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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

881名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 21:46:30 ID:8QR1JWFI0
 古代の有力豪族 蘇我氏は、天皇家に一族の女性を嫁がせ、用明(第31代)、崇峻(第32代)、推古(第33代)と3代の天皇を誕生させている。このことも、蘇我氏が権勢を得た所以の1つと考えてよいだろう。

 だが、日本史上初の女帝 推古天皇の次代である舒明天皇(第34代)は 他田天皇こと第30代 敏達天皇の流れであり、蘇我氏の血統を色濃く受け継いではいなかった。対して、その対抗馬であった山背大兄王は 蘇我氏の血をひく聖徳太子の子とされている。血統の上では後者の方が蘇我氏にとって都合が良いはずだった。

 まぁ、舒明天皇の即位前に蘇我氏の女性が彼に嫁いでいて 古人大兄皇子が生まれているから、舒明と蘇我氏が全く関係がないわけではない。また、聖徳太子は 一般に反蘇我だったと認識されていた。このことから、その故をもって太子の血が忌避されたと考えられなくもない。

 しかし、私は 古代史の聖人 聖徳太子は蘇我氏の男系の血をひく人物で、推古天皇期 彼は即位していたのではないかと愚察している。この時期、崇峻天皇が暗殺され、異例の女性天皇が誕生し、更に 太子と馬子の手によって歴史書が編纂されていた。聖徳太子の厩戸うまやど皇子という名も、この場合、馬子とのつながりを暗喩したものと勘ぐれた。




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