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母の飼い主 1

13母の飼い主 9:2013/10/13(日) 05:39:23

 そして次の週末、僕は『黒鴉』のドアをくぐった。

 『黒鴉』は想像していたよりも小さなバーだった。
 カウンターのほかには、テーブルがふたつだけ。奥のほうにはカラオケを歌うお客のためのステージらしきものがある。内装は極めてシンプルで、全体の色調は暗いブルーに統一されていた。

 カウンターの中に洋治さんがいた。

 かつての長髪をばっさりと切り、整髪剤で短く固めた髪型に、バーテンダーらしく白シャツと黒のベストを着込んでいる。遊び人らしい雰囲気はすっかりなくなっていたが、どこか野性的な凄みを感じさせる目は昔のままだった。
 その目で僕を見つめた洋治さんは、しかし愛想よく、
「いらっしゃい。これはまたずいぶんお若いお客さんですね」
 と錆びのある声で言った。

 想定外の事態だった。洋治さんは、僕が甥であることに気づいていないらしい。
 考えてみれば、最後に会ったのは僕がまだ十二歳の頃で、あれから六年もの月日がたっている。その間に僕は成長期を迎え、身長が三十センチも伸び、声変わりをして、さらには眼鏡をコンタクトに変えた。そもそも、子どものときに会った回数だって数えるほどなのだから、洋治さんが気づかなくても無理はない。
 店に入る前から緊張と恐れを感じていただけに、拍子抜けするような気持ちだったが、僕はそのまま何も言わずにカウンターの隅に腰掛けた。名乗らなかったのは、ほかにもお客がいたからだ。
 そのふたりの客は中年の男ふたり組で、やはりカウンターに座ってウイスキーを飲んでいた。ひとりは太っていて、もうひとりは眼鏡をかけていた。
 
「注文は何にしましょう」
 洋治さんが僕に向かって言った。
 僕はハイボールを注文した。やがて酒がくると、静かに杯を傾けているふりをして、ふたりの客と洋治さんの会話に耳をすませた。

 客のうち、眼鏡をかけたほうは、太った男に連れられて、初めて『黒鴉』を訪れたようだった。
「なかなか落ち着ける、いい店だろう?」
 太った男がじぶんの店を誇るみたいに言った。こちらは常連客なのかもしれない。
「ええ、そうですね」と眼鏡が答える。
「でもな、この店の良さはそれだけじゃない。なあ、マスター?」
 含みのあるような言葉を投げかけられた洋治さんは、首をかしげながら、
「さあ、何のことですかね」
 と言った。
「とぼけちゃって、この」と太った男はにやにやしながら言うと、眼鏡のほうを向いてウインクした。「いいか、このマスターはな、それはそれはわるい男なんだ」
「人聞きのよくないことを言わないでくださいよ」
 洋治さんが苦笑した。
「どういう意味で、わるい男なんですか?」と眼鏡が訊いた。
「おんなにとってわるい男という意味だよ」と太った男は言った。「でも、そのおかげで、我々のような寂しい男たちにはに素敵なサービスを提供してくれる」
「どうもよく意味がわかりませんね」と眼鏡は訝しげな顔をした。
「話していいかい、マスター?」
 太った男が言うと、洋治さんは「どうぞご勝手に」というふうに、肩をすくめた。

「この前――といっても三週間ほど前だが――の夜に、おれと友だちはこの店で飲んでいた。酒の席の話題なら女のことと相場は決まっているが、知ってのとおり、おれは近頃その方面にとんと縁がない。で、マスターに愚痴っていたら、突然、この人が『それじゃあ女でも呼びましょうか』と言い出したんだよ」
「へえ!」と眼鏡は驚きの声をあげた。
「『マスターの女かい?』と訊くと、『そうだ』という。それも、じぶんが呼びつければいつでも来るし、命令すれば何でもする類の女だ、と言うんだ」と太った男は下卑た笑みを浮かべながら言った。「いかにも面白いじゃないか。『それなら、さっそく呼んでみてくれよ』と頼むと、この人はすました顔で電話をかけ始めたのさ」
「へえ!」と眼鏡はまたも間抜けな声を出した。

 ふたりの客と洋治さんの会話に引き込まれながらも、僕は厭な胸騒ぎを覚えていた。
 気がつくと、腋の下が汗でびっしょり濡れていた。


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