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人 間

493NAME:2021/12/02(木) 06:31:27
「息子はね、玄関で亡くなりました」中年ひきこもりの息子を支えた"母親の後悔"
NHKスペシャル取材班
2021/11/30 11:15
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%af%e3%81%ad-%e7%8e%84%e9%96%a2%e3%81%a7%e4%ba%a1%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f-%e4%b8%ad%e5%b9%b4%e3%81%b2%e3%81%8d%e3%81%93%e3%82%82%e3%82%8a%e3%81%ae%e6%81%af%e5%ad%90%e3%82%92%e6%94%af%e3%81%88%e3%81%9f-%e6%af%8d%e8%a6%aa%e3%81%ae%e5%be%8c%e6%82%94/ar-AARhmdf

家族が自室にひきこもり、行政などの支援を頑なに拒んでしまう場合、どうすればいいのか。NHKスペシャル取材班の著書『NHKスペシャル ルポ 中高年ひきこもり 親亡き後の現実』(宝島社新書)より、亡くなる直前までひきこもりの息子を支え続けた母親のエピソードを紹介しよう――。(第2回)

「息子はね、ここで亡くなりました」 岐阜県美濃加茂市。ダムへと続く山間の細い道を上っていくと、古い平屋の一軒家があった。道沿いには数軒の民家が並んでいたが、ほとんど車の往来もない。とても静かな場所で、聞こえてくる音といえば、民家の裏手を流れる小川のせせらぎや、鳥のさえずりくらいだった。

ここで「ひきこもり」の息子と二人で暮らしていたかと思うと、その孤独は想像するにかたくない。築40年になるという木造住宅の軒先には物干しがあり、男性ものとおぼしきトレーナーが3枚、風に揺られていた。 

まったく人気(ひとけ)はないのだが、玄関越しに声をかけてみる。 「ごめんくださーい。いらっしゃいますか?」 するとまもなく、背中の丸まった小柄な女性が出てきてくれた。

「あらま、どうしたん?」 息子を看取った実母、美濃羽(みのわ)千枝子さんだった。75歳の千枝子さんは、自宅を訪問した私を、不思議そうな顔で見つめていた。聞けば、人が訪ねてきたのは1週間ぶりだという。自己紹介とともに取材の趣旨を伝えると、ニコッと優しい笑顔をつくり、「そうか、んじゃ入ってよ」と淡々とした口調で自宅に招き入れてくれた。 そして、私が足を踏み入れた途端、驚くことを口にした。

「息子はね、ここで亡くなりました」 「えっ!? ここですか?」 思わず、聞き返してしまった。「ここ」とは玄関である。千枝子さんが、ぼそっとつぶやいた。 「もう、ここしか仕方がなかったもんで……」 諦めとも後悔ともつかない、複雑な感情が入り交じった言葉だった。私は息子さんが息を引き取った場所で手を合わせ、お宅に上がらせてもらった。

494NAME:2021/12/02(木) 06:31:48
医療を受けることを頑なに拒否し続けた息子 

玄関を入って左手の和室に、手作りの「仏壇」が見えた。膝丈ほどの小さな机の上に青い風呂敷がかけられている。位牌やりん、香炉が揃えられ、毎朝用意しているとわかる「お供え膳」が据えられていた。写真も飾られている。遠目から息子さんだろうと察しがついた。 2019年8月、千枝子さんは息子の治(おさむ)さんを亡くした。治さんは、49歳だった。30年近くにわたって自宅にひきこもっていたという。御線香をあげさせてほしいと頼み、6畳ほどの和室に入ろうとしたところで、千枝子さんの声が飛んできた。 「あー、アカンて!!」 私の足下を指さしていた。驚いて視線を下ろすと、畳1畳分ほどのスペースにタオルが敷かれている。 「そこは治がずっと寝とったから、床が抜けてしまっとるでね」 和室の入口付近の畳が、腐って抜けているという。実は、治さんは晩年、がんを患っていた。だが、医療を受けることを頑なに拒否。千枝子さんは一人、この畳の部屋で治さんの看病を続けていたという。

病状が悪化していくと、体からがんの進行による腹水(ふくすい)が漏れ出し、たびたび布団と畳が水浸しになってしまった。その結果、床が抜け、今はタオルで応急処置をしていたのだ。 千枝子さんもただ傍観していたわけではない。治さんに医療を受けさせようと、何度もタクシーで病院の前まで連れていった。しかし、現地へ着いても治さんは決して車から降りようとしなかった。そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。

20歳のときにバイク事故を起こし足を切断

「一人の大人が嫌だと言えば、無理やり連れていくことはかなわない。どうしようもないよ」 畳1畳分をまたぎ、和室に入る。窓がないためか、まだ昼間なのに薄暗かった。天井からぶら下がる蛍光灯の紐を引っ張ると、仏壇に飾られた写真がはっきり見えた。振り向きざまに笑顔を見せる治さんの姿が写っている。

この畳の部屋にあぐらをかき、手にはゲーム機が握られていた。ただ、その遺影はとても若かった。「もうね、写真は、中学生のときが最後だよ。そのなかから、笑っているものを探したんだ」 御線香をあげ顔を上げると、千枝子さんがその写真を手に取り、懐かしそうに眺めていた。治さんは中学卒業後、ラーメン店や縫製工場で働いていた。生活が一変したのは、20歳のときだった。バイク事故を起こし、足を切断する大けがをした。事故以来、ふさぎ込むようになり、自室から出てこなくなったという。

「思うように動けなくなったことで希望がなくなったのかね……。本人の口からちゃんと理由は聞けんかったな」 千枝子さんは、ひきこもる息子の生活を変えられないかと、市役所や民生委員にたびたび相談していた。だが、心配して訪ねてくる人たちを、治さんは毎回追い返してしまったという。 「何しに来たんや、来んでいい、って怒鳴るやろ。すごいんよ、勢いが。それで、どうしようもなくて。何一つ、頼めなかった」 山奥まで足を運んでくれる支援員らに申し訳ない気持ちが募り、相談することを諦めた。

495NAME:2021/12/02(木) 06:33:24
「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ」

「やっぱりさ、人に話してもさ、どうしようもしてくれないよ。できない、できない。気の毒やねって言葉はかけるかもしれないけどさ。家のなかに入ってまで手助けしようなんて人はおらんよ」 他人に迷惑をかけるわけにはいかない。千枝子さんは、家のなかだけで問題を抱え込むようになっていった。そして、母親を追い詰めていった要因はこれだけではなかった。千枝子さんから「見てほしいものがある」と言われ、再び玄関に案内された。下駄箱脇に置かれた木製の棚だった。 千枝子さんは、「ほれ」と言って、棚にかけられていたクロスをめくる。驚いた。天板に大きな穴が一つ、空いている。 「こんなもん、叩いて割れるもんじゃないやろ。かーっとなって拳で、バーン。治の手も血だらけや。何度も話そうとしたよ。聞かないんよ。ホントに」

千枝子さん自身も、作業所で仕事をすることを勧めるなど、治さんの生活を変えられないかと説得を試みたという。だが、反発する息子との関係は日に日に悪化していった。時に治さんは暴力を振るいながら、社会とつながることを頑なに拒み続けた。 15年前に夫が病気で亡くなると、一層手がつけられなくなる。強い態度で接することはできなくなった。穴が空いていたのは、玄関前の棚だけではない。家の壁、そして治さんの部屋のドアもでこぼこだった。

「家でライオンかトラでも飼っているかのようだったよ。怒ると怖くて、何も言い出せなくなってな。普段は優しいんだよ。だけど、生活をうんぬん言うと、もうだめなんだ」 千枝子さんは次第に、息子がいら立ちを爆発させ、いつか他人(ひと)様に迷惑をかけるのではないかと恐怖心を募らせていったという。

息子が亡くなってからも聞こえてくる「オイ」という呼び声

治さんから目を離せなくなり、趣味だった詩の会や町内会の集まりに参加することもなくなっていく。治さんのいた和室から、玄関を挟んで対面にある居間が、千枝子さんの定位置となった。年中出しっぱなしのこたつに座り、絵を描きながら、治さんの様子を見守った。 治さんは、用があると「オイ」と母を呼んだという。足が不自由だったことに加え、病気が進行すると、生活の多くを母に頼るようになった。千枝子さんは自分の時間を持てなくなったが、それも親としての務めだと話してくれた。

「やっぱり自分の子やからね。最期まで見ないと。誰も世話してくれない。そやけどな、いつかわかってくれるだろうと思っとったんだけどねぇ……」 夫が亡くなったことで、経済的にも苦しくなっていた。それでも、親としての責任を強く感じていた千枝子さんは、誰にも相談することなく、一人で背負い込んだ。千枝子さんは今も、一日のほとんどをこたつで過ごしている。もう習慣化していて、一番落ち着くそうだ。

ラジオを聞きながら、歌を歌ったり、体操をしたり。ただ、「オイ」という声は、ずっと耳に残り続けている。時々呼ばれた気がして、和室のほうを振り向くが、そこに治さんの姿がないことに慣れることができないという。 「ああ、自由になったんだなと思うよ」と言いながら、千枝子さんは、どこか寂しそうだった。

496NAME:2021/12/02(木) 06:34:02
カレンダーに書き込まれていた「死」の文字

そして、余生を楽しむ周囲と比べ、自分の人生は「みじめだった」と振り返った。ふと千枝子さんが寄りかかっている壁を見ると、カレンダーがかけられていることに気がついた。気になったのには理由がある。 地方の企業名が入った、なんの変哲もないカレンダーだが、1年前の8月のものだった。治さんが亡くなった月である。命日の欄をみると、「死」と書き込まれていた。「それね、捨てれんでね。治が亡くなる1カ月くらい前から、カレンダーにメモを取り始めたんよ。いよいよかなぁと思ったで」遡って見せてもらう。

7月22日 治の世話で大変7月23日 治の世話で汗びっしょり
7月24日 治の世話が大変。汗出た
7月25日 治の世話、汗かいた

ひと月近く、同じような書き込みが続いた末に、「死」とあった。 自宅で看病する覚悟を決めたものの、日に日に弱っていく治さんの世話は、高齢の親にとってかなりの負担だった。小柄な千枝子さんと息子の身長差は30センチ近くあった。治さんが歩くこともままならなくなると、千枝子さんの力では、ほとんど動かすことができなくなる。 最期の2カ月は、玄関に寝かせ、三和土(たたき)との段差を利用して、用を足させるしか方法がなかった。

「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」 医療にかかることを極端に嫌がった治さんは、最後の最後まで、救急車を呼ぶことすら認めなかった。「『救急車呼ばったらアカンで』って、受話器ちょっと持てば敏感に。音がすれば、『どこへかける』って言うもんで、これはもうアカンなと諦めた」

千枝子さんは、息子の息が絶えたことを確認してから助けを呼んだ。亡くなる間際、治さんは、とても優しい顔をしていたという。そして、消え入りそうな声で、こう言い残した。 「こんな僕でごめん。もう叩かないから、手を握ってお母さん」

治さん自身もまた、一人で思い悩んでいた。千枝子さんは、このとき初めて息子の心の内を知ることができたと振り返る。だが、二人の会話はこれが最後となった。治さんの死から1年。千枝子さんは、いまだに息子の遺骨を手元に置いている。お墓に入れる予定はないという。理由を尋ねると、それまで淡々と話していた千枝子さんが突然、嗚咽(おえつ)し始めた。 「子どもは子どもやもんな。できることなかったか。思い出されてねぇ」

千枝子さんは、息子の気持ちと向き合いきれなかった後悔を抱えながら、毎朝、手を合わせている。治さんは幼い頃、素直で運動神経がよく、自慢の息子だった。運動会では、いつも先頭を走っていた。その息子がなぜ変わってしまったのか。今も、千枝子さんにはその答えがわからない。 仏壇には遺骨とともに、治さんが遺した言葉を書き記したメモが置かれている。

497NAME:2021/12/21(火) 00:34:42
サッカー元日本代表中田英寿氏「誰が何をやっているのか知っていくことが一番大事」アスリート社会貢献活動表彰
報知新聞社
2021/12/20 21:39
https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb/%e3%82%b5%e3%83%83%e3%82%ab%e3%83%bc%e5%85%83%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%bb%a3%e8%a1%a8%e4%b8%ad%e7%94%b0%e8%8b%b1%e5%af%bf%e6%b0%8f%e3%80%8c%e8%aa%b0%e3%81%8c%e4%bd%95%e3%82%92%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%e7%9f%a5%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%8f%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%8c%e4%b8%80%e7%95%aa%e5%a4%a7%e4%ba%8b%e3%80%8d%e3%82%a2%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%88%e7%a4%be%e4%bc%9a%e8%b2%a2%e7%8c%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e8%a1%a8%e5%bd%b0/ar-AARZjef

社会貢献活動に取り組むアスリートを表彰する「HEROs AWARD 2021」が20日、日本財団によって都内で開かれ、プロジェクトの発起人でもある元サッカー日本代表の中田英寿氏が取材に応じた。

 今年で5回目となる表彰式。今年は、全国の離島球児を支援し続けてきた元ロッテ投手の村田兆治さん、東京五輪陸上女子100mハードル代表の寺田明日香、バスケットボールBリーグの千葉ジェッツが表彰された。会場には特別表彰された歌手のAIも駆けつけ、歌声を披露した。

 アスリートの社会貢献活動による社会課題解決は年々増え、競技以外でも活動の輪を広げている。先駆者であり、アンバサダーを務める中田氏も「広がりを感じている」と手応え。自身のヒーローについてたずねられると、「ヒーローはどこにでもいる。自分にできないことができる人は、みんなヒーロー」と語り、「誰が何をやっているのか知っていくことが一番大事」と力を込めた。

498NAME:2021/12/21(火) 00:36:54
白銀高輪 硫酸事件の被害者 被告とのトラブルと謎語る
FNNプライムオンライン
2021/12/20 20:51
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%99%bd%e9%8a%80%e9%ab%98%e8%bc%aa-%e7%a1%ab%e9%85%b8%e4%ba%8b%e4%bb%b6%e3%81%ae%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e8%80%85-%e8%a2%ab%e5%91%8a%e3%81%a8%e3%81%ae%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%96%e3%83%ab%e3%81%a8%e8%ac%8e%e8%aa%9e%e3%82%8b/ar-AARZpl8

東京・港区の地下鉄・白金高輪駅で、22歳の男性が硫酸をかけられ重傷を負った事件から、まもなく4カ月。 傷害などの罪で起訴された大学生の花森弘卓被告(25)との関係について、被害者の男性が語った。

花森被告の大学の後輩「腕とか肩のあたりの皮膚が腫れている部分というのは、なかなか治りがよくなくて、目の方も、視力が安定していない状態で」
同じ大学に通う先輩と後輩だった2人。 なぜ、後輩にあたる被害男性は、襲われたのだろうか。

2020年9月、花森被告から「家に泊まらせてくれないか」と、夜中にLINEが来たという。 花森被告の大学の後輩「卒論執筆の時期っていうのもあって、彼を泊めるつもりだったが、こういうふうに敬語を使え、敬えなど直接的に言われ」 事件のおよそ1カ月前には、直接「年下なのに態度が悪かった」などと告げられたという。

花森被告の大学の後輩「(犯行の)理由がいまいち、わからないままになっている。そこの理由を教えてもらえれば」、「(一番不安に思うことは?)もう1回、同じ目に遭うかもしれないっていう怖さです」 東京地検は、花森被告に対する鑑定留置を行っていたが、刑事責任能力に問題はないと判断したとみられている。

499NAME:2021/12/21(火) 01:04:51
ひろゆき氏、3回目ワクチン接種と交互接種を報告「最強の組み合わせを選んでみました」
報知新聞社
2021/12/20 11:11
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%81%b2%e3%82%8d%e3%82%86%e3%81%8d%e6%b0%8f%e3%80%81%ef%bc%93%e5%9b%9e%e7%9b%ae%e3%83%af%e3%82%af%e3%83%81%e3%83%b3%e6%8e%a5%e7%a8%ae%e3%81%a8%e4%ba%a4%e4%ba%92%e6%8e%a5%e7%a8%ae%e3%82%92%e5%a0%b1%e5%91%8a%e3%80%8c%e6%9c%80%e5%bc%b7%e3%81%ae%e7%b5%84%e3%81%bf%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b%e3%82%92%e9%81%b8%e3%82%93%e3%81%a7%e3%81%bf%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%8d/ar-AARYzfb

「2ちゃんねる」開設者のひろゆきこと西村博之氏が自身のツイッターを更新。新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を受けたことを報告した。

 ひろゆき氏は、ファイザー製とモデルナ製の交互接種による抗体量の変化を示す画像を引用し、「そんなわけで、3回目の新型コロナワクチンを打ちました。一回目、二回目がファイザーで、三回目がモデルナという抗体量が31倍で、一番高くなる最強の組み合わせを選んでみました」と3回目のワクチン接種を受けたことを伝え、これまで接種したファイザー製でなくモデルナ製を選択したことも明かした。

ひろゆきが呆れる「子どもから絶対に奪ってはいけないもの」ワースト1
ひろゆき
2021/12/19 06:00
https://www.msn.com/ja-jp/money/career/%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%8C%E5%91%86%E3%82%8C%E3%82%8B-%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E3%81%AB%E5%A5%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%881/ar-AARWZsf?ocid=finance-verthp-feeds

著書『1%の努力』では、自身の「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語ったが、この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

大人になるにつれて持つもの

 考えが尖っていた人も、年齢を重ねると、丸くなっていきます。 子どもの頃は「つまらないな」と思っているものも、年を取れば、良さに気づきます。 たとえば、植物。子どもの頃に植物園に連れてこられても、何も感じないはずです。それよりも動物園や遊園地に行ったほうが楽しいですよね。家に花が飾ってあっても、おそらく何も感じなかったはずです。 映画や美術、建物でも、子どもの頃の視点と大人になってからの視点は異なります。 これを決定づけるのは、「経験」の有無なんですよね。

事実しか見れない子どもたち

 子どもには、「経験」が足りません。大人は、目の前で起こることを「経験」による記憶と結びつけて「意味」を感じることができます。 しかし、子どもは「経験」がないから「事実のまま」で受け取ります。 だから、「植物は動かない」「動物は動く」「花はつまらない」「遊具は楽しい」という、目の前の事実だけでしか楽しむことができないんですよね。 子どもの頃は虫を殺したり、動物をいじめたりしていたかもしれません。しかし、大人になるにつれて、それもできなくなります。

 なぜなら、多くの人の生き死にやペットとの体験など、「経験」が積み重なるからです。目の前にいる虫と「他の人の人生」や「自分の命」が重なって感じられるんですよね。それを「共感」と言います。

子どもには「経験」を与える

 子どもに身につけさせるべきもの。それは、「経験」を積ませて「共感」ができる大人にさせることです。 たとえば、紛争地であれば、大人の兵隊より少年兵のほうが残酷に人を殺せると言います。それは、先ほどのように「共感」に至るまでの「経験」が積まれていないからです。 逆に、大人は、相手と目が合ったり話をすることができると、その人に向かって銃を撃つことはできなくなります。

 ということで、子育てでやっておいたほうがいいことは、「経験」を積ませることです。無気力でやる気がないと言っても、少しでも興味を持ったことはやらせてみたり、それにお金を使うことです。まあ、我慢は我慢で必要なので、そのさじ加減こそが教育の醍醐味なのかもしませんけどね。
ひろゆき

本名:西村博之 1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、38万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。

500NAME:2021/12/29(水) 17:26:59
「娘の遺体は凍っていた」14歳少女がマイナス17℃の旭川で凍死 背景に上級生の凄惨イジメ《旭川市長が解決へ決意》
「文春オンライン」特集班
2021/12/29 17:10
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e5%a8%98%e3%81%ae%e9%81%ba%e4%bd%93%e3%81%af%e5%87%8d%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%e3%80%8d14%e6%ad%b3%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%8c%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%82%b917%e2%84%83%e3%81%ae%e6%97%ad%e5%b7%9d%e3%81%a7%e5%87%8d%e6%ad%bb-%e8%83%8c%e6%99%af%e3%81%ab%e4%b8%8a%e7%b4%9a%e7%94%9f%e3%81%ae%e5%87%84%e6%83%a8%e3%82%a4%e3%82%b8%e3%83%a1%e3%80%8a%e6%97%ad%e5%b7%9d%e5%b8%82%e9%95%b7%e3%81%8c%e8%a7%a3%e6%b1%ba%e3%81%b8%e6%b1%ba%e6%84%8f%e3%80%8b/ar-AASe7fC

「文春オンラインの記事が辛すぎて、最初は最後まで読むことができませんでした。私も子どもたちに『学校でこの事件の話は出ているか』と聞いたりもしました。本当にあってはならない事件です」

 12月29日、旭川市の今津寛介市長は 文春オンラインの独占取材 にこう答え、「イジメ問題の真相究明」に尽力する姿勢を示した。

 今年3月に北海道旭川市内の公園で凍った状態で発見された当時中学2年生の廣瀬爽彩さん。文春オンラインではこれまで爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始したが、いまだ調査は道半ばだ。

 爽彩さんの身に何が起きたのか。真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する。(初出2021年4月15日、肩書き、年齢等は当時のまま)

〈皆様のご協力ありがとうございました。今日娘は残念な姿ではありますが見つかりました〉

 住宅街には1メートル近い積雪が残り、春の到来はまだ遠いと感じられる3月下旬の北海道・旭川市。わずかに解け始めた市内の公園の雪の中から、市内に住む中学2年生、廣瀬爽彩(さあや)さん(14)が、変わり果てた姿で見つかった。最愛の娘を亡くした母親は、自身のSNSで辛い胸の内を冒頭のように綴った。

※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

501NAME:2021/12/29(水) 18:58:22
後藤久美子の長男、父が大型爆竹を仕掛け警察沙汰の騒動を謝罪「ご心配をおかけしてすみません」
報知新聞社
2021/12/29 12:05
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e5%be%8c%e8%97%a4%e4%b9%85%e7%be%8e%e5%ad%90%e3%81%ae%e9%95%b7%e7%94%b7%e3%80%81%e7%88%b6%e3%81%8c%e5%a4%a7%e5%9e%8b%e7%88%86%e7%ab%b9%e3%82%92%e4%bb%95%e6%8e%9b%e3%81%91%e8%ad%a6%e5%af%9f%e6%b2%99%e6%b1%b0%e3%81%ae%e9%a8%92%e5%8b%95%e3%82%92%e8%ac%9d%e7%bd%aa%e3%80%8c%e3%81%94%e5%bf%83%e9%85%8d%e3%82%92%e3%81%8a%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%99%e3%81%bf%e3%81%be%e3%81%9b%e3%82%93%e3%80%8d/ar-AASdYvp

女優の後藤久美子、フランスの元F1レーサーのジャン・アレジ夫妻の長男でレーシングドライバーのジュリアーノ・アレジが29日までに自身のツイッターを更新。騒動を謝罪した。

 19日夜、ジャン・アレジがフランス南部のアビニョン近郊にある建築事務所の窓に大型の爆竹を仕掛け破壊した疑いで警察に一時拘束されたこと、一緒にいたジュリアーノも共犯の疑いで取り調べを受けたと報じられた。これについて22日にはジュリアーノの所属事務所が声明を発表。「ジュリアーノ・アレジが今回の件に関与していないことをお伝えさせていただきます」とジュリアーノの関与を否定。

 さらに、「今回の報道については事実と異なる点がございますのでご報告させていただきます。12月19日の夜、ジャン・アレジが妹の知人事務所に爆竹を置き、窓ガラスが破損しました。本人は翌日この件について謝罪に行く予定でしたが、それよりも先に警察が車の所有者である兄ジョゼ・アレジの会社を訪れ、この件を知らずに対応した兄のジョゼは話し合いの為、警察にむかいます。時を同じくしてジャン・アレジは事実を話す為、警察へ出頭し、調書を取られた後に解放されました。警察の調書では、『ジャン・アレジは後部座席に座っており、ジュリアーノと乗り合わせていた友人の若い2人と、妹の知人を驚かせるためにおこなった冗談だった』と結論付けられています。さらに報道にある逮捕、裁判等の事実はありません。また、相手は義兄ではなく、ジャン・アレジの妹の知人です。窓ガラスを破損させ迷惑をかけたことについて、ジャン・アレジ本人は猛省しており、本日アビニョンで関係者にお詫びの対応をしております。現在、ジュリアーノはジュネーブの自宅に戻り、クリスマスにはアビニョンにて家族全員と過ごし新年早々には日本へ帰国いたします。今回、皆様には多大なご迷惑ご心配をおかけし改めてお詫び申し上げます」と報告していた。

 ジュリアーノは27日に「この間はいつも応援してくれる皆さんにご心配をおかけしてすみませんでした!来年の初めには日本に戻る予定ですので、また応援よろしくお願いします!」また動画で「日本の皆さん、こんにちは。今回は、皆さんに心配かけてすいませんでした。僕は大丈夫です」などと話した。この投稿に励ましのコメントが付くと、「みなさん暖かいコメントありがとうございます!」と感謝した。

 また、29日までにインスタグラムには、自宅とみられる場所で料理をする自身の姿を妹のエレナが投稿したものをスクリーンショットした画像もストーリーズに掲載した。 アレジ氏は取り調べに「イタリアで買った花火を窓枠に仕掛けた。こんなことになると思ってもみなかった。悪い冗談だった」と供述していた。

502NAME:2021/12/29(水) 19:02:11
許さない 未解決事件のいま
(1)夫の執念、血痕残る現場を自費で保存 名古屋主婦殺害
2021/12/25 10:00
内田 優作
https://www.sankei.com/article/20211225-56ZBEHR6SBIVJCLGBYAJXXZS34/
事件の前月、東京ディズニーランドを訪れた高羽奈美子さん(左)、悟さん(右)、航平さん(高羽悟さん提供)

土曜日の昼間の住宅街。その姿はあまりにも異様だったはずだ。女は幼子の目の前で主婦を刺殺。血をしたたらせながら、約600メートル離れた公園まで逃げ、手洗い場で血を洗い落とした。そして忽然と消えた-。2000年代を目前にした平成11年11月、名古屋市西区のアパート一室で主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺され死亡した。夫の悟さん(65)さんは犯人の血痕や靴跡がくっきりと残る部屋を今も借り続け、容疑者逮捕の一報を待ち続けている。
理不尽に奪われ

「とにかく、幸せの絶頂のときに殺された…」。悟さんは振り返る。不動産会社の同僚だった奈美子さんと7年に結婚し、9年には長男の航平さん(24)も生まれた。だがありふれた幸せは理不尽に切り裂かれた。「平和な日々で恨みを買うことはない。うちの奈美子がそんなに悪いことをしたのか」

奈美子さんの死因は首を数カ所刺されたことによる失血死。事件当時、現場には当時2歳の航平さんもいたが被害に遭わず、物色された様子もなかった。凶器とみられる刃物はなかったが、玄関にはもみ合った際にけがをしたとみられる犯人の血痕と靴跡が残された。現場洗面所と近くの公園の手洗い場の2カ所に犯人が血を洗い流した痕跡もあった。

犯人が現場に残した血痕を見つめる高羽悟さん=15日(内田優作撮影)

愛知県警の捜査本部は、血液のDNA型などから犯人が当時40〜50代、身長約160センチで血液型B型の女と断定。奈美子さん、悟さんの知人の線から、面識のない不審者にまで捜査を広げたが、未解決のままだ。

好材料がないわけではない。悟さんのメディアへの積極的な発信や報奨金指定を背景に、平成16、17年に0件に落ち込んでいた情報提供が増加。今年に入っても捜査本部に110件の情報が寄せられた。

遺族に重い負担

「遺族に捜査はできないが、警察へ情報が行くように責任を果たしたい」。悟さんは今も現場の部屋を借り続ける。遺族による「現場保存」だ。真相解明への希望をつなぐのは、玄関の血痕のDNA型。ビニールシートをめくると、靴のサイズ表示まで鮮やかな、黒く変色した犯人の血痕がしみ込んでいた。

現場に残された犯人の靴跡=15日(内田優作撮影)

それでも、最近は全てを片付ける選択もちらつく。以前よりも下がったが月に5万円の家賃負担は軽くない。「年金生活で収入は限られている。片付けるとしたら25年とか30年の節目になるのかな」。料理が得意だった奈美子さんの愛用したレシピの本を前に「退去するときは、一つ一つの物から『奈美子が大事にしていた』などと考えてしまうから、業者に任せるつもりなんです」とつぶやいた。

大切な人を奪われた後も、遺族が重荷を背負わなければならない現実がある。現場アパートの支払い総額は先月、2千万円を超えた。25年から殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」代表幹事を務める悟さんは、殺人事件加害者が民事裁判で命じられた損害賠償を国が代執行する制度の導入を訴える。「犯罪はなくせるわけがない。犯罪のない社会ではなく、起こっても安心して暮らせる社会ににすべきだ。遺族の生活が悪い方向へ行くことはあってはいけない」

22年の歳月流れ

深い霧の中に女は消えたまま、22年の歳月が流れ遺族の時間も動いた。悟さんは介護のためサラリーマンをリタイア、航平さんは昨春に就職して実家を巣立った。先月、航平さんの独立などを機に、事件以来「子供の成長を見られる」と仏壇に安置していた奈美子さんの遺骨を悟さんの父が眠る墓に納骨した。

情報提供を呼び掛けるビラを配る夫の悟さん(右)と長男の航平さん=平成21年11月

「事件で僕と航平の人生が暗くなるのを、奈美子はもっともいやがると思うんです。だから家族を失ったことは悲しいが、亡くなった人の分まで充実した人生を送らないと供養にならない」。悟さんの左手に指輪がきらりと光った。(内田優作)

名古屋市西区主婦殺害事件 平成11年11月13日午後2時半ごろ、名古屋市西区のアパートで住人の主婦、高羽奈美子さん=当時(32)=が首などを刺されて死亡しているのが発見された。犯人は現在60〜70代の女とみられる。昨年から300万円の特別報奨金も指定し、17人の専従捜査員が犯人を追う。情報は愛知県警西署捜査本部(052・531・0110)

コロナ禍に終始した令和3年も社会を震撼させた事件が相次いだ。凶悪事件の解決率は向上したものの長期未解決の事件も残る。許してはならない未解決事件の現場から報告する。

503NAME:2021/12/29(水) 19:22:09
台湾ニュース拾い読み 
不倫に買春…台湾スター王力宏の妻が悲痛の5000字モラハラ告発「私はただの子産み道具だった」 
2021.12.24
https://courrier.jp/columns/272293/

中華圏のポップ・ミュージック界に君臨する王力宏(ワン・リーホン、45)の妻がSNSで発表した5000字のダンナ告発文がセンセーションを巻き起こしている。中国の女子テニス選手、彭帥(ポン・シュアイ、35)が11月、高官に性的関係を強要されことを綴った1600字に続く女性の長文告発に、男性たちは恐れおののいている。

絵に描いたような幸せファミリー

1976年米ニューヨーク出身の王力宏は、台湾出身の両親を持つ移民2世だ。米名門音楽大学バークリーで学び、ピアノやヴァイオリンの高い演奏スキルを体得する。19歳で台湾歌手デビューし、当初は180cmの長身と甘いルックスでアイドル的人気を博した。 2003年には日本進出。これまで17枚のスタジオアルバムをリリースし、俳優としても20本以上の映画に出演。YOU、hyde、GACKT、藤原紀香、千原兄弟らとも共演し、日本でも比較的知名度の高い中華スターだ。

女性と浮いたうわさのなかった王力宏は2013年11月に突然、日台ハーフで米プリンストン大学卒業後、投資銀行のJPモルガン・チェースで働き、米コロンビア大学で経営学修士(MBA)号を取得した才媛、李靚蕾(リー・ジンレイ、35)と入籍したことを公表する。 夫妻は翌2014年に長女・王嘉莉(ワン・ジアリィ)、2016年に次女・王嘉娜(ワン・ジアナァ)、2018年には長男・王嘉耀(ワン・ジアヤオ)をもうけ、絵に描いたような幸せファミリーの代名詞としてメディアでもてはやされた。 ところが、2019年からたびたび、夫妻の不仲説や別居説が伝えられるようになり、2015年12月15日、王力宏はフェイスブックに「将来に対し異なる考えと計画があり、妻と別れることを決めた」と記して、李靚蕾と離婚調停中であることを発表。 一方の李靚蕾は12月17日未明、インスタグラムで、王力宏の不誠実な態度と乱れた性関係、王家の人々から受けた精神的な虐待を赤裸々に綴った5000字の長文告発を発表。芸能界きっての品行方正な優等生として知られる王力宏のイメージを一気に失墜させた。

結婚後もセフレやセックスワーカーと乱倫づくし

王力宏の乱れたセックスライフについては特に手厳しく、詳細に書き記している。 16歳で王力宏と知り合い26歳で再会、結婚した李靚蕾だが、結婚前の王力宏は交際相手がいるにもかかわらず、深夜に李靚蕾の家へ押しかけて肉体関係を求めたり、正式に交際開始した後も複数の女性と並行して付き合ったりし、結婚後も「多くの都市」にセフレがいることを知って愕然としたという。 「あなたはどこかの女を私たちの自宅にお持ち帰りするところやセックスワーカーを買ったところも防犯カメラで記録されている。女はマンションのエントランスでインターフォンにフロアと部屋番号、住民名をはっきり言って、エレベーターを降りたら左折し、まっすぐ私たちの部屋に入った。防犯カメラの映像はあなたも事実と認めている」と生々しい。 「あなたは私からの電話をずっと無視し、セフレたちと一晩中飲み明かし、おっぱい画像を撮り、ベロチュー自撮りをしまくっていた」「誕生日に全裸画像を送られてウハウハしていた」「私が妊娠中で間もなく臨月という時期、ダンスインストラクターの“友達”は、“キミと奥さんが自宅で仲良くしていることを思うと非常に傷つく”、との意味深メッセージをあなたに送っている」「あなたは買ったセックスワーカーのさまざまな特徴を記録していることも知っている」「セフレの一人は、われわれにとても近い、あなたの所属事務所スタッフと気付いた」 ……李靚蕾は容赦なく王力宏の知られざる問題行動を暴いていく。

504NAME:2021/12/29(水) 19:22:25
既婚女性と王力宏の関係にも触れ、「ある女性もあなたのセフレで、人妻で子供までいるのにあなたと共謀して夫を騙している。ダブル不倫と知りつつ彼女の家にまで行き密会していた。しかも、彼女を自宅に招いてもいいかと私に尋ね、拒絶すると激高して、二度とホームパーティーはやらないと言い放った」と記している。 李靚蕾はセフレやセックスワーカーについて、ところどころ性別を曖昧にして記述している。事実、王力宏は独身時代から男性との親密ぶりをたびたび報じられてきた。 最も有名なのは2012〜13年、中国人ピアニスト李雲迪(ユンディ・リ、39)との「宏迪(ホンディ)」という流行語にもなったほどの熱愛だ。だが王力宏は突然、結婚を発表。一方的に李雲迪との関係に終止符を打ち、メディアは「偽装結婚だ」と騒ぎ立てた。 台湾メディアによると告発文の「セックスワーカー」には男性も含まれるほか、「ダンスインストラクター」は中国人男性振付師の藍波(ランボゥ、年齢非公開)か、台湾人男性ダンサーの張勝豊(ヂャン・ションフォン、54)、「人妻のセフレ」はタレントの徐若瑄(ビビアン・スー、46)だとしている。 王力宏との関係について藍波と張勝豊はコメントを拒み、徐若瑄は否定。だが今年9月に海外公演から帰国した王力宏は、台湾入境後の隔離期間に規則を破って徐若瑄宅を訪れ、軽々しく自宅へ呼んだ徐若瑄ともども批判されている。

八方塞がりでシングルマザーのような日々

また、多くの子どもを望んでいたという王力宏のために、5年間で1男2女を出産した李靚蕾は、「結婚生活の大部分の時間は、妊娠の準備と妊娠、出産、育児だった」「育児はワンオペで王力宏はほとんど協力しなかった」「仕事のキャリアと個人的な生活は全て諦めた。結婚生活のすべてはあなたと子供たちに捧げた」とシングルマザーのような日々を振り返った。 あなたが子どもを3人も望みつつ、家庭の外では奔放な“独身ライフ”を謳歌するような人だと知っていれば、私は到底あなたとの結婚を受け入れなかっただろう」とも記している。 李靚蕾は結婚後、王家からは絶え間なく疑惑の目を向けられ、侮辱と精神的虐待を受けていたとも暴露。結婚に際し、王力宏の財産を守ろうとする王家の意向を受け入れ、不平等な内容の婚前協議書にサインを強要されたことも明らかにした。 さらに、王力宏がデビュー以来維持してきた才能豊かで優しく優等生なイメージと名声を守るため、「あなたは人脈やメディアを駆使して世論を誘導し、攻撃の矛先を私に向けさせ、結婚生活が破綻したのは私に原因があるように仕向けた」とも書いており、これは王力宏が12月15日に離婚を発表し、一部メディアが李靚蕾と義母との確執や、李靚蕾の人格を貶める記事を報じたことを指す。彼女は「ゾッとする」と表現している。

資産123億円なのにケチ

「マンションはあなたの、車はあなたの母親の名義。あなたは子供たちの食べ物や衣類にお金をかけたがらないが、私はあなたの資金で贅沢品を購入したことは無い」 私たちは決して貧乏ではなく、私も贅沢三昧な生活を必要としない。だが私はあなたと私の家族からずっと、財産狙いと疑われた。財産の決定権者も受益者もあなたなのに」と吐露する李靚蕾。 王力宏は個人資産額が30億元(約123億円)に上る。 母親の李明姝(リー・ミンシュー、74)が所属事務所の代表。同社傘下の中国法人責任者を李靚蕾が務めているが、代表権は無い。 2017年に約4億元(約16億円)で取得した台北市大安区の高級タワーマンション「仁愛吾疆」も名義は夫婦ではなく王力宏と所属事務所(=実母)となっている。

李靚蕾は5000字告発文の末尾に「あなたは私によって輝かしいキャリアを台無しにされたくないと言ったが、私だってこんなことはしたくない。でも今回の告発であなたのキャリアが影響を受けるとしたら、それは私ではなく、あなた自身が招いたこと」と、メンツばかりを気にする王力宏を一喝。 「あなたは肉体的にも精神的にも不健康な習慣を取り除き、音楽に集中するべき。名声と富、そしてあらゆる種類の“友達”はあなたに本当の幸せをもたらさず、底なし沼に引きずり込むだけ。あなたが真摯に自分自身と向き合い、世間の目を気にせず、適切な人と一緒になれることを祈る」と、乱れたセックスライフが何も生まないことを痛烈に皮肉った。

505NAME:2021/12/29(水) 19:22:38
80歳の老父が“参戦”し泥沼化

呆れたことに、李靚蕾の告発文に真っ先に反応したのは、王力宏の父で米国在住小児神経科医の王大中(ワン・ターチョン、80)だった。 12月18日、王大中は声明を発表し、「私の人生で最も残念なことは2013年に起こった。息子から李靚蕾という女性と交際していると電話があり、彼女は息子の赤ちゃんを妊娠しているという。李靚蕾は当初、ひとりで産むと言ったが、すぐに気が変わって結婚しなければ、王力宏のキャリアをメチャクチャにすると私たちを脅迫した」と主張。 「息子夫婦の離婚訴訟は2年続いており、既に李靚蕾は、数億台湾元の慰謝料、不動産、生活費、孫たちの養育費、2人の乳母、フィリピン人メイド、専属運転手を受け取ることに同意している」とぶちまけた。

12月18日、日産自動車の海外向け高級車「英菲尼迪(インフィニティ)」を販売する中国・東風英菲尼迪汽車が王力宏との契約打ち切りを発表した。王力宏は12月16日、「インフィニティ」のイメージモデル就任式に臨んだばかりで、わずか35時間のモデルは、不祥事で契約打ち切りとなった芸能人の中でも最短だ。 同じ18日、スマート学習デバイス「読書郎教育(リードボーイ・エデュケーション)」と宝飾ブランド大手の「周大生珠宝(チョウ・タイセン)」、グリーンフードブランドの「緑客門(グリーン・コモン)」も事実上の王力宏との契約打ち切りを相次いで発表した。 王力宏は12月20日、フェイスブックで当面の活動休止を発表。「結婚生活をうまく営めず、家族に迷惑をかけ、スターとしてあるべき姿を示すことができなかった。すべて私が至らなかったせい」とした上で、両親、妻、子供たちの順番で「深く謝罪する」と記した。

「危険信号」出まくりのスター

李靚蕾は同じ12月20日、王力宏に対し5ヵ条の公開質問状を送り、回答を求めている。 「1、結婚後もセックスワーカーとセックスしたことを認めるか?」「2、付き合ったりセックスしたりする“友達”が沢山いることを認めるか?」「3、あなたは私を愛していない状況下で私に第2子と第3子を出産させた。そして子作りが済むと、私にさまざまな手段で離婚するよう迫った。これは道徳的に正しい行為か?」「4、子供たちのため自宅に監視カメラを設置した。私はあなたひとりで在宅の時もカメラをオンにしてほしいと頼んだが、あなたは“なるべくそうする”としか答えなかった。なぜ?」「5、あなたはフェイスブックで公開声明を発表した際、これが唯一、妻に連絡できる方法だからと言った。それならなぜ、これまで、私からの無数の電話やメッセージを無視し続けたのか?」 離婚訴訟を得意とする台湾の頼瑩真(アンジェラ・ライ)弁護士は「ELLE」台湾版の取材に対し、結婚生活が破綻しやすい男性の特徴として「妻の時間を管理したがる、マザコン、ケチ、モラルハラスメント、買春・ギャンブル」などの要素がひとつでも当てはまれば「危険信号」と指摘。 李靚蕾の告発文を読む限り、リーホンはいずれも当てはまるようだ。(Text By Jun Tanaka)

506NAME:2022/01/06(木) 00:01:16
シバター“八百長騒動”に居直り「常とう句じゃないか」 久保には引退のススメ「格闘技から足を洗おう」
[ 2022年1月4日 17:05 ]
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/04/kiji/20220104s00003000339000c.html

「迷惑系ユーチューバー」のシバターが4日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。「久保優太を救いたい」とのタイトルで昨年大みそかに対戦した久保優太との“八百長疑惑”について告白。この日までに報じられている試合前の両陣営のやり取りについて認めた上で「俺も、お前も格闘技からは足を洗おう」と自らはもちろん、久保に対しても現役引退を勧め、驚きの“和解プラン”を呼びかけた。

 シバターは昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」で元K―1ウェルター級王者の久保優太(34=PURGE TOKYO/BRAVE)と対戦。1ラウンドに久保の腕を決めて勝利する“番狂わせ”を起こした。しかし試合後、久保のツイッターで“ヤラセ”を匂わせる発言があったことで八百長疑惑が浮上。その後、久保自身が「実際、シバターさんから八百長というか台本を持ちかけられたのはありました」と試合前のやり取りを明かし、物議を呼んでいた。

 この久保の告白に対しシバターは自身の公式YouTubeチャンネルで「久保優太、お前何やってんだよ。お前、去年の大みそか、RIZINでユーチューバーと戦って、試合前にそのユーチューバーの『1R目は手を抜いてください。2R目からお互い本気でいきましょう』っていう、あからさまに分かりやす過ぎる嘘にダマされて、1R目に手加減をして負けたらしいな。何やってんだ、何やってるんだよ久保。そんなのそのユーチューバーがいつもいつも動画や試合で使う常とう句じゃないか。そいつの試合見たことないのか?そいつはいつも試合前、お金積むんで負けて下さいとかいつもやってるぞ。そんなもんにまんまと引っかかって、何で負けてるんだよー」と両陣営のやり取りを認めた上で試合ではいつもの“手口”を使っただけだったと主張。

 続けて「久保、しかも負けるだけだったらいざ知らず、負けた後に実はコレ台本だったんです。ダマされたんですって騒いでるらしいな。何やってんだよ久保。お前な、台本あったことをお前が発信したら、お前がその台本を飲んだってことを認めることになるんだぞ。つまりはプロ格闘家、元K―1王者であるお前が台本がある試合をしたって、そういうことになるんだぞ。もし、台本を受けるんだったら“真実は”墓場まで持っていくつもりじゃなきゃ。負けてからダマされた、ダマされたって騒ぐのはカッコ悪すぎるだろ」と力説。

 加えて「久保、お前1R目でキックとかいっぱい打ってて、それでもし相手が倒れたら実はコレ台本あったんですって言ってたか?たまたま自分がパンチもらっちゃって、腕十字の対処が出来なくて負けたから台本があったって騒いでるんだろ?結果が逆だったら、お前騒がないだろうに。久保、やってることが1から10までダサすぎるぞ」と久保を諭すように語りかけた。

 さらに「久保、どうするんだ?これからどうするんだ?1度でも台本を飲んだ格闘家は、もうどこの団体も使ってくれないぞ。RIZINはおろか、日本の格闘技界全部だ。格闘技で食えなくなったらどうする?また、情報商材売るか?でもユーチューバーなんかにダマされた男の情報商材なんか誰が買うんだよ久保。これからどうするんだお前の生活、これから嫁さんを食わしていかなきゃいけないのにこれからどうする?」と今後の生活を心配した様子で呼びかけ。

 最後に「俺から提案がある。パチンコ、パチスロ日本代表チャンネルで一緒にパチンコ打たないか?久保、お前にはまだパチンコユーチューバーっていう道があるよ。パチンコユーチューバーはどんな過去があってもいい。どんなヤラセを裏でしててもいい。それでも、そいつが面白ければ生き残っていけるんだ。久保、俺がお前にパチンコライターとしての道を用意してやる。今、パチンコは色々面白い台があるんだよ。俺が打ち方を教えてやる。久保、お前に残された道はシバターの隣でパチンコを打つこと。それ以外ないぞ!俺も、お前も格闘技からは足を洗おう。久保、お前の返事待ってるからな。俺がお前を救って見せる。じゃあ連絡待ってるぞ」とこの騒動を決着すべく驚きの“救済プラン”を提示した。

507NAME:2022/01/06(木) 00:03:40
前田日明氏がシバター一蹴「お前何言ってんだ」 久保“救済”呼びかけ「RIZIN側が選手を守らないと」
[ 2022年1月4日 21:06 ]
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/01/04/kiji/20220104s00003000461000c.html

格闘家の前田日明氏(62)が4日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」における久保優太VSシバター戦での“八百長疑惑”について「RIZINに出ている選手全員が立ち上がって、RIZINを“お化け屋敷”みたいにするんじゃなくて、もっと純粋に競技を競い合う場にするために、こういう事が2度起きないようなシステムを作らなきゃいけない」と助言した。

 前田氏は1ラウンド2分16秒に飛びつき腕ひしぎ逆十字固めで敗れた久保に対し「最初は体重差あるしと思ったが、何か不可解だったんですよね。ボディーへの攻撃もしてないし、ローやカーフキックだけで相手の様子を見てるみたいな。1ラウンドから様子見る事はないと思ってたんですけど、久保君どうしちゃったのっていう動きだったので、あまり集中出来なかったのかなと思ってた」とコメント。

 この試合が両者の間で「1ラウンド目は互いに流し、2ラウンド目での真剣勝負しよう」という“約束”が交わされていたとされた疑惑については「何で久保君もハイって言っちゃったのかな。こういう事はRIZIN側が選手をちゃんとコントロールしないと駄目ですよね。これはRIZINが何をやる場かという話ですよね。競技をやる場なのか“お化け屋敷”をやる場なのかっていうことです。久保君を見てると可哀想で立場がないので全部自分で背負って謝るしかないんですよ」と指摘。「違反した選手はギャラ没収だけでは済まずに選手生命にまで及ぶよってところですよ。それぐらいやんないと駄目なんですよね多分」と今後の“八百長”防止へ自論を展開した。

 さらにシバターについては「今日動画を見たんですけど久保を助けたいって、お前何言ってんだと思いました。クズ中のクズですよ」と一蹴。「多分、(2020年大みそか)HIROYA戦でも同じようなことやったんじゃないかな。それでフタを開けてみたら勝てて人気も出たと。それで2匹目のどじょうを狙って今回も仕組んだでしょうね。そのためにはまず、テンプルは打たせないようにしてさらに“暗示”を入れる。打たれたら体全体が痺れる気配があるんだと。それ守れないなら契約しませんと。顔面を狙わないなら出てもいいですよって言って、(試合がしたい)久保君を焦らせて心に2つロックを掛けてしまった。相手を倒しにいくと10代の頃からやってきた選手(久保君)としては混乱しますよね」と独自の“試合分析”を披露。

 運営サイドについても「RIZINはまだテレビの制作屋っていう頭が残ってるんですよね。もうちょっとちゃんとしたプロモーターになってほしい。俺だったら何でそういうことから選手を守ってくれないんだとRIZINに抗議すると思いますけどね」と苦言。さらに「RIZINに出ている選手全員が立ち上がってRIZINを“お化け屋敷”みたいにするんじゃなくて、もっと純粋に競技を競い合う場にするために、こういう事が2度と起こることがないようなシステムを作らなきゃいけない。久保君を救済してやんないと可哀想ですよ」と選手たちの“協力”を強く呼びかけた。

508NAME:2022/01/08(土) 21:23:44
シバター、久保優太戦の“八百長”の真相告白「RIZIN含めて一世一代の大ブラフをかましてやった」
1/8(土) 15:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4eb0665c419c24c93ffb17a92c89ff8eb13c293

“八百長騒動”の渦中にあるユーチューバーのシバター(36)が8日、自身の公式YouTubeチャンネルを更新。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」での元K―1ウェルター級王者・久保優太(34=PURGE TOKYO/BRAVE)戦の「真相」を告白した。

もともとはキックボクサー・皇治との戦いが予定されていたが、計画は頓挫。そこでRIZIN側から久保との試合の打診を受けたという。相手が元K―1王者であることや、知名度があることから「おいしい」と感じたシバター。しかし、久保が朝倉兄弟との親交もあることから、自身の手の内は明かされ「相当勝率が悪い」と思ったという。

 そこで考えた方法は、SNSや電話を通じての“泣き落とし”。「こちらにやる気がない。ケガだけはしたくないし、後遺症が残ったら家族と過ごせなくなる」と、情に訴えかける言葉を、嘘を交えて連発したという。流出した音声の中で「台本」を提示し、RIZIN側の承諾があったことや、他の試合でも「やらせ」の存在があったこともにおわせたが、それについては久保を信じ込ませるための「脚色」だったことを明かした。

 その場では、久保の了承を求めなかったものの、試合直前にLINEを通じて再度連絡。「ギリギリにちょっと変わった『台本』を提出することによって、供託金とか誓約書のことを考える隙間を与えなかった。誓約書を書いたらマジで詐欺になりかねないからね、口約束なんて約束じゃないから」と、作戦であったことを強調していた。

 そして、実際に試合を迎え「1Rは流し、2Rから本気で」という運びだったが、久保がカーフキックをしてきたことから「削りに来ているな、こいつ。倒す下地を作っていて『調子に乗っているな』と思った」とシバター。フックが当たったことから勢いづき、最後は得意の飛びつき腕十字で一本勝ちとなった。

 「正直、この作戦をいろんな人が『汚い』だの『スポーツマンシップに反する』だの言っておりますが。作戦なしのガチンコでやったら、勝率は10%もなかった。勝つためにはそれしかなかったし、そして僕は負けたくなかった。正直RIZINにも結構イライラしていたし、全部含めてペテンにかけて食ってやりたかった。それで一世一代の大ブラフをかましてやった」と、告白。

 さらに「僕の方が久保さんより勝ちたいという気持ちの方が強かったのは間違いない。他のプロは『(正々堂々と)勝ちたい』『(男らしく)勝ちたい』『(観客席を盛り上げて)勝ちたい』とかだろうけど、俺は『(何をしてでも、どんなに卑怯なことをしてでも)勝ちたい』だった。その気持ちの違いなんじゃないかなと思った」と、勝利への執念を激白した。

 最後は「久保優太、今回のケンカは完全にお前の負けだよ。ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」と挑発。視聴者に向かっては「文句があるなら、このコメント欄に書き込んで、炎上の火の手を絶やさないでください!」と笑顔で語りかけていた

509NAME:2022/01/10(月) 16:01:27
シバター、再度釈明「SNS時代にメールで連絡を取るのもダメなのか」…RIZINは「声明自体、迷っている」
1/10(月) 14:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f586459322d5acd97e125c3715e440103f4e6ec5

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。 「ライジンさんがまだ公式に声明を発表していないんですね。それに対して怒っている人も結構いて。シバターにペナルティーを与えろとか、ファイトマネーを没収だ、裁判だとか外野がいろいろ言っておりますが、僕が思うに今回の件って、そんな簡単な話ではないと思うんですね」とコメント。

 「まず思うのは僕が久保さんに対してやったことって、どれほどの悪なのか、セーフなのかってのがある。何、当事者が言い訳してんだよ、おまえのやったことは悪いに決まってるだろって、頭ごなしに言う人がいるかも知れないけど、ちょと待ってほしいんですよね」とすると、「試合の決まっている2人が試合前に記者会見で1人が『俺は絶対に打撃でおまえに勝てるから打撃でKOして、チャンピオンになってやる』って言って、一方がそのアンサーとして『おまえの打撃なんて一発も当たらねえよ。俺がKOしてやる』というやり取りがあったとする。それで、実際に試合が行われて、打撃でなく寝技で勝ったら卑怯なの?って話なんですよ。MMAの試合において、それは卑怯なの?と言えば、ほとんどの人がこの駆け引き、試合を卑怯だという人は、まあいない。7割くらいの人はそれがMMAでしょと言うと思う」と主張。

 「じゃあ、記者会見ならいいのかって。もっと言えば、SNSはダメなのかって話。試合の前に言うのはいいのか? じゃあ、個人的にメールを送るのはやっぱりダメなのかなと言うと、昔は選手から選手に連絡を取るなんてことはできなかったけど、今は簡単に送れる。シバターみたいに1ラウンド目は流しで2ラウンド目からはやろうぜという提案はだいぶダメなにおいはするけど、激しい打ち合いを俺はしたい、おまえ逃げるなよみたいなメール送るのはダメなの? 明日は熱い試合をしようぜとか、どこからどこまでがセーフで、どこからどこまでアウトという線引きをライジンはしなければいけないのか。その線引きは難しいと思う」とした。

 さらに「明日は熱い試合をしようぜという申し合わせが(メールで)行われる可能性はある。連絡は選手の良心やプライドに任せているわけで、連絡を取ろうと思えば、メールがあるんだから取れる。どこまでライジンとかが規制するのか、携帯取り上げるのか、SNSを取り上げるのか、その線引きは難しい。ライジンからの発表は遅れているというか、発表するかどうか自体も迷っていると思うんだよね」と話した。

510NAME:2022/01/15(土) 12:05:44
力道山が64年前に木村政彦をKOした理由…息子の百田光雄が証言「プロとして絶対に引けない部分があった」
2018年12月22日 12時0分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20181216-OHT1T50069.html?page=1

日本プロレス界の父で1963年12月15日に39歳の若さで亡くなった力道山が15日に没後55年を迎えた。 力道山は、1950年に大相撲を引退しプロレスラーに転向し、52年に日本プロレス協会を設立し、日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。

 ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。 命日にあたる15日には東京・大田区の池上本門寺で56回忌法要が営まれ、息子の百田光雄(70)、新日本、大日本プロレスなどで活躍した桜田一男氏(70)、リアルジャパンプロレスのスーパー・タイガー、納谷幸男(23)らレスラー、関係者30人が参列し、偉大な「日本プロレス界の父」を偲んだ。

 法要を終え、亡くなった当時、15歳だった百田は父の試合を通じて「プロレスとは闘いなり」と学んだという。そして「あまり言いたくはないんだけど」と前置きした上で1954年12月22日、蔵前国技館で行われた柔道日本一の木村政彦との一戦を振り返った。 木村は、15年間不敗で「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とうたわれた最強の柔道家だった。1950年からプロ柔道家となり、51年9月にはブラジル・サンパウロでヒクソン、ホイスらの祖父で柔術家のエリオ・グレイシーと対戦し勝利し、その後、日本初の本格的なプロレス興行で力道山とタッグを組みシャープ兄弟と戦った。しかし、新聞紙上で力道山のプロレスを「八百長」と批判し、両者が対戦することにつながっていった。試合は「昭和巌流島」と前評判をあおった「プロレス日本選手権」と銘打たれたが結果は、力道山が張り手を打ち続け、最後は顔面を蹴り上げ木村をKOで破った。あまりの凄惨(せいさん)な内容に新聞は力道山を批判した。

 この一戦を百田は蔵前国技館で見たという。試合後の雰囲気を「物凄い閑散としたというかシーンとなりました」と殺伐とした雰囲気になったことが鮮明に残っているという。 「試合は途中まで普通のプロレスの動きでした。ただ、その中で、木村さんが父にちょっとした蹴りを入れた。たまたまなのか故意なのか分からないけど、映像で見ると金的に入っているんです。その瞬間に父の顔色が蒼白になりました」

 その蒼白の表情は自宅で怒る時の顔と同じだったという。 「父は怒った時に真っ赤じゃなくて、蒼白になるんです。で、あの金的を蹴られた時に父の顔色が変わったのが遠くから見ていて分かりました」

 蒼白になってから力道山の動きが変貌した。 「顔色が変わってからは一方的でした。木村さんは何の反撃もできないままアウトだった。一方的で悲惨な最後でした」 なぜ、父・力道山はあそこまで木村を追い込んだのだろうか。

 「それは、なぜ?じゃないでしょうね。多分、父の頭の中には相手が仕掛けたら行くぞっていう気持ちがあったんだと思います。ボクもいつも言われたけど、リング上に上がったから例え何が起きても始まったらやめるわけにはいかないんです。例えば、海外の試合で、もしトラブルが起きてケンカみたいになっても、そこで逃げ出した時点で明くる日からクビになるんです。残っていたら問題はありません。ですから、プロの社会は、そういう厳しさがあるんです。あの時、金的を蹴られた父は、残っている限りは勝たないといけないと考えたと思います。そういう意味ではプロとして絶対にここは引けないという部分があった。その代わり会場の雰囲気は、公開リンチのようになったので最悪でした

511NAME:2022/01/15(土) 12:05:58
 試合後、木村の顔を見ると、無惨に腫れ上がっていた。リングに上がれば何が起きても闘いである以上は、「勝つ」という力道山のプロ魂が木村をKOした。そして、百田は、プロとして力道山と木村の間に差があったと見る。 「格闘技でもスポーツをやっている人が見れば、シャープ兄弟戦で父とタッグを組んだ木村さんの動きの中で、父の動きの素早さ、テンポ、リズミカルな動きは木村さんとは全然、違っていました。木村さんはすり足に近い動きだったんで、父の方が軽やかだった」 試合後は猛烈な批判を浴びたが「僕らは家族ですから、息子から見れば“うわぁ強いな”という気持ちしかなかった」と振り返る。

 そして「木村さんのことを悪くは言いたくない」とした上で「日本選手権から父が亡くなるまで木村さんは、何も口を開いていないんです。だけど、亡くなった後にいろんな雑誌とかであれはこうだった、どうだったとか言ったんですね。生きている間に言うなら分かります。亡くなってからしか言っていない。だったら、生きているうちに正々堂々と言っていただきたかった。それはやっぱり息子としてではなく、同じスポーツをやる人間としてそれはないだろと思う」と率直に明かした。 そして「文句があるなら生きているうちに言わなきゃいけないし。後から、あれは八百長だ、どうとかって言うけど、八百長でボコボコにやられたということは、何なのかと言いたくなりますよ」と寂しそうにつぶやいた。

 父としての力道山は「ただただ怖かった。家でも怒られる時は、ケガをするので手で殴ることはしませんでした。殴る時は、“殴られるもんを自分で取ってこい”って言うんです」と明かした。「一番痛くなかったのは竹箒。はたきはムチみたいにしなって痛い」と笑った。成績が悪い、運動会、ケンカに負けたなどで怒られたという。「痣は年がら年中ですよ。今なら児童虐待ですね」と笑った。 それでも父に反発することはなかった。

 「僕らに厳しかったけど自分にも厳しかったですから。父は、どんなに夜中まで2時、3時まで飲んでいても朝は練習してシャワー浴びて、キチンと身だしなみを整えてからでとボクらの前に出てこなかったんです」 木村をKOしたリング上でのプロとしての姿勢は、私生活から徹底していた。 「家族の前でもプロとして隙を見せないほど自分に対して厳しい人でした。ですから父に逆らうことなんてできなかった」

 暴力団員に刺された8日は、事件が起きた赤坂のキャバレーから一度、懇意の医師がいた山王病院へ行ったが当直の外科医がおらず、赤坂のリキマンションの自宅に帰ってきた。外科医を手配した連絡を受け、病院へ向かい、そのまま手術をして一週間後に亡くなった。

 「亡くなる日も昼に見舞いに行ったんです。担当の先生から“大丈夫ですよ”って言われて、自宅に帰ったらその夜に急変した。連絡を受けて病院に着いた時にはほとんど亡くなっている状態でした」

 最後の言葉は記憶にないという。 「入院後は僕らと口を聞いていない。何も口を聞かない父を見るのは不思議なぐらいだった」 言葉を交わせなかった父から受け継いだのは、「気持ち」だった。それは自宅、リング上で目の当たりにした「プロ」としての姿勢でもある。 「プロレスをこの国に興して、弟子たちに受け継がせた父の気持ち。この魂を次の世代にも継承して欲しいですね」

512NAME:2022/01/15(土) 12:07:39
シバター、再度釈明「フライ対高山戦だってプロレスラー同士の暗黙の了解があったから伝説の試合になった」
1/10(月) 14:37配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/97618a0431641a2223aa883180f149b4f24e4b52

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。「昨今のプロレスファン、格闘技ファンというのは日本人だからというのがあるかも知れないね。裏を知りたがり過ぎるな」と発言。

 「総合格闘技においてもそうよ。クリーンにしろ、真剣勝負だけを俺らは見たいんだとか言うけど、恐らくここに申し入れとかなかったかも知れないけど、PRIDEのドン・フライ対高山善廣の伝説の試合、バチバチの打ち合いだって、あれだってお互いに前日のやり取りとかが恐らくないと思うし、談合とか申し入れはなかったと思うけど、お互いプロレスラーだったからというのが絶対にあったと思う。暗黙の了解、あうんの呼吸というのがあの2人にあったから、あんな伝説の試合になったと思う」と続けた。

513NAME:2022/01/15(土) 12:15:28
「シバターは悪くない」元週刊プロレス編集長が断言 「YouTuberとしてやるべきことを彼はやった」
1/13(木) 21:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/678e8354fa1fdb1571145de9b18519a417745754

年明けから話題騒然となっている、昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」(さいたまスーパーアリーナ)での炎上系YouTuber・シバターVS元K-1ウエルター級王者・久保優太の八百長疑惑騒動。11日にはRIZINの榊原信行CEOがRIZIN公式チャンネルで動画を公開。シバターを「品性下劣」と断じながらも、「契約違反には当たらない」とし、シバターも久保もおとがめなしとした。これを受けてさらにネット上は再炎上しているようだが、今回は元週刊プロレスのカリスマ編集長だったターザン山本!氏を直撃。この騒動をどう見るか聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「結論はひとつしかない」 のっけから山本氏はそう言い放ち、こう続けた。「誰も悪くない」 あらゆる賛否が、いや、否定論が大半のこの話題を山本氏はそうコメントした。「この件について、真剣勝負だ八百長だということ自体がナンセンスだ。シバターは他の選手と違って真正の格闘家ではない。YouTuberだからイロモノなわけですよ」

 山本氏いわく、「YouTuberというアイデンティティーからすると、基本的に試合前に対戦相手に連絡を取ってうんぬんやることは、無意識的に当たり前のことだよ」とのこと。「シバターはYouTuberとしてやるべきことをやっただけなので、それを真剣勝負の世界の中で、事前打ち合せと捉えることは全くのナンセンスですよ」 要は、シバターでなければそんなことは起こらなかった、という見解になる。

「だって久保は、他の選手と試合する場合には、そんなことは1回もやったことがないし、やらないし、やるはずがないわけですよ。相手がYouTuberだったから、そんな話があった時に、これは対応しなければいけないということで、それを受け止めたわけですよ。普通の真剣勝負の世界の人だったら、『お前、何をそんなことをしてくるんだ!』というカタチで『ふざけるな!』ってなるんだけれども、相手がキワモノのイロモノだから、これは別のものだなと思って理解したわけですよ」

514NAME:2022/01/15(土) 12:16:01
確かにシバターはイロモノであり、キワモノ。いわゆる格闘家ではない。「だから久保は全く悪くないよ。久保は正しいカタチで相手の提案を受けたわけですよ。その時点で、通常の真剣勝負とは別の世界に行っているわけですよ。つまり、今回の件はそういう具合に理解しないとおかしいわけですよ。それを一緒くたにして、要するに一般の格闘家同士の対決みたいにして『八百長だ』『打ち合せをした』みたいに論じることは、もう俺からしたら、何を考えてるんだって言いたいよ」

 久保に対して、改めて「相手がYouTuberだから通常とは違うんだなというカタチで、対処しなきゃと思ってやったんだから、そういう意味で久保は真面目だよ。だから失礼ではないわけですよ」と評した。 それでも、リング上に出たものが全てとするなら、何が起ころうとも相手を叩きのめしてしまえばよかったのではないか。その問いに対して山本氏は「やれないもんなんだよ」と返答し、その理由を「気持ちがそっちに行っちゃってるから」と答えた。

 どういうことか。「気持ちが別次元に行ってしまって、通常の試合とは別のところに行ってしまっているから。その分だけシバターのほうが心理的に有利になっているんですよ。だから試合結果がああいうふうになったわけですよ」 山本氏の認識では、シバターの戦略勝ちといった雰囲気と受け取れる。「これはYouTuberがRIZINのリングに上がって、ホームグランウンドにしてしまったわけですよ。ホームにしてしまったシバターが偉大で正しくてすごいということだよな。その瞬間に久保はアウェーに行ってしまったわけですよ」

 ちなみにかつて自身の主催した「THE OUTSIDER」のリングにシバターを上げたこともある前田日明氏は、自身のYouTubeチャンネルで今回の騒動に触れ、「シバターはクズ」と発言している。同様に朝倉未来も年明けに、那須川天心のYouTubeチャンネルで対談し、「(久保戦は)シバターの作戦勝ちなんだけど、シバターはクズだったよね、で終わり。もともとクズ人間を売りにしてるからなんともない」とクズ呼ばわりしている。

 これに対し、山本氏は反論する。「クズじゃないですよ。彼はRIZINのアイデンティティーではなく、彼自身のアイデンティティーをそのままに実行した男であって、状況的にはまともですよ。素晴らしい格闘家ですよ!」 そこまで言い切ってしまうのもどうかと思うが、言いたいことは十分理解できた。

もし専門誌の編集長だったらどんな表紙にする? しかし実は「八百長」の話は奥が深くて、単純に白黒だけでは言い表せない世界であったりする。仮の話、お互いが試合前に「打ち合おうぜ」と会見上で言い合った場合、これは駆け引きなのか八百長なのか。そうやって考えていくと、その定義は非常に難解になる。「RIZINの選手は全て、自分が勝つことを第一優先にするんだけど、RIZINを盛り上げなきゃいけない、格闘技界を盛り上げなきゃいけないということになってくると、これ(シバター)と同じような気持ちが内心どっかにあるわけですよ。1Rは様子を見て、2Rで盛り上げようとか。ただ、自分が一直線に15秒で勝てばいいというんじゃなしに、お互いが試合で盛り上げていかなきゃいけないので、そういう申し合わせをしなくたって、自分の意識の中にはそれがあるはず。勝負論以外の。だから誰も責めることはできないんですよ」

 その話は、言葉で説明するなら、いわゆる行間を読め、というレベルの話になる気がするが、「勝負論以外のもの」があるとなった段階で、世間は「それは真剣勝負ではない」と平気で揚げ足を取ってくるだろう。 これに対して山本氏は「それは分かるよ」としながら、「でもね、それは俺からすると、お前らホントに大したことねえなってなるよな。分かってねえなあってね」と話した。「勝手に言っとけって、お前らは。ご苦労さん、ですよ」と一蹴した山本氏。

 最後に、もし今、専門誌の編集長だったら、どんな表紙を作ったのか。もちろん表紙の写真はシバターを使うとして、キャッチコピーはどんなものをつけるのか。「シバターは悪くない。文句あるかバカ野郎! 寝言は寝て言え! お前らの寝言は聞きたくない」

 今のところ沈下する気配が見えてこない騒動だが、一つ言えるのは、この件によって各々の「格闘技」に対するスタンスが明確になった。また、たき付ける気ものんきに構えている気もないが、どこまで燃え続けるのか、そこは見届けたい思いもある。というか、2022年は年頭からこれ以上ないリトマス試験紙に恵まれた。誰がなんと言おうと、それだけは間違いない。

515NAME:2022/01/15(土) 12:22:20
東スポTOP RIZIN 青木真也 RIZIN〝八百長騒動〟は恥がない時代のせい シバターは「性根が優しい」
青木真也 RIZIN〝八百長騒動〟は恥がない時代のせい シバターは「性根が優しい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3920861/

〝ご意見番〟の見解は――。昨年大みそかの格闘技イベント「RIZIN.33」(さいたまスーパーアリーナ)で行われた炎上系ユーチューバーのシバター(36)VS元K―1ウエルター級王者・久保優太(34)のMMA戦に「八百長だったのではないか」との疑惑がもたれ、ネット上で波紋を呼んだ。RIZINの榊原信行CEO(58)が11日に状況を説明する事態にまで発展したが、この騒動に総合格闘家でプロレスラーの〝バカサバイバー〟青木真也(38)が毒ガスを噴射。「格闘技界には今こそ猪木イズムが必要だ!」と力説だ。

 問題の試合は序盤から久保がカーフキックなどを放つものの全て単発で後手に回る形になり、逆に1ラウンド(R)中盤にシバターのパンチがクリーンヒット。グラついた久保が持ち直そうと首相撲を仕掛けたところ、シバターが飛び付き式のアームバー(腕ひしぎ十字固め)で仕留めた。 疑惑が浮上したのは試合後だ。シバターから体調不良を訴える泣き落としがあり、1Rは手加減してほしいと求められたことを示唆する通話記録やLINEでのやり取りが久保サイドからSNS上に流出し、一気に拡散。〝八百長〟という言葉も独り歩きしてネット上で大騒動になった。

 青木 そもそもここまでの騒ぎになったのは、2人が〝可燃性〟の高い人物だったからですよ。普通なら不審火くらいで済むこと。ところがよく燃える2人に脊髄反射で飛びついた格闘技関係者がワーワー騒いで、気づけば火柱が立っていただけです。八百長? 本当に難しい問題ですよ。どこから当てはまって、どこから当てはまらないのか。ただ、今回シバターがやったことは八百長じゃなくて〝申し合わせ〟だと思います。あれが八百長だったら、例えば会見で言ってたのと全く違う戦術をして相手をだまして勝つのも八百長になるよね。俺のシャオリン戦も八百長になっちゃうじゃん! 俺は、やってないものはやってない!

516NAME:2022/01/15(土) 12:22:30
 確かに、試合前の発言で相手に揺さぶりをかけるのは古くからある戦法の一つ。「ボコボコに殴り合ってやる!」などと言っておきながらゴングと同時にタックルを仕掛けることも、よく見られる戦術だ。 青木もこの陽動作戦で白星を得たことがある。2009年7月の「DREAM.10」で世界トップの柔術家で修斗世界王者のビトー〝シャオリン〟ヒベイロと対戦。事前映像などで再三寝技の練習をしていることを公開しながら、ふたを開ければ立ち技の勝負で完封し判定勝ちした。「寝技でいく」と欺き、満面の笑みで大ブーイングを浴びたのだ。

 青木 (なぜか胸を張って)あの時は運営までだまして映像を撮らせたんですよ。敵をだますならまず味方からっていうから。そういう意味でシバターは直接敵をだましている分、まだ性根が優しい。俺たちのようなホントに悪い人間はまず味方をだますから。(ケンドー)カシンを見れば分かるだろ。久保も脇が甘かった? まあ、そうだよね。俺だったら電話なんかかかってきても「うるせえバカ」で終わるし、ケガしてるってわかればそこを攻めるし。かかってきたことはないけどね。(15年12月に)初めてRIZINに出た時? そうそう、俺はONE(チャンピオンシップ)から参戦する〝外部の人間〟だったから、何をされるかわからないと思って、用意された水も飲まなかった。下剤が入ってるかもしれないじゃん。試合前って、それくらい警戒してもしすぎることはないんだよ。

 今回の騒動を受けて榊原CEOは、事前に選手同士が電話などでやり取りすることを禁止すると契約書に盛り込むことで対策を採ると発表。これに「ルール化していくしかないんだろうけど」とした青木はこう続ける。 青木 正直、あんまり意味はないかもしれない。なぜならこれは時代なんだよ。今は恥がない時代だから。選手も関係者も一部マスコミまで長い目じゃなくて、目先の再生数に走る時代だから仕方ないんだ。まさに、榊原さんが言っていた「品性下劣」になっているんです。矜持がないから申し合わせして、やり取りを流出させて、動画を拡散させていく。だから本当に今、必要なのは「猪木イズム」なんですよ。「お互いのプライドがルール」。その魂をもう一回、みんなで考え直そうじゃないか!

 アントニオ猪木氏と故マサ斎藤さんが激闘を繰り広げた1987年10月の「巌流島決戦」で唯一定められたルールを引き合いに出して力説。最後に「でもさ、八百長と浮気は認めちゃダメなんだよ。俺は、やってないものはやってない!」と語気を強めた。 一連の炎上騒動は榊原CEOの説明を受けて収まりを見せるのか。カギを握るのは〝燃える闘魂〟の言葉なのかもしれない。

517NAME:2022/01/15(土) 12:24:08
シバター、再度釈明「SNS時代にメールで連絡を取るのもダメなのか」…RIZINは「声明自体、迷っている」
2022年1月10日 14時12分スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20220110-OHT1T51059.html?page=1

人気ユーチューバーでプロレスラーのシバター(フリー)が10日、昨年大みそかにさいたまスーパーアリーナで行われた「RIZIN.33」での、元K―1WORLD GP初代ウェルター級王座の久保優太(PURGE TOKYO/BRAVE)との“八百長疑惑”について、自身のユーチューブチャンネルで再び言及した。

 「今日はですね、ちょっと真面目にお話ししようと思います」と話し出したシバター。 「ライジンさんがまだ公式に声明を発表していないんですね。それに対して怒っている人も結構いて。シバターにペナルティーを与えろとか、ファイトマネーを没収だ、裁判だとか外野がいろいろ言っておりますが、僕が思うに今回の件って、そんな簡単な話ではないと思うんですね」とコメント。

 「まず思うのは僕が久保さんに対してやったことって、どれほどの悪なのか、セーフなのかってのがある。何、当事者が言い訳してんだよ、おまえのやったことは悪いに決まってるだろって、頭ごなしに言う人がいるかも知れないけど、ちょと待ってほしいんですよね」とすると、「試合の決まっている2人が試合前に記者会見で1人が『俺は絶対に打撃でおまえに勝てるから打撃でKOして、チャンピオンになってやる』って言って、一方がそのアンサーとして『おまえの打撃なんて一発も当たらねえよ。俺がKOしてやる』というやり取りがあったとする。それで、実際に試合が行われて、打撃でなく寝技で勝ったら卑怯なの?って話なんですよ。MMAの試合において、それは卑怯なの?と言えば、ほとんどの人がこの駆け引き、試合を卑怯だという人は、まあいない。7割くらいの人はそれがMMAでしょと言うと思う」と主張。

 「じゃあ、記者会見ならいいのかって。もっと言えば、SNSはダメなのかって話。試合の前に言うのはいいのか? じゃあ、個人的にメールを送るのはやっぱりダメなのかなと言うと、昔は選手から選手に連絡を取るなんてことはできなかったけど、今は簡単に送れる。シバターみたいに1ラウンド目は流しで2ラウンド目からはやろうぜという提案はだいぶダメなにおいはするけど、激しい打ち合いを俺はしたい、おまえ逃げるなよみたいなメール送るのはダメなの? 明日は熱い試合をしようぜとか、どこからどこまでがセーフで、どこからどこまでアウトという線引きをライジンはしなければいけないのか。その線引きは難しいと思う」とした。

 さらに「明日は熱い試合をしようぜという申し合わせが(メールで)行われる可能性はある。連絡は選手の良心やプライドに任せているわけで、連絡を取ろうと思えば、メールがあるんだから取れる。どこまでライジンとかが規制するのか、携帯取り上げるのか、SNSを取り上げるのか、その線引きは難しい。ライジンからの発表は遅れているというか、発表するかどうか自体も迷っていると思うんだよね」と話した。

518NAME:2022/01/15(土) 18:11:39
八百長疑惑シバターは「汚いけど賢く勝った」 元K-1王者が擁護「全然処分する問題じゃない」
2022年01月05日16時12分
https://www.j-cast.com/2022/01/05428278.html?cx_recsOrder=1&cx_recsWidget=articleBottom

元K-1王者の小比類巻貴之さんが、大みそかに行なわれた総合格闘技大会「RIZIN.33」における八百長疑惑をめぐり、渦中のシバターさんへの擁護とも取れる発言をした。

八百長疑惑は、YouTuberでプロレスラーのシバターさんと元K-1ウェルター級王者・久保優太選手の対決で浮上したもの。小比類巻さんは2022年1月4日に投稿したYouTube動画で、この試合への私見を述べた。

「彼の戦い方。彼の勝機の見出し方かなと思った」
試合では、シバターさんが1ラウンド2分16秒に久保選手に飛びつき腕ひしぎ逆十字固めを決めて1本勝ち。しかし対戦後、両者が"やらせ"を示し合わせていたとみられるLINEのスクリーンショット画像がネット上に流出し、物議をかもしていた。

「シバター vs 久保優太の八百長問題について。」と題して公開した動画で小比類巻さんは、疑惑の一戦を「シバター選手の作戦通り」と総括。シバターさんが試合前に久保選手を油断させるような言動を繰り返したことについて「彼の戦い方。彼の勝機の見出し方かなと思った。一言でいうと、シバターがやり方は汚いけど、賢く勝ったんじゃないかな」と一定の評価を下した。

さらに、両者が事前に打ち合わせしていたことに関して、小比類巻さんは「今はTwitterとかで選手同士が絡み合ったり、言い合いしたりするじゃないですか。表に出てないだけで、やり取りはみんなしてますからね」としたうえで、「そういう世界になってくるんじゃないですか。全くSNSもやらず何もせずにファイターだけやってる寡黙な選手が強くなるかもしれないし。逆にそれ(SNS)をうまくつかって心理戦に勝つ選手も強くなるかもしれない。要は勝負師が勝つということですね、これからは」と、今後の格闘技界を予測した。

久保選手にはエール「シバターを最後に引退するのか」
続けて「だから、そういった意味では、シバター選手のほうが勝負師だったんじゃないかな」と述べ、敗れた久保選手に対して「そんな如きで心が揺さぶられたっていうのは...やられちゃいましたね」とコメントした。

久保選手は自身のYouTubeチャンネルに公開した動画で、引退の可能性を示唆している。小比類巻さんは「笑うしかないですよ。シバターを最後に引退するのかっていう」と一笑に付し、「久保選手といったらGLORYで勝ち上がって、K-1でも勝ち上がって、最高の環境から生まれたわけではなくて、技術もしっかりあって、自分のスタイルをずっと作ってきて、うまい選手ですから」「こうやって話題になったことで、さらに久保選手が次に強いことを見せて欲しい」とエールを送った。

そして小比類巻さんは、今回の騒動を「全然処分する問題じゃない」と断言し、「昔のボクシングを見ると、そういう問題はいっぱいありますから。試合前に危険な目に遭わされた人もいるだろうし」「嫌がらせされても昔の選手はそれでも勝ってきた」と語っていた。

519NAME:2022/01/16(日) 00:24:12
東スポTOP RIZIN 榊原CEOが異例の呼びかけ「久保優太の弱ったメンタルに付け込むのはやめましょうよ」
榊原CEOが異例の呼びかけ「久保優太の弱ったメンタルに付け込むのはやめましょうよ」
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3919679/
2022年01月11日 16時22分

格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行CEO(58)が11日、RIZIN FFの公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿。昨年大みそかの試合でユーチューバーのシバターが久保優太に事前の申し合わせを打診していた件を説明し、今後の対策を発表した。 他方で榊原CEOは、一部関係者による行動や投稿した動画が「邪推や曲解」を招いたとして何度も強い不快感を示した。

 榊原CEOは真偽を問わず様ざまな情報が飛び交ったことに「(シバターと久保の)2人が起こしたことだけじゃなくて、そこに〝品性下劣な連中〟がユーチューブとかいろんなものを使って動画を配信して、何の責任もなくかき回したことによって情報がどんどん間違った方向に届けられたり拡散したことによって、みんなの〝邪推〟というか〝邪念〟を呼んだ」と苦言。騒動が起こってから、便乗としか思えない動画が投稿されて混乱が加速したとした。

 また「残念なのは格闘技関係者、プロレス関係者、元格闘家の人とかが揶揄しているのも、正しいことであれば自分たちも甘んじて受けますけど登録者数増やすためにやってるのは見苦しいなあと思いましたし」と表情を曇らせる。そして「『俺が力になるからいろんなことを聞かせてよ』って電話が久保の所にいっぱい届いている。事実がどうか、自分がネタとして聞きたいだけでしょって。そんな形で、久保の弱っているメンタルに付け込むのは格闘技関係の人、やめましょうよ」と訴えた。

 久保の現状を「格闘技を続けるかも悩んで苦しんでいる。起こしたことの大きさに心を痛めている。だから彼と本当に向き合うんであれば、今彼を困らせるのではなく、そっとしておいてあげるのが必要だと思います。今後久保が新しい方向性を決めたならば、それを陰ながら支援してあげればいい」とした。

520NAME:2022/01/16(日) 00:28:18
東スポTOP RIZIN 「話を聞いたふりして…」久保陣営の新事実も公表 シバターとともに処分なし RIZIN発表
「話を聞いたふりして…」久保陣営の新事実も公表 シバターとともに処分なし RIZIN発表
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/rizin/3919595/
2022年01月11日 15時45分

格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行CEO(58)がRIZIN FFの公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿し、昨年大みそかの試合でユーチューバーのシバターが久保優太に事前の申し合わせを打診した件について説明した。

 榊原CEOはまず、状況の説明がこのタイミングになったことを謝罪しつつ「冷静に両選手に時間をかけてヒアリングして。契約書に基づいて弁護士の先生とも話をし、10日間、いろんなことを精査しました」と話した。そして憶測が憶測を呼ぶ状況に「RIZINの6年の歴史で、天地天命に誓って八百長なんてものは一度もないです。命を懸けて約束してもいい。100%リアルファイト。リング上でファイターが流す血と汗と涙は100%リアルなものです」と、事前に勝敗を決めて試合を行ったことはないと力説した。

 その上で試合の検証結果を公開。まずシバターが試合前からRIZINに対し、体調不良などを理由に「試合やめたい」と訴え続けていたという。さらにシバターはこの〝泣き落とし〟な訴えを久保にも行い揺さぶりを仕掛けた。この連絡を受けた久保陣営からRIZINに「話を聞いたふりをして、試合を成立させて、やっつけちゃいますから。一気に手加減せずにやります」と連絡があったが、久保自身は前日計量の場などでも引き続き〝泣き落とし工作〟を受け続けたことで心が揺らいでしまったという。

 榊原CEOは「久保は自分で公表しているようにアスペルガー症候群で、人に嘘をつかれたりすることにめっぽう弱いというか、ピュアな人。それもあって『本当にシバターさんはケガするのを怖がっているのかな』と、ある意味まんまと術中にはまってリングに上がった」と指摘した。

 その結果、試合は久保がカーフキックなどは単発で放つものの後手に回る形になり、1R中盤にシバターのパンチがクリーンヒット。グラついた久保が持ち直そうと首相撲を仕掛けたところを飛び付き腕十字固めでシバターに仕留められた。まんまとシバターの陽動作戦に引っかかったわけだ。

 榊原CEOは「我々からすると、このシバターの取っている戦法…というか戦術は正直、品性下劣だしモラルハザードというか」と断罪。一方で「ルールのギリギリ、契約のギリギリを突く。勝つために手段を選ばず『汚い手を使いやがって』というのは今回のシバターの件だけじゃなくても、手法は違ってもありました」とも明かした。

 その上で「契約書の中に『事前に選手やセコンド、関係者が相手方の選手と試合の内容について直接話し合うことは絶対禁止をする』という条項を入れていきたいと思います」と明言。選手間や陣営同士のやりとりをSNS等に公開することを禁止、選手管理部門の組織改革なども行いたいとした。

 2人の処分については「久保は久保という人間性とファイターとしての尊厳といろんなものを持って大みそかに戦いました。シバターにすると、リングの中では100%リアルファイトで戦っているわけです。ここから学んで多くの是正する部分はあるけど、彼らを処分する考えは全くないです」とした。 RIZINが見解を表明したことで、一段落となるか―。

521NAME:2022/01/17(月) 00:34:23
力道山が刺された日。妻が聞いた
アントニオ猪木を認める言葉と幻の計画
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2020/07/31/___split_18/
2020.07.31

戦後、プロレスラーとして多くの日本国民に勇気を与えた力道山。その妻である田中敬子さんは、弟子のジャイアント馬場(本名・馬場正平)について回想したのち、「主人が気にかけていたのは猪木さん」と、もうひとりの偉大な弟子について話し始めた。 中学時代、家族と共にブラジルへと移住したアントニオ猪木(本名・猪木寛至)。17歳の時に陸上競技で活躍していたところが力道山の目に留まり、現地でスカウトされて昭和35年4月に日本プロレスへ入門した。

東京・浜町の道場で開かれた会見では、読売ジャイアンツの投手からプロレスに転向したジャイアント馬場と共に入門が発表され、デビュー戦も同じ同年9月30日だった。台東区体育館で行なわれた初陣で、馬場は田中米太郎に快勝し、猪木は大木金太郎に敗れた。 馬場はそれからわずか10カ月後、当時の若手の出世コースだったアメリカ武者修業に出発するという破格の待遇。一方の猪木は、前座レスラーのひとりとして力道山の付け人になった。のちに「ライバル」と評された馬場と猪木だが、プロレスラーとしての出発点は、明らかな格差をつけられていた。

 猪木は、さまざまなインタビューで付け人時代を聞かれるたびに、「毎日、ただ殴られていただけ。そこに理由なんかなかった」と振り返り、力道山から教えられたものは「何もない」と言い切る。理不尽な力道山からの指導に対し、妻の敬子さんは違う印象を持っていた。「主人は、何かあると『アゴを呼べ』と言って、しょっちゅう猪木さんを自宅に呼んでいました。部屋に猪木さんを呼ぶと肩を揉ませていたんですが、その時にプロレス以外の事業、仕事の打ち合わせをしたり書類を読んだりしていて、インタビューも猪木さんがいる前で何度も受けていましたね。

 おそらく主人は、わざと猪木さんにそういうところを見せていたんだと思います。主人が自宅に呼んでいた若手選手は、猪木さんだけでしたから。それだけ猪木さんのことを信用していたし、期待していたという証明だと思います。そんな姿を見ていたから、猪木さんも、主人と同じようにプロレス以外の事業への思いが膨らんだんじゃないでしょうか」

522NAME:2022/01/17(月) 00:34:36
当時の力道山は、自らが赤坂に建設した「リキ・アパートメント」最上階の8階に住んでいた。同じ敷地内には若手選手たちが住む日本プロレス合宿所があったが、力道山が自宅に入れることを許していたのは猪木だけだった。 猪木が回想するように、敬子さんも力道山の"鉄拳指導"は目の当たりにしていたが、当時は「期待の大きさの表れ」と考えていたという。

「主人は、自分の息子に対する教育もスパルタでした。自ら地球の裏側のブラジルから連れてきた猪木さんも、息子と同じように思っていたから、指導が厳しくなってしまった側面もあるのでしょう。猪木さんからしてみれば、『スカウトされて入門したのに、なんで殴られなきゃいけないだ』と思ったでしょうけど、主人なりの愛情なんだと考えていました」

 敬子さんが「忘れられない出来事」として話したのは、力道山が暴力団員に刺された昭和38年の12月8日の出来事。この日、大相撲の元横綱・前田山の高砂親方が自宅を訪れた。目的は、前年に行なわれた大相撲ハワイ巡業を力道山がバックアップしたことへのお礼だったが、酒を酌み交わしながらの話し合いで、力道山は高砂親方に対して猪木の大相撲入門を頼んだという。
「当時の猪木さんは細身だったので、主人は『体を大きくさせてやりたい』と考えていました。ですから、相撲界に2年ぐらい預けて、体が大きくなったらプロレスに戻す計画を立てていたんです。それを、高砂親方に頼んで承諾してもらっていました。私もその会話を傍で聞いていましたから、間違いありません」

 その宴席には猪木も呼ばれており、「高砂親方が猪木さんを見て『リキさん、こいついい顔してるね』って主人に言ったんです。すると主人は、ニコッと笑って『そうだろ』と返したんですよ。猪木さんが褒められた時の、あの喜んだ顔は今も忘れられません」 その場面について、猪木はのちの取材でこう述べている。「あの時の『そうだろ』のひと言があったから、今の俺がある。なにしろ、それまでは師匠が俺のことをどう思っているのかわからないんだから。あのひと言があったから、『俺は師匠に認められているんだ』っていう自信が出て、何とかレスラーとしてやっていくことができた」猪木の運命を決めた言葉を遺した夜、力道山は赤坂のクラブで刺されて一週間後に亡くなった。猪木の大相撲入門は、師匠の急逝で幻に終わったのだ。

 力道山が39歳で急逝してから57年が経つ。北朝鮮から日本に渡って大相撲に入門。突然の引退から、プロレスラーとして戦後の日本をひた走った。敬子さんには、常に「大切なことは諦めないこと。ネバーギブアップの精神だ」と話していたという。 敬子さんは敗戦直後で先が見えない当時と、なかなかコロナ禍収束の目処が立たない現在の状況を重ね、「今、主人がいれば......」と、力道山が生きていたら発していただろう言葉を想像した。

「やはり『ネバーギブアップだぞ。最後まで諦めるな』と日本中に呼びかけていたと思います。『誠心誠意、努力する気持ちを忘れるな』と。常に主人は明日がどうなるかわからない生活を送って、大変なことが起きても『こんなのに負けてられるか』と努力を続けていましたから」 声を震わせて亡き主人への思いを馳せたあと、敬子さんは最後に笑った。「私は今の状況が早く収束するように祈るしかないんでけど、主人が生き返って現れたら、空手チョップでコロナをやっつけてほしいですね」

523NAME:2022/01/23(日) 02:20:52
一度しかない人生で「本当に好きなことをする」
精神科医 Tomy
2021/12/23 06:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%A7%E3%80%8C%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/ar-AAS40kR

大人気シリーズ『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』の著者が、voicy「精神科医Tomy きょうのひとこと」を音声配信。心がスッと軽くなる“言葉の精神安定剤”で気分はスッキリ、今日がラクになる!
好きなことをやってるとバカにされる?

きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」
本当に自分のやりたかった職種に転職しようとか、そういう決断をするときは、自分の心の中で、いろいろと葛藤が生じがちです。

「この決断は本当に正しいのだろうか」「これまで続けてきたことをやめていいんだろうか」また、好きなことをやろうとすると、「好き勝手やってるな」とか、まわりの人にバカにされるんじゃないかと考えてしまうこともあります。そして、決心がつかず、ためらったり、しりごみしたりするものです。

しかし、自分が本当に好きなことに向かっているのであれば、バカにされるより、むしろ尊敬の対象になります。別に尊敬されるためやる必要はありませんが、バカにされるということは最終的にはありません。純粋に自分が本当に好きなこと向かって、思い切って行動するという前向きな態度は、大事なことなのです。

現状に不満があるから、いい訳するようにして逃げるのは、本当に好きなことに向かっているとはいえないでしょう。そうではなく、本当に好きなことを思い切ってやりたいのであれば、それはぜひやるべきなのです。現状を変えようとするときは、多少なりともリスクがともないます。

「失敗したらどうしよう……」「うまくいくだろうか……」先行きどうなるかわからないという心配や不安が生じるでしょう。それでも好きなことに向かって果敢にチャレンジする人は、尊敬の対象です。多少なりともリスクを背負って新たな一歩を踏み出せば、そのリスクが頑張りの原動力にもなるはずです。

決してバカにされるんじゃないかと思うことはありません。きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」でした。参考になったかしら?

524NAME:2022/01/29(土) 00:57:56
一度しかない人生で「本当に好きなことをする」
https://diamond.jp/articles/-/290888
精神科医 Tomy
https://diamond.jp/search?fulltext=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB+Tomy

好きなことをやってるとバカにされる?
きょうのひとことは、「好きなことをすると尊敬される」
本当に自分のやりたかった職種に転職しようとか、そういう決断をするときは、自分の心の中で、いろいろと葛藤が生じがちです。

「この決断は本当に正しいのだろうか」「これまで続けてきたことをやめていいんだろうか」
また、好きなことをやろうとすると、「好き勝手やってるな」とか、まわりの人にバカにされるんじゃないかと考えてしまうこともあります。そして、決心がつかず、ためらったり、しりごみしたりするものです。しかし、自分が本当に好きなことに向かっているのであれば、バカにされるより、むしろ尊敬の対象になります。

別に尊敬されるためやる必要はありませんが、バカにされるということは最終的にはありません。純粋に自分が本当に好きなこと向かって、思い切って行動するという前向きな態度は、大事なことなのです。現状に不満があるから、いい訳するようにして逃げるのは、本当に好きなことに向かっているとはいえないでしょう。そうではなく、本当に好きなことを思い切ってやりたいのであれば、それはぜひやるべきなのです。

現状を変えようとするときは、多少なりともリスクがともないます。
「失敗したらどうしよう……」「うまくいくだろうか……」先行きどうなるかわからないという心配や不安が生じるでしょう。

それでも好きなことに向かって果敢にチャレンジする人は、尊敬の対象です。多少なりともリスクを背負って新たな一歩を踏み出せば、そのリスクが頑張りの原動力にもなるはずです。決してバカにされるんじゃないかと思うことはありません。

525NAME:2022/02/08(火) 20:15:44
母親がごみ出しの5分間に急変 当時交際の男、暴行か
2022/2/8 11:59
https://www.sankei.com/article/20220208-UJQ4C7RE2FIQBBOYKYRWQEGSMA/

元交際相手の生後まもない次女に暴行を加えたとして、大阪府警は8日、傷害容疑で、愛知県豊田市桝塚西町の会社員、国司(くにし)浩一容疑者(43)を逮捕した。次女は頭部のけがで意識不明の重体。「その場にいただけで何もやっていない」と容疑を否認しているという。

逮捕容疑は昨年3月14日午後4時ごろ、当時交際していた30代女性が住む大阪府茨木市の集合住宅一室で、生後4カ月だった女性の次女の頭部などに何らかの方法で強い衝撃を与え、急性硬膜下血腫などのけがをさせたとしている。次女は府内の医療機関に入院中だが、ほぼ脳死の状態で人工呼吸器を装着しているという。

府警によると、国司容疑者は令和2年9月ごろから女性と交際を始め、週末に愛知から泊まりに来ていた。事件当時、女性はごみ出しのため5分程度外出しており、部屋に戻ってきた際に国司容疑者から「(次女が)青白い顔で苦しそうなうめき声を上げた」と容体の急変を伝えられた。

その後、国司容疑者と女性が次女を病院に搬送した。国司容疑者は医師に「思い当たることはない。ずりばいして頭をぶつけたのかもしれない」と説明。虐待を疑った医師が、府の子ども家庭センター(児童相談所)に通報した。

府警は複数の医師の所見などから、次女のけがは自発的に起きないと判断。国司容疑者のスマートフォンには事件直後、児童虐待に関する検索履歴が残っていたといい、府警は詳しい経緯や動機などを捜査する。

526NAME:2022/02/12(土) 00:28:53
母ら食事十分に与えず 岡山女児虐待、映像で判明
2022/2/11 22:02
https://www.sankei.com/article/20220211-ZWFYUFBFYFI7DCGD7QCSC5HS2Q/

昨年9月に岡山市北区の西田真愛(まお)ちゃん=当時(5)=が虐待を受け、今年1月に死亡した事件で、強要容疑で逮捕された母親と交際相手の男が、真愛ちゃんに十分な食事を与えていなかったとみられることが11日、捜査関係者への取材で分かった。室内に設置されていたカメラの映像や、母親と男が交わしていたLINE(ライン)のメッセージ内容から厳しい食生活の状況が判明した。

岡山県警は11日、母親の彩(あや)容疑者(34)と真愛ちゃんの自宅を家宅捜索した。引き続き虐待の実態の全容解明を進める。 事件では昨年9月10〜23日、約3〜6時間にわたり真愛ちゃんを鍋の中に立たせ続けるなどした疑いで彩容疑者と交際相手の船橋誠二容疑者(38)が逮捕された。暴行の様子は室内のカメラに写り、スマートフォンにも映像が残っていた。

527NAME:2022/02/12(土) 00:29:16
愛知の住宅で0〜5歳の女児3人死亡 20代母親、無理心中か
2022/2/11 01:15
https://www.sankei.com/article/20220211-KXJXJ5W3URLSZPJPK3BPUI5H6E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E6%84%9B%E7%9F%A5%E3%81%AE%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%81%A7%E5%A5%B3%E5%85%90%EF%BC%93%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E4%BA%A1%20%EF%BC%92%EF%BC%90%E4%BB%A3%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E3%80%81%E7%84%A1%E7%90%86%E5%BF%83%E4%B8%AD%E3%81%8B

10日午後9時10分ごろ、愛知県一宮市三ツ井の住宅に住む会社員の高桑浩史さん(34)から、帰宅すると0〜5歳の娘3人の意識がないと119番があった。愛知県警一宮署によると、駆けつけた消防隊員が室内で死亡した3人を発見。無理心中を図った可能性もあるとみて、署が家にいた20代の妻から事情を聴いている。

署によると、2階の居間で長女の姫茉梨ちゃん(5)と次女の菜乃華ちゃん(3)、0歳の三女、咲桜ちゃんが並んで倒れていた。妻は左手首と首に切り傷があるが、軽傷という。現場は名鉄一宮駅から南東約4キロの住宅街。

「仲良さそうだったのに」 前向きに育児、驚きと困惑
2022/2/11 16:34
https://www.sankei.com/article/20220211-3HL5QBQESZPQDNH6GUI7GL5RN4/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E3%80%8C%E4%BB%B2%E8%89%AF%E3%81%95%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AB%E3%80%8D%20%E5%89%8D%E5%90%91%E3%81%8D%E3%81%AB%E8%82%B2%E5%85%90%E3%80%81%E9%A9%9A%E3%81%8D%E3%81%A8%E5%9B%B0%E6%83%91

愛知県一宮市の住宅で0〜5歳の女児3人の遺体が見つかり、殺人未遂容疑で母親の高桑姫華容疑者(27)が逮捕された事件。「仲が良さそうだったのに…」。前向きに子育てをしているように見えた母親の逮捕に、近隣住民からは驚きと戸惑いの声が聞かれた。 近所に住む男性(76)は、3姉妹を連れて近くの公園を訪れ、2時間ほど遊ばせる様子を毎日のように見ていたと証言。「おんぶとベビーカーで大変そうだった」と振り返った。

「週末は親子連れでよく出掛けていた。何があったのか」とやるせない表情を浮かべたのは、近くに住む団体職員の男性(56)。一家が自宅の庭でバーベキューをしたり、夫婦が子供をプールに入れたりする様子も、何度も見掛けたという。

528NAME:2022/02/12(土) 00:31:25
布団で体巻かれ窒息か 岡山虐待事件の死亡女児
2022/2/11 00:42
https://www.sankei.com/article/20220211-DMW5WTY34FLARK3FWCAZZSAWEU/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E5%B8%83%E5%9B%A3%E3%81%A7%E4%BD%93%E5%B7%BB%E3%81%8B%E3%82%8C%E7%AA%92%E6%81%AF%E3%81%8B%20%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E5%A5%B3%E5%85%90

岡山市北区の西田真愛ちゃんが虐待を受け、強要容疑で母親の彩容疑者(34)と交際相手の船橋誠二容疑者(38)が逮捕された事件で、真愛ちゃんが昨年9月に救急搬送される前、体を布団に巻かれた状態だったことが10日、捜査関係者への取材で分かった。真愛ちゃんは脳死状態になり、今年1月に低酸素脳症で6歳で亡くなった。岡山県警は布団で窒息した可能性があるとみている。

529NAME:2022/02/12(土) 00:33:31
「楽しい時間始まる」「ミッションがやってきた」 死亡女児、5時間以上鍋に立たせたか
2022/2/9 18:40
https://www.sankei.com/article/20220209-HOM2XUJS5FLNNJMSPQNDZ2BGNQ/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E3%80%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E6%99%82%E9%96%93%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%80%8C%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%80%8D%20%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E5%A5%B3%E5%85%90%E3%80%81%EF%BC%95%E6%99%82%E9%96%93%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E9%8D%8B%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%9F%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%8B

5歳だった女児を鍋の中に長時間立たせ、全裸状態で扇風機の風を当て続けるなどして虐待したとして母親と交際相手の男が逮捕された事件で、母親が「私がしたことではないので共犯というのはおかしいと思う」と否認していることが9日、分かった。男は「間違いない」と容疑を認めている。

■逮捕の母親「大丈夫」 娘の搬送後、周囲に

女児は昨年9月に病院に運ばれたが脳死状態となり、6歳だった今年1月に低酸素脳症で死亡した。

岡山県警によると、強要容疑で逮捕されたのは母親の無職、西田彩容疑者(34)=岡山市北区花尻=と交際相手の内装工、船橋誠二容疑者(38)=同市南区築港新町。船橋容疑者は虐待の際、「やっと楽しいミッションがやってきた」「今日も楽しい時間が始まる」と発言し、女児を夜から翌日未明まで5時間以上、鍋の中に立たせ続けたこともあったとみられる。

530NAME:2022/02/13(日) 22:46:01
「介護に疲れた」72歳妻の首絞める 容疑で80歳男逮捕
2022/2/13 14:33
https://www.sankei.com/article/20220213-ZLOE6S3WJJJVVD7HC55HBHMFHQ/

自宅で妻(72)の首を絞めて殺害しようとしたとして、大阪府警鶴見署は13日、殺人未遂容疑で夫の天野斉二容疑者(80)=大阪市鶴見区=を現行犯逮捕した。妻は搬送先の病院で死亡が確認され、殺人容疑に切り替えて調べる。

逮捕容疑は13日午前8時20分ごろ、集合住宅の自室で妻、トヨ子さんの首を絞めたとしている。同署によると、約10分後に天野容疑者から「妻の首を絞めた」と110番があった。天野容疑者は「妻は寝たきりで、介護に疲れた」と話しているという。

531NAME:2022/02/14(月) 21:28:45
学校でイジメられたダウン症の少女に「最強すぎる味方」が登場、一緒に学校へ 北マケドニア
ハフポスト日本版 - 7 時間前
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%a7%e3%82%a4%e3%82%b8%e3%83%a1%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%83%80%e3%82%a6%e3%83%b3%e7%97%87%e3%81%ae%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%ab-%e6%9c%80%e5%bc%b7%e3%81%99%e3%81%8e%e3%82%8b%e5%91%b3%e6%96%b9-%e3%81%8c%e7%99%bb%e5%a0%b4-%e4%b8%80%e7%b7%92%e3%81%ab%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%81%b8-%e5%8c%97%e3%83%9e%e3%82%b1%e3%83%89%e3%83%8b%e3%82%a2/ar-AATOsY3

バルカン半島に位置する北マケドニアで、学校でイジメに遭ったダウン症の少女に「最強の味方」が登場する出来事があった。 少女の家に現れたのは、ステボ・ペンダロフスキ大統領。少女と手を繋ぎ一緒に登校した。

イジメに遭っていたのはエンブラ・アデミさん(11)。染色体の突然変異が原因で起きるダウン症を抱えている。 2月7日、ペンダロフスキ大統領はエンブラさんの自宅を訪問。持参した紙袋からプレゼントを取り出すと、エンブラさんは目を大きく見開いて嬉しそうな様子を見せた。そして、エンブラさんの両親から日々の課題などを聞き取り、差別撤廃のための組織がこのケースについて手続きを開始することを歓迎する意向を示した。

北マケドニア大統領府によると、ペンダロフスキ大統領は「子どもの権利を危機に晒す行為は容認できない。非定型発達の子どもたちに対するものは特にだ」と話したという。 その後、大統領はエンブラさんや両親らとともに、歩いて小学校へ登校。校舎に入っていくエンブラさんを見送った。「彼らは当然の権利を享受するだけではなく、学校の教室や校庭でも、平等であり歓迎されていることを感じるべきなんです」と大統領は話したという。

532NAME:2022/03/29(火) 23:09:34
市川海老蔵、暴露動画と多重交際でイメージダウン必至 小林麻耶支持派が優勢に
2022/03/29 16:15
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%B5%B7%E8%80%81%E8%94%B5-%E6%9A%B4%E9%9C%B2%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%A8%E5%A4%9A%E9%87%8D%E4%BA%A4%E9%9A%9B%E3%81%A7%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E5%BF%85%E8%87%B3-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E9%BA%BB%E8%80%B6%E6%94%AF%E6%8C%81%E6%B4%BE%E3%81%8C%E5%84%AA%E5%8B%A2%E3%81%AB/ar-AAVCe0i?ocid=msedgntp
© NEWSポストセブン 提供 海老蔵のイメージダウンは必至

複数の女性と“多重交際”していたことが『女性セブン』に報じられた市川海老蔵(44才)。妻である小林麻央さん(享年34)の姉・小林麻耶(42才)の強烈な暴露によって、好感度の急落は避けられない状況だ。

【写真87枚】海老蔵が美女Aさん、Bさん、Cさんと連日デートを続ける姿。他、子供たちの面倒を見る麻央さんの実母の姿なども

麻耶は3月21日、元夫である國光吟氏の公式YouTubeチャンネルに『小林麻耶暴露』『小林麻耶暴露パート2』という動画を公開。さらに、3月24日にも『海老蔵が麻央ちゃんの治療を選んでいた』という動画を公開し、これらの中で市川海老蔵の“裏側”について告発した。

麻耶いわく、麻央さんは海老蔵との生活に苦しんでいたとのことで、「苦しいよ、死にたいよ、離婚したいよ」と明かされたという。麻央さんの入院中も、海老蔵は見舞いにきても病室に5秒といられず「え、何すればいいの? 帰るわ」と言っていたことや、病室で競馬新聞を広げて競馬を楽しんでいたことなどを告発している。 さらに麻耶は、麻央さんが受けていた民間療法は海老蔵が勧めたもので、麻央さんがやめたいといっても海老蔵の一存でやめることができなかった、とも明かしている。

「麻耶さんの話している内容がすべて本当かどうかを確かめるのは難しいことではありますが、これらすべてを創作して話すとは考えにくく、それなりにリアリティーのある話だと考えられます。また、海老蔵さんの多重交際報道が出たことで、子育てよりも自分の遊びを優先しているであろう実情も浮かび上がってきました」(芸能記者・以下同) 麻耶は3月27日、『海老蔵から襲われた時の話』というタイトルでブログを更新。〈目を開けると海老蔵が私の上に覆いかぶさっていました〉と、寝ている間に海老蔵にのしかかられた経験があるとも告白した。

「結局、麻耶さんは海老蔵さんから逃れたとのことですが、麻耶さんは〈本当に女なら誰でもいいんだなと怒りが込み上げてきました〉とも書いています。真偽は不明ですが、一連の多重交際報道も合わせて、海老蔵さんのイメージダウンは必至です」

533NAME:2022/03/29(火) 23:09:48
麻耶さん支持派が優勢に

これまで麻耶は、元夫である國光氏によって“洗脳”されていたとも言われてきたが、今回の暴露動画と、海老蔵の多重交際報道によって、麻耶に対する見方も変化しつつある。 「最近の麻耶さんのスピリチュアル系の発言の背景に、海老蔵さんに対するさまざまな苦悩があったことが想像できることから、ネット上でも麻耶さんに同情する意見と海老蔵さんを糾弾する意見が増えています。もちろん麻耶さんの手段を選ばない発信方法に対しては懐疑的な声も多いんですが、それでも麻耶さん支持派が優勢になりつつありますね」

ブログでは子煩悩ぶりを綴ることが多い海老蔵だが、そこにもまた疑いがかけられている。 「麻耶さんが勸玄くんと麗禾ちゃんの世話をしていた当時、海老蔵さんが麻耶さんに子供の写真をブログに載せないでくれと言っていたと、麻耶さんは動画で話しています。また、現在は麻耶さんのお母さんが、子供2人の世話をしているようですが、海老蔵さんのブログには、お母さんの写真は一切載りません。

つまり、海老蔵さんは子育てを義理の母に任せて、自分は複数の女性を交際をしているのに、ブログでは良きパパを演出していることになるわけです。海老蔵さんのイクメンアピールが偽物だったとなれば、イメージダウンはもちろんのこと、バッシングが広がる可能性もあるでしょう」 もしも、麻耶の暴露がすべて真実であったならば、海老蔵はかなりの“モラハラ夫”だったことになる。

「普通の芸能事務所に所属するタレントであれば、これらの暴露で一発アウトになる可能性も十分にあると思います。少なくとも、育児関係の仕事のオファーはなくなるだろうし、テレビ番組であればあまりにもイメージが悪すぎて、スポンサーが拒否する可能性が高い。しかし、世襲制である歌舞伎の世界は特殊で、簡単に海老蔵を“切る”ことは難しい。海老蔵さんは市川團十郎という大名跡を継ぐことが決定しており、歌舞伎の伝統を守るという意味でも“海老蔵外し”は簡単ではない。ただ、ここで海老蔵さんを許してしまうと、歌舞伎そのもののイメージダウンにも繋がりかねないという側面があるのも事実だと思います。海老蔵さんにとっても、歌舞伎界にとっても重要な局面なのかもしれませんね」 麻耶の暴露と多重交際報道によって窮地に追いやられつつある海老蔵。果たして何らかの弁明はあるのか、あるいは反論はあるのか──。

534NAME:2022/03/29(火) 23:32:58
榊英雄監督の盟友、木下ほうかの「性加害」を2人の女優が告発する
https://bunshun.jp/articles/-/52915
性加害疑惑

「性被害」を題材にした映画「蜜月」。「週刊文春」では3月10日発売号、同17日発売号で同作の榊英雄監督(51)に「性行為を強要された」と語る女優(A子さん〜G子さんまでの計7人)などの告発を報じ、3月25日から公開予定だった「蜜月」は公開中止に至った。 3月18日には、是枝裕和氏や西川美和氏など著名監督が「私たちは映画監督の立場を利用したあらゆる暴力に反対します」との声明を発表した。女優たちの告発が、芸能界にはびこる性加害の実態を明るみに出しつつある。 

2022年3月31日号の週刊文春にて、木下ほうかの「性加害」を2人の女優が告発した[10]。1人目は演技指導の名目で木下の家に呼ばれ最初は台本読みしていたが最終的には性行為を求められ、応じざるを得なかったと語った。2人目は木下から無理やりキスされそうになり、それを拒んだら後日「期待してこれから育ててあげようとしたのに残念。これぐらいの根性なのですね」とメールが届き、最終的には木下の自宅で性行為に至ったという[11]。

演技指導の名目で木下の自宅に呼び出され…

 今回、詳細な証言と共に「性被害」を告発したH子さん、I子さんという2人の女優は、いずれも木下から性行為を求められ、応じざるを得なかったと語った。 H子さんは演技指導の名目で木下の自宅に呼び出された。最初は2人で台本読みをしていたが、「なんでできへんねん」と木下に叱られるうち、H子さんは悔しくて泣き出してしまったという。すると、木下は一転、慰めるような優しい声音で「もういいから。こっち来いや」と寝室に連れていった。そこで木下は自分のパンツを下ろすと、H子さんの顔先に性器を突き出した。 「なし崩し的に口での行為を迫られました。抵抗したらもっと酷いことをされるかもしれない。要求に応えて済ませた方が安全だと思ってしまった。『早くこの時間が終われ』と頭の中で繰り返していました」(H子さん)

「みんなやってる」と言われて…

 もう1人の女優I子さんは、ある日、木下から無理やりキスされそうになり、それを拒むと、後日、こんな旨のメールが来たという。 「期待して、これから育ててあげようと思っていたのに残念です。失望しました。あなたの根性はこのくらいなのですね」 後日、木下の自宅で性行為に至ったという。 「私とは親子ほど歳が離れていますし、気持ち悪かった。でも力では到底勝てないし、顔が広いので、拒んだら悪い噂を流されるかもしれない。『みんなやってる』『これを断るようなメンタリティじゃこの世界でやっていけない』と言われて洗脳されたというか、断れなかった。なんで役者として演技をしたいだけなのに、いつも性行為の話が出てくるんだろうって……」(I子さん)

 木下の所属事務所「カクタス」には3月20日の午後4時にFAXとメールで取材を申し込み、同社の社長にも取材申し込みの手紙を届けた。同日から、木下本人の携帯などにも再三取材を申し込んだが、22日の夜9時現在、回答は届いていない。 ただ、関係者によると、木下の出演番組を巡り降板を含めた対応が協議されているという。 3月23日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および3月24日(木)発売の「週刊文春」では、榊監督の新たな「性加害」、木下に対するH子さんとI子さんの告発を詳しく報じている。

535NAME:2022/03/29(火) 23:42:52
榊英雄監督の性被害を告発した女優らが語る、映画業界3つの「罠」
竹下 郁子
Mar. 29, 2022, 07:20 AM News
https://www.businessinsider.jp/post-252224

映画監督・俳優の榊英雄氏から望まない性行為を強要されたと告発する女性たちが後を絶たない。 報道を受けて連帯を表明する映画関係者もいる一方で、ネットでの中傷も多く、女性たちは二次被害に苦しんでいる。 被害がここまで拡大した背景には何があるのか? フリーランスを保護しない労働法制、パワハラ・セクハラの「温床」と呼ばれるワークショップ、俳優と監督という圧倒的な力関係……関係者たちに話を聞くと、映画業界に潜む3つの“罠”が見えてきた。

#MeTooがいまだ“ゴシップ”扱いの日本社会

女性はこれまで榊氏以外にも「役を降ろすぞ」と脅されて性行為を強要されたことがあり、「監督やプロデューサーという立場を笠に着て、『女優をなんとかしてやろう』という人は業界にたくさんいる」という。 実際、週刊文春の報道後、自身の性暴力の告発を案じる芸能関係者から“探り”を入れるような連絡が何度も来ているそうだ。

536NAME:2022/03/29(火) 23:43:57
榊英雄監督に女性への性加害報道、最新作公開中止に…法的責任について弁護士の見解は?
3/10(木) 16:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6aa2e0a829acbd07b6cb1108785b252d19a3756

俳優の榊英雄氏(51)が2013年〜17年にかけて複数の女優に対して性行為を強要していた──とする9日付の文春オンライン報道を受け、榊氏が監督を務め、25日に予定されていた映画「蜜月」の公開中止が公表された。

濱松恵も#ME TOO! 芸能界にはびこるセクハラの闇

 製作委は公式ページで、「榊英雄氏が監督した同作品につきまして、関係各所との協議の結果、映画『蜜月』の公開を一旦中止とさせていただきます」とし、「今後につきましては、すべて未定です」としている。 公開中止となった「蜜月」は「性被害」がテーマの作品。その監督が「性加害者」の疑いがあるというのだから言語道断だろう。芸能界では国内外を問わず、権力者がキャスティングなどをめぐって女性らに不適切な関係を迫るケースがあるといわれ、米国では2017年、「恋に落ちたシェークスピア」などのヒット作品を多く手掛けた映画プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン(69)のセクハラ疑惑が発覚している。

 この事件を機に女性らが被害を訴える「#MeToo」運動が各地に広がり、米ニューヨークの裁判所は2020年3月、女性2人に対する性的暴行などの罪で同プロデューサーに禁錮23年を言い渡したが、今回、文春記者の取材に応じた被害を訴える女性らが、米映画プロデューサーのように榊氏を訴えて法的な罪を問うことは可能なのか。 元東京地検検事の落合洋司弁護士は「訴える場合、刑事、民事の2つのケースがありますが、刑事の場合、立証の可否、証拠の問題に加え、おそらく時効の問題が関わってくるでしょう。民事でも不法行為の時効は3年ですから、(記事のケースだと)難しいのではないか」と言いつつ、こう続ける。「ただ、法律上はそうであっても、加害者が被害者に対して和解金や慰謝料などを支払うケースもある。また、今回の文春記事がきっかけで、海外のように日本の芸能界でも『#MeToo』運動が起きる可能性は否定できません」

 文春の記事を受け、榊氏は9日付で次のようなコメントを発表。 <この度は、映画「蜜月」の公開が控えているこのタイミングで、私の過去の個人的なことが記事になり、映画を創るために東奔西走してくださったプロデューサー陣やスタッフ、キャストの皆さま及び関係者の皆さま、そして何よりこの映画の公開を楽しみに待っていてくださる観客の皆さまに、多大なるご迷惑とご心配、不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます(略)今回の記事上で、事実の是非に関わらず渦中の人とされてしまった相手の方々にも、大変申し訳なく思っております。記事の内容につきましては、事実であることと、事実ではない事が含まれて書かれておりますが、過去のことをなかった事には出来ません。それをしっかり肝に銘じ、これからの先へ猛省し悔い改めることを誓い、人を、日々を大事に生きていきたいと思っております>

 反省の意を示しながらも「過去のこと」とつづっているのが気になるが、「猛省し悔い改めることを誓う」のであれば、まずは真っ先に謝罪するべき相手は被害女性であり、たとえ時効で法的責任は問われなくとも誠心誠意を尽くすべきだろう。

537NAME:2022/05/12(木) 23:54:47
急逝した上島竜兵さんは芸人としてその役を見事に全うした
2022/05/12 16:15
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E6%80%A5%E9%80%9D%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%8A%E5%B3%B6%E7%AB%9C%E5%85%B5%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AF%E8%8A%B8%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BD%B9%E3%82%92%E8%A6%8B%E4%BA%8B%E3%81%AB%E5%85%A8%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%9F/ar-AAXbJ2Z?ocid=EMMX&cvid=f63f35731a2a455cb99121c9eb988b3f

臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、突然の訃報が伝えられたお笑い芸人の上島竜兵さん(享年61)について。

このような訃報に接すると「なぜ」という言葉しか出てこない。だがその問いに答えを求めているわけではない。理由を知りたいわけでもない。ただただ「なぜ」と思うだけだ。

 お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜平さんが5月11日の未明に亡くなられた。3日には、俳優の渡辺裕之さん(享年66)が亡くなられたばかりだ。芸能界の相次ぐ突然の訃報に接し、元気に活躍していた姿が思い浮かんでくる。

 上島さんはリアクション芸の第一人者だった。アツアツのおでんを顔につけられたり口に突っ込まれるおでん芸、熱いお湯の上にまたがり「押すなよ」と決めセリフを言いながら落とされる熱湯風呂、むちゃぶり後の「どうぞどうぞ」、ケンカの後のキス芸など、3人の息の合った芸は、毎回、何がどうなるのか分かっているのに笑ってしまう面白さがあった。

 コロナ渦でイベントなどの開催が難しくなり、彼らのような身体を張ったリアクション芸を演じるのが難しくなっていたというが、ここ数年は俳優としても活動し、数々のドラマで芸人の時とは違う多彩な顔を見せていた。それでもやはり、「聞いてないよぉ」というギャクの時のように、いつも元気すぎるぐらいの陽気で明るい芸人としての屈託のない笑顔を思い出す。

 テレビの中の上島さんしか知らないこちらは、その表の顔と普段の彼のキャラや個性を重ね合わせて見ていたのだろう。彼のイメージとかけ離れた今回の訃報に驚いた。楽しく笑わせてくれた芸がもう見れないのが残念でならない。

「人間は『ペルソナ』を付けている」と心理学者のユングは述べている。ペルソナは古典劇において役者が付けた仮面のこと。ペルソナは、人が他人に向けて見せる外向きの顔で、人が外の世界に対して付けている仮面だという。そしてペルソナは1つではない。「人間には千個のペルソナがある」とユングは言った。ペルソナを通じて、人は本当の性格ではない違う性格を演じ、「他人にこう見られて欲しい」という自分の姿を見せる。

 人はいくつものペルソナをつけ替えながら、さまざまな状況に適応し役割を担い、他人との関係を良好に築いていくものだ。ペルソナを付けていないと人は無防備になるが、自分で作り出したペルソナのイメージが強く大きくなりすぎてストレスになることもあるという。また、ペルソナは本当の顔を隠してしまう。自分が本当は何者であるか、外には示さないというのだ。

 昔、某俳優が突然亡くなった時、ある精神科医がこう言った。「彼は俳優としてのペルソナを付け、見事にその役を演じきったんだろうな。だから突然の訃報を聞き誰もが『なぜ』、『どうして 』と思ってしまうのだろう」 ペルソナは“仮面”ではあるが、その人を形作る要素の一つ。そのペルソナを剥がして、メディアがあれこれ詮索する必要も、心ない憶測もいらない。ご冥福をお祈り致します。

538NAME:2022/05/20(金) 00:21:16
年収1億円…一世風靡したあのタレント 上から目線で芸能界干され アッコの威を借りる狐だった
[ 2016年2月8日 21:53 ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/08/kiji/K20160208012007420.html

タレントの吉村明宏(58)が8日に放送されたテレビ朝日系「しくじり先生 俺にみたいになるな!!2時間SP」(月曜後8・00)に出演。自身がものまねをしていた歌手・和田アキ子(65)のおかげで人気を得たにもかかわらず、自分の実力だと勘違いしたためにたどった悲惨な末路を明らかにした。

 18歳の時にテレビのオーディション番組でものまねを披露してチャンピオンとなり、芸能界デビュー。10年間は鳴かず飛ばずの状態が続いたが、TBS系「アッコにおまかせ」の中継リポーターに抜てきされて人気が爆発。アッコにもかわいがられるようになり、レギュラー番組も増えていった。

 自身の冠が付いた帯番組も担当するようになり、年収は1億円に。あくまでもアッコに頼る“腰ぎんちゃく”的な立ち位置だったのにもかかわらず、「俺の実力がすごい」「俺も和田アキ子になれる」と勘違いし、スタッフには上から目線の態度。現場でもキレまくっていたという。

 この状況を見かねたアッコから「スタッフに嫌われている」と忠告を受けたが、意に介さず。「私に嫉妬している」「私の勢いに(アッコが)ビビッている」としか感じなかったため態度を改めることはなく、その結果現場からは総スカン。帯番組は1年で終了し、「…おまかせ」のレギュラーも降ろされるハメになった。

 仕事のないドン底生活。2人の娘は「父親が吉村明宏だということを学校で隠している」という事実も披露した。「これはショックでしたが、すべては私のせい」と涙した吉村。最後はこれまでの自身の愚行を悔い、アッコからかけてもらった「本当のスタートからここからやで」という言葉を胸に「人から頼られる人間になりたい」と人生の再出発を誓った。

539NAME:2022/06/16(木) 16:13:06
村木厚子
私は負けない  「郵便不正事件」はこうして作られた 単行本 – 2013/10/24
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%A0%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%80%8C%E9%83%B5%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BD%9C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F-%E6%9D%91%E6%9C%A8-%E5%8E%9A%E5%AD%90/dp/4120045501

まったく身に覚えのない「郵便不正事件」で逮捕された著者が、不当・巧妙な検察の取り調べを乗り越えて「無罪」を獲得。
164日の勾留にも屈しなかったのはなぜか? 今なお制度改革に闘い続けるのはなぜか?
事件を振り返り、法制審議会の議論に緊急提言する。

冤罪が生まれない“信じられる司法制度"にするためには、〈取り調べの可視化〉〈証拠開示〉〈身柄拘束〉3大課題の改革が絶対に必要です!
二度とこんな経験はしたくありません。そして誰にもこんな思いを味わってほしくないと思っています。そのためにどんな刑事司法改革が必要か……。
この本がそれを皆さんと一緒に考えるきっかけとなれば幸いです――「はじめに」より

事件の発端となった上村勉・元係長との特別対談、周防正行監督のインタビューを収録

男たちが虚偽供述に追い込まれる中、なぜ彼女だけが454日を闘い抜くことができたのか?
法制審に緊急提言! 事件を振り返り、司法改革に必要な3大課題を訴える

540NAME:2022/06/16(木) 17:50:10
村木厚子 特捜部に狙われた女性官僚
2021.10.05 公開
https://www.ntv.co.jp/gyoten/articles/324m08q492b9d9aqqz2.html

ある日身に覚えのない罪で逮捕された女性。その罪は、なんと検察による捏造だった。 郵便不正事件…厚生労働省が組織的に郵便料金の不正に関わったとされたありもしない事件。 これは絶対権力と戦い続けた女性と家族の454日の記録。

2004年、東京にあった障害者団体を名乗る「凛の会」である悪巧みが進められていた。 その内容とは「ダイレクトメールを会報に同封すればたった8円で出せる」というもの。 郵便法では、障害者団体のための割引制度があり、通常は一通120円かかる定期刊行物が、この制度を使えば、僅か8円で出せるのだ。 凛の会はこの制度を悪用し、ダイレクトメールを送りたい企業に声をかけ120円かかるものを8円で送り、その差額と企業から得る広告費で多額の利益を得ようと考えた。

但し、これには厚生労働省が発行する障害者団体証明が必要だった。そこで凛の会は…証明書の発行を厚労省に申請。 しかし、この件の担当者だった係長は、当時初めての予算の作成に追われその証明書の発行を先送りする。 度重なる催促…しかし、証明書を出すには6人以上の上司の決裁が必要。 追い詰められた係長は正規の手続きを踏むことなく、他の職員がいない時間に、当時企画課長だった村木厚子の印を勝手に押し、自分一人で仕上げてしまった。

これは犯罪行為。 そして、その日のうちに凛の会に証明書を渡した。 係長による単独の判断での犯行、これが事件の真相だった。 5年後、この偽造証明書を使った郵便不正事件が発覚し、大阪地検特捜部が捜査に乗り出した。 そして、凛の会関係者など10人を郵便法違反容疑で逮捕。 不正に得た利益はおよそ211億円にのぼっていた。 このとき、特捜部はこの事件には黒幕がいるとみて、ある人物に狙いを定めていた。 それが当時厚労省局長の村木厚子だった。 そして2009年5月26日。この日ついに、証明書を偽造した容疑で係長が逮捕された。これで事件は全て明らかになるハズだった。 だが、事態はとんでもない方向へ進んでいく。

本人の知らないところで作られた筋書き

マスコミは上司の村木を追い回した。 一方、検察はなぜか村木を呼ばず、周りの職員や元の上司を事情聴取していた。 それもそのはず、検察は大物の村木逮捕を目指し架空のストーリーを作り上げそれに合う調書を職員から取っていたから。 不安になった村木は弘中惇一郎という弁護士に相談。 弘中惇一郎弁護士は社会的に注目を浴びる数々の裁判で実績を残してきた人物だった。

この事件には変えることのできない3つの事実がある。 1つ目は2004年6月8日に凛の会が日本郵政公社に申請書類を提出した際、障害者団体の証明書を出さなかった事。 2つ目はその2日後の6月10日に証明書を提出したこと。 3つ目は係長が作成した偽の証明書の日付が5月28日だったこと。 大阪地検特捜部のでっち上げストーリーもこの3つの事実を巧みに利用していた!

その筋書きはこうだった! まず凛の会の会長がある人物と会う所から始まる。 相手は石井一衆議院議員。そして石井議員は面識のあった厚労省の担当部長に電話した。 部長は当時企画課長だった村木を呼び、村木課長の案件となった。 2004年6月8日、凛の会は村木課長が動いているので証明書無しで、障害者割引を承認してもらえると考えた。 だが、証明書が必要だと郵政公社から指摘され、村木が係長に正規の手続きを踏まなくてもいいからすぐに作れと指示。 そして、係長は凛の会が希望したとおりに5月28日に遡った証明書を作成した。 その正規のルートを踏んでいない証明書を自分の席で凛の会・会長に渡し、凛の会は6月10日、不正入手した偽の証明書を郵政公社に提出した。

これが検察のストーリー。 事実は係長が単独で証明書を作っただけなのに、なぜか全く関係のない石井議員と村木を入れ混み議員と厚生労働省の組織ぐるみの犯罪にでっち上げた! 検察はこのねつ造したストーリーを真実とし…6月13日、大阪地検から村木厚子のもとに事情を聞きたいと連絡がきた。 そして恐ろしい取り調べがはじまる。

541NAME:2022/06/16(木) 17:50:34
村木は説明したらわかってくれると思い、すぐに大阪へ。 だが、この取り調べは村木が指示した事件であると決めつけられていた。 検察は村木を虚偽有印公文書作成、同行使の事実で逮捕。 それは村木から係長へ偽の証明書発行の指示があったとする罪だった。 ここから454日にも及ぶ闘いが始まる!

身勝手な取り調べ…家族のために耐える日々

村木が入れられたのは通称・カメラ房と呼ばれる広さ2畳半ほどの独房。
24時間カメラで監視されたのは自殺防止のため。 調書はあくまで検察側が想定したストーリーに当てはめながら、それに合う言葉を拾っていくものだった。 「会った記憶はない」と言っても、「会ったことはない」と調書では断定。 ニュアンスも変えられた。 この時点で認められていたのは弁護士との接見のみ。

取り調べは連日夜の10時まで続く。 みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて拘置所の独居房に帰るという毎日。 取り調べが始まって11日目…取調官が別の検事に替わった。 あくる日…検事は厚労省職員数人の供述調書を持ち込んでそれを読み上げていった。 そこには村木から指示されたということが生々しく書かれていた。

検察側が想定したストーリーに当てはめるために、取り調べはどんどん強引になっていく。 弘中弁護士はチームを組んで東京から毎日、大阪まで面会に来て様々なアドバイスをした。 村木はなぜ職員のみんなはそんな嘘をつくのか疑念を抱いていた。 それに対し、弘中弁護士は検事が勝手に作文をしているだけだと答えた。

もちろん全ての検察がそんな事をしている訳ではない。 しかし、この事件に関しては…5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。 連日、夜遅くまで続く取り調べの中で村木を支えたのは…娘たちの存在だった。 将来、娘たちが今の自分のような困難に遭遇したとき、『あの時、お母さんも頑張った。大丈夫、私も頑張れる』と思ってもらいたい。 娘たちの将来のためにここで頑張らないといけないと思った。

そんな中、捜査報告書に気になる箇所が! それは、あの係長の自宅から押収したフロッピーディスクにあった偽の証明書を保存した日付データをプリントアウトしたものだった。

検察が言っていたのは…2004年6月8日に郵政公社が証明書を提出するように指摘されたので凛の会が村木に証明書を作ってくれと依頼した。 そして、6月10日に郵政公社に証明書を提出した。 つまり村木の指示なら証明書は6月8日から10日の間に作られていないとおかしい。 しかし、フロッピーの日付は6月1日。 村木が指示したとされる日より1週間も前だったのだ。 遂に見つけた検察側ストーリーの綻び。 やはりこの事件は検察のでっち上げに違いない。 2009年11月…4度目の申請でようやく保釈が決定。 164日に渡る拘留が終わった。

542NAME:2022/06/16(木) 17:52:01
次々に覆されていく検察の筋書き

およそ半年振りの外の世界。 年が明けていよいよ裁判が始まった。検察と村木、全面対決の始まりだった。 そして、弁護側はあのフロッピーの日付の矛盾について追及した。 これをきっかけに検察のねつ造したストーリーは次々と崩れ去っていく。 石井議員から電話を受け、村木に指示を出したとされる部長が、検察側の証人にもかかわらず電話があったことすら否定した上で供述を翻したのだ。

そして、一連のきっかけとなった係長の証人尋問では…。 証明書の偽造は自分の独断でやったと話しているのに、調書ではそうなっていない事を指摘しても聞いてもらえなかったと語った。 この係長も、取り調べで嘘を言ったわけではなかったのだ。 さらに検察のストーリーを根底から覆す証人が遂に登場する。 それは検察の筋書きにも登場していた石井一参議院議員。

検察の筋書きでは、2004年2月25日午後1時に凛の会の会長と会っている…とあったが、石井議員はこれを否認。 石井議員は過去30数年、その日に会った人の名前とその時間・内容を細かく手帳につけていた。 その手帳によると、2004年2月25日は7時56分から古賀一成衆議院議員とゴルフをしていた。となっており、ゴルフ場を出たのが午後4時頃。 それから急いで東京に帰って懇親会に出席していた。 これにより議員会館で凛の会の会長とは会っていないという事が証明された。

こうして2010年9月、無罪判決が言い渡された。 大阪地裁は検察側のストーリーの大半を否定。 逮捕から454日目のことだった。 しかし都合のいい調書を取った検事たちは罪に問われることはなかった。 ただ、特捜部の主任検事が問題のフロッピーディスクの日付を6月1日から6月8日に書き換えたことがバレたことで証拠隠滅の罪で逮捕された。 さらに当時、大阪地検特捜部のトップだった部長、副部長を犯人隠避容疑で逮捕するという検察史上類をみない不祥事にまで発展した。

無実でありながら逮捕されたキャリア官僚、村木厚子さん。 厚労省を退官した後、仰天ニュースにコメントを寄せてくれた。 「警察官や検察官による密室での取り調べは大きな問題を抱えています。功名心からだけではなく、『犯人を突き止めたい』『自白を取って証拠を固めたい』という職業的な使命感の強さが無理な取り調べを生み、無実の人を嘘の「自白」に追い込んでいます。できる限り早く、すべての事件で録音・録画が行われ、無理な取り調べによる冤罪がなくなることを心から願っています。」

543NAME:2022/06/16(木) 18:59:27
元厚生労働事務次官・村木厚子の信念「裁判を乗り越えられたのは、自分の人生を他の人に委ねたくなかったから」
3/26(土) 19:36配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/78db7d6a09b3c2def7632f6ab85b86ecf5fecff3
村木厚子【運命に翻弄(ほんろう)されない人生を】

◆どんな理不尽に直面しても、人生の主導権は自分で握る

厚生労働省の官僚として、女性や障害者を支援する政策に携わってきた村木厚子さん。長時間の残業が当たり前の環境でも、仕事と子育てを両立させる女性のロールモデルになることを目指し、地道にキャリアを積み重ねていたところで、冤罪(えんざい)による逮捕……。

もともと大志を抱いて国家公務員になったわけではなく、役所で重職に就く未来なんて思い描いていなかった。それでも、逆境に直面する度に信念を磨き上げていく――。自身を「平凡」と評価する村木さんに、平凡じゃない人生を振り返ってもらった。

女の子でも、必死に働いて自分を養える大人になれることを証明したかった

37年半の国家公務員人生で、いちばん残業時間が長かったのが25歳の頃。当時は旧労働省から外務省に出向したばかりで、手取り足取り仕事を教えてもらえるような環境ではなく、四苦八苦しながら与えられた役割をがむしゃらにこなしていました。 海外とのやりとりも多く、時差の影響もあって仕事が終わるのは午前3時。通勤電車でつり革を握りながら“立ち寝”していたのはあの頃だけです(笑)。 本当に悲惨な日々だったので、どんどんメンタルがすり減ってきて、職場で誰かが後ろを通っただけで動悸がするんですよ。「怒られるかもしれない」という不安でいつもドキドキしていました。

それでも辞めたいと思わなかったのは、しっかり働いて自分で稼ぎ、自分を養える大人になることが、両親への恩返しになると思っていたから。私が中学2年生の頃に父親が失業してしまったこともあり、それこそ実家の家計は火の車だったと思います。 それでも、両親は私の意思を尊重して大学まで行かせてくれました。まだ大卒女性の雇用が少なかった時代ですから、無理してまで女の子の教育費を捻出する家庭は少なかったはず……。 「女の子だから」という理由で進学を諦めずに済んだのだから、社会に出てからも「女の子だから」に甘えるのではなく、意地でも働いて自立したいなと。若い頃は、その思いだけで役所の仕事にしがみついていて、他に大きな志を持っていたわけではありません(笑)。

26歳で結婚した相手は、役所の同期だったので仕事の大変さも分かり合えましたし、私の価値観に共感してくれていたので長女を出産した後も自然と共働きを選びました。当時の男性には珍しく、夫は激務をこなしながらも家事にも育児にも積極的な人で。 理由を聞いたら、「小さい苦労で得られる小さな幸せよりも、大きい苦労で大きな幸せを得たいんだ」と。その言葉は私にとって救いであり、その後のキャリアでも心の支えになっていたと思います。

544NAME:2022/06/16(木) 18:59:52
仕事と育児の両立が辛いなら、職場に借りを作る時期があってもいい

すごく楽しい日々を過ごしていたのですが、私が31歳で島根県の労働基準局監督課長に就任したことで、お母さんっ子だった娘を連れて単身赴任することに。私も夫もいつかは管理職として地方へ行かなければならないことは分かっていたのですが、先に私の順番が来たわけです。 子連れで単身赴任する女性は珍しかったので、東京に残った夫は近所で「奥さんと子供に逃げられた」と噂されていたみたいです(笑)。

監督課長のポストに女性が就くのは約20年振りだったらしく、赴任先の島根でもびっくりされた記憶があります。それでも、周りの方々がすごく気にかけてくれましたし、週休二日制導入の推進キャンペーンなどのやりがいのある仕事に取り組むこともできました。 すごく幸せな1年半でしたが、本庁に戻ったら入れ替わりで夫が長野に単身赴任することになり、かつてないほど辛い状況に。本庁の長時間勤務とワンオペの子育てを両立させるのが本当に大変で……。

当時娘が小児てんかんを患っていて、眠る時に痙攣(けいれん)が起きやすかったので目が離せず、発作が起これば救急車で医大に連れて行くことになっていたので、とても仕事に全力を注げる状況ではありませんでした。 新しい役職に就いたばかりなのに、部下のほうが能力もあるし、迷惑をかけてばかりだなと。「もう無理かもしれない」と……初めて仕事を辞める選択が頭をよぎりました。

仕事と育児の両立に悩んでいましたが、やはり母親業を優先しなければならないことは分かっていました。職場に私の代わりはいるけれど、娘にとって母親は私だけですからね。 自分の中でその優先順位がクリアになってからは、仕事に関しては諦めの境地に達しまして(笑)。部下に仕事をどんどん任せて、自分は堂々と真っ先に帰れるようになったんです。

状況は何も変わってないのに、急に気持ちが楽になってあらゆる物事がうまく回るようになりました。結局、「敵は己にあり」ということ。「みんなに迷惑かけてる」と思い込み、自分で自分をいじめてパフォーマンスを下げていたんですよね。 かつての私と同じように、今の社会にも、仕事を完璧にこなせない自分を責めてしまうお母さんが多いと思います。でも、子育てが大変な時期はずっと続くわけじゃないし、私は職場に借りを作る時期があっていいと思うんですよ。 怪我や病気、親の介護など、いずれは誰しも借りを作る時期が訪れます。自分の借りは、他の人が困っているときにお返しする。貸し借りの感覚を忘れなければいいんです。一人で悩んで罪悪感を増幅させないで欲しいですね。

545NAME:2022/06/16(木) 19:00:09
裁判を乗り越えられたのは、自分の人生を他の人に委ねたくなかったから

働いて自立することだけを考えて、キャリアに関しては何のビジョンも持っていなかった私も、40代になってからは自分なりの目標ができました。東大卒でもなく、平凡な人間でも、夫婦で子育てをしながら役所務めの人生をやり切れることを証明したかったんです。 課長から審議官になったことで、もう十分だと思っていたのですが、幸運にも上位職である局長に選ばれて。育児・介護休業法の改正に着手するなど、仕事のやりがいもあったし、このまま退官したら新たなひとつのロールモデルになれるような気がしていました。

そんな矢先に、郵便料金制度の不正利用の疑いで逮捕。本当に予想だにしていなかったし、自分の何が疑われたのかも分からなくて。メディアで犯人のように報道されて、有罪になれば職も失うという状況です。怒りや戸惑い、不安に押し潰されそうになりましたが、どんなに悩んでも起こってしまったことは変えられません。 裁判で勝つために、できることを最大限にやらなければならないと、冷静に気持ちを切り替えたんですよね。若い頃から長時間労働で身も心も鍛えられていたので、連日夜遅くまで取り調べが続いてもへっちゃらでした(笑)。

数ヵ月にわたる勾留と裁判を経てようやく無罪となったのですが、その間に自分を見失わなかったのは、人生を他の人に委ねたくなかったから。誰が何と言おうと、「やっていない」という真実は私の中にあるのだから、毅然としていようって思えたんです。 生きているといろんな災難が降ってくるし、理不尽な出来事に巻き込まれることもあるかもしれません。それこそ組織の人事は運やタイミングに左右されるものですから、昇進することに価値を置いていると「こんなはずじゃなかった」と絶望することも多いと思います。

そうやって自分ではどうにもできないことに思い悩むのではなく、置かれた状況の中で、自分が決められることに集中すると人生はすごく楽になるんですよね。仕事と育児の両立に悩んでいたときも、拘置所にいたときも、その思考で私は苦しい局面を切り抜けることができました。自分の好きなところを挙げるとしたら、基本的に前向きなところかもしれません。 
2013年には、女性としては2人目となる厚生労働事務次官(国家公務員の最高位)に就任しました。2年後に退官するまで、公務員人生を最後までやり遂げることができて嬉しかったですね。

今もし、何か悩んでいる方にアドバイスするとしたら、ただ悩むのではなく、一つ一つできることをクリアにしてみて、ということ。そうやってマイペースでも長く歩き続けていくと、結構遠くまで行けちゃうんですよ。

村木厚子/元厚生労働事務次官・津田塾大学客員教授 1955年生まれ。高知県出身。高知大学卒業後、1978年に労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。雇用均等・児童家庭局長、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)、厚生労働省社会・援護局長を歴任。

2009年、身に覚えのない郵便不正事件で逮捕。2010年、無罪が確定し、復職。2013年には女性としては史上2人目となる厚生労働事務次官に就任。 2015年に退官後は、伊藤忠商事、住友化学等の社外取締役を務めるとともに、2017年から津田塾大学客員教授に就任。著書に『公務員という仕事』などがある。

546NAME:2022/06/17(金) 23:46:48
玉袋筋太郎「親父を死に追いやった姉夫婦を、今も許せないまま」
理想の家族も、いつ壊れるかわからない
玉袋筋太郎
https://fujinkoron.jp/articles/-/394

昨年出した著書で、玉袋筋太郎さんは父が自殺していたことをはじめて明かした。当時、自身は35歳。その死を受け止めるには若く、また、人に語ることでもないと胸にしまってきたのだ。なぜ父を突然失わなければならなかったのか。そして、その後芽生えた家族観とは。(構成=福永妙子 撮影=川上尚見)

メモに「ごめん」とだけ書き残して

オレには3歳上の姉がいるけど、この17年間、まったく会っていません。オレから絶縁を言い渡して以来、今どこで何をしているのか、生きているか死んでいるかも知らない。 うちの実家は雀荘をやったりスナックをやったりしていたので、両親は共働き。いつも一緒に留守番をしているような姉弟だった。親父やお袋といるより、姉と過ごす時間のほうがずっと長かったし、たくさん遊んで、世話もしてもらって、仲よかったんだよ、あの頃は……。 それなのに、姉と縁を切ろうと決めたきっかけは親父の自殺です。遊園地の観覧車に子どものオレだけ乗っけて、自分は下から見ている――。そんな高所恐怖症の親父が、65歳の時、ビルの6階から飛び降りちゃった。きったねぇメモに「ごめん」とだけ書き残してね。

親父は体調を崩し、メンタルも弱って入院していた。元気づけたくて、オレ言ったんだよ。「今まで大変だったけど、お楽しみはこれからだよ、お父さん」って。芸人の仕事が順調になってきて、商売しながらオレを育ててくれた両親にようやく恩返しできると思ったから。 その2日後に自ら命を絶つなんて、考えもしなかった。「ごめん」のメモ以外に遺書はなかったけど、親父を苦しめ、自殺の原因をつくったのは姉とそのダンナだとオレは確信しています。

姉は子どもの頃から太っていることがコンプレックスで、学校でいじめにもあってた。そのうえ、精神的に不安定になると自傷行為をして親を慌てさせることがたびたびだった。自分の存在をアピールする方法を、ほかに思いつかなかったんだろうな。 だけどさ、両親にとってはかわいくてしょうがないわけよ。何かあったら娘を助けたいし、守りたい。ともかく親父たちは、姉が問題を起こしても無条件にすべてを受け入れ、面倒を見ちゃう。そうした関係がずーっと続いてきたわけです。 オレは高校卒業後、師匠である北野武に弟子入りして家を出ていたから、両親と姉の関係を客観的に見ていました。そして、たまたま読んでいた本に出てきた「共依存」という言葉に、「これだ!」と思った。両親と姉は、このまま共依存の袋小路に入っていくんだな、と不安を抱いたことを覚えている。

結婚して姉は落ち着くかと思いきや、そのダンナというのがロクでもない奴だった。仕事は不安定で常にその日暮らし。金がないから、平気でカードでキャッシングする。切羽詰まった事情で金が必要ならともかく、使い途はすべて遊興費よ。キャバクラなんかに通って、女につぎこんでんだから。そのたびに姉は自傷行為をして、娘かわいさから親父が借金を肩代わりするわけです。

547NAME:2022/06/17(金) 23:47:16
切なる思いは伝わらなかった

オレの実家は西新宿一丁目にあって、じいさんが建てた赤江ビルに、オレたち一家や親父の姉弟たちが住んでいました。じいさんの死後、親父はその土地を手放したんだけど、もう商売はやめていたから、土地を売った金が老後の頼りだった。 姉夫婦はしたたかなもので、孫をチラつかせて親父に泣きつく。親父にすれば娘が不憫だし、孫もかわいい。それで結局、言いなりになる。新宿の土地を売ったあと、両親は茨城で暮らしていたんだけど、何を思ったか、姉一家を呼び寄せちゃってさ。自分が住むマンションの別の部屋を買い与えたんだから、甘いにもほどがあるよね。オレはずっと自活してるのに。

そんなある日、親父が「Y子が金で大変な思いをしてるから、助けてやってくれ」とオレに言ってきた。親父もひとりでは借金を抱えきれなくなったんだろうね。さすがにオレも厳しい判断を迫られて、最後はわが家の山の神に相談しましたよ。 でも、それまでの事情を知っているカミさんは、「共倒れになっちゃうよ」と言った。本当にその通りだと思った。姉夫婦のところでメラメラ燃えている炎が引火すれば、オレんちまで丸焼けになる。それに、ここで助け船を出せば、向こうはますます自活する努力をしなくなるだろう。

オレは親父に手紙を書きました。あの状況で視野が狭くなってしまっている親父に何を言っても、聞く耳なんて持たない。ここは冷静に、文章にしたほうがわかってもらえると思った。 それで、「今回の件は協力できません。お父さんもいい加減、あちらと距離をとってください」といった内容を、丁寧な言葉で一生懸命書いた。親だし傷つけたくないから、ズケズケじゃなく。でも、姉夫婦にいかに問題があるか気づいてもらえるようなヒントを何ヵ所も盛り込んだ。珍しく、何度も推敲してさ。 ところが、手紙を読んだ親父の返答は、「お前はお姉ちゃんを殺すのか!」だった。もう、ありゃりゃですよ。オレの切なる思いはまったく伝わらなかったってわけ。ここまで洗脳されているならもはやオレには説得できない、と諦めて手を引いた。

そうして1年半が経って、親父は死んだ。あの時のオレの判断は正しかったのか今も考える。もしオレがヒーローで、いくらでも借金を肩代わりできてたら親父は死を選ばなかったんじゃないか、とも思う。 でも、あの当時は自分の家族だけで精一杯だった。それに一時、姉に金を貸したとしても、あの泥沼状態はエンドレスで続いただろう、と思うよね。 葬儀のあと、親父の部屋を片づけていたら、金の出し入れを書いたメモがたくさん出てきた。親父は若い頃、証券会社に勤めていたこともあって、帳簿をかなりマメにつけるタイプだった。見て驚いたよ。姉夫婦が親父に借金の尻拭いをさせていたのは知っていたけれど、それはもう信じられない額だった。 姉のダンナがカードで限度額いっぱいまでキャッシングする。親父がそれを返済する。繰り返し返済すれば、借りられる限度額はどんどん上がる。そしてまた借りて……。そんなふうにして姉のダンナが焦げつかせた多額の借金を、親父が全部返し続けていたんです。

548NAME:2022/06/17(金) 23:48:08
今度はお袋に取り入り出した

両親が茨城で老後を何十年も過ごせるだけのお金は十分にあったはずなのに、貸借対照表の最後を見ると蓄えはすっかり底をつき、それどころかマイナス120万円になっていた。親父はこれを気に病んで、衝動的に飛び降りたのではないか……。 なのにさ、張本人たちはとぼけてんだよ。「お父さん、なんで……」って泣いて悲しんじゃってる。オレは姉のダンナを呼んで、帳簿を突きつけた。「これを見ろ! おまえが親父を殺したんだ!」って。相手は土下座をしたけれど、まあ、それだけよ。そんなダンナから姉は離れられない。つまり、こっちはこっちで夫婦で共依存っていうわけさ。 相談に乗ってくれたのは、母の弟にあたる叔父さんだった。ガンで闘病中の身にもかかわらず、「盗人に追い銭じゃないけど、あいつらはもういい。俺たちで処理しよう」と、120万円の清算を一緒にしてくれた。それを機に、オレは姉ときっぱり縁を切ることにしました。宣言もした。死を選ぶまで親父を追い詰めた姉たちを、断固として許せなかったから。

ところがさ、今度はお袋に取り入り出したんだよ。その頃、お袋は以前に買っていた新宿のマンションでひとり暮らしをしていた。そこに姉夫婦が金の無心に来る。孫の教育費だとか、アトピーになったとか言われると、親父の生命保険を出しちゃうんだよね。「一緒に住もう」とも言ったらしいけど、それはお袋のことを思ってじゃない、金ヅルだもん。 「金を出すことは、お姉ちゃんのためにならない」といくら言っても、洗脳されているから怪訝な顔をしているわけよ。「お母さん、頼む。このままじゃ、親父と同じことになる。つらいと思うが、向こうを切ってくれ」と土下座して、涙ながらに訴え続ける息子を見て、少しずつわかってくれたようだった。 オレは40歳にしてようやく自分の家を買えたので、お袋を引き取った。姉たちには「お袋に絶対に近づくな」と伝えたし、新居の住所も連絡先も一切教えなかった。さながらカルト教団からの救出劇ですよ。

あれから10年以上が経ってお袋に認知症の症状が出てきたので、昨年から施設に預かってもらうことにした。お袋は気持ちのさっぱりした人で、オレたちと一緒に暮らし始める時に「お姉ちゃんのことは忘れた」と言ってくれたけど、本当は心の中で無理していたかもしれないよな。 だけど今は、自分のお腹を痛めて産んだ娘のことも、孫のこともすっかり忘れている。もともとの性格と、認知症によるボケがミックスされたのか、よく笑うんだ。その笑顔にオレはすごく救われてるね。もう、娘のことを無理して忘れようとしなくていい。つらい現実と向き合わなくていい。そう考えれば、認知症もまんざら悪くないのかもしれない。

549NAME:2022/06/17(金) 23:48:21
絶縁しても、思い出は消せない

「きょうだいは他人の始まり」と、先人はよく言ったものだよね。実はその昔も、オレは身内がバラバラになるのを経験しています。うちは親父が長男で、ほかに姉と弟がいた。じいさんが建てたビルで叔父さんや伯母さんの家族と一緒に、何不自由なく暮らしてたんですよ。両親も親戚も商売をやっていてみんなで飯を食ったり、大人たちは酒を飲んだり。

ところが、じいさんが死ぬと状況が変わった。ビルは新宿の一等地にあって、相続は揉めに揉めた。結果、一家離散ですよ。親父はそれで傷ついて、住み慣れた新宿を離れた。理想の家族なんていっても、いつ壊れるかわからないと、この時学んだ。 だからさ、ほんと家族って何だろうと思うよ。オレには、今年27歳になる息子がいるけど、彼とは血はつながっていない。25歳で所帯をもった時の、カミさんの連れ子だから。

だけど縁あってオレのところに来てくれて、こんなダメな父親なのに息子は横道に逸れることなく、まっすぐに育ってくれました。オレは、自分があいつに育ててもらったと思っているしね。その息子も結婚して、オレには息子夫婦という新たな家族が増えたわけです。 血のつながりがあるのに切り捨てた家族があり、一方には、血はつながらないけど愛おしみながら築き上げてきた家族がある。血縁なんかどうでもいい。そう思いながら、姉夫婦の借金を一緒に肩代わりしてくれた叔父さんがつぶやいた言葉が忘れられないんだよ。 「でもなぁ。お前は最後は血がつながっているんだからな」 その言葉は矢尻のように、ざっくりオレの胸に刺さった。今も刺さったまま、オレはこの先も生きていくんだろうと思う。

姉のこと、本当に許せなかった。だけどさ、ちっちゃい頃、一緒に風呂に入ったことだとか、そんなのを思い出してポロリと涙してしまう自分もいる。絶縁しても、思い出は消せないんだ。あっちにいる甥っ子や姪っ子だって、オレにとってはかわいいんだよ。そのことまでは否定できないのさ。 まさか自分が、家族の恥ずかしいエピソードを売ってメシを食うことになるなんて思ってなかったよ。第一、こんなふざけた芸人やってて親父が自殺したとか、やっぱりキツかった。 でも、ずっと隠しておきたかった“ワケあり話”を話す気になったのは、現在の身の回りのことやらでモヤモヤしているものを抱えているからだろう。オレにとってこの仕事は疑似家族みたいなものだったから。30年も一緒に過ごしてきたけど、師匠が会社を去り、オレのもう一つの家族も崩壊したってわけさ。

そんな身辺のゴタゴタに加え、プライベートでは親父や姉に対する整理のつかない思いがいまだにくすぶっている。心にいくつも荷物を抱えていることが、だんだんキツくなってきた。だからガス抜きじゃないけど、こうして話すことでちょっと身軽になりたかったのかもしれない。 西新宿で、みんな仲よく暮らしていた頃を、懐かしく思う。オレの黄金時代ですよ。今は跡形もなく消え、焼け野原が残っているだけ。それはそれでしょうがない。大事なのはそこからどう復興して、街をつくっていくか。それは、新しい家族というインフラをしっかり整備することだと思う。カミさんや息子のことをちゃんとケアしてさ。 オレは昭和の雰囲気が残るスナックが大好きなんだけど、スナックっていいもんだよ。隣り合った80代のおじさんと話してると、親父から聞けなかった話を聞いたような気持ちになる。姉くらいの年回りのおばちゃんと飲めば、「今頃、こんなふうになってるのかな」……って、感傷的になってるオレ、まだ青いね。(笑) 出典=『婦人公論』2019年6月25日号

550NAME:2022/07/04(月) 22:24:48
「芸能人の自殺が増えた」本当の理由 日本は若者の自殺がとんでもなく多い国だった
2020.9.28(月) 青沼 陽一郎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62277

 今年に入って、いわゆる芸能人の自殺が目立っている。 つい先日までの猛暑が嘘のように涼しさを増した9月最後の日曜日の朝に、メディアが一斉に速報したのは、女優の竹内結子の自殺だった。報道によると、27日未明に渋谷区の自宅マンションのクローゼット内でぐったりしているところを夫が見つけ、119番通報した。首つり自殺を図ったと見られている。40歳だった。

 その2週間前の9月14日には、女優の芦名星が新宿区の自宅マンションで自殺。36歳だった。視聴率を稼ぎ、20年近く放送の続くテレビドラマ『相棒』シリーズに準レギュラーで出演もしていた。 さらにその2カ月前。7月18日には、俳優の三浦春馬が30歳の若さで自ら命を絶っている。やはり今月20日に都内の自宅で自殺した俳優の藤木孝(享年80歳)と芦名と過去にドラマで共演していたことや、竹内と映画での共演もあったことから、そこに奇妙な因果関係を見出したがる報道もある。 さらに遡れば、フジテレビの番組『テラスハウス』に出演していた22歳の女子プロレスラーの木村花が、5月23日に自殺している。正式な発表はないが、同番組での出演者とのやりとりを巡るSNS上での誹謗中傷が原因であるとされ、今月になってBPO(放送倫理・番組向上機構)の審理入りが決まった。

 華やかに映る芸能界の裏側で、みんななにかに悩んでいた。そのギャップに多くの一般視聴者は驚き、そこに“心の闇”があった、などと使い古された曖昧な言葉で絡め取って、どこか落ち着かせようとする、そんな記事原稿も少なくない。

 はたまた、新型コロナウイルスの蔓延による影響を説く、いわゆる自殺に関する専門家と呼ばれる連中の声もある。不要不急の外出の自粛が叫ばれ、人との接点も減った。俳優であれば、撮影や舞台の出演も先送りになったり、中止になったりする。ともすれば収入にも影響が及ぶ。いままでと違う日常。それだけでもストレスなのに、親しい人とも疎遠になって、心の内を聞いてもらえることもなくなった。それが自殺に結びついている。そういう見立てだ。 だが、問題はそんな単純なものはではない。ここに現れているのは、“日本の闇”そのものである。

551NAME:2022/07/04(月) 22:25:02
若者の死因トップが「自殺」である日本

 厚生労働省は今月、昨年2019年の「人口動態統計」を公表している。 そこで驚かされるのは、15歳から39歳までの死因の第1位がいずれも「自殺」であるとだ。5歳ごとの年齢階級別に表示される死因の順位を見るとわかる。2人に1人がなるとされる「がん」よりも多い。しかも、10歳から14歳まででは、「自殺」が死因の第2位を占め、2017年には同年齢階級の第1位になっている。 さらには、昨年の統計で40歳から49歳までの死因の第1位は「がん」だが、第2位は「自殺」となる。50歳から54歳まででは「自殺」が第3位、55歳から59歳までで第4位、60歳から64歳までで第5位に位置する。

 国内の日本人の自殺者数は、3万2000人を超えた2003年をピークに、年々減少傾向にある。ところが、20代、30代の死因の第1位が「自殺」である傾向は、もう20年以上変わらないで推移しているのだ。 こんな国はない。こんなに若者が自ら死を選ぶ国は、先進国といわれるなかでも日本だけだ。この事情は、国会議員の間でも問題視するところで、自殺問題に関する超党派の議員連盟もある。それでもこの傾向は変わらない。 米国、中国に次ぐ世界第3位の経済大国でありながら、若者にとっては生きづらい国であることを統計が示している。

 相次ぐ芸能人の自殺の年齢層を見ても、この事情に当てはまっている。 もともとこの国は、同年齢層の自殺者が多いという異様な傾向にあって、それが芸能人の自殺報道の多発で浮き彫りになって来た、と受けとめるべきだ。いまのところ、コロナ・ストレスと自殺を関連づけるものは、なにもない。 仮に、新型コロナウイルスの影響が出ているのだとすると、来年に報告される自殺者の数は、20代、30代に限らず全体的に増えてくるはずだ。それも「新型コロナ関連死」であって、本来の20代、30代の自殺の多さを解決するものにはならない。

「生きづらさ」を感じた時は

 若者を自殺に追い込むもの。生きづらさ。長年続く傾向とその要因については、社会全体として包括的な議論が必要になってくるだろう。格差社会、貧困もそのひとつかも知れない。 むしろ、そうした事実と向き合って来なかったこの国の政治のほうが異常と言える。 ただ、著名人の自殺報道が相次ぐと、そこから連鎖も起きやすい。

 そんな時の為に――。 置かれた環境の生きづらさから、自殺を考えたとき、この国は若者の自殺が多いこと、そんな客観的な事実から、生きづらいのは自分ばかりではないことを、再認識して欲しい。ひょっとしたら、隣にいる人もいまの生きづらさに、もがき苦しんでいるかも知れない。その可能性の高さは、統計が示す通りだ。だったら、ひとりで思い悩んでいることを、誰かに打ち明けてみる。どうせみんな生きづらいと感じているのだから。そう思いなおすことも、時として重要なことだ。 そんなことを、一瞬でいいから思い起こして欲しい、と切に願う。

●主な相談窓口
・日本いのちの電話連盟
 ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時〜午後10時)
 フリーダイヤル:0120-783-556(毎日 16:00 〜21:00 、毎月 10 日は 8:00 から翌 11 日 8:00 まで)

552NAME:2022/07/18(月) 00:33:12
五輪で金4個の伝説的陸上選手、人身売買の被害者だった「ずっと隠してきた」
よろず〜ニュース - 昨日 14:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E4%BA%94%E8%BC%AA%E3%81%A7%E9%87%91%EF%BC%94%E5%80%8B%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E7%9A%84%E9%99%B8%E4%B8%8A%E9%81%B8%E6%89%8B-%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%A3%B2%E8%B2%B7%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%E9%9A%A0%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F/ar-AAZvNjl?ocid=msedgntp&cvid=6d5582276cac4ad2b12f033f7d7f98ce

オリンピックで4度の金メダルを獲得している陸上のモハメド・ファラー(39)が、実は人身売買によってイギリスに渡ってきたことを明かした。これまでは、イギリスにいた父を追ってソマリアから移住してきたとしていたファラーだが、実は父はソマリアの内戦で死亡しており、見知らぬ女性によって違法に渡英してきたとBBCのドキュメンタリー番組「モー・ファラーの真実」の中で語っている。

出生名はフセイン・アブディ・カヒンだったというファラーは、「実は私はあなたが思っている人間ではないんです。子供の頃からずっと隠してきた秘密があります」と切り出して「打ち明けることに決めた大きな理由の1つは、何も隠しているような気持ちにならず、普通に暮らしたいと思ったからです」と続けている。

父親はムクターという名でロンドンで育ちのITコンサルタントだとしてきたファラーだが、父親の本当の名はアブディで、ソマリアで農夫として働いていたと説明、父を失った後、母アイーシャによって身の安全のために隣国のジブチに住む親戚の元へと送られたが、そこで見知らぬ女性によってイギリスへと連れてこられ、使用人として働かされていたと明かした。

この告白によりイギリスの市民権を失うことを心配しているファラーだが「家族内の誰かが自らの人身売買に関わっていたかもしれないと考えると、それが一番辛い」と胸中を明かしている。(BANG Media International/よろず〜ニュース)

553NAME:2022/07/18(月) 00:39:16
イ-ロン・マスク氏、実父と41歳年下の義理の娘との間に第2子が誕生していたことを明かす
日刊スポーツ新聞社 - 昨日 11:04
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E3%82%A4-%E3%83%AD%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%B0%8F-%E5%AE%9F%E7%88%B6%E3%81%A841%E6%AD%B3%E5%B9%B4%E4%B8%8B%E3%81%AE%E7%BE%A9%E7%90%86%E3%81%AE%E5%A8%98%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AB%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%AD%90%E3%81%8C%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99/ar-AAZEvOx?ocid=msedgntp&cvid=7cffe680be324a1c9c39331b4730624e

「このまま出世率が低下すると日本はいずれ消滅する」と日本の人口減少に警告を鳴らして話題になった米電気自動車大手テスラの最高経営責任者(CEO)イ-ロン・マスク氏(51)の実父が、義理の娘との間に子供が誕生していたことが明らかになった。父エロール・マスク氏(76)は、英サン紙のインタビューに応じ、2019年に41歳年下の義理の娘との間に第2子が誕生していたことを明かした。2人の間には17年にも男児(5)が誕生しているという。

子供の母親は、最初の妻との離婚後に再婚したハイデさんの連れ子だったヤナさん(35)で、再婚当時はまだ4歳の少女だったという。エロール氏は18年連れ添ったハイデさんとの間に2人の子供をもうけており、義父としてヤナさんも育てている。ヤナさんが最初の子供を妊娠した際には激怒したマスク氏との関係に亀裂が入ったというが、2人目の妊娠は想定外だったと語っている。同氏はDNA検査はしていないと話しているが、2人は最初の子供が誕生して以降1年半一緒に暮らしており、「他の娘にそっくりなため自分の子供に間違いない」と認めている。2人は現在は一緒に暮らしていないという。

「この地球に我々が存在する唯一の理由は繁殖」と話す同氏の息子マスク氏も、最初の妻との間に双子と三つ子の5人の子供がいるほか、別の2人の女性との間にもそれぞれ2人の子供がおり、計9人の子供を持つ父親として知られる。(ロサンゼルス=千歳香奈子通信員)

554NAME:2022/07/26(火) 23:26:35
加藤死刑囚「拡大自殺」「ローンウルフ型」の先駆け
2022/7/26 21:03
荒船 清太
https://www.sankei.com/article/20220726-OZT5IHJ7AJIQPFJHEQ6IMYZZYY/?517061

東京・秋葉原で7人が死亡、10人が負傷する無差別殺傷事件を起こし、社会を震撼(しんかん)させた加藤智大(ともひろ)死刑囚の刑が26日、執行された。格差社会で孤独にさいなまれ、インターネットの世界でも拒絶された末に「誰でもよかった」と手当たり次第、刃を向けた凶行は「拡大自殺」「ローンウルフ(一匹おおかみ)型テロ」の先駆けともいえるもので、同様の事件は今も後を絶たない。

昭和57年に生まれた加藤死刑囚は、教育熱心な両親のもと、青森市内で育った。同級生らによると、小学校では人気者だったが、中学では教室でイスを投げて暴れるなど「キレる」一面も。高校は市内の進学校に進んだが、同級生が大学に合格する中、岐阜県内の短大に進学。社会人となってからは職を転々とし、事件直前は派遣社員として静岡県で働いていた。

私生活で孤独を味わい、自殺も考えていた加藤死刑囚が救いを求めたのは、ネットだった。掲示板に境遇を書き込み、共感を募ったが、そこでも嫌がらせを受け、「居場所がない」と思い詰め、犯行に及んだ。 《秋葉原で人を殺します》。そう書き込んだ平成20年6月8日、休日でにぎわう秋葉原で無差別殺傷を実行。最高裁は、社会への不満と孤独感を強めた加藤死刑囚が、ネットでの「嫌がらせに怒って犯行に及んだ」と認定した。

自殺を断念し、その矛先を他人に向ける現象は「拡大自殺」とも呼ばれる。昨年12月に大阪市内で発生したビル放火事件では、容疑者の男=死亡=がガソリンを使って犯行に及び、26人が犠牲になった。 加藤死刑囚の犯行に政治的な意図はなかったとされるが、組織に属さず、単独でテロ行為に及ぶ犯行形態は、日本での「ローンウルフ型」事件の先駆けともされる。

以降、2013年の米ボストンマラソンでの爆弾テロ事件のほか、今月8日に安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件など、国内外でローンウルフ型事件は広がりを見せている。 立正大の小宮信夫教授(犯罪学)は、秋葉原の無差別殺傷事件について「社会への不満を無差別殺人の形で解消するという〝型〟を示した点で、犯罪史に残る特異な事件だった」と指摘。「後続の犯罪者に多大な影響を与えた」とみる。 東京工業大の影山任佐(じんすけ)名誉教授(犯罪精神病理学)は加藤死刑囚が家族や現実社会、ネット社会で疎外されたことが「犯行に結びついた」と分析。「逆に現実社会やネット社会での人とのつながりを保つ方策を講じることで、同種の犯行は、ある程度予防できるのではないか」としている。(荒船清太)

555NAME:2022/07/26(火) 23:30:08
元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=による東京・秋葉原での無差別殺傷事件(平成20年)に関わった関係者らは26日午前の死刑執行を受け、今も抱えるやりきれない思いを口にした。

事件発生当時、捜査の指揮に当たっていた警視庁捜査1課の元刑事、石川輝行さんは、刑の執行について「いつか執行されるとは理解していたが、まさか今日とは予想していなかった」と驚き、「被害者のご冥福をお祈りするしかない」と言葉少なに話した。

石川さんは毎年現場に足を運び、献花している。事件について、「あれだけ多くの方が一瞬で亡くなってしまった。関わった事件で一番、被害者が多い事件だった」と振り返る。 「指揮官として、最大限の遺族対策をしたつもりだったが、それで良かったのかどうかと、今でも自問自答している」と語り、「一生、私の課題だ」と心境を明かした。

「来るべきときが来たか」。事件当時、地元の万世橋地区町会連合会の会長だった大塚實さん(88)は刑執行の知らせに、そう感じたという。 事件当日、大塚さんは「大変な事件があった」との知らせを受け、タクシーで現場に向かった。規制線と群衆で現場の様子はうかがえなかったが、「十数人が殺傷された」との情報が入り、「当日の物々しい雰囲気が今でも思い出される」という。 事件は発生から14年が経過し、風化を感じることもある。「ある程度は仕方ないが、それでいいのかという葛藤がある」とし、「彼がなぜあのような無差別殺人事件を起こしたのか今でもわからない」と話した。(王美慧、塔野岡剛)

無差別殺傷事件が起きた東京・秋葉原の交差点では26日、元派遣社員、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行を知った通行人らが「償いは十分だったか」などと釈然としない思いを口にした。 14年前、多くの人が犠牲になった現場交差点では、雨が降りしきる中、ペットボトルの水を手向ける人もいた。埼玉県入間市の男性会社員(35)は、携帯電話のニュースで刑の執行を知り、「もう執行されてしまったのか。賠償や説明をもっとするべきだったのでは」と話した。

近くの企業に勤める坂田啓介さん(40)は「同世代が起こした事件で印象に残っている。現場が(会社の)近くというのは知っていた。改めて犠牲になった方の冥福をお祈りしたい」と神妙な面持ち。付近を通りかかった男性会社員(33)は「一方的に社会に恨みを持って他人を巻き込んだ点は、その後の京都アニメーション放火殺人事件や、安倍晋三元首相銃撃事件の元になったように感じる」と振り返った。

556NAME:2022/07/27(水) 00:15:15
秋葉原通り魔事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
加藤 智大(かとう ともひろ)(1982年9月28日生まれ[1])(犯行当時:25歳)

秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん)は、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が重軽傷を負った。

加藤によると、殺人を目的として事件を起こしたのではなく[20]、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段だったという[3][4][21]。事件直前には中止を考えたものの既に掲示板で犯行予告を行っていたため、懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行したという[22]。

トラックで人をはね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件を[注 3]、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考に

掲示板

加藤は携帯電話向けの電子掲示板を複数利用していた。2008年2月に「不細工なせいで孤独な男」という人物を演じたところ他利用者からの反応が良かったので、以後「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けて行く[55]。一方で加藤に成りすました荒らしも掲示板に現れるようになる。

やがて実生活で仕事や友人を失ったことから社会との接点が掲示板のみになり、孤立を恐れて掲示板にしがみつくようになった加藤は[56]、荒らしへの「心理的に攻撃する手段」[2]として、報道されて相手に伝わるような大事件を起こすことを決意する[57]。

加藤は事件当日の5時21分に「究極交流掲示板(改)」[58]に新しいスレッドを立て、沼津から秋葉原まで移動して事件を起こすまでに約30回のメッセージを書き込んでいた[59]。11時45分頃、秋葉原に到着した加藤はスレッドのタイトルを「秋葉原で人を殺します」へ、内容を「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えて犯行予告を行い[60][注 6]、12時10分に「時間です」の書き込みを残して12時30分に事件を起こした[61]。

精神科医の片田珠美は加藤の弟による手記を分析し[51]、加藤は、幼少期に他の子供との交流を制限されていた事で母親から投影された自己愛が思春期まで抜けられず、現実の自分との間に大きな隔たりが生まれたのだろうと指摘している[52]。一方で加藤は片田のこの著書を「様々な間違いの集大成といえるもの」とし[53]、自分は現実に適応してきた現実主義者だったと反論している[54]。

557NAME:2022/07/27(水) 00:23:39
重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」
2022/7/26 18:37
村嶋 和樹
https://www.sankei.com/article/20220726-LEDOBW7RRRMN7OTUR7OUXXBS5E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E9%87%8D%E5%82%B7%E3%81%AE%E5%85%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%8B%20%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%82%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9A%E3%80%8D

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。

湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。

加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。 《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》

冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。

「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。 湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。

558NAME:2022/07/27(水) 00:34:55
〈死刑執行〉「死をもって償って」遺族が激怒した加藤智大死刑囚の“6枚の手紙”《被害者は後遺症で職を失った…》
「週刊文春」編集部 10時間前 source : 週刊文春 2010年2月4日号
https://bunshun.jp/articles/-/56134

2008年6月、死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件。7月26日午前、加藤智大死刑囚(39)の死刑が執行された。事件から14年目のことだった。古川法務大臣は臨時の記者会見で「被害者はもちろん、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件」と述べ、慎重に検討を重ねた上で死刑を執行したとした。

 なぜ、数多の命は一瞬にして奪われてしまったのか。加藤死刑囚が記した手紙、遺族が「週刊文春」に悲痛な思いを語った当時の記事を再公開する。(初出:週刊文春 2010年2月4日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

「事件から公判までの約1年7カ月は非常に長かったなぁという気持ちです。早く公判を開いて、『死刑にして欲しい』との気持ちをずっと持っていました。 犯人には息子の命を奪われただけではなく、私たちの人生までメチャクチャにされた。事件直後はボーッとして、何も手につかない状態でした。職場復帰しても、体調がすぐれず、精神科に通い薬を処方してもらっていたんです。体調は今もすぐれません」(ある犠牲者の父親)

 死者7名、負傷者10名を出した秋葉原通り魔事件(2008年6月)がようやく初公判を迎えた。遺族と被害者に今の心境を聞いた。 昨年11月被害者と遺族のもとに、被告の加藤智大から便箋6枚に及ぶ謝罪の手紙が届いた。「手紙には、『(私の罪が)万死に値する』とありました。鬼畜のような心から、人間らしい心を取り戻して、死をもって償うのはいいこと。でも、報道を見聞きしている限り、彼は人生の挫折を自分のせいではなく、自分が置かれていた環境や周囲のせいにしているように思えます」(同前)

手紙では〈申し訳ない〉を繰り返したものの…

 手紙の中で加藤は〈申し訳ない〉を繰り返し、〈当然死刑になると考えています〉と記している。だが、その一方で遺族、被害者の苦痛については、次のように書いて違和感を与えている。〈私にはそういったもの(温かい家族、恋人、友人、同僚)はありませんので、それらが理不尽に奪われる苦痛を自分のこととして想像することができず歯がゆいのですが、おそらく、私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が荒らし行為によってその存在を殺されてしまった時に感じたような、我を忘れるような怒りがそれに近いのではないかと思います〉

手紙を読んだ遺族の怒りは収まらない。 「あんなにたくさんの人に危害を加える前に、自分がトラックにぶつかって死ねばよかったんじゃないかなと思う。彼の言うとおり『死をもって償いをしろ』と思います。とても情けはかけられません」(同前) 手紙の受け取りを拒んだ遺族もいた。「手紙は送り返しました。裁判の傍聴はしません。事件を思い出してしまうし、犯人の顔を見たら、正常な気持ちを保てないからです」(別の遺族)

ダガーナイフの傷跡

事件の傷跡は、精神的にも肉体的にも、今も深く残っている。 「息子はまだ若かったし、(亡くなる)順番が逆かなと思います。他人から見れば普通の生活をしているようなイメージがあるかもしれませんが、この先ずっと普通の生活が戻って来るとはありません……」(同前)  被害者の介抱に当たっている間に、背後から刺された元タクシー運転手のAさんはこう話す。

「不安は今も残ったまま」

「ダガーナイフで受けた傷は肺から肝臓にまで達していました。約50日間、入院生活を余儀なくされ、退院後も精神安定剤や肝臓、痛み止め等の薬を1日3回飲み続けなければならない生活が続きました。労災で入院費や通院費を賄っていたんですが、昨年の9月末に労災の期限が切れ、実費に代わったため、今はもう病院にも通っていません。

 今でも右胸部から脇腹部分がマヒしたままです。医師には『神経が切られてしまったので一生症状が改善することはない』と告げられました。一度職場復帰しましたが、後遺症と思われる偏頭痛や手足の痺れに悩まされ仕事を辞めざるをえなくなり、今は失業保険で何とか生活している状態です……」

 Aさんは現在、ハローワークに通いながら自宅療養する生活を送っている。「たとえ仕事をはじめても、また以前のように後遺症による偏頭痛がするのではないか、という不安は今も残ったままです」 加藤は〈きちんと全てを説明しようと思っています〉とも書いた。今更何を説明しようというのか。

559NAME:2022/07/27(水) 01:29:23
「秋葉原で無差別殺傷した死刑囚の元同僚です」大友秀逸さんがそう名乗ってツイッターを続ける理由 「人を殺したい」という内容のメールが定期的に届く
https://president.jp/articles/-/58074

「どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージ」

「ある警備員から『全然仕事がもらえない』って相談されたから、加藤くんに『どうした? ちゃんと配置してんのか?』って聞いたら、机の裏側にその人の名前の書いてあるマグネットが落ちていたんですよ。本人は『あぁ、落っこちてた。これじゃ配置できねえや、ハハハ』と高笑いしてるから、『お前ふざけんな、この野郎! 何だと思ってるんだ』って怒鳴りつけた。まあ、あとで『すみませんでした』って詫びてきましたけどね」

加藤が事件を起こした2008年は、労働者派遣法の規制緩和により派遣社員が急増していた時期だ。会社都合でいきなり契約を解除される「派遣切り」が問題となり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの用語も生み出されていた。そのため、派遣労働の企業を渡り歩いていた加藤の事件に対し、格差社会が生み出した貧困労働者による犯罪として論じるメディアも多々あった。しかし、大友氏の印象はそれと違うようだ。

「僕の知ってる加藤くんは、どちらかというと中間管理職で弱い者いじめをしていたイメージのほうが大きいです。完全に見下している人に対して、そういう傾向が強かった」

カッとなって電話機を叩きつけて壊したことも

とはいえ、中間管理職も相当振り回されていたらしい。たとえば、ある警備員は夜勤開始の30分前に電話をかけてきて、こう言ったという。 「今、パチンコで15万円勝ったから、しばらく仕事休ませろ」 それを聞いた加藤は、電話越しに激高した。 「ふざけんな! じゃあ今から誰あてがえば良いんだよ」「いやあ、俺は行かないよ。だって15万勝ったから働く必要ないじゃん」

こうなると加藤は、自分が代わりに現場へ行って穴埋めしなくてはならない。仕方がないので、翌日以降の仕事もすべて配置から外した。すると、次の日また電話がかかってきた。「すみません。今日、一気に20万円負けちゃったんで、悪いけどまた明日から仕事、入れてくれませんか」 そうしたことが頻繁に起こるので、加藤はカッとなって物を投げたり、電話機を叩きつけて壊したこともあったという。

「だから、干してやりたくなる気持ちもわからなくもないし、ガシャーンって電話を叩きつけてブチギレたくなる気持ちもわからなくもないけど、そこはやっぱり理性が働いて、壊すまではいかないじゃないですか。でも、それをやっちゃうんですよ」

社内には加藤よりキレやすい人間がいた

一方で、そんな自分に不甲斐なさを感じ、倉庫で一人シクシク泣いている加藤の姿も大友氏は見ている。キレる一方ではなく、内省もしていたのだ。 「俺が叱ったことに関しては反発するでもなく、自分なりに噛み砕いて配置を改める。ポジティブに、自分を改善していきたいという思いがある人なんです。もしも最初に入った会社がそこじゃなくて、ちゃんとやる気を認めてくれる会社だったら、それなりの地位についていたんじゃないかなという思いは結構あるんです」

大友氏からすれば、ほかの社員と比べて加藤にはまだ見込みがあったのだろう。むしろ社内には、もっとキレやすい人間もいて、当時はそちらのほうを警戒していたという。いったいどんな会社なんだと思ってしまうが、驚くのは早かった。なんとこの会社には、加藤の前にも無差別殺傷事件を引き起こした人間がいたというのだ。

560NAME:2022/07/27(水) 01:30:28
加藤以外にも無差別殺傷犯が在籍していた

「僕と加藤くんが入るずっと前に働いていた人が、仙台市のアーケード街をトラックで暴走して何人か殺傷する事件を起こしているんです。結構全国的なニュースになりましたけど、そっちは精神疾患に認定されて、その後に報道規制されたんですよ」

2005年、歩行者7人を死傷させた「仙台アーケード街トラック暴走事件」だ。まさかその犯人までもが、同じ警備会社の元従業員だったとは驚きである。「事件が起きたのは、加藤くんが辞めたあとでしたけど、僕が話してるから、もしかしたら犯行の方法を選ぶときに、無意識に影響してしまったのかもしれない」

大友氏はこのエピソードから、犯行の方法を模倣する心理について語っている。しかし私には、一つの会社で2人も無差別殺傷犯が出てくることのほうが不可解でしょうがない。いくら辞めたあととはいえ、そんなことがあるだろうか。私が困惑していると、大友氏はさらに恐ろしい話を続けた。

「俺がいた2年間だけでもしょっちゅう事件はあったからね。ある日、寮で警備員のおじいさんが突然亡くなって、警察が調べに来たけど事件性はないってことになったんです。けれど彼の携帯電話と、財布の中のお金がなくなっていた。しばらくして夜勤警備の現場で、亡くなった方の携帯電話の落とし物が届いたんです。

その日の現場で寮生活をしていたのは、ある若い兄ちゃん一人しかいなかった。それで、その子に『悪いけど、明日朝イチで来てくれる?』って言ったら行方をくらましちゃった。だから、もしかするとその子が殺したのかもしれない。遺族に事情を説明したら、『世間体もあるから放っておいてくれ』みたいなね。実際にそういう話が日常的にポンポンあるから、もう感覚が麻痺して、事件が日常になっちゃう会社だったんですよ」 

「俺は、可能性はある人だなあと思っていましたね」 金銭目的で簡単に人を殺してしまう、しかも死んでも遺族が騒がない相手を選ぶとは、ある意味で加藤より悪質だ。こうした環境に身を置くことで「困ったときは殺人」という選択肢が、加藤の無意識に刷り込まれたのだろうか。

「言い方悪いけど、やっぱり事件にかかわってしまう人が集まりやすい環境だったと思いますよ」 私は、「朱に交われば赤くなる」の恐ろしさを改めて実感した。 一方で、大友氏はこんなことも語る。 「事件が起きるとよく『あの人がそんなことをするなんて信じられません』なんてコメントがあるけど、俺はまあ、可能性はある人だなあとは思っていましたね」

大友氏がそう思うに至った、象徴的な出来事があるという。ある日、大友氏と加藤、そしてもう一人70代と思しき耳の遠い高齢の警備員の3人チームが、国道のライン引きを警備する仕事に配置された。白やオレンジのセンターラインなどを引く専用車が時速6キロほどで線を引いて走り、警備員はその後ろをマラソン大会さながらに追いかける。ラインが乾く前に車が通ってしまうと、その車のタイヤに塗料がつき、地面のあちこちが汚れてしまう。それを防ぐための警備である。

561NAME:2022/07/27(水) 01:30:42
そもそも体力勝負で、高齢者に任せるような仕事ではないが、そんな現場にも平気で配置してしまうのが、ブラック企業たる所以だった。車の出入りがあるコンビニの駐車場前に差しかかったとき、高齢の警備員は瞬時の対応ができず、足元もおぼつかないため、自らラインを踏んでしまった。

さらに彼は、塗料の付いたその足で地面を歩きまわった。咄嗟に大友氏は「動くな!」と叫んだが、耳が遠いので聞こえない。慌てた高齢の警備員は、「え? え?」とさらに歩きまわる。まるでコントかのように注意すればするほど、地面に足跡がベタベタと付いていく。

“最初の殺人事件”になっていたかもしれない出来事

「こんなにグチャグチャにされたら、直すのに4倍も5倍もかかるぞ」と作業員は怒り心頭に発していたが、高齢の警備員は耳が遠いので、言われていることがわからない。「これを、3、4回繰り返したら加藤くんがブチギレた」

なんと加藤はいきなり高齢の警備員の胸倉をつかむと、柔道の足払いの要領で全体重をかけ、彼を頭からアスファルトに叩きつけたという。 「瞬間でいっちゃったから、もう止めようがないんです。ヤバい音がして、あっ、完全に首と頭やったなって」

あまりの出来事に一同絶句し、時が止まったかのように場が静まった。その中で、加藤は一人クルリと振り返ると、満面の笑みを浮かべて、「大友さん! ちゃんと注意してやりましたから!」と言ったという。 「本当に映画で見る猟奇殺人犯のような笑みっていうか、不気味な笑顔。『ちゃんとやったからこれで大丈夫です』みたいな。みんなができないことを俺がやってやったという感じで」

怒りが抑えられないのも問題だが、さらに加藤は、その暴力を「みんなのために」「良いこと」だとまったく疑うことなくやったのだ。この認知のゆがみは相当なものだろう。幸い、高齢の警備員は合気道4段だったらしく、咄嗟に受け身をとったらしい。ヘルメットを被っていたこともあり、怪我はなかった。が、もしかすると加藤にとってこれが最初の殺人事件になっていたかもしれない。
それでも「友人」であることには変わらない

「そういうのを知ってるから、ちょっと危険な兆しのある人なのかなっていうのは嫌でも見える」 まともな人間なら近づきたくないだろう。しかしそんな危険な姿を見ても、なお大友氏は加藤の「友人」なのだ。 「うん。俺に対して何かおかしな態度とかあれば距離を取ったかもしれないけど、僕に対してはちゃんと普通に接するし、間違いを注意したら本人なりに反省して改善して頑張ってやっているっていう姿は見えたから。自分としてはまずいとわかっているけど、どうしようもないみたいな部分もあるし。なんかもがいてるのかなぁ、ぐらいだった」

562NAME:2022/07/28(木) 23:48:35
《死刑執行》秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大の元同僚が語る素顔「瞬間的にキレてしまう傾向は…」
渋井 哲也
2022/07/26 10:40
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e3-80-8a-e6-ad-bb-e5-88-91-e5-9f-b7-e8-a1-8c-e3-80-8b-e7-a7-8b-e8-91-89-e5-8e-9f-e7-84-a1-e5-b7-ae-e5-88-a5-e6-ae-ba-e5-82-b7-e4-ba-8b-e4-bb-b6-e3-83-bb-e5-8a-a0-e8-97-a4-e6-99-ba-e5-a4-a7-e3-81-ae-e5-85-83-e5-90-8c-e5-83-9a-e3-81-8c-e8-aa-9e-e3-82-8b-e7-b4-a/ar-AAZYeW6

2008年、休日の秋葉原で7人が亡くなった「平成最悪の通り魔事件」、秋葉原無差別殺傷事件。殺人などの罪に問われ、死刑が確定していた加藤智大(かとう・ともひろ)死刑囚の刑が7月26日に執行された。

 派遣社員として孤立を深めていたとされる加藤死刑囚は一体どんな人物だったのか。事件からちょうど13年が経ったタイミングで元同僚に取材した記事を再公開する。(初出:文春オンライン/2021年6月9日)

2008年6月8日12時半すぎ、元派遣社員の加藤智大=2015年2月17日、最高裁で死刑確定=が東京・秋葉原の交差点にトラックで突っ込んだ。トラックではねた男性5人のうち、3人が死亡した。また、トラックから降りた後、ダガーナイフで男女12人を刺した。このうち4人が死亡した。事件当日は日曜日で、現場となった秋葉原の中央通りは人出の多い歩行者天国となっていた。 加藤は、事件の目的は殺人ではなく、ネットの電子掲示板に現れた「荒らし」への抗議だったとのちに証言している。 あれから13年が経った事件現場に、かつての同僚、大友秀逸さんが訪れていた。

事件を止められなかった友人としての思い

 大友さんは現場近くで手を合わせながら、こう思っていた。 「事件のことは昨日今日の出来事のように思い出します。逮捕時の加藤君の映像、交差点に救急車が並んでいる映像が脳裏に鮮明に焼き付いています。あの事件の前から職場がここから近く、秋葉原という街は、僕にとって日常の一部になっています。何回手を合わせても、亡くなられた方々に何と言葉をかけていいか自問自答しています。ただ、自責の念ではないですが、事件を止められなかった友人としての思いを伝えています」

 大友さんは当時、テレビで事件の発生を知ったという。

「前日の土曜日に秋葉原で買ってきたゲームを夜中までやり、事件当日の昼過ぎに起きてテレビをつけたんです。すると、加藤君が取り押さえられてる映像が流れていました。全身から血の気が引くような感覚に襲われながら、慌ててネットで状況を調べました。『心肺停止』という文言のほか、“被害者が複数人”という情報がありました。そして、明らかに鼓動が速くなり、どんどん更新される情報に釘付けになり、何時間も見続けていました」

加藤君とは本当にたわいもない話をしていた

 当時、加藤と一緒に働いていた警備員時代(仙台市)の共通の知人に電話した。 「事件をまだ知らなかったようで、『嘘やろ』とまったく信じてくれませんでした。ただ、通話を切った数分後に『カトちゃんやった……』と折り返しの電話があり、現実に起きてることだと改めて実感しました」

 大友さんは、免許がない加藤を職場に送迎していたこともある。 「加藤君とは普通のサラリーマンと同じで日常的な話をしていました。共通の趣味はアニメで、例えば、『エヴァンゲリオン』の話をしていました。本当にたわいもない話をしていたのが記憶に残っています。どこにでもあるエピソードです」

563NAME:2022/07/28(木) 23:49:12
悪い方の加藤君が出てしまった

 一緒に働いていた立場として、どういう印象だったのか。 「瞬間的にキレてしまう傾向はありましたが、自分の失敗に対して反省し、涙を流せる人だった。一部、暴力的だったという言われ方をしていますが、その反面、それを自分でまずいと感じて、変えようとしていた人でもあります。事件を起こしてしまうことは意外とは思いませんでしたが、踏みとどまれる人間であってほしいと思っていました。悪い方の加藤君が出てしまったなと思います」

 事件前に最後に会ったのは2005年4月頃。加藤が埼玉県のトラック工場に働きに行くことになったときだという。 「『車を持っていけないから10万で買ってくれ』というので、譲り受けることになり、ファミレスで食事をしました。その後二人で流行っていたエヴァンゲリオンのパチンコを打ち、二人ともすぐ当たりましたが、すぐ飲まれてしまい、加藤君の自宅アパートまで車で送って別れたのがリアルで会った最後です」

 2006年頃には、かつて上司だった人物が警備会社を作り、大友さんは常勤監査役員で参加していた。事業拡大をしたため、大友さんは電話で何度も加藤を勧誘したという。 「裁判で『仙台の警備員時代、唯一許せなかった』と言っていた当時の営業所長の名前も、新しい会社の参加メンバーとして加藤君に伝えていました。おそらく加藤君は条件が良くても、新しい会社に来なかったと思います。自分がしつこく誘ったものだから、電話に出なくなりました」

問題行動があったときに、より踏み込んだ対応をするべきだった

 事件後、大友さんは加藤と連絡をとろうと思った。事件翌日、万世橋署で出待ちしたこともあった。その後、報道記者から当番弁護士の名前を教えてもらい、個人的に手紙を渡した。何を伝えたかったのか。 「自宅が拘置所から近いので、接見を試みたことがありますが、弁護士以外、接見はできなかったようです。裁判で『世の中で友達がいなかった』と言っていましたが、僕自身はいまだに友達だと思っていると言いたい。物理的に無理ですが、もし、連絡が取れるなら、伝えたいことがありすぎて、何から伝えればいいのかわからないです」

564NAME:2022/07/28(木) 23:49:25
 どうすれば、悲痛な出来事を防げたと思うか。

「仙台で一緒に仕事をしていく中で、特に加藤君自身が見下した人に対して暴力を振るったり、問題行動があったときに、より踏み込んだ対応をするべきだったと思います。ブラックな職場を改善しようとせず、前向きな部分を評価しない会社でしたが、同僚としてもっと評価してあげるべきだったと思います。ただし、事件を起こす寸前に、私の顔が浮かばなかったのだから、そこまでの人間関係ができていなかったのでしょうね……」

(以下、2022年7月26日追記)やっぱり、風化しているのかな

 事件から14年目にも、大友さんは現場を訪れ、手を合わせた。前年までは僧侶がお経を読み上げていたが、今年はそうした光景はない。 「現場に来て驚いたのは、(事件が起きた)交差点付近での献花を見て、『あれ、なんだろうね。花とか置いてあるけど』『大きい交通事故でもあったのかな』などと話をしている人がいたこと。事件を忘れている人が多いんでしょうね。これは1、2年目には絶対なかった光景です。やっぱり、風化しているのかな。ただ、何回来ても、これが正解だった、というものはわからないです。それを考えるために来ている」

 心境はどのように変わったのか。

「会社が徒歩5分のところにある。普段でも、交差点を通るときに手を合わせるので、僕にとっては日常のこと。僕の中では何も変わっていない。14年間、自分の知っていること、わかること、考えたことをTwitterや取材で発信しているだけです。そうすると、被害者の方から連絡をいただきます。『語ること自体、被害者への冒涜だから、(発言を)やめろ』と言われることもあります。Twitterでは、一人ひとりに返事をさせていただいています。

 加害者側と被害者側の間には、分厚くて、一生越えられない壁があるのかなと思います。でも、事件について発信しなければ、さまざまな問題に蓋をする社会が続いてしまうことになります。批判には謝罪しつつ、発信は続けます」

 あらためて加藤死刑囚について尋ねると、こう答えた。 「加藤くんは自殺未遂をしたことがあった。それを隠して生きてきました。その半年後、加藤くんに会ったときに家族の話をしたんです。あきらかに触れてほしくない嫌悪感を抱いているような態度でした。そのとき、自分にも家族に問題があったし、辛い思いをしたことを話せればよかった。そうすれば、心のしこりを話せたのではないか、という思いが今でもあります。

 今現在も、加藤くんと同じような思いを抱いている友人や知人がいる人もいるでしょう。そういう人には勇気を持って、(相手の心に)一歩踏み込んでほしい。もしかしたら、起きるかもしれない無差別殺傷事件の抑止、防止につながるんじゃないか」 写真=渋井哲也 (渋井 哲也)

565NAME:2022/07/30(土) 00:52:06
捜査関係者ら「自問自答今も」 秋葉原無差別殺傷
2022/7/26 19:10
王 美慧 塔野岡 剛
https://www.sankei.com/article/20220726-VFEL6OAM3JMU7GRSIPXF6NNSNE/

元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=による東京・秋葉原での無差別殺傷事件(平成20年)に関わった関係者らは26日午前の死刑執行を受け、今も抱えるやりきれない思いを口にした。

事件発生当時、捜査の指揮に当たっていた警視庁捜査1課の元刑事、石川輝行さんは、刑の執行について「いつか執行されるとは理解していたが、まさか今日とは予想していなかった」と驚き、「被害者のご冥福をお祈りするしかない」と言葉少なに話した。

石川さんは毎年現場に足を運び、献花している。事件について、「あれだけ多くの方が一瞬で亡くなってしまった。関わった事件で一番、被害者が多い事件だった」と振り返る。 「指揮官として、最大限の遺族対策をしたつもりだったが、それで良かったのかどうかと、今でも自問自答している」と語り、「一生、私の課題だ」と心境を明かした。

「来るべきときが来たか」。事件当時、地元の万世橋地区町会連合会の会長だった大塚實さん(88)は刑執行の知らせに、そう感じたという。 事件当日、大塚さんは「大変な事件があった」との知らせを受け、タクシーで現場に向かった。規制線と群衆で現場の様子はうかがえなかったが、「十数人が殺傷された」との情報が入り、「当日の物々しい雰囲気が今でも思い出される」という。

事件は発生から14年が経過し、風化を感じることもある。「ある程度は仕方ないが、それでいいのかという葛藤がある」とし、「彼がなぜあのような無差別殺人事件を起こしたのか今でもわからない」と話した。(王美慧、塔野岡剛)

566NAME:2022/07/30(土) 00:55:00
「償い十分だったか」 秋葉原殺傷現場で通行人ら
2022/7/26 13:32
https://www.sankei.com/article/20220726-XS63VKTPSZLN5FSMFP4RRINNNY/

無差別殺傷事件が起きた東京・秋葉原の交差点では26日、元派遣社員、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行を知った通行人らが「償いは十分だったか」などと釈然としない思いを口にした。

14年前、多くの人が犠牲になった現場交差点では、雨が降りしきる中、ペットボトルの水を手向ける人もいた。埼玉県入間市の男性会社員(35)は、携帯電話のニュースで刑の執行を知り、「もう執行されてしまったのか。賠償や説明をもっとするべきだったのでは」と話した。

近くの企業に勤める坂田啓介さん(40)は「同世代が起こした事件で印象に残っている。現場が(会社の)近くというのは知っていた。改めて犠牲になった方の冥福をお祈りしたい」と神妙な面持ち。付近を通りかかった男性会社員(33)は「一方的に社会に恨みを持って他人を巻き込んだ点は、その後の京都アニメーション放火殺人事件や、安倍晋三元首相銃撃事件の元になったように感じる」と振り返った。

567NAME:2022/07/30(土) 01:02:38
秋葉原無差別殺人事件、加藤死刑囚の刑執行
2022/7/26 09:34
https://www.sankei.com/article/20220726-BIYNF4PAARMENN57UYZ24ECZ6Y/

東京・秋葉原で平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員の加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=の死刑が26日午前、執行された。政府関係者が明らかにした。執行は昨年12月以来で、岸田文雄政権としては2回目。古川禎久法相が命令した。

白昼の歩行者天国を襲い、日本社会を震撼(しんかん)させた通り魔事件は、発生から14年で大きな節目を迎えた。事件後、秋葉原の歩行者天国は一時中止。事件を受け、ダガーナイフの所持を禁止する改正銃刀法が施行されるなどした。

事件は20年6月8日午後0時半ごろ発生。確定判決によると、加藤死刑囚は東京都千代田区のJR秋葉原駅近くの歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人3人を殺害、2人にけがをさせた。さらに刃渡り約12センチのダガーナイフで刺して4人を殺害、8人に重軽傷を負わせた。逮捕後、鑑定留置を経て同年10月に東京地検に起訴された。

公判では責任能力が争点となった。弁護側は「精神疾患による心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張。しかし、23年3月の1審東京地裁は完全責任能力を認め、携帯電話の掲示板サイトで「成り済まし」や「荒らし」といった嫌がらせを受け、怒りを募らせたと動機を認定。死刑を言い渡した。

24年9月の2審東京高裁の控訴審判決も1審判決を支持。最高裁は27年2月、「残虐な犯行で、社会に与えた衝撃は大きい」と加藤死刑囚の上告を棄却し、死刑が確定した。 前回の執行は、兵庫県加古川市の7人刺殺事件の藤城康孝元死刑囚=執行時(65)=と、群馬県のパチンコ店員2人殺害事件の高根沢智明=同(54)、小野川光紀=同(44)=の両元死刑囚が対象となった。

568NAME:2022/07/30(土) 01:59:23
秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が語っていた“異様な”家族との「食卓の様子」
2022年07月29日
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07290606/?all=1

法務省は「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大の死刑を執行したと発表した。同事件は14年前の2008年6月8日、東京・秋葉原路上をトラックで暴走、通行人をはねた後、ナイフで刺し、男女7人を殺害したというもの。当日は日曜日で、あたりは歩行者天国、昼過ぎの秋葉原は賑わっていたという。

〈背後で、すさまじい音が響いた。振り向くと、歩行者天国の切れ目の交差点に突っ込んできた2トントラックが次々と歩行者をはね飛ばしていた。/交差点を50メートルほど行き過ぎて止まったトラックから、ベージュのスーツを着た男が降りてくるのを見た。手にナイフを握っていた〉

 翌9日付けの朝日新聞夕刊は、目撃者の証言を紹介。まさに「地獄絵図」が展開していた。 〈男は近くにいた男女数人を次々に刺すと、人をはねた交差点に向かって駆け始めた。/倒れた人たちに馬乗りになり、逆手に持ったナイフを何度も振り下ろした〉

その場で警察官に取り押さえられたのは、加藤智大。青森県出身の25歳、派遣会社員の男だった。ネットに「秋葉原で人を殺します」と書き込んだ上での凶行だった。 〈人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった〉(逮捕時の供述)

 公判で注目されたのは、加藤自らが証言した「母親との関係」だった。加藤の母親は教育熱心で、加藤は地元・青森でも評判の高い進学校を卒業していた(以下、引用は長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』より。適宜、句読点を補った)。

弁護人が「小学校の頃の母親とのエピソード」を問うと、加藤はこう答えている。 加藤:お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました。 弁護人:お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか? 嫌な記憶はありますか? 加藤:間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました。 弁護人:沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか? 加藤:笑われていました。 弁護人:お母さんは、ふざけて沈めていたのでしょうか? 加藤:苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです

 加藤が耐え切れずに泣くと、「口にタオルを詰められて、その上からガムテープを貼られたりした」、「泣くたびにスタンプをカードに押されて、それが10個たまると屋根裏部屋に閉じ込められた」などと、続けて証言。さらに「家族の食卓の様子」について加藤が記憶をたどり述懐すると、法廷は一種言われぬ雰囲気に包まれる。 加藤:家族との食事は会話がなかった上、三人で黙々と食べていただけです。私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて、食べさせられました。食事の量も多くて、必死で食べました。

569NAME:2022/07/30(土) 01:59:37
「いい子」を演じて

母親の厳しい指導が実ったか、中学時代の加藤は成績優秀だった。ところが、公判では次のように明かしている。「詩や作文が高く評価された」のには、相応の理由があるというのだ。 〈(詩や作文は)私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました〉

 こうした母親の「干渉」は、細かく、かつ多岐にわたった。「小学校に来ていく服はすべて母親に決められていた」「高校は自分の希望を変更し、母親の母校に進学」「あの子と付き合うのは止めなさいと、交際を禁止された」など、ひとつひとつの行動に「レール」が敷かれていた。そして加藤もまた、母親の要求に、愚直に答えようとするのだった。

 加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。 〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉

 母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。

 2015年2月、死刑確定。その7年5カ月後の執行となった。事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。

 事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。

 加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。 〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば死ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉 
デイリー新潮編集部

570NAME:2022/07/30(土) 02:03:48
ついに死刑執行…加藤智大の祖母が語った「壮絶な生育環境」
7/26(火) 19:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8953d04f9205f7e89d0b1b64bd4b210850645fac

〈幼い頃のあの子は率直ないい子だったんです。でも、両親がスパルタでね。トモがニコニコしていると父親が『締まりのない顔をするな!』と怒鳴る。はたで見て『なんでそんなに怒るの?』と思うこともあった〉 事件当時、本誌の取材にそう話していたのは加藤智大死刑囚(39)の祖母。「トモ」とは加藤死刑囚のことだ。

7月26日、7名に対する殺害などの罪で収監されていた加藤死刑囚の刑が執行された。事件が発生したのは08年6月。事件後に明らかになったのは、加藤死刑囚の生育環境の壮絶さだ。 「事件当時、加藤死刑囚の家庭の異質さがクローズアップされました。親が異様にしつけに厳しく、加藤死刑囚がテレビで見られるのは『ドラえもん』と『日本昔ばなし』だけ。勉強ができないと風呂に沈められたこともあったそうです」(全国紙記者)

当時、祖母は本誌の取材にこう話していた。 〈特に母親のほうが教育熱心で、『部活なんてやらなくていいから勉強しなさい』と常にトモを叱咤していました〉

加藤死刑囚は子どもの頃から自宅に友人を呼ぶことを禁じられていた。その“干渉”は女性との関係にも及んだ。事件直後、本誌は加藤死刑囚の同級生から以下のような証言を得ている。 〈どれぐらいの交際だったかはわかりませんが、加藤にはちょっとかわいい感じのガールフレンドがいたんです。でもお母さんに交際をやめろと言われて、泣く泣く別れたそうですよ〉

地元でも有数の進学校に通っていた加藤死刑囚だったが、同級生の多くが4年制大学に進むなか、短期大学に進学。その後はアルバイトや派遣社員として職場を転々とするようになる。そうしてネットの掲示板に入り浸るようになり、社会への憎悪を募らせていった。

彼の家庭環境について、酌むべき点はある。しかし、彼の起こした犯行の大きさ、卑劣さを考えれば、そこに同情の余地はない。 「亡くなった人たちは大学生、会社員、調理師、元医師など、性別や年齢がバラバラの人たちでした。加藤死刑囚からの謝罪の手紙の受け取りを拒否した遺族もいます。一命は取りとめたものの、重傷を負った人の中にはいまだに後遺症に苦しんでいる人もいるようです」(前出・記者)

加藤死刑囚の祖母は当時、こうも語っていた。 〈あれだけの大それたことをしてしまった以上、自分の命で償うしかない……〉 14年後、まさにそうした形となった。しかし、被害者、そして遺族の心と身体の傷が癒える日がくるかはわからない。 FRIDAYデジタル

571NAME:2022/07/30(土) 02:15:18
重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」
2022/7/26 18:37
村嶋 和樹
https://www.sankei.com/article/20220726-LEDOBW7RRRMN7OTUR7OUXXBS5E/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E9%87%8D%E5%82%B7%E3%81%AE%E5%85%83%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%8B%20%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%82%E3%80%8C%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9A%E3%80%8D

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。

湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。

加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。 《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》 冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。

「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。 湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。

加藤死刑囚から唯一の返信が届いたのは、事件から2年9カ月が過ぎ、東京地裁で公判中だった平成23年3月。接見を拒否したことをわびるとともに《どうしたらいいのか、まだわかりません》という迷いが便箋1枚に記されていた。

湯浅さんは「加藤死刑囚の心は、本人にも見えていなかったと思う」と受け止める。 現在は故郷の宮崎県に戻り、警備員として働く湯浅さん。事件から14年が過ぎ、体のしびれはなくなったが、今年6月には勤務中に発作を起こして救急搬送されるなど、体調は思わしくない。それでも「若い世代に伝えていくことが再発防止につながる」と、事件を語り継ぐ決意は変わらない。(村嶋和樹)

572NAME:2022/08/11(木) 04:49:01
3歳弟踏みつけ死なせた24歳姉が語った「劣悪」環境
2020/9/23 11:00
https://www.sankei.com/article/20200923-G2CQPQYHGJLGXOYOI574USUMR4/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%EF%BC%93%E6%AD%B3%E5%BC%9F%E8%B8%8F%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%91%E6%AD%BB%E3%81%AA%E3%81%9B%E3%81%9F%EF%BC%92%EF%BC%94%E6%AD%B3%E5%A7%89%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8C%E5%8A%A3%E6%82%AA%E3%80%8D%E7%92%B0%E5%A2%83

大阪市で昨年4月、3歳の弟を踏みつけて死なせたとして、軽度の知的障害がある24歳の女が逮捕・起訴された。法廷で、弟に対する贖罪(しょくざい)の言葉を述べた女。一方で、同居していた両親には、強い怒りをあらわにした。「自宅より拘置所のほうがいい。両親には一生会いたくない」。かわいがっていた弟に手にかけた理由は何か。裁判では、事件の背景にある複雑な家庭環境が明かされた。

■「大好きだった。ごめん」

「3歳の息子がぐったりしている、早く来て」 昨年4月、大阪市平野区の住宅から母親の119番があった。救急隊に搬送された息子は、約1時間後に腹部の血管断裂により失血死。3日後、大阪府警に殺人容疑で逮捕されたのは、24歳の実姉だった。 一家は、40代の両親と6人の子供の計8人で暮らす大家族。逮捕された女は長女にあたり、下に年齢の近い20代の弟と2〜5歳の幼いきょうだいがいた。

精神鑑定を経て大阪地検は傷害致死罪で女を起訴。今年9月からは、大阪地裁で裁判員裁判が始まった。 法廷に立った女は事件当日、自宅風呂場の脱衣場であおむけになった弟の腹を踏んだことを認めた。その上でこう述べ、言葉を詰まらせた。「まさか死ぬとは思わなかった。大好きだったのにごめん、ごめんなさい」

573NAME:2022/08/11(木) 04:49:18
■浮上した「もう一つの問題」

ただ、家庭環境に話が及ぶと女は表情を一変させた。「母親は子供の世話を何もしないのに、(弟や妹を)『怒れ』とか『しばけ』とか言ってきた」「父親にはバットやヘルメットで殴られた」「働こうとしたけど『お前には無理や』と証明写真を撮るお金もくれなかった。障害年金もほとんど取られた」。せきを切ったように不満を吐き出した。

弁護側は、女が数年前から両親に幼いきょうだいの世話や家事を押し付けられ、ストレスや怒りを募らせていたと主張。その結果、衝動的に弟の腹を踏むという行動に出てしまったのだと訴えた。

実は女の逮捕後、この家ではもう一つの問題が発覚していた。 女の事件で自宅の捜索に入った府警の捜査員が、内側からドアを開けられない部屋に、女と年が近く、知的障害のある20代の弟がいるのを発見。府警は昨年6月、弟を自宅の一室に閉じ込めたとする監禁容疑で両親を逮捕した。両親は当時、「(弟が)悪さをするので閉じ込めていた」と容疑を認める供述。地検はその後、両親を不起訴処分(起訴猶予)としている。

発覚当時、弟は食事は与えられていたものの、室内には照明器具がなく、バケツで用を足していたとみられる。女は法廷でこう語った。「バケツは私がかえていた。(弟が)悪さをしたら、両親から『お前がちゃんと見ていないから』と怒られた」

■出口失い、行き詰まり…

公判には、女の精神鑑定を実施した医師が証人として出廷。女については9〜10歳くらいの発達年齢とした上で、行動を制御する能力や情緒的・社会的な面が未成熟だと説明し、「過酷で劣悪な家庭環境が影響した」とも述べた。

また、知能や発達状態の成熟には、周囲にモデルとなる人・ものの存在が不可欠だが、女の場合は両親に命じられるまま幼いきょうだいの世話や家事に追われ、社会性や情緒面を学ぶ機会がなかった、と分析した。

鬱積する両親への思い。家から出たいが、何をすればいいのか分からない現状。医師は出口を失い、行き詰まった女が八つ当たりのように事件を起こしたのだと指摘した。 女は勾留された大阪拘置所について「他の人と話せて、誰にも縛られず自分のご飯も3食食べられる。ここの生活は100点」と声を弾ませた。生活を受け入れてくれるグループホームや、障害年金の管理を任せられる成年後見人も見つかった。裁判が終わった後も「両親には一生会いたくない」と言い放った。

9月18日の判決公判。長瀬敬昭裁判長は、落ち度のない3歳の命が奪われた結果は重大と指弾する一方、父親の暴力や母親からの育児・家事の押し付けなど、被告を取り巻く状況は「劣悪」と述べた。障害の影響に加え、「家庭環境が過度の負担になっていた」とも認定。両親から離れ、福祉の支援が受けられる環境が整ったことも踏まえ、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を選択した。 「これまで通り、亡くなった弟に手を合わせることを忘れないでください」。裁判長の呼びかけに対し、女は小さな声で「はい」と答えた。

574NAME:2022/10/01(土) 23:17:19
猪木 ワイン 子供
ナスD、無人島0円生活でお馴染み“獲ったどー!”の語源を明かす「アントニオ猪木さんの大ファンで」
2021/12/29 23:30
https://times.abema.tv/articles/-/10010115

『ナスD大冒険TV年末4時間半SP 無人島で2泊3日0円生活』でナスDから「獲ったどー!」に関する語源が明かされた。

【動画】ナスD、無人島にある素材のみで家づくりに挑戦!

 「獲ったどー!」とは、ナスDがディレクターを務めたテレビ朝日の番組内で生まれた名セリフ。芸能界きってのサバイバル芸人・よゐこ濱口優が、食材を捕獲したときに叫び流行した。

この「獲ったどー!」。実は濱口から生まれたわけではなく、元々台本に書かれてあったという。アントニオ猪木の大ファンだというナスDは、アントニオ猪木がパキスタンの英雄であるアクラム・ペールワンと試合した際、相手の腕の骨を折ってしまい、その際「折ったどー!」と叫んだことから、インスパイアされて「獲ったどー!」が生まれたそうだ。

そんなナスDが無人島生活に関わるようになって10年が経過した頃、歓喜の瞬間が訪れた。憧れのアントニオ猪木が無人島生活にゲスト出演したのだ。ナスDが「実は猪木さんの大ファンで、アクラム・ペールワンとの一戦から『獲ったどー!』を作らせてもらったんですよ」と伝えると、アントニオ猪木は「フフ…そうなの。良いんじゃないですか」と返したそうだ。

その後で奇跡のような出来事も起こる。ロケが終わり、ナスD一向が空港に向かうと、アントニオ猪木が、レストランで赤ワインを飲んでいたという。ナスDを見つけると、アントニオ猪木はその場で「元気ですか!」と往年の名フレーズを放ったそうだ。その後で、アントニオ猪木はレストランにいた全員(およそ50名はいたそう)に赤ワインを振る舞い、「1、2、3、ダー!」でその場を一つにしたという。

 最後にナスDは「本当に全部のワインの支払いをしてくれました。“スゴいエンターテイナー”だと、あのレストランにいた全員が今でも覚えていると思います。僕にとっても奇跡的な思い出ですね」と語っていた。(ABEMA『ナスD大冒険TV年末4時間半SP』より)

575NAME:2022/10/02(日) 01:13:21
花束投げ捨て〟ごぼうの党・奥野代表を独占直撃「メイウェザーは金の話ばかり」「非礼には非礼で返しただけ」
2022年9月26日 05:15
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/239985

非礼に非礼で返しただけ――。「超(スーパー)RIZIN」(25日、さいたまスーパーアリーナ)の朝倉未来(30)VSフロイド・メイウェザー(45=米国)の花束贈呈式で〝事件〟がぼっ発。プレゼンターを務めたごぼうの党の奥野卓志代表(48)がメイウェザーに花束を手渡さずにリング上に投げ捨て、ネット上では「日本の恥」「国民に謝罪しろ」と大炎上したのだ。会場では沈黙を貫いていた奥野氏が独占直撃にその胸中を明かした。

 ――なぜ花束をリングに投げ捨てたのか

 奥野氏 今日、思いついたワケではなく、話は2018年の大みそかにあった那須川天心とメイウェザーの試合にさかのぼる。メイウェザーは試合1時間前にバンテージを巻き直せとか銀座で買い物したり、体重計に乗らなかったり、すごいなめたことした。5キロ以上も体重差があっての試合は危険を伴う。ルールは譲歩してはいけないのに、主催者は「メイウェザー様、様」で何も言えない。試合後もプライベートジェットで朝5時に帰る前に僕の店の「一徳」(会員制サロン)に来たいと言ってきたが、断った。

 ――メイウェザーと面識があった

 奥野氏 13年にピーター・アーツの引退試合にメイウェザーが見に来ていて、関係者と知り合った。今回も何度も「一徳」に行きたいと連絡があって「メイウェザーと写真を撮れば1枚100万円でもうかる」というが断った。花束贈呈を僕がやると分かったら、「記者会見を開いて、ごぼうの党の宣伝をしてやるから1000万円払え」とか金の話ばかり。そんなのがスポーツ選手とかアスリートと言える? そういう売り方をしているかもしれないが、対戦相手へのリスペクトがない。ずっとメイウェザーには良い印象がなく、5億とか10億払って、将来ある日本の選手がダシに使われているような気がしていて、疑問を感じていた。

 ――ネット上は大炎上している

 奥野氏 朝倉未来選手がユーチューブで言っていたが、足のステップやジャンプしてのスーパーマンパンチはダメだとかボクシングの規定を越えてはいけないと直前で言われた。選手はかわいそうで、メイウェザーに対し、誰も文句を言えない以上、やり返すじゃないが、非礼には非礼、無礼には無礼でやっただけ。ネット上は群れるのが好きだから、今日は「奥野を叩いとけ」と心が貧しいよね。誰かを叩いたらスッキリする。炎上するとかしないとか人の意見は関係ない。誰にどう思われようとも自分は自分だから。

 ――一方で奥野氏の名前も知れ渡った

 奥野氏 炎上するなというのは、やる前から分かっていた。それでもごぼうの党を知ってくれたらいいなという気持ちでやっている。僕はこの国をなんとか守りたい気持ちでやっているだけ。奇人、変人扱いされるが、映画「ターミネーター」のサラ・コナーみたいに先が分かっているから良くも悪くも本音、直感で生きている。来年、緊急事態条項を通されたら日本はホールドアップだからね。いくら悪口を言われてもいい。

 ――メイウェザーは落ちた花束を黙って拾い上げ、称賛された

 奥野氏 あの子と対峙して、思ったが、いじめられっ子上がりだね。努力してつかみ取ったポジションを離したくない一心で、寂しそうな目をしていた。

576NAME:2022/10/02(日) 23:16:07
高岡蒼佑が〝花束問題〟を大局的に語る「日本人チョロい」「すぐ手のひら返される」
2022年9月27日 09:55
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240090

元俳優の高岡蒼佑(40)が27日、インスタグラムを更新し、25日の「超RIZIN」のリング上で起きた〝花束投げ捨て〟騒動で持論を展開した。

 朝倉未来(30)とフロイド・メイウェザー(45)の試合前セレモニーで、ごぼうの党の奥野卓志代表(48)はメイウェザーに花束を手渡さずにリング上に投げ捨てたことで、ネット上は「日本の恥」と大炎上。RIZINの榊原信行CEO(58)は「品性下劣な男をリングにあげた」を謝罪していた。
 
 6月に格闘技に挑戦し、リングデビューもしている高岡は長文を寄せ、今回の事態を考察。「日本人として恥だ、なんだと言ってるけど。その言ってる本人が、今どれだけ日本について考えてるのか考えてないのかは、この花束事件にムキーっとなってる風の時点で日本の恥をまた一つ知る結果になってる」とチクリ。

 続けて「日本人としてあなたはどれだけの誇りを持って生きてきたのだろうと、こんな事で一喜一憂する前に今の落ちぶれた、ゴミのように扱われてる日本を見て何も思わない方が日本の恥。と思ってしまう。今回のことをきっかけに奥野さんがどういう人なのかを知る事は、きっと自分の人生の中でもマイナスにはならないかなと思う」と指摘した。

 またメイウェザーが黙って、花束を拾い上げ、試合後は「素晴らしい国で素晴らしい人々」とマイクパフォーマンスしたことに「恰好いい」「ありがとう」と感謝の言葉が相次いだ。

 アメリカ現地でメイウェザーのヒールぶりを体感している高岡は「これだけ日本人から賞賛される日が来るとは非常に興味深い。きっと一瞬の出来事で、すぐ手のひらを返されるだろうけど」「花束を拾い上げたらいい人、人間が出来てるとまで簡単に言える人達は本当にどうしたらその考えになれるのかの仕組みを切実に謙虚な姿勢でいつか時間のある時に教えて頂きたい」とバッサリ。

「花束拾ったくらいで日本人は俺を褒めてくれると メイウェザー本人もやっぱり日本人はチョロいなぁとしか思っていないと思う。これ本気の本気で断言しますw」とメイウェザーの〝本音〟を読み解いた。

 自身も歯に衣着せぬ発言で、炎上経験がある高岡は、奥野氏への袋叩きともいえるネット上の状況を危惧。「一方向の意見だけって、本来の人間が人間じゃないよなうな気がして肩凝りますね。人それぞれの感覚と、自分の信じれる限られた時間 みんな一緒じゃつまらんすね。もっと深読みしましょ」と寄せた。

577NAME:2022/10/14(金) 19:11:38
元個人秘書が「メーガン妃はティーンエイジャーみたいな子だった」と暴露
東スポWEB
2022/10/14 16:20
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E5%85%83%E5%80%8B%E4%BA%BA%E7%A7%98%E6%9B%B8%E3%81%8C-%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E5%A6%83%E3%81%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AA%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%A8%E6%9A%B4%E9%9C%B2/ar-AA12WKoe?cvid=06bf6f1bb9914d3ca13e52d81d570f8d

王室離脱前のヘンリー王子とメーガン妃に仕えた個人秘書が「メーガン妃はティーンエイジャーみたいな子だった」と暴露したという。英デイリー・メール紙など複数の英メディアが13日、報じた。 英王室に関する暴露本「廷臣:王冠の裏の隠された権力」(原題)を著した王室作家バレンタイン・ロウ氏がポッドキャスト番組「パレス・コンフィデンシャル」にゲスト出演し、明かした。 番組でロウ氏は「ヘンリー王子夫妻が王室にいた時、2人の個人秘書サマンサ・コーエンさんがひどく厳しい扱いを受けた。サマンサさんは『メーガン妃を扱うのは、ティーンエイジャーを扱うようなものだった』とこぼした」と話した。

サマンサさんはヘンリー王子夫妻に仕える前まで、17年間、王室職員だった。故エリザベス女王に仕えていたほどで、高い評価を受けていた。その後、ヘンリー王子の個人秘書となった。サマンサさんはヘンリー王子を小さいころから知っており、ヘンリー王子もサマンサさんを大好きで、ヘンリー王子の個人秘書時代はいい関係だった。しかし、メーガン妃が来てから一変したという。 しかし、ロウ氏は「メーガン妃は通常しなくてもいいようなことまでサマンサさんに要求し、非常に厳しい扱いだったそうです。メーガン妃に怒鳴られてばかりの毎日で、サマンサさんは『メーガン妃たちと付き合うのは、何人ものティーンエイジャーを相手にするようなものだった』と言ったそうです」と主張した。

特に2018年に2人が結婚する直前、メーガン妃からいろいろ言われたという。サマンサさんは結婚に関しての広報役になり、メディアに対して情報の交通整理の役割をきちんとこなしたはずだった。王室として、結婚式のドレスや、式で出すケーキなど、などメディアが喜ぶような情報を流した。 ロウ氏は「メーガン妃は出た情報がことごとく気に入らなくて、どんどん別のプランに変えていこうとした。職員たちにプランを出させてはダメ出しの繰り返し。特に聖歌隊や食事のプランには不満足で、サマンサさんに『あのねえ、あなたじゃなく、誰かいないの。この仕事をできる人は』と痛烈に告げたんです。〝破壊的なフレーズ〟だったそうです。サマンサさんは『私を信じてください。私以外にできる人がいるなら、どうぞその人にやらせてください』と丁寧に返したんです」と語る。

578NAME:2022/10/22(土) 00:33:56
アントニオ猪木氏死去
2022/10/1 10:12
https://www.sankei.com/article/20221001-FJLAL4XFINPHZCYWM2ZLRLL3GM/

元人気プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木=本名・猪木寛至=氏が死去したことが1日、分かった。関係者が明らかにした。79歳。葬儀は未定。

昭和18年、横浜市生まれ。少年時代にブラジルに移住したが、35年、ブラジル訪問中の力道山にスカウトされて帰国し、プロレスラーとしてデビューした。同じ力道山の弟子であるジャイアント馬場とプロレス界の両雄として活躍した。

46年、新日本プロレスを立ち上げ、社長に就任。51年には「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、ボクシングヘビー級の世界チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦を東京・日本武道館で開催。世界の格闘技ファンの注目を集めた。後にアリから健闘をたたえてテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を贈られ、猪木氏はこれをアレンジした「炎のファイター」を入場曲して使用するようになった。

平成元年にスポーツ平和党を結党し、「国会に卍固め、消費税に延髄切り」をキャッチフレーズに参院選に比例代表で出馬。約100万票を得て初当選し、レスラーと二足のわらじで活動した。2期目を目指した7年参院選では落選した。10年、プロレスラーとしての引退試合を開催した。

25年、日本維新の会から参院選比例で2度目の当選を果たし、国政に復帰。維新分党に伴って石原慎太郎元東京都知事系の「次世代の党」に移り、その後、無所属で活動した。令和元年参院選には高齢を理由に出馬せず、政界を引退した。

議員時代の平成2年、飛行機をチャーターして湾岸戦争下のイラクに入国し、イラク側と交渉し、日本人全員を含む人質の解放につながった。北朝鮮への訪問歴も多く、25年には要人との会談やスポーツ交流のため参院の許可を得ずに訪朝し、30日間の登院停止の処分を受けた。国会では、プロレスラー時代からのキャッチフレーズ「元気ですか!」を叫んでから質疑に入った。

579NAME:2022/10/22(土) 04:16:11
仲本工事の危うき「独居老人生活」…報じられた妻の蒸発と自宅ゴミ屋敷化の深刻度
公開日:2022/10/18 13:30 更新日:2022/10/18 18:50
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313032

 ザ・ドリフターズの仲本工事(81)が、妻で演歌歌手の三代純歌(54)から自宅に置き去りにされ、犬猫とごみ屋敷同然の生活を送っていることを、「週刊新潮」が報じたのは先週のこと。 バツ2だった仲本だが、6年の交際を経て2012年に三代と3度目の結婚。27歳の年の差とあって、当時は話題になった。

 同誌によると、昨年7月、仲本の誕生日の直前に三代は突然、家を出ていったというが、その背景には男の影が。そのため、仲本は現在、都内にある夫妻で営んでいたカラオケスナックの2階にある部屋と1階部分でひとり暮らし。

 しかし、ひとりで暮らす部屋からは、飼っていた犬数匹と小鳥数羽と猫1匹の糞尿の臭いが漂い、テーブルには動物を世話するためのグッズや仲本の私物が積み上げられて散乱し、まるでゴミ屋敷のような状態に。

■周囲の言葉に聞く耳を持たず

 おまけに、三代は頻繁にネットショッピングを行い、その代金を捻出するため、仲本はビートルズが来日した際の前座で弾いた仲本さんの大切なギターも200万円で売り払ってしまったというのだ。

「もともと、同誌に“告発”したのは仲本の前妻との間の娘。仲本は三代の言いなりで洗脳されているような状態で、もはや、所属事務所のスタッフも含め、周囲の言葉に聞く耳を持たない。所属事務所は各メディアに『後追いはやめてほしい』と言いながら、これをきっかけに仲本が目を覚まして離婚してくれることを望んでいる。そのぐらい深刻な状況です」(古参の芸能ライター)

 仲本は今月7日、都内で行われた貧乏神役を演じる舞台「『日本昔ばなし』貧乏神と福の神〜つるの恩返し〜」の会見に出席(写真)。その際、「ドリフがだんだんいなくなって、仕事もなくなって、お店もうまくいかなくなって、若干貧乏になってきた」と笑いを誘ったというが、実情は全く笑えず、生活が危うい。

580NAME:2022/11/02(水) 12:12:22
森喜朗氏 失言繰り返す“学習能力ゼロ”な85歳に呆然の声…「杖をついていると身体障害者に見える」発言でまた炎上
記事投稿日:2022/10/30 11:00 最終更新日:2022/10/30 22:00
https://jisin.jp/domestic/2147125/

10月29日、森喜朗元首相(85)が金沢医科大学の創立50周年記念式典に出席。あいさつでの言葉が物議を醸している。

同大学の顧問を務めており、森氏はこの日来賓として出席。そして、あいさつを求められた際、「つえをついていると身体障害者に見えて、みんなが大事にしてくれる」と発言したという。この発言が報じられるとたちまちネット上で、“障害者を揶揄している”と批判が殺到した。

政治部記者は言う。 「21年2月、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を務めていた森氏は、JOCの臨時評議員会で『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる』と発言し、“女性蔑視だ”と批判を浴び、会長を辞任する事態に」

その際は「発言については撤回したい」と謝罪していたものの、今年6月には事態を蒸し返す発言が。 「6月7日に都内で開かれた自民党議員のパーティーで、『女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる』と自身の発言を振り返り、辞任に追い込まれたことへの不満を示したのです。これまでも、00年に『日本は天皇を中心とした神の国』、03年に『子供をつくらない女性を税金で面倒みるのはおかしい』と失言を繰り返し続けています。森氏は自身の発言になぜ世間が厳しい目を向けるのか、本当に理解しているのでしょうか」(前出・政治部記者)

失言のたびに大きな批判を浴びるも、問題発言を繰り返す森氏。SNS上では“学ばない85歳”に呆然とする声が続出している。 《森元首相って生きてる限り失言を言い続けるんだろうな。挨拶をするかのように心無いことを言い続けとうやん。自覚がない奴が1番やばいよな。悪いことを悪いと思ってない、何が悪いか分からないって子ども以下。》《救いようがない。もう公に出せる人じゃないだろ。》《失言王は衰えを知らない。ついでに、世の中が変わった事も知らないんだろう。》《森氏はやはり学習能力が無いんですね。総理の時も散々批難されたのに》

581NAME:2022/11/02(水) 12:15:28
加藤茶「あんたのせい!」と激怒…仲本工事さん“モンスター妻”と親族&ドリフメンバーの間にあった溝
公開日:2022/11/01 17:16 更新日:2022/11/01 20:28
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313785/2

「当時、取材中に『加藤さんについで仲本さんも若い奥さんをゲットしましたね!』と水を向けると、当然、祝福の言葉が出てくるかと思いきや、『あの演歌やってる人だろ、なんだかなあ』とポツリ。志村さんは明らかに不機嫌になって、押し黙ってしまいました。しばらく重い沈黙が流れた後、『ドリフのメンバーってさ、カミさんと別れたり、早死にされたり、誰もいい結婚生活を送ってないんだよな。みんなそうだよ』と話していました」

582NAME:2022/11/10(木) 23:55:02
加藤茶「あんたのせい!」と激怒…仲本工事さん“モンスター妻”と親族&ドリフメンバーの間にあった溝
公開日:2022/11/01 17:16 更新日:2022/11/01 20:28
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/313785

先月19日に交通事故による急性硬膜下血腫で亡くなった仲本工事さん(享年81)の妻・三代純歌(54)の“モンスター妻”ぶりを「女性自身」と「週刊女性」が報じている。

 記事の内容はほぼ同じだが、18日の事故後、仲本さんは神奈川県内の病院に運び込まれたが、駆けつけたザ・ドリフターズのメンバーの加藤茶(79)は、待合室の廊下で純歌に向かって、「仲本がこんなことになったのはあんたのせいだからな!とんでもない女だ!」と怒りをあらわにしたという。さらに、マスコミシャットアウトだった告別式の式場でも一悶着あったようで、出棺の際、純歌やその友人の男性らが、スマホで仲本さんの写真や動画を撮り始め、その不謹慎な振る舞いに、いかりや長介さんや高木ブー(89)の娘らが、「やめなさい」と声を荒らげて叱責したという。

 純歌は、仲本さんの3人目の妻で、2012年には盛大な結婚式も行ったが、籍は入っておらず「事実婚」状態。金遣いは荒く、事故現場付近でカレー店を営業するために、飼っていた犬や猫を放置したまま別居状態となり、家は“ゴミ屋敷”になっていると事件直前に「週刊新潮」に報じられていた。

 しかし純歌は、仲本さん本人だけでなく、仲本さんの親族やドリフのメンバーとも深い溝があったようなのである。

 告別式では、斎場を出発する霊柩車に一斉にストロボがたかれた。助手席には位牌を手にした仲本さんの長男が乗っており、後部座席には純歌が乗っているものと思われたが、後部座席は外からは確認できなかった。その後、高木ブーを乗せたバン、加藤茶夫妻が乗ったバンの順で発車し、カメラマンはそちらに“全集中”していたのだが、その裏をかくようにして、駐車場から離れた出入り口から仲本さんの遺影を手にした純歌が足早に出てきた。それに気付いた数人の記者が近づいて慌ててシャッターを切ったが、純歌は10メートルほど離れた場所に止めてあったタクシーに乗り込み、斎場を後にした。事実婚とはいえ、故人の妻でありながら、霊柩車とは別のタクシーに乗るという異例事態だった。

故・志村けんさんは「なんだかなあ」

一方、12年に都内のホテルで行われた結婚式では、加藤や高木は出席したが、志村けんさん(享年70)は仕事の都合を理由に欠席。志村さんはビデオレターで祝福のメッセージを送ったのだが、純歌はそれに対しても不満を漏らしていたという。しかし、当の志村さんも純歌に対して、あまりいい感情を持っていなかったフシがある。ある出版関係者はこう話す。

「当時、取材中に『加藤さんについで仲本さんも若い奥さんをゲットしましたね!』と水を向けると、当然、祝福の言葉が出てくるかと思いきや、『あの演歌やってる人だろ、なんだかなあ』とポツリ。志村さんは明らかに不機嫌になって、押し黙ってしまいました。しばらく重い沈黙が流れた後、『ドリフのメンバーってさ、カミさんと別れたり、早死にされたり、誰もいい結婚生活を送ってないんだよな。みんなそうだよ』と話していました」

 仲本さんの最初の妻は、1982年に心不全で急逝、2人目の妻とは2人の子供をもうけるも04年に離婚。当時、すでに71歳だった仲本さんをメロメロにさせて翻弄していた純歌に対し、志村さんは何を思っていたのか。

 その本音は今となってはわからないが、今ごろ天国で、仲本さんは、いかりやさんや志村さんと一緒に、楽しく思い出話にふけっていることを願わずにはいられない。

583NAME:2022/11/11(金) 00:01:06
「酔って全裸で誘ってくる」愛人男性が仲本工事の妻・三代純歌(54)との不倫を告白
「週刊文春」編集部
2022/11/01 source : 週刊文春 2022年11月10日号
https://bunshun.jp/articles/-/58479

10月19日に急性硬膜下血腫で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事(享年81)。仲本の内縁の妻で演歌歌手の三代純歌(54)の愛人だった男性が「週刊文春」の取材に応じ、純歌との不貞行為について告白した。

 仲本夫妻は2015年に目黒区内で居酒屋をオープンし、その後、隣でカラオケスナック「ピンクローズ」を開業。純歌の愛人だったA氏は元々、店の客の1人だったという。

「べろべろに酔ってベッドに全裸で寝たまま誘ってくる」
A氏が明かす。 「純歌から『今度ご飯食べに行こ』と誘われたのがきっかけです。ピンクローズで飲んだ後、自由が丘駅の近くのビジネスホテルで関係を持ちました。1泊2万円ぐらいで高かった(笑)。それからは、店が閉店するくらいに純歌から電話で呼ばれ、自由が丘駅前のバーで合流してからホテルに行ったりしました」

 そのうち、純歌は店から徒歩10分ほど、都立大学駅の近くに家賃10万円台前半のマンションを借りた。「ホテル代の節約のためでしょうか。部屋は風呂トイレ別の1LDKで、小さめの収納もあった。バルコニーにバーベキュー用のテーブルやランタンを置いて、酒を飲んだり夜景を楽しんだりもしました。カーテンはラブホテルにあるような遮光性の高いものに付け替え、部屋の中央にベッドを置いたおしゃれな雰囲気で、まさに“隠れ家”という感じでしたね」(同前)

 誘うのは、常に純歌からだったという。「べろべろに酔ってベッドに全裸で寝たまま誘ってくる。ディープキスもしていましたが、彼女はヘビースモーカーなのにタバコ臭くなかったです」 だが、A氏はある時期から純歌の言動が気になり始めた。「店のお客さんやスタッフの中から、気に入った男を次から次へと誘い、曜日ごとに相手をとっかえひっかえしていたのです」

店の営業中、2階に別の男を連れ込んでいた

 さらにこんな驚くべき行為も。「居酒屋とピンクローズは棟続きで、2階をぶち抜いて住居にしていた。大きなダブルベッドが置かれ、改装した広い風呂もありました。すると、純歌は店の営業中に、仲本さんがいないときを見計らって、2階に別の男を連れ込んでいたんです。店内にもアエギ声が漏れてきて、私も聞いたことがあります」

純歌を電話で直撃した。――仲本さん以外の男性と肉体関係にあった? 「ふふ。そんなのあるわけがないですよ」 ――お店の2階で行為に及んでいたという話も。 「うちのスタッフが泊まったりとかはしていたけど、それぐらいですよね。言われるとすれば、そんなことじゃないかなと思います」

――なぜそんな噂が出ているのか。 「うちにくるお客さんで、(スタッフが)泊まったりとかするのを怪しんでいた人がいたんですよ。私のことを好きな人が。『何かあるんじゃないか』ってずっと言っていた。その人が言いふらしたんじゃないかと思うんです。仲本さんと一緒にずっといたわけですから。(2階にスタッフが)泊まっているのも知っています」 ――別のマンションを借りていたのはなぜですか。 「それはね、向こうの家に全部入りきらない荷物をとりあえず入れていた。そこも仲本が借りてくれて。でも、結局借りても全然行くことがないからもったいなくて、もう引き払いました。10回行ってるか行ってないかぐらいなんですよ」

 11月1日(火)12時配信の「週刊文春 電子版」および11月2日(水)発売の「週刊文春」では、A氏と純歌との「乱倫生活」の詳細や、純歌が店の客を誘う手口、さらに仲本夫妻と長年付き合いがあった知人が明かす、純歌が横浜で別居を始めた理由や仲本との“本当の関係”などについて報じる。

584NAME:2022/12/31(土) 21:48:06
純烈、ダチョウ倶楽部「紅白」に上島竜兵も“同席”!有吉弘行「ステージに塩まいておきました」
https://natalie.mu/music/news/507307

12月31日にNHK総合ほかで放送される「第73回NHK紅白歌合戦」のリハーサルが本日12月30日に行われた。この記事では純烈、ダチョウ倶楽部、有吉弘行のコメントを紹介する。

今回の「紅白」で純烈は代表曲の1つ「プロポーズ」、ダチョウ倶楽部と有吉とともに猿岩石の大ヒット曲「白い雲のように」を披露する。小田井涼平が年内をもってグループを卒業するため、明日の「紅白」が現体制で最後のステージとなる純烈。本番に向けてリーダーの酒井一圭は「縁があってダチョウ倶楽部さんと純烈♨ダチョウ(ジュンレツオフロダチョウ)を組んで、そして有吉さんも加入して『白い雲のように』を歌うという……まったく想像できないことが次々と起こってます。正直、小田井さんの卒業は頭から吹っ飛んでますね」と話す。酒井は「ある意味、気持ちの整理がついちゃってますからね。明日はお祭りです。僕らがとにかくできることは皆さんに元気になってもらうこと」とステージを盛り上げることを誓い、「熱湯風呂とか出てくるんじゃないかなと。卒業だから入ることになるかもしれないですね」と警戒心を示した。

5月にメンバーの上島竜兵が亡くなり、現在は肥後克広と寺門ジモンの2人で活動するダチョウ倶楽部。肥後は「いろんなことがあったダチョウ倶楽部を純烈が救ってくれて、今回有吉さんも来てくれて、みんなで“くるりんぱ”(上島のギャグ)できるのがうれしくてしょうがないですね」とにっこり笑った。寺門が「『僕ら純烈さんに入りたいです』と伝えたことからスタートして、『もし有吉もここに入ったら大オチだね』って話してたら実現したんですよ」と早口になると、有吉は「ごめんなさい。ちょっと興奮してます」と付け加える。我に返った寺門は「年末、お肉食べすぎちゃってね!」と茶目っ気たっぷりに語った。

ここで改めて純烈を見た有吉は「相変わらず純烈が無駄にデカいなと。こっちが小物に見えるんだよね」とチクリ。さらに話は止まらず「『紅白』に出られるのはここしかないと思ったんですよ。僕は25年前に落選してますから恨みに恨んでます。なぜあのとき出さなかったんだって」と猿岩石の絶頂期を回想しながら、NHKへの“恨み”を爆発させる。すると横にいた小田井は「え? 今回の『紅白』のテーマは復讐? 『LOVE & PEACE』じゃないの?」とうろたえた。

最後はメンバーが上島に向けて次々と言葉をかけていく。肥後は「さっきのリハーサルで上島も同じステージに立ってましたから。『紅白』には応援では出たことがあるけど、歌唱ではないんでね。きっとうらやましがってると思いますよ」と話し、寺門も「彼はこういうところがすごく好きなんですよ。大きな舞台だからうらやましがってると思う。地方の番組は手を抜くんですけどね(笑)」と愛ある毒を吐く。そして有吉が「ステージに塩まいておきましたから」とケラケラ笑うと、小田井がすかさず「なんで撃退するんですか。悪霊みたいになっちゃうから」とツッコミを入れた。

585NAME:2023/01/27(金) 15:49:23
「朝も夜も売春、売上全てホストに」依存させ→売春させ→貢がせる…“居場所”ない若年女性を狙う悪質ホストの手口【news23】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%9C%9D%E3%82%82%E5%A4%9C%E3%82%82%E5%A3%B2%E6%98%A5-%E5%A3%B2%E4%B8%8A%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AB-%E4%BE%9D%E5%AD%98%E3%81%95%E3%81%9B-%E5%A3%B2%E6%98%A5%E3%81%95%E3%81%9B-%E8%B2%A2%E3%81%8C%E3%81%9B%E3%82%8B-%E5%B1%85%E5%A0%B4%E6%89%80-%E3%81%AA%E3%81%84%E8%8B%A5%E5%B9%B4%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%82%92%E7%8B%99%E3%81%86%E6%82%AA%E8%B3%AA%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%8F%A3-news23/ar-AA16FI8N?ocid=msedgntp&cvid=ead4e40f68284d0bc17945010106bc47

歌舞伎町の元ホストの男が女性客をソープランドで働かせたとして逮捕されました。男はどのようにして女性客を追い詰めていったのか。同じような被害に遭った女性が卑劣な手口を証言しました。

「早くカネ作ってこい」1都5県に“出稼ぎ売春”させた元ホスト逮捕

宮崎仁美記者「客の女性に売春させた疑いで元ホストの男が捜査員に連れられて行きます」 秋葉拓也容疑者(27)。東京・歌舞伎町で働いていた“元ホスト”です。2021年、20代の女性を台東区のソープランドで働かせ、売春させた疑いがもたれています。

秋葉容疑者「早く金作ってこい」

秋葉容疑者は女性に飲食代など、約1000万円の“ツケ”があるとして、福島や沖縄など1都5県のソープランドに“出稼ぎ”させ、売り上げの大半を受け取っていたということです。

秋葉容疑者「ナンバーワンになるために売り上げを上げたかった」

こう容疑を認めているという秋葉容疑者。他にも秋葉容疑者に依頼され女性をソープに紹介したスカウトの宇田川直人容疑者(27)や、女性が働いていたソープランドの店長ら、合わせて22人が逮捕されています。

秋葉容疑者「ソープ断るなら、もっときつい仕事させるぞ」

同様の被害を受けた女性が過酷な状況を証言

なぜ女性は従ってしまったのか?同じような被害を受けた女性が、その実態を証言しました。 親から虐待を受け、家に“居場所がなかった”という女性。ホストクラブに初めて行ったのは18歳の時でした。

被害を受けた女性(20代)「夜の街をさまよっていた時に声をかけられた。店に入ると『おかえり』みたいに言ってくれて、自然と気づいたら何百万円という(ツケが)」 ホストの言葉にそそのかされ、未成年だったにも関わらず、高額のボトルを入れられたことも。次第にツケがたまり、気が付くと貢ぐための売春先を紹介されたといいます。

被害を受けた女性(20代)「売春の仕事が入ってきたら朝でも夜でも行く生活をしていた。売り上げを全て彼にその日の夜に貢ぐっていう仕組みで行っていたから、寝られないしフラフラみたいな、体重も減っちゃったし、それに対して体重減ったことも、ホストは『可愛くなったね』って」 体も心もすり減り、一時は死を考えるほどに追い詰められていきました。

被害を受けた女性(20代)「自分の名前や住所も書かされ、契約書を書かされてるし、録音されてるし、携帯は彼のものだし、ここから逃げられないって思っていた。本当に自分どうなっちゃうんだろうって思って、次の(売春相手の)お客さんが殺してくれたらいいのにって思っていた」

自殺した女性すらホストは“売り”に・・・一方でそこしか居場所がない女の子

女性は支援団体とつながり、なんとか逃れることができましたが、同じような境遇で自殺した友人もいたといいます。

被害を受けた女性(20代)「死んだ子がいることをホストは“売り”にしていたり、なんとも思ってないだろうなって」 その上で「居場所のない若い女性が狙われている」と警鐘を鳴らします。

被害を受けた女性(20代)「ホストってマダムが行く所から、若年層を狙う所に移行している中で、ホストにはまる女の子って生きづらさを抱えている子が多い。ある意味依存だし、そこ(ホストクラブ)しか居場所がない社会は変わってほしい」

今回の事件は氷山の一角に過ぎないとみられ、警視庁は被害に遭ったら「警察や自治体の専門機関に相談してほしい」としています。

586NAME:2023/03/23(木) 22:57:53
タワマンにアウディ…「成金芸人」お笑いトリオ『四千頭身』後藤拓実が「給料が家賃以下」に転落のワケ
FRIDAYデジタル によるストーリー • 4 時間前
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3-%E6%88%90%E9%87%91%E8%8A%B8%E4%BA%BA-%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA-%E5%9B%9B%E5%8D%83%E9%A0%AD%E8%BA%AB-%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%8B%93%E5%AE%9F%E3%81%8C-%E7%B5%A6%E6%96%99%E3%81%8C%E5%AE%B6%E8%B3%83%E4%BB%A5%E4%B8%8B-%E3%81%AB%E8%BB%A2%E8%90%BD%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%82%B1/ar-AA18YsSL?ocid=hpmsn&cvid=fab8400bba834add934be3ea84124436&ei=16

「タワマンからアウディで来ました。夢を掴めばこうなれます」 かつてテレビ番組でこう豪語し、時には1日70万円の買い物を平気でしていたというお笑いトリオ『四千頭身』の後藤拓実。しかし3月21日、情報バラエティー番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)に生出演し、先月の給料がタワマンの家賃31万円を下回ったことを告白した。

理由を聞かれると、「需要がなくなった……」 と何ともシンプルな答え。彼女とタワマンで同棲していたが、それも解消。後藤は埼玉の実家に帰ったという。 「四千頭身といえば『第七世代』の代表格で、一時はバラエティー番組などに引っ張りダコでした。霜降り明星やEXITなどは、いまだに引く手あまたですが、後藤さんなどは確かに需要がなくなってきた気がします。

四千頭身の“じゃない方”と言われた相方の石橋遼大さんの方が、現在はサッカーや筋肉、料理などに特化していて〝先月の給料は83万円だった〟と告白して驚かせていました。やはり〝芸は身を助ける〟ということでしょうね」(スポーツ紙記者)

後藤はコロナ禍ごろから仕事が減少したのか、’21年にはテレビで豪遊をやめてトイレットペーパーも〝ダブルをやめた〟と発言している。調子に乗っていたのは〝全部間違っていた〟と後悔している。 しかし後藤はトリオでもツッコミで中心的な役割にもかかわらず、ここにきてなぜ〝コンビ格差〟がついたのだろうか……。

「一昔前からそうですが、WBCで大活躍したような大谷翔平選手のような〝圧倒的なスター〟はお茶の間にも受け入れられるが、ポッと出の〝成金芸人〟のような存在は嫌悪感を持たれることが多い。 世間は30年間給料が上がらず、日本は先進国の中でも幸福度が低い。ぶっちゃけて言うと辛い仕事から帰ってきて、家のテレビで〝金持ち自慢〟は見たくないということ。だからこそ自虐ネタや、おひとり様、もしくは弱者の意見でも毒舌でズバっと代弁してくれる人がテレビで起用されやすいんです」(テレビ局関係者) たしかにヒロシの自虐ネタや、オードリー春日のボロアパート住居、よく孤独を口にするマツコ・デラックスなどがそれにあたるかもしれない。

しかし芸能界では再ブレイクもよくあること。特に後藤は復活できる可能性は大いにあるという。 「所属するワタナベエンターテインメントはギャラの配分も吉本興業よりだいぶいいので、小さい仕事でもコツコツこなせば金銭的な問題は解消されやすいと思います。先輩のネプチューンや恵俊彰さんなどが司会をする〝事務所が制作サイドに顔が利く番組〟も多いので、なにか特技や趣味などを活かせば、関連番組に出演できるチャンスは多いでしょう。最低条件として事務所の関係者に好かれてなければなりませんが……(笑)」(同・テレビ局関係者) 20代前半で売れ、一度は夢を掴むも人気に陰りが見えた後藤。まだ26歳ということもあり、活路を見出して復活することを期待したい――。

587NAME:2023/04/05(水) 00:37:23
「ある試合後に、私の部屋を訪ねてきた選手がいました…」WBC日本代表を率いた栗山英樹監督が明かした“忘れられない出来事”
https://bunshun.jp/articles/-/61696

先日開催されたWBCにおいて、14年ぶりの優勝を果たした日本代表。大谷翔平やダルビッシュ有、村上宗隆など、国内外から有力選手が結集したチームをひとまとめにしたのは、栗山英樹監督の手腕が大きな要因と言えるだろう。いったい栗山監督はどのような考えのもと、チームをまとめあげたのか。

 同氏が北海道日本ハムファイターズ監督時代に著した『栗山ノート』(光文社)の一部を抜粋し、名将の発想に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

余計な言葉はいらない

 親と子どもほど年齢の離れた選手も増えていますが、それによって話しづらいとは感じていません。 共通の話題は見つけにくいですし、好きな芸能人とかテレビ番組で盛り上がるのも難しい。ただ、年齢に関係なく話しやすい人はいます。そういう雰囲気を持ちたい。監督という肩書はそもそも選手を威圧してしまうので、難しいところはありますが……いつでも、誰とでも話ができるような準備はしています。

 2015年シーズンのある試合後に、私の部屋を訪ねてきた選手がいました。監督の部屋へ来るということは、精神的にかなり追い詰められていると想像できます。 翌日から私は、試合のあった夜はお酒を控えることにしました。監督が赤ら顔で部屋のドアを開けたら、選手は「すみません、また今度来ます」と引き下がるでしょう。 勇気を振り絞ってきたに違いない選手の思いを、踏みにじるようなことがあってはならない。デーゲームでもナイターでも、試合日はお酒を飲まず、外出もせず、部屋にいることにしようと決めました。

 話をする立場になったら、言葉を少なくするように意識します。言葉を尽くして思いを伝えようとすると、結局は伝わりにくい。言葉が多いぶんだけ理解がすれ違ったり、言葉が上滑りしたりすることがあります。 究極的に言えば、信念を持って生きていれば、言葉はなくても選手たちはくみ取ってくれる。余計な言葉はいらないはずです。

田んぼや畑と同じように心も耕す

 8回表に8点差とした時点で、私は勝利を確信しました。コーチ陣に「勝ったな」と話したわけではありません。ただ、内心では安堵感が広がっていました。その瞬間に、勝敗の潮目が変わったのでしょう。自分の浅はかさがもどかしく、スコアボードを見て自分を罵倒しました。 創意工夫や努力を忘れないためには、順境に驕らず、逆境に怯まない心を持たなければならない。小さな変化に敏感であるために、私は二宮尊徳の「心田を耕す」という教えに惹かれます。

 私たちが生きている世界のあらゆる荒廃――雑草が生い茂って土地が荒れ果ててしまうような状態――はすべて心が枯れていたり廃れていたりすることに起因すると、二宮尊徳は説きました。 だとすれば、私たちはどうしたらいいのか。

 心の田んぼを耕すのです。

 田んぼや畑と同じように心も耕していかないと、ヒビが割れて栄養不足になってしまいます。 干からびてしまった気持ちで、誰かに優しくできるでしょうか。手を差し伸べようと思うでしょうか。隣人と水を分け合うよりもまず、自分の喉の渇きを潤そうと考えるはずです。優しさや労りの気持ちが、広がっていきません。 キレイに整備されたグラウンドを見ると、「心田を耕すとはこういうことだな」と思います。畑に種を蒔く前に、黒土を耕してデコボコをなくすことにも似ています。

588NAME:2023/04/14(金) 15:51:57
43万円拾ったのに「お礼も連絡もない」と提訴…謝礼7万円で和解、落とし主は法廷で「ありがとう」
2023/04/14 15:00
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230414-OYT1T50181/

43万円が入った財布を拾って警察に届け出たのに謝礼がないとして、大阪市西区に住む男性(70)が、報労金の支払いを求めて大阪簡裁に提訴し、落とし主が7万円を支払うことで和解が成立した。12日付。

遺失物法では、落とし主は、遺失物の価格の5〜20%に相当する報労金を拾得者に支払わなければならないと定めている。拾得者は返還から1か月を過ぎると請求できなくなる。 訴状などによると、原告は今年1月、同市西区内の歩道で現金やマイナンバーカードが入った長財布を拾い、府警西署に届けた。財布は、その日のうちに落とし主の自営業男性(50)に返還された。

 原告は同署を通じて自営業男性に電話番号を伝えたが連絡はなく、原告から電話。自営業の男性は、礼を言わずに「忙しい」と切り、その後は原告の電話に出なかった。ショートメッセージにも返信しなかった。

 原告は2月、約8万6000円の支払いを求めて提訴。今月12日の第1回口頭弁論で自営業男性は報労金を支払う意思を示し、7万円に減額した上で双方が合意した。和解成立後、法廷で原告に「何か言うことはありませんか」と問われ、自営業男性は「ありがとうございます」と初めてお礼を述べた。 原告は読売新聞の取材に対し「お金が欲しかったわけではなく、謝意を伝えてくれれば訴訟は起こさなかった」と説明。自営業男性は「仕事が忙しくて対応できなかった。こんなことなら、早めにお礼を言えばよかった」と話した。

589NAME:2023/04/14(金) 16:04:19
「ニンニク入れますか」→客の答えに店半ギレ? ラーメン二郎京都店が反応「全然キレてないけどなw」
2023年04月13日21時14分
https://www.j-cast.com/2023/04/13459808.html

京都市左京区内の人気店「ラーメン二郎京都店」で、「ニンニク入れますか?」と聞いて「普通で」と答えた客に対し、店が「半ギレ」状態になっていたとツイッターで投稿があった。

これに対し、同店の公式ツイッターは、「キレておらず説明しただけ」などと反応し、その理由について説明している。ラーメン二郎には、独特な注文方法があるとされるが、一体どんなやり取りがあったのだろうか。

「説明しただけ」

投稿した客は、2023年4月10日に京都店を訪れたとし、その翌日にツイッターで目撃状況を報告した。 それによると、別の学生グループ客の1人が、店から「ニンニク入れますか?」と聞かれて、「普通で」と答えると、店主は、「半ギレ」状態でこう諭したという。 「コンビニで袋いりますか?って聞かれて普通でって返すの?」

その真意ははっきりしないが、入れるか、入れないかでまず答えるべきだという意味の可能性がある。ラーメン二郎では、客がトッピングを頼むことをコール、注文方法を間違えることをギルティと言われていることを念頭においてか、投稿者は、この客が「ギルティコール」をしたと指摘していた。

この後、同じグループの別の客に「ニンニク入れますか?」と聞いて、この客が「なしで」と答えると、「なし?マシ?」とこちらも半ギレ状態だったとした。マシとは、ニンニクを多めの増しで入れることを指す。

ラーメン二郎京都店のツイッターは11日、「普通で」と答えた客に半ギレ状態だったとした最初の投稿について、アカウント名を伏せて引用し、「えー、全然キレてないけどなw説明しただけで」と反応した。

この客は、「なるほど、そっすねw」と納得した感じだったといい、「『ごちそうさまでしたー!』って元気に帰っていった」とした。「ニンニク入れますか?」と聞いて「普通で」と返されれば、もともとニンニクのない普通の状態か、ニンニクを入れる量を普通にしてほしいのか、どちらか分からないから、客に説明したとしている。

「二郎行きたいのに敷居高い」「客側も事前に少し下調べして」

ラーメン二郎には、独特な注文方法があるとされている。 様々なブログがそれを解説しており、多い解説を挙げると、ラーメンの量を聞かれているときに、トッピングについて客がコールすると、フライングだとされてしまう。コールは、最も難しいとされ、店が「ニンニク入れますか?」と聞いてくると、4種のトッピングについてコールするとなっている。ニンニクは推奨されるため、代表して聞いてくるそうだ。

ニンニクのほか、モヤシなどのヤサイ、背脂を指すアブラ、タレを指すカラメがあり、通常は、ヤサイは最初から入っている場合が多いという。トッピングがほしいときは、その名前をコールする。多めがほしいのなら、「ヤサイマシ」などと注文で伝える。ラーメン二郎では、「普通で」とのコールはないとされており、「なし」も「マシ」と誤解されるので避けるべきだとされていた。

独特の注文方法を理解する客は、ジロリアンと呼ばれており、今回の客は、二郎初心者だった可能性がありそうだ。

京都店の店主が「普通で」と答えた客に「説明」をしたことについて、ツイッター上などでは、「一見さんには厳しいイメージ」「普通の量欲しい場合なんて言えば」「二郎行きたいのに敷居高い」と戸惑う向きもあった。一方で、ニンニクを入れるかについて、「改めてどっちなの?って言ってるだけ」と店に理解を示す声のほか、「雑な注文って店は困るんですよね」「客側も事前に少し下調べするなりしてから行けよ」と客の意識を問う意見も出ていた。

590NAME:2023/05/11(木) 08:19:55
「他人の庭にゴミを投げ込む」逮捕された”令和の麻原彰晃”山本深雪容疑者(25) リアルでも迷惑系住人だった
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BA%AD%E3%81%AB%E3%82%B4%E3%83%9F%E3%82%92%E6%8A%95%E3%81%92%E8%BE%BC%E3%82%80-%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E4%BB%A4%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%B7%B1%E9%9B%AA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%85-25-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%82%82%E8%BF%B7%E6%83%91%E7%B3%BB%E4%BD%8F%E4%BA%BA%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ar-AA1aHQwx?ocid=msedgntp&cvid=d2b6bc99be714866b51f539d09b55362&ei=16

https://www.news-postseven.com/archives/20230504_1866414.html?IMAGE=2&PAGE=9-9

591NAME:2023/06/25(日) 00:43:27
加藤未唯の失格騒動 全仏側の「男の子だったら」「5分で泣きやめば」説明に海外メディア怒り「性差別的」「愚かな主観的基準」
デイリースポーツ によるストーリー • 26 分前
https://www.msn.com/ja-jp/sports/other/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%9C%AA%E5%94%AF%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%A0%BC%E9%A8%92%E5%8B%95-%E5%85%A8%E4%BB%8F%E5%81%B4%E3%81%AE-%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89-%EF%BC%95%E5%88%86%E3%81%A7%E6%B3%A3%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%B0-%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%AB%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E6%80%92%E3%82%8A-%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84-%E6%84%9A%E3%81%8B%E3%81%AA%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%9A%84%E5%9F%BA%E6%BA%96/ar-AA1cYVG4?ocid=msedgntp&cvid=2056c1dd3c3b4eb8993ac3b6bc94ada1&ei=11

女子テニスの加藤未唯(28)=ザイマックス=が22日、テニスメディア「Clay」のインタビューで、全仏オープン女子ダブルスでの失格騒動について振り返り、審判とスーパーバイザーから、ボールが直撃したのが「男の子だったらよかった」、「ボールガールが15分以上泣き続けたので決断を下さなければならなかった。5分後に泣きやんでいたら問題なかった」などと説明されたことを明かしたことを受け、海外メディアが大会側を批判的に報じている。

 ユーロスポーツは「控えめに言っても驚きの言葉」と報じ、スポーツ専門サイト「sportskeeda」は「テニスファンはショックを受けている」として、「性差別的」、「男の子だったら泣かないのか」、「愚かで主観的な基準」などの声を紹介した。

 加藤はスーチャディ(インドネシア)と組んだ女子ダブルス3回戦で、ブズコワ(チェコ)、ソリベストルモ(スペイン)と対戦。プレーが途切れた際に落ちていたボールを返球したが、これがボールガールに直撃。危険行為として失格となり、賞金とポイントを没収。これを不服として四大大会側に提訴していたが、却下された。

 加藤はインタビューの中で、「相手にサーブを打たせるためにボールをボールキッズにパスしただけ」と改めて説明。当初警告だったが、相手ペアの抗議もあり、失格となった際には審判とスーパーバイザーから「男の子だったら大丈夫だったと思う」、「ボールガールが15分以上泣き続けたので決断を下さなければならなかった。5分後に泣きやんでいたら問題なかった」、「足や腕だったら大丈夫だった。首だったらから」などの言葉があったという。

592NAME:2023/06/25(日) 00:47:16
ヒグマに「死んだふり」は有効なのか…心臓むしられ頭部めちゃめちゃでも生還事例あり
SmartFLASH によるストーリー • 昨日 6:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E3%83%92%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%81%AB-%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%B5%E3%82%8A-%E3%81%AF%E6%9C%89%E5%8A%B9%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%BF%83%E8%87%93%E3%82%80%E3%81%97%E3%82%89%E3%82%8C%E9%A0%AD%E9%83%A8%E3%82%81%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%81%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%A7%E3%82%82%E7%94%9F%E9%82%84%E4%BA%8B%E4%BE%8B%E3%81%82%E3%82%8A/ar-AA1cX78M?ocid=msedgntp&cvid=2056c1dd3c3b4eb8993ac3b6bc94ada1&ei=11

どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい 「ヒグマにあったら死んだマネをすると助かる」という俗説は広く信じられているが、これは「クマは動かないものは襲わない」という、これまた俗説によるもので、専門家によれば確率は五分五分であるという。 《熊にあったら、死んだ真似をして助かったことが多いということだけは確かであるが、アイヌの例などから察して、死んでいるということが理由ではなくて、実はこの人間は熊に抵抗するおそれがないということを熊が知ったからである。(中略)人間の方が無抵抗で死んだふりをしてしまえば、一応の検査を受けても、食われないということになる。

ところが北海道のヒグマのうちには一般原則にあてはまらないのがあるから困る。たけのことりに山に入って食われたり、山ブドウ取りに出て帰れなかった人があるし、真昼中に通行中の若者をさらって行った熊もあり、家の壁を押し破って侵入して家人を襲ったこともあって、世界中で一番兇悪な熊と見なければならない》(北海道林務部広報誌『林』1953年7月号所収、犬飼哲夫「ー熊ー死んだ真似で助かるか」) いったいどっちなんだとツッコミを入れたいところだが、実際に「死んだふり」で助かった事例は数多い。その一方で、けっこうなケガを負わされることも多いようだ。

古い事例では明治の初め頃に、次のような事件があった。 亀田郡七飯村の某が、単身で舞茸採りに出かけ、たまたま大きな舞茸を見つけて、天からの贈り物と喜んで思わず声を発したところ、生い茂る木立から大牛に等しい猛熊がこちらを目がけて進んできた。 その勢いの恐ろしさは《胆魂魄も天外に飛去り逃ぐる暇もあらざりし》という有様であった。某はかねて聞いていたとおり、死ぬも生きるも天の運と度胸を据えて、自らそこへ打ち倒れて息を殺し「死したる体」を見せかけた。

やがて熊がそばに近づき、某の体をしきりに打ち叩き、爪をもって散々に傷つけた後、手を口に当てて呼吸の有無をうかがい、本当に死んだと思ったのか、その場を立ち去った。 某は九死に一生を得て、山を下る途中、知り合いに出会ったので病院に運ばれた。その傷は27カ所もあったが、幸い命に別状はなかったという。(『函館新聞』明治14年10月10日)

またこんな話もある。 夕張炭鉱の坑夫・中村理吉は、炭層調査のため8名の人夫とともに測量に山に入ったが離れ離れになってしまい、1人山深く分け入るうちに、突如前途に巨熊が立ちふさがった。《咆哮一声、山彦に答えて凄まじさ云わん方なき》という状況になり、理吉は大地に伏せた。

飛びかかってきた熊は、後頭部に噛みついたが、痛みをこらえて仮死の状態を装うこと《多時》におよんだ後、静かに頭をもたげてみると、熊はなおも去らずにいた。 熊は手をあげてさらに頭部を掻きむしり、唐紅に染まって倒れた姿を見て悠々と立ち去った。全治3週間の大ケガであったという(『北海タイムス』明治41年9月3日)

593NAME:2023/06/25(日) 00:47:30
次は死んだふりをした兄弟がかろうじて助かったという事例である。 定山渓・滝の沢の工藤正勝(14)が兄(18)と裏山で遊んでいると、ガサガサ物音がするのでなんであろうと振り向くと、小熊2頭に続いて親熊が突如として現れた。 兄は正勝に「うつぶせになれ」と命じ、自分は大木の根に首を突っ込んだが、熊はノコノコとうつぶせの正勝のところへ来て、右手で頭や背中や耳を掻きむしり、正勝は数十カ所に傷を負って気絶してしまった。

熊は今度は兄のほうに来て、足をつかみ大木の根から引きずり出して仰向けにして大きな舌で顔面をベロリベロリと舐めたが、兄は知らぬ顔をしていたので命拾いをした。(『北海タイムス』大正14年4月17日) どうやら熊は、呼吸をしているかどうかで生死を判断するものらしい。

以下は林業専門誌『札幌林友』に掲載された記事で、著者の藤井氏が昭和15年(1940年)頃に、体験者本人(K氏)から聞いた話である。 《熊の出た山はベンケイベツと青山との中間で、K氏はある年の夏、伐木に従事していたが、(中略)宿舎より谷間の現場へ山道を辿り降りることになったが、途中でバッタリ巨熊に出会った。K氏は5間と離れていないので、最早進退これ窮り、早速、小学校で教わったとおり、うつ伏せになり死んだ真似をした。 熊は怖る怖る側にかけ寄り、Kさんの頭の上から足の爪先までクンクン匂をかいだ挙句、何を思ったか腰のあたりを叩いて見た。それでも動かずにいると、今度は前足でK氏を仰向けに返し、またまた足の爪先から頭の毛先までクンクン反復した。

K氏が述懐するには、鼻のあたりをかがれたときには息ができないので苦しくて仕方なかったとのこと、やがて熊はイキが悪いとでも思ったのか、死んでるものに用事はないとさとったか、前足で一方の崖縁へK氏を蹴飛ばした。 そこで4間ほど離れた大木に頭を激突しK氏は気絶した。数十分後に尋ねてきた同僚に発見され、実に危ういところで命びろいをしたというスリルである》(『札幌林友』昭和35年4月号所収、藤井義雄「北海道のひぐま」)

この程度なら笑い話で済むかもしれないが、もっとひどいケガをした事例もある。 余市郡仁木村の農業、石原幸三郎(31)は、仲間2人と付近の山林に熊狩りに出かけたが獲物がないので、ぶどう畑でぶどうを食べていたところ、同人のそば7〜8尺離れた熊笹のなかに一頭の大熊を認めた。

ただちに銃をとろうとしたが時すでに遅く、熊は猛然として飛びかかり頭部を咬み、全身を掻きむしった。幸三郎は死んだふうを装ったが、熊はさらに一打撃を加えて立ち去った。 しばらくして同行の2人が血まみれとなって気絶している幸三郎を発見して病院に担ぎ込んだが、《すこぶる重態にて心臓をむしられ頭部はほとんど滅茶滅茶に引っ掻かれ左眼外方および右手前膊部、右大腿骨部等いずれも骨折し居り惨状二目と見られざる容態》であったという。(『小樽新聞』大正6年10月7日)

次の事例も命は助かったものの重い傷害を負ってしまった男性の話である。 《川端に長畠さんという店があり、そこの女婿が熊に手ひどくやられました。その熊は角田の二岐から父等に追われて、(夕張の)紅葉山へ逃げ込んだというので、好奇心にかられて友人と二人でボロ鉄砲一挺持って見に行った。 すると林道の入口で、向こうから追われた熊がとんで来るではないか。友人はすぐ木に登ったそうです。私は逃げ遅れて死んだまねをしていたが、“熊は死んだものは襲わない” と教えられていたのは嘘でした。

熊は私の上に腰を下ろして長い爪で尻べたにズブリと刺しました。痛いのでビクッと動くとウワッと唸って咬みつきました。ひっくり返すやら手玉に取ったり、まるで熊のおもちゃでした。 追っ手の人が来て仕止めてくれましたが、片目、片手、片足になりました。それでも猟師の人達が熊をなげおいて、病院に運んでくれたので助かりました(吉本国男)》(『東三川百年史』平成7年)

最後に香水のお陰で助かったという事例を紹介しよう。 《旭川の私の友達の奥さんですが、若い娘さんを連れて勇駒別からはいったところ、クマが現われたわけです。若い人達は逃げたそうですが、その奥さんはつまづいてたおれ、失心に近いようになったそうです。

おぼえていることは、クマが奥さんの頭のところに顔をやって、嫌な顔をしていってしまったというんです。きっと香水の匂いが嫌だったのでしょう、山にいくときは香水をたくさんつけていくと良いと、その奥さんが笑ってましたが(笑)》(北海道林務部広報誌『林』1968年5月号所収、斎藤春雄「てい談ヒグマ」)

中山茂大 1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。

594NAME:2023/10/10(火) 19:58:17
カナダや米国をはじめとする国々では、路上生活者の社会保障は大きなコストとなっている。1人あたりにかかる医療・社会サービスは年間平均5,000ドルを超えてしまうのだ。しかも、これに精神疾患が加わるとカナダでは年間5万5,000ドル、米国では年間8万3,000ドルを突破すると見積もられており、地域経済への影響も甚大だ。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E3%81%A7%E5%AE%9F%E9%A8%93-%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%80%85%E3%81%AB80%E4%B8%87%E3%82%92%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E4%BD%95%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B/ss-AA1gUVzJ?ocid=hpmsn&cvid=c83382ce2b3c4250a6b4925a0ce2019a&ei=9#image=4

バンクーバーのシェルターで1晩過ごすのにかかる費用は93カナダドル(およそ1万円)。およそ250万人が暮らすこの街はカナダ屈指の高い物価で知られており、路上生活者の数は4,000人ほどと見積もられている。しかも、毎週およそ5人が路上生活に追い込まれているのだ。さらに、路上生活者の80%は慢性的な健康問題を抱えているほか、49%が依存症、34%が精神疾患にも悩まされているという。シェルターによれば、彼らの多くは精神的に打ちのめされてしまっているとのこと。

同時に、研究者たちは1,100人を対象として、現金を受け取った路上生活者がどのように利用するか予測してもらうアンケートを実施。その結果、路上生活者はそうでない人々に比べて、アルコールや薬物、タバコといった嗜好品に81%多く費やすのではないか、という回答が得られた。すなわち、人々は路上生活者に不信感を抱いているわけだ。

ところが、そのような予想に反して、路上生活者たちは受け取った現金をアルコールや薬物、タバコに費やすことはなかった。彼らが資金を投じたのはおもに食費や衣服、家賃などで、資金提供を受けなかったグループよりも早く住居を見つけることができたほか、1年後には経済的により安定したとのこと。

また、7,500カナダドルを受け取った人々は受け取らなかった人々に比べて節約の面でも有利だったという。資金援助を受けた参加者は路上生活の日数が99日減少したほか、安定した住居での暮らしが55日増えたため、シェルター利用費を1人あたり8,277カナダドルも抑えることができたのだ。

前出の「レイ」は、今回受け取った資金が今後の人生を進める上で足がかりになったと述べている。そして、自らも路上生活者を支援する活動を始めたようだ。いわく:「私はかつての自分たちのような人々に手を差し伸べたいのです(中略)いつの日か世界に声を届けられるようになるかもしれないのですから」

595NAME:2023/10/16(月) 19:27:02
「どうせ潰れる、お前がとどめを刺す勢いで」の檄で目が覚めた。ダメ水族館をV字回復させた「7つの当たり前」
BizHint 編集部 2023年8月29日(火)掲載
https://bizhint.jp/report/821745?trcd=pi_20231004_06&a0v5la7bquf89=65d32468af99c47780a625c28a1bc269&uy3ubftvh0u6o8=89c1d18a52ffe1c8b45906bea01fede8&cusduxj27i=1132563&xnfrr0ncac=901&zsmoi87pih9=trace.popin.cc&lzzgnpz8d=a1b067897e4ae093d1f94261e0ddc6c9

客がまったく入らず「日本一ショボい水族館」と嘲笑され閉館も検討されていた愛知県蒲郡市の竹島水族館。「お客様がいないほうがいい」「人間より魚と接していたい」などの飼育員の潜在意識を逆手にとった組織づくりが奏功しV字回復につながりました。主導したのは現館長の小林龍二さん。「どうせ潰れるんだから、とどめを刺す勢いで」という檄で始まった経営改革と、それを支えた右腕、そして飼育員の意識改革について聞きました。

蒲郡市竹島水族館 館長 小林 龍二 さん

1981年蒲郡市生まれ。北里大学を卒業後、Uターン就職で竹島水族館の飼育員に。市営から民間委託に移行した2015年に運営を引き継ぎ、館長に就任。過去最低だった入場者数は12万人から約47万人に。人間環境大学客員教授、専門学校ルネサンスペットアカデミー講師。主な著書に『竹島水族館の本』(風媒社)、『へんなおさかな竹島水族館の魚歴書』(あさ出版)がある。

飼育員は「お客様がいないほうがうれしい」。上層部の意向が絶対の組織

――今では「行列のできる水族館」となっていますが、以前の水族館はどのような状況だったのでしょうか?

小林龍二さん(以下、小林): まず、お客様はまったくいませんでしたね。いたとしても、外回りのサラリーマンが昼寝をしていたり…。 飼育員は普通に魚の世話をしていたのですが、水槽の掃除や魚の移動にあたっては、むしろお客様がいないほうがやりやすいんですよね。だから 「お客様がいないほうがうれしい」という空気すらありました。 また、水槽の手入れを楽にすることが先に来て、水槽内にある岩などの装飾を取り払ってしまったり…。「自分が魚の世話、水槽の手入れをしやすいこと」が最優先。 市営で、そして赤字でもずっと続いてきたので、危機感のようなものはありませんでした。

――飼育員の方は、成功している水族館を参考にされたりはしなかったのでしょうか?

小林: いろいろな水族館を見て回っていましたし、もちろん知っていました。 でもそこで抱く思いは「羨ましいな」「こんなふうにしなきゃいけないな」というのが2〜3割ぐらい。あとの7〜8割は「うちとは規模も財力も違う」「どうしようもない。考えるだけムダ」という、諦めや開き直りのほうが大きかったですね。

――小林さんは新卒で入館されましたが、そのような状況をどう見ていたのでしょうか?

小林: 「これはおかしい」という問題意識を持つ一方、個人としては好きな魚を飼って給料ももらえるから、まあこれでいいのかな…っていうのが半々でした。 ヒエラルキーが強い組織で、若手にとって上層部の言うことは絶対でしたし、自分が組織についてどうこう思っても、何も変わらない。 私を含め、水族館の飼育員はみんな魚が大好きで、魚を飼いたくて水族館の飼育員になるんです。 組織や人間関係の難しいことを考えるより、「今、魚に向き合っていられる幸せ」を考えると、それで納得できてしまうんですよね。

中堅クラスの人たちも「なんとかしなきゃ」とは思っていたようでした。しかし小さな組織でしたし、 上層部に意見すれば自身にダイレクトに跳ね返ってくる…結局は、何も変わりませんでした。 もちろん、竹島水族館の状況を憂う気持ちはあるのです。でも、何もできない…。

旭山動物園に足を運んだ時のことはよく覚えています。本当に羨ましくて、そして悔しくて、涙を流してしまいました。翌日、竹島水族館に来て現実に戻った時の無常感は忘れられません…。 (なんなんだ、ここは…)と。いっそ、潰れてしまったほうがいいんじゃないか? とさえ思いました。

596NAME:2023/10/16(月) 19:30:09
「ダメな部分とその改善案」を出すほど、マイナス思考になっていく

――市営で赤字、「つぶれたほうがいい」とまで議論され民間委託に。小林さんが責任者になりましたが、何を思い、どこから手を付けていったのでしょう?

小林: 最初は心機一転、「お客様でぎゅうぎゅうの満員にしてやろう!」そんなことを漠然と思っていましたね。 そうしてまず「何がダメなのか」を全員で洗い出しました。ダメな部分を一つずつ改善していけば、絶対に良くなるはずですので。 しかし竹島水族館で…この手法は失敗でした。 むしろ悪い方向に進んでしまいました。

――なぜでしょうか?

小林: 何がダメなのか?を出し合うと、「古い」「小さいからもっと大きくしたほうがいい」など、いろいろな意見が挙がりました。しかし それらの改善案を考える段階になると、どうしても「お金がかかるので無理…」という結論に。 「ここがダメだ!」「しかし変えられない…」「やっぱりうちはダメなんだ…」という悪循環に陥り、意見を出すほどマイナス思考になっていきました。 「じゃあ、いいところを探して伸ばそう!」と議論しても、今度は沈黙…。「売りにするもの」が何もなかったんです。

――ほかに取り組まれたことは?

小林: 冒頭お話しした「魚を飼っていることが楽しい」が最優先に来てしまっている飼育員の意識変革です。 水族館は、お客様に楽しんでいただくことで成り立ちます。いわゆるサービス業なんです。しかし飼育員は「自分たちが」楽しんでしまっている。 就職前は自分のお金で、時には貯金をはたいて魚を購入して愛でていたものが、仕事として、他人のお金で魚が飼える。この現状・居心地を死守することが第一になっていました。 ですので 「水族館で魚を飼って、あなたが楽しむだけだったら、むしろあなたがお金を払ってください!」と、強く言い続けました。「お客さんが来て、楽しんでくれてこその水族館なんです!」 と。

お金には限りがあるが、人間の知恵や工夫には限りがない

――組織変革を進める上で、ビジネス書をかなり読まれたとか。

小林: トヨタやホンダ関連の書籍をはじめ、いろいろな本を読み漁りました。どうしたら今の仕事がもっと楽になって、効率が良くなって、使うお金を減らせるか…。 特に、トヨタ自動車初期の副社長だった大野耐一さんの言葉には影響を受けました。「お金は限りがあるけれども、人間の知恵や工夫には限りがない」。実際に私たちにはお金がなかったので、ガツンと入ってきました。 先ほどお話しした「ダメな部分を出して改善する活動」にしても、 その改善策をお金がかかることに求めるから行き詰まる。『お金はない』という前提に立たなければならなかったのです。

お金がまったくなければ「知恵を絞る」しかなくなる。もし少しでもお金があったら、逆に「もうこれだけしかお金がない」「お金がなくなったから、改善はここまで」という限界を無意識のうちに作ってしまう。 「人間の知恵や工夫は、考えれば考えるほど、あるいは窮地に追い込まれるほど湧いてくる」。大野さんの言葉は、実際その通りだと思いました。

水族館は「生き物を飼う」という特殊な職業で、そこで働く飼育員の志向として「生き物が好き」が先に来てしまうのは仕方がない部分はあります。しかし「悪いところを改善していく」ということについては、一般のビジネスと同じ意識を持つ必要があると思います。 そういった意味で、トヨタの「カイゼン」の考え方は、すごく響きました。悪いと思ったらすぐに変えよう。お金なんてかけなくていい。少しでも良くしよう。それでダメだったらまた戻せばいい。 そもそもうちはマイナスから始まっているので、失敗したところで現状維持というだけなんですよね。

597NAME:2023/10/16(月) 19:30:28
――カイゼン活動の例を教えてください。

小林: わかりやすいところでいえば、展示の仕方ですね。みんなで水槽を見て回って、「掃除はしづらいけれど、お客様にとっては水草を置いたほうが綺麗に見えるんじゃないか」「こういう見せ方をしたほうが、お客様に生き物が楽しく暮らす様子が伝わるんじゃないか?」と、お客様を主語に持ってくる形で改善案を出していきました。 また細かい話なのですが、「餌やり」は水族館ならではの改善かもしれません。魚の中には、大雑把に餌を撒いても大丈夫な魚がいるのですが、飼育員はどうしても、その場で魚を見ながら少しずつ餌やりをして、その時間を楽しむことを優先してしまうことがあります。 気持ちはわかるのですが 「水族館での餌やりは仕事」 です。それが常にいくつもの水槽で行われていると、ほかの仕事をする時間が確保できない…。 ですので、そういった魚の水槽については自動餌やり機を導入しました。また餌についても、飼育員の好みで高価なものを使っていた所は、より低コストのものに切り替えました。

――とはいえ、飼育員の意識変革は大変ですよね?

小林: そうですね。「何のために、誰のために、生き物たちを水槽に閉じ込めているんだ?」と、それこそ何度も力説しました。 彼らも本当はわかっているんですよ。水槽へ入れるのは、魚にとっては牢屋に閉じ込められるようなもの。では、なぜ閉じ込めているのか?その根底には「自分が大好きだから」という強い感情があります。 これが本質だからこそ、その部分を指摘すると腹を立てる人が多い。 であれば「その思いを、魅力をお客様に伝えてこそ、水族館の飼育員としての役割が果たせるんじゃないか」と伝えました。 ただ、こうした意識づけは本当に継続しなければダメですね。気を抜くと、すぐに「魚好き」に戻ってしまうというか。ですので、来客数や魚の購入費用などの話や情報共有は意識的にするようにしました。「今日はお客様が300人来た」「魚の購入費用はあと50万円しか残っていない」など。

どうせ潰れるんだから、お前がとどめを刺すくらいの勢いで

――水族館の責任者としての心構えや行動が変わったきっかけはありますか?

小林: 心構えという意味では、私の人生の師匠・中村元さんの檄でしょうか。もともと鳥羽水族館にいらっしゃって、現在は水族館プロデューサーとして活躍されています。「弱点を武器にする手法」で多くの水族館を再建されました。 中村さんに相談した際に 「今のままだとどうせ潰れる。いやもう潰れているような水族館なんだから、お前がとどめを刺すぐらいの勢いで、思い切りやれ!」と檄を飛ばされました。 先ほどお話しした「水族館はお客様のためにある。飼育員が楽しむ場所じゃない!」という当たり前のことも、はっきり仰っていただきました。中村さんの檄で目が覚め、そこから竹島水族館の再生が本格的に動き出したといっても過言ではありません。

――改革を進めるチームのようなものはあったのでしょうか?

小林: チームというわけではありませんが、副館長の戸舘(戸舘真人さん)の存在は大きかったと思います。むしろ彼がいなければ、今の竹島水族館はあり得ないです。 というのも、私は「調整」のような部分が弱いんです。私は周囲と衝突したり、揉めたりすることが度々あったのですが、そういう時はいつも彼が仲裁してくれました。私の提案で合意が取れないことがあっても、彼が「ちょっと待ってろ」と提案を通してきてくれたり。 私はゴールを定めて、そこに周囲を引きずりこむタイプなのですが、彼はそのゴールに行くための段取りをつけてくれる。 それこそどんな根回しが必要かを考え、調整してくれます。 もともと、彼も隣県の小さな水族館でくすぶっていました。二人で「どうしようもない」「辞めたい」という所から話が合って、意気投合しました。そして竹島水族館で求人が発生した時に、声をかけて来てもらいました。

598NAME:2023/10/16(月) 19:30:47
同じ過ちを繰り返さないための「7つのヒント」

――改革を進める上で、心がけたことはありますか?

小林: 独自に作った「7つのヒント」は良い方向に作用したと思います。 水族館(会社)の経営は人間の体と同じです。病が見つかったときには手遅れということもあります。そうならないためには日頃のチェックが必要で、自分自身の過去の経験や、それこそ自戒も込めて言葉にまとめました。

その1 熱意がすべてを支える
その2 反骨精神が力の源
その3 目標を具体的に持つ
その4 創意工夫はカネより強い
その5 基準はお客さんのため
その6 人との出会いが武器になる
その7 逃げ道を作る

――最後の「逃げ道を作る」がユニークですね。

小林: これは水族館・飼育員ならではの部分はあるかもしれませんね。

飼育員は「本当に大好きなことを職業にしている、できている」わけです。ですので、そこで躓くともはや「自分の人生そのものが終わった」という気持ちになってしまいます。 だから、仕事でうまくいかなくても気分転換ができたり、逃げられるような環境にしておくことが大事です。 一番大事なもの、好きなもので壁にぶち当たっても、そこでずっと立ち止まらないで、次の一歩、違う一歩を踏み出せる。 それを「逃げ道」と表現しました。 逃げ道の中でヒントが見つかったり、いろいろな人に話を聞いて気付きを得たり、今と違う何かをしようとして経験をしたことが、必ず次につながると思っています。立ち止まったままだと、何も得られませんからね。

小林: そういった考えから、「スタッフが同業者以外の人と会う」という取り組みは積極的に進めています。たとえばコラボお菓子を売り出した時には、パッケージ会社やお菓子会社の人とお会いして話をしています。こういった方々と話をする機会は、魚を飼育する毎日では絶対にありませんから。

そうすることでスタッフの世界は広がりますし、水族館での仕事の考え方・アイデア出しにおいても参考になっています。

魚の解説POP「食べるとウマイ」は、逃げ道の成果

――飼育員の手書きの解説カンバンPOPが評判になりました。

小林: 最初は看板屋さんに頼んでいたのですが、そのお金もなくなってしまったので、手書きでやることにしました。画用紙に自分たちで書いたほうが安上がりなので。

さらに言えば、そもそも解説POPはお客様にあまり読まれていませんでした。魚の解説は水族館として必要ですが、 どうせ読まれないなら「飼育員が好きなことを書いてしまえ!」と振り切りました。

――中でも「食べるとウマイ」という解説POPはユニークです。

小林: これもいろいろなことを考え抜く中で生まれた知恵と言えるかもしれません。というのも、飼育員の全員が最初から、解説POPをうまく作れたわけではありません。 そこで「何かかんたんにできないか?」と考える中で「展示している魚を食べて、その感想を伝えるくらいであれば、できるだろう…」ということでやってみたのです。するとこれが反響を呼ぶことに。それからその飼育員は、水族館内で「食べる担当」のようなポジションになっていきました。 「むずかしい。できない」で立ち止まらずに、「とりあえず今できること」に逃げたら道が開けた好例 かもしれませんね。

――解説POPの内容は、誰かがチェックしているのでしょうか?

小林: 飼育員にはそれぞれ担当の水槽・魚があるのですが、解説POPの内容について、私を含め周囲が口を出すことはありません。水族館内のほとんどの掲示物は飼育員が考えたものをそのまま掲出しています。 というのも私が以前、上司に言われて嫌だったんですよね。水族館の掲示物を作っても、上司に何度も「修正」「書き直し」と言われ…「だったら自分で作ってよ」と思っていました。

任せられなければ、責任を持たされなければ、自分で考えなくなりますよね。

599NAME:2023/10/16(月) 19:31:35
「お小遣い制」で一人ひとりの責任を明確化

――「飼育員に任せる」について、他にはどのような取り組みが?

小林: わかりやすいところでいえば「お金」です。以前は、館長と副館長がすべてのお金を管理していました。私を含め、飼育員はお金のことはまったく知りませんでした。予算はいくらあるのか?その魚はいくらで買っているのか?など。今、それらはすべて飼育員が把握しています。 飼育員にはそれぞれ担当の水槽・魚を割り当て、1年の初めに全部お金を渡してしまっています。お小遣いのような形で。 以前は「館長、この魚買いたいのですが?」といった稟議制だったのですが、結局は館長が好きな魚しか買えませんでした。 でも今は、予算の範囲内であれば、飼育員が好きな魚を買えます。もちろんそこには、責任が伴います。

――担当の水槽とその運営費用をすべて飼育員に預けてしまうわけですね。

小林: 「すべてが自分の責任」「どの魚を買うかも自由」となれば一生懸命やりますし、今まで以上に魚を可愛がります。 その上で導入したのが競争原理です。自分の担当の水槽がすべてうまくいくと、飼育員はもっと水槽がほしくなります。内心、(隣の水槽を自分が担当したら、もっとうまくいくのに…)と思ったりするわけです。 そこで、状況によっては 「他の飼育員の担当水槽を取れる」ルールを導入しました。逆に自分の担当水槽を疎かにしていると、水槽と予算を取られてしまう。 国取り合戦のような感じです。 みんな魚の世話をしたいので「水槽は絶対渡したくない」となります。これが、自宅と水族館、趣味と仕事の一番の違いかもしれませんね。自宅の水槽は、誰かに取り上げられることはありませんから。

――チームワークの面で、軋轢などは大丈夫なのでしょうか?

小林: むしろ一つの水槽に複数名で関わるほうが、「誰かがやるだろう」という心理がはたらいて、責任の押し付け合いが起こってしまうと感じます。 そもそもベースにあるのは、みんな生き物が好きで集まっているということ。 基本的に温厚です。 そしてみんな魚の専門家ですので、教えたり教わったりといった向学心が強い。自分の知識・ノウハウを話すのは好きなんです。うまくいっている水槽があれば興味を持って相談しますし、うまくいかなければ一緒になって原因を探して対処します。 その上で、自分の担当水槽にお客様が集まってくると「自分が育てた魚は人気者だ」「自分の水槽は評判だ」と自信につながってくる。そのサイクルで、どんどん雰囲気がよくなっていきました。

――万一、お小遣いが早めになくなってしまった場合は?

小林: お小遣いがなくなった場合は、他所の水槽の作業を手伝う「出稼ぎ」に行ったり、予算に余裕がある人と個別に調整してやり繰りしているようです(笑)。

飼育員は「身近なさかなクン」。ぜひ話を聞いてみてほしい。

――人事評価について。たくさんの水槽を担当するほど、給料が上がったりするのでしょうか?

小林: 担当の水槽数に応じて、というダイレクトな仕組みはありませんが、評価としてはプラスになります。たくさんの水槽で結果を出すというのは、仕事量・事業貢献度ともに高いわけですから。 以前はどんな仕事を、どれだけやっても、またお客様満足などとは無関係に給料は定額制でした。がんばってもがんばらなくても変わらない。冒頭お話しした「水族館で魚を飼育する仕事ができている」ということで自分を納得させるしかなかったので、そういった面でもやる気に繋がっていると思います。

600NAME:2023/10/16(月) 19:31:52
――お客様満足や入場者増の背景に、飼育員の変化の影響は感じますか?

小林: これは感じます。最近、朝礼などで「入館者数が減っている」といった話をすると、飼育員が個人のFacebookやLINEで「ちょっと遊びに来てよ」ってメッセージを出しているようなんです。つまり、飼育員にファンがついている。 飼育員の誕生日にお客様からお菓子やプレゼントをいただいたり、「ケーキを作ったからみんな食べて」とか「暑いけどがんばってね」とスポーツドリンクを差し入れていただいたり。とてもありがたいことですし、以前では考えられなかった光景です。

――飼育員にファンがつくというのはすごいですね。

小林: うちにはラッコやイルカなどの人気者はいないので、そのポジションに飼育員がいる感じになっているのかもしれませんね。アイドルグループのように、お客様ごとに「推し」の飼育員がいるわけです。 こればかりはぜひ、竹島水族館に足を運んで飼育員に声をかけて体験いただきたいのですが、彼らは魚の専門家です。知識・経験が豊富ですし、本当にいろいろなことを考えながら水槽の世話をしています。 専門家が自ら愛情を注いだ魚や水槽の話をすると…これがまためちゃくちゃおもしろい。 お客様にとっては、魚を見るだけであれば多少間隔を開けても似たような風景かもしれません。しかし魚や水槽には日々変化があり、現場では多くのエピソードが生まれています。そういった話を聞いていただけると、まさに非日常の体験ができるはずです。 竹島水族館の飼育員は、言わば「身近に会える“さかなクン”」です。ぜひお気軽に飼育員と交流していただきたいですね。いまや飼育員も、お客様と話したがっているんですよね(笑)。 (取材・文:加藤 陽之 撮影:カメイヒロタカ)

601NAME:2023/10/23(月) 22:09:59
京都アニメーション放火殺人事件
https://www.mbs.jp/news/
https://www.mbs.jp/news/feature/kyoani/article/2023/09/096897.shtml
青葉被告は法廷に入ると目を見開き、証人男性をじっと見つめていた。

602NAME:2023/12/28(木) 19:57:13
有り金が底をつき、オフィスの水まで有料に…窮地のイーロン・マスクがテスラ社員に送った“一本のメール”「人類の未来のために…」

会社の価値を表す株式時価総額は7961億ドル(約119兆4000億円)で世界7位。自動車業界ではぶっちぎりの1位で、2位トヨタ自動車のおよそ3倍。米電気自動車メーカーのテスラは、その将来性を含め世界の投資家が最も高く評価する自動車会社である。
だが創業者のイーロン・マスクはそんな評価に何の関心もないだろう。何せ野望は人類を「マルチ・プラネット・スピーシーズ」すなわち「複数の惑星で繁栄する種」に進化させることなのだから。

自らアスペルガー症候群の傾向があることを認めているマスクには、物事を常人よりはるかに深く突き詰めて考える性癖がある。 伝記『イーロン・マスク』(ウォルター・アイザックソン著) によると、幼稚園のとき園長に「知的障害だと思われます」と言われたという。

自分が執着するテクノロジーやビジネスに対しては驚異的な集中力を発揮するが、その場の雰囲気に合わせてそれらしく振る舞ったり、相手に話を合わせたりするのは極端に苦手なのだ。

挑戦する前に「できっこない」とあきらめる思考回路は頭脳に組み込まれていない。
スペースXを立ち上げてまだ1年しか経っていない2003年、マスクはバッテリーだけで走る自動車の開発に取り組んでいた数人のグループと出会い、電気自動車(EV)というアイデアに魅せられる。「俺にも一枚噛ませろ」と1万ドルを出資した。
マスクにとって、温暖化ガスを撒き散らすガソリン車からEVへのシフトはある種の必然でもあった。

普通の人間なら壊れる。2番目の妻は伝記の中で、この頃のマスクが夜な夜な「叫んでは吐いていた」と証言している。だがこの逆境は、マスクの集中力を極限まで高めることなり、痩せ細って足の指に力が入らず、まっすぐ歩けないようになっても精力的に仕事をこなした。

伝記には書かれていないが、この頃、テスラではそれまで無料だったミネラル・ウォーターが有料になり、社員の多くが「この会社も、もうそれほど長くない」と感じていた。このときマスクは社員に一本のメールを送っている。「上司のために働かないでください。人類の未来のために働いてください」

603NAME:2024/01/07(日) 21:46:42
1日3回オーガズムを求めた米大富豪の「性的恐怖の館」に出入りしていた英王子 米裁判所に呼ばれる恐れも
木村正人在英国際ジャーナリスト
2019/8/20(火) 18:02
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1eaad2818aa81ccacf92e2b240d3db1507d97448

くすぶる「口封じのための他殺」説

[ロンドン発]未成年者の人身取引で起訴された米国の大富豪ジェフリー・エプスタイン被告(66)が勾留中に死亡、首つり自殺したとみられる問題で、2010年に同被告の居宅を訪れたアンドルー英王子(59)の映像が公開され、英王室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっています。

裁判の開始を待っていたエプスタイン被告は今月10日、マンハッタンの勾留施設で死亡しているのが見つかりました。同被告は長年、アンドルー王子や大統領就任前のドナルド・トランプ氏やビル・クリントン元大統領ら政治家、有力者、著名人らと「セレブな関係」を続けおり、「自殺」ではなく「口封じのための他殺」との憶測もくすぶっています。

英大衆紙メール・オン・サンデーは、ニューヨークのエプスタイン被告宅から出ていく若い女性を、目尻を下げて見送るアンドルー王子を隠し撮りした特ダネ動画を公開。アンドルー王子はエプスタイン被告が未成年者に性的行為をさせたとして有罪判決を受けた後も同被告宅を訪れていました。

バッキンガム宮殿(英王室)は日曜の夜、即座に「アンドルー王子はエプスタイン被告の容疑に関する最近の報道に愕然としている。アンドルー王子はいかなる人的搾取も遺憾とし、彼がそうした行動を許容し、参加し、促したと示唆するのは忌まわしいことだ」と疑惑を全面否定しました。

英王室の伝統はどんな報道にも「文句も言わず、説明もしない」という不文律を守ってきましたが、そんな悠長なことを言っていられる場合ではないようです。しかし忌まわしいのはどちらでしょう。英王室のコメントは疑惑に全く答えていません。

604NAME:2024/01/07(日) 21:46:57
オーガズムを与えられないと罰が加えられる

数十人の少女が性的搾取され「恐怖の館」と呼ばれていた悪名高きエプスタイン被告の居宅(時価約90億2500万円相当)に出入りしていたアンドルー王子は中で何が行われていたのかを知る重要な証人です。「性的奴隷」にされた少女たちは民事的な救済を求めています。アンドルー王子は米国の裁判所で証言しなければならなくなるやもしれません。

17年、米ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が複数の女優に性的関係を迫っていたスキャンダルをきっかけに世界中で「#MeToo」運動が広がりました。エプスタイン被告は未成年の少女たちから組織的に性的搾取を行っていたので、より悪質です。

英大衆日曜紙デーリー・ミラーも、アンドルー王子とエプスタイン被告に性的虐待を受けたとされるヨハンナ・フェーバリさんの父親が司法による正義を求めていると特ダネで伝えました。

ヨハンナさんは正規のアシスタントの仕事だと言って雇われた後、エプスタイン被告に性的マッサージを強要され、オーガズムを与えられなかった場合、罰を与えられたと訴えています。ヨハンナさんはエプスタイン被告の下で4年間働き「恐怖の館」にも出入りしていました。

報酬は1回300ドル(約3万2000円)程度だったとも言われています。

アンドルー王子は20代前半だったヨハンナさんの胸を触ったとされています。ヨハンナさんの父親はエプスタイン被告が死んだとしても正義は実現されなければならないと訴えています。

1999年半ばからエプスタイン被告に性的マッサージを強いられていたヨハンナさんはグループで英王室の夏の休暇地バルモラル城に滞在し、アンドルー王子と楽しんだとも証言しています。

「エプスタイン被告は1日3回オーガズムを必要とした」

英メディアによると、ヨハンナさんはこれまでの裁判で「エプスタイン被告は1日3回オーガズムを必要としました。食事をとるように生物学的でした」と証言しています。

エプスタイン被告の「性奴隷」にされたバージニア・ロバーツさんは2001年、17歳の時にアンドルー王子と3回寝たと訴えています。しかしアンドルー王子と英王室はバージニアさんとの性的な接触や関係を否定し、米国の裁判所も彼女の訴えを「重要でない」と退けました。

エプスタイン被告は1992年、トランプ大統領と大統領の別荘「マー・ア・ラゴ」に28人の女性を招いてパーティーを開いたこともあります。

未成年の少女に売春をさせた罪に問われたエプスタイン被告は司法取引に応じ、08年、1年6月の禁錮刑判決を受けて服役。この時の担当はフロリダ州マイアミの連邦地方検事で、後にトランプ大統領に労働長官に指名されるアレクサンダー・アコスタ氏。アコスタ長官はその後、秘密裏に行った司法取引を批判され、辞任に追い込まれます。

今年7月、エプスタイン被告は性的搾取を目的とする未成年者の人身取引容疑で逮捕、起訴され、裁判の開始を待っていました。有罪の場合、最高45年の禁錮刑が科される可能性があり、被害者の中には14歳の少女もいたそうです。

いくら英王室のメンバーだからと言って、こんな人物と有罪判決が出てからも堂々と付き合い、少女たちに「恐怖の館」と恐れられた場所に出入りすることが許される時代ではなくなりました。時代錯誤も甚だしいとはこのことです。

アンドルー王子は米国の裁判所に出廷して、すべてを洗いざらい証言することが求められるでしょう。

605NAME:2024/03/05(火) 20:00:50
長渕剛、インスタで宣言「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」「何かあるならば私の名前を叫んでこい」
スポーツニッポン新聞社 の意見
4 時間
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E9%95%B7%E6%B8%95%E5%89%9B-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%A7%E5%AE%A3%E8%A8%80-%E7%A7%81%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%88%83%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%A7%E3%82%82%E7%AB%8B%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%86-%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%B0%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%82%92%E5%8F%AB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%93%E3%81%84/ar-BB1jlaN8?ocid=msedgntp&pc=NMTS&cvid=6d4d11708fbc4e09bd8ba09a5e2da3ad&ei=6

歌手・長渕剛(67)が5日までに自身のインスタグラムを更新し「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」と宣言した。 長渕は「何も知らない人間が 虚構を切り刻み、貼り付け そして汚い金になる。そんな社会が 確かにある」と切り出す。

 そして「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう。なぜなら自尊があるからだ。何かあるならば 私の名前を叫んでこい」と投げかけた。 最後は「自分を見失わせる恐ろしい社会になったけれど 切り刻まれようとも 私は立つ。今日私はここに立つ。長渕剛」と結んだ。

606NAME:2024/03/12(火) 11:34:04
「バーン」靖国神社に落ちた爆弾、生き残った8歳 メラメラ燃える自宅は「美しかった」 #戦争の記憶
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/pacificwar2.html


キダ・タロー氏93歳が涙 80年前いじめ加害を突然激白「ナイトスクープ」彼を叩いた、悔やんでます、彼の涙で俺は人に手をあげる事やめた
2024.03.11
https://www.daily.co.jp/gossip/2024/03/11/0017420957.shtml

浪速のモーツァルトこと作曲家キダ・タロー氏(93)が8日放送のABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」に最高顧問として出演した。 依頼者から、夫が中学の時に友人に手を上げてしまい、そのまま疎遠になったことを長年後悔しており、謝罪したがっているとの依頼が届いた。

 これを受け、探偵の石田靖が「顧問、なんか悔やんでいることとかあります?謝りたい人とかいます?」と聞くと、93歳のキダ氏は「いますけど、その子は亡くなりました」と返した。

 謝るのは早いほうがいいとの話になったが、キダ氏は真剣な顔で「その子、心臓が弱かったんですよ。中学1年で、みんなでいじめるんですよ。私、そのうちの1人に入っとったんです」と告白した。 涙声になり「私が叩いたんですね、彼を。彼が黙って涙を流したんです。それから俺は人に手をあげることはやめたんです。それだけが悔やんでます」と明かした。

607NAME:2024/03/22(金) 22:29:00
第12代最高裁長官・草場良八さん死去 94歳、ロッキード判決
2020年3月21日 02時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17466

ロッキード裁判の最高裁大法廷判決などに裁判長として関与した元最高裁長官の草場良八(くさば・りょうはち)さんが十三日、老衰のため死去した。九十四歳。福岡市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 東大法学部卒業後の一九五一年に判事補。最高裁の秘書課長兼広報課長や経理局長、甲府地、家裁所長、東京高裁部総括判事、最高裁事務総長、東京高裁長官などを経て八九年に最高裁判事。九〇年に故矢口洪一氏の後任として第十二代最高裁長官に就任、九五年に退官した。
 最高裁長官に在任中、成田新法の合憲性が争われた訴訟や、三・一八倍の一票の格差を違憲状態とした衆院定数訴訟、嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件丸紅ルートの大法廷判決に裁判長として関わった。
 最高裁判事就任からわずか三カ月で司法トップの長官に上り詰め長官在任期間は約五年九カ月に及んだ。裁判官としては主に刑事事件を担当したほか、司法行政にも手腕を振るい、最高裁事務総長時代に簡裁の統廃合や報道機関による法廷内写真取材を実現させた。


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