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【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】
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日本史上初の女帝 推古天皇(第33代)の御代、聖徳太子と蘇我馬子らの手によって、『天皇記』や『国記』といった歴史書がつくられた(620年)。これらは 編纂されたことが伝わるのみで 現存していないが、その所以は 乙巳の変の際に 蘇我宗本家と共に焼かれ、ほぼ失われたからだった(645年)。
このことから、これらの史書が 天皇家より 蘇我氏と深い繋がりがあることが窺えるが、『天皇記』『国記』の編纂を命じた聖徳太子(厩戸うまやど皇子)は 有力な蘇我系皇族であり、蘇我馬うま子は 蘇我氏全盛の立役者だった。
余聞だが、私は 彼らは本当は親子であり、この時期 蘇我王朝が誕生していたのではないかと踏んでいる。彼らは 特に外交政策に秀でており、以前の敵対国 高句麗や新興の大国 隋とも上手うまく駆け引きするなど、時流に合わせた柔軟な外交を行っていた。
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