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原爆

4NAME:2023/03/08(水) 21:10:15
一方イギリス代表団は、ポーランド問題をはじめ東ヨーロッパの国境画定などさまざまな戦後処理についてスターリンと激しく衝突し、スターリンは軍事力を背景に強硬な主張をくり返した。
そこでアイゼンハワーはトルーマンに、「ソ連が参戦する前に我々が日本に勝利しなければ、極東からソ連軍を排除できなくなる」とアドバイスした。

アイゼンハワーの頭に、ドイツの東半分をソ連に占領されてしまったことがあったのは間違いない。
こうしてトルーマンは、アメリカの多くの軍司令官や科学者が反対したにもかかわらず、バーンズ国務長官の強い主張を入れて日本への原爆投下を決定した。

原爆投下には、日本に対する処罰に加え、スターリンに対する「日本まで南下するな。我々はこれを持っているぞ」という警告のメッセージが込められていたと考えることができる。
なお、アメリカの多くの科学者が、「終戦を早めるために原爆の威力を見せつけるのなら、日本に投下しなくても、どこか広々としたところで爆発させて日本の指導者たちに見せればよい」と主張したと言われている。

こうしてポツダム会談が8月2日に終わると、4日後の8月6日に広島に原爆が投下され、その2日後の8月8日、ドイツが崩壊してからきっかり3ヵ月後に、ソ連はルーズベルトとの合意どおり日本に宣戦布告を行う。
そして翌9日にはソ連軍が満州に侵攻を開始し、その同じ日にアメリカは2つ目の原爆を長崎に投下した。

このあわただしい動きを見ても、米ソのせめぎ合いが感じられる。ルーズベルトとスターリンの間にはなにか通じ合うものがあったが、トルーマンとスターリンは明らかに競い合った。

スターリンはアメリカが原爆を投下したことを知って、「なんという残虐なことをするのだ」と言ったという。
だがそのスターリン自身は、2000万人以上もの自国民を粛清や戦争で死なせているのだ。
これが狂気でなくてなんだろう。
この続きは、本記事の抜粋元『地政学と冷戦で読み解く戦後世界史』でお読みいただけます!


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