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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

824名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 21:10:06 ID:8QR1JWFI0
 天武が亡くなった後、その后である持統が皇位に就くが、彼女は天智天皇(第38代)の血をひく正統な天皇家の一員であり、天武の主張は 容いれ難かった。彼女は 天武と別の女性との間の皇子の継承を排除して 自らの孫への皇位継承を敢行しているが、これは一部では 自らの血をひかない天武の皇子が即位すると 血統が完全に変わってしまうため それを避けたとも臆度されている。

 女系とは言え、彼女は 見事 天皇家の血統を保持することに成功したが、彼女の時代、未だ 天武の皇子達は多数 残っていた。この時期、持統が何より恐れたのは、現存する敵対勢力へと天秤の針が傾くことだったのではないだろうか? 

 しこうして、彼女は天武の構想した二王朝交代を否定し、万世一系という血の繋がりを考案したのではないかと私は想像している。そして 大方、血統をまとめるという画期に、皇祖神 天照大神に持統女帝の姿が重ねられ、また、初代天皇は 紆余曲折を経て 持統の孫 文武天皇に当てられたのだろう。

 ちなみに、天武が元々 想定していた初代王は第15代 応神天皇となったのではないかと私は推測している。かの天皇の時代には、初代 神武天皇と類似した征服譚が存在していた。多分、二王朝の時点で、初代王に相応しい姿を天皇家が写して 時代を遡らせたのだろう。蘇我氏よりも前に置いたのは 無論 意趣返しで、その後、系図が繋げられたものと 私は拝察している。 応神天皇の御代には、蘇我氏の始祖が 華々しく活躍していた。

 (初代王について 詳しくは別の話で。)




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