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【過去】報道アーカイブ

29可愛い奥様@避難所生活:2011/07/21(木) 19:38:28 ID:64qc9w.c
ttp://www.okinawatimes.co.jp/jin/19990522_1.html
<1999年5月22日 朝刊 3面>
2代目沖縄担当大使に就任した
野村一成さん
 一九九〇年のヒューストン・サミットでは在米国大使館公使として受け入れを取り仕切った。その経験から「サミットは一つの大きなオペレーション。それぞれの仕事をこなし、全体として成り立つ」という。基地問題では現場を踏むことから始める。「基地所在市町村を一日も早く訪れ、実態を把握したい」。局長経験者の「大物大使」にサミット成功、基地問題前進に期待がかかる。
 着任してまず沖縄本島南部の戦跡に。平和の礎で沖縄戦で亡くなった紀子夫人の叔父の名前を見つけ、手を合わせた。「沖縄の原点」と心に刻んだ。
 沖縄とのかかわりは思いやり予算を義務付けた日米特別協定更新くらいというが、逆に「フレッシュな気持ち。課題も多いが、チャレンジング」と前向きの姿勢だ。
 「談笑死生間(だんしょうしせいのかん)」が座右の銘。陸軍軍医で八十四歳で亡くなった父静寿さんの形見。憲政の神様と称される尾崎行雄の書で、父が直接譲り受けたものだ。「生きるか、死ぬかの修羅場のときも、語り、笑う余裕を持って人生に対処しなさい」と解釈している。
 野球が大好き。前任地のマレーシアで沖縄尚学高校のセンバツ決勝戦を衛星放送で観戦。沖縄担当大使の内示を受けており、海の向こうから声援を送った。兵庫県淡路島で小、中学生時代を過ごし、映画になった瀬戸内少年野球団はわがことのよう。同島の洲本高校がセンバツで優勝し、小学六年の少年の大きな励みになった。「沖尚の優勝、サミットも若い人たちに影響を与えるだろう」
 在ソ連邦大使館勤務時代にウオツカをたしなんだ。泡盛は本格的にはこれから。運動不足を補うゴルフは90台の腕前。東大法学部卒。愛知県出身。一九四〇年五月二十日生まれ。五十九歳。王貞治と同じ誕生日が自慢。二男一女。昨年四月、長女に初孫が誕生した。長男も在中国大使館の外交官。




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