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琉球王国

25NAME:2013/07/27(土) 18:57:58
沖縄はなぜ反日か
http://heigokai.blog.fc2.com/blog-entry-388.html

沖縄の反日運動の淵源はその人口構成にある。大東亜戦争終戦の時点の沖縄県の人口は約30万人だったが、今は140万人を超えている。5倍弱だ。日本全体では、5割くらいしか増えていない。ここに沖縄の反日運動の淵源がある。

・大東亜戦争終戦の時点で日本に、韓国・朝鮮系の「住民」が約200万にいた。日本人、日本国民ではなく「住民」というのは、ポツダム宣言受諾の系(Corollary)として、韓国・朝鮮系日本人は日本国籍を喪失したからだ。

・200万のほとんどは朝鮮半島に戻り、日本への定住を決めたのはその約1割だった。その後、日本政府が受諾したポツダム宣言には全く記載がないことだが、占領軍は日本の警察権は日本国民にしか及ばないとし、占領軍兵士に加え、日本に住んでいた第三国人にも日本の警察権はおよばないとした。その結果、第三国人による犯罪が頻発し、見かねて止めようとした警察官が殺されるという事件が頻発した。

・昭和21年頃、大量の朝鮮人が朝鮮半島から日本に渡ってきた。違法行為を行っても司法権が及ばないとなれば、金儲けは簡単だ。彼らが日本に来てやり始めたのは、密輸、密造酒の製造販売等々だった。違法のビジネスを行っても逮捕されなかった。しかしそのような好条件においても成功できなかった人たちが「その他」の職業についた。こうして大儲けした連中がいた。

・おそらく韓国系・朝鮮系の日本住人の3分の2が上記の後から渡ってきた人たちだ。

・サンフランシスコ条約が締結され、日本が独立し警察権を確立するに際して、上記の後で渡ってきた日本住民、特に「その他」の職業についていた人たちは、「やばい」状況になり、もともとの日本人で「その他」の職業についていた人達共々、当時まだ日本の主権が及ばない沖縄に大量に流れた。

・沖縄には二つの彼らにとって都合の良い状況があった。
(1)米軍基地の近くで米軍相手の商売のチャンスが多くあった。そこで彼らは基地の近くに住み、「基地の近くに住む痛み」を感じていると言って、補償を求め認められた。

(2)沖縄の土地台帳の大部分は空襲で焼けてしまっていた。現在日本政府が米軍に代わって米軍基地の地代を地主に払っているが、その面積は実際に基地がある面積の約10倍だ。つまり、後からやってきた人たちが、勝手に地主面をして地代を要求しても、米軍は日本政府が払うのだからホイホイと認めた結果だ。

・このように終戦から数年間の状況を子細に観察すれば、沖縄の世論がどうやって形成されてきたか、この流れに乗ってきた沖縄のマスコミがどういうものか、容易に推察できる。従って、如何に沖縄の世論を正常化することが難しいか分かる。


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