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【伝奇】東京ブリーチャーズ・陸【TRPG】
100
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:51:31
「アナタたちは、そんなの赤マントが悪いんじゃないか――って。そう言うのでしょうね。アナタたちは優しいから」
「でもね……違うんですよ。全然違う。そういう話じゃないんだ……」
黒狐面を軽く押さえ、アスタロトは口角を歪めて嗤った。
「ボクはねえ……祈ちゃん。喜んでしまったんですよ……」
「姦姦蛇螺の力の前には、ボクの知恵などなんの意味もなかった。姦姦蛇螺の復活に、ボクはただ手をこまねいているしかなかった」
「でも、そんなとき。颯さんが自分を生贄にして姦姦蛇螺を鎮める、と言い出したのです」
「さっきも話した通り、当然ボクは止めました。バカなことを言うのはやめてくださいってね……でも、違ったんです」
「心の中で、ボクは颯さんのその提案に歓喜していた。彼女ならそう言うと思っていた……彼女がそれを言い出すのを期待していた」
クク、と喉の奥からくぐもった笑みを漏らすと、アスタロトは一拍の間を置き、
「ボクは。『自分が生き残るために』。『アナタのお母さんが死ぬことを歓迎した』んですよ……」
と、祈をまっすぐに見ながら言った。
「アナタのお父さん、晴陽さんについても同様。彼のことだから、絶対にここに残ると言い出すはずと――そう思っていました」
「果たして、彼はボクの目論見通り姦姦蛇螺の結界の中に残ると言った。ボクはやはり、それをそらぞらしい芝居で一旦否定し――」
「最終的に、やむを得ない……という顔をして、許可したのです。苦渋の決断というそぶりで……最初からそのつもりだったのに!」
大きく両手を広げ、アスタロトが告げる。
橘音が強く目を瞑り、顔を背ける。
「赤マントが原因だから、ボクたちのせいじゃない?ボクたちに罪はない?とんでもない!」
「ボクは颯さんが死ねばいいと思った!ハルオさんがこの場所に残るのがベストと判断した!ふたりがそう言うのを待っていた!」
「それが罪でなくて何です?緊急避難?そんなのは只の言い訳だ。仕方なかったなんて慰めで消えるものじゃない!」
「……でしょう?クロオさん。あれからずっと、ボクたちは同じ罪の意識を共有し続けてきたんだ」
颯を見捨て、晴陽を置き去りにしてこの場所から去ったという後ろめたさ。心苦しさ。
逃れ得ぬ過去の記憶を決して忘れまいという気持ちから、橘音と尾弐のふたりは今まで祈を守り続けてきた。
「でも、それももう終わりです。ボクは天魔に戻った。ボク本来の姿にね」
「天魔は――悪魔(デヴィル)は後悔なんてしない。罪の意識に苛まれたりなんてしない!」
「ボクはボクの目的を完遂します。ボクの願いの成就、それだけを考える。そのためには――アナタたちには消えてもらわなきゃ」
「アナタたちが、あくまでボクの往く手に立ち塞がるというのなら、ね……」
アスタロトがそこまで言うと、傍らに控えていたハルファスとマルファス二柱が再度アスタロトを窘める視線を向ける。
喋りすぎだ、というのだろう。二柱はアスタロトの護衛であると同時に、見張り役も兼ねているのかもしれなかった。
アスタロトが鬱陶しそうに右手をヒラヒラ振る。
「わかってますよ、おふたりとも。そもそも、ボクがなんの考えもなしにベラベラ喋っていたと思うんですか?」
「目覚めたばかりの姦姦蛇螺は身動きが取れない。爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと。そのため時間が必要でしたが……」
「もう充分でしょう。――さあ、お話タイムはおしまいです」
ちら、と姦姦蛇螺を見上げ、アスタロトはマントの内側から何かを取り出す。
それは、ガラスでできた三本のアンプル。
「久しぶりの目覚めで、おなかが減ったでしょ?すぐにたらふく食べさせてあげますが……まずはこれをどうぞ!」
三本のアンプルを、姦姦蛇螺の目の前に放り投げる。
大きく裂けた口を開け、姦姦蛇螺は三本のアンプルを勢いよく飲み込んだ。
ブリーチャーズの方を一瞥し、アスタロトは悪戯っ子のように嗤う。
「何を飲ませたのか、って?サプリメントみたいなものですよ……それも特別効き目のあるヤツを、ね」
「なにせ、我が天魔七十一将の中でも上位の支配者クラス――悪魔王三柱から抽出した妖気ですからね!目も醒めるってものでしょう!」
颯の顔をした蛇神は、裂けた口からふしゅる……と妖気を吐き出した。
そして、すぐに双眸を大きく見開く。その身体が、みるみる巨大に膨れ上がってゆく。
「まずい!皆さん、退避してください!ここにいたら押し潰されてしまう!」
橘音がその場にいる全員に避難勧告をする。
下半身、蛇部分の長大さを除けばそう大きくなかった蛇神の体躯が、どんどん大きくなってゆく。
肥大してゆく胴体の太さに、周囲の木々が薙ぎ倒される。祠堂が踏み潰される。
新宿御苑の自然に棲息していた鳥たちが、一斉にバタバタと飛び立ってゆく――。
そして。
周囲に高層ビルの建つ新宿区のただ中に、巨大な蛇神が降臨した。
101
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:55:09
「ギルルルルルァオオオオオオオオオ――――――――――ン!!!!」
復活した姦姦蛇螺が、自らの妖気によって変容させた赤黒い空に向かって咆哮する。
その上半身の大きさは、約60メートル。周囲の一般的なビルよりも高い。
下半身の長さに至っては、300メートル以上はあるだろうか。これはもはや妖怪ではなく、怪獣と言った方がいいかもしれない。
アスタロトは身軽に跳躍すると、姦姦蛇螺の右肩にひらりと飛び乗った。
裂けた口の隙間から、ふしゅるる……と妖気を吐き出す姦姦蛇螺の巨大な顔を見遣る。
「……まさか、もう一度アナタと一緒に戦えるなんてね……颯さん」
「ひとつ違うところがあるとするなら――今のボクたちは東京を護る側じゃない。破壊する側だ――というところだけ、ですか」
「さあ。アナタの愛した帝都を、ヒトの営みを。すべて……壊してしまいましょう。颯さん」
「フフフ……ウフフフフ、アハハッ!アッハハハハハハハハッ!!!」
アスタロトと姦姦蛇螺は、もうブリーチャーズには見向きもしない。
前方に立ちはだかる尾弐も、姦姦蛇螺にとっては蟻のようなものだ。巨神は決死の覚悟の尾弐を無視した。
このまま、姦姦蛇螺は神の力によって東京を破壊し尽くすつもりなのだろう。
巨体と言うにはあまりに大きすぎる体躯を引きずりながら、姦姦蛇螺が移動を開始する。
去り行く姦姦蛇螺とは逆に、橘音が尾弐の傍に寄ってくる。
「クロオさん……」
「わかっているでしょう?アナタがひとりで命を棄てたところで、無意味だって。ならば命を無駄にしないで下さい」
「逃げますよ、クロオさん。――これは“大将”としての命令です」
橘音は決然とした声音でそう告げた。有無を言わさぬ語調だった。
禁足地は新宿御苑内の南西、上の池の周辺に位置している。
そこから一行は茶室楽羽亭まで移動した。なお、姦姦蛇螺はゆっくりと御苑中央を横断し、イギリス風景式庭園へ向かっている。
ほどなく、大木戸門の駐車場を本陣としている団三郎率いる日本妖怪軍団と交戦することだろう。
橘音は全員の身の安全を確認するとメンバーを振り返り、
「……もうひとりのボクが言ったことは、すべて真実です。ボクは祈ちゃんの両親を見捨てた。ふたりの死を歓迎した」
「ボクは、皆さんにそれを知られるのを恐れた。人でなしと罵られるのが怖かった……」
「……虫のいい話ですよね」
と、静かに言った。
「祈ちゃん。ボクはずっと、アナタを騙していた。都合の悪い真実に蓋をして、いい人を演じ続けていた」
「帝都を守るためには、仕方のない犠牲だった……そんな風に自分に言い聞かせながら、ずっと。アナタの前で善を装っていた」
「ボクはね。アナタが考えているような、正義の味方なんかじゃあないんですよ……」
「……ごめん、なさい」
消え入るような声で、橘音は祈に謝罪する。
その姿は狐の外見だからだろうか、それとも魂が三分の一しかないからだろうか、やけに小さく頼りなく見えた。
「ボクは許されないことをしました。ボクの中で、その罪はずっと。疼痛を伴って燻り続けていた」
「その痛みに耐えられなくなったのが、もうひとりのボク。あの天魔アスタロトの姿……なのでしょう」
「赤マントに唆されたのだろうとか、洗脳されたのだろうとか、そんなことは言いません。これは紛れもなく、もうひとりのボクの意思」
「もうひとりのボクが自らの考えで、自らの思考で選択し、決断したことに他なりません」
「罪を受け入れ、罪を肯定することで、罪の痛みから逃れようとした――浅墓なもうひとりのボク……」
小さく俯き、息を吐く。
「……でも。ボクは認めない、そんな逃げは許されない。それは颯さんとハルオさんの魂への冒涜に他ならない」
「こんなボクが皆さんに何かをお願いするなんて、烏滸がましい話でしょう。けれども、それでも。どうかお願いします」
「ボクに、力を貸してください。皆さんの力を……ボクはあれを止めなければならない。ボクの不始末は、ボクが糺さなければ」
「まだ……終わりじゃない。終わりになんて、させない」
魂を振り絞るようにして、橘音はノエルたちに懇願した。
「すべてが終わった後に、償いはします。だから……もう一度だけ。ボクに勇気を下さい」
102
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:58:07
「お、おおお……!あれが、あれが姦姦蛇螺か……!」
復活した姦姦蛇螺の姿、あまりにも巨大なその存在を視認し、御苑の駐車場で待機していた団三郎狸は驚愕の呻きをあげた。
かつて神話の時代に猛威を振るったと言われる、伝説の禍つ神。
それが、実際に降臨して目の前にいる。その衝撃たるや、他に類を見ない。
姦姦蛇螺討伐に集まった他の妖怪たちも、その余りの巨大さと妖気の凄まじさに動揺を隠しきれない。
「だ、団三郎!」
副将の茨木童子が、口を半開きにしたまま姦姦蛇螺を凝視し固まっている団三郎狸に声をかける。
団三郎狸はハッと我に返ると、すぐに傍らの同族に指示を飛ばした。
「な、何をしておるか!戦闘準備!『ミハシラ』射出用意はどうなっておる!」
「御大将!『ミハシラ』第一射、いつでもいけます!」
「よし!時代遅れの恐竜めが……現代の化生の進歩した力、とくと見よ!攻撃開始、て―――――――――ッ!!」
団三郎狸が叫ぶ。と同時、後方に待機していた特殊車両が動き始める。
多連装ミサイルランチャーを装備した戦車だ。クロウラーがけたたましく鳴り響いてアスファルトを踏みしめ、震動が大気をどよもす。
横に整然と二十輌ほど並んだ戦車のランチャーから、ミサイルが発射される。それは狙い過たず姦姦蛇螺に命中し、派手な爆発が起こった。
姦姦蛇螺はまだ完全には覚醒していないのか、それとも肥大した身体を持て余しているのか、まったく動かない。
妖怪軍は矢継ぎ早にミサイルを撃ち放った。鼓膜が破れそうになるほどの凄まじい爆音が鳴り響き、姦姦蛇螺の巨体が爆煙に包まれる。
「ミサイル、全弾命中!目標沈黙!」
「よし!発射やめーい!グハハ、やはり姦姦蛇螺など恐るるに足――」
「……!姦姦蛇螺、生存しています!ダメージは……確認できません!」
本陣の天幕で計測機材を首っ引きで確認している妖怪が叫ぶ。
煙幕が徐々に晴れてゆく。その中から現れた姦姦蛇螺の姿は、ミサイルの洗礼を受ける前といささかも変わらない。
「……フフ……。そんな花火じゃ、颯さんには傷ひとつつけられやしませんよ」
姦姦蛇螺の肩に乗ったアスタロトが不敵に微笑む。
「お、おのれ……!」
団三郎狸は歯噛みした。そして、すぐにミサイルの追加攻撃を指示する。
「ならば、効くまで撃ち込んでやるのみよ!ミサイルはまだまだあるのだからなァ!」
ドドドドドドウッ!!!
再び、ミサイルが姦姦蛇螺を狙って撃ち出される。
しかし、今度の姦姦蛇螺はただ黙ってミサイルの弾着を待つことはしなかった。
姦姦蛇螺の巨大な口ががぱり……と耳まで開き、その咽喉に禍々しい光が宿る。
膨大な妖気が咽喉の一点に集中、凝縮してゆくのが、ブリーチャーズのメンバーにも分かるだろう。
「御大将!姦姦蛇螺の咽頭部に高妖気反応!」
「な――」
カッ!!
喉に収束していた妖気が臨界点を超えると同時、姦姦蛇螺は一気にそれを解き放った。
神の有する、膨大な妖気の放出。それが波動のように、レーザーのように空を裂き、己に迫るミサイルの雨を一気に薙ぎ払う。
ミサイルは姦姦蛇螺の身体に命中するまでもなく、空中で根こそぎ爆散した。
桁違いの妖気。それはまさに、神代の蛇王に相応しい。
団三郎狸は本陣に設営された長机を殴りつけた。
「クッ……。しかし、まだ戦さは始まったばかりよ!今のミサイルは馳走代わりだ、なぜならば……」
「我らにはまだ『ミハシラ』がある!『ミハシラ』、て―――――ッ!!!」
団三郎狸が咆哮する。射撃担当の化生が、山と積まれた機材の中のボタンを押す。
と、同時。
姦姦蛇螺の生成した赤黒い曇天を突き破り、遥か高高度から一条の閃光が蛇神の頭上へと降り注いだ。
103
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:01:13
ゴアッ!!!
姦姦蛇螺を包み込むように、頭上から降ってきた光が新宿御苑に突き立つ。
その威容はまさに『御柱』と形容するほかない。
来たるべき脅威に備え、日本妖怪軍がひそかに大気圏外へ打ち上げていた戦略妖異衛星『ヒガタノカガミ』。
天照大神の力である太陽光を収束し、妖力に変換した上で地上にレーザーとして射出するという、日本妖怪軍の切り札である。
一点に束ねられた妖力の生み出す熱量は、TNT換算で1200キロトン、約3344億ジュール。
これは広島型原爆80個分に相当する威力である。
それが、団三郎狸らの用意した『ミハシラ』の正体だった。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
戦略衛星からのレーザー直射をまともに浴びた姦姦蛇螺が吼える。
その規格外の一撃の前には、いかな神代の怪物と言えど一溜まりもあるまい――と、その場にいる誰もが勝利を確信した。
「ガッハハハハーァ!どうだ!これが我ら日本妖怪の底力よ!どうだ、もはや大くちなわなど欠片も残っておるまいが!?」
団三郎狸が勝ち誇り、傍らの化生に訊ねる。
しかし。
「か……、姦姦蛇螺、生命反応変わらず……!せ、生存して……います……!」
「へっ?」
まるで予想と異なる結果に理解が追いつかず、日本妖怪軍の総大将は間の抜けた声を出してしまった。
「アッハハハハ……、ア―――ッハッハッハッハッハッハッ!」
姦姦蛇螺の肩で、アスタロトが上体を仰け反らせて嗤う。
「この程度!こんな程度のオモチャで、『神』を!斃せるだなんて、本当に思っているんですか!?笑いが止まらない!」
「無駄!無駄!無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!アナタたちはまるでわかっちゃいないんだ、この姦姦蛇螺の力ってものが!」
ぽんぽん、と姦姦蛇螺の首筋を叩き、アスタロトは右の口角を笑みに釣り上げた。そして、
「さて……、そろそろこちらの番ですかね。颯さん――」
そう、酷薄に告げた。
秘密兵器の直撃を受けてなお平然としている姦姦蛇螺の姿を目の当たりにして、団三郎狸が顔面蒼白になる。
「ミ、ミハシラ第二射!撃て!撃て撃てーッ!何をしておる!」
「『ヒガタノカガミ』冷却中、ならびに太陽光を妖力に変換中!チャージ完了まであと1200秒!」
「ま、間に合わん……!」
ミハシラは大出力の妖力兵器だけに連射ができない。次弾の発射までに、姦姦蛇螺は本陣に到達してしまうだろう。
団三郎狸は後方の妖怪たちを振り仰いだ。
「ミサイル全弾発射!妖怪師団、第一、第三、第六大隊戦闘準備!矢継ぎ早に攻め立てよ!こうなれば物量で押し切るしかない!」
「茨木、袈裟坊、おのれらも出よ!何としてもここであの蛇めを葬り去らねば、我らの今後の進退にも関わるわ!」
「おお。我らが次代の五大妖になるためにも、ここで是が非でも姦姦蛇螺を仕留めねばな」
「あれほどでかい獲物は後にも先にもこれ一匹じゃろう。腕が鳴るわ」
団三郎狸の命令に、金棒を携えた巨漢、鬼族の茨木童子と、PSG-1を掻い込んだ河童族の伊草の袈裟坊が配下を伴い出撃してゆく。
それはあたかも、神代の頃の光景さながらに。
万を超える無数の妖怪たちが、砂糖菓子に群がる蟻のように大挙して姦姦蛇螺へと襲い掛かった。
104
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:04:33
河童族が烈しい水流を迸らせる。天狗たちが上空から雷霆や炎の妖術を放つ。
力自慢の鬼たちは当たるを幸い金棒を振り回し、狸たちが得意の変化術で様々な武器に化け、体当たりを敢行してゆく。
が、姦姦蛇螺にはなんのダメージも与えられない。
コンクリートを粉砕する激流の噴射も、木々を瞬く間に黒焦げにしてしまう雷撃も。
鋼鉄さえひしゃげさせる剛力も、百を超える精密な変化の技も。
姦姦蛇螺には、まるで功を奏さない。すべては無駄なあがきだった。
飛来する無数のミサイルも、やはり姦姦蛇螺には有効打とはなりえない。
姦姦蛇螺が全身から膨大な妖気を放つと、ミサイルはその巨体に接触する以前に空中で爆散し、単なる花火と化した。
「ギルルォォォォォォオオオオオオオオオ――――――――――――ン!!!」
姦姦蛇螺が咆哮する。大きく開いたその口腔に、妖気が収束してゆく。
カッ!!!
閃光。姦姦蛇螺の口から放たれた妖気の奔流が、赤紫色のレーザーとなってすべてを薙ぎ払う。
射線上に存在していた妖怪たちは、悲鳴をあげる間もなく蒸発した。
「だ……、第六師団消滅!第一師団、第三師団も被害甚大!全体の15パーセント消失確認!」
「た、たかが一匹の妖怪の、ただ一度の攻撃で……だとお……?」
団三郎狸は驚愕し、唇をわななかせた。
軍団の大半はまだ果敢に攻撃を繰り返しているが、後方の部隊は現在の状況を見て少なからず怖気づいてしまっている。
このまま劣勢が続けば、軍団は遠からず崩壊するであろう。元々、軍団の大半は褒美や功名に釣られてきた連中ばかりだ。
命が惜しくなれば、当然逃げる。そうなれば戦線が維持できない。
「ぐ、くぅ……!姦姦蛇螺ごとき儂ひとりで充分と、権現に大見得を切って出てきたのだ!今更負け戦などできるか!」
もと戦国武将で、野戦の名人と言われた狸一族の長、東照大権現が慎重論を唱えるのを押し切り、討伐軍を編成した団三郎狸である。
今になってやっぱり負けました、兵として使った妖怪たちも根こそぎ死にましたでは済まされない。
特に、この戦さに勝ち西洋妖怪たちを日本から放逐した暁には、一族のNo.2としての地位が約束されているのだ。
しかしここで負ければ、待っているのは栄達どころか没落である。
とはいえ。
必殺兵器『ミハシラ』が不発に終わった今、個々の妖怪のいじましい攻撃をいくら束ねたところでなんの意味があるだろう。
現在はまだ(状況を把握していない)妖怪たちの軒昂な攻勢とミサイルによって、姦姦蛇螺の進行は止まっている。
だが、これが数時間後となればどうか。妖怪たちは疲弊し、ミサイルも尽きるだろう。
そうなれば、もう終わりだ。
「案ずるな、御大将。おれは姦姦蛇螺の泣き所を見つけたぞ」
不意に、無線から連絡が入る。本陣を離れた副将のひとり、伊草の袈裟坊だった。
袈裟坊は駐車場の本陣を離れ、何を思ったか新宿御苑から出ると、近くにある高層ビルの屋上に移動していた。
屋上にうつ伏せに寝そべり、バイポッドを立て、得物のセミオートマチック・スナイパーライフルを構える。
その覗き込んだスコープの中には、姦姦蛇螺の肩に乗ったアスタロトの姿が捉えられていた。
「おお!袈裟坊、まことか!」
「あのデカブツを真っ向から仕留めることは難しい。が、搦め手を使えば造作もない。既に、おれの銃口は神の弱点に向いておるわ」
伊草の袈裟坊は戦国の頃より火縄の名手として知られる妖怪である。
時代が変わって火縄銃ではなくスナイパーライフルを使うようになり、より射撃の制度は増している。
袈裟坊のいるビルの屋上からアスタロトまでの距離は、約500メートル。ライフルの有効射程距離内だ。
袈裟坊は姦姦蛇螺の肩に乗っている悪魔こそが、自分たちに挑戦状を送りつけてきた相手だと当たりをつけている。
この悪魔を射殺することさえできれば、姦姦蛇螺も無力化するに違いない――そう考えたのだ。
照準は完全にアスタロトの頭部を捉えている。あとはトリガーを引くだけで、忌々しい悪魔は死ぬだろう。
そう、思ったが。
105
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:08:04
「――――!?」
スコープを覗き込みながら、袈裟坊は瞠目した。
それまで前方を向いていたアスタロトが、突然袈裟坊の方を向いたのだ。
そしてにっこり笑うと、ヒラヒラと黒手袋に包んだ手まで振ってきた。
自分が狙われていることなど、知るよしもないはずなのに。
「まさか……」
袈裟坊は一旦スコープから目を離し、からからに乾いた喉を唾を飲み込んで湿らせると、再度スコープを覗き込んだ。
やはり、手を振っている。まるで親しい友人にでもするように。
間違いなく、気付いている。
「ク……、クソ……!死ね!」
気付かれてしまっては仕方ない。袈裟坊はすぐにトリガーを引き絞ろうとした。
PSG-1の秒間初速は868m/秒。撃てば次の瞬間には着弾している。いかな悪魔とはいえ、超高速の銃弾は避けられまい。
銃弾は殺傷能力を高めた最新式の6.5mmグレンデル弾。ライフルでありながらダムダム弾なみの威力を誇る。
むろん、人体はおろか悪魔の頑健な肉体をも破壊するには充分な性能だ。
袈裟坊の右手人差し指がトリガーにかかる。
アスタロトはまだ笑って手を振っている。
そして。
射撃の直前、袈裟坊は背後に佇むマルファスの持つレイピアによって後頭部から人中(鼻と口の間)までを貫かれ、絶命した。
「け……、袈裟坊!?袈裟坊!仕留めたのか!?応答せよ!袈裟坊!応答せよ!!」
突然無線が途絶したことに狼狽し、本陣の団三郎狸が悲痛な声を上げる。
姦姦蛇螺が大きく口を開け、その口腔にまたしても妖力が集まってゆく。
そして、放射。アスタロトが自軍の三柱もの大悪魔から抽出した膨大な妖力、それを糧とした姦姦蛇螺の熱線が日本妖怪軍団を穿つ。
「ヒッ!」
団三郎狸は頭を抱えて縮こまった。姦姦蛇螺の熱線は本陣の頭上を通過し、後方に横一列で鎮座していた戦車軍を直撃した。
鋼鉄の戦車が、まるで飴細工のように溶けてゆく。機関部に熱が到達した車輌が次々に爆発し、炎を上げる。
「ひ……、ひぃぃぃぃ!」
「無理だ!やっぱり、神には勝てない!最初から神と戦おうなんて不可能だったんだ!」
「命あっての物種だ!逃げろ!逃げろぉぉぉ!」
一度恐怖に捕われた者は、二度と再起することはできない。
姦姦蛇螺の圧倒的な力を畏れ、怯えた妖怪たちが、我先にと逃走を始める。
軍列が乱れ、陣形が崩壊する。一旦瓦解が始まってしまえば、あとはつるべ落としだ。
恥も外聞もかなぐり捨て、妖怪たちが本陣から御苑の出口へと殺到する。
日本妖怪軍団は壊滅状態に陥り、兵はただの逃亡者と化した。
「き、貴様らあ!それでも西洋妖怪を駆逐すべく集まった勇士か!逃げるな!戻ってきて戦えェ!」
団三郎狸が怒鳴ったが、今更そんな声に耳を傾ける者はいない。
「あーあ、予想よりずいぶん早いなあ!もうちょっとくらいは持つと思っていたんですが……」
日本妖怪たちが無様に逃げ惑うのを見下ろし、アスタロトが呆れたように嗤う。
「ウフフフ……まあいいか。さて……逃がしませんよ?ボクたちに立ち向かった落とし前は、きっちり取って頂かないと――」
「……やれ」
アスタロトが命じると、それまで緩慢に動いていた姦姦蛇螺は六本の腕をやにわに広げ、上半身を傾けて凄まじいスピードで本陣に迫った。
「うッ、うわああああああ――――ッ!!!」
妖怪たちが叫ぶ。虐殺の時間が訪れる。
いや。虐殺、殺戮――そんなレベルの話でさえない。
巨大な六本腕が振り下ろされるたび、逃走しようと出口に密集していた妖怪たちが掌中に捕えられ、耳まで裂けた口へと運ばれてゆく。
咀嚼。嚥下。
咀嚼。嚥下。
咀嚼。嚥下。
咀嚼。嚥下。
咀嚼。嚥下。
ただただ単調に、無機質に、幾度も繰り返される行為。
それは、捕食だった。
106
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:11:42
口許を真紅に染め上げ、姦姦蛇螺が妖怪たちを啖ってゆく。
夥しい量の生命が、ただの肉と化して姦姦蛇螺の口の中へと消えてゆく。
その酸鼻極まる光景を、レディベアは豪奢な執務机の置かれた広大な部屋にあるプロジェクタースクリーンで目の当たりにした。
「あ、赤マント……これが、本当にお父さまの望みなのですか……?」
半身を翻し、やや距離を置いて背後に佇んでいる赤マントへと問う。
赤マントはいつも通り陽気に嗤う白面で顔を覆ったまま、まるでそれが当たり前だというような声音で、
「もちろんだヨ。何を言っているのかネ?レディ」
そう返した。
「ものの道理のわからぬ愚かな人間と妖怪を圧倒的な力で支配し、お父さまを絶対君主とした争いのない千年王国を作る――」
「それがお父さまのお望みであったはず!それなのに、国民たる妖怪たちをこんなにも殺戮してしまっては意味がありませんわ!」
そう。あくまでレディベア――東京ドミネーターズの目的はその名の通り、万物を支配すること。
眼前で繰り広げられているこの行為は、支配という目的の真逆に位置するものであることは間違いない。
配下の、家来の、国民の誰ひとりいない地を支配したとて、それにいったい何の意味があるだろう。
しかし、そんなレディベアの非難も赤マントはまるで取り合わない。
「だからこそだヨ。無知蒙昧な者どもに誰が自分たちの主人なのかを知らしめるには、これが一番効果的な方法なのサ」
「サーカスの猛獣使いが、力で自分の優位性を主張するようにネ。痛みを伴わなければ、愚かな者どもは理解できないのだヨ」
「偉大なる我らが妖怪大統領閣下の君臨される国土には、どんなちっぽけな反乱分子も存在してはならない!」
「ゆえにこその粛清なのサ。そのためには、多少やりすぎなくらいが丁度いい。徹底的な地ならしをしておかなくちゃネ……」
などと、平然と返す。
「……そう……ですか……」
レディベアは返す言葉もない。
愛する父のため。そんな大義名分を掲げられてしまうと、どんな行為も容認せざるをえなくなってしまう。
……それでも。
「……気分がすぐれませんわ。わたくしは休みます、あとは任せました」
「御意に。レディ」
レディベアはスクリーンから目を背けると、そのまま部屋を出て行った。
赤マントが慇懃に会釈する。
「………………」
部屋を出た廊下の一角で壁に背を預け、腕組みして佇んでいた謎のイケメン騎士Rが、レディベアの背を横目で見送る。
誰もいない長い廊下を寝室へ向かいながら、レディベアは奥歯を噛みしめた。
――違う。これは……この行為は、断じてお父さまのためのものではありませんわ!
――お父さまは、こんな行為を望んでなどおられません!お父さまは――
いや。
本当にそうか?
――おとう、さま……。
ここしばらく、レディベアは妖怪大統領と会っていない。復活に向けての準備が忙しいとかで、赤マントに面会を断られているのだ。
本当に父は殺戮を望んでいないのだろうか。復活のために、生贄を望んでいるのではないのか。
レディベアの記憶の中にある巨大な瞳は、なにも答えてくれない。
ミニスカートのポケットをまさぐると、レディベアは小さなマスコットを取り出した。
それは、湯に浸かった鎌鼬のストラップ。いつか、祈がレディベアのために買ってきてくれたもの。
ふたりを繋ぐ、友情の証。
――祈……。わたくしに、どうか困難に立ち向かう力を下さい……!
ストラップを両手で包むように強く握ると、レディベアはただ一心に願った。
107
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:15:48
「い……、嫌だァァァ!死にたくないィィィィィィ!!」
「ヒィィッ!なんっ、なんでっ、なんでこんなことっ!やめて、許、許しっ……ぃぎゃあああああ!!」
妖怪たちが助命を願う。許しを乞う。しかし、神とは無慈悲なもの。その懇願が実を結ぶことはない。
六本の腕が蠢くたび、命の灯火が消えてゆく。神の供物になり果ててゆく。――そこにあるのは、ただ絶望だけ。
死体すら残らない殺戮劇のさなか、姦姦蛇螺の生み出した赤紫色の空が一層色味を増したのが、ポチたちにはわかるだろう。
大気中の妖気の濃度が上がっている。それはもう霊災と言って差し支えないレベルだ。
『絶望』の感情が色濃い、禍々しい妖気。
「アッハッハッハッハッ……これ!これですよ、ボクの欲しかったものは!まったく計画通り!」
捕食を続ける姦姦蛇螺の肩で空を見上げ、アスタロトが大きく右手を天へ掲げる。
アスタロトの目的は、絶望の収集であった。
人(妖怪)は、なんの前触れもなく訪れる突発的な死に対しては、恐怖を感じる暇もない。絶望する間もなく死ぬ。
しかし、その死が予告されているものであるなら話は別だ。
アスタロトは敢えて日本妖怪軍団に姦姦蛇螺復活の予告状を叩きつけ、対処と対策の時間を与えた。
団三郎狸たちは予告状によって奮起し、秘密兵器まで投入して神の復活に備えた。
万全の軍備を整えることで、団三郎狸たちは完全に姦姦蛇螺を打倒できたと思ったであろう。
それは、死を克服せんとする希望の光だ。
だが、完璧だと思われていた対策がその実無力であり、行ってきた対策のすべてが無為であったと悟ったとき――
それまで心の拠り所であったはずの希望が絶望に転じたときの衝撃は、単に絶望したときに比べ何倍もの純度を醸成するのである。
「ただの絶望じゃダメだ。とびっきりの品質の、ハイレベルな絶望でなくちゃ意味がない」
「さあ――どんどん絶望してくださいよ!アナタたちのその断末魔が!怨嗟が!憤怒が!この世界に新たな秩序を築くのだから!」
「ひ、ひぃぃ……。バカな、バカなバカな、バカなぁぁ……」
「儂の夢、儂の野望、次代の五大妖の椅子が……」
すっかり崩壊した本陣で、団三郎狸が尻餅をつき歯の根を震わせている。
腰が抜けているのか、逃げることさえままならないらしい。配下たちはとっくに逃散したか喰い殺され、周囲には誰もいない。
そんな日本妖怪軍団総大将の姿を、アスタロトは薄笑いを浮かべながら見下ろした。
「おや、団三郎さん。その節はどうも!妖怪裁判所ではお世話になりました、あのとき野次ってくれたこと、まだ覚えてますよ」
「な……、ぁ……?き、きき貴様は、まさか……三尾……!?き、貴様は封印刑に処されたはず……!」
「お蔭さまで。でも、親切な人がいましてね……ボクを解放してくれたのです。復讐を果たすためにね」
「わ、儂に意趣返しする気か……!無力な狐の分際で、次期五大妖のこの儂を……!」
「この期に及んで、まだ権力にしがみつくおつもりですか?アハハ、凄いなぁ!筋金入りの出世欲だ!でも、もう無理ですよ……」
「アナタはここで、颯さんのエサになるんですからね」
アスタロトは酷薄に告げた。姦姦蛇螺が手を伸ばし、団三郎狸を鷲掴みにする。団三郎狸はじたばたと暴れた。
「ひぃぃぃぃーッ!助けて!助けてくれェ!裁判の非礼は謝る!儂が悪かった、この通りだ!だから命だけは!殺さないでくれェェ!」
涙と涎、失禁に濡れ、団三郎狸は身も世もなく哀願した。
とはいえ、そんな命乞いを聞き入れるアスタロトではない。アスタロトは呆れて溜息をついた。
「やれやれ……みっともない。アナタ、仮にも姦姦蛇螺討伐軍の総大将でしょう?最期くらいしゃんとしたらどうです」
「お、お願いします……!殺さないで、命だけはぁぁぁ……」
「ダメですね」
アスタロトが目配せすると、姦姦蛇螺は無慈悲に団三郎狸を口に放り込んだ。――が。
バギンッ!
姦姦蛇螺が団三郎狸を咀嚼しようとした瞬間、固い音が鳴り響く。
見れば、団三郎狸が巨大な鋼鉄の茶釜に化けている。文福茶釜だ、これで姦姦蛇螺に噛み砕かれるのを阻止したのだろう。
「おや」
「グ、グハハ……!残念だったな!儂を他の弱妖どもと一緒と思うな!鋼鉄の茶釜ならば、さしもの神とて噛み砕けま――」
ぼりっ。
がりっ、べきっ、めきっ、ぼりりっ。
「ぎ……ぎゃアアアアアアアア!!!痛い、痛いイイイイ!!!なぜ!なぜじゃ、なぜエエエエエエエエエ!!!」
「なぜも何も。鉄の茶釜ごときで、神の裁きを免れられると?そんな不敬、神は許しませんよ……さようなら、団三郎さん」
鋼の釜も、姦姦蛇螺の牙の前には海老の尻尾のようなもの。
日本妖怪軍総大将は一際丹念に咀嚼され、とびきり濃厚な絶望と共に姦姦蛇螺の胃の中へ消えていった。
108
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 17:19:51
姦姦蛇螺に毛筋ほどの傷もつけられず、数十万の日本妖怪軍団は壊滅した。
妖怪たちを粗方啖い尽くすと、姦姦蛇螺はゆっくりと大木戸門へ向けて動き始めた。
「……御苑の外へ向かっている……」
橘音が呆然とした様子で呟く。
新宿御苑内は姦姦蛇螺討伐のため封鎖され、妖怪以外は立ち入り禁止になっていたが、外は違う。
御苑の外には御苑内を凌ぐ数の人間たちが行き交っている。姦姦蛇螺が外へ出れば、被害は御苑の比ではない。
文字通り、今日一日で東京が壊滅する。
ノエルの行ったビラ配りやYOUTUBEでのプロパガンダによって、姦姦蛇螺が弱体化した様子もない。
一年などある程度の期間を置いて前々からそういった活動をしていたのなら、多少は効果もあったのかもしれない。
だが、実際行動した時間が数時間では、人口に膾炙して姦姦蛇螺のイメージを覆すには足りなかったのだろう。
今ここにいるメンバーには、姦姦蛇螺を食い止める何の手立てもない。
と、そのとき。
『やはり駄目ぢゃったか……。よもや、生きて再び姦姦蛇螺の姿を目の当たりにしようとはの』
ブリーチャーズのいる茶室の鏡が水面のようにたわみ、富嶽の顔が映し出された。
富嶽は大きな溜息をつく。どうやら、こちらの状況は把握しているらしい。
『今、政府と話をして自衛隊の要請をしたところぢゃ。しかし……効果はなかろうの。焼け石に水ぢゃ』
『口惜しいが、儂らの負けぢゃ。西洋悪魔どもめら……本格的に儂ら日本妖怪を潰す気でおるらしい』
富嶽も尾弐と似たようなことを言う。やはり、姦姦蛇螺の力については骨身に沁みて理解しているらしい。
ポチが問いを向けると、富嶽はふむ。と片目を眇める。
『魔滅の銀弾か。あれは妖怪警察が三尾の事務所を捜索した際、押収したのではないかの』
『ただ……あれはそもそも、名の通り魔を滅するためのものぢゃ。姦姦蛇螺は古き神、効き目があるとは思えん』
『それに、単純な質量の問題もある。相手は身長60メートル以上の怪物ぢゃ、一方の銀弾は親指程度……効いたとしても効果は薄かろうて』
深いため息をつくと、富嶽は目を閉じた。
『ポチ殿……!』
と、富嶽を押しのけ、白い狼が鏡の前面に身を乗り出す。
『今すぐ、東京から退去なさってください!このままでは、貴方の身さえ危ない……!』
『一旦、迷い家へお越しを。それから反撃の策を練るより他に、この窮地を脱する方法は――!』
シロだ。新宿御苑の惨状を目の当たりにして、ポチの生命の危機を感じ取ったのだろう。
確かにこれ以上東京に留まっては、ブリーチャーズの命さえあやうい。
そして、そんなポチとシロとの遣り取りの最中、祈の持っている携帯電話の着信音が鳴る。
相手は祈が先程メールを送った、安倍晴朧だった。
『祈!無事か!?怪我はないか!?今どこにいる!?』
悪魔の呪縛から解放され、すっかり元気になった祖父の怒声が勢いよく携帯から聞こえてくる。
元々頑健な肉体の持ち主である。あと30年は死にそうにない。
『そこは危険じゃ、一刻も早く逃げんか!今、御苑周辺におる陰陽師を遣わせた!合流してこっちに来い!よいな!?』
こっち、とは言うまでもなく東京都の外にある安倍家の邸宅である。
晴朧はしばらく祈に逃げろ、危ない、と繰り返したが、祈が対策を訊くと渋々ではあるが話柄をそちらへ向けた。
『姦姦蛇螺とは『まつろわぬ者』、山窩や蝦夷、宿儺、土蜘蛛といった化外の民が崇めていた神じゃ』
『大和民族によって生活圏を追われ、駆逐され、滅びた民の怨嗟――それを姦姦蛇螺は原動力としておる』
『その力は強大じゃ、ひとの感情の中でもっとも昏く、強く、恐ろしいもの……それは『恨み』の力に他ならぬからな』
『それが復活したとなれば……いかな日本明王連合とて、打つ手立てがない……』
『現在、急ピッチで再封印のための人員をかき集めておるが、例の尾瀬らの一件でこちらも人手が足りん』
『祈、おまえが東京を守りたい気持ちはわかる。しかし、あれは個人の力でどうこうできる存在ではない。わかるじゃろう』
『妖怪たちにも打診して、姦姦蛇螺対策の方策を練る。おまえはくれぐれも無理をせず、安全なところにおれ』
『……儂にまた、肉親を喪う苦痛を味わわせてくれるな……』
最後の言葉は、陰陽寮陰陽頭としての言葉ではない。祈の祖父としての願いだったのだろう。
晴朧は他にも祈の問いに答えてくれるが、危険な行為に対しては難色を示すだろう。
ノエルの氷雪の力も、ポチの『獣(ベート)』の力も、尾弐の怪力も。
身長60メートル、長さに至っては300メートル以上ある巨神を倒すには、あまりにも心許ない。
富嶽が自衛隊の出動を要請し、安倍晴朧が再封印のための人手をかき集めているというが、それも功を奏するかわからない。
姦姦蛇螺が巨体を伸ばし、今にも新宿御苑から外へと出ようとしている。
東京壊滅の時間は、刻一刻と迫りつつあった。
109
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:07:29
つい呼びかけてしまった。気が付けば叫んでしまっていた。
その言葉が勝手に、己の口を突いて出てきたようだった。
『母さん』。
写真の中でしか見たことがなくても、
その姿がどんなに――目は血走り口は裂けて、
腕は六本でしかも下半身は大蛇と一体化し――恐ろしく変貌してしまっていても。
祈には分かってしまった。まるで魂が知っていたかのように。
死んだ筈の母がこんなところに居る訳がないと、頭では理解していても。
>「見るな! そんなわけ……」
戸惑いに足を止めた祈に、振り返ったノエルがそう警告を飛ばす。
「見るなって言われたって――」
目を離せない。
なにせ死んだと思っていた母が生きていたのだから。
しかもそれが、姦姦蛇螺と一体化する形で。
そして。もし本当にあれが姦姦蛇螺と一体化した母だとするなら、
東京ブリーチャーズや狸妖怪率いる妖怪軍団が倒そうとしているのも母であり、
これから人々や妖怪に牙を剥こうとしているのも母ということになる。
思いがけず再会した母が、倒すべき『敵』だった。
その衝撃に、祈は混乱していた。
>「……橘音くんをお願い。今の橘音くんは少しの妖力しかないからこんな場所にいたら死んじゃう。
>安全な場所まで連れて行って介抱してあげて」
しかしノエルの指示で視線を巡らせ、
倒れた状態からなんとか起き上がろうとしている白狐を視界に収めると、
状況はどうあれ友人の安全は確保すべきだと、とりあえず納得した祈は、
「う、うん!」
返事の後、悪魔達の手を掻い潜り、倒れている白狐、橘音へと駆け寄った。
ぐぐ、と四肢に力を入れて起き上がろうとしている橘音は、
つい今し方までアスタロトと何事か言葉を交わしていたようであった。
とりあえず祈は『橘音を抱えて、安全そうな仲間の後ろまで逃げよう』と考え、
橘音を抱える為にその側にしゃがみ込み、橘音を支えた。
それを見たアスタロトが何事か呟いた為、
祈は橘音を支え起こしながらも、意識をアスタロトに僅かに向けた。
それを隙と見て、人間大のカラスのような悪魔、マルファスが祈の背後に迫る。
>「……尾弐っち。姦姦蛇螺の事、もっと詳しく教えて。
なんでもいいから……今すぐに!」
だがポチが己の中の獣《ベート》の力を解放し、
祈の背に迫るマルファスの首に喰らいつき、止めた。
それを見て反応したのは、もう一方の悪魔。
人間大のハトのようなハルファスだった。
尾弐によって殴り倒されていたハルファスだったが、
起き上がって状況を認識すると、
相棒の首筋に喰らい付いたポチをレイピアによって刺殺せんと迫った。
しかし、それも投擲された巨岩が命中したことによって阻止される。
祈がこの場に現れたのを見て、どういう理由か暫し呆然としていた尾弐であったが、
我を取り戻すと、地面から巨岩を引き抜いてハルファスへと放り投げ、祈を援護したのであった。
巨岩をまともに受け、再び沈黙するハルファス。
そして二人の援護を受けたことで、
祈は橘音を抱えながらも安全に仲間達の後ろに戻ることに成功するのだった。
110
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:09:16
>「キミに母親の記憶はないはずですが。触れあったことも、声を聴いたこともない母親でも――わかってしまうものなんですねえ」
>「そう!その通り!この怪物は紛れもなく、アナタの母親!多甫 颯さんですよ……祈ちゃん!」
オーバーリアクション気味に、諸手を広げて楽しそうに言うアスタロト。
>「母子の感動のご対面だ!『颯さんは死んじゃいなかった』!いや、ホントにボクも封印を解いた甲斐がありました!」
>「もっとも……アナタは颯さんのことをわかっても、颯さんの方は……アナタを娘とは認識していないようですがね……」
(やっぱり、母さんなんだ……この人が……)
祈は改めて姦姦蛇螺を見た。
姦姦蛇螺はシュルル、と蛇のように舌を伸ばしたりしているが、
視線はどこにも焦点を合わせておらず、ぼんやりとして、まるで寝起きのように動かない。
マルファスがポチを力任せに引き剥がし、
首を幾らか食いちぎられながらもアスタロトの傍らに立って、レイピアを構え直した。
その横へ、ハルファスも起き上がってよろよろと並び、同様に構える。
そんな二人を窘めるアスタロト。
そしてアスタロトも、その前に並び立つ悪魔二柱も、
姦姦蛇螺さえも動く気配はなく、状況は膠着状態に陥った。
それを動かしたのは尾弐だった。
ポチに促されたからであろうか、尾弐は油断なく周囲や眼前の敵に目を配りながらも、
姦姦蛇螺について語り始めるのだった。
尾弐が語ったもの。
それは尾弐と橘音、祈の両親という、たった4人で荒ぶる神に立ち向かった記憶だった。
赤マントによって解き放たれた、強力な荒ぶる祟り神、建御名方神を前身とする姦姦蛇螺。
しかし、それに立ち向かうのにたった4人というのは、あまりに少なすぎた。
そこで帝都を守る為に4人が選んだのが、
颯が生贄になり、晴陽が内側から結界を張ることで姦姦蛇螺を封じるという方法だったという。
>「そこまでしないと、奴を止める事は出来なかった。そこまでしても、奴を止める事しか出来なかった」
>「……その結果がコレだ。神に生贄として捧げられた颯は、ああして成仏も、消滅も、地獄にすらもいけない姿に成った。姦姦蛇螺の一部になっちまった」
>「帝都なんてモン見捨てて、無理矢理連れ去っちまえば、二人だけは助けられたのに」
>「……俺が全部を投げ捨てる事を択べれば、颯をあんな姿にする事は無かったのに」
尾弐は絞り出すような声で語る。握りしめた右拳からは血が滲んで、地面に落ちた。
(そういうことだったんだ……だから尾弐のおっさんは、あたしにそのことを話せなかったんだ……)
尾弐が両親の死について秘匿していた理由。
赤マントに『両親を殺したのは橘音と尾弐だ』と言われて否定できなかった理由。
そして今日、祈を遠ざけていたように見えた理由を、祈は悟った。
後悔。罪悪感。自責の念。
尾弐は人前で涙を見せるような男ではないが、
拳から滴り落ちる血はまるで血涙のようにすら見えた。
>「ノエル、ポチ……結界を壊されて完全に復活させちまった以上、もうどうしようもねぇ。俺達の負けだ。那須野と祈の嬢ちゃん連れて逃げろ」
>「アレに狸共が勝てる訳もねぇ。せめて時間を稼いでる間に海の外まで渡れば、命だけは助かるだろ……ああ、それとも生贄と人柱をもう一回試してみるか?」
そして尾弐は自嘲するかのように言って、
右拳から流れる血を拭うこともせず、腕を組んだ。尾弐の上着を血が赤く染める。
脚に力を入れ、悪魔や姦姦蛇螺の前に立ち塞がるかのように立つ。それは仁王立ちの如く。
言葉通り、自分だけが残って時間を稼ごうという強い意志が感じられる。
結局のところ、尾弐が語った理由はこの一言に尽きるのだろう。
お前達では敵わないから逃げろ、という、その一言に。
それを言いたいが為に、語りたくもない、後悔に塗れた己の過去を語ったのだと思われた。
尾弐の話を聞き、立ち塞がる尾弐を見て、アスタロトは嗤う。
111
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:11:18
>「ウフフ……説明ありがとうございます、クロオさん!」
>「もののついでです。ボクらと颯さん、ハルオさんの関係についても、この際皆さんに知って頂きましょうよ」
>「隠しごとってのはよくないですからね!アッハハハハッ!」
そう言ってアスタロトは、いかなる目論見があるものか、
悪魔二柱の制止を意に介することもなく、自分達と祈の両親について話し始めた。
それはある種、隙と捉えられないことはない。
膠着状態だが、まだマルファスもハルファスも完全にダメージから立ち直っておらず、
姦姦蛇螺にも動きはない。
話している最中というのは話そのものに気を取られがちで、、
アスタロトが話している最中に不意打ちで誰かを攻撃してしまえば、
もしかすればこの膠着状態が崩れ、状況は有利に傾くのかも……とも思うのだが、
祈が両手に抱える橘音がアスタロトを制止する様子はなく、
祈がこの膠着状態、均衡を崩していいものかは分からない。
祈自身その話に興味があったこともあり、
祈は警戒をしながらも話を聞くことにしたのだった。
アスタロトは語る。
戦力を求めてターボババアを当たったが、相手にされなかったこと。
しかし話を聞いていた娘の颯が、役に立てるなら自分が代わりにと申し出てくれたこと。
そこから橘音と尾弐、颯の関係は始まり、以降は三人で妖怪退治するようになり、
退治方法もまず説得や交渉からするように変わっていったこと。
戦いを続けるうち、縁あって日本明王連合と共闘することになり、
派遣されてきた陰陽師、安倍晴陽と出会ったこと。
そして颯と晴陽は惹かれ合い、ついには将来を誓う関係になり、
晴陽は家の大反対に遭ったが、家を捨てて颯と結婚し、祈が生まれたこと。
颯と晴陽の築いた家庭は橘音と尾弐も入り浸ってたぐらい居心地がよく
幸せな時間が流れたが、しかし、赤マントが姦姦蛇螺を解き放とうと画策したことで、――それも終わりを告げたこと。
尾弐が語っていた通り、姦姦蛇螺が復活し、4人で立ち向かうがまるで歯が立たなかった。
そこで颯は生贄となることを決意するが、その際にこんなことを言ったらしい。
>『わたしはただ死ぬんじゃない。この子の、祈のために道を作りたいの。祈が笑顔で暮らせる未来のために命を使いたいの』
>『みんな、この子だけは助けて――この子をここから無事に逃がすために、あなたたちは絶対に生き残って』
と。
そして姦姦蛇螺に颯が飲み込まれると、姦姦蛇螺は大人しくなった。
その隙に『颯がここに残るなら、自分もここに残ろう』と言って、晴陽が結界を構築したのだという。
二人の命を犠牲にしたことで、封印は為り、事態は収束した。帝都の危機は去ったのだ。
しかし晴陽の死によって、一旦縁を結びかけた妖怪側と日本明王連合は気まずくなり、
共闘の話はなくなった。
更にターボババアは二人をなじり、ターボババアが祈を引き取って養育することになると、
橘音と尾弐、ターボババアの縁もまた一旦切れた。
しかし年月が経ち、成長した祈が勝手に妖怪退治を始めたことを切っ掛けに、
再びその縁は結ばれることになる。
『祈ちゃんを命に代えても守ります。だから、どうか償わせてください』と橘音が懇願し、
『二度と同じ過ちは犯すな』とターボババアが承諾したことで、祈はブリーチャーズに入ることを許された。
それ以降の流れは、祈も知っている通りだろう。
だが。
黒い狐面を押さえて、アスタロトはくつくつと嗤う。
>「アナタたちは、そんなの赤マントが悪いんじゃないか――って。そう言うのでしょうね。アナタたちは優しいから」
>「でもね……違うんですよ。全然違う。そういう話じゃないんだ……」
>「ボクはねえ……祈ちゃん。喜んでしまったんですよ……」
>「姦姦蛇螺の力の前には、ボクの知恵などなんの意味もなかった。姦姦蛇螺の復活に、ボクはただ手をこまねいているしかなかった」
>「でも、そんなとき。颯さんが自分を生贄にして姦姦蛇螺を鎮める、と言い出したのです」
>「さっきも話した通り、当然ボクは止めました。バカなことを言うのはやめてくださいってね……でも、違ったんです」
>「心の中で、ボクは颯さんのその提案に歓喜していた。彼女ならそう言うと思っていた……彼女がそれを言い出すのを期待していた」
アスタロトは、自身の胸の内を明かしていった。
今までの話の中では抜け落ちていた、その胸の内。
自分が生き残るために、颯や晴陽の死を歓迎したこと。
そんな己を軽蔑してきたことを。
尾弐と共に、罪の意識を共有しずっと悔やんできたことを。
まっすぐ祈を見て語るアスタロトの視線を受けながら、
その話を聞き終えた祈は――、一つの違和感を覚えていた。
112
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:12:46
そしてアスタロトは己の過去と決別するようなことを言うと、
>「久しぶりの目覚めで、おなかが減ったでしょ?すぐにたらふく食べさせてあげますが……まずはこれをどうぞ!」
と言って、ガラスでできた三本のアンプルをマントの内側から取り出し、
ぽいと姦姦蛇螺に放り投げた。
違和感に気を取られて反応が遅れた、ということもあるが、
どの道、アスタロトの行動を支援するかのようにずいと前に出たマルファスとハルファスが邪魔で、
その行動は阻害できなかったに違いない。
放り投げられた三本のアンプルを、横に裂けた大きな口でまとめてキャッチし、飲み込む姦姦蛇螺。
姦姦蛇螺の体内で、何かが爆ぜたかのように妖気が膨れ上がるのを祈は感じた。
>「何を飲ませたのか、って?サプリメントみたいなものですよ……それも特別効き目のあるヤツを、ね」
>「なにせ、我が天魔七十一将の中でも上位の支配者クラス――悪魔王三柱から抽出した妖気ですからね!目も醒めるってものでしょう!」
そうして、――地獄が始まる。
巨大化を始める姦姦蛇螺。とぐろを巻いていたために高さはそれ程でもなく、木よりも小さく見えていたその体。
しかしそれが肥大化し、みるみる内に木を追い抜き、周囲の木々をなぎ倒す程になり――祠堂を踏み壊して、どこまでも。
どこまでも。見上げるほどに。――大きくなっていく。驚いた鳥達が飛び立って逃げていく。
>「まずい!皆さん、退避してください!ここにいたら押し潰されてしまう!」
更に巨大化を続ける姦姦蛇螺を前に、祈が両腕で抱いている橘音がそう警告を飛ばす。
時間稼ぎの為に残ろうとした尾弐とて、その前には何を為すことはできないのだろう。
一行は結局、巨大化する蛇神を前に為す術もなく、その場から退避せざるを得ない。
ブリーチャーズ一行は新宿御苑内にある茶室・楽羽亭へと、一度避難することになった。
113
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:15:10
かつては皇族が休憩所として利用していたと言う茶室・楽羽亭。
それに相応しく茶室・楽羽亭は和を感じさせる優美な建築物で、
内部は落ち着いた佇まい。
訪れれば700円程度で季節の和菓子と抹茶などが味わえ、
茶室を借りて茶会や句会などを開くこともできると言う、新宿御苑でも人気のスポットである、が。
しかし今、この場には人っ子一人、店員すらも不在であった。
妖怪達が人払いの術などでこの場所から人を遠ざけているからである。
その茶室・楽羽亭にずかずかと上がり込み、
畳の敷かれた茶室の一室を勝手に占領したブリーチャーズ一行だが、
茶室の内装や雰囲気を楽しむだけの余裕はそこにはないだろう。
巨大化した姦姦蛇螺はブリーチャーズを見向きもせず、
地鳴りを響かせてどこかへ――恐らくは妖怪軍団がいる方へと向かっていった。
そこでは激しい衝突が予想される。
ミハシラとかいう新兵器やミサイルがあり、
姦姦蛇螺を倒せると狸の妖怪は豪語していたが、
姦姦蛇螺はあの巨体に見合う莫大な妖力を備えているように祈には感じられており、
本当に倒せるかどうかは不安が残る。
倒せなかったら、妖怪達や人間や東京はどうなるのか。
そして倒せたとして、母はどうなるのか。死ぬのだろうか。そんな思いも過る。
なにはともあれ、大きな戦いが始まる寸前。状況はまさしく切迫していた。
「……これからどうしたらいいのかな」
しかしどうすればいいかはわからず、橘音や荷物を畳の上に降ろしながら、祈は呟いた。
元々強力な祟り神だったと言う姦姦蛇螺が更に強化され、
怪獣のようなサイズになってしまったのだ。
あんなものをどうやって倒せるのだろう、という疑問。不安がある。
それに祈は、これまで起こったことに対して感情の整理を上手くつけられておらず、
特にアスタロトの話を聞いた時に抱いた違和感の正体を掴みあぐねており、
先程の呟きは、この状況にどう立ち向かえばいいか、という意味の「どうしよう」だけでなく
この胸中にある複雑な気持ちに対しても「どうしよう」という意味合いもあったと言えた。
それを察したからだろう。全員の安否を確認した橘音は、
>「……もうひとりのボクが言ったことは、すべて真実です。ボクは祈ちゃんの両親を見捨てた。ふたりの死を歓迎した」
>「ボクは、皆さんにそれを知られるのを恐れた。人でなしと罵られるのが怖かった……」
>「……虫のいい話ですよね」
そう静かに切り出した。その話を祈は、正座して聞いていた。
>「祈ちゃん。ボクはずっと、アナタを騙していた。都合の悪い真実に蓋をして、いい人を演じ続けていた」
>「帝都を守るためには、仕方のない犠牲だった……そんな風に自分に言い聞かせながら、ずっと。アナタの前で善を装っていた」
>「ボクはね。アナタが考えているような、正義の味方なんかじゃあないんですよ……」
>「……ごめん、なさい」
橘音が消え入るような声で謝罪し、その後も独白が続く。
自身の中で、罪悪感が燻り続けていたこと。
その罪悪感に耐えかねて、罪の意識から逃れようと悪人になろうとしているのがアスタロトだが、
しかし己はそんなことは認めはしない、祈の両親の魂の為にも逃げない。
だから力を貸して欲しい、自身の不始末は自身で付けなければと。概ねそんなことを決意を滲ませた口調で言うのだった。
>「すべてが終わった後に、償いはします。だから……もう一度だけ。ボクに勇気を下さい」
そう、絞り出すような声で橘音は懇願する。
橘音の話を聞き終え、ようやく祈は、己の気持ちの整理がついた気がした。
祈は橘音の正面まで移動すると、その顔を両手で挟み込んで面白い顔にしてやった。
114
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:18:05
「あはは、ひょっとこみたい」
そう言って笑う祈だが、橘音を見る目は笑っていない。
「……なに勝手なことばっか言ってんだよ、橘音。
さっきのは何に対してのごめんなさいだよ? そもそもさー……」
むしろ睨みつけるような、怒気すら瞳の奥に窺わせる。
祈は言葉を切り、息を軽く吸い込むと
「あたしは怒ってねえ!
嘘を吐かれたとか裏切られたとか、人でなしだとか全然思ってない!
橘音も尾弐のおっさんも、あたしの中で変わらず最高の、正義の味方だ!
父さんや母さんのことは確かに残念だけど……あたしはそのことで二人を恨んだりも怒ったりもしてない!
だから勝手に謝ってんじゃねぇ!!」
己の胸の内を吐き出した。
キレた口調なので怒っていないという言葉に全く説得力はないが、
だが、祈は――真実怒ってなどいなかった。
両親の選んだ死。橘音と尾弐の選択。それは止むを得ないことだった。
そうでもしなければ東京は滅んで、多くの人々の命が喪われていたのだから。
確かにこの14年、寂しい思いなら沢山してきた。
だが、祈や見知らぬ誰かの未来の為に命を投げ出した父と母の勇気は誇りであり、
この東京に生きることは、父と母が生かした世界で生きることに他ならない。
そこには父と母と自分の繋がりがあるように今では思える。
それを祈に黙っていたことだって、
罪悪感と後悔、己を軽蔑する気持ちなどを抱えていれば
致し方ないことだと思えたし、この事実は恐らく、昔の祈では受け止め切れなかったことだ。
ただ己の我儘だけで黙っていた訳ではないことは祈でもわかる。
だからこそ、裏切られたとも、嘘を吐かれたとも思いはしない。
かつて赤マントから、両親の死に橘音と尾弐が関わっているとを聞かされた時、
『真実を知れば二人への信頼や好意が揺らいだりはしないか』と、
そんな不安を抱いていた祈だが、聞いてみれば何のことはない。
祈は二人のことを自然と受け入れられていた。
それどころか。
むしろ、そんな辛い思いをしても折れることなく、
仲間に己の感情をひた隠しにし、時には笑顔すら見せて。
そして東京を守ってきた橘音と尾弐の気高さと強さを尊敬こそすれ、
軽蔑する理由は見当たらないとすら思える。
故に、両親の死も、それを二人が選択したことも、黙ってたことに関しても。
祈は全く怒ってはいなかった。
しかし口調から分かるように、祈は明確に何かに対して怒ってはいる。
それが何に対するものかと言えば。
「むしろ…………謝るのはあたしの方だよ、橘音」
115
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:27:51
祈は手を放して、今度は正面から橘音を優しく抱きしめた。
橘音を膝の上に乗せ、抱きかかえたような形になる。
「……ごめん。二人がずっと苦しんでたなんて、あたし知らなかった。気付いてあげられなかった。
橘音、尾弐のおっさん。ほんとにごめん。
そんで、あたし二人のこと大好きだからさ……父さんと母さんのことで、傷付いてて欲しくないって思ってる」
自分自身だった。
今の今まで、仲間の苦しみに気付かずにいた自分がどうしようもなく腹立たしく、悔しかったのだ。
仲間に怒りを抱いている訳でもないのに、
胸の奥が怒りに燃えた時のような痛く熱いような。そんな違和感があったのは、その所為だったのだ。
「あのさ。生きたいって思うのは普通なんだよ、橘音。
もうどうしようもなくて、誰か助けて欲しいって思った時、
本当に誰かが命懸けでも助けてくれたら……それを嬉しいって思うのは普通のことなんだ。
悪いことなんかじゃないんだよ」
ぎゅっと、橘音を抱きしめる手に力がこもる。
「それに、母さんたちはそれ、むしろ嬉しいと思う。
あたしが母さんだったらそうだもん。自分が命懸けで助けようとしてる人が『生きたい』って思ってくれたらすごく嬉しい。
だって、橘音や尾弐のおっさんたちや、東京の皆に生きて貰うためにそこに残るんだから。
だからね、母さんたちは自分達のことを忘れたっていいから、二人には楽しい毎日を送ってて欲しいって願ってたと思う。
間違っても『自分達を見殺しにした』なんて罪悪感で塗りつぶされたように生きて欲しくないって、思ってたと思う。
ねぇ、母さんたちを思い出して。橘音と尾弐のおっさん、二人は父さんと母さんのことを良く知ってるでしょ?
二人は、橘音や尾弐のおっさんの不幸を願うような人達だった?」
祈は橘音と尾弐を交互に見た。
「ねぇ、自分を許してあげてよ。あたしは許すから。二人のことを軽蔑したりしないから。
どうしても許せないなら、父さんや母さんの代わりにあたしがいいって言うから。
それに、二人が父さんと母さんの意見を尊重してくれたから、助かった人もいっぱいいるんだよ。だから……、
父さんと母さんがどうしても助けたかった東京の人達ことも、嫌いにならないであげて欲しいんだ」
犠牲になった者にばかり目を向けていれば見えないが、
姦姦蛇螺を封じたことで、東京で生活を営む多くの命が救われた。
だがもし橘音と尾弐が二人の意見を尊重していなければ、それはなかった。
祈が東京で育ち、担任やクラスメイトと出会えたのも東京があったからで、
そして東京が滅びていれば、きっと東京ブリーチャーズなんてものもなくて、
この場にいる誰とも祈は縁を結べなかったに違いない。
だから。全部が全部良かったとは言えないかもしれないけど、
帝都を見捨てて二人を連れて逃げていればと尾弐は言ったけれど、
今が間違っているなんて思わないで欲しい。今の東京を嫌いにならないで欲しい。
これもきっと正解の一つだったのだと、尾弐にはほんの少しでもそう思って欲しいと、
そんな風に祈は思うのだった。
祈は腕の力を緩めて、橘音をそっと解放する。
あとはきっと二人の心の問題だと思ったし、これ以上話している時間はないのかもしれないと、そう思ったからだ。
外では姦姦蛇螺の移動する地響きが鳴りやんだかと思えば、――轟音。爆発音が響いてきた。
妖怪軍団と姦姦蛇螺の戦いが始まったのだろう。
先程の音は恐らく、ミサイルか何かがが姦姦蛇螺に放たれた故のものだと思われた。
116
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:30:49
戦況はどうなっているのかと、祈は窓を開けて外の様子を窺った。
すると。目に映るのは地獄絵図。
ミサイルも“ミハシラ”とやらも姦姦蛇螺には全く効果がないようだった。
レーザーのようなそれを受けても、姦姦蛇螺はぴんぴんしていて――。
見る見るうちに妖怪達が殺されては姦姦蛇螺に喰われていく。
また、誰かが死んだ。多くの妖怪が死んだ。助けることができなかった。
ギリと歯噛みする祈。
姦姦蛇螺と一体化したとはいえ、母が妖怪達を殺して喰らう様を目の当たりにするのはショックでもあった。
だがそれよりも、今は。
「……早く行って止めないと……!」
今は、被害を軽減することが第一だった。
だが、どうしたら。姦姦蛇螺を止める有効な手立てなど何一つないのだ。
いや、姦姦蛇螺を止められなくとも、祈が駆けて妖怪を抱えて逃げれば、一人ぐらいは救えるのではないか。
誰か一人でも。
祈がそう思って荷物の中から風火輪を取り出して履くが、風火輪は反応してくれるかどうか分からない。
>「……御苑の外へ向かっている……」
窓の外を眺めながら、橘音が呟く。
新宿御苑内に人間はいない。それは結界やら人払いの術が働いているからで、
同時に中で行われていることが認識されないようにもなっている。
つまり、人々は新宿御苑内で行われていることを知らないし、
その外では普段通りの日常が営まれている。
故に、このまま姦姦蛇螺が新宿御苑の外へ出れば、
なんの備えもなく生活している人間達の元に突如姦姦蛇螺が出現する形になり、
大騒ぎになる。被害は甚大だろう。また多くの人が死ぬのだ。
またしても。またしても、何もできないままに。
祈が焦りから窓の外へ飛び出そうと窓に風火輪を履いた足を掛けた、その時。
茶室の鏡から水面に水滴を落としたような音が響いて、祈は足を止めた。
鏡面が波打ち、鏡にぬらりひょん富嶽の顔が映し出される。
「ぬらりひょんのじっちゃんか!」
何か有効手段でもあるのかと思い、窓枠に掛けていた脚を降ろし、
祈は鏡の前にやってきた。すると、ぬらりひょん富嶽は口を開き、
>『やはり駄目ぢゃったか……。よもや、生きて再び姦姦蛇螺の姿を目の当たりにしようとはの』
残念そうに呟く。そしてその口から
いま自衛隊に連絡をしただとか、日本妖怪は西洋悪魔に敗北したのだとか、
妖怪警察が押収した魔滅の弾丸だが、
それがあったところで魔ではなく神性である姦姦蛇螺には効果が薄いであろうということが伝えられた。
やはり有効な手立てはないらしい。
その鏡に映る人物が白い狼、シロへと変わった時。
祈の携帯が鳴る。相手は安倍晴朧であった。スライドさせて通話状態にして耳に当てると、
117
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:31:34
>『祈!無事か!?怪我はないか!?今どこにいる!?』
祈がもしもし、というより先に祖父の怒声が響いてきた。
祈が新宿御苑内の茶室にいることを伝えると、
祖父は遣いを向かわせたからそこから逃げて安倍邸に避難しろと凄い剣幕で言うのだった。
しかし、
「でもなにかしなきゃ東京の皆が死んじゃうんだよ! 何か対策とかないのじーちゃん!?」
と祈が逆に怒鳴るように言い返すと、
遣いが到着するまでに勝手に動かれては困ると思ったのか、祈を説得するためであろうか、
晴朧はしぶしぶと言ったように姦姦蛇螺について話をし始めた。
>『姦姦蛇螺とは『まつろわぬ者』、山窩や蝦夷、宿儺、土蜘蛛といった化外の民が崇めていた神じゃ』
>『大和民族によって生活圏を追われ、駆逐され、滅びた民の怨嗟――それを姦姦蛇螺は原動力としておる』
>『その力は強大じゃ、ひとの感情の中でもっとも昏く、強く、恐ろしいもの……それは『恨み』の力に他ならぬからな』
>『それが復活したとなれば……いかな日本明王連合とて、打つ手立てがない……』
>『現在、急ピッチで再封印のための人員をかき集めておるが、例の尾瀬らの一件でこちらも人手が足りん』
>『祈、おまえが東京を守りたい気持ちはわかる。しかし、あれは個人の力でどうこうできる存在ではない。わかるじゃろう』
>『妖怪たちにも打診して、姦姦蛇螺対策の方策を練る。おまえはくれぐれも無理をせず、安全なところにおれ』
分かったのは、安倍晴朧という陰陽寮のトップの知識をもってしても、
有効な手立てがない、ということだった。
ひとの感情の中でもっとも昏く強く恐ろしいものが『恨み』である、という言葉が、
祈の中で繰り返される。
>『……儂にまた、肉親を喪う苦痛を味わわせてくれるな……』
そして晴朧は、そう弱々しく言うのだった。
「……うん。わかってる。今は思いつかないけど、聞きたいことができたらまた後で連絡するね」
祖父の内心を感じ取った祈は、親不孝をしているような気分になりながらそう言って、通話を切った。
結局、有効な手立てはない。だが、何かある筈だ。あの蛇神を、その暴威を止めるだけの手段が。
祈は顎に手を当てて思案を巡らせる。
(いくら強くて古い神だからって、倒す手段がないとは考えられない。
諦めなければ何かが見つかるはずなんだ……。速く思い付け、何かないか……)
例えば他の神様の力は借りられないだろうか。
同じ古い神であれば姦姦蛇螺に対抗できるかもしれない。
もしくは神を倒した武器だとかはないのだろうか。
似たような逸話でもいいから、巨大な蛇神を倒したと言うような、効果がありそうな何かを持った武器――。
そう考えた時、頭に過った言葉があって祈は目を見開いた。
「……――“てんはねはねぎり”」
祈は脳裏に閃いたその言葉を呟いた。
118
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 22:38:42
そして祈が呟いた直後。
バアン、と。茶室の窓の外で、
高所から何かが落下して地面に叩きつけられたかのような大きな音が響いた。
「なんだ!?」
思案している内に攻撃が此方にも向いたのだろうかと、
驚いて、祈は窓の外に再び目を遣った。
茶室の窓から数メートル先。
落下してきたそれは、音相応にかなりの勢いで落下してきたらしく、
地面にクレーターのような跡を作っている。
クレーターの真上に横たわる、人間大の鳩のような姿をしているそれ。
それは紛れもなく悪魔の一柱、ハルファスであった。
羽には大穴を開けられ、体や顔、いたるところに裂傷。足や腕は所々ひしゃげており、
生きてはいるようだが、完全に――戦闘不能にされている。
横たわるハルファスの上には女が立っており、
この女がハルファスを天空から叩き落して倒したと見られた。
クレーターを作る程であるから、この女もかなりの速度で落下してきた筈であるが、
着地の際に衝撃を殺した様子もなく超然と立ち、
頑丈そうな黒ブーツでハルファスを踏みつけている。
ブーツの底を含めて、身長は180近くはあるだろうか。
漆黒のライダースーツ。頭には同様に黒色の、フルフェイスのヘルメット。
ヘルメットで顔が隠れているのに女だと一目で分かるのは、
その女が一昔前の女スパイが着ていそうな体にフィットするタイプのライダースーツを身に着けている為、
モデルのようにすらっとしていながらも出るとこは出ている、体のラインが分かるからだった。
祈はその女を見て「ん?」と思う。
「祈――」
女はヘルメットを脱ぎながら、そう祈に呼びかけた。ややハスキーな声。
ヘルメットに収まっていた、絹のような長く豊かな白髪が零れ、隠されていた顔が露わになる。
鋭くギラついた、獣のような金の瞳が印象的な美女だった。色白の肌に、唇に塗った紅が映える。
年の頃は20代後半か30代前半と思しきその女は、
「――そいつは“てんはねはねぎり”じゃあなくて、
“あめのはばきり”か、“あめのははきり”と読むんだよ。
あんたは今後、国語を頑張るんだね」
祈にそう言って微笑んで見せた。
にぃ、と笑って見せた口から、鋭い八重歯が覗く。
その言葉を受けた祈は、女を見て、こう叫んだ。
「あ!! やっぱり“ばーちゃん”だ!」
そう。ハルファスを倒し、東京ブリーチャーズの前に降り立ったのは、
祈の祖母にして、都市伝説に語られるターボババア。
名を“多甫 菊乃(たぼ きくの)”と言った。
119
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/06/13(水) 23:35:55
「なんでここにいんの? 仕事行ったんじゃなかったの!?」
驚愕の表情を浮かべる祈。
祈が記憶を辿る限り、祖母は仕込みがあるとかなんとか言って、
珍しく早くに家を出た筈であった。
ハルファスから降りてこちらに歩んできながら、呆れたように菊乃は言う。
「姦姦蛇螺が復活するっていうこの非常時に、のんきに仕事に行ってられるもんかい。休んだに決まってるだろ。
アンタに心配かけまいと適当に言って出た……つもりだったんだがね。こんなところで会っちゃそれも意味がないか。
……それはさておいて、アタシはこいつを取りに行ってたんだよ」
そう言って菊乃は、背負っていた三味線でも入ってそうな縦長のハードケースを降ろし、
中身を取り出した。
中から出てきたのは厳重に白い布の巻かれた棒状のもので、
その白布を解くと、中からは鉄で作られた古い直刀が出てきた。
日本刀のように柄に嵌めることを前提としていない、刀身から持ち手までを鉄で作られた、ある種木刀のような形状。
持ち手の先には環頭があり、片刃。日本刀とは逆に刃側に反っている。
持ち手を含め、剣の長さは、拳が十個程度だろうか。
刃の部分が一部欠けている、その剣の名を。
「――天羽々斬。布都斯魂剣、天十握剣、蛇之麁正、天蠅斫剣……なんとでも好きに呼ぶといいさね。
祈、アンタがさっき言っていたやつだよ。
姦姦蛇螺の前身である建御名方神。その父は大国主神。さらに遡ればその父はあの“須佐之男(スサノオ)”。
須佐之男は、ある蛇神を退治した伝説を持っている。
そう。これはあの八岐大蛇殺しを成し遂げた、恐らくは日本で最も有名な蛇神殺しの逸話を持つ男神の剣だ」
天羽々斬。別名をいくつも持つこの剣は、スサノオが振るった剣の一つである。
スサノオの振るった剣の中では天皇家における三種の神器にもなっている草薙剣が最も有名だが、
八岐大蛇を打倒したのはこの天羽々斬であり、草薙剣は八岐大蛇の体内から見つかった剣であるとされている。
石上神宮に保存されていたこの剣を、菊乃は交渉してどうにか借りてきたと言った。
石上神宮は奈良県にあり、東京からは片道500キロ近い距離があり、
その往復に時間がかかったのかと思いきや、交渉に時間がかかり、戻ってくるのがここまで遅れたらしい。
「蛇神殺しの逸話を持ち、広く知られているこの天羽々斬は、
姦姦蛇螺退治には最も効果的な剣だと言っても過言じゃあないだろう」
『そうあれかし』。
妖怪やそれに類する者の力は基本的に、人々がそうだと想えば想う程に増す。
知られていれば知られているほど、古ければ古いほど、
強いと信じられれば信じられるほどに、その力は強くなる。
その特性を考えれば。建御名方神より知られ、そして古く。
蛇神退治の逸話から強さを確信されているこの剣ならば。
「前々からこいつには目を付けていて、神主とは交渉を重ねていたんだ。
いつか姦姦蛇螺が復活するようなことがあれば、こいつを借りてあの子を切って、あわよくば解放してやろうと思ってね。
だがあんなデカさになられたら流石のアタシでもちょいと骨が折れる。
切ったり蹴ったりしている内に、下手したら新宿御苑から出て死人が出ちまうかもしれず、そいつはアタシの本意じゃない。
そこでアタシはそこらの人間達や生きている妖怪を片っ端から逃がしたり、救助することにして――、
天羽々斬はアンタ達に託そうと思うんだが……どうだい、東京ブリーチャーズ。あの怪獣と戦うつもりはあるかい?」
ターボババア・菊乃は挑戦的な視線を投げかけて、
天羽々斬の持ち手を、茶室にいるブリーチャーズへと突き出した。
姦姦蛇螺は巨体を伸ばし、今にも新宿御苑から外へと出ようとしているところであった。
120
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:05:38
>「ノエル、ポチ……結界を壊されて完全に復活させちまった以上、もうどうしようもねぇ。俺達の負けだ。那須野と祈の嬢ちゃん連れて逃げろ」
>「アレに狸共が勝てる訳もねぇ。せめて時間を稼いでる間に海の外まで渡れば、命だけは助かるだろ……ああ、それとも生贄と人柱をもう一回試してみるか?」
「昔2人を置いて逃げたことが罪だとしたら……僕達に同じ罪を犯せと? 逃げるなら全員一緒だ!
ポチ君……いざとなったら無理矢理でも連れてくよ!」
乃恵瑠はいざとなったら全員で逃げる気満々になっている。
とはいっても膂力で劣る乃恵瑠では尾弐の強制連行は物理的に無理なのでポチが頼りだ。
>「ウフフ……説明ありがとうございます、クロオさん!」
>「もののついでです。ボクらと颯さん、ハルオさんの関係についても、この際皆さんに知って頂きましょうよ」
>「隠しごとってのはよくないですからね!アッハハハハッ!」
「今はそんな場合じゃないでしょ!」
>「天魔に戻ろうと、ボクは探偵。隠しごとを暴くのは探偵の宿痾みたいなものです、止められませんよ」
こんな状況で昔語りを始めるアスタロトに呆れる乃恵瑠だったが、
過去の姦姦蛇螺との戦いから姦姦蛇螺に対抗する何らかのヒントがつかめるかもしれない、
そう思って大人しく聞くことにする。
>「颯さんは自分が生贄となることで、姦姦蛇螺を鎮めると。そう言ったのです」
>「もちろん、ボクたちは反対しました。そんなことはさせられない……ってね。でも、颯さんを思い留まらせることはできなかった」
>「ハルオさんは言いました。颯がここに残るなら、自分もここに残ろうと」
>「ボクたちは、やっぱり反対しましたが……彼の意志を覆すことはできなかった。頑固な夫婦でしたよ……本当に、ね」
>「そうしてハルオさんはこの場に残り、クロオさんとボクは祈ちゃんを連れて、この場所から逃げ出したのです」
乃恵瑠は祈の両親の死の真相を聞き、内心安堵していた。
尾弐と橘音があまりに本当に自分達が殺したと思い込んでいるようなので、もっと残酷な真相が隠されているのを恐れていた。
赤マントの計らいで2人が生贄になるにあたって尾弐と橘音が直接手を下すような小粋な演出があったのではないか、
文字通りの意味で殺さされたのではないかと危惧していたのだ。
>「アナタたちは、そんなの赤マントが悪いんじゃないか――って。そう言うのでしょうね。アナタたちは優しいから」
「うん、教えてくれてありがとう。でもそろそろお喋りは終わりだ」
>「でもね……違うんですよ。全然違う。そういう話じゃないんだ……」
>「ボクはねえ……祈ちゃん。喜んでしまったんですよ……」
>「心の中で、ボクは颯さんのその提案に歓喜していた。彼女ならそう言うと思っていた……彼女がそれを言い出すのを期待していた」
「もういい……もうやめろ!!」
アスタロトの口を物理的に塞ごうと駆け寄る乃恵瑠だったが、マルファスとハルファスに阻まれる。
121
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:06:37
「邪魔しないで! というか部下ならこいつ黙らせて!
君たちだって内心”こいついらん話し過ぎだろ”って思ってるでしょ!」
乃恵瑠がマルファスハルファスとじゃれ合ってる間にもアスタロトは構わず言葉を続ける。
>「ボクは。『自分が生き残るために』。『アナタのお母さんが死ぬことを歓迎した』んですよ……」
>「……でしょう?クロオさん。あれからずっと、ボクたちは同じ罪の意識を共有し続けてきたんだ」
目を瞑りアスタロトから顔をそむける橘音を見て思い知る。これが同一存在の半身が敵に回る本当の恐ろしさだ。
心の中で何を思っているかなんて他人には分からない。普通なら決して暴かれることはない秘密だっただろうに。
「暴いていい秘密といけない秘密があるだろう! こっちの橘音くんは墓場まで持ってくつもりだっただろうに……。
言わなきゃ思ってないのと一緒なのにさ……何で言うんだ!」
本当はそんなことは聞かなくても分かっている。
アスタロトが禁断の真実を語った目的は、白橘音と尾弐を追い詰め、祈を絶望させること――
しかし考えてみれば、禁断の真実と言うほどのことだろうか。
確かにアスタロトの悪意に満ちた言い方をそのまま鵜呑みにすれば
いかにも橘音が自らの策略のために颯達の善意を利用した冷酷非道な人物のように聞こえる。
しかし万策尽きた時に自ら進んで命と引き換えに状況を打開してくれる救世主が現れたら、
内心助かったと思ってしまうのは至って普通のことなのではないだろうか。
アスタロトは自分かわいさに祈の両親を犠牲にしたと言っていたが、自分がかわいいならそれこそ迷わず連れて逃げるはずだ。
そうすれば自分が死ぬことも、仲間を見捨てたという罪悪感を背負うこともないのだから。
橘音と尾弐は颯達の意思を尊重し、2人の命よりも顔も知らぬ不特定多数を選んだということなのだろう。
きっとどちらが正解でもなくて。
ターボババアは橘音と尾弐を責めたというが、親なら東京を投げ打ってでも娘を助けて欲しかったと思うのもまた当然のことだ。
そして祈もまた、同じように何を犠牲にしても両親を助けて欲しかったと思うかもしれない――
>「赤マントが原因だから、ボクたちのせいじゃない?ボクたちに罪はない?とんでもない!」
>「ボクは颯さんが死ねばいいと思った!ハルオさんがこの場所に残るのがベストと判断した!ふたりがそう言うのを待っていた!」
>「それが罪でなくて何です?緊急避難?そんなのは只の言い訳だ。仕方なかったなんて慰めで消えるものじゃない!」
>「……でしょう?クロオさん。あれからずっと、ボクたちは同じ罪の意識を共有し続けてきたんだ」
「もしも2人を無理矢理連れて逃げてたとしたら……
どうせ今頃”自分達だけさっさと逃げて東京を見捨てた”とか難癖つけて追い詰めてるくせに!
どっちを選んでも不正解の問題を突きつけといてやーい間違えたって手口か!」
122
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:07:56
>「でも、それももう終わりです。ボクは天魔に戻った。ボク本来の姿にね」
>「天魔は――悪魔(デヴィル)は後悔なんてしない。罪の意識に苛まれたりなんてしない!」
>「ボクはボクの目的を完遂します。ボクの願いの成就、それだけを考える。そのためには――アナタたちには消えてもらわなきゃ」
>「アナタたちが、あくまでボクの往く手に立ち塞がるというのなら、ね……」
橘音の半身が赤マントの手に落ちてしまったのは、背負わなくていい罪を背負い続けた結果。
どちらを選んでも不正解の二者択一の袋小路に追いつめられた――その時からずっと赤マントの手の内だったのだ。
「そこまでして叶えたい願いって一体何なんだ……!」
>「わかってますよ、おふたりとも。そもそも、ボクがなんの考えもなしにベラベラ喋っていたと思うんですか?」
>「目覚めたばかりの姦姦蛇螺は身動きが取れない。爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと。そのため時間が必要でしたが……」
>「もう充分でしょう。――さあ、お話タイムはおしまいです」
>「久しぶりの目覚めで、おなかが減ったでしょ?すぐにたらふく食べさせてあげますが……まずはこれをどうぞ!」
アスタロトが姦姦蛇螺に3本のアンプルを食べさせると、姦姦蛇螺が巨大化しはじめた。
「いやいやいや、巨大化って……特撮ものじゃないんだから……!」
>「まずい!皆さん、退避してください!ここにいたら押し潰されてしまう!」
橘音の警告に従い、成す術もなくひとまず茶室・楽羽亭へと退避した一行。
橘音は全員が揃っているのを確認すると、静かに語り始め、祈に謝罪した。
直接の相手方である祈は静かに正座して聞いている。
乃恵瑠はその様子を何も言わずに少し後ろで不安げに見ていた。
>「すべてが終わった後に、償いはします。だから……もう一度だけ。ボクに勇気を下さい」
やがて橘音が語り終え姦姦蛇螺を止めるのに力を貸して欲しいと一行に懇願し、数秒の間が開く。
“橘音くん達を責めないであげて”――心の中でそう思うが、部外者である自分には何も言う権利は無いと思い口には出さなかった。
祈は橘音の顔を両手で挟み込むと――
>「あはは、ひょっとこみたい」
「え、何を……?」
おどけた言動とは裏腹に謎の気迫のようなものを感じ、一瞬祈の意図を計り兼ね戸惑う乃恵瑠。
そして祈は――キレた。
123
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:10:46
>「……なに勝手なことばっか言ってんだよ、橘音。
さっきのは何に対してのごめんなさいだよ? そもそもさー……」
>「あたしは怒ってねえ!
嘘を吐かれたとか裏切られたとか、人でなしだとか全然思ってない!
橘音も尾弐のおっさんも、あたしの中で変わらず最高の、正義の味方だ!
父さんや母さんのことは確かに残念だけど……あたしはそのことで二人を恨んだりも怒ったりもしてない!
だから勝手に謝ってんじゃねぇ!!」
「祈ちゃん……」
乃恵瑠は祈を見くびっていた自らを恥じた。
祈がどうして両親を助けてくれなかったのかと橘音達から離反、チームは決定的に瓦解する――
そんな最悪のシナリオを頭の片隅で危惧していたが、全くの杞憂だった。
>「むしろ…………謝るのはあたしの方だよ、橘音」
>「……ごめん。二人がずっと苦しんでたなんて、あたし知らなかった。気付いてあげられなかった。
橘音、尾弐のおっさん。ほんとにごめん。
そんで、あたし二人のこと大好きだからさ……父さんと母さんのことで、傷付いてて欲しくないって思ってる」
祈は橘音を抱きしめ、橘音達は悪くないと、自分を許してあげてと語り掛ける。
ノエルやポチが言えば罪悪感を煽るだけだったその言葉も、颯達の実の娘である祈が言えば届くかもしれない。
乃恵瑠は考える。もし自分が同じ立場に置かれたら、彼女と同じような態度が取れるだろうかと。
祈はたったの14歳だというのに、自分よりもずっと人間(妖怪?)が出来ているようにも思えた。
“不思議な女性でしたよ。年齢はボクたちよりも全然下だっていうのに、ボクたちを丸ごと包み込むような包容力があってね”
と颯のことを語ったアスタロトの言葉が思い起こされる。
「もしかして、さ――お母さんもお父さんも確かに命は賭けたけど死ぬつもりなんて無かったんじゃないかな?
颯さんが生贄になった時姦姦蛇螺のやつ一瞬大人しくなったって言ったよね?
でも現にたくさん妖怪食べられちゃってるけど鎮めるどころか餌にしかなってないみたいだし……。
それに前に赤マントの野郎が言ってた言葉だと2人は最後まで足掻いたように取れたんだ」
半妖は一般的に純粋な妖怪に比べて能力値において遥かに劣るとされている。
しかし、極めて稀に奇跡を起こすという一説がごく一部で囁かれている。
運命変転――純粋な存在には決して起こせない奇跡。厳然たる能力値の差を覆す大番狂わせ。
半妖自体の数が少ないため噂程度の信憑性も何もない説だが、
颯は一縷の望みにかけて生贄を装って姦姦蛇螺の中に飛び込んだのではないか。
乃恵瑠はそう迷推理を繰り広げた。
そして橘音達もまた、奇跡に賭けてみたくなったのではないか。心のどこかで2人は帰ってくると信じていたのではないか――
何故乃恵瑠が役にも立たない迷推理を披露しているかというと、
先程の橘音の”姦姦蛇螺を止めるのに力を貸してくれ”との要請への答えの前置きだ。
ようやく本題に入ろうとした時、不意に響いてきた爆発音が場の空気を一変させる。ついに妖怪軍団と姦姦蛇螺との戦いが始まったのだ。
その戦況は芳しくなく、鳴り物入りで投入された切り札”ミハシラ”とやらも無効という絶望的なものだった。
124
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:12:48
>「……早く行って止めないと……!」
>「……御苑の外へ向かっている……」
「橘音くん……」
姦姦蛇螺に立ち向かう前提の祈と橘音を見て、乃恵瑠は橘音の要請への答えを言いよどむ。
>『やはり駄目ぢゃったか……。よもや、生きて再び姦姦蛇螺の姿を目の当たりにしようとはの』
>『ポチ殿……!』
>『今すぐ、東京から退去なさってください!このままでは、貴方の身さえ危ない……!』
>『一旦、迷い家へお越しを。それから反撃の策を練るより他に、この窮地を脱する方法は――!』
>『祈!無事か!?怪我はないか!?今どこにいる!?』
>『……儂にまた、肉親を喪う苦痛を味わわせてくれるな……』
富嶽やシロや晴朧が言っている内容はほぼ同じで、もう無理だから逃げろという意味合いのものだった。
それに背中を押される形で、乃恵瑠は言いそびれていた結論をようやくを言う。
「橘音くん、今回ばかりは君の依頼、聞けないよ。祈ちゃんを守るってターボババアに約束したんでしょ!?
勝機も無いのに突っ込むなんて愚の骨頂だ。起こりもしない奇跡に頼っちゃ駄目だ! みんなで逃げよう!」
全員無事で、東京も救うなんていう第三の選択肢なんて存在しない。
まやかしの希望に縋った先にあるのは、アスタロトの言うところの極上の絶望だ。
ノエルは人間界に来てからまだ数年しか経っておらず、メンバーの中で一番人間界への愛着が薄いと思われる。
だからこれは自分が言わなければ――そう思ったのだった。
が、他のメンバーが強硬に戦う意思を見せると、途端に弱気になる。
「何でこっちが空気読まない奴みたいな雰囲気になってるの!? 奇跡的に常識的なこと言ってるのに!」
《ヘタレのお前では話にならぬ――代わりに我が言ってやろう》
と、深雪がいきなりしゃしゃり出てきた。何故か意見が乃恵瑠と一致したらしい。
乃恵瑠は謎エフェクトと共に腰まで届く長髪の深雪の姿に変わった。
ちなみに今回は服装は白装束にならずに乃恵瑠が着ている和ロリのままだ。何気に気に入ったのかもしれない。
「そなたら――昔あれが巨大化せずとも尻尾を巻いて逃げたヘタレ二人と半端者と雑種でどうにかなると思っておるのか。
ああそうだ! 東京がどうなろうが我の知ったことではない! 何故なら我は人類の敵だからな――!」
確かに姦姦蛇螺が外に出れば人間界は阿鼻叫喚になるので、一見筋は通っているように思える。
しかしそもそも橘音達が突撃したところで歯が立たないのが分かりきっているのなら、
深雪としてはわざわざ逃げるように仕向けずとも放置して突撃させればいいと思われるのだが、本人はその矛盾に気付いていない。
125
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:15:03
「どうしても行きたくば……我を倒してから行け――!」
と勢いに任せて言ってから、“これは大切な仲間を死地に行かせたくない時のテンプレ台詞ではないか!”と気付いてしまい勝手に焦りはじめる。
「……ち、違う! そんなのではない!
とにかく! 手を貸して欲しくばせめてあいつを倒せそうな何かを用意してくることだ――まあ無理だろうがな!」
しまいにはいつぞやのヤクザのようなことを言い出した。
もちろんこれは無理な条件を提示して断ったつもりなのだが――勢いに任せて適当なことを言うと碌な事にならない。
>「なんだ!?」
突然ハルファスが一撃KOされて落下してきた。
>「祈――」
>「――そいつは“てんはねはねぎり”じゃあなくて、
“あめのはばきり”か、“あめのははきり”と読むんだよ。
あんたは今後、国語を頑張るんだね」
>「あ!! やっぱり“ばーちゃん”だ!」
「今日は妙に若作りしておるな……」
現れたのは、ターボババアこと多甫菊乃。
前に会った時はガチのお婆さんの姿だった気がするが――今日はババアはババアでもBBA(妙齢美女)である。
真っ白な髪と、真っ赤な口紅をイメージした変化のセンスだけに、辛うじてお婆さんの気配が残っていた。
>「姦姦蛇螺が復活するっていうこの非常時に、のんきに仕事に行ってられるもんかい。休んだに決まってるだろ。
アンタに心配かけまいと適当に言って出た……つもりだったんだがね。こんなところで会っちゃそれも意味がないか。
……それはさておいて、アタシはこいつを取りに行ってたんだよ」
>「――天羽々斬。布都斯魂剣、天十握剣、蛇之麁正、天蠅斫剣……なんとでも好きに呼ぶといいさね。
祈、アンタがさっき言っていたやつだよ。
姦姦蛇螺の前身である建御名方神。その父は大国主神。さらに遡ればその父はあの“須佐之男(スサノオ)”。
須佐之男は、ある蛇神を退治した伝説を持っている。
そう。これはあの八岐大蛇殺しを成し遂げた、恐らくは日本で最も有名な蛇神殺しの逸話を持つ男神の剣だ」
>「蛇神殺しの逸話を持ち、広く知られているこの天羽々斬は、
姦姦蛇螺退治には最も効果的な剣だと言っても過言じゃあないだろう」
126
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/06/15(金) 02:29:23
一振りの剣を取り出し語る菊乃を前に、深雪は顔面蒼白になっていた。といっても常に蒼白だが。
妖怪にとって約束は絶対。
先程倒せそうな何かを用意してくれば手を貸してやると言ってしまっており、協力せざるを得ない状況となってしまった。
>「天羽々斬はアンタ達に託そうと思うんだが……どうだい、東京ブリーチャーズ。あの怪獣と戦うつもりはあるかい?」
そう言って、ターボババアは剣を差し出す。
祈が危険なことをするのにはずっと反対していたというターボババアだが、今は止めないどころか後押ししようとしていた。
「――やれやれ、仕方あるまい」
深雪は観念したように戦略を語りだす。
「その剣で斬るにしてもあの巨体で動き回っている状態では何かと厄介だろう。
我が動きを止めてやろう。その隙に一気に倒すのだ。
先程アスタロトが”爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと”と言っていたからな――
寒さに弱い蛇の性質は健在なのだろう」
そうはいってもあれ程の巨体相手ではそう簡単には効かないのではないかという疑問があがれば、
不敵な笑みを浮かべてこう答えるだろう。
「そこでだ――生贄になる振りをして内部に侵入し内側から冷却する。
食われる瞬間に不在の妖術を使えば咀嚼されることが回避できるからな。
――どうだ獣《ベート》殿、共に来るか?」
127
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/19(火) 18:20:11
(……浅い)
ポチの牙はマルファスの首筋に届いた。
だが浅い。牙から伝わるのは肉を切り裂く感触だけ。動脈を食い破るには至らない。
分厚く強靭な羽毛の防御と――単純な反応速度が、ポチの一撃を致命足り得ないものにしていた。
マルファスの左手がポチの顔面を掴み、押しのけようとする。
無理に食い下がれば、その指先の鉤爪が目に突き刺さる。
ポチは自分を押しのける力に逆らわず突き飛ばされて、空中で体勢を整え、着地。
姦姦蛇螺が復活してしまった以上、少しでも敵の力を削っておきたかったが――仕方がない。
少なくとも、迂闊に近寄れば危ないという認識は与えられただろう。
それだけでも十分な意味はあった。
>「ノエル、ポチ……結界を壊されて完全に復活させちまった以上、もうどうしようもねぇ。俺達の負けだ。那須野と祈の嬢ちゃん連れて逃げろ」
>「アレに狸共が勝てる訳もねぇ。せめて時間を稼いでる間に海の外まで渡れば、命だけは助かるだろ……ああ、それとも生贄と人柱をもう一回試してみるか?」
一度強烈なカウンターを食らわせておけば
『自分達がこの場から逃げる時、相手も深追いしにくくなる』だろうからだ。
尾弐の口からはっきりと言葉にして聞かされなくとも、感じてはいた。
自分達は――姦姦蛇螺には勝てない。
殆ど無意識の内に、ポチは逃走の算段を立てていた。
>「ウフフ……説明ありがとうございます、クロオさん!」
「もののついでです。ボクらと颯さん、ハルオさんの関係についても、この際皆さんに知って頂きましょうよ」
「隠しごとってのはよくないですからね!アッハハハハッ!」
そして――アスタロトは語り出す。
ポチが知らない、東京ブリーチャーズ。
橘音と、尾弐と、祈の両親でチームを組んでいた頃の話を。
>「アナタたちは、そんなの赤マントが悪いんじゃないか――って。そう言うのでしょうね。アナタたちは優しいから」
「でもね……違うんですよ。全然違う。そういう話じゃないんだ……」
「ボクはねえ……祈ちゃん。喜んでしまったんですよ……」
「姦姦蛇螺の力の前には、ボクの知恵などなんの意味もなかった。姦姦蛇螺の復活に、ボクはただ手をこまねいているしかなかった」
「でも、そんなとき。颯さんが自分を生贄にして姦姦蛇螺を鎮める、と言い出したのです」
「さっきも話した通り、当然ボクは止めました。バカなことを言うのはやめてくださいってね……でも、違ったんです」
「心の中で、ボクは颯さんのその提案に歓喜していた。彼女ならそう言うと思っていた……彼女がそれを言い出すのを期待していた」
滔々と語られるアスタロトの――橘音の過去。
ポチはそれを何も言わずに、身じろぎもせず、聞いていた。
いつ姦姦蛇螺が動き出すのかも分からない。
その動きがどれほど素早いのかも分からない。
しかし――この話は、聞いておかなければならない。そう思った。
>「わかってますよ、おふたりとも。そもそも、ボクがなんの考えもなしにベラベラ喋っていたと思うんですか?」
「目覚めたばかりの姦姦蛇螺は身動きが取れない。爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと。そのため時間が必要でしたが……」
「もう充分でしょう。――さあ、お話タイムはおしまいです」
だが、アスタロトはこれ以上の話を続けるつもりはないようだ。
>「久しぶりの目覚めで、おなかが減ったでしょ?すぐにたらふく食べさせてあげますが……まずはこれをどうぞ!」
アスタロトがマントの内側から取り出したアンプルを姦姦蛇螺へと放り投げる。
姦姦蛇螺はそれを、大きく裂けた口で飲み込んだ。
>「何を飲ませたのか、って?サプリメントみたいなものですよ……それも特別効き目のあるヤツを、ね」
「なにせ、我が天魔七十一将の中でも上位の支配者クラス――悪魔王三柱から抽出した妖気ですからね!目も醒めるってものでしょう!」
直後、姦姦蛇螺の身体が膨張を始めた。
>「まずい!皆さん、退避してください!ここにいたら押し潰されてしまう!」
橘音が叫ぶ。
姦姦蛇螺の身体は周囲の木々を、自らを封じていた祠堂をも押し潰しながら、巨大化し続けている。
そんな中でポチは――尾弐の右腕を掴んだ。
「聞こえたでしょ!逃げるよ、尾弐っち!君だけ置いてくなんて僕はしないぞ!」
尾弐は皆と共に逃げろと言っていた。
その中に、彼自身は含まれていなかった。
尾弐は自分だけがここに残り、時間を稼ぐつもりだったのだろう。
だがそんな事を、ポチが認められる訳もなかった。
もっとも結果として姦姦蛇螺はブリーチャーズなど気にも留めずに動き出したが――
ともあれ東京ブリーチャーズ一行はその場を逃れ、新宿御苑にある茶室楽羽亭へと避難した。
128
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/19(火) 18:20:33
「……これからどうしたらいいのかな」
祈が、不安げに呟いた。
ポチは何も答えられなかった。
どうにかしなければという思いはあっても、思いつく事は何もない。
当然だ。相手はかつて橘音がその知恵をもってしても、どうする事も出来なかった存在。
ポチがどれだけ頭を悩ませたところで抗う術など閃くはずもない。
重い沈黙が楽羽亭を支配する。
>「……もうひとりのボクが言ったことは、すべて真実です。ボクは祈ちゃんの両親を見捨てた。ふたりの死を歓迎した」
そんな中、橘音が小さな声で、そう切り出した。
ポチは何も言葉を発さず、ただ橘音を見た。
罪の告白をするその小さな体から生じるにおい――後悔、罪悪感、自己嫌悪。
本当は、それらを取り除いてあげたかった。
アスタロトがなんと言おうが、君は悪くない。仕方のない事だった。
そう言いたかった。
だが――これは、橘音と祈の話だ。祈の家族の話だ。
自分が口を挟むべきではない事をポチは知っていた。
>「すべてが終わった後に、償いはします。だから……もう一度だけ。ボクに勇気を下さい」
橘音が消え入るような声でそう言って――祈が立ち上がった。
そして橘音の前にまで歩み寄ると、膝を屈めて――両手で橘音の顔を挟み込む。
>「あはは、ひょっとこみたい」
そう言って笑う祈からは、声音とは裏腹に怒りのにおいを感じる。
しかし――憎悪のにおいはしない。
だが、だとしても安心は出来ない。
ポチは知っている。感情とは移ろうものだ。
それを抱えている本人でさえも完全に理解する事など出来ないものだと。
どんな時でも明るく振る舞っていた祈が、しかし如月駅や陰陽寮では惑い、絶望してしまったように。
橘音の顔を間近で見た事で、その瞬間、今まで感じていなかった憎悪が膨れ上がる。
その可能性が、無いとは言い切れない。
>「……なに勝手なことばっか言ってんだよ、橘音。
さっきのは何に対してのごめんなさいだよ? そもそもさー……」
>「あたしは怒ってねえ!
嘘を吐かれたとか裏切られたとか、人でなしだとか全然思ってない!
橘音も尾弐のおっさんも、あたしの中で変わらず最高の、正義の味方だ!
父さんや母さんのことは確かに残念だけど……あたしはそのことで二人を恨んだりも怒ったりもしてない!
だから勝手に謝ってんじゃねぇ!!」
だが祈は優しかった。
ポチが、つまらない不安を抱いた自分に罪悪感を覚えるほどに。
>「……ごめん。二人がずっと苦しんでたなんて、あたし知らなかった。気付いてあげられなかった。
橘音、尾弐のおっさん。ほんとにごめん。
そんで、あたし二人のこと大好きだからさ……父さんと母さんのことで、傷付いてて欲しくないって思ってる」
彼女の言葉が二人の心に届くのかは分からない。
十年以上、ずっと自分に言い聞かせてきた事を今更思い直すのは、すぐに出来る事ではないかもしれない。
それでも今は、これで良かったと、ポチは安堵の溜息を零した。
両親を亡くした祈にここまで言わせて、それでもまだ橘音と尾弐がめそめそするようならば、
その時は自分も何か言わねばと思ったが――今はそれよりも気がかりな事がある。
先ほどから外から聞こえてくる戦火の音。
祈が窓を開けて外の様子を伺っているが――その表情を見るに、戦況は良くないのだろう。
>『やはり駄目ぢゃったか……。よもや、生きて再び姦姦蛇螺の姿を目の当たりにしようとはの』
ふと、茶室に飾られていた鏡から声が聞こえた。
視線を向けるとちょうど、鏡面に波紋が生じて、富嶽の顔が映り込むところだった。
>『今、政府と話をして自衛隊の要請をしたところぢゃ。しかし……効果はなかろうの。焼け石に水ぢゃ』
『口惜しいが、儂らの負けぢゃ。西洋悪魔どもめら……本格的に儂ら日本妖怪を潰す気でおるらしい』
「……口惜しい、で引き下がっていい話でもないでしょ。
何か手はないの?ほら、ミカエルがくれた銀の弾丸とか……」
>『魔滅の銀弾か。あれは妖怪警察が三尾の事務所を捜索した際、押収したのではないかの』
『ただ……あれはそもそも、名の通り魔を滅するためのものぢゃ。姦姦蛇螺は古き神、効き目があるとは思えん』
『それに、単純な質量の問題もある。相手は身長60メートル以上の怪物ぢゃ、一方の銀弾は親指程度……効いたとしても効果は薄かろうて』
西洋の神の力を宿した弾丸ならば、とポチは考えたが、富嶽はそれを否定する。
もっともあの巨体を見た後では、ポチ自身も銀の弾丸で効果が得られるとは、あまり思えなかった。
ただそれ以外に、咄嗟に選択肢が思い浮かばなかっただけで。
129
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/19(火) 18:21:00
「……だったら」
『ポチ殿……!』
二の句を継ごうとしたポチが、言葉を失った。
富嶽を押しのけて鏡面に映ったその姿と、声。
ポチが心から愛する白狼――シロ。
>『今すぐ、東京から退去なさってください!このままでは、貴方の身さえ危ない……!』
『一旦、迷い家へお越しを。それから反撃の策を練るより他に、この窮地を脱する方法は――!』
その彼女が、逃げてくれと懇願している。
ポチの心が、ぐらりと揺らいだ。
揺らがない訳がない。彼女は、ポチの唯一の同胞なのだ。
つがいにこそ、まだなっていないが――彼女は、ポチの家族だ。
ポチの自惚れでなければ、彼女もそう思ってくれているはずだ。
彼女を一匹残して死ぬ訳にはいかない。
>『祈!無事か!?怪我はないか!?今どこにいる!?』
『そこは危険じゃ、一刻も早く逃げんか!今、御苑周辺におる陰陽師を遣わせた!合流してこっちに来い!よいな!?』
祈の携帯にも安倍晴朧からの着信があった。
>『……儂にまた、肉親を喪う苦痛を味わわせてくれるな……』
彼もまた、家族を失いたくない。
その一心で祈に電話をかけてきたのだ。
>「橘音くん、今回ばかりは君の依頼、聞けないよ。祈ちゃんを守るってターボババアに約束したんでしょ!?
勝機も無いのに突っ込むなんて愚の骨頂だ。起こりもしない奇跡に頼っちゃ駄目だ! みんなで逃げよう!」
ノエルでさえもこう言っている。
逃げていい理由なら、いくらでもある。
>「……うん。わかってる。今は思いつかないけど、聞きたいことができたらまた後で連絡するね」
だが――それでも祈はこの場に留まる意思を見せた。
彼女がその選択をしたのは、恐らくは――その優しさ故だろう。
名前も知らない、自分の事を雑種と呼んだ人間達が傷ついても、心を痛めてしまうその優しさが、
彼女に何もせずに逃げるという道を選ばせなかった。
けれども――ポチは彼女とは違う。
狼の倫理観は、人間のそれとはまるで異なる。
ポチは東京の、顔も名前も知らない人間が傷つき犠牲になる事に、そう強い忌避感を覚えない。
もちろん、姦姦蛇螺による虐殺は避けたい。無為に死人が出れば不快にも感じる。
だがそれでも、もし姦姦蛇螺が東京を蹂躙し、全ての命を食い散らしたとしても。
ブリーチャーズや、陰陽寮の己が知る人間さえ無事ならば、ポチはこう思うだろう。
仕方なかった、これでよかった、と。
そして、ポチはシロの姿を映す鏡へと向き直ると――
「……もう、本当にどうしようもないと思ったら、その時は、君の言う通りにする。
君を残して、死んだりしない。約束するから……もう少しだけ、頑張らせてよ」
――そう、答えた。
逃げる理由ならいくらでもある。
東京に生きる人々の命も、見過ごそうと思えば見過ごせる。
なによりシロを残して死ぬ訳にはいかない。
それでも――ここで退く事も、死ぬ事と同じくらいする訳にはいかなかった。
ポチには祈のような優しさはないが――狼の倫理が。矜持がある。
橘音が、力を貸してくれと言ったのだ。
かつて姦姦蛇螺との戦いで何も言えないまま、祈の両親を死なせてしまった橘音が。
今度は自分から、一緒に戦ってくれと、そう言ったのだ。
それに背を向けるような事をすれば――自分は、また狼じゃなくなる。ポチはそう感じていた。
「折角心配してくれたのに、ごめん。
でも……ロボなら、狼なら、ここでただ逃げたりしない。でしょ?」
ポチはそう言って、次に橘音を見つめる。
「何でこっちが空気読まない奴みたいな雰囲気になってるの!? 奇跡的に常識的なこと言ってるのに!」
不意に、ノエルが声を張り上げた。
「どうしても無理だと思ったら、僕だって逃げるよ。
死ぬ訳にはいかないからね。祈ちゃん、橘音ちゃん、尾弐っちも。
どんな手を使ってでも、みんな連れ帰る」
ポチのその言葉はノエルではなく、橘音を見つめながら紡がれた。
犬死はするのも、されるのも、させるのも嫌だ。
そう、線を引いたのだ。
「……ところで、橘音ちゃん。富嶽のお爺ちゃんでもいいんだけどさ。二つ、聞きたい事があるんだ」
それから一呼吸ほど間を置いて、ポチはそう言った。
ポチには知識がない。
姦姦蛇螺をどうにかする策を練る。その基盤となる知識が。
それでも、あるいはだからこそ――選択肢が少ないからこそ、ポチには二つの案が浮かんだ。
閃きとは到底言い難い、ただの思いつきだが――
130
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/19(火) 18:21:26
>「そなたら――昔あれが巨大化せずとも尻尾を巻いて逃げたヘタレ二人と半端者と雑種でどうにかなると思っておるのか。
ああそうだ! 東京がどうなろうが我の知ったことではない! 何故なら我は人類の敵だからな――!」
その思いつきを口にする前にまたもノエルが叫んだ。
いや――ノエルではない。
陰陽寮でも見た、ノエルの中にある災厄の魔物としての側面。
>「どうしても行きたくば……我を倒してから行け――!」
>「……ち、違う! そんなのではない!
とにかく! 手を貸して欲しくばせめてあいつを倒せそうな何かを用意してくることだ――まあ無理だろうがな!」
「……えっと、つまり、力を貸してくれるって事?」
コレが自分の中で毎日騒いでいるのだとしたら、ノエっちも結構苦労してそうだな。
なんて事を思いつつ、ポチは橘音に向き直った。
幸いな事に姦姦蛇螺を――倒す、ではないが、どうにかする為の『何か』なら心当たりがある。
今度こそ、ポチは自分の思いつきを言葉に――
>「なんだ!?」
――出来なかった。
茶室の外で、重く大きな音が響いたからだ。
窓から外を覗いてみれば、最初に目についたのは――
黒のライダースーツとフルフェイスヘルメットに身を包んだ、長身の女性。
そしてその女性に踏み付けられた、悪魔ハルファスの姿。
>「祈――」
>「――そいつは“てんはねはねぎり”じゃあなくて、
“あめのはばきり”か、“あめのははきり”と読むんだよ。
あんたは今後、国語を頑張るんだね」
>「あ!! やっぱり“ばーちゃん”だ!」
「……祈ちゃんの、お婆ちゃん?もしかして……祈ちゃんを連れ戻しに?」
話を聞く限りでは、彼女にとって祈は今や唯一の肉親。
連れ戻しに来るのは当然。祈一人いなくとも、出来る事はある。
やむを得ない事か。
ポチはそう考えたが――どうやら彼女は、祈を連れ戻しに来た訳ではなさそうだった。
>「天羽々斬はアンタ達に託そうと思うんだが……どうだい、東京ブリーチャーズ。あの怪獣と戦うつもりはあるかい?」
多甫菊乃がブリーチャーズへと提示したのは、天羽々斬。
蛇神退治の逸話を持つ神剣だった。
確かにそれがあれば、姦姦蛇螺を相手にしても有効な攻撃が出来るのかもしれない。
>「――やれやれ、仕方あるまい」
>「その剣で斬るにしてもあの巨体で動き回っている状態では何かと厄介だろう。
我が動きを止めてやろう。その隙に一気に倒すのだ。
先程アスタロトが”爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと”と言っていたからな――
寒さに弱い蛇の性質は健在なのだろう」
>「そこでだ――生贄になる振りをして内部に侵入し内側から冷却する。
食われる瞬間に不在の妖術を使えば咀嚼されることが回避できるからな。
――どうだ獣《ベート》殿、共に来るか?」
深雪の言っている作戦も、危険である事にさえ目を瞑れば効果的なように思える。
「……どうしようかな。その前に……橘音ちゃん、富嶽のお爺ちゃん。二つ、聞かせてよ」
ポチは、橘音と茶室の鏡へと振り返る。
「一つ目は……橘音ちゃん。ミカエルの助けは期待出来ないのかな。
この騒ぎは、西洋悪魔の仕業だろ。力を貸してくれたっていいと思うんだ」
神の力に対抗したいければ、神の力を持つ者に助力を乞うのが一番だ。
とは言えこれは、あくまで、あわよくばの策だ。
他力本願だけでこの状況をどうにか出来るとはポチも思っていない。
131
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/19(火) 18:22:17
「もう一つは……アレ、使えないかな」
ポチが視線で指し示したのは――今もなお多甫菊乃に踏み付けられているハルファスだ。
「アスタロトが特別って訳じゃないのなら……悪魔にも、仲間意識とか、愛情とか。
そういう感情があるんじゃなかと、僕は思うんだ。
さっき戦った時……アイツら、かなりいい連携をしてたよね」
まさしく一心同体とでも称するべき攻防の連携。
自身は無事のまま、敵を殺害する為。
そんなまったく無機質な目的意識の下で、あの連携が成立するものなのか。
もしも、今踏み付けられているハルファスと、マルファスの間に、何かしらの絆があるとすれば。
「……お爺ちゃん。姦姦蛇螺の姿を見たのは、初めてじゃないんでしょ?
祈ちゃんのお父さんお母さんが封印をする前にも、姦姦蛇螺は一度目覚めてるんだよね。
その時は、どうやって封印したの?」
もしも、マルファスを誘き寄せて、二柱の悪魔を揃える事が出来れば。
「……アイツらを揃えれば、もう一回、試せないかな。生贄と、人柱。
まぁ、アイツらは人じゃないけど……」
とにかく、とポチは言葉を続ける。
「もし、それが出来るなら……僕はその準備がしたい。
アイツを痛めつけて、あの黒い方を誘き寄せて、二体まとめて生贄と人柱にする。
姦姦蛇螺を倒すよりかは、封印する方が楽なはずだよね」
それはつまり、端的に言えば――さっさと終わらせたいという事だった。
多甫菊乃が語った、楓を姦姦蛇螺から切り離す試み。
それを援護しようとするノエル――深雪の策。
それらを否定するつもりはない。
だが仮にそれらが成功したとしても、姦姦蛇螺が止まる保証はないのだ。
ポチはその保証が欲しかった。
二人の策が上手くいったなら、あるいは失敗しても、すぐに戦いを切り上げる為の方法が。
132
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:53:56
>「昔2人を置いて逃げたことが罪だとしたら……僕達に同じ罪を犯せと? 逃げるなら全員一緒だ!
>ポチ君……いざとなったら無理矢理でも連れてくよ!」
>「聞こえたでしょ!逃げるよ、尾弐っち!君だけ置いてくなんて僕はしないぞ!」
「……そいつは余計なお世話だ、色男、ポチ助。俺をどうこうする暇があるなら、さっさと逃げろ。お前さん達には、待ってる連中がいるだろうが」
声を掛けるノエルとポチに振り向く事すらせずに、尾弐はそう言葉を吐きだす。
眼前では、国生みの巨神もかくやという程に巨大化した姦姦蛇螺がその蛇腹を蠢かし、外へ外へと進んでいく。
立ち向かう尾弐を意に留めず。決死の覚悟を嘲笑うように……いや、どころか興味すらないのだろう。
道端を這う小虫の威嚇を意識して目に留める者が居ない様に、姦姦蛇螺という大妖にとって尾弐は興味の対象にすら成り得ぬのだ。
(……ああ、そうかい。それなら、針の一本でも刺して気ぃ引いてみるかね)
それを思い知った尾弐は、ならばと自ら姦姦蛇螺へ振るうべく拳を握る。
地を這う小虫が毒を持っていると判れば、踏みつぶしたくもなるだろう。そう考えての事だった。けれど
>「クロオさん……」
「……」
その尾弐を那須野が制止する。
歩み寄ってきた那須野は、自身も古傷を抉られるような思いをしているだろうに、強い意志を以って尾弐に語りかける。
けれど尾弐は、那須野の制止に従う事無く姦姦蛇螺から視線を離さない。
無意味なのは重々承知している。だがそれでも……大切な者達を逃がす為に、命を捨てるという行為を行えるのなら。
>「わかっているでしょう?アナタがひとりで命を棄てたところで、無意味だって。ならば命を無駄にしないで下さい」
>「逃げますよ、クロオさん。――これは“大将”としての命令です」
そして、そんな尾弐の考えなどとうに見通しているのだろう。
那須野が普段口にしない「命令」を受けた尾弐は、暫くの沈黙の後にようやく握った拳を解いた。
「……了解だ、大将」
その声には力は無く、諦観の色がありありと浮かんでいた。
133
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:55:10
茶室楽羽亭。
常であれば、風雅に茶でも点てられているであろうその部屋に集まる面々の表情は暗い。
……当然だろう。
奮闘空しく姦姦蛇螺は復活し、更にアスタロトの手により古代の権能を取り戻したかのような姿と化してしまったのだから。
>「……これからどうしたらいいのかな」
零れ出た様な祈の呟きに、尾弐は返事を返す事が出来ない。
ただ、部屋の壁に背中を預け俯き座り込んでいる。
最も……仮に口を開いたとしても、姦姦蛇螺の強大さを知っている尾弐は、逃げる様促す事以外は行わなかったであろうが。
そして、そんな状況の中で那須野が独白を始めた。
アスタロトの語った罪。その言葉を追認し、謝罪していく。
血を吐くよなその独白を、しかし尾弐は止める事は出来ない――――止める資格が無い。
那須野の語る罪は、尾弐の犯した罪でもあるからだ。
せいぜい出来る事と言えば、那須野と共に頭を下げ、罵倒を、軽蔑を、敵意を受け入れる事くらいだろう。
そう思った尾弐は、その腰を浮かせようとし……けれど、その動きを止める事となる。
>「こんなボクが皆さんに何かをお願いするなんて、烏滸がましい話でしょう。けれども、それでも。どうかお願いします」
>「ボクに、力を貸してください。皆さんの力を……ボクはあれを止めなければならない。ボクの不始末は、ボクが糺さなければ」
>「まだ……終わりじゃない。終わりになんて、させない」
それは、魂を振り絞るようにして吐き出された、那須野の言葉を聞いてしまったから。
……そう、那須野は諦めてなどいなかったのだ。
同じ罪を背負い、同じ絶望を見て来た、尾弐黒雄の共犯者。
彼の探偵は、尾弐が屈してしまった絶望を前にして尚、あがく意志を見せたのである。
>「すべてが終わった後に、償いはします。だから……もう一度だけ。ボクに勇気を下さい」
その姿に、一瞬尾弐の思考が空白と化した。
顔を上げて、ただ茫然と那須野の姿を眺め見る。
そんな尾弐の前で、更に信じられない光景が繰り広げられる。
134
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:56:05
>「あたしは怒ってねえ!
>嘘を吐かれたとか裏切られたとか、人でなしだとか全然思ってない!
>橘音も尾弐のおっさんも、あたしの中で変わらず最高の、正義の味方だ!
>父さんや母さんのことは確かに残念だけど……あたしはそのことで二人を恨んだりも怒ったりもしてない!
>だから勝手に謝ってんじゃねぇ!!」
「嬢ちゃん、それは、何を……」
自体を把握できず、意味のない言葉の羅列を吐き出す事しか出来ない尾弐。
だが、彼の混乱も当然と言えるだろう。何せ、尾弐は……祈に許される事など、これまで一度も考えた事が無かったからだ。
罵倒を、拒絶を、敵意を、隔意を。あらゆる負の感情を向けられる事は想定していた。
何せ、祈を産み、育て、そして愛してくれるはずの人間を……助けられた存在を、尾弐自身の為に助けなかったのだ。
その行いは妖壊そのもの。そんな行為が許される筈は無い。
だからこそ、悪意を向けられる事こそがむしろ当然と思っていた。
祈が成長した事は知っていた。告げられた事実を事実として受け止めてくれるかもしれないとは期待していた。
それでも、許されるなどとは思っていなかったのだ。だというのに
>「……ごめん。二人がずっと苦しんでたなんて、あたし知らなかった。気付いてあげられなかった。
>橘音、尾弐のおっさん。ほんとにごめん。
>そんで、あたし二人のこと大好きだからさ……父さんと母さんのことで、傷付いてて欲しくないって思ってる
>ねぇ、母さんたちを思い出して。橘音と尾弐のおっさん、二人は父さんと母さんのことを良く知ってるでしょ?
>二人は、橘音や尾弐のおっさんの不幸を願うような人達だった?」
「……違う。お前さんは何一つ悪くねぇ。謝るのは、悪いのは俺達なんだ」
>「ねぇ、自分を許してあげてよ。あたしは許すから。二人のことを軽蔑したりしないから。
>どうしても許せないなら、父さんや母さんの代わりにあたしがいいって言うから。
>それに、二人が父さんと母さんの意見を尊重してくれたから、助かった人もいっぱいいるんだよ。だから……、
>父さんと母さんがどうしても助けたかった東京の人達ことも、嫌いにならないであげて欲しいんだ」
「……やめてくれ。お前さんは許さなくていいんだ。嬢ちゃんには憎悪する権利がある」
>「もしかして、さ――お母さんもお父さんも確かに命は賭けたけど死ぬつもりなんて無かったんじゃないかな?
>颯さんが生贄になった時姦姦蛇螺のやつ一瞬大人しくなったって言ったよね?
>でも現にたくさん妖怪食べられちゃってるけど鎮めるどころか餌にしかなってないみたいだし……。
>それに前に赤マントの野郎が言ってた言葉だと2人は最後まで足掻いたように取れたんだ」
「……俺は……っ!」
135
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:57:50
少女は、祈は許すと言う。
事実を知り、それでも尚、赦し、軽蔑しないと。
両親は死ぬつもりではなかったのかもしれないと、励ましの言葉を掛ける。
自身が一番辛いというのに、それでも尚、尾弐と那須野のことを気遣って語られたその言葉は、これまで尾弐が受けて来たどんな言葉よりも、尾弐の心に刺さった。
「…………いいのか」
そして、尾弐の口から思わず出てしまったのは、身体に似合わぬ小さな声。
目を背けたくなる過去と向き合う、共犯者……那須野の姿。
悪意を向ける事をせずに許すと言った被害者……祈の姿。
己が立ち止まって足踏みをしている間にも、成長し前に進むことを選んだ、二人の姿。
その姿は、過去に囚われ、過去に視線を向けながら永き時を亡者の様に生きてきた、頑なであった尾弐の心に罅を入れる。
(……俺は……いいのか……? 許して、許されて……いいんだろうか?)
抱きしめ合う二人の姿を視界に入れながら、この世界に発生して初めて、尾弐の中にそんな言葉が浮かんだ。
常に憎悪と悪意が荒らしの如く吹き荒れる尾弐の心に生まれたその言葉。それは小さく、けれど……悪意の泥に塗れる事無く、確かに残り続ける。
――――――
136
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:59:01
暫くの間、尾弐は己の思考に戸惑い呆然としていたが、不意に鳴り響いた轟音によって我に返った。
反射的に窓へと視線を向けて見れば、そこに広がるのは地獄絵図。
降り注ぐのは霊的兵器……規格外の大気圏外からの超長距離砲撃も含めた、火力だけでいうのなら国を落とせる程の暴威。
そして、その暴威をものともせず、有象無象の妖怪たちを喰らう姦姦蛇螺……神の姿。
>「……御苑の外へ向かっている……」
数多の妖怪を食んだ姦姦蛇螺が向かうのは、御苑の外。即ち、日常への浸食。
何とかしたいとは思うが……あの強大な力の前では、もはやどうしようもない。
一行が焦りの色を浮かべる中、不意に鏡から声が響いた。
鏡面の向こうに映るのは、良く見知った存在――――ぬらりひょんの富嶽であった。
>『やはり駄目ぢゃったか……。よもや、生きて再び姦姦蛇螺の姿を目の当たりにしようとはの』
>『今すぐ、東京から退去なさってください!このままでは、貴方の身さえ危ない……!』
>『一旦、迷い家へお越しを。それから反撃の策を練るより他に、この窮地を脱する方法は――!』
>『祈!無事か!?怪我はないか!?今どこにいる!?』
>『妖怪たちにも打診して、姦姦蛇螺対策の方策を練る。おまえはくれぐれも無理をせず、安全なところにおれ』
>『……儂にまた、肉親を喪う苦痛を味わわせてくれるな……』
>「橘音くん、今回ばかりは君の依頼、聞けないよ。祈ちゃんを守るってターボババアに約束したんでしょ!?
>勝機も無いのに突っ込むなんて愚の骨頂だ。起こりもしない奇跡に頼っちゃ駄目だ! みんなで逃げよう!」
富嶽が告げるのは、実質的な敗北の宣言。
そして、それに触発されるようにシロが。鳴り響いた携帯電話からは晴朧が。
一同へと向けて撤退をするよう告げていく。
それは、愛故に。大切な者を傷つけたくないという想いが所に。
そして――――ノエルも同じ考えであった様だ。奇跡などという不確定な物を当てにせず、逃げるべきだと。
彼の妖怪としては破格の、現実的な言葉を告げる。
……本来であれば、その言葉に従う事こそが正解であるのだろう。
ここで、僅かな抵抗を見せた所で大勢に影響などない。逃げ出しても、きっと誰も文句は言わないだろう。けれど
>「……うん。わかってる。今は思いつかないけど、聞きたいことができたらまた後で連絡するね」
>「……もう、本当にどうしようもないと思ったら、その時は、君の言う通りにする。
>君を残して、死んだりしない。約束するから……もう少しだけ、頑張らせてよ」
>「何でこっちが空気読まない奴みたいな雰囲気になってるの!? 奇跡的に常識的なこと言ってるのに!」
だが、祈は、ポチは。
待つ者が、愛してくれる者が居る二人は。その者達の想いを受け止めて尚、この場に踏み止まる事を選んだ。
せめて自分が出来る事を行う事を選択した。
>「……ち、違う! そんなのではない!
>とにかく! 手を貸して欲しくばせめてあいつを倒せそうな何かを用意してくることだ――まあ無理だろうがな!」
その意志は、少なくともノエルが深雪に対応を任せ、その深雪が混乱する程には固い様だ。
……そして通信を終え、皆が今後の方針について思い悩む中。
>「……――“てんはねはねぎり”」
ふと呟かれた祈りの言葉。それに同調するようにして――――大地が揺れた。
137
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 04:59:46
>「――そいつは“てんはねはねぎり”じゃあなくて、
>“あめのはばきり”か、“あめのははきり”と読むんだよ。
>あんたは今後、国語を頑張るんだね」
>「あ!! やっぱり“ばーちゃん”だ!」
「誰だテメェは……って、祈の嬢ちゃん。今、ばーちゃんって言ったか?するってぇとこの女は……」
轟音の音がした扉の外へと向かってみれば、そこには地に伏す一体の悪魔……ハルファスと、それを足蹴にする一人の女性の姿。
そして、祈がばーちゃんと声を掛けたのであれば、該当する人物はただ一人。
即ち、ターボババア。祈の祖母であった。
>「今日は妙に若作りしておるな……」
「いや、若作りってレベルじゃねぇだろ。なんだ、ムジナの奴を脅して全身変化でもさせたの――――がっ!!?」
失言の途中で宙を3m程遊泳する程の威力で顎を蹴り上げられる尾弐。
だが、彼が思わずそんな言葉を吐いてしまったのも仕方ないと言えるだろう。
那須野は知っていたのかもしれないが、長い付き合いの中で尾弐がターボババアの若かりし姿を見たのはこれが初めてなのだから。
べしゃりと地面に落下した尾弐に、絶対零度の視線を向けてから、祈の祖母は口を開く。
>「前々からこいつには目を付けていて、神主とは交渉を重ねていたんだ。
>いつか姦姦蛇螺が復活するようなことがあれば、こいつを借りてあの子を切って、あわよくば解放してやろうと思ってね。
>だがあんなデカさになられたら流石のアタシでもちょいと骨が折れる。
>切ったり蹴ったりしている内に、下手したら新宿御苑から出て死人が出ちまうかもしれず、そいつはアタシの本意じゃない。
>そこでアタシはそこらの人間達や生きている妖怪を片っ端から逃がしたり、救助することにして――、
>天羽々斬はアンタ達に託そうと思うんだが……どうだい、東京ブリーチャーズ。あの怪獣と戦うつもりはあるかい?」
そうして、彼女が取り出したのは一本の剣。
それは一見、ただの古刀に見えるが……それが纏う神気は規格外のものであり、贋作の類ではない事が見て取れる。
確かにそれは、蛇神を断ち切る神刀であるのだろう。
>「――やれやれ、仕方あるまい」
>「そこでだ――生贄になる振りをして内部に侵入し内側から冷却する。
>食われる瞬間に不在の妖術を使えば咀嚼されることが回避できるからな。
>――どうだ獣《ベート》殿、共に来るか?」
>「……アイツらを揃えれば、もう一回、試せないかな。生贄と、人柱。
>まぁ、アイツらは人じゃないけど……」
>「もし、それが出来るなら……僕はその準備がしたい。
>アイツを痛めつけて、あの黒い方を誘き寄せて、二体まとめて生贄と人柱にする。
>姦姦蛇螺を倒すよりかは、封印する方が楽なはずだよね」
少なくとも、ポチと深雪が戦略に組み込む程には希望と成り得る存在である。
けれど……蹴りのダメージから立ち直り、それを見る尾弐の眉間には皺が寄っている。
138
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 05:00:40
「……おい、婆さん。大層なモンまで持ち出してきたがな、アレが刀一本でどうにかなる程度の相手じゃねぇのが判らねぇのか。
神剣だの魔剣だのは、それに相応しい持ち主が振るって初めて意味がある物だってのは、あんたも知ってる事だろうが」
そう。神剣や魔剣の類『だけ』でどうにかなるのであれば……かつて、尾弐は祈の両親を失う事は無かった。
赤マントの起こした事件が唐突であったとはいえ、帝都には無数の寺社、美術館が在る。
それこそ、最寄りの施設に襲撃を掛け、宝剣に相応しい物を奪えばそれで事足りたのだ。
其れをしなかったのは……神剣を手にして戦うには、尾弐達が役不足であったからだ。
そもそも妖怪である尾弐や那須野では、神気を纏う剣をまともに用いる事が出来ない。
半分妖怪の血を引いていた颯もそれは同様だ。
唯一、晴陽は神剣を振るう事は出来ただろうが……彼の肉体は人間であり、剣を振り回して戦う事は不可能であっただろう。
神剣を振るえるのは、人を越えた膂力を持ち、しかして妖魔では無い者のみ。
なればこの場に置いても相応しい者はいないだろう。悪鬼たる尾弐や、災厄を齎すモノであるポチやノエルは、刀を用いる事は難しい。
那須野は弱体化しており、今のままでは刀に触れる事すら危険だろう。
そして祈は―――――
「……そうか。婆さん、お前さんが『東京ブリーチャーズ』に姦姦蛇螺退治を頼むのは、そういう訳か」
そこで、思い至った考え。
人以上の膂力を持ち、それで居て人の側の存在である者。
3/4の血が人のものであり、単純な脚力だけならば尾弐を上回る身体能力を持つ、一人の少女。
祈は……祈であれば、神剣を振るえるのではないかと言う、仮説。
139
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/24(日) 05:03:31
無論、彼女一人では姦姦蛇螺と対峙するのはただの自殺行為だろう。だが、彼女を除いた東京ブリーチャーズの面々が手を貸せば。
ノエルが冷気を内側から与え、保険としてポチが悪魔を用いた封印術を準備し。
それぞれが連携を取り成すべきことを果たす事が叶えば、0だった可能性が変化するのではないか。
勿論、二人の行動が成るまでに姦姦蛇螺を力づくで押さえつける存在が必要とはなるが……その存在に尾弐は『当て』が有る。
「……………半刻だ。祈の嬢ちゃん。お前さん自身が今の颯に刃を向ける覚悟があるなら、俺が半刻だけ時間を稼いでやれる」
一度目を瞑り、脳裏で先程の那須野と祈の言葉を思い出してから。
尾弐は、長い……とても長い沈黙の後で何かを吹っ切ったかの様な様子で口を開いた。
怪訝な表情を向けられるかもしれないが、努めてそれを無視し、尾弐は続ける。
「簡単な話だ。神格を止めるなら、それに匹敵する化物を用意してやりゃあいい」
「石清水、日吉、住吉、熊野。名だたる神格が手も出せず、安倍晴明の意を受けた源頼光と配下の四天王が、神の毒を飲ませ騙し討ちをする事でようやく退治出来た化物」
「強大な鬼共を統べ、京を恐怖に陥れた、日の本の歴史における最強最悪の鬼――――【酒呑童子】」
「俺なら、その最悪の妖壊を姦姦蛇螺にぶつける事が出来る」
「酒呑童子が姦姦蛇螺を食い止め、ノエル――いや、深雪が冷気で動きを鈍らせた隙に、祈の嬢ちゃんが颯を斬り離し、弱った姦姦蛇螺をポチが封印する」
「……つまり、万事上手くいけば、誰もが幸せに終わるハッピーエンドって訳だ」
そう言ってから自身の首に手を当て、尾弐は、祈と……そして那須野に視線を向ける。
「と、まあ色々考えてはみたが――――今回に関しては、お前さん達二人が道を決めるべきだ」
しゃがみ込み二人と視線を合わせ、尾弐にしては珍しい微笑むような苦笑を浮かべながら口を開く。
「お前さん達がどんな選択をしたとしても俺は従う……ただ、願わくば最善を。救いたいものと、救うべきものを違わない選択を」
140
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 00:51:53
今まで目を背けていたもの。
蓋をしていたこと。
叶うなら、ずっと『なかったこと』にしていたかった一切――。
それを、アスタロトがすべて白日の下に晒してしまった。
あとに残されるのは、不信。憎悪。憤怒。決定的な亀裂、打ち砕かれる信頼と絆。
天魔の狙いはまさにそれ。橘音と尾弐のかつての罪を詳らかとすることで、東京ブリーチャーズの結束に楔を打ち込もうとしたのだろう。
しかし。
>……なに勝手なことばっか言ってんだよ、橘音。
>さっきのは何に対してのごめんなさいだよ? そもそもさー
>あたしは怒ってねえ!
>嘘を吐かれたとか裏切られたとか、人でなしだとか全然思ってない!
>橘音も尾弐のおっさんも、あたしの中で変わらず最高の、正義の味方だ!
>父さんや母さんのことは確かに残念だけど……あたしはそのことで二人を恨んだりも怒ったりもしてない!
>だから勝手に謝ってんじゃねぇ!!
そうはならなかった。
「……ひのり、ひゃん……」
むにーっと顔を潰されたまま、橘音は呟いた。
祈は確かに怒っている。怒っているのは間違いないが、それは橘音や尾弐が罪を犯したことに対してではなくて。
>……ごめん。二人がずっと苦しんでたなんて、あたし知らなかった。気付いてあげられなかった。
あろうことか、自分自身に対して怒っているのだった。
祈には、橘音と尾弐を糾弾する権利がある。橘音と尾弐の行いをなじる資格がある。
それはふたりが見捨てた命、その家族である祈にとって当然のことだ。
実際、彼女の祖母であり颯の母親であるターボババアはそうした。自分に与えられた権利を行使した。
そうして、多甫家と橘音の絆はいったん途切れた。
祈もそうしていいのだ。いや、そうするのが当たり前なのだ。
自分を守るために。これ以上の災いを招かないために、そうするのが自然であるはずなのだ。
なのに、祈はそうしなかった。
>二人は、橘音や尾弐のおっさんの不幸を願うような人達だった?
「………………」
祈に抱きしめられ、膝上でその胸に包まれながら、橘音は俯いた。
そう。確かにそうだ。
颯と晴陽なら、そう言うだろう。『あなたたちを守って死ねるなら、そんなに嬉しいことはない』と。
『自分たちのことは気にしないで、どうか幸せになってほしい』と。
『誰のことも嫌いになる必要なんてない』と――。
祈の両親がそういう人物であったということは、他ならぬ橘音が。尾弐が。よく知っている。
……だからこそ。
だからこそ、橘音は『彼等がそう言うであろうこと』を見越したうえで、その作戦を指揮した自分が許せなかった。
彼らの善意さえも計算のうちに入れ、作戦を練る。それを当たり前にこなしてしまう自分が薄汚く、おぞましく見えた。
帝都を守る、だなんて綺麗ごとを言ったところで、結局自分は邪悪な悪魔――天魔アスタロトなのだということ。
そんな自分が、本当に厭わしかったのだ。
なのに。
>ねぇ、自分を許してあげてよ。あたしは許すから。二人のことを軽蔑したりしないから。
それさえも、祈は許すと言う。
祈に解放されると、橘音は静かに首を垂れた。
半狐面に隠された目許から涙が零れ、それは頬を伝って転々と床に落ちた。
141
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 00:52:35
>橘音くん、今回ばかりは君の依頼、聞けないよ。祈ちゃんを守るってターボババアに約束したんでしょ!?
>勝機も無いのに突っ込むなんて愚の骨頂だ。起こりもしない奇跡に頼っちゃ駄目だ! みんなで逃げよう!
切羽詰まった状況に対し、乃恵瑠が撤退案を告げる。
それは彼女にしては極めてまともな提案だろう。確かに、このままでは敗北は必至である。
日本妖怪の顔役である富嶽も、誇り高く逃走を良しとしないシロも、日本最高の退魔機関の長である晴朧さえもが逃げろと言っている。
逃走は卑怯なことではない。一旦態勢を立て直し、捲土重来を図るという意味でも、撤退は至極道理に適っている。
橘音や尾弐のように玉砕覚悟で特攻したところで、古の神である姦姦蛇螺には毛筋ほどの傷もつけられないだろう。
しかし。
>……もう、本当にどうしようもないと思ったら、その時は、君の言う通りにする。
>君を残して、死んだりしない。約束するから……もう少しだけ、頑張らせてよ
ポチがそれを拒絶した。
『……ポチ殿……』
シロが驚きに目を見開く。
当然だろう。ポチはシロにとって唯一の同族。伴侶として契りを結び、ニホンオオカミの血族を復興させる大切な相手だ。
そのポチに万一のことがあれば、悔やんでも悔やみきれない。
>折角心配してくれたのに、ごめん。
>でも……ロボなら、狼なら、ここでただ逃げたりしない。でしょ?
『………………』
ポチの言葉を全力で否定しかけたシロだったが、ポチの告げたそんな言葉を聞くと、何も言えなくなってしまう。
狼王ロボ。かつて巨大な壁として東京ブリーチャーズの前に立ちはだかった、狼たちの族長。
狂気に蝕まれてなお仲間の――狼たちのことを愛し、想い続けた彼の心は今、『獣(ベート)』の力と共にポチの胸の中に息衝いている。
力と共にロボの気高い誇りをも受け継いだ、次代の狼王。そのポチが、逃げないと言っている。
狼として、この場にいる仲間たちを守ると言っている。
だとすれば。
シロは少しの間眉間に皺を寄せていたが、ややあってふと微笑むと、
『……貴方は。もう魂の奥底まで、狼そのもの』
そう言った。
『わたしが間違っていました。狼ならば、そこでただ逃走の道を選びはしない。例え勝てずとも、相手に消えぬ傷痕を――それが狼の矜持』
『かの巨神に、ニホンオオカミは此処に居ると――そう、知らしめて下さいますよう。御武運を……愛しい貴方』
>……ところで、橘音ちゃん。富嶽のお爺ちゃんでもいいんだけどさ。二つ、聞きたい事があるんだ
『ええい、どいつもこいつも分からん奴らぢゃな!……時間が惜しいわ、用件があるならさっさと言わんか!』
ポチが橘音と富嶽に訊ねる。橘音は俯いたまま答えなかったが、富嶽が苛立たしげに質問を急かしてくる。
と同時、外で何かが衝突するような轟音が轟いた。
>なんだ!?
祈の声に、橘音も驚いて外を見る。
そこには、驚くべき光景が広がっていた。
茶室の傍に大きなクレーターができており、その中央にひしゃげた白い鳩のようなもの――天魔ハルファスが横たわっている。
生きてはいるようだが、全身をズタズタに切り裂かれ、四肢をへし折られて虫の息の状態だ。戦闘続行は難しいだろう。
ハルファスは天魔七十一将の中でも中堅どころの天魔である。シャクスやヴァサゴといった陰陽寮襲撃メンバーより強い。
そのハルファスを完膚なきまでに叩きのめすなど、並の手練ではない。いったい誰がやったのだろうか?
少なくとも団三郎狸率いる日本妖怪軍団には、そんな使い手はいなかったが――。
その疑問はすぐに氷解した。
天魔ハルファスを踏みつけにし、悠然と佇立している、漆黒のライダースーツ姿の女性。
>――そいつは“てんはねはねぎり”じゃあなくて、
>“あめのはばきり”か、“あめのははきり”と読むんだよ。
>あんたは今後、国語を頑張るんだね
>あ!! やっぱり“ばーちゃん”だ!
歓声をあげる祈の傍らで、この場にいる祈以外の全員が呆気にとられた。
142
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 00:53:38
ターボババアは昭和期でも口裂け女に並んで有名な都市伝説である。
曰く、峠道を車で走行中、不意に窓を叩かれたので見てみると老婆が並走していた。
後方から猛烈な速度で走ってきた老婆に追い抜かれた。
老婆がボンネットの上に飛び乗ってきた。屋根にしがみついた。車の下にへばりついていた。etcetc――
その異名も多く、地域によってターボババア、ジェット婆ちゃん、100キロババアなど多岐に渡る。
北は北海道、南は鹿児島まで、日本全国ほぼどの都道府県でも満遍なく目撃情報のある、超メジャー級都市伝説妖怪である。
昭和期、自動車というものが一般に広く普及してから出現したと思われがちな妖怪だが、実は江戸時代から出没の記録がある。
夜道を歩いていると、突然恐るべき速度の人のような何かが追い抜いてゆく――という伝説だ。
それらの『遭遇した者を物凄いスピードで追い抜いていく怪異』の伝承が形を成したものが眼前の女性であるのなら。
クォーターの祈と違い、凄まじい力を持っているというのも頷ける話だ。
とはいえ。
「……ぉ……、お、おば、オババ……!?」
まさか、今の今まで頑なに戦いを拒絶していたターボババアがこの場に現れるとは、名探偵の頭脳を以てしても予測がつかなかった。
しかも、妙齢の女性の姿で。これは橘音も初めて見た姿である。
橘音は驚きのあまり目を白黒させたが、間違いなくターボババアはここにいる。
その証拠にデリカシーのない発言をしようとした尾弐は蹴り飛ばされ、次の瞬間には地面を舐めていた。
>姦姦蛇螺が復活するっていうこの非常時に、のんきに仕事に行ってられるもんかい。休んだに決まってるだろ。
>アンタに心配かけまいと適当に言って出た……つもりだったんだがね。こんなところで会っちゃそれも意味がないか。
>……それはさておいて、アタシはこいつを取りに行ってたんだよ
ターボババア――多甫菊乃がそう言って取り出したのは、一本の剣。
橘音はその剣を知っている。
>――天羽々斬。布都斯魂剣、天十握剣、蛇之麁正、天蠅斫剣……なんとでも好きに呼ぶといいさね。
天羽々斬。
素戔男尊が振るい、八岐大蛇を退治したと言われる古代の神宝。
>蛇神殺しの逸話を持ち、広く知られているこの天羽々斬は、
>姦姦蛇螺退治には最も効果的な剣だと言っても過言じゃあないだろう
>いつか姦姦蛇螺が復活するようなことがあれば、こいつを借りてあの子を切って、あわよくば解放してやろうと思ってね。
>天羽々斬はアンタ達に託そうと思うんだが……どうだい、東京ブリーチャーズ。あの怪獣と戦うつもりはあるかい?
菊乃はそう言って、天羽々斬をブリーチャーズに突き出してきた。
しかし。
「……オ……、オババ……!アナタは、自分が何を言っているか分かっているんですか!?」
混乱からやっと我に返った橘音は言葉を荒らげる。
「確かに、天羽々斬は神殺し、特に大蛇殺しの神剣です。これの持ち主である素戔男尊は、建御名方神の七代前の神祖に当たる存在……」
「建御名方神と同一視もされる姦姦蛇螺を葬るには、またとない武器でしょう。しかし――」
「素戔男尊が八岐大蛇を退治した後、櫛名田比売以前に生贄にされた七人に対する言及はない。彼女たちは死んだままだった」
「天羽々斬は蛇殺しの神剣、食べられた生贄を解放するなんて能力はない。姦姦蛇螺を葬れば、それは颯さんを葬るということになる!」
「ボクたちに……『颯さんをもう一度殺せ』って言うんですか!?」
菊乃の言葉に、橘音は思わず普段の冷静さを忘れて怒鳴った。
確かに、天羽々斬を使えば、あの巨大な蛇神を止めることはできるかもしれない。
それは帝都鎮護の役目を持つ東京ブリーチャーズにとっては、恐らく最大級の福音であろう。
しかし、姦姦蛇螺を斬れば、それは今や姦姦蛇螺と融合し姦姦蛇螺そのものとなっている颯をも斬るということになる。
ひょっとしたら、これも祟り神と融合などという痛苦をこれ以上与えたくない、ならば一思いに、という親心なのかもしれない。
だが、橘音にはそれは到底受け入れがたい選択だった。
直接手を下さず、颯が自ら犠牲になるという提案を許可したことさえも、橘音の中では己を罰する大きな罪になっていたのだ。
次は直接剣を突き立てて息の根を止めました、となれば、その罪の意識はどれ程になるのか想像さえつかない。
それに、もし剣を扱うにしても、誰が使うかというのがまた問題だ。
神が振るった神剣。その真の力を開放するには、使用者にもそれに見合った力が求められる。
魂が三分の一しかなく、狐の姿の自分には当然無理だ。
日本における『悪』の代名詞である鬼の尾弐も、もちろん持てまい。
残るはノエル、ポチ、祈だが――災厄の魔物も、はやり神剣を扱うのは難しいに違いない。
と、すれば。
143
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 00:54:40
>その剣で斬るにしてもあの巨体で動き回っている状態では何かと厄介だろう。
>我が動きを止めてやろう。その隙に一気に倒すのだ。
災厄の魔物、深雪となったノエルがそう提案する。
さらに深雪はポチに対して、
>そこでだ――生贄になる振りをして内部に侵入し内側から冷却する。
>食われる瞬間に不在の妖術を使えば咀嚼されることが回避できるからな。
>――どうだ獣《ベート》殿、共に来るか?
と誘ってきた。ふたりで巨大な神をその内部から攻撃しようという作戦らしい。
>……どうしようかな。その前に……橘音ちゃん、富嶽のお爺ちゃん。二つ、聞かせてよ
ポチは一旦逡巡するそぶりを見せたが、回答を出す代わりに橘音と富嶽に質問をした。
>一つ目は……橘音ちゃん。ミカエルの助けは期待出来ないのかな。
>この騒ぎは、西洋悪魔の仕業だろ。力を貸してくれたっていいと思うんだ
「ミカエルさんは、オセさん……もといオセとの戦いで負った傷が芳しくないようです」
「元々、彼女はまともに戦える身ではないのです。かつて……創世記戦争で、彼女は天魔軍の総帥ルシファーと戦い、重傷を負っている」
「陰陽寮に姿を現しただけで、天魔にとっては予想外だったのです。あの重傷者が身体に鞭打って出てくるなんて、と……」
橘音はうなだれた。
>もう一つは……アレ、使えないかな
>……お爺ちゃん。姦姦蛇螺の姿を見たのは、初めてじゃないんでしょ?
>祈ちゃんのお父さんお母さんが封印をする前にも、姦姦蛇螺は一度目覚めてるんだよね。
>その時は、どうやって封印したの?
『そのときは、ほとんど日本すべての妖怪が姦姦蛇螺討伐に出陣した。そして、膨大な犠牲の上にようよう封印に成功したのぢゃ』
『人間も役小角などの術者が封印に一役買っておったな……。しかし、今現在の陰陽寮に小角クラスの使い手がおるかと言うとのう』
鏡越しに富嶽が腕組みする。
>……アイツらを揃えれば、もう一回、試せないかな。生贄と、人柱。
>もし、それが出来るなら……僕はその準備がしたい。
>アイツを痛めつけて、あの黒い方を誘き寄せて、二体まとめて生贄と人柱にする。
>姦姦蛇螺を倒すよりかは、封印する方が楽なはずだよね
「それは……難しいかと思います、ポチさん」
「封印と人柱は、誰でもいいというワケじゃない。それらに必要なのは『命の数』じゃない。『命の質』なのです」
ポチと富嶽のやり取りを黙って聞いていた橘音が、意を決したように口を開く。
「例えば、旱魃に苦しむ村が雨乞いのため神に生贄を捧げるとする。その場合、嫌がる生贄を無理矢理殺して神に捧げても効果は薄い」
「『村のために雨を降らせてください。そのため御許に参ります』と、生贄が自ら命を捧げなければならないのです」
「例え目論見がうまくいって、悪魔を人柱にできたとしても、姦姦蛇螺は鎮まらないでしょう……封印はもっとです」
「封印を施そうとするなら、姦姦蛇螺を鎮めようという確固たる意志が必要になります。悪魔にはそのどちらも欠落している」
結局、ポチの提案したハルファスとマルファスを封印と人柱に使う方法は無理、ということだ。
今、東京ブリーチャーズの許には蛇神殺しの神剣がある。
『決め手』はある。しかし、その決め手を蛇神の心臓部に突き立てるだけの筋道、そこに至る策がない。
絶望がふたたび鎌首をもたげ、妖怪たちを包み込もうとする。
しかし、そのとき――
>……………半刻だ。祈の嬢ちゃん。お前さん自身が今の颯に刃を向ける覚悟があるなら、俺が半刻だけ時間を稼いでやれる
それまで沈黙を保ってきた尾弐が、ゆっくりと口を開いた。
>簡単な話だ。神格を止めるなら、それに匹敵する化物を用意してやりゃあいい
>強大な鬼共を統べ、京を恐怖に陥れた、日の本の歴史における最強最悪の鬼――――【酒呑童子】
144
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 01:00:37
酒呑童子がその姿は、色薄赤くせい高く、髪は禿(かむろ)にをし乱し、昼の間は人なれども、
夜になれば恐ろしき、その長さ一丈余りにしてたとへていはん方もなし、かの鬼常に酒を呑む、
酔いて臥したるものなれば、わが身の失するも知らぬなり――
(『酒呑童子絵巻』より抜粋)
「……し……、酒呑童子……?」
尾弐の口にした妖怪の名前に、橘音は呆気にとられた。
酒呑童子。日本でもっとも有名な鬼。
知名度で言えば岡山県を根城にする鬼族の長、鬼神王温羅すら凌駕する大妖怪。
>俺なら、その最悪の妖壊を姦姦蛇螺にぶつける事が出来る
>……つまり、万事上手くいけば、誰もが幸せに終わるハッピーエンドって訳だ
その強大極まりない鬼の力を、尾弐は使えるのだという。
であれば、尾弐の正体が酒呑童子だったということなのだろうか?
降って湧いたような幸運だが、ひとつだけ疑問がある。
『なぜ、尾弐はそんな強大な力を今まで温存していたのか――?』
無尽蔵に使える力であるのなら、もっと早くに使っていればよかっただろう。
しかし、橘音の知る尾弐の戦いは、いつも決して浅くはないダメージを負いながらの、薄氷を踏むようなものばかりだった。
ということは、酒呑童子の力は温存しておく理由がある、もっと言えば――軽々には使えない力なのだろう。
或いは、使用することで尾弐に大きな代償を強いる類の力か……。
橘音は尾弐を見ると、
「待ってください、クロオさん。アナタは今『誰もが幸せに終わるハッピーエンド』と言いましたが……」
「酒呑童子の力を使ったアナタの幸せも。もちろん、保障されるんですよね?」
と、まっすぐ訊ねた。
もし、尾弐の使おうとしているものが一時の力と引き換えに破滅を齎す類のものであるなら、到底許可など出せない。
しかし、それを使わなければ姦姦蛇螺は倒せない……というのも事実だ。
天羽々斬も同様である。強い力を持ちはするが、それを扱える者はこの場に祈しかいない。
祈に、実の母親に剣を向けるなどという罪深い行為はさせられない。しかし、それをしなければ帝都は守れない。
>と、まあ色々考えてはみたが――――今回に関しては、お前さん達二人が道を決めるべきだ
>お前さん達がどんな選択をしたとしても俺は従う……ただ、願わくば最善を。救いたいものと、救うべきものを違わない選択を
尾弐はそう言って、祈と橘音に決定権を委ねてきた。
この一連の出来事の中心にいるのは祈だ。祈がやると言うのなら、自分に拒否権はない。
しかし、橘音にも道を決めるべき――というのは、どういうことだろう?
東京ブリーチャーズのリーダーだからだろうか。それとも、かつて颯を見捨てた『共犯者』として、清算方法を橘音に任せたのだろうか。
尾弐の真意は分からない。けれど、橘音の方針はもう決まっていた。
「……あーあ、イヤになっちゃいますよねえ……。皆さん、お互いのことを想い合って。庇い合っちゃったりして」
「アナタたちがもっと自分勝手な人たちだったらよかったのに。おまえらなんて知ったことか!って。自分の身が一番大切だ!って」
「そう言ってくれる人たちだったなら、ボクも楽だったのに。皆さん、自分のことを最後に考える人ばっかりで……」
「挙句、ボクのことを許す?許すですって?ハハ……お笑いですよ。そんなこと言われちゃったら――」
白狐の姿で、橘音はうなだれたまま小さく笑った。そして続ける。
「逃げられないじゃないですか。是が非でも……ハッピーエンドをもぎ取るしかないじゃないですか!」
橘音は顔をあげると、仲間たちの顔を順に見回した。
145
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/28(木) 01:10:30
「……祈ちゃん。ボクたちは生憎、許してやると言われてハイそうですかと自らの所業を正当化できません」
静かに祈の方を見遣って告げる。
「そう思うには、ボクたちの気持ちはあまりに拗れてしまっている。元々、妖怪なんてものは古い考えの連中ばかりですしね……でも」
「アナタがそう言ってくれるのなら……これから。少しでも気持ちを改められるよう、努力したいと思います」
「アナタの言葉は。颯さんとハルオさんがもっとも愛した、一人娘のアナタの言葉は……おふたりの心そのもの」
「それを無碍にはしません。だから――ボクたちに時間をください」
颯と晴陽にまつわることで、尾弐と橘音は自らのことを罰しすぎた。
いくら許すと、罪はないと言われたところで、今までの認識を改め受け容れるには時間が必要だ。
橘音はもう一度首を垂れ、謝罪の意を示した。しかし、それは先程の告解めいた謝罪の弁とは違う。
罪を犯したことを認めた上で、それを乗り越え前進しようとする意志。
決意に満ちた眼差しで、橘音は顔をあげた。
「先ほど言った通り、悪魔を生贄に捧げて姦姦蛇螺を封じることは難しいです。……でも、ポチさんのお言葉で閃いたことがある」
「生贄には使えなくても、彼らには他の使い道がある。ボクに考えがあります――ポチさん。手を貸して下さいますか?」
気持ちを切り替えた橘音は、まずポチにそう告げる。
「ハルファスとマルファスは双子の兄弟なのです。……似てませんけどね。で、ポチさんの仰る通り、二柱には強い絆がある」
「それを利用して、このハルファスを囮にマルファスをおびき寄せましょう。そして、マルファスをなんとしても撃破してください」
「ハルファスとマルファスが怖いのは、二柱揃ったときの連携ですので……マルファス単体の強さはさほどでもありません」
「ハルファスとマルファスは殺さないこと。あくまでも生け捕り……ということでお願いします」
「祈ちゃん、ノエルさん、クロオさんも宜しいですか?」
ハルファスを救出するために現れたマルファスを四人で倒し、生け捕りにする作戦である。
「その後はボクが処理します。その次にクロオさんとボクとで姦姦蛇螺を食い止めますので、お三方は姦姦蛇螺の中へ」
「――そう。ノエルさんとポチさんだけじゃない……祈ちゃん。アナタも行くんです、姦姦蛇螺の体内へ」
「もし、颯さんを救う方法があるとするなら。それは外部にはない――内部にこそ存在すると、ボクは思います」
一寸法師の話もある通り、巨大な敵に対抗するには内部に入る、という戦法は有効な手段だ。
日本に限らず、古今東西にその手の逸話は存在する。姦姦蛇螺が悪魔王の妖力を吸収して巨大化したのは、逆に都合がいい。
姦姦蛇螺の表皮は堅牢無比。日本妖怪軍の切り札『ミハシラ』すら無傷で防ぎ切った。
本来の持ち主でない者が振る神剣では、ひょっとして通用しない可能性もある。
だが――無防備な体内を攻撃すれば、きっと不充分な力しか発揮できない神剣でもダメージを与えられるに違いない。
「あ。今のボクじゃ姦姦蛇螺を食い止めるなんて絶対ムリ!って思ってますね?心外だなぁ」
「大丈夫!この名探偵・那須野橘音にお任せあれ!ボクが本気を出せば、そんなのお茶の子さいさいですって!」
「クロオさんが酒呑童子の力を使って、半刻時間を稼げるなら――ボクも加勢すれば、クロオさんの労力はその半分で済む」
尾弐の言う『酒呑童子』が当人以外にとって未知数の力であるなら、それに頼りきるべきでないというのが橘音の意見である。
とはいえ現状それを使用しないという選択肢を取ることはできないため、せめてリスクの分散をしようという戦術だ。
「……一緒に地獄へ墜ちましょうって。以前、そう言ったでしょ?」
尾弐を見上げると、橘音は小さく笑った。
と、皆の頭上に禍々しい妖気が出現する。見れば、上空を貴族の衣装を纏った黒いカラスが飛翔している。
天魔マルファスである。相棒が戻ってこないことを不審に思い、探しにやってきたのだろう。
菊乃の足許で無惨に横たわっているハルファスを発見すると、マルファスは甲高い鳴き声をひとつ上げ、一直線に突進してきた。
「皆さん、作戦開始です!手はず通りによろしくお願いしますよ!」
橘音は素早く茶亭の陰に退避した。四人が首尾よくマルファスを撃破するまで安全なところにいる算段なのだろう。
羽根を撒き散らしながら、黒い旋風となったマルファスが菊乃へと迫る。
戦いのゴングだ。
146
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:14:10
>「確かに、天羽々斬は神殺し、特に大蛇殺しの神剣です。これの持ち主である素戔男尊は、建御名方神の七代前の神祖に当たる存在……」
>「建御名方神と同一視もされる姦姦蛇螺を葬るには、またとない武器でしょう。しかし――」
>「素戔男尊が八岐大蛇を退治した後、櫛名田比売以前に生贄にされた七人に対する言及はない。彼女たちは死んだままだった」
>「天羽々斬は蛇殺しの神剣、食べられた生贄を解放するなんて能力はない。姦姦蛇螺を葬れば、それは颯さんを葬るということになる!」
>「ボクたちに……『颯さんをもう一度殺せ』って言うんですか!?」
「――ああ、三尾。アンタがそうしたいならそうすりゃいい」
声を荒げる橘音。
しかしターボババアはその声と視線を正面から受け止め、迷いなく言ってのけた。
もう一度颯を殺したいならば殺せと。だが、その解答には僅かな“ずれ”がある。
姦姦蛇螺に対する有効手段もなく、攻めあぐねていたブリーチャーズ。
そこへターボババア・多甫菊乃によって託された神剣、天羽々斬。
それによって事態は変わりつつあるが、不安要素があるのも確かだった。
まず、使えるのかどうか。
以前、ノエルがクリスとの戦いで別の神剣を振るったことがあるが、今回はどうか。
天羽々斬が使い手を選ぶなら、この場にいる誰もが使えないことはあり得る。
また天羽々斬は神の用いた神剣。要求される妖力が大きすぎれば、扱い切れない可能性もあるのだ。
そして、もし使えたとして効くのかどうか。
天羽々斬がいくら蛇神殺しの実績を持った神剣とは言え、
建御名方神に突き立てた記録などなく、効果があるだろうか。
しかもあの巨体だ。効果があるとして、どれ程のダメージとなるのかは不明だ。
何より。これでよしんば姦姦蛇螺を斬り倒せたとして。その時、母・颯はどうなるのか。
様々な問題、疑問、不安がそこにはある。
だが、ターボババアは言っていた。
――『いつか姦姦蛇螺が復活するようなことがあれば、こいつを借りてあの子を切って、あわよくば解放してやろうと思ってね。』
と。
つまりこの天羽々斬は、ターボババア自身が振るおうとしていたことになる。
一介の妖怪の、しかも都市伝説妖怪に過ぎない祖母がだ。
祖母自身が天羽々斬を用いて姦姦蛇螺を倒そうとしていたことと、
更に娘を姦姦蛇螺から切り離し、助けようと考えていたこと。
そして巨大化した姦姦蛇螺を見ても尚、有効手段としてブリーチャーズに天羽々斬を託そうとしていること。
それらは果たして、ただの無知や無謀による行動であろうか。
否。これは失った大事な一人娘に関することなのだ。知恵を絞らないとは考えにくい。
そこには“なんらかの勝算がある”と見ていいのかもしれなかった。
>「その剣で斬るにしてもあの巨体で動き回っている状態では何かと厄介だろう。
>我が動きを止めてやろう。その隙に一気に倒すのだ。」
そこへ、姿の変わったノエルがそう提案する。
先程まで『我は人類の敵だ』と言ってブリーチャーズを止めていたが、
有効手段と見られる天羽々斬が齎されたため、姦姦蛇螺に立ち向かうのを承諾したのである。
ちなみにノエルのこの外見の変化は、
祈のあまり知らない人格が表面に出ているからだと思われた。
ノエルは複数の人格を宿しており、人格が変化する時、姿もまた変わる。
最初の人格、みゆき。みゆきを失った後の空白を埋める第二の人格、乃恵瑠。
そして姉を助ける為にその人格すらも捨てて得た第三の人格、御幸乃恵瑠。
この三人までいることは祈も知っているが、
今、表出している人格は乃恵瑠でもノエルでもみゆきでもないようだから、恐らく第四の人格なのだろう。
過去の記憶を取り戻した時か、クリスから力を受け取った時か。
どのタイミングかは分からないが、どこかでもう一人生まれたのだ。
人類の敵を自称しているが、
思い出してみればロボとの戦闘時、そして前回の陰陽寮の時。
二回ほど祈は見ているが、どの時でも力を貸してくれているので、
祈は『ただのツンデレ(?)な人なんだろう』と思うことにした。
閑話休題。
“姿の変わったノエル”は更に、より効果的に姦姦蛇螺の動きを止める手段として、
内部に侵入して内側からの冷却作戦を提案した。
その際にはポチの不在の術を使い、咀嚼などのダメージを避けたいと。
故に、姿の変わったノエルは、ポチに共に来ないかと誘うのだが、ポチは
147
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:17:29
>「……どうしようかな。
と、承諾を渋った。
それもそうだろう。姿の変わったノエルが言う、内部からの冷却作戦。
これは作戦が失敗すれば、ただ飲み込まれて脱出も叶わぬままに消化されて死んでしまう可能性があり、
かなりの危険が伴う。来ないかと聞かれて、じゃあ行こうなどと即決できる方がよほどどうかしているし、
ある意味では、姿の変わったノエルの方がクレイジーだと言える。
だが。
(……それぐらい、あたしのばーちゃんとか、皆のことを信じてくれてるのかな?)
ターボババアの持ってきた天羽々斬と、それを使うであろう仲間。あるいは己への“絶対的な信頼”。
それなくしてこのような提案はできないだろう。
もし前者への信頼あってこその提案だとすれば、とんだお人好しな『人類の敵』もいたものだ、と
祈は苦笑する。
ポチはそれを承諾する前に、二つ聞かせて欲しいと言って、
ぬらりひょん富嶽や橘音にあることを訊ねた。
ポチが訊ねたのは、ミカエルの助力は期待できないか、
そしてハルファスやマルファスを生贄や人柱として姦姦蛇螺を封じることはできないか、ということだった。
姿の変わったノエルとは対照的な、安全重視とも言える提案。
自身だけでなく仲間の命、東京の命運を賭けた戦いであるからこその慎重さがそこにはあるのだろう。
しかし、ミカエルに関しては負傷があることから。
そして悪魔二柱を利用して姦姦蛇螺を封じる作戦に関しては、
命の質(捧げられる者の気持ちの問題だろうか?)を理由に、
あまり現実でないことを富嶽や橘音から聞かされることになったのだった。
ミカエルの件はともかく、ハルファス達を犠牲にするのは心苦しいと思っていた祈にとっては良い話ではあるのだが、
それを聞いて、ポチはどう選択するのだろう。
>「……そうか。婆さん、お前さんが『東京ブリーチャーズ』に姦姦蛇螺退治を頼むのは、そういう訳か」
そこで、長らく口を閉ざしていた尾弐が何かを納得したように呟いた。
そして瞑目し、長い沈黙の後。何かを振り切ったかのように、こう切り出した。
>「……………半刻だ。祈の嬢ちゃん。お前さん自身が今の颯に刃を向ける覚悟があるなら、俺が半刻だけ時間を稼いでやれる」
と。更に、
>「簡単な話だ。神格を止めるなら、それに匹敵する化物を用意してやりゃあいい」
>「石清水、日吉、住吉、熊野。名だたる神格が手も出せず、安倍晴明の意を受けた源頼光と配下の四天王が、神の毒を飲ませ騙し討ちをする事でようやく退治出来た化物」
>「強大な鬼共を統べ、京を恐怖に陥れた、日の本の歴史における最強最悪の鬼――――【酒呑童子】」
>「俺なら、その最悪の妖壊を姦姦蛇螺にぶつける事が出来る」
そう言うのだった。
148
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:19:05
>「……し……、酒呑童子……?」
それを聞いた橘音が、珍しく呆気に取られたような声を出す。
酒呑童子と言えば、祈でも聞いたことがあるくらいに有名な妖怪で、
確か日本の三大妖怪に数えられてもいたように思う。
本当かどうかは定かではないが、
その強さの秘密は件の八岐大蛇が遺した人間との子どもであるからだ、という説もある。
尾弐から説明されたように源頼光とその四天王によって討たれたとされるが、
それをいかなる方法かでここに呼び出し、ぶつけることができるのなら。
姦姦蛇螺を一時、食い止めることができるのかもしれなかった。
そして尾弐の言う通りに、酒呑童子が姦姦蛇螺を食い止め、
姿の変えたノエル(深雪というらしい?)がポチと共に体内に侵入して動きを鈍らせ、
祈が天羽々斬でもって颯と姦姦蛇螺を切り離すことができたとすれば。
>「……つまり、万事上手くいけば、誰もが幸せに終わるハッピーエンドって訳だ」
ハッピーエンドの可能性は見えてくるのかもしれない。
ただ、祈が果たして天羽々斬を扱えるのか、という疑問は当然にあるし、
>「待ってください、クロオさん。アナタは今『誰もが幸せに終わるハッピーエンド』と言いましたが……」
>「酒呑童子の力を使ったアナタの幸せも。もちろん、保障されるんですよね?」
橘音がそう訊ねるように、その酒呑童子を呼び出した後の尾弐がどうなるか、というのもわからない。
酒呑童子を尾弐が呼び出せる理由。そして呼び出せるとして、対価は何か。
つまるところ、尾弐は無事であるのか、そんな疑問も湧く。
橘音は尾弐をまっすぐに見るが、しかし尾弐の決意は固いようで、首に手を当てながら
>「と、まあ色々考えてはみたが――――今回に関しては、お前さん達二人が道を決めるべきだ」
と、質問に答えることなくそう言って。しゃがんで祈と橘音に視線を合わせた。
祈は目を見開く。尾弐のその微笑むような苦笑を、祈は初めて見た。
>「お前さん達がどんな選択をしたとしても俺は従う……ただ、願わくば最善を。救いたいものと、救うべきものを違わない選択を」
そして、続く尾弐の言葉を聞いた時。
祈は視界が開けたような、心の奥に光が差したような、そんな気がした。
思う。祈にとって、救いたいものとは、救うべきものとは何か。
最善、選択という言葉からは、かつて尾弐の言っていた“己が苦しまない選択”という言葉が思い出された。
それらを頭に思い浮かべた時、祈の思考は自分が今まで戦ってきた理由と、
戦いを辞めようと思ってしまった理由とに行き当たる。
149
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:21:58
「――ばーちゃん、“それ”貸して!」
祈は窓の外を見遣り、事態を静観していた菊乃に向かって右手を伸ばした。
菊乃は持っていた天羽々斬を放り投げる。
緩い放物線を描く天羽々斬の柄をぱしっと掴み取ると、祈は尾弐に再び向き直り、言った。
「あたしは……みんなを助けたい。この街の人達や妖怪だけじゃなくて、母さんや、
ハルファスとマルファスも……アスタロトや姦姦蛇螺。
尾弐のおっさんとはもしかしたら違うかもしれないけど、あたしが目指す“誰もが幸せなハッピーエンド”はそれなんだ」
祈にとって救うべきものとは、救いたいものと同義。
そして救いたいものとは、己の手が届くものすべて。
善悪の区別なく、敵も味方もただ、悲しい思いをしたり、傷付かないように。
そう思ったからこそ戦ってきた。
しかし力不足を思い知らされて心折れ、己では誰も救うことはできないと。そう疑ってしまった。
故に心は暗闇の中にあった。
だが、橘音の流した涙を見て、尾弐が微笑むような苦笑を向けてくれて。
祈に剣を託すと言ってくれた。
だから、きっと自分にも誰かを、ほんの少しでも助けられる力があるのだと、今一度信じることができる。
自分を信じられるなら勇気が湧き、一歩踏み出すことができる。
「目的は違うかもだけど、でもやることは同じ。
あたしはこの剣で戦うよ。それが、母さん相手であっても。
つーか、多分それしかないと思うし、なんかみんなと一緒なら大丈夫って気がするんだ」
手に持った天羽々斬を肩に担ぎながら、へへ、と祈は笑った。
この方法で母が助かるかどうか、本当に姦姦蛇螺を倒せるかどうか確証などない。
誰かを助けられるという保証もなく
死ぬのは己か仲間達全員か、あるいは東京の全てかも分からない。
だが今なら、これを託した祖母や、仲間の命懸けの作戦。そして己自身を信じられる。
だからこそ戦える。希望を胸に。
なんだってやれる気がする。
足元で、履いている風火輪のウィールが僅かに震え、妖力が通じたような感触。
風火輪が祈の心に呼応したかのようだった。祈はにっと笑みを見せる。
「だからさ、やろうよ橘音。あたしらブリーチャーズみんなで! ハッピーエンド目指してさ!」
そう言って祈は、選択を委ねられたもう一人の仲間。橘音を見遣った。
するとうなだれたまま、ぼやくように橘音は言う。
>「……あーあ、イヤになっちゃいますよねえ……。皆さん、お互いのことを想い合って。庇い合っちゃったりして」
>「アナタたちがもっと自分勝手な人たちだったらよかったのに。おまえらなんて知ったことか!って。自分の身が一番大切だ!って」
>「そう言ってくれる人たちだったなら、ボクも楽だったのに。皆さん、自分のことを最後に考える人ばっかりで……」
>「挙句、ボクのことを許す?許すですって?ハハ……お笑いですよ。そんなこと言われちゃったら――」
小さく笑って、
>「逃げられないじゃないですか。是が非でも……ハッピーエンドをもぎ取るしかないじゃないですか!」
顔を上げる。そして仲間達の顔を見回した。
祈はその視線が自分に向いた時、それに応えるように頷いた。
150
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:24:55
仲間たちを見回し終わった橘音が、改めて祈を見て告げる。
>「……祈ちゃん。ボクたちは生憎、許してやると言われてハイそうですかと自らの所業を正当化できません」
>「そう思うには、ボクたちの気持ちはあまりに拗れてしまっている。元々、妖怪なんてものは古い考えの連中ばかりですしね……でも」
>「アナタがそう言ってくれるのなら……これから。少しでも気持ちを改められるよう、努力したいと思います」
>「アナタの言葉は。颯さんとハルオさんがもっとも愛した、一人娘のアナタの言葉は……おふたりの心そのもの」
>「それを無碍にはしません。だから――ボクたちに時間をください」
「わかった。待ってる」
今までの後ろ向きな言葉とは違う、その前向きな言葉を祈は嬉しく思った。
あと自分にできるのは待つことと、この戦いが無事に終えられるように最善を尽くすことぐらいだろうか。
橘音は次にポチを見遣り、
>「先ほど言った通り、悪魔を生贄に捧げて姦姦蛇螺を封じることは難しいです。……でも、ポチさんのお言葉で閃いたことがある」
>「生贄には使えなくても、彼らには他の使い道がある。ボクに考えがあります――ポチさん。手を貸して下さいますか?」
と訊ねた。
>「ハルファスとマルファスは双子の兄弟なのです。……似てませんけどね。で、ポチさんの仰る通り、二柱には強い絆がある」
>「それを利用して、このハルファスを囮にマルファスをおびき寄せましょう。そして、マルファスをなんとしても撃破してください」
>「ハルファスとマルファスが怖いのは、二柱揃ったときの連携ですので……マルファス単体の強さはさほどでもありません」
>「ハルファスとマルファスは殺さないこと。あくまでも生け捕り……ということでお願いします」
>「祈ちゃん、ノエルさん、クロオさんも宜しいですか?」
祈は頷く。
続けて橘音は、マルファス撃破後の処理は橘音がやることと、
尾弐と共に姦姦蛇螺を食い止めるから、姦姦蛇螺の体内へは祈自身も行くようにと言った。
祈はそれも黙って頷いた。今は橘音の言葉を信じる。
マルファスを撃破し、ハルファスとマルファスを揃え、
尾弐と橘音が姦姦蛇螺を食い止めている間に、一寸法師の如く、三人で飛び込む。
そうすればきっと活路が開ける。
(……ん? でも、それって)
この作戦に対し、祈がふと何か思った時。
上空に、禍々しい妖気と共に、貴族のような服装の人間大のカラス、マルファスが出現する。
ハルファスが戻ってこないから探しに来たのだろうか。
視線を巡らせ、ターボババアの足元付近に転がるハルファスを見て、マルファスは戦慄くように震えた。
それを見た橘音が告げる。
151
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/02(月) 22:40:21
>「皆さん、作戦開始です!手はず通りによろしくお願いしますよ!」
甲高い咆哮を上げて、ターボババア・菊乃を目掛けて
上空から一直線に――ほとんど落下するような勢いで突っ込んでくるマルファス。
その捨て身とも取れる突進からは、
半身たる双子、ハルファスを倒されたことへの怒りが窺えた。
マルファスの左腕が突き出され、
マルファスが地面に激突まがいに着地し、激しく土埃が舞う。
だがしかしレイピアは空を切り、突き刺したのは地面だった。
土埃が晴れた時、既にそこに菊乃の姿はなく。
「じゃああの子のことは任せたよ東京ブリーチャーズ!
それから祈! 天羽々斬を使う時は、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)にちゃんとお願いするんだよ!」
声のした方向を見遣れば、フルフェイスのヘルメットを被り直したターボババアが、
姦姦蛇螺の方向へ、ほとんど空を飛ぶように移動している後ろ姿が見える。
マルファスには見えていただろう。
レイピアが到達するギリギリを見極めて、最小限の動きで躱した菊乃の姿が。
聞こえていただろう。大地を蹴って空へ跳躍しながら、
すれ違いざまに「悪いねぇ、相手をしてやる時間がないんだ」と呟く菊乃の声が。
そう。”時間がない”。
ここまでのやり取りの間、姦姦蛇螺にさほど動きが見られなかった。
それは祈から見ればただの幸運や姦姦蛇螺の気まぐれによるものに過ぎないが、
姦姦蛇螺に動きがない理由の一つは、新宿御苑に張られた結界が、
かつて姦姦蛇螺を封じていたものとほぼ同種の非常に強力なものであったことが要因である。
それ故に姦姦蛇螺がそれを砕くのに僅かに時間がかかっているのだ。
室内に迷い込んだ虫が、窓を認識できず外に飛び出そうと何度もぶつかるかのように、
ゴツ、ゴツ、と。姦姦蛇螺が結界に何度もぶつかる。そしてその度に、結界にひびが入っていく。
時間はもう残されていないのだ。
マルファスが、飛び去るターボババアを追おうと翼を広げる。
ハルファスの仇を取る気なのだろう。
しかし今マルファスを逃がせば策は成らない。むしろ、策を成功させるには、
この数秒の内にマルファスを倒してしまわねばならない。
だらだらしていれば、姦姦蛇螺が外へ出てしまうのだから。
であるなら――。
「不意打ちで悪いけど――」
窓を飛び出し、風火輪の力で加速した祈が、マルファスの翼を蹴りを見舞う
ターボババアのように風穴が開くことはないまでも、かなりのダメージとなったようである。
痛みに悶絶するマルファスの正面に回り込み、
「――殺しはしないから許せよな!」
その腹に向かって再び蹴りを叩き込む。
茶亭側に吹っ飛ばされるマルファスだが、倒れていない。空中で姿勢を制御し、両脚で着地。
ぎらりとした目は、仇討ちの邪魔をする者達への排除に燃えているようであった。
しかし。祈は、仲間たちの近くまで――茶亭の窓から飛び出せばすぐの所にまでマルファスを蹴り飛ばしている。
しかもマルファスは得意の連携はできず、ポチに与えられた傷も癒えておらず、
怒りで目が曇り、祈に二撃も喰らわされている状態にある。
酒呑童子を呼び出す為に、力を温存せねばならないかもしれない尾弐を除くとしても、
ノエルやポチの助力があれば、すぐにカタは付くだろうと思われた。
152
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/03(火) 23:30:31
>「――ばーちゃん、“それ”貸して!」
>「あたしは……みんなを助けたい。この街の人達や妖怪だけじゃなくて、母さんや、
ハルファスとマルファスも……アスタロトや姦姦蛇螺。
尾弐のおっさんとはもしかしたら違うかもしれないけど、あたしが目指す“誰もが幸せなハッピーエンド”はそれなんだ」
>「目的は違うかもだけど、でもやることは同じ。
あたしはこの剣で戦うよ。それが、母さん相手であっても。
つーか、多分それしかないと思うし、なんかみんなと一緒なら大丈夫って気がするんだ」
>「だからさ、やろうよ橘音。あたしらブリーチャーズみんなで! ハッピーエンド目指してさ!」
その時深雪は画面に映らなさそうな場所でごろごろ転がっていた。
災厄の魔物だけあって、愛と勇気に満ち溢れたキラキラしたシーンには耐性がないらしい。
(うわあああああああ!! この娘は何を臆面もなく漫画の主人公のようなことを言っておるのだ!)
《それよりこんな場所でゴロゴロ転がるのやめて! 服が汚れちゃう!
それに、悪魔も妖壊も元はと言えば堕ちた神だ――君にとっても悪い考えじゃないと思うけど》
(いや、決して不快なわけではないのだ――だが何故か転がらざるを得ない!)
>「逃げられないじゃないですか。是が非でも……ハッピーエンドをもぎ取るしかないじゃないですか!」
画面外でごろごろ転がるという奇行をしていたにも拘わらず橘音に見つめられ、
仲間想いの正義の味方の一員としてまとめられた事に抗議する深雪。
「な、なんだその顔は……! こんな酔狂な集団と一緒にするな!
我もノエルも東京なんて放っぽって逃げろと言ったぞ!」
>「……祈ちゃん。ボクたちは生憎、許してやると言われてハイそうですかと自らの所業を正当化できません」
祈に許されて尚頑なに自らの罪を主張する橘音に、深雪がキレた。
橘音の横の床をドンッと叩き、詰め寄る。壁ドンならぬ床ドンである。
「いつまでもウジウジと……いい加減にせぬか鬱陶しい!
そなたらのその態度のせいで祈殿がどれだけ悩んだと思っておるのだ。
大体残された者の事も考えずに進んで身を投げ打つ方も方、揃いも揃って愚か者ばかりだ!」
が、橘音の言葉には続きがあった。
153
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/03(火) 23:34:55
>「そう思うには、ボクたちの気持ちはあまりに拗れてしまっている。元々、妖怪なんてものは古い考えの連中ばかりですしね……でも」
>「アナタがそう言ってくれるのなら……これから。少しでも気持ちを改められるよう、努力したいと思います」
「面倒くさい奴め――今日のところは勘弁しておいてやろう」
今にも掴みかかりそうな勢いの深雪だったが、橘音が考えを改めるように努力すると表明すると溜飲を下げる。
そしてはたと我に返り、本人的には普通にキレていたのだが叱咤激励のように取れないこともない事に気付き、慌てて一言付け加えた。
「――勘違いするでない、今のはノエルが言っておったことだ」
《ぎゃあああああああああ!! こっちになすりつけないで!?》
(そなたが思っていても言えないことを代わりに言ってやったのではないか)
《言うな! そんなこと思って……るのかもしれないけど。
分からないんだ……どうして二人があそこまで自分を責めるのか……。
そりゃやるせないだろうけどさ……僕ならその全部を赤マントへの憎しみに振り向けるだろうな》
ノエルには二人がここまで自らを罰し続けることを理解が出来なかった。
確かに犠牲となった者の肉親からは非難されても仕方が無い選択をしたかもしれないが、
それによって救われた大多数の側から見れば、私情に流されずにより多くの命を救ったことを感謝されてもいい立場だ。
(純粋に帝都を救いたい、という想いからの選択だったらそうだろうな。
しかしこれは憶測だが……もしもそこに下心があったとしたら……どうだ?)
《下心だって……!?》
(今いかがわしいことを想像したな、この変態め!
自分の意思を超越したところで何を投げ打ってでも帝都を護らなければならない理由があるのではないかということだ。
遥か昔に交わされた何者かとの契約か、あるいは帝都を救う事の先に更なる目的があるか――
あのバカップルっぷりも帝都を守り抜かねばならないという同じ宿命のもとに引かれ合ったゆえだとしたら合点がいく)
アスタロトには叶えたい願いがあるというが、アスタロトと橘音は同一存在。
すなわち究極的に抱く願いは同じこということ。
アスタロトは帝都を破壊するという手段でそれを叶えようとしているが、
橘音は帝都を守り抜くことでその願いを叶えようとしているのかもしれない。
橘音と長年共にいた尾弐も、アスタロトつまり橘音の願いが何かは知らないようだ。
何百年も共にいた二人は互いの全てを知っているように見えて、
しかし核心部分――人の世を守り抜かねばらならぬ宿命を背負った理由は、きっとお互い知らないのだろう。
154
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/03(火) 23:35:47
>「先ほど言った通り、悪魔を生贄に捧げて姦姦蛇螺を封じることは難しいです。……でも、ポチさんのお言葉で閃いたことがある」
橘音は、生贄には使えないが別の使い道があるのでマルファスを倒せという。
>「祈ちゃん、ノエルさん、クロオさんも宜しいですか?」
「宜しくありません、といったところで突っ走るのだろう? 今更拒否権なんて無いではないか。
まあ良い、興が乗ってきた――幸い我は辛気臭い愚か者は嫌いだがおめでたい愚か者は嫌いではないぞ?」
>「その後はボクが処理します。その次にクロオさんとボクとで姦姦蛇螺を食い止めますので、お三方は姦姦蛇螺の中へ」
>「――そう。ノエルさんとポチさんだけじゃない……祈ちゃん。アナタも行くんです、姦姦蛇螺の体内へ」
なんと橘音は、祈も姦姦蛇螺突入組に振り分けた。
深雪は反論する代わりにニヤニヤ笑って要らん事を言いながら請け負う。
「ほほう、祈殿のお守を我々に任せて若い?二人でよろしくやるということか。
貴様らのようなバカップルはさっさと渋谷区に住民票移してゴールインしてしまえ!」
そうはいうものの、いくら渋谷区でも片方が動物では無理ですから――ッ、残念!
そういう意味でも橘音には人型になれる力を取り戻してもらわねばならないだろう。
《ちょっと待って! 一緒に行ったら祈ちゃん凍えちゃうよ!?》
(それは心配ない、“雪の女王”には寒さが平気になる定番のまじないがあるからな――
しかも簡単に出来て効果はお墨付きだ)
《ならいいけど……》
>「もし、颯さんを救う方法があるとするなら。それは外部にはない――内部にこそ存在すると、ボクは思います」
《橘音くんそれ言っちゃう!?》
ノエルも、もしかしたら姦姦蛇螺の中に突入したら颯を連れ帰れるのではないかと密かに思っていた。
しかしいったん颯が助かるのではないかと祈に期待させたら、もしも駄目だった時にもう一度母親を亡くすに等しい気持ちを味わうことになる。
そう思って黙って(深雪に黙らせて)おいて、もし可能な状況になったら独断で実行しようと思っていたのだ。
しかし深雪は橘音に便乗し、更に期待を抱かせるような事を言う。しかも完全に悪口である。
「颯殿が助かる可能性は十分にあるぞ。昔から悪い奴はしぶといと相場が決まっておってな――
陰陽寮の後継者を誑かした挙句心中とは――まさに聖女の皮を被った傾国の悪女よ!
幸いそんな奴は殺しても死なぬ。悲劇の聖女のままにしておいてやるものか!
大蛇の腹の中から引きずり出して正体暴いてやろうぞ!」
155
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/03(火) 23:36:33
《ぎゃああああああああ!! 本当にやめて!! よりにもよって祈ちゃんに向かって言わないで!》
(その祈殿にも魔性っぷりはしっかり遺伝しておるようだがな――)
《うん――祈ちゃんがいい子すぎてモフモフモフモフしたいけど出来なくて辛い》
これはもちろん、聖女過ぎてそこらの悪女よりも余程性質が悪い、という意味である。
だからこそ晴陽は幼馴染の許嫁を放り出してしまったわけだし、
橘音と尾弐は何百年も二人でやってきたチームにポッと出の半妖をあっさり迎え入れてしまった。
彼女が生贄志願なんてしなかったら晴陽も死ぬことはなかったかもしれないし、
橘音と尾弐も罪の意識にさいなまれ続ける事はなかった。
そして娘の祈もまた、災厄の魔物を手懐けつつある(本人全く無自覚)、これを魔性と言わずして何と言おうか。
>「あ。今のボクじゃ姦姦蛇螺を食い止めるなんて絶対ムリ!って思ってますね?心外だなぁ」
>「大丈夫!この名探偵・那須野橘音にお任せあれ!ボクが本気を出せば、そんなのお茶の子さいさいですって!」
>「クロオさんが酒呑童子の力を使って、半刻時間を稼げるなら――ボクも加勢すれば、クロオさんの労力はその半分で済む」
>「……一緒に地獄へ墜ちましょうって。以前、そう言ったでしょ?」
「たわけ者が! 新婚旅行ならもっとマシなところに行かぬか!」
ハルファスとマルファスを何に使うのか、酒呑童子なんてどうやって呼び出すのか、
今の状態の橘音がどうやってそれに加勢するのか等疑問は尽きないが、生憎これ以上話している時間はないようだ。
自分一人で面白がっているだけのゴールインネタを引っ張って軽口を投げつけるのがせいぜいだった。
橘音の作戦通り、マルファスがハルファスを救出しに現れたのだ。
>「皆さん、作戦開始です!手はず通りによろしくお願いしますよ!」
>「じゃああの子のことは任せたよ東京ブリーチャーズ!
それから祈! 天羽々斬を使う時は、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)にちゃんとお願いするんだよ!」
マルファスが急降下で突撃してくるが、後のことをブリーチャーズに任せると、菊乃は戦闘から離脱した。
妖怪達の避難誘導等に向かったのだろう。
156
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/03(火) 23:37:28
>「不意打ちで悪いけど――」
>「――殺しはしないから許せよな!」
いち早く飛び出した祈の蹴りによる二段階攻撃が炸裂。
「――ホワイトアウト」
その連撃を耐え着地したマルファスの視界を、真っ白な呪いの霧が覆う。
茶亭の屋根の上に立った深雪による妖術だ。
「トランスフォーム――アロー!」
更に深雪は、氷の妖力で出来た巨大な弓を構え、呪氷の矢を二撃続けて放つ。
狙いは胴体ではなく――両の翼。飛翔しての逃走を阻止するためだ。
ちなみにホワイトアウトは範囲指定ではなく対象指定のご都合仕様。
(つまりかけられた側は視界を遮られるがかけた側からは見えるということ)
視界を遮られたマルファスは避けることが出来ず、放たれた矢はマルファスの両翼をあやまたず穿った。
「未だ獣《ベート》殿、取り押さえろ!」
視界を奪われ両翼を負傷した今なら、ポチの膂力をもってすれば生かしたまま取り押さえることが可能だろう。
157
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/07(土) 04:32:44
ポチの問いに――しかし橘音は難色を示した。
>「それは……難しいかと思います、ポチさん」
>「封印と人柱は、誰でもいいというワケじゃない。それらに必要なのは『命の数』じゃない。『命の質』なのです」
「命の……質?どういう事?」
>「例えば、旱魃に苦しむ村が雨乞いのため神に生贄を捧げるとする。その場合、嫌がる生贄を無理矢理殺して神に捧げても効果は薄い」
「『村のために雨を降らせてください。そのため御許に参ります』と、生贄が自ら命を捧げなければならないのです」
「例え目論見がうまくいって、悪魔を人柱にできたとしても、姦姦蛇螺は鎮まらないでしょう……封印はもっとです」
「封印を施そうとするなら、姦姦蛇螺を鎮めようという確固たる意志が必要になります。悪魔にはそのどちらも欠落している」
その答えを聞いて、ポチは黙り込んだ。
黙り込んだまま――ある事を、考えていた。
橘音は、難しいと思う、と答えた。
不可能であるとは言わなかった。
(……やりようは、あるのか?)
例えば、旱魃に苦しむ村が雨乞いのため神に生贄を捧げるとして。
生贄になる者は何の為に命を擲つのか。
自分の為ではない。雨が降り、救われた村の暮らしに、自分はいないのだから。
生贄は、他者の為に、生贄になるのだ。
(だったら……)
>……………半刻だ。祈の嬢ちゃん。お前さん自身が今の颯に刃を向ける覚悟があるなら、俺が半刻だけ時間を稼いでやれる
再び口を開こうとしたポチに先んじて、ふと、尾弐が声を発した。
>簡単な話だ。神格を止めるなら、それに匹敵する化物を用意してやりゃあいい
>強大な鬼共を統べ、京を恐怖に陥れた、日の本の歴史における最強最悪の鬼――――【酒呑童子】
>「……し……、酒呑童子……?」
「……なんだか、穏やかじゃない感じだね」
>俺なら、その最悪の妖壊を姦姦蛇螺にぶつける事が出来る
>……つまり、万事上手くいけば、誰もが幸せに終わるハッピーエンドって訳だ
事もなげにそう言う尾弐だったが、橘音の反応は――諸手を挙げて大喜び、といった様子ではなかった。
ポチもまた訝しげに尾弐を見つめていた。
東京ブリーチャーズにとって、苦しい戦いを強いられる展開はこれが初めてではない。
クリスの時も、ロボの時も、猿夢と如月駅の時も、
一歩間違えば全滅していたかもしれない戦いだった。
それでも、尾弐がその「酒呑童子の力」を使う素振りを見せた事は――なかったはずだ。
何故か。その理由は――容易く想像出来る。
例えば、送り狼が獲物を転ばせなければ本領を発揮出来ないように、使用に際して条件を揃える必要がある。
例えば、送り狼の習性が、転ばせてしまったなら例え仲間でも手加減など出来ないように、制御に難がある。
あるいは、
>「待ってください、クロオさん。アナタは今『誰もが幸せに終わるハッピーエンド』と言いましたが……」
「酒呑童子の力を使ったアナタの幸せも。もちろん、保障されるんですよね?」
例えば――もっと単純に、使えば多大な反動や代償がある。
ポチは、尾弐から決して視線を外さずに、彼の答えを待った。
>と、まあ色々考えてはみたが――――今回に関しては、お前さん達二人が道を決めるべきだ
>お前さん達がどんな選択をしたとしても俺は従う……ただ、願わくば最善を。救いたいものと、救うべきものを違わない選択を
だが、尾弐は答えなかった。
その代わりに橘音と、それから祈を見返して、そう言った。
その言葉を受けて橘音も祈を見た。ポチもそれに続く。
祈は――暫しの沈黙の後、
>「――ばーちゃん、“それ”貸して!」
窓の外の祖母、菊乃に向かって、右手を伸ばした。
そして天羽々斬を受け取ると――再び尾弐へと振り返る。
158
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/07(土) 04:33:11
>「あたしは……みんなを助けたい。この街の人達や妖怪だけじゃなくて、母さんや、
ハルファスとマルファスも……アスタロトや姦姦蛇螺。
尾弐のおっさんとはもしかしたら違うかもしれないけど、あたしが目指す“誰もが幸せなハッピーエンド”はそれなんだ」
祈からは、勇気のにおいがした。
>「目的は違うかもだけど、でもやることは同じ。
あたしはこの剣で戦うよ。それが、母さん相手であっても。
つーか、多分それしかないと思うし、なんかみんなと一緒なら大丈夫って気がするんだ」
とっくの昔に癒えた右腕を隠し、自分から目を逸らした、あの時の面影は、まるで残っていなかった。
>「だからさ、やろうよ橘音。あたしらブリーチャーズみんなで! ハッピーエンド目指してさ!」
「……だってさ、尾弐っち。橘音ちゃんも。忘れちゃ駄目だよ。ハッピーエンド、だからね」
これでブリーチャーズの方針は決まった。
後は、必要なのは――作戦だ。ポチは、橘音を見つめた。
橘音もまた、ポチへと視線を注いでいた。
>「先ほど言った通り、悪魔を生贄に捧げて姦姦蛇螺を封じることは難しいです。……でも、ポチさんのお言葉で閃いたことがある」
「生贄には使えなくても、彼らには他の使い道がある。ボクに考えがあります――ポチさん。手を貸して下さいますか?」
「……もう。今更そんな事聞かなくたって、分かるでしょ?いつもみたいに行こうよ」
説明も承諾も省く、橘音の無茶振り癖。
どうにかならないものかと常々思っていたが――今は、それが懐かしく思えた。
>「ハルファスとマルファスは双子の兄弟なのです。……似てませんけどね。で、ポチさんの仰る通り、二柱には強い絆がある」
「それを利用して、このハルファスを囮にマルファスをおびき寄せましょう。そして、マルファスをなんとしても撃破してください」
「ハルファスとマルファスが怖いのは、二柱揃ったときの連携ですので……マルファス単体の強さはさほどでもありません」
「ハルファスとマルファスは殺さないこと。あくまでも生け捕り……ということでお願いします」
「祈ちゃん、ノエルさん、クロオさんも宜しいですか?」
「……うん、分かった。任せといてよ」
橘音が説明を終えると、ポチはすぐに首を縦に振った。
先ほど苦戦させられた二柱の連携はもうない。
取り押さえる事は難しくない。その確信がポチにはあった。
>「その後はボクが処理します。その次にクロオさんとボクとで姦姦蛇螺を食い止めますので、お三方は姦姦蛇螺の中へ」
「――そう。ノエルさんとポチさんだけじゃない……祈ちゃん。アナタも行くんです、姦姦蛇螺の体内へ」
「もし、颯さんを救う方法があるとするなら。それは外部にはない――内部にこそ存在すると、ボクは思います」
「……祈ちゃんも?」
思わずそう声が出た。
だが――ポチはすぐに口を閉じた。
橘音がそう言うからには、何らかの考えがあるのだろう。
159
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/07(土) 04:34:18
>「あ。今のボクじゃ姦姦蛇螺を食い止めるなんて絶対ムリ!って思ってますね?心外だなぁ」
「大丈夫!この名探偵・那須野橘音にお任せあれ!ボクが本気を出せば、そんなのお茶の子さいさいですって!」
「大分、いつもの調子が戻ってきたね、橘音ちゃん」
橘音の芝居がかった声に、ポチは呆れたように微笑んだ。
>「クロオさんが酒呑童子の力を使って、半刻時間を稼げるなら――ボクも加勢すれば、クロオさんの労力はその半分で済む」
>「……一緒に地獄へ墜ちましょうって。以前、そう言ったでしょ?」
>「たわけ者が! 新婚旅行ならもっとマシなところに行かぬか!」
その後に続いた惚気はやや不穏な響きを含んでいたが――祈の注文は、ハッピーエンドだ。
橘音も尾弐も、その事を忘れはしないはずだ。
「……今のは、ただの惚気だって思っとくよ。信じるからね」
>「皆さん、作戦開始です!手はず通りによろしくお願いしますよ!」
ふと――においがした。
強い怒りのにおい。
頭上を見上げると――上空から急降下してくるマルファスが見えた。
>「不意打ちで悪いけど――」
「――殺しはしないから許せよな!」
>「――ホワイトアウト」
「トランスフォーム――アロー!」
怒りに囚われたマルファスは容易く祈に不意を突かれて体勢を崩した。
生じたその隙に今度は深雪が矢を射かけ、彼の翼を破壊する。
>「未だ獣《ベート》殿、取り押さえろ!」
状況は限りなく、東京ブリーチャーズに有利に傾いている。
九分九厘、マルファスの敗北は決まっている。
だが――ポチには分かる。
この世に生じた瞬間から共に在った、己の鏡像。
それを痛めつけられ、奪われた、その怒りの強さが。においの濃度として。
無防備な腹を蹴飛ばされ、翼を射抜かれ、視界を奪われ――
しかしそれでも、マルファスの眼光は衰えない。
レイピアを握り締め、全神経を研ぎ澄まし、追撃が来る瞬間を待ち構えている。
1%の勝機を掴み得る気迫がある。
マルファスに飛びかからんと身を屈めていたポチの動きが、一瞬止まった。
「……悪いけど、確実に勝たせてもらうよ」
そして軽やかに後ろへ飛び退いた。
人狼の姿へと変化しつつ――菊乃に叩きのめされ、今もなお地に伏したハルファスの傍へ。
その場でしゃがみ、右手の爪を白い羽毛に包まれた首筋を撫でた。
瞬間――マルファスの中で渦巻く怒りが、怯えと迷いに変化するのが、ポチには分かった。
「絶望、破滅……君の同胞はそれが大好物だったみたいだけど、やっぱり僕には理解出来ないな」
そして、今度こそポチはマルファスへと飛びかかった。
彼の体に満ちていた怒りによる気力が霧散して、怯んだその瞬間に。
160
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/07/12(木) 22:06:21
母を救い、敵を打ち倒し、帝都を救う。
それが祈という少女が望みうる最善であると、尾弐はそう考えていた。
取り戻せぬ筈の大切なモノを取り戻し、『何一つ失わない』結末。
そんな夢の様な未来こそがハッピーエンドであると、そう信じていた。
>「待ってください、クロオさん。アナタは今『誰もが幸せに終わるハッピーエンド』と言いましたが……」
>「酒呑童子の力を使ったアナタの幸せも。もちろん、保障されるんですよね?」
「……。ああ、勿論だ。お前さん達も、俺も。望んだ未来を手に入れ、最期は全員が笑顔で終われる。そう保証する」
だからこそ、尾弐が言わずに伏せた部分を察したかの如き那須野の問いにも、真っ直ぐに答える事が出来た。
少々の後ろ暗さはあるが、それでも……最善を選んでいるつもりであったから。
故に、尾弐に誤算があったとするならばそれは一つ。
>「あたしは……みんなを助けたい。この街の人達や妖怪だけじゃなくて、母さんや、
>ハルファスとマルファスも……アスタロトや姦姦蛇螺。
>尾弐のおっさんとはもしかしたら違うかもしれないけど、あたしが目指す“誰もが幸せなハッピーエンド”はそ
れなんだ」
尾弐が多甫 祈という少女。その心根を、この期に及んで見抜けていなかった事だろう。
少女の願い――――仲間や、母や、帝都だけではない。敵ですらも救いたいという、傲慢とも言える……けれど、
星に手を伸ばすような純粋な願い。
大人であれば、笑い飛ばすような夢想。
現実はそんなに甘くないと。夢を見るなと。諭してしまう様な透明な祈り。
だが、尾弐黒雄は……夢や理想など、とうに枯らしてしまった大人は、その願いにこそ打ちのめされた。
赦されざる罪を赦され、更には自身の想定した幸福な結末がどれだけ小さな物なのかを思い知らされ、膝を折った
。
161
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/07/12(木) 22:07:51
> 「……だってさ、尾弐っち。橘音ちゃんも。忘れちゃ駄目だよ。ハッピーエンド、だからね」
>「……あーあ、イヤになっちゃいますよねえ……。皆さん、お互いのことを想い合って。庇い合っちゃったりして」
>「アナタたちがもっと自分勝手な人たちだったらよかったのに。おまえらなんて知ったことか!って。自分の身が一番大切だ!って」
>「そう言ってくれる人たちだったなら、ボクも楽だったのに。皆さん、自分のことを最後に考える人ばっかりで……」
>「挙句、ボクのことを許す?許すですって?ハハ……お笑いですよ。そんなこと言われちゃったら――」
>「逃げられないじゃないですか。是が非でも……ハッピーエンドをもぎ取るしかないじゃないですか!」
「……ったく。いや、参った参った。降参だ。若ぇ奴の夢はでけぇモンだと相場は決まっちゃいるが、そうか。嬢ちゃんもデカい夢を持つ年頃か」
「そんじゃまあ、仕方ねぇな。約束した事だし……何より、嬢ちゃんの頼み一つ聞けないようじゃあ、後で颯に叱られちまう。だからまあ……オジサンもちっとばかし頑張らねぇとな」
ポチと那須野の言葉を聞いて、尾弐は大きく息を吐いてから首筋を手で押さえ、おどけた様にそう答えた。
意志ある言葉は力を持つ。善意の行動は光を放つ。
妖怪と比べれば、脆弱な肉体の少女の言葉と行動は、けれど何より強い光を放ち、濁り澱み黒く染まった妖怪の心に届いたのだ。
・・・
>「先ほど言った通り、悪魔を生贄に捧げて姦姦蛇螺を封じることは難しいです。……でも、ポチさんのお言葉で閃いたことがある」
>「ハルファスとマルファスは殺さないこと。あくまでも生け捕り……ということでお願いします」
>「祈ちゃん、ノエルさん、クロオさんも宜しいですか?」
>「宜しくありません、といったところで突っ走るのだろう? 今更拒否権なんて無いではないか。
まあ良い、興が乗ってきた――幸い我は辛気臭い愚か者は嫌いだがおめでたい愚か者は嫌いではないぞ?」
「あいよ。了解だ大将……あと、そこの疑似ノエル。お前さんはちっとは思考を辛気臭くしとけ。
言っとくが見た目が女だろうとノエルな時点で、行動への情状酌量はねぇからな」
>「その後はボクが処理します。その次にクロオさんとボクとで姦姦蛇螺を食い止めますので、お三方は姦姦蛇螺の中へ」
>「――そう。ノエルさんとポチさんだけじゃない……祈ちゃん。アナタも行くんです、姦姦蛇螺の体内へ」
>「もし、颯さんを救う方法があるとするなら。それは外部にはない――内部にこそ存在すると、ボクは思います」
>「ほほう、祈殿のお守を我々に任せて若い?二人でよろしくやるということか。
>貴様らのようなバカップルはさっさと渋谷区に住民票移してゴールインしてしまえ!」
「かくあれかし。小さいモノが巨人を打ち倒す逸話に則った対策って訳か……。よし二度目だ。せっかくだから色男にゃ
飯を奢ってやらねぇとな。日頃の感謝を籠めて煮え滾った四川風麻辣火鍋を大匙で手ずから口に運んでやるよ」
那須野が作戦を組み立て、ノエルがおどけ、尾弐が窘め、祈が心配し、ポチが華麗に受け流す。
それは、何時かの何時もの光景、かつて良く見た東京ブリーチャーズの一場面。
絶望的な状況であるけれど、それでも歯車は噛み合い、ようやく回り始めた――――そんな感覚。
162
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/07/12(木) 22:11:10
>「あ。今のボクじゃ姦姦蛇螺を食い止めるなんて絶対ムリ!って思ってますね?心外だなぁ」
>「大丈夫!この名探偵・那須野橘音にお任せあれ!ボクが本気を出せば、そんなのお茶の子さいさいですって!」
>「クロオさんが酒呑童子の力を使って、半刻時間を稼げるなら――ボクも加勢すれば、クロオさんの労力はその半分で済む」
>「……一緒に地獄へ墜ちましょうって。以前、そう言ったでしょ?」
>「たわけ者が! 新婚旅行ならもっとマシなところに行かぬか!」
>「……今のは、ただの惚気だって思っとくよ。信じるからね」
「……お前さん達はオジサンを初めて買い物に行くガキか何かと思ってるんじゃねぇか?」
「そんなに心配すんな。地獄を目指すには……今日はちっとばかし賑やか過ぎるだろ」
そんな中で全員から気を使われた尾弐は、気まずげに視線を逸らすと手をひらひらと振り、周囲に気を向ける様促す。
「んな事より、そうら、妖壊のお出ましだ。俺は色々準備があるから手は出せねぇ。しっかりふんじばってやってくれ。頼んだぞ」
苦笑しつつそう言って見上げれば――――そこには上空から迫る悪魔。
片割れを傷つけられ、怒りに燃えるマルファスの姿。
怒りを糧に前進する強大な悪魔ではあるが……たった一人では敵足り得ない。
>「不意打ちで悪いけど――」
>「――殺しはしないから許せよな!」
>「トランスフォーム――アロー!」
>「……悪いけど、確実に勝たせてもらうよ」
祈の強襲が、深雪の氷矢が、ポチの策略が。
意図が絡み合い、悪魔の猛威を叩き落す。
その光景を視界に納めつつ、尾弐は小声で那須野へと声を掛ける。
「大将……今のうちに言っておくがな、酒呑童子ってのはどうしようもなく妖壊で、救いようも無く化物だ。
呼び出す事は出来るが、真っ当な手段で従えることなんざとても出来ねぇ。あれは、そういう存在だ」
「本来でありゃあ、壱秒たりとも人の世にいちゃならねぇ奴を、時間稼ぎの為に半端に起こすなら……保険が要る」
そこで一度沈黙した尾弐は、覚悟を決めた様に再度口を開く。
「那須野――――酒呑童子を呼んだ時に、俺はお前さんに奴の『心臓』を預ける」
「……心臓は奴の力の源泉だ。それが無いまま力を振るい続ければ、酒呑童子は何れ形を保てなくなって霧散する……筈だ」
言葉に迷いが有るのは、それが確実であるかどうか、尾弐には判断が出来ないからである。
何せ……これは、尾弐がこの場で即興で思いついた手段なのだから。
「だから、それを預かったお前さんは奴に決して心臓を奪われるな。騙されるな。慈悲を見せるな……何があろうと、化物を信じるな」
低い声で語るその声は、真剣そのもの。
「酒呑童子の力を、一方的に利用しろ。絞れるだけ絞って、そうして使い捨てろ」
「その上で、一刻の時を一緒に稼いでくれ」
一息でそう言い切った尾弐は、狐の姿の小さな那須野へと深く頭を下げる。
「……無茶言ってるのは重々承知だが、悪ぃ。俺の為に無理をしてくれ。
俺達が見守ってきた祈の嬢ちゃんの珍しい我儘……無茶をしてでも叶えてやりてぇんだ」
163
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 12:53:09
兄弟を奪われたマルファスの怒りはすさまじく、その攻撃は熾烈を極めた。
が、東京ブリーチャーズの仕掛けは周到。祈に蹴り飛ばされ、ノエルに翼を貫かれ、黒鴉の悪魔は地面を舐めた。
しかし、それでも闘争心は失われない。憎悪は消えない。
すべては、自らの半身を奪った日本妖怪へ復讐するため。
ポチの指摘した『絆』のため――
だが、それも長くは続かなかった。
ポチがハルファスの首筋に触れるのを見て、立ち上がったマルファスの妖気がぶれる。
ポチがハルファスを手に掛けると思ったのだろう。それは、ごくごく僅かな躊躇。ほんの一瞬の逡巡。
時間にして一秒未満の空漠。ただ、ポチにはそれで充分だった。
>絶望、破滅……君の同胞はそれが大好物だったみたいだけど、やっぱり僕には理解出来ないな
ポチがマルファスへと飛びかかる。瞬きするほどの時間の隙を衝かれたマルファスは、うつ伏せに倒れた。
マルファスは懸命にもがいたが、手ひどいダメージを受け翼に穴を開けられた状態で組み敷かれ、いったい何が出来るだろう。
観念したのか、ギリリ、と長い嘴を噛みしめ、やがて沈黙した。
「お見事」
小さく呟き、橘音は感嘆した。
いくら得意の連携を封じられたとはいえ、マルファスはそう簡単に御せる相手ではない。
天魔七十一将の中では中堅どころで、少なくともかつて戦ったオセ程度の力はある。
だというのに、祈、ノエル、ポチの三人はそんなマルファスをいとも簡単に捕獲してしまった。
かつてと比べ、彼らは確実に強くなっている――ならば。
この力を用いれば、絶望的な今の状況をひっくり返せるかもしれない。
古代の蛇神に捕われた颯を、その呪縛から解き放つことができるかもしれない――。
そう思えてくるのだった。
>大将……今のうちに言っておくがな、酒呑童子ってのはどうしようもなく妖壊で、救いようも無く化物だ。
>呼び出す事は出来るが、真っ当な手段で従えることなんざとても出来ねぇ。あれは、そういう存在だ
>本来でありゃあ、壱秒たりとも人の世にいちゃならねぇ奴を、時間稼ぎの為に半端に起こすなら……保険が要る
橘音が地に伏せた天魔二柱に近付こうとすると、尾弐が不意にそんなことを言ってきた。
その眼差しには、只事ではない決意が宿っている。
「……保険?」
>那須野――――酒呑童子を呼んだ時に、俺はお前さんに奴の『心臓』を預ける
>……心臓は奴の力の源泉だ。それが無いまま力を振るい続ければ、酒呑童子は何れ形を保てなくなって霧散する……筈だ
「…………」
酒呑童子の心臓。
鬼とは元々、規格外の生命力を誇る妖怪である。その生き汚さは、他の妖怪種族の追随を許さない。
首だけでも生きていた。切断された腕がくっつけただけで元に戻った。そんな逸話には事欠かない。
そんな鬼であるから、心臓だけでも生き延びる――ということも可能なのだろう。酒呑童子という超有名妖怪なら尚更である。
その酒呑童子の心臓を、尾弐は自分に預けるという。
尾弐がそんなものを所有しているなどという話は、長い付き合いでも初耳のことだったが、今はそれを問うても仕方ない。
ひとつ言えることは、尾弐が橘音に対する信頼の上にその判断を下したということだけだ。
>だから、それを預かったお前さんは奴に決して心臓を奪われるな。騙されるな。慈悲を見せるな……何があろうと、化物を信じるな
>酒呑童子の力を、一方的に利用しろ。絞れるだけ絞って、そうして使い捨てろ」
>その上で、一刻の時を一緒に稼いでくれ
尾弐は声音を押さえて、そう告げる。
逡巡も、躊躇もあっただろう。可能であれば避けたい選択であったに違いない。
その言葉に断言の響きがないのは、迷いがあることの証左だ。
しかし、それでも。
尾弐は『預ける』と言った。
>酒呑童子の力を、一方的に利用しろ。絞れるだけ絞って、そうして使い捨てろ
>その上で、一刻の時を一緒に稼いでくれ
>……無茶言ってるのは重々承知だが、悪ぃ。俺の為に無理をしてくれ。
>俺達が見守ってきた祈の嬢ちゃんの珍しい我儘……無茶をしてでも叶えてやりてぇんだ
ならば、それに応えるのが橘音の採るべきただひとつの道であろう。
164
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 12:55:20
「……ほんの少し前まで、赤ちゃんだった祈ちゃん。他ならぬこの場所から、ボクたちは彼女を連れて逃げ出しましたね」
「いつまでも、赤ちゃんだって思ってた。ずっと、小さな子供のままだと――」
「でも。いつの間にか、祈ちゃんは大人になっていたんですね。ただ歳を重ねただけの、澱んだボクたちの心を救ってしまうほどに」
橘音は軽く俯くと、小さく笑った。
「ならば。彼女の夢を叶えるために出来る限りのことをするのが、ボクたちの役目です」
「アナタのために。祈ちゃんのために。大切な仲間たちのために……一肌脱ぐと致しましょう!」
「この名探偵――那須野橘音にお任せあれ!」
そう言うと、橘音は改めてマルファスとハルファスに視線を向け、そちらに歩み寄って行った。
「さて。マルファスさん、ハルファスさん……お久しぶりですね」
「あちらのボクのボディガードとして、ここに現れたのが運の尽きってヤツです。ま、ボクらにとってもオババの登場は予想外でしたが」
「せっかく来たんだ。ボクの役に立ってもらいますよ……甘んじて受けてください、虜囚の辱めってヤツを……ね」
「なに、約束は守ります。祈ちゃんの言った通り……命を奪いはしない。ただ――」
「命以外のすべてを。ボクに下さい」
そう言うと同時、マルファスとハルファスを中心として地面に魔法陣が出現する。
禍々しい魔紋によって縁取りされた魔法陣は、もちろん日本妖怪由来のものではない。西洋魔術、それも極めて邪悪な類のものだ。
「皆さん、危ないですから離れてください。――始めますよ」
「アグロン テタグラム ヴァイケオン スティムラマトン エロハレス レトラグサムマトン クリオラン イキオン――」
「エシティオン エクレスティエン エリオナ オネラ エラシン モイン メッフィアス ソテル エムマヌエル――」
ポチらに退避するよう告げると、橘音が徐に詠唱を始める。
それもまた魔法陣と同じく日本由来の印契や呪言とは根本的に異なる、西洋魔術を起源とするもの。
魔法陣の中で黒い雷が荒れ狂い、マルファスとハルファスの二柱を灼いてゆく。
二柱の天魔は魔法陣の中で巻き起こる激烈な雷撃の嵐に晒され、苦悶にのたうち回った。
そして。
「サバオト アドナイ!我は欲す、すべてを汲み上げ――我が力と成さん、アーメン!」
橘音が詠唱を唱え終わると黒雷が消滅し、それと同時に地面に描かれていた魔法陣も薄れてゆく。
後に残ったのは、小さな鴉と鳩の雛と、白と黒ふたつの宝石。
雛は妖力を吸い尽くされたマルファスとハルファスの成れの果てだろう。つぶらな瞳でピヨピヨと鳴いている。
約束通り、橘音は二柱を殺さず生かしておいた、ということだ。
が、橘音はそんな雛には目もくれない。
橘音の欲するものは、目の前にある宝石だった。
「本当は、誰にも見せないつもりでした。ボクの素性と共に、永遠に黙っているつもりだった――」
「けれども。もう皆さんにはバレてしまったことですし、隠していても仕方ない。ならば……今こそお目に掛けましょう!」
「この那須野橘音、一世一代の大変身!」
橘音はそう言うと、素早くふたつの宝石を口に銜え、ガリッ!と牙で噛み砕いた。
途端、宝石から濃厚な妖気が溢れる。天魔七十一将のうち二柱から抽出した、純度の高い闇の妖気。
それが霧となり、橘音の全身を包み込んでゆく。
「ぅ……ぐ……がああッ!は……ぁ、ぐぅぁ……!!」
橘音が苦悶する。その姿が、どんどん妖気の霧によって隠れてゆく。
橘音の姿が完全に見えなくなってしまっても、苦痛に呻く声だけが響き続ける。
妖気の靄が渦を巻き、うねり、のたうち、東京ブリーチャーズの目の前で生き物のように姿を変えて、どれほど時間が経っただろうか。
実際の時間は三分も経っていないに違いなかったが、それでも永劫に感じるような時間の果て。
ゆっくりと妖気の霧が晴れてゆく中、橘音のいたはずの場所には――
ひとりの少女が佇立していた。
165
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 12:57:26
「……は……」
少女は小さく息をついた。
只の少女ではない。その証拠に、少女の身体には明らかに人でない徴が各所に見て取れる。
綺麗に切り揃えられた、腰まである長い黒髪。その側頭部には捻じくれた山羊の角が一対。さらに頭頂部には大きな狐耳が生えている。
背には巨大な蝙蝠の翼。そして腰の後ろに生えているのは、ふさふさした狐の尻尾。
纏っているのは黒のレオタード状の衣装だが、胸元から背中、下腹部近くまでがざっくりと開いており、露出度が高いことこの上ない。
各所に禍々しい髑髏の意匠が施されたロンググローブと二ーハイソックスを着け、トゲつきのショートブーツを穿き――
右手に凶悪な爪のついた籠手を嵌めているその姿は、まさに悪魔の見本といったところだろうか。
最近のトレーディングカードゲームやソシャゲでよく見る悪魔っ娘のような姿、とも言う。
少女は仮面舞踏会めいた半面の奥で双眸を細めると、身体の調子を確かめるように手を握ったり開いたりした。
「ぶっつけ本番でしたが、うまく行きましたね……。さすがマルファスさんとハルファスさんの妖気です、純度が段違いだ」
身体の具合を確認し終わると、少女はヒラヒラ左手を振って笑った。
「アハハ……ビックリさせちゃって申し訳ありません。ボクですよボク、橘音です」
「――これが、ボクの本当の姿。いや……それもちょっと違うかな。ボクが『天魔アスタロト』だった頃の姿……と言うべきでしょうか」
「ま、その辺の事情は姦姦蛇螺をどうにかした後でご説明しますよ。ボクも皆さんにお話しする覚悟が出来ました」
「この期に及んで秘密はナシだ。今出し惜しみなんてしたら、颯さんに怒られちゃいますからね」
「とにかく!これでボクも少しは戦えます、僅かな間でも姦姦蛇螺を食い止めることができるでしょう」
「クロオさんは準備があるのでしょう?それなら、まずはボクが時間を稼ぎますので――では!」
そう言うと、橘音はピイーッと指笛を吹いた。その途端、赤紫色の雲の一角に切れ間ができる。
そこから現れたのは、三対の蝙蝠の翼を持った巨大な蛇。有翼蛇というものだろうか。
その長い胴体の中ほどには、乗馬に使うような鞍がついている。
毒竜ドラギニャッツォ――ダンテの『神曲』に登場する悪魔『マレブランケ』の一翼にして、天魔アスタロトの乗騎。
橘音はひらりとドラギニャッツォの背に飛び乗ると、手綱を一打ちして空へと駆け上っていった。
そして、そのまま姦姦蛇螺の顔の近くまで接近する。
「!……その姿は……!」
姦姦蛇螺の肩に乗っているアスタロトが驚きを露にする。
「懐かしいでしょ?アナタが姦姦蛇螺なんてものを引っ張り出してくるなら、こっちもなりふり構っていられませんのでね」
橘音が軽く肩を竦める。
悪魔じみた衣裳を着た、アスタロトの姿をした橘音。
純白の学生服を纏った、橘音の姿をしたアスタロト。
ちぐはぐな外見のふたりが対峙し、火花を散らす。
「クロオさんにさえ秘密にしてきたことを、バラしてしまうなんて……これで何もかもご破算だ」
アスタロトがかつて自分の纏っていた衣装を睨みつけ、歯を食いしばる。
「最初にバラしたのはアナタでしょう?それにね……彼らはボクが何者であろうと、ボクのことを拒絶したりしない」
橘音が飄然と反論する。
「そんなこと――」
「わかるもんか、って?わかりますよ、なぜなら――ボクは、アナタよりも長い時間。彼らと一緒にいるからです」
「ボクも、少し前まではそうだった。悪魔であるボクが正体を明かせば、一緒にいられなくなると……そう思っていた」
「でも、今は違う。今はそんなことは思わない……彼らはすばらしい仲間ですよ、これ以上ない仲間だ。だから――」
「……そんな仲間たちに背を向けた。仲間のいない、アナタの。負けです」
鋭い爪の生えた籠手の人差し指で、橘音はアスタロトを真っ直ぐに指した。
166
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 13:13:35
「世迷言を!」
アスタロトが怒号する。それを合図に、姦姦蛇螺が右腕の一本を伸ばして橘音を叩き落とそうとする。
しかし、橘音は毒竜の手綱を巧みに捌き、ひらりと身を翻して姦姦蛇螺の攻撃から逃れた。
苛立たしげに歯噛みするアスタロト。
「蚊トンボが……ちょこまかと!」
「自分自身に言う言葉じゃありませんね、それ。さて、じゃあそろそろ……こっちから行きますよ!」
橘音が右手を大きく開いて前方にかざすと、手のひらの中央に描かれた魔眼が輝き、そこに半径1メートルほどの魔法陣が生まれる。
魔法陣から無数の妖気の閃光が放たれ、レーザーのように姦姦蛇螺へと殺到する。
「ゴオオオオオアアアアアア―――――ッ!!」
姦姦蛇螺が苦悶し、巨体を仰け反らせる。効果覿面だ。
さらに橘音はパチンとフィンガースナップで指を鳴らすと、虚空からいかにも悪魔の武器というような造りの大鎌を取り出した。
死神めいた大鎌の柄を両手で握りしめ、毒竜を操って突進する。
橘音が大鎌を振るたびに無数の真空波が生まれ、触れた部位をズタズタに切り裂いてゆく。
「いやぁ、何百年ぶりかで好き勝手やるのは気持ちいいなぁ!さあ、どんどんやっちゃいますよ!」
ハルファスとマルファスから妖気を奪い、自らのものとした橘音の力は凄まじい。
その姿からは、『自分は荒事が苦手』と言って頑なに自ら矢面に立とうとしなかった以前の橘音の面影はない。
橘音がたまに瞳術を使うにとどめ、あとは七つ道具など他人の力任せで動いていた理由。
祈のような半妖はともかく、妖怪は他者の妖気の質を鋭敏に嗅ぎ分ける。
もし橘音が全力を出したなら、橘音の身体から溢れる妖気が日本妖怪由来のものでないことがノエルやポチ、尾弐にばれてしまう。
それが邪悪な西洋妖怪、悪魔のものであるということも――。
だからこそ橘音は妖気を隠し、念には念と性別まで不詳にして、自らの正体を看破されないようにしていたのだ。
尤も、仮面だけは。それとは別に装着している理由があるのだけれど。
「く……、ならば、これでどうです!」
アスタロトが負けじと右手を虚空に突き出し、空中に魔法陣を描く。
そこから出現したのは、無数の悪魔たち。天魔七十一将配下の、名もなき悪霊たちの軍勢だ。
天魔アスタロトは地獄の大公にして、40の軍団を統べる者。その軍団を構成する手下を召喚したのである。
姦姦蛇螺は巨体ゆえに素早い攻撃には対処しきれない。そのため小回りの利く魔物たちを駒として橘音にぶつけたのだ。
さながら蝗の群れのように、橘音めがけて大量の悪魔たちが殺到する。
しかし。
「あまぁい!」
橘音もアスタロトと同じように虚空に手をかざす。籠手の手のひら、その中央に鎮座する瞳が邪悪な輝きを放つ。
魔法陣が形成され、そこから出現したのは――アスタロトが召喚したものと寸分たがわぬ、悪魔の群れ。
橘音もまた、紛れもなく天魔アスタロト本人。であれば、当然その麾下の軍団を使役できる。
共にアスタロトの配下である悪魔の群れ同士が激突し、ブリーチャーズの頭上で激しい乱戦を開始する。
だが、当然のように拮抗するか見えた力関係――戦力のバランスは、瞬く間に崩れた。
「……バカな……!こんなことが……!?」
姦姦蛇螺の肩で、アスタロトが驚愕する。
アスタロトの召喚した悪魔たちが、数の上で橘音の召喚した悪魔たちに押されている。
「バカな?そんなワケないでしょう。これは当然の帰結!起こるべくして起こったことなのですから!」
「なんですって?」
勝ち誇る橘音の言葉に、アスタロトが怪訝な表情を浮かべる。
「だって、そうでしょう。みんなボクに従うに決まってる、なぜなら――」
「ボクの方が悪魔っぽいですから!!」
橘音は露出度の高い胸をこれでもかと言うほど張ると、禍々しい籠手の親指で自分を指してみせた。
167
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 13:16:57
「し、しまった……!ボクもそっちの格好をしていればぁ〜っ!」
アスタロトは頭を抱えた。
一見ふざけた遣り取りのように見えるが、別に悪魔たちは橘音の外見がよりアスタロトっぽかったから従ったのではない。
現状、橘音はハルファスとマルファスという悪魔二柱の妖気を吸収し、悪魔としての能力を全開にしている。
一方でアスタロトはあくまで本人一柱分、いや三分の二の力しか持っていない。
橘音とアスタロトが分裂した経緯を知らない悪魔たちから見た場合、どちらがより本物の上司らしいかは明白である。
「そおーれッ!皆さん、やっちゃって下さぁーい!」
橘音が大きく大鎌を翳して指揮すると、アスタロトの悪魔たちを撃破した橘音麾下の悪魔たちが一斉に姦姦蛇螺へと襲い掛かった。
尤も、日本妖怪軍と同じく悪魔たちの攻撃も姦姦蛇螺の強固な表皮を傷つけ、ダメージを与えるまでには至らない。
しかし、時間稼ぎはできる。姦姦蛇螺が悪魔たちを薙ぎ払おうと六本の腕を振り回すのを見ると、橘音は毒竜を駆って空から降りてきた。
「ウフフ……どうですか皆さん?ちょっとはボクのこと、見直してくれました?いいんですよぉ正直にカッコイイって言ってくれて!」
「あ、いや、カッコイイよりはカワイイの方がいいかな……でも、このコスチュームってカワイくはないですよね。昔の趣味だからなぁ」
「……それはともかく……さて、クロオさん。準備は宜しいですか?……心臓をお預かりしましょう」
おちゃらけた笑みを消し、強い意志の宿った表情を浮かべると、橘音は籠手に包んだ右手を尾弐へと差し伸ばした。
尾弐から心臓を受け取ると、橘音はそれを両手で持ち直し、そっと胸に抱きしめる。
これは考えるまでもなく、酒呑童子だけでなく尾弐にとっても命に係わるもの。致命となりうるもの。
それを託されたという、その意味。
これから自分の為すべきことに、束の間意識を向ける。
「――心臓は確かに。では……行きましょうか、クロオさん。ボクたちの、悔恨だらけの十数年に……決着をつけるために」
小さくうなずくと、橘音は毒竜の手綱を一打ちし、ふたたび空へと駆け上った。
すでに、配下の悪魔たちは姦姦蛇螺によってほとんど打ち倒されてしまっている。あとは、橘音と尾弐がやるしかない。
姦姦蛇螺の目の高さまで舞い上がると、橘音は預かった心臓に小さく息を吹きかけた。
それから手のひらサイズの魔法陣を描き、それに心臓を包み込むと、心臓は黒く輝く宝石に変わった。
どこからか取り出した鎖に宝石を通し、首から提げると、橘音は胸の谷間――自らの心臓の近くに納まった宝石を軽く握りしめた。
「何を企んでいるんです?どのみち、姦姦蛇螺の前では無駄な行為だというのに……往生際が悪いですよ」
アスタロトがせせら笑う。
「どんなに絶望的な状況でも、ほんの僅かな光明があるなら突破することができる。ボクたちはかつて、何度もそうしてきた」
「ノエルさんの優しさで。祈ちゃんの勇気で。ポチさんの決断で。クロオさんの力で」
「ボクの、頭脳で。そんなことも忘れちゃったんですか?アナタは」
「今度も突破してみせますよ、だってボクたちは『東京ブリーチャーズ』――」
「ブリーチャーズとは。『漂白者』という意味の他に、『突破する者』という意味もあるのですから!」
悪魔の姿をした橘音は、そう自信満々に言い放った。
「ハ!そうでしょうとも、一条の光明があるのならね!でも、そんなものはこの場のどこにもない!あるのはただ無明の絶望だけだ!」
「いいえ、いいえ。光明はある、この場で確かにボクたちを照らしている。だからこそ、ボクとクロオさんは再起することができた」
「それを。アナタにも御覧に入れますよ……目を開けていられないほどの、眩い光芒を!」
「ほ、ざ、く、なァァァァァァァァ―――――――――――ッ!!!」
怒りに満ちた咆哮をアスタロトが轟かせると同時、姦姦蛇螺が六本の腕を振り回して橘音を捕縛しようとする。
橘音は毒竜を操り、空を駆けてその攻撃から逃れる。魔法陣を出現させ、返礼とばかりに闇の閃光を叩き込む。
「ゴォォォォアアアアアアアアアッ!!!!」
姦姦蛇螺が吼える。
アスタロトと姦姦蛇螺の注意は、完全に橘音に向いている。
尾弐が酒呑童子の力を解放するのなら、絶好の機会と言うべきだろう。
168
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 13:19:42
尾弐が酒呑童子の力を解放すると、周囲に禍々しい妖気が充満してゆく。
日本固有の妖怪、『鬼』。その名は時として、金棒を持ち虎皮の腰巻をつけた化生という存在以上の意味を持つ。
幽霊や亡魂。酷薄な人物。無道な行い。比肩し得るもののない偉業――それらもまた『鬼』と呼称される場合がままある。
そして、酒呑童子とは。それらすべての『鬼』の頂点に立つ、最強の鬼神の諱(忌み名)なのだ。
「ッ……、その、姿は……!?」
「ク、クロオ……さん……」
アスタロトと橘音のふたりが、禍々しい妖気に気付いて尾弐の方を見る。
太古の蛇神、国産みの神に連なる強大な禍つ神の放つ妖気に匹敵する、邪悪な妖気。
それを他ならぬ尾弐が放っていることに、戸惑いと驚きを感じている。
「ち……!颯さん、もうひとりのボクのことは後回しだ!クロオさんから始末してください!」
目の前の橘音よりも尾弐の方が脅威度が上と判断したアスタロトが、すぐさま標的を尾弐へと変更する。
姦姦蛇螺が巨大な尻尾を振り回し、尾弐を跳ね飛ばそうとする。
だが、解き放たれた酒呑童子の力は姦姦蛇螺といえどあっさり凌駕できるものではない。
かつて、指一本で悪魔ヴァサゴの尻尾を切断した鬼神の力が、姦姦蛇螺を直撃する。
姦姦蛇螺は大きく身を仰け反らせて苦悶した。
「く、お……!まさか、クロオさんがこんな力を隠し持っていたなんて……!」
60メートルに達する姦姦蛇螺の巨躯を相手に、まったく引けを取らない尾弐の力に、アスタロトが歯噛みする。
「う、うッ、うわぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!」
尾弐の強力無比な攻勢により、姦姦蛇螺はバランスを崩すと、どどぉぉぉぉぉん……という轟音を立てながら横ざまに倒れ込んだ。
「今だ!」
濛々と土煙が上がる中、橘音がすかさず上空から地上へ向けて魔法陣を生成し、姦姦蛇螺の動きを束の間封じた。
白く輝く巨大な魔法陣が輝き、姦姦蛇螺をその場に縫い留める。
「祈ちゃん!ノエルさん!ポチさん!チャンスです、早く姦姦蛇螺の中へ!」
横倒しになった姦姦蛇螺の巨大な口が、まるで洞窟のように開いている。
今のうちに口から体内へ入れ、ということだ。
祈、ノエル、ポチの三人が姦姦蛇螺の中に入ると、その直後に拘束の魔法陣が消滅する。
六本の腕を使い、ぐぐ……と身を起こすと、姦姦蛇螺は大気を震わせるような吼え声をあげた。
「三人を姦姦蛇螺の体内に送り込むために、囮を買って出たというわけですか……。まったく小賢しい……!」
「しかし、そんなことは無意味だ!あの三人も颯さんのように、姦姦蛇螺に啖われて終わるだけですよ!」
ふたたび起き上がった姦姦蛇螺の肩に陣取ったアスタロトが叫ぶ。
だが、毒竜に跨った橘音はそんな言葉に一度かぶりを振った。
「確かに、無意味かもしれない。ボクたちの作戦は根拠も何もない、出たとこ勝負のものばかりだ」
「でもね……決して諦めなければ。希望を捨てなければ、必ず活路は開ける。未来はやってくる――ボクたちに力を与えてくれる」
「信じることを、未来を。幸福を掴み取ることを諦めた、アナタにはわからないかもしれませんがね……!」
「戯言を!!」
アスタロトが憤怒を露にする。ポチたち三人を呑み下し、姦姦蛇螺が叫ぶ。その口腔に膨大な妖気が収束してゆく。
「来ますよ――クロオさん!」
得物の大鎌を手に、橘音は身構えた。
これから、祈たちが現状を打破し勝利を掴み取るまでの間。橘音は尾弐と共に、たったふたりでこの強大な神と戦わなければならない。
絶望的と言うしかない状況だが、それでも悲壮はない。後悔もない。
なぜならば。
橘音の胸は、今。長い間夢見ていながら、正体をひた隠しにしていたがゆえに叶えられなかった望みの成就――
武器を携えて自ら先陣を切り、尾弐と共に戦う喜びにうち震えていたからである。
169
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/07/15(日) 13:24:05
姦姦蛇螺の体内はトンネルのようになっており、これが生物の内部だとは到底思えない構造をしていた。
天井が高い。10メートルはある。横幅も広く、もし戦闘になったとしても行動が阻害されることはないだろう。
内部は薄暗く、禍々しい妖気に満ちている。
ただの人間ならば数分と持たずに衰弱死してしまうだろうが、ノエルとポチならば影響はない。
もっとも、半妖である祈にとっては即効性はないまでも有害ではある。どのみち、そう長居はしていられまい。
三人が奥へと進んでいくと、やがてトンネルの天井や壁、地面からにじみ出るように無数の影が出現する。
鎌首をもたげ、真紅の双眸を爛々と輝かせる蛇の形をした影だ。恐らく、侵入者を排除するための存在なのだろう。
本体とは比較にならない大きさだが、それでも動物園にいるニシキヘビ程度の大きさはある。
人間サイズの異分子を抹殺するには充分な大きさ、ということだ。むろん巻きつかれ締め上げられれば只では済まない。
自然界にいる大蛇、ボア・コンストリクターは牛馬すら絞め殺す筋力を持っているという。
蛇神・姦姦蛇螺の体内に巣食う蛇怪ともなれば、その危険度はボア・コンストリクター以上であろう。
とはいえ。災厄の魔物二体ならば、いかに姦姦蛇螺の眷属といえど物の数ではない。
影たちは数を恃みに三人に襲い掛かるが、問題なく蹴散らすことが出来るだろう。
祈の持つ天羽々斬は、なんの反応も示さない。
影を退けながら更に奥へと進んでいくと、やがて三人はトンネルから広々とした場所に出た。
しかし、只の広場ではない。三人の眼前には、奇怪な光景が広がっている。
そこは、一面の花畑だった。
三人の視界いっぱいに、血のように紅い彼岸花が咲き乱れている。
彼岸花畑の奥には、新宿御苑の中で姦姦蛇螺を封じていたものとよく似た一宇の祠堂が建っている。
そして――
祠堂の手前には十字架を模した磔台があり、あたかも磔刑に処された罪人の如く、ひとりの人間が縛り付けられていた。
オフホワイトのサマーニットにベージュのサブリナパンツを穿いた、三十代前半くらいの女性。
多甫 颯。
颯はぐったりとうなだれており、遠間では生きているのか死んでいるのか判然としない。
生死を確認するのなら、接近する必要があるだろう。
しかし。
ず。
ずず。
ずずず、ずるるる……ずず……。
あたかも、颯を奪おうと目論む者を迎え撃とうとでもするかのように。微かな音と共に、祠堂の中から真っ黒な大蛇の影が姿を現す。
その姿はディティールのない、ただ真紅の双眸だけが炯々と輝く蛇の影。今まで三人が蹴散らしてきたものと、それはほとんど変わらない。
ただ、大きさが違う。祠堂から出てきた大蛇の影は、今までの影と違い10メートルはあるだろう。
頭部が不自然なほど大きく、口に当たる部分から二股の長い舌をちろちろと出している。
その身に纏う妖気も、今までの蛇たちとは比較にならない。災厄の魔物をして気圧されるほどの、圧倒的な妖気。
恐らく、この影こそが。
颯を取り込み、十数年もの間呪縛し続けてきた、姦姦蛇螺の『本体』なのだろう。
姦姦蛇螺は颯の磔台に巻きつくと、威嚇するように三人をねめつけた。
「ギシャアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
姦姦蛇螺はしばらく様子を見るように三人を観ていたが、膨れ上がった頭部の口をがぱりと開いて咆哮すると、一気に襲い掛かってきた。
今まで蹴散らしてきた蛇の影たちは三人の攻撃であっさり霧散したが、この本体はそうはいかない。
実体がないからなのか、氷は効き目が薄く、噛みついたり引っかいたりという攻撃も致命になり得ない。
一方で本体は巨体に似つかわしくない素早さで彼岸花畑を縦横無尽に移動し、三人の死角を狙って巧みに攻撃を仕掛けてくる。
日本刀のような鋭さの牙での斬撃や、尻尾の強烈な一打は三人を苦戦させること必至であろう。
祈に蹴られる寸前、自らを分解して霧消し、離れた場所で再構成する――などという芸当さえ苦もなくやってのける。
「ギイイイイイイイイ―――――――――――――――ッ!!!」
姦姦蛇螺が叫ぶ。
この大蛇の影を斃さない限り、颯を救うことはできない。
逆に言えば、姦姦蛇螺をここで打倒することさえ叶えば、颯を救い出す目もあるに違いない。
御苑で戦っている尾弐と橘音が稼げる時間は、そう長くない。
また、姦姦蛇螺の体内で祈が行動できる時間も、きわめて短い。
刻一刻と喪われていく時間の中で、戦いは続く。
170
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:24:13
祈が茶室・楽羽亭側へと蹴り飛ばしたマルファス。
>「トランスフォーム――アロー!」
>「……悪いけど、確実に勝たせてもらうよ」
そこにすかさずノエルとポチの連携が追い打ちを掛ける。
氷矢に翼を穿たれたダメージと、更に双子・ハルファスを失う恐怖から我を失い、
マルファスは隙を見せた。
その隙を見逃さず、ポチはマルファスへと喰らい付く。
瞬く間にマルファスは制圧され、ポチに組み敷かれる形となった。
>「お見事」
橘音が小さく呟き、祈は胸をなでおろした。
姦姦蛇螺が結界を破るまでに時間がなく、被害を最小に防ぐ為にも
マルファスは早めに倒しておきたかったのだ。
橘音と尾弐は何事か話していたが、
やがて橘音は倒れたままのハルファスや制圧されたマルファスへと向き直る。
何かするつもりらしかった。
祈はそれを見届ける為、橘音や仲間達の傍へと戻った。
(二人には使い道がある……みたいなことを橘音は言ってたな。何するつもりなんだろ……?)
橘音は、あの二柱は姦姦蛇螺の生贄や人柱にはできないし、しないと言っていた。
だがこの悪魔達を利用して、姦姦蛇螺を止める為の力とすると言う。
祈に考えられるのは、たとえば仲間に引き込むとか、
瞳術で無理やり従わせるだとか、そんなところだった。
だが戦闘不能に追い込まれて気を失っているハルファスと、組み敷かれた手負いのマルファスでは戦力にはなるまい。
だとすれば考えられるのは『妖力を奪う』だろうか。
だが、どうやって。
>「さて。マルファスさん、ハルファスさん……お久しぶりですね」
>「あちらのボクのボディガードとして、ここに現れたのが運の尽きってヤツです。ま、ボクらにとってもオババの登場は予想外でしたが」
>「せっかく来たんだ。ボクの役に立ってもらいますよ……甘んじて受けてください、虜囚の辱めってヤツを……ね」
>「なに、約束は守ります。祈ちゃんの言った通り……命を奪いはしない。ただ――」
>「命以外のすべてを。ボクに下さい」
祈が考えていると、橘音はそう言って、
マルファスとハルファス、二柱の足元に魔法陣を展開させる。
「!」
西洋魔術だ、と祈は察する。
陰陽寮で芦屋易子の見せたものとはまた異なる魔法陣。そこに禍々しい気が渦巻き始める。
警戒から思わず飛び退く祈。
>「皆さん、危ないですから離れてください。――始めますよ」
マルファスを組み敷いていたポチもマルファスの上から退避し、
橘音が詠唱を始めた。
>「アグロン テタグラム ヴァイケオン スティムラマトン エロハレス レトラグサムマトン クリオラン イキオン――」
>「エシティオン エクレスティエン エリオナ オネラ エラシン モイン メッフィアス ソテル エムマヌエル――」
命までは取らない、と橘音は言ったが、
魔法陣の内側で、禍々しい気と共に渦巻き始めた暴風と、
その中で乱反射する黒い雷は、
マルファスとハルファスの表情を苦悶で染め上げた。
叫びを上げて苦痛にのたうち回る彼らを見ると、可哀想にも思え、
それに本当に命が失われないかと祈は心配になる。
止めるべきか迷うが、橘音がこの局面で嘘を吐くとも、ミスをするとも思えない。
信じて待つ他ないのかもしれなかった。
171
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:27:37
>「サバオト アドナイ!我は欲す、すべてを汲み上げ――我が力と成さん、アーメン!」
そう言って橘音が詠唱を終えた時。黒い雷は止み、魔法陣の内側に静寂が戻る。
禍々しい気が晴れていく。そして魔法陣が完全に消失。
すると中にいた筈の人間大の鴉と鳩の姿が消えていることに祈は気付いた。
思わず走り寄ると、二柱がいた場所の足元ではぴよぴよと、
黒と白の小さな鳥の雛が愛らしく鳴いていた。マルファスとハルファスである。
「縮んじゃったのか!?」
無垢な表情で、この世の何も知らぬかのように鳴く二柱。
本当に橘音は、この二柱から命以外の力や記憶や知識や、そう言ったものの全てを奪い去ったのだ。
二柱のその傍らには、綺麗な黒と白の宝石が転がっており、
その二つの宝玉に橘音が歩み寄る。
>「本当は、誰にも見せないつもりでした。ボクの素性と共に、永遠に黙っているつもりだった――」
>「けれども。もう皆さんにはバレてしまったことですし、隠していても仕方ない。ならば……今こそお目に掛けましょう!」
>「この那須野橘音、一世一代の大変身!」
そう言って、落ちている黒白の宝玉を口にくわえると、ガリっと音を立てて噛み砕いた。
そして。
172
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:29:38
>「ぅ……ぐ……がああッ!は……ぁ、ぐぅぁ……!!」
橘音の体から濃密な白黒の妖気が噴き出す。
それは先程宝玉に含まれていた、マルファスとハルファスの妖気なのであろうと祈は察した。
白黒の妖気は橘音を中心に渦を巻き、うねる。
そして白と黒が混じり、灰色の風となって橘音の姿を完全に覆った。
その灰色のヴェールの内側で呻く橘音。時折見える橘音のシルエットが徐々に変わっていく。
やがて風の勢いが失せ、靄となり、煙となって拡散。
煙が完全に晴れた時。
灰色の風が渦巻いていた場所に立っているのは先程までの白い狐ではなかった。
シルエットは二足歩行の人間。それも、少女の形をしている。
>「……は……」
頭の両サイドに生えた、捻じくれたヤギのような角。頭に生えた大きな狐耳。
背中に生えた蝙蝠の羽など、人間離れした特徴を除けばの話ではあるが。
切り揃えた長い黒髪の、その異形の少女が纏うのは、
胸元や背中が丸見えな露出の高い黒のレオタード。
そこに身に着けた棘付きショートブーツや髑髏の付いたグローブ、
尖った爪の生えた篭手などは、ある種いかにもな、少女悪魔らしい風貌と言えた。
そう、少女悪魔の姿をした――橘音だ。
半狐面までもお洒落な、仮面舞踏会の参加者が付けていそうなものに変わっているが、
ベースとなる黒髪パッツンの橘音自体に大きな変化がない為、
その少女悪魔が橘音であることは祈でもすぐに分かった。
橘音は三尾の狐でありながらアスタロトという悪魔でもあると言うから、
狐要素を備えた悪魔の姿、というのも頷ける。
だが、何より驚くべきは、橘音が身体のラインを隠していないことだ。
今までは時代遅れな男性用の学生服とマントを身に着け、
帽子を目深にかぶり、頑なに己の身体のラインを、性別を隠してきたのだ。
それが今はどうだ。挑発的とも言えるぐらいに露出の高い衣装で、
自身の性別が女だとはっきり主張しているかのようだった。
少女悪魔・橘音は手の感触を確かめるように何度か握っては放すと、
ブリーチャーズへと向き直った。
>「ぶっつけ本番でしたが、うまく行きましたね……。さすがマルファスさんとハルファスさんの妖気です、純度が段違いだ」
>「アハハ……ビックリさせちゃって申し訳ありません。ボクですよボク、橘音です」
>「――これが、ボクの本当の姿。いや……それもちょっと違うかな。ボクが『天魔アスタロト』だった頃の姿……と言うべきでしょうか」
>「ま、その辺の事情は姦姦蛇螺をどうにかした後でご説明しますよ。ボクも皆さんにお話しする覚悟が出来ました」
>「この期に及んで秘密はナシだ。今出し惜しみなんてしたら、颯さんに怒られちゃいますからね」
>「とにかく!これでボクも少しは戦えます、僅かな間でも姦姦蛇螺を食い止めることができるでしょう」
>「クロオさんは準備があるのでしょう?それなら、まずはボクが時間を稼ぎますので――では!」
そしてこう言うと、指笛を鳴らして見せた。
すると痣色に染められた雲から何かが飛んでくる。
それは三対の蝙蝠の翼を持った巨大な蛇で、手綱やら鞍やらがついている。
橘音はひらりとその蛇に跨ると、颯爽と空へ舞い上がり、アスタロトや姦姦蛇螺の元へと飛んでいく。
「なんか生き生きしてんなー、橘音のやつ」
性別自体は、迷い家で一緒の部屋で過ごしたこともある祈であるし、
以前からなんとなくそう思っていたから、それ程驚くことではない。
だが、それを隠さなくなったことには、驚くべきところがあると祈は思う。
己のかつての姿、あるい隠していた側面を晒してくれたこと。
そこには、祈達への確かな信頼が見える。仲間として絆が深まった証だろう。
隠し事が一つなくなったからか、
空飛ぶ蛇に跨って飛んでいく橘音の表情は、仮面越しでもどこか晴れ晴れとしたものを感じ、
祈はそれも嬉しく思う。
アスタロトの元に到達すると、橘音とアスタロトはと何事か言葉を交わしている。
時間稼ぎが始まったのだろう。
尾弐も酒呑童子を呼ぶための何らかの準備があるであろうし、
祈もその間に問題を一つ片付けておこうと思った。
173
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:32:12
祈は自分の足元を見る。
ピヨピヨピーピー鳴いている黒と白の鳥の雛が、祈の足元で元気に跳ね回っていた。
問題とは、妖力を失ってすっかり縮んでしまったこの二柱のことだ。
無力な状態になってしまった彼らをこのままにしておくわけにもいくまいと思ったのである。
祈は彼らを保護しようと、しゃがんで彼らに右手を伸ばした。
すると、ハルファスは無警戒だったが、
ハルファスに近付く祈の手を警戒してか、マルファスがハルファスの前に立ちふさがった。
祈は驚愕する。命以外の全てを奪われた筈のマルファスだが、
ハルファスが大事な双子の兄弟であることは、どういうことか理解しているらしい。
祈が伸ばした右手を、小さなくちばしで懸命につついてくるマルファス。
祈とマルファスの間には何倍ものサイズ差があるというのに、
立ち向かってくるその勇気は美しくすらあった。
「大丈夫。もう傷つけたりしないから、この手に乗りな。安全なとこに運んでやるよ」
そう言って、祈は差し出した右手のひらを上に向けて、
マルファスとハルファスが乗って来るのを待った。
マルファスはその後も何度か祈の手をくちばしでつついて反応を窺っていたが、
好奇心からなのか、祈の手の周りをうろちょろしていたハルファスが祈の手の上に乗ると、
マルファスもまた祈の手に乗った。
警戒させないように、落としたりしないように、祈はゆっくり手を持ち上げ、立ち上がる。
そしてピヨピヨと鳴く二人の悪魔を、茶室内の安全な場所へと移動させた。
これで少なくとも、無力な状態で外敵から狙われるようなことにはならないだろう。
二柱のそばに、スポーツバッグから取り出したおかきを砕いて置いておき、
ついでに物陰で制服からパーカーにショートパンツなどのいつもの私服に着替えると、
「あとで迎えに来てやるから、いい子で待ってんだぞ」
そう言って祈は窓を閉めて茶室から離れた。
姦姦蛇螺の方向を見遣ると、その上空では橘音率いる悪魔軍団と、
アスタロト率いる悪魔軍団が激しくぶつかり合っているところであった。
やがて橘音が戻って来、尾弐が橘音に何かを預けた。それを橘音は宝玉へと変えて身に着ける。
そして。
174
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:35:48
――酒呑童子が顕現する。
それは尾弐の真の姿なのか、それとも自らを依代に呼び出したのか。
なにはともあれ、鬼の頂点に君臨する酒呑童子は、姦姦蛇螺と対峙する。
邪悪で、姦姦蛇螺に匹敵する凶悪な妖気を振りまくその姿は、まさに鬼神。
ぶつかり合う両者。
姦姦蛇螺の巨大な尻尾が酒呑童子を襲うなどするが、しかし今は鬼神が上回った。
姦姦蛇螺は酒呑童子の猛攻によって横に倒されることになる。
>「今だ!」
轟音を響かせて倒れた姦姦蛇螺。上がる土煙。
其処へすかさず、橘音が白い魔法陣を生み出して姦姦蛇螺の動きを封じた。
>「祈ちゃん!ノエルさん!ポチさん!チャンスです、早く姦姦蛇螺の中へ!」
横倒しになった衝撃で、大口を開けた姦姦蛇螺。
姦姦蛇螺の、その洞窟のような口に飛び込むなら、今が最大のチャンスだろう。
「わかった、行ってくる!」
祈は頷くと、咄嗟の判断で左腕に深雪(ノエル)、
天羽々斬を持った右腕で、傷付けないようにポチを抱えた。
そのまま風火輪のウィールを回転させ、地面の上を滑走する。
突入にはポチの不在の術が必要で、三人一緒にいなければならない。
それに早く突入するならこれが良いと思ったのだ。
ウィールが地面とこすれて甲高い音を立てながら、徐々に加速する。
姦姦蛇螺の巨大な口が近づく。
「ポチ! “不在の術”お願い!」
そして口の直前までやって来ると、
祈はそのスピードを保ったまま地面を蹴って跳び、
横倒しになった姦姦蛇螺の口内へと三人で飛び込んだ。
侵入者を拒む姦姦蛇螺の長い舌を避け、噛み砕こうとする歯を躱して、
三人は姦姦蛇螺の喉の奥へと滑り込むことに成功する。
洞窟のような喉壁に着地し、風火輪で滑り落ちるように体内に入っていく。
外では姦姦蛇螺が立ち上がったのだろう、
洞窟のような喉は徐々に斜めになっていき、傾斜を滑り降りていたと思えば、
最終的に喉は完全に縦穴になり、三人は落下する形になる。
何メートルかの落下の後、薄暗いながらも穴の底が見え始めた。
「っと」
祈は風火輪に炎を灯し、浮力で落下の勢いを殺しながら緩やかに着地し、
二人を降ろした。
姦姦蛇螺の内部は、蛇の姿をした者の体内とは思えない程に
生物的な要素が感じられない場所であった。
ごつごつとした、岩や石のような質感の内壁。
天井高く、横幅も広い。まるでトンネルのような場所だと祈は思った。
まるで別の場所にでも迷い込んでしまったかのように錯覚するが、
姦姦蛇螺の体内に入ったのは間違いないのだろう。
薄暗いこのトンネルからは確かに、姦姦蛇螺が目覚めた時に放っていた、
あの毒々しい痣色の妖気が感じられるからだ。
しかし、この妖気。触れていてあまりいい気分ではないように祈には思える。
長居はしない方が良さそうだった。
「ごほっ……進もう」
僅かに咳き込みながら、祈はそう二人に呼びかけた。
175
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:38:40
祈は二人と共にトンネルの奥へと進む。
トンネルの中は薄暗いが、まったく見えないと言う程ではなく、
祈でも足を取られずに進むことができた。
恐らくこの痣色の妖気自体が淡く発光しているからだろうと思われた。
外では姦姦蛇螺と酒呑童子、そして橘音やアスタロトを交えた戦闘が開始されたのか、
ズズン、と微かに音が聞こえた。
だがトンネル内部には揺れはなく、それ以上の音は聞こえてこなかった。
姦姦蛇螺の内部は、外部とはほとんど隔絶された空間なのかもしれなかった。
トンネルは一本道で、奥へ奥へと道なりに進んでいくと、
突如、天井や壁、地面から、次々に黒い何かが染み出してくる。
警戒して祈が足を止めると、黒い何かは蛇のような形を取った。
一目に姦姦蛇螺の圏族か何かだろうと分かる。
蛇たちの体は太く、成人男性の脚かそれ以上はあると思われた。
長さは鹿やらの動物の胴を、軽く三周ほどはできてしまえそうである。
黒いニシキヘビのような外見は、
一度巻きつかれたら絞め殺すまで離して貰えないであろうという危険を感じさせる。
蛇たちは赤い目に敵意を光らせて、たわませた体を伸ばし、
大口を開けて一斉に襲い掛かって来る。
祈はそれを後方に跳躍することで躱しながら、
この蛇たちが、侵入者を撃退する白血球か、
あるいはここが胃腸に該当する場所であるとすれば、消化液か何かに該当するものであろうと推測する。
着地し、ここは天羽々斬を使う場面かと思い、右手に持った天羽々斬を見遣るが、
特に力を感じられない。
(まだその時じゃないってことか)
そう思った祈は、天羽々斬に頼らず応戦することにした。
飛び退いた祈を追ってきた蛇数体と、正面から睨みあう。
しかし数的有利を自覚している蛇たちは、徐々に祈との間を詰めてくる。
どれか一匹に気を取られれば、他のどれかに捕まる。
つまり纏めて倒してしまわなければならない。
とは言え、それは難しいことではない。
何故ならいま姦姦蛇螺に侵入したブリーチャーズには、深雪がいるのだ。
祈はシュートを決めようとするサッカー選手のように後方に右脚を伸ばす。
「せぇー、のっ!」
そして右脚の風火輪のウィールを回転させ、炎を纏わせると、
足先から切り離すように斜め前方へと右脚を振り切った。
火の粉を集めたような細い炎の刃が蛇たち目掛けて飛ぶ。
蛇たちは急遽接近する熱源を警戒し、飛び退く。
「もう一回!」
再び足を後方へ伸ばし、炎の刃を蛇たちに向けて飛ばす。
それを祈は何度か繰り返した。蛇たちはそのたびに、機敏に避けていく。
無駄撃ち、でたらめにも見える祈の攻撃。
だが気が付けば。
祈を追ってきた蛇たちは、深雪を狙っていた蛇たちと同じ場所に追い込まれている。
「じゃ、あとは深雪さんにお任せだな」
蛇は変温動物。寒さにはめっぽう弱い。
その前提があるからこそ、深雪は内部からの冷却作戦を提案していたのだ。
寒さと言えば雪。雪を操る妖怪と言えば雪女。その雪女の深雪がここにいる。
だからこそ、深雪の指先一つで、吹雪一つで片が付く。
深雪の攻撃により、深雪を狙っていた蛇だけでなく、
祈を追っていた蛇もそれに巻き込まれる形で同時に片づく。
どうやらポチの方も片付いたようである。
176
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:43:04
蛇の影を退けながら、一行が奥へと進んで行くと。
トンネルの終点。ただっぴろい場所に出た。食道から胃にでも出た感じだろうか。
あるのは花畑だった。
ただし、血のように赤々とした彼岸花が視界の端まで咲き乱れる、
不気味な花畑。
花畑の奥には、新宿御苑の禁足地で見かけたような祠堂。
その手前には十字架に似た磔台。そこに磔にされているのは。
オフホワイトのサマーニットにベージュのサブリナパンツを身に着けた、30代前後の女性。
「……母さんだ」
祈は呟く。磔にされ、目を閉じてぐったりとした母。
生きているのか死んでいるのかすら分からない。
だが、ここまでの間に“妖怪達の死体はなかった”。
姦姦蛇螺に咀嚼され、飲み込まれた妖怪達の死体があってもおかしくなかった筈だが、
道中その血の一滴もなく、香りすらも祈には感じられなかった。
栄養分として飲み込んだ物は全て消えたのだと考えれば、
そこに体があるだけで、生きている可能性は充分にあると考えられる。
母を磔台から救い出そうと、祈が一歩踏み出すと。
>ず。
>ずず。
>ずずず、ずるるる……ずず……。
巨大な物を引き摺るような音と共に、
祠堂から真っ黒な大蛇が現れ、祈は足を止める。
黒い影のような体。目は赤い蛇。そこだけ見れば先程の蛇と変わりはしない。
だが、そのサイズは先程の蛇の何倍になるであろう。
放つ妖気もまた圧倒的で、桁が違う。
ノエルやポチに匹敵するか、いや、上回っているとすら思える。
それがこの黒蛇を、姦姦蛇螺の『本体』とも言える何かであろうかと、祈に直感的に思わせた。
自身を鎮める生贄を取られまいと出てきたのだろうか、
黒蛇は所有権を主張するかのごとく
磔にされた颯に絡みつき、その赤い瞳で侵入者たちをねめつける。
舌をチロチロと出して周囲の気配を用心深く窺っているようだった。
動かぬ姦姦蛇螺に祈が一歩近づこうとすると、
>「ギシャアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
姦姦蛇螺は威嚇音を出し、大口を開けて飛びかかって来る。
それを祈が横に避けると、空を切った黒蛇の鋭い牙や巨体が当たった彼岸花が散って空中に舞う。
切られて散った彼岸花の破片。その断面からするに、黒蛇の牙の切れ味は相当に鋭いようである。
攻撃を仕掛けてきた黒蛇だが、すぐさま彼岸花畑の中に姿を消した。
あれほど大きく、捉えるのに苦労はしないと思えた巨体だが、
薄暗く視界が悪いことと、黒蛇の体自体が黒いこと、
そして背の高い彼岸花がこの場を埋め尽くしていることで、這いずる黒蛇の身体は隠れて、
意外にも目で追うことができなくなってしまう。
見失うと、いつの間にか背後や死角に回って再び飛びかかって来るのだった。
(こいつ、意外に狡賢いマネしやがる!)
再び向かれた黒蛇の牙を、祈は
黒蛇が地面を這う時に出す、かすかな音を察知して避けた。
そしてすれ違いざまに、横腹に蹴りを見舞おうと足を伸ばすが
黒蛇は霧散して祈の蹴りを避け、離れた場所で体を再生するのだった。
(――なんだ、こいつ……!?)
祈は離れた場所で再生した黒蛇を追い、再び蹴りを見舞おうとするが、
先程と同じように霧散するばかりで、祈の攻撃が当たることはない。
ノエルやポチの攻撃を受けても同様だった。
深雪の攻撃で凍えることもない。
ポチの攻撃、噛み付きや引っかきでも、目に見える効果はない。
まるで実体がないかのようだ。
だが逆に、黒蛇の鋭い牙や、尻尾を振り回すと言う攻撃はこちらに当たるのだ。
避けそこなった黒蛇の尻尾が祈のパーカーの腹を掠め、パーカーの一部が破れた。
こちらの攻撃は当たらないが、あちらの攻撃は当たる。
これではワンサイドゲームだ。
加えて、祈はこの空間にいるだけで消耗が激しく、長くは戦えない。
しかもターボババアから託された天羽々斬は、力の片鱗すら見せてくれやしないのだ。
そんな圧倒的なピンチだと言うのに。
「けほっ……あはは」
咳き込みながらも、祈は笑っていた。
咳には血が混じっており、口の端についた血を祈は手の甲で拭う。
また、消耗の為か軽くふらつきも覚える。
それでも尚、祈の口から笑みは消えない。
177
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/07/21(土) 22:59:07
>「ギイイイイイイイイ―――――――――――――――ッ!!!」
ふらつく祈を見て、それを隙と見た黒蛇は、
再び後方の、祈の死角から飛びかかって来る。
だが。
振り向きざまに祈は大蛇の顔面の横に、天羽々斬の刃を突き立てた。
「――ぅうううるあああああああッ!!」
そのまま祈が足を踏ん張り、腕を固定すれば。
刃は飛びかかって来る黒蛇の自重で勝手により深く沈み込み、
突き刺した顔面の横、左頬から体に掛けてを引き裂いていく。
黒蛇が持つ、自在に体を霧散させ再構築できる能力。
研ぎ澄まされた刃のような牙と、リーチを生かした強力な攻撃。
一方的に攻撃を仕掛けることができ、一見して無敵のようにすら思えても。
――“攻撃の瞬間は実体化していなければならない”。
それを逆手に取った、『カウンター』だった。
「ギアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!?」
反撃を受けたことに驚愕した黒蛇は咄嗟に体を霧散させるが、
離れた場所で再生した体にも、祈が与えた傷は残っている。
黒蛇は左頬から体に掛けてを浅く裂かれていた。
黒蛇は再び彼岸花畑へと身を隠した。
「負ける気がしねーな。へへ」
どんなピンチでも。
仲間と一緒だから。仲間と一緒に戦っているからだ。
自分を信頼して託してくれる仲間がいるから、自分を信じられる。
だから笑っていられる。
祈は天羽々斬に付いた紫色の血を、剣を振って払い、肩に担ぎ直した。
そして。
「こほっ……ねぇ、深雪さん。御幸……あー、“ノエル”! 御幸乃恵瑠いる? 男の方。
いるなら変わって欲しいんだ。ちょっと聞きたいことあってさ。
多分あいつならわかるんだよ。『この黒蛇が本体かどうか』」
周囲を警戒しながら祈は深雪に問うた。
祈はこの黒蛇が出てきた時になんとなく、
ここまでの蛇と違い強力な妖気を備えていることや、
祠堂から出てきたことなどから、状況証拠的にこの黒蛇が姦姦蛇螺の本体だと直感的に考えた。
だが、尾弐は言っていた。
『かつて会った姦姦蛇螺とはまさに天災のごとき存在であった』というようなことを。
祖父の晴朧もまた言っていた。姦姦蛇螺とは、
『大和民族によって生活圏を追われ、駆逐され、滅びた民の怨嗟、即ち恨みを原動力にしている存在』だと。
その聞いていた印象と、今相対している黒蛇の姿はあまりにかけ離れている。
たとえば人が強い恨みを抱いたなら、その恨みを晴らす一点に目を奪われる。
己が傷付くことなどお構いなしに力を振り回し、ヒステリックに相手を攻撃しようとするのも珍しくない。
平たく言えば、我を失うのだ。
だがこの黒蛇は、祈の攻撃を避けていた。
ノエルやポチなどが繰り出す強力な攻撃ならばともかく、
半妖に過ぎない祈の、取るに足らない一撃をも律儀に避け、
この地形を利用して死角から狙うなど、あまりに“冷静”だ。
そこから、この黒蛇が姦姦蛇螺の本体ではなく、
先程トンネルで出てきた蛇たちの強いバージョンに過ぎないのではと祈は考えたのだ。
実際のところ、妖気の面ではノエルやポチを圧倒しており、本体である可能性は高い。
それに、生贄として捧げられた颯がいることで恨みの感情が抑えられている為、
このように冷静に侵入者を排除しようとしている、というような可能性もある。
それなら、このまま全力で戦えばいいだけの話だ。
だが、もし。祈が思い込んでいるだけで、本体ではないとしたら。
この黒蛇を本体だと思い込んで力を使い過ぎれば、後の本体との戦いに差し支える。
そして時間を使い過ぎても、外で戦っている尾弐や橘音、そして、祈自身が保たない可能性が出てくる。
故に、確認しておきたかったのだ。
普段はノエリストとしておちゃらけているくせに、時折物凄く勘の働く、あの青年に。
祈の指先は、本人すらも自覚していないが、この場の妖気に侵されて痣色の斑点ができ始めている。
残されている時間は、少ない。
178
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:51:30
橘音は明らかにこの国のものではない術を行使し、マルファスとハルファスから妖気を抽出した。
それも少なくとも神聖なものではなく、世間一般で言うところの黒魔術といったイメージのものだ。
以前ポチを呼び出す時にふざけてこの手の呪文を唱えていたが、本当にこちらの系統の術の使い手だったらしい。
二柱が妖気を抽出され尽くした後には、小さな鴉と鳩の雛と、二つの宝玉が残されていた。
《か……可愛いっ……!》
ピヨピヨ鳴いている雛に思わず胸キュンするノエルだったが、橘音にとって重要なのは宝玉の方のようだ。
>「本当は、誰にも見せないつもりでした。ボクの素性と共に、永遠に黙っているつもりだった――」
>「けれども。もう皆さんにはバレてしまったことですし、隠していても仕方ない。ならば……今こそお目に掛けましょう!」
>「この那須野橘音、一世一代の大変身!」
おそらく抽出した妖気を利用するのだろう、等と思っていると、橘音は宝玉を噛み砕いた。
抽出する時はハイテクな魔術を使った割に取り込む方は妙に原始的である。
《そんなアナログな方法で大丈夫!?》
>「ぅ……ぐ……がああッ!は……ぁ、ぐぅぁ……!!」
《言わんこっちゃない! 狐だからって何でもかんでも口に入れちゃ駄目! 掃除機! 誰か掃除機持ってきて!》
(それは餅を喉につまらせた時の対処法であろう!)
脳内一人会話をしつつ、膨大な妖気の渦の中で悶え苦しむ橘音を無言で見守る。
永劫とも思える僅かの時間の後に、橘音は狐耳狐尻尾の悪魔っ娘となった。
>「ぶっつけ本番でしたが、うまく行きましたね……。さすがマルファスさんとハルファスさんの妖気です、純度が段違いだ」
>「アハハ……ビックリさせちゃって申し訳ありません。ボクですよボク、橘音です」
「貴様、女だったのか……!」
一応様式美としてお約束の台詞を言いつつ、胸の谷間(谷間が出来る程ある!)をガン見しながらファッションチェックを敢行する深雪。
「な、な、なんと怪しからん服装をしておるのだ……! そんな良い物は我と尾弐殿以外には見せてはならぬ!
祈殿とポチ殿には刺激が強すぎるからな!
あと耳と角と翼と尻尾が全部あるのは盛り過ぎだろう! だがそれが良い!」
179
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:53:10
そんな事より最も重大な点は悪魔の姿になった、というところなのだが、深雪のツッコミどころがずれているのはいつものことだ。
祈やポチも、橘音の正体が悪魔だったと分かったところで橘音に対しての感情が変わることはないだろう。
しかし尾弐はどうだろうか。彼は意固地なまでに妖壊を憎むことを徹底してきたはずだ。
……少なくともほんの先刻までは。
そこでノエルはあまりにもいつも通りで取り立てて気に留めていなかった尾弐の言葉を思い出す。
>『あいよ。了解だ大将……あと、そこの疑似ノエル。お前さんはちっとは思考を辛気臭くしとけ。
言っとくが見た目が女だろうとノエルな時点で、行動への情状酌量はねぇからな』
>『かくあれかし。小さいモノが巨人を打ち倒す逸話に則った対策って訳か……。よし二度目だ。せっかくだから色男にゃ
飯を奢ってやらねぇとな。日頃の感謝を籠めて煮え滾った四川風麻辣火鍋を大匙で手ずから口に運んでやるよ』
《あ……ナチュラル過ぎて気付かなかった……》
(ようやく気付いたか? 我としてはそなたと一緒にされるのは心外だが仕方あるまい)
尾弐はノエルの過去を聞かなかったことにし、深雪は見知らぬ美女扱いすることでギリギリの妥協点を見出していたはず。
しかし先程は、深雪の扱いが完全にノエルに対するそれであった。
きっと橘音はそれを見て確信したのだ――正体を明かしても大丈夫だと。
その変化の引き金を引いたのは、祈の全ての者を――たとえ悪い奴だって救いたいという言葉なのかもしれない。
何故なら二人は酒呑童子とアスタロト――どう足掻いても悪鬼と悪魔なのだ。
(全く、とんでもない怪物揃いだが……一番の怪物は祈殿なのかもしれぬな)
橘音が男装して性別不詳にしていたのも、正体を隠すためだったとのこと。
悪魔アスタロト自体は取り立てて女悪魔というイメージは無いが、
その源流と言われるアスタルテが女神であることに由来するのかもしれない。
《でもさ、正体隠したいならわざわざ思わせぶりな態度取らずに男ですって言えばよくない?》
(正体は隠したいけど大好きな尾弐殿に”実は女の子かもしれない!”と攻略対象に入れてほしいという妥協点だったのではないか?)
《何その乙女すぎる理由!》
悪魔っ娘橘音は、有翼蛇を駆って華麗に空を舞い姦姦蛇螺と学生服アスタロトを翻弄する。
>「なんか生き生きしてんなー、橘音のやつ」
《ボクっ娘男装ヒロインだと……!? 妾と属性が被るではないか、これは由々しき事態!》
(何一つ被ってないから安心するがよいぞ)
180
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:54:54
雛と化したマルファスとハルファスを避難させた祈を見て、歩み寄りつつ声をかける深雪。
「安心するがよい、そやつらは毎日変態にモフモフされる生き地獄に放り込んでやろうぞ!」
特に行き場が無ければなし崩し的にSnowWhiteに引き取られることになるのだろうが、
変態の城だし先客に猫がいる気がするし色んな意味で安心できないのであった。
「そんな事より自分の心配をするのだな。今のうちに我の冷気で凍えぬよう加護をかけておいてやろう」
深雪はおもむろに跪いて祈の手を取り、手の甲にそっと口付けた。
雪の女王に記述された、寒さが平気になる加護あるいは呪詛だ。
《わ―――――!軽々しくそんなことやったら駄目! ……じゃなくて! それって呪詛の類だよね!?》
(加護を与える手順のことをまじないと言ったりするだろう? 漢字で書くと呪い(のろい)――両者は本質的に同じものだ。
人間が勝手なイメージで切り分けておるだけのことよ!)
そして狙いはもう一つあった。
呪詛はより上位の呪詛に弾かれる――姦姦蛇螺にピンポイントで呪いをかけられたら流石に無理だろうが、
体内に蔓延する瘴気程度なら影響を軽減することができるかもしれない。
一方、橘音は悪魔軍団を召喚し時間稼ぎをしている隙に、尾弐から酒呑童子の心臓を預かって宝珠に変えて身に着けた。
そしてついに顕現した酒呑童子と姦姦蛇螺が激突する。
酒呑童子の猛攻を受け横転した姦姦蛇螺に、橘音が拘束の術をかける。
>「今だ!」
>「祈ちゃん!ノエルさん!ポチさん!チャンスです、早く姦姦蛇螺の中へ!」
>「わかった、行ってくる!」
不在の術はポチの十八番で、深雪もその気になれば使えるが、祈に効果を及ぼすには接した状態で突入する必要がある。
それにスピードは速いに越したことはないということで、風火輪を履いた祈が他の二人を両側に抱えて滑空して突入する。
この陣形には、突入中に何らかの攻撃が来ても祈には攻撃が及びにくいという意味もある。
無事に口を突破し、しばらく滑り落ちて着地すると、そこは生物の内部とは思えない洞窟のような場所だった。
壁は岩のような無機的な質感で、これでは当初予定していた内部からの冷却作戦があまり効きそうにない。
>「ごほっ……進もう」
「獣《ベート》殿――祈殿を背に乗せてやることはできるか?」
そうしてしばらく進んでいくと、地面から湧いていた無数の蛇の形をした黒い影が立ちはだかる。
181
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:55:54
「一網打尽にしてやろう――我々に任せてじっとしておるがよい!」
切り札の剣を持つ祈に道中の雑魚で体力を消耗させてはいけない。
そう思ってのことなのだが、もちろんじっとしている祈ではない。
見事に蛇達を深雪の攻撃の射程内に集めた。
「エターナルフォースブリザード!」
――相手は死ぬ。
こうして影を退けながら進んでいくと突然視界が開け、彼岸花畑に出た。
奥に禁足地にあったのとよく似た祠堂があり、十字架に祈によく似た女性――多甫颯が磔にされている。
遠目では生死は判然としないが、今しがた食われた妖怪達は欠片すら見当たらないのに
十数年も前に食われた者が五体満足のままで存在しているという時点で、生きている可能性は高いだろう。
いかにもボス的な雰囲気で、祠堂の中から真っ黒な大蛇の影が登場する。
おそらく本体と見て間違いないだろう。だというのに、祈の持つ剣は未だ反応を見せない。
「我らがチャンスを作るまで下がっておれ――といっても聞かぬか」
>「ギシャアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
黒蛇の影に近付こうとした祈に襲い掛かってきたのを皮切りに、戦闘は始まった。
「――凍り付け!」
絶対零度の冷気が黒蛇を襲うが、特段ひるむようすもない。
同じように実体が無かったはずの道中のモブ達には攻撃がそこそこ通用していたのに、
流石親玉というべきか、ポチの牙も深雪の凍結妖術も通用しないようだ。
大きくふらついた祈に、黒蛇の影は背後から襲い掛かる。
>「ギイイイイイイイイ―――――――――――――――ッ!!!」
「祈殿!」
>「――ぅうううるあああああああッ!!」
しかし祈は、振り向きざまに天羽々斬の刃を突き立てることに成功する。
敢えて大げさにふらついて見せて相手の攻撃を誘い、カウンターを仕掛けたということだろう。
>「負ける気がしねーな。へへ」
「全く……笑いごとではなかろう。脆弱な半端者が自ら囮になろうとするでない。
勘違いするな、切り札を持つそなたが倒れれば我ら全員姦姦蛇螺の餌なのだからな!」
ともあれ、攻撃の瞬間は実体化するのでこちらの攻撃も通用することが明らかになった。
深雪が囮となりポチがフェイントをかけ祈が本命の攻撃という形がいいか等と考えていたところ、唐突に祈が意外なことを言い出した。
182
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:57:11
>「こほっ……ねぇ、深雪さん。御幸……あー、“ノエル”! 御幸乃恵瑠いる? 男の方。
いるなら変わって欲しいんだ。」
「それは賛成できぬ。戦闘においてはあやつより我の方が千倍頼りになるぞ。
あれは我を封印し人間界で平和に暮らすための姿――我に言わせれば牙を抜かれた腑抜けよ!」
>「ちょっと聞きたいことあってさ。多分あいつならわかるんだよ。『この黒蛇が本体かどうか』」
(――と言っておるが……分かるのか?)
《本体は本体なんだろうけど……》
祈が黒蛇が本当に本体かどうか疑っているのを受けて、ノエルも違和感を覚え始める。
姦姦蛇螺の本来の名とされるミシャグジは白蛇の姿をしているというが、今目の前にいるのは黒蛇だ。
そもそも神代の蛇神としての属性にばかり目が行きがちだが、都市伝説における姦姦蛇螺とは――巫女と蛇神の融合体。
というよりむしろ、蛇神と懸命に戦ったにも拘わらず勝ち目がないと見た村人に裏切られ強制的に生贄とされた哀しき巫女こそがその本質。
蛇神に食われたはずの巫女が怨念のあまり逆に蛇神を乗っ取った、という話ではなかっただろうか。
ではその”巫女”の属性はどこにいったのだろうか。
普通に考えれば姦姦蛇螺の上半身となっていた颯が巫女にあたるのだろうが、
彼女は決して強要されたわけではなく自ら望んで姦姦蛇螺封印の礎となったのだ。
今なお蛇神を抑えていてくれる可能性はあれど怨念のあまり主導権を乗っ取り自ら破壊活動を行うなどあるはずがない。
その上、都市伝説上の”巫女”は上半身しかないとされるが、今目の前にいる颯は見た限り五体満足だ。
つまり颯は都市伝説上の“巫女”と似ているようで全く違うのだ。
となれば、“巫女”にあたる者が別に存在する可能性があるのではないか。
遥か昔に姦姦蛇螺が暴れた時にどうやって封印したかをポチに聞かれた富嶽は、
“膨大な犠牲の上にようよう封印に成功した”とだけ言って、詳細を語らなかった。
あるいはその時の戦いこそが都市伝説中の蛇神との戦いの一節の原型だったとしたら――
その時富嶽達が戦ったのが純粋な蛇神のミシャグジで、それを封印する時に
”巫女”にあたる者――又は者達が犠牲となり”姦姦蛇螺”なる存在が誕生したのかもしれない。
183
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/07/24(火) 22:58:54
《……変わって! 試してみたいことがある!》
(仕方がない、祈殿に免じて変わってやろう)
謎エフェクトと共に深雪はノエルの姿になった。
ちなみに今日は魔法少女風の和ロリ服を着ていたはずだが、服も一緒にいい感じに同じモチーフの男物に変わっている。
画像処理で放送事故を回避したのかもしれない。
「あいつ、まだ正体を現していないのかもしれない……!
気を付けて! もしも僕の思った通りなら……正体を暴いたら憎しみのままに襲ってくるかも!」
手で宙に円を描き作り出すは、一点の曇りもない氷の鏡――氷面鏡。
古今東西、鏡に真実の姿が映ってしまうというエピソードは枚挙にいとまがない。
何故わざわざ深雪に引っ込んでもらって出てきたかというと、深雪や乃恵瑠では妖力が大きすぎるため、
鏡になるほど完璧な氷面を作り出す精緻なコントロールが出来ないのだ。
「さぁ、正体を現せ――!!」
生成した鏡を黒蛇に向けその姿を映してみる。
もしもノエルの推測が当たっていれば、太古の蛇神の祟り神としての属性を利用し
怨念のままに破壊の限りを尽くしてきた”巫女”が姿を表すかもしれない。
184
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/31(火) 22:20:31
マルファスが暴れる。
抑え込まれた状態からなんとか脱しようとがむしゃらに藻掻く。だが、叶わない。
『獣(ベート)』の力と日々の鍛錬によって発揮されるポチの腕力は、マルファスの上体を完全に制圧していた。
だが、このまま暴れ続けられては――狼の持久力を前には全く無駄な足掻きだが、面倒だ。
時間が勿体無い。そう判断したポチは、マルファスを見下ろすのをやめて――ハルファスへと視線を移した。
お互い獣の姿を持つ者同士。視線と、呼吸、それだけで意図は伝わる。
説得は不要だった。マルファスは嘴を噛み締めながらも、大人しくなった。
>「さて。マルファスさん、ハルファスさん……お久しぶりですね」
それからすぐに橘音が歩み寄ってきて、二柱を見下ろす。
>「あちらのボクのボディガードとして、ここに現れたのが運の尽きってヤツです。ま、ボクらにとってもオババの登場は予想外でしたが」
「せっかく来たんだ。ボクの役に立ってもらいますよ……甘んじて受けてください、虜囚の辱めってヤツを……ね」
「なに、約束は守ります。祈ちゃんの言った通り……命を奪いはしない。ただ――」
「命以外のすべてを。ボクに下さい」
直後、ハルファスとマルファスを中心にして魔法陣が地面に浮かび上がる。
>「皆さん、危ないですから離れてください。――始めますよ」
ポチがその場を飛び退くと同時、橘音が呪文を唱え始めた。
幾度となく黒い雷が閃き、そして――
>「サバオト アドナイ!我は欲す、すべてを汲み上げ――我が力と成さん、アーメン!」
橘音が詠唱を終えると同時、一際激しい稲妻が迸った。
魔法陣は消え去り――そしてそこにはハルファス、マルファスの姿もなかった。
代わりにあったのは白黒二つの宝石と、小さな雛が二匹。
橘音はその二つの宝石を咥えると、すぐさま噛み砕いた。
砕けた宝石から妖気が溢れ、霧のように橘音の全身を包み込む。
>「ぅ……ぐ……がああッ!は……ぁ、ぐぅぁ……!!」
苦悶の声が霧の奥から聞こえてくる。
ポチに出来る事は――ただ待っている事だけだった。
そして――妖気の霧が晴れる。
>「……は……」
そこには、少女がいた。
巨大な山羊の角に蝙蝠の翼、悪魔めいた容貌の少女が。
>「ぶっつけ本番でしたが、うまく行きましたね……。さすがマルファスさんとハルファスさんの妖気です、純度が段違いだ」
「アハハ……ビックリさせちゃって申し訳ありません。ボクですよボク、橘音です」
「まぁ……びっくりと言えば、びっくりだよね。
橘音ちゃんが橘音ちゃんなのは、においも変わってないしすぐ分かったけどさ」
>「な、な、なんと怪しからん服装をしておるのだ……! そんな良い物は我と尾弐殿以外には見せてはならぬ!
祈殿とポチ殿には刺激が強すぎるからな!
あと耳と角と翼と尻尾が全部あるのは盛り過ぎだろう! だがそれが良い!」
「……うん、そこだよね。その……マントとかは、もう着ないの?」
ポチは目を逸らして、歯切れ悪くそう言った。
実際のところポチは送り狼だ。
ポチにとっての「そういう事」のアピールは距離感や振る舞い、においであって、露出の多寡ではない。
とは言え――それでも、深雪が言っている事の意味は分かる。
ポチにとって橘音とは、今まで短くない時間を共にしてきた、群れの一員。家族に等しい存在。
その彼女の「怪しからん服装」を間近で見るのは――
なんとも、気まずいと言うか、据わりが悪いと言うか、形容しがたい気持ちにさせられた。
>「――これが、ボクの本当の姿。いや……それもちょっと違うかな。ボクが『天魔アスタロト』だった頃の姿……と言うべきでしょうか」
「ま、その辺の事情は姦姦蛇螺をどうにかした後でご説明しますよ。ボクも皆さんにお話しする覚悟が出来ました」
「うん……橘音ちゃんが話したいなら、僕はそれを聞くだけだよ」
>「この期に及んで秘密はナシだ。今出し惜しみなんてしたら、颯さんに怒られちゃいますからね」
「とにかく!これでボクも少しは戦えます、僅かな間でも姦姦蛇螺を食い止めることができるでしょう」
「クロオさんは準備があるのでしょう?それなら、まずはボクが時間を稼ぎますので――では!」
「少しは出し惜しみして欲しい気もするけどね。特に……ねえ、尾弐っち?」
橘音が呼び出した有翼蛇に騎乗し飛び立っていった後で、ポチは小さく呟いた。
>「なんか生き生きしてんなー、橘音のやつ」
言いようのない気まずさを味わっているポチとは裏腹に、祈の感想はあっさりとしたものだった。
185
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/31(火) 22:25:34
「……何言ってんのさ祈ちゃん。君のおかげでしょ。今回も、ね」
祈はきっとそれを認めようとはしないだろう。
ほんの少し前、彼女が心を挫かれて、ポチが彼女の家を訪ねた時。
あの時もポチは言った。今の自分がいるのは君のおかげだと。
だが彼女はその言葉を受け入れなかった。
それが祈の性分なのだろう。
それでも――だからと言って最初から何も言わないのは、何か違う。
だからポチは、きっと否定されると思いつつも、今回も同じ事を言った。
さておき――上空では橘音とアスタロトが対峙し、戦闘を繰り広げている。
姦姦蛇螺の体内へ突入するタイミングは、橘音が上手く作り出してくれるはず。
暫し発生した、待機時間。
マルファスとの戦闘は負傷もなく、体力も殆ど使わずに済んだが――ポチは大きく深呼吸をする。
勝算はある。だが姦姦蛇螺は巨大で、膨大な力を持っている。
一歩間違えば全てが御破算になる。それだけならばまだ、いい。
祈を連れて体内に侵入するという事は――脱出の難易度が跳ね上がるという事だ。
失敗は出来ない。否が応でも緊張の糸がポチの中で張り詰める。
そんな中で祈は――何やら、しゃがみ込んでいた。
「……祈ちゃん?」
>「大丈夫。もう傷つけたりしないから、この手に乗りな。安全なとこに運んでやるよ」
「あとで迎えに来てやるから、いい子で待ってんだぞ」
一体どうしたのかと思えば、彼女は力の全てを奪われたハルファス、マルファスを保護していた。
今から命がけの作戦に臨もうという時に。
ポチは尊敬と呆れが綯い交ぜになったような感情を抱いて――気づけば、緊張はどこかへと消え去っていた。
「……祈ちゃん、ノエっち。多分、そろそろだよ」
天魔の力を思う存分に振るう橘音。
酒呑童子――仲間だと分かっていても総毛立つ、悍ましい力を解き放った尾弐。
二人の力は、少なくとも今この瞬間、アスタロトと姦姦蛇螺を上回っている。
そして――酒呑童子に力負けした姦姦蛇螺が、横倒しになった。
>「今だ!」
間髪入れず、橘音が妖術をもって姦姦蛇螺の動きを制する。
>「祈ちゃん!ノエルさん!ポチさん!チャンスです、早く姦姦蛇螺の中へ!」
>「わかった、行ってくる!」
「うん!任せとい……て?」
地を蹴り駆け出そうとしたポチは、しかし体に違和感を感じた。
地に足がつかない。祈に抱き上げられているのだ。
「え、ちょ……え?祈ちゃ……うわっ!」
一体何を、と問う暇もなく祈は風火輪に火を入れる。
途轍もない加速度がポチを包み、紡ぎかけていた言葉は中断される。
そうして次の瞬間には、祈と、彼女に抱えられたノエルとポチは姦姦蛇螺の眼の前にいた。
>「ポチ! “不在の術”お願い!」
「っ……ああもう!起きろ『獣(ベート)』!」
ポチの全身から闇色の妖気が溢れ返る。
『獣』の力によって広がる送り狼の縄張り。
すなわち『人の存在など掻き消えてしまう夜の闇』。
瞬間的に形成された、ある種の結界。その中に祈とノエルが飲み込まれる。
直後、姦姦蛇螺の大口が閉ざされ――しかしポチ達は、無事に姦姦蛇螺の体内にいた。
「はぁ……次は、やる前に相談してくれると嬉しいな。
そしたらちゃんと、やだなぁって答えるからさ」
食道の中を下りていきながら、ポチは溜息混じりにそうぼやいた。
ともあれ一行はそのまま、姦姦蛇螺の体内奥深くへと滑り落ちていく。
186
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/31(火) 22:26:15
>「っと」
姦姦蛇螺の内部は洞窟然とした様相だった。
生き物の体内とはまるで思えない――異界のように感じられる。
だが周囲に満ちた妖気は、確かにここが姦姦蛇螺の体内である事を示している。
>「ごほっ……進もう」
>「獣《ベート》殿――祈殿を背に乗せてやることはできるか?」
「ちょっと待ってね……うん、いいよ」
変化を用いて体を膨張させてから、ポチはその場に伏せて背中を差し出した。
「多分、結構揺れちゃうから……しっかりしがみついといてね」
一行が奥へと進んでいくと、程なくして周囲に異変が起きた。
内壁の随所から墨のように滲み出る無数の影。
影はうねり、蠢きながら、蛇の姿を取った。
恐らくはただの人間や、並大抵の妖怪なら容易く縊り殺せてしまうであろう、巨大な蛇だ。
>「一網打尽にしてやろう――我々に任せてじっとしておるがよい!」
「うん、お願い。さっさとやっちゃって」
見れば、祈は風火輪を用いて蛇を一箇所に集めているようだった。
彼女の狙いはポチにもすぐに理解出来た。
「それじゃ僕は……どうしよっかなぁ。自分よりちっちゃい奴を相手にするのって、結構難しいんだよね」
ポチは溜息を零しつつ蛇怪の群れを見遣る。
そして――何の工夫もなく、その内の一匹に飛びかかった。
そのまま右手で無造作に眼前の蛇の首を掴み、口を開き――頭部を丸ごと齧り取り、吐き捨てる。
未だ暴れている、だが既に脅威ではない首なしの蛇を放り捨て、次の一匹へ。
それを一匹ずつ、ひたすらに素早く、どこまでも正確に、繰り返す。
>「エターナルフォースブリザード!」
「もしかして、もう終わった?ちょっと待ってね、こっちももう終わるから……うええ、まっずいなぁ」
そうして殆ど足止めを食う事もなく、一行は更に奥へと進んでいく。
ふと、ポチの足が止まる。前方の様子が変わったのだ。
無機質で閉ざされた洞窟から、真っ赤な彼岸花の咲き乱れる花畑へと。
奥には、姦姦蛇螺が封じられていたものによく似た、祠堂が見えた。
その手前には、十字架を模した磔台。
貼り付けにされているのは――
>「……母さんだ」
ポチが静かに鼻を鳴らす。
少なくとも、死臭はしない。
だがそれを言葉にはしなかった。
陰陽寮、芦屋易子の秘密の地下室で起きた事を、ポチは思い出す。
五体満足な肉体があって、心臓が動いていてもなお、あそこにいたのは安倍晴陽ではなかった。
ならばあの、祈の母だって――湧き出る不安を、頭を振って払いのける。
「……行こう」
ポチに言われるまでもなく、既に祈は一歩前へと踏み出していた。
瞬間――ポチの全身の毛が逆立った。
背筋が凍るほどの妖気の漏出。
それと共に、一行を阻むように姿を現したのは、禍々しい気配を纏った大蛇の影。
>「ギシャアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」
>「――凍り付け!」
襲い来る大蛇を迎え撃つように深雪が冷気を放つ。
だが大蛇は怯まない。まるで通じていないように見える。
そうなる事を予想していた訳ではないが、ポチは既に動き出し、次の手を打っていた。
大蛇の長大な胴体、その半ばほどに狙いを付けて、爪で斬りかかる。
生物の姿を模している以上、負傷には出血や妖気の漏出が伴うはず。
まずは体のどこにでもいいから傷を付ける。
姦姦蛇螺の妖気に満たされたこの異界の中、
戦闘に時間をかける訳にはいかないが、真っ向勝負で速攻を決められる相手ではない。
そして――振り下ろしたポチの爪が、虚空を裂いた。
187
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/07/31(火) 22:26:37
「なっ……」
避けられたはずはない。
狼の持つ狩りの感性は、確かに大蛇の行動の支点を見抜き、そこを突いていた。
にも関わらず、爪は外れた。すり抜けたのだ。
不在の妖術とはまた違う――そこにいると分かっていながら、手が届かない。
姦姦蛇螺は祟り神。妖怪とは一線を画する存在。
その力の片鱗か。
このままでは一方的な攻撃に晒される事になる。
どうするべきか――生じた、僅かな惑い。それが隙となった。
祈が咳き込み、よろめく。
その事に気づくのが、一瞬、遅れた。
>「ギイイイイイイイイ―――――――――――――――ッ!!!」
大蛇が祈へと飛びかかる。
「しまっ……」
咄嗟に切り落とそうと爪を振り回す。
だがやはり当たらない。すり抜ける。
「祈ちゃん!」
庇いに入ろうにも、完全に後手を取ってしまった。
間に合わない。
ポチに出来る事はもう、彼女の名を叫ぶ事くらいだった。
そして――
>「――ぅうううるあああああああッ!!」
>「ギアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!?」
祈の剣が、大蛇の顔面を捉えた。
天羽々斬の力か――いや、違う。
彼女は大蛇が攻撃の為に実体化する瞬間を狙ったのだ。
>「負ける気がしねーな。へへ」
>「全く……笑いごとではなかろう。脆弱な半端者が自ら囮になろうとするでない。
勘違いするな、切り札を持つそなたが倒れれば我ら全員姦姦蛇螺の餌なのだからな!」
「さっきのアレと言い……心臓に悪いよ、もう」
だが、攻撃を通す方法は分かった。
カウンター中心の戦法になるなら、狼の持久力が役に立つ。
ポチはそう考えたが――
>「こほっ……ねぇ、深雪さん。御幸……あー、“ノエル”! 御幸乃恵瑠いる? 男の方。
いるなら変わって欲しいんだ。」
祈には、また別の策があるようだった。
>「それは賛成できぬ。戦闘においてはあやつより我の方が千倍頼りになるぞ。
あれは我を封印し人間界で平和に暮らすための姿――我に言わせれば牙を抜かれた腑抜けよ!」
>「ちょっと聞きたいことあってさ。多分あいつならわかるんだよ。『この黒蛇が本体かどうか』」
深雪が反対するも祈は退かない。
この黒蛇が姦姦蛇螺本体かどうか――それは確かに、未だに確証のない事だった。
>「あいつ、まだ正体を現していないのかもしれない……!
気を付けて! もしも僕の思った通りなら……正体を暴いたら憎しみのままに襲ってくるかも!」
>「さぁ、正体を現せ――!!」
ノエルには、その正体を暴く算段があるようだった。
だがポチは考える。
もしもこの大蛇が姦姦蛇螺の本体でないのなら。
あるいはまだ更なる力を隠し持っているのなら。
それをまともに受け止めるのは、危ういのではないか。
三人では勝てるかも分からない。
もし勝てても時間がかかりすぎるのではないか、と。
「……僕も、ちょっと試してみてもいいかな」
あの大蛇の正体が本体であろうがなかろうが、一つ分かっている事がある。
祈が自分の母に歩み寄ろうとした瞬間、大蛇は姿を現した。
ならば姦姦蛇螺にとって、楓の肉体は奪われてはならない物。
それだけは、間違いない事実。
今のポチの膂力なら、楓を磔にしている拘束具がなんであれ、引き剥がせる見込みはある。
もしそれが叶わなくとも――
「まっ、少なくともいい囮にはなるよ」
188
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/04(土) 23:54:51
>「ならば。彼女の夢を叶えるために出来る限りのことをするのが、ボクたちの役目です」
>「アナタのために。祈ちゃんのために。大切な仲間たちのために……一肌脱ぐと致しましょう!」
>「この名探偵――那須野橘音にお任せあれ!」
尾弐自身でさえ確証の無い頼み。
それを、那須野橘音は聞き入れ、受諾した。
長い時を共に過ごした共犯者の物わかりの良さに、尾弐は一瞬目を見開き、そして直ぐに表情を苦笑へと変える。
「全く……昔からお前さんにはいつも無理ばかりさせちまってるなぁ。悪い、埋め合わせはするからよ。そうだな、この戦いが終わったら―――俺の奢りで、何か美味いもんでも食いに行くか」
そうして、先程までの悲壮感を感じさせない軽口を叩きつつ、マルファスとハルファスへの対策に向かった那須野の背を見送った。
彼の悪魔たちの対策については、尾弐はまるで心配していない。
先の明王連での事件と異なり、この場には那須野と、ノエルと、ポチと、祈。東京ブリーチャーズの面々が揃っている。
ならば負ける筈が無いと、そう考えているからだ。
事実。それから僅かな時間の内に、皆はハルファスとマルファスを無力化して見せた。
二柱の悪魔は、決して弱くなかった。むしろ、大概の妖怪と比すれば強者に位置する強さを持っていた。
だが、それよりも……尾弐の仲間たちは強かった。強くなったのだ。
その結果を。願いではなく、予想していた結末を。尾弐は満足げに小さく頷いて確認する。
……だが、尾弐が予測できた自体はここまで。そこから先は……尾弐にとってもあまりに想定外であった。
>「本当は、誰にも見せないつもりでした。ボクの素性と共に、永遠に黙っているつもりだった――」
>「けれども。もう皆さんにはバレてしまったことですし、隠していても仕方ない。ならば……今こそお目に掛けましょう!」
>「この那須野橘音、一世一代の大変身!」
>「アハハ……ビックリさせちゃって申し訳ありません。ボクですよボク、橘音です」
>「――これが、ボクの本当の姿。いや……それもちょっと違うかな。ボクが『天魔アスタロト』だった頃の姿……と言うべきでしょうか」
ハルファスとマルファスの力を用いた那須野橘音の――――天魔アスタロトとしての顕現。
この様な隠し玉を持っている事は、尾弐も想定していなかった。
見ただけでも判る、強大な力……確かに、那須野の言葉の通り。これなら、神格相手とはいえ時間を稼ぐに充分だろう。
189
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/04(土) 23:55:20
>「な、な、なんと怪しからん服装をしておるのだ……! そんな良い物は我と尾弐殿以外には見せてはならぬ!
>祈殿とポチ殿には刺激が強すぎるからな!
>あと耳と角と翼と尻尾が全部あるのは盛り過ぎだろう! だがそれが良い!」
>「……うん、そこだよね。その……マントとかは、もう着ないの?」
最も、尾弐の仲間達の驚き所はそこでは無く、性別不詳の那須野が女性の形を取った事である様だ。
異形へと変じた事よりも、容姿の変化を気に留める辺り……那須野も尾弐も、本当に周囲の者達に恵まれている。
とはいえ……那須野の容姿について、何故か自身へと向けられた視線と言葉には思う所があったらしい。
「ったく……お前さん等、今更、大将の性別で騒ぎなさんな。そもそも、那須野は化かしのプロだ。見た目で判断するなんざ徒労だろうがよ」
苦虫を噛むような表情でそう言う尾弐……その表情から察するに、恐らくは出会った当初、性別周りで色々と徒労を味わったのであろう。
>「少しは出し惜しみして欲しい気もするけどね。特に……ねえ、尾弐っち?」
「オジサンをからかうんじゃねぇよ、ポチ助……まあ、否定はしねぇがな」
とはいえ、からかう様なポチの言葉に対し、眉を潜めつつ頬を掻いてそう言う辺り、尾弐なりに思う所はあるらしい。
>「なんか生き生きしてんなー、橘音のやつ」
「祈の嬢ちゃん達のお陰で、抱えた荷物の一つを下ろせたからな……ほら、そろそろ準備しとけ。時間はねぇぞ」
さて……那須野橘音は己の役目を果たしている。
であれば、尾弐が行うべきは自身の仕事。大言壮語を述べた以上は、必ずやり遂げなければならない。
「さーて、神も悪魔も照覧有れ。テメェらが見たくもねぇ化物のお出ましだ」
祈達から距離を取った尾弐は、そう言うと……自身の左手首の頸動脈を『噛み千切った』。
見る間に血が溢れ出すが、気に留める様子も無く、尾弐はまるで刀に付いた血を払う様に左腕を振るう。
すると、血液は勢いのままにびしゃりと音を立てて地面を濡らした……尾弐の周囲に、円を描く様に。
(穢れの結界。これで、血線から内は……悪鬼羅刹の世界だ。多少の無茶をしようと、外への影響は減らせる、筈だ)
尾弐の血液で描かれた円の内側には、立ち上る様に黒い瘴気が上り、それは徐々に尾弐の姿を隠していく。
やがて、尾弐の側からも外が見えなくなる程に瘴気が立ち込めたのを確認した尾弐は
――――自身の右手で手刀を作り、自身の胸へと、突き刺した。
190
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/04(土) 23:55:42
「ぐ、うっ…………」
自身で自身の内臓を弄る、狂気の沙汰。
傷口からはどくどくと血があふれ、地面を濡らし、結界内の瘴気を更に濃くしていく。
焼ける様な激痛と、内臓を異物が這いまわる悍ましい感覚。人間であれば発狂してしまう痛みを、尾弐は歯を食いしばり、絶叫する事もせず耐える。
やがて……臓腑を探る手が目的の物を探り出す。
ドクンドクンと脈打つそれは――――尾弐自身の心臓。
那須野橘音は、尾弐黒雄が酒呑童子の心臓を持っている事を知らなかった。
では、どのようにして尾弐黒雄は彼の探偵の目を欺き、心臓を保有していたのか。
答えは簡単だ。
酒呑童子の心臓は、尾弐の体内に有ったのだ。脈打ち、尾弐の命を繋いでいたのだ。
(神なんてモンに祈るつもりはねぇ……仏の慈悲なんぞ、とうの昔に諦めた……だから、頼むぜ大将。俺は、お前さんを信じるからよ)
そして尾弐は、口の端から血を流しつつ右手に力を込めると―――己の心臓を引き千切り、身体の外へと取り出した。
取り出した心臓は人間のそれと形は同じだが、その色は黒曜石の如く黒く、肉体を離れたにも関わらず力強く脈打ち続けている。
心臓の喪失により多量の血を吐き、またその身体を流れる妖気も暴走し始めている尾弐……だが、そんな状態でも意志の力で意識を保つ。
何故なら、尾弐に課された仕事はまだ終わっていないからだ。
>「……それはともかく……さて、クロオさん。準備は宜しいですか?……心臓をお預かりしましょう」
「…………ああ、リョウカイだ」
気を抜けば途切れてしまいそうな言葉を、平気なふりをして紡いだ尾弐は、結界の外から聞こえた那須野の方へと向けて、心臓を握る血まみれの右腕を差し出す。
姿を隠して、祈達に醜悪な儀式を見られない様にして……ただの意地のみで痛みを隠して。
>「――心臓は確かに。では……行きましょうか、クロオさん。ボクたちの、悔恨だらけの十数年に……決着をつけるために」
「――――あいよ、大将」
自身の手から心臓の重みが消え、随分と遠くなった耳に聞こえた那須野の声に返事の言葉を返して。
直後。
尾弐黒雄は自身の魂が罅割れる音を聞いた。それは、とても綺麗で……取り返しのつかない音。
その音と同時に、尾弐の意識は闇に消えた。
―――――
191
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/04(土) 23:56:13
倒れた尾弐黒雄の肉体。意識の無いその肉体が、立ち上がる。そして、一歩、二歩と歩み出した。
その歩みは、瘴気の結界を難なく踏み越え……そして、その姿を白日の下に晒す。
「……」
筋骨隆々とした大男であった尾弐……しかし、その姿は大きく様変わりしていた。
その背丈は少し縮み、鋼の様であった筋肉は無くなり、元の半分以下の細さになってしまっている。
黒曜の様な髪は、床まで届かんとする長さとなり、肌の色は褐色。
そしてその容姿は――――悍ましい程に整っていた。
額に生えた五本の角と、頬に描かれた目の様な文様。精悍で恐ろしげではあるものの、まるで食虫植物が如くに人を引きつけるその容姿は、『魔性』そうとしか表現出来ないものであった。
心臓の部分に開いた穴が無ければ、容姿だけでこの存在が尾弐であると判断出来る者は居ないだろう。
そうして尾弐……『酒呑童子』は、何かを確かめる様に己が手を開閉すると……笑みを作った。
目を開けたまま、口だけを三日月の様に歪め、牙を見せる笑み。
――――直後。酒呑童子がその身より莫大な妖気を噴出させた。
禍つ神に届かんとするその妖気。量は勿論であるが、真に異質なのは、その妖気の邪悪さ、悍ましさであろう。
さもありなん。鬼とは、神を、魔を、あらゆる空想を産み出した人間が抱いた、人間という存在への感情の集合体。
災厄の魔物が天地自然への畏怖の体現であるとすれば、鬼は人間と言う生命そのものへの恐怖の体現である。
その酒呑童子の妖気を脅威と判断したのだろう。アスタロトが姦姦蛇螺へと酒呑童子の撃滅を指示する。
別たれたとはいえ、那須野橘音。状況判断は極めて適切なものであった。
けれど――――悲しいかな、アスタロトには情報が不足していた。
姦姦蛇螺が放った巨大な尾。強大な妖怪であろうと磨り潰すであろうその猛威を、酒呑童子は片腕で、払う様に裏拳を放つ事で弾き飛ばしたのだ。
姦姦蛇螺と比べればあまりに小さな体躯からは想像も出来ない程の、在り得ないその膂力――――だが、当然といえるだろう。
鬼が恐れられるのは、強いとされるのは……その『腕力』が膨大なものであるからだ。
名だたる英雄と神々が、騙し討ちをする事でようやく倒せた存在。それが酒呑童子なのである。
逆を言えば……神と英雄とて、正面からは酒呑童子に打ち勝てない。
体勢を崩した姦姦蛇螺に対し、酒呑童子は悠々と歩いて近づくと、妖気を起爆剤代わりに大きく跳躍し、蛇腹に拳を数発叩き付ける。
一発一発が爆発音を思わせる炸裂音を鳴らす程の威力を有するその拳は、恐るべき事に無敵と思われた姦姦蛇螺を横ざまに倒す事を叶えた。
そして、生み出されたその隙を那須野が見逃す筈も無い。魔法陣を描き、姦姦蛇螺の動きを一時的とはいえ拘束して見せたのである。
>「祈ちゃん!ノエルさん!ポチさん!チャンスです、早く姦姦蛇螺の中へ!」
絶好の機会。それを利用して、東京ブリーチャーズの面々は、作戦通り姦姦蛇螺の体内へと突入していく。
192
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/04(土) 23:56:28
>「三人を姦姦蛇螺の体内に送り込むために、囮を買って出たというわけですか……。まったく小賢しい……!」
>「しかし、そんなことは無意味だ!あの三人も颯さんのように、姦姦蛇螺に啖われて終わるだけですよ!」
>「確かに、無意味かもしれない。ボクたちの作戦は根拠も何もない、出たとこ勝負のものばかりだ」
>「でもね……決して諦めなければ。希望を捨てなければ、必ず活路は開ける。未来はやってくる――ボクたちに力を与えてくれる」
>「信じることを、未来を。幸福を掴み取ることを諦めた、アナタにはわからないかもしれませんがね……!」
>「戯言を!!」
潜入した面々を忌々しげになじるアスタロトと、毅然として誇る那須野。
そんな二人のやりとりを目前に、酒呑童子は姦姦蛇螺を眺め見る。
先程、酒呑童子が殴りつけた蛇腹……並大抵の妖怪では塵すら残らない程の攻撃を受けたにも関わらず、僅かに打撃痕が残るのみ。
……酒呑童子は怪物であるが、姦姦蛇螺もまた古代の神の顕現。その防御力は尋常では無いという事だろう。
そして、酒呑童子の顕現に時間制限が設けられている以上……このまま戦い続ければどうなるか、結果は目に見えている。
>「来ますよ――クロオさん!」
「ん?……ああ、そうみたいだな。あの蛇神への物理攻撃への対策は任せてくれ。力では俺が上だ。全部叩き潰してやるよ」
願いの成就に闘志を燃やす那須野に視線を向ける事も無く、歪な笑みで姦姦蛇螺を眺め見る酒呑童子は、
片手をサイズの合っていない喪服のポケットに入れたまま、大きく跳躍して熱線を回避する。
次いで、熱線を履いている姦姦蛇螺の顎を力任せに蹴り上げる。
軌道の逸れた熱線が雲を貫くが……それでも尚、姦姦蛇螺へのダメージは薄い。
「さーて、時間もない中どこまでやれるかね」
そう言うと、酒呑童子は自身の心臓が存在しない鳩尾をゆっくりと撫でた
193
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/08(水) 23:30:43
>多分あいつならわかるんだよ。『この黒蛇が本体かどうか』
>さぁ、正体を現せ――!!
祈の要望に応じてノエルの作り出した水面鏡から、強烈な光が放たれる。
その眩い輝きに晒され、姦姦蛇螺は大きく口を開くとその巨体を激しくくねらせ、苦悶した。
「ギィィィィヤァァァァァァァ!!!」
洋の東西、時代の新旧を問わず無数の御伽噺に存在する、真実を映し出す鏡。
その鏡には――『なにも映らなかった』。
それは、今現在三人が対峙している姦姦蛇螺が紛い物であるという、確かな証拠。
祈の予想通り、大蛇の影はトンネルで戦ってきた蛇たちと同様の存在。単なるアンチウイルスに過ぎなかったのだ。
虚構である、との真実を映し出された大蛇が、断末魔の叫びをあげながら消えてゆく。
であれば。
今なお颯を縛り付けている、姦姦蛇螺の『核』はいったい、どこにいるのか?
答えは簡単だった。
俄かに、三人のいる花畑が鳴動を始める。ゴゴゴゴ……と地震が起こったかのように足許が揺れる。
だが、それは外の姦姦蛇螺が動いたから、というような理由ではない。外の状況は、姦姦蛇螺の内部には反映されない。
それはきっと、三人のいる姦姦蛇螺の内部が姦姦蛇螺の妖気、あるいは神気によって異界化しているためであろう。
だとしたら――
【……呪】
どこかから、不意に声が聞こえた。
【……怒】
【……死 ……憎】
【……妬 ……憂 ……狂】
【……嘆 ……悲 ……恨 ……憤】
声は最初はごく小さなものだったが、徐々に。しかし確実に、そして急速に大きく、瞬く間にその数を増してゆく。
【……寥 ……怨 ……哀 ……痛 ……愁 ……哭 ……憐 ……悼】
【……滅】
【滅。滅。滅――滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
三人が存在している空間、その全方位から雪崩のように押し寄せてくる、圧倒的な破滅の念。
まるでシュプレヒコールのようにさえ聞こえる、そんな鯨波めいた大音声の中――
先程大蛇の影が出てきた祠堂が俄かにガラガラと崩壊してゆき、中に納められていた存在が出現した。
『それ』は、祈の身長くらいはありそうな。巨大な、脈打つ心臓。
学校の理科室にある、プラスチックの模型のような――しかし、確かに生きている心臓だった。
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
圧倒的な妖気。かつて感じたことのない、夥しい力の重圧が、東京ブリーチャーズの三人を襲う。
心臓が脈動し、どくん、どくん、と鼓動するたびに。
大動脈から大量の血液が押し出されるが如く、膨大な妖気が空間を満たし、のたうち、荒れ狂う。
半端な妖怪では数分と持たず発狂するか、消滅してしまうほどの妖気の嵐だ。
これが、姦姦蛇螺の本体。
御社宮司の核、とでも言うべきものであった。
194
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/08(水) 23:46:11
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!!!】
姦姦蛇螺が歌う。
そこに理性はない。理屈も、理由も、理論も、理想も、何もない。一切合財の知性というものがない。
あるのはただ、自分以外への憎しみのみ。滅びてしまえ、という願望のみ。
天津神を。大和朝廷を。自分たちを迫害し、排斥し、滅亡させた者たちすべてを恨み、憎み、叩き潰すという一点のみを渇望する存在。
これこそ、祈が話に聞いていた祟り神の顕現に他なるまい。
憎念に呼応してか、再度地面が鳴動する。
咲き乱れていた彼岸花がみるみるうちに枯れてゆき、ただの荒涼とした焼け野に変わる。
そして――
『……ォ……オァァァァァァァァァ……』
三人の足許から、新たな声が聞こえる。
地面が鳴動する。まるで生きているかのように――実際、生物の体内ではあるのだが――蠢動する。
ほぼ平坦だったはずの地面が徐々に隆起し、“何か”を形作ってゆく。
それは、無数の妖怪たちだった。
つい先だって隊伍を組み、姦姦蛇螺を撃滅するため新宿御苑に集まった、日本妖怪軍団。
圧倒的数を誇っておきながら、まるでブリキの兵隊のようにあしらわれ、供物の如くに姦姦蛇螺に啖われた者たち。
神の胃の腑に送り込まれ、養分となった者たちが――すべてひとつに融け合い、混ざり合って、三人の足許でうねる。
『嫌だ……嫌だぁ……どうしておれは死ななきゃならん……』
『こんな……こんなはずではァ……』
『助けて……痛い……苦しいィィィィィ……!』
まるで、水を張ったバケツに何色もの絵の具を落としたように。極彩色の前衛アートのように。
グチャグチャに撹拌された妖怪たちが呻き、吐息し、恨みを告げる。
今や個でなく、姦姦蛇螺の肉体を構成する細胞のひとつに変わり果てた妖怪たち。
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!!!】
どくん、どくん、と姦姦蛇螺の巨大な心臓が脈打つ。怒りの、憎しみの波動が、三人に突風のように吹きつける。
心臓自体には、どうやら直接的な攻撃能力や防御手段はないらしい。心臓はあくまで心臓であり、姦姦蛇螺の核以外の能力はない。
しかし、そんな剥き出しの心臓を攻撃するとなれば、それは三人にとって極めて困難な任務と言わざるを得ない。
妖怪たちが地面から隆起してくる。それは百体を越え、さらに続々と数を増し続ける。
姦姦蛇螺の一部となった日本妖怪軍団が、心臓へ至ろうとする三人の往く手を阻む。
『オアアアアア……死にたく……死にたくないイイイイイ……』
『つらい……つらい……誰か、助けて……』
『身体が焼ける……溶ける……!なんで、おれがこんな目にィ……!』
姦姦蛇螺に吸収された妖怪たちを元に戻す術はない。彼らにもはや自我はなく、魂もなく、また生命もない。
本体たる姦姦蛇螺同様、自らの境遇を呪い、恨み、怒るのみの存在。
自らと同じ立場を、ひとりでも多くの者たちに味わわせようとする一個の器官――
妖壊たちは生前と同じか、それ以下の力しか持ち合わせていない。蹴散らすのは容易だろう。
しかし、数が多い。この場所に至るまでで交戦した蛇の影たちよりも、さらに多い。
そして、どれだけ倒そうとも無尽蔵に湧いてくる。姦姦蛇螺が新宿御苑で啖った妖怪の数は、少なく見積もっても数千。
そのすべてが神の中で融合し、この場に出現することのできる駒となってプールされている。
ノエルが広範囲大規模殲滅妖術でも使えば、一瞬は数を減らせるかもしれないが、焼け石に水だろう。
それに、心臓が脈打つごとに荒れ狂う妖気の奔流も、容赦なく三人の命を削ってゆく。
このままでは、敗北は必至であろう。
【滅。滅。滅――滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
心臓が滅亡の波動を放つ。
自ら以外の万理万物、万象一切を撃滅せんとする衝動。破壊の熱情。それを可能とする、圧倒的な妖気。
それこそ、選ばれた者しか持ち得ないもの。この世の支配者の力。
神の権能。
195
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/08(水) 23:50:47
生ける屍となった無数の妖怪たちがひしめく中で、唯一清浄を保っている場所。
そこは、多甫颯が磔になっている一角。その他はない。
しかし、ポチがその場に接近しようとしても、やはり無限に湧き出す妖怪たちに阻まれ、行きつくことは困難を極めるだろう。
どぎゅん!
銃声。ポチの眉間を狙い、人体はおろか並の兵装さえ易々と粉砕する6.5mmグレンデル弾が放たれる。
無数の妖怪たちに隠れ、後方からポチを狙撃した者がいるのだ。
日本妖怪軍副将のひとり、伊草の袈裟坊――。
マルファスに刺殺されたはずの袈裟坊だったが、その後死体を姦姦蛇螺に啖われでもしたのだろうか。
姦姦蛇螺に取り込まれ、その肉の一部と化してもなお、射撃の腕は健在らしい。
袈裟坊は矢継ぎ早にライフルを撃ち、ポチの急所を的確に狙ってくる。
また、祈が脚力を駆使して妖怪たちの頭上を飛び越え、心臓に迫ったとしても、ダメージを与えるのは不可能だ。
なぜならば――
攻撃の瞬間、柔らかな筋肉の塊であるはずの心臓は俄かに鈍色の光沢を放つ鋼鉄に姿を変え、攻撃を弾き返すからである。
巨きな鋼鉄の塊に自らを変質させる妖力。
『……なぜ……なぜじゃァ……。なぜ、この儂が……。日本妖怪軍団総大将、次代の五大妖であるはずの儂がァァァ……』
『憎い……憎い……!すべてが憎い……!滅、滅、滅、滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!』
姦姦蛇螺討伐軍の首魁、団三郎狸。
神の供物となって噛み砕かれるその瞬間までしがみついていた、権力への執着。
あらゆる権力の階梯を遥かに超越し、神の一部となった今でも俗世への未練を口にしながら、団三郎が妖術で心臓を守る。
だが、その言葉にもはや意味などない。それは意思ある言葉ではなく、亡者の慟哭に過ぎない。
戦場を満たす破滅の波動と、無尽蔵に湧き出す『神の分身』たち。
その波状攻撃に晒され、祈とノエル、ポチの三人は窮地に陥る。
祈の抵抗力の問題もあり、この場でまともに戦えるのはあと数分が限度だろう。
だが、諦めている暇などはない。
何故なら、希望とは。活路とは。どんな窮地に立たされようと決して諦めない者だけが、初めて掴み取ることのできるものだから。
祈の持つ天羽々斬が、にわかに眩い光を放つ。
斃せ、と言っているのだ。この禍々しい蛇神を。その核たる心臓を断て、と。
しかし、天羽々斬は神剣。神代、まことの神が振るった紛うことなき神造の極剣。
単なる鈍器として振り回すならともかく、半妖の少女がその能力を十全に発揮させ扱うことは不可能に近い。
仮に振るうことができたとしても、その一振りの間に神の武装が齎す反動によって祈の肉体は、魂は、千々に砕け散ることだろう。
……けれど。
すべてを真白き風雪の帳に覆い隠し、時間さえも永劫の氷棺へと埋葬してしまう六華の化身と。
森の奥より来たるもの。忍び寄り、襲い掛かり、啖いつくもの。ヒトの抱く獣への畏れの具現。
『災厄の魔物』――
ヒトが恐れ、崇め、自らの手に負えぬ者と定義した、ふたつの要素が力を貸すならば――或いは。
ヒトの血を色濃く受け継ぐ娘と、自然そのものと、獣。
その三者がそれぞれに手を取り合い、助け合い、共に歩むというのなら。
この難局も、ひょっとしたら乗り越えられるかもしれない。
なぜならば。
神とはいつの時代、いつの土地においても強大なもの。立ちはだかるもの。試練を与えるもの。
そして――希望の道を歩まんとする存在に打ち倒され、先行きを譲るものなのだから。
【滅!滅!滅!滅!滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
蛇神の心臓が激しく脈打つ。戦場内の酸素が少なくなっているのか、息苦しい。
手足の末端が痺れ、冷たくなってゆくのがわかる。死が近付いている。
今しがた全力で蹴散らしたばかりの妖怪たちが再生し、何事もなかったかのように襲い掛かってくる。
絶望的な状況。圧倒的な不利。絶命へのカウントダウンはとうに始まっており、援軍はない。
だが。それでも、勝てるはずだ。
祈とノエル、ポチの三人に。神さえ凌ぐ愛情と、勇気と、結束の――絆の力があるのなら。
196
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/09(木) 00:21:56
祈とノエル、ポチが姦姦蛇螺の体内で『核』たる心臓と対峙しているころ、尾弐と橘音はアスタロトと向かい合っていた。
白ランを纏い、半狐面をかぶったアスタロトが、姦姦蛇螺の肩で興味深そうに嗤う。
「まさか、ハルファスさんとマルファスさんの妖気を奪い取って自分の力にするとは……」
「自分で戦うのは面倒くさいと、剣と盾代わりに連れてきた二柱でしたが……完全に裏目でしたね。やれやれだ!」
そう言って肩を竦める。アスタロトにとって、妖力を奪われたのは痛手だが二柱の喪失自体はさしたるダメージではないらしい。
マルファスとハルファスの間には確かな絆と愛情があったようだが、アスタロトに二柱に対する感情は何もないということだろうか。
アスタロトは橘音から視線を外すと、今度は変質した尾弐を見遣る。
「そして――クロオさん。アナタがボクに隠していた秘密がソレ、ということですか」
「平安時代最強の『漂白屋(ブリーチャーズ)』源頼光と四天王が狩った、平安時代最凶の妖壊――」
酒呑童子。
その力がいかに桁外れのものかは、変容の直後に見せた攻撃で明らかであろう。
日本妖怪軍団個々の攻撃はおろか、隠し玉のミハシラの直撃でさえ傷ひとつなかった姦姦蛇螺が、ダメージを負っている。
重傷ではないとか、軽傷に過ぎないとか、そういうことは関係ない。
姦姦蛇螺に手傷を負わせた、ということ自体が、そもそも西から太陽が昇るに等しい『ありえないこと』なのだ。
それを、酒呑童子はこともなげにやってみせた。驚異と言わずになんと言おうか。
悪魔の姿で毒竜に跨った橘音が、得意げに胸を張る。
「その通り。今この瞬間において、ボクとクロオさんの戦力は完全にアナタを凌駕しています、もうひとりのボク――アスタロト」
「降伏勧告をしておきますよ……姦姦蛇螺がいかに古々しき神性、大国主に連なる荒神といえど、簡単にはボクたちは倒せない」
このまま姦姦蛇螺を放棄し、撤退しろと言っている。
アスタロトが撤退すれば、姦姦蛇螺の封印はずっとやりやすくなる。これ以上被害を増やすこともないだろう。
しかし、アスタロトにその気はないらしい。
「確かに!確かに、素晴らしい出力です……まさか、アナタたちがこんな手段に出るとはね。正直、予想外でした。認めましょう」
「天魔たる権能を解放したボク。その力の凄まじさは、誰よりもこのボク自身、地獄の大公アスタロトが知っている」
「酒呑童子も。その恐ろしさ、邪悪さ、強さは――妖狐に連なる者、三尾の狐として知悉している」
「でも!だからといって、ボクの勝利が揺るぐことはない!そう――」
「なぜなら!ボクにはもう、アナタたちのその姿の綻びが。滅びの予兆が視えているのだから!」
大きく両手を広げると、アスタロトは高らかに言い放った。
「――!!」
アスタロトの物言いに、橘音は思わず息を呑む。
それを知ってか知らずか、アスタロトはさらに言葉を続ける。
「ねえ、もうひとりのボク。このボクが、『アナタそのもの』であるボクが、その綻びに気付かないとでも?」
「アナタはハルファスさんとマルファスさんの妖力を奪い、その力と姿を手に入れた。全盛期のボクの力を」
「でもね……ひとつだけ、かつてと今で決定的に違う点がある。それは――」
「……『アナタの魂は、三分の一しかない』ということですよ……!」
にたり……と口の端を吊り上げて嗤いながら、アスタロトは黒手袋に包んだ右手を自らの胸に添え当てる。
「アナタの残り三分の二は、ここに。ボクの中にある」
「アナタはその脆弱な魂の欠片で、強大な天魔の力を制御しなければならない。それがどれほどの負担かなど、論ずるまでもありません」
「そう――今のアナタは言うなれば『ガラスの器でプール一杯分の水を受け止めようとしている』ようなもの……」
「おやおや。ちょっと前にも、そんな妖壊がいましたっけねえ?」
ニタニタと嗤うアスタロトに反論できず、橘音は唇を噛みしめた。
ここで、そんなことはないと強弁したところで無意味である。アスタロトの言う通り、ふたりは同一の存在。ひとつから分かたれた者。
その言葉が真実であることは、今さら覆しようがない。
「……く……」
橘音が反論の術を失って押し黙ると、アスタロトは今度は尾弐へとその舌鋒を向けた。
197
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/09(木) 00:25:49
「そして、クロオさん。アナタに至っては、もうひとりのボクよりもさらに劣悪だ」
「もうひとりのボクがガラスの器なら、アナタはさしずめ導火線に火のついた爆弾だ。おまけにその導火線はひどく短い」
「ねえ、今は一分一秒でも時間が惜しいでしょう?……こんな無駄話をしている余裕さえないくらいにね……!」
アスタロトの指摘。それは、尾弐と橘音の両者が強大な力を解き放った代わりに抱え込んだリスクに関することだった。
古の神すら凌駕する力を得て、なんのデメリットもない訳がない。そこには得た力に見合った反動が、危険が必ず伴う。
尾弐と橘音に与えられた時間は、極めて短いということだ。そして――
アスタロトはふたりに残された時間を、ただ無為に浪費しようとしている。
「ボクが手を下すまでもなく、アナタたちは自滅する。捨て身で得た力は、なんの福音も齎さなかったってことですよ!」
「ならば、無駄口なんて叩く余裕もなく攻め立てるだけです!はああッ!!」
橘音が毒竜ドラギニャッツォの手綱を捌き、右手の籠手から無数の光弾を放つ。
しかし。
「防ぎなさい、颯さん!」
アスタロトが鋭く命じると、姦姦蛇螺は一声咆哮した。その途端、神の前方に膨大な妖力が発生し、障壁となって光弾を防いだ。
酒呑童子の攻撃に対しても同様である。神の桁違いの妖気がフォースフィールドめいた防護膜を構成し、その攻撃を阻む。
神の全力の防衛。これはどんなに堅牢な城砦を落とすよりも、核シェルターの隔壁に穴を開けるよりもはるかに難しい。
ましてや、ふたりに残された時間は極めて少ない。
このままでは、宣言通り橘音の魂は天魔の妖力に耐え切れず砕け散り、心臓を持たない酒呑童子は自壊することだろう。
「理解できませんね……。なぜ、そこまで必死になって戦うのです?守る価値などない存在のために?」
「アナタたちのしていることは無価値だ。なんの意味もない、愚かで非論理的な自傷行為でしかない!」
理解できない、という風に、アスタロトがふたりに問うてくる。
「どんなに否定しようと、拒絶しようと、いずれ夜は来る。それはこの世の理であり、『正しくあるべき姿』なのです」
「それを――夜は嫌だと。昼がいいと。駄々を捏ねてどうなるというのですか?」
そんなアスタロトの言葉に、橘音が反論する。
「……確かに、そうです。すべての始まりには終わりがある。どれだけ抗おうと、手を尽くそうと、いずれ夜は来る」
「でも……ね。昼間は好きじゃないからと、早く夜が訪れることを祈るなどバカげてる」
「終焉は受け入れましょう。それが正しい星辰の下に訪れたならば……ね。ただ、それは今じゃない」
「アナタが下ろそうとしているのは、紛い物の夜の帳。不当なる遮蔽。ならば――それを受け入れることはできない。断じて!」
「アハハハハハハ!それもいいでしょう!では死になさい、黄昏の到来に悶えながら!」
「どんなに足掻こうと!どんなに藻掻こうと!アナタたちの矮小な力では、何も変えることなどできないということを思い知るといい!」
アスタロトが自身の前方に魔法陣を描く。そこから大公麾下の雑魚悪魔たちが無数に現れる。
姦姦蛇螺の贄となり、神の体内でその眷属と化した日本妖怪たちと同様、雑魚悪魔たちも一体一体の力は遥かに弱い。
だが、数が多い。尾弐も橘音も、その数を減らすことだけで精一杯だろう。
そしてその間にも、刻一刻とタイムリミットは迫っている。アスタロトの時間稼ぎに、ふたりは明確な対抗手段を取れない。
「クロオさん……すみません。ちょっと、読み違えてしまったかも」
すい、と尾弐の近くまで舞い降りてくると、橘音は申し訳なさそうにそう言った。
このままではジリ貧――やがて尾弐と橘音は自らを制御できなくなり、破滅してしまうだろう。
だが。
不意に、痣色の空を閃光が奔る。
激しく輝く一条の光輝が尾弐と橘音の後方から放たれたかと思うと、立ち塞がる雑魚悪魔を片端から灼いてゆく。
アスタロトは瞠目した。
「……な……!?」
「いやぁ、ビックリしちゃったなぁ!いつも絶望的な戦いばかりしていると思っていたけれど、今回のこれはすこぶる付きだね!」
尾弐と橘音の背後から、場違いすぎるほどに呑気な声が聞こえる。
ふたりが振り返ると、そこにはパーカーにジーンズ、スニーカー姿の青年がひとり立っている。
整った面貌に、金色の癖毛。すらりとした長身――そして右手に握られた、十字架を模した直剣。
その姿に、尾弐は見覚えがある。
謎のイケメン騎士R。
198
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/08/09(木) 00:33:33
「やあ、大公の半身。こちらではお初にお目にかかる!それから……ミスター。随分縮んじゃったものだね?見違えた!」
相変わらずフレンドリーな笑顔で、Rはヒラヒラと左手を振ってみせた。
「どうしてアナタが……」
「これは、レディの意思でね。キミたちを助けろ、と――この窮地を救えと。だからわたしは来た」
「レディ?レディベアの?……どういうことです?」
レディベアは東京ドミネーターズの支配者代行。いわばアスタロトたちの指揮官であり、姦姦蛇螺を差し向けた側であろう。
そのレディベアが、敵であるはずの妖壊が、東京ブリーチャーズを助けよと発言したとはどういうことか。
首を傾げる橘音に対して、Rは小さく頷く。
「……まぁ、ぶっちゃけて言うと、レディの命令ってわけじゃないんだ!完全にわたしの独断!暴走行為ってやつかな、はっはっは!」
「正確には『イノリちゃんを助けに来た』と言うべきか。レディにとって、彼女は初めての友達だ。彼女を喪ってはならない、断じて」
「もしレディが自由の身なら、『R!すぐさま祈を助けに行きなさい!』って――必ず言うだろうからね。そう思ってきたのさ」
「日本人の言う、忖度ってヤツかな?はっはっは!ところで、肝心のイノリちゃんは?姿が見えないようだけれど?」
きょろきょろと辺りを見回す。
橘音は一瞬尾弐の方を見て、ため息をつくと、
「祈ちゃんは姦姦蛇螺の腹の中ですよ」
と言った。
「え……えええええええええええええええええええええええええ!!!!???」
Rは愕然とした。
しかし、橘音が事情をかいつまんで説明すると、すぐに納得したらしく胸を撫で下ろす。
「な、なあんだ……そういうことか。それならわたしもあの怪獣の中に行くべきなんだろうけど……ちょっと難しそうだなぁ」
「まぁいいか!ここでキミたちの手助けをすることだって、間接的に彼女を救うことになるはずさ!ノープロブレム、うん!」
うんうん、と自分を納得させる。どんな状況でも軽さは変わらないらしい。
Rが剣を自らの眼前に垂直に翳す。剣が強い清浄の気を放つ。
「では。そういうことだから――微力ながら助太刀させてもらうよ、東京ブリーチャーズ」
「わたしの名前は、まだ明かせないけれど……今この戦場でだけは。騎士として、全身と全霊を諸君のために使おう!」
Rの持つ剣の輝きがどんどん強くなる。辺りに滞留する姦姦蛇螺の妖気を押し返し、跳ね除け、輝きはさらに増してゆく。
そして、その光が臨界を越えたとき。
Rは剣に満ち満ちた聖なる光を、巨大な祟り神へ向けて一気に解き放った。
「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ――」
「――悉皆斬断。『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」
ゴウッ!!!!!
一切の邪悪を消去する、聖なる波動。それはまさに、神の加護を受けた聖剣の力に他ならない。
『不滅の刃(デュランダル)』。その黄金の柄に四つの聖遺物を納めた、伝説の聖剣。
十字架を模した刀身から放たれる魔滅の聖光が、たちまち大公の指揮する悪魔たちを焼き尽くす。
姦姦蛇螺とブリーチャーズを隔てる障壁が消滅し、道ができる。
「今です!攻めてください、クロオさん!」
橘音の魔術、尾弐――酒呑童子の膂力、そしてRの聖剣が放つ妖異殺しの極光。
三者の力が融合すれば、それはかつてない攻撃となることだろう。
もはや時間はない。橘音の魂は多大な負荷に軋み、心臓を欠く尾弐の肉体は自身の妖力によって自壊の予兆を見せている。
しかし、それでも。
戦わなければならない、食い止めなければならない。
神の胎の中で戦う、かけがえのない仲間たちのために。
199
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/08/13(月) 20:23:27
>「あいつ、まだ正体を現していないのかもしれない……!
>気を付けて! もしも僕の思った通りなら……正体を暴いたら憎しみのままに襲ってくるかも!」
>「さぁ、正体を現せ――!!」
祈の呼びかけに応え、深雪の姿はノエルへと変わる。
ノエルは氷の鏡を作り出すと、その曇り一つない鏡面に黒蛇を映した。
鏡が光を放ち、黒蛇を照らす。
すると――。
>「ギィィィィヤァァァァァァァ!!!」
黒蛇は断末魔の叫びを上げ、その姿が掻き消えてゆく。
まるで吸血鬼が陽光を浴びて灰になるかのような。
そして。
「消え……た?」
黒蛇の姿が完全に消えると、そこには何もなかった。
正体を暴かれた何者かが、憎しみのままに襲ってくる、ということもない。
だが、姦姦蛇螺を倒していないことは、この空間に変化が生じないことからも明らかだ。
ということは。今ノエルが倒した黒蛇は、“本体ではない”ことになる。
ゴゴゴゴ……と、姦姦蛇螺の体内が鳴動する。地鳴り。地震。
祈達の足元が揺れる。
この地震が、体外で行われている橘音や尾弐、
姦姦蛇螺とアスタロトの壮絶な戦いの影響なのか、
それとも、さきほどの黒蛇が倒されたのが引き金となって起こっている現象なのかはわからない。
あるいはその両方だろうか。
揺れは次第に強くなり、更にどこからか聞こえてくる――、
【……呪】
――声。
【……怒】
【……死 ……憎】
【……妬 ……憂 ……狂】
【……嘆 ……悲 ……恨 ……憤】
声。声。声。声。
彼岸花咲き乱れるこの空間の全方位から、様々な負の感情が込められた人間の声が響いてくる。
その声は聞こえるごとに大きく、強くなる。
祈は足を踏ん張りながら天羽々斬を正面に構えて周囲を警戒するが、
そこには何者の姿も見えない。
【……寥 ……怨 ……哀 ……痛 ……愁 ……哭 ……憐 ……悼】
【……滅】
【滅。滅。滅――滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
だが確かに無数の人間の気配があり、それらは口々に言うのだ。
『滅べ』、と。
まるで目に見えない人間達に取り囲まれて、
口々に怒声や罵声でも浴びせられているかのような気分だった。
祈達の破滅を望む声が、大音量で全方位から叩きつけられる。
異様な雰囲気が漂っているのを祈は肌で感じ、冷や汗が頬を伝う。
そして、地震が止んだ、かと思えば、祠堂から。
地震でガラガラと崩れたその内側から、作り物のような光沢の巨大な心臓が出現する。
心臓は、祈の身長と同じぐらいの大きさはあるだろうか。
その巨大な心臓は、離れている祈に音が聞こえそうなほど大きく脈打っており――、同時に。
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
これまで祈が感じたことのない、夥しい量の妖気が心臓から放たれる。
それは妖気の波動だった。心臓が脈打つたびに、
途方もない量の妖気が、容赦や配慮など微塵も無に、空間に反響して祈達を襲いくる。
それはまるで、激流。立っているだけで押し流されそうになるような、
この空間にいるだけで押し潰されそうになるような。圧。
200
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/08/13(月) 20:37:54
「くっ……ぅううううっ!!」
痣色の妖気の激流が、肌を焼くようだった。
思わず祈は呻き、左腕を前に出して顔面を庇う。
圧倒的だった。
ミカエルが出現した時に見せた門でも、これほどの圧はなかったように思う。
満月の夜のロボでさえ、これほど荒々しくはなかったのではないだろうか。
こんなにも強く、こんなにも禍々しく、こんなにもおぞましく、こんなにも暗く。
こんなにも痛く、苦しい。
だが、心臓と言う形状。放たれる妖気の強さ。
あれこそが本体に違いない。そんな確信が祈の中にはある。
それだけ強大で、怖ろしい力を感じるのだ。
だとすれば、ここが正念場。ここが踏ん張りどころだ。
みんな笑って迎えられるハッピーエンドまであと一歩。
そう思えば、たとえ強大な相手であっても。祈の気持ちは負けていない。
痣色に染まった左手を降ろしながら、祈は言う。
「……はっ、はっ……。
さっきの黒蛇は、本体を守る白血球の親玉かなんかだったのかな。
あいつを倒したから、あたしらを倒すために仕方なく本体が出てきたって感じか。
憎しみのままに襲ってくる正体を引きずり出した……やるじゃん、御幸」
荒く息を吐きながら。
あとはあの本体を、心臓さえ討ってしまえば――、と祈は思ったが、
どうやら、そんな簡単な話にはならないらしい。
妖気の波動を受けて、彼岸花は枯れ散った。
焼け野原さながらになったその地面が、再び鳴動する。
そして地殻変動でも始まったかのように、ボコ、ボコ、と次々に隆起する。
>『……ォ……オァァァァァァァァァ……』
>『嫌だ……嫌だぁ……どうしておれは死ななきゃならん……』
>『こんな……こんなはずではァ……』
>『助けて……痛い……苦しいィィィィィ……!』
地面の隆起を突き破って現れたのは、姦姦蛇螺に喰われた妖怪達だった。
溶けて崩れた体が混じり合い、
まるでカラフルな絵の具が半端に混ざったような、ぐちゃぐちゃの姿になっている。
その妖怪達が、祈達と姦姦蛇螺本体、心臓との間に立ち塞がるのだ。
妖怪達は次々に、場を埋め尽くすほどに生えてくる。
>『オアアアアア……死にたく……死にたくないイイイイイ……』
>『つらい……つらい……誰か、助けて……』
>『身体が焼ける……溶ける……!なんで、おれがこんな目にィ……!』
怨嗟の声を響かせ、緩慢に動くさまは、映画に出てくるゾンビのようだった。
妖怪達は祈達に迫り、緩慢な動きで攻撃を仕掛けてくる。
祈は河童の生み出したウォーターカッターのような術を躱し、狐妖怪の放った炎を避ける。
(姦姦蛇螺に喰われて……取り込まれて、使われてる、のか……?)
妖怪達は、見た目には生きているのか死んでいるのか分からない。
だが『死にたくない』という言葉から察するに、もしかしたらこの状態でもまだ生きているのかもしれない。
であれば助けてやりたい、と祈は思う。
とはいえ、姦姦蛇螺に取り込まれて操られているのだとすれば厄介この上ない。
心臓への道が遠のくし、しかもその数は時間が経つごとに増えていくのだ。
「これやばいな……つーかポチどこ行った!?」
そう言えば、さきほど『何か試す』とか『いい囮になる』と言って、
彼岸花畑に姿を消してしまった後、薄暗いのもあって見失ってしまっているのだった。
母・颯の方に向かったように見えたが、と
妖気の波動に耐えながら、祈が風火輪で宙に舞い上がり、ポチの姿を探すと、
――どぎゅん!!
発砲音。その音がした方に目を遣ると、ポチの姿があった。
ポチは母・颯のすぐ近くまで迫っていた。
しかし、銃による射撃が得意な妖怪に阻まれているようであった。
ポチも歴戦の漂泊者であるし、
それですぐさま殺されると言う訳ではなさそうだが、このままでは劣勢に追い込まれるだろう。
これ以上妖怪達が出てきて空間が埋め尽くされる前に、
心臓を倒すのが手っ取り早いのかもしれない、と祈は咄嗟に思う。
201
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/08/13(月) 20:53:39
「みゆ……ノエル! ちょっと心臓攻撃しに行ってくるから一瞬そっちよろしく!」
戦闘状態の時、表出しているのは深雪という名前らしい。
だがいつも祈はノエルのことを御幸と呼んでいるので、御幸と呼べばあちらが混乱しかねない。
その為、一時区別を付ける為にノエルと呼ぶことにしたのである。
乃恵瑠と間違う可能性もあるので、ベストはフルネームで呼ぶことかもしれないのだが。
とかく祈は風火輪の炎を吹かせ、
泥田坊が伸ばしてきた手を横かわしながら、心臓へと近づく。
そして天羽々斬を振りかぶり、心臓を切りつけようとした瞬間。
心臓の色が鈍い色の、鋼鉄を思わせる色に変化し、刃が弾かれる。
その心臓の表面に映るのは、あの相撲取りのような狸妖怪の顔だった。
>『……なぜ……なぜじゃァ……。なぜ、この儂が……。日本妖怪軍団総大将、次代の五大妖であるはずの儂がァァァ……』
>『憎い……憎い……!すべてが憎い……!滅、滅、滅、滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!』
「あんたも喰われてたのか……」
裁判では橘音を糾弾し、姦姦蛇螺を倒すと演説をぶっていたこの男。
いやなやつ、という印象があるとはいえ、知った顔がこのような姿になるのは、良い気分ではなかった。
狸妖怪は変化の力で、心臓を鋼鉄に化けさせて守っているようだ。
これでは心臓に傷一つ付けることもできない。
それに背後からは、祈目掛けて押し寄せてくる妖怪軍団の姿がある。
祈は一旦ノエルがいる場所まで引くことにし、再び風火輪に火を入れて上昇する。
「……!」
そして宙を駆け、ノエルの近くまで引き返す途中。
手に握っている天羽々斬が、光を放ち始めたことに祈は気が付いた。
眩く、強く発光する天羽々斬。
光を見た妖怪達はそれを恐れて祈に近付かない。
心臓から放たれる妖気の波動を間近に受けたことで、
天羽々斬が戦闘態勢に入った、ということであろうか。
天羽々斬を掴む手を通して、その意思が伝わってくるようだった。
(倒せ、って言ってんだな。姦姦蛇螺を、あの本体を)
脈打つ心臓に突き立て、あの蛇神を倒せと。
祈はノエルの側に降り立ちながら、
憎悪の妖気を発する巨大な心臓を見遣る。
心臓は変わらず、ビリビリと肌が痛むほどの波動を放ってくる。
それをやや打ち消す光を放ちながら、天羽々斬は祈から力が注がれるのを待っている。
だが、天羽々斬の力を祈が使う時とは、
祈の命が尽きる時であろう。
風火輪を履いている祈であるから、
今持っている妖具がどれほどの妖力を必要としているのかは、なんとなくだが感覚で分かる。
もし祈がこの神剣の力を解放して一振りでもしようものなら、
この剣は、肉体と魂、祈の持つ全ての力を使い果たして祈を殺すだろう。
それぐらいでなければ、半妖では神剣なんてものは扱えないのかもしれない。
だが、解決策がないわけではない。
祈一人で使えば死ぬかもしれない。なら、一人で使わなければいいのだ。
それでも、かなりの賭けにはなるだろうが。
「二人とも! 天羽々斬、いまなら使えそう!
でもあたし一人で使ったら死にそうだから、手ー空いてる人は力貸してくれ!」
これはブリーチャーズに託された剣。
仲間がいるのだから。皆で使えばいい。
そう、皆だ。姦姦蛇螺の外でも仲間は戦っている。
それを含めれば、5人分。
込める力は3人分だが、
気持ちは繋がっている。込められる想いは5人分だ。
202
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/08/13(月) 21:25:50
「お願いします。布都斯魂大神様。あたし達に力を貸してください」
祈は祖母に言われた通り、天羽々斬に宿る霊威に願った。
そして天羽々斬を両手で握り、眼前に水平に翳し、
意識を集中する為、目を閉じる。
静かに天羽々斬に己の力を込め始めた。
眩い光は妖怪達を恐れさせ、退かせる。
心臓が放つ妖気の波動を弱める。
故に、仲間達が祈に力を貸すだけの時間ぐらいはあるだろう。
仲間の力が充分に注がれたのを感じたなら、
祈は仲間の力と想いを連れて、
一直線に宙を駆け、天羽々斬を蛇神の心臓に突き立てるだろう。
それによって蛇神――、御社宮司は、建御名方神は、姦姦蛇螺は――斃される。
だが、“死ぬことはない”。
何故なら、天羽々斬とは“転生の力を持った剣”だからである。
――スサノオが斬り倒した八岐大蛇の、その後については諸説ある。
その一説には、八岐大蛇は転生してある女性と結ばれ、子を為したというものが存在する。
それも、メジャーな説として。
鳥に転生した後に岩になった、安徳天皇に生まれ変わり草薙の剣を取り戻した、というパターンもある。
真偽のほどはともかくとして、
その説が広く知られている限り、その説が生きている限り。
天羽々斬は最強の蛇神殺しという特性だけでなく、“転生剣”としての側面を持つ。
天羽々斬が斃した存在は、八岐大蛇ただ一柱だが、
その八岐大蛇が、自身の記憶もそのままに逃げ延びた、あるいは転生したことからも
天羽々斬は魂までは殺さない不殺の力と、別の存在への転生を促す能力があると考えられるのだ。
恐らくその辺りが、ターボババアがこの剣を選んだ理由の一つだろう。
きっとターボババアの言う『あの子を切って、あわよくば解放してやろうと』とは、
姦姦蛇螺に囚われて、生きることも死ぬこともできない颯を、姦姦蛇螺ごと斬り斃すことによって
別の存在に転生させることを指していたのだ。
(あたしは今まで倒してきた奴には、悪事を働かないように約束をさせてきた。それで無害な妖怪にしてきた。
けど、理性がないこいつには約束なんてさせられない。
でも橘音がマルとハルをヒナにしたのを見て思いついたんだ。
倒して、別の存在に生まれ変わらせればいいって。
あたしが倒すのは……憎しみと妖気で暴走したその体だけだ)
だが、生まれ変わらせるだけでは駄目だ。
なぜなら、圧倒的な力で姦姦蛇螺を捻じ伏せ、斃したところでそれは――、
“姦姦蛇螺がされてきたこととなんら変わりがないから”だ。
姦姦蛇螺の前身となる御社宮司は、
大和民族に追いやられた先住民たちに崇められていた神だという。
その原動力、本質とは排斥された彼らの怨念。
つまり迫害され、裏切られ、悪意をぶつけられ、殺された彼らの負の感情、
魂の集合体とでも言えるような存在だ。
それを倒して生まれ変わらせたところで、
本質が変わらなければ、やがてその身に宿る憎悪は育つ。
そして再び、同じことの繰り返しになるのだろう。
それでは意味がない。
憎悪の螺旋をも断ち切らなければ、彼らは救われることはないのだ。
だから。
「姦姦蛇螺。あたしがあんた達を受け入れる。あたしがあんた達の家族に……居場所になってやる。
あんたの“運命”を変えて、助けてやるよ」
これ程までに憎悪するのは、きっと希望があったからだ。
期待があったからだ。
きっと誰かに受け入れて欲しかった。居場所が欲しかったのだ。
それは姦姦蛇螺が、生贄となった颯を生かしていることからも窺える。
己の為に何かをしてくれる誰かを、その憎悪は求めている。憎悪を癒すのはきっと、愛情だ。
だからこそ祈は受け入れるのだ。
小さな蛇にでも生まれ変わってくれたなら、祈の住むボロアパートでも飼えるだろう。
人の子どもにでもなったとしても、カエルでもナメクジでも、なんでもいい。
姦姦蛇螺が生まれ変わったその姿がなんであっても、祈は家族として受け入れることを決めた。
姦姦蛇螺の肉体を滅ぼし、囚われた母を救うため。
喰われて取り込まれた妖怪達を救うため。
そして、姦姦蛇螺の、その本質たる『まつろわぬ者』達の魂を救うため。
今、祈は賭けに出る。
「――あたしの、魂を賭けて」
祈は目を開いた。
祈の妖力、風火輪で心臓まで羽ばたくものだけを残し、全てが天羽々斬に移る。
憎悪と、誰かを救わんとする心、絆。東京の命運を分かつ、両者のぶつかり合いが始まる。
天羽々斬はより強く、眩く発光する。
天羽々斬の光が移ったのか、それを握る祈の身体の周囲にも燐光が舞っていた。
203
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/08/15(水) 20:32:33
>「ギィィィィヤァァァァァァァ!!!」
本体ではないことを見抜かれた大蛇の影が絶叫をあげつつ消えていった。
>「消え……た?」
「いや、多分今のは前座だ……」
空間の鳴動と、どこからか聞こえて来る怨嗟の声。祈を庇うように祠堂の方を警戒する。
>【滅。滅。滅――滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
俄かに祠堂が崩壊し、巨大な心臓が現れた。
それが脈打つだけで、その辺の妖怪では消滅してしまうような妖気の嵐が荒れ狂う。
災厄の魔物の力を持つノエルやポチはまだ大丈夫だろうが、ただでさえ半妖の祈はまだ立っているのが不思議なぐらいだ。
>「……はっ、はっ……。
さっきの黒蛇は、本体を守る白血球の親玉かなんかだったのかな。
あいつを倒したから、あたしらを倒すために仕方なく本体が出てきたって感じか。
憎しみのままに襲ってくる正体を引きずり出した……やるじゃん、御幸」
「最初に祈ちゃんが気付いたおかげさ」
祈の腕はすでに痣色に染まっており、もう長くは持たないだろう。
が、いかに凄い妖気を放つとはいえ相手の場所が固定されているなら、あとは猛攻撃をかけて倒してしまうだけだ。
しかし、足元から新たな声が聞こえ始める。
>『……ォ……オァァァァァァァァァ……』
>『嫌だ……嫌だぁ……どうしておれは死ななきゃならん……』
>『こんな……こんなはずではァ……』
>『助けて……痛い……苦しいィィィィィ……!』
先程姦姦蛇螺に食われた妖怪軍団が変わり果てた姿で現れ行く手を阻む。
橘音が言ったとおり、ただ食われただけでは生贄として何の効果も無いどころか、
逆に取り込まれ力を増す材料とされているようだった。
こんなのに本当に勝てるのか――? 今更ながら疑念が鎌首をもたげはじめる。
そんな中、過去に食われた者の中で唯一颯だけが取り込まれずにその周囲だけ清浄な空気が保たれているのは何故だろうか――
普通に考えれば、今までに姦姦蛇螺を鎮めたいと心から思いながら食われたのが彼女だけだったということであろうが……。
御社宮司とは、その昔大和民族に追いやられた旧き民の崇めた神だという。
「もしかして颯さんって……古の民の血を引いてるのかな……」
思えば祈は、神話の時代に勝利し正義の側となった者に対してだけでなく、追いやられて悪の側に堕ちた者に対しても、いつだって優しい。
そして橘音の話によると、その気質は颯も同じのようだ。
204
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/08/15(水) 20:33:49
>「みゆ……ノエル! ちょっと心臓攻撃しに行ってくるから一瞬そっちよろしく!」
「ちょっと待って! 一人は危な……」
祈を追おうとしたところ、足元に撃ち込まれた氷柱に遮られる。
それを放ったのは――夢の中でしか対峙することがないはずの己の似姿。
「いつから我を手懐けたと思っておったのだ――いつも言っておるだろう、我は人類の敵だと」
「深雪……? こんな時に何幽体離脱しちゃってんの!? いいから早く戻って!」
「一瞬でも勝てるかもしれぬと思ってしまった我が愚かだった。
実際に対峙してみてよく分かった――こんなものに、勝てるはずはない」
「そこを何とか!」
実際に分離しているのか幻を見ているのかは分からないが、
自分は姦姦蛇螺本体が放つ憎しみの瘴気にあてられてしまったのだろう、と妙に冷静に考えるノエル。
「方法はただ一つ――
祈殿を生贄に捧げれば……長ければ数百年は平穏が保たれるであろうな。
幸い彼女は生贄として最上の魂を持っている。
ヒトが神に勝とうなど最初から不可能なこと――なだめすかして鎮めるしか道は無いのだ」
「貴様……!!」
「我は事実を言っただけだ。愚かな人間でもあるまいし何を怒っている?
いくら人の振りをしたところで人と共に歩むことなどできぬ。
我々はこの世で最も人の考えが及ばぬ者として定義されているのだから。
忠告はしたぞ? よく考えることだな、まやかしの希望に縋り全てを失うことがないよう――」
深雪が半透明になりノエルに重なるように元に戻る。
安堵したのも束の間、訳の分からない感情が湧き上がってくる。
「……何をやった!?」
《我の持っている記憶の一部を貴様も共有するように開放したまでだ》
以前深雪が、自分の素となっているのは雪妖界の一時の安寧のために
間引かれてきた雪ん娘達だと言っていたことがあるが、これはその者達の記憶だとすぐに分かった。
憎しみと怒りと無念の果ての、そもそも人間と自分達は違う世界に住まう者という諦念。
愚かで小さくて、神に対して頭を垂れるしかない無力な存在――それが人間だ。
四分の三が人間、四分の一の妖怪の血すら都市伝説系の祈に神剣など使えるわけが――
浮かんできたその考えを頭を振って必死に否定する。
205
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/08/15(水) 20:34:54
「一人で使えないなら使えるようにしてあげればいい。
祈ちゃん、僕に人の世界にずっといてもいいって言ってくれたよ」
《戯言を本気にするな、それが人間の浅はかさというもの……》
>「二人とも! 天羽々斬、いまなら使えそう!
でもあたし一人で使ったら死にそうだから、手ー空いてる人は力貸してくれ!」
光り輝く天羽々斬を携えた祈が戻ってくる。
《使えるんかい!》
またしてもノエル篭絡工作が失敗し、思わずツッコミを入れる深雪。
危機を察知したのか、祈めがけて妖怪軍団が押し寄せてきており、まずはそちらをどうにかする必要があるだろう。
それに颯を救出にいったポチが妖怪軍団の妨害に合いまだ戻っていなければ、連れ戻さなければならない。
「深雪、お願い!」
《こ、今回だけだからな!》
ノエルの合図とともに、様々な姿の雪女達が現れて妖怪軍団を迎え撃つ。
これは深雪の素体となっている雪ん娘達が大人になった姿の具現化。
彼女達は強い力を持つゆえに妖壊と見做され危険因子として消されてきた者であり、つまり結構強い。
輝く氷弾の嵐が、閃く薄氷の刃が、音速の氷柱の矢が妖怪軍団を蹴散らす。
邪魔が入らずに本体の心臓を攻撃するチャンスだ。
>「お願いします。布都斯魂大神様。あたし達に力を貸してください」
「大丈夫、僕達が付いてる。ポチくん、いくよ!」
剣の柄を握る祈の手に手を重ね、ポチと共に力を注ぎ込む。
祈にとって慣れ親しんだ姿が一番いいと思い、敢えて深雪や乃恵瑠の姿にはならなかった。
自ら力を振るうのではなく力を注ぐだけなら、ノエルの姿でも支障はない。
206
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/08/15(水) 20:35:39
>「姦姦蛇螺。あたしがあんた達を受け入れる。あたしがあんた達の家族に……居場所になってやる。
あんたの“運命”を変えて、助けてやるよ」
祈は天羽々斬で倒された八岐大蛇が転生したという説に則り、姦姦蛇螺を転生させようとしているようだった。
神話上、天羽々斬で倒されたのは八岐大蛇だけであるため、本当のところは
天羽々斬に転生の力があるのか、倒された八岐大蛇の方にそういう力があったのかは分からないのだが――
「本当にそんなことが出来るのかって疑ってるだろう。出来るさ!
”かくあれかし――” 全ては信じたままに! ちゃんと転生できたらともだちになってあげるから頑張って!」
蛇神が転生したところでどう頑張ってもモフモフしてなさそうだがいいのだろうかとか、
相手の側にも変態お断りする権利があるのではないかとか、
そもそも斬られる側に何を頑張れと言っているのかとか、ツッコミどころ満載である。
そんな事はお構いなしに、ノエルは溶けない氷で昔の櫛のような形の髪飾りを作り、祈の髪に刺した。
「あげる。お守りだと思って付けて行って」
これもまた、鏡を作ったのと同じく深雪の姿ではできない芸当である。
何故櫛かというと、素戔嗚尊が八岐大蛇退治に行くときに櫛稲田姫を変化させた櫛を身に着けていったというエピソードになぞらえたもの。
そうした理由は八岐大蛇に食われないようにするために姿を変えたというのが表向きだが、
古来から櫛には呪力があると言われており、八岐大蛇に対抗するための呪具としての意味もあったという。
>「――あたしの、魂を賭けて」
ついにその時が訪れ、ノエルはそっと祈の背中を押して送り出した。
207
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/08/21(火) 22:54:28
>「ギィィィィヤァァァァァァァ!!!」
突如響き渡る悲鳴。
祈の母、楓の身柄を確保すべく駆け出していたポチも、思わず足を止め背後を振り返る。
目に映るのは、悶え苦しみながら消滅していく黒の大蛇。
呆気なさすぎる。姦姦蛇螺の心臓を潰せた、という訳ではなさそうだ。
祈の予想通り、あの大蛇は姦姦蛇螺の核ではなかった。
ならば――やはり、この戦いは今すぐにでも切り上げるべきだ。
直接の戦闘を避け、姦姦蛇螺にとって奪われてはならないものを奪い、逃走する。
それがベスト。
ポチは再び楓へと振り返り、そちらへ駆け寄ろうとして――しかし不意に、足元が強く揺れた。
予想していなかった現象にポチはよろめき、その場で膝を突く。
揺れは収まらない。それどころか段々と強くなっていく。
そして――
【……呪】
ふと、声が聞こえた。
ともすれば地響きに掻き消され、聞き逃してしまいそうなほど小さな声が。
【……怒】
【……死 ……憎】
【……妬 ……憂 ……狂】
【……嘆 ……悲 ……恨 ……憤】
だが声は次第に大きくなっていく。
それだけではない。
【……寥 ……怨 ……哀 ……痛 ……愁 ……哭 ……憐 ……悼】
【……滅】
声は、いつの間にかポチの周囲、あらゆる所から聞こえてきていた。
【滅。滅。滅――滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!!】
「う……」
その声は、ポチに何かをしてきている訳ではない。
ただ聞こえてくるだけ。
しかしポチの持つ獣の聴覚は、その響きに含まれた破滅の念を、過敏なほどに感じ取ってしまっていた。
叩きつけられる大音声。そして負の感情の波濤。
それらは狼の感性にとっては、刺激が強すぎる。劇薬も同然。
俄かに生じる鋭い頭痛に、ポチは立ち上がれない。
明らかに良くない事が起ころうとしている。
にも関わらず、それが起きるまでの貴重な数秒間を、結果としてポチは何も出来ずに過ごしてしまった。
そして――花畑の奥にあった祠堂が、音を立てて崩れ落ちる。
瓦礫の中から這い出してきたのは――心臓だった。
ポチの背丈の倍はあるだろう巨大な心臓。
その心臓が脈打つ度に、恐ろしいほどの妖気が周囲へと放出されていく。
妖気の風が花畑を駆け抜けると、その瞬間、一面に咲き乱れていた彼岸花が瞬く間に朽ち果てる。
>『……ォ……オァァァァァァァァァ……』
変化はそれだけではない。
茫漠とした荒野と化した地面から、声が聞こえてきた。
地面が再び揺れる。だが今度は、先ほどのような震動とは違う。
まるでそれそのものが生物であるかのように、地面が蠢いている。
いや――まるで、ではない。ここは姦姦蛇螺の体内。
この地面はまさしく、生きている。
ポチがその事に気づいた瞬間――不意に、地面が隆起した。
ただ盛り上がったのではない――何かを、形作っている。
>『嫌だ……嫌だぁ……どうしておれは死ななきゃならん……』
『こんな……こんなはずではァ……』
『助けて……痛い……苦しいィィィィィ……!』
その何かが、無数の妖怪の姿である事に気づいた瞬間、ポチは背後を、祈を振り返った。
彼女の腕は、既に青黒く変色していた。
姦姦蛇螺の瘴気と妖気は確実に、そしてここに来て急速に祈の体を蝕んでいる。
もう時間がない。ポチの思考に、焦燥が広がる。
208
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/08/21(火) 22:56:05
「っ……そうはさせるか……!」
己の足元から浮かび上がり、足を引っ張ろうとする妖怪の手を払い除け、ポチは立ち上がった。
そのまま地を蹴り、征矢の如き勢いで走り出す。
ポチの目的は変わらない。楓の身柄を奪い取り、ここから逃げる。
姦姦蛇螺に取り込まれた妖怪共や、得体の知れない心臓など相手にしている時間はもう、ない。
「邪魔だ邪魔だ邪魔だ!自分で選んでここに来たんだろう!今更僕らに縋り付くな!」
立ちはだかる亡者共を切り裂き、踏みつけ、蹴飛ばしながら、ポチは駆ける。
いかに『獣(ベート)』を受け継ぎし狼の王と言えど、無数の妖怪全てを倒す事は出来ない。
だが倒す必要もないのだ。
槍のように鋭く、強烈な勢いを以って突貫すれば、必要最低限の接敵で突き進む事が出来る。
そして――ポチは辿り着いた。
楓が磔にされた十字架、そこまで一足飛びに到達出来る間合いまで。
十字架に飛びつき、拘束具を捩じ切り、楓の身柄を奪い、十字架を足場に可能な限り遠くへ跳ぶ。
すべき事は極めて単純。
ポチが深く膝を屈める。
そして、地面を渾身の力で蹴った――その瞬間。
どぎゅん、と音が聞こえた。銃声だ。
PSG-1の秒間初速は868m/秒。
つまり――弾丸は銃声を追い抜いて飛翔する。
銃声が聞こえた時には、銃弾は既に命中している。
「く、あ……」
ポチの右目に、弾丸が命中していた。
鮮血が飛び散る。地を蹴り出していたポチの体が空中で仰け反り、亡者の群れの中へと落ちていく。
亡者達の手がポチの四肢を掴み、八つ裂きにせんと八方へ引っ張る。
「……僕に、触わるな……!」
だが、ポチはすぐに亡者共を払い除けると、再び立ち上がった。
右の眼窩からは今も血が流れ続けている。
けれどもその頭部は、未だ形を保っている。撃ち抜かれていない。
「お前達なんかに、構っている暇はない……」
不在の妖術を用いたのだ。
狙撃される直前、狼が持つ狩りの感性が、自分が今死地にある事を直感的に察し――
結果、放たれた銃弾を完全には躱せなかったが、眼窩の奥まで弾丸が到達する事は免れた。
「もう……時間がないんだ」
ポチの、爛々たる光を秘めた左眼が、狙撃手――伊草の袈裟坊を睨む。
そして――銃声。立ち上がったポチへと再び銃撃が行われる。
だが、存在を知られていなかった初弾で仕留められなかったのだ。
狙撃手の位置が判明してしまっている今、不在の妖術を用いるポチの急所を撃ち抜く事は叶わない。
ポチは、先ほどとは打って変わって、ゆっくりとした足取りで袈裟坊の方へと歩き出す。
「そう、時間がない……もう、何をするにしても」
不在の妖術で弾丸を躱しながら、ポチは手近な亡者の腕を掴む。
それを力任せに引き抜くと――そのまま振りかぶり、袈裟坊目掛けて投げ放つ。
撃ち落とされた。だが問題ない。
一瞬でも自分から照準が逸れたのなら――距離を詰める時間が得られる。
袈裟坊が再びポチに狙いを定めようとした時、ポチは既に袈裟坊の眼前にいた。
ポチの左手がライフルの銃口を握り潰す。
右手は、袈裟坊の首を、握り潰していた。
209
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/08/21(火) 22:56:38
「……ここまでだ。もう時間切れだ。祈ちゃんは、これ以上一秒だって、ここに留まるべきじゃない」
ポチの左目が祈の母、楓を捉える。
その眼光は見つめる、と言うよりかは――狙いを定める。
獲物を睨む獣の眼だった。
ポチは思考する。
楓を磔にしている拘束具を、すぐに外せるとは限らない。
もう時間がない。試している時間も惜しい。
もっと確実な方法がある。例え拘束具は外せなくても――齧り取ってしまえば。
最小限の時間で、祈の母を連れ帰れる。
頭の中で声がする。それではいけない、と。
祈の母を食らってどうする。
姦姦蛇螺から脱出した後で、胃の中の物を祈に見せびらかすつもりか。
無意味だ。そんな事をしても何の意味もない。祈が喜ぶはずもない。
「ああ……そうだよね。ちゃんと、祈ちゃんも一緒にしてあげないと」
楓をじっと見据えたままそう呟いたポチの毛皮からは――いつの間にか、宵闇色の妖気が溢れ出していた。
周囲に満ちる姦姦蛇螺の瘴気、焦燥、頭部への深い負傷。
『獣(ベート)』がポチの精神に忍び寄るには、十分過ぎる条件が揃っていた。
ふと、甲高い金属音が辺りに響いた。
振り返ればちょうど、祈が心臓を天羽々斬で斬りつけようとして――失敗している所がポチの目に映った。
祈は――風火輪に炎を灯して、大きく後ろへと飛び退いていった。
それはつまり彼女にも、もう出来る事はないという事。
「……大丈夫だよ、祈ちゃん。君も、君のお母さんも、連れ帰ってあげるから」
大きく跳び上がる軌道を描いてノエルの元へと戻る祈。
その着地点へと飛びかかるべく、ポチが軽く膝を曲げる。
そして、ポチが地を蹴る――その直前。
不意に、天羽々斬が光を発した。
神々しい光。その眩さが――正気を失いつつあったポチの精神を、俄かに照らした。
「っ……僕は、一体何を……『獣(ベート)』め、クソ……」
全身から溢れる宵闇色の妖気が徐々に弱まり、消える。
ポチは脳裏にこびりつくように残った、歪んだ思考を振り払うように頭を振る。
それから再び祈を見つめる。
>「二人とも! 天羽々斬、いまなら使えそう!
でもあたし一人で使ったら死にそうだから、手ー空いてる人は力貸してくれ!」
ポチは雪女達の援護を受け、亡者共の頭を足場代わりに、祈とノエルの元へと戻る。
祈を見つめ、口を開かないまま、彼女が天羽々斬を持つ右腕を掴む。
『獣(ベート)』の影響下からは逃れたとは言え、それで不安や焦燥が消える訳ではない。
祈のしようとしている事はどう考えても分の悪い賭けだ。
天羽々斬が本当にあの心臓を断ち切れるのか分からない。
自分とノエルが手を貸したからと言って、祈が死なずに済むのかも分からない。
もっと確実な手段はあるはずだ。
天羽々斬の光で亡者共を退けながら、祈の母を取り戻して逃げる。
姦姦蛇螺を無力化するならそれだけでも十分なのではないか。
だが――ポチはその考えを言葉にしようとして、やめた。
「……僕が、ロボを王様として死なせてあげようとした時。
祈ちゃん、君は……銀の弾丸を使わずにいてくれたよね。
本当はもっと、安全に、確実に、戦いを終わらせられたはずなのに」
ふと、ポチはあの夜の事を思い出していた。
あの時、ポチには安全や確実である事よりも、大切な事があった。
そして祈はその事を察して、自分を信じて見守ってくれた。
祈を守らなくては。無事に皆で帰らなくては。
ポチはその事ばかりを考えていた。
だが――今の祈が、あの夜の自分と同じであるならば。
自分も、あの夜の祈と、同じ事を彼女にしてあげなくては。
ポチは、そう決心を固めた。
210
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/08/21(火) 22:58:05
>「お願いします。布都斯魂大神様。あたし達に力を貸してください」
>「大丈夫、僕達が付いてる。ポチくん、いくよ!」
頭の中で、『獣(ベート)』が喚いている。
やめろ、と。上手くいく訳がない。祈を永遠に失ってもいいのか、と。
けれども、ポチはもう惑わされなかった。
「そんなに心配なら、お前が力を貸せよ。『獣(ベート)』」
ポチはふっと笑ってそう呟くと、祈の右腕から手を離す。
「今度は、僕が君を信じる番なんだね。いいよ、やろう」
そして今度は、ノエルと共に、祈に手を重ねた。
>「姦姦蛇螺。あたしがあんた達を受け入れる。あたしがあんた達の家族に……居場所になってやる。
あんたの“運命”を変えて、助けてやるよ」
瞬間、ポチの全身から『獣(ベート)』の力が溢れる。
その力の奔流が宿る先は――天羽々斬、ではない。
宵闇色の妖気は渦を巻きながら、祈の体へと纏い付いていく。
>「本当にそんなことが出来るのかって疑ってるだろう。出来るさ!
”かくあれかし――” 全ては信じたままに! ちゃんと転生できたらともだちになってあげるから頑張って!」
>「あげる。お守りだと思って付けて行って」
「君を守るよ、祈ちゃん。君が前に進むなら。僕は、送り狼だからね」
ポチが定めた『獣』の力――送り狼の縄張りを、無明の夜闇を顕現する力。
その力によって、姦姦蛇螺の口腔に飛び込んだ時のように、祈の存在を『不在』に出来れば。
もしかしたら天羽々斬の反動から逃れられるかもしれない。
あるいは『獣(ベート)』の妖気が天羽々斬の力を、上手く相殺してくれるかもしれない。
それとも――送り狼の、見送り、見届ける者としての加護が、彼女を守ってはくれないだろうか。
どんな理由でもいい。祈が無事であってくれる事を、ポチは願った。
>「――あたしの、魂を賭けて」
そして――決着の時が訪れる。
211
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/27(月) 23:44:34
>「その通り。今この瞬間において、ボクとクロオさんの戦力は完全にアナタを凌駕しています、もうひとりのボク――アスタロト」
>「降伏勧告をしておきますよ……姦姦蛇螺がいかに古々しき神性、大国主に連なる荒神といえど、簡単にはボクたちは倒せない」
>「でも!だからといって、ボクの勝利が揺るぐことはない!そう――」
>「なぜなら!ボクにはもう、アナタたちのその姿の綻びが。滅びの予兆が視えているのだから!」
>「そして、クロオさん。アナタに至っては、もうひとりのボクよりもさらに劣悪だ」
>「もうひとりのボクがガラスの器なら、アナタはさしずめ導火線に火のついた爆弾だ。おまけにその導火線はひどく短い」
>「ねえ、今は一分一秒でも時間が惜しいでしょう?……こんな無駄話をしている余裕さえないくらいにね……!」
姦姦蛇螺と一進一退の攻防を繰り広げていた酒呑童子は、アスタロトが告げた言葉にスッと目を細める。
薄笑いの様な気味の悪い笑みの浮かぶ中で見せたその表情は、掴み所が無く……だが、とても冷たいものだった。
>「ボクが手を下すまでもなく、アナタたちは自滅する。捨て身で得た力は、なんの福音も齎さなかったってことですよ!」
「はは、聡明で嫌になるな。腹が立つ事この上ねぇ。その減らず口を切り裂けば――――少しは愉快になるか?」
那須野が無理をしている現状。その危機を聞いたと言うのに、酒呑童子は気にも留めずにそう言うと、
標的をアスタロトへと切り替え、跳躍し、那須野の光弾とタイミングを合わせて拳による強襲を行う。
それは木端妖怪であれば塵も残さず破砕する威力の一撃であったが――――
>「防ぎなさい、颯さん!」
アスタロトの号令のもとに展開された妖気による防壁。
神の権能によって生じたソレが、酒呑童子の拳を肉体ごと弾き飛ばした。
空中で体制を立て直し着地した酒呑童子は、眼前に現れたその壁に手刀を突きいれようとするが
「……守勢に回りやがったか。神に知恵が入るとやり辛いもんだな」
手刀は、大樹が軋む様な音を上げさせたが……しかし、完全にその威力を受け止められた。
矢継ぎ早に放った蹴りも同様だ。
防衛に回った神というのは、各地の神話にある通り、とてもしぶとい。
この障壁も、酒呑童子が時間を掛ければ破砕する事は出来るかもしれないが――――その時間こそが、今は無い。
逆に、タイムリミットと言う切り札をその手に握るアスタロトは、己が優位を隠さぬままに告げる。
212
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/27(月) 23:45:20
>「どんなに否定しようと、拒絶しようと、いずれ夜は来る。それはこの世の理であり、『正しくあるべき姿』なのです」
>「それを――夜は嫌だと。昼がいいと。駄々を捏ねてどうなるというのですか?」
夜は必ず訪れる、と。
正しくあるべき姿であるソレを、何故それを拒むのだと。
>「終焉は受け入れましょう。それが正しい星辰の下に訪れたならば……ね。ただ、それは今じゃない」
>「アナタが下ろそうとしているのは、紛い物の夜の帳。不当なる遮蔽。ならば――それを受け入れることはできない。断じて!」
「……まあ、そうだわな。お前さん如きに夜を告げられる筋合いはねぇ上に……正しくあるべき姿ってのが笑わせる。
正しさなんか欠片もねぇ妖壊が、何の冗談だ? クソ坊主の説法くれぇには説得力がないぜ」
その言葉に対し、那須野と酒呑童子は各々に否定の意を述べる。
受け入れる事はできないと、そう告げる。
>「アハハハハハハ!それもいいでしょう!では死になさい、黄昏の到来に悶えながら!」
>「どんなに足掻こうと!どんなに藻掻こうと!アナタたちの矮小な力では、何も変えることなどできないということを思い知るといい!」
……だが、どれだけ強い言葉を用いようとも状況は変わらない。
手段が足りない。切れる札が少なすぎる。
アスタロトの言う通り、現状ではどれだけ足掻こうと結末は決まってしまっている。
>「クロオさん……すみません。ちょっと、読み違えてしまったかも」
「……みてぇだな。けど、この程度で諦めんなよ那須野。俺達にはまだ手段がある」
展開された悪魔の群れを前にして下りてきた那須野に対し、三日月の様に口を歪めた笑みを作り、酒呑童子は告げる。
「そうだ――――俺の心臓を戻せば、奴さんをぶち殺せる」
「そうすりゃあ、お前さんもまだ間に合う。無事で済む。中の連中だってそうだ」
「力の制御だってどうにかなるさ。実際成ってみれば大した事はねぇ。お前さんが思ってるより簡単に乗りこなせそうだぜ?」
「だから、那須野『俺の』心臓を――――」
酒呑童子がそこまで言った、瞬間であった。
213
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/27(月) 23:46:00
西の空から極光が訪れ――――空を覆わんと展開していた無数の悪魔達が、瞬きする間に灼け墜ちた。
那須野が瞠目するのと同時に、小さく舌打ちをした酒呑童子が、閃光の起点……自分達の背後へと振り返ると
>「いやぁ、ビックリしちゃったなぁ!いつも絶望的な戦いばかりしていると思っていたけれど、今回のこれはすこぶる付きだね!」
パーカーにジーンズ、スニーカー。
この絶望的な戦場に、あまりに似つかわしくない日常の延長線上の様な洋装と、穏やかな声。
>「やあ、大公の半身。こちらではお初にお目にかかる!それから……ミスター。随分縮んじゃったものだね?見違えた!」
謎のイケメン騎士R――――を、自称する男。
先の猿夢との戦いの中で、未知数の力を顕示した存在が、其処に居た。
>「これは、レディの意思でね。キミたちを助けろ、と――この窮地を救えと。だからわたしは来た」
>「レディ?レディベアの?……どういうことです?」
>「……まぁ、ぶっちゃけて言うと、レディの命令ってわけじゃないんだ!完全にわたしの独断!暴走行為ってやつかな、はっはっは!」
Rは気楽な態度で告げる。自身はレディベアの意を汲んで此処を訪れたのだと。
その言葉を信用出来るかと問われれば……尾弐であればNoと答える事だろう。
「余計な御託は聞くつもりはねぇよ。協力するって言うのなら、さっさと力を絞り出しやがれ――――喰い殺されてぇのか」
だが、信用は出来ずとも、現状では降って沸いたその力を頼る他無い。
アスタロトの展開する物量の壁を打ち破るには……それを凌駕する切り札が必要であるからだ。
>「では。そういうことだから――微力ながら助太刀させてもらうよ、東京ブリーチャーズ」
>「わたしの名前は、まだ明かせないけれど……今この戦場でだけは。騎士として、全身と全霊を諸君のために使おう!」
告げると共に、Rが手に持つ十字の聖剣が光を増す。
>「――1と3より成る聖遺物よ、神の徴よ。今こそ其の奇蹟を諸人に顕さん。主の前にまつろわぬ、総ての敵を討ち滅ぼせ――」
>「――悉皆斬断。『不抜にして不滅の刃(インヴィンシヴル・デュランダル)』!!!」
そして、剣は振るわれた。
眼球が焼かれそうな程に眩く清浄な光は、アスタロトの旗下の魔物達を薙ぎ払い、あれだけ頑強であった姦姦蛇螺の防壁さえも打ち砕く。
――――道が、出来た。
姦姦蛇螺へと辿り着く道。その内で戦う仲間達を助ける為の道だ。
この機を逃せば、もはや好機は無い。
214
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/08/28(火) 00:00:02
>「今です!攻めてください、クロオさん!」
「……。ああ、了解だ那須野」
酒呑童子は一瞬無表情となり沈黙したが、直ぐに気味の悪い笑みに戻ると、那須野の言葉に追随して拳を握る。
「追われた恨み、討たれた痛み……狂う程に苦しいか、蛇神」
「そんなに憎いなら、そんなに苦しいなら――――もっと、苦しめ」
直後、尾弐の右腕が音を立てて肥大化した。
その身体とは余りに不釣り合いな大きさの腕は、先のオセとの戦いにおいて雪妖の力を借りた時のものに類似しているが……しかし、当時と比べても余りに醜悪であった。
右腕の外皮は破れ、黒々とした筋肉がむき出しになっており、其処からは瘴気を含むどす黒い血液が垂れ流されている。
血を流し脈打つその様子は、まともな人間が見れば胃の内容物を吐き出してしまう様におぞましく……恐ろしい。
「此の身は全てを呪う。
人仏妖、万物万象は我が怨敵なり
憎悪こそ我が魂
怨嗟こそ我が血肉
今此処に、我が名を以って我が悪徳を示す――――」
「――――『酒呑』」
酒呑童子が地を蹴り、呪を唱える。
言葉と共に、肥大化した腕の血液……垂れ流されていたそれが、まるで火で焼かれたかの様に沸騰を始め、周囲にアルコールの臭いをまき散らす。
振りかざされたその拳が纏う性質は、ある種の毒だ。
触れた部分には高濃度のアルコールと同じ性質が付与させられ―――燃え、爆ぜる。
それは、人であろうが、神であろうが、関係ない。
全てを憎み焼く呪詛。
酒呑童子は、その拳を躊躇う事無く姦姦蛇螺へと叩き付ける――――。
215
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/01(土) 23:02:25
>姦姦蛇螺。あたしがあんた達を受け入れる。あたしがあんた達の家族に……居場所になってやる。
>あんたの“運命”を変えて、助けてやるよ
祈の言葉に応じてか、天羽々斬の刀身が発する輝きがどんどん強くなってゆく。
>本当にそんなことが出来るのかって疑ってるだろう。出来るさ!
>”かくあれかし――” 全ては信じたままに! ちゃんと転生できたらともだちになってあげるから頑張って!
>君を守るよ、祈ちゃん。君が前に進むなら。僕は、送り狼だからね
二体の『災厄の魔物』が、ちっぽけな半妖に力を貸し。
宝物殿の奥に長い間鎮座していた神剣に、かつての力を取り戻させる。
眩い輝きが、やがて祈の全身をも包み込む――。
【滅!滅!滅!滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!】
姦姦蛇螺の放つ呪詛の力が一層強くなる。
だが、それは今まで発していた怒りや憎しみの力とは少し異なる。
『恐怖している』。
八岐大蛇を討伐した力を発揮する神剣に対して。自身の体内にあるにも拘らず、自らの一部とならない【災厄の魔物】に対して。
そして――本来決して協調することのない、巡り合うはずのない者たちが力を合わせていること。
それを齎した、多甫 祈に対して怯えている。
【滅滅滅!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!】
耳をつんざくような大音声で繰り返される呪いの念が、どんどん早くなってゆく。
それは、三人のちっぽけな妖怪に対して恐れを抱いているがゆえの動悸の速さのようにも聞こえる。
もはや東京ブリーチャーズにとって姦姦蛇螺は脅威ではない。――ならば。
やるべきことは、ひとつだった。
>――あたしの、魂を賭けて
風火輪が激しく炎を噴き上げる。祈の身体が姦姦蛇螺の巨大な心臓に接近する。
姦姦蛇螺は取り込んだ日本妖怪軍団を操り、物量で祈を包囲しようとしたが、妖怪たちの伸ばす手は祈にはかすりもしない。
ノエルが祈に与えた櫛。ポチが祈に施した、不在の力。
そして、今は目を開けていられないほど強くなった天羽々斬の光が、蛇神の眷属を退けている。
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
ほとんど絶叫のように妖力を迸らせる、姦姦蛇螺の心臓。
心臓の表面に浮かび上がった団三郎狸の顔が、ふたたび心臓に鋼鉄化の妖術を施すものの、真の天羽々斬の前には何の意味もない。
天羽々斬が心臓に突き立つ。巨大な蛇神の核が一閃される。
その瞬間、天羽々斬から今までで一番強い光が溢れる。
【滅滅滅!!滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!】
姦姦蛇螺の心臓が激しく脈打つ。一閃された切れ目から濁流のようにどす黒い液体が迸り、祈の全身を染めてゆく。
どくん、どくん、と鼓動するたび吐き出される大量の液体には、夥しい量の呪詛が。怨念が詰まっている。
もちろん、力の弱い半妖に過ぎない祈がそれを浴びて無事に済むはずがない。
神の呪いが含まれた体液だ。ほんの一滴でも、この地球上にあるいかなる毒物より激烈な致死性がある。
それを身体中に浴びた祈は、本来ならば瞬時に絶命しているはずだ。……本来なら。
だが、祈は死ななかった。
祈の身体の周りを舞う天羽々斬の燐光が、祈を呪詛から守っている。
【滅!滅!滅! ……滅!……滅……】
心臓の動きが、徐々に緩慢になってゆく。噴き出す体液の勢いが弱くなってゆく。
姦姦蛇螺の撒き散らす呪詛も、その勢いを弱めてゆく。
【……滅 ……恐 ……哀 ……怖】
【……憐 ……哭 ……悲 ……嘆】
【……寂】
ぴしり。
妖術によって鈍色になっていた心臓の色が通常の肉色になり、次いで灰色に変わる。
天羽々斬によって断ち斬られた場所に亀裂が入り、石くれと化した心臓はやがてガラガラと崩れ去った。
216
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/01(土) 23:02:50
『オ……オォオォォオオォオオオオ……』
姦姦蛇螺の心臓が砕け散ると同時に、取り込まれていた日本妖怪たちが苦しみ始める。
その形を保てなくなり、ゆっくりと崩れていく。地面に埋没してゆく。
と、祈とノエル、ポチのいる神の胎内が大きく震動を始めた。壁面が、天井がガラガラと崩れる。
祈が心臓を破壊したことによって、姦姦蛇螺の神力が消滅したのだろう。急速な崩壊が始まっている。
すぐに脱出しなければ、せっかく姦姦蛇螺を斃してもすべて水の泡だ。
不意に颯を拘束していた磔台が消え失せ、颯の身体が地面にどっと投げ出される。
三人のうち誰かが駆け寄れば、意識はないものの呼吸はしっかりしており、確かに生きている――ということがわかるだろう。
石化を始める姦姦蛇螺の胎内。鳴動する地面と、音を立てて落下してくる天井。
まさに、アクション映画のクライマックスといった状況だ。
しかし一見絶体絶命のピンチでも、『災厄の魔物』であるノエルとポチがいれば物の数ではないだろう。
問題は、どうやって神の胎内から外へ出るか、という一点だけだが――。
>――――『酒呑』
ゴアッ!!!
不意に、尾弐の声が聞こえた。そして次の瞬間、突如として祈たち三人のいる場所の右側の壁が爆散する。
壁面に祈たちの身長を優に超える大穴が開き、新宿御苑の景色が見える。と同時、濃厚な酒精のにおいが周囲を満たしてゆく。
ノエルとポチには、それが姦姦蛇螺とは異なる神の系譜に連なるものの力ということがわかるだろう。
即ち、鬼神の力。
外に少年に変わった尾弐や毒竜に跨った橘音、それからいつの間に来ていたのか、謎のイケメン騎士Rの姿が見える。
三人は酒呑童子と化した尾弐の開けた穴から、外へと脱出することができる。
姦姦蛇螺の胎内に入っていた時間は実質30分にも満たなかったが、体感としてはもっともっと長く感じられただろう。
東京の決して清浄とは言えない空気も、姦姦蛇螺の中で呼吸するよりははるかにマシだ。
三人が神の胎内からの帰還を果たすと、橘音は半面の奥で満面の笑みを浮かべた。
「皆さん!ご無事で何より……!首尾よく姦姦蛇螺を仕留められた、ということですね!」
三人の顔を順番に見遣ってから、最後にぐったりしている颯へと視線を向ける。
「……颯さん……。よかった」
姦姦蛇螺討伐や帝都防衛ももちろんそうだが、橘音にとって今回一番の成果とは何と言っても颯の救出だろう。
ずっと悔やんできた。ずっと自身を罰してきた。
ずっと、謝りたいと思っていた――しかしできなかった、過去の罪。
それを、やっと雪ぐことができるのだから。
「やあ、みんな!今回もとんでもない戦いだったみたいだねえ!」
謎のイケメン騎士Rがヒラヒラと右手を振る。
「でも……いつものように愛と勇気で逆境を乗り越え、君たちは見事に勝ち残った。素晴らしい!」
「特に祈ちゃん。君があの神の胎内でどんな戦いをしたのか、わたしに知る術はないけれど――おおむね予想はできる」
「よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ……って、ね」
そう言ってにっこり笑うと、Rは踵を返した。
「わたしの役目は終わりだ。じゃ、おいとまさせてもらうよ。美形はクールに立ち去るものだからねえ!ははは!」
「それじゃ、東京ブリーチャーズの諸君!ご機嫌よう!」
おどけて軽く敬礼の真似事をすると、謎のイケメン騎士Rは新宿御苑を去っていった。
姦姦蛇螺の討伐に成功し、祈も、ノエルも、ポチも無事に脱出できた。
そして、死んだと思われていた――長年神の贄として拘束されていた、祈の母。颯も助け出すことができた。
戦果としてこれ以上は望めまい。絶望的な状況を覆し、祈たちは勝利を収めたのだ。
……それなら。
217
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/01(土) 23:03:27
「ば……、バカな……」
アスタロトが呆然とした様子で声を漏らす。
神の防御は堅牢無比。それは、古くは天照大神の天岩戸隠れなどの逸話によって実証されている。
神が一旦守勢に転じれば、それはもう何人にも突破することはできない。それは理屈ではなく『そういうもの』なのだ。
だというのに。
尾弐――酒呑童子の放った拳撃によって、姦姦蛇螺の右脇腹はごっそりと抉られ、今や大きな穴が出来ていた。
「こ、こんな不条理なことがあっていいわけがない!物理法則だとか、自然の節理とか、そういうんじゃないんだ!」
「『神の守りは破れない』――それがこの世界のルール!『かくあれかし』なのに――!!」
「……いや」
到底受け入れられない現実に我を忘れてまくし立てたアスタロトだったが、そこまで言ってふと沈黙した。
そして、探偵としての――天魔としての知識を総動員させる。
「まさか……いや、そうだ……!そういうことか……!」
「クロオさんの力!そう……それは、間違いない!酒呑童子……アナタの一番有名な伝説!」
「――『神変奇特酒』――!!」
神変奇特酒。人が呑めば力を与え、鬼が呑めば毒となるという、大江山の酒呑童子伝説に語られる神酒。
源頼光と四天王は酒呑童子討伐に乗り出した際、神より賜ったその酒を酒呑童子に呑ませて弱らせ、首を獲ったという。
だが、その伝説は正しくない。本当の『神変奇特酒』の効能とは、そのようなものではない。
そもそも、源頼光が使用した道具でさえない。神変奇特とは、酒呑童子の力そのもの。その妖力の源泉。
その権能はひとつ。
『特』別な者を『奇』しき者へと『変』貌させる『神』の力。
世界の理を逆しまに塗り替える、反転の妖力のことを指すのである。
清浄なものを、邪悪なものへ。
強靭なものを、脆弱なものへ。
それは、あたかも川の流れが下から上へとなるように。
万理万象を悉く反転させる酒呑童子の力を用いれば、『神の防御は何者にも破れない』という理を崩すことなど造作もない。
むしろ、その理が堅牢であればあるほど、酒呑童子にとっては容易な相手ということになる。
この世の全てを憎み、燃焼させる呪詛。
常識を打ち破り、捻じ曲げ、反転させる妖力。
その二種類の特性を持つがゆえ、酒呑童子は平安の世で最凶と謳われ、今なおもっとも有名な鬼として君臨しているのだ。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッ!!!」
右脇腹を大きく削り取られた姦姦蛇螺が、その巨体を天に届くほどに高く伸ばして仰け反り、もだえ苦しむ。
蛇体の末端が徐々に石化してゆき、灰色に変わってゆく。
変化は勢いを増し、姦姦蛇螺の全身が彫像のように固まってしまう。
石になった六本の腕が肩から、肘から崩れ落ち、轟音と共に地面に落下しては粉々になる。全身に細かなヒビが入る。
封印を解かれ、日本妖怪たちを片端から啖い、暴虐の限りを尽くし。
今にも御苑から出て大殺戮を繰り広げようとしていた、太古の大蛇神――姦姦蛇螺こと御社宮司は、やがて音を立てて崩れ去った。
「こんな……、こんなこと……!」
崩れ落ちる姦姦蛇螺の肩から跳躍し、空中に逃れたアスタロトが信じられないといった表情を浮かべる。
「か、姦姦蛇螺……ですよ……?大国主に連なる荒神だ!現状、動かせる神で姦姦蛇螺より強い神性なんてこの日本にはいない!」
「しかも、上級天魔の妖力を三体分も注ぎ込んだ!姦姦蛇螺を蘇らせるのに、いったいどれほどのコストがかかったことか!」
「斃せるはずがないんだ……、負けるはずが……!こんなの、何かの間違いだ……!」
黒い半狐面を押さえ、アスタロトが歯噛みする。
しかし、現実は確かにここにある。状況は完全に逆転した。
「クソッ!」
短く捨て台詞を吐くと、アスタロトは瞬時にその場から姿を消した。
日本妖怪軍に甚大な損害を齎した邪神、御社宮司――姦姦蛇螺は完全に滅びた。
戦いは終わった。
218
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/01(土) 23:03:50
しかし、姦姦蛇螺が消滅したからといって何もかもが終息したわけではない。
いや、むしろここからが大変だろう。天魔の力を持て余す橘音に、酒呑童子と化した尾弐。
このふたりをどうにかしなければならない。でなければ、今度はこの二人の力によって東京が壊滅しかねない。
そうならなかったとしても、ふたりが死んでしまう。それでは、せっかく姦姦蛇螺を討伐してもなんの意味もないのだ。
そんなとき。
東京ブリーチャーズの周囲に、突然膨大な妖力が渦巻く。
ただし、妖気は姦姦蛇螺の発していたようなものではない。どちらかというと清浄な気を持っているように感じられる。
そう、それはまるで、大天使長ミカエルが降臨したときのような――。
とはいえ、満ちてゆく気はミカエルのものではない。
その証拠に、いつの間にか東京ブリーチャーズは今いた新宿御苑内ではない、どこか別の空間に転移していた。
それは、大きな神社の拝殿のような空間だった。
等間隔に立てられた朱塗りの柱に、磨き上げられた床板。辺り一帯には心地よい空気が流れ、邪悪の気配はまるでしない。
ブリーチャーズのいる広間の前方には十段ほどの階段がついた祭壇状のスペースがあり、御簾が掛けられている。
狐面をかぶり、真っ白な直衣に身を包んだ脇侍たちが二十人、祭壇に至る毛氈の両脇にはべっている。
「あ――」
不意に、橘音が声を上げる。驚きに満ちた声だ。
祈やノエル、ポチは知らないだろうが、尾弐はこの場所に見覚えがあるだろう。
目も眩むような金銀で飾り立てられた、煌びやかな宮殿。この世ならざる場所にある、妖狐族の本拠地。
その名を『華陽宮』。
神楽の音色でも聴こえてきそうなほど荘厳な空間だが、突然シャカシャカシャカシャカ!ドドドゥン!とけたたましい爆音が鳴る。
まるで、どこかのクラブでDJがターンテーブルをスクラッチしているかのような音だ。
いや、実際にそうらしい。どこからか聴こえてきたのは笙の音色でも篳篥でもなく、エレキギターの音。
ドラムやベースの音も聴こえる。やたらハイテンポでハードコアな楽曲と共に、前方の御簾がシャッ!と開く。
そこから出てきたのは――
「三倍アイスクリィィィィィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム!!!!」
見た目祈やレディベアとあまり変わらない、中学生くらいの容姿をした少女だった。
きらきらとそれ自体が光源であるかのように光り輝く白金の髪は、頭の低いところでツインテールに纏められている。
首には大きなヘッドホンが掛けられているが、コードはどこにも繋がっていないらしくブラブラしていた。
トップスは臍出しのTシャツで、両手には安っぽいデザインの念珠やバングル、指輪をジャラジャラつけている。
デニムのショートパンツに、ボーダーのサイハイソックス。靴はどぎついピンク色のスニーカー。
どこから見ても現代人だが、しかしその頭頂部には大きな狐耳が生えており、腰の後ろからは輝く九本の尾が生えている。
ハイテンションで御簾から飛び出してきた、この少女こそ。妖狐族の頂点にして天竺、支那、日本を荒らし回った大妖怪。
橘音に命じて東京ブリーチャーズを結成させた、妖壊討伐チームの生みの親。
白面金毛九尾の狐、玉藻前こと――『御前』だった。
「セイ、ヨー!ぷっちょへんざ!……わらわちゃんがぷっちょへんざって言ったら、ぷっちょへんざするんだよ?」
「ハイそこの『獣(ベート)』!ぷっちょへんざ!……ぷっちょへんざって知ってる?」
ズビシィ!とガン・カタばりの珍妙なポーズでポチを指差す。
「あ、あのぉ……御前……?」
呆気に取られていた橘音がやっと我に返り、おずおずと御前に声をかける。
「あっれぇ〜?みんなノリ悪いな〜。どうなってんの〜三尾〜?わらわちゃん言ったよね?ノリのいい子を集めてねって?」
「ぁ、はぁ……すみません……」
「まーいいやー。今日はわらわちゃんの生放送の視聴者として呼んだわけじゃないしぃ」
よいしょー。と能天気な声音で言うと、御前は祭壇の途中の階段に腰を下ろした。
すかさず、橘音が仲間たちの方を振り返る。
「え、ええと。……皆さんは初めてお会いするかと思うのですが……ボクの上司。白面金毛九尾の玉藻御前です」
「よっろしくぅ!気軽にタマちゃんって呼んでね☆」
御前はひらひらっと右手を振り、にこやかに笑った。
219
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/01(土) 23:07:50
「……それで御前、今日は何のご用件で……?ボクたちには、あまり時間がなくて……」
「だぁーから!時間がないから、わざわざわらわちゃんが華陽宮までそなたちゃん達を呼びつけたんじゃん!」
橘音の言葉に、ぷぅー。と御前は頬を膨らませた。
「三尾のその姿、久しぶりに見た。今改めて見るとイケてんじゃん?前はダッサ!と思ったけど、流行も変わったからさー」
「あと、オニクロもー。死ぬほど嫌ってたその力を使っちゃうとか、超ヤバヤバじゃん?」
御前はピンク色のスニーカーを履いた両脚を交互にぱたぱた振りながら言う。
「まーァ、あっちが御社宮司を出してくるなんて、正直わらわちゃんにも予想つかなかったんだよねー。ビックリ!」
「んで、こりゃみんな死ぬかなーって思って見てたんだケド、そなたちゃん達は御社宮司をやっつけちゃって。二度ビックリ!」
「ホントは神格の面から見ても、ひっくり返ったってそなたちゃん達には御社宮司を斃すことなんてできないハズなんだケドぉー」
「やー、ホンット、よくやったよねーみんな!エライエライ!ってことで――」
にぱぁー、と御前が満面の笑みを浮かべる。右手を軽く挙げ、パチン、と指を鳴らす。
と、次の瞬間。
「ぅぐ……、ぐァァァァァァァッ!!!??」
強力な妖力で造られた檻が、尾弐と橘音の全身を拘束した。
妖力や妖術の類を一切使えなくする結界だ。それも大妖怪・玉藻が手ずから作り上げた檻である。
酒呑童子の反転の妖力をもってしても、この檻は破れない。
檻の中で雷霆が荒れ狂う。全身を苛む激痛に、橘音は絶叫した。尾弐にも激烈な痛みが齎されるだろう。
「こ……、これ……は……!?」
「大人しくしといた方がいいよー。その檻は強大な妖怪であればあるほど効力を発揮する、わらわちゃんの特製だからぁー」
「黙ってればじきに解放されるから、ちょぉーっと大人しくしといてねー?その間ヒマ?わらわちゃんのYouTube動画観る?」
どこからかノートパソコンを取り出し、モニターを東京ブリーチャーズの面々に見せる。
画面には、華陽宮に設置したDJブースでターンテーブルをスクラッチする御前の姿が映し出されていた。
「DJタマモとおひめちゃんって知らない?けっこー登録人数多いんだけどなー。よかったら登録してね!にひっ」
橘音と尾弐を拘束しておきながら、そんな能天気なことを言っている。
「まーいーや。んじゃ……あとは、そなたちゃんたち三人ね!」
ぽんぽんっと両手を叩くと、狐面をかぶり赤い袴を穿いた巫女が数人やってきて、三人の前に膳を置いていった。
漆塗りの膳の上には、祈にも馴染みのお菓子(カント○ーマァム的な)とオレンジジュースの入ったグラスが乗っている。
シチュエーションさえ考えなければ、実に小市民的と言えるだろう。
「まーまー、お菓子でも食べてゆっくりしてよ!それに――いろいろ、話したいことだってあるだろうからさー?例えば――」
「コレのこと、とか」
御前はノートパソコンを取り出したときと同じように、今度は小さな虫かごを取り出した。
夏休みに小学生がカブトムシを入れるような、小さなプラスチックの虫かご。
その中には、一匹の小さな赤紫色の蛇が入っている。
三人に見覚えはないだろう。けれど、それが何なのかを悟るのは簡単だったに違いない。
……姦姦蛇螺。
天羽々斬によって斬られ、その末に力を喪って転生したのであろう、蛇神のなれの果て。
「さて――お話ししよ。いろんなコト……ね」
あどけない面貌に、隠しきれない大妖怪の圧を滲ませ。陽炎のように揺らめく九本の尾から、膨大な妖気を覗かせて。
御前はにへぇ……と口許をだらしなく緩めた。
220
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:10:48
>「本当にそんなことが出来るのかって疑ってるだろう。出来るさ!
>”かくあれかし――” 全ては信じたままに! ちゃんと転生できたらともだちになってあげるから頑張って!」
>「あげる。お守りだと思って付けて行って」
ノエルはそう祈を励まし、氷で作った櫛を祈の髪に刺してくれた。
頭部から感じるひんやりとした感触が、この息苦しい場所では心地良く、
ノエルが付いていてくれるような頼もしさを感じる。
「おう。ありがと、御幸」
祈は前を見据えたままに礼を言う。
>「今度は、僕が君を信じる番なんだね。いいよ、やろう」
>「君を守るよ、祈ちゃん。君が前に進むなら。僕は、送り狼だからね」
ポチから放たれた獣《ベート》の宵闇色の力が、渦を巻きながら祈へと絡みつく。
すると己の背後に、影に何かが潜んでいるかのような感覚を祈は感じた。
だがそれは悍ましい感覚ではない。何かが影にいて自分を見守ってくれているような、
そんな温かい感覚だった。
「信じてくれてありがと、ポチ」
またも、前を。心臓を見据えたまま祈は応える。
二人の仲間。重ねられた手。
氷雪の力は祈の手を通し、天羽々斬へ注がれ、
獣《ベート》の力は祈の手を通し、祈を守る影となった。
天羽々斬が今までとは比較できない程の輝きを放つ。
「……じゃ、行ってきます」
祈は両手で握った天羽々斬を、地面と水平に、顔の横へ持っていった。
体力の消耗で僅かに揺らいでいる視界から、天羽々斬の切っ先を見失わないように、
切っ先と視線の先にある姦姦蛇螺の心臓を合わせたのだった。
その構えのまま祈は右足一歩踏み出し、足に妖力を集中させる。
送り込まれた僅かな妖力に風火輪が応え、ウィールが回転。祈を前へと進ませた。
加速。そして、混じり合う妖怪達の群れの直前で、祈は左足で跳躍。
妖怪たちの頭上へと跳び上がり、風火輪に炎を噴き出させ、空中を駆けた。
だが、僅かばかり残された妖力では十分な炎を噴き出させることは叶わない。
シュボッ……ボボッ!
ガス欠を起こしたかのように噴出する炎が途切れ途切れになり、
満足な高さの維持すらできない祈だったが、
風火輪を履いた足を引きずり落とそうと妖怪の手が殺到しても、その足を掴まれることはない。
どんな妖怪であっても、祈の突進を止められなかった。
全てをすり抜ける、ポチの不在の術。
ポチの纏わせた影が祈に誰も触れさせない。
(さすがはポチ――!)
祈は誰に捕まることもなく妖怪達の頭上を飛び越し、姦姦蛇螺の心臓へと数メートルの位置まで近付く。
221
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:12:23
【滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!】
だが、祈が姦姦蛇螺の心臓に近付くにつれ、
姦姦蛇螺の心臓の脈動は早く、そして強くなる。
絶叫のような声と共に放たれる痣色の妖気は、もはや波濤か津波となって、祈を強く拒む。
目が眩むほどに輝く天羽々斬がそれを打ち消すが、
それでも近付ききれず、祈は空中で押し留められる形となった。
否、それどころか。
(押し返される……!?)
風火輪にどれだけ残った妖力をつぎ込んでも、
祈は心臓に辿り着くことはできず、後方へと押し返され始めていた。
激しい恨みや憎悪が込められた妖気の波動。
それを打ち消しながら突破するには、祈はあまりにも力不足であったのだ。
祈はぎり、と歯噛みした。
妖力は尽きかけ、姦姦蛇螺の妖気に蝕まれて体力も限界。
このままでは心臓に到達することもできずに祈は死ぬだろう。
これ程までに祟り神の、恨みや憎しみの力とは強いものなのか、と祈は思い知る。
ふと、電話越しに聞いた祖父の言葉が蘇った。
>『姦姦蛇螺とは『まつろわぬ者』、山窩や蝦夷、宿儺、土蜘蛛といった化外の民が崇めていた神じゃ』
>『大和民族によって生活圏を追われ、駆逐され、滅びた民の怨嗟――それを姦姦蛇螺は原動力としておる』
>『その力は強大じゃ、ひとの感情の中でもっとも昏く、強く、恐ろしいもの……それは『恨み』の力に他ならぬからな』
ひとの感情の中でもっとも昏く、強く、恐ろしいもの。それは『恨み』だと祖父は言った。
恨みがもっとも強いものなら、勝てないのも当然なのかもしれなかった。
(――違う)
それを祈の心の奥底の声が否定する。
>「アナタがそう言ってくれるのなら……これから。少しでも気持ちを改められるよう、努力したいと思います」
仮面の奥に表情だけでなく罪悪感をも隠していた橘音の、前向きな言葉を聞いた。
>「……つまり、万事上手くいけば、誰もが幸せに終わるハッピーエンドって訳だ」
妖壊を憎み、己を憎み、ハッピーエンドを許せなかった尾弐が言う。
>「……仲間たちを信じなさい。最後まで……その想いが君を強くする、希望を切り拓く――忘れるんじゃないよ」
きさらぎ駅から逃げるさなか、助けてくれた父の言葉が祈の背を押す。
>「今度は、僕が君を信じる番なんだね。いいよ、やろう」
突っ走りがちだったポチが祈を信じて託してくれた。
>「本当にそんなことが出来るのかって疑ってるだろう。出来るさ! ”かくあれかし――” 全ては信じたままに!
ノエルがいつものように祈を送り出してくれる。
(――違う。一番強いのは、恨みや憎しみなんかじゃない!)
祈は知っている。
この世で一番強いのは恨みや憎しみなどではないことを。
仲間を思い浮かべた時、この心に宿る暖かな気持ち。
絆、信頼、友情、家族。何気ない日々、思い出。
世界を回すこの想い。
誰かを想う愛こそが、この世で最も強いのだと。
だが、姦姦蛇螺はこの気持ちを知らない。
死の淵。敗北の間際。世界を命運を分かつこの一瞬。
祈の中で、何かが弾けた。
222
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:18:17
「ぐ、ぅうぅううううぅううううがああああああ……っ!!」
痣色の妖気の波動を打ち消す天羽々斬の光。
その余波で波打つ祈の黒髪。
その色が褪せて――鉄錆か炎かという燃えるような赤へと変わる。
両瞳の色は、満月のように輝く金色に。
灰のパーカーやショートパンツは
ターボババアが着ていたライダースーツのような、漆黒へと染め上げられている。
それは、変化すらできず、妖怪としての姿も持たない少女の。
紛れもない変身だった。
(あたしが負けたら誰がこいつを助けてやれんだ!
これだけ強い恨みを持ったこいつだからこそ、このあったかい気持ちを知るべきなのに!)
祈の足元で、風火輪が勢いを取り戻し、
見たこともない程に激しく炎を燃え上がらせる。
――ゴォオオッ!!
勢いを取り戻した風火輪の力で、
痣色の妖気の波動を押し退け、再び祈は姦姦蛇螺の心臓へ向かって、宙を進む。
あとわずかで天羽々斬が届くというところで
心臓の表面に狸妖怪の顔が浮かび上がり、心臓が鈍い銀の光沢を纏う。
狸妖怪の術が、再び心臓を鋼鉄に変えたのだ。
だが。祈は止まらない。
(そんであったかい気持ちを知るためには、“祟り神の体が邪魔”なんだ。
復活してもまた祟り神になっちゃったら意味がない。
だから別の物に生まれ変わらせるしか――祟り神としての運命を変えるしかない!)
祈は勢い良く体ごと突っ込んで、姦姦蛇螺の心臓に天羽々斬を突き立てた。
ただでさえ、天羽々斬の刃は八岐大蛇をも切り裂く威力を持つ。故に鋼鉄などものともせず。
そしてモース硬度において、マイナス70度を超える純粋な氷は鋼鉄を超えた硬度を持つとされる。
規格外の氷雪妖怪、ノエルの妖気を注がれた天羽々斬はその芯に恐るべき氷の性質を宿しており、
硬度において狸妖怪の鋼鉄を遥かに上回っていた。
故に、いかに変化によって心臓が鋼鉄に変えられていようとも、
刃こぼれ一つ起こすことはなく。
熱したナイフで冷えたバターを切るかのように、突き立てた刃は呆気なく心臓奥深くへと突き刺さる。
(だから、運命――)
心臓に突き刺さった瞬間、天羽々斬の輝きが極大になる。
「――変ぁわれぇえええッ!!!!」
喉が破れるかと思う程に祈は声を上げた。
祈は突き刺した剣を薙ぎ、一閃。姦姦蛇螺の心臓を横一文字に切り裂いた。
刀身から放たれた光が空間を満たし、姦姦蛇螺の妖気を討ち払っていく。
223
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:20:11
僅かな後に、光が収束する
【滅滅滅!!滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!】
しかし、その光が収まっても。
姦姦蛇螺の心臓は未だ、叫び続けていた。
祈が作った傷口からどす黒い血液を噴き出しながら、恨みや憎しみの声を上げ続けていた。
心臓から噴き出すどす黒い血液もまた、姦姦蛇螺の妖気のように猛毒であったが、
祈はそれを浴びても、死ぬことはなかった。
祈へとわずかに移った燐光、天羽々斬の力の残滓や、
ノエルの渡した櫛が祈を守ってくれていたからであろう。
【滅!滅!滅! ……滅!……滅……】
姦姦蛇螺の心臓にはもう、妖気の波動を放つだけの力はない。
血液を噴き出す力も、脈動も徐々に弱まっていく。祈達は、勝ったのだ。
祈の姿がいつもの姿へと戻る。
祈は剣を降ろし、姦姦蛇螺の心臓に手を当てた。
【……滅 ……恐 ……哀 ……怖】
【……憐 ……哭 ……悲 ……嘆】
「その気持ちは、もう手放していいんだ。姦姦蛇螺。これからはあたしが一緒にいてやる」
【……寂】
「だから今は、安心しておやすみ」
祈が姦姦蛇螺の心臓にそう囁くと、心臓は動きを止めた。
表面を覆っていた鈍色が失せ、肉色に。そして石のような灰色に染まったかと思うと、
傷口から亀裂が走り、ガラガラと崩れていった。
姦姦蛇螺の本体を、完全に斃したのだった。
224
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:24:11
>『オ……オォオォォオオォオオオオ……』
束の間の静寂の後、姦姦蛇螺に吸収された妖怪達が突如苦しみだし、その形が崩れていく。
形が崩れていくのは妖怪達だけではない。壁や天井、地面もだった。
姦姦蛇螺の本体を倒したことで、姦姦蛇螺の体の崩壊が始まったのであろうと思われた。
妖怪達は地面に溶けていき、壁や地面はガラガラと崩れ出す。
仲間のことが心配になって祈が振り返ってみると、ノエルやポチはどうやら無事のようだった。
磔台が崩れ、母が解放されたのが祈の視界の端に映る。
母を連れて皆で脱出しなければ、と祈は直感的に思うものの。
「逃げ場所とか……ねーな……」
祈は天羽々斬を杖代わりにへたり込みながら呟いた。
来た道を逆走して脱出しようとしても間に合わないだろう。崩壊速度の方が早い。
(さっきはなんでかわかんないけど、すごい力出てたんだけどな……)
あの時の力ならば全員を抱えて逆走しても間に合うかも、と思うが、
どうやらあれは、火事場のバカ力という一時的なパワーアップだったのだろう。
いまとなっては力など微塵も感じられず、完全にバテてしまっている。
であれば、祈にできることなどもはやない。
ノエルに周囲を凍らせて貰ってシェルターでも作って貰うか、
それともいちかばちかポチに不在の術を使って貰って、姦姦蛇螺の外へ飛び出すか。
そんなことを考えていると。
>――――『酒呑』
くぐもった尾弐の声が聞こえ、
ドガゴォオオォォッ!!
と、轟音を立てて壁が消し飛び、大穴が開く。同時に強い酒の匂いが流れ込んできた。
その分厚い壁の向こうに見えるのは尾弐の酒呑童子としての姿と、
外の景色だった。
「尾弐のおっさん……マジ助かった!」
ぶち開けられた穴から、祈は仲間たちと共に命からがら脱出する。
祈はボロボロであるため、誰かが支えてくれたりするかもしれないし、一人でどうにか歩いて脱出したかもしれない。
また、颯は意識がなく、体力の尽きた祈では持てないので、
ノエルとポチのどちらかが抱えたり背に乗せたりした可能性がある。
外に出ると、尾弐と毒竜に乗った橘音、そしていつぞやに共闘した謎のイケメン騎士Rが祈達を迎えた。
>「皆さん!ご無事で何より……!首尾よく姦姦蛇螺を仕留められた、ということですね!」
橘音がそう言いながら、帰還した仲間達を一人一人見遣り、祈は頷いて応えた。
外で戦っていた二人も激戦だったらしく、ボロボロだった。
橘音はさらに、ぐったりしている颯へと視線を向ける。祈もそちらを見た。
>「……颯さん……。よかった」
心底安堵したような声で、そう呟く橘音。
橘音と尾弐が抱えていた、心の問題。
罪だと思っているもの。両親を見殺しにしたというその意識を、これで少しでも軽減できれば嬉しいし、
それに、母が生きているなら祈もすごく嬉しい。
225
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:26:00
>「やあ、みんな!今回もとんでもない戦いだったみたいだねえ!」
次に声をかけてきたのは、イケメン騎士Rだった。
爽やかな笑みを浮かべて、ひらひらと手を振っている。
>「でも……いつものように愛と勇気で逆境を乗り越え、君たちは見事に勝ち残った。素晴らしい!」
周囲の状況や空気から、恐らくイケメン騎士Rも戦っていたことが分かる。
しかも、どうやらブリーチャーズ側に加勢してくれたようだった。
加勢した上で、このような台詞を言うあたり、
「あんた、それでなんで敵側にいんだろーな」
そう祈は思う。味方みたいな振る舞いの敵だなんて、調子が狂う、と。
>「特に祈ちゃん。君があの神の胎内でどんな戦いをしたのか、わたしに知る術はないけれど――おおむね予想はできる」
>「よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ……って、ね」
「!」
急にレディ・ベアの名前を出されて、祈は虚を突かれた。
『喜んでいるってことはモノは無事なのか』と安堵する気持ちもあったし、
『あんたがここで戦ってくれたのはモノが命じたからか?』という疑問も湧く。
しかし、祈がどちらも口に出せないうちに、イケメン騎士Rは踵を返す。
>「わたしの役目は終わりだ。じゃ、おいとまさせてもらうよ。美形はクールに立ち去るものだからねえ!ははは!」
>「それじゃ、東京ブリーチャーズの諸君!ご機嫌よう!」
そして軽く敬礼のようなポーズを決め、どこかへと去ってしまったのだった。
その背を見送りながら、なんともマイペースなやつである、と祈は思う。
それにしても、さきほどの台詞で、祈とレディ・ベアと秘密の友人関係が明るみに出てしまった。
こんな形でバレるとは思わなかったが、いずれ言おうと思っていたことであるし、
それにレディ・ベアを助ける為には、仲間たちの協力が不可欠。
どの道、そろそろ話すべきであったのだ。
しかし、祈は少し気が重たい。
敵の首領の代行者と繋がっていて黙っていたことや、
必殺のチャンスを二度もふいにしたこと。
めちゃくちゃに怒られるかもしれないし、なじられることもあるかもしれないのだから。
だが、未来は暗いばかりではない。
姦姦蛇螺は倒した。東京や仲間、人々は守れて、母が戻ってきた。
母と話したいことは沢山あって、
そこに姦姦蛇螺が転生したものを加えれば、家族が増えて一気に賑やかになるだろう。
なんなら、茶室に置いてきたハルファスとマルファスも祈が飼って、更に賑やかにしてしまってもいいかもしれない。
それとも、ふわふわした雛たちだからノエルが飼いたがるだろうか。
そんな風に祈が未来に思いを馳せていると。
226
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:37:47
――ズッ。
突如として、ブリーチャーズの周囲に膨大な妖力が出現。渦を巻いた。
次いで、視界が暗転。
再び祈が目を開いた時には、新宿御苑とは別の場所にいた。
周囲を見渡すと、祈だけでなくブリーチャーズ全員と、気を失ったままの颯もいる。
そしてここが神社か宮殿、何か厳かな雰囲気の和風建築物の内部だろうと言うことを、
磨き上げられた床だとか、豪奢な飾りだとか、朱塗りの柱だとか、清浄な空気だとか。
そんなものから祈は感じ取った。
祈達がいる場所は謁見か何かに使う広間のようで、前方には階段。
階段の先には御簾か何かがかけられ、奥には何者かの気配があった。
広間の脇には狐面を被った直衣の侍のような格好をした者達が何人も控えており、
どこか陰陽寮と似た雰囲気である。
妖気が渦巻いていたことや状況からも、
どうやら何者かに連れてこられたのだろう、ということは察せたが、
だが、何故急にこんな場所に、誰に連れてこられたのかはわからない。
>「あ――」
と、橘音が何かに気付いたように呟くと。
突然、シャカシャカドゥドゥドゥン、キュキュキュドゥイドゥイ、煩い音楽がどこからか流れ始めた。
祈が聞き慣れない、DJとかが流してそうな爆音である。
この厳かな場に似つかわしくない、ドラムやベースを交えたうるさい音が聞こえ始めると、
前方の階段の御簾をシャァーッと横にかき分け、少女が姿を現した。
>「三倍アイスクリィィィィィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム!!!!」
英語のような何かを叫んで現れた少女。年齢は祈と同じぐらいに見えた。
プラチナのように輝く髪は、低めの場所で結ばれてツインテールに。
服装はショートパンツにへそ出しのTシャツに、ボーダー柄のサイハイソックスと、
服装のここまでに関してはそこそこ気が合いそうに思う祈だが、
あまりにも装飾が派手だった。
首にはプラグ刺さっていないどでかいヘッドホン。
腕や指には、ド派手に指輪やらバングルやら念珠やらをジャラジャラつけて、靴はドピンクのスニーカー。
ハイテンションで意味不明な掛け声での登場と言い、完全に“パリピ”といった感じである。
装飾のセンスに関しては、気が合うかどうかは自信はなかった。
特徴的なのは、頭に生えた狐耳と、腰の辺りに生えた9本のふさふさの尻尾。
派手に登場したド派手な少女は、こう続けた。
>「セイ、ヨー!ぷっちょへんざ!……わらわちゃんがぷっちょへんざって言ったら、ぷっちょへんざするんだよ?」
「ぷっちょ?」
そんな名前のお菓子があった気がするが、
とにもかくにも少女が何を言っているのか、祈にはまったく理解できなかった。
少女は妙にキマったポーズでズバッとポチを指差すと、
>「ハイそこの『獣(ベート)』!ぷっちょへんざ!……ぷっちょへんざって知ってる?」
などと問うた。しかしポチやブリーチャーズのいまいちな反応に不満らしく、
橘音に対してノリが悪いだのなんだの文句を垂れた。
しかし、
>「まーいいやー。今日はわらわちゃんの生放送の視聴者として呼んだわけじゃないしぃ」
と気を取り直し、階段の途中に腰を下ろした。
呼んだ、ということは。祈達をここに呼んだのはどうやらこの少女であるらしい。
橘音が振り返り、
>「え、ええと。……皆さんは初めてお会いするかと思うのですが……ボクの上司。白面金毛九尾の玉藻御前です」
と、解説を入れてくれた。
その頭に生えている狐耳と、腰から生やした9本のふさふさ尻尾からも少し予想していたが、
どうやらこの少女こそ、橘音の上司にして、
かつて三つの国を荒らし回った傾国の美女。三大妖怪の一人。
そして、祈のご先祖様(?)の安倍晴明が退治したらしい、あの伝説の白面金毛九尾の狐、玉藻御前であるらしかった。
227
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/08(土) 23:39:40
>「よっろしくぅ!気軽にタマちゃんって呼んでね☆」
そう言ってにっこりと笑い、右手を振る玉藻御前。
そんな玉藻御前に、時間がないのに一体何の用で呼んだのかと橘音が問うと、
時間がないからこそわざわざ呼びつけたのだと玉藻御前は返し、頬を膨らませた。
そして此度の戦いの結果を、本来在り得ない大金星であるというように褒めてくれたのだが、
>「やー、ホンット、よくやったよねーみんな!エライエライ!ってことで――」
玉藻御前がパチン、と指を鳴らすと。
瞬間。檻が出現し、橘音と尾弐を閉じ込められる。
>「ぅぐ……、ぐァァァァァァァッ!!!??」
しかも檻の中では雷が荒れ狂い、二人を苦しめている。
橘音がハルファスとマルファス、二人の力を奪っているときと似たような現象のように思えるが、
詳細は分からない。
>「大人しくしといた方がいいよー。その檻は強大な妖怪であればあるほど効力を発揮する、わらわちゃんの特製だからぁー」
>「黙ってればじきに解放されるから、ちょぉーっと大人しくしといてねー?その間ヒマ?わらわちゃんのYouTube動画観る?」
>「DJタマモとおひめちゃんって知らない?けっこー登録人数多いんだけどなー。よかったら登録してね!にひっ」
檻の中で苦しむ二人の前に、どこからか取り出したノートパソコン置いて、
自分が登場する動画などを再生して見せる玉藻御前。
「て、てめぇ……!」
労をねぎらったかと思えばこの仕打ち。
一体何がしたいのかわからない。
>「まーいーや。んじゃ……あとは、そなたちゃんたち三人ね!」
そして次に玉藻御前は祈やノエル、ポチの方へ向き直り、手を叩く。
先程は指パッチンで檻が出現した。ということは拍手では何が起こるのか、と祈が身構えていると、
広間に控える侍みたいな者達と同様に狐面をかぶった巫女姿の女性たちが、
優雅に歩いてきて、祈達の前に膳を三人前置いて去って行った。
膳の上には祈にとって馴染み深い、
お菓子類やらオレンジジュースが置いてある(ちなみに祈の膳の上にぷっちょはなかった)。
「は?」
祈は呆気に取られた。
>「まーまー、お菓子でも食べてゆっくりしてよ!それに――いろいろ、話したいことだってあるだろうからさー?例えば――」
>「コレのこと、とか」
コレのこと、と言って玉藻御前はまたしてもどこからかか取り出したのは、
プラスチック製の虫かごだった。
その中に入っているのは、赤紫色の小さな蛇。
祈でもわかる。妖気なんてものは感じないが、あれは生まれ変わった姦姦蛇螺だと言うことが。
>「さて――お話ししよ。いろんなコト……ね」
そう言って、逆らう気を削ぐように、莫大な妖気をチラつかせて。
にへらと玉藻御前は笑ってみせた。
228
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/09(日) 00:26:49
「……平和的にお話したいってわけじゃなくて、あたしらに色々聞かせろって言いたいわけか。
でも順番がちがうだろ。まずは橘音と尾弐のおっさんを檻から出せよ」
だが、祈は怯んだりしなかった。
友達にこんなことをされて頭に来ない奴はいない。
正直に言えば戦う力など欠片も残っていないのだが、
それでも真正面から視線を受け止めて、天羽々斬を握り直した。
酷く消耗していて腹が異常なぐらい減っていたが、
友達に酷いことをするやつが出した菓子には、手を付ける訳にはいかない。
「それともあたしがそいつのこと話せば二人を檻から出してくれんのか?
わざわざ捕まえてるし大体分かってんだろうけど、そいつは姦姦蛇螺だ。
でもあたし達が天羽々斬の力で、祟り神から無害な存在に生まれ変わらせたんだ。
だから閉じ込めとく必要なんかない。
ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!」
祈は喰って掛かるようにそう話す。
ブリーチャーズが力を合わせ、天羽々斬の力で姦姦蛇螺を転生させたと。
だが。
――天羽々斬にはそのような力は“ない”。
書物にもそのような記述はなく、
ノエルが疑問に思ったように、八岐大蛇の転生は
八岐大蛇自身の力で果たした可能性の方が遥かに高いのだ。
それでも尚、姦姦蛇螺がこうして転生を果たした理由があるとすれば、
それは祈だ。
一部の半妖が持つと言われる『運命転換の力』を祈が持っていたのだとすれば、
姦姦蛇螺の祟り神としての運命が変わって、無害な蛇に生まれ変わるという
巫山戯たことも起こり得るのかもしれなかった。
なにはともあれ、天羽々斬について詳しいものから見れば、
祈はとんちんかんなことを言っているように聞こえるだろう。
なにせ、ないものをあると言っているのだから。
229
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/09/09(日) 20:34:28
祈が心臓まであと一歩のところまで近づくも、やはり姦姦蛇螺の恨みや憎しみの力は尋常ではなく、押し負けそうになっていた。
「信じろ姦姦蛇螺! 祈ちゃんには運命を変える力が……!」
>「ぐ、ぅうぅううううぅううううがああああああ……っ!!」
ノエルが姦姦蛇螺に語りかけた時、祈が凄まじい妖力を爆発させ、その姿が変わる。
燃えるような深紅の髪に、金色の瞳。日常的な服装は、漆黒の衣装に。
姿が変わったといっても色が変わっただけだが、普段変身できない祈にとっては大きな変化。
それは妖怪としての力が全て引き出された姿なのかもしれなかった。
>「――変ぁわれぇえええッ!!!!」
その姿の祈が裂帛の気合と共に、心臓を横一文字に切り裂く。勝負はついたのだ。
>【滅滅滅!!滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!】
叫びながらどす黒い血液を噴き出す心臓。それを浴びては祈の身が持たない。
「もう大丈夫だ、早く離れて……!」
しかし、祈はそこを離れようとしない。
それどころか元の姿へと戻り、心臓に手を当てて優しく語りかけた。
>「その気持ちは、もう手放していいんだ。姦姦蛇螺。これからはあたしが一緒にいてやる」
>「だから今は、安心しておやすみ」
ついに心臓が動きを止め、石のようになって崩れ去る。見る限り祈は無事のようだ。
しかし安心している場合ではない。
本体を倒したことで、その肉体である周囲の崩壊が始まったのだ。
磔台が崩壊し、解放された颯が前のめりに倒れる。
「ポチ君! 颯さんを背に!」
ノエルがそう声をかけるまでもなく、ここに来た時から颯を救出しようと試みていたポチは颯を背で受け止めたかもしれなかった。
>「逃げ場所とか……ねーな……」
剣を杖代わりにへたりこむ祈に駆け寄って支える。
彼女の言う通り、逃げ場所はなく、来た道を逆走していてはとても間に合わない。
建物の壁も抜けられる不在の妖術を使えば、理論上は脱出は可能かもしれないが、
ノエルは深雪化して自分でどうにかするとしても、ポチに祈と颯の二人を引き受けて貰わねばならない。
一人でも他人に効果を拡大するのは大変そうなのに、二人を伴い脱出することなど出来るのだろうか。
もしくは氷でシェルターを作り崩壊が終わるまで凌ぐか――そう思っていた時だった。
230
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/09/09(日) 20:36:06
>「――――『酒呑』」
轟音が響き、壁の一部に大穴が開く。
体力の尽きた祈や意識のない颯を伴い、穴の外に脱出する。
>「尾弐のおっさん……マジ助かった!」
「今の姿に対しておっさんはないでしょ!」
そんなやりとりをしていると、橘音が満面の笑みで一行を出迎える。
>「皆さん!ご無事で何より……!首尾よく姦姦蛇螺を仕留められた、ということですね!」
>「……颯さん……。よかった」
続いて何故か自称イケメン騎士Rが労いの言葉をかけて爽やかに去っていく。
>「やあ、みんな!今回もとんでもない戦いだったみたいだねえ!」
>「よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ……って、ね」
>「わたしの役目は終わりだ。じゃ、おいとまさせてもらうよ。美形はクールに立ち去るものだからねえ!ははは!」
>「それじゃ、東京ブリーチャーズの諸君!ご機嫌よう!」
「はぁ!? ってかなんでいるの!?」
“レディも喜んでいるはずさ。流石はわたくしのともだちですわ”とはどういうことだろうか。
確かに祈はレディベアのそっくりさんとは友達だったが。
レディベアはドミネーターズの首魁で、本来ならこの状況を作った張本人のはずだ。
「ハッ、もしかしてレディベアは二重人格なのか……!?」
物凄い真実に気付いてしまったような顔で迷推理を披露するノエル。
四重人格のお前に言われたくないとレディベアに言われそうである。
>「ば……、バカな……」
大団円ムードで相手にされず蚊帳の外になっているアスタロトが妙に親切心あふれる解説付きで驚いている。
>「まさか……いや、そうだ……!そういうことか……!」
>「クロオさんの力!そう……それは、間違いない!酒呑童子……アナタの一番有名な伝説!」
>「――『神変奇特酒』――!!」
アスタロトの推理によるとそれは、世界の理を逆しまに塗り替える、反転の妖力らしい。
「じゃあ逆に弱い者が強くなったり邪悪なものが清浄になったりもするってこと? それってすごくない!?」
>「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッ!!!」
辛うじて残っていた姦姦蛇螺の肉体が完全に崩れ去り、アスタロトは捨て台詞を残して去っていた。
これにて一件落着だ。しかし橘音と尾弐はなかなか元の姿に戻ろうとしない。
231
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/09/09(日) 20:37:10
「橘音くん、クロちゃん、もう元に戻っていいんだよ」
ここにきて事態の重大さを認識するノエル。
「……もしかして戻れないの!?」
危険な力だと分かってはいたが、特に暴走してる風でもなく普通に会話している感じだったのでつい大丈夫じゃないかと思ってしまったのだ。
今は暴れまわりたいのを気合で抑えているのだろう。
このままでは二人によって東京が壊滅した上に二人とも死んでしまう。
どうしたものかと思っていると、周囲の風景が塗り替わる。
荘厳な神社のような空間で、何故かハードコアな楽曲が響き渡る。
出てきたのは、狐耳と九本の尾を持つド派手な少女。
見た目は年端もいかぬ少女でも、押しも押されぬ大妖怪だということを九本の尾が如実に示していた。
>「三倍アイスクリィィィィィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム!!!!」
「三段アイスクリーム? 嬉しいんだけど食べにくいんだよね……」
>「セイ、ヨー!ぷっちょへんざ!……わらわちゃんがぷっちょへんざって言ったら、ぷっちょへんざするんだよ?」
>「ハイそこの『獣(ベート)』!ぷっちょへんざ!……ぷっちょへんざって知ってる?」
妙にテンション高くポチにお手を求めたが、残念ながら通じない。
>「え、ええと。……皆さんは初めてお会いするかと思うのですが……ボクの上司。白面金毛九尾の玉藻御前です」
>「よっろしくぅ!気軽にタマちゃんって呼んでね☆」
「えーと……いつもお世話になっております」
等と適当に挨拶しておく。
御前は妖艶なクールビューティーかと勝手にイメージしていたのだが、違ったらしい。
とはいえ相手は妖狐の長。現代では趣味でこの姿をとっているというだけの話だろう。
>「……それで御前、今日は何のご用件で……?ボクたちには、あまり時間がなくて……」
>「だぁーから!時間がないから、わざわざわらわちゃんが華陽宮までそなたちゃん達を呼びつけたんじゃん!」
「そうだった……! 二人が勢いで変身したまま戻れなくなっちゃって!
タマちゃん様ならうまいこと妖力吸収して元に戻したりできないかな?」
御前は一行をひとしきり誉めてくれたかと思うと、橘音と尾弐を妖力の檻で拘束する。
>「ぅぐ……、ぐァァァァァァァッ!!!??」
「えぇっ!?」
>「大人しくしといた方がいいよー。その檻は強大な妖怪であればあるほど効力を発揮する、わらわちゃんの特製だからぁー」
>「黙ってればじきに解放されるから、ちょぉーっと大人しくしといてねー?その間ヒマ?わらわちゃんのYouTube動画観る?」
>「DJタマモとおひめちゃんって知らない?けっこー登録人数多いんだけどなー。よかったら登録してね!にひっ」
>「て、てめぇ……!」
怒りを露わにする祈だが、ノエルはどう解釈していいのか分からない。
232
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/09/09(日) 20:39:08
「もっと穏やかな方法はないの……?」
黙っていればじきに解放される、という言葉を信じるのなら、これは2人の暴走を止め元に戻すための荒療治なのだろう。
しかし御前は今は東京ブリーチャーズの発足者とはいっても、その昔暴虐の限りを尽くした大妖怪。
何を企んでいるか分かったものではない。橘音を利用するだけ利用してポイ捨て、ということも考えられるのだ。
>「まーいーや。んじゃ……あとは、そなたちゃんたち三人ね!」
「それって……」
やはり全員拘束するつもりなのかと身構える。
が、実際にはなんということはなく、お菓子とジュースが出てきただけだった。
>「まーまー、お菓子でも食べてゆっくりしてよ!それに――いろいろ、話したいことだってあるだろうからさー?例えば――」
>「コレのこと、とか」
御前はそう言って、姦姦蛇螺の転生体らしき蛇を見せてきた。
状況的に言って交渉の人質ならぬ蛇質として使うつもりだろうか。
>「さて――お話ししよ。いろんなコト……ね」
>「……平和的にお話したいってわけじゃなくて、あたしらに色々聞かせろって言いたいわけか。
でも順番がちがうだろ。まずは橘音と尾弐のおっさんを檻から出せよ」
挑発的な笑みを浮かべて情報を聞き出そうとする御前。
その真意は読めないが、これでは祈がくってかかるのは当然である。
半妖の祈には、橘音と尾弐がどれだけ危険な状態だったかなどおそらく分からない。
>「それともあたしがそいつのこと話せば二人を檻から出してくれんのか?
わざわざ捕まえてるし大体分かってんだろうけど、そいつは姦姦蛇螺だ。
でもあたし達が天羽々斬の力で、祟り神から無害な存在に生まれ変わらせたんだ。
だから閉じ込めとく必要なんかない。
ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!」
「祈ちゃん落ち着いて。このまま2人を出したら力が暴走して死んでしまうかもしれない」
そう言うノエルはいつの間にかみゆきの姿になっていた。
単なる妖力切れなのか、女子中学生の姿をした者と交渉するには女子中学生の姿が最適と思ったのか。
あるいは祈がレディベアと友達だったことがバレてしまったので自分も秘密をバラしたという説も。
みゆきは敢えてお菓子をぱくぱくと食べ、ジュースを飲み干す。
「2人は元に戻るんだよね……? 助けてくれたんでしょ?」
しかし助けてくれたのなら2人だけ呼び寄せればいいわけで、わざわざ全員呼んでこんな思わせぶりな態度を取るのは何故なのか。
とんでもない奴と思わせて言う事を聞かせるためではないだろうか。
「こんな喧嘩腰のやり方駄目!
せっかく尻尾が九本もあるんだから……モフモフすればともだち増えるよ!」
みゆきは立ち上がって御前の九本の尻尾に飛びついた。
「タマちゃん、何か童達にお願いしたいことがあるんじゃない? 言ってみて。話はそれからだ」
233
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/09/14(金) 16:40:31
>「信じてくれてありがと、ポチ」
『獣(ベート)』の力を祈に託すと、ポチは変化を解いた。
狼の姿に戻り、祈に歩み寄って、彼女のすねに頬ずりをする。
>「……じゃ、行ってきます」
そして――祈は剣を構え、飛び立った。
天羽々斬から放たれる光は目が眩むほどに眩しい。
それでもポチは目を逸らさない。
祈は――亡者共の手をすり抜けて、空を駆ける。
姦姦蛇螺の心臓に辿り着くまでに、もう一秒もかからない――ように見えた。
だが、不意に彼女の勢いが鈍る。
風火輪には、まだ弱々しくだが炎が灯っている。
妖力が切れた訳ではない。ならば何故――理由はすぐに分かった。
祈の前進がとうとう止まり、それどころか、押し返され始めた事で。
姦姦蛇螺の心臓から放出される規格外の妖力。それが祈を阻んでいるのだ。
ポチの頭の中で『獣』が叫ぶ。
そらみた事か、だが今からでも遅くない、と。
けれども――ポチにはもう、その声は聞こえていなかった。
「頑張れ……頑張れ、祈ちゃん!」
ただ、彼女のしたい事が上手くいって欲しい。
それだけがポチの考える事の全てだった。
>「ぐ、ぅうぅううううぅううううがああああああ……っ!!」
そして――不意に、祈が呻き声を上げた。
同時に彼女の妖力が、爆発的な勢いで膨れ上がっていく。
変化はそれだけではない。
祈の黒髪は炎のような赤色に、衣服は漆黒に染まる。
彼女の祖母を思い出させるような姿へと変身して、彼女は再び空を蹴った。
心臓から溢れ出る妖気は最早、祈を食い止める事は叶わなかった。
>「――変ぁわれぇえええッ!!!!」
祈が天羽々斬を勢いよく突き出す。
光り輝く神剣の切っ先は、鈍色の鋼鉄と化した姦姦蛇螺の心臓を――いとも容易く貫いた。
祈はそのまま腕を横に薙ぐ。
鋼の心臓が、まるで何の抵抗もないかのように切り裂かれた。
>【滅滅滅!!滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!滅滅滅滅滅滅滅滅滅!!!!!!】
心臓の裂け目から返り血のように、どす黒い液体が祈へと降りかかる。
神の呪詛を帯びた体液――猛毒だ。
「祈ちゃん!」
>「もう大丈夫だ、早く離れて……!」
だが祈は、彼女にも肌で感じられるだろう猛毒を浴びてもなお、怯まなかった。
>「その気持ちは、もう手放していいんだ。姦姦蛇螺。これからはあたしが一緒にいてやる」
それどころか心臓に更に一歩近寄ると――徐々に脈動が小さくなっていくそれを、優しく撫でた。
>【……寂】
>「だから今は、安心しておやすみ」
姦姦蛇螺の心臓が、完全に止まった。
命を失った心臓は石のように変化して――音を立てて崩れ落ちた。
>『オ……オォオォォオオォオオオオ……』
姦姦蛇螺に取り込まれた亡者達が悶え苦しみ、その体が崩れていく。
それだけではない。壁も、天井も、同様に崩れ落ちている。
姦姦蛇螺という存在そのものが、崩壊しつつあるのだ。
234
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/09/14(金) 16:40:50
不意に、祈の母を拘束していた磔台が、音もなく消え去った。
彼女の体が力なく地面に落ちる。
その頭上から、崩れた天井が落ちてくる。
ポチは咄嗟に地を蹴った。
雄叫びを上げながら人狼の姿へと変化。
そのまま姿勢を深く前へ傾け、更に加速。
ポチは楓のすぐ傍にまで駆け寄り――両腕を頭上で交差。
直後――激しい衝撃音。
「っ、があ……いてて……」
腕越しにも頭部に伝わる重い衝撃。
ポチは頭を小さく振って、しかしすぐにその場にしゃがみ込み、楓の両肩を掴む。
そして彼女を仰向けに起こした。
胸が微かにだが、上下している。
「……良かった。祈ちゃん!大丈夫!大丈夫だよ!」
ポチは崩落の音に負けないほど大きく声を張り上げた。
しかし――振り返ってみれば、彼女は天羽々斬を支えにへたり込んでしまっていた。
疲労が限界に達したのだろう。今に至るまで倒れずに済んでいたのが不思議なくらいだ。
>「ポチ君! 颯さんを背に!」
>「逃げ場所とか……ねーな……」
「もうやってる!……ノエっち!祈ちゃんをお願い!」
ポチは楓の上体を抱きかかえる。
そして――宵闇色の妖気がポチの全身から溢れ出る。
不在の妖術を帯びたポチと楓の体を、瓦礫はすり抜けて地面へと落ち、砕け散る。
「この調子だと、当分はこのままか……おい『獣(ベート)』、あんまりうるさくするなよ。
後は姦姦蛇螺が崩れ切るまで耐えてりゃいいんだ。
お前の言葉が忍び寄るような隙は、もう生まれない」
本当はいつも隙なんてないのが一番なんだけど、とポチは先ほどの失態を改めて恥じる。
助けられないくらいならば、いっそ自分が。
そう思わされれる理由がない今、『獣』の声に惑わされる事はない。
であれば、後は暫くの間、こうして崩落から身を守っていればいい。
『獣』の力を多用する事にはなるが――それくらいは仕方がない。
>「――――『酒呑』」
ポチがそう考えた直後の事だった。
崩落の音が掻き消えるほどの轟音と共に、
姦姦蛇螺の腹辺りだろうか――内壁に大きな穴が穿たれたのは。
流れ込んでくる、むせ返るような酒のにおい。
その中に紛れて、外の、清浄な空気のにおいがする。
穴の外を見てみれば――そこには橘音と尾弐の姿が見えた。
一体何故かは分からないが、謎のイケメン騎士Rの姿も。
>「尾弐のおっさん……マジ助かった!」
>「今の姿に対しておっさんはないでしょ!」
「尾弐のお兄ちゃんって呼べば良かったのかい?やめてあげなよ、ノエっち」
二人が脱出したのを見届けてから、ポチも不在を維持したまま外に出る。
そして楓を抱えたまま、その場にしゃがみ込んだ。
>「皆さん!ご無事で何より……!首尾よく姦姦蛇螺を仕留められた、ということですね!」
「首尾よく……ではなかったかなぁ。僕は結構やられちゃってさ。
まともにこなせた仕事と言えば……この人を連れ出してくる事くらいかもね。ほら」
そう言うとポチは両腕に抱える楓の顔が橘音によく見えるよう、少しだけ傾けた。
>「……颯さん……。よかった」
橘音の声、表情、におい。
その全てから、彼女が安堵している事が分かる。
思わず、ポチは微笑みを浮かべた。
楓を支えるのを代わってもらおうかとも思ったが、橘音も姦姦蛇螺と戦っていたのだ。
自分と同じくらいか、それ以上に疲れているだろう。
そう思って、ポチは何も言わずにおいた。
235
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/09/14(金) 16:41:12
>「やあ、みんな!今回もとんでもない戦いだったみたいだねえ!」
「……で、アンタはなんでまたこっち側にいるのさ」
>「よく頑張ったね。きっとレディも喜んでいるはずさ。
「はいはい、どうせ答えてくれないと思ってた……」
>流石はわたくしのともだちですわ……って、ね」
「……へえ?」
ポチはちらりと祈を見た。
不意を突かれたように驚いた表情、複雑な思考と悩みのにおい。
「まぁ……隠し事くらい誰にだってあるさ。僕も一回、みんなに大嘘ついたしね」
>「わたしの役目は終わりだ。じゃ、おいとまさせてもらうよ。美形はクールに立ち去るものだからねえ!ははは!」
>「それじゃ、東京ブリーチャーズの諸君!ご機嫌よう!」
そうして、戦いは終わった。
アスタロトは逃してしまったが、ポチは既に相当な疲労と、決して小さくない傷を負っている。
楓や、ポチ以上に力を使い果たしているだろう祈を庇いながら戦うのは難しかっただろう。
橘音には悪いが、助かったと、ポチは小さく溜息を吐いた。
>「橘音くん、クロちゃん、もう元に戻っていいんだよ」
>「……もしかして戻れないの!?」
だが――まだ安堵するには早かったらしい。
天魔の力を取り戻した橘音と、酒呑童子なる鬼の力を開放した尾弐。
二人は、戦いが終わってなお、いつもの姿に戻らない。
「……それって、ヤバくない?」
もし自分が『獣』の力を常に解放し続ければ、どうなるか――ポチは考える。
きっと数時間も経たない内に力に飲まれ、我を失う事になるだろう。
そして、ノエルの予想が正しければ既に二人は力の制御を失っている。
「……橘音ちゃん、何か僕らに出来る事はある?」
ポチは静かな、しかし張り詰めた声で橘音に問いかけた。
どうすればいいか自分で考えてみても精々、思い切りぶん殴って気絶させるとか、
その回復に妖力を消費させるとか、それくらいしか思いつかなかったからだ。
だが――ポチの問いに答えが返ってくるよりも早く、新たな異変が起きた。
突如として周囲に渦巻く、膨大な妖力。
同時に周囲の風景が塗り替えられていく。
気づけば空気の匂いすらまったく変わっている。
殆ど一瞬の内に、ポチは、ブリーチャーズは、さっきまでとは全く別の場所へと転移させられていた。
和風の、とびきり豪華な神社のような場所だった。
前方には階段があり、その先には御簾をかけられた祭壇が見える。
奥からは――何者かのにおい、気配がした。
>「あ――」
ふと、橘音が驚いたように声をあげた。
「何か気づいたの?橘音ちゃ……」
一体どうしたのかポチは聞こうとして――しかし不意に、けたたましい音が響いた。
ドラムもベースも知らないポチには、まったく未知の音楽だった。
ポチは今もなお抱きかかえたままだった楓を床に寝かせた。
同時に、ポチの全身の毛がただの黒から、艶のない宵闇色に染まっていく。
もし攻撃を仕掛けてくるのなら、いつでも『獣』の力を使える状態だ。
>「三倍アイスクリィィィィィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム!!!!」
そして、前方の御簾がさっと音を立てて開く。
姿を現したのは――狐耳と九本の尻尾を持つ、それに奇抜な服装をした少女だった。
狐の耳と尻尾、という事は、恐らくは橘音の関係者。敵意のにおいもしない。
それでも――ポチは警戒を解こうとはしなかった。
>「セイ、ヨー!ぷっちょへんざ!……わらわちゃんがぷっちょへんざって言ったら、ぷっちょへんざするんだよ?」
>「ハイそこの『獣(ベート)』!ぷっちょへんざ!……ぷっちょへんざって知ってる?」
「……いや、知らないよ。何それ、日本語なの?何かの呪文?」
とは言え、彼女の言動はポチには少々突飛過ぎた。
ポチは助けを求めるように、橘音の方を見た。
236
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/09/14(金) 16:41:31
>「え、ええと。……皆さんは初めてお会いするかと思うのですが……ボクの上司。白面金毛九尾の玉藻御前です」
>「よっろしくぅ!気軽にタマちゃんって呼んでね☆」
そうして玉藻御前は暫し、要領を得ない一方通行の会話を繰り広げる。
>「やー、ホンット、よくやったよねーみんな!エライエライ!ってことで――」
だが不意に、満面の笑みを浮かべたかと思うと、玉藻御前の右手の指がぱちんと音を奏でる。
瞬間――橘音と尾弐を取り囲むように、妖力の檻が現れた。
>「ぅぐ……、ぐァァァァァァァッ!!!??」
>「こ……、これ……は……!?」
中では雷が何度も瞬いている。
その中に晒された橘音が、苦悶の声を上げた。
「橘音ちゃん!」
ポチは咄嗟に立ち上がり、玉藻御前を睨む。
>「大人しくしといた方がいいよー。その檻は強大な妖怪であればあるほど効力を発揮する、わらわちゃんの特製だからぁー」
>「黙ってればじきに解放されるから、ちょぉーっと大人しくしといてねー?その間ヒマ?わらわちゃんのYouTube動画観る?」
だが彼女はポチの反応などまるで気にも留めずにそう言った。
ポチは数秒、玉藻御前を睨みつけていたが――結局、何も言わずに再び座り込んだ。
少なくともポチには、力の制御を失った橘音と尾弐を助ける術は思いつかなかったのだ。
もし玉藻御前がそれを代わりにしてくれているのなら――そのやり方がどんなものであれ、我慢した方がいい。
ポチはそう考えた。
>「DJタマモとおひめちゃんって知らない?けっこー登録人数多いんだけどなー。よかったら登録してね!にひっ」
「……知らないよ。興味もない」
とは言えこの状況、仲良くお喋りに興じる気分にはなれない。
ポチはそう短く答えると、玉藻御前をじっと見つめた。
怒りや恨みの為ではない。それは殆ど――本能的な選択だった。
玉藻御前から感じられるにおい。底知れない存在感と、妖気。
玉藻御前は橘音の上司で、恐らくは彼女と尾弐を助けようとしてくれている。
頭ではそう分かっていても――ポチは警戒を解けなかった。
>「まーいーや。んじゃ……あとは、そなたちゃんたち三人ね!」
>「まーまー、お菓子でも食べてゆっくりしてよ!それに――いろいろ、話したいことだってあるだろうからさー?例えば――」
「コレのこと、とか」
虫かごに入れられた姦姦蛇螺――その面影を残した赤い蛇。
>「さて――お話ししよ。いろんなコト……ね」
お話――玉藻御前は祈とノエル、ポチにそう言った。
だがポチには、彼女が一体どんな話を求めているのか分からなかった。
先ほどの話では、彼女はブリーチャーズと姦姦蛇螺の戦いを見ていたらしい。
ならば事の顛末は大体分かっているはずだ。
>「……平和的にお話したいってわけじゃなくて、あたしらに色々聞かせろって言いたいわけか。
でも順番がちがうだろ。まずは橘音と尾弐のおっさんを檻から出せよ」
それとも体内での出来事が聞きたいのだろうか。
何が聞きたいのかをあえて言わなかったのは――大妖怪特有の偏屈さ故だろうか。
富嶽にもそういう節があった気がする。
あるいは、話題を限定しない事で、それこそ「いろんなコト」を喋らせたいのか。
>「それともあたしがそいつのこと話せば二人を檻から出してくれんのか?
わざわざ捕まえてるし大体分かってんだろうけど、そいつは姦姦蛇螺だ。
でもあたし達が天羽々斬の力で、祟り神から無害な存在に生まれ変わらせたんだ。
だから閉じ込めとく必要なんかない。
ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!」
色々と考えてはみるが、しっくりと来る答えは浮かんでこない。
当然だ。陰陽寮の時もそうだったが、ポチには橘音のような思考力はない。
ましてや相手は九尾の狐。その真意を読み取るなど、出来る訳がなかった。
237
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/09/14(金) 16:42:15
>「祈ちゃん落ち着いて。このまま2人を出したら力が暴走して死んでしまうかもしれない」
>「2人は元に戻るんだよね……? 助けてくれたんでしょ?」
>「タマちゃん、何か童達にお願いしたいことがあるんじゃない? 言ってみて。話はそれからだ」
「……いや、ノエっち。その前に一つ言っておかなきゃいけない事があるんだ」
そう言うとポチは目の前に置かれた膳をノエルの方に避けて、一歩前に出た。
「僕には、正直アンタが何を考えてるのかさっぱり分からない。
だから、僕が言っておかなきゃと思った事だけ、言わせてもらうよ」
玉藻御前の真意や嘘は、どんなに考えたところで見抜けない。
ならば――出来る事は結局、彼女の言葉を額面通りに捉えて、答える事だけ。
ポチの思考はそのようなところに落ち着いた。
つまり、色んな事をお話するしかないと。
「……もし、アンタが。その……姦姦蛇螺を、まだ危険かもしれないとか。
そういう理由で預かったり始末したり……そういう事を考えてるなら、それは待って欲しい」
玉藻御前がこの状況で何を考えているのか。
ポチには、精々この程度の事しか思いつかなかった。
だが的外れな事を言っているならそれでいい。
祈が命を、魂をかけて助けようとしたあの蛇の処遇は、明確にしておいて損はない。
しかし、もしも玉藻御前が姦姦蛇螺の成れの果てを危険視しているとすれば、
ただ殺さないで欲しいとお願いしたところで聞き入れてもらえるはずはない。
「この目。そこからでも見えるかな。そいつの体の中で戦ってる時にやられたんだ。
姦姦蛇螺と、そいつに殺された連中の恨みで出来た銃弾でね。
全然痛みが引かなくてね。正直、治らないんじゃないかって気もしてる」
妖怪の生命力、治癒力は、普通の生物とは比べ物にならないほど高い。
かつて首と腹部を食い千切られたシロが、なんの処置を受けずとも口を利き、立ち上がれたように。
それでもポチは、自分の右目が治る未来が想像出来なかった。
傷口がずっと燃えているかのように痛むのは、目が潰れれば当たり前の事なのかもしれないが。
だとしてもいつもの怪我よりも、右目の傷はずっと激しく痛んだ。
「祈ちゃんの、そいつを助けたいって気持ちを大事にしたいとは思ってる。
でもその気持ちが裏切られて、台無しにされるような事があれば……
僕がそいつを生かしとく理由はない。変な話だけど……だから、大目に見てやって欲しいんだ」
238
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/09/21(金) 22:52:28
>「尾弐のおっさん……マジ助かった!」
>「今の姿に対しておっさんはないでしょ!」
>「尾弐のお兄ちゃんって呼べば良かったのかい?やめてあげなよ、ノエっち」
>「皆さん!ご無事で何より……!首尾よく姦姦蛇螺を仕留められた、ということですね!」
姦姦蛇螺の腹は破かれ、外界へとの道は開いた。
破れた腹から溢れ出る瘴気の奥から姿を見せたのは……祈、ポチ、ノエル。
神の内側に挑んだ者達は、無傷とはいかないものの、全員が生きて帰る事が出来たのである。
そして、帰還が叶ったのは彼等だけではない。
>「……颯さん……。よかった」
颯。祈の母親にして、かつて尾弐達が助ける事が出来なかった女性。
その彼女の姿が……祈の傍らに有った。
それは望外の奇跡と言えよう。
取り返しがつかない筈だった命を、取り戻す事が出来た。
その尊さは、那須野と祈達の笑顔が示している。
そして、その奇跡の様な光景を、数歩後ろへ下がった所で眺め見る酒呑童子。
その端正な顔に浮かぶのは――――薄ら寒い、嘲笑の様な笑顔。
まるで、颯が助かった事など『どうでも良い』とでも言う様な、尾弐黒雄であれば決して浮かべない笑みであった。
>「まさか……いや、そうだ……!そういうことか……!」
>「クロオさんの力!そう……それは、間違いない!酒呑童子……アナタの一番有名な伝説!」
>「――『神変奇特酒』――!!」
>「じゃあ逆に弱い者が強くなったり邪悪なものが清浄になったりもするってこと? それってすごくない!?」
「――――呵呵、なんだ。お前さんは気付いたのか。流石だって言って褒めて撫でてやろうか?」
そして、酒呑童子は崩れ落ちつつ有る姦姦蛇螺の肩に立つアスタロトに良く響く声で返事を返す。
だが、その声は周りの誰にも聞こえそうな程であるというのに、アスタロト以外の誰にも届かない。
>「か、姦姦蛇螺……ですよ……?大国主に連なる荒神だ!現状、動かせる神で姦姦蛇螺より強い神性なんてこの日本にはいない!」
>「しかも、上級天魔の妖力を三体分も注ぎ込んだ!姦姦蛇螺を蘇らせるのに、いったいどれほどのコストがかかったことか!」
>「斃せるはずがないんだ……、負けるはずが……!こんなの、何かの間違いだ……!」
「間違い、間違いか!呵呵呵!それはそうであろうよ!お前は間違った!力在る神?由緒正しい神性?莫大な妖力?
それ程に恵まれている存在を私の前に出せば……なぁ? 憎くて、憎くて憎くて憎くて憎くて……壊してしまうのは、当たり前だろう?」
続いたアスタルトの言葉に返す言葉も尚、異常である。
整った顔が邪悪に歪み、首を傾けながら話すその姿は……化物、そう言って差し障りないだろう。
だが、誰もその異常に気付けない。まるで、周囲に漂う酒の香りが、正常と異常の判断基準を反転させてしまったかの様に。
恐らくは、言葉を返されたアスタロトも、この場では酒呑童子の異様に気付く事は出来ないだろう。
239
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/09/21(金) 22:52:59
>「橘音くん、クロちゃん、もう元に戻っていいんだよ」
>「……もしかして戻れないの!?」
>「……それって、ヤバくない?」
……だが、異常に気付かせずとも、姿を変容させたままにしておけば異変は察せられる。
アスタロトが去った後、ノエルとポチは那須野と酒呑童子が元の姿に戻らない……戻れない事に危機感を示した。
彼等の視線を受けた酒呑童子は、笑みを潜ませ、まるで尾弐黒雄の様な顰め面を作ると口を開く
「大丈夫だ。俺は心配ねぇよ。この腹に開いた穴に心臓を埋め込めば、元通り。万事仔細無いって訳だ。だから――――」
そして、尾弐の様な口調で尾弐の様な言葉を述べかけた――――その直後であった。
突如として膨大な妖力が酒呑童子達の周囲を渦巻くと……まるで狐に摘ままれたかの様に唐突に、周囲の風景が一瞬で変化したのである。
広がるのは、清浄な空気を纏う神社の拝殿が如き空間。
一瞬の出来事に、何が起きたのか判断出来ず、無表情になる酒呑童子であったが
>「あ――」
那須野の言葉を起点として、尾弐黒雄の記憶を思い出す。
祭壇の様なスペースと、御簾、傅く狐面の脇侍達。
即ち―――――此処は、妖狐族の本拠地である『華陽宮』であると。
>「三倍アイスクリィィィィィィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム!!!!」
そして、酒呑童子がその記憶に至った事を見抜いたかの様に、けたたましい、ともすれば騒音とも取られてしまいそうな爆音が響くと――――『其れ』は姿を現した。
>「セイ、ヨー!ぷっちょへんざ!……わらわちゃんがぷっちょへんざって言ったら、ぷっちょへんざするんだよ?」
>「ハイそこの『獣(ベート)』!ぷっちょへんざ!……ぷっちょへんざって知ってる?」
白銀の髪を持つ、中学生の少女の様な姿を成した其れ。
一見すれば、か弱い人間のようにすら見える其れ。
>「あっれぇ〜?みんなノリ悪いな〜。どうなってんの〜三尾〜?わらわちゃん言ったよね?ノリのいい子を集めてねって?」
>「ぁ、はぁ……すみません……」
しかして其の存在こそ、日の本に名を馳せる大妖怪――――白面金毛九尾の狐、玉藻前。
240
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/09/21(金) 22:55:49
>「え、ええと。……皆さんは初めてお会いするかと思うのですが……ボクの上司。白面金毛九尾の玉藻御前です」
>「よっろしくぅ!気軽にタマちゃんって呼んでね☆」
>「あと、オニクロもー。死ぬほど嫌ってたその力を使っちゃうとか、超ヤバヤバじゃん?」
「……ああ、そうだな。けどまあ、何とかするさ」
その気楽な物言いに警戒しつつ、酒呑童子は妖力を練り上げる。
守勢の為では無い―――――眼前の玉藻前を弑する為に。
……だが、妖力の使い方に長けた妖狐を相手にしての稚拙な隠蔽は無意味に終わる。
>「ホントは神格の面から見ても、ひっくり返ったってそなたちゃん達には御社宮司を斃すことなんてできないハズなんだケドぉー」
>「やー、ホンット、よくやったよねーみんな!エライエライ!ってことで――」
>「ぅぐ……、ぐァァァァァァァッ!!!??」
「ぐ、が――――ッッ!!?」
>「大人しくしといた方がいいよー。その檻は強大な妖怪であればあるほど効力を発揮する、わらわちゃんの特製だからぁー」
>「黙ってればじきに解放されるから、ちょぉーっと大人しくしといてねー?その間ヒマ?わらわちゃんのYouTube動画観る?」
大妖の組み上げた檻……あらゆる妖力を封殺する一種の結界術式。
瞬時に展開されたそれは、那須野と酒呑童子の妖力を封じ、激痛と共に動きを封じてしまった。
咄嗟に反転の妖力を用い逃れようとするが、そもそも術式を発動する事すら叶わない。
当然だ――――如何な酒呑童子といえど、心臓という妖力の核を欠いた状態では、大陸にすら名を馳せる妖狐を相手に叶う筈が無い。
海の中でマッチを擦る事が出来ない様に、あらゆる抵抗は無意味に終わった。
>「こ……、これ……は……!?」
「呵……あと少しであったのにこのザマか……畜生風情が……!」
憎悪を込めて睨みつけるも、暖簾に濡れ押し。
やがて、与えられる激痛とそれに対する抵抗で妖力を消費した酒呑童子はガクリと、まるで意識を失ったかの様に四肢を脱力させるのであった。
241
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/09/21(金) 22:57:30
――――
>「さて――お話ししよ。いろんなコト……ね」
>「ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!」
>「タマちゃん、何か童達にお願いしたいことがあるんじゃない? 言ってみて。話はそれからだ」
>「祈ちゃんの、そいつを助けたいって気持ちを大事にしたいとは思ってる。
>でもその気持ちが裏切られて、台無しにされるような事があれば……
>僕がそいつを生かしとく理由はない。変な話だけど……だから、大目に見てやって欲しいんだ」
霞が掛ったようであった意識が浮上する。
画面越しに見ていたようであった世界に色が蘇り、ヘッドホン越しの様に感じていた音がありありと耳に届く。
(……ぐっ、俺は)
与えられる筆舌に尽くしがたい痛みを頼りに、周囲の状況を確認してみれば……そこには、九尾の妖狐『御前』と、対峙する仲間達の姿。
そして思い出すのは、酒呑童子の力を使用してからの記憶。抵抗らしい抵抗も出来ず、酒呑童子に意識を飲み込まれかけていた自身の姿。
(……情けねぇ。偉そうに言っておいてこのザマだ。もうあと一歩で、どうしようも無くなる所だった)
悔恨しつつも、尾弐は眼前の仲間達へと意識を向ける。
本来であれば意識を失う様な激痛の最中だが、尾弐は痛みというものに精神的な耐性を有しているが故に
絶叫を噛み殺し、思考をする事が出来た。
そして知る。眼前の仲間達が、御前相手に交渉を仕掛けている事を。
(祈の嬢ちゃん……ポチ、ノエル……)
三人が願っている事は、力を喪失した姦姦蛇螺の救済と、尾弐と那須野の解放。
それは、いかにも彼等らしい願いで――――だからこそ尾弐は危惧をする。
(っ……ダメだ。やめろお前ら、そのお方……『御前』に交渉なんてするんじゃねぇ。何を対価に求められるか判らねぇぞ……!)
とある事情から『御前』と面識がある尾弐。
その尾弐が知る範囲において、『御前』という妖怪は交渉を行ってはいけない妖怪の筆頭である。
態度や言動こそふざけているが、尾弐の知る限りでは、『御前』は常に最良の道を選んでいた。
神算鬼謀、神機妙算。
過程にどの様な犠牲を払おうと、望んだ結末を引き寄せる智謀の主。
だからこそ、そうであるからこそ、その最善を捻じ曲げる事を要求するのであれば、何を求められる事か。
尾弐は、仲間達が法外な対価を課せられる可能性に焦りを見せる。
けれど、尾弐はそんな仲間達を前にして何をする事も出来ない。
御前の檻による拘束は続いており、激痛による痙攣は舌を動かす事すら許さない。
更に、心臓は未だ失われたままであり……弱り切った体は息を吸う事すら叶わない。
(それに、そもそも俺はこの御方に……御前に逆らう事は出来ねェ)
……無論、この状況が危機的であるというのは尾弐の思い過ごしかもしれない。
尾弐が御前の性格を見誤っており、実は彼女は東京ブリーチャーズの面々と話がしたいだけという可能性もある。だが……
(……那須野に、自分の配下にこの痛みを与える御方だぞ。目的が雑談だけな訳がねぇ)
視線だけを動かせば、そこには自身と同じく、耐えがたい激痛を与えられる那須野の姿。
その姿を改めて目にした尾弐は、指一本動かせない中、精神の力だけでギリリと歯を噛みしめるのであった。
242
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/26(水) 13:54:51
>ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!
挑発的に会話を提案する御前に、祈が苛立ちも露に声を荒らげる。
しかし、御前はまるで怯まない。どころかそんな祈の反応を愉快そうに目を細め、微笑みながら眺めている。
「にひっ」
>祈ちゃん落ち着いて。このまま2人を出したら力が暴走して死んでしまうかもしれない
>2人は元に戻るんだよね……? 助けてくれたんでしょ?
その点、次期雪の女王たるノエルは聡い。現状を的確に把握している。なぜ童女の姿になっているのかは謎だが。
確かに橘音と尾弐は祈の仲間であるが、今この状況に限っては決して野放しにしておくべきではない。
世界の絶対悪である『悪魔(デヴィル)』と、かつて京の都を恐怖のどん底に叩き落とした『酒呑童子』。
今のふたりはいわば、解き放たれた獣。動物園から脱走し、街の中を闊歩するトラやライオンの類だ。
昔から知っているから、本当は優しいんだから、檻に入れるなんてかわいそう!なんて理屈は通じない。
>こんな喧嘩腰のやり方駄目!
>せっかく尻尾が九本もあるんだから……モフモフすればともだち増えるよ!
ノエルの変じたみゆきが御前のモフモフした九尾に飛びつく。
が、御前には触れられない。まるで蜃気楼のようにすり抜けてしまう。
「ダメだよーォ、わらわちゃんの玉体に触れていいのは紂王さまだけなの!身の分限を弁えず、迂闊に触れようとするとォ……」
「……コ・ロ・ス・ゾ?下郎☆」
にぱー♪と屈託なく笑いながら、御前はみゆきの顔に自分の顔を近付けて言った。
その途端、ぶわっ!と全身から膨大な妖気が迸る。圧倒的な『陰気』。
陰陽の理における負、マイナスのエネルギー。深く澱んだ黒い力が、突風のようにみゆきに吹きつける。
>……もし、アンタが。その……姦姦蛇螺を、まだ危険かもしれないとか。
>そういう理由で預かったり始末したり……そういう事を考えてるなら、それは待って欲しい
不意に、ポチが一歩前に出る。その口を開く。
御前はみゆきから視線を外すと、にたぁ……とだらしなく口許を緩めた。
「おりこうなワンワンだねー。あとで骨ガムあげるね!」
>祈ちゃんの、そいつを助けたいって気持ちを大事にしたいとは思ってる。
>でもその気持ちが裏切られて、台無しにされるような事があれば……
>僕がそいつを生かしとく理由はない。変な話だけど……だから、大目に見てやって欲しいんだ
「んー。んーんーんー。そう言うと思ってたよ、みんな優しいもんねー。わらわちゃん知ってた!」
「でもね。そーゆーんじゃないんだよなー。わらわちゃんの言いたいのはさー」
腕組みし、うんうんと納得したように何度も頷く。
御前は踊るように踵を返すと、姦姦蛇螺の入った虫かごを揺らしながら東京ブリーチャーズの目の前をゆっくり往復した。
「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
東京ブリーチャーズ結成の理由。
そこに、一連のすべての動機がある。橘音を、尾弐を、姦姦蛇螺をどうするのか。
これから、チームはどう動くべきなのか――。
「ちょおーっと長くなるからネー。だから、お菓子食べながらお話ししよ?って言ったんだー」
「イノリンは血の気多いから納得できない?なら、約束したげる。『今は三尾たちに危害は加えない』。これでいーい?」
「やー、わらわちゃん話がわかる!やっばいよね!さすが白面金毛九尾!世界一の大妖怪!」
「ホラホラーぁ、みんな褒めて褒めて!DJタマモ、最ッ高ォォォォォォ!!って!あとYouTube登録もしてね!」
御前がビシィ!とガン・カタばりのポーズを決めると、脇に控えていた官吏や女官たちがパチパチと拍手する。
妖怪にとって、約束は絶対。それは大妖怪・玉藻御前にとっても例外ではない。
一頻り拍手を受けると、御前は嬉しそうに口を開いた。
243
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/26(水) 14:01:35
「わらわちゃんはねーェ、キレイなものが大好きなの!」
屈託なく笑いながら、御前は言う。
「キレイな着物。キレイな踊り。キレイな歌、キレイな景色――この世にある、ありとあらゆるキレイなものが大好き!」
「キレイなものを見てるだけで、幸せな気持ちになっちゃう。心があったかくなる……みんなだってそうだよね?ねっ?」
「だから。わらわちゃんはキレイなものを守ってあげたいの。キレイなものをキレイなままにしておきたいの」
わかるよね?と御前はみゆきの顔を覗き込む。
「この世にはキレイなものがいっぱい!今の人間が創るファッションも、音楽も、映像も超イケてる!」
「わらわちゃんがパソコンにドハマリして、ユーチューバー始めちゃうくらいにね!へいへーい!ぷっちょへんざ!」
満面の笑みを湛えながらそう告げる御前からは、なんの邪悪さも二心も感じられない。
くるくると踊りながら身を翻し、ぽんっ!と虚空からターンテーブルを出現させたかと思えば、激しくスクラッチしてみせる。
「……でもね。キレイなものと同じくらい、キタナイものもあるんだ」
「キタナイものはキライ。世界にはキレイなものだけあればいい――だ・か・ら、わらわちゃんは作ったの」
「キタナイものを、キレイに漂白するものを。『東京ブリーチャーズ』を……ね!」
ずびし!と口で効果音を言いながら、御前は祈を両手の人差し指で指した。
「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
ゆる、と九本の尻尾が揺れる。
「ここ最近のそなたちゃんたちの動向、逐一監視してたんだけどォー」
「昔の東京ブリーチャーズにとって『漂白』はイコール殺すことだったんだよね。わらわちゃんもそのつもりだったしさー」
「でも、今は違う。いや結果的には殺してるんだけど、なんか違うんだよねー。結果は同じでも経緯が違う」
「八尺もそう。コトリバコも。紅璃栖も、狼王も、悪魔たちさえも救おうと奔走してる。結果が伴わなくても、努力してる」
「あんなキタナイものを。そんなの、絶対無理なのに。太陽が西から昇って、川が下から上に流れるようなものなのに――」
「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
御前は祈の顔を覗き込んだ。爛々と輝く金色の双眸が、まるで満月のように大きく見開かれて祈を見詰める。
「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
ニィーッと、白い歯を覗かせて御前は笑った。そして、ハッキリと言う。
「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
その瞬間、祈の足許に結界が構築される。身体を拘束する強力な縛陣だ。
もっとも、橘音や尾弐を束縛している陣とは異なり痛みなどはない。ただ、四肢の自由を奪うだけのものらしい。
「理(ことわり)っていうのは、天地陰陽の取り決め。つまり普遍的なものなんだー。変わりようがないものなんだよねー」
「無理なものは無理なの。何やったって、どーしよーもないの。神にも魔にも覆すことはできないの」
「でも……それをやっちゃった者がいる。もうわかるよね?」
そこまで話すと、御前はもう一度プラスチックの虫かごに入った小さな蛇――姦姦蛇螺を顔の高さに掲げてみせた。
「姦姦蛇螺は邪念の集合体。まつろわぬ民が死のふちに放った、ありとあらゆる負の感情の融合したもの」
「わらわちゃんの大キライな、キタナイものの塊。それは漂白さえできない。できるはずもない」
「ただ、生ゴミみたいに何重にもビニール袋に包んで、ポリバケツに突っ込んで、蓋してゴミ捨て場に置いとくしかない――」
「……はずだったのに」
そう。天羽々斬には不浄を祓う力はあっても、不浄を清め無害なものに転生させる力などありはしない。
姦姦蛇螺は天羽々斬に心臓を斬られた時点で滅びるはずだった。それが『理』であったのだ。
244
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/26(水) 14:07:17
なのに。
姦姦蛇螺は滅びることなく、それどころか無害な一匹の蛇に転生し、つぶらな瞳でちろちろと赤い舌を覗かせている。
何千万ものまつろわぬ民の憎悪、憤怒、絶望の集合体。何千年もの間醸成された、漆黒と言うことさえ生温い負の感情の塊。
過去、力ある神魔の誰もが成し得なかった。成そうとも思わなかった、姦姦蛇螺の浄化。
これがどれだけ異常な事態であるのかなど、今さら説明するまでもない。
しかも、それを成したのが――いっぱしの妖怪とさえ言えない、年端もゆかぬ半妖の少女だなど!
数千年の時を生き、ありとあらゆる知識を修めた大妖怪である御前をして、それは驚天動地の事態であった。
従って、その異常の引き金となった祈を自らの居城・華陽宮に召喚した。
そうだ。御前は『橘音と尾弐を救うために東京ブリーチャーズを呼び出した』のではない。
最初から、御前の目的は祈だった。橘音と尾弐は物のついでに過ぎない。
「万理は整然と、粛々と行われるを善しとする。そこにイレギュラー、理解できないことはあっちゃダメなんだよー」
「わかるよね?イレギュラーにいいことばっかり起きるならいい。でも、いいことばかり起こるとは限らない」
「わらわちゃんたち大妖でも手に負えないよーな、悪いイレギュラーが起こっちゃう可能性だってあるんだよ」
「わらわちゃんたち神クラスの大妖にとって、それはすっごく困るんだー。陰陽のバランスが狂っちゃうじゃん?」
伝説級に力ある大妖怪たちの大半は、世俗には関わらず隠遁生活を送っているが、何もしていないわけではない。
位が上になるほど、妖怪たちは世界の理に近付いてゆく。この世界を構築するシステムの一部となってゆくのだ。
つまり、大妖とは地球の自然や時間、生物の命運を司る存在と言っても過言ではない。
元々、妖怪(神)とは人間が自然現象を目の当たりにして畏怖を覚え、擬人化し崇拝を始めたもの。
位の高い妖怪が自らのルーツに還っていくのは、ごくごく当たり前のことなのである。
「三尾とオニクロは助けたげる。元々、わらわちゃんがふたりにブリーチャーズをやれって言ったんだから」
「わらわちゃんの直属の駒を、あっさりポイーしちゃうワケないっしょ?」
祈の顔を間近で見ながら、御前が言う。
御前は橘音の素性も、尾弐の経緯も最初から知っていた。その正体がアスタロトと酒呑童子だということを理解していた。
そも、アスタロトに那須野橘音という名を、酒呑童子に尾弐黒雄という名を与えたのは御前なのだから。
「さて。もうそろそろいいかなー」
御前は祈から離れると、橘音の近くに歩いていった。
そして結界に無造作に手を突っ込むと、橘音の胸元を飾る黒い宝石をむしり取る。
「そ……、それは……!」
橘音が歯を食いしばる。
しかし御前は橘音の反応などまるで興味がないという風に一瞥さえせず、宝石に視線を落とした。
それから、酒呑童子の方に向かう。
「アル中ひさしぶりー。ほんのちょっぴりでも久しぶりに外に出られて、満足したっしょ?」
「じゃ、もうあと何千年か寝ててよ。そなたちゃんに出てこられると、超メンドクサイからさー。ってことでぇ……」
御前が宝石に軽く念を込めると、黒い宝石がたちまち脈打つ心臓へと変わった。
尾弐が自らの胸から抉り出し、橘音に渡した心臓。尾弐と酒呑童子の命そのもの。
それに、どこかから取り出した符の束をぺたぺたと鼻歌交じりに貼り付けてゆく。
心臓の表面をすっかり符で覆うと、御前はそれを酒呑童子の胸に突っ込んだ。
すぐさま、酒呑童子の胸の傷が塞がってゆく。と同時に、その姿も少年のものから元の尾弐の姿に戻ってゆくだろう。
「オニクローぉ。今回は相手が相手だったから、こんな手使っちゃったーってゆーのも大目に見るケドさぁー」
「一歩間違ったら、そなたちゃんが原因で東京が壊滅してたじゃん?マジ気を付けてよねー!」
「……そなたちゃんはまだ、わらわちゃんとの約束を果たしてないよ。それが終わるまで、壊れるなんて許さないし」
橘音と尾弐を縛り付けていた結界が音もなく消滅し、ふたりの身が自由を取り戻す。
だが、極度の疲労で身体を動かすことはできないだろう。橘音などはアスタロトの姿から白狐に戻って気絶してしまっている。
ふたりの足許には真っ黒な宝珠がふたつ転がっている。恐らく、ふたりから吸収した妖力の結晶なのだろう。
アスタロトがアスモデウスたちの妖力を奪い取ったように、橘音がハルファスとマルファスにそうしたように。
御前もまた、ほとんど同じような方法で橘音と尾弐の臨界寸前の妖力を分離させたのだ。
「ウェッ、きったな」
ふたつの宝珠をつまみ上げると、御前は眉を顰めた。そして、ポイッと官吏へ放り投げる。
官吏が持っていた箱の中へ宝珠を入れ、厳重に封をして別の部屋へ持ってゆく。
これで、橘音と尾弐の危機は去った。
245
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/26(水) 14:16:02
「これもあげる。もう、この姦姦蛇螺は抜け殻みたいなものだからー。死のうと生きようと問題ないし」
祈の捕われている結界の傍に、姦姦蛇螺の入った虫かごを無造作に置く。
「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
悪戯っぽく笑いながら、御前は祈を見た。
小柄とも言える御前の全身から、禍々しい黒い妖気がたちのぼってゆく。妖気が天井に届くほどの大きさの妖狐の形をとる。
御前はゆっくりと右手の人差し指を持ち上げると、祈を真っ直ぐに指し、
「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
と、言った。
「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
朗らかに笑うと、御前は一歩祈へと距離を詰めた。
そう。御前に対する尾弐の見立て――『交渉を行ってはいけない妖怪の筆頭』という理解は的を射ていた。
御前が常に自らの意に沿う最良の道を選択しているということも。
世界の陰陽のバランスを管理する御前にとって、予想のつかない事態を引き起こす可能性のある存在は抹消対象の最たるもの。
それを取り除いてしまうことが世界の維持にとって最善の一手であることは、疑いようがない。
御前が物分かりよく尾弐たちを回復させたのは、すべてこの一手のため――。
ちら、と御前はみゆきを見る。
「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
ぎん、と御前が目を見開く。炯々と輝く金色の双眸が、恐ろしいほどの魔力を放つ。
それはまさに、妖怪の中の妖怪。ありとあらゆる伝説において最強無敵と謳われる、白面金毛九尾の狐に相応しいもの。
「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
ビシィ!と指を指すと、御前はみゆきとポチに命じた。
御前の言霊の強制力は凄まじい。もし抗うというのなら、全身を引き裂かれるが如き痛みがみゆきとポチを襲うだろう。
妖怪にとって、約束は絶対。それを破ることは自己否定に等しく、自らの滅びを招く。
御前の願いを聞くとは言ってない――なんて屁理屈は通じない。御前に要求した時点で、条件は成立しているのだ。
「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
くひひッ、と御前は笑った。場違いなほど明るい、愛らしい笑顔だった。
だが、その眼差しには祈をここで間違いなく始末しておく、という断固とした決意が燃えている。
ただ単に力が強いだけ、凶悪なだけの妖壊は怖くはない。御前より強力な妖怪など、この世には存在しないからである。
姦姦蛇螺さえも、御前にとっては敵ではない。正面から戦えば、きっと御前が勝っただろう。
御前が姦姦蛇螺討伐に出向かなかったのは、単純に『面倒くさかったから』に過ぎない。
例えるなら、御前にとって姦姦蛇螺とは自分が経営しているデパートの玄関にぶち撒かれた汚物のようなものである。
放置していればデパートに甚大な損害が出るし、自分が処理することもできるが、その必要はない。
そういうものは、専門に雇っている清掃班に任せればいい――そんな感覚だ。
だが、そんな清掃班の中に、清掃マニュアルに沿わずに仕事をしようとしている者がいる。
まして、その者が清掃と称してデパートの中を逆にメチャクチャにしてしまいかねない人物だと分かったなら――。
経営者としては、そんな人物は解雇するのが当然だろう。
246
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/09/26(水) 14:17:34
「言っとくけど、抵抗とか無駄無駄無駄ァ!だからねー?わらわちゃんとガチで妖力比べするー?」
凄まじい強制力で、御前はみゆきとポチに身動き一つとれない祈を殺させようとする。
たとえ抵抗を試みたとしても、激烈な痛みの末にみゆきとポチの足は意思とは裏腹に一歩一歩、確実に祈へと近づくだろう。
並の妖壊など問題にもならず撃滅できる『災厄の魔物』をしても、九尾の狐の妖力には抗えない。
……しかし。
腕ずく力ずくで御前の命令に抵抗するのではなく、言葉で。心で御前の決定に抗う――というのなら。
『祈を殺す』という判断以外の提案によって、より善い結果を生み出すことができるなら。代替案を出せるなら。
御前の好む『キレイなもの』を見せることができるなら――。
ひょっとしたら御前を納得させ、死の決定を覆すことができるかもしれない。
祈の命がこの華陽宮で喪われるか、それともか細い希望の糸によって繋ぎ止められるか。
その命運はみゆきとポチ、尾弐の三人に委ねられた。
247
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:15:40
>ほらっ、話したんだから二人を解放しろよ! 姦姦蛇螺もだからな!」
玉藻御前の態度にヒートアップする祈。
>「祈ちゃん落ち着いて。このまま2人を出したら力が暴走して死んでしまうかもしれない」
しかしその祈をたしなめる少女の声があった。
祈はそちらを一瞥するが、すぐに玉藻御前へと向き直り、
「悪いけど雪野さんはだまってて。こいつはあたし達の問題なんだから」
と言って。
――少女の方を二度見した。
そこにいるのは、転校生の雪野みゆきだった。
瞬間、“なぜ転校生の雪野みゆきがここにいるのか?”と疑問が浮かぶが、
先程まであったはずのノエルの姿がここにないことで解を得る。
そもそも、雪野みゆきという名前で気付いておくべきであったのだ。
「あっ、あんたまさか……『みゆき』なのか!?」
雪野みゆきとは即ち、みゆき。
御幸乃恵瑠にとって、最初の人格とも呼べる者。
クリスにとって最愛の妹にして、
祈が見たことのなかった姿であり、
祈が表舞台に出てくるとは思ってもいなかった存在。
みゆきは、玉藻御前の部下が持ってきたお菓子をもりもり食べている。
それを見ながら、祈は大きな声を出した。
「ちょっ、体育の授業のときどっちで着替えてたんだコラァ!!」
みゆきが女子更衣室と男子更衣室、
どちらで着替えていたのか、祈の記憶にはない。
みゆきは人格的にも女子なのだろうが、
問題なのはノエル達が記憶を共有しているかもしれないことだった。
みゆきが女子更衣室で着替えていて、
男であるノエルまでもその記憶を共有していたとすれば大変な問題である。
だからと言って男子更衣室で着替えていたとしてもそれはそれで問題だ。
祈の記憶にないのは、
そもそもみゆきが、体育の授業に参加していなかったからかもしれないが。
しかし、
>「2人は元に戻るんだよね……? 助けてくれたんでしょ?」
ぐい、とジュースを飲み干したみゆきは、祈の言葉に応えず、玉藻御前へと言葉を向けた。
>「こんな喧嘩腰のやり方駄目!
>せっかく尻尾が九本もあるんだから……モフモフすればともだち増えるよ!」
そして。飛び掛かる。大胆不敵な奇襲。モフモフとした九本の尾に、抱き付いて顔をうずめた。
>「タマちゃん、何か童達にお願いしたいことがあるんじゃない? 言ってみて。話はそれからだ」
そしてコアラの子どものように、四肢でがっしりと尾をホールドしながら、そう言った。
――かのように見えたのに。
玉藻御前の姿が掻き消える。みゆきが抱き付いたように見えたのは幻影だったらしい。
なんであれ、
(……助けてくれたってどういうことだ?)
と祈は思う。橘音は悪魔二人分の妖気で復活・パワーアップしたし、
尾弐だって己の力を解放しただけのはずだと祈は思っていたのだが、
みゆきが言うには、このまま二人を放っておくと暴走して死ぬ恐れもあるらしい。
『急に檻に閉じ込めたとはいえ、これでも助けてくれてるらしい。
ということは玉藻御前は良い人なのだろうか?』という考えが祈の脳裏をよぎるが、
>「ダメだよーォ、わらわちゃんの玉体に触れていいのは紂王さまだけなの!身の分限を弁えず、迂闊に触れようとするとォ……」
>「……コ・ロ・ス・ゾ?下郎☆」
などとみゆきにすごんで見せる玉藻御前を見ていると、
どうにもそう思い切れないでいた。
檻の中では黒い雷は止んだものの、依然として、橘音も尾弐も苦しみにあえいだままであるし、
と祈が考えていると、ポチが一歩前に出て言う。
248
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:17:52
>「……もし、アンタが。その……姦姦蛇螺を、まだ危険かもしれないとか。
>そういう理由で預かったり始末したり……そういう事を考えてるなら、それは待って欲しい」
>「この目。そこからでも見えるかな。そいつの体の中で戦ってる時にやられたんだ。
>姦姦蛇螺と、そいつに殺された連中の恨みで出来た銃弾でね。
>全然痛みが引かなくてね。正直、治らないんじゃないかって気もしてる」
>「祈ちゃんの、そいつを助けたいって気持ちを大事にしたいとは思ってる。
>でもその気持ちが裏切られて、台無しにされるような事があれば……
>僕がそいつを生かしとく理由はない。変な話だけど……だから、大目に見てやって欲しいんだ」
非常に物騒な言い廻しだが、
『その姦姦蛇螺が暴れるようなことになれば、姦姦蛇螺に恨みのある自分が責任を持って殺すから大丈夫だ』
と、玉藻御前を説得してくれているようであった。
「ポチ……ありがとな」
祈はポチの傷付いた右目を見ながら呟く。
東京を救うという大きな目的があったとはいえ、
ポチが命を張ったのは祈の母を助けるためだとか、
祈が姦姦蛇螺も助けたいと言い出したからだとか、
そこには祈のわがままも多分に含まれている。
だからその右目の傷は祈の所為でもあるのだろう、と祈は思った。
故にその礼には、ごめんという謝罪の響きも混じっている。
それを聞いた玉藻御前はうんうん頷き、
>「んー。んーんーんー。そう言うと思ってたよ、みんな優しいもんねー。わらわちゃん知ってた!」
>「でもね。そーゆーんじゃないんだよなー。わらわちゃんの言いたいのはさー」
そう言って、くるりと回転し、転生した姦姦蛇螺の入った虫かごを掴むと、
ブリーチャーズの間を、ゆっくり往復し始めた。
その動きは、考えを纏めたり、推理の披露を勿体ぶるときの、名探偵・那須野橘音を彷彿とさせた。
だが、状況の全てを握り、橘音と尾弐を、そして手元に姦姦蛇螺の命を握りながら。
それでいて人の焦燥を楽しむように、煽るように、
ブリーチャーズの間を往復するこの動きは、決定的に橘音とは異なって――、悪意を感じさせた。
そうして、檻から橘音と尾弐を解放しないままに。
手に小さな蛇の命を握ったままに。
『今は』殺さないと、問題を棚上げにして。
>「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
>「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
>「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
玉藻御前は語りだす。己の語りたいままに。
249
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:20:56
ブリーチャーズの結成理由。それはこの世にあるキレイなものを守りたいと思い、
その反面、穢いものを許せなかったからだと。
ゆえに、穢いものを漂白する妖怪の集団(チーム)、『東京ブリーチャーズ』を結成したのだと、
どこからか出現させたターンテーブルの、スクラッチを回しながら玉藻御前は語った。
だが、ある時から、そのチームの活動は玉藻御前の思惑とは別の方向へと行ってしまったらしい。
>「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
>「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
>「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
>「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
ただ、穢いものを漂白する(殺す)のとは違う方向に。
玉藻御前は両手の人差し指で、『YO!』とでも言い出しそうな動作で、びしりと祈を指した。
「……? あたしが原因ってどういうことだよ」
しかし、祈は訳が分からず、眉をひそめるだけだった。
玉藻御前は続けた。
>「ここ最近のそなたちゃんたちの動向、逐一監視してたんだけどォー」
>「昔の東京ブリーチャーズにとって『漂白』はイコール殺すことだったんだよね。わらわちゃんもそのつもりだったしさー」
>「でも、今は違う。いや結果的には殺してるんだけど、なんか違うんだよねー。結果は同じでも経緯が違う」
>「八尺もそう。コトリバコも。紅璃栖も、狼王も、悪魔たちさえも救おうと奔走してる。結果が伴わなくても、努力してる」
>「あんなキタナイものを。そんなの、絶対無理なのに。太陽が西から昇って、川が下から上に流れるようなものなのに――」
>「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
>「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
そして、祈の前にまで再びやってきた玉藻御前は、
目を満月のように見開いて、祈の目を覗きこんでくる。
「……なんで、って言われてもな」
祈は一歩下がりつつ、曖昧に答えを返す。
確かに、尾弐は八尺様の魂を砕いたこともあるし、妖壊への憎しみは人一倍だ。
以前の尾弐や橘音は、どちらかと言えばそういう方針だったのだろう。
その方針を、祈のワガママに合せて曲げてくれているのだろう、ということはわかる。
だが、祈が絶対ムリだと言われても、敵を助けたいと思う理由。
その理由を考えたが、祈は答えを出せない。
どんな悪人もどんな善人も命はただ一つで、死ねば終わり。
二度と誰かと触れ合うことも、言葉を交わすこともできない。
妖怪だって絶対死なない訳ではないし、
だからできる限り、誰も殺さずに倒して、助けてやりたい。
そんな気持ちがあるからだが、
しかしその気持ちが湧いてくる理由は、祈にもわからなかった。
>「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
>「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
祈の曖昧な答えに玉藻御前は二ィと歯を剥いて笑った。
そして――。
>「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
瞬間。祈の足元で陣が展開。結界が構築される。
まるで空間に四肢を固定されたように、祈は身動きが取れなくなった。
250
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:32:41
「う!?」
幸い、呼吸はできるし、首や眼球は動く。
祈は何をするんだ、という目で玉藻御前を睨むが、
玉藻御前はそれを正面から受けてもどこ吹く風、という顔で、
>「理(ことわり)っていうのは、天地陰陽の取り決め。つまり普遍的なものなんだー。変わりようがないものなんだよねー」
>「無理なものは無理なの。何やったって、どーしよーもないの。神にも魔にも覆すことはできないの」
>「でも……それをやっちゃった者がいる。もうわかるよね?」
そう続けて、祈を見る。
「あァ? わかんねぇよ! 日本語でしゃべれ! つーかなにすんだ!?」
しかしまたしても、
祈には玉藻御前の言っていることの意味が分からないでいた。
恐らく姦姦蛇螺の転生について話しているのだろう、と言うことまでは分かる。
だがなにせ祈は『自分達は天羽々斬という、理の中にあるものの力で姦姦蛇螺を倒したし、転生させたはずだ』と
そう思っている。
祈からすれば、ルールに則って事を運んだのに、ルール違反だと責めたてられているような気分だった。
>「姦姦蛇螺は邪念の集合体。まつろわぬ民が死のふちに放った、ありとあらゆる負の感情の融合したもの」
>「わらわちゃんの大キライな、キタナイものの塊。それは漂白さえできない。できるはずもない」
>「ただ、生ゴミみたいに何重にもビニール袋に包んで、ポリバケツに突っ込んで、蓋してゴミ捨て場に置いとくしかない――」
>「……はずだったのに」
――玉藻御前の言うように、転生などできるはずはない。
天羽々斬を突き刺された時点で、姦姦蛇螺の死は決定していた。
真実、天羽々斬に転生の力なんてものはなく、
祈がそう勝手に解釈して信じただけに過ぎないのだから。
故に、重力でリンゴが落下するように、
姦姦蛇螺の死は法則によって定められた、変えられない運命で。
幾ら念じたところでスプーンが曲がったりしないのと同じように、
少女の妄想がその現実を変えることはない筈だった。
しかし、事実として姦姦蛇螺は転生した。
それがもし、玉藻御前のいうように祈の所為だとするのなら、
祈には“運命変転の力がある”ことになる。
それも、理(ことわり)を乱すレベルで。
それは半妖という、稀有な存在故に起こった事象なのだろうか?
祈の4分の3は人間で、
人間は妖怪を生み出すほどの凄まじいエネルギー、『想い』の力を持っている。
故に祈の想いや思い込みが
妖怪の半身と反応し、奇跡を為し得たのだろうか。
姦姦蛇螺を突き刺すあの一瞬。
祈の中で爆ぜた、姦姦蛇螺を救いたいと言う想い。
死の淵に追い詰められながら胸の内で弾けたそれが、
いかなる理由か、陰陽のバランスを崩すほどの質量に達したのだとすれば。
そんなこともあり得るのかもしれない。
それとも、祈だけが世界法則を乱すだけの“何か”を持っているのだろうか?
それはわからない。わかりようもない。故のイレギュラー。
>「万理は整然と、粛々と行われるを善しとする。そこにイレギュラー、理解できないことはあっちゃダメなんだよー」
>「わかるよね?イレギュラーにいいことばっかり起きるならいい。でも、いいことばかり起こるとは限らない」
>「わらわちゃんたち大妖でも手に負えないよーな、悪いイレギュラーが起こっちゃう可能性だってあるんだよ」
>「わらわちゃんたち神クラスの大妖にとって、それはすっごく困るんだー。陰陽のバランスが狂っちゃうじゃん?」
――“万理を歪めて運命を変える危険な存在かもしれない”。
そして、もし祈がそうであるなら、
悪魔側が祈を絶望させようとすることも説明が付く。
悪魔の策略で祈が『この世の終わりだ』、
『もう勝つことはできない』などと強力に思い込んで、
負の感情を爆発させてしまえば。
悪魔が目指す悪い方向へと、理が捻じ曲げられる可能性があるのだから。
しかし思い込みがある故に、話に付いていけていない祈は、
何かやってはいけないことをやって怒られているようだ、という風にしか捉えられていなかった。
251
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:44:37
玉藻御前は気まぐれに祈から視線を外し、
>「さて。もうそろそろいいかなー」
そう言って、橘音を閉じ込めた檻へと向かう。
檻の中に手を伸ばし、おもむろに橘音から黒い宝石を奪い取った。
橘音はそれを見て、明らかに警戒した反応を見せる。
玉藻御前の手の上で宝石はみるみる脈打つ心臓に代わり、
玉藻御前は心臓に満遍なく札を貼りつけると、今度は尾弐の檻へと向かい、
何事か語り掛けながら、倒れたままの尾弐のぽっかり空いた胸に、札まみれの心臓を突っ込んだ。
尾弐が少年の姿から、いつもの姿へと戻る。
祈には何をやっているか分からないが、一応この行為は二人を助ける為のものであるようだった。
二人を縛っていた結界が消滅するが、二人はぐったりとして、
しかも橘音は白狐の姿にまで戻されていて、動くことはできそうになかった。
玉藻御前は二人の足元に転がる宝珠(恐らく二人の妖気を固めたもの)を嫌そうな顔で、
指先でつまみあげると、ぽいと部下へと放り投げた。
部下はそれをどこかへと持って行く。
これで、尾弐と橘音は解き放たれた、ようである。
>「これもあげる。もう、この姦姦蛇螺は抜け殻みたいなものだからー。死のうと生きようと問題ないし」
再び祈へ向き直った玉藻御前が、
姦姦蛇螺の入った虫かごを、祈を拘束している結界の近くに置いた。
これで、祈が要求した二人の解放と姦姦蛇螺の解放、二つの願いが叶ったことになる。
>「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
>「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
「……は?」
びしっと祈を指差す玉藻御前は、笑顔だった。
言葉の内容と釣り合わず、冗談かとも思わされるが、
だが、玉藻御前の全身から立ち昇る黒い妖気は。
巨大な九尾の狐を模るその禍々しい力は、本気だと言っていた。
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
>「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「……さっきから何言ってんのかわかんねーし、笑えねーよ」
玉藻御前は先程、尾弐も橘音も元々殺すつもりはなかったと自分で言った。
であれば、祈が叶えられた願いは姦姦蛇螺の解放一つだけであるし、
その願いだって、玉藻御前が姦姦蛇螺を勝手に捕らえたからそうなったのであって。
それに、結局なんで殺されなければならないのか、祈には分からず、
理不尽にしか感じない。
>「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
しかし、玉藻御前は自分がやっていることが理不尽だとも、なんとも感じていないらしい。
むしろ、良いことをやっているかのような――。
祈へと一歩、近付いてくる玉藻御前。そこで足を止め、ノエルを見た。
252
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/09/30(日) 21:53:32
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
>「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
>「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
次いで、ポチを見る。輝く満月の瞳がノエルとポチに放ったのは、
恐らく橘音と似たような瞳術だろう。相手に言うことを聞かせるような妖術。
それも数倍、下手したら数十倍も強力なものに違いなかった。
でなければ。
ノエルとポチが、祈に向かってくる筈はない。
「!? 御幸とポチは関係ねーだろ!? てめぇ!!」
祈が叫ぶ。
ノエルとポチはどうやら、かけられた術に抗おうとすると耐え難い激痛が走るらしく、
その表情は苦悶に満ちている。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
>「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
>「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
>「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
>「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
>「言っとくけど、抵抗とか無駄無駄無駄ァ!だからねー?わらわちゃんとガチで妖力比べするー?」
玉藻御前は愛らしく嗤う。
助けるためとは言え、何の説明もなしに友達を苦しめて。
みんなで助けた命を勝手に捕まえて。
自分が気に入らないやつは殺そうとして。
しかもそれは自分の手は汚さずに橘音や尾弐にやらせて。
友達を穢いとバカにして。
友達に、友達を殺させようとして。
逆らおうとすれば、暴力でそれを捻じ伏せようとして。
汚いものが嫌いで綺麗なものが好き?
「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
お前が一番、穢いんじゃないか。
祈は、玉藻御前をきつく睨んだ。
「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
祈は、二人が祈の心臓を抉ろうとしたところで、それを止めようとはしない。
二人が祈の為に、激痛に耐えている姿を見たくないと思ったからだ。
かといって、友達に友達を殺させるようなことをしたくもない。
だからただ、玉藻御前の張った結界から抜け出し、玉藻御前を蹴り飛ばそうと、抗っていた。
運命変転の力が祈にあるとしても、
肉体的、精神的に疲弊しているこの状況では、そんな奇跡が起こるかどうかはわからない。
そして奇跡の一つも起こらないのなら、祈と玉藻御前とでは覆し難い圧倒的な力の差があり、
勝ちようもない。
そして、祈の言葉はきっと、玉藻御前に届かない。
だからそこにいるのは、諦めないだけの、無力な少女が一人。
253
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:27:35
>「ダメだよーォ、わらわちゃんの玉体に触れていいのは紂王さまだけなの!身の分限を弁えず、迂闊に触れようとするとォ……」
>「……コ・ロ・ス・ゾ?下郎☆」
みゆきは確かに尻尾に飛びついたはずだが、モフモフは不発に終わった。
「ちょ、近い近い近い!!」
御前に顔を近づけられ、陰に属する雪の魔物であるみゆきですらもおののくほどの圧倒的な陰気が吹き付ける。
「9倍モフモフを独り占めなんて羨ましいぞチュー王! つーか未だにそこが本命なのね!?」
御前はその昔、妲己という名前の稀代の悪女として紂王を篭絡し、古代中国を混乱の渦中に陥れたのは有名な話である。
>「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
>「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
>「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
>「ちょおーっと長くなるからネー。だから、お菓子食べながらお話ししよ?って言ったんだー」
>「イノリンは血の気多いから納得できない?なら、約束したげる。『今は三尾たちに危害は加えない』。これでいーい?」
「童知ってるもん! 侵略してくる輩から東京の平和を守ることだよね!」
橘音達に危害を加えないと言われて安心したのか、ポチの分のお菓子をもしゃもしゃ食べながら答える。
>「わらわちゃんはねーェ、キレイなものが大好きなの!」
>「キレイな着物。キレイな踊り。キレイな歌、キレイな景色――この世にある、ありとあらゆるキレイなものが大好き!」
>「キレイなものを見てるだけで、幸せな気持ちになっちゃう。心があったかくなる……みんなだってそうだよね?ねっ?」
>「だから。わらわちゃんはキレイなものを守ってあげたいの。キレイなものをキレイなままにしておきたいの」
顔をのぞきこまれて、うんうんと頷くみゆき。
>「この世にはキレイなものがいっぱい!今の人間が創るファッションも、音楽も、映像も超イケてる!」
>「わらわちゃんがパソコンにドハマリして、ユーチューバー始めちゃうくらいにね!へいへーい!ぷっちょへんざ!」
「いえーい! ぷっちょへんざ! 気が合うじゃんタマちゃん!」
254
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:28:39
すっかり同調してバンザイするみゆきだが、次第に雲行きが怪しくなってくる。
>「……でもね。キレイなものと同じくらい、キタナイものもあるんだ」
>「キタナイものはキライ。世界にはキレイなものだけあればいい――だ・か・ら、わらわちゃんは作ったの」
>「キタナイものを、キレイに漂白するものを。『東京ブリーチャーズ』を……ね!」
「うーん……やっぱあんま気が合わないかも……」
ノエルにとって妖壊自体が必ずしも絶対的な悪ではない。
それは人間社会の歪みから生まれたものだったり、驕る科学文明に牙を剥いた自然の化身だったり。
ただ人間や人間社会で生きる妖怪にとって都合が悪いから排除するだけの話だ。
>「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
>「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
>「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
>「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
>「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
>「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
「うっせーわババア!! 人の勝手だろボケ! 妖怪! 女狐!」
祈の方針におそらくメンバー内で最も同調しているみゆきは、罵詈雑言でくってかかる。
しかし冷静に考えると、出来るだけ敵を殺さないという方針は、祈の母親の颯の頃からはじまっていたはずだ。
ここにきて御前が目をつけたのは、颯にはなく祈だけにある特別な何かがあるということなのかもしれない。
>「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
>「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
>「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
>「う!?」
御前は祈の足元に結界を構築し、動きを拘束する。
255
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:29:38
「何のつもりだ……!」
>「理(ことわり)っていうのは、天地陰陽の取り決め。つまり普遍的なものなんだー。変わりようがないものなんだよねー」
>「無理なものは無理なの。何やったって、どーしよーもないの。神にも魔にも覆すことはできないの」
>「でも……それをやっちゃった者がいる。もうわかるよね?」
祈と、御前が掲げた姦姦蛇螺だった蛇を交互に見てようやく事の重大さを認識する。
深雪が言っていた運命変転の力は本当だったのだ。
「もしかして、全部祈ちゃんの力だったってこと……?」
>「万理は整然と、粛々と行われるを善しとする。そこにイレギュラー、理解できないことはあっちゃダメなんだよー」
>「わかるよね?イレギュラーにいいことばっかり起きるならいい。でも、いいことばかり起こるとは限らない」
>「わらわちゃんたち大妖でも手に負えないよーな、悪いイレギュラーが起こっちゃう可能性だってあるんだよ」
>「わらわちゃんたち神クラスの大妖にとって、それはすっごく困るんだー。陰陽のバランスが狂っちゃうじゃん?」
言い方は癪に障るが、筋は通っている。
誰の手にも負えない悪い方向のイレギュラーが起こっては、確かに困る。
おそらくこの態度は、こちらを自分のペースに乗せるための策略だろう。
「結局何が言いたい……? 祈ちゃんに戦いから身を引けと?」
それには答えず、御前はまず橘音と尾弐を手荒な方法ではあるが元の姿に戻して助けた上で解放した。
そして姦姦蛇螺も解放するという。
>「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
>「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
「ブ―――――ッ!!」
飲んでいたオレンジジュースを盛大に噴き出す。
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
>「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「いいわけあるかタコ!
交渉っていうのはお互いに条件を提示してからするってお母さん言ってたもん!
自分の願いを言わずに勝手に叶えといて何それ! 凄腕セールスマンの白い悪魔か!」
とはいうものの、事前に橘音&尾弐&姦姦蛇螺or祈の選択を突きつけられたところで
それはそれで大変困った状況になっていただろうが。
256
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:30:47
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
>「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
>「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
「はぁ!? 祈ちゃんの願いと被ってるじゃん! この悪徳商法め! 訴えてやる!」
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
特別な術式も何も使っていない、ただの言霊の強制力だけで御前はみゆきとポチと命令の支配下に置いた。
意に反し、手には氷の刃が作られ、足は一歩一歩祈へと近づいていく。
「う、ぐああああああああああ!!」
抵抗を試みて、あまりの苦痛に地面を転げまわるみゆき。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
>「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
>「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
>「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
>「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
>「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
「お前が一番、穢いんじゃないか――ただしお前の中ではな」
祈の言葉を継いだのは、深雪――災厄の魔物だった。
御前には遠く及ばずとも、世界の理の具現化とも言えるものの端くれ。
そしてその横には何故かノエルがいる。
常軌を逸した苦痛を受けた時に別の人格を作り出しそちらに苦痛を背負わせることで
苦痛から逃れる精神機構である解離、という現象がある。
元々別人格を持っているノエルはそれに近い現象が起こり、ノエルは精神寄りの妖怪であるため、実体も実際に分離しているのであった。
「痛みは我が引き受ける! 貴様はその間に説得を……!」
「深雪、なんで……!?」
深雪は姦姦蛇螺の中で祈を生贄に捧げろと言っていたはず。
深雪があっさり祈を殺してしまわないかと恐れて尋ねるノエル。
257
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:32:49
「あの女狐は気に入らぬ――それに空模様は気まぐれなものだ。
我の気が変わらないうちに早くすることだな!」
確かに御前と同じ陰の気を持つ災厄の魔物である深雪なら、御前の術に少しは長く耐えられるだろう。
祈の命運が自らに委ねられたと感じたノエルは、意を決して口を開いた。
「諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが大好きだ!
白いパンツが好きだ。ピンクパンツが好きだ。いちごパンツが好きだ。くまちゃんパンツが好きだ。
パンツの匂いが好きだ。幼女のパンツ姿が好きだ。美女のパンツ姿も好きだ。パンツの全てが好きだ!」
一見気が狂ったようにしか思えないが、端から相手にされなければ土俵にも上がれない。
突拍子もないことを言ってまずは気を引く作戦である。
ちなみに体育の授業の時には女子更衣室で着替えていた。
だって外見上美少女が男子更衣室で着替えたら騒ぎになるから仕方がない。
「災厄の魔物に支配されぬために男の姿になって人間界の文化に染まった結果がこれだ――
パンツは現代の人間界にしかない文化だからな! お前はこれを美しいと言えるのか!?」
と、ドヤ顔で返答に困る質問を突きつけ、一気に畳み掛ける。
「まずお前は大きな勘違いをしている。
僕は”災厄の魔物”が汚い側のものなんて思ってない。だから恩に着ることなんて何もない。
この姿を取るのは深雪が穢いからじゃない、ただ人間と共存する道を選んだから、それだけだ――」
そう言ってノエルは雪の王女――乃恵瑠の姿へと変わる。
「そもそもそなたは何を基準に綺麗汚いを切り分けておるのだ。
古の大和民族が先住民を踏みにじり侵略した地に築き上げた文明が本当に美しいといえるのか?
理不尽な侵略に散っていった数多の同胞の無念を背負った宿命の復讐はある種美しいとは言えぬか?
そなたは雪に閉ざされた一面の銀世界を見たことがあるか? 凄く、綺麗なんだ。
雑然とした人間の街なんかよりずっと――
妾に言わせれば昔の方が綺麗なものはたくさんあった。
夜空に輝く星、蛍の光、今や人間社会のネオンサインのせいで見えやしない。
災厄の魔物とは――人間社会の文明が生み出した業。驕る科学文明への警鐘。
万人を等しく恐怖に陥れる究極に平等で純粋で残酷で綺麗な存在――
本能のままに暴れて自らの役目を果たしておけば良かった。それなのに……」
そこでまたみゆきの姿へ。
258
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/04(木) 00:33:57
「憧れてしまったんだ。人間の世界に。
何故かは分からないんだけどね、それはきっと人間界が綺麗なものばかりじゃないから。
だから童はノエルという仮初の姿を貰って人間界に来た」
みゆきからノエルの姿へ。
「でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ」
そこで御前を真っ直ぐに見つめて告げる。
「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
259
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:08:27
>「んー。んーんーんー。そう言うと思ってたよ、みんな優しいもんねー。わらわちゃん知ってた!」
「でもね。そーゆーんじゃないんだよなー。わらわちゃんの言いたいのはさー」
祈とノエル、そしてポチの言葉を受けて、御前は大仰な仕草で頷いて見せる。
だが御前の言葉をどれほど聞いても、彼女が一体何を考えているのか、ポチには分からないままだった。
その声も、においも、彼女の本心を探る手がかりにはなり得なかった。
>「みんなにここに来てもらったのは、三尾とオニクロの対処ってのもあるんだけど――」
「他にもいろんなこと、そろそろ説明する時期かなーって思ったからなんだよねー」
「そなたちゃんたちのチームの、結成の理由とかとか?」
しかし一つだけ確信を持てる事があった。
彼女は橘音の上司であり、妖狐の長。
>「ちょおーっと長くなるからネー。だから、お菓子食べながらお話ししよ?って言ったんだー」
「イノリンは血の気多いから納得できない?なら、約束したげる。『今は三尾たちに危害は加えない』。これでいーい?」
「やー、わらわちゃん話がわかる!やっばいよね!さすが白面金毛九尾!世界一の大妖怪!」
つまり――読みや駆け引きなど無駄だという事だけは、確信が持てた。
そうしてポチは諦めたように、改めてその場に座り込んだ。
>「わらわちゃんはねーェ、キレイなものが大好きなの!」
「キレイな着物。キレイな踊り。キレイな歌、キレイな景色――この世にある、ありとあらゆるキレイなものが大好き!」
「キレイなものを見てるだけで、幸せな気持ちになっちゃう。心があったかくなる……みんなだってそうだよね?ねっ?」
「だから。わらわちゃんはキレイなものを守ってあげたいの。キレイなものをキレイなままにしておきたいの」
御前の発言が嘘か本当かを疑うのは、無駄な事だ。
故にポチは彼女の言う事は全て額面通りに受け取ると決めていた。
>「この世にはキレイなものがいっぱい!今の人間が創るファッションも、音楽も、映像も超イケてる!」
「わらわちゃんがパソコンにドハマリして、ユーチューバー始めちゃうくらいにね!へいへーい!ぷっちょへんざ!」
しかし……その前提の上で御前の言葉を聞いていても、その真意が掴めない。
御前は大変な綺麗好きだ。だが――それが一体どうしたというのか。
彼女の趣味嗜好と、現在の状況が繋がる理由が分からない。
「>……でもね。キレイなものと同じくらい、キタナイものもあるんだ」
「キタナイものはキライ。世界にはキレイなものだけあればいい――だ・か・ら、わらわちゃんは作ったの」
「キタナイものを、キレイに漂白するものを。『東京ブリーチャーズ』を……ね!」
続く言葉を聞いても、ポチの疑念は解消されない。
結成の理由など聞かされなくても、ブリーチャーズの活動内容が変わる事はない。
妖壊を漂白し、東京を護る。それだけだ。
姦姦蛇螺を命がけで倒したばかりで、その事が疑われているとも思えない。
>「三尾とオニクロがふたりでやってるうちは、別によかったんだけど――」
「なーんか、最近チームがわらわちゃんの思いもよらない方向に行っちゃってる気がしてたんだー」
「……おかしな方向?僕らはずっと妖壊を倒して、東京を護ってきた。
何も変わっちゃいないじゃないか。やってくる敵は、最近妙に強くなってきちゃいるけどさ」
不穏な雰囲気を感じて、ポチは思わず異を唱えた。
だが御前はポチの方など見向きもしない。
>「んでんでーェ、それってなんでかなー?なんでかなー?って思ってたんだけど……やっとわかったんだよねー」
「……イノリン。そなたちゃんが原因なんだって」
>「……? あたしが原因ってどういうことだよ」
彼女の視線は――まっすぐと、祈に向けられていた。
ポチの心臓の鼓動が、僅かに重さと速さを増した。
260
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:09:27
>「ここ最近のそなたちゃんたちの動向、逐一監視してたんだけどォー」
「昔の東京ブリーチャーズにとって『漂白』はイコール殺すことだったんだよね。わらわちゃんもそのつもりだったしさー」
「でも、今は違う。いや結果的には殺してるんだけど、なんか違うんだよねー。結果は同じでも経緯が違う」
「八尺もそう。コトリバコも。紅璃栖も、狼王も、悪魔たちさえも救おうと奔走してる。結果が伴わなくても、努力してる」
「あんなキタナイものを。そんなの、絶対無理なのに。太陽が西から昇って、川が下から上に流れるようなものなのに――」
「そーだよ。黒が白になることなんて不可能なのに。キタナイものは、ポイーしちゃうしかないっていうのに」
「ねぇ、イノリン。なんで?なんで?なんでなんでなんで?なんで????」
そのままポチの不安は急激に加速していく。
最早、この状況から抜け出すべきである事をポチは疑っていなかった。
だがどうすればそれが叶うのか――相手は大妖怪。
先ほど垣間見えた妖気は到底抵抗の叶うようなものではなかった。
『獣(ベート)』の力をもって逃亡に徹すれば――だが橘音と尾弐は今も結界に囚われている。
>「……なんで、って言われてもな」
>「わらわちゃんには、それがどうしてもわかんない。万億の理を修めたわらわちゃんに、わかんないことなんてあっちゃダメなのに」
「でもね。わらわちゃんがもっとわかんないのは――」
「そなたちゃんそのものなんだよ、イノリン」
>「う!?」
不意に、祈の足元に浮かび上がった結界。
彼女は完全に制止されていた。藻掻く事すら出来ないようだった。
結局答えが見つけられないまま、状況は更に決定的になってしまった。
ポチに出来たのは、せめて御前と彼女の間に立ちはだかる事だけだった。
それでも御前は構わずに話を続ける。
橘音と尾弐を囲む結界が解かれ、尾弐の心臓が戻されても――
ポチには最早、その事に安堵する精神的余裕すらなかった。
>「さー、イノリン。イノリンの願いは叶えたよ?そしたらぁー、次はわらわちゃんの番ね!」
「自分の願いを叶えてもらって、相手の願いは叶えない……なんて。フェアじゃないもんねー?」
ポチはただ願う事しか出来なかった。
この一連のやり取りが――橘音がたまにそうするような、思わせぶりな冗談である事を。
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
だが――そうはならなかった。
御前は確かに言った。祈に、死ねと。
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
>「……さっきから何言ってんのかわかんねーし、笑えねーよ」
瞬間、ポチは『獣(ベート)』の力を解放していた。
今すぐこの場から逃げ出すしかない。
もっと早くその判断が出来なかった自分の不明を呪いながらも、ポチは人狼の姿へと変化。
何よりも優先すべきは祈の安全だ。
御前曰く、橘音と尾弐は彼女の駒であり、あっさりと捨てるつもりはないらしい。
であれば、この場は祈を抱えて脱出するべき。
瞬時にそう判断し――しかし、その為の一歩目が踏み出せない。
御前の尋常ならざる威圧感のせいだった。
261
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:10:07
>「雪ン娘。ふたりの命は助けてあげたよ?ケンカ腰のやり方じゃなくて、平和裏にお話ししたよね?今――」
「ワンワンも。大目に見てあげたよ?姦姦蛇螺のこと」
「『ふたりのお願いは叶えた』よ――じゃあ、次は。『そなたちゃんたちが、わらわちゃんのお願いを叶える番』だよね……?」
それでもなんとか、ポチは祈へと振り返り――
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
そして牙を剥き、爪を広げ、そのまま彼女へと勢いよく飛びかかった。
自分の体が、己の意思に反して動いている。
一瞬遅れてその事に気づいて、咄嗟に踏み留まる。
瞬間――右眼の痛みが塗り潰されるほどの恐ろしい激痛が、全身に走った。
「がっ……!あ……ぐぅうう……!」
思わず痛みに怯み――その間に更に一歩、ポチは祈へと歩み寄った。
彼我の距離は、あと三歩ほどしか残っていない。
牙を食い縛り、ポチは必死に、御前の言霊に逆らった。
>「そなたちゃんたち『災厄の魔物』も、ホントはキタナイ側のものなんだよねー。自分でわかってるっしょ?」
「でも、わらわちゃんは見逃してきた。そなたちゃんたちが本来の姿になりたくないって抗う姿がキレイだったから」
「それも恩に着てほしいんだよねー!だから、その辺の貸しもまとめて今、払ってもらうね!」
「イノリンを引き裂いて、その心臓を抉り出すだけで。ぜ〜んぶ許しちゃう!ワオ、マジ出血大サービス!」
「……出血するのはイノリンだけどね。なんちて☆」
しかし、その場に留まる事が精一杯。
祈から離れる事も、目を逸らす事すら叶わない。
>「言っとくけど、抵抗とか無駄無駄無駄ァ!だからねー?わらわちゃんとガチで妖力比べするー?」
わざわざ言われなくとも、そんな事は既に痛感していた。
だがそれでも、彼女の言いなりになる訳にはいかない。
>「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
「馬鹿言え祈ちゃん……!そんな事、出来る訳……!」
出来る訳がない。
そう言おうとして――ポチはまた一歩、自分が祈へ歩み寄っている事に気づいた。
あまりの激痛に、気を強く保てなくなった――訳ではない。
いずれはそうなっていたとしても、まだ、ポチは堪えられるはずだった。
にも関わらず何故か――その理由はすぐに分かった。
血で染めたように赤黒く変色した己の両腕。
未だかつてないほど『獣(ベート)』が自分に干渉してきているのだ。
囁きかけ、思考を歪めるだけではなく、肉体に直接影響を及ぼすほどに。
御前の言霊に抵抗する事で手一杯もポチは、『獣』にとっては隙だらけの獲物だった。
「クソ……やめろ『獣(ベート)』!やめ……」
制止の言葉を遮るように、高笑いが響く。
ポチの頭の中だけに、ではない。
かつて狂気に飲まれたロボが上げていた、あの笑い声が、ポチの喉の奥から溢れてくる。
「ゲハハ……ゲハハハハッ!ゲァ――ッハッハッハァ――――!!」
『獣』は、完全に己の勝利を確信していた。
この宿主は、このまま目の前の少女を殺す。最早その結末を避ける術はない。
そしてそれが為された瞬間、間違いなく宿主は絶望する。
そうして無防備になった精神を喰らい尽くせば――この肉体は、完全に自分のものとなる。
その後は――ひとまずはこの場を逃げればいい。
あの九尾の妖狐は気に食わないが、今戦いを挑むのは愚策だ。
幸いにもこの宿主には影に潜み、己の存在さえもを消し去る技能がある。
ここは一度離脱し、無差別に人を殺し、十分な恐怖を帯びた後に――再びここを訪れればいい、と。
262
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:15:12
ポチの体が更に一歩、祈へと近づいた。
その両手が、既に彼女の肌に届く距離だった。
『獣』はこれ見よがしに、最早己のものとなりつつある両腕を、顔の前へと掲げた。
祈に、今からその胸を引き裂き、心臓を抉り出す爪を見せつけるように。
そして、鮮血が飛び散った。
祈の胸が引き裂かれたから――ではない。
ポチの爪は――ポチ自身の首筋に、深々と突き刺さっていた。
「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
御前の言霊と、『獣』の干渉。
それら二つの強制力が同時に降り掛かった時、ポチはほんの僅かにも抗う事は出来ない。
だが――『獣』が勝利を確信し、嗜虐的な戯れをした、あの一瞬。
あの一瞬ならば、ポチには抵抗の余地があった。
しかし祈から遠ざかる事は叶わない。
故にポチはその両腕のみに渾身の力を注いだ。
そして己の首筋に、両手の爪を食い込ませた。
御前の言霊はなおもポチの体に抗えない衝動を植え付けている。
ポチは祈の心臓を抉り出すべく、両手を彼女へ伸ばそうとしている。
自らの首に爪が突き刺さったままの状態で。
不意に、ぶちり、とポチの首筋から音がした。
両手の枷となっている、毛皮と筋肉が裂けていく音だ。
このまま言霊の影響を受け続ければ――ポチは自らの手で、自分の首を引き裂く事になる。
「……大丈夫だよ、祈ちゃん。僕は、狼だから……これくらいの怪我、死にやしないさ」
だが――ポチのその言葉は、まるきり強がりという訳でもない。
ポチは送り狼だ。高い持久力を持ち、一晩中走り続けられると言い伝えられる、狼の妖怪。
故にケ枯れに強い耐性を持つ。
このまま自分の首を引き裂いてしまったとしても、即死は免れるだろう。
「それにほら……僕は『獣(ベート)』を持ってるからさ……。
僕が死んだら、『獣』はまたどこかに行っちゃう訳だし……」
加えて、ポチが死ねば『獣』はまたこの世界のどこかに解き放たれる。
それは御前の言葉を借りるなら、キタナイものが世に飛び散ってしまうという事。
その点を鑑みれば、『獣』の器として助命してもらえる可能性だってない訳ではない。
ぶちり、ぶちりという音が、また響いた。
「やめろ!そんな事が本当に起こると思っているのか!
あの女狐は姦姦蛇螺をも捨て置いたのだぞ!お前に器としての価値などあるものか!」
『獣』がポチの喉の奥から叫び声を上げた。
しかしその言葉は確かに的を射ていた。
ポチの考えている事は、ただの希望的観測だ。
御前にとってブリーチャーズは自分の駒だが、
それも所詮、姦姦蛇螺に勝ち目のない戦いを挑みゆく彼らを見過ごす程度の扱いでしかない。
己の意に沿わなかったポチを、彼女が助命してくれる可能性など――皆無と言っていいだろう。
263
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/06(土) 06:19:36
「……黙ってろよ、『獣』。でも……そうだね。
そんな気はさらさらないけど……もしかしたら、僕はここで死んじゃうかもしれない」
けれども――そんな事はポチにだって分かっていた。
分かった上で、こうしたのだ。
「だから……もし、僕が駄目だったら……悪いんだけど、祈ちゃん。
シロちゃんに、ごめんって……言っておいて。それと……」
死ぬつもりはない。
だが――死ぬ事になってしまったのなら、それを受け入れる。
「……君のせいじゃないよ、祈ちゃん。僕は、君を殺して生き残る事だって出来たんだ。
でも僕は、そうしたくなかった。これは僕が選んだ事なんだ」
ポチは話術に長けている訳でも、特別頭がいい訳でもない。
祈を殺めてしまうまでの短い時間で、咄嗟に出来る事はそれしかなかった。
不意に、ポチの首から血が噴き出した。
毛皮と筋肉を引き裂き、ついに動脈が傷ついたのだ。
「やめろ!こんな事は無意味だ!どうせくたばるなら……俺に、この体を寄越せ……!」
『獣(ベート)』が首から爪を引き抜こうと、腕に力を込める。
「……無駄だよ。大人しくしてろって」
だが抗えない。御前の言霊に逆らうほどの力は『獣』にも発揮し得ない。
「……それに、御前。げほっ……げほ……がっ……」
口元から血が溢れ、咳き込みながらも、ポチは御前に呼びかける。
その声に、恐怖は宿っていなかった。
「あんた……見当違いの事を言ってるよ。だって……運命なんて……この僕にだって、変えられるんだ。
だってそうだろ……ロボを救ったのは、この僕だ……。
そして、見てろよ……今から僕が、もう一度……運命を変えてやる」
運命変転の力。
言うまでもなく、ポチはそんな大層な力が自分に宿っているとは思っていない。
そんなものがなくても、運命は変えられる。
その事を御前に見せつけてやる――ポチは最早、その事だけを考えていた。
「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
叫ぶや否や、ポチは両腕に全力を注いだ。
『獣』の抵抗を振り切って、言霊の力に身を委ね――祈へと、両手を伸ばす。
一際大きく、ぶちりと音が鳴って――ポチの首から、夥しい量の血が噴き出した。
「どう……だ……」
ポチの体が、言霊の強制力を無視して後ろへとよろめく。
伸ばした両手は、爪の先端すら、祈に届かなかった。
その事を確認して、ポチは満足げに笑った。
そしてそのまま背後に倒れ込んで――それきり、僅かたりとも動かなくなった。
264
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:44:53
>「オニクローぉ。今回は相手が相手だったから、こんな手使っちゃったーってゆーのも大目に見るケドさぁー」
>「一歩間違ったら、そなたちゃんが原因で東京が壊滅してたじゃん?マジ気を付けてよねー!」
>「……そなたちゃんはまだ、わらわちゃんとの約束を果たしてないよ。それが終わるまで、壊れるなんて許さないし」
「……がっ!?」
結界の拘束から解き放たれた尾弐は、床へと放り出される。
激痛は身を苛み、戻った心臓が巡らせる血液が喉元までせり上がるが、尾弐は歯を食いしばりそれを飲み込んだ。
それは尾弐が御前が穢れを嫌う事を知っているが故……この場において不興を買う事を防ぐ為だ。
そしてそのまま、一度倒れ伏す那須野に視線を向けてから、震える拳を握ると痙攣する体を無理やりに動かし、片膝を付き頭を垂れる。
身体と魂にダメージを受け、意識すら明滅する中で、尾弐は自身よりも遥かに小さな体の御前に服従の意を示して見せたのである。
その行為は尾弐が御前と交わした『約束』が、彼にとってあらゆる苦痛をも凌駕する優先事項である事の証明であったが、
>「ウェッ、きったな」
けれど……その服従を向けられた御前は、尾弐に何の関心を向ける事も無く酒呑童子の力の残滓を破棄して見せた。
一見して無情に見えるその態度であるが、尾弐からしてみれば当然の反応であった。
綺麗なモノに価値を見出す御前が、穢れたモノの具現である悪鬼に利用価値以上の意義を見出す筈も無い。
むしろ、気まぐれに排除されてもおかしくないのだ。
予想道理。予定調和。
何とかなる範疇内の出来事であった。
>「じゃあ、祈ちゃん。死んで?」
御前が膨大な妖気を纏い、そう言い放つまでは。
>「……さっきから何言ってんのかわかんねーし、笑えねーよ」
言葉を投げかれられた祈はこの時点では状況を把握し切れていないようだが……尾弐はその意図をいち早く察した。
察する事が出来てしまった。
(……例外の、排除……!)
265
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:45:30
>「いいよね?だって、三尾もオニクロも姦姦蛇螺も解放した。イノリンの願いは間違いなく叶えたもん」
>「本来喪われるはずだった、三つの命。それを助ける代わりに、命をひとつだけ貰う――イノリンの命を」
>「これって超大サービスじゃん?や〜、わらわちゃんって超物分かりいいよね〜!」
これまでの日々の中で 多甫 祈という少女が積み上げてきた奇跡
死すべきモノに生きる道を作り
絶望となるべき結末に希望を残し
救われない者に憐憫を与える
狂った雪妖に、家族との離別の時間を作り
孤独な狼王に、その誇りを継承する存在を見出させ
悔恨の泥に沈む悪鬼と妖狐の手を引き、泥から引き摺りだした
善き方へ、良き方へと、未来を紡ぎ続けた祈への――――代償を。御前はそれを求める。
これまでの軌跡を認めるが、されどこれからの不確定は認めないと。
時は遡らず。水は逆には流れず。生者は死に、死者は生き返らない。
そんな、在るべき物が在るべき様になる当然の世界に回帰する事を、求める。
そして……その為に、運命を変えかねない祈の命運を断ち切ると。そう決断をしたのだ。
>「いいわけあるかタコ!
>交渉っていうのはお互いに条件を提示してからするってお母さん言ってたもん!
>自分の願いを言わずに勝手に叶えといて何それ! 凄腕セールスマンの白い悪魔か!」
当然の事ながら、ノエル達(?)はそれに抗議をするが――――それは、もう遅い。
言霊とは、魂を縛る程に重いものだ。それを大妖に契約という形で結び付けられては、逆らう術などある訳も無い。
例え強き力を持つ『災厄の魔物』であろうと……否。強い力を持つ存在であるからこそ、理には逆らえない。
代価を示さず相手に願う事は、白紙の小切手を渡す様なもの。
尾弐が思った通り、祈達は御前と交渉を行うべきではなかったのである。
>「さあ――んじゃ、雪ン娘とワンワン!イノリンをサクッとやっちゃってー!」
そして下される、祈と親しき存在であるノエルとポチに祈を殺させるという無情の命令。
266
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:46:00
>「!? 御幸とポチは関係ねーだろ!? てめぇ!!」
>「なんだ……? お前。……なんなんだよお前!! お前が……お前がッ!!」
>「御幸! ポチ! 痛いんだろ!? 無理すんな!
>こんなやつ、結界から抜け出してあたしがぶっ飛ばして、や……る……!」
ここに命運は決す。
如何な運命を切り開く力と意志を有する少女であるとはいえ、九尾と言う大陸に名を馳せる大妖怪の力の前には逆らい様がない。
雪妖も、狼の王も。
自然の具象をも凌駕する、天災の如き御前の前には無力だ。
>「う、ぐああああああああああ!!」
>「がっ……!あ……ぐぅうう……!」
逆らえない。逆らいようがない。逆らうだけ無駄だ。
であれば、この場において最効率の解は、せめて祈が苦しまぬ様にその命を摘み、
その様な事をさせた代価として御前から今後の支援を引き出す事。
そうであるというのに……二匹の妖怪は諦める事をしない。
ポチも、ノエルも、身を裂くような激痛を受けて尚――――祈の命を諦めない。
>「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
>どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
>だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
己が身に降りかかる痛みを根幹を同じくする存在に担わせることで言霊の呪縛に抗い、氷雪の魔物は高らかに吠える。
恨み憎しみにすら美しさは存在し、それを知った上で世界の歯車ではない自由意思の元に世界を謳歌したいのであれば、祈は力に成れるであろうと。
>「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
>あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
己が身に潜む『獣』と御前の言霊。その双方の浸食を受けながらも、送り狼は誇りを燃やす。
祈を殺さないと。殺してなるものかと。その命を賭して、自身の意志で運命を変えると断言する。
東京ブリーチャーズ。
祈が絆を紡いできた仲間達は、全霊を以って祈を守らんとする。
267
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 00:46:50
「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
その最中……未だ激痛に苛まれながら、傅く姿勢を取っていた尾弐が。
二人が苦痛に抗う最中も、沈黙を貫いていた尾弐が、初めて口を開き……そして、立ち上がった。
「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
まるで二人の努力を、信念を否定する様な言葉を吐き出しつつ、尾弐はふらつく足をゆっくりと進め、祈の視線の先。
ノエルと倒れ伏すポチの背後へと立つ。
……尾弐は、ノエルやポチとは違う。
己が穢れた存在であると自認し、未来に価値など見出さず、己が目的の為であれば何をも犠牲にする。
そんな、利己的な男だ。
だからこそ、これまで数多の妖壊を。命乞いをするモノも、悲しい過去を持つモノも、救われる可能性があるモノも。
その全てを屠ってきた。
己が利になるのであれば何だってした――――八尺様にトドメを刺し、コトリバコの一体を殺し、その多量の妖気を奪い取った。
苦楽を共にした那須野橘音にすら己が目的を伏せ、利用する算段でいた。
結果的に生きていたとはいえ……力ずくで逃がせば助けられたであろう祈の母である颯を、姦姦蛇螺を封印させる為に引き留めなかった。
そんな男であるからこそ、この場、この局面において御前の味方となる事は当然であった。
平安の時代から数えて1000年を上回る妄執。御前との『契約』を果たす為には、祈ですら手に掛ける覚悟を持っている。
「悪いな祈の嬢ちゃん」
感情を感じさせない瞳で尾弐は祈を見おろし、その頭へと頑強な妖怪すら握り潰す手を伸ばし―――――
「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
その武骨な手で、労わる様に少女の頭を撫でた。
268
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/10(水) 01:22:01
そして尾弐は、まるで祈を守る様にその大きな背に隠すと、御前へと向き直り口を開く。
「御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか」
向き合う御前から感じる妖気は、尾弐をして怖気を覚える程に膨大。
だが、それでも視線を逸らす事なく言葉を続け、指を三本立てて見せる
「もしも、御前の命で祈の嬢ちゃんを殺したとした場合に起こりうる可能性の話です」
「その場合、まずは明王連が貴女の敵に回るでしょう。なにせ、祈の嬢ちゃんは彼の組織のご息女だ。妖狐の一族は、かつての貴女の伝承の様に、力在る人間を敵に回す事になるに違いはねぇかと」
指を一つ折る
「そして、五大妖の過半も結託して妖狐の一族を狙う事でしょう。敵の敵は味方……じゃありやせんがね。人間と言う外部勢力の参加は、勢力図を塗り替えるには格好の武器ですからね」
更にもう一つ折る
「そして最後に――――俺が貴女の敵に回りやす」
最後の指を追ってから尾弐は言葉を続ける。
「貴女も知っての通り、俺が貴女に従うのは、俺が俺の願いを叶える為です」
「ですが……俺の願いを叶えるのは、貴女でなくとも出来るんですよ」
濃密な妖気を受け咳き込みつつも、尾弐は御前から視線を逸らさない。
「東京ドミネーターズ。アスタロト……西洋悪魔の集団。彼の集団程の権能があれば、俺の願いは叶えられる」
「もちろん、奴さんとは敵同士……いきなり『はいそうですか』とはならねぇでしょう」
「なので俺は、五大妖の一勢力――――悪鬼の軍勢を戦力として持って行かせてもらいます」
「姦姦蛇螺との戦闘の際、参加した連中に俺の酒呑童子としての姿は目撃されちまってますからね……茨木、金熊辺りは正体を明かせば逆らわねぇでしょう」
「酒呑童子として鬼の勢力を土産にし、アスタロトを説得して口説き落とせば……それ、内も外も泥沼の殺し合いだ。
偶然なんぞと比べ物にならねぇ、キレェなモノなんぞ存在する余地のねぇ最悪の地獄の出来上がりだ」
「もちろん、契約を破れば俺も相応のリスクを負うでしょうが……俺がどれだけぼろ雑巾みてぇになろうと、それは俺の目的には何ら影響はしやせんからね」
……尾弐の立てた仮定は、見てくれだけの代物。穴だらけの暴論である。
この通りになるとは限らない……むしろ、御前の交渉力などを鑑みれば、そうなる可能性は低いと言って良い。
だが、発生する可能性は0では無い。
そして……ここまで脅しの様な『仮定』を述べた尾弐は、一度息を吐いてから、
御前に向けて膝を折ると、両手を床へと付け、額を床に付ける。
「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
色々と言葉は述べたが……結局の所、この場で尾弐にできる事は、仲間の為に頭を下げる事だけだ。
交渉でもなんでもない。ただの暴力的な奏上。
尾弐は、己の目的の為であれば祈をも手に掛ける覚悟を持っている。それは残念ながら今でも変わっていない。
だが……それと、祈を助けたいという想いは別である。惨めに、みっともなく。尾弐は祈の助命を願うのであった。
269
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 00:54:29
「無駄だって言ってるじゃーん?なーんで耐えられるって思っちゃうかなぁ〜?」
圧倒的な強制力を持つ言霊に、それでも反抗し祈を手に掛けまいとするノエルとポチを見て、御前が小首を傾げる。
「わらわちゃんとガチンコやれる妖怪なんて、この世界には片手で数えられるくらいしかいないのにさー」
シヴァでしょー?ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘーでしょー?あと誰かいたかなー?と御前は本当に指折り数え始める。
世界各地の国造り神話が示す通り、この世界は混沌が光と闇、聖と邪、陽と陰に分かたれて生まれた。
その、原初の混沌から生み出された最も昏い成分。闇の中の闇。それが御前こと九尾の狐。
今、九尾の狐は陰気の最たるものとして世界の光と闇のバランスを調整する役目に就いている。
それに楯突くことは、すなわち世界への叛逆に等しい。
……だというのに。
>この姿を取るのは深雪が穢いからじゃない、ただ人間と共存する道を選んだから、それだけだ――
>でも僕は、そうしたくなかった。これは僕が選んだ事なんだ
それが無駄なことだと分かっていながら、ふたりは抗う。
御前はふたりの姿を見て、心底愉快そうに目を細めて口角を笑みに歪めた。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――
>そして、見てろよ……今から僕が、もう一度……運命を変えてやる
ノエルが必死の説得を試み、ポチが自らの首を引き裂く。
災厄の魔物は人類の敵である。人類が自然を畏れ、悪意ある存在として意思を与えた存在。
そんな災厄の魔物が、人間を殺めることに快感を覚えこそすれ、まさか半妖の少女を命を賭して護ろうとするとは。
「……くふっ」
御前は喉を鳴らして嗤う。
ノエルの献身とポチの自己犠牲を目の当たりにした御前は、尾弐に視線を向けた。
そう。ノエルとポチがあくまで御前の意思に抵抗するというのなら、尾弐に命令するだけだ。
『祈を殺せ』と――橘音は気絶してしまっているので使えないが、祈を殺すにはそれで事足りる。
ノエルやポチと違い、尾弐は御前の言霊には抵抗できない。
なぜなら――すでに、遠い昔に尾弐は御前と契約を交わしてしまっているからである。
しかし。
>御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか
尾弐が取った行動、紡いだ言葉に、御前はぱちぱちと大きなアーモンド形の目を瞬かせた。
>まずは明王連が貴女の敵に回るでしょう。
>そして、五大妖の過半も結託して妖狐の一族を狙う事でしょう。
>そして最後に――――俺が貴女の敵に回りやす
「……わらわちゃんと取引しようっての?オニクロぉ……」
尾弐の提示した『仮定の話』に、にたぁ……と口を開く。
妖気が膨れ上がってゆく。今や御前の妖気は広大な華陽宮全体を鳴動させるほどになっている。
このまま御前が指一本分でも本気を出せば、東京ブリーチャーズは瞬く間に全滅するであろう。
だが、次に尾弐が取った行為に、御前は意表をつかれたように驚きの表情を浮かべた。
>貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください
尾弐は御前の眼前で膝を折り、額を床に擦り付けた。
チームの纏め役、年長者として長年振舞ってきた男が、外見的に遥か年下に見える少女相手に平身低頭して懇願している。
それはきっと、この場にいる誰にとっても衝撃的な光景だったに違いない。
自ら分裂してまで祈の助命を願ったノエル。
祈を手に掛けるくらいなら自死を選ぶ、と自らに爪を立てたポチ。
何もかもを擲ち、ただただ祈の命乞いをする尾弐。
三者三様の、けれど寸分たがわない願いの発露を前に、御前はふさふさした九本の尾を一度揺らした。
270
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 00:59:14
「……く……」
「くふふっ、ぬふふ……!」
「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
尾弐が額ずき、どれ程の時間が経っただろうか。
時間にして十数秒もなかっただろうが、それでも永劫に思える静寂の果て――何を思ったのか、御前が不意に笑い始めた。
それはいかにも大妖といった、禍々しいそれではない。さも満足げな、にぱぁーっとした満面の笑顔だ。
御前はしばらく自分自身を両腕で抱きしめ、くねくね身を悶えさせたりその場でくるくる回ったりすると、
「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
ズビシィ!と尾弐たちを指差した。
「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
はぁぁ〜……、と御前はしみじみ息を吐き出す。
「レベルの全然違う敵に対しても、一歩も怯まない勇気。仲間を助けたいっていう揺るぎない意志――」
「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
両腕で大きく頭上にマルを作ってみせる。
「世界の調停者としては、イレギュラーは認められない。世界は法に依って護られていて、それを破る存在は排除するしかない」
「善人だから許してとか、そういう理屈じゃないんだよ。イレギュラーを起こすこと自体がアウトなんだから――でも」
「イノリンが『イレギュラー』じゃなくて。現行の法をより善い方向に改革する存在なのだとしたら――」
「まぁー、わらわちゃんとしても手は出しづらいカナーって!にひっ」
「あと、よくよく考えたらイノリン、わらわちゃんの眷属だったわ。超々々〜〜〜薄めたカルピスくらいの血の濃さだけど」
歴史が大きく動くとき、人類はたびたび特別な力を持つ者を生み出してきた。
キリストしかり。秦の始皇帝しかり。レオナルド・ダ・ヴィンチしかり――アドルフ・ヒトラーしかり。
そういった者たちは、地球の表面を走る原初のエネルギーの通り道、龍脈にアクセスする手段を身につけていた。
龍脈の莫大なエネルギーを利用し、そういった者たちは『運命を切り拓き、変転する力』を揮ったのだ。
御前は祈がその『龍脈にアクセスできる者』だと睨んでいる。
言うまでもなく、龍脈は五大妖が不戦協定を結び外敵から護っている最重要機密。市井の小娘に勝手に使われては堪らない。
よって、排除に踏み切ろうとした。予測のつかない存在を取り除くことは、何も間違ったことではない。
しかし――もしも祈の力がより多くの美しいものを生み出す原動力となるのなら。
『何もかもを助けたい』その心が綺麗事や絵空事でない、魂の奥底からの真実の願いだというのなら――。
御前はチームを試した。自らの妖力をほんの少し用いれば、鍍金を剥がすことなど容易い。
だというのに、祈の、ノエルの、ポチの――そして尾弐の信頼と愛情に裏打ちされた絆には、一点の曇りもなかった。
だから。
「……それでいいよ」
そう言って御前はポチを一瞥すると、パチンと右手でフィンガースナップを鳴らした。
途端、ポチの首の深い傷がまるでシールでも剥がしたかのように消え失せる。ほどなく意識も回復することだろう。
祈を拘束していた結界も消滅し、跡形もなくなる。姦姦蛇螺の入った虫かごも無事だ。
「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
黄金の双眸が煌めく。先程の、祈を殺せと言ったときとは比べ物にならない強力な言霊だ。
「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
東京ブリーチャーズのオーナーとしての顔を見せると、御前は右手を額に持っていき、おどけて敬礼の真似をしてみせた。
と同時、周囲の空間が歪んでゆく。用件はこれで済んだ、ということなのだろう。
271
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:00:05
「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
にぱぁーっと屈託ない笑みを投げかけ、御前はひらひらっと手を振った。
祈とノエル、ポチ、橘音、颯はそのまま、現世に送還されるだろう。
ただ。
「……なりふり構わぬとはいえ、よもや吾(われ)を脅すなどと――思い切ったもの」
尾弐だけは、すぐには還れない。
「災厄の魔物どもは赦したが、汝(うぬ)は赦さぬ。汝はその肉も魂も、すべて吾に売ったのだ。己が宿願のため」
天も地もない無窮の空間で、尾弐の前に御前が佇んでいる。
しかし、その佇まいは変わらずとも、纏っている気配が先刻とはまるで違う。
まさに大妖怪の面目躍如、といった巨大な妖気を纏い、真っ黒に塗り潰された顔貌の中で黄金の双眸だけが炯々と輝いている。
「千歳(ちとせ)の間に忘れ果てたか?汝の血肉、汝の魂魄。最早、汝の自由になるものは何一つたりとて無いことを」
「汝が大願はいまだ我が手にある。尤も――此度の僭越にて、半千年(500年)は成就が延びたと識れ」
尾弐に対して告げるのは、冷酷な宣言。
祈やノエル、ポチは御前にとって愛玩の対象である。彼らが御前の好む美しいものを見せてくれる限り、殲滅対象にはならない。
しかし、尾弐は違う。御前にとって尾弐は駒であり、常に自らの意思に沿う存在でなければならない。
そんな尾弐が、どんな都合があったにせよ飼い主の手を噛んだのだ。
直属の配下の造反には、厳罰をもって対処する。祈たちの前では見せなかった妖怪の長としての顔を覗かせる。
「汝は当分、吾の玩具で在れ。夢寐にも忘るるな、汝の希望、絶望――汝の総ては吾が握っているということを」
「――往け。汝の大切な『嬢ちゃん』を護って遣れ。『法師』――」
そう告げると、御前は尾弐を現世に還した。
272
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:00:58
この世ならざる世界にある御前の宮殿・華陽宮から、東京ブリーチャーズは元の新宿御苑に立ち戻った。
華陽宮には少なくとも一時間はいたと思ったが、現実の世界では10秒と経過していない。
恐らく、華陽宮は現世とは違う時間の流れの中に在るのだろう。竜宮城のようなものだ。
ほどなくして祈の祖父・安倍晴朧の命を受けた陰陽寮の使者が現れ、綿貫警部率いる警察機関が新宿御苑全体に非常線を張った。
姦姦蛇螺によって破壊された御苑内は、地下に埋設されたガス管の爆発ということで世間に説明された。
東京ブリーチャーズが水際で姦姦蛇螺を御苑内から出さなかったため、それを疑う者もいない。
姦姦蛇螺との戦いは、これで本当に終息した。
祈の母、多甫 颯は陰陽寮によってすぐさま河原医院に搬送された。
陰陽寮としては都内有数の権威ある大病院に搬送したかったようだが、祈の祖母の菊乃が河原医院を希望したのである。
なお、ポチも御前によって治療されたとはいえ一緒に搬送され、数日入院の運びとなり河童秘伝の膏薬によって治療を施された。
入院した颯は、菊乃が片時も離れずに看病をしている。
一週間経過しても、昏々と眠り続ける颯は一向に目を覚まさない。
十数年もの間、ずっと生贄として姦姦蛇螺の体内に囚われていたのだ。生きているだけでも奇跡である。
河童の医師が悲痛な面持ちで、ずっと植物人間状態のまま覚醒しない可能性もある――と告げる。
祈の住むアパートでは、虫かごの中に入った姦姦蛇螺が丸まって眠っている。
天羽々斬によって呪いや恨みといった妄執から解放された姦姦蛇螺は、本当に無力な仔蛇になってしまった。
食事らしい食事をとらず、水だけを飲んでいる以外は一般的なペットスネークと何ら変わらない。
また、橘音に命以外のすべてを奪われ無力化した天魔ハルファスとマルファスも、祈の家にいる。
尤も眠っていることが多いハルファスと違い、マルファスは野放しにしていると姦姦蛇螺を啄もうとするため注意が必要である。
「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
雲外鏡と『SnowWhite』の鏡を接続し、鏡面をテレビモニターのように使いながら、富嶽がそうノエルたちに告げる。
「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
アスタロトの言葉を真実と受け取るなら、姦姦蛇螺こそがアスタロトの切り札だったということになる。
それを潰された今、アスタロトは次の作戦を考えなければならない。
それも、姦姦蛇螺復活よりも強力な手を――。そんな手を考えるには、それなりの時間が必要だろう。
また、人間界への影響等は、富嶽が裏から手を回して取り計らってくれるという。
ブリーチャーズは次に何かが起こるまで待機、というわけだ。
「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
最後にふと思い出したようにそう言うと、にやりと口角を吊り上げて笑い富嶽は通信を切った。
「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
白狐の姿に戻ってしまった橘音がぼやく。
橘音は華陽宮でまったく役に立たなかったことをメンバーに幾度も謝罪した。
「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
小さく息を吐くと、橘音はノエルの部屋に行ってしまった。
店内にいると、万一客に見つかった場合面倒だからだ。白狐のいるフローズンスイーツショップ、などとSNSで拡散されても困る。
下手をすると保健所行きになりかねない。
姦姦蛇螺に壊滅的打撃を受けたことで、それまで我が物顔で都内を闊歩していた狸や河童たちの姿も見えなくなった。
妖壊たちも、天魔もなりを潜め、東京は束の間平和に戻った。
273
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:01:44
多甫 颯は病院のベッドに横たわり、昏々と眠り続けている。
姦姦蛇螺の中で醸された数千年もの憎悪や憤怒、怨嗟を、颯は長い間浴び続けていたのだ。
半妖である颯にとって、それは死に勝る苦痛だっただろう。
例え肉体が生存していたとしても、精神が――魂魄が揮発してしまっているかもしれない。
いや。魂が喪われ、生ける屍になってしまっているならば『まだマシだ』。
ひょっとしたら、その魂が姦姦蛇螺の憎悪に汚染されてしまっている可能性もある。
そうなれば、第二の姦姦蛇螺が誕生することになる。祈が命懸けで行った姦姦蛇螺の浄化が徒労に終わってしまう。
一度生まれた怒りは、恨みは、決して消えない――。
祈やノエル、ポチの成したことが、否定されてしまう。
だとしたら、颯に乗り移った姦姦蛇螺の、否――まつろわぬ人々の遺志は、ふたたび東京を襲うだろう。
新たな姦姦蛇螺は東京ブリーチャーズと戦った憎悪を上乗せし、御苑で戦った時よりも更に手強くなっているに違いない。
だが、それは悲劇のほんの始まりでしかない。
本当の悲劇は別にある。そう――
今度こそ本当に。祈は実母と戦わなければいけなくなる。
「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
河原医院の中、病室のスライドドア越しに菊乃と交渉を繰り返していた橘音が、諦めて待合室に戻ってくる。
菊乃は何も言わず、ただただ付きっ切りで娘の看病をしている。
河原医院の看護師が菊乃を気遣い、看病の交代を申し出ても、菊乃は頑として譲らなかった。
妖怪だから眠らなくてもいい。疲れてもいない。娘の看病をするのは親の義務だと――そう言わんとしているかのように。
菊乃はまた、祈が学校から帰って母の見舞いに来ても、決して祈と颯とをふたりきりにさせなかった。
十数年ぶりの親子の対面。母と娘の、水入らずの時間。
それさえ許さなかった。むろん、かつてパートナーを務めた尾弐と橘音にもほとんど面会をさせなかった。
しかし、それは決して祈に意地悪をしているとか。尾弐と橘音が颯をこんな目に遭わせた張本人だから、ということではない。
『もし颯が目覚めて、姦姦蛇螺の悪意に感染していた場合。菊乃が颯を滅ぼすため』
に他ならなかった。
「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
橘音がそうぽつりと口を開く。
医師が言う通り、颯が目覚めるメドはまったく立っていない。
当初は肉体も衰弱しきっていたが、現在は河童秘伝の薬剤投与で肉体の消耗はほぼ無くなっている。
あとは、精神の消耗だが――こればかりは外部からどれだけ膏薬を塗ったり、丸薬を含ませたところで治らない。
颯自身の意思で、目覚めようと思わない限りは。
「こんなとき、人間なら。『どうか颯さんを助けてください』って、神さまに祈るのでしょうけど」
「……いけませんね。ボクたち妖怪は、それが無為なことであると知っている……」
神とは言っても、極めて力のある妖怪に過ぎない。何もかもができるわけではないし、奇跡を起こせるわけでもない。
御前がいい例だ。御前――九尾の狐は世界でも五指に入る強力な妖怪だが、決して全能ではない。
「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
「……祈ちゃん。アナタもね」
そう言うと、白狐姿の橘音は河原医院から出ていった。
恐らく富嶽のところか、もしくはもう一度御前のところへ行ってくるつもりなのだろう。
いずれの手を借りるにしても、それには大きな代償が伴う。富嶽も御前も、見返りなしには手助けなどしない。
それでも。橘音は颯を救う手立てを乞うための覚悟を決め、仲間たちに待機を指示して去った。
……しかし。
橘音の覚悟は無為に終わった。
なぜならば。
夜、見舞客が誰もいなくなった後。
看病のため、菊乃だけが病室に残った、その後で。
颯の姿は、忽然と病室から消えてしまったからである。
274
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:02:32
翌朝。祈は起き抜けに卵が焼ける香ばしい匂いを感じ取ることになるだろう。
耳を澄ませば、聞こえてくるのはコトコトと沸騰する鍋の音と、トントンと包丁が食材を刻む軽快な音の二重奏。
……だが、祈の頭に残る眠気が飛べば気付く筈だ。
包丁を刻む音の間隔が、或いは沸騰する鍋の火加減が、祖母・菊乃のものでも――まして尾弐のものでもないということに。
そして、台所を覗き込めば、祈はそこで異様な光景を目にすることができる。
「あら、おはよう。もうすぐ朝ごはんできるから、先に顔。洗ってきなさいね」
即ち、エプロンを纏った母――――颯が、祈の家の台所で朝食を作っている姿を。
……
「……病室で目が覚めたんだけれど、あんまりみんなが大騒ぎするのも困るし。それに――」
「身体が動くと分かったら、居ても立ってもいられなくなっちゃってね。だから……勝手に退院してきちゃった」
ベージュのオープンネックシャツにスキニージーンズというラフな出で立ちの颯は、そう言うとぺろっと小さく舌を出した。
朝一から衝撃的な光景は繰り広げられたものの、理由を聞けばどうということはない。
覚醒した颯が医師に無断で退院してきた、それだけの話であった。……やっぱりどうということはある。
「ま、まぁ、母さ――おばあちゃんには言っておいたから!おばあちゃんが手続きはしてくれるはずだから!」
「……それに。あなたに一刻も早く逢いたかったから」
机の上に、オムライスとコンソメスープを二人分用意しながらそう語ると、颯は祈にスプーンを手渡し食べるように促す。
オムライスは14年ぶりの料理とは思えないほど完璧に仕上がっていた。
卵はふわとろの半熟ながら絶妙に火が通っており、口の中に入れると蕩けるような優しい味わいだ。
鶏肉を多目に使ったチキンライスの味付けはやや濃い目で、よく炒めたタマネギの食感も素晴らしい。
スプーンで一匙掬うごとに、仄かなバターの香りが鼻腔を擽る。
コンソメスープは野菜本来の味を充分に引き出したもので、飲めばケチャップの味に慣れた口をリセットしてくれる。
そして、その味は。
まさに尾弐が先日この家で作って行ったものと寸分たがわないものだった。
「14年ぶりの我が家だけど、変わってないわねー!調味料の置き場所もそのまま!」
「買い物に行く時間まではなかったから……あり合わせのもので作ったけど。お口に合うかしら?」
祈が食事を始めるのを、颯はテーブルの上で軽く腕組みし、目を細めて眺める。
「そのオムライスはね、あなたが生まれたら作ってあげようって。食べさせてあげようって……そう思ってた料理なの」
「……やっと。食べてもらえた」
そう静かに告げると、颯は嬉しそうに微笑んだ。
夢じゃない。幻でもない。
瞳術でも、ましてや変化が得意な妖壊による攻撃でもない。
まぎれもない、本物。祈が生まれて間もなく、帝都を守るために乳飲み子の祈を尾弐と橘音に託し。
姦姦蛇螺の生贄となって死んだ――はずだった、祈の実母。
多甫 颯がここにいる。
「おべんと。ついてるわよ?」
祈の頬に米粒がついているのを見つけると、颯はそれをつまんで自分の口許に持っていった。
それから、ほんの僅かな間。祈の顔をじいっと見詰める。
祈によく似た、否――祈に遺伝したのだと思われる眼差し。紛れもない親子だということを示すその双眸に、涙が溢れる。
「祈の声、ずっと聞こえてた。姦姦蛇螺の中でずっと……外に出てからも」
「離れ離れでいて、ごめんね。ひとりぼっちにして、ごめんね。不出来な親でごめんね――」
ぽろぽろと、颯の頬を涙が伝う。
祈と颯の間には、14年の空漠がある。それはもう、何をしたところで決して埋まらない厳然たる事実だ。
赤子の頃から幼年期を経て、少女へと成長する――十代前半という人生の中で最も重要な時期、颯は祈に何もしてやれなかった。
母親というものがもし仮に免許制であったなら、颯は確実に免許取消だろう。
しかし。
けれども。
自らの胸にそっと手を当てると、
「14年も遅刻してきたけど。あなたと一緒に、なんにも思い出を作ってあげられなかったけど……」
「でも。それでも。もし、祈……あなたが許してくれるなら……」
「……また。あなたのお母さんをやってもいい……?」
そう言って、小さく微笑んだ。
275
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/10/12(金) 01:07:25
「チ……チクショオ〜、チクショオォォ……」
暗闇の中で、ひとりの大男が蹲り、頭を抱えて震えている。
2メートルを越す巨体に古式ゆかしい大鎧を纏った、魁偉な風貌の男だ。しかし、男の特徴の最たるものは別にある。
男の額には、両眉の上から巨大な犀じみた一対の角が生えていたのである。
男の名は茨木童子。
かつて、日本妖怪軍の副将として姦姦蛇螺討伐に出陣した妖怪である。
……しかし、もはやそんな綺羅めかしい肩書きなどなんの意味もない。
「団三郎も、袈裟坊もおっ死んじまった……。他の仲間たちも……オレの配下共もオ……。日本妖怪軍団がなくなっちまった……」
「どうすりゃいいんだよオ……。もう、鬼ヶ島にゃ帰れねェ……鬼神王に合わせる顔がねエ……」
鬼ヶ島は鬼一族の頭領・鬼神王温羅の居城であり、茨木童子の住処である。
しかし、もう茨木は戻れない。姦姦蛇螺討伐に難色を示す温羅の意見を押し切り、茨木は手勢を率いて東京に入ったのだ。
今さら姦姦蛇螺に負けました、手勢も全滅しましたと、戻っておめおめ報告できるはずもない。
このまま尾羽打ち枯らした敗軍の将として、無様にひっそり生きていくのが関の山であろう。
そう、思ったが。
「何を気弱なことを……。かつて京の都を恐怖のどん底に叩き落とした鬼の首魁が、そんなことでどうするのです?」
不意に、闇の中で声が聞こえた。
この場には自分しかいないと思っていた茨木は、滑稽なほど怯えた。
温羅の差し向けた刺客か何かだと思ったのだろう。温羅は身内の失態に対して容赦しない。
しかし、声の主は温羅の送り込んだ刺客などではなかった。
ゆる……と黒色の帳の中から、真っ白な学生服を纏った半狐面の探偵が姿を現す。
「テメェは……さ、三尾……!」
「はァい。茨木さん――アナタは全然終わりなんかじゃないですよ?むしろ、今がビッグチャンスじゃないですか!」
三尾――天魔アスタロトはそう言うと、半狐面に軽く右手を添えてニタリと嗤った。
「……どういう意味だ……?」
「確かに、日本妖怪軍団は壊滅しました。まぁボクがやったんですがね!でも、そんなのはどうだっていいことだ」
「アナタは見たはずですよ。新宿御苑で――アナタがかつて共に在り、共に京の都を荒らし回った同胞を――」
「…………!!」
アスタロトの言葉に、茨木はぶるりと一度大きく震えた。
「……そうだ。オレは見た……!アイツの姿を。感じた、アイツの妖気を。オレの相棒、オレの同胞(はらから)!」
「あのクソいまいましい頼光と四天王に殺された!首を奪られた!オレの大事な、オレの、オレのォォォ……!」
「イエス!『彼』は目覚めようとしています。『彼』とアナタがまた組めば、まさしく鬼に金棒。何も恐れることはない」
「かつて、大江山で悪逆の限りを尽くしたように。今度は東京で思うままに振舞えばいいんですよ――」
「アナタが『彼』と再会するお膳立てを、このアス……那須野橘音が整えてあげましょう。なぁに、単なる慈善活動ですから!」
アスタロトのそんな白々しい言葉も、茨木の耳にはもう届いていない。
茨木の意識を占めるのは、懐かしい友の姿。友の声。友の妖気。
そう、御苑で確かに茨木は感じたのだ。かつて、片時も離れず傍にいた。共に悪徳に耽溺した、あの少年の姿をした妖壊を――。
で、あれば。
「ああ……。迎えに行こう。アイツは無敵だ、最強の鬼なんだ。鬼神王なんざメじゃねぇんだ、オレとアイツが組めば!」
「ハハッ……カハハッ、カハハハハハハハッ!そうか!アイツが帰ってくるのか――そりゃ、願ってもねえチャンスだ!」
茨木は勢いよく立ち上がると、声を張り上げた。
「また一緒にやろうぜ、面白可笑しく!世の理なんぞ知ったことかと振舞ってた、あの頃みてえにな!」
「お手伝いしますよ……ええ、ええ、ボクはこの手の麗しい友情に目がなくてねえ……」
うっうっ、とわざとらしくハンカチで半狐面の目許を押さえるアスタロト。
茨木はアスタロトの姿など見てもいない。ただ大きく頭上に両手を伸ばし、
「今行くぜ――、酒呑!!」
そう、高らかに宣言した。
276
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 22:58:18
>「お前が一番、穢いんじゃないか――ただしお前の中ではな」
祈の言葉を継いだのはみゆき、否。深雪だった。
人格交代なので普通ならば深雪が出ていればみゆきどころかノエルもそこにいない筈なのだが、
何故だか――、深雪とノエル、二人が別々にその場にいるのだった。
>「痛みは我が引き受ける! 貴様はその間に説得を……!」
>「あの女狐は気に入らぬ――それに空模様は気まぐれなものだ。
>我の気が変わらないうちに早くすることだな!」
どうやら体を分けて、
玉藻御前が与える痛みやらを片方が引き受け、片方は説得に当たる、という作戦であるらしい。
なるほど、それは効率的ではある、が。
深雪は涼しい顔をしているが、激痛を感じている筈であった。
あの能天気なノエルをして、一瞬とは言え祈へと向かわせるほどの苦痛なのだから。
『自分の所為で深雪さんに痛みを背負わせている』。
祈は申し訳なく思いながらも、結界を解こうと足掻いていた。
苦痛から解き放たれたノエルは、玉藻御前へと向き直り、
説得を開始する。
>「諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが好きだ! 諸君、僕はパンツが大好きだ!
>白いパンツが好きだ。ピンクパンツが好きだ。いちごパンツが好きだ。くまちゃんパンツが好きだ。
>パンツの匂いが好きだ。幼女のパンツ姿が好きだ。美女のパンツ姿も好きだ。パンツの全てが好きだ!」
のだが、大真面目にノエルが言い放ったのはこんな言葉だった。
>「災厄の魔物に支配されぬために男の姿になって人間界の文化に染まった結果がこれだ――
>パンツは現代の人間界にしかない文化だからな! お前はこれを美しいと言えるのか!?」
(……は?)
何故急に趣味全開の発言をしたのかと、祈は一時虚を突かれて動きを止めた。
いや、しかしこれも相手を脱力させる作戦だろう、と瞬時に察し、声を上げる事だけは押さえた。
なんせノエルはノエリストだし、深雪もノエルの言葉を静かに聞いている。
これもきっと作戦の内なのだ。そこで祈が声を上げて台無しにするわけにもいかない。
しかしその言葉は、女子更衣室で着替えていたということの暴露なのではないか? という疑問が湧く。
何故なら祈はくまちゃんパンツなら持っている。
いや、と祈は逸れた思考を頭から追い出した。
そうして祈が足掻いている間も、ノエルは言葉を続けた。
時には乃恵瑠に、時にはみゆきの姿になりながら、言葉で玉藻御前の価値観を揺らさんとする。
今の人間の世界が本当に美しいものかどうかという疑問を投げかけ、
人間の踏み入れないかつての大自然は美しかったこと、
しかし綺麗なだけではない人間の世界には惹かれるものがあり、
人間界へのあこがれを抱いたことを告げた。そして、
>「でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
>どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
>たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
>祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ」
と言うのだった。災厄の魔物の運命を変えたのは、祈だと。
(あたし?)
どういうことか祈には分からなかったが、
だが、それなら繋がる。玉藻御前が祈を排除しようとしている理由に。
万理を歪め、法則を乱すイレギュラー。
『御幸がずっとブリーチャーズにいてくれたら嬉しい。ずっと仲良しでいたい』、
そんな風に思ったものが、災厄の魔物の運命すら変えてしまうほどの効力を持っているのだとしたら。
>「僕はお前を必ずしも穢いとは思わない。
>どんな手段を使ってでも世界を守り抜く意思はすごく綺麗だとも言えるんじゃないかな?
>だけどもし……運命を変えたいなら。抗えぬ理から逃れたいなら。
>僕みたいに自由に生きてみたいなら! 祈ちゃんなら、叶えてくれるかもしれない――」
姦姦蛇螺の転生が天羽々斬によるものではなく、
時折ノエルが言っていた“運命変転の力”とやらが、祈にあるのだとすれば、
そんな危険なもの、祈みたいな子どもが持っていたら。排除しようとするのも――。
277
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:00:35
>「ゲハハ……ゲハハハハッ!ゲァ――ッハッハッハァ――――!!」
と、祈の思考を断ち切ったのはロボの声だった。
全てを踏み荒らす暴虐さを伴う、獣の王の高笑い。
その圧に空気が震え、身がすくむ思いがする祈。
何故かロボが復活したのかと思った祈だが、そうではない。
あまりにそっくりだったが、それは、
「ポチ!」
ポチの声だった。玉藻御前の命令にどうにか抗っていたように見えたポチの姿が、
唐突に膨れ上がり、二足歩行の人狼、ロボの姿を取ったのだ。
玉藻御前の命令に抗う為により強い姿になったのかと祈は思ったが、
ずしん、ずしんと、一歩一歩祈へと歩んでくる。
そしてその目はいつものポチのものではなく、狂気と殺意を孕んでいる。
正気を失い、獣《ベート》に取り込まれているのだと、そんな風に祈には思えた。
先程の高笑いはポチやロボの声というより、獣《ベート》そのものの声なのかもしれない。
そして獣《ベート》は祈に、その巨腕が届く距離にまでやってきた。
その表情も、満月の夜に見せたロボのように歪んでいる。
祈に、否。自分の内側にいる何かに見せつけるように、獣《ベート》は
両腕の爪を眼前に掲げて笑って見せた。そして――、
――己の首に爪を突き刺した。
獣《ベート》の表情が変わる。余裕と嗜虐を含んだ笑みが、驚愕と焦りへと変わる。
>「……調子に乗るなよ、『獣(ベート)』……誰が、お前の思い通りになんてなってやるか……」
『ポチが獣《ベート》に抗っている』。祈にはそう見えた。
ポチの爪が自らの首に食い込み、皮膚を突き破る音が祈にも聞こえた。
「ポチ! ポチ! やめろ!」
ぶち、ぶち、ぶち。祈の耳に響くその音に、顔面蒼白になって祈は叫ぶ。
>「……大丈夫だよ、祈ちゃん。僕は、狼だから……これくらいの怪我、死にやしないさ」
>「それにほら……僕は『獣(ベート)』を持ってるからさ……。
僕が死んだら、『獣』はまたどこかに行っちゃう訳だし……」
ポチとしては、『自分が死ねば獣《ベート》が解き放たれるがいいのか?』と、
玉藻御前を脅そうとしているのだが、祈には、
『獣《ベート》を持つ者としての責任があるから、簡単に死ぬつもりはない』と言っているように聞こえた。
だがなんであれ。
なおも食い込む爪は、ぶちぶちと言う音は、流れ出る血液は、そう言っていない。
>「やめろ!そんな事が本当に起こると思っているのか!
>あの女狐は姦姦蛇螺をも捨て置いたのだぞ!お前に器としての価値などあるものか!」
獣《ベート》ですらもその行為を止めるほどに。
ポチは、死ぬつもりはないが、もし死んだらシロによろしくなどと祈に言って。
玉藻御前に、獣《ベート》に、世界に、己の意志を見せつけるように。
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
>あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
深々と、己の両爪を首に深々と食い込ませるのだった。
「ポチぃぃいいーーーーー!!!」
ブチィッ、と。一際大きい音が間近で響く。それは命を絶つような音だった。
どぼっ、とポチの首から鮮血が噴き出す。
どう、と倒れるポチ。そして、ピクリとも動かなくなった。
そして、心臓が脈打つたびにドクドクと流れて、血だまりを祈の足元に作っていく。
ついにポチの爪は祈を傷付けることなかった。
それは玉藻御前に勝ったということであり、獣《ベート》にも負けなかったと言うことであった。
獣《ベート》の銀色の妖気がポチの身体から噴き出していないことから、
まだポチが死んではいないことがわかる。だが、時間の問題だと祈には思えた。
それを見て、「くふっ」と笑いを漏らす玉藻御前に、祈の神経が逆撫でされる。
(くそっ、くそっ、よくも! よくも、あたしの友達に――)
一刻も早く止血しなければならないのに、
足掻いても足掻いても祈の四肢は空間に固定されたまま動くことはなかった。
四肢の筋肉を引き千切ってでも、ポチの傷を塞がなければ。と祈は考える。
278
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:01:59
>「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
そこで、のそりと起き上がってきたのは、尾弐であった。
先程まで倒れていたが、心臓が身体に戻されて、意識を取り戻したようであった。
「尾弐のおっさん! ポチが、ポチが……えっ?」
だが言っていることは、まるで玉藻御前の味方のようで。
それに同調したように、今まで黙っていた深雪がぐるりと祈へと向き直った。
その右手に、巨大な氷の鎌を作り出す。激痛で動けない筈なのに。
>「よし、ではここは我がサクッと――」
そして、祈へと飛び掛かり、横薙ぎに鎌を振るう。
唐突な攻撃の動作にぐっと目をつぶる祈だが、一向に痛みは訪れず。
祈が恐る恐る片目を開けてみると、何かが肩や床に落ちる感触があった。
深雪が切ったのは祈の髪だった。肩口のあたりでばっさりと切られたようである。
衝撃で、ノエルが祈の髪に差した溶けない氷の髪飾りがコトリと床に落ちる。
「……?」
切り損じたのか、それとも思い留まってくれたのかと祈は思ったのだが、
どうやらノエルと深雪は“女の命である髪を切り落とした”という頓智で乗り切ろうとしているらしく、
再び玉藻御前に向き直って助命嘆願の交渉を再開したのであった。
そのノエル達を尻目に、
>「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
ふらふらと、祈の元へ歩んでくる尾弐。まるで玉藻御前の意志に従うように。
だが、祈は知っている。冷静に意見を述べ、力を貸さないなどといつも悪ぶっているこの鬼が――。
>「悪いな祈の嬢ちゃん」
祈の前にやってきた尾弐の、右手が祈の頭へと載せられる。
>「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
労うように祈の頭を優しく撫でるその手が、――祈達を裏切ったりはしないことを。
「……うん!」
尾弐は玉藻御前へと向き直る。
>「御前――――ちっとばかし、仮定の話をしやせんか」
そうして、尾弐は玉藻御前へと語り始めた。
その言葉に、玉藻御前は珍しいものでも見て驚いたように、パチパチと瞬きをして見せた。
尾弐が言うのはこうだ。
ここで祈を殺した場合のデメリットを考えて欲しい、と。
まず、祈の祖父がトップを務める『明王連合は敵に回る』。
陰陽師に退治された過去を持つ玉藻御前にとってそれは頂けない話だろう。
ただ、源頼光や安倍晴明など、英雄に等しい強い人間がこの時代にはいない。
その点で、玉藻御前にとっては取るに足らないことだと思われる可能性があったのかもしれない。
それを補強するように。『他の五大妖も敵に回る』だろうと尾弐は告げた。
聞く話によれば、五大妖は仲が悪く、各々が妖怪界の覇権を握ろうとしているそうだ。
人間が妖狐側に敵対するなら、それに便乗して勢力図を塗り替えようとする種族も出るであろうと。
玉藻御前がいかに強いとはいえ、それに準じるレベルの妖怪もいるはずだ。
数で押されればあるいは、と思わせることができるだろう。
そして最後に。『尾弐自身が敵に回る』と告げた。
自分の願いを叶えるためにそちらに付いているのであって、
もし自分の願いが叶うなら悪魔側に寝返ったとしても構わない。
そしてその時は、鬼の種族の軍勢を引き連れて、この世に綺麗なものなど残らないような
そんな血みどろの世界にしてやると。
言うことは脅迫。なれど、土下座して額を床につけるその姿勢は、
恭順。降伏。懇願。懇請。
>「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
>ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
>貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
そんな最悪の事態を引き起こさないために、祈を殺すのはやめてくれないかと。
最悪の奇跡は祈に起こさせないように、自分達が見守るからと。
279
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:02:52
「尾弐のおっさん……」
ノエル達には無理をさせて。ポチには己を傷付けさせて。
尾弐には土下座させて。それもすべては、祈の為だ。
祈は、申し訳なくて溜まらなかった。
ところが、それを見て。
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
玉藻御前は笑った。自分を抱きしめてくねくねと身もだえて。
くるくると回って見せる。
>「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
>「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
そして、満足気に言い放つ。
>「レベルの全然違う敵に対しても、一歩も怯まない勇気。仲間を助けたいっていう揺るぎない意志――」
>「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
>「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
両腕で頭上に大きな丸を描く玉藻御前。
祈達、いや、祈の周囲にいる者達のことを試したのだと、そう感じさせる言葉だった。
では先程までの言葉は、仲間たちを試すための演技だったのかと言えば、そうではないのだろう。
生で見たかった、臨場感が違う。そう言った彼女の言葉も真実なのだろう。
世界の調停者としてだけではなく、己が望むキレイなものを目の前で見たいが為に、命を弄ぶ姿。
それもまた紛れもない、玉藻御前の側面なのだろう。
ノエルは世界を守ろうとする玉藻御前の意志は必ずしも穢いとは思わないと言ったが、
祈には、自分の手を汚さずに誰かに殺しをさせようとすることも、
戯れに誰かの命や大事なものを弄ぼうとするそのやり方も。まだ好きにはなれないでいた。
>「……それでいいよ」
それでいい、とは。尾弐の言う条件を飲む、ということであろう。
パチン、と。玉藻御前は右手の指を鳴らす。
すると祈を拘束する結界が解けた。
「ポチっ!!」
言うが早いか祈がポチに駆けよると、ポチの首にあった深い傷が跡形もなく消えている。
これも玉藻御前がやったのだろう。
ポチの胸に手を当ててみると呼吸はしっかりしているし、心臓も動いているようだった。
間違いなく生きている。
姦姦蛇螺の入った虫かごも無事であるし、ノエルも深雪も、もう苦痛を感じていないようだった。
橘音もどうやら気絶しているだけのようで、ほっと胸をなでおろす祈である。
ついでに、いつの間にか祈の髪も元通りの長さに戻っている。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
玉藻御前は確かな圧力を持って命じる。
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
>「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
そして言い終えると同時、景色が歪み始める。
再び、祈達がどこか別の場所へ移動させられそうになっているのだと言うことが、祈には分かる。
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
>「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
視界に、歪んだ敬礼の玉藻御前が映る。
仲間のお陰で命拾いした祈は、悔しくても、何も言ってやることはできない。
祈が余計なことを言って不興を買えば、仲間の行為を無にしかねないからだった。
せめて、“いつか泣かせてやる”と念を込めて睨むだけで精いっぱいだった。
280
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:05:34
歪む景色。揺らぐ視界。
その中で、祈は横に深雪が立っていることに気付いた。
周囲が歪んでいるのに、深雪はそのままだった。
術で移動させられる対象となった者は歪んで見えない、ということなのだろう。
「深雪さん。さっきはありがとね。色々とさ。ま、いきなり髪切られたのはびびったけど」
深雪はじっと祈を見て何か考えていたようだが、何かの結論に達したらしく、
祈の髪に櫛を差した。それは床に落ちた溶けない氷でできた髪飾り。
どうやら拾ってくれていたようである。
>「ゆめゆめ忘れるな、我は人類の敵。
>しかし、苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ」
そして、こんなことを言うのだった。
それは未来永劫親友でいてくれるという誓いのような、
もしくは――、何と表現してよいものか、まるでおとぎ話の騎士が王様やお姫様に忠誠を誓うような。
ティアラでも被せるかのような動作で。
なんだかおかしくて祈は笑った。
「ありがと、深雪さん。これからもよろしくね」
そう言って、祈が瞬きを何度かするうちに。
歪んだ景色も揺らぐ視界も治まり、玉藻御前の姿も豪奢な宮殿も消え失せて。
東京ブリーチャーズは新宿御苑に戻ってきた。
ぐしゃぐしゃに荒らされ、見る影もなくなった景観。
砂埃に混じる戦いの残滓。酒の香りと、静寂。
呼び出される前と同じ場所に戻ってきていた。
だが、
「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
そこには尾弐の姿だけがない。どうしたことだろう、と祈が思うのも束の間。
結界の外から陰陽寮の人間と思しき者が現れて、祈達に戦いの結果や体は大丈夫かなど質問し始めた。
また、結界の外では警察が新宿御苑内に一般人が入れないように黄色いテープなどを貼り始め、周囲が騒がしくなる。
更に、生き残った妖怪の救助に当たっていた祖母が駆けつけたり、
颯やポチを担架に載せたり、今後のことを話したりしている内に。
いつの間にやら尾弐も現世に戻ってきていた。
祈には、なんとなく。その時の尾弐の表情は暗いように思えた。
281
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:08:14
それから一週間後。
祈達はノエルが経営するかき氷店、『SnowWhite』に集まっていた。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
『SnowWhite』の鏡に映る、後頭部の長い老人がそう集まった者達を労う。
祈はその言葉を、テーブルの上に組んだ腕に顎を乗せて、つまらなそうに聞いていた。
「ふぁ……」
雲外鏡と繋がれた鏡は、テレビ電話のようにぬらりひょん富嶽の姿を映し、声を届ける。
ぬらりひょん富嶽が再び口を開いた。
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
今日集められたのは、富嶽から今後のことを聞く為だった。
話の中で注目したいのが、『いまのところ姦姦蛇螺より強い奴はいないだろう』という部分である。
つまり今後、ドミネーターズとの戦いで、姦姦蛇螺ほどの強敵と戦うことはない、ということであるし、
ドミネーターズは切り札を一枚失ったということでもある。のだが。
まだ厄介な祟り神自体は何柱もいるらしい。
祟り神に限定しなければそれこそ何柱でも厄介な者はいるのだろう。
そもそもあちらには、悪魔だって何柱もいるのである。
それらを総動員すれば、姦姦蛇螺以上の厄災を振りまくことも可能だろうと祈には考えられた。
結局のところ、まだ、何も終わっていないとも言えた。
それにしても。
282
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:09:21
「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
ミルクと砂糖がたっぷり入ったアイスコーヒーを、
意味もなくストローででくるくるとかき混ぜながら祈はつぶやいた。
ここで飲むアイスコーヒーだっていいけど、あの時温泉で飲んだコーヒー牛乳だっておいしかった。
また温泉旅行行きたいなーみんなで。タダで行けないかなー。などと祈は思いながら、
テーブルに突っ伏して、足をバタバタとさせた。
ポチの右目だって傷が不完全なら温泉に浸からせて治してやりたいし、
玉藻御前に会った後の尾弐だってどことなくだが元気がないような気がするし、
橘音だってもしかしたら温泉に浸かったら前みたいに人間の姿に化けられるようになるかもしれないのだ。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
「マジで!?」
祈はがたっと立ち上がった。感情の起伏が大きい子である。
祈が驚くのも無理はない。祈と父と母が死んだのを切っ掛けに失われた、
妖怪と陰陽師の繋がり。それが再び繋がることになるのは大きい。
本当にそうなれば、きっと赤マント率いるドミネーターズから日本を守る大きな戦力になるだろう。
日本妖怪の多くは姦姦蛇螺との戦いで散ってしまい――それは残念だが――、
まだその五大妖のボスや力ある妖怪たちは残っているのだから。
祈が驚きに立ち上がってすぐ、
祈のパーカーのフードから、ピョイと赤い蛇が顔を覗かせる。
祈が急に動いたことに驚いたようで、ちょろちょろと舌を出して周囲を窺っていた。
富嶽のニヤリとした表情を最後に鏡が暗転し(本当にテレビ通話のようだ)、元通りに店内を映すようになる。
「あ、ごめんヘビ助。驚かせちゃったな」
祈がそう言って宥めると、再びフードの中で丸くなる姦姦蛇螺、もとい。“ヘビ助”。
家に置いておくと、ハル(ハルファス)は大人しいのだが、
敵視しているのか、餌に見えているのかなんなのかわからないが、マル(マルファス)がヘビ助を啄もうとするので、
大人しいこちらを連れてきたのだ。とりあえずあの二匹は大きめの段ボールに隔離してある。
なにはともあれ一つ言えるのは、祈にはネーミングセンスがないと言うことである。
祈は椅子に座り直す。
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
>「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
>「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
白狐の姿に戻った橘音がそうため息交じりに語るのだった。
アスタロトと魂を分かった橘音であるから、アスタロトの考えはわかるであろう。
その橘音ができることはないと言うのだから、本当に今はやることもないに違いない。
祈の小遣いでは今から皆を温泉旅行にも連れて言ってやれないことだし、適当に休むしかないのだろう。
「そうすっか。あたしは買い物あるから、帰ることにするよ」
今日はハルとマルを入れる鳥かごを買って、
それから今日と明日の分の食材を買わねばならない。
祖母は入院中の母につきっきりで、自分と動物たちの世話は祈がやらなければならないのだから。
祈はアイスコーヒーをストローでずずーっと飲み干し、代金をテーブルに置くと、
さっさとドアの方へ小走りに走って行ってしまう。
「そんじゃ、またね。“雪野さんも”」
扉を開けながらそう悪戯っぽく言い残して、祈はパーカーのポケットに手を突っ込んで、店を出て行った。
祈がどうにも元気がないのは、母と祖母のことなどを含め、心配ごとが尽きないからであった。
283
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:13:54
スーパーで食材を買い込み、ペットショップで大きめの鳥かごを買って、
帰路につきながら、祈は思い出していた。母とポチが入院した夜のことを。
ブリーチャーズの誰もがいなくなった(と思われる)病院。
祈もまた病院で手当てを受けて、
颯が眠っている病室の前、暗くなった廊下で、祈は祖母と僅かに話をした。
「お聞き、祈。アタシは颯の“看病”をしなきゃならない。
姦姦蛇螺の体に長いこといたこの子が、どう影響を受けているか分からないからね。しばらくは様子を見るつもりだ。
祈、あんたには寂しい思いをさせることになる。
自分で料理を作ったり洗濯物の用意をしたりするのも大変だろうけど、できるかい?」
「うん」
祈は頷いた。祖母がこんな口調の時は何かある時だから、わがままは言わないつもりだった。
「ごめんよ、祈」
祖母はそう言って、病室に戻るつもりのようだった。
病室の扉を開けて、後ろ手に扉を閉めようとするその背中に、祈は問う。
「あのさ。ばーちゃん。聞きたいことあんだけど、いい?」
「なんだい、言ってみな」
手を止めて、少しだけ固い声で祖母が応えた。
「橘音の上司の人からちょっと聞いたし、御幸もそんな感じのことを言ってたんだけど、
あたしって……なんか運命を変えたりとか、そういう危険な存在なの?
あたしがいると陰陽のお断りが乱れるとか、よくわかんないこと言われたよ」
祖母は溜息を吐いて、振り返った。
開きかけの部屋の光が僅かに漏れる。
「……誰でも、運命を切り開いたり、変えたりする力は持ってるもんさ。
ただ祈、あんたはそれがちょいと人より強いんだ」
逆光の中で、祖母が少しだけ優しい表情をしたのが祈には見えていた。
「それは人から見たら危険に思えるかもしれないね。
なんせあんたの心持ち一つで、もしかしたらこの世は地獄に早変わりするかもしれないんだから」
そこで一旦言葉を区切り、祖母は続ける。
「でもね、祈。アタシはそうは思わない。あんたは颯を連れて帰ってきてくれた。
姦姦蛇螺だって助けてやったじゃないか。
姦姦蛇螺を倒したお陰で、東京は何事もなかったように回ってる。これはすごいことだよ。
あんたは……あんた達はよくやった。
祈、あんたの力はこの世に地獄を作るものじゃない。きっと誰かを助ける為にある。
そして戦いの後はアタシの、いや、アタシ達のところに必ず戻って来る。
アタシはそう思っているし、そう信じてるよ」
祖母はそう言って、祈を優しく抱きしめた。
「……ありがと、ばーちゃん」
排除されそうになった理由を知り、僅かに不安だった祈の心がほぐれていく。
十数秒、そうしていると。祖母が祈から手を放して、
自身が着ているライダースーツをまさぐって財布を取りだした。
その中から、お札を何枚か取り出して祈へと渡す。
「そうそう、こいつは当面の生活費とお小遣いだよ。
お菓子は買って構わないが、家族が増えたんだから無駄遣いはするんじゃないよ。
それから、寂しくなったらすぐおいで。颯はしばらく寝たままかもしれないが、
あんたの声が聞けたら少しは起きようって気になるだろ」
「……うん。またね、ばーちゃん」
――そう言って祈と祖母は別れたのだった。
あの日から一週間経ったのだがが、事態は進展していない。
あれから毎日祈は、病院に寄って祖母に着替えや料理など必要なものを届けている。
「ハルもマルもいっぱい食べるし、母さんは寝たままだし、ヘビ助は水しか飲まないし。ばーちゃんは戻ってこないし。
尾弐のおっさんは結局元気なのかな。ポチの右目も治るのかな……よくわかんない。
モノはイケメン騎士Rが守ってるかもだけど、……ちゃんと生きてっかな。みんなにはいつ話したらいいんだろ。
あたしのこの力のことも分かんないし……心配事はつきねーなー」
帰りに、ふと尾弐の作ってくれたオムライスやコンソメスープを思い出して、
なんとなく卵と玉ねぎやトマトや鶏肉やらを買い足した祈だった。
284
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:16:17
翌日。朝になると、祈は物音で目を覚ました。
「むが……」
トントン、と食材を刻む、軽快な包丁のリズム。
ドアの隙間から漂ってくるコンソメの匂いには覚えがあった。
尾弐が一人でいる祈を心配して、もしくは祖母に頼まれて
またオムライスとコンソメスープを作りにきてくれたのかもしれない、と祈は思う。
鳴る前の目覚ましに手を伸ばし、アラームを止める。祈は布団から上体を起こした。
そしてゆるりと立ち上がると、そこで耳に僅かに聞こえる包丁のリズムが、
尾弐の僅かに荒々しいリズムと異なることに気付く。
だが、祖母とも違う。祖母に比べてテンポがゆったりしているし、
祖母はコンソメスープを作ったことがない。
予感に、祈の心臓がはねた。
誰だろう、と思うより前に、もしかして、と思った。
祈は慌ててドアを開け、台所へ向かう。そこにいたのは。
「かあ、さん……?」
台所には、エプロンを着けた女性の後ろ姿があった。
エプロン姿の颯が朝食を作っていた。
祈の中にあるもしかして、が的中したのだ。
颯が振り向き、祈へ微笑む。
>「あら、おはよう。もうすぐ朝ごはんできるから、先に顔。洗ってきなさいね」
祈は小さく返事をして、顔を洗いに洗面所に向かった。
そして顔を洗いながら、きっとこれは夢だろうと思う。
祈が小さい頃によく見た夢とそっくりだったからだ。
これは、母が祈の為に料理を作ってくれる夢。
昔はその姿はおぼろげだったものだが、姦姦蛇螺から助け出した母の姿を見ているから、
きっとその姿が焼き付いて、リアルに見えているのだろう。
そんな風に祈は思う。
しかし、なんと幸せな夢だろう、そう思った時、祈は頬をつねろうとした手を降ろす。
何もすぐ起きる必要はないのだ。暫くこの夢を見ていようと思った。
祈が居間に戻ると、颯がオムライスやコンソメスープをテーブルに並べている所だった。
>「……病室で目が覚めたんだけれど、あんまりみんなが大騒ぎするのも困るし。それに――」
>「身体が動くと分かったら、居ても立ってもいられなくなっちゃってね。だから……勝手に退院してきちゃった」
そう言って、お茶目に小さく舌を出す颯。
夢の中の母さんはお茶目なんだ、と祈は思う。
>「ま、まぁ、母さ――おばあちゃんには言っておいたから!おばあちゃんが手続きはしてくれるはずだから!」
>「……それに。あなたに一刻も早く逢いたかったから」
さすが夢。抜け出した理由までしっかり説明してくれるし、会いたいって母さんから言ってくれるんだ。
そう思いながら祈が食卓に着くと、嬉しそうに颯は続ける。
>「14年ぶりの我が家だけど、変わってないわねー!調味料の置き場所もそのまま!」
>「買い物に行く時間まではなかったから……あり合わせのもので作ったけど。お口に合うかしら?」
そう言って、スプーンを差し出す颯。
祈は『ばーちゃんは新しいやり方好きじゃないから、ずっと前のまんまなんだよ。新しい料理だってあんまり作ろうとしないし』
なんてことを言おうと思ったが、上手く口が動かず、はにかみながら、スプーンを受け取って、『ありがと』とだけ返した。
颯はテーブルの上で軽く腕を組み、祈をじっと見つめている。祈が料理を食べるのを待っているようだった。
祈は『いただきます』と言って、オムライスをスプーンですくって一口口に入れた。
そして、この味はと思う。
「おいしい」
尾弐が作ってくれたオムライスと同じ味だった。
また食べたい、何度でも食べたいと思った味。そして、母が作っていたと言う料理の味。
『母さんの作っていた料理だって言われたからって、夢の中でも同じ味のオムライス出てくるなんて』、と祈は笑った。
こんなにおいしいんだから、きっと目が覚めたら布団はよだれでびちゃびちゃかもしれない。
285
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/10/15(月) 23:23:55
>「そのオムライスはね、あなたが生まれたら作ってあげようって。食べさせてあげようって……そう思ってた料理なの」
>「……やっと。食べてもらえた」
夢中になってオムライスを頬張る祈へ、颯が微笑んで、手を伸ばした。
祈がそれに気付いて動きを止める。
>「おべんと。ついてるわよ?」
颯がそう言って祈の頬へ触れた。
祈の頬に付いてたご飯粒が、颯の口元へ持っていかれる。
わずかに指先が触れた時、祈は颯の指が触れた“感触”と“体温”を感じた。
颯の指先が触れた頬を、祈は左手でなぞる。
そのまま、思い切りつねってみると、鋭い痛みが走った。
だが、目は覚めない。否。目は既に覚めている。
祈と颯の目が合う。
「夢じゃないんだ……」
祈がぽつりと呟く。
母がこの場にいるのも。おいしい料理を作ってくれたのも。
「夢じゃ、ない"んだ……」
あんなにも望んだ景色が目の前に在るのも。
祈の目から涙がこぼれる。ぽろぽろと、ぼろぼろと。
「ゆべじゃな"い"ん"だっ……!!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
袖で拭っても拭っても、涙は止め処なく溢れてくる。
颯の目にも涙が浮かんでいた。
>「祈の声、ずっと聞こえてた。姦姦蛇螺の中でずっと……外に出てからも」
>「離れ離れでいて、ごめんね。ひとりぼっちにして、ごめんね。不出来な親でごめんね――」
祈は違うと言いたいが声にならなかった。
父さんと母さんは東京を守ってくれてたんだと、仲間や人々を守るためには仕方なかったんだからと。
それに友達だって、祖母だっていたんだから寂しくなかったと。
そんなことを言いたかったが、首を振るしかできない。
>「14年も遅刻してきたけど。あなたと一緒に、なんにも思い出を作ってあげられなかったけど……」
>「でも。それでも。もし、祈……あなたが許してくれるなら……」
>「……また。あなたのお母さんをやってもいい……?」
胸に手を当てて問う、颯。
「っ、あたりまえだよっ、かあさんっ!」
祈は颯に飛びついて、わんわん泣いた。
母が帰ってきてくれたことが、こんなにも嬉しい。
祈の心は春の日差しのように暖かな気持ちで満たされていた。
286
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:45:22
昔世界を股にかけて悪逆の限りを尽くした挙句に、今は神に近い存在となっている御前。
その有様は人類の敵としての役割を背負わされた災厄の魔物とどこか似ていて。
世界の歯車としての役割から解放されたいと心の奥底では思っているのではないか――
と踏んで組み立てた論法なのだが、御前が心を動かされる様子はない。
ノエルは自らの説得が失敗したことを悟った。
もはや頼みの綱はポチと尾弐だが……
「ポチ君!」
ポチが自らの首に爪を食い込ませているのを見て、ノエルは声を荒げる。
ポチが自死してまで祈を手にかけるのを拒否したところで、何の意味もない。
実も蓋もなく酷い言葉で言ってしまえば、自己満足の無駄死にだ。
深雪が強制力に耐えかねて殺すかもしれないし、尾弐に命じることだって出来る。
もっと言えば、これが単なる悪趣味な戯れではなく、決定事項として祈を消そうと思ってのことなら、
最終的には御前自ら祈を手にかけることだって容易いのだから。
ポチに駆け寄ろうとするノエルを、同一存在である深雪が思念で制止する。
《――よせ、やらせておけ》
「なんで!?」
>「僕は祈ちゃんを殺さない……僕が、僕の意思で、そうするんだ。
あんたが決めた、この悪趣味な運命を変えるのは……僕だ!」
《忘れたか? 運命を変える力を持つ者の共通項……》
ノエルははっとする。
今しがた姦姦蛇螺を浄化したのは祈、それは間違いない。
しかしあの満月の夜、《獣》は銀の弾丸でないと倒せないという理を捻じ曲げたのは、状況から考えるとどちらかというと――
否、そんな数百年に一人現れるか現れないかの存在が、同時代に増して同じチームに二人存在するなど、あるはずがない。
第一、本当にそうだとしたら御前はポチにも目を付けているはずだ。
いや、本当にそうか――? 万が一、億が一、そうだったとしたら。
御前ですらもそんなことがあるはずがない、という思い込みの元に
全て祈の仕業だと思って見逃がしている、という可能性もありはしないだろうか。
しかし、ポチが気絶に及んでも、今のところ何も起こる様子はない。
その上、尾弐は残酷な――しかし正論を淡々と告げる。
>「……馬鹿共が……お前さん達がここで頑張った所で無駄なんだよ。お前等が殺されたら、俺か那須野に嬢ちゃんを殺す様、指示が出されるだろうぜ」
>「そもそも、御前の仰る事は間違っていねぇんだ。奇跡なんてものは博打の目。幾ら助命を嘆願しても、最悪の目がでりゃあ全員そこでオシマイって事を判ってんのか?」
「よし、ではここは我がサクッと――」
尾弐の言葉に便乗するかのように、深雪が氷の鎌を出現させ祈に飛び掛かる。
容赦なく氷刃が一閃。宙を舞ったのは祈の首――ではなく艶やかな黒髪。
髪は女の命――という言葉のあやを気合で思い込むことで狙いを逸らした無理矢理な二流の頓智のような手法だった。
櫛型の髪飾りが弾みで外れ落ちる。
「髪は女の命なんだから! それに昔から長い髪には魔力が宿るって言うし!
これで特殊な力は無くなったんじゃないかなーってことで何とか許して!
あとSnowWhiteの回数無制限無料券あげるから! オマケに僕のヌード写真集もつけとく!」
287
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:47:03
説得は失敗しポチは気絶、八方ふさがりになったと感じたノエルは、大混乱の形振り構わぬ助命嘆願に突入したのであった。
あとは尾弐に全てを託してひたすら時間稼ぎをするだけだ。
「深雪、ついでに髪飾り回収しといて! よく考えると縁起悪いし!
きっとそんなものあげるからこうなっちゃったんだし!」
そしてどさくさに紛れて櫛型の髪飾りを回収するように深雪に言うノエル。
深雪はそれを受けて素直に髪飾りを拾う。
櫛を贈るのは、苦、死、に繋がるとして一説では縁起が悪いとされているのである。
姦姦蛇螺の中では勢いでやってしまったのだが、今更ながら気付いたのであった。
「それもそうかもしれぬな。しかしおかしいな――まだ死なぬぞ?」
深雪が切った側の髪を更に細かく刻みつつ地味に御前の術に抗い続けているというシュールな光景が展開される。
そこで尾弐が無表情で祈に歩み寄り、容赦なく手をその頭上に掲げ――
>「悪いな祈の嬢ちゃん」
――優しく祈の頭を撫でたのであった。
>「……少しだけ、待っててくれ。直ぐに開放してやるからな」
「また出たよツンな前振りかーらーのーデレ!
まあ分かってたけどさ……今回は流石に心臓に悪いよ!」
尾弐は祈を殺すことで起こり得る現実的な不利益を語った上で、祈の力が悪い方向に作用するのを全力で阻止するという。
根拠のない推測を基にしたノエルとは違う、地に足が付いた説得を行ったのであった。
>「御前――――見えない不確定の最悪より、見えている最悪の防止を一考してみては如何でしょうか。
ここで年端もいかねぇ子供を弑するよりも、その手が得る奇跡の価値に目を向けてみてみやせんか。
貴女の心配する最悪の偶然が起きる可能性は、最後のその時まで、俺が……俺達が傍に居て防いでみますから。どうか、ご一考してみてください」
御前は暫く沈黙したかと思うと、狂ったように、しかし心底楽しげに笑い始めた。
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
「何それどういう意味!? 怖っ! めっさ怖っ!」
>「――そ!れ!だぁ〜〜〜〜っ!!」
>「それが見たかったんだよねーわらわちゃん!雲外鏡とか越しじゃなくて、生で、ライヴでェ!やっぱ臨場感がダンチだよねー!」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
「へ? 合格……?」
>「……それでいいよ」
暫く呆然と御前の話を聞いていたノエルだったが、ポチの傷が癒され祈の拘束も解かれるに至り
なんとかこの場を切り抜けたのだということを認識する。
288
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:48:34
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
こちらの返事も待たずに、景色が歪み始める。
当然返事をするまでもなく契約は成立、もう要件は終わりということだろう。
現世に戻される途中の時空の狭間の中で悪態をつく深雪だが、もはやそれが相手に届くことは無い。
「誰が雪ン娘だ、我を誰だと思っておるのだ……! 誰がそんな約束など……」
口ではそう言いつつも、分かっている。もう後戻りはできないことを。
“でもどんなに抗おうと災厄の魔物は逃れられぬ運命。
どんなにお母さんやお姉ちゃんが頑張ってくれても……僕はあの時深雪に飲み込まれ災厄の魔物と化すことになっていたんだと思う。
たった今分かったよ――運命を変えてくれたのは、偽りを真実にしてくれたのは……祈ちゃんだ。
祈ちゃんが御幸乃恵瑠という存在を心から望んでくれたから――僕は逃れられぬ役割から自由になることができたんだ”
“イノリンが『イレギュラー』じゃなくて。現行の法をより善い方向に改革する存在なのだとしたら――”
先程のノエルの言葉と、御前の言葉を思い出す。それらを繋いで導き出される結論は一つしかない。
「記念すべき改革第一段が我だと……!? ふざけるな! 雪の女王にクリスめ、よもや謀ったのか……!?」
歴史の転換点には特別な力を持つ者が生まれる――漠然とそれを狙ってのことだったのか
それとももっと綿密に仕組まれた出会いだったのか。
どこまでが仕組まれていたことでどこからが偶然なのかはもはや分からない。
しかし、どんな経緯であろうと、出会ってしまったのだ。
人類の敵たる災厄の魔物を、次なる何かに進化させる存在に。
そっと目を閉じて今までの祈の姿を思い出す。
飢えて妖壊と化した鎌鼬に自らの血を与える献身。
満月の下、瀕死のシロを抱え空を駆けた決して諦めない心。
自らの命も危ういという時に、無力な雛と化したマルファスとハルファスを安全な場所へと運ぶ優しさ。
小さな蛇と化した姦姦蛇螺を必死で守ろうと御前に食って掛かった勇気。
何よりノエルが災厄の魔物としての力を発露し人に害を成した過去を知っても、
人類文明への底知れぬ憎しみを宿す魔性の精霊だと知っても、それでも共にいたいと願ってくれたこと。
「まあ……良いか」
深雪は目を開けると、吹っ切れたように微笑み、祈へ歩み寄る。
どう切り出そうかと思っている間に、祈の方から話しかけてきた。
>「深雪さん。さっきはありがとね。色々とさ。ま、いきなり髪切られたのはびびったけど」
「例なら癪だがあの鬼小僧に言うことだな。ノエルの奴め、的外れな説得をしおって。
きっとあの女狐は変わりたいなどとは露ほども思っておらぬのだろうな」
289
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:51:13
そして深雪は女王にティアラでも戴冠するかのように、祈に髪飾りを付けなおす。
「ゆめゆめ忘れるな、我は人類の敵。
しかし、苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ」
原初の恐怖として人間が踏み込んではいけない最後の領域を守る――それが自らの役目だ。
でも、恐怖で牽制する以外の手段でそれを果たす道があるのだとしたら――その時は、人類の敵でなくなったっていい。
龍脈とは、地球の原初のエネルギー。
つまり、龍脈にアクセスする力を持つ者は、自然と人とを繋ぐ者ともいえるのだ。
「ああ心配するな、対価はすでに十分すぎるほど貰っているのだからな――」
>「ありがと、深雪さん。これからもよろしくね」
ここに、契約は成立した。
膨大な妖力を持つ氷雪の魔物が年端もいかぬ半妖の少女に忠誠を誓ったのだ。
……何故か、ノエルが露知らぬ間に。
一方のノエルはというと、現世に戻った途端に御前を凄い勢いでディスり始めた。
「マジでなんなんアイツ! 何あの上から目線の決めつけ!
大体むやみに善悪を切り分けないのが日本妖怪の美徳じゃないの!? 欧米かっつーの!
上司ってのは大体碌なもんじゃないとは噂で聞いてたけどそれにしたって最低最悪のクソ上司だわ! もうアイツラスボスでよくね!?」
小学生にありがちな“馬鹿っていう奴が馬鹿っていう奴が馬鹿”パターンに陥っている。
本人を前にしている時は”僕はお前を必ずしも穢いとは思わない”とか言っていた癖に、目の前からいなくなった途端にコレである。
もちろん説得のためというのもあるが、しかしあれもまた本心なのだ。
何が善で何が悪で、何が美しく何が醜いかなんて、立場や見る方向によって容易く変わる。
だからこそ決めつけることなんて出来ない。
あれは世界を俯瞰する雪の王女としての見解、こちらはブリーチャーズのメンバーのノエルとしての個人的な意見、ということだ。
それはそうと、主人公の所属する組織のトップとか依頼人が諸悪の根源というのは割とよくある話である。
ついでに九尾の狐がモチーフの妖怪がラスボスの話もどこかにあった気がする……。
>「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
祈にそう言われ、我に返る。確かに尾弐の姿が見当たらない。
「まあ……ちょっとした誤差じゃないかな? すぐ出て来るって!」
ノエルがそう言った通り、尾弐も程なくして姿を現した。
そして人間社会向けの対応やら負傷者を搬送したりで忙しく、結局その時間差について深く考えることは無かったのであった。
ついでに、深雪に回収させたはずの髪飾りをまた何故か祈が付けていることに気付いたが、
今更縁起が悪いから返せと言うわけにもいかず、そのままにしておくことにした。
こうして今度こそ、姦姦蛇螺の復活から巻き起こった騒動はひとまず完結したのである。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
290
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:52:44
あれから颯とポチは河原医院に搬送されて即入院となった。
ポチは数日で退院したが、颯は意識が戻らず母親のターボバババアこと菊乃がつきっきりで看病することになり、祈は急に増えたペット達と共に家に残された。
その間ノエル――否、みゆきは毎日祈を迎えに行き、一緒に学校に行って、帰りに家に寄ってペットの世話を手伝ったりした。
颯の具合やレディベアのそっくりさんの話題には敢えて触れずに、ただ何気なく一緒にいるだけ。
それぐらいしか出来ることがないのであった。
ただ、そっくりさんについては祈が言い出しやすいように、なんとなく分かっているよ、
というオーラを折を見て仄めかしてみたりもした。
ちなみに店は大丈夫なのかという疑問が出そうだが、バイトの従者もいるし、
平日は客が増えるのは放課後の時間帯ぐらいからなので、平日昼間不在にしても店の運営に大きな支障はない。
こうして一週間が経ったころ、一同はSnowWhiteに集められた。富嶽から話があるという。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
「だねぇ」
明らかに、迷い家の温泉に湯治に来いと言っているが、当然祈にはそんな金銭的余裕はない。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
>「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
>「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
傷と疲労を癒すことに専念といっても、今は白狐の姿の橘音は、湯治の引率者になることは出来ない。
>「そうすっか。あたしは買い物あるから、帰ることにするよ」
祈はアイスコーヒーを飲み干すと、代金をテーブルに置いて帰ろうとする。
ノエルとしてはこの間柄で別に代金なんていらないのだが、それでは祈の気が済まないらしいので有難く頂いているのだ。
しかし普段はともかく、こんな時ぐらいはアイスコーヒーぐらいご馳走させてほしい
そう思って祈りを呼び止めようとするが……
「祈ちゃん! ……いや、やっぱ貰っとく」
何かを思い付いたらしく、結局代金を回収するのであった。
291
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:54:14
>「そんじゃ、またね。“雪野さんも”」
祈はそう悪戯っぽく言いながら扉を出ていく。
ここでその呼び名が出るということは、ノエルがみゆきになって学校に潜入しているのが
少なくとも嫌ではないということなのだろう。
(体育の着替え問題は、とりあえず更衣室の隅で壁の方を向いて着替えるという苦肉の策をとっている)
ノエルは祈を追うように扉から出て、去っていく祈の後ろ姿に向かって声をかける。
「旅行の積立金として貰っとく! 颯さんが目を覚ましたらみんなで一緒に迷い家に行こう!
もちろん颯さんも一緒にね!」
それは颯が目を覚ますのをもはや決定事項とした温泉旅行のスポンサー宣言であった。
その後、夕方になった頃に皆で颯のお見舞いに行ったのだが。
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
橘音や尾弐ですら面会謝絶なのだから、部外者のノエルなど完全に蚊帳の外である。
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
「橘音くん……」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
悲壮な決意を固めたように医院を出ていく橘音に、ノエルは只事ではない気配を感じ問いかける。
「橘音くん! どこ行くの!?」
橘音は颯を救う手立てを乞いに行くとだけ告げ、仲間達には有無を言わさぬ様子で待機しておくように命じたのだった。
こうなった橘音はもはや止めることは出来ないと悟ったノエルは、止める代わりにせめてもの条件を告げるのだった。
「分かった……でも御前のところだけは行っちゃ駄目だからね!
上司ってのはさ……本当は部下を温かく見守って困ってたらさりげなく手を差し伸べるもんでしょ!
少なくとももし僕が上司になったらそうするね!」
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
292
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/10/16(火) 23:56:10
次の日の朝、ノエルはまたみゆきとなっていつものように祈を迎えに行く。
そしていつものようにピンポンを押そうとして……いつもと違う気配に気づいたのだった。
今はこの家には動物以外は祈しかいないはずなのに、微かな話声が聞こえる。
不思議に思い、窓からそっと覗いてみる。
そこにはどこにでもあるような――しかし多甫家にとっては奇跡のような母と子の朝食の光景があった。
「え、えぇええええええええええ!?」
思わず大きな声を出して気付かれてはいけないと慌てて口を塞ぐ。
十何年ぶりの親子水入らずに水を差してはいけない。
「良かった……良かったね!」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら泣き笑いしつつSnowWhiteに戻り、ハクトに告げる。
(もしもうまくポチに会う機会があればポチにも)
「きっちゃんを連れ戻してきて! 颯さんが目覚めたからみんなで温泉旅行行こうって言って!」
橘音は行き先を告げていないが、ハクトの霊的聴力とポチの霊的嗅覚があれば、連れ戻されるのはすぐだろう。
そこはあまり心配せず、すぐに思考は颯にどう挨拶しようか、等という割とどうでもいいことに移っていった。
旧知の仲の橘音や尾弐はいざ知らず、ノエルは颯にとってポッと出の得体の知れない妖怪である。
もしノエルの姿で「お嬢さんと仲良くさせてもらってます」なんて言った日には
妖怪界では別に何の問題もないのだが、もし颯が人間寄りの感覚の持ち主だったら、下手したら即通報されかねない。
ここはやはり最初はみゆきでいって、イケメンにも変身できる美少女妖怪といった設定でいくのが得策か――
いやしかし変態が美少女に化けて娘に近づいてるって解釈されたらもっとヤバイのではないのか。
でも実際にこっち(みゆき)が原型だし!嘘じゃないし!
等と不毛な思考のループを繰り広げた挙句に「そうだ、祈ちゃんに相談してみよう!」という結論に至り
先に学校に行って祈が来るのを満面の笑みで待っているみゆきであった。
293
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 01:44:23
頸動脈を自ら引き裂いてポチは倒れた。
視界は急速に暗転して、すぐに何も見えなくなった。
脳への血流が著しく低下した事によって気を失ったのだ。
『馬鹿が!馬鹿が馬鹿が馬鹿が!無駄だと言っただろうに!』
だが無意識の、死を前にした暗闇の中で、ポチは声を聞いた。
『今すぐお前の体を渡せ!俺の力ならばまだお前を助けられる!
どの道あの娘は、お前の仲間に殺されるぞ!
ならばここで死んで何になる!無駄死にだ!』
『獣(ベート)』の声だ。
「……いいや、駄目だね。だって、今起きたらまた僕は祈ちゃんを殺そうとする。お前もそうだろ」
己の魂と結びついた存在であるが故だろうか。
肉体的には確かに意識を失っているのに、ポチは『獣』と言葉を交わす事が出来た。
『何度も言わせるな!あの娘はどうあっても殺される運命だ!
お前が殺そうが、お前の仲間が殺そうが、何も変わらないだろう!』
「いいや。僕は僕の運命を変えた。自分の意思で。祈ちゃんの力なんて関係ない。
運命は、僕にだって、誰にだって変えられる。僕は御前にそう証明しなきゃいけないんだ」
御前がポチの死を、そう都合よく解釈してくれる可能性は、限りなく低い。
それでもこれだけが祈を救う為に、ポチが出来る唯一の行為だった。
方法があるのに、我が身可愛さにそれを実行に移さない。
そんな事はポチには出来なかった。
『あの白狼を残して死ぬつもりか?今すぐに、体を寄越せ』
「……僕は、妖怪だ。もし僕がこのまま見殺しにされても……いつかまた、送り狼は蘇る。
そうしたら、またシロちゃんを見つけるさ」
『そんな事が、本当に起こると思っているのか?』
『獣』の問いかけに、ポチは答えなかった。
ポチが口にした「いつか」は、恐ろしく遠い未来になるかもしれない。
再びこの世に生まれ落ちた送り狼が、自分であるかも分からない。
いや、そんな事が起こる可能性は限りなくゼロに等しい。
だとしても――自らの手で祈を殺す事は決して出来ない。
ならばこれ以上の対話は無意味だった。
暗闇の中、ポチは自分という存在が少しずつ消えていくのを感じていた。
まどろみ、眠りの底に落ちていくような、不在の妖術を使った時とよく似た感覚だった。
294
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 01:44:56
『……体を貸せ』
ふと、『獣』が再び声を発した。
ポチは答えない。
回答はどうせ変わらないし――それに強烈な眠気を感じてもいた。
『あの娘はもういい。お前の体を治すだけだ。だから早く体を貸せ』
だが――不意に『獣』の声音が変わった。
怒りが薄れ、代わりに――僅かな焦りが、その声からは感じられた。
「……一体なんの駆け引きだ?」
『獣』にとってポチの肉体は、自分の思い通りに動かせない檻に等しいはずだ。
ポチが死んだところで『獣』はまたこの世のどこかに再臨する。
にもかかわらず自分の延命を提案してきた理由が、ポチには分からなかった。
「いや……お前の狙いがなんであれ、どうせ罠に決まって……」
『黙れ、もう時間がないのだ。誓ってやってもいい。
あの娘には手を出さん。だから早く、俺に体を――』
ポチは自分に何かが歩み寄ってくるのを感じた。
己の精神の世界の中で、暗闇の奥に、赤黒い獣の姿が見えた気がした。
「……『獣』?」
そして――不意に、ぱちんと、小気味いい音が聞こえた。
気がつけばポチは目を開いて、祈の顔を見上げていた。
それから数秒呆然とした後に、どうやら自分は治療を受けられたようだと理解する。
それに――祈も無事、見逃してもらえたのだと。
右手を彼女の頬に触れると、ポチは安堵の笑みを浮かべた。
「……良かった。無事だったんだね」
だが――自分のものであるはずの腕が、恐ろしく重い。
仰向けの状態から手を上に伸ばす。
ただそれだけの事が維持出来なかった。
傷は消えても、大量の出血があった事には変わりない。
すぐにまた、ポチの意識は朦朧としつつあった。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
気を失っていたポチには、その尾弐の約束がどういうものなのかは分からなかった。
だが――祈の望まないような事が起こらないようにする。
御前の言葉の意味が、そういう事であるならば――そんな事はポチにとっては当たり前の事だ。
>「天魔が狙ってるのは、まさにその力なんだから。その力はいい方にも、悪い方にも働く」
>「……ま、他にもイロイロややこしーコトになってるんだケドぉー……今はいーや!これまで通り帝都の漂白、よっろしくぅ!」
「……祈ちゃんを殺さないでくれて、ありがとう」
周囲の空間が歪んでいく中で、ポチは絞り出すような声でそう言った。
御前は強い。その気になれば決して抗いようのない手段で祈を殺せただろう。
だがそうはしなかった。
その理由がただの戯れだったとしても、御前は戯れてくれたのだ。
ポチはそのように考えて、だから彼女に礼を言った。
295
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 02:21:55
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
そうして、ポチは気づけば新宿御苑へと戻っていた。
>「あれ? 尾弐のおっさんがいない……?」
祈が不思議そうに呟いた。
ポチは体を起こして辺りを見回そうと思ったが――やはり体に力が入らない。
上体を起こしても、腕で支え続ける事が出来ずにすぐに倒れてしまった。
ポチは諦めたように、五体を地面に投げ出した。
尾弐の事は気がかりだが、御前との付き合いが長いようだし、今後の具体的な方針の話でもしているのかもしれない。
別れ際の御前の態度から、まさか尾弐が居残りで説教を受けているとは考えもしなかった。
その後、ポチは担架に乗せられて河原医院へと運び込まれた。
首の傷は御前の力により完全に消え去っていたが、それによる衰弱には治療が必要だった。
それに、袈裟坊の銃弾によって撃ち抜かれた右眼にも。
結果として、ポチの入院生活は三日で終わった。
河童秘伝の薬物によって肉体の衰弱はすぐに回復したし、
逆に右眼はまったく回復の兆しが見られなかったからだ。
ひとまずポチは眼帯と義眼を用意してもらって、
目の状態に関してはよほど強く聞かれない限り黙っておく事にした。
>「此度のことは、まことにご苦労ぢゃった」
そして今、ポチは『SnowWhite』にいた。
特に用事のないブリーチャーズのメンバーがここに集まるのはいつもの事だが、
今日は富嶽から皆へ、何やら話があるようだった。
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
>「だねぇ」
「……迷い家の温泉かぁ。行きたいような、行きたくないような……」
最後に迷い家の温泉に浸かったのは、ロボとの激闘を終えた後だった。
あの時は散々ロボに叩きのめされて負った傷も、確かにすぐに癒えてしまった。
今度の右眼の傷も治るかもしれない。
だが――迷い家を訪ねれば、どうしてもシロと顔を合わせる事になる。
今回はかなりの無茶をしてしまったから――彼女はきっとひどく心配しただろう。
右眼の事も、彼女が知れば悲しむかもしれない。
その不安や悲しみに償う術が、ポチには分からない。
行きたくないような、とはそういう意味だ。
とは言えずっと黙っている訳にもいかないので、結局は顔を出して正直に話をして、謝る以外に出来る事などないのだが。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
「言えてる。なんだか真に受けるのは不安だし、一度芦屋さんにでも話を聞いてこよっかな」
とは言え、ポチも本気で富嶽の言葉を疑ってかかっている訳ではない。
ただそのような口実があれば、自然に右眼の傷について相談に行けると思ったのだ。
>「それにしても、御前に物申すなんて命知らずな……。皆さん、よく生きてましたねぇ……ビックリですよ、ホント!」
「でも、考えてみれば皆さんは今までずっと、絶望を愛情の力で乗り切ってきたのでしたね。杞憂だったかもしれません」
「……とにかく。今は、姦姦蛇螺討伐で負った傷と疲労を癒すことに専念するとしましょう」
その後、ポチはノエルに誘われて楓の見舞いに行く事になった。
ポチに断る理由はなかった。
祈の母の状態も気になるが――病院に行けば右眼をもう一度診てもらえるからだ。
なんと言っても、二つしかない眼の片方なのだ。そう簡単に諦められる訳がなかった。
296
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/10/19(金) 02:24:43
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
ポチは、陰陽寮にて、蘇生に失敗された安倍晴陽の肉体がどうなったかを見ている。
肉体の無事が、その人そのものの無事を意味しない事を知っている。
橘音も菊乃も、それを懸念しているのだろうとすぐに分かった。
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
「……そりゃ、そうでしょ。僕らも楓さんも生きてるんだから」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
そう言うと、橘音は医院を出ていってしまった。
ノエルが呼び止めても、橘音は振り返りすらしない。
いや、誰が止めようとも聞き入れはしないだろう。そんなにおいだった。
「……橘音ちゃん。忘れないでね。ハッピーエンドだよ。
僕らも楓さんも、生きてるんだ。勝手におしまいにしちゃ駄目だからね」
だからポチは橘音を引き止める事はせず、ただそう声をかけた。
そしてその日の夜。
ポチは寝床としているビルの屋上に戻ってきた。
「……なぁ『獣』。あれはなんだったんだよ」
目を閉じて己の内側へと語りかける。
華陽宮でポチが死の淵にいた時、『獣(ベート)』は焦っていた。
祈に手を出さないと約束までして、ポチの体を治させろと言ってきた。
一体何故、あんな提案をしてきたのか。
甘言に乗せてノエルと尾弐を殺すつもりだったのか。
だが、あの声音から滲む焦りは演技とは思えなかった。
「おい、聞こえてるんだろ」
しかし何度呼びかけても『獣』からの返答はなかった。
どれだけ自分の内側に意識を集中しても、その存在を感じ取る事は出来なかった。
徹底的に気配を隠しているのだろう。
「……色々と、聞きたい事があったんだけどな」
ポチは、『獣』とは決まった形などない、ただの力の塊だと思っていた。
けれどもあの時、無意識の暗闇の中で、ポチは確かに『獣』の姿を見た。
『獣』の存在に決まった形があるとすれば、何故ポチは送り狼の力を強める事が出来たのか。
「まぁいいさ。お前が黙っていてくれるなら、それはそれでありがたい事だよ」
とは言ったものの『獣』もいつまでも黙ってはいないだろう。
また今回のように、窮地に陥った時に邪魔をされても困る。
ノエルは、己の中の災厄と対話を成立させていた。
それどころか――自分は祈の味方であると、宣言させてさえいた。
自分もいつかはあれを目指さなくてはいけないのだろうと、ポチは考える。
その為のきっかけが、あの時の『獣』の言葉にはあったのではないか、とも。
「……くそ、まだ痛む。今ならお前とも長話が出来そうなのにな」
297
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:28:33
>「……く……」
>「くふふっ、ぬふふ……!」
>「うひっ、うひひひひひひ!にゃっははははははははははっ!!」
床へ額を押し付ける尾弐の耳に、御前の声が響く。
歓喜と狂気を合一させたかの様なその声色は、善や光などとは程遠い。
>「愛だね!愛!もし、そなたちゃんたちがわらわちゃんの妖力にビビッてイノリンを殺すようなら、ゲームオーバーだったよ」
>「でも、そなたちゃんたちは負けなかった。わらわちゃんを向こうに回しても、イノリンを助けたいって思った」
>「その気持ちは『キレイなもの』だよ。わらわちゃんの大好きな!だからーァ……ごォ―――かァ―――く!!」
愛を讃えるその言葉は、愛と言う概念からかけ離れている。
けれどそれでも……願いは聞き届けられた。ポチとノエルの献身は、尾弐の無様は、御前から望む答えを引き出したのである。
だが、それは御前に条件を飲ました訳では無い。新たに契約を結んだが故の譲歩であるという事
その事を尾弐は、恐らくこの場に居る誰よりも理解していた。
>「……でも。『約束』したからね?さっきも言った通り、イノリンのその力はすべていい方向に働くとは限らないからぁー」
>「オニクロの約束は、オニクロだけのものじゃないから。雪ン娘にワンワン、そなたちゃんたちの約束でもあるからね」
>「イノリンの力が悪い方向に行かないように、みんな全身全霊で食い止めること。わ・か・っ・た・よ・ね?」
「……承知致しました。この身を賭して契約は履行します」
故に、尾弐は御前に対して下手には出るものの、感謝の意を示す事はしない。
ただただ、約束を果たす事を誓約する。
>「わらわちゃんはこれからも、ここでみんなのキレイなトコ。い〜っぱい見せてもらうね!」
>「じゃっ!今回はおっつかれさまでしたー☆」
尾弐が感謝をしていない事は当然判っているであろう。だが、御前はそれについて口にする事無く、東京ブリーチャーズの面々を帰還させた。
かくして、祈が持つと推測される運命を切り開く力に対する問答はここに一先ずの解決を見せたのである。
そう、解決を見せた――――『祈の問題に関して』は。
298
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:29:39
全員がその場から送還された後も、尾弐は、尾弐黒雄だけはその場に残され、平伏を続けていた。
>「……なりふり構わぬとはいえ、よもや吾(われ)を脅すなどと――思い切ったもの」
>「災厄の魔物どもは赦したが、汝(うぬ)は赦さぬ。汝はその肉も魂も、すべて吾に売ったのだ。己が宿願のため」
「……承知しています。分を弁えず、あるまじき発言を致しました」
尾弐を睥睨する御前が纏う妖気は、もはや毒とでもいうべき濃度となっている。
並みの妖怪であれば意識を失ってもおかしくないその妖気の奔流の中、
苦痛に汗を流しながらも尾弐がまがりなりにも意識を保っているのは、偏にこの状況を想定していたが故の事であった。
>「千歳(ちとせ)の間に忘れ果てたか?汝の血肉、汝の魂魄。最早、汝の自由になるものは何一つたりとて無いことを」
「全ては我が身の不肖、如何様な罰を受ける所存です」
何かを得る為には、何かを失う必要がある。
御前から当面祈の命を保証するという『飴』を与えられた以上、東京ブリーチャーズは何かを失う必要があった。
其れは、御前の趣味という訳では無く……強大な力を持つ統率者が縛られる義務が故。
己に刃を向けた身内に甘さを見せては、支配と統率は立ち行かない。
外様に寛容さを見せる事は構わないが、身内に対しては厳罰を以って当たるが王道。
されど、様々な勢力の意図が絡んだ東京ブリーチャーズは身内とも外様とも言いづらい立ち位置にある。
そして、だからこそ東京ブリーチャーズが御前に刃向い益を得た以上、誰かが泥をかぶる必要があったのだ。
それには、以前より御前に従属する尾弐が相応しく……故に、尾弐は御前に恫喝をするという暴挙に及んだのである。
>「汝が大願はいまだ我が手にある。尤も――此度の僭越にて、半千年(500年)は成就が延びたと識れ」
「……っ」
御前の言葉に、拳を握り表情を歪める尾弐。
伏せた尾弐の顔は御前からは見る事は出来ないが、そこには怒りと……そして、後悔の色が見える。
>「汝は当分、吾の玩具で在れ。夢寐にも忘るるな、汝の希望、絶望――汝の総ては吾が握っているということを」
>「――往け。汝の大切な『嬢ちゃん』を護って遣れ。『法師』――」
「……御意に」
そうして、顔を伏せたまま、絞り出すように返事を返すと、尾弐は御前の力で現世へ送還されたのであった。
299
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:30:06
それから一週間後――――
>「日本妖怪の被害は甚大ぢゃが、それでも姦姦蛇螺を食い止めることができた。結果は上々と言うべきぢゃろう」
>「目下、姦姦蛇螺よりも強力な神性はこの倭にはおらぬ、と三尾の分体は言ったのぢゃな?それは恐らく真実ぢゃろう」
>「祟り神ならば、まだ厄介な輩は何柱かおるが――何れも強固な封印が施されておる。一朝一夕には動かせるまい」
>「まずは落着ぢゃ。向後の処理は儂らに任せ、ゆるりと傷を癒せ。迷い家の温泉は怪我によく効くぞ」
当初は絶対安静の入院を強いられ、全身に包帯を巻くようなザマであった尾弐であるが、そこは鬼という種族。
恐るべき回復力を見せ、現在は『SnowWhite』でかき氷を掻き喰らう程に回復し、雲外鏡を通して姿を見せた富嶽の言葉を聞いていた。
>「……ぬらりひょんのじっちゃん、営業熱心だな」
>「だねぇ」
>「……迷い家の温泉かぁ。行きたいような、行きたくないような……」
「まあ、迷うなら行っとけポチ助。女に隠し事して見つかるのは怖ぇぞ。素直に謝んのが一番だ」
宇治金時のかき氷を流し込みつつ、他人事であるので気楽そうにポチに声を掛ける尾弐。
恐らくは、ポチが危惧している事を察しているのだろう。
真面目に心配しているのが半分、からかっているのが半分という、奇怪な表情を見せながらも、ブルーハワイ味のかき氷を追加で注文する。
>「そうそう、忘れるところぢゃった。今な、日本陰陽連合と協議しておっての」
>「その最終調整に入っておるところぢゃ。近々、お主らにも沙汰があるぢゃろう。悪い話ではない、期待して待っておれ」
>「マジで!?」
>「富嶽ジイの言葉ほど信用できないものはありませんがねぇ……。ま、どのみち今のボクたちにできることはありません」
>「言えてる。なんだか真に受けるのは不安だし、一度芦屋さんにでも話を聞いてこよっかな」
「……ま、あの御老体の事だ。言った通り、悪いようにならねぇのは確かだろ。あんましデカい期待はしねぇ方がいいだろうがな」
そして、祈が帰宅するのを見送った尾弐は、冷えたコーラのコップの中に入っていた氷を口に含み、ガリリと噛み砕いて飲み込むと腰を上げる。
目指す先は――――祈の母、颯が眠る病院である。
……とはいえ、見舞いに行ったからといって颯に会う事が出来るとは限らない訳で。
300
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:30:34
>「やっぱり、面会謝絶だそうですよ。まったく、オババは本当に頑固者なんだから!困っちゃいますよね!」
「あの婆さんは昔からああだからな……言い出したら梃子でも意見を変えねェだろうよ」
那須野が言った通り、河原医院に訪れた一行は颯に会う事は叶わなかった。
こうなる事を何とはなしに予見していた尾弐は、自販機で買った火傷する程に熱いコーヒーを一息に飲み干すと、疲れた様に病院の壁に背を預ける
>「……人間の欲望には際限がない、なんてことをよく言いますが。妖怪もまったく変わりませんね」
>「生きていてくれた、それだけでも奇跡なのに。それが叶ってしまったら、次は早く目覚めてほしい。笑ってほしい、って――」
>「ボクたちに縋る神はない。……神に縋るという行為が許されるのは、人間だけなのです」
>「それでも。手は尽くしてみましょう……颯さんは長く苦しみすぎた。もう、幸せになってもいい頃合です」
>「……祈ちゃん。アナタもね」
「……だから自分が動くってか?大将がそれを望むなら止めねぇが、無茶はしねぇでくれよ?」
尾弐とてそれなりの年月を生きてきた妖怪だ。
颯が抱えるリスクが大きな物である事も、祈の祖母の意志も大まかにではあるが把握している。
そこに自身が踏み込む事で状況が悪化する事を恐れ、動かない様にしているのだが……那須野は、彼の探偵は違ったらしい。
出会った頃では考えもつかないが、那須野橘音は祈の為にリスクを押して動く事を決めた様だ。
>「……橘音ちゃん。忘れないでね。ハッピーエンドだよ。
>僕らも楓さんも、生きてるんだ。勝手におしまいにしちゃ駄目だからね」
>「分かった……でも御前のところだけは行っちゃ駄目だからね!
>上司ってのはさ……本当は部下を温かく見守って困ってたらさりげなく手を差し伸べるもんでしょ!
>少なくとももし僕が上司になったらそうするね!」
「……さーて、オジサンは新しい湿布でも貰うとするかねぇ」
ポチとノエル。二人の那須野への心配の言葉を耳に入れながら、眩しそうに目を細め那須野の背を見送った尾弐。
彼は、一度大きく伸びをすると病院の中へ向けて歩き出す。
颯への面会の為では無い。自身の療養の為だ。おおよその怪我は治ったとはいえ、まだまだダメージは残っているのである。
・・・・・
301
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/10/23(火) 23:43:40
・・・・・
祈と颯の邂逅。母子の再会の一幕を、離れたビルの屋上から見守る影が一つあった。
黒いスーツに黒ネクタイ。喪服を着こんだ大男、尾弐黒雄。
珍しくも口元に笑みを浮かべている尾弐であるが、何故この男が颯が家に帰っているのかといえば――――何の事は無い。
前日に目覚めた颯が病院から抜け出した際に、彼女を祈の家にまで車で運んで行ったのが尾弐だからである。
尾弐は颯が入院している間、ずっと不眠不休で病院を監視しており、それにより颯の動向に気付く事が出来たのだ。
尚、その際に二、三の会話は有ったのだがそれについては割愛する。
「祈の嬢ちゃん、颯、良かったなァ……」
暫く二人の姿を見ていた尾弐であったが、屋上の手すりに凭れ掛かるようにして、腰を地に付け大きく息を吐く。
そして、己の手で目を覆うと、吐き出すように小さな声で呟く。
それはまるで、死ぬ寸前の人間のような姿であり……事実、尾弐の体は深刻な状態であった。
御前による処置を受けたとはいえ、酒呑童子などという身の丈に合わない力を行使した事で、尾弐の魂には亀裂が入ってしまっている。
今は、冷たい物や熱い物の違い……いわゆる温度が判らないという程度の障害であるが、この先、症状は悪化の一途を辿るだろう。
それに――――
『――憎――』
己の魂の奥底から沸き上がる声。酒呑童子の憎悪の声。
それが、今回の事件の前と比べて大きくなっている。
尾弐は、自身の末路と果たすべき誓いを思い返しながら、一人目を瞑る。
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