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母の飼い主 1

8母の飼い主 7:2013/10/11(金) 22:56:24

 さて、翌朝のことである。

 眠れない夜をすごした僕が、ベッドから出て台所へいくと、そこではエプロンをつけた母があわただしく朝食をつくっていた。まったくいつもどおりの光景である。
「おはよう」と母はやさしい口調で言った。「昨日はごめんね。せっかく、こっちにいる最後の晩だったのに…」
「いいよ、べつに」
 僕は短くこたえて、テーブルの椅子に座り、新聞を読むふりをした。頭の中では、前夜の出来事がちらついていた。
 
 客観的に見て、母はうつくしい女性だと思う。
 切れの深い大きな目、すっきりした鼻、形のよい唇、さらりとした長い黒髪――。母が「美人」であることは、僕にとってひそかな自慢の種だった。
 とはいえ、「美人」とは思っても、母がひとりの「女」であるという、考えてみれば当然の事実を、僕は今まで認識したことはなかった。昨夜、玄関口に立った母のすがたを見るまでは。
 あのとき、母は高熱で火照ったような顔をしていた。それがいかにも妖しかった。凄艶という形容がぴったりくるほどに。
 しかし、今こうして朝の光に包まれ、いつもと何ら変わりのない母を見ていると、昨夜のことは悪い夢でも見たような気がしてくる――。


 朝食を食べおわり、支度もすませて、いざ東京へ旅立つ頃になると、僕は前夜の出来事を単なる錯覚か、気のせいであると片付けたい気分になっていた。

「じゃあ、気をつけてね。今度はいつ帰ってこられるの?」
「わからないけど、年末にはもどるよ」
「そう…。ところで、腕時計はどうしたの?」
「ああ、いけね。たぶん部屋に置きっぱなしだわ」
「仕方のない子ねえ。待ってて。探してくるから」

 母はわざとらしいため息をつくと、僕の部屋へ腕時計を探しにいった。
 僕は玄関に腰を下ろして、母を待った。
 そのときだ。
 足元の床に、何か落ちているのが目にとまった。

 拾い上げてみると、それはマッチ箱だった。
 表面に「バー『黒鴉』」と印字されている。
 僕は金槌で頭を殴られたようなショックを受けた。

 母が戻ってくる足音がした。僕はあわててマッチ箱をズボンのポケットに仕舞いこんだ――。


 東京行きの新幹線に乗りながら、僕は何度となくそのマッチ箱を眺めた。
 この『黒鴉』という店は――洋治さんが経営しているというバーだ。
 僕はそう確信していた。その証拠に、箱に記された住所は××町になっている。

 問題は――このマッチ箱がわが家の床に落ちていたということだ。
 落とした人間は母のほかに考えられない。おそらくは昨晩、母が玄関から上がろうとしてふらついたときに、どこからかこぼれ落ちたのだと思う。
 仮にそうだとしたら、母は昨夜あれほど遅い時刻に『黒鴉』へ行ったことになる。
 なぜ?
 昨日の夜十時ごろ、突然母の携帯にかかってきた電話――あれも洋治さんからだったのだろうか?

 分からないことはいくつもある。
 けれど、分かってきたこともある。

 洋治さんには四月以来会っていないという母の言葉。
 あれは――嘘だ。
 市民ボランティア云々の話や、そこで知り合った人の話も、今となっては怪しく思える。

 どうやら母に嘘をつかれたらしいという事実はもちろんショックだったが、それ以上に母と洋治さんの関係が気になっていた。

 台所の戸棚にあった灰皿のことを思い出す。
 熱に浮かされたような昨夜の母を思い出す。
 厭な想像が膨らんでいく。

 ――真実をたしかめたい。
 でも、どうしたらそれが出来るだろう?


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