したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

秋葉原通り魔事件

1NAME:2022/09/08(木) 04:06:11
秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん)秋葉原無差別殺傷事件(あきはばら むさべつさっしょうじけん)

秋葉原通り魔事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2NAME:2022/09/08(木) 04:06:45
秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大死刑囚に死刑執行 岸田内閣で2回目
2022年7月26日
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/86690.html

14年前、東京 秋葉原で7人が殺害された無差別殺傷事件で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に26日午前、刑が執行されました。死刑の執行は2021年12月以来で、岸田内閣では2回目です。

加藤智大死刑囚(39)は、2008年6月、東京 秋葉原の繁華街にトラックで突っ込み、通行人をはねたりナイフで刺したりして、7人を殺害し、10人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われました。 1審と2審は死刑を言い渡しましたが、加藤死刑囚側は、死刑は重すぎるなどと主張して上告しました。

2015年2月、最高裁判所は、「犯行の動機に酌量の余地は見いだせない」と指摘し、上告を退ける判決を言い渡し、刑が確定していました。 そして、7月26日午前、収容されていた東京拘置所で、加藤死刑囚に刑が執行されました。 死刑が執行されたのは去年12月以来で、岸田内閣では2回目です。

古川法相“慎重な検討を加え執行を命令した”

午前11時から臨時の記者会見を行った古川法務大臣は、今回の執行の命令書には7月22日に署名したことを明らかにしました。 そのうえで「突然の凶行により命を奪われた被害者はもちろん、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件だ。裁判で十分な審理を経た上で、最終的に死刑判決が確定したもので、法務大臣として慎重な上にも慎重な検討を加えた上で、死刑の執行を命令した」と述べました。 また、古川大臣は死刑制度の存廃をめぐる議論に関連して「凶悪犯罪がいまだあとをたたないことをかんがみると、死刑はやむを得ず、廃止は適当ではない」と述べました。

磯崎官房副長官“死刑廃止は適切でない”

磯崎官房副長官は、閣議のあとの記者会見で「古川法務大臣が法の定めるところに従って適切に判断したものと考えている」と述べました。 また、死刑制度のあり方について「国民世論に十分配慮しつつ慎重に検討すべきだ。国民世論の多数が、極めて悪質、凶悪な犯罪は死刑もやむをえないと考えており、凶悪犯罪があとを絶たない状況などに鑑みると、著しく重大な凶悪犯罪を犯した者に対しては死刑を科することもやむをえず、死刑を廃止することは適切でない」と述べました。

収容中の死刑囚は106人に

法務省によりますと今回の執行により、全国の拘置所に収容されている死刑囚は106人となりました。 いわゆる「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さんは2014年に釈放が認められています。 再審・裁判のやり直しを求めている人は61人だということです。

3NAME:2022/09/08(木) 04:07:11
被害者の男性“なぜ、きょう執行なのか”

現在、宮崎市に住む被害者の男性はNHKの取材に対し「なぜあんな事件を起こしたのか本人も結論が出ないままだったのではないか」と話しました。 宮崎市に住む元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)は、14年前、仕事中に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件の現場を通りかかり、けがをして倒れている人に駆け寄ったところを後ろから刺され、4日にわたり意識不明の重体となりました。

湯浅さんは26日の午前、自宅でインターネットのライブ配信を通じ、死刑の執行についての古川法務大臣の記者会見の様子を見ていました。 湯浅さんは「二度とこのような事件を起こさないよう調べるために、もっとやるべきことがあったのではないかと思うと、なんで、きょうなのかという思いがある。なぜあんな事件を起こしたのか、なぜ、無差別だったのか、本人も結論が出ないままだったのではないかと思う。残念だ」と話しました。

そのうえで事件で亡くなった大学生のことに触れ「あの事件さえなければどんな社会人になっていたのか。その後、家庭を持って子どもが産まれてという人生があったのではないか。あの事件さえなければという思いばかりです」と話しました。

加藤智大死刑囚とは

死刑が執行された加藤智大死刑囚(39)は2008年、東京・秋葉原の繁華街にトラックで突っ込み、通行人をはねたり、ナイフで刺したりして7人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われ、2015年に死刑が確定しました。

加藤死刑囚は青森県の出身で、地元の進学校を卒業したあと岐阜県の短大に進学し、事件を起こした当時は工場で派遣社員として働いていました。 事件から1年半余りがたった2010年1月の初公判では起訴内容を認め、「亡くなられた方、けがをされた方、ご遺族には大変申し訳ないことをしました。せめてものつぐないとして私にできることはどうして今回の事件が起きたのかを明らかにすることです」と述べました。被告人質問では事件を起こした理由としてインターネットの掲示板で嫌がらせを受けたことなどを挙げ、「現場に着いた後、意思とは別に体が拒否して交差点に進入できず、このまま戻ろうとも考えたが、自分の居場所がどこにもないと気付いて結局やるしかないと思った」と述べました。

また、通行人を襲った状況については「たまたま目に入った人を走りぎわに刺した」と説明しました。2011年3月、1審の東京地方裁判所は「全く落ち度のない7人の尊い命を奪った人間性の感じられない残虐な犯行で、極刑を選択せざるをえない」と指摘し、求刑どおり死刑を言い渡しました。 2審では法廷に1度も姿を見せず、遺族からは「反省やおわびの気持ちがあるとは思えない」という批判の声が上がりました。この頃には、遺族や被害者に送っていた謝罪の手紙は途絶え、被害者から拘置所で面会を求められても応じませんでした。2審の東京高等裁判所でも死刑が言い渡され、弁護士は「死刑は重すぎる」として上告しましたが、2015年2月、最高裁判所が上告を退け、死刑が確定しました。

加藤死刑囚は1審判決のあとから判決確定までの間に本を4冊出版し、事件の再発防止のためには何が必要か、自分なりの主張をつづっています。上告中に出版された2冊目の巻末には、「社会に対しての説明責任を果たせたなら、後は、ご遺族や被害者の方のことだけを考え、殺される日を待つだけです」と記していました。

4NAME:2022/09/08(木) 04:07:28
秋葉原 無差別殺傷事件とは

事件は、14年前の2008年6月8日の白昼に起きました。 休日でにぎわう秋葉原の歩行者天国で、通行人が突っ込んできたトラックに次々にはねられました。トラックを運転していたのは派遣社員だった加藤智大死刑囚。車から降りると、準備していたナイフで近くにいた人たちの腹や背中などを次々に刺し、19歳から74歳までの男女7人の命を奪い、10人に重軽傷を負わせました。買い物などで通りかかった人たちを無差別に襲った事件は、社会に大きな衝撃を与えました。

また、加藤死刑囚が携帯電話を使ってインターネットの掲示板に生活や職場に対する不満や犯行予告を書き込んでいたことも注目を集めました。 事件を起こす前の月には勤務先の工場の派遣契約が終了すると言われ「300人規模のリストラだそうです。やっぱり私は要らない人です」などと投稿。犯行直前には「秋葉原で人を殺します」「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います」と犯行を予告する内容を書き込んでいました。加藤死刑囚は動機について裁判で「掲示板で『なりすまし』や『荒し』などの嫌がらせを受け、重大事件を起こすことでやめさせようとした」と述べ、掲示板については「建て前ではなく本音で語り合える場で、生活の中で心のよりどころだった」と説明しました。1審判決は事件の動機として掲示板について挙げたうえで「家族、友人、仕事などを失いどこにも居場所がないという非常に強い孤独感を感じていたことも背景にある」と指摘しました。さらに、白昼の歩行者天国で起きた事件は、警備が比較的緩やかで不特定多数の人が集まる場所の安全確保やテロ対策について、議論が進む契機となりました。

相次ぐ無差別殺傷事件

事件のあと、面識のない人を無差別に殺傷する事件が各地で相次ぎました。 事件の翌月・7月には、東京・八王子市の駅ビルにある書店で、アルバイトの女子大学生が面識のない男に包丁で刺されて死亡し、客の女性も切られて大けがをしました。 男は捜査当局の調べに対し、「誰でもよかった。秋葉原の事件などのニュースを見て刃物なら簡単に人を殺せると思った」などと供述していました。

よくとしの7月には、大阪で営業中のパチンコ店にガソリンがまかれて放火され、客など5人が死亡、10人が重軽傷を負いました。当時、店内には100人を超える人がいて、確定した判決では「日曜日のパチンコ店をねらった計画的な無差別殺人」と認定されています。

さらに2010年には、広島の自動車メーカーマツダの工場で元期間従業員の男が車を暴走させ、1人を殺害、11人に重軽傷を負わせる事件が起きました。殺人などの罪に問われた被告は裁判で、「秋葉原の事件の報道を見て、車で暴走というイメージがあった」と述べていました。

最近でも去年8月に東京の小田急線の車内で、乗客が切りつけられた事件や、その2か月後には京王線で乗客が切りつけられ、車内が放火された事件、さらに、このとしの12月、大阪の心療内科のクリニックが放火され26人が死亡した事件など、多くの人が無差別に巻き込まれる事件が相次いでいます。

事件後 秋葉原は安全対策見直し

事件は、歩行者天国のあり方や商店街での防犯カメラの設置など地域の安全対策を考え直すきっかけにもなりました。 現場となった東京・秋葉原の歩行者天国は事件のあと中止され、アニメやメイドカフェといった若者文化の発信地だった街の姿は、大きく変わりました。千代田区や地元の住民たち、それに電気店の関係者などは安全な街づくりについて検討会を設置して協議を重ねてきました。

そして、住民によるパトロールや防犯カメラの設置など安全面での環境を整えたうえで、事件からおよそ2年7か月後に歩行者天国は再開されましたが、以前より短くなり、路上でのパフォーマンスも禁止されました。

秋葉原地域連携協議会の元会長“とうとうこの日が来た”

事件直後から街の防犯活動などに取り組んできた「秋葉原地域連携協議会」の元会長、大塚實さんは「とうとうこの日が来た、という気持ちです。被害にあわれた方やご遺族の気持ちを思うと、死刑の判決から執行までの間が長すぎるのではないかとも感じています」と話していました。 そのうえで「事件のあとは、街全体のイメージを回復するため、地域の見回りやPRなどさまざまな活動をしてきた結果、事件の影響は今はほとんど見られないが、事件そのものが風化しつつある。こうした悲しみを二度とくり返さないためにも、街の活動を通じて啓発に努めていきたい」と話していました。

5NAME:2022/09/08(木) 23:03:26
捜査関係者ら「自問自答今も」 秋葉原無差別殺傷
2022/7/26 19:10
王 美慧 塔野岡 剛
https://www.sankei.com/article/20220726-VFEL6OAM3JMU7GRSIPXF6NNSNE/

元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=による東京・秋葉原での無差別殺傷事件(平成20年)に関わった関係者らは26日午前の死刑執行を受け、今も抱えるやりきれない思いを口にした。

事件発生当時、捜査の指揮に当たっていた警視庁捜査1課の元刑事、石川輝行さんは、刑の執行について「いつか執行されるとは理解していたが、まさか今日とは予想していなかった」と驚き、「被害者のご冥福をお祈りするしかない」と言葉少なに話した。

石川さんは毎年現場に足を運び、献花している。事件について、「あれだけ多くの方が一瞬で亡くなってしまった。関わった事件で一番、被害者が多い事件だった」と振り返る。 「指揮官として、最大限の遺族対策をしたつもりだったが、それで良かったのかどうかと、今でも自問自答している」と語り、「一生、私の課題だ」と心境を明かした。

「来るべきときが来たか」。事件当時、地元の万世橋地区町会連合会の会長だった大塚實さん(88)は刑執行の知らせに、そう感じたという。 事件当日、大塚さんは「大変な事件があった」との知らせを受け、タクシーで現場に向かった。規制線と群衆で現場の様子はうかがえなかったが、「十数人が殺傷された」との情報が入り、「当日の物々しい雰囲気が今でも思い出される」という。

事件は発生から14年が経過し、風化を感じることもある。「ある程度は仕方ないが、それでいいのかという葛藤がある」とし、「彼がなぜあのような無差別殺人事件を起こしたのか今でもわからない」と話した。(王美慧、塔野岡剛)

6NAME:2022/09/08(木) 23:05:28
「償い十分だったか」 秋葉原殺傷現場で通行人ら
2022/7/26 13:32
https://www.sankei.com/article/20220726-XS63VKTPSZLN5FSMFP4RRINNNY/

無差別殺傷事件が起きた東京・秋葉原の交差点では26日、元派遣社員、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行を知った通行人らが「償いは十分だったか」などと釈然としない思いを口にした。

14年前、多くの人が犠牲になった現場交差点では、雨が降りしきる中、ペットボトルの水を手向ける人もいた。埼玉県入間市の男性会社員(35)は、携帯電話のニュースで刑の執行を知り、「もう執行されてしまったのか。賠償や説明をもっとするべきだったのでは」と話した。

近くの企業に勤める坂田啓介さん(40)は「同世代が起こした事件で印象に残っている。現場が(会社の)近くというのは知っていた。改めて犠牲になった方の冥福をお祈りしたい」と神妙な面持ち。付近を通りかかった男性会社員(33)は「一方的に社会に恨みを持って他人を巻き込んだ点は、その後の京都アニメーション放火殺人事件や、安倍晋三元首相銃撃事件の元になったように感じる」と振り返った。

7NAME:2022/09/08(木) 23:07:07
重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」
2022/7/26 18:37
村嶋 和樹
https://www.sankei.com/article/20220726-LEDOBW7RRRMN7OTUR7OUXXBS5E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E9%87%8D%E5%82%B7%E3%81%AE%E5%85%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%8B%20%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%82%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9A%E3%80%8D

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。

湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。

加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。 《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》 冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。

「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。 湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。

加藤死刑囚から唯一の返信が届いたのは、事件から2年9カ月が過ぎ、東京地裁で公判中だった平成23年3月。接見を拒否したことをわびるとともに《どうしたらいいのか、まだわかりません》という迷いが便箋1枚に記されていた。

湯浅さんは「加藤死刑囚の心は、本人にも見えていなかったと思う」と受け止める。 現在は故郷の宮崎県に戻り、警備員として働く湯浅さん。事件から14年が過ぎ、体のしびれはなくなったが、今年6月には勤務中に発作を起こして救急搬送されるなど、体調は思わしくない。それでも「若い世代に伝えていくことが再発防止につながる」と、事件を語り継ぐ決意は変わらない。(村嶋和樹)

8NAME:2022/09/08(木) 23:22:28
加藤智大名言集「母からの壮絶なスパルタ|廃れた人間関係から形成された人格」 - ベルツマガジン
https://belltree-magazine.com/katoushikeisyu_meigen/

2008年に東京・秋葉原で17人を死傷させた無差別殺傷犯加藤智大死刑囚が、殺人罪などに問われ2022年7月26日に死刑が執行されたと報じられました。多くの被害者を出した加藤智大死刑囚の罪は許されるものではありませんが、加藤智大死刑囚の多くの名言から少なからず共感の声があったことも確かです。

そこで今回は、加藤智大死刑囚の名言から加藤智大死刑囚の人物を振り返っていきます。

加藤智大名言集の名言集
人生に絶望した名言

「彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった。希望がある奴にはわかるまい。」『望まれずに産まれて、望まれて死んで』「『死ぬ気になれば何でもできるだろ。』死ぬ気にならなくても何でもできちゃう人のセリフですね」最初からなにもしない奴なんていない。結果が出ないからなにもしなくなる 何をしても「努力不足」って言われる 人を救うのは人。救ってくれる人を得るには金がいる。結局、人を救うのは金。「負け組は生まれながらにして負け組なのです。まずそれに気付きましょう。そして受け入れましょう。」 

普通に生活をしていて『望まれずに産まれて、望まれて死んで』なんて言葉を発する機会があるでしょうか?この言葉だけでも加藤智大死刑囚の人生の過酷さを垣間見ることができます。

後述しますが、加藤智大死刑囚の母親はとても厳しい教育方針を持っており、加藤智大死刑囚がミスをすると虐待に近い体罰を行っていました。そんな母親の元で生活をしていると「自分は望まれて生まれた子ではない」と考えても不思議ではないでしょう。

加藤智大死刑囚は高校では進学校に進学しますが、そこで勉強についていけず落ちこぼれることになり、学校でも自宅でも認められることが無く、加藤智大死刑囚の承認欲求は地の底まで落ちてしまいました。

容姿に絶望した名言

「顔が良くても性格が悪かったら長続きしない?その通りだよ。不細工は始まりすらしないんだよ」 女性の方が平均寿命が長いのに男女比が同じくらいということは、若い世代は女性の方が少ないってこと。少ない女性をイケメンが独占するんだから、俺ら不細工は余って当然。そういうことだね。 考え方が変わったって顔は変わらない 社交性を持てって、お前らが不細工と関わらないんだろうが。お前らが避けてるんだろうが いいよな。イケメンは不幸話をすればみんなが同情してくれるもんね。 俺が余る理由は不細工だからだけど。女性を集めて実験をしてみたい。顔写真を何枚か見せて、「この中で彼氏にするならだれですか」と訊いてみたい。みんな普通にイケメンを選ぶだろ。 「顔だよ顔 全て顔 とにかく顔 顔、顔、顔、顔、顔」

加藤智大死刑囚はビジュアルにもコンプレックスをいただいていました。写真を見ると確かにイケメン!とは言えませんが、特別不細工な容姿をしているかと言われると「素材は素朴だけど、下処理と調理を頑張らなかったな」というような少し勿体無い容姿をしています。

加藤智大死刑囚の承認欲求は地の底まで落ちていましたから、容姿に対しても自信が持てず何かを変えるための行動をしなかったのでしょう。そのため周りがおしゃれをし始める高校、大学等でよりイケメンとの格差が広がり、ビジュアルに対するコンプレックスが肥大化したのだと考えられます。

人間関係に絶望した名言

プレゼントね、大事な友達にお礼がしたくて、でもお金が無くて、マフラーを編んでみたことがある。結局、来るなって言われて渡せなかったけど。一人でバカみたい。ほどいて捨てた 俺にとってたった一人の大事な友達でも、相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね。その意識のズレは不幸な結末になるだけ お前らは「そういう性格だから彼女ができない」って言うんだろ。逆だよ。彼女ができないからそういう性格になんの 「私も『アニメやエロゲーがあれば幸せ』という人種ならよかったのですけれど、不幸なことに現実に興味があるのです」 「携帯ばっかりいじっていてはダメということらしいですけれど、現実では誰にも相手にされませんもの。ネットなら辛うじて、奇跡的に話してくれる方がいます。」

高校時代から落ちこぼれてしまった加藤智大死刑囚は人間関係でも前向きに行動することができなくなってしまいます。実際、上記の発言を見てみると「友達の誕生日会に来るなと言われる」「相手にとっては100番目の友達」少し「いじめられていた?」とも取れる交友関係だったことを発言しています。 学生時代という貴重な青春時代を友達がいない状態で過ごした加藤智大死刑囚の人間関係はズタボロだったといえるでしょう。

9NAME:2022/09/08(木) 23:22:46
雨とかけた名言

『時間だ、出かけよう。頭痛との闘いになりそうだ。雨とも。時間とも』 『雨、やんでる。素晴らしいことだ。俺、病んでる。素晴らしいことだ』

加藤智大死刑囚の名言の中に「雨」を意識した言葉あります。雨の日は憂鬱な気分になりやすい人が多いですが、加藤智大死刑囚の同じように雨の日は特に憂鬱な気分になることが多かったのでしょう。

加藤智大の母から異常なスパルタで作られた人格

加藤智大死刑囚の異常性は母親によって培われたのではないかと言われております。加藤智大死刑囚は幼少期から地域の教育アドバイザーもしていた母親に非常に厳しく育てられておりました。子供に完璧を求めるあまり幼少期時代の加藤智大死刑囚に虐待を及んでいたとも言わております。

雪で靴を濡らしたという理由で、青森の極寒の冬の中、裸足で雪面に立たせ続けた 九九が覚えられないと、お風呂に連れて行き、水の中に頭を沈めた 泣くことも許されず、泣くとタオルを口に詰め込み、ガムテープで巻かれ、屋根裏に放り込まれた 食べるのが遅いと、新聞を敷いた廊下に出され、そこにご飯を撒かれ、食べるよう言われた

スパルタ教育というよりも虐待教育ですね。青森の極寒地帯を裸足で歩くなど凍傷するしかないですし、九九が覚えられない空と水の中に頭を沈めるのはもはや拷問です。そんな母親の元で生活していたらビクビクして普通の生活を送ることするできないですよね。管理人も昔悪さをして父親に拳骨を食らったことがありますが、それだけでしばらくは自分を隠し、「いい子」を演じるように生活していたのを思い出します。

加藤智大死刑囚もこの母親の元では本来の自分を出せずに、苦しい思いを心のうちに秘め続けていたのではないでしょうか。それがあのような事件として面に出てきてしまったのは悲しい限りですが、、、また、加藤智大死刑囚の母親の教育も非常にスパルタで,

小学校の頃から水泳や珠算、学習塾に通われ、1週間にはみっちりと習い事が入っていた 友達の家に遊びに行くことや、友達を家に呼ぶことも固く禁じられていた テレビを見ることや、漫画を買うことも読むことも許されなかった 作文、絵画など学校の課題は母親の検閲が入る

この様な母親の英才教育によって、加藤智大死刑囚は良い高校に入学することができました。しかし、高校では落ちこぼれになり、劣等感に苛まれるストレスが溜まっていったようです。体格、精神ともに成長するとともに虐待をする母親にも暴力で返すようになりました。学校でもキレて教室の窓を素手で叩き割るなど問題行動を起こしていたようです。

容姿に自信が持てず、進学校では落ちこぼれてしまい、自宅でも本来の自分を出せず、逃げ場のない人生の中で唯一見つけた逃げ場所が「インターネット」でした。しかし、そのインターネットでも徐々に自分の場所を失っていったとのこと。 そんな壮絶な人生からこのような名言が生まれたと考えられます。

10NAME:2022/09/08(木) 23:37:51
「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由
「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く
https://president.jp/articles/-/58074?page=3

警備会社でたちまち責任者になり権力を握る

若い警備員のほとんどは、金のないバンドマンや、学費を稼ぎたい浪人生など、ほかに本業を持つ者たちだ。そのうえ当時は、会社の経営が傾いており、仙台の中でもとりわけ低賃金で募集を出していた。当然、誰もが時給の良いところから面接に行くため、必然的にやる気のない人間ばかりが集まっていたという。

「うちは、言うなれば髭ボウボウで、ワンカップ片手に競馬新聞をポケットに挿したおじさんが、いきなり酔っぱらって入ってきて『おい、明日から仕事あるか?』って来るような会社。常識で考えると駄目じゃないですか」 面接で確認することは、たった3つ。直近の犯罪歴がないか、自己破産をしていないか、日本人であるか、これをクリアすれば即採用だった。もちろん真面目に働く人もいるが、どうしても不真面目な人間は混ざってくる。現場を任せたのに森の中で寝ていた、というようなエピソードも日常的にあったという。 そのような環境下で、やる気のあった加藤はたちまち責任者のポジションに就いた。とはいっても名ばかりの管理職で、1カ月、150時間残業しても手当は一律5000円。それでも固定給は毎月確実に出たため、安定した収入にはなった。仙台市は年度末にかけて公共工事が増え、忙しくなる。

加藤は、在籍する警備員がどこの現場に入るかを決定する「配置係」という中間管理職に就き、一人で150人から200人の人間を束ねていた。配置係は、一人の人間を月25日間働かせようと思ったら、25回配置しなければならない。しかし「あいつは嫌いだから」という理由で、5回しか配置しなかった場合、日給計算なので、当人には月5日分の給料しか入らなくなってしまう。 このようなシステムの中で加藤はいわば権力者となり、「干してやる」ということができてしまう立場だったという。事実そのようなエピソードがあったと、大友氏は語る。

「どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージ」

「ある警備員から『全然仕事がもらえない』って相談されたから、加藤くんに『どうした? ちゃんと配置してんのか?』って聞いたら、机の裏側にその人の名前の書いてあるマグネットが落ちていたんですよ。本人は『あぁ、落っこちてた。これじゃ配置できねえや、ハハハ』と高笑いしてるから、『お前ふざけんな、この野郎! 何だと思ってるんだ』って怒鳴りつけた。まあ、あとで『すみませんでした』って詫びてきましたけどね」

加藤が事件を起こした2008年は、労働者派遣法の規制緩和により派遣社員が急増していた時期だ。会社都合でいきなり契約を解除される「派遣切り」が問題となり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの用語も生み出されていた。そのため、派遣労働の企業を渡り歩いていた加藤の事件に対し、格差社会が生み出した貧困労働者による犯罪として論じるメディアも多々あった。しかし、大友氏の印象はそれと違うようだ。 「僕の知ってる加藤くんは、どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージのほうが大きいです。完全に見下している人に対して、そういう傾向が強かった」

11NAME:2022/09/08(木) 23:40:13
秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が語っていた“異様な”家族との「食卓の様子」
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07290606/?all=1

法務省は「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大の死刑を執行したと発表した。同事件は14年前の2008年6月8日、東京・秋葉原路上をトラックで暴走、通行人をはねた後、ナイフで刺し、男女7人を殺害したというもの。当日は日曜日で、あたりは歩行者天国、昼過ぎの秋葉原は賑わっていたという。

ナイフを逆手に持ち

〈背後で、すさまじい音が響いた。振り向くと、歩行者天国の切れ目の交差点に突っ込んできた2トントラックが次々と歩行者をはね飛ばしていた。/交差点を50メートルほど行き過ぎて止まったトラックから、ベージュのスーツを着た男が降りてくるのを見た。手にナイフを握っていた〉 翌9日付けの朝日新聞夕刊は、目撃者の証言を紹介。まさに「地獄絵図」が展開していた。 〈男は近くにいた男女数人を次々に刺すと、人をはねた交差点に向かって駆け始めた。/倒れた人たちに馬乗りになり、逆手に持ったナイフを何度も振り下ろした〉

その場で警察官に取り押さえられたのは、加藤智大。青森県出身の25歳、派遣会社員の男だった。ネットに「秋葉原で人を殺します」と書き込んだ上での凶行だった。〈人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった〉(逮捕時の供述) 公判で注目されたのは、加藤自らが証言した「母親との関係」だった。加藤の母親は教育熱心で、加藤は地元・青森でも評判の高い進学校を卒業していた(以下、引用は長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』より。適宜、句読点を補った)。

弁護人が「小学校の頃の母親とのエピソード」を問うと、加藤はこう答えている。 加藤:お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました。 弁護人:お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか? 嫌な記憶はありますか? 加藤:間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました。 弁護人:沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか? 加藤:笑われていました。 弁護人:お母さんは、ふざけて沈めていたのでしょうか? 加藤:苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです 加藤が耐え切れずに泣くと、「口にタオルを詰められて、その上からガムテープを貼られたりした」、「泣くたびにスタンプをカードに押されて、それが10個たまると屋根裏部屋に閉じ込められた」などと、続けて証言。さらに「家族の食卓の様子」について加藤が記憶をたどり述懐すると、法廷は一種言われぬ雰囲気に包まれる。

加藤:家族との食事は会話がなかった上、三人で黙々と食べていただけです。私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて、食べさせられました。食事の量も多くて、必死で食べました。

12NAME:2022/09/08(木) 23:40:29
「いい子」を演じて

母親の厳しい指導が実ったか、中学時代の加藤は成績優秀だった。ところが、公判では次のように明かしている。「詩や作文が高く評価された」のには、相応の理由があるというのだ。〈(詩や作文は)私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました〉 こうした母親の「干渉」は、細かく、かつ多岐にわたった。「小学校に来ていく服はすべて母親に決められていた」「高校は自分の希望を変更し、母親の母校に進学」「あの子と付き合うのは止めなさいと、交際を禁止された」など、ひとつひとつの行動に「レール」が敷かれていた。そして加藤もまた、母親の要求に、愚直に答えようとするのだった。

加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉 母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。

2015年2月、死刑確定。その7年5カ月後の執行となった。事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。 事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。

加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば死ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉 デイリー新潮編集部

14NAME:2022/09/11(日) 22:45:41
〈死刑執行〉「死をもって償って」遺族が激怒した加藤智大死刑囚の“6枚の手紙”《被害者は後遺症で職を失った…》
「週刊文春」編集部 10時間前 source : 週刊文春 2010年2月4日号
https://bunshun.jp/articles/-/56134

2008年6月、死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件。7月26日午前、加藤智大死刑囚(39)の死刑が執行された。事件から14年目のことだった。古川法務大臣は臨時の記者会見で「被害者はもちろん、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件」と述べ、慎重に検討を重ねた上で死刑を執行したとした。

 なぜ、数多の命は一瞬にして奪われてしまったのか。加藤死刑囚が記した手紙、遺族が「週刊文春」に悲痛な思いを語った当時の記事を再公開する。(初出:週刊文春 2010年2月4日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

「事件から公判までの約1年7カ月は非常に長かったなぁという気持ちです。早く公判を開いて、『死刑にして欲しい』との気持ちをずっと持っていました。 犯人には息子の命を奪われただけではなく、私たちの人生までメチャクチャにされた。事件直後はボーッとして、何も手につかない状態でした。職場復帰しても、体調がすぐれず、精神科に通い薬を処方してもらっていたんです。体調は今もすぐれません」(ある犠牲者の父親)

 死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件(2008年6月)がようやく初公判を迎えた。遺族と被害者に今の心境を聞いた。 昨年11月被害者と遺族のもとに、被告の加藤智大から便箋6枚に及ぶ謝罪の手紙が届いた。「手紙には、『(私の罪が)万死に値する』とありました。鬼畜のような心から、人間らしい心を取り戻して、死をもって償うのはいいこと。でも、報道を見聞きしている限り、彼は人生の挫折を自分のせいではなく、自分が置かれていた環境や周囲のせいにしているように思えます」(同前)

手紙では〈申し訳ない〉を繰り返したものの…

 手紙の中で加藤は〈申し訳ない〉を繰り返し、〈当然死刑になると考えています〉と記している。だが、その一方で遺族、被害者の苦痛については、次のように書いて違和感を与えている。〈私にはそういったもの(温かい家族、恋人、友人、同僚)はありませんので、それらが理不尽に奪われる苦痛を自分のこととして想像することができず歯がゆいのですが、おそらく、私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が荒らし行為によってその存在を殺されてしまった時に感じたような、我を忘れるような怒りがそれに近いのではないかと思います〉

手紙を読んだ遺族の怒りは収まらない。 「あんなにたくさんの人に危害を加える前に、自分がトラックにぶつかって死ねばよかったんじゃないかなと思う。彼の言うとおり『死をもって償いをしろ』と思います。とても情けはかけられません」(同前) 手紙の受け取りを拒んだ遺族もいた。「手紙は送り返しました。裁判の傍聴はしません。事件を思い出してしまうし、犯人の顔を見たら、正常な気持ちを保てないからです」(別の遺族)

ダガーナイフの傷跡

事件の傷跡は、精神的にも肉体的にも、今も深く残っている。 「息子はまだ若かったし、(亡くなる)順番が逆かなと思います。他人から見れば普通の生活をしているようなイメージがあるかもしれませんが、この先ずっと普通の生活が戻って来るとはありません……」(同前)  被害者の介抱に当たっている間に、背後から刺された元タクシー運転手のAさんはこう話す。

「不安は今も残ったまま」

「ダガーナイフで受けた傷は肺から肝臓にまで達していました。約50日間、入院生活を余儀なくされ、退院後も精神安定剤や肝臓、痛み止め等の薬を1日3回飲み続けなければならない生活が続きました。労災で入院費や通院費を賄っていたんですが、昨年の9月末に労災の期限が切れ、実費に代わったため、今はもう病院にも通っていません。

 今でも右胸部から脇腹部分がマヒしたままです。医師には『神経が切られてしまったので一生症状が改善することはない』と告げられました。一度職場復帰しましたが、後遺症と思われる偏頭痛や手足の痺れに悩まされ仕事を辞めざるをえなくなり、今は失業保険で何とか生活している状態です……」

 Aさんは現在、ハローワークに通いながら自宅療養する生活を送っている。「たとえ仕事をはじめても、また以前のように後遺症による偏頭痛がするのではないか、という不安は今も残ったままです」 加藤は〈きちんと全てを説明しようと思っています〉とも書いた。今更何を説明しようというのか。

15NAME:2022/09/19(月) 20:49:38
ついに死刑執行…加藤智大の祖母が語った「壮絶な生育環境」
7/26(火)
https://friday.kodansha.co.jp/article/255869

〈幼い頃のあの子は率直ないい子だったんです。でも、両親がスパルタでね。トモがニコニコしていると父親が『締まりのない顔をするな!』と怒鳴る。はたで見て『なんでそんなに怒るの?』と思うこともあった〉

事件当時、本誌の取材にそう話していたのは加藤智大死刑囚(39)の祖母。「トモ」とは加藤死刑囚のことだ。 7月26日、7名に対する殺害などの罪で収監されていた加藤死刑囚の刑が執行された。事件が発生したのは08年6月。事件後に明らかになったのは、加藤死刑囚の生育環境の壮絶さだ。

「事件当時、加藤死刑囚の家庭の異質さがクローズアップされました。親が異様にしつけに厳しく、加藤死刑囚がテレビで見られるのは『ドラえもん』と『日本昔ばなし』だけ。勉強ができないと風呂に沈められたこともあったそうです」(全国紙記者) 当時、祖母は本誌の取材にこう話していた。〈特に母親のほうが教育熱心で、『部活なんてやらなくていいから勉強しなさい』と常にトモを叱咤していました〉

加藤死刑囚は子どもの頃から自宅に友人を呼ぶことを禁じられていた。その“干渉”は女性との関係にも及んだ。事件直後、本誌は加藤死刑囚の同級生から以下のような証言を得ている。 〈どれぐらいの交際だったかはわかりませんが、加藤にはちょっとかわいい感じのガールフレンドがいたんです。でもお母さんに交際をやめろと言われて、泣く泣く別れたそうですよ〉

地元でも有数の進学校に通っていた加藤死刑囚だったが、同級生の多くが4年制大学に進むなか、短期大学に進学。その後はアルバイトや派遣社員として職場を転々とするようになる。そうしてネットの掲示板に入り浸るようになり、社会への憎悪を募らせていった。 彼の家庭環境について、酌むべき点はある。しかし、彼の起こした犯行の大きさ、卑劣さを考えれば、そこに同情の余地はない。

「亡くなった人たちは大学生、会社員、調理師、元医師など、性別や年齢がバラバラの人たちでした。加藤死刑囚からの謝罪の手紙の受け取りを拒否した遺族もいます。一命は取りとめたものの、重傷を負った人の中にはいまだに後遺症に苦しんでいる人もいるようです」(前出・記者)

加藤死刑囚の祖母は当時、こうも語っていた。〈あれだけの大それたことをしてしまった以上、自分の命で償うしかない……〉 14年後、まさにそうした形となった。しかし、被害者、そして遺族の心と身体の傷が癒える日がくるかはわからない。

17NAME:2022/09/20(火) 22:16:46
事件がわかる 秋葉原通り魔事件
佐々木洋 社会 事件・事故・裁判
2022/5/19 11:00(最終更新 9/7 16:27) 6635文字
https://mainichi.jp/articles/20220517/osg/00m/040/001000d

秋葉原通り魔事件は2008年6月8日、派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚=事件当時25歳=が東京・秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人らをはねた後に次々とナイフで刺し、男女7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた事件である。秋葉原無差別殺傷事件とも呼ばれている。凶器には殺傷能力の高い両刃の「ダガーナイフ」と呼ばれる刃物が使われた。事件をきっかけに銃刀法が改正され、刃物の所持規制が強化された。加藤死刑囚の刑は2022年7月26日に執行された。

1. 事件概要
2. 事件当日の状況
3. 加藤死刑囚の人物像
4. 事件に至る経緯
5. 弁護側の主張
6. 死刑判決
7. ネット掲示板で犯行予告
8. 極刑求める遺族
9. 事件の余波

事件概要
救急隊員や通行人で騒然とする秋葉原通り魔事件の現場=東京都千代田区外神田で2008年6月8日午後1時10分、山本晋撮影

事件名 秋葉原通り魔事件(秋葉原無差別殺傷事件)
発生日時 2008年6月8日午後0時半ごろ
場所 東京都千代田区外神田1の交差点
被害者 19〜74歳の男女7人が死亡、10人が重軽傷
容疑者 加藤智大(ともひろ)死刑囚
動機 携帯電話サイトの掲示板での嫌がらせをやめてほしいと訴えるため
判決 死刑
影響 事件を機に銃刀法が改正され、刃物の所持規制が強化された

秋葉原通り魔事件は2008年6月8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田1の秋葉原電器街で起きた。静岡県裾野市に住む派遣社員、加藤智大死刑囚が2トントラックを運転して交差点に突入し、通行人らをはね、さらにダガーナイフで刺して男女7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた。

 加藤死刑囚は、携帯電話サイトの掲示板に悩みなどを書き込んでおり、掲示板を「唯一の居場所」と感じていた。しかし、無意味な書き込みなどをする「荒らし」と呼ばれる妨害行為などが頻発するようになり、怒りを募らせていた。この怒りや不満を、見ず知らずの人たちを無差別に殺傷することで解消しようとした。

 殺人や殺人未遂などの罪に問われた加藤死刑囚に対し、東京地裁は11年3月、検察側の求刑通り死刑を言い渡した。加藤死刑囚は判決を不服として最高裁まで争ったが、15年2月に死刑が確定した。

 この事件は、加藤死刑囚が事件前、サイトの掲示板に「秋葉原で人を殺します」などと犯行を予告する書き込みをしていたことでも注目された。

18NAME:2022/09/20(火) 22:17:57
事件当日の状況

事件が起きた6月8日は日曜日だった。現場となったJR秋葉原駅近くの交差点は正午から歩行者天国となり、多くの人出があった。

 検察側の冒頭陳述(証拠により証明しようとする事実)などによると、加藤死刑囚は事件当日朝、静岡県のJR沼津駅前のレンタカー会社営業所でトラックを借り、東京へ向かった。午前11時45分ごろ、秋葉原に到着。午後0時10分ごろ、事件前から書き込みをしていた掲示板のタイトルを「秋葉原で人を殺します」に書き換え、「車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と投稿した。

加藤死刑囚は以前に何度も秋葉原に来たことがあり、日曜は現場が歩行者天国でにぎわうことを知っていた。しかし、事件当日は交差点の人通りがあまりに多く、怖くなって3度も交差点に突っ込む機会を逃していた。「やらなくてよかった」という気持ちと「何でやれないんだ」との気持ちで葛藤していたという。

 午後0時33分ごろ、「今度こそ犯行に及ぶ」と強く決意してアクセルを踏み、時速四十数キロで横断歩道上の5人をはねた。路上にトラックを止めて用意したダガーナイフを取り出し、目についた通行人3人を刺した。

その後、交差点に戻ってから6人、車道を南に向かって走りながら3人を次々と刺した。中央通りから西に入る路地の手前で、駆けつけた警視庁万世橋署員らに追いつかれ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。加藤死刑囚は逮捕される直前、ナイフで抵抗したが、同署員が拳銃を構えて「武器を捨てろ」と警告すると、ナイフを路上に置いた。

 検察側は1審の論告で「逮捕されるまで人を襲い続けた執拗(しつよう)さ、老若男女を問わず、倒れた人を助けようとした人や逃げ惑う人にまで容赦なく刺し続けた卑劣さ、確実に命を奪い去るため身体の枢要部を狙って力強く突き刺し続けた残忍さは正視に耐えず人間性のかけらも感じられない悪魔の所業だ」と指摘した。

事件で亡くなった方々

女子大学生(21)=東京都北区
無職の男性(47)=東京都板橋区
無職の男性(74)=東京都杉並区
調理師の男性(33)=神奈川県厚木市
男子大学生(19)=埼玉県熊谷市
男性会社員(31)=埼玉県蕨市
男子大学生(19)=千葉県流山市

加藤死刑囚の人物像

1審の弁護側冒頭陳述などによると、加藤死刑囚は労働金庫に勤める父親と専業主婦の母親の長男として、青森市で生まれた。小学4、5年生では将棋クラブ、6年では陸上部に在籍し、県大会に出場した。中学3年間はソフトテニス部に入り、合唱コンクールでは指揮者を務めたこともあった。 高校は青森県内一の進学校に入学。車の仕事に就きたいと岐阜県の短大に入り、仙台市の警備会社や埼玉県の自動車工場、青森県の運送会社で働いた。仕事ぶりはまじめだった。事件前年の2007年11月から静岡県裾野市の自動車製造工場で派遣社員として働き始めた。採用面接の際は「以前も派遣社員として自動車工場で組み立てをやったことがある」と話したという。時給1300円で、月約20万円の収入があった。

 事件の数年前から掲示板のサイトを利用し始めた。初めは好きな漫画の書き込みを見る程度だったが、いつの間にか自分でも書き込みをするようになり、掲示板は加藤死刑囚の重要な一部となった。

19NAME:2022/09/20(火) 22:18:23
事件に至る経緯

加藤死刑囚は、死亡した7人に対する殺人、重軽傷を負わせた10人に対する殺人未遂などの罪で起訴され、2010年1月から東京地裁で裁判が始まった。弁護側は殺傷を認めたものの、「完全責任能力があったことには疑いがある」と述べ、責任能力については争う姿勢を示した。 検察側の冒頭陳述などによると、加藤死刑囚は短大卒業後に派遣社員として働く中で、自分の存在価値が認められず、部品のように扱われていると感じて不満を抱くことがあった。携帯電話の出会い系サイトで知り合った女性が心配してくれるのをうれしく思ったが、顔写真を送ると途端にメールが来なくなったことから、自分の容姿が不細工であると強いコンプレックスを抱くようになった。

 06年ごろから悩みや苦しみをサイトの掲示板に書き込むようになった。期待通り、慰めやアドバイスが書き込まれ、掲示板は不満の唯一のはけ口となっていた。 しかし、08年5月ごろから、加藤死刑囚になりすました「偽物」や、無意味な書き込みで掲示板を読みにくくする「荒らし」が頻発し、加藤死刑囚を思いやる書き込みがほとんどなくなった。加藤死刑囚は自分の唯一の居場所がなくなって自分の存在が殺されたと感じ、「みんな死んでしまえ」と思うようになった。

 加藤死刑囚は、派遣社員として静岡県裾野市の自動車製造工場に派遣されていたが、08年5月28日、派遣会社の所長から終了を告げられ、「自分は必要とされていない」とショックを受けた。6月3日に派遣会社社員から、引き続き工場で仕事を続けられると聞かされると、自分は単なる人数合わせと受け取った。 同5日、工場に出勤し更衣室に行くと、作業着が見つからなかった。「工場を辞めろ」と言われていると感じ、缶コーヒーを壁に投げつけ寮に帰った。掲示板に書き込みもしたが、思いやりのある反応はなかった。 加藤死刑囚は悩みや苦しみが無視されたことが我慢できなくなり、ついに怒りを爆発させ、「大きな事件」を起こして自分の存在を認めさせようと思った。「大きな事件」を起こすことで、その原因が自分を無視した人、まともに扱わなかった人、「偽物」や「荒らし」にあると思わせ、「復讐(ふくしゅう)」したいと考えた。「もう生きていても仕方がない」と自暴自棄になった。

 6月6日、掲示板に「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」と犯行をほのめかす書き込みをした。誰かに止めてほしいとの気持ちもあったが、犯行を思いとどまらせる書き込みはなかった。 同日、雑誌で見つけた福井市のミリタリーショップに行き、ダガーナイフや警棒を買った。7日には秋葉原でゲームソフトとパソコンを売って約7万円を手に入れ、静岡県沼津市のレンタカー営業所で2トントラックを予約した。8日朝、このトラックを運転して東京を目指し、事件を起こした。 検察側は論告で「個人的な不満や怒りを、見ず知らずの人々への無差別殺傷で解消しようとした。犯行動機はあまりに身勝手で自己中心的と言うほかない」として死刑を求刑した。

弁護側の主張

 加藤死刑囚は1審の被告人質問で、ネット掲示板を荒らされたり、本人になりすました書き込みをされたりするなどの嫌がらせが事件を起こすきっかけになったと説明した。「嫌がらせをやめてもらうために『事件を起こす』と警告してきたが、なくならなかった。事件を起こして報道してもらうことによって、本当にやめてほしかったと知ってもらおうと思った」と動機を述べた。 掲示板の利用をやめることは考えなかったといい、「現実は建前社会でネットは本音社会。本音を言える場所はとても重要で、他に代わるものはなかった」と話した。掲示板は「私にとって帰る場所、自分が自分でいられる場所だった。掲示板上の人間関係は家族同然の人間関係だった」という。

 一方、高校時代に教育熱心だった母親の期待に背いて4年制大学への進学をやめたことや、勤務先を突然退職することを繰り返したことについても振り返り、「言いたいことを言葉にできず行動で示してしまった。それが自分のパターンだった」と述べた。 こうした自身の性格は「小さいころの母の育て方が影響していると思う」と説明した。小中学校時代、「九九が言えない」と母親から風呂に沈められたり、「食事が遅い」とチラシの上にひっくり返した食べ物を食べさせられたりしたエピソードを紹介。「(学校に提出する絵や作文は)いつも母親に直されて自分の作品じゃなかった。進路も小学校低学年の時から北海道大工学部と決められていた」と話した。 勤務先の自動車製造工場から一時、派遣終了を告げられた「派遣切り」や、「容姿への劣等感」が事件の背景にあるとする検察側の主張は全面的に否定し、ネット掲示板のトラブルが唯一の原因だったと強調した。

20NAME:2022/09/20(火) 22:19:13
死刑判決

 初公判から30回に及ぶ審理を経て、東京地裁(村山浩昭裁判長)は2011年3月24日、検察側の求刑通り死刑を言い渡した。被告側が起訴内容を認めたため、責任能力の有無が主な争点だったが、判決は医師の精神鑑定結果などを踏まえ、完全な責任能力があると認定した。弁護側は「何らかの精神疾患があった可能性がある」として、心神喪失(責任能力がない)か心神耗弱(責任能力が十分ではない)の状態だったと主張していた。

 判決は、検察側と被告側の主張で食い違いを見せていた動機について、「携帯サイトの掲示板の嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった」との被告の説明を主要な動機と認定した。事件直前に職場で作業着が見つからず、職を失うと勘違いした点も事件の契機と認め、「家族、友人、仕事を失い強い孤独感を感じたことが背景にある」と述べた。検察側が指摘した容姿への劣等感や交際相手がいないことの悩みには言及しなかった。 また、事件の遠因として「成育過程で受けた母親による不適切な養育を主な原因とする被告の人格のゆがみがある」と指摘。しかし、事件当時は25歳になっていたことなどを考慮すると、「成育歴などが与えた影響は限定的で、刑事責任を大きく減じさせるものとは評価できない」と結論づけた。

 村山裁判長は「人間性の感じられない残虐な犯行で日本全体を震撼(しんかん)させた。被告の危険な性格や行動は根深く、更生は著しく困難」と述べ、死刑回避を求めていた弁護側の主張を退けた。 弁護側は判決を不服として控訴したが、東京高裁は12年9月、1審の死刑判決を支持して控訴を棄却。弁護側は上告したが、最高裁は15年2月に上告を棄却し、死刑が確定した。法務省は2022年7月26日、加藤死刑囚の刑を同日執行したと発表した。

 加藤死刑囚は12年に出版した自著「解」(批評社)の中で、「懲役より死刑を選ぶ」として次のように書いている。「何故私はそのような誤った手段(無差別殺傷事件:引用者注)を使ってしまったのかを考えたところ、まず、懲役より死刑の方がマシ、という価値観があげられます。その背景には、孤立への恐怖があります。繰り返しますが、私は死にたかったのでも死刑になりたかったのでもありません。刑務所で地獄を見た後に孤立している世の中に放り出されるくらいなら死刑の方がマシ、というだけのことです」

21NAME:2022/09/20(火) 22:19:57
ネット掲示板で犯行予告

ネット掲示板への書き込みの一部(原文のまま)

6月5日 
午前11時51分 犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする
午後0時05分 「誰でもよかった」 なんかわかる気がする
0時33分 トラックで行くのは無謀かもしれん

6月6日 
午前2時48分 やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占
2時54分 工場で大暴れした
3時10分 いつも悪いのは全部俺
11時01分 福井に向かってみる
午後8時49分 ナイフを5本買ってきました

6月7日
午後1時14分 レンタカーに空きがなかった トラックじゃ仕方ないかも
1時50分 大きいのが無かったら普通のでいいや できれば4tが良かったんだけど
4時03分 無事借りれた 準備完了だ

6月8日
午前5時21分 秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら
5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
6時31分 時間だ出かけよう
11時45分 秋葉原ついた
11時45分 今日は歩行者天国の日だよね?
午後0時10分 時間です

22NAME:2022/09/20(火) 22:20:11
極刑求める遺族

裁判では、事件で家族を失った複数の遺族が意見陳述した。このうち、大学生の長男(19)を失った父親は「被告を絶対に許さない。死刑にしてほしい」と述べた。加藤死刑囚が「インターネット掲示板を荒らす人たちにやめてほしいと伝えたかった」と動機を述べたことに触れ、「嫌なことはいくらでもあるが、世の中の人はお前みたいに他人を殺傷しない。みんな我慢しながら生きているんだ」と怒りをかみ殺すように話した。

 調理師をしていた男性(33)の父親は「被害者17人ひとり一人に親兄弟がいて、悲しみの毎日を過ごしていることを忘れないで。被告は死ぬまで罪を償ってほしい」と語った。さらに、「君はインターネットの掲示板が居場所と言ったが、本来は家庭のぬくもりや恋人を求めていたのではないか」と問いかけ、「許すことはできない。判決がどうあれ受け入れて」と訴えた。

 ナイフで刺されて重傷を負った男性は「被告の公判の発言は納得できない。今からでも真実を語ってほしい」と呼び掛けた。

 加藤死刑囚は、遺族や負傷者の意見陳述を聞いた後、「胸をえぐられる思い。何度申し上げても仕方ないが、大変申し訳なく思っている」と謝罪の言葉を述べた。「事件当時は被害者のことに頭が回っていなかった。私が殺した方、傷つけた方、ご遺族の方ひとり一人がどういった方か、どんな思いなのか、自分の中に取り込み、申し訳ないという気持ちを持ち続けたい」とも語った。

 加藤死刑囚は2009年11月、事件の遺族や負傷者に謝罪の手紙を送った。このうち、負傷した元タクシー運転手の男性への手紙には、「どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えている」とつづっていた。男性への手紙には「ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです」などと書かれた加藤死刑囚の両親の手紙も同封されていた。

事件の余波

歩行者天国の中止

 事件を受け、東京都公安委員会は2008年6月13日、日曜・祝日に実施してきた歩行者天国を同月15日から当面中止することを決めた。地元の千代田区などから「模倣犯が出たら怖い」などと不安の声が上がっていたことを踏まえた対応だった。 「アキバ(秋葉原)のホコ天」は1973年に始まった。秋葉原は家電の街、アニメなどサブカルチャーの拠点などとして多くの人を集めてきたが、歩行者天国の中止は初めてのことだった。 中止期間中、地元は防犯カメラの設置や防犯パトロールの強化などに取り組み、11年1月、歩行者天国は2年7カ月ぶりに再開された。

犯行予告の模倣犯急増

 秋葉原の事件後1カ月間で、インターネットに大量殺傷事件などの「犯行予告」を書き込んだとして警察に摘発された人は全国で33人に上った。年代は小中学生から40歳代までの男女で、容疑は威力業務妨害や軽犯罪法違反などだった。 主な書き込みは「秋葉原事件みたいなの起こしてやるよ もうナイフも銃も用意した」(21歳無職男性)、「九州のある駅で歴史に残る大量殺人をする。加藤よりも多い人数を殺す」(17歳アルバイト女性)などで、秋葉原の事件に直接言及したものもあった。  模倣犯の増加については、1審の論告でも検察側が言及した。「事件後はインターネットの掲示板に殺人予告をする者が後を絶たず、現実に多数の模倣犯罪が発生した」としたうえで、「社会全体に対し、新たな犯罪を生み出すなどの計り知れない悪影響を及ぼした」と加藤死刑囚を非難した。

ダガーナイフなどの所持禁止

秋葉原の事件を受け、2008年11月に銃刀法が改正された。事件当時、同法は刃渡り15センチ以上の刀や剣を「刀剣類」と定め、都道府県公安委員会の許可なく所持することを禁じていた。しかし、事件で使われた両刃のダガーナイフは刃渡り約13センチで規制の対象外だったため、刃渡り5・5センチ以上15センチ未満の剣を所持禁止の対象とした。 国の銃刀法改正に先立ち、18歳未満に対するダガーナイフの販売を条例で禁止する自治体も相次いだ。日常生活では使われず、刃渡りが一定以上の長さのナイフを県条例などで「有害玩具類」に指定し、違反者に罰金を科すなどの内容が多かった。

23NAME:2022/09/20(火) 22:41:37
【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の素顔と犯行の真相
https://xn--3kqzj35krym8uq54hmih.com/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E7%B4%A0%E9%A1%94%E7%8A%AF%E8%A1%8C%E7%9C%9F%E7%9B%B8/

傾向として大きな事件を起こした犯人というものは裁判では多くを語らない。
しかし加藤智大元死刑囚の場合は違った。
裁判では加藤智大元死刑囚はとても嬉しそうだったと傍聴人は振り返っている。
加藤智大元死刑囚は裁判長とか弁護人、検事から質問されてる時には答えたくてしょうがなくいのが目にみてわかるほどすごく嬉しそうであった。
そこには理由があった。
加藤智大元死刑囚には報道では語られなかった真実を伝えたかったのだったから。

世間を震撼させた通り魔事件の裁判で報道とは異なる、ある重大な供述が裁判で飛び出している。
その驚くべき供述とは。

【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の犯行の真相

事件直後の報道では加藤智大元死刑囚は派遣社員だった加藤智大元死刑囚が派遣切りされてその社会への復讐が犯行動機であるというものだった。
しかし、裁判に入ると「その犯行動機は違うんです。」ということを加藤智大元死刑囚はすごく訴えた。
派遣切りによる社会への復讐だと報じられていたのが、法廷で加藤被告が語った衝撃的な真の動機とは。

加藤智大の屈折した犯行動機

加藤智大元死刑囚はネット掲示板で自分のスレッドを立てそれに対して罵倒してくるような人たちとスレッドを楽しんでいた。
そんなある日「俺は加藤だ」と自分のなりすましが現れて自分のスレッドを乗っ取られた。
それが直接的な犯行動機なのだという。
常人には考えられない犯行動機だ。
本人曰く、ネット掲示板を占拠され、仲間との交流の場を奪われたことがとにかくつらかったのだという。
その状況をなんとかしたい「俺が本当の加藤なんだ」というのを証明するために事件の当日に「今から秋葉原に突っ込みます」と犯行予告を書き込み実際に事件を起こしたのだ。
実際その事件を起こして、それが本物の加藤だったっというのがわかり加藤智大元死刑囚は満足しているのだ。

24NAME:2022/09/20(火) 22:41:54
加藤智大元死刑囚のネットへの書き込み時系列

6/8  05:21 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら
6/8 09:48 神奈川入って休憩 いまのとこ順調かな
6/8 10:53 酷い渋滞
6/8 11:07 渋谷ひどい
6/8 11:17 こっちは晴れてるね
6/8 11:45 今日は歩行者天国の日だよね?
6/8 11:45 秋葉原ついた
6/8 12:10 時間です

加藤智大元死刑囚は犯行を実況中継することでネット上で自分の存在を知らしめようとしていた。さらに「秋葉原通り魔事件」の裁判中、傍聴席が怒りに震えた瞬間があった。

加藤智大元死刑囚が遺族にあてて謝罪の手紙を読み上げた。
それを聞いた秋葉原通り魔事件遺族が大激怒

加藤智大元死刑囚が遺族にあてた、その衝撃の手紙の内容とは

このたびは本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません。
おわびすることが皆さまの心情を害するのではないかと悩んでいるうちに一年が経過してしまいました。遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、謝罪すべきだという結論に至りました。
謝罪する意思は本当に自分の感情なのか、ということをいろいろ考えましたが、反省している自分が存在していることは否めません。きれい事を並べた謝罪文のような形式だけの謝罪は皆さまへの冒瀆でしかなく、本心からの謝罪なのか、自問しながら書いています。 私には事件の記憶がほとんどありませんが、やったことに間違いはなく、罪から逃れるつもりはありません。私の非はすべて私の責任であり、その責めはすべて私が受けねばなりません。
私の非は、皆さまに通常ではあり得ない苦痛を与えたことです。人生を変化させたり、断ち切ったりしたことです。皆さまの人生を壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。
家族や友人を理不尽に奪われる苦痛を想像すると、私の唯一の居場所だったネット掲示板で、「荒らし行為」でその存在を消された時に感じたような、我を忘れる怒りがそれに近いのではないかと思います。もちろん比べられるものではありませんが、申し訳ないという思いが強くなります。
被害を受けてなお、私に同情を示してくれるような方を傷つけてしまったと思うと、情けなくて涙が出ます。一命はとりとめたものの、障害が残った方にはおわびしようがありません。
どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に価するもので、当然死刑になると考えます。
ですが、どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起らないようにすることで償いたいと考えています。
いつ死刑が執行されるか分かりません。死刑の苦しみと皆さまに与えた苦痛を比べると、つりあいませんが、皆さまから奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。
このような形で、おわびを申し上げさせていただきたいと存じます。申し訳ありませんでした。

(中日新聞11月7日記事)

25NAME:2022/09/20(火) 22:42:10
つまり、「あなたたちの気持ちはとっても僕、実はよくわかるんです」「僕もネットの掲示板で自分という人間を一度殺されたことがあるので同じですよね」

加藤被告の論理としては【ネットの世界で存在を無視される=現実の世界で命を奪われる】なのである。
本人としては反省はしているが、やはり常軌を逸脱した考え方と行動には理解を示すこともできず同情の余地はない。

【秋葉原通り魔連続殺傷事件】加藤智大の素顔

第一審の東京地裁で母親の教育が加藤智大元死刑囚の人格形成に大きく影響を与えたと認定している。
裁判で自分が正しいと思い込み教育してきた母親にとってショックであったことは予想に難くない。
母親は加藤智大元死刑囚や弟に対し常に完璧を求めた。
作文は一文字でも間違えたり、読めない汚い字があると、ゴミ箱に捨てて最初から書き直し。
友達を招き入れること、友達の家に行くことも禁止され、テレビ、漫画、雑誌も禁止。ゲームは土曜日に1時間だけ。
幼少からそのような教育を受ければ、それが当然のルール、すなわち絶対適従属の関係性が当たり前の環境だった。
弟自身も家庭環境が異常であった事実を知ったのも、高校に入ってからだったと事件後に語っている。
作文の文字を間違えて書けばゴミ箱に捨てられるような教育を同様に受けていた弟は事件から6年後に事件をきっかけに自殺した。

本人の意思と違った報道と真実

秋葉原通り魔連続殺傷事件が起こった当初は加藤智大の社会に馴染めず孤独感が増大していった末での犯行である内容で報道されることが多かった。
しかし、真実は違った。
加藤智大死刑囚は友人には人並にめぐまれていた。
職を転々としていた加藤智大死刑囚は、一時期は友人のアパートに転がりこんでいたこともあり、彼女がいた時期もあった。
職場でも先輩で恵まれていた時期もあった。

ある日、先輩に対し失礼な質問をして、怒られたことがある。
その場で加藤智大死刑囚と真摯に向き合い、加藤智大死刑囚は号泣しながら謝り、それからその先輩を慕うようになったということもあった。
このことから世間で認識される孤独の末の犯行、というのは当てはまらない。
つまり世間の認識される素顔とは一致しないのだ。

現実社会が居心地の悪いものでバーチャルな世界がその逆であったというならば、少しは納得がいく。 しかし、加藤智大死刑囚は職を転々としてたという事実はあるものの、なぜバーチャルなネット環境にそこまで固執し、人を殺すという事件を起こさせるまでに至ったのか、理由は未だ謎だ。 結局のところ、秋葉原通り魔連続殺傷事件の核心的な部分については未だわからないままなのだ。

26NAME:2022/09/20(火) 22:42:22
加藤 智大手記『解 (Psycho Critique)』から素顔を読み解く

2012年加藤 智大自身の手記『解 (Psycho Critique)』が発売されている。
そこから見えたこと。
加藤智大死刑囚は事件を起こすことによって極刑を望んでいたワケではない。
社会(=ネット)からの孤立つまり、社会(=ネット)からの抹消の恐怖が耐えがたく、それより肉体的な死の方がまだ救いがあると思えたのではと感じた。
自分の極刑以上に社会(=ネット)からの抹消が辛かったのではないか。

加藤智大死刑囚は成りすましらを心理的に攻撃したと断言している。
秋葉原の通行人はその目的のための道具でしかなかった。
もちろん犠牲になった被害者の人たちに対して謝罪の言葉を述べているものの、何も響かず、理解のできる点はなかった。

27NAME:2022/09/21(水) 22:55:57
加藤智大死刑囚の境遇に自らを重ねた犯罪者、秋葉原通り魔事件から考える「男の生きづらさ」
2022/6/8
阿部恭子(NPO法人World Open Heart理事長)
週刊女性PRIME
https://www.jprime.jp/articles/-/24197

日本中を震撼させた「秋葉原通り魔事件」から早くも14年。当時、逮捕された加藤智大が母親から虐待ともとれるスパルタ教育を受けていたこと、派遣労働や格差問題、ネットを通じた人間関係の稀薄さが浮き彫りとなり、そんな加藤を“神格化”する声も挙がった。人を凶行にまで走らせる“生きづらさ”とはーー? これまで2000件以上の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが伝える。

2008年6月8日、当時、25歳の加藤智大氏が秋葉原の交差点にトラックで侵入し、通行人をナイフで切りつけ、7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となった。 本件は、日本の犯罪史上に残る大事件となり、派遣社員の急増といった社会背景から、加藤氏が非正規社員だった事実に焦点が当たり、「格差社会から生まれた犯罪」とも報じられていた。 筆者は加害者家族支援を通して犯罪者と多々、面会を重ねているが、その多くは男性である。事件の背景を見ていくと、多かれ少なかれ、男性としての生きづらさが影響していると思われる。

優等生からの転落

 友幸(仮名・40代)は、加藤氏同様、東北で名門といわれる高校を卒業した犯罪者である。当時、拘置所の中で事件を知り、同世代の加藤氏の境遇に自らを重ねたという。「地元では○○高校というと一目置かれますが、問題は卒業後です。大学受験に失敗し、地元にはいられなくなりました」 友幸は二浪の末、地元から逃げるように上京し、フリーター生活を始める。「地元ではみんなに“負け犬”と思われているような感覚がありました。東京では誰も地元の事情はわからないので、楽になったんです」

 ところが自由を満喫できたのも束の間、すぐに深い孤独に悩まされることになる。友幸は人とのコミュニケーションが得意ではなく、ひとり取り残されていく危機感を覚えるようになった。 東京で初めて「仲間」に入れてもらえたと感じたのが、振り込め詐欺の集団だった。友幸にとって金銭は二の次で、仲間をクラスメートのように感じ、犯罪の現場が居場所になっていく。そして数か月後、友幸も逮捕されることになった。

「国選弁護人から実刑を覚悟するように言われてパニックになりました。捕まってもすぐ出られるって聞いていたんです。まさか刑務所に行くなんて」 友幸は国選弁護人に、すぐ家族に連絡を取ってもらうよう懇願した。「もう戻ることはないと言って出てきた実家ですが、もう強がる余裕はありませんでした」

 しばらくして、友幸のもとに弁護士が接見に来た。「友くん、覚えてる?」 見覚えのあるその顔は、幼いころよく遊んでもらった親戚だった。国選弁護人から逮捕の知らせが行くと、親たちはすぐ東京で弁護士をしている親戚に連絡していた。友幸は安心のあまり大泣きし、生まれて初めて胸の内を吐露することができた。 この親戚が弁護を担当することになり、親戚中からお金を集めて被害者に弁償した。公判には両親、兄弟も含め親戚一同が傍聴席に詰めかけ友幸の減刑を願った。友幸は、恥ずかしくも感動し、涙を止めることができなかった。

 そして無事に、執行猶予付き判決を得ることができ、釈放後は実家に戻り、現在は親戚が経営する会社で働いている。「当時はパワーゲーム(人と人との力の張り合い)に囚われていて、どうやったら敗者復活できるかばかり考えていた。地元にこんなに“支え”があり、“味方”がいることに気が付きませんでした」

28NAME:2022/09/21(水) 22:56:18
パワーゲームからの離脱

 受刑者を支援する特定非営利活動法人『マザーハウス』理事長、被害者と加害者が共に犯罪に巻き込まれた人々を支援する『inter7』共同代表を務める五十嵐弘志氏(58)は、20年以上服役した経験を持つ。五十嵐氏は47歳で出所し、2014年にマザーハウスを設立。現在は、24時間体制で受刑者や出所者の支援に尽力している。

 若い頃の五十嵐氏には、友幸のように家族や地域の支えはなく、面会に来てくれる人もいないまま、長い間、孤独な受刑生活を過ごしていた。「面会に来てくれる家族がいる人たちが羨ましかったです。たとえ出所できても、年齢を考えると自分が家族を持つことなど無理だと諦めていました」

 ところが、50歳を目前に結婚し、父親にもなった。五十嵐氏の人生は、受刑者に限らず、絶望の淵にいる人々にとって希望になっている。 五十嵐氏の祖母は躾が厳しく、出来のいい親戚の子と比較されることが多かったという。中学生の頃に両親が離婚し、五十嵐氏は母方の家に引き取られることになった。

 この家には居場所がないと感じた決定的な出来事があった。従兄弟の下敷きが無くなったとき、たまたま同じ下敷きを持っていた五十嵐氏が家族中から「お前が盗った!」と犯人扱いされてしまったのだ。泥棒扱いされるというのはひどく自尊心を傷つけられることである。しばらくしてその下敷きは見つかり、疑いは晴れたはずだったが、誰も五十嵐氏に濡れ衣を着せたことを詫びる家族はいなかった。 それから徐々に家を離れ、悪い仲間の中に居場所を求めるようになり、犯罪に手を染めていく。 五十嵐氏が生きてきた世界もパワーゲームに支配され、他人を信用することなどできなかったという。その傾向は、刑務所生活によりさらに強くなる。刑務所は規則にがんじがらめにされ、受刑者同士の足の引っ張り合いから弱さをさらけ出すことなどとてもできない。

 立ち直りのきっかけは、同房の日系ブラジル人から聖書の存在を聞き、それからマザーテレサの本を通してキリスト教の精神に惹かれるようになった。聖書をさらに詳しく学びたいと、刑務所から手紙を出し、シスターに面会に来てもらうようになったのだ。 今まで謝罪と反省以外求められることはなかったが、シスターとの会話を通して、五十嵐氏はありのままの自分が初めて受け入れられたと感じることができ、改心することができたと話す。 しかし、更生したからといって犯した罪が消えるわけではない。どれほど真摯に、いいことをしようとしても、“前科者”という壁が立ちはだかることも少なくはない。犯罪者の家族への風当たりも厳しいのが現実であり、五十嵐氏にとって、償いの日々は続いていると感じる。

甘えてもよい社会を

 人生は、いつ何が起こるかわからない。ある日突然、大切な人に出会うこともある。そのとき、後悔しないためにも犯罪で承認欲求を満たすようなことはしないに限る。満たされるのは一瞬で、その後、一生苦しむことになるのだ。

 秋葉原通り魔事件は、加藤氏の弟の自死という悲劇も招いた。「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」。彼は、取材した記者にそう語っていたという。生きる理由をひとりで見つけることは難しいかもしれない。 筆者が運営する『加害者家族の会』も男性の参加者は少なく、男性は問題をひとりで抱え込む傾向があると感じる。同時に、問題を共有するより答えを求めがちである。 SOSを出す力や、困ったときに頼る力こそ、男性たちに求められているのではないだろうか。

阿部恭子(あべ・きょうこ) NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて、犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。

29NAME:2022/09/22(木) 01:09:49
「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由
「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く
https://president.jp/articles/-/58074?page=6

そもそも体力勝負で、高齢者に任せるような仕事ではないが、そんな現場にも平気で配置してしまうのが、ブラック企業たる所以ゆえんだった。車の出入りがあるコンビニの駐車場前に差しかかったとき、高齢の警備員は瞬時の対応ができず、足元もおぼつかないため、自らラインを踏んでしまった。

さらに彼は、塗料の付いたその足で地面を歩きまわった。咄嗟に大友氏は「動くな!」と叫んだが、耳が遠いので聞こえない。慌てた高齢の警備員は、「え? え?」とさらに歩きまわる。まるでコントかのように注意すればするほど、地面に足跡がベタベタと付いていく。

“最初の殺人事件”になっていたかもしれない出来事

「こんなにグチャグチャにされたら、直すのに4倍も5倍もかかるぞ」と作業員は怒り心頭に発していたが、高齢の警備員は耳が遠いので、言われていることがわからない。「これを、3、4回繰り返したら加藤くんがブチギレた」 なんと加藤はいきなり高齢の警備員の胸倉をつかむと、柔道の足払いの要領で全体重をかけ、彼を頭からアスファルトに叩きつけたという。

「瞬間でいっちゃったから、もう止めようがないんです。ヤバい音がして、あっ、完全に首と頭やったなって」 あまりの出来事に一同絶句し、時が止まったかのように場が静まった。その中で、加藤は一人クルリと振り返ると、満面の笑みを浮かべて、「大友さん! ちゃんと注意してやりましたから!」と言ったという。 「本当に映画で見る猟奇殺人犯のような笑みっていうか、不気味な笑顔。『ちゃんとやったからこれで大丈夫です』みたいな。みんなができないことを俺がやってやったという感じで」

怒りが抑えられないのも問題だが、さらに加藤は、その暴力を「みんなのために」「良いこと」だとまったく疑うことなくやったのだ。この認知のゆがみは相当なものだろう。幸い、高齢の警備員は合気道4段だったらしく、咄嗟に受け身をとったらしい。ヘルメットを被っていたこともあり、怪我はなかった。が、もしかすると加藤にとってこれが最初の殺人事件になっていたかもしれない。

それでも「友人」であることには変わらない

「そういうのを知ってるから、ちょっと危険な兆しのある人なのかなっていうのは嫌でも見える」 まともな人間なら近づきたくないだろう。しかしそんな危険な姿を見ても、なお大友氏は加藤の「友人」なのだ。 「うん。俺に対して何かおかしな態度とかあれば距離を取ったかもしれないけど、僕に対してはちゃんと普通に接するし、間違いを注意したら本人なりに反省して改善して頑張ってやっているっていう姿は見えたから。自分としてはまずいとわかっているけど、どうしようもないみたいな部分もあるし。なんかもがいてるのかなぁ、ぐらいだった」

30NAME:2022/10/19(水) 22:32:14
『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」
2014年04月11日16時39分
https://www.j-cast.com/tv/2014/04/11201931.html?p=all

<「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。 死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」>

これは『週刊現代』の「独占スクープ!『秋葉原連続通り魔事件』そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した」の中で、週刊現代記者の齋藤剛氏が明かしている加藤被告の実の弟・加藤優次(享年28・仮名)の言葉である。

この1週間後、優次は自ら命を断った。これを読みながら涙が止まらなかった。加藤被告の起こした犯罪のために、被害者の遺族の人たちは塗炭の苦しみを味わっている。だが、加害者の家族も苦しみ、離散し、弟は兄の犯した罪に懊悩し、ついには自裁してしまったのだ。

日本の犯罪史上まれに見る惨劇「秋葉原連続通り魔事件」が起きたのは2008年6月8日の日曜日。加藤智大は白昼の秋葉原の雑踏に2トントラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って7人もの命を奪った。

弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった。就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。そんな暮らしの中にも、希望がなかったわけではなかったという。事件から1年余りが過ぎた頃、筆者が彼のアパートを訪ねようとしたとき、たまたま女性と一緒に歩く姿を目撃したそうだ。優次は彼女に事件のことも話していたという。

<正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。一度喋り出したら、後は堰を切ったように言葉が流れてました。 彼女の反応は『あなたはあなただから関係ない』というものでした>

ようやく心を開いて話ができる異性との出会いは、彼に夢を与えてくれたのだろう。しかし、優次の夢は叶うことはなかった。事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、結婚と聞いたとたんに猛反対したというのだ。二人の関係が危うくなり、彼女も悩んでイライラしていたのだろうか、彼女から決定的なひと言が口をついて出たという。

<一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。

結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。(中略)僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました>

31NAME:2022/10/19(水) 22:32:27
「加害者家族もまた苦しんでいます」面会求める弟、拒否し続けた兄…

優次は手記に繰り返しこう書いていたという。<兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる> そして、<突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある> そんな言葉を筆者に漏らすようになっていった。母親は事件後、精神的におかしくなり離婚してしまった。父親も職場にいられなくなり、実家へ帰りひっそりと暮らしている。

優次は加害家族も苦しんでいることを知ってほしいと、このように書いている。ここには心からの叫びが吐露されているので、少し長いが引用してみたい。

<被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遙かに軽く、取るに足りないものでしょう。(中略) ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります。 そもそも、「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか。被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです。 だからこそ、僕は発信します。加害者家族の心情ももっと発信するべきだと思うからです。 それによって攻撃されるのは覚悟の上です。犯罪者の家族でありながら、自分が攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている。(中略) こういう行動が、将来的に何か有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる>

彼は兄と面会したいと願い、50通を優に超える手紙を書いたという。だが1度として兄から返事が来たことはなかった。罪を犯した自分より早く逝ってしまった弟のことを知らされたとき、加藤智大被告は何を思ったのだろう。1度でも会ってやればよかった、そう思っただろうか。

32NAME:2022/10/29(土) 20:09:09
「秋葉原事件は止められた」加藤智大の手記から読み解く、現代社会の生きづらさ
2012/09/25 16:00
https://www.cyzo.com/2012/09/post_11515_entry_4.html
近所に加藤の居場所となるカフェがあって、彼のネット上でのトラブルの話に「そうなんだ」とうなずいてくれる人がいれば、彼に小さな共感を示してくれるナナメの関係があれば、加藤はこんな事件を起こさなくてすんだ。もちろん、加藤自身は極めて身勝手な人間で、どうしようもない部分を持っています。しかし、今の日本社会にはそういった人間をつなぎ留める方法が欠如してしまっているんです。 彼は「誰かのために何かをさせてほしい、その『誰か』になってくれる人がほしい」と書いています。

33NAME:2022/11/27(日) 19:03:23
秋葉原事件の加藤智大は冤罪だった。加藤智大はCIA、イルミナティの洗脳工作実験に使われた。
https://daiwaryu1121.com/post-32811/
公開日: 2020/04/10 : 陰謀・謀略・未解決事件・冤罪事件

2008年6月8日12時30分、歩行者天国中だった秋葉原に加藤智大がトラックで突っ込み、わずか2分間の間に17人を殺傷したという事件が秋葉原事件です。 この事件はおかしいことが多々あります。

「事件の不可解な点」

1つ目は加藤智大が通行人や警察官たち17人を殺傷したとなっているにも関わらず報道されている加藤智大は全く返り血を浴びていないのです。 17人も殺傷していて白のスーツが綺麗なままということはありえるでしょうか? それはありえないです。 ナイフで複数人を刺したなら必ず返り血を浴びているはずです。 事件現場は被害者の血で溢れていました。

2つ目のおかしな点は、なぜか日本テレビの社員がたまたま現場に居合わせて事件の最初から最後までを時計内蔵型カメラで至近距離から撮影していることです。 まるで加藤智大が事件を起こすことを知っていて待ち構えていたように撮影しています。

また警察官も瞬時にかけつけて加藤を逮捕していることから事件が起きることをあらかじめ知っていたことがわかります。 3つ目のおかしな点は、被害者は胸部貫通により死亡しているのですが、加藤の持っている凶器は刃渡りの短いナイフで、このナイフでは被害者の胸を貫通させることは物理的にできないということです。 下の画像で加藤の持っているナイフを見てもらえればわかりますが、ものすごい短いナイフで、これでは被害者に致命傷を与えることはできません。

4つ目のおかしな点は、わずか2分間の間に17人も殺傷していることです。 毎日新聞の伊藤記者はわずか2分余りの凶行であったと書いています。 2分間で17人を殺傷するというのは小柄で文化系オタクの加藤では難しいと思います。

5つ目のおかしな点は目撃証言です。 事件現場の歩行者天国にいた全国非モテ同盟の人たちによると事件当時、複数の銃声がしたと言っています。 事件現場にいた別のメイドさんの話によると犯人は加藤ではなく、別の男性が銃で撃っていたそうです。 フリーターの真保さんの目撃証言では犯人は加藤ではなく小太りの男性だったそうです。

加藤は華奢な体形で小太りではないので違いますね。 6つ目のおかしな点は加藤は法廷で犯行を否定していることです。 トラックで突っ込んだことも記憶が全くないと語っています。 気づくと人をはねていたと語っています。 また加藤は3人は刺したがそれ以外の人は刺していないと法廷や手記で語っています。 またその時の記憶もないと語っています。

「真相考察」

秋葉原事件の真相を考察すると、加藤は事件前後の記憶が全くないことから、CIA、イルミナティに洗脳されていたと考えられます。 事件前にCIAの人格変容剤を飲まされていた可能性が高いと思います。 また17人はナイフではなく加藤とは別のCIA傘下の工作員により銃で撃たれた可能性が高いと思います。

2分間で17人ということを考えても犯人は複数いたと思います。 警察やマスメディアが事件前から集結していたことを考えると、事前にCIA側から警察、メディアに犯行が起こる旨、報告があったと考えられます。 これは沢尻エリカさん逮捕のときの前日にクラブに行く前に家を出る様子からクラブの様子など全てマスメディアが撮影していたように、CIA事案では事件が起きる前から警察、報道陣に伝えられています。 CIA、イルミナティの洗脳工作実験の事件では犯人の記憶がないということがあります。 これは相模原障害者連続殺傷事件の植松も同様です。

なぜCIA、イルミナティが秋葉原事件を起こしたかというと、1つは洗脳工作実験がうまくいくかを見たかったということがあります。 2017年のロンドンテロ事件は秋葉原事件と非常によく似ていて、こちらもCIA、イルミナティが関わっていると言われています。 つまり秋葉原事件はロンドンテロ事件のための予行演習だったとも言えます。 CIA、イルミナティは予行演習はよく行います。 1985年の日航機123便の墜落事件は1988年のパンアメリカン航空103便墜落事件の予行演習だったと言われています。

https://daiwaryu1121.com/post-23819/
https://daiwaryu1121.com/post-16913/

34NAME:2025/06/05(木) 19:24:25
事件もスキャンダルも、その陰でセーフがなんかやってる時に起こるのさw
加藤の死刑も、そのために使われただけの話


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板