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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

928名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 22:13:36 ID:8QR1JWFI0
 大化の改新の功労者 中臣連鎌足は、後世、この国最大の一族となる藤原氏の祖として知られている。

 正史における その評は 魏の武王 曹操が 殷いんの伝説的な政治家 伊尹いいんを褒め称えるかのようであり、その言は 後漢の"大樹将軍"馮異ふういと比されるほどだった。藤原氏の初期の歴史が記された伝記『藤氏家伝』には、鎌足について「偉雅、風姿特秀」と記録されている。

 余聞だが、乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿の政まつりごとは 『藤氏家伝』の中で 三国志の悪役ヒール 董卓とうたくに擬えられている。

 なお、馮異の"大樹"という称号は、この国の中世 室町時代において 将軍の異称としても用いられていた。

 しかしながら、鎌足の人物像は 模糊としてハッキリしていない。正史などでは かの人物の前半生は明らかならず、そればかりか(大化の)改新後の壮年期 約10年ほどの足跡もよく分かっていないのだ。

 正史『日本書紀』完成期の最高実力者は 鎌足の次男である藤原不比等であったが、このことから、不比等による親への潤色があったのではないか,更には 藤原氏にとって都合の悪い真実は消されているではないかと 概して勘繰られていた。

 そうして、この流れの中で、鎌足の素姓にも疑いの目が向けられている。中臣氏は 鎌足の父親の代から三門に分かれているが、これも捉えようによっては そこに異なる一族の系譜を差し込んだようにも見て取れた。




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