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第二次性徴検査

1名無しさん:2019/08/24(土) 21:05:04 ID:DK9oyGfI
第二次性徴検査

ABCC(Atmic Bomb Casualty Commission) : 原爆傷害調査委員会。
原子爆弾投下による放射線が人体に及ぼす影響を長期的に調査するために、
トルーマン米国大統領の命で、1947(昭和22)年に設立された研究機関のこと。
研究所は広島市の比治山の山頂に作られたカマボコ型の建物で、長崎にも作られた。
    
大規模な面接調査で被爆場所と建物構造から被爆者の浴びた放射線量を推定した。
被曝線量限度の国際的な基準を定めるうえでも重要な役割を果たした。
一方で「調査研究の対象にはするが、治療はしてくれない」ことが明らかになった一時期、
成長期思春期の男女多数が、第一次性徴・第二次性徴の発育実態を調べるため、長期間にわたって、全裸にされた性器や陰毛など
検査を受けた。
他にも似たようなものを指すこともある。   

被爆者などによる旧ABCCの撤去運動が行われたことがある。
また、この時代に収集・解析された膨大な資料の大部分

2名無しさん:2019/08/24(土) 21:28:12 ID:DK9oyGfI
中学1年生の春の検診だけでした。私立の男子校で、いろいろな地域から集まってきていましたので、入学直後はお互いに知っている子はほとんどいませんでした。突然の羞恥の検査に教室に戻ってもみんな黙っていました。
数日後、クラスのなかで、僕とA君とB君の3人だけがプリントをもらいました。「新入生健康診断 精検のお知らせ」と書いてありました。横から他の子がプリントをのぞきこんで「あーっ、精検だー。精液検査だ!」と言い出しました。
僕は何のことだか分からずにキョトンとしていましたが、A君は突然泣き出してしまいました。帰りのホームルームが終わって、保健室の先生にどういうことか3人で聞きに行くことになりました。
保健室の先生は笑いながら、「精検って、精密検査の事よ」と教えてくれました。A君は内科の精密検査でした。とても安心した様子でした。でも、B君と僕は泌尿器科の精密検査でした。それが何を意味するのか全然分からなかったのですが、男の子の恥ずかしい生理をさらすことになりました。

3名無しさん:2019/08/24(土) 21:57:55 ID:DK9oyGfI
少年専用の思春期外来

その子は高校1年生で、低身長をどうにかしたいということでお母さんと来院されました。学校帰りに待ち合わせをしてきたようで、男の子
はブレザー姿でした。お母さんは黒木瞳似でした。
まず診察に入る前に手のレントゲン、血液・尿検査を受けてもらい、体重・身長を測らせてもらいました。診察室では最初に両親の身長・
患者の今までの身長・病歴・普段の食生活・運動はしているかなど、いつも聞くことを聞きました。
問診が終わると、上半身裸になってもらい、骨格、体つきなどを見ました。
そして「ズボンとパンツを脱いでね」と言うと、最初は嫌がるのですが、お母さんの目の前で脱ぎ裸になってくれました。
診察台に仰向けになってもらい、睾丸の大きさ、陰茎の長さを計測しました。
下半身を見ると陰毛は生えていましたが、高校1年生にしてはまだまだ薄いほうで、完全な包茎でした。腕・足・脇の無駄毛は全くありま
せんでした。

4名無しさん:2019/08/24(土) 21:59:39 ID:DK9oyGfI
私が「包茎ですから、これからは毎日剥いたほうがいいですね」というと、お母さんが「中学にはいるまで、私が毎日剥こうとしたんです
が、剥けなかったんです」と言いました。私はこんな過保護な親がいるんだな、とビックリしました。私はなぜ剥く必要があるかと剥き方
を男の子に説明しました。
私は男の子に仰向けになってもらっているまま、オナニーの頻度・方法を聞きました。頻度を聞くのは性欲の強さを知るため、方法を聞く
のは間違ったオナニーをしている子が意外にたくさんいるからです。答えてくれましたが、さすがにお母さんがすぐ隣に座っているので、
恥ずかしそうに顔を赤くしていました。
頻度は週に2回か3回ぐらいということでした。ただ方法に問題がありました。今までの方法で実際にやってみてと言いました。
男の子は恥ずかしそうにしながらも、うつ伏せになり、下半身を診察台に擦りつけ始めました。お母さんも顔を赤くしながらも、凝視して
いました。
少したつと、吐息が聞こえ始め、「もう出ちゃいます」と言うので、止めてもらいまた仰向けになってもらいました。そしておちんちんを
握ってもらい、方法を説明しやってもらいました。するとすぐに射精したので、ティッシュを渡し、お腹を拭いてもらいました。
射精しても若いからお腹に勃起したおちんちんがくっついていて、まだお母さんは凝視していました。

5名無しさん:2019/08/24(土) 22:04:25 ID:DK9oyGfI
、僕は看護婦さんに案内されて診察室の奥の「処置室」と書かれた部屋に入りました。
その部屋で僕の眼に入ったのは、不思議で奇妙な格好の診察台でした。踏み台を二段ほど昇らなければ乗れないくらいの高さで、足を載せる台が二つ斜めに突き出ています。診察台の黒い皮が不気味に光っていて、僕は一瞬、恐怖にかられました。
「ズボンとパンツを脱いでこの上に乗って下さい」優しい顔をした若い看護婦さんは冷酷に僕に命令したのです。見ると脱いだ服を置く籠まであります。素っ裸になってあの診察台乗るのだろうか、僕はそう思ってまた動悸が激しくなり、顔が熱くなり、身体がぶるぶると震えました。泣き出したくなる程の恥ずかしさをじっとこらえて、仕方なしに僕はシャツを脱ぎました。

6名無しさん:2019/08/24(土) 22:06:05 ID:DK9oyGfI
「あっ、上は脱がなくていいのよ、下だけで」看護婦さんが言いました。
「なんだ、素っ裸にならなくていいのか」と僕は思い、救われたような、それでいてがっかりしたような奇妙な気分でした。黒い皮の光る奇怪な診察台を見た瞬間、僕は素っ裸になって横たわる自分を連想してしまったのです。チンチンを見られる事が死ぬほど恥ずかしいと思いながら、一方で僕はこの奇怪な形の黒く光る診察台に素っ裸で横たわりたい、と思ってしまったのです。この診察台に素っ裸にされて横になり、足を開かされ、先生と看護婦さんから拷問される。ふと、そんな事を空想してしまったのです。そしてまずい事に、その空想によって僕のチンチンはムクムクと勃って来てしまったのです。

シャツをもう一度着てから、僕はズボンとパンツを脱ぎました。見るとチンチンは半勃起の状態で大きく硬くなっています。手で隠すような仕草で踏台に昇り、診察台に上がって仰向けに寝そべりました。いつまでも手で隠しているワケにも行かないので、意を決してチンチンから手をどけました。これで看護婦さんに半勃起のチンチンを晒してしまったのです。

7名無しさん:2019/08/24(土) 22:08:21 ID:DK9oyGfI
「あっ、上は脱がなくていいのよ、下だけで」看護婦さんが言いました。
「なんだ、素っ裸にならなくていいのか」と僕は思い、救われたような、それでいてがっかりしたような奇妙な気分でした。黒い皮の光る奇怪な診察台を見た瞬間、僕は素っ裸になって横たわる自分を連想してしまったのです。チンチンを見られる事が死ぬほど恥ずかしいと思いながら、一方で僕はこの奇怪な形の黒く光る診察台に素っ裸で横たわりたい、と思ってしまったのです。この診察台に素っ裸にされて横になり、足を開かされ、先生と看護婦さんから拷問される。ふと、そんな事を空想してしまったのです。そしてまずい事に、その空想によって僕のチンチンはムクムクと勃って来てしまったのです。

シャツをもう一度着てから、僕はズボンとパンツを脱ぎました。見るとチンチンは半勃起の状態で大きく硬くなっています。手で隠すような仕草で踏台に昇り、診察台に上がって仰向けに寝そべりました。いつまでも手で隠しているワケにも行かないので、意を決してチンチンから手をどけました。これで看護婦さんに半勃起のチンチンを晒してしまったのです。

8名無しさん:2019/08/24(土) 22:10:31 ID:DK9oyGfI
これから何をされるのだろうか。僕は期待と不安でドキドキしました。すると、先生が入って来ました。先生は僕の半勃起のチンチンを摘み、そして、細い管のようなモノを僕の尿道に差し込んだようです。僕からは見えないけど、痛みはなく、尿道の辺りにこそばゆいような感触がありました。そして、次の瞬間、オシッコをする時とは逆の感触、液体が先端から奧に流れる感触がしました。管から薬を流し込んだようです。そんな感触が三回ほどし、先生はまた僕の睾丸を二三回押さえ、
「はい、終わりました」と言いながら厚手のテッシュペーパーので僕のチンチンをふき、
「抗生物質の薬で洗浄しました。入れた薬が出てきますから、これで押さえながら降りてください」
僕はテッシュペーパーでチンチンを押さえながら診察台を降りました。その時には僕のチンチンは完全勃起に近いほどの状態になってしまっていました。慌ててパンツを履こうとしてテッシュペーパーを取ろうとすると、尿道から薬がタラタラと垂れて来て太股をぬらしました。
「あっ、ちょっと待ってね」看護婦さんが言いながら近寄り、ガーゼで僕のチンチンを優しく拭いてくれたのです。ほとんど勃起状態で亀頭が少し顔を出していたので、その敏感な部分を拭かれた瞬間、僕は何とも言えない快感が身体を突き抜けるのを感じ、思わず身を震わせてしまったのです。
看護婦さんは「パンツが薬で汚れるから、ガーゼを当てたままパンツを履いて下さいね」と優しく言いました。

9名無しさん:2019/08/24(土) 22:12:03 ID:DK9oyGfI
その日の診察は終わり、僕は薬を貰って父さんと帰ったのですが、次は一人で病院に行きました。あれほど恥ずかしかった事が、何となく待ち遠しく、僕はわくわくしながら病院に行ったのです。

待合室でまた母親と一緒のあの可愛い男の子に会いました。「ニョウドウセンジョウ」という言葉を教えてくれた小六くらいの男の子です。その子は僕より先に診察室に入りました。僕は順番を待ちながら、いま、処置室であの可愛い子も下半身裸になって、あの奇怪な診察台に乗り、両足を開いてオチンチンを突き出し、ニョウドウセンジョウを受けているのだ、と思いながら、その光景を思い描きました。それは僕にとって凄く刺激的な光景で、考えただけで僕は勃起してしったのです。

少し経ってその子が診察室から出て来ると、僕はその子に「勃起しちゃった?看護婦さんにチンチン拭いて貰った?」なんて話しかけたい欲求にかられましたが、母親のいる前でそんな話しも出来ず、黙っていました。処置室できみが何をされたかちゃんと知ってるよ、僕はそう思いながらその子の可愛いらしい顔をちらっと眺め、その子と共通の秘密を持った事に何となく喜びを感じてしまったのです。僕の順番が来て、診察室でガラスをあてられ、処置室でニョウドウセンジョウ、という、この前と全く同じ診療を受けたのですが、始めから終わりまで、僕はほとんど勃起しっぱなしでした。そして、不思議な事に、あれほど恥ずかしかった事が、すっかり平気で、むしろ勃起させたままで診療を受ける事に、密かな歓びすら感じてしまっていたのです。その時も、終わった後、看護婦さんはガーゼで僕の勃起したチンチンを拭いてくれたのです。

10名無しさん:2019/08/24(土) 22:15:01 ID:DK9oyGfI
二回の通院で僕の炎症は治り、病院に行かなくても良くなったのですが、その事が僕は何となく物足りないような気分で、もっと病院に通い、同じ体験をしたい、と痛切に思ったものです。ニョウドウセンジョウが「尿道洗浄」という意味であることがわかったのは、ずっと後のことです。

11名無しさん:2019/08/24(土) 22:18:39 ID:DK9oyGfI
とにかく恥ずかしいのが、6ヶ月に1回ある検査結果の報告です。
今19歳ですが、中学3年の時のことです。

僕は中学3年になっても第二次性徴が表れなかったんです。声変わりもない、おちんちんも大きくならないし、毛も生えてこなかったんです。修学旅行ではとても恥ずかしかったです、みんな毛が生えてるので。

12名無しさん:2019/08/24(土) 22:20:15 ID:DK9oyGfI
それで母親とある有名で大きな病院に行き、検査をしてもらいました。検査結果が出ました。病名は忘れてしまいましたが、男性ホルモンが足りないということでした。治療費は国が一定の年齢になるまで負担してくれるそうです。

そして治療がはじまりました。月1回男性ホルモンの注射と体重・身長測定。4ヶ月に1回血液・尿・手のレントゲン検査でした。ここまでは良かったんです。ただ病院に行くのが面倒なだけで。ここまでは全部1人で病院に行っていました。

13名無しさん:2019/08/24(土) 22:22:23 ID:DK9oyGfI
とにかく恥ずかしいのが、6ヶ月に1回ある検査結果の報告です。これには母親が付いて来なくてなりません。結果報告はどうでも良いんです。ただ結果を聞いて、それを基に今後の治療方針を決めていくだけですから。でも結果を聞く前におちんちんの長さ・タマの大きさを計られるです。看護婦は医者の隣りにいるから目の前から見られるし、母親は隣りにいるから横から見られます。だからって断るわけにはいきませんでした。

「ズボンとパンツを下ろしてね」と言います。下ろすと専用の定規みたいなもの?でおちんちんの長さを計り、その後タマの大きさをみます。こんなことが治療が終わるまで6回くらいありました。

14名無しさん:2019/08/24(土) 22:25:06 ID:DK9oyGfI
少年専用の思春期外来
私は東京の病院で少年専用の思春期外来の医師をしています。
従来の思春期外来だと女の子と男の子が同じ待ちあい室で待ったり、女性の医師・看護士がいると恥ずかしいだろうということで少年専用を作りました。 男の子のお母さんは息子さんの性などに悩んでいる人が多いのですが、思春期外来ではどんなことをするのか不安でいけないという人が多いので、ここに書き込みます。

15名無しさん:2019/08/24(土) 22:28:34 ID:DK9oyGfI
中学2年生の子とお母さんが来院しました。 包茎で、おちんちんも大きくならないし、陰毛も生えてこないということで来院されました。 最初に身長・体重をはかりました。そして尿検査・手のレントゲン・血液検査をしてきてもらいました。
次に診察室で問診でお母さんに両親の身長・家族の病歴・食生活を聞きました。そして息子さんには精通はしてか・オナニーは知っているか、しているか・勃起はするかを聞きました。
答えるのは恥ずかしいのはわかりますが、その子どもの将来にも関わる大事な話ですので、お母さんの隣で答えてもらいます。 その子どもは顔を赤くしながらも答えてくれました。
それによると精通はしていて、オナニーは週3回くらい、勃起もするということでした。 その時点でたんなるオクテではなく、思春期遅発症だとわかりました。

16名無しさん:2019/08/24(土) 22:31:29 ID:DK9oyGfI
中学2年生の子とお母さんが来院しました。 包茎で、おちんちんも大きくならないし、陰毛も生えてこないということで来院されました。 最初に身長・体重をはかりました。そして尿検査・手のレントゲン・血液検査をしてきてもらいました。
次に診察室で問診でお母さんに両親の身長・家族の病歴・食生活を聞きました。そして息子さんには精通はしてか・オナニーは知っているか、しているか・勃起はするかを聞きました。
答えるのは恥ずかしいのはわかりますが、その子どもの将来にも関わる大事な話ですので、お母さんの隣で答えてもらいます。 その子どもは顔を赤くしながらも答えてくれました。
それによると精通はしていて、オナニーは週3回くらい、勃起もするということでした。 その時点でたんなるオクテではなく、思春期遅発症だとわかりました。

17名無しさん:2019/08/24(土) 22:33:10 ID:DK9oyGfI
オナニーして勃起させてと男の子に言うと、 彼はうつ伏せになり、診察台に男性器を擦りつけはじめました。私は手でやるのは知っていると思っていました。彼に聞くと今までこの方法でやっていたそうです。 この方法でやると将来、膣内で射精できなくなる人が少なからずいるので、口で説明しました。
でも初めて手でオナニーする子は口で説明しても、最初は意味が分からなくて、一人ではできません。そういう場合は医師がゴム手袋をつけて手伝います。

18名無しさん:2019/08/24(土) 22:35:12 ID:DK9oyGfI
その男の子は最初は嫌だなあという顔をしていましたが、だんだん気持ちよさそうな顔をしていました。 ただ勃起させるだけで良かったのですが、 あまりにも気持ちよさそうだったので、射精するまで手伝ってしまいました。 最後の瞬間、初めての感覚に目を閉じ唇かんでいました。射精した後、すぐ陰茎の長さと睾丸の大きさを測りました。
これからは今のようにオナニーするようにと言いました。

19名無しさん:2019/08/24(土) 22:37:19 ID:DK9oyGfI
ズボンとパンツをはいてもらい、またお母さんの隣に座ってもらいました。 そして今後の治療方針・治療方法を話しました。 思春期遅発症などの場合は精液検査を行います。第二次性徴に何らかの異常がある人は、 普通の人より将来不妊症になる可能性が高いのです。 1週間後の最初の検査の結果を聞きに来てもらい、その時に精液は採取しました。検査結果の説明が終わりました。
容器を渡し、さっき教えたようにベッドに擦るのではなく手でするように、左手で容器持ち、陰茎を容器の奥までいれ、右手で刺激するように説明しました。カーテンを閉め、採取してもらいました。
しかしカーテンの向こうから吐息が聞こえました。そして最後には「あっー」とまで言っていました。 カーテンから男の子が出てきて、容器の中に精液がたくさん入っていましたが、お母さんはそれを見てものすごい真っ赤な顔をしていました。 それからその男の子は注射するとき・検査をするときは毎回1人ですが、検査結果を聞くときだけはお母さんと来てもらっています。
これから思春期外来などに行こうと思っているお母さんは参考にしてください。

20名無しさん:2019/08/25(日) 00:26:53 ID:DK9oyGfI
昭和の末頃、〇邦大大森などあちこちに、こあちこちにこのような思春期外来が出来て、萌芽の兆しがあるか無きかのかの恥ずかしい精通期、発毛期、オナニ―の覚えたての中学生から、その虜になって悩む高校生などを
受け容れて。主に性器を中心にしてるもので、入り口もわからぬように別にしたり、下校後に行けたりの
思春期のこ青い性、性器と第二次性徴をそのもので診察、性器を出して直接計測したり勃起させて計測したリしていた。
さすがに今では、思春期外来といえば思春期精神科になっているようになってるのは残念だ。

21名無しさん:2019/08/25(日) 00:36:23 ID:DK9oyGfI
参考

「特別身体検査(第二次性徴検査)の思いで」 カルテ通信1第18号
「思春期外来における学用患者の実態」    同    第19号
「人間でなく物体として扱われる患者たち-医療現場レポート」カルテ通信第24号
「よみがえった思い出-泌尿器科体験記(8号)を読んだ驚き」カルテ通信44号
「少年と泌尿器科診察」同48号
「白の逆噴射」    同49号
「泌尿器科外来の診察」同49号
「学用患者について」21号
「泌尿器科学用患者にされた男子大学生」20号
「泌尿器科女医のカルテ」2号

「泌尿器科体験記」カルテ通信8,11、18,20号、

/小児用膀胱鏡テスト・・いたい、いたいとまだ声変わりしない少年の声が、大学の検査室に響く・・
                         カルテ通信40号
「膀胱鏡診の施術法」カルテ通信18号

泌尿器科を訪れる男の子たちの性の悩み(高波、白井:東邦大学医学部泌尿器科助手)
        月刊 生徒指導1987 10月号学事出版

からだの科学 1971 11月号、第42号
A大学泌尿器科(体験記) 」「風俗奇譚」昭和45年12月号
尿道鏡     同     同      38年1月臨時増刊号

22名無しさん:2020/01/25(土) 11:24:02 ID:DK9oyGfI
(参考)
h ttps://jbbs.shitaraba.net/news/1347/#2

23名無しさん:2020/05/26(火) 08:26:52 ID:DK9oyGfI
身体検査の思い出を熱く語るスレ
h ttp://h777.x.fc2.com/h-taiken/005.htm

「中学校入学後の最初の身体検査、,パンツを脱がされて.

24名無しさん:2020/08/06(木) 12:53:50 ID:DK9oyGfI
第二次性徴検査ではないが、今では、考えられないことだが、昔は健康診断と言わないで[軆格検査]と言った。小学校でさえ全裸にして検査した所もあった。北陸、長野、愛知などや一部の附属小学校では昭和50年代位まであったようだ。このあたりを思わせる記述が三島由紀夫の「仮面の告白」の中にもある。また上級学校を受験したりすると、「M検」と言って男子は性器まで検査するのが普通で、入試身体検査ではパンツまで取るのが一般的だったようだ。中学校で行われた体力検査や、予科練、陸軍幼年学校などの受験、大学受験の羞恥など昭和時代はまさに男子受難の時代。これこそ男子最大のセクハラだったのではないだろうか。しかしこの種の人権問題になる身体検査が最近もあった。

(1)エッチ健康診断
学校で人権問題になることがよくある。
昭和44年に、映画「青い山脈」のロケ地にもなった岐阜県の辺地にある岩○高校では、春の定期健康診断に男女とも全裸にして性器・肛門まで検査し人権問題化した。「週刊新潮」は、「下着を脱がせた病院長のクビ」と題しレポート。これなどによると、この高校は共学で女子のほうが多い(男子265人、女子310人)そうで、5月15日の午後、2年生・
1年生の順で校内の医務室と礼法室を使って男女別に5人ずつが呼ばれて校医の病院長と随行の看護婦が検診した。その健康診断を受けた2年生女子の話として、5人一組みで診察室にはいり、そこで一人ずつパンツまで取らされ、一人ずつ検査を受けた。

第一日目は2年生全員(男女210名)と1年生の半数(男女80名)が受けた。普通の検査の後ヘルニアと痔をしらべるからと言って全裸に脱がせた。直接手を触れてくまなくなく検査したといい、なまやさしいものではなかったという。

「今までの健康診断とは、ぜんぜん違って、みんなに裸になりなさいといわれてもはじめのうちパンツまでは、と思ってそのまま取らずにいると、診察の終わった同級生たちが、[全部脱ぐのよ、パンツも。]と赤い顔をして言うので私達5人もパンツをぬいで一人ずつ院長さんの前へ立って検診を受けました。いつもは胸部をたたいたりで終わりなんですが、後ろ向きになったとき、院長さんが背中の下半部を両手で腰まで押えるようにさわって検診されました。きょうはヘンだな、とは思いました。」ということで「ヒドいわ、エッチだわ」と泣いている子をなぐさめながら学級委員が担任の先生に抗議を申しこんだため、学校側もビックリぎょうてんして診断を中止させたが、もうあとのまつりだったという。翌日校長の手元に届いた身体検査書には、血圧異常などの通常疾患の他、大腿部膿瘍1名、陰部白癬(インキン)3名、痔核7名が報告されていたという。

「男生徒はともかく女生徒のなかには恥ずかしさのあまり、教室に帰ってから泣き出す者もいたと」いう。第2回目(6月5日)の検査を受ける予定の生徒は、学校をやめちゃいたい」とまで言いだしていたという。
こんな時、男生徒はともかくと言うが男子の方が困るはずだ。男子には大きいとか小さいとか、ムクレているとかいないとか、それに一番困るのは形が変わることだ。
高校一年頃といえば、中学時代とともに恥ずかしい盛りだ。5人一組みといえば他の生徒の目の前で触診されるわけだから、初めのものも勿論、それをみながら間もなく自分もあのようにされるのかとおもいながら順番を待つものも気が気でないだろう。膨らみ始めたらどうするのだろうか。

25名無しさん:2020/08/06(木) 12:54:38 ID:DK9oyGfI
(2)M検
エッチ検診、ストリップ検診と騒がれ、議員の中には「兵隊検査を思い出す」と言ったそうだ。兵隊検査(徴兵検査)では、頭の先からつま先まで、性器肛門まで男のすべてを検査した。M検と言い、だんだん知っている者はいなくなってくるが、これまで雑誌に何回か写実的に取り上げられているので参考になる。

  三津夫と徴兵検査 (「風俗奇譚」昭和37年8月号)
  軍隊は男の修羅場 (「風俗奇譚」昭和38年1月号)
  かわいい当番兵  (「風俗奇譚」昭和38年7月号)
  米軍性器洗滌所(陸軍幼年学校入試身体検査立ち会い記録)(「風俗奇譚」
                     昭和46年10月臨時増刊号)
  明日知れぬ青春(栗花悦声18話)「風俗奇譚」昭和44年12月号
  ああ、M検物語り (「薔薇族」第12号 昭和48年7月号)
  地獄の顔     (「薔薇族」第15号 昭和49年1月号)
  小僧残酷物語り  (「薔薇族」第17号 昭和49年5月号)
  若者狩り     (「薔薇族」第20,23号 昭和49年9,12月号)
  百姓哀歌     (「薔薇族」第24号 昭和50年1月号)
  男の素っ裸の儀式一大日本帝国海軍のM検(「薔薇族」昭和55年3月号)
  我々の興味を誘ってやまないM検とは  (「薔薇族」、昭和63年1,3,5月号)
  文学に現れたM検 (「薔薇族」、昭和61年3月号)
  大学受験のM検  (「薔薇族」、人生バラ模様欄)
  わが戦争体験海軍内務班一国民徴用令の身体検査等(「薔薇族」)
  M検の効用    (さぶ)
  M検あれこれ   (さぶ)14才少年工のM検 
  戦時M検の思いで (さぶ)
  少年M検体験記  (さぶ)
  実録手記・中学生M検物語り (さぶ)
  嗚呼海軍予科練習生の悲劇  (さぶ)
  ああ海軍残酷物語一少年志願兵(さぶ)

いずれも読んで行くと、M検とはひどいものであることが分かる。同じようなことを男女高校生にしたのだ。
今でも自衛官や消防官、警察官などの試験では行われている。(「サンデー毎日」昭和58.12.11号に警視庁警察官受験時のM検についてレポートが載っている。)

26名無しさん:2020/08/06(木) 12:55:19 ID:DK9oyGfI
昭和63年に広島県警の採用試験の2次試験で受験生の下半身検査をしたとして、部落解放同盟が人権無視として、抗議(朝日63.12,22)したという。
6月と10月に2次試験に進んだ約500人に対し、下も脱がせて触診などの検査を実施した。受験生のなかには高校生もいて「恥ずかしくてたまらなかった」という声があり、いかなる不合理なことでも従う柔順な人だけを採用しようとする人権感覚まひの現れと抗議。県警は20数年にわたっておこなっており、必要な検査という。

M検といって戦前は満20才になると徴兵検査で必ず行われた。「写真・昭和30年史」では、徴兵検査ではないが、似たような国民徴用令(青紙徴用)による大陸に産業戦士として狩り出される徴用工の身体検査風景(昭和14年)の写真が載っている。小学校の教室のようなところで窓が開け放たれ、10数人の全裸の男が横一列に並ばされている後ろ姿の写真だが、8月とはいえかわいそうに一糸纏わずである。男の裸の尻のオンパレードである。

国民徴用は昭和14年国民徴用令により、16-50才の男子すべてに職業能力を登録させ徴用するもので、兵隊でも学生でもないものは優先的に徴用された。16才以上に対しては身軆検査を行ったが、ひどいものだったようだ。たいていフンドシなどの下着の指定は無く、検査場に入ると最初から丸裸にされ、何の仕切りも無い広い講堂などにフリチンのブラブラで出て行かなければならなかったそうだ。

徴兵検査も地方によってそうだが、狭いところで順番を待って整列するにも大変だそうだ。
尻に後ろの男を感じて前につめると、前の尻に触れてしまう。竹刀を持った憲兵が巡回していて隠したり女々しい事をしているとどやされたという。
旧制中学で高校入試に失敗したりして浪人すると、いやおうなくM検を含む苛酷な全裸身軆検査が待っていて、へたをすると炭鉱などで徴用される。

この写真には年齢的にも若い者から50位の者まで、幅が有りそうな感じで、一番左の者は、ほんの16,7位の感じであり、小柄でスネもあまり毛がないようで白く、尻もぽっちゃりして少年の体型をしている。検査官が前で何か訓示しているようで、一人だけ前に出ていて、そばに洗面器が見える。多分まもなく検査が始まるのだろう。前から見たら、それこそ朝顔の蕾からズル剥けまで様々なものをブラブラさせているのだろうが、みんな気をつけの姿勢である。みんなの見ている前で一人ずつ検査されるのだろうか。

27名無しさん:2020/08/06(木) 12:55:53 ID:DK9oyGfI
岩波写真文庫101「戦争と日本人」には有名な写真が載っている。麻布第三連隊の入営時の身軆検査(昭和11年)と思われる。小さいが、一人だけ前向きで性器が見える。半立ちとして伝説的なものだが、よく見ると小さいままである。願望的に味付けされたらし
く、雰囲気からしてとても立たないだろう。意地悪な検査官にぶつかると、火のでるよう
な目に会うという。朝顔の蕾でしかも羞恥に縮ませていると、剥かないで先端の敏感な部分を刺激して立たせ、恥ずかしがるのを『どうした、まだだめだ、まだ先が出てこんではないか』とやるという、後の同じような者ももうすぐ自分もあのようにされるのかと思うと順番が近ずくにつれたまらなくなってくるという。フンドシを忘れてパンツなどはいていると、ビンタをくらって取らされ最初からフリチンのぶらぶらでさせられるという。学校でよく体操のパンツを忘れる者が必ずいるが、どこの世界にも一人や二人は必ずいる、とくに都市のサラリーマンは本籍地で受けるので、フンドシをはいておらず「フンドシ着用のこと」と書いてあるのを知らずにパンツをはいて行ったりする。徴兵検査には婦人会や処女会の見学が許されたといい、恥ずかしいことになる。

地方などでは最初から丸裸の所も多く、「絵とき日本陸軍」には徴兵検査場の絵がでていて、広い講堂にいろいろな検査器具が置いてあり、全員丸裸である。身長も体重も全部、その順番を待つ者もすべて生まれたままの丸裸である。検査場に行くと全部脱いで生まれたままの姿になって、検査官や役場の兵事係りなどがいる広い検査場に出て行き、朝から晩までどんなに恥ずかしくても、手で隠したり女々しいことは許されない。
羞恥に右応左応ずる。忘れることはないが、都市のサラリーマンなどは恥ずかしくてたまらない。なお、他には、せめてものチン隠しとして前だけ布切れをたらす所も有った。検査場のゴザの上で全部脱いで用意して来た20数センチ角のハンカチ程度の布切れにヒモを付けたものを付ける。徴兵検査とは単なる身体検査というのでなく、娑婆っけを抜き兵隊である事を肉体にたたきこむ場でもあったそうで、そのためには裸にするのが一番良いといわれた。徴兵検査の日は羞恥と屈辱に満ちたものだという。

28名無しさん:2020/08/06(木) 12:56:54 ID:DK9oyGfI
*「風俗奇譚」 昭和37.年8月号「読者サロン」から・・

大勢の一糸まとわぬ壮丁が整列して、検査官の号令一下行動する検査場のながめは、すばらしいものでした。
徴兵検査でかかせないのはM検で、当時の青年たちの恐怖のまとでした。徴兵検査では、これが公衆の面前で、何の遠慮容赦もなく行われ、軍医の手でつかまれたり、周りで見学している婦人会の人の視線がそこに集まるのを感じて、全身が厚くなる思いでした。当時は、性器の検査は、入試の身体検査や国民体力検査でも行われ、
何度か経験がありましたが、女性を交えてた大勢の前で検査されたのは初めてであり、そのときの光景を思い浮かべ、そのことだけで、徴兵検査が再開され羞恥と屈辱の検査風景画実現してほしいものです。検査が済むと入営です。
入営時の身体検査は体重とM検だけで性器の検査が以下に重視されてたかがわかります。・・
入営後、古兵によって加えられるヤキ入れなど、私刑が皆初年兵を裸体にし、時には褌まで取らせて行われたのは全国同じだったでしょう。・・
     h ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1054372095/
     h ttp://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=boylove&vi=1190343261&rm=100

29名無しさん:2020/08/06(木) 12:57:31 ID:DK9oyGfI
M検は徴兵検査以外にも、いろいろなところで行われた。中学生以上の男子が上級学校
を受験する時にはたいてい受けなければならなかった。高校や大学入試ではそうであり、特に軍関係の学校では必ず行われたし、軍需工場の少年工の採用試験(14才)でもおこなわれた。

陸軍幼年学校(中学1.2年)、陸軍士官学校、海軍兵学校(以上中学5年)予科練、(甲種15.才、乙種15才,その後14才に引き下げ)、少年戦車兵、少年航空兵、少年通信兵、海軍特別年少兵(以上14歳)、少年志願兵(16歳以上、実際は15歳から、実際海軍は志願兵がほとんど)などで行われた。
なお海軍ではオナニー盛りの15-6,7の少年兵が多く、彼らに対する罰直に“砲身磨き”(集団センズリの強制)というのがあった。

陸軍幼年学校は軍の最上級幹部を養成するもので、なんと中学1年生か2年生(13,4才)しか受験できない。大将はたいてい幼年学校出身が多く、幼年学校に合格者を出すということは、その中学の大変な名誉だったらしく、優秀な生徒は先生から受験をすすめられたそうだ。東京でも一中とか四中とかの優秀な生徒たちであったという。

幼年学校は、東京、広島、名古屋、仙台、熊本などに有り、まさに優秀な美少年集団であった。
少年兵は高等小学校(2年制)を出た14才で受験した。予科練は15才で受験。陸軍士官学校と海軍兵学校は中学5年で受験。
村上兵衛は幼年学校を中一で受験したが、休が小さく身体検査で不合格、中二で再度受験して合格、その模様を「陸軍幼年学校よもやま物語」(光人社)に書いている。

身軆検査の方が学科試験(1月25日)より先で、1月20日、午前8時半から身長、体重の測定に始まり、性器・肛門の検査までしたとある。
かわいそうに、13,4の少年たちが合否に拘わらず全員、思春期の男の子の体の全てを調べられるのだ。さらに3月に3日間にわたる身体検査に合格して初めて入学が許されるとある。

中一の時は、まだだったが、中学2年の春になって手淫を覚えてしまい、受験友達からアレをしているとイッパツでばれてしまい、はねられてしまうぞと脅かされた。2度目の受験を控え何とかやめようとしたのだが、すぐ手は自然に自分のもののほうにのびてしまった。そして身体検査でMケンの順番が回って来た時は目の前がくらくらするような、胸がしめつけられる思いだったという。中学2年のとき身長142センチ体重32キロだったというから、今から比べるとずっと小さい。
同じく幼年学校出身の医師で作家の「なだいなだ」氏は、著書「野越えやぶ越え医車の旅」(毎日新聞社)でM検の模様を書いてあり、立ってしまって恥ずかしくてたまらなかったが元気があってよろしいと言われ、何が元気なもんかと書いている。麻布中学二年生の時、終戦間近で仙台陸軍幼年学校を受験、その頃まだ毛が生えていなかった。大人になり始める兆候を示したのは、入学後数ケ月してからだったという、そのころ風呂に入って完全に大人だなと思えるものは、全体の一割にも満たなかったという。残りはまったく子供か、大人になりかかる兆候が見え始めた位だったそうだ。上級生の中にも声変わりもしていないものも多かったという。(なお、昭和17年に石井磨という人が中学生を中心として男子3500名について詳細に検査(M検)したところ、平均発毛年令は14.4才としているから当然でもあろう。)

身体検査は校医の診察のようなものと考えていたそうで、M検など夢にも思わなかったという(どこかの学校の雨天体操場のような駄々っぴろい身体検査場で、身長計や体重計などが並べられ、フンドシ一枚で検査表を手に順番に回り、最後についたてのめぐらされだ一角が有り、そこから出て来るものは真っ赤な顔をして出て来るので、何をされるか不安に思ったという。中に入ったら床に足型と手形が書いたところがあって大声で自分の名前をいい、フンドシまで取らされて尻を突き出して四つん這いにさせられ、尻べたをつかまれ、うろたえた。それが終わると立たされ、ぐっとつかまれた奇麗に洗っておくように言われたそうだ。

30名無しさん:2020/08/06(木) 12:58:29 ID:DK9oyGfI
「風俗奇譚」昭和46年10月特別号、東京陸軍幼年学校受験生のM検に立ち会った衛生兵の手記(米軍性器洗浄所)によると、徴兵検査と同じく包皮を反転する。
ついたての中には、○印のところが有って、次の者はその○印のところでパンツ(パンツやフンドシ両方有ったという)のヒモを緩め、前の者のを見ながら待つ。
目の前では、生まれたままの姿にされた前の者が検査を受けている。
ヒモを緩めてとは、単にすぐ外せるようにというだけではなく、最後の心の準備である。
思春期に入った少年達にとっては、見るほうも見られるほうも、恥ずかしくてたまらない。
見られるほうは勿論だが、次は自分もあのようにされるのかと思いながら待つ者もたまらないはずだ。意志とは裏腹に膨らんでくることもある、まもなく脱ぐというのにテントを張ってしまう者が出る。

そんな子は脱げと言われても、モジモジしていて軍医官に一喝され顔を真っ赤にしてしかたなく脱ぐ、そしてピンと突っ立てながら心臓をドキドキさせて軍医官の前に立つ。
軍医官は元気があってよろしいというそうだが、たとえエレクトしていても検査は容赦ないそうで、検査に耐えられずドクドクやってしまう者もいて、そのため雑巾が用意されており、床を汚したものは自分でふかされるという。しかし自分のものはそのままでパンツをはくので、すぐわかってしまうという。

M検はまず、こう丸の触診、次にペニスの検査、包皮の反転(冠状溝がでるまで剥く)も行うので痛がるという。完全にエレクトした包茎を反転するとカントン状態になり、元に戻らず痛いので、M検室にはベッドが用意されていてそこに寝させて処置するという。

国民体力検査
昭和15年からは国民軆力検査といって満17才以上19才までの男子はすべて徴兵検査と同じ性器肛門検査を含む身軆検査(身体計測・疾病検診・運動機能検査)をうけなければならなくなった。職場の者は会社で、職場以外の者は市町村で、また中学生の場合は学校で行った。普通中学5年生に行ったが、4年生なかには3年生からするところもあったという。昭和16年からは、16歳以上となりM検も受けた。(実際は、15歳以上)

「国民体力検査」とは、早く言えば17歳以上の徴兵検査前のすべての男子に(徴兵検査に準じた)「身体検査」を義務ずけたというか、「“国民体力検査”という名の徴兵検査」を義務化したものに他ならない。
17才以上の男子全て・・男子として日本に生を受けたものは、学校に行っているものは学校で、職場にいるものは職場で。
「人口問題研究」(第1巻7号、第3巻3号、5号)に細かい施行令、施行規則がのっている。施行規則32条には、「17歳以上の男子に局部(性器)検査を行う」など細かい実施要領が決められている。
雑誌「さぶ」に載った「実録手記・中学生M検物語」や「少年M検体験記」によると、実際4年や3年生くらいから実施したところもあるという。

<“昭和15年11月30日において、年齢17年以上の男子たるもの”で直ちに実施された>が、昭和16年3月18日の勅令225号により、昭和16年4月からは、<“16年11月30日において、年齢15年以上の男子たるもの”に改められ、“4月1日より施行”実施>となった。
検査は7月1日より9月30日迄と定められているので、11月30日迄に15歳になればまだ14歳何ケ月でも・・・中学3年だろうか…実際昭和16年に、都内の中学校で中学3年生にM検(花柳病検査)を実施したという。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。
 
体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105

31名無しさん:2020/08/06(木) 12:59:40 ID:DK9oyGfI
また一般の旧制中学の入試にM検を課したところもあったようだ。
< 木造校舎の一室、なにも分からぬまま受験生は一人ずつ入室を求められた。 軍医らしき男が椅子に座り、その背後に数人の看護婦らしき影があったが、 彼らは窓を背にしているのではっきりした記憶はありません。男の前にオズオズと立つとパンツを脱げという。びっくり仰天しあわてて 下着を押さえたようだが再び脱げと声を聞いた。そのとき男の後ろにいた女 らの小さな笑い声だけは覚えている。羞恥心さえ失って命に従うと男の手が無造作に伸び、penisを掴むと二、三 度強く握られた。性病の検査だったのだろうが第二次性徴には間のある性器 から排膿などあるはずもない。ついで四つん這いにされて肛門の視診があったのだが半ば放心状態のまま 終わり部屋をでてから急にやり場のない羞恥心に襲われました。断れない命によって真裸にされて受けた形式的な検査は病気の有無ではなくきわめて人間的な感情、つまり怒り、屈辱、自負心、などを壊してやれと いう目的だったことを後年いろんな本を通 して知りました。「やらねばやられる」戦場では殺人に対する一瞬の躊躇い、人間ならだれ でも持っているような躊躇いは勿論禁忌でしょうから。こんな年齢から兵士向きに改造されてゆき、中学入学後は銃剣を構えて効 率的な殺人の技の習得に励んでおりました。当時はこんな検査のあったことを親にもなぜか言えなかったのですがやはり記録しておきたかったひとつです。(「歌集 想い出」2002・8・15))   
  h ttp://www.ne.jp/asahi/setsuya/ujou/omoide/omoide.htm


恥ずかしい盛り、人前で性器をさらすなんて死ぬほど恥ずかしい、オナニー盛りの14歳の中学生でも、検査を受け次の検査のため「体力手帳」を渡される。

そして徴兵検査を受けるまでずっと毎年、たとえ良家のお坊ちゃんでも、素っ裸にさせられて・・どんなに耐えがたくとも、それこそ尻たぶはおろか尻の穴の奥まで、思春期の男の子の全てを…・。

「軆力手帳」が渡され普通の体力検査からM検までうけなければならなかったという。
さらに、徴用(16歳から)や、徴兵(20歳)されると、「入隊検査」の他、毎月「月例身体検査」でM検をされるので、当時の若者は13,4〜5よりほとんど毎年M検、M検、・・またM検だったはず。病気などで、当日受けられない場合は、届け出が義務で、後で必ず受けねばならない。

なお、昔少年兵など(14歳以上)や陸軍幼年学校入試(13歳)などの他、入試等(したがってM検が)が12歳以上だったものをあげてみますと・・

・呉海軍工廠職工教習所  12歳以上
職工教習所(後に工員養成所)は大正7年に設立され、優秀な小学校卒業生の中から選抜された。普通の中学へ入るより難関で、競争率は7倍強だったという。敗戦までに約2万名が卒業、生徒は見習工と呼ばれ中堅工員要員として教育された。
・工場技能者養成令  見習工 12歳以上(養成工は14歳以上)
・海軍少年水中測的兵〔海軍少年研究生〕 12歳
  h ttp://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C666980225/E20060302211725/index.html

・逓信省航空乗員養成所     12歳以上
・一部中学校等入試
なお2007年に少年法が改正され、少年院送りが14歳以上に改められてまだ日も浅いうちに、「概ね12歳以上」になりました。したがってM検も概ね12歳以上(中学1年生以上)となるでしょう。

32名無しさん:2020/08/06(木) 13:02:47 ID:DK9oyGfI

大学入試身体検査
日本男児が徴兵検査の羞恥と屈辱から解放された戦後でも、大学入試では身体検査にM検が課されていた。どんなに、良い成績を取ってもM検と肛門検査を受けなければ、合格しないのであるから、受験生にとっては徴兵検査以上である。性病の検査ということだが、大部分の受験生は深夜まで勉強に励んでいる、まじめな高校生で性病などかかる余裕もないはずだ。「受験期の性」(大陸書房1981)という性の相談を集めた本がある、受験生のなかには女友達と性行為をしているものもいるが、受験期というのは思春期の盛りであり、昔も今も受験勉強は性欲との戦いでもある。誰でも思い当たるように、勉強部屋で勉強に疲れてすることは同じである・・

「受験勉強を夜中までやっている毎日ですが、あきてくると自然に手がペニスのところに行ってしまって、にぎったりもんだりすることがあり、ついついオナニーすることもあります。この前、たまたまペニスをさわった手の匂いをかいだら、変な匂いがしたのです。おやと思ってみると、皮と中の問のところに白っぽいアカのようなものがたくさんたまっていました。これは不潔にしているからでしょうか。それともペニスに何か異常があってでてくるものなのでしょうか。ちょっと心配になって、お風呂に入ったときには良くあらうようにしているのですが、何日かたつとまた出て来ます。それと、皮が長いためか先っぽが出て来ませんが、いつになったらちゃんと皮がむけるようになるのか心配です。」(長野県高3)

「都立高校が第一志望で、いま最後の追い込み勉強中です。毎晩3時ぐらいまで勉強しているのですが、ある日、勉強中に何と無くチンポコをさわっていたら、急にヘンな感じがしてアレが大きくなり、白い液体を吐き出しました。これが自慰っていうもんだなと思い、その日から病み付きになってしまったのです。ところが、学校へ行くと何かみんながいやな目つきでぼくのことをみるような気がするのです。とくに女の子がそうでぼくを見てヒソヒソ話しをしているような気がしてなりません。きっとぼくの自慰のことをはなしているんだなと思ってしまうのです。気のせいだと思うのですが、気になってたまらないのです。自慰をすると何か他人にわかってしまうものが、顔や身体にあらわれてまうのでしょうか。もうやめようと思っても、癖になってしまい、やめられません。」(東京都中3)

「高校受験の勉強で遅くまでおきているのですが、机に向かうとすぐにオナニーがしたくなるのです。それで毎日のようにやっていたら、アレが黒ずんできました。心配で勉強に身が入りません。大丈夫でしょうか。」(栃木県中3)

男の場合ボタンをはずすだけでいい、してはもう絶対しないぞと後悔し、しばらくするとまた頭をもちあげてくる。自分がいやになってくるというが、後悔と快楽の繰り返しが受験勉強だ。一流国立大学をめざして験勉強中の、ある高校3年生は好きな教科は良いけど、嫌いで勉強がはかどらないと身が入らずどうしてもオナニーしてしまう。オナニーに逃避する自分がいやでたまらないが、どうしてもやめられず5回も6回もしてしまうという。

旺文社の「蛍雪時代」など受験雑誌には、出題教科などとともにM検の有無などが載っていたという。雑誌「カルテ通信」第6号の「私のエイナルの旅路2」の中で作者(女)は高校時代に受験雑誌の蛍雪時代の受験案内の中に「男子のみ性器検査あり」などと書いてあるのが目にとまったという、そして女子には無くて安心するとともに、男子の性器検査ってパンツを取らされて、あそこを検査されるのだと思うと、クラスの男子生徒の顔を見ながら、その男子生徒がそんな目にあっているところを想像し変な気持ちになったと書いている。当の男子は大変なことだったろう。

“性器”ですよ、性器というのは目とか鼻ではない。受験のため人に見せない恥部の事まで心配しなければならなかった。当時の蛍雪時代を調べてみると「保健相談欄」がありこれに関する相談が何回も見られる。昭和28年12月号の保健相談欄には次のようなのが載っている。

33名無しさん:2020/08/06(木) 13:03:24 ID:DK9oyGfI
(問)包皮に粟粒ができましたが、進行する様子もなく痛くもありません。入試に影響しますか。(広島県PNS生)
   包皮が3分の1程度めくれていますが、大丈夫ですか。(大阪府K生)
   M検で亀頭部が露出していないと合格しないのでしょうか。私は性病でない   と、堅くしんじていますが。(福岡県M生)
   無毛といっても良い程である上に局部は非常に小さいのです。来年入試を受   けても良いでしょうか。(名古屋市I生)
   内股の皮膚に赤みがかったブツブツができ非常にかゆいのです。性病ではないかと心配しています。(東京R生)
(答)本誌10月号の記事「身体検査の基準」のために、これらに類似した質問が殺到しています。もう一度あの記事を熟読して下さい。性器の大小や形状・発毛の程度等で学力優秀な受験者を不合格にするなどと本気で考えていたら、その大学に対するこっけいな冒涜です。
   恐らくあなたがたの劣等感の一つの現れと診断してよいでしょう。それより   も勉強しなさい。
昭和28年8月号には・・
(問)小生2年前結核性副こうがん炎のため手術により両方のこうがんを抜きました。大学入試要綱を見ますと男女学生募集とありますが、中性はだめですか。
                         (広島県HT生)
   私はボールが当たって片方だけ抜いたのですが、身体検査の時不合格になりますか。こんな例は希だと思いますがぜひお願いします。(岩手県心配性)
(答〉希だと思いますとありますが、そんなに希ではないのですね。病気のため手術によって両方のこう丸を取っても男子学生として堂々と受験されればよろしい。身体検査の時もいさきかの心配もいりません。学力優秀な人をこんなことで不合格にするはずは決してありません。

34名無しさん:2020/08/06(木) 13:04:11 ID:DK9oyGfI

昭和29年新年特大月号には・・
(問)蛍雪時代10月号に「東大ではいわゆる“M検”が行われる。」とありますが、M検のある大学はどこと、どこと、はっきり是非是非お願いします。
                     (東京都代々木M生)
   東大のM検、陰部の検査で不合格になりますか。また妹も来年受験するのですがM検とはどんな内容の検査をするのでしょうか。(滋賀県SY生)
(答)いわゆるM検のある大学はどことどこだという質問者は何か自信があってM検   のある大学に受験するのでしょうか。恐らく反対で何か不安をもっておられ   るにちがいありません。しかし、10月号を精読しても陰部の検査で不合格になったらしく思われるのは、副こうがん炎と痔瘻とだけです。これは結核性のもの   か、淋病性のものと推測していいでしょう。包皮などで不合格になるとは考えられません。代々木M生もSY君も安心してください。男女共学、男女同権といいながらどこの大学でも女子の受験生に陰部検査は行われません、女子受験生のためはっきり答えておきたい。

昭和29年2月号には女子からの質問がのっている。

(間)大学入試に性器の検査があるということですが。本当にいちいち裸にして検査するのでしょうか。私は女子で今から身の縮まる思いがします。なお毛が黒くなるためカミソリで剃ってみようと思っています。(山口県MS子)
   東大に陰部検査があると書いてあるのをみて恥ずかしくて受けるのをためらっています。女子だからといって免除されないのでしょうか。(室蘭市K子)
(答)東大に限らず女子に陰部検査を入学試験で行うという大学はありません。

昭和28年10月号に、「身体検査の基準」と題し特集している。そのなかの大学入試の身体検査という項目で入試身体検査がどんなものか概括してあり、そのなかで東大のことに触れ、「東大では視力・聴力・耳鼻咽喉の検査、目や耳に関する疾病の検査、それに読者諸君がよく気にされる、いわゆる“M検”陰部の検査も行われます。しかし東大に閲する限り今まで不合格になった人はすべて胸部疾患、それも胸に大きな空洞ができていたというような人達なんですからよほどひどくないかぎり身体検査でおちる事はありません。」とある。また不合格者の疾患別リストもでていて、普通疾患の他、神戸大で副こうがん炎1、千葉大で痔瘻1がある。他に東京学芸大で発育不全2、金沢大で同じく発育不全1がある。このあたりが心配な受験生もいたようだ。

昭和30年3月号には、
(問)大学によって学芸学部は発育不良でも不合格になるとありましたが、身体の一部分が発育不良で困っています。
   この発育不良は身体全体のまたは身体の一部分を意味しますか、教えて下さい。(三重県X生)
(答)これと同じ質問を東京都の宮山繁君、福島県A生、兵庫県B生がされています。発育不良とは身体全体の事なので諸君の心配されている身体の一部分では断じてありません。そんなことだけ(“だけ”に点々あり)で不合格にする大学があったら教えて下さい。

また高校3年生男子で、毛深くて恥ずかしいと心配する者の相談があるかとおもえば、またヒゲもスネ毛も生えていなくて恥ずかしいとの相談もある。

昭和30年代に入ってもまだM検が行われていたが、同じ3月号特集入試直前総合対策には試験事務所特報があり、九州大学のところには、昭和30年度入試で変わった所として、あらかじめ提出させる身体検査書中、泌尿器の検査を新たに課したとある。そして30年1月以降国公立の病院で受診し、その後本学検査医委員により検査とあるので二重に検査されたわけだ。

昭和31年新年特大号には
(問)9月号でしたか学習上支障がないと認められた場合には、ある一部に故障がある者でも身体検査において不合格にしないとあったようですが、右のこう丸が陰ノウに入っておらず腹内にありますが、M検で落とされるでしょうか。(福岡県MS生)
(答)今月もM検についての質問が殺到しています。正にM検ノイローゼです。その中からMS君のは具体的ですから選びました。MS君決して心配はいりません。そんなことで不合格にはなりません。M検がある大学だから受験しないという方がありますが、もし学力優秀だったら人助けになりますからどうぞお受けにならないで下さい。そんな人は受験ばかりでなく社会に出ても就職でも落伍する可能性が多いのではないかと心配します。

35名無しさん:2020/08/06(木) 13:04:53 ID:DK9oyGfI
昭和32年1月号(26巻第11号)に「蛍雪OBクラブ相談室」というのがある。
その中で「東大の身体検査はいったいどのように、どの程度のことが行われるのでしょ
うか。M検云々の事も耳にしますが、できるだけ具体的に教えて下さい。」(岡山赤城
一郎他8名)とあり、「心配するに足らないM検」と題し説明している。

「結核以外の病気で不合格になった例はないようです。したがって多くの読者が憂慮されているM検なるものは、何ら合否に関係ないことがおわかりでしょう。M検も要するに、同時にやる身長、体重、胸囲の測定や耳鼻咽喉や内科の診察と同じようなものと思えばよいのです。その方法は外から見えないようになっている囲いのなかで、ほんのチョツト(ものの2.3秒位)診察を受けるだけですから決して心配なく」とある。「この検査を知らない人もいて、中でまごまごしていた人もいる位だから前以てくよくよするのがばかげているといえるのでは。ようするに修学にさしつかえなければすべてOKなのです。なお、この検査は男女同権の原則があてはまらないことを特に女子受験生にお伝えしておきます。」といっている。

しかし雑誌「薔薇族」(第二書房)に「大学受験のM検」として、昭和26年に慶応や
東大を受けた人の体験がでていた。
そんななまやさしいものではなく、二人の検査官の前で手形足形に合わせ、足を延ばし
て犬のようになったり、環状溝までバッチリ剥いたり尻たぶを開いたり徴兵検査以来の
伝統的な型を踏襲していたようだ。

36名無しさん:2020/08/06(木) 13:05:27 ID:DK9oyGfI

ペーパーテストに合格したものは体格検査を受け、その中でM検・肛門検査を行ったと
いう。慶応では前日「すべてを検査します。へんな病気の入は合格できません。清潔に
してきてください」と注意があったそうだ。

当日、慶応では20人位溜まるまで待たされ、そこで体操や指の屈伸などを行い、次に
その場で恥ずかしい検査を受ける。まず最初の一人がバンツー枚のままモデルにされて
説明の後、パンツを取り去り一糸まとわずの姿で本当の検査。20人もの目の前で露れ
もない姿をさらして行われるわけだから受けるものは勿論、だんだん順番が近ずくのを
ドキドキしながら待つものも大変だったろう。

東大では、本郷の七徳堂で体格検査が行われ、ここで体格検査に続いてM検が行われた。
ここでは白い布のついたての前でただ行列して、順番にM検、肛門検査を受けたという。

同じ昭和32年1月号の「読者相談室」には、次のような相談と回答が載っている。
(問)「小生ふとしたことから、手淫をおぼえ、悪いこととは知りつつ行ってきました。
   わたしの陰茎は短小で風呂にも行けません。来年の入試の身体検査には差し支   えないのでしょうか。」(北海道UY生)
   「高校三年ですが、陰茎がそうとう小さいのですが、勉強に差し支えるのです   か。M検ではサイズは影響しますか。」(山梨HY生)
  「小生、悪友の影響で不自然行為をつづけています。悪結果は直らないのでしょうか。父母にはとても相談できません。(東京SL生)
(答)入試が近付くと、どうしてこんな質問が多くなるのか。まだこの他実に多くの葉   書が来ています。身体検査では長短大小などを問題とはしていませんから安心し   て下さい。

37名無しさん:2020/08/06(木) 13:06:02 ID:DK9oyGfI
東大や京大、慶大その他多数あったそうだ。徴兵検査は日本男児と生まれたら貴賎上下
の別なく受けなければならなく、いろいろな者がいたろうが、大学入試となるとその頃
は同年代のごく一部で、成績も良く粒ぞろいで、良家のお坊ちゃん育ちで個室が与えら
れ、小学校から中学、高校と県下一番の進学校と言われたところで学んだ者もがかなり
多かったのだろう。お坊ちゃん育ちで人前でパンツを脱ぐなんて死ぬほど恥ずかしいの
だろう。立ってしまった者もいたことだろう。大学入試のM検は売春防止法施行(昭和
32年4月1日)以後、廃止されたそうだが、昭和32年5月号(27巻2号)読者相
談室には次のような質問と回答が載っている。

(問)M検とは何の目的で行われるのでしょうか。また性病とはどういう状態をいうの
   でしょうか。以上のことが全然わからず不安でなりません.」(長崎UK生)
(答)M検とは、陰茎、睾丸、肛門、等について、結核や性病があるかを調べるのが主
   な目的です。性病とは梅毒、淋病、軟性下疳、鼠蹊淋巴肉芽腫のことで、そういう状態すらわからぬ人なら性病の経験ないに違いありません。したがってM検   で不合格になりはしないかなどは杷憂というものです。

昭和30年代後半ある受験雑誌の相談欄に「大学入試では裸になるのでしょうか」とい
うのがあった、身体検査では上半身は裸になるのだから、心配するのは全裸になるか、
つまりパンツまで取らされるのかということだ。その心配は痛いほどよく分かる。多分
夜ごと個室の勉強部屋でいけないことにふけっているだろうし、高校生ではまだ恥ずか
しい盛りだ。そのころは、もうなかったようだが昭和30年代前半にはまだあって、全
裸にならなければならなかったという。

38名無しさん:2020/08/06(木) 13:06:38 ID:DK9oyGfI
人前で性器丸出しの裸体をさらすのが死ぬほど恥ずかしい受験生でも、パンツを取らな
いと合格しない。“朝顔の蕾”でも“ずる剥け”でも、大きくても小さくてもパンツを
脱いで、どのようなことがあっても、よしと言われるまで直立不動を維持していないと
いけない。とりわけお坊ちゃん育ちの受験生にとって生まれたままの裸で尻を検査官の
眼前にさらし、足を開いてヒザをピンと延ばして犬のように四つん這いになるのは耐え
難い恥辱だったことだろう。

参考までに、昭和26年の17才男子の平均身長は158.7、18才で161.2である。昭和59年の13才で157.5、14才で163.3だから昭和末の中学2年位であった。
高校生と言っても現在の高校生よりまだ心も体もずっと純心だったろうし、大部分が中
学生のような朝顔の蕾ではなかったろうか。

昭和30年代も半ばに近くなり、「売春防止法」も実施されたはずの昭和33年になっても「読者相談室」に次のようなのがある。

  「股のところに田虫ができ、最近だんだんひどくなってきました。くすりをつけても
   良くなりません、身体検査の合否に影響しますか(長崎SM・33年1月号)
というのがある。

思春期は陰部に色々な事があるもの、その後の「高校コース」(昭和36年1月号)に
もそういう悩みが出ている。
  「僕は高校一年ですが、中学二年のころオナニーを覚えてしまいました。去年の10月ごろ性器の回りに赤い糸のようなものができました。これは、性器を不潔にしたためだと自分でも思っています。それが最近になって、だんだん広がってきて、とてもかゆいのです。かくと白くなり、白い皮のようなものがむけるのです。これは梅毒でしょうか。
   夜も眠れず勉強にも身がはいりません。異性との性交は絶対にありません。」
   
  「高校二年の男子ですが、昨年の末頃から性器の付け根に、頭にできる白雲みたいな白いものが四つでき、今では四つが二つにくっついてしまいました。普段はそうかゆくないのですが、夜になるとかゆくなることがあります。これは性病ではありませんか。心配で心配で、勉強も手につきません。」「高一の男子、僕の性器の中には白いものがあります。僕は自慰行為をしたことがありますが、梅毒になったのでしょうか。」
  
 また、包皮炎や亀頭包皮炎やさらに恥垢までも性病と思って取り越し苦労をしている。
 本来なら、“股”の中の田虫の事はパンツの中に隠れて分からない事のはずだが、戦後
 も13年すぎた頃も受験生にはこういう苦労があったのだ。

39名無しさん:2020/08/06(木) 13:07:28 ID:DK9oyGfI
高橋鉄編の「人性記」には、高校(旧制)の入試の直後その時のM検の夢を見て漏らし
てしまった(夢精)という告白が載っていた。夢にまで出て来て漏らしてしまうという
のである。

売春防止法が施行された昭和33年以降、大学入試でのM検は徐々に廃止されたようだが、
昭和40年代に「平凡パンチ」に京都府立医科大学でM検が実施されているとしてレポー
トしていた。入試と卒業時に実施ししたそうで、入試で受験生の堅く包まれている包皮をめくったら、恥垢が一杯でカビが生えていたという話しもある。冠状溝までめくったよう
だ、冠状溝までという事は、たとえズル剥けでももう一段めくるということだ。

昔は徴兵検査(6割は包茎だったという)だけでなく、13、4の幼年学校受験生や少年兵にもやったそうだから、大学受験生にしてもおかしくない。朝顔の蕾では大変だろう、痛いだけでなく時間がかかるから恥ずかしいことになる。恥垢にカビなどというのは、ちょうど長野県の高3生のように勉強(とオナニー)しか知らないまじめな受験生で、そしてまじめな少年が密室での秘密の快楽に耽っている証拠である。堅く包まれていて一度も出たことがなく、敏感な包皮を無理やり剥くのだろうから残酷物語りだ。
それとともに、いつも一人いじめているところをさらすのは、どんなにか恥ずかしい思い
だったろう、こんな辱めを受けないと大学に入れなかった時代があったのだ。

現在、自衛隊、少年自衛官(自衛隊生徒)、防衛大学校などで実施されている。昭和50年頃、「朝日ジャーナル」に少年自衛官のM検の写真が載っていた。カラーで肛門検査をしているところで、少年が検査官に尻を向け、足を開いて手足を延ばし犬のように四つん這いになっているところで、まだ検査前らしく姿勢を直されている。脚が曲がっているのを直されているのだが、パンツはつけたまま尻たぶの下まで下げている。
ヒザがピンとしていいないといって、ぴんとなるまで肛門をさらしたまま恥ずかしい姿
勢を続けなければならない。

せいぜい高校生位だが肛門検査、性器検査を言い渡される時はどんな心境だろうか。

40名無しさん:2020/08/06(木) 13:08:28 ID:DK9oyGfI
 「写真・昭和30年史」             毎日新聞社1955
 「戦争と日本人」(岩波写真文庫101、復刻ワイド版50)岩波書店1987
  小山内宏編著 「絵とき日本陸軍」       三恵書房1974
  同      「絵とき日本海軍」       三恵書房1975
  同      「絵とき日本航空隊」      三恵書房1975

  富田晃弘「兵隊画集」             番町書房
  別冊歴史読本「日本陸軍連隊史」        新入物往来社
  熊谷直「日本の軍隊ものしり物語」       光人社1989
  宮崎清隆「青春監獄一初年兵日記」       東京ライフ社1955
  伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」
  村田旅鳥「初年兵行進曲」           旺史社
  小山内宏「徴兵制・これから日本になにが起こる」日本経営出版会1972
  頼泰安「少年飛行兵よもやま物語」       光人社1984
  岡正雄「予科練よもやま物語」         同1984
  比留間弘「海軍兵学校よもやま物語」      同1984
  浦田耕作「陸軍特別幹部候補性よもやま物語」  同
  村上兵衛「陸軍幼年学校よもやま物語」     同
  今村文英「陸軍幼年学校の生活」        越後屋書房1973
  名幼会編「名幼校史」1974
  東幼外史編集委員会編「東幼外史」             1968
  平田外夫「陸軍幼年学校」           東京ライフ社l957
  松田昭三「陸軍軍属少年工」          審美社1982
  「陸軍・海軍少年航空兵案内」         日本国防協会1933
  加賀乙彦「帰らざる夏(上・下)」       講談社文庫(か51)1977
  
  「蛍雪時代」 昭和28年10月号,12月号、29年1月号、30年3月号、32年1月号 旺文社。「受験旬報」(欧文社)

  「全国大学大観」旺文社1955 (募集要項をあつめたもの)
  「薔薇族」昭和63年1,3月号            第二書房
  「カルテ通信」18,36,49号           三和出版
  「体育研究」5巻5,6号 昭和12年         体育研究協会
  ABCCは何をしたか(「科学」22巻6号)(昭和27年)岩波書店
  ABCC/青春期における第2次性徴の臨床的検査第1報(「児科雑誌」5
      4巻3号)(昭和25年6月20日号)
  中学生の現状と課題(「姿勢研究」3巻2号)(1987)
  小澤真人・NHK取材班「赤紙」            創元社1997
  「風俗奇譚」 昭和38年1,7月号
  「歌集 想い出」(朝日カルチャーセンター京都発行 短歌集「加茂」3号所収)


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