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【44衆】北関東

1片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2005/08/08(月) 16:11:34
44回衆院選北関東に関する

346片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/23(水) 09:35:42
対決姿勢また表面化 小寺知事が通例変更自民反対で否決
2007年5月23日 群馬
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20070523/CK2007052302018291.html

 県議会の臨時会が二十二日開かれ、小寺弘之知事は、これまで自民党県議から二人選んでいた県監査委員に、自民党の金田克次氏とフォーラム群馬の塚越紀一氏をそれぞれ選任する議案を提出した。しかし塚越氏の選任議案は、知事と対立する自民党の反対により賛成少数で否決。金田氏の選任議案は全会一致で可決した。 (石屋法道)

 県監査委員は四人で、うち二人は県議から選出される。公明党県議が務めた時期もあるが、県議会で多数を占める自民党推薦の二人が選任されるのが通例だった。知事選に向け、知事側と自民党の対決姿勢があらためて表面化した形となった。

 自民県連の金子泰造幹事長は「慣例通りの手続きを踏んだ。過去の監査委員に落ち度はなく、議員数も二人選出するのに十分だ。知事側は議会を翻弄(ほんろう)している」と不快感を示した。同県連は今月中旬、監査委員に金田氏と金子一郎氏を推薦することを議会事務局や執行部側に伝えていたという。

 一方で、親知事のフォーラムとスクラム群馬の計九人は、二十一日に小寺知事に塚越氏推薦を申し入れていた。小寺知事は議会終了後、「一党一派の人より、いろんな人に見てもらう方が良い」と述べた。高木勉副知事は「(自民から)申し入れがなかった」とした。

 再度の議案提出は知事選後になる見込みで、監査委員は欠員一となるが、業務はできるという。

347片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/23(水) 09:41:32
監査委員の選任否決 “知事派”推薦に自民反発  産経群馬
http://www.sankei.co.jp/chiho/gunma/070523/gnm070523002.htm

 臨時県議会が22日開かれ、小寺弘之知事が提案した監査委員の選任議案が、自民党の反対で否決された。同委員の選任は、自民党の推薦者を知事が議案として提案するのが慣例。自民党は、推薦したとする委員名が明記されていなかったと反発を強めており、知事側は「自民党から委員の申し入れがなかった」(高木勉副知事)と説明。7月の知事選を前に、双方の神経戦は熱を帯びている。議会事務局によると、地方自治法が制定された昭和22年以降、監査委員の選任議案が否決されたのは初めて。

 同日の臨時会で、小寺知事は新しい監査委員として、自民党の金田克次氏と、フォーラム群馬の塚越紀一氏を選任する議案を提出。金田氏は全会一致で同意されたものの、塚越氏は自民党の反対で、16対32の賛成少数で否決された。

 監査委員はこれまで、議会の圧倒的多数を握ってきた自民党が2人を推薦し、知事が議会に提案してきた。同党以外の委員は、平成14年5月に選任された公明党の庭山昌氏だけという。

 選任作業に当たり、自民党の金子泰造幹事長は「慣例通り、委員候補として金田氏と金子一郎氏の2人を推薦した」と強調。これに対し、高木副知事は、慣例に基づく自民党からの申し入れはないとの姿勢を見せており、認識のズレは深刻だ。

 自民党が反発を強めるのは、塚越氏が所属するフォーラム群馬は知事支援会派との事情がある。同会派はすでに知事選で小寺氏の推薦を表明しており、同じ立場のスクラム群馬とともに、21日には塚越氏を知事に推薦している。

 知事とすれば、自身に近い人材を登用したい考えがあったとみられる。もっとも、自民党の反対を押し切って議案が可決される可能性は低いことから、今回の事態は「織り込み済み」(自民党幹部)との見方は強く、知事選を見据え、対立構図を演出したい思惑も透けてみえる。

(2007/05/23 04:26)

348片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/23(水) 09:42:51
トレセン構想暗礁に 石原都知事−橋本知事のトップ会談に期待  産経茨城
http://www.sankei.co.jp/chiho/ibaraki/070523/ibr070523001.htm

 県南のつくばエクスプレス(TX)沿線に将来の五輪選手や国体選手を育成する公的な「トレーニングセンター」を建設する構想が暗礁に乗り上げている。もともと、石原慎太郎東京都知事が提唱したものだが、4月の知事選などの影響もあり、事務レベルの折衝も進んでいない。本県としては売れ残りの県有地に広大なトレセンが完成すれば、経済波及効果やPR効果が期待できることから、23日につくば市で開催する関東地方知事会議(会長・橋本昌知事)で石原都知事と橋本知事の“トップ会談”による政治決断が下されるよう期待を寄せている。

 トレセン構想の発端は1月19日に行われた石原知事の記者会見だ。石原知事は「TXに乗ると秋葉原からつくばまで快速で45分。しかし、(茨城県の土地は)関東平野で一番大きな可住面積を持っているのにがら空きなんだ」と述べた上で、「将来、オリンピック選手になろう、国体の選手になろうという子供たちが何かトレーニングできるようなセンターを造りたい」と力説、県内にスポーツ育成施設を建設する考えを強調した。

 これは、東京への一極集中是正と、東京が国内立候補都市に決まったた2016年夏季五輪の招致をにらみ、「スポーツだけでなく、社会貢献的な施設の拡充をアピールしたい」(県幹部)という狙いがある。

 この石原発言に先立ち、平成18年に東京都の大塚俊郎、横山洋吉両副知事(いずれも当時)が橋本知事と相次いで会談し、つくば市内の施設候補地の下見や選定を行った。

 これを受け、県と都の担当者が事務レベルで協議を行ってきたが、4月の都知事選を前に協議が一時中断。それ以降、「都側から具体的な提案がない状態」(県つくば地域振興課)が続いている。

 県としては運営主体や管理・庁舎権などについて「東京、神奈川、埼玉、茨城の4都県に加え、日本体育協会や民間を巻き込んだ形が望ましい」(県幹部)としており、県有地を提供する見返りに、施設などいわゆる“箱モノ”は東京都などに一定の建設費用などを出資してもらいたい思惑がある。

 都は4月、生活文化スポーツ局にスポーツ振興部を新設し、五輪招致を含め、トレセン計画に本格的に乗り出す構えで、「都知事選までは協議を進める状況ではなかったが、最近は会議の場で神奈川や埼玉などと金を出し合って造ろうという話が出ている」(都幹部)という。

 両都県関係者は23日につくば市で初めて開かれる関東地方知事会議に期待している。この日は会議のほか、農業・食品産業技術研究機構や宇宙航空研究開発機構(JAXA)などを視察する予定で、石原知事をはじめ、上田清司埼玉県知事など関東圏のトップが勢ぞろいするからだ。

 都幹部は「石原知事はTXの話題になると必ず橋本知事の名前を出す。会議などの場でトップ同士、トレセン計画について何らかの協議があり、一定の進展があるのでないか」とみており、本県も大きな期待を寄せている。

(2007/05/23 04:20)

349片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/24(木) 00:13:23
県議会議長選:弱腰? 民主、23議員全員が自民に投票…人事案で対抗しても /埼玉
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saitama/news/20070523ddlk11010189000c.html

 県議会は22日、改選後初の臨時議会を開き、議長に吉田弘氏(69)=自民、南7区、副議長に逢澤義朗氏(72)=同、東11区=を選出した。議長選挙では、第2会派「民主党・無所属の会」所属の23議員全員も吉田氏に投票した。「『議長は第1会派から』の基本線に沿った」と説明するが、4月の県議選で自民との対決姿勢を打ち出し、大きく議席を伸ばした民主。参院選も控え、敵に塩を送るような対応に「弱腰」との批判も上がりそうだ。【高本耕太】

 民主県議団は同日午前の団会議で、副議長選で同団の秦哲美氏に投票することを確認したが、議長については吉田氏への投票とした。今期限りの引退が確実視される秦氏を、自民の協力を得て任期中に副議長に就かせたいという考えもあり、高橋努団長は「(必ず否決される)人事案件で真正面から対抗してもしょうがない。公正な議会運営に協力しようということ。政策面で譲ることはない」と強調した。

 だが、正副議長を自民に独占させただけでなく、議会運営委員会の副委員長ポストの一つは積極的な事前交渉を展開した第3会派の公明に譲った。こうした対応に、議会からは「民主からは議会で存在感を示そうという気迫が伝わってこない」という声も漏れ聞こえてくる。

 民主県連は今月7日、枝野幸男代表が「外からは『自民と2大政党で政権を争う党』とみられている」と若手議員を叱咤(しった)激励したばかり。ある若手県議は「少数野党の意識が抜けきっていない。団内の意思疎通をして積極的に動かなければ」と危機感をあらわにした。

毎日新聞 2007年5月23日

350片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/05/26(土) 18:11:00
選挙:知事選 大澤氏の公認、自民正式決定 /群馬
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gunma/news/20070526ddlk10010090000c.html

 7月の知事選に自民党が擁立する大澤正明・前県議会議長の同党公認が正式に決まった25日、同党県連の金子泰造幹事長は記者会見し「公認決定をきっかけに(保守分裂の)『ねじれ現象』を極力正していきたい」と述べ、5選出馬する小寺弘之知事をこれまで支持・推薦してき同党支持団体や組織に「大澤氏支持」を徹底させていく考えを示した。

 会見には大澤氏も同席。金子幹事長は支持徹底について「締め付けではない。あくまでお願いだ」と述べた。【木下訓明】

毎日新聞 2007年5月26日

351片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/02(土) 22:16:37
選挙:知事選 「5選支援許されない」 石関衆院議員が田辺氏を批判 /群馬
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gunma/news/20070602ddlk10010159000c.html

 7月の知事選で小寺弘之知事を支援するため、離党の意向を示した元社会党委員長で前民主党県連顧問の田辺誠氏について、民主党県連最高執行役員の石関貴史衆院議員が1日、「5選を目指す現職を支援することは許されない」などと、田辺氏の姿勢を党方針に反するとする声明を発表した。石関氏はこの中で「(田辺氏は)角田義一前参院副議長の献金裏帳簿問題に関与した疑惑がある」とも指摘した。

 石関氏ら県連保守系幹部は昨年1月以降、相次いで発覚した不正会計問題や角田氏の裏金問題で田辺氏や不正に関与したと見られる労組系幹部を厳しく批判してきた。こうした経緯から石関氏は「(田辺氏が)知事選に積極的にかかわりたいのなら、離党だけでなく、自らの疑惑を県民に説明してから臨むべきだ」としている。【木下訓明】

毎日新聞 2007年6月2日

352片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/05(火) 07:54:51
蕨市長選当選 頼高氏 西口再開発 見直し強調
保守系市議・市幹部ら反発 讀賣埼玉

 蕨市長選で初当選し、共産党籍を持つ県内唯一の市長となった頼高英雄氏(43)は4日、市役所で当選証書を受け取った。頼高市長は早速、選挙戦の争点となった蕨駅西口再開発の見直しに言及。これに対し、保守系市議や市幹部からは反発の声が噴出した。頼高市長は6日に初登庁する予定だが、厳しい船出となりそうだ。

 当選証書を受け取った後、記者会見した頼高市長は「喜びとともに市民の期待の大きさを痛感している」と感想を述べた。蕨駅西口再開発事業については「まずは市民への情報開示が必要だ。(着工が決まっている)第1工区も、変更が可能であれば初めから考えることもあり得る」と計画を見直す考えを強調した。

 市議会(定数18)の共産党議員は4人のため少数与党となるが、「良い緊張関係は必要。それぞれが掲げた公約で、私と共通ものはたくさんある。理解し合えると期待している」とした。

 一方、野党となった保守系市議は今後の対応を協議。ある議員は「選挙戦で頼高氏は耳触りのいいことばかり訴えていたが、市の財政状況が厳しい中、そんな公約は到底実現できない。今後、頼高市長とは是々非々の構えで臨むしかない」と険しい表情で語った。

 市職員の間には期待の声もあるが、不安も広がっている。ある職員は「元野党議員の市長の下で、どのような市政運営になるのか」と心配そうに話した。山田悦宣副市長は「駅西口再開発は必要」として辞任する意向を示した。ほかの特別職も追随するとみられる。

   ■「蕨の特殊事情」 国政に影響なし

         自公関係者

 自民、公明両党が推薦した庄野拓也氏(38)が敗れたことについて、両党の関係者は「蕨市の特殊事情」として、国政への影響はないとの見方を示した。

 二人三脚で応援してきた自民党の田中良生衆院議員は「完敗だ。明確な争点のないまま、知名度の差が出て、『保守対共産』の構図と見られなかったことが敗因ではないか。相手は共産党員だが、党の推薦をとらなかった。今後どういう市政運営をしていくか見守っていきたい」とコメントした。

 一方、共産党県委員会の小松崎久仁夫委員長は「党としてやるべきカバーはした。県議選は振るわなかったが、今後への弾みになる」と話した。民主党県連の武正公一幹事長は「既存の政治の流れを変えるべきだ、2大政党を確立すべきだという有権者の声が強まっている」と分析した。

(2007年6月5日 読売新聞)

353片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/13(水) 10:00:37
県議同士本会議で応酬
政務調査費条例案 讀賣群馬

 県議会6月定例会の一般質問が12日始まり、県議への毎月約30万円の政務調査費の領収書公開の範囲を巡り、本会議では初となる議員同士の討論が実現した。

 すべての支出を公開対象にする条例案に賛同しているスクラム群馬の岩上憲司代表の質問に、1万円以上の支出とする条例案を提案した議会運営委員会を代表し、中島篤副委員長(自民)が答弁した。

 中島氏が「政務調査費の支出明細(の公開)は、各会派の政策意図や具体的な調査対象を明らかにし、調査目的の達成を妨げる恐れがある」と理解を求めたのに対し、岩上氏は「すでに5県では全額を添付している。どうして妨げがあるのか」と追及した。

 中島氏は「5万円以上の公開が全国的な状況だ」とし、自民党が全額添付を義務づけた岩手、宮城両県を独自に視察した結果として、「領収書の整理、コピー、台紙への張り付けなどに多くの時間、労力、神経を減らすことになり、議員活動に支障を来していた」と説明した。

 しかし、岩上氏は「民間ではやっており、県民の理解を得られない」と反論。中島氏は「皆さんがまず1円から出すことを実行してもらい、それを踏まえて一緒に討議したい」と譲歩した。

 岩上氏は質疑終了後、スクラムは全支出の領収書を公開する考えを示した。

(2007年6月13日 読売新聞)

354片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/14(木) 09:29:31
党員数が大幅減 昨年の10分の1に
歯科医師自民職域支部 讀賣茨城

 県内の歯科医師でつくる自民党職域支部「自民党歯科医師会支部」の党員数が5月末時点で約70人にとどまり、昨年の約730人から10分の1に激減したことが明らかになった。自民にとっては有力な支持基盤の一つだけに、今夏の参院選に向けた自民の選挙戦術にも影響を与えそうだ。

 日本歯科医師連盟(日歯連)の地方組織である茨城県歯科医師連盟は会員1300人余を抱える。これまでは政府・与党との関係が深かったこともあり、自民党職域支部しか持っていなかった。

 しかし、「特定政党とだけかかわるのはおかしい」との声が県歯連の一部から上がり、県議選を半年後に控えた昨年6月、民主党職域支部「民主党歯科医師会支部」が全国で初めて発足した。これを受け、県歯連は今年3月から各会員を対象に、どの政党に入党する意思があるかを問う意向調査を行っていた。

 自民離れが目立つのは、政府・与党が進めてきた医療制度改革への不満が根強いこともあるとみられる。特に、昨年4月からの改定で、歯科医師の診療報酬は大きく引き下げられた。

 もっとも、自民への入党を見合わせた会員が、そのまま自民以外の政党支持に回るかどうかは不透明だ。実際、民主党歯科医師会支部に入党した党員数も10人足らずにとどまっているという。また、民主党職域支部の発足に前向きだったとされる県歯連会長は今年4月で別の人物に交代しており、「自民党との関係は修復に向かっている」(関係者)との見方もある。

 自民党と業界団体の関係を巡っては、特定郵便局長OBらでつくる「大樹」県本部がこれまでのところ、参院選茨城選挙区(改選定数2)に自主投票で臨む構えを見せている。また、従来は自民候補を単独推薦してきた県医師連盟が比例選で、自民候補と国民新党候補のダブル推薦を決めるなど、自民の牙城(がじょう)と言われてきた団体が自民との関係を見直す動きが相次いでいる。

(2007年6月14日 読売新聞)

355片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/06/19(火) 10:00:50
無所属にも討論認めよ さいたま市議 たった1人の反乱
国会にならい 締め出し 讀賣群馬

 「無所属議員に議案への賛成・反対討論を認めないのはおかしい」――。さいたま市の無所属市議が、市議会内の“取り決め”に反発している。県議会や県内の主な市議会では無所属議員にも広く討論を認めており、この市議は「無所属でも他の議員と平等に発言する権利があるはずだ」と主張する。

 ルールの見直しを訴えているのは、4月に初当選した吉田一郎市議(北区)。同市議会は2001年に合併してさいたま市が誕生した際、国会のルールと同様に、議会内の申し合わせ事項で「討論は会派代表者による通告制」とし、会派に属さない議員は討論できなくなった。「討論を全員に認めたら、みんなやりたがって収拾がつかなくなる」(自民党市議)という。

 吉田市議は「反論する場が与えられないのなら、請願で反対する」とし、議会初日の今月6日、市長選のマニフェスト作成を公費で負担する条例制定議案など2案に反対する「請願」を議長あてに提出した。

 しかし、請願は開会7日前までに提出しなければ委員会では審議しないのがルール。結局、吉田市議の請願は自動的に閉会後に回された。議案説明があったのは5月31日で、吉田市議は「開会7日前に請願を出すのは難しく、このルールもおかしい」と疑問を投げかける。

 共産党市議団は議会改革案で、無所属議員の討論権を認めるよう求めている。しかし、議会事務局によると、01年以降、無所属議員から意見陳述の要望はなく、現在、吉田市議以外に2人いる無所属議員も求めていない。

 これに対し、吉田市議は「討論をしたい議員はみんなやればいい。討論に参加できないなら、今後も請願という形で意見を訴えていく」と話している。

(2007年6月19日 読売新聞)

356片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/07/24(火) 07:58:09
後藤・知事室長辞職へ
小寺知事落選「けじめつけたい」 讀賣群馬

 知事選で大沢正明さんが小寺知事を破って初当選したことを受け、後藤新・知事室長(47)は23日、辞職する意向を固めた。後藤室長は、小寺知事と自民党県議団が対立する発端となった副知事人事案で、小寺知事が提案した当事者。

 後藤室長は読売新聞の取材に対し、「けじめをつけたい。一般職だから辞める必要はないという人もいたが、小寺知事と共に県庁を去る」と話した。すでに小寺知事にも意向を伝えたという。

 今後については、「何をやっていくかは白紙の状態」としたうえで、「群馬に縁があり、群馬の土地、人が好きなので、ここに居を構えたい」と述べた。

 副知事人事案を巡っては、「小寺知事が官僚出身者で、副知事は地元から出すべきだ」などとして自民党が反対した経緯がある。後藤室長が群馬にとどまることは、今後の政治活動にも含みを残したともいえる。

 後藤室長は旧自治省出身で、1988年に県に初赴任。いったん自治省に戻った後、98年に商工労働部長、2002年に出納長に就任した。しかし、昨年3月には出納長の再任案を否決され、一般職の知事室長に降格されていた。

 手続きなどの関係で、実際の退職は小寺知事の任期の27日より後になる見通しという。

(2007年7月24日 読売新聞)

357片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/07/24(火) 10:00:54
【群馬】
ぐんま’07知事選 多選批判浸透が奏功 自民党知事の県政運営注目
2007年7月24日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20070724/CK2007072402035251.html

 わずか一万三千票差の県政史に残る激戦となった知事選から一夜明けた二十三日、初当選で新知事となる大沢正明氏(61)と、五選を阻まれた現職の小寺弘之氏(66)が、それぞれの心境を語った。多選の是非を最大の争点に、公明党の支援も受けた自民党が「保守王国」の底力を発揮し、手堅い組織力で押し切った選挙戦。全面的に自民党に支えられて誕生する「大沢知事」が今後、どのような県政運営をするか、注目される。 (石屋法道)

 結果全体をみれば、無所属新人の山本龍氏も十九万票を獲得し、多選批判票の合計は約五十万票。大沢、山本両陣営が多選批判の声を張り上げることで、明確な弊害はなくても「二十年は長すぎる」という県民の共鳴を呼んだと言えるだろう。

 大沢陣営は終盤、有権者に分かりやすい多額の退職金などを挙げ、争点を多選に集中させた。小寺氏は「攻撃材料になるとは覚悟していたし、実際やられた」と述べ、盟友の高木政夫・前橋市長は「多選を掲げられると巻き返すのは難しかった」と振り返る。

 確固たる組織がなかったにもかかわらず、善戦した山本氏は今回の知事選をこうまとめた。「大沢氏は私と同じベクトル。ただ旧来型の組織の選挙が強かったということ。大沢氏当選で、県政のよどみを打ち流すことができるのではないか」

 一方、有権者数に占める大沢氏の絶対得票率は約19%で、県民の支持を得られるかどうかは今後の県政運営次第だ。これまでの経緯から、太田市の英語特区校「ぐんま国際アカデミー(GKA)」など県と市町村との関係悪化が端緒の問題や、いがみ合いのような執行部と議会の対立は解決に向かうだろう。だが、それが単なる「なれ合い」になっては、県民にプラスにならない。

 議会側の対応について、自民党県連の金子泰造幹事長は「地域の声を伝えるのが議員の役目。自民党に『県政はわが物』という意識が生じてはいけない。大沢氏が公約した任期二期八年の限定は、本人だけでなく、自民党にとっても幸いだ」と述べる。

 トップを明け渡す小寺氏は二十三日、今後の県政に「次の知事が考えること」として注文を付けなかったが、一つだけくぎを刺した。「議決機関と執行機関が混同されてはいけない。それぞれが適切に役割を果たすべきだ」と。

358片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/05(日) 08:44:51
自民党県連 知事選のしこり表面化 讀賣群馬

 自民党県連は4日、知事選で党公認の大沢知事をほとんど応援しなかったとして、尾身幸次財務相(衆院比例選北関東ブロック)と中曽根弘文元文相(参院選群馬選挙区)をそれぞれ次の選挙で党本部に公認申請しないことを決めたが、“保守分裂”の激戦となった知事選のしこりが表面化した格好だ。尾身氏らは強引な手法に強く反発しており、今後も尾を引きそうだ。

 同日開かれた県議団総会では、両氏の公認申請の可否について無記名で投票を行い、「反対」票が過半数を占めた。両氏の弁明は聞かなかったという。笹川尭県連会長は、「県議たちが様々な事情を抱える中で団結して戦ったのに、何もしなかった国会議員を放っておいては組織が持たない」と話した。県連は組織選挙を徹底するため、5月24日の県議団総会で知事選への貢献度が低い場合には次の国政選挙で公認申請をしないとする方針を出していた。

 大沢氏の選対では、尾身氏は(衆院)第1区選対部長、中曽根氏は選対副本部長に就任していた。

 しかし、尾身氏は先月29日実施の参院比例選に出馬していた長女朝子氏の応援で全国を飛び回り、大沢氏の集会には顔を出さなかった。中曽根氏は大沢氏の出陣式には出席したが、県連によると、高崎市の決起大会などでの応援要請を断ったという。後援会の有力支持者が軒並み、現職・小寺弘之氏の支援に回ったことが背景にあるとみられる。

 尾身氏は読売新聞社の取材に対し、「尾身朝子という候補を抱えて人手不足だったことは確かだが、応援しなかったということはない。県連の決定には到底、納得できない」と反発しており、党本部がどう判断するかは流動的な面もある。

(2007年8月5日 読売新聞)

359片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/05(日) 09:19:05
自民県議団 尾身、中曽根氏推薦せず 群馬
http://www.raijin.com/news/a/05/news02.htm

 自民党県連は四日、県議団総会を開き、先月二十二日に投開票された知事選で、党が公認した大沢正明氏への尾身幸次財務相と中曽根弘文参院議員の支援内容が不十分だったとして、次回選挙で両氏の公認推薦をしない方針を決めた。国政選挙の選挙区候補者の公認は原則、県連の推薦を受けて党本部が決定する仕組み。県連幹部は「今の時点での県議の気持ちを整理した」と、決定が「けじめ」であることを強調するが、年内の解散・総選挙もささやかれる中、候補者選考に影響する可能性もある。

 総会では尾身、中曽根両氏の知事選での動きについて、県議が意見を出し合った後、「両氏の公認を推薦しないこと」の賛否を投票で諮った。

 県議団三十三人中、三十一人が出席。尾身氏については賛成二十六、反対三、白票二、中曽根氏については賛成二十、反対八、白票三で、ともに賛成が反対を大きく上回った。投票結果を踏まえた県議団の方針について全員が署名し、近く党本部に報告するという。

 知事選では五選を目指す現職の小寺弘之氏に新人の大沢氏ら四人が挑む厳しい構図の中、県連は一丸となって大沢氏を支援し、組織の引き締めを図るため、貢献度が低い国会議員・県議を次回選挙で公認推薦しないことを申し合わせていた。

 ともに賛成票を投じたある県議は「厳しい選挙で、我々は血のにじむ苦しさを味わったが、二人はやらなかった」と批判。別の県議は「勝ったからいいというものではない。貢献しない場合、公認推薦しないのは当然」と話した。

 金子泰造幹事長はこの日、「あくまで内部的なことで対外的に話す内容ではない」と詳細の説明は避けた上で、「県議団の結束を図るため、団総会では各自が言いたいことや所感を総括した」と述べた。笹川尭会長は選挙期間中から「政党にはルールがある。公認候補なんだから、しっかりやってもらわなければ困る」との考えを示していた。

◎「納得できない」「心外」両氏

 県議団の方針に対して、尾身氏は「与えられた条件のもと、最大限、大沢候補を応援した。まったく納得できない」と反論。財務相として公務が重なる中、出陣式や決起大会には妻が代理出席していたと指摘、「相手候補の集会に顔を出すなどの反党的な行為はしていない。大沢氏には知事就任後、二人で会い、県政に協力したいと申し出ると、喜んでいただいた」と話した。

 中曽根参院議員は「会議の内容の詳細が分からないが事実とすれば極めて心外。私は選対副本部長として一生懸命やったつもりであり、当事者からの話も聞かないで、一方的にこのようなことをするのは自民党のすることではない。今は自民党は結束する時ではないか」とコメントした。

 県連所属の他の国会議員からも、県議団の対応に驚きの声が上がっている。谷津義男衆院議員(党選挙対策総局長)は「話を聞いて驚いている。公認問題は選挙直前に決めること。県議団が決めたにしても、取り扱いは慎重にしなくてはならない。大沢県政の今後のことを考えれば、もっと冷静な対応が望まれるのではないか」と話している。

 別の議員も「にわかに信じられない。(両氏は)自民党が野党に転落し、苦しい時も支えてきた方々であり、本人の話も聞かず、欠席裁判で決めることに理解できない」と方針に異論を唱えている。

360片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/06(月) 09:37:34
中曽根氏「厳重に抗議」
知事選非協力「公認申請せず」県連方針に波紋 讀賣群馬

 自民党県連が、知事選で党公認の大沢知事への支援が不十分だったとして、尾身幸次財務相と中曽根弘文元文相について、次期国政選挙での公認申請をしない方針を決めた問題は、5日、中曽根氏が県連の方針に抗議する意向を示すなど波紋が広がった。

 読売新聞社の取材に対し、中曽根氏は「先の知事選では県連の要請を受け、選対副本部長として秘書も後援会も一体となって支援をした。にもかかわらず、当事者の話も聞かず一方的に、次期選挙の公認申請をしないと決めたということに強い憤りを感じる。厳重に抗議する。今は自民党は結束することに努力すべきだ」とのコメントを出した。

 中曽根氏は知事選告示日の大沢氏の出陣式や太田、沼田両市の集会などに出席し、あいさつした。ただ、参院選で同じ派閥の候補者の応援に出かけることも多く、県連が求めた決起大会などには出席できないこともあったという。

 尾身氏も4日、「(知事選の)出陣式には夫人が参加し、大沢氏と県議と自分の3人でポスターも撮影した」などと反論している。

 今回の県連の方針については、衆院群馬3区選出で、党本部選挙対策総局長の谷津義男元農相が、「後から話を聞いて本当に驚いた。選挙まで時間があるので、冷静に考えてもらいたい」とし、別の自民党議員も「全く理解できない。2人は自民党が野党の苦しい時も支え、多くの支持者もいる。方針通りにやったら県連がバラバラになるのでは」と話した。

 一方、金子泰造県連幹事長は「今後の政治活動の指針にするために、今時点での県議団の意見を集約したものだ」と述べた。現時点で、党本部に通知する予定はないという。

(2007年8月6日 読売新聞)

361片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/09(木) 10:41:41
尾身氏、中曽根氏を公認申請せず 次期選挙で自民県連  産経群馬
http://www.sankei.co.jp/chiho/gunma/070806/gnm070806002.htm

 自民党県連は5日までに、先の知事選で同党公認候補として当選した大沢正明氏への選挙協力が十分でなかったとして、次期選挙で尾身幸次財務相と中曽根弘文参院議員の公認申請を行わない方針を決めた。4日、県議団総会を開き、両氏の公認申請について「推薦しないことに賛成」とする投票が過半数を占めた。知事選への協力態勢をめぐり、県連内の亀裂が浮き彫りになった形だ。

 総会は同党県議33人のうち31人が出席。笹川堯県連会長が「約束が守れない人にはリーダーの資格がない」などと両氏を厳しく批判。無記名投票の結果、「公認を推薦しない」とする提案への賛成票が、尾身氏に対し26票、中曽根氏に対し20票あった。これを受け、投票結果も含めた政治行動の指針について、出席者全員が署名。ただ、両氏の弁明は聴取していないという。

 金子泰造幹事長は「知事選を終え、県議の判断を集約した」と強調。一方、ある県議は「拙速のうらみはあるが、(知事選で積極的でなかった)寝ぼけまなこの人を覚醒(かくせい)させる意味はある」と「けじめ」の必要性を訴えた。

 知事選をめぐっては、県連の結束を強化する目的で、支援活動が乏しい国会議員や県議に対し、次期選挙で公認しない方針を申し合わせていた。しかし、県連幹部によると、尾身氏は参院選比例代表に出馬した長女の応援に力を入れ、中曽根氏は後援会幹部が小寺弘之前知事を支援するなどしており、県議からは「選挙協力が不十分だ」との指摘が噴出していた。

(2007/08/06 02:52)

362片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/08/19(日) 16:21:43
自民県議団:尾身・中曽根氏に募る不満「知事選での支援不十分」 /群馬
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gunma/archive/news/2007/08/07/20070807ddlk10010320000c.html

 ◇「公認せず」で一致、ガス抜き?

 自民党公認の大沢正明氏が初当選した先月の知事選を巡り、同党県議団から「支援が不十分だった」と、尾身幸次財務相と中曽根弘文元文相への不満の声が上がっている。県議団内には選挙期間中から両氏の姿勢を問題視する声があったが、ここに来ての批判噴出は「劣勢」との評を覆して、大沢氏を勝利に導いた県議らの“自信”の表れとも言えそうだ。【木下訓明】

 尾身氏は大沢氏選対の衆院群馬1区選対部長を、中曽根氏は選対本部副本部長をそれぞれ務めた。尾身氏は知事選の1週間後の参院選(比例)に長女朝子氏が出馬したため、大沢氏の選対本部長だった福田康夫元官房長官と比較され「福田さんは同じ派閥の上野公成さんが比例に出馬したのに、大沢支援で積極的に動いた。尾身さんは前橋市内の事務所に張り付いたまま、大沢さんの集会などに顔も出さなかった」(県議)と言われ、中曽根氏については「自分の後援者が(対立候補の)小寺弘之氏の選対幹部になることを容認した」(別の県議)などと批判されている。

 県議団は5月に大沢氏への支援が不十分な国会議員は公認しないと申し合わせ、これに基づく形で今月4日の総会で両氏の公認を「推薦しない」と確認した。金子泰造県連幹事長は「選挙後のけじめ。現時点での県議団の意見を集約した」と説明している。だが、公認は党本部が最終決定するもので、今回の“確認事項”が県連の決定事項になるかも疑わしい。実際、金子幹事長は「党本部への報告などはしない」とも述べている。

 このため、県議団の強硬姿勢について「両氏への不満のガス抜き」(同党県連幹部)と解説する向きもある。また、ある県連関係者は「大沢氏の勝利で自信を深めた県議団の両氏への示威行動。尾身氏は現役閣僚、中曽根氏は参院自民党の重鎮。本当に公認に反対すれば、県連は大変なことになるよ」と述べ、ガス抜き説を肯定している。

毎日新聞 2007年8月7日

363片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/09/04(火) 10:13:07
民主党:全国研修、県内から出席者なし 県連、労組系が人選拒否 /群馬
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/gunma/archive/news/2007/08/30/20070830ddlk10010035000c.html

 民主党が30日から都内で開く「党地方自治体議員フォーラム全国研修会・総会」に、県内地方議員が参加しないことが29日、分かった。昨年1月に発覚した不正会計問題を発端に分裂した保守系と労組系の対立が原因で、県連のゴタゴタぶりがまたも露呈した格好だ。党本部首脳が年に一度、地方議員に党方針などを説明する重要会議に県内から1人も出席しないという異常事態だけに、県連内の混乱はさらに拍車がかかりそうだ。

 同党は統一地方選後に都道府県連単位で所属議員と同党と協調する地方議員による「地方議員フォーラム」を組織するが、分裂状態の群馬県連ではフォーラムを組織できなかった。

 このため、党本部の直嶋正行・組織委員長が今月中旬、保守系・労組系両派に、同総会への参加者を選考する会合を開くよう持ちかけた。だが、不正会計問題に関与した黒沢孝行県議らを抱える労組系がこれを拒否し、人選ができないまま、総会を迎える事態となったという。保守系の関係者は「会合を開けば、黒沢氏の処分問題に議論が及ぶ。これを恐れたのではないか」と指摘している。【木下訓明】

毎日新聞 2007年8月30日

364片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/11/10(土) 12:26:12
佐田建設が買収防衛策
事前警告型 井上工業社長けん制か 讀賣群馬

 佐田建設(前橋市、市ヶ谷隆信社長)は9日、事前警告型の買収防衛策の導入を決めたと発表した。同社の実質的な筆頭株主は、井上工業(高崎市)社長の宮崎純行氏(63)とみられ、佐田建設は防衛策導入で、宮崎氏の買い増しをけん制する狙いがあるとみられる。

 佐田建設の買収防衛策は、同社株の20%以上を取得しようという敵対的買収者が現れた場合に、弁護士ら第三者による独立委員会の諮問を経て、既存の全株主に新株予約権を無償で割り当て、買収者には権利行使を認めずに保有割合を引き下げる内容。

 同社によると、9月末時点の筆頭株主は、発行済み株式の4・10%を持つ群馬銀行。3・62%を持つ宮崎氏がこれに次ぐ。だが、宮崎氏が9月12日に関東財務局に提出した大量保有報告書によると、関連企業の保有分や名義を書き換えていない株と合わせると、同6日時点での保有割合は13・37%に上る。

 宮崎氏側は、今年1月ごろから佐田建設株の取得を進めていた模様で、「売買目的の純投資」としている。宮崎氏は取引先だった井上工業の株を買い進め、今年6月に同社社長に就任した。

 佐田建設は、「防衛策は特定の株主を想定したものではない」と説明しているが、「宮崎氏による大量取得には賛同していない」という。

(2007年11月10日 読売新聞)

365片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/12/20(木) 15:16:56
小寺前知事:政治活動再開か 新団体を発足へ /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20071220ddlk10010056000c.html

 小寺弘之氏が19日、前橋市内で、知事退任後初めて記者会見し、後援団体「弘叡会」(会長=正田宏二・正田醤油会長)を年内に解散し、新団体「緑と風の会」を年明けに発足させると発表した。

 小寺氏は新団体について「ノンポリティカル(非政治的)だ」と明言。「環境、教育など、文化や社会のあり方を追及し、若いリーダー育成もしていきたい」と述べた。事務所を同市内に構え、講演活動など意見を発信していくという。

 一方、小寺氏のこの動きを「事実上の政治活動再開だ」とみる県政関係者も多く、前橋市長選や次期衆院選を控え、小寺氏の動向が注視されている。【木下訓明】

毎日新聞 2007年12月20日

366片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2007/12/27(木) 02:30:19
’07記者ノート:民主党県連内紛 新人公認候補の嘆き /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20071226ddlk10070312000c.html

 「政治活動をスタートしたとたん、内部対立が足かせになって、そちらの気遣いばかりにエネルギーを費やして……」。次期衆院選群馬1区の民主党公認候補に内定した元上毛新聞記者、宮崎岳志氏(37)は漏らした。県連不正会計問題に端を発した保守、労組系両派の対立に、胸を痛めているのだ。同党の候補者公募に応募して党本部から内定を受けただけに、「内部対立」は彼にとって、有権者を無視した“内ゲバ”に映っているのだろう。

 「出口なし」の対立はかれこれ2年近く続いている。正常化に向け、保守系の石関貴史衆院議員と労組系の富岡由紀夫参院議員の予備会談は、今秋3度開かれた。ところが、富岡氏側から「これ以上会談しても調整できない」と申し入れがあって以降、進展はない。

 それどころか、労組系県議後援会の有志名で石関氏を非難する怪文書が出回るなど、同じ民主党内の泥仕合は激化している。各団体をあいさつ回りする宮崎氏は「あなたは一体、どっちに付くのか」と色分けを迫られるという。

 敵を間違えてはいないか。対決すべきは自民党勢力なのではないか。次の総選挙は政権選択の色濃いものになるといわれている。だからこそ、民主党は「県民=有権者」にとっての選択肢となることが今、最も期待されている。泥仕合などやっているヒマはない。

 記者として、自民・民主、どちらかに偏って応援するつもりは毛頭ない。ただ、宮崎氏のこの言葉はよくわかる。「私はどなたからも協力を受け、どなたも排除しない。私の存在を軸に県連が正常化していければいい」。両党の政策論争を聞きたい。【木下訓明】

毎日新聞 2007年12月26日

367片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/01(火) 17:53:54
上州政治風土記:/1(その1) 中曽根氏が解く「保守」−−聞き書き /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080101ddlk10010016000c.html

 年内に確実視されている解散・総選挙。統一地方選、知事選、参院選と続いた昨年同様、08年も選挙の年となりそうだ。昨年の知事選では31年ぶりの自民党公認、大澤正明氏が当選、9月には福田康夫首相誕生と、改めて「保守王国・群馬」を印象づけた。民主党は県連が二分し、独り勝ちの自民党。保守王国の政治土壌を解くため、政界など各界の県内出身者に聞いた。第1回は松田喬和論説委員を交え、61年前に上毛新聞に県民性について寄稿した中曽根康弘元首相に尋ねた。

 ◇愛郷と独立自尊が源流−−反省点は投機的な県民性

 群馬県がこれまで、多くの政治家を輩出できたのは偶然的要素がかなりあった。上州人は勢いに乗るのが好きで、いったん政治家が出始めると、どんどん後に続く。政治家同士の切磋琢磨(せっさたくま)があり、負けじ魂もかなり強い。「あいつがそうなら、僕だって」というものが働く県民性だ。

 07年に4人目の首相が生まれた。これは福田赳夫、中曽根康弘という首相を輩出した経験が歴史的継続性となり、小渕恵三、福田康夫を生んだと言える。県民にも「次も首相を」という期待感が継承されている。だから国会議員も期待に応えるため精進する。それが栄冠を勝ち取る一つの導因になったと思う。

 振り返って、福田赳夫さんは非常に見識の高い政治家だった。小渕さんは福田さんのような政治的有名性はなかったが、竹下派という派閥内で非常に努力し、特に竹下登さんから信用された。その結果、派閥内で小渕さんが第1順位で推された。

 福田康夫さんは、安倍晋三さん(前首相)の突然の退陣で政界が混乱し、自民党衰退の危険性が出てきた時のピンチヒッター役で出てきた。安全性、円熟性を買われて首相になったと言える。

 群馬県が保守王国と言われるのは、県議会で自民党が圧倒的優位を維持してきたことにある。その背景には県民性の中にソ連型社会主義を嫌う動向があった。戦後日本の政治の半分は自民、社会両党の対立だったが、愛郷、愛国心が強いため、圧倒的に保守的で自民党王国と言われた。つまり江戸時代、群馬には大藩がなく、小藩や天領が分立していたから各地で独立自尊意識が強くなった。それが明治時代に自由民権思想を活発にさせた。こうした源流がある。

 そして、群馬県の保守性は、かなり地盤的に安定した強い力を持っている。ただ、大事な点は保守の中にも常に改革勢力があったことが政治的伝統として残っている。だから、私の場合ならば、首相公選論を唱えたり、対共産圏外交を展開したり、福田さんならば、政界浄化や財政改革の面で旧弊を打破しようとした。共に道は違うが、政治の先端で改革をやってきた。これは新島襄や高山彦九郎を生んだ県民性が持つ要素だと考えている。

 福田さんとの“上州戦争”は戦後における一種の象徴的な時代動向だった。それは戦前的な官僚政治家と戦争体験を持つ戦後的な青年政治家の対立であり、新旧対立でもあった。従って、支持層も福田さんは金融を中心とする経済・商工業者、私は青年・婦人、知識層から支持された。当時、両者の対立は全国的に報道され、上州人の気質である勝ち気を一層呼び起こすことにもなったのだろう。

 今の野党勢力は自民党を打破するだけの内容や力をまだ持っていない。民主党も統一的調整が取れていない部分があり、地方はさらに大きな不調和性が残っている。これを克服しなければ、民主党の伸長はない。県内の民主党も力のある人物が出てきて、基盤を作る必要がある。

 次期衆院選は今の流れから言うと、民主党の方に有利に流れている。だが、これからの自民党との政策論争が国民の反応にどう影響するか。またどういう人材が両党から出てくるか。そういう要素によるところが大きく、予断は持てない。

 61年前、上毛新聞に「県民性反省」という一文を寄せ、群馬の県民性は優秀だが、文化国家建設という点から反省すべき点があると述べた。61年を経た今、民主政治の普及、中央政治の原理が県内にも及んできたことで、ある程度克服された面はある。だが「長脇差精神」として指摘した投機性、空騒ぎを好むという傾向が残っている。この点がいまだ文化国家的建設の足かせとなっている。愛郷心は十分だが、学問や文化を向上させる意欲を強めなければならない。

368片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/01(火) 17:54:04
 ◆「上毛評壇」寄稿の「県民性反省」(要約)

 ◇長脇差精神の長短 任侠、進取の半面、衝動的で率直淡泊

 我が群馬県民性には極めて独特な他に誇るべき卓越性を認めることができると思うと同時に、又(また)他面文化国家建設と言う点から見ると多大に反省しなければならない点がある。我らが上州精神を代表するものとして自他共に許すいわゆる長脇差精神について、その長短を考えて見たい。

 この長脇差精神の特色は、任侠(にんきょう)、進取、熱血、敢闘という美徳に発現されているが、この美徳こそ、我が県民が他県民間に伍(ご)して真に頭角を表す根軸である。この長脇差精神には、残念ながら唯一つ欠点がある。それは、この精神が未(いま)だに素材のままであって、文化的彫喙(ちょうかい)を経た襄醇(じょうじゅん)性に欠けていると謂(い)う点である。

 由来、火山灰や空っ風や雷はわが県の風土的特色であるが、これらの環境的条件が多分にこの精神を育(はぐく)んだことは疑いを容(い)れない。火山灰の脆(ぜい)弱(じゃく)な土地や夏冬の峻烈(しゅんれつ)な自然の抵抗は県民性を投機的、衝動的、多血的、且(かつ)極めて率直淡泊に導く。封建幕府の頃(ころ)、県内に、小藩や天領が分立し、特に薩長の様な雄藩の名君的政治に欠けた歴史的因縁はこの傾向に拍車をかけた。

 然(しか)し私は断じて失望しない。将来の群馬に大きな光明と期待を堅持している。(上毛新聞1946年12月19日付)

 ◆聞き終えて

 ◇群馬保守の体現者 理念強く傍流にとどまり

 インタビューの中で強調した県民性の一つ「愛郷心と独立自尊」。中曽根氏が首相在任中、内政・外交両面で打ち出した基本理念でもある。この精神性を「群馬の保守」の基盤とするなら、中曽根氏は文字通りその体現者であった。ただ、理念の強さ故に国政においても県内でも主流ないしは多数派になれなかった。情の政治家、福田赳夫元首相と対比される点だ。年末の多忙の中、インタビューは40分に及び、話は昨年の知事選、2月の前橋市長選にも及んだ。紙面の都合上、掲載できなかったのは残念だ。政界を揺るがせた昨年の「大連立」騒動の仕掛け人の一人ともされ、89歳という年齢を感じさせないエネルギッシュな語り口に衰えぬ影響力の強さをかいま見た。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月1日

369片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/01(火) 17:55:36
上州政治風土記:/1(その2止) 群馬県政のあゆみ /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080101ddlk10010017000c.html

 ◆国内外の動き

1945・ 8 終戦

1947・ 9 カスリーン台風来襲

1950・ 6 朝鮮戦争勃発(53年7月休戦協定調印)

1951・ 9 サンフランシスコ講和条約に署名

        日米安全保障条約締結

1955・10 社会党が左右両派統一の党大会開催

     11 自由党と日本民主党の保守合同で自由民主党結成(自民、社会両党による55年体制成立)

1956・12 日ソ共同宣言発効

1960・ 6 新安保条約成立

1964・10 東海道新幹線開通(東京−新大阪間)東京オリンピック開幕

1970・ 3 大阪万博開幕

1972・ 2 連合赤軍「あさま山荘」事件発生

1976・ 7 受託収賄容疑などで田中角栄元首相逮捕(ロッキード事件)

1978・ 8 日中平和友好条約締結(福田内閣時)

1985・ 8 御巣鷹山に日航ジャンボ機墜落事故

1987・ 4 国鉄が民営化してJR誕生

1988・ 6 リクルート事件発覚

1989・ 1 昭和天皇逝去、元号が平成に

     11 ベルリンの壁崩壊(90・10に東西ドイツ統一)

1991・ 1 湾岸戦争(90・8にイラクがクウェート侵攻)

     12 ソビエト連邦崩壊

1993・ 8 非自民連立の細川内閣誕生、55年体制崩壊

1995・ 1 阪神大震災

      3 地下鉄サリン事件発生

1996・10 小選挙区制による初の衆院選

2001・ 9 米国で同時多発テロ発生

2002・ 9 初の日朝首脳会談

2003・ 3 イラク戦争開戦

2007・ 7 参院選で自民党大敗(民主党が参院第1党に)

     10 日本郵政株式会社発足

 ◆県政の流れ

1947・ 4 中曽根康弘氏が衆院選初当選

1952・10 中曽根、福田赳夫両氏が旧群馬3区で初対決

1963・11 小渕恵三氏が中曽根、福田、社会党・山口鶴男の3氏と同じ旧3区から初出馬。「花の3区」時代へ

1976・12 福田赳夫氏が首相就任

 ◇上州戦争始まる

 7月の知事選候補を巡り、自民党県議が現職の神田坤六、山本富雄(元農相、長男は参院議員の一太氏)、県連幹事長の室田直忠の3氏をそれぞれ推して分裂。山本氏擁立の福田系と神田氏続投の中曽根系との反目は特に激しく、これを機に約30年続く福中対立「上州戦争」が始まる。最終的には、関係者が「東京裁定」と語り継ぐ、長谷川四郎・県連会長による福田、中曽根両氏への説得で、“第4の男”清水一郎元県議を擁立した。

1982・11 中曽根氏が首相就任

1989・ 3 福田氏が引退表明。翌90年2月の衆院選で長男康夫氏が初当選

1991・ 7 田辺誠氏が社会党委員長に就任

1994・ 6 山口氏が村山内閣の総務庁長官として入閣

     11 衆院小選挙区の区割り法成立で群馬県は3区(定数10)から5区(同5)へ。当時7人の現職がおり、小選挙区と比例代表への割り振りが話題となる

1995・ 7 福田赳夫氏が死去

1996・ 7 中曽根氏が比例終身1位に

1998・ 7 小渕氏が首相就任

 ◇花の3区終わる

 7月、小選挙区制導入で中曽根、福田康夫、小渕3氏が出馬していた旧3区が4区、5区に分かれ、自民党の候補者調整が難航。17日に橋本龍太郎総裁名で、中曽根氏が比例代表、福田氏が4区、小渕氏が5区に回る裁定が示される。これに反発した中曽根氏後援会を、翌18日に加藤紘一幹事長が急きょ来県し説得。結局、3氏が肩を組み、協調と小選挙区勝利をアピールするポスターに納まり、中選挙区時代の“花の3区”に別れを告げた。

370片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/01(火) 17:57:28
2000・ 5 小渕氏死去

2003・10 中曽根氏が議員引退を表明

2006・ 1 民主党県連の不正会計問題が発覚。県連が分裂状態に

      3 福田、中曽根両元首相系県議2派が統合。「上州戦争」と称された福中対立が終結

 ◇福中対立が終結

 直接の引き金は07年参院選で群馬選挙区の改選数が2から1に減ったこととされるが、既に衆院選で小選挙区制が導入され、福中両派が激しく争う状況になくなっていた。さらに県議会で中曽根派の勢力が衰退。福田派に比し、圧倒的に政治力が低下したことも両派解消を促した。

2007・ 9 安倍晋三首相の突然の辞任を受け、福田氏が自民党総裁に就任。憲政史上初の親子宰相が誕生

 ◆歴代知事

 ※カッコ内数字は期数

1947〜48 北野重雄氏

1948〜52 伊能芳雄氏

1952〜56 北野重雄氏(2)

1956〜60 竹腰俊蔵氏

 ◇保守分裂で知事選

 知事選は、前年の保守合同で誕生した自民党が公認候補を擁立。これに反発した旧日本民主党系(保守合同で自民党)の竹腰徳蔵氏が出馬し、保守分裂選挙に。竹腰氏は投票日3日前に病死し、代理出馬した県職員の実弟俊蔵氏が当選した。

1960〜76 神田坤六氏(4)

1976〜91 清水一郎氏(4)

1991〜07 小寺弘之氏(4)

2007〜   大澤正明氏

 ◇保革入り乱れる

 約半世紀ぶりの保守分裂選挙となり、保革入り乱れた知事選を、清水氏以来31年ぶりの自民党公認、大澤正明氏が制した。多選批判で、5選を目指す小寺弘之氏を退ける。

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 ◇県民性の今昔 「かかあ」「保守的」2倍に−−黒須俊夫・群馬大教授が読み解く

 群馬大学などが82年と04年に実施した県民性に関する県民アンケートがある。両年を比べると「言葉が荒い」「義理、人情に厚い」などの回答率に大きな変化はない。だが「保守的」「かかあ天下」は約2倍に増え、際立った変化を見せている。

 この点を、04年調査を担当した同大社会情報学部の黒須俊夫教授は「『かかあ天下』は群馬を代表するキーワードだが、82年にはあまり自覚されていなかったようだ。04年の大きな増加は女性の社会進出が進んだ結果、自覚が促されたとみられる」と指摘する。

 元来「かかあ天下」は妻の実権が強い家庭を指し、「亭主関白」と対比されるが、女性が家庭から飛び出したことで「かかあ天下」が意識されるようになったというのは興味深い。まさに時代の変化と言えそうだ。

 「保守的」の変化も時代状況を反映しているようだ。特に政治状況が大きく左右している。

 80年代は保守対革新という構図の中で、自民党と旧社会党が対(たい)峙(じ)していた。現在、自民党が対峙する民主党は保守的傾向も帯び、かつての「革新」のイメージとはほど遠い。黒須教授は「当時は革新勢力に一定の期待があり、『保守的』との回答には政治的意味合いが強かったと見られる。04年は、既に県内では自民独占状態で、政治より富岡製糸場の保存運動に代表されるような文化・伝統的意味合いが強まったのでは」と話す。

 ※04年調査は、群馬大社会情報学部地域研究会などが、3000人を対象にし、回答者939人。82年は同大県民性研究会などが2300人を対象にし、1780人が回答した。

毎日新聞 2008年1月1日

371片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/04(金) 15:47:07
上州政治風土記・聞き書き:/2 松沢睦氏(77) 元自民党県議 /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080104ddlk10010166000c.html

 ◇応えた保守勢力、王国築く 情と理念で動く県民性

 昨年の知事選は、間違いなく群馬の県政史に残るね。「義理堅く、人情に厚い」という県民気質が大きく出た選挙だった。現職の小寺弘之さんは、過去4回、我々自民党が応援して、知事になった人。結局、我々の応援した理由や思いを無視して、「反自民」になった。まさに県民気質を逆なでしたから、自民党も怒ったんだよ。そして、どうにかして自分たち上州人の中から、知事を誕生させようと県内全体が奮い立って選挙をした。大変だったけれど、知事選に勝ち、群馬が自民王国であることを確認でき、改めて結束を強くした。もう二度とあのような選挙はないと思いますよ。

 群馬は長い間、我々福田赳夫さん側と、中曽根康弘さんの側で、激しく競い合ってきましたね。特に福田さんは、田中角栄さんの金権政治と戦った。78年に、大平正芳さんに負けた自民党総裁予備選でも、実際は田中さんにやられたんだね。負けて、どん底で地元に帰ってきたけれども、我々は「ここで踏ん張らなければ、金権政治に屈することになる」と、奮い立って次の衆院選でも福田さんを12万票でトップ当選させたんだ。中曽根さんだって、「日本を世界の一等国にせねば」と国家論を主張して、それに共感した人たちで強いグループを作った。2派の原動力は利権とか、利害とかそういうものではなくて、福田、中曽根という人物の持つ理念に強く共感していたということなんでしょうね。

 私自身も約半世紀、市議と県議を務めたけれど、常に県土発展のためにあるべき都市計画を主張してきた。高崎市長選に出馬した時も、争点は都市計画。市発展のためには、今のJR高崎駅の西と東を立体交差でつなげるべきだと主張した。でも西の商業者から「東に客を奪われる」と猛反対にあって、負けた。負けた後は、何もなくなってしまった。けれど、県議復帰を懸けた選挙では私の理念に共感してついてくれた多くの支持者が「また頑張ってこい」と物心共に大きな力を貸してくれ、トップ当選しましたよ。県議選に9回出たけれど、最初と最後以外はずっとトップ当選ですよ。群馬県民というのは情と理念で動く県民なんだ。そしてたまたま自民党の我々だけが、その情に応えてきたから、自民王国、保守王国ということになったのでしょう。

 県議会時代の私を、多くの県職員や同僚県議が怖がっていたようだね。それは私に理念があったからだよ。今の国会議員もそうだけれど、県議にも理念がない人がいるんじゃないかな。これじゃあ、県民はついてこないし、本来の保守の精神ではない。

 ◆聞き終えて

 ◇福田系のリーダー

 県議9期を務め、福田、中曽根両派による“上州戦争”では福田系のリーダー的存在だった。松沢氏は「義理人情に厚い」という県民性が保守土壌の根幹と言い切る。利権よりも、理念や情。福田氏のためにと、集票に専心してきた「選挙のプロ」の結論である、第1回で、中曽根康弘元首相は、県議会での自民党の圧倒的優位が保守王国の基礎だと指摘した。それに従えば、松沢氏の経歴は保守地盤の基礎中の基礎ということができる。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月4日

372片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/05(土) 22:25:14
上州政治風土記・聞き書き:/3 田辺誠氏(85) 元社会党委員長 /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080105ddlk10010139000c.html

 ◇進取の気性、現状への反逆心−−保革共通「県豊かに」

 現在、県内の衆院選挙区が自民党の独占状態になっているため「保守王国」と言われるが、群馬県が必ずしも政治的に保守的とは思っていない。私は父親が戦前から老人ホームを運営していたので「政治の力を借りなければ、社会福祉も前進しない」と考え、1955年、県議選に出馬した。今でこそ自民党が強いと言うけれど、当時は特に前橋は社会党勢力が強かった。社会党同士で当落を争っていた。自民党を強く意識するようになったのは国政に出てからです(60年の衆院選で初当選、以降12期)。

 福田赳夫首相のころ、77年末だが、党の国会対策委員長に就任し、どうしても福田さんに物を言わなければならない立場になった。これを契機に公私にわたって話し合う機会が増えたが、福田さんは頭が良く政治的感覚が鋭かった。典型的な上州人で、顕著に出たのが78年の総裁選だった。国会議員による本選挙では優位と見られながら、党員投票の予備選で負けた時「天の声にも変な声がある」と言って退いてしまった。どこか人間味のある人で、ここが上州人の特徴で、内村鑑三の言う「剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)で、欺かれやすい」ところだろう。

 中曽根康弘さんが首相の時は、私は党書記長だった。「防衛費はGNP(国民総生産)1%以内」という三木(武夫首相)ドクトリンを突破しようとする「中曽根」と、それを阻止しようとする「田辺」ということで、約3年間、予算委員会を舞台に論争した。この人もやはり強情我慢な上州人。戦争体験を色濃くにじませ、1947年の初出馬からの思いを貫いていた。それは「日本は独立国。世界に冠たる優れた国」という気概だった。小派閥を率いて波乱を起こす「風見鶏」とも揶揄(やゆ)されたが、ご自身の秩序、政治家としての思いを通してきた人です。

 福田康夫さんが群馬県4人目の首相になったことは、政党は違うけれど、県民としては非常に喜ばしい。なぜ4人も輩出したのか。理由を一つに結論づけることは難しいが、南北朝時代の武将、新田義貞以来の進取の気性と国定忠治に代表される現状への反逆心などを群馬県の政治家は持ち続けてきたということではないだろうか。

 さらに加えるならば、土地がやせた非常に貧しい県ということがある。火山灰土の土地柄は米作だけでは耐えられず、裏作で麦を作ってしのいだ。政治の力で何とかして豊かにしたい。この思いは保革双方の政治家に共通していたとも言える。

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 ■聞き終えて

 ◇民主党設立に参画

 田辺氏は群馬を政治的に保守的ではないという。貧しい農業県を豊かにしたいとの願いは保革双方が共有し、社会党勢力も根強い支持基盤があったとの指摘は強く響いた。だが、同党はその後、社会民主党に改称。田辺氏は大半が流れた民主党の設立に参画。同党県連顧問として不正会計問題の裁定を任されたが収拾を図れなかった。訪ねた理事長を務める老人ホームで「私ももうここの入所者と同年代かそれ以上になった」と述べた姿が印象深い。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月5日

373片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/08(火) 17:50:25
上州政治風土記・聞き書き:/4 山口鶴男氏(82) 元社会党書記長 /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080108ddlk10010333000c.html

 ◇思想の幅広さ、自民の強み−−社会党消え保守王国

 私の選挙区だった衆院群馬3区は、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三と3人の首相を輩出し、小選挙区制導入後は旧3区から割れた4区の福田康夫さんが首相になった。同じ選挙区から4人もの首相が出ることは今後もないだろう。

 初出馬の1960年(以降11期)には、既に福田、中曽根両氏が激しい選挙戦を繰り広げていた。それぞれ支持層が異なり、私は所属政党も違っていたので、今で言う無党派層の支持獲得に向け、政策論戦し、競い合った。福田さんも中曽根さんも政策に明るく、独自の考えを持っていたから政策を掲げ挑んでいった。この2人との論戦が私の社会党内での位置づけ、現実路線というポジションを決めたのだと思う。

 旧3区は福田、中曽根の2人に社会党の私と、個性の強い選択肢があり、有権者は政治的に舌が肥えていた。それぞれの政策の良しあしを吟味できる有権者から支持を集めるのは非常に難しく、いかに福中の激しい競い合いの中で埋没しないようにと踏ん張った。

 福田赳夫さんとは公私共に親しくさせてもらった。国会内の理髪店で席を並べて散髪しながら、県政や国政について語り合いもした。同じ上州人なので気脈というか、通じるものがあったからね。福田さんは県民性でもある淡泊さ、ひょうひょうとした雰囲気が立場の違いを超えて、多くの人を引きつけた。

 同じ上州人であっても中曽根さんとは付き合いはありませんでした。社会党の伸長を抑え込むため、我々の支持基盤である総評を衰退させようと、国鉄の分割民営化を実行した人ですから、まったく相いれなかった。

 自民党の強さは、群馬に限らず、思想に幅があったからだと思う。保守政党と言っても、護憲、改憲双方の考えの人がいて、経済政策でも開放論者から保護主義的な人までさまざまいる。その多様さが派閥を作り、人材も豊富にした。県内の自民党の国会議員をみても、福田さんと中曽根さんがそうだったように、考えが極端に違う人がいる。これが大多数を占める中間層、中流層から支持を得て、第1党であり続けた理由だと思う。

 今でこそ、群馬は保守王国と言われるけれど、一言で言えば、社会党がなくなったからだ。93年の細川政権の誕生で、55年体制が崩れ、社会党は政権にも参加し、歴史的役割を終えた。その後、多くが民主党に流れたが、県内の民主党勢力は、いまだ統一されておらず、人材も不足している。人材が育たないと、なかなか自民党には勝てないだろう。

 ■聞き終えて

 ◇自社さ連立で入閣

 旧3区で福田、中曽根両氏と争ってきた山口氏は、2人に代表される思想の幅の広さが自民党の強さだと言った。そして、社会党の消滅、民主党勢力の不統一が群馬の保守王国化を促進させたという。05年に脳出血で倒れたが、質問に答える言葉には、かつての国会壇上での力強さがあった。自社さ連立の村山内閣で総務庁長官を務め、96年に引退を表明。だが、社民党から請われて00年衆院選に5区から出馬し、小渕氏の次女優子氏に破れている。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月8日

374片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/11(金) 16:05:53
上州政治風土記・聞き書き:/5 元宿仁氏(62) 自民党本部事務総長 /群馬
 ◇“義理人情”政治に不可欠−−保守支える地域の絆

 自民党職員として約40年、私には常に「義理人情」という上州人気質がありました。お付き合いを大事に、人を裏切らず、人の意見をしっかり聞く。そこには相手を思いやる真心が必要で、私にとって、それが義理人情です。例えば、外部から既に把握している情報を提供されても、しっかり聞く。そして感謝して、こちらからも情報を提供する。「それはもう知っているよ」と言ってしまえば、相手は何も話してくれなくなり、信頼も薄れる。議員さんがいい政治をするには情報は不可欠。情報を手に入れるには信頼されることが大事で、義理人情に厚くなければならない。

 群馬から戦後4人の首相が出たのは上州人の使命感の強さを時代が求めたからだと思います。福田赳夫先生は当時の経済と財政を立て直し、中曽根康弘先生は緊迫した冷戦下の外交に尽力された。小渕恵三先生は野党の意見も取り入れ景気回復に頑張られた。福田康夫先生はこれからですが、4人とも使命感の強さは共通している。

 群馬は東京から100キロ圏内。日帰りも通勤も可能で「東京」になる必要がない。だから、古き良き風習の残る田舎が廃れず、地域の絆(きずな)が保たれ、保守の風土を今もはぐくんでいるのでしょう。私の故郷川場村では戦後、燃料不足のため、風呂を沸かす日には近所に声を掛け、順に入浴する「もらい湯」の習慣がありました。今はないでしょうが、山間では現在も共同湯があり、子供から年寄りまでが常に裸の付き合いをしている。田舎には生活の中に地域がある。保守王国を支えているのはこんなところではないでしょうか。

 また、自民党県連の女性部の強さは他県に秀でている。同じ選挙区で切磋琢磨(せっさたくま)された福田、中曽根両先生も女性に人気があり、強力な婦人組織を持っておられた。絹糸業の盛んな群馬では女性が家計を握り「かかあ天下」と言われ、家庭での女性の発言力は日本一強く、保守王国の選挙も支えてきました。

 私個人がインタビューを受けるのは、たぶん初めてですよ。ずっと裏方でしたから。だから世間の“裏”が私にとっては“表”。これまで多くの国政の難局があり、その度に裏で総裁を支えてきました。公にされていないことも多々あります。それを今、私が話すと政界への影響が大きすぎる。知りすぎていますから。だから裏話は一切話さない。これは私が事務総長の立場を離れた後も同じです。墓場まで持っていきますよ。上州人の使命感にかけてもね。

 ■聞き終えて

 ◇裏方に徹して40年

 元宿氏は川場村の山間で生まれ、周囲との助け合いの中で幼少時を過ごした。群馬の保守性は古き良き習慣や地域の絆がはぐくんできたと力説する。「裏方」に徹した人生。穏やかな語り口に迫力を併せ持つ。参院選の敗北を「地方軽視」とされた自民党は今、都市と地方の格差是正に力を注ぎ始めている。事務方トップの言葉は党の現状を反映したかのようにも聞こえた。4年前、出版した「山里のガキ大将」は故郷への思いを語り、政治を語っていない。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月9日

http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2008/01/09/20080109ddlk10010369000c.html

375片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/11(金) 16:06:29
上州政治風土記・聞き書き:/6 横澤彪氏(70) 元吉本興業専務 /群馬
 ◇強固な自信が保守意識−−歴代首相は「名演出家」

 生まれは前橋市内の広瀬川沿いらしく、3歳までいたようです。新聞記者をしていた父の前橋赴任中に生まれたわけですね。群馬の記憶はほとんどないけど、今でもプロフィル欄には「群馬県出身」と書いている。出自は変えられませんから。フジテレビ入社後、群馬出身の友人も多くて「横澤さんも群馬ですね」と、親近感を持って接してくれた。だから、結構「自分も群馬人なんだ」っていう思いはあるんです。

 最近はテレビの影響でしょうか、県民性が薄れてきたと言われている。特に「東京圏」の関東地方はどんどん特色を薄めている。その中で群馬、茨城、栃木の北関東3県には、まだ幾分カラーが残っていますかね。

 県民性は残さなくちゃいけないと思うんです。全部が一緒になってはいかんと思う。地域性は今に始まったものではないから非常に大事。同じ社会システムが継続した江戸300年に培われ、積み重ねられたものですから。だから、ちょっとやそっとで変わるものではないし、変わってもいけない。

 4人の首相を生んだ群馬県は政治を通して県民性を見ることができる。普段、私が群馬を意識するのも政治の場面が多い。80年代に制作したバラエティー「オレたちひょうきん族」で「赤城の山も今宵かぎり」なんて国定忠治のコントをやってたころ、中曽根康弘さんが首相でした。サミット(主要国首脳会議)で、当時のレーガン米大統領やサッチャー英首相を両脇に従えて記念写真に収まったり。ああいう構図は中曽根さんが初めてじゃないですか。国民は「すごい」と思ったでしょ。

 福田赳夫さんも「演出家だなあ」と思って見てた。福田さんは「昭和元禄」「狂乱物価」などと、うまいキャッチコピーで国民を引きつける力があった。小渕恵三さんもその辺りはなかなかで、首相在任中の農家視察の折、カブを両手に「株上がれ」なんてやってた。景気回復をパフォーマンスで訴えたわけです。3人とも記憶に残る首相です。

 福田康夫さんも何か妙に味わいがある。記憶に残るかは、これからですがね。私はこうした政治家を「群馬の人だな」と県民性を感じながら見ています。

 群馬は養蚕や織物、温泉もあって自立的な経済が繁栄してきた。その一方で弱きを助け強きをくじくという任侠(にんきょう)の上州気質がある。政治家を見る時、独立独歩の基盤があるから、強い自信を持って「演出家」になれるのだと思える。群馬の保守意識の強さも同じ基盤の上にあるのではないでしょうか。

 ■聞き終えて

 ◇お笑い番組を制作

 フジテレビプロデューサーとして、数々の人気お笑い番組を制作してきた人物が、薄らぐ県民性はテレビの影響だと指摘した。その上で「県民性は残さなければ」と力説したのは意外だった。群馬の歴代首相を名演出家と評し、独立独歩の精神や経済の自立性という県民性が保守意識を生み出したと論じた。連載の中では異色のテレビマン。インタビューにはソフト帽をかぶり登場。終始にこやかに群馬を語ってくれた。現在は鎌倉女子大学教授でメディア論を講じている。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月10日

http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2008/01/10/20080110ddlk10010106000c.html

376片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/11(金) 16:06:53
上州政治風土記・聞き書き:/7止 見城美枝子氏(61) ジャーナリスト /群馬
 ◇地縁血縁が作る保守基盤−−東京遠く独自性生む

 群馬が「保守王国」というのは、政治的に東京化していなかった表れでしょう。群馬の保守風土は地縁・血縁が強く、これが選挙に大きな影響を与えています。東京は全国から多くの人が集積し、移り住んでいるため、地縁・血縁が薄く、選挙でどのような投票行動を起こすか予測できない。この点が保守と革新・非自民双方の都知事を生んでいることに出ています。

 隣接する埼玉、千葉、神奈川3県は地下鉄網などでつながり、商圏、生活圏も東京と一体化し、埼玉県民が都知事選に強い関心を持つほど、政治的にも一体化している。

 しかし、群馬は同じ関東圏でも、東京に取り込まれるような地理的位置ではない。東京からは3県よりも遠距離にある。埼玉や千葉なら都内の大学に自宅から通えるが、群馬になると、通っても東京に長居はできない。通勤はなおさらです。確かに昔より交通は便利になったけど、ちょうど下宿を考える位置。この距離が群馬独自の保守意識、政治的土壌を形成したと言えるのだと思います。

 私の出身の館林は高崎や前橋ほど、福田・中曽根両派による「上州戦争」の影響は強くない地域でしたが、それでも子供のころを振り返ると、投票日は開票結果を待つ人たちで、街中が夜通し明るくにぎやかだった。特に当時の群馬県民は絶対的な保守、純粋な保守で、選挙では地縁のない人は勝てないし、まして革新候補など勝つ見込みはなかった。

 群馬県民は大部分が、地縁・血縁の強い影響の下、保守系無党派層と自民党支持派層の2層に分かれている。衆院選が中選挙区制だった時代は複数の自民党候補同士が一つの選挙区でこの2層の支持獲得を競った。

 しかし、55年体制の崩壊と1党1候補という小選挙区制の導入で、2大政党の時代、政党間対立の強い状況になってきた。特に旧社会党に代わって自民党と対立する民主党は旧来の革新政党ではないので、保守系無党派層の選択肢にもなった。これが年金未納問題などで自民党に逆風の吹いた04年参院選で、民主党新人が自民党現職2人をはねのけトップ当選したことにも表れているといえます。

 現在も04年と同じような状況で、年金記録の「名寄せ」作業の遅れは政府の公約違反と受け止められている。またも年金問題。次の衆院選でも保守系無党派の動向が鍵になるでしょうが、まったく結果は予測できません。=おわり

 ■聞き終えて

 ◇参院選に出馬経験

 TBSアナウンサー出身のジャーナリストで、テレビ番組のコメンテーターとして活躍している。初対面の印象は腰の低さ。正直なところ、こちらが恐縮してしまった。4議席に72人がひしめいた95年の参院選東京選挙区に無所属で出馬。落選はしたが、39万票を獲得し、6位と健闘。その選挙体験が「次期衆院選は保守系無党派層の動向が鍵」と分析させるのだろう。青森大社会学部教授も務め、メディア論、環境問題などの教べんを執る。【木下訓明】

毎日新聞 2008年1月11日

http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080111ddlk10010200000c.html

377片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/01/23(水) 01:02:34
選挙:衆院選 民主、業界団体に推薦要請の方針 /栃木
 民主党県連は21日の幹事会で、次期衆院選に向け自民党が支持基盤としてきた業界団体に対し、推薦要請していく方針を決めた。「政権交代を目指す以上、幅広く政策を理解してもらう必要がある」(佐藤信幹事長)と判断した。

 県連としての推薦要請は初の取り組み。県内に約200ある業界団体に対し「正面からお願いに行く」ことで、自民党の支持母体の切り崩しを図る。また、人脈が薄い新人候補を県連としてサポートする効果も期待している。

 一方、幹事会では11月に任期満了となる宇都宮市長選についても対応を協議。候補者擁立を目指し、2月中に9人で作る選考委員会を発足させることを決めた。【沢田石洋史】

毎日新聞 2008年1月22日
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20080122ddlk09010493000c.html

378片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/02/24(日) 14:41:23
自民県連:7万人の党員獲得目標−−定期大会 /茨城
 ◇社民県連も定期大会 井坂氏が新代表に

 自民党県連は23日、水戸市内で定期大会を開いた。県選出の国会議員も壇上に顔をそろえ、次期衆院選に向けて、県連として7万人の党員獲得を目標とする、などの活動基本方針を決めた。

 県連の党員は約5万8000人で全国2位。山口武平会長は「来るべき選挙に向けて、皆さんの特段のご理解と努力をお願いしたい」などとあいさつした。

 また同日、社民党県連も水戸市内で定期大会を開いた。大里八郎代表(69)が退任し、ひたちなか市議の井坂章副会長(59)が新代表に就任する役員改選を承認した。次期衆院選で県連として候補者1人の擁立に努力する方針も確認した。【立上修】

毎日新聞 2008年2月24日
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20080224ddlk08010015000c.html

379片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/03/21(金) 03:24:42
選挙:衆院選 選挙区ごとの代表世話人決定−−自民県議団 /群馬
 自民党県議団は19日、衆院小選挙区ごとの各県議団の代表世話人を決めた。1区=中村紀雄氏(前橋市・勢多郡区)▽2区=田島雄一氏(伊勢崎市区)▽3区=金田克次氏(太田市区)▽4区=関根圀男氏(高崎市区)▽5区=南波和憲氏(吾妻郡区)。

 また、市町村合併により県議選選挙区と小選挙区の間にねじれが生じ、責任体制があいまいになりかねない地区は、実情に応じて5人の連絡係を決めた。

 4月に同党県連の郡市支部長会議を開き、各選挙区や支部ごとの体制を確認する方針。【塩崎崇】

毎日新聞 2008年3月20日
http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2008/03/20/20080320ddlk10010159000c.html

380片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/04/11(金) 11:50:01
知事選の対立解消へ新組織
 大沢正明知事の後援会「清明(せいめい)会」の設立発起人会が十日、前橋市内のホテルで開かれた。出席した政財界関係者ら約二百二十人の中には、昨年七月の知事選で小寺弘之前知事を支援した人々の姿もあり、知事選のしこりが融和に向かいつつあることをうかがわせた。六月に設立総会が開かれ、正式発足する。

 大沢知事が旧新田郡内にしか後援会を持っていなかったため、支援態勢を全県に拡大する。事務所は前橋市内に置き、支部を郡市別に置く方針。発起人は二百六十二人で、十九人の設立準備委員には南波和憲自民党県連幹事長代行のほか、松浦幸雄高崎市長、曽我孝之前橋商工会議所会頭、奥木功男JA群馬中央会会長らが名を連ねている。

 松沢睦前県議(自民)が発起人を代表してあいさつ。会の設立がこの時期までずれ込んだ理由について、「できるだけ(知事選の)しこりを取り除くため時間をかけた」と説明した。

 知事選で小寺氏を支援した政治団体の会長を務めた曽我会頭は「団体の長として県の発展のために寄与していくのがわれわれの責務。新しい知事を心一つに支えていく必要があると考えた」と話した。

 大沢知事は「支えていただく会ができ、感激の極み。私自身、わだかまりは全くない」と話した。
http://www.raijin.com/news/a/11/news01.htm

381片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/04/19(土) 16:49:44
早川・共産県議が離党届
「党県幹部から暴言受けた」

 共産党の早川昌枝県議(68)(前橋市・勢多郡区)は18日、県庁で記者会見し、同日、同党県委員会に離党届を提出したことを明らかにした。県議は無所属で続け、5月から新たな1人会派を結成するという。同党の県議は早川氏1人のため、県議会での同党の議席はゼロになる。

 離党の理由について、早川氏は、昨年4月の県議選の選挙戦術や、相談者の借金の連帯保証人となったことによる早川氏の負債などを巡り、「党県幹部から暴言を受け、傷ついた。これ以上、党で活動することは精神的に限界」と述べ、今後については「自分を頼る相談者のためにも最後の任期を全うしたい」とした。

 同党の小菅啓司・県委員長は、「ご心配をかけて申し訳ない。引き続き、話し合いを続け、解決に全力を挙げる」とする談話を発表した。

(2008年4月19日 読売新聞)群馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080418-OYT8T00917.htm

382片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/04/21(月) 01:46:05
小寺氏団体発会
 小寺弘之前知事が代表を務める文化振興団体「緑と風の会」の発会式が19日、前橋市内で開かれ、高木勉・元副知事や後藤新・元県知事室長を始め、岩上憲司、角倉邦良両県議ら小寺氏を支えた元県幹部や県議、企業関係者ら約270人が集まった。小寺氏はあいさつで、球根を地中深く植えて開花が遅れたチューリップに自らを置き換え、「ほかの花が咲かなくなったころ咲く。人生も遅咲きだっていい」と、昨年7月の知事選後の心境を披露。今後は講演会などを通じた人材育成に力を入れるといい、「どう生きていくかをみんなで勉強し合う、精神復興運動のようなことをやっていきたい」と述べた。

 そのほか、会場では高橋康三・上毛新聞社長の講演や参加者同士の交流会が行われた。

(2008年4月20日 読売新聞)群馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080420-OYT8T00095.htm

佐田建設社長に荒木氏
 県内建設大手の佐田建設(前橋市)は18日、旧建設省出身の市ヶ谷隆信社長(66)が相談役に就き、後任に生え抜きの荒木徹常務(59)が昇格する人事を発表した。6月の株主総会後の取締役会で正式決定する。

 市ヶ谷氏は2004年、経営不振に陥った同社が取引先の金融機関から総額132億円の債務免除を受けるなどの再建計画の始動に合わせて社長に就任。同日、県庁で開いた記者会見では、「債務超過は解消し、黒字を出す一定の収益構造ができた。次の段階に進むには生え抜きのリーダーが適任だ」と退任の理由を述べた。荒木氏は「公共工事の減少や鋼材価格の上昇などで、かじ取りは難しい」とした上で、「どの営業に注力するか、群馬の会社ではあるが、柔軟に対応したい」と述べ、県外での営業も積極展開する方針を示した。また、早期に株式の復配を目指す考えも明らかにした。

(2008年4月19日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080418-OYT8T00921.htm

383片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/04/29(火) 16:11:14
県議会 2会派統合へ 労組系と前知事系
2008年04月29日 群馬

 県議会の第2、3会派の「フォーラム群馬」(5人)と「スクラム群馬」(4人)が28日、5月1日付で統合し、新たな会派「リベラル群馬」を発足させると発表した。最大会派の自民党(32人)に規模は遠く及ばないが、「野党的会派」としての存在感は増しそうだ。


 昨年9月から話し合いを始め、28日朝に最終的に合意した。フォーラムの代表、黒沢孝行県議と、スクラムの代表、岩上憲司県議が共同代表を務める。


 統合の主な狙いは(1)異なる支持基盤を持つ会派が一緒になることで、より多様な声が取り込めるようになるほか、柔軟な議論も可能になる(2)県議会での存在感を高める――の2点。


 フォーラムは労働組合を支持母体とした会派で、5人のうち3人が民主党籍を持つ。スクラムは小寺弘之前知事に近い立場の議員が、昨年の県議選後に結成した会派だ。昨夏の知事選ではいずれも小寺前知事を支援し、県議会では、議長人事案提出や八ツ場ダム計画変更同意案採決で行動を共にした。


 リベラル群馬への移行後は、採決で党議拘束はせず、各種選挙における身の処し方についても互いに縛らない方針という。

http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000000804290005

384片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/04/29(火) 16:18:52
県議会:労組系と前知事派系統一、9人で新会派「リベラル」 /群馬
 県議会の民主党労組系などで作る「フォーラム群馬」(5人、黒沢孝行代表)と、昨夏の知事選で小寺弘之前知事を積極的に支援した「スクラム群馬」(4人、岩上憲司代表)は28日、統一会派を結成すると発表した。新会派名は「リベラル群馬」で5月1日に結成届を提出する。

 知事選で小寺氏が大澤正明知事に敗れ存在意義が薄れたスクラムと、支持層が労組系に偏っているフォーラムが合流することで補完しあい、影響力の強化を目指す。

 ただ、今年2月定例会で道路特定財源の継続を求める意見書の採決に際し、両会派から1人ずつが退席、ほか7人が賛成するなど、メンバー間には個別の政策をめぐる不一致もある。労組系と保守系無所属の県議らが共存できるか、今後の会派運営が注目される。

 黒沢氏は28日の記者会見で「まとまっていけばより県民の負託に応えられる」と主張、岩上氏は「政党の垣根を越え新しい感覚で作った」と強調した。

 大澤県政に対しては「是々非々で臨む」としつつ、黒沢氏は「個別の政策で分かれることはある」と必ずしも一致して行動しない可能性を認めた。また各県議の事情に配慮し、国政選挙などで対応を拘束しないことも確認している。

 自民党県議団(32人)を束ねる南波和憲・同党県連幹事長代行は「両者の考えはかなり違う。会派の本質は何だろうと思う」と批判し「自民党としては変わりない」と議会運営上の影響はないとの認識を示した。【塩崎崇】

毎日新聞 2008年4月29日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080429ddlk10010016000c.html

385片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/18(日) 22:35:20
自民県連笹川会長8期目に
「一致団結首相支える」


会議冒頭であいさつする笹川尭県連会長(15日、高崎市内で) 自民党の国会議員と県議が15日、高崎市内で会合を開き、笹川尭衆院議員の県連会長続投を決定した。任期は1年。笹川氏は8期目となる。

 笹川会長は決定後、「一致団結して態勢を整え、福田首相を支えていこう」とあいさつした。会合後、記者団には、道路財源関連法の衆院再可決を振り返り、「衆院議院運営委員長として“福田丸”を転覆させないため、体をはって再可決した。次期総選挙は12月ごろではないか」と語った。

 この日の会合では、知事選での対応への不満から、党本部に県連が公認申請しない方針となっている尾身幸次衆院議員と中曽根弘文参院議員について、近く関係修復のための懇親会を開くことが提案され、了承された。また、総選挙対策として、昨年4月に引退した松沢睦前県議らで作る「顧問団会議」を新設し、今後の県連運営に助言を求めることも決まった。

 空席の幹事長は、22日に県議の中から選挙で選ばれるが、南波和憲幹事長代行(吾妻郡区)以外に立候補の動きはない。

(2008年5月16日 読売新聞)群馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080516-OYT8T00077.htm

386片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/19(月) 00:28:43
自民党県連:笹川氏の会長続投、正式決定 /群馬
 自民党県連は15日、高崎市内で国会議員と常任役員(県議)の合同会議を開き、笹川尭衆院議院運営委員長=衆院群馬2区=の続投を正式に決めた。笹川氏は8期目で任期は1年。幹事長など県議が務める県連役員や県議会の議長候補は、22日の県議団総会と役員選考委員会で決定する。

 会議後、笹川氏は記者団に「近くあるとみられる衆院選が(県連運営の)一番の課題」と述べた。ただ、尾身幸次前財務相=衆院比例北関東ブロック=は「みなさんの意見もあるので(笹川氏の会長続投に賛成した)。長いから交代した方がいいという意見は変わらない」と述べるなど、昨年の知事選をめぐる県連内のしこりは残ったままだ。【塩崎崇】

毎日新聞 2008年5月16日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080516ddlk10010141000c.html

387片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/23(金) 12:40:50
自民県連:議長候補に腰塚氏 幹事長は無投票で南波氏 /群馬
 自民党県連は22日、役員選考委員会(田島雄一委員長)と県議団総会を開き、議長候補に腰塚誠氏(60)=桐生市区、5期=を、副議長候補に小野里光敏氏(67)=利根郡区、3期=を選んだ。29日の本会議で正副議長に選出される。幹事長は、南波和憲氏(60)=吾妻郡区、4期=の他に立候補者がなく、無投票で決まった。南波氏は「次期衆院選に備え体制を確立したい」と組織の引き締めを強調した。

 このほか、総務会長に金子一郎氏(58)=前橋市・勢多郡区、3期、政調会長に久保田順一郎氏(55)=邑楽郡区、同、県議団長に須藤昭男氏(47)=みどり市区、同、筆頭副幹事長に平田英勝氏(66)=高崎市区、2期=をそれぞれあてた。

 また選挙対策部を見直し、衆院小選挙区ごとに3期以上の議員を責任者として置くことにした。さらに県連青年部と女性部の育成を強化する方針を示し、衆院選に向けた組織力の拡充を明確に打ち出した。

 昨年夏の知事選を巡り、次期国政選挙で尾身幸次前財務相と中曽根弘文元文相の公認を求めない方針を県議団が決めたことについて、南波幹事長は「(県議団と両氏の関係は)氷解していくと信じている」と述べた。

 自民党県連の新執行部が固まったことについて、9人が所属する第2会派「リベラル群馬」の黒沢孝行代表は「人が代わったポストもあるが、特に対応に変化はない」と話した。【伊澤拓也】

毎日新聞 2008年5月23日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080523ddlk10010011000c.html

388片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/24(土) 11:40:48
県議会ポスト自民独占待った
 県議会の第2会派「リベラル群馬」(9人)は23日、自民党(32人)が独占している議会の正副委員長などのポストの一部を他会派に譲るよう、週明けに議長らに要請する方針を固めた。リベラル群馬は5月1日にフォーラム群馬とスクラム群馬が合流した会派で、議会内での発言力を高めるのが狙いとみられるが、自民党は拒否する方針だ。

 自民が過半数を占める状態が続いてきた県議会では、議長、副議長のほか、6常任委員会、5特別委員会、議会運営委員会などすべての正副委員長ポストを自民が独占するのが慣例となっていた。第2会派が委員長などのポストを正式に求めるのは極めて異例。

 リベラルの岩上憲司代表は取材に対し、「1会派の独占では幅広い県民の声に応えられない」と理由を説明。「他県の議会でも他会派に配慮しているのが多数。比例配分をするべき」とする議員もおり、書面で議長と自民党役員に要請する予定としている。

 読売新聞が、本県と会派構成が似ている全国の10県議会に、常任・特別委の正副委員長の配分を聞いたところ、茨城、栃木、愛媛の3県で自民が独占。新潟など7県では他会派に割り当てていた。自民31人、第2会派6人で本県より差がある山形では、10ポストのうち三つを非自民が務めていた。全国都道府県議会議長会事務局の昨年の調査では、正副委員長を1会派が独占しているのは全国で本県を含め7県だった。

 一方、自民党は22日、すべての27ポストの正副委員長候補の名簿を発表しており、南波和憲県連幹事長は「(リベラルは)自民の半分の議席にも満たない。(第2会派の)人数が増えたというだけではポストを譲る理由にならない」と話している。

(2008年5月24日 読売新聞)群馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080524-OYT8T00027.htm

389片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/05/28(水) 10:07:15
自民県連:笹川氏が会長続投 知事選しこり解消へ努力 /群馬
 自民党の県選出国会議員は13日、東京都内のホテルで会合を開き、笹川尭衆院議院運営委員長(72)=衆院群馬2区=の県連会長続投で合意した。15日に国会議員と県議が会議を開き正式決定する。笹川氏は連続8期目で任期は1年。

 県連内では続投に意欲を示していた笹川氏に対し、次期国政選挙の公認問題をめぐり対立する尾身幸次前財務相(75)=衆院比例北関東ブロック=と中曽根弘文元文相(62)=参院群馬選挙区=が異論を唱え、話し合いで決着にこぎ着けるか注目されていた。両氏の公認問題は今後、県議も交え解決に向け努力することも確認した。

 昨年7月の知事選には同党公認で大澤正明氏(現知事)が出馬、笹川氏は、支援が不十分なら国会議員も次の選挙で公認しない方針を打ち出し選挙戦を展開した。

 大澤氏の当選直後に、笹川氏も立ち会う中で県議が無記名投票を行い、尾身氏と中曽根氏の支援が不十分だったとして両氏の公認を県連として求めない方針を決めた。

 13日の会合で笹川氏は「県議は(知事選で大澤氏の支援を)死にもの狂いでやった。もう少し手伝ってもらいたかった」と改めて両氏を批判。しかし、山本一太氏(50)=参院群馬選挙区=が「笹川氏の気持ちは分かるが、2人を公認しないのは現実的ではない」と発言。他の議員からも県議との関係修復を求める声や、福田内閣を支えるため県連の結束を乱すべきではないなどの意見が出た。最後は谷津義男元農相(73)=衆院群馬3区=が笹川氏の続投を提案し、了承された。

 また、県連の新執行部発足後、谷津氏が呼びかけて国会議員と一部県議が集まり、両氏の公認問題などを話し合うことにした。

 終了後、尾身氏は「ほかの先生が、『(公認問題は)円満に解決すべきだ』と言った」と述べた。笹川氏は「(両氏の公認問題も含め)話し合う場を作る」とした。

 この日の会合は谷津氏が呼びかけ、福田康夫首相を除く衆参両院議員7人が出席。15日に高崎市内で開かれる国会議員と県連常任役員(県議)の合同会議で、谷津氏が笹川氏を次期会長に推薦、了承される見通し。【塩崎崇】

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 ◆自民党県連をめぐる動き◆

07・ 4・23 笹川会長の7期目続投を決定。

    5・25 自民党が大澤正明氏を推薦から公認に格上げ。自民党が知事選に公認候補を擁立したのは全国でも11年ぶり。

    7・22 知事選で、大澤氏が小寺弘之氏の5選を阻止。

      29 参院選比例代表で、尾身氏の長女、朝子氏が落選。

    8・ 4 県議が無記名投票を行い、次の国政選挙で尾身、中曽根両氏の公認を求めない方針を決定。

   10・ 4 県連幹事長(当時)の金子泰造県議(当時)の前橋市長選出馬が決定。

   11・15 県連が金子氏を推薦。笹川氏は「県都だから知事選同様に力を入れる」。

      27 前橋市内で開いた県連の政治資金パーティーで尾身、中曽根両氏も、金子氏支援をアピール。

08・ 1・ 4 尾身氏後援会の新年会で、尾身氏系の県議が「(衆院1区に含まれる)前橋市・勢多郡・利根郡・沼田市選出の県議は、尾身氏の公認を内諾している」と発言。

    2・17 前橋市長選で金子氏落選。尾身氏の公認問題を問われ笹川氏は「(結果は)関係ない。(尾身氏も)一生懸命やった」。

    5・13 福田首相を除く県選出国会議員が会合。笹川氏の県連会長続投で合意。

      15 国会議員と県連常任役員(県議)が合同会議。笹川会長続投を正式決定の見通し。

毎日新聞 2008年5月14日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080514ddlk10010051000c.html

390片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/06/15(日) 16:11:41
民主党県連、政権交代に向け結束確認
(6月15日 05:00)
 民主党県連(代表・簗瀬進参院議員)は十四日、宇都宮市で定期大会を開き、次期衆院選に総力を挙げて取り組むことを確認した。同県連は現在、三区を除く一−五区で四人の候補者を擁立する予定で、政権交代に向け結束を強めようと気勢を上げた。

 大会には同県連代表代行の谷博之参院議員、山岡賢次、福田昭夫両衆院議員のほか支持者ら約二百二十人が出席。簗瀬代表は「自民党に政治を任せると格差が拡大する。政権交代で直さなくてはならない」などとあいさつ。次期衆院選で「最低でも衆院議員を四人にしよう」と結束を呼び掛けた。

 また十一月にも予定される知事選や宇都宮市長選などの候補者擁立に取り組んでいくことを確認した。

 大会には五月の鹿沼市長選に無所属(民主、社民推薦)で初当選した民主党県連元幹事長の佐藤信氏も来賓として姿を見せた。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/morning/news/20080614/13010
栃木

391片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/06/24(火) 20:19:25
揺れる保守王国:群馬政界事情/1 福中一本化から2年 /群馬
 ◇対立封印、功罪半ば
 「長いから代えた方がいい」。今年5月13日早朝、東京都千代田区のホテルの一室に福田康夫首相を除く県選出の自民党国会議員が顔をそろえた席上、尾身幸次・前財務相の声が響くと、会場に重苦しい雰囲気が漂った。

 この日の議題は改選期を迎えた県連会長人事。谷津義男・元農相が笹川尭・衆院議院運営委員長の県連会長続投を提案したのに、尾身氏が異を唱えた。

 会の話題はおのずと、尾身氏と中曽根弘文・元文相の公認問題に及んだ。昨年7月の知事選で尾身、中曽根両氏の貢献が不十分だったとして、県議団は8月初めに投票を行い、次期国政選挙で党本部に両氏の公認を求めない方針を決めた。

 投票を主導したのは笹川氏。この日も、笹川氏は「できれば県議に説明してほしい。選挙になれば県議の世話になる」と持論を展開。一方、中曽根氏も「それはおかしい」と引かなかった。

 約40分で朝食会は終わり参加者は永田町へと散った。結局、県議団とのしこりを解消するための話し合いの場を設けることと、笹川氏の会長8期目続投を、尾身、中曽根両氏を含む全員が了承、5月15日の県議との合同会議で正式決定した。

 県連は内部に残るしこりにふたをしたまま、次期総選挙に向けた一致結束を優先した格好となった。県議団との話し合いは近く開かれる見通しで、尾身氏の公認問題決着に向け、県連の融和を演出する場になりそうだ。

 自民党県連内の確執は、今に始まった話ではない。ほんの2年余り前まで、県議団は福田系「政策同志会」と中曽根系「県政塾」の二つに色分けされていた。ところが06年3月、両派は同時に解散し県議団は一本化された。96年に衆院小選挙区制が導入され「福中戦争」の影が薄れたこと、07年から参院群馬選挙区の改選数が2議席から1議席に削減されること、小寺弘之知事(当時)が自民への対決色を強めたこと−−などが要因だった。自民党が擁立した大澤正明知事の誕生も一本化が大きな原動力となった。

 ただ、一本化は別の問題をもたらしている。同志会の重鎮だった柳澤本次氏は「党内の葛藤(かっとう)は党勢の拡大につながる。一本化で自民党の力は弱くなってしまう」と憂慮する。一方、県政塾の中核だった山口清氏も、福中合併について「小選挙区時代にみんなで決めたことで、60%の容認論」としつつも「世話になった人は複雑に絡み合っており、簡単に割り切れない部分もある」と心情を吐露した。

 もともと、自民党は衆院中選挙区制の下で党内の対立をエネルギーに変えながら党勢を維持してきた。小選挙区制の下で県連内のしこりをエネルギーに変えていけるのか、懸念も広がっている。

 × × × ×

 参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」が閉会した。衆院の解散時期が見通せないなか、県内政界も次期総選挙を意識した地盤固めが活発化するのは必至の状況だ。県内の衆院5小選挙区を独占する自民党の変質と、それに挑む民主党の悩みをつづった。=つづく

毎日新聞 2008年6月24日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080624ddlk10010006000c.html

392片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/07/01(火) 12:00:23
揺れる保守王国:群馬政界事情/2 衰える人材発掘機能 /群馬
 ◇厚くなった現職の壁
 1月31日、国会の衆院議院運営委員長室を清水聖義・太田市長が自らに近い元市議と共に訪ねた。部屋の主は笹川尭・自民党県連会長。清水氏が自らの衆院選出馬の意思を伝えるためだった。2人は元市議を部屋に残し、国会内の別室で秘密会談に及んだ。

 「出るのでよろしくお願いします」と切り出す清水氏。笹川氏は「そうですか」と応じるにとどまった。太田市を選挙区に抱える衆院群馬3区の現職、谷津義男・元農相が進退を明言しない中、会話が弾むはずもなかった。

 谷津氏と清水氏の「公認争い」は昨年暮れに表面化した。民主党の3区公認内定者に不満を持った民主党の一部が、清水氏に出馬を打診。あわてた自民党の一部が、谷津氏との公認調整を前提に待ったをかけた。清水氏は年明け、民主党からの出馬を断り、無所属でも次期衆院選に出馬する考えを表明、自民党に揺さぶりをかけた。

 しかし、谷津氏との公認調整は進まず、清水氏は4月に「市民にとって国政より隣町との合併問題が大事」と一転、市長続投に傾き、今月11日に市長選出馬宣言した。3区の公認問題はひとまず収束した。笹川氏は「66歳で出て(当選して)も政務官にもなれない。それなら大市長を続けた方がいい」と、清水氏の年齢が問題との見方を示した。

 実際、群馬の自民党にとって衆院議員の高齢化は深刻だ。次期衆院選の小選挙区立候補予定者は▽1区=尾身幸次・前財務相(75)▽2区=笹川氏(72)▽3区=谷津氏(73)▽4区=福田康夫首相(71)▽5区=小渕優子氏(34)−−。病に倒れた小渕恵三・元首相の跡を継いだ優子氏以外は70代だ。

 96年に衆院に小選挙区制が導入され、中選挙区時代のように2番手、3番手を狙って新人が挑戦することが極めて難しくなった。「現職優先」の状況が固定化し、政党としての人材発掘機能が低下、現在の高齢化につながっている。

 さらに、小選挙区制の導入に加え、市町村合併で首長の影響力が増したことで、もう一つの現象が加速している。県議から首長への流出だ=別表。自民党関係者は「県議は国会議員の『控室』だったが今は違う。首長になった方がはるかにいい」と説明する。

 国会議員になっても当選回数を重ねなければ党内で発言力を確保するのは難しい。知事や市長として一国一城のあるじになった方が腕の振るいがいがあるというわけだ。

 こうした状況に自民党県連も危機感を隠さない。新執行部は45歳以下の党員でつくる青年部の強化を打ち出した。秋には2泊3日の勉強会を開き、党の方針を学ぶという。担当県議は「国会議員秘書などの経験がなくても志のある人を取り込みたい」と、若年層に支持を広げるだけでなく将来の候補者発掘も視野に入れる。なりふり構わず若年層を取り込もうと、別の関係者からは「党費を安くできないか」と「奇策」を求める声も出ている。

 民主党の国政選挙候補者公募に優秀な人材が殺到する時代。自民党の人材発掘システムも曲がり角を迎えている。=つづく

393片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/07/01(火) 12:00:44
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 ◆首長選に立候補した自民県議◆

 氏名    首長選   実施年月   結果 県議初当選

 金子泰造  前橋市長  08年 2月  × 95年4月

 山本龍   知事    07年 7月  × 95年4月

◎大澤正明  知事    07年 7月  ○ 91年4月

◎亀山豊文  桐生市長  07年 4月  ○ 95年4月

◎安楽岡一雄 館林市長  07年 4月  ○ 95年4月

◎岩井賢太郎 富岡市長  06年 4月  ○ 83年4月

◎岡田義弘  安中市長  06年 4月  ○ 95年4月

◎石原条   みどり市長 06年 4月  ○ 94年1月

 秋山一男  太田市長  05年 4月  × 91年4月

◎高木政夫  前橋市長  04年 2月  ○ 83年4月

 村岡隆村  桐生市長  03年 4月  × 95年4月

◎星野已喜雄 沼田市長  02年 4月  ○ 87年4月

 市村英夫  藤岡市長  02年 4月  × 95年4月

 中島勝敬  館林市長  97年11月  ○ 87年4月

◎矢内一雄  伊勢崎市長 97年 2月  × 91年4月

 ※敬称略。県議経験後、小選挙区制初の衆院選(96年10月)以降に知事選か市長選に初めて立候補した人を挙げた。ただし、合併に伴う新設市の市長選に初めて立候補しても、旧市時代に立候補している場合は除いた。現職の清水聖義・太田市長は初当選が95年のため表に含まない。左端の◎は現職。

毎日新聞 2008年6月25日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080625ddlk10010015000c.html

394片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/07/01(火) 12:07:12
揺れる保守王国:群馬政界事情/3 崩れる集票マシン /群馬
 ◇投票は時の雰囲気で
 「厳しい時代。知事がお見えだが、とにかく仕事を出してほしい」。5月16日、前橋市内で開かれた県建設業協会総会に来賓として出席した、自民党の佐田玄一郎・前行革担当相が、声を響かせた。公共事業の減少、税制の変化−−。同党公認で当選した大澤正明知事らを前に、業界を取り巻く状況の変化を挙げ、県に対して直接的ともいえる訴えを続けた。

 建設業界は冬の時代が続いている。県内の建設投資額は91年度の1兆4739億円をピークに減り続け、06年度は45%減の8114億円にまで落ち込んだ。引きずられるように建設業者数も下降線をたどる。07年度は8608社、ここ10年間で約2000社が姿を消した。

 国と地方の長期債務残高が、08年度末には国内総生産(GDP)の147・6%に当たる778兆円にも達する財政状況で、かつてのような「バラマキ」復活はあり得ない。自民党関係者ですら「公共事業のあり方を考える時代が来た。今が過渡期だ」と覚悟はしている。

 しかし、それでも公共事業に頼らざるを得ない地方の業者にとって、発注額の減少を食い止められない現状は、自民党への、ひいては政治への憤りに直結する。

 業者の胸中は複雑だ。中毛地区の建設会社の男性社長(56)は「仕事はめっきり減った。このままでは(会社の)体力がもたない」と不満をぶちまける。「民主党がうちを助けてくれる保証なんてない」と、支持政党こそ自民党のままだが、次期衆院選で自民党候補者の手足となって動く余裕はもはやない。

 仕事がない現状にやむにやまれず、生き残りをかけて異業種に進出する業者もある。北毛地区の建設会社の男性社長(54)は、07年2月から知り合いの社長ら4人とともに農業分野に参入した。設備投資がかさんだ07年度決算は大赤字だったが「軌道に乗れば、可能性は広がる」と自らを鼓舞する。

 しばらくは建設と農業の二足のわらじが続くといい「もう自民党には期待できない。どこが公共事業を出すかで投票を決める時代は終わった。その時々の雰囲気で自民党か民主党かを決める」。

 県の調査では、建設業者の62%が新分野進出に興味を持っているという。こうした声を受け、県は今年度、新分野への進出資金の2分の1を最大50万円まで補助する新事業を始めた。

 ただ、自らもコンクリート会社を営む自民党の松本耕司県議は「新分野に進出できるのは余裕があるところだけ。いま(公共事業が)ダメだからどんどん死んできゃいい、では冷たすぎる」と建設業界復興のカンフル剤となるか懐疑的だ。

 景気は低迷し、公共事業に対する監視の目は強まるばかり。建設業界は小さくなるパイを奪い合い、新分野への転身も手探りの状態だ。かつて「集票マシン」とまで呼ばれ、自民党が独り占めにしてきた組織票はいま、その結束を失い漂流している。=つづく

毎日新聞 2008年6月26日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080626ddlk10010210000c.html

395片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2008/07/01(火) 12:10:52
揺れる保守王国:群馬政界事情/4止 県連の分裂続く民主 /群馬
 ◇相いれぬ保守と労組
 「地元でそんな報道をされているとは知らなかった。迷惑をかけた」。民主党の鳩山由紀夫幹事長は先月19日、東京都内の個人事務所で衆院群馬3区公認内定者の柿沼正明氏に頭を下げ、3区は柿沼氏で戦うことを改めて伝えた。幹事長自ら公認を再確認するという異例の事態は、保守系と労組系に二分されている現在の民主党県連の対立を物語る。

 昨年12月、同党太田市支部長の黒沢孝行県議ら労組系は、既に3区の公認に内定していた柿沼氏の差し替えを計画。「アイデア市長」として全国的に知名度のある清水聖義・太田市長の擁立を図り、その動きはメディアに報じられた。柿沼氏は「突然の報道で何も聞いておらず、全く理解できなかった」と今でも憤りを隠さない。

 保守・労組対立の発端は同党県連などの不正経理問題だ。06年1月、県連と衆院群馬5区総支部を皮切りに、政治資金収支報告書の記載漏れ問題が相次いで発覚。徹底究明を求める保守系に対し、労組系は幕引きを図り、両者は対立を深めた。

 県連は問題収拾に向け06年11月、国会議員と公認候補で作る最高執行役員会議を設置。だが翌07年1月、同会議のメンバーで労組系の重鎮、角田義一参院副議長(当時)自身の政治資金収支報告書の記載漏れ疑惑が明るみに出ると、両者の対立はさらにエスカレート。以来、同会議は正式には一度も開かれていない。

 県連内部で深刻な対立が続く一方、中央では福田内閣の支持率が低迷、次期衆院選に向けた民主党への追い風に期待が強まる。05年の前回衆院選群馬2区で、自民党の笹川尭氏に1422票差(惜敗率98・5%)まで迫った保守系の石関貴史衆院議員(比例北関東)の関係者は「次は小選挙区で、十分議席を狙える」と話す。

 だが、3区同様、2区内の民主党桐生市支部の労組系幹部は「前回衆院選時の石関氏の行動やその後の態度は看過できず、応援できない」として対立姿勢を明確にしている。

 鳩山・柿沼会談で一応の決着がついたと見える3区も、黒沢氏は「柿沼氏を公認とは認めていない」と譲らず、新たな候補者擁立を模索する方針だ。公認内定者がいる県内の衆院小選挙区で、今のところ表だった対立が見えないのは、昨年11月に宮崎岳志氏に公認内定した1区だけだ。

 保守系の民主党県連関係者は「国政選挙に県連は必要ない。それぞれの公認候補が努力すればいいだけだ」と話し、次期衆院選前に内部対立の解消を急ぐ必要はないとの考えを強調する。自民党ほどの組織力がない民主党候補にとっては、組織よりも無党派層を意識した選挙が有利というわけだ。

 ただ、言葉の裏には「対立の根は深く、いくら力を注いでも糸口は見えない。選挙前に無駄な事に力を割くわけにはいかない」との本音が見え隠れする。自民党王国と言われ続けてきた群馬で、民主党は県連すら一本化できない「寄り合い所帯」の地盤の弱さをさらけ出している。=おわり(この連載は塩崎崇、伊澤拓也、鈴木敦子、杉山順平が担当しました)

毎日新聞 2008年6月27日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080627ddlk10010147000c.html


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