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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】
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だが、鎌足が蘇我氏に連なる者であったのなら、倉山田石川麻呂を頼みにせずとも 自ら一族を割ればいいような気もする。それが出来なかったのは、彼が若年であったからか、あるいは、一族の中での地位が それほど高くなかったからか。鎌足が蘇我氏に連なる者であったことが事実だったとしても、別の氏族に入っていた可能性も考えられる。蘇我氏は 一族の者を他氏族に入れるという形で 多数派工作を行っていた。
このうち、私は 鎌足は蘇我氏から他氏族に入った人物の線を疑っているが、それでは、どこの氏族に入った人物なのか?
私は 藤原氏の祭祀する春日大社に祀られる武甕槌命タケミカヅチや経津主命フツヌシが軍事氏族 物部氏と関係があること、並びに『日本書紀』の編纂者の物部氏への諸々の顕彰具合などから、蘇我氏から物部氏へと入った人間が中臣鎌足の正体ではないかと推測している。物部氏は 百済との繋がりもあり、鎌足は『六韜』という兵法書を愛読していた。
ちなみに、鎌足が 蘇我氏とは関わりのない純粋な物部氏の一員と考えない理由は、その場合 素姓を隠す必要性が見当たらないからだ。
しこうして、私は 藤原氏の始祖 中臣鎌足の正体を、蘇我入鹿の弟である"物部大臣"ではないかと胸算していた。
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