したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

ニュース・報道保存所 part11

64可愛い奥様@避難所生活:2018/02/06(火) 19:14:00 ID:Gegj4n0U
ttps://mainichi.jp/articles/20180206/k00/00e/010/207000c
国際司法裁判所
小和田恒氏が裁判官退任へ 雅子さまの父
毎日新聞2018年2月6日 12時38分(最終更新 2月6日 12時38分)
 皇太子妃雅子さまの父の小和田恒氏が、オランダのハーグにある国際司法裁判所(ICJ)の裁判官を近く退任し、帰国することが分かった。政府関係者が6日、明らかにした。
 2021年までの任期の途中での退任となる。天皇陛下の19年4月末の退位後に皇太子さまが即位し、雅子さまが新皇后になられることも踏まえ、政府が判断したとみられる。
 小和田氏は外務省の事務次官、国連大使などを経て03年にICJの裁判官となり、09年には日本人初の所長に就任。12年に所長を交代した後も引き続き裁判官を務めていた。
 政府は選挙で選ばれる後任の裁判官に、岩沢雄司東大教授を推薦する方向で調整をしている。【加藤明子】

ttps://www.asahi.com/articles/ASL263PXFL26UTFK00F.html
ICJ裁判官の小和田氏、退任の意向示す 雅子さまの父
2018年2月6日13時16分
 オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)の小和田恒裁判官(85)が辞任の意向を固め、近く辞表を提出することがわかった。日本政府関係者が6日、明らかにした。
 元外務事務次官の小和田氏は、皇太子妃雅子さまの父親。2003年、国家間の紛争を裁くための国連の主要な司法機関であるICJの裁判官となり、09〜12年には日本人初のICJ所長を務めた。
 11年のICJ裁判官選挙で再選。任期は21年までだが、政府関係者によると、高齢を理由に退任の意向を示しているという。

ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/20180206-OYT1T50060.html
雅子さまの父、ICJの小和田恒裁判官が退任へ
2018年02月06日 15時08分
 オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)の小和田恒ひさし裁判官(85)が退任の意向を固めたことが分かった。
 小和田氏は皇太子妃雅子さまの父。外務省出身で、外務次官や国連大使を経て、2003年にICJ裁判官に就任した。09〜12年にはICJ所長を務めた。任期は21年までだが、19年の天皇陛下の退位と皇太子さまの即位により、雅子さまが皇后になられる見通しであることを考慮したとみられる。
 政府は小和田氏の後任に、岩沢雄司東大教授(国際法)を推す方向だ。

参考:
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E5%B3%B0%E4%B8%80%E9%83%8E
安達峰一郎 (1918年)
安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日(明治2年6月19日) - 1934年(昭和9年)12月28日)は、日本の外交官・国際法学者。
アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし国際連盟を脱退することになる。所長3年の任期を終え、1934年(昭和9年)1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日にアムステルダムの病院で死去した。このときオランダは国葬の礼をもって、国際平和に尽力した多大の功績と栄誉を称えた。
1968年(昭和43年)より優れた国際法の研究業績をあげた研究者に対し安達の名前を冠した「安達峰一郎記念賞」が授賞されている[1]。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板