岡本 三月二十四日付の『ワシントン・ポスト』紙は、安倍首相の発言は「民主国家の指導者として恥である」とまで書いた。アメリカの新聞の社説で、あれほどひどく先進国の指導者を批判したものを読んだのは初めてだ。「狭義の強制性」があったかどうか、彼らにとっては単なる言い訳に聞こえるのだろう。
そもそも今回のような決議案は年に何千本も提出され、そのうち採決に付されるのは一〇%ほど、成立するのはそのうち五%ほどというのが実態だ。マイク・ホンダ議員が提出した今回の決議案も何千本かのうちの一本にすぎず、本来なら大して注目も浴びず、ましてや成立するなど考えられないものだった。しかし、それが日本側の対応のまずさで「大火事」になってしまった。
アメリカ人がよく使う「One is too many」という言い回しがある。「一つあれば、もうダメだ」ということ。日本がどんなに軍の強制を否定しても、「軍に拉致されて暴行された」と述べる証人が一人でも出ればPR戦争上は終わりなのだ。そもそも「強制が一切なかった」と証明する方法はない。日本としては、全体として痛ましいことがあったのだから、河野談話を踏襲するという方針しか選択肢はなかったと思う。
私も日本人として、安倍首相の気持ちはわかる。また、こういった問題に対しては、高い倫理観を持つ人ほど、率直に詫びるべきだという意見と、謝る理由がない以上は否定すべきだという意見に分かれるものだ。安倍首相の発言をもって、彼の倫理観の厳しさを疑うのは適当ではない。ただ、そのうえで安倍首相には「世界の潮流」を理解していてほしかった。