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ニュース・報道保存所 part11

21可愛い奥様@避難所生活:2018/01/15(月) 06:18:20 ID:Meyc.33I
これまでの沖縄訪問
天皇陛下は、これまで皇太子として5回、即位後に5回、皇后さまと沖縄を訪ねられています。
最初の訪問は昭和50年。沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁として開会式に出席されるためでした。戦後30年を経てもなお、県民に複雑な感情が残る中での訪問で、女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられた際には、訪問に反対する過激派のメンバーが火炎瓶を投げつける事件が起きました。
昭和62年には、病気療養中のため訪問がかなわなかった昭和天皇の名代として、沖縄で開かれた国体の開会式に出席されました。
即位後の平成5年には、全国植樹祭に出席するため歴代の天皇として初めて沖縄を訪れ、平成7年にも戦後50年の「慰霊の旅」で再び沖縄を訪ねられました。
そして戦後70年を翌年に控えた平成26年、太平洋戦争中、アメリカ軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊などのため、10回目となる沖縄訪問に臨まれました。
戦地 沖縄への思い
天皇陛下は、先の大戦で激しい地上戦が行われ、多くの人が犠牲になった沖縄に寄せる思いを繰り返し述べられてきました。
初めて沖縄を訪れた昭和50年。訪問先で火炎瓶を投げつけられた日の夜、談話を発表されました。この中で天皇陛下は、沖縄の人々の払った犠牲は、一時の行為や言葉ではあがなえないとし、「沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷痕を深く省み、平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力を合わせて努力していきたいと思います」と記されました。
昭和56年の記者会見の席では、記憶しなければならない4つの日があるとして、終戦の日、広島、長崎の原爆の日とともに、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」を挙げ、「この日には黙とうを捧げて、平和のありがたさというものをかみしめ、また、平和を守っていきたいものと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、アメリカ軍基地と隣り合わせの暮らしを余儀なくされている沖縄の人々への思いもあらわされています。
日米両国の政府が、普天間基地をめぐって沖縄県内での移設を条件に返還することで合意した平成8年の誕生日前の会見では、沖縄の問題について記者から問われたのに対し、「日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っています」と話されました。
そのうえで、沖縄は地上戦で大きな被害を受け、戦後も長年、アメリカの施政権下にあったとして、「歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思っています」と述べられました。
天皇陛下は、沖縄戦の記憶が風化していくことへの懸念もあらわされています。
平成24年の誕生日を前にした記者会見では、「地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、だんだん時がたつと忘れられていくということが心配されます」と述べ、沖縄の人々が払った犠牲を日本人全体で分かち合うことが大切だという考えを示されました。
繰り返し「慰霊の旅」へ
天皇陛下は、一貫して先の大戦の歴史と向き合い、皇后さまとともに国内外で戦没者の慰霊などにあたられてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけ、長崎や広島、それに沖縄などを訪ねて戦没者を追悼されました。
戦後60年にあたっては、前年の小笠原諸島の硫黄島訪問に続いて激戦地サイパンを訪れ、多くの日本人が投降を拒んで身を投げた「バンザイ・クリフ」などで黙とうをささげられました。両陛下の外国訪問は、通常、相手国からの招待を受け国際親善のため行われますが、戦没者の慰霊を目的としたこの訪問は、天皇陛下の強い希望で実現した前例のないものでした。
そして、戦後70年にあたっては、前の年に再び、沖縄と長崎、広島を回ったのに続いて、念願だったパラオへの訪問を果たし、激戦地ペリリュー島で犠牲者の霊を慰められました。
両陛下は、外国を親善訪問する際にも戦没者の慰霊に臨んでいて、おととしフィリピンを訪れた際には、日本政府が建てた慰霊碑などを訪れ犠牲者を追悼されています。




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