の方をちらりと見る。
人間になってしまったようだがそんな危険なことをして大丈夫なのだろうか――と思う。
>「私と皓月童子は留守番だ。ま……三尾と関わりの薄い我々が行っても仕方ないしな」
>「よしや天魔共が邪魔をしに来たとしても、蹴散らしてやる。貴様らは三尾救出に集中しろ」
>「……お気をつけて、あなた。お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
天邪鬼が何も言わないあたり、大丈夫なのだろうか。
そこには敢えて触れず、尾弐には別に尾弐と橘音のためではなく自分が行きたくて行くのだということを伝える。
「クロちゃん……ずっと昔、大事な親友を守れなかったことがある。今度こそ助けたいんだ。
べ、別に君に橘音くんと幸せになってほしいとか盛大な結婚式をあげさせてやる覚悟しとけとかそういうわけじゃないんだから!」
人間だから行けなくて、自分達に任せることになっても何も気にする必要は無いと言いたかったのだが、
――意図したものとは逆効果の意味で伝わってしまった気がしなくもない。
この時のノエルは、まさか尾弐が自らの情念によって再び鬼と化すとは思ってもいないのであった。
儀式当日、尾弐の姿を見たノエルは驚きのあまり暫し沈黙した後――
「またまた随分格好いい感じになっちゃって……ヒロインを助けに行くヒーローって感じ!?
橘音くんといい感じになったらお邪魔になっちゃいけないから一歩引いて見とくね!」
人を鬼に変貌させるのは、愛とか勇気とかの光の側の感情ではない。
それでも橘音を助ける力を得るために、自らの恨みや憎しみを増幅させることによって鬼と化す道を選んだのだろう。
冗談めかした言い方だが、やはりここぞという局面で橘音を救えるのは尾弐しかいない、
自分が出る幕は無いだろうと思っているのであった。
>「こちらに横になってください」
「布団に寝るの? なんか昼寝っぽくない!? いや、夜だけど!」
反魂の儀というので、十字架に括りつけられるとか怪しげな魔法陣に拘束されるとかの仰々しい絵面を想像していたらしい。
空気読まないツッコミを繰り出しつつも、言われた通りに横になる。
ついに橘音復活のためのミッションが始まる――
330
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/05/04(土) 02:47:08
酒呑四天王との――そして酒呑童子との戦いから一週間。
ポチは那須野探偵事務所にいた。
祈やノエル、尾弐に楓――それに天邪鬼もそこにいた。
皆が先の戦いの傷を癒やし、集まったのだ。
那須野橘音の復活、その算段を立てる為に。
>「誰がバカですか!そんな言葉遣い、お母さん許しませんよ!?」
>「誰が母親だ!?貴様ら、こいつをなんとかしろーッ!」
>「無茶言いなさんな。泣く子と怒った颯にゃ勝てねぇよ。ま、折角だから坊主らしく甘えとけ」
そうして始まったのが――このドタバタ騒ぎだ。
仲裁には入らない。狼の嗅覚に頼らずとも分かる。
下手に止めようとすれば、巻き添えになると。
>「ゲホッ……三尾の魂魄はクソ坊主の持つ宝珠の中に入っている。貴様らも宝珠の中に入り、三尾を強制的に叩き起こすのだ」
やっとの事で楓から解放されると、天邪鬼は噎せながらそう言った。
「……で、どうやってその宝珠に入るのさ」
>「知らん」
>「こら!知らないことがありますか!そこまで分かってるならもう、最後まで吐いちゃいなさーい!」
>「首を絞めるな!知らんものは知らん!だいたい、反魂の法など超々上級の秘法術だぞ!?地方の高神風情が知るものか!」
再び楓に掴みかかられる天邪鬼を他所に、ポチは腕組みをして目を閉じる。
こういう時、ポチに出来る事は少ない。
そもそも人の知恵や文化に興味を持ち始めたのが最近であり、知識の集積量が圧倒的に乏しいからだ。
しかし――出来る事が少ないという事は、迷う必要がないという事でもある。
「富嶽の爺さんなら何か知ってたりしないかな。後はやっぱりミカエルとか、御前は……最終手段だとして。他には……」
>人間の修めた法ならば、人間が知っているのでしょう。心当たりはないのですか」
>「……ああ、成程な。確かに、俺達は『知ってる』人間に心当たりが有った。そんな事も思いつかねぇたぁ、どうにも頭が煮詰まり過ぎてたらしい」
「ああ、それだ……正直、あんまり気は乗らないけど。ところで……」
話が一段落して――ポチは頭上を見上げる。
隣に座り、己を抱き寄せ、あまつさえ髪や頬に口付けをするシロを。
「……流石にちょっと恥ずかしいからさ、これ。もうちょっと後じゃ駄目?」
そう尋ねてみるもシロは楽しげに笑って、
>「わたしは。何をしてもよいのでしょう?」
と、答えた。
対するポチは――苦笑。
「……そうさ、君は何をしてもいい」
しかしそれだけでは終わらない。
ポチが突然、不在の妖術でシロの腕から脱する。
僅かに距離が開いた事で、シロの美貌が一際よく見えるようになった。
そうして、支えを失いよろめいた彼女の、鼻の先に口付けを返す。
狼の生態において、マズルの先を咥える事は、上位の個体による抑制を意味する。
「だけど……君ばかりが僕を好きにするのは、ちょっとズルいよね」
そう言うと、ポチはソファから飛び降りて、シロに手を差し伸べる。
「行こうか。反魂の法……あの人なら、きっと知ってるはずだ」
331
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/05/04(土) 02:50:54
「やっ、久しぶりだね、易子さん」
陰陽寮、芦屋易子はその一角にある社殿にいた。
東京ブリーチャーズを一目見るなり、彼女は表情を曇らせた。
望まぬ客人の来訪を厭うている訳ではないだろう。
ポチ達が抱えた事情を、一瞥したのみで看破したのだ。
「……もうバレてるみたいだけど……今日はその、相談があって来たんだ。
橘音ちゃんを……生き返らせる為に、力を貸して欲しい」
>「そうですか……。三尾の狐を蘇らせるために、我が反魂の秘術が必要、と」
芦屋易子の反応は芳しくなかった。
理由は単純明快だった。
曰く、危険である――最悪、魂が消滅してしまうかもしれない、と。
>「知識としては、やり方は存じております。……ただ、わたくしも実践したことはございませぬ」
「実践するにはあまりにリスクが高すぎる。特に、祈さま――」
「あなたは陰陽頭さまの、そして……晴陽さまの一粒種。あなたを危険に晒すことは、わたくしには致しかねます」
「……参ったな。その話は……あんまり聞きたくなかったかも」
ポチは静かに、そして冷たく呟いた。
死に至る危険性がある。
そう聞いてしまった以上――ポチはもう、橘音の救出に心底踏み込めない。
もし死ねば、シロを独り置き去りにする事になる。
そこまでして橘音を助けなくてはならないのか。
幸い、芦屋易子はこの作戦に否定的だ――そんな事を、考えてしまう。
ポチは黙して拳を強く握り締める。
自分を罰するように、爪が肉に食い込むほど、強く。
>「よいな、しかと申しつけた。巫女頭、この者たちの力になってやれ」
>「承りましてございます」
結局、芦屋易子の協力は得られる事になった。
だが最悪の場合、死ぬ――そんな事をポチは受け入れられない。
332
:
ザ・フューズ
◆xCCpD0lPkQ
:2019/05/04(土) 02:52:16
ポチの中にある冷徹な獣が、静かに――皆を見捨てる為の算段を立て始めていた。
勿論、それは最後の手段だ。まずは芦屋易子に確認を取らなくてはならない。
反魂の法が行われている間、自分達は己の意思で宝珠の中から出られるのか。
肉体に戻る事は可能なのか――答えが是であれば、事を急ぐ必要はない。
可能であれば橘音を助けたいと思っている事に偽りはない。
だが、もし己の意思では戻れないのであれば、その時は――
>「……お気をつけて、あなた。
ふと、シロの声がポチの思考を断った。
傍らに膝をついた彼女は、続けてこう言う。
>お身体はわたしが必ず守ってみせます、ご安心を」
その言葉を聞いて――ポチは一呼吸ほど間をおいて、笑った。
微笑みというにはあまりに力強い、牙を剥くような笑みだった。
「君がそう言うなら……うん、任せたよ」
それは――ポチの定めた抜け穴だった。
『獣』を継ぐ者として、同胞以外の為に命を懸ける事は出来ない。
だが――狂気に至るほどの、狼の愛は、自然の習性をも上回る。
だからこそポチは言葉にする事が出来た。
『君は何をしてもいい』『君になら、何をされてもいい』と。
「そして……任せておいて。すぐに橘音ちゃんを見つけて帰ってくるよ」
故に――シロが「お気をつけて」と言ったのなら。
ポチはその願いを叶える事が出来る――那須野橘音を救いに行ける。
333
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2019/05/04(土) 02:57:17
そして翌日の夜。
ポチ達は大祈祷堂へと集められた。
>「こちらに横になってください」
「……その前に、シロ。あれを」
ポチがシロに声をかける。
ここへ来る前、彼女に預けていた物を返してもらう為だ。
受け取るのは、刀――星熊童子の愛刀、酔醒籠釣瓶だ。
酔余酒重塔での戦いの後、持ち帰っておいたものだ。
鞘の中の刀身は半ばまでしかない上、
尾弐が一度人間に戻り酒呑童子と同等でなくなった為か、破邪の力も殆ど残っていない。
だが――だとしても、紛う事なき名刀。便利な牙だ。
「アイツの魂、お前の傍にいるんだよな。だったら……見えてるか。暫く借りるぞ」
魂の世界に刀を持ち込めるかは分からない。
だとしても、試してみて損はない。
ポチは必ず、シロの元へ戻らなくてはならない。
今までのようには戦えない。命を懸ける事は決して出来ない。
ならば、出来る備えをしない理由は、ない。
「……すぐに戻るよ」
シロにそう告げると、ポチは用意された布団に体を埋めた。
>「高天原に神留座す 神魯伎神魯美の詔以て――」
目を閉じ、聞こえてくる芦屋易子の声。
それが徐々に、徐々に、遠ざかっていくような感覚。
そしてポチの意識は――
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