したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

血型狂信者に対する武勇伝

48名無しさん:2009/03/22(日) 21:50:50 ID:DiVW//fk0
>>1
元々血液型差別は、血液型発見と同時に西洋の進化論隆盛のA型優位論からA型国家分布率がはじまっており、血液型を調べるのに一次大戦の兵隊は都合がよかった。A型優位がはじまったのは、アジアのサンプルに特に当時西洋から東にいけばいくほどB型が多いと事実につきあたったからであり(B型一番多い国はインドだが、実際ソビエト中国と東へいけばB型、南イタリア、アフリカと南へいくほどB型とO型が増えていく構図は好ましい物だった)当時奴隷だった黒人奴隷は、O型ばかりだったため、B型と同時に劣性という事になった。B型の多い日本(アジアの中ではA型も多いが)の遺伝学者の論文は、軍にも研究者があらわれたが、この論理を進めると当時多様な学問の最先端だった西洋に劣る(B型が多い)ということを認めることになるため、この研究の論文は控え、後人が出ることに期待をして終わった。当時始まった東大初代心理学会会長も実は、医学の血液型と心理学を結びつけた陰の功労者であるが、戦前の歴史は都合のいいように消されてしまってる。
ヒルシュフェルト夫妻は、A+AB/B+ABを「生物化学的人類係数(民族示数)」として、その数値によってそれぞれの民族をヨーロッパ型、アジア・アフリカ型、中間型の三つにわけて、ヨーロッパのA型とインドのB型をヒトの根源と考えた。その後、この研究をさらに発展させて、1925年、R・オッデンベルグは、アメリカ・インディアンがO型の多いことに気づき、O型をヒトの根源(現在では遺伝子的にみて、AからB,Oが波状しA,BがあればAB型がでると考えるほうが自然という研究結果がある為間違い)と考え、O型・A型・B型・AB型を表現型のままヨーロッパ型、インド型満州型、太平洋アメリカ型など六つにわけた。更に、1927年L・H・スナイダーは、A・B・Oの3遺伝子の頻度で世界の民族を7グループにわけた。これらの西洋の進化論に基く研究にたいして、日本ではO型は外交官に向いてるなど、O型優位論がでてくるが後に大学の不祥事にも発展し、旧軍に見放される。そして、2次大戦終局で、この論争は一次なくなるがこれは進化論を基にする西洋研究と初期の日本の遺伝学者とくらべ、方向性がずれた為である。
一番重要なのは、西洋人が差別を表向きやめたのは、平和の為であるわけもなく、
A型優位論のヒ〇ラーを悪者に仕立て挙げた事に矛盾が生じるのを突っ込まれるのを畏れるためだ。A型には従順と反発があるという事実に。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板