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damierダミエ

800名無しさん:2018/07/29(日) 19:46:16 ID:CG7lHLFs0
27名無しさん@お腹いっぱい。2014/10/23(木) 00:15:52.96ID:UxnCFFjw0

河合塾は、神奈川を足場に関東に進出しようとしたが、90年代後半は、西日本色を隠さず、
京大を至高とした国公立大至上主義で正面から有名私大文系(特に早稲田)と交戦していたので、
私大バブルの余波が残るうちは、シェアの代ゼミと、東大,理系の駿台に阻まれ苦戦していた。
しかし打倒関東を目的とする河合塾が、関東でのシェア支配を諦めることは勿論なかった。
そこで、路線変更で早慶文系向けのポーズを取り、代ゼミの牙城を崩しにかかった。
同業の地盤を奪って拡大し、志望者を自らの管理下に取り込む戦術である。
東大も、駿台に対して文科は河合を打ち出し、経営が傾いていた駿台の浪人を切り崩した。
また、現役生限定の塾方式で校舎展開を図った、これだと自前の校舎は要らず、撤退も容易にできる。
代ゼミ、駿台が進出しない隙間を集め、早期囲い込みの戦略を取った。
代ゼミは講師を看板にしていたため、ライブで多数の校舎展開は物理的に困難だった。
駿台は、関東に校舎は数あっても主力は御茶ノ水と市谷に集中する構造。駿台は、
私大文系に弱いイメージから早く経営が傾き、岡山企業のベネッセと模試を共催に、
さらに数年後、明大世襲の創業家は広島出身の短大卒に乗っ取られた。
東大浪人も河合塾に崩された。現在は関西が地盤。
これで関東では最大シェアを握るに至ったが、アンチ関東(東北)、アンチ東大の本質は変わっていない




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