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『年寄りのGID・続編』

1v(^o^):2007/05/05(土) 07:12:47 ID:crAs10yk
『年寄りのGID』の、続きです。
人を呼んだり、集めたりしませんので、のんびり書いてください。
老眼に気づき始めた人は、このスレの意味がわかるかもね。

29名無しさん:2007/05/11(金) 17:11:44 ID:94i19hI2
《1》このスレッドの、前身のスレッドに、性同一性障害は、統合失調症の希釈液ではないか、統合失調症と同じ機序の、ごく軽い症状の人達が、性欲に異常をきたし、文化的流行に誘導されて、先天的な性別の違和感のように、誤認したものではないか、という趣旨の意見がありました。蓋し、一般の医師の間で、最も支持されている見方でしょう。

統合失調症にも、さまざまな原因説がありますが、臨床の診断は、けっして、脳の中を見て判断するのでなく、幾つかの、心理症状の有無により判断しますので、基本的には、素人の常識感覚と同じです。これは、裁判官の判断が、法律や判例や学説を、根拠に上げたとしても、最も大切なことは、世間一般の常識感覚に添うように、判断する事と、同じです。
1950年代末に、日本でも、薬物療法が普及するようになりましたが、それ以前には、一般の人も、なまの統合失調症の症状を、よく街角で見かけ、それなりに、よく知っていました。多くは、破瓜型と言われる統合失調症のタイプで、20才前後に、急に、物を壊したり、叫んだりして、支離滅裂な心理状態になりますので、すぐにわかりました。
羽交い締めにして、身体を動かせなくする、声を出させなくする、などという応急措置が、一時的に、確実に、気持ちを落ちつかせて、おとなしくさせる効果がありました。少し、手を緩めると、また暴れ出しますが、強く羽交い締めにしている間は、本人も力を抜いています。声を出せないとわかると、観念して、無理に叫ぼうとしなくなり、気持ちも、少し落ちつきます。
しばらく、身体を寝かせて、しっかりと、拘束具で固定しておきますので、まるで、虐待しているかのようですが、そうではなく、この方法は、現在でも使用されています。今は、薬剤があるので、声を出せるようにしておくのが普通ですが、自分で叫んで、自分で興奮しますので、薬剤を多量に使うことになり、かえって、副作用のために、本人の脳や身体を、傷つけるかも知れません。
一般の人は、破瓜型の陽性症状と、病気の末に、痴呆になることだけを知っていましたが、医師は昔から、妄想型という、少し違うタイプの、統合失調症も、知っていました。破瓜型でも、妄想が出ますので、妄想型は、少し軽い症状の統合失調症と言えなくもなく、自然に治ってしまうこともあります。

動物実験によって、薬の作用する機序がわかっていますので、薬の効き方から、生きている人間の、統合失調症の脳の状態が、ある程度、想像できます。
脳の神経細胞の、シナプスという繋ぎ目と、ドーパミンという化学物質の話を、聞いたことがあると思いますが、脳が、その状態になるのが、統合失調症の原因ではなく、統合失調症の症状が出ている時、脳は多分、その状態になっている、ということです。
なぜ、そんな状態になってしまうのか、わかりませんが、遺伝的素質や、育ちかたや、気持ちの持ちかたも、原因として、関係があるようです。

薬を飲むと、統合失調症の症状は、うんと軽くなり、健常な人と、ほとんど区別がつかなくなる人もいますが、薬を飲まなくなると、また、元の症状が出てきます。
昔は、身体の動かし方や、発声の仕方などに、薬の副作用が出てきて、副作用を見ると、薬を飲んでいるのではないかと、想像できましたが、最近は、副作用が小さくなりました。
薬は、同じものを長期間、飲み続けていると、効き目が悪くなって、薬を飲んでいるのに、元の症状が、また出て来ることもありますが、何よりも、薬は、一定量を、機械的に飲みますので、生活の現場での、自由な心の振れに、対応できず、生活上の、具体的な気持ちが変化するたびに、一時的に、薬の過不足が生じ、脳の適応力の、守備範囲を逸脱してしまいます。

30名無しさん:2007/05/11(金) 17:21:36 ID:94i19hI2
心臓のペースメーカーほどには、気のきいた作用をしてくれません。統合失調症の薬は、これこれの生化学的作用があるとの、触れ込みになっていますが、脳の中身を見て投薬するのでなく、心理症状に対して使用しますので、論より証拠の、経験医療とも言えます。

薬を使うと、症状が軽くなり、統合失調症でない人達の、ごく軽い精神症状と、大変よく似てきます。このことから、薬の効き方により、統合失調症の脳の仕組が、想像できるだけでなく、症状の軽い精神障害の人の中にも、統合失調症と同じ仕組で起こる人達が、いるのではないかと、想像できます。統合失調症なのに、性同一性障害であると診断されて、性転換手術をされてしまったと、患者が医師を告訴する事件が、たまに、海外から聞こえてきます。

統合失調症は、様々な心理的症状の集まりですが、すべての人に、すべての症状が出るのでなく、人により、幾つかの症状が、選択的に出てきます。また、人により、症状の強弱がありますので、幾つかの症状が揃っていれば、統合失調症とされ、症状の数が足りなければ、別の病名になります。
病気ですから、重症の人から、軽症の人までいますが、ある程度、症状の軽い人は、その人の持つ適応力の範囲内に納まり、症状がピタッと出なくなります。人により、状況により、一定の閾値があり、一定値以下の軽い症状なら、その人自身が、心の融通を利かせて、自分で制御できますので、もはや精神症状でなく、健常と言えます。
統合失調症は、たくさんの症状の集まりですので、症状の非常に軽い人では、出てくる症状の数が少なく、統合失調症の要件を満たしませんが、精神症状の出る仕組は、統合失調症と同じで、単に症状が軽いので、別の病名になっているだけかも知れません。

人それぞれが、自分で融通を利かせて、多少、無理をしてでも、適応できる範囲が、狭い人もいれば、広い人もいます。許容範囲の幅が、生まれつきの素質として、決まっていることもあれば、その時の状況や、気持ちの持ちかたや、生活習慣などにより、広くなったり、狭くなったりすることもあります。
同じ食事や生活をしていても、素質的に、糖尿病になる人もいれば、ならない人もいますし、たくさん食べて、運動もしないので、その人の持つ血糖値の、素質的な許容範囲を超えてしまい、いつもインシュリンを、人よりも多く出し続けているうちに、インシュリンを出す仕組が、疲労してしまい、インシュリンが少ししか出なくなったり、インシュリンが効かなくなったりして、糖尿病になる人もいます。

どこまでなら、融通を効かせて許容できるか、糖尿病でも、統合失調症でも、生まれつきの素質と、時と場合によるものがあり、自分の素質の範囲内で、生活するように心掛ければ、ある程度、発病を防ぐことができますし、発病後も医師は、そのように生活を指導して、余計な症状の悪化を防ぎます。

食欲や睡眠が、日常の悩み事に対して、いかに敏感に反応するかは、健康な成人なら、誰でも経験的に、よく知っていることですが、反対に、食べ物がないと、深刻な悩みを惹し、睡眠不足になれば、様々な生活上のトラブルを、自分から招いてしまうことも、よく知っていなければなりません。
食欲や睡眠欲という言葉が、脳や心の仕組と、一致していないことを、疑ってみる必要があります。

31名無しさん:2007/05/11(金) 17:45:50 ID:94i19hI2
《上が2、これが3》性欲もまた、悩み事によって異常をきたすだけでなく、性欲の異常が、生活上のトラブルにもなり、どこからどこまでを、性欲と呼ぶかは、たんなる言語上の、便宜にすぎないかも知れません。
悩み事があり、性欲に異常をきたした、と言えば、いかにも原因と結果の関係のように聞こえますが、ネコの頭が見えているのなら、たぶん、尻尾が柱の陰に隠れているのではないか、尻尾だけが見えているのなら、頭が隠れているのではないか、という言い方かも知れません。
太陽が爆発すると、何分後かに、地球にも影響が及ぶと言い、光よりも速いものはないと言うと、なにか、時間のことを言っているような気がしますが、理論物理学者が使う時間と、私達が日常的に感じている時間とは、たまたま、時間という同じ言葉を使っていますが、まったく別の意味の、違う概念であり、同音異義語にすぎません。違う概念なら、理論物理学者は、新語を作れば良かったのですが、適当に、常識的な言葉を使って、比喩的に説明しなければ、一般の人には、理解できなかったようです。

常識的な意味の、性欲は、他の個体と間で、気持ちよくなろうとしますが、食欲や、睡眠欲も、他の個体との関係の上で、気持ちよさを求めることがあります。一般的に、気持ちよさには、他の個体との関わりを求めているところがあり、この関係が満たされれば、自分の身体が傷つこうが、死の瀬戸際であろうが、快感に浸りながら、恍惚状態で、のたうちまわることができます。ライオンに食べられるシマウマの、気持ちよさと痙攣に、似ているかも知れません。
人が年老いて、病気で死ぬ時に、死の恐怖から発狂することもなく、安らかに死んで行けるのは、自分という個体のことよりも、なにか別の事に、身も心も委ねているような気がしてなりません。

人間の個体が、他の動物よりも、幅広く、融通を利かせられるのは、先天的な行動や生理のプログラムが、個体の自由な学習を、折り込んでいるからです。学習しなければ、生きて行けませんから、人間は、大脳に負担のかかる動物です。
個体が自由に学習することから、自我が発達し、個体のレベルの行動が、他の動物よりも、遙かに重要になりました。人間では、単に、生きると言えば、個体の命が生きることを意味します。細胞の一つの命など、人間には、さほど重要でないように、個体の命など、動物では、さほど重要でありません。

自我は、大脳に負担をかけて、背伸びするかのように、個体の命に拘りますが、疲れると、自我を放棄して、母親の乳房に、顔をうずめるように、昔ながらの動物的な、集団の命に、身も心も委ねようとします。集団の命に馴染み、自分の利益を顧みないで、動物的な快感を貪っていたのでは、人間は、生きて行けませんので、辛いところです。

賢い人間は、自分の頭を使わずに、人の頭を使います。自我と自我の、取引と契約による、新しい自由な社会を作りました。他との、優れたコミュニケーション能力が、個体の利益を追求するための、自我中心の行動でありながら、旧来の動物的な、個体の利益を顧みない集団の命とは別の、新しい社会を発明しました。賢い人間は、新しい社会の、コミュニケーションによって、自我のストレスを軽減します。

性同一性障害の人の、子供の頃に多い心理的特徴は、他人や社会との、コミュニケーション能力の、著しい不足と、心身症状の出易さです。自我が、まともにストレスをかぶり、あまりのストレスに耐えきれず、解離して、自我を放棄し、トランス状態になり、動物的な集団の命に、身も心も委ねようとして、個体の死が近づいているにもかかわらず、恐怖を感じなくなるように、性欲に異常をきたし、生殖機能を除去することに、何の不安も感じなくなり、性別という動物的な命の役割分担を放棄して、生殖しない部分になることを妄想したのではないかと想像します。子供の頃の、自閉傾向と、ヒステリー傾向が、どの程度あり、性同一性障害のタイプに、どのように関係しているか、まだ、よく知られていません。基礎的な論理能力が、正常であるにもかかわらず、日常生活において、合理的な判断のできない人が多く、短気な人が、穏和な人に比べて、圧倒的に多いようで、性格の印象としては、28番さんのおっしゃるように、統合失調症の子供時代に似ています。統合失調症の人の子供時代でも、コミュニケーション能力の不足が目立ち、心身症状が出やすく、排尿排便の躾に手間取り、動物的な快感を制御するための、人間的な機構が未完成のまま、思春期を迎えてしまう傾向があり、相当程度、発達上の障害がありますが、性同一性障害の子供時代でも、比較的、統合失調症の子供時代に近い発達障害があるようです。




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