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新【たった一人の反乱】太田述正 目指せ!日本独立2 【避難所スレ】
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>⇒ベクターシは、「シーア派やスーフィズム、キリスト教やその他土着信仰を習
合させた教団」
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%95%99%E5%9B%A3
このリンク先に「ベクタシュ教団は十二イマーム派(シーア派)の分派とされるスーフィズム
教団。」と記述されているのですが。
>⇒意味不明。(太田)
意味不明で済むなら無敵ですね。
> 現に、1939年時点で、自称イスラム教徒は50%、自称ベクターシ教徒をイスラ
ム教徒にカウントすれば70%、もいたじゃん。
>http://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_Albania
> 要するに、アルバニアのイスラム信仰、もともとえーかげんであり、オスマン
トルコ系の権力者にすり寄ったオボテュニスト達がイスラム教徒を自称したって
程度のハナシなんだわさ。(上掲に出てくる表現をちょっとだけエゲツなく変え
ただけだぜ。)(#7201太田)
この段階では、まだベクタシュ教徒をイスラム教としてカウントしていて、「上掲に出てくる
表現」の中身は「ベクタシュ教団の教えに従い、交易網や官僚、軍隊で優位に立つため、
アルバニア人が徐々にイスラム教へ改宗。」でした。
#7201の時点ではこのような意識だったのが、この後こちらが、スーフィーの中には権力者
にすり寄るために改宗したわけではない人々もいたことを典拠付きで話し始めたら、
途端にスーフィーはイスラム教じゃないと言い始めました。
これは明らかに途中から、こちらの指摘に影響されて考えを変えましたよね、と言って
いるのです。
それと勘違いされているようですが、「改宗」の件については、「動機が不純なオボテュニ
スト」なる断言はおかしいということを、典拠を挙げて指摘しているのであって、それ以上
でも以下でもなく、厳密に原理主義かどうかを問題にしているのではありません。
意図的なのか他と混同しているのか、厳密に原理主義的かどうかが主題であるかの
ように持っていこうとしていますが、違います。
オスマン帝国支配当時、イスラム教に改宗するのに、権力者にすり寄る(=実利)以外の
改宗の動機は当然考えられます。
> 「アルバニア<では、>・・・地主をはじめとする支配階級によるキリスト教
からイスラーム教への改宗が相次<ぎ>・・・現在アルバニア人の半数以上がム
スリムであるといわれる<が、>・・・現在も家にイコン画を飾る風習など、正
教会やカトリックとの共通点を多く持つ」(太田)
このレベルのことを聞いているのではなく、例えば、改宗の私的動機としては、献納義務
や租税負担の軽減、社会的上昇、等が考えられます。
他方、私的動機とは言えない場合は、安全の確保、民衆的なイスラムの教えによる感化、
旧領安堵のための封建領主の改宗に誘発された地域住民の改宗、外部から移住した
ムスリムとの融合、異端的キリスト教徒がギリシア正教徒やカトリック教徒の迫害を
嫌ってイスラムへ改宗する道、当時イスラム教はキリスト教よりはるかに自由な宗教で
あったこと、当時の進んだ文明への自己同一化、等が考えられます。
当時、アルバニアにおける改宗で、私的な動機がどの程度あったのか、私的とは言えない
動機がほぼ無かったことを確認した上で「動機が不純でオボテュニスト」なる断言を
したのか、を聞いています。
例えば以下はジズヤ(非ムスリムに課せられた人頭税)に関する文書群の分析により、
アルバニアにおける改宗の可能性を検討しています。
重税がアルバニアのイスラーム化を促進したのか
―オスマン朝期ジズヤ研究の課題と展望―
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/casia/pdf/No105.pdf
(pdfなので注意)
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