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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】
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皇極天皇2(643)年、蘇我氏の3代目 蝦夷は 独断で 紫冠を子の入鹿に授け、大臣の位に擬した。また、その弟を"物部大臣"と呼んだという。
この物部大臣を、私は 大化の改新の功労者 中臣鎌足の正体だと疑っているが、かの人物は 歴史の表舞台には ほぼ登場しない。ただ、その祖母が物部弓削大連守屋の妹であり、その財によって 権勢を振ったとの記述があるのみである。
ちなみに、この物部守屋の妹の名は 正史に記されていない。一説には、物部尾輿の娘 太媛ふとひめと見るものもあるが、物部系の史書『先代旧事本紀』には 蘇我氏の2代目 馬子の妻は 物部鎌足大刀自(守屋の姪)と記載されていた。かの書物は、『日本書紀』より後の平安時代 成立と考えられているが、ひょっとすると、そこには何らかの含むところがあったのかもしれない。
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