したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

【アメリカ留学】じゃぱにーずinゆないてっどすていつ【体験談】

736名無しのやる夫だお:2024/05/19(日) 19:35:02 ID:8QR1JWFI0
 『日本書紀』の編纂命令者 天武天皇(第40代)は、その素姓が 一部では疑われている。その血統(天武系)が断絶した後、復活した天智系の実質的な初代が桓武天皇であり、彼によって編纂を命じられた歴史書が六国史の二『続日本紀』だ。このことを鑑みると、『日本書紀』も『続日本紀』も、王統が交代したから編纂されたことが疑える。思うに、推古朝において、聖徳太子と蘇我馬子が編纂させた歴史書も そうだったのではないだろうか? 推古女帝の前代である第32代 崇峻天皇は 実に暗殺され果てていたのだった。

 そしてもし、王朝交代が事実だったとすると、壬申の乱の勝者 天武天皇は 自らの素姓を正史に堂々と掲げていたことが考えられる。史書編纂の意図からすれば、当然であるし、一族内に 先に即位した者があったとすれば、正統性もあろうし 尚更だ。

 それが何故 天智天皇(第38代)の弟として天皇家に組み込まれ 本当の素姓が隠されたかと言えば、天武の次代 持統女帝(第41代)が 正史を改変したからだろう。彼女は 天智天皇の娘であり、壬申の乱の敗者 "正統"大友皇子の姉弟だった。畢竟、彼女とその取り巻きによって、正史は彼女達にとって都合の良いモノに変えられたのではなかろうか? 実際、天皇家の最高神 天照大神には、女傑 持統天皇の事跡が投影されていた。

・・歴史書には 少なからず嘘が入っている。正史は 正しい歴史とは相成らず、時の権力者の正当性を示すための宣伝文書に過ぎなかった…




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板