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Fate/clockwork atheism 針音仮想都市〈東京〉Part3
473
:
◆0pIloi6gg.
:2025/06/10(火) 23:01:32 ID:D5Ika2WY0
投下終了です。
474
:
◆di.vShnCpU
:2025/06/12(木) 23:13:56 ID:PGHEpvgs0
華村悠灯
周鳳狩魔
ノクト・サムスタンプ
山越風夏(ハリー・フーディーニ)
予約します。
475
:
◆0pIloi6gg.
:2025/06/12(木) 23:36:11 ID:8vKl.CfA0
赤坂亜切&アーチャー(スカディ)
アンジェリカ・アルロニカ&アーチャー(天若日子)
ホムンクルス36号&アサシン(継代のハサン)
輪堂天梨&アヴェンジャー(シャクシャイン) 予約します。
476
:
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:25:50 ID:UmoXCZ7A0
投下します。
477
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:26:32 ID:UmoXCZ7A0
……へぇ、高浜先生の所でも、ですか。
ならいいかァ。
あっ、これ厳密には守秘義務とかに引っ掛かりそうなんで、ここだけの話でお願いしますよ。
ええ、まあ私も医者ですからね。
いわゆる『パニック値』……数字を見ただけで即座に命の心配をする必要のある患者さんは、過去に何人も見てきましたよ。
「ちょっと最近クラクラする」とだけ言ってた女の子が、極度の貧血でほとんど水みたいな血液で何故か生きてたりとか。
「最近肌が黄色っぽい気がする」って言ってた中年男性が、とっくにとんでもない肝硬変で生体肝移植に回されたりとか。
「ここんとこ階段を登ると息切れをする」と言ってたヘビースモーカーが、極度の肺気腫で肺がスカスカだったりとか。
色んなものを見てきましたよ。
助けられた人もいるし、残念ながら手遅れだった人もいます。
でも……ねえ。
やっぱりあの子が一番の驚きでしたねぇ。
当直をしていた時に運ばれて来た女の子。
たぶん軽い脳震盪だったんでしょうけどね。女の子だってのに不良たちと殴り合いのケンカをして、気を失っていて。
でも万が一ということもあるじゃないですか。一通り基本的な血液検査と、頭部と腹部のCTを撮って……
ほんと、人間って、あんな状態でも生きてられるんですねぇ。
いや、怪我の方は本当にかすり傷だったんですよ。脳内出血とかもありませんでした。
でも、CTで見えたあの無数の影と、クレアチニン、ナトリウム、カリウム、カルシウム……血液ガスもとんでもなかったし……
あれ本当は人工透析にでも回した方が良かったんですかね?
朝になるまで死んでなければ、腎臓内科の先生にコンサルテーションをお願いするつもりだったんすけどね。
とにかく本人はケロッとしてるんですよ。
とりあえず取り急ぎ検査結果を知らせても「えっ知らなかった」って。
「そんなことになってるなんて思ってもいなかった」って。
自覚症状が何一つなかったらしいんですよ。
いくら何でも、って思いましたよ。
意識戻ってからは元気いっぱいって感じで、いやまあ多少は貧血っぽい顔色なんですけどね。
流石にショックを受けてたようではあったんですけど、少し目を離した隙に、脱走されちゃいました。
たぶん病院の事務は、治療代も貰いそびれたんじゃないかなぁ。
それで実はこの話、後日談がありましてね。
すっかり忘れた頃に、ウチの病院の系列の『本院』から、連絡が来たんすよ。
いったいどこで救急で一度見ただけの患者さんのことを嗅ぎ付けたのかは分からないんですけど。
「もしその不良の女の子がまた運ばれてきたら、何を差し置いても『本院』の『名誉院長』に連絡しろ」ですって。
私がいる所は、普通のどこにでもあるような、二次救急までの総合病院ですけどねぇ。
同じ医療法人の中心になっている病院の方には、ほんと魔法でも使うのかっていうような名医の先生方が揃っているんですよ。
本院の先生なら、あの子もなんとか治せちゃったのかなァ……?
いやコレは比喩じゃないって言うか、噂では本院の方には本当にオカルトな呪術に精通している人らもいるって話です。
カウンセラーってことになってる人が部屋で魔法陣描いて呪文を唱えてたとか、怪しい水薬を飲んだ患者が急に良くなったとか。
そんな話が山のようにあるんですよね。
噂では、名誉院長は、現代医学とそういうオカルトの、双方に通じているんだとか。
なので……
ちょっと異例なあの命令も、ひょっとしたら『そっちの方』の話なのかな、って少しだけ思うんですよね。
まともな医学の領域の話ではなくって、魔法とか魔術とか、そういう世界の話。
だって、私が診たあの子。
ギリギリで死んでないというよりも……
呪いか何か不思議な力で、死体が動いてるって言われた方が腑に落ちるくらいの有様でしたもん。
……え、名誉院長の名前ですか?
あー高浜先生は御存知なかったですか?
あるいはウチが同じ系列って知らなかったとかですかね?
蛇杖堂ですよ。
あの有名なジャック先生。
黒じゃなくて灰色の方です。ええ。
478
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:27:17 ID:UmoXCZ7A0
◆◇◆◇
深夜の雑居ビルの片隅。
少し汚れの目立つ洗面台で手を洗い、女子トイレの外に出る。
薄暗いビルの廊下。切れかけているのか、蛍光灯が少しの間隔を置いて音もなく明滅する。
「ふぅ……」
いま新宿の街では、既に戦争が始まっている。
緒戦の衝突は、華村悠灯も双眼鏡越しに実際に見た。
双方の組織の一般構成員も含めれば、もう犠牲者は出ている頃合いだろう。
そんな時にもちゃんと出るものは出る自分が、少しだけ可笑しく感じられてしまう。
しかし、まあ……全くの嘘でもなかったとはいえ。
お手洗いを口実に逃げてきたようなものだった。
たぶん最初に会った時点では、覚明ゲンジは、華村悠灯と、大雑把に言って同格くらいの位置だったはずだ。
決して舐めていたつもりはないけれど、ことケンカという一点であれば悠灯の方が上だったとの自負もあった。
そのゲンジが、この短時間の間に、こうも見事に化けた。
あの周凰狩魔にあそこまで言わせるほどの存在になった。
比べても仕方のないことだと分かっている。
焦っても仕方のないことだと分かっている。
けれど、狩魔との会話が途切れてしまえば、どうしたって考えずにはいられないし……
狩魔の隣にいることに、息苦しさも覚えてしまう。
頭上で蛍光灯が明滅する。
無音の狭い廊下の中、世界の全てに見捨てられているような気分になる。
「戻らなきゃ、な……」
悠灯は視線を頭上に……フロアひとつ上の屋上にまだいるはずの周凰狩魔の方向に向ける。
この戦争において、少なくとも序盤の攻防において悠灯の役割はない。
万が一にもキャスターが想定外の危機に陥るようなら令呪を用いて呼び戻すとか、その程度の仕事しかない。
むしろ敵に各個撃破されないように、狩魔と一緒にいて互いの死角をカバーしあうのが一番の役割だ。
気まずかろうと、息苦しかろうと、戻るべきなのだ。
悠灯はそして、廊下の一端にある階段の方に歩き出そうとして…………ふと気づいた。
最初に感知したのは、妙な生暖かさだった。
首から上だけが、人肌くらいの温度に包まれている。
次に、体臭。
ほんの僅かな、ほとんど察知できないくらいの、しかし間違いなく男性の汗の匂いと、男物の香水の香り。
己の髪が擦れる微かな音も聞こえた。
誰かに触られているような、撫でられたような、ほんの小さな音。
ぼんやりと黒い影が、視界の端にやっと見えた。
あまりにも近くてぼやけて見えるが、それは服を着た人の腕のようにも思える。
最後に……それはあまりにも異常な知覚の順番だったが。
最後の最後に、やっと触覚が己の肌に触れる者の存在を伝えてきた。
首から上、頭を包み込むように、抱きしめるように、しかし決して逃がさない強さで捕捉する、誰かの手。
体温を感知してからおよそ一呼吸。
状況を理解できた時には、既に手遅れだった。
(誰かに頭を抱え込まれてる)
(いったい誰が)
(狩魔サンじゃない、キャスターじゃない、もちろんゲンジでもないしゴドーってサーファントでも)
(つまり敵)
(そういえば敵には要注意の傭兵が)
(狩魔サンがめちゃくちゃ警戒していた)
(サムスじゃない、ノクト・サムスタンプ)
(向こうも出来るならこちらを狙ってくるはず)
(でもここはキャスターが陣地を作ったから安全だって)
(まさかキャスターも気づいていない? 狩魔サンも?)
(じゃあつまり)
一秒にも満たない時間のうちに、華村悠灯の脳裏に電撃のように断片的な思考が走って……
しかし、そんなことを考えている時間すらも、無駄であり裏目であった。
無意識のうちに悲鳴を上げるべく息を吸い込む、しかし、その息を吐く間も与えられることもなく。
『君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる』
ゴキッ。
華村悠灯の頸椎がへし折れる音が響いて……
生きている者にはありえない角度に首を曲げた彼女の身体は、なすすべもなく床へと崩れ落ちた。
【華村悠灯 死亡】
479
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:28:53 ID:UmoXCZ7A0
◆◇◆◇
崩れ落ちる少女の手元の指輪から、遅まきながらも、音もなく鷹の姿をする精霊のヴィジョンが飛び出す――
が、それは無言で立つ人影に向けて反転するよりも先に真ん中から真っ二つになって、空中に霧散する。
詠唱もなく放たれた真空の刃に、頭から突っ込んだのだ。
鷹を狙って風の刃が放たれたというよりも、鷹の飛び出す軌道を読み切って進路上に「置かれた」、そんなコンマ数秒の攻防。
鷹の姿の精霊が戦いにもならぬ戦いで消失したその後に、少女の亡骸は床に到達し、小さな音を立てた。
少女が直前に用を足していたのは、少女の尊厳にとってささやかな慰めであったろう。
無様な失禁などを伴うことなく、少女はそのまま動かなくなる。
ピクリとも動かない。呼吸のための胸の動きすらも起きない。
華村悠灯は、どうしようもなく、死亡していた。
「……こんなものか」
少女の背後には、大柄なスーツ姿の男性が立っている。
褐色の肌。顔にまで刻まれた刺青。
夜の虎。ノクト・サムスタンプ。
その本領発揮。
ただ静かに忍び寄って、徒手にて相手の首を折る。
頸椎ごと脳幹を破壊し、呼吸中枢を破壊する。単純明快にして確実な戦場の技。
アルマナが強行偵察で敵の目を引いているうちに、別方向から静かに陣地に侵入して、敵が一人になったタイミングで仕掛ける。
策そのものは極めてシンプル、しかしそれを成立させる隠密性の高さこそが異常。
『夜に溶け込む力』。
夜の女王の加護、その真骨頂。
暗い廊下で蛍光灯が明滅する。
前触れもなく銃声が鳴る。
既に気づいていたかのように、ノクトは巨体をヒョイと傾けて避ける。銃声を聞いてからでは到底間に合わないような動き。
『夜を見通す力』と『夜に鋭く動く力』の合わせ技は、それくらいの芸当は可能とする。
「……ユウヒッ!?」
嫌な予感、という程度の違和感を根拠に、階段を駆け下りてきた周凰狩魔の直観力と行動力は超人的ですらあったが。
それでも遅かった。
状況を把握するよりも先に放たれた初弾は外れて、そうしてやっと、己のチームの一員が既に息絶えていることを知覚する。
とっくに見慣れてしまった人間の死。
あの角度で手足が曲がって倒れている時点で、もう見込みなんてないと分かってしまう。
動揺を抑え込み、追悼の言葉を発する間も惜しみ、狩魔の手元の拳銃から次弾が発射される。
これも大男は簡単に避ける、が、狩魔はその結果を認識するより先に、力ある言葉を発する。
「……『曲がれ』!」
巨漢のすぐそばを通り過ぎた弾丸が、ヘアピンカーブを描いてまた戻ってくる。
元より狩魔が手にしている拳銃には尋常の弾丸は入っておらず、それどころかとっくの昔に故障している。
放たれていたのはいずれも狩魔の魔力で構築された魔弾。手にした拳銃はそのイメージを補佐するための道具。
この聖杯戦争が始まってから身に着けた、狩魔の魔術だった。
背中側から迫る弾丸を、これまた見もせずに侵入者は避けるが、さらに弾丸は狭い廊下の中でもう一度ターンをする。
きりがないと見たか、ここで褐色の巨漢は初めて口の中で呪文のようなものを唱える。
「『風よ、壁となれ』」
ドガンッ!
狭い廊下に、まるでトラックが衝突したかのような衝撃音が響き渡る……が、しかし、大男は無傷。
これには狩魔も、攻撃的な笑みを浮かべたまま、一筋の汗を垂らす。
「……マジかよ」
「なるほど、当たれば威力はあるみてぇだな。ただまあ、『真空の壁』を越えられるような種類の攻撃じゃない」
侵入者、推定名、ノクト・サムスタンプ。
ついさっきの華村悠灯とのやり取りのおかげで、辛うじて記憶に残っていた。
周凰狩魔が初期から想定し、警戒していた、規格外の特記戦力(バランスブレイカー)のひとり。
あの〈脱出王〉と同等の厄介者。
その介入は周凰狩魔も想定していた。
警戒していた。
もしも来るなら自分の首を直接取りに来るだろうとも踏んでいた。
しかし、これほど早い段階で、これほど近い距離に踏み込んできて、そして……
そして、これほどまでに実力の差があるのか。
魔術の世界ではまだ未熟、知識も技術もないのは承知の狩魔だが、実はこの魔弾の威力に限っては密かに自信を持っていた。
今日この日まで何度も試射を重ね、密かに訓練も続けている。
その気になれば自動車一台くらいは軽く吹っ飛ばせる、ミサイルランチャーじみた威力の魔弾だ。
それがこうも簡単に止められるとは――!
「アグニの坊やには悪いが、ついでだ、ココでトップの首も獲っちまうか。今から『ボーナス』の中身が楽しみだ」
「〜〜〜〜!」
480
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:29:34 ID:UmoXCZ7A0
ニヤリと笑う巨漢の姿に、思わず狩魔は魔弾を乱射する。
今度は最初から大きく曲げた軌道。四方八方からノクトを包み込むような攻撃。
ドガガガガッ!!
先ほどと同等の衝撃音が立て続けに響き、しかし全く意に介することなく、大男は大股でゆっくりと迫ってくる。
足止めにもなっていない。
どうする。狩魔の頭脳が高速で回転する。
この期に及んで〈脱出王〉の介入はない。
お前の担当だろうと言いたくもなるが、あの自由人にそれを言っても仕方がない。
陣地を構築しているはずのキャスターの介入もない。
流石に異常は察知しているはずだが、ひょっとしてマスターが死んでは動けないのか。
ゴドーは別行動中で攻勢に回っているはず。
そちらを途中で止めるのは惜しいが、それでもここは自分の命が最優先か。
「れ――」
そして狩魔は令呪でゴドフロワを呼ぼうとして、その判断すらも遅かったことを悟った。
ノクト・サムスタンプは既に前傾姿勢。今まさにダッシュで掴みかかってくる体勢。
令呪に載せた命令を全て発しきる前に捕獲されるのは明らかで、そして。
「……っざっけんなァ!」
甲高い少女の叫びと共に、ノクトも狩魔も、まったく予想していなかった介入が、その緊張を断ち切った。
ノクト・サムスタンプの背後から放たれた、見事な跳び回し蹴り。
側頭部にそれを食らった巨漢は狭い廊下の壁に叩きつけられ、そして……
「流石にこれは想定外だ。退くか」
蹴られたダメージ自体はほとんど無いようではあったが。
男はあっさりとそのまま、近くにあった窓をたたき割って、ビルの外の虚空に身を投げた。
あまりにも思い切りのいい、あまりにあっけない、逃走だった。
割られた窓から、一陣の風が吹き抜ける。
「……大丈夫っすか、狩魔サン?」
「いや……それはこっちの台詞だ。
お前こそ、『それ』、どうなってる」
窓の外に警戒し、拳銃を構えたまま、狩魔は少女に問う。
頭上で蛍光灯が瞬きをする。
ありえない光景だった。
間違いなく確認したはずだった。見間違えなんかではなかったはずだった。
けれども、現に。
首を折られて死んでいたはずの、華村悠灯は、自分の足でそこに立っている。
それどころか、あの夜の虎を相手に、跳び回し蹴りまで放ってみせた。
チームのリーダの危機を救ってみせた少女は、よく分からないまま微笑んで……
その笑顔が、ガクン、と傾いた。
「わわっ、これどうなってるのっ、えっ」
「……いやほんと、どうなってんだ」
生きている人間には絶対にありえない角度に首を曲げて、あたふたと慌てる少女。
折れたままなのだ。
首の骨が折れたままで、ちょっとした拍子に本来あるべき位置からズレてしまっているのだ。
自分の両手で頭を掴んで、ああでもない、こうでもないと安定する位置を探している。
そんな状態で人間が生きている訳がない……
よしんばギリギリで絶命は免れたとしても、激痛で立ってなどいられないはず。
魔術師としてはまだ未熟、ゴドフロワから基本的な部分を断片的に聞いただけの狩魔は、なので、まだ気づいていなかった。
華村悠灯の全身を包む不穏な魔力の気配に、まだ、気づくことはできなかった。
【華村悠灯 再稼働】
481
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:30:47 ID:UmoXCZ7A0
◆◇◆◇
「〜〜〜〜〜ッ!! やった、『目覚め』た、間に合ったッ!!」
デュラハンのトップたちが陣取るビルから、少し離れた歌舞伎町の細い裏路地のひとつで。
あまりにも場違いな少女が、声にならない喜びを噛み締めながら飛び跳ねていた。
タキシード姿の少女である。それも舞台用に思いっきりアレンジのされた、ド派手なラメ入りのタキシード。
山越風夏。
またの名を、〈現代の脱出王〉。
狭い裏路地には動く者の気配がない。
常であれば不夜城たる歌舞伎町は、その末端にまで人が絶えることはないのだが。
この大戦争に際して、勘のいい者はとっくに逃げ出しており。
そして勘の悪いものは、とっくにレッドライダーの『喚戦』の影響下に呑まれ、無意味なケンカに夢中になっていた。
この裏路地でも何人か、早々にノックアウトされた者がひっくり返っており、勝者は次の相手を求めて大通りへと駆けだしていた。
「あの子からは『慣れ親しんだ匂い』がしていたんだよ! 私たちに似た匂い!
死から逃げ続ける者の匂いだ! 避けようのない死をそれでも避ける者の匂いだ!
なので『ひょっとしたら』と思っていたんだ!!」
開戦前にもう一度彼女たちと会って確認しておきたい、という願いは、炎の狂人と氷の女神の乱入でとうとう果たせなかった。
相棒たるライダーとの合流もまだ果たせていない。
けれど一番肝心な場面だけは、ギリギリで見ることができた。
向こうから察知されることもなく、盗み見ることが出来た。
「デュラハンが『賢く』判断してサーヴァントだけを前線に出すのなら、ノクトがその隙を見逃すはずがない!
彼は間違いなく速攻で忍び寄ってマスターを殺そうとするだろう……!
それも可能なら、最初は悠灯からだ! 狩魔も狙うだろうけれど、彼は決して順番を間違えない! 両方倒すならこの順番だ!」
一回目の聖杯戦争で散々にやりあった仲である。
魔術の傭兵、非情の数式、夜の虎。
そのやり口は嫌というほど知り尽くしている。
駒がこう配置されている、そうと分かれば、ノクト・サムスタンプが取りそうな手段は容易に想像がつく。
「華村悠灯、あの子の魔術は、たぶん『死を誤魔化す力』だ。『無理やり生にしがみつく力』だ。
よく知らないけれど、死霊魔術って方向の才能になるのかな?
身体強化とか、痛覚の軽減なんて、どんな魔術師でもやろうとすればやれる基本だって聞くしね」
これは一種の賭けだった。山越風夏にとっても、確証なんてない危険な賭けだった。
土壇場でも才能に目覚めず、華村悠灯がただ無為に死ぬ可能性も十分にありえた。
けれどこの、他人の命を勝手にチップにした非道極まりない賭けで、〈脱出王〉は見事に望みの賽の目を出した。
「生きている〈演者〉は、この箱庭から出られない。
死んでしまった〈演者〉は、聖杯にリソースとして取り込まれてしまう。
では……『どちらでもない者』は?!
そう!
生きてもないし死んでもいない者だけが、『ここから出られる』!!
ひょっとすると、それと契約を結んでいるサーヴァントだって、揃って一緒に出られるかもしれない!」
最初からそのつもりでデュラハンに近づいた訳ではなかった。
そもそもその『世界の敵』としての方針だって、ついさっき思い至ったもの。
けれども、そのずっと前から、「何かに使えるかもしれない」と思って手札に入れていたカードだった。
皆の運命を加速させて、そのブレの中で新たな才能が芽生えることに期待する。
この〈脱出王〉の基本方針は、なにもレミュリン・ウェルブレイシス・スタールひとりに向けられたものではない。
例えば覚明ゲンジの急激な化け方だって、狙い澄まして放たれた〈脱出王〉の一言がきっかけなのだ。
「そしてノクトなら、一度退くと決めたら思いっきり退く! 予想外のモノを見たら一旦仕切り直す!
あいつは何度でも似た真似を繰り返せるからね、安全なところまで下がってから次のことを考えるはずなんだ!」
「……御機嫌なようだな」
「そりゃあそうさ! 何もかもが私の思う通りに…………って、えええっ!?」
482
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:31:20 ID:UmoXCZ7A0
うっかりそのまま答えかけて、山越風夏は慌てて振り返った。
居るはずのない男が、そこにいた。
褐色の肌。
顔にまで及ぶ刺青。
逃げ場らしい逃げ場もない裏路地で、あまりにも近くまで接近を許してしまった相手。
ノクト・サムスタンプ。
「俺もちっとばかし機嫌が良くってな。なんでだか分かるか?」
「さ、さあ……?」
「何もかもが俺の思う通りに動いているからだよ。多少のイレギュラーと驚きはあったけどな」
ノクトは笑う。小柄な風夏を見下ろして鼻先で笑う。
遠くに逃げているはずの彼が今ここに居る意味を、答え合わせする。
「お前とは『前回』何度もやりあった仲だ。
俺の行動がお前に読まれることは、俺にも読めていた。
にも関わらず、あの二人のマスターは無防備に俺の手の届く位置に置かれたままだった……
即座にピンと来たね。『ああ〈脱出王〉はこいつらを見殺しにする気だ』ってな。
お前の企みの中身は分からなかったが、何かお前の企みに必要な犠牲なんだろう、ってな」
「た、企みって言い方はひどいなァ……!」
「そしてそうであれば、お前は自分の目でその結末を見届けることを、我慢できない。
必ず、どこかあの場所を見ることのできる場所に現れる。
そしてそこからの逃走ルートだって、限られる」
「…………っ」
ノクト・サムスタンプは一歩踏み出す。
山越風夏は一歩下がる。
ノクトが長々と喋っている間に、風夏はとっくに数十通りの逃走方法を検討している。
けれども逃げ切れない。逃げ切れるイメージが沸かない。
そもそもこの距離に詰められていること自体が、既に失敗である。
夜のノクト・サムスタンプは、かの〈脱出王〉にとってすらも、それほどの難敵である。
「御明察の通り、『本命』がデュラハンとの闘争だったのなら、もう少し遠くまで退いてた所だがな。
ぶっちゃけちまうとな。
今回の闘争における俺の『本命』は、『お前』だ。
〈脱出王〉、お前にいまここで確実に退場願うのが、俺の一番の望みだ」
ノクトは身構える。風夏は機を伺う。
自由自在に飛び回っているように見えて、〈脱出王〉の舞台は事前の仕込みが命だ。
今回のこの場での遭遇は想定外。仕込みが全然足りていない。
現地調達で使える材料も、どれほどあることやら。
強がりでしかない笑みを浮かべて、〈脱出王〉はそれでも言った。
「では、見事達成できました暁には、拍手喝采でお応え下さい。
今夜の演題は――『夜の虎の顎の中からの脱出』!」
半グレたちの大戦争を背景に。
太陽に目を焼かれた狂人同士の死闘が、いま、小さな路地裏から、始まる。
【新宿区・歌舞伎町 デュラハン傘下のビルの廊下/二日目・未明】
【華村悠灯】
[状態]:生命活動停止。固有の魔術が発動中。頸椎骨折。混乱中(まだ自分の身に起きたことを理解できていない)
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたかった……はずなんだけど。
0:混乱中。いったい何がどうなってるの?
1:祓葉と、また会いたい。
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
5:あの刺青野郎ってば最悪!!
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。
華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。
この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。
【周鳳狩魔】
[状態]:健康、魔力消費(小)、軽い混乱と動揺(悠灯の現状を正しく把握しきれていない)
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:待て、悠灯……お前それ、どうなってる?
1:魔術の傭兵の再度の襲撃に警戒。深刻な脅威だと認めざるを得ない
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。
3:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
4:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
5:死にたくはない。俺は俺のためなら、誰でも殺せる。
[備考]
483
:
アンデッドアンラック
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:32:14 ID:UmoXCZ7A0
【新宿区・歌舞伎町 細い路地裏/二日目・未明】
【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、ちょっと冗談抜きで少し焦ってる
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:いやマジでこれどうしよう! ここからノクトをなんとかしなきゃならないの?!
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
3:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:祓葉も来てるようだからそっちも見に行きたいけど……!
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。
蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。
今のこのノクトとの遭遇は、流石の彼女にとっても予想外で準備不足であるようです。
【ノクト・サムスタンプ】
[状態]:健康、恋、やる気マンマン
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:莫大。少なくとも生活に困ることはない
[思考・状況]
基本方針:聖杯を取り、祓葉を我が物とする
0:ここは絶対に逃がさねェぞ、〈脱出王〉!
1:デュラハン側のマスターたちを直接狙う。予定外のことがあれば素早く引いて何度でも仕切り直す。
2:当面はサーヴァントなしの状態で、危険を避けつつ暗躍する。
3:ロミオは煌星満天とそのキャスターに預ける。
4:当面の課題として蛇杖堂寂句をうまく利用しつつ、その背中を撃つ手段を模索する。
5:煌星満天の能力の成長に期待。うまく行けば蛇杖堂寂句や神寂祓葉を出し抜ける可能性がある。
6:満天の悪魔化の詳細が分からない以上、急成長を促すのは危険と判断。まっとうなやり方でサポートするのが今は一番利口、か。
[備考]
東京中に使い魔を放っている他、一般人を契約魔術と暗示で無意識の協力者として独自の情報ネットワークを形成しています。
東京中のテレビ局のトップ陣を支配下に置いています。主に報道関係を支配しつつあります。
煌星満天&ファウストの主従と協力体制を築き、ロミオを貸し出しました。
蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。
[備考]
この話の間、それぞれのサーヴァントが何をしていたのかは後続の書き手にお任せします。
特にキャスター(シッティング・ブル)は、華村悠灯の身に起きた異常をある程度は察知しているはずです。
(張っていた陣地や、主従を繋ぐ霊的なリンクから)
484
:
◆di.vShnCpU
:2025/06/16(月) 00:32:34 ID:UmoXCZ7A0
投下終了です。
485
:
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:23:22 ID:GmQ3YvAM0
投下します。
486
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:24:20 ID:GmQ3YvAM0
新宿区内の、とある個室スタジオ。
ラジオ収録を終えた輪堂天梨と愉快ななかまたちの姿はそこにあった。
部屋の真ん中には腕を組んで仁王立ちし、眉間に皺を寄せた天梨。
視線の先には退屈そうに胡座を掻いて欠伸するシャクシャインと、床に置かれたホムンクルス36号の姿がある。
「ふたりとも。正座」
「誰がするかよ」
『応えたいのは山々だが、機能上の問題で出来ない。許してほしい』
「うぐぐ……」
天使がご立腹の理由は、言わずもがな先ほどのラジオ収録である。
やれ実験のために我々を収録に同伴させろとか言い出すわ、大人しくしてるように言ったのに現場で妖刀を抜き出すわ。
そんなカオスの極みのような状況でもしっかり仕事をやり遂げた天梨のプロ意識は大したものだが、内心は心臓が口から飛び出そうだった。
あんなにスリリングな収録は生まれて初めてだった。今後更新されないことを切に祈っている。
「しかし、実際に有意義な成果を確認できた。
天梨、御身の魅了はもはや我がアサシンの宝具にも匹敵する人心支配を可能としているようだ」
「……みたいだね。ふたりで好き勝手してくれたおかげで私もよ〜〜くわかったよ。あんまり嬉しくないけど」
あわや大パニックが起きても不思議ではない状況だったが、結論から言うと無事に終わった。
スタッフ達はホムンクルスとシャクシャインの存在を背景のように扱い、誰も彼らの言動を不自然とは認識していなかった。
輪堂天梨の魅了魔術。同じく魅了を生業にする少女がこの都市にはもうひとりいるが、天梨のは彼女のとまったく質を異にしている。
あちらが"支配"なら、天梨のは"色香"に近い。心を絆し、納得を勝ち取る、まさにアイドルチックな魅惑の光だ。
悪魔・煌星満天との小競り合い以降、その輝きは格段に強まっていた。
「でもああいう人に迷惑かけるようなのはもうなし! 次はほんとに怒るんだからね!」
「小煩え女だな。まずあの箸にも棒にもかからないクソつまらんトークを聞かされた俺らに謝罪しろよ」
「はぁああぁ!? に、人気番組なんですけど! 視聴率良いって局でも評判なんですけど!!」
「ほう、あの低次元な話でそれほどの人気を。流石は我が友だ。欠点など認識もさせない輝きがあると見える」
「ほむっちさん……? 嘘だよね……?」
じり……、とのけぞってショックを受ける天梨。
シャクシャインは噛み殺す努力もせず、大欠伸をして気怠げな視線を隣の人造生命体へ送った。
「で? いつ来るんだよ、君の待ち人は」
『そう急くな。トラブルが起きた旨の報告は受けていない』
「あっそ。何でもいいが、時間は有限だってことだけは覚えといて欲しいもんだね」
それはさておき――現在、天梨達がわざわざこんな場所で待機しているのには理由があった。
アンジェリカ・アルロニカ。かねてから名前だけは聞いていた、ホムンクルス陣営の同盟相手。
彼女達と落ち合い、会談をするためにこうして手持ち無沙汰な時間を過ごしているのだ。
テーブルの上には此処に来る前に買った軽食が、これから来る客人達の分も並べられている。
どうもあまりピリピリした展開にはならない相手らしいので、夕飯も兼ねつつ和やかに話せればと思って天梨が気を利かせた形だ。
487
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:25:36 ID:GmQ3YvAM0
(どんな子なんだろ。満天ちゃんの時はばたばたしちゃったからな……私もあの子くらいしっかりしないと)
そうは言うものの、何しろ先の会談がアレだったので、天梨は結構緊張していた。
シャクシャインは爆弾のようなもの。いつどこでスイッチが入るか分からないし、そうなったならマスターである自分が止めないといけない。
(満天ちゃん、すごいよなぁ……。今なにしてるんだろ……)
思考とは連鎖するもので、ふと自分のライバルであり、友達でもある彼女のことを考えてしまう。
未だに彼女からの連絡は来ていない。会談の結果決まったことだ。やり取りはすべて、天梨と満天のふたりの間でのみ行うと。
けれど恐らくそろそろだろう。街がこの有様なのだ、あまり悠長に時間を空けるわけにいかないのは天梨にも分かる。
幸い――と言っては不謹慎だが、今日起きたあちこちの凶事によって明日のスケジュールは大幅なリスケが入っていた。
いつ連絡が来ても、恐らく予定は合わせられる。何かといいニュースの少ない天梨にとって、彼女との戦いは現在いちばんの楽しみだった。
次は何を見せてくれるのか。
どうやって、度肝を抜いてくれるのか。
魅せられたいとそう思う。
そして、それを超えて羽ばたきたいと闘志が燃える。
勝負事にムキになるなんていつ以来だろう。
輪堂天梨は、戦いを楽しむにはあまりにも強すぎた。
天使の輝きは圧倒的で、挑もうと思う者がまずいなかったから――煌星満天というライバルの出現は実のところ、本人が思っている以上に大きな刺激となっていたのだ。
「ちょっと連絡してみよっかな、仕事のことじゃなくても軽い雑談とか……、……ううん、でも迷惑になるかもしれないし。だめだめ」
ふるふるとかぶりを振って独り言を漏らす天梨に、きょろりとホムンクルスの視線が向いた。
「やや認識を改めよう。先は凡庸と評したが、起爆剤(ふみだい)としては確かに稀なるモノのようだ」
「む。そういう言い方好きじゃないな」
「であれば詫びるが、事実だ。
あの贋物が持つ性質は爆発。一瞬の熱量でしか光を体現できない、ダイナマイトのような在り方をしている。
爆発は衝撃波を生み、タービュランスを引き起こす。天を舞う御身の背を押す乱気流だ」
恒星の資格者は唯一無二。
よって、ホムンクルスが天梨以外の器を認めることは決してない。
だが事実として、あの"対決"を経た天使の能力は無視のできない上昇を見せていた。
真作はひとつ。後のすべては贋作に過ぎない。それでも、贋作だからと言ってまったくの無価値ではないということか。
「御身の言葉を借りて言うなら、私はあの娘のことが嫌いだ。
先に述べたようにこの身はその類の感情を持たないが、便宜上こう表現しよう」
「……、……」
「しかし、御身とアレの勝負とやらには興味が出た。
いや――私は天梨、君に勝利してほしいと思っている」
「それは……、ほむっちに私が必要だから?」
「半分はそうだ。もう半分は純粋に、友たる君の飛翔を見てみたい」
天梨としてはなんとも複雑な気分だった。
応援されるのは嬉しいが、好き嫌いとかなく自分達の結末を見届けてほしい気持ちもある。
ただ、この無機質な友人にそうまで言わせたことの大きさは実感できる。
そこでふと思い立ち、天梨は前々から思っていたことをぶつけてみることにした。
488
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:27:24 ID:GmQ3YvAM0
「ほむっちってさ」
「どうした?」
「実は結構、人間臭い性格してたりしない?」
「……私が?」
瓶の中の赤子が、微かな怪訝を顔に浮かべる。
それもその筈。彼は被造物(ホムンクルス)であり、しかも特に気を遣って情動を排されたガーンドレッドの飼い犬だ。
そんな人形を捕まえて人間臭いだなんて、本来なら的外れもいいところの形容であるが。
「ご主人様に一途だったり、友達をバカにされて怒ったり。嫌いなものの話をする時はちょっと早口になったりさ。
魔術の話はさっぱりだけど、私はほむっちのこと、あんまり無感情なタイプには思えないかも」
天梨は魔術師ではない。
あくまでも、針音の運命に導かれそうなっただけの新参者だ。
だからこそ先入観なく、率直な印象だけで物を考えることができた。
「御身の言葉でなければ世迷言と流すところだが、興味深い見解だ」
ホムンクルスはわずかな沈黙の後、そう応えた。
「かつて私は主に出会い、そこで決定的な変質を来している。
私を製造した魔術師(おや)ならば構造上の破綻と看做すような陥穽だ。
天梨が私を"ヒトのようだ"と思うのは、恐らくその延長線上に生まれたバグだろう」
人形は狂わない。
にもかかわらず、三六番目のホムンクルスは狂人として〈はじまり〉の衛星軌道に並んでいる。
大いなる矛盾だ。そう考えれば、天梨の指摘もあながち的を外したものではないと思えた。
「我が主――神寂祓葉は、すべての不可能を可能にする存在。
故に我らは狂おしく彼女に焦がれている。いつか見た奇跡を追いかけずにはいられない」
「……うーん。難しいことはよくわかんないけどさ」
運命の日だ。
すべてはそこから始まっている。
ガーンドレッドの悲願が未来永劫に途絶え。
盲目の筈のホムンクルスが、光に目覚めた。
あらゆる運命を破壊する白き御子を前にしては、構造(スペック)の限界など瑣末な問題に過ぎない。
話を聞いた天梨は口に指を当てた。言葉を纏めるように中空を見つめ、そして。
「今のほむっちが祓葉さんのおかげで生まれたっていうんなら、私はやっぱり嬉しいよ」
言って、にへらと笑う。
「さっきも言ったけど、私友達少ないからさ。私からも祓葉さんにありがとう、だね」
「――――」
ホムンクルスは沈黙した。
その沈黙には、ふたつの理由があった。
489
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:28:17 ID:GmQ3YvAM0
ひとつは、天使の二つ名が何故付けられたのかを証明するような物言い。
すべての始まりは神寂祓葉であって、彼女がいなければ自分がこんな血で血を洗う戦場に参戦させられることもなかったというのに。
ただ目の前の自分と出会えたことだけを喜び、混じり気のない善意でそう表明してくる。
はじまりの狂人達の一角であり、すべての元凶に忠を誓っている事実を隠そうともしていない自分を友と呼び、尊重してのけるその無垢さ。
改めて実感する。輪堂天梨を除いて、"彼女"に追随し得る恒星の器は他にない。
他の候補を擁立して勝ち誇る者は目が見えないのかと疑わずにはいられない。
この純粋さ、この寛容さ。まさしく、神寂祓葉の生き写しがごとき輝きではないか。
それでこそ我が友。私が見出し、友誼を結んだいと尊き唯一無二。主たる祓葉へいつか魅せたい、可能性の卵。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多少の言語化できない感覚には目を瞑りながら、ホムンクルスは声にこそ出さねど喝采さえした。
これぞ吉兆、脱出王が指摘した既知の呪いを破棄する新しい可能性なり。そう思う一方で、ではもうひとつの理由は。
「アヴェンジャー」
ガーンドレッドの魔術師達が、製造にあたり彼に与えた解析と感知の生体機能。
数理の悪魔さえ出し抜く神経延長は、迫る敵の気配をつぶさに見抜く。
天使の祝福を受けてもたらされた成長は、彼の"その"機能さえもをより高く昇華させていた。
だからこそ彼は、英霊であるシャクシャインを押しのけて真っ先にそれを認識できたのだ。
「天梨を守れ。私のことは気にするな」
理解が遅れているのは天梨だけ。
シャクシャインの眉が剣呑に顰められる。
説明したいのは山々だったが、その時間はなかった。
「"来るぞ"」
言葉が発せられたのと同時に、穏当に進むかと思われた現状が崩壊する。
飛び出したのはシャクシャイン。彼が押しのけた天梨は、何が何だか分からぬままに対面の瓶を抱き締めて床を転がった。
スタジオの壁が崩壊し、炎と熱気が急激に流入してくる。
飛来したひときわ大きな炎塊は、アイヌの魔剣が両断し爆砕させた。
復讐者の眼光が、崩れた壁の向こうを睨め付ける。
その先で彼らを見据えるのは、嚇く揺らめく禍つの瞳。
「やあ。久しぶりじゃないか、引きこもりが直ったようだからわざわざ会いに来てやったよ」
くつくつと、けらけらと。
嗤いながら現れる、ダークスーツの青年。
490
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:29:10 ID:GmQ3YvAM0
眼鏡を外すなり露わになった糸目。その向こうから射抜く眼光は、天梨に抱かれるホムンクルスだけを見つめていた。
自分達の初撃を防いだ復讐者すら一瞥たりともしていない。
自信と、現実的な実力に裏打ちされた傲慢。
それを隠そうともせずに、その男は生きとし生けるすべてを焼き焦がす炎と、巨躯の鬼女をしもべにしながら立っていた。
「保護者をわざわざ切り捨てたんだって? 驚いたな、たかが被造物が狂気もどきの感情を萌芽させたってだけで驚きなのに。
あの子は君に自殺願望まで植え付けたのか、いやはや本当に大したもんだ。それでこそ僕のお姉(妹)ちゃんに相応しい」
「来るとは思っていたが、思いの外早かったな」
饒舌な炎鬼に、瓶の中の小人はさしたる驚きもなく応えた。
何故なら彼らは共に不倶戴天。必ずや討つと誓っていればこそ、相手が自身を察知して現れることに驚きなど抱く筈もない。
「サムスタンプも呆れた体たらくだったが、貴様もその例には漏れないらしい。
天が憐れんで恵んだ魔眼を景気よく台無しにできる短慮さには恐れ入るばかりだ。見違えたな、赤坂亜切よ」
「うわ、何だよ自分の口で喋れるようになったのか?
気持ち悪いからやめてくれよ、まるでオマエと僕が同じ生き物みたいじゃんか。ご主人様の命を聞くしか能のないカスが色気づいてんじゃねえよ、ホムンクルス」
すなわち――〈はじまりの六人〉。
妄信と無垢。葬儀屋と人造生命。
「問うが、わざわざ自ずから私の前に現れたのだ。死にたいという意思表示と受け取ったが、相違ないか?」
「〈脱出王〉然り、お前らみたいな根暗のクズは殺せる内になるべく早く排除しときたくてね」
赤坂亜切。ホムンクルス36号。
「――ってわけで皆殺しだ。同じ光に灼かれたよしみだ、お姉(妹)ちゃんへの遺言くらいは聞いてやるから、諦める気になったら言ってくれ」
情念に猛る炎と変容しゆく無機の戦争。
時は禍時。これより戦場に変わる街の片隅で、捩れた運命は喰らい合う。
◇◇
491
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:29:52 ID:GmQ3YvAM0
異様な巨躯の女だった。
ひと目見た瞬間に、シャクシャインの背筋を冷たいものが伝う。
彼はアイヌの戦士。
物心ついた頃から野山を駆け巡り、自然とそこにある神秘に親しんで成長してきた野生児だ。
故に分かる。見てくれこそヒトの体を取っているが、本質は断じてそんなものではない。
これは神(カムイ)だ。世界に根付いた神秘が生き物の形を取った、自然の摂理そのもの。
だが彼らの大地に存在したものとは端的に言って格が違う。
神秘の衰退が進行しつつあった彼の時代よりも遥か以前に誕生し、異邦の神話で猛威を奮った本物だ。
何故こんな存在が聖杯戦争に呼び出されているのか、そこからしてシャクシャインには想像も付かない。
命知らずにも程がある――万一にでも零落の楔が抜ければ、ともすれば現行の世界を覆うほどの事態をもたらしても不思議ではないというのに。
「ほう、なかなかの色男じゃないか。噛み癖ありそうなのが難点だがね」
「雪原の女神(ウパシカムイ)に褒めて貰えるとは光栄だね。俺も男として鼻が高いよ」
さて、どうするか。
シャクシャインは苛立ちながらも考える。
間違いなくこれまでで一番の難敵だ。
逃走は期待できず、後ろで控える魔眼の男も嫌な匂いがする。
神と魔人。この二人を相手に、自分は足手まといを抱えながら対応しなければならない。
「――上等だ。流石にそろそろ、気兼ねなく斬れる相手が欲しかったんでね」
獰猛に牙を剥いて、凶念にて理屈を切り捨てる。
元より己は泣く子も黙るシャクシャイン。
カムイも恐れぬ、悪名高きアイヌの悪童。
イペタムを抜刀し、戦意を横溢させて受けて立つぞと宣言した。
刹那、彼の妖刀はそれでこそだと嗤いながら斬撃を迸らせた。
明らかに間合いの外にいる女神とそのマスターへ、距離を無視して殺到する禍津の銀閃。
数にして数十を超える逃げ場なき殺意の鋼網を前に、やっと女神が動く。
「ははッ、景気がいいね。アギリよ、アンタも気張っとけよ?
多少の面倒は見てやるが、手前の体たらくで死んでもアタシは責任持たないからな」
「気を張る、ね。はは。リップサービスが過ぎるんじゃないかい、アーチャー?」
彼女の行動は単純だった。
迫るイペタムの斬撃を、スキー板の一振りで文字通り一蹴する。
鎧袖一触。剣戟の数だけ命を啜る筈の死剣が、ただの一撃で粉砕された。
それに驚くでもなく、シャクシャインは前に出る。
妖刀を握る手は万力の如く力を込め、その膂力を遺憾なく乗せて放つ本命の剣閃。
技を力で補い、更に煮え滾る復讐心で異形化させた"堕ちた英雄"。
彼の剣は理屈ではない。考えられる限り、そこから最も遠いカタチでシャクシャインという英霊は成立している。
在るのはただ殺すこと。恨みを晴らし、思うがままに屍山血河を築くこと。
そのためだけに偏向進化した魔剣士の剣は故に読み難く、一度でも攻勢を許せば嵐となって吹き荒れる。
そんな彼を相手に、射撃を生業とするアーチャークラスが近接戦を挑むなど本来なら愚の骨頂。
間合いに踏み入らせた時点で致命的と言って差し支えないのだが、しかし――
「残念だけど格が違いすぎる。赤子の手を捻るようなものだろう」
憐れむようなアギリの台詞の通り、起きた結果は絶望的なまでに一方的だった。
492
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:30:37 ID:GmQ3YvAM0
「うーん」
荒れ狂うシャクシャインの剣が、一太刀たりとも通らない。
手数でも速度でも圧倒的に劣っている筈のスカディが、手にした板を軽く振るうだけでその全撃を無為にしている。
「速さは悪くないんだが、軽いな」
そう、あるのはただ単に力の差。
女神の優位を成立させる理屈の正体は、彼女が持つ圧倒的な筋力にあった。
A+ランクの筋力に加えて、巨人の外殻が持つ常軌を逸した対物理衝撃への耐性。
この壁をシャクシャインは超えられない。如何に数と速さで勝っていても、蜂の針では象の皮膚を破れないのだ。
「まさかとは思うけど、これで全力なんて言わないよねえ」
暫し不動のまま受け止めて、女神スカディは興醒めを滲ませて眉を動かした。
舐め腐った物言いにシャクシャインの矜持が沸騰する。
目に見えて斬撃のギアが上がり、ただでさえ超高速だったその剣がもはや目視不能の領域に達した。
並の英霊であれば、自分が斬られたことにさえ気付かぬまま全身を断割されていることだろう。
しかし相手はスカディ。アースガルドの神族達すら戦慄させ、恐怖させ、機嫌取りに奔走させた北欧きっての鬼女である。
躍るシャクシャインの凶剣を受け止めながら、遂に女神が一歩前に出た。
それだけで、一方的な攻撃により辛うじて保っていた均衡が崩壊の兆しを見せ始める。
斬撃の数がただの一歩、わずかに押しに転じられただけで半減し、逆にシャクシャインが一歩後ろへ下がった。
「あんまりヌルいことやってるようなら――こっちから行っちまうよ」
「ッ……!」
刮目せよ、女神の進撃が開闢する。
歩数が重なるにつれ、スカディの振るうスキー板が爆風めいた衝撃で次々剣戟を蹴散らし出した。
やっていることはシャクシャインのそれよりも更に、遥かに単純。
ただ握った得物を薙ぎ払っているだけであり、そこには技術はおろか、殺意の類すらまともに介在していない。
言うなれば寄ってくる鬱陶しい小虫を払うような動きで、しかし事実それだけでシャクシャインはあっさりと勢いを崩された。
分かっていたことだが、落魄れたとはいえ神の力は伊達ではない。
基礎性能からして違いすぎており、腹立たしいが正攻法での打倒は困難と見る。
シャクシャインは狂おしく怒る中でも冷静に脳を回し、ならばと次の手に切り替えた。
「舐めてんじゃねえぞクソ女。輪切りにして塩漬けにでもしてやるよッ!」
地を蹴り、加速し、場を廻るようにして縦横無尽に駆動する。
これによって斬撃をより多角的なものに変化させ、急所狙いで必殺しようという魂胆だ。
高速移動中の不安定な姿勢と足場では正確に剣を振るうなど困難に思えるが、そこは彼の相棒である妖刀が活きる。
イペタムは自らの意思で敵を刻む魔剣。担い手がどんな体勢、状況にあろうとも、勝手に命を感知して迸る死剣の業に隙はない。
そうして、戦場は剣の駆け回る地獄と化した。
文字通りあらゆる角度からスカディとアギリ、二体の獲物を目掛けて凶刃が襲いかかっていく。
眼球、首筋、蟀谷に喉笛、心臓に手足。斬られてはいけない箇所のみを徹底的に狙い澄ました貪欲の啜牙が雨となって吹き荒ぶ。
その壮絶な光景を前に、スカディの顔にようやく微かな笑みが浮かんだ。
493
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:31:27 ID:GmQ3YvAM0
「いいね、このくらいはしてくれなきゃ面白くない。
ヒヤヒヤさせないでくれよ、アヴェンジャー。危うく得物要らずで終わっちまうかと思ったじゃないか」
相変わらずスキー板で防御していた彼女が、何を思ったかその長大な盾を宙に擲つ。
当然、無防備な姿を晒す立ち姿へとイペタムの剣戟は殺到するが――
「今日は獣によく会う。猫の次は狂犬狩りと洒落込もうか」
次の瞬間、爆撃と見紛うような衝撃の雨霰が迫るすべてを撃滅した。
目にも留まらぬ速さで矢を番え、放ったのだと説明して一体誰が信じられるだろう。
少なくとも戦いを見ているしかない輪堂天梨には、とても信じられなかった。
それほどまでに速かったし、何より、矢と呼ばれる武器が生み出す威力をあまりに逸脱していたからだ。
「そぉら、逃げろ逃げろ! アタシの喉笛を食い破るか、アンタの脳天を撃ち抜くか、根比べと行こうじゃないか!!」
そんな矢が、惜しげもなく無尽蔵に放たれては世界を衝撃で塗り替えていく。
もはやスタジオは原型を留めておらず、直撃を避けても無体な衝撃波がシャクシャインの全身に損耗を蓄積させる。
チッ、と焦燥に溢れた舌打ちが響いた。根比べ自体は臨むところだが、今の彼には思う存分戦えない理由があったのだ。
「あ、アヴェンジャー……っ」
「喋るな。じっとしてろ、雑魚共」
輪堂天梨――ホムンクルス入りの瓶を抱いて、怯えたように蹲る彼女を守らねばならない。
スカディに相手のマスターへ配慮する優しさがあるとは思えなかったし、事実彼女の射撃は天梨の存在などお構いなしに放たれている。
これによりシャクシャインは攻勢を維持する以上に、天梨の防衛に神経を集中させる必要があった。
そして無論。そんな"無駄"を抱えて動く獲物は隙だらけであり、そこを見逃すスカディではない。
「ははははッ、アタシが言えたことじゃないが、サーヴァントってのは不便なもんだねぇ!
意外とお優しいじゃないか狂犬の坊や! そんなに刺々しく荒れ狂ってても、飼い主様が傷つくのは承服しかねるのかい!!」
「よく喋る婆様だなぁッ! 今に喉笛抉り出してやるからよ、大人しく待ってろやゴミ屑がッ!!」
辺り構わず弓を乱射する一方で、その中に狙いを定めた精密射撃を織り交ぜる。
シャクシャインが主を守るために動く一瞬の隙を、意地悪く突くように矢が迸っていく。
これをアイヌの狂犬は、イペタムの一振りで両断。
そうするしかないのだったが、弓射に優れた女神を相手にそれをやった代償は大きかった。
「ッづ――」
重い。想像を超えた衝撃に両腕の筋肉が悲鳴をあげ、ブチブチと危険な音を立てる。
それでも意地で叩き割りはしたものの、シャクシャインがそこで見たのはアルカイックスマイルを浮かべる女神の貌だった。
弱みを見つけた顔だ。
どうすれば目の前の獲物を狩り落とせるか、天啓を得た禍々しい狩人の表情があった。
本能的な怖気が走り、シャクシャインは決死の行動に出る。
「わ、っ……!?」
「掴まってろ。袖でも噛んどけ」
天梨をホムンクルスごと抱え、そのまま再び地を蹴ったのだ。
このまま逃げる選択肢もあったが、それは愚策と判断した。
何故なら、屋内にいた自分達を的確に発見し襲撃してきたことへの説明が付かないままだから。
494
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:32:19 ID:GmQ3YvAM0
「――正解だ。此処で逃走することに意味はない」
「ムカつくから喋んないでくれるかな。元を辿れば君の招いた事態だろ、クソ人形」
「貴殿の読み通り、赤坂亜切のサーヴァントは監視用の宝具を持っているらしい。
上空彼方に不審な魔力反応が確認できる。恐らく偵察衛星のようなものだろう。
少なくとも区内にいる限りは、奴らの追跡を逃れることは困難と見るのが賢明だ」
ホムンクルス36号の解析能力は、輪堂天梨の魔術を受けて"成長"してからというもの明らかな高まりを見せていた。
だから彼は気付ける。アギリのアーチャーが天に擁する、父神の双眼の存在に。
「……悪い冗談だな」
馬鹿げた組み合わせにシャクシャインは苛立ちを禁じ得ない。
強靭凶悪な狩人が、獲物の居所を探知する索敵宝具まで持ち合わせているというのだ。
こうなるといよいよもって腹を括る必要が出てくる。
少なくともこれまでのように、なあなあで茶を濁してどうにかできる相手ではないと判断した。
「あいつら、君を投げつけでもしたら満足するか?」
「望みは薄い。赤坂亜切は"我々"の中でも最も話の通じない殺人鬼だ」
「そうかよ。つくづくカスみたいな集団だなお前ら」
ホムンクルスにアサシンを呼ばせたとしても、あの髑髏面では大した足しにはならないだろう。
神との殺し合い自体は上等だが、荷物を抱えて戦うとなると話は別だ。
非常に旗色は悪く、厳しい。そしてこの相談も、すぐに物理的な手段で断ち切られてしまう。
「作戦タイムは終わったかい?」
スカディの剛弓が、破城鎚を遥か超える威力で閃いたからだ。
シャクシャインは回避に専念し、身を躍らせて何とか凌ぐ。
凌ぎつつイペタムを振るい、女神死せよと憎悪の凶刃を降り注がせた。
だが相変わらず、成果は芳しくない。無傷で佇むスカディの姿がその証拠だ。
弓という得物の弱点は、攻撃の合間に矢を番える動作が必ず挟まる点である。
どんなに類稀なる使い手であっても、そこで絶対に攻撃の流れが途切れてしまう。
されどスカディには、そんな子どもでも気付けるような弱点は存在しない。
というより、単純に素のスペックだけで克服してしまっているのだ。
思い切り速く番える、という子女の空想めいた所業で、実際にほぼ切れ目のない射撃体制を完成させている。
シャクシャインが跳ねるように駆ける。
これを時に追い、時に先回りして配置される巨人の剛射。
天梨は目を瞑り、必死に服の袖を噛み締めて耐えていた。
ジェットコースターの何倍も荒く激しい高速移動に相乗りしている状況だ、そうでもしないと舌を噛み切ってしまう。
(――――致し方ないな)
忌々しげにシャクシャインは眉根を寄せ、決断する。
瞬間、彼の戦い方が一気にその質を変えた。
495
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:34:24 ID:GmQ3YvAM0
「ん?」
スカディもすぐそれを見取り、声を漏らす。
もっとも、この変化にすぐ気付ける時点で彼女の戦闘勘の鋭さは凄まじいと言えよう。
何故なら変わったのはスタイルそのものではなく、放つ斬撃の性質だ。
今までは剣呑そのもの、復讐者の名に相応しい殺意満点の剣戟で攻め続けていたシャクシャイン。
しかし今、彼の剣は命を奪うよりも、相手を脅し縛るものへと姿を変えている。
言うなれば剣の檻だ。暴れる獣から逃げ場を奪い、抑え付けて型に嵌めるやり方。スカディのお株を奪う、"狩り"の手管である。
シャクシャインは誇りを棄てた者。堕ちた英雄、いつかの栄光の成れの果て。
彼にとっての誉れとは殺すことであり、その過程に固執する段階はとうに過ぎた。
だからこそ、彼が見出した活路はスカディの相手をしないこと。
その上で、彼女もまた抱えている"足手まとい"から斬り殺して陣営を崩そうという算段だった。
「……ああ、なるほどそういうこと。まあそっちの方が確かにクレバーさね、別に否定はしないが」
すなわち、標的はもはやスカディにあらず。
堕ちた英雄の妖刀が狙うのはその主、赤坂亜切。
妄信の狂人へと、怒り狂う呪われた魂が押し迫る。
女神の矢を躱し掻い潜りながら、衝撃波の壁を蹴破って。
いざアギリの全身を断割せんと、血啜の喰牙が襲いかかる――
「そんな浅知恵がうまく行くと本気で思ってんなら、アタシのマスターを舐め過ぎだよ」
――寸前で、シャクシャインの視界は一面の業火に塗り潰された。
「ッ、ぐ、ォ……!?」
赤坂亜切は、炎を操る魔眼を遣う。
その情報は、既に確認済みの筈だったが。
(ち――ッ、こいつは、不味い……!)
だが火力の次元が想定を超えている。
スタジオの壁を破って襲撃してきたあの一撃など、アギリにとっては児戯に等しいものだったのだ。
それは彼のみならず、アギリを知る筈のホムンクルスにとっても誤算だった。
破損した魔眼は、とうに馬鹿になっている。
視認するだけで命を奪う必殺性も精密性も、もはやない。
今のアギリはただ単に、己を火種として一切合切焼き尽くすだけの傍迷惑な放火魔だ。
しかし魔眼も担い手も狂っているが故に、そこから出力される熱量はかつての彼の比でなかった。
「とくと味わえよ、ホムンクルスとその走狗ども。
記念すべき最初の脱落者になるだろう君らには、いっとう惜しみないのをくれてやる」
あらゆる命の生存を許さない、葬送する嚇炎の大瀑布。
火炎でありながら激流の如く押し寄せるそれは、炎という性質も相俟って力技で押し退けるのは困難な災害だ。
よってシャクシャインは、踵を返して退くしかない。
496
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:34:58 ID:GmQ3YvAM0
「――よう、どこに行くんだい色男」
しかしそんな真似をすれば、袖にされて怒り心頭な女神の殺意に追い付かれる。
迫る炎を前にして、腕の中に要石を抱え、不自由な身で奔走するしかない憐れな狂犬の。
「上等だと抜かしたのはアンタだろう? なら男らしく最後まで踊ってみせてくれよ、なぁッ!」
「ごァ、がッ……!!」
その側頭部を、スキー板の一撃が打ち据えて荷物ごと地面へ叩き落とした。
これで今度こそ、もう完全に逃げ場はない。
見下ろすふたり、四つの視線が、ひとつの運命の終わりを酷薄に告げる。
(畜生、が――――――)
天梨が何かを叫んでいた。
刹那、五体に力が漲る。
だが間に合わない。すべては遅きに失していた。
すべてが炎に呑まれていく。
狂おしい熱の世界に、流されていく。
こうして呆気なく、天使の軍勢は敗北したのだ。
◇◇
息が切れていた。
身体中が痛い。うう、と声を漏らしながらのたくるように身を捩る。
全身から滲んだ脂汗が服と擦れて気持ちが悪い。
這いずりながら、煤と汗で汚れた顔を拭った。
視界が晴れる。その向こうに、誰かが立っていた。
「やあ。アヴェンジャーに感謝した方がいいよ、アイドルは顔が商売道具なんだろう?」
声を聞いた瞬間、比喩でなく全身が総毛立つ。
途端に焦って空を抱き、あ、あっ、と情けない声をあげた。
我が身が可愛いからではない。腕の中に抱いていた筈の瓶が、どこかに失せてしまっていたからだ。
497
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:35:48 ID:GmQ3YvAM0
「ほむっち……!」
「"ほむっち"? なに、君アレのことそう呼んでるの?
笑えるなぁ。あんな根暗を捕まえて親愛を見出すなんて、もしかして君変態?
一度でもあのへそ曲がりと絡んだら、とてもそんな気にはならないと思うんだけどなぁ」
よれたダークスーツを着た、華奢な青年だった。
若白髪の目立つ黒髪を熱風に遊ばせながら、糸目の底から鋭い眼差しを覗かせて天使と呼ばれた少女を見下ろしている。
赤坂亜切。はじまりの六凶のひとりにして、ホムンクルス曰く、最も話の通じない殺人鬼。
そんな男が今、這い蹲った輪堂天梨の前に立っていた。これほど分かりやすい"詰み"の光景が、果たして他にどれほどあるか。
「輪堂天梨。注視してはいなかったが、黙ってても聞こえてくる名前だったからよく覚えてるよ。
いやはや、まさか天下に名高い炎上アイドル殿がガーンドレッドの人形と付き合ってるとはね。俺に言わせればすぐ股開く以上の幻滅案件だ」
ほむっち、ほむっち――
譫言のように呟きながら辺りを探る天梨の脇腹を、革靴の爪先が蹴り飛ばした。
「ぁ、ぐ……!」
打ちのめされるその身体には、驚くべきことにアギリの炎による損傷がほぼない。
煤に汚れてこそいるものの、彼の禍炎に焼かれた形跡は皆無と言ってよかった。
理由は単純だ。炎の津波がシャクシャインを包む寸前、堕ちた英雄は己が主を文字通り投げ出した。
彼の火の蹂躙を避け、なんとか目先の生だけは繋げた無力な娘。
蹴りつけられた彼女の視線が、ホムンクルスに先んじて己が相棒の姿を視界に捉える。
シャクシャインは、天梨にとって常に恐るべき存在であった。
堕落へと囁きかける悪魔。復讐に猛り、和人を憎む疫病神。
何度その声に心を揺らされたか、黒い炎を煽られたか分からない。
けれど、誰も灼かない日向の天使にとっては彼もまた尊び重んじるべき隣人で。
だからこそ……視線の先に捉えた姿には、ひゅっと息を呑むしかなかった。
「あ……ゔぇん、じゃー……っ」
片膝を突いて、息を切らしながら、天梨の悪魔はそこにいた。
右半身には赤く爛れた火傷の痕が痛ましく広がっている。
銃創を作って帰ってきた時とは比にならない被弾の痕跡が、彼の逞しい身体に刻まれているのを認めた。
「心配しなくても、彼も君の友達もすぐに殺してやるさ。
とはいえ、少しばかり興味はあってね。君、察するにホムンクルスが見出した〈恒星の資格者〉ってヤツだろう?
いやはやまったくがっかりだよ。気に食わない連中とはいえ、まさかそこまで終わり果てた思考に至る奴がいるとは思わなかった。
真の恒星はただひとつで次善も後進もありはしない。"彼女"を知っていながら、そんな当たり前すら分からない莫迦がいるなんて……情けなくて涙が出そうだ」
アギリの言葉はろくに耳に入らなかった。
痛む身体を引きずって、彼のところに這いずっていこうとする。
その左手を、悪鬼の靴底が容赦なく踏み抜いた。
498
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:36:44 ID:GmQ3YvAM0
「ぎ、ぃぃいいいっ……!」
「あれ、みなまで言わないと分かんない感じ? あのさ、要するにムカついてるんだよ僕」
指が奇怪な音を立てている。
小枝を踏み締めるような、発泡スチロールを握り砕くような。
悶える天梨を足蹴にするアギリの顔は、恐ろしいまでに冷めていた。
とてもではないが嚇炎と恐れられた男のそれとは思えないほどの、冷たい殺意がそこにある。
「運命っていう言葉を軽々しく使うやつは性根が卑小な屑野郎だ。
あの日あの時あの街で、僕らは同じ奇跡に出会いそして散ったんだよ。
言うなれば運命共同体なのさ。なのにいかがわしいまがい物に傾倒してるカスがいると来た」
〈はじまりの六人〉とひと括りに呼んでも、彼らの信奉のかたちは多岐に渡る。
赤坂亜切は狂信者だ。彼ほど純粋に祓葉を尊んでいる存在は他にいない。
つまり彼こそが最右翼。他の恒星など決して許さない、地獄の獄卒だ。
「た、ぅ……け……っ」
「"たすけて"? そこは恐怖なんて感じずに、微笑んで語りかけてくるべき場面だろうがよッ。えぇ?」
助けを乞うてしまった天梨は責められない。
が、シャクシャインの救援は臨めない状況だった。
スカディが目を光らせているし、令呪を使ってこれを打破しようにも、アギリの足は頼みの綱の刻印を踏み締めている。
もし天梨が令呪を使う素振りを見せたなら、アギリは瞬時にこれを踏み砕くだろう。
つまり、彼女は完膚なきまでに詰んでいた。
嚇炎の悪鬼に隙はない。祓葉との再会を後に控え、最高峰に昂ぶっているアギリの脅威度は先刻の暴れぶりが可愛く見えるほどだ。
「はぁ、もういいよ君。心底興醒めだわ」
所詮はホムンクルス、生まれぞこないの奇形児が見た白昼夢。
みすぼらしいハリボテの神輿などこんなものだ、聖戦の前座に添える価値もなかった。
アギリの魔眼に光が灯り始める。熱は全身に横溢し、天使に送る火葬炉を構築した。
「燃え上がるのが好きなんだろう? だったらとびきりのをくれてやる。
僕らの光を僭称した罪、君らしく火刑で償うといい」
まがい物の星を焼き殺したら次はホムンクルスだ。
同じ運命に巡り会った幸運をその手で汚した罪は実に重い。
瓶から引きずり出して、末端から少しずつ炭に変えてやろう。
そう思いながら、いざすべてを終わらせようとして。
そこで――
「にげ、て……アヴェン、ジャー……っ」
アギリの眉が、微かに動いた。
些細な違和感に気付いたように。
499
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:37:24 ID:GmQ3YvAM0
「はや、く……。令呪を、もって、命じ――」
「させるわけないだろ」
「う、ぁ……!」
足に力を込めて、天梨の行動を阻害する。
既に骨のひび割れる音が明確に響き始めていた。
だというのに、足元の娘は泣き濡れた瞳でアギリではないどこかを見ている。
炎に灼かれて跪き、狩人の殺意に抗い続けている己が相棒だけを見つめて。
「……だめ、だよ……。こんなところで、終わったら……」
何かよく分からないことを囀るこれに価値などない。
早く燃やしてしまえばいい。誰より自分がそう理解している筈なのに、ああ何故。
「――――――――?」
何故自分は、炎を出すのを渋っている?
「わたしも、あなたも……」
この矮小な命ひとつ踏み潰すことに、何を躊躇っているのだ?
「い、やだ…………」
死にかけの地蟲のように小さくのたくりながら、哀れな言葉が漏れる。
「しにたく、ない………終わりたく、ない………わたし、まだ…………」
誰がどう見ても死にかけ、終わりかけの命。
鼓動はか細く、呼吸は消え入りそうで、いっそ笑えてしまうほど。
だというのに、存在感だけで言えば天梨は現在進行形でその最大値を上乗せし続けていた。
膨れ上がっていく。偽りの星、燃える偶像の輝きが、臨界寸前の融合炉のように増大していくのが分かる。
ならば尚のことすぐに殺すべきなのは明白だったが、アギリは訝るようにそれを見下ろしていて。
「………………なんにも、やりたいこと、できてない…………!」
葬儀屋が晒したらしからぬ逡巡。
それが、神話の流れ出る隙を生んだ。
「なに……?」
アギリの口から、とうとう動揺(それ)が声になって漏れる。
踏みしめている少女の背から、機械基盤を思わせる魔術回路が拡大した。
500
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:38:19 ID:GmQ3YvAM0
だが、赤坂亜切が声まであげて驚いた理由はそこではない。
彼はそんなもの見てすらいない、目に入ってなどいない。
「馬鹿な――――あり得ないだろ、なんだこれはッ」
アギリは天梨から足を退け、たたらを踏んで後ずさる。
顔は驚愕に染まり、壊れたる魔眼がわなわなと揺れていた。
信じられないものを見た、いや、"見ている"ような顔で、葬儀屋は震える口より絞り出す。
「点数が、上がっていく……! 一体、どこまで……ッ!?」
赤坂亜切は家族に、正しくは女きょうだいというものに執着している。
生まれる前に引き離された半身。誰を殺しても消えることのなかった喪失感。
二十余年抱いてきた虚無感は、運命の星と出会い爆発した。
求めるものは唯一無二の半身。アギリは常にそれに焦がれているから、運命を知った今も習性として計測を続けずにはいられない。
すなわち、姉力と妹力。
彼の独断と偏見を判定基準として行われる適性試験である。
当然、輪堂天梨も女である以上強制的に試されていた。
しかし点数は見るも無残。〈恒星の資格者〉などという分不相応な増長を見せていたことが大きな減点事由となったことは言うまでもない。
哀れ不合格。恒星の資格なぞ、あるわけもなし。
よって末路は焼殺以外にあり得なかったが、点数記載済みの答案用紙が光と共に書き換わり始めた。
姉力、妹力、共に爆発的な加算を受け数値上昇。
脳細胞が狂乱し、心臓は瞬間的な不整脈さえ引き起こす。
(見誤ったってのか、この僕が……?!)
神寂祓葉以外に、己の半身は存在し得ない。
そう信じながらも、何故か止められなかった姉/妹の判定作業。
祓葉こそは至高の星で、その資格を他に持つ者などいる筈がないと断じた言葉がブーメランになって矜持を切り裂く。
誰より激しく祓葉に盲いた彼だからこそ衝撃はひとしお。
真実、この都市で負ったどの手傷よりも巨大な一撃となってアギリを打ち据えていた。
されど、天梨はそれを一瞥すらせず。
地に臥せったままの状態で、両手を突いて復讐者を見つめる。
広がる羽は神秘を体現し、聖性のままに少女は祈る。
ただし、それは――――
「あ、ゔぇん、じゃー……」
痛い。苦しい。
死にたくない――まだ終わりたくない、こんなところで。
501
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:39:13 ID:GmQ3YvAM0
それは少女にとって、生まれて初めて抱く我欲だったのかもしれない。
輪堂天梨は一種の破綻者だ。玉石混交の人界を生きるには、彼女はあまりにも優しすぎる。
シャクシャインという憎悪の化身を従えながら、一ヶ月に渡り変心することなく耐えられていた時点で異常なのだ。
不幸だったのは、そんな素質を持ってる癖に、心だけは人間らしい柔らかなものを持っていたこと。
だから誰かの助言がなければ、自分のために怒るということすらできなかった。
自分が感じた不服を言葉にして表明することを"大きな一歩"と思えてしまうほどに内省的な少女。
そんな彼女は本物の死に直面し、此処でまたひとつ、人として当然の感情を知ることができた。
"死にたくない"。
"終わりたくない"。
輪堂天梨にとって、此処数ヶ月の人生は悲しみと恐怖に満ち溢れたものだったけれど。
それでも、いいやだからこそ、今日という一日は本当に楽しかったのだ。
だってライバルができた。対等に話し合える素敵な友達ができた。
死んでしまったら、もう戦えない。終わってしまったら、もう話せない。
そして――大嫌いでしょうがない自分のために、あんなボロボロになって戦う彼を救ってあげることも、もうできない。
最初は、怖くて怖くて仕方なかった。
事あるごとに殺せ殺せと囁いてくるのは鬱陶しかった。
だけど、過ごしている内に分かってきた。
その深海よりも深い憎悪の沼の底には、きっとそれよりも尚底の知れない"哀しみ"があることが。
地獄には堕ちたくない。
天使のままで、生きていたい。
でも、ああでも、すべてを失ってしまうのならば。
運命も、友も、相棒も、夢も、何もかも此処で炎の中に溶けてしまうというのなら……
「いいよ……」
抱いた決意が、悪魔との決戦で萌芽した超然を遥かの高みに飛翔させる。
淡く輝く回路の翼が、刹那だけ、赤色矮星を思わす極光を放つ。
彼女は誰も灼かない光。愛されるべき光。その在り方が歪めばすなわち、光は封じられていた第三のカタチを取り戻す。
光とは照らすもの。
温め、癒やすもの。
――灼き尽くすもの。
「あなたのために、そして……」
ううん。
それだけじゃない。
嘘は吐きたくなかった。
だって今、天使(わたし)の中にあるのは思いやりだけじゃない。
ぐるぐると渦巻いて、封じ込められてた黒色が終わりを拒む願いと共に回路へ混ざる。
「私のために――――――――燃やして、全部」
告げられた言葉と共に、いざ、都市(ソドム)の定石は変転した。
「【受胎告知(First Light)】」
聖然とした祈りが、ただひとりの相棒のために捧げられる。
彼は剣。天使を蝕みながら、しかし同時に守る懐剣だ。
少女が初めて、天/己の意思として彼へ捧げたその祈りは。
光景の神聖さとは裏腹の、禍々しい災害を呼び出した。
◇◇
502
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:39:59 ID:GmQ3YvAM0
スカディの眼が、明確にその色を変える。
圧倒的優位に立ち、目の前の主従を殺戮する筈だった女神が今。
たかだか島国の片隅で生まれ落ちた狂戦士を前に、確かな危機の気配を感じていた。
「――つくづく面白い街だねぇ。どいつもこいつも驚かせてくれるじゃないか」
膝を突いていた復讐者が、目の前で緩やかに立ち上がる。
彼の総身からは、炎が立ち昇っていた。
アギリのような赤く燃える紅蓮ではない。
絞殺死体の鬱血した死に顔を思わせる、毒々しい真紫色。
しかし近くで見ると、その表現もまた間違いだと分かる。
様々な色の絵具を混ぜると黒に近付いていくように、数多の毒や病が混合し絡み合った結果たまさか紫色に見えているだけに過ぎない。
「死毒の炎か。しかもそれ、自分を火種に生み出してるね。
ウチのアギリと同じ原理だが……驚きを通り越してちょっと引いちまうよ。
如何に英霊とはいえ、人間のたかだか延長線。そんな霊基でよくその地獄に耐えられるもんだ」
人間を殺すには過剰と言っていい死の毒。
体内を今も駆け巡るそれが、炎となって立つ魔力に滲み出しているのだ。
当然、扱う側は地獄と呼ぶのも生ぬるい苦痛に襲われる筈。
なのに二本の足で立ち、剣を握り締める堕英雄(シャクシャイン)の姿に翳りはなく。
その姿をスカディは惜しみなく、勇士として称賛する。
「敵ながら天晴だ。形はどうあれ好きだよ、そういう雄々しさってヤツはね」
惜しみない喝采を送り、そして殺そう。
刈り取ってやろうと笑う女神に対し、青年は静かだった。
「さあ来なよ、アヴェンジャー。お姫様の望み通り、存分に狂犬の勇壮を――」
「ごちゃごちゃうるせえ」
一蹴と共に、俯いて隠れた目元から紫炎の眼光が鈍く煌めく。
燃え盛る蝦夷の産火は、祝い事とはかけ離れた憤怒の一念に燃えていた。
ザ、と動く足。一歩前に出るそれだけで大気が死に、彼の炎に中てられていく。
望んだ瞬間、その筈だ。
輪堂天梨が自らの意思で破局を望み、己に悪魔たれと希う日をずっと待ちかねていた筈だった。
なのに何故だ、苛立ちが止まらない。
脳の血管が比喩でなく何本も千切れているのが分かるのに、それと裏腹に思考はクールでさえあった。
それは彼が今抱く感情が、不倶戴天の敵である和人達へ向けるのとは意味の違う怒りであることを物語っている。
503
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:40:37 ID:GmQ3YvAM0
「俺は今、最悪に機嫌が悪いんだよ」
ああ――認めよう。最悪の気分だ。
待ち侘びていたご馳走に、目の前で泥をぶち撒けられたように心が淀んでいる。
これは俺と彼女の対決だ。
そこに割って入った無粋な異人ども。
こいつらの手で、火は灯されてしまった。
天使は穢されたのだ。
願い求めた純潔から滲む破瓜の血が、今全身を駆け巡りながら己に力を与えていると考えるだけで腸が煮えくり返る。
要らないことを吹き込んだホムンクルスにも、対抗馬気取りで意気がっている悪魔の少女にも腹は立っているが、目の前のこいつらに対するのはその比でない。
そして何より腹が立つのは――輪堂天梨をそうさせた祈りの中に、自分への哀れみが含まれていたその事実。
契約で繋がれたふたり。
だからこそシャクシャインには、分かってしまった。
天梨の背中を押した最後のきっかけは、みすぼらしく傷ついた自分の姿であると。
彼女は和人だ。憎むべき、恥知らずどもの末裔だ。
その中でひときわ大きく輝く、稀なる娘だった。
殺すのではなく、穢さねばならないと思った。
この光を失墜させることができたなら、それ即ち大和の旭日を凌辱したのと同義だ。
天使を堕とし、聖杯を奪取して、すべての和人を鏖殺して死骸の山で哄笑しよう。
そうすればこの胸の裡に燃える黒いなにかも、少しは安らいでくれるだろうから。
だから囁いた。
幾度でも悪意をぶつけ、地獄へ誘って嗤ってきた。
天使を堕落させるのは、かつて和人(こいつら)に穢された自分の声であろうと信じて。
そうしてようやく踏み出させた最初の一歩が、これだ。
無様に焼かれ、痛め付けられ、地に跪いた自分の姿が。
そんな生き恥が、これまで手がけてきたどの工程よりも強く天使の背を押した。
念願は叶った。輪堂天梨は他の誰でもない自分の意思として、俺に命を燃やせと命じたのだ。
「――――ふざけやがって。てめえら全員、欠片も残らず焼き滅ぼしてやる」
生涯二度目の屈辱に狂鬼の相を浮かべ、シャクシャインは炎の化身と成った。
それこそ赤坂亜切の戦闘態勢のように、全身から紫の毒炎を立ち昇らせて。
あらゆる負傷と疲労、痛みと理屈を無視し、雪原を汚染する猛毒の写身として立ち上がる。
504
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:41:53 ID:GmQ3YvAM0
泣き笑いのように祈る声を覚えている。
いいよ。燃やして。あなたのために、私のために。
違う。俺が望んだのは、こんな情けない運命などではない。
死ぬほど腹が立つのに、その何倍も遣る瀬なくて。それが怒りを止めどなく膨れ上がらせていく負の無限循環。
魔剣の刀身さえもが、死毒の業火に覆われる。
地獄の魔神めいた姿になりながらも、彼の姿はどこまでも雄々しく勇猛だった。
当然だ。これは善悪、害の有無で区別するべきモノに非ず。
目の前のスカディがいい例だ。雪原の女神は矜持を持つが、しかし足元の犠牲になど気を配らない。
醜悪であり美麗。禍々しくも雄々しく、灼熱(あつ)いのに冷たくて、悍ましいのにやけに哀しい。
人智を超えた者はどこかで必ず矛盾を孕む。衆生を救う慈悲深い人外が、捧げられた生贄を平然と平らげるように。
だからこそ、ヒトは彼らを畏れた。
そしてかの北の大地では、畏怖と敬意を込めてこう呼んだのだ。
神(カムイ)、と。
「……相分かった。君が望むなら、魅せてやろう」
英雄・シャクシャインは裏切りの盃に倒れた。
気高い勇姿は醜く穢され、もう戻ってくることはない。
これは悪神だ。
ヒトから自然の世界へと召し上げられた祟り神だ。
神性など持たずとも、彼の在り方、その炎は彼がそうであることを力で以って証明する。
「しかと見ろ。見て、その網膜に焼き付けろ」
――――ああ。
俺は、本当に美しいものを見た。
認めよう。
お前は、この薄汚れた大地を踏みしめる誰よりも美しい。
ホムンクルスの言葉は、実際正しいよ。
君はもっと怒っていいし、呪っていいだろ。
なのになんでそうやっていつまでも笑ってられるんだ。
〈恒星の資格者〉。奴らのノリに乗るのは癪だが、確かに言い得て妙だろうさ。
少なくとも俺は、君以上に星らしい在り方をした人間を知らん。
そしてだからこそ俺は、君に勝たなきゃいけない。
そうでなくちゃ俺の魂は、決して報われないんだよ。
故にしかと見ろ。そして焼き付けろ。
美しい君に、ずっと魅せたかった己(オレ)の憎悪のカタチ。
「これがお前の絶望――」
目の前の女神などどうでもいい。
すべては塵芥。殺し排するべき虫螻の群れ。
いつも通りだ。でもその中で、相変わらずひとりだけが眩しかったから。
他の誰でもない宿敵(きみ)へと、俺は告げよう。
地獄の底から、天の高みまで貫き穿つほど高らかに。
されど思いっきり、見るに堪えず目を潰したくなるほど醜悪に。
「――――メナシクルのパコロカムイだ」
刹那、穢れたる神は君臨した。
505
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:42:42 ID:GmQ3YvAM0
暴風のように吹き抜ける、死毒の炎。
あらゆる悪念を煮詰め醸成したような高密度の呪詛が、高熱を孕んで炸裂する。
『死せぬ怨嗟の泡影よ、千死千五百殺の落陽たれ(メナシクル・パコロカムイ)』。
シャクシャインの第二宝具。すべての誉れを捨て、沸き立つ憎悪に身を委ねた復讐者の肖像。
女神、狂人、上等だ。
もの皆纏めて滅ぼしてやる。
お前らすべて、この憎悪(ほのお)の薪になれと。
撒き散らされる破滅の嚇怒と共に、天使の剣が唸りをあげた。
◇◇
「ッ、ぐぅ――――!?」
次の瞬間、まず響いたのはスカディの驚愕の声だった。
咄嗟に受け止めたスキー板、それどころか握る両腕さえも軋みをあげる。
想像の数倍に達する膂力で振るわれた魔剣の斬撃が、彼女に初の後退を余儀なくさせた。
苦渋に、引き裂くような笑みを浮かべる女神だが。
穢れたる神(パコロカムイ)はお怒りだ。
その間にも彼の妖刀は、目視し切れない数の後続を用立てていた。
四方八方、百重千重。隙間なく殺到する剣戟の火花がスカディの肌を裂く。
刹那、押し寄せる激痛は先刻受けた〈天蠍〉の毒にも何ら劣らない壮絶なものだった。
血液を、細胞を、筋肉までもを一秒ごとに毒の塊に置換されている気分だ。
いやそれどころか、不変である筈の神の玉体が腐り落ちていく感覚さえある。
これが比喩で済むのは、ひとえに彼女が神霊のルーツを持つ存在だからに他ならない。
「や、る……ねぇッ!」
スカディは反撃の矢を放ち、とうとう本気のヴェールを脱いだ。
威力は据え置き、だが狙いの正確さと弾速が先の倍を超えている。
先ほどまでのシャクシャインなら、為す術もなく早贄に変えられていただろう。
だが。
「邪魔だ」
シャクシャインはこれを、刀の一振りで叩き落とした。
余波で生まれた炎が、イチイの矢を瞬く間に汚染された黒炭へと変えていく。
膂力も、放つ魔力も、いいようにやられていた時の比ではない。
506
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:43:34 ID:GmQ3YvAM0
スカディの眼は、彼に起きている変化の正体を正確に看破する。
気合? 根性? 違う、断じてそんな浮ついた話などであるものか。
アイヌの堕英雄を文字通りの神に達する域まで高めあげている道理の正体。
それを彼女が理解すると同時に、その片割れの声が上ずって響いた。
「君が、やったのか……?」
アギリの眼には、シャクシャインのステータスが見えている。
端的に言って別物だった。あらゆる数値が劇的に上昇し、その霊基が今や神代に出自を持つ己が女神に比肩し得る性能に達していると告げている。
詰みを覆し、互角の状況にまで押し返した劇的なまでの逆転劇。
なまじ"こういう光景"に覚えがあるからこそ、アギリは動揺も狼狽も隠せない。
そう、彼だけは決して素面でなど受け流せないのだ。
祓葉へ誰より強く懸想する彼が――そのデジャヴを無視できる道理はないから。
対する天梨は、息を切らしたまま、朦朧とした眼差しでシャクシャインの戦いを見つめていた。
そこに宿る感情の意味を理解できるのは彼女だけ。
薄く涙を滲ませたままの瞳で、這い蹲ったまま、翼を広げて自らが招いたちいさな破局を観る。
「……………………ごめんね」
意識があるのかないのかも判然としない口が零した声に、アギリは背筋の粟立つ感覚を禁じ得ない。
悪寒。高揚。それとも別な何かか。分からないし、分かってはいけないと思った。
理解してしまえば帰れなくなるというらしくもない後ろ向きな予感が込み上げた瞬間、葬儀屋は舌打ちと共に回路を駆動させる。
冷静になれ、こんなまやかしに惑わされるな。
至上の光はただひとつ。奉じるべき星もただひとつ。
なればこそ、目の前の得体の知れない何かは塵として燃やし葬るべきに決まっている。
そう考えるなり、アギリはすべての傲りを捨てて破損済の魔眼を輝かせた。
刹那起動するブロークン・カラー。覚醒したとはいえシャクシャインはスカディの相手で忙しく、無力な少女を守れる余力はない。
よって生まれたての光はそれ以上強まることなく焼き尽くされる……その予定調和に否を唱える声がもうひとつ。
「――――解析、並びに介入完了。
もう一度言うぞ、"見違えたな"。以前の貴様ならば、私ごときに介入を許すほど愚鈍ではなかったろうに」
己の口で紡がれた、無機質な声。
共に、今まさに天使を焼き尽くさんとしたアギリの魔眼が誤作動を起こす。
次の瞬間、彼を襲ったのは回路の熱暴走とそれがもたらす激痛だった。
507
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:44:20 ID:GmQ3YvAM0
「ッづ……ぉ、ぉおッ!?」
ホムンクルス36号は自発的に魔術を行使できない、そういう風に造られた存在だ。
だが解析に関しては元々、生半な魔術師を凌駕する機能性を秘めていた。
だからこそ煌星満天を見初めた正真の悪魔の嘘も見抜けたし、彼らとノクト・サムスタンプの内通も見抜くことができたのだ。
そんなホムンクルスは既に、天使の光を浴びている。
彼の生みの親が許す筈もない"成長"すら果たした彼の機能は、ガーンドレッドの小心を超えて拡大していた。
解析能力。それに加え新たに得たのは、解析したモノに対して自らの思考を挟み込み、介入し掻き回す情報侵食(クラッキング)。
ガーンドレッドのホムンクルスは無垢にして無能。前回を経験しているからこその先入観が、嚇炎の悪鬼に隙をねじ込む。
「が、ぁ……! てめえ……クソ人形……ッ!」
「貴様といいノクト・サムスタンプといい、ある意味感謝が尽きんよ。
サムスタンプは憎悪を教えてくれたが、貴様も私に感情を教えてくれるのか。
ああ。実に、実に胸がすく気分だ。友が宿敵を驚かせ、唸らせる光景というのは――悪くなかったぞ」
本来、一級品の魔眼は簡単に介入などできる代物ではない。
だが赤坂亜切の魔眼は既に壊れている。
破綻し、崩壊し、売りだった精密性をすべて攻撃性に回した成れの果てだ。
直接戦闘を可能にした代わりに、精彩を著しく欠いたブロークン・カラー。
他者加害の形に最適化された宝石は、対価として拭えぬセキュリティホールを抱えた。
だからこそホムンクルスの一矢は成ったのだ。魔眼の無力化とまでは流石に行かずとも、これで少なくとも向こう数分の間は、アギリはまともに嚇炎を遣えない。
「善因善果、悪因悪果。
仏の教えに興味などないが、なるほどそういうこともあるらしい。
年貢の納め時だ、赤坂亜切」
ホムンクルスは悪意を識らぬ。
だが、今の彼の言葉は限りなくそれに近かった。
競い合い、殺し合った旧い敵に向けるこれ以上ない意趣返し。
「我々の勝ちだ。妄信の狂人よ、せいぜい地獄から我らの聖戦を見上げて過ごすがいい」
508
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:45:07 ID:GmQ3YvAM0
――スカディとシャクシャインの激突は、早くも最高熱度に達しつつあった。
圧倒的な性能で上を之かんとするスカディに、追い越さんばかりの勢いで喰らいつくシャクシャイン。
放たれる弓を、振るわれる暴力を、万物万象死に絶えろと祈る死毒の炎が穢し抜くことで撃滅する。
さしものスカディも、こうなってはもう不動を保てない。
頻繁に位置を変え、時に前進し時に後退しながら、天使の祈りを授かって躍る穢れたる神と息の詰まるような交戦を続けていた。
死と死、殺意と殺意の応酬。
飛び交う一撃一撃が比喩でなく致死。成り立つ筈のない交戦を、天使の加護と復讐者の執念が可能とさせている。
【受胎告知(First Light)】。それは一言で言うなら、彼女が既に覚えていた感光(コーレス)の強化形だ。
与える加護の範囲を絞る代わりに、等しく照らすのとは次元の違うレベルの強化を与える。
それが、アイヌの堕英雄が北欧の巨人女神と互角に殴り合うという異常事態を成立させる理屈の正体だった。
勝って、負けないで、生きて、笑って――
あらゆる祈りが一点に束ねられ、祝福となって突き動かす。
何も灼かず傷つけないという、元ある天使の在り方から"一歩"踏み出した光のカタチ。
恒星の熱量を有する器が放つ本気がどれほど強いかは、神寂祓葉を知る者なら誰でも理解できるだろう。
そこに理屈はあるが、限界はない。
言うなれば究極の理不尽だ。彼女たちは世界に散りばめられた神明の器。抑止力さえ認める、世界を如何様にでもできる素質の持ち主。
輪堂天梨はこの時、他の候補者に先んじてその可能性を体現していた。
パコロカムイの炎は、その猛毒は、神をも穢す熱となって巨人の暴威と真っ向から拮抗し続けている。
「熱いね、アツいねぇ――――唆らせるじゃないか、もっと猛ろよおいッ!」
「黙れ、死ね。喋るな糞が、今すぐハラワタ穿り出して踏み潰してやる」
雪と炎。真の神性と偽神の瞋恚。
ぶつかり合う度に景色が、背景に変わって散っていく。
スカディは毒に、シャクシャインは暴力に冒されているが共に気になど留めない。
剣と矢。
自然を、世界の理を知るふたりが共に最短距離で殴り合う。
地面を、周囲を、微塵に砕きながら冷気と熱気を入り混じらせる。
片や腐敗。片や狩猟。死と生は共に相容れず、だからこそ戦況の過熱に歯止めは存在し得なかったが。
ことこの状況に限って言うならば、その手段を持っているのはホムンクルスの側だった。
「……チ。間に合わなかったか」
言葉とは裏腹に、どこか歓迎するように笑うスカディ。
次の瞬間、彼女の右手は飛来した一本の矢を掴み取っていた。
「呆けてんなよアギリ。今度こそ気引き締めな」
そう、彼女だけはこの狩りに時間制限があることを認識していたのだ。
『夜天輝く巨人の瞳(スリング・スィアチ)』。
広範囲の索敵機構である第一宝具を持つスカディは、最初からこの場所に向け移動してくる英霊の姿を認めていた。
509
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:45:45 ID:GmQ3YvAM0
それまでにシャクシャインを狩ってホムンクルスを討つ算段だったが、結果はご覧の通り。
天梨の祈りと、これがもたらしたシャクシャインの覚醒。
怒り狂う狂獣に手を拱いている内に、いつの間にかタイムオーバーを迎えてしまったらしい。
時間超過の代償は嵐。遠くの方に浮いていた黒雲は、災いの風を運んでくる。
「さもないと、アンタでも余裕で死ぬぞこりゃ」
からからと笑う声が響いた刹那。
ビル群の隙間を縫いながら、百では利かない数の剛矢がアギリとスカディの両者に殺到した。
苛立たしげに眼を押さえ、血涙を流すアギリが飛び退く。
スカディが矢を放ち、彼を狙った矢雨をねじ伏せた。
射撃の精度は彼女から見ても一級品。一撃一撃の威力なら自分には到底及ばないが、精度なら上を行くだろう。
いやそれよりも。この矢に宿る、神核を震わせるような威圧感と荘厳さは……
「ほぉう。今度は本物か」
神。シャクシャインのような贋物とは違う、正真正銘の高き者。
スカディが看破するや否や、羽々矢の主は颯爽と炎の覆う戦場に参上した。
「――――おい、ホムンクルス」
上品だが身軽そうな直衣。
少年でも少女でも通るような、中性的で、雄々しくも美しくもある絶世の美貌。
片手に握るは天界弓。相手がスカディだから相殺を許しただけで、余人ならば防ぐこともままならない名うての剛弓だ。
これを持って地上に下り、かつ同族殺しの素質を持つ神など長い日本神話の中でもひとりしか居ない。
「時間も暇もない。迂遠なのは避けて、端的に答えよ。
どういう状況だ?」
高天原より天下りて、荒ぶる地祇の平定を仰せ遣った天津の一柱。
天若日子――その見参である。
しかし状況は、ひと目では理解できないほどに混沌としていた。
待ち合わせ場所は火災現場と化しており、己の矢すら容易く凌ぐ異邦の神がいる。
かと思えば、悍ましい毒色の火を爛々と輝かせて狂奔する見知らぬ英霊も見受けられる。
"案内人"の指示に従って前者を狙撃したはいいが、どちらが敵か味方かも判然としない状況だった。
問うた相手は、地面に転がって薬液の中で揺れているホムンクルス。いまいち信用ならない同盟相手。
天若日子の問いを受け、ホムンクルス36号は注文通り、なるだけ簡潔に、それでいて不足なく回答した。
「あの巨女とダークスーツの男が敵だ。
アンジェリカ・アルロニカに渡した資料は見ているな?
奴は赤坂亜切。私と同じ〈はじまりの六人〉のひとりで、中でも最も凶悪な男。
対話の余地はない。貴殿の主義を考えて助言するなら、何をおいても討つべき相手だ」
「分かった。今はそれでいい」
神の双眸がアギリを見据える。
チッ、と嚇炎の悪鬼が舌打ちをした。
次の瞬間、彼を狙う矢が音さえ引きちぎって迸る。
510
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:46:23 ID:GmQ3YvAM0
「アーチャー!」
「やれやれ、世話の焼ける餓鬼だね」
もっとも、容易くそれをやらせるスカディではない。
地を蹴るなり、神獣もかくやの速度で射線上に割って入り。
スキー板の一振りで、天界弓の凶弾を粉砕した。
「お、なかなか美形じゃないか。惜しいね、もう少し大人びてたら"アリ"だったんだが」
「光栄だが、慎んでお断りしよう。操を立てた妻がいるのでな」
互いに弓手同士。
弓手といえば距離を取り合って、互いに技を競いながら殺し合うもの。
しかしそんな常識は、この二柱の神の前では通用しない。
先に仕掛けたのは天若日子。
野猿もかくやの身のこなしで跳び、空中で矢を放ちながら微塵も精度を落とさない。
受けて立つのはスカディ。
剛力任せに矢を払いながら、一瞬未満の隙で彼女も矢を射り天津の神と拮抗する。
牛若丸と弁慶の戦いをなぞるが如き、敏の究極と剛の究極のせめぎ合いであったが。
無論――戦の美しさだの流儀だの、そんな些事を気に留める"彼"ではなかった。
「何処見てやがる糞婆。てめえの相手はこの俺だろうがぁッ!!」
狂炎・シャクシャインは、流れ弾が身を掠めるのも厭わず堂々とふたりの間を引き裂き乱入した。
途端に敵も味方もなく、己が肉体を起点として死毒の炎を放射状に爆裂させる。
「ッ……! おい貴様、味方ではないのか!?」
「あっはっはっは! その手の配慮を期待するのは無理筋だよ、若いの。こいつはとびっきりの狂犬なのさ!」
敵? 味方? 知るかそんなものどうでもいい。
殺す。燃やす。引き裂いてしまえばすべて同じだろうがと、穢れたる神は傲慢に宣言していた。
それに、天若日子は彼が憎み恨む大和の神。
その時点で穏当な判断は期待できない。結果、事は三つ巴の様相をさえ呈し始める。
「ああくそ、あやつらと絡むといつも面倒が待っているな!
言っておくが加減はできん。巻き込まれて死んでも文句は言うなよ、紫の!」
「こっちの台詞だ。死にたくなけりゃ離れてろ、大和の腐れ神が」
「――ッくくく! ああ愉快だね、これでこそ座から遥々呼び出されてやった甲斐があるってもんだ!」
大和の神が、八艘飛びよろしく躍動しながら害滅の天意を降らせ。
蝦夷の悪神が、野生めいた直感でそれを掻い潜りつつ呪いの火剣を荒れ狂わせ。
そして北欧の女神が、圧倒的な力だけを武器に己に迫る天地両方の瞋恚を涼しい顔で薙ぎ払う。
まさに神話の戦い。これぞ聖杯戦争。造物主が生み出した仮想の都市にて、三柱の神が燦然と乱れ舞っていた。
511
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:47:17 ID:GmQ3YvAM0
「はぁ……はぁ……ッ。やってくれるじゃないか、ホムンクルス……!」
その光景を見つめながら、アギリはようやく機能の戻り始めた魔眼の血を拭う。
よもやあんな形で一杯食わされるとは思わなかったが、あくまで一時的な不調に過ぎない。
猫だましを食らったようなものだ。魔眼を封じられ、一般人同然に堕した時は本当に心胆が凍ったが、乗り越えてしまえば笑みを浮かべる余裕も戻ってくる。
「癪だが……認めてやるよ。
ガーンドレッドの引きこもりが、ずいぶん油断ならない敵になったもんだ……!」
むしろ――アギリを最も焦らせたのは、彼が見出した〈恒星の資格者〉の方だった。
輪堂天梨。己の目の前で、"彼女"に迫るほどの劇的な可能性を魅せた美しい少女。
天梨が翼を広げながら、天使のように祈る姿が今も瞼に焼き付いて離れない。
敗北感さえあった。祓葉を至上と、唯一無二の半身と認めた自分が、彼女以外の誰かに魅入られかけたのだ。
姉力、妹力、共に超絶の高得点。あんなただの片鱗でさえ、歴代第二位の成績を記録したダイヤの原石。
もしも。
もしもあの天使が、真にその翼を広げてしまったならば。
それを目の当たりにした自分は、どれほどの感動と衝撃に貫かれるのか。
考えただけで恐怖が募る。そう、赤坂亜切は恐怖していた。同時に、蛇杖堂寂句が何故自分にあんな質問を投げてきたのかを理解した。
――〈恒星の資格者〉について、貴様はどう考えている?
――貴様は、そんなモノが存在すると思うか?
――いや。存在し得ると思うか?
要するにあの老人は、恐ろしかったのだろう。
怒りさえ覚える荒唐無稽。だが、なまじ本物を知っているからこそ拭えない不安。
"神寂祓葉という極星は何も唯一無二などではなく、あれに比肩する可能性の卵もまた存在しているのではないか"
"ただ、目覚めていないだけで。そうなるためのきっかけに出会っていないだけで"
……小心と笑う気には、もはやなれなかった。
笑えるわけがない。何故なら自分は、その実例に遭遇してしまったのだから。
「君は殺すが、少しは敬意ってやつを込めてやってもいい。
お姉(妹)ちゃんに未知を魅せたいその気概、しかと見せてもらった」
血涙の痕を顔に薄く残しながら、赤坂亜切は歩み始める。
魔眼が鳴動し、再び彼の魔術回路に熱を灯す。
さっき介入を食らったのは、やはり隙があったからだろう。
輪堂天梨という未知を前に忘我の隙を晒してしまった、だから付け込まれた。よって同じ轍は踏まない。
今度こそ一寸の油断もなく、完璧な葬送を執り行ってやる。
間隙の消えた放火魔は今度こそ最大の脅威として、巻き返した筈の戦況に投下される。
だが。
赤坂亜切は、まだ完璧には理解していない。
ホムンクルス36号が何故、我々の勝ちだと言ったのか。
その答えが今、再起した悪鬼の前に示された。
「そうかい。大将にはちゃんと伝えとくよ」
ぱぁん。
そんな、軽い音がして。
512
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:48:26 ID:GmQ3YvAM0
「…………なに?」
アギリは、自分の頬に熱感が走るのを感じた。
それだけで済んだのは、たまたまだ。運が良かっただけ。
拭えば、そこには涙ではない血糊がべっとり貼り付いている。
すぐに起きたことを理解して、振り返りざまに炎を放った。
放たれた紅蓮は、ただちに下手人の全身を炎で巻く。
悲鳴をあげながら崩れ落ちていったのは、どこにでもいるような、草臥れた顔の中年男性だった。
なのにその手には、拳銃が握られている。
装いも雰囲気も、とても"殺せる"側の人間とは思えないのに、持っている得物だけがひどくアンバランス。
不可解が、鍵になって記憶の引き出しを開かせる。
まさか――思った瞬間、アギリは怖気と共に地を蹴っていた。
赤坂亜切は殺し屋だ。
殺し殺されの世界に深く精通しているが故に、彼は殺気や迫る死の気配に敏感である。
にもかかわらず掠り傷とはいえ不覚を許した理由は、そこに殺気と呼べるものが存在しなかったから。
まったく殺気を出さずに事へ及べる人間は、それすなわち超人に等しい。
ほいほいと産まれる存在ではない。だというのに、またも銃声が鳴った。ただし今度は、無数に。
「く、っ……!」
殺気がない。あるべきものがない。
人の意思というものが、此処には介在していない。
下手人は探すまでもなかった。火事場を遠巻きに眺める野次馬達、そのすべての手に拳銃が握られている。
そう、"すべてに"だ。主婦、サラリーマン、老人、子供……文字通り老若男女あらゆる人種が当たり前のように帯銃した上で、殺気を出さず仕掛けるという超人芸を披露しているのだ。
「――アーチャー! 退けッ!!」
「あぁ? なんだいだらしないね。こっちはせっかくイイところだってのに」
「緊急事態だ。頭なら後で下げるから、僕の援護に全力を注いでくれ……!」
かつての東京と、今目の前にある仮想都市の景色が重なる。
自分も、イリスも。蛇杖堂もガーンドレッドも、あのハリー・フーディーニでさえまったくの無視とはいかなかった"最悪の脅威"。
文字通り都市ひとつを手駒とし、自分以外誰も信用できない疑心暗鬼の世界を作り出した英霊。
よもやとは思うが、こうなってはもう否定などできなかった。
これが出てきた以上、戦場で丸腰の姿を晒すなど自殺行為に等しい。
「……懲りずにまた地獄から這い出てきたか、ハサン・サッバーハ……!」
〈山の翁〉。前回では、ノクト・サムスタンプの秘密兵器だった百貌の暗殺者。
人心を操るその御業は百万都市・東京という舞台において、この上ない脅威として悪名を轟かせた。
元凶であるノクトを含めて、前回の戦いを知る人間の中で彼を軽んじる者はいないと断言できる。
アギリに言わせれば悪夢であった。二度とお目にかかりたくないあの暗殺者が、よりによって不倶戴天の一角であるホムンクルス36号の走狗として再び顕れているというのだから。
主の命令に渋々従い、スカディは最前線を離れて彼の傍に戻る。
放った矢は立ち並ぶ"人形"達をすぐさま鏖殺したが、それでも油断の余地はない。
斯くして混沌の戦場は、一旦の小休止を迎えた。
513
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:49:17 ID:GmQ3YvAM0
「どうした? 笑顔が曇っているぞ、赤坂亜切」
「驚かされたのは否定しないがね。勝ちを気取るにはまだ早いだろ、ホムンクルス」
視線と視線が、交錯する。
瓶の中の小さないのち。
もの皆焼き尽くす炎の狂人。
〈はじまりの六人〉が出会えばどうなるかの答え、そのすべてがここに存在している。
焼き尽くされ、蹂躙され、死骸と瓦礫が広がる末法の一風景。
彼らは共に殺し合うしかできない残骸なのだから、故にこうなるのは自明の理であった。
「しかしやられたよ。まさか君がここまでやるとは思わなかった」
「貴様相手に謙遜するつもりはないが、助言があった。祓葉は未知を求めていると。変わらぬ限り、おまえでは彼女の遊び相手として不足だと」
「その結果が、輪堂天梨だと?」
「そうだ。私は、本当に美しいものを見た」
今まさに殺し合っているとは思えない、どこか気安いやり取り。
「天梨は私の友で、至らぬこの身が主君に献上する珠玉の未知だ。
これに比べれば都市のすべて、芥に等しいと断ずる」
だが――本人も気付いていないのだろう。
自分の口で言葉を紡ぐ、赤子の顔に、その眉に。
厳しく、憎らしげに皺が寄っていることに。
「貴様は私の恒星を育ててくれた。その背中を押し、一線を踏み越えさせてくれた」
「はッ、だったら礼のひとつも言ってほしいもんだけどな。そんなに殺気立って、まったくもってらしくないじゃないか」
「そうだな。だが許せ。私自身、今抱いている"これ"を言語化できていないのだ」
天使が飛翔するなら、翼の色にこだわるつもりはない。
それが白であれ黒であれ、星に届くならなんでもいいのだと。
先刻自分は、確かにそう言った。
なのにああ何故だろう。いざ実際に有意な一歩を踏み出した彼女を見た時に、途方もない悪感に身が震えたのは。
「――――赤坂亜切。私は今、無性に貴様に死んで欲しい」
彼女と出会い、それを罵る者と再会して、憎悪を知った。
であればこれは、やはりそう呼ぶべき感情なのか。
分からないので、今すぐにでも教えを乞いたい気分だった。
「奥の手があるのか? 切り抜けるアテでもあるのか?
ならば示してくれ。我が手札のすべてを以って受けて立つ。
その上で、どうか無惨に死んでくれ。何も成さず何も残さず、何もかもを否定され消えてくれ」
「は」
ホムンクルスの率直な殺意に、アギリは鼻を鳴らして笑う。
「いいだろう、君はずいぶん立派になった。
そんな顔ができるなら、玉無しの評価は撤回してあげよう。
けれど生憎だな、僕も君にはとても死んで欲しい。なのでその末路は、僕でなく君に体現してもらおうか」
小休止が終わる。
交錯する殺意と殺意。
止まらない、止まる筈がない。
むしろ静寂を挟み、息つく暇を設けたことでこの続きはより破滅的で地獄的になるのが確定していた。
「死ね。赤坂亜切」
「消え失せろ。ホムンクルス」
世界ごと弾けるような殺意の応酬の結果として、彼らが共に抱える爆弾は起爆の時を迎えんとし、そして……
514
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:50:20 ID:GmQ3YvAM0
ホムンクルスが。
アギリが。
天若日子が。
スカディが。
シャクシャインが――――全員、示し合わせたわけでもないのに、目を見開いて硬直した。
「…………おい。ホムンクルス」
「ああ――――来たな」
今の今まで互いに殺意を突きつけ合っていたふたりが、急に共感を示して頷き合う。
その意味するところはひとつしかない。
これまでの戦いが児戯でしかなかったと断ずるようにあっさりと、世界の色が変わった。
混沌の七色から、秩序の一色へ。虹から白へ。ジャンルが、切り替わる。
小休止。からの混沌開戦。そんな流れを塗り潰して、本命が来た。
もう誰も矢を射らない、剣を握らない。
殺意を示さず、悪罵を交わし合うこともない。
新宿に、神話とも比喩表現とも違う、〈この世界の神〉が侵入(はい)ってきた。
その事実の重さを、これまでの経緯を思えば不気味なほど静まり返った戦場が、無言の内に物語っているのだった。
◇◇
515
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:51:00 ID:GmQ3YvAM0
どこか現実感なく、その光景を見つめていた。
瞳の光景。それは、暴力による蹂躙の合戦だった。
迫っていた死を打破し、皆死ねよとすべてを燃やす己の相棒。
自分の祈りが招いた結果を見て、輪堂天梨はぼうっとしていた。
既にその背に広がった翼は縮んでいる。
当然だ。さっきのはあくまで一瞬一線を超えただけであって、真の堕天というにはあまりに質が浅い。
それでも、日向の天使が自分の口で、他者加害の祈りを口にした事実は大きかった。
純潔は散ったのだ。祈りを捧げたあの瞬間、確かに輪堂天梨は赤坂亜切達の死を祈っていた。
そのことを、誰より天梨がよく知っている。だからだろう。危険が一段落した今も、地に臥せった格好のまま覚束ない視線を揺蕩わせているのは。
そんな彼女のもとに駆け寄り、そっと抱き起こす女の姿があった。
「……っ。ねえ、大丈夫……!?」
抱き起こされ、支えられて、それでも礼のひとつも出てこない。
言葉を口にするには、まだもう少し時間が必要だった。
疲労や痛みとは無関係の朦朧を抱えて、天使は白痴めいた相を晒している。
口の端からつぅ、と一筋の涎が垂れた。拭う余裕も、もちろんなかった。
「…………ごめん、なさい」
代わりに漏れたのは、ひとつの言葉。
続いて涙がぼろぼろと、とめどなく溢れてくる。
「わ、っ……!? ちょ、ちょっと……!
怪我してるの? 痛いところある? ねえ、天梨さん……!」
「ごめん……ごめんね、ぇ……。
ほむっち、アヴェンジャー、…………満天、ちゃん……っ」
ぐす、ぐず、と。
目の前の女の胸にぎゅっと縋りながら、天使と呼ばれた娘は泣いていた。
自分自身の愚かさを、弱さを心底悔やむような。それでいて、そんな言葉では語り尽くせないような。
天使ではない、"輪堂天梨"というひとりの人間のすべてが流れ出たような涙だった。
少女は星だ。それでも人間だ。
少女は人間を。それでも星だ。
そのジレンマから、自己矛盾から、決して彼女は逃げられない。
星となる素質を踏まえながら、他者を灼いて押し退けるのではなく思いやる道を選んだ時点で。
彼女は永劫に続く、癒えぬ苦難を抱えることを運命づけられている。
――たすけて。
そう求めた声に、手が差し伸べられることはなく。
星たる天使の少女性をよそに、都市の運命は廻り続けていた。
◇◇
516
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:51:25 ID:GmQ3YvAM0
【新宿区・個室スタジオ跡地/二日目・未明】
【輪堂天梨】
[状態]:疲労(大)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(大)、意識朦朧
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:……ごめんね。
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
→魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。
【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(大)、激しい怒り、全身に被弾(行動に支障なし)、【受胎告知】による霊基超強化
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:鼠どもが裏切ればすぐにでも惨殺する。……余計な真似しやがって、糞どもが。
2:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
3:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
4:青き騎兵(カスター)もいずれ殺す。
5:煌星満天は機会があれば殺す。
6:このクソ人形マジで口開けば余計なことしか言わねえな……(殺してえ〜〜〜)
7:赤坂亜切とアーチャー(スカディ)は必ず殺す。欠片も残さない。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。
※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。
517
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:52:00 ID:GmQ3YvAM0
【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(中)、肉体強化、"成長"、言語化できない激しい苛立ち
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:来たか――我が主。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
3:アンジェリカ陣営と天梨陣営の接触を図りたい。
4:……ほむっち。か。
5:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
6:赤坂亜切は殺す。必ず。
[備考]
※アンジェリカと同盟を組みました。
※継代のハサンが前回ノクト・サムスタンプのサーヴァント"アサシン"であったことに気付いています。
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
どの程度それが進むか、どんな結果を生み出すかは後の書き手さんにおまかせします。
※解析に加え、解析した物体に対する介入魔術を使用できるようになりました。
そこまで万能なものではありませんが、油断していることを前提にするならアギリの魔眼にさえ介入を可能とするようです。
【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:霊基強化、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:目の前の状況への対処。俺が見てない間になんてことになってんだこいつら。
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
3:神寂祓葉の話は聞く価値がある。アンジェリカ陣営との会談が済み次第、次の行動へ。
4:大規模な戦の気配があるが……さて、どうするかね。
[備考]
※宝具を使用し、相当数の民間人を兵隊に変えています。
518
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:52:33 ID:GmQ3YvAM0
【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:混乱、魔力消費(中)、罪悪感、疲労(中)、祓葉への複雑な感情、〈喚戦〉(小康状態)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:何がなんだかわからないけど、とりあえずこの子(天梨)は助けないと。
1:なんで人間なんだよ、おまえ。
2:ホムンクルスに会う。そして、話をする。
3:あー……きついなあ、戦うって。
4:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。できれば名前も聞きたくない。ほんとに。
5:輪堂天梨……あんまり、いい話聞かないけど。
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。
蛇杖堂寂句の手術により、傷は大方癒やされました。
それに際して霊薬と覚醒剤(寂句による改良版)を投与されており、とりあえず行動に支障はないようです。
アーチャー(天若日子)が監視していたので、少なくとも悪いものは入れられてません。
神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。
【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:敵を討つ。渋々だが、ホムンクルスとその協力者に与する。
1:アサシンが気に入らない。が……うむ、奴はともかくあの赤子は避けて通れぬ相手か。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
[備考]
519
:
産火
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:52:54 ID:GmQ3YvAM0
【赤坂亜切】
[状態]:疲労(大)、動揺、魔力消費(中)、眼球にダメージ、左手に肉腫が侵食(進行停止済、動作に支障あり)
[令呪]:残り三画
[装備]:『嚇炎の魔眼』
[道具]:魔眼殺しの眼鏡(模造品)
[所持金]:潤沢。殺し屋として働いた報酬がほぼ手つかずで残っている。
[思考・状況]
基本方針:優勝する。お姉(妹)ちゃんを手に入れる。
0:ああ、遂に来たか。
1:適当に参加者を間引きながらお姉(妹)ちゃんを探す。
2:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
3:他の〈はじまりの六人〉を警戒しつつ、情報を集める。
4:〈蛇〉ねえ。
5:〈恒星の資格者〉? 寝言は寝て言えよ。
6:脱出王は次に会ったら必ず殺す。希彦に情報を流してやるか考え中
7:輪堂天梨に対して激しい動揺。なんだこのお姉(妹)ちゃん力は……?
[備考]
※彼の所持する魔眼殺しの眼鏡は質の低い模造品であり、力を抑えるに十全な代物ではありません。
※香篤井希彦の連絡先を入手しました。
【アーチャー(スカディ)】
[状態]:疲労(中)、脇腹負傷(自分でちぎった+銃創が貫通)、蛇毒による激痛(行動に支障なし)
[装備]:イチイの大弓、スキー板。
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩りを楽しむ。
0:ますます面白くなりそうで何よりだ。いよいよアタシも、此処の神とお目見えかな?
1:日中はある程度力を抑え、夜間に本格的な狩りを実行する。
2:マキナはかわいいね。生きて再会できたら、また話そうじゃないか。
3:ランサー(アンタレス)は――もっと育ったら遭いに行こうか。
4:変な英霊の多い聖杯戦争だこと。
[備考]
※ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)の宝具を受けました。
強引に取り除きましたが、どの程度効いたかと彼女の真名に気付いたかどうかはおまかせします。
520
:
◆0pIloi6gg.
:2025/06/22(日) 21:54:12 ID:GmQ3YvAM0
投下終了です。
521
:
◆0pIloi6gg.
:2025/06/26(木) 01:15:17 ID:pNbo2EoE0
香篤井希彦&キャスター(吉備真備)
雪村鉄志&アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)
ランサー(カドモス) 予約します。
522
:
◆0pIloi6gg.
:2025/07/09(水) 23:58:18 ID:7KJ8azEQ0
投下します
523
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/09(水) 23:59:59 ID:7KJ8azEQ0
ザリ。と、その区に入ってしばらくしたところで老人は足を止めた。
長い白髭の小柄な老人だった。迫力という言葉とは無縁で、強い風が吹くだけでも倒れてしまいそうなほどか弱く見える。
そんな印象が、足を止めた瞬間にがらりと一変した。
口にはニヤリとニヒルな笑みを浮かべ、傲岸さを隠そうともせずにぎらついた眼光を飛ばす。
深夜の街にそんな老爺がひとり立っている絵面は妖怪、ぬらりひょんとかそういう類のものを思わせたが。
この杉並に起きていることの全貌と、巣食っているモノの大きさを知れば、誰も彼になど注目していられなくなる筈だ。
「予想はしとったが、思った以上にエラいことになっとるのう。
郷に入って郷に従うどころか、こっちの国を手前の郷に塗り替えよるとはな」
陰陽師とは魔術師以上に地脈霊脈の流れ、土地の気というものに精通した人種だ。
よってその極峰に達している彼――吉備真備には、今この街がどのように冒されているのかが手に取るように分かっていた。
仮想とはいえ元世界のそれとほぼ違いない精度で再現された土地霊脈。
何者かがそこに横溢している気の流れ、マナの性質を汚染して、自らの色で塗り潰している。
公害による土壌汚染を霊的なやり方で、もっと大規模かつ深刻に行っているといえばイメージしやすいだろうか。
少なくとも、現時点でさえもうここは"杉並区"と呼ぶべき土地ではなくなっていた。
この領域の内側にあっては、たとえ神霊の類でさえも本来の実力差に胡座を掻くことはできないだろう。
"侵食固有結界"。
派手さでは王道のものに劣る分、気付かれなければ水面下で何処までも拡大していくのが悪辣だ。
杉並の戦いで一旦の開帳を見せてくれたのは幸いだった。そうでなければ真備といえど、こうして実際足を踏み入れでもしない限り、異変を感知することさえできなかった筈だ。
「まずったのう、いつかの時点で気付くべきだったわ。これじゃ耄碌爺呼ばわりされても言い返せんわい。
"青銅の発見者"が何を興したか、何を生み出したのか。ちょっと考えりゃあ厄ネタなことくらい想像付くじゃろうが阿呆」
自罰する言葉とは裏腹に、真備の顔はますます愉快そうな笑みに染まっていく。
こんこん、と中身を確認するように自分の頭を小突きながら。
おもむろに足を振り上げ、そして靴底から振り下ろした。
それと同時に、老人の周囲一帯を覆っていた異国の気配が風に流されたように薄れる。
あくまで気休めだが、既にある王の国土と化した今の杉並でそれができた事実は無視できない。
今真備が見せたのは、中国は道家に起源を持つ禹歩という技法だ。
作法省略、我流改造済み。真備流に最適化されているので他の誰が真似しても無意味だが、彼が使う分には源流を完全に凌駕した効果をあげる。
陰陽を調和させ邪気を祓うという神道の柏手のエッセンスを取り入れ、より簡潔かつ効果的に運用した一歩。
しかし真備の意図は、この異界化された区を少しでもどうこうしようとか、そんな常識の物差しには収まらない。
その証拠が、彼の前方数メートル先に生まれた、陽炎のような空間の歪み。
そしてそこから姿を現す、白髪の老君の存在だった。
524
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:00:29 ID:kI9b2Ge20
「誘うような真似をせずともよい。どの道、こちらから向かおうと思っていたのでな」
重ねた年嵩で言えば、恐らく真備より更に上。
なのに生命力の壮んさでさえまるで真備に劣っていない。
研ぎ澄まし絞り上げられた筋肉は、痩せているのではなく引き締まっていて。
瞳に揺らぐ王気の輝きは鈍く、それでいて鋭く相対する者を射貫く。
「わはははは。そりゃあ何より、勇み足で赴いたはいいがアテがなくてですなぁ。
わざわざ一から探すというのもかったるいんでの、無礼は承知でひとつ誘いをかけてみた次第じゃ」
「よく言うものだ。我が領土に踏み入るなり、すぐさま粗相めいた魔力を撒き散らしていただろうが」
「歳を食っても悪戯坊主は治りませんでな。
尊い御方のお膝元と知るとどうにも、少しからかってみたくなるのですよ。まあ勘弁してやってくださいや」
「呆れた男だ。貴様の要石はさぞや苦労しているのだろうな」
老君、老獪、青銅の国にて相対す。
真備はらしくもなく遜った態度を示していたが、それが諧謔の一環であることは言うまでもない。
マスターも伴わず、キャスタークラスでありながら単身敵地に乗り込む不遜。
これに対し王が示す反応は、こちらもやはり、言うまでもなくひとつだった。
「――――それで。死にに来た、ということでよいのだな?」
王の名は老王カドモス。
神の眷属たる泉の竜を殺し、栄光の国を興した英雄王。
竜殺しの槍を片手に青銅の大地を踏み締める、嘆きの益荒男。
王は不敬を赦さない。相手が誰であれ、彼の前で不躾を働いた者の末路は決まっている。
堕ちた天星の嘶きさえ一蹴したテーバイの王を前にし殺意を浴びながら、しかし吉備真備は不変だった。
「確かに儂の国じゃ自害も美徳。されどそりゃ、切腹に限った場合の話でしてな。
ましてや人様の国に我が物顔で陣を張り、ここは我が国ぞとほざく異人に介錯を頼んだとあっては先祖も子孫も報われませんわい」
どっかりとその場に胡座を掻いて、懐から一杯の酒を取り出す。
ガラス容器に包まれたそれを、自分とカドモスの間に置いて。
そうして陰陽師は、吹き付けた殺意など何処吹く風で言ってのけた。
「儂は死にに来たわけじゃねえが、かと言ってあんたとドンパチやりに来たわけでもねえ。
――なぁに、相応の土産話は用意しとります。てなワケで一献どうですかのう、王様よ」
◇◇
525
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:01:07 ID:kI9b2Ge20
意識が、浮上する。
泥のようにまとわりつく眠気を振り払って、雪村鉄志は目を開けた。
気絶する前のコトがコトだ。激痛と苦悶を覚悟していたのだが、予想に反してその目覚めは清々しさすら感じさせるものだった。
「……、まき、な……?」
正確に容態を把握できてたわけじゃないが、全身痛くない場所を探すほうが難しい有様だったのは確かだ。
息をするだけでどろついた血が唾液に混ざり、肺は穴の空いたゴムボールみたいな音を立てていた。
なのに今は痛みがないどころか、あのひどく重い疲労感すらほとんど完璧に消えている。
信じがたいことだが、"清々しい朝"というやつだった。窓から見える外の景色は、明らかに深夜だったが。
「! ――ますた! 目が覚めたのですね、っ……!!」
「わぶぅっ!!」
記憶を辿る――杉並での戦闘。
このままリソースを注ぎ込み続ければ泥沼だと判断し、一瞬の隙を突いて逃げ出した。
だが逃げた先で、白い、無数の機械虫達にその行く手を遮られたのだ。
這々の体で手近な廃墟の窓をかち割り、文字通り転がり込んだのまでは覚えている。
そこで線が切れたように力が抜けて、そして……と、思い出しが佳境に入ったところで胴体に衝撃が走った。
ベッドに寝かされたままの鉄志の胴体に、マキナがびょーん!と飛び込んできたためだ。
ここでおさらいしておこう。
デウス・エクス・マキナの見た目はどこぞのベルゼブブ(偽)と然程変わらない実にミニマムなそれだが、彼女の手足は鋼鉄製の義肢だ。
よって外見からは想像できないほどの重量がそこには宿っている。もっとデリカシーなく言おう、マキナは重いのだ。
ロリィな体躯に搭載されたヘビィな体重が、全力の飛びつきで無防備な病人のボディに炸裂した。
血を吐くかと思った。冗談抜きに白目を剥きかけた。三途の川の向こうで亡き妻が手を振ってるのが見えた。
「よかった、よかったです……! このまま目覚めなかったらどうしようかと、当機は、当機は、う、ぅ……!!」
「わ、悪かった! 心配かけてすまん! 謝るからとりあえずどいてくれ、こ、今度こそ死ぬ、ギブ、ギブ……!!」
「〜〜っっ! そ、そーりー。失礼しました、ますたー!!
だ、大丈夫でしょうか……。せっかく戻った顔色が心なしかまた青く……、も、もしや、さっきの治療に不備が……!?」
「恐れおののきながらこっちを見るのやめてもらえませんか???」
おろおろと慌てるマキナ、げほごほと咳き込む鉄志。
が、はたと気付いた。マキナの言葉に対して、誰かの返事があったからだ。
「――――あんたが、助けてくれたのか?」
「ええ、まあ」
声の主は、目を瞠るような美形の青年だった。
黒い短髪は無駄なく整えられ、割れた窓ガラス越しの夜風を受けて自然に流れている。
テレビの中から飛び出してきたかのような整った顔立ちは、人となりを知らなくても、あぁこいつモテるんだろうなと納得させるものがあった。
「そうです、ますた。この方がますたーを助けてくれたんです。
当機も一部始終を見守っていましたが、ちょっと手を翳しただけであっという間に顔色がよくなっていって――」
「その割にすぐヤブ医者認定しようとしましたよね、今」
「そ、そそ、そんなことはありません。当機は礼節を重んじます。
断じてそう、まずいと思って反射的に責任をなすりつけそうになっただとか、そんなことは……」
「はぁ……。スキンシップが激しいのは結構ですけど、二回目はやりませんからね絶対。僕としても、タダ働きとか趣味じゃないので」
「む……ぅ。気をつけます。ごめんなさい」
「わかればよろしい」
漫才(やりとり)に淀みがない。どうやら自分が寝ている間に、ずいぶん色々あったようだ。
半身を起こしてこめかみを叩きながら、鉄志は難しい顔で青年を見つめた。
縋りついたままの格好でしゅんと萎れるマキナの頭を撫でてやりつつ、快気した探偵は口を開く。
「どういう風の吹き回しだ?」
526
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:02:01 ID:kI9b2Ge20
「……いえ、ますたー。あの方は――」
「悪い、マキナ。ちょっと黙っててくれ」
まずは礼を言うのが筋というのは鉄志も分かっているが、この街で行われてるのは聖杯戦争だ。
誰が何を考えてるのか分からない以上、たとえ命の恩人だからってすぐには信用できない。
というかそもそも、敵の命を助けるような真似をするのがまず不可解だ。
治療の際に何か埋め込まれてはいないか。命を助けてやった恩を理由に、不平等な契約を持ちかけてくる手合いではないか。
警戒すべきことは山のようにある。鉄志の発言は人としては仁義に悖るが、マスターとしては間違いなく正解だった。
そんな鉄志に、青年は心底うんざりした様子で前髪をくしゃりと握って言う。
「ずいぶんな言い草ですね。言っときますけど、僕が助けてなかったらあなた今頃この世にいませんでしたよ?」
「かもな。けども魔術師から施される"無償の善意"ほど不気味なものはないのも事実だ。あんたも魔術師なら分かんだろ」
「――はあぁあぁあぁ……。僕だってねぇ、助けたくて助けたわけじゃないんですよ!
ウチのサーヴァントが、あのクソジジイがやれって言うから仕方なく! し・か・た・な・く、死にかけの中年オヤジに救いの手を差し伸べてやったんです!!」
「……お、おう。まあ落ち着いてくれ。話なら聞くからよ」
返ってきた返答があまりにやけっぱちだったものだから、鉄志も思わず毒気を抜かれてしまう。
がんがんと苛立ちを堪えられない様子で机を叩く姿は、否応なしに苦労人というワードを連想させた。
詰問から宥めモードに移行した鉄志を一瞥し、青年は腕組みして、もう一度深い溜息をつく。
「大体、僕は魔術師なんかじゃありません。内輪揉めと貴族ごっこが趣味な連中と一緒にしないでください」
「……魔術師じゃない? いやでも、あんたの治療はこりゃ完璧な手腕だぞ。
俺もそれなりに魔術師の顔見知りはいるが、これだけやれる奴なんてそういない。魔術師じゃないってんならおたく、いったい何者だ?」
「陰陽師です。まあウチも、よそ様の悪口を言えるほど高尚な業界じゃあないですけどね」
陰陽師。そう聞いて、鉄志は素直に驚いた。
存在自体は有名だが、言葉を選ばずに言うなら、現代の陰陽道はその規模でも実情でも大きく魔術師の後塵を拝している。
拝み屋や占い師に毛が生えた程度の技量で小銭稼ぎをやっているのが大半で、実力のある陰陽師はそもそも滅多に前線に出てこず重鎮気取りに明け暮れている……言ってしまえば腐敗した業界だ。
舐めていたわけではないが、まさか現代の陰陽師にこれほど腕の立つ若者がいるとは思わなかった。
そんな鉄志のリアクションを見て多少は溜飲が下がったのか、青年は彼に名を明かす。
「僕は香篤井希彦といいます。
ああは言いましたが、不審な真似をしたのは承知の上なので疑うならどうぞご自由に」
「香篤井……? っていうとまさかお前――希豊さんのせがれか?」
「…………え。父を知ってるんですか?」
今度は希彦が驚く番だった。
確かに、彼の父は香篤井希豊という。希彦のような突出した才能は持たない、現代陰陽師の例に漏れず術の行使よりも金稼ぎの方が上手な男である。
なので希彦は内心父を軽蔑していたが、彼も彼で、まさかこんなところで肉親の名を聞くとは思わなかったのだろう。
さっきまでの擦れた態度はどこへやら。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする希彦に、鉄志はいくらか警戒を緩めて言った。
「仕事で何度か世話になったんだ。魔術使いはたとえ末端でもガードが固いが、近代兵器然り、常識外のアプローチってやつに弱くてな。
俺達じゃお手上げの魔術犯罪者でも、別分野の専門家から見ると実は意外とボロを出してたりするんだと。
は〜、懐かしいな……。元気してるか? あの人酒豪だろ、身体壊してないといいんだが」
「変わらず健康そのものですが――仕事、っていうのは?」
「あー……ま、もう守秘義務もクソもねえか。公安機動特務隊って言ってな、対魔術師用の秘密警察みたいなもんだよ」
「特務隊……、……というともしかして貴方、雪村さん?」
「お。もしかして親父さんから聞いてるか? ったく、特務隊はメンバー構成からして重要機密だってあれほど言ってたのになぁ」
あわや一触即発の空気はどこへやら。
予期せぬ知己(ではないが)の邂逅に、すっかり緊張は緩和されていた。
527
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:03:09 ID:kI9b2Ge20
希彦も、特務隊の存在については知っている。というかまさに、父・希豊からオフレコとして聞かされていたのだ。
香篤井家は室町時代から続く名門だ。魔術界の外の知恵を欲した特務隊が頼る別分野の専門家としては、なるほど最適な人選だろう。
金さえ払えば協力してくれるし、腕はそこまででも積み重ねてきた経験と知識は活かせる。
希彦にしてみればそういう賢しらなところが気に入らないのだったが、現代最高峰の知識を持つ"専門家"を頼って公安の人間が仕事を持ってくるという話を、酔った父はよく自慢げに語っていた。
曰く、魔術を悪用した犯罪者を制圧するために組織された秘密警察。
基本は魔術使い以下の味噌っかすが相手だったというが、中にはそれなりに骨のある捜査対象もいたと聞く。
そう考えると、治療の際に覚えた疑問にもいろいろと合点が行った。
魔術師にしては鍛えすぎている。猪口才な肉体強化(ドーピング)ではなく、弛まぬ鍛錬で培われた肉体だ。希彦はそこが不可解だった。
術と並行して身体も鍛えるというのは、物心ついた時から才能で困ったことがない希彦にはまったく分からない考えだ。実際、酔狂な魔術師もいるものだと思った。
しかし、彼が特務隊の一員だというのならそれも納得だ。
「父がよく言ってましたよ、特務隊には骨のある奴がいるって」
「それ腕じゃなくて酒の強さのこと言ってねえか? 俺、あの人のせいで何回二日酔いになったか分かんねえよ」
「かもしれないですね。息子としては、その爪の垢でも煎じて飲めよって感じでしたけど」
「ははは。あの人ケチだったからなぁ。口開けばカネのことしか言わねえし、報酬の釣り上げでずいぶん難儀したよ」
「うわ、マジですか? 知りたくなかったなぁそれは……」
マキナは鉄志と希彦の顔を交互に見ていた。
ついさっきまでふたりがいつ揉め出すかと気が気でなかったものだから、この急激な穏和ムードについていけないのだろう。
「ま、ますた、ますた。希彦さんとお知り合いなのですか……?」
「直接の知り合いってわけじゃないが、ちょっと色々あってな。ありがとよ、マキナ。お前が頭下げてくれたんだろ?」
「ぅ…………」
ぽふぽふ、と頭に手を置かれて、張り詰めていたものがいよいよ限界になったらしい。
うるうると眼を潤ませるマキナを支えているのは、彼女が胸に抱くモットーだった。
神は笑わない、神は怒らない、神は泣かない、神は怠けない。
父の教えを寄る辺にいじらしく耐える少女をややばつ悪そうに見つめる希彦。さしものプレイボーイも、恋愛対象外の幼女には弱い。
ごほん、と咳払いをして、彼は鉄志に問いかけた。
「――ところで、特務隊は解散されたと聞いていましたが……」
「……色々あってな。今は俺も無職だよ、紆余曲折あってこんなきな臭い街に呼ばれちゃいるが」
「なるほど。深くは聞きませんが、公僕が魔術の世界に踏み込んだならそうなっても不思議ではないですね」
「ま、そんなとこだ。ところで希彦くんよ、お前はこの聖杯戦争でどういう立場を取ってんだ?」
緊張は和らいだが、それでもふたりの間柄が敵同士であることに変わりはない。
聖杯戦争とは最後の一座を争うバトル・ロワイアル。自分以外、誰であろうと手放しに信用はできないのだ。
「僕は普通に乗ってますよ。僕なりに戦う理由があってここに立ってる。
あなたを助けたことに他意はありませんが、決して味方ってわけではないですね」
希彦の言葉に、緩んだ空気が多少締まる。
そう、聖杯戦争とはそういうもの。
希彦の発言は別に特別なものではない。むしろ、特殊な立場を取っている鉄志の方がおかしいのだ。
確かに香篤井希彦は雪村鉄志を助けたが、だからと言って彼が鉄志にとって無害な人間であるとは限らない。
528
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:04:14 ID:kI9b2Ge20
その事実を改めて噛み締めた上で、鉄志は抱いていた疑問を口にした。
「だろうな。で、おたくのサーヴァントは何処にいるんだ?」
「…………、…………いません」
「え?」
「だーかーら! いないんですよ、今! あなたが目覚める前にひとりで出ていっちゃったんです!!」
「…………え、えぇ……?」
英霊らしき気配がないことには、目覚めた時点から気付いていた。
だが如何に助けた相手とはいえ、敵主従の前に自分のマスターをほっぽり出したまま席を外す英霊など普通に考えている筈がない。
だから鉄志は、希彦のサーヴァントは気配遮断に秀でたアサシンか何かだろうと思っていたのだが……
「そういう奴なんです、僕のサーヴァントは。あなたを助けたのも、あいつが助けてやれって偉そうに命じ腐ったからですし」
「その結果命を救って貰った身で言うのもなんだが……アレだな。気苦労察するよ」
「ありがとうございます。この一ヶ月で初めてですよ、僕の苦労を分かってくれた人は」
なんだか、思った以上に訳アリな主従らしい。
鉄志としてはとりあえず話せそうな相手に救われたようでひと安心だったが、はてさて彼のサーヴァントはどこへ行ってしまったのか?
「いざとなったら令呪で呼び戻せ、とは言われてますけどね。
それにしたって本当、我が下僕ながら正気とは思えないですよ。よりによって今の杉並にひとりで向かうなんて。
戦闘向きの英霊でもない癖に、どっちが井の中の蛙なんだか……」
「――は? いや、おい待て。おたくのサーヴァント、杉並に行ったのか!?」
「そうですよ、あの杉並に行ったんです。……っと、その様子を見るに、やっぱりあなた達はあそこから逃げてきたんですね」
杉並区。否応なしに先刻の出来事を思い出して、鉄志の顔が驚愕に染まる。
ありえない。今あの街がどうなってるか分かった上で、ひとりで向かったというのか?
だとしたら希彦の言う通り、本当に正気ではない。
先ほど自分達を散々に脅かしてくれた青銅王の膝下に顔を出すなど、たとえ万全の備えを期していたとしても自殺行為だろうに。
「こりゃ驚きだな……。今日は敵も味方も、妙な奴らによく会うぜ」
「そんなボケ老人からの言伝てがひとつありましてね。
儂が戻る前に情報交換を済ませておけ、ついでに議事録を簡潔に纏めて提出するように、だそうです。
あの雪村さん、謝礼とか払うので一回あいつぶちのめして貰えませんか? 死なない程度にボコボコにするとかできません?」
笑顔に青筋を立てながら言う希彦に、鉄志は改めて同情した。
まだ顔も名前も知らない相手だが、どうやら彼は相当なキワモノを引き当ててしまったようだ。
キワモノという点ではマキナを連れてる自分も人のことは言えないが、彼のところの"ボケ老人"に比べれば幾分マシなのは間違いあるまい。
「まあまあ、落ち着いてくれ。情報交換はウチも臨むところだ。というか、ぜひさせて貰いたい。
ちょっといろいろあってな……同盟だの協定だの抜きにしても、いろんな人間の意見が欲しくてよ」
「その割には開口一番から棘を向けられましたけどね」
「悪かったって。職業病でな、素性の分からない相手のことはまず疑ってかかるようにしてんだ」
「冗談ですよ。ちょっとした皮肉ですから、本気にしないでください」
窓辺のテーブル。希彦の対面の席に、鉄志が座る。
ぴょこぴょことマキナも歩いてきて、その脇にちょんとしゃがんだ。
サーヴァントとして自分だけ蚊帳の外というのは許せないのだろう。こういうところは実に健気だ。というか、勤勉なのだろう。
「――じゃあ始めましょうか。まず聞かせてほしいんですが、あなた達、杉並で一体何を見たんです」
希彦の問いに、鉄志は沈黙した。
答えるにしても、どう説明すればいいものか言葉を纏めている様子だ。
やがてその口は開き、大袈裟でもなんでもない、"見てきた者"としての率直な感想を述べた。
「バケモノ共の乱痴気騒ぎだ。分かっちゃいたがこの聖杯戦争、どうも思った以上にきな臭え」
◇◇
529
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:04:54 ID:kI9b2Ge20
いつの間に用意したのか、ふたり分の器を並べて、そこにカップの酒を注ぐ。
透明な液体からは、いかんせん王との会席にはそぐわない、遠慮のない酒臭さが漂っていた。
まずは真備がそれを手に取り、口元へ運んで慣れた調子で嚥下する。
ごきゅごきゅと飲み干し、かぁ〜っ、と声をあげてみせる姿は傍から見ると酒飲みの老人そのものだ。
「ほれ王様、毒など入っちゃおりません。あんたもどうぞ一杯、ぐいっと」
「……、……」
促され、カドモスもそれに続いた。
吉備真備は間違いなく彼にとって処断すべき不敬者だが、こうも堂々踏み入られた挙げ句、差し出された酒を断れば王の恥になる。
盃と呼ぶには無粋すぎる当代風の器を手に取り、ちび、と一口呑んだ。
途端に眉間へ皺が寄る。苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこのことか。
「酷い悪酒だ。味も何もあったものではない」
「これが当代風の味ですぞ、王よ。証拠にこの街の何処でも買えまする。疑うならばコンビニの一軒でも訪ねてみればよろしい」
「二口目は要らん。泥水でも呑んでいる方がマシだ」
旨いのに……と真備がしょんぼり唇を尖らせる。
全国のコンビニで、だいたいどこでも数百円で買える逸品である。
真備もあれこれ酒の遍歴はある筈だが、一周回って今はこれが気に入っているらしい。
もちろん異国の王族の口にはまったく合わなかったようだ。
彼が王でさえなければ唾でも吐き捨てそうな勢いだった。
今とは比べ物にならない銘酒、神酒が溢れていた時代の王族であるカドモスにしてみれば尚更、現代の"酔うための酒"という概念は理解できないのだろう。
「やれやれ。酒宴でいけずは嫌われますぞ」
「黙れ。貴様の国では宴の席でこれを出すのか?」
「今宵は天気が好いですなぁ。月見酒、月見酒っと」
「そうか。やはり貴様、死にたくて此処に来たのだな?」
スチャ……と槍を取り出そうとするカドモス。
どうどう、と宥める真備。
今更言うまでもないが、事を始められて困るのは彼の方である。
如何に真備が陰陽師の極峰のひとりであるとはいえ、敵方の陣地の内側で暴れるランサーと真っ向から喧嘩などすれば勝率は一割を下回る。
それを分かった上でおちょくるような振る舞いをできるのが、彼の非凡な点であるのだったが――それはさておき。
「冗談ですわい。先にも言ったように、土産話を用意しておりましてな。具体的に言うと、二つほど」
「言葉は慎んで選べ。どちらが上でどちらが下かが分からぬほど蒙昧ではなかろう」
「ええ、ええ。よ〜〜く分かっておりますとも。ではさて、まずは貴殿が先ほど相見えた糞餓鬼の話から致しましょうか」
カドモスの眉がぴくりと動いた。
先ほどこの地に現れ、狼藉の限りを尽くした不敬者。
530
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:05:29 ID:kI9b2Ge20
「アレは所謂〈人類悪〉です。ビースト、とも言えますな」
「……ほう。何故断言出来る?」
「職業柄ですね、臭いには敏感なのですよ。
あの餓鬼はカマトトぶっちゃおりますが、真っ当な英霊と呼ぶには少々ケモノ臭すぎる。
七つの人類悪か、何かしらのイレギュラーで生まれた番外位。まあ、ざっとそんなところでしょうなぁ」
人類悪――それは人類愛を謳いながら、愛する人理を滅ぼすモノ。
救いがたき獣性に憑かれた破滅の器、一が確定すれば七まで連なると謂われる、最も忌み嫌われたる生物。
先に己が相対した存在が"そう"であると迷いなく断言されれば、さしものカドモスも無感ではいられなかった。
物腰こそ静かだが、目に見えて食いついてきたのを感じて、真備は口角を更に歪める。
「カラクリ細工の娘にも会いましたかな?」
「会った。四肢を鋼に置き換えた小娘だな? 正当な英霊とは言い難い、大分奇怪な存在と見たが」
「なら話が早い。アレが恐らく、本来で言うところの冠位英霊に相当する役者の一柱です。殺さなかったのは賢明でしたな」
続いて話に出したのは、デウス・エクス・マキナ……雪村鉄志のサーヴァント。
ここに来る前、偶然杉並から逃げ果せてきた彼女と遭遇した、なんて経緯をもちろん真備は語らない。
さながらあまねく距離と時空を超越する千里眼で見通しているかのように、何食わぬ顔で言い当ててみせる。
無論カドモスはすんなり騙されるほど愚昧ではなかったが、それでもその堂々たる物腰は真備という英霊の確かな価値を示す。
怯え、震えながら何やら進言する格下と。
堂々胸を張り、虚勢交えながらそれを匂わせもせず貫き通す格下。どちらの言が傾聴に値するかは明白だろう。
「では、神寂祓葉という娘についてはご存知で?」
「名だけなら。だがそれ以前からも、妙な気配は感じ取っていた」
「ああ、はいはい。分かりますよ、分かりますとも。
何しろ儂も貴殿と同じようにアレの存在を感知したクチですんでの」
何か、道理の通じないモノが居る/在る。
そのことは、カドモスもちゃんと感じ取っていた。
喩えるならば、いちばん近いのは恐らく地震だ。
定期的に揺れが訪れるものの、では何処のなにが引き起こしているかを突き止めるのは何も知らない身では至難。
カドモスがずっと抱いてきた不可解のひとつに、此処で答えが示される。
「この舞台の黒幕は人類悪の餓鬼と、その祓葉っちゅう小娘です。
言うなれば胴元が憚りもなくイカサマをしながら、ありったけの金貨をちらつかせてるような状況でしてな。
儂もほとほと困り果てとるのですよ。手前で主催しておきながら実際は誰に勝たせる気もない、恥も外聞もない出来レースですわ」
「ふむ。大方そんなことだろうとは思っていたが……」
納得を抱いた上で、カドモスは自らもそこに辿り着いていたと示す。
テーバイの王は暗愚に非ず。神の気配を察知し、その上であの明らかに度外れた玩具を駆使する英霊を見れば推理のひとつも出来上がるのは当然だ。
「――それで? 貴様はこの儂に、神殺しの手伝いでもしろと言うつもりか?」
531
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:06:05 ID:kI9b2Ge20
「そうまで直接的じゃありませんがね。まあ、頭の片隅にでも入れておいてくれりゃ万々歳って具合です。
アレらを討たない限り何をどうやっても願いは叶わない、それどころか一寸も顧みられずに総取りされる。
胴元が進んで横紙破りをやってるんです、せめてその話くらいは周知させておくのが、知った者の責務かと思いましてな。どうじゃ、誠実でしょう」
「よく言う。貴様の眼が語っているぞ、舌の浮くような白々しい科白を宣っていると」
「わははは、こりゃ手厳しい。猪口才な奸計は無駄のようですなぁ」
実際、これは上手いやり方だった。
示すのはあくまでただの事実。されどそこに、すべてが詰まっている。
神寂祓葉とそのサーヴァントといういわば"主催陣営"が勝算を独占している以上、そこをどうにかしない限りは未来などありはしない。
聖杯に縋ってでも叶えたい願いがあるのなら、その障害物は無視できないだろう? と。
真備は遜りながらも示し、道を狭めているのだ。老王カドモスが選ぶべき道、討つべき敵を。
「ええ、いかにもそうですわい。儂はあんたに、あの餓鬼共を討つ助けをしてほしいと思っとる」
「それは――、貴様も聖杯に掲げる願いを持つ故か?」
「半々じゃな。半分は確かにそうですが、もう半分は純粋に先人としての最低限の責務ってやつです。
儂はオルフィレウスにも、神寂祓葉にも"遭って"ますがな……奴らは真実、本当の意味でただの糞餓鬼ですわ。
あんな砂利共に世界の覇権なんざ握らせたら、まずろくなことにならんのは明々白々。
まだ学び切ってない教本を落書き塗れにされちゃ敵わんでしょう。理由としちゃこれで十分と思うんですがね」
吉備真備は生前も死後たるイマも変わることなく探求者だ。
だからこそ彼には、オルフィレウスの陰謀に刃向かう理由がある。
彼はかの科学者の思惑の全貌を知らないが、だとしてもあの幼稚なふたりの陰謀に自分の愛する世界を汚されては敵わないと思っているのだ。
汚され、歪められた世界地図を探求することにいったい何の価値があるのか。
神の支配など不要、世界統一などますます不要――世はただあるがままに在ればいい。
そう思うからこそ彼は粉骨砕身を惜しまない。その熱はおどけた殻の内側からでも、相対する老王へと伝わっていた。
「で、お返事は如何に? カドモス王よ」
「可能性のひとつとしては踏まえておこう。
儂は聖杯を求めている。それを阻む謀があるのなら、この槍で打ち砕いて無に帰すのみだ」
「はっはっは、それでこそ。いやはやまったくテーバイは善き王を持った。神をも恐れぬ貴方が味方に着くというなら百人力です」
真備の口にする言葉はすべてが皮肉だ。
カドモスも、それを理解した上であえて今は怒らずにいる。
これも真備の狡いところだ。牙を剥けば己の株を下げる状況というものを、一見無軌道な無作法めいた振る舞いの中で巧みに作り出している。
カドモスは英雄王。故に格の縛りに逆らえない。それをすれば、己の国と子らすべての名誉を穢すと分かっているからだ。
「では、王の聡明を喜ばしく思いながら二つ目を。
現在、ああまさに今頃でしょうな。新宿で大きな戦が起きている」
「見くびるな。とうに知っておるわ」
「ええ、承知で話しておりますよ。
儂も自ら目で見て確認したわけじゃないですがの、戦いの大きさからして、祓葉もその取り巻き共も顔を出してるに違いありませんわ。
つまりこれは最初の分水嶺。都市の真実たるモノ達が動き、殺し合う祭りになるわけです。
どう転んでも役者の誰かしらは死ぬでしょうし、その死が後に残される我々に無関係であることはあり得ない」
真備はそれを知っている。
それが起こす事態も、後に残るだろう影響も把握している。
その上で一枚噛むこともせず静観を選んでいる。
何故か。その先にある混沌の果ての勝ちだけを狙っているからだ。
「で儂が思うに、あんたの小鳥はそっちに赴いてえっちらほっちら働いている。違いますかな?」
「――――」
途端に強まる殺意。
その桁は、これまでのとは一線を画する。
ここにいるのが真備だからよかったが、そうでなければ腰を抜かすか、ともすれば即座に心臓発作を起こしていても不思議ではなかった。
532
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:06:53 ID:kI9b2Ge20
「そう怒らんで下さいな、ただのちょっとした意趣返しですよ。
何しろ儂とウチの要石へ最初に喧嘩を売ったのはあんたらの方じゃ。
機会があればやり返そうと思ってたんです。しかしその反応を見るに――く、くく。弁慶の泣き所ってやつだったみたいですのう、王様?」
「貴様……」
「おっと、荒事は勘弁してくださいや。今のは確かに多少他意のある物言いでしたが、あくまで本意は親切心ですからな。
このまま捨て置けばきっと事態はあんたの想定の外に出る。そうなっては神殺しを目指す我々としても面倒なんですわ。
後になって嘆かれるくらいなら、いっそ起き得る最悪を阻止するため御大直々に足労願った方がいいかと思い、進言させて貰ってる次第ですよ」
吉備真備は腕の一振りで岩を砕き、神をねじ伏せる豪傑ではない。
彼にあるのは知恵と経験。探究心の赴くままに生き、大義の中にあっても我侭を見失わなかった男だからこそ、その視野と思考範囲は実に広い。
だからこそ、彼は当然に見抜いていた。
青銅の兵を率いる者というファクターからテーバイの国父カドモスの名を暴き、栄光と悲劇に呪われた男という情報を糧に、王の情念にまでも推理の網を届かせる。
かつて自分達のもとに攻め入ってきた青銅兵、それを率いていた幼い少女の存在。
それと王のバックボーンを重ね合わせた上で行った推論の結果――老王カドモスは、か弱い小鳥を見逃せない。
そこまで分かった上で事のすべてを俎上に載せ、不敬承知で自分に利のある話を進めていくのだ。
「儂が見るに、あんたの小鳥は長生きできないでしょう」
先の煽りと何が違うのかと思うような物言いだが、これは知見と人心理解に基づく的確な助言だった。
真備は老獪だ。若者のバイタリティと宿老の見識を併せ持つことが彼という英霊の最大の強み。
晴明とも道満とも違う、真備にしか選べない道というものがその眼前には常に存在している。
「なんたって眼が曇ってる。ありゃ過去に呪われ、痛みに縛られた者の眼じゃ。
そういう顔をして戦場に立つ者の末路は決まっとります。
なのでやり方は任せますが、あんたなりに助けてやりなされ。あの娘っ子に死なれると、儂らも困っちまうんでの」
「なるほど。では問おう」
だからこそ、彼が行う助言には値千金以上の価値があった。
逆鱗に触れる物言いをされたにも関わらず、カドモスが激昂していないのがその証拠だ。
王には人を見極める眼が不可欠。遥かテーバイの王から見ても、この老術師の慧眼は類稀なるものだった。
されど。それも続く彼の言動次第では、ここで終わる。
「その前にひとつ付け加えておく。
今から儂がする質問に対し、わずかでも含みのある答えを返した場合、この先貴様らとの交渉には一切応じない」
王はたとえ不敬者であろうとも、能力を示せたならば時に寛大だ。
しかし、不実と謀は決して赦さない。
「した時点で貴様と要石、更にそれに連なるすべての存在を敵とみなして誅戮する。例外はないと心得よ」
「……おーおー、おっかないことを仰る。そう殺気立たないで下さいや、酒の味も消えちまう」
おどけたように言う真備だが、この時ばかりは彼も緊張を感じていた。
この王が本気になれば、自分など吹けば飛ぶような三下でしかない。
建国王の故郷でその怒りを買うなど、比喩でなく神罰が落ちてくるのと変わらない。
希彦に令呪を使わせても、果たして撤退が間に合うかどうか。
天津甕星や雪村鉄志達が味わったのとは次元の違う、竜殺しの英雄の真髄を見ることになるだろう。
「慎んでお答えしましょう。儂も命は惜しい」
「そうか。では問うが、キャスター。――貴様、儂に何をさせようと目論んでいる?」
神殺しの片棒を担がせたいのは分かった。
が、真備の自分に対する執着は異常に見えた。
逆鱗の存在を分かった上でアルマナの話題を出し、あまつさえ助けてやれと進言までするくらいだ。
そうまでしてでも、自分達に当面生き残って貰わねばならない理由とは何か。
533
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:07:35 ID:kI9b2Ge20
放たれた問いに、真備は盃を置いて、正面から王を見据えながら言った。
「カドモス王、あんたの宝具は格別です。侵食固有結界、つまり世界を冒す御業だ。
儂も少し探ってみたが、はっきり言って凄まじい。いや凄まじすぎる。
今ある大地の表層を塗り替えるなんぞ、本来神霊がやる所業ですよ」
「世辞など望んでいるように見えるか?」
「話は最後まで聞くもんです、王よ。あんたの固有結界はつまるところ癌細胞なわけじゃ。
これが普通の聖杯戦争だったら、まあ迷惑極まりない御力ですがの。
しかし神なるモノが支配する、外道の聖杯戦争というなら話は大きく変わってくる」
この世界は、針音の仮想都市は被造物だ。
造物主が創造し、今も神たるオルフィレウスが俯瞰している願いの箱庭だ。
天津甕星を飼う闇の大蛇の真名すらも、彼は当然のように知っていた。
ここで疑問がひとつ生じる。
――何故オルフィレウスは、カドモスによる地脈侵食に気が付けなかったのか?
地上の手段では監視できない、地中での事象だったから? 確かにそれもあるかもしれない。
だが、もしもそうでなかったなら。カドモスの芸当が真の意味で、オルフィレウスの箱庭の道理を超えたものだったとしたら?
「あんたは唯一、オルフィレウスの箱庭で領土を持てる。
神にさえ冒されず暴かれない、栄光の国を拡げることができる」
カドモスの第三宝具『我が撒かれし肇国、青銅の七門(スパルトイ・ブロンズ・テーベ)』。
自動拡大する領土という目に見える強さに隠れているが、真に脅威的な要素はその奥にこそ潜んでいる。
この宝具は世界の修正力を相殺する。言うなれば、現存の法を打ち消しながら侵食し続ける国産み兵器だ。
たとえ聖杯を戴く造物主に創世された亜空の仮想都市であろうと例外ではない。
現杉並を始めとし、カドモスの領土はテーバイという名の独立地帯と化している。
青銅の英雄王が実効支配する新しい地図。そこで起こること、生まれる事態は、この世界の神々達にすら易々とは見通せないのだ。
緻密な計算のもとにプログラムされた仮想世界に紛れ込んだ青銅製のコンピュータウイルス。
敵として相対するなら脅威だが、利用しようと考えるならそこには計り知れない値打ちが付く。
戦に勝つために最も肝要なのは、敵に主導権を握らせないこと。あるいは一度握られたそれを奪い返すこと。
「――――神殺しの拠点として、これ以上に優れた場所はねえでしょう」
そのための準備をする上で、東京のテーバイは実に使える。
戦力を結集させるという意味でも、対神の備えを編むという意味でもだ。
534
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:08:19 ID:kI9b2Ge20
「さっきも言ったが、この聖杯戦争はそもそも挑む側が勝てる仕組みになっとらんのですよ。
あんたも解らんわけではないじゃろう。神様気取りの餓鬼共をどけんことには、にっちもさっちも行かん」
「だから我が国を使わせろと? 侮られたものだ。不敵と驕りを履き違えているようだな」
「その手の禅問答に興味はねえ。あいにくこの性格は幼時分からの悪癖でしてなぁ。やりたいようにやる、生きたいように生きる以外の選択肢を知らんのですよ。儂という男は」
だが、真備は最初からそれを目当てに杉並くんだりまでやって来たわけではない。
最初はただの興味本位。杉並の現状を確認しつつ、異変の主の顔をひと目見れれば万々歳。
そんな軽い見通しで足を踏み入れ、土地霊脈に起こっている異常の仔細を見抜くなりすぐこの発想を萌芽させた。
であれば後は思いついたが吉日。王の逆鱗に触れることも、それで誅殺されるリスクも何のその。
「とはいえ、今すぐに赦してくれとは言いませんわ。
新宿のいざこざが片付いた頃にでも、こちらから文を飛ばしましょう。その時に最終決定を下して貰えればそれで善き」
「……断ると言ったなら?」
「その時はそれ、やけ酒の一杯でも呷ってから次を考えるだけじゃ。
博打の勝ち負けなんざ、呑んで忘れて切り替えるのが一番ですからな。わっはっはっ」
吉備真備は、畏れは抱いても恐怖などしない。
彼は常に生粋の探求者。振った賽の出目が悪かったなら、また次を振ればいいと考える質だ。
希彦が彼を理解できないのも当然の話。
その精神性は術師よりも、むしろ冒険家や科学者に向いている。
カップの酒が消えると同時に、真備の気配が朧気に薄れ始めた。
カドモスは一瞬槍に手を掛けたが、……結局振るいはしなかった。
それをしても無駄だと判断したのだろう。この老人は交渉が破談になる可能性も、常に視野に入れて行動している。
であれば空振りの苛立ちを進んで抱えにいく意味もない。
「願わくば息災でまた会いましょう、遠い異国の英雄王よ。
次は互いの要石も同伴で、楽しく宴でもできるといいんですがの――」
今も遠い戦地で働いている王の小鳥の幸運を祈るような言葉を残して、真備はカドモスの視界から消失した。
後に残るのは空のカップだけ。まるで白昼夢でも見ていたかのように、不遜な陰陽師の姿は消え去っていた。
「……、ふざけた男だ」
小さく息を吐き、カドモスは厳しく目を細める。
ここが神の箱庭で、自分達が聖杯という林檎を餌に踊らされていることには気付いていたが、それでも王は勝負を捨てられない。
英雄達の始祖という殻の内側に隠した悲憤の嘆き。それは今も、老いた戦士の心を苛み続けている。
悲劇は潰えねばならない。たとえすべての栄光を無に帰してでも、流れる涙を根絶しなければならない。
王は今も迷いの中。
その証拠に、視線を向けた先は遥か彼方新宿の都。
――あんたの小鳥は今のままでは長生きできないでしょう。
――やり方は任せますが、あんたなりに助けてやりなされ。
老人の残した言葉がぐるぐると、彼の頭の中を廻っていた。
◇◇
535
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:09:05 ID:kI9b2Ge20
「……と、いうわけなんだが……」
「……、……」
「いや、分かる。そんな顔になるのも分かるぞ。
分かるんだが、えっと、大丈夫か?」
「――大丈夫です。ええ大丈夫なんですけど、念のため確認させてもらいますね」
雪村鉄志の話が終わって。
香篤井希彦は、なんだかものすごく微妙な顔をしていた。
だが鉄志も言った通り、その反応になるのも無理はない。
彼が語って聞かせた内容は、そのくらい荒唐無稽極まりない内容だったから。
「杉並の異変を起こしているのはギリシャ神話のカドモスで、雪村さん達はそいつに襲われて」
「ああ」
「雪村さんはマキナちゃんの宝具で変身してなんとか持ち堪えて」
「うん」
「そしたら何かやたらとやけっぱち気味な和風の美少女が飛んできて、びゅんびゅん飛び回りながら対城宝具を連射して」
「そうだな」
「やばいと思ったら突然巨大ロボに乗った謎のサーヴァントが現れて、そいつが多分この聖杯戦争の黒幕で」
「やばかった」
「で、変身した雪村さんと、実は杉並自体を巨大な自国領にしてたカドモスがふたりがかりでそれを撃退したと」
「そうなんだよ」
「……、……」
「……、……」
「――――ごめんなさい。あの、何を言ってるんですか?」
「じ、事実なんだから仕方ないだろうが! 俺だって話してて"何言ってんだろ俺"って思ってるわ!!」
ツッコミどころが多すぎる。
特に重要なのはカドモスの宝具と、突如乱入してきた機神兵器の二点なのだろうが、部外者の希彦からすると鉄志が変身して戦う下りからして既におかしい。
人間を戦闘要員にして前線で戦わせるサーヴァントなど、普通に考えたらまずあり得ない話だ。
よしんばそれが可能だとして、得られるメリットに比べてデメリットが大きすぎる。
ちょっと魔術使いとの戦闘経験がある程度の元刑事が武装した程度で相手になれるほど、境界記録帯は脆弱な存在ではない。
相手がアサシンやキャスターだったならまだしも、バリバリの三騎士クラスにそれをやるなど荒唐無稽以外の何物でもなかった。
「希彦さん、希彦さん。ますたーは嘘を言っていません。当機の名誉にかけて保証します」
「……いや、なんか色々あって忘れてましたけど、このマキナちゃんもなんかおかしいですよねそういえば」
鋼鉄の四肢を持つ、なんだかサイバーチックな見た目の少女英霊。
マスターを変身させ、共に戦うという奇抜どころではない宝具も含め、まったくと言っていいほど真名の見当がつかない。
強いて言うなら手がかりは"マキナ"という一人称にあるのだろうが……希彦が難しい顔をした瞬間、鉄志が頭を掻きながら「あー」と切り出した。
「正直、バレてどうこうなる真名じゃねえから言っちまうがな。
マキナの真名はデウス・エクス・マキナだ。いわゆる、"機械仕掛けの神"ってやつだよ」
「は?」
「はい。
クラス名:アルターエゴ。機体銘:『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』。製造記号:『エウリピデス』。
ますたーに紹介いただいた通り、真名を『デウス・エクス・マキナ』といいます。よろです、希彦さん」
「な、に、を、言ってるんだ貴方達はぁぁ……っ」
助けてもらったことへの礼もあるのだろう。
今後の円滑な関係性にも期待して、鉄志が打ち明けマキナが認めたその名は、希彦の混乱に拍車をかけた。
536
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:10:08 ID:kI9b2Ge20
「"機械仕掛けの神"ってのはアレでしょう? それこそエウリピデスが好んだっていう演出上の技法じゃないですか。
何をどうしたらそれが英霊になるのかさっぱり分からない。イカれてるんですかこの状況で……!」
「のーぷろぐらむ。……あっ、ちがくて、のーぷろぶれむ。その反応は正しいものです。
当機は我が父が願いを込め、全人類を幸福にすべく生み出された人造神霊ですから、厳密には正当な英霊ではありません。
その証拠に今も当機は成長の過程上にあります。ゆくゆくは人類を救済する真の機神として羽ばたくつもりですが」
「…………わかった。わかりましたから、ちょっとだけ思考を整理する時間をください。脳がキャパオーバーを起こしてるので」
眉間を押さえた希彦が部屋の隅っこにとぼとぼ歩いていって、俯きながら何やらぶつぶつ独り言を言い出した。
どうなってるんだ、何もわからない、胡乱すぎる、みんな真備(アレ)とおんなじに見えてきた……漏れ聞こえてきたのはこんなところ。
そのまま十分ほど思考整理に時間を費やすと、こころなしかげっそりした顔で希彦は戻ってきた。
流石は天才と呼ばれる男。一時は宇宙を背景にしたあの猫みたいな顔になったものの、なんとか折り合いってやつを付けられたらしい。
「お待たせしました」
「お。思ったより早かったな」
「うるさいですよ。……まあ、納得できたかというとまったくそんなことはないんですけどね。いつまでもぴーぴーやってても始まらないので」
もう一度深いため息をついてから、希彦は続ける。
「ウチのバカキャスターが戻ってきたら、改めていろいろ質問させてもらいます。
とりあえず情報交換を済ませろって注文はこなせたので、僕らの付き合いの今後についてはその時で。いいですか」
「構わない。……ただその前に、急ぎでひとつ知見を伺いたいことがあるんだが」
鉄志としても、今後の話は役者が全員揃ってから行うのがいいだろうと思っていた。
しかし、今すぐにでも聞きたいことがひとつあった。
自分達全体のための話ではなく、どちらかというと個人として知りたいことだ。
ただし鉄志にとっては、ともすれば他の何よりも重たい価値を持つ命題。
「さっき話した、俺達を襲った和装のアーチャーについてだ」
「ああ、天津甕星についてですね。正直これも相当ぶっ飛んだ名前なんですが、ロボだの何だの聞かされた後じゃどうしても印象が薄れちゃいますね」
「……、天津甕星?」
「え。あれ、『神威大星・星神一過(アメノカガセオ)』って宝具名だったんですよね?
だったらそれ以外ないでしょ。まあ普通に天香香背男の方が真名って可能性もありますが」
希彦は、何を当然のことを言っているのかというような顔で指を立てる。
鉄志としては灯台下暗しを突きつけられた気分だった。
確かに考えてみれば当然の話。思わず頭を抱えたくなる、ご丁寧にもあっちから答えを明かしてくれていたなんて。
「天津神の葦原中国平定に抵抗して大暴れした、かなり武闘派の悪神ですよ。
光の矢を放ちながら飛び回るって特徴も補強になります。
天津甕星は星神ですからね。夜空の星が信仰を得て擬人化された神格なら、高速移動も流星の矢も"らしい"と言えます」
「――じゃあ、そいつが何か"蛇"に絡む逸話を持ってるってことはあるか?」
「蛇?
……香香背男の"カガ"は確か蛇を意味する古語ですし、まあないことはない、かもしれませんが。どうしてそんなことが気になるんですか?」
蛇の名を持つ神が、鉄志の追う〈ニシキヘビ〉について知っている。
偶然とは思えない符号に、男は思わず拳を砕けんばかりに握りしめていた。
こみ上げるのは焦燥。しかし、脳裏には一縷の光明が射し込んでいる。
537
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:11:21 ID:kI9b2Ge20
これまでずっと、ただ一握の手がかりも見つけられなかった正体不明の犯罪者。
それが現実に存在する"誰か"なのだという確信が、今の鉄志の胸の中にはあった。
「俺は〈ニシキヘビ〉という犯罪者を追ってる。そして恐らく、そいつはこの街にいるんだ」
「……それは、特務隊が解散したことと何か関係が?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。だが少なくとも俺は、そのクソ野郎に一人娘を奪われてる」
「この街にいるという根拠は」
「今日だけでふたり、不自然な形で家族を喪ったマスターと出会った。
詳しくは後で話すが、どうにも偶然とは片付けにくい話でな。
何しろ片方は武道を収めた魔術師。もう片方は聖堂教会の代行者の夫妻だ。
後者に至ってはつまらない交通事故って形で命を落としてる。おかしな話だろ」
思わず早口になっていたが、彼にはそれを自覚する余裕もない。
希彦がぶつぶつ言っている十分の内に、高乃河二達からのメールを確認した。
まだ完全に精査はできていないものの、流し見しただけでも目玉の飛び出るような内容ばかりだった。
自分がのん気に気絶していた時間がひどく惜しい。
その分だけ自分は出遅れた。切望した運命の結実がようやく影の先端程度見えてきたというのに、何をしているのかと自責のひとつもしたくなる。
「なるほど。痕跡を残さず人を消し、かつ社会的な根回しにも長けた弩級の犯罪者――といったところですか」
「少なくとも俺はそう睨んでる。というか、そうでなかったら説明の付かないことが多すぎてな」
でも、僕らには関係ない話ですよねそれ。
そう言われてしまえば終わりだったが、しかしそうはならない。
何故なら蛇の存在はもはや単なる思考上の仮想存在ではなく、少なくとも"そういうモノがいる"ことは証明されているのだ。
天津甕星がニシキヘビの単語に反応してくれたことは、そういう意味でもあまりに大きな分岐点だった。
砂漠の砂をふるいにかけるような途方もない話が、現実に存在する犯罪者を追う追走劇へと変わった。
そしてそうなれば、もうこれは鉄志達遺族だけの問題ではなくなる。
「……実在するとすれば、確かに厄介ですね。
わかりました。そこに関しても、キャスターが戻り次第もう少し詳しく聞かせてください」
蛇は実在する。
少なくともNPCのような都市の背景としてではなく、魂と英霊を携えた演者(アクター)として今もどこかの藪中に潜んでいる。
そんな厄介な敵対者の存在を、"どうでもいい"と切り捨てるなど賢明な選択とは言い難い。
雪村鉄志が天津甕星から引き出した手がかりは、〈ニシキヘビ〉を狩りの場へ引きずり出した。
特務隊が成し遂げられず、鉄志自身も心血枯れ果てるまで戦って、それでも叶わなかったステージ。
これからだ。何もかもが、これからだ。血が滲むほど唇を噛んで、鉄志は自分に言い聞かせるように頷いた。
◇◇◇
538
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:12:09 ID:kI9b2Ge20
【世田谷区・ビジネスホテル(廃墟)/二日目・未明】
【雪村鉄志】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:希彦のキャスター(真備)が帰投次第、これからの話をする。
1:アーチャー(天津甕星)は、ニシキヘビについて知っている……?
2:今後はひとまず単独行動。ニシキヘビの調査と、状況への介入で聖杯戦争を進める。
3:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
4:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
5:マキナとの連携を強化する。
6:高乃河二と琴峯ナシロの〈事件〉についても、余裕があれば調べておく。
7:今の内に高乃達からの連絡を見ておくか。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。
※高乃河二達から連絡を受け取りました。レミュリンが彼らへ伝えた情報も中に含まれていると思われます。詳細はお任せします。
※アーチャー(天津甕星)の真名を知りました。
【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(中)、安堵
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
0:よかった。よかったぁ……。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。
【香篤井希彦】
[状態]:魔力消費(中)、〈恋慕〉、頭の中がぐっちゃぐちゃ
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:式神、符、など戦闘可能な一通りの備え
[所持金]:現金で数十万円。潤沢。
[思考・状況]
基本方針:神寂祓葉の選択を待って、それ次第で自分の優勝or神寂祓葉の優勝を目指す。
0:なんだかとんでもないことになっていないか? ええい、さっさと帰ってこいあのバカキャスター!!
1:僕は僕だ。僕は、星にはならない。
2:赤坂亜切の言う通り、〈脱出王〉を捜す。
3:……少し格好は付かないけれど、もう一度神寂祓葉と会いたい。
4:神寂祓葉の返答を待つ。返答を聞くまでは死ねない。
5:――これが、聖杯戦争……?
6:〈ニシキヘビ〉なるマスターが本当に存在するのなら脅威。
[備考]
二日目の朝、神寂祓葉と再び会う約束をしました。
539
:
地図にない島
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:12:33 ID:kI9b2Ge20
【杉並区・区境近辺/二日目・未明】
【キャスター(吉備真備)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:『真・刃辛内伝金烏玉兎集』
[所持金]:希彦に任せている。必要だったらお使いに出すか金をせびるのでOK。
[思考・状況]
基本方針:知識を蓄えつつ、優勝目指してのらりくらり。
0:さて、さて。面白くなってきたわい。
1:希彦については思うところあり。ただ、何をやるにも時期ってもんがあらぁな。
2:と、なると……とりあえずは明日の朝まで、何としても生き延びんとな。
3:かーっ化け物揃いで嫌になるわ。二度と会いたくないわあんな連中。儂の知らんところで野垂れ死んでくれ。
4:カドモスの陣地は対黒幕用の拠点として有用。王様の懐に期待するしかないのう。
[備考]
※〈恒星の資格者〉とは、冠位英霊の代替品として招かれた存在なのではないかという仮説を立てました。
【ランサー(カドモス)】
[状態]:全身にダメージ(小)、君臨
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつかの悲劇に終焉を。
0:神殺し、か。
1:令呪での招聘がない限り自ら向かうつもりはないが、アルマナに何らかの援護をする?
2:当面は悪国の主従と共闘する。
3:悪国征蹂郎のサーヴァント(ライダー(戦争))に対する最大限の警戒と嫌悪。
4:傭兵(ノクト)に対して警戒。
5:事が済めば雪村鉄志とアルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)を処刑。
[備考]
本体は拠点である杉並区・地下青銅洞窟に存在しています。
→青銅空間は発生地点の杉並区地下から仮想都市東京を徐々に侵略し、現在は杉並区全域を支配下に置いています。
放っておけば他の区にまで広がっていくでしょう。
カドモスの宝具『我が撒かれし肇国、青銅の七門(スパルトイ・ブロンズ・テーベ)』の影響下に置かれた地域は、世界の修正力を相殺することで、運営側(オルフィレウス)からの状況の把握を免れています。
540
:
◆0pIloi6gg.
:2025/07/10(木) 00:13:02 ID:kI9b2Ge20
投下終了です。
541
:
◆0pIloi6gg.
:2025/07/11(金) 01:16:37 ID:RhzTLIIA0
アルマナ・ラフィー
蛇杖堂寂句&ランサー(ギルタブリル/天蠍アンタレス)
悪国征蹂郎&ライダー(レッドライダー(戦争))
山越風夏&ライダー(ハリー・フーディーニ)
キャスター(シッティング・ブル)
ノクト・サムスタンプ
覚明ゲンジ&バーサーカー(ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)
バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン) 予約します。
542
:
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 22:55:58 ID:tyr1M99Y0
投下します
543
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 22:58:05 ID:tyr1M99Y0
〈脱出王〉は焦らない。
ステージスターにとって目の前で起きるすべてはエンターテインメント。
たとえアクシデントがあったとしても、それすら乗りこなしてウケを取ってこその大道芸人だ。
だからこそ彼女は前回、ある意味では誰よりも厄介な存在として思い思いに跳躍し、盤面を掻き回したのだったが――
「っひぃ! わっ! ひゃあっ!?」
そんな彼女にも、苦手な相手というものはいる。
一言で言うと、ノリの悪い人間だ。
こちらがどんなおちょくりで揺さぶりをかけても、そうか死ねと真顔で殴り付けてくる相手。
その上実力も頭脳も完備、難攻不落を辞書で引いたら類例として出てきそうなエリミネーター。
こういう連中との正面戦闘はどうにも骨が折れる。ともすれば、下手に英霊と戦うよりもよほど心と身体をすり減らしてくる。
だから"前回"、彼女は好き放題やっているようで、徹底して二名のマスターとの無策な邂逅を避けていた。
ひとりは蛇杖堂寂句、言わずと知れた怪物老人だ。これと戦いたがる人間はまずいないだろうし、さしもの〈脱出王〉もその例外ではない。
とはいえ彼に関しては、触れられさえしなければある程度立ち回れる。
純粋なスペック差が開きすぎているのでまず勝ちをもぎ取ることはできないが、少し遊んで逃げるくらいなら然程難しくない。
先刻彼のもとを堂々と訪ねられたのはそれが理由だ。
恐るべしは〈脱出王〉。あの蛇杖堂を相手にこんな科白が吐けるマスターは、針音都市の中でも彼女か祓葉くらいのものだろう。
しかし一方で二人目の男。
こちらに関しては、そうもいかない。
「相変わらずちょこまかと鬱陶しいな〈脱出王〉。今更言うまでもないだろうが、みんなお前のことは嫌いだったぜ」
ノクト・サムスタンプ。
関わること自体が悪手と称される極悪な策謀家だが、彼の真髄はむしろその先にある。
夜。日が沈んで月が出れば、星空が照らす暗黒の空の下にて、彼は超人と化すのだ。
「ちょ、待っ……いや、いくら何でも容赦なさすぎだろ君ぃッ! こっちにもいろいろと、段取りとかそういうものがだね!?」
「させるわけねえだろ莫迦が。それをさせないために、わざわざこうして出てきてやったんだよ」
夜の女王との契約。それが、ノクトを魔物に変える。
〈はじまり〉の星々の中で条件を問わず最大値だけ比べ合うのなら、最大値は間違いなくサムスタンプ家の落伍者だった。
死を経験し、太陽への妄執に囚われたことで急激に化けた白黒の魔女でさえ、今のノクトと関わるのは二の足を踏むだろう。
それほどだ。それほどまでに、時を味方にした契約魔術師は圧倒的な強さを秘めている。
地を蹴り、ひと飛びで人間の身体能力では考えられない高度まで飛び退いた〈脱出王〉に同じく一足で追いつく。
彼女とて無抵抗ではない。すんなり逃げられないならと、相応に抵抗も試みている。
なのにされるがままで圧倒されて見えるのは、あまりに身も蓋もない理由。
何をしようとしても、試みた端から目の前のノクトに潰されているからだ。
544
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 22:59:21 ID:tyr1M99Y0
「お前は無軌道な莫迦のように見えて狡猾だ。
ショーを成功させる確証がある時は調子がいいが、都合悪い時には穴熊決め込んで、どれだけ探しても出てきやがらねえ」
"夜"のノクト・サムスタンプの強さは、最優のマスターである蛇杖堂寂句さえ優に凌ぐ。
五感、運動神経、反応速度に肉体強度――あらゆる能力値が人間の限界点を突破する。
防戦に重きを置くなら英霊とすら張り合えるスペックを、非情の数式と称される最高峰の頭脳で駆使してくる。
「正直、性格の悪さならホムンクルス以上だよ。
どいつも揃って俺を極悪人呼ばわりするが、真に腐ってるのはテメェだと思うぜ〈脱出王〉」
彼は暗殺者であり、殺人鬼であり、武芸者であり、野獣である。
夜と契った男の跳躍から逃れるのは、たとえ人類最高のマジシャンだろうと容易ではない。
ノクトは、影を踏みしめていた。
ビルの壁面を覆う影に、両生類のように貼り付くことで万有引力を無視している。
その状態で初速から自動車の最高速度を超える吶喊を叩き出すため、彼の猛追は意思を持った突風と変わらない。
「だからここで殺す。ガキ共の戦争ごっこに噛む上でも、テメェみたいなのが跳び回ってるのは具合悪いんでな」
"夜に溶け込む力"が三次元の縛りを無視し。
"夜に鋭く動く力"が彼を魔人にする。
そして"夜を見通す力"は、〈脱出王〉のすべてを見抜く。
これらのすべてが、逃げの天才たる彼女が真価を発揮できていない理由だった。
「嫌われたもんだなぁ……! でも君だって知ってる筈だよ。昼だろうが夜だろうが、ハリー・フーディーニは誰にも捕まらないってね――!」
タキシードの裾をはためかせると同時に、飛び出させたのは閃光弾。いわゆるスタングレネードだ。
閃光は夜の闇を塗り潰す。影が消えればノクトの影踏みは無効化され、たちまち自由落下の牢獄に逆戻りする。
現在彼らが戦っている高度は二十メートル超。ビル壁を足場に鬼ごっこを繰り広げているため、落ちれば墜落死の運命は避けられない。
"夜に溶け込む力"さえ無効化できれば、足場のない高所は山越風夏の独壇場だ。
けったいな力に頼らずとも風夏は垂直な壁を登れるし、何ならそこで踏み止まることもできる。
よってこの一手は追撃を撒きつつ同時に致死の墜落を強いる、破滅的なそれとして働く筈だったが――
結論から言うと。
〈脱出王〉の返し札は、開帳することさえ許されなかった。
「大口叩く割にずいぶんセコい手使うじゃねえか。器が知れるな、えぇ?」
「ッ……!」
裾から出した瞬間、ノクトが掴み取って握り潰す。
それでも炸裂はする筈が、彼の右手に渦巻く夜色の闇が爆ぜる光を咀嚼し呑み込んでしまう。
"夜に溶け込む力"のひとつ。ノクトは、自分の肉体の一部を夜そのものに変えることができる。
やり過ぎれば夜に喰われ命も危ぶまれる危険な手だが、四肢の一本程度なら制御も利く。
(やばいな――分かっちゃいたけどめちゃくちゃやりにくいぞこれ。天敵って感じだ)
しかし〈脱出王〉に舌を巻かせたのはその驚くべき芸当ではなく、昏く沈み込むノクトの双眸だった。
"夜を見通す力"が彼に与えている力は、大まかに挙げると二種だ。
いかなる闇をも見通す暗視。闇の中で何も見逃さない超視力。
厄介なのは後者である。
敵の筋肉の微細な動きまでつぶさに見取る凶眼は、あらゆる動作の"起こり"を暴き立てる。
ヒトが肉体を持つ生き物な以上、筋肉に頼らず動くことは不可能だ。
脳で考え、信号を伝達して筋肉を動かし、身体を駆動させる――つまり身体の前に筋肉が動作するのが人体のルールであって、ノクトはここを見ている。
545
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:00:13 ID:tyr1M99Y0
対人戦闘における、実質の未来予知だ。
いかに〈脱出王〉が超人的な逃げ技の持ち主といえど、次どうするか常に読まれていては精彩を欠くのも避けられない。
単に先読みされるだけなら彼女はそれを込みにした曲芸で抜けてみせるだろうが、相手は〈夜の虎〉なのだ。
奇術師の技を暴く瞳。視た未来を確実に潰す圧倒的暴力。このふたつを併せ持つ夜のノクトは、まさしく彼女にとって天敵といえた。
「どうした。笑顔が引きつってるぜ」
「……は。言ってくれるじゃないか」
だが――だからどうした。
分泌されるアドレナリン、供給されるモチベーション。
逆境は脱出の王を成長させる促進剤。故に彼女は不測を愛する。
「そうまで言われちゃ魅せないわけにはいかないね。さあさお立ち会い、ここまでおいで〈夜の虎〉!」
事もあろうに〈脱出王〉は、足場にしていた壁を蹴飛ばした。
するとどうなるか。先ほどノクトを追いやろうとした自由落下の世界に、彼女自身が囚われることになる。
(二十三メートルってところか。さすがの私もまともに落ちたら死ぬ高さだけど……)
リスクはある。それでも袋小路を脱するためにはやらなきゃいけなかった。
あのまま戦い続けていればいずれは詰め将棋、削り切られるのは確実にこちらだ。
賭けではあるが、空中はノクトの追跡を振り切る絶好の場所。
空に影はない。ここでなら、猛虎の影踏みを無効化できるというわけだ――そういう算段、だったのだが。
「……、……へ?」
〈脱出王〉は一瞬、自分は幻覚でも見ているのかと疑った。
落ちる自分と、高みのノクト。彼我の間合いがいつまで立っても広がらない。
「お、おいおいおい! 嘘だろ、そりゃ流石にデタラメすぎないか……!?」
いやそれどころか、引き離した筈の距離が徐々に詰まり出している。
理由は単純だ。ノクトが、追いかけてきているからである。
我が物顔で空を踏みしめながら、逃げる〈脱出王〉に猛追しているからである。
Wunggurr djina Walaganda, ngarrila ngarri.
「――モンスーンの雲、天空なりしワラガンダの眷属へ乞い願う」
夜の女王との契約が活きるのはその名の通り夜天の下。
ならばそうでない時、ノクト・サムスタンプは無力な凡人なのか?
違う。彼はその証拠に、もう一体の幻想種と契約を結んでいる。
大気の精。
オーストラリアの原住民族に伝わる大精霊ワンダナを原典とし、神秘の薄れた現代まで存在を繋いできた上位者だ。
いくつかの誓約と引き換えに得たのは大気、つまり風を操る力。
平時のノクトはこれを戦闘手段としており、今見せている空中歩行もその一環である。
546
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:01:11 ID:tyr1M99Y0
「驚くほどのことかね。俺が風を操れることは知らなかったか?」
「いや……っ、知ってたけども! だけど、だからって空を歩けるとは思わないじゃん普通!?」
「空を逃げ場に使う阿呆なんてそうそういねえからな、見せる機会がなかった。
おまけに目立つ。できるなら俺だってやりたかねえよ」
大気に足場を構築し、空を歩く。
が、それだけではない。
そこには色が宿っていた。本来大気にある筈のない微細な濁りが満ちており、そこに夜の暗黒が降り注いでいる。
すなわち影だ。
空に影を作るという芸当を以って、ノクトは"夜に溶け込む力"を維持している!
「ましてやこんなもん、あちらさんに知られたら指詰めじゃ済まねえ不敬だからな。
精霊から借り受けた風に女王の夜を溶かすなんざ、やってるこっちもぞっとしねえ」
勝算を取り上げられた〈脱出王〉の喉が、ひゅっと音を鳴らした。
思惑は失敗、それどころか自分だけ足場を失った格好だ。
ノクトの手が届かない距離感を維持できている今のうちに手を打たなければ、ここですべてが終わりかねない。
「バケモノめ……!」
「こっちの科白だよ、大道芸人」
風夏が再び袖をはためかせると、そこから無数の糸が伸びた。
鋼線(ワイヤー)だ。目を凝らしても常人では視認不能の極細だが、数十トンの重さでも千切れない特注品である。
彼女はこれを伸ばし、聳えるビル群の一軒に触れさせる。
くるくると巻きつけて固定し、糸を急縮させることでその方角へと高速移動した。
英霊顔負けのウルトラCだが、逆に言えばさっきの閃光弾と今使ったこれで仕事道具は品切れ。
準備ができていないところにカチ込まれたものだから、余裕らしいものはまったくなかった。
そしてこの渾身の離脱すら、ノクトにしてみれば予想可能の範疇でしかない。
「逃がすかよ。往生しろってんだ、もう十分生きただろうが」
逃げる〈脱出王〉を追いかけて、無数の風刃が打ち込まれていく。
掠めただけで骨まで切り裂く凶刃が、惜しみなく数十と放たれた。
〈脱出王〉は絶妙な身のこなしから成るワイヤーアクションで、紙一重でそれを躱す。
「……ちぇっ」
その頬から、一筋の赤色が垂れ落ちた。
血だ。〈脱出王〉が、山越風夏が、ハリー・フーディーニが、血を流したのだ。
手傷を与えたノクト自身、一瞬思考を空白に染められた。
547
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:02:09 ID:tyr1M99Y0
それほどまでに信じがたい事実。前回、祓葉を除き誰ひとり得られなかった戦果。
「――く、は」
この奇術師にも赤い血が流れている、命が脈打っているという事実を。
改めて噛み締め、ノクト・サムスタンプは嗤った。
「はぁッはッはッはッ! いいじゃねえか〈脱出王〉、初めてテメェを好きになれそうだ!」
「いたいけな少女の顔を傷物にして高笑いかい。聞きしに勝る極悪非道だね、ノクト!」
「ああすまねえな。許してくれや、あんまり愉快だったもんでな!」
夜空に躍る、奇術師と鬼人。
ドラマチックでさえある絵面だったが、実情はまったくそんなものではない。
交錯する殺意と、そして因縁。
彼らは生死を超えた、狂気という縁で繋がっている。
「安心したよ。結局テメェも、俺達と同じ――あの可憐な星に魅せられた、ひとりの人間だったわけだ」
笑みを絶やさぬまま、ノクトが疾走する。
それを迎え入れる〈脱出王〉の顔は、掠り傷を残しながらも不敵だった。
彼女はこれ以外の顔を知らない。いや、舞台に立つ限りこの顔を崩してはならないと矜持に誓っている。
「もういいぞ、そろそろ休めよハリー・フーディーニ。後のことは俺が引き継いでやる」
「はは、やだね! 猫に九生ありて、今の私は所詮その道中。こんなところで死んだら、誰が後世の観衆諸君を驚かせるんだい!?」
ここで〈脱出王〉が、初めて攻撃に出た。
目的地のビル壁に着地するなり、その手で摘んだワイヤーを瞬と振るう。
奇術師の無茶にあらゆる形で応える見えざる糸は、風を切り裂きながらノクトを射程に捉える。
やる気になれば高層ビルを細切れにすることだってできる魔域の手品道具だ。
いかに今の彼が超人と化していようが、これに絡め取られれば肉片と化すのは避けられない。
「娯楽なんざいつの時代も飽和してんだ。未来にテメェの居場所はねえよ、型落ちのステージスター!」
「ちっちっち、分かってないなぁ契約魔術師! ニーズは手前の腕で作るもんだろうッ!」
銀閃が、風を裂き。
風刃が、躍る奇術師を狙う。
空中の攻防戦はあらゆる固定概念を無視していた。
極限の技と無法、その二種を揃えていなければ成り立ちすらしない人外同士の激突。
性能だけで見るなら勝っているのはノクトだが、脱出のための技を攻撃に回す屈辱を呑んだ〈脱出王〉は難攻不落だ。
彼女は生き、逃れることに究極特化した突然変異個体。
それが本気で生存のために行動したのなら、〈夜の虎〉と言えども攻略するのは並大抵のことではない。
「ていうか君はさぁ、なんていうんだろ、なんか女々しいんだよね!
すましたしたり顔でべらべらくどくどと語ってるけど、ホントはイリスに負けず劣らず祓葉に灼かれ散らかしてるクセに!」
何故、当たり前に垂直の壁に立てるのか。
その上で秒間にして数十という精密操作を続け、夜のノクトを相手に拮抗できるのか。
「うじうじしてないで好きって言っちゃえよぉ!
さっきミロクを喩えに出してたけど、私に言わせれば彼の方がよっぽど男らしいと思うけどなぁ!?」
「何を言われてるのかさっぱりだな」
「ほらそういうとこー! 中年男が女子高生に欲情してる時点で終わってるんだから恥なんかさっさとかき捨てとけよッ!」
が、異常なのはノクトも同じだ。
常人なら数秒で即死している鋼線曲芸の中で、風と肉体を寄る辺に前進を続けている。
その甲斐あって、着実に距離は詰まっていた。
548
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:03:24 ID:tyr1M99Y0
まるで腐れ縁の友人同士のように舌戦を交わしながら、いつ首が飛んでもおかしくない激戦に身を投じるふたりの"人間"。
ここまで手を変え品を変えの命のやり取りを続けているのに、未だ手傷らしい手傷が〈脱出王〉の掠り傷くらいしかないのも異様だ。
〈はじまり〉の凶星達は、こうまで人間を逸しているのか。
彼らが脅威たる理由が、その狂気だけではないことを証明するに足る論拠が、この数分間で嫌というほど示され続けてきた。
しかし、どれほど戦況が膠着して見えても――戦いの本質は残酷なまでに明確だ。
互いに不敵そのものの顔をしてはいたが、山越風夏は汗に塗れ、対するノクト・サムスタンプはそれを滲ませてすらいない。
「悪いな。こっちも後が詰まってんだわ」
よって、結末はごく順当に訪れる。
銀閃の波を風の砲弾で押し開き、強引に安全圏を作り出し。
次の瞬間、ノクトは疾風(はやて)と化した。
「――多少分かり合えて嬉しいが、時間だから死んでくれ」
魔力を惜しみなく注ぎ込んで、自らの背部を起点に暴風を生み出す。
風の推進力を利用した、見敵必殺の超高速駆動(ロケットブースト)。
ノクトの魔力量では長時間の持続は難しく、あくまで瞬間的加速の域は出なかったが――それでも、苦境の〈脱出王〉へ使う手としては十二分。
「ッ……!」
堪らずワイヤーを引き戻すが、しかし遅い。
落下で地上まで下り、神業の受け身で衝撃を殺し。
迫るノクトから逃れようと試みた〈脱出王〉は、そこで鬼に追いつかれた。
着地を完了したその時、既に目の前には〈夜の虎〉が立っており。
殴れば鉄すら砕く魔拳が、獰猛な笑みと共に放たれていて――
「が……は、ぁッ……!!」
それが、容赦なく少女の腹筋を打ち抜いていた。
奔る衝撃に臓器が揺さぶられ、脳天ごと意識が撹拌される。
紙切れのように吹き飛んだ〈脱出王〉は、路上駐車された軽自動車のボンネットに叩き付けられた。
浮かび上がった人型の凹みが、彼女を襲った衝撃の程を物語っている。
「やれやれ、往生際の悪さは筋金入りだな。殺すつもりで殴ったんだが」
「ッ――は、ぁ。そりゃ、残念だったね……」
即死には至らなかったし、致命傷もどうにか避けた。
脱出の過程で身につけた受け身の技能。遥か上空から落下しても、それを取る余裕さえあれば墜落死せずに済む極限の神業。
それを目の前の拳に応用することで、山越風夏はぎりぎり、紙一重のところで生を繋いでのけたのだ。
呆れるほどの生への執念。しかし、単に生き延びただけでは状況は好転しない。
〈脱出王〉の声は濁っていて、痛ましい水音が混ざっていた。
袋を破いたみたいに溢れてくる血が、奇術師の胸元をべっとり汚している。
そのらしくない汚れた姿が、彼女の負った手傷の程を物語っているようで。
「共に運命へ狂したよしみだ。祓葉(アイツ)に伝えたい言葉があれば聞いてやる」
「はは、なんだよ。結構優しいじゃんか。
じゃあ、そうだな……君のために準備してたのに、道半ばで死んで残念だ、って」
喘鳴のような声を響かせながら、〈脱出王〉は口を開く。
ノクト・サムスタンプは、誰も手折れなかった躍動の華を見下ろす。
新宿の大勢が決着するのを待たずして、遂に六凶のひとつが墜ちる。
誰の目から見ても明らかな破滅を前に、脱出の貴公子は笑って言った。
・・・・・・・・
「もし避けられたら、伝えておくれ」
549
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:04:13 ID:tyr1M99Y0
悪意に溢れた破顔を前に、ノクトは背筋を粟立たせる。
思わず咄嗟に飛び退いたが、それがなんとか幸いした。
ぱぁん。そんな軽い音と共に、一発の銃弾が闇の中を駆けたからだ。
たかが銃弾。しかしノクトはその一発に、〈脱出王〉の曲芸を前にしてさえ抱くことのなかった、死のヴィジョンを見た。
舌打ちをひとつ。
弾丸の飛んできた方向に目を向ける。
視線の先、路地の裏側……奈落めいた闇夜の底から、ぬらりと這い出してくる影があった。
「……ぁ……おぉ…………で…………し………………、……ぅ…………ず…………」
痴呆老人のように、いや事実そうなのだろう、うわ言と判別のつかない声を漏らして。
まるで脅威性を感じさせない物腰のまま躍り出たそれに、ノクトが抱いたイメージはひとつ。
"死神"だ。死の国から這い出てきた、深い狂気に冒された怪物だ。
彼にはそれが分かる。何故なら彼自身が、それ"そのもの"だから。
ぎょろりと、萎びた眼球がノクトを睨んだ。
いや、見つけた――というべきか。
兎角この瞬間、彼はこれの逃走経路(しかい)に入ってしまったのだ。
「――――ヴァルハラか?」
スラッグ弾のみを適正弾丸とするショットガンを抜く影は無防備。
なのにそれが、獲物たるノクトの眼からすると一寸の隙もない狩人のものに見える。
故にもう一度の舌打ちを禁じ得なかった。
素直に殺せるなら万々歳。そうでなくとも、令呪の一画程度は使わせるのを最低保証として見据えていたが。
「クソペテン師が。なんてもん喚んでやがる、ゴミ屑」
「お互い様だろう。ここからが本番だよ、非情の数式」
これは駄目だ。
こいつを前に、人間は張り合えない。
これは、九生の五番目。
未来の大戦にて、数多の屍を築いた怪人物。あるいは英雄。
神聖アーリア主義第三帝国、この時代には存在しない国。
ナチスドイツの再来という悪夢の先陣を切った怪物射手(フラッガー)。
心神喪失の逃亡者。
ハリー・フーディーニ。
550
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:04:52 ID:tyr1M99Y0
(プランの立て直しが要るな。
このクソ女は是が非でもここで殺してえが、これを相手にどれほどやれる?
最悪ロミオの野郎を呼びつけるとして、それで勝率はトントンまで持っていけるか?
多少の無理は承知するしかないが、そこまでやって果たして〈脱出王〉の首をもぎ取れる確率は――)
スラッグ弾を搭載したショットガンは単発銃。
手数こそないが、それが問題にならない剣呑をノクトは感じ取っていた。
単なる魔術師としてではなく、傭兵として世を渡り歩いたからこそ分かる、関わってはならない相手の匂い。
だから考える。脳を全力で回転させて、ただひたすらに思索する。
夜のノクトは肉体のみならず、脳髄も平時以上に冴え渡る。
わずか一瞬の内に限界まで思案を深め、目の前の不測の事態に対する向き合い方(アイデア)を引き出して。
そうしているその最中のことだった。新たに新宿中へ配備した使い魔が見取った情報が、脳裏になだれ込んできたのは。
「――――」
伝えられた情報は、二度目の絶句をさせるには十分すぎるものであった。
最悪の展開だ。あらゆる意味で、ノクトが避けたかった事態のすべてがそこに詰まっていた。
苦渋に歪んだ面持ちで契約魔術師は瀕死の奇術師を睨み付ける。
するとちょうど、どういう手を使ったのか彼女も"それ"を知り及んでいたようで――
「……さあ、どうする? 〈夜の虎〉」
にたり、と。
虫唾の走るような顔で、意趣を返すように、嗤っていた。
◇◇
551
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:05:21 ID:tyr1M99Y0
報告を聞くなり、征蹂郎は複雑な顔で動き出した。
複雑、というのは読んだ通りの意味だ。
怒り。動揺。狼狽。そしてそのすべてを凌駕するほどの殺意。
それらに彩られた顔で、悪国征蹂郎は部屋を飛び出していた。
あれこれ思考するのは後だ。今、それに時間を費やしている暇はない。
既に事は起きているのだ。取り返しのつかない被害が、こうしている間にも重なり続けている。
『――逃げてくれ征蹂郎クン! デュラハンの野郎ども、新宿を放っぽってこっちに攻め込んできやがっ――ぁ゛……』
そこで通話は途切れたが、何が起きたのかを察するには十分すぎた。
同時に自分の考えの甘さを自覚し、数刻前までの己を殺したい気分になる。
要するに、敵方の頭脳は――その悪意は、自分の遥か上を行っていたというわけだ。
決戦の土俵になど固執せず、卑劣に非道に勝ちを狙いに来た。その結果がここ、千代田区で起こっている惨劇だった。
「……、くそ……!」
刀凶聯合。征蹂郎にとって家族にも等しい同胞たちに持たせていたGPSの反応が、次から次に途絶えている。
現時点で確認できるだけで五割を超える反応が消えていた。デュラハンに対し数で劣る聯合にとっては、言うまでもなく壊滅的な被害である。
決戦の地を指定したのは征蹂郎だ。
天下分け目の地は新宿。刻限も場所も彼が決めた。
だが、敵手――首のない騎士団を統率する凶漢・周鳳狩魔は流儀など一顧だにもしない。
だから何ひとつ構うことなく、聯合が居を構えていた千代田区にこうして兵を送ってきた。
これだけならば半グレ同士の抗争における横紙破りの一例で済むが、周鳳狩魔はマスターなのだ。
であれば当然、送り込まれる刺客は彼が呼び寄せたサーヴァント。
境界記録帯の暴力に対し武装した人類が可能な抵抗など、大袈裟でなくそよ風にも満たない。
(そこまで卑劣なのか。そこまで恥を知らないのか――周鳳狩魔)
食いしめた歯茎から滲み出た血が、口内に鉄錆の味を広げている。
許さない。殺してやる。絶対に――誓う殺意はしかし目の前の現状を何ひとつ好転させない。
そんな絶望的状況の中でも、しかし征蹂郎の判断は合理的だった。
敵はこちらの本拠を狙ってきた。であれば、こちらも同じことをする以外に手はない。
すなわち新宿へ向かう。
己自身も敵地に乗り込み、正面から姑息な奴原どもを根絶やしにする。
それが最も被害を抑止でき、かつ聯合の勝利に近づく手段だと悟ったから征蹂郎は迷わなかった。
幸い、レッドライダーはもう新宿に投下してある。かの赤騎士と合流さえ叶えば、デュラハンなどものの敵ではない。
昂り荒れ狂う激情を理性で押し殺しながら走る征蹂郎の前に、ちいさな影が馳せ参じた。
552
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:06:21 ID:tyr1M99Y0
「――アルマナ」
「アグニさん。ご無事で何よりです」
「いや……キミの方こそ、無事で良かった。その様子を見るに……今起こっていることは理解していると思っていいか?」
「はい、把握しています。……聯合の皆さんが、アルマナにまで連絡をくれましたから」
白髪。褐色。遥かギリシャの青銅王を従える少女、アルマナ・ラフィー。
従者のように颯爽と参じた彼女は、迷わず征蹂郎に細腕を差し出していた。
「火急の事態と見受けます。護身は請け負うので、行き先をお伝えください」
「……新宿だ。オレはそこに向かわねばならない」
「分かりました。ではそちらへ急ぎましょう」
幼子に手を引かれる、それは普通に考えればこの歳の男としては沽券に関わるものであったろうが。
無論、そんな些事にいちいち眉を顰めてなどいられない。
征蹂郎の中にあるのは、悪逆を地で行くデュラハンの総大将に対する憎悪のみ。
既に持ち場を離れて退くようにとの指示は出してある。
であれば後は、今度こそ己が先頭に立って怨敵打倒の鬨の声を唱える以外ない。
その筈で、あったが――
「おや」
進む道の前に、現れた影がひとつ。
視認した瞬間、反射でアルマナが足を止めた。
征蹂郎は、意識しなければ呼吸することさえできなかった。
それほどの存在感と、そして死の予感を、立ち塞がる影は孕んでいた。
「ああ……よかった、手間が省けました。
正直虱潰しにやるのも覚悟していたのですが、そちらから出てきていただけるとは」
それは――白い騎士だった。
白銀の甲冑。靡く金髪。
男女の垣根を超越して、"美しい"の一語のみを見る者へ抱かせる顔貌。何よりも、死を直感として感じさせる災害めいた活力。
征蹂郎は理屈なく悟る。
これが、この男こそが、デュラハンの牙。
己の同胞(とも)を虐殺した、忌まわしき首なし騎士の総元締めであると。
噛み締めた奥歯が軋む。砕けんばかりにそうしたからか、歯肉からの出血が口内に鉄の味を広げた。
「お目にかかるのは初めてですね、聯合の王」
「お前が……」
「ええ、私はデュラハンのサーヴァント・バーサーカー。
ゴドーと呼ばれている者ですよ。そこまでは突き止めていますでしょう?」
今にも爆発しそうな怒りを湛えて臨む征蹂郎に対して、騎士――ゴドフロワ・ド・ブイヨンはどこまでも軽薄だった。
絵に描いたような慇懃無礼な態度が、愛する仲間を蹂躙された王の逆鱗を逆撫でする。
553
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:07:27 ID:tyr1M99Y0
「お前が…………」
この時征蹂郎は、レッドライダーを令呪で呼び戻すことも考えていた。
周鳳狩魔の英霊を落とせば、デュラハンの主戦力を削ぎ落とせたも同然だからだ。
建前を除いて言うなら、自分の目の前にこの冷血漢が一秒でも存在し続けることが許せなかった。
殺す。地獄を見せる。仲間が味わった苦しみを万倍にして叩き返さなければ気が済まない。
沸騰した思考を冷ましてくれたのは、袖を強く引くアルマナの手。
「――アグニさん!」
二メートルに迫る屈強な長身が、少女の細腕にたやすく動かされる。
が、それに驚く暇はない。つい先ほどまで征蹂郎が立っていた座標を、神速で踏み込んだゴドフロワの光剣が切り裂いていた。
煮え滾る憤激の中ですら骨身が凍る、隣り合わせの死。皮肉にもそれが、彼の頭をいくらか冷ましてくれた。
「……すまない。我を忘れかけた」
「お礼は後にしてください。一手でも誤れば、アルマナ達はここであのバーサーカーに殺されます」
「……認め難いが、そのようだな……」
カドモスの青銅兵と一戦交えた経験など、"本物"の前では活かしようもない。
現に征蹂郎は今、ゴドフロワの動きを断片見切ることすらできなかった。
速すぎる。殺すというコトにかけて、眼前の怨敵は文字通り人外魔境の域にある……!
「おや、優秀な相棒(バディ)を持っているようだ。
これなら狩りくらいにはなりそうですね。あいにく"同胞"はゴミ掃除にやっていて、ここには私だけなのですが」
聞くな。相手にするな。揺さぶられるな。
言い聞かせながら、征蹂郎はいつでもアルマナを庇えるように拳を構えた。
五指には青銅兵(カドモス)戦でも用いた、レッドライダー謹製のメリケンサック。
この程度で実力差を埋められるとは思っていないが、こんなものでもないよりはマシな筈だ。
「……ライダーを喚ぶ。令呪を更に削る羽目にはなるが……、背に腹は代えられない」
「駄目です。賢明な判断とは思えません」
感情を抜きにしても、それ以外に目の前の窮地を乗り切る手段は思いつかない。
マスターふたりで雁首揃えて英霊の前に立ってしまっている時点で、出し惜しみする状況でないのは明白だ。
だがアルマナは淡々とした口調にわずかな緊張を載せて、征蹂郎の判断をぴしゃりと切り捨てた。
「これはもうアグニさん達だけの戦争ではないのです。
あのノクト・サムスタンプのように、善からぬ輩がこの戦いに興味を示し始めている。
であればギリギリまで出し惜しむべきでしょう。貴方のソレには、アルマナ達のとは比較にならない価値があるのですから」
理路整然と並べられる論拠に、征蹂郎はぐっと息を呑む。
「……確かに、理屈は分かるが……、……状況が状況だ。それこそ、今が価値を示すべき場面じゃないか……?」
「問題ありません。アグニさんはただ、舌を噛まないようにだけ気をつけていてください」
「……舌……?」
――次に起こった事態を、悪国征蹂郎は後にこう述懐する。
あの時自分は、生涯二度と味わえない経験をしたと。
ひょい。
そんな擬音が似合う軽い動作で、アルマナが征蹂郎を抱き上げた。
物語の王子が姫にやるような、いわゆるお姫様抱っこだ。
これにはさすがの征蹂郎も、思わず沈黙。というか絶句。
生まれてこの方こんな扱いをされたことはないし、そもそも十歳そこらの幼女に抱えられるような体重ではない筈なのに。
「き、キミは……だな……その、もう少し……」
しかしそんな彼の動揺をよそに、アルマナはただ騎士を見据え、淀みのない口調で宣言した。
554
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:08:42 ID:tyr1M99Y0
「ここはアルマナがなんとかします。無茶をするので、失敗しても恨まないでくださいね」
そう言って、たんと地面を蹴る。
軽やかな動きで跳ね、電柱を蹴って更に跳躍。
満月の下で、少女が青年を抱いて跳んでいく。
その現実離れした絵面に、ゴドフロワもぽかんと口を開けていた。
「……、なんと。これがアレですか、若者の人間離れってやつですかね?」
もちろん、手品の種はアルマナの会得している魔術だ。
攻撃から治癒まで幅広い分野を修めている彼女は、当然強化魔術も高水準で身につけている。
幼い肉体を限界まで強化して、一時的だが人外に迫る力と速度、それに耐えうる耐久性を得た。
ゴドフロワをして敵ながら見事と思う他ないスマートな離脱手段だったが、しかしみすみす取り逃す白騎士ではない。
「面白い。付き合ってあげましょう」
彼は何の外付けもなく、素の身体能力でアルマナの挙動をそのまま真似た。
深夜の街を縫うようにして逃げる少女と青年、それを追うのは美しき白騎士。
ジュブナイルと喩えるには奇天烈すぎる光景に、しかし少なくともふたり分の命が載っている。
鬼ごっこの先手を取ったのはアルマナだったが、じきに構図が破綻するのは見えていた。
魔術界の常識に照らせば天禀の部類に入るアルマナでさえ、サーヴァントにしてみればまさに小鳥に等しい。
人型の戦略兵器とも称される彼らは、宝具やスキルの存在を抜きにしても十分に異常。
同じ鬼ごっこの構図でも、両者の差は奇術師と傭兵のそれ以上に開いている。
「――――」
アルマナはしかし焦ることなく、小さく何かを諳んじた。
彼女の魔術は、虐殺された集落に連綿と伝わってきたいわば独自進化の賜物だ。
詠唱ひとつ取っても、地球上のどの言語とも一致しないから文字にすら起こせない。
征蹂郎を抱えたまま、迫るゴドフロワに向け手を伸ばす。
そこから射出されたのは、目を焼くほど強く輝く光球の流星群だった。
覚明ゲンジと邂逅した際に使ったよりも数段上、正真正銘本気の火力である。
光球の性質はプラズマに似ているが、一方で雷でもあり、嵐でもあり、吹雪でもあった。
創造した光球のすべてにそれぞれ別な色の魔力を込めることで性質をばらけさせ、敵に攻撃への適応を許さない仕組みになっている。
対人戦では過剰と言ってもいい火力だったが、しかし相手はサーヴァント。
現に結論を述べると、アルマナの攻撃などゴドフロワに対してはちょっと派手な目眩まし程度としか取られなかった。
555
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:09:30 ID:tyr1M99Y0
「お上手です」
駆けながら聖剣を振るい、剛力に任せて光の雨霰を破砕させていく。
相当な熱が押し寄せている筈なのに、彼の顔には汗の一滴も流れていない。
「その年齢でよくぞここまで練り上げたものだ。
生まれる時代が違えば、歴史に名を残す魔術師になっていたやもしれませんね」
光熱を、雷を、嵐を、吹雪を、ゴドフロワはすべて剣一本で薙ぎ払う。
じゃれつく子どもをあしらうように懐の深い微笑を浮かべ、微塵の労苦も窺わせずそうする姿は美しいまでに絶望的だった。
これがサーヴァント。これが十字軍のさきがけ、狂戦士ゴドフロワ。
彼は美しい。美しいままに、恐ろしい。アルマナの眉が震え、胸の奥がきゅっと縮み上がった。
彼女の虐殺(トラウマ)を刺激する存在として、この白騎士は間違いなく過去最大の脅威である。
映像で見たレッドライダーのように、無機質に戦禍を振り撒く存在ではない。
この男はこうまで人間離れしていながら、しかしどこか月並みだった。
アルマナや征蹂郎のような"人間"の延長線上に存在する、ヒトの心が分かる怪物。
それを理解した上で、目的のためなら仕方ないと笑い飛ばせてしまう破綻者だ。
――あの集落を襲った侵掠者達のように。
「は――、ッ――ぁ――」
呼吸がおぼつかない。
ぐらぐらと揺れる意識、頭蓋の内側、いやもっと深いところから封じ込めたなにかが溢れてきそうだ。
鳴りかけた歯をなんとか抑えられたのは幸いだった。仮にこの情動に身を委ねていたなら、自分はもうそれ以上戦えなかったろうから。
攻撃の手を絶やしてはならない。
一発でも多く撃ち込んで、一瞬でも長く敵を遅延させろ。
令呪を使うのは最終手段。王さまに面倒をかけるわけにはいかない。
(だから、ここは……)
わたしが、アルマナが、やるしかないのだ。
そう思ったところで、少女は左手に小さな熱を感じた。
「……アグニさん?」
征蹂郎は何も言わなかった。
ただアルマナの眼を見て、小さく頷いた。
それはまるで、揺れる心へ何事か言い聞かせるように。
懐かしい感触だった。いつかどこかで、こんなことがあった気がする。
556
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:10:15 ID:tyr1M99Y0
きっと今よりもっと幼い日。
眠れないとぐずる自分の手を握ってくれたのは誰だったか。
わからない。覚えていない。思い出さないように蓋をしているから。
そんな曖昧な記憶なのに、かけてもらった言葉だけは鮮明に覚えていて。
『――――大丈夫だ、アルマナ。ひとりじゃないぞ、みんながいる』
蓋の隙間から溢れてきた優しい誰かの声が、アルマナから震えを吹き飛ばした。
右手に光を集め、それを武器の形に創形する。
一本の槍だった。投影ではなく、あくまでも光を使った粘土遊びだ。
そういえば自分は粘土遊びの好きな子どもだった。
あの集落では質のよい粘土がちょっと掘るだけで出てきたから、それで人形を作っては父様に焼いてもらっていたっけ。
より大きく。より強く。どんな強者の眼からも見過ごせないほどハッタリを利かせて。
少なからず魔力を注ぎ込んだせいで全身を張り付くような疲労感が襲っているが、無視する。
距離は既に無視できないほど詰まっている。
失敗は許されない――創り上げたそれを、アルマナは異教の騎士に向け超高速で撃ち放った。
「なんて顔をするのです」
ゴドフロワは光の槍ではなく、生み出したアルマナを見て言った。
聖者のような哀れみと、殺人鬼のような嗜虐を滲ませた、矛盾した声音だった。
「まるで傷ついた小鳥ですね。
幼子らしく縋りついて、泣きじゃくっていればいいものを」
アルマナの渾身の一撃に対しても、彼が見せる対応は大きく変わらない。
光の槍と相対する光の剣――『主よ、我が無道を赦し給え(ホーリー・クロス)』の刀身が滑らかに肥大化する。
そして激突。案の定、一瞬の拮抗すら成し遂げることはできなかった。
槍は光という性質を保ったまま砕かれ、あっけなく虐殺の白騎士に踏み越えられる。
最終防衛線の崩壊が彼女達に何をもたらすかは明らかで、結末は決まったかに思われた。
しかし……
「――爆ぜて」
アルマナの命令が、甲高い激突音に紛れて響いた。
瞬間、今まさに砕かれた光の槍が、壮絶な大爆発を引き起こす。
『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』という技法がある。
宝具を自壊させ、その喪失と引き換えに莫大な破壊力を生むそれと、アルマナが今やった攻撃はよく似ていた。
魔力で形成した武器という情報は罠。アルマナは最初から爆弾のつもりで放っており、ゴドフロワはまんまとこれを斬り伏せてしまったのだ。
557
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:11:00 ID:tyr1M99Y0
短慮の報いは夜の闇をかき消すような爆発。白騎士は、ほぼ中心部でこれに曝された形になる。
人間だったなら万全に備えをした魔術師でさえ、原型を保てれば奇跡という次元の威力を持っていたが――それでも。
「なかなか効きました」
涼やかな顔で、爆風の中から姿を現す聖墳墓守護者。
多少の煤を被った程度で、手傷らしいものは皆無に等しい。
ゴドフロワの肉体は、英霊基準でも異常な強度を有している。
狂気の如き信心で補強された玉体を傷つけるには、現代の魔術師の全力程度では大いに役者不足だった。
「それで? よもや聯合の王に侍る近衛が、これで全力というわけはありませんね。
老婆心ながら助言しますと、格上の敵を相手に出し惜しむことは禁物ですよ。
ある筈もない未来を空想して勘定に耽るくらいなら、目の前にある現実に金庫を捧げた方がいい」
たかがマスターでは、現代の人間如きでは、ゴドフロワ・ド・ブイヨンを倒せない。
何故なら彼は十字軍の筆頭。多くの誇りと多くの血に濡れた行軍の第一回、それを牽引した虐殺の騎士。
技、肉体、何より抱く狂気(オモイ)の桁が違う。
よって、この無謀な逃亡劇に最初から勝ちの目などなかった。
征蹂郎に令呪を使わせず切り抜けるなんて最初から不可能。
アルマナ・ラフィーに、彼を無傷で守り抜けるだけの強さはない。
誰の目にも分かりきっていた事実が改めて証明された瞬間だったが、一方で当の小鳥は、動じた風でもなく。
「更に飛ばします。酔わないように踏ん張ってください」
そんな割と無茶な命令を出しながら足場を蹴飛ばし、宣言通りに急加速した。
焼け石に水もいいところ。この程度でどうにかできる相手なら、そもそもこんな状況には陥っていないのだから。
ゴドフロワももちろんそう思う。そう思って駆け出す。小鳥と、それに守られたゴミ山の王を摘み取るために。
――その行方を遮るように、飛び出した三つの気配が彼へ衝突した。
「……これはこれは。何か企んでいるのは予想していましたが」
青銅の兵隊だ。正しく呼ぶのなら、スパルトイ。
アルマナは征蹂郎を救援するにあたり、意図的にこれらを自分から遠ざけて隠していた。
不意の事態への対応力が低下するリスクは承知の上で、伏せ札として使う場合の利点を考慮していたのだ。
その甲斐あって、今老王の従者達は彼女の渾身で作った隙を縫うように、伏兵となり騎士の行方を阻んでいる。
「舐められたものだ。いかにかの青銅王の靡下といえど、私の足止めがこんなガラクタで務まると?」
これを見て、アルマナのサーヴァントの真名に思い至れないほどゴドフロワは愚鈍ではない。
ギリシャはテーバイ、栄光の国の王。竜殺しの英雄にして、"青銅の発見者"。
すなわちカドモス。英霊としての格で言えば彼をも上回る難物だが、しかしたかが走狗風情でこの狂える騎士を超えることは不可能だ。
結末は見えている。ただ、この場に限ればアルマナの作戦勝ちだった。
558
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:11:32 ID:tyr1M99Y0
「とはいえ面倒には面倒だ。こうなると、煙に巻かれてしまうのは避けられませんね」
千代田にデュラハンのサーヴァントが侵入していると察知した時点で、アルマナは意図的にスパルトイ達を散開させていた。
その上で征蹂郎に接触。ゴドフロワがこうも早く聯合の王に辿り着くのは想定外だったが、初手でスパルトイを隠したのは正解だった。
英霊を連れず絶望的な撤退戦に挑む少女を演じながら、乾坤一擲の一撃をあえて派手にぶちかますことにより、潜ませて追従させていた"かれら"への突撃の合図としたのである。
傍に侍らせなかったこと、消耗を度外視した魔力の連弾。
命がけのカモフラージュの甲斐あって、満を持しての突撃はゴドフロワをして意表を突かれる奇襲攻撃と化した。
現にスパルトイ三体の同時攻撃を受けたゴドフロワは地面へ落とされ、アルマナ達の姿はとうに視界の彼方まで遠のいている。
追おうにも道を阻むのは英雄王の青銅兵。大した相手ではないが、だからと言って一撃で蹴散らせるほど脆くもない。
これらを片付けた上で改めてアルマナ達に追いつくというのは、さしものゴドフロワでもいささか難題だった。
「まあいいでしょう、本懐は雑兵狩りによる勢力の減衰だ。
野良犬以外に寄る辺を持たない裸の王など、この先いつでも摘み取れますしね。
仕方ない、仕方ない。では、それはそれとしまして――」
思考を切り替える。
逃げられたものは仕方ない、今回は相手が一枚上手だったと賞賛しよう。
だが、それはそれとして。
「大義(わたし)の邪魔をする古臭い人形共は、壊しておきましょうか」
爽やかなスマイルを浮かべながら、光の狂気は目の前の粛清対象達を見やった。
重ねて言うが、結末は見えている。
アルマナは命を繋ぐため、自分を守る大事な手札を手放してしまった。
光が舞う。青銅の忠義が、これに応じる。
刃と刃が奏でる鋭い音と、次いで重厚な何かが砕け散る音。
暴力による暴力のための狂想曲が、暫し千代田の裏路地を揺らした。
◇◇
559
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:12:39 ID:tyr1M99Y0
「――よかった、のか……?」
「よかったのかと言われると、よくはありません。後で王さまから大目玉を食らうでしょうが、甘んじて受け入れるしかないでしょう」
スパルトイ達には足止めに全力を費やすことと、全滅だけは避けることを言い含めている。
つまり、何体かを"持っていかれる"ことは承知の上での奇策だ。
言うまでもなくそれは、王を連れず行動しているアルマナにとって大きな損失。
スパルトイが全騎揃っていてもてんで足りないような魑魅魍魎が跋扈するこの東京で、彼女が捨てた手札の価値はあまりに大きかった。
悪国征蹂郎が倒れれば、それすなわち刀凶聯合の敗北を意味する。
今まで彼らにかけた時間も手間もすべて無駄になるのは当然として、最もまずいのは彼のサーヴァントが野放しになる事態だ。
レッドライダー。あの戦禍の化身が要石を失い、他の誰かの手に収まる可能性。
これこそが真の最悪だと、アルマナは港区での交戦の映像を観た時に理解した。
アルマナに言わせれば征蹂郎はまだ穏健派のマスターだ。
だから事はまだこの程度で済んでいるのだと、果たして彼は気付いているのか。
規格外の戦力。魔力補給に頼らない燃費の良さ。周囲に精神汚染を撒き散らす災害性。
本来なら一騎で聖杯戦争を終わらせかねない特記戦力だ。少し考えただけでも極悪な使い方が山程思いつく。
誰もが恐れる筈だ。そして誰もが、欲する筈だ。
赤騎士を征蹂郎以外の手に渡らせてはならない。
そのリスクを排せるなら、スパルトイの損失など決して惜しくないと断言できる。
「……キミには、世話になりっぱなしだな」
「いえ。アグニさんの方こそ、先ほどはありがとうございました」
「……、……? 何のことだ……?」
「――――手を。握っていただきましたので」
「……ああ……。そんなことか……」
アルマナは、こう考え始めていた。
悪国征蹂郎は、自分の手でコントロールできる。
彼の人生は刀凶聯合という共同体に縛られている。
虚構の家族を居場所と信じ、そのために戦う愚かな道化(ピエロ)。
その上、部外者である自分にまで思い入れのようなものを示し始める単純さだ。
手綱を握るのは容易い。彼を傀儡に変えられれば、あの赤き騎兵も自分達の支配下に置ける。
アルマナ・ラフィーは優秀だ。
魔術師として必要な素養をすべて満たしており、それは精神面も例外ではない。
(ノクト・サムスタンプのような男に奪われるくらいなら、いっそアルマナが手中に収めてしまおう)
彼が向けてくる信頼すら、道具として弄んでみせよう。
最後に勝つために、アルマナは手段を惜しまない。惜しんではいけない。
他人を信じることを美徳とする人がどんな末路を辿るのかは、自分が誰より知っている。
だから、そう。
今の言葉だって、ただの方便だ。
560
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:13:42 ID:tyr1M99Y0
まだ熱が残る左手を、きゅ、と小さく握りしめた。
線となって消えていく夜景を横目に、少しだけ俯く。
それから首を横に振り、降って湧きそうな何かを蹴散らした。
「ところでアグニさん、ひとつ進言があるのですが」
「……ああ、分かってる」
アルマナの腕に抱かれた格好のまま、征蹂郎はスマートフォンを取り出す。
考えていることは同じだった。こうまで状況が動いた以上、もはや四の五の言っていられない。
「ノクト・サムスタンプを問い質そう。事と次第によっては……、……もはや信用するに値しない」
こちらの提示した条件の進捗も不明な状況だ。これ以上は信用問題である。
ただでさえ見え透いた獅子身中の虫、外患に加え内憂にまで胃を痛めるのは御免だった。
アルマナは無言で、それにうなずく。
あの"傭兵"に関して、彼女は征蹂郎以上に不信を抱いている。
レッドライダーを欲しがる意思を隠そうともしなかった時点で、信を置ける相手では断じてない。その上"王さま"のお墨付きだ。
それに胸に秘める思惑を実行に移す上でも、征蹂郎と先約を結んでいる彼の存在は目の上の瘤でしかない。
いざとなればそれこそ、征蹂郎をノクト排除に誘導することも視野に入れねばなるまい。
征蹂郎が、端末を耳へと当てた。
スピーカーモードにして貰う必要はない。そんなことせずとも、今のアルマナなら通話の一切を聞き分けられる。
『――おう、大将か。悪いな、色々立て込んでて連絡の暇がなくてよ』
そうして響いた声は、あの時と同じ鼻持ちならないものだった。
征蹂郎が眉根を寄せる。無理もないことだと、アルマナは内心思う。
「言い訳はいい……それよりも、状況を伝えろ」
『デュラハンのひとりを殺った。だが、こいつが予想外な隠し玉を持っててな。殺せはしたが、死ななかったってとこだ』
「……どういう、ことだ……?」
『言葉のままだよ。新手の死霊魔術か知らんが、首をへし折ったのに動きやがった。リサーチ不足だったな、弁解の余地もねえ』
不死者(アンデッド)――。
征蹂郎とアルマナの脳裏に、同じ少女の姿が浮かんだが。
『ああ、違う違う。安心しな、アレとは比べ物にもならねえよ』
ノクトは、さながら思い浮かべたものを見通したようにすぐさま否定した。
そのレスポンスの速さと、有無を言わせない語調には、この男らしからぬ私情が覗いているように思えた。
『不死なんて大層なもんじゃ断じてない。単なる手品だ。次の機会があれば、きっと問題なく殺せる』
取るに足らない獲物に対して語るには、過剰と言っていい否定と侮蔑。
合理の怪物めいた傭兵が垣間見せた人間性らしきものが、却って妙に不気味だった。
踏み込んではならない禁足地の入り口を思わせる不穏な静寂が通話を通して満ちる。
征蹂郎もそれを感じ取ったのだろう。彼は訝る声音はそのままに、話を変えた。
561
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:14:25 ID:tyr1M99Y0
「周鳳狩魔のサーヴァント……"ゴドー"による、襲撃があった。被害は、……甚大だ」
『へえ、本拠襲撃か。敵さんの情報網もなかなかのもんだな』
「とぼけるな」
征蹂郎の語気が強まる。
無理もない。今の物言いは、仲間を何より重んじる彼にとっては決して許せないものだったから。
「お前が予測できなかった筈がない……。天秤にかけたな、オレの仲間を……」
『おいおい、ちったあ信用してくれよ。
まあ確かに可能性のひとつじゃあったが、前もって伝えなかったのは何も陥れたいからじゃない。
最前線(フロントライン)から厄介な戦力が退けてくれるなら、それはそれで好都合だと思っただけさ』
「――ッ」
『大将にはアルマナの嬢ちゃんが付いてる。マジでやばくなったらカドモスも出張ってくるんだろ?
そら見ろ、リスクヘッジは万全だ。優先して潰すべき可能性とは言い難い』
ノクト・サムスタンプは悪国征蹂郎と契約を交わしている。
どんな理由があろうとも、刀凶聯合の仲間を意識的に犠牲にするような策は許さない。
それを初手で破ったのかと罵ってやりたいのは山々だったが、征蹂郎はそうできなかった。
彼も王である。一軍の将である。戦争に勝つというのがどういうことかは、分かっているつもりだ。
『薄情者と言われりゃ返す言葉もないが、別に捨て駒にしたわけじゃあねえ。
あくまで優先順位の問題で、より勝ちに近付ける方を取っただけだ。
嬢ちゃんがちょうどよく強行偵察に出てくれてたんでな。お陰で楽な仕事だったぜ』
ノクトは聯合の兵士を捨て駒になどしていない。
彼らと征蹂郎に及ぶ危険よりも、目先の勝ちを狙いに行ったというだけ。
聯合を勝たせるための合理的な思考が、契約に悖らない範囲で冷血に傾いただけのことである。
その結果、夜の虎は敵陣に堂々と踏み込み、暗殺を遂行できた。
結果だけ見れば失敗でも、標的が持つ稀有な体質を暴き立てたという成果は大きい。
これを横紙破りだと罵れば、それは征蹂郎の王としての沽券を毀損する。
そう分かってしまったから、征蹂郎はそれ以上何も言えなかった。
『納得してくれたか? じゃあこっちの話をさせて貰うぜ。
今、俺は〈脱出王〉と交戦してる。どうにも旗色が悪くなってきたが、それでも一撃重たいのを叩き込んでやった。
化けの皮を一枚剥いでやったよ。私情を挟むのは自分でもどうかと思うがね、正直胸がスッとした』
「……、……」
『それと、アンタ新宿にライダーを投下したな?
期待通りに暴れてみせたようだが、悪いことは言わねえ。そっちも一回退かせろ』
「――理由は」
『巡り合わせだ。厄介な奴が、よりにもよって俺達の稼ぎ頭のところに出てきたらしい』
そこで、ノクトの声にまた感情が垣間見えた。
ただし今度のは、さっきのような偏執的なものではない。
もっと月並みでありふれた、そう、喩えるならば。
『蛇杖堂寂句の出陣だ。もう一度言うぞ、一度退け。あの爺さんと戦場で出会って、碌な目にあった奴を俺は知らん』
どう扱っても角の立つ厄介な人間に対するような、辟易の念。
ちょうど、ノクトが吐き捨てるようにそれを告げた瞬間。
征蹂郎は身体を突き抜けるような熱に、発しようとした声を奪われた。
◇◇
562
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:15:12 ID:tyr1M99Y0
霊獣を駆る原人の軍勢と、その中心でひとり立つ異形の騎士。
この世の始まりとも終わりともつかない混沌の戦場は、神の到来を受けて尚変わらず続いていた。
だが、違った点がひとつある。
黒曜石の大剣を振り翳して戦うレッドライダーの動きが、"それ"の前と比べて目に見えて向上しているのだ。
原人の突撃を、それを載せた隼ごと両断して。
投石を受け止め、十倍以上の威力で投げ返し投手を粉砕。
その間も身体を砲台代わりにして巨石を撒き散らして接敵を許さず、更に警戒すべき敵の優先順位も忘れていない。
シッティング・ブルの呪術が、赤騎士の足元に陣を出現させる。
底なし沼を再現して引きずり込み、動きを奪おうとするが無駄だった。
陣が完成する前に地面ごと踏み砕いて、放たれていた矢の剛射を事もなく掴み取る。
瞬時に、返品とばかりにそれを持ち主へ投げ返した。
音の壁を突破して迫る矢が、鷹を駆るシッティング・ブルの眉間を狙う。
咄嗟に身を反らして回避自体には成功したが、右の耳朶がちぎり取られた。
霊獣の扱いに、少なくともこの場の誰より親しんでいるタタンカ・イヨタケ。
そんな彼でさえあわや脳漿を散らす羽目になっていた事実が、"戦禍の化身"がどれほど規格外な存在であるかを物語っている。
(こうまで型に嵌めて、まだこれか――)
ネアンデルタール人のスキルによる、作成可能武装の制限。
原人と霊獣による数的優位まであって尚、まるで攻め落とせる気配がない。
厄介なのはやはり不死性。原人の呪いでもそこまでを奪い去ることはできなかったようで、現にレッドライダーはシッティング・ブル達が与えたすべての傷をまったく無視して暴れ続けている。
しかし不可解なのは、これが神寂祓葉の気配に呼応して強くなった事実だ。
更に言うなら、あの時赤騎士は確かに"フツハ"と呼んでいた。
自我など持っている風には見えないこの怪物が、例外的に有する他者への執着。
(先が見えん。ゲンジにまだ切り札があるなら、そろそろ使うよう打診すべき頃合いだな)
嫌な予感しかしなかった。
状況だけ見ればそれでもまだこちらが優勢な筈なのに、心に立ち込めた暗雲が晴れない。
ゲンジだけではない。自分も、宝具の解放を視野に入れるべきだろう。
それでも好転しないなら、その時は一度この戦いを捨て、異なるアプローチで敵軍を削るべきだ。
……と。まるで戦争屋のようなことを考えている自分に気付き、シッティング・ブルが静かに自己嫌悪に駆られたちょうどその時。
――身を貫くような、最悪の感覚が走った。
563
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:15:55 ID:tyr1M99Y0
「悠灯……!?」
その意味するところはひとつ。
周鳳狩魔と共に後方で控えている筈の華村悠灯に、何かが起きた。
彼女の身を、命を脅かすような事態が、今まさに起こっている。
(馬鹿な……ッ)
主要拠点および周辺には結界を張り巡らせてあるし、ゲンジの原人達だって配備されていた筈だ。
にも関わらず、事が起きるまで侵入を悟らせることなく、襲撃をやり遂げてのけた凶手がいるというのか。
にわかには信じ難い話だったが、悠灯の身に危険が及んだのは事実。
生命反応は消えていない、それどころか弱まってすらいないのが不可解ではあったが――由々しき事態には違いない。
どうする。
悠灯が危ない。もしも侵入者が英霊、ないしその域に迫るモノであったなら狩魔でも庇い切れないだろう。
シッティング・ブルは聯合に加担してこそいるが、彼にとって最優先すべきはもちろん悠灯の生存だ。
自分がこの場を離れれば、霊獣に指揮を飛ばせる者も不在となる。
未熟なゲンジと、理性なき原人達では任を果たせないだろう。
戦線は瓦解し、聯合は切り札を失う。だが、悠灯を守ることに比べればそれが矮小な問題であるのも事実。
葛藤。
逡巡。
しかし下すべき回答は分かりきっている。
シッティング・ブルが断腸の思いでそれを選び取る、すんでのところで。
偉大なる戦士と呼ばれた男は、その乱入者達を視認した。
「――――幸先が悪いな。いや、あるいは良いのか?」
レッドライダーの存在は、それだけで大地を汚染する。
この新宿南部に貼っていた結界は、既に半壊状態にあった。
だからこそ"彼ら"はその孔をすり抜け、誰にも気取られることなくここまで辿り着けたのだろう。
灰色のスーツに、季節外れの灰色のコートを纏った老人だった。
長い白髪。酸いと甘いを噛み分けた者特有の鈍い眼光。
だが老いぼれと呼ぶには、あまりに宿る生命力が暴力的すぎる。
巨漢と呼んで差し支えない体躯に無駄はなく、年齢相応な要素はそれこそ先に挙げたものしか持っていない。
老人は現れるなり、独り言をひとつ呟くと。
目の前の地獄に怯むでもなく、悠々とその足を進めた。
傲慢と、確固たる自負の滲む足取りの先。
原人達が、石器武器を片手に敵愾心を示している。
564
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:16:58 ID:tyr1M99Y0
無数の、理性をもぎ取られた瞳達が老人を見つめていた。
原始的な知性のみで動く彼らは、ほぼほぼ獰猛な獣と変わらない。
現住人類のアーキタイプのひとつ。更新世の祈り人。
ホモ・ネアンデルターレンシスという、先人達の眼差しに囲まれて。
老人はそれでも足を止めぬまま、その悪癖を隠そうともせず言い放った。
「邪魔だ。退け」
それをもって、敵対の意思表示と看做したらしい。
原人の一体が、石槍を振り翳して彼へ向かう。
「ああ済まん。猿に言葉は通じんか」
原人は、一体一体の戦闘力で言えば確かに惰弱だ。
しかしそれでもサーヴァントはサーヴァント。
人類最高峰の格闘家を連れてきたとしても、戦ったならまず間違いなく彼らが勝つ。
聖杯戦争について、境界記録帯について知る者であれば誰もが理解している当然の道理。
だがこの"灰色の男"は、当たり前のようにこれを否定していた。
「赤毛と碧眼、寸胴の体格に太い手足……ホモ・ネアンデルターレンシスの特徴に一致する。
要石はそこの醜男だな? またずいぶんと珍しい英霊を呼んだものだ」
受け止めたのだ。
片腕で、汗ひとつ流すことなく、原人の石槍を掴み取って封殺した。
もちろん押し込もうとはしているが、老人が血の一滴も流さず健在なことがその奮闘の進捗を示している。
「サンプルとしては興味深いが……私は言ったぞ、邪魔だと」
次の瞬間、原人の頭蓋が中身(ミソ)を散らしながら粉砕される。
やったのは老人ではない。その隣にて像を結んだ、赤い甲冑の英霊の仕業だった。
「マスター・ジャック。僭越ながら忠言いたしますが、ここは危険です。迂回した方がよろしいかと」
「必要ない。念願を前にして時間を浪費しろと?
臆病は無謀に勝るが、時と場合を見誤ればただの無能だ。私の英霊を名乗るならそのくらいは弁えておけ」
レッドライダーのものに似通った、毒々しい赤色と。
甲冑の背部から生えた、虫を思わせる三対六本の金属脚。
美しい少女の見目が、それを上回る奇怪さに相殺されている。
彼女の握る赤槍が音もなく瞬き、礼儀知らずな原人の頭を砕き散らしたのだ。
これは、天の蠍。
抑止力を超越した造物主と人類悪に対し、ガイアが送り込んだせめてもの刺客のひとつ。
そしてそんな彼女を従える男の名こそ、蛇杖堂寂句。
蛇杖堂記念病院、名誉院長。蛇杖堂家、現当主。
御年九十にして未だ衰えを知らぬ妖怪。
〈はじまりの六人〉のひとり。〈畏怖〉の狂人。かの星が生み出した闇、哀れなる衛星の一角である。
「とはいえ、確かに言いたいことは分からんでもない。
だから"幸先が悪い"と言ったのだ。あの無能どもめ、喚んでいいモノとそうでないモノの区別も付かんのか」
565
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:17:49 ID:tyr1M99Y0
呆れたような眼で寂句が見据えたのは、やはり戦場の中心に立つ赤騎士だった。
寂句という異分子の出現に呼応している原人はごく一部で、残りのほとんどは騎士との交戦を続けている。
総数数十にもなる英霊の群体と、それに力添えしている呪術師(シャーマン)の搦め手。
そのすべてを単騎でしのぎ、ともすれば押し潰さんとしている様子は明らかに異常だ。
それにこの領域に踏み入った以上、寂句の脳にも赤き呪い――〈喚戦〉の気配は這い寄っている。
明らかに一介の英霊ではない。異端の中の異端、悍ましい災厄の擬人化。
祓葉に似た不死性も垣間見えており、どう考えても籤運の範疇で済ませていい範疇を超えていた。
しかし妙なのは、どうも本来の力を発揮しきれていない節があること。
これほどの力を持つ存在でありながら、何故ああも原始的な攻撃手段で戦っているのか。
違和感の正体に気付いた時、寂句は初めて表情らしいものを浮かべた。
笑みだ。
「そうか。この猿共が、アレを抑え込んでいるのか」
寂句の聡明は、純粋な知識量だけを指した評価ではない。
知識などあくまで栄養素。いかに多く取り込んだとて、活かせないのでは意味がない。
溜め込んだ智慧と九十年の経験。
そのすべてを余さず搾り尽くして打ち出す超人的な判断力こそが、この男の最も恐ろしい点である。
「――おい、小僧。光栄に思え、貴様に恩を売ってやる」
老人の眼球が、鷲に跨り空にいるゲンジに向けられた。
アンタレスが新たに蹴散らした原人の肉片が吹き荒んでいるのも気にせず、寂句は言う。
昏い高揚の中にいたゲンジも、これには流石に顔を顰める。
「………………ッ」
だが次の瞬間、その表情は驚きと、そして動揺に彩られた。
覚明ゲンジには、覚明ゲンジだけの視界がある。
フィルターを切り替え、彼は彼の視点から、蛇杖堂寂句を見たのだ。
であれば理解できない筈はない。寂句が何者で、何処を目指しているのかを。
されど、蛇杖堂の医神はどこまでも傲慢で、他者を顧みない。
よってゲンジには選択の余地も、対話の猶予さえ与えられはしなかった。
猿顔の少年が口を開こうとした時には既に、主を脅かす原人の粗方を屠り終えた天蠍が、次の標的へ駆け出しているところだった。
566
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:19:02 ID:tyr1M99Y0
「なるほど。やはり、そういうことでしたか」
何か得心行ったように呟く天蠍・アンタレス。
彼女の槍を黒曜石の剣で受け止め、赤騎士は無言のまま彼女と相対する。
散る火花は、共に赤色。
アンタレスは六脚を駆使して縦横無尽、変幻自在の攻撃を加えていくが、レッドライダーは一歩も動かぬままそのすべてに対応していく。
この一瞬の攻防を見るだけでも、突如始まった戦闘の天秤がどちらに傾いているかは明らかだ。
アンタレスも弱くはない。軽やかな体躯と外付けパーツの利点を活かし、速度に飽かして技の限りで赤騎士を圧倒している。
しかしそれはあくまでも、手の数に限った場合だけの話。
赤騎士の応戦は無理なくその手数に追いつき、受け損じて負った傷もたちまち癒えてしまうのだから、彼我の戦力差は残酷なほど明確だった。
だが、アンタレスは冷静に言う。
彼女が寂句に迂回を勧めた理由。
視認した瞬間からあった疑念が、矛を交えたことで確信に変わっていた。
「貴方、当機構の同郷ですね。ガイアの尖兵、……いえ。さしずめ意思表示とでも言うべきでしょうか」
天蠍アンタレス。
レッドライダー。
激戦を繰り広げる両者は、共にガイアに連なる由緒を持っている。
アンタレスは、ガイアの猛毒。
「ガイアの感情、恐らくは"怒り"。ヒトに愛想を尽かした母の意思を代弁する、四色の終末装置……」
そしてレッドライダーは、ガイアの怒り。
抑止力と終末装置、在り方は違えどルーツは同じだ。
ある意味では兄妹喧嘩と言えなくもない構図。
さりとて、たかが尖兵の一体と感情そのものでは話もまったく変わってくる。
アンタレスの槍先がレッドライダーの喉笛を抉り、力任せに首を刎ね飛ばす。
頭と胴を泣き別れにされても、しかしレッドライダーは止まらない。
大剣を超高速で振り抜き、衝撃だけでアンタレスを数メートルは後退させた。
彼女が体勢を立て直す暇もなく、蓮の種を思わせる無数の砲口が赤き身体に開く。
次の瞬間、石を弾代わりにした砲撃の嵐が吹き荒れて彼女を狙う。
圧倒的。すべてにおいて、ただひたすらに強すぎる。
ガイアの仔としての格の差を示しながら、不滅の闘争は君臨を続けていた。
567
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:20:19 ID:tyr1M99Y0
「ぐ……っ、ぁ、く……!」
小さな悲鳴を漏らし、徐々に押し切られていく天の蠍。
彼女に六本の脚がなかったなら、この時点で無残に挽き潰されていた可能性すらあろう。
だが、なんとか場を繋げていたとしても大勢は何ら変わらない。
砲撃を放ちながら、大剣を握った赤騎士が距離を詰めた。
すべてを終わらせる黒い大太刀が、原始の殺意が――妹たる蠍を押し潰さんとする。
規格が違う。
役者が違う。
たかだか怪物の一匹。
たかだか抑止の名を冠しただけの英霊。
それでは、星の終末装置は斃せない。
黙示録の四騎士。四色の【赤】を司るもの。
それがレッドライダー。これが人類を終わらせる赤の騎士。
故に倒せない。
誰にもこれを超えられない。
これは、未来に訪れる因果応報。最後に辻褄を合わせる存在だから。
だから――
「そこだ。打て、ランサー」
――この天命(どく)からは逃げられない。
アンタレスが、乾坤一擲の一撃を受け止める。
裂帛の気合という表現を使うには無機質すぎる相手だが、受け止めただけで両腕が持っていかれそうになったのは事実だった。
故にアンタレスは、大袈裟でなく死ぬ気で防御をこなす必要があった。
その甲斐あってなんとか生を繋げた。激戦の中、状況を顧みず要求された主君の命令(オーダー)。
前提条件は殺人的だったが、だからこそそれを満たせたこの瞬間が、千載一遇の好機と相成る。
「――はい。了解しました、マスター・ジャック」
わずかな体幹のずらしで、懐へと潜り込んだ。
歩みは速く、それ以上に狡く。
獲物を狩る時の蠍に似た、合理と狡猾を併せ持った足取りが確定しかけた死線をすり抜けさせる。
そうして得た一瞬の隙は、彼女が槍を振るうだけの時間としては十分過ぎた。
「その身、その霊基(うつわ)、もはや地上へ存在するに能わず」
或いはこうなって初めて、レッドライダーは彼女を脅威たり得る存在と認識したのかもしれない。
だが、だとすればあまりに遅すぎた。
既に攻撃は放たれ、不滅の筈の身体は槍の目指す行き先に在る。
「然らば直ちに天へと昇り、地を見守る星となりなさい――」
開く砲口。
爆速と言っていい速度で動き、大剣にて迫る穂先を防がんとする両腕。
すべて遅い。蠍の一刺しは常に神速、あらゆる驕りを認めない天の意思。
なればこそ。蛇杖堂寂句という今宵の天に命ぜられたアンタレスがそれを遂げるのは、ごく当然の理屈と言えた。
「――『英雄よ天に昇れ(アステリズム・メーカー)』」
突き穿ち、刺し穿つ赤槍の一突きが。
過つことなく――、赤騎士の胸を貫いた。
◇◇
568
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:21:39 ID:tyr1M99Y0
黙示録の【赤】。
レッドライダー。
それは、ガイアの怒り。
人類に愛想を尽かした惑星が下す最後通牒の終末装置。
戦争という原罪を司り、そこから人類が解脱できないからこそ不滅である騎兵。
倒せない。超えられない。ヨハネの預言により、遥か遠未来まで人類は闘争を超克できないと証明されているから、誰にもこれは滅ぼせない。
しかしそこにこそ隙がある。
そも、黙示録の赤騎士とは遥か先の未来に顕現する存在なのだ。
今この時代にまろび出ている時点で、これの存在は地上にとって正当ではない。
預言を無視して地上へ顕れた終末装置。ガイアの意思にも、世界の規範にも背き跳梁するイレギュラー。
――であればその横紙破りを、星が差し向ける猛毒蠍(アンタレス)は見逃さない。
「ォ、オ……!? グ、オ、オオオオオオオオオオオオオ――――!!!」
人類が飽和と腐敗を尽くした未来時代に顕現すべき赤騎士。
預言の使徒たるこれ自体が誰より預言に叛いている事実を痛辣に指摘して、母(ガイア)は追放を断じた。
よって毒は回る。不滅の筈の玉体(カラダ)を冒す。
汝、地上へ存在するに能わず。直ちに天へと昇り、地を見守る星となれ。
そう命じ導く猛毒が、レッドライダーに慟哭を余儀なくさせていた。
「オ、ノレ……! 貴様、屑星ノ一端、ガァッ……!!」
天に昇れ、天に昇れ。もはやおまえは地上に不要である。
増長者へ破滅を求める猛毒は、現代に非ざるべき超越者に対する特効薬。
ただし良薬としてではなく、その存在を根絶する殺虫剤として、これの薬毒は覿面に効く。
「貴方はやり過ぎました。ついては、跡目は当機構が引き継ぎます。
疾く消えてください、母様の"怒り"たる御身よ。この時代は、この運命は、貴方を必要としていない」
原人の呪い。
天蠍の宣告。
二種の毒を受ければさしもの赤騎士も、もはや在るべきカタチなど保てない。
英霊の座を通じたイレギュラーな召喚で、在るべきでない時にまろび出た戦禍の化身。
今ここに存在していること自体が地上のルールを無視している。
であればそんな赤騎士が、星の猛毒が働く条件を満たさない筈がなかった。
569
:
TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:22:35 ID:tyr1M99Y0
「預言の時は未だ彼方。それまでお眠りくださいませ、お兄様」
赤騎士の全身が、これまでとは違った様子で崩れ始める。
例えるならそれは、風化した岩石のようだった。
半流動体の体躯が末端から凝固して、ぱらぱらと地面に落ちていく。
更に体表も不規則に波打っては微細な伸縮を繰り返しており、不滅を超えた想定外が起こっているのは明白。
それでも悪あがきのように蠢きながら、赤騎士は天蠍へと踏み出した。
黒曜石の剣も形を失い始め、もう刀身を失ったただの鈍器と化している。
恐るべし戦争の厄災。この有様になっても己が使命に殉じ続ける姿は雄々しささえ感じさせたが……
「否、否、断ジテ否……!
預言ノ時ハ訪レタ。我ハ、私ハ、俺ハ、僕ハ、儂ハ、アノ醜穢ヲ討チテ――」
「見苦しい」
所詮は、消えゆくモノの悪あがきに過ぎない。
天蠍の槍が目にも留まらぬ速度で閃き、蠢く騎士の総体を文字通り八つに引き裂いた。
それが最後。不滅に見えた赤騎士は無残なバラバラ死体と化し、再生することなく夜風に溶けて消えていった。
唖然。呆然。
理性なき原人達を除き、シッティング・ブルも覚明ゲンジも、ただその光景を無言で見送ることしかできなかった。
自分達が死力を尽くし、それでも打倒の糸口をついぞ見つけられなかった刀凶聯合の切り札が、こうもあっさりと消滅させられたのだ。
この英霊は、この主従は、一体何者なのか?
自分達の繰り広げていた戦争が児戯に思えてくるほどの圧巻を魅せたふたりはしかし、誇るでもなく冷静だった。
「殺せたか?」
「いえ、恐らくは逃げられました。
あの者は母なる大地の"怒り"、当機構よりも抑止としての級位が上なのだと思います。
致命傷には違いないでしょうが、即時の天昇とまではいかなかったようです」
「まあいい、十分だ。例外の存在は重大な陥穽だが、それを補うピースの目星も付いた。
クク。たまには散歩などしてみるものだな、予期せぬ拾い物があった」
何やら遠い先を見透かしたように言い、蛇杖堂寂句の眼差しが猿顔の少年に戻る。
驚くべきことに、この男はもはや原人も霊獣も、牽制の意思を露わにしているシッティング・ブルさえ眼中に入れていなかった。
彼が見ているのは原人共の主、要石。覚明ゲンジただひとりである。
「餓鬼。貴様、所属は"どちら"だ?」
「デュラハン、だけど……」
「そうか、それは何よりだ。
同じ烏合の衆でも、ノクト・サムスタンプの手札を奪うのは要らん危険を孕むからな。
――助けてやった礼をして貰うぞ。貴様はこれから私と来い」
「…………おれの話、聞いてなかったのか? おれはデュラハンの一員で、周鳳狩魔の部下だ」
ゲンジの言い分ももっともだ。
寂句が戦場を収め、デュラハンの損害を限りなく零に近い形で収めたのは確かにまごうことなき功績。
しかしだからと言って、陣営の切り札である原人達の手綱を握る彼を引き抜かせろというのは要求として度が過ぎている。
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TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:24:06 ID:tyr1M99Y0
そんな当然の反論に、寂句は愚問を前にしたように鼻を鳴らした。
「勘違いしているようだが、これは要求ではなく決定だ。貴様に首を縦に振る以外の選択肢はない」
義理も理屈も関係ない。
己がそう決めたのだから、お前は従うしかないのだという暴君らしい傍若無人。
「それに、この会話自体が甚だしく無駄だ。
強制的に頷かせる手段などいくらでもあるが、そんな労苦を払わずともどうせ貴様は頷く」
「……ずいぶんな、自信だな。おれの弱みでも握ってるってのか?」
「弱み? クク、確かに言い得て妙かもな。
新参といえど、焦がれたモノを目にすることもなく横取りされるのは我慢ならんだろう」
覚明ゲンジは、視認している人物が何かへ向けている感情を矢印として視認することができる。
寂句が乱入してきてすぐ、彼はスイッチを切り替え目の前の老人に向かうそれを見た。
そこには、遥か彼方へと伸びる極太の矢印があった。
抱えているだけで理性が犯され、発狂してもおかしくないほどの圧倒的感情(グラビティ)。
それを向けられている人間にも、逆に向けている人間にも、ゲンジは既に会っていた。
だから分かる。本当は、既に分かっている。
彼が一体何者で、何に灼かれた人間なのかを。
ただ、その口から聞きたかった。
「私はこれから、神寂祓葉を終わらせに向かう」
息が止まった。
心臓が跳ねた。
脳の奥底から、過剰なアドレナリンが溢れ出てくるのが分かる。
ゲンジが目の前の老人の得体を察していたように、寂句もまた、ひと目見た瞬間から彼の病痾を見抜いていたのだ。
「手は揃えてあるが、相手は空前絶後の怪物だ。
よって貴様も協力しろ。アレに灼かれた以上、後は遅いか早いかの違いでしかない。
期待してやるから、死に物狂いで応えるがいい」
寂句がゲンジを"新参"と呼んだのはつまりそういうこと。
極星に灼かれ、魂を狂わされた哀れな残骸のひとつ。
彼はもはや、〈はじまりの六人〉の同類だ。
極星は引力を有している。
よって衛星は、どうあっても宇宙の中心たる彼女に向かっていくしかない。
寂句の言う通り、その時がいつ訪れるかの違いがあるだけだ。
「は、は」
気付けばゲンジは、嗤っていた。
狂ったように、壊れたようにそうしていた。
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TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:24:47 ID:tyr1M99Y0
運命が自分を迎えに来たのだ。
こちらの事情など知らず、手前勝手極まりない傲慢さで手を引いてきた。
普通なら死神にドアを叩かれたような心地になるべきなのだろうが、ゲンジは違う。
自分という存在が欲されている。神話の住人のような怪物達が、他でもない覚明ゲンジ(おれ)という役者の登壇を望んでいる。
その事実が、何者にもなれず燻っていた少年にはひどく心地よかった。
同時に納得する。この老人の言っていたことは正しい。こいつと遭った時点で、自分には拒む選択肢など残されちゃいなかったのだ。
「――――狩魔さん達のことは、裏切れない」
ただ、そんな彼の中に唯一残った人間性がひとつ。
彼は他の誰よりもデュラハンという組織に執着している。
ドライな狩魔と、一時の居場所として身を置く悠灯のどちらとも違う。
自分を見て、認め、共に語らってくれたそのふたりに対し、それこそ恩義にも似た絆を感じていた。
狩魔は、ゲンジはいずれ自分達を食い尽くす真の怪物になると予想していたが――少なくとも今はまだその時ではないらしい。
「あんたに付いていくのは、いい。
だけどバーサーカー達を全員連れて行くのは、ナシだ」
「選択権はないと言った筈だがな」
「なら、あんたをぶん殴ってでも作り出すよ」
「――は。無能が、出来もしないことをほざきおって」
ゲンジはあくまでも要石。
ネアンデルタール人達だけでも戦闘は行えるし、作戦の肝である神秘零落の呪いも使用できる。
蛇杖堂寂句と共に神殺しの本懐を果たしに行くことと、周鳳狩魔とデュラハンを裏切らないことは両立可能だ。
そう唱えて譲らないゲンジに対して、珍しく暴君が折れた。
「ここにいるのがすべてではないな。原人共の総数はどの程度だ」
「……百人弱だ。あんた達に殺されたぶんを含めても、まだそのくらいはいる」
「では五十体を寄越せ。それ以上は譲らん」
ゲンジが、目線をシッティング・ブルの方へと移す。
呪術師は既に地へ降り、ただ交渉するふたりを監視していた。
寂句だけでなく、ゲンジのこともだ。
半グレ同士の抗争の行く末に興味はないが、悠灯を脅かし得る可能性は摘み取る必要がある。
もしも覚明ゲンジが自分の役割をすべて放棄し出奔するというのなら、多少強引にでもこの場から連れ去るつもりだった。
「悪いな、悠灯さんのキャスター。狩魔さん達には、あんたから伝えてくれよ」
ゲンジ自身、不義理な真似をしているとは思う。
それでも寂句と行くと決めた理由は、第一に裡から沸き起こる耐え難い衝動。
そして、周鳳狩魔という男への信頼だった。
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TOKYO 卍 REVENGERS――(降星)(後編)
◆0pIloi6gg.
:2025/07/20(日) 23:25:38 ID:tyr1M99Y0
おれが頭を振り絞って思いつくようなことを、あの人が考えつかない筈がない。
あの人は、おれが祓葉に傾倒してるのも知ってる。
ならそのおれが、こうして"あいつ"に近付ける機会を得た時、どうするかなんて分かってる筈なんだ。
きっとおれの勝手な行動なんか織り込み済みで策を作ってある。おれ如きが、あの人の計算を狂わせるなんてありえない。
であれば何も問題はない。
おれはおれのまま、おれのやりたいことをしよう。
そう決めた少年に、偉大な戦士は口を開く。
「……理解ができん。
君はその老人の言っている意味を、本当に解っているのか?」
引き止めようとして出た言葉ではない。
嘘偽りのない、シッティング・ブルの本心だった。
「ゲンジ。君が仰いでいるあの少女は、決して清らかなモノなどではない」
知ったようなことを言っているのではなく、現に知っているのだ。
シッティング・ブルは、タタンカ・イヨタケは、それを見た。
この世界の神。天地神明の冒涜者。空に開いた孔、そこに向けて辺りすべてを吸引するブラックホール。
恐ろしいと思った。あんなに恐ろしい神秘がこの世に存在するなどと、あの瞬間まで彼は知らなかった。
「触れれば、近付けば、身も心も灼き尽くす鏖殺の星だ。
今の君は、蛾が燃え盛る炎に引き寄せられているようなものだ」
「……そうかもな。でも、はは、あんたにはわかんないよ。おっさん」
――灼かれてもないあんたじゃ、分かるわけがない。
――ヒトを本気で好きになるって、すごく怖いコトなんだ。
ゲンジはそう言って、シッティング・ブルに背を向けた。
その去り際の視線には、やはり奈落の底から覗くような禍々しいものが蟠っていて……咄嗟に、ライフルに手が伸びた。
それは反射的な行動だったが、少年は振り向きすらせずに。
「何かあったんだろ。早く、悠灯さんのとこに戻ってやりなよ」
朴訥とした優しさを滲ませて、言った。
本来美徳である筈のそれが、今はひどくアンバランスなものに見える。
土中に潜む多脚の虫が、何やら他者へ慈悲らしいものを示しているような。
そんな生理的嫌悪感を、今のゲンジは匂いのように周囲へ放っていた。
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