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福島原発スレ避難所2

685名無しさん:2014/05/21(水) 16:18:57
 2011年3月11日の津波で、福島第一原子力発電所は停電し、原子炉を冷却で
きなくなった。こういう場合に備えて存在している原子力安全保安院所属の検査
員4人は、いざ事態が深刻になるや、現場から逃げ出した。原発を運営する東京
電力の社員は、家族に連絡して逃亡した。一番最初に空っぽになったのは社宅
だった。政府の緊急事態宣言は一刻を争うというのに、与野党の党首会談のせ
いで1時間半も遅れた。最も重要な安全保安院の院長は、原子力の門外漢だっ
た。東電の社長は1日遅れでようやく現場に到着した。首相は、1号機水素爆発
の場面がテレビで放映されてから1時間後に、「爆発した」という報告を受けた。

 冷却水のポンプを回すのに必要な電源車は、原発ではなく、とんでもない場所
に集められた。ようやく、あらためて現場に送ったものの、今度はポンプと接続す
るケーブルがなかった。電気会社にケーブルがなく、約60台の電源車は無用の
存在と化した。貴重な一夜はこうして無駄になった。この2日間で、政府の発表窓
口は4回も変わった。

 原子炉から蒸気を抜かなければ爆発の危険があり、蒸気を抜けば放射性物質
が漏れる。政府は、蒸気を抜くと決断した。なのに、生死の懸かったその決断が
実行に移されるまで、実に10時間もかかった。内閣・保安院・東電の考えがずれ
ていた上、調整もされなかった。原子炉に海水を注入するという応急措置も、突
然中断された。野党は「首相が中断させた」と言い、首相は「私も知らない」と言う。
誰が、なぜ中断させたのか、今も分かっていない。3号機の使用済み燃料貯蔵プ
ールに対する放水も、作業の順番や手続きをめぐって警察・自衛隊・消防庁間
の争いが起こった。原子力安全委員会は、最初から最後まで機能「ゼロ」だった。


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