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思い通りにならない苦しみ。という真理『スッタニパータ』 より

1勢至菩薩:2011/02/08(火) 13:30:37
これは人生の真理です。人間の力ではどうすることもできません。人生の真理ですから素直にそうと悟って受け入れるしかないのです。そうと知らない私たちは真理を憎み、真理を忌み嫌い、真理を悲しんでいるのです。まったく愚かで哀れなものなのです。

人には、愛しい人と別れ別れにならなければならない苦しみ。嫌な人と会わなくてはならない苦しみ。求めているものが得れない苦しみ。など苦しみを数え上げればきりがありません。それらの苦しみの原因はただ一つです。それらに執着し妄想する心が果てしない煩悩の苦しみを生むのです。人間の悩み、苦しみ、煩悩というものは、自分の願いや思いを実現させたいと強く執着すること、思う通りになってほしいという強い思いから始まっているのです。そこから、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うという、人の心身を悩まし苦しめる毒が生じるのです。人生は思い通りにならない。願いは叶わないのです。これがお釈迦さまが教えてくれた人生の真理なのです。分かりますか。自己中心的な願望や思い込み、固定観念、自分は賢いと思う偏った物の見方から、妄執が生まれ人との争いを生むのです。

思い通りにならない。願いは叶わない。というのがお釈迦さまが教えてくれた人生の真理なのです。人はこの真理を知らないために苦しみ、もがいて、やがて、自分は他の人から愛されてない。評価されていない。という妄執の苦しみから、他を傷つけ自分を傷つけるのです。真理を知らないことから起きる節度を知らない欲求不満に陥るのです。このように、人間の根本的苦しみは真理を知らない無明からくる妄執と渇愛の苦しみなのです。このような真理を知らない無明から生じる、あらゆる苦しみの輪廻を解脱して、究極の(涅槃)の境地に到ることをわたしたちは励みにしましょう。原始仏教経典『スッタニパータ』の教えは、人をあらゆる苦しみの輪廻から解放し究極の平安(涅槃)に到る道を示してくれるのです。これは、人間が光り輝く本来の仏陀の姿に帰るための道を示して下された。お釈迦さまの原初の尊い真理なのです。

2NONAME:2011/02/08(火) 15:35:44
>思い通りにならない。願いは叶わない。というのがお釈迦さまが教えてくれた人生の真理なのです。
それはだんだん分かるでしょう。知っていますよ。 問題は、それをどう処理するのか。

>原始仏教経典『スッタニパータ』の教えは、人をあらゆる苦しみの輪廻から解放し究極の平安(涅槃)に到る道を示してくれるのです。
>これは、人間が光り輝く本来の仏陀の姿に帰るための道を示して下された。
仏というのは 新興宗教がいうようなスーパーマンではありません。真理を知れば仏に近付くだけのことです。さてその真理とは?死後の世界や神通力などのオカルトは、仏教では真理と言いません。 水の上を歩くかどうか、空中浮遊などもどうでもいい。 さて、スッタニパータの教えとはどのようなものでしょうか。

それを述べないならそこには何の意味も無いでしょう。

3勢至菩薩:2011/02/10(木) 10:31:20
自己の外に神や仏がいて自己を救ってくれるものだなどと思ってはなりません。神、阿弥陀、如来、何と呼ぼうがかまいませんが、人を救う絶対的真理は自己の内に存在しているのです。

人間自身が絶対的真理であり、神、阿弥陀、如来なのです。まず今の自己を客観的にあるがままに見つめることから始めなさい。猜疑心、嫉妬心、怖れ、羞恥心、貪欲、性欲、物欲、金銭欲、支配欲、虚栄心、依存心、身勝手、などなど数えればきりがありません

しかし、客観的にそのような自己の内面を観察することから始めなければなりません。すべてはそれから始まるのです。妄執や欲望、怖れ、不安、疑いなど、いろいろの煩悩を抱えてる自己をあるがままに見つめることが大切です。

汚れた自己、仏ならざる自己をあるがままに見つめる訓練を続けることで、偽りの自己を客観的に観察している別の自己があることに気づくはずです。それがあなたの本質です。本質のあなたは真理ですから、真理ならざる偽りの自己を客観的に見つめ、観察することができるのです。

4勢至菩薩:2011/02/10(木) 11:01:10
誰かが不正を働いている、非道なことをしているなどと他を憎み責めてはなりません。すべては因果のままになるでしょう。それよりもこう考えるべきです、かれは真理を知らないため自分が何を行っているのか解らないのであると理解し慈悲の心で彼を見つめることです。

彼は、これを行うことによって如何なる結果を自己に招くか、ということをはっきりとは分かっていないのだと、憐れみの心で彼を見つめることです。慈悲の心は不幸な現実を招くカルマとはなりません。慈悲の心は因果の輪廻を止めるのです。如何なる理由があろうとも怒りの心を起こせばカルマとなり輪廻の連鎖を止めることができません。自己が傷つく結果を招くからです。

5NONAME:2011/02/11(金) 21:54:10
>人を救う絶対的真理は自己の内に存在しているのです
そりゃそうだ 悟りって自分でするものだろ

>しかし、客観的にそのような自己の内面を観察することから始めなければなりません
だからそれが座禅だろ? ま、座らなくてもいいけどね

>如何なる理由があろうとも怒りの心を起こせばカルマとなり輪廻の連鎖を止めることができません。自己が傷つく結果を招くからです。
何を言っとる。 
悪に対して怒らなければ、単なるデクノボウだ。

そんなんだから、宗教中毒者はいかんのだ。 宗教の罠に嵌るな。そこが大事だ。

7NONAME:2013/07/24(水) 20:54:56
怒らなくても 首をしめることはできるよ

15NONAME:2018/05/27(日) 00:46:36
イメージ・フォーラム:今川菊夫くん

今でもあの時の、勝ち誇った顔が忘れられない。 彼はあの日、私の部屋での飲み会のあと、その散らかった室内を片付けず、片付けさせず、私の大事なものを持ち帰った。加えて、袋に入った煎餅も、不透明な袋に入れ、見えないようにして盗み持ち帰った。 さぞ満足だったことだろう。楽しかっただろう。 自分の欲が満たされれば楽しい。それでいい。 私は、それとは真逆で、自分を含めた世界が、「あるべき姿」でないと満足できない性質だ。その分、私の方が欲が深いのかもしれない。 チベットの同胞が、中国共産党にどんな目に遭わされているか。それを考えれば、なんとも憤った気持ちが消えなくなる。 彼と私は、欲の性質が、決定的に異なる。

彼は、常に誤魔化し、偽装し、計算し、利益を追求する。これも、私とは真逆だ。私は、正直過ぎ、優し過ぎる。その結果、逆に誰かを不幸にしてしまうこともある。 彼は、自分の利益になるなら、どんな嘘でも吐き、自分以外の全てを見殺しにする。自分さえ良ければそれでいい。 しかし、それが、今の日本人では普通なのかもしれない。日本人は、こんなに落ちぶれてしまった。


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