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母の飼い主 1

2母の飼い主 2:2013/10/11(金) 02:06:19

 東京での新生活が始まった。

 最初のうち、母からは三日おきくらいに電話があった。
「ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「どうせスーパーで買ったお惣菜とか、コンビニの弁当ばかりなんでしょう」
「夜はね。昼は学食か、牛丼屋が多いな。男の学生なんてそんなものだよ」
「野菜も食べなくちゃ駄目。せめて野菜ジュースくらいは買って毎日飲みなさい」
 僕は僕で、家にひとりきりでいる母が寂しい想いをしていないか気がかりだった。電話がかかってきたときは、近況をあれこれ尋ねたりした。もっとも、母は人ごみが嫌いな女で、したがって外を出歩くこともあまりなく、世間一般の女性と比べて変化の少ない日常を送っていたから、これといった話の種があることは少なかった。
 だが、ある日、母が電話口で「きょうはひさしぶりにおどろくようなことがあったわ」と言った。さも、大ニュースがあるというふうな口調で。
「何があったの?」
「きょうはカルチャースクールがある日でしょ(前回書いたように母は着付けの先生をしていた)。それで駅前の通りを歩いていたら、洋治さんにばったり会ったのよ」


 洋治さんというのは、亡くなった父の弟である。ということはつまり、僕にとっては叔父、母にとっては義弟にあたる人である。
 この洋治さん、親戚のあいだでは評判がよくなかった。
 子どもの頃から素行がわるく、警察のやっかいになったこともある不良少年だった。資産家である父親のコネで、どうにかそこそこの大学へすべりこんだが、二年で中退。そうなると、両親もすっかり愛想を尽かして、親子の縁を切ってしまったらしい。
 以後も洋治さんはあいかわらずフラフラとした生活を送り、時には働くこともあったが、稼いだ金はあっという間にギャンブルか女遊びにつぎこんでしまう。いよいよ生活に困ると、兄、すなわち僕の父のもとへやってきて、金を無心した。

 父は子どもの頃から優等生タイプで、したがって、遊び人タイプの洋治さんとは根本的に反りが合わなかったらしい。とはいえ、なにぶん根がお人好しなので、洋治さんが無心にくるたび、渋い顔で説教をすることはするが、最後にはいつも金をくれてやった。洋治さんもそのときばかりは神妙な顔をしているのだが、しばらくたつと、またフラリと金をねだりにやってくるのだった。
『まったくあいつには迷惑ばかりかけられる』と父はよく嘆いたものである。
『ほんとうね』と夫の言うことなら何でも正しいと信じ切っていた母は、このときも深々とうなずくのだった。『もう、いい歳なのに困った人。同じ兄弟なのに、あなたとはまるで性格がちがっているのね』

 その頃の僕からすると、洋治さんは「困った人」というよりも、どこか「怖い人」だった。長髪の髪を茶色に染めたヤンキー風の外見で、体つきもガッチリしているし、服からはいつも酒と煙草の匂いがした。
 といって、べつだん洋治さんに怖い目に遭わされたという覚えはない。むしろ、時たま現れる洋治さんは、僕を見つけると、『ちょっと見ないうちに、また大きなくなったな』とか、『勉強がよく出来るらしいじゃないか。兄貴に似たんだな』とか、気軽な口調で叔父らしい言葉をかけるのだった。
 それでも――僕はこの人が何となく怖かったのである。


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