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【伝奇】東京ブリーチャーズ・陸【TRPG】
1
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:40:47
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。
――だが、妖怪は死滅していなかった!
『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!
ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)
関連スレ
【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523230244/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523594431/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523630387/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・肆【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1508536097/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・伍【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1515143259/
【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/
番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/
東京ブリーチャーズ@wiki
https://www65.atwiki.jp/tokyobleachers/
252
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:53:32
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
>「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
>「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
次いで、ポチを見る。輝く満月の瞳がノエルとポチに放ったのは、
恐らく橘音と似たような瞳術だろう。相手に言うことを聞かせるような妖術。
それも数倍、下手したら数十倍も強力なものに違いなかった。
でなければ。
ノエルとポチが、祈に向かってくる筈はない。
「!? 御幸とポチは関係ねーだろ!? てめぇ!!」
祈が叫ぶ。
ノエルとポチはどうやら、かけられた術に抗おうとすると耐え難い激痛が走るらしく、
その表情は苦悶に満ちている。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
>「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
>「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
>「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
>「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
>「言っとくけど、抵抗とか無駄無駄無駄ァ!だからねー?わらわちゃんとガチで妖力比べするー?」
玉藻御前は愛らしく嗤う。
助けるためとは言え、何の説明もなしに友達を苦しめて。
みんなで助けた命を勝手に捕まえて。
自分が気に入らないやつは殺そうとして。
しかもそれは自分の手は汚さずに橘音や尾弐にやらせて。
友達を穢いとバカにして。
友達に、友達を殺させようとして。
逆らおうとすれば、暴力でそれを捻じ伏せようとして。
汚いものが嫌いで綺麗なものが好き?
「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
お前が一番、穢いんじゃないか。
祈は、玉藻御前をきつく睨んだ。
「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
祈は、二人が祈の心臓を抉ろうとしたところで、それを止めようとはしない。
二人が祈の為に、激痛に耐えている姿を見たくないと思ったからだ。
かといって、友達に友達を殺させるようなことをしたくもない。
だからただ、玉藻御前の張った結界から抜け出し、玉藻御前を蹴り飛ばそうと、抗っていた。
運命変転の力が祈にあるとしても、
肉体的、精神的に疲弊しているこの状況では、そんな奇跡が起こるかどうかはわからない。
そして奇跡の一つも起こらないのなら、祈と玉藻御前とでは覆し難い圧倒的な力の差があり、
勝ちようもない。
そして、祈の言葉はきっと、玉藻御前に届かない。
だからそこにいるのは、諦めないだけの、無力な少女が一人。
253
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:27:35
>「ダメだよーォ、わらわちゃんの玉体に触れていいのは紂王さまだけなの!身の分限を弁えず、迂闊に触れようとするとォ……」
>「……コ・ロ・ス・ゾ?下郎☆」
みゆきは確かに尻尾に飛びついたはずだが、モフモフは不発に終わった。
「ちょ、近い近い近い!!」
御前に顔を近づけられ、陰に属する雪の魔物であるみゆきですらもおののくほどの圧倒的な陰気が吹き付ける。
「9倍モフモフを独り占めなんて羨ましいぞチュー王! つーか未だにそこが本命なのね!?」
御前はその昔、妲己という名前の稀代の悪女として紂王を篭絡し、古代中国を混乱の渦中に陥れたのは有名な話である。
>「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
>「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
>「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
>「ちょおーっと長くなるからネー。だから、お菓子食べながらお話ししよ?って言ったんだー」
>「イノリンは血の気多いから納得できない?なら、約束したげる。『今は三尾たちに危害は加えない』。これでいーい?」
「童知ってるもん! 侵略してくる輩から東京の平和を守ることだよね!」
橘音達に危害を加えないと言われて安心したのか、ポチの分のお菓子をもしゃもしゃ食べながら答える。
>「わらわちゃんはねーェ、キレイなものが大好きなの!」
>「キレイな着物。キレイな踊り。キレイな歌、キレイな景色――この世にある、ありとあらゆるキレイなものが大好き!」
>「キレイなものを見てるだけで、幸せな気持ちになっちゃう。心があったかくなる……みんなだってそうだよね?ねっ?」
>「だから。わらわちゃんはキレイなものを守ってあげたいの。キレイなものをキレイなままにしておきたいの」
顔をのぞきこまれて、うんうんと頷くみゆき。
>「この世にはキレイなものがいっぱい!今の人間が創るファッションも、音楽も、映像も超イケてる!」
>「わらわちゃんがパソコンにドハマリして、ユーチューバー始めちゃうくらいにね!へいへーい!ぷっちょへんざ!」
「いえーい! ぷっちょへんざ! 気が合うじゃんタマちゃん!」
254
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:28:39
すっかり同調してバンザイするみゆきだが、次第に雲行きが怪しくなってくる。
>「……でもね。キレイなものと同じくらい、キタナイものもあるんだ」
>「キタナイものはキライ。世界にはキレイなものだけあればいい――だ・か・ら、わらわちゃんは作ったの」
>「キタナイものを、キレイに漂白するものを。『東京ブリーチャーズ』を……ね!」
「うーん……やっぱあんま気が合わないかも……」
ノエルにとって妖壊自体が必ずしも絶対的な悪ではない。
それは人間社会の歪みから生まれたものだったり、驕る科学文明に牙を剥いた自然の化身だったり。
ただ人間や人間社会で生きる妖怪にとって都合が悪いから排除するだけの話だ。
>「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
>「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
>「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
>「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
>「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
>「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
「うっせーわババア!! 人の勝手だろボケ! 妖怪! 女狐!」
祈の方針におそらくメンバー内で最も同調しているみゆきは、罵詈雑言でくってかかる。
しかし冷静に考えると、出来るだけ敵を殺さないという方針は、祈の母親の颯の頃からはじまっていたはずだ。
ここにきて御前が目をつけたのは、颯にはなく祈だけにある特別な何かがあるということなのかもしれない。
>「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
>「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
>「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
>「う!?」
御前は祈の足元に結界を構築し、動きを拘束する。
255
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:29:38
「何のつもりだ……!」
>「理(ことわり)っていうのは、天地陰陽の取り決め。つまり普遍的なものなんだー。変わりようがないものなんだよねー」
>「無理なものは無理なの。何やったって、どーしよーもないの。神にも魔にも覆すことはできないの」
>「でも……それをやっちゃった者がいる。もうわかるよね?」
祈と、御前が掲げた姦姦蛇螺だった蛇を交互に見てようやく事の重大さを認識する。
深雪が言っていた運命変転の力は本当だったのだ。
「もしかして、全部祈ちゃんの力だったってこと……?」
>「万理は整然と、粛々と行われるを善しとする。そこにイレギュラー、理解できないことはあっちゃダメなんだよー」
>「わかるよね?イレギュラーにいいことばっかり起きるならいい。でも、いいことばかり起こるとは限らない」
>「わらわちゃんたち大妖でも手に負えないよーな、悪いイレギュラーが起こっちゃう可能性だってあるんだよ」
>「わらわちゃんたち神クラスの大妖にとって、それはすっごく困るんだー。陰陽のバランスが狂っちゃうじゃん?」
言い方は癪に障るが、筋は通っている。
誰の手にも負えない悪い方向のイレギュラーが起こっては、確かに困る。
おそらくこの態度は、こちらを自分のペースに乗せるための策略だろう。
「結局何が言いたい……? 祈ちゃんに戦いから身を引けと?」
それには答えず、御前はまず橘音と尾弐を手荒な方法ではあるが元の姿に戻して助けた上で解放した。
そして姦姦蛇螺も解放するという。
>「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
>「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
「ブ―――――ッ!!」
飲んでいたオレンジジュースを盛大に噴き出す。
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
>「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「いいわけあるかタコ!
交渉っていうのはお互いに条件を提示してからするってお母さん言ってたもん!
自分の願いを言わずに勝手に叶えといて何それ! 凄腕セールスマンの白い悪魔か!」
とはいうものの、事前に橘音&尾弐&姦姦蛇螺or祈の選択を突きつけられたところで
それはそれで大変困った状況になっていただろうが。
256
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:30:47
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
>「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
>「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
「はぁ!? 祈ちゃんの願いと被ってるじゃん! この悪徳商法め! 訴えてやる!」
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
特別な術式も何も使っていない、ただの言霊の強制力だけで御前はみゆきとポチと命令の支配下に置いた。
意に反し、手には氷の刃が作られ、足は一歩一歩祈へと近づいていく。
「う、ぐああああああああああ!!」
抵抗を試みて、あまりの苦痛に地面を転げまわるみゆき。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
>「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
>「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
>「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
>「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
>「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
「お前が一番、穢いんじゃないか――ただしお前の中ではな」
祈の言葉を継いだのは、深雪――災厄の魔物だった。
御前には遠く及ばずとも、世界の理の具現化とも言えるものの端くれ。
そしてその横には何故かノエルがいる。
常軌を逸した苦痛を受けた時に別の人格を作り出しそちらに苦痛を背負わせることで
苦痛から逃れる精神機構である解離、という現象がある。
元々別人格を持っているノエルはそれに近い現象が起こり、ノエルは精神寄りの妖怪であるため、実体も実際に分離しているのであった。
「痛みは我が引き受ける! 貴様はその間に説得を……!」
「深雪、なんで……!?」
深雪は姦姦蛇螺の中で祈を生贄に捧げろと言っていたはず。
深雪があっさり祈を殺してしまわないかと恐れて尋ねるノエル。
257
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:32:49
「あの女狐は気に入らぬ――それに空模様は気まぐれなものだ。
我の気が変わらないうちに早くすることだな!」
確かに御前と同じ陰の気を持つ災厄の魔物である深雪なら、御前の術に少しは長く耐えられるだろう。
祈の命運が自らに委ねられたと感じたノエルは、意を決して口を開いた。
「諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが大好きだ!
白いパンツが好きだ。ピンクパンツが好きだ。いちごパンツが好きだ。くまちゃんパンツが好きだ。
パンツの匂いが好きだ。幼女のパンツ姿が好きだ。美女のパンツ姿も好きだ。パンツの全てが好きだ!」
一見気が狂ったようにしか思えないが、端から相手にされなければ土俵にも上がれない。
突拍子もないことを言ってまずは気を引く作戦である。
ちなみに体育の授業の時には女子更衣室で着替えていた。
だって外見上美少女が男子更衣室で着替えたら騒ぎになるから仕方がない。
「災厄の魔物に支配されぬために男の姿になって人間界の文化に染まった結果がこれだ――
パンツは現代の人間界にしかない文化だからな! お前はこれを美しいと言えるのか!?」
と、ドヤ顔で返答に困る質問を突きつけ、一気に畳み掛ける。
「まずお前は大きな勘違いをしている。
僕は”災厄の魔物”が汚い側のものなんて思ってない。だから恩に着ることなんて何もない。
この姿を取るのは深雪が穢いからじゃない、ただ人間と共存する道を選んだから、それだけだ――」
そう言ってノエルは雪の王女――乃恵瑠の姿へと変わる。
「そもそもそなたは何を基準に綺麗汚いを切り分けておるのだ。
古の大和民族が先住民を踏みにじり侵略した地に築き上げた文明が本当に美しいといえるのか?
理不尽な侵略に散っていった数多の同胞の無念を背負った宿命の復讐はある種美しいとは言えぬか?
そなたは雪に閉ざされた一面の銀世界を見たことがあるか? 凄く、綺麗なんだ。
雑然とした人間の街なんかよりずっと――
妾に言わせれば昔の方が綺麗なものはたくさんあった。
夜空に輝く星、蛍の光、今や人間社会のネオンサインのせいで見えやしない。
災厄の魔物とは――人間社会の文明が生み出した業。驕る科学文明への警鐘。
万人を等しく恐怖に陥れる究極に平等で純粋で残酷で綺麗な存在――
本能のままに暴れて自らの役目を果たしておけば良かった。それなのに……」
そこでまたみゆきの姿へ。
258
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:33:57
「憧れてしまったんだ。人間の世界に。
何故かは分からないんだけどね、それはきっと人間界が綺麗なものばかりじゃないから。
だから童はノエルという仮初の姿を貰って人間界に来た」
みゆきからノエルの姿へ。
「でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ」
そこで御前を真っ直ぐに見つめて告げる。
「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
259
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:08:27
>「んー。んーんーんー。そう言うと思ってたよ、みんな優しいもんねー。わらわちゃん知ってた!」
「でもね。そーゆーんじゃないんだよなー。わらわちゃんの言いたいのはさー」
祈とノエル、そしてポチの言葉を受けて、御前は大仰な仕草で頷いて見せる。
だが御前の言葉をどれほど聞いても、彼女が一体何を考えているのか、ポチには分からないままだった。
その声も、においも、彼女の本心を探る手がかりにはなり得なかった。
>「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
しかし一つだけ確信を持てる事があった。
彼女は橘音の上司であり、妖狐の長。
>「ちょおーっと長くなるからネー。だから、お菓子食べながらお話ししよ?って言ったんだー」
「イノリンは血の気多いから納得できない?なら、約束したげる。『今は三尾たちに危害は加えない』。これでいーい?」
「やー、わらわちゃん話がわかる!やっばいよね!さすが白面金毛九尾!世界一の大妖怪!」
つまり――読みや駆け引きなど無駄だという事だけは、確信が持てた。
そうしてポチは諦めたように、改めてその場に座り込んだ。
>「わらわちゃんはねーェ、キレイなものが大好きなの!」
「キレイな着物。キレイな踊り。キレイな歌、キレイな景色――この世にある、ありとあらゆるキレイなものが大好き!」
「キレイなものを見てるだけで、幸せな気持ちになっちゃう。心があったかくなる……みんなだってそうだよね?ねっ?」
「だから。わらわちゃんはキレイなものを守ってあげたいの。キレイなものをキレイなままにしておきたいの」
御前の発言が嘘か本当かを疑うのは、無駄な事だ。
故にポチは彼女の言う事は全て額面通りに受け取ると決めていた。
>「この世にはキレイなものがいっぱい!今の人間が創るファッションも、音楽も、映像も超イケてる!」
「わらわちゃんがパソコンにドハマリして、ユーチューバー始めちゃうくらいにね!へいへーい!ぷっちょへんざ!」
しかし……その前提の上で御前の言葉を聞いていても、その真意が掴めない。
御前は大変な綺麗好きだ。だが――それが一体どうしたというのか。
彼女の趣味嗜好と、現在の状況が繋がる理由が分からない。
「>……でもね。キレイなものと同じくらい、キタナイものもあるんだ」
「キタナイものはキライ。世界にはキレイなものだけあればいい――だ・か・ら、わらわちゃんは作ったの」
「キタナイものを、キレイに漂白するものを。『東京ブリーチャーズ』を……ね!」
続く言葉を聞いても、ポチの疑念は解消されない。
結成の理由など聞かされなくても、ブリーチャーズの活動内容が変わる事はない。
妖壊を漂白し、東京を護る。それだけだ。
姦姦蛇螺を命がけで倒したばかりで、その事が疑われているとも思えない。
>「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
「……おかしな方向?僕らはずっと妖壊を倒して、東京を護ってきた。
何も変わっちゃいないじゃないか。やってくる敵は、最近妙に強くなってきちゃいるけどさ」
不穏な雰囲気を感じて、ポチは思わず異を唱えた。
だが御前はポチの方など見向きもしない。
>「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
>「……? あたしが原因ってどういうことだよ」
彼女の視線は――まっすぐと、祈に向けられていた。
ポチの心臓の鼓動が、僅かに重さと速さを増した。
260
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:09:27
>「ここ最近のそなたちゃんたちの動向、逐一監視してたんだけどォー」
「昔の東京ブリーチャーズにとって『漂白』はイコール殺すことだったんだよね。わらわちゃんもそのつもりだったしさー」
「でも、今は違う。いや結果的には殺してるんだけど、なんか違うんだよねー。結果は同じでも経緯が違う」
「八尺もそう。コトリバコも。紅璃栖も、狼王も、悪魔たちさえも救おうと奔走してる。結果が伴わなくても、努力してる」
「あんなキタナイものを。そんなの、絶対無理なのに。太陽が西から昇って、川が下から上に流れるようなものなのに――」
「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
そのままポチの不安は急激に加速していく。
最早、この状況から抜け出すべきである事をポチは疑っていなかった。
だがどうすればそれが叶うのか――相手は大妖怪。
先ほど垣間見えた妖気は到底抵抗の叶うようなものではなかった。
『獣(ベート)』の力をもって逃亡に徹すれば――だが橘音と尾弐は今も結界に囚われている。
>「……なんで、って言われてもな」
>「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
>「う!?」
不意に、祈の足元に浮かび上がった結界。
彼女は完全に制止されていた。藻掻く事すら出来ないようだった。
結局答えが見つけられないまま、状況は更に決定的になってしまった。
ポチに出来たのは、せめて御前と彼女の間に立ちはだかる事だけだった。
それでも御前は構わずに話を続ける。
橘音と尾弐を囲む結界が解かれ、尾弐の心臓が戻されても――
ポチには最早、その事に安堵する精神的余裕すらなかった。
>「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
ポチはただ願う事しか出来なかった。
この一連のやり取りが――橘音がたまにそうするような、思わせぶりな冗談である事を。
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
だが――そうはならなかった。
御前は確かに言った。祈に、死ねと。
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
>「……さっきから何言ってんのかわかんねーし、笑えねーよ」
瞬間、ポチは『獣(ベート)』の力を解放していた。
今すぐこの場から逃げ出すしかない。
もっと早くその判断が出来なかった自分の不明を呪いながらも、ポチは人狼の姿へと変化。
何よりも優先すべきは祈の安全だ。
御前曰く、橘音と尾弐は彼女の駒であり、あっさりと捨てるつもりはないらしい。
であれば、この場は祈を抱えて脱出するべき。
瞬時にそう判断し――しかし、その為の一歩目が踏み出せない。
御前の尋常ならざる威圧感のせいだった。
261
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:10:07
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
それでもなんとか、ポチは祈へと振り返り――
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
そして牙を剥き、爪を広げ、そのまま彼女へと勢いよく飛びかかった。
自分の体が、己の意思に反して動いている。
一瞬遅れてその事に気づいて、咄嗟に踏み留まる。
瞬間――右眼の痛みが塗り潰されるほどの恐ろしい激痛が、全身に走った。
「がっ……!あ……ぐぅうう……!」
思わず痛みに怯み――その間に更に一歩、ポチは祈へと歩み寄った。
彼我の距離は、あと三歩ほどしか残っていない。
牙を食い縛り、ポチは必死に、御前の言霊に逆らった。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
しかし、その場に留まる事が精一杯。
祈から離れる事も、目を逸らす事すら叶わない。
>「言っとくけど、抵抗とか無駄無駄無駄ァ!だからねー?わらわちゃんとガチで妖力比べするー?」
わざわざ言われなくとも、そんな事は既に痛感していた。
だがそれでも、彼女の言いなりになる訳にはいかない。
>「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
「馬鹿言え祈ちゃん……!そんな事、出来る訳……!」
出来る訳がない。
そう言おうとして――ポチはまた一歩、自分が祈へ歩み寄っている事に気づいた。
あまりの激痛に、気を強く保てなくなった――訳ではない。
いずれはそうなっていたとしても、まだ、ポチは堪えられるはずだった。
にも関わらず何故か――その理由はすぐに分かった。
血で染めたように赤黒く変色した己の両腕。
未だかつてないほど『獣(ベート)』が自分に干渉してきているのだ。
囁きかけ、思考を歪めるだけではなく、肉体に直接影響を及ぼすほどに。
御前の言霊に抵抗する事で手一杯もポチは、『獣』にとっては隙だらけの獲物だった。
「クソ……やめろ『獣(ベート)』!やめ……」
制止の言葉を遮るように、高笑いが響く。
ポチの頭の中だけに、ではない。
かつて狂気に飲まれたロボが上げていた、あの笑い声が、ポチの喉の奥から溢れてくる。
「ゲハハ……ゲハハハハッ!ゲァ――ッハッハッハァ――――!!」
『獣』は、完全に己の勝利を確信していた。
この宿主は、このまま目の前の少女を殺す。最早その結末を避ける術はない。
そしてそれが為された瞬間、間違いなく宿主は絶望する。
そうして無防備になった精神を喰らい尽くせば――この肉体は、完全に自分のものとなる。
その後は――ひとまずはこの場を逃げればいい。
あの九尾の妖狐は気に食わないが、今戦いを挑むのは愚策だ。
幸いにもこの宿主には影に潜み、己の存在さえもを消し去る技能がある。
ここは一度離脱し、無差別に人を殺し、十分な恐怖を帯びた後に――再びここを訪れればいい、と。
262
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:15:12
ポチの体が更に一歩、祈へと近づいた。
その両手が、既に彼女の肌に届く距離だった。
『獣』はこれ見よがしに、最早己のものとなりつつある両腕を、顔の前へと掲げた。
祈に、今からその胸を引き裂き、心臓を抉り出す爪を見せつけるように。
そして、鮮血が飛び散った。
祈の胸が引き裂かれたから――ではない。
ポチの爪は――ポチ自身の首筋に、深々と突き刺さっていた。
「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
御前の言霊と、『獣』の干渉。
それら二つの強制力が同時に降り掛かった時、ポチはほんの僅かにも抗う事は出来ない。
だが――『獣』が勝利を確信し、嗜虐的な戯れをした、あの一瞬。
あの一瞬ならば、ポチには抵抗の余地があった。
しかし祈から遠ざかる事は叶わない。
故にポチはその両腕のみに渾身の力を注いだ。
そして己の首筋に、両手の爪を食い込ませた。
御前の言霊はなおもポチの体に抗えない衝動を植え付けている。
ポチは祈の心臓を抉り出すべく、両手を彼女へ伸ばそうとしている。
自らの首に爪が突き刺さったままの状態で。
不意に、ぶちり、とポチの首筋から音がした。
両手の枷となっている、毛皮と筋肉が裂けていく音だ。
このまま言霊の影響を受け続ければ――ポチは自らの手で、自分の首を引き裂く事になる。
「……大丈夫だよ、祈ちゃん。僕は、狼だから……これくらいの怪我、死にやしないさ」
だが――ポチのその言葉は、まるきり強がりという訳でもない。
ポチは送り狼だ。高い持久力を持ち、一晩中走り続けられると言い伝えられる、狼の妖怪。
故にケ枯れに強い耐性を持つ。
このまま自分の首を引き裂いてしまったとしても、即死は免れるだろう。
「それにほら……僕は『獣(ベート)』を持ってるからさ……。
僕が死んだら、『獣』はまたどこかに行っちゃう訳だし……」
加えて、ポチが死ねば『獣』はまたこの世界のどこかに解き放たれる。
それは御前の言葉を借りるなら、キタナイものが世に飛び散ってしまうという事。
その点を鑑みれば、『獣』の器として助命してもらえる可能性だってない訳ではない。
ぶちり、ぶちりという音が、また響いた。
「やめろ!そんな事が本当に起こると思っているのか!
あの女狐は姦姦蛇螺をも捨て置いたのだぞ!お前に器としての価値などあるものか!」
『獣』がポチの喉の奥から叫び声を上げた。
しかしその言葉は確かに的を射ていた。
ポチの考えている事は、ただの希望的観測だ。
御前にとってブリーチャーズは自分の駒だが、
それも所詮、姦姦蛇螺に勝ち目のない戦いを挑みゆく彼らを見過ごす程度の扱いでしかない。
己の意に沿わなかったポチを、彼女が助命してくれる可能性など――皆無と言っていいだろう。
263
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:19:36
「……黙ってろよ、『獣』。でも……そうだね。
そんな気はさらさらないけど……もしかしたら、僕はここで死んじゃうかもしれない」
けれども――そんな事はポチにだって分かっていた。
分かった上で、こうしたのだ。
「だから……もし、僕が駄目だったら……悪いんだけど、祈ちゃん。
シロちゃんに、ごめんって……言っておいて。それと……」
死ぬつもりはない。
だが――死ぬ事になってしまったのなら、それを受け入れる。
「……君のせいじゃないよ、祈ちゃん。僕は、君を殺して生き残る事だって出来たんだ。
でも僕は、そうしたくなかった。これは僕が選んだ事なんだ」
ポチは話術に長けている訳でも、特別頭がいい訳でもない。
祈を殺めてしまうまでの短い時間で、咄嗟に出来る事はそれしかなかった。
不意に、ポチの首から血が噴き出した。
毛皮と筋肉を引き裂き、ついに動脈が傷ついたのだ。
「やめろ!こんな事は無意味だ!どうせくたばるなら……俺に、この体を寄越せ……!」
『獣(ベート)』が首から爪を引き抜こうと、腕に力を込める。
「……無駄だよ。大人しくしてろって」
だが抗えない。御前の言霊に逆らうほどの力は『獣』にも発揮し得ない。
「……それに、御前。げほっ……げほ……がっ……」
口元から血が溢れ、咳き込みながらも、ポチは御前に呼びかける。
その声に、恐怖は宿っていなかった。
「あんた……見当違いの事を言ってるよ。だって……運命なんて……この僕にだって、変えられるんだ。
だってそうだろ……ロボを救ったのは、この僕だ……。
そして、見てろよ……今から僕が、もう一度……運命を変えてやる」
運命変転の力。
言うまでもなく、ポチはそんな大層な力が自分に宿っているとは思っていない。
そんなものがなくても、運命は変えられる。
その事を御前に見せつけてやる――ポチは最早、その事だけを考えていた。
「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
叫ぶや否や、ポチは両腕に全力を注いだ。
『獣』の抵抗を振り切って、言霊の力に身を委ね――祈へと、両手を伸ばす。
一際大きく、ぶちりと音が鳴って――ポチの首から、夥しい量の血が噴き出した。
「どう……だ……」
ポチの体が、言霊の強制力を無視して後ろへとよろめく。
伸ばした両手は、爪の先端すら、祈に届かなかった。
その事を確認して、ポチは満足げに笑った。
そしてそのまま背後に倒れ込んで――それきり、僅かたりとも動かなくなった。
264
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:44:53
>「オニクローぉ。今回は相手が相手だったから、こんな手使っちゃったーってゆーのも大目に見るケドさぁー」
>「一歩間違ったら、そなたちゃんが原因で東京が壊滅してたじゃん?マジ気を付けてよねー!」
>「……そなたちゃんはまだ、わらわちゃんとの約束を果たしてないよ。それが終わるまで、壊れるなんて許さないし」
「……がっ!?」
結界の拘束から解き放たれた尾弐は、床へと放り出される。
激痛は身を苛み、戻った心臓が巡らせる血液が喉元までせり上がるが、尾弐は歯を食いしばりそれを飲み込んだ。
それは尾弐が御前が穢れを嫌う事を知っているが故……この場において不興を買う事を防ぐ為だ。
そしてそのまま、一度倒れ伏す那須野に視線を向けてから、震える拳を握ると痙攣する体を無理やりに動かし、片膝を付き頭を垂れる。
身体と魂にダメージを受け、意識すら明滅する中で、尾弐は自身よりも遥かに小さな体の御前に服従の意を示して見せたのである。
その行為は尾弐が御前と交わした『約束』が、彼にとってあらゆる苦痛をも凌駕する優先事項である事の証明であったが、
>「ウェッ、きったな」
けれど……その服従を向けられた御前は、尾弐に何の関心を向ける事も無く酒呑童子の力の残滓を破棄して見せた。
一見して無情に見えるその態度であるが、尾弐からしてみれば当然の反応であった。
綺麗なモノに価値を見出す御前が、穢れたモノの具現である悪鬼に利用価値以上の意義を見出す筈も無い。
むしろ、気まぐれに排除されてもおかしくないのだ。
予想道理。予定調和。
何とかなる範疇内の出来事であった。
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
御前が膨大な妖気を纏い、そう言い放つまでは。
>「……さっきから何言ってんのかわかんねーし、笑えねーよ」
言葉を投げかれられた祈はこの時点では状況を把握し切れていないようだが……尾弐はその意図をいち早く察した。
察する事が出来てしまった。
(……例外の、排除……!)
265
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:45:30
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
>「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
>「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
これまでの日々の中で 多甫 祈という少女が積み上げてきた奇跡
死すべきモノに生きる道を作り
絶望となるべき結末に希望を残し
救われない者に憐憫を与える
狂った雪妖に、家族との離別の時間を作り
孤独な狼王に、その誇りを継承する存在を見出させ
悔恨の泥に沈む悪鬼と妖狐の手を引き、泥から引き摺りだした
善き方へ、良き方へと、未来を紡ぎ続けた祈への――――代償を。御前はそれを求める。
これまでの軌跡を認めるが、されどこれからの不確定は認めないと。
時は遡らず。水は逆には流れず。生者は死に、死者は生き返らない。
そんな、在るべき物が在るべき様になる当然の世界に回帰する事を、求める。
そして……その為に、運命を変えかねない祈の命運を断ち切ると。そう決断をしたのだ。
>「いいわけあるかタコ!
>交渉っていうのはお互いに条件を提示してからするってお母さん言ってたもん!
>自分の願いを言わずに勝手に叶えといて何それ! 凄腕セールスマンの白い悪魔か!」
当然の事ながら、ノエル達(?)はそれに抗議をするが――――それは、もう遅い。
言霊とは、魂を縛る程に重いものだ。それを大妖に契約という形で結び付けられては、逆らう術などある訳も無い。
例え強き力を持つ『災厄の魔物』であろうと……否。強い力を持つ存在であるからこそ、理には逆らえない。
代価を示さず相手に願う事は、白紙の小切手を渡す様なもの。
尾弐が思った通り、祈達は御前と交渉を行うべきではなかったのである。
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
そして下される、祈と親しき存在であるノエルとポチに祈を殺させるという無情の命令。
266
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:46:00
>「!? 御幸とポチは関係ねーだろ!? てめぇ!!」
>「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
>「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
>こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
ここに命運は決す。
如何な運命を切り開く力と意志を有する少女であるとはいえ、九尾と言う大陸に名を馳せる大妖怪の力の前には逆らい様がない。
雪妖も、狼の王も。
自然の具象をも凌駕する、天災の如き御前の前には無力だ。
>「う、ぐああああああああああ!!」
>「がっ……!あ……ぐぅうう……!」
逆らえない。逆らいようがない。逆らうだけ無駄だ。
であれば、この場において最効率の解は、せめて祈が苦しまぬ様にその命を摘み、
その様な事をさせた代価として御前から今後の支援を引き出す事。
そうであるというのに……二匹の妖怪は諦める事をしない。
ポチも、ノエルも、身を裂くような激痛を受けて尚――――祈の命を諦めない。
>「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
>どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
>だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
己が身に降りかかる痛みを根幹を同じくする存在に担わせることで言霊の呪縛に抗い、氷雪の魔物は高らかに吠える。
恨み憎しみにすら美しさは存在し、それを知った上で世界の歯車ではない自由意思の元に世界を謳歌したいのであれば、祈は力に成れるであろうと。
>「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
>あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
己が身に潜む『獣』と御前の言霊。その双方の浸食を受けながらも、送り狼は誇りを燃やす。
祈を殺さないと。殺してなるものかと。その命を賭して、自身の意志で運命を変えると断言する。
東京ブリーチャーズ。
祈が絆を紡いできた仲間達は、全霊を以って祈を守らんとする。
267
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:46:50
「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
その最中……未だ激痛に苛まれながら、傅く姿勢を取っていた尾弐が。
二人が苦痛に抗う最中も、沈黙を貫いていた尾弐が、初めて口を開き……そして、立ち上がった。
「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
まるで二人の努力を、信念を否定する様な言葉を吐き出しつつ、尾弐はふらつく足をゆっくりと進め、祈の視線の先。
ノエルと倒れ伏すポチの背後へと立つ。
……尾弐は、ノエルやポチとは違う。
己が穢れた存在であると自認し、未来に価値など見出さず、己が目的の為であれば何をも犠牲にする。
そんな、利己的な男だ。
だからこそ、これまで数多の妖壊を。命乞いをするモノも、悲しい過去を持つモノも、救われる可能性があるモノも。
その全てを屠ってきた。
己が利になるのであれば何だってした――――八尺様にトドメを刺し、コトリバコの一体を殺し、その多量の妖気を奪い取った。
苦楽を共にした那須野橘音にすら己が目的を伏せ、利用する算段でいた。
結果的に生きていたとはいえ……力ずくで逃がせば助けられたであろう祈の母である颯を、姦姦蛇螺を封印させる為に引き留めなかった。
そんな男であるからこそ、この場、この局面において御前の味方となる事は当然であった。
平安の時代から数えて1000年を上回る妄執。御前との『契約』を果たす為には、祈ですら手に掛ける覚悟を持っている。
「悪いな祈の嬢ちゃん」
感情を感じさせない瞳で尾弐は祈を見おろし、その頭へと頑強な妖怪すら握り潰す手を伸ばし―――――
「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
その武骨な手で、労わる様に少女の頭を撫でた。
268
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 01:22:01
そして尾弐は、まるで祈を守る様にその大きな背に隠すと、御前へと向き直り口を開く。
「御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか」
向き合う御前から感じる妖気は、尾弐をして怖気を覚える程に膨大。
だが、それでも視線を逸らす事なく言葉を続け、指を三本立てて見せる
「もしも、御前の命で祈の嬢ちゃんを殺したとした場合に起こりうる可能性の話です」
「その場合、まずは明王連が貴女の敵に回るでしょう。なにせ、祈の嬢ちゃんは彼の組織のご息女だ。妖狐の一族は、かつての貴女の伝承の様に、力在る人間を敵に回す事になるに違いはねぇかと」
指を一つ折る
「そして、五大妖の過半も結託して妖狐の一族を狙う事でしょう。敵の敵は味方……じゃありやせんがね。人間と言う外部勢力の参加は、勢力図を塗り替えるには格好の武器ですからね」
更にもう一つ折る
「そして最後に――――俺が貴女の敵に回りやす」
最後の指を追ってから尾弐は言葉を続ける。
「貴女も知っての通り、俺が貴女に従うのは、俺が俺の願いを叶える為です」
「ですが……俺の願いを叶えるのは、貴女でなくとも出来るんですよ」
濃密な妖気を受け咳き込みつつも、尾弐は御前から視線を逸らさない。
「東京ドミネーターズ。アスタロト……西洋悪魔の集団。彼の集団程の権能があれば、俺の願いは叶えられる」
「もちろん、奴さんとは敵同士……いきなり『はいそうですか』とはならねぇでしょう」
「なので俺は、五大妖の一勢力――――悪鬼の軍勢を戦力として持って行かせてもらいます」
「姦姦蛇螺との戦闘の際、参加した連中に俺の酒呑童子としての姿は目撃されちまってますからね……茨木、金熊辺りは正体を明かせば逆らわねぇでしょう」
「酒呑童子として鬼の勢力を土産にし、アスタロトを説得して口説き落とせば……それ、内も外も泥沼の殺し合いだ。
偶然なんぞと比べ物にならねぇ、キレェなモノなんぞ存在する余地のねぇ最悪の地獄の出来上がりだ」
「もちろん、契約を破れば俺も相応のリスクを負うでしょうが……俺がどれだけぼろ雑巾みてぇになろうと、それは俺の目的には何ら影響はしやせんからね」
……尾弐の立てた仮定は、見てくれだけの代物。穴だらけの暴論である。
この通りになるとは限らない……むしろ、御前の交渉力などを鑑みれば、そうなる可能性は低いと言って良い。
だが、発生する可能性は0では無い。
そして……ここまで脅しの様な『仮定』を述べた尾弐は、一度息を吐いてから、
御前に向けて膝を折ると、両手を床へと付け、額を床に付ける。
「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
色々と言葉は述べたが……結局の所、この場で尾弐にできる事は、仲間の為に頭を下げる事だけだ。
交渉でもなんでもない。ただの暴力的な奏上。
尾弐は、己の目的の為であれば祈をも手に掛ける覚悟を持っている。それは残念ながら今でも変わっていない。
だが……それと、祈を助けたいという想いは別である。惨めに、みっともなく。尾弐は祈の助命を願うのであった。
269
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 00:54:29
「無駄だって言ってるじゃーん?なーんで耐えられるって思っちゃうかなぁ〜?」
圧倒的な強制力を持つ言霊に、それでも反抗し祈を手に掛けまいとするノエルとポチを見て、御前が小首を傾げる。
「わらわちゃんとガチンコやれる妖怪なんて、この世界には片手で数えられるくらいしかいないのにさー」
シヴァでしょー?ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘーでしょー?あと誰かいたかなー?と御前は本当に指折り数え始める。
世界各地の国造り神話が示す通り、この世界は混沌が光と闇、聖と邪、陽と陰に分かたれて生まれた。
その、原初の混沌から生み出された最も昏い成分。闇の中の闇。それが御前こと九尾の狐。
今、九尾の狐は陰気の最たるものとして世界の光と闇のバランスを調整する役目に就いている。
それに楯突くことは、すなわち世界への叛逆に等しい。
……だというのに。
>この姿を取るのは深雪が穢いからじゃない、ただ人間と共存する道を選んだから、それだけだ――
>でも僕は、そうしたくなかった。これは僕が選んだ事なんだ
それが無駄なことだと分かっていながら、ふたりは抗う。
御前はふたりの姿を見て、心底愉快そうに目を細めて口角を笑みに歪めた。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――
>そして、見てろよ……今から僕が、もう一度……運命を変えてやる
ノエルが必死の説得を試み、ポチが自らの首を引き裂く。
災厄の魔物は人類の敵である。人類が自然を畏れ、悪意ある存在として意思を与えた存在。
そんな災厄の魔物が、人間を殺めることに快感を覚えこそすれ、まさか半妖の少女を命を賭して護ろうとするとは。
「……くふっ」
御前は喉を鳴らして嗤う。
ノエルの献身とポチの自己犠牲を目の当たりにした御前は、尾弐に視線を向けた。
そう。ノエルとポチがあくまで御前の意思に抵抗するというのなら、尾弐に命令するだけだ。
『祈を殺せ』と――橘音は気絶してしまっているので使えないが、祈を殺すにはそれで事足りる。
ノエルやポチと違い、尾弐は御前の言霊には抵抗できない。
なぜなら――すでに、遠い昔に尾弐は御前と契約を交わしてしまっているからである。
しかし。
>御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか
尾弐が取った行動、紡いだ言葉に、御前はぱちぱちと大きなアーモンド形の目を瞬かせた。
>まずは明王連が貴女の敵に回るでしょう。
>そして、五大妖の過半も結託して妖狐の一族を狙う事でしょう。
>そして最後に――――俺が貴女の敵に回りやす
「……わらわちゃんと取引しようっての?オニクロぉ……」
尾弐の提示した『仮定の話』に、にたぁ……と口を開く。
妖気が膨れ上がってゆく。今や御前の妖気は広大な華陽宮全体を鳴動させるほどになっている。
このまま御前が指一本分でも本気を出せば、東京ブリーチャーズは瞬く間に全滅するであろう。
だが、次に尾弐が取った行為に、御前は意表をつかれたように驚きの表情を浮かべた。
>貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください
尾弐は御前の眼前で膝を折り、額を床に擦り付けた。
チームの纏め役、年長者として長年振舞ってきた男が、外見的に遥か年下に見える少女相手に平身低頭して懇願している。
それはきっと、この場にいる誰にとっても衝撃的な光景だったに違いない。
自ら分裂してまで祈の助命を願ったノエル。
祈を手に掛けるくらいなら自死を選ぶ、と自らに爪を立てたポチ。
何もかもを擲ち、ただただ祈の命乞いをする尾弐。
三者三様の、けれど寸分たがわない願いの発露を前に、御前はふさふさした九本の尾を一度揺らした。
270
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 00:59:14
「……く……」
「くふふっ、ぬふふ……!」
「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
尾弐が額ずき、どれ程の時間が経っただろうか。
時間にして十数秒もなかっただろうが、それでも永劫に思える静寂の果て――何を思ったのか、御前が不意に笑い始めた。
それはいかにも大妖といった、禍々しいそれではない。さも満足げな、にぱぁーっとした満面の笑顔だ。
御前はしばらく自分自身を両腕で抱きしめ、くねくね身を悶えさせたりその場でくるくる回ったりすると、
「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
ズビシィ!と尾弐たちを指差した。
「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
はぁぁ〜……、と御前はしみじみ息を吐き出す。
「レベルの全然違う敵に対しても、一歩も怯まない勇気。仲間を助けたいっていう揺るぎない意志――」
「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
両腕で大きく頭上にマルを作ってみせる。
「世界の調停者としては、イレギュラーは認められない。世界は法に依って護られていて、それを破る存在は排除するしかない」
「善人だから許してとか、そういう理屈じゃないんだよ。イレギュラーを起こすこと自体がアウトなんだから――でも」
「イノリンが『イレギュラー』じゃなくて。現行の法をより善い方向に改革する存在なのだとしたら――」
「まぁー、わらわちゃんとしても手は出しづらいカナーって!にひっ」
「あと、よくよく考えたらイノリン、わらわちゃんの眷属だったわ。超々々〜〜〜薄めたカルピスくらいの血の濃さだけど」
歴史が大きく動くとき、人類はたびたび特別な力を持つ者を生み出してきた。
キリストしかり。秦の始皇帝しかり。レオナルド・ダ・ヴィンチしかり――アドルフ・ヒトラーしかり。
そういった者たちは、地球の表面を走る原初のエネルギーの通り道、龍脈にアクセスする手段を身につけていた。
龍脈の莫大なエネルギーを利用し、そういった者たちは『運命を切り拓き、変転する力』を揮ったのだ。
御前は祈がその『龍脈にアクセスできる者』だと睨んでいる。
言うまでもなく、龍脈は五大妖が不戦協定を結び外敵から護っている最重要機密。市井の小娘に勝手に使われては堪らない。
よって、排除に踏み切ろうとした。予測のつかない存在を取り除くことは、何も間違ったことではない。
しかし――もしも祈の力がより多くの美しいものを生み出す原動力となるのなら。
『何もかもを助けたい』その心が綺麗事や絵空事でない、魂の奥底からの真実の願いだというのなら――。
御前はチームを試した。自らの妖力をほんの少し用いれば、鍍金を剥がすことなど容易い。
だというのに、祈の、ノエルの、ポチの――そして尾弐の信頼と愛情に裏打ちされた絆には、一点の曇りもなかった。
だから。
「……それでいいよ」
そう言って御前はポチを一瞥すると、パチンと右手でフィンガースナップを鳴らした。
途端、ポチの首の深い傷がまるでシールでも剥がしたかのように消え失せる。ほどなく意識も回復することだろう。
祈を拘束していた結界も消滅し、跡形もなくなる。姦姦蛇螺の入った虫かごも無事だ。
「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
黄金の双眸が煌めく。先程の、祈を殺せと言ったときとは比べ物にならない強力な言霊だ。
「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
東京ブリーチャーズのオーナーとしての顔を見せると、御前は右手を額に持っていき、おどけて敬礼の真似をしてみせた。
と同時、周囲の空間が歪んでゆく。用件はこれで済んだ、ということなのだろう。
271
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:00:05
「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
にぱぁーっと屈託ない笑みを投げかけ、御前はひらひらっと手を振った。
祈とノエル、ポチ、橘音、颯はそのまま、現世に送還されるだろう。
ただ。
「……なりふり構わぬとはいえ、よもや吾(われ)を脅すなどと――思い切ったもの」
尾弐だけは、すぐには還れない。
「災厄の魔物どもは赦したが、汝(うぬ)は赦さぬ。汝はその肉も魂も、すべて吾に売ったのだ。己が宿願のため」
天も地もない無窮の空間で、尾弐の前に御前が佇んでいる。
しかし、その佇まいは変わらずとも、纏っている気配が先刻とはまるで違う。
まさに大妖怪の面目躍如、といった巨大な妖気を纏い、真っ黒に塗り潰された顔貌の中で黄金の双眸だけが炯々と輝いている。
「千歳(ちとせ)の間に忘れ果てたか?汝の血肉、汝の魂魄。最早、汝の自由になるものは何一つたりとて無いことを」
「汝が大願はいまだ我が手にある。尤も――此度の僭越にて、半千年(500年)は成就が延びたと識れ」
尾弐に対して告げるのは、冷酷な宣言。
祈やノエル、ポチは御前にとって愛玩の対象である。彼らが御前の好む美しいものを見せてくれる限り、殲滅対象にはならない。
しかし、尾弐は違う。御前にとって尾弐は駒であり、常に自らの意思に沿う存在でなければならない。
そんな尾弐が、どんな都合があったにせよ飼い主の手を噛んだのだ。
直属の配下の造反には、厳罰をもって対処する。祈たちの前では見せなかった妖怪の長としての顔を覗かせる。
「汝は当分、吾の玩具で在れ。夢寐にも忘るるな、汝の希望、絶望――汝の総ては吾が握っているということを」
「――往け。汝の大切な『嬢ちゃん』を護って遣れ。『法師』――」
そう告げると、御前は尾弐を現世に還した。
272
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:00:58
この世ならざる世界にある御前の宮殿・華陽宮から、東京ブリーチャーズは元の新宿御苑に立ち戻った。
華陽宮には少なくとも一時間はいたと思ったが、現実の世界では10秒と経過していない。
恐らく、華陽宮は現世とは違う時間の流れの中に在るのだろう。竜宮城のようなものだ。
ほどなくして祈の祖父・安倍晴朧の命を受けた陰陽寮の使者が現れ、綿貫警部率いる警察機関が新宿御苑全体に非常線を張った。
姦姦蛇螺によって破壊された御苑内は、地下に埋設されたガス管の爆発ということで世間に説明された。
東京ブリーチャーズが水際で姦姦蛇螺を御苑内から出さなかったため、それを疑う者もいない。
姦姦蛇螺との戦いは、これで本当に終息した。
祈の母、多甫 颯は陰陽寮によってすぐさま河原医院に搬送された。
陰陽寮としては都内有数の権威ある大病院に搬送したかったようだが、祈の祖母の菊乃が河原医院を希望したのである。
なお、ポチも御前によって治療されたとはいえ一緒に搬送され、数日入院の運びとなり河童秘伝の膏薬によって治療を施された。
入院した颯は、菊乃が片時も離れずに看病をしている。
一週間経過しても、昏々と眠り続ける颯は一向に目を覚まさない。
十数年もの間、ずっと生贄として姦姦蛇螺の体内に囚われていたのだ。生きているだけでも奇跡である。
河童の医師が悲痛な面持ちで、ずっと植物人間状態のまま覚醒しない可能性もある――と告げる。
祈の住むアパートでは、虫かごの中に入った姦姦蛇螺が丸まって眠っている。
天羽々斬によって呪いや恨みといった妄執から解放された姦姦蛇螺は、本当に無力な仔蛇になってしまった。
食事らしい食事をとらず、水だけを飲んでいる以外は一般的なペットスネークと何ら変わらない。
また、橘音に命以外のすべてを奪われ無力化した天魔ハルファスとマルファスも、祈の家にいる。
尤も眠っていることが多いハルファスと違い、マルファスは野放しにしていると姦姦蛇螺を啄もうとするため注意が必要である。
「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
雲外鏡と『SnowWhite』の鏡を接続し、鏡面をテレビモニターのように使いながら、富嶽がそうノエルたちに告げる。
「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
アスタロトの言葉を真実と受け取るなら、姦姦蛇螺こそがアスタロトの切り札だったということになる。
それを潰された今、アスタロトは次の作戦を考えなければならない。
それも、姦姦蛇螺復活よりも強力な手を――。そんな手を考えるには、それなりの時間が必要だろう。
また、人間界への影響等は、富嶽が裏から手を回して取り計らってくれるという。
ブリーチャーズは次に何かが起こるまで待機、というわけだ。
「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
最後にふと思い出したようにそう言うと、にやりと口角を吊り上げて笑い富嶽は通信を切った。
「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
白狐の姿に戻ってしまった橘音がぼやく。
橘音は華陽宮でまったく役に立たなかったことをメンバーに幾度も謝罪した。
「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
小さく息を吐くと、橘音はノエルの部屋に行ってしまった。
店内にいると、万一客に見つかった場合面倒だからだ。白狐のいるフローズンスイーツショップ、などとSNSで拡散されても困る。
下手をすると保健所行きになりかねない。
姦姦蛇螺に壊滅的打撃を受けたことで、それまで我が物顔で都内を闊歩していた狸や河童たちの姿も見えなくなった。
妖壊たちも、天魔もなりを潜め、東京は束の間平和に戻った。
273
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:01:44
多甫 颯は病院のベッドに横たわり、昏々と眠り続けている。
姦姦蛇螺の中で醸された数千年もの憎悪や憤怒、怨嗟を、颯は長い間浴び続けていたのだ。
半妖である颯にとって、それは死に勝る苦痛だっただろう。
例え肉体が生存していたとしても、精神が――魂魄が揮発してしまっているかもしれない。
いや。魂が喪われ、生ける屍になってしまっているならば『まだマシだ』。
ひょっとしたら、その魂が姦姦蛇螺の憎悪に汚染されてしまっている可能性もある。
そうなれば、第二の姦姦蛇螺が誕生することになる。祈が命懸けで行った姦姦蛇螺の浄化が徒労に終わってしまう。
一度生まれた怒りは、恨みは、決して消えない――。
祈やノエル、ポチの成したことが、否定されてしまう。
だとしたら、颯に乗り移った姦姦蛇螺の、否――まつろわぬ人々の遺志は、ふたたび東京を襲うだろう。
新たな姦姦蛇螺は東京ブリーチャーズと戦った憎悪を上乗せし、御苑で戦った時よりも更に手強くなっているに違いない。
だが、それは悲劇のほんの始まりでしかない。
本当の悲劇は別にある。そう――
今度こそ本当に。祈は実母と戦わなければいけなくなる。
「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
河原医院の中、病室のスライドドア越しに菊乃と交渉を繰り返していた橘音が、諦めて待合室に戻ってくる。
菊乃は何も言わず、ただただ付きっ切りで娘の看病をしている。
河原医院の看護師が菊乃を気遣い、看病の交代を申し出ても、菊乃は頑として譲らなかった。
妖怪だから眠らなくてもいい。疲れてもいない。娘の看病をするのは親の義務だと――そう言わんとしているかのように。
菊乃はまた、祈が学校から帰って母の見舞いに来ても、決して祈と颯とをふたりきりにさせなかった。
十数年ぶりの親子の対面。母と娘の、水入らずの時間。
それさえ許さなかった。むろん、かつてパートナーを務めた尾弐と橘音にもほとんど面会をさせなかった。
しかし、それは決して祈に意地悪をしているとか。尾弐と橘音が颯をこんな目に遭わせた張本人だから、ということではない。
『もし颯が目覚めて、姦姦蛇螺の悪意に感染していた場合。菊乃が颯を滅ぼすため』
に他ならなかった。
「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
橘音がそうぽつりと口を開く。
医師が言う通り、颯が目覚めるメドはまったく立っていない。
当初は肉体も衰弱しきっていたが、現在は河童秘伝の薬剤投与で肉体の消耗はほぼ無くなっている。
あとは、精神の消耗だが――こればかりは外部からどれだけ膏薬を塗ったり、丸薬を含ませたところで治らない。
颯自身の意思で、目覚めようと思わない限りは。
「こんなとき、人間なら。『どうか颯さんを助けてください』って、神さまに祈るのでしょうけど」
「……いけませんね。ボクたち妖怪は、それが無為なことであると知っている……」
神とは言っても、極めて力のある妖怪に過ぎない。何もかもができるわけではないし、奇跡を起こせるわけでもない。
御前がいい例だ。御前――九尾の狐は世界でも五指に入る強力な妖怪だが、決して全能ではない。
「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
「……祈ちゃん。アナタもね」
そう言うと、白狐姿の橘音は河原医院から出ていった。
恐らく富嶽のところか、もしくはもう一度御前のところへ行ってくるつもりなのだろう。
いずれの手を借りるにしても、それには大きな代償が伴う。富嶽も御前も、見返りなしには手助けなどしない。
それでも。橘音は颯を救う手立てを乞うための覚悟を決め、仲間たちに待機を指示して去った。
……しかし。
橘音の覚悟は無為に終わった。
なぜならば。
夜、見舞客が誰もいなくなった後。
看病のため、菊乃だけが病室に残った、その後で。
颯の姿は、忽然と病室から消えてしまったからである。
274
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:02:32
翌朝。祈は起き抜けに卵が焼ける香ばしい匂いを感じ取ることになるだろう。
耳を澄ませば、聞こえてくるのはコトコトと沸騰する鍋の音と、トントンと包丁が食材を刻む軽快な音の二重奏。
……だが、祈の頭に残る眠気が飛べば気付く筈だ。
包丁を刻む音の間隔が、或いは沸騰する鍋の火加減が、祖母・菊乃のものでも――まして尾弐のものでもないということに。
そして、台所を覗き込めば、祈はそこで異様な光景を目にすることができる。
「あら、おはよう。もうすぐ朝ごはんできるから、先に顔。洗ってきなさいね」
即ち、エプロンを纏った母――――颯が、祈の家の台所で朝食を作っている姿を。
……
「……病室で目が覚めたんだけれど、あんまりみんなが大騒ぎするのも困るし。それに――」
「身体が動くと分かったら、居ても立ってもいられなくなっちゃってね。だから……勝手に退院してきちゃった」
ベージュのオープンネックシャツにスキニージーンズというラフな出で立ちの颯は、そう言うとぺろっと小さく舌を出した。
朝一から衝撃的な光景は繰り広げられたものの、理由を聞けばどうということはない。
覚醒した颯が医師に無断で退院してきた、それだけの話であった。……やっぱりどうということはある。
「ま、まぁ、母さ――おばあちゃんには言っておいたから!おばあちゃんが手続きはしてくれるはずだから!」
「……それに。あなたに一刻も早く逢いたかったから」
机の上に、オムライスとコンソメスープを二人分用意しながらそう語ると、颯は祈にスプーンを手渡し食べるように促す。
オムライスは14年ぶりの料理とは思えないほど完璧に仕上がっていた。
卵はふわとろの半熟ながら絶妙に火が通っており、口の中に入れると蕩けるような優しい味わいだ。
鶏肉を多目に使ったチキンライスの味付けはやや濃い目で、よく炒めたタマネギの食感も素晴らしい。
スプーンで一匙掬うごとに、仄かなバターの香りが鼻腔を擽る。
コンソメスープは野菜本来の味を充分に引き出したもので、飲めばケチャップの味に慣れた口をリセットしてくれる。
そして、その味は。
まさに尾弐が先日この家で作って行ったものと寸分たがわないものだった。
「14年ぶりの我が家だけど、変わってないわねー!調味料の置き場所もそのまま!」
「買い物に行く時間まではなかったから……あり合わせのもので作ったけど。お口に合うかしら?」
祈が食事を始めるのを、颯はテーブルの上で軽く腕組みし、目を細めて眺める。
「そのオムライスはね、あなたが生まれたら作ってあげようって。食べさせてあげようって……そう思ってた料理なの」
「……やっと。食べてもらえた」
そう静かに告げると、颯は嬉しそうに微笑んだ。
夢じゃない。幻でもない。
瞳術でも、ましてや変化が得意な妖壊による攻撃でもない。
まぎれもない、本物。祈が生まれて間もなく、帝都を守るために乳飲み子の祈を尾弐と橘音に託し。
姦姦蛇螺の生贄となって死んだ――はずだった、祈の実母。
多甫 颯がここにいる。
「おべんと。ついてるわよ?」
祈の頬に米粒がついているのを見つけると、颯はそれをつまんで自分の口許に持っていった。
それから、ほんの僅かな間。祈の顔をじいっと見詰める。
祈によく似た、否――祈に遺伝したのだと思われる眼差し。紛れもない親子だということを示すその双眸に、涙が溢れる。
「祈の声、ずっと聞こえてた。姦姦蛇螺の中でずっと……外に出てからも」
「離れ離れでいて、ごめんね。ひとりぼっちにして、ごめんね。不出来な親でごめんね――」
ぽろぽろと、颯の頬を涙が伝う。
祈と颯の間には、14年の空漠がある。それはもう、何をしたところで決して埋まらない厳然たる事実だ。
赤子の頃から幼年期を経て、少女へと成長する――十代前半という人生の中で最も重要な時期、颯は祈に何もしてやれなかった。
母親というものがもし仮に免許制であったなら、颯は確実に免許取消だろう。
しかし。
けれども。
自らの胸にそっと手を当てると、
「14年も遅刻してきたけど。あなたと一緒に、なんにも思い出を作ってあげられなかったけど……」
「でも。それでも。もし、祈……あなたが許してくれるなら……」
「……また。あなたのお母さんをやってもいい……?」
そう言って、小さく微笑んだ。
275
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:07:25
「チ……チクショオ〜、チクショオォォ……」
暗闇の中で、ひとりの大男が蹲り、頭を抱えて震えている。
2メートルを越す巨体に古式ゆかしい大鎧を纏った、魁偉な風貌の男だ。しかし、男の特徴の最たるものは別にある。
男の額には、両眉の上から巨大な犀じみた一対の角が生えていたのである。
男の名は茨木童子。
かつて、日本妖怪軍の副将として姦姦蛇螺討伐に出陣した妖怪である。
……しかし、もはやそんな綺羅めかしい肩書きなどなんの意味もない。
「団三郎も、袈裟坊もおっ死んじまった……。他の仲間たちも……オレの配下共もオ……。日本妖怪軍団がなくなっちまった……」
「どうすりゃいいんだよオ……。もう、鬼ヶ島にゃ帰れねェ……鬼神王に合わせる顔がねエ……」
鬼ヶ島は鬼一族の頭領・鬼神王温羅の居城であり、茨木童子の住処である。
しかし、もう茨木は戻れない。姦姦蛇螺討伐に難色を示す温羅の意見を押し切り、茨木は手勢を率いて東京に入ったのだ。
今さら姦姦蛇螺に負けました、手勢も全滅しましたと、戻っておめおめ報告できるはずもない。
このまま尾羽打ち枯らした敗軍の将として、無様にひっそり生きていくのが関の山であろう。
そう、思ったが。
「何を気弱なことを……。かつて京の都を恐怖のどん底に叩き落とした鬼の首魁が、そんなことでどうするのです?」
不意に、闇の中で声が聞こえた。
この場には自分しかいないと思っていた茨木は、滑稽なほど怯えた。
温羅の差し向けた刺客か何かだと思ったのだろう。温羅は身内の失態に対して容赦しない。
しかし、声の主は温羅の送り込んだ刺客などではなかった。
ゆる……と黒色の帳の中から、真っ白な学生服を纏った半狐面の探偵が姿を現す。
「テメェは……さ、三尾……!」
「はァい。茨木さん――アナタは全然終わりなんかじゃないですよ?むしろ、今がビッグチャンスじゃないですか!」
三尾――天魔アスタロトはそう言うと、半狐面に軽く右手を添えてニタリと嗤った。
「……どういう意味だ……?」
「確かに、日本妖怪軍団は壊滅しました。まぁボクがやったんですがね!でも、そんなのはどうだっていいことだ」
「アナタは見たはずですよ。新宿御苑で――アナタがかつて共に在り、共に京の都を荒らし回った同胞を――」
「…………!!」
アスタロトの言葉に、茨木はぶるりと一度大きく震えた。
「……そうだ。オレは見た……!アイツの姿を。感じた、アイツの妖気を。オレの相棒、オレの同胞(はらから)!」
「あのクソいまいましい頼光と四天王に殺された!首を奪られた!オレの大事な、オレの、オレのォォォ……!」
「イエス!『彼』は目覚めようとしています。『彼』とアナタがまた組めば、まさしく鬼に金棒。何も恐れることはない」
「かつて、大江山で悪逆の限りを尽くしたように。今度は東京で思うままに振舞えばいいんですよ――」
「アナタが『彼』と再会するお膳立てを、このアス……那須野橘音が整えてあげましょう。なぁに、単なる慈善活動ですから!」
アスタロトのそんな白々しい言葉も、茨木の耳にはもう届いていない。
茨木の意識を占めるのは、懐かしい友の姿。友の声。友の妖気。
そう、御苑で確かに茨木は感じたのだ。かつて、片時も離れず傍にいた。共に悪徳に耽溺した、あの少年の姿をした妖壊を――。
で、あれば。
「ああ……。迎えに行こう。アイツは無敵だ、最強の鬼なんだ。鬼神王なんざメじゃねぇんだ、オレとアイツが組めば!」
「ハハッ……カハハッ、カハハハハハハハッ!そうか!アイツが帰ってくるのか――そりゃ、願ってもねえチャンスだ!」
茨木は勢いよく立ち上がると、声を張り上げた。
「また一緒にやろうぜ、面白可笑しく!世の理なんぞ知ったことかと振舞ってた、あの頃みてえにな!」
「お手伝いしますよ……ええ、ええ、ボクはこの手の麗しい友情に目がなくてねえ……」
うっうっ、とわざとらしくハンカチで半狐面の目許を押さえるアスタロト。
茨木はアスタロトの姿など見てもいない。ただ大きく頭上に両手を伸ばし、
「今行くぜ――、酒呑!!」
そう、高らかに宣言した。
276
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 22:58:18
>「お前が一番、穢いんじゃないか――ただしお前の中ではな」
祈の言葉を継いだのはみゆき、否。深雪だった。
人格交代なので普通ならば深雪が出ていればみゆきどころかノエルもそこにいない筈なのだが、
何故だか――、深雪とノエル、二人が別々にその場にいるのだった。
>「痛みは我が引き受ける! 貴様はその間に説得を……!」
>「あの女狐は気に入らぬ――それに空模様は気まぐれなものだ。
>我の気が変わらないうちに早くすることだな!」
どうやら体を分けて、
玉藻御前が与える痛みやらを片方が引き受け、片方は説得に当たる、という作戦であるらしい。
なるほど、それは効率的ではある、が。
深雪は涼しい顔をしているが、激痛を感じている筈であった。
あの能天気なノエルをして、一瞬とは言え祈へと向かわせるほどの苦痛なのだから。
『自分の所為で深雪さんに痛みを背負わせている』。
祈は申し訳なく思いながらも、結界を解こうと足掻いていた。
苦痛から解き放たれたノエルは、玉藻御前へと向き直り、
説得を開始する。
>「諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが大好きだ!
>白いパンツが好きだ。ピンクパンツが好きだ。いちごパンツが好きだ。くまちゃんパンツが好きだ。
>パンツの匂いが好きだ。幼女のパンツ姿が好きだ。美女のパンツ姿も好きだ。パンツの全てが好きだ!」
のだが、大真面目にノエルが言い放ったのはこんな言葉だった。
>「災厄の魔物に支配されぬために男の姿になって人間界の文化に染まった結果がこれだ――
>パンツは現代の人間界にしかない文化だからな! お前はこれを美しいと言えるのか!?」
(……は?)
何故急に趣味全開の発言をしたのかと、祈は一時虚を突かれて動きを止めた。
いや、しかしこれも相手を脱力させる作戦だろう、と瞬時に察し、声を上げる事だけは押さえた。
なんせノエルはノエリストだし、深雪もノエルの言葉を静かに聞いている。
これもきっと作戦の内なのだ。そこで祈が声を上げて台無しにするわけにもいかない。
しかしその言葉は、女子更衣室で着替えていたということの暴露なのではないか? という疑問が湧く。
何故なら祈はくまちゃんパンツなら持っている。
いや、と祈は逸れた思考を頭から追い出した。
そうして祈が足掻いている間も、ノエルは言葉を続けた。
時には乃恵瑠に、時にはみゆきの姿になりながら、言葉で玉藻御前の価値観を揺らさんとする。
今の人間の世界が本当に美しいものかどうかという疑問を投げかけ、
人間の踏み入れないかつての大自然は美しかったこと、
しかし綺麗なだけではない人間の世界には惹かれるものがあり、
人間界へのあこがれを抱いたことを告げた。そして、
>「でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
>どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
>たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
>祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ」
と言うのだった。災厄の魔物の運命を変えたのは、祈だと。
(あたし?)
どういうことか祈には分からなかったが、
だが、それなら繋がる。玉藻御前が祈を排除しようとしている理由に。
万理を歪め、法則を乱すイレギュラー。
『御幸がずっとブリーチャーズにいてくれたら嬉しい。ずっと仲良しでいたい』、
そんな風に思ったものが、災厄の魔物の運命すら変えてしまうほどの効力を持っているのだとしたら。
>「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
>どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
>だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
姦姦蛇螺の転生が天羽々斬によるものではなく、
時折ノエルが言っていた“運命変転の力”とやらが、祈にあるのだとすれば、
そんな危険なもの、祈みたいな子どもが持っていたら。排除しようとするのも――。
277
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:00:35
>「ゲハハ……ゲハハハハッ!ゲァ――ッハッハッハァ――――!!」
と、祈の思考を断ち切ったのはロボの声だった。
全てを踏み荒らす暴虐さを伴う、獣の王の高笑い。
その圧に空気が震え、身がすくむ思いがする祈。
何故かロボが復活したのかと思った祈だが、そうではない。
あまりにそっくりだったが、それは、
「ポチ!」
ポチの声だった。玉藻御前の命令にどうにか抗っていたように見えたポチの姿が、
唐突に膨れ上がり、二足歩行の人狼、ロボの姿を取ったのだ。
玉藻御前の命令に抗う為により強い姿になったのかと祈は思ったが、
ずしん、ずしんと、一歩一歩祈へと歩んでくる。
そしてその目はいつものポチのものではなく、狂気と殺意を孕んでいる。
正気を失い、獣《ベート》に取り込まれているのだと、そんな風に祈には思えた。
先程の高笑いはポチやロボの声というより、獣《ベート》そのものの声なのかもしれない。
そして獣《ベート》は祈に、その巨腕が届く距離にまでやってきた。
その表情も、満月の夜に見せたロボのように歪んでいる。
祈に、否。自分の内側にいる何かに見せつけるように、獣《ベート》は
両腕の爪を眼前に掲げて笑って見せた。そして――、
――己の首に爪を突き刺した。
獣《ベート》の表情が変わる。余裕と嗜虐を含んだ笑みが、驚愕と焦りへと変わる。
>「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
『ポチが獣《ベート》に抗っている』。祈にはそう見えた。
ポチの爪が自らの首に食い込み、皮膚を突き破る音が祈にも聞こえた。
「ポチ! ポチ! やめろ!」
ぶち、ぶち、ぶち。祈の耳に響くその音に、顔面蒼白になって祈は叫ぶ。
>「……大丈夫だよ、祈ちゃん。僕は、狼だから……これくらいの怪我、死にやしないさ」
>「それにほら……僕は『獣(ベート)』を持ってるからさ……。
僕が死んだら、『獣』はまたどこかに行っちゃう訳だし……」
ポチとしては、『自分が死ねば獣《ベート》が解き放たれるがいいのか?』と、
玉藻御前を脅そうとしているのだが、祈には、
『獣《ベート》を持つ者としての責任があるから、簡単に死ぬつもりはない』と言っているように聞こえた。
だがなんであれ。
なおも食い込む爪は、ぶちぶちと言う音は、流れ出る血液は、そう言っていない。
>「やめろ!そんな事が本当に起こると思っているのか!
>あの女狐は姦姦蛇螺をも捨て置いたのだぞ!お前に器としての価値などあるものか!」
獣《ベート》ですらもその行為を止めるほどに。
ポチは、死ぬつもりはないが、もし死んだらシロによろしくなどと祈に言って。
玉藻御前に、獣《ベート》に、世界に、己の意志を見せつけるように。
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
>あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
深々と、己の両爪を首に深々と食い込ませるのだった。
「ポチぃぃいいーーーーー!!!」
ブチィッ、と。一際大きい音が間近で響く。それは命を絶つような音だった。
どぼっ、とポチの首から鮮血が噴き出す。
どう、と倒れるポチ。そして、ピクリとも動かなくなった。
そして、心臓が脈打つたびにドクドクと流れて、血だまりを祈の足元に作っていく。
ついにポチの爪は祈を傷付けることなかった。
それは玉藻御前に勝ったということであり、獣《ベート》にも負けなかったと言うことであった。
獣《ベート》の銀色の妖気がポチの身体から噴き出していないことから、
まだポチが死んではいないことがわかる。だが、時間の問題だと祈には思えた。
それを見て、「くふっ」と笑いを漏らす玉藻御前に、祈の神経が逆撫でされる。
(くそっ、くそっ、よくも! よくも、あたしの友達に――)
一刻も早く止血しなければならないのに、
足掻いても足掻いても祈の四肢は空間に固定されたまま動くことはなかった。
四肢の筋肉を引き千切ってでも、ポチの傷を塞がなければ。と祈は考える。
278
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:01:59
>「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
そこで、のそりと起き上がってきたのは、尾弐であった。
先程まで倒れていたが、心臓が身体に戻されて、意識を取り戻したようであった。
「尾弐のおっさん! ポチが、ポチが……えっ?」
だが言っていることは、まるで玉藻御前の味方のようで。
それに同調したように、今まで黙っていた深雪がぐるりと祈へと向き直った。
その右手に、巨大な氷の鎌を作り出す。激痛で動けない筈なのに。
>「よし、ではここは我がサクッと――」
そして、祈へと飛び掛かり、横薙ぎに鎌を振るう。
唐突な攻撃の動作にぐっと目をつぶる祈だが、一向に痛みは訪れず。
祈が恐る恐る片目を開けてみると、何かが肩や床に落ちる感触があった。
深雪が切ったのは祈の髪だった。肩口のあたりでばっさりと切られたようである。
衝撃で、ノエルが祈の髪に差した溶けない氷の髪飾りがコトリと床に落ちる。
「……?」
切り損じたのか、それとも思い留まってくれたのかと祈は思ったのだが、
どうやらノエルと深雪は“女の命である髪を切り落とした”という頓智で乗り切ろうとしているらしく、
再び玉藻御前に向き直って助命嘆願の交渉を再開したのであった。
そのノエル達を尻目に、
>「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
ふらふらと、祈の元へ歩んでくる尾弐。まるで玉藻御前の意志に従うように。
だが、祈は知っている。冷静に意見を述べ、力を貸さないなどといつも悪ぶっているこの鬼が――。
>「悪いな祈の嬢ちゃん」
祈の前にやってきた尾弐の、右手が祈の頭へと載せられる。
>「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
労うように祈の頭を優しく撫でるその手が、――祈達を裏切ったりはしないことを。
「……うん!」
尾弐は玉藻御前へと向き直る。
>「御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか」
そうして、尾弐は玉藻御前へと語り始めた。
その言葉に、玉藻御前は珍しいものでも見て驚いたように、パチパチと瞬きをして見せた。
尾弐が言うのはこうだ。
ここで祈を殺した場合のデメリットを考えて欲しい、と。
まず、祈の祖父がトップを務める『明王連合は敵に回る』。
陰陽師に退治された過去を持つ玉藻御前にとってそれは頂けない話だろう。
ただ、源頼光や安倍晴明など、英雄に等しい強い人間がこの時代にはいない。
その点で、玉藻御前にとっては取るに足らないことだと思われる可能性があったのかもしれない。
それを補強するように。『他の五大妖も敵に回る』だろうと尾弐は告げた。
聞く話によれば、五大妖は仲が悪く、各々が妖怪界の覇権を握ろうとしているそうだ。
人間が妖狐側に敵対するなら、それに便乗して勢力図を塗り替えようとする種族も出るであろうと。
玉藻御前がいかに強いとはいえ、それに準じるレベルの妖怪もいるはずだ。
数で押されればあるいは、と思わせることができるだろう。
そして最後に。『尾弐自身が敵に回る』と告げた。
自分の願いを叶えるためにそちらに付いているのであって、
もし自分の願いが叶うなら悪魔側に寝返ったとしても構わない。
そしてその時は、鬼の種族の軍勢を引き連れて、この世に綺麗なものなど残らないような
そんな血みどろの世界にしてやると。
言うことは脅迫。なれど、土下座して額を床につけるその姿勢は、
恭順。降伏。懇願。懇請。
>「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
>ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
>貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
そんな最悪の事態を引き起こさないために、祈を殺すのはやめてくれないかと。
最悪の奇跡は祈に起こさせないように、自分達が見守るからと。
279
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:02:52
「尾弐のおっさん……」
ノエル達には無理をさせて。ポチには己を傷付けさせて。
尾弐には土下座させて。それもすべては、祈の為だ。
祈は、申し訳なくて溜まらなかった。
ところが、それを見て。
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
玉藻御前は笑った。自分を抱きしめてくねくねと身もだえて。
くるくると回って見せる。
>「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
>「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
そして、満足気に言い放つ。
>「レベルの全然違う敵に対しても、一歩も怯まない勇気。仲間を助けたいっていう揺るぎない意志――」
>「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
>「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
両腕で頭上に大きな丸を描く玉藻御前。
祈達、いや、祈の周囲にいる者達のことを試したのだと、そう感じさせる言葉だった。
では先程までの言葉は、仲間たちを試すための演技だったのかと言えば、そうではないのだろう。
生で見たかった、臨場感が違う。そう言った彼女の言葉も真実なのだろう。
世界の調停者としてだけではなく、己が望むキレイなものを目の前で見たいが為に、命を弄ぶ姿。
それもまた紛れもない、玉藻御前の側面なのだろう。
ノエルは世界を守ろうとする玉藻御前の意志は必ずしも穢いとは思わないと言ったが、
祈には、自分の手を汚さずに誰かに殺しをさせようとすることも、
戯れに誰かの命や大事なものを弄ぼうとするそのやり方も。まだ好きにはなれないでいた。
>「……それでいいよ」
それでいい、とは。尾弐の言う条件を飲む、ということであろう。
パチン、と。玉藻御前は右手の指を鳴らす。
すると祈を拘束する結界が解けた。
「ポチっ!!」
言うが早いか祈がポチに駆けよると、ポチの首にあった深い傷が跡形もなく消えている。
これも玉藻御前がやったのだろう。
ポチの胸に手を当ててみると呼吸はしっかりしているし、心臓も動いているようだった。
間違いなく生きている。
姦姦蛇螺の入った虫かごも無事であるし、ノエルも深雪も、もう苦痛を感じていないようだった。
橘音もどうやら気絶しているだけのようで、ほっと胸をなでおろす祈である。
ついでに、いつの間にか祈の髪も元通りの長さに戻っている。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
玉藻御前は確かな圧力を持って命じる。
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
>「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
そして言い終えると同時、景色が歪み始める。
再び、祈達がどこか別の場所へ移動させられそうになっているのだと言うことが、祈には分かる。
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
>「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
視界に、歪んだ敬礼の玉藻御前が映る。
仲間のお陰で命拾いした祈は、悔しくても、何も言ってやることはできない。
祈が余計なことを言って不興を買えば、仲間の行為を無にしかねないからだった。
せめて、“いつか泣かせてやる”と念を込めて睨むだけで精いっぱいだった。
280
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:05:34
歪む景色。揺らぐ視界。
その中で、祈は横に深雪が立っていることに気付いた。
周囲が歪んでいるのに、深雪はそのままだった。
術で移動させられる対象となった者は歪んで見えない、ということなのだろう。
「深雪さん。さっきはありがとね。色々とさ。ま、いきなり髪切られたのはびびったけど」
深雪はじっと祈を見て何か考えていたようだが、何かの結論に達したらしく、
祈の髪に櫛を差した。それは床に落ちた溶けない氷でできた髪飾り。
どうやら拾ってくれていたようである。
>「ゆめゆめ忘れるな、我は人類の敵。
>しかし、苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ」
そして、こんなことを言うのだった。
それは未来永劫親友でいてくれるという誓いのような、
もしくは――、何と表現してよいものか、まるでおとぎ話の騎士が王様やお姫様に忠誠を誓うような。
ティアラでも被せるかのような動作で。
なんだかおかしくて祈は笑った。
「ありがと、深雪さん。これからもよろしくね」
そう言って、祈が瞬きを何度かするうちに。
歪んだ景色も揺らぐ視界も治まり、玉藻御前の姿も豪奢な宮殿も消え失せて。
東京ブリーチャーズは新宿御苑に戻ってきた。
ぐしゃぐしゃに荒らされ、見る影もなくなった景観。
砂埃に混じる戦いの残滓。酒の香りと、静寂。
呼び出される前と同じ場所に戻ってきていた。
だが、
「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
そこには尾弐の姿だけがない。どうしたことだろう、と祈が思うのも束の間。
結界の外から陰陽寮の人間と思しき者が現れて、祈達に戦いの結果や体は大丈夫かなど質問し始めた。
また、結界の外では警察が新宿御苑内に一般人が入れないように黄色いテープなどを貼り始め、周囲が騒がしくなる。
更に、生き残った妖怪の救助に当たっていた祖母が駆けつけたり、
颯やポチを担架に載せたり、今後のことを話したりしている内に。
いつの間にやら尾弐も現世に戻ってきていた。
祈には、なんとなく。その時の尾弐の表情は暗いように思えた。
281
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:08:14
それから一週間後。
祈達はノエルが経営するかき氷店、『SnowWhite』に集まっていた。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
『SnowWhite』の鏡に映る、後頭部の長い老人がそう集まった者達を労う。
祈はその言葉を、テーブルの上に組んだ腕に顎を乗せて、つまらなそうに聞いていた。
「ふぁ……」
雲外鏡と繋がれた鏡は、テレビ電話のようにぬらりひょん富嶽の姿を映し、声を届ける。
ぬらりひょん富嶽が再び口を開いた。
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
今日集められたのは、富嶽から今後のことを聞く為だった。
話の中で注目したいのが、『いまのところ姦姦蛇螺より強い奴はいないだろう』という部分である。
つまり今後、ドミネーターズとの戦いで、姦姦蛇螺ほどの強敵と戦うことはない、ということであるし、
ドミネーターズは切り札を一枚失ったということでもある。のだが。
まだ厄介な祟り神自体は何柱もいるらしい。
祟り神に限定しなければそれこそ何柱でも厄介な者はいるのだろう。
そもそもあちらには、悪魔だって何柱もいるのである。
それらを総動員すれば、姦姦蛇螺以上の厄災を振りまくことも可能だろうと祈には考えられた。
結局のところ、まだ、何も終わっていないとも言えた。
それにしても。
282
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:09:21
「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
ミルクと砂糖がたっぷり入ったアイスコーヒーを、
意味もなくストローででくるくるとかき混ぜながら祈はつぶやいた。
ここで飲むアイスコーヒーだっていいけど、あの時温泉で飲んだコーヒー牛乳だっておいしかった。
また温泉旅行行きたいなーみんなで。タダで行けないかなー。などと祈は思いながら、
テーブルに突っ伏して、足をバタバタとさせた。
ポチの右目だって傷が不完全なら温泉に浸からせて治してやりたいし、
玉藻御前に会った後の尾弐だってどことなくだが元気がないような気がするし、
橘音だってもしかしたら温泉に浸かったら前みたいに人間の姿に化けられるようになるかもしれないのだ。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
「マジで!?」
祈はがたっと立ち上がった。感情の起伏が大きい子である。
祈が驚くのも無理はない。祈と父と母が死んだのを切っ掛けに失われた、
妖怪と陰陽師の繋がり。それが再び繋がることになるのは大きい。
本当にそうなれば、きっと赤マント率いるドミネーターズから日本を守る大きな戦力になるだろう。
日本妖怪の多くは姦姦蛇螺との戦いで散ってしまい――それは残念だが――、
まだその五大妖のボスや力ある妖怪たちは残っているのだから。
祈が驚きに立ち上がってすぐ、
祈のパーカーのフードから、ピョイと赤い蛇が顔を覗かせる。
祈が急に動いたことに驚いたようで、ちょろちょろと舌を出して周囲を窺っていた。
富嶽のニヤリとした表情を最後に鏡が暗転し(本当にテレビ通話のようだ)、元通りに店内を映すようになる。
「あ、ごめんヘビ助。驚かせちゃったな」
祈がそう言って宥めると、再びフードの中で丸くなる姦姦蛇螺、もとい。“ヘビ助”。
家に置いておくと、ハル(ハルファス)は大人しいのだが、
敵視しているのか、餌に見えているのかなんなのかわからないが、マル(マルファス)がヘビ助を啄もうとするので、
大人しいこちらを連れてきたのだ。とりあえずあの二匹は大きめの段ボールに隔離してある。
なにはともあれ一つ言えるのは、祈にはネーミングセンスがないと言うことである。
祈は椅子に座り直す。
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
>「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
>「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
白狐の姿に戻った橘音がそうため息交じりに語るのだった。
アスタロトと魂を分かった橘音であるから、アスタロトの考えはわかるであろう。
その橘音ができることはないと言うのだから、本当に今はやることもないに違いない。
祈の小遣いでは今から皆を温泉旅行にも連れて言ってやれないことだし、適当に休むしかないのだろう。
「そうすっか。あたしは買い物あるから、帰ることにするよ」
今日はハルとマルを入れる鳥かごを買って、
それから今日と明日の分の食材を買わねばならない。
祖母は入院中の母につきっきりで、自分と動物たちの世話は祈がやらなければならないのだから。
祈はアイスコーヒーをストローでずずーっと飲み干し、代金をテーブルに置くと、
さっさとドアの方へ小走りに走って行ってしまう。
「そんじゃ、またね。“雪野さんも”」
扉を開けながらそう悪戯っぽく言い残して、祈はパーカーのポケットに手を突っ込んで、店を出て行った。
祈がどうにも元気がないのは、母と祖母のことなどを含め、心配ごとが尽きないからであった。
283
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:13:54
スーパーで食材を買い込み、ペットショップで大きめの鳥かごを買って、
帰路につきながら、祈は思い出していた。母とポチが入院した夜のことを。
ブリーチャーズの誰もがいなくなった(と思われる)病院。
祈もまた病院で手当てを受けて、
颯が眠っている病室の前、暗くなった廊下で、祈は祖母と僅かに話をした。
「お聞き、祈。アタシは颯の“看病”をしなきゃならない。
姦姦蛇螺の体に長いこといたこの子が、どう影響を受けているか分からないからね。しばらくは様子を見るつもりだ。
祈、あんたには寂しい思いをさせることになる。
自分で料理を作ったり洗濯物の用意をしたりするのも大変だろうけど、できるかい?」
「うん」
祈は頷いた。祖母がこんな口調の時は何かある時だから、わがままは言わないつもりだった。
「ごめんよ、祈」
祖母はそう言って、病室に戻るつもりのようだった。
病室の扉を開けて、後ろ手に扉を閉めようとするその背中に、祈は問う。
「あのさ。ばーちゃん。聞きたいことあんだけど、いい?」
「なんだい、言ってみな」
手を止めて、少しだけ固い声で祖母が応えた。
「橘音の上司の人からちょっと聞いたし、御幸もそんな感じのことを言ってたんだけど、
あたしって……なんか運命を変えたりとか、そういう危険な存在なの?
あたしがいると陰陽のお断りが乱れるとか、よくわかんないこと言われたよ」
祖母は溜息を吐いて、振り返った。
開きかけの部屋の光が僅かに漏れる。
「……誰でも、運命を切り開いたり、変えたりする力は持ってるもんさ。
ただ祈、あんたはそれがちょいと人より強いんだ」
逆光の中で、祖母が少しだけ優しい表情をしたのが祈には見えていた。
「それは人から見たら危険に思えるかもしれないね。
なんせあんたの心持ち一つで、もしかしたらこの世は地獄に早変わりするかもしれないんだから」
そこで一旦言葉を区切り、祖母は続ける。
「でもね、祈。アタシはそうは思わない。あんたは颯を連れて帰ってきてくれた。
姦姦蛇螺だって助けてやったじゃないか。
姦姦蛇螺を倒したお陰で、東京は何事もなかったように回ってる。これはすごいことだよ。
あんたは……あんた達はよくやった。
祈、あんたの力はこの世に地獄を作るものじゃない。きっと誰かを助ける為にある。
そして戦いの後はアタシの、いや、アタシ達のところに必ず戻って来る。
アタシはそう思っているし、そう信じてるよ」
祖母はそう言って、祈を優しく抱きしめた。
「……ありがと、ばーちゃん」
排除されそうになった理由を知り、僅かに不安だった祈の心がほぐれていく。
十数秒、そうしていると。祖母が祈から手を放して、
自身が着ているライダースーツをまさぐって財布を取りだした。
その中から、お札を何枚か取り出して祈へと渡す。
「そうそう、こいつは当面の生活費とお小遣いだよ。
お菓子は買って構わないが、家族が増えたんだから無駄遣いはするんじゃないよ。
それから、寂しくなったらすぐおいで。颯はしばらく寝たままかもしれないが、
あんたの声が聞けたら少しは起きようって気になるだろ」
「……うん。またね、ばーちゃん」
――そう言って祈と祖母は別れたのだった。
あの日から一週間経ったのだがが、事態は進展していない。
あれから毎日祈は、病院に寄って祖母に着替えや料理など必要なものを届けている。
「ハルもマルもいっぱい食べるし、母さんは寝たままだし、ヘビ助は水しか飲まないし。ばーちゃんは戻ってこないし。
尾弐のおっさんは結局元気なのかな。ポチの右目も治るのかな……よくわかんない。
モノはイケメン騎士Rが守ってるかもだけど、……ちゃんと生きてっかな。みんなにはいつ話したらいいんだろ。
あたしのこの力のことも分かんないし……心配事はつきねーなー」
帰りに、ふと尾弐の作ってくれたオムライスやコンソメスープを思い出して、
なんとなく卵と玉ねぎやトマトや鶏肉やらを買い足した祈だった。
284
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:16:17
翌日。朝になると、祈は物音で目を覚ました。
「むが……」
トントン、と食材を刻む、軽快な包丁のリズム。
ドアの隙間から漂ってくるコンソメの匂いには覚えがあった。
尾弐が一人でいる祈を心配して、もしくは祖母に頼まれて
またオムライスとコンソメスープを作りにきてくれたのかもしれない、と祈は思う。
鳴る前の目覚ましに手を伸ばし、アラームを止める。祈は布団から上体を起こした。
そしてゆるりと立ち上がると、そこで耳に僅かに聞こえる包丁のリズムが、
尾弐の僅かに荒々しいリズムと異なることに気付く。
だが、祖母とも違う。祖母に比べてテンポがゆったりしているし、
祖母はコンソメスープを作ったことがない。
予感に、祈の心臓がはねた。
誰だろう、と思うより前に、もしかして、と思った。
祈は慌ててドアを開け、台所へ向かう。そこにいたのは。
「かあ、さん……?」
台所には、エプロンを着けた女性の後ろ姿があった。
エプロン姿の颯が朝食を作っていた。
祈の中にあるもしかして、が的中したのだ。
颯が振り向き、祈へ微笑む。
>「あら、おはよう。もうすぐ朝ごはんできるから、先に顔。洗ってきなさいね」
祈は小さく返事をして、顔を洗いに洗面所に向かった。
そして顔を洗いながら、きっとこれは夢だろうと思う。
祈が小さい頃によく見た夢とそっくりだったからだ。
これは、母が祈の為に料理を作ってくれる夢。
昔はその姿はおぼろげだったものだが、姦姦蛇螺から助け出した母の姿を見ているから、
きっとその姿が焼き付いて、リアルに見えているのだろう。
そんな風に祈は思う。
しかし、なんと幸せな夢だろう、そう思った時、祈は頬をつねろうとした手を降ろす。
何もすぐ起きる必要はないのだ。暫くこの夢を見ていようと思った。
祈が居間に戻ると、颯がオムライスやコンソメスープをテーブルに並べている所だった。
>「……病室で目が覚めたんだけれど、あんまりみんなが大騒ぎするのも困るし。それに――」
>「身体が動くと分かったら、居ても立ってもいられなくなっちゃってね。だから……勝手に退院してきちゃった」
そう言って、お茶目に小さく舌を出す颯。
夢の中の母さんはお茶目なんだ、と祈は思う。
>「ま、まぁ、母さ――おばあちゃんには言っておいたから!おばあちゃんが手続きはしてくれるはずだから!」
>「……それに。あなたに一刻も早く逢いたかったから」
さすが夢。抜け出した理由までしっかり説明してくれるし、会いたいって母さんから言ってくれるんだ。
そう思いながら祈が食卓に着くと、嬉しそうに颯は続ける。
>「14年ぶりの我が家だけど、変わってないわねー!調味料の置き場所もそのまま!」
>「買い物に行く時間まではなかったから……あり合わせのもので作ったけど。お口に合うかしら?」
そう言って、スプーンを差し出す颯。
祈は『ばーちゃんは新しいやり方好きじゃないから、ずっと前のまんまなんだよ。新しい料理だってあんまり作ろうとしないし』
なんてことを言おうと思ったが、上手く口が動かず、はにかみながら、スプーンを受け取って、『ありがと』とだけ返した。
颯はテーブルの上で軽く腕を組み、祈をじっと見つめている。祈が料理を食べるのを待っているようだった。
祈は『いただきます』と言って、オムライスをスプーンですくって一口口に入れた。
そして、この味はと思う。
「おいしい」
尾弐が作ってくれたオムライスと同じ味だった。
また食べたい、何度でも食べたいと思った味。そして、母が作っていたと言う料理の味。
『母さんの作っていた料理だって言われたからって、夢の中でも同じ味のオムライス出てくるなんて』、と祈は笑った。
こんなにおいしいんだから、きっと目が覚めたら布団はよだれでびちゃびちゃかもしれない。
285
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:23:55
>「そのオムライスはね、あなたが生まれたら作ってあげようって。食べさせてあげようって……そう思ってた料理なの」
>「……やっと。食べてもらえた」
夢中になってオムライスを頬張る祈へ、颯が微笑んで、手を伸ばした。
祈がそれに気付いて動きを止める。
>「おべんと。ついてるわよ?」
颯がそう言って祈の頬へ触れた。
祈の頬に付いてたご飯粒が、颯の口元へ持っていかれる。
わずかに指先が触れた時、祈は颯の指が触れた“感触”と“体温”を感じた。
颯の指先が触れた頬を、祈は左手でなぞる。
そのまま、思い切りつねってみると、鋭い痛みが走った。
だが、目は覚めない。否。目は既に覚めている。
祈と颯の目が合う。
「夢じゃないんだ……」
祈がぽつりと呟く。
母がこの場にいるのも。おいしい料理を作ってくれたのも。
「夢じゃ、ない"んだ……」
あんなにも望んだ景色が目の前に在るのも。
祈の目から涙がこぼれる。ぽろぽろと、ぼろぼろと。
「ゆべじゃな"い"ん"だっ……!!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
袖で拭っても拭っても、涙は止め処なく溢れてくる。
颯の目にも涙が浮かんでいた。
>「祈の声、ずっと聞こえてた。姦姦蛇螺の中でずっと……外に出てからも」
>「離れ離れでいて、ごめんね。ひとりぼっちにして、ごめんね。不出来な親でごめんね――」
祈は違うと言いたいが声にならなかった。
父さんと母さんは東京を守ってくれてたんだと、仲間や人々を守るためには仕方なかったんだからと。
それに友達だって、祖母だっていたんだから寂しくなかったと。
そんなことを言いたかったが、首を振るしかできない。
>「14年も遅刻してきたけど。あなたと一緒に、なんにも思い出を作ってあげられなかったけど……」
>「でも。それでも。もし、祈……あなたが許してくれるなら……」
>「……また。あなたのお母さんをやってもいい……?」
胸に手を当てて問う、颯。
「っ、あたりまえだよっ、かあさんっ!」
祈は颯に飛びついて、わんわん泣いた。
母が帰ってきてくれたことが、こんなにも嬉しい。
祈の心は春の日差しのように暖かな気持ちで満たされていた。
286
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:45:22
昔世界を股にかけて悪逆の限りを尽くした挙句に、今は神に近い存在となっている御前。
その有様は人類の敵としての役割を背負わされた災厄の魔物とどこか似ていて。
世界の歯車としての役割から解放されたいと心の奥底では思っているのではないか――
と踏んで組み立てた論法なのだが、御前が心を動かされる様子はない。
ノエルは自らの説得が失敗したことを悟った。
もはや頼みの綱はポチと尾弐だが……
「ポチ君!」
ポチが自らの首に爪を食い込ませているのを見て、ノエルは声を荒げる。
ポチが自死してまで祈を手にかけるのを拒否したところで、何の意味もない。
実も蓋もなく酷い言葉で言ってしまえば、自己満足の無駄死にだ。
深雪が強制力に耐えかねて殺すかもしれないし、尾弐に命じることだって出来る。
もっと言えば、これが単なる悪趣味な戯れではなく、決定事項として祈を消そうと思ってのことなら、
最終的には御前自ら祈を手にかけることだって容易いのだから。
ポチに駆け寄ろうとするノエルを、同一存在である深雪が思念で制止する。
《――よせ、やらせておけ》
「なんで!?」
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
《忘れたか? 運命を変える力を持つ者の共通項……》
ノエルははっとする。
今しがた姦姦蛇螺を浄化したのは祈、それは間違いない。
しかしあの満月の夜、《獣》は銀の弾丸でないと倒せないという理を捻じ曲げたのは、状況から考えるとどちらかというと――
否、そんな数百年に一人現れるか現れないかの存在が、同時代に増して同じチームに二人存在するなど、あるはずがない。
第一、本当にそうだとしたら御前はポチにも目を付けているはずだ。
いや、本当にそうか――? 万が一、億が一、そうだったとしたら。
御前ですらもそんなことがあるはずがない、という思い込みの元に
全て祈の仕業だと思って見逃がしている、という可能性もありはしないだろうか。
しかし、ポチが気絶に及んでも、今のところ何も起こる様子はない。
その上、尾弐は残酷な――しかし正論を淡々と告げる。
>「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
>「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
「よし、ではここは我がサクッと――」
尾弐の言葉に便乗するかのように、深雪が氷の鎌を出現させ祈に飛び掛かる。
容赦なく氷刃が一閃。宙を舞ったのは祈の首――ではなく艶やかな黒髪。
髪は女の命――という言葉のあやを気合で思い込むことで狙いを逸らした無理矢理な二流の頓智のような手法だった。
櫛型の髪飾りが弾みで外れ落ちる。
「髪は女の命なんだから! それに昔から長い髪には魔力が宿るって言うし!
これで特殊な力は無くなったんじゃないかなーってことで何とか許して!
あとSnowWhiteの回数無制限無料券あげるから! オマケに僕のヌード写真集もつけとく!」
287
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:47:03
説得は失敗しポチは気絶、八方ふさがりになったと感じたノエルは、大混乱の形振り構わぬ助命嘆願に突入したのであった。
あとは尾弐に全てを託してひたすら時間稼ぎをするだけだ。
「深雪、ついでに髪飾り回収しといて! よく考えると縁起悪いし!
きっとそんなものあげるからこうなっちゃったんだし!」
そしてどさくさに紛れて櫛型の髪飾りを回収するように深雪に言うノエル。
深雪はそれを受けて素直に髪飾りを拾う。
櫛を贈るのは、苦、死、に繋がるとして一説では縁起が悪いとされているのである。
姦姦蛇螺の中では勢いでやってしまったのだが、今更ながら気付いたのであった。
「それもそうかもしれぬな。しかしおかしいな――まだ死なぬぞ?」
深雪が切った側の髪を更に細かく刻みつつ地味に御前の術に抗い続けているというシュールな光景が展開される。
そこで尾弐が無表情で祈に歩み寄り、容赦なく手をその頭上に掲げ――
>「悪いな祈の嬢ちゃん」
――優しく祈の頭を撫でたのであった。
>「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
「また出たよツンな前振りかーらーのーデレ!
まあ分かってたけどさ……今回は流石に心臓に悪いよ!」
尾弐は祈を殺すことで起こり得る現実的な不利益を語った上で、祈の力が悪い方向に作用するのを全力で阻止するという。
根拠のない推測を基にしたノエルとは違う、地に足が付いた説得を行ったのであった。
>「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
御前は暫く沈黙したかと思うと、狂ったように、しかし心底楽しげに笑い始めた。
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
「何それどういう意味!? 怖っ! めっさ怖っ!」
>「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
>「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
「へ? 合格……?」
>「……それでいいよ」
暫く呆然と御前の話を聞いていたノエルだったが、ポチの傷が癒され祈の拘束も解かれるに至り
なんとかこの場を切り抜けたのだということを認識する。
288
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:48:34
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
こちらの返事も待たずに、景色が歪み始める。
当然返事をするまでもなく契約は成立、もう要件は終わりということだろう。
現世に戻される途中の時空の狭間の中で悪態をつく深雪だが、もはやそれが相手に届くことは無い。
「誰が雪ン娘だ、我を誰だと思っておるのだ……! 誰がそんな約束など……」
口ではそう言いつつも、分かっている。もう後戻りはできないことを。
“でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ”
“イノリンが『イレギュラー』じゃなくて。現行の法をより善い方向に改革する存在なのだとしたら――”
先程のノエルの言葉と、御前の言葉を思い出す。それらを繋いで導き出される結論は一つしかない。
「記念すべき改革第一段が我だと……!? ふざけるな! 雪の女王にクリスめ、よもや謀ったのか……!?」
歴史の転換点には特別な力を持つ者が生まれる――漠然とそれを狙ってのことだったのか
それとももっと綿密に仕組まれた出会いだったのか。
どこまでが仕組まれていたことでどこからが偶然なのかはもはや分からない。
しかし、どんな経緯であろうと、出会ってしまったのだ。
人類の敵たる災厄の魔物を、次なる何かに進化させる存在に。
そっと目を閉じて今までの祈の姿を思い出す。
飢えて妖壊と化した鎌鼬に自らの血を与える献身。
満月の下、瀕死のシロを抱え空を駆けた決して諦めない心。
自らの命も危ういという時に、無力な雛と化したマルファスとハルファスを安全な場所へと運ぶ優しさ。
小さな蛇と化した姦姦蛇螺を必死で守ろうと御前に食って掛かった勇気。
何よりノエルが災厄の魔物としての力を発露し人に害を成した過去を知っても、
人類文明への底知れぬ憎しみを宿す魔性の精霊だと知っても、それでも共にいたいと願ってくれたこと。
「まあ……良いか」
深雪は目を開けると、吹っ切れたように微笑み、祈へ歩み寄る。
どう切り出そうかと思っている間に、祈の方から話しかけてきた。
>「深雪さん。さっきはありがとね。色々とさ。ま、いきなり髪切られたのはびびったけど」
「例なら癪だがあの鬼小僧に言うことだな。ノエルの奴め、的外れな説得をしおって。
きっとあの女狐は変わりたいなどとは露ほども思っておらぬのだろうな」
289
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:51:13
そして深雪は女王にティアラでも戴冠するかのように、祈に髪飾りを付けなおす。
「ゆめゆめ忘れるな、我は人類の敵。
しかし、苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ」
原初の恐怖として人間が踏み込んではいけない最後の領域を守る――それが自らの役目だ。
でも、恐怖で牽制する以外の手段でそれを果たす道があるのだとしたら――その時は、人類の敵でなくなったっていい。
龍脈とは、地球の原初のエネルギー。
つまり、龍脈にアクセスする力を持つ者は、自然と人とを繋ぐ者ともいえるのだ。
「ああ心配するな、対価はすでに十分すぎるほど貰っているのだからな――」
>「ありがと、深雪さん。これからもよろしくね」
ここに、契約は成立した。
膨大な妖力を持つ氷雪の魔物が年端もいかぬ半妖の少女に忠誠を誓ったのだ。
……何故か、ノエルが露知らぬ間に。
一方のノエルはというと、現世に戻った途端に御前を凄い勢いでディスり始めた。
「マジでなんなんアイツ! 何あの上から目線の決めつけ!
大体むやみに善悪を切り分けないのが日本妖怪の美徳じゃないの!? 欧米かっつーの!
上司ってのは大体碌なもんじゃないとは噂で聞いてたけどそれにしたって最低最悪のクソ上司だわ! もうアイツラスボスでよくね!?」
小学生にありがちな“馬鹿っていう奴が馬鹿っていう奴が馬鹿”パターンに陥っている。
本人を前にしている時は”僕はお前を必ずしも穢いとは思わない”とか言っていた癖に、目の前からいなくなった途端にコレである。
もちろん説得のためというのもあるが、しかしあれもまた本心なのだ。
何が善で何が悪で、何が美しく何が醜いかなんて、立場や見る方向によって容易く変わる。
だからこそ決めつけることなんて出来ない。
あれは世界を俯瞰する雪の王女としての見解、こちらはブリーチャーズのメンバーのノエルとしての個人的な意見、ということだ。
それはそうと、主人公の所属する組織のトップとか依頼人が諸悪の根源というのは割とよくある話である。
ついでに九尾の狐がモチーフの妖怪がラスボスの話もどこかにあった気がする……。
>「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
祈にそう言われ、我に返る。確かに尾弐の姿が見当たらない。
「まあ……ちょっとした誤差じゃないかな? すぐ出て来るって!」
ノエルがそう言った通り、尾弐も程なくして姿を現した。
そして人間社会向けの対応やら負傷者を搬送したりで忙しく、結局その時間差について深く考えることは無かったのであった。
ついでに、深雪に回収させたはずの髪飾りをまた何故か祈が付けていることに気付いたが、
今更縁起が悪いから返せと言うわけにもいかず、そのままにしておくことにした。
こうして今度こそ、姦姦蛇螺の復活から巻き起こった騒動はひとまず完結したのである。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
290
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:52:44
あれから颯とポチは河原医院に搬送されて即入院となった。
ポチは数日で退院したが、颯は意識が戻らず母親のターボバババアこと菊乃がつきっきりで看病することになり、祈は急に増えたペット達と共に家に残された。
その間ノエル――否、みゆきは毎日祈を迎えに行き、一緒に学校に行って、帰りに家に寄ってペットの世話を手伝ったりした。
颯の具合やレディベアのそっくりさんの話題には敢えて触れずに、ただ何気なく一緒にいるだけ。
それぐらいしか出来ることがないのであった。
ただ、そっくりさんについては祈が言い出しやすいように、なんとなく分かっているよ、
というオーラを折を見て仄めかしてみたりもした。
ちなみに店は大丈夫なのかという疑問が出そうだが、バイトの従者もいるし、
平日は客が増えるのは放課後の時間帯ぐらいからなので、平日昼間不在にしても店の運営に大きな支障はない。
こうして一週間が経ったころ、一同はSnowWhiteに集められた。富嶽から話があるという。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
「だねぇ」
明らかに、迷い家の温泉に湯治に来いと言っているが、当然祈にはそんな金銭的余裕はない。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
>「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
>「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
傷と疲労を癒すことに専念といっても、今は白狐の姿の橘音は、湯治の引率者になることは出来ない。
>「そうすっか。あたしは買い物あるから、帰ることにするよ」
祈はアイスコーヒーを飲み干すと、代金をテーブルに置いて帰ろうとする。
ノエルとしてはこの間柄で別に代金なんていらないのだが、それでは祈の気が済まないらしいので有難く頂いているのだ。
しかし普段はともかく、こんな時ぐらいはアイスコーヒーぐらいご馳走させてほしい
そう思って祈りを呼び止めようとするが……
「祈ちゃん! ……いや、やっぱ貰っとく」
何かを思い付いたらしく、結局代金を回収するのであった。
291
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:54:14
>「そんじゃ、またね。“雪野さんも”」
祈はそう悪戯っぽく言いながら扉を出ていく。
ここでその呼び名が出るということは、ノエルがみゆきになって学校に潜入しているのが
少なくとも嫌ではないということなのだろう。
(体育の着替え問題は、とりあえず更衣室の隅で壁の方を向いて着替えるという苦肉の策をとっている)
ノエルは祈を追うように扉から出て、去っていく祈の後ろ姿に向かって声をかける。
「旅行の積立金として貰っとく! 颯さんが目を覚ましたらみんなで一緒に迷い家に行こう!
もちろん颯さんも一緒にね!」
それは颯が目を覚ますのをもはや決定事項とした温泉旅行のスポンサー宣言であった。
その後、夕方になった頃に皆で颯のお見舞いに行ったのだが。
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
橘音や尾弐ですら面会謝絶なのだから、部外者のノエルなど完全に蚊帳の外である。
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
「橘音くん……」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
悲壮な決意を固めたように医院を出ていく橘音に、ノエルは只事ではない気配を感じ問いかける。
「橘音くん! どこ行くの!?」
橘音は颯を救う手立てを乞いに行くとだけ告げ、仲間達には有無を言わさぬ様子で待機しておくように命じたのだった。
こうなった橘音はもはや止めることは出来ないと悟ったノエルは、止める代わりにせめてもの条件を告げるのだった。
「分かった……でも御前のところだけは行っちゃ駄目だからね!
上司ってのはさ……本当は部下を温かく見守って困ってたらさりげなく手を差し伸べるもんでしょ!
少なくとももし僕が上司になったらそうするね!」
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
292
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:56:10
次の日の朝、ノエルはまたみゆきとなっていつものように祈を迎えに行く。
そしていつものようにピンポンを押そうとして……いつもと違う気配に気づいたのだった。
今はこの家には動物以外は祈しかいないはずなのに、微かな話声が聞こえる。
不思議に思い、窓からそっと覗いてみる。
そこにはどこにでもあるような――しかし多甫家にとっては奇跡のような母と子の朝食の光景があった。
「え、えぇええええええええええ!?」
思わず大きな声を出して気付かれてはいけないと慌てて口を塞ぐ。
十何年ぶりの親子水入らずに水を差してはいけない。
「良かった……良かったね!」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら泣き笑いしつつSnowWhiteに戻り、ハクトに告げる。
(もしもうまくポチに会う機会があればポチにも)
「きっちゃんを連れ戻してきて! 颯さんが目覚めたからみんなで温泉旅行行こうって言って!」
橘音は行き先を告げていないが、ハクトの霊的聴力とポチの霊的嗅覚があれば、連れ戻されるのはすぐだろう。
そこはあまり心配せず、すぐに思考は颯にどう挨拶しようか、等という割とどうでもいいことに移っていった。
旧知の仲の橘音や尾弐はいざ知らず、ノエルは颯にとってポッと出の得体の知れない妖怪である。
もしノエルの姿で「お嬢さんと仲良くさせてもらってます」なんて言った日には
妖怪界では別に何の問題もないのだが、もし颯が人間寄りの感覚の持ち主だったら、下手したら即通報されかねない。
ここはやはり最初はみゆきでいって、イケメンにも変身できる美少女妖怪といった設定でいくのが得策か――
いやしかし変態が美少女に化けて娘に近づいてるって解釈されたらもっとヤバイのではないのか。
でも実際にこっち(みゆき)が原型だし!嘘じゃないし!
等と不毛な思考のループを繰り広げた挙句に「そうだ、祈ちゃんに相談してみよう!」という結論に至り
先に学校に行って祈が来るのを満面の笑みで待っているみゆきであった。
293
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 01:44:23
頸動脈を自ら引き裂いてポチは倒れた。
視界は急速に暗転して、すぐに何も見えなくなった。
脳への血流が著しく低下した事によって気を失ったのだ。
『馬鹿が!馬鹿が馬鹿が馬鹿が!無駄だと言っただろうに!』
だが無意識の、死を前にした暗闇の中で、ポチは声を聞いた。
『今すぐお前の体を渡せ!俺の力ならばまだお前を助けられる!
どの道あの娘は、お前の仲間に殺されるぞ!
ならばここで死んで何になる!無駄死にだ!』
『獣(ベート)』の声だ。
「……いいや、駄目だね。だって、今起きたらまた僕は祈ちゃんを殺そうとする。お前もそうだろ」
己の魂と結びついた存在であるが故だろうか。
肉体的には確かに意識を失っているのに、ポチは『獣』と言葉を交わす事が出来た。
『何度も言わせるな!あの娘はどうあっても殺される運命だ!
お前が殺そうが、お前の仲間が殺そうが、何も変わらないだろう!』
「いいや。僕は僕の運命を変えた。自分の意思で。祈ちゃんの力なんて関係ない。
運命は、僕にだって、誰にだって変えられる。僕は御前にそう証明しなきゃいけないんだ」
御前がポチの死を、そう都合よく解釈してくれる可能性は、限りなく低い。
それでもこれだけが祈を救う為に、ポチが出来る唯一の行為だった。
方法があるのに、我が身可愛さにそれを実行に移さない。
そんな事はポチには出来なかった。
『あの白狼を残して死ぬつもりか?今すぐに、体を寄越せ』
「……僕は、妖怪だ。もし僕がこのまま見殺しにされても……いつかまた、送り狼は蘇る。
そうしたら、またシロちゃんを見つけるさ」
『そんな事が、本当に起こると思っているのか?』
『獣』の問いかけに、ポチは答えなかった。
ポチが口にした「いつか」は、恐ろしく遠い未来になるかもしれない。
再びこの世に生まれ落ちた送り狼が、自分であるかも分からない。
いや、そんな事が起こる可能性は限りなくゼロに等しい。
だとしても――自らの手で祈を殺す事は決して出来ない。
ならばこれ以上の対話は無意味だった。
暗闇の中、ポチは自分という存在が少しずつ消えていくのを感じていた。
まどろみ、眠りの底に落ちていくような、不在の妖術を使った時とよく似た感覚だった。
294
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 01:44:56
『……体を貸せ』
ふと、『獣』が再び声を発した。
ポチは答えない。
回答はどうせ変わらないし――それに強烈な眠気を感じてもいた。
『あの娘はもういい。お前の体を治すだけだ。だから早く体を貸せ』
だが――不意に『獣』の声音が変わった。
怒りが薄れ、代わりに――僅かな焦りが、その声からは感じられた。
「……一体なんの駆け引きだ?」
『獣』にとってポチの肉体は、自分の思い通りに動かせない檻に等しいはずだ。
ポチが死んだところで『獣』はまたこの世のどこかに再臨する。
にもかかわらず自分の延命を提案してきた理由が、ポチには分からなかった。
「いや……お前の狙いがなんであれ、どうせ罠に決まって……」
『黙れ、もう時間がないのだ。誓ってやってもいい。
あの娘には手を出さん。だから早く、俺に体を――』
ポチは自分に何かが歩み寄ってくるのを感じた。
己の精神の世界の中で、暗闇の奥に、赤黒い獣の姿が見えた気がした。
「……『獣』?」
そして――不意に、ぱちんと、小気味いい音が聞こえた。
気がつけばポチは目を開いて、祈の顔を見上げていた。
それから数秒呆然とした後に、どうやら自分は治療を受けられたようだと理解する。
それに――祈も無事、見逃してもらえたのだと。
右手を彼女の頬に触れると、ポチは安堵の笑みを浮かべた。
「……良かった。無事だったんだね」
だが――自分のものであるはずの腕が、恐ろしく重い。
仰向けの状態から手を上に伸ばす。
ただそれだけの事が維持出来なかった。
傷は消えても、大量の出血があった事には変わりない。
すぐにまた、ポチの意識は朦朧としつつあった。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
気を失っていたポチには、その尾弐の約束がどういうものなのかは分からなかった。
だが――祈の望まないような事が起こらないようにする。
御前の言葉の意味が、そういう事であるならば――そんな事はポチにとっては当たり前の事だ。
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
>「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
「……祈ちゃんを殺さないでくれて、ありがとう」
周囲の空間が歪んでいく中で、ポチは絞り出すような声でそう言った。
御前は強い。その気になれば決して抗いようのない手段で祈を殺せただろう。
だがそうはしなかった。
その理由がただの戯れだったとしても、御前は戯れてくれたのだ。
ポチはそのように考えて、だから彼女に礼を言った。
295
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 02:21:55
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
そうして、ポチは気づけば新宿御苑へと戻っていた。
>「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
祈が不思議そうに呟いた。
ポチは体を起こして辺りを見回そうと思ったが――やはり体に力が入らない。
上体を起こしても、腕で支え続ける事が出来ずにすぐに倒れてしまった。
ポチは諦めたように、五体を地面に投げ出した。
尾弐の事は気がかりだが、御前との付き合いが長いようだし、今後の具体的な方針の話でもしているのかもしれない。
別れ際の御前の態度から、まさか尾弐が居残りで説教を受けているとは考えもしなかった。
その後、ポチは担架に乗せられて河原医院へと運び込まれた。
首の傷は御前の力により完全に消え去っていたが、それによる衰弱には治療が必要だった。
それに、袈裟坊の銃弾によって撃ち抜かれた右眼にも。
結果として、ポチの入院生活は三日で終わった。
河童秘伝の薬物によって肉体の衰弱はすぐに回復したし、
逆に右眼はまったく回復の兆しが見られなかったからだ。
ひとまずポチは眼帯と義眼を用意してもらって、
目の状態に関してはよほど強く聞かれない限り黙っておく事にした。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
そして今、ポチは『SnowWhite』にいた。
特に用事のないブリーチャーズのメンバーがここに集まるのはいつもの事だが、
今日は富嶽から皆へ、何やら話があるようだった。
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
>「だねぇ」
「……迷い家の温泉かぁ。行きたいような、行きたくないような……」
最後に迷い家の温泉に浸かったのは、ロボとの激闘を終えた後だった。
あの時は散々ロボに叩きのめされて負った傷も、確かにすぐに癒えてしまった。
今度の右眼の傷も治るかもしれない。
だが――迷い家を訪ねれば、どうしてもシロと顔を合わせる事になる。
今回はかなりの無茶をしてしまったから――彼女はきっとひどく心配しただろう。
右眼の事も、彼女が知れば悲しむかもしれない。
その不安や悲しみに償う術が、ポチには分からない。
行きたくないような、とはそういう意味だ。
とは言えずっと黙っている訳にもいかないので、結局は顔を出して正直に話をして、謝る以外に出来る事などないのだが。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
「言えてる。なんだか真に受けるのは不安だし、一度芦屋さんにでも話を聞いてこよっかな」
とは言え、ポチも本気で富嶽の言葉を疑ってかかっている訳ではない。
ただそのような口実があれば、自然に右眼の傷について相談に行けると思ったのだ。
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
その後、ポチはノエルに誘われて楓の見舞いに行く事になった。
ポチに断る理由はなかった。
祈の母の状態も気になるが――病院に行けば右眼をもう一度診てもらえるからだ。
なんと言っても、二つしかない眼の片方なのだ。そう簡単に諦められる訳がなかった。
296
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 02:24:43
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
ポチは、陰陽寮にて、蘇生に失敗された安倍晴陽の肉体がどうなったかを見ている。
肉体の無事が、その人そのものの無事を意味しない事を知っている。
橘音も菊乃も、それを懸念しているのだろうとすぐに分かった。
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
「……そりゃ、そうでしょ。僕らも楓さんも生きてるんだから」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
そう言うと、橘音は医院を出ていってしまった。
ノエルが呼び止めても、橘音は振り返りすらしない。
いや、誰が止めようとも聞き入れはしないだろう。そんなにおいだった。
「……橘音ちゃん。忘れないでね。ハッピーエンドだよ。
僕らも楓さんも、生きてるんだ。勝手におしまいにしちゃ駄目だからね」
だからポチは橘音を引き止める事はせず、ただそう声をかけた。
そしてその日の夜。
ポチは寝床としているビルの屋上に戻ってきた。
「……なぁ『獣』。あれはなんだったんだよ」
目を閉じて己の内側へと語りかける。
華陽宮でポチが死の淵にいた時、『獣(ベート)』は焦っていた。
祈に手を出さないと約束までして、ポチの体を治させろと言ってきた。
一体何故、あんな提案をしてきたのか。
甘言に乗せてノエルと尾弐を殺すつもりだったのか。
だが、あの声音から滲む焦りは演技とは思えなかった。
「おい、聞こえてるんだろ」
しかし何度呼びかけても『獣』からの返答はなかった。
どれだけ自分の内側に意識を集中しても、その存在を感じ取る事は出来なかった。
徹底的に気配を隠しているのだろう。
「……色々と、聞きたい事があったんだけどな」
ポチは、『獣』とは決まった形などない、ただの力の塊だと思っていた。
けれどもあの時、無意識の暗闇の中で、ポチは確かに『獣』の姿を見た。
『獣』の存在に決まった形があるとすれば、何故ポチは送り狼の力を強める事が出来たのか。
「まぁいいさ。お前が黙っていてくれるなら、それはそれでありがたい事だよ」
とは言ったものの『獣』もいつまでも黙ってはいないだろう。
また今回のように、窮地に陥った時に邪魔をされても困る。
ノエルは、己の中の災厄と対話を成立させていた。
それどころか――自分は祈の味方であると、宣言させてさえいた。
自分もいつかはあれを目指さなくてはいけないのだろうと、ポチは考える。
その為のきっかけが、あの時の『獣』の言葉にはあったのではないか、とも。
「……くそ、まだ痛む。今ならお前とも長話が出来そうなのにな」
297
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:28:33
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
床へ額を押し付ける尾弐の耳に、御前の声が響く。
歓喜と狂気を合一させたかの様なその声色は、善や光などとは程遠い。
>「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
>「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
愛を讃えるその言葉は、愛と言う概念からかけ離れている。
けれどそれでも……願いは聞き届けられた。ポチとノエルの献身は、尾弐の無様は、御前から望む答えを引き出したのである。
だが、それは御前に条件を飲ました訳では無い。新たに契約を結んだが故の譲歩であるという事
その事を尾弐は、恐らくこの場に居る誰よりも理解していた。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
「……承知致しました。この身を賭して契約は履行します」
故に、尾弐は御前に対して下手には出るものの、感謝の意を示す事はしない。
ただただ、約束を果たす事を誓約する。
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
>「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
尾弐が感謝をしていない事は当然判っているであろう。だが、御前はそれについて口にする事無く、東京ブリーチャーズの面々を帰還させた。
かくして、祈が持つと推測される運命を切り開く力に対する問答はここに一先ずの解決を見せたのである。
そう、解決を見せた――――『祈の問題に関して』は。
298
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:29:39
全員がその場から送還された後も、尾弐は、尾弐黒雄だけはその場に残され、平伏を続けていた。
>「……なりふり構わぬとはいえ、よもや吾(われ)を脅すなどと――思い切ったもの」
>「災厄の魔物どもは赦したが、汝(うぬ)は赦さぬ。汝はその肉も魂も、すべて吾に売ったのだ。己が宿願のため」
「……承知しています。分を弁えず、あるまじき発言を致しました」
尾弐を睥睨する御前が纏う妖気は、もはや毒とでもいうべき濃度となっている。
並みの妖怪であれば意識を失ってもおかしくないその妖気の奔流の中、
苦痛に汗を流しながらも尾弐がまがりなりにも意識を保っているのは、偏にこの状況を想定していたが故の事であった。
>「千歳(ちとせ)の間に忘れ果てたか?汝の血肉、汝の魂魄。最早、汝の自由になるものは何一つたりとて無いことを」
「全ては我が身の不肖、如何様な罰を受ける所存です」
何かを得る為には、何かを失う必要がある。
御前から当面祈の命を保証するという『飴』を与えられた以上、東京ブリーチャーズは何かを失う必要があった。
其れは、御前の趣味という訳では無く……強大な力を持つ統率者が縛られる義務が故。
己に刃を向けた身内に甘さを見せては、支配と統率は立ち行かない。
外様に寛容さを見せる事は構わないが、身内に対しては厳罰を以って当たるが王道。
されど、様々な勢力の意図が絡んだ東京ブリーチャーズは身内とも外様とも言いづらい立ち位置にある。
そして、だからこそ東京ブリーチャーズが御前に刃向い益を得た以上、誰かが泥をかぶる必要があったのだ。
それには、以前より御前に従属する尾弐が相応しく……故に、尾弐は御前に恫喝をするという暴挙に及んだのである。
>「汝が大願はいまだ我が手にある。尤も――此度の僭越にて、半千年(500年)は成就が延びたと識れ」
「……っ」
御前の言葉に、拳を握り表情を歪める尾弐。
伏せた尾弐の顔は御前からは見る事は出来ないが、そこには怒りと……そして、後悔の色が見える。
>「汝は当分、吾の玩具で在れ。夢寐にも忘るるな、汝の希望、絶望――汝の総ては吾が握っているということを」
>「――往け。汝の大切な『嬢ちゃん』を護って遣れ。『法師』――」
「……御意に」
そうして、顔を伏せたまま、絞り出すように返事を返すと、尾弐は御前の力で現世へ送還されたのであった。
299
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:30:06
それから一週間後――――
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
当初は絶対安静の入院を強いられ、全身に包帯を巻くようなザマであった尾弐であるが、そこは鬼という種族。
恐るべき回復力を見せ、現在は『SnowWhite』でかき氷を掻き喰らう程に回復し、雲外鏡を通して姿を見せた富嶽の言葉を聞いていた。
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
>「だねぇ」
>「……迷い家の温泉かぁ。行きたいような、行きたくないような……」
「まあ、迷うなら行っとけポチ助。女に隠し事して見つかるのは怖ぇぞ。素直に謝んのが一番だ」
宇治金時のかき氷を流し込みつつ、他人事であるので気楽そうにポチに声を掛ける尾弐。
恐らくは、ポチが危惧している事を察しているのだろう。
真面目に心配しているのが半分、からかっているのが半分という、奇怪な表情を見せながらも、ブルーハワイ味のかき氷を追加で注文する。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「言えてる。なんだか真に受けるのは不安だし、一度芦屋さんにでも話を聞いてこよっかな」
「……ま、あの御老体の事だ。言った通り、悪いようにならねぇのは確かだろ。あんましデカい期待はしねぇ方がいいだろうがな」
そして、祈が帰宅するのを見送った尾弐は、冷えたコーラのコップの中に入っていた氷を口に含み、ガリリと噛み砕いて飲み込むと腰を上げる。
目指す先は――――祈の母、颯が眠る病院である。
……とはいえ、見舞いに行ったからといって颯に会う事が出来るとは限らない訳で。
300
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:30:34
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
「あの婆さんは昔からああだからな……言い出したら梃子でも意見を変えねェだろうよ」
那須野が言った通り、河原医院に訪れた一行は颯に会う事は叶わなかった。
こうなる事を何とはなしに予見していた尾弐は、自販機で買った火傷する程に熱いコーヒーを一息に飲み干すと、疲れた様に病院の壁に背を預ける
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
「……だから自分が動くってか?大将がそれを望むなら止めねぇが、無茶はしねぇでくれよ?」
尾弐とてそれなりの年月を生きてきた妖怪だ。
颯が抱えるリスクが大きな物である事も、祈の祖母の意志も大まかにではあるが把握している。
そこに自身が踏み込む事で状況が悪化する事を恐れ、動かない様にしているのだが……那須野は、彼の探偵は違ったらしい。
出会った頃では考えもつかないが、那須野橘音は祈の為にリスクを押して動く事を決めた様だ。
>「……橘音ちゃん。忘れないでね。ハッピーエンドだよ。
>僕らも楓さんも、生きてるんだ。勝手におしまいにしちゃ駄目だからね」
>「分かった……でも御前のところだけは行っちゃ駄目だからね!
>上司ってのはさ……本当は部下を温かく見守って困ってたらさりげなく手を差し伸べるもんでしょ!
>少なくとももし僕が上司になったらそうするね!」
「……さーて、オジサンは新しい湿布でも貰うとするかねぇ」
ポチとノエル。二人の那須野への心配の言葉を耳に入れながら、眩しそうに目を細め那須野の背を見送った尾弐。
彼は、一度大きく伸びをすると病院の中へ向けて歩き出す。
颯への面会の為では無い。自身の療養の為だ。おおよその怪我は治ったとはいえ、まだまだダメージは残っているのである。
・・・・・
301
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:43:40
・・・・・
祈と颯の邂逅。母子の再会の一幕を、離れたビルの屋上から見守る影が一つあった。
黒いスーツに黒ネクタイ。喪服を着こんだ大男、尾弐黒雄。
珍しくも口元に笑みを浮かべている尾弐であるが、何故この男が颯が家に帰っているのかといえば――――何の事は無い。
前日に目覚めた颯が病院から抜け出した際に、彼女を祈の家にまで車で運んで行ったのが尾弐だからである。
尾弐は颯が入院している間、ずっと不眠不休で病院を監視しており、それにより颯の動向に気付く事が出来たのだ。
尚、その際に二、三の会話は有ったのだがそれについては割愛する。
「祈の嬢ちゃん、颯、良かったなァ……」
暫く二人の姿を見ていた尾弐であったが、屋上の手すりに凭れ掛かるようにして、腰を地に付け大きく息を吐く。
そして、己の手で目を覆うと、吐き出すように小さな声で呟く。
それはまるで、死ぬ寸前の人間のような姿であり……事実、尾弐の体は深刻な状態であった。
御前による処置を受けたとはいえ、酒呑童子などという身の丈に合わない力を行使した事で、尾弐の魂には亀裂が入ってしまっている。
今は、冷たい物や熱い物の違い……いわゆる温度が判らないという程度の障害であるが、この先、症状は悪化の一途を辿るだろう。
それに――――
『――憎――』
己の魂の奥底から沸き上がる声。酒呑童子の憎悪の声。
それが、今回の事件の前と比べて大きくなっている。
尾弐は、自身の末路と果たすべき誓いを思い返しながら、一人目を瞑る。
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