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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

960名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 22:44:50 ID:8QR1JWFI0
 聖徳太子は、推古女帝が即位すると19歳で皇太子に任ぜられ 政務を委ねられたとされている(593年)。

 だが、彼が本格的に活動を開始するのは 7世紀に入ってからのこと。601年 斑鳩いかるがに宮殿を造営し、603年 "冠位十二階"を制定した。更に その翌年には、"十七条の憲法"を作成している。

 十七条の憲法に関しては 後世の創作説もあるが、一方で 正史『日本書紀』が撰上された奈良時代には既に廃れていた中国南北朝時代の成実じょうじつ論の影響が見られることから、実際に 彼によって制作されたとの見解も、厳として存在している。

 私は このうち 後者の説を支持しているが、何にしても その中に包含される"和の精神"は 現在まで受け継がれ、新元号の一字にも採用されていた(令和)。戦前・戦後に渡って聖徳太子が紙幣の顔として選出されたのも、この和の精神ゆえである。

 聖徳太子の事績として、他にも 遣隋使の派遣(607年)や国史の編纂(620年『天皇記』『国記』:現存せず)等が正史に記されているが、これらは全て 彼が蘇我氏四代の2代目 馬子と協力して行われたと考えられている。聖徳太子にとって、馬子は 大叔父にあたり、また、義理の父子(妻 刀自古郎女とじこのいらつめの父)という間柄でもあった。




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