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竹 島

34NAME:2013/02/24(日) 00:28:53
竹島の日 命がけで守った“宝の島” 勝手に引かれた「李承晩ライン」 (1/3ページ)2013.2.22 12:00
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130222/mca1302221616025-n1.htm

“最後の漁”から58年…

 アワビやサザエの豊かな漁場として知られた竹島(島根県隠岐の島町)で、隠岐の漁師11人が“最後の漁”を行ってから58年。松江市で22日に開かれる8回目の「竹島の日」記念式典には、父や叔父、兄が竹島での操業を経験した同町久見の自営業、八幡昭三(しょうざ)さん(84)も駆けつける。「父は竹島を『先祖が見つけてくれた宝の島』と誇っていた。その思いを若者たちに伝えたい」。今回は18歳になる昭三さんの孫も初めて式典に参加。「若い僕らが竹島を守っていきたい」と誓っている。(藤原由梨)

 「1日に取れたアワビは最高で400キロもあったとか。どんな場所なのか、生きているうちに行ってみたい。できるなら明日にでも」

 昭三さんは小学生時代、叔父の伊三郎さん(故人)から聞かされた話が、今も強く心に残っている。伊三郎さんは昭和初期に9回、竹島漁を経験。昭三さんに「畳二畳ほどの大きさの石にアワビがびっしり。数えながら取ったら107つあった」と、豊かな竹島の海の様子を教えてくれた。

竹島に生息していたアシカも友達だった

竹島に生息していたアシカも友達だった。久見地区の海岸では、竹島で生け捕りにしたアシカの赤ちゃんが動物園などに売るため育てられており、昭三さんは学校から帰ると釣った魚を与えて遊んでいたという。

 しかし戦後、その状況は一変する。昭和27(1952)年、韓国が日本海に一本の線を引き、竹島を自国領と主張した。「李承晩ライン」だ。

 両国のにらみ合いが続く中、島根県から要請を受けた昭三さんの父、才太郎さんと兄、尚義(かつよし)さんは29年5月、ライン制定後初めて漁師仲間11人で竹島に試験操業に出た。巡視船に守られながらの出漁だった。

 漁を終えた尚義さんは「ワカメは2メートルほど。隠岐の倍の長さがあった。アワビも倍くらい大きかった」と伊三郎さんの話を裏付ける経験談を語ってくれた。しかし、翌月に韓国は竹島に海岸警備隊を派遣し、不法占拠を強めていった。結果、この漁が記録に残る最後の竹島漁となっている。

「大切にしなければばちが当たる」

才太郎さんは、当時の政府に竹島の領有権確立を求める陳情書を出したが、なしのつぶて。「竹島は、無線も電話もない時代に先祖が見つけ、命がけで日本の領土にしてくれた。大切にしなければばちが当たる」と繰り返し嘆く才太郎さんの姿が、昭三さんの目に焼き付いている。だが、事態は膠着(こうちゃく)したまま才太郎さんも尚義さんも亡くなり、最後の漁に出た漁師は全員鬼籍に入った。

 昭三さんは「隠岐でも、竹島の様子を直接見聞きした人間は数少なくなった」と危惧し、小学校での竹島をテーマにした授業で講師を務めるなど伝承に力を入れている。

 うれしい出来事があった。海上保安庁の職員を目指す孫の専門学校生、松山怜さん(18)=大阪市旭区=が「もっと竹島のことを知りたい」と、夜行バスに乗って、式典出席のために松江を訪れた。昭三さんは「頼もしくなった。日本人が守り伝えてきた竹島なので、若い人にぜひ関心を持ってほしい」と力を込めた。


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