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【南北朝】やる夫が『梅松論』を語るそうです。【日本史】巻ノ二十七
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/lllll/_^_\lllll\ それが、時代が下って、
Ⅲ|_皿__.日.__皿_|Ⅲ 日本でも明確に“城”に該当するものが現れた。
/llllllllllllllllllllllllllllllllllllll\ その時、いわば“城”という言葉は一本化されたわけだが……
|_ロ_癶_皿__皿_癶_ロ_| ┼───────────────────────────┼
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Ⅲ|___皿_皿._皿___|Ⅲ /llllllllllll\
/lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll\______|_ロ_ロ_|
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それ以前に使われた“城”は、防衛拠点としての城とは限らないだろう。
小田城などは特に、連綿と「小田城」と書かれるが、
当然ながらその形態は時代によって変化しているという事である。
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