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水俣病:認定訴訟
1
:
鷹嘴
:2013/04/24(水) 18:37:25
http://mainichi.jp/feature/news/20130423ddm041040082000c.html
水俣病:認定訴訟 最高裁認定 溝口さんに認定通知書
毎日新聞 2013年04月23日 東京朝刊
熊本県は22日、最高裁判決に従って水俣病と認定した溝口チエさん(77歳で死去)の認定通知書を次男で原告の秋生(あきお)さん(81)に届けた。谷崎淳一・県環境生活部長が水俣市の水俣病センター相思社を訪れ、通知書を手渡した際、秋生さんは「他の未認定患者の不利にならないような対応をしてほしい」と認定制度の見直しを求めた。
認定申請から39年。棄却、訴訟を経てようやく手にした通知書を、秋生さんは指でなぞりながら読み「(認定制度を改めなければ)あなたたちは(裁判に)負けたのだから恥さらしになる」と厳しい口調で対応を求めた。
2
:
鷹嘴
:2013/04/24(水) 18:38:13
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041502000033.html
水俣病 認定訴訟継ぐ長女 亡き母 無念晴らす
2013年4月15日 夕刊
水俣病患者認定を求める二つの訴訟の上告審判決が十六日、最高裁第三小法廷で言い渡される。二人の原告のうち大阪府豊中市の女性は、判決を目前にした先月三日に八十七歳で死去。訴訟を引き継いだ長女(67)は「母の無念を晴らしたい」と司法の救済に望みを託している。 (横井武昭)
水俣病が公式確認されたのは一九五六年。熊本県水俣市で生まれ、漁師の家に嫁いだ女性が、手足にしびれを感じるようになったのは、その約三年前。後に兵庫県に転居してから症状が悪化し、工場勤めの仕事も辞めた。
七八年に熊本県に認定申請したが、国が基準で定める複数の症状のうち、手足の感覚障害以外の症状がないとして棄却された。申請から十年後、関西の未認定患者が国などに損害賠償を求めた「関西訴訟」に参加。二〇〇四年の最高裁判決で賠償を勝ち取ったが、それでも県は水俣病と認めない。「長年水俣病に苦しめられてきたのに、水俣病でないというのは納得できない」。〇七年に認定の義務付けを求め、今回の訴訟を新たに起こした。
一審で勝訴したものの、昨年四月の二審で逆転敗訴。体調を崩し、介護施設で暮らすようになっていた女性は、長女から結果を伝えられると、「そんなん、うそや」と悔しがった。諦めず上告したが、今年一月に食事をのどに詰まらせ、そのまま意識が戻ることはなかった。
女性が亡くなってから十二日後の三月十五日に最高裁で開かれた弁論。長女は形見の指輪をはめて法廷に臨んだ。判決も指輪をして、心の中の母と一緒に聞くつもりだ。
「母は水俣に帰って家族の墓に認定を報告したいと願い続けていました。私が代わりを果たしてあげたい」
3
:
鷹嘴
:2013/04/24(水) 18:38:52
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041702000123.html
水俣病訴訟 根本解決にはまだ遠い
2013年4月17日
水俣病の認定は、裁判所が個人個人を独自に判断できると、最高裁が示した。司法解決の道はできたが、本当に大勢の未認定患者が救済されるかは未知数だ。今なお根本解決に遠い現状を憂う。
二つの高裁で、水俣病訴訟の論じ方が異なっていた。福岡高裁は行政判断とは別に裁判所が患者認定できるとし、原告勝訴にした。大阪高裁は、行政判断が不合理かどうかを審査した。一九七七年の国の認定基準を認めたうえで、「行政の手続きに誤りはない」として、原告は敗れた。
最高裁は福岡高裁の考え方を支持し、未認定患者を水俣病と初判断したことは朗報だ。ただし、福岡高裁は「国の基準は不十分」「軽症者を除外し、適切でない」と未認定患者側に立った判断だったのに、最高裁は国の基準を排しなかった。基準見直しにはつながらなかった点は極めて残念だ。
手足のしびれなどの感覚障害のほかに、歩行障害や視野が狭くなるなどの症状を組み合わせる基準だ。これまで認定患者は約三千人いるが、ここ十年間に限定すると、わずか二十人しか認められていない。ハードルが極めて高いうえに、運用も硬直的なのだ。
二〇〇四年の「関西水俣病訴訟」で最高裁は、この基準より広く救済する画期的な判決を出した。それでも行政側はハードルを下げなかった。裁判は損害賠償を求めたもので、基準自体を否定していないという理屈だ。
〇九年には特別措置法ができ、感覚障害が認められれば一時金が支払われることになった。申請者は六万五千人にものぼる。だが、申請期限を昨年七月としたため、切り捨てにもつながった。差別や偏見などにより、申請をためらう人も大勢、いたからだ。
潜在患者は二十万人ともいわれる。これだけの人々がなお苦しみと闘っていることを考えねばならない。
今回の判決で、司法決着の道は開けた。だが、未認定患者自身が裁判を起こさねばならない。時間はかかるし、因果関係も証明せねばならない。この方法はあまりに酷ではないか。むしろ、感覚障害だけでも認定する方向に行政が舵(かじ)を切るべきなのだ。
水俣病の公式確認から五十七年もたつ。高齢化する未認定患者に残された時間は少ない。大阪の原告は死亡し、遺族が裁判を引き継いだ。国策が生んだ公害病の解決は、人の命の時間に間に合わせねばならない。
4
:
鷹嘴
:2013/04/24(水) 18:55:52
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130418-OYT1T00309.htm?from=popin
知事に土下座求める声も…水俣病訴訟で不満続出
水俣病の認定を巡る訴訟の最高裁判決で勝訴し、17日、熊本県の蒲島知事と県庁で面会した原告や支援者たち。
謝罪の言葉を口にする一方、今後の対応には「国の判断を仰ぐ」と繰り返す知事に対し、不満の声が噴出した。
原告は、県が水俣病と認めなかった母親の溝口チエさん(1977年死去)の患者認定を求めた溝口秋生さん(81)で、支援者ら約40人で県庁を訪問。県側は知事、村田信一副知事、担当部課長ら7人が応対した。
冒頭、溝口さんが知事に申し入れ書を提出。知事は頭を下げて謝罪したが、申し入れを巡るやりとりは約3時間に及んだ。
中でも、もめたのは認定基準の見直し。知事は「国の法定受託事務として(審査を)執行している。判断できるのは国しかない」「知事がすべてを決めることはできない。基準は変えられないが、心から謝罪したい」などと理解を求めた。
これに対し、原告側は「国に見直しを要望できるはず」「何もしないのと同じ。言い訳だ」「1人でも多く救済しようと思うのなら、どんな手段でもとれる」などと厳しい声が飛んだ。
最高裁判決は、水俣市出身の女性を患者と認めなかった2審・大阪高裁の判決に関しては審理を高裁に差し戻した。この裁判を担当する弁護士や支援者も面会に同席し、「知事の判断で、控訴を取り下げてほしい」と求めたが、知事は「最高裁の判決を精査し判断したい」と述べるにとどめた。
一連のやりとりの中では知事に土下座を求める声もあった。
面会後、溝口さんは記者会見し、「知事から謝罪は受けたが、しばらくして態度が変わると困る。今後も行政の対応を監視していきたい」と語った。(北川洋平)
(2013年4月18日10時03分 読売新聞)
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