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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

845名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 21:21:51 ID:8QR1JWFI0
 正史『日本書紀』によれば、中臣連鎌足は 政変の同志として はじめ時の天皇の弟である軽皇子を考えていたが、頼むに足りず、終局,時の天皇の皇子であった中大兄皇子,後の天智天皇(第38代)と結んで要人暗殺を敢行している(645年)。鎌足と中大兄皇子の出会いの場面は、蹴鞠で中大兄皇子が飛ばした靴を鎌足が拾い上げ差し出すという印象的な一駒して大々的に描かれていた。

 蘇我入鹿暗殺後、日本初の元号が定められ また 改新の詔が発せられて、公地公民や班田収授法が採用されたと伝わっている。そして、これらの政策に 鎌足は深く関与したと考えられている。

 ただ、現在いまとなっては、これらの改革は 本当にあったかどうか疑問が呈されている。というのも、当時の木簡などから その実態がうかがえないからだ。かの改革から約半世紀後に"大宝律令"が制定されているが(701年)、それが遡って 大化の改新の記録として使われたのではないかと一説にはささやかれていた。

 かようなことが憶測される背景として、正史『日本書紀』の特殊な成立事情がわだかまっていた。




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