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台 湾

1TOKUMEI:2012/03/14(水) 13:23:14
台湾 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE

2TOKUMEI:2012/03/14(水) 13:27:24
追悼式で台湾代表が献花できず…首相、深く反省
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120312-OYT1T00871.htm

 野田首相は12日の参院予算委員会で、11日の政府主催の東日本大震災追悼式で、台湾代表に献花の機会がなかったことについて、「本当に申し訳ない。行き届いていなかったことを深く反省したい」と陳謝した。

 自民党の世耕弘成氏への答弁。台湾からの震災義援金は官民合わせて約200億円と世界トップクラスだった。

 世耕氏は追悼式で、天皇、皇后両陛下がご退席になる際、場内が着席していたとして、「どこの国でも全員起立するものだ」と批判。藤村官房長官は「(議事進行は)事務方で詰めてきたものを直前に聞いた。おわびするしかない」と謝った。

(2012年3月13日07時36分 読売新聞)

台湾代表の指名献花外し、対応に問題なし 藤村官房長官、前日の首相謝罪覆す
2012.3.13 10:38 [野田首相]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120313/plc12031310390005-n1.htm

 政府が11日に主催した東日本大震災の一周年追悼式典で、台湾代表の出席者が指名献花から外されるなど冷遇された問題で、藤村修官房長官は13日午前の記者会見で「外交団という仕切りの中で整理され、外務省と内閣府で調整済みだったと後から聞いた」と述べ、対応に問題はなかったとの認識を示した。

 また12日に開かれた玄葉光一郎外相主催の各国高官のレセプション(歓迎会)には、台湾代表を招待したことを明らかにした。

 追悼式典には台湾の事実上の大使館にあたる台北駐日経済文化代表処の羅(ら)坤燦(こんさん)副代表が出席したが、「民間機関代表」との位置づけで、企業関係者などの一般席に案内された。

 この件について野田佳彦首相は12日の参院予算委員会で「本当に申し訳ない。深く反省したい」と陳謝しており、一夜にして謝罪を覆した形だ。

3NAME:2012/04/08(日) 20:24:08
台湾訪問の日本人129万人超え、深まる台日交流―台湾メディア
Y! 【社会ニュース】 2012/02/21(火) 11:48
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0221&f=national_0221_066.shtml

  「台湾新生報(TSSDNEWS)」は「台湾と日本を行き来し合う2011年の旅客数は、計243万人。日本に行った台湾人は113万人で、台湾に来た日本人は129万人。来台日本人数が、日本を訪問した台湾人を超えたのは初」と報道。「10年10月より台北・松山空港と東京・羽田空港の直行便が就航した。以降台湾と日本は日台航空協定(オープンスカイ)という、双方間の航空史上最も重要な協定を締結した。また昨年度の台湾と日本の貿易総額は704億米ドル(5.6兆円)で、日本は台湾にとって2番目に金額の大きな国となった。ほかにも投資額が増え、10年度の成長率がお互いに伸びる特別な一年だった」という馬総統のコメントも掲載した。

  また福井県の経済団体一行40名が台湾を訪問し、馬総統と対面を果たしたことも報じ「同行した亞東関係協会の廖会長の母親と祖母は日本人で、日本のことをよく知っている家族。廖会長が先頭に立って日台関係をさらに深めてほしい」という馬総統のスピーチを紹介し、「団体や企業の協力で、日本と台湾のパートナー関係が深まる傾向にある」としている。(編集担当:饒波貴子・黄珮君)

4NAME:2012/04/08(日) 20:56:03
台湾の馬英九総統再選
中国・米国・日本との関係はどうなるか http://nippon.com/ja/currents/d00023/

2012年1月14日、中国国民党(国民党)の馬英九総統が、最大野党である民主進歩党(民進党)の蔡英文主席を689万1,139票(51.60%)対609万3,578票(45.63%)で下して再選された。

5NAME:2012/04/08(日) 22:12:38
新竹のシルバー世代、日本からの桜の手入れに燃える
2012/04/07 19:46:05
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201204070008#

(新竹 7日 中央社)台湾北部、新竹市の高齢者の間で、日本からの桜をボランティアとして手入れすることが、ちょっとしたブームになっている。ブームの「起爆剤」となったのは、今年81歳の楊根棟さん(写真左)。楊さんはこの10年間、1日も欠かさず、新竹公園の桜を娘のように世話している。公園には桜の木約700本があるが、楊さんは毎朝、運動を兼ねて桜の様子を確認し、肥料もポケットマネーで購入するという。

桜の手入れにこれほど力を入れる理由について、毎年2〜4月中旬の開花期を楽しみにしている楊さんは、「これら桜は台湾に嫁いだ娘のようなもの。くれぐれも大切に守ってほしい」と桜を贈呈した日本人の言葉を紹介した。ここ数年、こうした楊さんの姿に心を打たれた地元のシルバー世代が増えており、公園も桜の名所として知られるようになっている。

6NAME:2012/06/06(水) 23:31:54
李登輝元総統が「大企業の支持などが影響」と分析
2012.1.17 21:05
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120117/chn12011721050005-n1.htm

 【台北=吉村剛史】台湾の李登輝元総統は17日、台湾メディアとの食事会で、総統選の結果に関し、馬英九総統が再選された背景には「(対中ビジネスを手がける)大企業が相次いで支持」したことがあり、最大野党・民主進歩党の蔡英文主席の敗因は「陳水扁政権時代の腐敗の印象が影響した」と総括した。

 さらに春節(旧正月)直前の投開票日程は、「期末試験の学生や労働者が帰郷投票できなかった」と問題視。一方、馬氏が訴えた「中台関係の安定」が勝利に結びついたかどうかは「一般有権者は生活への影響をあまり感じていない」として否定した。

 李氏は総統選最終盤では民進党の集会で壇上に立つなど蔡氏を応援。「民主社会なので仕方がない」と結果を受け止めつつも、前回から大幅に票差を縮めた民進党は「次回は勝てる」とし、2016年総統選への期待をみせた。

7NAME:2012/10/07(日) 00:02:35
台湾、尖閣周辺の漁業協議早期再開に同意 玄葉外相メッセージに回答
2012.10.6 19:59 [尖閣諸島問題]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121006/chn12100620000004-n1.htm

 台湾の外交部(外務省)は6日、玄葉光一郎外相が5日のメッセージで、沖縄県・尖閣諸島(台湾名・釣魚台)周辺海域の漁業権をめぐる日台漁業協議の早期再開を呼び掛けたことに対し、「日本の考えに同意する」と応じる声明を発表した。

 声明は日本に対し「善意を示し、台湾漁民の釣魚台周辺海域での権利を尊重すべきだ」と求めた上で、「漁業協議で具体的成果が出るよう共に努力したい」と表明した。

 馬英九総統が尖閣諸島をめぐる争いの平和的解決のために提唱した「東シナ海平和イニシアチブ」を、玄葉外相がメッセージで評価したことに対しては、「日本側の考え方は東シナ海の平和維持に役立つと信じる」と好感を示した。(共同)

8NAME:2012/10/07(日) 00:04:21
台湾・馬総統が漁民を称賛「日本は反省を」
2012.9.27 22:58 [台湾]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120927/chn12092722590014-n1.htm

【台北=吉村剛史】台湾の馬英九総統は27日、沖縄県・尖閣諸島(台湾名・釣魚台)の領海に侵入した漁民や巡視船乗組員の代表らを台北の総統府に招いて、「釣魚台がわれわれの漁場だと世界に平和裏に知らしめた」とたたえた。馬総統は尖閣諸島の領有権をめぐる対応で「弱腰」との批判を受けたことから、強気の姿勢をアピールする狙いがあったとみられる。

 馬総統は、尖閣諸島を国有化した日本政府に対し「深く反省し、誤りを認めるよう望む」と述べた上で、漁民の権益を保障するために日台共同で紛争解決の方法を協議することを呼びかけた。また、「日本と対抗するのが目的ではない」と強調した。

 一方、領海内で台湾の巡視船が海上保安庁の巡視船に向けて放水したのは、日本側の放水への反撃で「防御的措置だった」と述べた。他国の公船に対する実力行使は国際法上認められていない。

9NAME:2012/11/02(金) 15:55:53
2012年11月2日 12:54 (Record China)
「米国の犬になっても中国人にはならない」パスポートに見る中国本土と台湾の差―中国メディア
http://topics.jp.msn.com/wadai/recordchina/article.aspx?articleid=1495629

2012年10月31日、RFI中国語版は記事「初のビザ免除台湾旅行客を米国が丁重におもてなし、中国本土ネットユーザーの話題に」を掲載した。

11月1日から台湾住民の米国短期旅行はビザ免除となる。ロサンゼルスでは盛大な式典を開き、ビザ免除後初の旅行客をもてなす計画だ。中国本土住民の海外旅行ではビザがネック。その困難さがよく知られているだけに、このニュースは羨望とともに伝えられた。ビザ免除規定を結んでいる国と地域の数を比べると、台湾は124、中国本土は21と大差がついている。

あるネットユーザーは「台湾、香港、マカオ、シンガポール……。中国語を話す国と地域のなかで、共産党に統治された中国本土以外の人はビザなしでどこにも行けるのに……」と嘆いた。

また、別のネットユーザーはビザ免除の待遇の差は政府の対応の違いを示すものと指摘。1998年のインドネシアでの中国人排斥運動では多くの華人が殺されたが、中国政府は見て見ぬふり。華人は台湾やシンガポール、そして米国に頼るしかなかった。米国の艦艇に救出された華人、華僑が「米国の犬になっても中国人にはならない」と横断幕を掲げたのは皮肉だとコメントしている。(翻訳・編集/KT)

10NAME:2013/01/31(木) 23:17:13
山田吉彦 中国 「日台連携」絶対阻止狙う
2013.1.31 07:58
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130131/plc13013107590004-n1.htm

台湾の抗議船「全家福」が尖閣諸島・魚釣島近くの領海に近づいた。全家福に乗船していたのは、中国本土、香港、台湾などで活動する中華保釣協会の一員で、台湾当局としても迷惑な存在だ。昨年8月、尖閣諸島周辺で、海上保安庁の巡視船に投石したうえで不法入国をした香港の抗議グループを送還措置にしたことが、中華保釣協会の動きを助長した。

 26日付本紙によると、台湾は、抗議船の出港に関し「中華民国(台湾)は、自由民主国家であり、法律上の問題がなければ遊漁船の出港を阻止できない」と事前に日米に通告したという。無害通航権が保証されている海上において、全家福の出港を止める権限を台湾当局は持たない。事前通告は日米への最大限の配慮である。そして、4隻の巡視船を同行させ全家福の行き過ぎた行動を抑止するとともに、海上保安庁による法執行を牽制(けんせい)していたのだ。

 許しがたいのは中国の海洋監視船である。台湾の苦悩を利用し、あたかも台湾と連携しているかの如く動いた。これは、中国の主張である「尖閣諸島は台湾の一部であり、中国領土である」ことを正当化しようとしたものだ。中国国内では、日中関係の冷え込みが国内経済にも影響を及ぼし始め、政府は日本を挑発する大胆な動きは取りづらい状況だ。そこで、中華保釣協会が動き、台湾当局も巻き込もうとしたようだ。

また、すでに準備会合が行われた日台漁業協議への妨害工作とも考えられる。台湾は、日本が東シナ海の排他的経済水域における漁業の一部を認めれば、尖閣諸島周辺では紛争は起こさないとしている。台湾と日本の連携は、中国当局としては絶対に阻止したいところだろう。

 日本政府は日台漁業協議を進め、中国により乱された東シナ海の平穏を取り戻す必要がある。過去16回開かれた協議では、互いの融和点を見つけることができなかった。この協議は、水産庁が中心となっているが、台湾という外交上の特異性と安全保障を考慮すると、総理が本部長を務める内閣官房総合海洋政策本部の役割だ。東シナ海の安定は、総合海洋政策本部の機能に懸かっているのである。(東海大教授)

11NAME:2013/02/01(金) 01:40:36
馬総統再選から1年 最大野党が政権批判デモ、5万人超が参加
2013.1.13 18:20
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130113/chn13011318210004-n1.htm

【台北=吉村剛史】台湾の最大野党、民主進歩党は13日、馬英九総統の再選から1年に合わせ、台北市内で各地の支持者らを動員したデモ行進を実施。台北市政府や、総統府前などで生活改善や政治改革を掲げ、馬政権批判を展開した。

 地元メディアなどによると、蘇貞昌主席ら同党幹部らの呼び掛けに、支持者ら5万人以上が参加。親中派実業家による台湾メディア買収を念頭に特定資本によるメディア独占への反対や、当局の基本方針を与野党で話し合う機会を設けることなどを求め、夜まで総統府前で活動した。

12NAME:2013/02/02(土) 00:23:38
圧倒的多数「大陸との最終的な統一」に反対=台湾でアンケ
2013年2月1日 09:54 (サーチナ)
http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1650934

台湾の調査会社TISRはこのほど、台湾住民を回答者とする大陸との関係についてのアンケート調査の結果を発表した。「最終的に大陸と統一すべきと思いますか」との問いに対して、63.3%の人が反対した。賛成した人は20.9%だった。

 大陸部との最終的な統一に対して「とても賛成する」と回答した人は5.9%、「比較的賛成する」は15%で、統一に賛成の意を示した人は合計でも訳2割にとどまった。

 一方で「賛成できない面がある」は22.7%で、「全く不賛成」は40.9%で、合計で63.3%の人が賛成した。

 賛成意見を示した人の中でも「とても賛成する」との回答が少なく、逆に反対意見では「全く不賛成」と強い拒否感を示した人が多かった。

「中国大陸は信用できない」が圧倒的多数=台湾でアンケ
2013年2月1日 12:19 (サーチナ)
http://topics.jp.msn.com/world/china/article.aspx?articleid=1651253

台湾の調査会社TISRはこのほど、台湾住民を回答者とする大陸との関係についてのアンケート調査の結果を発表した。「中国大陸は全体として信用できない」と考えている人が69.2%で、「信用できる」の16.2%を大きく上回った。

 「中国大陸は全体として信用できますか」との質問に対しては、「とても信用できる」は1.3%にとどまった。「ある程度信用できる」は14.9%で、程度の違いはあるが「信用できる」と考えている人は合計で16.2%だった。

 「信用できない面がある」は31.8%、「きわめて信用できない」は37.4%で、合計では69.2%だった。台湾人の中国大陸部に対する信用度は相当に低いことが分かった。

13NAME:2013/02/20(水) 20:22:20
抗議の台湾活動家らが日本に賠償請求
2013.2.20 18:14 [尖閣諸島問題]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130220/chn13022018150009-n1.htm

 沖縄県・尖閣諸島への主権を主張し、先月末に抗議船で尖閣の接続水域に進入した台湾の活動家らが20日、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)を訪れ、日本の海上保安庁巡視船による放水で、使用した遊漁船の一部が破損したとして、日本側に計500万台湾元(約1600万円)の損害賠償を請求し、抗議書を提出した。(台北 吉村剛史)

14NAME:2013/02/21(木) 23:58:56
尖閣で中国と連携せず、理由を台湾が初公表 日台漁業協議干渉や軍備増強でも中国を批判
2013.2.21 08:21
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130221/chn13022108440003-n1.htm

【台北=吉村剛史】沖縄県尖閣諸島について中国と同様に主権を主張している台湾が、中国が平和的解決に向けた構想を示していないことなどを理由に尖閣をめぐって中国と「連携しない」と表明していることが20日、わかった。これまでも中国と連携しない姿勢を示してきた台湾だが、具体的な理由を公表したのは初めて。尖閣周辺海域の扱いが注目される日台漁業協議への中国側の干渉や、中国の軍備増強による地域の安定への影響にも批判的に言及しており、中国側の反応が注目されている。

 台湾の外交部(外務省に相当)がホームページで「釣魚台(尖閣の台湾での呼称)列島の主権声明」「中国大陸と合作しない立場」と題した声明として公表した。

 声明は、馬英九総統が昨年8月、「争議の棚上げ」「資源の共同開発」などを盛り込んで提唱した「東シナ海平和イニシアチブ」を中国側が無視していることや、中国が尖閣に関して国際司法裁判所(ICJ)に委ねることに反対していることなどを指摘した。

さらに中国が過去、インドやベトナムなどの周辺国と領土紛争を展開してきたことや、尖閣での平和的解決の具体的な構想を示していないことも列挙し、「合作(連携)は困難」としている。

 声明は8日に公表されていたが、馬英九総統も18日、与党・中国国民党の内部座談会などで「両岸(中台)が保釣(尖閣防衛)で連携できない3つの理由」を説明したという。

 これまで中台関係の改善に努めてきた馬政権の中国への強い姿勢の表明に、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)では、「従来にない踏み込んだ表現で興味深い」としている。

15NAME:2013/03/11(月) 14:08:53
台湾人感動…WBC日台戦で日本人が震災支援への謝意呼びかけ
サーチナ 2013年03月08日12時08分
http://news.livedoor.com/article/detail/7479916/

WBC第2ラウンド日本−台湾(チャイニーズ・タイペイ)戦が8日、東京で行われることを受け、台湾メディアの自由時報は「台湾−韓国戦の殺伐とした雰囲気とは一変し、日本のファンが東日本大震災における台湾の支援に謝意を示す活動を呼びかけている」と報じた。

 報道によれば、日本の一部ファンがTwitter(ツイッター)上で、2011年に発生した東日本大震災で、台湾が全世界の国と地域の中で最も多額の義援金などを贈ってくれたことに対して、「台湾でも大きな注目が集まる日本−台湾戦は、台湾の人びとに謝意を伝える絶好の機会」と指摘し、感謝の意を伝える横断幕を日本−台湾戦で掲げようと呼びかけた。

 台湾ではFacebook(フェイスブック)を中心に、日本で発生した「台湾に謝意表明を」の動きにかんする情報が広まった。多くの台湾ネットユーザーたちは、日本における謝意表明の呼びかけに「感動で心が温められた」という。

 台湾は釣魚台(尖閣諸島の台湾側通称)について「自国領だ」との考えを持つ人が多いが、「(WBCの)日台戦に、釣魚台の問題を持ち出すなど、敵意ある応援方式は不適切だ」との意見を表明するユーザーも多いという。(編集担当:及川源十郎)

WBC日本が台湾の震災支援に謝意・台湾に激勝!台湾監督「尊敬する日本に…」・韓国とは大違い
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4991.html

WBCで日本側スタンドに「謝謝台湾」 台湾SNSでは「感動した!」の声、日本も台湾チームと応援団に「称賛」の声、日本との死闘に敗れた台湾はキューバに負けWBC敗退、サムライジャパンは台湾の分まで頑張れ .
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/37593869.html

16NAME:2013/04/02(火) 00:18:11
台湾・台南 語り継ぐ日本人の功績
2013.4.1 16:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130401/trd13040116010010-n1.htm

台湾南部で歴史的な建造物が多く残され、「古都」と称される台南。この地で日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムを築き、不毛の地を穀倉地帯に変えた日本人技師、八田與一(はったよいち)に今も尊敬の念が寄せられている。豊かな田畑、広大なダム。八田の足跡をめぐり、その生涯に思いをはせた。(高久清史)

日台の深い関係 関西国際空港から約3時間のフライトを終え、台湾桃園国際空港に降り立つ。日本よりも暖かく、春の訪れを感じたが、さらに南にある台南では気温が約30度まで上がると聞き、持っていた薄手のコートをトランクにほうり込んだ。

 台湾高速鉄道(新幹線)で台南駅に到着し、台湾の人たち向けの観光パンフレットを手に取る。昭和天皇が大正時代に訪問された公園、学校などが紹介されており、日本との関わりの深さを実感した。

 車で台南市郊外にある烏山頭ダムに向かう中、車窓には緑が鮮やかな水田、バナナやマンゴーなどの畑が広がる。古い家々の軒先にソファやベンチが置かれ、お年寄りが座って昼下がりを過ごす。南国情緒たっぷりの空間だ。

「八田」の名が標識に

 「八田路」。ダム敷地へと続く道に、八田の名を冠した標識があった。ガイドの簡●(●=迅のしんにゅうをさんずいに)如さん(30)は「ダムを作った八田さんの功績をたたえ、命名されました」と解説してくれた。

 同ダムは八田の設計のもと、1920年から10年の歳月を経て完成。総延長1万6000キロに及ぶ用水路も整備され、干魃(かんばつ)や塩害により不毛の地とされていた一帯の嘉南平野を穀倉地帯に変えた。八田の功績は教科書に登場するだけでなく、アニメ化され、語り継がれている。さらに2011年にはダムに隣接するエリアに八田與一記念公園が完成した。

 さっそく記念公園へ。かつて工事従事者の宿舎が並び、約2000人が居住していたとされ、敷地内には八田ら日本人技師が暮らした木造住居4棟が復元されている。日本から寄せられた家具が据えられ、その忠実さに驚かされる。

 台南に恩恵をもたらしたダムにも、歴史を感じさせるスポットがちりばめられている。約1・3キロに及ぶ堤防には道路が整備され、眼下に広がるダム湖を眺めながら散策できる。そのスケールから、当時の工事の困難さがうかがえる。

 水を噴き出す旧送水口には悲しいエピソードがある。八田は42年、フィリピンへ向かうために乗った船が米軍潜水艦に撃沈され死亡したが、妻の外代樹(とよき)が45年9月1日に旧送水口に身を投げ、命を絶った。

その日はダム工事開始25周年の記念日。旧送水口の上にある展示室には、八田の遺品とともに、夫妻が最後に一緒に撮影した写真が飾られている。

 「夫妻は本当に仲むつまじかったと聞いています」。台南市の頼清徳市長は沈痛な表情でこう説明した上で、台南のために生涯をささげた夫妻をたたえた。

 「大きな貢献により、台南と日本に強い絆が生まれている」

古都が生む熱気 ダムとともに繁栄した台南市。17世紀にオランダ人が築城し、その後に改築された「赤嵌楼(せきかんろう)」などの古跡や、赤れんがの古い建物がいたるところに残り、古都の名にふさわしい街並みを楽しむことができる。

 道路沿いの建物から突き出す縦長の看板が連なり、夜には紫や赤、青といった派手なネオンで彩られる。その光景に誘われ、宿泊したホテル周辺を歩くと、台湾観光の名物でもある夜市を見つけた。

 草履のような形の大きなとりのから揚げ、豆腐を発酵させた臭豆腐、タピオカ、すし−。立ち並ぶ屋台が独特のにおいを放ち、市民や観光客を引き寄せる。日本にはないアジアの熱気に、高揚感を覚えた。

17NAME:2013/04/02(火) 00:19:25
【八田與一】 1886〜1942年。石川県出身で東京帝大工学部を卒業後、台湾総督府で技師として勤め、烏山頭ダムを築いた。命日の5月8日には現地で慰霊祭が行われている。

【台湾の観光】 人気を集めているのが台北市。蒋介石を顕彰する中正紀念堂など見どころが多く、小籠包などのグルメも豊富。高雄市では蓮の花で有名な淡水湖の蓮池潭(れんちたん)と龍虎塔が定番になっている。問い合わせはサンケイツアー((電)06・6633・5931)。

18NAME:2013/04/14(日) 23:57:15
「台湾からの支援忘れてはいけない」
2013.4.14 12:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130414/stt13041412010000-n1.htm

「ある方(議員)から、『日本はこれから人口を増やすのか減らすのか』、そこから議論しないといけないと言ったときに、森担当相からは『残念だけれども、増やすのか減らすのかじゃなくて増えない。減る!』という言葉。仮に合計特殊出生率2.0%を実現したとしても、今の人口は維持できない。そういったところから、国づくりどうするのか。未婚率の上昇にどう対応するのか。

8日午後、台湾中部地震の義援金贈呈後(台北駐日経済文化代表処)

 −−義援金贈呈の経緯と趣旨を

 「台湾は東日本大震災直後、世界各国、支援をしてくれた中で最も、力強く支援をしてくださったと言っても過言ではありません。馬英九総統自らテレビに出て『日本に支援を』と呼びかけをしてくれたし、おそらく、1人あたりの支援額としては、世界最高額ぐらいじゃないですか」

 「日本に対する支援。これを日本人として絶対に忘れてはいけない。今回、台湾で発生した地震は、被害の規模とか関係なく、台湾も苦しい時、日本を支えると。そして、台湾の支援は忘れない。そういったメッセージですね」

−−今後、台湾とはどういう関係を築きたいか

 「自民党と台湾というのは本当に長い歴史、深い縁が今までもつむがれてきましたから。これからどうやって若い世代と、台湾の若い世代をつないでいけるか。今、台湾関係は、松本洋平・青年局国際部長に担当してもらってますので、タイミング、そしてどういう形で実現できるのか。前向きに、台湾訪問も含めて、考えたいと思います」

 −−沈代表との会談の中で台湾訪問の話は出たか

 「これはもう、ぜひ来てくださいと。そういった要請は今まで何度もいただいていますので。参院選までは、青年局を挙げて海外に行くことは難しいので、その後、どこに行くか。何人でいくか。これは考えないといけませんね」

 「でも、本当に歓迎の要請を何度もね、いただいていることをありがたかく思います。それを形にしていければなあと思います」

 −−沈大使とはどんな話題を

 「いろいろな地域の、多くの懸案。共有する問題意識。そういったことについての意見交換も多少させていただきましたし、日本と台湾の間で本当に深い友情のようなものがあると。そういった認識を深める時間をいただきましたね」

19NAME:2013/04/25(木) 00:14:43
【動画あり】乙武洋匡さんが台湾プロ野球の始球式に登場! 台湾中が感動「涙がとまらない」「意義のある始球式だ」
2013年4月23日 16:00 (ロケットニュース24)
http://topics.jp.msn.com/wadai/rocketnews24/column.aspx?articleid=1798513
http://rocketnews24.com/2013/04/23/320800/?utm_campaign=Partner%3A+msn&utm_medium=partner&utm_source=msn

『五体不満足』や『だいじょうぶ3組』で知られる作家の乙武洋匡さんが台湾プロ野球の始球式に登場した。

当日、乙武さんは台湾の東日本大震災の支援への感謝の気持ちをこめ、力いっぱいボールを投げたそうだ。その様子は会場を沸かせ、さらにニュースを見た多くの台湾人から感動の声が寄せられている。

・台湾プロ野球の始球式に乙武洋匡さん登場
乙武さんが始球式に臨んだのは2013年4月21日に台北・天母球場で行われた「統一セブンイレブン・ライオンズ VS 義大ライノズ」の試合だ。乙武さんと言えば電動車椅子に乗っている姿がよく見られるが、車椅子から下り、一礼してマウンドにへと進んだそうだ。観客からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。

さらに、マウンド上でも乙武さんは再度、深々とお辞儀をし、「台湾のみなさん! 2年前の震災では心のこもったご支援、本当にありがとうございました。日本はまだまだ大変な状況にありますが、心をひとつにしてこの困難を乗り越えていきたいと思います」と、スピーチ。

そして「今日は感謝の気持ちをこめてボールを投げさせていただきます」と、左肩と頬でボールをはさみ、中国語で「謝謝台湾!」と叫びながらボールを投げた。観客はもちろん両チーム共からも歓声と拍手が沸き起こった。会場はとても温かい雰囲気に包まれたという。

・台湾ネットユーザーから感動の声
この始球式の様子はメディアを通じて大きく広まり、台湾ネットユーザーからは以下の声が寄せられている

「感動した!!」
「こんな意義のある始球式は見たことがない」
「なんだよ……涙が止まらないじゃないか!!」
「鳥肌が立った。乙武さんが始球式に来てくれて本当に光栄に思う」
「涙が出ました。乙武さん、本当にありがとう」
「台湾こそ日本に感謝しています」
「日本人は本当に恩を大切にするし礼儀正しい。見返りを求めて支援した訳じゃないけど、こう言われると嬉しい」
「感謝、そして感動です!」
「乙武さんマジイケメン」
「乙武さん可愛い〜! 彼の中国語も覇気があって素敵」
「アイドルの始球式なんかより、ずっと意味のあるものだったと思う」

台湾は「親日」と言われているが、両者の間には互いに譲れない問題もあるのも事実だ。しかし、スポーツや文化など民間交流で、こうやってお互いに謝意を伝え合えるというのは本当に素晴らしいことである。その気持ちは忘れないでいきたい。

参照元:Youtube、聨合新聞網(中国語)
執筆:澤井恵

20NAME:2013/06/16(日) 19:10:30
<レコチャ広場>中国とは似て非なる台湾文化―中国
2013年6月15日 22:50 (Record China)
http://topics.jp.msn.com/wadai/recordchina/article.aspx?articleid=1898947

2013年6月13日、中国最大の民間教育機関・信孚教育集団の創設者、信力建(シン・リージエン)氏は「台湾文化を見て分かった中国との『似て非なる』部分」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。以下はその内容。

唐代の中国を見たければ日本へ行けばいい。日本には唐代の建築や歌舞が残っている。明代の中国なら韓国へ。そこには明代の礼楽制度が保存されている。中華民国時代の中国が知りたければ、台湾だ。台湾には伝統的な「仁義礼智信」がある。中国はハード面では欧米に「追い付き追い越せ」を実現してきたが、こうした伝統的な文化を見掛けることはなくなった。

1949年に台湾と中国が分かれて以来、国学は中国で「旧思想、旧文化」とみなされ、徹底排除の対象になった。台湾に逃れた国民党はこれとは逆に中国伝統文化の復興に力を入れた。中国が文化大革命を行っていた時、台湾の蒋介石は中華文化復興運動を推し進めていた。

台湾の学校では子供たちに数千年にもわたって使用されてきた繁体字の漢字を教え、伝統文化の思想教育を重視している。中華民国は中国に200万人の知識分子を残してきたが、「革命」や「運動」によって、これらの人々は消滅してしまった。文革期間中、中華民族の始祖とされる炎帝と黄帝の陵は完膚なきまでに破壊された。1966年11月には孔子の墓が暴かれ、その遺体と副葬品は燃やされている。

台湾を旅行した中国の観光客は「台湾は中国よりも礼節の国だ」という感想を抱く。こちらが言うよりも早く「ありがとうございます」と言う店員。バス停ではきちんと並び、降りる人が全員降りるまで乗り込もうとしない。バスの車内には高齢者や体の不自由な人たちのための「博愛シート」があり、若者はそこには座らない。レストランで食事をする際は、自分のテーブルとその周りを汚さないように注意を払う。粗暴な態度を常日頃から経験している中国人は、その違いに目を見張ることになるのだ。(翻訳・編集/本郷)

●信力建(シン・リージエン) 中国の教育家。信孚教育集団理事長。広東省広州市生まれ。中山大学中国文学部卒。工場、銀行、政府機関などで働いた後、英国へ留学。軍人、農民、労働者など30以上の職に就いた経歴を持つ。幼稚園や小中学校など20校以上を建設、学生数は1万人を超える。

21NAME:2013/09/01(日) 23:33:26
【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】
(6)台湾で「父」になった八田與一
2013.5.12 08:22
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130512/art13051208250001-n1.htm

命がけで荒れ地を沃野に

 2年前の東日本大震災の後、世界の国や地域が義援金を被災地に送ってくれた。その中でずば抜けて多かったのが、台湾からの200億円を超す援助だった。 日清戦争直後から先の大戦の終わりまで約50年間、日本による植民地統治を受けた。しかも戦後、日中国交回復のさいには日本から一方的に断交された。それでも台湾の人々の日本に向ける温かい視線は変わっていない。

 台湾の「風土」のようなものもあるが、この間、多くの日本人が身を粉にしながら、台湾のため働いたという歴史によるところも大きい。その一人が台湾総督府の技師、八田與一(はった・よいち)である。 明治19(1886)年生まれの八田は43年、東京帝国大学土木工業科を卒業後、日本統治下の台湾に渡り台湾総督府土木課に勤務した。ここで取り組んだのが、南部の嘉義県と台南県にまたがる嘉南平野の灌漑(かんがい)事業だった。

 平野は台湾の全耕地面積の約6分の1を占めていたが、夏場の雨期には集中豪雨による氾濫で耕地が流される。逆に乾期になると、水不足で農作物がほとんどとれなかった。 八田は台南市の北を流れる官田渓(かんでんけい)という川の上流にあたる烏山頭(うざんとう)にダムを造り、そこから全体に平野に水を流すことを考え、「嘉南平野開発計画書」として総督府に提出した。

計画は認められ、大正9(1920)年、ダム建設が始まった。八田は烏山頭の宿舎に家族とともに泊まり込み指揮をとった。 しかし工事は難航する。名越二荒之助氏他編『台湾と日本・交流秘話』などによれば、工事現場で石油ガスが爆発、五十数人が亡くなる大事故が起きたこともあった。八田は工事をあきらめかけたが、一緒に働いていた台湾の人たちに励まされたのだという。そして昭和5(1930)年5月、完成にこぎつけた。

 「烏山頭水庫」と名付けられたダム湖は珊瑚潭(さんごたん)とも呼ばれているが、台湾第2のダムだ。この巨大な湖に蓄えられた水が全長1万6千キロに及ぶ用水路を通じ平野を潤している。ダムと用水路を合わせた「嘉南大●(たいしゅう)」が不毛地帯をみごとに沃野(よくや)に変えたのである。 この八田の活躍は戦前までは日本人の間でもよく知られていた。しかし戦後、日本の植民地統治をすべて否定する歴史観がはびこるとともに忘れられていった。

 これに対し台湾では、戦後も中学校の教科書に載るなど「嘉南大●の父」として敬愛されてきた。最近ではダムと水路を世界遺産に登録しようという運動も起きているほどだ。 2年前の平成23年5月8日には八田を記念する公園の完成式典も行われた。公園の発案者である台湾の馬英九総統のほか、日本からも八田と同じ石川県出身の森喜朗元首相ら何人かの国会議員が出席した。森氏はこう述べた。

 「石川県よりも台湾の人々の方が八田氏を高く評価していることを知った」 八田より時代はさかのぼるが、明治34(1901)年には、農政学者の新渡戸稲造が殖産課長として台湾総督府に赴任した。

新渡戸は札幌農学校を出た後、東大から米国に留学、農政学を学んだ。いったん日本に戻った後、病気療養のため再び渡米していたところ、第4代台湾総督の児玉源太郎や、民政長官の後藤新平の強い要請を受け、殖産振興のため台湾に渡った。

 花井等氏の『国際人新渡戸稲造』によれば、台湾は気候的、地形的にも製糖に適していたが、現実の生産は停滞していた。新渡戸はサトウキビの種類から栽培法、製造法すべてを改良する計画をたて実行に移した。 この結果、台湾の砂糖生産量は数年の間に3倍に伸び、主力産業になっていったのである。 新渡戸は後に国際連盟で働き、戦前の日米関係修復につとめたことが評価され、樋口一葉の前の五千円札の肖像ともなったが、台湾での活躍も忘れてはならない。(皿木喜久)

【用語解説】台湾協会 日清戦争で割譲を受けたものの、当初スムーズに進まない台湾の統治を側面から支援するため明治31(1898)年、台湾協会が発足した。会頭に第2代台湾総督だった桂太郎、幹事長に前総督府民政局長の水野遵、会計監督に大倉財閥の大倉喜八郎が名を連ねた。 桂は総督府への政治介入はせず、台湾での起業を後押しする方針をかかげ、台湾の産物の収集、陳列などに力を入れた。またそのための人材育成を目指し33年、台湾協会学校を設立、桂が初代校長となった。後の拓殖大学である。

22NAME:2013/09/01(日) 23:58:46
【こだわり旅物語】台湾・台南 語り継ぐ日本人の功績
2013.4.1 16:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130401/trd13040116010010-n1.htm

台湾南部で歴史的な建造物が多く残され、「古都」と称される台南。この地で日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムを築き、不毛の地を穀倉地帯に変えた日本人技師、八田與一(はったよいち)に今も尊敬の念が寄せられている。豊かな田畑、広大なダム。八田の足跡をめぐり、その生涯に思いをはせた。(高久清史)

日台の深い関係

 関西国際空港から約3時間のフライトを終え、台湾桃園国際空港に降り立つ。日本よりも暖かく、春の訪れを感じたが、さらに南にある台南では気温が約30度まで上がると聞き、持っていた薄手のコートをトランクにほうり込んだ。

 台湾高速鉄道(新幹線)で台南駅に到着し、台湾の人たち向けの観光パンフレットを手に取る。昭和天皇が大正時代に訪問された公園、学校などが紹介されており、日本との関わりの深さを実感した。 車で台南市郊外にある烏山頭ダムに向かう中、車窓には緑が鮮やかな水田、バナナやマンゴーなどの畑が広がる。古い家々の軒先にソファやベンチが置かれ、お年寄りが座って昼下がりを過ごす。南国情緒たっぷりの空間だ。

「八田」の名が標識に

 「八田路」。ダム敷地へと続く道に、八田の名を冠した標識があった。ガイドの簡●(●=迅のしんにゅうをさんずいに)如さん(30)は「ダムを作った八田さんの功績をたたえ、命名されました」と解説してくれた。 同ダムは八田の設計のもと、1920年から10年の歳月を経て完成。総延長1万6000キロに及ぶ用水路も整備され、干魃(かんばつ)や塩害により不毛の地とされていた一帯の嘉南平野を穀倉地帯に変えた。八田の功績は教科書に登場するだけでなく、アニメ化され、語り継がれている。さらに2011年にはダムに隣接するエリアに八田與一記念公園が完成した。

 さっそく記念公園へ。かつて工事従事者の宿舎が並び、約2000人が居住していたとされ、敷地内には八田ら日本人技師が暮らした木造住居4棟が復元されている。日本から寄せられた家具が据えられ、その忠実さに驚かされる。 台南に恩恵をもたらしたダムにも、歴史を感じさせるスポットがちりばめられている。約1・3キロに及ぶ堤防には道路が整備され、眼下に広がるダム湖を眺めながら散策できる。そのスケールから、当時の工事の困難さがうかがえる。

 水を噴き出す旧送水口には悲しいエピソードがある。八田は42年、フィリピンへ向かうために乗った船が米軍潜水艦に撃沈され死亡したが、妻の外代樹(とよき)が45年9月1日に旧送水口に身を投げ、命を絶った。その日はダム工事開始25周年の記念日。旧送水口の上にある展示室には、八田の遺品とともに、夫妻が最後に一緒に撮影した写真が飾られている。

 「夫妻は本当に仲むつまじかったと聞いています」。台南市の頼清徳市長は沈痛な表情でこう説明した上で、台南のために生涯をささげた夫妻をたたえた。

 「大きな貢献により、台南と日本に強い絆が生まれている」

古都が生む熱気

 ダムとともに繁栄した台南市。17世紀にオランダ人が築城し、その後に改築された「赤嵌楼(せきかんろう)」などの古跡や、赤れんがの古い建物がいたるところに残り、古都の名にふさわしい街並みを楽しむことができる。 道路沿いの建物から突き出す縦長の看板が連なり、夜には紫や赤、青といった派手なネオンで彩られる。その光景に誘われ、宿泊したホテル周辺を歩くと、台湾観光の名物でもある夜市を見つけた。

 草履のような形の大きなとりのから揚げ、豆腐を発酵させた臭豆腐、タピオカ、すし−。立ち並ぶ屋台が独特のにおいを放ち、市民や観光客を引き寄せる。日本にはないアジアの熱気に、高揚感を覚えた。

【八田與一】 1886〜1942年。石川県出身で東京帝大工学部を卒業後、台湾総督府で技師として勤め、烏山頭ダムを築いた。命日の5月8日には現地で慰霊祭が行われている。

 【台湾の観光】 人気を集めているのが台北市。蒋介石を顕彰する中正紀念堂など見どころが多く、小籠包などのグルメも豊富。高雄市では蓮の花で有名な淡水湖の蓮池潭(れんちたん)と龍虎塔が定番になっている。問い合わせはサンケイツアー((電)06・6633・5931)。

23NAME:2013/09/08(日) 13:48:03
台湾で「日本統治時代」がブーム
日本統治時代の“発掘”がブーム 若年層に親日 台湾
2013.9.8 07:00
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130908/chn13090807000001-n1.htm

大正ロマンにヒントを得た漫画や、戦前に甲子園で準優勝した野球部を描いた映画−。台湾の若い世代が、日本統治時代を題材にした作品を次々と生み出している。政治的状況から、この時代は学校教育では詳細には触れられないが、日本のポップカルチャーの影響を受けた世代が歴史的資料を基に自由な発想で作品に仕上げている。中国との関係改善が急速に進むなかで、現在の台湾社会の文化的背景のひとつとして日本時代への興味が強まっているようだ。(台北 吉村剛史、写真も)

 8月上旬、台北市内で漫画「台北高校物語」の出版記念会が開かれた。著者の陳中寧さん(24)と、資料を提供した台湾師範大学台湾史研究所、蔡錦堂准教授(62)の話に大学生ら約40人が聞き入った。

 作品は、日本統治時代の台湾のエリート養成校、旧制台北高校の歩みを擬人化した異色の歴史漫画だ。主人公「台高」は学生マントにげた履きという典型的な旧制高校生の装いだ。 台北帝大などの仲間に加え、台高に「自由自治」の校風を根付かせた三沢糾(ただす)校長ら実在の人物も登場し、開校の経緯や当時の自由な学生生活、第二次世界大戦に至る暗雲が描かれる。

台高の校舎を受け継ぐ台湾師範大の美術学部出身の陳さんは、在学中に蔡准教授の講義で母校の“前身”に感動し、漫画のリポートを提出したのがきっかけで作品制作に乗り出した。 「当時の教育のユニークさを、漫画の発信力で多くの人に紹介したい」という陳さんは現在、東京の専門学校でアニメーションについて勉強している。「台高の戦中や戦後も描きたい」と続編制作にも意欲的だ。

 「日本時代の台北の写真を見て、街並みの美しさに感動した。近代の日本と台湾文化の融合の上に開花した“大正ロマン”的な世界も魅力的だった」 台湾大出身で「AKRU」というペンネームの漫画家、沈穎杰さん(31)は代表作「北城百画帖」を手がけた動機をこう語る。

 漫画の舞台は、台湾総督府が始政40周年を記念し、昭和10年(1935年)に台北で開催した「台湾博覧会」の時代だ。 カフェーの主人を軸に、日本軍の航空兵を志した台湾少年や、日本の台湾先住民研究者に協力したタイヤル族の少女の幽霊などを女性らしい視点で幻想的に描き、今年、日本の外務省主催の第6回国際漫画賞で入賞を果たした。 「学校の授業では日本時代にほとんど触れなかったから、大学で学んだ考古学的手法で発掘してゆく過程も楽しかった」という。

24NAME:2013/09/08(日) 13:49:03
かつての台湾の歴史教育は「中国史」が中心で、民主化のなかで「台湾史」が見直されたのは、1997年に登場した中学生用教科書「認識台湾」からだ。それでも日清戦争の下関条約(1895年)から半世紀に及ぶ日本統治時代の分量は、多いとはいえない。

 イラストレーターの呉旭曜さん(41)は「教育はどうあれ、日本は常に身近にあった。同居していた祖父母は日本語を用いていた」という。 そんな呉さんのイラストは、日の丸が翻る台南駅前の男女学生や、鳥居を背にした乃木希典ら歴代台湾総督など、日本時代に関係する人物や風俗が主要なテーマだ。 だが、どの人物も宇宙服のような服を着ているのが特徴で、「昭和少女」と題した一連の作品では少女が旭日旗の鉢巻き姿で日本刀を構えているなど、近未来と復古調が同居したような異色の作風だ。

 呉さんの作品群は雑誌で取り上げられ、昨年は個展も開くなど話題を呼んだ。 今夏、日本時代をさす用語として、「日治」(日本統治)と「日(にっ)據(きょ)」(日本による支配)のどちらがふさわしいかが論争となった。呉さんは「台湾は多様な価値観が混在する民主社会なので両方あっていい。日本時代に関して学術、芸術面では自由な表現が残ると思う」

台北市の政治大の世論調査によると、中国との関係改善に着手した2008年の馬英九政権発足以降、自分を「台湾人」と考えている人が急増している。 また、日本の対台湾窓口機関、交流協会の2012年度の対日世論調査では、尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題がくすぶるなかでも、「最も好きな国・地域」で日本が43%で前年度から微増し、首位を堅持した。

 「日本」と回答したのは20代が54%、30代が50%と、40〜80歳(39〜36%)を上回る。若者の親日感情の強さが際立った形だ。 1931(昭和6)年、夏の甲子園大会で準優勝に輝いた嘉義農林学校(現嘉義大)の野球部の活躍を描いた来年公開予定の映画「KANO」(嘉農)の魏徳聖プロデューサー(44)は、「台湾で自分たちの足下を見つめ直すとき、日本時代は避けられない」と語る。“発掘”は今後も続きそうだ。

 日治と日(にっ)據(きょ) 戦後台湾では日本の台湾統治に関し、「日本による支配」を意味する「日據」という表現が主流だった。しかし、1990年代以降の社会的変化の中で日本統治時代を評価する動きもあり、教科書では「日治」(日本統治)などの表記が一般的となった。台湾の民間出版社が今年、「日據」表記の高校歴史教科書を申請し、識者らが「日治」に改めるよう求める一幕があった。教育部(日本の文科省に相当)は「学問の自由」を理由に両方の表記を認めたが、行政院(内閣に相当)は公文書では「日據」に統一するとの見解を出した。

25NAME:2013/09/15(日) 01:45:12
台湾を訪問「日台は1ミリもぶれない関係」 東京五輪決定に「今からワクワク、ドキドキ」
2013.9.14 18:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130913/stt13091321050006-n1.htm

9日から12日までの4日間、自民党青年局長として同局所属の国会議員、地方議員計約100人を率い、台湾を訪問した。 10日には馬英九総統や李登輝元総統らと相次いで会談し、日台関係の進展について語り合った。東日本大震災で台湾から受けた支援に対する謝意も伝えた。

 その後、台湾プロ野球・義大ライノズ対兄弟エレファンツ戦の始球式に登板。「人生初めての、プロ野球の始球式。一生忘れることのない宝物だ」と笑顔を見せた。日本出発の直前には2020年の東京五輪開催が決まり、「外国で開かれるオリンピックであれだけ興奮するんだから、日本でやったらどれだけ興奮して感動するか」と期待を寄せた。

11日は、日本統治下の台湾で水利事業に尽力した八田與一(はった・よいち。1886〜1942年)が建設した烏山頭ダムや八田の記念館を視察した。 自民党は青年局を窓口に、国交がない台湾との交流を続けてきた。2011年の「中華民国100周年祝賀記念式典」には、現副総理の麻生太郎氏ら青年局長経験者も出席した。

 ちなみに、歴代青年局長からは麻生氏のほか、現首相の安倍晋三氏、さらに竹下登氏ら計5人の首相が誕生している。月内に予定される副大臣、政務官人事では「将来の首相候補」ともいわれる進次郎氏の処遇が注目されるが、今回の訪台で存在感を示せたか。(力武崇樹、吉村剛史)

26NAME:2013/09/15(日) 01:50:20
■10日 馬英九総統との会談後(台北市内)

 −−会談の印象を 「人の心をつかむのが非常にたけている。友好的な雰囲気をいきなり最初にね、作ってくださったなあと。まさか4周、握手で回ってくださるとはだれも想像しなかったんじゃないですか。非常に感銘を受けましたね」

 −−馬氏はあいさつの中で尖閣問題についても触れていた 「まあ馬総統は、日本政府の考え方を十分理解されていますから。その上でのご発言だったと思いますよ。日本政府の立場は日本政府の立場で、しっかりと理解されていると思います」

 −−立法府の方々との意見交換では、漁業権の問題が話題になるかもしれない 「もちろん、日本の立場を主張したいと思います」

 −−あえて避けずに意見交換するのか 「青年局のいい伝統というのは、そういう忌憚のない意見交換ができるところですから、台湾のみなさんともそういったことを大切にして。でも、一番大切なのは友情ですからね。正式な外交関係がなくとも、他の国ともなかなかここまで深い友情関係を築くのが難しい中で、台湾とはそういう心と心のつながりを持つことができているというのは最高の2国間関係…国と地域との関係じゃないですか。今回、改めて、馬総統と、私にとっては2年ぶりにお会いして、非常に友好的で、日本と台湾は特別だなと。まさに日本と台湾は特別パートナーシップといった関係ですけど、言葉通りですね」

 −−馬氏が尖閣問題の棚上げに言及されたことについては 「日本政府の立場は日本政府の立場でありますから、それはそれぞれ各レベルのほうから訴えているところですから。それは十分承知の上での発言だと思いますので、日本政府の立場は変わりません」

−−尖閣問題は近い将来、解決できると思うか 「これは、日本と台湾の関係というのは、1つの問題について意見の一致がなくても、大局的な判断で、未来を見据えて、両国民の友情を大切にして発展させようということは1ミリもぶれないという関係ですから。1つの問題があるから、他の問題もひっくるめてすべてうまくいかなくなるような、そんな関係じゃありませんから。日本と台湾はこれからも忌憚のない意見交換を通じて、台湾人、日本人双方の交流をさらに増やしていって、おそらく300万人の交流人口を突破するのも目前ですから、7年後の東京オリンピックにより多くの台湾のみなさんに日本に来てもらって、東京で7年後に日本の国歌と台湾の国歌と、できる限り多く聞けたら、ますます、日本と台湾の関係にとってはいいですね」

 −−馬氏との会談で一番の成果は 「改めて、これから日台の関係、今まで日台関係を築いてくれた先人たちの上に、若い世代でさらに強いものを築いていく。そういった意思を、馬総統と自民党側と、青年局側と共有できたんじゃないですか。そして改めて、馬総統、あの東日本大震災のときに、自らテレビに出演されて、日本に対する支援を訴えてくれたと。その思いに台湾のみなさんも、本当に突出した支援をする形で応えてくださった。この支援に対して、日本人は忘れてないと。そういった思いを、感謝を直接訴えることができたのは非常によかったと思います」

 −−自民党からも多くの議員が来た。今日をきっかけに何か変わるか 「変わらないほうがいいことは、日台関係はこれからも大事だというね、これは変わっちゃいけない。変わったほうがいいことは、もっとこの地域をより安定的に、より平和に構築しなきゃいけない。その中で日本と台湾が良好な関係をさらに発展させていくことは、日本と台湾だけじゃなくて、この地域の関係国にとっても、世界の国々にとっても国益になることですから、これをますます深めていきたいと思います」

27NAME:2013/09/15(日) 01:55:02
■10日 台湾プロ野球始球式登板後(新北市内)

 −−東京五輪の開催が決まった。若者にとってどういう意味をもつか 「そうですね。前回の東京オリンピックは生まれてませんから、この前のロンドンオリンピックで、本当にみんな興奮してね。日本選手の活躍があって。外国でやるオリンピックであれだけ興奮するんですから、日本でやったらどれだけ興奮して感動するんだろうってね。今からワクワクとドキドキが止まらないって感じですね。楽しみです」

 −−東京五輪が決まった瞬間、どう感じた 「よかったなあと。オリンピックを東京に呼ぶために、多くのみなさんが頑張ってましたから、そのみなさんの頑張りが報われて、ほんとによかったと。そういう思いでした」

 −−どういう東京五輪になると思うか 「今までのオリンピックでベストのオリンピックになると思いますね」

 −−始球式ではどのような思いを込めて投げたか 「今日は何と、野球ファンにとっては神様のような郭源治さん(元中日ドラゴンズ投手)までこちらにいらっしゃって。そんな中でストライクが放れたのは、郭さんのおかげ。そしてバッターボックスのバッターが内角を投げやすいようにちょっと後ろに立ってくれた。そういういろんな人たちのおかげですから、改めて台湾のみなさんの支援は2年以上たっても忘れてないと。今までもその感謝を胸に、先ほどオリンピックの話もありましたけど、これから復興していく日本を見せることが、私たちの責務だと思いますね」

 −−(始球式前に)立法府の方々とはどのような意見交換を 「ほんとに期待通り、率直な意見を披露していただいて、こちらからも意見を述べさせてもらって、恐らくこういう、マスコミのみなさんから見ても、敏感な問題だと思われているテーマについて、忌憚のない話し合いができる議員同士というのは、他の国との関係でもなかなかないんじゃないですか。だからそれが台湾と日本の特別なパートナーシップですよ。友達、友情、絆ですね」

−−尖閣問題について、参考にしたいと思う意見はあったか 「もうこの問題については日本の立場は一貫してますから、それは変わりのないことです」

28NAME:2013/09/15(日) 02:05:21
 −−始球式を終えたが、野球をやるのはいつ以来? 「草野球は今年、1回やったかなあ。地元でね。だけど、プロ野球の始球式って、人生初なんです。今年のヤクルト戦に僕の兄(俳優の小泉孝太郎氏)が始球式を神宮球場でやって、先を越されたなあと思っていたところ、まさか台湾で人生初めてのプロ野球の始球式をやらせていただくとは。これから一生忘れることのない宝物を台湾のみなさんからいただきましたね」

 −−台湾と日本の交流が深まると思うが、どのように感じているか 「長い間つないできた日本と台湾。自民党青年局と台湾。これは当たり前だと思って努力を怠ったら、関係というのは1つのきっかけで崩れていく可能性がありますから、そうならないように、今までの先人に感謝をして、これからも自民党青年局は台湾との交流をますます、活発化させていきたいと思います。特に台湾側は野球という分野においてさらに関係を模索したいという思いを持っていますから、今日は偶然にも郭さんもいらっしゃいますから、新たな日台野球交流のきっかけになればなと、そう願っています。例えばね、日本の甲子園優勝校と台湾ナンバーワンの高校が対戦したら、かつて台湾の高校が甲子園まで来て準優勝したこともありますが、あの歴史の再現になるんじゃないですか。来年、映画も公開されるそうですから、それを実現させていくというプロジェクト。やってみたらおもしろいと思いますけどね」

−−キャッチボールでは何か思い出したか 「何か言わせたいことがありありと裏に感じますけど、ほんとに野球というのは小学校2年生から高校までやってましたから、無心になれるんですね。それを台湾に来て、震災の支援に対する感謝も述べる一球というのは、今までのどのキャッチボールにもかなわないくらい重い一球だったと思います」

 −−震災復興に対して、なぜ青年局として活動を続けているのか 「僕からすれば、やらないことのほうが理解できないんですけどね。震災を政治家として迎えて、人生観、また政治家としての在り方、これがすべて揺さぶられたような経験でしたから、私にとっては、あれから継続的に震災復興のために取り組むというのは、『何でですか』と言うことのほうがわからないですね。自然な思いの発露です。今、日本のためにやらなきゃいけないことがこれだと、疑いなく働ける、そういった分野ですから。そのために働くことが、物事をいろいろ考えてやろうっていうんじゃないですね。考えている暇があるんだったら、体を動かそうというようなもので、当たり前のことだと思いますよ」

 −−政府の中に入って復興に携わりたいという気持ちはあるか 「被災地のために汗をかいて働けるところで、全力を尽くしたいと思います」

29NAME:2013/10/08(火) 11:23:58
馬政権、中国非難し日台関係強化
成果あげる「活路外交」 対日関係は新たな段階
2013.10.8 08:31
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131008/chn13100808390003-n1.htm

台湾は10日、清朝を崩壊させ、アジア初の共和国、中華民国建国に導いた辛亥革命(1911年)に由来する記念日、双十節を迎える。任期2期目の馬英九総統は、地域の平和と安定を目指し、引き続き対米、対中関係とともに対日関係を重視しており、今年4月、協議開始から17年を経た日台漁業取り決め(事実上の協定)に調印した。台湾も領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市、台湾名・釣魚台)をめぐる情勢が東アジアをゆさぶる中、懸案だった同海域における日台間の漁業問題を平和的に収拾させることを狙い、馬政権が発足以来掲げてきた「活路外交」に大きな実績を加えた。(台北 吉村剛史)

◆漁業問題で進展

 「歴史的任務を達成した。日本との関係は新たな段階に入った」 今年4月11日、馬英九総統は、台北市内の総統府で日本の対台湾窓口機関、交流協会の大橋光夫会長を迎え、こう語った。 前日10日には日台漁業取り決め(協定)の調印が同市内の迎賓館、台北賓館で行われた。

 大橋会長は調印後、「民主、平和、自由の基本的価値観を共有する日台関係で歴史的偉業を成し遂げた」と強調。台湾側の廖了以亜東関係協会会長(当時)も「日本は馬英九総統が提唱した東シナ海平和イニシアチブに正面から応えてくれた」と応じた。 11日、台湾各紙が「漁場拡大」「重大突破」と大きく報じる中、馬総統は急遽(きゅうきょ)予定を空けて大橋会長と会見し、ともに肩を抱き合って固い握手を交わした。

日台双方が「歴史的」としてたたえ合ったこの「漁業秩序の構築に関する取り決め」による適用水域(共同水域)は、双方の排他的経済水域(EEZ)が重なり合う北緯27度以南、八重山諸島以北の尖閣諸島周辺海域約7・4万平方キロメートル。 日本領海を除き、ほとんどが「法令適用除外水域」とされ、台湾漁船も日本側の取り締まりを受けずに操業が可能となった。

 一部は、「特別協力水域」として日本側に取り締まり権限が残されたが、台湾側も従来の主張を上回るクロマグロの漁場を得て双方が顔を立て合った。 取り決め締結までの道のりは長い。 協議は1996年、双方の窓口機関を通じて始まったが、台湾も尖閣諸島への領有権を独自に主張しているため、線引きをめぐって空転を繰り返し、2009年2月以降は中断していた。

 08年に発足した馬政権は、経済を軸に中国との関係改善に乗り出す一方で、日台関係を「特別パートナーシップ」と位置づけ、一層の関係強化に乗り出していたが、暗礁に乗り上げていた漁業協議の再開機運を高めたのは、東日本大震災での巨額の義援金をはじめとする、台湾の手厚い対日支援だった。 支援と感謝の共鳴で双方の友好感情はさらに高まり、11年には相互の投資を保護、促進する日台投資取り決めや、空の便の強化につながるオープンスカイ取り決め、12年には技術交流の強化につながる日台特許審査ハイウェイ覚書を締結し、「40年来で最良」(馬総統)とされる関係が築かれた。

12年は日本政府の尖閣国有化に伴い、尖閣への領有権を主張する中国が強くこれに反発し、大規模な反日デモが展開され、台湾でも領有権を主張する活動家らの抗議行動がみられた。 また漁業権をめぐっても尖閣周辺を「伝統の漁場」と主張する台湾北東部・宜蘭の漁業者らの漁船が尖閣に押し寄せるなどした。

 ◆歩み寄りに期待 

 一連の尖閣諸島をめぐる情勢で中国は台湾に対し対日共闘を呼びかけたが、馬政権は日台漁業協議への中国の介入を非難。さらに、「争議の棚上げ」「資源共同開発」などを自ら提唱した「東シナ海平和イニシアチブ」に対し、中国側が黙殺していることなどを理由に中台連携を否定し、思い切った譲歩を示した日本との取り決め調印に大きく一歩を踏み出した。

 操業ルールの詳細を詰める調印後の日台の漁業委員会による話し合いで意見の隔たりは依然残されているが、その後、台湾と沖縄を結ぶ直行定期便の充実や、円安による空前の日本旅行ラッシュで、沖縄本島や石垣島にも台湾の旅行客が押し寄せており、双方の良好な感情を背景に、操業ルールの歩み寄りが期待されている。

30NAME:2013/10/19(土) 02:49:14
靖国参拝で声明 台湾
2013.10.18 19:38
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131018/chn13101819390003-n1.htm

 【台北=吉村剛史】台湾の外交部(外務省に相当)は18日、新藤義孝総務相らの靖国神社参拝に関連し、「日本政府や政治家は史実を正視し、歴史の教訓をくみ取り、近隣の感情を傷つける行動をすべきではない」との声明を発表した。「将来を見すえ、責任ある態度で周辺との友好関係を発展させ、地域の平和と繁栄に向け、共に努力すべき」としている。

31NAME:2013/11/14(木) 14:02:59
民主政権下の修学旅行先調査 台湾渡航「中国」に合算 文科省訂正
2013.11.14 08:12 [台湾]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131114/plc13111408130003-n1.htm

 文部科学省が平成23年度に実施した高校の海外への修学旅行実態調査で、渡航先の「台湾」を「中国」と合算していたことが13日、わかった。同省は今年4月、合算により中国への渡航者数は2万2千人に達し、米国の2万6千人に次ぐ2位とする結果を公表。ところが、自民党国会議員の指摘を受けて台湾を別に算出したところ、台湾は1万2千人、中国は9千人と逆転していたことが判明した。 文科省は昭和61年度から2年に1回、「高校等における国際交流等の状況について」として海外修学旅行の渡航先をまとめている。従来は台湾と中国を分けて集計、公表していた。過去の渡航者数をみると、平成16年度は中国が1万4千人に対し、台湾が1千人で中国が上回っていた。

 その後、中国における反日運動の高まりや、悪化する大気汚染などを背景に、渡航先を台湾に選ぶ学校が相次いだ。20年度は中国1万1千人、台湾8千人と差が縮まった。 ところが、東日本大震災で1年延期し、民主党政権下の23年度に実施した調査では、中国が2万2千人に倍増し、台湾は渡航先リストから姿を消した。 調査結果に疑問を抱いた自民党の木原稔衆院議員が同省側に指摘すると、台湾の集計を中国に合算していたことが判明。同省は今年10月、台湾と中国を分けた正しいデータをホームページ上で公表した。同省国際教育課の担当者は「単純な処理ミス。通知上のミスで合算したようだ」と説明している。

32NAME:2013/11/27(水) 23:47:16
中国、台湾に結束呼び掛け 防空識別圏設定で
2013.11.27 21:16 [日中関係]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131127/chn13112721180005-n1.htm

 中国国務院(政府)台湾事務弁公室の范麗青報道官は27日の定例記者会見で、中国が沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海上空で防空識別圏を設定したことに関し「(中台)両岸の同胞は家族であり、中華民族の利益を守ることは両岸の共同責任だ」と述べ、台湾側に結束を呼び掛けた。 中国はこれまで、尖閣をめぐる日本との対立に絡み、同様の表現で台湾に結束を呼び掛けており、識別圏の問題でも日本を“共通の敵”に見立て、台湾と接近を図る構えとみられる。 台湾の国防部(国防省に相当)は中国の識別圏設定について遺憾の意を示している。(共同)

33NAME:2013/11/30(土) 04:14:44
台湾が「無益」と声明発表 飛行計画提出は継続
2013.11.29 19:50 [アジア・オセアニア]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131129/chn13112919500012-n1.htm

 台湾政府は29日、中国による東シナ海上空の防空識別圏設定について「両岸(中台)関係の発展に無益だ」とし、この立場を近く中国側に伝えるとの声明を発表した。中国への民間機の飛行計画提出は続ける見通し。 これに先立ち立法院(国会)が与野党共同声明を発表、中国への「厳正な抗議」を政府に求めたが、政府声明は「抗議」の言葉を避け、対中配慮をにじませた。

 立法院は中国への飛行計画提出の中止も求めたが、政府声明は国際民間航空機関(ICAO)の求めに応じたとする従来の立場を強調。中国による識別圏設定によって、台湾の防空識別圏での軍の任務は「何ら変わらない」とした。 中国の識別圏について、民主進歩党など野党は当初から批判していたが、与党、国民党が26日に出した声明は認めるかどうか判断を示さない一方、政府の対応を「穏当だ」と評価していた。(共同)

34NAME:2014/01/05(日) 08:23:53
中国と合わない“お人良し”日本
不遜・中国とのつき合い方は「台湾」に学べ…小が大を飲む“チャイワン”企業の逞しさ、その秘密は
2014.1.5 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140105/wec14010507010000-n1.htm

お人良し日本人が中国とうまく付き合うのは難しい

 いずれにせよ、目下の尖閣問題でも、レアメタル禁輸を持ち出したり、対日暴動を起こさせて内政問題である失業者や地方貧民暴発のガス抜きをしてみたりと、中国政府の内外政は“魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界”で、常識的な観測がほとん不可能であるのが現実です。

 “裸民”というのは、高級官僚の大半が一族郎党と膨大な資産を北米や欧州などへ移して、自らは文字通り裸一貫となり中国に留まっている人々の別称だそうで、いつ失脚しても、革命が起ころうとも、サッと安全圏へ逃亡できる準備を完備した幹部政治家たちです。このような難解な国と付き合うのは、“お人良し”日本人には無理でしょう。やはり、漢民族と日本人文化を土台に、欧米との付き合いも上手な台湾人たちの国際的センスとネットワーク作りに学ぶのが、一番手っ取り早いのではないかと考えます。

日本を脇役に追いやった台湾企業のしたたかさ

 中でも、現今“チャイワン”と呼ばれる「中国で大成功している世界最大手の台湾の会社」は、いずれもOEM(相手先ブランド名の請負製造業)、EMS(電子機器の受託生産サービス業)ODM(設計開発・製造請負業)など、元々は下請け専門の中小企業だった事業会社が、大量安定生産や設計開発技術を磨き、大手企業に化けた姿なのです。

35NAME:2014/01/10(金) 11:27:00
台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養
2014.1.10 07:38
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140110/chn14011007390000-n1.htm

日本の「軍艦」などを祭っている台湾南部・高雄市の道教霊廟(れいびょう)「紅毛港保安堂」の新堂が完成し、仮堂から神像や神艦を遷座する落慶祭がこのほど行われた。 高雄は日本統治時代、海軍と軍港の街として知られた。同堂によると、終戦直後、漁師が漁網にかかった頭蓋骨を地元の廟に祭って慰霊したところ、大漁が続いたため、1953年に保安堂を建立。その後、頭蓋骨が「日本海軍38号哨戒艇の艇長」を名乗って漁師の夢枕に立ち、「部下を日本へ連れて帰れなかったのが残念」と語ったと伝えられている。そこで漁師有志が90年ごろ、「魂だけでも帰れるように」と、「日本の軍艦」の模型を作り神艦「38にっぽんぐんかん」として奉納、追悼供養したという。 港に面した旧堂は再開発で2007年に移転を迫られ、堂管理委員会では神艦などを仮堂に遷座し、08年から3500万台湾元(約1億2200万円)を投じて新堂を建設。うち100万元(約350万円)は邦人有志の寄付という。

昨年末に行われた落慶祭には、陳菊・高雄市長も参列した。 市中心部から遠く、邦人参拝客は少ないが、亡父が海軍志願兵だった縁などから毎年、団体で慰霊訪問を続けてきた福岡市の専門学校経営、小菅亥三郎さん(66)は「日本人としてはとてもありがたいこと」と謝意を表明。管理委員会常務監察役の趙麗恵さん(53)も「新堂で新年を迎えられてうれしい。日本からも多くの方にお参りにきてほしい」と語っていた。(高雄 吉村剛史)

36NAME:2014/02/16(日) 14:53:19
変わるのは中国のほう?中台接近
「台湾統一」を目論む中国 馬政権の微妙なかじ取りの行方は?
2014.2.16 12:00
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140216/chn14021612000000-n1.htm

台湾で対中国政策を主管する行政院大陸委員会の王郁●(=王へんに奇)(おう・いくき)主任委員(44)が11日、初めて中国を訪れ、江蘇省南京市で、中国国務院台湾事務弁公室の張志軍(ちょう・しぐん)主任(いずれも閣僚級)との公式会談を行った。1949年の中台分断後初の主管官庁トップ同士による直接交流で、王氏は「両岸(中台)関係は新たな章に入った」と意義を強調。今後当局間の直接交流の常態化が予想されるが、将来の「台湾統一」をめざす中国が、台湾の馬英九政権に対し「政治対話」進展を求めて加えてゆく圧力の前で、中国からは経済的うまみをひきだしつつも、政治的には一線を画したい台湾側の微妙なかじ取りの行方が注目されている。

「中華民国」への言及

 「国父・孫中山(孫文(そんぶん))先生が創建されたアジア初の民主共和国−中華民国はすでに103年を迎えた」 公式会談翌日の12日、南京市内で中台がともに「国父」とする孫文(1866〜1925年)の陵墓「中山陵(ちゅう・ざんりょう)」を参拝した際、王氏はこう語った。11日の会談で王氏と張氏は互いに「主任」「主委」(主任委員)と官職の肩書で呼び合ったが、「中華民国」は伏せられ、王氏の参拝身分も単に「大陸委員会主任委員」だったことから、王氏の「中華民国」への言及は台湾では大きく取り上げられた。

「中台の対等な立場が会談の前提であることを、野党をはじめ台湾社会向けに強くアピールしたかったのだろう」と台湾の識者は分析する。 王氏は祭文の中に「宝島台湾」「正視現実」などの言葉もちりばめた。 第二次大戦後の国共内戦の結果、49年の中華人民共和国樹立をもって「中華民国は滅亡した」とする中国側を刺激しかねない場面でもあったが、会談の席上以外の発言のためか中国側は問題視しなかった。 事実、台湾では独立志向の強い最大野党、民主進歩党の反応も比較的穏やかだった。今会談を「準政治対話」とし、台湾側が求めていた中国当局に台湾人が拘束された場合の「領事面会権」などで具体的進展がなかったと指摘する一方、「両岸当局関係の正常化は民進党政権時以来の主張」とし「双方が対等な立場と尊厳を守り対話のメカニズムを構築してゆくことで合意したことは評価する」と前向きに受け止めた。

「活路外交」支える前提

 「もはや両岸関係は後戻りはできない。政権奪還を狙う民進党も中国との対話は重視せざるをえない」と台湾の与党・中国国民党の幹部は指摘する。事実、民進党では台湾独立を掲げる党綱領をはじめ、対中政策の見直しが急務となっている。 2008年の馬英九政権発足後、台湾は中台間の自由貿易協定に相当する経済協力枠組み協定(ECFA)を10年に締結するなど、経済を軸に対中関係の改善を進めてきた。現在台湾の貿易総額トップは対中国で、中国で働く「台商」(台湾人ビジネスマン)は100万人以上、人的往来も年間800万人にのぼるとされる。

中国との関係改善を進める一方で台湾は「活路外交」を掲げ、日本と11年に投資取り決め、13年には尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題の絡む海域での漁業取り決めを締結。13年、ニュージーランドやシンガポールとも自由貿易協定に相当する経済協定を結んだ。 「中国大陸との良好な関係が無用の障害(中国による干渉)を生じさせなかった」と国民党幹部。今後、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)や、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)加盟をめざす台湾にとって、中国との安定した関係は「不可欠だ」という。

対等な関係構築に自信

 「それゆえに台湾が中国大陸にのみ込まれるという危惧は短絡的だ。むしろ今後は中国大陸にこそ変化が求められてゆく」と先の国民党幹部は指摘する。 王氏は12日、南京大学の講演で、民主主義という台湾の「核心的価値観」を誇ったが、大陸委員会によると台湾の住民2300万人のうち85%が「現状維持」を望んでいるとされる。「中台接近の結果、多様な価値観が存在する台湾の自由な社会や民主主義が中国大陸に与える影響は小さくない」と国民党幹部。「大陸側は、選挙による政権交代も考慮して台湾と向き合わねばならず、台湾の統治権などでも一定程度の理解を示さざるを得なくなるはず」と、より対等な関係が構築されてゆくことに自信と期待をにじませていた。(台北支局 よしむら・たけし)

37NAME:2014/02/26(水) 06:47:15
台湾との関係強化図る日本に中国が「待った!」、日中共同声明に背くべからず―中国外交部
配信日時:2014年2月20日 16時28分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83720

2014年2月19日、中国外交部の華春瑩(ホア・チュンイン)報道官は定例記者会見で、自民党の「日本・台湾経済文化交流を促進する若手議員の会」が協議を予定している日本版「台湾関係法」について、反対の姿勢を示した。台湾関係法は台湾との関係強化を目的としている。香港・文匯報(電子版)が伝えた。

台湾関係法について華報道官は、「台湾問題は中国の核心的利益に関わり、日台関係を適切に処理できるか否かは、中日関係の政治の根本に影響する。中国は、日本の一部の議員が提唱する日本版台湾関係法に断固反対する」と発言。さらに、台湾が中国の領土の不可分の一部であることが盛り込まれている「日中共同声明」に背くことなく慎重に台湾関連の問題に対応するよう求めた。(翻訳・編集/内山)

38NAME:2014/03/13(木) 21:55:33
台湾招待に反発、中国また欠席
追悼式 中国2年連続欠席、韓国は出席
2014.3.12 07:11
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140312/plc14031207120005-n1.htm

 外務省によると、政府が11日に主催した東日本大震災の追悼式には、138カ国の政府と欧州連合(EU)の代表、台湾とパレスチナの駐日代表が出席した。 中国は、日本政府が台湾へ招待状を出したことに反発し、昨年に続いて欠席した。 外務省は台湾を招いた理由について「追悼式は海外からの支援に感謝をあらわす意味もあり、台湾からは各界から心温まる破格の支援をいただいた」と説明している。 韓国は昨年、日韓関係の悪化などから欠席したが、今年は李丙●(イ・ビョンギ)駐日大使が出席した。 ●=王へんに其

39NAME:2014/03/19(水) 18:46:00
日本人男性、台湾の震災支援に感謝の旅を敢行 仕事やめてでも
中央社フォーカス台湾 3月17日(月)17時36分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140317-00000006-ftaiwan-cn

(高雄 17日 中央社)東日本大震災への台湾の支援に自ら感謝の意を届けようと、3年前から中国語を学びながら貯金したり、仕事をやめたりする日本人男性がいる。1人はまだ大学4年生の萩原駿介さん(=写真左)で、もう1人はデザイナーだった金子大輔さん(右)。同じ志を持つ2人は2月27日、偶然にも同じフライトで桃園空港に到着。互いの幸運を祝した後それぞれの旅路についた。

事前にFacebookを通じてホストファミリーを募集し多くの人々から受け入れの意思を伝えられるなど、出発前からすでに台湾の温かい人情味が身にしみたという萩原さん。景勝地やデパートなど人出の多い場所に出かけて行き、中国語で感謝の言葉が書かれた大きな紙を高く掲げて2000人以上とハグ、恥ずかしがることなくタイムリーにありがとうを伝える大切さを実感したと語っている。

一方の金子さんは「ありがとう台湾」を伝えるため、今年初め頃仕事を辞めたが、勇気を持って心からの感謝を伝えることはお金にも代えがたい価値があると考え、台湾に来て多くの友人を作っている。同時に「タバコの吸い殻のポイ捨てはやめたほうがいよいのでは」と台湾の人々への率直なアドバイスも忘れていないようだ。(汪淑芬/編集:荘麗玲)


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