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社会保障

34NAME:2018/11/18(日) 15:24:02
「分かっていたら、絶対日本に来なかった」

 手取りは12万円程度でした。でも、働かざるを得ない理由がありました。日本に来るため、銀行から借りた100万円超。ベトナムの平均年収で、数年分を返済しなければならなかったからです。それに、実習生は自由に勤務先を変えることもできません。与えられた仕事をこなすしか道はなかったのです。

 17年に入り、福島県飯舘村、山形県東根市、仙台市と転々とした後、3月にまた川俣町で約2カ月間、建物解体作業をしました。直後に、知りあったジャーナリストから「除染は危ない」と忠告され、初めて放射能のリスクを知りました。11月22日、寮を飛び出し、支援者が運営する郡山市の保護施設に身を寄せました。

 「危険な作業だと分かっていたら絶対に日本に来なかった」。そう私に悔しがったカインさん。インタビューを受けた18年3月、上野公園で外国人労働者の支援集会に参加し、ステージ上で「告発文」を読み上げました。「郡山で除染の仕事をしました」「自分の体がどうなってしまうのか、とても心配です」

◇◇  途上国の若者らに日本の技術を学び、母国に持ち帰って経済発展に役立ててもらう。技能実習制度はそんな「国際貢献」の看板を掲げて1993年に始まった。しかし、現実は、最長3年(現行5年)の期間限定、低賃金の単純労働者として扱われているのがほとんど。  実習生として働くことができる職種は農業や建設、食品製造などの77に限られている。その中に「除染」はない。

 技能実習生を受け入れる企業は、実習生に技術を教える計画書を国に認めてもらう必要がある。法務省は7月、この計画と異なる作業をさせ賃金の不払いもあったとして、カインさんを受け入れた会社に5年間の実習生受け入れ停止の措置を発表した。  しかし、除染作業に従事させたので処分されたわけではない。全統一によると、問題の建設会社は「土木作業の一環だった」「機械作業に付随する仕事だった」と開き直った。なお、この会社は4月には解散の準備に入っていたという。 ◇◇

刻々と迫る帰国の期限

 17年11月に駆け込んだ郡山市のシェルターは2階建ての民家でした。同じように実習先から身を寄せたベトナム人実習生男女12人と共同生活をしました。昼間は寝て、夜はテレビでサッカー観戦と、たまに日本語の勉強、という日々。 「みんなで家族のことや給料のこと、いろんなことを話した」。手持ちタイプのマイクでカラオケを楽しんだりもしました。 しかし、焦りは募る一方でした。

 技能実習生として日本で働くことができる期間は最長3年。保護施設に来た時点で、カインさんに残された滞在期間は1年を切っていました。 「みんな、自分の将来を心配していた。このまま帰国することになるのかな、と。働かずに時間を過ごすのが本当にもったいなかった」 事態が動いたのは、カインさんが3月に東京・上野公園で告白のスピーチをして間もなくでした。新聞やテレビが「除染実習生」と大々的に報じ、国も重い腰を上げました。

 「除染作業は技能実習の趣旨にそぐわない。これからは除染作業を含む実習計画は認めない」と発表しました。 日本で技術を身につけ、母国の経済発展に役立ててもらうはずの技能実習。でも、除染作業は一般的に海外で行われている業務でもなければ、ましてやベトナムでは稼働している原発もありませんでした。 カインさんの告発が、「国際貢献」をうたう制度のひずみをさらけ出しました。


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