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【伝奇】東京ブリーチャーズ・陸【TRPG】
1
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:40:47
201X年、人類は科学文明の爛熟期を迎えた。
宇宙開発を推進し、深海を調査し。
すべての妖怪やオカルトは科学で解き明かされたかのように見えた。
――だが、妖怪は死滅していなかった!
『2020年の東京オリンピック開催までに、東京に蔓延る《妖壊》を残らず漂白せよ』――
白面金毛九尾の狐より指令を受けた那須野橘音をリーダーとして結成された、妖壊漂白チーム“東京ブリーチャーズ”。
帝都制圧をもくろむ悪の組織“東京ドミネーターズ”との戦いに勝ち抜き、東京を守り抜くのだ!
ジャンル:現代伝奇ファンタジー
コンセプト:妖怪・神話・フォークロアごちゃ混ぜ質雑可TRPG
期間(目安):特になし
GM:あり
決定リール:他参加者様の行動を制限しない程度に可
○日ルール:4日程度(延長可、伸びる場合はご一報ください)
版権・越境:なし
敵役参加:なし(一般妖壊は参加者全員で操作、幹部はGMが担当します)
質雑投下:あり(避難所にて投下歓迎)
関連スレ
【伝奇】東京ブリーチャーズ・壱【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523230244/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・弐【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523594431/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・参【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1523630387/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・肆【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1508536097/
【伝奇】東京ブリーチャーズ・伍【TRPG】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1515143259/
【東京ブリーチャーズ】那須野探偵事務所【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1512552861/
番外編投下用スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17870/1509154933/
東京ブリーチャーズ@wiki
https://www65.atwiki.jp/tokyobleachers/
2
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:44:47
墓標さえない、僅かな土を盛っただけの墓に、しんしんと雪が積もっている。
少し前まで、この墓には小さな雪ん娘が取りすがり、辺り憚らぬ泣き声を上げていた。
だが、今はもう誰もいない。雪ん娘が絶望のあまり吹雪となって荒れ狂い、姿を消してからは、この墓を訪れる者も絶えた。
きっとこのまま、この墓は雪の中に埋もれ――その場所も、そしてここで眠っている者の存在も忘れられてゆくのだろう。
しかし。
「自らの境遇に対する怒り。尽きせぬ不幸への嘆き。周囲に対する恨み」
「この墓下にいる者の魂は、深い絶望に満ちている。どれだけ償いたいと願っても、努力しても、そうならなかった憎しみに」
誰にも顧みられることなく埋没していくかに見えた墓の前に、いつの間にか何者かが佇んでいる。
シルクハットに、全身をすっぽりと覆うマント。すべてが毒々しい血色に染められた、正体不明の怪人。
その少し後ろには、黒いビロードのマントを羽織り全身をくまなく包帯で覆った人影がひとつ控えている。
露出しているのは右目しかなく、その顔の造作を窺い知ることはできなかったが、ボディラインで女性だということがわかる。
紅いマントの怪人は血色の出で立ちの中で唯一白い仮面を右手で軽く押さえると、耳障りな声で嗤った。
「まァ……吾輩がそう仕向けたんだけどネ。クカカ!」
「この小動物は滑稽だったヨ。くだらない、自らの犯したちっぽけすぎる罪を償うために、ただひとつの命を捧げようとしたのだからネ」
「吾輩はそれを片端から邪魔してやった。小動物は自らの願いを叶えられずに終わった、絶望して死んだ」
「その死の際の、怨念のパワー!この世には信ずるに足るものなどない、祈りなど徒労に過ぎない――そう悟った者の絶望の力はどうだ!」
「獣の恨みなどたかが知れていると思っていたけれど……より原始に近い存在だからこそ、プリミティブな想いも強いのかもしれないネ」
「どう思う?……アスタロト君」
軽く、包帯女の方を肩越しに振り返って問う。
アスタロトと呼ばれた包帯女は応えない。ただ、じっと小さな盛り土の墓に視線を落としている。
「この魂は極上だヨ、キミ。この恨み、憎しみ、絶望のパワーを取り込めば、キミのその朽ちかけた肉体もきっと回復するはずサ」
「これから、キミにはたくさん働いて貰わなければならないからネェ。そのためには、創世記戦争で負った傷を癒して貰わなくては」
「怪我の治療には、栄養のあるものを食べるのが一番だヨ!さあ啖いたまえ、アスタロト君!この哀れな魂を!」
「アグロン テタグラム ヴァイケオン スティムラマトン エロハレス レトラグサムマトン クリオラン イキオン――」
「エシティオン エクレスティエン エリオナ オネラ エラシン モイン メッフィアス ソテル エムマヌエル――」
「サバオト アドナイ!我は欲す、まつろわぬ魂よ、いでよ――アーメン!」
怪人――赤マントがマントの内側から長い両手を高々と掲げ、朗々と呪文を詠みあげる。
その途端、小さな墓を中心に禍々しい紋様の魔法陣が出現し、紫色の光を放つ。
やがて墓から滲み出るように現れたのは、嘆きと悲しみにどす黒く染まった小さな魂。
赤マントの勧めに応じ、アスタロトはずいと一歩踏み出すと、宙を漂う魂に右手を伸ばした。
包帯でぐるぐる巻きになった手のひらに、すうっと魂が吸い込まれてゆく。
「クカカ……」
赤マントは愉快げに嗤いながら、アスタロトの様子を見ている。
魂を吸収したアスタロトはしばらく無言で佇んでいたが、不意に唯一露出した右目を大きく見開くと、
「…………! …………!? …………!!!!」
突如として、自らの胸を掻き毟って苦しみ始めた。
3
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:48:03
魂を取り込んだ途端、アスタロトはまるで毒物でも服用したかのように苦しみ始めた。
声を出さないのは、喉が潰れているからだろうか。創世記戦争で負ったという怪我の深さが窺える。
「ど……、どうしたのかネ!?アスタロト君!」
赤マントが困惑した声を上げる。この事態は赤マントにとっても想定外であったらしい。
戸惑う赤マントをよそに、アスタロトは身をよじらせ、かと思えば海老のように縮めて苦悶する。
その様子は尋常でない。喉が潰れていなかったなら絶叫していたに違いない様子で、アスタロトは頭を抱え大きく仰け反った。
途端、アスタロトの頭部に亀裂が入る。亀裂は頭頂部から正中線を通って下腹部にまで到達し、徐々に広がってゆき――
バリィッ!!
さながら、蝶が蛹から羽化するかのように。
包帯だらけの身体を内側から突き破って、齢十七ほどの外見の少女がひとり、まろび出てきた。
「……こ……、これは……」
赤マントは瞠目した。
墓下の魂を吸収したことで、アスタロトの傷が癒えたのか――と思ったが、明らかに違う。
赤マントは雪の上に横たわる裸の少女を見た。
――これは、アスタロトではない。
腰まである長い黒髪を持った、透き通るような白い肌の少女だ。対してアスタロトは肌こそ同じく白いものの、金髪だった。
背丈も違うし、顔つきも違う。少女の面貌に存在している大きな特徴も、赤マントにとっては見覚えのないものだった。
そして、何より――
少女の頭には、大きな狐耳が。そして尻にはふさふさした毛並みの尻尾がついていたのである。
赤マントは一瞬だけ墓に視線を向け、それから再び少女を見た。
深い恨みと絶望に染まり、墓の中でくすぶっていた強壮な魂。
創世記戦争での傷が癒えず、衰弱していたアスタロト。
そこから導き出される結論は、たったひとつ――
「まさか。『逆にアスタロトを吸収してしまった』のか……!?」
餌としか思っていなかった魂が、あべこべにアスタロトの力を取り込み自分のものにしてしまった。
眼前の少女の肉体は、アスタロトの妖気を利用して造ったものなのだろう。
それもこれも、すべて。この小さな魂の、現世への未練や執着。嘆き、絶望が起こした奇跡に違いない。
赤マントはしばらく呆然と少女を見下ろしていたが、
「――クッ!ククッ……クカカ、カカッ……クカカカカカカカ、クカカカカカカカカッ!」
ややあって、引きつったような甲高い嗤い声をあげ始めた。
「なんということだろう!たかが一匹の子狐の魂が――衰弱していたとはいえ、生粋の悪魔(デヴィル)の魂を啖ってしまうとは!」
「これは傑作だ!これだから現世は面白い、クカカカカッ!クカカカカカカカカ―――――ッ!!!」
赤マントは倒れている少女に近付くと、その身体をひょいと横抱きに抱き上げた。
「普通にアスタロトが回復するより、よっぽど興味深い!宜しい……キミの無窮の絶望、汲めども尽きぬ怨嗟、吾輩が貰い受けよう!」
「本日只今より、キミが新しい地獄の大公爵・アスタロトとなるのだヨ。キミにたっぷり伝授してあげよう、地獄の叡智をネ!」
そう告げると、赤マントは足許に魔法陣を出現させ、忽然と姿を消した。
今度こそ訪れる者のなくなった小さな墓を、風雪が覆い隠してゆく。
荒れ狂う吹雪の猛威に、近隣の村が『橋役様』としてひとりの幼な児を人身御供に出したのは、それからほどなくしてのことだった。
4
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:51:25
「祈、体育の時間ですわ。先生がふたりでペアになれと言っていますわよ?ささ、わたくしとペアを組みましょう!」
「祈、給食のアイスクリーム……わたくし、おなかが一杯で食べられませんの。貴方に差し上げますわ、お食べになって?」
「祈、何か不自由はなくて?わたくしにできることなら、遠慮なく仰って頂いて構いませんのよ!」
「……祈。お待ちなさいな、祈……」
「…………祈…………」
陰陽寮での戦いから数日が経過し、回復した祈はふたたび学校に通っている。
モノは相変わらず祈に付き纏っているが、陰陽寮での戦いの前と後で明確に変わった点がひとつある。
モノは祈に対して気を遣っているようだった。元々高飛車で高慢なところのある性格だったのが、今は不自然なほど祈を意識している。
そして、鬱屈した気持ちを抱える祈がつれない態度を取ったり、気のない反応をすると、眉を下げて悲しげな表情を浮かべるのだった。
クラスメイト達も、転校初日から親しく付き合っていたふたりの異常を察し、不安げに様子を窺っている。
そんな、ある日のこと。
>童は雪野みゆきです。えーっと、雪国のあたりから家族の都合で一瞬だけ東京に来ました! 短い間だけどよろしくおねがいします!
不意に現れた転校生の自己紹介に、モノは思わず渋面を作った。
――なんですの、アレは?
外見をいくら変えていたとしても、本質を見誤るモノではない。みゆきの正体を瞬時に看破した。
だが、正体を見破りはしても目論みまでは分からない。そもそも誰にもノエルのエキセントリックな考えは理解できないので無理もない。
むしろこちらの正体を悟られはすまいかとヒヤヒヤしたが、幸いみゆきはノエルなのでモノが正体を暴かれることはなかった。
――何を考えているのかは知りませんが、無害ならば放っておきましょう。
元々、学校内は祈と協定を結んだ非戦闘区域だ。レディベアとして振舞うべきではない。
みゆきがモノに対して何らかのアプローチをしてこない限りは、いないものと考える――それがモノの結論だった。
それよりも、モノにとって重要なのは祈だ。
めっきり元気のなくなってしまった祈を、なんとか元気づけたい。そう思っている。
それが、自分の率いる東京ドミネーターズのやったことに起因しているとしたら、尚更。
「いの――」
放課後、帰ろうとする祈を見つけて声をかけようとすると、祈は靴箱に入っていた手紙を読んでいるところだった。
帰るのをやめてどこかへ行こうとする祈のことが気になり、後を尾ける。
祈が入っていったのは、音楽室だった。
――何をしているんですの?
音楽室は防音のため、扉が閉まってしまうと何を喋っているのかわからない。
モノはひょこりと首だけ廊下側の窓から覗かせ、中の様子を窺った。
グランドピアノの前にはみゆきがスタンバイしており、何やら祈に話しかけている。
中腰になって見ているうちに、みゆきは徐にピアノを弾き始めた。それなりに堂に入っているように見える。
と思いきや、しばらくして演奏が終わった途端、
>う、うわぁああああああああああああああああ!!
と、扉を勢いよく開きどこかへ泣きダッシュしてしまった。
――意味が分かりませんわね……あの下等妖怪は……。
壁に背を預け、緩く胸の下で腕組みして、泣きながら駆け去っていくみゆきを見送る。
きっと、みゆきは元気をなくした祈を励ますため、姿を変えてまでこの学校にやってきたのだろう。
『元気になってもらいたい』という気持ちは、モノも同じだ。だが、生半可な方法では祈を元気づけることはできない。
まして、本来敵である自分が祈を元気づけようとするなら、それは至難の業であろう。
でも。
――敵であるのなら、敵にしかできない応援の仕方というものがありますわ。
モノは胸中でそう考えると、音楽室の中の祈に気付かれないようにその場を去った。
5
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:55:34
尾弐が多甫家を訪れ、妖壊漂白稼業の引退を示唆した夜。
かつて橘音が持たせた祈の携帯電話のアプリに、モノから一件のメッセージが入った。
『今夜20時、〇〇公園の池までおいでなさい』
指定されていたのは、学校の近くにある公園だった。宅地造成で作られた猫の額ほどの公園ではない、大きめの公園だ。
近隣住民のジョギングや散歩コースとして親しまれ、池には鯉やカメ、鴨などが多く棲んでいる。
昼間は人々の憩いの場となっている公園だったが、日が暮れればさすがに訪れる者も途絶え、物寂しい空気が漂う。
祈が指定の時刻に公園に行くと、池を一望する張り出しの上にある東屋に人影が佇んでいるのが見えた。
人影は間違いなくモノではあるのだが、服装がモノのそれではない。モノはいつも、学校指定の制服を着用している。
しかし、今の彼女が着ているのは、漆黒のワンピース。同色のロンググローブに、ニーハイブーツ。
モノ・ベアードではない――東京ドミネーターズ大統領代行、レディベアがそこにいた。
「……来ましたわね、祈」
レディベアは祈の姿を確認すると、炯々と輝く隻眼でその顔を見据えた。
そのまま東屋を出て祈の近くまでやってくると、横をすり抜けて歩いてゆく。
「場所を変えましょう。ついておいでなさい」
歩いていった先は、芝生の生えた公園内の広場だった。
休日ともなれば家族連れがピクニックにやってきたり、飼い犬を放したりして遊んでいる場所だが、今はふたり以外に誰もいない。
都内にしては広大な敷地の広場の中ほどで立ち止まると、レディベアは祈と数メートルの距離を隔てて対峙した。
そして、口を開く。
「まったく、無様ですわね」
レディベアが口を開くと同時、ざあ、と音を立てて夜風が吹き抜け、ふたりの髪と芝生とを嬲ってゆく。
「聞きましたわよ。人間たちを守り切れなかったから、落ち込んでいるのですって?度し難い愚かさですわね」
「わたくしは以前言ったはず――これは戦争。戦争で人が死ぬのは、当然のこと。何も珍しくはありません」
「人間が死ぬのをいちいち気にしていては、戦争なんてできませんわ?」
敢えて、祈の心を逆撫でするように。レディベアが容赦なく辛辣な言葉を投げかけてゆく。
「誤解のないように言っておきますが……戦争を提案したのは確かにわたくしたち。でも……戦争を始めたのは貴方たちでしてよ」
「わたくしはこうも言いました。人が死ぬのが嫌なら、降伏しろと。黙ってお父さま――妖怪大統領に従え、と」
「それを拒絶し、戦争の口火を切ったのは、まぎれもなく貴方たち。そうでしょう?」
「なのに――人が死んだ、救えなかったと。『当たり前のこと』で思い悩まれては困ります。こちらも戦い甲斐がありませんわ」
闇の中で、レディベアの黄色い瞳だけがやけに大きく見える。
妖怪大統領代行は、さらに続ける。
「それとも、何ですの?貴方まさか……戦争をしながら、誰も死なせないつもりでいたんですの?犠牲者をひとりも出さないと?」
「だとしたら――傲慢にも程がありますわ。貴方、神にでもなったつもりですの?」
「一箇所に二名以上の意思が存在し、その意思の統合が図られない以上、争いが発生することは必定――」
「そして、争いに犠牲が出ることもまた必定。それは戦争の大原則ですわ」
「だからこそ、わたくしはクリスやロボが敗死した際も、貴方に何ひとつ恨み言を言わなかったでしょう?」
「『滅ぼす覚悟』がある者は『滅ぼされる覚悟』も持つ。貴方の場合はさしずめ、『心が傷つく覚悟』でしょうか?」
「それを持たずに戦っていたというのなら……それは貴方の落ち度。致命的な失敗、というものですわね」
腕組みし、レディベアは祈を叱責し続けた。
6
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 20:57:59
「人が死ぬのを見るのが嫌なら、今すぐ手を引きなさい。妖壊漂白屋ではなく、ただの半妖。ただの中学生として過ごしなさい」
「中学校を非戦闘区域にするという約束は、今後も守り続けますわ。ただ登校を続ける限り、もう人の死を見ることはありません」
それは奇しくも、尾弐が提示した引退の勧告によく似たもの。
今までの戦いを忘れ、なんの変哲もない中学生として生きるなら、これ以上傷つくことはないという提案。
だが。
「――けれど――」
「もし。もしも――貴方が人の死を乗り越え、屍を乗り越えてなお戦う道を選ぶのなら――」
「……わたくしを仕留めてごらんなさい。わたくしに一撃を見舞ってごらんなさい」
「貴方がかつて、わたくしに言ったように――」
「死んでいった者たちの家族の前に、わたくしを引きずり出して。詫びさせてご覧なさいな」
レディベアは全身から濃紫色の妖気を迸らせると、僅かに目を細めて嗤った。
「ここにはわたくしの護衛のRも、赤マントもいませんわ。完全にわたくしひとり……それはお父さまの名に懸けて保障致します」
「邪魔は入りません、文字通り貴方とわたくしの一騎打ちです。今を逃せば、こんな機会はもう二度とないかもしれませんわね」
芬々と妖気を放ちながら、レディベアはさらに言い募る。
伏兵の気配はない。正真、レディベアはこの場所で今、ふたりきりで勝負をつけようとしているのだろう。
炯々と輝く単眼で祈を見つめ、隻眼の少女はゆっくりと両手を横に開いた。
「……何をしているのです。戦わないのですか?我欲のために人々を殺戮した者たちの首魁が、目の前にいるのですわよ?」
「死んでいった者たちに、申し訳ないと思わないのですか?わたくしを蹴り飛ばしたいとは思わないのですか……?」
「すべてはわたくしの存在があったがゆえ。わたくしが東京制圧を目論まなければ、犠牲者たちも死なずに済んだかもしれませんわ」
「でも、謝罪する気はありません。その者たちは自分の身すら守れぬ弱者であったがゆえ死んだ!ただそれだけのことですもの!」
祈が守ることのできなかった者たちを嘲るように、レディベアは嗤った。
「さあ――仇はここにおりますわ。貴方の目の前に!」
「ならば!死ぬべきでない者たちに死を強要し、その家族を不幸にし!恬然として存在し続けるわたくしを打ち破ってご覧なさい!」
「この東京ドミネーターズ妖怪大統領代行、レディベアに詫びの言葉を言わせるのでしょう!?」
ぎん、と大きく隻眼が見開かれる。そこから膨大な妖力が渦巻き、周囲の空気を澱ませてゆく。
「守ってやれなかったことを悔いるなら!それだけが貴方にできる贖罪ではないのですか!さあ――」
「……東京ブリーチャーズ――多甫 祈!!」
祈の名を叫ぶと、レディベアは強く一歩芝生を踏みしめた。
7
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 21:02:21
「今日も今日とて妖壊退治ですか、精が出ますねえクロオさん!……でも、いいんですか?そんなに派手に出歩いちゃって」
祈とレディベアが公園で対峙した、ほぼ同時刻。
街灯の明かりさえ届かない路地の奥で妖壊を葬り去った尾弐の背後から、陽気な声が響く。
振り返れば、そこには街の明かりを逆光に負い、飄然と佇む黒狐面の探偵が立っていた。
「アナタたちは依然、帝都鎮護の役目を下ろされたままのはず。妖怪たちの決定は覆ってはいません」
「うまく晴朧さんに取り入って、陰陽寮の後ろ盾を得たようですが――さしもの陰陽寮も、一朝一夕に妖怪の決定は変えられませんよ」
「五大妖にも面子ってものがありますからね。陰陽寮と面と向かって事は構えたくないにしても、ハイそうですかと要望は呑めない」
「それは、クロオさんだってご存じのはず。――それに――」
「……アナタが斃すべき相手は、そんなザコ妖壊どもじゃないでしょう?」
橘音はそう言うと、黒手袋に包んだ右手を口許に添えて小さく嗤った。
「斃す相手は東京ドミネーターズ?……いいえ」
「それとも、ボクたち悪魔(デヴィル)?……いいえ、いいえ」
ゆる、と一度かぶりを振る。まるで演技をしているような、大袈裟な身振りだ。
「アナタのことを、ボクは百年以上もの間、すぐ傍で視てきました。ほんの数十センチの距離で」
「アナタの喜び。怒り。嘆き。哀しみ……ボクはアナタの色々な感情を、息がかかるくらい近さで目の当たりにしてきたんです」
「アナタは妖壊を敵視している。妖壊に叩きつけるその拳には、常に憤怒と憎悪が込められている……。でも」
「本当に、アナタがその拳を。憎しみを叩きつけたい相手は、妖壊なんかじゃない」
橘音は右手の人差し指をまっすぐに伸ばすと、それで尾弐を指した。
「アナタが本当に憎んでいるのは、人間。そして……アナタ自身。でしょ?クロオさん――」
かつて、多くの事件を解決してきた狐面探偵の推理。
それが今、同じ東京ブリーチャーズの仲間であった尾弐へと向けられている。
「アナタは。いや、ノエルさんもポチさんも、きっと……ボクが悪魔たちに洗脳でもされたとでも思っているのでしょうね」
「それは誤りです。ボクはボクですよ……アナタたちと一緒に行動していた頃と、何も変わらない」
「ボクは最初から正義や愛なんて信じちゃいなかった。未来に希望なんて持ってなかった、善性など肯定さえしていなかった」
「東京ブリーチャーズとして漂白仕事をしていたのも、御前の報酬目当てだった。ボクにとって東京なんてものはどうでもよかった」
「……ボクは。皆さんと一緒に歩けるような、清い存在なんかじゃなかったんですよ……根本的に、ね」
「それはアナタも一緒でしょう?クロオさん」
黒い半狐面の奥で、橘音は薄い笑みを浮かべた。
「祈ちゃんが。ノエルさんが。ポチさんが輝けば輝くほどに。愛と勇気を、善性を発揮するたびに。ボクらは居心地の悪さを感じていた」
「白いものの中に交われば、ボクたちも少しは白くなれるかなと――そう思ったのに。思い知るのは自らの黒さばかり」
「でも、そんなのは分かり切ったことだったんです。黒い絵の具に白を混ぜても、黒が白になるはずがない」
「それでもボクたちは傷つき、時には死ぬ思いをして帝都を守ってきた。しかし、その末に得たものは何です?」
「善かれと思って、智慧を絞って帝都を守った結果が400年の封印刑!東京ブリーチャーズの解散!そんな仕打ちだ!」
「自らの権利ばかりを主張して、他人を貶めるしか能がない……そんな連中を救ってやるのは、もううんざりなんですよ」
唸るように吐露する橘音からは、強い憎悪の感情が溢れ出している。
しかし橘音はすぐに表情をころりと変えると、指差していた手を下ろしてにっこり笑った。
「ねえ、クロオさん――」
そして。
「ボクは、アナタが好きです」
そう、静かに告げた。
「また何か企んでるって、アナタはそう思うのかな。アナタたちを貶めるための策かもしれないって……そう、思うのかな」
「常日頃、隠し事とかしちゃってたからなあ!信頼度がないですよねえ、狼少年ってヤツかな?ボクは狐ですけど、アハハ!」
「……でも、そうじゃない。これはボクの素直な気持ちです、真っ黒なボクの中で、唯一白い部分があるとするなら――」
「アナタと一緒にいたい。アナタの傍にいたい。アナタに……ボクの傍にいてほしい……」
橘音はふたたび右腕を持ち上げると、手のひらを上にして尾弐へと差し出し直した。
まるで、尾弐をいざなうように。
「一度しか言いません。よく考えてお返事を」
「――ボクと共に来てください。一緒にやりましょう、もう一度」
「アナタの願いは悪魔たちの下ででも叶えられる、必ず――ボクが叶えてみせる。だから……」
8
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 21:06:18
橘音の提案に対して、尾弐はなんと答えるだろうか。
即座に拒絶するだろうか。それとも、受け容れるだろうか。
橘音は仮面の奥から真っ直ぐに尾弐を見つめながら、答えを待っている。
しかし。
「答えはもちろん、『いいえ』ですよね?クロオさん――」
回答は、尾弐以外の者の口から放たれた。
路地の奥、光の届かない闇の中に、不意にぼんやりと白い光が宿る。
それは狐火だった。ゆらゆらと朧に揺れる、あやかしの炎。
狐火はやがて半狐面をかぶった一匹の白狐の姿を取ると、面の奥から尾弐と橘音を見据えた。
橘音がにたり……と口角に笑みを刻む。橘音は黒手袋に包んだ右手で軽く口許を覆い、クツクツと嗤うと、
「現れましたね。“ボク”」
そう言った。
「クロオさんはボクの大切なパートナーです。横取りなんてさせませんよ、“ボク”」
白狐が言い返す。
「ボクにとっても、クロオさんは大切なパートナーだ。わかっているでしょう?なぜなら――ボクたちは『同じ』なのですから」
「ボクはアナタのように、愛や正義に見切りをつけてしまうような意気地なしじゃありませんよ」
「ボクはアナタと違って、いつまでも幻想にしがみついて真実から目を背けたりしませんけどね」
白狐と橘音が同じ声、同じ口調で口論を展開する。
尾弐には、両者が纏っている妖気さえもがまったく同一のものであるということがわかるだろう。すなわち――
『白狐と黒い橘音は、まぎれもない同一人物である』ということ。
「クロオさん、惑わされてはいけません。アイツの言うことに真実など何ひとつない、すべてが虚偽と欺瞞に満ちている」
「……悪魔って。そういうものでしょ?」
白狐――否、白橘音が尾弐の傍らまでやってきて言う。
「何言ってるんだか。『悪魔憑き』って意味なら、アナタだって同じでしょうが。ボクの中にアスタロト分が全部入ってるとでも?」
「だいたい何です?その姿。黒い自分を殊更に白く見せようとして……虚偽と欺瞞に満ちているのは、アナタの方でしょう?」
黒橘音が負けじと冷笑を浮かべて言い返す。
「まぁ、いいです。今夜はクロオさんの勧誘のつもりでしたが、出てきたのなら捕えるだけだ」
白いマントの内側をまさぐり、中から禍々しい装飾の施されたタブレットを取り出す。
狐面探偵七つ道具のひとつ『召怪銘板』。
その液晶画面を素早く手繰ると、すぐさま黒橘音の周囲に無数の人影が出現する。
異形だが、日本妖怪とは明らかに佇まいが違う。人型で、ねじくれた角や背に翼をもつ――悪魔。
ただ、天魔七十一将のような『名あり(ネームド)』はいない。彼らが率いる軍団を構成するザコ悪魔たちなのだろう。
「皆さん、その狐を捕まえてください。なんなら殺してもいいです。――ああ、いや、うん、やっぱり殺しましょう」
雑な命令もあったものである。黒橘音の命令を受けた悪魔たちは、当然のように白橘音を殺すべく突進してきた。
白橘音が尾弐へ囁く。
「三十六計逃げるに如かず。ボクを抱えて逃げてください、クロオさん。……詳しい話はその後で」
白橘音を捕獲あるいは抹殺するため、悪魔たちが狭い路地を猛進してくる。
尾弐と白橘音、ふたりが逃げおおせるのは困難に見えた――が。
「クロオさん、目を瞑って!」
白橘音が叫ぶ。とその直後、白橘音の瞳が虹色に怪しく輝く。
双眸から放たれた眩い光が、束の間路地を昼間よりも明るく照らす。
「く……、瞳術か!」
黒橘音はマントで顔を覆い隠したが、大半の悪魔たちはまともにその光を直視してしまう。
今にも尾弐と白橘音に掴みかかろうとしていた悪魔たちは、途端に棒立ちになった。
逃げるとするなら、このタイミングしかない。
9
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/04/21(土) 21:12:49
「……祈ちゃんは……そうですか。来ませんか」
黒橘音の包囲網から逃れると、白橘音は尾弐に元東京ブリーチャーズの招集を依頼した。
そしてSnowWhiteの店内に落ち着くと、やっと警戒を解く。
「こんなこともあろうかと、あらかじめ励ましておいたつもりだったのですが……。でも、無理もないですね」
「仕方ありません。お三方とまたお会いできたというだけでも、上々ですから」
白橘音は小さく息をつくと、ノエル、ポチ、尾弐の三人を見回した。
「まずは、順を追ってご説明しましょう。ボクがどうしてここにいるのか……なぜ、こんな姿をしているのか」
店のソファの上にのぼると、白橘音は丸くなって伏せ、そしてゆっくりと話し始めた。
「……黄泉比良坂から皆さんを救出するため、千引の大岩を発破することを思い立った時点で、ボクの刑罰は予想できました」
「軽くて封印刑、重くて死刑。……でも、いずれにせよ大人しく刑に服することはできない。だからボクは一計を案じたのです」
「皆さんもご存じのように、妖狐族の尾は高位になればなるほど増えていくのですが――」
「妖狐独自の妖術のひとつに、自切した尾に自らの妖力を与え別の妖怪を創造する、というものがあるのです」
「その名も『賦魂の法』。ボクは自分の魂を三つに分割して尾の一本に込め、この姿を創り……残りのボクを妖怪警察に差し出したのです」
橘音は妖怪裁判が終了し、判決が下った直後、面会に来たノエルたちに『策がある』と言った。
それはあらかじめ自分の分身を作っておき、封印刑で完全に身動きが取れなくなってしまうのを回避するという方法だったのだ。
「今のボクは必要最低限の妖力しか持っていません。あまり強い妖力を持つと、妖怪警察に嗅ぎ付けられてしまいますから」
「人間の姿に変身することさえできない。もちろん、戦闘の役にも立ちません。元々役立たずだっただろって?仰る通り、アハハ!」
「……でも、頭の回転に遜色はありません。畢竟、ボクは司令塔としての役目さえ果たせればいいわけですから。これで充分」
「ということで。ちょっと見てくれは変わっちゃったんですが、これからも那須野橘音をよろしくお願いしますね!」
狐姿の白橘音はそう言うと、あっけらかんと笑った。
「……と。ここまでお話ししたなら、皆さんもうお察しのこととは思うのですが――」
「あの、もうひとりのボク。あれは以前の赤マントのような、ボクのニセモノなんかじゃありません」
「あれもまた、まぎれもなく本物のボク。『封印刑に処された、ボクの残り三分の二』なのです」
白橘音が分離した橘音の本体は、策の通り400年の封印刑を受け容れ、封印球の中で眠りについたはずだった。
しかし、妖怪銀行の永年封印指定呪具庫に安置されていたそれを、あの赤マントが盗み出してしまったという。
「赤マントはあちらのボクを籠絡し、悪魔の協力者に仕立て上げてしまった。……ボクに食い止める術はなかった」
「ボクはなんとか皆さんと合流しようと思ったのですが、妖怪警察の監視が厳しく中々接近することができずにいました」
「そんなとき、もうひとりのボクが陰陽寮陰陽頭……安倍晴朧氏の呪殺を目論んでいることを知り、ボクは陰陽寮へ行ったのです」
「ボクと晴朧氏は面識がある。あの人は妖怪嫌いですが、聡い人です。事情を説明すれば、きっと力になってくれると思いました」
「もっとも、それは先に潜伏していたオセに邪魔されてしまったのですが……」
そこまで言うと、白橘音は大きく欠伸をした。ついでに、まだ話の最中だというのにうとうとし始める。
黒橘音から逃走する際、元々少ない妖力を振り絞って瞳術を使用したため、著しく消耗しているのだ。
「もうひとりのボクを……止めなくては……。元々ひとつであったボクには、もうひとりのボクの企みが手に取るようにわかる……」
「もうひとりの……ボクは、恐ろしいことを考えています……。それは、それだけは、どうあっても阻止しなくては……」
「……この場に、祈ちゃんがいなかったのは……幸運なこと、なのかも……。今度は、祈ちゃんにとって……相手が、悪すぎる……」
白橘音の声がだんだん間延びし、切れ切れなものになってゆく。
「アレを……蘇らせることだけは、あっては……ならない……。起こっては……ならない……。アレは……あの、神は……」
「…………姦姦……蛇螺…………」
最後に、消え入りそうな声で不吉な名前を呟くと、橘音は目を閉じた。
そして、それきり昏睡した。
10
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:28:58
陰陽寮での一件から数日が経過していた。
傷も完治し日常に戻った祈は、普段通り学校に通っている。
今日も朝になれば時間通りに起き、朝食を食べたら歯を磨き。
軽くシャワーを浴びて制服に着替え、諸々の準備を終えたら登校という流れを辿る。
いつも通りの朝、いつもの景色。
しかし祈には少し、色褪せて見えている。
校門に差し掛かると、門前に立つ生徒指導をしている体育教師が
「最近大人しいな。どうした?」と
祈に声を掛けてきたので、「なんでもないです」と会釈しながら答えて、
祈は逃げるように教室へと走っていった。
教室へ辿り着き、自分の席へ向かうと、先に登校していたモノと目が合う。
祈が気のない挨拶をすると、モノは不自然な程に明るく挨拶を返してきた。
以前ならば、この後一言二言ぐらいの会話があったものだが、
今はそれもなく挨拶をしたきり、二人の間には沈黙が訪れてしまう。
無言で席に着く祈を、モノは悲し気に見送った。
程なくしてチャイムが鳴り、
空気を読まない担任の古文教師がやってきて、いつも通りの挨拶と。
いつもとは違うことを言った。
「えー、転校生を紹介する」
机に突っ伏しながら、
この学校って転校して来る人多いなー、などと祈がぼんやり思っていると、
その転校生と思しき少女が、元気よくドアを開けて入ってきた。
透き通る程に色白な肌に、艶やかな黒髪の――フォトショで加工したかのような、完全無欠の美少女。
その登場に教室中が湧いた。
少女は黒板前まで歩いてくると己の名前を黒板に白チョークで書き記す。
>「童は雪野みゆきです。えーっと、雪国のあたりから家族の都合で一瞬だけ東京に来ました! 短い間だけどよろしくおねがいします!」
雪野みゆきと名乗る少女はクラスメイト達に向き直り、元気に言い放った。
既視感(デジャヴ)。
祈は雪野みゆきという会ったこともない筈の少女に対し、
会ったことがあるような、見覚えがあるような。そんな不思議な感覚を味わっていた。
どこかで会ったことあるだろうか。
だがあれ程の容姿なら、一度見れば忘れることなどないと思うのだが、と。
悩んでいるも答えは出ず。
ともあれ明るく社交的な美少女・雪野みゆきは、男女問わず人気になり、クラスの中心になっていく。
既視感がほんの少し気にかかり、「どこかで会ったことある?」なんてこと聞きたかった祈だったが、
彼女の周りには常に人がいて、祈はいまいち彼女と話す機会を持てず、数日間、一言も話すことができずにいた。
11
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:31:12
そしてある日のこと。
(あれ? 靴箱になんか入ってる……?)
放課後になり、下校しようと靴箱を開けてみると、中に何か入っているのだった。
どうやら祈宛の手紙のようである。
以前この学校で問題を起こしていた不良を注意した日の放課後にもこんなのが入っていたなーと、
何故か懐かしい気持ちになった祈である。あの時は果たし状だったが、今度はどうだろう。
手に取って手紙を開いてみると、
手紙には『放課後、音楽室に一人で来るべし! みゆき』とでかでかと書かれている。
(果たし状……じゃないとは思うけど、みゆきって転校生のだよね? あたしに何の用だろ)
呼び出される覚えはなかったが、
このように手紙で呼び出すからには相当に重要な用事があると思われたので、
祈は音楽室へと向かうことにした。
雪野みゆきは転校してきて数日。
クラスメートの顔と名前が一致しないことも推測されるが、
であるからこそ念入りに手紙を入れる靴箱を選んだはず。
誰かの靴箱と間違えた、なんてこともないだろう。
祈が音楽室の扉の前に立ってみると、確かに、音楽室の中に誰かがいる気配がする。
躊躇いがちにドアを開いてみると、
中には雪野みゆきがいて、ピアノの椅子に腰掛けて待っていた。
祈に気付いた雪野みゆきと祈の目が合う。
「靴箱の手紙読んだから来たけど、あたしに何か用?」
と祈が問うてピアノの傍まで歩み寄ると、
ピアノの蓋が開いており、ピアノもまた、演奏されるのを待っていたことに気付く。
雪野みゆきはその細く白い指をピアノの鍵盤の上に乗せると、
>「突然呼び出してごめんね。祈ちゃんに聞いてほしいと思って。
>みんな気付いてないけど妖怪がいる世界でー、人知れず悪い奴をやっつけるヒーロー達の歌だよ!」
そう言って、ピアノを弾きながら、歌を聞かせてくれた。
それは雪野みゆきが言う通り、正しくヒーロー達の歌だった。
一番は、現代の暗闇に潜む脅威を人知れず取り除く、“彼ら”の姿が描かれている。
妖怪でありながら人と同じ姿で生き、新たな居場所を得た彼ら。
彼らは自分達の居場所を守る為、同胞に刃を向けなければならない。その悲哀が感じられた。
ところが二番に差し掛かると、今度は話が大きくなっていく。
彼らが守る対象が自分の居場所ではなく故郷となり、
更に、奪われた我らの平和を取り戻せ、と変化するのである。
自衛の為の戦いはやがて故郷や誰かを守る為の戦いへシフトし、
しかし脅威は余りに強く、彼らは力及ばず追い詰められていった、というところだろうか。
そしてラストへ。追い詰められ、希望と絶望の狭間で揺れながらも、
彼らは“君”との誓いがあるからと巨大な脅威に立ち向かう覚悟を決めたようだった。
ヒロイックな歌詞と聴く者を魅了する歌声に祈が聞き入っていると、
聞き逃せないフレーズが耳に飛び込んできた。
12
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:36:49
>「全ては信じたままになると気付けたから――もう何も怖いものはないかくあれかし」
――『かくあれかし』。
歌の結びに使われたこのフレーズは、妖怪にとって重要な意味を持つ言葉だ。
妖怪が存在していられるのは、人々がそう在って欲しいだとか、
そうであろうだとか、――『かくあれかし』と思っているからなのだ。
歌う前に述べていた『妖怪がいる世界で』という前置きや、
この歌を半妖である祈に聞かせたこと。また、
歌詞がブリーチャーズの戦いを表現しているように聞こえなくもないこと。
それらを考えるに、もしかしたら雪野みゆきという少女は妖怪について知っており、
それどころか祈の正体や、所属している組織についても知っている可能性があると考えられた。
だとすれば、この接触。歌を聴かせたことの意味は何であろうか。
接触の理由を問おうと、
「あの、雪野さん、この歌って」
どうして聞かせてくれたの? とでも聞こうと、祈が口を開いた時。
一曲歌い終えた雪野みゆきは、はっと我に返ったかのような表情になり、
>「う、うわぁああああああああああああああああ!!」
そして猛然と駆け出してしまう。
祈の横をすり抜け、音楽室を飛び出して逃げ去っていく。
どうやら警戒されてしまったらしかった。
もしかしたら、祈が知らず怖い顔になっていたのかもしれない。
祈は半妖だと言うことを隠して生きてきたし、
東京ブリーチャーズとは誰も知らない組織である筈で、
それについて知っていそうな者が接触して来ることなど予想外だったのであるから。
「……でも、叫んで逃げ出すほど怖い顔してたかなあたし」
祈は少々ショックを受けながら、
両手で自らの顔を挟んで、むにむにと表情筋をほぐしてみた。
追いかけるのは簡単だが、怖がって逃げた相手を追い回すのは躊躇われる。
そう思って追いかけなかったから、
雪野みゆきが何故あの歌を聞かせてくれたのかは分からないままになってしまった。
ブリーチャーズに会ってみたかったとか、妖怪に興味があったとか。
はたまた、彼女自身が妖怪で、
ブリーチャーズに所属希望なんてこともあるかもしれない。
なにせ名前が雪野“みゆき”だ。ノエルの妹や親戚など、関係者である可能性は充分考えられる。
なんにせよ。
「いい歌だったな……“全ては信じたままになると気付けたから、
もう何も怖いものはないかくあれかし”、だっけ。最後。確かこんなリズムだったかも」
祈はピアノの前に立って、人差し指でピアノの鍵盤を叩いてみた。
どうしてか、この歌を聞いていると励まされるような気持ちになった。
祈がうろ覚えで弾くピアノと歌が、音楽室に響く。
それはガサツな祈が歌うにしては、意外なことに澄んだ歌声であった。
13
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:39:57
一通り弾き終えて満足すると、祈は寄り道もせず帰宅した。
いつもは駄菓子屋にでも寄ったりするのだが、
陰陽寮での一件以来食欲が落ちており、買い食いするような気持ちになれないのだった。
街中で仲間達に会う確率を少しでも減らしたい、という気持ちもある。
帰宅して部屋着に着替えると、祈は机に向かい、早々に宿題に取り掛かった。
今すぐやらなくてもいいのだが、
何かをしていた方が気がまぎれる、というような理由である。
そうして宿題を終え、組んだ両手を上に持って行き、ぐっと背筋を伸ばしていると、
カリ、と。部屋の窓の外で何かを引っかいたような音がした。
祈がそのままの姿勢で顔だけそちらを向けると、間髪入れず、
>「やっほー、祈ちゃん。腕の調子はどう?」
不在の術で窓をすり抜けて、人型のポチが入ってくるのであった。
「ポッ……!」
驚愕し、思わず八尺様みたいな声を出す祈。
そしてギプスもつけず、上側にぐいと伸ばしていた右腕に気付いて、
右腕を慌てて降ろし、体で隠した。
>「いや、やっぱいいや。答えなくても。聞かなくたって分かるもん。僕の鼻の良さは知ってるでしょ?」
ポチは狼犬の姿に戻りながらそう言うと、
>「……そう、聞かなくたって分かっちゃうんだ。祈ちゃんが怖がってる事も、不安がってる事も」
祈を見透かすようにじっと、見上げてくる。
ポチは他者の体の細かな動きや匂いなどで、その心の内をある程度見透かせる。
だからその言葉通り、祈が隠そうとしていることも分かっているのだろう。
右腕が完治しているのにまだ痛むと嘘を吐いて仲間達から離れていたことは勿論、
その理由についてまでも見当がついているのかもしれなかった。
祈はその目を見ていられず、ポチから目を逸らした。
>「まっ、何もかも手に取るように……とはいかないけどね。
>何が怖くて、何が不安なのか……そこまでは分かんないんだ」
>「……でも多分、聞いても教えてくんないでしょ。
>だから……代わりに僕が話をするよ」
>「あ、でも勘違いしないでね。僕は別に、無理に祈ちゃんを引っ張り出すつもりはないんだ。
>本当に心から「そうだ」と思っちゃったら、もう誰かの言葉なんて響かないんだって、知ってるからね。
>あの子が……シロちゃんがロボに食われた時、僕もそうだったから」
「……」
代わりに話をする、というポチ。
嘘を吐いていた罪悪感もありバツが悪いというか、
あまり話し合ったり話を聞いたりするような気分にもなれなかったが、
ポチが話をしに来たのは恐らく祈を想っての行動だと思われた。
そう思うと、聞かない訳にもいかない気がした。
祈は無言で椅子から立ち上がると、
窓側の壁に――ポチの横、やや離れた場所――まで歩いて行き、
膝を立てて座った。壁にやや背を預けた体育座り。
話を聞くつもりはある。でも今は視線を合わせたくない、という祈なりの意思表示だ。
14
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:42:55
>「だけど……うん、そうだ。あの夜の話をしよっか。
>あの時、僕は……もうポチでいたくないって思ったんだ。
>こんな事になるならもう、誰かを守りたいとも、覚えていて欲しいとも思いたくないって」
そんな祈の心を知ってか知らずか、ポチは祈の足にすり寄ってくる。
祈は再びポチから視線を逸らした。
ポチの言うあの時とは、
先程述べていた、シロがロボに食べられた時のことであろう。
その時の祈はシロを抱えて飛び、天神細道を潜って妖怪病院へ向かった為、
ポチがシロの犠牲をどのように捉え、どのように悩み戦ったのかも知らずにいたが、
聞かされたその心の内は、分からないでもない気がした。
誰かと繋がりを持ったり、守りたい誰かがいて。
それを失うことでこんなにも悲しい気持ちになるなら、
繋がりを持たなければ良かった。守りたいなんて思わなければ良かった。
そんな後悔を抱くこともあるかもしれない。それを間違っているとも思わない。
>「でも戻ってこれた。君が、シロちゃんを連れて行ってくれたから。
>ああ、そうだよ。君のおかげなんだ。
>君がシロちゃんを助けてくれたから、今の僕がいるんだ」
(あたしのお陰……?)
>「君があの時、銀の弾丸を使わず待ってくれたから、僕はロボを王様として終わらせられた。
>こないだの、陰陽寮の事だってそうさ。僕は……別に陰陽寮なんて初めはどうでも良かった。
>君が助けたいって言ったから、助けに行ったんだ」
(あたしのお陰、なんて……そんなことないんだよ。ポチ)
祈は俯いて、膝に顔をうずめた。
ポチの言葉は有難かったが、祈はポチの言葉に素直に頷くことができずにいる。
シロが立ち上がったのは仲間や愛を欲したから。
結果論だが、その場に倒れていたままでも、
必死に戦うポチや仲間達の姿を見れば起き上がっただろう。
ロボだって、ポチの牙と想いが強かったからあの結果になっただけで、祈は何もしちゃいない。
弾丸を持って突っ立っていただけだ。
陰陽寮でのことだって、仲間達のお陰だ。
安倍晴朧こそ救えたものの、多くの陰陽師が犠牲になったし、祈は何もできなかった。
それどころか、祈さえ関わらなければ
そもそもオセ達はアスタロトから悪知恵を与えられることもなく、
陰陽寮は瓦解の憂き目に遭うこと自体なかったのではないか。
そんな考えが祈の脳裏をよぎる。
自身が無力であると思い込んでしまった祈には、
ポチの言葉は届いても、響かない。
祈が一言も発しないからだろうか。ポチが言葉を選んでいるからだろうか。
暫しの間が空いた。
沈黙を破ったのはポチだった。
15
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:45:46
>「……僕らが陰陽寮で見た橘音ちゃん。アレはきっと本物だったよ」
ポチの言葉に、祈はびくりと肩を震わせた。
「……本物のはずない」
>「僕の鼻と耳と……『獣(ベート)』がそう言ってるんだ。
>だけど……橘音ちゃんが本心から裏切ったとも、思わない」
「じゃあ、操られてる、とか……?」
祈は顔を上げた。不安げな表情。
橘音が裏切る筈はない。本物だとしても妖怪大統領に操られてしまっているだとか、
なんらかの理由がある筈だった。
でなければ今までの日々が嘘になってしまう。
祈が答えを求めてポチを見遣ると、ポチは祈から離れて部屋の中央に移動した。
ポチは再度祈の目を見て、
>「……妖怪にはね。良い面と悪い面があるんだ。
> ほら、この僕もさ。今の僕は良い送り狼」
と言って、体を変化させ始めた。
狼犬の体が見る見るうちに膨れ上がる。
頭が天井に届くほどの巨体に変化し、それに伴い皮膚下にある筋肉も膨張。
熊などの大型の獣を思わせるそれは、容易に人に危険を想像させるだろう。
凶暴で荒々しい表情は、今にも牙を剥いて襲い掛かって来そうで、
元の人懐っこい顔付とは似ても似つかない。
これが、誰かが転んだ時に送り狼が見せる側面。
>「そんでもってこれが、悪い送り狼さ。こうなるきっかけは知ってるよね。
>僕が誰かを転ばせる事……もし間違って祈ちゃんやノエっちを転ばせたら。
>どんなに嫌がっても僕はこうなっちゃうだろうね」
>「橘音ちゃんにも、何かきっかけがあったのかもしれない。
>赤マントの奴はそれを知っていたのかもしれない。
>だとすれば……やっぱり橘音ちゃんは僕らを裏切ってなんかなかったのかも」
元通りの姿になるポチ。
「きっかけ……」
祈は呟く。
>「……だけど、そこで手詰まりなんだ。だって僕らにはそのきっかけが分からないから。
>どうすれば橘音ちゃんを元に戻せるのか分からない。だから……」
橘音が妖怪大統領に操られているにせよ、
赤マントに悪い妖怪のスイッチを入れられてしまったにせよ。
敵側に付いたのが本意でないのなら、どうにかして助けてあげなければならないだろう。
それはポチも同じ気持ちの筈だと、祈は思っていた。
『だから……』の後に続く言葉は、『力を合わせてそのきっかけを見つけよう』だとか
そんなものであろうかと思っていた。
16
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:52:46
>「だからやっぱり、橘音ちゃんが僕らの敵に回るなら……
>僕らも橘音ちゃんを殺すしか、道はないのかもね」
だが、ポチの放った言葉は祈の予想とは全く違うものだった。
「…………え?」
祈はポチの言っている言葉の意味が、咄嗟に理解できなかった。
殺す、と言ったのか。橘音を。
家族のように想っている、仲間ではなかったのか。
>「昔の僕には、こんな事絶対言えなかった。でも今は違う。
>今の僕にはシロちゃんがいる。芦屋さんや、祈ちゃんのお爺ちゃんも、なんだか気に入っちゃった。
>それに君が戦えないなら、僕が守らなきゃいけない。君の住む、この東京を」
だが、それが当たり前のことのように、ポチは続ける。
橘音を殺せる理由を語り、再び、改めて言葉にした。
>「今の僕なら。みんなを守る為に、橘音ちゃんを漂白出来る」
必要なら橘音を殺せると。
>「……君の口から、もう誰かを助けに行こうって言葉が聞けないのは寂しいよ」
そう言って踵を返し、再度不在の術を使って窓の外へとポチは消えてしまい、
祈はそれを、何も言えずにただ眺めていた。
ポチは選んだのだった。
自分の大切なものを天秤にかけて、シロや人々や街を守る為なら橘音だって殺してみせると。
祈はポチが己の元へやってきた理由を理解する。
ポチは祈に問いに来たのだ。
自分は選んだが、お前はどうか、と。お前は何を選ぶのか、と。
祈は歯噛みした。
そもそも、祈の絶望は自身が無力であると思ってしまったことに起因する。
祈は無力であるから悪魔の標的となってしまったし、
このまま戦いに参加し続ければ仲間達や多くの人々の死を招いてしまう。
しかし祈は無力だから、それを防ぐこともできない。足手纏いでしかない。
そう思ったからこそ、
祈はブリーチャーズを抜けなければならないのだと、居てはならないのだと、
そんな風に考えていたのだ。
だがこのまま祈が何もしなければ、ポチは言葉を違えることなく、
橘音を殺してしまうだろう。それは見過ごす訳にはいかなかった。
しかしポチが橘音を殺すのを物理的に阻止するには、戦場に出なければならない。
戦ったら誰かが死ぬ。戦わなくても橘音が死ぬ。
どちらを選べばいいのか。どうしたらいいのか。祈には分からなかった。
祈は立ちあがることもできずに、
祖母が夕飯に呼ぶまで、しばらくその場に蹲ったままでいた。
17
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 20:54:59
それから三日後。
結局、何も選ぶことができないままに、祈は休日の朝を迎えた。
カーテン越しに差し込む朝日の眩しさに意識が覚醒し始め、
拭いきれない暗澹たる気持ちと共に、祈は目を覚ました。
自室と廊下を繋ぐ扉の隙間から漂ってくる朝食の香りに気付く。
「朝、か……」
よく眠れない夜が続いていて少々眠かったが、
時計を見れば起床時間なので祈はしぶしぶ上体を起こした。
今朝は少し冷えるようだった。
本格的な寒さではないが、冬が近くなっていることを祈は実感する。
くぁ、と欠伸を一つ。立ち上がった祈は、
顔でも洗って目を覚まそうと扉を開いて、廊下に出た。
その辺りで、ふと違和感に気づく。
台所から聞こえる包丁のリズムや、感じる気配が祖母と違うことに。
そもそも祖母は今日、町内会の集まりで朝早くから出掛けている筈であり、
この時間に朝食を作っている訳がないのだ。
どういうことか分からないが、誰かが家に侵入して朝食をこしらえていることになる。
泥棒が盗みに入った家でのんびり料理でもしているのだろうかと、
忍び歩きで歩きながら、恐る恐る台所を覗きこむ祈。
すると。
>「おう、おはよう。もうすぐ朝飯が出来るから、先に顔洗ってきちまいな」
そこにはどういうことか尾弐がいて、
エプロンを付けて朝食を作っていたのだった。
「……………………うん。わかった」
衝撃的な光景に面食らいながらも、祈はその言葉をどうにか絞り出した。
状況に思考が追い付かないが、一発で目は覚めた祈である。
18
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:01:05
顔を洗い終え、居間でそわそわしながら待っていると、
尾弐が台所から料理をトレイに載せて運んできた。
>「……いや、驚かせちまって悪かった。祈の嬢ちゃんの婆さんが、町内会の会合で夕方まで留守にするって話を聞いてな。
>その間、留守を任せてくれる様頼んであったんだ。てっきり嬢ちゃんには伝わってるとばかり思ってたんだが」
そう説明する尾弐。
「初耳だよ……めっちゃびっくりした」
町内会の会合に行ってくる話は聞いていたが、尾弐を呼ぶ等という話は聞かされていなかった祈である。
>「これまでの婆さんなら、俺が敷居を跨ぐのも許してくれなかったんだが……
>まあ、前回の件もあって護衛としてなら居る事を許容してくれたって事かもしれねぇな」
そう補足しながら、
尾弐はトレイに乗せた料理を机の上に置く。
机の上に置かれた品は、オムライスとコンソメスープの二品。それが二人分。
オムライスは色鮮やかで見た目に濃い味だと分かる、
鶏肉を大目に使ったチキンライスと、
その上にふんわりと載せられた、美しい金色のオムレツで構成されている。
それを見た辺りで、ぐぅ、とお腹が鳴り、スプーンを礼を言って受け取った時には、
祖母が敷居をまたぐことを許さなかった云々の重い話はとりあえず祈の頭から消えた。
ここのところよく眠れていないだけでなく、
食欲も落ちてあまり食事を取っていなかった為であろうか。
見慣れぬ美味しそうなものを視界にいれたことで、急にお腹が空いてきてしまったのだった。
コンソメスープは湯気が立ち昇っており、アツアツの湯気に乗せて良い香りを振りまいていた。
長時間煮込んだらしく、湯気越しに見えるスープの具材たちは
舌で軽く押すだけで潰せてしまうだろうと思える程くたくただ。
ということは、人参や玉ねぎの甘みやうま味がスープに溶けだしているであろうことも想像できる。
待ちきれない、という面持ちで、祈は尾弐が座るのを見届け、
尾弐の食事の準備が整ったと分かると、両手を合わせて、言った。
「いただきます」
まず祈は、スプーンを横に走らせてオムレツに切れ目を入れてみた。
するとオムレツは半熟で、とろりと広がってチキンライスを覆った。
まるでお洒落な洋食屋で頼んだ品のようで、おぉ、と感嘆の声を漏らす祈。
チキンライスをスプーンですくって一口含めば、更なる驚き。
(あっ、これ……うちのと全然違う)
多甫家におけるチキンライスと言えば、
細かく刻まれた野菜がたっぷり入った、
ケチャップの味が前面に押し出された子どもっぽい味付けの
“ケチャップライス”と呼ばれる方がしっくりくる代物。
入っている肉と言えば刻まれたソーセージぐらいのものだ。
しかし尾弐の作ったものは本格的なチキンライスだった。
鶏肉を多めに使ったそれは、
口に含めば鶏肉のうまみやジューシーさがケチャップの甘酸っぱさと共に広がる。
濃厚で、されどくどくない。
さながらトマトケチャップと鶏肉が奏でる味の二重奏。
否、とろふわの卵も含めれば三重奏。
適度に大きめに切られた鶏肉も、肉の食感が感じられて食べ盛りの祈には嬉しい配慮だった。
また、チキンライス全体にコクと鶏肉の風味があるのは
人によっては捨てがちな部位である鶏皮から出る鶏油を、
ライスを炒める際にバターと一緒に使っているからだろう。
それがまた一段と深い味わいを作り出しており、
一口ごとの満足感を増しているのだが、祈の口からは。
「んーっ! このオムライスうちのと全然違う! おいしい!」
こんな言葉しか出てこない。語彙力がないのである。
今度はコンソメスープを一口啜ってみると、オムライスとは対照的に優しい味がした。
オムライスの濃い味とバランスを取ってのことだろう。
代わりに出汁がきいており、野菜のうま味もあって一口また一口と飲みたくなる味わいだった。
喉から胃へと温かいものが流れ落ちていく感覚もたまらない。
今日という少し寒い朝には贅沢なスープだった。
だが。
「コンソメスープもめっちゃおいしい。超あったまるー!」
とか、祈からはそんな言葉しか出てこないのだった。
食レポの道は険しい。
19
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:09:04
その後暫くは、他愛もない話をした。
傷の具合や(ポチから聞いてるだろうと思ったので、もう治ったと素直に言った)、
転校生的な問題(なんで転校生のこと知ってんの? ひょっとしてあの子って有名人? などと逆に聞いてみたり)、
料理美味しい、作ってくれてありがとう、などと素直に料理の感想を述べてみたり。
食事も終わりに差し掛かり、祈がオムライスの最後の一口を頬張った頃のこと。
先に食べ終わり、暫く沈黙していた尾弐が不意に真面目な表情を作り、言った。
>「このオムライスはな、颯……お前さんの母さんに作り方を教わったんだ」
>「子供が生まれたら作ってあげる予定の得意料理だ、って言ってな。料理を始めたばかりの俺に教えてくれたんだよ」
衝撃の事実に思わずオムライスを飲み込んでしまい、しまったと思うが、もう遅い。
「……そう、なんだ。これ、母さんの味だったんだ。……あたし、もう全部食べちゃった」
もう少し味わっておけば良かったと、空になった皿を名残惜しそうに見つめる祈。
この頃、知らずに父と再会していたことを知ったり、
知らずに母の味の料理を食べたりと、貴重な機会をそうとは知らずに逃してばかりいるような気がした。
赤マント曰く、父と母を殺したのは橘音と尾弐だそうだが、
料理を教えたり、教えられたものを作ったりしているという話を聞くに、仲は良かったのだろうと思われる。
そんな相手を殺したというのはどういうことか。
止むを得ず殺したのか、それとも助けきれなかったことを指すのか。
それすら祈には話してくれない尾弐が、どうして今日この日になって、
急に母が教えてくれたオムライスを作ってくれたのだろう。
祈の胸中では複雑な感情が渦巻く。
なんであれ、母と父の話題は、祈の中で未だ治り切らぬ傷であった。
>「今日、俺が嬢ちゃんの所に来た目的はな――――祈の嬢ちゃんに、今後の戦いから手を引く事を勧める為だ」
その傷に触れられれば、意識がそちらに向くのが道理。
しかし尾弐が放った言葉は、最近できた新しい方の傷を抉った。
不意打ちの如く。注意を払っていない傷口に、いきなり指をねじ込まれたような錯覚。
それは祈に無力さを思い知らせる、事実上の戦力外通告であった。
20
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:11:36
尾弐が掃除や後片付けを終えて、肉じゃがを作って帰った後、
祈は自室で布団に寝っ転がりながら、尾弐の話を思い出していた。
尾弐は祈に、今後の戦いの危険性を説いた。
苦しい戦いになるのは勿論、これまで以上に人が死ぬであろうと、
それに耐えられないであろうから、やめておくべきだと。
そんな風に言っていたように思う。
いや、優しい尾弐は、耐えられないからやめておくべきだなどと、直接的には口にしなかった。
理由をぼかしていたし、あくまで選択を祈に委ねる形にもしていた。
だが言外に、肉体的にも精神的にも弱い祈は戦力としてアテにできないと、
そう言われたような気がしたのだ。
その後尾弐は、もう充分だろうと労わってくれて、
今までよく頑張ったと褒めてくれさえした。
思えばあのオムライスも、別れる前に祈に良い思いをさせてやろうという
尾弐なりの気遣いだったのだろう。
そう思うと。ありがたくもあったが、どうにも胸が痛かった。
弱いことを、無力であることを突き付けられているようで。
橘音がいない今、ブリーチャーズの実質的なリーダーは年長者の尾弐だと思われた。
その尾弐から戦力外通告を受けたのだから、きっと祈の力はブリーチャーズには必要ない。
尾弐が言っていたように、人が死ぬ理由が自分自身であったり、
その被害者が身近な人間であった場合にも耐えられるかどうかも祈にはわからない。
悪魔が祈を標的にする以上、祈により深い絶望を与える為に近しいものを狙うのは現実として考えられることで。
やはり祈は尾弐の言う通り、ここで戦いから手を引くべきなのだろう。
誰も死なせたくないから戦うのに、祈が戦った所為で誰かを死なせてしまうなど本末転倒なのだから。
だが、と思う。
>「那須野の事なら心配すんな。妖壊になった以上――――アレは俺がきっちり始末してやるさ。
祈に背を向けたまま。ポチよりも確かな殺意を持って、
橘音を始末すると宣言する尾弐を思い出すと。祈はどうしていいか分からなくなる。
祈は電灯に手のひらを伸ばした。
無力で何もできないのに、橘音のことを助けたかった。
ポチや尾弐に仲間を殺させたくはないし。誰も死なせたくないのだ。
でもその方法が分からない。
握ってみた手のひらには当然、何も掴めない。
>「……嬢ちゃんがどうするかは、嬢ちゃんの判断に委ねるつもりだがよ。嬢ちゃん自身が苦しい選択は選ぶんじゃねぇぞ」
尾弐は去る前にそう言っていたが、
祈はまたしても、何も選べずにいる。
苦しくない選択ってなんだろう、と祈が布団の上で頭を抱えていると、
机の上に置かれた携帯電話(橘音から渡されたもの)が鳴り、誰かからメッセージが届いたことを告げた。
確認してみると、差出人はモノと表示されている。
『今夜20時、〇〇公園の池までおいでなさい』
短いメッセージが、祈を呼んでいた。
21
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:13:25
その夜。
指定された時間、指定された○○公園(祈の通う中学校から近い)に祈が向かってみると、
公園にはモノの――、否。服装から言えばレディ・ベアの姿があった。
レディ・ベアとして祈に話がある、ということだろうか。
漆黒のワンピースにロンググローブ。ニーハイブーツという、いかにも悪者っぽい格好で、
池を一望できる東屋に立っている。
>「……来ましたわね、祈」
祈に気付いたレディ・ベアがそう呟き、祈に向かって歩んでくる。
「……こんな時間に何の用だよ」
祈が問うが、レディ・ベアは答えず祈の横をすり抜けて、
>「場所を変えましょう。ついておいでなさい」
そう言って祈を誘った。ここでは話しづらいということだろう。
その背中に続いて辿り着いた場所は、同公園内の広場だった。
芝生が生い茂った広々としたスペースで、遊ぶ場所としても休む場所としても、
池と並んでこの公園内では人気がある。だが今は、誰もいない。
>「まったく、無様ですわね」
祈の数メートル先で足を止め、レディ・ベアが呟いた。
風が吹き、祈とレディ・ベアの髪を揺らす。
>「聞きましたわよ。人間たちを守り切れなかったから、落ち込んでいるのですって?度し難い愚かさですわね」
>「わたくしは以前言ったはず――これは戦争。戦争で人が死ぬのは、当然のこと。何も珍しくはありません」
>「人間が死ぬのをいちいち気にしていては、戦争なんてできませんわ?」
呆れた、とでも言うように。
>「誤解のないように言っておきますが……戦争を提案したのは確かにわたくしたち。でも……戦争を始めたのは貴方たちでしてよ」
>「わたくしはこうも言いました。人が死ぬのが嫌なら、降伏しろと。黙ってお父さま――妖怪大統領に従え、と」
>「それを拒絶し、戦争の口火を切ったのは、まぎれもなく貴方たち。そうでしょう?」
>「なのに――人が死んだ、救えなかったと。『当たり前のこと』で思い悩まれては困ります。こちらも戦い甲斐がありませんわ」
「……前も聞いたけど、勝手な理屈だよな、それ」
祈は苛立たし気に呟き、睨むような視線をレディ・ベアに向けた。
確かに戦争では人が死ぬのだろう。
だがこの戦いを戦争などと称しているのはレディ・ベア達だけだ。
実際には、日本の支配を目論む妖怪達が一方的に侵略や虐殺を仕掛けているに過ぎない。
それを戦争という尤もらしい言葉にすり替えからと言って、
人が死ぬのが当たり前になどなりはしないし、
その言葉を免罪符のように振り翳していい理由もない。
そしてその『戦争』を吹っかけた者達が、
抵抗されたら人を殺して「黙って降伏しなかった奴らが悪い」と言って開き直るなど。あってはならないことだった。
日常を奪われること。それは何一つ、『当たり前』などではないのに。
しかし、睨むような祈の視線を受けてもレディ・ベアは動じることはなく、続けた。
22
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:15:23
>「それとも、何ですの?貴方まさか……戦争をしながら、誰も死なせないつもりでいたんですの?犠牲者をひとりも出さないと?」
>「だとしたら――傲慢にも程がありますわ。貴方、神にでもなったつもりですの?」
>「一箇所に二名以上の意思が存在し、その意思の統合が図られない以上、争いが発生することは必定――」
>「そして、争いに犠牲が出ることもまた必定。それは戦争の大原則ですわ」
>「だからこそ、わたくしはクリスやロボが敗死した際も、貴方に何ひとつ恨み言を言わなかったでしょう?」
>「『滅ぼす覚悟』がある者は『滅ぼされる覚悟』も持つ。貴方の場合はさしずめ、『心が傷つく覚悟』でしょうか?」
>「それを持たずに戦っていたというのなら……それは貴方の落ち度。致命的な失敗、というものですわね」
嘲るように、祈の神経を逆撫でするように。
しかし祈も黙ってはいない。
「っ……なんだ、レディ・ベア。あたしをバカにする為に呼んだのか? じゃあ、あたしからも言わせて貰うけどなぁ!
誰にも死んで欲しくないって思って何が悪いんだ! 争いの為に死んで、何の意味があるんだよ!?
意思の統合が図れない? だからみんな話し合うんだろーが!
あたしだって、クリスやロボには死んで欲しくなかった! それに――」
噛みつくように反論する。
「心が傷付く覚悟? そんなもんとっくにできてるよ! あたしが傷付いて誰かが助かるんならなんだってやってやる!
でも……そう簡単じゃねぇから困ってんだ! あたしは!!」
言い終え、息を吐く祈。
祈が戦えば誰かが死ぬ。祈が戦わなくても誰かが死ぬ。
祈一人傷付けばなんとかなるような状況では既になくなっていて、
八方塞がりで、祈ではどうしようもなくて。
誰にも死んで欲しくない、ただそれだけの願いがどうして叶わないのだろう。
レディ・ベアは祈の反論に揺らぐこともなく、
>「人が死ぬのを見るのが嫌なら、今すぐ手を引きなさい。妖壊漂白屋ではなく、ただの半妖。ただの中学生として過ごしなさい」
>「中学校を非戦闘区域にするという約束は、今後も守り続けますわ。ただ登校を続ける限り、もう人の死を見ることはありません」
今朝の尾弐と同じように、戦いから手を引くよう勧めるだけだった。
「……あんたまでそんなこと言うのかよ」
人の死を見たくないからと目を背け、見ない振りをしたからって、
橘音や誰かが死んでいくことに変わりはない。祈にとって何の解決にもなりはしないのに。
「……はんっ、やってらんねー。あたし、帰るから」
そう言って、かろうじて平静を保ちつつ、祈はレディ・ベアに背を向けて歩き出す。
しかし、レディ・ベアの言葉には続きがあった。
23
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:18:48
>「――けれど――」
>「もし。もしも――貴方が人の死を乗り越え、屍を乗り越えてなお戦う道を選ぶのなら――」
>「……わたくしを仕留めてごらんなさい。わたくしに一撃を見舞ってごらんなさい」
>「貴方がかつて、わたくしに言ったように――」
>「死んでいった者たちの家族の前に、わたくしを引きずり出して。詫びさせてご覧なさいな」
祈の背後で妖気が吹き荒れ、祈は足を止める。
振り向けば、濃紫色の妖気がレディ・ベアから溢れ出している。
金色の瞳が嗤っていた。
「あたしと……戦うって言ってんのか……?」
思えば、最初からレディ・ベアは祈を怒らせようとしていたようだった。
戦えるような広い場所に移動したり、
自分と戦うように仕向けているようですらある。
意図は分からない。だがこれは紛れもなく戦いの誘いであり、
そして“新たな選択肢の提示”でもあった。
>「ここにはわたくしの護衛のRも、赤マントもいませんわ。完全にわたくしひとり……それはお父さまの名に懸けて保障致します」
>「邪魔は入りません、文字通り貴方とわたくしの一騎打ちです。今を逃せば、こんな機会はもう二度とないかもしれませんわね」
この八方塞がりの状況を打破する鍵があるとしたら、
それはレディ・ベアが握っているのかも知れなかった。
仲間達と一緒にドミネーターズと戦うのでもなく、ブリーチャーズを抜けてただの中学生として生きるのでもなく。
妖怪大統領の名代たるレディ・ベアをここで仕留めることで、戦いそのものを終わらせることができるのだとしたら。
もう誰かが傷付くことも、死ぬこともなくなる。そんな可能性も、あるのかもしれなかった。
レディ・ベアが言う通り、探るまでもなく周囲には誰の気配もない。
>「……何をしているのです。戦わないのですか?我欲のために人々を殺戮した者たちの首魁が、目の前にいるのですわよ?」
>「死んでいった者たちに、申し訳ないと思わないのですか?わたくしを蹴り飛ばしたいとは思わないのですか……?」
>「すべてはわたくしの存在があったがゆえ。わたくしが東京制圧を目論まなければ、犠牲者たちも死なずに済んだかもしれませんわ」
>「でも、謝罪する気はありません。その者たちは自分の身すら守れぬ弱者であったがゆえ死んだ!ただそれだけのことですもの!」
殊更祈を煽るように、レディ・ベア。
祈はそこでようやく、体をレディ・ベアに向け、真正面からレディ・ベアの視線を受け止めた。
>「さあ――仇はここにおりますわ。貴方の目の前に!」
>「ならば!死ぬべきでない者たちに死を強要し、その家族を不幸にし!恬然として存在し続けるわたくしを打ち破ってご覧なさい!」
>「この東京ドミネーターズ妖怪大統領代行、レディベアに詫びの言葉を言わせるのでしょう!?」
レディ・ベアの隻眼から膨大な妖気が放たれ、渦を巻く。
それに呼応するように、祈の体からも妖気が溢れた。
燃え盛る炎のような赤い妖気が、祈の足元から立ち昇る。
>「守ってやれなかったことを悔いるなら!それだけが貴方にできる贖罪ではないのですか!さあ――」
>「……東京ブリーチャーズ――多甫 祈!!」
そして、祈の名を叫んだレディ・ベアが一歩踏み出す。
それが戦闘開始の合図だった。
24
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/04/26(木) 21:36:20
祈はレディ・ベアとの間にある数メートルの距離をすぐさま詰めた。
秒間39メートル近い距離を走れる祈が、たかだか数メートルの距離を詰めるのには0.1秒もかからない。
肉薄した祈は、同時に蹴りのモーションに入る。
レディ・ベアの側頭部を蹴り飛ばそうと、左脚を軸足として踏ん張り、
右脚にあらん限りの力を籠め――大地から解き放つ。上段廻し蹴りの軌道。
曲げた膝が伸び、爪先は弧を描いてレディ・ベアの側頭部へと向かう。
祈の目は確実に獲物を捉える為か、レディ・ベアから逸らされることはなく――。
かくして。機会が訪れた。
東京ドミネーターズ首魁、『妖怪大統領』の名代を討つ二度目の機会が。
一度目は中学校の校舎裏。
レディ・ベアがモノ・ベアードとして祈の学校に転校して来た日。
その日から数えて二度目の機会となる。
一度目ですら、千載一遇の好機だった。
護衛も連れていないレディ・ベアを討つ機会はそうあるものではないからだ。
それが今日という日に再び訪れた。
レディ・ベアの方から護衛を放棄し、祈との一騎打ちを望んだことによって。
これを逃したなら今度こそ、三度目はあるまいと思えるほどの絶好機。
だが祈は――、またしてもレディ・ベアを蹴らなかった。
レディ・ベアの側頭部を目掛けて放った筈の必殺の上段廻し蹴りは、
以前と同じように、あと少しで命中するという所でぴたりと静止している。
祈の蹴りが起こした風がレディ・ベアの髪を揺らす。
「『すべてはわたくしの存在があったがゆえ。
わたくしが東京制圧を目論まなければ、犠牲者たちも死なずに済んだかもしれません』……っつってたよな」
そのままの姿勢で祈は呟く。
「そうだと思う。あんたさえいなければ、死ななかった人が多くいたんだ」
そして脚を降ろした。その体からはもう、妖気は放たれていない。
「でも、あんたがいなかったらあたしは――あんたと友達になれなかったよ」
そう言って祈は、苦く笑った。
思えば不自然なことばかりだった。
レディ・ベアは、祈と協定を結んでからというもの祈と直接戦おうとすることはなく、
それどころか、戦いの後は必ずと言って良いほど祈のことを気遣って見せてきた。
それがどうして急に祈と直接対決を望む気になるのだろう?
祈にはレディ・ベアの今の表情が、祈を気遣ってくれたモノの表情と重なって見えていた。
>『祈、体育の時間ですわ。先生がふたりでペアになれと言っていますわよ?ささ、わたくしとペアを組みましょう!』
>『祈、給食のアイスクリーム……わたくし、おなかが一杯で食べられませんの。貴方に差し上げますわ、お食べになって?』
>『祈、何か不自由はなくて?わたくしにできることなら、遠慮なく仰って頂いて構いませんのよ!』
>『……祈。お待ちなさいな、祈……』
>『…………祈…………」
祈を心配そうに見つめる、モノと同じ顔に。
他にも、祈がレディ・ベアの目を直視していたのにも関わらず瞳術を仕掛けてこなかったり、
急に煽って戦意を自分に向けようとしてきたりと、不自然な点は多い。
「なぁ、“モノ”……あたし、友達を蹴り飛ばしたくない」
祈は彼女をもう一つの名で呼んだ。
レディ・ベアに重なるモノの表情が、そのまま答えだとしたら、
祈を呼び、焚き付けてまで自分と戦わせようとしたのは、
“落ち込んでいた祈を励ます為”、ということになるのだろう。
どういう意図があるのかは分からない。
ぶつかり合えば、多少はストレス発散になり、元気になるとでも思ったのかもしれない。
だが意図はどうあれ、祈がレディ・ベアの挑発に乗り、
真に激高するなどして己を見失っていれば、
レディ・ベアとてただでは済まなかったかもしれない。
最悪、祈がレディ・ベアを殺してしまうことだって考えられる。
そんなリスクを負い、体を張ってまで祈を励まそうとしてくれたとするなら。
そこまでしてくれる友人を、祈は倒したりなどできない。
「あたしの勘違いかもしんないけど、モノはあたしの為に戦おうとしてくれてる気がするんだ。
違うなら違うって、笑ってくれていい。うぬぼれるなってバカにしてくれてもいい。
でももし合ってるなら……やめにしようぜ、こんなこと。あたし、元気出すからさ」
そう言って頬を掻き、祈はレディ・ベアの目をじっと見た。
25
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:11:31
>「そういやノエっちも最近よく留守にしてるよね。なーにやってんの?」
>「え、なに。そんな事してたの……祈ちゃんに会いに?」
>「良く出かけるたぁ思ってたが、何白昼堂々ヤベェ行為してやがんだ……つか、祈の嬢ちゃんが姿見せねぇ理由それじゃねぇよな?」
みゆきが店舗兼自宅に帰ってくる現場を目撃して驚いたり呆れたりするポチと尾弐。
ちなみに最近は、尾弐が作ったオヤツが店に臨時メニューとして出ることがあり、漏れなく好評である。
「ヤバくないよ、だって……ううん、何でもない」
“橘音くんだって高校生探偵の肩書が欲しいばっかりに高校に潜入してるし”と言いかけて口をつぐむ。
今は橘音の名は禁句だ。
黒橘音の処遇に話が及んだら取返しのつかないことになる気がして、その話題は避けているのであった。
>「右腕、まだ痛むって言ってたんでしょ?ゆっくり治るの待ってあげてもいいと思うけどね」
>「……そうだな。傷ってのは本来、治るのに時間が掛かるモンだ。ま、ゆっくり見守ってやろうぜ」
「本当にそう思ってる?」
と、大学芋を頭の上に乗せたみゆきは二人にくってかかる。本当は二人も分かっているはずだ。
祈がいくら半妖とはいえ腕の傷はとっくに治っているであろうことに。
>「それに……妖怪と戦うより、学校で過ごす日々を大切に思えるようになったなら、そりゃあいい傾向だろ。
子供にわざわざ辛い事をさせる必要もねぇさ。遠ざけてやるのも優しさってモンじゃねぇか?」
「それはそうなんだけど……」
祈が学校で心底楽しそうにしているならそれでいいのかもしれない。
しかし見るからに元気がなく、そっくりさんがおろおろして腫物に触るように接しているような状態である。
戦っても辛い、戦わなくても辛い八方ふさがりの状況なのではないか。
差別用語ではあるが、正直“混じりもの”“半端者”とはよく言ったものだと思う。
闇の世界を知らぬ存ぜぬで平穏に暮らすにはあまりに力を持ち過ぎ、天魔の戦いに身を投じるには圧倒的に力不足。
人で非ざる者達が織りなす永遠の世界から見ればその生はあまりに短い反面、
仮に見ざる聞かざるを徹底して普通の人間としての人生を貫いたとしても、
同年代の者が皆先に年老いてこの世を去った時、自分はただの人間ではなかったと思い知る時が必ず来る。
彼女のことだ、このまま戦いから遠ざかってもどこかで後悔するだろう。
確かに今のままでは力不足は否めないが、あの黄泉比良坂で会ったスーパー駅員の娘なら
本人さえその気になればいわゆる修行展開で滅茶苦茶強くなるパターンじゃね!? とも思うのであった。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
26
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:12:25
「祈ちゃんドン引きだ――――ッ! どうしよう……!」
そして全力の送りバントをやらかした日、店に帰るなり床をごろごろ転がりながら悶えていると、
いつも通り店に来ていたポチが話しかけてきた。
>「今度は何をやらかしてきたのさ、ノエっち」
みゆきは言葉の代わりに、“後は頼んだ! 妾に構わず行け!”と送りバントをキメた者特有のある意味清々しい視線を送る。
しかしポチは、乗り気ではないようだった。
>「……そりゃ僕もさ、祈ちゃんが来てくんないのは寂しいよ。
でも仕方なくない?やめたげようよ、祈ちゃんが来たがらないのに無理強いするのは」
>「いいじゃないか。祈ちゃんが来れない分まで、僕らが強くなろうよ。
それでドミネーターズをやっつけよう。
ヤバい戦いがなくなれば、祈ちゃんもまた来てくれるようになるかもよ」
>「それまでは、僕らが祈ちゃんを守ってあげる。そういう気持ちでいれば……」
ポチの言葉をしょんぼりしながら聞いているみゆきだったが――
>「……ごめん。今のやっぱなし」
>「ちょっと祈ちゃんちに遊びに行ってくるよ」
自らの犠牲(勝手に自爆しただけ・しかも思い込み)は無駄ではなかった――そう思い、ぱっと顔を輝かせてポチを見送る。
そしてまさかポチが橘音を人質にKYOUHAKU(意訳)という荒療治に打って出ているとは思わず、
能天気に試作品の大学芋アイスを食べながらアへ顔をするのであった。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
それからまた何日か経ったが、ブリーチャーズ活動再開の許可はまだ出ない。
そして相変わらず祈は来ない。それどころか、余計元気が無くなったように見える。
まさか尾弐が料理の腕前を惜しげなく駆使して戦力外通告(意訳)を突きつけたなんて思っていないのであった。
しかし幸いと言うべきか、それは戦力外通告としては、致命的に失敗している点があった。
本気で祈を戦いから遠ざけようとするなら、橘音を漂白すると告げるべきではなかった。
尾弐の中の無意識の何かがそれを言わせたのか、単にそこまで思い至らずに言ってしまったのは分からないが――
妖怪だから嘘はつけないにしても、その話題に触れないという選択肢はあったはずだ。
最初は祈が元気を取り戻したらすぐに学校から消えるつもりだったが、長期戦を覚悟したみゆきであった。
さてそうすると、中身が変態でノエルでも美少女のみゆきの周囲にはそれなりに人が集まってくる。
特に秋葉系男子、池袋系乙女、原宿系ファッションヲタ、ゲーヲタ、オカルトマニア等の濃い面々と仲良くなり、
“このクラス濃い人材多くね!?”と思いつつ、それなりに楽しく学校生活を送り始めてしまった。
かといって当初の目的を忘れることはないので大丈夫だろう、多分。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
27
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:13:14
みゆき(銀髪ver)「スプーン一杯驚きの白さ――雪妖界のプリンセス☆スノウホワイト!」
カイ「入れて混ぜれば即完成――雪妖界の従者その1☆スノウミルク!」
ゲルダ「甘い口どけご用心――雪妖界の従者その2☆スノウクリーム!」
ハクト「餅をつきますあなたのために☆雪妖界のマスコット枠――スノウラビット!」
みゆき「我ら純白の世界からやってきた愛の使徒――」
全員「「「「スノウ☆フェアリーズ!」」」」
「お、おう……」
目の前に現れたイロモノ集団に、ドミネーターズの末端の下っ端の猫型妖怪はドン引きしていた――
秋葉か原宿で買って来たかのような魔法少女もの風のコスチュームを着た一団が、微妙な口上をしつつ微妙なポーズを決めている。
もう嫌だこんな職場――オー人事オー人事。
彼の職場の東京ドミネーターズときたら、ただでさえ元からブラック企業だったのが最近更にブラック企業化が著しい。
(上層部が悪魔と提携した影響かもしれないが、下っ端の彼はそんなことを知る由もない。)
そんな中、ブリーチャーズとかいうやつの残党処理としてあの胡散臭い雑居ビルの1階を襲撃しろと言われたので来てみたらコレである。
(ちなみに拠点襲撃に派遣されてくる下っ端妖怪は、野良猫に紛れられるためか、やたら猫型が多い。)
ゲルダ「姫様……この演出やめませんか? 敵さんドン引きしてますよ」
カイ「そうですよ! それに普段はソーセージしといた方がいいよ。まかり間違えて人間を襲ったり食ったりしたら大変!」
みゆき「もう! ソーセージとか言わないで! だって男の姿でこんな服着てたら変質者じゃん!」
カイ「姫様……それが分かるようになったとは……成長しましたね!」
ゲルダ「いや、そこ感動するとこじゃないから! つーかこの服自体やめろよ!」
みゆき「だって……」
「きっちゃんこういうの好きだったもん……。
もしかしたらこうしとけば帰ってきてくれるかもしれないから……」
意を決したように呟くみゆき。
そう、橘音は魔法少女ものが大好きで、魔法少女ものアニメが始まるとテコでもテレビの前を動かなかったのである。
いつぞやは祈にコスプレをするように迫ったこともあるとか。
ゲルダ「姫様……! 分かりました、そういうことならとことんやりましょう!」
カイ「姫様の想いはきっと通じますよ……!」
みゆき「ありがとう! 君たちなら分かってくれると思ってた……!」
ハクト「何かいい話風になっちゃってツッコめね―――――ッ!!」
その様子を律儀に見つつ、“あのうさぎも相当苦労してるな――”と思う猫型妖怪であった。
その後申し訳程度の様式美に則った戦闘の後、猫型妖怪は滞りなく雪見だんごの餌食となった。
いや、実際には餌食となったのは雪見だんごの方だが。
みゆきは、原型に戻ってただの猫にしか見えない猫妖怪を抱き上げ、当然のごとく店内に連れ込む。
ハクト「もう、ぼくが言うのも何だけどまた動物を連れ込んで……。そのうちペット禁止条項で追い出されちゃうよ?」
みゆき「それは困る……。そうだ! 猫カフェにすればペットじゃなくて業務用資産になるからペット禁止縛りを回避できる……!」
ハクト「いや、駄目だと思う……」
28
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:14:00
そんな緩い会話をしている最中、ぴんっとハクトの耳が立った。
兎は元来耳がいい動物であり、妖怪の兎は霊的な音の察知に優れている。
距離にして数百メートルの地点で起こった異変を察知したのだった。
とはいっても、その辺で夜闇に紛れて雑魚妖怪達が喧嘩したりするのは異変のうちにも入らないのだが――
「この感じ、悪魔だ……! 近い……!」
それを聞いたみゆきはハクトを頭の上に乗せると、店から飛び出した。
ハクトの案内に従ってビルの隙間や民家の屋根の上を駆け抜けて最短距離で突っ切ると、尾弐が白い狐を抱いて走っていた。
喪服の大男がモフモフを抱いて走っている――なんというギャップ萌え!
などと思っている場合ではない。何匹かの悪魔に追われているようだ。
城橘音の瞳術で大半の悪魔は行動不能に陥ったものの、何匹かその難を逃れた者がいたのだろう。
最下級といえど悪魔――普段のノエルには荷が重い相手だ。しかし、幸い今のノエルは魔法少女☆スノウホワイトであった。
サッと氷で出来た魔法のステッキを作り出し、しゃらーんと効果音が付きそうな感じで振る。
「――ホワイトアウト!」
これは呪いの粉雪で相手の視界を真っ白に覆いつくし、方向感覚を完全に失わせ
効果が切れないままだと自分の家の前ですら遭難するという恐ろしい技である。
幸い効果は現れたようで、暫し立ち尽くす悪魔。
「クロちゃん! とりあえずうちへ!」
白い狐を抱いた尾弐をSnowWhiteへと誘導する。よく見ると白い狐は狐面を被っていた。
「あれ? その子ってもしかして……」
そして白い狐は尾弐にブリーチャーズの招集を依頼する。
ポチが騒ぎを聞きつけてすでに来ていればそれでよし、
来ていない場合はみゆきがニーハイソックスを脱ぎ捨てて店の前の通りを駆けまわることだろう。
こうしてポチも招集されると、白い狐――白橘音が話し始めた。
>「……祈ちゃんは……そうですか。来ませんか」
>「こんなこともあろうかと、あらかじめ励ましておいたつもりだったのですが……。でも、無理もないですね」
>「仕方ありません。お三方とまたお会いできたというだけでも、上々ですから」
29
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:15:19
みゆき「きっちゃーん! 帰ってきてくれたんだ……!」
ゲルダ「姫様の想いが通じたんですね……!」
ハクト「(魔法少女演出は別に関係ないと思う……)」
何がなんだか分からないながらも、ひとまず橘音との再会を全身全霊で喜ぶみゆき。
泣きながら白橘音に抱き付いてモフモフモフモフする。
ひとしきりモフモフして落ち着くと、一つの疑問を口にする。
「あれ? でも何で急に原型になってるの? 今まで全然見せてくれなかったのに」
>「まずは、順を追ってご説明しましょう。ボクがどうしてここにいるのか……なぜ、こんな姿をしているのか」
白橘音は今までの経緯を話し始めた。
封印刑への対抗策として自ら分裂したこと、ここにいる橘音は三分の一の側で、
三分の二の側がカンスト仮面に篭絡されてしまったこと――
“安心して、君の三分の二をきっと助けてあげるからね”――そう言うかわりに、白橘音を抱きしめる。
こうして白橘音と再会できたとはいえ、黒橘音の処遇に触れてはいけない事には変わりはない。
それどころか尾弐はこうなったら猶更黒橘音を心置きなくSATSUGAIしにいくだろう。
ここにいる橘音は飽くまでも三分の一、残りの三分の二を取り戻さない限り完全に帰ってきたことにはならない。
>「もうひとりのボクを……止めなくては……。元々ひとつであったボクには、もうひとりのボクの企みが手に取るようにわかる……」
>「もうひとりの……ボクは、恐ろしいことを考えています……。それは、それだけは、どうあっても阻止しなくては……」
>「……この場に、祈ちゃんがいなかったのは……幸運なこと、なのかも……。今度は、祈ちゃんにとって……相手が、悪すぎる……」
「何何……!?」
白橘音が語りだした今度戦うであろう相手の情報に、身を乗り出す。
>「アレを……蘇らせることだけは、あっては……ならない……。起こっては……ならない……。アレは……あの、神は……」
>「…………姦姦……蛇螺…………」
気を失うように眠りについた白橘音を膝の上に乗せて撫でながら、みゆきは白橘音が告げたその名を復唱する。
「姦姦蛇螺……」
村を守るために大蛇と懸命に戦ったにも拘わらず村人に裏切られ大蛇への生贄とされ、
その無念のあまり逆に大蛇を取り込み祟り神と化した哀しき巫女――
確かに、心優しい祈にとってはただでさえあまりに分が悪い相手だ。
あるいは、白橘音がああ言うのは、それ以上の理由があるのかもしれなかった。
例えば、祈の両親が死に至る原因となった仇であるとか――
30
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/04/28(土) 20:15:50
「祈ちゃんには早く元気になってほしいけど……今回は、童達だけでやった方がいいかもしれないね」
それが何であるかは分からないが、白橘音の言葉からただならぬ何かを感じたみゆきであった。
「今日はもう遅いから泊まっていく?」
仲間達にこう声をかける。
そして、特に阻止されなければ、みゆきはその夜、白橘音を抱き枕にして眠ることだろう。
゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。+゚ ゚+。*゚+。。+゚*。゚+。*゚+。。+゚*゚+。。+゚*。+゚
それは、遠い記憶の奥底に埋もれた約束。
妖怪にとって約束がどんなに重要な意味を持つかも、定命の動物が妖怪の尺度で言えば刹那で死んでしまうことも、
未だよく認識していない幼子の、何の気無しの戯れにも等しい言葉。
『童はみゆき。君はなんて言うの? ……えっ、名前が無いの!?』
『じゃあ童がつけてあげる! 狐だからきっちゃんね!』
『きっちゃんはお母さんとかお姉ちゃんとか守ってくれる人はいないの?』
『いない? しょうがないなあ、童がなってあげる!』
『もう大丈夫だよ! 童が100年でも1000年でも君を守り抜く!』
31
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/04/30(月) 16:55:28
祈の家を訪ねてから、更に数日が経った。
ポチはいつも通りの日常を繰り返していた。
日の出と共に目覚め、息が続かなくなるまで無心で走り続け、
昼はSnowWhiteでノエル、尾弐と無為な時間を過ごす。
だが――ここ数日で、夜の過ごし方は少し変わった。
「……何度言ったって無駄だよ。僕はお前の言う事なんか聞かない」
寝床としているビルの屋上。
誰の姿も見えない夜闇の中にポチはいた。
だがその口から発せられた言葉は決して独り言ではない。確かに相手が存在した。
「しつこいなぁ……もう」
頭の中で何者かの声が聞こえる。いや、本当に声と言ってもいいものなのか。
もっと直接的な、意思そのものが頭の中で蠢いているようにも感じられた。
いずれ失われる仲間なら、そうなる前に皆、お前が喰らい血肉としてしまえ。
それが嫌なら道は一つしかない。あの妖狐と、再び仲間になりたいのなら、選ぶべき道は決まっている。
自分も人類の敵に回ればいい。人の世を恐怖に陥れろ。奴らが忘れた自然への、夜闇への恐怖を、思い出させてやれ。
――『獣(ベート)』の声だ。
>「体調が悪いの!? それとも脳内で変な声が聞こえる!? "力が欲しいか!"とか"ボクと契約して魔法少女になろうよ!"とか!
いつぞや、ノエルが自分を気遣うように問いかけてきた言葉。
あれは、こうなる事を恐れていたのだと、ようやく理解した。
祈を訪ね、自身の意志を吐露したあの日から、『獣』の声はより鮮明に聞こえるようになった。
何度同じ事を言われようと、ポチはその言葉に従うつもりなどない。
ただ夜通し、延々と同じ事を吹き込まれ続けるのは、少し鬱陶しい。それだけだ。
それだけなのだが――正直なところ、ポチは僅かな不安を感じてもいた。
もしもこの状態があと一ヶ月続いたら。もしも『獣』の声が日中も聞こえるようになったら。
少し鬱陶しい、では済まなくなるかもしれない。
少しずつ精神を摩耗させられて、追い詰められていくかもしれない。
それは漠然としたものではない、明確な形を持った不安だった。
何故ならそのやり方は――まさしく、狼の狩りの手法だからだ。
「……言っとくけど、僕はただ追っかけ回されて食われるだけの兎じゃないぜ。
狼だ。お前が僕を追ってくるなら……僕にも、お前の顔がよく見えるって事だ」
だが――相手がその気なら、ポチにも考えがあった。
ロボから『獣』を受け継いだばかりの頃、ポチにはその力の使い方が分からなかった。
触れた事もない猟銃の使い方が分からないように、どう扱えばいいか分からなかった。
獲物を転ばせた時に発揮出来る『獣』の力――あれは、ロボの使い方を真似しているだけだ。
見よう見まね。その程度の使い方だ。
だが『獣』が向こうから近づいてくるのなら――ポチにもその在り様が、より深く理解出来る。
「お前が僕を支配するんじゃない。僕がお前に、首輪をつけてやる」
もとより、逃げるつもりなどなかった。
『獣』はロボから受け継いだもの。
彼は仲間を守る為に使えと言っていた――ならばポチは、その通りにするまでだった。
言いたい事は言い切って、ポチはもう『獣』の声など無視して寝てやろうと体を伏せる。
「……このにおい」
目を閉じて、眠りに就こうとしていたポチが、ふと目を開く。
妖気のにおいが鼻を突いた。
それもただの妖壊ではない――陰陽寮で相対した悪魔達、奴らに似たにおいだった。
ポチはすぐに体を起こして、ビルから非常階段伝いに飛び降りる。
そのままにおいのする方へと駆けつけると、
>「――ホワイトアウト!」
「クロちゃん! とりあえずうちへ!」
数体の悪魔に追われるノエルと尾弐――それと、白い小さな狐が見えた。
一体どういう経緯で彼らが追われているのかは分からない。だがするべき事はすぐに分かった。
32
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/04/30(月) 17:02:17
視界を奪われてもがく悪魔の一体に、足払いを食らわせる。
『獣』の力を解放して――その後は一瞬だ。切り裂き、噛み砕く。
八つ裂きにした悪魔の血肉のにおいに混じって――ほんの僅かに、橘音のにおいがした。
悪魔達が走ってきた方向を見る。宵闇の奥には、誰も見えない。
これ以上の追手は来ないと見ていいだろう。
その事に安堵しつつも――ポチは僅かな落胆を感じていた。
「……二人は、ちゃんと逃げ切れたよね。僕も合流しなきゃ」
そうしてポチはSnowWhiteに向かう。
店の中に入るとすぐに、においを感じた。
陰陽寮で嗅いだものとも、ついさっき感じた残り香とも、同じだが――違うにおい。
愛おしさの中にしか生まれ得ぬにおいだった。
「……どゆこと?」
ポチはまず白狐を見つめて、それから尾弐とノエルに説明を求めるように視線を移した。
つい先ほど、橘音の残り香に複雑な思いをさせられたばかりポチには、状況の変移、その振れ幅が大きすぎた。
そうしてポチが現状をなんとなく理解して、更に暫しの沈黙を経て、
>「……祈ちゃんは……そうですか。来ませんか」
やがて白狐がぽつりと呟いた。
聞き覚えのある声――那須野橘音の声だった。
>「こんなこともあろうかと、あらかじめ励ましておいたつもりだったのですが……。でも、無理もないですね」
「仕方ありません。お三方とまたお会いできたというだけでも、上々ですから」
>「まずは、順を追ってご説明しましょう。ボクがどうしてここにいるのか……なぜ、こんな姿をしているのか」
そして橘音は今に至る経緯と自身の現状を語った。
――ここに「自分達の知る那須野橘音」がいるのなら、あの色違いの方は殺してしまっても大丈夫なのか。
そのような疑問がポチの脳裏に生じたが――それを尋ねる事はしなかった。
ノエルは愛おしげに、橘音の小さな体を抱きしめていた。
そこに水を差す気分には、今のポチにもなれなかった。
>「もうひとりのボクを……止めなくては……。元々ひとつであったボクには、もうひとりのボクの企みが手に取るようにわかる……」
>「もうひとりの……ボクは、恐ろしいことを考えています……。それは、それだけは、どうあっても阻止しなくては……」
>「……この場に、祈ちゃんがいなかったのは……幸運なこと、なのかも……。今度は、祈ちゃんにとって……相手が、悪すぎる……」
橘音の声が段々と微睡んでいく。
「……橘音ちゃん?」
>「アレを……蘇らせることだけは、あっては……ならない……。起こっては……ならない……。アレは……あの、神は……」
>「…………姦姦……蛇螺…………」
そして橘音は、そう言ったきり眠りに就いてしまった。
姦姦蛇螺が一体いかなる怪異であるのかはポチには分からない。
また後ほどノエルにでも説明を求める必要がある。
だが――橘音がこれほど、飾り気のない警句を述べたのだ。
その驚異の程は、想像がつかないほどだと、想像出来た。
>「祈ちゃんには早く元気になってほしいけど……今回は、童達だけでやった方がいいかもしれないね」
「今日はもう遅いから泊まっていく?」
「……そうだね。この場所は、向こうの橘音ちゃんも知ってるんだし……その方がいいかもね。
明日は早起きして……祈ちゃんに色々教えてあげないと。橘音ちゃんの事とか」
自分達の知っている橘音が、ひとまずは戻ってきた。
三分の一でも橘音は橘音だ。祈は――もう戦場に出てこない事を選ぶかもしれない。
それならそれで、仕方のない事だ。自分があれこれ悩んでも結果は変わらない。
祈がはっきりと道を選んだのなら、自分はそれを尊重する――それだけだ。
ポチはテーブル席の下に潜り込むと体を伏せて、目を閉じた。
33
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:21:48
深く、深く。
眠りに落ちる様に、記憶の海へと身を沈めていきます。
何百何千と繰り返してきた術式には、当然一片の綻びも無く。
妖気はイドの防壁を欺き、ただただ私を目的地へと導いていきます。
記憶の奥底。
自我の根源。精神の核が存在する場所へと。
・・・
闇を通り抜けた先に見えて来たのは――――廃寺でした。
遠き世に名を馳せた名寺も、数多の戦火と流れる時の本流に抗う術は無かったのでしょう。
雨風のより朽ちた御堂に、折れた山門。嘗て崇められた像は首を失い、名も無き何かと成り果てています。
太平の眠りを覚ます文明開化の言葉も此処には遠く届かず、ただ時流に背く様に侘び寂びの言葉が台頭する……。
もののあはれとはよく言ったもの。
此処に仏に仕える者はなく。
此処に仏を崇める民はなく。
此処に在った善と悪。その全ては忘れ去られ、自然に呑まれ、歴史という河に沈んでいったのでしょう。
……さて。そんな、世界から忘れられた寺の跡。
月灯りの下を、名も無き草々を撫でる様に生温い夜が走って行く、或いは風流な情景の中に……目的の『其れ』は有りました。
大人の男がようやく潜れる狭さの穴。
石で出来た……地下室への入口。
廃寺の敷地の奥深く。
地蔵堂が在ったと思わしき今は朽ちた木片と石片だけが並ぶ場所に、まるで隠される様に築かれた其の部屋。
入口を覆う石板が風化によって半分に砕け散った事で露わになった地下室は、その奥に墨を零した様な闇を湛えています。
異様なのは、その闇を照らす筈の光が届いていないという点でしょうか。
覗き込んでみれば、月明かりは射している……にも拘わらず、月光は地下室の中を照らす事が出来ていません。
まるで、闇が意志を持ち光を喰らっているかの様に。
……それにしても。
もしも、霊感を持った人間であれば、この地下室の存在を認めた時点で遮二無二逃げ出すのでしょう。
或いは、力の弱いものであれば気が触れてしまうかもしれません。
それ程に、この地下室は『悪い』モノです。
殺意や、怨念。
人の心を形作る負の部分が人の身では無しえぬ程に濃縮した結果として、意志持つ呪詛と化してしまっています。
これ程の呪詛であれば、それこそ……闇より生まれし魔物ですら呪い殺してしまうかもしれません。
……ですが、この超常を産み出したのは、神や魔王、天使や悪魔といった者達ではないのでしょう。
妖気や神気。強力な力を持つ彼等が関わった時に見られる、超常の痕跡が感じられないのですから。
となれば、つまり――――この闇は、人の手によって生み出されたものであるという事。
34
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:22:13
『蠱毒』
ふと、そんな東洋呪術の単語が頭に浮かびました。
あらゆる毒虫を壺に詰め、封をし、最後の一匹になるまで殺し合わせ……呪術の域にまで高まった蟲の憎悪を以って呪いとする術。
ともすれば、この地下室ではそれに近い物が行われたのではないでしょうか。
虫の代わりに、人間を用いて。長い時を掛けて呪いに呪いを積み重ねて。
そして……この地下室の中には、今尚その主が居るのかもしれません。
……いや。実際に居るのでしょう。
何故なら、此処はあの妖怪の記憶の世界。精神世界の中枢なのですから。
なればこそ、その中央に座すのは妖怪の精神核以外にありえません。
しかし……ああ、嗚呼。なんと悍ましい事でしょう。正義を標榜し妖壊を漂白する者の起源が、よもやこのような醜悪な闇であるとは。
嘲笑や失意を通り越して、寒気がします。
あの男は、こんな邪悪な物を腹の中に隠しながら、のうのうと正義と愛を御旗に悪を滅していたのです。
こんな許されざる物を秘めながら、何食わぬ顔で人の社会に溶け込み、暮らしてきたのです。
……許せません。
私はこの男が、この闇が人の世で暮らしている事が許せない。
人を嘲笑った時の喜悦とも違う。人を殺めた時の愉悦とも違う。
今、この私の胸に渦巻いているのは、溶解した鉄の如き赤き感情。
この世に発生して初めて知覚した感情が、今この場でこの男を殺さねばならぬと叫んでいます。
幸い、ここは記憶の世界です。あの闇がどれだけ強い力を持とうと、邪悪であろうと……私に害を及ぼす事は出来ません。
ならば直ぐにでも、幻覚を見せて殺してしまいましょう。精神の死は肉体の死。それで片が付きます。
『【ならば直ぐにでも幻覚を見せて殺してしまいましょう。精神の死は肉体の死。それで片が付きます】――――そう思ったな?』
……!? 何ですか、いまの声は?
私の思考を読んで……
まさか……ただの記憶が、私に干渉している? 馬鹿な、そんな事
『【ただの記憶が私に干渉している、馬鹿な、そんな事は在り得ない】そう、思ったな?』
……お前の精神は、私が記憶を介して支配した筈です! 確かに私はお前の精神に干渉している筈なのに、どうして……!
っ、ふざけるな……!お前の様な存在は、居てはいけない!お前はこの世界に存在してはいけない、今すぐ殺して――――
『【今すぐ殺してやる】そう思ったな?』
や、やめろ!放せ!その醜悪な闇で私を掴むな!嫌だ、嫌です!その闇は厭!引きずり込 ま ないで く だ――――― あ、 が ……
―――――
35
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:22:44
「……馬鹿が。色水が墨に触れりゃあ、黒くなる以外の道理はねぇだろうが」
恐怖が仮面の様に張り付いた表情でどさりとその場に倒れた、男とも女とも子供とも大人とも付かぬ見た目の妖怪。
それを冷めた目で見おろしながら、上下に喪服を着込んだ大柄の男……尾弐黒雄はそう吐き捨てる。
「覚(さとり)妖怪なら、大人しく山に籠っときゃあ良かったんだ。そうすりゃ、俺の中身なんぞ覗かなくて済んだだろうに」
……路地裏で行われた戦いは、半刻もせぬ内に決着が付いた。
帝都でここ数ケ月の間、人の精神を壊し続けてきた妖壊である『覚(さとり)』。
五大妖の配下共をその能力で正面から退けてきた猛者は、初めの内は読心の能力で尾弐の剛腕を翻弄していたが、
尾弐を殺害する為に、その記憶と精神に干渉しようとした事で自滅。あえなく打ち倒される事となった。
あまりの呆気なさと、無造作に自身の記憶に触れられた事への不快感から、尾弐は八つ当たり気味に覚の左腕を踏み砕くが、
心が壊れたのか、或いは完全に意識が飛んでいるのか……覚妖怪はビクリと体を震わせるだけで目を覚ます事はなかった。
妖壊を苦痛の果てに滅する事が出来ないと知った尾弐は、嘆息しつつ覚妖怪の頭を掴み、そのまま柘榴のように砕いて漂白しようと手に力を込める。
殺意と憎悪を向ける対象を破砕しているというのに、その尾弐の表情は余りにもつまらなそうで……
>「今日も今日とて妖壊退治ですか、精が出ますねえクロオさん!……でも、いいんですか?そんなに派手に出歩いちゃって」
>「アナタたちは依然、帝都鎮護の役目を下ろされたままのはず。妖怪たちの決定は覆ってはいません」
>「うまく晴朧さんに取り入って、陰陽寮の後ろ盾を得たようですが――さしもの陰陽寮も、一朝一夕に妖怪の決定は変えられませんよ」
……だが。そんな尾弐の背中に、広がる宵闇の中から声を掛ける者が一人。
「……おいおい、物騒な事言うんじゃねぇよ。オジサンはただ散歩してただけだぜ。
町内会への貢献として、ゴミ掃除と害獣駆除をしながらな――――そんでもって、今宵は野良狐を保健所に送って切り上げようと思ってた所だ」
尾弐が掴んだ覚(さとり)妖怪を放り投げながら振り返って見れば、見慣れぬ黒い狐面と、耳に届く百年以上も聞いてきた陽気な声。
那須野橘音。東京ブリーチャーズの頭目を担ってきた悪魔が、そこに居た。
那須野の姿をその視界に捕えた尾弐は、ほんの一瞬だけ複雑そうな表情を作る。
だが、既に覚悟を決めていたのだろう。直ぐに拳を握ると、表情を消した。
後に残るのは、凄まじい殺意と敵意。
尾弐がこれまで妖壊へ見せて来たものと同じ感情。
けれど、対する那須野は尾弐に害意を向けられても揺るがない。
いつものような態度で、何時もの様な声色で、まるで友人に語りかけるように朗らかに、尾弐へと言葉を投げかける。
36
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:23:07
>「それは、クロオさんだってご存じのはず。――それに――」
>「……アナタが斃すべき相手は、そんなザコ妖壊どもじゃないでしょう?」
>「斃す相手は東京ドミネーターズ?……いいえ」
>「それとも、ボクたち悪魔(デヴィル)?……いいえ、いいえ」
>「アナタのことを、ボクは百年以上もの間、すぐ傍で視てきました。ほんの数十センチの距離で」
>「アナタの喜び。怒り。嘆き。哀しみ……ボクはアナタの色々な感情を、息がかかるくらい近さで目の当たりにしてきたんです」
>「アナタは妖壊を敵視している。妖壊に叩きつけるその拳には、常に憤怒と憎悪が込められている……。でも」
「は……しゃらくせぇ。せめて一息で仕留めてやるから抵抗するんじゃねぇぞ」
那須野のペースに嵌る事の危険性を熟知している尾弐は、その言葉に付き合う事無く弓を引き絞る様に拳を引く。
人外の膂力が込められた一撃は、直撃すれば苦痛を感じる間もなく那須野の命を刈り取る事が出来るであろう。
そうして、殺意を込めた拳はいよいよ放たれ――――
「……」
けれど、その拳が惨劇を齎す事は無かった。
那須野の黒い仮面に届く寸前。
僅か1寸手前で、尾弐の拳……これまで、どんな事情を抱えた妖壊相手でも止まる事が無かった拳は、止まっていた。
> 「本当に、アナタがその拳を。憎しみを叩きつけたい相手は、妖壊なんかじゃない」
>「アナタが本当に憎んでいるのは、人間。そして……アナタ自身。でしょ?クロオさん――」
「…………何の事だ」
隠そうとしているが、あまりに長い沈黙と何より拳を止めてしまったという事実が、雄弁に内面の動揺を語っている。
突き出した拳と交差するように伸ばされた尾弐を指差す那須野の腕は、尾弐の武骨な腕より遥かに細い。
だがそれは、推理を披露し犯人を指し示す探偵の様に鋭利に尾弐の精神へと突き刺さる。
>「アナタは。いや、ノエルさんもポチさんも、きっと……ボクが悪魔たちに洗脳でもされたとでも思っているのでしょうね」
>「それは誤りです。ボクはボクですよ……アナタたちと一緒に行動していた頃と、何も変わらない」
>「ボクは最初から正義や愛なんて信じちゃいなかった。未来に希望なんて持ってなかった、善性など肯定さえしていなかった」
>「東京ブリーチャーズとして漂白仕事をしていたのも、御前の報酬目当てだった。ボクにとって東京なんてものはどうでもよかった」
>「……ボクは。皆さんと一緒に歩けるような、清い存在なんかじゃなかったんですよ……根本的に、ね」
>「それはアナタも一緒でしょう?クロオさん」
「……随分と、知った様な口を聞くじゃねぇか」
悪態を付くが、その言葉に覇気は無い。
それは、那須野が述べた言葉の多くが――――事実であるからこそ。
那須野の言う通り、尾弐は純粋に妖壊に憎悪を燃やしている訳では、無い。
善意や希望、正義や愛という物でこれまでの活動を行ってきた訳では無い。
尾弐は……尾弐黒雄と名乗る妖怪は、【本当に憎む者への代償行為として妖壊を滅ぼしてきた】。
【那須野の上司であった御前との契約と報酬を目的として動いてきた】。
37
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:23:51
>「祈ちゃんが。ノエルさんが。ポチさんが輝けば輝くほどに。愛と勇気を、善性を発揮するたびに。ボクらは居心地の悪さを感じていた」
>「白いものの中に交われば、ボクたちも少しは白くなれるかなと――そう思ったのに。思い知るのは自らの黒さばかり」
>「でも、そんなのは分かり切ったことだったんです。黒い絵の具に白を混ぜても、黒が白になるはずがない」
>「それでもボクたちは傷つき、時には死ぬ思いをして帝都を守ってきた。しかし、その末に得たものは何です?」
>「善かれと思って、智慧を絞って帝都を守った結果が400年の封印刑!東京ブリーチャーズの解散!そんな仕打ちだ!」
>「自らの権利ばかりを主張して、他人を貶めるしか能がない……そんな連中を救ってやるのは、もううんざりなんですよ」
「そうかい……けどな。それでも、お前さんはそっち側に行くべきじゃなかった」
絞り出すような尾弐の言葉。
那須野にすら隠し通してきたつもりであった心情を、見抜かれた事。
その推理が出来る程に尾弐と時間を過ごしてきた者が、那須野しか居ない事。
彼の悪魔の語る言葉が、偽りのモノとしては余りに共感出来てしまう事。
それ故に……眼前の存在が那須野橘音以外の何者でも在り得ない事。
それらが示す事実は尾弐の闘志を削ぎ取り、とうとう、那須野へと向けていた拳を下げさせる事となった。
>「ねえ、クロオさん――」
>「ボクは、アナタが好きです」
「――――。」
そして、那須野は作り出した尾弐の殺意の凪。それに差し込む様にして言葉の楔を打ってくる。
眼前の存在が那須野橘音である以上、まして敵である以上、その言葉が悪戯や虚飾の罠ではない保障は無い。だが
>「また何か企んでるって、アナタはそう思うのかな。アナタたちを貶めるための策かもしれないって……そう、思うのかな」
>「常日頃、隠し事とかしちゃってたからなあ!信頼度がないですよねえ、狼少年ってヤツかな?ボクは狐ですけど、アハハ!」
「……いいや、信じるさ。古い付き合いの、何より大事な相棒の言葉だ」
尾弐はその言葉を疑わないと断言した。
敵に回ったとしても、百年来の付き合いをしてきた相手の言葉を、親愛の言葉まで――――否定したくなかったのだ。
>「一度しか言いません。よく考えてお返事を」
>「――ボクと共に来てください。一緒にやりましょう、もう一度」
>「アナタの願いは悪魔たちの下ででも叶えられる、必ず――ボクが叶えてみせる。だから……」
そんな尾弐に、那須野は手を差し伸べる。共に来いと。共に居て欲しいと。
……悪魔は人間の味方であるという解釈が有る。
いつだって、人の願いを叶えようと努力するのは神では無く悪魔であるからだ。
恐らく、那須野の言葉に嘘は無いのだろう。強大な力を持つ悪魔達であれば、尾弐の原初の願いを叶える術を有しているのだろう。
魅力的な言葉だ。優しい言葉だ。思わず差し伸べられた手を取りたくなる程の。
――――だからこそ、尾弐の答えは決まっていた。真剣な表情で見つめる那須野に対し、腕を伸ばし
38
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:24:18
>「答えはもちろん、『いいえ』ですよね?クロオさん――」
けれど、その回答は尾弐ではない者の口から放たれた。
>「現れましたね。“ボク”」
「……おいおい、どうなってんだこりゃ」
狐火と共に闇の中から現れたのは、仮面を被った白い狐。
そして、その声色と妖気に尾弐は覚えがある。百を越える年月を共に居たのだ。間違えようも無い。
仮面の白狐は……間違い無く那須野橘音であった。
>「ボクはアナタのように、愛や正義に見切りをつけてしまうような意気地なしじゃありませんよ」
>「ボクはアナタと違って、いつまでも幻想にしがみついて真実から目を背けたりしませんけどね」
>「何言ってるんだか。『悪魔憑き』って意味なら、アナタだって同じでしょうが。ボクの中にアスタロト分が全部入ってるとでも?」
>「だいたい何です?その姿。黒い自分を殊更に白く見せようとして……虚偽と欺瞞に満ちているのは、アナタの方でしょう?」
「いやいや、待て待て。お前さん達、言い争う前にオジサンにも判るように状況を説明しちゃくれねぇか?」
眼前で言い争う二人の那須野橘音。衣装や造形こそ違うが、二人は間違いなく同一人物である。
同じ声。同じ口調。同じ妖気。赤マントの変装でさえも感じ取った尾弐が間違える筈も無い。
その異常事態に尾弐が混乱している最中も口論は加熱していき……やがて、黒い仮面の方の那須野が冷笑を浮かべながら告げる
>「まぁ、いいです。今夜はクロオさんの勧誘のつもりでしたが、出てきたのなら捕えるだけだ」
>「皆さん、その狐を捕まえてください。なんなら殺してもいいです。――ああ、いや、うん、やっぱり殺しましょう」
そして現れたのは無数の悪魔。力こそ凡庸だがその数は多く、脅威と言って差し障りない物である。
咄嗟に迎撃態勢を取ろうとした尾弐であったが
>「三十六計逃げるに如かず。ボクを抱えて逃げてください、クロオさん。……詳しい話はその後で」
「っ……あいよ、大将。きっちり状況は説明して貰うから覚悟しとけよ」
白仮面の那須野の言葉を受けて一瞬逡巡をした後、那須野の首の裏を摘み持ち上げると、右手で抱えて路地の奥へと走り出す。
狭い路地での追走劇は困難なものであったが、道中で白仮面の那須野が瞳術を使用する事で活路が開けた。
悪魔達が立ちすくむ中、尾弐は最寄りの壁を蹴り砕いて通路とする。
このまま適当に其処等の建物の壁を砕きつつ進めば、逃走は容易であろう。
壁の穴を潜ろうとし、だがその直前で思い返した様に尾弐は口を開く――――黒仮面の那須野へと向けて。
「あー……おい、仮面が黒い方の那須野」
「余計なお世話だろうがな……お前さんが今、やりたくねぇ事を止めて本当に望む事をしてるって言うなら」
「せめて、いつもみてぇに笑ったらどうだ」
尾弐と対面した黒仮面の那須野は、別段笑っていなかった訳では無い。
様々な表情をコロコロと浮かべ、冷笑や気楽な笑みも浮かべていた。
だが、それを承知の上で尾弐は『いつもの様に笑え』と進めた。
敵対者に対し尾弐が見せる態度としては極めて異例だが……そこには、確かに心配の色が含まれていた。
その後も、何匹かの悪魔は立ち直り追跡を続けてきたが
>「――ホワイトアウト!」
>「クロちゃん! とりあえずうちへ!」
「ノエルか!? 助かるぜ、あんがとよ色男!」
道中で合流したノエルの氷雪による支援と、姿は見えない何者かの援護もあり、尾弐は無事に逃げ切る事に成功したのである。
39
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:36:50
・・・
>「……どゆこと?」
「どうにもこうにも、今回は俺も事情をよく分かってねぇんだ。とりあえず一緒に那須野の話を聞いてくれ」
問いかけるポチに対し、眉間に皺をよせ困った様に答える尾弐。
悪魔たちの追跡から逃げ切った後、尾弐はSnowWhiteの店内に居た。
店内にはノエルとポチ、及びノエルの関係者達。
時間帯もあるのだろうが、祈の姿は――――無い。
>「……祈ちゃんは……そうですか。来ませんか」
「まあ、祈の嬢ちゃんの安全を考えるなら、今回は来ねぇ方がいいだろ……それより、説明だ。
疲れてる所わりぃが、今回は根掘り葉掘り聞かせて貰うぜ」
ノエルに存分に愛玩されているソファーの上の那須野は、祈が居ない事を残念がっていたが、
尾弐は敢えて話題を逸らす様に那須野へと現状の説明を求める。
その不自然さは普段の那須野であれば十分に察せられるであろうが、気にする様子も無く言葉に答える様に那須野は口を開く。
>「まずは、順を追ってご説明しましょう。ボクがどうしてここにいるのか……なぜ、こんな姿をしているのか」
――――そうして、那須野の口から語られたのは驚くべき事実であった。
封印刑から逃れる為に行った、『賦魂の法』
赤マントに誑かされ、悪魔の協力者と化した三分の二の魂
それらの話を聞いた尾弐は、頭痛を堪える様に額に手を当て、呻くような声をだす。
「大将、お前さんなんて事してやがる……封印対策に、魂の分割なんてモンに手ぇ出したのか。
妖狐の特性は俺も知らねぇが、魂を変容させる術なんてのは、どう考えたって危険だろうに……」
那須野が知らない内に余りにも危険な橋を渡っていた事は、尾弐にとって衝撃的であった。
同時に、先ほど遭遇した黒仮面の那須野が、やはり間違いなく那須野橘音であった事もだ。
尾弐は、術の特性や今の那須野の状態について更に詳しく追及しようとするが
>「もうひとりの……ボクは、恐ろしいことを考えています……。それは、それだけは、どうあっても阻止しなくては……」
>「……この場に、祈ちゃんがいなかったのは……幸運なこと、なのかも……。今度は、祈ちゃんにとって……相手が、悪すぎる……」
>「アレを……蘇らせることだけは、あっては……ならない……。起こっては……ならない……。アレは……あの、神は……」
> 「…………姦姦……蛇螺…………」
その言葉は、次に那須野の口から放たれた恐るべき未来予想図の前に霧散する事となった。
40
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/03(木) 22:38:00
「なっ……姦姦蛇螺……姦姦蛇螺だと……!?」
椅子を倒しながら立ち上がった尾弐。名前を復唱したその顔からは、蒼白と言っていい程に血の気が引いている。
唱えた名前に向けられる感情は、獰猛な怒りと――――深い悔恨。
「っ――――那須野! 黒仮面の那須野もお前さんと同一存在なんだろ!?なら、何でアレを解き放つなんて真似をしようとすんだ!
例え魂が泥に堕ちても、あの時の記憶が有るなら、それは……それだけはやっちゃならねぇ事は判る筈だろうがッッ!!!!」
食いかかるようにして那須野に問い詰める尾弐。
普段の彼からは想像し難い焦りの色は、ノエルやポチにも明確に伝わるであろう。
……けれど、那須野はそれに答えない。極度の疲労によるものであろうか。尾弐が問いかけた頃には、
既にその意識は眠りの海へと落ちていたのである。
一呼吸してようやくその事に気付いた尾弐は、自身が倒した椅子を元に戻すと、
力が抜けたかの様にどかりと座り込む。
>「祈ちゃんには早く元気になってほしいけど……今回は、童達だけでやった方がいいかもしれないね」
>「……そうだね。この場所は、向こうの橘音ちゃんも知ってるんだし……その方がいいかもね。
>明日は早起きして……祈ちゃんに色々教えてあげないと。橘音ちゃんの事とか」
座ったままの姿勢でノエルとポチを見る尾弐の目は、昏い。
それは、尾弐が姦姦蛇螺という妖怪について『何か』を知っているという事を明確に示している。
だが、それを言葉にしないのは……尾弐はポチとノエルの二人から、祈へ詳細が渡る事を恐れての事であろう。
>「今日はもう遅いから泊まっていく?」
「……ああ、悪ぃがソファー借りるぜ。流石に家に戻る気力がねぇ」
言葉少なく店内のソファーへと腰掛けた尾弐は、そのまま腕を組み目を瞑る。
その瞼の裏に写るのは2つの人影……今は遠き過去となってしまった者達の姿。
尾弐は何も語らず、眠る事も無く、一晩中かつての記憶を反芻するのであった。
41
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:11:01
祈が妖気を漲らせ、驚くべきスピードで迫ってくる。
彼女の脚力、そしてそこから放たれる蹴りの威力に関しては、すでに知悉している。
巨大な妖壊をも蹴り飛ばす、必殺の威力を秘めた蹴り。
それをまともに喰らえば、もちろん無傷ではいられまい。
レディベアは後方支援型の妖怪のため、身体能力には秀でていない。むろん、耐久力もさほどではない。
人間より頑丈とはいえ、祈の全力の蹴りを喰らって生き残れる保証はなかった。
……それでも。
祈が肉薄する。互いの距離が瞬く間にゼロになる。
こんな光景を見るのは、もう二度目になるだろうか。
学校で、彼女に対し秘密の協定を持ちかけた際。そのときも、自分は危うく祈に蹴り飛ばされそうになった。
以前は未遂で終わったが、しかし今度はそうはいくまい。
首の骨が折れるか、肋骨がひしゃげるか。いずれにしても大きな痛みを味わうことになるのは間違いなかった。
祈が右脚を振り上げる。狙いは側頭部――意識を、命を、一撃で刈り取る死神の鎌。
蹴り足の巻き起こす颶風が、レディベアのツインテールに纏めた髪を大きく揺らす。
レディベアは思わず身体を強張らせた。
けれど。
再びやってきた、千載一遇の好機。
東京ドミネーターズの首魁を打倒するまたとないチャンスを、祈が行使することはなかった。
予想だにしなかった展開に、大きく目を見開く。
「……なぜ……」
最初、祈はレディベアを非難するようなことを口にしたが、その声音には不思議と憎しみや怒りはこもっていない。
祈が脚を下ろす。そして、言う。
>でも、あんたがいなかったらあたしは――あんたと友達になれなかったよ
友達。
祈の告げたその言葉が、レディベアの胸に突き刺さる。
そもそも、どうして自分は祈を励まそうなんて考えたのだろう?
彼女は敵だ。それは断言できる。これからも彼女と自分は敵同士だし、その関係が変化することはない。
彼女が東京ブリーチャーズであり、自分が東京ドミネーターズである限り――。
嗤っていればよかったのだ。彼女が心を折られ、ふさぎ込んでいるというのなら、それを嘲笑し。罵倒し。見下していればよかったのだ。
自分たちは、決して並び立つことのない敵同士なのだから。……でも、できなかった。
敵であるはずの彼女がいつもの元気をなくし、意気消沈している姿。
それを見たときに、レディベアの胸に去来したものは、かつて経験したことのない寂しさであった。
なんとかしたいと思った。彼女の笑顔を取り戻したいと。
減らず口を叩き合いながらも、いつも学校の中で一緒にいる。そんな関係を取り戻したいと。そう、願ったのだ。
それは、あまりにも自然な欲求で。当たり前の衝動で。
どうしてそんなことを考えてしまったのか、自分でもその理由を改めて振り返ることなどなかったのだけれど。
――嗚呼。
その理由が、今。わかった気がした。
>なぁ、“モノ”……あたし、友達を蹴り飛ばしたくない
祈が呼んだのは、妖怪大統領代行のものではない――偽りの名前。
学校の中だけという約束で、ふたりを繋ぐ名前。
>あたしの勘違いかもしんないけど、モノはあたしの為に戦おうとしてくれてる気がするんだ。
>違うなら違うって、笑ってくれていい。うぬぼれるなってバカにしてくれてもいい。
>でももし合ってるなら……やめにしようぜ、こんなこと。あたし、元気出すからさ
瞳術を使う妖怪ということを知ってなお、祈がじっとレディベアの瞳を見つめてくる。
それは信頼の証なのだろう。レディベアでなく、モノと話をしようという意思表示。
帝都を守護する者と、帝都を侵略しようとする者ではなく――ただの多甫祈と、ただのモノ・ベアードとして。
ともだちとして。
42
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:13:31
「……貴方は、本当に愚かですわね。まったく理解不能ですわ」
しばらく無言で見つめ合った後、レディベアが徐に口を開く。
「わたくしたち二人の間で取り交わした協定は、あくまで学校の中では戦わない……というもの。そしてここは学校ではありません」
「ならば。わたくしはモノ・ベアードではなくレディベア。貴方たちの憎む、殺戮者たちの長――」
「わたくしが憎いでしょう?怒りを覚えるでしょう?わたくしを殴ればいい、蹴ればいい!わたくしに復讐すればいい!」
「……なのに。この期に及んで、友達などと……そんなことを言うなんて……」
それまで冷淡であったレディベアの表情が、みるみる崩れて泣き顔になってゆく。
「祈……、貴方は、ずるいですわ……!」
他者を呪縛し、制圧し、侵略するレディベアの大きな隻眼から、ぼろぼろと涙がこぼれる。
レディベアは両手で顔を覆うと、やがて声を上げて泣き始めた。
「……ごめん……ごめんなさい……!」
「わたくし、皆さんにひどいこと……。たくさん、人を殺して……妖怪を葬って……悪いことをして……!」
「祈の心を傷つけて……元気を奪って……!ごめんなさい……本当にごめんなさい……!」
「すべて、わたくしのせい……!わたくしが何もかも悪いのです、わたくしが……!」
「ぅ……ぅぐっ、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!」
祈の前で憚らず声を上げ、レディベアはぽろぽろと大粒の涙を流して泣き続けた。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
「……本当は。こんなはずではなかったのです」
どれほど時間が経っただろうか。
子供のように泣き続けていたレディベアであったが、ややあってやっと少しずつ落ち着いてきた。
広場の隅にある外灯の脇にある自販機で二人分の缶ジュースを買い、ベンチに座ると、妖怪大統領代行はぽつりぽつりと話し始める。
「わたくしの最初の記憶は、お父さまと共にこの世ならざる世界にいたところから始まります」
「この現世とは違う、極彩色の空間。天地の境も左右の区別もない、ただただ何もないだけの空間――」
「赤マントはそれを『ブリガドーン空間』と呼んでおりましたけれど」
オレンジジュースの缶を両手で包むように膝上に乗せ、俯きがちに言う。
「ブリガドーン空間から現世の、人間や妖怪たちの営みを観察し、わたくしとお父さまはずっと憧憬を募らせてきました」
「こんな陰鬱な世界ではない、わたくしたちもあの美しい世界へ行きたい。あの場所で人間や妖怪たちのように暮らしたいと……」
「けれど、ブリガドーン空間から現世に行く方法などわかりません。わたくしたちはただただ羨み、妬み、絶望するしかありませんでした」
「しかし……そんなとき、わたくしたちの住処に忽然とあの男が現れたのです。あの紅いマントの怪人――65535面相が」
僅かに顔を上げ、祈の方を見る。
「彼は言いましたわ。『封印されし偉大な支配者よ、今こそ忌まわしき寝所を出、すべての妖怪の頂点に君臨するとき』と」
「赤マントは自らを妖怪大統領第一の臣と名乗り、わたくしたちを現世に連れてゆくと申し出てきたのですわ」
「あの、緑したたる世界!蒼い海と空が広がり、紅い太陽の燃える世界へ!わたくしはその申し出に飛びつきました」
「でも……さしたる力を持たないわたくしと違い、お父さまをブリガドーン空間から解放するには多大なエネルギーが必要だったのです」
「幸い、オリンピックイヤーの2020年は東京直下の龍脈のエネルギーが最大になる年――それを利用しない手はありません」
「わたくしは赤マントがどこからか連れてきたクリスとロボを率い、東京ドミネーターズを結成し――後は、貴方も知る通りですわ」
元々、この世と隔絶された世界にいたレディベアと妖怪大統領バックベアード。
そのふたりを解放すると申し出、手駒を用意し、すべてのお膳立てをした赤マント。
「わたくしだって、好きで戦争を望んでいるわけではありませんわ」
「死も、つらく悲しい……犠牲が出ない方法があるのであれば、それに越したことはないのです」
「……でも。お父さまをあの場所から解き放つ方法がそれしかないのだとしたら。わたくしは……戦う他にはありません」
「お父さまは、わたくしの全て。わたくしはお父さまを心から愛しておりますから」
「祈。貴方も、貴方のお父さまのことは好きでしょう?苦境に立たされた家族のために手を尽くすのは、当然のことではなくて?」
「……たとえ。それが悪であったとしても」
レディベアの隻眼には、強い意志の力が宿っている。
しかし。
「そう……覚悟を決めたつもりでいたのですけれど……ね」
そう言うと、レディベアは祈を見て眉を下げ、寂しそうに笑った。
43
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:19:44
「お父さまを解放するには、『極上の絶望』が必要だと……赤マントはそう言っていました」
「その『極上の絶望』が祈、貴方のことを指すとしたら、赤マントはさらなる一手を繰り出してくるでしょう」
「わたくしは……どうしたらよいかわかりません」
レディベアはぽつぽつと打ち明ける。
クリスとロボが敗死し、東京ドミネーターズの戦力が減退したと見るや否や、赤マントは悪魔たちを招集したのだという。
まるで、クリスとロボは前哨戦に過ぎない。悪魔たちこそが東京ドミネーターズの本隊であるとでも言うように。
そして、それまでレディべアが握っていた指揮権は、今や完全に赤マントに掌握されてしまった――と。
「わたくしはお飾りに過ぎませんわ。すべての作戦や計画の立案、実行は、赤マントが一手に取り仕切っています」
「あの者たち……あの悪魔どももそう。赤マントがどこからともなく連れてきたのです、クリスやロボたちと同じように」
「見たこともない悪魔どもは、どこから来たのでしょう?赤マントはどこであの者たちと知り合ったのでしょうか?」
「戦いはもはや、わたくしの手に負えないところに行ってしまった。今更わたくしがやめろと言ったところで、聞き入れられないでしょう」
「わたくしは恐ろしい……。赤マントは本当に、お父さまを解放するために働いているのでしょうか?」
「お父さまのためと言いながら、何か。本当はわたくしの想像もつかないようなことを画策しているのでは……?」
「わたくしには、もう制御できない……!祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――」
レディベアはそう言うと、祈に向き直って両手を伸ばし、その手をぎゅっと握ってきた。
その瞳に嘘や偽りはない。今までレディベアの話したことは、正真正銘の真実なのだろう。
レディベアが真摯な眼差しで祈の瞳を見つめる。祈の返答を待っている。
ふたりの少女の間に、静寂が訪れる。
そして。
「おおーっと!麗しい友情の一幕のところ、失礼するヨ!」
信頼と友情に裏打ちされた静寂を破ったのは、不自然に明るく癇高い嗤い声だった。
見れば、闇の中――空中に鮮やかな血色のマントを羽織った怪人が浮かんでいる。
「……赤マント……!」
レディベアが声を荒らげる。
赤マントは外套の内側から不自然なほど長い右腕を伸ばすと、あっという間にレディベアを捕え自らの懐へ抱き寄せた。
「こっそりいなくなったと思ったら、まさかこんな所で内緒話とはネ!でも、そろそろ夜も遅い……良い子は寝る時間だヨ、クカカ!」
「は……、離しなさい赤マント!不敬でしてよ!?」
レディベアは赤マントの腕の中でもがいたが、びくともしない。
「クカカ!これは失礼!しかし吾輩は妖怪大統領閣下より、キミのお目付役を仰せつかっているものでネ!」
「キミが我々の計画にない行動をすれば、それを諫めるのも吾輩の仕事なのだヨ!それが大統領閣下のご意思でもある!」
「……お父さまの……」
「友情を育むのは、むろん素晴らしいことだとも!しかし、それが行き過ぎて我々の計画に支障が出るようなことは避けねばならない!」
「ということでネ……多甫 祈ちゃんだったかな?茶番の友達ごっこは、これでオシマイ!」
「レディは引き取らせて頂くヨ。もう学校へ行く必要もない……これからは大統領閣下の御復活に集中して貰わなければ」
「そんな……!わ、わたくしは、まだ……!」
赤マントが祈に対して慇懃無礼な礼を述べる。
レディベアは愕然とした表情で隻眼を見開いたが、赤マントはそんなレディベアを一顧だにしない。
「レディのママゴトに付き合ってくれたお礼は、改めて。今、アスタロトがキミのためにとっておきのショーを準備しているところサ」
「きっと満足して貰えると確信しているのでネ……楽しみに待っていたまえ!クカカ……クカカカカカッ!」
甲高い声で笑う赤マントと、その腕に捕えられたレディベアの姿が徐々に薄れていく。
「い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!」
抵抗するも、やはりレディベアは赤マントの拘束から逃れられない。
「祈!……祈…………!!」
レディベアが、祈へと必死に右手を伸ばす。
けれどその手が繋がれることはない。レディベアと赤マントは、霧のように闇の中へと消えていった。
44
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:22:53
>童はみゆき。君はなんて言うの? ……えっ、名前が無いの!?
>じゃあ童がつけてあげる! 狐だからきっちゃんね!
>きっちゃんはお母さんとかお姉ちゃんとか守ってくれる人はいないの?
>いない? しょうがないなあ、童がなってあげる!
>もう大丈夫だよ! 童が100年でも1000年でも君を守り抜く!
淡く降り積もる粉雪の下、長い銀髪にアイスブルーの瞳の少女がそう言ってあどけなく笑う。
その手を差し伸べて、一緒にいようと。ともだちになろうと提案してくる。
ああ、そうだ。
親の顔を知らない。名前もない。自分が何者かさえわからない――そんな自分に初めて『個』という概念を与えてくれた存在。
無垢な少女の姿をした、けれど人間ではない者……みゆきちゃん。
彼女と一緒にいたのは、時間に換算すればほんの短い間。ひと冬にも満たない時間だったけれど。
でも、本当に。――大切な時間を過ごしたと思う。
一緒に、雪原を駆け回った。ひとりと一匹で、丸まって眠った。ときどき人里に下りては、悪戯もやった。
ひとりぼっちの自分が、初めてひとりぼっちではなくなった。……それが、嬉しくて。
傍にいたいと思った。彼女の姉は心配していたけれど、そんなの関係なかった。
この関係は、これからも。ずっとずっと続いていくのだと、当たり前のように思っていた。
でも。
それを終わらせたのは、ボク。……だった。
みゆきちゃんが、ボクのお墓に取りすがって泣いている。
命を喪い、肉体を失ったボクには、それを黙って見ていることしかできなかった。
アイツのときもそうだ。ボクを撃ったアイツ……兵十。
兵十がボクのために小さなお墓を作っているときも、ボクはやっぱり何もできなかった。
『きっちゃん』と、何度もボクの名を呼んでは慟哭するみゆきちゃんの泣き顔が、悲しくて。
『ごんよう、ごめんなあ、ごめんなあ』と、泣きながら何度も繰り返す兵十の声が、寂しくて。
いつもそうだ。
ボクが幸せになってほしいと思った人は、必ず不幸になっていく。
良かれと思ってやったことは、どれも例外なく裏目に出てしまう。
ボクが幸せになりたいと思えば思うほど、その想いは!願いは!ボクの前からまぼろしのように掻き消えていってしまう――!
この世界には希望なんてない。希望は絶望のとば口、幸福は一瞬……愛は幻。
ならば――そんなもの、欠片さえ残さずなくなってしまえばいい。
ボクはこの世界を恨む。ボクの想いを無碍にし、周囲の人々を不幸にする宿命を憎悪する!
例え千年の時が経とうと、この恨みは消えない――!!
……けれど。
もし、もしも。
ボクのこの憎悪を否定して。
世界は愛に満ちていると、希望に溢れていると……そう、証明してくれるひとが現れたなら――。
45
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:27:25
「――は……!」
豁然と目を見開くと、眠りから目覚めた橘音はがばりとベッドから上体を起こした。
起き上がった拍子に身体にかけていた黒い寝具がはだけ、白い裸身が露になる。
「……く……。妙な夢を……。あちらのボクが見ている夢を、ボクも見たということか……?」
仮面をかぶっていない素顔に右手を添え、忌々しげに呻く。
橘音はふと、自らの裸身に余計な付属物が現れていることに気が付いた。
それは、大きな狐耳とふさふさした毛並みの尻尾。
「フン……。やはり、魂を分割すると変化が曖昧になるか。まぁいいさ、残りを吸収すれば、すぐに戻る」
一人ごちると、ベッドから下りて裸のまま寝室を出、シャワールームへ。
汗を流し、長い髪を丁寧に梳くと、橘音は漆黒の半狐面を装着した。
「さて」
妖気で白ランとマントを造り、学帽をかぶると、橘音は長い廊下を歩き、両開きの扉のひとつを開いて中に入った。
部屋の中は照明が消されているのか、はたまた最初からないのか……内部を確認することができない。
橘音が物怖じせずそこへ足を踏み入れると、背後で自然と扉が閉まり、室内は完全な真闇に覆われた。
と、それも束の間のこと。すぐに、膨大な妖気が部屋の中を満たしてゆく。
橘音は頤を上げ、闇の中の一点を見上げた。
すぐに、そこに無数の紅色の光が宿る。
それは『眼』だった。
煉獄の炎のように燃え盛る、悪魔たちの眼。
「ゴルルルル……。アスタロト……長らく不在にしていたと思ったら、突然戻ってきて我らを呼びつけるとは……何事だ?」
「我ら三柱を呼びつけるということは、君。それなりの覚悟があってのことなのであろうね?」
「オセらを使嗾し、人間界の混乱を画策したようだが……余らをオセら下級魔と一緒にするでないぞ……」
部屋の中にいたのは、三柱の悪魔だった。
橘音――アスタロトは小さく笑うと、大きく両手を広げてから慇懃に礼をした。
「むろん。無礼は承知の上――上級魔、偉大なる地獄の大王であるお三方に相応しい用件にて、僭越ながらお呼び致しました」
「ゴルル……。であるか……。ならば、用向きを申すがよい……」
三柱の一角、冠をかぶった人間と牡牛、牡羊の三面を持ち、下半身はガチョウの脚に大蛇の尻尾。
翼を有しドラゴンに跨った、身長5メートルほどの巨体。
序列32位、72の軍団を率いる地獄の大王――アスモデウスが荘重な口調で促す。
「おっと、待ち給え。その前に……我らはルシファー派でも、諸君らの派閥でもない」
「あくまで中立の立場として此度の戦争に参加する。純粋な悪魔として、神の作り給うたこの世界を破壊する。いいかね?」
釘を刺してきたのは、化物然とした巨体のアスモデウスとは対照的に人間そっくりの姿をした悪魔だった。
黒い燕尾服を纏った銀髪の青年だが、目許を布で厳重に覆い隠している。その背後に控えているのは、様々な楽器を持った大楽団だ。
序列13位、85の軍団を支配する地獄の大王、ベレト。
「まあ……余は戦えるのならば何でも構わぬが。その代わり、つまらぬ戦場は許さぬぞ」
最後に口を開いたのは、古式ゆかしい西洋甲冑に身を包み、毒蛇と剣を持ち熊に跨った獅子頭の悪魔。
アスモデウスに並ぶほどの巨躯を僅かに揺らすたび、全身に纏っている地獄の炎が陽炎のように揺らめき口から火焔が溢れる。
序列20位、22の大軍団を統べる地獄の大王、プルソン――
オセやシャクス、ヴァサゴといった低級天魔とは一線を画す、天魔七十一将の上位クラス。
創世記戦争でも悪魔軍の主力となって世界を死と破滅の炎に包んだ三柱の大悪魔が、アスタロトを見た。
46
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:34:38
「この日本に巣食う下等妖怪を悉く滅し、征服するために、皆さんの偉大なお力が必要なのです」
「むろん……ボクたちの派閥に入ってほしいとは言いません。皆さんはあくまで独立勢力として戦って下さって結構!」
「すでに、大天使長ミカエルもこの東京に降臨しています。創世記戦争の意趣返しには、またとないチャンスかと」
ニタリ……と口角に笑みを刻み、アスタロトが三柱を見上げる。
「ゴルルル……ミカエル!あの女め、かつて我が軍団を散々に痛めつけてくれた礼、倍にして返してくれる……!」
「ふむ。今度こそ天軍を打ち破り、地獄に叩き落とし。我らの味わった痛苦を存分に体感させてやるとしよう」
「ミカエルゥゥゥゥ……!今から、奴めの喉笛を噛みちぎる甘露に我が牙が疼くわ……!」
ミカエルの名に、三柱はいきり立った。創世記戦争で天軍の総司令官を務め、悪魔をこれでもかと痛めつけた天使長である。
悪魔たちにとっては、どれだけ憎んでも飽き足らぬ不倶戴天の敵ということなのだろう。
そんな三柱の反応を見て、アスタロトはニヤニヤと嗤っている。
「ならば。ならばこそ、此度の戦いにはお三方のお力が不可欠……このアスタロトの願い、聞き入れて頂けますでしょうか?」
「さすれば、お三方の御名は我ら悪魔第一等の勇者として、永遠に讃えられることでしょう!ハレルヤ!」
「ハレルヤはやめ給え。虫唾が走る」
「ゴルル……、善かろう……。憎きミカエルめを地面に蹲らせ、犯しながら殺してくれよう……」
「御託はいらぬ、余らはどこで暴れればよいのだ?余の軍団は何を踏み潰せばよいのだ?作戦を申すがよい――参謀!」
三柱がアスタロトへ作戦の開示を促す。
アスタロトは満足げに一度頷くと、もう一度慇懃に会釈をした。
「素晴らしい!お三方ならそう仰って下さると、ボクは確信していました!ならばお話し致しましょう、作戦を!」
「皆さんには、地獄の大王としての強力無比な妖力をすべて提供して頂きます。一滴残らず、そう……」
「――『彼女』の『養分』として、ね――!!」
悪魔の参謀がそう告げ、パチンと指を鳴らした途端、アスモデウス、ベレト、プルソン三柱の足許に禍々しい魔紋の魔法陣が出現する。
それは、悪魔を拘束する枷。その身に蓄えた力のすべてを剥奪する牢獄。
魔法陣の中で、黒い雷霆が荒れ狂う。大王たちの妖力を、魔法陣が吸収してゆく。
「ゴ……、ゴルルルルルオオオオオ!!こ、これは一体……!?」
「なんの……真似だ、狂ったか!アスタロト――!!」
「ギギョオオオオオオオオ!!!ち、力が……余の、力がァァァァァ……!」
大悪魔たちはもがき、懸命に魔法陣から脱出しようと暴れたが、一歩も魔法陣の外へ出られない。
苦しむ三柱を両手をズボンのポケットに入れて眺めながら、アスタロトが嗤う。
「正直な話……ボクらの意に沿わず、威張り散らしてばかりのアナタたちは邪魔なんですよねえ」
「必要なのはアナタたちの人格じゃない、アナタたちの貯め込んでいる妖力です。全部吐き出して頂きますよ……出涸らしになるまでね」
「どういう形であれ、アナタたちの力で天使どもに復讐するというのは間違いない。喜んでくださいよ……アッハハハハハッ!」
「オ……オォォオォオオォオォオォォ……!アスタ、ロ……!!」
「この……屈辱……!許さぬぞ、大公……!きさまとあの男だけは、決して……この、裏切り者がァァァァァ……!」
「ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
魔法陣の中で、黒雷が激しさを増す。
やがて妖力を根こそぎ吸収された大悪魔たちはケ枯れを起こし、アスタロトへの呪詛を叫びながら消滅した。
後に残ったのは、悪魔の恐るべき妖力を蓄えた三つの宝石。
アスタロトは役目を終えた魔法陣の中に足を踏み入れると、宝石を拾い上げてためつすがめつ眺め、微笑んだ。
47
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:37:52
「フフ……、これでよし」
これで下準備は整った。あとは、作戦を実行に移すだけ。
あの『神』を蘇らせるだけ――。
>せめて、いつもみてぇに笑ったらどうだ
「……!?」
不意に、尾弐が言ったことが脳裏に蘇る。ずくん、と不意に胸の奥に痛みを感じ、アスタロトは右手で胸元を掴んだ。
愛や希望。信頼や善意。
そういったものに見切りをつけ、今、自分は本当にやりたかったことをやっている。
……やっている、はずだ。そう。そうに決まっている。
「……そうさ……。ボクは今、本当のボクに戻ったんだ。ボクの目的のために……最短距離を走ってるんだ……!」
「嗤えるさ、嗤える!嗤ってやる……すべてを!」
「……アハ……、アハハッ、アハハハハハ、アハハハハハハハハハ……!!」
暗闇に支配された、広大な空間で。
ひとり佇んだアスタロトは、いつまでも乾いた哄笑をあげ続けた。
*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-**-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*-+-*
ぱちりと眼を開くと、橘音は目覚めた。
SnowWhiteのソファで眠ったつもりが、いつの間にかベッドに移動している。きっとノエルが運んだのだろう。
この姿にならざるを得ない自分と違い、ノエルがどうしてみゆきの姿になっているのかは不明だったが、抱きしめられて眠った記憶がある。
>もう大丈夫だよ! 童が100年でも1000年でも君を守り抜く!
深い眠りの中で見た夢を思い出す。
遠い過去の話。忘却しようと努めていた記憶。
それでも決して忘れ得ぬ、すべての始まりの記憶――。
――こんな格好で、あんな姿のみゆきちゃんに抱きしめられたら、そりゃ……ね。
自嘲気味に笑うと、橘音は時計を見た。すでに、時刻は正午をとっくに過ぎている。
半日以上眠っていたらしい。のろ、と起き上がると、橘音は寝室から店舗へと出て行った。
店は開店していたが、東京ブリーチャーズのメンバーの姿は見当たらなかった。
ノエルはみゆきの姿で学校へ行ったのだろうか。
祈は登校しているかもしれないが、モノの姿はない。教師に訊ねても連絡はないとのことで、無断欠席らしい。
ポチも、きっと祈に会いに行ったのだろう。眠りに落ちる寸前、早起きして祈に色々教えると言っていたのが聞こえた。
尾弐は、――わからない。
橘音は店舗内の客に気付かれないように寝室へ戻ると、ふたたびベッドの上で丸くなった。
今の東京で迂闊に狐の姿で外に出れば、それだけで周囲の注目を集めてしまう。
下手をすれば捕獲されて保健所行きだ。かつてのシロのような状況になることだけは避けたい。
半日眠ったとはいえ、まだ身体には色濃い疲労が残っている。それは一朝一夕には回復するまい。
とすれば、今は眠って体力回復に努め、メンバーが帰ってきてから話を進めるべきだろう。
橘音は目を閉じると、すぐに寝息を立て始めた。
しかし。
橘音が眠っていた早朝、SnowWhiteにはひとつのニュースが舞い込んできていた。
48
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/07(月) 22:41:57
朝になってノエル、ポチ、尾弐の三人が店舗の外へ出ると、都内は混乱の坩堝にあった。
とはいっても、一見したところ街並みには何の変化もない。いつも通り人間たちは電車に乗り、会社や学校へ行っている。
混乱していたのは人間ではない。妖怪たちだった。
特に、妖怪裁判によって東京ブリーチャーズに代わり帝都東京の警護に当たった妖怪たちが、やたらと慌しく動き回っている。
その辺でバタバタしている妖怪を捕まえて締め上げるなり、平和的に情報提供を要請するなどすれば、容易に情報は得られるだろう。
『天魔アスタロトを名乗る者が、姦姦蛇螺を蘇らせ帝都に解き放つと日本妖怪に予告してきた』――と。
姦姦蛇螺という存在の恐ろしさについては、既に妖怪たちの間に知れ渡っている。
そもそも、姦姦蛇螺とは最近になって周知され始めた名前であり、この個体本来の名前ではない。
この個体の本当の名は『御社宮司(ミシャグジ)』。
遥か縄文の昔より大和民族に崇められてきた、日本最古の神性の一角である。
蛇神であり、建御名方神(タケミナカタノカミ)と同一視される場合もある。
建御名方神は大己貴(オオナムチ、=大国主)の御子神であり、国生みの神の血を引くれっきとした神性――まことの神である。
つまり、妖怪とは一線を画す強大な力を持った存在ということだ。
御社宮司は祟り神でもあり、強力な呪詛を使う。荒神としての側面を有し、妖怪や人間に御せる相手ではない。
ただただその祟りを畏れ、怒りを買わないように祀り、穏やかであることを祈り続けるしかない。
十数年前に一度降臨しかけたが、それを数人の妖怪が命懸けで再封印して以来、御社宮司――姦姦蛇螺はずっと眠りについていた。
しかし、アスタロトはそれを復活させ、神の力をもって東京を壊滅させようとしているらしい。
挑戦状に等しい犯行予告を受けた日本妖怪勢は色めき立った。
そして、現在は姦姦蛇螺復活に備え、対抗策や軍備の用意に奔走しているということであった。
姦姦蛇螺は東京都内にある『禁足地』に封印されている。噂では、その場所は新宿区のどこかだというが、詳しい話は誰も知らない。
日本妖怪軍団の総大将は、狸一族の団三郎狸。かつて法廷で橘音を糾弾した、現在の狸の代表である。
副将には同じく裁判で橘音をなじった鬼族の茨木童子と河童族の伊草の袈裟坊が控え、他の五大種族その他は補佐につく。
東京で五大妖の傘下に入っている妖怪たちのほぼすべてが、今回の姦姦蛇螺との戦いに駆り出されるという。
その総勢はおよそ三十万。これほどの数の日本妖怪が一致団結するのは、かつてない大事である。
駆けずり回っている妖怪たちの話では、対外敵勢力用に開発された新兵器の投入も検討されているらしい。
妖怪たちはすでに、姦姦蛇螺が蘇ることを前提に戦いの準備を進めている。
しかし、封印が解かれる前に水際で食い止めるという方法もなくはない。
禁足地の場所は、尾弐が知っている。――それは新宿区と渋谷区にまたがる庭園、新宿御苑。
その庭園の敷地内、誰も知らない森の奥に禁足地が存在し、ひとつの祠が安置されているという。
元東京ブリーチャーズのメンバーたちは、迅速にこれからの方針を決定しなければならない。
妖怪たちと共に姦姦蛇螺を迎え撃ってもいいし、禁足地に赴いてもいい。
禁足地に赴くのは、尾弐にとっては生爪を剥がされるような苦痛を伴う行為だろうが――。
橘音は、まだ昏々と眠り続けている。
49
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/11(金) 22:46:36
祈が戦闘状態を解除し、やめようと呼びかけてから
どれだけの間無言で見つめ合っていただろうか。
やがて諦めたのか、レディ・ベアも構えを解いて、
>「……貴方は、本当に愚かですわね。まったく理解不能ですわ」
呆れたように言った。レディ・ベアらしい冷淡な表情のまま。
いつも通りの、聞き慣れたどこか上からの言葉で。
レディ・ベアらしい、などと祈は思った。
しかしレディ・ベアが次に見せる表情を、祈は知らない。
>「わたくしたち二人の間で取り交わした協定は、あくまで学校の中では戦わない……というもの。そしてここは学校ではありません」
>「ならば。わたくしはモノ・ベアードではなくレディベア。貴方たちの憎む、殺戮者たちの長――」
>「わたくしが憎いでしょう?怒りを覚えるでしょう?わたくしを殴ればいい、蹴ればいい!わたくしに復讐すればいい!」
>「……なのに。この期に及んで、友達などと……そんなことを言うなんて……」
そう語りながらくしゃくしゃと崩れていく表情に、祈はぎょっとする。
>「祈……、貴方は、ずるいですわ……!」
レディ・ベアの隻眼からぽろぽろと零れる大粒の涙。
――泣いている。あの、レディ・ベアが。目から涙を溢れさせている。
あまりのことに思考が追い付かず、瞬間呆ける祈。
それはきっと、妖怪大統領名代としての顔が剥がれた瞬間だった。
「ど、どうしたんだよ……モノ?」
レディ・ベアは両手で顔を覆い、本格的に泣き始めてしまう。
>「……ごめん……ごめんなさい……!」
>「わたくし、皆さんにひどいこと……。たくさん、人を殺して……妖怪を葬って……悪いことをして……!」
>「祈の心を傷つけて……元気を奪って……!ごめんなさい……本当にごめんなさい……!」
>「すべて、わたくしのせい……!わたくしが何もかも悪いのです、わたくしが……!」
>「ぅ……ぅぐっ、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!」
祈は予想外のことに少々慌てたが、やがて困ったように笑って、
レディ・ベアの頭に右手を伸ばした。その頭を自身に引き寄せて抱きしめると、
左手で背中を優しく叩いてやった。
寂しくて泣いていた夜、祖母がやってくれたように。
悲しくてどうしようもなくなった時、ノエルがやってくれたように。
抱きしめるという行為がどれだけ心を救うのか、どれだけ気持ちを落ち着けるのか、祈は知っている。
「……あたしも同罪だよ、モノ。あんたを止めてやれなかった。
止められたらあんたが傷付くことだってなかったのに。だから、……あたしもごめんな」
泣きじゃくるレディ・ベアの嗚咽が響く。
祈はレディ・ベアが落ち着くまで、暫くそうしていた。
50
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/11(金) 22:57:11
>「……本当は。こんなはずではなかったのです」
少し落ち着きを取り戻し、泣き止んだレディ・ベアは、そう切り出した。
祈とレディ・ベアは広場の隅にある休憩スペースに移動し、ベンチに肩を並べて座っている。
外灯と自販機の明かりが二人を照らす。
レディ・ベアの膝上に置かれた両手にはオレンジジュースの缶が握られ、
祈の傍ら、ベンチの上にも同様の缶が置かれている。
泣いて喉が渇いたのか、自販機でレディ・ベアがオレンジジュースを買ったので、
祈も同様にオレンジジュースを買ったのだった。
レディ・ベアは俯いて膝上の缶を見つめたまま、ぽつぽつと語り始めた。
レディ・ベアが生まれたのは、『ブリガドーン空間』と呼ばれる奇妙な空間であったこと。
そこには父であるバックベアードしかおらず、
二人は隔絶されたその空間から、現世をただ、羨んだり妬んだりしながら眺めているしかなかったこと。
天地も左右の区別もなく、何もないというそのブリガドーン空間というのは、
何も入っていないドラえも○のポケットの中のような、
ただ果てない空間だけが広がる寂しい世界だったのだろうかと祈は想像する。
愉快そうな名前をは裏腹に、
きっと親子二人でいなければ狂っていてもおかしくないような、そんな場所だったのだろうと。
>「しかし……そんなとき、わたくしたちの住処に忽然とあの男が現れたのです。あの紅いマントの怪人――65535面相が」
「赤マントが……?」
結界破りの常習犯。赤マント。
厳重な警備をしている筈の妖怪銀行だろうと容易に破ることのできる、あの力なら。
ブリガドーン空間とか言うよくわからない場所でさえ、侵入することができてもおかしくないのだろう。
レディ・ベアが祈のことを窺うように見る。
>「彼は言いましたわ。『封印されし偉大な支配者よ、今こそ忌まわしき寝所を出、すべての妖怪の頂点に君臨するとき』と」
>「赤マントは自らを妖怪大統領第一の臣と名乗り、わたくしたちを現世に連れてゆくと申し出てきたのですわ」
>「あの、緑したたる世界!蒼い海と空が広がり、紅い太陽の燃える世界へ!わたくしはその申し出に飛びつきました」
たった二人だけの世界に突如として現れ、現世に連れていくと提案した赤マント。
その存在はレディ・ベアとバックベアードにとって、
警戒すべき異物でありながら、同時に歓迎すべき客人でもあったことだろう。
封印されていたらしい妖怪大統領にしても、
その傍らに生まれ落ちたレディ・ベアにしても、現世とは眩しい場所であっただろうから。
この地獄のような場所から抜け出て、元の世界に戻れるのなら、憧れの場所に行けるなら、と。
どれだけ怪しくともその言葉を信じ、提案に飛びついてしまうのも無理のない話なのかも知れなかった。
だが、その提案にはある問題があったようだ。
>「でも……さしたる力を持たないわたくしと違い、お父さまをブリガドーン空間から解放するには多大なエネルギーが必要だったのです」
>「幸い、オリンピックイヤーの2020年は東京直下の龍脈のエネルギーが最大になる年――それを利用しない手はありません」
>「わたくしは赤マントがどこからか連れてきたクリスとロボを率い、東京ドミネーターズを結成し――後は、貴方も知る通りですわ」
出られるのは、レディ・ベアただ一人。
バックベアードが外に出るには、多大なエネルギーが必要だということだ。
そこで彼女達が目を付けたのが、東京直下にある龍脈なるもののエネルギーだった。
「龍脈……」
龍脈とは風水の用語だっただろうか、と祈は記憶を手繰る。
大地の下を流れる巨大な気の流れみたいなもので、それの上にいると力が漲るとか、
その上に家を建てると幸せになれるとか、そんなものだった気がした。
詳しいことは分からないが、パワースポットのパワーの源みたいなものだろうと、祈はひとまず解釈する。
とりあえずそのパワーの源が2020年に最大になり、
ドミネーターズはそのパワーを妖怪大統領の復活に利用しようとしていたのだということが分かった。
彼女達が日本を支配したがる理由、取り分け東京を侵略しようとした理由を今更ながらに知った祈である
(祈は東京ブリーチャーズの結成された詳しい経緯を知らないが、
東京直下、皇居の真下にある龍脈から噴き出す大いなるエネルギーを奪われまいとして、
東京ブリーチャーズは結成され、海外勢力と戦っていたのだ)。
51
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/11(金) 23:02:17
>「わたくしだって、好きで戦争を望んでいるわけではありませんわ」
>「死も、つらく悲しい……犠牲が出ない方法があるのであれば、それに越したことはないのです」
>「……でも。お父さまをあの場所から解き放つ方法がそれしかないのだとしたら。わたくしは……戦う他にはありません」
>「お父さまは、わたくしの全て。わたくしはお父さまを心から愛しておりますから」
>「祈。貴方も、貴方のお父さまのことは好きでしょう?苦境に立たされた家族のために手を尽くすのは、当然のことではなくて?」
>「……たとえ。それが悪であったとしても」
父に関しては正直複雑であるが、祖母に置き換えればその気持ちはよく分かる。
祖母が無機質な牢獄に永劫囚われているなら、どうにかして出してあげたいと思ってしまうだろう。
ただ、だからと言って、誰かを傷付けるようなことはしたくはないし、
>「そう……覚悟を決めたつもりでいたのですけれど……ね」
それはレディ・ベアも同じだったのだと祈は思う。
何せここ現世は、レディ・ベアにとって憧れた世界なのだ。
それをどうして壊そうと思えるだろう。
そこに住む人々や妖怪を、どうして殺そうと思えるだろう。
だからこそ愛する父の為だと誤魔化して、
『戦争だから人が死ぬのは当たり前』などと言って、
己を正当化するしかなかったのかもしれない。
だがもう、レディ・ベアは自分を誤魔化しきれない。
あの涙が何よりの証拠で、もうきっと人を殺したりなんかしないだろうと、祈は思う。
寂しそうに笑うレディ・ベアの背を、祈はぽんと叩く。
>「お父さまを解放するには、『極上の絶望』が必要だと……赤マントはそう言っていました」
>「その『極上の絶望』が祈、貴方のことを指すとしたら、赤マントはさらなる一手を繰り出してくるでしょう」
>「わたくしは……どうしたらよいかわかりません」
レディ・ベアは更に、赤マントは、クリスとロボが敗れた後どこからか悪魔達を招集し、
今となってはレディ・ベアが握っていたはずの指揮権も赤マントが奪ってしまっているという実情を語った。
その『極上の絶望』とやらを手に入れる為のさらなる一手とやらも、その悪魔達が担うのだろうか。
>「わたくしはお飾りに過ぎませんわ。すべての作戦や計画の立案、実行は、赤マントが一手に取り仕切っています」
>「あの者たち……あの悪魔どももそう。赤マントがどこからともなく連れてきたのです、クリスやロボたちと同じように」
>「見たこともない悪魔どもは、どこから来たのでしょう?赤マントはどこであの者たちと知り合ったのでしょうか?」
>「戦いはもはや、わたくしの手に負えないところに行ってしまった。今更わたくしがやめろと言ったところで、聞き入れられないでしょう」
>「わたくしは恐ろしい……。赤マントは本当に、お父さまを解放するために働いているのでしょうか?」
>「お父さまのためと言いながら、何か。本当はわたくしの想像もつかないようなことを画策しているのでは……?」
>「わたくしには、もう制御できない……!祈、お願いですわ。もし、もしも。わたくしのことを本当に友達と思ってくれるのなら――」
レディベアはそう言うと、隣に座る祈に向き直って、
祈の右手を両手でぎゅっと握った。答えを待ち、真摯な目で祈を見つめる。
祈はレディ・ベアの視線をまっすぐ受け止め、
左手をレディ・ベアの手に添えると、ぎゅっと握り返した。
レディ・ベアが不安に思うのも無理はない。
祈からしても赤マントは何を考えているのかわからない、危険な妖怪だ。
元々は橘音とは探偵と怪盗というライバルのような間柄で、
度々お宝を盗んだり事件を起こしてきた“愉快犯”のようなあの赤マントが、
今度は妖怪大統領第一の臣などと自称し、
バックベアードに付き従っているのがそもそもおかしいのだ。
新しい悪戯を思いついて、その悪戯にバックベアード達を利用していると考えた方が余程自然ですらある。
その悪戯には大量の人員が必要だが、
自身には求心力がないから、封印されている強大な妖怪・バックベアードを首魁に据え、
その名とカリスマを使って人員を確保しよう、だとか。そんなことを考えていてもおかしくはないし、
龍脈の強大なエネルギーを手に入れようとしているのも、妖怪大統領の為などではなく、
己の為なのではないだろうかとも思う。
なんであれ、自身を利用しようとする存在が身近にいる恐怖に友達が怯えているのなら――。
52
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/11(金) 23:22:53
>「おおーっと!麗しい友情の一幕のところ、失礼するヨ!」
そこへ現れたのは赤マントだった。暗闇の中、中空に浮かんでいる。
耳障りな哄笑が響く。反射的にベンチから立ち上がり、声のした方を睨む祈。
>「……赤マント……!」
レディ・ベアもベンチから立ち上がり、宙に浮かぶ赤マントを睨んだ。
すると赤マントは外套の内側から不意に右腕を出現させた。それがぎゅると波打ち、
物理的に伸びたかと思うと――攻撃かと思って咄嗟に祈は飛び退いて躱したのだが――その腕はレディ・ベアを掴んだ。
そして伸ばした腕を掃除機のコードのように回収。レディ・ベアは、赤マントの懐に抱きかかえられた格好になる。
(しまった……! 目的はあっちだったのか!)
あの距離からの腕を伸ばしてきたことにも驚くところだが、
狙いは自分ではなくレディ・ベアだったとはと、内心祈は舌打ちする。
>「こっそりいなくなったと思ったら、まさかこんな所で内緒話とはネ!でも、そろそろ夜も遅い……良い子は寝る時間だヨ、クカカ!」
>「は……、離しなさい赤マント!不敬でしてよ!?」
もがくレディ・ベアだが、赤マントがレディ・ベアを放す気配は全くない。
抱えたまま、赤マントは嗤う。
>「クカカ!これは失礼!しかし吾輩は妖怪大統領閣下より、キミのお目付役を仰せつかっているものでネ!」
>「キミが我々の計画にない行動をすれば、それを諫めるのも吾輩の仕事なのだヨ!それが大統領閣下のご意思でもある!」
>「……お父さまの……」
父の名前を出されて、レディ・ベアの動きが一旦止まる。
こうやって、レディ・ベアを操ってきたのだろう。
>「友情を育むのは、むろん素晴らしいことだとも!しかし、それが行き過ぎて我々の計画に支障が出るようなことは避けねばならない!」
>「ということでネ……多甫 祈ちゃんだったかな?茶番の友達ごっこは、これでオシマイ!」
>「レディは引き取らせて頂くヨ。もう学校へ行く必要もない……これからは大統領閣下の御復活に集中して貰わなければ」
そう語って、赤マントがレディ・ベアから下方、祈へと視線を移した時。
>「そんな……!わ、わたくしは、まだ……!」
そこに祈の姿はない。
「勝手に話を進めんな! あたしとこいつのは、“ごっこ”なんかじゃねぇ!」
両者が会話に集中している隙を突いて、祈は赤マントの視界から移動し、跳躍していた。
既に空中の、赤マントの背後に回っている。
レディ・ベアの拘束を解く為、一撃喰らわせて怯ませようと、空中で蹴りを繰り出す祈。
だが赤マントはそれを読んでいたかのようにひらりと舞い、いとも簡単に祈の蹴りを躱す。
かろうじて、風に煽られた赤マントの外套の、その端を靴の先が掠めただけに終わった。
赤マントは、落下し着地する祈を見下ろしながら、嘲るように笑う。
53
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/11(金) 23:35:42
>「レディのママゴトに付き合ってくれたお礼は、改めて。今、アスタロトがキミのためにとっておきのショーを準備しているところサ」
>「きっと満足して貰えると確信しているのでネ……楽しみに待っていたまえ!クカカ……クカカカカカッ!」
「てめぇ……っ」
見上げれば、哄笑する赤マントとレディ・ベアの姿が徐々に薄くなっていくところであった。
この場から消えるつもりなのだろうと、祈は咄嗟に理解する。
祈は再び宙へと跳んだ。
>「い、嫌です!わたくしはまだ、祈と一緒に……!」
>「祈!……祈…………!!」
赤マントの腕から逃れようともがき、必死に祈へ手を伸ばすレディ・ベア。
その手を掴もうと、祈も右手を伸ばした。
「モノ!」
今度は届いた、と思った祈だったが、
掴まえたと思ったレディ・ベアの手は霞のようにすり抜けてしまい、掴むことは叶わなかった。
失速し、落下する祈。その間にもレディ・ベアは消えてゆく。
その姿が完全に消えてしまう前に何かできることはないかと思った時、
「――必ず助けるから! だからモノも絶対負けんなッ!」
そんな言葉が祈の口を突いて出た。
ドミネーターズの指揮権を握っているという赤マント。
やつがレディ・ベアを攫い、学校にも行かせずに大統領復活に集中させると言った。
だとすれば本当にそうするだろう。
あちらにはイケメン騎士Rがいて、彼がレディ・ベアを守るだろうし、
それに赤マントが妖怪大統領を利用する為にも、
その娘であるレディ・ベアに手荒な真似はしないであろうと考えられた。
だが父の為だと吹き込んで、またレディ・ベアに人を殺させようとするのかもしれないし、
反抗的ならば『ブリガドーン空間』に監禁するなんてこともあるかもしれない。
どのような形であれ、今後レディ・ベアが辛い状態に置かれるであろうことは予測できた。
『極上の絶望』とやらの生贄が祈を指していないのだとすれば、という不安もある。
故の、精一杯の励ましの言葉だった。
手は届かなくても、せめて気持ちや言葉が届けばと思ったのだ。
祈が着地する寸前に、赤マントとレディ・ベアの姿は完全に消えてしまった。
風の音と自販機の僅かな作動音しか聞こえず、公園には、祈以外誰もいない。
まるでここには最初から祈以外、誰もいなかったようだった。
だが確かにベンチの上には、オレンジジュースの缶が二つ並んでいる。
伸ばした祈の手は、友人の手を掴むこともできず空を切った。
しかし、掴めたこともある。
54
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/12(土) 00:05:21
翌日の朝。祈が自宅で朝食を摂っていると、ポチがやってきて
橘音が戻ってきたことなどを教えてくれた。
ターボババアの姿はない。珍しく和菓子の仕込みがあるとかで、
朝食を作り終えた後、昨日の引き続き早くに出掛けてしまったのだった。
白米、ベーコンエッグとさんまの塩焼き、ワカメの味噌汁、
山盛りのキャベツなどを順に口に放り込みながら、祈はその話を聞いた。
ポチが望むなら、朝食は適当に貰えるだろう。冷蔵庫には牛乳などもあるし、
簡単なものならば祈が作って出してくれる。
「……つまり、じーちゃん家の門の上に立ってた白狐があたし達の知る橘音で、
アスタロトを名乗ってる方は橘音の三分の二の力を持った……別人格ってとこか」
ふーん、と。味噌汁を飲み干して頷く祈。
道理でポチの鼻をもってしても本物判定になる訳だ。
何せ魂を分けただけでどちらも本物なのだから。
「よくわかんないけど、橘音が戻ってきてくれて良かったよ。教えてくれてありがとう、ポチ。
ならあたし、学校行く前に御幸のお店に寄ってこうかな。今橘音はそっちにいるんでしょ?」
祈は言い終えると、手を合わせご馳走様でしたと言って、
重ねた空の食器を台所の流し台に持って行き、洗い始めた。そしてポチに背を向けたまま、続ける。
「もしポチも御幸のお店に戻るつもりだったら、ちょっと待ってて。すぐ準備するから、一緒に行こうよ」
慣れた手つきで素早く食器を洗い終え、手を洗った祈は、そんな風にポチを誘う。
そして手をタオルで拭うと、振返って、
「そうそう。そんであたしさ。ブリーチャーズ辞めないことにしたんだ」
と、ぎこちなく笑いながら言った。
それはポチにとっては意外な答えだったかもしれない。
三分の一とは言え橘音が戻ってきたのだから、
橘音を殺そうとするポチや尾弐を止める為にブリーチャーズに留まることもないだろうと。
だが残り三分の二の橘音も祈にとっては変わらず助けてやりたいものであったし、
それに祈には、昨日掴んだものがある。
それは『祈が戦線を退いたところで何も変わりはしないということ』だった。
アスタロトがショーを開催しようとしていると赤マントは告げていた。
祈がブリーチャーズから遠ざかっていることはレディ・ベアを通して知っていてもおかしくないのに、
祈を標的にしているのは変わりはない様子だった。
だとすれば『祈がブリーチャーズを抜ければ無駄に被害が出ることはない』という、
その考え自体が誤りだ。
戦いを辞めても戦いを続けても、どの道彼らが祈を狙って被害を出そうとするのなら、
戦って少しでも誰かが助かる確率を上げたい。祈はそう思った。
たとえそれが、傷だらけになるような道だったとしても。助けたい相手も増えたことだ。
「だからこれからもよろしくね。ポチ」
そうして支度を終え、制服に着替えた祈は、
もしポチがSnowWhiteに戻るつもりであればポチと共に。
そうでないのなら祈一人で、SnowWhiteを目指して街を歩くことになる。
学校指定の鞄と、肩には大きめのスポーツバッグ。
スポーツバッグには、いざそのショーとやらが始まったとしても対応できるように、
着替えやら何やら――反応がない風火輪も念の為、突っ込んできている。
時刻は七時半と言った所だろうか。
都内で混乱する妖怪達のことを見て、なにか様子がおかしいと思いつつも、
SnowWhiteの前まで辿り着いた祈は、開店前のSnowWhiteの扉を叩いた。
55
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/12(土) 21:56:04
「起きて乃恵瑠!」
「むぎゅっ!」
橘音を抱いて幸せそうに眠っていたみゆきだったが、早朝に叩き起こされる。
目を開けてみると、ハクトが体の上で飛び跳ねながら騒いでいた。
超常の聴力で街の異変を察知したらしい。
「どうしたのさ、こんな早朝に……」
「外が騒がしいんだ! とんでもない数の妖怪がバタバタしてる!」
「ええっ!? それは大変だ!」
とりあえず二人を起こそうと、フリル付きパジャマのまま寝室を出たものの
早起きのポチはすでに起きていて、尾弐はそもそも寝ていなかった。
ポチは祈の家に行って橘音が帰ってきたことを報告しに行くという。
「うん、よろしくね。童が行っても家に入れて貰えるか分かんないし……。
童はその間に何が起こってるのか探ってみるよ」
祈の気持ちがブリーチャーズを抜ける方に傾いてきているのだとしたら、
決心が揺らがないように顔を合わせる事を避ける可能性がある。
それに、ノエルとしては祈にどう接していいか分からないのであった。
だからこそみゆきの姿をとって学校に潜入なんていう裏技に出ているのだが。
祈の家に向かうポチを見送ってから、誰にともなく言う。
「ポチ君は凄いね。真正面から相手と向かい合っていつの間にか懐に入り込んじゃう」
みゆきはノエルの姿になって身支度を整えると、尾弐がポチと共に祈の家に行ったなら一人で、
行っていないなら尾弐と共に外に出て情報収集を試みる。
その辺を走っていたタヌキを捕まえて「ねぇねぇ、何で走り回ってるの?」と普通に聞いてみると
「貴様らに教えてやる情報はないポン、と言いたいところだけど今は狐の手も借りたい状況だから特別に教えてやるポン」
ということで、特に情報提供要請(物理)をするまでもなくすぐに教えてくれた。
逆に言えばそれだけ非常事態ということなのだが。
「天魔アスタロトを名乗る者が、姦姦蛇螺を蘇らせ帝都に解き放つと日本妖怪に予告してきた、だそうポン」
「えぇーっ!? ちょっと展開早すぎない!?」
昨日橘音が寝入り際に言っていた予想が早くも的中してしまったのだった。
今日は学校に行っている場合ではなさそうだ。
しかし、単純に東京を壊滅させたいならわざわざ反抗予告なんてせずに不意打ちした方がいいのではないかと思うノエル。
ということは真の目的は他にあるのだろうか。
「いったん店に帰って橘音くんに聞いてみよう!」
橘音は、“元々ひとつであったボクには、もうひとりのボクの企みが手に取るようにわかる”と言っていた。
それが双子が相手の考えそうな事がなんとなく予想が付く程度のものなのか、
それとも文字通り精神のシンクロ的なものがあるのかは分からないが、もし後者ならかなりの情報を得られるはずだ。
56
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/12(土) 21:58:29
「橘音くん、橘音くん、起きて!」
と声をかけながら橘音の体を揺さぶるも、いっこうに起きる気配はない。
単に寝ているのではなく、妖力の消耗による昏睡状態に近いものなので、ある程度妖力が回復するまでは起きないということだろう。
そのことを察したノエルは橘音の毛並みをそっと撫でると布団をかけなおす。
そして橘音の寝顔を見ながらふと浮かんだ考えを橘音に問うように呟くのだった。
「もしかして……あっちの橘音くんは誰かに止めてほしくて反抗予告をしたのかな?
そうだとしたら……復活を阻止する道はあるってこと?」
寝室から出て店舗部分に戻ってみると、ドアをノックする音がした。
ポチが帰ってきたのだろうか、でもポチならノックなんてせずに勝手に入ってきそうなものだが……
などと思いながらドアを開けると、そこには予想外の人物がいた。
「祈ちゃん!?」
橘音が帰ってきたと聞けば会いに来るのは何ら不思議はないのだが、
朝はすぐに学校に行かなければいけないので来るとしても放課後かな、と思っていたのだ。
純粋に来てくれて嬉しいのと、学校に潜入しているのがバレていないかということと
姦姦蛇螺のことを知られてはならないという気持ちが入り混じって複雑な気持ちながらも、嬉しいのが勝って歓迎する。
そしてぬいぐるみがたくさん置いてある寝室に祈を案内してベッドの上で眠っている橘音と対面させるのだった。
「話したいだろうけど疲れて寝てるんだ。放課後にはきっと起きてるからまた来るといいよ」
その後、新製品の大学芋アイスを一緒に食べながら祈の進退に関することには一切触れずに暫し他愛のない話をした後、
「今から学校でしょ? そろそろ行かなきゃ遅刻しちゃう」と普通に祈を学校に送り出そうとする。
その時祈から、ブリーチャーズを続けることにしたと告げられたのだった。
「そ、そうなんだ! それは良かった!」
嬉しいけどよりにもよって今かよ!とまたもや複雑な気分になる。
昨日の橘音や尾弐の尋常ではない様子から鑑みて、姦姦蛇螺と祈の間には並々ならぬ因縁があるのは間違いない。
続けると決めてしまったからには、「今回だけは留守番だ」等と言ったところで聞く祈ではないだろう。
「でも今日は平和で仕事がないから学校に行くんだ!
街中で妖怪が走り回ってるように見えたとしても気のせいだからね!」
とにかく祈を学校に送り出そうとするノエル。
誰がどう見ても挙動不審であり、祈がメンチを切って問い詰める等すればすぐにボロを出すだろう。
57
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/05/15(火) 18:35:53
橘音が白狐の姿で皆のもとへと戻ってきた、その翌朝。
ポチはいつもよりも早く、日の出と殆ど同時に目を覚ました。
SnowWhiteの外が騒がしかった。何体もの妖怪が行き交う気配がした。
黒橘音はこの店が拠点になり得る事を知っている。
ドミネーターズの妖怪達が集まってきたかとも思ったが、敵意のにおいはしない。
攻め込んでくる気配もない。
殆ど同時に目を覚ましていたハクトを一度振り返った。
「僕が大声を上げたり、すぐに戻ってこなかったら、みんなを起こしてあげて」
そしてポチは様子見をやめて、店の出口へとゆっくり近寄っていく。
扉は開けず、『不在』を用いて店外へ。一呼吸の内に屋上へ跳び上がる。
周囲を見回すと――やはり往来を妖怪達が走り回っている。
だがそれらは西洋妖怪ではなく、日本の妖怪。
現時点ではまだ東京鎮護の任を帯びているはずの、狸や河童達だった。
「……狸と河童が喧嘩してない。こりゃ珍しいや」
何かが起きている。その何かが自分達と無関係とはポチには思えなかった。
屋上から飛び降りて、てきとうな河童に目をつけて行く手を阻む。
急な制止を受けて相手は激しい剣幕で怒り出したが、見知らぬ妖怪が怒ったところでポチは気にならない。
何が起きて、何をしているのか尋ねる。
最初は取り合わず振り切ろうとしてきた河童だったが、
しつこく食い下がるとやがて諦めたように質問に答えてくれた。
曰く、アスタロト――橘音が日本妖怪に宣戦布告をしてきた、と。
姦姦蛇螺がいかなる存在なのかポチには分からないが、他の妖怪達の様子を見るに大変な大事なのだろう。
「……祈ちゃんちに行かなきゃ」
陰陽寮で橘音と再会した時の事を思い出す。
橘音は、祈を絶望させる事を目的としていた。
この騒ぎの中、彼女だけが狙われる可能性はある。
だがまずはノエルと尾弐を起こさなければ。
>「起きて乃恵瑠!」
店内に戻ると――ハクトがノエルの体の上で飛び跳ねていた。
>「どうしたのさ、こんな早朝に……」
「外が騒がしいんだ! とんでもない数の妖怪がバタバタしてる!」
「ええっ!? それは大変だ!」
「おはようノエっち。僕、祈ちゃんちに行ってくるよ。
橘音ちゃんが帰ってきた事、教えてあげなきゃ。
それに……なんか良くない事が起きてるっぽいしね」
>「うん、よろしくね。童が行っても家に入れて貰えるか分かんないし……。
童はその間に何が起こってるのか探ってみるよ」
「うん、お願い」
先ほど河童から聞き出した事は、ノエルもすぐに他の妖怪から聞き出せるだろう。
もし祈が狙われているとしたら説明している時間さえ勿体ない。
ポチはすぐに店から飛び出して祈の家に向かった。
結果として――祈の家に特に異変はなかった。
少し離れたところでは日本妖怪達が慌ただしく動き回っているが、それくらいだ。
家の中から祈のにおいはするが、動きはない。まだ寝ているようだった。
ポチは家の前に座り込むと、暫しの間じっとしていた。
やがて祈が目を覚ましたのか、家の中から音が聞こえてきた。
玄関の前で一度小さく吠える。
反応がなければドアをすり抜けて家に入るつもりだったが、祈はすぐにドアを開けてくれた。
「……おはよう、祈ちゃん」
ポチは家に上げてもらうと、祈の後ろについていく。
祈は朝食の準備をしている最中だったようだ。
ポチも何か食べるかと聞かれたので、祈と同じものを食べてみたいと答えた。
人狼形態に変化して見よう見まねで食事を摂りつつ、昨日の出来事を説明していく。
58
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/05/15(火) 18:36:42
>「……つまり、じーちゃん家の門の上に立ってた白狐があたし達の知る橘音で、
アスタロトを名乗ってる方は橘音の三分の二の力を持った……別人格ってとこか」
「そういう事……みたいだね。あはは、ちょっと予想が外れちゃった」
>「よくわかんないけど、橘音が戻ってきてくれて良かったよ。教えてくれてありがとう、ポチ。
ならあたし、学校行く前に御幸のお店に寄ってこうかな。今橘音はそっちにいるんでしょ?」
「……ううん、大した事じゃないよ。でも橘音ちゃん起きてるかなぁ。
体がちっちゃいとやっぱりすぐ疲れちゃうみたいでさ、昨日もすぐ寝ちゃったんだよね」
>「もしポチも御幸のお店に戻るつもりだったら、ちょっと待ってて。すぐ準備するから、一緒に行こうよ」
「うん、いいよ……でもホントに良かったよ、橘音ちゃんが帰ってきてくれて。
こないだはあんな事言ったけど……一緒にいられるなら、それが一番だしね」
ポチの声色は殆どいつも通り、至って平静だった。
橘音が三分の一でも帰ってきたのなら、祈がこの先の戦いについてくる理由はなくなったはずだ。
祈と会える時間が減るのは寂しいが、彼女が戦いから遠ざかる道を選ぶなら、ポチはそれを尊重するつもりだった。
>「そうそう。そんであたしさ。ブリーチャーズ辞めないことにしたんだ」
だが祈は洗い物を終えてポチを振り返ると、そう言ってぎこちなく笑った。
ポチにとっては予想外の答えだった。
無理をしているような感じはしない。
一体いかなる理由で心境の変化があったのかまでは、ポチには分からない。
>「だからこれからもよろしくね。ポチ」
「……本当にいいの?確かに橘音ちゃんは帰ってきたけど、敵も橘音ちゃんなんだ。
また祈ちゃんを絶望させようと、ひどい事をしてくるかもしれないのに」
そのような警句を述べながらも――ポチは気づけば祈の足元に歩み寄って、その脛に体をすり寄らせていた。
完全にかは分からない。しかし祈は立ち直ってくれたように見える。
嬉しくない訳がなかった。
「……ありがとね、祈ちゃん。僕も、もっと頑張るよ。
橘音ちゃんが……アスタロトが何をしてきても、もう君をあんな目に遭わせないから」
祈は選んでくれた。二つあった道の内から、恐らくは辛く苦しい方を。
ポチは強く決意していた。その選択を後悔させたくない――させてはいけないと。
>「祈ちゃん!?」
そうして事務所に戻ると早々、祈を目にしたノエルが驚いた声を上げた。
ノエルは祈に帰ってきてもらおうと気を揉んでいた。
今起きている騒動の事を考えてか少し緊張のにおいが混じるが、それでも嬉しそうにしている。
>「今から学校でしょ? そろそろ行かなきゃ遅刻しちゃう」
「そ、そうなんだ! それは良かった!」
どうやらノエルは今起きている騒動の事を祈に悟らせたくないようだ。
昨日、橘音と尾弐が言っていた事を考えれば当然の反応だが――
>「でも今日は平和で仕事がないから学校に行くんだ!
街中で妖怪が走り回ってるように見えたとしても気のせいだからね!」
いかんせん、これでは何か隠し事がありますと言っているようなものだ。
ポチは見ていられないといった様子で二人から視線を逸らす尾弐の方へと。
アスタロトが日本妖怪に宣戦布告をした。
その事に対する尾弐の反応、見解が知りたかった。
橘音が正面切って戦いを仕掛けて――それで終わり、そんなはずがない。
何か裏があるに違いない。ポチはそう思えてならなかった。
59
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/20(日) 01:56:34
>「僕が大声を上げたり、すぐに戻ってこなかったら、みんなを起こしてあげて」
そう言ってポチがドアへと近づき、そのままドアをくぐらずに姿を消してから暫くの後。
腕を組んで椅子に座っていた尾弐が、ゆっくりとその片目を開いた。
そして、尾弐はそのまま視線だけを窓の外へと動かして……小さく息を吐く。
(……注意して探ってみりゃあ、夜も終わりだってのに何だこの妖気の数は。ポチ助の奴は、寝ながら良く気付けたもんだ)
尾弐が外へと注意を向けてみれば、そこには日も登る刻限であるというのに、無数の妖怪の気配がしている。
恐らく、ポチはその異常についての調査の為に出て行ったのだろう。
黒い仮面の那須野。姦姦蛇螺。祈。
考えるべき事と決断すべき事に忙殺されてはいたが、それでも起床していた自分が気づけなかった気配。
それに眠りながら気付けたポチの鋭敏な霊感に尾弐は内心で嘆息する。
(にしても、敵意はねぇんだろうが……うろちょろと目障りだな。全員、縊り殺して喰らってやろうか)
同時に、自身の思考を妨げる原因となった外に居るのであろう妖怪達に、道端のゴミに向ける様な殺意を覚えるが……
直ぐに自分の思考の違和感に気付き、誰にも聞こえない様に小さく舌打ちをしてから再び目を閉じた。
そのまま目を開く様子が無い事から、どうやら外の偵察については完全にポチに任せるつもりらしい。
>「起きて乃恵瑠!」
>「むぎゅっ!」
>「どうしたのさ、こんな早朝に……」
>「外が騒がしいんだ! とんでもない数の妖怪がバタバタしてる!」
> 「ええっ!? それは大変だ!」
と、尾弐が再び目を閉じてから幾何かの時間が経過した頃。
別室からノエルの随獣であるハクトと推定ノエルの声がした事で、今度こそ尾弐は目を開いた。
右手を首へと当ててバキリと骨を鳴らしてから、冷蔵庫の中からスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、
中身を胃に流し込みながら声の方へと向かってみれば、そこには案の定。
>「おはようノエっち。僕、祈ちゃんちに行ってくるよ。
>橘音ちゃんが帰ってきた事、教えてあげなきゃ。
>それに……なんか良くない事が起きてるっぽいしね」
>「うん、よろしくね。童が行っても家に入れて貰えるか分かんないし……。
>童はその間に何が起こってるのか探ってみるよ」
偵察を終えて戻ってきたと思わしきポチと、言葉を掛けたら負けな服飾の雪妖怪が居た。
どうやら二人の間で話し合いは進んでいたようで、ノエルが状況調査を。ポチが祈への連絡を担う事になった様である。
状況を確認した尾弐は、祈への情報伝達に関して渋面を作ったものの、その必要性は理解しているようで特に不満を言う様な事はなかった。
60
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/20(日) 01:57:23
「ポチ助も気を付けろよ。外を歩いてる連中に敵意はなさそうだが、別に味方って訳でもねぇんだからな」
スポーツドリンクの残りを飲み干しながら、注意喚起をしつつポチを見送った尾弐は、
次いでその場に残ったみゆきへと視線を向ける。
>「ポチ君は凄いね。真正面から相手と向かい合っていつの間にか懐に入り込んじゃう」
「お前さんも、祈の嬢ちゃんの為に学校にまで入り込んだんだろ。二人とも、腰の重いオジサンに比べりゃ大したもんだぜ」
常に明るさを絶やさない雪妖は、誰に言うでもなく珍しく寂しげな言葉を呟いており
……それを聞いてしまった尾弐は、以前に祈に行った様に、その頭へと大きな掌をポンと置いてから、軽食を作る為に厨房へと歩いていくのであった
。
―――――
>「橘音くん、橘音くん、起きて!」
「……」
那須野を起こすべくその身体を揺するノエルの声を聞きながら、尾弐は、受付カウンターに常備されている飴を一つ口に含み――噛み砕いた。
ストレスの発散の為に無意識に行った行動であるのだろう。尾弐の眉間には深い皺が刻まれており、普段から厳めしいその表情が、厳めしいを通り越
してに恐ろしげなものとなっている。
大人としては自己制御に欠けた行動であるが……しかし、それも仕方ないと言えるだろう。
それ程に、尾弐が耳にした情報は衝撃的なものであったのだから。
天魔アスタロトを名乗る者による、姦姦蛇螺の復活と帝都への開放の宣言。
ノエルと共に外を巡り歩いた際に遭遇した狸妖怪から耳にしたその話は、
事体が尾弐が思っていたよりも遥かに早急に進んでしまっている事を示していた。
尾弐は、呑気に夜を過ごしてしまった自身を悔やみつつ、今後の方策について思考を巡らせる。
(……考えろ。黒仮面の那須野が復活を宣言したってことは、現実的に其れが実行可能な段階に状況が進んだって事だ。
しかし……なら、なんで宣言する必要が有る?黙って復活させりゃあ、最悪の結末を齎せる。そういう存在だろ『アレ』は)
>「もしかして……あっちの橘音くんは誰かに止めてほしくて反抗予告をしたのかな?
>そうだとしたら……復活を阻止する道はあるってこと?」
「色男、見誤んな。明王連で人が死ぬ場を整えた。その時点でアレは妖壊だ。そもそも、那須野が誰かに止めて欲しいなんて理由で……っ!?」
その思考の最中、那須野を起こす事をあきらめたノエルが呟いた言葉が耳に入り、尾弐は半ば反射的に返事をしていたが……そこで、自身の言葉から
ある可能性に思い至った。
(待て。止めて欲しいだと?ひょっとして、まさか……止めさせる行為そのものが、姦姦蛇螺の復活に際しての何らかの手段なのか……?)
思い至った考え。
「……いや、まさかな」
だが、尾弐はそのあまりに突拍子も無い考えを即座に頭を振って否定する。
そして――同時に、自分が想定以上に混乱している事にも気付く事ができた。
(ったく……そもそも、那須野相手に腹の探り合いなんぞ泥沼だ。なら、俺が取るべき行動は最短最速の一手だけだろうがよ)
自身の思考を整理した尾弐は、一つの結論を作る。
その考えをノエルへと伝えようとした――その時である。
61
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/05/20(日) 02:36:12
>「祈ちゃん!?」
「祈りの嬢ちゃん……なんでこの時間に」
ドアをノックする音と共にポチと、少女―――多甫 祈が姿を現した。
見舞いに来る予想はしていたが、まさかこれ程早く来るとは思っておらず、ノエルと同じように驚きの色を見せる。
だが、それはそれである。
祈が戦う事を望んでいないとはいえ、見舞いに来てくれた事が喜ばしくない訳も無い。
ノエルがぬいぐるみが大量に置かれた寝室に祈を案内するのを眺めつつ、尾弐は店内の設備で勝手にカフェオレを作り始めた。
そして、そのカフェオレをノエルと祈の二人の前に出して、暫く二人の他愛無い会話を眺めていたのだが
>「話したいだろうけど疲れて寝てるんだ。放課後にはきっと起きてるからまた来るといいよ」
>「今から学校でしょ? そろそろ行かなきゃ遅刻しちゃう」
>「そ、そうなんだ! それは良かった!」
>「でも今日は平和で仕事がないから学校に行くんだ!
>街中で妖怪が走り回ってるように見えたとしても気のせいだからね!」
話も終盤にさしかかり、祈が東京ブリーチャーズを続けると宣言した事。
そして、ノエルの隠し事の下手さが露見してしまった事で、事態は急変を迎える事となってしまった。
明らかな隠し事の気配。
ポチがしどろもどろのノエルからそっと視線を逸らし、尾弐に視線を向けているが……尾弐とて、ここからのリカバリーは不可能である。
それでも、せめて余計な危惧を抱かせない為に何とか口を開く。
「……祈の嬢ちゃんが覚悟を決めたうえで続けたいっていうなら、俺が無理を言う事はできねぇがよ。
ただそれでも……せめてここ何週間かは大人しくしといてくれねぇか。今、色々と立て込んでてな」
懐柔の言葉。
「なーに、さっきノエルが言った通りの平和な野暮用さ。ただ、人手が居る仕事だからな。他の妖怪連中もバタバタしてんだ」
「まあ、最終的に現地で『原因』さえ処理出来れば片が付く単純な仕事だから気にしないでくれや」
苦笑交じりに告げられたその言葉。
しかし……それを聞いた、現状を知っている勘の良い者は、言葉の並びで意図を見抜くだろう。
尾弐が言う『原因を処理する』という発言が意味するのは即ち――――黒仮面の那須野橘音を仕留めるという意味である事を。
そう。尾弐黒雄は、禁足地へと向かい、姦姦蛇螺に接触する前に黒仮面の那須野を殺めるつもりでいた。
事を起こす前に全てを葬り去ってしまおうという算段を抱いていたのである、
62
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 17:55:06
教室のモノの席が空いている。
モノは毎朝誰よりも早く登校しては、学校の中を探検したり屋上で風に当たったりして始業までの時間を過ごしていた。
きっと、モノはブリガドーン空間から解放された自分を心から楽しんでいたのだろう。
長年憧れ続けた、明るい世界。隔絶されたふたりきりの空間ではない、40.075キロメートルの地平と水平。
その自由を、モノは満喫していた。
学校の中でだけは戦わない――祈に持ち掛けたそんな提案も、下等妖怪への温情や上から目線の慈悲なんかではなくて。
この場所だけではレディベアとしての役目を忘れ、ただただこの世界に存在することの幸福を噛みしめたい――
そんな願望の発露だったのだろう。
けれど。
そんなモノは、もういない。
転入以来決して欠席することのなかったモノの不在を、クラスメイト達が訝しんでいる。
中には祈の顔を見るなり、
「多甫さん、モノは?……今日は一緒じゃないの?」
と、心配げに訊ねてくる者までいる。
生徒たちだけではない。担任の古文教師も朝のホームルームにやってくるなり、
「今日はモノは休みか?多甫、なんか知ってるか」
などと言ってきた。やはりと言うべきか、学校側に欠席するという連絡は来ていないらしい。
「帰りにでも、様子を見に行ってやれ」
いつもの空気が読めない様子で、祈にそう告げる。祈が訊ねれば、担任はモノの自宅の住所も教えてくれるだろう。
放課後になれば、祈はその場所に行くことができる。
住所は新宿区の高級ホテルの一室だったが、フロントで聞き込みをしても、もうそこにいた客は引き払ったと言われてしまう。
実際にその客室はもうがらんどうで、次の客のためにすっかり整えられた後だった。
もしポチが同伴しているなら、室内にモノの僅かな妖気の残滓を嗅ぎ付けることができる。
ただ、それはあくまで残滓。今はもう、正真ここには誰もいなかった。
そして、正午を過ぎると――事態は大きく動いた。
午後三時。帝都鎮護の妖怪たちが徒党を組み、新宿に集結している。
長蛇の列を成し、新宿通りを練り歩くその様子はまるで大規模なデモ行進のようだ。
自衛隊の特殊車両や警察のパトカーなども数多く集まっている。ただごとではない。
行進している者たちは、性別も年齢も職業も服装もバラバラだ。
一見して人間の姿こそしているものの、ブリーチャーズの面々から見れば妖怪なのは一目瞭然である。
ニュースになってもいい状態だが、報道規制が敷かれているのか、テレビやラジオで報道しているところはない。
だが、人の口に戸は立てられない。すでに野次馬が写メをSNSに投稿しており、ネット上ではちょっとした騒ぎになっていた。
行列は新宿駅から新宿三丁目方面、東南東へと緩やかに進んでいる。
すなわち、新宿御苑へ。
「案の定揃っとるな。お主ら、妖怪裁判で解散を命じられとる身だということがわかっとるのか?」
「本来、そうやって一つ所におることさえ禁止されとるんぢゃからな。……ま……そんなことを言っても聞く連中ではないか」
SnowWhiteの鏡のひとつが唐突に発光し、鏡面にまるでテレビのようにぬらりひょんの富嶽の姿が現れる。
富嶽の背後にはシロや笑の姿があり、心配そうにこちらを見つめている。
どうやら、雲外鏡の妖力で交信しているらしい。ノエルや尾弐の姿を確認すると、富嶽は大きく溜息をついた。
「まあよいわ。それよりもぢゃ……今、そちらは大変な騒ぎになっとるぢゃろう」
「お主らのことぢゃ、既に情報は掴んでおるのぢゃろうが……。西洋悪魔どもが、日本妖怪に挑戦状を叩きつけてきおった」
「連中は新宿御苑に封印された姦姦蛇螺を蘇らせると言うとる。よりによって……尾弐、お主にとっては最悪手よの」
「団三郎どもらは、今ぞ力の見せ所とばかりに意気込んどる。もはや止められはすまい」
「せめてと思い、御苑周辺の人通りを封鎖するよう手を回したが……しかし、それにも限界はある」
日本妖怪の顔役である。当然、人間界にも強力なパイプを持っているということなのだろう。
その力で、被害を最小限に抑えるべく富嶽も奔走していたらしい。
「このご時世、東京のど真ん中でドンパチなんぞやらかしては、どれだけの被害が出るか想像もつかん」
「戦いを止める方法はひとつしかない。姦姦蛇螺が復活する前に元凶を叩くのみぢゃ」
「団三郎どもと姦姦蛇螺がぶつかる前に、お主らがすべてを終わらせよ。――よいな」
一方的にそう言うと、富嶽は交信を切った。
63
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:00:02
世界で一番人通りが多いとされる東京の中でも、新宿駅は特に人が多い。
そんな駅周辺に蝟集していた一団が、御苑方面へ移動している。
政権与党への抗議デモだと言う者がいる。非核化を標榜する団体の行進だとも、反捕鯨組織の集まりではないかと予想する者もいる。
しかし、その正体はどの意見とも違う。東京を外敵より守護すべく種族を越えて結成された、日本妖怪の連合軍だ。
すでに最前列は新宿御苑に到達し、各入口に分散して軍の展開を始めている。
総大将の団三郎狸は軍列の中央に位置し、黒塗りの高級車の後部座席にどっしり腰を下ろしていた。
その行進は牛歩である。やや離れた場所にあるSnowWhiteからブリーチャーズたちが向かっても、充分間に合うだろう。
「……行きましょう、皆さん。新宿御苑へ」
目覚めた橘音がノエルとポチ、尾弐の前に現れて告げる。
いまだに白狐の姿のため、その面貌は獣のままだが、苦悩と逡巡が滲み出ているのがよくわかるだろう。
「祈ちゃんは?ここへ来ていたんですか?……そうですか……ボクが眠っている間に」
「今回は。今回ばかりは、彼女を同行させるわけにはいきません。それこそ、あっちのボクの思う壺だ」
「……止められればいいのですが」
橘音は俯いた。
自分の恐ろしさ、本気を出したときの悪辣さは、他ならぬ自分自身が一番よく知っている。
そして、あちらの自分が何を考えているのかもよくわかる。
簡単だ。『自分が今、一番されると困ること。一番されたくないこと』を考えればいいのだから――。
「ノエルさん、ポチさん、クロオさん」
橘音はしばらく思い悩むように沈黙していたが、ややあって顔を上げると三人を見て口を開いた。
「あちらのボクと遭遇しても、遠慮はいりません。……斃してください、滅ぼすしかない」
「ボクはここにいます。だからあちらのボクが消滅したとしても、ボクという存在は消えない」
「あちらのボクは、最悪の選択をしようとしている。『それだけはやっちゃいけない』ことをしようとしている――」
「おそらく、あちらのボクはそれを敢えてすることで、今までのしがらみを断ち切ろうとしているのでしょう」
「そう。『本当の悪魔になるために』ね……。それはどうあっても阻止しなければならない。あちらのボクを滅ぼしてでも」
「ですから、遠慮はしないで下さい。ボクも力を失ってしまいますが……もともと大した力じゃなかったですし、ね」
「それよりも、悪魔たちの力を削ぐことが重要ですから。……いいですね」
日頃の軽いノリはなりを潜め、あくまで真面目な様子で言う。
それだけ、橘音にとっては決死の判断ということだ。
「……祈ちゃんがここにいないのは好都合。今のうち出かけましょう、そしてあちらのボクを滅ぼす。それが今回のミッションです」
行きましょう、と橘音は踵を返し、外へ向かう。
ブリーチャーズアッセンブル、とは言わなかった。
ブリーチャーズは日本妖怪軍でごった返す御苑の中を進まなくてはならない。
が、妖怪たちが多いだけに中に紛れるのは容易だろう。
今回の作戦に参加する日本妖怪たちは皆、好き勝手に功名や手柄を取ろうと目論んでおり、統制がいまいち取れていない。
それぞれ20〜30匹ほどの妖怪が小隊規模で隊長格の妖怪に率いられているが、その隊長格も寄せ集め感が強い。
畢竟、末端部分は無法地帯ということだ。中には祭りと勘違いして付いてきただけというような妖怪もいる。
そんな軍団なので、ブリーチャーズが御苑内で行動するのは難しいことではなかった。
「どうやら、あちらのボクは新宿御苑とだけ言って、姦姦蛇螺の封印された詳しい場所までは教えていないようですね」
新宿御苑に到着し、妖怪たちの間を縫って歩きながら、そんなことを言う。
姦姦蛇螺は御苑内にある『禁足地』と呼ばれる場所に封印されているという。
禁足地。千葉県にある八幡の藪知らずなどで知られる、いかなる者も立ち入ることが禁じられている聖域。
それが新宿御苑にも存在し、姦姦蛇螺が封印されているというのだ。
「禁足地とは、すなわち結界。人がそこへ濫りに立ち入らないよう、強固な結界を施した空間なのです」
「そして、そういった場所には往々にして、恐るべき存在が封印されている――」
「今から十数年前、赤マントは御苑の禁足地の封印を解き、東京に姦姦蛇螺を解き放とうと画策しました」
「それを、クロオさんとボク。そして……祈ちゃんのご両親、颯さんとハルオさんが食い止めたのです」
「……颯さんとハルオさんの命を引き換えにして……ね」
群れなす妖怪たちの輪から離れ、遊歩道を外れた林の中を歩きつつ、ぽつぽつと橘音は語った。
64
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:03:15
「……封印が破られている……。もう、あちらのボクはこの中にいるということですね」
林の中をしばらく進んでいった暗闇の中で、ふと立ち止まる。
外見こそ周囲と同じなんの変哲もない林だが、ブリーチャーズの面々にはその特異な雰囲気がよくわかるだろう。
その一角だけ、空気がまるで違う。11月の肌寒い気温の中で、心地の悪い生温さの風が漂っている。
禍々しく異質な妖気の混じった大気が、ブリーチャーズの面々の身体に絡みついて息苦しさを感じさせる。
そんな異様な空間の中を、さらに橘音は進んだ。
尾弐は知っていることだが、この場所に結界を張ったのはかつての橘音だ。
結界は強力無比なものであり、生中な妖怪には破ることはおろか発見することさえ不可能な代物だったが、黒い橘音も紛れもなく橘音。
自らの施した結界を破るのは造作もなかった、ということなのだろう。
破られた結界の中に踏み込むと、周囲の状況は一変した。
晴れ渡っていたはずの蒼い空は毒々しい紫色に代わり、木立の緑もことごとくが枯れ果てたものへと変容する。
そして、一行の視界の先にはそれまで存在していなかったもの、一宇の古い祠堂が見えてきた。
尾弐はその光景を見た記憶があるだろう。
この場所こそまさに十数年前、自分たちが姦姦蛇螺と戦った場所。
敵せず敗北し、仲間の命と引き換えにからがら遁げ出した場所――。
そんな、苦い因縁の場所に。
白い学生服とマント、黒い仮面の先客が佇んでいた。
その頭には狐面の耳に重なるように大きな狐耳が、腰の後ろからはふさふさした尻尾が生えている。
「来ましたね」
ブリーチャーズたちに背を向け、祠堂を眺めていた黒い橘音――地獄の大公アスタロトは、そう言って振り返り一行と対面した。
アスタロトは真っ先に尾弐の姿を認め、僅かに唇をわななかせる。
「……やはり、そちらに付くんですか。クロオさん」
「アハ……。フラれちゃったなあ、せっかく告白したのに。ボクとしては、一世一代の大勝負だったんですよ?」
「ううん、いいんです。クロオさんが拒絶するってことは予想してましたから。……そうなると思っていましたから」
「ノエルさんはどうです?ボクと一緒に来ませんか。そしたら、いくらだってモフモフさせてあげますよ?」
「ポチさんも。その『獣(ベート)』の力、思うままに揮いたいとは思いませんか?それが本来の、アナタの力の使い方なのだから」
薄笑いを浮かべ、黒い手袋に包んだ右手を差し伸べる。
三者の反応を見てから、ややあってアスタロトは手を下ろす。
「やれやれ。やっぱり、予想通りのお返事……ですか」
「ま、わかってましたけど!ホントに皆さんは、心の底から正義の味方……なんですねえ」
「……それが分かっていたのなら。ボクたちがアナタの道を阻むということも予想できたはずです」
白狐姿の橘音が鋭い語調で切り込む。
「アナタはボクだ。ボクたちはお互いの考えを完全に予測できる。……アナタの企んでいることは、全部お見通しですよ」
「ハ……。その通り!ボクたちはお互いを知り尽くしている、でも……だからこそ!アナタはボクには勝てない!」
「アナタたち正義の味方が、ひっくり返ったってできないことが――ボクにはできるのだから!」
アスタロトはマントを翻し、高らかに嗤った。そして、祠堂から一歩脇に逸れる。
ブリーチャーズ一行の眼前に、それまでアスタロトの身体によって遮られていた祠堂の門扉が露になる。
門扉の前には、座禅を組み印契を結んだ姿勢の人間の亡骸が一体、凝然と端坐していた。
即身仏と言えばよいだろうか。ここで生命が枯渇するまで封印を施し続け、そのままの姿で絶命したのだろう。
その肉は失われ、完全にミイラ化しているが、着ているものはかろうじて往時の姿を留めていた。
ボロボロになった水色のシャツにチノパン。左の手首には銀色のバングルをつけている。
その服装に、尾弐は見覚えがあるだろうか。
白い橘音は仮面の奥で驚愕に目を見開いた。
「……ハルオ……さ……」
そう。
十数年前、この場所で。
尾弐と橘音が見捨て置き去りにしてきた、安倍晴陽の亡骸だった。
65
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:12:09
午後四時。祈がSnowWhiteの扉を潜ると、仲間たちは一人もいなくなっていた。
ノエルも、ポチも、尾弐も、橘音もいない。
カイとゲルダはいつもの調子で店内にいるが、祈が訊ねても仲間たちの行き先を教えることはないだろう。
だが、それで仲間たちの足取りを掴む方法がなくなったということにはならない。
現在この東京にいる日本妖怪たちの大多数が、一箇所に集結しつつある。
北緯35度41分07秒、東経139度42分35秒。新宿区と渋谷区に跨る広大な庭園――新宿御苑。
そこへ行けば、きっと仲間たちにも会えるだろう。
「本日、この場へ集まった勇敢なる日本妖怪たちよ!」
祈が新宿御苑に到着し、自衛隊や警察の車両で封鎖されている入口をすり抜け中に入ると、駐車場の前で団三郎狸が演説をぶっていた。
特殊部隊が着用するようなプロテクターとヘルメットを装着した大兵肥満の狸が二本足で直立し、壇上でマイクを前に叫んでいる。
その両脇には古式ゆかしい大鎧を着込み、金棒を持った茨木童子と、プロテクター姿にライフルを抱えた伊草の袈裟坊が立っている。
「今までは、なんの間違いか東京ブリーチャーズなどと言う力なき者どもが帝都鎮護の要職に就き、日本妖怪の代表の如く振舞っていた!」
「お蔭で奴らの実力を日本妖怪の実力と誤解され、日本妖怪全体が侮られる事態を招いた!これはまったく不名誉なことである!」
団三郎狸が熱っぽく右腕を振り上げるたび、おおー、と周囲から声があがる。
「が、今はもう違う!正統なる帝都の守護者たる我らが任に着いたからには、西洋妖怪どもをこれ以上のさばらせはせぬ!」
「日本妖怪の矜持を見せつけ、西洋のみならず!倭の国以外のすべての化生をこの神国より放逐せしめようではないか!」
「此度の姦姦蛇螺討伐は、その前哨戦。この戦さを皮切りに、真の日本の平和をこの手に掴み取るのだ!」
団三郎の叱咤が妖怪たちを鼓舞し、妖怪たちはその都度熱に浮かされたように歓声をあげる。
「此度の敵は、国産みの大神に連なる蛇神。神代の世にあって、日本に大被害を齎した邪なる神の一柱である!」
「蛇神をこの御苑の地に封ずるに、古人は幾万幾十万とも言われる甚大なる犠牲を払ったという!」
「間もなく諸君の目にするその姿、その威力は、かつて諸君らが目の当たりにしたことのない驚異となって映ろう!」
不安をことさら煽るようなその言葉に、軍団がザワザワとざわめく。
自分たちのような妖怪風情が、神に勝てるはずがない……と怖気づく妖怪も一匹や二匹ではない。
しかし、団三郎狸は続ける。
66
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:12:28
「しかし!だからといって怯えることは何ひとつない!何故なら、我々の勝利は既に約束されているも同然だからである!」
「往古の先人たちは自らの妖力と人力でしか、かの蛇神に抗う術がなかった。しかし我々は違う!」
「我々には二十一世紀の科学力と、神代より連綿と発展させてきた妖術がある!その両者をもってすれば、蛇神など恐るるに足らぬ!」
「考えてもみるがいい、仮に現代に恐竜が蘇ったとして!恐竜がミサイルに勝てるものか?戦闘機を凌駕できるものか!」
「今この場には、この地球上に存在するいかなる存在をも瞬殺できる兵器が用意されている!」
「宣言しよう!姦姦蛇螺など――我々の前では、図体のみの単なる時代遅れの恐竜に過ぎぬと!!」
団三郎狸が両腕を振り上げる。割れんばかりの歓声が巻き起こる。
実際、軍団の後方にはトラックに積まれ幌をかけられた物資の山や、妖具とおぼしき資材が山となっている。
団三郎狸も無手で挑むのではなく、何かしらの戦術を用意してきているのだろう。
自信満々の様子からも、その戦術は成功すれば必勝のものであるということが見て取れる。
なるほど、現在の進んだ技術と文明の力を用いれば、どんな妖怪であろうと恐れるに値しないのかもしれない。
「今こそ、日本妖怪の底力を南蛮の畜獣共に知らしめるべし!」
団三郎!団三郎!と声が上がる。
団三郎狸は狸一族でもタカ派で知られている。東照大権現に代わり、狸一族の長になる野望も秘めているというもっぱらの噂だ。
しかし、今のこの演説を聞いていると、狸一族はおろか日本妖怪のトップの座さえ狙っているのではないか――と思えてしまう。
本来は種族間でいがみ合う関係であるはずの副将、茨木童子と伊草の袈裟坊も、団三郎狸の不遜を諫めようともしない。
ひょっとしたら、既にこの三者の間には何らかの密約が結ばれているのかもしれなかった。
仲間たちの姿は見当たらない。
日本妖怪軍団は20万人を超える。実際、今この瞬間にも妖怪たちは続々と御苑に集結している。
58.3ヘクタール、東京ドーム約11個分の御苑内は、右を向いても左を向いても妖怪だらけだ。
祈にとっては、こんなに多くの妖怪たちを一度に見るのは初めてのことだろう。
御苑内は既に封鎖されているということもあり、行進の最中は人間の姿をしていた妖怪たちも今は大半が元の姿に戻っている。
そんな化生で溢れ返る広大な庭園の中で、たった四人の仲間を見つけるというのは至難の業だ。
半妖の脆弱な妖気探知能力では、仲間の妖気を選別して探すこともできない。
そうこうしている間にも、時間は過ぎてゆく。
祈の背後で、団三郎狸の軍勢を鼓舞する声とそれに応える雄叫びがまだ、喧しく鳴り響いていた。
67
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:16:42
「アハハハ……そう!そうです!ボクたちがかつて、命惜しさに見捨てた!差し出した!ハルオさんの亡骸です!」
「まさか、こんな綺麗な姿で残っているなんてね。驚きです!でも、それもうべなるかな――」
「彼は自分自身を結界の楔とした。自分の死後も結界が残り続けるよう、即身仏と化して姦姦蛇螺を封じ込めたのです」
嗤いながら、アスタロトはマントの内側をまさぐった。
そこから取り出したのは、一振りの日本刀。鞘に収まった状態でも、刀から妖気が噴き出しているのが見て取れる。
「さすがは今晴明と呼ばれた天才陰陽師。たったひとりで今まで十数年もの間、あの姦姦蛇螺を封じ続けてきたのですから大したものです」
「でも――そのお役目も今日でおしまい!お疲れさまでした……ゆっくりお休みください!」
アスタロトは鞘から白刃を引き抜いた。途端、黒い妖気が刀身を覆うほどに溢れ出る。
そのアスタロトの刀が狙うのは――言うまでもなく、いまだ座禅を組み結界を保ち続ける、晴陽の骸。
「いけない!皆さん、止めてください!」
白い橘音が叫ぶ。ノエルとポチ、尾弐に、アスタロトの暴挙を止めるように指示する。
しかしそのとき、空間を裂いて二柱の悪魔が出現し、三人を阻むように立ちはだかった。
一柱は人間大の白いハトだ。中世のヨーロッパ貴族めいた礼服を纏い、右眼にモノクルを嵌め、右手にレイピアを装備している。
もう一柱は同じく人間大の黒いカラスである。ハトと同じように貴族の礼服に身を包み、左眼にモノクルを嵌め、左手にレイピア。
「ハルファスさん、マルファスさん、よろしくお願いしますね」
序列38位、26の軍団を指揮する地獄の侯爵・ハルファス。
序列39位、40の軍団を統率する地獄の長官・マルファス。
天魔七十一将のうち二柱が顕現し、ノエルとポチ、尾弐に襲い掛かる。
その繰り出されるレイピアの刺突は正確無比に急所を狙ってくる。妖気の籠ったその剣尖は、穿った傷をたちまち腐敗・糜爛させる。
しかし、この二柱の最大の強みは卓越した剣技にあるのではない。
今までの敵は単体で暴威を揮うのみで、連携という点においては絶無である。
ヴァサゴとシャクスの場合は、ヴァサゴがシャクスを武器として振り回していただけであり、正確にはコンビネーションではない。
だが、ハルファスとマルファスは違う。
二柱は互いに攻防をめまぐるしく交代させ、死角を補い、阿吽の呼吸でノエルたち三人を強襲した。
鳥だけあって動きが素早く、吹雪を命中させるのは難しい。拳撃を喰らわせるとなればもっとだ。
空を飛ぶので足払いの機会も少ない。二柱はその徹底したコンビネーションによって、三対二の劣勢を覆していた。
そして。
そんな戦いをよそに、アスタロトが晴陽の亡骸に歩み寄り、刀を大上段に振り上げる。
アスタロトは一度だけ、ブリーチャーズの面々を見た。そして、
「……ボクにこれをさせるのは、ノエルさん。ポチさん。そしてクロオさん……アナタたちだ」
「アナタたちのひとりでも。もし、ボクの許へ来てくれたなら――こんなことはしなかったかもしれないのに、ね……」
と、寂しそうに笑って言った。
「させるものですか!!」
白橘音がなけなしの力を振り絞って奔り、アスタロトを止めようと飛びかからんとする。
「もう遅い!――さあ――蘇れ、姦姦蛇螺!」
まるで罪人を打ち首にする獄吏のように、アスタロトが刀を振り下ろす。晴陽の骸の首後ろに、刀身が食い込む。
大根でも斬るかのように、アスタロトは晴陽の首を打ち落とした。
妖気を孕んだ刀の威力によってか、晴陽の骸は次の瞬間にはその姿を崩して砂と化し、跡形もなく消滅した。
返す刀の峰で、アスタロトが橘音の身体を殴りつける。橘音はギャゥッ!と一声鳴くと、どっと地面に倒れ伏した。
「アッハハハハッ!帝都崩壊の序曲だ!派手に行きましょう……『それでは皆さん、よい終末を』!」
アスタロトが身を仰け反らせ、両手を大きく広げる。
晴陽の亡骸が消滅すると、結界もまた消滅したらしくたちまち地面が鳴動を始めた。祠堂を中心に、膨大な妖気が渦巻きうねる。
その震動はノエル、ポチ、尾弐だけではなく、結界の外の祈も感じることだろう。
68
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/05/24(木) 18:20:55
鳴動はどんどん大きくなり、立っていられないほどになる。
祠堂の妖気の増幅は留まるところを知らず、やがて赤紫色の妖気が莫大な光の柱となって祠堂を包み込んだ。
いつの間にか、ノエルたちの周囲の木々には緑が戻っている。結界が消滅し、外界と繋がった証拠だ。
天へ向かって数百メートルも屹立した柱から、妖気が大気中に飛散してゆく。空が赤紫色に染まってゆく。
「クク……。出おったか、姦姦蛇螺」
「姦姦蛇螺が出現するぞ!決戦の時じゃ、皆の者配置につけい!『ミハシラ』射出用意急げ!」
庭園内の一角に禍々しい赤紫の光の柱が上がる光景を、日本妖怪たちは目の当たりにした。
異常を察知し、妖怪たちがざわめく中、団三郎狸が愉快げにほくそ笑む。
団三郎狸は素早く各方面に指示を飛ばすと、かぶっているヘルメットの顎紐を締めた。
赤紫の柱は、祈の目にも入っただろう。
ほぼ無限とも思えるような量の妖気を発散していた光の柱が、徐々に細くなってゆく。
と同時に、地面の鳴動も収まってゆく。
そして。
厳重に閉ざされていた祠堂の門扉が、ぎぃぃ……と音を立て、ひとりでに開いた。
「……フフ……」
アスタロトが微笑む。
祠堂の内部の暗闇で、ふたつの光点がまばゆく輝く。
炯々と光芒を放つ、一対の眼。
そして、『それ』は自らの臥所からゆっくりと姿を現してきた。
大きさ――否、長さは20メートルくらいだろうか。
妖気の色と同じ、毒々しい赤紫色の鱗を持った大蛇が、女性を丸呑みにしようとしている――そんな外見の神であった。
上半身は人間の女性に見える。が、腕が六本あり、それぞれに長い爪が生えている。
その女性の腰から下を、赤紫の大蛇が今にも呑み込もうとしており、大蛇そのものが下半身を構成している。
これは見た通り今現在大蛇が食事の最中だということではなく、こういうデザインをしたひとつの存在なのであろう。
だが、この姦姦蛇螺の驚くべきところは、そんな歪な造型にあるのではなかった。
蛇神の上半身はオフホワイトのサマーニットを着ていた。神代の蛇神には到底似つかわしくない着衣であろう。
だが、尾弐は。その衣服に見覚えがあるに違いない。
そして、炯々と輝く双眸を備えた、その顔。
長い髪を振り乱したその顔は怒りに歪んでいるものの、鼻筋などは涼やかに通っており、元々は端正な造作だったことが見て取れる。
口も今は耳元まで裂け、サメのような鋭い歯が幾重にも並んで生えているが、きっと美しい口許をしていたに違いない。
いや――美しい口許をしていたのだ、実際。
尾弐は、それを知っている。
なぜならば。
姦姦蛇螺の上半身は腕の数や裂けた口を除いては、尾弐がこの地で最後に見た多甫 颯の姿そのものだったからである。
69
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:15:25
祈がSnowWhiteのドアをノックをして少しの間待っていると、ドアが開き、ノエルが出てきた。
>「祈ちゃん!?」
祈を見て、大層びっくりした様子のノエル。
店内からは男の声も微かに聞こえ、ノエル以外にも誰かがいるらしいことがわかる。
「おはよ、御幸。久しぶり。橘音が戻ってきたって言うから会いに来たんだけど……いる?
ていうか、入っていい?」
祈は軽く手を挙げて挨拶しつつ、ノエルの表情を窺う。
するとノエルはやや複雑そうな表情を浮かべたものの、店内に招き入れてくれた。
橘音がいるのはノエルの寝室であるらしく、そちらの方に案内されることとなった。
ポチと共に店に入ると、店内に尾弐の姿を見つける。
先程聞こえた男の声は尾弐のものであったらしい。
「尾弐のおっさんも来てたんだ。おはよ。ちょっと橘音と会って来るね」
と、尾弐にも軽く手を挙げて挨拶をする祈。
ポチは店内で待つことにしたようで、ノエルの寝室にまでは付いてこなかった。
「お邪魔しまーす……おぉー! かわいい部屋だなー御幸!」
ノエルが寝室の扉を開け、それに続くと、
そこはぬいぐるみ達が所狭しと置かれた、非常にファンシーな空間であった。
もふもふ感たっぷりでノエルらしい、と祈は思う。
よく見れば、ノエルがかつて迷い家で買っていた三尾の狐ぬいぐるみなどもあった。
(ていうか、あたしの部屋より女の子っぽい気がすんな……)
単にもふもふしたものが好きで置いているだけなのかもしれないが、
可愛らしいぬいぐるみが盛り沢山の部屋というのは、なんともファンシー方面の女子力が高めである。
祈の部屋にあるぬいぐるみなど、
幼い頃に買って貰ったクマのぬいぐるみが一つあるぐらいで、他にあるものと言えば勉強机と布団、本棚などが少々。
この部屋と比べるとあまりに殺風景であり、なんだかよくわからない衝撃を受けた祈であった。
ぬいぐるみだらけなのは分かったが、はてどこに橘音がいるのだろうかと祈が視線を巡らせると、
ベッドの上でもぞもぞと動く白い物体に目が留まる。
どうやらベッドの上で布団を被って寝そべっている白い物体が橘音であるらしい。
(そっか、橘音は術で魂を分けた所為で妖力も三分の一しかないから、
あの白狐のまんまだっけ……ぬいぐるみかと思った……)
ポチの説明を思い出しながら、ベッドの側にしゃがんで白狐を観察してみたところ、
白狐はこちらに反応する様子はなく、
規則正しく上下する布団を見る限りぐっすりと眠っているようである。
>「話したいだろうけど疲れて寝てるんだ。放課後にはきっと起きてるからまた来るといいよ」
そうノエルが説明してくれた。
「そうなんだ……タイミング悪い時に来ちゃったな。でも会わせてくれてありがと御幸。
じゃあまた放課後に来てみるね」
橘音と話したいことは多くあったが、今は顔を見られただけでも良しとするかと祈は思い直す。
立ち上がり、ノエルの寝室を出て店の方へ戻ると、
尾弐と、尾弐が用意してくれたアイスカフェオレが迎えてくれた。
「えっ、これ飲んでいいの? ありがとー!」
ガラスコップに注がれたミルク交じりの茶色い液体を見て、祈は嬉しそうな声を上げた。
尾弐から差し出されたコップを受け取り、ちらと壁の時計を見遣ると、
橘音と話す気で早めに家を出てきた為、まだ少し時間がある。
このビルと祈が通う中学校がそこそこ近いこともあり、カフェオレを楽しんでいくだけの時間はありそうだった。
祈は渡されたカフェオレを持って店内の適当な席に着き、荷物を降ろす。
そして、さっそくカフェオレを一口飲んでみるが、ミルクで中和されてるとは言え祈にとっては苦味が強すぎた。
甘くしようと思いシロップに手を伸ばすが、
ノエルがそれを静止し、冷凍庫から濃い黄色に胡麻の散らされた謎のアイスを取り出して振る舞ってくれる。
大学芋アイスという新製品らしく、これでカフェオレの苦味を中和しろということであるようだった。
確かに、甘いものと一緒ならば、コーヒーまで甘くすることはないのかもしれない。
70
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:20:07
「新製品なんだ? へー! おいしそうだね」
楽し気な声を上げる祈の隣の席に、
ノエルがもう一つ大学芋アイスとカフェオレを置き、座った。
どうやら一緒に食べてくれるようだ。
祈は大学芋アイスをスプーンで一口すくって口に入れた。
「ん〜っ! これ、おいしい!」
大学芋と聞いた時は味が全く想像つかなかったが、
口に入れてみれば素直においしいと思える味だった。笑顔が輝く。
ざっくり言えば大学芋とバニラアイスを組み合わせたような味わいだが、
サツマイモは丁寧に濾して繊維を取り除いてあるらしく、
バニラと一緒に口の中で甘く溶けゆき、
溶けた瞬間蜂蜜の自然な甘みと醤油の風味がふわっと広がる。
甘じょっぱく少し素朴な和風スイーツと言ったところか。噛めば胡麻の香ばしい風味も微かに感じる。
それをカフェオレで流し込むと、甘みと苦みが丁度良い塩梅。
美味しいもので口の滑りが良くなった祈は、
大学芋アイスとカフェオレを楽しみながら、ノエルとほんの少しの間他愛もない話をした。
そこで祈が、
「あ、そう言えばこの間学校に転校生が来てさ――」
と話を切り出した時。
>「今から学校でしょ? そろそろ行かなきゃ遅刻しちゃう」
と、ノエルがその話を遮った。時計を見れば、結構良い時間になっている。
「うわマジだ! ごめん御幸。アイスごちそうさま! 尾弐のおっさんもごちそうさま!
今度来た時なんかお礼すんね!」
がたっと椅子から立ち上がり、荷物を担いで慌しく出入り口のドアまで走っていく祈。
そしてドアノブに手を掛けた所で、思い出したように振り返って言う。
「そうそう、これ言っとかなきゃ。今まで、変に避けててごめん。
でも……もうあたし大丈夫だから。ブリーチャーズで戦い続けるつもりだから。
だから御幸も、尾弐のおっさんも。これからもよろしくね」
ぎこちない笑みを浮かべながら。
何故そのような心変わりをしたのか、という理由までを祈は明かさなかったが、
>「そ、そうなんだ! それは良かった!」
ノエルは何を聞くでもなくそれを受け入れ、そう言ってくれた。
祈はふっと笑い、再び外へ出ようとするのだが、
>「でも今日は平和で仕事がないから学校に行くんだ! 街中で妖怪が走り回ってるように見えたとしても気のせいだからね!」
こうノエルが付け足したことで、再び祈の足が止まる。
明らかに挙動不審であり、何かを隠そうとしているのがバレバレである。
店に着くまでの道中、実際に妖怪達が忙しなく動き回っている様子を見てもいるから、
ノエルの言う“気のせい”が気のせいだとはどうしても思えなかった。
71
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:22:42
「ほんとに気のせいなんだろーな?」
祈がじとっとノエルを見つめてみると、ノエルはしまったといった表情になった。
それで疑惑を深めた祈が、問い詰めようとノエルに近付いていくと
ノエルはしどろもどろになりながらも、『やけに大荷物だけど何が入ってるの?』などと話を逸らした。
「あ、これは……」
ドミネーターズと出会ってから、
いつ戦いが起きてもいいようにと色々詰め込んだスポーツバッグを持ち運ぶことが多くなった祈。
ロボと博物館で鉢合わせた時も持っていたし、安倍家に行く時も持ち込んでいた。
中身はバットや風火輪や着替えなどで、
戦いの備えだと、そう説明すればいいだけの話なのだが、
アスタロトが引き起こすショーとやらを警戒しているのを見透かされたような気になり、
今度は祈がしどろもどろになる番であった。
>「……祈の嬢ちゃんが覚悟を決めたうえで続けたいっていうなら、俺が無理を言う事はできねぇがよ。
>ただそれでも……せめてここ何週間かは大人しくしといてくれねぇか。今、色々と立て込んでてな」
>「なーに、さっきノエルが言った通りの平和な野暮用さ。ただ、人手が居る仕事だからな。他の妖怪連中もバタバタしてんだ」
>「まあ、最終的に現地で『原因』さえ処理出来れば片が付く単純な仕事だから気にしないでくれや」
そこに口を挟んだのが尾弐だった。
これにより、ノエルの放った質問が一時有耶無耶になる。
「そ、そう……なんだ? そういうことならあたしは一旦学校行ってこようかなー!
時間もないし! でもなんかあったらすぐ呼んでよ!? それじゃ!」
それに祈は食いつく形で、強制的にこの話を終わらせてバタバタと店を出た。
平和な野暮用だと尾弐は言う。
それならノエルがあんな風に挙動不審になるのもおかしいのだが、
尾弐が言うのならきっとそうなのかもしれないと、自ら祈は誤魔化され、
そして祈自身もまた大荷物の中身とそれを抱える理由を誤魔化して、
逃げるように学校へと走った。
学校に辿り着く。
ほんの少し、昨夜のことが夢であることを期待していたが、
当然のようにモノの姿はなかった。
連絡もなく欠席したモノを心配するクラスメイトや担任の言葉に対し、
祈はどうしていいかわからず、はぐらかすしかできないでいる。
72
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:28:34
>「帰りにでも、様子を見に行ってやれ」
そう言って担任が教えてくれたモノの住所。
祈は携帯で場所を調べ、放課後にその住所へと向かってみた。
そこは祈が立ち入るのを躊躇うような高級ホテルで、
意を決して踏み込んでみるが、受付でその一室を借りていた人物はもういないことを聞かされた。
事情を説明し、従業員同伴で部屋を確認させて貰えることになったが、
部屋には誰かがいたであろう気配が微かに残っているだけで、やはり誰もいなかった。
ベッドのシーツは変えられており、ピンと伸ばされて皺もなく。
室内は壁まで綺麗に清掃され、アルコールのような香りがした。
恐らくモノが持ち込んだ荷物などもあっただろうが、それらもない。
きっと赤マントが持ち去ったのだろう。となれば、ポチの鼻でも追跡は不可能だ。
結局のところ、ここを訪ねて得られたものと言えば、
どうしようもない寂しさだけだ。
この部屋には確かにモノがいた気配がある。
それ故か、がらんとしたこの部屋を見ていると、この部屋で過ごすモノの姿を想像してしまう。
すると胸に寂しさがやってき、そして彼女を早く助けてやらなければと気が焦るのだ。
モノが酷い扱いを受けていないことを、もし酷い境遇に在っても彼女が負けないことを、ただ願った。
祈は従業員に礼を言って、高級ホテルを後にした。
どうすればモノを助けられるだろうだとか、担任やクラスメートにどう説明したものだろうだとか。
そんなことを考えながら祈は、橘音に会う為、そのままの足で再びSnowWhiteへと向かった。
そして午後四時を少し回った辺り。
SnowWhiteに辿り着いた祈だったが、
店には店主であるノエルや、橘音や仲間達の姿は見当たらず、
ノエルの代わりに、カイとゲルダ(二人はどうやらノエルの従者であるらしい)が店を回していた。
電話してみてもどういう訳か誰にも繋がることはなかった為、
カイとゲルダにノエル達はどこにいるのかと訊ねてみるが、教えてくれる気配は微塵もない。
何か知っている様子なのだが、祈に対してノエルの居場所を秘匿しているようであった。
むう、と祈は唸る。
何か嫌われるようなことでもしてしまっただろうかと考えていると、
レジの裏、下の方で跳ねる白い物体を見つけた。
レジの裏を見てみると、それはもふもふの白い兎、ハクトであった。
ノエルが見舞いの時に連れてきていたペット(?)で、玉兎という兎の妖怪であるらしい。
「ねーハクト。御幸達どこ行ったか知らない? ……なーんて、兎が返事する訳――」
しゃがんで視線を合わせ、試しに訊ねてみると、
『困るよ、行き先を教えるなって乃恵瑠に言われてるんだ』と、返事が返ってきた。
(あっ、喋れるんだ……)
ただの愛玩動物かと思っていたため、少々面食らう祈。
しかしよくよく考えてみれば髪の毛の妖怪だって喋るのだから、
兎の妖怪が喋ったところでさして不思議はないのかも知れなかった。
ともあれ。これでハッキリした。
朝のノエルの挙動不審。あれは気のせいではなかったのだ。
祈がブリーチャーズに戻ること自体は喜んでくれていそうだったが、
何かを隠し、今は戻ってこない方がいいとでも言いたげな口調であった。
ハクトに行き先を教えないよう言い含めている所からも、
祈に隠れて、秘密裏に何かやっていることは明白だ。恐らく橘音も尾弐もポチも一緒に。
だが、祈にだって退けない理由がある。
祈は、きょろきょろと周りを見渡し、
カイとゲルダが客の対応をしているのを確認するや否や、ハクトをひょいと抱き上げ――、
そのまま店の外にぎゅんと移動した。
――誘拐である。
73
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:32:23
「さーて。御幸達の行き先知ってるみたいだし、教えて貰おーか? んー?」
店の外に出て地下への階段を駆け下り、
人気のない事務所の扉前までやってくると、
祈は抱き上げたハクトを顔前まで持ってきて、
僅か数センチというところで視線を合わせ、メンチを切った。
だがハクトはそれにビビる様子はなく、視線を逸らすことはない。
肝の据わった兎である。
それどころか先に視線を逸らしたのは祈の方だった。
「くっ……可愛い顔しやがって!」
つぶらさな瞳に負けたのである。
だがここで引き下がっては居られない。
今度はハクトを地面にそっと降ろすと、
祈は目の前で手を合わせて拝むように頼み込んだ。
「ねぇ、頼むよ。この通り! 多分御幸は橘音と一緒なんだろ?
あたしは橘音にどうしても伝えなきゃなんないことがあるんだよ。
このままだととんでもないことが起こる。そしたら色んな人が被害に遭うし、
御幸達だって危険に巻き込まれるかもしれないんだ。
その前に橘音と話して、対策立てなきゃダメなんだ……だからお願い!」
祈が橘音に会おうとしている理由の一つは、
赤マントから聞かされた“アスタロトの企み”を話す為だった。
アスタロトの目的は『極上の絶望』を生むことで、標的は祈である『らしい』。
そしてアスタロトは祈を絶望させる為に近々ショーとやらを開こうとしているようなのだが、
どうすればいいだろう、ということを相談したかったのである。
また、ドミネーターズの目的が龍脈であると掴んだことも話しておきたいと思っていた。
しかし、そんなことをせずとも
魂を分けた存在であるアスタロトの考え、企みは橘音には分かっていて、
その企みを阻止する為に仲間達は既に動いているし、
ドミネーターズの狙いが龍脈だということも勿論知っている。
――のだが、そんな事情を知らず、
重要なことを掴んだと思っている祈は、
一刻も早くこれらの情報を橘音に話して対策を練らねばと。
必死で。縋るような気持ちでハクトを拝み倒すしかなかった。
やがて、ハクトは折れて、
祈に一つヒントを与えた。そのヒントとは、
『妖怪の大行列を追い、新宿御苑に向かえばきっとノエルの行き先もわかるだろう』というような主旨で、
祈に行き先を教えないことをノエルと約束しているからか迂遠な表現であったが、
それでも祈にとっては申し分ない。闇雲に探し回るよりはどれ程マシだろうか。
思えば朝、ノエルも尾弐も、妖怪達が付近を忙しなく駆け回っていたことに触れていたし、
思い返してみればあれもヒントだったのだろう。
「ありがとうハクト! 今度お礼するからね!」
祈は礼を言って、ひょいとハクトを抱えると、再びぎゅんと駆けてハクトを店の中へ戻し、
扉が閉まる前に、風のように出て行った。
ハクトは、もしかすれば知っていたかもしれない。
主人の思惑。例えばノエルが祈の為を想って今回の作戦に参加させまいとしたことや、
この状況について。
祈が相談するまでもなく橘音達はアスタロトの企みを阻止すべく動いており、
祈がやろうとしていることは空回りに近いものだと言うことも。
それでもハクトが祈にヒントを与えたのは、
必死に頼み込む祈を見て、何か思う所があったからかもしれなかった。
74
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:53:15
>「本日、この場へ集まった勇敢なる日本妖怪たちよ!」
祈が新宿御苑に集う妖怪達の行列をかき分けて進み、先頭付近までやってくると、
野太い声でこんな言葉がスピーカー越しに聞こえてくる。
祈がつま先立ちをして、最前列にいる妖怪達の肩の間から頭をひょこっと出し、
行列の先で何が起こっているのかと伺うと、
プロテクターなどを着けた相撲取りのような巨漢が、壇上で演説を始めているところだった。
>「今までは、なんの間違いか東京ブリーチャーズなどと言う力なき者どもが帝都鎮護の要職に就き、日本妖怪の代表の如く振舞っていた!」
>「お蔭で奴らの実力を日本妖怪の実力と誤解され、日本妖怪全体が侮られる事態を招いた!これはまったく不名誉なことである!」
祈は見覚えがある。プロテクターやらヘルメットやらで格好こそ異なるが、
あの巨体、そしてあの声。あれは裁判の時、橘音を糾弾していた狸の妖怪だ。
その傍らには鎧を着こんだ鬼の姿もある。
あの鬼も確か裁判の時に、狸の妖怪に賛同してなんやかんや言っていたように祈は記憶している。
依然として東京ブリーチャーズを敵視して、権力を握ろうと頑張っているらしい。
面倒ごとになったら困るからと、祈は彼らに見つからないよう覗かせた頭を引っ込めた。
演説を聞くに、どうやらこの大量の妖怪達は
カンカンダラなる強力な妖怪だか神だかを討伐する為に集められたようだ、と言うことまでは分かった。
この情報と、ハクトがノエル達の居場所代わりにこの場所を教えたこととを繋げると、
東京ブリーチャーズの仲間達もまた、恐らくそのカンカンダラを倒すべく動いているのだろうと推測できたが、
どうにも情報が不足している。
東京ブリーチャーズがカンカンダラを倒す為に動いているとして、果たしてどこにいるのか?
妖怪達と協力するつもりでこの新宿御苑のどこかにいるのか、それとも別の場所にいるのか。
カンカンダラについても詳細は不明だった。
祈と同じく都市伝説妖怪だと思っていたものが実はとてつもなく強い神だったことにも驚くが、
何故その封印が解けてしまうのか。
そして狸妖怪はカンカンダラを倒すことが『日本妖怪の底力を南蛮の畜獣共に知らしめる』ことに繋がると考えているようだが、
日本側の神を倒すことが何故海外勢力に力を示すことに繋がるのだろう。
後は。仲間達はどうして祈にこのことを隠して置いて行ったのか、だとか。
熱弁を振るう狸と、それに賛同して「おー!」だのなんだの叫んで盛り上がっている妖怪達を横目に、
祈はそこまで乗り気でなさそうな妖怪を見つけ、声を掛けた。
75
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 18:54:58
「ねぇねぇ、ちょっと聞きたいんだけど、これってなんの集まりなの?」
情報収集である。
するとその人間の姿をしたままの妖怪は、
馬鹿を見るような目で祈を見て、盛大な溜息を吐いた後に教えてくれた。
『これは天魔アスタロトを名乗る者が、姦姦蛇螺を蘇らせ
帝都に解き放つと日本妖怪に予告してきたことによって起きた騒動なのだ』と。
この情報によって、現状についてある程度の察しがついた。
恐らくアスタロトの予告状は橘音にも届いたか、
あるいはぬらりひょん辺りによって橘音に齎された。
それによってアスタロトの企みを知った東京ブリーチャーズはそれを阻止する為、動いている。
カンカンダラの封印が解けるのは海外勢力のアスタロトが解くからであり、
アスタロトが解き放った強力な神・カンカンダラを退ければ、
『日本妖怪の底力を南蛮の畜獣共に知らしめられる』ということにもなる。
だからこれ程までの妖怪達が集まったのだろう、と。
依然として仲間達が祈を置いて行った理由は分からないままだったが、
とにもかくにも、アスタロト主催のショーは既に始まってしまっているということは確かだろう。
祈の脳裏に嫌な予感が走る。
祈の知らぬところで事態が進行しているのは不気味であったし、
この状況で仲間との合流もできていないのが不安だった。
このままでは、アスタロトのショー――誰かの死を、ただ眺めていなければならないのではないかと、
そんな想像が頭を過ぎる。
それに、アスタロトがわざわざ犯行予告などをしたのも不可解だ。
橘音と魂を分け、同等の頭脳を持っているであろうアスタロト。
かの悪魔が、この数の妖怪が集まることを計算に入れていない筈はない。
そのカンカンダラとやらも、流石にこれだけの数の妖怪が相手では
一たまりもないだろうと祈は思うのだが、
もしや全員纏めて殺しきれるだけの自信、あるいは策があるからこそ、敢えて呼んだのだろうか?
それだけカンカンダラが強力なのだろうか。
それとも。
カンカンダラを倒す為に全国津々浦々からこれだけの妖怪達が集まったと言うことは、
仮にどこか、ここから離れた場所に日本守護の要所があるとすれば、
妖怪達がここに集まったことでそこの守りは手薄になってしまっているということもあり得る。
即ち、陽動の可能性だ。もしカンカンダラが大掛かりな囮やただ妖怪達を誘き寄せる餌であるなら、
カンカンダラを倒せたところで危機は続くことになる。
祈は少し考えて、スマホを取り出し、メールを打つことにした。
宛名は祖父、安倍晴朧。
新宿御苑の現状を伝え、何かしらできる対策があれば考えて欲しいと、そんなことを書いたのだった。
76
:
多甫 祈
◆MJjxToab/g
:2018/05/28(月) 19:39:06
――――――ドン!!
祈が祖父にメールを送信し終えると同時、
火山が噴火したかのような轟音が響いた。
大地が震え、ゴゴゴという音を響かせる。アスファルトが歪む。
やがて立っていられない程に揺れは大きくなり、そして。
まもなく、新宿御苑の林の方から強大な妖気が噴き上がった。
何百メートルという高さの、天を突く赤紫色の妖気の柱。
東京タワーに匹敵するような高さのその柱は、頂点で大気に溶け、
空を不気味な赤紫に、痣のような色に染め上げていく。
>「クク……。出おったか、姦姦蛇螺」
>「姦姦蛇螺が出現するぞ!決戦の時じゃ、皆の者配置につけい!『ミハシラ』射出用意急げ!」
柱の方を向いて巨体の狸が言い、笑った。
それを聞いた祈は、揺れが収まると同時、ざわめく妖怪達の列をかき分け、走り出す。
多分あそこに仲間達はいる。そう直感したからだった。
>『まあ、最終的に現地で『原因』さえ処理出来れば片が付く単純な仕事だから気にしないでくれや』
尾弐の言葉がふと蘇った。
原因を処理できれば片が付く。尾弐がそう言ったなら、
尾弐はその原因から最も近い場所にいる筈だ。
尾弐にはノエルのような遠距離攻撃的な手段がないようであるから、
その原因の取り除き方は恐らく直接的なものになる。
封印を解こうとしている者(アスタロト)の破壊か、
封印の解けたカンカンダラ自体の破壊か。
なんであれ、尾弐がそれを破壊したいと願うなら、その最も近い場所にいる筈なのだ。
そしてその傍にはきっと、仲間達もいるだろう。
祈には特別、何か考えがある訳ではなかった。
祈が向かったところでどうにかなるとも思わない。
だが、復活したカンカンダラ。強大で危険な存在のすぐ近くに仲間達がいる。
仲間に危険が及んでいると思うと、勝手に足が動いていた。
息を切らして慣れない林道を走る祈。
赤紫色の柱から放たれた妖気の残滓を、見失わないように必死で走り、
やがて仲間達の背中や、アスタロト。そして見知らぬ悪魔達の姿を視界に収めた。
祈は辿り着いたのだ。
仲間達のいる場所に。祠堂がある場所に。
仲間達がハトやカラスに似た悪魔、ハルファスとマルファスと対峙している戦いの舞台に。
アスタロトが封印を解き終えて微笑み、
返り討ちにされたであろう白狐が地面に横たわり、
祠堂から、カンカンダラが這い出てきた、まさにその時に。
祠堂から這い出てきたのは、
何十メートルあるかわからない赤紫の大蛇が女性の下半身に喰らい付いているような姿。
それこそがカンカンダラだった。
都市伝説に語られる通り、女性の腕は六本。
だが、食いつかれている女性の衣服は、やや都市伝説のイメージとは異なる。
彼女はカンカンダラを鎮めようとした巫女であるという話があるが、
着ているのは意外なことにオフホワイトのサマーニットと現代的で、巫女っぽくはなくて。
そして。
長い髪を振り乱し、怒りに燃えた彼女の形相。双眸。
更には口裂け女のように耳元まで裂けた口を、
祈は見たことなどないし、知らないとも思う――のだが。
祈の口からは、こんな言葉が呟かれる。
「……母、さん?」
既視感があった。
違う、と頭では分かっている。こんなところにいる筈がないと。別人だと。
だがどうしてだろう。
鏡に映る己の姿と。写真の中で微笑む母とよく似ているような気がするのは。
祖母の面影を見ているような気がするのは。
どうしようもなく懐かしいような思いが溢れてくるのは――。
「――母さん!」
祈は叫んだ。
【姦姦蛇螺が祠堂から出てきた頃、祈も到着。祖父宛てにメールも送ってみた】
77
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:04:39
>「あ、これは……」
祈に問い詰められて返答に窮したノエルが苦し紛れにスポーツバックのことに言及すると、何故か祈がしどろもどろになる。
そこでタイミングよく尾弐が祈に大人しくしておくようになだめるのであった。
>「……祈の嬢ちゃんが覚悟を決めたうえで続けたいっていうなら、俺が無理を言う事はできねぇがよ。
ただそれでも……せめてここ何週間かは大人しくしといてくれねぇか。今、色々と立て込んでてな」
>「なーに、さっきノエルが言った通りの平和な野暮用さ。ただ、人手が居る仕事だからな。他の妖怪連中もバタバタしてんだ」
>「まあ、最終的に現地で『原因』さえ処理出来れば片が付く単純な仕事だから気にしないでくれや」
尾弐もやはり、姦姦蛇螺が復活してから迎え撃つのではなく、復活自体を阻止することを前提としているようだ。
それはいいのだが、あるいはそこには一番確実な阻止の方法をとる――
すなわち復活させる前にアスタロトを漂白するという意味も込められているのかもしれなかった。
>「そ、そう……なんだ? そういうことならあたしは一旦学校行ってこようかなー!
時間もないし! でもなんかあったらすぐ呼んでよ!? それじゃ!」
祈はそそくさと学校に向かったのだった。
祈の姿が見えなくなったのを確認すると、尾弐に問いかける。
「クロちゃん、何か知ってるんだよね……?
ううん、全部は言わなくていい。姦姦蛇螺が封印されている場所は分かる?」
尾弐によると、姦姦蛇螺は新宿御苑内の禁足地に封印されているそうだ。
今すぐ行ってアスタロトが現れるのを待ち構えたい気持ちになるが、
犯行予告によると姦姦蛇螺が復活するのは午後5時頃らしい。
急いで行ったところでそれまで待ちぼうけになる可能性が高く、そうなるよりは
それまでの時間を使って出来る限りの対策を練っておいた方がいいだろう。
そこで毎度お馴染みの脳内会議である。
ノエル「と、いうわけで今日の議題は姦姦蛇螺の復活を阻止する方法なんだけど――」
みゆき「念のために万が一復活した場合の対策も練っておいたほうがいいだろうね」
深雪「我としては姦姦蛇螺よりあのいけすかないタヌキどもを屠った方がいいと思うのだが」
ノエル「ファッ!? 何言っちゃってんの!?」
深雪「ミハシラだったか? あれはヤバい予感がするぞ――
大体対外敵勢力用に開発された新兵器などというものは碌なことにならぬ。
暴走して制御不能になって対外的勢力自体よりも甚大な被害が出て本末転倒になると相場が決まっておるのだ。
言っておくが姦姦蛇螺との戦いには協力せぬぞ? あれは国生みの神に連なる由緒正しき神だからな。」
ノエル「そんなぁ!」
深雪「言っておくが我は便利なスタンド能力ではないのだぞ!? 祈殿が帰ってきたゆえ暴走するのはやめておいてやろう。
それだけでも有難いと思え」
みゆき「童に考えがある!
本当は由緒正しき神でも人間達の間ではポッと出の都市伝説妖怪と思ってる人が大部分だから……
噂による印象操作の影響を受けやすいはず!」
乃恵瑠「そもそも復活する前に阻止すればいいのだろう?
みゆきが黒橘音殿に抱き付いて『戻ってきて、きっちゃん……!』と言えばいいのではないか?」
みゆき「でも童じゃあ普通すぎて効果が薄いかも。乃恵瑠がクーデレっぽくやった方がギャップ萌え効果があるんじゃないかな?」
乃恵瑠「妾だと……!?」
78
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:10:00
深雪の説は流石に漫画の読み過ぎだろうが、アスタロトの目的が姦姦蛇螺と妖怪軍団を激突させること自体だとしたら、わざわざ犯行予告をした説明がつく。
単に復活させるよりも万全の準備をして迎え撃たせる方が甚大な被害が出るということだろうか。
とある妙案(文字通り妙な案という意味で)を思い付いたノエルは、カイとゲルダに声を掛ける。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど……」
手伝ってほしいこととは、姦姦蛇螺復活予告の件のチラシを大量に作り、新宿駅前でばら撒くということだった。
(カイとゲルダが住んでいる雑居ビル2階は何かの編集部らしく、二人は時々手作り感満載の冊子を作ったりしている)
普段なら妖怪世界の出来事を人間界に堂々と公開するなど言語道断だが、
秘密結社の集会とかUFO降臨の儀式等のトンデモ説が飛び交っている今なら、騒ぎに便乗した愉快犯としか思われないので問題ない。
というわけで早速制作に取り掛かり、出来上がった記事は、
これがカンカンダラたんだ! とかいう煽り文句とゆるキャラっぽいイラストと共に、
・床がつるつるしてると進めない ・変温動物なので寒いと固まる ・ニンニクと十字架が苦手
と蛇とか似て非なる蛇型妖怪から連想したありもしない弱点を並び立て、いかにも弱っぽく演出したものだった。
更に従者達は、更に上の階に住むゆーちゅーばーのロリBBAにも姦姦蛇螺を弱そうっぽく宣伝する特集動画を流すように頼んでくれたようだ。
恐るべし胡散臭い雑居ビルの一つ屋根の下ネットワーク。
「毎度お世話になりますにゃ、雪の女王様からのお届けものにゃ!」
ノエルはチラシ配りから帰った頃、丁度宅配便が届いた。
ちなみに配達員はネコミミフードを被った少年の姿をしており、黒猫の妖怪らしい。
「お母さんから? なんだろう」
早速箱を開けてみると、一見すると氷で出来たルービックキューブのような形をした物体が入っていた。
スマホを見てみると通信アプリに女王からメッセージが入っており
「ヤバイ奴と戦うにあたって役立ててね、今のあなたなら扱えるでしょう」との意味合いの内容だった。
これだけ妖怪業界では大騒ぎになっているのだ、雪山に引きこもっている女王の耳にも当然情報が入ったのだろう。
どうやらこれは”理性の氷パズル”というものらしい。使用者の意思に応じ様々な武器に姿を変える妖具のようだ。
それを見た従者達が盛り上がり始める。
「あっ、それはカイが昔女王様に攫われた時に延々とやってたバカにしか解けないパズルですね……!
でもその時は色んな単語が出来るだけの玩具でしたけど……」
「大体合ってるけど”理性だけでは解けない”とか言って!」
「だって理性いらないじゃん。適当に回すだけで色んな単語が出来てたじゃん」
「そうか……!
理性的なワタシには本来の用途では使えてなくて姫様なら使いこなせるということですね……!」
「ちょっとそれどういう意味!?」
そうツッコミを入れつついつでも使えるように有難く鞄の中にしまうのであった。
79
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:11:26
気を取り直したノエルは、不在の妖術で閉鎖された場所にも入れるポチに対し、駄目もとでこう提案する。
「ポチ君、下の探偵事務所に何か使えそうなものは残ってないかな?」
といっても使えそうなものは押収されたか黒橘音が持って行ってしまったと思われるため、
侵入してみたところで黒橘音が忘れていったお気に入りのかわいいパジャマぐらいしか出てこないかもしれない。
そして時間は過ぎ午後3時。SnowWhiteの鏡の一つに富嶽の姿が現れる
>「案の定揃っとるな。お主ら、妖怪裁判で解散を命じられとる身だということがわかっとるのか?」
>「本来、そうやって一つ所におることさえ禁止されとるんぢゃからな。……ま……そんなことを言っても聞く連中ではないか」
ちなみにノエルの絵面はというと、何故か乃恵瑠の姿になって魔法少女風のつもりらしい和ロリ服に身を包んでいた。
一見ふざけているようにしか見えないが、橘音の趣味と、ノエルの戦闘力を総合勘案した結果あった。
橘音は魔法少女ものが大好きなので黒橘音も同様と思われ、またノエルは、深雪を除いては乃恵瑠の姿が最も大きい妖力を扱えるのだ。
>「まあよいわ。それよりもぢゃ……今、そちらは大変な騒ぎになっとるぢゃろう」
>「お主らのことぢゃ、既に情報は掴んでおるのぢゃろうが……。西洋悪魔どもが、日本妖怪に挑戦状を叩きつけてきおった」
>「連中は新宿御苑に封印された姦姦蛇螺を蘇らせると言うとる。よりによって……尾弐、お主にとっては最悪手よの」
>「団三郎どもらは、今ぞ力の見せ所とばかりに意気込んどる。もはや止められはすまい」
>「せめてと思い、御苑周辺の人通りを封鎖するよう手を回したが……しかし、それにも限界はある」
>「このご時世、東京のど真ん中でドンパチなんぞやらかしては、どれだけの被害が出るか想像もつかん」
>「戦いを止める方法はひとつしかない。姦姦蛇螺が復活する前に元凶を叩くのみぢゃ」
>「団三郎どもと姦姦蛇螺がぶつかる前に、お主らがすべてを終わらせよ。――よいな」
「……なんか姦姦蛇螺が復活すること自体よりも、団三郎軍団と姦姦蛇螺がぶつかるのがヤバいみたいな言い方だったね。
アスタロトが犯行予告した目的はそれなのかな?」
本当にそうなのか、それとももっと他の目的があるのかは分からないが、
富嶽が言うからには両者が激突すれば甚大な被害が出ることは間違いないのだろう。
案外深雪のトンデモ説も全く的外れなわけでもないのかもしれない。
やがて目覚めた橘音が新宿御苑への出発を促す。
>「……行きましょう、皆さん。新宿御苑へ」
>「祈ちゃんは?ここへ来ていたんですか?……そうですか……ボクが眠っている間に」
>「今回は。今回ばかりは、彼女を同行させるわけにはいきません。それこそ、あっちのボクの思う壺だ」
>「……止められればいいのですが」
「大丈夫だよ、橘音くんもともと非戦闘員だったじゃん!
増して元の3分の2なんだからみんなで取り押さえれば……」
橘音を励まそうとする乃恵瑠の言葉を遮り、橘音は決意を込めた口調で言った。
80
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:17:16
>「ノエルさん、ポチさん、クロオさん」
>「あちらのボクと遭遇しても、遠慮はいりません。……斃してください、滅ぼすしかない」
>「ボクはここにいます。だからあちらのボクが消滅したとしても、ボクという存在は消えない」
>「あちらのボクは、最悪の選択をしようとしている。『それだけはやっちゃいけない』ことをしようとしている――」
>「おそらく、あちらのボクはそれを敢えてすることで、今までのしがらみを断ち切ろうとしているのでしょう」
「そう。『本当の悪魔になるために』ね……。それはどうあっても阻止しなければならない。あちらのボクを滅ぼしてでも」
「ですから、遠慮はしないで下さい。ボクも力を失ってしまいますが……もともと大した力じゃなかったですし、ね」
「それよりも、悪魔たちの力を削ぐことが重要ですから。……いいですね」
「……」
橘音の要請に肯定の言葉も否定の言葉も返さず、ただ哀し気な顔をして俯く乃恵瑠であった。
本当の悪魔になるためにやっちゃいけない事をしようとしているということは、今はまだ本当の悪魔になっていないということだ。
今回の企てを上手く阻止してやれば、本当の悪魔にならずに済むのかもしれない。
そんな希望が捨てられないのであった。
>「……祈ちゃんがここにいないのは好都合。今のうち出かけましょう、そしてあちらのボクを滅ぼす。それが今回のミッションです」
乃恵瑠はカイとゲルダ、そしてハクトに、祈が来ても自分達の行き先を教えないようにと言い含めると、橘音達と共に出発する。
>「禁足地とは、すなわち結界。人がそこへ濫りに立ち入らないよう、強固な結界を施した空間なのです」
>「そして、そういった場所には往々にして、恐るべき存在が封印されている――」
>「今から十数年前、赤マントは御苑の禁足地の封印を解き、東京に姦姦蛇螺を解き放とうと画策しました」
>「それを、クロオさんとボク。そして……祈ちゃんのご両親、颯さんとハルオさんが食い止めたのです」
>「……颯さんとハルオさんの命を引き換えにして……ね」
「何だよそれ……やっぱり二人が犠牲になったのは赤マントのせいじゃないか!
まあ絶対そんなことだろうとは思ってたけど!
クロちゃんもクロちゃんだ、あんな思わせぶりな態度取らずに
元はといえばてめーのせいだろ!ってバシッと言い返せばよかったのに!」
道中で橘音が静かに語った話を聞いて、赤マントへの怒りを露わにする乃恵瑠。
責任感が強い二人は二人が犠牲になったのは自分達のせいだとずっと自分を責めていて、赤マントはそこにつけこんだのだろう。
あの時は何も知らなかったので何も言えなかったが、この任務から帰って祈に会ったら
全部アイツが悪いんだ、と教えてやろうと思う乃恵瑠であった。
>「……封印が破られている……。もう、あちらのボクはこの中にいるということですね」
「えぇっ!? 急がなきゃ復活しちゃう!」
そう思い先を急ぐ乃恵瑠であったが、アスタロトはまるで一行が来るのを待っていたかのように佇んでいた。
アスタロトに狐耳と狐尻尾が生えていることに気付き、胸が締め付けられるような何ともいえない気持ちになる乃恵瑠。
81
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:20:03
>「来ましたね」
>「……やはり、そちらに付くんですか。クロオさん」
>「アハ……。フラれちゃったなあ、せっかく告白したのに。ボクとしては、一世一代の大勝負だったんですよ?」
>「ううん、いいんです。クロオさんが拒絶するってことは予想してましたから。……そうなると思っていましたから」
「ちょっと! 告白って何!? というかその耳と尻尾何!? 前は付いてなかったよね!?
超可愛いんだけど……! さてはそうやって胸キュンさせて攻撃できなくする作戦だな! そうはいかないぞ! うおおおおおおおおお! モフらせろおおおおおおお!!
モフモフくんくんさせろおおおおおお!!」
奇声を発しながら橘音に飛び掛かるノエル。
しかしアスタロトが瞳術でも使ったのか、単に飛距離が足りなかったのかは分からないが、少し手前の地面に激突することになった。
クーデレっぽく抱きしめて説得するはずが、狐耳狐尻尾効果が絶大過ぎて胸キュンし過ぎたための作戦頓挫である。
アスタロトは乃恵瑠の奇行に動じることなく、ノエルとポチを悪魔の世界へ誘う。
>「ノエルさんはどうです?ボクと一緒に来ませんか。そしたら、いくらだってモフモフさせてあげますよ?」
「すごく魅力的な提案だ。
ふわふわの耳を生えた頭をなでなでしたい、尻尾に抱き付いてモフモフモフモフしたい!
だから……戻ってきて一緒に魔法少女をやろうよ!
妾はスノウホワイトだから……きっちゃんはトリプルテールなんてどうかな!?」
断り方は三者三様ながら、当然全員悪魔の誘いを拒絶するのであった。
>「やれやれ。やっぱり、予想通りのお返事……ですか」
>「ま、わかってましたけど!ホントに皆さんは、心の底から正義の味方……なんですねえ」
>「……それが分かっていたのなら。ボクたちがアナタの道を阻むということも予想できたはずです」
>「アナタはボクだ。ボクたちはお互いの考えを完全に予測できる。……アナタの企んでいることは、全部お見通しですよ」
>「ハ……。その通り!ボクたちはお互いを知り尽くしている、でも……だからこそ!アナタはボクには勝てない!」
>「アナタたち正義の味方が、ひっくり返ったってできないことが――ボクにはできるのだから!」
ここで何故かアスタロトがサッと横に動くと、その後ろに隠れて見えなかったものが露わになった。
それは、座禅を組んだまま絶命したと思われる男性の死体。
>「……ハルオ……さ……」
>「アハハハ……そう!そうです!ボクたちがかつて、命惜しさに見捨てた!差し出した!ハルオさんの亡骸です!」
>「まさか、こんな綺麗な姿で残っているなんてね。驚きです!でも、それもうべなるかな――」
>「彼は自分自身を結界の楔とした。自分の死後も結界が残り続けるよう、即身仏と化して姦姦蛇螺を封じ込めたのです」
そこまで言うと、アスタロトはどこからか日本刀を取り出した。
82
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:21:59
「何物騒なもん出しちゃってるの!? ってかそんな刀振り回すような技能持ってたっけ!?
やっぱ例のアレ!? 敵になるといきなり強くなる法則!?」
>「さすがは今晴明と呼ばれた天才陰陽師。たったひとりで今まで十数年もの間、あの姦姦蛇螺を封じ続けてきたのですから大したものです」
>「でも――そのお役目も今日でおしまい!お疲れさまでした……ゆっくりお休みください!」
鞘から白刃を抜き放つアスタロト。
>「いけない!皆さん、止めてください!」
「うおおおおおおおおお! やっぱモフらせろおおおおおおお!!」
橘音に言われるまでもなく再びアスタロトに飛び掛かろうとする乃恵瑠だったが、
突然現れた巨大なハトとカラスによって阻まれた。
>「ハルファスさん、マルファスさん、よろしくお願いしますね」
「どう見てもハトとカラスじゃん! ゆるキャラみたいなビジュアルしやがって! おっとお!」
押しのけてアスタロトの元にいこうとしたところ、レイピアの刺突が繰り出され、避けきれずに脇腹を掠る。
「ぎゃああああああああああ!! 人間だったら死んでるからね!?」
乃恵瑠は絶叫しつつも精霊系妖怪であるためちょっと溶けたかな?程度で済んでいるのかもしれないが、
人間は言うまでもなく、肉体に依拠する割合が大きい妖怪はもっと大きなダメージを受けるのかもしれない。
「トランスフォーム――ロッド!」
乃恵瑠は”理性の氷パズル”を取り出すと、魔法少女風ロッドに変化させる。
「出でよ氷の壁!」
後ろに飛び退って援護に回った乃恵瑠は、氷の壁を作り出しての二羽の行動の妨害を試みる。
これは、透明な壁が見えずに激突してしまうという生物としての鳥の特性に着目したもので、
そのイメージが適用されて完全に見えないまでいかなくても見えにくい等の弱点があれば、多少の妨害程度にはなると思ってのことだ。
しかし、おそらくブリーチャーズのツートップのパワー系妖怪の尾弐とポチをもってしても、
二羽を退けることは出来ず、アスタロトは晴陽の亡骸の前に辿り着いてしまう。
83
:
御幸 乃恵瑠
◆4fQkd8JTfc
:2018/05/30(水) 22:24:36
>「……ボクにこれをさせるのは、ノエルさん。ポチさん。そしてクロオさん……アナタたちだ」
>「アナタたちのひとりでも。もし、ボクの許へ来てくれたなら――こんなことはしなかったかもしれないのに、ね……」
「どういう意味だ……!」
>「させるものですか!!」
>「もう遅い!――さあ――蘇れ、姦姦蛇螺!」
アスタロトの振るった刀で晴陽の首が打ち落とされたかと思うと、晴陽の亡骸が跡形もなく消滅する。
>「アッハハハハッ!帝都崩壊の序曲だ!派手に行きましょう……『それでは皆さん、よい終末を』!」
晴陽の亡骸が消滅すると同時に地面が鳴動をはじめ、膨大な妖気が放出される。
そしてついに封印を解かれた姦姦蛇螺が姿を現した。
怒りに歪んだ顔に禍々しく輝く相貌、耳もとまで裂けた、鋭い歯が並んだ口。
いかにも化け物に相応しい外見だが、ただ一つ違和感があるのはオフホワイトのサマーニットという服装であった。
乃恵瑠は半ば呆然としつつ、そこは普通に考えると巫女服かあるいは裸に近い状態だよなあ、等と思っていた。
>「……母、さん?」
不意にここにいるはずのない少女の声が聞こえた気がして、我に返る。
「祈ちゃん……? 何言ってるの……?」
>「――母さん!」
「見るな! そんなわけ……」
そんなわけない、そう言おうとしたが、「姦姦蛇螺の上半身となっている女性はその昔蛇神を鎮めようとした巫女である――」
という近年の都市伝説での通説との奇妙な符号を感じてしまう。
かつての戦いの時に何があったのだろうか。
颯が姦姦蛇螺を抑えるために蛇神に食われ、晴陽が自らの命と引換えに封印を施した、ということかもしれない。
「……橘音くんをお願い。今の橘音くんは少しの妖力しかないからこんな場所にいたら死んじゃう。
安全な場所まで連れて行って介抱してあげて」
祈には差し当たって、地面に倒れ伏している橘音の介抱を頼む。
それは純粋に橘音が心配なのともう一つ、祈を姦姦蛇螺と戦わせるわけにはいかない、との理由によるものであった。
84
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:41:17
>「そ、そう……なんだ? そういうことならあたしは一旦学校行ってこようかなー!
時間もないし! でもなんかあったらすぐ呼んでよ!? それじゃ!」
どうやら尾弐は上手い事、祈の追求を誤魔化せたようだった。
彼女がブリーチャーズに帰ってきてくれたのは嬉しい事だったが、その判断に不満もなかった。
橘音は言っていた。今回の相手は、祈にとっては相手が悪すぎると。
アスタロトの狙いがまさに彼女である事も分かっている。
連れていけないのは当然の事だった。
>「クロちゃん、何か知ってるんだよね……?
ううん、全部は言わなくていい。姦姦蛇螺が封印されている場所は分かる?」
橘音も尾弐も、姦姦蛇螺には並々ならぬ因縁があるようだった。
だが過去に何があったのかを知りたいという気持ちは、ポチにはなかった。
話す事で楽になるような悩みなら無理にでも掘り返していたかもしれないが、
二人の様子をにおいから察するに、どうもそのような話ではなさそうだった。
「……僕も、姦姦蛇螺について教えてよ。尾弐っちが喋ってもいいってとこまででいいからさ」
とは言え、これから戦うかもしれない相手だ。
ある程度の事は聞いておかなくてはならないと思い、ポチはそう尋ねた。
「……橘音ちゃん、すっかりねぼすけさんになっちゃったね」
橘音はまだ目を覚まさない。
相手にアスタロトがいる以上、橘音の援護なしで戦いを挑むのは無謀だ。
ブリーチャーズの窮地を何度も救ってきたその頭脳がいかなる策を巡らせるのか。
読む事が出来るのは、橘音自身しかいないのだ。
ノエルは今の内に戦いを有利に運べるよう、準備をしているらしい。
考え事をしてみたり、ビルの階段を降りたり登ったりと忙しそうにしている。
>「ポチ君、下の探偵事務所に何か使えそうなものは残ってないかな?」
「……そうだね。試しにちょっと見てくるよ」
野良犬として生きてきたポチには姦姦蛇螺がどんな存在なのかも分からない。
出来る事は限られていた。
潜り込んでみた事務所跡には――やはり、使えそうなものは残っていない。
やはり橘音が使っていた七つ道具は本来の持ち主に返されたか、アスタロトが持っていってしまった。
(あの僕をよく呼び出してた奴は……アスタロトに盗られちゃったんだっけ。
マントは……色は変わってたけど、なんか魚の置物を出したり仕舞ったりしてたような)
残る五つの七つ道具は――まだアスタロトが使っていないだけか。
いずれにせよ今から借りに行く事は出来ないだろう。
(……だけど、アレはどこに行ったんだろう)
事務所には七つ道具以外に少なくとももう一つ、あったはずだ。
正真正銘の天使から授けられた、いかなる妖怪をも浄化する魔滅の切り札が。
(そう……銀の弾丸。アレは、一体どこに……)
姦姦蛇螺は、妖怪ではなく神――祟り神らしい。
ポチはクリスと神社で戦った時の事を思い出す。
あの時対峙した英霊達は、どれほど噛みつき、何度叩きのめしても、平然と起き上がってきた。
神の力は、霊気や妖気のように底を突く事はない。
姦姦蛇螺の力もそうだとしたら――自分達に勝ち目はない。
(……だけど、あの銀の弾丸だって、神様……天使様?がくれた物だ。
もしかしたら……通じる事も、あるかもしれない)
銀の弾丸――その行方の候補は、そう多くはない。
なんといっても貴重な品だ。それこそ肌で感じ取れるほどに。
七つ道具の徴収を誰が担当したのかは分からないが、
いずれかの大妖怪が貸し出した物であろうと、持っていかれてしまったか。
85
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:41:40
(アスタロトが七つ道具をどうやって持ち出したのかは……分からない。
でも、もしこの事務所から直接盗み出したのだとしたら。
僕がアスタロトなら、持っていかない理由はない)
姦姦蛇螺の復活を、阻止出来るならそれが一番いい。
だがもしもそれに失敗してしまったら。
(銀の弾丸の行方……なんとか、調べられないかな)
もし見つけられれば、心強い切り札になるかもしれない。
とは言え――においを辿ろうにも、あまりに時間が経ちすぎている。
探偵ではないポチには、今更その行方を辿る術などある訳もない。手詰まりだった。
そうしてポチが仕方なく事務所に戻ると――不意に、SnowWhiteに飾られていた鏡の一つが光を帯びた。
>「案の定揃っとるな。お主ら、妖怪裁判で解散を命じられとる身だということがわかっとるのか?」
「本来、そうやって一つ所におることさえ禁止されとるんぢゃからな。……ま……そんなことを言っても聞く連中ではないか」
そしてその鏡面に、ぬらりひょんの富嶽の姿が映し出された。
その背後には不安げにこちらを見つめる、シロの姿も。
「やぁ、お爺ちゃん。丁度いいや、一つ聞きたい事があるんだけど……」
>「まあよいわ。それよりもぢゃ……今、そちらは大変な騒ぎになっとるぢゃろう」
「お主らのことぢゃ、既に情報は掴んでおるのぢゃろうが……。西洋悪魔どもが、日本妖怪に挑戦状を叩きつけてきおった」
「連中は新宿御苑に封印された姦姦蛇螺を蘇らせると言うとる。よりによって……尾弐、お主にとっては最悪手よの」
「団三郎どもらは、今ぞ力の見せ所とばかりに意気込んどる。もはや止められはすまい」
「せめてと思い、御苑周辺の人通りを封鎖するよう手を回したが……しかし、それにも限界はある」
事務所から徴収された物品の数々は今どこにあるのか。
尋ねようとしたポチだったが、富嶽はお構いなしに言葉を続ける。
いかに妖怪の総大将と言えど、今回の状況には焦りがあるのだろうか。
実際――姦姦蛇螺と妖怪達の戦いで大勢の死人が出て、良い事などある訳がない。
>「このご時世、東京のど真ん中でドンパチなんぞやらかしては、どれだけの被害が出るか想像もつかん」
「戦いを止める方法はひとつしかない。姦姦蛇螺が復活する前に元凶を叩くのみぢゃ」
「団三郎どもと姦姦蛇螺がぶつかる前に、お主らがすべてを終わらせよ。――よいな」
「……あのさ!事務所にあった色んな道具!アレが今どこにあるのか知りたいんだ!」
富嶽が話を終えると、ポチは駄目元で声を張り上げた。
言い終えた頃には鏡は既にただの鏡面に戻っていたが――通じた事を祈るしかない。
>「……なんか姦姦蛇螺が復活すること自体よりも、団三郎軍団と姦姦蛇螺がぶつかるのがヤバいみたいな言い方だったね。
アスタロトが犯行予告した目的はそれなのかな?」
「……どうなんだろう。でも姦姦蛇螺が神様なら、僕らだけでどうにか出来る相手じゃないと思うんだけど。
かと言ってあの爺さんが、この状況でまったく不可能な事を僕らに言いつけるのも変だし」
とは言え考えてみたところで分かるような事でもない。
もしかしたら尾弐ならば何か知っているかもしれないが。
それよりも、とポチは鏡からノエルへ視線を移す。
「それとノエっち、悪いんだけど手鏡か何か貸してくれない?もう一回、連絡が貰えればいいんだけど……」
86
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:42:02
それから暫くして、ポチはノエルの寝室へと視線を向けた。
橘音のにおいに変化があったからだ。
白狐の姿でも開けられるようにと、完全に閉じていなかったドアを押し開けて、橘音が部屋から出てきた。
>「……行きましょう、皆さん。新宿御苑へ」
>「祈ちゃんは?ここへ来ていたんですか?……そうですか……ボクが眠っている間に」
>「今回は。今回ばかりは、彼女を同行させるわけにはいきません。それこそ、あっちのボクの思う壺だ」
>「……止められればいいのですが」
>「大丈夫だよ、橘音くんもともと非戦闘員だったじゃん!
増して元の3分の2なんだからみんなで取り押さえれば……」
ノエルは努めて明るく振る舞おうとしている。そのように見えた。
だが橘音から感じる不安と懊悩のにおいには、殆ど変わりがなかった。
>「ノエルさん、ポチさん、クロオさん」
>「あちらのボクと遭遇しても、遠慮はいりません。……斃してください、滅ぼすしかない」
>「ボクはここにいます。だからあちらのボクが消滅したとしても、ボクという存在は消えない」
>「あちらのボクは、最悪の選択をしようとしている。『それだけはやっちゃいけない』ことをしようとしている――」
>「おそらく、あちらのボクはそれを敢えてすることで、今までのしがらみを断ち切ろうとしているのでしょう」
「そう。『本当の悪魔になるために』ね……。それはどうあっても阻止しなければならない。あちらのボクを滅ぼしてでも」
「ですから、遠慮はしないで下さい。ボクも力を失ってしまいますが……もともと大した力じゃなかったですし、ね」
「それよりも、悪魔たちの力を削ぐことが重要ですから。……いいですね」
ポチもまた、橘音の頼みに返事はしなかった。
アスタロトが橘音だとしても、止め方が分からないなら殺すしかない。
今の自分なら、みんなの為に橘音を殺せる。
祈に告げたその言葉に嘘はない。
だが――あの時とは、状況が違う。
橘音自身がここにいるなら、分けた魂を元通りに戻す事だって出来るはず。
それに――ポチは知っている。自分の嗅覚が完全ではない事を。
ロボの時も、猿夢の時もそうだったように、狼の鼻をもってしても相手を読み切れない事はある。
橘音が、嘘ではない、だが本当でもない事を口にした時、自分がそれを判別出来るのか、分からなかった。
(……魂を三つに分割して、君はそのたった三分の一。
これから先ずっとそのままで……本当にそれって大丈夫なの?)
言葉にはしない。
自分の疑念が真実であったとしても、正直に答えてはもらえないだろう。
ただ――橘音はアスタロトを殺してくれと言う前に、確かに悩んでいた。
なんの憂いもないなら、悩む必要などないはず。
元々大したものじゃなかった、その力を惜しんでいただけなのか。
それだけであんなにも長く悩むものだろうか。
橘音を疑うような事はしたくないが――これは、自分で見極めなければいけない事だと、ポチは思った。
>「……祈ちゃんがここにいないのは好都合。今のうち出かけましょう、そしてあちらのボクを滅ぼす。それが今回のミッションです」
そしてブリーチャーズは、SnowWhiteを後にした。
新宿は数え切れないほどの日本妖怪がひしめき合っていた。
>「どうやら、あちらのボクは新宿御苑とだけ言って、姦姦蛇螺の封印された詳しい場所までは教えていないようですね」
狼の姿では尻尾を踏まれかねないので、ポチは人の姿に化けていた。
>「禁足地とは、すなわち結界。人がそこへ濫りに立ち入らないよう、強固な結界を施した空間なのです」
林の中、道なき道を先導する橘音が、静かな声で語り出す。
>「そして、そういった場所には往々にして、恐るべき存在が封印されている――」
>「今から十数年前、赤マントは御苑の禁足地の封印を解き、東京に姦姦蛇螺を解き放とうと画策しました」
>「それを、クロオさんとボク。そして……祈ちゃんのご両親、颯さんとハルオさんが食い止めたのです」
>「……颯さんとハルオさんの命を引き換えにして……ね」
>「何だよそれ……やっぱり二人が犠牲になったのは赤マントのせいじゃないか!
まあ絶対そんなことだろうとは思ってたけど!
クロちゃんもクロちゃんだ、あんな思わせぶりな態度取らずに
元はといえばてめーのせいだろ!ってバシッと言い返せばよかったのに!」
「……こればっかりは、僕もノエっちの言う通りだと思うよ。
あれじゃ祈ちゃんは……赤マントを恨む事も出来ないじゃないか」
それとも――それこそが、二人が真実を黙っていた理由なのだろうか。
祈が、両親の仇が誰なのかも知る事が出来ないのは、不幸な事だと思う。
だが――もしも自分がこの戦いで殺されてしまったとして。
祈に仇を討って欲しいとは――思わない。
87
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:42:32
「……いや、ごめん。やっぱ今のナシ……色々、難しいよね」
そう言い直したきり、ポチは何も喋らなかった。
そうして林の中を暫く進んでいくと――不意に、橘音が足を止めた。
>「……封印が破られている……。もう、あちらのボクはこの中にいるということですね」
>「えぇっ!? 急がなきゃ復活しちゃう!」
思わず毛が逆立つような不穏な気配。
その中を橘音は更に進んでいく。
そして不意に――周囲の風景が一変した。
毒々しい色の空に、枯れ果てた木立。
その奥に見えるのは、古い祠堂と――自分達に背を向けそれを眺める、白いマントを纏う背中。
>「来ましたね」
アスタロトはブリーチャーズへと振り返ると――まず初めに、尾弐を見た。
>「……やはり、そちらに付くんですか。クロオさん」
>「アハ……。フラれちゃったなあ、せっかく告白したのに。ボクとしては、一世一代の大勝負だったんですよ?」
>「ううん、いいんです。クロオさんが拒絶するってことは予想してましたから。……そうなると思っていましたから」
その視線は次にノエルへ、そしてポチへと移る。
>「ノエルさんはどうです?ボクと一緒に来ませんか。そしたら、いくらだってモフモフさせてあげますよ?」
「ポチさんも。その『獣(ベート)』の力、思うままに揮いたいとは思いませんか?それが本来の、アナタの力の使い方なのだから」
「……無理だよ。それは、ロボに恥じない僕じゃない」
>「やれやれ。やっぱり、予想通りのお返事……ですか」
>「ま、わかってましたけど!ホントに皆さんは、心の底から正義の味方……なんですねえ」
>「……それが分かっていたのなら。ボクたちがアナタの道を阻むということも予想できたはずです」
>「アナタはボクだ。ボクたちはお互いの考えを完全に予測できる。……アナタの企んでいることは、全部お見通しですよ」
同じ魂を分かち合った者同士の会話。
何か――ポチには違和感があった。
具体的な言葉、形には出来ないが――何かが引っかかった。
>「ハ……。その通り!ボクたちはお互いを知り尽くしている、でも……だからこそ!アナタはボクには勝てない!」
>「アナタたち正義の味方が、ひっくり返ったってできないことが――ボクにはできるのだから!」
アスタロトが高らかに笑い、マントを翻しながらその場から一歩脇に退いた。
今までそのマントに隠されていた、祠堂の門扉。
その門扉の前に――座禅を組んだまま息絶えた人間の躯があった。
>「……ハルオ……さ……」
>「アハハハ……そう!そうです!ボクたちがかつて、命惜しさに見捨てた!差し出した!ハルオさんの亡骸です!」
>「まさか、こんな綺麗な姿で残っているなんてね。驚きです!でも、それもうべなるかな――」
>「彼は自分自身を結界の楔とした。自分の死後も結界が残り続けるよう、即身仏と化して姦姦蛇螺を封じ込めたのです」
アスタロトがマントの内側から刀を取り出した。
>「さすがは今晴明と呼ばれた天才陰陽師。たったひとりで今まで十数年もの間、あの姦姦蛇螺を封じ続けてきたのですから大したものです」
>「でも――そのお役目も今日でおしまい!お疲れさまでした……ゆっくりお休みください!」
強烈な妖気を帯びた刀身が、鞘の内から解き放たれる。
>「いけない!皆さん、止めてください!」
橘音が声を張り上げ、ポチは反射的に人狼の姿へと変化して前へと飛び出す。
だが直後、前方の空間に、前触れもなく裂け目が生じた。
その奥から姿を現したのは――二柱の悪魔。
貴族然とした礼服とモノクルで身を飾り、レイピアを得物とした、人間大のカラスと鳩。
>「ハルファスさん、マルファスさん、よろしくお願いしますね」
一対の悪魔が繰り出すのは、妖気を纏った鋭い刺突。
その剣先を掠めたノエルの脇腹から煙が上がった。傷口が溶けている。
掠めただけでも手痛い負傷となり得る――必然、間合いを詰めるのが難しくなる。
加えて二柱の連携。一方が攻めれば一方は様子見に回り、互いが互いの隙を庇い合う。
間合いの優位を活かした、徹底的な時間稼ぎ。
不在の妖術を用いてもなお、その守りを突破出来ない。
88
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:43:37
>「トランスフォーム――ロッド!」
「出でよ氷の壁!」
後衛に回ったノエルが二柱の動きを阻むように氷壁を築く。
それを利用してようやく一撃、通す事が出来たが――時間をかけすぎた。
>「……ボクにこれをさせるのは、ノエルさん。ポチさん。そしてクロオさん……アナタたちだ」
>「アナタたちのひとりでも。もし、ボクの許へ来てくれたなら――こんなことはしなかったかもしれないのに、ね……」
アスタロトが刀を振り上げる。
やっぱり、何かがおかしい――ポチは目を細めた。
いくらだってモフモフさせてあげる。
『獣(ベート)』の力を思うがままに扱いたくはないか。
アスタロトは自分達の望みを叶える事を条件に、自分の許へ来ないかと言っていた。
そして今、それが叶わなかったから――自分はこんな事をする。そう言った。
だとしたら――
(……君は、本当は一体何をしたかったのさ)
もしも自分達があの誘いに乗っていたら、アスタロトは――何をしていたのか。
無論、そんなものは妖壊の、悪魔のただの戯言である可能性もある。
アスタロトのにおいは、刀から噴き出す妖気に紛れて分からない。
だが――たった今アスタロトが零した寂しげな声は、ポチには偽りとは思えなかった。
>「させるものですか!!」
>「もう遅い!――さあ――蘇れ、姦姦蛇螺!」
しかし――今はそれを追求していられる状況ではない。
アスタロトの振り下ろした刀が安倍晴陽の骸、その首を断つ。
瞬間、地面が鳴動を始めた。
同時に膨大な妖気が祠堂を中心に溢れ返る。
>「アッハハハハッ!帝都崩壊の序曲だ!派手に行きましょう……『それでは皆さん、よい終末を』!」
妖気の柱が天へと伸びて、空を妖しい赤紫色へと染め上げていく。
やがてその容器の放出が収まると――祠堂の門扉が、独りでに開いた。
まず初めに見えたのは、暗闇の奥から光る双眸だった。
次に祠堂の奥から姿を見せたのは、怒りに表情を歪め、耳元まで口の裂けた女の上半身。
その下に続く大口を開けた大蛇の体が、最後に這い出してきた。
それが姦姦蛇螺であるという事は、ポチにもすぐに分かった。
だが――その姿には、奇妙な違和感があった。全体像の話ではない。
姦姦蛇螺の上半身。その女性が身に纏っているのは、オフホワイトのサマーニット。
祟り神に付属する品としてはあまりにもそぐわない。
もっとも――ポチにとってはそんな事は、どうでもいい事だった。
狼の直感が警鐘を掻き鳴らしている。
一刻も早くこの状況をどうにかしなければと。
尻尾が高く上を向き、全身の毛が逆立つ。
ポチは完全な警戒態勢にあった。
>「……母、さん?」
それこそ、すぐ傍まで近づいてきていた祈のにおいにすら気づけないほどに。
背後から聞こえた声に、ポチはしかし振り返らない。
振り返る訳にはいかなかった。
アスタロトやハルファス、マルファスも勿論だが――何よりも、姦姦蛇螺から目を逸らす事など出来る訳がなかった。
>「……橘音くんをお願い。今の橘音くんは少しの妖力しかないからこんな場所にいたら死んじゃう。
安全な場所まで連れて行って介抱してあげて」
幸いな事に、祈の傍にはノエルが付いた。
「……尾弐っち。姦姦蛇螺の事、もっと詳しく教えて。
なんでもいいから……今すぐに!」
言うや否や、ポチは不在によって姿を消して――カラスの悪魔へと飛びかかった。
あまりにも安直な突貫。当然、迎撃の刺突が放たれる。
その剣先がポチの心の臓へと迫り――
「起きろよ『獣(ベート)』」
瞬間、ポチの体毛が全く艶のない黒――宵闇の色に染まった。
毛皮だけではない。その毛先から溢れ出るように、ポチの体が黒霧を纏う。
そして襲い来る剣先がその闇に触れた途端、ポチが暴れた。
強烈な体の捻りによって空中で刺突を躱し、そのままレイピアを握る腕を掴み、手繰り寄せ――
「お疲れさん。もう寝てていいよ」
体毛の色が元に戻り、同時に彼の牙が悪魔の首筋へと食い込んだ。
ずっと分からなかった。『獣(ベート)』の正しい形が。
ポチに出来るのはロボの姿を借りて、彼と同じように力を振るう事だけだった。
89
:
ポチ
◆CDuTShoToA
:2018/06/02(土) 02:44:15
(だけど……お前が僕に話しかけてくるようになっても、
やっぱりお前の形は見えてこなかった。それで、分かったんだ)
だが力を受け渡す時、ロボは言っていた。
その力は本来、群れを守る為のものだと。
ロボの『獣(ベート)』は彼の肉体を頑強なものにする為に使われていたように見えた。
しかしそれは力の本質ではなく、結果としてそういう形になっただけ、だったのだろう。
全ての狼を自分の内に匿わんとした彼にとっては、『群れ』とは己の肉体そのものの事だったから。
つまり――『獣(ベート)』の力に、そもそも決まった形などない。
(そうさ。お前は……僕の捕食者なんかじゃない。
僕が受け継いだ、僕の力だ。精々便利に使ってやるよ、『獣(ベート)』)
故に、ポチは定義した。
自分にとっての群れを守る為の力を。
狼が縄張りを築くように。送り狼がかつて夜の恐怖を象徴していた時のように。
宵闇をもって線を引き、その内に踏み込んだ者を討ち滅ぼす。
それがポチにとっての『獣(ベート)』だった。
もっとも――気の持ちようだけで飼い馴らせる力ではない事に変わりはない。
この力を何度も、或いは長く解放すればどうなるか――ポチには十分、分かっていた。
90
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:12:24
>「そ、そう……なんだ? そういうことならあたしは一旦学校行ってこようかなー!
>時間もないし! でもなんかあったらすぐ呼んでよ!? それじゃ!」
誤魔化す事が出来たのか、或いは誤魔化されたと自分を説得したのかは判らない。
だが、祈をこの場から離す事には成功した。
去りゆく少女の背中を嘆息と共に見送る尾弐であるが……そんな彼にノエルとポチが語りかける。
>「クロちゃん、何か知ってるんだよね……?
ううん、全部は言わなくていい。姦姦蛇螺が封印されている場所は分かる?」
>「……僕も、姦姦蛇螺について教えてよ。尾弐っちが喋ってもいいってとこまででいいからさ」
「……」
それは、姦姦蛇螺について尾弐が知る情報を問うもの。
二人の問いに、顔を顰め暫くの間沈黙していた尾弐であるが、やがてガシガシと自身の頭を掻くと
大きく息を吐きながら口を開く。
「姦姦蛇螺……都市伝説だの妖怪だの言われてるみてぇだが、アレはそんな常識的なモンじゃねぇ。神格――それも、国生みの時代に近い存在だ」
「俺は前に一度、祟り神としての奴を見た事がある。その時の事を無理矢理に表現するなら……天災って言葉が一番近ぇだろうな」
「蹲って、ただ過ぎ去る事を祈りたくなるような……そういう領域の存在だったよ」
そして、そのままかつて有った事を語りかけ……だが、思う所があったのだろう。尾弐は一度口を閉ざしてから再度語り出す。
「アレが封印されている場所は新宿御苑、その中の『禁足地』だ」
そう言い切ると、尾弐は睨むような視線をポチとノエルへと向ける。
「言っとくが……これを喋ったのは、お前さん達にアレへの対策を立てるさせる為じゃねぇ。
アレ相手に戦おうとか滅ぼそうなんて事を考えさせねぇ為だ。いいか、アレの封印を解かれた時点で俺達の負けなんだ。
キツイ言い方になるが……それは、それだけは頭に叩き込んどいてくれ」
結局、尾弐の口から語られたのは、封印の場所と、姦姦蛇螺に対する注意喚起だけであった。
この期に及んで、尾弐はまだ過去を語らない……語りたくないらしい。
91
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:12:46
……そして、各々が動くべき時へ向けて準備を始め、時刻が午後を回った頃。
>「案の定揃っとるな。お主ら、妖怪裁判で解散を命じられとる身だということがわかっとるのか?」
>「本来、そうやって一つ所におることさえ禁止されとるんぢゃからな。……ま……そんなことを言っても聞く連中ではないか」
SnowWhiteの鏡に映った富嶽。彼の告げる言葉を以って、状況がうねる様に大きく動き出した。
>「このご時世、東京のど真ん中でドンパチなんぞやらかしては、どれだけの被害が出るか想像もつかん」
>「戦いを止める方法はひとつしかない。姦姦蛇螺が復活する前に元凶を叩くのみぢゃ」
>「団三郎どもと姦姦蛇螺がぶつかる前に、お主らがすべてを終わらせよ。――よいな」
>「……あのさ!事務所にあった色んな道具!アレが今どこにあるのか知りたいんだ!」
「何から何まで助けて貰って悪ぃ――――って、切るの早ぇな」
西洋妖怪の宣戦布告。息巻く数多の日本妖怪。
そんな最悪に近い状況を告げた富嶽は、ポチの言葉や尾弐の返事を聞くこともなく。
言いたいことだけを告げると、ぬらりひょんの特性を体現したかのようにあっさりとその姿を消した。
迫りつつある絶望的な状況に対して、あまりにもいつも通りの富嶽だが……尾弐はその態度に、気遣いの様な物を感じ取った。
(気負わせまいとしたのが半分、元々の性格が半分って所か……予想通りなら、似合わねぇ事しやがる)
>「……なんか姦姦蛇螺が復活すること自体よりも、団三郎軍団と姦姦蛇螺がぶつかるのがヤバいみたいな言い方だったね。
アスタロトが犯行予告した目的はそれなのかな?」
> 「……どうなんだろう。でも姦姦蛇螺が神様なら、僕らだけでどうにか出来る相手じゃないと思うんだけど。
かと言ってあの爺さんが、この状況でまったく不可能な事を僕らに言いつけるのも変だし」
「……とにかく、那須野が目を覚まし次第直ぐに出発出来る様にしとけ。」
二人の言葉を努めて流しながら、尾弐は来たるべき時に向けて準備を始める……
―――――
92
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:13:25
>「……行きましょう、皆さん。新宿御苑へ」
暫くして、なんとか復調した那須野が目を覚まし、部屋から歩み出て来た。
そしてそれは、いよいよ作戦が始まるという始まりの合図でもあった。
>「あちらのボクと遭遇しても、遠慮はいりません。……斃してください、滅ぼすしかない」
>「ボクはここにいます。だからあちらのボクが消滅したとしても、ボクという存在は消えない」
>「あちらのボクは、最悪の選択をしようとしている。『それだけはやっちゃいけない』ことをしようとしている――」
>「おそらく、あちらのボクはそれを敢えてすることで、今までのしがらみを断ち切ろうとしているのでしょう」
>「そう。『本当の悪魔になるために』ね……。それはどうあっても阻止しなければならない。あちらのボクを滅ぼしてでも」
>「ですから、遠慮はしないで下さい。ボクも力を失ってしまいますが……もともと大した力じゃなかったですし、ね」
>「それよりも、悪魔たちの力を削ぐことが重要ですから。……いいですね」
>「……祈ちゃんがここにいないのは好都合。今のうち出かけましょう、そしてあちらのボクを滅ぼす。それが今回のミッションです」
黒仮面の那須野と対峙した時は……滅せよと。
悲壮な覚悟の込められた那須野の言葉に、ポチもノエルも沈黙で答える。
それは、彼らの優しさなのだろう。止めたいと想う……だが、那須野の言葉が自分達を想っての事だと判るからこそ、安易に否定も行えない。
「ああ、分かってるさ。大将の不始末は、俺が片を付ける。どんな手段を用いても――――何を犠牲にしても」
だからこそ尾弐は、尾弐だけはその言葉を肯定し、受け入れた。
それが、愛と正義を語る資格のない自身に許された役目であると知っているから。
――――
道中。百鬼夜行の様に妖怪たちが蠢く街の中を進み抜け、林の中へと分け入っていく最中。
ポツリと、零すように那須野が口を開いた。
>「禁足地とは、すなわち結界。人がそこへ濫りに立ち入らないよう、強固な結界を施した空間なのです」
>「そして、そういった場所には往々にして、恐るべき存在が封印されている――」
>「今から十数年前、赤マントは御苑の禁足地の封印を解き、東京に姦姦蛇螺を解き放とうと画策しました」
>「それを、クロオさんとボク。そして……祈ちゃんのご両親、颯さんとハルオさんが食い止めたのです」
>「……颯さんとハルオさんの命を引き換えにして……ね」
突然の独白に一瞬目を大きく見開き、口を開きかけた尾弐であるが……けれど、その言葉を遮る事はしなかった。
口を噤み、那須野が語るに任せて歩み続ける。だが、その表情にはありありと罪悪感が浮かんでいる。
向けられる後悔の矛先は、過去の所業を那須野の口から語らせてしまった事実に対して。
そして、これから与えられるであろうポチとノエルの言葉に対して。
>「何だよそれ……やっぱり二人が犠牲になったのは赤マントのせいじゃないか!
>まあ絶対そんなことだろうとは思ってたけど!
>クロちゃんもクロちゃんだ、あんな思わせぶりな態度取らずに
>元はといえばてめーのせいだろ!ってバシッと言い返せばよかったのに!」
>「……こればっかりは、僕もノエっちの言う通りだと思うよ。
>あれじゃ祈ちゃんは……赤マントを恨む事も出来ないじゃないか」
>「……いや、ごめん。やっぱ今のナシ……色々、難しいよね」
(……そうだろうな。お前さん達ならそう言ってくれると思ってたさ)
尾弐は、那須野は悪くない。悪いのは赤マントだ
どこまでも優しいその言葉は……尾弐の罪悪感を刃物の様に抉る。
(けどな――――違う。『助けられなかった』のと『助けなかった』ってのは、違うんだ)
(俺は、祈の嬢ちゃんの両親を助けられる選択肢を持ってたのに『助けない』事を選んだんだよ)
重い心を押し隠しつつ、歩を進める尾弐達。
そして、いよいよ目的地に近づかんとする所で……那須野が足を止めた。
同時に尾弐も足を止め、眼前の光景を見て舌打ちをする。
93
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:13:55
息苦しささえ感じる禍々しく膨大な妖気。眼前の空間からソレが漏れ出しているという事はつまり
>「……封印が破られている……。もう、あちらのボクはこの中にいるということですね」
>「えぇっ!? 急がなきゃ復活しちゃう!」
「ああ、時間がねぇ――――行くぞ」
焦燥感に後押しされつつ歩を早め、かつて結界が隔てていた境界を潜り抜けて見れば
汚濁した空と枯れ果てた木々。古い祠堂。
尾弐がかつて見た景色……忘れようとしても忘れられない悪夢の情景が、広がっていた。そして
>「来ましたね」
その情景の中には、白いマントと黒い狐面を被った人影……那須野橘音、いや、アスタロトが君臨していた。
>「……やはり、そちらに付くんですか。クロオさん」
>「アハ……。フラれちゃったなあ、せっかく告白したのに。ボクとしては、一世一代の大勝負だったんですよ?」
>「ううん、いいんです。クロオさんが拒絶するってことは予想してましたから。……そうなると思っていましたから」
アスタロトは尾弐達の姿を目に留めると、初めに尾弐へと視線を向け、僅かに唇をわななかせてから口を開いた。
尾弐はその視線を真っ直ぐに受け止めると、薄笑いを浮かべたその顔へ向けて、こめかみを手で押さえながら言葉を返す。
「悪ぃな。俺は『妖壊』に対する慈悲なんてモンは持ってねぇんだ。だから、大将……地獄へ堕としてやるから、覚悟しとけ」
情けも、そして容赦もない言葉。
そうして尾弐が那須野の言葉をはねのけたのと同じように、ポチも、ノエルもその誘いをはねのける。
>「やれやれ。やっぱり、予想通りのお返事……ですか」
>「ま、わかってましたけど!ホントに皆さんは、心の底から正義の味方……なんですねえ」
>「……それが分かっていたのなら。ボクたちがアナタの道を阻むということも予想できたはずです」
那須野とアスタロト、鏡写しの二人の会話。その違いは傍らに居る者達が居るか居ないか。
側に誰一人居ないアスタロトは……だが、嗤う。楽しいのだと。そう言い聞かせるように嗤う。
>「ハ……。その通り!ボクたちはお互いを知り尽くしている、でも……だからこそ!アナタはボクには勝てない!」
>「アナタたち正義の味方が、ひっくり返ったってできないことが――ボクにはできるのだから!」
そして、悪を謳うアスタロトが歩を動かすと、そこには――――即身仏の様に座禅を組み印を結ぶ、枯れ果てた亡骸が在った。
誰とも判らない程に変化してしまった、人間の死体。
ああ、けれど
その服装に、手にまかれた装飾品を、尾弐は覚えている。
離別の時の彼の姿は、尾弐の脳裏に今も焼き付いている
「……晴、陽……」
>「……ハルオ……さ……」
奇しくも、尾弐が那須野と同時に呟いたのは、一人の人物の名前。
そう、その木乃伊は――――祈の父である、安倍晴陽であった。
94
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:14:49
>「アハハハ……そう!そうです!ボクたちがかつて、命惜しさに見捨てた!差し出した!ハルオさんの亡骸です!」
>「まさか、こんな綺麗な姿で残っているなんてね。驚きです!でも、それもうべなるかな――」
>「彼は自分自身を結界の楔とした。自分の死後も結界が残り続けるよう、即身仏と化して姦姦蛇螺を封じ込めたのです」
あまりの衝撃に、呆然とする尾弐の眼前でアスタロトは刃を引き抜く。
結界の楔たる晴陽の骸を前にして、アスタロトが成さんとする事……それは、誰の目にも明らかであった。
> 「いけない!皆さん、止めてください!」
>「うおおおおおおおおお! やっぱモフらせろおおおおおおお!!」
「チッ……!」
那須野の叫ぶ様な指示と同時に、アスタロトへと向かったノエルとポチ。それに少し遅れる形で拳を握り地面を蹴った尾弐であったが……
> 「ハルファスさん、マルファスさん、よろしくお願いしますね」
表れた、鳩と鴉の様な悪魔……ハルファスさん、マルファスの急襲により、その攻撃は中断させられる事となった。
「クソっ、邪魔臭ぇ!とっとと退きやがれ、鳥頭共!!」
尾弐は二柱の妨害を力ずくでこじ開けようとするが、その精緻な連携と傷口を腐敗させる刃は、尾弐の力技はおろか、ポチの不在の妖術ですら容易な突破を許さない。
焦りは拳を鈍らせ、更に悪戯に時間を消費させてしまう。まさに悪循環である。
>「トランスフォーム――ロッド!」
>「出でよ氷の壁!」
だがそれでも、ノエルが後衛に回り二柱の間に氷の壁を設ける事でようやく隙を作る事が出来た。
それを見逃さず、尾弐はハルファスへと接敵する。
無論、ハルファスが防衛行為を行わない訳も無く、高速で突きだされたレイピアは尾弐の左腕脇腹を切り裂く事となった。
直後に、レイピアが触れた尾弐の皮膚が腐敗を開始するが……
「鳥なら鳥らしく、蚯蚓でも突いてろ――――!!」
それを意に反さず、尾弐はハルファスの頭部を上から叩き付けるように殴りつけた。
圧倒的な膂力の一撃は、慣性のままにハルファスの頭を地面に激突させ、その嘴を泥で汚させる事となった。
……直撃するにせよ、回避されるにせよ、これによって尾弐はアスタロトの元へ向かう隙、道筋を作る事が出来た。
腐敗を始めた自身の脇腹の肉の一部を、右手で力任せに引きちぎり捨てた尾弐は、アスタロトの元へと向かおうとする。
けれど……それは、あまりにも遅すぎた。
>「……ボクにこれをさせるのは、ノエルさん。ポチさん。そしてクロオさん……アナタたちだ」
>「アナタたちのひとりでも。もし、ボクの許へ来てくれたなら――こんなことはしなかったかもしれないのに、ね……」
「やめろ!!其れをしちまったら……!!」
制止の言葉も役に立たず、アスタロトが手に持つ刃が振り下ろされ、空気を裂く音と共に
晴陽の骸の首が落ちた。
95
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:15:36
>「アッハハハハッ!帝都崩壊の序曲だ!派手に行きましょう……『それでは皆さん、よい終末を』!」
その光景を前にした尾弐が覚えたのは、大地が鳴動している事にも気づかぬ程の……後悔。
何故ならば、尾弐は知っているからだ。この後に起こるであろう事を。姦姦蛇螺の、結末を。
……異様と言ってもいい程に膨大な妖気が生み出した光柱が消え去った後に、ひとりでに開いていく祠堂の扉。
そこから這い出してくるのは、一柱の妖怪の姿。
赤紫色の鱗を持つ大蛇、その口から半身を出す、六本腕の異形の人型。
だが……尾弐の視線はその異形の部分には向けられていなかった。
尾弐が呆然とした様子で見上げるのは、 姦姦蛇螺の上半身。
オフホワイトのサマーニットを着た、人間の女性の姿。
「…………楓……お前さん、やっぱり『そう』なっちまったのか……」
信じたくはなかった。
違っていて欲しかった。
だが、奇跡は起きない。尾弐の願いはいつだって叶わない。
見紛う筈も無い。姦姦蛇螺の上半身は。その女性の姿は。
かつて共に戦った戦友にして、祈の母親である女性。
多甫 颯のものであった。
そして、最悪はここで終わらない。立ち尽くす尾弐の耳に届いたのは、今ここで聞こえてはいけない声。
この悪夢を見せない為に、必死に遠ざけてきた少女の声。
>「……母、さん?」
> 「祈ちゃん……? 何言ってるの……?」
>「――母さん!」
>「見るな! そんなわけ……」
記憶は遠く掠れていても、それでも自分を愛し生んだ親の事は判るのだろう。
視線を向ければ、少女……多甫祈が、姦姦蛇螺へと。母の姿へと叫びかけていた。
「……嬢ちゃん、なんで、お前さんは此処に……」
祈の出現に足元が崩れるような感覚を覚えつつも、何とか絞り出した尾弐の声は、掠れている。
憎悪と執念を燃やしながら長い時を生きてきた悪鬼の、遠い昔に失った心の残骸が軋む。
>「……橘音くんをお願い。今の橘音くんは少しの妖力しかないからこんな場所にいたら死んじゃう。
>安全な場所まで連れて行って介抱してあげて」
>「……尾弐っち。姦姦蛇螺の事、もっと詳しく教えて。
>なんでもいいから……今すぐに!」
そうして尾弐は、ただ呆然と立つ木偶の坊と化していたが……彼にとって幸いなのは、この場にポチとノエルが居た事であろう。
ポチはその内に宿る獣を用いて、マルファスへと飛びかかり、喉笛を食い千切った。
ノエルは冷静に祈に行動の指示を出す事によって、この場から引き離し、那須野と祈自身を守ろうとしている。
その二人の行為が、今にも地面に膝を突きそうであった尾弐の身体をかろうじで支えた。
尾弐は鎮座していた1m程の岩を片手で掴み地面から引き抜き、ハルファスへと投げつけてから口を開く。
それは、ポチの問いかけに関する答え。尾弐が知る、姦姦蛇螺という妖怪についての全て。
96
:
尾弐 黒雄
◆pNqNUIlvYE
:2018/06/06(水) 22:49:10
「……。姦姦蛇螺は、古き神の一柱だが……大和の民より前の人間。先住民達が崇める神でもあった。
だからこそ、その性質には先住民達を打ち払った人間達へ怒り、荒ぶる神……祟り神としての側面が存在している」
「祟り神としての奴の力は強力無比。以前に赤マントが封印を解いた時は、俺と那須野、颯、晴陽が全員で相対して……手も足も出なかった」
ぽつりぽつりと語る間も、尾弐の視線は姦姦蛇螺の上半身に向けられている。
長年の封印から解き放たれたばかりである為か、今直ぐに襲い掛かってくる様子は無いが……しかし、それが時間の問題である事は確かだろう。
「力で叶わない以上、帝都を護る為に取れる選択肢は限られる」
「その中で俺達が選んだのは……古来より存在する、強大な荒ぶる神性を鎮める手法……神に生贄を捧げ、人柱を以って神を縛る事だった」
「颯を生贄として、晴陽が内側から結界を張り、禁足地を現世と隔てる事で、俺達はようやく姦姦蛇螺を封印した」
血が滲むような声。聞かせたくない記憶。
そこには強い後悔の色が滲んでいるが……それでも、現状がいかにどうしようもなくなってしまっているか伝えるには、諦めさせるには、語るしかない。
「そこまでしないと、奴を止める事は出来なかった。そこまでしても、奴を止める事しか出来なかった」
「……その結果がコレだ。神に生贄として捧げられた颯は、ああして成仏も、消滅も、地獄にすらもいけない姿に成った。姦姦蛇螺の一部になっちまった」
握りしめる拳に血が滲み、地面へと流れ落ちる。
「帝都なんてモン見捨てて、無理矢理連れ去っちまえば、二人だけは助けられたのに」
「……俺が全部を投げ捨てる事を択べれば、颯をあんな姿にする事は無かったのに」
絞り出すようにそう言ってから暫くの間沈黙し、やがてポチに背中を向けた姿勢で尾弐は口を開く。
「ノエル、ポチ……結界を壊されて完全に復活させちまった以上、もうどうしようもねぇ。俺達の負けだ。那須野と祈の嬢ちゃん連れて逃げろ」
「アレに狸共が勝てる訳もねぇ。せめて時間を稼いでる間に海の外まで渡れば、命だけは助かるだろ……ああ、それとも生贄と人柱をもう一回試してみるか?」
――――どうせまた、同じことになるだろうけどな。
捨て鉢にそう言って、尾弐は腕を組みその場に留まる。
……どうやら、今にも動き出さんとする姦姦蛇螺を相手にして、僅かでも時間を稼ぐつもりらしい。
せめて、無駄な努力をするつもりらしい。
97
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:47:54
「……アハ……。アハハハハハ、ハハハハハハハハ……!!」
「まさか!まさか、こんなことが起こるなんて!まったく予想もしていなかった――!ああ、これだから……運命とはわからない!」
「――いや。本当にそうかな?ボクはこの可能性に、本当に行き当たらなかったのか?気付いていながら、目を背けていたんじゃないか?」
「ねえ……どう思います?『もうひとりのボク』?……」
黒い仮面の奥で双眸を見開き、アスタロトが喜悦の混じった声を上げる。
「…………!!」
ニタリと口角を持ち上げて嗤うアスタロトの言葉に、起き上がりかけていた橘音は歯を食いしばった。
そう。姦姦蛇螺がこうなっている可能性に、橘音はずいぶん前から気付いていた。
否、可能性などと言う生易しい話ではなく――確信していた。『きっとそうなっている』ということを。
確信していながら、その事象に言及することを避けてきた。直視することを恐れてきた。
だって。
こんな恐ろしいことから目を背けずにいることが、果たして何者に出来るだろうか?
『かつて愛した、しかし我が身かわいさに見捨てたかけがえのない仲間』が――
『今や祟り神そのものに変貌している』という事実。
だが、アスタロトは敢えてそのトラウマに真っ向から対峙した。
自らの心に出来たかさぶたを剥がすように。かつて犯した過ちから逃げ続けるもうひとりの自分と、そして尾弐とを糾弾するように。
自身の胸の中にほんの僅か残った、人の心を棄てるように。
「……来ていたんですか、祈ちゃん。聞き分けのない子だ……ノエルさんたちに止められていたんでしょうに」
母さん、という祈の悲痛な叫びに、アスタロトは僅かに首をそちらへ向けた。
「キミに母親の記憶はないはずですが。触れあったことも、声を聴いたこともない母親でも――わかってしまうものなんですねえ」
「そう!その通り!この怪物は紛れもなく、アナタの母親!多甫 颯さんですよ……祈ちゃん!」
大きく両手を横に開き、芝居がかったオーバーアクションを取る。
ふしゅるる……と姦姦蛇螺が蛇じみた長い二股の舌を覗かせる。
「母子の感動のご対面だ!『颯さんは死んじゃいなかった』!いや、ホントにボクも封印を解いた甲斐がありました!」
「もっとも……アナタは颯さんのことをわかっても、颯さんの方は……アナタを娘とは認識していないようですがね……」
アスタロトはくくっ、と含み笑いを零した。
「――……!!」
ポチに噛みつかれたマルファスが、声なき絶叫をあげる。
マルファスは力任せにポチを引き剥がすと、肉を裂かれた首筋を押さえながらヨロヨロと後退した。
尾弐によって殴り倒されたハルファスも起き上がり、二、三度頭を横に振ってからアスタロトのところへ戻る。
東京ブリーチャーズの抵抗によってダメージを負いはしたものの、致命とまでは行かない。
ポチと尾弐に手痛いダメージを与えられた二柱を一瞥すると、アスタロトは軽く肩を竦め、吐息した。
「油断ですね、マルファスさん、ハルファスさん……彼らを決して甘く見るなと、事前にそう何度も念を押しておいたはず」
「強大な力を持っている天魔ですが、それゆえ他者を侮りすぎるのが玉に瑕です」
ハルファスとマルファスの二柱が、戦闘を中断してアスタロトの両脇に跪く。
妖気を芬々と放つ日本刀を鞘に納め、マントの内側に仕舞うと、地獄の大公は仮面の奥で目を細めた。
98
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:49:26
>……。姦姦蛇螺は、古き神の一柱だが……大和の民より前の人間。先住民達が崇める神でもあった。
尾弐がポチの求めに応じ、秘されていた一連の真実を語るのを、アスタロトは仮面の奥で目を細めて聴いた。
同様、橘音もまた尾弐の口を塞ぐような真似はせず、ただ沈痛な面持ちで尾弐の言葉に耳を傾ける。
そうして尾弐が語ったのは、十数年前にこの場所で起こった出来事。
尾弐と橘音が、祈の両親を見捨てた事件の真相だった。
「ウフフ……説明ありがとうございます、クロオさん!」
「もののついでです。ボクらと颯さん、ハルオさんの関係についても、この際皆さんに知って頂きましょうよ」
「隠しごとってのはよくないですからね!アッハハハハッ!」
アスタロトが哄笑すると、脇に控えているハルファスとマルファスの二柱が咎めるような視線を向けた。
しかし、アスタロトはまるで斟酌しない。二柱に対しフン、と小さく鼻を鳴らすと、
「天魔に戻ろうと、ボクは探偵。隠しごとを暴くのは探偵の宿痾みたいなものです、止められませんよ」
そう言った。
尾弐の語った過去を補完するように、アスタロトが昔語りを始める。
今から三十年ほど前。それまでふたりで妖壊退治をしていた尾弐と橘音は、とある妖壊を狩るためにひとりの妖怪へ協力を要請した。
それが、祈の祖母であるターボババアだった。件の妖壊を仕留めるには、尾弐と橘音には無いもの――『速度』が必要だったのである。
しかし、ターボババアはふたりの要請を拒絶した。荒事は好まないし、そういう仕事のできる妖怪でもないというのが理由だった。
再三の説得も功を奏さず、他に有効な手立てのない尾弐と橘音は行き詰まった。
だが――そんなとき。
落胆してターボババアの家から去ろうとしたふたりの背に声をかけてきたのが、母と尾弐たちの話を聞いていた、ターボババアの娘。
当時14歳、すなわち現在の祈と同い年の多甫 颯だったのだ。
「颯さんもオババにひけをとらない妖力を持っている。その颯さんが言ったのです」
「母は力を貸さない。けれども、自分でいいなら。ふたりの手助けができるかもしれない、と――」
颯の協力を得、尾弐と橘音は見事に件の妖怪を討伐することができた。
そして、そこからふたりと颯の間にはひとつの縁が結ばれた。
その後いくつかの妖壊退治を経て、尾弐と橘音のコンビはいつしか尾弐と橘音、そして颯のチームへと変わっていったのである。
「不思議な女性でしたよ。年齢はボクたちよりも全然下だっていうのに、ボクたちを丸ごと包み込むような包容力があってね」
「それまで慈悲なんてかけずに機械的に妖壊を狩っていたボクらが、まず説得と交渉をするようになったのも、彼女の影響でした」
「クロオさんが自炊するようになったのも、颯さんの影響でしたっけね」
思い出を懐かしむように、アスタロトが仮面の奥で目を細める。
橘音はそれを警戒しながら、しかし遮ることなく聞いている。
尾弐と橘音、颯の三人はそうして十数年の間、東京を中心とした関東圏の妖異を解決し続けた。
そんなあるとき、三人はやはり妖壊退治のため、日本明王連合と連携して戦うという機会に遭遇した。
その仕事にあたって、日明連から派遣されてきた使者――それが、祈の父。今晴明と名高い天才陰陽師、安倍晴陽だったのだ。
妖壊退治を通じて、颯と晴陽には何らかの通ずるものがあったのだろう。
ふたりは恋仲になり、将来を誓い合う関係になった。
「皆さんもご存じの通り、妖怪と日明連は不倶戴天の敵同士。それが結婚するなどとんでもない!って――あのときは揉めに揉めました」
「でも、颯さんとハルオさんの決意は固かった。ふたりの愛を妨げることは、誰にもできなかった……」
「最終的にハルオさんは自分の家を捨て、野に下って颯さんと結ばれた……というのは、皆さんもご存じの通りです」
それからすぐに颯は子どもを身ごもった。それが祈だった。
祈が生まれると、颯と晴陽は慎ましい家庭を築いた。幸せを体現したかのような、小さな。けれど温かな家庭だった。
尾弐と橘音のふたりは、仕事のないときはほとんど颯と晴陽の家に入り浸り、家族のように過ごした。
橘音は赤ん坊の祈を風呂に入れたり。尾弐は颯と台所に立って、一緒に料理を作ったり――。
その幸せは、ずっと続いていくものだと。皆が皆、当たり前に思っていたのだ。
あのときまでは。
99
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:50:12
「当時から、ボクたちは赤マントと戦いを繰り広げていました。各地で犯行を繰り返す彼をなんとか倒そうと躍起になっていた」
「彼の方も同じく、ボクたちに一泡吹かせてやろうとあの手この手で犯罪を繰り返していた。そんなとき――」
「彼がボクたちを葬るために目をつけたのが、新宿御苑の禁足地に封印されていた姦姦蛇螺……だったのです」
アスタロトが静かに語る。
これから語られる真実を予測してか、橘音が獣牙をギリ、と噛みしめる。
「もともと姦姦蛇螺はこの地に古くから封印されていた。赤マントはその封印を解き、東京に蛇神を解き放とうとしました」
だが、それを尾弐、橘音、颯、晴陽の四人が阻止しようとした。
一刻を争う事態だった。応援を呼んでいたのでは間に合わない。尾弐たちはたった四人で姦姦蛇螺を再封印しなければならなかった。
準備も、機材も、時間も、人手も、何もかもが足りない。
そんな絶体絶命の危機に、颯が選んだのは――
「颯さんは自分が生贄となることで、姦姦蛇螺を鎮めると。そう言ったのです」
「もちろん、ボクたちは反対しました。そんなことはさせられない……ってね。でも、颯さんを思い留まらせることはできなかった」
アスタロトは軽く俯いた。
自死にも等しい申し出に躊躇う三人に対し、颯は赤子の祈を託すとこう言った。
『わたしはただ死ぬんじゃない。この子の、祈のために道を作りたいの。祈が笑顔で暮らせる未来のために命を使いたいの』
『みんな、この子だけは助けて――この子をここから無事に逃がすために、あなたたちは絶対に生き残って』
と――。
颯を呑み込むと、姦姦蛇螺は束の間大人しくなった。
その気に乗じ、橘音たちは祠堂に姦姦蛇螺を封印し直した。
しかし、それだけでは足りない。封印は祠堂と、この禁足地。二重に施さなければ、ふたたび何者かがこの地に入ってしまいかねない。
生贄となった颯の他に、もうひとり。誰かがこの場に残り、禁足地の結界を編まなければならないのだ。
そして。
その対象者は、議論をするまでもなく決まっていた。
「ハルオさんは言いました。颯がここに残るなら、自分もここに残ろうと」
「ボクたちは、やっぱり反対しましたが……彼の意志を覆すことはできなかった。頑固な夫婦でしたよ……本当に、ね」
「そうしてハルオさんはこの場に残り、クロオさんとボクは祈ちゃんを連れて、この場所から逃げ出したのです」
颯と晴陽の命という犠牲を払うことで姦姦蛇螺は再封印され、東京はからくも大妖災を免れることができた。
しかし、絶縁したとはいえ一人息子である晴陽を喪ったことで、安倍晴朧が激怒。
それまで微妙なバランスで均衡していた妖怪と日明連の関係は、一気に戦争の一歩手前まで悪化してしまった。
その後、妖怪世界の長が日明連と交渉し、なんとか戦いを回避することは出来たものの、人間と妖怪の間には深い溝ができた。
「オババには、ひどくなじられましたよ。だから妖壊退治の片棒なんて担がせたくなかったのに、と」
「半妖ではあるが、人間らしい生活を送ってほしかったのに。颯を殺したのはおまえたちだ、と」
「……ボクたちには、返す言葉もなかった」
祈は祖母であるターボババアが引き取り、養育することになった。
尾弐と橘音が祈に会うことは固く禁じられ、三人の縁はいったん断たれた。
三人が再び会うことになるのは、それから更に十余年後のこと。
「あるときボクは、年端も行かない半妖がひとりで妖壊退治をして回っている――という話を、風の噂に聞きました」
「ターボババアの妖力を受け継いだ半妖……それが颯さんとハルオさんの子、祈ちゃんであるということは、すぐに分かった」
「オババの手で育てられた祈ちゃんは颯さんとハルオさんの血と気性を受け継ぎ、正義感の強い子に育っていました」
「ただ、クォーターである祈ちゃんの力は純粋な妖怪より遥かに劣る。このままでは、いつか強大な妖壊に返り討ちに遭うかもしれない」
それゆえに。
橘音は尾弐に相談し、彼の同意を得たうえで、ターボババアのところへ十数年ぶりに赴いた。
そして、懇願したのだ。
『祈ちゃんを命に代えても守ります。だから、どうか償わせてください』と――。
当然ターボババアは難色を示し、尾弐と橘音を非難した。
しかし、最後には『二度と同じ過ちは犯すな』と言って、祈がブリーチャーズに参入することを許したのだった。
両親譲りの正義感から妖壊を倒そうとする祈の行動は、ターボババアをもってしても止められない。
ならばせめて、仲間を作って危険度を少しでも減らそう……そう考えたのかもしれなかった。
100
:
那須野橘音
◆TIr/ZhnrYI
:2018/06/08(金) 16:51:31
「アナタたちは、そんなの赤マントが悪いんじゃないか――って。そう言うのでしょうね。アナタたちは優しいから」
「でもね……違うんですよ。全然違う。そういう話じゃないんだ……」
黒狐面を軽く押さえ、アスタロトは口角を歪めて嗤った。
「ボクはねえ……祈ちゃん。喜んでしまったんですよ……」
「姦姦蛇螺の力の前には、ボクの知恵などなんの意味もなかった。姦姦蛇螺の復活に、ボクはただ手をこまねいているしかなかった」
「でも、そんなとき。颯さんが自分を生贄にして姦姦蛇螺を鎮める、と言い出したのです」
「さっきも話した通り、当然ボクは止めました。バカなことを言うのはやめてくださいってね……でも、違ったんです」
「心の中で、ボクは颯さんのその提案に歓喜していた。彼女ならそう言うと思っていた……彼女がそれを言い出すのを期待していた」
クク、と喉の奥からくぐもった笑みを漏らすと、アスタロトは一拍の間を置き、
「ボクは。『自分が生き残るために』。『アナタのお母さんが死ぬことを歓迎した』んですよ……」
と、祈をまっすぐに見ながら言った。
「アナタのお父さん、晴陽さんについても同様。彼のことだから、絶対にここに残ると言い出すはずと――そう思っていました」
「果たして、彼はボクの目論見通り姦姦蛇螺の結界の中に残ると言った。ボクはやはり、それをそらぞらしい芝居で一旦否定し――」
「最終的に、やむを得ない……という顔をして、許可したのです。苦渋の決断というそぶりで……最初からそのつもりだったのに!」
大きく両手を広げ、アスタロトが告げる。
橘音が強く目を瞑り、顔を背ける。
「赤マントが原因だから、ボクたちのせいじゃない?ボクたちに罪はない?とんでもない!」
「ボクは颯さんが死ねばいいと思った!ハルオさんがこの場所に残るのがベストと判断した!ふたりがそう言うのを待っていた!」
「それが罪でなくて何です?緊急避難?そんなのは只の言い訳だ。仕方なかったなんて慰めで消えるものじゃない!」
「……でしょう?クロオさん。あれからずっと、ボクたちは同じ罪の意識を共有し続けてきたんだ」
颯を見捨て、晴陽を置き去りにしてこの場所から去ったという後ろめたさ。心苦しさ。
逃れ得ぬ過去の記憶を決して忘れまいという気持ちから、橘音と尾弐のふたりは今まで祈を守り続けてきた。
「でも、それももう終わりです。ボクは天魔に戻った。ボク本来の姿にね」
「天魔は――悪魔(デヴィル)は後悔なんてしない。罪の意識に苛まれたりなんてしない!」
「ボクはボクの目的を完遂します。ボクの願いの成就、それだけを考える。そのためには――アナタたちには消えてもらわなきゃ」
「アナタたちが、あくまでボクの往く手に立ち塞がるというのなら、ね……」
アスタロトがそこまで言うと、傍らに控えていたハルファスとマルファス二柱が再度アスタロトを窘める視線を向ける。
喋りすぎだ、というのだろう。二柱はアスタロトの護衛であると同時に、見張り役も兼ねているのかもしれなかった。
アスタロトが鬱陶しそうに右手をヒラヒラ振る。
「わかってますよ、おふたりとも。そもそも、ボクがなんの考えもなしにベラベラ喋っていたと思うんですか?」
「目覚めたばかりの姦姦蛇螺は身動きが取れない。爬虫類ですからね、暖気を整えてあげないと。そのため時間が必要でしたが……」
「もう充分でしょう。――さあ、お話タイムはおしまいです」
ちら、と姦姦蛇螺を見上げ、アスタロトはマントの内側から何かを取り出す。
それは、ガラスでできた三本のアンプル。
「久しぶりの目覚めで、おなかが減ったでしょ?すぐにたらふく食べさせてあげますが……まずはこれをどうぞ!」
三本のアンプルを、姦姦蛇螺の目の前に放り投げる。
大きく裂けた口を開け、姦姦蛇螺は三本のアンプルを勢いよく飲み込んだ。
ブリーチャーズの方を一瞥し、アスタロトは悪戯っ子のように嗤う。
「何を飲ませたのか、って?サプリメントみたいなものですよ……それも特別効き目のあるヤツを、ね」
「なにせ、我が天魔七十一将の中でも上位の支配者クラス――悪魔王三柱から抽出した妖気ですからね!目も醒めるってものでしょう!」
颯の顔をした蛇神は、裂けた口からふしゅる……と妖気を吐き出した。
そして、すぐに双眸を大きく見開く。その身体が、みるみる巨大に膨れ上がってゆく。
「まずい!皆さん、退避してください!ここにいたら押し潰されてしまう!」
橘音がその場にいる全員に避難勧告をする。
下半身、蛇部分の長大さを除けばそう大きくなかった蛇神の体躯が、どんどん大きくなってゆく。
肥大してゆく胴体の太さに、周囲の木々が薙ぎ倒される。祠堂が踏み潰される。
新宿御苑の自然に棲息していた鳥たちが、一斉にバタバタと飛び立ってゆく――。
そして。
周囲に高層ビルの建つ新宿区のただ中に、巨大な蛇神が降臨した。
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