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【岸田秀】やる夫で学ぶ唯幻論【フロイト精神分析】

1モララー店長 ◆LcMORARAmQ:2014/07/01(火) 19:44:56 ID:dBWZqFgQ0


このスレは、岸田秀氏がフロイト精神分析を元に考案した「唯幻論」を学ぶスレです
精神分析という単語を知らない方がいても、無意識という言葉を知らない方はいないでしょう
哲学をかじった事が無い方向けに、人間の心の解釈の1つを分かりやすく紹介します
月一程度の投下を目標にします、総投下予定数は不明です



関連スレ等は>>2



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                 Sigmund Freud(1856〜1936)

951名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:06:01 ID:qV2DkAsA0
倭国との関連
「禹」の紋の法被―慶長宗論・慶長法難で知られる法華宗不受不施派の僧の日経の故郷(現在の茂原市)には、大きな「禹」の紋が背に縫い付けられた法被が遺っている。その法被を着る祭には、黒戸の獅子舞がある。

952名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:06:55 ID:qV2DkAsA0
発の子は桀である。都は斟鄩と河南、元年は壬辰、在位年数は三十一年。人徳に欠け、武力で諸侯や民衆を押さえ付けた事で人心の離反を招いた。又、商の天乙 (湯) を呼び出し夏台に投獄している。天乙は後に赦されると徳を修めたので、諸侯がその下に集まり、遂には桀を倒した(鳴条の戦い)。桀は鳴条に逃げたが客死した。この桀に関する伝説は殷の帝辛(紂)のそれと酷似しており、後世になって作られた伝説であるとも言われる。

953名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:07:34 ID:qV2DkAsA0
近年の考古学調査によれば、紀元前1628年にテラ島の噴火により地球規模の気候変動が起きていたことがわかっており、史書にも桀年間の天候不順が記録される。合わせて、夏の遺跡である望京楼遺跡からは殷による激しい破壊と虐殺の跡があり、宮殿以外は全て破壊され、出土する遺骨も多くが手足が刃物で切断されていたり、顔が陥没するなど、深い加害のあとがしのばれる。このようなことから、実際には力によって、殷は夏にとって代わったことがわかる。遺跡からは夏人のどれも毀損された遺骨と共に殷の青銅の武器も出土する[18]。

954名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:07:58 ID:qV2DkAsA0
天乙は帝位に即位すると夏の血を引く者を夏亭(『史記正義』による)に封じた。周代に於いては、杞に於いて諸侯に封じられている。

955名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:08:34 ID:qV2DkAsA0
太康の崩御後、弟の中康が後を継いだ。都は斟鄩、元年は己丑、在位年数七年。在位五年秋九月庚戌朔に日食が起こり、また諸侯の羲氏と和氏が淫楽に耽っていたので、胤(胤は名前とも、国の名前とも云う)に命じ羲氏と和氏を討伐している。

956名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:09:23 ID:qV2DkAsA0
『竹書紀年』に依ると、中康の子である相が跡を継いだ。都は帝丘と斟鄩、元年は戊戌、在位年数は二十八年。その在位八年に夏王朝を実質的に支配していた羿がその妻の玄妻(純狐氏)と臣下の寒浞に殺された。二十八年には相自身も寒浞とその子の澆によって弑された。

957名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:09:59 ID:qV2DkAsA0
玄妻(げんさい、拼音: xuánqī)または純狐(じゅんこ、拼音: chúnhú)は、夏王朝の頃に存在したとされる古代中国の人物。黒くて美しい髪を持つ美女として知られる。

958名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:10:23 ID:qV2DkAsA0
経歴
現在の山東省済寧市周辺に勢力を持ち伏羲を祖とした有仍氏の娘[1]で、はじめ后夔(こうき)のもとに嫁ぎ伯封(はくほう)を産む。中康3年に后羿(こうげい)によって伯封が殺害された後、后羿の妃となるが、伯封の仇を取る為、またその恨みの為に、相8年に后羿の臣下で王位を狙っていた寒浞(かんさく)と共に狩猟後の宴で酔っ払っていた后羿を殺害し[2]、後に寒浞の后となった。寒浞との間には澆(奡、ぎょう)と豷(えい)という子をもうけている。

959名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:11:04 ID:qV2DkAsA0
後に寒浞の后となった。寒浞との間には澆(奡、ぎょう)と豷(えい)という子をもうけている。

960名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:12:05 ID:qV2DkAsA0
伯封(はくほう、拼音: bó fēng)は、古代中国の人物。后夔と玄妻のあいだの子。別表記は柏封[1]、柏封叔[2]。

『古今図書集成』によると、禹の時代に昭明という人物と共に暦を作るよう命じられた天官であったという[3]。

豚のような貪欲な心を持っていたので「封豕」と呼ばれていた[4]。その心ゆえ、あるいは政治上の対立ゆえに、后羿によって仲康三年に殺されてしまった。

『路史』夷羿伝では、同じく羿に殺された「封豨」や「封狐」との関係性が指摘されている[5]。

『屈辞精義』では封狐と同一人物として扱われている[6]。

古代の神々や人物を上上から下下までの九つに分類した『漢書』古今人表では「下中」に位置付けられている。

961名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:12:49 ID:qV2DkAsA0
后夔(こうき)は、夏王朝の頃に存在したとされる古代中国の人物。『春秋左氏伝』によると楽正の典官であったとされる[1]。

『呉越春秋』越王無余伝によると、禹が四瀆(長江・黄河・済水・淮水のこと)を巡った際に伯益と共にこれを補佐したという[2]。

『春秋左氏伝』によると、有仍氏の玄妻を娶り、二人の間には伯封という息子が生まれたが、后羿によって殺され、夔家の祭祀が絶えたという[3]。

『路史』国名紀によると顓頊の末裔で、巫山に封じられ、熊姓を名乗ったという。しかし、同名の異なる人物である可能性もある。

『春秋左氏伝校本』には「夔舜典楽之君長」とある。舜の時代の「夔」と同一人物ではないだろうが、何かしらの関係があったと考えられていたことがわかる。

962名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:13:28 ID:qV2DkAsA0
封豨(ほうき)は、中国に伝わる伝説上の怪物。封豕などとも。桑林(そうりん)という地に棲んでいたという。

概要
巨大な猪の姿をしており、とてつもない怪力で、乱暴な性格の持主。家畜を襲い、田畑を荒らすだけではなく、人間も食い殺し、多くの人々にとって恐怖の存在であったといわれている。また、鎧の様に頑丈な毛皮で覆われている為、普通の武器では全く歯が立たない。

『淮南子』修務訓には「封豨修蛇」という字句があり、乱暴者や侵略者を示す熟語としても使われている。これは羿によって成敗された怪物であるこの封豨と修蛇とを並称したものである。『壷関録』などには同様の使用例に長蛇・封豕の字句が用いられている[1]。

『楚辞』によると、堯の命を受けた羿(げい)によって足に矢を打ち込まれて生け捕りにされ、肉を切り刻み蒸し料理として献上されたとも言われている 。

参考文献
袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 302頁
脚注
^ 『壷関録』「三河縦封豕之貪,四海被長蛇之毒」
関連項目
羿
玄妻 玄妻が産んだ伯封と同一のものであるとも解説されることがある。

963名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:14:41 ID:qV2DkAsA0
澆(ぎょう)は、古代中国の人物。姓は妘、或いは猗、氏は寒。別名は奡(ごう)。寒浞と玄妻の子。同母弟に豷(えい)がいる。妻は女艾(女岐)[1]。

澆は大変力持ちで、水のない陸地で舟を引き摺る事ができた[2]。父が夏王位を簒奪していた影響で過(現在の山東省萊州市の北西)に封じられた[3]。

『竹書紀年』によると、相(しょう)26年に斟灌氏を、相27年に斟鄩氏を討ち、相28年に相王を弑したとされる[4]。

夏王家の遺児である少康や伯靡や有仍氏を始めとした夏王朝の生き残りが挙兵した際に、女艾[注釈 1]は少康と通じ、少康が狩りをしていた際にその猟犬が澆を見つけ出し斬り殺された[5]。

『楚辞』天問篇には澆についての文章が記されており、それによると

兄嫁の家の門の前で何かを要求した[6]。
少康が狩りをしている最中に犬が澆を見つけ出し、斬首することに成功した[7]。
女岐と同じ館で寝た(結婚した?)[8]。
澆は怪力であった[9]。
という伝承があったと考えられる。

一説には、有過氏[10]は澆の末裔であるという[11]。

道教に於いては「水仙尊王」という海の神の1人として主に台湾で祀られている。

964名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:15:29 ID:qV2DkAsA0
豷(えい)は、古代中国の人物。姓は妘、或いは猗、氏は寒。寒浞と玄妻の子。同母兄に澆(ぎょう)がいる。

相20年に父である寒浞が有戈国(現在の河南省商丘市睢陽区と新鄭市の間)を滅ぼした後に戈国に封じられた。

相の遺児である少康が伯靡や有仍氏などの夏王朝の遺臣達と挙兵した際、少康の子である予に殺された。

一説には有戈氏は豷の末裔であるという。

なお、『宋書』には、東晋の安帝から禅譲され皇帝となった桓玄を討つ際の檄文に、桓玄と同じように皇帝を蔑ろにした存在として寒浞と豷の名前が見える[注釈 1]。また、『晋書』巻九十八列伝第六十八の賛にも「罪浮浞豷」とあり、王敦・桓玄と寒浞・豷が比較されている[注釈 2]。

脚注
^ 『宋書』「夫治亂相因,理不常泰,狡焉肆虐,或值聖明。自我大晉,陽九屢構,隆安以來,難結皇室,忠臣碎於虎口,貞良弊於豺狼。逆臣桓玄,陵虐人鬼,阻兵荊郢,肆暴都邑。天未亡難,凶力繁興,踰年之間,遂傾皇祚。主上播越,流幸非所,神器沉淪,七廟毀墜。夏后之罹浞、豷,有漢之遭莽、卓,方之於玄,未足為喻。自玄纂逆,于今歷年,亢旱彌時,民無生氣。加以士庶疲於轉輸,文武困於造築,父子乖離,室家分散,豈唯大東有杼軸之悲,摽梅有傾筐之塈而已哉。仰觀天文,俯察人事,此而能久,孰有可亡。凡在有心,誰不扼腕。裕等所以叩心泣血,不遑啟處者也。是故夕寐宵興,援獎忠烈,潛搆崎嶇,險過履虎。」
^ 『晋書』巻九十八列伝第六十八「贊曰:播越江濆,政弱權分。元子悖力,處仲矜勳。跡既陵上,志亦無君。罪浮浞豷,心窺舜禹。樹威外略,稱兵內侮。惟身與嗣,竟罹齊斧。ー

965名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:15:53 ID:qV2DkAsA0
各名称について
玄妻という名称は、美しい黒髪(玄は黒色の意味)に由来している[3]。鏡のように艶があり黰黒(しんこく、真っ黒)な美しい髪の毛であったという描写は『春秋左氏伝』[4]や『路史』[5]などにある[6]。玄妻が后夔とのあいだに産んだ伯封は非常に貪欲な性格の悪人であり有窮氏の后羿によって滅ぼされたことから、「甚だ美しきものは必ず甚だ悪しきことでもある」という意味の故事の一例として挙げられている[7]。

純狐という名称は「純狐氏の娘」という意味[8]であるとされ、『路史』国名紀[9]や『今本竹書紀年』[10]では「純狐」は国或いは氏の名であるとされているが、その語源は明らかとなっていない。『名擬』には「純一作統」(統狐とも書かれる)とあるが「統狐」と書かれた例はみられない。

袁珂著『中国の神話伝説』には玄狐(げんこ)とも呼ばれたとあるが、「玄妻」を指して「玄狐」であると記載している例は史書などにはみられない。

眩妻という名称は、顧頡剛の論文集『古史辨』に「眩妻即左傳中玄妻」(眩妻は左伝の玄妻である)とあるものの、これは『楚辞』天問の「浞娶純狐、眩妻爰謀」の「眩妻」を名前と捉えた場合の話で、ほかにも「(寒浞が)愛に目が眩んだ」と読む説や「愛欲に目が眩んだ妻」解釈する説がある。

966名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:16:31 ID:qV2DkAsA0
その他
『晋書』巻124では、慕容煕が皇后の苻訓英を溺愛して後燕を滅ぼした際の記述に、傾国の美女の例として玄妻が登場する[注釈 1]。

『屈辞精義』や『路史』などでは、純狐は羿の妻であるという共通点から引いたものか、羿の妻(大羿・后羿とが混ぜられているが)として説話がひろく知られる嫦娥[11]あるいは洛嬪[12]と同一視した記載、またその否定が見られる。

『太平御覧』人事部二十一・美婦人上では、『春秋左氏伝』の原文[注釈 2]の「實有豕心(豚のような醜い心の持ち主であった)」という文の後に「夔舜典樂夫有尤物(尤、異也)。足以移人。茍非德義、必有禍。(后夔は『書経』舜典に見える舜の部下・夔とは異なる。人から人へと渡り歩き、苟且にして徳義は無く、必ず禍いがあった。)」と書き加えられている[注釈 3]。

百度百科では、『路史』国名紀に「上古有個純狐國、夏朝后羿的妻子純狐氏便是那國的人、這是以國名為姓。(上古に純狐国があり、夏王朝の羿の妻・純狐氏はこの国の人で、国の名前を姓とした)」という記述があるとされているが、実際には存在しない。

古代の神々や人物を上上から下下までの九つに分類した『漢書』の古今人表では、后夔と共に「下上」に位置付けられている。

現代における解説記述として、百度百科(純狐(古代神話)の項)には、九尾の狐をトーテムとして祀る一族(美女が多く女嬌もこれに属する)の女性であるといった記述が冒頭にあるが、これらの記述は史書には見えないものである。いっぽう、邢永萍の「唐人小説中女妖形象的世俗化」[13]など、純狐のもつ美女の要素や「狐」という文字が含まれる点から、後代における狐が人間のもとに美女の姿をとってあらわれる説話や物語への影響があるのではないかといった考察などが書かれるなどしている。

邢永萍は「唐人小説中女妖形象的世俗化」の中で「純(Chún)」と「玄(Xuán)」の音が近いことを指摘している。

陳掄は『楚辞解訳』において「純・狐」の字は「政・夏」に通じるとしている。


また、2015年に上海アリス幻楽団から発売された「東方紺珠伝」に、この純弧をモデルとしたキャラクターが登場し人気を博した。[14]

967名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:16:45 ID:qV2DkAsA0
純狐(じゅんこ)
月の女神の嫦娥(じょうが)に強い恨みを持つ神霊。神霊であるにもかかわらず、非常に強い恨みが独立した存在と化して今の純狐になっているため、豊聡耳神子などとは違い、一切の信仰を必要とせずに自身の存在を確立できている、稀有な存在。
今回の異変の黒幕の一人。嫦娥の夫であり、自身の夫でもあった人物に息子を殺されたことがきっかけで、嫦娥に恨みを持つ。その恨みは自身の「純化する程度の能力」により純化され、既に一人歩きしていた。これまでにも何度か月の都を襲撃しては賢者に怒りを静められていた。今回は同じく嫦娥に恨みを持っていたヘカーティアと共闘。ヘカーティアの配下である妖精たちを自身の能力で純化させて生命力の塊とさせて月の都を襲撃させ、その間に嫦娥を討つという算段であった。
しかしその計画は事前に月の賢者達に見破られ、月の民を夢の世界に避難させて都を凍結させたことにより手が出せなくなるが、月の民がどこか(=夢の世界)に逃げ込むことを読んでいた純狐は、月の民が逃げた先にヘカーティアを送り込み、彼女の配下である妖精たちを自身の能力で純化させて夢の世界にある偽の月の都の周りを包囲させたが、双方共に手が出せず半年間膠着状態に陥った末、永琳によって霊夢達を送り込まれた結果、今回の月の都の襲撃を失敗したと悟る。それでもなお「持て成すのが礼儀」として彼女達と交戦する。後に夢の世界に刺客としておくりこんだヘカーティアに呼び出され、二人で霊夢達と再戦するも敗北。その後はしばらく月の都の襲撃は行わないことを誓う。

968名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:17:07 ID:qV2DkAsA0
寒浞(かんさく)は、古代中国の人物。姓は䢵[注釈 1]、或いは妘、或いは猗[1][注釈 2]、氏は寒。夏王朝を一時期簒位し、夏王朝の遺臣である伯靡に殺された。現在の山東省濰坊市寒亭区出身。

969名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:17:45 ID:qV2DkAsA0
概要
はじめは寒后伯明に仕えていたが、后羿の相[2]に対する反乱と侵略によって夏王朝が衰微した際にその配下となり、重臣として用いられた[注釈 3]。のちに相8年に寒浞は后羿を殺害して自らが王として立った[3]。都は后羿時代と同じ窮石(現在の河南省洛陽の南[4])であった。后羿の妃で美女として知られていた玄妻を奪って后とし、間には澆(奡、ぎょう)と豷(えい)という2人の子供が生まれた。また后羿の子息たちには后羿の遺体を煮たものを食べるように命じ従わぬ者を死罪にしたとされる[5]。

相20年には有戈国(現在の河南省商丘市睢陽区と新鄭市の間)を、相26年には斟灌氏を、相27年には斟鄩氏を、相28年には相王を滅ぼした[注釈 4]。

その後、寒浞が簒奪した王位は少康(相の息子にあたり、有仍氏の血を引く)と、伯靡や有鬲氏・有仍氏を筆頭とする夏の遺臣たちによって奪還され、夏王朝が復するに至ったとされる[注釈 5]。


寒浞の墓
山東省には寒浞の墓とされる塚がある。

なお、『宋書』には、東晋の安帝から禅譲され皇帝となった桓玄を討つ際の檄文に、桓玄と同じように皇帝を蔑ろにした存在として寒浞と豷の名前が見える[注釈 6]。また、『晋書』巻九十八列伝第六十八の賛にも「罪浮浞豷」とあり、王敦・桓玄と寒浞・豷が比較されている[注釈 7]。

970名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:18:56 ID:qV2DkAsA0
脚注
^ 『路史』寒浞伝「寒浞者猗姓」
^ 夏王朝の5代目の王。寒浞によって殺害されたとされる。
^ 市村瓚次郎 『東洋史統』1巻 冨山房 1940年 50頁
^ 錢穆『史记地名考』(商務印書館、2001年7月)
^ 袁珂 著、鈴木博 訳 『中国の神話伝説』下巻 青土社 1993年 21-23頁 ISBN 4-7917-5222-8
^ 『路史』国名紀「浞 『國邑樂史』云、伯明氏所立。『本國世本』云、䢵姓。今濰之北海東二十三有寒亭。杜云、在平夀東、今夀光界。非晉塞。晉地五氏一曰塞氏。」
^ 『路史』国名紀「猗 河東猗氏縣南二十有猗氏故城。魯人因陶朱興富於猗氏因曰猗頓。」
^ 『五徳志』「浞、柏明氏讒子弟也。柏明氏惡而棄之。夷羿收之,信而使之,以為己相。」
^ 『春秋左氏伝』襄公四年「昔有夏之方衰也,后羿自鉏遷於窮石,因夏民以代夏政。恃其射也,不修民事而淫於原獸。棄武羅、伯困、熊髡、龍圉而用寒浞。寒浞,伯明氏之讒子弟也。伯明後寒棄之,夷羿收之,信而使之,以為己相。浞行媚於內而施賂於外,愚弄其民而虞羿于田,樹之詐慝以取其國家,外內咸服。羿猶不悛,將歸自田,家眾殺而亨之,以食其子。其子不忍食諸,死於窮門。靡奔有鬲氏。浞因羿室,生澆及豷,恃其讒慝詐偽而不德於民。使澆用師,滅斟灌及斟尋氏。處澆於過,處豷於戈。靡自有鬲氏,收二國之燼,以滅浞而立少康。少康滅澆於過,後杼滅豷於戈。有窮由是遂亡,失人故也。」
^ 『三国志』魏志高貴鄉公紀「魏氏春秋曰(中略)、少康雖積德累仁、然上承大禹遺澤餘慶、內有虞、仍之援、外有靡、艾之助、寒浞讒慝、不德于民、澆、豷無親、外內棄之、以此有國、蓋有所因。」
^ 『宋書』「夫治亂相因,理不常泰,狡焉肆虐,或值聖明。自我大晉,陽九屢構,隆安以來,難結皇室,忠臣碎於虎口,貞良弊於豺狼。逆臣桓玄,陵虐人鬼,阻兵荊郢,肆暴都邑。天未亡難,凶力繁興,踰年之間,遂傾皇祚。主上播越,流幸非所,神器沉淪,七廟毀墜。夏后之罹浞、豷,有漢之遭莽、卓,方之於玄,未足為喻。自玄纂逆,于今歷年,亢旱彌時,民無生氣。加以士庶疲於轉輸,文武困於造築,父子乖離,室家分散,豈唯大東有杼軸之悲,摽梅有傾筐之塈而已哉。仰觀天文,俯察人事,此而能久,孰有可亡。凡在有心,誰不扼腕。裕等所以叩心泣血,不遑啟處者也。是故夕寐宵興,援獎忠烈,潛搆崎嶇,險過履虎。」
^ 『晋書』巻九十八列伝第六十八「贊曰:播越江濆,政弱權分。元子悖力,處仲矜勳。跡既陵上,志亦無君。罪浮浞豷,心窺舜禹。樹威外略,稱兵內侮。惟身與嗣,竟罹齊斧。ー
関連項目

971名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:19:14 ID:qV2DkAsA0
相(しょう)は、夏朝の第5代帝。少康の父。

帝丘に都し、その後即位9年目に斟鄩に遷都し、15年目に帝丘にもう一度遷都したと言われている。

政治を省みなかった暴君であったという。有窮氏の后羿が反乱を起こし、后羿の家臣である寒浞(かんさく)によって殺される。結果、夏の帝室の権力は大いに損なわれた。また、このことで、夏が一旦滅びたという説もある。

『竹書紀年』によると、相元年(戊戌の年)に淮夷を討ち、相2年に風夷・黄夷を討ったという。また、相7年に干夷が訪れ、相8年に寒浞が后羿を殺し、相28年には寒浞と子の澆の手で殺された。

関連項目
放伐
王殺し
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
^ a b c 譚其驤『简明中国历史地图集』(中國地圖出版社、1991年10月1日)
^ 晁福林『夏商西周的社会变迁』(北京師範大學出版社、1996年6月)

972名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:20:07 ID:qV2DkAsA0
少康(しょうこう)は、夏朝の第6代帝。

父帝相は寒浞に殺された。少康の母で有仍氏の生まれである后緡は少康を孕んだ状態で出身地の有仍国に逃げ、そこで少康は生まれた。暫くは寒浞と息子の澆と豷に政治実権が掌握されていたが、少康や夏王朝の遺臣らが挙兵し、寒浞や二人の息子は殺害され、政治の実権は夏の帝室に戻った。

『竹書紀年』によると、少康元年(丙午の年)に諸侯の虞公が、二年に方夷が来訪し、十八年に都を原に遷したとされる。

子には七代目夏王の予、鄫に封じられた曲烈、『呉越春秋』越王無余外伝によると会稽に封じられ越王勾践の祖となった「無余」がいる。

越・倭との関係
『史記』越王勾践世家や『漢書』地理志粤地、『呉越春秋』によれば、少康の庶子である無余が会稽に封ぜられ、文身(入れ墨)・断髪したのが越の起源であるとされる。『漢書』によれば、文身断髪した理由は蛟竜の害を避けるためとされる。

『翰苑』巻30所引『魏略』逸文や『魏志倭人伝』にある倭人の習俗についての説明では、倭人が入れ墨を彫っているのは大魚や水鳥の害を防ぐためであるとして、この少康の子の故事が引き合いに出されている。

973名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:20:41 ID:qV2DkAsA0
少康

第6代帝
王朝 夏
都城 綸(現在の河南省商丘市虞城県[1])
→夏邑(現在の河南省商丘市夏邑県[2])
→原(現在の河南省濟源市廟街原城[3])
姓・諱 夏后少康
生年 不詳
没年 不詳
父 相
母 后緡
后妃 二姚
子 予、曲烈、無余

974名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:21:09 ID:qV2DkAsA0
予(よ)は、夏朝の第7代帝。

『竹書紀年』によれば、寒浞の子の豷を殺し、原に都し、後に老丘に移ったという。また、在位八年目には東海と三寿を征伐して九尾の狐を手に入れたという。

関連項目
東夷
妲己  帝辛の愛妾。九尾の狐とも。
玉藻前 日本に来たとされる九尾の狐。

975名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:21:25 ID:qV2DkAsA0
槐(かい)は、夏朝の第8代帝。『竹書紀年』によれば、44年在位したという。

即位3年目に9種類の九夷(畎夷・於夷・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷)が来訪したという。

976名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:21:45 ID:qV2DkAsA0
【ゆっくり解説】地球は平らであると言い張る人々はどんな宇宙を想像するのか-地球平面説-

るーいのゆっくり科学
チャンネル登録者数 64万人

977名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:22:24 ID:qV2DkAsA0
メカ丸の境遇を考えるとぶっちゃけ責められないに対するみんなの反応集

あにめ反応集
チャンネル登録者数 6170人

978名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:22:53 ID:qV2DkAsA0
孔甲(こうこう)は、夏朝の第14代帝。

孔甲はいわゆる暴君であり、性格が淫乱であり、自分を鬼神に擬することを好んだ。そのため、諸侯は夏朝から離れていった[要出典]。

在位中に雌雄一対の竜が天から降りてきたが、豢龍氏(龍の飼育に携わる氏族)がいなかった為、養うことができなかった。竜が天から降りてくるということは吉兆であり、それに対応できないということは夏の徳が衰えているということを意味する。そこで、劉累という者が竜を養おうとしたが、雌のほうの竜は死んでしまった。劉累は、死んだ竜の肉を孔甲に献上した。竜の肉は美味だったので、孔甲はさらに竜の肉を求めたが、調達できるわけもなく、劉累は逃げた[1]。

なお、史記(周本紀)によれば、夏王朝の頃に竜が2匹降りてきたが、占いで竜の吐く泡を貰い受けることが吉と出たので、竜から泡を貰い受けた。この竜の泡は、殷・周に引き継がれ、周代にこの泡から褒姒が生まれたという。

979名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:23:11 ID:qV2DkAsA0
皐(こう)は、夏朝の第15代帝。『史記』などにあるように、一般には帝桀の父は帝発とされているが、一説には帝皐が帝桀の父とも言われる。

980名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:23:27 ID:qV2DkAsA0
発(發、はつ)は、夏朝の第16代帝。『史記』などにあるように、一般には帝桀の父は帝発とされているが、一説には帝桀の兄という。

即位後、諸々の夷が発の門前に来て、舞を披露したという。

表話編歴
夏の帝(第16代)
夏の先祖
黄帝昌意顓頊鯀
夏の帝
禹啓太康中康相少康予槐芒洩不降扃廑孔甲皐発桀

981名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:23:51 ID:qV2DkAsA0
桀(けつ、拼音: Jié)は、夏の最後の帝。名は履癸。『史記』などにあるように、一般には帝桀の父は帝発とされているが、一説には帝皐の子ともされる。

生涯
『竹書紀年』によれば、斟鄩に都した。

孔甲以来、諸侯は夏から離反しつつあったが、桀は徳で統治をするのでなく武力で諸侯や民衆を押さえつけたので、諸侯や民衆に憎まれた。有施氏を討った際に末喜という美女を捕らえ、自らの妃としたが、桀は末喜に溺れ、政治を省みなくなった。酒の池に船を浮かべて肉山脯林(にくざんほりん)[注釈 1]と呼ばれる肉を山のように盛る豪華な宴会を催し、国力は衰えた。そして殷の湯を呼びつけ、夏台にて牢獄につなげた。湯は許されて解放されると徳を修めたので、諸侯がその下に集まり、ついに桀は倒された。桀は鳴条(現在の山西省運城市夏県)に逃げたが、「吾悔不遂殺湯於夏台使至此(湯を夏台で殺さなかったばかりにこんなことにまでなってしまったのが悔しい)」と言い放ち死んだ(鳴条の戦い)。一説によると、末喜とともに南方に逃げて死んだという。

後世、殷の帝辛(紂王)、周の厲王と並び称される暴君の代名詞となった。

岷山を討った時に琬・琰という2人の女性を手にいれ、とても愛したが、子供ができなかったので苕華の玉に2人の名を刻んだ。苕には琬の名を、華には琰の名を刻んだ。

982名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:24:40 ID:qV2DkAsA0
岷山を討った時に琬・琰という2人の女性を手にいれ、とても愛したが、子供ができなかったので苕華の玉に2人の名を刻んだ。苕には琬の名を、華には琰の名を刻んだ。

983名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:25:10 ID:qV2DkAsA0

末喜。「新刊古列女傳」(阮福 編、1825年ごろ) より

984名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:25:33 ID:qV2DkAsA0
概要
末喜は山東の有施氏の娘であるとされ、桀が有施氏を討った際に降伏のしるしとして献上された。一説には、当初より桀は末喜を要求したとも言われる。絶世の美女といわれた末喜はすぐに桀に気に入られ、妃とされて愛された。剣や冠を装備して宮殿に参内することもあったという。桀は寵姫に溺れた悪王として知られ、殷の帝辛(紂王)とともに「夏桀殷紂」(かけついんちゅう)と並び称される。

末喜の願いに応えるために桀は瑤台(ようだい)あるいは傾宮(けいきゅう)という巨大な宮殿を建て、落成祝いにはかつてない規模の宴会を催した。祝宴では池に酒を満たして樹々に肉を吊るした(「酒池肉林」や「肉山脯林」と形容される)。また、末喜が絹を裂く音を好んだため、高価な絹が集められ、つぎつぎと音を聴かせるためだけに引き裂かれた[1]。

これらのみだれた行いを諫めた賢臣・関龍逢を桀は殺した。そのころ家臣となっていた伊尹もこの行いを批判し湯王のもとへ帰っている。

殷(商)の湯王は兵を挙げ、夏を亡ぼした。桀と末喜とは鳴条、南巣[注釈 1]へと落ちのび生涯を終えた。

985名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:26:13 ID:qV2DkAsA0
文献における末喜
末喜のエピソードは、殷の紂王の妃・妲己や西周の幽王の妃・褒姒のエピソードと酷似している。これは、桀の事蹟として欠けている伝承を文献に残されている後代のエピソードからそのまま流用して埋めたためであると推定されている。帝王が傾国の美女に溺れて諫言をする忠臣を殺し、臣下の補佐を受けた英雄によって滅ぼされるという構造は、中国史における物語の神話的典型となっている。

後世に書かれた歴史書『国語』では、「昔夏の桀が有施を伐った際、桀は有施人の妺喜を妃とし、妺喜に溺れた。そのため、伊尹に夏は亡ぼされた」と書かれる。

また、『列女伝』でも夏桀末喜は、殷紂妲己、周幽褒姒と並び立てられ、「末喜という者は夏の桀の妃であった。美しいが徳は薄く、道を乱した。心は男丈夫のようで、剣を佩き冠を被った。淫乱で贅沢な女性で、桀に道を失わせた」と批判される。

皇甫謐の『帝王世紀』でも、「妺喜は日夜宮女に酒を飲ませた。桀は妺喜を常に膝の上に置いた。妺喜は絹を裂く音を聞くと笑い、桀は絹を集めては裂くようになった。桀は妺喜の言うことをなんでも聞いた」と書かれる。

986名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:26:28 ID:qV2DkAsA0
その他
「顰に倣う」(ひそみにならう)という故事成語は、美女として有名な西施にちなむ説話から発生したとされるが、末喜がそのような表情をしたことを受けて周囲の女官たちも真似をしたからではないかという説[3]も一部に存在した。

脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 安徽省巣湖市あたりといわれる[2]。
出典
^ 袁珂 『中国の神話伝説』下、鈴木博 訳、青土社、1993年、30-31頁。
^ 袁珂『中国の神話伝説』下、鈴木博 訳、青土社、1993年、51頁。
^ 澤田順次郎『支那情怨史』 南光社 1936年 320-321頁
関連項目
妲己
褒姒
西施
カテゴリ: 三代の夏の人物中国の后妃生没年不詳

987名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:27:15 ID:qV2DkAsA0
後世に書かれた歴史書『国語』では、「昔夏の桀が有施を伐った際、桀は有施人の妺喜を妃とし、妺喜に溺れた。そのため、伊尹に夏は亡ぼされた」と書かれる。

988名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:27:31 ID:qV2DkAsA0
妺喜

989名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:28:12 ID:qV2DkAsA0
妺喜

990名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:29:02 ID:qV2DkAsA0
妺喜

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妺喜
本名 姓:喜
氏:有施
别名 妺嬉、末喜、末嬉
活跃时期 夏朝
知名于 桀的寵妃
父母 父:有施氏國君
妺喜(?—?),有施氏,又作妺嬉、末喜、末嬉,喜姓或嬉姓,有施氏國君之女,夏朝第十七位君主桀的寵妃。

史料記載
根據《國語》記載,桀发动大军,攻打有施氏(位于今山东省蒙阴县)。有施氏國君献出牛羊、马匹、美女,還有自己的女兒妺喜,向桀求和。而妺喜受到桀的寵愛,種下夏朝滅亡的原因之一。[1]

《竹書紀年》則提及妺喜早年與伊尹有交往,為伊尹派到夏朝王宮的間諜,促使夏朝滅亡,幫助建立商朝。[2]

在先秦的史料中,关于妺喜的记载并不明确。妺喜的形象是从《史记》开始才逐渐丰富起来,因此她的事迹很有可能是后人的假托。部分古籍稱,妺喜貌美,桀一見妺喜驚為天人,對她十分寵愛。她喜作男裝打扮,佩劍帶冠,參與朝政,在漢代人眼中是薄德的表現。桀常不顧禮法把妺喜放在膝上,並聽從她所言;亦因和妺喜纵情声色、恣意享樂,不理朝政。妺喜愛听撕裂绢帛的声音,桀為討好她,把大量絹帛撕碎[3][4],又造倾宫,筑瑶台,象廊,玉床。用玉石建造华贵的琼室,以此作为离宫。[5]

後世
妺喜被視為红颜祸水的第一例证,其後又陆续出现商代妲己、周代褒姒。因此,当越王勾践差范蠡把西

991名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:29:29 ID:qV2DkAsA0
妺喜
本名 姓:喜
氏:有施
别名 妺嬉、末喜、末嬉
活跃时期 夏朝
知名于 桀的寵妃
父母 父:有施氏國君

992名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:30:02 ID:qV2DkAsA0
妺喜(?—?),有施氏,又作妺嬉、末喜、末嬉,喜姓或嬉姓,有施氏國君之女,夏朝第十七位君主桀的寵妃。

993名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:30:37 ID:qV2DkAsA0
関龍逢(かんりょうほう・簡体字:关龙逢・繁体字:關龍逢・拼音:Guān lóng féng )は、古代中国・夏の暴君桀王の臣である。竜蓮とも。賢人とされる。関龍逢が王の悪逆を諫めたため、殺されてしまう。殷の比干も紂王に惨殺されたため、関龍逢とともに忠臣と言われる。

どのように殺されたか
殷の比干とは違い、どのように殺されたかは諸説ある。『楚辞』には斬首と書かれ、『韓非子』には四肢を斬って殺害と書かれた。また、『太平御覧』に引かれた『符子』では、焼身自殺したと書かれた[1]。

伝承
桀王は、「焙烙の刑」が執行されているのを観ながら、ふと関龍逢に「楽しいか」と話しかけた。関龍逢は「楽しいです!」と答えたが桀王は「お前は今、刑罰の執行を観るのは楽しいと言ったが、同情や憐憫の心はないのか?」と彼を煽った。

関龍逢は「天下の民は苦しんでいても、王は楽しんでおられます。わたくしは王の股肱でございますから、心が喜んでおられるのに股肱が喜ばないということがありましょうか?」と言ったが、返ってその諫言が桀王の怒りをかい、桀王に「お前はわしが死ぬことを知っているらしいが、自分が死ぬことを知らないらしい。わしはお前が焙烙の刑で死ぬところを観ることができるが、お前がわしの死を知ることはない」と言われ、嘆き悲しんで「造化は働かせるために我に生命を与え、休ませるために我に炮烙を与えられた」(造化勞我以生,休我以炮烙)の辞世を読んで焼身自殺したという[2]。

994名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:30:47 ID:qV2DkAsA0
RPGツクールでやる夫RPGを作るようです

995名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:31:05 ID:qV2DkAsA0
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996名無しのやる夫だお:2025/06/21(土) 21:31:19 ID:qV2DkAsA0
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