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新【たった一人の反乱】太田述正 目指せ!日本独立2 【避難所スレ】

900文責・名無しさん:2016/02/10(水) 05:46:01 ID:dFUfYl8.
>吉田は、晩年にその時の自分の判断は、・・・そもそも、この反省が本心だったとも思わない。(コラム#7992)

吉田茂について去年のBSフジプライムニュースにて
武見敬三(自民党 総務副会長)が興味深い事言ってました。
『武見: 吉田茂が最初から民主主義と天皇制について堅固な理解と確信があったかというと、そうではなかったのではないか。吉田は総理になってからも外務大臣公邸に住んでいた。父は主治医で一緒にいた。宮中から帰ってきた時に体がすぐれなかったので、聞いたら、宮中で陛下から新たな憲法下で、民主主義化に於ける天皇のあり方は、という質問を受けたという。陛下に納得できる説明が出来なかった、それで困っていると言った。父の武見太郎は、戦前でも民主主義と天皇のあり方を言っていた人はいた、例えば福沢諭吉だと。福沢諭吉は「帝室論」という本を書いていたと言うと、すぐに吉田はそれを持ってこいと、柏に疎開していたので柏にあるというと、今すぐ取りに行ってこいと言われて、総理の車で福沢全集を持って帰った。・・・』
http://blog.m.livedoor.jp/doorkaz/article/1026622608?guid=ON&

→吉田は日本についてもおそらく最後まで理解出来なかったと思います。

『吉田茂は軍事力の必要性を否定しなかったが、軍事力に第一義的重要性を与えたこともなかった。その点で戦前、戦後の吉田に一貫性を認めたのが、1960年代に『宰相吉田茂』(中央公論社、1968年、中公クラシックス、2006年)を著した高坂正堯であった。軍事ではないとすれば、第一義的重要性は何に与えるのか。「商人的国際政治観」を高坂は語る。養父吉田健三を尊敬し、世界の通商に生きる日本を吉田は想ったとする。その観点を『海洋国家日本の構想』(中央公論社、1965年、中公クラシックス、2008年)において高坂は理論展開した。最近、意外なことを知った。猪木、高坂両氏が、まれなほど緊密な師弟関係で結ばれていたことは広く知られているが、実は猪木は「商人的国際政治観」をもって吉田を説明することに不満であったという。たとえ小さくとも立派な軍隊を時間をかけてつくるという吉田の再軍備の志を中軸に据えて理解すべきではないか(永澤勲雄「『評伝吉田茂』と猪木正道先生―伝記執筆に対する猪木先生の研究姿勢」、猪木正道賞基金年報『防衛と平和』第1号〔2014年〕所収)』

http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2015-01_001.pdf?noprint

→高坂、猪木、お二人とも見事に吉田ドリトリンに罹患されたようです。で吉田茂批判としては、岡崎久彦氏が挙げられますが(彼も又その申し子ですが)もう一人、大野勝巳という方がいるようです。




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