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東日本大震災

123NAME:2016/03/12(土) 01:37:13
中国人研修生を救おうとした日本人
大震災5年:程永華・駐日中国大使寄稿の全文
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a4%a7%e9%9c%87%e7%81%bd%ef%bc%95%e5%b9%b4%e7%a8%8b%e6%b0%b8%e8%8f%af%e3%83%bb%e9%a7%90%e6%97%a5%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%a4%a7%e4%bd%bf%e5%af%84%e7%a8%bf%e3%81%ae%e5%85%a8%e6%96%87/ar-AAgBGFI#page=2

東日本大震災5年に合わせ、中国の程永華(てい・えいか)駐日大使が毎日新聞に寄稿し、日中両国が防災や被災地支援での協力を強化する必要性を訴えた。全文は次の通り。

2011年3月11日、午後の東京にはもう早春の暖かさがあった。私は山東省投資説明会に出席するため、在日中国大使館を出ようとしているところだった。突然、強い揺れに襲われ、歩みを止められた。私は外交官として日本に長年勤務しており、1995年に大阪市で阪神淡路大震災を経験したのを含めて、大小の地震をどれほど経験したか知れないが、このように強い揺れを感じたのは初めてだった。すぐに投資説明会への出席を取りやめ、執務室に戻って地震対応の手配に臨んだ。床に落ちた掛け時計は午後2時46分を指したまま。マグニチュード9.0という、世界の地震観測史上第4位に入る東日本大震災の起きた時刻だ。

 5年の歳月が過ぎ、仕事と生活の日々が続いてきたが、当時の状況が記憶から消えたことはない。当時は地震、津波と原発事故の三つの災難が重なり、被災状況に対する未知の不安と恐怖によって、普段はにぎわう六本木の街頭もひっそりとしていた。しかし、在日中国大使館は24時間の緊急態勢に入った。被災地に3万人もの中国国民が滞在しており、早急にその安否を確認し、しかるべき措置を取ることが急務となったからだ。

 震災発生当日からの10日間に、大使館は六つの作業グループを被災地に派遣し、中国国民の救助にあたった。その中で日本各地の自治体と市民の皆様から多大な援助を受けた。日本の方々と中国大使館、総領事館は協力しながら被災地の中国国民が危険な状況から脱するのを助けた。

 日本で働く研修生は最も救援を必要としており、日本の市民の皆様から最も多くの助けを受けていた。宮城県女川町の佐藤充さんは、津波が押し寄せる直前に20人の中国人研修生を救ったが、自らはより多くの人を救出しようとして津波に巻き込まれ、尊い命を失ってしまった。 このほかにも、身の危険を顧みず、自分の家族の安否も確認していない中で中国人の救助に当たり、なかには福島第1原発の近くまで中国人研修生を捜しに行った人もいたという多くの感動的な話を聞いた。このようなことがあるゆえに、多くの中国人研修生が震災後まもなく日本に戻って仕事につき、被災地の復興に身を投じた。


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