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【MSN産経】皇室ウイークリー保存所

1避難所管理人★:2012/07/08(日) 13:59:15 ID:???
「MSN産経ニュース」にて毎週土曜日、Web配信される「皇室ウイークリー」の
保存所です。

【皇室ウイークリー】
http://sankei.jp.msn.com/special/topics/premium-14916-t1.htm

629可愛い奥様@避難所生活:2014/08/09(土) 21:51:39 ID:muEcQqf6
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140809/imp14080907000001-n1.htm
(343) 両陛下、広島原爆の日に鎮魂のご黙祷 皇太子ご一家も 雅子さま、高校総体競技ご観戦「熱中症が心配ですね」
2014.8.9 07:00 (1/3ページ)[皇室ウイークリー]
全国高校総合体育大会の女子サッカー、日ノ本学園−藤枝順心戦をご覧になる皇太子ご一家=3日午前、東京都世田谷区の駒沢オリンピック公園陸上競技場
 8月に入り、6日は広島が69回目の原爆の日を迎えた。この日、天皇、皇后両陛下は皇居・御所で黙祷(もくとう)をささげられた。皇太子ご夫妻と敬宮(としのみや)愛子さまも、東宮御所で黙祷し、鎮魂の祈りをささげられた。9日の長崎の原爆の日も、黙祷をされる。
 両陛下はこの週、皇居外へのお出ましはなかったものの、御所や宮殿で外交関係者らとのご日程を連日、忙しくこなされた。
 4日は、離任するノルウェーの大使夫妻を御所で引見された。日本の大使についても御所で、7日は新たに赴任する大使夫妻らと会い、8日には帰国した前任大使らをお茶に招いて、外国事情を聴くとともにねぎらわれた。
 皇太子ご一家は3日、東京都内で開かれた全国高校総体のサッカー女子とバレーボール男子の試合を観戦された。皇太子妃雅子さまが高校総体の競技を観戦されたのは平成14年の茨城大会以来12年ぶり、愛子さまは初めてのご観戦だった。
 午前は駒沢オリンピック公園(世田谷区)で開かれたサッカー女子の2回戦、日ノ本学園(兵庫)−藤枝順心(静岡)の試合へ。雅子さまは、説明に当たった全国高等学校体育連盟サッカー競技専門部の横田智雄部長(56)に「厳しい練習をされているんですか」「これだけ暑いので熱中症が心配ですね」などと尋ねられたという。

2014.8.9 07:00 (2/3ページ)[皇室ウイークリー]
 雅子さまが気遣われたように、強い日差しが、観客スタンドにも降り注いでいた。同専門部の床爪克至(かつし)副部長(49)によると、皇太子さまが愛子さまに、暑いので帽子をかぶるように勧められたといい、お二方で今大会のマークが入った帽子をかぶり、雅子さまはサングラスをかけて、ボールの行方を追われていた。
 午後は東京体育館(渋谷区)でバレーボール男子の試合をご観戦。会場を出る際、愛子さまは見送りの関係者に「ありがとうございました」とお礼を述べられたという。
 小町恭士東宮大夫によると、皇太子さまは愛子さまもそろってのご観戦に、ご自身が学習院初等科2年生だった昭和42年6月、皇太子・同妃時代の両陛下と都内でサッカーの日本対ブラジル戦をご覧になったことを、懐かしく思い出されていたという。
 8日には皇太子さまが、裏方として今大会を支えた南関東各地の高校生らが集まった東京都立園芸高校(世田谷区)を訪ね、労をねぎらわれた。集まったのは、会場準備や、花を植えるなどした会場装飾、アナウンス、式典でのダンス、音楽隊などさまざまな担当の生徒ら約40人で、皇太子さまは「熱い中、大変だったでしょう」などと温かく声をかけられていた。

2014.8.9 07:00 (3/3ページ)[皇室ウイークリー]
 皇太子ご夫妻は6日、東宮御所で、日本へ新たに赴任したイスラエル、スペイン、コンゴ民主共和国の各国大使を接見された。ご接見は当初、皇太子さまお一方の予定だったが、雅子さまもお出ましになった。
 三笠宮家の彬子さまは2〜4日、全国中学生選抜将棋選手権大会臨席のため、山形県を訪問された。彬子さまは同大会の名誉総裁を、平成24年に薨去(こうきょ)された父、寛仁(ともひと)親王殿下から受け継がれている。
 高円宮妃久子さまは3、4日、千葉県を訪れ、高校総体のアーチェリー競技をご覧になった。高円宮賜牌全国高校アーチェリー選手権大会を兼ねており、全日本アーチェリー連盟名誉総裁の久子さまは例年、観戦されている。久子さまは8日には、神宮球場(東京都新宿区)で高円宮賜牌全日本学童軟式野球大会の開会式に臨まれた。

630可愛い奥様@避難所生活:2014/08/15(金) 11:53:22 ID:4UQL92SM
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140813/imp14081312000001-n1.htm
【皇室ウイークリー】
(番外篇)担当記者の取材メモで振り返るあの場面、お言葉… 皇后さまはゆるキャラにお詳しい?「これがオクトパス君ですね」
2014.8.13 12:00 (1/7ページ)[皇室]
渡良瀬川に沿って走るトロッコ列車から新緑を楽しみつつ、沿線の人々に手を振られる天皇、皇后両陛下=5月22日午後、栃木県日光市(蔵賢斗撮影)
 天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のご動静を毎週お届けするMSN産経ニュースの【皇室ウイークリー】。今年上半期、記事の中でお伝えし切れなかった印象深いご表情やご様子を、担当記者の取材メモからつづってみた。
 天皇、皇后両陛下は6月26、27日、先の大戦中に学童疎開船「対馬丸」が米軍の攻撃を受けて沈没してから8月で70年となるのを機に、犠牲者慰霊のため沖縄を訪問し、「対馬丸記念館」(那覇市)で遺族や生存者らの話に耳を傾けられた。
 当時の状況などについて説明を受けた陛下は「みんなぎりぎりいっぱいだったんですね。本当に痛ましいことですね」と静かに語られ、皇后さまも「奇跡のように生き延びて下さって。亡くなった人のことも伝えて下さい」と声をかけられた。犠牲となった子供たちと同世代の両陛下。長く寄せられてきたお気持ちを、改めて強く感じることができた瞬間だった。
 「写真で見るのと違いますね」。陛下は2月28日、皇后さまとともに見舞った伊豆大島(東京都大島町)で、災害発生から4カ月が過ぎた土砂災害現場に立った際、こう感慨をもらされたという。現場には災害の爪痕が深く残っていた。被害規模の大小にかかわらず自然災害を常に気に留めている両陛下が“現場主義”を貫かれていると実感するお言葉だった。

2014.8.13 12:00 (2/7ページ)[皇室]
 現場主義は他の場面でもお見受けできた。7月22〜24日に東日本大震災の復興状況視察などで訪ねた宮城県では、復興への前向きな姿を確認するとともに、今も苦労する人々の思いにも向き合われた。
 「今一番困っていることは何ですか」。陛下は24日視察した気仙沼市の魚市場で、水産関係者らにこうした質問を重ねられた。関係者が「途切れてしまった取引先の再開拓」を課題として挙げると、両陛下は深くうなずかれたという。これは前日に視察された「南三陸さんさん商店街」(南三陸町)の商店主らも含めた被災企業の共通課題だ。短い時間でのやり取りで、両陛下はこうした課題も深く理解されたのだろうと感じた。
 三陸沿岸の復興に重要な観光業のゆくえも気にかけられた。気仙沼市で23日、奇岩などがある景勝地「岩井崎」に足を運ばれたのもその表れだ。こうした中、皇后さまが、観光復興のため活用されている各地のキャラクターに関心を示され、関係者が笑顔に包まれる場面もあった。
 「これがオクトパス君ですね」。佐藤仁・南三陸町長によると、皇后さまは町特産のタコをモチーフにした復興キャラ「オクトパス君」を、グッズが“置くとパス”と引っかけた合格祈願の品であることも含めてご存じだった。菅原茂・気仙沼市長には市特産のホヤやサンマを身にまとった観光キャラ「ホヤぼーや」の話題に触れられたという。町長や市長が報道陣に、こうした話を紹介する際のうれしそうな表情が印象的だった。

2014.8.13 12:00 (3/7ページ)[皇室]
 ちなみに、皇后さまはこれまでにも、バーチャルアイドル「初音ミク」の展示を前に「これがミクちゃんですか」と話したり、熊本県のPRキャラ、くまモンの着ぐるみを見て「くまモンは、お一人なの」と質問したりと、たった一言で“場”を温かく、明るくするユーモアを披露されることがしばしばあった。
 陛下の傘寿を記念し4月4〜8日、皇居内の「乾通り」一般公開が行われ、計約38万5千人が訪れた。両陛下も、乾通りに咲く桜を楽しむ人々の姿を深く喜ばれていた。「一般開放し、多くの人々に楽しんでもらっています」。陛下は、会見のため皇居を訪れたオーストラリアのアボット首相が周辺の人出に驚いた際、こう話されたという。
 こうした「国民とともに」という両陛下のご姿勢は5月21、22日の栃木、群馬両県への私的ご旅行中も垣間見えた。
 鉱毒被害を受けた足尾銅山(栃木県日光市)周辺を視察した後、群馬県へ抜ける「わたらせ渓谷鉄道」のトロッコ列車に乗られた際のこと。景色がよく見える車両から新緑など美しい景観を楽しんでいただく−ということが趣旨だったが、両陛下は、沿線で歓迎する人々に休みなく手を振られた。その間は立たれたままで、揺れる車両ではご負担が大きい。

631可愛い奥様@避難所生活:2014/08/15(金) 11:54:07 ID:4UQL92SM
2014.8.13 12:00 (4/7ページ)[皇室]
 3両編成のうち、開放的なトロッコ車両は1両目のみで、宮内庁によると、景色の良い最初の区間だけ乗車し、トンネルが続く後半は通常車両へ移っていただく予定だった。トロッコ車両は外がよく見えるがトンネル内では騒音も大きく、立ち続けるご負担も考慮してのことだったが、「両陛下は『ぜひもう一度、窓なしの車両に』と希望され、再び沿道の人々に応じられた。最後はほとんど立ちっぱなしでいらした」と、同行した宮内庁幹部は振り返る。
 ご旅行直前、頸椎(けいつい)症性神経根症の症状による左腕などの強いお痛みでご公務を一部休んでいた皇后さまも、沿道の人々に応じるのをやめようとはされなかった。
 その後のJRのお召し列車内でも、同行職員らが「あちらに人がおられます」とお伝えすると、両陛下は遠くから手を振る人にも応じられていたという。側近は後日、「奉迎者が1人であっても、お手振りで手を抜くことはされない。お召し列車はトロッコ列車より速いからあっという間に通り過ぎるが、間に合わないと、とてもさびしいようなお気持ちになられるようだ」と振り返っていた。

2014.8.13 12:00 (5/7ページ)[皇室]
 こうして沿道の人々に心を配りつつも、車窓からの緑も楽しまれたようだ。
 皇后さま「陛下、あれは何の木でございましょうか」
 陛下「これはね…」
 同行職員によると、こんな会話をされていたという。「あの白い花が咲いている高い木はなんだろう」と周囲に質問されることも。ただ、生物分野に詳しい侍従が不在で、植物に造詣の深い両陛下より知識を持つ人がおらず、ある同行者は「『なんでございましょうね』としか言えなかった」と恐縮していた。
 学者として探求心豊かな陛下のご性格は、お子さま方も受け継がれている。皇太子さまについてのエピソードを紹介したい。
 皇太子さまは6月13日、日本と国交樹立150周年となるスイス訪問(同17〜23日)に先立って記者会見に臨まれた。「アルプスの少女ハイジ」などご自身の幼少時の記憶も引きつつ、幕末以来の交流の歴史について熱心に語られる皇太子さま。お手元のテーブルの上をふとみると、持参された書類に「米欧回覧実記」と記されていた。
 記者会見でも「我が国からは、1873年に岩倉具視を大使とする使節団がスイスを訪れました」と皇太子さまが触れられた、岩倉使節団が編纂(へんさん)した記録書のことだ。書類はコピーしたもののようで、付箋が多数見えた。交流の歴史の重さを、歴史学者でもある皇太子さまが追体験して深く理解した上で親善訪問に臨まれていることを、実感した場面だった。

2014.8.13 12:00 (6/7ページ)[皇室]
 さまざまな公務をこなされる皇室の方々。関係者への取材から、思わぬご交流の広がりが分かることもある。
 秋篠宮妃紀子さまが6月2日に臨席された都内での「産経児童出版文化賞」贈賞式の取材で、大賞となった点字絵本「さわるめいろ」の制作協力者の視覚障害者で「てんやく絵本ふれあい文庫」代表、岩田美津子さん(62)から聞いた話は、そうしたエピソードの一つだ。
 「てんやく」とは点訳、点字訳のこと。手話も習得するなど障害がある人に心を寄せる紀子さまは「こういう点字絵本が受賞となり、本当にうれしい」と話されたという。
 その岩田さんとは、皇后さまも交流を持たれていた。皇后さまは2002年、国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会の名誉総裁としてスイスで開催された同大会に出席されたが、岩田さんも講演していた。皇后さまは講演直前に近くに駆け寄り、「今から発表されるのね」と励まされたという。
 平成24年に薨去(こうきょ)した寛仁(ともひと)親王殿下も親しくされていたという。岩田さんを「みっちゃん」と親しみを込めて呼び、16年には大阪で開かれたふれあい文庫創設20周年記念イベントにもお出ましになった。

632可愛い奥様@避難所生活:2014/08/15(金) 11:54:29 ID:4UQL92SM
2014.8.13 12:00 (7/7ページ)[皇室]
 14年には、紀子さまと長女の眞子さま、次女の佳子さまが都内の点字本イベントに来られたことも。「小学生のお2人がしっかりと握手してくださったことを今でも覚えている」と岩田さんは話した。
 今春に国際基督教大学(ICU)を卒業するまでに成長した眞子さまが、これまで以上に公務に励まれるお姿も印象的だった。
 眞子さまは7月16日、ソチ五輪・パラリンピックの入賞選手らを皇居・宮殿に招いた茶会に出席された。最初に対面された女子アイスホッケーのメンバーは、総勢約20人。この大人数に、眞子さまは1人で応対された。
 選手らは緊張したのか、おそばに寄るのを遠慮し言葉もあまり出てこない。そんな中、眞子さまは緊張をほぐすように笑顔で「どうぞ」と声をかけ、「アイスホッケーをやっている知り合いがいるんですけど、スティック、重いんですね」「どのくらいの年齢から始める方が多いんですか」と質問を重ねられた。
 お心遣いにリラックスした選手らとの会話が弾んでいく中で、眞子さまは「私も、こういうお茶会は初めてなので」と、実は緊張していたことも明かされていた。
 今年前半もさまざまな活動をしてきた皇室の方々は夏を迎え、御用邸で静養をするなどして、再び忙しくなる後半に備えられている。今年下半期も、皇室の方々のお心を伝えていきたい。

633可愛い奥様@避難所生活:2014/08/16(土) 22:53:55 ID:KUBhfHQQ
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140816/imp14081607000002-n1.htm
(344)69回目の終戦の日…両陛下と皇族方、戦没者追悼のご黙祷 雅子さま、伊豆急下田駅で出迎えの人々と長時間のご会話
2014.8.16 07:00 (1/4ページ)[皇室ウイークリー]
全国戦没者追悼式に臨席された天皇、皇后両陛下。陛下はモーニング姿、皇后さまは灰色の和服で臨み、戦没者を悼まれた=15日、東京都千代田区の日本武道館
 69回目の終戦の日を迎えた15日、天皇、皇后両陛下は今年も、皇居に隣接した北の丸地区にある日本武道館(東京都千代田区)で政府主催の全国戦没者追悼式に臨まれた。
 両陛下は「全国戦没者之霊」と書かれたヒノキ製の標柱の前に立って深く一礼したのち、正午から1分間の黙祷(もくとう)を、多くが高齢となった遺族らとともにささげられた。陛下が「全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられたお言葉に、出席者は静かに耳を傾けた。標柱の両隣には、両陛下が贈られたキクとユリの生花が置かれていた。
 宮内庁によると、皇太子ご一家も同日正午、そろって黙祷されたという。
 両陛下は13日、東京都墨田区の江戸東京博物館を訪れ、全国の遺跡から発掘された品々を集めた展覧会「日本発掘−発掘された日本列島2014−」を鑑賞された。縄文時代に始まりさまざまな時代の出土品が並び、力士の形をした埴輪(はにわ)を見た皇后さまは「強そう」とほほ笑まれていた。

2014.8.16 07:00 (2/4ページ)[皇室ウイークリー]
 展示では、東日本大震災の被災地で進む集団移転事業の工事中に発掘された遺跡の調査状況も紹介。その一つ、約5500年前の「波怒棄館(はぬきだて)遺跡」(宮城県気仙沼市)については、マグロの骨やマグロ解体に使った石器などの出土品が展示されていた。
 鑑賞後の懇談の場で博物館関係者が、被災した地元漁師は何千年も前の「先祖」からマグロ漁が続いていることに改めて誇りを感じているとのエピソードを紹介すると、皇后さまと7月に復興状況視察で同市の魚市場を訪ねたばかりの陛下は、「発掘は大事ですね」と話されたという。
 皇太子ご一家は12日から静岡県下田市の須崎御用邸で静養に入られた。最寄りの伊豆急下田駅では出迎えた約700人に歩み寄り、長時間にわたって会話を弾ませられた。
 最前列にいた土屋健児さん(89)によると、皇太子妃雅子さまは「お宅はどちらですか」と尋ね、土屋さんが「河津桜の河津です」と隣の河津町から来たことを伝えると、「私、河津に行ったことがあるんですよ」と笑顔で話されたという。皇太子さまは「お元気ですか」と話しかけられたといい、東宮御所の清掃などの勤労奉仕団に参加していた土屋さんは「見覚えある顔と思っていただけたのでは」と顔をほころばせた。

2014.8.16 07:00 (3/4ページ)[皇室ウイークリー]
 高橋清子さん(83)が「兄の代理で参りました」と病床にある98歳の兄について話すと、皇太子ご夫妻は「お兄さまにお大事にするようにお伝えください」と気遣われたという。また、白いワンピース姿の敬宮(としのみや)愛子さまに「大きくなられましたね」と声をかけると、愛子さまは笑顔で「ありがとうございます」と話されたという。
 下田市の祖母方へ来ていた埼玉県川口市の小学6年生、通山(とおりやま)拓君(12)には、雅子さまが「スポーツはやられていますか」と声をかけられた。バスケットボールをしているとの答えに、雅子さまは愛子さまを見て「(小学)5、6年生のときにやっていました」と話されたという。
 相模湾に面して建つ須崎御用邸の敷地内には砂浜もあり、愛子さまも泳がれたことがあるという。今春の学習院初等科の卒業文集では、6年生で参加した同校の遠泳行事での達成感をつづられた愛子さま。今回、駅頭で出迎えた静岡県の川勝平太知事が「こちらで水泳を覚えられましたね」と語りかけると、にっこりとうなずかれたという。雅子さまも「楽しみにしてまいりました」とリラックスされた様子だったという。

2014.8.16 07:00 (4/4ページ)[皇室ウイークリー]
(記事本文なし、末尾案内のみ)

634可愛い奥様@避難所生活:2014/08/23(土) 19:27:32 ID:sCOw.ssI
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140823/imp14082307000001-n1.htm
(345)両陛下、広島の土砂災害に心痛め静養お取りやめ 悠仁さま、お若いころの秋篠宮さまの写真を見て話された言葉は?
2014.8.23 07:00 (1/3ページ)[皇室ウイークリー]
戦時中の70年前に米軍に撃沈された「対馬丸」などの悲劇を語り継ぐイベントに臨席された秋篠宮妃紀子さま、長男の悠仁さま=16日、東京都新宿区の京王プラザホテル
 天皇、皇后両陛下は21日、宮内庁が平成2年から編纂(へんさん)を続けていた昭和天皇の公式記録「昭和天皇実録」の奉呈を風岡典之長官から受けられた。来年の戦後70年を前に、新たにひもとかれる「激動の昭和」の記録は、一層重みを増しそうだ。
 奉呈された本は「正本」と呼ばれ、和紙に印刷し、ひもでとじられている。本文は約980万字、1万2129ページあり、60冊に分冊されている。単純に計算すると、400字詰め原稿用紙なら2万4500枚に上る膨大な分量になる。
 これに目次・凡例の1冊が加わった計61冊が、陛下と皇后さまにそれぞれ1セットずつ奉呈された。宮内庁によると、「帙(ちつ)」と呼ばれる専用の覆いに包んで保管される。「正本」と同内容の「副本」は、皇太子さまや宮家の方々にもお渡しするという。
 厳しい暑さの中、お忙しい日々が続いた両陛下。22日には長野・軽井沢と群馬・草津での静養に出発する予定だったが、広島市で発生した土砂災害によって多くの犠牲者と行方不明者が出ていることを大変心配し、静養日程をすべて取りやめられた。

2014.8.23 07:00 (2/3ページ)[皇室ウイークリー]
 皇太子ご一家も、22日から9月3日までの日程で予定していた那須御用邸付属邸(栃木県那須町)での静養を取りやめられた。
 皇太子さまは21日、東京都港区の森アーツセンターギャラリーで特別展「ガウディ×井上雄彦−シンクロする創造の源泉−」を鑑賞された。同展は、昨年から今年にかけての「日本スペイン交流400周年記念」の事業の1つで、皇太子さまは400周年の日本側名誉総裁を務め、昨年6月にスペインを訪問された。
 秋篠宮ご一家は16日、東京都新宿区の京王プラザホテルを会場に開かれた「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に臨席された。
 つどいは、70年前の昭和19年8月22日、沖縄から長崎へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」が米軍に撃沈され、多数の子供が犠牲になった事件をはじめとした沖縄の人々の悲劇を忘れないようにと、民間団体が平成7年から東京で開催。秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、次女の佳子さまは臨席されたことがあったが、長男の悠仁(ひさひと)さまは今回初めて足を運ばれた。
 今年6月に沖縄を訪問した両陛下が面会された対馬丸の生存者の1人、仲田清一郎さん(78)が「救助されましたが、何日もたって意識がようやく回復しました」と当時の様子を振り返る言葉に、ネクタイ姿の悠仁さまも静かに耳を傾けられた。

2014.8.23 07:00 (3/3ページ)[皇室ウイークリー]
 沖縄と本土の青少年交流を目的に昭和38年から始まった「沖縄豆記者」を紹介する数々の写真も展示され、豆記者と面会される皇太子・同妃時代の両陛下とともに、お若い秋篠宮さまのお姿も。悠仁さまは、時代の経過とともに写真の中で幼少期から成長されていく秋篠宮さまのお姿に「大きくなってる」と興味を持たれていた。
 高円宮妃久子さまの次女、典子さまと婚約した出雲大社の禰宜(ねぎ)、千家国麿(せんげくにまろ)さん(40)の地元・島根県出雲市で、久子さまが撮影された鳥の写真と皇室の慶事に使われる菓子器を紹介する「高円宮妃殿下 鳥の写真とボンボニエール展」が17日、始まった。国際環境NGO「バードライフ・インターナショナル」名誉総裁を務める久子さまは開幕式で「写真を通して日本や世界の環境に思いをはせていただければ幸い」とあいさつされた。
 宮内庁は21日、典子さまと千家さんの結婚式が10月5日に出雲大社で執り行われると発表した。

635可愛い奥様@避難所生活:2014/08/30(土) 07:25:21 ID:yl6Anc0w
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140830/imp14083007000001-n1.htm
【皇室ウイークリー】
(346)宮内庁の進言にも“ご決意”は固く… 両陛下、ご静養全日程中止の経緯は 久子さま、刃物研ぎをご体験
2014.8.30 07:00 (1/4ページ)
展覧会「明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視−一代絵巻が物語る幕末維新」で、展示物をご覧になる天皇、皇后両陛下=29日、皇居・三の丸尚蔵館(代表撮影)
 広島市の土砂災害で多くの犠牲者が出ていることを心配し、長野・軽井沢、群馬・草津での静養を取りやめられた天皇、皇后両陛下。御所で静かに過ごしながらも、大災害に心を痛められた。
 両陛下が22日から29日まで予定していたご静養のお取りやめを決定するまでには、経緯があった。両陛下は当初から、静養自体を中止する意向を示されていた。しかし、秋以降に行事が続いてお忙しい時期を迎えることから、宮内庁は「ご静養いただきたい」と勧めた。両陛下はこれを了承、軽井沢で予定されていた日程を一部取りやめられた。
 ところが、被害が拡大していく中で、改めてご静養中止の意向を示され、全日程の取りやめが決定したのだった。両陛下は被害状況の報告を随時受けられていたといい、側近は「おそらく、陛下は早くからお気持ちを定めていらっしゃったのではないか」と話した。

2014.8.30 07:00 (2/4ページ)
 両陛下は29日、皇居・三の丸尚蔵館で開催されている展覧会「明治天皇を支えた二人 三条実美と岩倉具視−一代絵巻が物語る幕末維新」をご覧になった。「岩倉公画伝草稿絵巻」など、いずれも初公開の3作品計20点が展示され、陛下は「これはいつごろ描かれたもの」と案内役に尋ねるなど、皇后さまとともに熱心にご覧になった。
 宮内庁の山本信一郎次長は25日の定例記者会見で、両陛下が春と秋の年2回、東京・元赤坂の赤坂御苑で主催される園遊会で、両陛下と皇族方が招待者に声を掛けながら歩かれるルートを、今秋からこれまでの半分ほど(約350メートル)に短縮すると発表した。
 今年の皇后さまのお誕生日(10月20日)で両陛下がそろって80歳となられることから、「ご年齢にふさわしい園遊会となるようお許しをいただき、道筋の一部を見直した」(山本次長)という。
 実は、ルートの変更は初めてではない。宮内庁によると、昭和60年春には、それまで約715メートルあった道程が約560メートルに短縮されたほか、両陛下が即位後初めて催された平成2年春には再び715メートルのルートに戻されるなどの曲折をへて、現在のコース(約690メートル)になったのは9年春からだという。

2014.8.30 07:00 (3/4ページ)
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが9月から、英国レスター大大学院に約1年間留学されることが29日、閣議報告された。9月17日に日本を出発し、博物館学を専攻される。
 高円宮妃久子さまは28日、幕張メッセ(千葉市美浜区)で開かれた展示会「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW 2014」開会式に臨席された。16年から毎年名誉総裁に就任されているイベントで、今回で11回目のご就任。DIYは英語の「Do It Yourself」の略。自らの手で快適な生活空間を創造することを意味し、展示会場にはDIY・ホームセンター関連企業がブースを構えた。
 久子さまは、「鍛冶(かじ)のまち」として有名な新潟県三条市の鍛冶技術を紹介するコーナーで刃物研ぎをご体験。10月に結婚される次女、典子さまへのお祝いとして、関係者から和式ペティナイフが贈られると、「ありがとうございます。料理してもらわなければね」と話されたという。

2014.8.30 07:00 (4/4ページ)
 桂宮さまの薨去(こうきょ)を受けて一時帰国されていた久子さまの三女、絢子(あやこ)さまは28日、留学中のカナダへ向けて出発された。絢子さまは、今年8月までの予定で西海岸ビクトリアのカモーソンカレッジに短期留学しているが、留学期間を来年8月まで延長された。「日本とカナダの福祉比較」をテーマに修士論文の執筆を進められるという。

636可愛い奥様@避難所生活:2014/09/06(土) 07:14:23 ID:K/I2anOw
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140906/imp14090607000003-n1.htm
【皇室ウイークリー】
(347)皇太子さまと愛子さま、赤坂御用地での防災訓練に初のご参加 眞子さま、手話でごあいさつ
2014.9.6 07:00 (1/6ページ)
「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」の開会式で、手話を交えあいさつされる秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=8月30日、東京・有楽町
 月が改まり、天皇、皇后両陛下は再び、お忙しい日々を迎えられた。内閣改造による一連の行事、外国賓客接遇、人事異動者の拝謁など、ご公務がめじろ押しとなった。
 陛下は2日、皇居・宮殿「竹の間」で、公賓として来日したインドのモディ首相とお会いになった。両陛下がインドを訪問した際の印象に始まり、環境問題など幅広い話題に花を咲かせられた。

2014.9.6 07:00 (2/6ページ)
 日本とインドは平成24年に国交樹立60周年を迎え、両陛下は昨年11〜12月、インドを公式ご訪問。宮内庁によると、首相が「昨年来ていただいて、すばらしい訪問だったと思います」と述べ、滞在中の印象を尋ねると、陛下はネール大日本語学科の学生が立派な日本語で討論する様子が印象深かったとお答えに。両陛下のご訪問で日印友好が深まったことを踏まえるかのように、首相は「日本語教育の拡充を図り、日本とインドとの関係を今後さらに強化していきたい」と応じたという。
 陛下は3、4日、内閣改造に伴い、皇居・宮殿「松の間」で新大臣、副大臣の認証官任命式に臨まれた。

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 皇太子さまと長女の敬宮(としのみや)愛子さまは、防災の日の1日、お住まいの東宮御所がある赤坂御用地での防災訓練に初めてご参加。小町恭士東宮大夫によると、放水訓練にも参加するなど、防災に対する意識を深めるとともに、訓練の重要性を再認識された。皇太子妃雅子さまは参加されなかったが、お二方から訓練の様子をお聞きになったという。
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは8月30日、東京・有楽町で開かれた「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」の開会式に臨席、初めて手話を交えあいさつされた。

2014.9.6 07:00 (4/6ページ)
 冒頭、眞子さまは「私は現在、手話を学び始めたところです」と自己紹介された。「自分の思いや考えを豊かな手話で表現していただきたいと思います」と語りかけ、約5分間のあいさつの半分程度を自らの手話で伝え、会場から大きな拍手を受けられた。
 コンテストには平成3年以降、秋篠宮妃紀子さまが出席して手話であいさつされている。宮内庁によると、眞子さまも昨年まで紀子さまと3回ご臨席。手話への関心を強くお持ちであることから、今回は初めてお一方で臨まれた。

2014.9.6 07:00 (5/6ページ)
 関東大震災から91年となる1日、震災や東京大空襲で亡くなった人々の遺骨が納められた東京都慰霊堂(墨田区)で、犠牲者を悼む秋季大法要が営まれ、高円宮妃久子さまが参列された。
 祭壇には、「高円宮」と札がついた白菊の生花のさらに上段に、「御下賜」と札を添えて白菊が生けられた銀製の花瓶一対もあった。都慰霊協会によると、花瓶は昭和天皇が昭和5年3月の建設中に訪ねた際、同協会の前身団体へ下賜したものという。
 久子さまと次女の典子さまは3日、伊勢神宮(三重県伊勢市)の外宮(げくう)と内宮(ないくう)を参拝し、10月に控えた典子さまと出雲大社禰宜(ねぎ)、千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(41)との結婚を報告された。久子さまは平成22年以来4年ぶり7度目、典子さまは20年以来6年ぶり2度目のご参拝となった。

2014.9.6 07:00 (6/6ページ)
 1日付で皇室の儀式や外交などを担当する式部職のトップ、式部官長が交代する人事異動があり、小田野展丈(おだの・のぶたけ)氏(66)の後任に、元外務事務次官の河相周夫(かわい・ちかお)氏(61)が就任した。河相氏は外務省北米局長などをへて外務事務次官を務めた。小田野氏は同日付で侍従職御用掛に任ぜられた。宮内庁の山本信一郎次長は同日の記者会見で、小田野氏について「外務省儀典長も務めた識見を生かし、内外の儀式の歴史や課題を研究していただく」と述べた。

637可愛い奥様@避難所生活:2014/09/13(土) 12:47:25 ID:UnIAdwEo
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140913/imp14091307000001-n1.htm
(348)「昭和天皇実録」ついに公表 宮内庁長官「歴史的な事業が完成」 佳子さま、学習院を離れ他大学受験をご決断
2014.9.13 07:00 (1/3ページ)[皇室ウイークリー]
自ら育てたハーブを前にほほえまれる悠仁さま。9月6日に8歳になられた=8月7日、秋篠宮邸内(宮内庁提供)
 昭和天皇の87年余の生涯を宮内庁がまとめた「昭和天皇実録」約1万2千ページの内容が9日、公表された。天皇、皇后両陛下には正本が8月21日に奉呈(献上)されている。
 宮内庁の風岡典之長官は11日の定例記者会見で「歴史的な事業が完成し、この場に立ち会う者として大変光栄。昭和天皇のご事跡について広く理解が深まることを願います」と感慨深く語った。
 実録公表を心待ちにしていたのは、歴史の専門家だけではなかった。宮内庁書陵部庁舎では、9日から実録の写しの特別閲覧が始まり、訪れた人々が「昭和」を紡いだ膨大な記録をたどった。千葉市花見川区の中川正勝さん(71)は「終戦前後の昭和天皇の苦悩が分かるかなと思って来た。切迫した様子がよく分かった」と話していた。
 両陛下は12日、お住まいの皇居・御所で、上京した広島県の湯崎英彦知事から、70人以上が犠牲となっている広島市の土砂災害の説明を聞かれた。両陛下は8月20日の発生当初から被害に心を痛め、軽井沢(長野県)などでの静養を取りやめられている。
 皇后さまは10日、東京都港区の六本木ヒルズの映画館で、時代劇映画「蜩(ひぐらし)ノ記」の東日本大震災復興支援チャリティー試写会をご鑑賞。岩手県遠野市をはじめ東北を主要ロケ地として山里や武家屋敷などが撮影されたことから、試写会には同県釜石市など沿岸部から避難して遠野市の仮設住宅などに住む被災者13人が招待された。

2014.9.13 07:00 (2/3ページ)[皇室ウイークリー]
 両陛下が昨年7月、遠野市の仮設住宅を訪ねた際に会われた人もおり、皇后さまは入退場時、客席の被災者らに「お気をつけてお帰りください」と声を掛けられた。また、上映後に懇談した出演俳優、岡田准一さん(33)によると、撮影について「東北でなさっているんですよね」と話されたという。
 皇太子さまは7日、東京・上野の東京都美術館で、日本山岳写真協会の創立75周年記念の写真展を鑑賞された。
 皇太子さまは登山が趣味で、日本山岳会に所属されている。「富士山の日」でもある2月23日のお生まれで、同展には、雪煙を上げる富士山を山梨県富士吉田市から撮った写真を出展された。
 宮内庁は11日、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが学習院大文学部を8月31日付で中退されたと明らかにした。来春の他大学への入学を目指して受験されるためだという。
 学習院は皇族方の学問の場として知られ、秋篠宮ご夫妻も学習院大学ご卒業だが、近年は皇族方が学習院以外の大学に進まれるケースが増えている。ご夫妻の長女、眞子さまは国際基督教大学(ICU)ご卒業だ。高円宮妃久子さまの長女、承子(つぐこ)さまも早稲田大学ご卒業で、三女の絢子さまも城西国際大学を卒業されている。佳子さまも、新たな学びの場を求められる。
 眞子さまは11、12日、岐阜県を訪問し、名誉総裁を務める「国際陶磁器フェスティバル美濃'14」関連行事にご臨席。英国留学前の最後のご公務をこなされた。

2014.9.13 07:00 (3/3ページ)[皇室ウイークリー]
 紀子さまは11日、48歳の誕生日を迎えられた。長男の悠仁さまは6日、8歳の誕生日を迎えられた。
 久子さまの次女、典子さまと出雲大社(島根県出雲市)権宮司(ごんぐうじ)、千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(41)との結婚の日取りを、千家さんの使者が高円宮家に伝える「告期(こっき)の儀」が9日、東京・元赤坂の高円宮邸で行われた。宮内庁によると、典子さまは8月半ば、ご婚約発表後初めて出雲に行かれた。会場下見など結婚準備のためだが、さまざまな予定がある中、日帰りという慌ただしさで訪問されたという。

638可愛い奥様@避難所生活:2014/09/20(土) 07:31:34 ID:RH6K5MHM
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140920/imp14092007000001-n1.htm
(349)眞子さま、英国留学へ笑顔でご出発 皇太子ご夫妻、ベルギーの王女と和やかにご交流
2014.9.20 07:00 (1/3ページ)[皇室ウイークリー]
英国留学に出発される秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=17日午前、羽田空港
 天皇、皇后両陛下は14日、お住まいの皇居・御所で、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまから、大学院留学のため英国に出発されるのを前にあいさつを受けられた。ご留学先はレスター大大学院で、博物館学を学んで修士号取得を目指される。女性皇族で海外の大学院に進まれるのは、英オックスフォード大マートンカレッジで学ばれた三笠宮家の彬子さまに続きお二方目。
 白いジャケット姿で皇居に入った眞子さまは、正午をまたいで1時間半ほどご滞在。しばしのお別れをされた。
 17日に羽田空港から出発する際は、紺色のジャケットにスカート姿で黒いバッグを肩にかけ、見送りの宮内庁職員に笑顔で会釈をされた。宮内庁によると、留学は1年程度の予定だが、年末には一時帰国される。12月29日に妹の佳子さまのご成年が控えるほか、新年に行われる宮中行事に出席して成年皇族の務めを果たされるという。
 両陛下は16〜19日、静養のため、葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在された。
 皇太子ご夫妻は17日、赤坂御用地(東京都港区)内のお住まいの東宮御所で、皇室と交流が深いベルギー王室のマリア=ローラ王女とお会いになった。宮内庁によると、昨年7月に即位したフィリップ国王のめいにあたり、初めて来日したという。小町恭士東宮大夫は19日の記者会見で「和やかに話が弾まれたご様子です」と話した。

2014.9.20 07:00 (2/3ページ)[皇室ウイークリー]
 両陛下も、王女を11日に御所でのお茶に招かれた。秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまは10日、三笠宮家の彬子さまと瑶子さまは11日、それぞれ赤坂御用地内の宮邸で面会し、交流を深められた。
 秋篠宮ご夫妻は18日、福岡市内で、アジア文化の保存などに実績を挙げた人々に贈られる「福岡アジア文化賞」授賞式に臨席された。式では「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者で米国の社会学者、エズラ・ボーゲル氏(84)ら3人に賞が贈られ、秋篠宮さまは「受賞者は文化の多様性に示唆を与えてきた人ばかりです。アジア文化賞によって、アジアへの理解と友好、協力が一層促進されることを祈念します」と述べられた。
 皇室経済会議が16日、宮内庁庁舎で開かれ、高円宮妃久子さまの次女、典子さまに対し10月5日のご結婚後に支給される一時金の額を、皇室経済法に基づく限度額通りの1億675万円と決めた。
 同法に基づく「一時金」は、独立生計を始められる際と皇籍離脱される際に支払われ、後者は「皇族であった者としての品位保持の資に充てるため」と規定される。
 桂宮さまが薨去(こうきょ)されて100日目の15日、「墓所百日祭の儀」が東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で営まれた。皇太子ご夫妻や母の三笠宮妃百合子さま、喪主代理でめいの彬子さまをはじめ皇族方が参列された。しきたりで参列しない両陛下は、勅使と皇后宮使として侍従2人を派遣された。

2014.9.20 07:00 (3/3ページ)[皇室ウイークリー]
 喪主で98歳の父、三笠宮さまは、同日午前に赤坂御用地内の赤坂東邸で営まれた「権舎(ごんしゃ)百日祭の儀」とともに、お出ましを控えられた。16日に予定された新任皇宮護衛官へのご会釈も延期された。宮内庁によると、12日ごろから風邪気味となったものの、現在は回復されているという。
 ただ、百合子さまは18日午後から38度台の熱とせきが出るようになり、19日午前に聖路加国際病院(中央区)に入院された。宮内庁によると、診断は「通常の風邪」だが、91歳という年齢を考慮したほか、お孫さまの典子さまのご結婚関係行事への出席も視野に、早期の回復のため大事を取られたという。

639可愛い奥様@避難所生活:2014/09/27(土) 07:20:46 ID:XSxmyExg
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140927/imp14092707000001-n1.htm
【皇室ウイークリー】
(350)両陛下、青森への「私的ご旅行」でも復興状況に強いご関心 三笠宮さま、風邪のため大事取ってご入院
2014.9.27 07:00 (1/3ページ)
リンゴ園を訪問された天皇、皇后両陛下。リンゴ狩りも体験された=25日、青森県黒石市
 天皇、皇后両陛下は24、25日、青森県を訪問された。お忙しい中でリフレッシュしていただく「私的ご旅行」の位置づけだが、両陛下のご意向から、東日本大震災で津波被害を受けた八戸港(八戸市)も訪問先に選ばれた。
 両陛下は24日、八戸港貿易センタービル屋上から港内を見渡された。津波で打ち上げられた漁船などの写真も見ながら、陛下は「これはどの辺なの」と小林真市長に被災状況を詳しく聞かれた。死者1人、行方不明1人の市内の犠牲者も悼まれた。防波堤が半分近く壊れるなどしたが昨年7月に復旧を完了し、東北の被災港でいち早く復興したとの説明に、両陛下は何度もうなずかれていた。
 青森ならではの豊かな自然も楽しまれた。
 24日には八戸市で、海沿いの岩場に650種を超える植物が茂る「種差(たねさし)海岸」の遊歩道をご散策。穏やかな波音や、秋の虫の鳴き声を堪能された。宮内庁によると、珍しい植生に事前に強く関心を持たれたため急遽(きゅうきょ)、説明役の専門家を手配したという。皇后さまがさまざまな植物に触れながら「ハマナスもございますね」と話されると、陛下は「コハマギクもありますか」と質問された。心から自然を満喫された様子で、ご滞在は予定を約20分超えた。

2014.9.27 07:00 (2/3ページ)
 25日は黒石市で、旬を迎えて真っ赤に実ってきたリンゴ狩りを体験された。陛下は、リンゴ園を経営する佐藤国雄さん(61)の説明で「つがる」の実をもぐと「ああ、ここが切れるんですねえ」と感心したご様子。両陛下は4つずつ収穫された。一方、陛下は「今年は各地で雪害がありましたけれども」と尋ね、無事だったことを聞いてうなずかれていた。佐藤さんによると、両陛下はその後の懇談で、紅玉(こうぎょく)、国光(こっこう)、インドリンゴなど今ではあまり栽培されていない品種名も詳しく話題にされていたという。
 ちなみに、東京−八戸の往路は新幹線で、ご乗車距離は約630キロと「過去最長」(宮内庁)だった。空港への移動時間も含めると飛行機と所要時間があまり変わらないことから、新幹線になったという。帰京時は、直前のご訪問先が青森空港(青森市)に近く、空路を利用された。
 青森ご訪問に先立つ秋分の日の23日、皇室のご先祖祭に当たる「秋季皇霊祭の儀」が皇居・皇霊殿で、神恩感謝の祭典とされる「秋季神殿祭の儀」が神殿で行われ、両陛下、皇太子さまが拝礼された。秋篠宮ご夫妻、常陸宮妃華子さま、三笠宮家の彬子さまと瑶子さま、高円宮妃久子さま、長女の承子さま、次女の典子さまが参列された。典子さまは10月のご結婚を前に、最後の参列となられた。

2014.9.27 07:00 (3/3ページ)
 陛下は26日、皇居内の水田で稲刈りをし、春に自ら植えた稲を収穫された。
 皇太子さまは22日、東京都千代田区の出光美術館で、福岡県の沖ノ島などに3つの宮を持つ宗像大社所蔵の国宝などを紹介した「宗像大社国宝展」を鑑賞された。26日には同区のホテルで、皇太子ご夫妻のご結婚を記念して始まった国際青年育成交流事業の一環の「国際青年育成交流会議」に臨席し、レセプションで各国の若者と交流された。
 陛下の叔父で98歳の三笠宮さまは24日、風邪のため聖路加国際病院(東京都中央区)に入院された。今月中旬にひいた風邪の症状がぶり返して23日から微熱とせきが続き、大事を取られた。三笠宮妃百合子さまも風邪で19日から同病院に入院されている。
 三笠宮さまの孫の典子さまも風邪気味のため22日、新任皇宮護衛官へのご会釈を取りやめられた。久子さまは予定通り行われた。

640可愛い奥様@避難所生活:2014/10/04(土) 09:00:06 ID:QMSrUvXg
ttp://www.sankei.com/life/news/141004/lif1410040002-n1.html
2014.10.4 07:00
【皇室ウイークリー】
(351)両陛下、最後の高齢者施設ご訪問 愛子さまは運動会に元気にご参加 常陸宮ご夫妻、ご結婚から50年
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「老人大学教室」のフラダンスの練習を視察される天皇、皇后両陛下=9月30日、東京都練馬区
 天皇、皇后両陛下は9月30日、敬老の日にちなみ、東京都練馬区立練馬文化センターで開かれた「老人大学教室」を視察し、元気に歌などを楽しむ高齢者と触れ合われた。両陛下が平成4年から毎年続けられてきた敬老の日にちなむ高齢者施設訪問は、今回で最後となった。陛下は「若い世代に譲ることが望ましい」との思いから、来年以降、こどもの日にちなむ子供関連施設訪問と合わせ皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻に譲られる。
 両陛下はコーラス教室で、高齢者約30人が福島の復興を願う「希望のひまわり」を歌うのに聞き入り、拍手を送られた。陛下は最高齢の93歳の女性らに「高齢の方が元気でいることは心強いですね」と語りかけられた。フラダンス教室では、床の上で裸足で踊った65〜75歳の女性8人に、皇后さまが「足が冷たいでしょうね」と気遣われた。
 両陛下は2日、皇居・宮殿「松の間」で、5日に出雲大社(島根県出雲市)で権宮司の千家国麿(せんげくにまろ)さんとの結婚式を控えた高円宮妃久子さまの次女、典子さまからお別れのごあいさつを受ける「朝見(ちょうけん)の儀」に臨まれた。

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 ピンクのローブデコルテに「宝冠牡丹章」の勲章、ティアラという正装姿の典子さまは両陛下の前に進み出て、「長い間、深いご慈愛をもってお導きくださいましたことを謹んで御礼申し上げます」と頭を下げられた。陛下は「二人の末永い幸せを祈ります」と祝福され、55年前に一般家庭から皇室に入った皇后さまは「お二人の結婚と、幾久しいお幸せを祈ります」とはなむけの言葉を贈られた。
 両陛下と典子さまは宮中伝統の「九年酒(くねんしゅ)」で杯を交わした後、干したサケ、塩ゆでしたエビ、焼いたウズラなどを高く盛りつけた祝い御膳に、箸を立てる作法で儀式を終えられた。宮殿東庭では宮内庁や皇宮警察の職員ら約600人が並び、皇宮警察音楽隊の演奏と拍手で典子さまのお車を見送った。典子さまは車窓越しに何度も会釈された。典子さまは同日、「小袿(こうちぎ)」「長袴(ながばかま)」などの装束で宮中三殿を拝礼、皇室の先祖や神々にも結婚することを報告された。

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 学習院女子中等科(東京都新宿区)1年の皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは9月27日、女子中・高等科の運動会に参加された。小町恭士東宮大夫によると、愛子さまは左足の指にすり傷がある中、麻袋を履いたままジャンプして競争する「みのむし」、ポンポンを持ったダンス、バスケットボールを使ってリレーする「ドリブル競争」に元気に出場し、最後のフォークダンスにも臨まれた。ご夫妻は最後まで観覧されたという。
 皇太子ご夫妻は1日、東京都千代田区の国立劇場で、文化庁芸術祭のオープニング公演「伝統芸能の交流−日本・モンゴルの歌と踊り」を鑑賞された。日本側は尺八など、モンゴル側は馬頭琴などを披露し、ご夫妻は客席から大きな拍手を送られた。
 秋篠宮ご夫妻は9月30日、今月10日までの日程でグアテマラとメキシコを公式訪問するため民間機で出発された。
 常陸宮ご夫妻は30日、ご結婚50年を迎え、宮内庁を通じて感想を寄せられた。常陸宮さまは「華子が側にいてくれるので、つい頼ってしまうところがあります」とつづられ、常陸宮妃華子さまとの仲むつまじい様子が浮かぶ。

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 常陸宮さまは「二人揃(そろ)って金婚式を迎えることが出来(でき)て嬉(うれ)しく思います」と記され、華子さまもお二人でこの日を迎えた喜びと常陸宮さまを支えつつ務めを果たすお気持ちを示された。同時に公表された過去のお写真では、何匹もの愛犬を抱えるなどしてほほ笑まれる姿が印象的だ。

641可愛い奥様@避難所生活:2014/10/11(土) 17:41:47 ID:WyADuTkk
ttp://www.sankei.com/life/news/141011/lif1410110010-n1.html
2014.10.11 07:00
【皇室ウイークリー】
(352)結婚式終えた千家国麿さん・典子さん夫妻、両陛下にあいさつ 晩餐会では雅子さまもロングドレスでご歓談
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晩餐会に白のドレスで臨む千家典子さん。皇太子妃雅子さまもロイヤルブルーのロングドレスで参列された=8日午後、東京都千代田区のホテルニューオータニ
 天皇、皇后両陛下は5日、東京都千代田区の日本武道館で開館50周年記念式典に臨席された。両陛下は毎年8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式に臨むなど、武道館を何度も訪問されてきた。記念式典に続いて「日本武道祭」も観覧し、柔剣道や空手などの演武に拍手を送られた。
 両陛下は6日、御嶽山の噴火被害へのお見舞いと、困難な状況で捜索を続ける警察、消防、自衛隊など関係者へのねぎらいのお気持ちを、川島裕侍従長を通じて長野県の阿部守一知事と岐阜県の古田肇知事に伝えられた。多くの犠牲者に心を痛め、行方不明者を心配しながら、ニュースをご覧になっているという。
 両陛下は8日、皇居・宮殿で、厚生労働大臣表彰の保健文化賞を受賞した医療関係者らの拝謁を受けられた。天皇陛下は「さまざまな困難を乗り越え、それぞれの分野や地域において保健衛生の向上に努めてこられたことを深く感謝します」と話された。
 9日には皇居・御所で、5日に結婚した出雲大社(島根県出雲市)の権宮司、千家国麿(せんげくにまろ)さん(41)と高円宮妃久子さまの次女、典子さん(26)夫妻から結婚のあいさつを受けられた。
 両陛下は9日、ルクセンブルクのギヨーム皇太子夫妻を御所でのご昼餐に招かれた。皇太子ご夫妻も同日、東宮御所で夫妻と懇談された。皇太子さまは2年前、夫妻の結婚式で同国を訪問されている。

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 皇太子さまは4日、秋田市での国民文化祭開会式であいさつし、同祭が東日本大震災後では東北初開催となったことに触れ「今なお多くの困難に立ち向かっている方々に、文化の持つ力により、夢と希望を与える大きな役割を果たすことを期待しています」と述べられた。広島市の土砂災害と御嶽山噴火災害の犠牲者にも哀悼の意を示された。
 日本を襲った台風18号は、皇族方のご日程にも影響を与えた。皇太子さまは6日、国際会議臨席のため東海道新幹線で京都入りしたが、運転見合わせの影響で東京発が3時間以上遅れ、午後の予定を取りやめられた。三笠宮家の瑶子さまは同日に愛知県で臨席予定だったチャリティーゴルフ大会が中止され、訪問を取りやめられた。
 皇室はこの1週間、千家さん夫妻の結婚という慶事に包まれた。結婚式前日の4日には、出雲市に向かうため典子さんが高円宮邸に別れを告げるのを、祖父母の三笠宮ご夫妻、母の久子さま、姉の承子さま、妹の絢子さまが宮邸の玄関先で見送られた。
 三笠宮さまは風邪のために入院した病院を3日に退院したばかりだったが、車いすではなく、つえを使って立ち上がり、車に乗った典子さんに手を振られた。風邪で入院し、9月30日に退院した三笠宮妃百合子さまも隣に立ち、孫娘の門出を祝福された。

(3/3ページ)
 千家さん夫妻の5日の結婚式、6日の披露宴に続き、8日は東京都内で晩餐会(ばんさんかい)が行われ、高円宮ご一家だけでなく皇太子ご夫妻、常陸宮さま、三笠宮ご夫妻、三笠宮家の彬子さま、瑶子さまも顔をそろえられた。秋篠宮ご夫妻はメキシコなど訪問のため10日まで日本を離れられていた。
 安倍晋三首相の祝辞に続き、皇太子さまが乾杯のあいさつをされた。典子さんが子供のころに一緒にバイオリンを演奏した際、典子さんにうまく合わせられず申し訳なく思ったというエピソードを語られ、典子さんが口を手で押さえて笑う場面も。皇太子妃雅子さまはロイヤルブルーのロングドレスで典子さんと談笑された。千家さん夫妻は9日、両陛下へのあいさつ後、東宮御所で皇太子ご夫妻にもお礼を伝えたという。

642可愛い奥様@避難所生活:2014/10/13(月) 13:37:01 ID:wtbecRrA
ttp://www.sankei.com/life/news/141013/lif1410130004-n1.html
2014.10.13 08:00
【皇室ウイークリー】
(番外編)千家典子さん結婚特集 華やかな披露宴、そのメニューは?
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結婚式を終えた直後、報道陣の質問に答えた際に見つめ合う千家国麿さんと典子さん=5日午後、島根県出雲市の出雲大社(志儀駒貴撮影)
 出雲大社(島根県出雲市)の権宮司、千家国麿(せんげくにまろ)さん(41)と高円宮妃久子さまの次女、典子さん(26)の結婚にまつわる一連の儀式・行事が8日の晩餐会で滞りなく終了した。神話の世界にさかのぼる皇室と出雲大社の縁を、再び引き合わせた2人の結婚。結婚前日の4日に典子さんが高円宮邸に別れを告げ、6日の披露宴で友人や関係者らの祝福に包まれるまでの3日間を振り返り、当日の記事の中で伝えきれなかった裏側を紹介する。
 【4日】
 午前9時ごろ。ピンクのスーツ姿の典子さんが出雲へと発つため、高円宮邸から玄関に姿を見せた。後には、祖父母の三笠宮ご夫妻、久子さま、姉の承子さま、妹の絢子さまが続かれた。
 ロータリーには、天皇陛下が国賓接遇など重要な行事で使用される御料車「センチュリーロイヤル」が止まっている。陛下が、旅立つ典子さんのために差し向けられたという。
 典子さんはご家族とあいさつを交わした後も、名残を惜しむように26年間過ごした宮邸の方を何度も振り返りながら、最後は笑顔で車に乗り込んだ。ご家族は、車が見えなくなるまで手を振って見送られた。宮邸に戻る承子さまと絢子さまが報道陣に、「朝早くからありがとうございます」と声をかけられる場面もあった。

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 赤坂御用地内では、宮内庁や皇宮警察の職員も車列に拍手を送った。
 午前11時20分ごろ。出雲空港に到着した典子さんは、空港の通路から周辺の山々を見ると窓に駆け寄り、同行された久子さまに山々を指し示しながらにこやかに歩いた。久子さまは、居合わせた報道陣に「ありがとうございます」と声をかけられた。
 関係者によると、空港では千家さんと、父で出雲大社宮司の尊祐(たかまさ)さん(71)と母の礼子(あやこ)さん(64)、出雲市の長岡秀人市長らが個室内で出迎えた。皇族方のお出迎えは通常、出入り口などで並んで行うが、県によると、宮家側から宮内庁を通じて「プライベートなことなので」などとお話があったという。
 空港からは千家さんらも同乗したバスで、同市西端の日御碕(ひのみさき)にある、海を見下ろす宿に向かった。姉の承子さま、妹の絢子さまものちに合流された。ちなみに、宿近くにある日御碕神社の宮の一つである「日沈宮(ひしずみのみや)」には、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられている。
 千家さん夫妻は夕方には、翌日に迫った結婚式の会場となる出雲大社の拝殿で、リハーサルを行ったという。夫妻が着替えなどをする大社の貴賓館には、大社の祭祀を担い、千家家が代々継いできた「出雲国造(いずもこくそう)家」の紋入りの幕とともに、皇室伝統の菊の紋入りの提灯が置かれていた。

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 【5日】
 午前7時半ごろ。典子さんの宿泊先で、結婚前の最後の儀式である「入第(じゅだい)の儀」が行われた。
 千家家の使者として、千家さんの叔父で出雲大社権宮司の和比古(よしひこ)さん(64)がモーニング姿で、典子さんを迎えに。台風18号の接近で風が強まる中、ブルーグリーンのスーツに帽子をかぶった典子さんは久子さま、承子さま、絢子さまに笑顔で何度も手を振り、出雲大社に向かう車に乗り込んだ。
 車の後方には、宮中の重要な行事に登場する皇宮警察のサイドカー付きバイク2台が付き従った。大社近くの沿道では、地元住民が列を作って到着を待ちわび、車が通過するのに合わせて日の丸の小旗を振って歓迎した。
 午前11時ごろ。新郎新婦が大社の貴賓館を出発し、結婚式が始まった。斎主で千家さんの叔父、隆比古(ながひこ)さん(66)を先頭に新郎新婦とともに、久子さま、承子さま、絢子さまが着物姿で続かれた。
 拝殿に向かっての参道では、典子さんは歩きやすいように黄色の「袿(うちぎ)」に紫の「袴」姿だったが、御簾(みす)内での儀式の直前には、10月2日に皇居・宮中三殿で神前に結婚を報告したときと同じ「小袿(こうちぎ)」と「長袴(ながばかま)」に着替えた。

643可愛い奥様@避難所生活:2014/10/13(月) 13:37:35 ID:wtbecRrA
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 宮内庁によると、袿と袴、小袿と長袴はいずれも大正天皇の妃だった貞明皇后ゆかりの服や生地。三笠宮妃百合子さまが義母の貞明皇后から譲り受け、今回は典子さんに貸し出されたという。連綿と続く皇室の伝統に包まれ、典子さんは儀式を行った。
 式は1時間ほどで予定通りに終了。午後1時25分ごろ、新郎新婦の代理で宮内庁職員と出雲大社の禰宜(ねぎ)が出雲市役所大社支所に婚姻届を提出し、受理された。
 午後4時ごろ。大社神楽殿で、氏子らによる「吉兆行事」が行われ、新婚ホヤホヤの千家さん夫妻が招待された。無病息災を祈願するという伝統芸能の「獅子舞」に頭をかまれる手荒い歓迎を受ける場面も。千家さんが卒園した地元の大社幼稚園の園児からも祝福され、緊張気味だった2人に笑顔が浮かんだ。
 終了後、典子さんは千家さんの方を指し示し、園児らに「あなたたちの先輩なのよ」と声をかけたという。
 【6日】
 午後1時ごろ。松江市内のホテルで披露宴が催された。招待客は典子さんの学習院時代の友人や千家さんの同級生、出雲大社関係者ら約280人。まず、来賓として島根県の溝口善兵衛知事、神社本庁の田中恒清総長が祝辞を述べ、出雲大社御遷宮奉賛会会長として米倉弘昌・前経団連会長が乾杯の発声をした。

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 宮家側の意向で会場内の取材をすることができなかったが、参列者らによると、千家さん夫妻は冒頭は和服姿で、途中でお色直しをした。結納に当たる「納采の儀」で千家さん側から贈られた絹地で仕立てた典子さんのドレスは「クリーム色がかった白」(参列者)に見え、頭にティアラ、首元には真珠の首飾りが輝いていたという。
 会場内のBGMは、パッヘルベル「カノン」やモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などおなじみの曲や、リスト「愛の夢」、エルガー「愛の挨拶(あいさつ)」など、夫妻で選曲したという10曲以上がバイオリンとチェロ、ビオラによる弦楽四重奏の生演奏で和やかに奏でられた。
 39卓あったテーブルは「さくら」「あやめぐさ」「あさがほ」「おみなへし」など、万葉集に詠まれた草花の名がつけられる趣向が凝らされていた。メインテーブルは「しゅんらん」で、典子さんが身の回りのものに付ける「お印」だった「蘭」にちなんだものだった。
 食事は、地元の食材をふんだんに使ったフランス料理が供された。「宍道湖産大和しじみと出雲産椎茸のコンソメスープ」などのメニューが並び、魚は「日本海産すずきのソテー 出雲産アスパラガスと奥出雲産白ワインのハーブ入りソース川本産茄子(なす)添え」、肉は「しまね和牛フィレ肉のステーキ 奥出雲産舞茸と出雲産ブロッコリーとパプリカ 奥出雲産赤ワインと山葵(わさび)のソース」。「松江“きぬむすめ”と“斐川ハトムギ”のパン」などと、細部までこだわり抜いていたという。

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 国麿さんはあいさつで、参列の各方面への感謝をそれぞれ述べた後、皇室と出雲大社がまつる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)との縁に思いをはせながら、2人で手と手をつないで頑張っていく、と述べた。
 参列者によると、父の尊祐さんが最後のあいさつで感極まる場面もあったという。
 典子さんが幼少時から高円宮ご夫妻に連れられ出雲を何度も訪れていたこと、その典子さんを千家家に迎えること…。尊祐さんは来し方を振り返る中、平成14年に薨去(こうきょ)された高円宮さまにこの日の典子さんの姿をお見せできない無念さに言葉を詰まらせてまぶたを拭ったが、「きっとどこかで見て下さっていると思います」と締めくくったという。
 久子さまは笑顔を浮かべながら天井を見上げられ、会場内は参列者の拍手が鳴り止まなかった。最後は、千家さんと典子さんが久子さま、千家さんの両親とともに会場の出口で参列者を見送られたという。
 参列した千家さんの友人の1人は「クニ(国麿さんの愛称)は本当に心のこもったあいさつをしてくれて、いい式だった。典子さんも輝いていた。本当にいい夫婦になると思う」と語っていた。
 ちなみに、千家さん夫妻には今のところ、新婚旅行の予定は入っていないという。

644可愛い奥様@避難所生活:2014/10/18(土) 07:12:20 ID:BzR29eQk
ttp://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180004-n1.html
2014.10.18 07:00
【皇室ウイークリー】
(353)両陛下、長崎で96歳被爆者と19年ぶりにご再会 愛子さまの家庭教師に元高校数学教員
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「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪問し、入所者と懇談される天皇、皇后両陛下=11日、長崎市
 天皇、皇后両陛下は11、12日、長崎県を訪問された。国体開会式臨席の機会を捉え、原爆犠牲者の慰霊と被爆者の慰問を強く望み、戦後50年での「慰霊の旅」以来19年ぶりに、平和公園と「恵の丘長崎原爆ホーム」(いずれも長崎市)に足を運ばれた。
 11日、長崎空港に到着した両陛下は平和公園に向かい、原爆犠牲者名簿の写しがそばに収められている原爆落下中心地碑に白菊の花束を供えられた。陛下は碑を見上げ、皇后さまとともに一礼された。
 続いて、介護が必要となった被爆者らが生活する恵の丘長崎原爆ホームを訪ねられた。入所者約350人の平均年齢は87歳で、両陛下は76〜101歳の10人とご懇談。「爆弾が落ちた時はどうだったわけですか」。陛下は一人一人に当時の状況などを尋ね、「穏やかな日々を過ごしてね」と声をかけられた。
 森山君子さん(96)とは19年ぶりのご再会。皇后さまの励ましのお言葉を胸にリハビリを重ね、寝たきりの状態から車いすで生活できるまでに回復したという。森山さんが涙を浮かべて感謝するのを聞き、皇后さまは「よかった。うれしゅうございますよ」と無事を喜ばれた。
 12日には諫早市内の競技場で、国体総合開会式に臨席された。原爆被害も乗り越えてきた長崎県の歴史を表現した子供たちのパフォーマンスが披露され、両陛下はさかんに拍手を送られた。台風19号が接近していたため、両陛下は県や県警などが災害対策に専念できるように配慮し、1日繰り上げて同日帰京された。

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 中村法道知事によると、両陛下は、平成3年の雲仙普賢岳の噴火災害からの復興状況も尋ねられたという。両陛下は火砕流発生からわずか1カ月後の同年7月、島原市などの避難所を見舞われていた。
 台風19号の影響で、常陸宮ご夫妻は13、14日の長崎県訪問を取りやめられた。三笠宮家の彬子さまと高円宮妃久子さまは16日に長崎県入りし、国体競技を観戦された。
 五穀豊穣などへの「神恩感謝の祭典」とされる神(かん)嘗(なめ)祭(さい)が17日、皇居・宮中三殿などであり、陛下は伊勢神宮を遙(よう)拝(はい)ののち拝礼された。皇太子さまをはじめ皇族方が参列された。寛(とも)仁(ひと)親王妃信子さまのお姿もあった。宮内庁によると、ストレス性ぜんそくなどで療養中だが、日常生活には支障がない程度に回復された。11、12日は愛媛県を訪問し、松山市で日本青年会議所全国大会に臨席された。
 皇太子さまは11〜13日、全国育樹祭臨席のため、山形県を訪問された。15日には皇太子妃雅子さまとともに東宮御所で、国際交流基金賞受賞者を接見された。
 皇太子ご夫妻の長女で、学習院女子中等科1年の敬(としの)宮(みや)愛子さまの家庭教師役として、元高校教員の大橋志津江さんが16日付で宮内庁御用掛に採用された。教員時代の専門は数学という。

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 秋篠宮さまは14、15日、愛媛県を訪問、日本動物園水族館協会総裁として同協会主催の「動物園技術者研究会」に臨席された。秋篠宮妃紀子さまは14日、恩賜財団母子愛育会総裁として同会の施設視察のため山梨県を訪問された。
 日本美術協会総裁の常陸宮さまは15日、東京都港区で行われた同協会主催の高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式に常陸宮妃華子さまとともにご臨席。受賞者にメダルを授与された。ご夫妻は17日、千鳥ケ淵戦没者墓苑(千代田区)秋季慰霊祭に参列された。
 久子さまの三女、絢子さまは、姉の千家典子さん(26)の結婚式などに参列するため留学先のカナダから一時帰国していたが、15日にカナダへ出発された。

645可愛い奥様@避難所生活:2014/10/25(土) 07:48:13 ID:NXCtcU4M
ttp://www.sankei.com/life/news/141025/lif1410250008-n1.html
2014.10.25 06:00
【皇室ウイークリー】
(354)両陛下、傘寿を祝う野外コンサートに“サプライズ”ご参加 幼少時に書いたイルカの絵をご覧になった陛下は…
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天皇、皇后両陛下がともに傘寿を迎えたことをお祝いする、皇宮警察音楽隊の「ランチタイムコンサート」に出席された両陛下=21日、皇居・東御苑
 天皇、皇后両陛下はこの1週間、ともに傘寿となったことに伴う祝賀行事や記念イベントに相次いで臨席された。
 20日は皇居で皇后さまの80歳の祝賀行事があり、午前中は宮殿で皇太子ご夫妻をはじめ皇族方のあいさつを受け、続く祝宴に臨まれた。夜は御所で未成年の孫にあたる敬宮(としのみや)愛子さま、佳子さま、悠仁(ひさひと)さまから祝福を受け、その後、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子(さやこ)さん夫妻と「お祝御膳」を囲まれた。
 同日付で公表した宮内記者会の質問への文書回答で皇后さまは、「それぞれ個性の違う」というお子さま方の子育てを振り返られた。「家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、これまで多くの職員の協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました」と、周囲の支えへの感謝の気持ちをつづられた。
 21日には皇居・東御苑で開かれた皇宮警察音楽隊の野外コンサートに“サプライズ”で参加、天皇陛下が詠まれた沖縄伝統の琉歌(りゅうか)に皇后さまが沖縄の曲調を付けられた「歌声の響」などの演奏を楽しまれた。伝統衣装「琉装(りゅうそう)」姿で三線(さんしん)を弾いた琉球大出身の高橋弘治・皇宮巡査(30)に、皇后さまは「本当にありがとう」と声をかけられた。

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 22日は日本橋高島屋(東京都中央区)で開催中の傘寿記念の特別展をご鑑賞。陛下は7歳ごろ自ら書いたイルカの絵の前で足を止め、「イルカが好きだったんでしょうね」と懐かしそうに話された。皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんが幼稚園時代に皇后さまに贈られたエプロンもあり、皇后さまは秋篠宮さまのエプロンの絵を見て「怪獣みたい」とお笑いになった。
 陛下は21日、宮殿で、上川陽子法相、宮沢洋一経済産業相の任命式に臨まれた。両陛下は23日、28日から11月2日に予定されるオランダ国王夫妻の国賓での来日について、御所で辻優・駐オランダ大使から説明を受けられた。皇太子ご夫妻も陪席された。
 両陛下は24日、御所で、グルジアのマルグベラシビリ大統領夫妻と会見された。大統領から東日本大震災や御嶽山(おんたけさん)噴火へのお見舞いの言葉があり、陛下は震災時の同国からの支援に謝意を示された。
 皇太子さまは21日、渋谷区で行われた「日本賞」教育コンテンツ国際コンクール授賞式に臨み、「国際社会が抱える貧困や紛争、あるいは環境破壊といった課題に向き合い、真の豊かさと平和を求める上で、教育の果たす役割はますます重要になってきています」とあいさつされた。
 22日には憲政記念館(千代田区)で、世界23カ国・地域から約140人の日系人が参加した海外日系人大会歓迎交流会に臨席された。23日は、奈良国立博物館(奈良市)で開催中の両陛下傘寿記念「正倉院展」をご鑑賞。24日に京都市に移動し、研究目的で京都御所を視察された。

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 秋篠宮ご夫妻は21、22日に長崎県を訪問し、国体競技を観戦された。英国留学中の長女の眞子さまは23日、23歳の誕生日を迎えられた。
 宮内庁は23日、6月に薨去(こうきょ)された桂宮さまが務めていた大日本農会と大日本山林会の総裁に、10日付で秋篠宮さまが就任されたと発表した。東京農業大の客員教授を務められるなど農林水産業全般に詳しいため、両団体から要請があったという。
 高円宮妃久子さまは20日、日本橋高島屋で「日本の象牙彫刻展」の表彰式などに臨席された。23日は宮邸で、名誉総裁を務めるバードライフ・インターナショナルの次期事務総長、パトリシア・ズリタ氏とお会いになった。

646可愛い奥様@避難所生活:2014/11/01(土) 07:16:13 ID:Mi/S0R/w
ttp://www.sankei.com/life/news/141101/lif1411010002-n1.html
2014.11.1 06:00
【皇室ウイークリー】
(355)雅子さま、11年ぶりの宮中晩餐会でにこやかにご懇談 秋篠宮さま、悠仁さまからの「ご指摘」に苦笑いされ…
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オランダのアレクサンダー国王夫妻を私的に招いた昼食会を終え、並んで笑顔で見送られる天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻=10月30日、皇居・御所
 天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻をはじめ皇族方は10月29〜31日、国賓として来日したオランダのアレクサンダー国王夫妻を厚くもてなされた。天皇陛下が皇太子時代の昭和28年に同国を初めてご訪問以来、国王の祖母のユリアナ女王、母のベアトリックス女王と3代にわたる皇室とオランダ王室との信頼をさらに深められた。
 29日夜に皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で両陛下が催された宮中晩餐(ばんさん)会。宮内庁楽部のオーケストラがオランダのフォークソング「風車のところに」を奏でる中、両陛下が国王夫妻を伴ってご入場。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、常陸宮妃華子さま、寛仁(ともひと)親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、瑶子さま、高円宮妃久子さまが続かれた。常陸宮さまは風邪気味のため欠席された。
 陛下はあいさつで、幼少時の国王の姿を思って「ポニーで私どもの馬車を追っていらした陛下が健やかな青年に成長なさったお姿を、感慨深く思いました」とほほ笑ましいエピソードも披露された。
 一方、先の大戦で信頼が失われた事実にも率直に言及された。平成12年の同国ご訪問を前に、ベアトリックス女王が戦時中に日本軍に抑留されたオランダ人らを説得し、訪問が成功したことを振り返り「ご努力に、今も深く感謝しております」と述べられた。

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 国王は返礼のスピーチで、元抑留者らの体験を「忘れることはできません」と語った上で、「日本国民も先の大戦において大変な苦しみを経験されました」とも述べた。松尾芭蕉が詠んだオランダ人にちなむ句を日本語で紹介。徳川家康が国王の祖先に送った手紙の一節にも触れ、未来志向の両国関係を強調してシャンパンで乾杯した。
 信子さまと同じく11年ぶりに宮中晩餐会に出席した皇太子妃雅子さまは、皇后さまとともに隣席のクーンデルス外相とにこやかに懇談された。
 30日には、両陛下がお住まいの御所に国王夫妻を私的に昼食に招かれた。食事後に皇太子ご夫妻も合流して懇談された。両陛下と皇太子ご夫妻が玄関先で国王夫妻を見送られた際、皇后さまは一歩下がっていた雅子さまに前に出られるよう気遣われていた。
 両陛下は31日、国王夫妻が宿泊するホテルオークラ東京(東京都港区)を訪れ、国王夫妻主催のコンサートと答礼行事に臨まれた。秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も同席された。続いて両陛下は国王夫妻へのお別れのあいさつに臨まれた。
 皇太子ご一家は26日夜、日本橋高島屋(中央区)で開かれていた両陛下傘寿記念の特別展を鑑賞された。幼少時の皇太子さまの写真を見た長女の敬宮(としのみや)愛子さまが、秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁(ひさひと)さまに「似ている」と話され、雅子さまが「ちょっとそうかも」と応じられる場面もあった。

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 秋篠宮ご夫妻、次女の佳子さま、悠仁さまも25日朝に同展をご覧に。秋篠宮さまが幼稚園時代に作られたエプロンの絵を見た悠仁さまが「かわいくない」と話され、秋篠宮さまは「雑なのは認める」と苦笑いされた。秋篠宮妃紀子さまに「今度、作ってくださる」と尋ねられた悠仁さまは静かにうなずかれていた。
 学習院大を8月31日に中退した佳子さまは10月24日に国際基督教大(ICU)のAO入試に合格された。すでに入学手続きを済ませ、来年4月に1年生として入学される。
 瑶子さまは25日、31歳の誕生日を迎えられた。翌26日には、世田谷区の総合運動場体育館を訪れ、父の寛仁親王殿下から総裁を受け継いだ社会福祉法人「友愛十字会」などが主催する合同運動会を観戦された。

647可愛い奥様@避難所生活:2014/11/08(土) 06:58:59 ID:VK0Hjsrg
ttp://www.sankei.com/life/news/141108/lif1411080005-n1.html
2014.11.8 06:00
【皇室ウイークリー】
(356)小雨の中で園遊会…両陛下、予定時間を大幅に超えご歓談 佳子さま、ご成年を前に各地で活発に公務
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秋の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下と皇太子さま、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方=6日、東京・元赤坂の赤坂御苑
 天皇、皇后両陛下はこの1週間、園遊会など秋の恒例行事に相次いで臨まれた。天皇陛下は3日、皇居・宮殿で文化勲章親授式に臨み、4日には両陛下で文化勲章受章者と文化功労者を招いて茶会を開かれた。茶会には皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻もご同席。皇太子妃雅子さまはノーベル物理学賞を受賞する中村修二氏の隣に座り、にこやかに懇談された。
 両陛下は6日、東京・元赤坂の赤坂御苑に各界の功労者ら約1800人を招いて園遊会を催し、皇太子さまをはじめ皇族方とともに参列者と歓談された。小雨交じりの開催となり、皇后さまは参列者に「ぬれないように気をつけて」と心を配られていた。
 宮内庁によると、ご高齢の両陛下に考慮し、今回は順路を従来の半分程度(約350メートル)に短縮。両陛下は側近らの気遣いに「ありがたい」と話されていたが、結果的に予定を大幅に超える約1時間20分にわたってのご歓談となった。側近は「もう少し考える余地がある」としている。
 陛下は4日、皇居・御所で、ミクロネシア連邦のモリ大統領と会見された。宮内庁によると、両陛下が来春に戦没者慰霊のため同国の西方にあるパラオを訪問する方向で検討されていることが話題になり、大統領から歓迎の気持ちを受けられたという。

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 皇后さまは5日、御所で、今年度の「ねむの木賞」受賞者4人と接見された。これに先立ち同日、東京都港区で開かれた授賞式には常陸宮ご夫妻が臨席された。同賞は社会福祉法人「日本肢体不自由児協会」が障害者施設で働く教員や看護師らを表彰するもので、皇后さまは毎年、受賞者をねぎらわれている。
 明治天皇の后(きさき)である昭憲皇太后が始め、皇后さまが受け継がれているご養蚕。その作業所である皇居内の紅葉山御養蚕所が今年、開設100周年を迎えたのを踏まえ、両陛下は7日、皇后さまの作業を手伝ってきた「紅葉山会」の会員約100人を御所に招き、茶会でもてなされた。
 皇太子さまは10月31日、長崎県大村市を訪れ、児童福祉施設「光と緑の園」をご視察。入所児童の半数に虐待経験があるとの説明に「虐待が増えているんですね」と話された。11月1日に同県諫早市での全国障害者スポーツ大会開会式であいさつし、2日にはアーチェリーやバレーボールを観戦して帰京された。
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは2、3日、学習院女子中・高等科の文化祭にご参加。宮内庁東宮職によると、同級生と協力してトリックアートの展示を企画し、案内役も務められた。ご夫妻は3日に展示会場を訪れ、楽しそうに見て回られたという。
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは12月のご成年を控え、活発に公務に励まれている。

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 10月31日は鳥取県へ向かい、翌11月1日に合流された秋篠宮妃紀子さまとともに、全国障害者芸術・文化祭の式典に臨まれた。紀子さまは「障害のある人もない人もともに参加する祭典。私たち皆の心に豊かさがもたらされることを願っています」とあいさつされた。
 紀子さまと佳子さまは4日にも、東京都渋谷区で行われた「東南アジア青年の船」事業の文化交流イベントにご臨席。佳子さまは、民族衣装姿の各国の若者と英語であいさつを交わされた。
 高円宮妃久子さまは1日、福岡市でスペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲームの開会式に臨席された。2日はテニスを観戦後に長崎市に移動し、全国障害者スポーツ大会のグランドソフトボールもご観戦。3日には平和公園で供花された。

648可愛い奥様@避難所生活:2014/11/15(土) 09:06:42 ID:vh7ujIEA
ttp://www.sankei.com/life/news/141115/lif1411150010-n1.html
2014.11.15 06:00
【皇室ウイークリー】
(357)両陛下、宮内庁職員と同じパイプいすに座ってご懇談 雅子さま、笑顔の愛知県ご訪問
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環境について話し合う児童らに、笑顔で話し掛けられる皇太子ご夫妻=10日、愛知県安城市の「水のかんきょう学習館」
 天皇、皇后両陛下は、この週も80歳の傘寿(さんじゅ)をお祝いする各種行事に足を運ばれた。9日は東京芸術劇場(東京都豊島区)で警視庁音楽隊のコンサートを鑑賞し、傘寿記念の新曲「ともに歩まれて」などに拍手を送られた。
 10日夜には皇居内で宮内庁職員が開いた奉祝茶会にご臨席。職員代表のお祝いのあいさつと乾杯の後、天皇陛下が「日々の皆さんのお務め、誠にご苦労に思います」とねぎらいの言葉をかけられた。両陛下は、職員と同じパイプいすに座って懇談された。
 両陛下はこれに先立つ10日午後、皇居・御所で、皇后さまが養蚕をされる「紅葉山御養蚕所」の開設100周年を機にした茶会を7日に続いてご主催。今回は、同所で飼育する日本純産種「小石丸」の絹で正倉院の裂地を復元した関係者らを招かれた。糸が繊細で古代の織物の再現に最適な小石丸は生産効率が低く、飼育終了も検討されたが、皇后さまが存続を望まれた。
 児童文学に造詣が深い皇后さまは8日、メキシコで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)世界大会で“子供の本のノーベル賞”と呼ばれる「国際アンデルセン賞」作家賞を受賞した上橋菜穂子(うえはし・なほこ)さんらと、御所で面会された。

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 皇太子ご夫妻は9、10日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)などが主催した「持続可能な開発のための教育(ESD)」世界会議の開会全体会合臨席などのため、愛知県を訪問された。体調を整え、宿泊を伴う地方訪問を1年ぶりに果たした皇太子妃雅子さまは、当初は参加を控える予定だった全体会合以外の日程にも、お元気に臨まれた。
 初日の9日は名古屋市内のホテルで、ESD世界会議に参加するモロッコのハスナ王女やユネスコのボコバ事務局長らとご懇談。10日午前には同市内での全体会合でご夫妻ともに壇上に上られた。皇太子さまは英語でお言葉を述べられ、ワインレッドのスーツ姿の雅子さまは来賓らと笑顔で握手を交わされた。
 10日昼には、岡山県で開催されたESD関係会合で発表した日本の高校生4人と交流された。皇太子さまは「難しかったですか」、雅子さまは「プレゼンは英語で?」と尋ね、「みんな英語は苦手なんですが頑張りました」と応じた生徒らにほほ笑まれた。
 同日午後には愛知県安城市内で、地元の小学生が環境保護のためにできることを話し合う様子をご覧になった。雅子さまは座った児童と同じ目線になるように腰をかがめ、川のゴミ拾いをしていると話す子に「どんなゴミですか」とやさしく尋ねられた。周辺で出迎えた住民らにも、にこやかに声をかけられた。宮内庁東宮職によると、ご夫妻は「2人そろって愛知県を訪れることができ、うれしく思います」と感想を話された。

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 三笠宮家の彬子さまは14日、大阪市内で、点字の絵本を貸し出す活動をしているNPO法人「てんやく絵本ふれあい文庫」創設30周年記念式典に臨席された。同文庫は父の寛仁(ともひと)親王殿下が支援されていた。国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁を務める三笠宮家の瑶子さまは9、10日、福島市内で関連行事にご臨席。11、13日は都内での本会議などに出られた。
 高円宮妃久子さまは9日、奈良国立博物館(奈良市)で「正倉院展」をご鑑賞。10日は京都市で、科学や芸術の発展に寄与した人に贈られる「京都賞」授賞式などに臨まれた。久子さまは、帯に印籠(いんろう)などをぶら下げる際に使用された伝統の留め具「根付(ねつけ)」の研究を長年続けており、11日には同市内で、根付作家を表彰する「ゴールデン根付アワード」授賞式に臨席された。

649可愛い奥様@避難所生活:2014/11/22(土) 16:53:06 ID:w8WIJ9Qc
ttp://www.sankei.com/life/news/141122/lif1411220007-n1.html
2014.11.22 06:00
【皇室ウイークリー】
(358)「本当に大変だったということをつくづく思いました」 両陛下、豪雨・豪雪の被災者をご慰問 高円宮さまご命日、しめやかに
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第34回全国豊かな海づくり大会で、放流したアマゴの行方を見守られる天皇、皇后両陛下=16日午後、奈良県川上村のおおたき龍神湖(沢野貴信撮影)
 天皇、皇后両陛下はこの1週間、豪雨や大雪で甚大な被害を受けた被災地への慰問を相次いで果たされた。
 全国豊かな海づくり大会の放流行事などに臨席するため15〜17日に奈良県をご訪問。この機会を捉え、平成23年9月の発生当初から気にかけてこられた紀伊半島豪雨被災者とのご懇談が実現した。
 紀伊半島豪雨は中四国を縦断した台風による大雨で、和歌山、奈良、三重の3県で大規模な土砂崩れが発生し、88人が死亡・行方不明に。奈良県では24人が犠牲になった。
 同県明日香村でのご懇談には五條市、野迫川村、十津川村の62〜81歳の男女9人が招かれた。両陛下は一人一人に歩み寄り、家族を失った悲しみや避難生活の苦労話に耳を傾け、「ずいぶんと大変でしたね」といたわられた。
 両陛下は最後に9人と向き合い、天皇陛下が「本当に大変だったということをつくづく思いました。今度の経験を生かして地域の安全性を高められるよう願っています」と語りかけられた。宮内庁関係者によると、事前に用意されたものではなく、お気持ちから出た言葉だったという。
 自宅が全壊した五條市の大谷明代さん(66)は「優しい言葉をかけてもらい、とてもうれしかった」と声を詰まらせた。母を亡くし、十津川村の復興住宅で暮らす市原光留さん(63)は「頑張らないといけないなという気持ちになった」と話した。

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 20日は、関東甲信を中心とした2月の記録的大雪による農業被害からの復興状況などを視察するため、埼玉県をご訪問。深谷市では雪の重みで倒壊したハウスが再建され、ユリの球根が初めて植えられる様子をご覧になった。
 集まった農家から再建までの苦労話を聞き、陛下は「大変でしょうが、よい農業を進めるようにしてください」と声をかけられ、皇后さまは「寒くなってますからお大事にね」とねぎらわれた。
 ともに80歳の両陛下は、皇居から片道約80キロの道のりを車で往復された。宮内庁によると、関東での大雪という異例の災害を気にかけ、現地訪問を望まれていたという。
 両陛下は21日、皇居・御所でヨルダンのアブドラ国王らとの昼餐を催された。この後、皇居・宮殿で、フィリピンやマレーシアの災害などに派遣された国際緊急援助隊員約180人を接見された。
 皇太子さまは20日、東宮御所で、19〜21日の全国少年補導職員等研修会に出席する関係者を接見された。この接見は平成16年に陛下から皇太子さまに引き継がれている。
 21日には、東京都千代田区で開かれた土木学会創立100周年記念式典に臨席し、「人々の豊かで安全・安心な暮らしのため、より一層貢献していかれることを願います」とあいさつされた。

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 常陸宮さまは20日夕、東京都渋谷区の宮邸の階段で転倒し、日本赤十字社医療センター(同区)に21日午前まで入院された。宮内庁によると、骨折などの外傷はなく、検査の結果にもご異常はなかったという。常陸宮妃華子さまは病院に付き添われた。ご夫妻は20日夜、千代田区のホテルで開かれた「高松宮妃癌研究基金第45回国際シンポジウム」のレセプションに臨席予定だったが、常陸宮さまの入院のため取りやめられた。
 21日は平成14年に47歳で薨去(こうきょ)された高円宮さまのご命日。高円宮妃久子さまと長女の承子さま、母の三笠宮妃百合子さま、三笠宮家の瑶子さまが高円宮邸で「霊舎祭」を営んだ後、高円宮さまが眠られる豊島岡墓地(文京区)で久子さま、百合子さま、瑶子さまが「墓所祭」に臨み、在りし日をしのばれた。

650可愛い奥様@避難所生活:2014/11/29(土) 06:37:10 ID:UrcbCac.
ttp://www.sankei.com/life/news/141129/lif1411290006-n1.html
2014.11.29 06:00
【皇室ウイークリー】
(359)両陛下の傘寿を祝う音楽会で披露された「思い出の曲」とは… 佳子さま、手話を使って高校生とご交流
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傘寿を祝う音楽会を鑑賞される天皇、皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん=27日、皇居・桃華楽堂
 「勤労感謝の日」の23日の夜、天皇陛下は皇居・神嘉殿(しんかでん)で、宮中祭祀(さいし)で最重要の祭典「新嘗祭(にいなめさい)」のうちの「夕(よい)の儀」に臨まれた。新嘗祭は、陛下が新穀を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする神々に供えて感謝し、自らも召し上がるもの。皇室の祭祀をつかさどる掌典職(しょうてんしょく)によると、陛下は器に入った新米のご飯を、一部を神に供えてから食されるという。
 同日深夜から24日未明の「暁(あかつき)の儀」には、陛下は年齢を考慮し今年からお出ましにならないことになった。宮内庁によると、医師からは、血管の弾力性も年齢相応に低下していることなどから、暖かい室内と寒い深夜の野外を往復されるのは健康上のリスクが大きいとの意見があったという。昭和天皇は69歳から暁の儀を取りやめていた。
 しかし、陛下は暁の儀の間、皇后さまとともに皇居・御所で、眠らずに静かに過ごしてお慎みになった。
 夕の儀と暁の儀では、皇太子さまが拝礼され、秋篠宮さまが参列された。
 天皇、皇后両陛下は22日、東京都中央区の美術館で、足利将軍家が収集した中国の絵画や工芸品など「東山御物」の特別展をご覧になった。

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 両陛下は27日、皇居・東御苑の桃華(とうか)楽堂で、両陛下の80歳の傘寿(さんじゅ)を祝う音楽会を鑑賞された。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻も同席され、両陛下の長女、黒田清子さんも出席した。宮内庁と皇宮警察の幹部職員で構成する「木曜会」が主催。コーラスグループが11曲を披露し、皇后さまが若いころ聴かれたという米国の映画主題歌「友情ある説得」、両陛下でかつて聴かれた「バラ色の桜と白いリンゴの花」など思い出の曲も。陛下は退席時、職員らに「どうもありがとう」と述べられた。
 20日に東京都渋谷区の宮邸で転倒された常陸宮さまは、25日の日本赤十字社医療センター(同区)での診察で、左脇の肋骨(ろっこつ)1本にひびが発見された。頸部(けいぶ)と左足首のねんざとも診断された。宮内庁によると、同センターに20、21日に検査で一時入院した際は異常はみられなかったが、23日から痛みを訴えられたという。入院はされず、完治は1カ月程度の見込みという。
 28日に79歳の誕生日を迎えられた常陸宮さま。最近は車いすを使われる機会が増えており、宮内庁は年内に宮邸に自動昇降機を設置するため準備を進めていたという。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは22、23日、「全国高校生第1回手話パフォーマンス甲子園」臨席のため鳥取県を訪問された。手話による「歌」やダンスなどで表現力や技術の正確さを競うもので、鳥取県が昨年、手話を言語と認める条例を全国で初めて制定したことから開催された。紀子さまは大学時代から手話に取り組まれている。

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 22日、鳥取市内で出場者らの交流会に臨席した佳子さまは、紀子さまとともに手話を使って高校生と触れ合われた。23日は同市内での開会式で、紀子さまが手話で「大切なコミュニケーション手段の一つである手話への理解が、一層深まることを願っています」とあいさつされた。客席で、佳子さまが関係者と手話で会話される場面もあった。
 三笠宮家の彬子さまは22日、兵庫県淡路市の伊弉諾(いざなぎ)神宮で、伝統文化を子供たちに伝えようと自ら設立して総裁を務める一般社団法人「心游舎(しんゆうしゃ)」の匂い袋作りのワークショップに出席された。参加した小中学生に、彬子さまは「平安時代に貴族がたきしめていた香りを今も楽しめます。日本独自の香りを楽しんでもらえたら」と語られた。
 高円宮妃久子さまは25日、京都市の大覚寺で開かれた「嵯峨菊展」を観賞された。

651可愛い奥様@避難所生活:2014/12/06(土) 08:23:45 ID:nPmVcmd.
ttp://www.sankei.com/life/news/141205/lif1412050032-n1.html
2014.12.6 06:00
【皇室ウイークリー】
(360)両陛下、雨の中でコートも着ずに広島原爆慰霊碑でご供花 愛子さま、13歳誕生日に初めて一人で御所ご訪問
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広島の平和記念公園で、原爆死没者慰霊碑に献花される天皇、皇后両陛下=12月4日、広島市中区(森田達也撮影)
 戦後70年を来年に控え、天皇、皇后両陛下は今年、6月に沖縄県の国立沖縄戦没者墓苑と学童疎開船「対馬丸」の記念館、10月には長崎市の原爆落下中心地碑を訪問されてきた。今年の「慰霊の旅」の締めくくりとして、12月4日に広島市中区の平和記念公園を訪れ、約29万2千人の犠牲者名簿が奉納されている広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に供花された。
 両陛下の同碑でのご供花は平成8年10月以来、18年ぶり。冷たい雨の中、コートを着用せずに臨み、同碑に白菊の花束を手向け、4回にわたって深々と拝礼された。側近によると、両陛下が、原爆犠牲者に心を寄せるのにふさわしい姿としてコートを着ないことを望まれたという。
 続いて、平均年齢88歳の被爆者100人が暮らす原爆養護ホーム「矢野おりづる園」(同市安芸区)をご訪問。78〜101歳の男女10人を直接、見舞われた。両陛下は被爆後の苦労話に耳を傾け、「体でつらいところはないですか」といたわられた。
 原爆で母親を亡くし、自分を含め6人のきょうだいも被爆したという久保●(=ウかんむりに必)子(みちこ)さん(83)に、天皇陛下は「私などは話を聞いて本で読むだけですから、全然違うのでしょうね」と気遣われた。久保さんは「言葉に尽くせぬものがあります」と答えていた。

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 両陛下はこれに先立つ3日、8月の土砂災害で死者74人のうち52人が集中した同市安佐南区八木地区の現場を視察された。消防隊員が救助活動中に殉職したことを市幹部から聞き、陛下は「残念なことでした」と慰められた。
 両陛下は11月29日、東京都渋谷区の明治神宮文化館で、明治天皇の御製(ぎょせい)などを紹介する特別展「宮中の和歌−明治天皇の時代」をご鑑賞。約9万3千首を詠んだという明治天皇の直筆の御製や、后(きさき)の昭憲皇太后が使った蒔絵(まきえ)のすずり箱などをご覧になった。
 皇太子さまは12月2日、台東区の東京国立博物館で、祈りをテーマに約120点の国宝を集めた特別展「日本国宝展」を鑑賞された。青森県八戸市で出土した「合掌土偶」など縄文時代の土偶5体が初めてそろって展示され、皇太子さまは「表情がいいですね」と見入られていた。
 この週は、皇族方の誕生日が相次いだ。皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日で13歳を迎え、両陛下にあいさつするため初めてお一人で皇居・御所をご訪問。半蔵門を車で通過する際に、集まった人々から祝福されると、にっこりと笑顔を見せ、軽く頭を下げて手を振られた。

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 11月30日には秋篠宮さまが49歳の誕生日を迎えられた。秋篠宮妃紀子さまとともに臨んだ記者会見では、お茶の水女子大付属小学校2年の長男、悠仁さまのご成長ぶりを披露し、「朝早く起きて、別の部屋に行って本を読んでいたりとかすることもあります」と話された。
 秋篠宮さまはこの1週間、研究者としての活動にも励まれた。12月2日に、特招研究員を務める東大総合研究博物館の会議に出席し、4日には東京農業大で客員教授として講義を行われた。
 三笠宮さまは2日、99歳の白寿となられた。宮内庁によると、明治以降の皇族では、97歳で崩御した香淳皇后を上回り最長寿。現在もダンベル運動や体操をするのが日課で健康を保たれているという。
 宮内庁から公表されたご近況の写真には、高円宮妃久子さまの次女、千家(せんげ)典子さんが結婚する前の今年8月、長野・軽井沢の別荘で、久子さまの長女の承子さま、三女の絢子さまを含めた3人の孫に囲まれたほほ笑ましいお姿もあった。

652可愛い奥様@避難所生活:2014/12/13(土) 14:18:46 ID:vd.p3zVI
ttp://www.sankei.com/life/news/141213/lif1412130010-n1.html
2014.12.13 06:00
【皇室ウイークリー】
(361)ベルギー元王妃死去に悲しみ…皇后さま、1泊3日の強行日程で国葬ご参列 常陸宮さま、元気に公務ご復帰
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
ベルギーのファビオラ元王妃の国葬で、棺に頭を下げられる皇后さま。欧州各国の王族も参列するなか、皇后さまのお席は、棺の列に最も近い場所の1つだった=12日、ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂(ロイター=共同)
 天皇、皇后両陛下が長年にわたり親交を深めてきたベルギー王室のファビオラ元王妃の訃報に、皇室も悲しみに包まれた。皇后さまは11日から1泊3日の強行日程で現地を訪れ、国葬に参列して元王妃に別れを告げられた。
 元王妃は5日に86歳で死去。宮内庁によると、8日夕、おいのフィリップ国王から両陛下に電話があり、複数の人が同時通話できる機能を使い、お三方で30分程度話された。国王から元王妃の訃報を直接伝えたかったという気持ちを受け取り、天皇陛下は元王妃との長年の友情にも鑑み、皇后さまが国葬に参列されるのがふさわしいとのではとの考えを示されたという。
 皇后さまは11日に政府専用機で日本を発ち、約13時間かけて現地にご到着。現地時間同日夜には首都ブリュッセルの王宮で国王夫妻主催の夕食会に招かれ、元王妃の遺体とも対面された。翌12日にサン・ミッシェル大聖堂での国葬のミサに参列し、国王夫妻主催の昼食会に出るなどした後、帰国の途に就かれた。
 宮内庁によると、皇后さまは強行日程に体調面での不安も持っていたが、50年余りにわたる元王妃との深い友情を思い、お一方での訪問を決められたという。
 現在の皇室とベルギー王室との交流は昭和28年に始まった。陛下が皇太子時代に英エリザベス女王の戴冠式に参列後にベルギーを訪問、当時国王でのちに元王妃と結婚するボードワン元国王と初めて会われた。その時に陛下が元国王を撮影された写真もある。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下、元国王夫妻が互いに行き来される中、家族ぐるみの付き合いに発展。元国王は、平成元年の昭和天皇の大喪の礼、2年の陛下の即位の礼にも、皇太子の参列にとどまることが多い欧州の慣例を超えて参列した。5年に元国王が急死した際は、両陛下と皇族方が3日間の宮中喪に入り、さらに両陛下が外国国家元首の葬儀に初めて参列する異例の対応を取られた。
 この週は、3〜9日の障害者週間にちなんだ行事などが各地で催され、両陛下と皇族方が公務に臨まれた。
 両陛下は8日、東京都世田谷区の区立障害者就労支援センター「すきっぷ」をご訪問。知的障害のある人が将来の就職を目指し、パソコンでの名刺作製や封筒の検品、大型機械を使ったクリーニングなどの作業をする様子を見守られた。両陛下は作業に励む人たちに一人ずつ声をかけ、陛下は「だいぶ慣れましたか」と質問されていた。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは同日、千代田区の憲政記念館を訪れ、「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」にご臨席。紀子さまは手話を交えてあいさつし、困難な育児を乗り越えてきた母親たちをねぎらわれた。
 日本肢体不自由児協会総裁の常陸宮さまは10日、豊島区の東京芸術劇場で、手足などに障害を抱えた人が制作した絵画や書道、写真などの作品展の表彰式に臨まれた。11月20日に宮邸で転倒し、肋骨(ろっこつ)にひびが入るなどした後では初の公務となったが、車いすに乗って作品を見て回り、受賞者に祝福の言葉をかけるなど元気な姿を見せられた。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 登山が趣味で、日本山岳会会員の皇太子さまは6日、新宿区で開かれた同会の年次晩餐会に臨席し、“山仲間”と交流を深められた。
 皇太子妃雅子さまは9日、51歳の誕生日を迎えられた。同日夜にはお住まいの東宮御所に両陛下や秋篠宮ご一家を招き、家族水入らずで夕食会を催された。両陛下はこれに先立ち、同じ赤坂御用地内にある三笠宮邸を訪れ、2日に99歳の白寿を迎えられた三笠宮さまに祝意を伝えられた。

653可愛い奥様@避難所生活:2014/12/21(日) 12:12:03 ID:5llz47qI
ttp://www.sankei.com/life/news/141220/lif1412200004-n1.html
2014.12.20 06:00
【皇室ウイークリー】
(362)両陛下、先の大戦の激戦地パラオの大統領をご歓待 悠仁さまが宮内庁職員文化祭で発表された「ご研究」は?
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会見するパラオのレメンゲサウ大統領を出迎えられた天皇陛下=17日、皇居・御所(宮川浩和撮影)
 ベルギーのファビオラ元王妃の国葬参列のため現地を訪問していた皇后さまが13日、帰国された。宮内庁によると、皇后さまは、フィリップ国王夫妻による心のこもったもてなしに感謝されていたという。1泊3日の強行日程に疲れの色もみられたが、無事に訪問を終え、皇室とベルギー王室との絆を一層強められることになった。
 皇后さまは12日の国葬に最前列の中央の席で臨んだほか、前後の夕食会、昼食会でもフィリップ国王の隣の席で歓談されたという。宮内庁の山本信一郎次長は14日の定例会見で「国王夫妻のもてなしは両陛下との深い絆の証で、今回の訪問は友好の新たな一ページになった」と話した。
 天皇陛下は15日、天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる皇居・賢所(かしこどころ)で賢所御神楽(みかぐら)の儀に臨まれた。皇太子さまはじめ皇族方も参列された。同庁楽部の楽師らが深夜まで神楽を奉納するもので、陛下や皇族方が拝礼された。
 17日には陛下が皇居・御所で、来春に両陛下で戦没者慰霊のためのご訪問が検討されているパラオのレメンゲサウ大統領と会見された。宮内庁によると、大統領が「戦後70年であり、ぜひパラオに来ていただきたい」と改めて招待の意を示し、陛下は「心から感謝します」と応じられた。

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 パラオは先の大戦時、日本の委任統治領だった。昭和19年にペリリュー島が日米の壮絶な戦いの舞台となり、日本軍の約1万人が玉砕した。両陛下訪問時は、同島最南端にある「西太平洋戦没者の碑」で供花されるとみられる。
 会見では、大統領から遺骨収集に協力していることも伝えられ、陛下は謝意を示されたという。会見後、両陛下で御所での昼餐に招かれた。
 陛下は19日、皇居・宮殿で安倍晋三首相や閣僚らを招いた恒例の午餐を催された。皇太子さまも陪席された。
 皇太子さまは14日、東京・目白の学習院創立百周年記念会館で学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演し、ドボルザークのチェロ協奏曲でビオラを演奏された。皇太子妃雅子さまと長女の敬宮(としのみや)愛子さまは、客席から拍手を送られた。皇太子ご夫妻は引き続き演奏会を鑑賞されたが、愛子さまは途中で退席された。
 秋篠宮ご夫妻は17日、埼玉県越谷市の埼玉鴨場に駐日外国大使夫妻らを招き、伝統のカモ猟でもてなされた。英レスター大大学院に留学中の長女、眞子さまは同日、冬季休暇を利用し、一時帰国された。佳子さまが20歳を迎えられる29日の誕生日を祝い、来年1月2日の新年一般参賀も参加されるという。
 宮内庁によると、11月下旬に宮邸で転倒し肋骨(ろっこつ)や足を負傷した常陸宮さまは、足の痛みが残るものの、リハビリで歩き始められているという。

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 高円宮妃久子さまは15日、東京都中央区の日本橋三越本店で開かれている今年の「報道写真展」を鑑賞された。9月の御嶽山噴火で山頂付近の生存者をとらえた写真の説明を聞き、次女の千家典子さんの10月の結婚式の写真を懐かしそうに振り返られた。
 13日まで宮内庁で開かれていた同庁職員文化祭には、両陛下はじめ皇族方が写真や絵画などを出品された。
 陛下は今年の歌会始の儀で、熊本県の水俣の海を詠んだ歌を懐紙に書かれた。皇后さまも、伊勢神宮式年遷宮の臨時祭主を務めた長女の黒田清子さんの様子を詠んだ歌を短冊にしたためられた。
 愛子さまは授業で描いたご自身の手のデッサンなどをご出品。秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さまは宮邸がある赤坂御用地で集めたクヌギやクリなどの実を分類し、分布地図も作成して「どんぐり探し」と題して発表された。

654可愛い奥様@避難所生活:2014/12/27(土) 07:43:00 ID:vcmAmI3Q
ttp://www.sankei.com/life/news/141227/lif1412270007-n1.html
2014.12.27 06:00
【皇室ウイークリー】
(363)「来る年が明るい年となるよう…」陛下の81歳誕生日、国民の幸せ願うお言葉 皇居訪れた人は平成に入って3番目の多さ
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天皇陛下の81歳の誕生日を祝う一般参賀に訪れた人たちに手を振ってお応えになる天皇、皇后両陛下=23日、皇居(宮川浩和撮影)
 天皇陛下は23日、81歳の誕生日を元気に迎えられた。皇居での一般参賀には多くの人が訪れ、皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さまとともに宮殿の長和殿ベランダに立った陛下は、マイクで「みなさんの祝意に深く感謝します」と述べられた。その上で、今年もさまざまな自然災害があったとして「決して安泰であったとはいえない1年が過ぎようとしています」と、ご自身の誕生日にもかかわらず、被災者を気にかけられた。
 さらに、前日の22日が1年で最も昼が短い「冬至」であったことに触れ、「これからわずかながら日がだんだん長くなっていきます。みなさんにとって、来る年が明るい年となるよう、願ってやみません。みなさんの健康と幸せを祈ります」と、新年の国民の幸せを願われた。
 この日訪れた人々は記帳者も含めると延べ2万8933人と、平成の陛下のお誕生日では3番目の多さとなった。宮内庁の風岡典之長官は25日の定例記者会見で、両陛下とも80歳を超えられたことを踏まえ「ご高齢になられた両陛下が忙しくご公務を行われているということを、国民のみなさんがご覧になり、お誕生日に来られたのだろうと思う」と語った。

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 誕生日のご日程は今年も例年通り、1日中続いた。朝から、皇族方が祝われる「祝賀の儀」、宮内庁幹部や職員のほか進講などで交流のある人々からの祝賀などが続いた。午後には、三権の長や各界代表ら約450人とのお祝いの昼食会、各国駐日大使100人以上との茶会などに皇族方とともに臨まれた。
 夜になって、皇太子ご夫妻の長女の敬宮(としのみや)愛子さま、秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまと長男の悠仁さまの未成年皇族3方からのご祝賀、次いで皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田慶樹さん・清子さん夫妻との夕食「お祝御膳」が行われ、ようやく家族との時間を持たれた。
 陛下は誕生日翌日の24日、第3次安倍内閣発足にあたって皇居・宮殿「松の間」で、安倍晋三首相の親任式、閣僚らの認証式に臨まれた。
 親任式に先立ち、式についての内奏(陛下に国政などの報告や説明をすること)があり、安倍首相は「前首相」の立場で行った。
 親任式で陛下は、この日就任した町村信孝衆院議長のほか山崎正昭参院議長、風岡宮内庁長官も立ち会う中、安倍首相に「内閣総理大臣に任命します」と述べられた。次いで陛下のご署名と御璽(ぎょじ、天皇の印)が入った任命書「官記」が、前内閣の副総理として麻生太郎氏から、安倍新首相へ手渡された。首相任命の効力が生じるのは国会の指名ではなく、陛下の親任によってであることを改めて感じさせる。

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 閣僚らの認証式では安倍首相から官記が手渡され、陛下は1人ずつ、「重任、ご苦労に思います」とお言葉を述べられた。
 陛下は26日には、衆院選後の特別国会の開会式にお出ましになった。
 大正天皇の命日にあたる25日、陛下は皇居・宮中三殿の皇霊殿で、大正天皇例祭の儀に臨まれた。皇太子さまをはじめ皇族方が参列された。皇后さまは健康に配慮して御所で遙拝し、お慎みになった。同時刻、東京都八王子市にある大正天皇の「多摩陵(たまのみささぎ)」で行われた山陵例祭の儀には、高円宮妃久子さまと長女の承子さまが参列された。
 両陛下は26日午後、宮殿で年末恒例の午餐を催し、皇太子ご夫妻をはじめ皇族方や元皇族、親族を招かれた。夜には、風岡宮内庁長官や宮内庁参与らを御所に招いて、夕餐をともにされた。
 秋篠宮妃紀子さまと佳子さまは22日、お住まいの宮邸(東京都港区)で、鳥取県の平井伸治知事から「全国障がい者芸術・文化祭とっとり大会」と「全国高校生第1回手話パフォーマンス甲子園」について報告を受けられた。お二人は11月、それぞれの大会に臨席するため2度にわたって同県を訪問されていた。
 秋篠宮ご夫妻は24日、東京都江東区の日本科学未来館で開かれた「日本学生科学賞」中央表彰式に臨席し、表彰された中高校生らに拍手を送られた。

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 三笠宮妃百合子さまは21日、聖路加国際病院(東京都中央区)で急性気管支炎と診断されたため、大事を取って入院された。20日からせきやたんなどの症状を訴えられていたという。百合子さまは9月にも38度台の熱とせきの症状で同病院に12日間入院されている。
 三笠宮家の彬子さまは20日、33歳の誕生日を迎えられた。

655可愛い奥様@避難所生活:2014/12/29(月) 08:34:02 ID:HQudeBF.
ttp://www.sankei.com/life/news/141229/lif1412290003-n1.html
2014.12.29 06:00
【皇室ウイークリー番外編】
佳子さまご成年 20年のお歩みを振り返る
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
ホームステイのため米国行きの航空機に向かわれる佳子さま=平成25年8月3日、成田空港
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが29日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族の仲間入りをされた。幼少期はフィギュアスケートに熱心に取り組み、最近では弟の悠仁さまをかわいがる姉としての姿も見せられている。今年に入ってからは学習院大を中退し、国際基督教大(ICU)への進学を決めたほか、公務にも積極的に臨まれている。毎年11月の秋篠宮ご夫妻の会見で披露されるご成長ぶりやお人柄などを交え、20年間のエピソードを振り返る。
ご誕生直後は「静かな子」
 佳子さまが誕生されたのは、平成6年12月29日。身長50・5センチ、体重2766グラムだった。7年1月4日の命名の儀で、秋篠宮さまが「健康であるとともに素直で思いやりがあり、心身とも佳(よ)い子に育って欲しい」との願いを込めて名付けられた。
 同学年には、ソチ五輪フィギュアスケート男子金メダルの羽生結弦選手、プロ野球日本ハムの大谷翔平選手、ももいろクローバーZの百田夏菜子さんらがいる。中華航空機墜落事故(4月26日)、オウム真理教による松本サリン事件(6月27日)などが起きた年でもある。
 生まれたばかりのころは、「夜泣きがなく、静かな子だった」(秋篠宮ご夫妻の26年の記者会見)。一方で、2歳にして「頑固なところがある」(9年の会見)という女の子になられた。秋篠宮妃紀子さまは26年の会見でも「小さいときから自分の意志をしっかり持っていた」と振り返られている。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 11年4月、学習院幼稚園(東京都豊島区)にご入園。秋篠宮さまの思い出に残られているのは、佳子さまが5、6歳であられたこの時期のこと。お二人で東京・上野動物園に遊びに行き、寛永寺周辺で桜の花見を楽しまれたという。
 12年の会見では、補助輪のない自転車に乗れるようになったエピソードが披露され、紀子さまは「何回も何回も練習して乗れるようになりまして、とても喜んでおりました」と話された。
フィギュアで2度優勝
 13年3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月には学習院初等科(新宿区)に入学された。同年の秋篠宮ご夫妻の会見では、夏休みに宮邸で朝顔を育てて観察日記をつけられたエピソードが紹介された。14年3月には、伊勢神宮(三重県伊勢市)を初めて参拝し、小学校入学を報告されている。
 同年の会見では紀子さまが、佳子さまのご成長ぶりについて、宮邸で飼っている犬を姉の眞子さまとともに散歩に連れて行ったり、鶏の世話をしたり、植物や菜園の水まきをしたりすることもあると語られた。
 秋篠宮ご夫妻は15年3月、眞子さま、佳子さまを伴って京都府、奈良県を訪問し、神武天皇陵や明治天皇陵などの参拝のほか、京都御所や正倉院などの皇室ゆかりの場所を回られている。同年8月7〜21日には、家族旅行で初めての海外となるタイを訪問されている。
 2年生からはフィギュアスケートを始め、放課後や休日の早朝にも練習をしにリンクに通われるように。16年4月に明治神宮アイススケート場(新宿区)で開かれた競技大会に出場され、15人中10位。17年4月と19年4月の同じ大会では部門別で見事に優勝されている。

656可愛い奥様@避難所生活:2014/12/29(月) 08:34:30 ID:HQudeBF.
(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
悠仁さまの世話をお手伝い
 18年2月、紀子さまのご懐妊が発表された。紀子さまが出産準備のために同年8月に入院されると、佳子さまは秋篠宮さま、眞子さまとともに毎日のようにお見舞いに訪れられたという。
 18年9月6日に悠仁さまが誕生され、佳子さまも学校帰りに病院に駆けつけ、初対面を果たされた。2カ月余り後の秋篠宮ご夫妻の会見では、眞子さまとともに、悠仁さまをあやしたり、洋服を替えさせたりすることがあり、佳子さまが悠仁さまのために、触っても安全なフェルトでおもちゃを作られたエピソードも明かされた。
 19年3月の初等科卒業に当たっての文集では、フィギュアスケートを今後も続けていきたいとした上で、「他にも関心を持っているいろいろな事ができるように努力していきたいと思います」と記されていた。
 同年4月、学習院女子中等科にご入学。悠仁さまとはピアノや太鼓、木琴などで遊ぶようになり、同年の秋篠宮ご夫妻の会見では、「年齢も離れていますから、とてもかわいがっています」とお姉さまぶりが紹介された。
 22年3月に女子中等科を卒業し、4月には学習院女子高等科に内部進学された。このころから秋篠宮ご夫妻のご公務に同行し、同年代の人たちと交流する機会も増えていかれる。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
学習院大中退をご決断、来春からICUへ
 25年3月に学習院女子高等科を卒業し、4月には学習院大文学部教育学科に内部進学された。紺のスーツにハイヒール姿で入学式に臨んだ佳子さまは「さまざまな経験をして視野を広げていけたらと思っています」と抱負を語られた。同年8月には夏休みを利用し、約1カ月間、米国でホームステイされた。
 ところが、2年途中の26年8月末で学習院大をご中退。女子高等科時代に進学を希望していた他大学の入試を受験し、失敗されていたことも明らかにされた。そして、改めて国際基督教大のAO入試に合格し、来年4月から通われることになった。宮内庁によると、「特に広く教養科目や英語を学びたい」とのお考えを示されたという。
 26年の会見で、秋篠宮さまは「ごく自然な流れだったのかなと受け止めました」。紀子さまも、中高生のころから新たな環境で学びたい気持ちを持っていたとした上で、「しっかりと考えた上での判断であるならば、目標に向かって努力するようにと話しました」と理解を示された。
 秋篠宮さまは26年の会見で、ともに「導火線が短い」というご性格から佳子さまと激しい口論になることがあると打ち明けられた。ただ、「的を射たことを指摘してくれていることが意外と多い」とも話された。紀子さまも「いつの間にか小さかった娘が成長し、私たちが頼るようになってきたことを大変うれしく思います」と感慨深そうに語られていた。

657可愛い奥様@避難所生活:2015/01/06(火) 20:17:37 ID:2nQP0x4I
ttp://www.sankei.com/life/news/150102/lif1501020014-n1.html
2015.1.3 06:00
【皇室ウイークリー】
(364)81歳の天皇陛下、今年も初日の出前から祭祀に 成年の佳子さま、勲章にティアラ姿で初のお出まし
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
新年祝賀の儀に臨まれる天皇、皇后両陛下はじめ皇族方=1日、皇居・宮殿「松の間」
 年末年始は宮中行事が相次ぎ、天皇、皇后両陛下と皇族方にとって、大変お忙しい時期だ。
 12月31日の大みそかには、お祓(はら)いの神事が皇居内で行われた。まず、天皇陛下が宮殿で「節折(よおり)の儀」に臨まれた。陛下のために行われ、陛下の背丈などを測った竹を折ることから「節折」の名が付いている。
 次いで、神嘉殿(しんかでん)前庭で「大祓(おおはらい)の儀」が行われた。こちらは陛下は参列はされないもので、皇族や国民のために行われる行事。皇族代表として秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが初めて参列された。
 以前は男性皇族が参列することになっていたが、昨年6月、宮内庁が皇族方の減少を理由に女性皇族も参列できるよう運用を改めたことから、眞子さまのご参列となった。
 ちなみに、節折の儀と大祓の儀は、年の半ばの6月30日にも行われている。
 元日午前5時半。初日の出前でまだ暗い中、81歳の陛下は今年もお住まいの御所で、最初の祭祀(さいし)「四方拝(しほうはい)」に臨まれた。陛下ご自身が、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮(三重県伊勢市)や四方の神々などを遙拝された。
 次いで行われた「歳旦祭(さいたんさい)の儀」は、皇室の祭祀をつかさどる掌典職(しょうてんしょく)の掌典次長が代拝。皇太子さまが拝礼された。
 両陛下はこの後も宮殿で、皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方からのご祝賀を受けたほか、内閣、宮内庁、元皇族など関係者ごとに部屋を何度も移動して新年の祝賀を受けられた。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 安倍晋三首相をはじめとする内閣、衆参両院議員、裁判所関係者の三権関係者、会計検査院長ら認証官、さらに各国の駐日大使らとは、国事行為である「新年祝賀の儀」として臨まれている。
 新年祝賀の儀では、昨年12月29日に20歳を迎えた秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが初めて参加し、袖なしのロングドレス「ローブ・デコルテ」に真新しい勲章、ティアラの正装姿で列席された。
 2日には皇居で恒例の新年一般参賀が行われ、両陛下と皇太子ご夫妻をはじめとする成年の皇族方が計5回、宮殿「長和殿」のベランダに立ち、訪れた人々に何度も手を振って応じられた。昨年12月2日に99歳の白寿を迎えた三笠宮さまも初回のみ参加し、車いすではなく立って盛んに手を振られていた。
 今回は、昨年10月20日に皇后さまが80歳の傘寿を迎えられたことに加え、佳子さまが初めて参加されたこともあってか、訪れた人は平成に入って3番目に多い8万1030人を記録した。
 宮内庁によると、平成で最多だったのは皇太子ご夫妻が成婚された翌年の6年で、11万1700人。この年は計8回のお出ましがあった。2番目は、陛下が80歳の傘寿を迎えられた直後だった昨年の26年で、8万1540人(計5回)だった。
 一般参賀では、男性方はモーニングコートでそろえられるが、女性方はそれぞれ色とりどりの「お長服」で臨まれる。宮内庁によると、今年は、皇后さまは「象牙色」▽皇太子妃雅子さまは「ブルー」▽秋篠宮妃紀子さまは「ベージュ色」▽眞子さまは「若葉色」▽佳子さまは「桃花色」▽常陸宮妃華子さまは「ブルーのベルベット」▽寛仁(ともひと)親王妃信子さまは「カフェオレ色」▽三笠宮家の彬子さまは「青色」▽高円宮妃久子さまは「淡い煤竹(すすだけ)色」▽久子さまの長女、承子さまは「淡いブルーグリーン」−で、それぞれお出ましになった。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下が2日に皇族方を招かれるご昼餐が2年ぶりに開かれ、佳子さまも初めて参加された。昨年は、香淳皇后の弟で陛下と常陸宮さまの叔父にあたる東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう)氏が死去した直後だったため中止されていた。
 日本サッカー協会名誉総裁の高円宮妃久子さまは元日、東京都調布市の味の素スタジアムで、皇后杯全日本女子サッカー選手権の表彰式に臨席し、優勝した日テレ・ベレーザに皇后杯を授与された。12月30日には、世田谷区の駒沢競技場で行われた全国高校サッカー選手権大会の開会式に臨み、開幕戦も観戦された。
 急性気管支炎のため入院していた三笠宮妃百合子さまは12月29日、聖路加国際病院(東京都中央区)を退院された。ただ、大事を取って新年の各種行事は欠席された。

658可愛い奥様@避難所生活:2015/01/10(土) 09:25:05 ID:Jyuc1e0A
ttp://www.sankei.com/life/news/150110/lif1501100003-n1.html
2015.1.10 06:00
【皇室ウイークリー】
(365)1月7日の昭和天皇祭、陛下はお着替えで忙しい一日に… 佳子さま、「講書始の儀」に初のご参加
(1/3ページ)
新年恒例の「講書始の儀」を終えて退出される天皇、皇后両陛下。成年皇族として秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも初めて臨まれた=9日、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)
 年が明け、企業や省庁の仕事始めとなった5日より前から、天皇陛下は宮中祭祀(さいし)などにお出ましになった。
 陛下は3日、皇居・宮中三殿で国家、国民の繁栄を祈る「元始祭(げんしさい)の儀」、4日は皇室の祭祀をつかさどる掌典長(しょうてんちょう)から前年の伊勢神宮と宮中の祭事について報告を受ける皇居・宮殿での「奏事始(そうじはじめ)の儀」にそれぞれ臨まれた。
 昭和天皇が崩御した日の7日は「昭和天皇祭」として皇居内外で儀式が営まれた。天皇、皇后両陛下は午前、歴代天皇と皇族をまつる皇霊殿(こうれいでん)で「皇霊殿の儀」に臨まれた。皇后さまは、髪を束ねて後ろに長く垂らす「おすべらかし」での参列が必要な祭祀のお出ましは首などへの負担を考慮して控えることも増えているが、昭和天皇祭については強いご意向から臨まれた。
 両陛下は同日午後、離任する駐日アルジェリア大使の夫妻を皇居・御所でご引見。その後、陛下は再び祭祀の服装に着替えて夕方、皇霊殿での「御神楽(みかぐら)の儀」に出られた。
 通常は祭祀が終わるまで別の行事は控えられるが、宮内庁によると、今回は離任が迫った大使側の日程も考慮する必要があった。陛下は、着付けの手間がかかる儀式服から洋服、また儀式服へと着替えるお忙しい一日となった。
 御神楽は陛下のお出まし後も8日未明まで続き、両陛下は終了まで御所で眠らずにお慎みになった。皇霊殿の儀と御神楽の儀では皇太子さまも拝礼された。7日午前に昭和天皇のお墓にあたる武蔵野陵(むさしののみささぎ)(東京都八王子市)で行われた「山陵に奉幣の儀」には、秋篠宮ご夫妻が参列された。

2/3ページ)
 新年恒例の「講書始の儀」が9日、皇居・宮殿「松の間」で行われ、両陛下は学界の第一人者からの講義を聴かれた。皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻、三笠宮家の彬子さまと瑶子さま、高円宮妃久子さまが陪席されたほか、昨年12月29日の誕生日で成年皇族となり、初参加した秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも真剣な表情で耳を傾けられた。ストレス性ぜんそくなどで療養が続いていた寛仁(ともひと)親王妃信子さまも、平成11年以来16年ぶりに参加された。
 宮内庁によると、明治天皇が学問奨励で始めた「御講釈始」が前身。「国書」「漢書」「洋書」の3分野で行われていたが昭和28年以降、文学をはじめとする「人文科学」、政治学などの「社会科学」、物理学や生物学といった「自然科学」に変わった。

(3/3ページ)
 今年は、北原白秋の短歌とフランスの近代詩人の作品の表現法の共通点を例とした比較文学▽東南アジアの政治経済と国際関係▽学習と記憶の脳のしくみ−の3テーマについて各研究者が15〜20分で講義。「貴重な話を広く国民に知ってもらえるように」との陛下のお考えで、平成22年分から宮内庁のホームページに講義全文が掲載されている。
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは4〜7日、長野・奥志賀高原でのスキー教室に友人数人と参加された。3年連続の参加で、宮内庁東宮職によると、最大傾斜およそ30度の「エキスパートコース」を滑るなど上達されている。8日は学習院女子中等科の3学期の始業式に出席された。
 昨年12月17日に留学先の英国から一時帰国した秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは8日、再び英国へ戻られた。
 宮内庁の風岡典之長官は8日の年頭の記者会見で、佳子さまが成年皇族となられ公務出席の機会が増えることに関し、「国民の期待も大きいと思う」と語った。また、佳子さまが4月に国際基督教大に入学して再び大学生となられることから、学業との調和も考慮して公務をお支えするとの考え方も示した。

659可愛い奥様@避難所生活:2015/01/17(土) 07:28:42 ID:btXp8JDE
ttp://www.sankei.com/life/news/150117/lif1501170011-n1.html
2015.1.17 06:00
【皇室ウイークリー】
(366)佳子さま、初の新年行事を無事果たされる 両陛下、神戸で災害専門医とご懇談
(1/3ページ)
「歌会始の儀」に参列された皇后さまと秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま=14日、皇居・宮殿「松の間」

 恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿で行われた。宮中での新年行事の締めくくりともいえるこの行事は、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のお歌、世界中から寄せられた約2万首から選ばれた一般の人々の歌10首などが、古式にのっとって朗詠されるもの。和歌が「歌」であることを実感させる行事だ。
 朗詠して披講(披露)する「披講諸役」による言い回しも昔ながら。一般から選ばれた人々(預選者)は、姓と名の間に「の」を入れて名前を読まれる。
 皇族代表としてお歌が披講された高円宮妃久子さまの長女、承子さまは「つぐこのひめみこ」(承子女王)。皇太子妃雅子さまは「ひつぎのみこのみめ」(東宮妃)、皇太子さまは「ひつぎのみこ」(東宮)、皇后さまは「きさいのみや」(后宮)としてお歌が紹介され、最後に天皇陛下の御製(ぎょせい)が「おおみうた」として披講された。
 成人皇族として初参列の新年行事がめじろ押しだった秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも、披講はされなかったが次のようなお歌を詠まれた。《弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる》。宮内庁によると、ご両親が外国ご訪問などで不在の時、悠仁さまに本の読み聞かせをする思いを詠まれたという。

(2/3ページ)
 両陛下は16日、阪神大震災20年の追悼式典臨席などのため神戸市に入られた。同日は兵庫県災害医療センターで、震災の教訓から全国に広がった災害派遣医療チーム(DMAT)など災害現場で活動する医師の説明を聞かれた。
 医師の一人、甲斐聡一郎さん(32)は、東日本大震災直後の被災地や平成25年に台風被害を受けたフィリピンで活動したことを報告。中学1年時に阪神大震災が起き、前年まで住んでいた兵庫県西宮市の被災状況を見て災害専門医を志したことを話した。
 うなずきながら聞いていた天皇陛下は最後に「本当にご苦労さまでした。どうぞ、これからもよろしくね」と語りかけられた。福島県飯舘村をはじめとした東北の被災地で健康相談などを継続しているという甲斐さんは「災害医療の意味を認めていただけてうれしい」と感激していた。
 皇太子さまは14日、東京都文京区の東大伊藤国際学術研究センターで開かれた「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」に臨席し、国際機関や各国の研究者らによる防災や減災のための科学技術などについての報告に熱心に耳を傾けられた。
 佳子さまは15日、東京都八王子市の武蔵陵墓地で昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)など4つの陵を参拝し、成人皇族の仲間入りを報告された。姉の眞子さまは成人後の23年11月に同じ4陵と伊勢神宮(三重県伊勢市)、神武天皇陵(奈良県橿原市)を参拝されている。

(3/3ページ)
 三笠宮家の彬子さまが、学習院大在学中の13〜14年と、同大卒業後の16〜21年の計6年間にわたる英オックスフォード大マートン・カレッジでの留学生活をまとめられた著書「赤と青のガウン」(PHP研究所)が16日、全国の書店で発売された。
 公務を長期間離れることになるご留学延長を父の寛仁(ともひと)親王殿下が許可された際の条件が、留学記を執筆して国民に成果を報告することだったという。彬子さまは大英博物館の日本美術収集・展示から英国人の日本美術観の変化を論じた論文をまとめ、女性皇族で初の博士号を取得された。
 日本サッカー協会名誉総裁の久子さまは12日、埼玉スタジアム(さいたま市)で、星稜(石川)が前橋育英(群馬)を下して初優勝した全国高校サッカー選手権の決勝戦を観戦された。

660可愛い奥様@避難所生活:2015/01/24(土) 06:30:26 ID:HBPaBTPA
ttp://www.sankei.com/life/news/150124/lif1501240007-n1.html
2015.1.24 06:00
【皇室ウイークリー】
(367)両陛下、4年ぶり大相撲ご観戦 40歳の旭天鵬関について陛下は… 雅子さま、東山魁夷の大作に見入られる
(1/3ページ)
阪神大震災20年の追悼式典で黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)される天皇、皇后両陛下=17日、神戸市中央区の兵庫県公館
 天皇、皇后両陛下は17日、神戸市の兵庫県公館で営まれた阪神大震災20年の追悼式典に臨席された。遺族をはじめとした参列者約500人とともに黙(もく)●(=示へんに寿の旧字体)(とう)したのち、犠牲者名簿が供えられた祭壇に白菊を手向けて深く一礼し、6434人の犠牲者を悼まれた。
 式典後は、震災の経験を教訓に心のケア方法として生まれた「音楽療法」などの関係者とお会いになった。宮城県の気仙沼市や南三陸町など、東日本大震災の被災地の幼稚園や高齢者施設を訪ねたという松崎聡子・兵庫県音楽療法士会理事長(50)に、天皇陛下は「どんなものが一番喜ばれますか」、皇后さまは「音楽療法士になるにはどんなことが必要ですか」と熱心にご質問。被災者だった人々が、支援者となって活躍している姿を励まされた。
 福島県内で農業復興を支援している兵庫県立大3年の井上幹太さん(21)からは、地元の兵庫でも祭りに参加するなどして高齢化した地域社会を支えていることも聞かれ、陛下は「みなさんの活動によって地域が守られているのは非常に心強いと思っています」と声をかけられた。
 宮内庁東宮職によると、皇太子ご夫妻と長女の敬(としの)宮(みや)愛子さまも17日、お住まいの東宮御所で黙●(=示へんに寿の旧字体)をささげられた。
 両陛下は帰京翌日の18日、東京都墨田区の両国国技館で4年ぶりに大相撲を観戦された。日本相撲協会の北の湖理事長によると、陛下は幕内最年長で40歳の旭天鵬関について「長くつとめていますね」と話すなど、貴賓席から身を乗り出すようにして久しぶりの観戦を楽しまれていた。

(2/3ページ)
 陛下は20日夜から微熱など風邪の症状がみられ、21日以降、一部の公務などを取りやめられた。21日に皇居・宮殿で拝謁予定だった農林水産祭天皇杯受賞者約15人には、皇后さまが会って陛下のお言葉を伝えられた。宮内庁侍従職によると、「さまざまな困難を乗り越え、研究や努力によって大きな成果を収め、農林水産業や地域社会の発展に寄与されたことをうれしく思います」との内容だった。
 皇太子ご夫妻は19日、東京都渋谷区の山種美術館を訪れ、皇居・宮殿「波の間」の壁画「朝明けの潮(うしお)」を手がけた日本画家、東山魁(かい)夷(い)の没後15年特別展を鑑賞された。
 「朝明けの潮」は山口県の青海島の岩をモデルにしたといわれる壮大な壁画だが、その作風を思わせる幅9メートルの大作「満ち来る潮」を前に、雅子さまは「作られるのにどのくらい?」と尋ねて見入られた。雅子さまが公務で皇居外の美術館を訪ねられたのは平成20年9月以来。同館によると、皇太子さまは「展覧会を2人で見に来ることは大変久しぶりでとても楽しかったです」と話された。
 皇太子さまは21日、学習院女子大(東京都新宿区)で「オックスフォード大学留学体験記」と題し約90分間の特別講義を行われた。同女子大で講義をされるのは11回目。

(3/3ページ)
 恩賜財団母子愛育会総裁の秋篠宮妃紀子さまは21日、東京都港区芝浦に新築移転した愛育病院の開院式に出席し、テープカットをされた。愛育会は、陛下のご誕生を機とした昭和天皇の下賜金を元に昭和9年に創設された。紀子さまは同区南麻布の移転前の愛育病院で平成18年、長男の悠仁さまを出産されている。
 紀子さまと次女の佳子さまは22日、東京都文京区の東京ドームで開かれた「東京国際キルトフェスティバル」の開会式に臨席された。例年は紀子さまお一人で臨席されており、佳子さまのご同席は初。幼少期から手芸に親しんでいる佳子さまは、展示を見て回って「温かい感じがします」と感想を述べられたという。

661可愛い奥様@避難所生活:2015/01/31(土) 07:26:03 ID:lFg0yPm6
ttp://www.sankei.com/life/news/150131/lif1501310010-n1.html
2015.1.31 06:00
【皇室ウイークリー】
(368)「これまでの苦しみが消えました」…両陛下、ハンセン病元患者と握手してご懇談 皇太子さま、滞在6時間半の“超過密日程”でサウジへ
(1/3ページ)
通常国会の開会式でお言葉を述べられる天皇陛下=26日、参院本会議場(大西正純撮影)
 天皇、皇后両陛下は28日、お住まいの皇居・御所で、国内外のハンセン病の元患者らと懇談された。両陛下は長年にわたって偏見や差別に苦しんできた元患者や家族を気にかけており、この日も一人一人に寄り添って励まされた。
 ハンセン病はらい菌による感染症。日本では明治40年から平成8年まで隔離政策がとられ、患者は15カ所の療養所に強制収容された。全国ハンセン病療養所入所者協議会の森和男会長(74)によると、現在も平均年齢83歳の約1750人が入所している。両陛下は昭和43年以降、療養所の訪問を続け、昨年7月の東北新生園(宮城県登米市)ですべての療養所の入所者との面会を果たされた。
 両陛下がこの日懇談されたのは日本、インド、米国、フィリピン、エチオピア、インドネシアの元患者8人。指先に後遺症が出たインドのヴァガヴァタリ・ナルサッパさん(46)は家族にも握手をしてもらえずにいるが、両陛下から手を差し伸べられた。懇談後の会見で「これまでの苦しみが頭から消えました」と感激した様子で語った。
 同席した日本財団の笹川陽平会長によると、天皇陛下は「(初期の治療薬の)プロミンが随分効果があったのでしょうね」と詳しく質問もされ、予定を上回る40分間にわたって交流された。最後に、陛下が「みなさんの生活がより良くなるよう願っています」と声をかけられた。

(2/3ページ)
 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件は、皇室のご公務にも影響を及ぼした。両陛下は29日、外務省の平松賢司総合外交政策局長から定例の進講を受ける予定だったが、平松局長が事件に対応できるようにとの配慮で取りやめられた。皇太子さまも28日、同省の岡浩国際情報統括官からの進講を岡統括官からの申し出で中止された。
 明治天皇の父、孝明天皇が崩御した日に当たる30日、皇居・皇霊殿で「孝明天皇例祭の儀」が行われ、陛下と皇太子さまが拝礼され、秋篠宮妃紀子さま、次女の佳子さまをはじめ皇族方も参列された。京都・後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)での儀式では、三笠宮家の彬子さまが参拝された。
 皇太子さまは25、26日、サウジアラビアのアブドラ前国王の弔問のため、政府特派大使の福田康夫元首相を伴って同国を訪問された。
 23日朝に前国王死去の報が伝わり、同日夜にはご弔問を閣議で了解。皇太子さまは25日午前9時ごろに政府専用機で羽田空港をたち、現地滞在は6時間半程度で26日午後4時ごろには帰国するという過密日程を無事にこなされた。
 宮内庁などによると、皇太子さまは首都リヤドの空軍基地で、アブドラ前国王の子息のトルキー・リヤド州知事らの出迎えを受けられた。ヤママ宮殿を訪れて、アブドラ前国王の異母弟であるサルマン新国王らと面会し、陛下のご弔意を伝えられた。

(3/3ページ)
 サウジアラビアは平成6年、皇太子ご夫妻がご成婚後に初めて訪問された外国。皇太子だったアブドラ前国王とも親交を深められていた。皇太子さまは「懐かしく思い出します」と振り返り、ご自身の弔意も述べられた。新国王は「殿下(皇太子さま)は親友であり、日本を愛しています」と応じたという。
 佳子さまは28日、日本橋高島屋(東京都中央区)で「現代女流書100人展」をご鑑賞。幼少期に書道を習った経験もあり、笑顔でご覧になった。30日は紀子さまと豊島区内で開かれた「関東東海花の展覧会」を訪ねられた。高円宮妃久子さまの長女、承子さまも同展をご覧になった。

662可愛い奥様@避難所生活:2015/02/07(土) 08:16:27 ID:HbpbWBMk
ttp://www.sankei.com/life/news/150207/lif1502070007-n1.html
2015.2.7 06:00
【皇室ウイークリー】
(369)両陛下、葉山の海岸をご散策 住民らに「どちらから?」と尋ねられご交流 雅子さま、被災3県の高校生と1年半ぶりご再会
(1/3ページ)
葉山御用邸近くの海岸を散策し、地元住民らに手を振られる天皇、皇后両陛下=4日、神奈川県葉山町
 天皇、皇后両陛下は4日から葉山御用邸(神奈川県葉山町)に移り、9日までの予定で静養に入られた。
 年末年始の宮中行事が1月の「歌会始の儀」で一段落するこの時期のご静養は恒例だが、今年は特に同月下旬、天皇陛下に風邪の症状がおありだったこともあり、「ゆっくりしていただく」(側近)貴重な機会となった。
 葉山御用邸は目の前が砂浜などの海岸で、両陛下は4日午後にご散策。途中、近隣住民や遠方から訪れていた人々に声をかけられた。日程が立て込んでいる普段は側近が「そろそろお時間が…」と声をかけざるを得ないことも多いが、静養中のこの日、両陛下は「どちらから?」と尋ねてゆっくり話を聞き、ひとときの交流を楽しまれていた。
 皇后さまは6日、静養先の葉山御用邸から一時帰京し、東京都新宿区内のホールを訪れ、平成25年に死去した作曲家、三(み)善(よし)晃(あきら)さんの追悼コンサートを鑑賞された。皇后さまは3人のお子さまが幼少時に詩人、宮崎湖(こ)処(しょ)子(し)の詩「おもひ子」にメロディーをつけ子守歌として歌っていたが、のちにこれを三善さんが編曲するなど、音楽を通じて長い交流があったことから、静養先から駆けつけられたという。

(2/3ページ)
葉山御用邸近くの海岸を散策し、地元住民らに手を振られる天皇、皇后両陛下=4日、神奈川県葉山町
 皇太子ご夫妻は3日、お住まいの東宮御所で、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の高校生5人と1年半ぶりに再会し懇談された。
 5人は、経済協力開発機構(OECD)などによる復興人材育成プログラム「OECD東北スクール」に参加した中高生の代表。参加者約100人は昨年8月、復興イベント「東北復幸祭」を仏パリで開き、被害状況や復興の現状などを自ら企画して世界に紹介した。ご夫妻はスクールの活動に関心を寄せ、準備中の平成25年夏にも東京都内での発表会で5人を含むメンバーと懇談されていた。
 この日、ご夫妻はパリでの体験談を熱心に聞かれ、懇談は予定を大きく超えて50分間に及んだ。出席者によると、皇太子妃雅子さまは宮城県気仙沼市出身で仙台育英高校2年の小山結(ゆ)有(う)さん(17)に「気仙沼の状況は今どうですか」と尋ねられた。ご夫妻は「地元のためにこれからも頑張ってくださいね」と励まされたという。
 皇太子さまは6日、東京都千代田区内で開かれた「青少年読書感想文全国コンクール」の表彰式に臨席された。あいさつでは小説「赤毛のアン」の一節を引用し、「学校生活を送る中で、あるいは学校を卒業後も、さまざまな曲がり角に出会うでしょう」「その先にあるものがよいものであるという希望を持って、未知の世界に羽ばたいていっていただきたいと思います」と語りかけられた。式後のパーティーでは受賞した小中高校生と懇談された。

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 小町恭士東宮大夫によると、雅子さまも臨席を希望していたものの、表彰式が1時間以上に及ぶことや、週に2度目の公務となることなど、ご体調への影響を考慮した医師の判断から、やむなく取りやめられたという。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは1日、東京都渋谷区の国立能楽堂で、聴覚障害がある俳優らによる「手話狂言」を鑑賞された。
 手話狂言は出演者が手話でせりふを表現するのと同時に狂言師の声も会場に流れるもの。紀子さまは学生時代から手話を学ばれているが、佳子さまも昨秋に鳥取県で行われた「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」に紀子さまと臨席するなど、手話への理解を深められている。佳子さまは能楽堂を出発する際、懇談した一人一人に手話で「ありがとう」と伝えられた。

663可愛い奥様@避難所生活:2015/02/14(土) 06:37:27 ID:XJ.wvVk.
ttp://www.sankei.com/life/news/150214/lif1502140007-n1.html
2015.2.14 06:00
【皇室ウイークリー】
(370)「建国記念の日」に両陛下が毎年なさっていることは? 久子さま、ご自身で撮影した野鳥の写真の展覧会でご説明
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国内外の鳥を撮影した写真展「高円宮妃殿下写真展〜鳥たちの煌き〜」で、海外の関係者らに解説される高円宮妃久子さま=11日、横浜市の三渓園「白雲邸」
 天皇、皇后両陛下は9日、4日から静養していた葉山御用邸(神奈川県葉山町)から車で皇居へ戻られた。雨の日もあったが散策などをされたといい、昨年末以来、公務などでお忙しい時期が続いていたことから側近は「久しぶりにゆっくりお過ごしいただけたのではないか」と話した。
 「建国記念の日」の11日、天皇陛下は皇居・宮中三殿で拝礼された。「日本書紀」を元に初代天皇の神武天皇が即位した日として明治時代に「紀元節」となった2月11日は、戦後に宮中祭祀(さいし)の「紀元節祭」は行われなくなった。しかし、陛下は昭和天皇と同様に毎年拝礼され、皇后さまはその間、お住まいの御所でお慎みになっている。
 両陛下は12日、来日していた赤十字国際委員会のペーター・マウラー総裁をお住まいの皇居・御所でのお茶に招き、懇談された。
 皇室は、古くから赤十字とのゆかりが深い。明治天皇の皇后の昭憲皇太后が贈った資金をもとに、開発途上国での赤十字事業を毎年支援している「昭憲皇太后基金」は、赤十字国際委員会などが管理。基金創設100周年の平成24年などの折に、両陛下からのご下賜金で増額されている。現在も日本赤十字社の名誉総裁には皇后さまが就かれ、皇太子ご夫妻、秋篠宮妃紀子さまをはじめ多くの皇族方が名誉副総裁を務められている。

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 両陛下は12年の欧州訪問時、スイス・ジュネーブの赤十字国際委員会本部に立ち寄られたが、そこには明治天皇と昭和天皇から贈られた花瓶や皿が飾られていた。こうした交流もあることから、両陛下は総裁来日時、お茶やご昼餐(ちゅうさん)にたびたび招かれている。
 陛下は13日、皇居・宮殿に青森、富山、奈良、徳島、大分の各県知事や高市早苗総務相、総務副大臣らを招き、地方事情について話を聞き、次いで午餐をともにされた。皇太子さまも陪席された。各地の知事を順に招いたこの行事は毎年12月に行われることが多いが、昨年は同月に衆院選があったことからこの時期に。24年12月に衆院選があった際も25年2月に招かれた。
 皇太子ご夫妻は9日、お住まいの東宮御所(東京都港区)で、初来日したタイのプラユット首相夫妻とお会いになった。
 結核予防会総裁を務める紀子さまは9、10日、東京都千代田区のホテルで行われた結核予防関係の婦人団体中央講習会に参加された。
 同会によると、初日は開講式であいさつ後、結核に関する講義をお聞きになった。2日目は約3時間にわたってご参加。全国の婦人会会員約110人が、結核の予防や啓発を中心とした活動についてグループディスカッションする様子を見守られたという。
 国際環境NGO「バードライフ・インターナショナル」名誉総裁の高円宮妃久子さまは11日、横浜市にある日本庭園、三渓園を訪れ、ご自身が撮影した野鳥の写真約50点の展覧会「鳥たちの煌(きら)めき」(19日まで)のオープニングセレモニーに出席された。

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 あいさつでは、「宮さまが遺してくださった機材をどうにか使うべきではないかと思って、そのテーマとして自分が好きな鳥を選びました」と、平成14年に薨去(こうきょ)した高円宮さまが愛用のカメラを遺されたことをきっかけに、本格的に撮影を始めたことを明かされた。
 会場には横浜のカワセミ、次女の千家典子さんの嫁ぎ先でもある島根県の出雲平野のサギのほか、アルゼンチンのヤマセミなど国内外の鳥たちの表情が並び、久子さまは鳥たちを「この子」とにこやかに呼びながら、関係者に撮影の様子を説明された。

664可愛い奥様@避難所生活:2015/02/21(土) 06:47:33 ID:rfjDzvHs
h ttp://www.sankei.com/life/news/150220/lif1502200028-n1.html
2015.2.21 06:00
【皇室ウイークリー】
(371)両陛下、福島県民へねぎらいや激励のお言葉 愛子さま、学習院中等科の百人一首大会で約40枚を取るご活躍
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 天皇陛下は17日、皇居・宮中三殿で「祈年祭の儀」に臨まれた。祈年祭は、宮中祭祀(さいし)で最重要とされる11月23日の新嘗祭(にいなめさい)と対をなすもので、新嘗祭で稲などの収穫を神々に感謝し、祈年祭では新たな年の豊作を祈願するという。儀式では、陛下に続いて皇太子さまが拝礼された。
 天皇、皇后両陛下は18日、皇居・御所に福島県の内堀雅雄知事を招き、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興状況について説明を受けられた。県によると、3月11日で発災から丸4年となるのを前に現状を聞きたいとの両陛下のお気持ちが伝えられ、内堀知事が復興イベントで上京予定だったこの日に日程が組まれたという。
 内堀知事によると、両陛下は約1時間、資料をめくりながら丁寧に話を聞かれた。震災後にお見舞いなどで訪問された町の様子、仮設住宅での暮らしぶり、風評被害などを克服する農家らの状況などについて質問を重ねられたといい、内堀知事は「避難者、子供たちの状況を非常に気にかけ、県民へのねぎらいや激励の言葉をたくさんかけていただいた」と述べた。
 この日はさらに、両陛下でミャンマーなどの駐日大使夫妻との午餐(ごさん)を皇居・宮殿で催され、秋篠宮妃紀子さまとともに次女の佳子さまが成年皇族として初めて臨まれた。

h ttp://web.archive.org/web/20150220214506/h ttp://www.sankei.com/life/news/150220/lif1502200028-n2.html
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 天皇陛下は20日、宮殿でカタールのタミム首長と会見し、宮中午餐にも招かれた。午餐には皇太子さま、秋篠宮さまが陪席された。宮内庁によると、会見では、首長が東日本大震災の際、日本から天然ガスの供給拡大の要請があり、すぐに応じたことを振り返り、「親密な日本への義務として対応した」と話した。陛下は「多大な支援をいただいたことに感謝します」と謝意を示されたという。
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは16日、学習院女子中等科の百人一首大会に参加された。小町恭士東宮大夫によると、大会は約10人のグループで札を取り合うもので、愛子さまは100枚のうち約40枚を取り、グループの中で1番になられたという。
 秋篠宮さまは15日、日帰りで福岡市を訪問し、寛仁(ともひと)親王殿下の跡を継いで総裁を務める「恩賜財団済生会」の総会であいさつされた。18日には山階鳥類研究所の総裁として、松山市内で開かれた同研究所の「四国地区賛助会員の集い」にご臨席。約170人を前にあいさつし、研究事業などへの支援に感謝を示された。
 常陸宮妃華子さまは18日、東京芸術劇場(東京都豊島区)で開催中の「なるほど展」をご覧になった。同展は「婦人発明家協会」の主催で毎年開かれ、全国の主婦ら女性のアイデアによる日用品などの作品を展示。女性皇族方が鑑賞に訪れられている。

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 常陸宮ご夫妻は20日、東京都千代田区のパレスホテルで、高松宮妃癌研究基金の「平成26年度学術賞等贈呈式」に臨まれた。常陸宮さまは学術賞の受賞者2人に賞状などを手渡した後、「心からお祝いいたします。表彰されたみなさまがこれを機にこれまで以上に研鑽を積まれ、成果をあげられるよう希望します」とお言葉を述べられた。
 同基金は、母をがんで亡くした高松宮妃を名誉総裁に迎えて昭和43年に創設され、がん研究で特に優れた業績を挙げた研究者を表彰している。寛仁親王殿下が薨去(こうきょ)された後、常陸宮さまが総裁を務められている。
 三笠宮家の彬子さまは14、15日に北海道美瑛(びえい)町を訪れ、父のお名前を冠した「寛仁親王記念第38回丘のまちびえい宮様国際スキーマラソン」の開会式などに臨席された。

665可愛い奥様@避難所生活:2015/02/28(土) 08:38:41 ID:4hseArBA
ttp://www.sankei.com/life/news/150228/lif1502280009-n1.html
2015.2.28 06:00
【皇室ウイークリー】
(372)両陛下、初来日の英ウィリアム王子をご歓待 皇居外周走られた皇太子さま、伴走者は「ランニングポリス」?
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英国のウィリアム王子を昼食に招き、玄関で出迎えられる天皇、皇后両陛下=2月27日、皇居・御所
 天皇、皇后両陛下は27日、初来日となった英国のウィリアム王子を皇居・御所に招き、約1時間半にわたって昼食や懇談を楽しまれた。王子の祖母であるエリザベス女王の即位60周年記念行事出席のため平成24年5月に訪英されたとき以来の再会で、両陛下は玄関で王子をにこやかに出迎えて握手を交わされた。
 続いて、皇太子ご夫妻が王子を東宮御所に招かれた。玄関では皇太子さまが出迎え、初対面の王子に英語で「お会いできてとてもうれしいです」とあいさつされた。約40分間、通訳なしで懇談し、ご夫妻で見送られたという。
 両陛下は26日、ポーランドのコモロフスキ大統領夫妻と御所で会見された。同国側が東日本大震災の被災地に復興支援を行い、大統領夫人が24年に宮城、岩手両県の被災地を訪問していることから、天皇陛下は大統領に「東北を励ますために来ていただいたことに感謝しています」と伝えられたという。宮内庁によると、大統領は祖父が日本関係の蔵書を多数持っていたことなどを紹介し「ポーランド国民は日本に非常に親近感と憧れを持っている」と語った。
 皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、御所を訪れて両陛下にあいさつされた。東宮御所では皇太子妃雅子さまととともに、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまをはじめ皇族方のご祝賀を受けられた。夜は両陛下を東宮御所にお迎えし、夕食をともにされた。

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 陛下はこの直前、西川公也氏の農林水産相辞任で急(きゅう)遽(きょ)、御所で林芳正農水相の認証官任命式に臨まれた。式は安倍晋三首相の内奏を含め午後6時15分ごろから約25分にわたり、両陛下の東宮御所ご訪問は予定より遅くなられたという。
 認証官任命式は通常、宮殿で行われるが、宮内庁の風岡典之長官は26日の定例記者会見で、内閣からの打診が「午後5時20分すぎで本当に急だった」とした上で、「陛下は公務を優先するという姿勢でいらっしゃるので、急だけれども対応しようということで実施した」と説明した。
 皇太子さまは25日、皇居外周でのジョギングを8年ぶりに楽しまれた。小町恭士東宮大夫によると、昨年も計画されたが、日程が合わずに実現していなかったという。
 皇太子さまは1周約5キロを27分20秒のタイムで走った後、「天気もよく、寒くもなく暑くもなく、とても気持ちよく走ることができました」と笑顔で汗をぬぐわれた。皇宮護衛官らも伴走しており、皇太子さまは、22日の東京マラソンで導入されたランニングポリスを引き合いに出し、「みなさんにいろいろとお世話になって」と話された。
 秋篠宮ご夫妻は24日、東京都台東区の日本学士院で開かれた「第11回日本学術振興会賞並びに日本学士院学術奨励賞」の授賞式と記念茶会に臨まれた。ご夫妻は第1回からほぼ毎年臨席されている。
 結核予防会総裁の秋篠宮妃紀子さまは結核予防全国大会臨席などのため26、27日、福岡県を訪問された。26日は幼稚園と保育所を一体化した須恵町立のこども園「れいんぼー幼児園」をご視察。福岡市のホテルに移り、同大会の歓迎レセプションなどに出られた。27日には同じホテルで同大会の式典に臨まれた。

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 常陸宮妃華子さまは26日午前、東京都中央区の日本橋高島屋で「創流120周年いけばな小(お)原(はら)流展」を鑑賞された。午後には高円宮妃久子さまも会場を訪問された。
 久子さまは27日、大阪府吹田市の関西大学で、バイオテクノロジーを生かしたベンチャー企業を表彰する「日本バイオベンチャー大賞」(主催・フジサンケイビジネスアイ)の贈賞式に臨席された。

666可愛い奥様@避難所生活:2015/03/07(土) 07:52:00 ID:4JOUDpXY
ttp://www.sankei.com/life/news/150307/lif1503070004-n1.html
2015.3.7 06:00
【皇室ウイークリー】
(373)両陛下、ノーベル賞受賞者や新進気鋭の研究者とご懇談 佳子さま、白いコート姿で伊勢神宮をご参拝
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伊勢神宮の内宮を参拝される秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま=3月6日、三重県伊勢市(代表撮影)
 天皇、皇后両陛下は1日、東京都千代田区の東京国際フォーラムで、ノーベル賞受賞者らによる公開シンポジウム後に開かれたレセプションに臨み、京都大の山中伸弥教授=2012年の生理学・医学賞=ら国内外の受賞者や若手の科学者と懇談された。皇后さまは、昨年9月にiPS細胞(人工多能性幹細胞)から作った網膜細胞の移植手術が成功したことを踏まえ、山中氏を「目の方もうまくいきましたね」とねぎらわれた。
 4日は日本学士院会館(台東区)で、若手の研究者を表彰する「日本学術振興会育志賞」授賞式に臨席された。同賞は天皇陛下のご下賜金を元に創設され、今回で5回目。授賞式では、20〜30代の受賞者18人を代表して九州大大学院の佐藤峰(ほ)南(なみ)さんに賞状とメダルが贈られ、両陛下は拍手を送られた。続く記念茶会では、両陛下が受賞者に囲まれる形でご懇談。一人一人に研究内容などを尋ねられた。
 両陛下は5日、戦没者慰霊のため4月にパラオ共和国を訪問するのを前に、皇居・御所で、防衛省防衛研究所の庄司潤一郎・戦史研究センター長から説明を受けられた。

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 両陛下はこれに続き、自治医科大の永井良三学長を御所に招き、地域医療の現状について説明を受けられた。天皇陛下の主治医を長年務め、平成24年の心臓手術にも関わった一人で、両陛下は昼食もともにされたという。
 両陛下は6日、皇居・東御苑の三の丸尚蔵館で、企画展「明治天皇 邦を知り国を治める-近代の国見と天皇のまなざし」を鑑賞された。同展は、明治天皇が全国巡幸で撮影させた写真や、各地からの災害などの報告資料を紹介している。
 両陛下は会場の明治天皇の写真に一礼した後、展示物をご覧に。明治29年に2万人超が犠牲になった明治三陸大津波の写真もあり、天皇陛下は東日本大震災を引き合いに出し「同じぐらいの人数が亡くなったのね」と話された。
 皇太子ご夫妻も4日に同展を鑑賞し、古い資料が多く残されていることに感心されていたという。
 皇太子ご夫妻は2日、お住まいの東宮御所で、ご夫妻ともに留学した英オックスフォード大のハミルトン総長と懇談し、最近の大学の様子などをお聞きになった。
 5日、皇太子さまは千葉県君津市の新日鉄住金君津製鉄所で、溶鉱炉工場や鋼材を加工する工程などを視察された。板状の鋼材を約1200度で熱して薄く加工する熱延工場の説明を受け、「大変迫力のあるプロセスですね」と述べられたという。

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 皇太子さまは産業現場の視察を続けており、同製鉄所の視察は昨年6月の予定だったが、桂宮さまが薨(こう)去(きょ)されたため延期されていた。
 秋篠宮さまと次女の佳子さまは2月28日〜3月1日、岡山県倉敷市を訪れ、大原美術館で開かれたベルギーのフラワーアーティスト、ダニエル・オスト氏による特別展を鑑賞されるなどした。佳子さまは、学習院女子中等科時代の修学旅行で同市の美観地区を見学したことを懐かしそうに振り返られていたという。
 秋篠宮ご夫妻は5日、東京都港区のラオス大使館で、日ラオス外交関係樹立60周年記念の夕食会に臨み、トンシン首相らと杯を挙げられた。天皇陛下は6日、トンシン首相と皇居・宮殿で会われた。
 佳子さまは6日、伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝し、昨年12月に成年皇族となったことを報告された。7歳と18歳のときにご家族とともに訪れていたが、今回は初めてお一人でご参拝。白いコート姿で玉砂利を踏みしめ、おごそかに玉串をささげられた。

667可愛い奥様@避難所生活:2015/03/09(月) 20:14:35 ID:79M4.tgg
ttp://www.sankei.com/life/news/150308/lif1503080002-n1.html
2015.3.8 06:00
【皇室ウイークリー番外編】
「もう手術したことを忘れていただいていい」陛下心臓ご手術の執刀医・天野篤氏単独インタビュー詳報
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平成24年の天皇陛下の心臓手術執刀から3年を前に、産経新聞の単独インタビューに応じた順天堂大学医学部附属順天堂医院の天野篤医師=2月6日、東京都文京区(蔵賢斗撮影)
 天皇陛下が心臓手術を受けられてから、2月18日で3年を迎えた。産経新聞の単独インタビューに応じた執刀医の一人で、順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤副院長(59)は、陛下から現代医療への厚い信頼を感じたことを明らかにし、陛下ご自身が健康管理に高い意識を持たれているエピソードも披露した。4月に控えるパラオ共和国ご訪問には「問題ない」との見解を示した。インタビューの詳報をお届けする。
 --陛下の現在のご健康状態をどう見ていますか
 天野氏「(平成25年11〜12月の)両陛下のインドご訪問はハードスケジュールだったと聞いた。私も先日、インドに出張したが、道路がものすごく悪い。80歳の方があの日程であの道路で移動してというのは、お元気でなかったらまず無理だろうと思います。手術で心臓の負担が取れ、リハビリもいい、ということを手応えとして感じていただいていると思います」
 --陛下が日常生活を取り戻されたと感じたのは
 天野氏「天皇誕生日のときにご自身がおっしゃっていましたけれど、狭心症の症状は和船をこいでるときに出たんですよね。(手術後に、御用邸のある)葉山で確かめたくてこいでみたら、全然大丈夫でした、というお話でした。健康に関する知的好奇心がまた動くぐらいに回復されたということではないですか。パラオに行かれることも、両陛下からうかがいました」
 --パラオご訪問は1泊2日の強行日程になりますが
 天野氏「皇后さまの方が手術で治す病気ではないから波があるかもしれませんけれども、陛下は少なくとも問題ないと思います」

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 《注・皇后さまは頸椎症性神経根症のため肩や腕の痛みを訴えられることがある》
 --24年5月の英国ご訪問や、インドご訪問の直前に相談はありましたか
 天野氏「ご訪英の2週間ぐらい前に、手術に関わった人たちが集まってデータを検討し、大丈夫、という確認を取ったぐらい」
 --24年2月という手術日程は、術後経過に一番いい時期を選んだ形ですが
 天野氏「ご訪英時期との引き算ですからね。私もちょうどあの時、心臓血管外科のセミナーがあり、スケジュールを空けてあった。それをキャンセルして手術に専念できた。陛下がいつも腐心されている、周りに迷惑をかけたくない、というのがまさにピンポイントであったという感じでした」
 天野氏「いろいろな流れがあるんですよ。左心耳(さしんじ)の処置についても先日、抗凝固剤での投薬治療と左心耳の処置とを比較するトライアルがあり、左心耳を処置した方が脳梗塞の発生が40%低いというデータが出て、それも(両陛下に)報告した。皇后さまがとても喜ばれていた。われわれがあの治療を初めてちょうど1年目ぐらいで手応えを感じていた時期でもあった」
 《注・左心耳とは左心房にある耳形の突起で、血栓が生じやすい部位。天野氏ら執刀チームは手術中、陛下の心臓に不整脈が起きたことから、血栓が飛んで脳梗塞となるのを予防するため、左心耳の根元を糸で縛る処置を行っていた》
 --定例検査の結果は
 天野氏「悪くなければ何も連絡はきません。今のところはない」

668可愛い奥様@避難所生活:2015/03/09(月) 20:15:10 ID:79M4.tgg
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 --陛下は年1回ほど海外を訪問されていますが
 天野氏「問題ないんじゃないですかね。その都度、行って戻っての手応えで、次をどうするかとご自身で決められているはず。英国が大丈夫だったからインド、インドが大丈夫だったからパラオというように」
 --80歳の方でそれほど自覚を持って行動されているというのは
 天野氏「80歳過ぎてからゴルフを始める人もいます。陛下は、夏のテニスなんかが一つの指標ではないですか」
 --陛下は新嘗祭(にいなめさい)のように夜にもお出ましがある。どの程度、控えられるべきでしょうか
 天野氏「あまり控えなくていいのではないですか。屋外のほかは、かなり管理された環境でやられる。術後3年ぐらいで、同年代の人と比べて制限されることは何もないと思います」
 --陛下の80歳のお誕生日前のインタビューで、天野氏は「何もなければ10年ぐらいは大丈夫」と言っていた。その考えは変わらないですか
 天野氏「変わらないですね。(陛下も)今は(胸の)痛みも全然ないとおっしゃっていた。手術をしたことを一般の人が忘れ出すのが2、3年目。(陛下も)忘れていただいた方がいいのではないですか。皇后さまもそうですが、現代医学への信頼がとても厚いので、これから何か起きたとしても非常に前向きに受け止められると思います」
 --陛下が健康管理で気を付けられていることは
 「皇居では、決まった時間に散策されているのではないですか。個人的な推測ですが、悠仁さまをすごくかわいがっていらっしゃるから、もう少しお相手をされたいと思っているのではないですか。御所の応接間の前にあるケヤキにカブトムシが集まってきて、それを(悠仁さまが)取りに来られるんだとおっしゃっていました」

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 --一般の80歳と比べて、陛下の方が体力がおありなのでしょうか
 「ものすごく頑健というわけではないと思います。でも内臓の面からすると、十分管理されている。だから突発的なことが起こる不安は、一般の人よりは少ないのではないですか」
 --陛下はお酒もたばこもたしなまれない
 「三大生活習慣病の脳卒中、がん、心臓病。心臓は治療済み。がんは前立腺の手術をされているから腫瘍マーカーを定期的にチェックしている。脳卒中に関しては、心臓が原因の脳梗塞がだいたい4割。それはもう(左心耳の)手術をされているから起こらない。一般の人に比べれば、三大生活習慣病は相当厳重に管理された状態で過ごされているわけで、ご健康に関しては、大きなけがなどさえ防いでおけばまず問題ないんじゃないかと思います」
 --風邪も高齢者にとっては油断できない
 「インフルエンザになれば肺炎になりやすい。でも高齢者のいわゆる筋力低下で弱っていき、免疫力が落ちていってという状況は全然感じられないです」
 --手術時のご体力は
 「体力はそんなにおありではなかったですね。直前の11月のマイコプラズマ(による気管支炎)の影響があった。だから、東大のチームは体力的に問題ないかと随分気にしていました」
 --ご体力がないと、手術をするという判断はできないのでしょうか
 「お食事に関しては、一番どん底からちょっと上向きだったのが、いけると判断した大きな理由です」

669可愛い奥様@避難所生活:2015/03/09(月) 20:15:33 ID:79M4.tgg
(5/5ページ)
 --現代医療への信頼が厚いというのは、陛下が科学者でいらっしゃるからですか
 天野氏「それだけじゃないですね。国民の代表(である医師団)が英知を絞っていることに対する感謝というんですかね。医師団だけではなく、日本全体が自分の健康を気にしてくれていると、それに応えなければという感じですよね」
 --陛下からそのようなご発言は
 「小学校の時に盲腸、さらに前立腺がんの手術を受けており、健康を取り戻すために必要な治療に出会ったというようなことをおっしゃっている。非常に潔い。前向きに、あるがままの状態で健康問題に全力で応えるというか、治療、医師団、現代医学に対し、しっかりと身をもって応えるという。国民、同年代の人にとってどれだけ心強いか。象徴天皇としてのスタンス、矜恃みたいなものは絶対に崩されない。そのように私は捉えています」
 --昭和時代には、天皇の体(玉体)にメスを入れることへの議論もありましたが
 「昭和天皇が健康問題をどう捉えていたかを、東大の医師団もあまり踏み込んでない。今回は結構、踏み込んでいるわけです。なぜかというと、陛下ご自身が、健康を害することは国民に迷惑かけるという意識がおありだから。象徴天皇としての振る舞いという確固たる概念、これからの天皇のあり方の模範を示す覚悟がおありなのではないですか。だから目の前のことにすべてフラットに対応する姿勢を崩されない。手術期間の2〜3週間ぐらいの経験は、私の人生の中でも、代えがたいものです」
 「まとめると、陛下ご自身の健康管理に関しては、まず外国ご訪問による手応え。あと軽井沢でのテニス、葉山での和船が、ご自身のバロメーターになっておられると思います」

670可愛い奥様@避難所生活:2015/03/14(土) 07:24:01 ID:0wFTgH82
ttp://www.sankei.com/life/news/150314/lif1503140016-n1.html
2015.3.14 06:00
【皇室ウイークリー】
(374)両陛下と皇族方、追悼に心砕かれた1週間 両陛下は震災後4度目の宮城県入り、復興状況ご視察
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東日本大震災後4度目となる宮城県入りをし、出迎えた人々に手を振られる天皇、皇后両陛下=13日、宮城県名取市の仙台空港(代表撮影)
 2つの「慰霊の日」を迎えたこの1週間、皇室の方々は御霊(みたま)の追悼に心を砕かれた。
 東日本大震災の発生から4年を迎えた11日、天皇、皇后両陛下は、東京都千代田区の国立劇場で行われた政府主催の追悼式に臨席された。天皇陛下は黒の礼服、皇后さまはグレーの和服に黒の帯を締めたお姿で、地震発生時刻の午後2時46分、遺族ら参列者とともに黙祷(もくとう)をささげられた。両陛下は犠牲者をまつる標柱の前に進み深々と2度、拝礼された。その後、陛下がお言葉を述べられた。
 宮内庁東宮職によると、皇太子ご夫妻は東宮御所で、政府主催追悼式に合わせて黙祷された。長女の敬宮(としのみや)愛子さまも学習院女子中等科で、同級生らとともに犠牲者の冥福を祈られたという。
 両陛下は13日、震災後4回目の宮城県入りをされた。震災後初訪問の岩沼市では、津波被害跡地に震災がれきなどで造成された「千年希望の丘」の慰霊碑に白菊を供えられた。その後、かさ上げ道路や、避難先となる人工の丘などの減災対策をバスの窓越しにご視察。岩沼市の菊地啓夫市長、名取市の佐々木一十郎(いそお)市長から復興状況を聞かれた。岩沼市では集団移転が進んでおり、陛下は「移転先は海岸からどのあたりですか」と質問を重ねられたという。

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 宿泊先の仙台市のホテルでは、陛下が、国連防災世界会議出席で来日したトルクメニスタンのベルドイムハメドフ大統領とご会見。両陛下で、オランダのアレクサンダー国王の叔母であるマルグリート王女とお茶をともにされた。
 約10万人が命を落とした東京大空襲から70年の10日に東京都慰霊堂(墨田区)で行われた慰霊法要には、秋篠宮ご夫妻が参列された。安倍晋三首相らも参列して読経が行われた後、ご夫妻はそれぞれ焼香して犠牲者を悼まれた。大正12年9月1日の関東大震災の犠牲者と合わせて毎年春と秋に法要が行われ、宮家の皇族方が順に参列されている。
 両陛下は約1カ月後に迫ったパラオ共和国訪問に向け、首席随員となる風岡典之・宮内庁長官ら随行者から10日、皇居・御所で拝謁を受けられた。11日にも御所で外務省の山崎純・儀典長らから、関係各省庁が現地で行った事前調査の報告を受けられた。
 陛下は9日、皇居・宮殿でドイツのメルケル首相と懇談された。宮内庁によると、首相が戦後70年に触れ「戦争がない時代を望んでいたがウクライナで深刻な事態が生じていることを心配しています」と語ると、陛下は事態の解決を願っていることを伝えられた。陛下も広島、長崎への原爆投下が大きな影響を残していることを語られたという。
 皇太子さまは、約50カ国へ順次出発する青年海外協力隊員計約200人を9、10日の2日間にわたって東宮御所で激励された。陛下も皇太子時代に協力隊員らを励まされていたといい、皇太子さまが引き継がれている。

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 皇太子さまは10日、キューバのカブリサス閣僚評議会副議長と東宮御所で会われた。元駐日大使である副議長からの面会希望で、江戸時代の慶長遣欧使節団に始まる交流などが話題になったという。
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは7日、前日の伊勢神宮(三重県伊勢市)に続いて神武天皇陵(奈良県橿原市)を参拝し、成年を迎えたことを報告された。黒の帽子にグレーの参拝服、黒のロングコート姿で、墳丘前で玉串をささげて深々と拝礼された。
 三笠宮家の彬子さまは12日、愛知県瀬戸市の市美術館を訪ね、フランス・リモージュ市のアドリアン・デュブーシェ国立美術館が収蔵する磁器の特別展を鑑賞された。

671可愛い奥様@避難所生活:2015/04/05(日) 20:55:34 ID:awA.hGvM
ttp://www.sankei.com/life/news/150321/lif1503210007-n1.html
2015.3.21 06:00
【皇室ウイークリー】
(375)「昔に比べて粒が大きいのね」…両陛下、イチゴの摘み取りもご体験 東北農業の力強い復興をご視察
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
第3回国連防災世界会議の開会式に臨席された天皇、皇后両陛下=14日、仙台市の仙台国際センター
 13日に東日本大震災後4回目の宮城県入りを果たした天皇、皇后両陛下は14日、仙台市で第3回国連防災世界会議の開会式に臨席したほか、15日にかけて被災地に足を運び、復興状況を見て回られた。
 昨年7月の気仙沼市、南三陸町訪問では水産業の現状を視察されており、今回は「農業の現状確認」(側近)に重点が置かれた。立ち寄った岩沼、名取、東松島、石巻の各市長からも復興状況について説明を受けられており、「今後も震災に関心を寄せられていくというお気持ちが見えた」(同)ご訪問となった。
 14日に訪問した東松島市の農業生産法人「サンエイト」は、震災の津波で田畑が壊滅的な被害を受けたが、除塩作業で回復。新たにハウスでのイチゴ栽培も始めた。両陛下は宮城県オリジナル品種のイチゴ「もういっこ」の摘み取りを体験され、天皇陛下は「昔に比べて粒が大きいのね」と笑顔を見せられた。
 翌15日には震災後初訪問となった石巻市で、特産の笹かまぼこを製造・販売する「白謙蒲鉾店」の門脇工場をご視察。津波被害から4カ月後の製造再開までの経緯を聞き、陛下は「ご苦労が多かったでしょう」と気遣われた。その後の昼食時には、陛下が今回の震災のほか、平安前期の貞観地震や明治三陸地震に言及し、「津波を忘れてはいけないね」と話されたという。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 国連防災世界会議に各国から大統領らが出席したこともあり、両陛下はこの1週間、国際交流にも忙しく務められた。14日には会議の開会式に先立ち、サイクロン被害を受けたバヌアツのロンズデール大統領ら6カ国の元首とあいさつし、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長夫妻とも懇談された。
 潘事務総長夫妻とは皇太子ご夫妻も、16日に東宮御所で面会された。
 両陛下は17日、同会議出席のため来日したスワジランドのムスワティ国王夫妻を皇居・御所でのお茶に招かれた。18日は12年ぶりの再会となったクリントン元米大統領と、19日には初来日したミシェル・オバマ米大統領夫人と、お茶をともにされた。
 パラオ訪問を約3週間後に控え、両陛下は18日、御所で厚生労働省の村木厚子事務次官から現地での遺骨収集の現状などについて説明を受けられた。20日は同国のフランシス・マツタロウ駐日大使夫妻を御所での昼餐に招かれた。
 皇后さまは18日、皇居・東御苑の桃華楽堂で、音楽大学卒業生演奏会を鑑賞された。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻はじめ皇族方が陪席され、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも初めてお聞きになった。
 演奏会は昭和天皇の后、香淳皇后の音楽を奨励したいとの意向で昭和42年に始まり、東京芸術大、武蔵野音楽大、上野学園大、桐朋学園大、国立音楽大の卒業生代表が参加。皇后さまは何度も拍手を送り、お隣の皇太子さま、秋篠宮さまと談笑された。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは17日、学習院女子中・高等科合同による卒業生送別の学芸会に参加された。宮内庁東宮職によると、中等科1年生全員で合唱と合奏を披露し、愛子さまはチェロをご演奏。準備段階では「音楽サポーター」の係を務め、演奏パートごとの編曲などにも取り組まれたという。
 東京慈恵(じけい)会総裁の寛仁(ともひと)親王妃信子さまは14日、同会が運営する慈恵看護専門学校(東京都港区)の卒業式に11年ぶりに臨席された。同校は明治18年に創立された日本最初の看護師教育機関で、明治天皇の后の昭憲皇太后が「慈恵」の名を下賜した。信子さまは、卒業証書を受け取る卒業生一人一人に「おめでとう」などと声をかけられた。

672可愛い奥様@避難所生活:2015/04/05(日) 20:55:57 ID:awA.hGvM
ttp://www.sankei.com/life/news/150328/lif1503280007-n1.html
2015.3.28 06:00
【皇室ウイークリー】
(376)両陛下、風邪を召されても積極的に公務 心配するポルトガル首相に陛下「もう大丈夫です」
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
先の大戦の激戦地ペリリュー島から生還した土田喜代一・元海軍上等水兵(手前左端)、永井敬司・元陸軍軍曹(左から2人目)から体験談を聞かれる天皇、皇后両陛下=22日、皇居・御所「応接室」(宮内庁提供)
 戦没者慰霊でのパラオ共和国訪問を4月上旬に控えた天皇、皇后両陛下はこの1週間、ともに風邪の症状を抱えながらも、多くの公務を積極的に果たされた。
 天皇陛下は21日朝から発熱などの症状がみられ、春季皇霊祭・神殿祭の儀での拝礼を控えられた。宮中祭祀(さいし)をつかさどる掌典長(しょうてんちょう)が代拝した。
 22日には、両陛下はパラオの激戦地ペリリュー島から生還した元日本兵2人を皇居・御所に招いて懇談された。風邪の症状が続く天皇陛下は途中で退出したが、終戦後も徹底抗戦の命令を守り、潜伏を続けた2人を「本当に長いことご苦労さまでした」とねぎらわれた。その後、皇后さまが帰国後の生活などについても話を聞き、慰められた。陛下は陪席した川島裕侍従長から説明を受けられたという。
 両陛下は23日、初来日したインドネシアのジョコ大統領夫妻と皇居・宮殿で会見し、昼食会を催された。その後、陛下は大事を取って御所で静養されたが、皇后さまは昼食会に陪席された皇太子さま、秋篠宮ご夫妻とともに皇居・東御苑の二の丸池に大統領夫妻を案内された。
 池には、陛下がインドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイとの交配を提案されたことで生まれたヒレナガニシキゴイが放されており、皇后さまが手拍子で呼び寄せ、エサをまかれると、大統領夫妻は笑顔を見せた。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 皇后さまが肌寒い日本の気候を気遣い、ご自身のショールを大統領夫人の肩に掛けられる場面もあった。皇后さまもすでに風邪の症状が出ていたが、「陛下が大統領夫妻の案内を楽しみにされていたので、お気持ちをくみ取って臨まれた」(側近)という。
 皇后さまは26日朝に熱が高くなったため、同日に皇居内の清掃などを行う勤労奉仕団と面会するのを控えられ、陛下がお一人で会われた。両陛下は24〜26日に予定していた御料牧場(栃木県)での静養を取りやめて御所で過ごされたが、陛下はこの間も御所で国事行為を果たされた。
 陛下は27日、ポルトガルのコエリョ首相と宮殿で面会し、首相から風邪について尋ねられ、「もう大丈夫です」と答えられた。側近によると、風邪の症状は残っているものの、回復に向かわれているという。面会に引き続き、熱がやや下がってこられた皇后さまとともに、勤労奉仕団をねぎらわれるなどした。
 両陛下は今月、東日本大震災の復興状況視察などで宮城県を訪問したのをはじめ、忙しい日程を続けられていた。宮内庁の風岡典之長官は26日の定例会見で「ご無理をおかけしたのではないかと申し訳なく思っている」と話した。
 陛下は24日、シンガポールの初代首相、リー・クアンユー氏が23日に死去したのに伴い、同国のタン大統領とリー氏の長男であるリー・シェンロン首相に弔電を送られた。陛下は皇太子時代を含めリー氏と11回面会するなど親交があり、26日には現地に花輪を届けられたという。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 皇太子ご夫妻は、春休みに入った長女の敬宮(としのみや)愛子さまとともに、23〜27日に長野県内のホテルで静養された。小町恭士東宮大夫によると、ご一家で連日スキーを楽しむなどして過ごされたという。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは23日、東京都千代田区の映画館で、ケニアで国際医療活動にあたった日本人医師をモデルにした映画「風に立つライオン」を鑑賞された。上映後には原作者のさだまさしさん、主演の大沢たかおさんらとご懇談。紀子さまは「若い世代に作品の思いが届くように祈っています」と話され、佳子さまも深くうなずかれていたという。

673可愛い奥様@避難所生活:2015/04/05(日) 20:56:24 ID:awA.hGvM
ttp://www.sankei.com/life/news/150404/lif1504040010-n1.html
2015.4.4 06:00
【皇室ウイークリー】
(377)両陛下、パラオご訪問を前に体調管理に務められる 佳子さまICUご入学「とてもきれいなキャンパス」
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
入学式を前に報道陣の取材に応じ、肩からずり落ちたバッグを直して照れ笑いを浮かべられる秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま=2日、東京都三鷹市の国際基督教大(ロイター)
 前の1週間に風邪の症状が続いた天皇、皇后両陛下は、今週も人事異動の宮内庁職員らからあいさつを受けるなど公務に励まれたが、天皇陛下は3日にも風邪の症状がみられたため、宮中祭祀(さいし)へのお出ましを取りやめるなど8、9日のパラオ共和国訪問に向け体調管理に努められた。
 3月31日、両陛下は定年退職となった宮内庁や皇宮警察の職員を皇居・御所でねぎらわれた。1日には、陛下の相談役となる宮内庁参与に新たに就いた竹崎博允(ひろのぶ)・前最高裁長官や、両陛下の身の回りの世話をする宮内庁侍従職に新たに配属された職員らともお会いになった。
 宮内庁の山本信一郎次長は3月30日の定例会見で、両陛下のご様子について「回復基調」と話したが、陛下は3日の「神武天皇祭皇霊殿の儀」と「皇霊殿御神楽の儀」へのお出ましを大事をとって控えられた。
 両陛下は3月28日、来日していたデンマークのフレデリック皇太子夫妻を御所での昼餐にご招待。同日夜には皇太子ご夫妻が夫妻を東宮御所に招き、晩餐を催された。晩餐の前の懇談には長女の敬宮(としのみや)愛子さまも加わり、和やかに会話を交わされたという。
 これに先立つ27日には、フレデリック皇太子夫妻がデンマーク自治領のグリーンランドの文化を伝える東京都内の行事に出席し、高円宮妃久子さまと長女の承子さまが同席された。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは2日、国際基督教大(東京都三鷹市、ICU)の入学式に臨まれた。式に先立ち、報道陣から新たな学び舎の印象を問われ、「緑が多くてとてもきれいなキャンパスだと思いました」とにこやかに答えられた。10日から授業に臨まれるという。
 宮内庁によると、昨年10月にICUのAO入試に合格した後、宮中行事や公務に取り組む一方、12月と今年1月に入学予定者向けの講習に参加するなどして入学の準備を進められていた。
 3月末には秋篠宮ご夫妻、弟の悠仁さまとともに富山県を旅行し、国の特別天然記念物「ニホンライチョウ」の人工飼育を行う動物園「富山市ファミリーパーク」などを訪ねられたという。
 三笠宮家の彬子さまは3月28日、宮城県南三陸町の上山八幡宮を訪れ、総裁を務める一般社団法人「心游舎(しんゆうしゃ)」のワークショップに参加された。心游舎は子供たちに日本文化を伝える活動を行っており、昨年3月の福島県立美術館に続き、東日本大震災の被災地での開催となった。
 上山八幡宮では、豊作や豊漁を祈願して半紙を切って作る神棚飾り「きりこ」を受け継いでいる。作業場は震災の津波で浸水したが、型紙は奇跡的に無事だった。彬子さまは子供たちとともに型紙に合わせて半紙をカッターナイフで切り、鏡餅のきりこ作りに挑戦された。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 翌29日には、被災者のガイドが案内する「語り部バス」に乗り、南三陸町職員や住民ら43人が犠牲になった防災対策庁舎などを見て回られた。
 彬子さまは1日、京都産業大日本文化研究所の専任研究員と京都市立芸術大芸術資源研究センターの客員教授にそれぞれ就任された。京産大では日本美術の研究を続け、京都市立芸大では新たに「法隆寺金堂壁画における複写と模写」の研究でプロジェクトリーダーを務め、日本文化史の講義も受け持たれる。
 父の寛仁(ともひと)親王殿下の薨去(こうきょ)後に空席だった「中近東文化センター」(東京都三鷹市)の総裁職も同日、引き継がれた。同センターは彬子さまの祖父の三笠宮さまのご発案から昭和50年に設立された。

674可愛い奥様@避難所生活:2015/04/11(土) 13:18:10 ID:PZL5mL6g
ttp://www.sankei.com/life/news/150410/lif1504100031-n1.html
2015.4.11 06:00
【皇室ウイークリー】
(378)すべての戦没者へ祈り…両陛下、パラオご訪問果たされる 帰国翌日は、56回目の結婚記念日
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
米軍が上陸したオレンジビーチが見渡せる場所で、当時の戦闘の様子などを聞かれる天皇、皇后両陛下=9日、パラオ共和国・ペリリュー島
 天皇、皇后両陛下は8、9日、10年来希望してきたパラオ共和国での慰霊訪問を果たされた。激戦地のペリリュー島では、パラオに加え、同じ日本の委任統治時代に戦禍に見舞われたミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の3大統領夫妻とともに日米双方の慰霊碑をめぐり、すべての戦没者の鎮魂を祈る姿を改めて示された。
 天皇陛下は8日の晩(ばん)餐(さん)会のあいさつで、先の大戦では食糧難や疫病で地元住民にも犠牲が出たことに触れた上で「戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力された」と述べ、深い感謝の気持ちを表された。パラオ、マーシャル諸島の両大統領は今後も遺骨収集に協力する考えを示したという。
 晩餐会では、地元の女性が伝統のダンスで歓迎。両陛下は笑顔で拍手を送り、タロイモのスープやロブスターなどのメニューを楽しまれた。青年海外協力隊員の教員や、NGO(非政府組織)で不発弾処理に取り組む在留邦人とも懇談し、「成果が上がるといいですね」とねぎらわれた。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 晩餐会の前には、日本の支援を受けるパラオ国際サンゴ礁センターでハゼの水槽などを見て回られた。ハゼの研究者でもある陛下は「ハゼは生息地域が広いから研究が難しいですね」と話された。入り口近くの水槽に、皇后さまが名付けられた「アケボノハゼ」がいるのに気づき、両陛下は顔を見合わせて笑顔を浮かべられる場面もあった。
 9日は、日米で約1万2千人が犠牲になったペリリュー島をご訪問。島最南端の「西太平洋戦没者の碑」に白菊の花束を供えて深々と拝礼し、海の先に見えるもう一つの戦地、アンガウル島に向かっても静かに頭を下げられた。
 慰霊の様子を見守った生還者や遺族らとの懇談では、戦死した父の名前が入った巾着袋を手にした女性が「顔を知らない父親との唯一の絆です」と訴えると、皇后さまは「大切なものですね」と声をかけられた。両陛下は立ち去る際に、日本での振る舞いと同様に、バスの中で立ち上がって手を振り続けられた。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」では米海兵隊員らの出迎えを受け、両陛下は米国流に紅白のリボンが付いた白い花輪を花壇の前に供え、追悼の祈りをささげられた。上陸してきた米軍を日本軍が迎え撃ち、双方に甚大な被害が出た「オレンジビーチ」も近くからご覧になった。
 帰国するチャーター機に乗り込む前には、パラオのレメンゲサウ大統領らと一人一人握手を交わし、「サンキューベリーマッチ」と英語で感謝の意を伝えられたという。
 小町恭士東宮大夫によると、皇太子ご夫妻は9日、長女の敬(としの)宮(みや)愛子さまとともに、両陛下がペリリュー島で慰霊される様子をテレビでご覧になっていたという。
 両陛下は同日、56回目の結婚記念日を迎えられた。
 秋篠宮さまは6日、総裁を務める山階鳥類研究所の会合に臨席するため、広島市をご訪問。昨年8月の土砂災害で大きな被害が出た安佐南区八木地区の現場を視察し、中区の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に供花もされた。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 秋篠宮ご夫妻は9日、東京都港区の明治記念館で、温暖化防止や環境保全活動に熱心に取り組む企業や団体を表彰する「地球環境大賞」(主催・フジサンケイグループ)の授賞式にご臨席。秋篠宮さまは「日本の優れた技術や知識が地球環境の保全に貢献し、世界の発展に寄与していくことは、誠に大切なことと考えます」とあいさつされた。
 寛仁親王妃信子さまは9日、還暦となる60歳の誕生日を迎えられた。

675可愛い奥様@避難所生活:2015/04/18(土) 18:48:45 ID:32yIFRHE
ttp://www.sankei.com/life/news/150418/lif1504180006-n1.html
2015.4.18 06:00
【皇室ウイークリー】
(379)両陛下、パラオから帰国後も積極的にご公務 愛子さま、チェロをご演奏に 雅子さまもご鑑賞
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
「オール学習院大合同演奏会」でチェロを演奏される皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さま=12日、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館
 パラオ共和国での戦没者慰霊を前の週に果たした天皇、皇后両陛下はこの1週間、お疲れが残る中でも、春の恒例行事や外国大使とのご接見など重要な公務に励まれた。
 天皇陛下は13日、皇居・御所で皇太子さまから、パラオ訪問中に委任していた国事行為の臨時代行について報告を受けられた。報告終了後には、皇后さまと皇太子妃雅子さまも加わり、パラオ訪問について話をされたという。
 両陛下は15日、パラオご訪問報告で伊勢神宮(三重県)に出向いていた掌典(しょうてん)を御所に招き、労をねぎらわれた。16日には東京都八王子市の武蔵陵墓地にある昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)、香淳皇后の武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)を参拝し、慰霊訪問を無事に終えたことを報告された。
 墓地内で昼食をとった後は、近くの「高尾みころも霊堂」に移られた。昭和47年に建てられたこの霊堂には、労災事故の死亡者約24万8千人が合祀(ごうし)されており、両陛下は最上階の11階にある拝殿に供花し、犠牲者を追悼された。
 宮内庁によると、両陛下は戦後70年にあたり、戦没者の慰霊だけでなく、日本の高度経済成長を支える中で命を落とした人々の慰霊も気にかけられていたという。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下は死亡者の推移などについて説明を受けられ、天皇陛下は「平成になってからは随分減っていますね」と話された。皇后さまは、印刷会社の社員らが有機溶剤が原因で胆管がんを発症して死亡したケースやアスベスト被害などを気にかけ、「病気で亡くなった人は含まれていますか」と質問されていた。
 陛下は15、16日の2日間で、皇居内の生物学研究所脇にある苗代に、稲の種もみをまかれた。陛下のお手まきやお田植え、お稲刈りは、皇后さまのご養蚕と並んで大切にされている行事。
 皇太子ご夫妻の長女で学習院中等科2年の敬宮(としのみや)愛子さまは12日、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館で開かれた「オール学習院大合同演奏会」に初等科管弦楽部のOGとしてご出演。THE BOOMの「風になりたい」と嵐の「サクラ咲ケ」の2曲でチェロを演奏された。皇太子さまは日本医学会総会臨席などのため京都市を訪問されていたが、雅子さまは客席からオペラグラスを使って鑑賞し、笑顔で拍手を送られた。
 小町恭士東宮大夫によると、演奏会後、雅子さまと愛子さまは周辺で開かれていた「オール学習院の集い」会場をそれぞれ回り、盲導犬の体験ブースや福島県いわき市からの移動水族館などをご覧に。雅子さまは視覚障害の人々や福島県関係者とも話し、励まされたという。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 皇太子ご夫妻は13日、お住まいの東宮御所で国際原子力機関(IAEA)の天野之弥(ゆきや)事務局長と会い、東京電力福島第1原発事故への対応や医療分野への原子力利用などIAEAの活動について説明を受けられた。
 恩賜財団母子愛育会総裁の秋篠宮妃紀子さまは15日午前、明治記念館(東京都港区)で愛育班員全国大会に臨まれた。秋篠宮ご夫妻は同日午後には、憲政記念館(千代田区)での「日本さくらの会設立50周年記念第50回さくら祭り中央大会」に臨席された。サクラの保存や育成などを行っている日本さくらの会は、全米さくら祭りなどを通じて国際交流も行っている。
 三笠宮家の彬子さまは17日、東京都美術館(台東区)で大英博物館展の開会式と内覧会に臨まれた。彬子さまは留学した英オックスフォード大マートン・カレッジで、大英博物館の日本美術収集と展示の事例を基に、英国人の日本美術観の変化をテーマとした博士論文を書かれている。

676可愛い奥様@避難所生活:2015/04/25(土) 08:27:07 ID:honswllM
ttp://www.sankei.com/premium/news/150425/prm1504250025-n1.html
2015.4.25 06:00
【皇室ウイークリー】
(380)両陛下、春の園遊会で被災者らご激励 女性皇族方は色とりどりの着物姿 佳子さまはタイ王女とご再会
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
春の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下はじめ皇族方=21日、東京・元赤坂の赤坂御苑(蔵賢斗撮影)
 天皇、皇后両陛下は21日、東京・元赤坂の赤坂御苑で春の園遊会を催し、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻はじめ皇族方とともに約1800人の招待客をもてなされた。
 招待されたのは、青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞を受賞した名城大の赤崎勇終身教授、東京電力福島第1原発事故の影響で住民の避難生活が続く福島県川俣町の古川道郎町長、東日本大震災で被災しながら昨年4月に全線再開した三陸鉄道の望月正彦社長ら。
 望月社長が全線再開したことを報告すると、天皇陛下は「地域の人も喜んでいるでしょうね」とねぎらわれた。皇后さまは、ノーベル賞受賞が決定した後に行事などが続いた赤崎教授を「お疲れは取れましたか」と気遣われた。
 皇后さまはじめ女性の皇族方は色とりどりの着物姿で臨み、宴に花を添えられた。昨年12月に成年皇族となった秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは4月に国際基督教大に入学したばかりで、学業に専念するため出席されなかった。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 皇后さまは18日、東京都港区のサントリーホールで開かれたピアニスト、小山実(み)稚(ち)恵(え)さんのデビュー30周年記念公演を鑑賞された。東北出身の小山さんは東日本大震災の被災地で演奏会を続け、皇后さまとは長年の親交がある。皇后さまはラフマニノフのピアノ協奏曲に熱心に聞き入り、観客とともにアンコールの拍手を送られた。
 両陛下は23日、東京都千代田区内で開かれた日本国際賞の授賞式と祝宴に臨席された。同賞は科学技術を通じて社会に貢献した世界的な科学者に贈られる。祝宴では、両陛下が洪水の被害軽減などに尽力してきた東大の高橋裕名誉教授ら3人の受賞者と席を並べられた。陛下が乾杯のあいさつをして祝福された。
 24日には、両陛下で港区の根津美術館を訪れ、江戸時代を代表する画家、尾形光琳の没後300年を記念した特別展「燕(かき)子(つ)花(ばた)と紅白梅-光琳デザインの秘密-」を鑑賞された。同展は、いずれも国宝で同館所蔵の「燕子花図(ず)屏(びょう)風(ぶ)」と、MOA美術館所蔵の「紅白梅図屏風」を56年ぶりに同時に展示。両陛下は案内役の学芸員から、型紙を使うなど光琳独特の技法の説明を受けながら作品を見て回られた。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下には3月下旬から風邪の症状がみられたが、宮内庁の山本信一郎次長は20日の定例記者会見で、陛下は症状がなくなられ、皇后さまも時折、せきが残っているものの快方に向かわれていることを明らかにした。ただ、皇后さまは週末になっても外出先でせき込まれる場面があった。
 皇太子さまと高円宮妃久子さまは24日、皇居・東御苑内の楽部庁舎で、宮内庁楽部による春季雅楽演奏会を鑑賞し、重要無形文化財にも指定された古式ゆかしい調べと神楽の舞を楽しまれた。
 秋篠宮ご夫妻と佳子さまは23日、非公式で来日していたタイのシリントン王女を宮邸に招き、夕食をともにされた。ご夫妻と佳子さまはともにスーツ姿で玄関先で王女を出迎え、約2時間にわたって懇談されたという。
 シリントン王女はプミポン国王の次女で、平成2年6月に行われた秋篠宮ご夫妻の結婚の儀に参列するなど長年にわたり親交を深めている。15年8月に秋篠宮ご一家がタイを旅行された際、学習院初等科3年生だった佳子さまも王女と面会されている。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 三笠宮家の彬(あき)子(こ)さまと瑶(よう)子(こ)さまは22日、東京都千代田区の靖国神社を春季例大祭に合わせて参拝された。三笠宮家では祖父の三笠宮さまや、24年に薨(こう)去(きょ)された父の寛(とも)仁(ひと)親王殿下も春秋の例大祭期間中にたびたび参拝されている。

677可愛い奥様@避難所生活:2015/05/02(土) 11:43:57 ID:iBcywvt6
ttp://www.sankei.com/life/news/150502/lif1505020010-n1.html
2015.5.2 06:00
【皇室ウイークリー】
(381)皇后さま、ご養蚕作業お始めに 愛子さまはソフトボールでヒット
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「みどりの式典」のレセプションに臨席し、乾杯される天皇、皇后両陛下=4月27日、東京都千代田区の憲政記念館
 天皇、皇后両陛下は4月27日、東京都千代田区の憲政記念館で開かれた内閣府主催の「みどりの式典」に臨席された。自然保護や植物など「みどり」に関する功績があった研究者2人に「みどりの学術賞」が、緑化推進に尽力した13の個人・団体に「緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰」が授与され、両陛下は温かい拍手を送られた。式典後のレセプションでは、受賞者らと和やかに懇談された。
 宮内庁の山本信一郎次長は同日の定例会見で、パラオ共和国訪問前から風邪の症状があった皇后さまのご体調は回復傾向にあるものの、せきが残られていると述べた。
 皇后さまは30日に御養蚕始の儀に臨み、明治以降に皇后が代々受け継いできた伝統の養蚕作業を始められた。翌1日には皇居内の野蚕室で、日本原産の「天蚕」の卵をクヌギの枝に付ける「山つけ」を行い、約25個の卵が付いた短冊状の和紙をクヌギの枝に巻き付けてホチキスで留められた。芽吹いて間もないクヌギを見て、「柔らかくて(蚕が)食べやすいでしょうね」などと話された。

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 天皇陛下の側近トップを務めた川島裕侍従長が1日付で退任し、陛下は同日、皇居・宮殿で前宮内庁式部官長の河相(かわい)周夫(ちかお)・新侍従長の認証官任命式をされた。侍従長交代は8年ぶりのことだ。
 皇太子ご夫妻は4月27日、東宮御所で復興庁の岡本全勝事務次官から進講を受け、東日本大震災の発生から4年を迎えた中での被災者支援▽復興まちづくり▽産業再生▽原発事故後の風評被害対策-などについて聞かれた。
 ご夫妻はネパールの大地震についても、日本人を含む多数の犠牲者が出たことに大変心を痛めているとのお気持ちを示されたという。
 皇太子さまは昭和62年に同国を訪問し、女性や子供が時間をかけて水くみをしている姿を見かけられた。水不足が教育を受ける機会まで阻害していると思い至り、ライフワークである「水問題」研究に本格的に取り組まれるようになったという。

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 皇太子ご夫妻の長女で学習院女子中等科2年の敬(としの)宮(みや)愛子さまは28日、同校の球技会でソフトボールに参加された。2、3年生によるクラス対抗トーナメント戦に、チームリーダーとして3番ショートでご出場。チームは4対5でサヨナラ負けしたが、愛子さまは第1打席でヒットを打ったほか、守備で併殺を取るなど活躍された。
 愛子さまは約2週間前から東宮職の職員だけでなく、皇太子さま、中学高校時代にソフトボールをされていた皇太子妃雅子さまとも、練習を重ねられていたという。
 日本美術協会総裁の常陸宮さまは28日、東京都台東区の上野の森美術館で、同館大賞展の授賞式とレセプションに臨まれた。絵画大賞は二科会会友の高木陽さんが受賞。常陸宮さまはレセプションで受賞者らとテーブルを囲み、和やかに歓談された。

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 高円宮妃久子さまは25日、秋田市の市立千秋美術館で、企画展「掌(しょう)中(ちゅう)の珠(たま) 高円宮家コレクションの根(ね)付(つけ)」のオープニングセレモニーなどに臨まれた。久子さまは「手のひらの小宇宙 根付の世界」と題して講演し、セレモニーでテープカットされた。その後、穂積志(もとむ)市長らに自ら展示品を説明された。26日には、秋田県立美術館と秋田公立美術大を視察された。
 首相官邸の屋上で小型無人飛行機「ドローン」が見つかった事件を受け、宮内庁は皇宮警察と24日までに皇居・御所や東宮御所、宮邸、宮内庁関係施設の屋上や屋根の調査を実施。異常は見つからなかったという。

678可愛い奥様@避難所生活:2015/05/05(火) 05:56:02 ID:/s4UjrRo
ttp://www.sankei.com/life/news/150504/lif1505040007-n1.html
2015.5.4 06:00
【皇室ウイークリー番外編】
「両国は影響与えあってきた」両陛下お迎えしたパラオの人々が寄せる「歴史」への深き思い
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パラオ国際空港に到着し、地元の子供たちの出迎えに手を振って応えられる天皇、皇后両陛下=4月8日午後(代表撮影)
 戦後70年の節目に、戦没者慰霊で天皇、皇后両陛下が訪問された南洋の島国、パラオ共和国。両陛下ご訪問より一足早く同国入りして渡ったペリリュー島では、改めて親日ぶりや日本由来の文化に加え、日本以外にも多彩な歴史を受け止めてきたパラオの懐の深い文化が広がっていた。「島全体がお墓」ともいわれるかつての激戦地だった島にはさまざまな人が集い、多くの出会いもあった。その体験の一端をお伝えする。(今村義丈)

七色の海、「パラオ松島」…果てしない自然美
 サンゴや水深によって乳白色、緑、群青など、まさしく七色に変わる海。かつての日本人が3千キロ離れた故国を想い、宮城県の景勝地になぞらえ「パラオ松島」と呼んだ、多数の小島が連なる景観-。
 両陛下ご訪問3日前の4月5日。パラオ本島側と呼ばれるマラカル島から、日本兵約1万人、米兵約1600人が犠牲となった激戦地・ペリリュー島まで、モーターボートで海上を駆けていく約40キロの道中には、美しい光景が視界の果てまで広がっていた。

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 両陛下もその後、ご移動のヘリコプターでこの景観も目にされたはずだ。「南洋」の夢を追ってパラオに向かった戦前の日本人も見たこの自然美と、その後の厳しい戦いを思うと、思わず目頭が熱くなった。
 約1時間10分でペリリュー島北端「ノースドック」に到着。港で出迎えてくれたのが宿泊先ホテルのオーナー、マツタロウ・デセンゲイさん(41)だった。島で旅行会社やカフェも経営。「マツタロウ」の名が表すとおり、母方の曾祖父が日本人という日系人だ。一方、父方の祖母は中国人とパラオ人のハーフという。
姓名が“スイッチ”?
 「父の名前はデセンゲイ・マツタロウ。スイッチしただけだ」とおどける。冗談かと思ったが、パラオでは、親の名を姓のように使うのだという。デセンゲイさんの場合は祖父譲りの名前を父がつけたため、結果的に姓と名が“スイッチ”する形となった。
 デセンゲイさんが話すのは、同国の公用語となっている英語とパラオ語。私は英語の聞き取りはあまりできず、単語帳などを使いながらの拙い片言のような会話だったが、多くの島民はこちらのレベルを理解した上で「ダイジョーブ」「モンダイナイ」などと日本語由来の現地語で励ましながら、言葉を根気強く何度も繰り返してくれた。

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 おかげで、心理的な「言葉の壁」はあまり感じなかった。これが、多様な歴史を受け入れてきた島の優しさ、懐の深さと実感した。
歴史への真摯(しんし)な姿勢
 話しているうちに、デセンゲイさんは実は37歳までペリリュー州議会議員で、議長まで務めた人物だと知った。日本の遺族関係者らが島内の戦争博物館に関し、展示内容が米国側の視点に立ちすぎているとして日本関連の展示の拡充を求めた際には、議長として調整を取り持った経験を持つ。
 「私たち自身のためでもあった。博物館には、パラオの歴史の展示もなかったんだ」。日本側の要請を受け入れた思いをこう話す。
 戦争では、デセンゲイさんの一族も影響を受けた。母方の祖父は米軍機に銃撃されて負傷。島民を守ろうとした日本軍の指導で他島に疎開し命は助かったが、「戦いが終わって島に戻ると、何もなかった。本当に何もかも」(デセンゲイさん)。住み慣れた家も畑も美しい緑も、焼き尽くされていた。島がゼロから再建しなければならなかった状況を、デセンゲイさんは人々と自然が「ベリーベリーハート」(深く、深く傷ついた)と率直に表現する。

679可愛い奥様@避難所生活:2015/05/05(火) 05:57:14 ID:/s4UjrRo
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 だがこうも続けた。「日本とパラオは長い歴史の中で、さまざまな影響を与えあってきた。米国との間でも。われわれは、総合的な経験で物事を捉えるのです」。そして「天皇陛下は晩餐(ばんさん)会で、先の戦争で亡くなった『すべての人々』に追悼をささげてくださった。実に感慨深い。ペリリューに来ていただけて、本当に光栄です」と語った。パラオの人々の歴史への真摯な姿勢に心打たれた瞬間だった。
日本への親近感、若い世代でも
 日本の信託統治時代に日本語教育を受けた経験を持つ70代後半以上に日本語を話す人が多いのは自然だが、デセンゲイさんと同じ40代でも、日本語を理解する人もいた。
 ニヘイジ・オキヤマさん(44)もその一人だ。ペリリュー島酋長のイサオ・シゲオさんの長男だ。「ジェリー」という現地名もあるが、「オキヤマ」の名は、日本兵遺骨収集や慰霊碑管理に尽力して日本の戦友・遺族から「パラオの母」と慕われた祖母、トヨミ・オキヤマさんから受け継いだものだ。
 日本の慰霊団をもてなして支えた祖父母にならい、自らも慰霊碑清掃に関わった。それだけではなく20歳ごろには両国交流事業で日本に滞在し、川崎市に6カ月住んだこともあるという。「天皇陛下が来てくださってベリーハッピー。私も日本にできればまた行きたい」。ニヘイジさんはほほえんだ。

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 一方、両陛下を歓迎する横断幕を手作りしたペリリュー小学校の生徒会長で、「桜の花びらの色を一生懸命塗りました」と笑顔を見せた6年生のチャド・キム君は、韓国人とパラオ人のハーフ。さまざまな人が生きる島国だった。
「オキャク」「ベントー」歴史写す多彩な言葉、一方で…
 「オキャク」(お客)。ペリリュー島のホテル関係者から、そう呼ばれた。朝は道行く人が「オハヨ」と話し、片言の英語で話しかけていると「ソーリー、ワカラナイ」。ストアには「ベントー」(弁当)が当たり前に並んでいる。日本語由来の言葉や文化が多数根付いていることは聞いていたが、その自然さは想像を超えるものだった。
 一方で、外来語が多いのは日本語に限ったことではないという。例えば自転車を意味する「ラット」はドイツ語由来、教会を意味する「イケレシア」はスペイン語由来。おそらく、両国由来の他の言葉も日常的に飛び交っているのだろう。
 パラオは19世紀末にスペインの植民地、次いでドイツの植民地となる。第一次世界大戦でのドイツ敗北を契機に、今度は日本が約30年間、信託統治を行う。戦後は、米国の信託統治となったが1994年についに独立-と複雑な歴史を持つ。デセンゲイさんが「歴史」に深い思いを寄せるのも、こうした背景からだ。

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 「パラオ」もそもそも英語で現地語では「ベラウ」、ペリリュー島も「ベリリオ島」だ。英語教育の期間が長いため、ベラウ語を話せる若者が減っているといい、デセンゲイさんは「知ることから始まる。教育は重要だ」と話した。
両陛下ご慰霊が引き寄せた、世代超えた日米の出会い
 両陛下のご慰霊が、日米の世代を超えた邂逅(かいこう)を生み出していた事実も、期せずして知ることができた。
 同じホテルに宿泊した米国人、エヴァン・マカフィーさん。40歳でソニーの社員だという彼になぜペリリューに来たか尋ねると、祖父がサイパンや沖縄、そしてペリリューでも戦った、米海軍軍人だったというのだ。激戦を生きた体験談を幼いころ聞いていた彼は、祖父の戦いの地を少しずつ巡る旅を続けており、たまたま両陛下ご訪問のタイミングに合ったのだった。
 「祖父の戦いは名誉なことであると同時に、とても悲しいことだったと思う。私はその歴史を知らなければならない」。そう語る彼に、ペリリュー島守備隊で生還した数少ない一人、元海軍上等兵曹の土田喜代一さん(95)が島を訪れていることを話し、土田さんが終戦後も1年8カ月にわたって抵抗のため潜伏した、荒々しいサンゴ質の岩でできた狭い自然壕に私が入って撮影した写真を見せると、「ツチダさんはとても勇気ある人だ。尊敬する」と繰り返した。

680可愛い奥様@避難所生活:2015/05/05(火) 05:58:22 ID:/s4UjrRo
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 土田さん側のスケジュールを確認してマカフィーさんに伝えたところ、島内巡回中に会うことができたという。英語を話せる人を介して祖父のことを話し、握手も交わしたという。「この出会いは私にとって非常に光栄で、名誉なことでした」。マカフィーさんはそう振り返っていた。
 「島全体がお墓」といわれるペリリューを始め、戦没者の墓標がある南洋各地。その島々には日本人以外もゆかりの人々が今も世代を継いで訪れ、慰霊に頭を垂れているのだ。
島のおおらかさ
 宿泊した「アドベンチャーズイン」は今春開業の新設ホテル。といっても新築ではなく、数年前まで教会だった建物を改装したという。確かに外壁にはうっすらと「OUR LADY」(聖母)の文字が残る。
 私が「ファーストオキャク」、最初の宿泊客だったそうで、1号室に宿泊する“特権”を得た。さらに3室が並んでいたがその奥はまだ製作中で、コンクリートの塊がごろごろ。滞在期間中も工事は進み、夜に取材から戻ると、土のスロープだったホテル入り口前に石をコンクリートで固めた階段が次第にできあがり、当初はなかったブロック塀が日々、高さを増していった。重機は使わず、すべて人の手で騒音もないため、工事中でも特に困ることはない。忙しい取材のなかだったが、こうしたおおらかさに、なんだかのんびりとした気持ちになった。

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「ニツケ」も食べます、「ラーメン」はあの銘柄
 夜はハンバーガーやフライドポテト、フライドチキン、朝はメープルシロップ付きフレンチトーストやホットケーキ、スパム-。ホテル隣接のカフェで主にとった食事は、独立まで50年近く続いた米国統治の歴史を反映したものが多かったが1度、白身魚の「ニツケ(煮付け)」、葉物のみそ汁が出たことがあった。
 カフェを切り盛りするデセンゲイさんの妻、カーニーさんは「自転車で島内を取材しているイマムラを元気づけるためよ」と笑ってくれたが、日本人以外のオキャクにも日本食を出しており、島では決して珍しい料理ではないようだ。
 それは近くのストア「バレットクイックマート」の品ぞろえでも裏付けられた。
 冷蔵ケースでみそが袋売りされ、黄色いたくあんも並んでいたのだ。棚を見ると、小倉あんの缶詰や白玉粉まで。カタカナで表記された日本でおなじみの菓子も多く、ラーメン棚には「SAPPORO ICHIBAN」も。「サッポロイチバン」はラーメンを意味し、カフェでラーメンを注文すると、袋入りサッポロイチバンが作られるほどのメジャーさだ。
 日本と異なる点もあった。ペットボトル入り「緑茶」はよく飲まれるドリンクの1つだが、糖類がたっぷり入った甘い飲み物になっている。バーで「フライドトーフ」なるメニューを注文すると、厚揚げと野菜のソース風炒めが出た。のりと卵のふりかけとみられるものがトッピングされていた。

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もっと日本人訪島を
 日本以外にも、距離が近いフィリピンやインドネシア製の商品、ハングル表記の食品などもあり、多様な食文化が息づいていた。
 「総合的な経験で物事を捉える」。元州議会議長、デセンゲイさんの言葉を、文化の面からもかみしめた滞在だった。だが、帰国するパラオ国際空港では、空港の太陽光発電システムが日本の協力で完成したとの両国国旗パネルがある一方、日本の航空会社の直行便がないこと、中国系の観光客が本当に多いことに、複雑な気持ちになった。
 ダイビング客は多いというが、かつて国別で1位だった日本人訪問者数はここ数年、3位や4位に落ちているという。直行なら羽田から片道4時間半で、雄大な自然、歴史を感じることができ、初めてでも心優しい人々が手助けしてくれる。日本に深く親近感を抱いているこの国に、もっと多くの日本人が訪れることを願ってやまない。

681可愛い奥様@避難所生活:2015/05/09(土) 06:56:30 ID:bhMAXqv6
ttp://www.sankei.com/premium/news/150509/prm1505090023-n1.html
2015.5.9 06:00
【皇室ウイークリー】
(382)皇太子ご一家、御料牧場で秋篠宮ご一家招きご夕食 両陛下、シャーロット英王女誕生にご祝電
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展覧会「ベスト・オブ・ザ・ベスト」で、クロード・モネの「黄昏、ヴェネツィア」を鑑賞される天皇、皇后両陛下=4日、東京都中央区のブリヂストン美術館
 ゴールデンウイークに入ったこの1週間、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方はおおむね静かに過ごされた。連休明けの8日からは春の叙勲・褒章の親授式・伝達式が始まり、天皇陛下は旭日大綬章の受章者らに勲章を手渡し、面会された。重光章以下の勲章や褒章の受章者らとの面会も翌週にかけて続けられる。
 8日に皇居・宮殿「松の間」で行われた大綬章の親授式には、国や公共の活動などで顕著な功績を挙げた人に贈られる「旭日大綬章」を受章した石原慎太郎元東京都知事、米倉弘昌前経団連会長、岡村正前日本商工会議所会頭ら12人が出席。陛下は安倍晋三首相から勲章を受け取り、一人一人に手渡された。
 式の後、石原氏が受章者を代表して「これからわれわれ一同、それぞれの分野でお国のために力を発揮し、精進致します」とあいさつ。陛下は「国や社会のために、また、人々のために尽くされてきたことを深く感謝しております」とねぎらわれた。この日は重光章の受章者56人とも宮殿で面会された。

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 両陛下は4日、東京都中央区のブリヂストン美術館を訪れ、建て替え工事のため18日から休館するのを前に、同館を運営する石橋財団所蔵の絵画・彫刻など約2500点の中から約150点を厳選して展示した「ベスト・オブ・ザ・ベスト」を鑑賞された。
 仏印象派の画家の作品を中心に見て回り、代表的存在のクロード・モネの作品「黄昏、ヴェネツィア」などをご覧に。同じくモネの「睡蓮(すいれん)」の前では、陛下が説明役の学芸員に「モネの庭ですか」などと質問されていた。
 両陛下はともに3月下旬からの風邪の症状が回復しないまま、4月上旬に戦没者慰霊のためのパラオ共和国訪問を果たされた。その後も春の園遊会などの行事が続き、多忙な日々を過ごされていた。
 宮内庁の山本信一郎次長は7日の定例会見で、「この連休中、美術館ご訪問以外はゆっくりとお過ごしいただいた」と述べた。山本次長によると、皇后さまに残られていたせきの症状はほとんど見られなくなったという。

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 皇室と長年にわたり親交を深めている英王室のウィリアム王子とキャサリン妃に第2子となるシャーロット王女が2日に誕生したことを受け、両陛下は7日、シャーロット王女の曽祖母であるエリザベス女王に祝電を送られた。
 ウィリアム王子は2月下旬から3月上旬にかけて単身で初来日し、両陛下が皇居・御所で昼食をともにされたほか、皇太子ご夫妻が東宮御所に招いて懇談されている。
 前の週から伝統のご養蚕の作業に入った皇后さまは8日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、蚕に桑の葉を与える「ご給桑(きゅうそう)」に臨まれた。
 皇太子ご一家は3日から栃木県高根沢町の御料牧場で静養された。小町恭士東宮大夫によると、ご夫妻が平成6年にオマーンを訪問した際、カブース国王から贈られたアラブ種の牝馬「アハージージュ」(25歳)と4年半ぶりに再会したほか、ニワトリの卵の収穫を体験された。牛の搾乳や羊の毛刈りの様子なども見学されたという。

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 御料牧場には2日から秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さま、3日から次女の佳子さまも滞在していたため、4日午後に皇太子ご一家と秋篠宮ご一家が一緒に自転車で牧場内の畑を訪れ、アスパラガスやトマト、イチゴを収穫された。また、同日夜には皇太子ご一家が秋篠宮ご一家を夕食に招き、約2時間にわたって歓談されたという。
 秋篠宮ご一家は5日、皇太子ご一家は6日にそれぞれ帰京された。

682可愛い奥様@避難所生活:2015/05/16(土) 06:38:18 ID:j3BruMok
ttp://www.sankei.com/life/news/150516/lif1505160008-n1.html
2015.5.16 06:00
【皇室ウイークリー】
(383)両陛下、元ハワイ州知事とご再会 愛子さまは遠足で八景島シーパラダイスをご訪問
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懇談したベルギーのシャルル・ミシェル首相を見送られる天皇、皇后両陛下=11日、皇居・御所
 天皇、皇后両陛下は11日、皇居・御所で、来日していたベルギーのシャルル・ミシェル首相と懇談された。宮内庁によると、ベルギー側から、昨年12月に死去したファビオラ元王妃の葬儀に皇后さまが参列されたことに、改めて感謝の言葉を伝えたいとの意向があり、実現したという。
 12日には、両陛下が元米ハワイ州知事のジョージ・良一・アリヨシ氏夫妻を御所でのお茶に招き、旧交を温められた。アリヨシ氏は1974(昭和49)〜86(同61)年に日系米国人として初めて知事を務めたハワイ政界の重鎮。両陛下とは皇太子・同妃時代の87(同62)年、夫妻で来日した際に会ったほか、両陛下が94(平成6)年と2009(同21)年に米国を訪問された際にも顔を合わせていた。
 宮内庁によると、両陛下は常々、ハワイやブラジルのほか、4月に戦没者慰霊で訪問したパラオ共和国を含む南洋諸島などにある日系人社会を気にかけ、日系2世の元知事としてハワイで活躍するアリヨシ氏とも心を通わせられてきた。アリヨシ氏は今回、父の出身地である福岡県豊前市の招待で来日したという。
 英王室のウィリアム王子とキャサリン妃に長女のシャーロット王女が誕生したことを受け、両陛下は曽祖母のエリザベス女王に加え、同王子夫妻にも祝電を送られた。

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 天皇陛下は前の週に引き続き、11〜15日に皇居・宮殿で春の叙勲・褒章の受章者からお礼のあいさつを受け、ねぎらいの言葉をかけられた。
 日本赤十字社名誉総裁を務める皇后さまは13日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれた全国赤十字大会の式典に出席し、医療やボランティア活動で功績のあった個人・団体をたたえる「有功章」の受章者代表13人にメダルと賞状を授与された。
 名誉副総裁の秋篠宮妃紀子さま、常陸宮妃華子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまもご同席。大阪赤十字病院の池田載子さんが中東・レバノンでシリア難民の看護活動にあたった経験を報告する話に耳を傾けられた。皇后さまは式典後、池田さんに「頑張ってこられたんですね」と声をかけられた。
 台風一過となった13、14日は全国的に夏の陽気となり、東京都内では30度以上の真夏日を記録したところもあった。宮内庁の風岡典之長官は14日の定例会見で、「暑い日が続くので、両陛下のご健康面を、より注意していかなければならない」と話した。3月から風邪の症状が続く皇后さまは、夜間にはまだせきが出ることがおありだという。
 風岡長官は首相官邸で小型無人飛行機「ドローン」が見つかった事件を受け、無料開放している皇居・東御苑に、小型無人飛行機を持ち込まないよう注意喚起する看板を設置したことも明らかにした。

ttp://megalodon.jp/2015-0516-0632-40/www.sankei.com/life/news/150516/lif1505160008-n3.html
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 皇太子さまは15日、ガボン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アラブ首長国連邦、アルメニアの各国に赴任する大使と面会された。皇太子妃雅子さまも同席された。
 皇太子ご夫妻の長女で学習院女子中等科2年の敬宮(としのみや)愛子さまは14日、同校の遠足で横浜・八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)を初めて訪問された。小町恭士東宮大夫によると、水族館でイルカやアシカ、セイウチのショーなどをご見学。昼食は友人たちとバーベキューをするなど楽しく過ごされたという。
 御寺泉涌寺(みてら・せんにゅうじ)を護(まも)る会総裁の秋篠宮さまは12日、同会の定期総会に臨席するため、秋篠宮妃紀子さまとともに京都市を日帰りでご訪問。紀子さまは14日にも京都市を訪れ、4月に名誉総裁に就任された大聖寺文化・護友会の関係者と懇談されたという。

683可愛い奥様@避難所生活:2015/05/23(土) 07:06:18 ID:7X9vO3gw
ttp://www.sankei.com/premium/news/150523/prm1505230027-n1.html
2015.5.23 06:00
【皇室ウイークリー】
(384)両陛下、各国首脳夫妻らと茶会でご歓談 紀子さまと佳子さま、障害者支援のために募金される
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石川県に向かうため、北陸新幹線に乗車された天皇、皇后両陛下=16日、JR東京駅(三尾郁恵撮影)
 天皇、皇后両陛下は16日、石川県野々市市の県立明和特別支援学校を訪れ、知的障害のある高校生が接客の練習をする授業を見学された。皇后さまが客となって「おすすめは何ですか」と尋ね、生徒らが手作りしたマフィンやジャムなど計5点を買い求められる予定外の場面もあった。
 この日は、3月に延伸開業した北陸新幹線に金沢駅まで初めてご乗車。警備上の問題で先頭車両にある最上級のグランクラスではなく通常のグリーン車の利用だったが、車窓越しに見える山の名前を尋ねるなど約2時間半の旅を満喫された様子だったという。
 両陛下は17日、小松市の木場潟公園で開かれた全国植樹祭の式典にご臨席。昭和天皇が昭和58年の植樹祭で種をまいたスギで作られたくわを受け取り、陛下がクロマツなど3種、皇后さまがヤマモミジなど3種の苗木を植えられた。同公園から、霊峰・白山の眺望も楽しまれた。

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 18日には、江戸時代に加賀藩・前田家の居城だった金沢城の復元工事が進められている金沢城公園をご訪問。明治天皇が巡幸した際に撮影した写真も参考にし、3月に復元されたばかりの橋爪門などを熱心にご覧になった。
 両陛下は20日、太平洋・島サミットに参加するため来日したパラオ共和国のレメンゲサウ大統領夫妻と、マーシャル諸島共和国のロヤック大統領夫妻を皇居・御所に招き、昼食をともにされた。両大統領夫妻とは戦没者慰霊でパラオを訪問した4月以来のご再会。玄関で出迎えた両陛下は英語で「またお会いできてうれしいです」とあいさつし、笑顔で握手を交わされた。
 21日には皇居・宮殿に、両国に加え、他のサミット参加国の首脳夫妻らを招待し、茶会を催された。皇太子さま、寛仁親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、高円宮妃久子さま、高円宮家の承子さまが陪席された。

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 陛下は20日、皇居内の水田で、うるち米ともち米の苗の田植えをされた。皇后さまは同日、蚕に桑の葉を与える「給(きゅう)桑(そう)」、22日には蚕をわらなどで編んだ網に移す「上(じょう)蔟(ぞく)」の作業を、皇居内の紅葉山御養蚕所でされた。
 皇太子ご夫妻は19日、東京都港区の国連大学で、インドのNGOが企画した細密画の展覧会を鑑賞された。NGOは聴覚障害がある人に細密画を教える自立支援活動に取り組む。ご夫妻は支援を受けた画家、シャルマ氏の創作活動を見学し、手話通訳を交えてご歓談。インドの伝統的な絵柄や色彩を引き継ぐ細密画に感心されていたという。
 秋篠宮ご夫妻は20日、和歌山県を訪れ、世界遺産の丹(に)生(う)都(つ)比(ひ)売(め)神社や開創1200年を迎えた高野山真言宗の総本山・金剛峯寺を見て回られた。21日には50日間に及んだ記念大法会をしめくくる「結願法会」に臨席された。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは19日、東京都千代田区内のホールで、映画「奇跡のひと マリーとマルグリット」を鑑賞された。全国盲ろう者協会の活動を支援するチャリティー試写会で、紀子さまと佳子さまも宮内庁を通じて募金をされたという。

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 佳子さまは主人公の少女と同じ多重障害を抱えたヘレン・ケラーにも興味を持ち、試写会を楽しみにされていた。試写会後には「ヘレン・ケラーの物語と違うのは、命の問題を描いているところですね」と話されていたという。
 日本・トルコ協会総裁である三笠宮家の彬子さまは18日、東京都港区内で開かれた同協会の年次総会に出席し、「友好の歴史をまた130年、150年と紡いでいっていただけますことを祈ります」とあいさつされた。

684可愛い奥様@避難所生活:2015/05/30(土) 06:39:18 ID:nBlm3gt6
ttp://www.sankei.com/premium/news/150529/prm1505290008-n1.html
2015.5.30 06:00
【皇室ウイークリー】
(385)両陛下、空襲犠牲者らをご慰霊 三笠宮ご夫妻、古式馬術ご見学
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こどもの国開園50周年記念式典に臨席された天皇、皇后両陛下=28日、横浜市青葉区
 天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻はこの1週間、戦後70年にあたっての戦没者慰霊に務められた。
 両陛下は26日、東京都墨田区の東京都慰霊堂を訪れ、昭和20年3月の東京大空襲の犠牲者ら約10万5千人の遺骨が納められた霊殿に白菊の花束を手向けて拝礼された。両陛下が慰霊堂を訪問されるのは、戦後50年だった平成7年以来20年ぶり。
 25日には、秋篠宮ご夫妻が千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた拝礼式に臨席し、先の大戦で海外などで亡くなった身元不明の戦没者を追悼された。同墓苑には今年新たに加えられた2498柱を含め36万2570柱の遺骨が納められている。
 秋篠宮さまは28日、日本動物園水族館協会の通常総会に出席するため訪問した兵庫県姫路市で、空襲犠牲者を祭る太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔に供花された。続いて、「平成の大修理」で真っ白に生まれ変わった国宝の姫路城も見学された。
 両陛下は25日、東京都港区のサントリーホールで、ウィーン少年合唱団の来日60周年記念特別公演を鑑賞し、マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」や童謡「ふるさと」などの「天使の歌声」を楽しまれた。

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 アンコールでは「皇后さまがお好きな曲」との紹介で、ベルナーの「野ばら」が披露され、両陛下は立ち上がって拍手を送られた。両陛下は2002(平成14)年にオーストリアを訪問した際、合唱団の寄宿舎をご訪問。合唱団による「野ばら」に、皇后さまがピアノで伴奏されていた。
 こどもの国(横浜市青葉区)の開園50周年記念式典が28日に開かれ、両陛下が臨席された。こどもの国は両陛下のご結婚記念で全国から寄せられたお祝い金をもとに建設。両陛下が節目の式典に臨席されてきたほか、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家と3代にわたって訪問されている。
 天皇陛下は式典のあいさつで、建設に携わった人々に感謝の意を示し、「都市化した地域に住む子供たちに、四季様々に変化する自然に接する良い機会をもたらしたことと思います」と述べられた。
 両陛下は27日、東京都港区の国立新美術館で、「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」を鑑賞された。25日には、皇太子ご夫妻も同展を鑑賞された。皇太子妃雅子さまの皇居外での公務は、今年1月に山種美術館で特別展を鑑賞されて以来という。

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 三笠宮ご夫妻は26日、皇居・東御苑内の埒馬場(らちばば)で、30日に両陛下の傘寿記念で実施予定の古式馬術のリハーサルを観覧された。三笠宮さまは若い頃、陸軍騎兵学校に通い、その後、騎兵連隊に所属されていたことがある。
 宮内庁の風岡典之長官によると、ご夫妻が観覧を希望された。26日の東京都心は真夏日となる猛暑だったが、ご夫妻とも翌日の体調にお変わりはなかったという。
 三笠宮家の彬子さまは23日、学習院大(東京都豊島区)で、「オックスフォード大学に学んで」と題して講演された。同じオックスフォード大マートン・コレッジに留学した皇太子さまがご聴講。講演後の質疑応答で、彬子さまが促されると、皇太子さまはご自身の留学体験を話されたという。

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 剣道4段である三笠宮家の瑶子さまは29日、日本武道館(千代田区)で開かれた世界剣道選手権大会を観戦された。瑶子さまは学習院初等科5年で剣道を始め、学習院大時代には剣道部で女子主将を務められた。現在はボランティアのコーチとして初等科剣道部で指導されている。

685可愛い奥様@避難所生活:2015/06/06(土) 08:31:02 ID:FLxxza8Y
ttp://www.sankei.com/premium/news/150606/prm1506060020-n1.html
2015.6.6 06:00
【皇室ウイークリー】
(386)両陛下、比大統領をご歓迎 雅子さま、笑顔で晩餐会ご出席 ドレスを着られた佳子さまも話題に
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フィリピンのアキノ大統領を招いた宮中晩餐会であいさつされる天皇陛下=3日、皇居・宮殿
 天皇、皇后両陛下は5月30日、皇居・東御苑の埒馬場(らちばば)で、宮内庁が継承する古式馬術を観覧された。両陛下の傘寿記念の一環で、安倍晋三首相ら歴代の三権の長、閣僚など160人を招待された。
 観覧されたのは、西洋のポロと同じ起源とされる「打毬(だきゅう)」と、約10メートルの吹き流しを、馬を疾走させてたなびかせる「母衣引(ほろひき)」。打毬では、宮内庁で馬の世話を担当する車馬課主馬(しゅめ)班の職員が「赤」「白」に分かれ、網のついた棒でゴルフボール大の球を拾い上げ、ゴールの穴に投げ入れていった。両陛下は球が入るたびに拍手を送られた。
 1日、両陛下は日本学士院会館(東京都台東区)で開かれた日本学士院賞授賞式と、皇居・宮殿での茶会に臨まれた。茶会には、皇太子さまと秋篠宮ご夫妻が陪席された。
 授賞式の前、両陛下は日本学士院賞と恩賜賞を同時受賞した東京工業大の細野秀雄教授(無機材料科学)らから研究成果の説明を受けられ、陛下が「いろいろとこれから良いものができていくわけですね」とお声をかけた。

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 両陛下は3日夜、国賓として来日したフィリピンのベニグノ・アキノ大統領を、皇居・宮殿での宮中晩餐会(ばんさんかい)でもてなされた。乾杯に先立ち、陛下は先の大戦で同国民の多くが戦禍に見舞われたことに触れ、「私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならない」とごあいさつ。さらに、戦後70年を踏まえ「当時の犠牲者へ深く哀悼の意を表します」と述べられた。
 皇太子妃雅子さまは午前中の歓迎行事は出席の予定を取りやめたが、晩餐会には昨年10月のオランダ国王夫妻の晩餐会に続き、出席された。秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまはピンクのドレス姿で初めて晩餐会に臨み、寛仁親王妃信子さまとフィリピンのプリシマ財務相の間に座り、料理を楽しみながら歓談された。
 晩餐会に先立つ同日午前、両陛下は大統領とご会見。陛下が皇太子時代の1962(昭和37)年に両陛下で同国を訪問した際の思い出を振り返ると、大統領から当時の写真が差し出され、両陛下は懐かしそうに見入られていたという。また、陛下は東日本大震災の際の同国からの支援に謝意を示されたという。

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 5日には、両陛下が大統領の宿泊先だった帝国ホテル(東京都千代田区)を訪れ、別れのあいさつをされた。
 5月29日から宮崎県を訪問していた皇太子さまは30日、宮崎市の県総合文化公園で開かれた全国「みどりの愛護」のつどいの式典に臨席し、「緑豊かな環境づくりが一層発展することを願います」とあいさつされた。続いて、公園内の広場でヤマザクラを植樹された。さらに、市内の児童養護施設「みんせいかん」を視察して帰京された。
 秋篠宮妃紀子さまは3日、東京都港区の明治記念館で、産経児童出版文化賞(産経新聞社主催)の贈賞式に臨席された。大賞の「きみは知らないほうがいい」(文研出版)など8作品が受賞。紀子さまはあいさつで「子供たちは、本との出会いを通して、自分の世界を豊かに広げ、想像する力、ことばの力、そして、考え生きる力をはぐくんでいきます」と述べ、受賞作品一つ一つの感想を添えられた。

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 三笠宮家の彬子さまは同日、日本・トルコ協会総裁として和歌山県串本町を訪れ、同町沖で500人以上が犠牲となったトルコ軍艦の遭難事故から125年となるのを記念した追悼式典に臨まれた。彬子さまは「日土友好の歴史に改めて思いを寄せて、次の130年、150年へと新たな両国の歴史を紡ぎ続けていただけたらと願っております」と述べられた。

686可愛い奥様@避難所生活:2015/06/13(土) 12:21:49 ID:M9YMDsxc
ttp://www.sankei.com/premium/news/150613/prm1506130020-n1.html
2015.6.13 06:00
【皇室ウイークリー】
(387)両陛下、桂宮さまの墓前でご拝礼 佳子さま「船は好きなの?」とお声がけ
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桂宮さまの墓所で拝礼を終えられた天皇、皇后両陛下。三笠宮ご夫妻が見送られた=9日、東京都文京区の豊島岡墓地
 天皇、皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの1週間、平成24年6月に薨去(こうきょ)された寛仁親王殿下と、昨年6月に薨去された桂宮さまのお二方をしのぶ日々を過ごされた。
 寛仁さまの薨去から3年となった6日、東京都文京区の豊島岡墓地で、三年式年祭の墓所祭が営まれた。両親の三笠宮ご夫妻、長女の彬子さま、次女の瑶子さま、皇太子ご夫妻をはじめ皇族方が参列された。黒田清子さん、千家典子さんの姿もあった。
 慣例で参列されない両陛下の使者が、墓前に玉串をささげて拝礼。99歳の三笠宮さま、92歳の三笠宮妃百合子さまはそれぞれ車いすから立ち上がって拝礼され、彬子さまをはじめ皇族方が続かれた。これに先立ち、赤坂御用地の三笠宮東邸(旧寛仁親王邸)では権舎祭(ごんしゃさい)も執り行われた。
 療養中の寛仁親王妃信子さまは、主治医の診断などにより両儀式には参列せず、墓所祭の前に墓地を参拝された。

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 8日には、桂宮さまの一周年祭の「権舎の儀」が赤坂御用地内の赤坂東邸、「墓所の儀」が豊島岡墓地で営まれた。一連の葬儀を締めくくる儀式で、三笠宮ご夫妻は喪主として最後の務めを無事に果たされた。
 両陛下は一周年祭にそれぞれ使者を遣わした上で、9日に豊島岡墓地をご訪問。三笠宮ご夫妻、喪主代理を務めた彬子さまのお出迎えを受け、陛下、皇后さまの順に墓前で拝礼された。帰り際には、三笠宮ご夫妻、彬子さまにいたわりの言葉をかけられた。10日には、桂宮さまの御霊(みたま)が歴代天皇や皇族を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿に移された。
 両陛下は10日、神奈川県横須賀市の観音崎公園で開かれた「第45回戦没・殉職船員追悼式」にご臨席。先の大戦で海上輸送中などに米軍の爆撃に遭った商船、漁船の船員ら約6万3千人を祭る「戦没船員の碑」に供花された。

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 昨年の沖縄、長崎、広島、今年4月のパラオ共和国、5月の東京都慰霊堂に続く、戦後70年のご慰霊の旅の一環。両陛下は約650人の参列者とともに1分間の黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげた後、碑文石の前で眼下に広がる海をしばらく見つめ、献花台に白菊の花束を手向けて深々と黙礼された。
 両陛下は、先の大戦で民間人が多数巻き込まれたことに心を痛め、特に3割が少年だったとされる戦没船員の存在を気遣い、第1回、第30回、第40回の追悼式に臨席するなどされてきた。この日の追悼式の後、葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養に入られた。14日まで滞在される。
 皇太子ご夫妻は9日、22回目の結婚記念日を迎えられた。10日には、東京都台東区の国立科学博物館で、アマゾン川流域に生息する生物の多様性をテーマにした特別展「大アマゾン展」をご覧に。皇太子妃雅子さまがユニークな表情をしたサルの剥製に目を留め、皇太子さまと楽しそうに笑われる場面もあった。

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 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは6〜7日、単独では初めてとなる地方公務として山口県を訪問された。
 7日に同県下関市の三菱重工業下関造船所で開かれた海底広域研究船「かいめい」の進水式では、船首から伸びる紅白のロープをおので切断し、同船の船出に拍手を送られた。式典後の祝賀会では、船の「名付け親」の安井槙人君(9)に「小さいときから船は好きなの?」などと笑顔で話しかけられた。
 高円宮妃久子さまは11日、民間機で羽田空港をたち、12日にスウェーデンに到着された。13日、カール・フィリップ王子の結婚式に参列し、王子の父、カール16世グスタフ国王主催の晩餐会(ばんさんかい)にご臨席。15日に帰国される予定。

687可愛い奥様@避難所生活:2015/06/20(土) 22:58:46 ID:etsTqCOw
ttp://www.sankei.com/premium/news/150620/prm1506200020-n1.html
2015.6.20 06:00
【皇室ウイークリー】
(388)両陛下、香淳皇后例祭の儀にご参列 雅子さま「かわいいですね」子育て支援施設でお声がけ
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
ハウス内で見頃を迎えたベニバナを観賞される天皇、皇后両陛下=18日、山形県河北町の紅花資料館
 葉山御用邸(神奈川県葉山町)で10日から静養していた天皇、皇后両陛下は14日、帰京された。宮内庁の山本信一郎次長は15日の定例会見で、「天気にも恵まれ、ゆっくりしていただけた」と述べた。
 17、18日には、5回目となる私的旅行で宮城、山形両県に出かけられた。四季折々の自然を楽しむなどしてリフレッシュしてもらうのが目的だが、両陛下の強い希望で宮城県蔵王町の開拓地に立ち寄り、入植者の苦労に思いをはせられる訪問となった。
 蔵王町の北原尾(きたはらお)地区は「北のパラオ」に由来。日本の委任統治領だったパラオ共和国から戦後に引き揚げてきた約30世帯の人々が開拓した。雑木林を伐採して大豆や小麦の栽培を始め、毎年のように冷害に悩まされた末に酪農に活路を見いだした。
 現在も約20世帯が生活するが、引き揚げ者の一人で北原尾農事組合長の工藤静雄さん(73)によると、親の世代は全員が亡くなった。両陛下は、4月に戦没者慰霊でパラオを訪問する直前に北原尾の苦難の歴史を知り、気に留められていたという。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下は17日、同地区に平成23年に建てられた開拓記念碑の前で、工藤さんら引き揚げ者の3人とご対面。引き揚げ時に14歳だった佐崎美加子さん(83)を、皇后さまが「苦労したでしょうね」とねぎらわれた。
 佐崎さん一家が入植直後に住んでいたという粗末な家の写真を見て、天皇陛下は「(窓に)ガラスもなくて寒かったでしょう」と気遣われた。さらに、近くの会場に移り、3人と約15分間にわたって懇談された。
 18日には、山形県東根市の岡田誠さん(67)のサクランボ農園をご見学。岡田さんの祖父は「佐藤錦」の育ての親とされ、同園には原木から3代目となる樹齢約70年の木がある。両陛下はサクランボ狩りを初めて体験し、真っ赤に色づいた実を摘み取り、その後、試食もされた。
 香淳皇后の崩御から15年となった16日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で例祭の儀が営まれ、両陛下、皇太子さまはじめ皇族方が参列された。武蔵陵墓地(東京都八王子市)にある武蔵野東陵での儀式には秋篠宮ご夫妻が臨まれた。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 皇太子ご夫妻は16日、東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」で、絵本の読み聞かせの様子をご見学。皇太子妃雅子さまは、利用者の親子に「かわいいですね」と笑顔で語りかけられた。おもちゃを持った女児(2)が転倒して目の前の皇太子さまにぶつかり、ご夫妻がお笑いになる場面もあった。
 両陛下が「こどもの日」にちなんで児童施設を訪問されてきたのを、皇太子ご夫妻が今年初めて引き継がれたもの。秋には「敬老の日」にちなみ、秋篠宮ご夫妻が高齢者施設を訪問される予定。
 発明協会総裁の常陸宮さまは17日、常陸宮妃華子さまとともに東京都港区のホテルオークラ東京で開かれた「全国発明表彰式」にご臨席。皇室のご下賜金を元にした恩賜発明賞が、トヨタ自動車の「燃料電池を急速暖機する制御方法の発明」に贈られた。
 常陸宮さまは式の席上、「わが国がイノベーションを推進するためには、人材の育成が極めて重要です。受賞者の皆さんには、なお一層の研鑽(けんさん)と後進の育成に努められることを願ってやみません」とお言葉を述べられた。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 11日からスウェーデンを訪問していた高円宮妃久子さまは13日に首都ストックホルムの王宮で開かれたカール・フィリップ王子の結婚式にご参列。15日に帰国し、「華やかで心温まる式でした」と感想を述べられたという。

688可愛い奥様@避難所生活:2015/06/27(土) 23:11:48 ID:lo/BKuiI
ttp://www.sankei.com/premium/news/150627/prm1506270022-n1.html
2015.6.27 06:00
【皇室ウイークリー】
(389)両陛下、沖縄戦終結の日にご黙祷 佳子さま、桃華楽堂で洋楽演奏会をご鑑賞
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
日本芸術院賞の受賞者らを茶会に招き、あいさつされる天皇、皇后両陛下。皇太子さまと秋篠宮ご夫妻が陪席された=22日、皇居・宮殿
 天皇、皇后両陛下は22日、東京都台東区の日本芸術院会館で開かれた「第71回恩賜賞・日本芸術院賞」の授賞式に臨み、賞が授与された詩人の吉増剛造さんら8人に祝福の拍手を送られた。皇居・宮殿では記念の茶会を催し、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻とともに受賞者らをねぎらわれた。
 式に先立ち、地唄・箏曲家の米川敏子さんが、ご養蚕を継承する皇后さまから譲り受けた日本純産種「小石丸」の絹糸を張った「箏」を紹介し、皇后さまが「大切に使ってくださって」と笑顔で感謝される場面もあった。
 皇后さまは25日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、今年のご養蚕作業を終える「御養蚕納の儀」に臨まれた。宮内庁によると、今年は約180キロの繭が収穫されたという。
 先の大戦で沖縄戦が終結を迎えた23日、両陛下は皇居・御所、皇太子ご夫妻は東宮御所で、それぞれ黙祷(もくとう)をささげられた。ご夫妻の長女で学習院女子中等科2年の敬宮(としのみや)愛子さまは、学校から戻った後に黙祷されたという。
 皇后さまは21日、東京都港区のホールでバイオリニスト、前橋汀子さんのコンサートを鑑賞し、パガニーニの「ラ・カンパネラ」などに耳を傾けられた。前橋さんの演奏活動50周年を記念した昨年のコンサートを鑑賞する予定だったが、直前に桂宮さまが薨去(こうきょ)されたために、取りやめられていた。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 皇后さまが昨年、傘寿を迎えられたのを祝う宮内庁楽部による洋楽演奏会が26日、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれた。両陛下、皇太子ご夫妻をはじめ皇族方が顔をそろえ、両陛下ゆかりの楽曲を楽しまれた。秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまも出席された。
 皇太子さまは25日、学習院女子中等科で、愛子さまの授業参観に臨まれた。理科、保健体育、音楽、道徳の様子を見て、愛子さまがご友人とともに熱心に授業に取り組まれているのを喜ばれた。皇太子妃雅子さまは体調を考慮して参観を控えられたという。
 秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまは20日、東京都港区のホールを訪れ、特殊カメラを使って昆虫の生態に密着したドキュメンタリー映画「アリのままでいたい」の特別試写会を鑑賞された。
 悠仁さまがお誕生日などの行事以外で公の場に姿を見せたのは、昨年10月に都内で両陛下の傘寿記念の展覧会を鑑賞されて以来のこと。ご夫妻に挟まれる形で会場に入り、前の席に同世代の男児らがいるのに気づき、「こんにちは」と声をかけられた。
 宮邸の庭などで、日頃から昆虫採集を楽しんでいる悠仁さまは、カブトムシとクワガタが樹液を奪い合う迫力あるシーンなどに時折、身を乗り出しながら鑑賞されていた。
 大正天皇の即位の礼に伴う大嘗祭(だいじょうさい)に新穀を献上した香川県綾川町で21日、主基斎田(すきさいでん)100周年記念の「お田植まつり」が開かれ、秋篠宮ご夫妻がご臨席。秋篠宮さまは「日本人が大切にしてきた稲作とそれにまつわる文化が、いく久しく受け継がれていくことを祈念しております」とあいさつされた。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 大嘗祭で供える新穀は、京都から東の「悠紀(ゆき)」と西の「主基」の2カ所の斎田で作られ、その場所は亀の甲を焼き、割れ方をみる「亀卜(きぼく)法」という伝統的な方法で決められる。ご夫妻は7日にも、悠紀だった愛知県岡崎市での記念式典に臨席されていた。
 天皇陛下の大嘗祭では、悠紀に秋田県五城目町、主基には大分県玖珠町が選ばれた。
 三笠宮家の彬子さまは21日、大阪府岸和田市の岸和田競輪で行われた第66回高松宮記念杯の決勝戦を観覧し、表彰式では優勝した武田豊樹選手にカップを手渡された。

689可愛い奥様@避難所生活:2015/07/04(土) 21:58:50 ID:MRAtLFms
ttp://www.sankei.com/life/news/150703/lif1507030031-n1.html
2015.7.4 06:00
【皇室ウイークリー】
(390)陛下、節折の儀に臨まれる 皇太子ご夫妻、トンガをご訪問
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
パラオ訪問尽力者との茶会で懇談される天皇、皇后両陛下=6月29日、皇居・宮殿
 天皇、皇后両陛下は6月29日、皇居・宮殿で茶会を開き、戦没者慰霊のため4月にパラオ共和国を訪問するにあたって尽力した関係者ら335人を招待された。
 招待者は、安倍晋三首相やパラオのフランシス・マツタロウ駐日大使のほか、パラオ訪問を終えて勇退した川島裕前侍従長、ご宿泊先となった海上保安庁の巡視船「あきつしま」の川上直実船長、チャーター機を運航した全日空の星加敏夫操縦士ら多岐にわたる顔ぶれ。
 安倍首相が、パラオ訪問が無事に終わったことを祝福したのに続き、天皇陛下が「パラオの人々から温かい歓迎を受けたことは、両国の築いてきた友好協力の関係の表れと、誠にうれしく思っています」とごあいさつ。さらに、招待者に対して「深く感謝しています」とねぎらわれた。
 6月30日、天皇陛下は皇居・宮殿で、「節折(よおり)の儀」に臨まれた。続いて、「大祓(おおはらい)の儀」が皇居・神嘉殿(しんかでん)の前庭で行われ、皇族代表で秋篠宮妃紀子さまが参列された。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 節折の儀と大祓の儀は、大みそかの12月31日にも行われる。昨年6月、大祓の儀に女性の成年皇族が参列できるように慣例が改められ、同12月31日には秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが参列された。
 皇太子ご夫妻は3日、トンガ王国の招待で国王、ツポウ6世の戴冠式(たいかんしき)に参列するため、羽田空港発のチャーター機で同国に入られた。
 療養中の皇太子妃雅子さまにとっては、平成25年4〜5月にオランダのアレクサンダー国王の即位式に参列するため同国を訪問されて以来の外国公式訪問となった。
 ご夫妻は2日夜から約10時間のフライトにも疲れの色を見せず、ファアモツ国際空港で出迎えたトンガのウルカララ皇太子、ポヒバ首相らと笑顔で握手を交わされた。地元の少女から花束を差し出され、雅子さまが腰をかがめて受けとられる場面もあった。
 皇太子さまはこの後、駐トンガ日本大使館で青年海外協力隊、シニア海外ボランティアとご懇談。トンガに2カ月前に赴任し、中高生に日本語を教える毛利有景さんに「トンガ語は難しいですか」と語りかけられた。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 夜にはウルカララ皇太子主催の夕食会が開かれ、皇太子さまがご臨席。雅子さまは4日に行われる戴冠式に向けて体調を整えるため、宿泊先のホテルで駐トンガ日本大使から戴冠式について説明を受けた以外は、静かに過ごされたという。
 トンガ訪問に先立つ6月29日、ご夫妻で皇居・御所を訪れ、両陛下に出発前のあいさつをされた。また30日には、皇太子さまが外国訪問前の恒例である皇居・宮中三殿への参拝を済まされた。雅子さまは体調への負担などを考慮して控えられた。
 秋篠宮ご夫妻は29日、結婚25周年の銀婚式を迎えられた。これに合わせて、「出会い」「子どもたちのこと」など7つのテーマに分けた感想の文書をご公表。秋篠宮さまは「感謝の気持ちもきちんともっています」とつづり、紀子さまにねぎらいの言葉をかけられた。
 宮内庁によると、秋篠宮さまの発案により異例の対談形式で発表することとなり、パソコンにそれぞれの「発言」内容を入力される形で作成された。ご夫妻は作成過程も楽しまれていたという。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 英国留学中の長女、眞子さまから「母の日」と「父の日」にメッセージカードが送られてきたエピソードもご披露。秋篠宮さまは「妙にうれしい気分になりました」、紀子さまは「胸が熱くなりました」とそれぞれ率直な思いを記された。

690可愛い奥様@避難所生活:2015/07/11(土) 06:33:04 ID:PlLA4KW2
ttp://www.sankei.com/premium/news/150711/prm1507110019-n1.html
2015.7.11 06:00
【皇室ウイークリー】
(391)両陛下、日米の奨学生と面会される 皇太子ご夫妻「心温まる式典に深く感銘」
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トンガ政府主催の夕食会に臨席し、国王ツポウ6世夫妻に出迎えられる皇太子さま=4日、マンスフィールド海軍基地(共同)
 天皇、皇后両陛下は8日、皇居・御所で、南太平洋のトンガ王国から6日に帰国した皇太子ご夫妻と会い、同国国王、ツポウ6世の戴冠式(たいかんしき)にご夫妻そろって参列し、両陛下の祝意を伝えられたことなどについて報告を受けられた。
 皇太子妃雅子さまは半蔵門を通って皇居に入る際、沿道の人々に笑顔で手を振られた。小町恭士東宮大夫によると、ご夫妻は両陛下からねぎらいの言葉をかけていただいたという。
 ご夫妻は3日にトンガ入りし、4日には首都ヌクアロファの教会で行われた戴冠式にご参列。約1100人の参列者の中では最高の待遇で出迎えられ、国王の姉、ピロレブ王女と並ぶ最前列の席が用意された。
 聖歌隊による賛美歌が流れる中、ガウン姿の国王が玉座に着席。宣誓の後に王冠が授けられると、鐘の音が高らかに響き、ご夫妻は他の参列者とともに拍手で祝福された。帰国後に出した感想の文書では、「荘厳な中にも心温まる式典に深く感銘を受けました」と振り返られている。

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 続く王宮での昼食会では、国王夫妻、王女と同じ一段高い席に着き、食事を楽しみながら歓談された。メーンディッシュに和牛のステーキが出されるなど、ご夫妻へのもてなしが随所に見られた。昼食会の前には国王夫妻の求めに応じ、記念撮影にも臨まれた。
 雅子さまは5日に予定外で参加した在留邦人や日系人らとの懇談の場で、流暢(りゅうちょう)な英語を披露された。日本語が不得意な日系人2人に「日本には何回行ったことがありますか」などと積極的に質問し、笑顔を浮かべられる場面もあった。
 懇談の後には、「トンガらしいところを見ていただきたい」という随行した側近らの配慮で、岸壁に高波が打ち付け、水柱を上げる名所の「ホウマの潮吹き穴」にも立ち寄られた。

(3/4ページ)
 6日に現地の空港を出発する際には、ウルカララ皇太子夫妻に見送られ、別れを惜しむように何度もあいさつを交わされた。帰国後の感想で、ご夫妻は「温かいお心遣いをいただき、戴冠式昼食会の席上などで親しくお話しすることができ、大変うれしく思いました」とつづられた。
 長女の敬宮愛子さまは6日夕、東宮御所の玄関でご夫妻のお帰りを待ち受け、お辞儀をして4日ぶりの再会を喜ばれた。秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまをはじめ皇族方も出迎えられた。
 小町東宮大夫は10日の定例会見で、帰国後の雅子さまのご体調について「お疲れもある」とした上で、「お出ましを積み重ねられていることは望ましいことだと思います」と述べた。
 学習院女子中等科2年の愛子さまは2〜4日と6日の4日間、1学期の期末試験を受けられた。皇太子ご夫妻のトンガご訪問と重なったが、試験勉強に努められたという。

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 両陛下は6日と8日、宮内庁病院で定例の健康診断を受けられた。診断結果について、風岡長官は「お務めに影響が出るようなことがあったとはお聞きしていない」としている。
 両陛下は7日、「皇太子明仁親王奨学金」の奨学生2人と面会された。この奨学金は昭和34年の両陛下ご成婚と翌35年の米ハワイご訪問を記念して創設された。日本とハワイの経済界の協力で、大学院生を相互に派遣しており、両陛下は毎年、奨学生と会って激励されている。

691可愛い奥様@避難所生活:2015/07/18(土) 07:31:53 ID:62uqgMTc
ttp://www.sankei.com/premium/news/150718/prm1507180019-n1.html
2015.7.18 06:00
【皇室ウイークリー】
(392)両陛下、原発事故の避難者とご懇談 佳子さま「戦争の記憶」の展示ご鑑賞
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視察先の農家に到着された天皇、皇后両陛下=17日、栃木県那須塩原市
 天皇、皇后両陛下は12日、皇太子ご一家のお住まいである東宮御所に招かれ、昨年10月に皇后さまが傘寿を迎えたことを祝う昼食会に臨まれた。同年5月の天皇陛下の傘寿のお祝いに続き、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻が主催された。
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまや秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま、長男、悠仁さまをはじめ皇族方、元皇族、親族の約40人が集まり、両陛下を囲んで歓談された。
 食前には、紙をはさみで切り抜き、人物や動物などの形を作る伝統芸能「紙切り」を、落語家の林家正楽さんが披露。皇后さまが「秋」「子守歌」のお題をリクエストされ、正楽さんが即興で作品を仕上げた。
 両陛下は16日、福島第1原発事故後4回目となる福島県訪問を果たし、避難生活を強いられている被災者らを見舞われた。私的旅行だが、両陛下の強い希望で、被災地ご訪問といえる日程となった。

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 皇室に桃を献上している桑折町では、南祐宏(まさひろ)さん(39)の桃農園をご見学。原発事故の風評被害を受けていることを両陛下が気にかけ、平成25年7月にもこの農園を訪れる予定だったが、県内で起きた豪雨被害に配慮して取りやめられていた。
 この日は台風11号の影響で強い雨が降る中、両陛下は傘を差しながら、桃の木の下で南さんの説明を受けられた。原発事故後に大量の水をかけて除染し、放射性物質が検出されなくなったと聞き、天皇陛下は「安全性があるわけですね」と喜ばれた。
 続いて、福島市の県営北信団地内に3月に完成した復興公営住宅を訪れ、飯舘村や浪江町などから避難している被災者6人と懇談された。
 除染後も自宅に戻れないと訴える飯舘村の赤石沢京子さん(61)を、陛下は「(放射線量が)落ちないわけですね。大変ですね」と気遣われた。入居までに避難所など8カ所を転々とした浪江町の山田美雪さん(63)には、皇后さまが「お疲れになったでしょう」といたわりの言葉をかけられた。

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 懇談後には那須御用邸(栃木県那須町)に移り、静養に入られた。翌17日、御用邸近くでコメとレンコンを栽培する人見一也さん(55)宅をご訪問。懇談中、人見さんの妻が作ったレンコンのきんぴらを陛下が完食されると、皇后さまが、以前は陛下がレンコンが苦手だったとのエピソードを披露されたという。
 皇后さまは15日、東京都渋谷区のホールで、小児がん患者や家族を支援するチャリティーコンサートを鑑賞された。趣旨に賛同した歌手の森山良子さんが案内役となり、ゲストとともに「涙そうそう」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの楽曲を披露。皇后さまは手拍子でリズムを取られるなどした。
 皇太子さまは16日、大阪市平野区で、知的障害者の創作活動を支援する通所介護事業所「アトリエインカーブ」を視察された。作業現場では、画材の色鉛筆が短くなるまで使っている利用者に「大切に使っているのですね」と笑顔で声をかけられた。

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 17日は府立国際会議場で開かれる献血運動推進全国大会に臨席される予定だったが、台風11号の影響で大会が中止に。献血活動に貢献し、昭和天皇記念賞を受賞した関係者と宿泊先のホテルで面会し、長年の活動に感謝された。同日夜に帰京された。
 秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまは17日、東京都港区で開催されている展示会「はがきで綴る、戦争の記憶-千の証言展」をご鑑賞。先の大戦中に特攻隊員が家族にあてた遺書などを見て回られた。

692可愛い奥様@避難所生活:2015/07/20(月) 13:17:52 ID:rw/pBT1E
ttp://www.sankei.com/life/news/150720/lif1507200007-n1.html
2015.7.20 06:00
【皇室ウイークリー】
(番外編)皇太子ご夫妻、トンガご訪問同行記 雅子さまの「自信」と「充実」の5日間を振り返る
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国王ツポウ6世の戴冠式に参列し、会場の教会を後にされる皇太子ご夫妻=4日、トンガ・ヌクアロファ(共同)
 日本から約8000キロ離れた南太平洋の島国、トンガ王国。皇太子妃雅子さまが7月2〜6日、皇太子さまとともに、2年ぶりの海外公式訪問を果たされた。国王ツポウ6世の戴冠(たいかん)式に参列して王室との交流を深め、予定外だった日系人との懇談の場では流暢(りゅうちょう)な英語を披露するなど終始笑顔を浮かべられていた。トンガ側の手厚いもてなしにも支えられ、「一段と自信をつけられた」(宮内庁関係者)充実の5日間を同行記者の目で振り返る。(伊藤真呂武)
笑顔の雅子さま
 羽田空港からチャーター機で約10時間、現地時間3日午前9時半ごろ、皇太子ご夫妻はトンガタプ島のファアモツ国際空港に降り立たれた。ウルカララ皇太子、ポヒバ首相らの出迎えを受け、長時間のフライトの疲れを見せずに笑顔で握手を交わされた。
 雅子さまは、王族のミカエラちゃん(4)から歓迎の花束を手渡され、腰をかがめて受け取られた。空港のデッキでは在留邦人らが日の丸を振り、「ようこそ」の言葉が投げかけられる。声に気づいたご夫妻も手を振り返された。
 ご夫妻は空港内の貴賓室で、ウルカララ皇太子、ポヒバ首相とご懇談。車寄せには、クラシックな米キャデラック製のリムジンが待ち構えていた。日本の外務省関係者によると、王室がご夫妻のために用意したもので、各国の賓客との待遇の違いを象徴していた。
 他の賓客の車の大半に中国国旗が入っていたが、JICA(国際協力機構)関係者によると、戴冠式直前に中国の支援で大量に導入されたとのこと。遠く離れた南国で、中国の世界戦略の一端を垣間見るとは思わなかった。ちなみに、日本の報道陣がレンタルしたバスは、日本の旅行会社の中古車だった。

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 島南東部の空港から首都ヌクアロファまでは車で約30分。沿道にある民家の生け垣などはトンガ国旗や国旗の色にちなんだ白と赤の布で彩られ、至る所に国王夫妻の写真が掲げられるなど、島全体が祝賀ムードに包まれている。
 この日夜には、ウルカララ皇太子主催の歓迎夕食会が開かれ、皇太子さまがご臨席。雅子さまは翌日の戴冠式に向けて体調を整えるため、沼田行雄・駐トンガ大使から式典の説明を受けた以外は宿泊先のホテルで静かに過ごされた。
戴冠式では家族としておもてなし
 4日、ヌクアロファのフリーウェズリアン・センテナリー教会で戴冠式が行われた。敬虔(けいけん)なキリスト教徒が多いトンガ国民の心のよりどころでもある。参列者は約1100人に上ったが、欧州、アジアの王族がほとんど参列していないこともあり、華やかさよりも、アットホームな雰囲気が漂う。
 皇太子ご夫妻はパトカーに先導され、リムジンに乗って教会にご到着。皇太子さまはモーニングにシルクハット、雅子さまはベージュのロングドレスにそれぞれ日本とトンガの勲章を身につけられていた。
 トンガの勲章は、皇太子さまには2008(平成20)年に先代国王のツポウ5世の戴冠式に参列された際、最高位の王冠勲章一等勲爵士が贈られている。雅子さまには今回の訪問でサロテ3世王女章大十字章が授与され、3日夜に宿泊先に届けられたという。
 参列者の大半が国王の玉座と向かい合う席に着いたが、ご夫妻には玉座の両脇の王族と同じ席が用意された。しかも、国王の姉、ピロレブ王女と並ぶ最前列だった。この待遇は滞在中、一貫しており、家族としてもてなそうという王室側の気配りが感じられた。

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 ガウンをまとった国王が入場して式典が開始。聖歌隊による賛美歌が流れ、国王につえと指輪、王冠が授けられると、ご夫妻は他の参列者とともに拍手で祝福された。国王に続いて教会を立ち去られる際には、ご夫妻にも拍手が送られた。
 王宮に場所を移しての昼食会。随行した側近によると、ご夫妻は王宮内の王族と同じ部屋で開始時間を待ち、交流を持たれた。国王夫妻の部屋に招かれ、記念撮影に応じられる機会もあったという。
 昼食会のメニューは、大根サラダやニンジンの冷製スープ、和牛のフィレステーキなど。こんなところにもご夫妻への配慮がちらほら。ご夫妻は隣に座ったウルカララ皇太子やピロレブ王女と歓談しながら食事を楽しまれた。

693可愛い奥様@避難所生活:2015/07/20(月) 13:18:33 ID:rw/pBT1E
在留邦人らと懇談会には雅子さまがサプライズご出席
 祝賀の食事会は4日夜と5日昼にも続いた。5日、ヌクアロファ郊外の広大な敷地にツポウ5世が別荘として建てた離宮では、国王の娘、アンジェリカ王女主催の昼食会が開かれた。皇太子さまお一人で臨み、国王夫妻に別れのあいさつをされたという。
 王女自ら準備を取り仕切る場面もあり、盛大なホームパーティーのおもむき。この日のメニューにも、刺し身や太巻きなど日本風のものが目立った。会場近くでは、トンガ名物の子豚の丸焼きが次々と焼かれ、テーブルに並べられた。
 昼食会から数時間後、皇太子さまと在留邦人、日系人、在日トンガ人との懇談会場である在トンガ日本大使館に向かう直前、宮内庁側から雅子さまも参加されることが伝えられる。報道陣にとっては、うれしい誤算だった。

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 懇談の場では、在留邦人に続いて、沼田大使から日系人2人が日本語が得意でないことが伝えられると、ご夫妻はともに英語に切り替えて質問された。特に、雅子さまは流暢な語り口で「日本には何回行ったことがありますか」などと積極的に話しかけられた。
 雅子さまが英語が得意であることは周知の事実で、お住まいの東宮御所では外国大使と懇談することもあるが、取材の機会がないので、長年、宮内庁を担当している通信社の記者でさえも雅子さまの英語を聞いたのは初めてだったという。
 何よりうれしかったのは、懇談相手たちだろう。大東文化大にラグビー留学し、トンガ旋風を巻き起こしたシナリ・ラトゥさん(49)は戴冠式に参列するため一時帰国し、懇談に加わった。終了後、取材に「お元気そうで良かった」とほおを緩めた。
 ただ、これまで大活躍だったリムジンの冷房装置が故障し、急遽(きゅうきょ)、大使の車に乗り換えられるというハプニングもあった。
「自信を深められたことは間違いない」
 トンガを離れる際、雅子さまがファアモツ空港に見送りにきたウルカララ皇太子夫妻と別れを惜しむように何度もあいさつをかわされていたのも、充実した訪問だったことの証だろう。
 側近らは長期療養中であることを踏まえ、「過剰な期待は逆効果」という従来の姿勢を崩さないが、宮内庁関係者は「昨年ごろから重要な公務に立て続けに出られるようになったのに加え、トンガ訪問を無事に終えたことで自信を深められたことは間違いない」と前向きに受け止める。

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 ご夫妻が帰国後に文書で出された感想には、トンガ側のもてなしへの感謝の言葉がつづられていた。
 「国王王妃両陛下を始めとする王室の皆様方、ポヒヴァ首相を始めとする政府関係者の方々に、心のこもったおもてなしをいただいたことに深く感謝しております」
 「ウルカララ皇太子同妃両殿下には、空港にお出迎え、お見送りいただくなど、温かいお心遣いをいただき、戴冠式昼食会の席上などで親しくお話しすることができ、大変うれしく思いました」
 「こうした中でトンガ王室やトンガ国民の皆様に温かく迎えていただいたことを心からありがたく思いました」
 感想の文書はこう締めくくられている。
 「私たちも、両国の親善、友好のために少しでもお役に立てれば幸いです」

694可愛い奥様@避難所生活:2015/07/25(土) 06:51:42 ID:auITHISc
ttp://www.sankei.com/premium/news/150725/prm1507250024-n1.html
2015.7.25 06:00
【皇室ウイークリー】
(393)両陛下、入植者たちとご再会 眞子さまに中米諸国からご訪問の招請
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ホンジュラスのエルナンデス大統領夫妻との会見に臨まれる天皇、皇后両陛下=23日、皇居・御所(宮川浩和撮影)
 那須御用邸(栃木県那須町)で21日まで静養していた天皇、皇后両陛下は20日、同町の千振(ちふり)地区を訪れ、戦後間もなく中国・旧満州から引き揚げて入植した人々を見舞われた。戦後60年の平成17年にも同地区で入植者らと懇談しており、戦後70年にあたって再会を希望されたという。
 栃木県によると、先の大戦中などに旧満州の千振に移住した開拓団は、終戦間際の旧ソ連参戦を機に日本に引き揚げることになり、那須町内に借りた土地に「千振」と名付けて定住。冷害などで畑作が根付かない中、畜産に活路を見いだし、現在は国内有数の酪農地帯となった。
 両陛下は地区内に広がるトウモロコシ畑などを車で見て回った後、公民館で最高齢の中島澄子さん(91)ら入植者やその家族計7人とテーブルを囲み、一人一人の話に耳を傾けられた。皇后さまは「この辺りの景色もずいぶん違ったでしょうね」と入植当時の苦労をしのばれた。

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 19日には、御用邸に隣接する「那須平成の森」を散策された。この森は、陛下の即位20年にあたって御用邸用地の北半分が宮内庁から環境省に移管され、23年に日光国立公園の一部として開園したもの。両陛下はブナやミズナラなどが茂る森で、つかの間の森林浴を楽しまれた。
 両陛下は23日、皇居・御所で、初来日したホンジュラスのエルナンデス大統領夫妻と会見された。大統領から秋篠宮ご夫妻の長女で英レスター大大学院にご留学中の眞子さまを同国に招待したいと切り出され、天皇陛下は「そういうお気持ちをうれしく思います」と応じられたという。
 今年はホンジュラスを含む中米5カ国と日本との外交関係樹立80周年で、日本と中米統合機構(SICA)が「日・中米交流年」と位置付け、記念行事を行う。この日の会見で、エルナンデス大統領は「記念すべき年に眞子さまにお越しいただければ光栄です」と話したという。

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 宮内庁によると、眞子さまにはエルサルバドルからも招待があり、今冬にも両国を訪問されることを視野に日程などの調整を進めている。
 皇太子ご夫妻の長女で、学習院女子中等科2年の敬宮愛子さまは18日に終業式を迎え、夏休みに入られた。宮内庁によると、学校の課題に取り組んだり、友人と会うなどして過ごされているという。
 秋篠宮ご夫妻と、長男でお茶の水女子大付属小3年の悠仁さまは18〜20日、悠仁さまの夏休みを利用して山形県を私的に旅行された。昨年も同じ地域を訪れる予定だったが、台風が接近していたため取りやめられていた。
 18日には、遊佐(ゆざ)町の熊野神社で、鎌倉時代から伝承される国の重要無形民俗文化財の神楽「杉沢比山」をご見学。お囃子で使われた太鼓を体験し、秋篠宮さまがリズムをうまくお取りになれないと、悠仁さまが「そうじゃないよ」と代わってたたき、周囲の笑いを誘われた。

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 秋篠宮さまが、重要無形民俗文化財の意味について「大事な祭りということだよ」と悠仁さまに説明される場面も。悠仁さまは、地元の小学4年の男児(9)が烏帽子姿で扇子と鈴を持って舞う神楽に拍手を送られていた。
 見学後は、鳥海山の伏流水が湧き出る清流の牛渡川沿いをご散策。悠仁さまは水に手をつけて「冷たい」と驚いたり、「魚捕りたい」とはしゃいだりして夏の思い出を楽しまれている様子だった。
 高円宮妃久子さまは22〜23日に兵庫県をご訪問。22日には西宮市の県立芸術文化センターで、同館の佐渡裕芸術監督がプロデュースしたオペラ「椿姫」を鑑賞された。

695可愛い奥様@避難所生活:2015/08/01(土) 06:32:49 ID:CEGSXrDY
ttp://www.sankei.com/premium/news/150801/prm1508010022-n1.html
2015.8.1 06:00
【皇室ウイークリー】
(394)両陛下、LEDの開発秘話にご関心 佳子さま「(写真は)どう撮られたのですか?」
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高校総合文化祭の総合開会式後、女子高生と懇談される秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま=7月28日、大津市のびわ湖ホール
 天皇、皇后両陛下は7月26日、名古屋大学赤崎記念研究館(名古屋市)を訪れ、ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇、天野浩の両特別教授から青色発光ダイオード(LED)の開発について説明を受けられた。赤崎氏が、無理だと考えられていた研究を続けたことが成功につながったと話すと、天皇陛下は「思いついたのは何か(きっかけが)」と関心を示された。
 これに先立ち、大村秀章知事と懇談された際には、東海地震などが想定される愛知県内の災害が話題に上った。知事が県内で死者・行方不明者3千人以上を出した昭和34年の伊勢湾台風に言及すると、陛下がヘリコプターに初めて乗り、上空から被災地を視察した話を紹介されたという。
 27日には名古屋国際会議場で、国際学会「国際第四紀学連合第19回大会」の開会式に臨席し、研究発表の展示をご覧になった。東日本大震災と貞観地震の津波堆積物が残る仙台平野(宮城県)の地層の標本について説明を受け、陛下は「(東日本大震災の方が)大きいと考えた方がいいのですか」と尋ねられた。
 トヨタ自動車元町工場(愛知県豊田市)では、燃料電池車「MIRAI(ミライ)」の製造工程をご見学。水素と空気中の酸素で発電した電気を外部にも供給でき、災害時の停電対策にもなるとの特徴を聞き、陛下は感心したようにうなずかれていた。両陛下は28日に帰京された。

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 明治天皇の命日にあたる30日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で明治天皇例祭の儀が営まれ、陛下が拝礼された。皇太子さまをはじめ皇族方が参列された。伏見桃山陵(京都市伏見区)での山陵例祭の儀には、三笠宮家の彬子さまが皇族方を代表して臨まれた。
 皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは26日、東京都千代田区の昭和館で、戦後70年の特別企画展「昭和20年という年〜空襲、終戦、そして復興へ〜」を見て回られた。愛子さまは当時の写真などが並ぶガラスケースをのぞき込み、戦後、墨塗りされた教科書に関心を示されていた。宮内庁東宮職によると、愛子さまが戦争関連の展示を見学されるのは初めて。ご夫妻は、戦争を知らない若い世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切と考えており、愛子さまを同伴されたという。
 皇太子さまは27日、和歌山県広川町の津波防災教育センターを視察された。長さ約16メートルの水槽に津波を発生させる装置「津波シミュレーション」のボタンを操作し、民家の模型に津波が押し寄せる様子を観察された。
 28日には、和歌山市の多目的ホールで開かれた全国高校総体の総合開会式に臨み、選手の入場行進に拍手を送られた。続いて、大会運営に協力する地元の高校生らとご懇談。耳が不自由な生徒が、補助員用のTシャツのデザインを考案したことを手話を交えて説明すると、皇太子さまは「とても良くできていますね」と声をかけられた。

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 秋篠宮さまと次女の佳子さまは27日に大津市を訪れ、全国高校総合文化祭の写真部門の作品を鑑賞された。滋賀県立石山高校3年の金谷麻由佳さん(17)が、動物園でお弁当を食べる人々を撮影した「みんなでごはん」という作品を紹介すると、佳子さまは「どのように撮られたのですか」と尋ねられた。
 28日には、秋篠宮さまと佳子さまが大津市内で開かれた同文化祭の総合開会式に臨まれた。秋篠宮さまは「高校生による芸術文化の祭典が開催されていることは国民の芸術や文化に対する理解と参加意欲を喚起する上で、誠に意義深い」とあいさつされた。

696可愛い奥様@避難所生活:2015/08/08(土) 06:27:03 ID:Z1trJ43Y
ttp://www.sankei.com/premium/news/150808/prm1508080027-n1.html
2015.8.8 06:00
【皇室ウイークリー】
(395)両陛下、広島の被爆者にご黙祷 佳子さま、戦後70年の展示をご覧に
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東宮御所に招いた豆記者たちに声を掛けられる皇太子ご夫妻=4日、東京・元赤坂(宮内庁提供)
 皇后さまは、宮内庁が7月29日に心筋虚血の疑いがあると発表した後も、ご体調に支障のない範囲で公務を果たされている。宮内庁によると、8月に入ってからも胸の痛みを訴えられているが、「普段通りに過ごされている」(側近)という。
 5日、名誉総裁を務める日本赤十字社主催の「フローレンス・ナイチンゲール記章」授与式にご臨席。NPO法人「このゆびとーまれ」理事長の惣万佳代子さん(63)と、医療法人「鳳生会」理事の山田里津さん(89)の受章者2人の胸に記章をつけられた。式には名誉副総裁の秋篠宮妃紀子さまをはじめ女性皇族方も同席された。
 この日は午前中から30度を超える猛暑の中、心筋虚血の疑いが発表された後初めての皇居外での公務となったが、側近は「無事に御所に戻り、特に具合が悪くなられたとは聞いていない」としている。9日に東京大学医学部付属病院で精密検査を受けられる。

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 天皇、皇后両陛下は3日、皇居・宮殿で、初来日したイタリアのレンツィ首相夫妻と面会された。宮内庁によると、天皇陛下は最近の日本での猛暑について「地球温暖化の影響とも考えられます」とご指摘。首相が「イタリアも同様です。気候変動の問題は全ての国が真剣に取り組んでいく必要があります」と話すと、陛下は「私もそう思います」と応じられたという。
 広島に原爆が投下された6日、両陛下は被爆時刻の午前8時15分に合わせ、皇居・御所で黙祷(もくとう)をささげられた。皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまも東宮御所で犠牲者の冥福を祈られたという。
 皇太子さまは1〜3日、世界各地のボーイスカウトが集う「世界スカウトジャンボリー」を視察するため、山口市を訪問された。2日の式典では「大会のテーマである『和』の精神は、皆さんにとってかけがえのない宝物になることと確信します」と英語でごあいさつ。日本と英国のキャンプ会場も見て回られた。

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 3日には、市立川西中学校を訪れ、生徒ら約100人と米国やインドネシアなどのジャンボリー参加者約40人が輪になり、決められたリズムで互いの両手を合わせる遊びをご見学。生徒らに「外国の方と交流はできましたか。良い機会ですからお話ししてくださいね」と声をかけられた。
 皇太子ご夫妻は4日、沖縄県や北海道函館市の小中学生の「豆記者」を東宮御所に招き、約50分間にわたって懇談された。宮内庁東宮職によると、雅子さまが豆記者との懇談に臨まれたのは平成21年8月以来という。
 豆記者の派遣は昭和37年、沖縄の子供たちが取材活動を経験しながら、本土の青少年と交流することを目的に始まった。天皇、皇后両陛下が皇太子時代から面会を続けられ、即位後は皇太子さまが引き継がれている。
 今回は小学5年から中学3年の65人が参加。豆記者の代表者のあいさつに続き、皇太子さまが活動を激励し、ご夫妻そろって一人一人に笑顔で声をかけられたという。

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 皇太子さまは5日、東宮御所で、製造業などに従事する若者が技能を競う「技能五輪国際大会」に派遣される日本選手団と面会された。今大会は11〜16日にブラジル・サンパウロで開かれる。
 秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さまは7日、東京都千代田区の昭和館を訪れ、常設展や戦後70年に合わせた特別展で先の大戦関連の資料などをご覧になった。空襲のコーナーでは、秋篠宮さまが悠仁さまに防空頭巾を説明される場面も。悠仁さまは、防空壕(ごう)を再現した模型の中にも入られたという。

697可愛い奥様@避難所生活:2015/08/18(火) 17:37:10 ID:A6xP453A
ttp://www.sankei.com/premium/news/150815/prm1508150032-n1.html
2015.8.15 06:00
【皇室ウイークリー】
(396)両陛下、「二科100年展」をご鑑賞 愛子さま、沼津の海で3キロご遠泳
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
「伝説の洋画家たち 二科100年展」で有島生馬の「鬼」をご覧になる天皇、皇后両陛下=13日、東京都台東区の東京都美術館(大西史朗撮影)
 6月末から胸の痛みを訴えていた皇后さまは9日午後、東京都文京区の東京大学医学部付属病院で精密検査を受け、強いストレスなどが要因で心臓の筋肉に血液が十分に行き渡らなくなる「心筋虚血」と診断された。宮内庁によると、当面は投薬治療や手術などの処置を取らず、経過観察をしながらこれまで通りの生活と公務を続けられる。
 検査は、心臓につながる3本の冠動脈に狭くなった部分(狭窄(きょうさく))がないかをCT(コンピューター断層撮影装置)で調べるもの。その結果、2本の冠動脈の計3カ所で動脈硬化による狭窄が見つかったが、比較的軽度で、胸痛の原因は強いストレスなどに伴う心筋虚血と確認された。
 天皇陛下は検査が終わるのを待って病院を訪れ、皇后さまとともに検査結果などの説明を受けられた。宮内庁によると、両陛下は手術を受けずに済んだことに安堵(あんど)されている様子だったという。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 ただ、皇后さまは胸の痛みがありながら我慢されていたこともあったことから、名川弘一皇室医務主管は「皇后さまが訴えられるのを待っているだけでなく、侍医を中心に日々の症状を積極的にうかがっていく」としている。
 宮内庁の風岡典之長官は13日の定例会見で、皇后さまのストレスについて「全ての公務に心を込めて臨んでおり、体への影響は当然おありになる」と説明。「両陛下をはじめ皇族方の健康管理は大きな課題」とした上で、公務の負担軽減や私的な時間の確保を具体的に検討するなど、よりきめ細かい配慮を行うことが必要だとの見解を示した。
 両陛下は検査に先立つ9日午前11時2分、長崎に原爆が投下された時刻に合わせ、皇居・御所で黙祷(もくとう)をささげられた。皇太子ご夫妻も東宮御所で被爆者の冥福を祈り、学校行事で外出していた長女の敬宮(としのみや)愛子さまも帰宅後に黙祷されたという。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 両陛下は11日、広島への原爆投下から70年にあたり、東京都港区のサントリーホールで開かれた広島交響楽団のコンサートを鑑賞された。皇后さまは精密検査後初めての皇居外での公務となり、聴衆の拍手に笑顔で応えられた。
 13日には東京都美術館(台東区)で開催中の企画展「伝説の洋画家たち 二科100年展」(産経新聞社、フジテレビジョンなど主催)をご鑑賞。第1回の二科展に出品された有島生馬の「鬼」などの名作を熱心に見て回られた。
 学習院女子中等科2年の愛子さまは1〜5日に沼津遊泳場(静岡県沼津市)での臨海学校にご参加。同級生と一緒に練習に励み、4日の遠泳では約3キロを完泳された。6日からは学習院女子大(東京都新宿区)で開かれた英語のセミナーで学ばれたという。
 秋篠宮ご夫妻は11日、神戸市を日帰りでご訪問。戦前に日本人の海外移住の拠点だった「国立移民収容所」を再整備した「海外移住と文化の交流センター」で、日系ブラジル人5人と懇談された。ご夫妻は10〜11月、日本との外交関係樹立120周年を迎えたブラジルを訪れ、記念行事などに臨席される予定。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 高円宮妃久子さまは12日、東京都大田区の大田スタジアムで、高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会の決勝戦を観戦し、優勝した長曽根ストロングス(大阪)の選手に高円宮杯を授与された。
 久子さまの三女で城西国際大大学院に在学中の絢子(あやこ)さまは10日、留学先のカナダから帰国された。カモーソン・カレッジと、ブリティッシュ・コロンビア大で児童福祉や高齢者福祉をご研究。大学院に戻り、日本とカナダの福祉の比較をテーマに修士論文に取り組まれるという。

698可愛い奥様@避難所生活:2015/08/18(火) 17:39:03 ID:A6xP453A
ttp://www.sankei.com/premium/news/150816/prm1508160004-n1.html
2015.8.16 06:00
【皇室ウイークリー(番外編)】
両陛下のパラオご慰問、雅子さまのトンガご訪問…皇室の方々の7カ月を振り返る
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「西太平洋戦没者の碑」に供花した後、アンガウル島に向かって拝礼される天皇、皇后両陛下=4月9日、パラオ共和国・ペリリュー島
 天皇、皇后両陛下の戦没者慰霊でのパラオ共和国ご訪問、皇太子妃雅子さまの2年ぶりの海外での公務となるトンガ王国ご訪問、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまの初めての宮中晩餐(ばんさん)会ご臨席など、皇室の方々は今年1〜7月も多くの公務を果たされた。毎週の皇室ウイークリーで紹介しきれなかったエピソードを交えながら、印象的なシーンを関連の写真とともに振り返る。
■「慰霊の旅」の集大成に位置づけられたパラオご訪問
 戦後70年にあたり、昨年の沖縄、長崎、広島から続く両陛下の「慰霊の旅」の集大成に位置付けられていたのが、十数年越しの思いをかなえられた4月のパラオ訪問だった。側近の口から「長年思いを寄せられてきた」という言葉を何度聞いたか分からない。
 3月14日。東日本大震災の被災者の見舞いなどで訪問された宮城県でも話題に上ったのは、パラオのことだった。村井嘉浩知事らとの会食の場で、同県蔵王町に戦後、パラオから引き揚げてきた人々が苦難の末に開拓した北原尾(きたはらお)地区(地名の由来は「北のパラオ」)があることが紹介され、両陛下は関心を示されたという。

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 6月に私的旅行で山形県を訪問することが計画されていたため、両陛下の希望で急遽(きゅうきょ)、北原尾地区に立ち寄られることになった。両陛下が日頃の公務において、あれこれ注文をつけることはあまりないが、戦没者慰霊や被災地訪問などになると強いこだわりを見せられる。
 パラオ訪問にあたっては、激戦地だったペリリュー島の慰霊碑に拝礼した後、はるか沖に望むもう一つの激戦地、アンガウル島に向かっても深々と頭を下げられた。これも訪問直前にアンガウル島の惨劇を知った陛下のご意向で予定に組み込まれたという。
 パラオ訪問中に印象に残ったのは、日本での地方訪問と同じように、地元の住民らに接せられる両陛下の姿勢だった。ペリリュー島では、舗装が不十分な悪路が目立ったが、バスでそれぞれの現場を立ち去る際には、バスの中で立ったまま見送りの人々に手を振り続けられていた。
 皇后さまの細かいお心遣いが感じられる場面もあった。青年海外協力隊員ら在留邦人との懇談会場に、和菓子が並べられていたのだが、側近によると、皇后さまが日本の味が恋しいだろうとの配慮から持参されたのだという。

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 両陛下はパラオの後も、5月に東京都慰霊堂(東京都墨田区)、6月には戦没船員の碑(神奈川県横須賀市)で相次いで供花し、8月15日には政府主催の戦没者追悼式に臨まれた。
 宮内庁関係者は「両陛下はご自分たちの年齢を十分に意識して活動されている。特に、戦没者慰霊に関しては生還者、遺族も高齢化が進んでおり、今のうちに話を聞いておきたいとのお考えが強い」と話す。
■「お出ましを積み重ねられていることは望ましいこと」
 病気療養中の雅子さまはこの7カ月間、公務で元気な姿を見せられた。公務の積み重ねを自信につなげ、2年ぶりの海外訪問だったトンガで国王の戴冠式に参列する大役を務めたほか、予定外の行事にも臨まれた。
 2月3日には、皇太子さまとともに東宮御所で、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の高校生5人と1年半ぶりに再会し、激励された。5人は昨年8月、復興イベント「東北復幸祭」をフランス・パリで開き、被害状況や復興の現状などを紹介。ご夫妻は彼らの活動に関心を寄せ、準備中の平成25年夏にも懇談されている。

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 ご夫妻は「また会えてうれしいです」とお喜びに。パリでの体験談を熱心に聞かれ、懇談は予定を大きく超えて50分間に及んだ。雅子さまは宮城県気仙沼市出身の女子生徒に「気仙沼の状況は今どうですか」と尋ねられたという。
 当初の予定よりはずれ込んだものの、6月16日には両陛下から今年初めて引き継いだ「こどもの日」にちなんだ児童施設の訪問も果たされた。
 ご夫妻のご意向を踏まえ、東京都新宿区の子育て支援施設「ゆったりーの」が視察先に選ばれ、雅子さまは「かわいいですね」と利用者に笑顔で声をかけられた。懇談後、雅子さまは「お子さんとの触れ合いが楽しかった」と感想を述べられていたという。
 6月26日は、皇后さまが傘寿を迎えられたのを祝う宮内庁楽部による洋楽演奏会を両陛下はじめ他の皇族方と並んでご鑑賞。前日の25日には、学習院女子中等科で長女の敬宮愛子さまの授業参観があったが、皇太子さまお一人で臨まれ、雅子さまは出席を見送られた。

699可愛い奥様@避難所生活:2015/08/18(火) 17:39:53 ID:A6xP453A
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 宮内庁東宮職によると、出席見送りの理由は「洋楽演奏会に向け、体調を整えられるため」。これまでは私的な行事を優先し、公務を果たされていないと指摘されることが多かっただけに意外なことだった。
 そして、7月2〜6日のトンガご訪問。5日には、予定になかった青年海外協力隊員ら在留邦人との懇談に臨み、約30分間にわたって一人一人の話に耳を傾けられた。雅子さまの取材は、体調へのご負担を理由に冒頭などに限られることが多く、最後まで立ち会えたのは異例だった。
 小町恭士東宮大夫は10日の定例会見で、帰国後の雅子さまのご体調について「お疲れもある」とした上で、「お出ましを積み重ねられていることは望ましいことだと思います」と述べた。日頃、慎重な言い回しが目立つ側近トップが前向きな発言をしたことも、雅子さまのご体調の良さを物語っているといえそうだ。
■さまざまな「初めて」を積み重ねられる佳子さま
 昨年12月29日に成年皇族の仲間入りをした佳子さまは、年明けからさまざまな「初めて」の経験を積まれている。

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 1月1日に皇居・宮殿で白のロングドレスに勲章、ティアラ付きの正礼装で新年祝賀の儀にご参列。翌2日の新年一般参賀では、姉の眞子さまと並んでピンクのロングドレス姿で宮殿のベランダに姿を見せ、平成に入ってから3番目に多い8万1030人の参賀者の祝福を受けられた。
 14日の歌会始の儀には、黄色のロングドレスでご臨席。儀式では披露されなかったが、「本」のお題で「弟に本読み聞かせゐたる夜は 旅する母を思ひてねむる」と詠まれた。公務で地方を訪問される機会が多い秋篠宮妃紀子さまに代わり、弟の悠仁さまの面倒を見られる姉としてのほほえましいお姿が伝わってくる。
 6月3日には、フィリピンのアキノ大統領を迎えての宮中晩餐会に初めて臨まれ、レースをあしらった淡いピンクのドレス姿が話題を集めた。初めはキョロキョロと周囲をうかがうなど落ち着かない様子だったが、間もなく両隣の寛仁親王妃信子さま、フィリピンのプリシマ財務相とにこやかに歓談されていた。

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 初めての地方での単独公務は、6月6〜7日の山口県ご訪問。同県下関市の造船所で、海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)が発注していた海底広域研究船「かいめい」の命名・進水式に臨席された。
 祝賀会では、船名の提案者の一人で、悠仁さまと同じ小学3年の男児(9)に声をかける際、中腰になり、目線を合わせられる姿が印象的だった。
 宮内庁によると、4月に入学した国際基督教大学(ICU)での学業を優先しながら、今後も公務に取り組まれるという。

700可愛い奥様@避難所生活:2015/08/22(土) 08:30:00 ID:QR/oxDls
ttp://www.sankei.com/premium/news/150822/prm1508220030-n1.html
2015.8.22 06:00
【皇室ウイークリー】
(397)両陛下、全国戦没者追悼式ご臨席 悠仁さま、沖縄戦体験談にご関心
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
全国戦没者追悼式に臨席された天皇、皇后両陛下=15日、東京都千代田区の日本武道館
 終戦の日を迎えたこの1週間、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方は戦没者に思いを寄せる日々を過ごされた。
 両陛下は15日、東京都千代田区の日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式に臨まれた。この式典は、先の大戦での戦没者約310万人の鎮魂を祈るため、昭和38年から毎年開催されている。
 両陛下は壇上の「全国戦没者之霊」と書かれた標柱の前に立ち、深々とご拝礼。正午の時報に合わせ、約5300人の参列者とともに1分間の黙祷(もくとう)をささげられた。続いて、天皇陛下が「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い(ます)」とお言葉を述べられた。
 静養のため須崎御用邸(静岡県下田市)に17日まで滞在していた皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは15日、3人そろって御用邸内で戦没者の冥福を祈られたという。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さまは17日、東京都新宿区の京王プラザホテルを訪れ、戦後70年にあたり、沖縄戦を語り継ぎ、犠牲者を追悼するイベント「沖縄地上戦と子どもたち」に参加された。
 このイベントはテーマを変えながら毎年、都内で開催。秋篠宮ご一家はたびたび参加されており、悠仁さまは昨年の学童疎開船「対馬丸」の追悼イベントに続いて2回目となった。
 この日は、沖縄の小中学生が伝統芸能であるエイサーや琉球舞踊を披露し、沖縄戦があった昭和20年に10歳だった女性が、家族を失った当時の体験を証言した。
 悠仁さまは同世代の子供たちの演舞に拍手を送り、「戦争は二度とあってはならない」と語る女性の話に、熱心に耳を傾けられていた。その後、秋篠宮ご一家は、沖縄出身で盲目のテノール歌手、新垣勉さんや参加者とともに沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」を合唱された。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 皇后さまは20日、東京都新宿区の東京オペラシティコンサートホールで開かれた福島青年管弦楽団のコンサートを鑑賞された。
 楽団は、ギリシャ出身のピアニスト、パノス・カラン氏らが設立した英慈善団体「Keys of Change(キーズ・オブ・チェンジ)」が東日本大震災の被災地をたびたび訪れ、福島県の学生と合同演奏会を開いたのをきっかけに結成。現在は福島市の中学高校7校の51人が参加している。
 昨年4月に英ロンドンに招待されて演奏しており、今回が東京でのデビュー公演となった。宮内庁によると、音楽を通じた復興支援に心を寄せている皇后さまにキーズ・オブ・チェンジ側から願い出があり、応じられたという。
 コンサートでは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に続き、アンコールでエドワード・エルガーのエニグマ変奏曲からニムロッドを披露。皇后さまはさかんに拍手を送り、鑑賞後には演奏した中高生と懇談された。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 コンサートマスターを務めた福島高2年の岩渕祐太君(17)に「音楽を続けていってくださいね」、オーボエを吹いた松陵中3年の今泉友希さん(15)には「演奏が素晴らしかったですね」と声をかけられたという。
 皇后さまは21日、東京都練馬区の区立美術館で開かれている「開館30周年記念 舟越保武彫刻展-まなざしの向こうに」をご覧になった。船越は戦後を代表する彫刻家で、代表作は「ダミアン神父」など。皇后さまは、舟越の長女である末盛千枝子さんと児童文学を通じて長年の交流を持たれている。

701可愛い奥様@避難所生活:2015/08/29(土) 07:06:52 ID:KzgcoN/g
ttp://www.sankei.com/premium/news/150829/prm1508290015-n1.html
2015.8.29 06:00
【皇室ウイークリー】
(398)両陛下、大日向開拓地をご訪問 愛子さま、戦後70年展をご覧に
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ジェンマ・ベルタニョッリさん(右)の歌声に合わせ、ピアノを演奏される皇后さま=27日、群馬県草津町の草津音楽の森セミナーハウスII
 天皇、皇后両陛下は22日から長野県軽井沢町で静養に入られた。残暑の厳しいこの時期に避暑地の軽井沢で過ごされるのは、毎年の恒例。皇后さまが胸の痛みを訴え、心臓の筋肉に血液が十分に行き渡らなくなる「心筋虚血」と診断されてからは初めてのご静養となり、側近は「心身ともにリラックスしてお過ごしいただきたい」としている。
 22日には、同県旧大日向村(現在の佐久穂町)から中国・旧満州に開拓団として渡り、戦後に引き揚げた人たちが入植した軽井沢町の大日向開拓地を訪問された。開拓団は引き揚げ中に飢えや寒さで約370人を失ったほか、入植先の大日向開拓地でも森林の伐採や冷害などの苦労を乗り越えてきた。
 昭和天皇が昭和22年に地方巡幸で訪れ、入植者を激励。両陛下も皇太子・同妃時代から皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんを連れてたびたび訪れており、宮内庁によると、戦後70年の節目に再訪を強く希望されたという。

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 両陛下は地元の公民館に設けられた開拓記念館で、くわや鎌など入植当時の農機具を観覧した後、入植者の74〜88歳の男女8人とご懇談。天皇陛下は「入植のご苦労は多かったでしょうね」と苦難の歴史に思いを寄せられた。
 現地で両親を亡くし、弟2人を連れて戻った小須田あい子さん(83)を、陛下は「大変でしたね」とねぎらわれた。地元の保育園で幼少期の清子さんを預かったことがあるという小須田愛子さん(85)には、皇后さまが「お世話になりました」と懐かしそうに語りかけられた。
 続いて、開拓地内のキャベツ畑を寄り添って散策し、時折、足を止めて農道の木々を眺められるなどしていた。
 両陛下は27日に群馬県草津町にご移動。皇后さまは同日午後、同町で開催中の音楽祭「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のワークショップ(体験型講座)に参加し、イタリア出身のソプラノ歌手、ジェンマ・ベルタニョッリさんの歌声に合わせ、ピアノでリヒャルト・シュトラウスの歌曲「あした」を演奏された。

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 皇后さまは歌詞の意味などをベルタニョッリさんに尋ねながら、真剣な表情で何度もピアノを奏で、終了後には、報道陣に「私には難しくて」と笑顔で語ったほか、心臓の精密検査後のご体調については「大丈夫です。少し休めました」と答えられていた。
 陛下はこの間、近くの根広林道周辺を植物学者や県立自然史博物館の学芸員とともに散策されたという。
 同日夕には、両陛下で音楽祭のコンサートをご鑑賞。音楽祭の立ち上げに尽力し、昨年12月に亡くなった遠山一行さんを追悼する「弦楽のためのラルゴ」が演奏され、両陛下も在りし日をしのばれた。皇后さまは、遠山さんの妻でピアニストの慶子さんにたびたびピアノを習われている。
 皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは22日、東京都千代田区の日比谷図書文化館を訪れ、戦後70年で戦中・戦後の生活の苦労を伝える企画展示会「伝えたい あの日、あの時の記憶」をご覧になった。

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 愛子さまは、戦中に竹で編まれたランドセルなどの展示品を熱心にご見学。戦傷者に香淳皇后が贈った日常用と作業用の義手に目を留め、「これも義手なのですね」と尋ねられていた。
 皇太子ご一家は24日から静養のため那須御用邸(栃木県那須町)で過ごされている。
 高円宮妃久子さまは27日、幕張メッセ国際展示場(千葉市)で開かれた展示会「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW」の開会式に臨席された。

702可愛い奥様@避難所生活:2015/09/05(土) 06:46:14 ID:d7J3gdls
ttp://www.sankei.com/premium/news/150905/prm1509050023-n1.html
2015.9.5 06:00
【皇室ウイークリー】
(399)両陛下、九谷焼の展示会をご覧 佳子さま、手話のスピーチコンテストにご臨席
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「交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開」の展示をご覧になる天皇、皇后両陛下=8月31日、東京都千代田区の東京ステーションギャラリー
 長野県と群馬県で静養していた天皇、皇后両陛下は8月29日に帰京された。後半の群馬県草津町では、陛下は散策による植物観察、皇后さまはワークショップでのピアノの練習などに時間を割かれたといい、側近は「ゆっくりと楽しんでいただけたのではないか」としている。
 この静養では、恒例となっているテニスは皇后さまのご体調などにも配慮して、両陛下とも控えられたという。
 8月31日には、JR東京駅構内の東京ステーションギャラリー(東京都千代田区)で、北陸新幹線開業記念の展示会「交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開」を観覧された。側近によると、両陛下は伝統芸能の継承に心を寄せており、5月に石川県を訪問した際も職人を養成する県立九谷焼技術研修所に足を運ばれている。
 展示会では、江戸前期の古九谷から「ジャパンクタニ」として欧米で高く評価される近現代の九谷焼までを代表的な窯元の作品とともに紹介。天皇陛下は江戸後期の「百合図平鉢」の前で足を止め、「クロユリかしらね」などと尋ねられていた。

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 那須御用邸(栃木県那須町)で静養していた皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは9月3日、帰京された。小町恭士東宮大夫によると、8月24日からの滞在中、那須ステンドグラス美術館と那須どうぶつ王国をご訪問。美術館でパイプオルガンの演奏を聴いたほか、どうぶつ王国では、動物への餌やりやドッグショーなどをご覧になった。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは8月29日、東京都千代田区のホールで開かれた「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」にご臨席。開会式では、紀子さまが手話を交えて「これまで出場された方々が、卒業後もさまざまな分野で手話を生かし、聴覚障害者の生活を支えていることは誠に喜ばしいことです」とあいさつされた。
 紀子さまは大学時代から手話に取り組まれ、佳子さまも昨年から手話関連のイベントにたびたび同行し、理解を深められている。昨年のコンテストには、英国留学直前の眞子さまがお一人で臨席し、あいさつされている。

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 紀子さまと佳子さまはホール中央の席に座り、全国から選ばれた10人の高校生が「夢をかなえるために」「『思いやり』で築く関係」などのテーマで発表するのに、熱心に耳を傾け、一人一人に拍手を送られていた。
 日本障害者リハビリテーション協会総裁の常陸宮さまは9月1日、常陸宮妃華子さまとともに東京都新宿区の京王プラザホテルを訪れ、障害者福祉の向上を目指す国際会議「アジア太平洋CBR会議」の開会式に臨まれた。
 常陸宮さまは7月31日に発熱で入院した後に肺炎と診断され、8月11日に退院してから初めての公務となり、終始車いすに乗っていたものの、お元気な姿を見せられた。会場に入る際、参加者から拍手で迎えられると、手首を回して手のひらと甲を交互に見せる、手話で「拍手」を表すしぐさで応じられた。

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 開会式のあいさつでは「地域に広まった障害者支援活動を学び合うとともに、国の内外の関係者が協力することにより、障害者の福祉向上が図られていくことを期待しております」と述べられた。
 関東大震災の発生から92年を迎えた9月1日、約5万8千人分の犠牲者の遺骨が納められている東京都慰霊堂(墨田区)で大法要が営まれ、皇族方を代表して高円宮妃久子さまが参列された。法要の後、震災発生時刻の午前11時58分に合わせて鎮魂の鐘が鳴らされ、遺族らが黙祷(もくとう)した。

703可愛い奥様@避難所生活:2015/09/12(土) 06:21:17 ID:Fi9mdd7A
ttp://www.sankei.com/premium/news/150911/prm1509110007-n1.html
2015.9.12 06:00
【皇室ウイークリー】
(400)両陛下、豪雨被害にご心痛 悠仁さま、9歳のお誕生日
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虫とりをされる悠仁さま=8月16日、東京・元赤坂の赤坂御用地(宮内庁提供)
 天皇、皇后両陛下は、記録的豪雨で北関東や東北を中心に多くの被害が出ていることを側近からの報告や報道などで見聞きし、心を痛められている。11日には茨城、栃木両県知事にお見舞いの気持ちを伝え、17〜18日に予定していた栃木県日光市への訪問を取りやめられた。
 両陛下は10日に皇居・宮殿で、ウガンダのムセベニ大統領夫妻とご会見。大統領が帰り際に豪雨について触れると、天皇陛下は「日本はこの時期、台風が多いです。河川がだいぶ増水し、氾濫しているところもあるので心配しています」と話されたという。
 会見では、ウガンダのビクトリア湖で外来魚のナイルパーチが繁殖していることが話題に上り、日本魚類学会会員の陛下は「ナイルパーチは他の魚を食べるのですね」などと質問されたという。会見に続いては、両陛下が宮中午餐を催され、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻が陪席された。
 陛下は11日、皇居内の生物学研究所脇の水田で稲刈りに臨み、もち米「マンゲツモチ」計40株を収穫された。

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 皇后さまは7日、東京都中央区の日本橋三越本店で、絵画展「90回記念国展キャンペーン 島田鮎子展」を鑑賞された。来年で90回を迎える国展を盛り上げるため、国展会員で洋画家の島田さんの作品35点を展示。皇后さまは島田さんの案内で代表作を見て回り、「きれいな作品でございますね」「構図を考えているときが楽しいでしょ」とにこやかに話しかけられた。
 皇后さまが胸の痛みに伴い、心臓の精密検査を受けられてから9日で1カ月。宮内庁の風岡典之長官は10日の定例会見で、ここ最近はご体調の異常は聞いていないとした上で、秋から年末年始にかけて公務で多忙となられることから「侍医と連携してお体の状況をうかがっていかなければならない」と述べた。
 皇太子ご夫妻は8日、東宮御所で、大阪青年会議所の招待で来日した米国やベルギーなど5カ国の若手起業家ら男女5人と懇談された。この懇談は、平成19年に両陛下から皇太子ご夫妻に引き継がれたという。

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 皇太子ご夫妻の長女で、学習院女子中等科2年の敬宮(としのみや)愛子さまは7日から2学期が始まり、元気に授業や課題に取り組まれている。
 秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小3年の悠仁さまは1日から2学期に入られた。6日には9歳の誕生日を迎え、秋篠宮妃紀子さまに付き添われて皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下にあいさつをされた。
 宮内庁によると、学校の理科の授業で風やゴムの働きを調べる実験があり、悠仁さまは正確なデータを取るように努められた。5月の運動会では、縄跳びやそりを使ったリレー、大玉転がしなどに出場された。放課後には、友達と虫やカエルをとるなどして遊ばれている。
 宮邸がある赤坂御用地内でも愛用の虫とり網でトンボやセミ、カブトムシをとり、観察されている。昆虫が生息しやすい環境に関心を持ち、御用地内の小川や池を見て回られることも。宮邸の畑では、ジャガイモ、トマトなどを栽培し、学校帰りに自ら手入れをして収穫された。

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 また、ご夫妻とともに地図や地球儀を見ながら、旅行で訪問した場所や、会話の中で出てくる地域や国を確認されることもあるという。
 紀子さまは11日、49歳のお誕生日を迎えられた。
 日本赤十字社名誉副総裁の高円宮妃久子さまは8日、北海道帯広市で開かれた赤十字北海道大会に臨席し、赤十字事業に貢献した個人や団体に有功章などを授与された。

704可愛い奥様@避難所生活:2015/09/19(土) 08:26:30 ID:qkocWjsE
ttp://www.sankei.com/premium/news/150919/prm1509190034-n1.html
2015.9.19 06:00
【皇室ウイークリー】
(401)陛下、ベトナム指導者とご面会 皇太子ご夫妻、水再生施設ご覧
(1/4ページ)
芝浦水再生センターを視察される皇太子ご夫妻=17日、東京都港区
ttp://www.sankei.com/images/news/150919/prm1509190034-p1.jpg
 天皇、皇后両陛下は12日、東京都千代田区の東京国立近代美術館で、企画展「No Museum,No Life?-これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会」を鑑賞された。
 国内にある国立美術館全5館の所蔵品計約200点をアルファベット順のキーワードごとに展示し、美術館の魅力や役割を紹介。展示室の入り口で、皇后さまがキーワードに地震(Earthquake)があるのに気付き、同日朝に東京都調布市で震度5弱を記録した地震に触れ、案内役の学芸員に「大丈夫でしたか」と声をかけられた。
 保存修復のコーナーでは安井曽太郎の油絵「金蓉」を題材に修復技術の説明を受け、陛下は「どのような方が修復に関わっているのですか」とご質問。アラブの兵隊が壁の穴をのぞき込む作品の前でも足を止め、皇后さまが裏側に置かれた台に乗って穴をのぞき「(兵隊と)目が合います」と笑顔を見せられた。

(2/4ページ)
 天皇陛下は16日、皇居・宮殿で、来日していたベトナムの最高指導者、グエン・フー・チョン共産党書記長と面会された。宮内庁によると、陛下がベトナム戦争で敷設された地雷の処理について尋ねられ、チョン書記長は地雷問題を克服しつつあると説明した上で「より大きな問題は枯れ葉剤の人体への影響で、これは世代を超えて続いていきます」と話したという。
 皇太子ご夫妻は17日、東京都港区の下水処理施設「芝浦水再生センター」を訪問された。施設内に今年5月に開業した大型複合ビル「品川シーズンテラス」では、地下を流れる下水処理水の熱を利用した空調設備などで、二酸化炭素排出量が大幅に削減されるとの説明を受け、関心したようにうなずかれていた。
 東京23区内の下水道管の総延長約1万6千キロが東京-シドニー(オーストラリア)間の往復とほぼ同じ長さになると聞き、皇太子妃雅子さまは驚かれていた。また、老朽化した下水道管の補修が課題になっているとの説明を受け、補修作業を再現した様子もご覧になった。

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 これに先立ち、ご夫妻は目黒区の東京大学生産技術研究所で、スーパーコンピューターを活用した最新の洪水予測システムなどについても説明を受けられた。皇太子さまは水問題の研究を長年続け、最近は地球温暖化や災害に関する公務にも携わられている。雅子さまも国連大学で環境問題の講義を聴くなど関心を寄せられている。
 秋篠宮ご夫妻は15日、「敬老の日」にちなみ、渋谷区の日本赤十字社総合福祉センターをご訪問。デイサービスを利用する67〜99歳の高齢者26人が転倒防止のため、いすに座ったまま足踏みなどの体操をする様子を見守られた。
 秋篠宮さまは腰をかがめ、一人一人に「何分間ぐらいの体操ですか」と尋ねられ、秋篠宮妃紀子さまも「まだ暑いので気をつけてください」といたわられた。これに先立ち、特別養護老人ホームなどの入居者もねぎらわれた。
 敬老の日にちなむ高齢者施設の訪問は両陛下が続けてきたが、若い世代に譲る意向を示され、今年は初めて秋篠宮ご夫妻が受け持たれた。

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 日本馬術連盟名誉総裁の常陸宮妃華子さまは13日、北海道苫小牧市で行われた全日本学生馬術女子選手権大会をご観戦。優勝した立教大学の石栗里美選手に常陸宮妃杯を授与し、関係者と懇談された。
 寛仁親王妃信子さまは17日、名古屋市を訪れ、障害者の自立を助ける社会福祉法人「AJU自立の家」のウェルフェアコンサートを鑑賞された。この施設は、寛仁親王殿下が生前、支援されていた。

705可愛い奥様@避難所生活:2015/09/23(水) 07:13:03 ID:QkxWmJiE
ttp://www.sankei.com/premium/news/150920/prm1509200034-n1.html
2015.9.20 06:00
【皇室ウイークリー(番外編)】
戦後70年、両陛下の思い引き継がれ…皇族方も「慰霊の旅」
(1/6ページ)【戦後70年】
企画展「伝えたい あの日、あの時の記憶」を見学される皇太子ご一家=8月22日、東京都千代田区の日比谷図書文化館
 戦後70年を迎えた今年、天皇、皇后両陛下は4月に激戦地だったパラオ共和国ペリリュー島を訪問するなど「慰霊の旅」を果たされてきた。その陰で報道などではあまり大きくは取り上げられていないものの、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家をはじめ皇族方も両陛下の平和への思いを受け止め、追悼の祈りと記憶の継承に尽くされている。
 「亡くなられた方々のことを決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないか」
 2月23日のお誕生日を控えた記者会見で、皇太子さまは「戦争と平和についてのお考え」を尋ねる質問にこう答えられた。「戦争の惨禍を繰り返さない」というお気持ちは、8月15日の全国戦没者追悼式で、天皇陛下が述べられたお言葉と重なる。
 皇太子さまはさらに、ご自身が戦後生まれであることに加え、近年は戦争の記憶が薄れようとしているとした上で、「戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切である」と述べられた。

(2/6ページ)【戦後70年】
 天皇陛下は1月1日、新年にあたって出した感想の中で、「戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」とのお考えを示されている。
 側近は「両陛下が自ら慰霊の旅を続けるのは、若い世代に戦争の悲惨さや平和の尊さを思い起こしてもらいたいというお気持ちも込められている」と話す。
 6月には、両陛下とともに皇太子さま、秋篠宮さまが原盤の再生に成功した昭和天皇の「玉音放送」を聞く機会を持たれた。7月には、皇太子さま、秋篠宮さまが皇居内の防空壕だった「御文庫付属庫」を視察されている。
 皇太子ご夫妻の長女で、学習院女子中等科2年の敬宮愛子さまが折に触れ、両陛下や皇太子ご夫妻から先の大戦の話をお聞きになる機会もあるという。
 4月9日。両陛下がパラオ・ペリリュー島で西太平洋戦没者の碑に供花し、深々と拝礼される様子を、皇太子ご一家はテレビでご覧になったという。
 両陛下のご帰国後の同月13日、皇太子さまは皇居・御所を訪れ、パラオ訪問中に委任されていた国事行為の臨時代行について、天皇陛下に報告された。報告を終えた後には、皇后さまと皇太子妃雅子さまも加わり、パラオ訪問について言葉を交わされたという。

(3/6ページ)【戦後70年】
 7月26日。皇太子ご夫妻は、戦争を知らない若い世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切とのお考えで、夏休み中の愛子さまを伴い、東京都千代田区の国立施設「昭和館」を訪問された。
 同館では、戦中・戦後の労苦を後世に伝えるため、「学童疎開」や「空襲」などのテーマごとに資料を常設展示している。戦後70年の今年は「昭和20年という年〜空襲、終戦、そして復興へ〜」と題する特別企画展も開かれていた。
 戦争関連の展示を初めて見学した愛子さまは、当時の写真などが並ぶガラスケースをのぞき込み、戦後、墨塗りされた教科書に関心を示されていた。
 8月22日には、皇太子ご一家で東京都千代田区の日比谷図書文化館を訪れ、昭和館など国立施設3館の合同企画展「伝えたい あの日、あの時の記憶」をご覧になった。愛子さまが、曾祖母の香淳皇后が戦傷者に贈った日常用と作業用の義手に目を留め、「これも義手なのですね」と尋ねられる場面もあった。
 戦傷者である漫画家の水木しげるさんの体験を講演した水木さんの長女、原口尚子さんらとも約30分にわたってご懇談。小町恭士東宮大夫によると、愛子さまは、原口さんに「水木さんから戦争のお話をお聞きになっていますか」などと質問されたという。

706可愛い奥様@避難所生活:2015/09/23(水) 07:13:42 ID:QkxWmJiE
(4/6ページ)【戦後70年】
 約10万人が命を落とした東京大空襲から70年を迎えた3月10日。秋篠宮ご夫妻は東京都慰霊堂(墨田区)で行われた慰霊法要に参列し、焼香して犠牲者を悼まれた。この法要には毎年、宮家の皇族方が順に臨まれているが、この4年間は秋篠宮ご夫妻が続けて足を運ばれている。
 「宮家の皇族方も両陛下の平和への思いを受け止め、訪問先の近くに慰霊にまつわる施設があれば立ち寄り、追悼の祈りをささげられている。戦後70年の今年は特に、そういうお姿が見られる」。宮内庁関係者はこう語る。
 4月6日。総裁を務める山階鳥類研究所の会合に臨席するため、広島市を訪問した秋篠宮さまは、昨年8月の土砂災害で大きな被害が出た安佐南区八木地区の現場を視察するとともに、平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に供花もされた。
 5月25日には、秋篠宮ご夫妻が東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた拝礼式に皇族方を代表して臨席し、先の大戦で海外などで亡くなった身元不明の戦没者を追悼された。
 秋篠宮さまは同月28日、日本動物園水族館協会の通常総会に出席するため訪問した兵庫県姫路市で、先の大戦の空襲犠牲者を祭る「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」に供花されている。

(5/6ページ)【戦後70年】
 秋篠宮ご夫妻も、お子さま方への記憶の継承に心を砕かれている。
 昨年11月30日の秋篠宮さまのお誕生日を前にした記者会見で、秋篠宮妃紀子さまは、読書や戦争体験者の話を聞くことなどを通じ、「子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました」と述べられている。
 ご夫妻は7月17日、次女の佳子さまとともに東京都港区で開催されていた展示会「はがきで綴(つづ)る、戦争の記憶-千の証言展」を訪れ、先の大戦中に特攻隊員が家族にあてた遺書などを見て回られた。
 8月7日には、佳子さま、長男の悠仁さまを連れ、昭和館をご訪問。常設展示で空襲の犠牲者を示したタッチパネルの前では、悠仁さまが「やっぱり広島県が多いね」と指摘され、秋篠宮さまが「広島は原爆でね」と応じられていた。
 同月17日には、4方で新宿区の京王プラザホテルを訪れ、沖縄戦を語り継ぎ、犠牲者を追悼するイベント「沖縄地上戦と子どもたち」に参加された。昨年8月にも同じ団体が主催した学童疎開船「対馬丸」の追悼イベントに、長女の眞子さまを加えたご一家で臨まれている。

(6/6ページ)【戦後70年】
 この日は、沖縄戦があった昭和20年に10歳だった女性が家族を失った体験を証言し、「戦争は二度とあってはならない」と訴えた。ご一家は女性の話に熱心に耳を傾け、その後、参加者とともに沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」を合唱された。
 皇太子ご一家、秋篠宮ご一家ともに、両陛下と同じく、沖縄戦が終結した6月23日、広島、長崎に原爆が投下された8月6日、同月9日、終戦の日の8月15日に犠牲者の冥福を祈り続けられているという。
 また、昭和天皇の次男である常陸宮さまと、常陸宮妃華子さまは5月19日、日本いけばな芸術中国展の開会式に臨席するため広島市を訪問し、平和記念公園で供花されている。
 三笠宮家の彬子さまと瑶子さまは4月22日、先の大戦の戦没者をまつる東京都千代田区の靖国神社を春季例大祭に合わせて参拝された。三笠宮家では祖父の三笠宮さまや、平成24年に薨去(こうきょ)された父の寛仁親王殿下も春秋の例大祭期間中にたびたび参拝されている。

707可愛い奥様@避難所生活:2015/09/26(土) 09:01:24 ID:cRaDU71U
ttp://www.sankei.com/premium/news/150926/prm1509260027-n1.html
2015.9.26 06:00
【皇室ウイークリー】
(402)両陛下、豪雨被災者をご慰労 佳子さま、手話でごあいさつ
(1/3ページ)【皇室ウイークリー】
「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」の開会式で、手話でお言葉を述べられる秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま=22日、鳥取県米子市公会堂(門井聡撮影)
 シルバーウイークだったこの1週間、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方は比較的ゆっくりと過ごされた。
 「秋分の日」の23日は、皇室の先祖祭に当たる「秋季皇霊祭の儀」が皇居・皇霊殿、神恩感謝の祭典とされる「秋季神殿祭の儀」が神殿で執り行われ、両陛下と皇太子さまが拝礼された。秋篠宮ご夫妻はじめ皇族方も参列された。
 宮内庁によると、頸椎症性神経根症の持病を抱える皇后さまは、髪を束ねて後ろに長く垂らす「おすべらかし」で臨む祭祀(さいし)は、首に負担があるため控えていただきたいと医師から助言を受けているが、祭祀を大切にし、伝統を引き継がねばとの強いお気持ちから、春秋の皇霊祭の儀・神殿祭の儀、昭和天皇例祭の儀、香淳皇后例祭の儀などに絞る形で臨まれている。
 両陛下は25日、国体の総合開会式臨席などのため和歌山県に入られた。この日は、田辺市の県立情報交流センターで、平成23年9月の紀伊半島豪雨で家族が犠牲になった被災者6人と懇談し、お見舞いの言葉をかけられた。
 この豪雨では、和歌山、奈良、三重3県で80人以上の死者・行方不明者が出ており、うち61人が和歌山県に集中している。両陛下は発災当初から甚大な被害に心を痛め、今回の訪問にあたり、同県の被災者との面会を強く希望された。昨年11月には、奈良県の被災者も見舞われている。

(2/3ページ)【皇室ウイークリー】
 新宮市の大前幸子さん(71)は経営する雑貨店ごと流され、母親=当時(88)=を失った。「母のおかげで助かった」と訴える大前さんを、天皇陛下は「お寂しい日々を過ごしていらしたでしょう」と気遣われた。
 那智勝浦町の寺本真一町長(62)は当時、妻=同(51)=と長女=同(24)=の行方が分からない中で災害対応の陣頭指揮を続けており、皇后さまは「どんなにか、おつらい決断でいらしたでしょう」と慰労された。
 陛下は最後に全員に向かい、「いろいろ大変だとお察ししていますけど、元気で過ごされるよう、切に願っています」と声をかけられた。
 皇太子ご夫妻は25日、東京都千代田区のホテルで開かれた「第22回国際青年交流会議」に臨席された。同会議はご夫妻のご成婚を記念し、日本から外国に派遣された若者と、相手国などから日本に招いた若者との交流事業として実施されている。今年はカンボジアやラトビアなどから約360人が参加した。
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは21日午後、鳥取県境港市を訪れ、昭和20年4月に400人以上が死傷した貨物船「玉栄丸」爆発事故の慰霊碑に供花された。夜には、米子市のホテルで開かれた「第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」の交流会に臨み、高校生らとご歓談。手話を交えて「頑張ってください」と励まされた。

(3/3ページ)【皇室ウイークリー】
 22日は米子市公会堂で行われた手話パフォーマンス甲子園の開会式にご臨席。手話を使って「手話に対する理解と、聴覚に障害がある方々に対する理解が一層深まるとともに、この大会がすばらしい思い出となりますことを願います」とあいさつされた。
 佳子さまは昨年の第1回大会にも秋篠宮妃紀子さまとともに臨んでいるが、今年はお一人で参加された。また、開会式に続いて、高校生による演劇や落語などのパフォーマンスを観覧された。
 両陛下をはじめ皇族方の身辺を護衛する皇宮警察の異動にあたり、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻は24日、三笠宮家の彬子さま、瑶子さまは25日、各宮邸でそれぞれ新たに担当となった護衛官とあいさつを交わされた。

708可愛い奥様@避難所生活:2015/10/03(土) 06:40:26 ID:YbCcHjKg
ttp://www.sankei.com/premium/news/151002/prm1510020012-n1.html
2015.10.3 06:00
【皇室ウイークリー】
(403)両陛下、茨城の被災地をご慰問 眞子さま、英国留学からご帰国
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東日本豪雨で避難生活を続ける被災者と懇談される天皇、皇后両陛下=1日、茨城県常総市の「水海道あすなろの里」
 9月25日から和歌山県を訪問していた天皇、皇后両陛下は26日、和歌山市の紀三井寺公園陸上競技場で行われた国体の総合開会式に臨席し、都道府県代表の入場行進に拍手を送られた。式典前には、同県の豊かな山や海などをアピールする演技が披露され、両陛下は「郷土への誇りと敬愛に満ちたものでした」と感想を話されていたという。
 広川町では、江戸後期に大津波が地元を襲った際、火を付けた稲束を目印にして住民を高台に誘導し、多くの命を救ったとされる浜口梧陵の記念館をご見学。この「稲むらの火」の逸話は昭和12〜22年に尋常小学校5年の国定教科書に掲載されており、側近によると、両陛下も先の大戦の疎開先で目にされている。
 記念館訪問に先立つ昼食会でも、同県で甚大な被害が想定される南海トラフ巨大地震などが話題に上り、天皇陛下は、仁坂吉伸知事に「津波は何分ぐらいで到達しますか」などと質問されたという。
 27日には、同県が全国生産量の6割を占める梅の研究所をご視察。温室では、土壌の性質ごとに水や肥料の量など栽培環境が異なることを説明され、陛下は「随分、栽培の仕方が違ってくるのですね」と関心を示されていた。

(2/3ページ)
 両陛下は10月1日、東日本豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、広範囲で浸水被害が出た茨城県常総市を慰問された。決壊現場では、土砂がえぐり取られ、水がたまったままの現状を確認し、説明役の高杉徹市長に濁流の威力について繰り返し尋ねられた。
 約180人が身を寄せる避難所では、被災者6人とご懇談。自宅が床上浸水し、父母とともにヘリコプターで救助された神山一真さん(43)に、皇后さまは「無事でいらしてくれてありがとう」と声をかけられた。星野立子さん(62)は、泥まみれの自宅で見つけた両陛下のお写真入りのテレホンカードを持参しており、皇后さまが平成17年に同県潮来市で行われた全国植樹祭の際のものだと指摘し、「若いときですね」と笑顔を浮かべられた。
 続いて、救助活動にあたった自衛隊、警察、消防の関係者らとも面会し、「救助された人は喜んだでしょうね」などとねぎらわれた。
 皇太子ご夫妻は1日、東京都渋谷区の新国立劇場で、文化庁芸術祭オープニング公演のオペラ「ラインの黄金」を鑑賞された。
 ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは9月26日、学習院女子中等科・高等科合同の運動会にご参加。中等科2年全員で同校伝統のダンスを踊ったほか、学年対抗のドリブル競争などに出場された。ご夫妻は最後まで観覧し、愛子さまのご活躍を楽しまれたという。

(3/3ページ)
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは29日、英レスター大大学院での1年間の留学生活を終えて帰国された。30日に皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に帰国をご報告。10月1日には、東京都八王子市の武蔵陵墓地で、昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された。
 国体が開会したのに合わせ、皇族方も和歌山県内での競技観戦に足を運ばれた。常陸宮ご夫妻は9月29日と30日、ハンドボールとテニスをご観戦。日本サッカー協会名誉総裁の高円宮妃久子さまは30日から10月2日にかけ、サッカーやウエートリフティングなどを見て回られた。
 寛仁親王妃信子さまは9月30日、宮城県登米市のハンセン病国立療養所「東北新生園」で行われた「寛仁親王妃杯女子コスモスゲートボール大会」の会場を徒歩で移動中にくぼみに足を取られ、右足首を骨折された。全治約5〜6週間の見込みという。

709可愛い奥様@避難所生活:2015/10/10(土) 06:30:50 ID:hbP9nnLQ
ttp://www.sankei.com/premium/news/151010/prm1510100026-n1.html
2015.10.10 06:00
【皇室ウイークリー】
(404)両陛下、「太陽の家」をご訪問 眞子さま、帰国後初のご公務
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「太陽の家」の創立50周年記念式典に出席される天皇、皇后両陛下=4日、大分県別府市
 天皇、皇后両陛下は3日、日本の障害者スポーツの歴史と関係が深い社会福祉法人「太陽の家」(大分県別府市)の創立50周年記念式典に臨席するため、空路で大分入りされた。同日は大分市の県立美術館を訪れ、地元出身の日本画家、福田平八郎などの作品を見て回られた。
 両陛下は4日、別府市を訪れ、太陽の家の50周年記念式典にご臨席。陛下は皇太子時代に昭和39年の東京パラリンピックで名誉総裁を務め、その後も皇后さまとご一緒に、障害者スポーツの支援に強い思いを寄せ続けられてきた。
 式典後は、施設内のトレーニングルームで、パラリンピックへの出場を目指す選手たちが、パワーリフティングや卓球などの練習をする様子を見て回られた。その際、陛下は卓球の選手に「ちょっとやりましょう」と声をかけ、数分間、ラリーの相手を務められる場面もあった。
 太陽の家は、東京パラリンピックの開催に尽力した医師の中村裕さん(故人)が40年に創設。障害者に働く機会を提供するなどして、自立支援を行っている。両陛下は同日夕、帰京された。
 両陛下は7日、スリランカのウィクラマシンハ首相夫妻と皇居・宮殿でご会見。宮内庁によると、天皇陛下は、東日本大震災の際にスリランカから支援を受けたことに謝意を示した上で、2004年のスマトラ沖地震について触れ、「スリランカも津波の被害がありましたね」と話されたという。

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 8日には、トルコのエルドアン大統領夫妻を皇居・御所に招き、会見された。同庁によると、会見では1890年に和歌山沖で発生したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の沈没事故が話題にのぼり、大統領は「地元の人々が69人のトルコ人乗組員を助けてくれたことを、われわれは今でも忘れていません」と語ったという。
 皇太子ご夫妻は8日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興状況を視察するため、福島県を日帰りで訪問された。同原発の30キロ圏内にあり、復興を担う人材育成のため今年開校した広野町の県立ふたば未来学園高校で、授業をご見学。医者になって地元に恩返ししたいなどと目標を語った別の生徒らとの懇談の場では「震災は大変でしたね」などとねぎらいの声をかけられた。
 また、風評被害対策で放射性物質の自主検査に取り組んでいるいわき市の農業生産法人「とまとランドいわき」もご視察。ご夫妻は笑顔でトマトを収穫された。9日に定例会見を行った小町恭士東宮大夫によると、ご夫妻は食べた感想を「甘みがあり、とってもおいしかった」と述べられていたという。
 秋篠宮さまと長女の眞子さまは7日、東京都江東区の有明コロシアムを訪れ、テニスの楽天ジャパン・オープンを観戦された。眞子さまにとっては、英国留学からご帰国後、初の公務。中学時代からテニスをしている眞子さまはサービスエースなどが決まる度に拍手を送られていた。

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 「紀の国わかやま国体」に合わせて和歌山県入りした皇族方のご活動も活発だった。
 三笠宮家の彬子さまは4日、開創1200年を迎えた高野山(高野町)の壇上伽藍(がらん)や高野山霊宝館などを巡り、仏像や曼荼羅を見学された。
 三笠宮家の瑶子さまは3日、紀伊半島豪雨の犠牲者を追悼する那智勝浦町井関の紀伊半島大水害記念公園を訪問し、慰霊碑に献花された。
 寛仁親王妃信子さまは5日、白浜町の町立総合体育館で空手道競技を観戦された。またこの後、田辺市の市立美術館も視察された。

710可愛い奥様@避難所生活:2015/10/17(土) 06:37:58 ID:z3Ifq6OU
ttp://www.sankei.com/life/news/151017/lif1510170011-n1.html
2015.10.17 06:00
【皇室ウイークリー】
(405)両陛下、外国首相夫妻とご会見 眞子さま、モネ展をご鑑賞
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モネ展鑑賞のため東京都美術館を訪問された秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さま=16日、東京・上野
 天皇、皇后両陛下は14日、パプアニューギニアのピーター・オニール首相夫妻と皇居・宮殿で会見された。宮内庁によると、会見の席で天皇陛下は「先の大戦中、貴国において多くの命が失われ、多大な苦難をもたらしたことに、心を痛めています」と述べられたという。
 これに対してオニール首相は「多くの日本兵の方々が亡くなられたので、日本からの遺骨収集や慰霊で来られる方々に、協力したいと考えています」などと応じた。また、首相からは皇族の同国ご訪問の招請もあった。
 皇后さまは15日、東京都台東区の東京文化会館を訪れ、交流のあるピアニスト、花房晴美さんのコンサート「花房晴美 室内楽シリーズ パリ・音楽のアトリエ(第10回記念公演)」を鑑賞された。
 両陛下が皇太子ご夫妻時代の1985(昭和60)年にデンマークを訪問された際、花房さんが両陛下の前でピアノを演奏したことがきっかけとなり、皇后さまは花房さんのコンサートに足を運ぶようになったという。
 皇太子さまは10日、「全国育樹祭」臨席などのため、新幹線で岐阜県入りされた。この日は岐阜市の岐阜県美術館で企画展などをご鑑賞。同市出身で4月に館長に就任したばかりのアーティスト、日比野克彦さんの案内で作品を見て回られた。美術館側によると、皇太子さまは「季節の移り変わりのある花を使った作品で、いいですね」と感想を述べられたという。

ttp://web.archive.org/web/20151016212512/h ttp://www.sankei.com/life/news/151017/lif1510170011-n2.html
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 11日には、揖斐川町の谷汲緑地公園で開かれた第39回「全国育樹祭」にご臨席。これに先立ち、同町内の森で、昭和32年の植樹行事で昭和天皇と香淳皇后が植えたスギの手入れの一環で、のこぎりを使って近くに生えたスギの間伐作業を行われた。
 12日、皇太子さまは美濃市を訪れ、「美濃和紙あかりアート館」で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録された本美濃紙の手すき作業をご見学。県立の専修学校「森林文化アカデミー」も訪問して林業教育などについて説明を受け、同日夕、帰京された。
 皇太子さまは15日、皇太子妃雅子さまとともに東京都千代田区のザ・キャピトルホテル東急を訪れ、非政府組織(NGO)の「地球環境行動会議(GEA)」が主催する国際会議の開会式に臨席された。当初は皇太子さまお一人での臨席予定だったが、雅子さまのご体調が良かったことから、ご夫妻でのご臨席となったという。
 会議のテーマは「気候変動対策と持続可能な社会の実現に向けて」で、あいさつに立った皇太子さまは「私たちと、私たちの子孫、全ての生物が、いつまでも地球環境の恵みを享受することができるよう、活発な議論が行われることを期待しています」と述べられた。GEAは国内外の有識者が参加して2年に1回、国際会議を開いている。

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 秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さまは16日、東京都台東区の東京都美術館を訪問して「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」を鑑賞された。大学や英国留学で美術や博物館学を学んだ眞子さまは絵画「睡蓮」の水面に映る空について「描いたときの空の色が分かりますね」などと述べられていたという。
 高円宮妃久子さまは10日、羽田空港発の民間機でポーランドに向けてご出発。ワルシャワ国際映画祭の「日本デー」オープニング上映会に臨席したほか、ピアノのショパン・コンクールの予選を視察して日本人参加者らと懇談し、同国の大統領を表敬された。久子さまは15日、羽田着の民間機で帰国された。

711可愛い奥様@避難所生活:2015/10/23(金) 07:14:00 ID:w/hAX/H6
ttp://www.sankei.com/life/news/151023/lif1510230002-n1.html
2015.10.23 07:00
【皇室ウイークリー】
(番外編)眞子さまお誕生日〈お写真で振り返る24年〉
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天皇、皇后両陛下に成年のごあいさつを終え、笑みを浮かべられる眞子さま=平成23年10月、皇居・宮殿「西車寄」
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが23日、24歳の誕生日を迎えられた。皇室ウイークリーではこれを記念して、お写真で眞子さまの24年間を振り返る。
 眞子さまは平成3年に天皇、皇后両陛下の「初孫」として宮内庁病院で誕生された。ご誕生時の身長は50センチ、体重は3238グラムだった。持ち物などにつける「お印」は、初夏に開花するバラの品種「木香茨(もっこうばら)」。
 1歳だった5年8月、長野・軽井沢で秋篠宮妃紀子さまの腕の中に抱かれた眞子さまに、犬のマークが飛びかかり「こわい〜」と声を発せられたほほえましいシーンは有名だ。8年4月、学習院幼稚園に入園した際にお持ちになっていたカバンには、木香茨のアップリケが施されていた。
 10年に学習院初等科にご入学。16年に学習院女子中等科、19年に学習院女子高等科、22年には国際基督教大学(ICU)の教養学部アーツ・サイエンス学科に入学された。

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 23年10月16日には秋篠宮邸で、成年を迎えるに当たっての記者会見に臨み、「大学が3学期制で学期ごとの履修でございますので、予定が立ちにくいところもございますけれども、公的なものを含めさまざまな行事に参加していきたいと思っております」などと抱負を述べられた。
 24年9月から翌年5月まで英国のエディンバラ大学にご留学。「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」をテーマにした卒業論文で26年3月、ICUを卒業し、その際、文書でご自身の結婚時期について「遅すぎず早すぎずできればよいと思っておりますが、理想の男性像というものは以前も申し上げましたように、特にございません」とつづられた。
 26年9月から1年間の英中部レスター大学大学院博物館学研究科での留学を終え、9月29日にご帰国。宮内庁を通じて「得ることの多い1年となりました。今後生かしていくことができればと考えております」とご感想を発表された。留学中には、英王室とのご交流もあったという。

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 帰国後は、10月7日に東京都江東区の有明コロシアムを訪れ、テニスの楽天ジャパン・オープンを観戦したほか、同16日には、東京都台東区の東京都美術館を訪れ、「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」を鑑賞するなど、精力的にご公務に励まれている。
 また、平成4年4月から秋篠宮さまが務められてきた公益財団法人「日本テニス協会」の名誉総裁を引き継ぎ、常任の名誉総裁に就任されている。

712可愛い奥様@避難所生活:2015/10/24(土) 06:19:31 ID:iTyGUFgo
ttp://www.sankei.com/life/news/151024/lif1510240006-n1.html
2015.10.24 06:00
【皇室ウイークリー】
(406)皇后さま、満81歳のお誕生日 華子さま、世界文化賞ご臨席
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皇后さまの誕生日を祝うため、皇居に入られる皇太子ご夫妻=20日、皇居・半蔵門(寺河内美奈撮影)
ttp://www.sankei.com/images/news/151024/lif1510240006-p1.jpg
 天皇陛下は17日、皇居・神嘉殿で神嘗祭神宮遙拝の儀、皇居・賢所で神嘗祭賢所の儀に臨まれた。皇后さまは神嘗祭にあたって御所で遙拝し、祭祀(さいし)が終わるまで、慎み深く静かに過ごされた。
 神嘗祭は宮中祭祀の大祭で、五穀豊穣(ほうじょう)の感謝祭にあたる。養老5(721)年に始まったとされ、毎年秋、歴代天皇が新穀でつくった神酒と神饌(しんせん)を伊勢神宮に奉ってきた。明治12(1879)年以降は10月17日に行うことが慣例となっている。
 神嘗祭賢所の儀には皇太子さまも臨まれ、秋篠宮ご夫妻、ご夫妻の長女、眞子さま、次女の佳子さま、三笠宮家の彬子さま、高円宮妃久子さま、久子さまの三女、絢子さまの7方が参列された。
 皇后さまは20日、81歳の誕生日を迎えられた。
 誕生日にあたってこの1年を振り返り、「戦後七十年となる今年は、昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や、終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕(ごう)の映像が公開されるなど、改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い一年でした」と文書につづられた。

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 同じ文書の中で皇后さまは「終戦を迎えたのが国民学校の五年の時であり、私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした」と当時を振り返り、戦争被害や敗戦後の混乱期に苦しむ国民に、心を痛めた昭和天皇の苦悩に思いをはせられた。
 同日は朝から皇居に皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方がお祝いのため訪れられたほか、安倍晋三首相をはじめ閣僚ら、衆参両院議長も次々と訪れ、祝賀行事が行われた。
 また夜には両陛下を囲んで、祝賀の夕食会が皇居・御所で開かれ、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻が出席されたほか、両陛下の長女、黒田清子さん夫妻も同席したという。
 一方、22日に定例記者会見を行った宮内庁の風岡典之長官は「一連の(祝賀)行事は滞りなく終えられた。お疲れにはなったと思う」と述べ、8月に心臓の精密検査を受けられた皇后さまのご体調の管理には、今後も細心の注意を払っていく意向を示した。

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 皇太子さまは同日、東京都渋谷区のNHK放送センターを訪れ、教育に関する優れたテレビ番組やウェブサイトなどの作品を対象とした第42回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクールの授賞式に臨席された。皇太子さまは同授賞式に平成元年からほぼ毎年臨席されている。皇太子さまはあいさつに立ち、「未来の社会の担い手である子供たちにとって、良い教育コンテンツに接することがますます大切になってきていると思います」と述べられた。
 23日、皇太子さまは全国障害者スポーツ大会の開会式臨席などのため、陸路で和歌山県入りされた。
 秋篠宮ご夫妻は19日、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で行われた秋季慰霊祭に出席して、納骨堂で黙●(=示へんに寿の旧字体)(もくとう)をささげられた。
 眞子さまは23日、24歳の誕生日を迎え、御所を訪れて天皇、皇后両陛下にあいさつされた。
 優れた芸術の世界的な創造者たちを顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」の第27回授賞式典が21日、東京・元赤坂の明治記念館で行われ、常陸宮妃華子さまが臨席された。例年はご夫妻での臨席だが、常陸宮さまはかぜ気味で微熱とせきがあったため、大事をとって欠席された。

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 常陸宮さまは、世界文化賞を主催する日本美術協会の総裁を務められている。式典では、華子さまが受賞者4人に顕彰メダルを授与し、常陸宮さまのお言葉を代読された。

713可愛い奥様@避難所生活:2015/10/31(土) 07:32:44 ID:uMZJlxms
ttp://www.sankei.com/life/news/151030/lif1510300035-n1.html
2015.10.31 06:00
【皇室ウイークリー】
(407)両陛下、海づくり大会にご臨席 秋篠宮ご夫妻、ブラジルご訪問
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全国豊かな海づくり大会で、放流したヒラメの稚魚の行方をにこやかに見守られる天皇、皇后両陛下=25日、富山県射水市
 天皇、皇后両陛下は、第35回「全国豊かな海づくり大会」の式典臨席などのため、24日から2泊3日の日程で富山県を訪問された。
 24日は北陸新幹線で富山駅にご到着。その後、富山市のイタイイタイ病資料館を訪れ、館内を熱心に見て回られた。天皇陛下は鏡森定信館長に「原因が分かったのはいつですか」「汚染土はどうしたのですか」と被害の実態や対策などを質問されていた。
 同日夜には宿泊先の市内のホテルで海づくり大会の絵画と習字の作品コンクールで知事賞に選ばれた児童生徒6人の作品をご鑑賞。「これはどこの海ですか」「字は普段から好きで書いているの」などと尋ねられた。
 両陛下は25日、射水市の多目的ホールで行われた海づくり大会の式典にご臨席。その後、市内の海浜公園に移り、漁船が海上をパレードする歓迎行事を見た後、ヒラメとキジハタの稚魚を富山湾に放流された。26日、両陛下は滑川市の県農林水産公社「滑川栽培漁業センター」で、飼育中のヒラメや高級魚のアカムツ(ノドグロ)の稚魚や、エゾアワビの稚貝の水槽をご見学。富山空港から羽田空港着の特別機で帰京された。
 両陛下は30日、今年創設40周年を迎えた国連大学(東京都渋谷区)を訪れ、同大学の修士・博士両課程で政策などを研究しているフィリピンやカメルーンなど各国出身の学生22人と懇談された。両陛下は「どういうことを(研究)なさっているの」などと笑顔でご質問。天皇陛下はブータンからの学生に「ブータンは(温暖化で)暖かいですか」と尋ねられていた。

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 皇后さまは29日夜、東京都港区の東京アメリカンクラブを訪れ、留学生や視覚障害者の学費支援のために開かれる第60回「CWAJ現代版画展」のオープニングレセプションに臨席し、作品の一部をご鑑賞。作品の前で説明を聞きながら「すばらしい作品ができましたね」「これからも続けてください」と声をかけられた。
 皇太子さまは24日、和歌山市の紀三井寺公園陸上競技場で、第15回「全国障害者スポーツ大会」の開会式に臨席された。皇太子さまは、入場行進する選手たちに拍手を送り、「2020年の東京パラリンピックに向け、障害者スポーツがより一層発展するとともに、障害者に対する理解がさらに深まることを希望します」とあいさつされた。
 式典後は、秋葉山公園県民水泳場に移り、男子と女子の25メートル自由形の競技を熱心にご観戦。さらに田辺市の田辺スポーツパーク体育館に移り、知的障害者のバスケットボールの試合も観戦された。皇太子さまは同日夜、南紀白浜空港から羽田空港着の民間機で帰京された。
 皇太子さまは28日、京都国立博物館(京都市東山区)を訪れ、開催中の「琳派誕生400年記念『特別展覧会』琳派 京(みやこ)を彩る」をご鑑賞。同展は、琳派の創始者とされる本阿弥光悦が京都に芸術村を開いて400年になるのを記念し、開催されている。

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 皇太子さまは、琳派を代表する絵師、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一がそれぞれ描いた「風神雷神図屏風(びょうぶ)」などを興味深く見て回られた。
 秋篠宮ご夫妻は27日、日本とブラジルの外交関係樹立120周年に伴う国際親善のため、羽田空港発の民間機でブラジルに向けご出発。現地で日系人との交流など、精力的に日程をこなされている。11月10日に帰国される予定。
 第15回「全国障害者スポーツ大会」の閉会式が26日、紀三井寺公園陸上競技場で行われ、高円宮妃久子さまが笑顔で臨席された。

714可愛い奥様@避難所生活:2015/11/07(土) 07:36:04 ID:4Qo.YWuA
ttp://www.sankei.com/premium/news/151107/prm1511070024-n1.html
2015.11.7 06:00
【皇室ウイークリー】
(408)天皇陛下、文化勲章をご親授 眞子さま、JCI世界会議開会式にご臨席
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文化勲章受章者と文化功労者に言葉をかけられる天皇、皇后両陛下=4日、皇居・宮殿「連翠」
 秋の叙勲などの親授式・伝達式が始まり、天皇陛下は皇居・宮殿で文化勲章、大綬章の受章者らに勲章を直接手渡し、受章者から感謝の言葉を受けられた。重光章以下の勲章や褒章の受章者らとも来週末にかけてお会いになる。
 「文化の日」の3日に行われた文化勲章の親授式には、ノーベル医学・生理学賞受賞が決まった大村智さんや同物理学賞に選ばれた梶田隆章さんら6人が出席。陛下は一人一人に勲章を授与された。
 式に続き、法律学・行政法学の塩野宏さんが受章者代表であいさつし、陛下は「今後ともそれぞれの分野の発展に尽くされるよう願っております」とねぎらわれた。
 4日には、両陛下が文化勲章受章者の大村さん、梶田さん、文化功労者で脚本家の橋田壽賀子さん、女優の黒柳徹子さんら18人を宮殿に招き、茶会を催された。皇后さまは染織の志村ふくみさんが身につけた着物の微妙な色についてご質問。志村さんが「ムラサキでございます」と答えると、陛下は「(原料が)なかなか手に入りにくいのではないですか」と尋ねられた。

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 5日の大綬章親授式では、陛下が桐花大綬章の竹崎博允元最高裁長官、旭日大綬章の清原武彦産経新聞社相談役らに勲章を授けられた。
 両陛下は4日、年明けのフィリピン訪問を前に、皇居・御所で、フィリピンの政治経済に詳しい政策研究大学院大学の白石隆学長と大塚啓二郎特別教授、フィリピンを拠点に感染症研究に取り組む東北大学大学院医学系研究科の押谷仁教授と懇談された。
 5日には、両陛下がスペイン・サラマンカ大学のダニエル・エルナンデス・ルイペレス学長らを御所でのお茶に招き、歓談された。同大は欧州最古の大学の一つで日本語教育にも力を入れており、両陛下は昭和60年と平成6年のスペイン訪問時に視察された。
 10月30日から鹿児島県を訪問していた皇太子ご夫妻は31日午後、鹿児島市の鹿児島アリーナで開かれた国民文化祭の開会式に臨席された。皇太子妃雅子さまの国民文化祭ご臨席は約8年ぶり。皇太子さまが午前に別の公務を果たされる間に宿舎で体調を整え、開会式に臨まれた。

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 開会式では皇太子さまのあいさつに続き、ご夫妻は奄美の島唄や伝統芸能などを交え、鹿児島の文化を紹介するミュージカルをご鑑賞。雅子さまは島唄を披露した女子高校生に「すばらしい歌でした」と声をかけられた。
 雅子さまは10月8日に東日本大震災の被災地、福島県を訪問したのに続き、月に2度の地方訪問を果たされた。月に2度の地方ご訪問は、長期療養前の平成15年10月以来。小町恭士東宮大夫によると、ご夫妻は鹿児島県で県民に温かく迎えられ、うれしく思われているという。
 ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは10月31日と11月1日、学習院女子中・高等科の文化祭にご参加。クラスで企画したゲームやクイズの展示で景品を渡す役を担当したほか、模擬店で食券と商品を引き換える係も務められた。ご夫妻も1日に見学に訪れられた。

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 世界各国から若手経済人が集まる国際青年会議所(JCI)主催の「JCI世界会議金沢大会」が3日、金沢市で開幕。秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが開会式に臨み、お言葉を述べられた。ご夫妻のブラジルご訪問と日程が重なったため、眞子さまに願い出があったという。
 大日本蚕糸会総裁の常陸宮さまは2日、東京都千代田区の帝国ホテルで「蚕糸功労者表彰式」に臨席された。10月下旬に風邪気味で一部公務を取りやめたが、すでに回復されたという。

715可愛い奥様@避難所生活:2015/11/14(土) 07:40:41 ID:qkofAz16
ttp://www.sankei.com/premium/news/151113/prm1511130009-n1.html
2015.11.14 06:00
【皇室ウイークリー】
(409)両陛下、秋の園遊会をご主催 眞子さま、佳子さま、公務にご精励
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秋の園遊会で招待者と歓談される天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻=12日、東京・元赤坂の赤坂御苑(大西正純撮影)
 天皇、皇后両陛下は12日、東京・元赤坂の赤坂御苑で「秋の園遊会」を催し、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方とともに多くの招待者らと歓談された。
 招待されたのは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を世界で初めて臨床応用した理化学研究所プロジェクトリーダーの高橋政代さん、「ドカベン」で知られる漫画家の水島新司さんら。高橋さんは昨年9月、iPS細胞から作った網膜細胞を患者に移植しており、天皇陛下は「目が見えるようになると、随分違うでしょうね」とねぎらわれた。
 陛下は水島さんに対し、クールジャパンの代表格の漫画について「随分外国でも」とご質問。水島さんは「日本の最たる文化です」と話した。水島さんによると、秋篠宮さまは高校時代にドカベンのキャラクター入りの色紙を贈られた思い出話を披露し、懐かしがられていたという。
 皇太子妃雅子さまは鮮やかな赤紫色のスーツ、帽子姿で、療養前の平成15年秋以来12年ぶりにご出席。冒頭の約5分間、両陛下、皇太子さまの後に続き、招待者と笑顔であいさつを交わされた。

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 当初は招待者と交流せずに退席する予定だったが、両陛下が「せっかくの機会なので招待客のお顔の見えるところまで少し歩かれてから退出されたら」とのお気持ちを示されたことから変更された。
 宮内庁の風岡典之長官は12日の定例会見で「両陛下が背中を温かく押された」と説明。小町恭士東宮大夫は翌13日の会見で「両陛下のお心遣いで出席者の方々ともお会いになる機会ができたことに深く感謝するとともに、無事に出席できたことに安堵(あんど)されたご様子です」と述べた。
 英国留学から戻った秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまはピンクのスーツでご参加。9月末に足首を骨折してリハビリ中の寛仁親王妃信子さまはつえをつきながら臨まれた。
 両陛下は9日、東京都渋谷区のセルリアンタワー能楽堂で、琉球舞踊の重踊流二世宗家、志田真木さんらによる「真木の会」の公演を鑑賞された。陛下が昭和50年に国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」(沖縄県名護市)を訪れた際の情景を詠んだ琉歌に、皇后さまが曲をつけた「歌声の響」が上演され、両陛下は拍手を送られた。

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 皇太子さまは10日、宮崎市の宮崎市民文化ホールで行われた「全国農業担い手サミット」の開会式でごあいさつ。これに先立ち、平成22年に家畜伝染病「口蹄(こうてい)疫」の被害に遭い、牛を殺処分したという酪農家を「つらいことでしたね」と慰められた。
 外交関係樹立120周年を迎えたブラジルを公式訪問していた秋篠宮ご夫妻は10日にご帰国。11日には皇居・御所で、両陛下に帰国の報告をされた。宮内庁を通じて公表した訪問を終えての印象には、日系人の若者たちとの懇談を振り返り「次世代の人々が、両国の架け橋となってくれることが極めて大切なことだと思います」とつづられた。
 眞子さまは8日、東京都江東区の有明コロシアムで行われたテニスの試合を、日本テニス協会の名誉総裁として初めてご観戦。ご夫妻の次女、佳子さまは同日、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで、「少年の主張」全国大会に臨まれた。

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 高円宮妃久子さまは11日に京都市で、長年研究を続ける「根付」の作家を表彰する「ゴールデン根付アワード」の授賞式に臨席された。
 久子さまの三女、絢子さまは在学中の城西国際大大学院の研修プログラムに参加して9日、スウェーデンにご出発。現地で福祉サービスの講義を受けるなどされている。

716可愛い奥様@避難所生活:2015/11/21(土) 15:39:22 ID:MhuKg2OY
ttp://www.sankei.com/premium/news/151121/prm1511210028-n1.html
2015.11.21 06:00
【皇室ウイークリー】
(410)両陛下、国際緊急援助隊ご慰労 眞子さま、新浜鴨場でご放鳥
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国連会合での基調講演などのため米国に向かわれる皇太子さま=17日、成田空港
 天皇、皇后両陛下は17日、横浜市西区のパシフィコ横浜を訪れ、青年海外協力隊発足50周年記念式典に臨席し、隊員経験者らと懇談された。
 両陛下は皇太子・同妃時代の発足当初から、隊員たちを激励するなど活動の支援を続けられており、「事業が発展していくことを願われてきて、改めて思いを深くされた。懐かしい人とも再会し、楽しい時間を過ごされたようだった」(側近)という。
 懇談に参加したのは、青年海外協力隊や、その後に発足したシニア海外ボランティア、日系社会青年ボランティア、日系社会シニア・ボランティアで22カ国に派遣された24人。中には、70代後半となったラオスに派遣された初代隊員の姿もあった。
 天皇陛下は訪問経験のある派遣国の様子を振り返りながら、派遣当時の思い出や帰国後の活動について熱心にご質問。最後に全員に向かい、「有意義な仕事を進められていることを大変うれしく思います。これまでの経験を十分に生かして、これからの道を進んでいかれるよう願っています」と語りかけられた。
 両陛下は18日、皇居・宮殿で、国際緊急援助隊として、4月のネパール大地震などで救助活動にあたった医師、自衛隊員ら176人と面会し、慰労された。宮内庁によると、陛下は平成2年から帰国隊員と会われており、女性隊員の増加に伴って16年から皇后さまも加わられている。

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 皇太子さまは17日、東宮御所で皇太子妃雅子さまに見送られ、米国に向けてご出発。現地時間18日には、ニューヨークの国連本部で開かれた「水と災害に関する特別会合」で基調講演し、英語で「世界の水問題の解決が図られ、人と水とのより良い関わりが構築されることを期待しています」と話された。
 冒頭には、この5年間に世界で発生した災害を挙げ、「一日も早く、より良い復興がなされることをお祈り申し上げます」と述べられた。
 「世界トイレの日」の同19日には、国連本部で関連イベントに参加し、親交があるオランダのウィレム・アレクサンダー国王と同席された。
 中米のエルサルバドルとホンジュラスを12月に公式訪問する秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは14日、東京都中央区のヤマハホールで、日本・エルサルバドル外交関係樹立80周年チャリティー・コンサートを鑑賞し、エルサルバドルの民謡に耳を傾けられた。
 また、16日に駐日エルサルバドル大使主催、18日には駐日ホンジュラス大使主催の昼食会にそれぞれご参加。同日には武蔵陵墓地(八王子市)で、外国訪問前の恒例となっている昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵への参拝を済ませるなど両国訪問の準備を進められている。
 宮内庁が管理する鴨場で、皇族方が外交団などを接待する恒例行事が20日に始まり、眞子さまが千葉県市川市の新浜鴨場で、フィンランドやカンボジアなど7カ国の駐日大使をもてなされた。

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 英国留学を経験した眞子さまは各大使らと英語を交えてご歓談。おとりのアヒルを使って水路におびき寄せた野生のカモを網で捕まえる独特の猟を紹介された。羽交い締めにされたカモを池のほとりで放した後も、昼食をとりながら交流を深められた。
 高松宮妃癌研究基金の総裁を務める常陸宮さまは19日、東京都千代田区のパレスホテル東京を訪れ、同基金国際シンポジウムのレセプションに臨席された。
 高円宮妃久子さまの三女、絢子さまは16日、在学中の城西国際大大学院の研修プログラムで訪問していたスウェーデンから帰国された。

717可愛い奥様@避難所生活:2015/11/28(土) 06:52:43 ID:L5ac83l2
ttp://www.sankei.com/premium/news/151128/prm1511280033-n1.html
2015.11.28 06:00
【皇室ウイークリー】
(411)両陛下、葉山御用邸でご静養 高円宮ご一家、墓所祭ご拝礼
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高円宮さまの墓所祭に参列される高円宮妃久子さま、長女の承子さま、三女の絢子さま=21日、東京都文京区の豊島岡墓地
 「勤労感謝の日」の23日夜、天皇陛下は皇居・神嘉殿で、宮中祭祀(さいし)で最も重要な祭儀とされる「新嘗祭(にいなめさい)」のうち「夕(よい)の儀」に臨まれた。陛下が皇居内の水田で自ら収穫した新米などが皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする神々に供えられ、陛下は五穀豊穣(ほうじょう)に感謝しながら食されたという。
 儀式は同日夜から24日未明の「暁(あかつき)の儀」まで続いたが、陛下は年齢を考慮して昨年から未明のお出ましを控えられており、皇室の祭祀をつかさどる掌典長が代理を務めた。陛下は暁の儀の間、皇后さまは夕の儀と暁の儀の間、皇居・御所で、慎み深く静かに過ごされた。新嘗祭には皇太子さまも臨まれ、秋篠宮さまが参列された。
 天皇、皇后両陛下は25日、葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養に入られた。年明けにもフィリピンを訪問する予定となっており、準備などで忙しい日々が続くことから、ゆっくり過ごしてご体調を整えられているという。

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 陛下は25日、韓国の金泳三元大統領が22日に死去したのを受けて弔電を出された。陛下は平成6年3月、国賓として来日した金元大統領と会見し、歓迎の宮中晩餐会を催されている。
 米ニューヨークを訪問していた皇太子さまは現地時間20日、国連本部で開かれた「水と衛生に関する諮問委員会」の最終会合に臨席された。冒頭のあいさつでは、名誉総裁として「安全な飲料水と衛生施設を供給するための絶え間ない努力を続けてきた一員であることを、誇りに思います」と英語で述べられた。
 最終報告書には、地球規模での水と衛生に関する「持続可能な開発目標」などを踏まえ、飲料水や水関連災害などテーマ別の提言が盛り込まれた。皇太子さまは最終報告書について、「私たちを導く重要な道しるべとなることを希望します」と強調された。
 皇太子さまは21日夜にご帰国。22日には皇居・御所を訪れ、両陛下に帰国を報告された。小町恭士東宮大夫は27日の定例会見で、皇太子さまが「名誉総裁の任期は終わりますが、今後とも水や水問題に引き続き関心を持ち、取り組んでいきたいと思っています」との感想を話されていたことを明らかにした。

(3/4ページ)
 25日午前、皇太子さまは母子保健の発展と向上に貢献した個人をたたえる「母子保健奨励賞」の受賞者を東宮御所に招き、ねぎらいの言葉をかけられた。午後にはご夫妻で、離任するオランダのフォレンホーヴェン大使夫妻と、グテーレス国連難民高等弁務官と相次いで懇談された。
 小町東宮大夫によると、12月で任期を終えるグテーレス氏は、世界各地で起きている紛争や難民問題に強い危機感を表した。さらに、難民支援には水問題の解決が重要として、国連「水と衛生に関する諮問委員会」を通じた皇太子さまのご貢献に深い感謝の気持ちを示したという。
 日本山岳会会員の皇太子さまは27日、関東百名山の一つ、石老山(相模原市、702メートル)を登られた。山頂からは雪をかぶった富士山がくっきりと望め、「近くを通るたびに登ってみたいと思っていました。眺望がきいていて本当にきれいですね」と満足そうに話されていた。

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 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは24日、皇居・御所を訪れ、日本との外交関係樹立80周年を迎えた中米のエルサルバドルとホンジュラスを12月に公式訪問するのを前に両陛下にあいさつされた。
 高円宮さまの命日となる21日、東京都文京区の豊島岡墓地で墓所祭が行われ、高円宮妃久子さま、長女の承子さま、三女の絢子さまをはじめ皇族方が拝礼された。

718可愛い奥様@避難所生活:2015/12/05(土) 07:31:13 ID:GXzbEq3Q
ttp://www.sankei.com/premium/news/151205/prm1512050032-n1.html
2015.12.5 06:00
【皇室ウイークリー】
(412)両陛下、燈光会会員をご慰労 眞子さま、初の外国公式ご訪問
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石清水八幡宮を参拝された皇太子さま=11月29日、京都府八幡市
 葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養していた天皇、皇后両陛下は11月29日、帰京された。28日には、秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまが合流し、ご家族で水入らずのひとときを過ごされた。
 12月2日には、皇后さまが皇太子さま、常陸宮妃華子さま、三笠宮家の彬子さまとともに、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれた「絲竹(しちく)会」の演奏会を鑑賞し、雅楽の調べに耳を傾けられた。皇后さまは定例の演奏会にほぼ毎年足を運び、「絲竹(いとたけ)の道栄え来てうれしくも いにしへに逢う心地(ここち)こそすれ」との御歌(みうた)に曲をつけて贈られており、この日の演奏会でも披露された。
 両陛下は3日、皇居・宮殿で、灯台などの航路標識の啓発活動をする公益社団法人「燈光(とうこう)会」の創立100周年を記念した茶会を開き、灯台守を務めるなどしてきた同会会員らをねぎらわれた。

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 皇太子・同妃時代から過酷な環境で勤務する灯台守に心を寄せ、各地の灯台をご訪問。天皇陛下の即位後は11月1日の「灯台記念日」に合わせ、永年勤続表彰者との面会を続けてきたが、灯台の無人化などに伴い、平成16年の茶会を最後に終えられていた。
 12月3日の茶会では、陛下が「海に囲まれた我(わ)が国にとって海上交通の安全が守られることは大変重要なことであり、危険を伴う厳しい環境の中でその業務に携わられた皆さんの尽力に対し、深く感謝しています」と述べられた。
 皇太子さまは11月29日、京都府八幡市を訪れ、国宝指定が決まった石清水八幡宮の本殿を初めて参拝された。30日には、京都市左京区の国立京都国際会館で行われた「世界工学会議」の開会式に臨み、英語であいさつされた。
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは12月2日、日本との外交関係樹立80周年を迎えたエルサルバドルとホンジュラスを公式訪問するため、成田空港発の民間機で出発された。

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 この1週間は、皇族方のお誕生日が相次ぎ、祝賀ムードに包まれた。皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは1日に14歳となり、皇居・御所で両陛下にあいさつをされた。半蔵門を車で通過する際には「おめでとうございます」と声をかけられ、笑顔で手を振って応えられた。
 秋篠宮さまは11月30日、節目の50歳を迎えられた。お誕生日を前に秋篠宮妃紀子さまとともに臨んだ記者会見では、戦後70年にあたり、両陛下が続けられている戦没者慰霊について「慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れています」と述べられた。
 3人のお子さま方のご成長ぶりも紹介された。眞子さまは、1年間の英国留学で自然史とアートにまたがる分野をテーマに博物館学に取り組まれたといい、秋篠宮さまは「私自身にとっても興味深いところ」と話された。
 4月から国際基督教大学(ICU)に通う次女の佳子さまは夜遅くまで課題に取り組んでおり、「少なくとも父親が学生だったときよりは、かなりまじめな学生生活を送っている」と笑いを誘われた。長男の悠仁さまは変わらずに昆虫が好きで、最近はさらに虫が生息する環境にも興味を持たれているという。

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 常陸宮さまは11月28日、傘寿となる80歳になられた。宮内庁によると、脚力増強のため、毎日午前と午後の2回、宮邸の廊下を手すりにつかまりながら歩いているほか、自転車型運動器を使ったトレーニングも週3回、毎回10分程度行われているという。
 三笠宮さまは12月2日、皇族として初めて100歳となられた。三笠宮邸では祝賀のご昼餐(ちゅうさん)が催され、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方が駆けつけられた。

719可愛い奥様@避難所生活:2015/12/12(土) 07:36:41 ID:.PCOv12.
ttp://www.sankei.com/premium/news/151211/prm1512110010-n1.html
2015.12.12 06:00
【皇室ウイークリー】
(413)両陛下、車いすメーカーご視察 皇太子さま、日本山岳会記念式典ご臨席
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ホヤ・デ・セレンの古代遺跡を見学される秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=5日、エルサルバドル(ロイター)
 美しい紅葉の時期に合わせて皇居・乾通りの一般公開が5〜9日に行われ、天皇、皇后両陛下は5日午後、宮内庁の庁舎3階から参観者の様子をご覧になった。7日の定例記者会見で、宮内庁の山本信一郎次長は「紅葉がきれいなことに(両陛下は)安堵(あんど)されていた。楽しそうに歩く人たちの様子にお喜びのようでした」と述べた。宮内庁によると、5日間で計20万2820人が訪れたという。
 両陛下は5日、東京・上野の東京都美術館を訪れ、「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」を鑑賞された。同展は、モネ自身が生涯手元に残していた「睡蓮」の連作など約90点を展示。両陛下は「これは何年ごろの作品ですか」「日本に初めて来た作品は、随分あるんですか」などと質問しながら、熱心に見て回られていた。7日には、皇太子さまも同展を鑑賞に訪れられている。
 同日、両陛下は東京・上野の日本学士院会館を訪れ、第31回「国際生物学賞」の授賞式にご臨席。今回は、細胞内のタンパク質などを分解し、リサイクルする「オートファジー(自食作用)」と呼ばれる現象を解明した東京工業大学の大隅良典栄誉教授(70)が受賞し、賞状などが渡されると、両陛下は笑顔で拍手を送って祝福された。
 この賞は、生物学を研究していた昭和天皇の在位60年と、天皇陛下の魚類分類学のご研究を記念して、生物学の奨励のため創設された。

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 天皇、皇后両陛下は8日、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に足を運び、明治維新の元勲、大久保利通ゆかりの日記や書簡、写真など展示品の数々を見て回られた。皇后さまの秘書役のトップを務める現在の女官長は、大久保利通の子孫にあたるという。
 これに先立ち、両陛下は同日、障害者週間(3〜9日)にちなみ、陸上競技や車いすテニスなどの障害者スポーツで使用する車いすを製造している千葉市のメーカー「オーエックスエンジニアリング」をご訪問。製図の様子や、アルミ製のパイプを溶接して車いすを組み立てる製造作業を視察された。
 宮内庁の職員組合文化祭(一般非公開)が10〜12日の日程で行われ、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方の作品も展示された。天皇陛下と皇后さまは、それぞれ今年の歌会始の儀のために詠んだ歌(御製と御歌)を懐紙に書いてご出品。秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは、高さが3メートル余りもある信号機の模型を制作して出品された。
 皇太子さまは5日、東京・西新宿の京王プラザホテルをご訪問。日本山岳会の創立110周年記念式典に臨席された。登山を趣味にしている皇太子さまは、同会の会員で、11月には相模原市の石老山に登られている。
 皇太子妃雅子さまは9日、52歳の誕生日を迎えられた。雅子さまは誕生日にあわせ、文書で感想をご公表。病気療養が長引く中、「国民の皆様から日頃よりお寄せいただいている温かいお気持ちに対し、改めまして厚く御礼を申し上げたいと思います」とつづられた。また、雅子さまは同日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に誕生日のあいさつをされた。

720可愛い奥様@避難所生活:2015/12/23(水) 11:00:37 ID:Y1Ql5E.2
ttp://www.sankei.com/premium/news/151219/prm1512190020-n1.html
2015.12.19 06:00
【皇室ウイークリー】
(414)陛下、閣僚ら招き昼食会ご主催 眞子さま、中米訪問からご帰国
(1/4ページ)【皇室ウイークリー】
昼食会で安倍晋三首相と歓談される天皇陛下=16日、皇居・宮殿「連翠」(宮川浩和撮影)
 天皇陛下は15日、皇居・賢所で、賢所御神楽(みかぐら)の儀に臨まれた。宮中祭祀(さいし)をつかさどる掌典職によると、新嘗祭と並ぶ伝統ある祭祀の一つで、賢所前庭に設けられた神楽舎で宮内庁楽部の楽師が神楽を奉納し、賢所にまつる皇祖神の天照大神を慰められた。
 儀式は深夜まで続いたが、陛下はご体調に配慮して途中で退席し、儀式が終わるまで皇居・御所で静かに過ごされた。皇后さまも儀式の間、御所で慎み深く過ごされた。儀式では、皇太子さまも拝礼され、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族8方が参列された。
 陛下は16日、年末の恒例行事として、安倍晋三首相や閣僚、副大臣らを皇居・宮殿に招き、昼食会を催された。皇太子さまも同席された。
 閣僚ら42人が整列し、安倍首相が招待に感謝すると、陛下は「皆さんが国民のために日夜、国務に精励されておられること、誠にご苦労に思います」とねぎらいの言葉をかけられた。安倍首相は10〜12月にアジア、欧州をまたぐ外遊を相次いでこなしており、陛下は「随分、忙しいでしょう」と気遣われていた。

(2/4ページ)【皇室ウイークリー】
 皇太子さまは13日、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館で開かれた学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演し、ブラームスの交響曲第1番をビオラで演奏された。皇太子妃雅子さまと長女の敬宮(としのみや)愛子さまは客席から鑑賞し、大きな拍手を送られていた。
 秋篠宮妃紀子さまと次女の佳子さまは12日、東京都千代田区の複合施設「秋葉原UDX」で、聴覚障害者が情報を入手しやすい社会の実現を目指す全日本ろうあ連盟主催の「情報アクセシビリティ・フォーラム2015」の式典に臨席し、企画展をご覧になった。紀子さまは式典で手話を交えてあいさつされた。
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは12日、中米のエルサルバドルとホンジュラスへの公式訪問を終え、成田空港着の民間機でご帰国。13日に皇居・御所で両陛下に帰国を報告し、14日には東京都八王子市の武蔵陵墓地の武蔵野陵、武蔵野東陵を参拝された。

(3/4ページ)【皇室ウイークリー】
 眞子さまにとっては初の単独での海外公式訪問で、2日にエルサルバドルに入り、6日にホンジュラスに移られた。現地では日本と両国との外交関係樹立80周年を記念する行事に臨席したほか、大統領を表敬訪問し、食事会に参加された。マヤ文明の遺跡なども見て回られたという。
 15日に宮内庁を通じて公表した両国訪問を終えての印象の文書では「様々な分野で、日本とエルサルバドル、ホンジュラス両国を繋(つな)いでいる人と人との絆を、強く感じました」とつづられた。
 日本肢体不自由児協会の総裁を務める常陸宮さまは16日、東京都豊島区の東京芸術劇場を訪れ、肢体不自由児・者の美術展とデジタル写真展の表彰式に臨まれた。
 寛仁親王妃信子さまと三笠宮家の彬子さまは17日、埼玉県越谷市の埼玉鴨場にタイやオーストリアなど7カ国の駐日大使らを招待し、伝統のカモ猟でもてなされた。

(4/4ページ)【皇室ウイークリー】
 日本ユニセフ協会で勤務する高円宮妃久子さまの長女、承子さまは15日、群馬県玉村町の県立女子大で、「世界の現状と国際協力-ユニセフの視点から」をテーマに講義し、栄養不良が原因で600万人の幼児が命を失っている現状などを訴えられた。
 久子さまの三女、絢子さまは18日、東京都中央区の聖路加国際病院で、卵巣に見つかった袋状の腫瘤(しゅりゅう)「嚢胞(のうほう)」の摘出手術を受け、無事に終えられた。比較的症例の多い病気で、卵巣自体は摘出しておらず、今後のご妊娠に影響はないという。手術には、久子さまが付き添われた。

721可愛い奥様@避難所生活:2015/12/26(土) 06:51:19 ID:DzhCY2J6
ttp://www.sankei.com/premium/news/151226/prm1512260013-n1.html
2015.12.26 06:00
【皇室ウイークリー】
(415)天皇陛下、満82歳のお誕生日 秋篠宮ご夫妻、「日本学生科学賞」表彰式にご臨席
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天皇陛下のお誕生日を祝う茶会の儀で、各国の駐日大使らと歓談される天皇、皇后両陛下、皇太子さま=23日、皇居・宮殿「春秋の間」
 天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎え、皇居・宮殿と御所で朝から夜まで続いた祝賀行事に臨まれた。
 宮殿では、皇族方からお祝いのごあいさつを受ける「祝賀の儀」、安倍晋三首相ら三権の長や各界代表らと昼食を囲む「宴会の儀」、各国の駐日大使夫妻らと歓談される「茶会の儀」と、公式の行事が分刻みで行われた。合間には宮内庁幹部や職員、元側近らともお会いになった。
 午前中に3回あった一般参賀では、皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、次女の佳子さまとともに宮殿のベランダに立ち、国民の祝意に感謝した上で「今年も豪雨などの災害があり、危険や苦労を味わった人々のあることに心を痛めています」と被災者へのいたわりの言葉を述べられた。
 夜になり、御所では、未成年皇族である皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまと秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまからごあいさつを受けた後、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻との夕食会が開かれ、ようやくご家族水入らずの時間を持たれた。

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 陛下はお誕生日を前にした記者会見で、戦後70年だったこの1年を「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした」と振り返り、激戦地のパラオ共和国や日本軍に徴用されて犠牲になった民間船員への思いを時折、声を震わせながら打ち明けられた。
 宮内庁の風岡典之長官は24日の定例会見で「通常のご活動に加え、戦後70年関連の行事があり、多忙を極められた1年。新年のご感想、全国戦没者追悼式のお言葉、お誕生日のご回答と、陛下のお気持ちが年間を通じて示された特別な年だった」と話した。
 また陛下は会見で、自身が行事の手順を間違えたことに触れた上で、「一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」とも述べられた。
 風岡長官は「新しく加わる行事もあり、非常に複雑なものも多い。お支えする側として、あらかじめ、丁寧に手順をご説明することを、より一層心がけていかなければならない」と強調した。

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 天皇、皇后両陛下は24日、御所で年末恒例の昼食会を催され、皇太子ご夫妻をはじめ皇族方が参加され、元皇族、親族が同席した。寛仁親王妃信子さまと三笠宮家の彬子さまは風邪気味のため予定を取りやめられた。
 大正天皇の命日に当たる25日、皇居・皇霊殿で例祭の儀が営まれ、天皇陛下と皇太子さまが拝礼され、皇族方が参列された。東京都八王子市の武蔵陵墓地にある多摩陵で行われた山陵例祭の儀には、皇族方を代表して高円宮妃久子さま、長女の承子さまが臨まれた。
 両陛下は25日、来年1月のフィリピン訪問を前に、防衛省防衛研究所戦史研究センターの庄司潤一郎センター長を御所に招き、先の大戦で51万8千人の日本兵が犠牲になった戦況などについて説明を受けられた。
 今回の訪問は日本との国交正常化60周年を記念した国際親善が目的だが、両陛下の強い意向で日比双方の戦没者を慰霊されるという。

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 秋篠宮ご夫妻は24日、東京都江東区の日本科学未来館で行われた「日本学生科学賞」の表彰式に臨み、受賞作品もご覧になった。
 彬子さまは20日、34歳のお誕生日を迎えられた。
 久子さまの三女、絢子さまは21日、卵巣嚢胞(のうほう)の摘出手術を受けた東京都中央区の聖路加国際病院を退院された。術後の経過は順調で、陛下のお誕生日の祝賀行事の一部にも出席された。

722可愛い奥様@避難所生活:2016/01/05(火) 22:54:15 ID:SuK9blik
ttp://www.sankei.com/life/news/151229/lif1512290011-n1.html
2015.12.29 06:00
【皇室ウイークリー】
(番外編)佳子さまお誕生日〈45枚のお写真で振り返るこの1年〉
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20歳の誕生日を迎え、成年の行事に臨まれた佳子さま=平成26年12月29日、皇居・宮殿「西車寄」
 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは29日、21歳の誕生日を迎えられた。平成26年末、成年に達した佳子さまはこの1年、学業と並行して成年皇族としての公務に励まれてきた。「皇室ウイークリー」では、この1年間の佳子さまのご動静をお写真で振り返る。
 佳子さまは平成6年にご誕生。宮内庁によると、お名前は秋篠宮ご夫妻が相談して決められたという。「佳」の文字には「美しい、すぐれている」という意味があり、ご夫妻は「身体が健康であるだけでなく、人の気持ちを理解し、素直で思いやりがあるなど、心身ともにいろいろな意味で『佳(よ)い』女の子に育ってほしい」との願いを込められた。
 身の回りの品につけられる「お印(しるし)」の「ゆうな」は、屋久島や種子島、沖縄に分布する「オオハマボウ」の沖縄地方の呼び名で、ハイビスカスの一種。海岸近くに育つ小高木で、7〜8月ごろに枝の先などに淡い黄色の花をつける。

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 20歳の誕生日には、皇居・宮殿で、天皇陛下から成年皇族として「宝冠大綬章」の勲章を授与された。その後、秋篠宮邸で礼服の「ローブデコルテ」に勲章やティアラなどを身に着けた正装に着替え、再び宮殿で、天皇、皇后両陛下にあいさつをされた。
 プラチナにダイヤモンドがあしらわれたティアラは、ほかの宝飾品とともに総額約2800万円で新調されたもの。27年1月2日の新年一般参賀に初めて臨み、宮殿「長和(ちょうわ)殿」のベランダに笑顔で立たれた。
 同14日に宮殿「松の間」で行われた「歌会始の儀」では以下のようなお歌を詠まれた。
 〈弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる〉
 同15日には、成人したことを報告するため、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ、大正天皇の多摩陵と貞明皇后の多摩東陵、昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された。

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 2月1日、佳子さまは東京都渋谷区の国立能楽堂で、聴覚障害がある俳優らによる手話狂言をご鑑賞。舞台を終えた出演者らと懇談した佳子さまは20歳になった感想を俳優から尋ねられ、「お酒は飲めるようになったけど、飲んでいません」と答えられたという。
 3月6日には、伊勢神宮(三重県伊勢市)を初めてお一人で参拝し、成年を迎えたことを報告されている。佳子さまは爪先まで隠れる白いコート姿で、皇祖神の天照大神をまつる内宮をご参拝。玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、正殿の前にある内玉垣南御門で玉串をささげて、拝礼された。
 佳子さまは同18日、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれた「音楽大学卒業生演奏会」を皇后さまをはじめとする皇族方とともに初めて鑑賞されている。
 4月2日、国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)の入学式にご出席。教養学部アーツ・サイエンス学科1年生となられた。2年前に学習院大に進学したが「新たな学びの場を持ちたい」として26年8月にご中退。その後、ICUのAO入試に合格されていた。

723可愛い奥様@避難所生活:2016/01/05(火) 22:56:01 ID:SuK9blik
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 5月19日、秋篠宮妃紀子さまとともに東京都千代田区のホールで、映画「奇跡のひと マリーとマルグリット」全国盲ろう者協会活動支援チャリティー試写会を鑑賞された。
 6月3日には、国賓として来日していたフィリピンのベニグノ・アキノ大統領を招いて、天皇、皇后両陛下がご主催の宮中晩餐(ばんさん)会が皇居・宮殿で開かれ、佳子さまも初めて出席された。
 佳子さまは同6日、山口県下関市の安徳天皇の陵を参拝された。佳子さまが単独で地方に出向き、公務に臨まれるのは、このときが初めてのことだった。
 皇后さまが前年、傘寿を迎えられたのを祝う宮内庁楽部による洋楽演奏会が同26日、桃華楽堂で開かれ、佳子さまも出席された。
 7月25日には、静岡県御殿場市で開かれた第49回全日本高校馬術競技大会の開会式に臨席し、「皆さまは日々、馬と気持ちが通じ合うよう努力をしていらっしゃると思います。この経験は、馬術に限らずさまざまなところで生かしていけるのではないでしょうか」とあいさつされた。公務による式典であいさつされるのは、これが初めてのことだった。

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 佳子さまは8月7日、秋篠宮ご夫妻、悠仁さまとともに東京都千代田区の国立施設「昭和館」を訪れ、学童疎開や空襲など戦中・戦後の国民生活に関する資料を集めた常設展と、戦後70年に合わせた特別企画展「昭和20年という年〜空襲、終戦、そして復興へ〜」を観覧されている。
 9月21日には、鳥取県米子市を訪れ、第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園の出場者らが集う交流会に臨席し、手話を使って「頑張ってください」などと励まされた。また、翌22日には同甲子園の開会式に臨席された。
 10月17日に皇居・賢所で行われた神嘗祭(かんなめさい)賢所の儀に、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方とともに佳子さまも参列されている。
 佳子さまは11月8日、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターを訪れ、中学生が日常生活で感じたことなどを発表する第37回「少年の主張」全国大会にご臨席。地方ブロックの代表12人が壇上で訴える主張に耳を傾け、拍手を送られた。

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20歳の誕生日を迎え、成年の行事に臨まれた佳子さま=平成26年12月29日、皇居・宮殿「西車寄」
 12月23日の天皇陛下の誕生日には一般参賀に臨み、宮殿「長和殿」のベランダに再び立たれている。
 この1年、学業に影響が出ないように土日を中心として公務に励まれた佳子さま。28年も成年皇族として国民のためにさまざまな公務を果たされることになるだろう。

724可愛い奥様@避難所生活:2016/01/09(土) 06:52:47 ID:LZmvZQm2
ttp://www.sankei.com/premium/news/160109/prm1601090012-n1.html
2016.1.9 06:00
【皇室ウイークリー】
(416)両陛下、参賀で笑顔見せられ 比島戦没者のご慰霊実現へ
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第190通常国会開会式でお言葉を述べられる天皇陛下=4日、国会・参院本会議場(酒巻俊介撮影)
 天皇、皇后両陛下は2日、皇居で行われた新年の一般参賀に臨み、皇族方とともに宮殿「長和殿」のベランダに計5回立って、参賀者に笑顔で応えられた。1回目には昨年12月に100歳を迎えた三笠宮さま、同6月に92歳となった三笠宮妃百合子さまもそろって姿を見せ、車いすから立ち上がって手を振られた。
 この日の東京都心は終日晴れ渡り、最高気温は3月中旬並みの13・4度を記録した。天皇陛下はマイクを通じ「穏やかな新春を迎えました」とごあいさつ。さらに、「本年が国民一人一人にとり、安らかで良い年となるよう願っています。年頭に当たり、わが国と世界の人々の平安を祈ります」と語りかけられた。
 新年の一般参賀で注目を集めるのが、「お長服(ながふく)」と呼ばれる女性皇族方の色とりどりのロングドレス。色が重ならないように事前に調整されるのが慣例といわれる。

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 宮内庁の発表によると、皇后さま、茜(あかね)色のぼかしが入った白色▽皇太子妃雅子さま、ブルー▽秋篠宮妃紀子さま、薄曙色▽眞子さま、明るい青緑色▽佳子さま、瑠璃色▽常陸宮妃華子さま、ワインカラー▽百合子さま、濃い緑色▽寛仁親王妃信子さま、モーブ(薄紫)色▽三笠宮家の彬子さま、ピンク色▽高円宮妃久子さま、ティールグリーン(青緑)▽承子さま、ワインレッド▽絢子さま、濃いピンク色-だった。
 参賀者は計5回で8万2690人。平成では、皇太子ご夫妻のご成婚翌年だった6年の11万1700人(計8回)に次ぐ多さだった。山本信一郎次長は4日の定例会見で、参賀者が多かった理由について、「両陛下のご健康を案じながら、直にお姿を見て祝賀したいという方が多くいたのではないか」と話した。
 陛下は3日、皇居・宮中三殿で国家、国民の繁栄を祈る「元始祭の儀」、4日には皇室の祭祀(さいし)をつかさどる掌典長から前年の伊勢神宮と宮中の祭事について報告を受ける皇居・宮殿での「奏事始の儀」にそれぞれ臨まれた。

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 陛下は4日、国会議事堂(東京都千代田区)の参院本会議場で通常国会の開会式に臨み、「国会が、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、永年にわたり、たゆみない努力を続けていることを、うれしく思います」とお言葉を述べられた。
 この日は、国会開会式や全国戦没者追悼式など重要行事に使われるトヨタ・センチュリーロイヤルの「御料車(ごりょうしゃ)」にご乗車。身の回りの護衛にあたる警察当局はサイドカー付きの白バイ、オープンカーのパトカーで先導するという珍しい車列が組まれた。
 両陛下のフィリピンご訪問の日程が正式に決まり、8日の閣議で報告された。両陛下が強く望んでいた先の大戦の戦没者をまつる「比島戦没者の碑」での慰霊が実現することになり、両陛下はこれに先立つ6日、御所に厚生労働省の二川一男事務次官らを招き、説明を受けられた。

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 昭和天皇が崩御した日である7日、皇居内外で「昭和天皇祭」の儀式が営まれ、両陛下は歴代天皇と皇族をまつる「皇霊殿」での儀式に臨まれた。陛下は一度、御所に戻って離任する駐日ホンジュラス大使と面会した後、再び儀式服に着替え、皇霊殿での「御神楽(みかぐら)の儀」に臨まれた。
 陛下は年齢を考慮して途中で退出したが、夜遅くまで続いた儀式の間、拝礼を控えた皇后さまとともに御所で慎み深く過ごされた。皇霊殿の儀と御神楽の儀では、皇太子さまも拝礼された。また、武蔵陵墓地(東京都八王子市)にある武蔵野陵で行われた「山陵に奉幣の儀」には、秋篠宮ご夫妻が参列された。

725可愛い奥様@避難所生活:2016/01/16(土) 06:37:11 ID:99uknODs
ttp://www.sankei.com/premium/news/160116/prm1601160032-n1.html
2016.1.16 06:00
【皇室ウイークリー】
(417)両陛下、大相撲初場所初日をご覧 久子さま、全国高校サッカー決勝をご観戦
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日本相撲協会の八角理事長の先導で両国国技館に入られる天皇、皇后両陛下=10日、東京都墨田区(今野顕撮影)
 天皇、皇后両陛下は10日、東京都墨田区の両国国技館で、大相撲初場所の初日を観覧された。天覧相撲は昨年の初場所以来。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)によると、両陛下は観覧前の控室で、昨年の天覧相撲で案内役を務め、同年11月に急死した北の湖前理事長の遺族を慰労する言葉を述べられた。
 2階の貴賓席では、両陛下ともイスから身を乗り出して土俵に見入り、勝敗が決するたびに笑顔で拍手を送られた。八角理事長によると、天皇陛下が手元の資料を見て、皇后さまに力士の出身地などを教えられる場面も。皇后さまはテーピングなどを施した力士のけがの具合を気にかけられていたという。
 初日から満員御礼となり、両陛下が観戦された中入り後後半は10番のうち2番で物言いがついた。陛下は「熱戦が多かったですね」と感想を述べられていたといい、八角理事長は「力士が頑張ってくれた」と笑顔を浮かべた。

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 新年恒例の「講書始の儀」が12日、皇居・宮殿「松の間」で行われ、両陛下は「人文科学」「社会科学」「自然科学」の各分野の第一人者からの講義に耳を傾けられた。皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、長女の眞子さまをはじめ皇族方が陪席された。
 新年の宮中行事の締めくくりとなる「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で行われ、天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方のお歌、一般の人々が応募した1万8962首の中から選ばれた10首の歌などが、古式にのっとって朗詠された。
 「披講諸役」と呼ばれる7人が中央の机を囲んで着席し、一般応募の歌から独特の節回しで詠み上げていく。皇族方のお歌は眞子さま、皇太子妃雅子さま、皇太子さま、皇后さまの順に紹介され、最後に陛下の御製(ぎょせい)が「おおみうた」として披露された。

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 眞子さまのお歌は「広がりし苔(こけ)の緑のやはらかく人々のこめし思ひ伝はる」。宮内庁によると、昨年11月に石川県小松市で庭園に広がる苔を見て、心を込めて苔の世話をしている人々の思いが伝わってくるように感じたことを表現されたという。
 一般応募で選ばれた人のうち、最年長だった福島市の菊地イネさん(82)は「休憩所の日向に手袋干しならべ除染の人らしばし昼寝す」と詠んだ。東京電力福島第1原発から約50キロの場所に自宅があり、除染作業員がくつろぐ様子を見て「危険な仕事なのにほっとする部分もあるのだな」と思い、歌に込めた。
 儀式後に両陛下と面会した際には、東日本大震災で受けた被害や除染の進捗状況を尋ねられ、「大事にしてね」とお声をかけられたという。
 両陛下は13日、26日からのフィリピン訪問を前に、皇居・御所に石川和秀・駐フィリピン大使を招き、同国情勢などについて説明を受けられた。15日にも首席随員を務める自民党副総裁で衆院議員の高村正彦氏と昼食をとりながら懇談された。

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 皇太子ご夫妻は12日、皇居や赤坂御用地内の清掃などを行う勤労奉仕団と面会された。宮内庁東宮職によると、雅子さまが面会されるのは平成26年1月以来2年ぶり。
 15日には、ご夫妻で東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターをご訪問。東京五輪の選手村跡地に整備された同センターの開所50周年と運営する国立青少年教育振興機構の発足10周年を祝う記念式典に臨まれた。
 日本サッカー協会名誉総裁を務める高円宮妃久子さまは11日、埼玉スタジアム2002(さいたま市)で行われた全国高校サッカー選手権の決勝を観戦された。

726可愛い奥様@避難所生活:2016/01/23(土) 06:24:32 ID:t55anzlk
ttp://www.sankei.com/premium/news/160122/prm1601220013-n1.html
2016.1.23 06:00
【皇室ウイークリー】
(418)両陛下、農林水産祭の生産品ご覧 眞子さま、レスター大大学院修了式にご出席
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農林水産祭の天皇杯受賞者の生産品などを見て回られる天皇、皇后両陛下=20日、皇居・宮殿
 天皇、皇后両陛下はこの1週間、26日からのフィリピン訪問を前に皇居・御所で関係者と立て続けに面会された。
 18日、先の大戦中に同国で犠牲になった日本兵の遺族らを招き、戦死した状況や戦後の生活などについて話を聞かれた。終戦翌日の昭和20年8月16日にルソン島で父親を失った仲沢誠也さん(71)=秋田県大館市=には、天皇陛下が「亡くなったのは戦後ですね」とお尋ねに。皇后さまは「母一人、子一人で大変でしたね」といたわられた。
 同席した日本遺族会の水落敏栄会長が、戦争の記憶を次世代に語り継ぐ活動に取り組んでいることを説明すると、陛下は「やはり戦争のことを正しく語り継いでいくことが平和につながるのですね」と語りかけられたという。

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 両陛下は20日、現地で29日に訪問する国際稲研究所(IRRI)について説明を受けられた。22日には、看護師、介護士のフィリピン人研修生を受け入れている東京都内の病院、介護施設の関係者と懇談された。28日に現地の語学研修センターで、看護師、介護士候補生が日本語の授業を受ける様子を視察される。
 19日には外国訪問前の恒例として、武蔵陵墓地(東京都八王子市)で昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵を参拝する予定だったが、18日からの積雪の影響で取りやめられた。22日に側近の侍従が代拝したという。
 宮内庁の風岡典之長官は21日の定例会見で「ご出発に向けての準備は最終段階。年末年始の忙しい日々でお疲れがあり、大きな行事を控え、お気持ちも張り詰めていると思う」とご体調を気遣った。
 また、皇室医務主管を10年間務めた金沢一郎氏が死去したことについて、両陛下にも病状が伝えられていたといい、風岡長官は「深い悲しみに包まれておられるだろうと思う」と話した。

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 両陛下は20日、皇居・宮殿で、平成27年度の農林水産祭で天皇杯を受賞した団体の関係者と面会された。農業、畜産、むらづくりなどの分野で優れた成果を挙げた企業などが表彰されるもので、両陛下はこの時期の恒例行事として大切にされている。
 受賞者代表が感謝の言葉を述べたのに続き、陛下は「さまざまな困難を乗り越え、研究や努力によって大きな成果を収め、農林水産業や地域社会の発展に寄与されたことをうれしく思います」とねぎらいの言葉をかけられた。
 宮殿内に並べられた受賞者の生産品などもご見学。栃木県那珂川町で養豚場を営む星正美さん(63)が、地元の女性の雇用の受け皿になっていることを説明すると、陛下は「それは喜ばれているでしょうね」と話された。
 皇后さまは16日、東京都豊島区の東京芸術劇場を訪れ、木製の笛「コカリナ」奏者、黒坂黒太郎さんらが出演するコンサート「歓喜(よろこび)の歌」を鑑賞された。皇后さまは曲ごとに拍手を送り、アンコールの曲では持参したコカリナを吹かれる場面もあった。

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 皇太子さまは22日、東京都新宿区の学習院女子大学で、「世界の水問題の現状と課題 UNSGABでの活動を終えて」をテーマに講義をされた。小町恭士東宮大夫は同日の定例会見で「大変分かりやすく丁寧にお話しになっておられ、学生の皆さんもとても熱心に聴講していたように見受けられました」と述べた。
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは19日に英国にご出発。レスター大学大学院で現地時間21日に行われた修了式に黒のガウン姿で出席し、文学修士(博物館学)の学位記を受け取られた。昨年9月までの1年間、同大学院で博物館学を学び、論文に合格された。

727可愛い奥様@避難所生活:2016/01/30(土) 07:06:31 ID:MDfp9yE.
ttp://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300037-n1.html
2016.1.30 06:00
【皇室ウイークリー】
(419)両陛下、フィリピンでの慰霊果たされ 皇太子さまが新閣僚の認証式をご代行
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「比島戦没者の碑」へ供花に向かわれる天皇、皇后両陛下=29日、フィリピン・カリラヤ
 天皇、皇后両陛下は26日からフィリピンを公式訪問し、一連の行事を滞りなく進められた。肌寒さを感じる26日の羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方のお見送りを受け、政府専用機に乗り込まれた。
 5時間弱のフライトで、マニラ首都圏のニノイ・アキノ国際空港に降り立ち、出迎えたアキノ大統領らとにこやかに握手を交わされた。同国政府関係者からは、陛下に色鮮やかなレイ、皇后さまにブーケが贈られた。
 宿泊先のホテルでは、現地の日本人学校に通う児童の歓迎を受け、日本から派遣されている青年海外協力隊との懇談に入られた。陛下は、ダイビングで有名な島で観光振興に取り組む女性に「戦争がありましたが、不発弾は大丈夫ですか」と尋ねられていた。
 27日午前には、マラカニアン宮殿(大統領府)での国賓の歓迎式典に臨まれた。大統領らの出迎えを受け、両陛下が会場中央の壇上に進まれると、両国国歌が演奏され、21発の礼砲が鳴らされた。

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 陛下は大統領とレッドカーペットを進み、儀仗兵から栄誉礼を受けた。終盤には、昭和45年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」が披露され、両陛下が笑顔で拍手される場面も。その後は、宮殿内に移り、両陛下で大統領らと会見された。
 同日午後、両陛下の強い希望でマニラにある慰霊碑「無名戦士の墓」に赴き、フリピン人戦没者を追悼された。強い日差しが注ぐ中、陛下は黒、皇后さまは白のスーツ姿で臨み、白い花輪をささげ、碑を見つめた後、しばらくの間、頭を下げられた。両脇にはフィリピン軍の兵士らが整然と並び、両陛下に合わせて黙祷(もくとう)をささげた。
 夜に催された歓迎晩餐(ばんさん)会。大統領は英語のスピーチで両国の友好関係の深さを強調し、感謝の気持ちを伝えた。返礼に立った陛下は、54年ぶりの同国再訪に「深い喜びと感慨を覚えるものであります」と応じられた。

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 フィリピン国内での多数の戦争犠牲者への思いを伝える際は、ひと言ひと言、かみしめるような口調で語られた。あいさつを終えた陛下は大統領と向き合い、飲み物が入ったグラスを近づけ、笑みを浮かべて乾杯された。
 宿泊先のホテルに、戦後の激しい反日感情による差別に耐えた日系人らを招かれたのは28日午後。一室で代表者とその家族に会い、ロビーで日の丸を振って待ち受けた約100人とも触れ合われた。皇后さまは、ほぼ全員と握手を交わしながら「来てくれてありがとう。体に気をつけて」と英語で語りかけられた。
 29日、両陛下が長年望んでいたカリラヤの「比島戦没者の碑」でのご慰霊が実現した。碑に供花し、拝礼した後は、そばで見守った約150人の元生還兵、遺族らにいたわりの言葉をかけられた。
 元生還兵の森田義員(よしかず)さん(89)が遺骨収集などに携わっていることを、陛下が皇后さまにご紹介。皇后さまは「ご苦労さまでした」、陛下は「体を大事にして元気でね」とねぎらわれていた。

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 陛下のフィリピンご訪問中、国事行為の臨時代行を務める皇太子さまは28日夜、皇居・宮殿「松の間」で、経済再生担当相を辞任した甘利明氏の後任となる石原伸晃氏の認証式に臨み、安倍晋三首相から官記を受け取った石原氏に「重任ご苦労に思います」と声をかけられた。
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは25日、レスター大大学院の修了式に出席するため訪問していた英国から帰国された。修了式では、文学修士(博物館学)の学位記を受け取られたという。

728可愛い奥様@避難所生活:2016/02/06(土) 07:05:16 ID:EYmOw0gU
ttp://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060017-n1.html
2016.2.6 06:00
【皇室ウイークリー】
(420)両陛下、フィリピンからご帰国 皇太子さま、国事行為の臨時代行ご報告
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フィリピンから帰国された天皇、皇后両陛下=1月30日、東京・羽田空港(納冨康撮影)
 フィリピンを公式訪問していた天皇、皇后両陛下は1月30日、羽田空港着の政府専用機で帰国された。マニラのニノイ・アキノ国際空港では、アキノ大統領による異例の見送りを受け、別れのあいさつを告げられた。羽田空港では、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方が出迎えられ、両陛下は笑顔で言葉を交わされた。
 現地では、国交正常化60周年を迎えるフィリピンとの友好関係を深めるため、大統領との会見や晩餐(ばんさん)会に臨み、同国の元留学生や看護師、介護福祉士を目指す人々とも交流された。一方で、長年望んできた先の大戦における両国の戦没者の慰霊も果たされた。
 宮内庁幹部は「一つ一つが重要な行事で、心を尽くして務められていた。無事に済ませて安堵(あんど)されているのではないか」と述べた。

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 ハードスケジュールに加え、日本とフィリピンとの寒暖差も大きかったため、この幹部は「大変お疲れになったと思う」とご体調を気遣った。両陛下は帰国翌日の31日朝から日課としている皇居・御所内での散策を始めるなど通常の生活リズムを取り戻されているという。
 2月1日には、公務をご再開。両陛下は伊勢神宮へのフィリピン訪問の報告を代行した掌典をねぎらわれた。また、陛下は皇太子さまから国事行為の臨時代行についてご報告を受けられた。ご訪問中の1月28日には、甘利明前経済再生担当相の辞任に伴い、新任の石原伸晃氏への認証式を皇太子さまが務められた。
 両陛下は2月5日午前、葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養に入られた。新年の宮中行事が一段落したこの時期の葉山でのご静養は恒例だが、フィリピン訪問直後でもあり、宮内庁幹部は「ゆっくり休み、お疲れを癒やしていただきたい」としている。

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 この日は、御用邸裏にある「小磯の鼻」と呼ばれる海岸を散策し、会話を交わしながら遠方に望む江ノ島などの景観を楽しまれた。
 途中で待ち受けた地元の住民らには、陛下が「今日は暖かいですね」と声をかけられ、フィリピン訪問の様子を現地の友人から聞いたという女性には、皇后さまが「マニラ湾の夕日はとてもきれいでした」と話されていた。
 夜には、秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまが御用邸に合流し、ご家族水入らずのひとときを過ごされた。
 孝明天皇例祭の儀が1月30日、皇居・皇霊殿で行われ、皇太子さまが拝礼され、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も参列された。陛下はフィリピンご訪問中だったため、掌典次長が代拝した。
 恩賜財団母子愛育会の総裁を務める秋篠宮妃紀子さまは2月1日、埼玉県白岡市の市保健福祉総合センターで、同市母子愛育会の活動を視察された。紀子さまは、活動の様子を紹介した写真やパネルをご鑑賞。節分のイベントも見学し、画用紙で鬼の面を作る親子に「上手にできたね」「育児は大変ですね」などと笑顔で声をかけられた。

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 常陸宮ご夫妻は1月31日にフランスに向かい、現地時間2月1日にベルサイユ宮殿で行われた「がん対策パリ憲章大賞」の授賞式に出席された。がん研究会の名誉総裁を務める常陸宮さまは40年以上にわたる国内外でのがん研究への貢献が評価され、大賞をご受賞。授賞式では記念のブロンズ像を受け取られた。
 英語のスピーチでは、冒頭に昨年11月のパリ同時多発テロに哀悼の意を表した上で、「がんは人間にとって脅威であり、それを克服するために最善の努力をしなければなりません」と述べられた。ご夫妻は2月4日に帰国された。


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