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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

2語り(管理人):2015/05/29(金) 21:54:36
第1話  漂流





「恭也、ちょっとこっち来い」

 そう呼びかけるのは外見が20代半ば位の男だった。
 黒髪黒瞳の整った顔立ちと、長身で、大柄ではないにも拘らずひ弱さを感じさせない引き締まった体つき。周囲の人間が威圧感を感じかねない特徴であるが、今その男はそれらを相殺して余りある悪戯小僧然とした表情を浮かべている。

「父さん。少しはみんなを手伝ったら?」

 多分に呆れを含んだ口調でそう答えながらも大人しくそちら、呼びかけた男の方へ歩み寄る少年。黒髪黒瞳の整った顔立には呼びかけた男の面影があり、返答通り二人が親子であることは容易に想像が付く。
 こちらは外見からすると10代半ばと言った所だろうか。血筋なのか育ちなのか、見る者が見ればしなやかな猫科の肉食獣をイメージさせる所まで良く似ている。
 その為だろう。その感情の現われていない表情が殊更強調された印象を受けるのは。そして、初対面の人間がこの親子と対面したときに歳の離れた兄弟だろうと推測し、「父」と言う単語が聞こえたときに驚くことになるのは。どちらも実年齢と外見年齢が一致していないのである。ただし、仕事時などでは表情を引き締めることの出来る男-不破士郎-と違い、常時無表情な少年-不破恭也-は体格に恵まれていることも災いし、ランドセルを背負う姿を「小学生なのに留年したのか?」と父親からからかわれる日々を送っている。
 感情が表情に出にくいことと感情の起伏があることはまったくの別問題である。そして、悔しがっていることを一番隠したい相手を含め、周囲の親しい者には感情がほぼ筒抜けになっていることが、近頃の恭也にとっての最大の悩みだった。

「馬鹿野郎、人聞きの悪いことを言うな。余興の剣舞のことだ」
「何を企んでるの?」

 瞬時に発言内容が詰問に移行する辺り、普段の遣り取りを容易に想像させる。と言っても言い回しこそ違えど返答の内容は親類であれば一致していただろう。そして、それは士郎自身も承知しているため、あっさりと聞き流しつつ自分の用件を話し始める。

「折角の祝いの席なんだ。琴絵さんを祝福するためにも派手に行こうじゃないか」
「一臣叔父さんも含めてやりなよ。
 そもそも後2時間もしたら式が始まるのに今更変更なんて出来ないだろう」

 そう言いながら恭也は周囲を見やる。
 流石に直前にどたばたと準備などしている訳は無いが、普段は落ち着いた雰囲気の日本家屋、御神宗家が静かな賑わいを見せている。

 今日は御神宗家の長女である御神琴絵と、御神の分家の一つ士郎と恭也の実家である不破家の当主不破一臣の祝言である。
 琴絵は美しく気立ても良い女性で親族の誰からも慕われていたが、生まれつき体が弱く、1年の大半を床で過ごしていた時期もある。琴絵と一臣が婚約を済ませていながら式を挙げることが出来なかったのもそれが原因であった。
 最大の分家筋である不破家の当主は血筋を守る義務がある以上、結婚相手には健康であることも求められる。長く続く家系であるため、当主として個人の感情より体面を優先することを求められる事は無理からぬことだったのだ。周囲から他の相手との結婚を求められた一臣は、せめてもの抵抗として結婚を先延ばしして琴絵の回復を待ち続けた。
 体面を優先させた老人たちとて琴絵を憎んでいた訳ではない。だからこそ、最後の条件を満たして迎えることが出来た今日と言う日を祝うために、親族全てが集まっているのである。

3語り(管理人):2015/05/29(金) 21:55:11
 また、剣舞とは式の余興として恭也と士郎が真剣を用いて行う殺陣である。結婚式の余興が剣舞と言うのはどうなんだと言う意見はあるのだが、伝統行事なのだ。これは御神宗家および不破家が実践剣術を伝える家系だからだろう。
 士郎が既に袴で身を包み腰に2本の刀を挿しているのに対し、恭也が黒一色の普段着のままであるのは、単に着付けの順番待ちである。
 本来ならば違和感の付き纏う服装をごく自然に着こなしている士郎は、純日本家屋が背景になっていることもあり侍と言われればそのまま信じてしまいかねない趣がある。顔を引き締めたまま喋りさえしなければ!
 色々な意味で危険を伴う士郎と、その士郎が特にハッチャけることの多い相手である恭也が揃って剣舞に任命されたのは、それぞれの年代で屈指の腕を持つと認められているからこそなのだが、

「まあ、聞け。別に手順を変えるわけじゃないんだ。
 この血糊の入った袋をオレの懐に忍ばせておくから、最後の袈裟切りの時に上手いこと斬って驚かせるんだ。どうだ、こいつはウケルと思うだろ?」

 本当にその人選は正しかったのかと問い質したい者は多いだろう。人格は必ずしも剣椀に比例する訳ではないのだ。
 ちなみに、恭也に血糊を仕込んで斬られ役にしないのは万が一を考えての父親としての優しさだ。などと言うことは全く無く、不破の当主の式でもあるため剣舞の内容に「継承」の意味を含めて「弟子が師を越えていく図=年配者が斬られ役」とされてたからである。

「なるほど、良いんじゃないか?それなら血が流れても誤魔化せる。」
「だろ?こいつで澄ました顔して座ってる連中の度肝を抜い・・・。」

 士郎の発言が途切れ、二人の間にしばし沈黙の時間が流れる。密談するために近づいていた二人の距離がごく自然な動きでわずかに開き、その流れのまま双方共に注意して見ていなければ気付かない程度に膝を曲げ、突発的な行動を取れるよう準備を整える。

「やっぱり、斬られる予定の無い馬鹿息子が突然流血する方が驚きは大きいよな」
「謙遜することは無いぞ馬鹿親父。みんなに敬愛されている者が予期せぬ事故に遭えば誰もが悲嘆と驚愕に包まれる事請け合いだ。流血して倒れている父さんを指差して爆笑しているみんなの顔が目に浮かぶよ」
「てめぇ、言っていることが滅茶苦茶じゃねぇか」
「聞き間違いだろう。内容は一貫している。
 まさかとは思うが、自分がみんなから敬愛されていると思っている訳じゃないだろう?」
「言うようになったな、恭也」
「まだまだ序の口だ」

 言葉を重ねるごとに縁側からでも感じ取れるほど緊張感が高まっていくが、周囲の人間に気にした様子はない。無論、式の直前の準備に忙殺されて気付かない訳ではなく、このような掛け合いがこの親子にとって日常茶飯事だからである。
 しかし、今回は普段通りの斬り合いに発展することは無かった。大事な式の直前だからでも、恭也が帯刀していなかったからでもない。始める時には状況も装備もお構いなしに始める連中が休戦に至った理由は、外的要因によるものだった。

「何だ?」

 不審そうに屋敷に視線を向ける士郎。対峙しているにも関わらず視線を逸らす士郎に奇襲を掛けないのは、恭也自身も現状に違和感を感じているためだ。
 それは、悪意も害意も感じ取ることができず、音も光も発することのない、初めて体験する感覚だった。



* * * * * * * * * *

4語り(管理人):2015/05/29(金) 21:55:49
* * * * * * * * * *



 良く晴れた昼過ぎの臨海公園で、車椅子に乗った少女-八神はやて-は、紫がかった長髪の怜悧な美貌の女性-シグナム-と金髪の柔和な佳人-シャマル-と共に散歩を楽しんでいた。
 公園内は手入れが行き届いており、季節に見合った柔らかな日差しも手伝い、とても居心地の良い空間と言えた。にも関わらず人が疎らで閑散としているのは、今が平日の昼間だからだろう。そうでなければ、これほどのんびりと寛ぐ事はできない。

 はやては経験上、このメンバーで街中を歩けば注目を集めることを知っていた。たいていの場合まず、自分に、ではなく車椅子に視線が集まるが、不躾に眺め続ける者はほとんど居らず程なく視線は逸らされる。が、その時視界に年上の二人の内どちらかが入れば再び視線が集まる上、今度はなかなか離れない。男性からは勿論、女性からも視線を集めて止まない美貌の持ち主が2人も家族に居ることが、はやてのささやかな自慢だった。“ささやか”なのは勿論この評価に不満があるからだ。はやては、「外見だけやあらへんねん!」と声を大にして主張したいのだ。
 ここには居ない2人を含め、自分が家族として迎え入れた、そして自分の家族であることを容認してくれている4人-ヴォルケンリッターの面々-を世界中の人に自慢して回りたくなることすらある。

 はやては足が不自由になり車椅子に頼るようになってから小学校を休学している。
 休学の理由はいくつかある。小学校という施設には車椅子で過ごせる設備がなかったし、頻繁に通院する必要があったことも小さくはない。だがそれらの理由より、子供ならではの無遠慮で無躾な視線にはやてが堪えられなかったからだ。
 単に怪我をして一次的に車椅子を使っていただけなら気にならなかったかもしれない。しかし、事故で両親を失ったショックが癒える間もなく、徐々に足が動かなくなっていくという恐怖は、幼い少女から笑顔と心の余裕を奪い去るには過分な威力があった。

 だが、はやてはクラスメイトを非難する気はなかった。
 珍しいものに好奇の視線を向けるのは無理のないことだと理解できる程度には、つまり年齢からすると不相応と言える程に、はやては聡明であり優しい気性だったからだ。
 しかしだからこそ、悪く言えば内向的なその気性は、歳相応と言える未成熟な精神を追い込んで行った。
 そして、諦観と悲嘆に潰される寸前に不幸の続いた少女の元に漸く、彼女曰く「幸運」が舞い降りた。それも、反動とでも言うように夢物語のレベルの物が。

 その幸運とは、はやてが9歳の誕生日を迎えた瞬間に起こった、後に家族となる4人がはやての元に召喚された出来事を指す。
 はやてにとって昨日の事の様に思い出すことが出来るその初の対面は、しかし対面した後のことを思い出すことができない。勿論忘れた訳ではなく、「真夜中に突然輝きだした本の中から飛び出した4色の光の玉が人の姿になった」という、メルヘンなのかSFなのか判断に苦しむ現象を前にして、感情が希薄になっていた少女ですら驚きのあまり意識を手放してしまったからだ。
 はやてはこの時のことが話題に上る度に、家族になる者との感動の対面をふいにしてしまい一生の不覚、と語っている。

 だが、はやての家族になれた事についてヴォルケンリッターの誰一人として、はやての言葉通りの幸運だとは思っていない。召喚者がはやてであった事は、あくまでもはやてが闇の書の主となれるほどの魔道の才能を秘めていたからだ。そのことを明確な事実として認識しているからこそ、自分達が家族になれた理由は、はやての言葉通りの「家族になれる者に出会えた幸運」などによるものではなく、家族として迎えてくれたはやての優しさであり、包容力であり、強さであるということを履き違えたりしなかった。

 事実、過去、闇の書の主として選ばれた者の中には、力を忌避して主としての権限を書の主であることと一緒に放棄する者(無論この考えを持つだけでも希少であったが)は居ても、家族として遇する者は皆無であった。そもそも、自分達はこの待遇を期待することなど思考の片隅にもなかったし、家族になれと言う要求は想像の範疇を超えていた。

5語り(管理人):2015/05/29(金) 21:56:22
ヴォルケンリッターはそもそも「希望」など持ち合わせていなかった。自分達自身を、主の意向・意思・希望・野望・欲望を実現するための存在として、道具として定義するようになっていた。
 感情すら表すことはなくなった。書の主の選定基準は魔道の才能のみであり、人格が考慮されることはない。心の中で鬼畜・外道と蔑んだ者も、自分達に欲望の矛先を向ける者も、闇の書が主に選定した以上は、闇の書の守護者に否やはない。そんな権利は存在しない。
 だからこそ、この出会いを幸運、いや奇跡と言うのであれば、それは闇の書の主にはやてが選ばれたことであり、自分達が言うべき台詞なのだというのが、ヴォルケンリッターの共通の見解であった。


「シグナム、剣道道場の方はどないやの?」
「はい、皆他流派の私に対しても良くしてくれます。」
「カッコいい男の人はおった?」
「・・・そうですね。純朴で実直な、好感の持てる青年が居ました。」

 はやての「おお!?」とシャマルの「ええ!?」という2種類の声が重なる。剣の道一筋と言わんばかりのシグナムの口から男の話題が出るとは考えていなかったのだろう。
 自分から振っておきながら満面で「驚いた」と表現していたはやては、年頃の少女らしく、と言うには少々早熟に過ぎる気もするが、早速シグナムの恋愛話に食い付き先を促す。

「それでそれで?」
「主はやても将来はあのような青年を選ばれるのであれば私も安心できます。」
「・・・あれ?」

 想定外の返答に思考が止まるはやてと、返答内容に呆れるシャマル。

「シグナム、あなた将来はやてちゃんが”純朴で実直な好感の持てる青年”を連れて来たとしても、はやてちゃんに相応しい人物か確認する、とか言って果し合いでも挑むんでしょ。それもはやてちゃんに内緒で」
「無論だ。主はやての手を煩わせるまでもない。主はやての伴侶となるからには少なくとも私より強くなくては。無論、強いことなど最低条件だが。」
「そんな人滅多に居ないわよ。」
「当然だ。主はやての伴侶が有象無象であって良い筈がない。」

 さも、当然のこととして話すシグナム、会話が進むにつれ呆れの度合いが深まるシャマル、やや笑顔の引き攣るはやて。
 はやてもシグナムが強いことは聞き及んでいる。ただ、シグナムの戦闘シーンどころかテレビで放映される格闘技くらいしか見たことがないはやてにとって、シグナムの強さが具体的なイメージには繋がらない。そのため、ドラマに出てくる「頑固親父にその娘を嫁にもらうために挨拶に行き殴られる男」の図を想像してしまったのだ。

「シグナム、あな――っ!?」

 続く呆れた言葉を中断し、唐突に海の方向に顔を向け凝視するシャマルと、シャマルから一瞬遅れたものの何かを感じ取ったのか同じ方向を警戒するシグナム。
 一人状況に取り残されたはやては、二人と同じ方向に視線を向ける。海への落下防止用の鉄柵が5mほど離れたところにあるが、鉄柵の向こう側は何の変哲もない見慣れた海、そして鉄柵と自分達の間にはきれいに舗装された地面のみ――?

 前触れもなく、唐突に鉄柵が歪んだ。

「レヴァンティン!」
「クラールヴィント!」

 はやてが鉄柵の異常に気付いた時には、シグナムが剣を携えはやての前方に、シャマルが直ぐ脇に近寄り車椅子に手を添える。
 そして、はやては視線を動かしたことで自分が誤認していた事に気付いた。鉄柵が歪んでいたのではない。鉄柵との中間点の空間が歪んだために光が屈折したのだ。
 目の前の現象にはやての認識が追いつくのを待っていたようなタイミングで、地上から50cmくらいの高さの空間に黒い物体が出現し鉄柵に向かって吹き飛んでいった。地面でワンバウンドした後、鉄柵にぶつかった物体を見て、はやての口から言葉が零れた。

「・・・男の子?」



続く

6語り(管理人):2015/06/09(火) 21:06:59
第2話 遭遇



 シグナムには空間転移してきた目の前の少年からは魔力を感じることはできなかった。巧妙に隠している可能性を危惧してシャマルに視線を向けるが首は横に振られた。クラールヴィントを使用した上で否定したと言うことは少なくとも脅威となるような魔力資質ではない。だからと言って目の前に空間転移して来た者を敵ではない等と言える訳も無い。
 シグナムは推測を続ける。どう見ても私服姿だが管理局の人間だろうか?だが、闇の書とその守護騎士を捕らえるなら単独で来るなどあり得ないし、目の前に転送してくる意味が無い。陽動にしてももっとマシな手があるだろう。
 無関係な人間が転送時に何かのトラブルで飛ばされたのかもしれないが、はやてがそばに居る今、その様な楽観論を選ぶことはできない。
 結局、シグナムとシャマルには現在の手持ちの情報でこの少年が敵なのか、無関係なのかを判断することは出来なかった。だが、はやてが傍らに居る以上、何らかの対処はしなくてはならない。
 はやてを守る方法は2つある。脅威を排除するか、近づかないかだ。

 排除。端的に証拠を残さず殺してしまえば脅威ではなくなる。
 だが、シグナムははやての未来を血で汚さないために仲間達と共に自ら殺生を禁じていた(無論好んで殺人を犯したい訳ではなく、必要性があり、誓いを立てていなければ行ったと言う意味だ。戦場に剣士として立つ以上奇麗事を語るような愚かさは持ち合わせていない)。
 だからこの場で採れる無難な方針は、近づかないこと、関わらないこと。

 だが、今この場にははやてが居て、少年が倒れる様を目撃している。

「大丈夫ですか?」
「はやてちゃん、待って」
「ここは私が」

 声をかけながら近付こうとするはやてをシャマルが制し、代わりにシグナムがゆっくりと少年に近付く。

 自分達の主が倒れている者を前にして「看過する」という選択肢を持たないことは承知していた。だから、はやてと共にこの場面に遭遇した以上、取るべき行動は初めから決まっていた。
 すべての危険からはやてを遠ざけたければ、部屋に閉じ込めるしかない。そんな飼い殺しの様な真似が出来る訳がない以上、はやての騎士である自分達の役割ははやての安全を確保する事だ。
 そして、シグナムはそのことに不満は無い。はやての優しい思いを守ることができる自身を誇らしいとすら思っている。

7語り(管理人):2015/06/09(火) 21:08:06
 シグナムは少年の全身を視界に収めつつ、ゆっくりと近づく。
 呼吸はしている。顔色も特に悪くはない。左側面が上になる姿勢で横たわっており、左手は力無く地面に垂れ下がり右手は体の下敷きになって確認出来ない。
 後三歩の距離までにそれだけのことを確認したシグナムが更に進もうとした瞬間に、それまでピクリとも動かなかった少年の体が跳ね起きる。今まで隠れていた右手には棒状の物、鞘に納められた剣が握られている事を見て取り、シグナムは鞘から剣を抜き、シャマルもシグナムのフォローとはやての防御ができる体勢をとる。
 一方の少年は先程までのぐったりした様子が芝居だとでも言うように無表情ながらも鋭い眼差しで3人に均等に視線を送っている。
 右足を前に出した半身の少年は剣を納めた鞘をそのまま右手で掴み体の前に掲げる様に、攻撃がきても受けて捌ける姿勢をとっている。その構え方はシグナムの目から見ても堂に入ったものだった。右手で鞘を掴んでいるのが、倒れていた状況からの流れで持ち替える際に生じる隙を見せないためなのか、左手で剣を扱うからなのかが俄かに判断出来ない程だ。
 膠着した状況を動かしたのははやての呼びかけだった。

「お、お兄さん、大丈夫なん?」

 別に場の雰囲気が読めなかった訳でも、少年が構えている物が何か判らなかった訳でもないだろう。だが、緊迫した空気に怯えながら呼びかけた声に見えるのは心配の色のみだった。
 掛けられた言葉が聞こえなかったかのように、少年は表面的には無反応。だが、シグナムには少年の警戒レベルがいくらか下がったことがわかった。
 そのまま数秒が経ち、はやてが更に声を掛けようとした頃、少年が構えを解き、静かに頭を下げた。

「失礼しました」

 頭を下げたまま言葉を発した少年に対して、シグナムは構えを解きレバンティンを鞘に戻した。
 少年が完全に警戒を解いていないことは判っていたが、無防備に頭を下げてみせた以上、歩み寄るためにはシグナムも妥協を示す必要がある。示さなければ目の前の少年は改めて臨戦態勢を取っただろう。
 シグナムには、正体不明、更には武器を所持しているような不審人物と馴れ合う気は毛頭無いが、はやてが間近に居るこの状況で斬り合う訳にはいかない。
 目的は打倒しての勝利ではない。シグナムは戦えば自分が勝つことを微塵も疑わなかったが、どれほど小さくともはやてが危険に晒される可能性は排除しなくてはならない。
 自分達の配置からはやてを守ろうとしていることは、目の前の少年も読み取っているはずだ。戦闘が始まれば間違いなくウィークポイントのはやてが真っ先に狙われるだろう。
 一見したところ和解した様な、実際には火薬庫でタバコを吹かしている様な状態ながらも会話が可能な空気は作ることができた。はやてはそのことを正確に理解した上で、少年を刺激しない様に慎重に言葉を投げかける。

8語り(管理人):2015/06/09(火) 21:09:19
「お兄さん、頭大丈夫?」
「は、はやてちゃん!?」
「え?…ちゃ、ちゃうねん!フェンスに頭ぶつけたみたいだけど、痛くない?ゆう意味やねん!」

 少年は無言。
 はやてはその無言を怒りと受け取り怯え、シャマルは何とかフォローしようと言葉を紡ぐ。
 シグナムだけはそのやり取りの間も変わらず少年を観察し続ける。

「聞きたいことがある」
「ヒッ!」

 ポツリと漏らした言葉は声量に反してよく通り、慌てていた2人の動きを凍らせる。手を取り合って固まる2人と動くことのないシグナムを見ながら、少年は感情を見せずに言葉を続ける。

「頭をぶつけたことを心配すると言うことは、あなた達はしばらくここに、俺が来る前からここに居たんですか?」
「え?ええ、居ましたよ」

 シャマルの答えに再び少年は口を閉じる。代わりとでも言うようにシグナムが口を開いた。

「お前、頭をぶつけたショックで記憶が混乱しているな?」
「え!?」

 質問と言うより確認の意味合いが強いその言葉にはやてが驚きの声を上げ、少年に視線を向ける。
 が、当の本人の表情には何の変化も無い。言い当てられたことによる動揺も驚愕も悔恨もない、と言うことは的外れだったのでは?とはやてが思った時に少年が応じた。

「やはり隠し切れませんか」
「当てられたんなら、ちょっとは驚かんかい!」
「元気が良いな。だが、気付かれる事は承知の上で言ったのでな。ここに来た経緯どころかこの風景にも見覚えが無い。気付かれずに全ての情報が手に入るとは流石に思わない」
「そ、それって記憶喪失?」
「いや、そこまでではない。自分自身のことも私生活も覚えている。だが、先程目が覚める前の事が思い出せない」
「そうでしょうね」
「どう言う意味です?」

 シャマルの台詞に再び少年の視線が鋭くなる。その反応に鎌かけを込めて言葉を返したのはシグナムだった。

「そう焦るな。我々がお前に何かをした訳ではない。口で言ったところで信じないだろうがな。
 ありのままを言うなら、お前は突然空中に出現してフェンスに向かって吹き飛んで行った。意図した行動であればフェンスに激突するような現れ方はしないだろう」
「突然空中に?…それを信じろと?」

 シャマルは少年の観察を続けながら、この反応が演技なのか本心なのかを見極めるためにクラールヴィントを使って思考を探る。悟られないように表層部分だけに限定しているが、シグナムが話を振ってくれたので思考がそのことに向いている。気付かれずに見抜けるはずだ。
 本心、つまり空間転移を知らないのであれば囮として巻き込まれた現地人の可能性が出て来るからだ。その場合実行犯が別に居ることになり、目の前の少年にこちらの注意を向けさせることが敵の意図である可能性が高くなる。

9語り(管理人):2015/06/09(火) 21:10:23
<シグナム。あの子は魔法の、空間転移のことは知らないわ。おそらく現地人だと思う>
<やはりな。だがこの男にも油断はするなよ>
<ええ>

「ほんとやよ。今シグナムが立ってる辺りが突然歪んで見えた、思ったらお兄さんが地面にワンバウンドしながらフェンスにガッシャーン!って」

 2人の思念通話での遣り取りには気付くことなく、はやてはシグナムの擁護をしながらも、これは無理やろなぁ、と思っていた。少なくとも自分なら説明している相手を指差して笑うか、哀れみの眼差しを向けるだろう。

「そうか」
「え?それだけ?」
「情報料として金の無心か。子供の頃からそれでは将来が思いやられるぞ」
「っは、甘ちゃんが。気取ったこと言うとったっておマンマ食えんのや。ってちゃうわ!」
「ほう、ノリツッコミまでこなすとは、将来有望だな」
「え?そ、そうやろか?」
「はやてちゃん、喜ぶところなの?」
「だが、お笑いの道は長く険しいと聞く。生まれ持った才能だけで渡って行けるものではないだろう。これからも精進を怠らないことだな」
「はい、師匠!」
「いつの間に弟子入りしていたの!?」

「主はやて、彼に我々の無実を示さなくても良いのですか?」

 空気が凍り付いたかの様な静寂が場に満ちる。先程の喧騒から一転、沈黙したまま自分に集まる視線にシグナムがたじろぐ。

「シグナム、何事にも流れ言うんがあるんよ?」
「参加できないにしても、せめて黙って見守るくらいのことはして欲しかったわね…」
「まぁ、これも得がたい資質なんでしょう。そのうち役に立つときもきっと来ますよ。どんな場面なのか想像もつきませんが」
「ちょっ待て、何故お前まで同調している!?これでは私だけ孤立している様ではないか!?私は話が逸れて来たから修正しようと!」

 揃って哀れみの視線を逸らす3人にシグナムも言葉が詰まる。

「まぁ、シグナムいじめるんはこれくらいにして、お兄さんほんとに納得したん?」
「いや。
 ただ、お前達の話の内容が正しいことを証明できないように、それを否定する証拠も持ち合わせていない」
「常識的に言って否定すると思うんですけど」
「そうですね。ですが、尋ねておいて何ですが、重要なのはここに来た方法ではなく、これからどうするかですから。とにかく一度家に戻ります。落ち着けば何かしら思い出すかもしれません」
「まぁ、状況が逼迫していないなら、それも一つの手だな」
「もう復活しましたか、シグナムさん。なかなか打たれ強いですね。努力次第でその女の子の相方になれるかもしれません」
「ほ、本当か!?」
「気にしてたのね、シグナム」
「シグナムは、寂しがりやさんやなぁ」
「っな、違!」
「それでは俺はこの辺りで」
「貴様、逃げるか!」
「まぁ、シグナムもその辺で。
 私は八神はやて言います。こっちはシグナム、こっちはシャマル。良かったらお兄さんの名前も教えてんか?」

10語り(管理人):2015/06/09(火) 21:11:08
 少年の去り際に邪気の無い顔でそう呼びかけるはやてを眺めた後、少年も応じて答える。

「恭也だ」
「恭也、さん。えっと苗字は?」
「次に会う機会があれば教えよう」
「まーた、カッコつけて」

 はやての言葉を聞き流しつつ踵を返す少年、恭也を見て、はやては「おや?」と思う。
 終始、掛け合いの時でさえ引き締められていた無表情だが、去り際に目元が緩んだように見えたのだ。

「少しは心を許してくれたんやろか」
「突然見知らぬ地に放り出された上、気絶していた自分に近づいてきた不審者相手に早々気を許すような男には見えませんでしたが」
「やっぱり、そやろか?」
「でも、張り詰めていた状態よりは少しは良くなったんじゃないですか?」

<結局何も起こらなかったわね。何だったのかしら>
<まだ警戒は解くなよ。揺さぶりの可能性は残っている>

「だといいなぁ。
苗字、教えてくれる時が来るやろか」
「シグナム、腕試しなんて要らないわよ」
<今思うと、あの空間転移自体通常のものとは違ったわね>
「何故だ?何処の馬の骨とも判らんやつだぞ」
<言われてみれば長距離転送のはずなのに魔法陣も確認できなかったな>
「次にあった時で十分よ」
<何れにせよ"気をつける"以外の対処方法は無いわね>
「なるほどな」
<前触れがあっただけ良かったとするしかあるまい。ヴィータとザフィーラにも伝えておこう>
「シャマル、シグナム。何の話や」
「主はやての幸せについてです」
「・・・この調子やと男の子の友達は出来へんのやろか」

 (シグナムとシャマルの密談を含めた)冗談を交わしながら恭也に目を向けると、かなりの健脚なのか既に公園を出ようとしていた。
 剣を持ったまま街中を歩くのはまずいだろうと、慌てて声を掛けようとしたところではやては気付いた。流石に捨てるとも思えないが後姿を見る限り、剣を持っているようには見えない。
 はやての疑問を察してシグナムが種明かしをする。

「剣は袖から服の中に隠したようです。動作から不自然さをなくすことで周囲の目を誤魔化しているんです。
 暗器、隠し武器を使うものは技量の差はあれ行います。ですが、普通ダブついた服を着て誤魔化易くしますが、あの少年は服の遊びが少ない。服が黒いため陰影が目立ち難いとは言え、驚くほどの技量です」
「そんなこと、できるもんなんや」
「もしかすると、見た目通りの年齢じゃないのかもしれないですね」
「あれで二十歳過ぎやとちょっとかわいそうやな」

 反対方向ながらも真実の一端を掠めたことを本人達は知る由も無いが、日常から大きく切り離されていた邂逅を話のネタにしながら、はやて達は日常である散歩に戻っていった。




続く

11語り(管理人):2015/06/21(日) 18:16:36
第3話 再会




 それは恭也と別れた日から僅か5日後だった。

 恒例となっている臨海公園への散歩に繰り出したメンバーは、シャマルに代わって活発さが全面に表れている美少女―ヴィータ―と精悍な外見に見合った落ち着きのある佇まいの大型犬―ザフィーラ―の3人と1頭である。

「いやー、昨日の雨が嘘みたいにカラッと晴れとるね」
「ほんと、スゲー気持ちいいな、はやて」
「ですが、かなり冷え込んでもいます。寒くはありませんか?」
「ん、ありがとうな、シグナム」
「いえ」

 どこまでも実直なシグナムに微笑みかけた後、はやては車椅子を押しているヴィータに語りかける。

「昨日のゲートボールは残念やったな?」
「雨じゃ、しょうがねぇよ。あ〜あ、せっかくはやてにアタシの勇士を見せるチャンスだったのに。
 あんな雨じゃ、今日も水浸しでゲームになんねぇし」
「仕方あるまい、大人しく次の機会を待つんだな」
「ウッセーな、分かってるよ」

 シグナムに対して子供が背伸びしている様な返答を返すヴィータの様子にはやてが笑みを零す。
 休日とは言え午前中でも少々早い時間帯のため、公園には余り人影がなかった。そのうちの一人、ゆっくりとした足取りの少年に目が止まる。

「ん?」

 今は雨上がりの上、早朝であるため吐息が白みかけている程冷え込んでいる。にも拘らず、少年の服装は見ている方が震え出すような薄着だ。傍らに”子供は風の子”を体言しているヴィータが居るが、振る舞いに闊達さがないためだろう、少年の姿はとても寒そうだ。

12語り(管理人):2015/06/21(日) 18:17:15
「あれ?シグナムあそこに居るの、こないだの、えっと、そう、恭也さんやない」
「恭也?あのはやてに言い寄ってきたって奴か!」

 先に反応したのはヴィータだった。
 5日前、食卓で話題に上った恭也を、はやてに言い寄る男として敵視していたのだ。

「ヴィータ、そんなんやないって言うとるやん。まぁ今度会ったら苗字を教えてくれる約束やし行ってみよか」
「しかし、何をしているのでしょうか。この公園を知らなかった様子でしたから近隣の者ではないと思うのですが」
「会いに来てくれたなら嬉しいなぁ」

 言葉通り嬉しそうなはやてから顔を背けたヴィータは顔いっぱいに不満を表しながらも素直に恭也に向かって車椅子を押す。
 学校を休学しているはやてが同年代の友人がいないことを寂しく思っていることを知っていたからだ。

「流石に今日は剣持ってないやろな。
 …ん〜?なんか様子がおかしない?」

 楽しそうに話していたはやての表情が怪訝なものに変わっていく。近付くにつれ、恭也の異常さが目に付いてきたのだ。
 まず服が黒いから気付くのに遅れたが全身ずぶ濡れだ。昨日の雨だろうか?それでは濡れたまま一晩過ごした事になる。滴りこそしていないが、この寒さの中では命に関わりかねない。ゆっくりとした足取りも衰弱に依るものではないのか?
 更に頬がこけている。たった5日間会わないだけでここまでやつれるなど、よほどの大病を患っていなければまず有り得ない。まさか、5日間まともに食事を取っていないのだろうか?
 恭也の側面からあと5mも無い距離まで近づいたこちらの存在に、気付いた様子も無い。

 顔は青ざめ、呼吸も乱れているのに無表情を保っている姿は、滑稽を通り越して恐怖心を煽られる。

13語り(管理人):2015/06/21(日) 18:17:48
「恭也さん!?」

 その異常さに絶叫の一歩手前の声量で呼び掛けるはやてに対し、恭也はけだるげに顔を向けて掠れた声で呟く。

「はやて、だったか?こんなところで何をしてる」
「何って・・・」

 余りにも平時を想像させる言葉に、逆にはやては背筋が寒くなる。
 言葉を詰まらせたはやてに代わりシグナムが問い掛ける。

「お前こそ何を、いや、ここが何処か判っているのか?」
「…何処だ?」

 シグナムの言葉に周囲を見渡した後、零した言葉には、やはり内容に反して感情が篭っていない。周りを見るどころか何も目に映っていなかったのだろう。
 ここに来て漸く表情に感情が表れた。それは親とはぐれた子供の様な、途方に暮れたものだった。

 ヴィータがさりげなさを装いつつ恭也に突貫出来る位置へ、ザフィーラが異常さに震え出すはやての手に頭を擦り寄せながらはやてを護れる位置に移動する。
 はやてやシグナム達から聞いていた恭也の人物像は“理性的な戦闘者″だ。それが正しければ無意味に襲い掛かって来ることはないが、逆説的に必要があれば攻撃して来るということだ。恭也の目的がわからない以上、警戒は必要だ。
 また、ヴィータもザフィーラも聞いた話を鵜呑みにする積もりはない。信用出来ない訳ではなく、責任の問題だ。だから、恭也に近付いた時も何時でも動けるように気を引き締めていた。
 そうでありながら今更位置を変えたのは、今目の前に居る少年が事前情報を適用出来る心理状態にある様には見えないからだ。最悪、何時錯乱して襲い掛かってくるかわからない。

 ザフィーラを撫でる事で、そして恭也が垣間見せた感情の揺らぎを確認する事で落ち着きを取り戻すことの出来たはやては、ゆっくりと恭也に質問を投げ掛ける。

「家に帰る言うてはりましたけど、何かあったんですか?それにずぶ濡れみたいですけど、はよ着替えんと風邪引いてしまいますよ?」
「そうだな。風邪を引くのはまずい。着替えて来ないとな」

 そう呟くと再び歩きだす恭也にはやては慌て言い募る。

14語り(管理人):2015/06/21(日) 18:18:46
「待った!
 なんか理由があって帰れんかったんと違いますの?それに凄いやつれとるやないですか!ちゃんとご飯食べてないでしょう?
 事情が言えんのやったらなんも聞かんから、ウチで休んでいって下さい!」

 はやての半ば予想通りの言葉にヴォルケンリッターは内心で恭也の訪問によるはやての身の危険を案じるが、声に出して止める事はしなかった。
 5日前の初対面から今日の不審人物然とした振る舞いまでを鑑みた結果、恭也の行動に特筆する程危険な行動がなかったからだ。
 一般論として、このご時世に見ず知らずに近い他人を気軽に家に招き入れるのは危険な事だが、はやてには”本から出現した”と自称する正体不明の四人組を家族として招き入れた実績があるのだ。招かれた本人としては、この行為を咎めづらい。
 だが、その提案は誘われた本人により否定された。

「気のせいだ。心配されるほどではない。
 だが、謝礼替わりに一つ忠告しよう。人助けは立派なことだが、得体の知れん者を気軽に招き入れるのはやめておけ。
 シグナムさん、危機管理を教えるのは保護者の役割ですよ」
「耳が痛いな。
 だが、私もお前が衰弱していると言うはやての見解には同意する。
 心配させたくないならもう少しマシな面になるまで休んでいけ。
 心配は要らん。お前が怪しい動きをした場合は、はやてに危害が加えられる前に私が責任を持ってお前を切り捨てよう」

(おい、シグナム!何言ってんだよ!こんな奴ほっとけよ!)
(シャマルに記憶を読ませる気か?)
(ああ、あれから5日経つが何の変化もない。この男の出現は意味不明だ。幸いこれだけ衰弱していれば大したことは出来まい)

「な、シグナムもこう言ってるし、ウチで休んでいきって。長居したないなら食事だけでも食べていきや」

15語り(管理人):2015/06/21(日) 18:19:39
 よほど気が急いているのか、はやては「切り捨てる」発言をスルーした上、口調から慣れない敬語が抜け落ちている。
 自分を気遣う言葉に、恭也は視線を地面に落とし、大きなため息をつく。
 しつこい誘いに根負けした態度、そう解釈したはやての喜色を表そうとした表情が、再び顔を上げた恭也により驚嘆に変えられた。
 恭也からは先程までの吹けば飛びそうな脆弱さが消失して、替わりに覇気と呼べる程の気迫を発していたのだ。

「気のせいだと言っているだろう。この程度の演技に騙されているようでは簡単に詐欺に合うぞ。
 人を信じることは美徳だが、もっと警戒することも覚えておけ」

 はやてに向かってそれだけ告げて、恭也は颯爽と歩き出す。歩き方すら澱みの無い滑らかなものだ。

「…あ、あれ?」
「ッチ」

 呆然と呟くはやての傍から舌打ちしつつヴィータが足早に近付き、身長差を埋めるためにジャンプしながら恭也の頭を殴りつけた。
 ガン!となかなか豪快な音を響かせた恭也の頭がそのまま直ぐ脇の低木に埋没する。

「ヴィ、ヴィータ!?」
「ったく、そんな見え見えの強がりで誰が騙されるかってんだ。
 テメー、はやてが優しく声を掛けてくれたってのに何様の積もりだ!?」
「強がりって、じゃあやっぱり…」
「はい。
 彼は5日前に気絶している状態で、私が近付いたことに気付いて見せました。 背後からとは言え足音も隠していないヴィータの接近に気付かないはずがありません。
 間違いなく衰弱していました」
「そんな状態なのになんで無理するん?そんなにウチに来たくなかったんやろか…」

 寂しそうに、年の近い少年に拒絶されたことを悲しむはやてに対して、シグナムが否定の言葉をかける。

16語り(管理人):2015/06/21(日) 18:20:35
「彼は恐らく何かしらの事情を抱えているのでしょう。そして、主はやてが自分に近づくことでその事情に巻き込まれることを危惧したのではないでしょうか」
「どんな事情やろ?」
「そこまでは判りません。ですがこのまま彼を招き入れれば彼の配慮が無駄になる恐れはあります。
 それでも、彼が自分の事情に人を巻き込んだことを悔やむ可能性があっても、彼に関わりますか?」

 シグナムの言葉にはやてが黙り込む。気付くとヴィータとザフィーラもはやてを注視していた。はやてが関われば家族であるこの場の3人と今は留守番をしているシャマルにも迷惑が掛かるかもしれない。
 だが、それでも。

「恭也さん、あんなにボロボロなのに私らのこと心配して遠ざけようとしてくれたんやろ?そんな優しい人が苦しんでるんやったら私はほっとけへん。助けてあげたい。
 でも、ほんとに何かに巻き込まれるとしたら、みんなにも迷惑がかかってまう。それは嫌や。嫌やねん。
 それでもやっぱり恭也さんを見捨てられへん。それに私だけでは大したことしてあげれへん。
 みんな、ゴメン。これは私の我侭やってわかってるけど、力を貸してくれへんやろか」


 はやては闇の書の主だ。その言葉は守護騎士にとって絶対となる。それでもはやては”家族の一員”としてみんなに意見を求める。仮にシグナム達が否定の言葉を口にすれば、はやてはそれを受け入れるだろう。
 そして、そんなはやての願いだからこそ、“手伝いたい”と思えるのだ。

「あったり前だろ。はやてのためならあたしに出来ることは何だってするさ」
「私も主の願いとあらば身を粉にして働きましょう」
「我が剣に掛けて、必ず主はやての願いをかなえて見せます」
「うん、ありがとな、みんな」

 困難に直面した時ほど心が、思いが一つになることを強く意識する。はやては嬉しさのあまりこみ上げてくる涙を何とか堪えながら、優しい家族に感謝する。

 喜びを共有していた面々を現実に引き戻したのはザフィーラの台詞だった。

「む!?いかん!」
「どうしたんだよ、ザフィーラ?」
「何があった!?」

 瞬時に緊張の糸を引き締めたヴィータとシグナム、不安そうなはやてにザフィーラが告げた。

17語り(管理人):2015/06/21(日) 18:21:09
「あの少年、起き上がらんぞ」
「あ」
「恭也さん!?」
「衰弱していたところにあの一撃では無理も無い。止めになったか?」
「シグナム、テメっ、っちょ、ちっ違うぞはやて!あたしはちゃんと手加減したんだ!」
「その割にはかなりいい音がしていたがな」
「ザフィーラ、てめーもか!?」
「いいから、はよ恭也さんを運ばんと!えーと、ザフィーラ頼めるか?」
「承知しました」

 周囲をざっと見渡した後、大型犬から人型に変身したザフィーラが恭也を抱えあげる。
 と、左の袖から剣が滑り落ちた。

「今日も持ってたんや」
「急ぎましょう、主」

 恭也を背負いながらはやてを促したザフィーラは足早に歩き出し、それを追ってヴィータが車椅子を押し、シグナムが落ちた剣を拾い上げて後に続く。

「なぁシグナム」
「何だ?」
「その剣、5日前にも持ってたってやつだろ?」
「そうだが?」
「ひょっとして、アイツ5日間道に迷ってたせいで弱ってた、なんてこと無いよな?だから恥ずかしくて誤魔化そうとしてた、とか」
「…さぁ、な」

 その時、またも4人の思いが一つになったことを意識した。“それはちょっと寂しいな”と。




続く

18語り(管理人):2015/07/06(月) 22:56:06
第4話 交渉




 シャマルは静かに座布団に座ったまま、フローリングに直接敷いた布団に寝ている恭也を眺めていた。
 棺おけに片足を突っ込んでいる様な蝋のように白かった顔色も、“体調の悪い人”程度に回復している。

 八神家に運び込んだ直後の恭也は体温の低下が酷く、心拍数まで下がった冬眠の一歩手前と言う状態だった。恐らく意識を失ったことで一気に状態が悪化したのだろう。
 事前にシグナムから念話で事情を聞いていたシャマルは、客間に布団と着替え一式を用意した状態で待機し、到着した恭也に迅速に処置を施した。
 普段“怠惰な主婦”とまことしやかに囁かれているシャマルにとって、湖の騎士としての面目躍如と言ったところか。部屋の片隅では恭也に最後の一押しをする形になったヴィータがこっそりと大きく安堵の吐息をついていた。

 既に記憶の確認は済んでいる。
 遭遇した日から再会した今日までの5日間の記憶を覗いた結果、恭也自身は“白”と言う結論が出た。
 また、第三者に利用されている可能性についてもまずあり得ないとシャマルが告げる。記憶が改竄された形跡はなく、実際に転移して来た事についても既存の魔導技術では不可能な要因が絡んでいるため、限り無く白に近いと。その結論に至るための記憶の内容について誰も訪ねようとしなかったのは、シャマルの辛そうな表情を見たからだろう。
 その後、心配しているはやてに恭也の容態を説明するためにシャマルを残し退室した。シャマルのみが残ることは3人から反対されたが、シャマルは必要な事だからと押しきった。
 はやてが恭也の様子を気にしていたが、シャマルの意図に沿って、休ませるためにそっとしておくべきだと言いくるめた。恭也の感の良さと車椅子の隠密性の無さは事実であるため、はやても大人しく肯き、シャマルが見立てた恭也が目を覚ます時間に合わせて食事の準備を進めている。

19語り(管理人):2015/07/06(月) 22:56:32
 身じろぎ一つせずに眠っていた恭也がゆっくりと目を開ける。

「目が覚めたみたいね。気分はどう?」
「問題ありません」

 シャマルは目を開けた直後の問いかけに澱みなく返答する恭也を見て、意識の覚醒がもっと早かったことを察した。そして不思議に思う。どのような生活を、どのような鍛え方をすればこの歳でこのような技能を身に付けられるのかと。
 シャマルの思考が逸れている間に恭也がゆっくりと体を起こそうとしていた。慌てて恭也の両肩に手を置き、押し留める。

「まだ無理をしては駄目よ」
「大丈夫です。横になったままでは話もできません」

 身体の調子を確かめるようなゆっくりした動きでそのまま布団の上に正座すると、窓越しにまだ日の昇りきっていない空を眺めた後シャマルへ顔を向ける。

「確か、シャマルさん、でしたか?」
「あら、覚えていてくれて嬉しいわ」
「一応確認しますが、俺はどのくらい寝ていました?」
「2時間くらいかしら。かなり危ない状態だったのよ」
「自覚はあります。ありがとうございました」

 深く頭を下げた後、恭也は本題を促す。

「それで 俺に何か話があるのでは?」
「あら、どうしてそう思うの?」
「看病役があなた一人だからです」
「単に順番に看病しているだけかも知れないでしょ?」

 その問い掛けは既に恭也の考えを肯定していたが、シャマル自身隠しているつもりがない。このやり取りはあくまでも確認作業でしかないのだ。

20語り(管理人):2015/07/06(月) 22:57:04
「シグナムさんは俺が戦闘行為に長けている事を知っています。例え武装を解除している上に俺が衰弱していてもです。
 俺があなた方の立場ならならあらかじめ拘束しておくか、相手を押さえ込める人物あるいは複数の人間を見張りに充てます。
 思いつく例外は俺が知らない特殊な手段による制圧方法があるか、人払いをした上で俺に対面する必要がある場合です。
 一応先に言っておきますが、今のところ俺にはあなた方にしかける理由はありません。信じるかどうかの判断はお任せしますが」
「そう。そこまで推測した上で聞いてくれるということは、ある程度のお願いは聞き入れてくれるのかしら?」
「上限はありますが」

 恭也の回答にシャマルは満足げに微笑む。予想通り、いや予想以上だ。始めに時間を聞いてきたことも、あるいは”特殊な制圧方法”の可能性に行き着いた理由の一つだろうか。
 だが、その“満足出来る回答を出せる知性”と、これから告げるお願いを承諾してくれることは別問題だ。
 シャマルは表情と共に気を引き締め、本題を切り出した。

「あなたには、しばらくの間この家で暮らして貰いたいの」

 言葉を切り、恭也の反応を窺う。

「・・・理由は?」

 即座に拒絶されなかったことに一先ず安堵する。逆に躊躇なく飛び付くようなら再考しただろう。

21語り(管理人):2015/07/06(月) 22:57:38
「これから私たちはやらなくちゃいけないことがあってはやてちゃんの傍から離れる事が多くなるからよ。
 知っての通りはやてちゃんは足が不自由なの。だからどうしても行動範囲が狭くなってしまう。
 はやてちゃん自身はとてもいい子だけど、接点が無ければ人と触れ合いようがない。身体面以上に精神面が孤独に耐えられない。
 だから支えてくれる存在が必要なの」

 一度言葉を切り、恭也の様子を確認すると無言で肯いて寄越したためそのまま続ける。

「気付いているとは思うけど、念のために言っておくと、その”やらなくちゃいけないこと”は、はやてちゃんには内緒なの。内容は勿論何かをしていること自体」
「話すことは出来ない内容だけど、やらずに済ませることは出来ないこと、ですか」

 念を押す恭也の言葉を首を縦に振ることで肯定してシャマルが話を進める。

「病院の先生から聞いた話では私達が来る前のはやてちゃんはとても静かで感情をほとんど表さないような子だったらしいの。
 今は明るくなった。自惚れかも知れないけれど私達がはやてちゃんの支えになれていると思ってる。だからこそ傍に居られない時間が長くなることは危険だと思うの。
 人間の精神はそれほど強くない。一度希望を抱いてしまえばそれまで耐えていた絶望にすら耐えられなくなるわ、先が見えないなら尚更」
「精神が追い詰められることを危惧する以上、長期的な話でしょう?月単位なのか年単位なのかは知りませんが、俺はその間拘束されることになる。俺の都合を考慮していない理由は何ですか?」

22語り(管理人):2015/07/06(月) 22:58:20
 シャマルにとって想定していた質問ではあったが、最初に来るとは思わなかった。
 普通、何故逢って間もない自分を選んだか?あるいははやてが危険であることを知りながら離れなくてはならない理由とは何か?などを聞いてくるものだろう。
 だが納得も出来た。前者には“直感”程度の、根拠など無いような回答でも(納得できるかどうかは別として)返すことが出来る。後者に関してはそれこそ恭也の興味でしかない。
 短時間しか接していないとは言え、恭也が人の事情を根掘り葉掘り聞いてくる人物には見えなかった。何より正直に事情を話した結果“興味を引かれたから引き受ける”と言うのであれば、それはすなわち闇の書の力を目当てにしていると言っているのと同義だ。
 ただ、恭也にとって質問の内容については他のことでも良かったのだろう。
 周囲の人間からどのような印象を持たれようが、恭也が義務教育を終了していない子供である事実は変わらない。今回の頼み事は学校を休ませる、長期の外泊をさせるなど、子供に対してするには問題となる項目が複数含まれている。
 身体能力を別にすればただの子供である恭也に、通常であれば頼めることではないことを頼んでいる理由を知ることが今回の恭也の質問の意図だ。
 同時にこの回答が、恭也の欲している“自身の現状についての説明”に繋がっていることを期待していることも、恭也の記憶を覗いたシャマルにとっては想像がついた。

「その前に、恭也君に見て欲しいものがあるの」
「何です?」

 話を逸らすような発言にも苛立った様子を示さずに続きを促す恭也に、シャマルはクラールヴィントをはめた手を恭也の胸に翳しながら説明を始める。

「あなたの体調が2時間程度の休息で回復するものじゃなかったのは気付いているでしょう?」
「はい。通常であれば丸一日は回復に努めなければ今の状態にはならないと思います」
「え?一日?三日は必要だったと思うんだけど」
「鍛えてますから」

 そういうレベルではなかったと思うが、本題はそこではない。シャマルは無理やりスルーして話を進めることにした。

「お願いねクラールヴィント。
癒しの風よ」

 シャマルの言葉に呼応して恭也の身体が淡く発光する。病人のような顔色にも赤みがさす。

23語り(管理人):2015/07/06(月) 22:59:11
「細胞を活性化させたわ。体力に依存する術だから流石にこけた頬までは戻らないけど。あとは体力を消耗した分お腹がすくわよ」
「なるほど。ありがとうございます。ですが、先程の俺は体力が底をついていたはずですが?」
「ええ、さっきは外部から活力を与える術をかけたの。でもそちらは多用する訳にはいかないの。楽な方法を覚えると身体がサボるようになるから」
「なるほど。
 ところで”術”と呼んでいましたが、やっぱり”魔法”と言うやつですか?」
「そうね、その認識で間違ってないと思うわ。ただ、童話に出てくるような万能の力ではないのよ?」

 まぁ童話も12時に効力が途切れたり、自分が一番美しい存在になるために自身を変えるのではなく他人を蹴落とす辺り、万能とは言い難いだろうが。
 だが、本題はそこではないのだ。制約の程度はともかく、この技能は間違いなく“特殊な手段”だ。

「では、俺がこの場所にいるのがあなたの仕業である可能性もあるんですね?」

 目を細めた恭也から受けるプレッシャーに耐えながらシャマルはその言葉を否定する。

「いいえ。私達の力は万能ではないの。空間の、場所の移動は出来ても時間の移動は出来ないわ。
 この言葉の真偽を判断する材料はあなたには無いでしょうけど、信じてもらう以外に手立ては無いわ」
「では、俺が時間を移動したことをあなたが知っている理由は?」
「この5日間のあなたの記憶を読ませて貰ったの。だからあなたに帰るべき家がない事を知っている。これがさっきの質問の答えよ。これを知ったからはやてちゃん以外のみんなにあなたをこの家に住まわせる提案をしたの。反発はされたけど反対はされなかったわ。
 寄る辺の無いあなたにとっても利害は一致していると思う。はやてちゃんは優しい子だから無理にあなたの状況を話さなくても住まわせてくれると思う。
 あ、記憶の内容は誰にも話してないわよ?」

24語り(管理人):2015/07/06(月) 22:59:41
 恭也は先程のプレッシャーを霧散させて、これで全て、と口をつぐむシャマルを見つめ続けた。
 シャマルには相変わらず恭也の表情から感情が読み取れない。だが、自身の後ろめたい気持ちからその無表情が非難の意思表示のように思えてくる。
 自業自得と知りながら、いたたまれなさから状況を動かそうとシャマルが閉じているつもりだった口を開いた。

「非難しないの?」
「?何故です?」
「えっ、何故って、それは」

 余程意外な質問だったのだろう。言葉が途切れたシャマルに替わり恭也が話し掛ける。

「本当に5日間の行動をトレースしただけなんですね。俺の考え方まで知っていればそこまで驚かない」
「あ、当たり前です」
「それでも動揺しているのは、記憶を覗くのが人の心に土足で踏み込む行為だから?」
「そう、それよ。普通なら嫌悪するような事をされたのよ?なのにどうして平然としてるの!あなた変よ!」
「それを実行した本人から非難されるのは流石に憤りを感じますね」

 低くした所で声変わり前の子供らしいものであるはずの声が、妙な凄みを帯びたことに驚き、シャマルは興奮状態から一転して平身低頭することになった。

「スミマセンスミマセン調子に乗り過ぎました!頭を下げるだけで足りない分は、体で払いますから!」
「ではそれで」
「え?」

 シャマルは口から出た子供にはわからないはずの謝罪内容に躊躇無く飛びついた恭也を“意表を突かれました”と表現している顔で眺める。

「持て余し気味なので2回や3回では済みませんからね?」
「え?え?」
「シャマルさんなら挟んだり出来ますよね?一度やってみたかったんです」
「えぇ〜!?」

 徐々に朱色を増していた顔が首筋まで紅く染まり、両手が無意味に虚空をさ迷うが、視線は恭也から逸らす事が出来ない。
 もはや後退りすら出来ないほど動揺したシャマルが何とか自らの胸元を守る様に自身を抱きしめたところで、恭也はそのままトドメとなる一撃を放つ。

「もちろん冗談です」

25語り(管理人):2015/07/06(月) 23:00:20
 平然とした恭也の言葉が浸透するにつれ、顔の赤みをそのままにシャマルの目尻が吊り上がっていく。
 だがシャマルが爆発する直前、機先を制す様に恭也がドアに向かって声をかける。

「どうぞ」
「え?」

 疑問を発するシャマルに答える様に一拍の間を空けてドアを開けたのは、ノックの前に声を掛けられたことに訝しがるシグナムだった。

「起きていたか。そろそろ食事の準備が終わる。食べられるならダイニングへ・・何かあったのかシャマル?」
「ありません!」
「そ、そうか?」

 思わず気圧されるシグナムは恭也を見るが、ここに到っても表情を崩さない恭也から状況を推し量ることは出来なかった。
 拳の落し所を失うどころか振り上げることすら出来なかったシャマルが、肩を怒らせて客間を出て行く。
 その姿に声をかけそびれたシグナムがため息を漏らす。戻る前に交渉の結果を確認しておく必要があるが今のシャマルに聞いて答えが得られるかどうか。
 だがその答えはシグナムの予想しない相手から得られた。

「提案は受けるつもりです。ただ、概要しか聞けませんでしたから後で詳細を教えて下さい。もちろん利害の一致に過ぎませんから、俺の話を聞いたうえで拒否してもらっても構いません」

 シャマルの様子とは非常に分厚い隔たりのある恭也の落ち着いた声にシグナムは頷くことで応える。
 恭也とシャマルの態度の違いは深く考えないことにしたようだ。シャマルの態度よりはやての生活の支えになる恭也の動向の方を優先しただけだろう。

26語り(管理人):2015/07/06(月) 23:00:58
 シャマルがダイニングに入ると、はやてはキッチンで最後の仕上げに取り掛かっており、ヴィータはリビングのソファーでテレビを眺め、ザフィーラは床に寝そべっていた。
 シャマルに気付いたヴィータとザフィーラが振り向き、声を掛ける。

「シャマル、どうなった?」
「・・・まだ返事は貰ってないわ」

 ザフィーラに不機嫌そうに答えるシャマルの様子を見てヴィータが首を傾げる。返事がまだなのに不機嫌な理由がわからなかったのだ。

「珍しいじゃん。”覗いた”後はいっつも落ち込んでるシャマルが違う態度なんて。まぁ喜んでる訳じゃねぇみてぇだけど」
「え?」

 シャマルは指摘されて漸く気付く。普段であれば落ち込んでいるところだが、後ろめたさすら忘れていた。
 思わず振り向いたシャマルは入ってきた恭也と目が合う。さっきの遣り取りなど無かったかの様に平然としている恭也に、自然にシャマルの目がジト目に変わる。
 仮に意図して感情を逸らしてくれたのだとしても素直に感謝する気にはなれない。だが、見ようによっては苦笑しているように見えなくもない恭也の無表情を見ても先程の怒りは湧いてこなかった。

「シャマル?やはり何かあったのか?」
「もぅ。ホントに何もないわよ」

 シグナムはシャマルの呆れ気味の口調に残った怒気の残滓を感じ取り、浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「?あって欲しかったのか?」
「なっ!?そんな訳ないでしょ!?」
「ああそうだなある訳ないよな分かっているともだからフォークを構えるのは止せせめてナイフにしてくれ!」

慌てふためくシグナムと律儀にナイフに持ち替えるシャマルを横目に、呆れ混じりの会話が交わされる。

「あいつら何やってんだ?」
「さあな。またシグナムが余計な事を言ったんじゃないか?」
「みんな仲良しやろ?」
「確かに。
それにしても、どうしてシャマルさんはフォークを握ると微塵も隙が無いのに、ナイフを構えたら素人同然になるんだ?」




続く

27小閑者:2017/06/10(土) 15:39:22
第5話 現状




「ご馳走様でした」

 合掌してそう告げる恭也に集まるのは感心と歓喜の視線が一つ、呆れた視線が四つ。

「はい、お粗末様です。
 それにしても、ほんまに気持ちええ食べっぷりでしたね。料理人冥利に尽きるってもんや」
「恥ずかしい限りだ。いくら空腹とは言え、がっつき過ぎだな。
 それにしてもその歳でこれだけの腕を持つとは恐れ入る。責任転嫁になるのは承知の上だが、料理が美味かったのも理由の一つではあるぞ」
「ややわ〜、これ以上何も出えへんよ?」

 満足そうに見えなくもない恭也と嬉しそうなはやての会話に、おもしろくなさそうにしていたヴィータが横槍をいれる。

「けっ、いくらはやての料理がギガ美味だからって図々しいってんだ」

 拗ねている事がまるわかりの、聞こえる程度の小声での悪態に、はやてが苦笑しながら窘める。

「これヴィータ、そんなこと言わんの」
「だぁってよぅ」
「でもホントによく食べたわね、そんなに細身なのに。回復魔法をかけた副作用みたいなもので普段よりお腹が空いてたでしょうけど、胃が大きくなる訳じゃないから元々そのくらい食べるんでしょ?」
「まぁそれなりに。それにしても久しぶりに食べたはずなのに普通に胃が受け付けた事が意外でした。これも魔法のお陰ですか?」
「まぁ普段の状態まで戻すのが役目ですから。でも、太る事を気にせず食べられるって羨ましいわね?」

 世の半数以上の女性が気にしているであろう話題をシグナムへ振るシャマル。しかし返って来たのは裏切りの言葉だった。

「いや、同意を求められてもな。私は食べた分運動するから気にしたことはないぞ」
「アタシもないな」
「私はそんなに食べられへんな」
「わ、私だけ!?」
「そういやシャマルの腹スゲー軟らかかったな」
「いやー、言わないでー!」
「目を逸らしても何の解決にもならないと思いますが」
「恭也さん、そこはあえて耳を塞いで逃げ回るんが乙女心ゆうもんやよ」
「不可解なものだな、オトメゴコロとやらは」

28小閑者:2017/06/10(土) 15:40:48
 食後の談笑が一段落したところで、打ちひしがれるシャマルを置いて恭也が話しを変える。

「さて、少し真面目な話をさせて下さい。
 先程シャマルさんから話を聞いた結果、俺は今一人では如何ともし難い状況にあることが分かりました。そのため皆さんにお願いしたい事があります」
「ん、ええよ。そんくらいの事、全然構へん」
「ありがとう。礼と言ってはなんだが食器の片付けは俺がやろう」
「ちょっと待てー!今、間が抜けてたろ!
 テメ、無表情のまま不思議そうな顔してんじゃねぇ!内容が抜けてたろ、お願いの内容が!!」
「そうだったか?」
「惚けてんじゃねぇ!はやてもこんな怪しげな奴の言う事を無条件でOKするなよ!」
「や、恭也さんなら大丈夫やろ?」
「何の根拠もないのに自信満々で信じちゃダメだろ!?」
「その通りだ、はやて」
「テメーが言うな!!」

 鼻息荒く締め括るヴィータが気を沈めて腰を下ろすのを待ってから再び恭也が口を開く。

「ヴィータの活躍に免じて真面目に行こうか」
「ややなぁ。ホントに恭也さんの為なら全てを捧げる覚悟があるんですよ?」
「大変有り難い申し出だが撤回してくれないだろうか?現在進行形で俺の命が非常に危険な状態にある。シグナムさん、既に剣先が皮膚を圧迫しています。そのまま軽く引くだけで頸動脈がパックリいってしまいます。ヴィータ、そのまま振り下ろすと聖門(頭頂部)だ。とても危険だ。シャマルさん状況からしてその円盤は俺を助ける為の物じゃありませんよね?そして誰かこっそりと俺の足首をかみ砕くこうとしている犬を止めて下さい」
「大人気やね」
「不思議なことに溢れ出すのは嬉しさより冷や汗と脂汗だがな」
「アハハ、ゴメンな?恭也さんが深刻そうやったから緊張をほぐす積もりやったんや」

 思いの外、食いつくがよかったので調子に乗ってしまった、と照れながら頭を掻くはやてと舌打ちしつつ武器を納めるヴォルケンズ。ちなみに足首に噛み付いていたザフィーラは衣服の上からでなければ皮膚が裂けていた位に強く噛んでいた。喋ることが出来ないため出番が少ないことに対する憂さ晴らしだろうことは想像に難くない。

「えー、では改めて。
 結論から言わせて貰えば家に帰る手段がないので暫く泊めて貰いたいんです」
「何だ、結局ただの迷子かよ」
「何や、そのくらい全然かまへんよ」
「有り難い申し出だが最後まで聞いてくれ。期間が問題なんだ。
 どうやらただの、つまり物理的な問題に因る迷子ではないようなんです。だから帰る目処が立ちそうに無い。つまり期間が月単位、あるいは年単位になりかねないんです」
「物理的でない迷子とは?別の次元世界からの漂流なのか?」
「次元?流石に点や線の存在ではないんですが・・・」
「テン?何の話だ?」
「?単語の認識に齟齬がありそうですね。後にしましょう。
 ですが、今俺から話せるのはこの辺りまでですね」
「値を吊り上げる立場にいるとでも?」
「いえ、はやては情に篤い様なのでこれ以上聞いてからだと断りづらくなるかと」

 言いながら視界に入ったはやての表情にため息を一つつき

「思ったんですが遅きに失した様です。どの時点で口を噤めば良かったのやら。強制連行された時点で無理だったようにも思えますが。
 まぁ過ぎたことは流しましょう。物理的ではないというのは、俺の認識と今現在の時間がズレているんです。
 シャマルさんに確認した限り、魔法での移動は空間のみだそうですね」
「確かにな。だが時間の移動というのは確かなのか?にわかには信じがたいのだが」
「少なくとも俺の記憶とは10年近い相違があります」
「10年!?そんなに」

29小閑者:2017/06/10(土) 15:41:42
 絶句するはやて。自身の年齢を越える歳月が想像出来ないのだろう。それでも何とか現実を見据えて意見を出す。

「でもそれやったら家に帰った方がええんとちがう?」
「しかし主はやて、それは」

 言葉を濁すシグナムにはやては頷いて返す。

「うん。そりゃ家の人は突然いなくなった息子が10年前の姿のまま戻って来たら驚くやろ。けど、それでも恭也さんがその気になれば一緒に暮らせる筈や。家族ってそういうもんやろ?」

 理想論だ。そう断じる者はいなかった。子を虐待する親も、親を刺す子も確かに存在するが、家族とはそういう存在で在りたいと誰もが思うだろう。そして例に漏れず、その姿がはやての憧れであることは明白だ。
 だが恭也は別の問題があったんだと言い、5日前から順に語ることにした。

「5日前になるのか?別れ際に言ったと思うが俺は家に帰ろうとした」
「道は分かったのか?出て来た公園は見覚えがなかったんだろ?」
「これだけ大きな町なら特に問題ない。本屋に地図があるからな」
「なんだ、近かったのかよ」
「ああ。二つほど隣の県だった」
「全然近くねぇじゃん!」
「お前、確か財布を持ってなかったろう?」
「…ええ、移動は徒歩でした」

 出来た間に心情を察したシグナムが親切に恭也の疑問に答えてやる。

「私は武装を解除しただけだ。着替えさせたのはシャマルだぞ」
「わざわざ言わなくても。でも下着までずぶ濡れだったんだから仕方が、え?」

 医療行為の一環と割り切っているシャマルが補足しようとしたとき、やや俯いた恭也の顔に朱がさしていることに気付き言葉が途切れる。

「シャマル、年頃の男の子にその話題は流石に可哀想やろ。唯でさえシャマルが普段使ってるパジャマから漂う女性の香りに落ち着けないのに、寝てる間に年上の美人のお姉さんに裸に剥かれて悪戯されてたなんて事実、そりゃぁ恥ずかしがるやろぅ?」
「え、あれ?でも、だってさっきは挟むとか何とかって」

 頬を赤らめた恭也を見た一堂は各自の判断で行動していた。一方的にからかう側に居た恭也が見せた隙に微塵の容赦もなく、捏造までして、嬉々として恭也に追い打ちをかけるはやてと、描いていた人物像との差異に戸惑い、捏造部分を否定することも忘れて疑問を口にするシャマル。純粋に意表を衝かれた様子のシグナムと参戦すれば自爆する内容だと理解して距離をとるヴィータは無言で推移を見守る形だ。
 ちなみにザフィーラは先程恭也の足に噛み付いて以降は部屋の隅で耳を立てたまま寝そべっている。決して台詞が無くて不貞腐れている訳ではないはずだ。

30小閑者:2017/06/10(土) 15:42:55
 反撃どころかかわす事も出来ずに被弾し続けた恭也は、これ以上は無理という程紅くなった顔のまま弱々しく悪態をつく。

「あ〜クソ、しくじった」

 顔を覆う様に片手を当てているので見えないが、恐らく今なら鉄面皮の様な無表情も崩れているだろう。
 大体の状況が分かってきたシャマルは、確認のために恭也が顔から手を離したところで質問を切り出した。

「恭也君、さっき私に言った冗談はひょっとして私の気を紛らわす為のもの?」

 これだけ動揺しているなら小細工をする必要は無いだろうと、内容は極めてストレートなものだ。

「まさか。からかっただけですよ。リスクを負わなくては不公平でしょう」

 そう答える恭也の表情の変化は微々たるものだったが、それでも無表情を貫いてきた先程迄と比較すれば劇的と言えるものだ。

「恭也さん、そりゃあ事情を知らへん私でも騙せへんよ?」
「ノーコメント」

 苦笑しながら告げるはやてに赤ら顔のままながらもポーカーフェイスを取り戻しつつ恭也が答える。

「やはり何かあったのか」
「ん〜、ちょっと暗い話になった時に気を紛らわしてくれたのよ」

 シグナムに答えるシャマルの声の柔らかさに眉を動かしたのを最後に、恭也が仏頂面を取り戻す。顔色に赤みが残っていなければ今見せた動揺すら幻の様だ。

「話が盛大に逸れたが、そろそろ元の話題に戻して良いか?」
「何の話だっけ?」

 ため息混じりの恭也の台詞に素で聞き返すヴィータを見て、シャマルがけっこうシリアスな内容なのにと同情する。元凶の一端を担っていることは気付いていない事にしたようだ。

「俺が家に帰った話だ」
「徒歩でな」
「手段は問題ではないでしょう?」
「限度があるんとちゃう?」
「せいぜい150km前後だ」
「十分だろ!往復だから300km近くを五日で往復したんだから!しかもそれ直線距離だろ?」
「いや、ほぼ直進したからだいたい合ってる。
 …どうしてこんなに話が逸れるんだろう?」

 話の腰を折られる事を揶揄している訳ではないだろうが、順を追って説明してる筈なんですが、と首を傾げられると口を挟んだ三人はやや気まずい。

「順は追ってるけど恭也君の行動自体が突飛過ぎて疑問が尽きないのよ。みんなも一先ず最後まで聞きましょ?」

 再開してから唯一口を閉ざしていたシャマルが助け船を出す。
 頼りがいのあるお姉さん風味のシャマルに恭也からの感謝とはやてからの感心の言葉が返る。だが、それが事前に知っているからに過ぎないと分かっているシグナムとヴィータはジト目だ。

「まあ、そう長い話ではないんですが。
 結局、明け方にたどり着いた目的の場所には家がなく、そこは空き地になっていたんです。
 念のために通っていた学校と最寄り駅に行って自分が住んでいる町なのは確認しました。空き地の様子を見る限り、空き地になってから経過した時間は1年や2年ではないでしょう。
 ウチはそれなりに続いている家系なので仮に火災で全焼したとしてもそのまま引き払うことは考え難い。少なくとも事態を収拾したら再建しようとするでしょうし、詳しくはありませんがそのくらいの資産もあったはずです。
 つまり、再建できなくなるような何かが起こり、かなりの年月が経過しています。
 これが家に帰れないことの根拠です。
 時間移動に気付いたのはニュース番組と新聞です。季節も変わっていたんですが、晩春から晩秋に移動していたので“随分冷え込む”程度にしか思いませんでした」

 淡々と話し終えた恭也は、表情を硬くして沈黙する一同の様子を確認した後、もう一度要約した頼み事を口にした。

「俺の状況はこんなところです。俺自身が理解できていないので、この事態について質問されても答えられることは少ないと思いますから、ここまでの内容で俺をここに置いても良いかどうか決めて下さい。
 念のために言っておきますが、断るのが一般的な反応だと思いますし、断られても逆恨みしたりはしません。
 それから、置いて貰う期間について、最初に年単位と言ってしまいましたが、そんなに長く迷惑をかけるつもりはありません。施設に入ることも含めて、身の振り方を決める迄ですから」

31小閑者:2017/06/10(土) 15:45:25
「これを捻るとお湯が出るわ。最初は冷たいけど、暫くするとお湯が出るようになるから。タオルはこれを使って。着替えは着ていた服がもう乾いているから」

 現状説明の後、入浴させて欲しい旨を申し出た恭也をシャマルが風呂に案内し、そのまま使い方を教えていた。

「…ありがとうございます」

 反応の鈍さに恭也の方を見ると視線に落ち着きが無いことに気付く。不思議に思うのも束の間、シャマルが至った結論を口に出す。

「珍しい?」
「ウチが純和風だったのもあるとは思いますが」
「フフ」

恭也の様子にシャマルは笑みを零すが、直ぐに表情が沈む。

「ごめんなさいね、一番辛いあなたに気を遣わせてしまって」
「構いません。俺が取り乱していないのは、現状に感情が追いついていないだけでしょう」
「…そう」

 否定の言葉を何とか抑えて同意しておく。シャマルにも、それを指摘しても恭也を傷付けるだけでしかないことが分かっている。

「急かすつもりはありませんが、15分くらいしか入っていられないので、結論は後日でも構いません。今更野宿に抵抗もありませんから」
「分かったわ」




 シャマルは脱衣所を後にし、未だ衝撃から立ち直っていない一同の居るダイニングに戻った。ドアを開けた音に過敏に反応するも顔を向けることが出来ないはやてに代わりシグナムがシャマルに問いを発する。

「あいつは何故平然としている?現状を理解して、いや実感できていないのか?」
「そんなことは無いと思うわ。実感できていないなら、朝みんなと出会ったときにあれほど憔悴していなかったでしょうしね」

 シャマルの言葉で今朝出会った時の恭也の異様さを思い出す。憔悴した顔つきと、思考が停止し前後不覚になるほど感情が飽和した、虚ろな表情。
 先程淡々と現状を説明していた恭也が別人ではないかと、あるいは何年もの時が経過しているのではないかと疑いたくなる。

「何でなん?何であんなふうに話せるん?自分がどうゆう状況にいるかわからんくて怖かったんやないの!?突然知らん場所に放り出されて、帰ってみたら家が無くなってて、家族の誰にも会えれへんで!
それなのに何で!!」
「はやてちゃん!」

 シャマルは取り乱し声量が大きくなっていくはやてを抱きしめ、優しく髪を梳かしながら、肩の震えが治まるのを待つ。
 人間は自分の理解が及ばない存在に恐怖を抱く。はやてが守護騎士の存在を認めることが出来たのは、闇の書から得た知識が助けになった部分が大きいだろう。
 はやては人と接する経験が少ない。足のこともあるが、この場合年齢に因るところが大きいだろう。同年代の子供と比較すれば逆に人の気持ちを察することが出来るだけでも評価されても良いくらいだ。
 だが、今回は相手が悪過ぎた。シャマルでさえ恭也の考え方は酷く異質だと思える。
 シグナムとヴィータ、人型に変身したザフィーラが顰めた顔のまま、説明を求めるようにシャマルを注目していた。
 シャマルははやてが落ち着いてきたことを確認すると、髪を梳かす手をそのままに自分の考えを話し出した。

「たぶん恭也君は私たちのことを気に掛けてくれたんだと思います」
「どうゆうこと?」
「今朝はやてちゃんたちが会ったとき、会話中に、その、正気を取り戻したときに直ぐにはやてちゃん達から遠ざかろうとしたんですよね?知っている人が周りに居なくて心細いはずなのに、5日前に言葉を交わしただけとはいえ、面識のあるはやてちゃんやシグナムから距離を取ろうとした。それは、きっと自分の置かれた訳の分からない現象にはやてちゃんたちを巻き込まないためだったんじゃないでしょうか?」
「あたし達のことを警戒して離れようとしただけかもしんねーじゃん」
「それなら言いくるめてから穏便に距離を取る、なんて余裕は無いと思う。明らかに異常事態ですもの。
 普段から体を鍛えている人なら、元凶だと思っている相手と言葉を交わす前に、逃げ出すか、逆に”元凶”を捕まえようと攻撃しようとするかしていてもおかしくない状況でしょ?」
「では先程まで淡々と説明をしていたのは、悲哀の情に巻き込まないように、か?」
「ええ」
「俺には、仮にそう考えていたとしても実行できるとは思えん。確かにあの男は尋常でないほどの修練を積んでいることは見て取れるが、とても精神が成熟しているとは言えない年齢だろう。個人差があるとしてもだ」
「そうね。生まれつき感情の起伏の少ない人だっているから、一概には言えないし、何か別の要因もあるのかもしれないけれど。何れにせよ”優しい”の一言で括れる様なものではないとは思うわ」

32小閑者:2017/06/10(土) 15:47:23
 シャマルは4人の疑問に順に答えた後、ゆっくりと抱きしめていたはやてを離し、不安を押し込めた真剣な顔をじっと見つめながら語りかける。

「はやてちゃんには”怖いから関わりたくない”とは言い難いかもしれない。でも人は万人と仲良くなれる訳ではないのも事実です。一緒に居ることで傷つけ合うくらいなら離れることも手段の一つですよ?
 恭也君もそれを理解しているからこそ、最後に拒否する選択肢を示してくれたんだと思います」
「あたしは…反対だ。あんなよくわかんねぇやつがはやての傍に居るのは、なんか嫌だ」
「私は特に反対はしません。接した時間は長くありませんが、恭也自身は信用しても問題ないと思います」
「だが、あの男自身はともかく、あの男の巻き込まれている状況は軽視できるものではないぞ」
「そうね。でも、それでも私は恭也君を助けてあげたいとは思う」

 意見が出終わると暫くの間誰も喋ることも無く身動きもせずにはやての結論を待った。
 決定するということは責任を持つことでもある。はやてにはそれが理解できていることを知っていて、なお4人はそれをはやてに求める。
 酷である事は承知しているが、書の主を差し置いて決められることではない。
 状況を整理し問題点を提起した上で自分達の意見を上げて選択肢を示す。その代わりに恭也がはやてにとって害をなす存在であれば自分達が排除することは、確認するまでも無く4人の一致した決意だ。
 4人が見守る中、はやてがしっかりとした口調で、自分の考えを再確認するように口に出す。

「私も恭也さんのこと、助けてあげたいと思う。
 1人はあかん。絶対にあかんのや。私はみんなのお陰でそれがよう分かってる。せやから、恭也さんはウチに住まわせたげたい」
「はい」
「まぁ、はやてがそう言うんならしょうがねぇ」

 同意する3人と、仕方なさそうに、しかし安堵が混じる声で答えるヴィータ。優しい家族に誇らしさと嬉しさがはやての胸を占める。
 不安はある。最初は守護騎士とて面識の無い他人だったが、魔道書の主に対して忠誠を誓う存在であったことを思えば、恭也は正真正銘の他人だ。倒れた恭也を連れてきた時には気にしていなかったその事実は、恭也の異質さと言う形で実感することになった。
 同居するということはそのまま接する時間が長いということだが、はやての認識においてはそれだけではなかった。はやては、同居とは他人の寄せ集めでは無く家族として接することと同意だと思っているため、なお不安が大きかった。あそこまで異質な面を垣間見た恭也と上手く接することが出来るだろうか、と。

 だが、結論を告げたときに見た恭也の表情に、不安を圧してでも迎え入れることを選択して本当によかったと安堵した。



続く

33小閑者:2017/06/10(土) 16:48:38
第6話 天秤




 家族として恭也を受け入れることを告げた後、気持ちを落ち着ける時間をとることも兼ねて食器の片づけを行った。その後場所をリビングに移すと、はやての提案で新しく家族に加わる恭也のための自己紹介が始まった。

「まずは言いだしっぺからやね。八神はやてです。歳はぴちぴちの9歳。家事は一通りこなせるけど、料理の腕にはちょっと自信あります」
「ああ、さっき堪能させてもらったからな、次からも期待させてもらおう。それと、別に丁寧な話し方でなくても構わないからな?」
「ありがとう。や〜、慣れん話方は辛かったわ。ボロが出る前に戻せてよかった〜」
「既にボロボロだったと思うぞ?」
「嘘!?」
「いやなに、言葉の端々に隠しきれない可愛らしさが滲み出ていたと言いたかっただけだから、シグナムさんとヴィータはそんなに睨まないように」
「フン!」

 ヴィータは恭也への視線を和らげることなく復元していたグラーフアイゼンをペンダント状態に戻す。シグナムはデバイスを復元していなかったが、だからと言ってヴィータより寛容だった訳ではないのは未だに殴りかかるために握り締めた拳に力が篭ったままであることからも明らかである。
 はやてのこととなると沸点がやたらと低い2人が常態に戻るまでの間を取るためにシャマルが口を開く。2人の姿から普段の自分の姿が容易に想像できてしまい、居たたまれなくなったのだ。

「じゃ、じゃあ、次は私ですね。ご存知の通り名前はシャマルで、先程お見せした通り癒しの魔法を使えるから怪我をしたときには私に言ってね。
 家事についてはお掃除とお洗濯は出来るようになったけれど、お料理は勉強中と言うところかしら。あとは・・・そうね。一緒に暮らすんだし特に敬語を使わなくても構わないわよ」
「それは有難い。はやてのことが言えるほど俺も敬語は得意ではないんだ」
「私にも敬語は不要だ」
「俺にもな」
「ありがとう」
「あたしにはちゃんと敬語を使えよ」
「畏まりました、ヴィータお嬢様」
「へ?」

 からかう気満々でニタニタしながらヴィータが切り出すと、予想とは裏腹に即座に謙(へりく)だった態度で対応されたため思考に空白が生じてしまった。そして、対峙した者が見せた隙を見逃すような甘さを持たない恭也はすぐさま追い討ちをかける。

34小閑者:2017/06/10(土) 16:49:28
「如何なさいましたか、ヴィータお嬢様?もしやご気分が優れないのでは?シャマル、悪いがヴィータお嬢様のお加減を見て差し上げてくれないか。寝室には俺が。
 ヴィータお嬢様、失礼致します。本来であれば私ごとき下賎の者がヴィータお嬢様に触れるなど恐れ多いことと承知しておりますが、今は危急の時。後ほど如何様な罰も受けますゆえ、この場はどうか平にご容赦下さい」

 などと、今まで見せたことも無いほど真剣な表情でヴィータに語りかけると、ヴィータの横から右手で肩を抱き寄せ左手を膝裏に回すと掬い上げるように持ち上げる。
 虚を衝かれたとは言えヴィータが抵抗する間も無くお姫様抱っこの形に収まってしまうほど、一連の動作は自然であり優雅であり洗練されていた。

「な、ななっな、何しやがる!?」
「ヴィータお嬢様、お願い致します。お怒りはごもっとも。ですが今は、今だけはご容赦を!
 わが身可愛さのためにヴィータお嬢様の治療が遅れ、万一のことがあっては、私の命をいくつ積み上げても取り返しがつきません」

 体勢の関係で至近から恭也の真摯な視線を受け続けた結果、本人の意思とは無関係にヴィータの顔に急速に血液が集まり続ける。

「わかった!あたしが悪かった!」
「何をおっしゃるのですか!?ヴィータお嬢様に落ち度などありません!傍に控えさせて頂いていたにも関わらず気付くのに遅れた私の責任です!!」

 恭也の言葉に熱が篭るのに比例して、徐々に2人の顔が近付いていく。既にヴィータには周囲の4人の食い入るような視線に気付く余裕すらない。
 これ以上ないほど赤面したヴィータは、恭也の瞳から視線を逸らすことが出来ない上に、恭也の肩に添えている手が、押し返すためのものなのか引き寄せるためたのか傍目から判断が出来ないほど弱弱しい。
 平常であれば冷ややかな視線を投げかけつつ殴り倒してお終い、という程度のことだが、初撃で虚を衝かれた上、澱みなく追撃を重ねられたため思考を整理することも出来ずに追い詰められてしまったのだ。
 ここまで詰められてしまっては全面降伏しか道は無かった。

「ごめんなさいごめんなさい、もうからかったりしないから赦して下さい〜」
「深く反省するように」

 僅かながらも瞳を潤ませているヴィータに対し、スイッチを切り替えたかのように熱の消えた声で返し、あっさりと開放する恭也。ヴィータは開放されると足を縺れさせながらもはやての影に隠れて威嚇する。
 とてもはっきりとした勝者と敗者の姿だった。

「おぉ〜、恭也さんは容赦ないなぁ」
「はやて、叩けるうちに叩くのが勝負の鉄則だぞ?」
「後が怖いんとちゃう?」
「今を生きるのに精一杯で先のことなど考える余裕は無いんだ」
「でも、心の中では羞恥心を押さえ込むのに一生懸命だったんでしょうね」
「そこ、見透かさないように」
「ヴィータが即座に反撃に出られないほど徹底的に攻撃するところが凄いな」
「今反撃に出れば返り討ちに会うことが判断できる冷静さがヴィータに残っていることの方が怖いのではないか?明日の朝日を拝めることを祈っておいてやろう」
「祈りより直接的な助力の方があり難いのだが?」
「藪を突付くつもりはない。そもそも自業自得だろう」

 恭也の反論がないことを確認した後、そのままザフィーラが名乗り出た。

「名はザフィーラ。普段はペットの立場を取っている」
「・・・ペッ・・・ト?そ、それは、跪いたり、その、く、首輪を付けられて引かれたり、床で餌を、与えられたり、とか、されているの、か・・・?」
「?まぁ、概ね合っているが」

 そう言い、恭也の様子を訝しみつつ周囲に視線を投げかけると、帰ってくるのは憐憫と苦笑の交じり合った視線。(ヴィータは恭也への威嚇に勤しんでいたが)

「ザフィーラ、お前その姿のままで鎖につながれていると思われているんじゃないか?」
「な!?」

35小閑者:2017/06/10(土) 16:52:02
 シグナムの言葉にザフィーラが驚愕の面持ちで振り向くと、恭也は平静を装いつつもザフィーラを直視しないように盛大に目を泳がせていた。バタフライもかくやと言う程の泳ぎっぷりからして、この手の人には会ったことがないんだろうなぁ、と言うことが良く分かる。
 先程までの異常なまでの落ち着き振りとの落差に全員が思わず微笑ましい気持ちにすらなる。無論、ザフィーラを除いて。

「貴様、妙な誤解をするな!俺は狼を素体とした守護獣だ!変身魔法でこの姿をとっているに過ぎんのだ!」
「え?・・・あ、じゃあさっき俺の足首を砕きそうな勢いで噛み付いていた犬がザフィーラなのか?」
「犬ではない、狼だ!」
「やかましい!動物のすることだから大目に見ようと思っていたが、人語を解するなら話は別だ!喰らえ!」
「喰らえと言われてくらがぁ!?」
「なに!?」

 ザフィーラの額にデコピンを炸裂させた恭也にシグナムが驚愕の言葉を漏らす。無論、ヴィータとシャマルも同じ思いだ。
 真っ向からザフィーラに攻撃を仕掛け、抵抗らしい抵抗すらさせずに攻撃を成立させて見せた。如何にここが団欒の場でザフィーラが気を緩めていたのだとしても、盾の守護獣の二つ名は伊達ではないのだ。容易にできる事ではない。
 指を弾いて痛みを与えるという“おちょくること”を目的とした行動だったが、今のが鋭利な刃物を使用した攻撃であれば命に届くことはなくとも行動力を大幅に削ぎ落とす事は出来た可能性もある。先程あっさりとヴィータをお姫様抱っこして見せたのも同じ技能だったのではないのか?
 ここまで思考を進めた結果、シグナムは知らず寄っていた眉間のしわをそのままに、剣呑な視線を胡乱なそれに変えて恭也へ問いかけた。

「お前、そんな高度な技能をこんなくだらない事にばかり使っていいのか?」
「何を言う!全力で挑まなければ返り討ちに遭うんだぞ!?
 仕掛けるならあらゆる技能を出し惜しむな。父から叩き込まれた教訓だ」
「すごいお父さんやね」
「未だに完全勝利は2割を切るからな。いや、単独で挑んだ場合は引き分けが関の山だった」
「そのお父さんに育てられちゃったのね」
「なんて傍迷惑な父親だ」
「全く持ってその通りだな」

 ヴィータの心からの評価に同意したのは他ならぬ恭也自身だった。現在の自身の在り方に何かしら思うところがあるのだろうか、ザフィーラが反撃を躊躇する程度には視線が虚ろだ。

「え〜と、次、ヴィータな」
「・・・ヴィータだ」

 恭也の気を紛らわすように振られたことに対して不満はあったが、はやてからの指名では突っぱねる訳にもいかず不機嫌さを隠すこともなく名乗る。そして、せめてもの抵抗として“それ以上お前には教えてやらねぇ”とばかりに全員の視線を集めても無言を貫く。

36小閑者:2017/06/10(土) 16:53:13
 ヴィータの態度にはやてが苦笑しつつフォローする前に、いつの間にか復活していた恭也が口を開く。

「ヴィータお嬢様は慎ましい方ですからね。差し出がましいとは思いますが、不肖私「しゅ、趣味は近所のじいちゃんばあちゃんと一緒にゲートボールすること、あと、あと、えーと、好きな食べ物ははやての作ったご飯とお菓子、嫌いな物は特になし!」
「必死だな」
「さっきのがよっぽど恥ずかしかったんでしょうね」
「それよりあの男、さっきのあれは演技だったのか?」
「どうやろな〜。単に打たれ強いと言うか打たれ慣れてるんとちゃう?雰囲気的には寡黙な印象があったのにここまではっちゃけた性格に成れたのはよっぽど打たれ続けてそうや」
「“成れた”のではなく“成ってしまった”んだ。環境に順応した結果、俺自身の理想像からは遠く離れてしまったよ」

 唐突に会話に加わったかと思ったらそのまま遠い目をしている恭也に慰めるようにはやてが声をかける。

「辛かったんやろね、理想の姿と本性が掛け離れてるゆうんわ」
「追い討ちか。容赦がないな、はやて。俺は周囲の悪影響を受けただけで、本来はもっと静かで落ち着いた性格だったんだぞ?」
「恭也さん、人生はやり直しがきかへんのやから現実から目を背けても何もいいことあらへんよ。今ここにあるもんが全てやねん」
「非情な真理だな。ご高説痛み入る」

 漫談に混ざる内容が子供の会話ではない。だが、一方は両親を事故で亡くし足の麻痺した者、他方は先日実質的に一族全てを失った上知人すら居ない異郷の地に放り出された者、そしてその過酷と言える境遇から目を逸らすことなく受け止めている両者だからこそ、背伸びをしているような印象がない。
 シグナム達は境遇についてはやてを不憫には思っていたが、精神面が歳不相応であるとは実感できていない。知識として、この年頃はもっと無分別で周囲が見えないものだとは知っていたが、新参の恭也が(漫談は別として)輪をかけて落ち着き払っているので彼女達の認識が修正されることはなかった。
 余談だが、これから彼女達が関わることになる同世代の少年少女は総じてマイノリティに分類される者たちばかりだったため結局修正される機会はないのだった。

「では私で最後だな。
 シグナムだ。最近は市内の剣術道場で非常勤の指南役をしている」
「指南?他流派だろう?仮にも剣術を名乗っている道場にしては革新的だな」
「何かおかしいん?」
「俺の知る限りでは、剣術は剣道と違って共通したルールがない。まあ得物が刀、勿論木刀だろうが、それである以上扱い方は似か寄るだろうが、自分の流派こそが最強だと言う自負はそれぞれが持っているものだろうから、他流派の者に技を知られることを嫌う。恐れると言い直してもいい。技を知られれば対抗策を練られるからな。
 剣術と言う名が形骸化している傾向はあったからこの10年で拍車がかかったのか、その道場だけなのか」

 どこか寂しそうに恭也が呟くが、シグナムが早とちりだと嗜める。

「剣術道場と言っても一般人に向けて剣道を教えているんだ。私が指南しているのはそちらだよ。私も剣術については何度か手合わせをした程度だ」
「なんだ、そういうことか」
「お前も嗜むのなら覗いてみるか?他流派との手合わせは勉強にも刺激にもなるぞ」
「ああ、知っている。だけど今は止めておくよ。自分の技能を煮詰める時期なんだ」
「無理強いはしないがな。では、私とするか?道場では無理だが、そこらの空き地でも構わんのだろう?」
「魅力的ではあるが、やはり辞退しておこう。なけなしの自信が跡形もなくなりそうだ」
「よく言う。その論法では最強になったことを確信するまで誰とも手を合わせしないことになるじゃないか。
 まあいい、気が向いたときと言う事にしておくか」
「ああ、気が向いたときに、な」

 不敵っぽく笑い合う2人に対して、別の2人が食って掛かった。

37小閑者:2017/06/10(土) 16:56:16
「てめ、アタシのときと全然違うじゃねぇか!」
「俺のときともな!」
「何を馬鹿な。礼には礼を、失礼には失礼を返しただけだろう」
「ぐっ」
「待て。俺が噛み付いていたときはシグナムだって剣を突きつけていただろう!?」
「・・・そうだったかな。だが、まあ男が細かいことに拘るな」
「あからさまに誤魔化しとるなあ」
「流派の理念上、勝てない場合には戦わないことにしている」
「ただのヘタレじゃねぇか!」
「そういう言い方も出来るな」
「でも負けると分かってる時でも戦わないかん時があるんやないの?」
「そうなのか?」
「いや、聞き返されても・・・」
「負けることが“分かっている”んだろう?そうであれば戦うことに意味はないと思うがな。他の人間は別の意見を持っているかもしれないが、戦ったと言う事実で自分を満足させているに過ぎない、と俺は思う」
「でも、自分より弱い相手としか勝負せえへんのやったら弱い者虐めみたいなものやん」
「?どうしてそうなるんだ?強い相手と戦う事くらいあるだろう?」
「勝てへん相手とは勝負せえへんのやろ?」

 恭也は話が噛み合っていないことに気付いて言葉を切る。はやてが、何か間違っていただろうかとシグナムの方に視線を向けたところで恭也が再び口を開いた。

「ああ、なるほど。目的と手段の違いか」
「何の話?」
「主、あの男にとって対戦者を打倒することは目的を達成するための手段でしかないのでしょう」
「練習中であれば“強くなる”って言う目的の糧になるから勝負自体には負けても構わねぇってことか」
「あれ、何でザフィーラもヴィータも急に恭也さんの味方やの?」
「べ、別にあんなやつの味方したわけじゃねーよ」
「あの男を少々侮っていたことについての自戒です」

 スポーツではなく術(すべ)としての剣技=剣術。半年に満たないとは言えこの町を見てきたからこそ、この国にそのような考え方が残っているとは思っていなかった、それがザフィーラの正直な感想だった。
 空気が引き締まったことを感じ取ったシグナムが改めて許可を取るためにはやてに話しかけた。自分達の秘密とも言える内容だから流石に漫談中に切り出したくはない。

「主はやて、恭也に我々の存在について教えようと思いますがよろしいでしょうか?」
「存在?・・・あ〜、あのことやね。ん〜ちょお待ってな、その前に一つ確認しとくことがある。
恭也さん、うちらに隠しておきたいことあるか?」
「・・・そうだな。いずれ話せる日が来るかもしれないが今はまだ話せないことがある」
「なっ」
「そか、じゃあ私とみんながどうやって出会ったかはそん時でええかな?」
「気を遣わせてばかりで申し訳ないな」
「いいのかよ、はやて!」
「話したないことくらい、誰にだってあるやろ?自分の秘密を話すことは信頼の証になるやろけど、相手にも強要してる様なもんや。
 私らのこと騙そうとしてる様な人には関係ないやろけど、恭也さんは優しそうやからな。無理強いはしたない」
「本当に良く出来た子だな。小学生にしておくのは勿体無い」
「どんな勿体無さかわからんて。けど、お褒めに預かり光栄や、惚れ直した?」
「滅相も無い、恐れ多くて惚れることも出来ん」

 苦笑しつつ受け流す恭也を見る限り、特に不快感は抱いていないようだと安心するはやて。

38小閑者:2017/06/10(土) 16:58:40
 俺の番か、と呟きつつ居住まいを正す恭也に一同が視線を集める。

「約束していたのに随分遅くなってしまったな」
「そういえばまだ苗字を教えてもろてへんでしたね」
「苗字は不破という。不破恭也。初対面の人にはまず間違われるので先に訂正しておくが、今年で10歳になる」
「…またまた。誤魔化さないかんような歳やあらへんやろ?」
「ああ、だから誤魔化してはいない。ついでに言うなら今のところ年齢を重ねることに抵抗はないし、外見上15,6歳に見えることも分かっているので間違えたことを非難するつもりもない。ただ、以前に面倒くさくなって放置しておいたら、ややこしいことになったことがあるので訂正だけはするようにしている」
「えっと、ランドセルとか背負っとるの?」
「…ああ」
「ぶわっははははははははははは」
「容赦ないな、はやて。ヴィータですら笑ってないって言うのに。いや、知らないだけか?」
「はははッゲホ、ガハガハ」
「はやて、大丈夫か!?テメー何てことしやがる!」
「俺が被害者のはずなんだが。いっそ清々しいほどの至上主義っぷりだな」

 はやてが落ち着くまで待ってから再開する。

「今度背負ってる姿見せてな」
「笑われるために背負うなど断固拒否する。そこの4人、拒否してるんだからな!」
「主はやての意向は絶対だ」
「…小太刀を見ているから分かると思うが剣術を習っている」
「強引に進めましたね」
「コダチ、とはあの短い剣か?」
「ああ。この国では剣のことを刀と呼ぶ。特徴は片刃であることと刀身に反りがあること。主に長さによって分類されていて、俺が持っているものは小太刀と呼ぶんだ」
「あの長さではあまり攻撃には向かないと思うが、細身の割には刺突に特化した形状という訳でもなかったな。守りが主体か?」
「それもあるが、技の中に室内戦を想定している傾向がある」
「なるほどな」
「どういうこと?」

 納得するシグナムにはやてが問い掛ける。

「武器は基本的に長い物ほど、重い物ほど、遠心力や慣性により一撃の威力が増します。また、長ければ敵よりさきに射程に捕らえることも出来ます。
 反面、長大な武器は手数が減りますし、モーションが大きくなるため敵の接近を許すと反撃が難しくなり、障害物があれば存分に振るうことも難しくなります。
 つまり狭い室内は、長い武器が短いそれより不利になるシチュエーションです。」
「なるほどなあ」

 はやてが納得したことを確認してから、今度はヴィータが問い掛ける。

「暗器の類いまで持ってたみてーだけど、この国でそんな実戦紛いなことやってるもんなのか?」
「少なくとも私が世話になっている草間一刀流は古流剣術をうたっているが、そこまでではないな。せいぜい上級者の一部が真剣を扱う程度、それも薪藁相手に振るう位だった。
 念のために言っておくが、馬鹿にしている訳ではないからな?剣士としては寂しく思うが、それだけこの国が平和だと言うことだろう」
「少し違うな。平和であることは事実だが、今の時代、仮に戦争が起きたとしても熟練に長期的な鍛練を要する剣術よりも、体格に関係なく引き金を引くだけで一定の成果を期待できる銃火器を選ぶだろう。
 剣道はもちろん剣術すら肉体の鍛練と精神修養以上の物ではなくなっているのは当然の流れなんだろう。今は刀を振るえばどう言い訳したところでそれは暴力として扱われる。俺の流派も多少実戦の側面が色濃く残っているが大差はないんだ」
「そうなんかぁ」

 受けた説明を鵜呑みにするはやての隣でシグナムが、今のは嘘だろうと推測していた。気絶状態から臨戦大勢をとるなど、相応の経験が必要だし、先程の“相手を打倒するのは手段に過ぎない”と言う言葉に反してもいる。

「なんと言う流派名なんだ?」
「俺の実力では名乗ることが許されていない」

 恭也の返答はシグナムの予想から外れるものではなかった。隠そうとする意図が正確に分かる訳ではないが、戦闘者として手の内を明かす積もりは無いのだろうと当たりをつけて黙認した。非難できる事ではないだろう。

「別に良いじゃねぇか、咎めるやつも」
「ヴィータちゃん!」
「あ!…悪い」
「いや。一応俺自身のけじめでもあるので勘弁してくれないか?」

 特に動揺する様子も見せずに受け流した恭也は、そのまま気遣わしげな視線を寄越すはやてに願い出る。

39小閑者:2017/06/10(土) 17:01:03
「はやて、厚かましい事は承知の上で一つお願いしたいことがある」
「何?」
「この家においてくれている間だけで良い、八神の性を名乗らせて貰えないか?」
「うん、ええよ。恭也さんも今日から八神家の一員やしな!」

 あっさり即答した上、満面に笑みを浮かべるはやてを不思議そうに見ている恭也に替わりシャマルが疑問を口にする。

「はやてちゃんなんだか嬉しそうですね?」
「私、優しくてカッコイイお兄ちゃんにも憧れとったんよ」

 誰もがザフィーラに向かいそうになる視線を必死に押し止め、きっと兄よりペットの方が優先順位が高かったのだろう、と胸の内で納得するだけに留めておく。

「では選択の余地がなかったとは言え、夢を壊すようなことになって悪かったな」
「?」
「憧れていたなら理想像位あったんだろう?」
「なんや、そんなん恭也さんなら全然オッケーや」
「俺が言うのもなんだが、志しは高く持つものだぞ」
「やっぱそうかな?じゃあ理想のお兄ちゃんが現れるまで、そのポジションに当たる人と暮らすのはやめとこか」
「いや、やはり高望みは良くない。地に足を付けて堅実に進むのが幸せへの道程と言うものだ」
「必死だな」
「そうね」
「軽はずみな事を言うからだ」
「ザフィーラ、そんなに気にしなくて良いと思うぞ。はやても他意はなかったろうし」
「八つ当たりで言った訳ではない!」

 何故、飛び火がこちらに来るのかと内心首を傾げながらも、ザフィーラは盾の守護獣として耐え忍ぶ事にした。無論、現実逃避でしか無いのだが。

「それじゃあ自己紹介はこれくらいにして夕飯の買い物に行こか」
「では、荷物持ち位努めよう」
「行き倒れていた人が何を言ってるんですか!」
「シャマルの言う通りお前は、今日は休んでいろ。主はやて私が供をします」
「ん、ありがとなシグナム。シャマルは恭也さんのこと見張っとってな」
「任せて下さい、はやてちゃん」
「失礼な。見張りなど無くても安静にくらいしている」
「そういう台詞は目を合わせて言わんと説得力ないで。ヴィータとザフィーラはどないする?」
「ん〜この時間ならまだやってるだろうから、じーちゃん達ん所行って来るよ」
「では俺もそちらに」

 言って変身したザフィーラを見て、恭也が驚嘆の声を上げる。

「おお、そんな風に変身するのか」
「変身シーンでも裸は見えへんよ?」

はやてがニヤニヤしながらからかう気満々で言うが、恭也は疑問符を浮かべるだけだった。

「むう、リアクション薄いなぁ。シャマル出番や、変身シーンを見せたって」
「シャマルも何かに変身するのか」
「えぇ?私は服が変わるだけよ?」
「見せなくて良いから」
「即答したな」
「もう少し突いたらさっきみたいに真っ赤になるんじゃねぇ?」

 ニヤニヤ笑うヴィータの頭に恭也が穏やかな表情でそっと手を置くと、

「人をからかうのは楽しいよな?」

 万力のように締め付ける。

「いでででで!手ぇ離せこのヤロ!」

 ヴィータの蹴り足をヒラリとかわすと、恭也はそのままリビングから退室した。

40小閑者:2017/06/10(土) 17:04:35
「鮮やかな転進だな」
「攻撃しておいて反撃が来たらあっさり逃げ出すとは男らしくないやり方だな」
「ザフィーラ…」
「シャマル、その目はやめろ。八つ当たりではないと言っただろう!」
「あ〜ザフィーラ、ゴメンな?デリカシーなかったな」
「主、本当に気にしておりませんから、お気使いなく。ペットとしての役割を全力で全うする所存です。それではこれにて。行くぞヴィータ」
「お、おう。何でそんなに張り切ってんだ?」

 覇気の漲る声でヴィータに声をかけ颯爽と部屋を後にするザフィーラを、今まで痛みに悶えていて聞いていなかったヴィータが不思議がりながら追って行った。

「そんなに力まんでも。…ひょっとしてペットとして振る舞うのって結構大変なんかな?」
「いえ、恐らく主はやてに気にかけて頂けて喜んでいるのでしょう」


* * * * * * * * * *


 シャマルが客間に入ると恭也が布団の上で目を閉じて正座していた。流石にフローリングの床に直接正座するのは避けたようだ。

「恭也君、寝てなくちゃ駄目よ」
「日常生活程度であれば問題ないくらいに回復していることはシャマルも分かっているだろう。大人しくしているから勘弁してくれ」

 シャマルがクスクス笑っていると漸く恭也が目を開いた。

「一つだけ確認しておきたいことがある。魔法についてだ」
「答えられることなら」
「まず第一に俺にとって魔法の存在は童話や物語の中のものでしかなかった。隠蔽されていたのか、あるいは…俺が良く似た別の世界に飛ばされたのか」

 恭也が感情を面に出さないために費やしている精神力がどれほどのものなのか想像するだけで胸が痛んだが、同情で半端な希望を与えるわけにはいかない。それに縋り付けば反動で後のショックが大きくなってしまうだろう。

「この次元世界には魔法が使える人間どころか魔力を保有する人間すらほとんどいないの。はやてちゃんも保有する魔力量こそ大きい、つまり魔法の素養は高いけれど、魔法技術を持っていないから扱えないわ。魔法の存在が知られていないのはそれらが理由だと思う。
 後者の可能性は有るとも無いとも言えないわ。ただし、恭也君は実家の周辺を確認した結果、目安になるような施設には大きな差異が無かったのよね?10年の歳月でどの程度の変化があったのかは分からないけれど、町並みから受ける印象に違いが感じられないなら、その可能性は極めて低いと見るべきでしょうね。
 私も全ての次元世界を把握している訳ではないけれど、経験上酷似した世界を見たことはないわ」

 シャマルは恭也が再び閉じた目を開くまで辛抱強く待った。如何に実年齢に見合わない精神の成熟を見せていても、何の前触れも覚悟も無く家族を失う事態に直面すれば、余程冷徹か逆に憎んででもいなければ家族を失ったという事実が簡単に受け入れられる訳はない。だからこそ僅かな希望に縋ろうとする姿は当然と言えるものだろう。
 再び目を開いて質問を始めた声に動揺の色を見せない恭也のことが不憫でならないが、その努力に報いるためにもシャマルは同情を面に出さないように努めながら会話に集中する。

41小閑者:2017/06/10(土) 17:06:13
「魔法にはどのような種類があるんだ?」
「大まかには戦闘用、医療用、移動用と言ったところかしら。
 さっきも言ったと思うけど魔法は誰にでも使えるものではないの。それはこの世界に限ったことではなくて、ランク差は勿論あるけれど、それ以前に全く使用できない人のほうが多いのよ。だから、日常生活用に開発された魔法はほとんど無いわ」
「戦闘用というのは?」
「大別すれば攻撃魔法と防御魔法と補助魔法ね。もっと詳しく知りたい?」
「いや、追々聞いていこう、詰め込みきれそうに無い。それより、はやてが魔法使いに襲われる可能性は?希望的観測は抜きで頼む」
「そう言われてしまっては魔法の存在しないこの世界で私達が出会ったんですもの、零ではない程度に低い、としか言えないわね。でも、管理局だって魔力保有量だけで書の主を見つけられる訳ではないでしょうし、まず有り得ないと思って良いわ」

 シャマルは意図して管理局の名前を出して、素知らぬ振りをしながら恭也の反応を窺ったが見て取れるような反応は得られなかった。
 気付かなかった、ということはないだろう。自分達に敵対する組織があること、それが攻めてくる可能性があることも気付いてもらえたと思う。名前からして治安機構であることは推測できただろうか?自分達の行動が犯罪に分類されること、あるいは書の主であると言う事実だけで取り締まられる可能性があることは?
 だが、恭也はシャマルの意図を全く無視する形で話題を変えてしまった。

「最後に何度か耳にした次元世界と言うのはどのような概念だ?平行世界と言うものとは違うようだが」
「あ、えーと、この世界の概念では別の銀河系、が一番近いと思うわ」
「ああ、なるほど。現在のこの星の技術力では一生涯ではたどり着けない距離に存在する他の生態・文明か。
 今の時点で知りたいことは大体分かったよ」
「そう。答えられることでよかったわ」
「っと、それとは別に俺は普段どんな生活をすれば良い?最初からはやてにベッタリでははやてが疲れてしまうだろうし、俺もこの町のことを知っておきたい。
 幸いこの外見なら補導される心配は無いだろうから、ある程度街中を歩き回ろうと思っているんだが」
「ええ、それで構わないと思うわ。夕食時にでもはやてちゃん達に話しておけば問題ないと思う」
「わかった。では夕飯までここでじっとしているので家事があるならやってきてくれ。
 そんな目で見られなくても今日は大人しくしている」

 それだけ言うと正座のまま目を閉じ、微動だにしなくなった。瞑想と言うやつだろうか?
 それにしても鎌をかけたつもりだったが完全にスルーされてしまった。精神が不安定なはずの今現在に、ここまで考えを隠されては打つ手がない。
 先程は感情を露呈する場面が何度かあったというのに隠すべきときには隠し切って見せたのだ。
 はやても9歳児とは思えない言動をするが、その1年後を想像しても恭也にはならないだろう。本来は恭也の感情、心理、思考を把握した上で行動することで、最悪の事態、自分達が管理局に捕まったとしても恭也が“巻き込まれただけ”という立場を取らせたかったのだが、思い直すしかないだろう。
 恭也は、自身のとった行動の責任は自身で請け負う、そう言っていると解釈するべきだろうか?
 シャマルはその結論が自分の都合のいい解釈でしかないのか、恭也の本心であるのかを、これからの彼の行動から読み取るという前途多難な課題に頭を悩ませるのだった。


* * * * * * * * * *


「ほな、そろそろ寝よか」
「うん」
「お休みなさい、はやてちゃん」
「お休みなさい、主はやて」
「お休み」
「良い夢を」

 ヴィータに車椅子を押されながら、家族全員から就寝の挨拶を受けたところではやてが疑問を口にした。

「恭也さんは寝えへんの?」
「ああ、俺はまだいい。寝る前に体を動かしておきたい」
「何言ってるの。病み上がりなんですから今日は大人しく寝なくちゃ駄目よ」

 恭也は即座にかけられたシャマルのダメ出しに、予想通りと言うように肩を竦める。

「もう大丈夫、と言っても納得してくれないだろうからな。分かってる、部屋で体操する程度にするさ」
「風呂はどうする?」
「先に入ってくれ、俺は寝る前でいい。今日は昼にも入ってるしな。では俺は部屋に戻る。物音はたてない積もりだが煩かったら言ってくれ、直ぐにやめるから」
「ここでやれば良いじゃない」
「軽くとは言ってもこれだけ物がある場所では無理だ。万が一と言うこともある。シグナム、風呂から上がったら教えて貰えないか?」
「分かった」

42小閑者:2017/06/10(土) 17:06:57
 はやて・ヴィータに続き恭也が部屋から出ると、リビングに静寂が満ちる。
 シグナム、シャマル、ザフィーラの三人は、はやてが寝るために部屋に行ったあと特に会話もなくそれぞれの思索に耽る。
 以前は一日を振り返り、はやてと供にあるという幸福を噛み締める時間だったが、最近考え込むことは自ずと最重要事項である蒐集に関する事ばかりだ。殺伐としている。それに気付けたのは恭也というイレギュラーな存在のせいだ。この場合″おかげ″と表現するべきか?
 皮肉なものだとザフィーラは思う。犯罪を犯している自分達にとって部外者である恭也は秘密が漏洩する可能性を高める不安要素だ。だが、その不安要素によって、秘密の厳守を意識するあまり、蒐集活動を始めてから外部との隔絶が大きくなっていたという事実を突き付けられた。
 むろん、秘密の厳守は絶対だ。だが、そのために孤立すれば思考の硬直に繋がる。それは気付いてしかるべきことに気付けず、大切な事柄を忘れてしまう事態に致りかねない。代表的な事例でいえば“目的と手段が入れ代わる”という事態は、他人事だと笑っている者ほど陥り易い罠なのだ。
 蒐集活動の成果が文字通り主の命を左右するため、自然に悲壮感が強くなっていたのではないだろうか。日常の主との会話中でさえ、頭の片隅から離れることのなかった問題を一時とはいえ忘れることが出来たのは良かったと言えることなのかもしれない。
 ぽつりぽつりと零れる他の二人の言葉はザフィーラの考えを肯定するものだった。
 激動、と言うのは大袈裟だが大きな変化のあった一日だった。余りにも能動的な行動の余地が少ない選択肢ばかり突き付けられたように思うが、久しぶりにはやてと行動を供にしたと実感出来たように思う。


* * * * * * * * * *


「首尾はどうだ?」
「私は5ページ」
「あたしとザフィーラは13ページだ」

 海鳴市のオフィスビルの屋上にて互いに今日の蒐集結果を報告しあう。
 自慢気に胸を張るだけあってヴィータ達の成果は一度の出撃では最高値だ。

「やるな。私の11ページが最多になると思っていたんだがな」

 内容とは裏腹にシグナムの声も明るい。
 恭也が転がり込んで来た今日は、はやての笑顔も多かった様に思うし、色々と気付けたこともあったし、蒐集の結果も良かった。偶然でしかない事は百も承知だが、恭也が幸運を運んできたのではないか、などという思考さえ過ぎる。
 あまりな思考に苦笑が漏れるが、芳しい成果が得られた時には喜ぶべきだ。悲壮感に陶酔しても得られるものはない。
 家に着くと、ささやかな満足感を胸に音を立てないように静かに廊下を歩いていると、前触れも無く蛍光灯が点灯する。
 先頭を歩いていたシグナムとヴィータは蛍光灯の明かりに照らされて現れた眼前の光景に息を呑む。別に凄惨な光景があったわけでも管理局員が待ち構えていた訳でもない。

「やっぱりシグナムたちか」

 目の前に居たのはシグナムがメルヘンなことを考えていた恭也だった。シグナムの剣が届く範囲の半歩外という距離で照明スイッチに手を掛けた姿のままこちらを見ている恭也の存在に対して、頬を汗が伝うのを感じる。

「すまんな、起こしてしまったか?」
「いや、トイレに行こうとした時に衣擦れの音を聞いただけだから」

 それだけ答えるとトイレに向かって歩いていった。
 その無音歩行は、先程足音を忍ばせていた自分達がまるで無造作に歩いていたのではないかと錯覚させられるような完璧なものだった。

「ヴィータ、気付けたか?」
「…いや」

 害悪にしかならないプライドを押し込めて、認めたくない事実を認めたヴィータに同意の言葉を返して、シグナムは緩みかけていた警戒心を引き締めなおした。



 恭也が来たことで良かったと思えることはいくつもあった。だが、それらを相殺するほど、その本人の行動は不審なもの、不可解なものがあった。
 あの男が加わることで、果たして事態は好転したのか悪化したのか?


続く

43小閑者:2017/06/13(火) 22:35:43
第7話 露呈




 八神はやての朝は早い。
 目覚まし時計を止めると一緒に寝ているヴィータの寝顔に頬を緩めてから起床。身支度を整えると台所でシャマルと合流して家人が寝静まっている中、朝食の準備を始める。

「そういや、恭也さんは朝食もたくさん食べるんやろか?」
「あ、どうなんでしょう。とりあえず、ご飯だけ多めに炊いておきましょうか?」
「そうやね、おかずも昨日の残りならちょおあるし、漬物も、…恭也さんて嫌いなものあるんやろか?」
「あ、それも聞いてなかったですね。何でも食べそうな気はしますけど」
「まぁ、今日は無難なところを揃えとるし大丈夫やと思うけど。それに好き嫌いは良うないしな。大きくなれへん」
「…十歳児としては育ち過ぎてるから、きっと好き嫌い無いんじゃないかしら」
「…それもそうやね」

 そんな雑談を交わしながら朝食の準備を進めているとシグナムがリビングに入ってくる。それに合わせてリビングで寝そべっていたザフィーラ(狼形態)が起き出す。
 狼形態だと準備の手伝いが出来ないどころか無駄にはやてに気を遣わせてしまうため、いつからかシグナムに合わせるようになったのだ。

「おはようございます、主はやて、シャマル」
「おはようございます」
「おはよう、シグナム、ザフィーラ」
「おはよう、2人とも」
「おふぁよ〜」

互いに挨拶を交わしていると、眠たそうに目を擦りながら、うさぎの縫いぐるみを片手にヴィータがダイニングに入ってくる。

「おはよう、ヴィータ。眠そうやね」
「ねむい〜」
「はい、牛乳や」
「あんがと〜」
「それを飲んだら顔を洗って来いよ」

 シグナムはヴィータに釘を刺した後リビングのカーテンを開けに行き、昨日加わった新たな住人がこの場に居ないことに気付いた。

「恭也はまだ起きていないのですか?」
「どうやろ?あんまり寝坊するようには見えへんけど、昨日は疲れとったはずやし、まだ寝とってもおかしないね。まぁ起きたけど部屋から出て来てないだけかもしれんけど。
 シグナム、悪いけど起こしてきてくれへんか?」
「…いえ、必要ないようです」
「え?」


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