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母の飼い主 1

3母の飼い主 3:2013/10/11(金) 02:06:54

「洋治さんと会ったのは、お父さんのお葬式以来ね。長かった髪を短くしていたから、最初は誰だか分からなかったわ」と母は言った。
「あの人、いま何してるの?」
「なんでも、隣町でお店を経営しているらしいの。カウンターでお酒を飲む店……何と言うのだったかしら?」
「バー」
「そう、バーね」
「よく、店を開くお金があったね」いつも素寒貧だったくせに、と心の中で僕は付け加えた。
「なんだか、雰囲気がかわって、昔よりも落ち着いていたわよ。『お義姉さんにはあれだけお世話になりながら、すっかりご無沙汰してしまって…』なんて、ずいぶん恐縮していたわ」と母は言った。「もちろん、バーなんて商売は感心できないけど…」
 お嬢さん育ちである母は、水商売=感心できない商売という、抜きがたい偏見をもっていた。それでも、
「洋治さんは洋治さんなりに頑張っているみたいね。見直しちゃったわ」
 と言ったところをみると、その日再会した義弟の態度がよほどお気に召したらしかった。
「そのうち、店にも遊びに来てくださいと言われちゃった」
「行くの?」と僕はなぜか胸騒ぎを感じながら訊いた。
「行かないわよ。わたし、バーなんて嫌いだもの」と母は笑った。


 僕の大学生活は極めて順調に進んだ。
 同じ学部に仲良しの友だちができたし、勧誘されて入ったボランティア・サークルのメンバーともすぐに親しくなった。小遣い稼ぎにマクドナルドで人生初のアルバイトを始め、こちらのほうでも人間関係の輪が広がった。
 肝心の学業はといえば、こちらはそう楽しいというわけにはいかなかったが、それでも父譲りのまじめな性格なので、サボることなく授業に出つづけた。
 そんなわけで、僕は毎日のように友達と遊び、バイトに励み、ボランティア活動に顔を出し、コンパで酒を飲み、あくびをしながらレポートを書いて、時を過ごした。

 そのあいだにも変化はひっそりと訪れていた。
 最初は三日に一度だった母からの電話。
 それが徐々に間隔があいて、一週間に一度、やがては二週間に一度になっていったのである。
 母もようやくひとりの生活に慣れてきたのだろう――と、毎日楽しく過ごしていた僕は、都合よくそう解釈した。その頃になると、電話での会話自体、以前に比べてあっさりしたものにかわっていた。少し前までの母は、毎度のように「今度はいつこちらに帰ってくるの?」としつこく訊いてきたものだ。けれども、いつしか母はそんなことを言わなくなり、「元気にしているのなら、それでいいの。じゃあね」とごく短い時間で通話を打ち切るようにさえなっていた。

 ――今にして思う。あのとき、母の態度の微妙な変化にもっと注意をはらっていたなら、未来は別のものになっていたかもしれないと――。

 だが、当時の僕はそんなことにまるで気づいていなかった。


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