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「概念拡大誤謬」「言葉の混乱」「言葉の攪乱(呪的闘争)」を考える

25アルファ:2003/01/02(木) 07:50 ID:WxX0A6eU
あけましておめでとうございます。

>>23
>どうにも馴染みの悪い浸透しにくい言葉ですが、意味は簡単です。

「ウソをウソと見抜けないと、(メディアを使うのは)難しい」


これはちょっといただけないと思います。メディアリテラシーはすべての情報は
編集されており、恣意性があるということを前提として情報を享受せよ、という
ことです。「うそ」という用語を使ってしまうと対置される「本当」を安易に決
めてしまうことになるので、メディアリテラシーの本義から外れることになります。
メディアリテラシーは「本当」なら疑う必要はないということを言いたいのではないので。

>>24
メディア論だと、メディアは広く媒体として捉えます。道路とか人間とか、さらには
ある種の言論空間を作り出した文脈そのものがメディアということもあります。
「夏目漱石というメディア」みたいな。そこからどういう議論が展開されるかは
未知数ですが、機能的要件から、形に囚われずメディアを規定するという発想の
転換が為されます。その背景にはメディアの社会的構成論(社会学の概念を適用)
といった考え方があります。
>不特定多数を相手としたコミュニケーションを、マスコミュニケーションと言う。
だからもちろんweb掲示板も2chもマスコミュニケーションだ。

社会的構成論(水越伸先生の社会的生成論とか)の観点からすると、マスコミはマスコミ
として社会的に構成されたと考えます。新聞も放送も初期には、それぞれ目的別の業界紙
みたいな形や1×1ツールとしての無線通信であったりしたものがマスコミになっていく。
逆にマスコミを志向した電話(シアターフォンとかニュースフォン>うろ覚え…)はパー
ソナルメディアとして定着していく。それを主導したのは市場原理であったのか政治権力で
あったのか、それ以外なのか、この辺りは慎重に判断しないと宮台氏風にいえば、官僚によ
る分断統治の罠にはまる可能性があります。


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