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ニュース・報道保存所 part11

34可愛い奥様@避難所生活:2018/01/20(土) 07:43:07 ID:yJcUIQ46
ttp://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180118-OYT1T50033.html
「その一粒に重み…」皇后さま和歌集、独で出版
2018年01月18日
皇后さまの和歌をドイツ語に翻訳した歌集「その一粒に重みのありて」(井口馨撮影)
 【ベルリン=井口馨】皇后さまの和歌50首をドイツ語に翻訳した歌集「その一粒に重みのありて」の出版記念行事が16日、ベルリンの在ドイツ日本大使館で開催された。
 歌集は、昨年11月、ドイツのヘルダー社が出版した。141ページの歌集には、公務から私的な体験までを題材にした和歌が掲載されている。日本語の原文とドイツ語訳が書いてあり、和歌が詠まれた背景などの説明書きも付いている。価格は28ユーロ(約3800円)。
 記念行事では、歌集を翻訳した日本学者でボン大学名誉教授のペーター・パンツァー氏が講演し、翻訳の苦労話を披露した。

ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2018011900337&g=soc
元日本兵の妻スアンさん死去=両陛下と昨年面会-ベトナム
天皇、皇后両陛下と面会する元日本兵のベトナム人妻グエン・ティ・スアンさん=2017年3月、ハノイ
 【ハノイ時事】第2次大戦後もベトナムに残り、その後、帰国した元日本兵の妻グエン・ティ・スアンさんが18日午後、ハノイの自宅で死去した。93歳だった。天皇、皇后両陛下がベトナムを訪問した昨年3月、現地で暮らす元日本兵家族の一員として面会。その後に体調を崩し、一部の家族らによる同年10月の訪日には参加できなかった。
 家族や関係者によると、心疾患のため昨年から療養していた。
 ベトナム独立同盟(ベトミン)に協力した日本兵の一人だった夫は、1954年に日本へ帰国。スアンさんは3人の子供をひとりで育て、2006年、日本人女性と再婚した夫とハノイでほぼ半世紀ぶりに再会した。「スアン」はベトナム語で「春」を意味するため自分を「ハルコサン」と呼び、かつて覚えた「湖畔の宿」など日本の歌を口ずさんでいた。
 両陛下との面会で天皇陛下から「体を大事にね」とねぎらわれ、皇后陛下に抱きしめられる場面が日本でも報道され、元日本兵家族を象徴する存在となっていた。面会後には「戦後、さまざまな困難に遭いましたが、両陛下とお話しできて感動し、感謝しています」と語った。
 家族は時事通信の電話取材に応じ、両陛下の訪越を機にスアンさんや元日本兵家族への関心が日本で高まったことについて「ありがとうございます」と謝意を示した。(2018/01/19-09:42)

ttps://www.asahi.com/articles/ASL1L5QB6L1LUTIL036.html
皇宮警察が年頭視閲式 騎馬隊など280人参加
多田晃子2018年1月19日12時19分
年頭視閲式で行進する騎馬隊=19日午前10時21分、皇居・東御苑、長島一浩撮影
 皇室の護衛や皇居などの警備を担う皇宮警察本部の年頭視閲式が19日、皇居・東御苑であった。
 皇居や赤坂御用地などを守る護衛署や騎馬隊などの11隊約280人、護衛馬12頭、警備犬3頭などが参加。来賓や見学者が見守る中、堂々と行進した。
 天皇陛下の退位日が2019年4月末に迫る中、昨年の天皇誕生日や今月の新年恒例の一般参賀はそれぞれ平成に入って最多の人出を記録した。牛嶋正人本部長は「ご譲位という大きな転換期に当たり、厳正な規律を堅持し、国民目線に立ったしなやかで力強い職務執行を実現しなければなりません」と述べた。(多田晃子)

ttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3268198.html
19日 11時10分
皇宮警察の視閲式、牛嶋本部長「退位に向け準備」
 天皇皇后両陛下や皇族の護衛などを担う皇宮警察の年頭視閲式が華やかに行われました。
 皇宮警察の牛嶋正人本部長らが整列した各部隊をオープンカーで見回ったのち、サイドカーや騎馬隊などが行進しました。
 牛嶋本部長は式辞で、皇宮警察創設以来、初めてとなる来年4月の天皇陛下の退位についてふれ、「完璧な準備を進め、国民の期待に応えなければなりません」と述べました。




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