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【安価】やる夫は誰かのために戦うようです【R-18】

1866 ◆x0SRSoJXe.:2020/01/29(水) 01:33:06 ID:EsDrEpLc0

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そんな時代に、私は生まれた。
父はリンクスと呼ばれる職業で、ロボットに乗って悪い奴らと戦っているのだと
常日頃から母に聞かされてきた。

住んでいた町はオルデンブルク本社直轄のコロニー、ティルピッツという名前だった。
煉瓦造りの街並みに囲まれ、潮風が海の香りを運んでくる、そんな場所だ。

人種は様々で、私も日本の他にドイツやポーランドなどの血も混ざっているらしい。

父母も同様だが、生まれ育ったのは日本だったようで、
二人も日本語を喋ることが多かった。
結果、私は現地語であるドイツ語、共通言語である英語、父母の日本語を
使い分けるようになっていった。

優しい母と、たまに帰ってきて抱きしめてくれる父。
昼は企業管理下の学校に通い、教育プログラムを受け、
同じ学級の友達と遊んで、帰ったら母と夕食を共にし、気が向いたら勉強して、
夜にはお気に入りのぬいぐるみを抱いて眠る。

学校で示される道は様々だった。
軍事、研究、政治、教育、芸術、医療、数えきれないほどに。
その中で、私は調理の道に進もうと思っていた。
幼いころから食事の大切さは教え込まれてきたし、
母の料理を食べている時の父の笑顔が好きで、自分もそんな風に、
誰かを笑顔にしてあげられるようになりたいと思ったからだ。
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