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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】
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壬申の乱の勝者 天武天皇の記録は、正史『日本書紀』全30巻のうち 実に2巻を占めている。他の天皇の記録は 基本的に1巻,在位の短かった天皇は2人で1巻(極端な場合 8人で1巻)ということもあるのだから、まさに主役ともいうべき扱いだった。
されども、そのような破格の待遇にもかかわらず、天武天皇の没年齢や前半生は書き落とされていた。まぁ、『日本書紀』において、天皇の年齢ひいては生年が分からないことは必ずしも珍しくはないが、ほとんどの場合、後世の記録によって その瑕疵かしは補完されている。
しかしながら、それでも天武天皇の生年は確定できなかった。というのは、後世の歴史を参考にして 天武天皇の生まれた年を特定しようとすると、同母兄である天智天皇(第38代)より年長となってしまうからだ(『日本書紀』の天智の年齢と比較)。
このことを発端として、天武天皇は 天智天皇とは兄弟ではなかったのではないか、あるいは天智の異母兄・異父兄だったのではないかと狐疑されていた。
因みに、私は 天武天皇は天智天皇の異父兄で、父 並びに 本人は 蘇我氏の血をひく人物だったのではないかと愚考している。天武天皇は 神話に当時の系譜を投影させていたと私は拝察しているが、その時点において、
"天照大神 = 推古女帝(第33代)
であり、天武天皇が その時代を礼讃していたであろうことが伺えた。かの女帝の御代は蘇我氏全盛の時代だった。
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